12年3月2日
友達経由でHPの存在が息子にバレ、文句をつけられた。
とりあえず撤退。
今後は内容を吟味し、「主婦日記」として続けて行くつもりだが、問題は、息子のことを抜きにすると引きこもり専業主婦の私には何の話題もない、というところだ。
テレビのローカル局で、何もニュースがないので「山登りをする猫を取材しました」と言ってるような作りになるかも。
まあやってみよう。
12年3月3日
今日はひな祭り。
通常のご家庭では雛人形をしまう頃だろう。
3月3日までにしまわないと、娘が縁遠くなると言われているからね。
うちでは、唯生はお嫁に行かないと思うので、毎年今日あたりから飾り始めるんだ。
今年も、出してみた。
唯生が生まれた時に名古屋の母からもらった親王雛で、度重なる引越しのたびに周辺の物を整理してしまったので、今では「ぼんほり」も「梅の木」もない。
出窓に緋毛氈を敷いて金屏風を立て、、畳のような「席」を置き、おひなさまを乗せる。
落ち着くなぁ。こないだまでフィギュアに占領されていたのがウソのようだ。
受験で落ち着かなくて、唯生の外泊もなかなかできないのだが、忙しいのは3月中で終わると信じて、4月には外泊の予定を入れよう。
今ごろ、病棟で「ひな祭り」のイベントをしているかもしれない。
唯生ももう今年は21歳かぁ。感慨深いね。
毎日元気に楽しく暮らしてほしい。
12年3月4日
大内くんが息子の部屋を半ば強引に片づけてくれたおかげで、なんとか住めるようになった。
マンガをそれなりに捨てさせてもらえることになり、ブックオフに段ボール1箱ぐらいを持ち込んだ。
「アフロ田中」などが高く売れたようで、名古屋の甥っ子からもらった「涼宮ハルヒ」系をごっそり売った時に勝るとも劣らない成果だった。
赤本(大学別入試問題集)の山を売りに来ている親子連れがいて、「あ、仲間」と思ったよ。
(でも、ブックオフでは赤本は買ってくれないみたい)
マンションのゴミ捨て場にも、古紙のコーナーに参考書類が出る季節。
我が家からも、ノートや問題集などが台車2台分出たからなぁ。
怒涛の入試が終わり、いまだにふわふわと宙を踏むようだ。
「まだ最後の発表から3日しかたってないんだよ」と大内くん。
うん、3月1日のことだもんね。
現実味がない、というか、夢のよう、としか言いようがない。
もうしばらくしたら、この状態に慣れるんだろうけど、まだダメだね。
茫然と暮らすしかない。
何年も会っていない友人の家にも同い年の男の子がいるんだが、早稲田の教育学部に受かったらしい。
>まさか、合格できると思っていなかったので
>電話で確認してもHPを見てもまだ信じられず、書類を受け取ってもまだ浮ついています。
というメールが来て、どこも同じだ。
もう背広を買いに行ったようだ。うちも買わねば。
何やら多忙感があるなぁ。
「ゴールデン・ウィークぐらいまでは無我夢中なんじゃないか」と大内くん。
そんな気がする。
12年3月5日
日曜日に、大内くんと散歩がてら「おばちゃん」ちに合格のお知らせをしに行く。
15年前にこの地の社宅に引っ越してきた時、息子を保育園に入れて、お迎えに行けない時などに代わりに行ってもらうためのシッターさんとして紹介してもらい、その時からずうっと息子をかわいがってくれている人だ。
我々と親の世代の中間層ぐらい。いわゆる団塊の世代か。
合格の知らせは息子が伝えているようだが、我々からも報告してお礼を言わねば、と思い、家にたくさんあった「さつまいも」をおすそわけに持って行った。
途中、公民館の横を通ったら小規模なバザーをやっているようで、おばさんたちが品物を並べている。
「おばちゃんがこの中にいたりしてね」と思うのは、活動的で世話好きなおばちゃんが、日曜日の昼間に家でゴロゴロしてるとは到底思えないから。
じゃあなんで家に行くんだ?電話もせずに!と思いながらおばちゃんの住んでる公団に着いた。
あにはからんや、おばちゃんは留守で、ダンナさんの「おじちゃん」が1人で留守番してた。
「受かったんだってね!おめでとう。ウチのはね、今、バザーに行ってるんだよ。公民館で」
あー、やっぱりおばちゃんはあそこにいたのか!
もしかしたら、私は無意識におばちゃんの声を聞いていたのかも。
しばらくお話をしてから辞去し、駅前で昼ごはん。
初めて入るピザの店で、前から「食べ放題」が気になってたんだよね。
セットメニューが1180円で、「ピザ食べ放題、パスタ、サラダ、ドリンクバー」つきだ。
なかなか広くてきれいなお店。
私は「ナスのミートソースパスタ」、大内くんは「カルボナーラ」を頼む。
石窯で焼くピザはまあまあのおいしさ。もうちょっとパリッと焼けるといいんだが。
席にどんどんピザを持ってきて、一切れずつ食べさせてくれる「食べ放題な」ので、大内くんは恐ろしいほどの量を食べていた。
コーヒーやオレンジジュース、ラテをたくさん飲んで、満腹になってお店を出る。
感想は2人ともほぼ一緒で、
「まあまあだったね。もう1回来るか、と言われれば、来ない、なんだろうね。行きつけの店ってのは、なかなか増えないもんだね」。
ここんとこ、新しい店にチャレンジしているのは、ドラマ化された「孤独のグルメ」のせいなんだろう。
毎日外食する「井之頭五郎」みたいなわけにはいかないよ。
のんびり散歩して帰り、途中で公民館に寄ってみる。
あ、おばちゃんがいた。
「まあまあまあ!合格だってね!おめでとう!よかったわね!あの子なら大丈夫、って思ってたわよ!」と喜んでもらえた。
「今度、うちでお祝いのごはん食べましょうよ!」と言いながら、おばさん仲間にどんどん紹介してくれる。
「これ、大内さん。あの子のお父さんとお母さん!」
我々は会ったことがないのに息子をよく知っているらしいおばさんが、山のようにいるのだ。
小さい頃から「おばちゃんち」で会っているんだね。
「さっき、お宅にさつまいもを届けておきました。おいしいさつまいもなので、焼いもにして食べてください」と言って公民館を後にした。
いつもながら、エネルギッシュなおばちゃんに会うと軽くめまいがする。
自分たちは、老後に、こんなに地域に貢献し、有意義な人生を送ることができるのだろうか。
きっと、できないなぁ。
「せめて、息子のコドモぐらい面倒見てあげたいね」と言うのが今日の結論。
来週も楽しく散歩しよう。
12年3月7日
駿台から、「入塾しませんか?」というおススメのダイレクト・メールをもらった。
要するに、浪人を集めてるんだね。
「すでに進路を決められた方、合格発表をお待ちの方には、誠に失礼なご案内が含まれますことをお詫び申し上げます」
とわざわざ書いてあって、うん、うちもこないだまでは浪人もアリか?!って右往左往してたから、勧誘の主旨は分かる。
もしかしたら、ものすごくありがたいと思ったかもしれない。
だんだんまわりの合否もはっきりしてきて、これが一番花開くのは、卒業式の後の謝恩会だろうなぁ。
私は記憶力が弱く、誰がどこに受かったの落ちたのという話を覚えておくことができない。
外部メモリ大内くんに助けてもらってる。
保護者会などに行くと、見知らぬ(と、私には思える)お母さんに会釈され、大内くんに、
「今の誰?」とささやくと、
「1年生の時同じクラスだった○○くんのお母さんだよ。息子さんは水泳部じゃなかったかな」とか言われる。
さすがの記憶力だ。
大内くんによると、私は、
「CPUが優秀なので、処理速度が速い。つまり、頭の回転は非常に速い。しかし、メモリが10メガバイトぐらいしかない。記憶力、なさすぎ」なのだそうだ。
「小さい時に高熱が1週間続いて、お医者さんから『脳をやられるかもしれません』って言われたらしいんだけど」と話したら、
「じゃあ、その時に記憶野をやられたんだよ」とあっさり。
これでも大学受験までやってるんですけど・・・
それはさておき、謝恩会では大内くんにくっついていよう。
誰かに話しかけられたらこっそり「あれ、誰」と聞かなきゃいけない。
「森羅万象すべてを覚える必要はない。百科事典をひく力さえあればいいのだ」と開き直って。
12年3月8日
キッチンで、食器棚の上に小さな押入れケースを置いて、粉モノ(小麦粉、パン粉、砂糖、塩など)を入れているのを脚立に乗って取ろうとしたら、ふらついて、まっさかさまに転落した。
幸い骨折したりはしなかったけど、おでこに派手なたんこぶを作り、ひざに青あざができ、大したことはないというものの、けっこう痛い思いをした。
コワイと思ったのは、食器棚の向かいにあるガス台でお湯を沸かしたり油を熱したりしていたら、相当危険だったということ。
今回は調理中ではなかったのでよかった。
大内くんは背が高いので脚立いらずに引き出しを取り出しているが、私はムリ。
でも、脚立を使うとあぶない、ということもわかった。
キッチン横の物入れに、割り箸・紙皿などの軽い物を入れてある同じ押入れケースがあるので、とりあえず、中身を交換。
高いところに重いものを入れるのは危険だ。
帰ってきた大内くんに事の次第を話しておでこのたんこぶを見せたら、
「危ない。気をつけて。ケガなんかしたら、大変だよ。本当に気をつけてね」とものすごく心配された。
うん、自分でも、運が良かったと思ってる。
家の中とはいえ、危険な場所はいくらでもある。気をつけよう。
12年3月10日
高校の卒業式があった。
朝からの雨模様だが、大内くんと2人で行ってきた。
部活のフィルハーモニー楽団に迎えられて、3年生の入場。
保護者席の1番前に座っていたので、1列になって歩いてきた息子の顔がよく見えた。
「あれ、ボタンが1コないよ」と大内くんが小声で言うから、すわ、もう第2ボタンを誰かに!と一瞬興奮したが、袖のボタンのことだった。
青春も何も関係なく、単に身じまいが悪いということだ。恥ずかしい。
シンプルで、可能な限り短い式で、たいへんよかった。
卒業する3年生の名前の一覧表をもらっていたので、各クラス担任の先生が呼名するのと照らし合わせて、
「これで『○○』と読むのか。うひゃ〜」とか「さすがに『光宙(ぴかちゅう)』はいないか」(保育園にはいるらしい)とか思って遊んでた。
3組の先生が、むちゃくちゃ呼名がうまく、抑揚と張りのある声で呼んでいくさまは、ドラマを観てるようだった。
実際、後ほど行われた父母の飲み会では、
「名前を呼ぶ、という、それだけのことに、どうしてあんなにドラマを盛り込めるのだろう?」と皆さん驚いていた。
無事、卒業式を終えて、退場する息子をまた見た。
「以上、320名の卒業を認める」と聞いてしまった以上、今後息子がどうなろうと、高卒の資格だけはあるわけだ。
たとえば、昨日何か事件を起こして退学になっていたら、その後の彼は中卒。
大学も、入学式が終わってしまえば最悪でも大学中退になるわけで、早く入学式こないかな。
さて、我々はとにかく「卒業を祝う会」が行われる渋谷にタクシーで行く。
大内くんが「卒業対策委員会」通称「卒対」をやっているので、会場に行ってお仕事なのだ。
本当は役員さんたちが4、5人ずつどんどんタクシーに乗ることになっているが、大内くんとしては私を置いて行くわけにもいかず、また、他の役員さんと相乗りをするとPTAからタクシー代が出ちゃうので、非役員である私の分が難しくなる、というわけで2人で乗ってった。
(もちろんタクシー代は自腹です)
ホテルのパーティー会場で行われた「卒業を祝う会」は、とてもよかった。
いつのまにか知り合いも増えていて、壁の花になる心配は全然なかった。
どのお母さんとも、別れがたかったよ。
それが終わると、今日3発目のイベント、1年生の時のクラスの保護者さんたちと飲み会。
大内くんがやっていた「卒対」に、1年の時の中心的なお母さんがいて、そういう縁で我々も誘ってもらえた。
12人も集まったし、お父さんもが3人、というのはけっこう珍しい数だ。
先日うちに泊まりに来た子なんか、ご夫婦での参加だ。
我々以外の人たちが夫婦で来るのはめったに見ない。
今後はお父さんたちの参加も増えるといいね。
飲み放題コースで盛り上がりながら、みんな口をそろえて言うのは「この高校にして本当によかった。いい高校だ」ということ。
本当にいい高校だった。
部活率98パーセントで、6月まで部活やって、9月までは3年生恒例の文化祭での劇をやって、そこから受験に向かっていく。
「秋にはE判定の子が、どんどん志望校に受かるんです!」と、1年前の全体保護者会で進路指導の先生が胸を張っていたのも無理はない。
8時近くにおひらきになり、「また会いましょう!」「体育祭を見に行きましょう!」と言いながら、皆さんと別れて帰る。
朝の8時に家を出てからずっと人と会ってたわけで、ひきこもり専業主婦の私としてはものすごく疲れたんだけど、楽しかったよ。
息子が頑張ってこの高校に入ってくれたおかげだ。
大内くんと、何度も、
「とうとうここまで来たね。子育ても、もうちょっとしか残ってない。ほとんど終わりだね」と話し合う。
大学生にどのくらい親が必要なのか、まったくわからないけど、これまで同様、できることをやっていくだけだ。
地方に行って寮なり下宿なりで家を出る子も多いわけだから、子育ては終わりなのかも。
これまで息子や我々を支えてくれた皆さん、本当にありがとうございました。
これからも元気に、家族仲良く暮らして行きます。
12年3月11日
買い物に行って、車を駐車場から出そうとしていたのが2時47分。
市の拡声器から放送があった。
「東北大地震で亡くなった方々のために、黙とうを行ないます」
大内くんと2人、手を合わせてうつむく。
昨日の卒業式でも黙とうをした。
多くの人命が失われた恐ろしい災害だった。
東京でもかなりな揺れで、電車もほとんど止まり、大内くんは4時間かけて会社から歩いて帰ってきた。
うちはさほど被害はなかったが、それでも重い本棚が動いたりしていて、驚いたし、怖かった。
直後はスーパー等でモノが少なくなり、不安や危惧があった。
それでも物流もすぐに回復したし、大した被害はなかった。
今日は1日中津波の映像で、大変なことが起こったんだなぁ、と、あらためて震え上がったよ。
今後は東京にも大地震が来るかもしれない。
スカウトの合言葉「そなえよ、つねに」を胸に、持ち出し袋の点検をしよう。
12年3月12日
息子1人で、名古屋のおばあちゃんちを訪ねた。
同い年のイトコもいて、楽しかったようだ。
我々はその間のんびりした、と言いたいところだが、大内くんは最近仕事が忙しくて、あんまり遊んでくれないのだ。
よもや他の女の人と遊んでるとは思わないが。
息子のいない夜、なんてものにはもう、すっかり慣れてしまった。
帰りの遅い大内くんを待ちながら、
「大学生の息子を持ったら生活はこんな風なんだろうなぁ」と考える。
老後に、一緒にやれる趣味とかできたらいいね。
大内くんの関心事は、どうも、
「邪馬台国はどこにあったか」
「サンタクロースとなまはげは同一起源ではないか」
などと、シロートにはついていけない話だ。
「まず、古文書を読めるようにならなきゃ。書道でもやったら?」と進言してみたのだが、それは気が進まないらしい。
精進したまえ!
12年3月14日
中島みゆきの歌に「熱病」というのがある。
>僕たちは 熱病だった ありもしない夢をみていた
>大人だったり 子供だったり 男だったり 女になったり
>僕たちは 熱病だった 曲がりくねった道を見ていた
>見ない聞かない言えないことで 胸がふくれてはちきれそうだった
>でも HA HA HA 春は 扉の外で
>でも HA HA HA 春は 誘いをかける
>教えて 教えて 秘密を 教えて いっそ 熱病
>僕たちは 熱病だった 知恵が身につく寸前だった
>熱の中で みんな白紙のテスト用紙で空を飛んでいた
>僕たちは 氷の海へ 上着のままで飛び込んでいた
>ずるくなって 腐りきるより 阿呆のままで昇天したかった
>でも HA HA HA 春は 扉の外で
>でも HA HA HA 春は 誘いをかける
>教えて 教えて 秘密を 教えて いっそ 熱病
最近また聴くようになって、これはまさしく「思春期」の歌だと思うに至った。
息子たちはまさに「みんな白紙のテスト用紙で空を飛んで」いるんだろうなぁと、現実的とも夢想的ともいえる気分になるんだ。
男子たちは、「阿呆のままで昇天」しそうだよ。
彼らが「扉の向こうの春」に「教えて」と懇願している秘密は、きっと「SEX」なんだろうし。
この歌が入っている「Miss M」は中島みゆきの中で私が一番好きなアルバムだが、今聴いて、新たな発見があるとはなぁ。
人間、いくつになっても勉強だ。
12年3月16日
大内くんはめずらしく出張で、九州に行った。
「ツインの部屋に1人で泊まってるよ。ちょっと広くていいね。しけた目覚まし時計がベッドのわきにあるよ」と電話をくれた。
働き者だなぁ。
私は寂しくてたまらないのだが、息子は、
「あいつ、いないの?出張?ふーん、どこ行ったの?」とのんきなものだ。
朝の5時から出かけて、山口行って大分行って、泊まって、翌日は夜中の12時半ごろ帰ってきた。
あいにくケータイの充電器の調子が悪かったらしく、最後、「羽田に着いたよ!」という連絡がなかったので、ものすごく気をもんだ。
羽田空港に電話して、
「事故とか、遅延とかありましたか?」と聞いてしまったよ。
(答えはもちろん、「全ての便が順調です」。あー恥ずかしい)
帰ってきた大内くんをなじりつつ、もっと気になるのは午後から出かけっぱなしの息子だ。
結局夜中の1時半ごろ帰ってきた。
プチ大学生というか、プレ大学生というか・・・
もう補導される年でもないだろうが、親としては心配だ。
大学入ったら、この調子で全然帰ってこないのかも。
大内くんは、
「自分たちのこと、考えてみようよ。普通に家に帰ってたとでも?」とフラットだ。えらい。
だんだん夫婦2人の暮らしに慣れて行かなくっちゃなぁ・・・
12年3月17日
当面1着は背広が必要かと思い、息子を連れて近所の「洋服の青山」に行く。
なかなか予定が合わなくて、もう背広を買うのはムリかも!と思っていたんだけど、息子本人が背広はかなり必要だと思っていたらしく、なんとかついてきてくれた。
私がカード作ったりしていて、息子の面倒は大内くんと店員さんが見てくれてたもよう。
あっという間に選び終わってしまい、買い物はワイシャツや靴へと移行した。
なので、私は息子の背広姿を見ておらず、紺らしいとしか知らない。
まあ、入学式の日に見られるだろう。
係の人の説明によると、今は細身でエリの幅なんかも細いのが流行らしい。
でもさ、どうしてお店って「キャッシング機能のついたカード」を作らせたがるのか?
今回も、作りたくなかったんだが、割引があったりポイントがたまったり、いろいろいいことがありますよ!と説得されて作っちゃった。
もし財布を落としたりしたら、いったいどれだけのカードを止めなきゃいけないか。
考えるだけで頭が痛い。
ともあれ、これ着て息子も大学の入学式かぁ。
さすがの大内くんも、
「もう入学式には行かない。親の出番は終わった」と言っているので我々は行かないと思う。
息子が、朝、家を出る時にちょっと写真撮らせてくれたらいいんだけどな・・・
12年3月18日
卒業式が終わったり、国公立後期の発表がまだだったり、いろんなことがある今日この頃、高校の柔道部で、毎年恒例の「三年生を送る会」が開かれた。
これは父母会が主催するもので、卒業生たちには案内のお手紙が来たよ。
しかし、息子は数日前からおなかの調子が悪く、病院で「腸炎でしょう」と言われて薬のんでて、
「さすがに、ムリ!」とギブアップした。
しょうがないから大内くんと2人で出かけ、
「本当に残念だね!この会で『送ってもらう』のが長年の夢だったのにね!」と言い合う。
ところが、我々が早めに会場に着いてしまった時、息子からメールが。
「いけるかも」
ビックリしたけどとにかく返事だ。
「ムリしないで、ゆっくりおいで」
で、開会20分ぐらいで彼が現れた。
(現場が混乱していて開会が20分ほど遅くなったのもよかったようだ)
在校生たちの出し物、女子が学ラン着て踊ったダンス(KARAなのか?少女時代なのか?)がたいへんよかった。
さすがに日々身体を鍛えているだけあって、見事なダンスだった。
途中に「打ち込み」が入るのがポイント。
男子部は、女子たちに借りたのか、セーラー服。(物々交換してたのかぁ)
おにゃんこクラブの「セーラー服を脱がさないで」を踊ったが、ふた目と見られぬ気持ち悪さ(笑)だった。
1年生男子の1人は、センターでミニスカートをまくりあげてパンツ見せる捨て身の面白さ。次期部長か。
毎年在校生がお笑いをやってくれるのだが、今年のこれはまた、見事だったよ。
そんな後輩たちに送られて、息子の柔道生活はこれでいったん終わりだ。
親も気持ちを切り替えて、だが淡々と、もうちょっとで終わる子育てを楽しませてもらおう。
しかし、この程度の日記でも、息子にバレたら「何オレのこと書いてんだよ!」って、ぼこぼこにされちゃうのかなぁ・・・
12年3月19日
塾の親たちで、謝恩会を開くことにした。
うちは小5の時から大学まで面倒を見てもらったが、そういう「生え抜き」の子が大勢いる。
そんな子たちのお母さんたちは、塾のすべてを把握しており、講師の1人に縁談を世話しようと手ぐすね引いてるほどだ。(笑)
娘さんたちがまだ大学の後期の発表を待っている、という大物お母さん2名に呼ばれて、巨頭会談の場にいさせてもらった。
中3と高3の親が対象で、親たちが先生たちにお礼を言う、という会だ。
「保育園が一緒だったから」とか言って、じつにさまざまな人たちの動静をよく知っているお母さんたちだった。
ジョナサンのドリンクバーでねばりながら、名簿をもとに、どうやって連絡するか決める。
間には、大内くんが小雨の中コンビニに走ってコピーを取ってきたり。
私は何の役にも立たないので、大内くんの横でちっちゃくなってました。
高校受験の時もやったなぁ、謝恩会。
浪人するつもりの女子がいるのだが、塾をどうするんだろう。大手予備校か?
前に塾で保護者会をやった時、半ば本気で、
「浪人のためのクラスは作らないんですか?」と聞いてしまった。
今年は、塾生たちが頑張ってて、これまでになく志望校が高いので、浪人も出るというわけ。
息子はこの塾でバイトすることが決まっているので、もしかしたら来年のこの時期に、「謝恩」されてしまうのかも。
さすがに受験生にはさわらせてもらえないだろうなぁ、バイト講師1年目では。
小学生を教えるあたりから始めるのかしらん。
そんなこんなで、塾には本当にお世話になった。
他のどのお母さんにも負けないぐらい、先生方に面倒をかけてきた。(つーか、これ、自慢?)
そしてこの春を迎えられた…感動だ。
謝恩会の当日も、この感動の涙がお母さんたちの間を駆け抜けることを祈る。
12年3月20日
そんなに世話になっている塾にさらに面倒を見てもらうイベントが。
中3と高3が行く、「卒業合宿」だ。
市の保養所を使って、1泊2日。
向こうではスキーができるらしい。
息子は、スキーやる機会があんまりないんだけど、「好き」ではあるようだ。
朝の6時半に塾の前に集合。
送り出した我々は、「寝られる!」と大喜びして二度寝する。
目が覚めたのが9時頃。
これ以上寝てしまうと、何のための休日なのかわからなくなるので、思い切って起きる。
隣町にラーメン食べに行こう。
「なかなか行きつけの店って、増えないね」と、散歩で着いた隣町。
ラーメンもなぁ、2人とも何となく、
「しばらく来なくていいね」と合意する。
あとは30年来通っているカレー喫茶ぐらいか。
サムラートがなくなっちゃったり、ランチがおいしかったタイ料理屋さんがなくなったり、私がOL時代から好きだったパスタの店もとっくの昔になくなってる。
我々にとっては、お店が、減ることはあっても増えることがない。
いろいろトライしてみないとなぁ。
夜は水餃子。
もう、何か月週末ごとの水餃子を食べていることか。
私は大好きなのでいくらでも食べたいが、大内くんはどうか。
「僕は飽きないよ。いくらでも食べようよ。この先年単位で続いても文句はないよ」
なんてステキなだんなさまでしょ。
対照的に横暴で飽きっぽいのが息子。
水餃子には、最初の2週間で挫折。(「先週も食ったじゃねーか!」)
それ以来、彼は塾でいないことも多かったし、今では別に作ってあげるので、問題はない。ないはずなんだが。
先日、腸炎を起こしてトイレにこもっていた彼は、我々が食べる水餃子がガマンできなかったらしい。
「くせーよ!窓開けろよ!」と騒ぐのは、ニラのせいか大内くんがふんだんに入れ過ぎたニンニクのせいか。
腸炎で気持ち悪かったせいだと思いたい。
それでも、安全を見たいので息子のいない今日、水餃子にした。3日前にも食べたが。
私が水餃子に飽きるのはいつかなぁ。
そして、息子にぼこぼこにされる日が来るのかなぁ。
12年3月22日
ポトフが食べたくなった。
息子も「食べたい」というので、今週はポトフだ。
(たくさん作って、2回ぐらいに分けて食べる)
それなら、美味しいパンがほしいね、と、駅前のリトル・マーメイドに行く。
ああっ、しまった!トレーから、パンを落としてしまった!!
すぐにお店の人が、
「お客さま、代わりのパンがありますから」と言って新しいパンを取ってくれた。
「すみません、お代を・・・」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」という会話があって、落っことしたパンはあっという間に奥へ持って行かれた。
車で待っていた大内くんに、
「パン、落っことしちゃった」と顛末を話すと、
「パンを落とすお客さんなんていっぱいいるよ。気にすることないよ。でも、サービスがいいね。そういうお店は、『また行こう』って思えるよね」と言っていた。
それに関連して、今、石森章太郎の「ホテル」を読んでいるんだけど、「パーマネント・フリー」(直訳すれば、永久にタダ、ってことですね)というものがあるんだって。
アメリカのある航空会社が、フライト中に生まれた赤ちゃんは一生飛行機代がタダになる、というサービスをしているらしい。
(船会社でもやってるとこがあるそうな)
マンガの中では、お母さんが急に産気づいちゃって、病院に運ぶ間もなくホテルで生まれた赤ちゃんが、舞台となる「プラトン・ホテル」に一生タダで泊まれる、というお話。
大内くんにその話をしたら、
「それは、突発的な非常事態をおめでたいことに変える方法だね。いいリスク・マネジメントだ」と感心してた。
パン屋さんもホテルも航空会社も、より良いサービスを考えてくれていると思うと、消費者としては嬉しいよ。
ちなみに、私が大学4年生で就職を考えていた時、父が、
「おまえは、ホテルに勤める気はないか?英語も活かせるぞ」と言って紹介してくれそうだったのだが、その当時は、
「お客さん相手の商売はちょっと向いてないかも」と思ったので、断ってしまった。
でも、今ふりかえると、ホテルのコンシェルジュなんて実は向いてたのかも。
少なくとも大内くんは、
「頭蓋骨がきしむほどの気配りをしている。ホテルマンに、とても向いている」と太鼓判を押してくれてるよ。
何しろ「ミセスQC」なんだから。
ただ、私にはホテルマンとして致命的な欠陥がある。
人の顔と名前を覚えられないのだ。
石森の「ホテル」の中には「6千人の顔を覚えている」フロント係さんがいたりするし、かなり肝心な才能だろう。
ホテルに勤めてたら、今でも働いてたのかなぁ、とか考えることはあるけど。
いやいや、やっぱりコドモが生まれたらやめてただろう。
仕事と家庭を両立させるほど、勤勉じゃないよ。
特に、唯生が生まれた時には辞めるしかなかっただろうし。
世の中には働いて子育てもして、という女性がいっぱいいるんだろうなぁ。
つくづく、頭が下がります。
今日もごろごろとマンガを読む私・・・
12年3月24日
昨日、塾の塾長と個人的な飲み会をした。
小学校5年生からお世話になってきた塾で、大学受験をともに戦ってもらったので「打ち上げ」なんだが、今度は息子が講師として働かせてもらうので、そのお礼もかねて。
息子の小学校時代からの友達のおうちが焼き鳥屋さんをやっていて、その店で飲んだ。
こちらは大内くんと私。
塾長と3人でビールで乾杯だ。
「息子さんには、これから塾で活躍してもらいます。もう、個人指導の予定が入ってますよ!」と言われてビックリ。
うちの豚児に、早くもそんなオファーがかかるとは!
「『大内席』で毎日頑張っていた姿を見て、大学に合格した話も聞いて、『そんな大内先生にぜひ教わりたい』という中3の生徒がいるんですよ」と塾長。
中3という大事な時期に、息子でいいのか?!まだ大学生になるという考えにすらなじめなくて、右往左往してるというのに!
「大内くん(この場合は息子)なら大丈夫ですよ」と塾長は言うが、あまりに責任重大で、親としては身が引き締まる思いだ。
塾長の学生時代の話を聞いたり、我々夫婦のなれそめを語ったり、楽しい2時間だった。
(塾でのお給料の話まで!)
でも、息子のバイトが始まると、もうこんなふうに塾長と会うこともないだろうなぁ。
なにしろ、今までは「顧客」であったのが「従業員の親」というポジションになってしまうのだから。
そう話したら、
「何を言ってるんですか!これからは友達ですよ。『西山先生』じゃなくって、『西やん』と呼んでください!」と、あいかわらずアツい塾長だった。
それはそれでありがたいけど、時々誘ってもらっていた麻雀、息子が教えてもらいつつ卓を囲むようになったら、もう親は行けない。
まして授業を観に行くことなどあり得ない。
大内くんは、
「どっかに隠れて見る、ってのはムリなんだろうか」と、オソロシイことをかなり真剣に考えているようだ。
塾長、これからも息子をよろしくお願いします。
本人も、
「塾で教えるのはお金のためじゃない。恩返しだ」と言い切っている。
ああ、春が楽しみだ。
12年3月25日
ドラマ版の「孤独のグルメ」を観て、家の近所のお店が紹介されたので1度行ってみた。
(正確には2回。同じ日の昼と夜に行った)
「今後も来るかどうかは、様子を見て」という結論になっていたが、今回、もう1度行ってみることにした。
「カレーがおいしかったよ」と言う大内くんは、「ポークジンジャーカレーの大盛り」。
私は、「ドライカレーとポークジンジャーのわくわくセット」。
どちらも、やはりおいしかった。
お会計の時に、ウェイトレスのおねーさんが私の顔を覚えていたらしく、「ああ!」という表情になって、
「いつもありがとうございます!」と元気に言ってくれた。
前回、同じ日に2回行ったのが効いているのか、夜に行った時にも同じ反応だったよ。
家の近所に、「おいしい店」の手駒をもっと持ちたい、というのが大内くんとの共通の願いで、現在、鋭意努力中。
スタバでコーヒーを飲みながら、
「あの店ももう何度かは通ってみようね」という話になる。
お店はいっぱいあって、いくらでも開拓できるような気がするが、そこはそれ、井之頭五郎みたいに始終外食してる人にはかなわない。
我々は、せいぜい週末ごとに隣町に行っては、
「今日は何を食べる?」と相談する、という頻度だからなぁ。
独り暮らし、外食率高しの女友達が、
「やっぱこの作品、かなり『ひとりめし』のココロをつかんでますね」と言ってきたが、まさにそういう番組なんですねぇ。
私の強力な助けになるのは、レシピてんこ盛りの「よしながふみ」だと思う。
12年3月26日
週末、息子の友達が4人ほど泊まりに来た。
我々はあいにく塾長と飲み会なのでそう言ったら、
「ちょうどいいじゃん。行ってきたら?こっちは全然大丈夫!」と元気な答え。
「翌朝も、買い物とかあるから早く出かけちゃうよ?」
「大丈夫大丈夫」
なんか心配だが、早い子はそろそろ親元離れて1人暮らしだ。信頼しよう。
だが、会社帰りの大内くんとお店で待ち合わせなので出かけようとしていたら、息子に声をかけられた。
「カレー作りたいんだけどさー。材料費とか、おいってってくんない?」
どうして出がけの忙しい時にそういうことを言い出すかなぁ。
そもそも、調味料のありかとかもわからなくて、お料理はムリだろうに。
困った私は大内くんにメールしてみた。答えは、
「いいじゃない。自立への道だよ。台所を汚したら、明日僕が掃除してあげるよ」。
でもさ、炊飯器の使い方からして「わからん!」って威張ってるんだよ。
「誰か使えるヤツがいるだろう」って、パソコンの話してるんじゃないんだから。
それも大内くんに報告したが、
「任せてみなよ」。
そこまで言われちゃ、引き下がるしかない。
とりあえず言われたとおりに千円出そう。
息子に、
「火の元だけは用心してね」と言い、すでに集結しつつある少年たち(いや、もう青年か)に、
「行ってきま〜す。ごゆっくり〜」と声をかけ、塾長と飲みに行った、という顛末。
で、帰ってきたら台所はどうなってたんだ?というのが皆さんも気になるところでしょうが、まったく無事でした。
お鍋に少しカレーが残っていたけど、あとはきちんと片づけられ、お皿も食器洗い機の中でキレイになってた。
2、3時間で買い物してカレー作ってみんなで食べて後片づけして、よくやったもんだ。
デザートに「フルーチェ」を作って食べたらしいとこまでステキ。
楽しそうにいつまでもゲームをやってる青年たち。
それぞれの進路は別々だろうが、ずっと仲良くやってくれ。
そして、いつか我々にもカレーをご馳走してもらいたい。
12年3月27日
息子は友人宅に「お泊まり」に行った。
2週間ぐらい前に向こうさんも泊まりに来た、1年の時のクラスメートのおうちだ。
お母さんにお礼の電話をしたら、
「いつものメンバーで、楽しそうですよ!」と言っていた。
うちに泊まりに来た時と同じメンツらしい。
先週末の「お泊まり会」とはまた違うんだよ。ミョーに友達の多いヤツだな。
高校生活3年間はあっという間だったが、中でも1年の時の友達は、今でも仲がいい。
親同士も、その時のつながりが大きいようだ。
やはり、高校生活に入るという興奮が大きくて、印象が深いのだろうか。
息子のいない夜は少し寂しい。
大内くんも歓送迎会で遅いので、私は1人でいるのだ。
いつものように本を読んで過ごしているが、集中が切れる頻度が高い。
自分の心の中を探ってみると、「息子はどうしているだろうか」と考えているね。
最近、帰りが遅い日が多い。
大学に入ったらこれまで生徒として通った塾でバイトすることになっているが、すでに「準講師」として呼ばれる日がある。
先日も、「高3の決起集会」に呼ばれたと思ったら、夜の7時に出かけて、帰りは12時過ぎだった。
まだバイト料はもらっていないんだが、しっかりお仕事しているようだ。
こんなふうに、だんだん息子は帰ってこなくなって、大内くんが遅い日は1人で過ごすんだな、と思うと、寂しいのもあるし、息子の成長に感慨無量な気分もある。
1人でも生きていけるようにならなくちゃ、と思うよ。
当面、本を読むぐらいしかやることはないが、人によっては働きに出たりボランティア活動を始めたりするのは、こういう時期になったから、ということもあるんだろう。
子育てに捧げてきた時間が余る。
単純に、1つの仕事が終わった感がある。
不朽の名作、「巨人の星」のラストで、星飛雄馬が、
「巨人の星を、俺の新しい人生においてこんどはどんなゆめの星にするかな?」とつぶやくのだが、私もそんな気分だ。
12年3月29日
突然、息子が、
「うち、ひき肉ある?」と聞いてきた。
「普通の肉ならあるから、それをフードプロセッサにかければひき肉できるよ」と答えたら、
「ハンバーグを作りたい」と言う。
「また、ムズカシイことを言い出したなぁ」とは思うものの、先日のカレー大成功があるので、断りきれない。
冷蔵庫に入っていた豚こま肉と冷凍庫のシチュー用の牛肉を一緒にひいて、「合いびき」を作る。
私の知恵袋、「365日のおかずの本」を出してやってから、
「そういえば、よしながふみがこないだハンバーグを作っていたなぁ」と思い出し、「きのう何食べた?」を出してきた。
息子に、
「ねえねえ、たまねぎを炒めるタイプと炒めないタイプがあるよ。炒めない方はキノコとかと一緒に煮込むみたいだよ」と2冊の本を見せたら、どうやら炒めない方(よしながふみ)がいいと思ったらしい。
「酒、ってないの?」「みりんって、どこ?」などの大騒ぎを経て、大内くんが帰ってくる頃には5つの大きなハンバーグがフライパンの中でくつろいでいたよ。
(それでも2コ余った。冷凍庫行きだ)
できあがったので、ごく自然に息子も食卓につく格好になり、「じゃあ、いただこうね」と食事を始めたけど、一緒に食卓を囲むなんて何カ月ぶりだろう、半年はたってるな、と思うと、それだけで身震いするほど嬉しい。
向かいに座った大内くんの顔を見たら、彼もまた思うところがあるらしく、神妙な目配せを交わす我々。
おまけに、妙に機嫌のいい息子は、将来のこととか、考えてることをけっこう話してくれた。大内くんも私も涙で前が見えなかった。
こんな幸福な夜は、一生に何度もはないと思う。
食事が終わって息子が部屋に行ってしまい、我々はお風呂に入りながらいろんな話をした。
もちろんメインは今日の息子のこと。
「こないだはカレーだったし、今日はハンバーグかぁ。着実に進歩してるね」
「オトナになってきた、ってことだね。もう来週からは大学生だもん」
こんな会話で、またしても涙ぐむ我々。
いや、本当に息子の自立は嬉しい。
望みが低すぎないか?大学生がカレーやハンバーグ作るなんて、当たり前すぎないか?と思う向きもあろうが、我々はこんなことで心から幸福になってしまうのだ。
これから大学生活。
どんなことがあるんだろう。どんな人と出会うんだろう。
大内くんは、
「僕が大学に入った年の秋に、キミと出会った。息子にもそんな運命の人が待ち受けているといいんだけど」と思うそうで、なにやら遠い目をしていた。
いつの時代にも、青春は素晴らしい。
息子の青春を、応援してやりたい。
12年3月30日
息子は、大学の夏休みに「ワーキングホリデー」で短期の留学をしたいらしい。
最初にその話を聞いた時は、かなり驚いた。
同じように驚いている大内くんと話して、
「息子がそんなことを考えるようになるとは!」と2人して思っていることを確認した。
息子に、
「ママも、2カ月ぐらいアメリカに行ったことあるよ。1カ月はカリフォルニアの1人暮らしのおばあさんのおうちにホームステイして、英語学校に通ったし、もう1カ月はニューヨークの近くの田舎の街で、大学の寮に住んで英語を勉強したよ。ホームシックになっちゃって、予定より早く帰って来ちゃったけど」と話してみたが、反応は、
「だから、なに?」というものだった。
「いや、だからさ、外国に行きたいっていう、あなたの気持ちはわかるし、応援してるよ」と言ったら、
「へー、そう」。
張り合いのない人だね。
ともかく、自分のコドモが海外に行く歳になったわけだ。
「説明会に行く」という彼に、
「アヤシイ業者さんもたくさんいるから、気をつけてね」と言ったが、どのくらいわかっているのか。
親の方でも、彼が1カ月も家を空けるとなると、かなりの精神的なダメージがありそう。
夏までに、彼のいない日々に慣れないとなぁ・・・
「塾の先生にも、どのくらい休めるのか相談してね」と言ったら、
「もう聞いた。夏の合宿の後だったら大丈夫だって」という答え。
「それだと、1カ月行けないんじゃない?」
「秋の大学が始まるのに、少し食い込むかも」
彼なりに、考えがあるようだ。
コドモはどんどん成長する。
そのスピードに、目まいがする時もあるけど、頑張ろう。
12年3月31日
この春、息子が卒業した高校は、「ハイレベルな文武両道」がウリで、実際スポーツに熱心過ぎて6月のインターハイの予選で負けるまで部活が終わらない、だがそのわりに進学実績は良い、というところだ。
スポーツばかりでなく文化部も本格的な活動をしていて、日本一になってしまう「百人一首部」とか、式典で大いに活躍する「オーケストラ部」とかいろいろあるんだが、「演劇部」も盛ん。
9月の文化祭では、伝統的に3年生はどのクラスもお芝居をやることになっていて、それが終わらないと受験が始まらない、という大イベントで、なんと、そのために3年生のクラス分けでは、演劇部員が各クラスに必ず配置されることになっているぐらいだ。
そんな演劇部が、「卒業公演」をやるという。
息子と同じクラスで「アラジン」の「ジーニー」をやった部員は日芸の演劇科に行くらしいし、家が近所で夏休み頃は毎晩近くの「夢庵」で一緒に勉強してくれた部員は息子と大学でも一緒。
彼らが出演するとなれば、それはもう観に行かなくっちゃ!というわけで、大内くんと2人で高校に行ってきました。
「ブラックパール」という1時間半のお芝居は、とても面白かった。
原作はあるらしいけど、脚本もよくできてるし、何より卒業生たちはさすがにうまい。
息子が6月まで柔道漬けだった、なんて自慢に思ってたけど、柔道部より、1月まで試合やってるサッカー部より、本当に高校生活の最後の最後まで活動を続けているのは演劇部だったのだ!
興奮して下北沢まで歩いて、もう息子が沿線の高校を卒業してしまったのでこの街に来ることもあまりないか、と思ったら、名残惜しくて仕方ない。
いや、別に単に遊びに来れば良さそうなものだが、「ついで」というのは大きなものでね。
「a亭」でラーメンとチャーハンのセット、「ラーチャン」を食べる。
大内くんは、
「もうa亭にもいつ来られるかわからない。今日は大盛りで行く!」と妙に張り切っていて、ラーメンとチャーハン、両方の大盛りはやってないので、私がラーメン大盛りを、大内くんがチャーハン大盛りを頼んで、テーブルに来たところで大盛りを両方大内くんに押しやる。
残さずたいらげていた。
私は大食い男子が大好きなので、大内くんの食欲にはいつもほれぼれする。
とてももうじき50の人には見えない。
「アンゼリカ」でカレーパンを買い、喫茶店「パルファン」へ。
顔なじみのマスターが、
「やあやあ、これはどうも。お久しぶりですね」と言うので、
「この3年間は息子の高校が近いので下北にもけっこうよく来たんですが、今後はあまり機会がないかもしれません」と話すと、
「そうかー、もう息子さんも卒業ですか。早いですねぇ」と相槌を打ってくれた、
珍しく、いろいろ話し込んでくれたマスターで、店を出てから、
「もしかして、もう次に会う機会はないのかもしれない。マスターもだいぶお歳で、70歳は超えてると思うんだよね。引退を考えてても不思議じゃないよね」と話し合う。
青春の思い出の地が、またひとつ消えて行くのかなぁ。
家に帰ったら息子は留守だった。
机の上にあった劇のパンフレットがない。
「僕らは11時の回を観たけど、もしかして息子は、3時からの回を見に行ったのかも!」
実際、息子が帰って来てから机の上を見たら、さっきまでなかったパンフレットが出現していたよ。
「面白かったね」と声をかけたら、「見に行ったのか!」と怒るもんだとばっかり思っていたのに、
「うん、面白かった」と素直な返事。
「ツッコミ心」が刺激されたのか、ギャグが面白かったところをパンフレットにメモしてきた息子である。
寝る前に大内くんと話していて、
「今日は本当にいい日だった。高校にもお別れができたし、下北沢にも行ったし、パルファンのマスターとたくさんお話をしたね。明日は入学式で、息子もいよいよ大学生だ。まだ本当のこととは思えずにぼーっとしてるよ」と、2人ともまったく同じことを考えていた。
人生にはいろんな1日があるが、今日という日を忘れまい。
4年たったら、日芸の演劇科に行った男子の名前をググってみよう。
名のある役者さんになっているかもしれない。なっていてほしい。
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