16年6月1日
iPhoneやiPadで書く必要が生じた時は、音声入力をよく使う。
かなりぺらぺらとしゃべっても日本語にしてくれる。
ただ、時々、何が気に入らないのか、全然文字が出てこないこともある。
そういう時は手動で打つ。 そもそも、パソコンでキーボード入力すればいいじゃないか、と言われそうな気はするけど、パソコンはよく大内くんに占領されてるんだよね。
まあ、音声入力も面白いので、あまり気にしない。
困るのは、夜中にFBとか見てて、ちょっとコメント打ちたい時。
ベッドから出て書斎に行き、パソコンに向かうのは面倒くさい。
というわけでベッドでやってるんだが、小さな声で音声入力しているのに、横のベッドで寝ている 大内くんが、 「そうなの?!」とか、「え、どうしたの?」とか、自分に話しかけられたと思って「返事」をしてくれちゃうのだ。
朝、起きるとそんな覚えはまったくないそうなので、「起こしちゃった!」とすら反省しなくてもいいらしいのは嬉しい。
あとね、こないだ友達にメール打ってる時にだね、
「きっとずっとこのままでしょう」 と言ったら、そのセリフは以下のように変換された。
「きっとずっと君を思うでしょう」 私のパソコンは詩人だ。
16年6月3日
最近、古いマンガ家さんに縁があるので、池田理代子の最後の頃の作品を読み返した。
私はこの頃のものが絵としては一番好きかもしれない。(ストーリーはやや散漫な感があるが)
もう描かないのかなぁ。
いっとき、かなりマンガ界やら政界やらを震撼させたものだが。
どう見てもヘタとしか思えない人をメインアシスタントに使っているような気がしてしょうがないのも、彼女の失速に拍車をかけたように思える。
他人の絵のうまい下手がわからなくなったらしまいだろうに。
もっとも、彼女はマンガ界から転げ落ちたのではなく、もっと「高尚な」世界へ行ってしまったのだから、しかたないのだが。
池田理代子とか山本鈴美香、水野英子など、もっともっと描いてほしい作者さんはたくさんいる。
しかし、皆さん多方面に才能が有り過ぎて、マンガ家という枠に収まらないのが悲劇かもしれない。
今でも堂々たる一流誌に連載を持っている人あり、マンガをやめてしまった(かのように見える)人あり、3流のレディースコミックで「こういうものだけは描いてほしくなかった」と思うようなものを描いている人あり、様々だ。
ただ、今回の「萩尾望都、40年ぶりの『ポーの一族』を描く」騒ぎを見ると、少女だった人たちが子育てを終わって自分のためにお金や時間を使えるようになり、「なつかしいわぁ」と手に取ってみる,というケースもあるんじゃないかな。
もちろん、アマゾンでいっとき取り扱いができなくなるぐらいファンが押し寄せた、その中にはずっと読み続けてきた「マニア」もいるだろう。
どっちが多いのか。
私の交友関係の世界では、五分五分なのだが。
象の花子さんも亡くなる、彼女(?)を描いた大島弓子だっていつかは死ぬだろう。
「その時」を、私たち「元マンガ少女」はどんな思いで迎えるのだろう。
「やまだ紫」は大丈夫だったが、「吉野朔実」はダメだった。涙が出た。
萩尾望都を失ったら・・・1ヶ月ぐらい喪に服して、マンガは一切読まないのかなぁ。
それとも、今、吉野朔実を読んでいるように、徹底的に読み返すのだろうか。
いかんせん、吉野朔実を徹底的に読むのはものすごく健康に悪いので、「バクマン。」とか混ぜながら読んでるけどね。
ああいう、ジェンダーがねじれた人の作品というのは非常に疲れる。絵も細かいし。
もっとも、読みにくいマンガ家さんというのが世にあるとすれば、それは私の場合、松苗あけみです。
あのリボンとフリルをかきわけてキャラの顔とかセリフとかを発掘するのは本当に大変。
16年6月4日
お風呂の湯沸かしボタンが故障したようだ。
中のボタンを押しても反応しない。ランプもつかない。
キッチン側の、外から沸かすボタンを押すと、そっちは作動する。
おかげで、昨晩もお風呂に入ることはできたけど、先が不安だ。
メーカーに電話をかけたら、今日にはもう修理に来てくれた。
内線をいじり、パネルを取り換えて、1万5千円。あっという間だった。
「10年目シンドローム」なのか、最近、家電が壊れることが多い気がする。
始終、何かを修理してもらってる。
やはり機械は10年をめどに故障するのであろうか。
去年とかおととしは、よくモノが壊れた。
テレビとか冷蔵庫とか洗濯機とか。
その都度新しいのを買うので、たいそうな出費だった。
車は、壊れる前にと思って11年目で買い換えたけど、これまた結構な値段。
もう、大きい車は必要ないと思って、トヨタのアクアにしたけどね。
住んでるマンション自体が、12年目の今、「大規模修繕工事」を大掛かりにやっている。
大内くんは、
「ちょっと早すぎないか。どこも傷んでる感じはしないし、むしろ20年後ぐらいに配管等も含めて大掛かりな修繕が必要になると思う。『管理はちゃんとしてます』というパフォーマンスな気がする」とぼやいている。
私も、全体をネットで覆われ、薄暗いし、足場が組んであるので日中も窓を閉めて鍵をかけることが推奨されているし、洗濯物を干せる日が少ないし、ストレスがたまる。
早く終わってもらって、もとの暮らしに戻りたいなぁ。
16年6月5日
家の片づけの一環、また、将来への資料ということで、大内くんからビデオ関係の整理を頼まれた。
我が家は不思議な力関係で、パソコン関係は私がまったくわからず、インストールという言葉の意味も理解できずにほとんどすべてを大内くんに頼っているのに、ビデオデッキに関しては大内くんがまったく無能で、録画予約せよと言われたら絶望のあまり首をくくるような有様なのだ。
依頼の内容は、とにかく過去の家族の記録をDVDに焼いてほしい、ということ。それにつきる。
DVDにさえなっていれば、あとは大内くんがHDに入力してくれるらしく、はりきって東芝のHDを3個も買ってきた彼である。
もう、うちにはHDが10個ぐらいあるんじゃないかなぁ。
全書籍をデータ化した人間としてはどうしようもないところなのだが。
私の仕事は2種類。
昔、まだ8mmビデオというものがあった時代に撮ったコドモたちの映像をビデオデッキでDVDに焼くことと、その後、デジタル時代になってからの動画(主に息子の柔道の試合と大学生になってからのお笑いステージ映像。あと、大事なテレビ録画)をビデオデッキのHDDに移しておいたものを、やはりDVDに焼く。
手焼きのDVDは劣化しやすく、10年ぐらいたつと傷んでくるし、デッキの映像は、安定はしているが機械本体が壊れたらデータを取り出す術がないらしいので、両方ともより安定したHDに入れておきたいらしい。
(このへんのこと、自分でも理解できてないので意味不明だったり間違ったりしてるかも。デッキの操作方法を知っているだけで、理屈は理解してないのだ)
まだかろうじて動く8mmとVHSのダブルデッキをビデオデッキに接続し、時々わやわやになる画像には目をつぶって、古い映像をDVDに焼く。8mm、壊れかけてるぞ。
一応、結婚式と新婚旅行の8mmは10年ぐらい前に焼いておいたので、無事。
でも、ちょっとあやしい。もうHDに移した方がいいだろう。
テレビ番組は、「カノッサの屈辱」、三谷幸喜の初期ドラマ「竜馬におまかせ」、「えびぞり巨匠天国、略称エビ天・最終回」。
これだけはどうしても残しておきたい、と強く思う8mmテープ。
「竜馬におまかせ」は、小学校時代に見た息子がいまだに「世の中で最高のドラマ」と言い切るし、「カノッサの屈辱」は深夜テレビ全盛時代に我々が一番面白いと思って見ていたもので、最近になって観ていたら、大学5年生に育ち上がった息子が後ろから、「なにこれ!すげーおもしれーじゃん!」と叫んだ伝説の番組、そして「イカ天」より知名度は低いが、もう1ヶ月続いていたら「イカ天出身バンド」がこの世に存在するように「エビ天出身監督」が生まれていただろう、と我々夫婦の間ではがっちり合意している「エビ天・最終回」。
いやぁ、息子は元々強く志望していたテレビ局への就活を、
「今のテレビに、オレの求めるコンテンツはない」とかなんとか言ってすっぱりやめてしまうし、先日、家でやった宴会では、
「テレビはもうメディアとして終わっている。古い番組の焼き直しか、パロディしかない」とみんなさんざんけなすし、何より、我々自身が「真田丸」以外の番組をまったく観る気にならないのだ。2テラのデッキ2台が満杯になるほど録画がたまっているのに。
そんなわけで、ブルーレイをじゃんじゃん使って、と言っても5、6枚だが、DVDはできた。
あとは、大内くんがパソコンを用いたバテレンの邪法でHDに焼いてくれればすむ。
なんだか忙しくてお互い疲れていて、ゆっくり「カノッサの屈辱」を観たいなぁ、癒されるだろうなぁ、と強く思う。
そうそう、息子の小学校時代の柔道の映像を焼いていてふと見たら、高校柔道部で一緒だった女子キャプテンと男子後輩がバッチリ映っていたので、驚いた。
こんなところで出会っていたのか。
よく考えれば当たり前なんだが、「人に歴史あり」とか勝手に感動してしまった。
CDも全部iPodに入れて捨ててしまおう、とバテレンの大内くんは言う。
わからないけど、もう何年もCDには触っていない気がする。
アルフィーの新譜だけ買おう。そして、iPodに入れてもらって、捨てよう。
これが我が家で進行中の「断捨離」の話です。
一番家から出したいのは、カサ高い22歳の息子だが。
16年6月6日
「6月6日は雨ざあざあ降ってきて・・・」という絵描き歌があるけど、今日は普通の曇天。特に雨は降らず。
昨日の晩早く寝過ぎて、今朝は早くから目が覚めてしまった息子は、午後に大阪で就職の面接があるらしいけど、とりあえず「走ってくる!」と言って出かけてしまった。
時々、思い立ってあたりを走り回ってくるのだ。
大内くんと、 「気合入ってるね」 「何かあると、走るね。体育会系だ」とウワサしていたら、20分ほどで帰ってきてシャ ワー。
残り物でトンカツ定食を作ってやったので、朝から丼メシだ。
大内くんが出勤してしばらくして、息子も出かける模様。
最近、水のペットボトルをやたらに持って帰ってくるのは、面接や試験で出るんじゃない かと思うんだが、その1本に水道の水を入れて行った。
家で淹れた麦茶を持って歩く私に似た、しっかり者だ。
今夜は大阪の友達のところに泊まって、 「朝、東京に帰って、直接、授業に行く」そうだが、この頃、授業の方はちゃんと出てる んだろうか。心配だ。
そんな彼から、唐突にラインが入る。
「チェーホフの全集、ってネットで買えるかな」
「全集じゃなきゃダメなの?」
「出来れば全集が」
(アマゾン調べて、ちくま文庫からぱらぱら出てるのを見つけ)
「1冊ずつ買い揃える格好になるね。50円から4000円ぐらい」
「50円の買って」 「ほーい。『桜の園』と『三人姉妹』になるよ。吉田秋生の描いた『桜の園』というマン ガは評判がいい」
「ありがとー」
「チェーホフの好きな新しいカノジョでもできた?」
「村上春樹が面白いって書いてた」
そんなやりとりをしばらく。
帰って来た大内くんにラインを見せながら、 「要するに、我々が庄司薫の『赤ずきんちゃん』を読んでゴーゴリ―の『外套』を読もう、と思い立つようなもんだねぇ」と言うと、
「彼もオトナになったもんだ。やっと読書らしきものを始めたね」
「しかし、我が家からハルキストが出るとは思わなかったよ」
「僕らは読まないからねぇ」 「『ノルウェイの森』ぐらいは読んだけどね」とひとしきり読書談議。
確かに最近、息子は本を「読む」。
地元の図書館からよく「返却期限切れのお知らせ」が来る。
「安部公房」や「チェーホフ」を読む、ということは、「戯曲派」?
野田秀樹まで借りて来たぞ。
私は、小学校から大学までずっと演劇部をやっていたが、戯曲って読めないんだよね。
彼は、「けっこう好き」と言っている。良いことだ。
息子は、大人になるのが遅い。いわゆる「晩生」だ。
私は相当な「早生」だったが、大内くんは、20歳を過ぎてもまだ身長が多少伸びたというほどの「晩生」。
男の子だからなのか、大内くんに似たのか、なんか、この1年ぐらいでさらに身長が伸 び、筋肉がついたように見える息子。
お笑いやってて筋肉がつくとも思えないので、単に太っただけなのか?
この成長の遅い彼と、いつ、大人同士として語り合うことができるか、楽しみだ。
本当ならもう1年ぐらい留年させてやりたい、今の状態ではまだ「早産」だ、と感じる大内くんと私。
しかし、2留となると就職も難しくなるしなぁ。お金もかかる。
とりあえず、今、かなりの熱意を持って就活に挑んでいるようなので、あとは運命にまかせよう。
内定が取れても単位が足りなくて卒業できなかったらパーだ。 そうなったら、それが彼の運命かも。
その後に期待しよう。
いや、たった今も、単位を取り卒業する方の運命に、賭けてますが。
16年6月8日
萩尾望都が「月刊フラワーズ」に「40年ぶりのポーの一族」を描いたら、前評判からすごくて一時はアマゾンでも予約できないという事態に陥ったが、さらに問題は大きく、売り切れ続出なので、とうとう雑誌としては異例の「重版出来!」ということになった。
みんな、萩尾望都が好きなんだ。
小畑健「バクマン。」11巻より。
「昔、僕たちの親の世代の親・・・今でもいるかもしれないけど『マンガを読むと馬鹿になる』低俗なものとして子供に読ませない親がいた。
だけど段々マンガが文化として認められるようになってきている・・・
だから本当は内容も質も文化として恥じることのない作品を描くべきだと思う・・・
でもそこまで力のない僕達は読者の人気をどうすれば獲れるかそれを考えて描くしかないんです」
このセリフには感動した。
私は親が私がマンガを読んでも何も言わなかった。
その10倍以上、小説を読んでいたことも大きかったかもしれない。
なので、「親にマンガを禁止された」というよくある話を聞いても、どうしても事態が具体的には理解できてないかもしれない。
それでも、友人たちや大内くんの、マンガを禁じられた話を聞くと、禁じる人に猛烈な怒りがわいてくる。
大内くんのお母さんなんか、人に借りたマンガまで「燃やした」そうだ。
「焚書坑儒」ではないけど、本を焼くのは野蛮だ。
今、自分がこんなに夢中になれる、息子の世代もそれなりに豊饒な世界を築いているマンガ文化を認めない人は、私から見ると野蛮にしか思えない。
親が子供に「あれを読め、これを読むな」なんて言っちゃいけない。
もちろん年齢によっては注意が必要かもしれないけど、ある程度の年齢になったら好きなものを読んでもらうしかない。
アニメもそうで、「マンガ映画」とバカにし、けなしていた人たちが、宮崎駿が世界的に認められたとか、ジャパニメーションが世界中で人気だとかなると、急に、「優れた芸術作品」なんて言い出すのはホントに頭にくる。
美しいものが見たい。感動に身をゆだねたい。壮大なストーリーを身体で追って行きたい。
マンガやアニメは、そういう高揚感を充分に満たしてくれる、素晴らしいアートだと思う。
今回の「萩尾望都重版出来事件」はNHKの朝のニュースに取り上げられるほどだった。
萩尾望都を夢中になって読んでいた「少女たち」が、オトナになり、自分の時間やお金を持つことができるようになってしたくなったことのひとつが、「ポーの一族」を読むことだった。
マンガは、買い支えられている。
このまま進めば、20年後には老人ホームで「シルバー・コミック」を読みふけるおじいちゃんおばあちゃんが出現するであろう。
きっとその中に私もいる。
16年6月10日
息子の部屋は、いつもベッドの上に服が投げ出され、タンスの引き出しはあちこち開きっぱなしで、いわゆる「泥棒が入った直後のような」様相を呈している。
来年の春から独り暮らしをする予定なのだが、こんなことでやっていけるのだろうか?
我々がそれを見る機会はないだろうが。
私は最初、彼が1人暮らしをするなら当然合鍵をもらって、時にはそれで勝手に入って掃除とかしてあげるもんだと思っていた。
しかし、人並み以上に息子にかまいたがる大内くんでさえ、それには「え?」という気分らしい。
「カノジョが来て、片づけてくれるわよ」と言う友人が多いのだが、どうも、うかがい知るところでは、カノジョの部屋もあまり片づいてはいないらしい。
将来、2人が結婚して住居を見る機会があっても、それは「片づいた状態」だろうしなぁ。
そういう意味では、「ご近所スキャンダル」等に出てくる「マンションの合鍵を使って勝手に姑が入ってくる」(合鍵は夫が渡している)というのはイヤだろうなぁ・・・
合鍵を渡すかどうかの大きな分水嶺は、「マンションの頭金を出してもらっているか否か」であるらしい。
よかったなぁ、ウチは、どっちの親も出してくれなかったから。今頃になってホッとしている。
自分たちも、息子のマンションにお金を出してあげるのはやめよう。
そして、合鍵は受け取らないし、泥棒が入った直後のような部屋を見る機会はない方がいいのだと自分に言い聞かせよう。
16年6月11日
最近、吉祥寺までの40分ほどがつらい。
歯医者と眼科を除くほとんどの医師から「もうちょっとやせましょう」と言われるので、週末2日のうち、1日は吉祥寺まで散歩で往復していたのだが、暑い季節も手伝って、非常に苦しい。
だからと言って片道はバスで、というのもけっこうお金がかかる。
そこで、いろいろ考えた末のアイディアは、
「途中まで自転車で行き、井の頭公園の南端の方に自転車を置いて、吉祥寺まで歩く。帰りは自転車のとこまで歩いて、乗って帰る」というもの。(自転車置いといていい場所がちゃんとある)
で、愛車とお別れして、開店直前のクルン・サイアムに行ってみたら・・・
驚いたことに、いつもは2、3人待ってるかいないかのお客さんが、5組もいて、列を成してる〜!
人気のある、時々ちょっと行列ができる店だが、目に見えるほど「並んでる」のは初めてかも。
当然、思いつくのは何かの雑誌で「吉祥寺特集」をやっていて、クルン・サイアムも載った、ということ。
過去、何度かそういう謎の行列を見た頃があるし、自分たちも記事に惹かれて行ったこともある。
一番頑張って行ったのは、「孤独のグルメ」で井之頭さんが行った、吉祥寺「カヤシマ」。
どうってことはないんだけど、昔なつかしいケチャップたっぷりのナポリタンとか、いいカンジ。
さて、クルン・サイアムでいつものパッ・タイを食べ、出て来た時には、いつも階段の途中までの行列が、上がり切って道路まで伸びていたのを見て、やっぱり雑誌掲載だ!と驚きながら、メガネスーパーでそれぞれゆるんできたメガネのフィティングをしてもらい、西友で大内くんのパジャマ買って、まちおかでお菓子買って、ブックオフで100均の本を買って・・・ここまででもうそうとうくたびれたが、さらに魚屋さんに寄って帰る。
見事なイサキ!
1尾690円は高く思えるが、2尾990円は安いのではないだろうか?
大内くんはキンキを煮付けたそうに未練がましく見つめていた。
ダメダメ、今日のご飯はイサキだし、あなた、明日残業でしょ?
食べてるヒマないじゃん。
通りがかりのチーズ王国でチーズの試食をさせてもらったら、うーん、おいしい!けど、高い!
ひと固まり5千円とかするもんなぁ。
いつも家でのパーティーにチーズを持って来てくれる人々は、ものすごい散財をしてくれているわけだ。
チーズ王国から自転車が置いてあるところまで20分ぐらいかかったが、その間に驚いたのは、チーズの風味が全然、舌から去らないことだ。
いつまでもチーズの味が残る。
これなら、ちょっとずつ食べてもまったくイケて、結論としてコスパがいいのかもしれない。
いや、もちろん高級品であることに変わりはないのだが。
チーズ王国ではビビってしまって買えなかったけど、明日買い物に行ったら、田舎の西友ならではの安いチーズとワインを買ってみよう。
16年6月12日
嬉しいが、本当は悲しまなきゃいけないこと。
家の掃除機が、壊れた。
大内くんは、
「これで、ずっと欲しかった『「ダイソンの掃除機』が買える。すごく欲しかったんだけど、高くてね・・・でも、ルンバまで買っちゃっただから、隅の方やソファの後ろとか、ルンバが入れないとこに、抜群に効くよ!」と大喜び。
そんなに欲しかったのか。
それなら予算を組んで、もっと早く買ってあげたかった。
「いや、先代のがまだ使えるとなると、買えないもんなんだ。今回は、千載一遇のチャンス!」と舞い上がったまま、近所の家電量販店に行き、イカにも売れ筋という感じに並んだ中から、まあまあ安いヤツを選んだ。
最近、大内くんは「値切る」ということを覚え、今回も4万8千ほどのものを4万と600円まで値切らせてもらった。
魚もさばけば家電も値切る。頼もしいダンナさんだ。
何だか2人ともすごく興奮してしまって、帰ると、冷凍食品を冷凍庫に入れるのももどかしく、ダイソンの箱を開ける。
美しい。そして、やかましい。
充電で、持ってる手のあたりのプラスチック製の筒にホコリが吸い取られて行く。
いったんかけ始めたら、使っている人に、他の人からの声は一切届かない。
それぐらい、強烈なモーター音なのだ。
毎日ルンバで掃除している家から、さらにこんなにホコリが出るのか。
やっぱりおもに服や布団の繊維が散って行くんだな。
そう言えば、新しい全自動乾燥洗濯機を買った時も、2回に1回は繊維のカタマリを取らなきゃいけないフィルターを見て、しみじみと、
「この分だけ、服が減っちゃうんだね。繊維が、だんだん取れてっちゃうんだね」と何やら感慨にふけっていたよ、この人は。
ルンバとダイソンで武装し、さらにダスキンモップで補強して、今んとこ、2人とも掃除に夢中。
でもね、そういうルーティンな仕事って、飽きちゃうんだよね。
さて、どっちの掃除熱が残るだろうか。
答え:ルンバ
というのはインチキですか?
一緒に買ってきた雪印のカマンベールチーズと名も知れない750円ぐらいの白ワインを開けて、「重版出来!」の録画を観てから、リアルタイム「真田丸」を観る。草刈正雄がこんなに正統派のシブいおっさんになろうとは。
石田三成の山本耕治は堺雅人よりずいぶん年下のはずだが、堺雅人の若作りがうまいのか、山本耕治に貫禄があるのか、それなりに年上に見えた。
ああ、「ひとつ屋根の下」では2人もが覚せい剤をやっていたので、もうDVDが販売されることもないんだろうなぁ。
福山雅治の「ちぃ兄ちゃん」が好きだったのに。
というわけでたいへんハッピー。
ワインの酔いが指先まで沁みとおって、勝手にプルプルと震える。これではアル中だ。
16年6月13日
昨日、息子に1本の電話がかかってきた。
小さなゲーム会社からの、内定の連絡だった。
「ありがとうございます!」と息子が大声で言って、彼の就活は終わった。
早稲田生の親として、日本中、どこの会社でも書類で落とされることはないだろう、という自負はあった。
就職の基準は、「アパートを借りる時、『業界名』でなく『社名』を名 乗れば済むところ」だった。
あまり有名でないところを受けてるようだな、でも、大手も 受けてるから何とかなるだろう、と思っていたが、知らない間に、大手は全部振られてい たらしい。
「カプコン、受けてたじゃない、あれ、どうなったの?」
「大阪だからやめとく」って、わざわざ2回も行ったじゃない。断られたんでしょ!
まあ、本人の中では行きたい会社だったようだから、その名も知れない小さな会社を応援 しよう。
問題は、我々が知っているゲームが1本もないってことだね。
私服OKの会社らしいし、オフィスの写真はキレイで、パソコンと書類の山に埋まっている 感じではないのがグッド。
もちろん宣伝用の「架空の場所」かもしれないが。
背広、就活 用に2着も買ってあげたけど、いらなくなっちゃったかぁ。
と言ったら大内くんは、「友達の結婚式とか、なんか機会はあるよ」と言っていた。前向きな人だね。
というわけで、皆さんにご心配いただきましたが、就活終了です。ありがとうございました!
16年6月14日
萩尾望都の「王妃マルゴ」がとても良い。
好きな作品かと言われると「うーん」ってなるが、作者の魂がこもっていると思う。
あの巨匠が、いまだにチャレンジングに新しい分野に挑戦して行くというのは大変な精神力だ。もう66歳なのに。
私の古い友達が、40年ぶりにマンガを読んでみて、それが「40年ぶりのポーの一族」なわけで、これには大いに不満があったらしい。
「王妃マルゴ」を薦めたら、聡明なる彼女はこう語った。
「『ポーの一族』は時空を超えて生きる哀しさがあるわけですが、『王妃マルゴ』は不可逆な時間を生きる人間のドラマがあります」
本当に聡明だ。この人に、「AWAY」とか読ませてみたい。
竹宮惠子の書いた「少年の名はジルベール」という自伝的な本を読んだ。(マンガではなく、活字の本)
20歳の頃、それぞれ新人少女マンガ家として上京してきた竹宮惠子と萩尾望都はボロい一軒家を借りて一緒に生活していたそうだ。
手塚治虫で有名なトキワ荘みたいに、そこには少女マンガ黎明期のマンガ家たちが集まって議論が白熱し、練馬区大泉にあったので「大泉サロン」と呼ばれたらしい。
巨大新星が2つ、一緒に輝いていたのだ。初めて知った!そりゃ、聖地だろう。
山田ミネコや伊藤愛子、佐藤史生なども集っていたらしいと聞くと、意味なく地団太を踏んでしまう。
「LALA」「プチフラワー」「花とゆめ」が出た時なんかは、もう、天地がひっくり返るかと思ったよ。
少女マンガでここまで!って、さして長くなかった自分の来し方を振り返って、「わが人生に悔いなし!」と素直に思えた。
今でも、良いマンガにめぐり会うと、心からそう思い、血が燃える。
程度の差はいろいろあるだろうが、やっぱり私はマンガ読みなんだ。
一番最近ぐっときたのは野田サトルの「ゴールデンカムイ」。
歴史、サスペンス、宝探し、殺し合い、ホモにグルメまで詰め込んだ、最強のマンガ。
ゲーム会社に就職が決まったせいか、急に「ロトの紋章」が読みたい、とか言い出した息子のためにまたしても全巻ドットコム。
頑張って「勉強」してくれ。
最近、ついに安部公房とか野田秀樹とか読みだして、少し大学生っぽくなってきた彼である。
「遅れてきた青年」なのだなぁ。
マンガも読めよ、と言うところが、我々の親世代と大きく違うところだろう。
私は今から何十度目かわからない「大奥」を読むのだ。
16年6月15日
出かけていた息子が夜帰ってきて、シャワーを浴びたと思ったら、また服を着て出かけようとしている。
「どこ行くの?」
「友達んちに行く。今日は帰らない」
「明日の授業は?」
「直接行く」
まったく嵐のようだ。
いきなり取り残されて、父母の話題は就職のこと。
私「本当にこれでいいのかなぁ。5年、10年後に、『あの時、もっと止めればよかっ た。やっぱり大手にしておくべきだった』って、後悔しないかなぁ」
大「しないよ〜。彼が選んだんだから、いいじゃない。会社は中目黒にあるんだけど、3月頃から、『中目黒になるかも』ってつぶやいてたよ。彼としては気持ちの準備は充分で きてたんだよ」
私「食べて行けるかしらん」
大「ずっと同じ会社で昇給して行くって言うより、スキルを身につけて転職して行くん じゃないかな。そういう就職のしかたもあるんだよ」
私(泣き崩れそうになって)「苦労するんじゃないかしら」
大「それを言うなら、大手でリストラされる人だっていっぱいいるよ。好きな仕事をして スキルを得る、その方がずっとお得じゃない」
私(にわかに現実的になって)「引っ越しもさせなきゃね。中目黒のあたりは意外と穴場があるんだよ。駅に近くなくても会社に近ければいいわけだし、自転車通勤も考えられるし、2、3駅離れて祐天寺とか学芸大前なら、少しは安いんじゃないかな」
大「住宅手当があるといいね」
私「私たちは結局マンション買うまでずーっと社宅だったから、住居費がすごく浮いたよね。手取り18万ぐらいで住宅手当つけて、少し苦しいけど7、8万のワンルームとかに
住むといいんじゃない?カノジョと一緒に暮らせばいいのにね」
大「最初のうちは、家から通う、って選択もあるよ」
私「ダメ!それは禁断の誘惑。もし彼女と別れちゃって、きっかけがないままずるずると 家にいるようになったらもう追い出せないよ!今しか、追い出す時はないよ」
大「そうかぁ・・・」
本人がいない時に一番激しく本人の話をしてしまう、こんな私たちは、彼が家を出てし まったら、いったいどのくらい彼の話をするだろう。
私は幾度、彼に会いたいと言って泣くだろう。
離れて暮らすってことは、そういうことだ。
16年6月17日
(もう日付が変わったので)今日は結婚記念日。27回目になる。
数日前に、大内くんに、
「今週の金曜って何があるかわかる?」と聞いてみたら、しばらくうーんと考えていたが、「わからん!」と降参。
「結婚記念日だよ!」
「ああぁああー、そうか!!」
まあ、いいんだけどね。私も時々忘れるし。
そう、この27年の間には、すっかり忘れた大内くんをメモリアルキャンドルとビーフシチューで脅かしたり、逆に私がケーキといきなりの花束(バラ5本ぐらいのちゃちなもんですけどね)で泣かされたり、いろんなことがあった。
今日も、12時過ぎに「結婚記念日だよ」と言ったらまたしても「ああああ」となっていたけど、
「27年間ありがとう。これからもよろしく」と言ってくれた。
「しかし、結婚して27年ってことは、もうこの先、それとおんなじぐらいしか生きられないんだね。人生は貴重だ。仲良く大事に暮らそう」
とっくに「イーブン・ディ」(結婚してからの方が、親元で暮らした年数より長くなる日)を過ぎてしまったけど、これからももっともっと一緒にいよう。
特に、大内くんの退職後が楽しみ。
旅行に行こうと、毎日毎日パンフレットばかり見ている私。
今日は、空路サンクトペテルブルクに飛んで、そこからモスクワへ、そして、エカテリン ブルグやイルクーツクを観光しながらシベリア鉄道の旅を楽しむ16日のツアーを見つけたよ。
身体が持たないので、サンクトペテルブルグはクルーズで行こう、という話になっていたけど、これぐらい楽なツアーなら、陸路でも行けるかも。
クルーズは高いもんね。
そんな私は、人生の終わりには世界一周クルーズをしたい、と思って、ちまちまお金を貯めている。 (ちまちま貯めたぐらいでどうなる額でもないんだが)
ひとつぐらい、「夢」を持っていたっていいよね。
16年6月18日
大内くんが会社でおつきあいのあるAさん宅にご招待された。もちろん私も一緒。
4人目の赤ちゃんを待っているAさん夫妻とは去年の暮れ、初めてお会いして、次に会った時にはもう臨月、それからあっという間に赤ちゃんが生まれて、バタバタ期を越えて、一戸建ての新居にお招きいただいた、というわけ。
この新居は素晴らしいデザインの3階建てで、屋上に上る螺旋階段まであるうえ、3階には防音室とグランドピアノがあり(ミセスAに1曲弾いていただいた。生ピアノ、すごい)、あと、うちがちょっとだけ関わった部屋がある。
3畳ほどの「自炊部屋」。
機材をそろえて、本も少し搬入して、でもまだあまり裁断する気分に慣れてなくて、さて、Aさんちの書庫を見せてもらうのを忘れていたのだが、どんなに大きな書庫があっても、本は必ずあふれて来ます。
そうなってからでもいいから、どうぞ、自炊を!
ひととおりおうちの中を見せていただいて、1回リビングで昼ごはん。
上は小2から下は4カ月までの4人の子供がいるのに、Aさんがうまいこと赤ちゃんを寝かしつけた頃に、ミセスAはキッチンで大活躍、次々出てくるピザに、バジリコスパゲッティ、寝ている赤ちゃん以外の全員がおなかいっぱい。
(もしかしてミセスAはほとんど食べてるヒマがなかったかも・・・すみません)
この家族のスゴイとこは、なんでも、「さりげなく」行われちゃうところだろうか。
長男のATくんが帰るなりリビングの学習机で「宿題先にやっちゃうんだ!」と「梅雨(つゆ)」に関する単語でノート1ページの全マスを埋めるまで、赤ちゃんをあやしているAさんも料理しているミセスAも、そして我々もどんどんアイディアを出しちゃう。
大内くんは、
「子供が小さいうちは、リビングで勉強するのが一番いいですよ。うちなんか、自分の部屋でやらない習慣が行き過ぎて、外のガストとかでないと勉強できない体質になってしまいましたけど」と嬉しそうだった。
皆でどんどんごはんを食べて、これまた「さりげなく」ATくんは自分の使った食器はカウンタまで運ぶし、Aさんがささっと集めた食器をミセスAが洗う。(もしかしたら食器洗浄機?)
2番目のプリンセスSUEと3番目のhiroっちは2階でDVDを見始めたので、やや大人の時間。
1階リビングの上が吹き抜けになっているので、2階の様子が把握できて、便利。
Aさんと大内くんが仕事の話を始めちゃう一幕があったけど、話題はおおむねコドモのこととマンガのこと。
マンガは、うちとはまた違う系列を読んでるなぁという印象で、いやもちろん萩尾望都は読んでたりするんだけど、お若いのにかなりのマンガ読み。(ご夫婦とも私より20歳年下)
私は「医龍」までは手が届いてなかった。
コドモ話は大内くんが得意で、4人もいるとPTAとかどうするんですか?とか聞きながらの会話。
今はまだ少なくとも赤ちゃんと2歳のhiroっちは身の回りに置いておけるけど、全員ちがうお稽古事や塾に行き始めたら、と思うと壮絶。
そこは、Aさん夫妻も悩んでいるところのようだった。
4人も産んで育ててるんだ、ちょっとはまけてくれ、という気分になるだろう。
やがて子供たちが降りてきて、赤ちゃんも目を覚まして、おやつタイム。
我が家からのウェストの大箱をみんなでさくさくといただく。
赤ちゃんを抱っこさせてもらっていた大内くんは、おなかのすいてきた彼に腕を「ちゅくちゅく」と吸われて、ミセスAが引き取って授乳に行っちゃってからも、20年ぶりの感触に、ぞくぞくしてたらしい。
そしてまたコドモたちは2階にDVDを見に行き、会話の時間。
でも、あっという間に時間がたっちゃって、そろそろ夕方。
あー、もっとマンガの話をしたかった!
「少年の名はジルベール」、裁断済みのものを捨てないでこの家に持って来れば、スキャンはできたのに捨てちゃった!
萩尾望都はね!竹宮惠子はね!よしながふみはね!
向こうももっともっと話し足りないようだった。
一家全員のお見送りを玄関で受けて、Aさんに少し送ってもらって、コインパーキングへ。
楽しかった。目の前がチカチカする。
ディズニーランドに行ったみたいだった。
あーあ、「大奥」は今盛り上がってると思うか盛り下がってると思うか、それだけでも聞いておきたかった。
楽しくくたびれた日だった。
お昼ごはんとおやつをいただきすぎて、もう何も食べる気力がない。
というか、お風呂に入って6時頃、2人とももうほぼ「寝るモード」。
息子が「カレー喰いたい」と言ってきたが、どうせレトルトなので、「自分でやって」と却下。
後で見たらカップ焼きそばに変更したらしい。
もう1年もしないうちに独り暮らししてもらうんだから、そのぐらいは頼むよ。
それにしても、Aさん夫妻と会う時はいつも楽しい。
会社は違うとはいえ、大内くん、一緒に仕事してる人とこんなにプライベートで仲良くなっていいんだろうか。
ミセスAと、育児とマンガの話をもっとしたかったなぁ・・・
16年6月19日
息子の就職祝いと我々の結婚記念日のお祝いを兼ねて、吉祥寺で親子3人焼肉。ジョッキで乾杯!
肉を焼きながら喰いながら、いろんな話を聞いた。
あちこちで落とされたこと。
でもそれは、自分に向いてない仕事だって割り切ってるってこと。
入社するつもりの会社では10人ぐらいの人に会ったけど、全員が、「いいカンジ」の人だったこと。
大内くんも日頃「人と会って話すのが何より大事だよ」と就活を語っていただけに、これでは文句のつけようがない。
それよりも最大最強の驚きは、
「カノジョとはうまく行ってる?」という私の問いに、「ああ、別れた」と簡潔な返事が返って来たこと。
はあ?
もう3年も付き合ってて、家にも何度も泊まりに来て、あなたも無数に1人暮らしのカノジョのアパートに泊まってて、それでも別れちゃうときは別れちゃうの?!
「どっちから?」
「どちらからともなく」
「『やっぱ、オレたち、合わねーんじゃね?』って感じで?」
「そうそう」
こっちはなぁ、もうあの娘と結婚するもんだとばっかり思ってたよ。孫の顔も期待してた。
女お笑い芸人の嫁、ってどんなもんだか知らないけど、そもそも嫁を貰うとか嫁が来るとか思ってなかった。
「結婚」してくれるもんだと思ってた。
あああ、息子よ、せめて、貸してあったiPad2は返してもらってくれ。高いんだ、あれ。
そして、これは息子にはナイショなのだが、せっかく安定していた2人の仲が壊れてしまったことを悲しみながらも、私は、「ああ、あの『不思議ちゃん』が嫁に来ないんだ!」と妙な安心感を覚えていたのだった。
(用事があると言う息子と別れて家に帰る途中で、大内くんに確認したら、彼もまったく同じように感じていたのだそうだ。良かった。人非人は私だけじゃない)
不思議なことに、あんなに「結婚式を見たい、孫の顔が見たい」と思っていたのに、当面その可能性が低くなってしまった今、我々は「ま、それもまた人生だ」みたいな気分になって、結婚式も孫も、まあ、ご縁があれば、と言う気分になっている。「すっぱいブドウ」だろうか。
さて、これから彼の「カノジョいない歴」が始まるわけだが、どうだろう、数年以内に結婚したい人が現れれるだろうか。
孤独に強い人のようなので、生涯独身かもしれない。
焼肉とカルビクッパでおなかいっぱいになりながら、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、1人暮らしする気があることを確認。
いいだろう、あのマンガの山と共に出て行ってくれ。
でも、時々、部屋を掃除させてほしい、と言ったら、
「掃除ぐらい、自分でするよ」
「今まで1回もしたことないくせに」
「1人で暮らすとなれば、別だよ」
おーおー、一人前の口をきくなぁ。これが、内定取った男のゆとりってやつだろうか。
喫茶店を出て、まだ何か用事があるという彼と別れて、大内くんとバスで帰った。
つないだ手を、ぎゅーっと握った。
「出て行っちゃうんだって・・・」涙が出そうだった。
「キミと僕と、2人で始めたことじゃない。2人に戻ろうよ」
大内くんは、いつも正しい。
家に帰ってお風呂入って、大内くんはすぐ寝てしまったけど、私はなかなか寝つかれなかった。
息子が帰って来たのは夜中の2時か3時頃だっただろうか。
「お帰り」と声だけはかけた。でも、それ以上言うことはなかった。
息子もすぐに寝てしまい、この眠りの家の中で眠れないのは私だけだ。
16年6月20日
こうして結婚記念日も過ぎてしまうと、だんだん、大内くんの退職後が楽しみになってきた。
旅行に行こうと、毎日毎日パンフレットばかり見ている私。
もう1年半ぐらいしたらもう1回ローマに行こう、今度は1週間ぐらい滞在しよう、こないだ団体旅行でおいしくないものばかり食べた思い出は忘れて、現地の老舗トラットリアに毎晩行こう、前回3回行ったバチカンにも、また3日ぐらい通いつめよう、街角の小さな教会にいきなりベルニーニさん作があったりするから街をたくさん歩こう・・・山のようにローマの話ばかりしている。
ツアーって、露骨なんだよ。
「7日間ローマ滞在ツアー」が、1月2日出発だと1人15万円で行けるのに、12月29日、つまりお正月休みが始まるであろう日に出発しようと思うと、同じ日数なのに、42万円に跳ね上がるんだよ!
3回行けちゃうじゃん!
なるべく安く行こうと、大内くんと相談しているけど、なにせ先の先の話だから、旅行代理店のパンフにもまだカレンダーが影も形もない。
もう1年ぐらいは、妄想の世界。
妄想と言えば、70歳過ぎてまだ元気があって、貯金が残ってたら、2人で世界一周のクルーズに行きたい。
いろんな意味でまず無理な話なんだけど、無理そうなことを望むのが、夢ってもんでしょ?
「Nice to meet you!」以上のことを忘れてしまった英語だって、そのためなら勉強し直してもいいなぁ、と思うぐらい。
夢の終点は「駅前留学」かもしれないが。
短命な家系に生まれた私にとっては、70歳過ぎても生きていたら、それは相当ラッキーな出来事なのだ。
大内くんと海外旅行の話を始めると、彼としては行きたいところが多すぎて困るらしい。
トルコが、まず外せない、ってのが私にはわからないが、カッパドキアという謎の多い場所に行かずにはいられないのだそうだ。
私「ご近所なんだから、ローマに行った時についでに1日寄って行くぐらいじゃダメなの?」
大「絶対ダメだよ!カッパドキア自体、2、3日は滞在したいし、トルコに行ってイスタンブールに行かないなんて考えられない。ブルーモスクやアヤ・ソフィアを見たくないの?」
私「うーん・・・見たいかも」
大「定年後に、別の旅行として考えよう!その時はついでにシチリアに寄って行くのもいいなぁ。あそこも、東西の文化が交流した、面白いところなんだよ」
翌々日には、古本屋からトルコの歴史についての本が届いた。
本気だなぁ。
勉強は大内くんにまかせて、現地で説明してもらうとして、私は食べ物の研究でもしよう。
シチリアって、わりと貧乏でおいしいものがないんじゃなかったっけ?
「そんなことないよ!豊かな文化のある場所だよ!」
ごめんなさい、「ゴッドファーザーPart2」でしか知らないんだよ。
予算の都合上、もうこれ以上旅行は入れられないなぁ、って思ったら、最初に考えてたシベリア鉄道の件を思い出した。
きりつめてきりつめて、なんとかこれも実現させたい。
貯金をしよう。
それから身体を鍛えないと。旅行は体力。特に安く上げようと思うならなおさらだ。
ああ、夢はふくらみ、2人で夢中になって地球儀を回している。
10年も先のことを考えて楽しんでるんだから、けっこうコスパいいぞ。
行った後は、一生の語り草になるんだろうから、なおさらだ。
語る日々が何年ぐらい残っているかは、また別の問題として。
16年6月22日
歯医者の帰りに見た光景。
うちの近所に大きなJCBのカードセンターがあるのだが、その前で小学校低学年ぐらいの男子どもが騒いでいる。
「オレんちの母ちゃん、ここではたらいてるんだぞ〜」
「なんの会社?」
「カードの会社だ!」
(異口同音に感動して)「カード!!」
いや、たぶん、キミたち間違ったとこに感動してるから。
JCBのカードは、キミたちの言うところのカードとは違うから。
コドモは無邪気で良い。
特に、このくらいの年齢の男の子たちのバカさ加減といったらもう・・・目頭が熱くなるほどのバカっぷりである。
励めよ、としか言いようがない。
16年6月24日
昔、母からよく聞いた話では、私の母方の先祖を7代ばかりさかのぼると、化け猫騒動で 有名な「鍋島藩」のお姫さまだったそうだ。
「家臣に降嫁しちゃったから傍系だけど、血は引いてるのよ」とやや自慢げに語っていた。
というわけで、私は化け猫の子孫だ。
先日、友人が、
「鍋島藩からお嫁に来た華族の梨本伊都子さんの写真を見た。血筋ですよね?やっぱり ちょっと似てます」とメールで言ってくれたので、
「そんな古い話をよく覚えてたなぁ」 と感心しながらググったら、いっぱい出てきた。
大内くんも、
「顔のつくりはよく似てるよ。いいねぇ、高貴な血が流れてて。僕んちの母方は、先祖代々、由緒正しい水飲み百姓だ」と言っていた。
しかし、大内くんも父方の祖先はなかなか面白く、「桜田門外の変」の時に、「これは 行かない方がいい」と判断して、「お腹が痛い」と仮病を使って、襲撃隊に加わらなかったのだそうだ。
ちゃんと武士階級ではあるものの、「あまり名誉な話じゃないよね」と困った顔をしている大内くん。
人に歴史あり。ちょっと違うか。
16年6月25日
朝から近所の優秀な八百屋に買い出しに行く。
大きなレタスが2つで200円だったり、牛乳が150円だったりするので、よく使わせ てもらう店だ。
これから夏にかけて、ナスもトマトも大安売り、私は深夜に鍋を混ぜる魔女のように、大鍋いっぱいのラタトウィユやビシソワーズを作る。 去年のように甘くて安いスイカの大玉に当たりたいものだ。
帰り道で、近所に住む保育園からの幼なじみ、「けいすけくん」のママとばったり出会った。 年に2回、「暑気払い」と「忘年会」をやっているので、保育園ママたちの結束は固い
が、ばったり会うのは珍しい。
私が日頃、外に出ないせいなんだろうが。
息子の就職状況を聞かれたので、「名もないベンチャーソフト会社」に内定をもらった旨 伝えたら、去年就職したけいすけくんも内情は似たようなもので、「ベンチャー」以外の
何物でもないようだ。
しかし、理系のパソコンオタク、けんちゃんにはITスキルという強力な武器がある。 素手でIT業界に飛び込もうという息子とは、雲泥の差だ。
ひとしきりお互いの息子のあれこれを交換し、何となく嘆いたり憂えたりして別れる。
世の中は厳しい。
ま、どこにも採用されないのではないかと怯えていた頃に比べれば、内定をもらっただけ でありがたく思わなくっちゃあなぁ。
と、親が憂えている間にも、息子はマイペース。
いつの間にか、学生お笑いとは別の、「16歳〜22歳なら誰でも出場可」という大会に出て、優勝してきたらしい。
大内くんと頭を寄せて、
「あの人には、何かの才能があるんだと思うが、遺憾ながら、親にはなかなか見せてくれない才能だ」と愚痴る。
頭は悪くないと思えるし、ライブを観に行けば、 「ああ、それなりのレベルのお笑いだなぁ」と思うので、就職でもうちょっと頑張ってほしかったんだが、さて、いったい親はどう「頑張ってほしかった」のか、を突き詰めて考えると、結局、「安定した」「人聞きのいい」会社に入ってほしかったんだよね、と、ま
たひとしきり自己嫌悪に陥る。
イマドキ、よっぽどのレベルの学生でないと、そんな会社には入れないだろうと思う。 大手でもばっさりリストラするぐらい、「安定した会社」なんて昔夢みたほどはありゃしないのだ。
息子が、
「10人ぐらいの人に会った。どの人も、いい人たちだった。イヤな感じの人は1人もいなかった」と語る会社に入れたんだから、それでよしとすべきだろう。
それに、大内くんがあることに気づいた。
この2、3カ月ぐらい、変わったペットボトルがよく台所にあるのだ。
たいがい空だが、水が入っていたと思われる。
そのへんのコンビニでは見ないような小ぶりなものなので、 「就活の面接や説明会のために、企業側が配ってくれるんだろう。350mlでは多すぎるし、費用もかかるから、こういうのが主流になってるのかな」と思いつつ、じゃんじゃん捨てていたのだが、今朝の大内くんによると、
「この小さいボトル、内定くれた会社のロゴが入ってるよ。就活生のために、わざわざ ペットボトルを作ってくれたんだよ。僕はもう、何本捨てたかわからないけど、企業ホー
ムページにも現れてる、スマートで小粋な感じがする!きっと、いい会社なんだよ!」と のこと。
面接も何度もやってくれたようだし、学生と向き合う誠実な会社なんだろう。
問題は、そこで息子がどんな仕事をし、どんなスキルを身につけるかなんだが・・・文系 社員のスキルは難しそう。 どうも悲観的になっていけない。
息子の門出を祝福しなくちゃね。当面の目標は卒業だし。
16年6月26日
今日は面白い体験をした。
私が学外入部していた「東大まんがくらぶ創立50周年記念行事」の一環なのか、「くらぶ史」を作りたいということで、古参の部員に声がかかったのだ。
4年上のYさん、同学年のTさん、大内くん、私が行った。
向こうさんは現役部員たち8人ほどで、発行誌「すからべさくれ」が今に至るまでるいるいと並んだ部室で、3時間にわたる座談会になった。
大内くんが描いた頃が23号なのだが、最新巻は76号。(年2回発行なので、そのぐら い)
入稿のしかたも昔とは違うし、そもそも「和文タイプ」を知らない世代だ。
「ガリ版」も理解されていないと思う。
「スクリーントーンはあったんでよね?」というあたりから始まる話。
「皆さん、カケアミとかものすごくうまいですよね」と言われるのは、トーンがなくて自分で描くしかなかったからだよ。
今ではデジタルで描く人の方が多いそうだが、アナログに描く人もいるとか。
座談会の間中、ずっと端の席で原稿にペン入れしている部員が確かにいた。
野尻湖で合宿が行われていたこと、同窓会館で締切合宿が行われていたことなども、めずらしそうに聞いてくれた。
「部誌」の概念がそもそもなく、ラインやメーリスで連絡を取り合っている模様。
お絵描き帳だった「ガンブリゲ」の存在や、その命名の起源は、「ははあ」と納得しても らえた。 (単に、「Cambridge」(ケンブリッジ)というノートの名前を読み間違えた人がいたことから始まっただけだが)
くらぶ卒の東大教授が4人もいること、部内結婚が12組あり、うち4組が離婚していること(世の中の離婚率とあまり変わらないと思います)を話して驚かれ、こちらはこちら
で、学外部員だが、2世が1人いることを聞いて驚いた。
(お父さん、あなたの娘ですよ。知ってました?心当たりのある人は、名乗り出てください)
伝統芸能だと思っていた「留年歌集」や「ソウル宇宙戦艦ヤマト」が伝承されていないの が残念だ。
Yさんが思い出せる限りは書いてみる、と言ってくれたが、さて、そもそも「元歌」を知 らないのではないだろうか。
合宿の写真等をiPadに入れて持って行って見せたところ、ロケット花火を打ち合うシーン で、「リア充だ〜」との声が上がっていたが、あれはもしかして、「リアル銃撃戦」の略
だった?
たいへん面白い時間を過ごさせてもらったが、自分の子供より若い部員たちとたくさんの 情報を交換し、いささか目まいがしている。
YさんとTさん、その後、現役部員たちと飲みに行きました。元気な人たちだ。
お2人から、ぜひその飲み会の様子をレポートしていただきたいと思います。
来年、「50周年記念代コンパ」が開催されることを強く期待します。
皆さんにまた会えることを祈って。
16年6月28日
あまりに昼間、私が出歩くことがないので、健康のためを思い、大内くんと相談した結 果、夕方にお散歩の時間を作ることにした。
大内くんは吉祥寺からバスで15分ぐらいかけて帰ってくるので、うちの最寄りのバス停 より2つ前のバス停で降りてもらって、そこまで歩いて行った私と落ちあい、徒歩で帰る、と。
バスに乗る時にケータイで知らせてもらって、家を出て10分ほど歩き、バス停の前のベ ンチに座っていたら、大内くんの乗ったバスがやって来て、降りてきた。
「会えたね!」と喜んで、2人で帰る。 これを、昨日、今日とやってみた。 良い運動にはなる。
大内くんもここ半年ぐらい、駅まで自転車で行くのをやめてバス通にしたので、運動不足なんだって。
早く帰れる日でないと難しいけど、やれる時はやってみよう。
一番恐れているのは、大内くんが「つい」読書に夢中になったりして、私を置いてきぼり にしていつものバス停まで行ってしまうこと。
ケータイのない時代には無理だろうな。
今なら、連絡取り合って双方歩き、どこかで会えるから。
日常にちょっと変化をつける、プチ・デート。
これを、早朝に吉祥寺まで歩いて、とかやったらお互いものすごく健康にいいだろうな、 でも徒歩40分ぐらいかかるので、そんなの、絶対不可能だろうな。
小さなことを始めると、すぐに大きな夢をみてしまう。 私のかなり根深い欠点だ。
大内くんはなかなかの傑物で、、「小さなことをコツコツと積み上げる」のが上手。
「小さなことしかできないから」と本人は言うが、継続は力なり。
遅い日や雨の日があったり、暑くなりすぎて夕方でもツラい、という時はまた別に考えることにして、今日は今日のできることを。
うん、確かに私にはあまり似合わないちまちました発想ではあるな。
根は小心者なので、間違っちゃいないと思うのだが。
「年中休業うつらうつら日記目次」
「510号寄り道倶楽部