11月からこのHP、及び日記のタイトルが変わります。
インスタントコピーライターの大内くんに考えてもらいました。
「年中休業うつらうつら日記」です。
(元「主婦の本懐」)
16年3月1日
縁あって、大学時代の寮の後輩2人と会うことになった。
卒業以来35年ほどほとんど会っていない。
横浜の保土ヶ谷と、八王子に住んでいる2人と会うにはどこが適当か、と考えていたら、「吉祥寺でいいんじゃないですか?」と1人から提案があっ
た。
うん、大学にも近いゆかりの地だし、何より私はバス1本で行ける。すまん!
11時半に吉祥寺の喫茶店「John Henry's Study」で待ち合わせ。
私が11時15分ごろに行ってみたら、開店は11時半なのだが、
「お待ち合わせですか?もういいですよ。音楽でもお楽しみください」と入れてくれた。いい店だ。
ラインを入れたら、
「今、ロフトで買い物中です。すぐ行きます」と返事をくれたAちゃんが、本当にすぐ現れた。
変わった、と言うか、変わってない、と言うか、まあ、年相応に老けたね、お互い。
しばらくしたらBちゃんから電話があった。
「東急のあたりで道に迷ってます」
「ロフトわかる?ロフトまで来たら、もうすぐだから」
「あ、ロフト、ありました!」と言うところで、Aちゃんが店を飛び出して行った。
そして、Bちゃんを捕まえて戻る。ありがとう!
Bちゃんも、変わらないし、変わった。
きっと私もそうだろう。と言うか、総重量で言ったら私が一番変わっているのだ。
喫茶店にしては充実したランチをそれぞれ頼み、猛烈な勢いで話をする。
35年の歳月を埋めようというのだ、勢いもつくよ。
寮生活、大学生活の思い出、それぞれの卒業後の仕事のこと、家族のこと(思わぬことに、AちゃんもBちゃんもダンナさんが単身赴任中だった!)、
家のこと、健康のこと、親のこと、飼い犬や猫のこと・・・
眞子さま佳子さまが入学したことについては、あまり良く思ってはいない。
そんなことで知名度が上がってもしょうがないし、学習院に失礼ではないか!というのが共通の見解。
あと、入試が2日間あって、やたらに面白かった話も。
「英語と、知能検査みたいなのと、あと、論文3つ読まされて、回収されて、それからマークシート式の問題に答えるんでしたよね。さっきの論文では
どう述べられていたのかとか」
「そうそう、だから、本を読み慣れている人には『えっ、こんな簡単な入試でいいの?!』って感じだったよね」
「くたびれたけど、面白かった。私は、家に帰るなり母に、『来年、もう1回受けたい!』って言っちゃった」(これは、私)
去年の春、寮が閉鎖される前に、とOGたちが集まって現役生の尽力で現在の寮を見せてもらった、その時に撮った室内や、皆の様子をiPadに入れ
て行ったので、2人に見せると、
「ああっ、なつかしい!○○さんだ、寮長さんでしたよね」
「××さんは厳しかったなぁ。今は学校の先生?うん、そんな感じ!」と盛り上がる。
途中で飲み物をそれぞれおかわりしてしゃべり続けていたら、あっという間に4時間半がたっていた。
さすがに「そろそろ」ということになり、個別にお会計をしてもらって外に出たら、もう夕方の風情だ。
「とっても楽しかったです。機会を作ってくれてありがとう!」と2人から言われ、いや、大した意図はなかったのだよ、と言いながら、私もとても嬉
しい。
2人はこれから結構な距離を帰らねばならないが、私はバスで1本だ。午後のバスはすいていて、座れるし。
帰りがけに、しっかり者のAちゃんがBちゃんと私にお菓子をくれた。
「いや、ごめん、私たち、何にも用意してなくって」とうろたえたが、横浜名物のお菓子のようだ。
大学に入り、彼女らと会ったのが21歳の時。今から35年前だ。
当時、寮の部屋は異学年の3人部屋が基本で、4年生だけが同学年の2人部屋をもらえた。
だが、北向きの部屋が2室あり、その部屋は異学年の2人部屋となっていた。
私はその部屋に3年生の時入り、2年生だったCちゃんと同室になった。
Cちゃんの元を訪れる下級生たちの話に加わっているうち、AちゃんやBちゃんとも親しくなっていったのだ。
「でも、大内さん、いつもいなかったから、私たち集まって部屋を占拠してましたよ」
「そうそう、よく、そうめん食べてたよね」
とAちゃんBちゃんが語っていた。
そのCちゃんは今、大阪にいるらしい。
Aちゃんが今度年賀状を出す時に、私のアドレスを伝えておいてくれるそうだ。
人に歴史あり。
何十年も昔に出会った人と、今、また出会う。
何かにとても感謝したい気持ちだ。
「キリスト教概論、Introduction of Christianty、習いましたよね。インクリ」
「そうそう、インクリ!何十年ぶりだろう、それ聞くの!」
我々が信じているのはキリスト教ではない。
だが、何かの神なのだとは思う。
その大いなる存在に、今日も、静かに拝礼する。
16年3月2日
私がややお腹に来る風邪をひいてしまい、「お腹が痛い」とうなって電気あんかをおなかに乗せてしがみつくようにしていたので、大内くん大心配。
そんなところに、息子のカノジョがまた泊まりに来るという。
前からよく泊まりに来ていた独り暮らしの謎のカノジョだが、この春、4年生になるにあたって埼玉の実家に帰ったらしい。
「もう、単位はほとんど取れて、あとは卒論だけですから」
なので、東京に来た時には宿として使っていただきたい、とこちらとしても思っているのだ。
勝手知ったるカレシの家、なので、もう好きにやってもらってかまわない。
しかし、単位ってやっぱり真面目にやれば取れるんだね。
息子の単位は危うい。
先期、フル単(受けた授業すべての単位を取ること)が期待されていたのに、5単位も落としてしまったのだ。
しかも、1、2年生の時に取り終っているべき、必修のドイツ語まで。
2期制なので、4月から前期、後期と授業を受けるが、1期に取れる単位数に限りがあるので、あと6単位落とすと、さらにもう1年、留年だ。
昨日から始まっているはずの就活、いちおうエントリーシートを書いていたりするらしいが、就職先が決まっていても、6単位以上落としたり、ドイツ語を落としたりすると卒業できず、すべてアウトになる。
私は、きりがないのでコドモのことで悩みたくないのだが、さすがに心配。
大内くんによれば、
「息子がこれまで1期で5単位しか落とさなかったのは初めてだ。いつもはもっと落としてた。新記録」だそうだし、ラインのやり取りを見せてもらったら、「リカバリー可能?」という大内くんの問いに、息子は平然と、
「想定内」
「大丈夫すぎる」
と答えていた。
5年生はお笑いサークルをいちおう引退することになっているらしく、自分たちのライブをやっていくだけになると思われるので、彼としては学業に割く時間がこれまでとは比較にならないぐらい増える、という意味だろうと解釈している。
私は大学時代、「これは留年かも」と感じたことが1、2回あったが、何とか4年で卒業した。留年経験はない。
息子は1年、大内くんは3年も留年している。
ここは、経験者の判断を信頼すべきだろうか。
結婚を反対された大内くんが、家を出て私のアパートに転がり込んできた27年前のことを思い出す。
すでに3留だった彼は、就職こそ決まっていたものの、単位を落とすと卒業できない。
彼の大学は取得単位数の上限はなかったので、最後の学期、彼は60単位ぐらいを一気に取ったらしい。
「レポートとかもあったの?」と訊くと、「いや、すべて試験だった。1単位も、落とせなかった」と語る。
狭くて寒い安アパートで、ガスストーブの上においたやかんがしゅんしゅんと音を立て、大内くんは布団をかぶってときおり「白湯」を飲みながら延々とちゃぶ台に向かって勉強し、身体を壊して休職中だった私は、じっとそれを見ていた。
声をかけるのもはばかられる、静かで張りつめた時間だった。
世界中から取り残されて2人きりで漂流しているようなあの部屋が、私たちの原点だ。
今、人並みのお給料をもらい、ボタン一発で風呂がわく生活をしていても、あの日々のことを忘れることはない。
「就職と、キミとの結婚が決まっていた。ひとつでも単位を落としたら何もかもおじゃんになると思い、一生のうちで、大学受験の時と同じぐらいむ
ちゃくちゃ真剣に頑張った。そのおかげで、今のこの生活がある」と過去をいとおしむ遠いまなざしをしながら、大内くんは語る。
「就職が決まっていて、単位がちょっと足りないぐらいの学生は、大学側が目こぼししてくれるもんだよ。僕だって、試験に全部受かってたかどうか、
わからないよ」と大内くんは言う。
「息子は、大丈夫だよ。彼が真面目にやって、結果が出なかったことなんて、ないもの。高校受験、大学受験でも、『絶対、無理』というところを信じ
られない集中力で何とかしてきた彼じゃない。ギリギリで卒業なんて、実に息子らしいよ。心配しないで、まかせておけばいいよ。今から就職の努力を
して結果を出したら、彼自身、何としても卒業しよう、って思うに決まってるじゃな
い!今のカノジョと結婚するかどうかはわからないけど、一緒に卒業したい、って思ってるよ、きっと」
うん、私もそう思うよ。
「いざとなれば、僕は早稲田の学長室に行って土下座してでも何とかするよ。でも、その前に彼がちゃんとやってくれるよ」
頼りにしてます、大内くん。
何とかしてくれ、息子よ。
16年3月3日
あっという間に3月になり、もうひな祭りか。
唯生が生まれた翌年に実家の母がくれた親王雛を、キャビネットの上や出窓に飾っていたものだ。
「唯生はお嫁に行かない」と思うので、たいがい3月に出して4月まで飾りっぱなしだった。
度重なる引っ越しでずいぶん装飾品が減って行き、今では緋毛氈と式台、屏風以外のかざりはない。
唯生が腸閉塞で手術を受け、胃ろうと人工肛門をつけた後は、プロでないと管理が難しいとのことで、それまでは2カ月に1度ぐらい家に帰ってきてい
たが、もう、彼女が自分の家に帰ることはないと思う。
唯生が帰って来なくなってから、お雛様を出していない。
今年も出さないなぁ。
最近、物を捨てることに情熱を傾けている大内くんは、
「あれも、捨てちゃおうか」という勢いだ。
くれた母ももうこの世の人ではないし、正直言って私はお雛様を見ると悲しくなるので、もう処分した方がいいのかもしれない。
唯生だってもうオトナだしね。
「息子に女の子ができても、お雛様をあげるのは、僕らの役目じゃないよね?とっといた方がいいのかな」
「たぶん、カノジョの親がくれるんじゃない?どっちにしても、さして由緒があるわけでもないのにお古をあげるわけにはいかないよ」
男の孫が生まれたら、我々が武者人形とか贈るんだと思う。
うちには、大内くんのお父さんが小さい時にそのお父さん(大内くんの祖父)が古道具屋で買った、という、いわれがあるようなないような古ぼけた
ちっちゃな兜があるので、それですませてしまおう。
「大内家に代々伝わる」とか何とか言って。(ウソはついてない!)
25年近く前から家にあるお雛様。
捨ててしまうのはいささか乱暴だろうか。
まあ、とりあえずしまうスペースがないわけではないので、もうしばらくこのままにしておこう。
16年3月4日
また、カノジョが泊まりに来た。
もう、我々もいちいちあわてたりしない。
淡々と泊まっていただくだけだ。
たいがい夜中に来るし、我々が寝室に引っこんだ後、お風呂に入って息子の部屋へ布団を運んで敷いて寝る。
そして朝は、大内くんが起きて出かけ、私が起き出すその前に息子と一緒にどこかへ出かけて行くのがデフォルトだ。
だが今朝は、「10時に起こしてほしい」と息子に言われていたので、その時間に起こす。
ドアをノックすると、息子の声が「はい?」。
「起こせって言われたから、起こしてるの。大丈夫?」と言ったら、「大丈夫」という声がして、しばらくして彼が出て来た。
どうも、せまい床に敷いた布団に寝ているのは息子で、カノジョには自分のベッドを譲ってあげているらしい。
「漢(オトコ)」だなぁ。
やがて2人が身支度を整え、出かけようとしているので、私も寝室から顔だけ出して、
「さよなら。また来てね」と言うと、「はい!」と元気な声で答えて、カノジョは息子と行ってしまった。
昨日の夜は一緒にお茶を飲んでくれたし、仕事仲間と行ったというディズニーランドのおみやげのチョコもくれた。
息子との仲も問題なく続いているようで、あとは息子が就職・卒業してくれればなぁ。
そこに、一抹の不安がある。
うーん、それに、無事に就職しても、転勤とかで遠くに行っちゃって遠恋になって別れちゃうとか、近くにいるんだけどお互い社会人になって忙しくし
ている間に心が離れてしまうことも考えられるし・・・ああ、あらゆる不幸を先取りして考える女、それが私だ。
16年3月6日
息子の1年で、一番大きなお笑いの大会があった。
「大学芸会」という、もともとは大学生たちが自主的にやっていたお笑いコンテストに「よしもと」が目をつけ、去年から「NOROSHI(のろし)
presented by
大学芸会」という名前に変えて、賞金を出したり、メディアに乗っけたりして学生たちの気を惹いている、という、ちょっと生臭い話。
珍しい「団体戦」で、「漫才、ピン、コント」の3種目を競う。
ひとつのサークルからいくつチームを出してもいいので、お笑いの名門らしい息子のいるサークルは、今日の準決勝に出た13チーム中、5チームも送り込んでいた。
息子はそのうち2つのチームに名を連ね、もう1組、全然別の大学からもなぜかコントで出場した。
前に「合同コントライブ」をやった、早稲田と学芸大と日大の混成チームだ。
それが、なぜ明治大学から出る?謎は深い。
昨日、今日と準決勝があり、予選を勝ち抜いてきた26チームが2日に渡って決勝に残れるかどうかを競った。
息子が出るチームが全部今日に寄っていたおかげで、遠い浅草まで1日だけ見に行けばすんだので、あいかわらずラッキーで、結果的に親孝行なヤツ
だ。
13チーム中、3チームに出演し、決勝に進めるのは4チームなので、もしかしたら息子が出る3チーム全部が上がれるかも、と思って手に汗握った。
出来は、どれもよかったと思う。
観客が「良かったチーム3つに丸をつける」という投票用紙が集計された結果発表で、4組が上から読み上げられた時、1位は息子のいる早稲田チームだった。(もちろん私たちは彼の出た3チームに丸をつけて出しました)
「よっしゃーっ!」と客席で喜んでいたら、それに続く3チームの発表は、どれも別のチーム。
結局、1チームしか決勝に進めなかった。
がっかりする私に、大内くんは帰り道中、
「決勝に行けただけでもよかったじゃない。全然行けない可能性もあったんだよ」と言い続けていたが、彼も、
「ま、もしかしたら3チーム全部行けるかとも思ったよ。良かったもんね。ただ、彼らの笑いは上品なんだよ。客席の若い子たちは、派手でくだらないお笑いが好きなんだよ」と言ってはいた。
うん、それに、「合同コントライブ」の面々が出ていたコントなんか、そのものとしてはそれほど面白くはなかったんだよね。
懐かしい思いに駆られた我々が、良い評価をしてしまっただけで。
彼らは、漫才やコントの屍が累々と積み重なったお笑いの荒野をひたすら進んでいるのだ。
決勝戦のチケットはもう買った。見に行くつもりだ。(今度は新宿の「ルミネtheよしもと」というところ。近くて嬉しい)
しかし、去年は決勝に2回出て、今年も1回出る。
200組近くがエントリーして予選から戦い始めるこの戦いに、2年続けて決勝まで行けると言うのは、実はすごいことなのではあるまいか。
もしかしてけっこうお笑いの才能のある人なのかもしれない。
だが、大会が終わり、あとは3月下旬に仲間たちとの合同コントライブを終えたら、就活に入る約束だ。
開演を待って並んでいた時、息子のコントの相方が通りかかり、シャイな笑顔を見せながら、会釈して行った。
こちらも礼を返したが、息子とコンビを組んで長いこの子と、実は言葉を交わしたことはない。
舞台上ではよく見るのだが、現実の世界ではせいぜいこうしてすれ違うだけ。
1度ぐらい、家に連れて来たりしないかなぁ。
ゆっくり、お酒でもすすめて語り合ってみたい。
コドモの友達と語り合いたい、なんて、悪趣味なのかね?
16年3月7日
昨夜、またしても息子から、「カノジョが泊まりに来る」というメッセージが来た。
アパートを引き払って埼玉の実家に戻ってしまったから、用事があって東京に来た時の宿に使ってほしいとは思っているが、もう、うちに住んじゃったら?と言いたくなるような頻度である。
11時頃息子が1人で帰ってきて、「カノジョは?」と訊いたら、「12時ごろ来る」と短い返事。
実際、日付が変わる頃に「すみませ〜ん」と言ってやってきた。
挨拶だけして我々はもう寝室に引っこんだが、息子と2人で、ワインのハーフボトルを飲んでいるようすだ。あまりアルコールを飲まない彼らにしては
珍しい。
翌朝の今日、閉め切った息子の部屋で寝ているらしい2人を置いて、買い物に出かけた。
あちこちのお店を廻って必要なものを買って、ゴミを出すために使った台車を車に積んであったので、「予定調和的だ」と喜びながら、山のような荷物を台車に乗せてエレベーターの前まで行ったら、ちょうど出かけようとしている息子たちと遭遇した。
「あっ。お世話になりましたっ!」と言うカノジョに、
「行ってらっしゃい。気をつけて」と挨拶を返し、別れて、家に帰った。
「2人でいるのを外で見たのは初めてのような気がするけど、お互いそこそこ妥協した加減がぴったりの、似合いのカップルだねぇ」と、親ならではの冷徹な感想を述べる。
いや、実際、無理のない組み合わせと言うか、普通のボーイズ&ガールズだったよ。
家のリビングのソファでも、ほとんどもたれ合うようにふにゅーんと座ってワイン飲んでて、可愛かったなぁ。
自分たちが、「親のいる家で一緒の部屋で寝る」なんて考えたこともない時代だったから、今の彼らの感覚は全然わからない。
しかし、「仲良きことは美しき哉」である。
我々は、彼らの未来を後押ししていると言うか、いつになるかはわからないが、彼方でのゴールインを心から望んでいる。
今、カノジョが泊まって行ってくれるたびに、「これで少しは別れにくくなるだろう」といった「計算」が積もっていく。
もちろん、別れる時は彼らの事情で勝手に別れるだけなので、親がどう出ようがほとんど関係ないだろうが、わずかでも自責の念は持ちたくない。
そもそも、息子に「次のカノジョ」が出来る保証なんかないじゃないか。
私たちの結婚に猛反対だった大内くんのご両親は、大内くんが失恋の痛手から一生立ち直れず、結婚できなかったら、とは思わなかったのかしらん。
「母親が、絶対負けたくないと思ってる義理の姉からの縁談をなぜか受けちゃって、どこかのお嬢様と見合い結婚させるつもりだったんじゃないかなぁ。僕は僕で、日々悪化する嫁姑の間に立ちながら、『結婚って、こんなもんなんだろう』って、腑抜けた生き方をしてたよ、きっと」
というのが、大内くんの「私以外の女性との結婚観」である。
「好きな人と共に人生を作って行くのは、本当に楽しくて幸福なことだ。息子にも、その幸福を味わってもらいたい」
私も同感だ。
並んで歩く、時期外れのお雛様のような2人を見た楽しさで、2人ともニコニコと半日、本を読んで過ごした。
若い恋人たちに、幸あれ。
16年3月8日
先日、お笑いコンテストの準決勝を見に行った時、去年、一昨年と続けて息子が「合同コントライブ」をやった面々が出ていた。
そのうちのひと組、学芸大の3人組が、3月半ばに「単独コントライブ」を行う、というのは前々から知っていた。
私はようつべなどで何度も見た彼らのお笑いのテイストが好きなので、ライブも見に行きたかったのだが、何しろ息子の友達の話だから、また「年寄りのくせに、場違いなところに来るな!」と怒られそうで、遠慮していた。
しかし、今回彼らの顔を見て、また、学芸大チームの一員としてコントをやったのを見て、どうにもライブに行きたくなってしまった。
会場が、我が家の最寄駅から徒歩1分なのも、たいそう魅力的。
思い切って、ツィッターに、「大内の親です。2枚、チケットの取り置きお願いします」と書き込んでみた。
すぐに、
「ありがとうございます!大内くん(この場合は息子)にはいつもお世話になっています!決勝での活躍を期待しています!」という返信が来た。
彼らは、準決勝、通過できなかったんだよなぁ。悲喜こもごもだ。
毒を食らわば皿までと、
「ありがとうございます。皆さんは、今後、どのように活動されるのですか?」とずばり聞いてみた。
卒業なのか留年なのか、就職なのかプロ志望なのか、息子が教えてくれればこんな苦労はしなくてすむのに。
またすぐにきた返事によれば、
「今度の単独ライブ、学内での卒業ライブのあとは、解散の予定ですが、大内くんたちとの合同ライブは、またぜひやりたいと話し合っています」との
ことだ。
あのライブがまた見られるんだったら、こんな嬉しいことはない。
息子もそうだが、大学時代にお笑いにのめり込んで活動しても、プロになろうという学生はそういるものではない。
息子のカノジョなんかは「女お笑い芸人」になるべく現在も鋭意活動中で、すでにテレビに出たこともあるが、多くは普通に就職し、カタギになってい
く。
そうでなきゃ、それはそれで困るのだが、何となく寂しいのはなぜだろう。
16年3月9日
息子の1年で1番大きなお笑いコンテスト。今日は新宿の「ルミネtheよしもと」で決勝戦。
去年もここに来たなぁ、2年続けて決勝戦に出られる、ってことは、やっぱりそれなりにハイレベルなお笑いの実力を持ってるんだろうなぁ、と考えながら、ソファに座って開場を待っていたら、今日の「漫才・ピン・コント3チームでの団体戦」で息子と一緒にコントやる4人組の1人、しんくんが通 りかかり、我々に気づいて「あっ、どうも!」と小走りになりながら直立不動で礼をする、という器用な技で挨拶をして行った。たぶん、高校で野球を やってたとか、体育会系なんだろう。
就職浪人をして、熱烈志望のスポーツ用品会社に入るべく、語学留学をしていると聞いていたが、一時帰国?留学終了?
頑張ってくれ。キミの演技次第で結果が決まるかもしれないんだ。
と、また別の女の子が通りかかる。
我々が知っている、同期唯一の就職の決まった学生だ。(他は、息子に聞いても教えてもらえなかったり、留年したり)
その美脚を披露しての漫才を担当する。ホットパンツ姿も見納めか。
やはり、頑張ってくれ。漫才部門で、点を稼ごう。
トイレに行ったら、コント4人組中、紅一点の女の子に会った。
彼女は、息子のカノジョの相方で、今年卒業するが、一緒にプロの女お笑い芸人を目指していると聞く。
「大内の親です」と挨拶するまでもなく、向こうもこちらをよく知っているようだった。
彼女から見れば、相方のカレシの親?少し、ややこしい。
やはり、頑張ってほしい。コントの出来が勝敗を決めるかもしれないんだ。
「カノジョが、いつも泊めていただいてるそうで」と言われるのは、4年生になるにあたって卒論以外の単位はほとんど取ってしまった優秀なカノジョがアパートを引き払って埼玉の実家へ帰ってしまったため、東京でお仕事がある時は我が家に泊まって行くからであろう。
「そうですね、3日おきぐらいに来ますよ」と笑って言ったら、「もしかして、ご迷惑になってますか?」と真顔で訊かれたので、
「いえいえ、楽しみにしてます。夜中に来て2人で勝手に布団敷いてますから、全然何にもおかまいしないし」と答えつつ、ちょっと顔を近づけて、
「で、あの2人は、続きますかね?」と訊いたら、いっそう真顔になって、「続くでしょう!」と言うので、
「こちらとしても、熱烈に応援してるんです!」「そうなんですか!」という会話をして別れた。
本当は、息子と結婚してほしい、ついては相方のあなたとも、長いおつきあいになりそうだし、なりたい、と言いたかったのだが、相方からカノジョの耳に入ると息子にどう伝わるかわからない。
まだプロポーズしていないのに親の方が熱心だ、などとカノジョから息子が聞いたら、どう激怒することか。
いろいろな人間関係に早くもくたびれたところで、開場したので、指定席に座って待つ。
広くてキレイな、デカい箱だ。こんなステージで芸をするのか、と思うと、本当に息子が頑張っているんだなぁ、と思いつつ、何か勘違いをしてしまいそうだ、とも思う。
出てくる子たち全員に言えることだが。
始まって、MCはジャルジャル。
私が名前を知っていること自体、この決勝戦にお金がかかっていることを示している。そもそもチケット1枚1500円だもんなぁ。
160組が戦った予選、26組が戦った準決勝を勝ち抜いた8組が、今、決勝の時を迎える。
「ルミネtheよしもと」、こんなきれいで大きな箱でやったら、演者さんたちはとてつもなくあがるか、とてつもなくカン違いをしてしまうかのどち
らかではないだろうか?
結果だけ書きます。
「審査員賞」、実質3位でした!
「やっぱり、優勝しなきゃダメなんじゃないの?」という気持ちと、「ここまでやってきて、最後に去年と同じ賞をもらえた。充分だ」という気持ちが
せめぎ合っております。
息子の胸中はもう、察するのも怖い。何考えてるだろう?
まあとにかく、去年も今年も審査員賞をもらったのは、檀上の数十人のうち、息子だけだ。
早稲田のチームから、2年連続決勝進出も彼だけ。
何らかの実力があるんだろう。
このあと、3月末に「合同コントライブ」が企画されており、それが終わるまで、彼の就活は始まらないと思われる。
大内くんは、
「丸の内を通ってると、リクルートスーツの若者だらけだよ。焦りがないと言えばウソになるが、早けりゃいいってもんじゃないから。これまで息子 は、自分が納得するまでは決して前に進もうとしなかった。そのかわり、いったん目標が定まると、親でも驚くような集中力で何とかしてきた。今回
も、そんな彼を信じるしかないし、信じている」と語っていた。この父にしてこの息子あり。
今日、また大きな山を越えたわけだし、コントライブも頑張ってほしい。
お笑いも単位も就活も卒業も、何もかもがぎっちり詰まった1年の始まりだ!
16年3月10日
「今日、カノジョくる」と、昨夜またいきなり言われた。実際、12時過ぎにやってきた。
夜中にお茶を飲みに起きたら、カノジョは息子の部屋で寝ているようだが、息子はリビングのソファで寝ている。
「朝早い。5時半頃、起こしてくれ」と言っていたので、「カノジョも一緒に起きて出るの?」と聞いたら、「いいや。適当にするんじゃないの?」と
いう返事だった。
息子だけ早朝に用事があるから、彼が「目が覚めやすい」と信じているリビングでの睡眠となったのだろう。
しかし、親がいる自分の家に、カノジョ1人、丸投げで放り出して行きますか?
起こすまでもなく、5時15分にケータイのアラームでピシッと起きたと思ったらすごい勢いでシャワーを浴びて出かけようとしているので、「今日は
よっぽど大事な要件があるんだねぇ」と感心しながら、
「何があるの?ライブの関係?」と訊いたら、「そう」と言って、さっさと出かけてしまった。
月末の合同コントライブの早朝練習?
彼は、こっちが「何々なの?」と訊くと、たいがいいい加減に、「そう」と答えてすませちゃうから、本当かどうかわからない。
大分への日帰り出張で朝早い大内くんよりも早い出発で、男性陣が出かけたあとは、家の中には私とカノジョ2人きり。
この何とも言えないシチュエーションを、どうしたらいいのか。
とりあえず、寝てみよう。
9時頃にカノジョのアラームが鳴ったので、部屋の前まで行き、扉越しに、
「起きてる?目覚まし鳴ったみたいだよ」と声をかけると、「う、うーん、むにゃむにゃ、もう起きますぅ」と声がしたので自室に引っこんだが、10
分、20分たっても出てこない。
途方に暮れて息子に「何時ごろ起こせばいい?」とラインで訊いたら、即座に、
「気にしなくていい。こっちからも電話で起こすし、特に用事はないから」と返って来た。
ふーん、じゃあ、寝かせとこっと。
結局、カノジョが起きたのは12時近く。
洗面台でボブヘアにアイロンあててるので、
「卒業はどう?」
「息子が留年しないよう、見張っててね」などというくだらない話を延々してしまった。
だって、向こうに取りつく島がないというか、「はい」「そうですか〜」以外の返答パタンがないんだもん・・・
「気をつけてね。また来てね」と送り出したし、また来てほしいが、息子よ、カノジョを家に置いて出かけるな。
自分と同じ用事で出かけるとか、別の用でも一緒に出るとか、何か工夫が欲しい。
お母さんは、案外くたびれてるんだよ。
16年3月12日
新築で買ったマンションが12年目を迎え、大規模修繕で外壁工事をすることになった。
結構大掛かりな工事で、ベランダ側一面に足場を組み、日中は作業音が響く。
工事自体は数ヶ月ぐらい続くようだ。
我々は平置きの駐車場を使っていたのだが、資材を置く場所として使うため、しばらくは空いている機械式ピット駐車場の一角を貸し与えられた。
少し面倒だが、これまでさんざん楽な思いをさせてもらってるので、まあ、これぐらいは。
今のところ、ノアだと3段ピット式の最下段にしか入らないし、2段目に空きもないということで、車を使いたい時は、地下2階から車が上がって来るまでの長い時間、操作パネルのスイッチを押し続けなければならない。
これは、実はけっこう時間がかかるので面倒。
しばらくしたら2段目が空くと管理人さんが言っていたし、我が家の車もアクアになっているはずなので、もうちょっとの辛抱かな。
驚いたのは、これまで1万3千円ぐらいだった駐車場料金が千円になっていたこと。
3段ピット式の最下段って、そんなに安いの?
まあ、面倒くさいといえば果てしなく面倒くさいからなぁ。
慣れない機械式なので、トラブルもある。
先日は、私が操作を間違えたため、うんともすんとも動かなくなってしまった。
パネルに書いてある連絡先に大内くんがすぐに電話してくれて、いろいろやってる間に解決したのでよかったが、不慣れなことは難しい。
入居して12年、息子の強運のおかげ、と信じているのだが、駐車場を選ぶ順番の3番、駐輪場を選ぶ順番の4番を引き当て、ついでに5人選ぶ役員にまでなってしまったのは、息子とギュッと握手してもらった手でくじを引いた大内くんが、
「何をお祈りすればいいの?」と無邪気に聞かれ、
「何でも、5番以内だったらいいんだよ。頼むね」といったせいだと思われる。
だって、80人以上の人がくじを引いて、この順位だよ。
おかげで、駐車場はすごく思い通りのいい場所をゲットした。
息子は、絶対なんか持ってる、というのが、その頃からの我々の持論だ。
しかし、もう12年か・・・月日の経つのは早い。
息子が出て行ったら貸そうか売ろうかと考えていたこのマンションも、内装直したり店子が入らなかったりいろいろ心配はあるし、もうずっと住み続けるつもりだ。
息子の部屋を、何の部屋にしようかなぁ…あんがい、出て行ってくれなかったりして。
16年3月13日
長いこと懸案だった問題に、ついに今日、答えを出した。
中学の途中ぐらいからメガネ女史だった私が、襲いかかる老眼と近眼の波濤がぶつかるのに耐えられず、「遠近両用コンタクトレンズ」を試してみることにしたのだ。
コンタクト自体は初めてじゃない。
まだ3万ぐらいしたハードレンズの時代にも買ったし、その後、ソフトタイプが出てからも使った。
しかし大内くんも私自身もメガネ萌えなのと、めんどくさいのとで、15年ぐらい前にやめてしまっていた。
「遠近両用レンズ」は、合う人と合わない人がいるとか、慣れるのに時間がかかるとか、いろんなウワサを聞いていたが、5、6千円のものだ、とにかく試してみよう、と、日曜朝10時にコンタクト屋さんに行ってみた。
そしたら、まず「眼科の検診を受けて、処方箋を書いてもらわなければならない」ことが判明し(大内くん曰く「あたりまえじゃん」)、同じビル内の眼科に行くと、けっこう混んでる。
「毎月、検診受けなきゃ次の1ヵ月分のレンズが買えないんだよ。息子が高校時代、柔道やってたからコンタクトにしたけど、めんどうそうだったじゃない」と、人の気をくじくようなことばかり言う大内くんはほっといて、呼ばれたので視力検査等を受ける。
で、実際にコンタクトを入れてみる。
「初めてですか?」と親切に聞かれ、「いえ、大丈夫です」とは言ったものの、忘れちゃってるぞ、自信ないなぁ。
でも、何とか両目に装着してみたら、驚いた。
遠くも近くも両方見える。
外見的には裸眼の状態で、こんなに風景がクリアに見えるなんて。
差し出された様々な大きさの活字の文章も、全部読める。
「じゃあ、これでいいですかね」と言われ、装着したまま大内くんのところに戻ると、いつものことだが彼は椅子に斜めに座って爆睡してる。揺り起こして、
「ねえねえ、遠近両用、いいよ。両方、ちゃんと見えるよ」と言ったら、
「ん?そう、良かったねぇ。じゃあ、それ買いなさい」と言って、また眠りに戻って行く。
私の方は、しばらくしたら眼科の先生に呼ばれて、レンズをつけたまま診察だ。
「緑内障の疑いがある?うーん、そうも見えないけどねぇ」とつぶやきながら、「はい、いいですよ」と私を押し出す忙しい先生。
今つけてるレンズはそのままに、ショップへ行って、もらった処方箋でレンズを買う。
1日使い捨てのタイプで、診察料込の左右で7500円ぐらいか。決して安い買い物ではない。
それに、まだ慣れないのか度が合ってないのか、遠くが見えにくい。雨模様の薄暗い天気のせいもあろうが。
まあ、32枚入ってるレンズの15枚以上が残っている状態なら度を変えてもタダで交換してくれるらしいから、とりあえずしばらく使ってみよう。
こうして、長いこと気になっていた事柄を1つ解決した私は嬉しくて、クルン・サイアムの開店時間が過ぎてしまっていたので4人ほどの列ができており、20分ぐらい待つ羽目になったことは全然気にしないのであった。
大内くんも気にはしていないようだが、寒いらしい。
ふきっさらしの外、というわけではなく、地下1階の階段の途中なのだが。
「風邪気味かも」と言うので、注文するつもりだったらしい「カオソイ」を「トムヤム・ヌードル」に変更させる。
汗をかいたら、少しは具合が良くなるのかと思ったので。
実際、トムヤム・ヌードルを食べた大内くんはいつもより発汗量が少ないにしろ、そこそこの汗をかいた。
私は辛くない「パッ・タイ」なので、何の変化も起きない。
「少し良くなったような気がする」と言うので、ヨドバシに行って、私が欲しいと思っていたiPad Air用のケース兼スタンドを買う。
何となく気に入ったマスタード色にした。
これで、ショルダーバッグにiPadを突っ込んでも壊れる心配がないだろう。
そういうことを考える程度には、最近の私は外に出ている、ということか。
大内くんの希望で、「ブックオフでない古本屋」を冷やかし(この、冷やかす、という行為は危険だ。私は、買うつもりのなかった文庫本を4冊も買ってしまった。ブックオフより高いかもしれないのに〜、「プリンセス・トヨトミ」なんて、本当に読むのかよ〜、自分!)、魚屋さんを見に行ったら、大内くんがぶりに一目惚れしてしまった。
「ぶりの刺身でごはんが食べたい」のだそうだ。
「大きな冊だから、半分取っておいて、今度照り焼きにして食べよう」というゆとりは、冷凍庫に業務用スーパーで買った「冷凍大根おろし」が入ってるからだと思う。
いつも、「ぶりの照り焼き」を作る時は「大根、買わなくちゃ!」と大騒ぎなのだ。
私は大根おろしがなくても食べられるが、大内くんにとっては、刺身にわさびがついてこないほどの大事件らしい。
買ったものは全部大内くんのリュックに入れてもらって、少し寒いけど家まで歩いて帰る。
私にとっては寒いぐらいの方が散歩がはかどるんだ。
ちょっと歩くと汗ばむ、と言う気候になると難しくなる。
大内くんも、歩いていればそれほど寒くはないらしく、さっきまでよりは元気になっていた。
ちなみに、夕食の支度をしようとしていたら息子が普段よりずうっと早く帰ってきてしまい、しかも、「メシ食う」と言う。
「ぶりの刺身だよ」と言うと、「うん、いいよ。納豆つけて」という答えで、結局、ぶりは3人分の刺身に化けてしまい、後日の照り焼きの野望はついえた。
お笑いサークルの引退が近いせいか、同期が卒業するからか(いや、息子みたいにしない人もたくさんいるんですけどね)、最近、時間割が読めない息子の生活ぶり
である。
16年3月14日
遠近両用コンタクト、1日使ってみて、やはり遠くも近くも見えにくい、ということが判明したので、早速交換してもらいに行く。
眼科はちょっと混んでいたけど、まあまあスムーズに事態は運んだ。
「じゃあ、もうちょっと度を上げてみましょうか。そうすると、遠くが見えにくくなるので、右目のレンズは遠くが見えやすいようにしてみましょう」
と言われたので、
「それだと、片目ばっかり疲れちゃう、ってことはないですか?」と訊くと、
「うーん・・・そういうこともないではないですね。じゃあ、左右おんなじのと、右が違うのと、両方の処方箋をお出ししますので、お好きな方を選んでください。サンプルも差し上げますので」と左右2組のレンズをくれた。
ショップでは、とりあえず右目で遠くが見える、という設定の組み合わせを買う。というか、交換してもらう。
そう言えば、今日は1円もかかってないなぁ。
それに、息子が行っていたコンタクト屋さんとちがって、ひと月に必ずワンセットのコンタクトレンズが送られてくることはなく、自分が必要だと思う分だけを買えばいいらしい。
眼科の検診も、ひと月に1回受けなければならないが、その間に何セット買ってもかまわない。
極端な話、1回の処方箋で1年分のレンズを買ってしまい、眼科には1年に1回行けばいい、というシステムだ。
息子の時より、合理的だなぁ。
その息子は、当時毎月送られてきたコンタクトレンズを使いきれずに、いまだに時々つけて行っている、という変則的な状態。
普段はメガネ男子なんだが、時々、コンタクトをする必要があるか、したくなるらしい。
どういう時につけるのか、まだその法則性を解明するには至っていない。
で、吉祥寺での用事が済んだので、今度は三鷹駅まで電車で行って、お笑いライブを見る。
息子がおととし、去年と一緒に合同コントライブをやった、別の大学の3人組が、対外的には最後になる「卒業ライブ」をやるのだ。
何しろ場所が家から近いので、どうしても見ておきたくなったのよね。
6時半開場のスケジュールで、6時に三鷹駅にいる。雨が降っているが、先日買った「骨が24本もある、いい傘」を持っているので足取りは軽い。
さて、北口に出て、すぐだったはず。
ところが。
見当たらないのだ。
駅からすぐの、線路沿いにあったはずなのに。
何度もそのあたりを行ったり来たりするが、見つからない。
コンタクトレンズと雨のせいで遠くがにじんで見えるのも手伝い、私は道に迷ってしまった。
いくらいつもは南口を使うところ、北口に来たからと言って、自分ちの最寄駅で、道に迷うものだろうか?情けない。
もう、パニックしちゃって、グーグルマップを見ようとかそういうゆとりもない。
そこら辺を歩いてるおじさんをつかまえて、
「すみません、武蔵野芸能劇場って、どこでしょう?」と訊くと、
「ああ、それなら、駅をわたって反対側、北口ですよ」と何でもなさそうに言われた。
「・・・ということは、こちらは南口なんですか?」
「はい、そうです」
あああ、いくら引きこもりの私でも、電車に乗る必要がある時はここまで来て南口の階段を上るし、よく行く魚屋も、何より見慣れたバスのロータリーもある!
がっくりきて、エスカレーターで上へあがり、またエスカレーターで降りると、そう、この線路沿いを右にどんどん行くと・・・あった。
間違えようもなく、芸能劇場はそこにあった。
コンタクトレンズで視野がぼやけていたからいけないんだ!と半分怒りながら、洗面所へ行って、コンタクトを外し、メガネに掛けかえる。
ああ、やっぱり安心の視界だわ。
コンタクト導入は、いったん考えた方がいいみたい。
開場直後に着いたので、まだ客席はガラガラで、一番前の列の真ん中を進められたが、ここは、中ほどから後ろの方が椅子の座り心地がいいんだよね。
そう言って席を替えてもらい、「ムーンオンマンデー単独コントライブ」の幕が上がるのを待つ。
雨のせいで客足が落ちるかと思ったが、それなりに80席の小屋は満員になったようだ。
どっちみち「無料カンパ制」だから、お客さんが来れば儲かるというものではなく、入場料はライブの出来次第。
がんばれ、ムーンオンマンデー!
1時間15分。
3人が出るコントの間は小道具や衣装替えの時間を稼ぐためだろう、映像が流れる。
なるほど、単独ライブはこういうふうにやるのか、と感心した。
映像も、生身のコントに全然負けてないいい出来だったし。
笑った。
泣いた。
感動した。
最後のコントで、前にやったコントの内容を取り入れていくので、「ああ、これで終わりなんだな」と皆が思ったらしく、拍手がいつまでも鳴りやまなかった。
暗転が終わり、照明がついても、拍手は続いていた。
ひとつのグループが解散する。
大学4年間、心をひとつにしてやってきたコント野郎たちが、卒業して、就職して行く。
チケットを申し込んだ時、大内の親であることを明かし、「このライブのあとはどうされるのですか?」と訊いたら、
「解散しますが、大内くんたちとの合同コントライブはまたやりたいと思っています。よろしくお願いします!」と返事が来た。
息子も、
「就職はするけど、今自分たちでやっているライブが年に1、2回続けられたらと思う」と言っていた。
みんな、気持ちは同じだ!
雨の中、吉野家の牛丼を食べて帰ったが、息子は来てなかったなぁ。
今夜は次のライブの深夜練習だ、って言ってたから、時間的に無理だったんだろう。
(深夜はスタジオを安く借りられるんだって)
彼らと息子たち、あともうひとグループでのおととしのライブをDVDに焼いたものを、去年、売ってくれた。
我々は、息子がイヤそうに言う「あり得ないほどたくさんの枚数」を買って、友人たちに送りつけた。
こんな活動してますよ!けっこう面白いですよ!と伝えたくて。
その送りつけられた1人、私の中学校の時の友達が、お笑いが好きで東京03なんかよく見るそうなのだが、
「青年たちが青春をかけてやっているのが伝わってきて、おばさんは最後のタイトルバックのところでちょっと涙ぐんでしまいました。彼らは30年後に、今の自分をどんなふうに思い出すんだろうと思うと、駆け足で過ぎ去っていく彼らの若い日の時間をいとおしいと思わず
にはおられません。 おばさんがこんな感じ方をするなんて、今の彼らには全く理解不能でしょうけれど」
という感想を送ってくれた。
わかってくれるか、うんうん、という気分で、何度も彼女のメールを読み返した。
息子は夜通し練習で、帰らない。
単位が危なくて6年目に突入するかも、という不安を抱えながら、よくもあんなに遊べるものだ、という反応もあり得るだろう。
しかし、我々は知っている。
息子は、高校3年生の6月12日、インターハイの予選で負けるまで、柔道一筋で、勉強はほとんどしていなかった。
それが、6月12日に負けた、その夜から、通っていた塾の自習室にこもりきりになり、一転して受験生活に入ったのだ。
「今度のライブが、彼にとっての『6月12日』になるんだろうねぇ」と、夢見がちな親はぼんやりしてる。
ひとつの思い残しもなく舞台をきれいに片づけて次へ行く、それが我々の息子なのだ。
16年3月16日
大内くんが突発的に忙しくなり、夜中の2時まで残業していた波乱含みの夜、息子はいたってのんきに、「今日、カノジョ、来る」。
あーもう、なんか、いろんなことに慣れて来ちゃったぞ。
カノジョが今月何日泊まりに来たか数えるのもとっくにやめている。
気がついたら住み込んでいるんじゃないか、と思うだけだ。
(そして、それでも別にかまわない、とどこかで考えている)
あまりにすべてのことが深夜に進行するので、私はさっさと抵抗をやめて、睡眠薬を飲んで寝ることにした。
カノジョが来たことも、大内くんが帰って来たことも、遠いうっすらしたベールの向こうの出来事のようで、夢の彩りにしかならない。
朝、9時にガバッと起きたら、家の中には誰もいない。
息子の部屋に布団が積んであるから、カノジョが来たのは確かなんだろう。
大内くんは会社に行ったのか?
息子たちは、けっこう遅い時間に来たような気がするのに、どうやってこんなに早起きして出かけて行ったのか?
何か、大切な用事?
大内くんにラインを入れておいたらしばらくして電話がかかってきた。
「カノジョが来たのは僕が帰る前で、もう息子の部屋に閉じこもってた。朝は、彼らより早く起きて出かけたので、いつ、どうやって起きたのかはわか
らない」
結局、彼女の顔は1回も見てないそうだ。
「それより、キミが頭にたんこぶができて痛い、って言ってたでしょ。あの原因がわかったよ」と言う大内くんによると、睡眠薬でぼんやりした私が
ベッドの端に座ると、安定を失ってそのまま背中から床に落ち、後頭部を強打するのだそうだ。
「あれは、たんこぶできるよ。痛いわけだよ」と笑われた。
そう言う大内くんは、とにかく眠いらしい。
うん、私の記憶が確かなら、寝たのは3時頃だったはずだ。
「頭の中を、クルーズと、犬がぐるぐる回っている」と言うのは、実は昨日、5つほど年上で、コドモのいない人から、
「だからな、寂しいから、犬を飼うんだ。でも、犬は15年ぐらいで死んじゃうだろ?そしたら俺は70過ぎてるから、クルーズ旅行に行くんだ!犬を
預けてまで行こうとは思わないけど、犬がいなくなってからなら行ける。クルーズはいいぞう!」
乗ったことはあるんですか?と恐る恐る大内くんが聞くと、
「いや、ない!だが、みんな、楽しいと言っている!食べ物がうまくて、豪華で、ショーがいっぱいなんだ!」という答え。
「まずは犬を飼わないとな。大内は、犬、好きか?何、小さいころ追いかけられてから恐怖症?うん、俺も、犬は苦手なんだ。でも、そういうヤツほど飼うとハマるらしいぞ。大内は絶対ハマるタイプだ。飼え!」と言われたそうだ。
実はこれに近いことを、去年のお正月に新年会に来てくれたお客さんの女性からも言われており、トイプードルを2匹飼っているという彼女は、
「世の中に、これ以上可愛いものがあるかしら、ってぐらいカワイイの。(本人には同居の娘さんが2人いますが)大内くんは、飼ったらすごくかわいがるタイプだと思う。絶対ハマるわよ!」と高らかに宣言した。
大内くんは、今は正気を保っているが、手のかかる息子がいなくなって会社もやめてしまったら自分にはどんな人生が待っているんだろう、まずは私と仲良く、とか思ってるとこへの急激な「犬責め」によって、半ば洗脳されているかも。
やっぱり、よく寝てない時に何かをあんまり思いつめるのは良くないよ。(って、いつも私が大内くんに言われてることなんだけど)
クルーズには大賛成なので、そっち方面へ考えてほしいな。
犬は、上級者編だよ。我々はいろんなことに素人だから、そんな、急に小豆相場に手を出すようなことはしない方がいいって!
16年3月18日
今年もらった年賀状の中に、中学時代からの友達が「メールでもください」とメアドを書いてきてくれたものがあった。
いや、ほらさ、年賀状をやり取りしてるぐらいだから手紙か電話で連絡が取れそうなものなんだが、意外とこれがめんどくさい。
メアドだとサラッと書けちゃうのに、はがきや便せんが目の前にあると、悩む。
と言うわけで、私はカノジョにメールをし、電話でも話して、一気に40年を遡る旅をした。
この間会った、大学の寮の後輩も言ってたけど、
「一気に昔に戻る」「電話の声がストレートに記憶を直撃する」ようで、私も、長いことご無沙汰だった友人と再び関係が持てて、たいそう嬉し い。
もちろんこっち側には語るほどの何事もなく、「結婚して主婦やって、本読んで、寝てます」なんだが、向こうは名古屋市役所のバリキャリで、悠揚迫らざる雰囲気は、しなやかな猛獣が満腹して横たわっているかのようだ。
とりあえず、「久しぶり!」と言ったら、向こうも「ホント、久しぶりよね。貴女、何してるの?」。
「いや、まあ、世にいう専業主婦でね」「んまあ!」
驚いちゃいけない、カノジョは本当に「んまあ!」と驚いたのだ。
障害児が生まれたこと、私が健康を害したこと、いろいろ聞いてくれて、深いため息とともに、
「たいへんだったのねぇ・・・」といたわってくれた。
その日から1カ月以上、毎日彼女から定期便が届く。
決まって、朝の6時にメールが来るのだ。
大内くんも起きて仕事をしている時間なので、6時になると、「ほーい、定期便だよ〜」と言いながら、後に座ってiPad使ってる私の手元に転送してくれる。
社会の有用な一員であるかつての幼なじみが活躍しているのは嬉しい。
朝早く起きてひと仕事し、それからお風呂に入って身支度を整え、出勤するのだと思う。
お風呂に入るところ以外は大内くんだって一緒なのだが、なぜかバリキャリウーマンとしょぼくれたサラリーマンの違いが匂い立つ。
彼女は本当に話題が豊富で、1人暮らしの家の切り盛りから仕事の話まで、いろんなことを書いてきてくれる。
そんな彼女と、東京で会おうということになった。
出張で来るので、ランチを食べる時間ぐらいは捻出できるそうだ。
今日の午後、どんな話をするのか、楽しみだ。
16年3月18日
というわけで、昨日の続き。
中学校時代の女友達に会う、という件について。
そもそも彼女とは同じグループに属していたわけではないし、同じクラスになった事すらないかもしれない。
父親同士が同じ会社に勤めていたことからの「幼なじみ」のようだが、個人的に関係を持った覚えがあまりないのだ。
ただ、そのころすでに自分の頭脳を過信していた私にとって、能力的にも人柄的にも、ほぼ唯一の「頭の上がらない同学年の女の子」だった。
「成績がいい」なんてことは関係なく、私は本を読みまくる人が大好きだからなぁ。
その彼女と、今年、年賀はがきに書いてあったメアドに私がメールを出したらアドレスが間違っていたため、業を煮やして電話をかけてしまった、というところから40年の時を超えて動き出したつきあいは、まるでジェットコースターだった。
(正確に言えば、彼女が大学を卒業して名古屋に帰る時か、私が結婚したあとか、1、2度会っているようなのだが、これが2人とも思い出せなくって)
その日から2か月半ほど、私たちはほぼ毎日メールを交わし、彼女はどうか知らんが、こっちサイドでは相当のめり込んだ話をたくさんした。
頭脳明晰な中学生だった彼女は「わかりの早い、効率的な人」にすっかり育ち上がり、対話の相手としてこんなに楽な人もないなぁ、と「元・頭脳明晰」な私には思われた。
Cちゃん、いろいろ聞いてくれてありがとう。
さて、私は昔の知り合いに会いたいとはあまり思わない方なのだが(主な理由は、相手のことをよく覚えていないから)、Cちゃんとは過去の関係が薄いものながら強烈な印象があったせいか、今のメールの向こうの彼女がより魅力的だからなのかわからないまま、
「会えたら、会おう!」という私の苦手な言葉を発していた。
幸い、彼女は今、名古屋市役所で東京出張が多い仕事をしている。
「じゃあ、3月18日にはランチの時間が取れそうよ」と言われて、大内くんの多大なる貢献もあって(なにしろ、東京駅から彼女が仕事で行く先までの間に大内くんの会社があるのだ)、レストランを予約し、彼女を待った。
前日から「こんな服装で行く」とまで写真を送って念入りに出会いの準備をしていた私が、待ち合わせのカフェで本を読んでいたら、彼女が目の前に立っていた。
「お久しぶりね」と言う彼女の、この貫禄は何なんだ。
体重は中学卒業頃の育ちあがった感じと全然変わらないし、昔と同じ威厳のある態度ではあるが、
「これが、働いてきた女の貫禄か!」と思わず専業主婦の自分を心の中で殴りつけていたら、さらに冷静に彼女は言う。
「私も、飲み物を買ってここでお茶を飲んだ方がいいかしら?」
ひと言ひと言に上品な重みがある。
「いや、レストラン予約してあるから、ぼちぼち歩いて行けばちょうどいいぐらいの時間なんじゃないかな」と、あちこちに荷物をぶつけながら不恰好に答える私。
ああ、もう、ホントやだ。神よ、私に普段の1割ぐらいでいいから、威厳を賜りたまえ!
大内くんお薦めのイタリアンレストランは、言われていた通りややこしいので道に迷った私に、彼女が「聞いちゃいましょ」とスッと入って行った建物が、大内くんの会社だった。なるほど!
やがてなかなかいい雰囲気なその店が見つかり、ちょうど予約の時間で、席に案内された我々2人。
まずはお料理を頼み、それぞれ好みのコースにする。
私は、こういう時は絶対緊張して食べられないから、サラダ、パスタ、デザートだけのセットにしたが、彼女は、
「貴女、でんぷん質の取り過ぎじゃない?私はお肉のコースにするわ」とにこやかに言う。
こういう時ににこやかに言えるようになったのが、彼女の30年の集大成かもなぁ。
お皿が出てくるまで、出てきて食べながら、皿が交換されてさらに食べながら、デザートとコーヒーになってもまだ、私たちはしゃべり続けた。
最後、彼女が、
「このお店、クローズが3時なんでしょ。悪いから、出ましょ」と言うまで、少なくとも私は夢中でしゃべっていた。
大内くんが、
「建物の中に、いくつか、いい雰囲気の喫茶店があるよ」と言っていたので安心していたら、昼も遅くなった時間、観光客のせいだろうか、どのお店もすごく混んでる。
ちょうど、大内くんからラインが入った。
「食事は楽しめた?」
「今、喫茶店を探してる。どこも混んでる」
とやってる間も彼女は、
「オフィス街だから喫茶店ぐらいあるでしょう!」と自信満々に外へ歩いて行き、私はラインで、「さまよってる」と情けない報告をする。
と、大内くんがラインで言う。
「今、探しに出るよ。あ、見つけた」
誰が、何を見つけたんだ?と思ってる私の目の前に、いきなり大内くんが走ってきた。
「このへんだと思ったんだよ。この先に、いい店があるよ」と、器用にもCちゃんに「彼女がいつもお世話になっています。今日はわざわざありがとうございます」とか言いながら、とイタリアのバールを上品にしたような、パブと言うか喫茶店の前に連れてってくれた。
「ここは、落ち着けるよ。じゃっ!」とウルトラマンのように去って行った彼の後姿を見ながら店に入ってオーダーをし、彼女はしみじみ言う。
「彼が、貴女の白馬の王子様なのね。スーパーマンみたい。困ってると、さっそうと助けに来て、さっと去って行くのね!」
「いや、まあ、彼のテリトリー内だからできたことだとは思うけど・・・でも、やっぱ、すごいね。私、彼に助けられずには何もできないんだよ」
「そうでしょうね」
彼女が、大内くんに感心したのか私をバカだと思ったのかはさておいて、さらに2時間以上。
過去の我々、今の我々(やっぱ、ここが大きかった)、未来の我々(この部分は少ない、と言うより、親の介護問題などを話し合う方が多かった)に関
して、恐るべき量の情報交換を行い、でもその割に私の感想は「Cちゃん、ありがとう…」というものだけだった。
人は、幼なじみに会うとこんなに無力になってしまうものだろうか?
彼女が私にとって特別なのは、幼なじみだから、現存する、最も古い友人だからか?
「貴女は結婚に本当に夢を持っているのねぇ。ロマンチストだわぁ」と独身バリキャリの彼女が言うからではなく、私はあらゆることにロマンチ ストなんだよ。
彼女と私の友情には、神も祝福を垂れるであろう、と心から思った。
具体的に、何を話したかとか、どういう結論になったか、は置いといて、彼女と話す時間のすべてが楽しかった。
「Cちゃんは、昔ほど高ビーじゃなくなったね。電話で話した時は、昔のように『つん』とあごを上げてるの図が浮かんだものだが」
「あら貴女、それは30年も宮仕えの身ですもの、変わるわよ」
私は、若返りの泉を発見して、喉の渇きをいやしながら若返って行く我と我が身に驚く、という気分で、彼女の話を聞いていた。
彼女と会ったこの日はすべてが大収穫だったのだが、その中にもさらにダイヤモンド鉱があった。
私は、この世に生きる多くの人より自分が不幸だと思っていたし、その理由は今さら取り返しがつかないものだと思っていた。
ただ、大内くんの存在がその不幸を束の間忘れさせてくれるだけで、あとは、この不幸と生きていくしかないと思っていた。
でも、中学校時代の友達の話を聞いても、また、彼女自身の話を聞いても、不幸の種は皆に均等にまかれている。
その枝を茂らせたままにしておかず、刈り込み、根を掘り起こして根絶やしにする人々も、必ず存在するのだ。
そんな話をして3時間ほど、彼女もそろそろ仕事に行かなくちゃなので、話をまとめ、大内くんには「さっきの喫茶店にいるけど、もう帰る」と打って、トイレに行った。
戻ってきたら、またしてもスーパーマンが現れていた。
別に、私の勘定を持とうと思って駆けつけたわけではないらしい。
彼女とワリカンをして、でも、数百円私の細かいお金が足りなかったので、彼女がその分はおごってあげる、と言って笑っていた。
どうやら、大内くんは私と帰るついでにCちゃんにちゃんと挨拶しておきたかったらしい。
「じゃあ、またね!今日はとっても楽しかった!絶対また会おうね!今度は私が名古屋に行ってもいいよ」と約束した。
3年前に母が亡くなってから、私にとってはほとんどすべてが無くなってしまった名古屋には、もう一生帰らないつもりだった。
父母の墓参りも、6年前に亡くなってから東京で位牌に手を合わせたものの1度もお墓には挨拶してない親友も、もう、私の中の名古屋で全部朽ちて行けばいいと思っていた。
でも、Cちゃんがいる。
中学校時代に私が好きだった子たちと今でも時々ランチをするというCちゃんは、私が名古屋に行きさえすれば彼女のマンションでランチ会を開いてくれると言うし、それは楽しい「女子会」なので遠慮してくれ、と私に言われている大内くんには、車で名古屋港まで案内し、製鐵所を見ては?と持ちかけてくれる、本当に親切な人なんだよ。
大内くんと2人で帰ったが、本当に楽しかった。
これからも毎日、ってのはさすがに大変だから、時々にしようね、と言い合ったメールだが、今朝もまた来ていた。
彼女は、私のこと、どう思ってるのかなぁ。
あらたに、そんなことを悩み始める私なのだった。
16年3月19日
今日は息子のお笑いサークルの「卒業ライブ」。
卒業、ったって、あなたは留年じゃないの、とラインで問うたところ、
「留年しても、4年生でサークルは引退することになっている」とのこと。
「じゃあ、これから1年、どう過ごすの?」「わからん」「ライブとか?」「かな」
どう考えても、まずは就活、同時に必死で単位、のはずなんですけど。
卒業までに取らねばならん単位は30以上、落としていいのは6単位まで、とお母さんは聞いてますが。
ライブは、面白い、というより感慨深すぎて、私には笑ってるヒマはほとんどなくて、ずうっと鼻の奥がツンツンしてた。
卒業生たちも、「渾身の力を 込めた最後のステージ」というよりは、先日までのよしもとの大会の疲れが残ってて焼き直しネタが目立つ。
息子も、3ユニットで出場したが、全部過去に見たことあるものばかりだった。
様々な思いが渦巻いて、大内くんとかなり無口に帰ったが、さて、お笑いを続けたいと言う彼は、いったいどうやって続けるんだろう?
コンテストなん かも、普通は大学のサークルに声がかかる。
個人としてやっていくにはどうするんだろうか?
幸い、と言うか何と言うか、一番力を入れてきたユニット の相方は日大だが、もう1年、留年が決まっているそうだ。
彼と一緒に、仲間を募ってライブとかをしていくんだろう。
だが、何より今は就活だ。息子の場合、無駄にしていい単位はほとんどないので、就活しながらも授業もきちんと出席しなければならない。
ホントにも う・・・普通、ここではもう、就活1本にしぼって行けるように、皆、単位は先に取っておくんだよ。
今さら言ってもしょうがないが。まあ、サークルの活動が減った分、少なくとも学業に回す分の時間は増えたはず。
これ以上親子して泣いていても仕方ないので、頑張ってください。
私にとって、すごく嬉しいことがひとつ。
コピー製の卒業ライブのパンフレットには、1人1人の写真がたくさんとコメントが載っていて、中には 24歳の「パパ」(本当に本当の話らしい)も出てくる。スゴイ。
息子も載っていた。彼のコメントは、
「親にひと言:ありがとう。母親にひと言:髪短い方が似合ってるよ」
「この、『母親』って、私のことだよね?」
「他の人への『オマージュ』だとでも?」
大内くん、冷たいなぁ。人が事態を一生懸命把握しようとしてるのに!
別段、「親シバリ」じゃないんだ。みんな好きなことを書く。
その中で我々に「ありがとう」と言い、あまつさえが私に「髪短い方が似合う」って、これ、絶対去年、白髪染めやって赤っぽくしたうえで刈り上げのベリーショートにした時の感想だ。
すぐにも美容院に飛んで行きそうな私を押さえつけて、「今ぐらいの髪の長さが一番いい」と思ってる大内くんは、そう簡単に息子に負ける気にはなれないらしい。
「今度、聞いておく。彼がベリーショートがすごく好きなら考えるけど、ちょっと言ってみただけなんだったら、譲らない」のだそうだ。
息子よ、4年間、楽しませてもらったサークルに、我々からもありがとう。
春からはちょっと「ぼっち風味」になっちゃうかもだけど、留年生ってのはそういうもんだ。
その居心地の悪さに3年も耐えた父親の真似なんかしなくていいから、今年就職して、来春、卒業しようね。ね?
16年3月20日
そう説得してるうち、息子は静かにどこかへ出かけてしまったが、帰って来たら、床屋に行って長めの髪を短くしてきた。
大内くんが翌日行ってマスターに聞いたら、
「就活するから、短くしてください、って言われましたよ」とのこと。
息ををのみこむように、思わず2人で「いちご白書をもう1度」を口ずさむ。
「就職が決まって 髪を切って来た時に もう若くないさと 君に言い訳したね」
しかしあの歌は「就職が決まって」じゃなく、「就職しようと思って」髪を切るんじゃないだろうか。
ヒッピースタイルでは、どこの会社も入れてくれないだろうからなぁ。
「一応、就活用意2着、用意してあるから」と、どこまで親切な我々。
16年3月21日
卒業旅行の朝、起こすまでもなくほぼ自力でガバッと起き、出かける支度をしている息子。
この力が、授業に発揮されないのはなぜなのか?
夜中に大きな黒いバッグを出しておいたら、朝、必死に荷造りしてる。
1週間にも満たない旅じゃないか。
そんなに重装備しなくも大丈夫。
「こづかい、貸して」
「いくら?」
「まあ、2万もあれば」
「何があるかわからないから、2万5千円持って行きなさい」
これが、「お汁粉の上に生クリームを盛ってチョコクリームをかける」と名高い私の行為である。
で、出かけて行きましたよ。まだ息が白くなる寒風の中を、自転車で。
楽しいだろうなぁ、同期たちでの最後の旅行。
こっちはこっちでぬくぬく暮らしているから、どうぞお笑いの春を楽しんで。
16日3月23日
「恒例の」卒業合宿に行ったらしい。
朝早く出かけて、飛行機とは、あらあら、ハイカラだこと。
誰と、どこへ行くのかもわからないが、まあ、卒業ライブも終わった形で、いつものように大部屋で夕食を食べてるだろう。
あらかじめ用意されたお題を使って何かするのがデフォルトなんだよね。
そこらへんが「お笑いサークル」に入った人々の、ノブレス・オブリジェなのだ。
夕食時、思いついて息子のケータイにライン入れてみた。
「無事着いた?」
「うん、大丈夫」
「てゆうか、あなた、どこいってんの?」
「博多」
「ラーメン食べて食べて、食べ倒しだね。元気に楽しくやって!」」
「はーい」
こうして、海を隔てた大きな観光地に行ってバカンスですか。
飛行機で行く!
我々が彼ぐらいの年の時は、卒業しようが単位が「余りまくって」いようが、飛行機に乗る機会ってのは少なかったなぁ。
彼の頃は、私立の高校なんかだと修学旅行が海外旅行だったらしい。よくは知らんが。
16年3月25日
楽しい博多での卒業旅行も終わって、今日は息子が帰ってくる。
大内くんとの気軽な2人暮らしもしばらくはおしまい、来週からは授業も始まるし、寝起きの悪い息子をなんとか間に合うように送り出すのはひと仕事だ。
それとも、本人もさすがに単位と就職のはざまで、思うところがあるのだろうか?
と言いながら大内くんも私も妙に疲れていたので、12時前にぐっすり眠ってしまった。
そしたら、息子に起こされた。
えっ、ええっ、帰るの、明日じゃなかったっけ?
「もう金曜」とうなるように言ったかと思うと、荷物を放り出してシャワーを浴びに行き、いつものようにそのまま寝ようとする。
ちょっと待ってよ。
あなたが明日までいないと思ったから、ベッドのシーツも何もかも外して洗い、マットレスは立てかけて干してあるのに。
ところが彼はそんなことお構いなしに、あわてて掛けたベッドパッドとシーツの上で、掛布団はカバーも無しに、あっという間に眠ってしまった。
洗濯物の山と一緒に取り残されて、私にどうしろと?
どうせ、明日からは、すぐさま4日後に迫った「合同コントライブ」の稽古に出かけてしまうんだろうに。
でもまあ、無事に帰って来たのは嬉しい。
夜中の1時に帰ることを「今日帰る」と呼ぶのだとしても。
今日が終われば週末だ。
そして、我が家には新しい車がやって来る!
16年3月25日
画期的なことをした。
大内くんが仕事で帰れないのに、私1人で新宿まで外出し、息子が出るわけでもないお笑いライブを見に行ったのだ。
これだけのことが画期的であるということ自体、私がいかに引きこもりであるかという話なのだが。
1年前に、コンテストを見に行った時、慶應のカワイイ男の子に軽く恋をした。
でも、もう4年生で引退だから、2度と見られないんだと思っていた。
(ちなみに、ネットをあちこちさまよっていたらあっという間に本名からツィッターからFBまで判明してしまい、ネットはコワ〜いところである、という話でもある)
その子が、今夜、新宿のお笑いライブに出ると言うのだ。
ふらふらと、チケットの取り置きをお願いしてしまった。
大内くんには事後承諾となり、叱られるかな?と思ったけど、息子と同じぐらいの年の男の子と駆け落ちされる心配より、私が外に出る気になったことを喜んでいるようで、まあ、よかった。
客席数50の小さな小屋は、息子のライブ等でも何度か来ている。
客席には、息子のサークルの子たちも何人か来ている。
平均年齢20歳のこの集団で、私が見に来たことは早晩息子に知れるだろう。
別段、悪いことをしているわけじゃない!お気に入りの芸人(未満)を見に来ただけだ!と気分的には開き直った。
息子本人は、今日、徹夜でコントの練習をしているので、現れる気づかいはないし。
あああ、慶應のKくんの、「漫才・ピン・コント」のトライアスロンを見ることができた。夢のようだ。
相方も有給休暇を取っての参加とのことで、皆さん、なかなか学生時代の活動から足を洗えないものらしい。
そう言えば私も、大内くんの大学でのマンガクラブでの活動はOL7年生まで続き、学生だった頃よりたくさんのマンガを描く羽目に陥ったなぁ。
大好きなKくんのステージを堪能したのと、大内くん抜きでちゃんと行動できたことで私の中の何かがぐいぐいと高まり、帰りに歩道にたまっていた息子の友達や相方と、妙に親しくお話をしてしまう。
息子と同じく留年で現在就活中のかずやくんは、
「一緒にサントリーの説明会に行きましたよ。彼は寝てましたけど」と話してくれた。
「知られたら怒られるだろうな、と思うんだけど、Kくんのファンだから、どうしてもステージを見たくて来ちゃったの」と言ったら、
「僕は、ツィッターよく観察してるんで、そのへんは全部知ってますよ」と不敵に笑うかずやくん。
そうか、私がKくんのフォロワーであることも、今日のライブを取り置きしたことも、全部知られているか。
やはり留年組の相方、Yくんは、就活せず専門学校に行って、出来ればお笑いの世界に行きたいと考えているらしい。
厳しい道だが、頑張ってもらいたい。
「卒業までに、1度家に遊びに来てください。お父さんが、一緒に飲んでお話をしたいと言っています」と、日頃からの希望を伝える。
何しろ、4年間相方を務めてもらってるのに、個人的に話をするのはほとんど初めてのことなのだ。
「はい、ぜひ!」といい笑顔を見せてもらった。
息子に叱られるようなことを山ほどしでかした、というやけくそな高揚感を抱いたまま、会社の人の送別会に出ているはずの大内くんにラインを入れて
みる。
「今、終わった。新宿から帰るところ」
そしたら、すぐに返事が来た。
「こっちも終わった。銀座」
電波の悪い雑踏で苦労して電話して相談した結果、新宿駅中央線のホームで待ち合わせて一緒に帰ることにした。
こちはすぐに着いちゃう。
「30分近く、待たせることになるけど」と大内くんも言っていたからなぁ。
「指定ポイントに到着」「そちらは何線で来るの?」とラインを入れておく。
もし中央線なら、彼が降りてすぐに一緒に乗らないと、1本損しちゃうから。
近くまで来たら返事があるだろう、と思っていたら、ラインが来る前に、雑踏の中に大内くんを見つけた。他のホームから来たらしい。
合流してホームに並びながら、
「なんでラインに返事ないの?」と訊いたら、
「え?あ、見てない。考えてもみなかった。そうか、ライン来る可能性があったのか!」という間の抜けた返事。
私は瞬時に沸点に達する。
「この状況下、到着するまでにライン確認するのが普通でしょう。何があるかわからないし」
「そうだね。なんで見なかったんだろう・・・」
「『なんで』って、私に訊くの、やめて!私には理解できないから、訊いてるんだし!」
「ごめんね。なんで見なかったのかなぁ・・・」
「だから、その『なんで』って言うの、やめて!」
「うん、ごめんね・・・」
ほぼ満員の中央線に乗ってしまったので、痴話喧嘩も難しい。
それにしても、この人はどうしてこれでサラリーマンが務まるのか、というのは毎度思う疑問。
いわゆる「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」がまるっきりできないのだ。
「部下の人たちも苦労してるだろうね」
「うん、みんな、すごく我慢してると思う・・・」
「私も、毎回、ガマンしてるよ」
「ごめんね・・・」
それしか言えんのか!という気分、最高潮。
まあしかし、怒っていてもしょうがないので、
「よぉく考えて、反省してください!」と言い、あとは、「Kくん、見た。髪型とか、変わってなかった。長いままだった」と報告。
「ふーん、やっぱり、柔らかめの業界なんだね」
「相方も、有給取って、来てた」
「そうか、みんな、やめないんだね。息子も、就職してからもライブは続けたいって言ってたもんね」
運良く通勤快速だったので吉祥寺まですぐに着いて、軽く回転寿司をつまんで行く。
普段、コンテストの後に寄るともうほとんど閉店間際で、何も回ってない状態なのだが、4、5人待ちになるほどの盛況ぶりだった。
それだけ、終わりの時間が早かったんだなぁ。あっという間だったなぁ。
Kくんは、仕事しながらネタ考えてるのかしら。
息子は、どこかに就職できるのかしら。
サントリーでも全然OKなんだけど、本人、真面目に就活してんのかしら。
いろいろ考えながら、大内くんとバスに揺られながら帰った。疲れた。
週末だし、息子は帰ってこないので、やや開放的な気分になり、寝るのが遅くなったけど、連日早起きの大内くんはさすがに1時半ごろ寝てしまった。
息子の就活について考えていたら何だか寝つけなくなり、パソコンの前に座っていたらどういう目に合ったか、というのは明日の話。
16年3月26日
何の因果で、真夜中にアマゾンで、「紅白帽」(運動会でよくかぶってたでしょ、あれですよ)を3個、至急便購入しなければならないのか?
3日後のコントライブで使うためか、「深夜練習中」の息子からラインで指令が来るからです。
(夜中はスタジオが安いので、ライブが近くなるとよく徹夜の練習が行われる)
息子が帰ってこないと思うと安心するのか、大内くんと爆睡してしまい、気がついたらいつの間にか帰ってきていた息子と、家族全員で昼過ぎまで
寝ていた。
健康的なんだか不健康なんだか、わからない一家だ。
そして、夜、「紅白帽」が届く。
アマゾンさんだけが妙に健全で律儀に思われる。
息子は突如、「走りに行く」とジャージ姿で出かけて行き、帰って来たと思ったらリビングで「筋トレ」をしていた。
これはお笑いライブやコンテストが近くなると、何と言うか、「精進潔斎」的に起きる現象だ。
彼なりにやる気があり、緊張し、何かをしたいと急に思うらしい。
時々リビングのちゃぶ台が端の方に移動し、スペースができていたのは、こういうわけだったのか。
中学生の頃だったか、「ビリーズ・ブート・キャンプ」が欲しいと言い出したので、
「ああいうものは、必ず誰かが買い、そして必ず飽きて放出されるのだから」と説得していたら、実際、3ヶ月ぐらいたったころに大親友のしゅうくんちから借りることができた。
高校受験直前だったので、「そんなことをしている場合か?」と思ったが、小1から続けていた柔道を休んでいる最中でもあり、床にぽたぽたと汗がしたたるほどの運動を毎晩続けたのは、結果的には集中力が増して、よかったようだ。
ひと回り終わった時点で、腕組みをして、「もうひと回り、やるべきか?」と本人なりに考えていたようだった。
結論として、ふた回り目に入ったのもよかったのかも。
20歳を過ぎた今でも、軽いランニングと筋トレでそれなりに筋肉がついているような気がする。
単に夜食の食べ過ぎで太っているだけだとは、思いたくない。
しかし、あの腹は無視できない・・・
16年3月28日
日大のお笑いサークル主催の卒業対決ライブ「FINAL THE GEKILIN」を見に行った。
また、大内くんが来られないのに、1人で。
私はもう、昔の私ではないかもしれない。
第一部があったので、息子がコントをやるはずの第二部から行ったら、ロビーは再入場を待つ人でごった返していた。
顔見知りのサークル仲間、かずやくんと会った。
「あれ?今、来たんですか?第一部で、大内はスゴイ、1人で笑い取ってましたよ。乳首に洗濯バサミはさんで」
かずやくんは真顔でウソをつける男だし、人をからかうのが大好きなので、「ウソでしょ?」と訊き返したら、「本当ですよ!」と、やはり真顔で言っ
ていた。いやいや、美少年の言うことを信用してはいけない。
息子のコントは、前にも見たネタだった。出来はまあまあ。
日大チームが他大学チームと1戦ずつ対戦する形で、16組のお笑い野郎たちが8戦を見せてくれて、会場投票で勝敗を決めるのだが、息子は対戦相手 に何とか勝つことができた。
全体では、4対4の引き分け。
多くの子たちが引退し、卒業し、就職して行くお別れライブに、決着をつけるのも無粋だろう、と神さまが考えてくれた結果だと思う。
(ただ、第一部で誰かが「乳首に洗濯ばさみを挟む」というギャグをかましたのはどうやら事実のようだ。「乳首が痛かった。血が出た」と騒いでる人がいた)
最後に全員が舞台でいろいろしゃべってる時に、息子が、
「大内くんは留年ですが、今後は就活?」と訊かれて、
「4月からもライブやりまくりで〜す!芸人?なるかもしれません!」と言ったのを聞いて、
「明日の合同コントライブのあとは、とにかく就活じゃなかったのかよ!」と内心で罵倒してしまった。
大内くんからガツンと言ってもらわなきゃ。
出てきたら、いきなりの雨がざあざあ降っていた。
高円寺の駅まで歩いて5分。
一瞬の躊躇もなく、雨の中へと歩き出した。
そうするのがふさわしい、と思われる夜だった。
目の前のコンビニで傘を買う、という選択もあったし、吉祥寺でもバス停まで歩くことを考えたら、それが正解なんだろうけど、今夜の私は、雨に濡れて歩きたかったのだ。
現実に、就職が決まった子もたくさんいた。留年する子も多く、中にはヘタしたら大学放校になるぐらい留年してる子もいた。
息子は、どうするつもりなのかなぁ。
ずぶ濡れになって帰ってきて、とにかく濡れたものを脱いで着替えて、1時間ぐらいしたら大内くんも帰って来た。
息子のことを話すと、「困った人だねぇ」と渋面になっていたが、日付が変わった頃帰って来た息子に、
「明日のライブ以降は、どんな生活になるの?」と訊いたら、ビックリしたような顔で、「就活でしょ?」と言われた。
あの、舞台の上での発言は何だったんだ!
どうも、彼は「話を盛る」というか、面白くなりさえすれば何でも言う、というようなところがある。
本当のことしか言えない私から生まれたとは思えない。
大内くんは、実は反射的につまらないウソをつく人だが、これは小さい時から親にド叱られることが多く、その場さえ逃れられれば、という「カツオくん的態度」で、「話を盛る」のとも違う。
冒頭のかずやくんもそうだけど、お笑いやると、性格がやや悪くなるような気がする。
私は真っ正直でバカみたいに損をすることも多いので、それならそれでもいいんだが。
6年3月29日
息子の「合同コントライブ」を見に行ってきた。
合同ライブは、「この人たちとやってみたい!」と火花が走るのだろう、大学、相方の壁を超えて時々行われ る。
今回はICU、早大、明治の3校のお笑いサークルからの5人で行う。
おそらく皆、普段の相方ではない人とやっている。
コントは、2人より3人の方が面白いのは「東京03」を見てもわかることだし、去年、一昨年と3グループ7人でやった「合同コントライブ」も、ものすごく面白かった。
サークルの後輩と4人でやったこともあったあった。
と言うことは、まだやってない人数は、6人か!
(親がみてないところで勝手にやっちゃってる可能性もあるけど)
会社帰りの大内くんと待ち合わせ、もう1人、お笑いの好きな友達を連れてきて、3人で見る。
途中から、ぐいぐい引き込まれて行った。
なに、これ?この子たち、うまいの?なにがいいの?脚本?演出?誰が脚本書いたの?って感じ。
全体のつながりをうまく保ちながら、2人〜5人のコントが繰り広げられていく。
すごく出来のいいコントだった。
統一されたテーマというものはないのだが、どの場面もつながりがゆるやかにあり、面白い演出だった。
舞台の雰囲気は、シャープ。
ステージを片づける時のざわざわ感がほとんどない。
息子たちは時に2人、時に3人、4人、5人全員を出して、様々なシチュエーションの「ちょっと笑える時間」を作っていた。
これまでたくさん学生のお笑いで見た中でも、5本の指に入るだろう、というレベルの高さ。
息子の女装を初めて見てしまった。しかも妊婦。
私のではないそのスカートを、いったいどこで入手したの?と不思議になる。
(ま、今回は初めて女性が参入しているせいかもしれない)
ショートヘアのかつらをかぶった息子は、非常に良くできている妊婦さんだった。
これまで、息子は演技力も華もオーラも持ち合わせていなかったので、ネタを考えるしかなかったのだが、本人がここまでやれるとは。
全体では1時間ほどの短い会だったが、5人をうまく構成して無限にコントを作って行きそうだった。
私は、なんでこんなに息子に夢中になっちゃうのかな。
そのわりに、スゴイ冷たいひどい目に合ってるけど。
面白かった!エッジが立ってると言うか、切れ味のいいコントばかりだった。
これまで息子が企画に加わる自主ライブは4つ見たが、一番面白かったか もしれない。
こういう人に、「とにかく就活しなさい!」と言わねばならんのは本当に残念だ。
自分たちがサラリーマン家庭でなかったら、少しは別の道を考えてやれたのだろうか。
しかし、何かの才能を持っている人は、必ずどこかでその才能を発揮してしまうのだ、と信じて・・・今は就活してもらおう。
1時間ちょっとで終わってしまったこのライブ後、息子は就活と単位に向かって一心に走ることになっている。
なのになぜか昨日行った日大の卒業ライブで、「留年です!就活しますが、芸人がないとは限りませんよ!」と妙な宣言をしてて、お母さんは、怖い!
息子はその晩は泊まりで、翌日の夜、大内くんが、
「4月からはどういう生活になるの?」と訊いたら、ビックリしたような顔をして、「就活でしょ!?」。
うん、キミがそう思っているならそれでいいんだ。
フライヤーに使ったエジプト壁画調の絵を、そのままラストのシチュエーションに持ち込むとは・・・想像外でした。
オチとしては少し弱かったけど、うまくまとまってたよ。
あー、これからも、こうやって彼のライブを見たいなぁ。
(でも、もちろん卒業・就職もしてもらいたい。人間は欲張りな生き物だ)
一緒に行ってくれたお笑いが大好きな友達も、
「この集客力がスゴイ。女の子多いし」と感心してた。
彼女の行きつけの店があるようなので、3人でそこへ行って、ビール飲んで食事もした。
少し私に疲れがたまっているので辛く、もっとおしゃべりしていたかったんだけど、散会。
「息子は就活どうすんのかねー。今日が終わったら死に物狂いで始めるんだとばっかり思ってたんだけど」
「私もー」
「今週末ぐらいに、ちゃんと話すよ」と言いながら、大内くんと帰った。
それにしても、あれだけのものを見せてもらえるとは!
しかも就活もする、と一応言質は取った。
もしかしたら、息子ってけっこう立派なヤツなのかも!やろうと思って一心不乱になったら、思いがけないことができるのかも!
息子よ、親が甘い夢に溺れている間に、どこでもいいから好きなとこへさくっと入っちゃいな。
6年3月31日
車を買いに行った。
とは言え、別に、いきなり思い立って車屋さんに行った、というわけではない。
前からお願いしていた「黄緑色のアクア」が納車になったので、トヨタさんまで引き取りに行ったのだ。
11年乗った赤いノアとは今日でお別れ。
悪いけど、十年以上乗った車に乗っても大丈夫なほどの、技術力がないのだ。
唯生が胃ろうと人工肛門をつけた手術以降、回復はしたものの、専門的なケアが必要になってしまい、もう家に帰って来ることはないだろう。
なので、一種何かを振り切る気持ちで、大きかったノアから、コンパクトなアクアに買い替えたというわけ。
納車から1週間。ほぼどこにも外出してない。
「慣らし運転を兼ねて、どこかへ行きたいんだけどねぇ」と言う大内くんだが、時は花見の季節。
うっかり走ると渋滞に巻き込まれたりしそう。
まあ、家の周りを回って、まずはこの小ささに慣れなきゃ。
ちなみに、最近よくメールをやり取りする名古屋の友達が、1人暮らしなのにマイカーが「トヨタのサイ」だと知った時、
「やはり、名古屋人は違う。車を、ものすごく大切なものだと思っている」と感じた。
やはり清水義範が書いていることだが、「名古屋人にとっての車は、戦国時代の馬に当たる」というのも由ないことではないかもしれない。
名古屋では、人はやたらに車で移動し、各世帯、オトナの人数分の車を保有することは珍しくない。
セカンドカーがあるとすでに「お金持ち感」が出る東京都はわけが違うのだ。
そんな名古屋に、新しい車を買ったからって、もう行くことはないと思っていたんだが、前述の名古屋の友達が、遊びに行けば、彼女のマンションで中学時代仲の良かった子を集めてランチ会をしてくれると言うし、「女子会」なので顔が出せず、ホテルの部屋で寝てる、と言う大内くんには、
「車で名古屋港まで行って、会社の高炉を見るのはいかが?」と至れり尽くせり。
名古屋に帰りたいなんて、母が亡くなってからまったく思っていなかったけど、友達が出てくると話はまた別。
いつか、彼女の運転で、名古屋中を案内してもらおう。
「年中休業うつらうつら日記」目次
「510号寄り道倶楽部」