19年4月1日

通院日。今日もドクターとゆっくり話せた。
カウンセラーをつけるかどうかは、もうちょっとゆっくり考えてもいいって。
プロと話すのは楽しいだろうな、と思うんだけど、費用がかかるからね。
もっとも、保険診療内でドクターに聞いてもらうのが申し訳なくなってきて仕方ないんだ。

「とってもとっても人に話を聞いてもらいたいんです。自分の考えが、自分では確認できなくて、言葉にして外に出して反応をもらって初めて、安心するんです」と訴える私に、ドクターは、
「あなたの望むように話を聞いてくれる人は、ダンナさんと医者しかいない。たぶん友達でも無理だろう。そして、病院にいつまでも通えるわけじゃないし、ダンナさんもいなくなるかもしれない。人間は、いくつかの『点』で支えられているもんだ。もうちょっと、あなたを支える点を増やした方が安心」と熱心に説いた。
(見えないボールを空中で支える様な手つきを見てると、点は4つ以上は欲しいようだ)

趣味や、自分自身の活動、というようなことを言われた。
読書とか、好きなことはあるが、今んとこは何をしてもその結果を誰かに話したくなるから、自立してないってことかな。
性格を根本的に変えないことには、どんなに夢中になれる趣味を探しても結果は同じな気がする。
そもそも、趣味の活動をする人たちだって、同好の士が集まって会話をしたり作品を見せ合ったり、コミュニケーションしたいんじゃないだろうか。

まあ、自我の殻が弱いのはわかるよ。内と外の境目が希薄。
幸い私の話を聞くのが好きだと言ってくれる夫をつかまえたから、先に死なれたら、老人ホームの職員さんに聞いてもらって過ごすのでヨシとするのかも。
きっとそういうおじいちゃんおばあちゃんは多いよ。

息子から「病院の帰りに会って、ごはん食べよう」と誘われてる。
嬉しくて、ついドクターにも、
「今から息子とお昼を食べるんです」と言ってしまう。
「それはいいね」とニコッとしたかと思ったら、すぐに真面目な顔になり、
「でもね、息子は大してあてにしちゃダメだよ」と念を押してきた。
しませんとも。
すごく甘美なのはわかってて、でも、次世代に呪いを残さないことを最大の目標にしてきたつもり。

さて、その甘美な息子との時間。
時間前に来てたし、狭い階段を降りる時は「オレが先に降りるから」って前に立ち、「いいよ」って言うのに手を取ってくれる念の入れよう。
店員さんにも丁寧すぎるほど丁寧。
「公園を少し散歩して花見をしてからお茶を飲もうか」と提案したら、
「疲れちゃわない?オレはお茶飲みに行くだけでいいよ」って言いつつも、さらに希望したら花見につき合ってにこやかにポーズ取って写真撮らせてくれた。
カフェでも、ケータイが壊れているからと連絡用にノートPC開く(その都度テザリング頼んできた)以外は、熱心に会話してくれた。
半年前は、家に来てごはん食べてても仏頂面でPCばかり見てたのに。

驚くほど親切で態度がいいので、
「どうしたの?前はもっと感じ悪かったじゃん。気を遣って無理してるんじゃない?」と聞いたら、
「コントを人に見てもらいたいと思うと、人に杜撰な態度はとれない。真剣になったんだよ」と言っていた。
「親にぐらい、杜撰になってもいいよ。腹は立つけど、それで見捨てる関係じゃないから」
「オレは不器用だから、この人には杜撰でいい、この人には丁寧に、なんてできない。無理はしてないから、大丈夫だよ」
この変化は、やはりアメリカに行ってからだと思う。
他人の釜の飯がそれほど効いたか。

私はどうしても、「無理をしているのではないか」「本当は怒っているのではないか」「下手に出て迎合しているのではないか」と邪推ばかりしてしまう。
「無理をせずに、でも受け入れてほしい」
「怒らないで、許容してほしい」
「迎合ではなく、真実、好意を寄せてほしい」
と自分勝手に願い、心の底で要求しているだけなのに、「正直に言ってちょうだい」みたいに言うのはずるい、卑劣だ、と自分を責めながらも、許されていると思いたい。
誰に?
きっと、息子に、じゃないんだよなぁ。

「親には良くしてもらっているし、自分が子供だった」と言うのに対し、
「まだ20代の自分の子供が、親をわかって、許してくれるなんて信じないよ」と言ってしまった。
「それはもう、ご自由に」と笑っていたが、いい気持ちはしないだろう。
ハグしてもらって別れたあと、ずっと謝りたいと思っている。
でも、それはなおさら自分の無罪、非のなさを訴えて彼に無理をさせる行為ではないかとも思え、「許されよう」としてはいけない気がする。
ぐるぐるぐる。

「母さんのことは、父さんにまかせて。あなたには何の責任もないし、心配はいらない」
「おばあちゃんとの関係から、母さんの孤独から、母さんを救わなくていい。それは、母さん自身の問題だから」と言ってあげたい。
しかし、母親とこんな難しい会話をしたい子供がいるだろうか?!

夜、せいうちくんに話したらおおむねこんな答え。
「息子に、嘘はないと思うよ。機嫌が悪ければ顔に出る子だよ。僕は全然心配しないなぁ。親切で愛想のいい、機嫌良くできる状態でよかったと思うよ。元気で、前向きな時期なんだよ」

せいうちくんの方が、「許される」「愛される」ことについては素直で無邪気だ。
「3歳までの育てられ方は良かったんだろう」というのが我が家の共通理解。
お母さんが、メタメッセージが出せるほど器用な人じゃないから。
「勉強ができるようになる」までの彼の人生は、幸せなものだったのだと想像する。

我々は、息子を幸せな人に育てただろうか。
そのことばかり気になってしょうがないけど、本人が「オレは幸せだよ!」と言い切ってるので、信じるんだろうなぁ。
人にとっての「信じられないこと」は、たいていその人の「信じたくないこと」なんだよね。
つまりは自分サイドの問題だ。
息子が幸せだと、私は何か都合が悪いのか?この点をもうちょっと考えてみよう。

ところで「令和」である。
平成元年に結婚し、令和元年に結婚30周年と還暦を迎え、発令の瞬間は息子とごはん食べてた。
けっこう幸せな人生。

私「あなた、平成生まれなんだっけ?」
26歳息子「そうだよ!」
私(軽く驚いて)「そうか!じゃあ、天皇の代替わりの瞬間とか、知らないんだ」
息子「あたりまえだよ!」
なんだか漫才みたいな会話になってしまった。

今日、明治生まれも大正生まれも昭和生まれも、ちょっと余分に老け込んだ気分になったにちがいない。
平成生まれの、全員31歳より若い人たちは、どうだったんだろうね?

19年4月3日

せいうちくんが昇進したのを、まだご両親に話してなかった。
「いろいろ大変」と渋りながらやっと決心を固めて電話で話したところ、もちろんとても喜ばれたそうだ。
だが、お義母さんは言う。
「素晴らしいわ!せいうちのこと、うさこさんは頭が悪いとかブログに書いてたけど、やっぱり頭がいいのよ。私はずっとそう思ってたわ。天才よ!」
せいうちくん、一気に気が重くなった模様。

いいなぁ、親にそんなに手放しでほめてもらいたかったなぁ。
あと、天才と一緒に暮らしていても実感できない不幸を深刻に感じる。
私の頭が悪すぎるのだろうか。

お義母さんは、せいうちくんがそそっかしいとも頭が悪いとも判断力が鈍いとも全然思わないらしいのだ。
昔、「せいうちさんて、そそっかしいと思いませんか?」と真顔で聞いたら、
「全然!そんなことないわよ!」と驚いたような答えが返ってきて、こっちも驚いた。
そもそもそんなこと聞く嫁に驚いたのかもしれないが。

「大学を3年留年した」と何度も書いてお義父さんにド叱られて、それ以来日記はナイショ。
ご両親が読まないといいなぁ。
社内で本人が言いふらしている事実だし、「そんな恥ずかしいことを!」って、事実が恥ずかしいならせいうちくんはすでに恥ずかしい人だぞ!

現実問題として、年齢と入社年度を告げると皆さん「ああ、院卒なんですね!」って納得しかけるので、いちいち説明しているそうだ。
正直者の頭(こうべ)に神宿る。

留年しすぎて、死に物狂いで受けた期末試験に落ちたら卒業も就職もフイになるところだったんだが、結婚自体は結果がわかるはるか前に2人で決めていた。
せいうちくんがかなりな逆境に陥っても(ついでに、頭が悪くても要領が悪くてもKYでも)大好きだし、結婚してたと思うのに、それを証明する機会がついぞなく、「東大生と結婚したくて東大のサークルに入っていた人」扱いされるのは本当に無念だ。
「あなた方は、自分の息子にそんなラベルが貼ってなければ価値がないと思ってるんですか!?」と詰問したくなるぐらい。

まったくもう、義弟といいお義母さんといい、息子が「親戚中エリート意識のカタマリ」と思って、反抗期には親をその急先鋒のように扱ってきたのも、無理なさ過ぎる。

わはは、仮名にしたから好き放題だ。
万が一関係者が読んでも、「えー、どこの誰のことですかぁ?」って言う。
お義母さんがせいうちくんの名前でエゴサかけては「まあ!」とか「あら!」とか言ってるのを知った今となっては、実名で書くなんて、いやいや、おっかないことしていたもんだ。
(「しかし、『4月1日に何かないかと思って調べたのよ!でも、何にも出なかったわよ!』って、どこ見てたのかなぁ」と首をかしげるせいうちくん)

19年4月4日

息子は、WEB仕事のために設備投資をしてしまったらしく、予定外の出費で生活費がキツいらしい。
腰を低くして頼んできた。
苦い顔をしているせいうちくんも、メッセージでの会話があまりに丁寧なので、貸してあげることにしたようだ。
「こう下手に出られちゃあなぁ」って、高圧的に「金くれ」と言っていた学生時代よりよっぽどマシじゃないか。
殴って金を持っていくヒモより、肩揉んでくれるヒモの方がいい。

ちょっと愛想良くなっただけじゃん、と言う方もあろうが、人間、人に対する態度を良くするってのはタイヘンな進歩なのだ。

「今までで最高の公演をご用意します!」と言ってもらったから、楽しみにしよう。
毎回、いろいろ工夫はしていると思うし、先日会った時に、
「家でも安価にドラマや映画が楽しめる娯楽の満ちた時代に、人を会場まで来させてお金を取ろうって言うんだから、並大抵のことじゃないよ」と言ったら、
「それに見合うだけのものを提供したい」と真剣にうなずいていたので、わかってきてるんだとは思う。

見習い中なので、私の時給は800円。
2時間働いてやっと息子の公演を見られると思うと、自分も偉いし息子も偉い。
そして何より、30年働いてるせいうちくんは本当に偉い。

19年4月5日

データもらってきて、1日PCに向かっていたのに、仕事管理アプリでカウントしてみたら実働はたったの3時間半。
机に向かっていると、どうしてこうも他のことばかりしてしまうのか。
寝ているだけの時の方が、少なくとも本はたくさん読めていた。

PCの右端にメールやSNSの通知などが出る。
「休憩休憩」とカウンタを切って、ついつい読みふけり、書き込みを始める。
「これこれについての本をこないだ読んだなぁ」って、データをあさったりする。
ついでにお茶を飲もうと立ち上がる。
腰が痛いのでお風呂も入っちゃう。
全然仕事しないじゃないか!

友人たちの中にはとてもレスポンスの速い人がおり、きっとPCの前にずっといるんだろう。
こっちもバイトを始めてみて初めて、ちょっとしたメッセージから始まるチャット風味の長話が時間食い虫だとわかった、というていたらくなんだが、皆さんどうコントロールしてるのだろうか。

朝から晩まで縦になっていられるようになっただけでも何十年ぶりかの大収穫ではある。
通勤して1日働いて残業までしている人のことを思うと、感心を通り越して、軽い恐怖さえ覚える。
「もう定年を迎える歳なんだから」って自分に言ってみるけど、これからは70歳75歳まで働くことが当たり前になってくるのかしらん。
2021年より後に60歳を迎える社員に関しては、定年が65歳まで延長されるらしいと、友達が知らせてくれた。
せいうちくんはもう退職した扱いなので、関係ないんだけどね。
60歳をいくつか越えて引退し、悠々自適の10年ほどを過ごしてあっという間に余命半年になって亡くなった父親のようなのも、うらやましいかも。
(なんとかならんか、この希死念慮)

とか日記書いてるヒマに、働こうよ、自分…

19年4月6日

仕事の最終締め切りはたぶん火曜ぐらいなんだが、月曜以降の自分に自信が持てないので、今日のうちに渡してしまおうとバタバタバタ。
データを渡すついでに細かいところを担当者に聞こうと思ってたら、向こうは予定より早くいったん不在になってしまうらしい。
出来上がりをPDFに変換している時間がないと判断し、とりあえず変換前のものを持って会いに行く。
完成版は夜に届けよう。

疑問は全部解決し、
「どうもどうも、ご苦労様です。来週でも大丈夫ですよ。今夜持ってきてくれるんですか?はいはい」という感じで、8月の後半は旅に出るのでお休みさせてください、という話までみな無事に済んだ。
「もちろん大丈夫ですよ、僕がやっておきますから!どこに行くんですか?船旅!いいなぁ」って、全然OKだった。

車で待っていてくれたせいうちくんと駅前に買い物に行き、駐車場が値上げされていて2千円の買い物では30分しか無料にならないことを知ってショックを受ける。
前は1時間までいけたはずなのに。
次の刻みは4千円かい。そんなには買い物ないのよ。
優秀な魚屋だけ見て、「今夜は刺身で一杯」に決定。

ただ、最近は「アニサキス」にうるさい。
魚屋の店先で「保健所に指導されてるんです。アジなら、たたきにすれば大丈夫ですよ。できるだけ細かく切っていただければ」なんて言いたくないだろうなぁ。(そもそもあれって切れば死ぬとは知らなかった)
「サバは聞いたことありますけど、アジもダメなんですか!フライにしようかなぁ…」って不安そうなせいうちくん、アジのたたきなんてこれまで山ほど食べてきたじゃないか。
なにも急にアニサキスが増えたわけじゃあるまいし、保健衛生の知識が増してきただけだよ。自然界はずっと変わらない。
ただ、死ぬのは別に気にしない私も、おなかを寄生虫に食い破られるのはあんまり嬉しくないかな。

大きなアジが3尾で680円(税抜き)。
「たたきもフライもここまでは一緒」と言うおじさんに三枚におろしてもらったでかい切り身が6枚。
「怖いからフライ」派のせいうちくんと「死んでもいいから山ほどたたき」派の私が激しく衝突した。
結局、いつものように、「じゃ、両方作るか!」と決着する。平和だ。(実はアニサキス問題は解決してない)

家に帰って仕事の残りを仕上げ、USBに入れて届けに行く。
2人とも何かとストレスの増加を感じるので、ついでにブックオフに遠征して、クシャナさんに「なぎ払え!」って命令された巨神兵みたいな勢いで古本を買いまくった。
苦しい時は「万札1枚で買い放題」の店に行くのが我々のやり方だ。
ニトリとかもいいんだが、自炊できる本に比べると、雑貨が家にあふれてくるという欠点があるので、半年に1回ぐらいしか使えない方法。
せいうちくんにとってはものを捨てるのもストレス解消になるらしく、「買った分捨てるならいいよ。行こうよ」と誘われるけど、私はものを捨てるのがストレスになるタイプなの!

遅い夕食の支度に取りかかり、2人で食べたいものを全部作ったら、「アジフライ、アジのたたき、鯛のお造り、レタスサラダナスの南蛮漬けのせ、味噌汁、焼酎のお湯割り」という、さすがのせいうちくんをもってしても「いかん、いくらなんでも食いすぎだ」(by 井ノ頭五郎「孤独のグルメ」)的な状態になってしまった。
これでも、「タコを買い忘れた」ので「タコと胡瓜の酢の物」の分だけ軽減されてるんだよ。

アジフライなんて、私は「スーパーのお惣菜コーナーで買えばいいじゃん。1枚120円ぐらいだし、揚げ物は手間がかかるし」って思う。
ところがせいうちくんは全然そう思わないらしい。
特に三枚おろしにするところさえ省略できるならと、おろしてもらった切り身がある時はものすごく張り切る。
台所専用の毛抜きできちんと中骨も抜く。
そして、揚げたての肉厚なアジフライは、「すみません、何もかも私が悪かったです。これからは決してお惣菜屋さんに行きません!」と土下座するぐらい美味い。

今夜、晩ごはんを頑張ったのには理由がある。
昨日の夜中、よしながふみ原作のドラマ「きのう何食べた?」の初回放送を録画したのだ。
金曜深夜12時過ぎにテレビを観るわけにもメシを喰うわけにも行かないのは当然なので、充分に飯テロ対策を整え、土曜の夜に万全の体勢で臨んだというわけ。

いやー、120%満腹になるほどのご馳走で武装してて良かった!
向こうはもっと地味なメニューとは言うものの、原作を忠実に踏まえた丁寧な作りで、原作第1話をほぼ再現。
お料理シーンは、シロさんに勝るとも劣らないお料理男子であるせいうちくんをして、
「急に炊き込みごはんに変更する技は、僕にはできない。あと、多めの油で卵を揚げるように炒める技は中華の技法として完璧だ!」と嘆息せしめるほどの上級編だった。
素晴らしいドラマで、いろんな意味でおなかいっぱいになりましたよ。
保存版保存版。

毎週「いだてん」クラスタの方々の意見をツイッターで拾い、「視聴率」ならぬ「視聴熱」をせいうちくんにお知らせするよう厳命を受けてるところに、
「『きのう何食べた?』の分もお願いね。あ、できれば朝ドラの『なつぞら』もよろしく」と、ミッションは増える一方。
自分でツイッターやれよ、やり方は教えるから!とキレそうになったけど、50歳半ばにしてやっと日経電子版を通勤電車で読むようになった、とのほほんとしてるほど「本以外何も読まない」男には荷が重いのかも。
こんなのも家で寝てる主婦の勤めだったのか!と新鮮に驚きながら、あちこちのハッシュタグをあさる毎日だ。
気がつけば毎日何時間もタブレット見てる。マンガ読みたいのに。
ツイ廃になっちゃうぞ。ま、こんな程度じゃそうは呼ばないか…

19年4月7日

友人と息子のライブを観るついでに、懐かしの下北沢ツアー。
独身時代4年ほど住んでいて、せいうちくんとのデートはもっぱらこの街。
引っ越して結婚したのちも毎週のように友人たちと会っては飲んでいた時代が5、6年。
その後も数年に1回は訪れては、行きつけの喫茶店のマスターの顔を見たり自分の住んでたアパートがまだあるか見に行ったりしてた。
最後に来たのは一昨年の夏、まだ手術後でふらふらしてたけど、パン屋「アンゼリカ」が閉店になるって聞いて、大好きなカレーパンを買い込みに。(35年以上のご愛顧だったからなぁ。冷凍して、1年ぐらい食べてた)
変わった変わったとは聞いてたが、驚くほど変わってた。想像を上回る変貌ぶり。

道順には絶対の自信を持つせいうちくんも、ほとんど地形が変わってるような有様には「えっ、えっ」と混乱。
北口の、駅の階段降りたらピーコックで、会社の帰り道によくお惣菜買ってアパートでビール飲んだものなのに、ピーコックの向かいに駅がない!
ヤミ市の名残と言われる迷路のような市場は全部撤去されて、真っ平らになっていた。

南口に出ようとしてもわけがわからず、のんびり街をぶらつくつもりだったのに、変わりように驚くと同時にあまりの人混みに店が満員で入れないんじゃないかとパニックし、ようやく見知った南口通りに出たのを幸い、あわてて待ち合わせの喫茶店「トロワ・シャンブル」に飛び込んだ。
満席寸前なのに、運良く一番奥のいい席がぽっかりと空。
「シャンブル(chamber)のひとつが空いてたってことだね。ラッキーだ」とせいうちくん大喜び。

この喫茶店のこの席あの席で、どれほどの時を過ごしたことだろう。
北側の「カフェ・ド・パルファン」やアパートに近かった「タス・ヴァリエ」「T」なども私の行きつけだったが(残念ながらパルファン以外はもうない)、「トロシャン」は、くらぶ内で「ZiZiのコーヒー3杯=トロシャンのコーヒー2杯」というレートが存在するほど、「高いが美味い、本当にじっくり話したい時に行く店」だった。
せいうちくんは「ニレ・ブレンド」私は「カゼ・ブレンド」を頼み(しかしこの2つの区別はいまだにつかない。どっちかが苦くてどっちかが酸味)、「早めに入ったから、ゆっくり来て」と連絡をしてNさんを待つ。

西日がちの陽が当たる鎧戸からの逆光を受けた、うつむいて本を読むせいうちくんの横顔を見ていたらなつかしくて涙が出た。
「白髪が増えたし、しわも出た」って言うけど、こうして見ると、38年前と全然変わらないよ。
互いの脳内でなかなか20代を超えない、気持ち悪い我々だ。

約束の時間よりずいぶん早く、Nさんが現れた。
先日も落語の会で会ったばかりだが、こうして下北沢で会うとこちらも懐かしさがひとしお。
「いやー、ここは変わんないね-」と言いながら、彼も「カゼ・ブレンド」。
覚えている限りたった50円しか値上げがなく、お代わりが250円なのは昔のまま。
しかもお客さんは皆ゆったり本を読んだりPCを見たり、某喫茶店のように「60分経過したらお代わりの注文をお願いします」なんて無粋な札は出ていない。
「長っ尻だなぁ」って思ったら「お代わりはいかがですか?」って声かける方がいいと思うんだよね。
お客の方でも「悪いな」って思ってたらお代わりするよ。
しない人は、まあ、あんまり来ないといいなって祈るしかないんじゃない?それが客商売ってもんだろう。

「当時、なぜあんなに毎週飲んでいたのか」と3人でひとしきりいぶかしがる。
焼きおにぎりが美味い「邑」に10人近く集まって飲み始め、2時間ほどで煮詰まるのですぐ近くの「かわりばんたん」に席を移してまた飲み、なぜかずっと南までふらふらと歩いて「元気倶楽部」に行ってDJのおにーさんに「BlOWIN' IN THE WIND」かなんかかけてもらって、夜中に「レディ・ジェーン」に行く頃になると、この店はカクテルが高くてコスパ悪いので、我々はたいていそこで帰ってた、って流れだった。
もちろん毎週毎週こんなフルコースなわけはないんだが、「どうやって飲み代を工面していたのか」は永遠の謎。
せいうちくんの給料が手取り15万の頃だからなぁ。

今日のツアーには「珉亭」のラーチャンが不可欠。
目をつぶっていても行けるほどだったのに、Nさんも我々も、「あっ、この路に出るのかぁ」「この角にあった店はなくなっちゃったねー!」と何度も声を上げてしまった。
(そして、ついでに確認したら「邑」は閉店しており、「かわりばんたん」は建物ごとなくなっていた)
「珉亭」の赤い看板が見えた時には心底ホッとした。

まだ夕方の5時頃なので、2階の座敷にはひと組しかお客がいない。
ひざを悪くしているので畳に座るのはちときついけど、今日はのんびりゆっくりビールとか飲んでラーメン食べる会なので、頑張ろう。
おんなじおばあちゃんがお水持って注文取りに来てくれて、ちょっと考えるのが怖いほどのお年のはずだ。
40年前からいるんだよ。

野菜炒めと餃子とそれぞれラーメンやチャーハンを頼む。
まずはビールで乾杯して、紹興酒へ移行。
今日はもう、糖質解禁だ。
お店でラーメン食べるなんて1年ぶりだし、チャーハンだってお米だから、久しく顔を見てなかった。
この店ほど美味しいチャーハンにはお目にかかったことがない。
チャーシューでほの紅く染まった飯粒のなんと官能的なことよ。

文学を語るNさんの、詐欺師のような胡散臭さと口のうまさの絶妙なブレンドに恍惚となりながら、こんな友人を持つこと、一緒に興味深く傾聴できる似た趣味の夫を持つことの幸せをかみしめていた。
北杜夫・遠藤周作・吉行淳之介の硬軟両方の話を読んでる人も貴重だし、
「庄司薫は、文壇から姿を消してからこっち、家で中村紘子にカレー作ってる」が通じると嬉しいじゃないか。
「現代における『異世界モノ』のラノベやマンガは、『チート』において、結局『ドラえもん』なんだ」
「でも、のび太は日常で暮らしてるけど、異世界モノはあっちへ行っちゃうじゃん。日常にチートを持ち込める方が強いよ」とか酔っ払って話すのは楽しい!

今年の始めに会った別の友人男性に、
「せいうちくんはいいなぁ。家に帰れればうさこさんがいて、おんなじ趣味でマンガやアニメの話ができるんでしょう?」と言われた。
いや、私はあなたたちほどアニメは観ないんですよ。
でも、「襟の裏よ。ルパンはいつもそこに隠すの」とか「わあ~、団体さんのお着きだあ~」ぐらいはいくら言ってもらってもかまわない。
この先そう新しいものを仕入れる予定もないから、共通の古い趣味がある友人は大歓迎だ。

さて、そろそろ息子のコントライブ会場に行こうか。
またしても見慣れぬ道に迷い、森田童子の「キミは変わっちゃったネ」を歌いながら参りましょう。
続きは明日。

19年4月8日

さて、場所は変わって下北沢の小さなライブスペースで、息子のコントライブだ。
建物の3階なんで外階段をヒーコラ言って登ったが、上でばったり会った息子からは「エレベーターあるのに」と言われた。がーん。
少し緊張した顔で、Nさんにも「ありがとうございます!」と挨拶してた。

60席ぐらいのスペース、Nさんが、
「親とかが真ん前にいるのもナンだよな」と言って後ろから2列目の端っこに陣取ったので、我々もその並びに座る。
息子の幼なじみSくんも来てくれて、我々に気づいて軽く頭を下げ、すぐ前に座った。
こないだも来てくれてたね。息子が動員かけてんのかな。
保育園からの友達とまだ会える彼が、嬉しいよ。
息子のカノジョもひっそりと観に来てた。

今回のライブは3組出演、2組はコントをやり、息子のグループは彼がアメリカで勉強してきたという「インプロヴィゼーション」略して「インプロ」なるスタイルのお笑いを舞台で初披露。
グループのメンバーは流動的で、今日は演技力に定評のある男女と組んでのトリオだ。

即興で繰り広げられる2,3分の短いコントを幾本か続ける。
最初はお客さんにお題をリクエストして、なぜか「えり」。
「襟?」と思ってたら、息子のリードで即興が始まり、たちまち動物園の「エリマキトカゲの飼育員」のコントを。
息子園長のセリフを女性が絶妙に受けて飼育員を、すぐさま男性が四つん這いになり舌をペロペロと出して見事なエリマキトカゲを演じる。
すごいな、これ、打ち合わせないのかぁ。

そこからは「前のコントから自分たちが自由連想でお題を決める」らしく、スムーズに次のコントが始まった。
どうやら家族連れが車で「伊豆のバナナワニ園」に行くらしい。
気の進まなそうなお父さん役の息子が、突然隣の席の妻に、
「お母さん、こんなとこで何なんだけど、結婚30周年の記念に…」と指輪をプレゼント。
子供は中学生ぐらいのイメージなので(高校生以上は親とバナナワニ園行かんだろう)、結婚30年はちと長いと思うんだが、息子の頭の中にはそういう夫婦像があるんだなぁと、今年30周年を迎える我々は客席で涙腺決壊してた。

3つぐらいインプロやって彼らが退場したあと、他のグループのコントを2つ続けて観た。
知ってる人たちひとつと完全に初めての人たちひとつ。
どちらもプロダクションに所属して修行中だけあって、特に知ってる方は学生時代から観てるので、進境著しいなぁうまくなったなぁと感心した。
だが、今日の私にはインプロの方が断然刺激的で面白い。

2回目の息子たち登場で、今度は、
「お題をいただくのではなく、短い文節をつなげてストーリーを作り、それをコントにします」。
これ、お正月に「インプロの訓練方法」って一緒にやったよ。
せいうちくんが話をめちゃくちゃにする傾向がものすごくて、息子から、
「オヤジは異常な話を作ればいいと思ってる。みんなで協力して作るんだよ。ホントにKYだ!」とあきれられていた。

息子たちが3人でゆっくり紡いでいくのは、
「ある北国で」
「列車の中で凍えながら」
「ある女の子が」
「実家を目指していたところ」
「空席だったはずの」
「隣の席に」
「見慣れぬ老人が」
「座ってきたのでした」

そこからコントが始まる。
石炭の釜焚きと車掌を息子が兼務、男性演者は釜焚きの助手をやっていたかと思ったら、謎の老人に早変わり、女性演者は実家をめざす女の子。

女の子が実は無賃乗車だとわかるまでの3人の表情やセリフの変化がいい。
さっき吹雪で吹っ飛んだ窓があったはずの空間に車掌の息子が立つのはやや変だけど、そして釜焚きの助手はどこへ行っちゃったのかとか疑問は残るけど、まったく打ち合わせ無しの即興とは信じられない。

女の子「あのー、なんか、燃えたとかいうことにしていだたけませんか?うっかり入っちゃって、切符とか燃やしたら、すごい速くなりそうじゃないですか」
車掌「おじょうちゃんが言ってるのは、さっき突風が吹いて窓がバッーといった、そん時に切符が乗って、私が石炭シュッシュシュッシュ入れてる間に、燃えちゃったと」
女の子「そう…」
車掌「…のみこみましょう!お嬢ちゃん、ちょうど今、釜焚きが足りないんだ」
老人(嬉しそうに)「速いからの。速いから、その分…のう!」
車掌「じゃあ、おじょうちゃん、ちょうど今、石炭を燃やす係が1人足りないんだ。4時間、頑張れる?」
女の子「はい!」
車掌「万事解決!」
(2人で猛烈な勢いで石炭を焚き始める)
老人「やっぱり、ここはいい列車じゃのう!」
拍手の中で「笑えるイイ話」ひとつ完成だ。

また他のコントがあり、最後には出演者8人全員が舞台に出てきてのインプロに挑戦した。
さっきまでも使っていた「演じている人々と観客の間、舞台手前を誰かがすっと横切ったら、そこでインプロコント終了」って合図について、他の演者さんが質問してた。

「あれって、世界中でそういう決まりなの?」
息子「黙って横切るのは僕の発明。日本初です」
全員「え~、すごいじゃん!アメリカではどうやるの?」
息子「『イェイイェイワオゥ!』とか(縄を頭上で振り回す身振りで)『カウボーイ!』とか叫ぶ(笑)」
客席含め、全員爆笑。
印象が強すぎたのか、そのあとお客さんから出たお題は「西部劇」だった。そのまんまじゃん。

酒場では「馬にも乗ってない、丸裸の『とてつもない早撃ちのガンマン』」の噂で持ちきり。
このへんは、トークの時に女性演者が本番一発のインプロについて、
「怖いですね。丸腰ですからね」と語っていたことに影響されてるんだと思う。
人間って、いろんな理由でものを言う。
さっきの「結婚30周年」を思い出して、ほろりとした。

さて、そのガンマンときたら、「何も身につけてない。ズボンも履いてない、ポンチョも着てない。なのに、銃がどっかから出てくる」のだから驚きだ。
そこへ小町娘のアンヌが転がり込んでくる。
「うう~、女なのにやられるとは思ってなかったぁ!」
「そいつは、ズボンを履いてたかい?」
「…出てた」

伝説のガンマンが本当に現れたと大騒ぎする酒場に、「コンビニの自動ドアに手こずるように入り口のスイングドアにぶつかりながら」アンヌの血の跡をだどってきた男が現れたかと思ったら、股間を両手で隠した演技で「全裸の男」が。
「こいつがアンヌを撃った奴だ!」と色めき立つ人々に、
「いえ、私はただの露出狂です」
(客席、大爆笑)

5つ向こうの州から全裸で歩いてきた男は実は馬だった?!
その隣の州から「シンプルに血の跡を追ってきた男」を、シェリフは逮捕すべきかどうなのか、そこへ牧場の牛が逃げ出して大騒ぎ…大西部珍騒動が混乱の極みに達したところで、ご想像通り「カウボーイ!」と叫んで舞台を横切るメンバーがいて、終幕。
「これだけは避けたかったのに~!」と演者さんから悲鳴が上がっていた。

インプロの技法そのものはすでに日本に入ってきているらしい。
たいそう面白く、将来性を感じるスタイルだった。
さすがに8人は無理があり、適正人数は5人ぐらいまでかなとは思うものの、全員芸人修行中だけあってお互いの空気をよく読むし、出てくるセリフやシチュエーションも多彩。
息子も、とてもいい笑顔で演じてくれた。
瞬時に深く受け、臨機応変に回していかなければならない即興に真剣に打ち込んでいるせいか、人間に厚みが出てきたような気がする。

「演劇の手法になりがちなインプロだが、自分はやはりこれでコントをやりたい。習熟すれば、脚本を完成させてセリフを覚えて稽古やリハーサルをする舞台よりも、時間が大幅に節約できる。準備期間を短縮すればもっともっと多くのライブをやれるようになり、お客さんに緊張感あるお笑いを提供できる」とこないだ語っていた意味がよくわかった。
また渡米してもっと勉強を深めたいと思っているよう。
働いて、金貯めろ。

とっさに、可能性の広がる「嘘」を言わなければならない。
同じ舞台に立つ、その瞬間は打ち合わせのできない仲間と共有できる練り上げられた嘘、お客さんをしらけさせるほど荒唐無稽ではないが、驚かせる程度には意外な、嘘。
たぶん、物語を山のように読み、人の心に通じ、誰をも不快にしない話題を選ぶ思いやりとセンスの良さ、いろいろなものが不可欠となる難しい修行だろう。

中学ぐらいから「親をだます目的でもないのに、なぜだか不思議な嘘をつく子だなぁ」と、決して嘘がつけない自分に比べると面白くて自由だと思ってきた人が、「ホワイト・ライ(罪のない嘘)」を生活の中心に置くようになるのか。人間、何が特技か、わかんないもんだ。
「自分が嘘がつけたら、小説書いてたんだが」と思うことが多いので、うらやましいかも。
事実から浮き上がり、重力のない世界に遊ぶようなその空想力が。

夢中で観終わって、「面白かった!これはいいね!」と絶賛してくれるNさんと駅で別れて電車で帰り、井の頭公園をまわって夜桜を見て帰った。
さまざまな青春が目の前を去来した今日1日で、喉から胸にかけての何か大きなせつないカタマリはなかなか飲み下せそうにない。
時は移り、人は変わる。
駆け抜けていった自分たちの背中を見送りながら、若い人たちの未来を応援しよう。

19年4月10日

切手を蒐集していた父親は、60歳過ぎに会社を辞めてから整理三昧の生活をしていた。
そして、たぶん65歳ほどを迎えた時に、
「もう新しい切手は買わない。手持ちのものを分類・整理して過ごす。きりがないから」と宣言した。

そののち70歳過ぎに末期の肺がんで半年の余命を宣告されたと思ったら、凄い勢いで作業を進め、最後は人を雇って病床から指示を出してまでコレクションを完成させ、
「売り払って、対価は孫2人の学資に充てろ」と遺言した。
おかげで、うちの息子も留年1年を含む大学の費用を賄えた。
生涯その趣味を理解しなかった母曰く、
「整理してくれて良かった。値がつかなかったら、お棺に叩き込んで一緒に焼いちゃうところだった」。
三方一両得、誰も損しないし困らない、立派な趣味の最期だった。

我々の仲間内にはマンガの蒐集家が多い。
別荘を買って運び込んだ人、家の一室を完全に潰してさらに侵襲を続ける人、さまざまだ。
死後は、同じ趣味の娘さんに継いでもらおうかなとか、子供たちは誰もオタクにならなかったので「まんだらけ」を呼ぶよう遺言するつもりだとか、それぞれに考えているらしい。

我が家はどうしようかなぁ。
データ化してあるから他の家のようには嵩張る遺産ではないけど、その代わり、メンテをしないと失われてしまう。
「紙の本」派の息子は、このコレクションをどうするつもりか。
今日もアマゾンさんから来た古本の山を解体しながら思案している。

正直、どこかで古本の蒐集はやめて、好きな作家さんの出す最新作をフォローするのと新しくできたお気に入りの作家さんを追いかけるだけに活動を縮小したいものだと考えている。
短編好き、古い作家好きのせいうちくんの行動が最近不穏で、お高めの古典にばかり手を出すようになってしまった。
もちろん望月三起也をそろえられたら嬉しいとかの野望は私にもあるんだが、送料込みで500円ぐらいを暗黙の了解点にしていたのに、「ジャパッシュ」の大型判は千円以上した。
「金がないわけじゃあない。でも、そんなにはない」の精神は大事だと思うよ。

19年4月12日

私「新しいマンガと古い作品と、どっちが読みたい?」
せいうちくん「うーん、僕はやっぱり、新作かなぁ」
私「でも、かつて読んだことのある登場人物や設定って、魅力的じゃない?続編とか、やたらに買っちゃう」
せ「そういうことはあるかも」
私「今ここに、ポアロやホームズの、未訳版が発掘・出版されたとしてさ、聞いたこともない探偵が出てくるミステリより読みたくならない?」
せ「なるなる」
私「歴史上の人物を扱ったドラマやマンガが人気あるのも、そのせいだと思うんだよね。浦沢の『ビリー・バット』にケネディ暗殺犯としてオズワルドが出てくるのとか、すごく面白くなかった?」
せ「面白かったね」
私「だからみんな、二次創作とか好きなんだよ。というわけで、あなたはせっかく歴史の知識が豊富なんだから、歴史上の人物で二次創作書いて」
せ「そう来るか!」

今市子の「萌えの死角」というエッセイマンガを読んでいて、少なくとも自分は、ちょっと知ってる話を解説されてより詳しく知るのが大好きだと思い知る。
彼女はやや「腐ってる女性」で(BLドラマCD1千枚超を保有する真性の友人にはとても及ばないそうだが)、名作映画やテレビドラマについて、「実はかなりホモ寄り」という情報をいろいろ教えてくれた。

「ブロークバック・マウンテン」みたいに最初からそうだと思って観てるものでも、「友情が愛情に変わると言うが、ただの友達だったのは一瞬。短すぎるだろう」と言われると「なるほど!」と強くうなずく。
まして、「ベン・ハー」もそうだとか、ピーター・フォンダ監督・主演の「さすらいのカウボーイ」で、ラスト死にそうなフォンダが言う「Hold Me…」を「抱いてくれ」と訳したのはNHK(なぜか「日本ホモ協会」の略とされる)だけで、映画館の再映でも民放での再放送でも「起こしてくれ」とか「支えてくれ」になってる(今市子、怒る怒る)とか、面白すぎる。
NHKの大河の「平清盛」もそっち方面の要素たっぷりだったそうで、おまけに今をときめく山本耕史だ。
そのうち「きのう何食べた?」に出てくるはずだが、昔からそういう要員だったのか。

「人生はビギナーズ」という映画では、「サウンド・オブ・ミュージック」の大佐(お父さん)が老いたゲイをやっていて、相手役は「ER」のコバッチュ先生なんだそう。観たい!

魔夜峰央の娘が腐女子マンガ家で、「ボルトとナットなんて甘い甘い。コーヒーとミルク、どっちが攻めでどっちが受けかでえんえん議論できる」と描いていたが、今や擬人化はとどまるところを知らず、「じゃがりこ」「元素記号」でもBLできるんだそうである。
「国でもできる」と紹介されている「ヘタリア」を思わず購入し、ついでに歴史のお勉強までしているところ。
せいうちくんから、
「ドイツは田舎なので、オーストリアを併合していた時も、貴族の文化が発達したウィーンなどがまぶしくてしょうがなかった。イタリアのフィレンツェもそうだが、やはり華やかな文化があった都市は違う」と教わった、そのへんの「気の合わなさ」が擬人化されてみてよーくわかった。

「蟹工船」とか「山月記」は今ではBL的改変がなされたドラマCDもあるんだそうで、うーん、原作普通に読んでもその匂いは感じ取ることができるのであろうか。
マツコ・デラックスに「これからはもう、姉さんとお呼びしていいかしら」と言われた杉村ジュサブローさんは、「呼んでくださってもいいけど、タチですから」とさらっと言ったようだ。
大物の言うことは味がある。

最新巻では、横山秀夫の「64」がNHKでドラマ化された時「ピエール瀧」と「新井浩文」が出ていた話が。
今頃、編集部も今市子もあわててるのかな。
でも、この2人はいろんなものによく出てるから、どうしようもないよね。

そうだ!近頃BLにも進出していると言われるハーレクインロマンス、その基本っつーか王道の、オースティン「高慢と偏見」(「自負と偏見」と訳された版もある)、望月玲子がコミカライズしている上下巻をブックオフの100均で入手したのはとても嬉しい。
(隣の棚でやはり100円の坂田靖子「変人探偵エム」シリーズを2冊ゲットしたのと同じぐらいの喜び)
勢い込んで読んで、ああ、やはり私は腐ることはできないかも、男女のお話で十分だ、とため息をつき、生涯で10度目ぐらい読み返しの「風と共に去りぬ」を読んじゃったら「高慢と偏見」読もう、と心に誓ったのだった。

二次創作=BLなわけじゃないのに、話がそっちに偏ってしまった。
特別視しちゃいけないのかもしれないけど、近年もう、男女の純粋な関係って難しくて、それでついつい男性同士の「簡単じゃない愛」に期待しちゃうんだと思う。
ドラマの「きのう何食べた?」も、一緒に暮らしてるのが本当に楽しそうで、せいうちくんとずっと一緒にいたいと思ってる自分とバッチリ重なった。
「結婚してるから」「夫婦だから」、ただ一緒にいるわけじゃない。
毎日毎日、恋をしてるような気分なんだ。
できればもうちょっと落ち着きたいぐらい。

19年4月13日

公演が終わったせいか、「泊めてくれる?」って息子が訪ねて来た。
けっこう外でごはん食べたりして会ってる私と違い、お父さんたるせいうちくんは久しぶりに会う息子が嬉しいらしい。
舞台での顔は見たし、ひと言ふた言は話してたみたいだけど、ごはん作ってあげたりするのはまた格別なようだ。

ただ、日頃、SNSで会話したり活動を見たりしてるので、昔の「家を出て連絡してこない子供」というイメージではない。
何しろ、彼が友達のメルマガの企画を手伝って出演してるおかげで、家にいる頃よりも豊富に彼の写真を見たりする。
アップになっていれば、「アトピーが出てお肌が荒れてる。生活が不規則なのかねぇ」と語り合ったりしちゃうぐらいだ。
(「無料で手伝ってる」と聞いてから、「いろんな意味で、ギャラは取れ。それがお互いのためだ」と思う)

こんなに親が子供の外での活動を知っていていいのか、といつも悩む。
今回も、インプロライブがすごく面白かったので、
「またあったら見たいものだ。あなたがやってる、ってことを抜きにしても、面白かった。ただ、お客さんも少なくて目立つことだし、いつもいつも親が見に来てたらイヤだろうね」と聞いてみた。
そしたら、機嫌良く、
「そんなこと、気にしなくていいよ!面白いと思ってお客さんが来てくれるのが一番なんだから。いつもありがとう!」と言われてしまった。

柔道の試合もずいぶん見に行ったもので、
「家にまだけっこう録画残ってるよ」と言うと、
「いつも撮っててくれたねぇ。ありがとう」って言われて驚いた。
「オマエらがいると、オレの集中が切れるんだよ!少なくとも、体育館の外から見てろ。ビデオ撮る?ナニ考えてんだ!!」って追い出されてた高校時代が夢のようですわー。

息子「昔は柔道がわかってなかった。コドモだったんだ。インプロやってみて初めてわかったよ。柔道や格闘技は、1人じゃできない。とてもインプロに似てるんだ」
私「相手との呼吸が大事ってこと?」
息子「そう。あと、型を習得すればするほど、やれることが増える。身体が知ってる型が多いほど、自由度が増すんだ」
などと熱っぽく語りながら、テレビラックの上の扉式の本棚を開け、まだ残してある彼の所有物、紙の本の山を引っ張り出す。
「帯をギュッとね!」か。なつかしくなっちゃったんだね。いいマンガだよね。

ソファに寝っ転がって一心に読んでたが、「ごはんだよ~」と声をかけたら感心にマンガは置いてきた。
前は食べながらでも平気で読んでたもんだが、進歩した。
まあ、たまに親と食卓を囲む時ぐらいはね。
日常じゃなく、選んで作ってる時間だから。

1人の時はいいのよ、「私だって、会社の昼休みに外で1人メシを食べながら、平気で文庫本を読む女だった」とせいうちくんに語ったら、さすがに、
「それは、変わり者だよ…」と言われたが。
前のダンナが自分の会社を辞めた一番の理由は、入社するなり上司から「昼休みに本を読むのはやめて、皆と交流しなさい」と言われたせいらしいよ。そういう人はいる(笑)

豚バラ肉と白菜のミルフィーユ鍋にリクエストのあったチャーハンをつけて、楽しく話しながら食事をした。
限度を知らないせいうちくんが豚バラ肉1キロ以上及び白菜半玉強を投入した鍋は、さすがに全員が持て余した。
チャーハンもバラ肉入りで油っこかったせいか、「ごめんね、残しちゃって」と息子の箸も止まってしまった。

それでも、普段はあまり親と飲まない息子も快調に赤ワインを空け、実に和気藹々。
上野千鶴子の「祝辞」の話で盛り上がった。
「母さんは、先にネットでネガティブな意見から入ったけど、まともないいことを言ってると思う」と全文を読んだいきさつを話すと、
「あれを、どうネガティブに取るの?」と真顔で聞かれた。
「『フェミがヒスってる』と」
「そう来るかー」

どうやら息子はアンチフェミではないらしい。
ほっとしたのと酔っ払ってるのとで、ついいろいろ言ってしまった。
「父さんと会った日から、母さんはずっと同じことを主張し続けている。
1.少しは穴のある立場にもなれ。
2.突起物があってちょっとばかり外から見やすいからって、『こいつが』とか言って自分の行動を『自分の一部の責任』にするな。
男性に言いたいことは、この2点につきる」
「ほー、なるほどー」って傾聴してくれたが、自分を産んだ母親からこんなこと言われたくないかもしれないなぁ。
せいうちくんはいつものようにうんうんってうなずいてたよ。

前は夜中まで一緒に「いだてん」の録画見てたけど、もうリアルタイムで見て追いついちゃってるんだって。
落語の好きな彼のために、こないだ面白かった「三遊亭圓楽物語」を残してあるから一緒に見ようね、って言うと、
「うん、明日の朝見よう。2時に渋谷で人と会うから、それまでいさせてくれたら助かるな。昨日の晩あんまり寝てないから、今日はもう寝るよ」と言ってぎゅうぎゅうハグすると、かろうじてベッドだけ残っている自分の部屋に行ってしまった。(それ以外はシアタールームにしちゃったんだ)
ごはん作ってる間に読み始めた「帯をギュッとね!」を山にして持ってたところを見ると、そうすぐに寝る気はないらしいが。

実はここから急転直下、いろいろタイヘンなことに突入するのである。続く!
(「いだてん」で大竹しのぶも言っていた。「続きは、来週!」)

19年4月14日

11時前にベッドに行ったくせに、夜中の1時になっても灯りの消えない部屋に「んもー」と観に行ったら、何だか赤い顔してマンガ読み続けてる。
おでこさわると、熱い!

「んー、具合悪いかも」とのんきそうに言うから熱計らせたら、39.2度!
「どうしたの?!」
「いやー、そんなにはないよ。布団で熱くなっちゃったのかも」って言われて、せいうちくんも、
「新しい体温計は、10秒ぐらいで計れちゃう『予測体温計』だから正確じゃないかもね」って言うから、古いのを出してみた。
(30年使ってて電池が切れないって、どういう仕組みになってるんだろう?)
それによると「38.4度」。
それならなんとか。高いことは高いが。

私「インフルエンザ?」
息子「いや、1月にやってるし、違う感じだよ」
せいうちくん「もうこの時期だからね、違うだろう」
誰も大ごとだとは思いたくないだけの、鳩首会議。

まあ風邪引いてるのは確かだし疲れてるんだろうからよく寝なさい、と言い置いて寝かせておいたら、夜中に急に起き出してシャワーを浴びてる音がしたり、眠れないのかねぇ。
4時に見たら寝転んでパソコン眺めてるんで、
「なにやってんの?!」と叱ると、
「さっきまでは寝てたんだよ。目が覚めちゃった。また寝るよ」。
 ノートPCをタブレット代わりに片手で持つ体力があれば、そう心配することもないか。

結局1日、寝るわ寝るわ、食事時だけしっかり出てきて毎食「おかゆ」を小さな土鍋一杯平らげ、それでも熱は38度ぐらいあるので、もうひと晩泊まっていくことになった。
晩ごはんはさらにしっかりと、おかゆ以外にも作り置きのドミグラス煮込みハンバーグを「もう1コくれ」と言って2個食べた。
こういうところはせいうちくん似だ。よほどのことがない限り、食欲が浸食されない。
私なんて、息子がいるってだけでキンチョーして、昨日からろくろく食べ物が喉を通らないってのに。
おかげで1.5キロやせたぞ。

今日人と会う約束だったのはもちろん流れたようだ。
このへん、ケータイネイティブの人たちは切り替えが早い。
「人と会う約束をする、それは相手の時間を拘束し、その時間をあなたのためにあけよう、とスケジュールを組んでもらうことだから、人間関係の基本中の基本。おろそかにしちゃいかん」と教え込んできたつもりだが、もう、言っても詮ない。
これで仕事をしくじったりチャンスを逃したり信用をなくすのは、彼の問題なんだろう。

「帯ギュ」全27巻ぐらいを読んで、私のオススメの木尾士目「はしっこアンサンブル」2巻までを読んで、1日中寝てまあまあいいごはんを食べて、休養にはなったんじゃないかな。

なんとか晩ごはんが食べられてるのを見て、
「どうせ日曜の夜に泊まってるんだから、生で『いだてん』見ようね!アイス作るから、少し食べる?」と浮かれていた午後8時15分前、息子は食卓から立ち上がった。
「ごめん、やっぱ寝るわ。『いだてん』は明日の朝見るよ。今日はもう寝る」
「昼間ずっと寝てて、眠れないことない?大丈夫?」
「うん、寝れる。まだしんどい」

実際、家にある風邪薬を飲んでばったりと寝てしまったようだ。
大好きな牛乳も今日は飲まずに、ぬるい水ばかり飲んでいた。彼なりの治し方なんだろうね。
明日は病院が開くから、朝一番に行ってもらおう。
私自身、通院の日だし、そのあとに美容院まで入れてしまったから、あんまり自由度が高くないのよ。
万一熱が高くてカノジョのとこに帰れないようなら、美容院は朝のうちにキャンセルして通院だけ済ませてさっさと帰ってくるかなぁ。

19年4月15日

さすがによく寝たせいか、7時頃に起きてきた。
会社に行く前のせいうちくんにも会えた。
一緒にごはん食べながら私には2度目の「いだてん」見て、2人でほーっとなった。
さて、9時前に病院に行きたまえ。

「15分前に待合室に入れてもらえるから。その時点でたいてい行列できてるけど、まあ最初の5、6人に入れれば、全部で1時間もあれば。じゃっ!」と混む病院に息子を送り出し、ひと休み。
あー、予想外に息子と長くいたのでキンチョーした。
いいこと言おうとかね、認められたいとか好意をわかってもらいたいとかいろいろ考えちゃうんだよね。
息子が知ったら「親子なのに」と目を丸くされるのかな。

気になるので私も早めに家を出て、ほぼ通り道の病院のぞいてみたが、いない。
薬局に行ったら、こちらにいた。
だるそうに座っている横に行き、「どうだった?」と聞くと、「インフルだった」。

「あらー、じゃあ、昨日のうちに休日診療所に連れてってあげればよかったねー、ごめんねー」と、もらった特効薬をその場ですぐにのむらしい彼に、水を汲んできてあげた。
「ありがとー。オレがインフルじゃないって思ったんだから、オレのせいだよ。寝させてもらったおかげでずいぶん良くなったし。母さんたちにうつしてないといいんだけどなぁ」
「1月にも父さんうつされて休んでたけど、あん時は母さんが不安定だったから、ありがたかったよ。父さんの会社はね、インフルエンザだと業務の進捗にかかわらず6日間休まなきゃいけないの。最近は防疫への考え方が上がってきたからね」
「ふーん…でもそれって、父さんとこが恵まれた、いい会社だってことだよね」
「え?勘違いしてるかもだけど、有給休暇使うんだよ。公休じゃないよ。ま、有休を6日続けて使うって普段は滅多にないことだけど」
「あ、そうなの。有休使うの」

ずいぶん拍子抜けしたみたいだ。
どうもこの人は、サラリーマンは恵まれてる、と「特権階級的」に見過ぎじゃないのか。
いや、いいとこもあってね、
「偉いということは一切ないけど、楽なのはサラリーマン。年金も税金も天引きで管理してくれて、健康診断とかの面倒もみてくれる。生活のコツがわかって自己管理能力がつくまでは、マネージしてくれる人がいると楽。母さんたちは自由業をやったことがないから、それ以外のアドバイスはできない」と彼が会社を辞める時に真面目に話しておいた。

その気があれば安定したサラリーマン生活も夢じゃないとこまで自力で行って、好きで辞めたんだから、ちょびっとでもうらやましがるな!
自分で選んだフリーターの道に失礼だし、こっちだって「だから会社辞めなきゃよかったじゃん」って言わずにいるほど人間ができちゃいないかもしれないんだからね。

バスで一緒に駅まで出た。
窓に向かって並んで立って、
「いい天気だね~」ってのんびり言ってくれる息子はいいね。こういう子なところは、ホントに良かった。

今朝一緒に見た「いだてん」の話をしてた。
「二階堂トクヨがダメだった。ぞっとした。ああいう圧はイヤだ」と言われ、
「彼女をそこまで追い込んだ『男性社会の圧』が先にあるんだよ。母さんは今、ソフトフェミになりかけだから、そう言われるとつらいんだ」と語っておく。
彼は、人を拘束するもの、圧迫するものに対してほとんどアレルギーのような嫌悪感を持っているようだが、これまで不自由だった女性たちが枠を超えていきたいと思った時、しなやかにばかりはやっておれんのだよ。

バスを降りたところで別れた。
「お大事に。なんか困ったら連絡して」とは言ったけど、「治るまで泊まって行きなさいよ」って言ってあげられなかったなぁ。
どうも私は「管理するサガ」だから、あんまり近くにいない方がいいだろう。

自分の通院で、いつもより話すことが多かったのは息子と接したせいか。
カルテをめくりながら、
「息子さんは、お笑いをやってるんだっけ?親は心配だろうけど、本人の気の済むようにさせるしかないよ」と言うドクター。
思わず大演説をぶった。

「いや、好きなことがあって、全力でやれるのは幸せなことだと思ってます。息子がそういうものを持ってるってのは嬉しいですよ。それで食えてれば、いや、食えなくても、バイトしてお笑いやる生活が苦にならなければいいんです。親戚なんかには『モノになればいいけどねぇ』って心配されますけど、結果が出なきゃダメなんでしょうか。そう言う人たちは、会社に勤めてたら『いつ、どのぐらい出世するの?』って聞きますよ。息子からも反抗期には『両親もエリート主義』って思われてたみたいですが、筋金入りのエリート主義の人と一緒にはされたくないです。2人とも大学出てるんだから、子供にもよくよく他にやりたいことがなければ、そして高校3年生からでも受験で大学行けるんだったら、行ったら?って言いますよ。とりあえず自分の知ってる道を薦めるのが人情でしょう。そのあとはもう、本人のやりたいことと適性でやってもらうしかないですけど、最初の装備としては」

さすがにしゃべりすぎたと思ったので、
「こんな考え方は、おかしいですか」と聞いたら、ぶんぶんと首を横に振っていた。
「いや、理想の子育てだよ。ちょっと、人に聞かせたいほどちゃんとした家庭だなぁ。なのに、あなたはなぜだか悲しいんだね」
うっ、涙が出ちゃう。
人に認められたり許されたりすると、私の涙腺は簡単に緩むんだ。

「人間は、1人でぼんやりできるのが一番。若いと、ついいろいろ考える。瞑想とかね。そうか、あなたは、若いんだなぁ」
「と言うか、社会経験が少ないから、成長しなかったんでしょうね。考えすぎたりしゃべりすぎたりしちゃうんです…」
「若い頃はみんなそうだよね。オレだって、高校の先生にカーッときて、夜眠れないぐらい『ああ言ってやる、こう言ってやる』ってひと晩考えて、でも翌日言えないの(笑)」
「私もそんなことがよくあります。とにかくあらゆることを考えついてる気がします」
「自分が考えつかないことを人が考えつく、それを、夫を見て学ぶのが一番いいんだけどね」

先生、そんなこと言ったって、せいうちくんは何にも思いつかない人なんですよ。
私「昇進したって言ったから、お母さんから『お祝い送るわね』って言ってくると思うなぁ」
せいうち「えっ?思いつきもしなかった!こないよー」って言ってたら週末に「お祝い、何がいい?」って電話かかってきたもんなぁ。
必死に断っていたことの是非はともかくとして、なぜ想像だにしないのか。
お母さんにとっての事態の嬉しさと、元の性格とあなたへの関心の高さを思えば、絶対そうなるよ。
1+1=2だよ。

「そうかー、じゃあ、こうしよう。この先、あなたが思いつかないことをひとつでもダンナさんが思いついたら、『あっ、今、私は思いつかないでいることができた!』って喜んでください!」
この先生、けっこういろいろ実践的な行動療法持ってるな。

自分の考えを意識しすぎるところはあるけどそれはもう性格で変えられないから、ダンナさんに話し相手をしてもらってよく吐き出しなさい、悪口でも何でもいいよ、と言われておしまい。
少し不安が強いと言ったら、新しい薬をくれた。
これが、要するに気分をアップさせる薬なんだが、テンションが上がりすぎてバカなことをしないようにもらっていたダウン系の薬はそのまま処方されている。
上がったと思ったらダウン系をのみ、下がったと思ったらアップ系をのむ?自己判断?
かなり話の通じるこの先生でも、薬に関しては出し過ぎの傾向があるかもなぁ。

美容院に行って、本番は6月頭の名古屋での同窓会だから、白髪染めもトリートメントも全部5月末に来た時やってもらいます、と主張。
店で販売してる高いシャンプーも買わない、カットだけで安く済ませるこのおばさんを、息子と同い年ぐらいの美容師さんはあまりていねいに遇してくれなくなってきた。
「今お使いのシャンプーのせいで、傷んでまとまりにくくなってますね。シリコンがずいぶん残ってます。ま、たいていの市販のシャンプーにはシリコンが入ってるんですけどね」
だからここで買えって言いたいだろうね。
でもね、マンガは一気に1万円買えても、シャンプーに1万は出せないの。
それが、人の価値観ってものなの。

夜、帰ってきたせいうちくんは、ぱっつんと短く切られた前髪を見て、
「そうか、シャンプー買ってくれないお客さんはこう切られちゃうのか。昔、僕が切ってた頃の『バーバー・せいうち』みたいで、これはこれですごい」と何やら感心していた。
いいけどね、前髪ぐらい。
人前には滅多に出ないし、すぐ伸びるし。

美容院をどこにするかってのは女の永遠の悩みかしらん、私ぐらいの規模ではあっても。
得度・剃髪したくなるねぇ…めざせ、瀬戸内寂聴?

19年4月16日

せいうちくんは彼なりに靴は良いものを履くべきだと思っているのか、普段のスニーカーなどの値段からすると倍以上するリーガルの靴を、3足ほどローテーションさせて大事に使っている。
先日は7年ぶりぐらいに新しい顔ぶれを大胆に加え、古いものは修繕に出してまだまだ履く気らしい。
うちひとつは、型番を調べた店員さんが「10年前のものですねー」と感心したようで、「ご愛顧ありがとうございます」の目になっていたと信じたい。

その際に、棚に並んでいる靴をぶらぶら見ていた彼は、自分が清水の舞台から飛び降りたつもりで購入した新しい靴たちが実は全然高価な方ではなく、むしろエコノミークラスだと知って愕然としていた。
「2万の靴、っていうだけで足が震えたんだよ。まだその上に5万超える靴があるの…?」
「あったりまえじゃん。イタリアのブランド店とか、行く?何十万もする靴が当たり前に見られるよ」
「とんでもないよ!…でも、こないだ上の人に『靴は良いものを買えよ』って言われたんだよね」
「うーん、赤坂の料亭で靴を脱ぐフラグ?」
「違うと思うけど…」

カバンもね、ロフトで見たのとか参考にアマゾンで買ったのね。
クロス張り、しかも外側が紺で持ち手がオレンジっぽいエンジ色とか選ぼうとしてるから、必死で止めた。
いくら何でも個室もらってるような会社員が黒以外のカバンって、ちょっとヘンじゃない?
普段おしゃれでも何でもないくせに、なんでこういうところで頑張っちゃうかなぁ。
一生懸命説得して、ガワは黒で納得してもらったよ。
気分が明るくなるからって、持ち手の裏側がオレンジなのは譲らなかったけどね。
でも、役所とか改まった会議に行く時とかのために、真っ黒な革のカバンも持ってた方が良いよ、大人のたしなみだよ、とは言っておいた。

翌日、バス停までお迎え散歩に行ったら、降りてきたせいうちくんは新しいカバンをぶんぶんと振って、とても機嫌が良かった。
「やっぱり新しいカバンは気分が上がるねぇ。男の子はね、こういう小物が好きなんだよ」
「昔で言ったら文房具」
「そうそう」
「象が踏んでも壊れない筆箱、踏んでみた?」
「あれを踏まない小学生がいただろうか!?」

てな調子だが、実は会社では上司に「派手だなぁ」と言われたらしい。
「今度、その上司と省庁に行くんだよ」
私は飛び上がった!
「黒いカバンを買うんだ!」
「うん、その方がよさそうだね」

かくして、最近清水の舞台から飛び降りっぱなしのせいうちくんは、またまた人生初めてってぐらい高いカバンを買ったのだった。
最近は何でも翌日アマゾンで来るから、便利だね。

で、黒いカバンで出勤した夜、帰ってきた時に聞いたら、問題の上司と朝会うなり、
「お、カバン買ったんだ」と言ってもらえたらしい。
「『なかなかいいね』とか、ほめてはくれなかった?」
「特に。でもさぁ、人って、他人の持ってるものとか、よく見てるもんだねぇ」
「まあ、あなたの見てなさも異常だけどね。他になんか言われた?」
「うーん、靴は、高いの買ってもリーガルじゃダメらしい。なんか知らない名前をペラぺラっと言われた。みんな、おしゃれだねぇ…日本にはまだまだ階級社会があるのかなぁ。なんだか気が重くなってきた…」

こうしてせいうちくんは順調に落ち込んでいる。
私だったら銀座の紳士服屋に行って、地位も年収も白状して紹介者がいないことも全部しゃべって、
「相場ってものもありますが、私が服にかけても良いと思える金額はこの辺で止まってるんです。そこを踏まえて、人を不快にさせず自分も恥をかかない服を3セットほど買わせてください」って相談するかも。

いいじゃん、男性の場合、女性みたいに。
「この店には9号サイズまでしか置いてません」
「お客様、これ、ギリギリ入りますけど、これ以上体重を増やさないでくださいね。日頃からウェストを甘やかしちゃいけませんよ!」なんて言われなくて済むんだから。
(これは本当に私が言われた実話。銀座でもないのに!怖いですね~)

19年4月19日

今日はお仕事日。
10時間も作業した!
トイレぐらいは行くし、あとまあ、お茶は飲んだしPCに向かって鶏の唐揚げつまんだが、ほぼ座りっぱなしだった。
腰が痛い。
我ながら妙に集中力ある。ほぼ寝たきりだったことを思えば。

最初はアニソンをガンガンかけてた。修羅場のマンガ家みたいに。
でも、うちのiPodにはアニソン250曲ぐらいしか入ってないんだよね。
作業用と言えばこればかり聞いてるわけで、早晩飽きる。
あと、「青空戦隊クウレンジャー」とか「221B戦記」とか好きな歌がかかると力が入ってしまい、「トクサツガガガ」とか読みたくなるから、あんまり良くないかも。

いろいろ試して、一番仕事の邪魔にならないのは「さだまさし」。
「眠るのにもいい、って前に言ってたね」とせいうちくんに笑われた。
案外イカンのが谷山浩子。
特徴のある声で、よく聞くと難しい考えを述べているもんだから、気になってついつい聞いてしまう。
エッセイ集の中で面白いことを言っている。

「『さ、ねるか』これがいけなかった。
意識ってやつが、のさばってくるのだ。このかけ声によって、意識は『そーか、ねるのか。どれどれ』と目をキラキラさせてのぞきに来る。意識は、めんどうくさいからイーさんと呼ぼう。イーさんは、好奇心が強いうえに、わがままで、何でも自分が知らないと気がすまない。自分が眠ったことを(眠る、とゆーのは、意識がお休みする状態だからね)自分で見ないと気がすまないのだ」

まったく、私が眠れないメカニズムによく似ている。私のイーさんは超うるさい。
彼女は「頭を空っぽにしてイーさんを追い出したのち、ムーさん(もちろん無意識のことだ)を呼ぶ」んだそうだ。
昔、せいうちくんにこの話をしたら、彼は我が意を得たりとばかりに、
「自慢じゃないが、僕はムーさんとすごく仲良しだ!」と威張っていた。
さすがは枕に頭をつければ3秒で入眠できる男。
だがね、キミのムーさんは、寝言がうるさいよ。

いやいや、話はそれたけど、10時間も頑張ればさすがに今回の分の作業は終わりが見えてきた。
土曜日に打ち合わせに呼ばれており、かつ、せいうちくんがボランティアの質問回答者として常駐する時間があるので、私もPC持ってって残りの作業を片づけていよう。
そいで、華麗に提出して帰る、と。
「データを受け取ってから中3日ですか!早いですね。さすが専業」って喜ばれるかも。

将来的にはせいうちくんが講師の1人になり、私が事務のおばさんをやるという目標ができた。
今から始めても、その体制が完成する頃にはさすがに引退だろう、とか、思っちゃいけないんだろうな。
天は自ら助くる者を助く。夢をデカく持とう。

19年4月20日

いつもの心臓の検診は、またしてもワーファリンの値が低すぎるとのことでさらなる増量。
しかし私は覚えている。
去年の10月、同じような状況で際限なく増やして4mgのんでたら(今は3mg)、「1.8~2.2」の適正値を大幅に振り切って3.2という高ポイントをたたき出してしまったのだ。
これだと血液がさらさら過ぎて、脳内出血でもしたら死ねちゃうよ。
まあ、それ以前に血管が詰まることがなさそうなんで、起こらないのかもだけど。
(しかし血尿は出る)

その時は先生あわてて薬を減らしたが、今、1.5で低すぎるからって、増やせばいいものだろうか。
「こんなに安定しないなんて、あなたはいったい何を食べているのですか?全部書き出してみてください!」って言われても、文句は言わないよ、面倒だけど。
でも、聞かれないね。「5分診療」の限界かしらん。

腰痛と肩こりからくる頭痛がひどいので湿布薬と痛み止めをもらってるんだけど、直接は心臓に関係のないこのへんは、先生いつも忘れがち。
なのでカルテ書く時にきちんとお願いする。
前回は言ったのに忘れられてたので、さらにきちんと。
で、「はいはい。湿布はミルタックスでいいですねー」って言ってたから、「通った!」と思ってたのに、受付で処方箋もらってよくよくチェックしたら、なかった…orz

百歩譲ってそれはいいとしても、心臓の機能が下がってるから出しましょう、ってここ3か月ぐらいのんでる強心剤が入ってないじゃないか!
看護婦さんに聞いたら、
「先生からお話ありませんでした?今回から不要、ってことかしら?」と首をかしげる。
「数値が前よりはいいとはおっしゃってましたが、もうのまなくてもいいでしょうとは言われませんでした」と頑張って疑義照会をかけてもらう。
結果は、「出しておいてください」。

大ッきな声で言いたい!
「忘れるな!」
一生ワーファリンをのむのはしょうがないとしても、全体では薬を減らす方向を希望なのに、コレステロールの薬もういいでしょうって言ってもやめさせてくれなくて、そのわりに、必要だから出すと言った薬を忘れるとは!
あと、『はいはい』って安請け合いした湿布は出してください。
「最近、物覚えが悪くなったなぁ…」とか思ったら、潔く引退していただいて構わない。
医者ってのはそれぐらい大事な仕事だ。

午後はせいうちくんとお仕事。
町の塾で、彼は生徒たちがそれぞれ持ち寄る質問に答えるボランティアをし、私は現在バイト中のデータ入力の仕上げをしていた。
一緒に働くのは初めてのことで、10年後ぐらいにそれぞれきちんと仕事になっていたら素晴らしいんだが、と思う。
なにせ70歳まで働いてくれと世の中が言うんだから。

せいうちくんはここでは「トーダイ先生」と呼ばれている。
勉強好きで真面目な生態を観察してくれ。「意外とおちゃめだが、基本KYな生き物」だと伝わるとなお良い。
塾長が気を利かせて入り口に「トーダイ先生がやってきた!」とのポスターを貼ってくれたので、集客効果抜群。(私が似顔絵描きました)

なにせ、口開けの先週、誰も質問に来なかったので帰ろうと建物の前にいたせいうちくんを、通りがかった若い女性が「ん?んんん?」という顔してポスターと2、3回見比べ、
「もしかして、このトーダイ先生ですか?」と聞いてきたのだそうだから。
彼女は今年から入ったバイトの先生であったらしい。

そして今日、質問に来てくれた生徒たちからも、
「ポスターにそっくりですね」
「誰が描いたんですか?」と言われたせいうちくん、離れたデスクで真面目くさってノートPC叩いてる私を指さした。
「あの人だよ」
女子たちはおおっと驚き、「絵、うまいですね!」とほめてくれた。
事務のおばさんは世を忍ぶ仮の姿、実は奥さんだよ、と言ったらもっと驚いてくれただろうか。

塾長の根回しのおかげで何人かの生徒たちが質問に来てくれた。
数学聞く子あり分子式聞く子あり日本史聞く子あり。
「反日って、どうして起こるんですか?」
いい質問だ。秀吉や西郷隆盛の話も必要かもだが、現代日本での本質的な話をしてやってくれ。
何にせよ、中学生から大真面目に出たっていう事実に、かなり感動している。

結局、3時間同じフロアにいて耳を澄ましていた私が一番驚きかつ愉快だったのは、この質問。
男子「質問があるんですけどー」
せいうち「うん」
男子「本当に東大出てるんですか?」
せいうち「うん、本当だよ」
男子「ありがとうございました…(出ていきかけたが、くるりと戻ってきて)すみません、本当はちょっと疑ってました!」
子供って、面白い!

お互いお勤めに興奮して、でも明日はせいうちくん休日出勤の上、そのあと待ち合わせてお友達の家を訪ねる予定だから早く寝よう、って言ってたら、23時半というのに息子からメッセージが。
急だけど、行っていいかと。
「明日は父さんも母さんも用事があるから」と断るはしから、「お金が足りない?」「何か困ったことが起こったの?」と心配にはなる。

幸い、「じゃあ今日は遠慮する」とのことだし、突っ込んで聞いてみたけど、どうも電車が心配になっただけらしい。
23時半に普通に都内にいて、何の心配?
そりゃあ、家方面への電車は遅くまで動いてるんだろうし、徒歩30分を苦にしない君なら2時とかになってもたどり着けるだろうが、こっちのことも考えてくれい。
もちろん考えた結果「じゃあいいや」となったのはわかってるけどねー。

後日譚としては、数日後、その晩はコントライブの打ち上げをやっていたらしいとTwitterで知り、
「帰れるうちに帰れ!実家は漫喫じゃないぞ!」と1人叫んでみたものの、メシがあってシャワーがあってマンガが読める。実態としてはあまり遠くないかもしれない。

19年4月21日

年下の友人宅に赤ちゃんを見に行った。
生まれたばかりにも会っていて、昨今では産院の段階では親であろうと必ずしも見せてもらえるものでもないと聞いていたので大感激、そしてひと月を待たずして再び見せていただけることに。
産婦さんの体調を考えて短い訪問だが、楽しかった。

せいうちくんと私がかわるがわる抱っこさせてもらい、その合間にきょうだいたちも抱く抱く。
寝ていたり時々薄目を開けたりしている赤ちゃんは、さすが大家族の赤ん坊だ。
手から手に移動することをほとんど気にしない。泰然自若で双葉より芳し。

家族ぐるみで仲良しのダンナさんも、すごく喜んでくれた。
「お2人が、うちの子を抱いてくださるまなざしがとても優しくて…嬉しいですね…」
泣きそうに感動してくれたので、聞きたかったこと質問してみる。
「どうですか、赤ちゃん生まれて」
「いやー、本当に本当に、嬉しいですねー。何より、妻に感謝感謝ですよ!」

なんと瑞々しい父心。男性も変わった。
もしかしたらせいうちくんの友達が変わってるだけかもしれないが、こんなに素直に子供の誕生を喜び妻に感謝する、私の年頃ではあまり見ないタイプのダンナさん。
うちの息子の、「ギリシャ人の家庭教師」になってくれない?(古代マケドニアで博識なギリシア人が家庭教師として厚遇されたことから。親とは違うさまざまな教育を授けてくれる、仲間のような年上の人)
いい影響、ありそう。

真剣に驚いたのは、友人がかけて使っていた「授乳ケープ」。
噂には聞いていたが見るのは初めて。25年以上前にはそんな品も使う文化もなかった(と思う)
そういうと、向こうは向こうで驚いて、
「えっ、じゃあ、授乳の時はどうしてたんですか?丸出しですか?」
はい、概ねそうです。
混んでる電車の中はともかく、バスの最後尾に座ってたら、やってましたね。
泣かせるよりマシだと思ったので。

どっちにしろ、今の世の中ではNGだろう。
もし自分がこの世界で「若い女」だったら怖くてしょうがない。
もちろん私が本当に若かった頃にも怖かったはずなんだが、覚えていない。

2時間があっという間に過ぎて、いつものようにせいうちくんが17時の鐘とともに私を引きずって帰ろうとしたが、産婦さん本人から、
「今日はいらしたのが少し遅かったので、ロスタイムということで」と助命嘆願をいただいた。
もちろんロスタイムを目いっぱい活用させてもらった。

生まれたての赤ん坊というのは、腕に抱いて見ていると崇高な気分になったり眠くなったり(ある時期以降、敵はあまり眠くないらしい…思い出す、寝かしつけの日々…)とてもとても不可思議なもの。
彼女の未来にどんなものが待っているのか、「おばちゃんは、楽しみだよ」と語りかけてみたら、涙で前が見えなくなった。
あなたが結婚する頃、このおばちゃんはもうバイバイしてるかもしれない。

思わず、「赤毛のアン」のミス・ジョセフィン・バーリーのように、この子に思いがけない遺産を残してみたくなっちゃった!
せいうちくんはここんちの長男に心の遺産の種を蒔くのに夢中だし、「未来により良く生きる」には、やはり子供という生きたタイムマシンを活用するしかないのか?

あまりに嬉しくなってしまって、帰り道のブックオフで爆買いした。
慣れてるはずの当人たちも驚くほどの買い物だった。
(とはいえ、さすがにただのブックオフ、6桁が立つほどではないんだが)
普段目がいかない棚までクリアに魅力的に見えてしまったのは、子孫という未来を見据えての新たなビジョンかもしれないなぁ。

そういえば、
「孫は可愛い、ってみんな言うけど、自前のは10年以上先になるかもしれないから~」と言い訳しながら何度も抱っこさせてもらっていたら、友人に、
「わかんないですよ~、息子さん、案外早いかもしれないですよ!」と笑われてしまった。
まあ、何やらいろいろ早い。
しかしまた、いろいろ遅くもあるのだ。
カメもうさぎも頑張れ頑張れ。

19年4月22日

通院日。
先生の前に座るなり、
「この1週間、何か楽しいことはありましたか」と聞かれたので、せいうちくんと一緒に塾にバイトに入った話と、これまた一緒に友人の赤ちゃんを見に行った話をした。
「そうですか。それは、楽しかったですね」と言った先生は、私が複雑な顔をしていたせいか、カルテをぱらぱらとめくって前の方の記載を見ていた。
履歴とか成育歴とか確認したんだろうと思う。

「でも、あなたは悲しくなっちゃうんだなぁ。なんででしょうね?」
その答えはある意味簡単で、別の意味では難しい。
自分を「アダルト・チルドレン」すなわち「親との関係が原因で、社会で生きづらさを感じると自分で認めた人」であると思っている。
問題は、自分がそう認めているだけで、ほかの人は誰もそう思ってくれないんじゃないかと不安な点。

もちろん、医者は別。病院に行けば、私が我儘だとか怠け病とか思ってる事柄にも名前がつく。
「あの人たちは、何もないところからでも問題を作り出すから」これは、母の声。
「齋藤何某などは、『境界例』というお札を発行してますからねぇ」と、これは地道な治療に続かない「精神科医」による安易なラベリングを嘆いていた昔の主治医の声。
「病院だって、ずっと通えるわけじゃない」と、今の先生の声。「いつかは良くなって、自分の楽しい人生を送りましょうよ」って意味で言ってもらっても、「保険診療でいつまでも仮病の人の面倒は見られませんよ」と聞こえてしまう。

たぶん、最初の声が、大きすぎる。
専門家たちは、病気の治りにくさ、自覚の脆さ、せっかく築いた信頼関係が崩れる無力感や結局「病んだ側に引っ張られるむなしさ」から、「絶対治ります。一緒に頑張りましょう!」とは言えないのだと思う。
それでも精いっぱい、「あなたさえよければ、通ってみてください」と言うだろう。
良い医者ほど控えめに言うと思う。
その誠実な声は、「あなたは病気なんかじゃないの。甘えてるだけなの。何でもないんだから、大げさに病院なんか行かないの」という母の大声にかき消されてしまう。

「そろそろ、行かなくてもいいかも…」と言ったら、せいうちくんに猛反対された。
私「もう落ち着いてきたから…」
せ「落ち着いてきたからこそ、腰を据えて治療するんじゃない!前の前の先生の時は、ご高齢で引退されるからいったん治療終了ってことになったし、その次の先生の時はとにかく薬を切らすわけにいかないって条件で、同じ薬を出してくれるところを探すのがメインだった。苦しい離脱症状を乗り越えて、やっとまたゆっくり話を聞いてくれるいい先生に会えたのに、行かないって言うの?治ってきたからこそ、もっと治る可能性が出てきたんじゃないの!」
私「じゃあ、どのくらい通えばいいの?先生は、半年は来てくれって言ってたけど」
せ「僕は、3年はかかると思ってるよ」
私「3年!あなたって何でそんなに気が長いの?私のこと、いくつだと思ってるの?3年!!」

とあきれたところで、先生にもその話をしてみた。
「夫は信じられないぐらい気が長いんですよ」と。
でも先生は、うなずいていた。
「ご主人の感じ方で正しいと思いますけどね。ゆっくり行きましょう。そう急がないで。そのうち、気がついたら『ああ、そういえばしばらく薬を飲んでないわぁ』って思う時が来ます。それまでは、規則正しく楽しい生活をしましょう。3年も、って言ってもね、僕なんか67だけど、もう、3年なんてあっという間ですよ。オリンピックだって、もう来年じゃないですか!GWだって、まだかな~まだかな~って思ってたら、もう今週末なんだからねぇ!」
「本当にもうすぐですね!でも、終わるのもすぐですよね!」
って言ったら、笑ってたんだから、気が短いのは私だけなわけじゃなさそうだ。

しかし、そうか。ゆっくり生きてもいいのか。
とりあえず週に1度食べても体重が特に増えないから、パッ・タイ食べよう。
GWとかいろいろあるから、次に行くのは3週間後。長いねぇ、ドキドキ。
こういう人を大勢抱えてるから、先生も休んだ気になれないだろうなぁ。

19年4月23日

夜中にせいうちくんにTwitter読んであげてた。
「で、その人が『Hey, Siri!』って言ったらね」との言葉と同時に、枕元のケータイが「ぴぽん」と鳴った。

「あれ、なんだろう?ハイになった友達からのLINEかな?」と手に取ってみると、これがなんと、「Siri」。

「あちゃー、Siriさん起動させちゃったよ」と言うと、せいうちくんは不思議そうに、
「なんで起動するの?こないだリマインダーが鳴ってたように、時刻設定?」とか聞く。
私だってそんなにSiri使ったことないんだけど、威張ってみたくなるなぁ。

私「こうするんだよ。『Hey, Siri!』」
Siri「ぴぽん」
せいうちくん「わわっ!」
私「さっきの会話の中に出てきたから、呼ばれたかと思ったみたいね」
せ「そんなに耳がいいの」
私「うん、それにね、『Hey, Siri!今何時?』」
Siri「ジュウニジ、ジュウゴフン、デス」(古典的なロボットの発声の表現だなぁww)
せ「えーっ、こんなことできるの?!」
私「もっとできるよ。『Hey, Siri!今日の天気は?』」
Siri(面倒くさくなったので標準表現で)「現在曇っていて、気温は12度前後。午後は雨になるでしょう」
せ「えええーっ!これってもう、SFじゃない!」
私「そうだよ。我々は未来に生きてんの」
せ「こんなふうになってるなんて、ぜんッぜん知らなかった。しかし、知らなくっても生きていけてるもんだなぁ」

ついでだから、Siriさんと「しりとり」をした時のことを話してあげた。

1回目
私「しりとりしよう」
Siri「いいですよ。じゃあ、私から。リンカーン…ああっ、しまった!」

2回目
私「しりとりしよう」
Siri「私から『しり』を取ったら、何も残りませんよ…」

とまあ、面白いっちゃあ面白いが、20分ほどやっているととてもむなしくなってくるのも確か。
一番気になるのって、これが本当に無料かどうかだなぁ。
一問一答ごとに課金されてたりして。

19年4月24日

せいうちくんのお母さんが「90歳までは健康でいたいわね」と語ったことに衝撃を受けている。
その先にやっと「死」があるからだ。
「90歳になったら老人ホームとか考える」と言うお父さんも含め、本当に長命一族なんだなぁ。考えることのスケールが違う。
60歳半ばで人生のスケールダウンを考えて、72歳で亡くなった自分の父親と比べると、人生80年時代における20年近くの違いは大きなものだよ。
種族が違う、と感じるので、うらやましいとかそうなりたいとかは思わないけど、つくづく、別の生き物。

「ふたりからひとり」という本をばらばらと見た。映画「人生フルーツ」の人たちらしい。
夫婦2人暮らしのダンナさんが、午睡中に静々と老衰死した、というイメージ。90歳か。
そこだけ拾って、とてもうらやましい。
生まれて初めて、「こんなふうになら、90歳まで生きてもいい」と思った。

絶対に、せいうちくんに看取ってもらいたい、病院に入るとなかなか2人きりになれなくなるのは入院で体験したから、できれば老人ホームを含む「住まい」で亡くなりたい。
遺体を裏門から運び出したり霊安室から早く出て行ってもらいたがる病院より、関わってくれた人みんなのお見送りの中を正門から出ていくホスピスやホームの方がいいなぁ。
「死は、敗北ではなく、ただ次の世界への旅立ちです」って、誰か言わなかった?言ってないか。

そんなことを考えていたら、久しぶりに「コビト」が出た。
靴屋さんが困っていると知らないうちに手伝ってくれる小人のように、私の記憶がない間に家のこととか手伝ってくれる存在。
さすがに昔のように「まったく、きれいさっぱり記憶がない」というわけではないけど、私にない「やる気」をずっと放出して助けてくれたのは確か。
(くやしいことに、こないだ近所の喫茶店でせいうちくんとやけくそ起こして、糖質満載の「ミートグラタンドリア」「フレンチトースト」「卵サンド」食べた時の記憶は本当に綺麗にない。消える時はこういうふうに消える)

洗面所の収納棚にたまっていたホテルのアメニティやバラバラの歯間ブラシ、旅行用のポーチを4つもきちんと整理分類したうえ、三面ミラーの裏の棚を片づけていらないものをすっかり捨て、さらには何年も懸案だった冷蔵庫の掃除をして中身を全部出して棚板からラックまで全部外して洗い、まあ大活躍だったことだ。
たぶん、次に引っ越しとか考えるまで、私は何もしないだろう。
「やった」気はそれほどしなくても、疲れてるのは自分本体であるという不思議を、腕の筋肉痛からじわりと味わっている最中。

19年4月26日

なんと言ってもGW。10連休。
もっとも、銀行が5月7日まで開かないので業種や規模によっては資金繰りが苦しくなるとか、サービス業の人は大変で「誰かの10連休は誰かの10連勤」だったりするそうだが、4月からこっち「息を止めて走り抜けてきた」せいうちくんにはありがたいお休みだ。
そうでなくても我が家はなんだか今年になってからタイヘン感が増している。
「大殺界」?
いやいやそんなことないぞ。
六星占星術上、我々と娘の3人はびったし同じ星の元に生まれていて、その彼女はやや当たり前のように生まれたその時が一番ピンチで星回りが悪かったのだから。
数年前から復調してきてる。
今年もいい年のはず。

確かになぁ、悪い年なわけじゃない。コトが多い、と言うのかしらん。
そもそも、結婚30周年で元号が令和になる年に還暦を迎えるんだよ?六尺玉がバンバン上がらない?(単に平成元年に結婚した、とも言う)
生まれた年に伊勢湾台風が来ちゃったことを思えば、上々の60歳だ。

そして平成元年に入社したせいうちくんは役職が変わっていったん退職扱いになった。いくつまで働くのか、本人もわからん、と不安そう。
息子はどうも職を見つけたらしい。派遣か契約であろうとは思うが、単発のバイト時代よりは落ち着いてインプロに打ち込めるだろう。
娘は大きな変化はなくとも、変化しないでいられるということだけでも彼女にとってはスゴイ。
天皇は代替わりし、ついに私は同学年の天皇を戴くことになる。
夏には還暦を迎える予定で、このまま順調にいけば、サンクトペテルブルクに入港した船の中、になりそうだ。船長さん、バースディソング歌ってくれないかな。わくわく。

年末に年賀状を書きながら考えるようなことを全部考えてしまった気がする。
明日からのGW、予定が決まってる日を書き込んでみたら、案外残りが少ない。
そもそもあっという間に半分ぐらい過ぎて泣きそうになってるとか、気がついたらあと2日しかないとか、あまりいい予想が立たない。
「楽しみにしてることって、待ってた期間tに期待値のeをかけてn乗した速度で飛び去る」とかせいうちくん風に言ってみようか。
あの人は、私が怒っていると、
「その感情の面積は積分で求められる」とか、絶対にそこで言わない方がいいだろう!ってな妙なことを言うんだよね。
最近は、息子の言う、
「オヤジって、空気読めないよね。こだわりが強いしね。まあ、ちょっと壊れてる人だよね」という言葉を思い出すと妙に冷静になれていいね。

そうそう、その、息子がくるってイベントもある。
予定が合えば翌日一緒に娘に会ってから、映画を見に行こうかな。
せいうちくんの仕事が入って1日留守にする日も発生したけど、昔のようには悲しくない。
「1人が好き」ではないけど、「1人でもなんとかなる」ようになった。
出張整体の友人が来てくれる日や、美術展を観に行く予定の日、そもそもごく最初にカラオケ宴会があって、せいうちくんはそこで先輩から板タブ(電子的に絵を描くためのツールです。GW中にご説明しましょう)を借りていよいよマンガを描き始める計画。
そもそも、天皇が交代するんだよ、テレビの前にいるしかないでしょう。で、何日だっけ?

あああ、8月に船旅に行く準備も家の掃除も全部このGWに放り込んで過ごしてきたのに、いざその10日間が来ると思うと何もできる気がしない。
狭い書斎がかなり歩きにくくなってきた。床面積が危ない。マンガを自炊しないと。
ドラマも見ないと、デッキがパンク寸前だ。
GWが終わった翌週はあっという間に次のイベント!
今日はもうダメ、楽しみ過ぎて気絶する!
…私は普段から平日が休みだからいいけど、せいうちくんって、いったいどうやって生きてるんでしょうね?不死身?!

19年4月28日

昨日から10連休のGWに入り、人と遊ぶ唯一のイベントは「耐久カラオケ」。
今回はいつも熱心な長老が翌日の朝から別の集まりがあるとのことで、時間短めで破壊的でない宴会を希望していた。
せいうちくんと私はこっそり1時間早めに会場入りし、喉を温めてました。

総勢8人のカラオケ宴会はいつもの通りの盛り上がり。
九州からわざわざ来た人もおり、飲み放題も手伝って、実にイイ感じだった。
年末に整備した「留年歌集」、今日は配布済みのメンツが多いからと持って来なかったが、その場で何人かからリクエストされた。
そんなこともあろうかと、ケータイにPDFを入れてきたんだ。

ただ、もっとうわてなのは元SEのGくんで、何をどうしたもんだか、受け取ったPDFをケータイを通してカラオケ屋のスクリーンに映し出していた。ハッキング?犯罪?
おかげでみんなで気持ち良~く「エイトネン」や「アカテン・ハーロック」を熱唱できたよ。
よく考えたら、この場にはSEが5人もいるんだ。過半数。
話はビミョーに違うけど、留年経験がないの、私だけだった。

19時でお開きになり、九州から来た先輩に
「で、二次会はどこ?」と聞かれたせいうちくん、私がグロッキーなのを見て「僕らは帰ります~」って手を取り合って敵前逃亡。
果敢に残留した長老にあとで聞いたところでは、4人が踏みとどまって缶ビール買って公園で宴会して解散したそうだ。
さらに追跡したら、遠来の客はGくんが引き受けて自宅にお泊めしたらしい。

我が家は日頃の疲れで2人とも沈没した。
倒れるように寝て、日頃は考えられないことに、昼近くまで寝ていた。
これが、ほぼGW中続く状態であろうとは、その時はまだ想像してなかった…

妻のかなり重い闘病日記
「年中休業うつらうつら日記」目次
「おひるね倶楽部