12年4月1日
息子の大学の入学式。
彼が生まれてこの方、あらゆる行事に首を突っ込んで、息子がイヤがっていても式典や柔道の試合に行きまくっていた大内くんだが、さすがに大学の入学式は行かないらしい。
「もう、息子の問題だからね。親はそろそろ手をひくよ」と、日頃の彼には似つかわしくない発言だ。
私はと言うと、自分の大学がとても小規模で、新入生は450人ほどだった。
パイプオルガンの演奏を聴き、聖歌隊のコーラスを聴き、牧師さんが「この入学式に神の祝福があらんことを」とスピーチしたり、きわめつけは新入生1人1人の名前を読み上げる。
田舎から出てきたばっかりの私は、その荘厳さに打たれたものだ。
なので、普通の大学の入学式や卒業式のサイズを知らない。
大内くんによれば、「1万人ぐらいじゃないの?僕んとこは3千人ぐらいだったかも」なんだそうだが、そんな大それた数字を気軽に言うなよ。
でも、その1万人プラス我が子の晴れ姿をひと目見んと一族郎党揃って見に来ちゃう、なんてことを考えると、私の大嫌いな「人ごみ」が発生するということだなぁ。
やっぱ、やめとくのが正解かも。
だけど、雰囲気ぐらいは知っておきたい、と大内くんに言ったら、ようつべでおととしの入学式を拾ってくれた。(去年のは、震災で中止)
すごい人ごみ。
背広を来てちょっときょろきょろしてる子は、どこからどう見ても新入生。
息子も、買ったばかりの背広に大内くんから借りたネクタイをして、さまよってたんだろう。
部活を決めろだの語学を落とすなとか、大内くんはあいかわらず息子にいろいろ言いたくて仕方ないらしい。
私は、晩ごはんの時間に帰ってこなくなりそうなので、作る手間が省けて嬉しい。
実際、今日も「晩ごはんどうする?」とメールしたら、「食ってくる」と返事が。
大内くんと2人なら、どんなに手抜きしたっていいんだ。
うちで一番うるさい舌の持ち主が帰ってこない、というのは私にとっては大した僥倖だよ。
12時近くなって、特に酒気を帯びた様子もなく無事帰ってきた。
「背広、3日にまた使うから、かけといて」って、そのぐらい自分でやれよ。
ネクタイ姿にくらくらっときた私がやってあげちゃったけどさぁ。
3日には「学部の入学式」があるらしい。でかい大学は、やることが違うね。
息子はサークルのビラを電話帳ぐらいもらって、30枚ぐらいの厳選されたサークル情報を検討しているようだ。
柔道は、2段になったことだし、しばらくお休みかな。
「オタサー」と呼ばれる「オタクサークル」にはあんまり入ってほしくないが。
お笑いに大いに興味のある彼は、学内で老舗のサークルの門を叩くつもりらしい。
大学時代というのは本当に楽しい。
「もっと勉強しておけばよかった」と40過ぎて思うのは誰しも同じらしい。
やっぱさぁ、高校出たら働いて、10年ぐらいたって時間と学問の大切さが貴重だと心から思う時期に大学に入り直す、ってわけにはいかんかねぇ。
12年4月2日
3月31日に、塾の先生たちをお招きしての「謝恩会」が開かれた。
受験を終えた中3と高3の生徒の親が集まる。
大内くんも少なからず働いていたようだ。
我々としては、とにかく第一志望の大学に入れてもらったこと、本当に感謝している。
先生たちの事務スペースに自習用の「大内席」を作ってくれて、息子は毎日のようにその席で勉強していた。
その努力が、今回の合格に導いてくれて、本当に嬉しい。
高3のお母さんたちは5人ほど。
30名ほどの集団で、先生たちが6人、残りの20人ばかりは中3の親だ。
今年の高3は実力者ぞろいで、志望も高かったため、何人か浪人も出た。
塾長は、これまでなかった浪人クラスを作るかどうか思案中のようだ。
息子は、小5の頃からの念願がかなって、ついにこの塾でバイト講師をやる。
私は、
「うちの豚児が人様にものを教えるなんて!」と不安でたまらないのだが、先生たちに聞いたら、
「大内くんなら大丈夫ですよ。期待してます!」なんて言われちゃって、ますますどうしたらいいかわからない。
とりあえず、夏休みに「ワーキングホリデー」で海外に行くという計画を、先生たちにも見守ってもらえると心強い。
英語の先生なんかは、
「そりゃ、もう、行くべきですよ!」と熱く応援してくれる様子だ。
大内くんも、
「塾の授業に穴を開けることだけは許さない。仕事っていうのは、そういうもんだ」と息子にお説教していた。
いつものように、大して聞いちゃいないんだが、どことなく真面目度が高かったかな。
「バイト代は一部家に入れてもらうつもりだったけど、留学がしたいんだったらそのお金を貯めて、納得いくとこに行っといで」と言っておいた。
これからまだ数年お世話になるかもしれない塾だ。大切にしたまえ。
しかしなんだね、来年は、息子も謝恩される側にまわってしまうのだろうか。
「親は見られないよね」と大内くん。
つーか、まだ、そんな野望がくすぶってるのか。
何か健康的な趣味でもお持ちになったらいかがでしょうか。息子のあとを追っかけまわしてないで。
12年4月3日
今日の息子は「学部の入学式」なんだそうで、また背広で出かけてた。
そろそろ科目登録も終えなくちゃね。
毎晩毎晩帰りが遅い。
12時をまわることもざらだ。
「晩ごはんは朝のうちに言われない限り用意はしない」
「外泊の時は一報入れる」
といったルールを作りつつあるよ。
自分たちの大学生活を振り返っても、常に誰かのうちで飲んだくれていたような記憶しかない。
今やすっかりお酒がキライになってしまった私だが、若い頃は毎日が宴会だった。
息子もそんなバカなことを通過しないとオトナになれないんだろうなぁ。
12年4月5日
毎晩12時近くまで出歩いている息子に、
「どう、大学生活は楽しい?」と聞いてみたら、
「まだ、授業が始まってないから、わからん」とそっけない答えが返ってきた。
学生の本分は勉強だから、もっともな意見かもしれない。
今は、どこのサークルに入ろうか考え中で、新人獲得を狙う先輩たちから接待責めにされてるものと想像される。
大学生活というものは、本当に楽しかった。
毎日がエキサイティングだった。
私の場合、名古屋の実家を離れて東京に来たのも大きかったと思う。
初めて渋谷に行った時は、卒倒するかと思ったよ。
楽しすぎて我ながら卒業が心配だったが、なんとか4年で卒業することができた。
大内くんの方もやはり楽しすぎたんだが、彼の場合、楽しさが大きかったのかアホなのか、7年も大学に行き、中退寸前だったらしい。
「キミと結婚しようと思った時、初めて『頑張らなくちゃ!』って思ってさ。就活だって、結婚の話がなかったらもっといいかげんだったかもしれない。どうもありがとう」とよくお礼を言われる。
まあ、お互いさまだよ。
息子の大学生活はどんなふうだろう。
「真面目な大学生」って、我々の息子にはムリなんじゃないかなぁ。
楽しく過ごして単位を取って、できるだけ留年しないで卒業してくれ。
と言いつつ、今日も遅い息子に、大内くんも私も文句つける気はさらさらない。
明日から授業が始まるようで、ちゃんと履修届とか出せてるんだろうか、あの人は。
第二外国語、彼は中国語がやりたかったようだけど、抽選にもれて、ドイツ語になったらしい。
大内くんは大ショックをうけていたよ。
「ドイツ語なんて、大丈夫だろうか」とはらはらしてるようだ。
何語だって同じだよ。第二外国語はあなどれない。
私は、フランス語の単位を落とし、スペイン語に挫折し、ロシア語でようやく卒業した。
今でも、
「扉を閉めてください」
「居間にいる2人の女性は誰ですか?」
「金髪がベティで茶色の髪がスザンナです」
とスペイン語で言えるけど、ほとんど何の役にも立たないと思う。
そういえば、電機メーカーに勤めていた頃、外人ばっか来る展示会の案内嬢をやったことがあるのだが、スペイン語で話してるおっさんがいたので思わず「コモ・エスタ・ウステ?」(直訳すれば「お元気ですか?」。実際の意味は「こんにちは」)と話しかけてしまったことがある。
当然スペイン語が通じると思って大喜びのおっさんがスゴイ勢いでしゃべり出し、そこに至って初めて私は、自分が「私はスペイン語が話せません」という文章をしゃべることができない、と気づき、ジャパニーズ・スマイルを浮かべて後ずさりして逃げ出した。
今ふりかえっても恥ずかしい過去である。
あと、私の大学では、第二外国語は卒業までに様々な外国語どれかの単位が取れさえしていればよく、途中で変えることができた。
大内くんに言わせると、彼の大学を含めた普通の大学では、語学は入学時に決めたもの以外は取ることができないらしい。
「だって、入学した時に語学でクラス分けするんだから、途中で変えたらクラスの意味がないでしょ。キミのとこみたいな小所帯だったらそのへんは自由なのかもしれないけど」
なんだか、面倒くさいねぇ。
息子よ、「語学の授業さえ出ていれば大丈夫」という父親の大雑把な意見はあまり信用しないで、授業は何でも出席せよ!
ノートを貸してくれる女子の存在ももちろん大事だぞ!
12年4月7日
桜が満開。
私の大学の近く車で10分ぐらいのところにに住んでいるので、今日は桜並木を見に行った。
地元の人などがぽつりぽつりと来ていた。
付属高校の入学式も行われているようだったよ。
息子が小さい頃は時々遊びに行って、小高い芝生の丘で段ボール滑りをしたりしたけど、もう親と一緒に来てくれる歳でもない。
せっかくだから学食でランチでも、と思ったんだが、大内くんがすぐ近くのイタリアン・ファミレスに行きたいと言うので、そっちで昼ごはん。
彼はここのピザが大好きで、確かに薄くカリッと焼けたおいしいピザだ。
「特製ミックス」「海の幸」「マリナーラ」「ルッコラと生ハム」と、4枚も食べちゃった。
(薄いけど、決して小さくはないよ)
昼過ぎに帰ってみたら、息子は友達と花見でもしに行ったのか、いなかった。
空手の稽古に行って、帰って来て装備を交換して出かけたことだけは確かだ。
今やすっかり大学生の時間で動いていて、その夜も帰ってきたのは12時過ぎ。
とがめるつもりは毛頭ないが、飲酒、事故など、危険はいくらでもある。
充実した大学生活というものは、何も無茶をするだけが能ではあるまい。
我々も負けじと、夜は夜で、公園の夜桜を見に行く。
確かに桜も見事なんだが、「花見をしている人を見る」のも面白くて好きだ。
段ボールでテーブルを作って電飾している一団がいたが、どうやらどこかの工務店らしい。プロの仕事だ。
濡れた足あとが点々と続いているのも見たよ。誰か、池に飛び込んだんだろうね。
当然、危険だから禁止されている行為だが、酔っ払いは何をするかわからない。
レジャーシートや養生シートを敷き詰めた上でそれぞれの花見をしているのを見て、
「そのへんに息子がいたりしてね」と笑う。
新歓コンパらしいやや硬い集団とか、最近目立つのは「女子会の花見」。
妙齢の女性たちが、女性だけで飲んで花見をしている。
これは大変正しいことかもしれない。
「女子会」や「おひとりさま」など、女性の自由度は大いに増しているぞ!
12年4月8日
晴天に恵まれた今日は、30分の散歩をして、昨日も行った公園に花見に行く。
やはり、昼桜も美しいし、人々の様子も全然違うので、毎年昼桜も夜桜も楽しむようにしているんだ。
公園に歩いて行く途中で、自転車に乗った息子に追い越された。
「いってきま〜す!」と小さい声で言っていた。
友達と会う、とは聞いていたけど、今日もまた花見なのか?
サークル活動などで、新歓お花見コンパが行われる時期だねぇ。
ものすごい人出で、公園に下りる坂道は人が渋滞して動けなくなるほど。
有名な焼き鳥屋も大繁盛の様子だった。
「孤独のグルメ」でやってたお店にまた行って、大内くんは「本日のランチ 海鮮丼」を大盛りでもらい、私はオムライスとハンバーグの「わくわくセット」。
食後はちゃんと花見もしようということになり、池をひと回りして帰ったが、さすがにくたびれた。
公園へと下る坂道もすごい人出で、途中のスタバでコーヒーを飲みながら道行く人々を観察したよ。
道は混んでいるのにスタバはすいていた。
やはりみんな、「お花見」がしたいんだね。
今年もいい花見ができて楽しかったなぁ。
皆さんもそれぞれのお花見を楽しんでください。
12年4月9日
にわかに古いマンガが読みたくなり、選んだのが川崎のぼるの「巨人の星」と平野仁の「少年の町ZF」。
前者はまあ、説明の必要はないだろうけど、後者は、少しマイナーか。
でも、ものすごく好きな作品なんだよね。
ラストでは涙が止まらなかった。
「巨人の星」は、今読むと「児童虐待」だ。
親の夢見る人生をしょわされてるのに、気づかないのか、飛雄馬よ。
この歳になると、いつの間にか一徹父ちゃんの方に気持ちが寄り添っていたりもする。
コドモに「いい大学に入れ!」って言うのと、「巨人の星を目指せ!」と言うのと、どう違うのかねぇ。
思ったより病いの深いマンガかもしれない。
昔は結婚するなら花形満だと思っていたが、意外とシブいのが左門豊作。
あの体型にガマンできるなら、努力家で人柄もよく、なかなかお買い得かも。
ただ、結婚するなり大勢コドモがいるようなもので、元スケ番の京子さんも苦労しただろう。
明子ねーちゃんも苦労はしたが、玉の輿でよかった。
第2部は大内くんの方針で持ってないのだが、久しぶりに飛雄馬に会った花形が、
「明子が姉ちゃんなら、僕は義兄ちゃんだ!」と大笑いしていたのが印象的だった。
あー、書いてたら第2部読みたくなった。アマゾンかブックオフで買うか。
右投手になればいい、という解決法には疑問がある。
第1部のヤマとなる、「球質が軽い」という致命的な欠点は、右投手でも同じだろうに。
若干の説明をしようとは努力しているが、すとんと腑に落ちる、ということはない。
大内くんは、
「第1部に比べるとまるっきりダメ。なんですべてを台無しにする『新』を描いたんだろう!?欲しい?キミだって読んだことがあるじゃないか。あのひどい作品を、もう1回読もうっていうの?お金がもったいないから言うんじゃないよ。家にあんなもの、置いておいてほしくないんだよ!」と、彼にしては珍しく暴言の嵐だ。
そこまで言われるとますます読みたくなっちゃうなぁ。
大内くんは映画の「ゴッドファーザー3」も同様に「あんなひどい映画はない」と言っている。
「1」と「2」は面白いんだが、「3」はもうダメダメなんだそうで。
なのに、私は時々観たくなってしまう。
「一応名作の続編なんだからさぁ」と借りてきては、あまりのつまらなさにガックリしてツタヤに返しに行く、という状態がここ20年ぐらい続いている。
それと同じことだ、と大内くん。
まあ、細かい点は目をつぶるとして、最近、マンガや本が読みたくて仕方ない。
春だから?息子の受験が終わったから?
5月末にはよしながふみの「きのう何食べた?」の第6巻が出るぞ!
今日は「進撃の巨人」第7巻が出るぞ!
どっちが買うか、息子と相談しておかないとダブりになっちゃう。
(6巻の時はそういう事故が起こった)
12年4月11日
大内くんが撮ってくれた、柔道部の「3年生を送る会」のビデオ映像を観ていて、女子部員6人が踊るダンスがものすごくうまいなぁ、と今さらながらに思う。
たぶん「KARA」なんだろう。
大内くんに、
「すごいね。どんだけ練習したんだろうね」と言うと、
「いや、実はね」と来た。
なんでも、28歳ぐらいの部署の女性は、「AKB」の踊りが全部できるんだそうだ。
「こないだも、会社の歓送迎会の二次会で、同僚とカラオケに行って、踊りまくってきたらしいよ」
うーん、今の若い人はそんなふうなのか。
「3年B組 金八先生」にはよく、教室の後ろや廊下で踊っている中学生たちが出てくる。
おそらく、アイドルの新曲が出たりするとそれを真似して学校で披露する、という文化があるんだろう。
柔道部でも、女子の踊りは本当に良かった。
女子たちに借りたのか、セーラー服姿で「おにゃんこクラブ」の「セーラー服を脱がさないで」を踊った10人の男子部員も、健闘は買うが、女子とは方向性が違うような気がする。
でも、最後に前後5人ずつの組になって、前の子たちがバンザイをしたところを後ろの子たちががばっとセーラー服をまくりあげる。
むき出しになった前の子たちのおなかには、マジックでデカデカと、「お」「め」「で」「と」「う」の文字が書いてあった。
なんかもう、気持ち悪いやら感動するやらの、拍手の渦だったよ。
こんなふうに送り出されて、息子たちはとても幸せだ。
今頃になって高校生活を振り返るのもちょっと時期外れな感じはするけど、本当に嬉しい会だった。
12年4月13日
「ご近所スキャンダル」などの低俗な雑誌があまりにたまったので、焼け石に水、とは思いながら、30冊ぐらい紐でくくってゴミ置き場に捨てに行った。
エレベータの中でおばあさんと一緒になったのだが、台車に積んだ雑誌を見て、
「あらまあ、そんなに。すごいですね」と言われたよ。
「なんでしたら、持って行かれますか?ただ捨てちゃうのももったいないので」と言ったら、
「いやー、もう年だから、普通の本の方がいいですねー」と言われた。
ちともったいない。
しかし、この程度捨ててもまだまだベッドの下には200冊ぐらいの「ご近所」がしまってあるのだ。
大内くんが時々、
「知らない間に捨てておいてあげようか。きっと、少々なくなっていても気づかないよ」と本気とも脅しともつかないことを言うのだが、できれば捨てないでほしい。
何度も読んでるんだから。
ほとんど人に会わない生活をしている私には、「ご近所」と言えども立派な情報源だ。
「オレオレ詐欺」が多いことも、ストーカーに狙われると怖いことも、全部「ご近所」に教わっている。
「モンスター・ペアレント」の話を読めば、「自分たちはこうはなるまい」と心を引き締めるし、「嫁姑の確執」を読めば、「私はこんな姑にはなるまい」と決意を新たにするし、なかなかためになるよ。
問題は、こういう読みやすいものを大量に読んでいるうちに、難しい本が読めなくなってきたこと。
いや、難しいっつっても、普通のミステリとかなんですけどね。
12年4月14日
最近近所のイタリアン・ファミレスにはまっていて、毎週のように出かけてはピザを食べている。
大内くんによれば、
「これまで食べたどんなピザよりもおいしい」とのことで、最初のうちはパスタなども混ぜて注文していたのだが、今や、ピザだけ4枚頼む。
もちろん種類はいろいろで、我々が好きなのは、
・アンチョビとガーリックの「マリナーラ」
・生ハムとルッコラ
・イタリアン・ソーセージとアーティチョーク
・特製ミックス
といったところ。
カリカリに薄いタイプだが、大きさはけっこうラージ。
なぜ2人で食べ切れるのだろう?
さて、そんなピザを楽しんでいたところ、お店の若いにーちゃんがお皿を下げに来る。
「これ、片づけちゃっていいですか?」
かまわないが、お客さんに対する言葉遣いとしては「お下げしてよろしいでしょうか」ぐらいが妥当だろう。
「まだ若いから、しょうがないね。息子だって外で何やってるかわかんないよ」と寛大に構えていたら、最後のお皿をまた「下げちゃいますね」と取りながら、彼は言う。
「ピザ、4枚も食べて飽きませんか?」
軽く驚きつつ、
「いえ、大好きだから、飽きませんよ」と答えたら、
「自分、3枚食べてもう飽き飽きしちゃったものだから」と答え、お皿を持って退場していった。
気持ちはわかる。
だが、客に言うことでもないように思う。
推察するに、イタリアン・ファミレスのまかない食でピザが食べ放題だったんだろう。
そして、彼は若い食欲のままに、飽きるまで食べたのだろう。
それはそれで、何やら幸せなことだ。
「最近の若いもんは、なっとらん!」と言いたいわけじゃない。
むしろ、フレンドリーで真面目なんだろう、と思う。
でも、やはり接客業では最低限のマナーを身に着けてもらいたいものだ。
(聞かれたこと自体は、実は楽しかったが)
この頃、働いてる人の熟練度が下がってる気がする。
お店が提唱するサービスに、働く人がついて行けてない、って感じ。
未熟練者が多い、ってことかなぁ・・・
息子は今のところ塾のバイト以外はする予定がなく、つまり、手取り足取りていねいに教えてもらえるいい環境で、とても楽しくやらせてもらえると思う。
社会人になるまでには、もうちょっと別のバイトの経験もした方がいいかも、と先回りの苦労をする私なのでした。
12年4月15日
息子は「友達と花見」と言って出かけてしまった。どうやら同じ高校の子たちらしい。
我々も彼を見送ってしばらくしたところで出かけ、最近の行きつけのレストランだか喫茶店だか飲み屋だかよくわからない食堂に昼ごはんを食べに行く。
今日は、私は「カツカレー」、大内くんは日替わりの「ロースカツ弁当」を食べた。
まあまあおいしかった。
いつものようにスタバに席を移すが、今日はいつも行くデパートの裏ではなく、公園に下りる坂道に面したお店。
先週もそうだった。もう葉桜になってしまって花見もほとんど終わりだろうが、いつもにくらべて大変な人出で、これを眺めるだけで充分に楽しい。
しばらく人間観察を楽しんだあと、公園をまわって帰ることにした。
公園は、6分ぐらいシートを敷き詰めた感じで、先週に比べると人出は少ないけど、まだまだ花見の雰囲気は健在。
「息子たちがいたりしてね」と言って歩いていたら、実にあっけなく、彼らを発見してしまった。
気配や視線を読まれないように気をつけながら離れた木陰から見ていたら、8人ぐらいのグループで、うち2人が女子。
何となく見覚えのある顔も見受けられるので、確かに高校の友達だろう。大学も一緒の可能性も捨てがたい。
おもに箸が動いていて、みんな飲み物を飲まないので、たぶんアルコール抜きだね。
そう言えば息子も、
「餃子を買って行きたいんだけど、いつも買ってるのはどこ?」とか聞いてたもんなぁ。
彼らの箸の動く先の1つが、息子の買った餃子なのかもしれない。
息子が友人たちと談笑しているのをしばらく眺め、立ち去ることにした。
「楽しそうだったね」
「友達がいない寂しい青春、ってことだけはなさそうだね」
と、2人とも何やらじーんとしていて、言葉が少なくなった。
新しい友達も、古い友達も大事にして、青春を謳歌してくれ。
こっちが頼むまでもなく、もう勝手に始めちゃってる、って感じではあるが。
12年4月17日
ガスのメカニックさんが修理に来た。
去年の暮れから「部品が届き次第やりますから」と言ってくれていたが、その「部品」が届いたのは3月になろうかという頃。
「たいへん申し訳ないです」と言いながら、ベランダの給湯器の修理をしてくれた。
修理、っていっても、使えないわけじゃなく、点火した時に「異音」がする。
マンションの掲示板に、
「ガス湯沸かし器の異音についてクレームが来ています。各ご家庭で修理等、よろしくお願いします」と貼り出されていたので、
「うちのことかもなぁ。確かに、つける時に『ブオォオン』とかいう音がするなぁ」と思い、修理を頼んでおいたのだ。
ところで、もう4年ぐらいおそろいで使っている「ソーラー電波腕時計」、大内くんの方が、ほっときすぎて電源切れになってしまった。
やっぱりたまには陽に当てないとダメかも。
そういうわけで日当たりのいいベランダに出しておいたら、ガスのメカニックさんが帰り際に、
「ベランダに、時計が落ちてますよ」と丁寧に教えてくれた。
「いや、落ちてるんじゃないんです。充電してるんです」と答えたら、
「おかしいと思いましたよ。あんなとこに腕時計は落ちてないですよね、普通」と、ちょっと恐縮して帰ったメカニックさんだった。
何だか申し訳ない。
ちなみにその腕時計は、充電の甲斐あってまた動き出したが、今度はベルトの金属部分が折れ、使用に耐えなくなった。
修理に出したら、
「もう生産してませんので、修理はできません」と言われた。がーん。
おそろいで買った時、
「ソーラーで電波なんだから、もう全然ケアがいらないね!」と喜んだものだが、実はベルトが弱い、という致命的な欠陥があった。
しかも、ベルトは本体に含まれており、ベルト交換とかができない。
これまでにそれぞれ2、3回修理に出しており、これでは修理代がかさみすぎる。
まあ、そうだよね。腕時計1個買って、ソーラー電池がもつと言われている20年使いっぱなしだったら、時計屋さんはもうからないよね。
厳しい現実に、またひとつ、ふれてしまった。
12年4月19日
息子の高校は詰襟の学ランで、卒業したからにはもう着る機会はないと思っていた。
それなのに、朝、学ランで登校しようとする。
「どうしたの?」と聞くと、どうやら、同じ高校から早稲田に通う男子たちが、「週に1回、学ランの日」というのを決めて、みんな学ランを着てくることにしたらしい。
何の意味があるかわからないこの「学ランの日」だが、男の子がそういうことに一生懸命になるのは何だか可愛らしい。
今後も続くんだろうか。
12年4月20日
お墓を買いたい。
車もマンションも買って、あと買っていないのはお墓ぐらいなものだ。
近所に墓地ができた、というチラシも増えてきた気がするし。
50万〜150万ぐらいの話なので、今なら無理ではない。
今度見学に行ってみたいと思っている。
そう思いながら大内くんと2人、昼寝をしようとしていたら、電話がかかってきた。
家のすぐ近所(自転車で15分ぐらい)のところに墓地ができたので、案内のパンフレットを送りたいので住所を教えてくれ、という用件。
「タイムリーだなぁ」と思いながら、普段は絶対教えない住所を教え、電話を切って大内くんに内容を話したら、
「すでにやりとりのある相手に住所を教えているんだとばかり思っていた。飛び込みのセールスの電話に住所を教えるなんて、何を考えているんだ!」とひどく怒られた。
「だって、お墓なんだよ。お墓を買いたい、って思ってたんだもん」と言い訳したら、
「ホームページを見に行くから教えてくれ、とか、会社名を聞いて検索するとか、こっちの住所を教えない方法はいくらでもあるでしょう!」と、大内くんにしては激しく怒っていたよ。
まあ、最後には、「キミの気持ちもわかるけどね。怒りすぎて悪かったよ」と言ってくれたが。
我々の老後の設計としては、まず、このマンションに住み続ける。途中で1回ぐらい内装をキレイにする。
そして、大内くんの引退後、2人でさんざん遊んだあと、私が何かの病気になって、大内くんに看取られて在宅で亡くなり、友人たちを集めて盛大なお葬式をやる。もちろん無宗教。
場合によっては生前葬をやるかも。
そして、1人になった大内くんは広いマンションを持て余して息子に譲り(住んでもらうも良し売ってしまうも良し)、自分は近所の介護つき老人ホームに入所。
彼が亡くなったら息子が後始末をする。
唯生が生きていたら、多少の面倒は息子にかけることになるが、そこは、唯生がもらっている年金でカバー。
と、こんな具合なのだが、その設計の中で意外と重要なのが「お墓」。
大内くんの実家は谷中にお墓があるらしく、お義父さんの代まではそこに入るらしいが、我々は自分たちだけのお墓を作りたい。
気が早いかもしれないが、近くにいい墓地があったら買っておきたいな。
この電話の件については、後ほどパンフレットも送られてきたので、GWに2人で見に行こう。
長編マンガにすら食指が動かなくなって、いったい私のこの「白痴化」はどうストップをかけたらいいのだろうか・・・
12年4月21日
高校のPTAの打ち上げがあった。
役員だったのは大内くんだったんだけど、私も誘ってもらえたので、一緒に出かけた。
場所はなつかしい下北沢。
飲み会が始まる前に「アンゼリカ」のカレーパンを買っておこう、と思ったのに、6時前にもう閉店してた。
パン屋さんは朝が早いから夜も早じまいなのかなぁ。残念。
居酒屋に行ってみたら、すでに10人ぐらいのお父さんお母さんが集まっている。
3500円という安い会費を徴収され、適当に座った。
結局始まる頃には21人もいたけど、うち、お父さんは大内くん以外にもう1人いるだけだった。
「飲み放題」なので、みんな、焼酎とかビールとかカシスオレンジサワーとか思うさま注文する。
30分もしないうちに酔っ払いの集団になってきた。
私の隣に、1年生のクラスが一緒で仲良くなった「本友達」が座ってくれた。嬉しい。
「宮部みゆきの『おまえさん』はよかったねぇ」
「あれは、シリーズもっと続いてほしいよね」などという話をする。
今回は、「林真理子未経験」の彼女に、私から「下流の宴」と「聖家族のランチ」を貸してあげて、
「半年ぐらいたったら、これを返すために1年のクラスのお母さんたちを集めて宴会をしてください」とお願いしておいた。
実行力のある人なので、本当に企画してくれるだろう。
ただ、林真理子を人に薦める、というのはなかなか勇気のいることで、私は大好きだが、人がどう思うか。
やはり、本というものは読んでる人の趣味嗜好考え方生き方が出てしまうので、「林真理子を好きな人」というポジションがどうなのか、ちょっとビミョーだ。
いやあ、本当に嫌われたらどうしよう?
そんな私の心配をよそに、座は盛り上がりっぱなし。
みんな、高校を卒業したばっかりのコドモがいるわけで、当然話題はつきない。
大内くんは、隣に座ったお母さんと「演劇部の卒業公演」の話をしていたようだ。
あれは良かった。
残念なのは、3年間を通じて「体育祭」に行ったことがないという点で、まわり中から「えー、なんで行かなかったの?すごい見ものだよ!」と言われ、大内くんは、
「どうして誰も誘ってくれなかったんですか!」と逆ギレしてた。
3時間ぐらい飲んで、お店の人から「あのー、そろそろお時間になりましたので・・・」と言われてお開きになり、我々は電車と自転車で帰った。
非常に楽しい会だった。
息子が大学に行くようになって、もちろん保護者会もPTAもない世界なので、寂しくなりそうだ。
これまで、いろんな団体に所属してきたが、今、残っているのは塾ぐらいなものだ。
保育園、小学校、学童さん、警察柔道、町道場、ボーイスカウト、わんぱく相撲、中学校、高校、柔道部・・・
保育園のお母さんたちと年に1、2回飲むけど、それ以外は全部切れちゃったよ。
あんなにタイヘンだったのに・・・と、なつかしい気持ちが先に立つ自分に驚く。
高校のつきあいは、コドモ同士でも深めてもらいたい。
みんな、大学入ったり浪人したりで忙しいとは思うけど、また泊まりにおいでよ。
一緒に焼肉食べようよ。
ああ、書いてたらますます寂しくなってきた。
もう1人コドモがいればよかったのか?と思うけど、それだっていつかは終わっちゃうんだもんねぇ・・・
というわけで、幹事さん、楽しい会をありがとう。
また会える日を楽しみにしています。
12年4月22日
唯生の大腸に穴が開いた。
どうしてそんなことになったのかわからないが、とにかく大ごとである。
土曜日に、具合が悪いので生活している施設から隣の病院に移って入院する、と電話がかかってきて、病院に飛んで行き、入院手続き等をしてきた。
日曜には午前中にお見舞いに行って、あんがい元気そうなので安心していたら、家に帰って数時間後、また病院から電話がかかってきた。
「CTスキャンを見たところ、大腸に穴が開いて内容物がもれているようです。緊急に手術が必要です」
「手術の承諾は、電話でもできるんですか?」と聞いたら、
「万が一のこともあります。顔を見なくていいんですか?」と聞き返され、たいへん!と、再び病院へ。
ドクターが説明してくれた内容はほぼ上記のとおりで、一刻を争う手術らしく、面談中に手術室の準備ができたので「すぐ行きましょう!」となった。
ストレッチャーに乗った唯生は、少し眉間にしわを寄せていて、苦しいようだ。
手術室の入り口まで見送り、本来は手術が終わるまで別室で待つようなのだが、私の体力がもたないと思われたので、いったん家に帰る。
「唯生、がんばって」と声をかけたが、不安だ。
それが午後4時の出来事で、ドクターから手術終了の連絡があったのが10時過ぎ。6時間を超える長い手術だったわけだ。
外科医というのは体力があるもんだ、と妙なところに感心した。
病院で待たなくてすんで、本当に良かった、と胸をなでおろす私は、母親としては冷たいんだろうなぁ。
翌朝、またお見舞いに行った。
ICUで呼吸器を含むチューブをいっぱいつけた唯生は、麻酔でもうろうとしているらしく、時々目を開けるが、終始うとうとしていた。
ドクターの説明では、やはり大腸に穴が開いていて、10センチほど切り取って、無事に穴をふさいだらしい。
「思ったよりずっと良い回復ぶりですよ。驚くほどです」と言われた。
唯生は、ベース健康だからね。
昔、「腸閉塞」になって帝京大学病院に入院したことはあるが、手術というのは初めての体験だ。
どうも腸が弱点みたい。
今回も、腹膜炎を起こしかけているのか、身体全体に毒素が回っている状態らしい。
「このまま回復するといいんですが」と言うドクターで、どうも彼らは、常に最悪の事態を考えてものを言うので、私には慣れない。
「すぐ治りますよ!」と言ってくれ、とまでは言わないが、もうちょっと不安にならない言い方はないものか。
まあ、「良い回復ぶり」と言ってもらえたんだから、文句はないけどね。
21歳のお誕生日を控え、外泊の予定も立てていたのに、当分はムリみたい。
ちょくちょくお見舞いに行くことにしよう。
12年4月23日
唯生の手術はうまくいき、元気にしているようだ。
面会に行こうかと思ったが、薬でずっとうとうとしてるらしいので、週末に大内くんと一緒に行こう。
病院から2回ほど電話をもらい、「順調です」と言われている。
私は、手術というと唯生を生んだ時の帝王切開が唯一の経験だ。
ごはんはもらえないわ、傷は痛むわ、NICUに入ってる唯生の事は心配だわ、散々な目にあった。
夢見てた、「夫婦力を合わせての自然なお産」なんて、すべて消し飛んだよ。
そんな思いをして生んだ唯生が、今、入院している。
もともと施設で暮らしていたのでいる場所はほとんど変わらないんだが、やはり少し心配だ。
早く元気になってほしい。
今年の誕生日は、病院のベッドで迎えそうだ。家でお祝いできなくて、残念。
12年4月24日
週末に大内くんと下北沢から帰って来て、自転車を置いたところまで歩いていたら、学習塾の入り口が目に入った。
「東大合格!」とか名前が出てる、この時期よくある貼り紙がたくさん。
あの、雀荘で役満を上がった人の名前が貼り出されてるようなヤツね。
と、大内くんが、
「つぼっちがいる!早稲田だって!」と叫ぶ。
確かに、息子が小中学校の時の知り合いの坪田くん通称つぼっちの名前が。
そうか、早稲田受かったのか。
昔はよく一緒に遊んでいたが、中学に入る頃からちょっと疎遠になっていて、どうしてるか、考えたこともなかった。
「彼は人間科学部だから、所沢だね。高田馬場で会う機会はあるのかな」とか話しながら歩いていたら、また別の学習塾。
これもなんとなく眺めていたら、息子の高校の柔道部の女子が。
学習塾に貼り出されてる、ってことは、柔道進学じゃないんだなぁ。
東洋大に入ったとは聞いていたが、強い子なので、スポーツ進学なんだとばかり思っていた。
家は電車でまだかなり先だが、乗り換え駅であるこの街の塾に行っていたのか。
家に帰って、息子に、
「つぼっちって、早稲田なんだね」と話しかけたら、
「いや、上智。早稲田は受かったけど行かない」。
よく知ってるなぁ。いつの間に情報交換してるのか。
早稲田と上智を天秤にかけられるとは優秀な。
所沢と四谷の勝負で四谷の方がよかったのかな。
柔道部の女子の話もしてみたが、あまり興味を示さなかった。
彼は、我々と話す気がないようだ。
今度、息子がちょっとだけお世話になった駿台に見に行ってみようかな。
息子の名前は貼り出されているだろうか。
大内くんは、
「駿台で、早稲田に入った人をいちいち貼り出していたらスペースがどんなにあっても足りない。貼り出されてるのは東大だけだろう」と言う。
そんなもんですか。
いろんなコドモの消息を聞く今日この頃だが、塾に貼り出してある、というのは盲点だった。
熱心に見て回ったら、案外知ってる子の名前を発見するかもしれない。
それにしても早稲田に受かる子は大勢いるなぁ・・・
12年4月25日
またピザを食べに行った。
先週、「ピザ4枚も食べて飽きませんか?」と聞いてきたバイトのにーちゃんがまたいて、食べ終わった我々に、
「今日も4枚ですか!」と声をかけて行った。
毎週来てはピザを4枚も食べるお客さんを、彼はどう思っているのだろうか。
イタリアに行って思う存分おいしいピザを食べる、というのが大内くんと私の共通の悲願だ。
しかし、最近、近所のファミレスで用が足りているので、ちょっと考えちゃう。
「もしもだよ、イタリアに行ってとってもおいしいピザ屋さんに行けたとして、もう2度と行けないんだよ。日本に帰ったら、もうそのピザは食べられないんだよ。どうする?」と聞いたら、「うーん」と困っていた。
「確かに、いいお店を探すのも大変だし、その店にもう行けないってのはつらいよね。それだったら、イタリアに行く旅費の分、家の近所で食べた方がいいかもね」と真剣に悩む大内くん。
でもなぁ、バチカンにも行きたいし、やっぱり1回ぐらいはイタリアに行くしかないんじゃないかねぇ。
おいしいピザは本当においしい。
どうして私はイタリアに生まれなかったんだろう。
およそあらゆる料理のジャンルの中で、イタリアンが一番好き。
アンチョビとブラックオリーブとケッパーを入れたトマト味の「スパゲッティ・プッタネスカ」なんて、ほぼすべて私の大好きなもので構成されているじゃないか!
家でも時々アンチョビとツナをトマトソースで煮たスパゲッティを作るよ。
オリーブオイルでにんにくを炒めた時の香り・・・うっとりしちゃうよね。
行きつけのイタリアンが3軒ほどあるが、世の中にはもっともっとたくさんイタリアンのお店があるんだろうな。
高級なとこじゃなくていいんだ。
銀座の高級イタリアン「エノテカ・ピンキオーリ」に行ったことがあって、確かにものすごくおいしかった。
でも、ギャルソンに「○○様、ようこそ。こちらへどうぞ」なんて言われてる常連+金持ちっぽい若いカップルが、
「フィレンツェの本店と変わらないお味ですわね」なんて言ってるのを聞いちゃったもんだから、我々にはもっとふさわしい店があるよなぁ、と思ったよ。
今のところ、家の近所のファミレスで結構。
石焼窯のおいしいピザを、また食べに行こう。
最近、息子の食費がかからなくなった。
おばあちゃんたちからもらったお祝い金で飲み食いしてるらしい。
一方、ストレスのせいか、我々の外食費が増えていて、家計簿的にはあまり変わっていないように見えるところ、細かく見比べて行くとそのへんの費用の移動が読み取れる。
塾代もかからなくなったし。
いや、むしろ、息子の遊興費は塾でのバイト料でまかなってもらおうと思っているので、おこづかいも不要になる。
裏でボーナス払いの学費が大きく家計を圧迫しているとはいうものの、月々の生活費は楽になった。
そんな変化も楽しみながら、息子の大学生活は至極順調。
まだ入学してひと月もたってないんだから、問題がないのはあたりまえか。
この平和が、少しでも長くなることを祈る。
あと、息子よ、今日どんなことをしたのか、少しぐらい話してくれ。高い学費を出してるんだから・・・
12年4月26日
大内くんが息子に「手帳」を買ってきた。
「塾でバイトもすることだし、これからは自分の予定をちゃんと管理して、まわりに迷惑をかけずに行動してもらいたい」ということらしい。
そんなお説教つきで手帳を渡したら、息子には「ふーん」と言われただけらしい。
だが、一応持ち歩いてはいるようで、無駄にはなってないようだ。
思えば大内くんはあまりメモ帳を使ってなかったなぁ。
もちろん最近は別ですよ。昔は、若かったんだね。
「今、何かしようと思って立ち上がったのに、何をしようと思ったのか、まったく思い出せない」と困っていたりするのは、立派な老化現象だろう。
私も、物忘れはすごい。
俳優さんの名前なんか、絶対出ない。
「ほら、あの、キムタクがピアノやってて、いいとこのお嬢さんがいて、そのお嬢さんは別のドラマでもキムタクと共演したじゃない。なんだっけ、ホッケーの選手?それのおっかけ。あの女の人は、誰だっけねぇ」
2時間前の私よ。
それは、松たか子だ。ドラマ名は「ラブジェネレーション」。
別のドラマというのはおそらくキムタクがアイスホッケーをやっている、「プライド」だ。共演は竹内結子じゃないか!
ま、今の世の中はググれば何でも出てくるので、何もかもを覚えている必要はない。
でも、自分の予定とか仕事のスケジュールとかはググってもダメなので、やはり地道にメモを取るんだろう。
友人男性で、
「人生で、手帳やカレンダーに書きこんだことがない」と豪語している50男がいるのだが、最近、さすがに覚えきれなくなってきたらしい。
もっとも、彼が日付を間違えるとか集合時間に遅れるとかは大昔からなので、大内くんと、
「覚えてやしないよ。大事な約束も何も、忘れて『すまん!』って言って暮らしてる人なんだよ」と話している。
やっぱり手帳のない暮らしはムリだよ。
そんなわけで、大内家ではカレンダーや手帳の人気が高い。
私はほとんど家から出ないので冷蔵庫に貼ってあるカレンダーだけで用が済むけど、大内くんの手帳はなぁ。
1度見せてもらったことがあるんだが、なんつーか、判読不明の記号が並んでるようだった。
「本人にはわかるの?」と聞いたら、
「いや、それが、自分でもあとから見ると何書いてんのかわかんないんだよ」との答え。
何の得にもなってないじゃないか!
でも、そう言ったら、
「ある日のある時間に何か予定がある、と書いてあるのは確かだ。まるっきりメモを取ってないよりは、マシ」と言い切られた。
大胆な人だね。
そんなわけで、息子もスケジュールのある暮らしを始める、ということだ。
もちろん昔から柔道の試合とかはあったんだけど、大内くんに言わせれば、仕事がからむ予定はきっちり押さえろ、ということらしい。
しっかり稼いで、ワーキングホリデーでも何でも行くがよかろう。
なんか、もう行きたくなくなっちゃったらしいけど。(本人談:「面倒くせー」)
12年4月27日
「18歳無免許運転、事故で人を死なす」のニュースを見ていて、
「よかったね、オレはヒエラルキーの上の方にいる問題のないコドモで」。
ちょっと冷めた物言いがひっかかる。
確かにね、これまで息子に苦労させられたことはほとんどない。
おおむね、問題のない子だろう。
今も続く反抗期は激しいのだが、まあ、赤ん坊の時に寝ぐずりが多かったとか夜泣きしたとかいうこともなかったし。
でも、ここからだよ。
大学生になって、行動の自由が増して、いろんな経験をする。
まわりの話を聞いていても、「夜中に自転車窃盗でつかまり、親が警察に引取りに行った」ぐらいのことは日常茶飯事のようだ。
犯罪歴はないに越したことはないので、気をつけて行動してほしい。
そして、やりたいことを見つけて、その道に邁進してもらいたい。
大学生活って、なんだかんだ言っても「好きなことがやれる」ってのが最大のご利益だろう。
でも、何より驚いたのは息子が「ヒエラルキー」という単語を知っていたこと。
あれだけ本を読まないヤツが、いったいどこから?
12年4月28日
GW初日。
今年は休日の配置がよく、5月1日がメーデーでお休みの大内くんの会社は、5月2日を自主的に休めば、なんと9連休になるという大型だ。
特に予定もないので出社するようで、4連休が2つある、という構成になる。
今日は、とりあえず唯生の見舞いに行く。
ICUから普通の病棟に移った唯生は、テレビがずっとついた個室で、目をきょろきょろさせていた。
ドクターの説明を聞くと、呼吸器やドレーンのチューブを全部抜くことができ、とても状態が良いようだ。
「これほど回復が早いとは、ちょっと予想できませんでした。まだ腸からの吸収が鈍いので点滴ですが、そのうち注入栄養に切り替えられると思います」とのこと。
個室なので、差額ベッド代が1日1万5千円ほどかかるそうだ。
トイレやシャワーなど、唯生にはまったく必要ない設備が整っているのがちょっとくやしい。
10日入院したら15万。20日なら30万。
「こういう時のために、唯生は年金をもらってるんだよ。自分のことは自分のお金でできるようになってるんだよ。自立してるね」と大内くんは嬉しそうだ。
唯生の回復が早くて、気が楽になったせいかな。
生活している施設の隣の、改装したばかりのピカピカの病院。
診察待ちの混雑もさほどではなく、ホテルか何かのようだ。
もし私が入院することがあったら、家の近所の超混雑してる大学病院よりこっちの方がいいなぁ。
まあ、車で30分という距離は、唯生の見舞いに来るだけならいいけど自分が入院するにはちょっと遠いか。
連休中にまた来ることにして、今日はこれでさよなら。
順調に回復して、早く退院できるといいね。
病院への途中に新しく墓地ができたらしいので、帰りに寄ってみたよ。
いや、しばらく前から墓地を買いたいと思っていて、ちょうどチラシが入ってきたりセールスの電話がかかってきたりしていたので、潮時かな、と。
まさか唯生が手術を受けるとは思ってなかった。
やっぱ、こういう時の墓地見学は避けるべきなんだろうか。
私はなんとなく、こういう時こそちゃんとしておかないと、と思うんだよね。
大内くんからは、
「キミのそういう冷静なところはいいと思う。お墓を見に行こう!」と言われた。
現地に行ってみると、あまり広くないスペースが芝生と石畳におおわれている。
まずはアンケートに答えて、ごほうびにステンレスの小さな魔法瓶をもらった。
これだけで、来た用事の半分ぐらいはすんでしまう。
案内のおっさんが、しきりに、
「納骨されるんでしょうか?」とか聞くから、
「まだ誰も亡くなってはいないんです。ただ、我々夫婦のために、と思って」と答えると、
「ああ、寿陵ですね」と言う。
事前に調べて行ったから、「寿陵(じゅりょう)=生前に墓を建てること」だとわかったが、素人に専門用語を使うのはどうだろうか。
それとも、私が知らなかっただけで、日常用語?
話を聞いているうちに様子が見えてきたのは、要するに墓石を買わせよう、という石屋ギルドの陰謀なんだ、ってこと。
選べるお墓はどれも巨大で、西洋式にプレートだけ、というわけにはいかないのだ。
適当に見て帰ったけど、石屋さんがもっと盗人猛々しくなって「高い割に小さい」ものを売ってくれてもいっこうにかまわない、というのが大内くんとの共通見解。
今は平たくなってる墓地にあの巨大なお墓が林立したら、かなり狭苦しい眺めになりそうだ。
こういうのは出会いのものだから、しばらくそれらしいところを見てみるつもり。何事も勉強だ。
最大の収穫である魔法瓶は、冷たいお茶を入れて散歩に持って行こう。ほくほく。
12年4月29日
GW2日目。
旅行とかの大きな予定はないので、せめてドライブでも楽しもう、と、昔住んでいた戸塚に車で行く。
大内くんは渋滞を恐れて裏道ばかり通りたがり、カーナビにもない道を行く。何度も道に迷った。
2時間ぐらいかけてたどり着いた戸塚は、息子が生まれた時に住んでいた場所だ。
専門的な療育が必要だった唯生のために大内くんが1年間の「介護休暇」をとってくれて、息子が1歳になる頃に、通っていた訓練施設と住んでいた社宅が同時に閉鎖されたので都内に引っ越すまで、家族4人で濃密に暮らした幸せな思い出にあふれている。
いつも行くのがケーキ屋さんの「カナール」。
喫茶部でお茶とケーキを楽しみ、おみやげに9個買った。
明日は友人女性が遊びに来てくれるので、一緒に食べよう。
駅ビルに入っていた「ジュエリー・ツツミ」で、大内くんが、
「ピアスを買いなよ。今つけてるやつは、もう古くて金属が変色してるよ。買ってあげるよ」と言う。親切な人だなぁ。
お言葉に甘えて、2千円弱のピンクゴールド5mm玉がついたものを買ってもらう。
お誕生日でもないのに、どうもありがとう。
モスバーガーでお昼を食べ、帰路につく。
途中のダイエーで、最近大内くんが立て続けに割ってしまって品薄になったグラスを買った。ついでにお客さん用のお箸も買おう。
この頃は何でも「食器洗い機対応」になっていて、いいことだ。
帰りも道に迷ったが、大して渋滞にも引っかからずに帰ることができた。
新緑のしたたるような今の季節、ドライブは本当に楽しい。
中央分離帯のつつじが美しい頃だ。
パスポートを作ろうと、壁を背にデジタルカメラでそれぞれの写真を何枚か撮ったので、帰りに家の前のコンビニにプリントしに寄った。
そしたら、「パスポート用には使えません」ってメッセージが出た。
店長夫人に聞いたところ、「3・4×4・5」のものを作ればOKらしい。
そのようにプリントする。
1枚に4つ写真がついてきて200円というのは高いのか安いのか。
街角にある、あの写真機よりは安いかな。
ところが、家に帰ってよく調べてみたら、大内くんの写真のサイズが要件を満たしてない。小さすぎ。ぶれてるし。
しょうがないからまたコンビニに行き、別の写真を使って作る。
と、店長夫人に声をかけられた。
「大内さん、サイズ、違ってました?」
「いえ、写真がぶれてたのでやり直しです」と答えたが、名前まで知れているのか。もうすっかり常連さんだ。繁盛を祈ろう。
結局、レンタルビデオ屋さんの前にある「証明書写真機」で、2人分のパスポート用写真を撮った。お1人様700円ナリ。
さすがにキレイに撮れていて(美人に写っていた、という意味ではない)、コンビニで焼いたものよりいいかも。
帰りついて、運転に疲れた大内くんは昼寝。もう4時だが。
息子は勝手に遊びに行ったようなので、晩ごはんは作らない。
彼が1人で味噌汁を温めて食べたりそうめんをゆでたりした形跡が見受けられた。
ほっとくと自分でできるんじゃん。
食器を洗うところまで行くのはまだ先のことのようだが。
2時間寝た大内くんが起きて、借りてきたビデオを観ながらケーキを楽しむ。
連休2日目としては十分に楽しめた日だった。
まだまだお休みは続く。嬉しくってしょうがない。
写真を食卓に置きっぱなしにしておいたら、帰ってきた息子が見つけて「これ、どうすんの?」。
「パスポート作ろうと思って」と答えると、
「なに?外国行くの?どこ?」と珍しく興味を示してきた。
「パパが仕事で行くかもしれないし、あなたが夏休みに合宿とか行くんなら、その間に海外旅行でもしようかと思って。もうそろそろ子育ても終わりだから、そのぐらいのことがあってもいいでしょ」と言ったら、「ふーん」と、すぐに興味を失ったようだ。
実際、イタリアにでも行きたいよ。洋の東西が出会うイスタンブールなんかも魅力的。友達が単身赴任してるイギリスを訪ねて泊めてもらったり案内してもらうのもいいな、と思う。
大内くんに、そう言って、
「イタリア、イスタンブール、イギリスで、『3イ同盟』」と言ったら、とってもウケた。
「それいいね!本当に、どこか行こうか」
さ来年ぐらいに、25年勤続の「リフレッシュ休暇」がもらえるらしいので、その時なんかどうかねぇ。
とりあえず、パスポートだけは作っておこう。
息子の分も必要かと思ったが、ワーキングホリデーへの意欲は完全に失われたらしい。
一時は、説明会に出かけたほどなので、真剣なのかと思ったのに。
まあ、海外旅行はもっとオトナになってからかな。
新婚旅行で初めて、というのは「成田離婚」の原因になるので、学生のうちに1度ぐらいは行っといで。
12年4月30日
「休日講座」の打ち合わせを兼ねて友人女性が遊びに来るはずだったのだが、来訪予定の2時間前にメールが来て、どうやら彼女は風邪をひいたらし
い。
「会社なら出勤、という感じの軽い風邪なので、行こうと思えば行けます」と言う彼女だが、まあ、今日のところは延期にしておこう。
息子が、柔道サークルの合宿に行くはずだった今日、朝、風邪気味だったので、「休む」と言って寝ていることであるし。
彼は、こういう時の思い切りがいい。
友人女性も、
「息子さんのそういうところを見習いたい」と言っている。
先日、近所にできた「墓地」を見に行って以来、何だか「お墓熱」が上がったっきりなので、家の近所にある別のお墓を見学に行く。
前に見た分譲開始直後のものと違って、すでに2年ほどが経過しているところだから、実際に墓石が並ぶとどういう感じになるのか、見ることができる。
さすがに「公園墓地」というような広さを家の近所に求めるのは無理というもので、敷地面積はとても小さい。
墓石は、最近流行りの大きなものが多い。
「ここも石屋ギルドだよ」と大内くんがささやく。
でも、やや小ぶりのシンプルな墓石のコーナーもあり、
「こんな感じなら、欲しいねぇ。買っちゃおうか」と相談しつつ、まあ、もうちょっとお勉強させていただいてからの話だろうなぁ。
受付のおねーさんが出てきて、
「今日は、お参りですか?」と聞くので、
「いえ、見学です」と答えると、いろいろ説明をしてくれそうだったんだけど、今日は「見るだけ」ということで、お引き取り願う。
「いろんな墓石があるね。『愛』とか彫ってあるのはちょっと照れるねぇ」と話す。
私「うちだと、何て入れるの?やっぱり、『大内家』?」
大内くん「いや、HP見てくれてる人には通じるけど、逆に当たり前すぎて、誤解されるよ」
そうね、「○○家」ってのはデフォルトだね。
この歳でお墓を買いたいと思うのは、先走り過ぎだろうか。
大内くんは、
「そんなことないよ。マンションも買ったし、コドモは独立し始めてるし、もう、お墓を買うぐらいしかすることはないよ」と言う。
そのへんを、今度来た時におねーさんにゆっくり聞いてみよう。
私の性格からすると、お墓を買ってしまったらすごく安心するだろうなぁ。
帰ってからは、家の掃除をしたりたまったテレビ録画を見たりして有意義に過ごした。
息子はほぼ1日寝ていた。疲れてるんだろう。
夜、寝る頃になって大内くんと、
「この半年ぐらい、本当に忙しくて気ぜわしくて、お互いの顔をゆっくり見るゆとりもなかったね。長いこと正気を失っていたような気がする。息子の大学受験が始まって、受験に突入して、春からは大学生で、本当にあわただしかったよ。息子も久しぶりにのんびりしたんだね。今日は1日ぐにゃぐにゃだったもんね」と話し合う。
明日は早稲田を見に行くつもりだ。
楽しみだなぁ。
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