19年3月15日
大内くんが仕事で知り合った友人2人と飲むのに混ぜてもらった。
会社の人がよく使う施設らしく、ロビーや廊下で会う人会う人みんな知り合いっぽく挨拶し合ってる。会社そのものじゃないか。
夫の、家庭外の顔を見てしまった。
大内くんより1、2歳ぐらい下の2人は、20年以上前から何度か会っているが、それぞれ結婚しているのでなければBLが1本描けそうなぐらい仲が良い。
2人が同じ職場にいた頃は、面白いマンガを読んでは、翌日相手の引き出しに当該書籍を放り込んでおくほどの仲良しだったそうだ。
そして、もんのすごいオタクなのである。
1人は、異動になった部署での自己紹介で「よしながふみが好きです」と言い放ち、女性陣から「ほほぉ〜」と感嘆の声が漏れたという逸話を持ち、もちろんもう1人も似たり寄ったり。
私はハタチ前からマンガクラブに首どころか頭のてっぺんまでどっぷりつかり、友人関係も結婚もほぼそこでまかなって40年暮らしてるもんだから、オタ集団に所属したことのない人たちをやや軽んじる傾向があった。
しかし、そういうタイプが意外と「はぐれメタル」の如く超絶経験値をもたらすものだと幾度か経験し(しかも、あれほど逃げ足は速くない。独りで熟成させたオタ話をじっくり聴かせてくれる)、いやいや、「組織されない人々」の底力には感嘆するしかない。
2人は「はやぶさの剣」を装備しているかのように縦横に切りつけてきて、「鉄鍋のジャン」に「R」があるとか、コージィ城倉の「おれはキャプテン2」にはまり、ちばあきおの「キャプテン」からさらに半回転してコージィ城倉に戻って「プレイボール2」を読んでいるとか、1年に365日マンガを読んでいる私でもたちうちできない猛烈な使い手なのだ。
Sくんが「のがみけい」を読んだ、と言えば、もう1人のKくんも「名香智子の『美女姫』はよかったですねぇ!」って、私、今頃そんな名前を聞くとは思わなかったよ。しかも男性から。
そもそも、「名香智子」って人の口から聞くのは絶えて久しい経験かも。
一緒にファンクラブの門を叩きます?
大内くんは、85パーセントぐらいわかっていないのが確実なそういった会話を、ちょっと右上方の宙を見つめてやりすごしていた。
人間はね、わからないことを言われたり思い出そうとしてる時は右上方を見て、嘘をつこうとしてる時は左上方を見るんですよ。少なくとも私はそう。
もっとも、私は嘘をつかないから、「自分と話し合う時」に左を見るらしいんですけど。まあ、これは余談。
19時からの会で、21時には終わると思われたので、あらかじめ大内くんに頼んでおいたんですよ。
2人をカラオケに誘ってくれるように、って。
もちろん自分が好きだからってのもあるんだけど、一度この人たちとカラオケしてみたいとずっと思ってたんだよね。
いったいどんなアニソンを歌うのかと。
食事を終えて、建物を出ながら大内くんが控えめに切り出してくれた。
「2人は、このあと時間ある?カラオケでもどうかと思って…」
彼らは顔を見合わせた。
「あー、いやー、えーと…別にいいですが…なぁ?」「うん…」と最後はうなずき合っていて、友情のバロムクロス。
駅前の古びたカラオケ屋に入って、それぞれ飲み放題のグラスを手にして歌い始めたとたん、彼らの複雑な表情のわけがわかった。
好きすぎるのだ、アニソンが。
きっと、「普通の人」の間では変わり者扱いされるぐらい、アニソンが歌えすぎるんだろう。
ヤマトやハーロックはいい。大内くんだって歌う。
しかし、私が「ハガレン」のアニメ画面が流れる「メリッサ」を歌うあとからあとから、どうして「仮面ライダーV3」が出るのか。
「ウルトラマン」の中でも「レオ」が好き?見てたの?もしかして中身は少年のまま?
思わず十八番の「救急戦隊ゴーゴーファイブ」歌っちゃった。実写つながり。
「バイファム」なんて、私でも見てない。
気分はもう「トクサツガガガ」。
1時間半、気持ちよ〜く歌って、「また遊びに来てくださいね〜」と手を振って彼らと別れた。
楽しかった。
Sくんの上司が今日は欠席だったのが残念。
(ただし、カラオケは好まない方らしい)
フィギュアまで集めているという噂のオタクの総本家、秘密基地を、いつか見せてもらいたいと切実に願う我々夫婦。
でも、あの人たち、家の中は絶対マンガでものすごいことになってるだろうなぁ。
話を聞いてると奥さんは一般人っぽいのに、そんなインテリアや生活そのものに響くような趣味を、許してもらえてるんだろうか。
我が家は2人とも好きすぎて7年前についに電子化に踏み切ったわけだが、人々はいったいどう本やマンガと共存しているのか。
うーん、長い目で見ると、家財の半分は常時質屋に入っていた人もいるという昔の生活を、ブックオフを相手にやっているようなもんなのかも。
19年3月16日
買い物のついでに近所の喫茶店に行った。
ゆっくりコーヒーを飲んで、それぞれのiPadでそれぞれのマンガを読んで過ごした。
駐車場で、昔の柔道仲間のお母さんにばったり出会った。すごくびっくりした。
子供たちが小中学校時代に同じ警察署で柔道を習っていたママ友。
警察柔道卒業後、大内くんも含めたお母さんと息子たち集団8人ほどで「豚しゃぶ食べ放題」の店に行った最後かな。11年前の話だ。
「まあまあまあまあ!」ってお互い叫んで、短い時間に大量の情報をやりとりして、「今度、子供たちも一緒にご飯とか食べたいね!」と言い合ってあたふたと別れた。
仲間の1人のシンママは再婚して今は遠くに住んでるとか、うちの息子は仕事を辞めてコント職人を目指してるとか、本当に手短に。
夕方の忙しい時間帯で、しかも向こうには実母らしき連れがいた。
そうでなければ、今出てきたばかりの喫茶店に誘ってしまったかも。
20年ぐらい前から9年間、特に小学校時代は毎週何回も会ってたなぁ。
稽古や試合でいろんな思い出がある。
子供たちが小さい頃は、とにかくお迎えに行かなくちゃならなかった。
小学生なので、稽古の終わり頃行けばなんとかなるものの、ヤツらは「見てて見てて」なんだよね。中学に入るなり「見るな見るな」になるくせに。
そして、そう言われる頃にはこっちの方がもう、くせになっちゃって、遠くまででも試合見に行っちゃう。
無駄ではない、いい思い出の時間となったが、つくづく若い頃は元気だったなぁと思うよ。
この柔道ママ友に会って一番思い出すのは、最初の先生がけっこうカッコいいおまわりさんだったこと。
(事の性質上、歴代の先生たちは全員おまわりさんだ)
古参のお母さんたちたちが毎回楽しそうに先生を囲んでいて、新参者の我々は近づかせてももらえなかったので、「この次の先生は、きっと私たちで囲みましょうね!」と誓い合っていた。
そして3年ほどたって、我々の地位もそれなりに上がってきて満を持していた頃に、先生の異動があったが、新しい先生は「巨大で四角いおじさん」であった。
誰も、かつての「誓い」について触れようとはしなかった。
そんな思い出。
まさにその警察署の前を車で通りながら、先日息子のコントライブで彼の幼なじみ2人に会った時と同じような、地域に暮らしてきたことの喜びをかみしめた。
地縁の薄い私でさえこうなんだから、何代も同じ土地に住んでる人たちの地元愛・郷土愛はいかばかりだろう。
大学に入った頃から、息子は何度か、「幼なじみや地元を作ってくれて、ありがたかった。感謝している」と言っていた。
16年前に近所での引っ越しをして、彼は2年間隣の学区に越境通学し、中学でまた正式に学区内の進学をした。
まあ、このへんでは最長でも15分歩けばどこかの小学校には行き着いてしまうんだから、越境と言っても大した距離ではないし、結果的には良かったようだ。
まだ親元で昔からの住所に住んでいる子が多い中、息子はわりと早く家を出てしまったなぁ。
自分にとっても、親元を出てからが人生の本番だったので、それも良かろうと思っている。
それにしても東京に住んでる人は不便だ。
「青雲の志を抱いて故郷を出る」ところでまず難しくなりがち。
東京には魅力的な私立大学とか多いから。
まあ、NYに行ったりするのもそのへんへの抵抗なんだろう。
遅くかかったはしかは重い。本復することを祈る。
19年3月17日
家の近所の公会堂で、瀧川鯉昇さんの独演会があった。
人気の落語家チケットはいつもハードな争奪戦が展開されるが、今回もある意味で激しかった。
先日、春風亭昇太さんの会でもらったチラシにこの鯉昇さんの案内があったんだよね。
今年の始めに調布まで追っかけていった神田松之丞さんの三人会で、鯉昇さんを初めて聴いてすっかりとりこになってたもんだから、昇太さんの舞台を待つその座席から、必死にぽちぽちとモバイル経由でチケット取ろうと試みる。
場合が場合だけに、同じように「おっ、鯉昇が来るのか!」と色めき立った落語ファンが次々予約していくのだろう、見る見る空席がなくなっていく。
大内くんと2人してなんとかギリギリで押さえたのは、並びの2席とバラバラの2席、計4席。
昇太さんの終演後、すぐに同行者たちに確認したところ、ぜひ行きたいとのことで、それで今日の会が実現したというわけ。
前座の若い人も面白かったし、中入り後の「江戸曲独楽師」の三益れ紋姐さんも息を呑むような独楽の技と軽妙な喋りが楽しめて、まるで寄席を見に行ったようだった。
そして、三席もやってくれた鯉昇さんは、実に江戸っ子の粋である。
「粗忽の釘」「ちりとてちん」とふんだんに聴かせてくれて、トリは「芝浜」。
ここんとこ、「昭和元禄落語心中」や大河ドラマ「いだてん」で何度も聴いている印象的な噺なので、今回聴けて非常に嬉しい。
もともとは柳家喬太郎さんが近所に「勉強会」で年に2回来てくれるのを聴きに行っていたところ、最近はあれこれ聴きたくなって、近くまで来てくれる人はありがたい。
鯉昇さんによれば「空前絶後の落語ブーム」なんだそうだが、こんな芸能オンチな私でさえ年に3回も4回も通っちゃうんだから、そりゃあブームだろうね。
喬太郎さんの、インテリで時にブラックな笑いも好きだが、鯉昇さんの粋なべらんめえの江戸っ子落語も胸がすっとする。爽快だ。
笑ったり泣いたり、けっこう長めの噺を贅沢に聴いて、落語にうるさい友人男性もすっかり満足のていだった。
次回は夏の喬太郎さんかな。
落語の会のあとはいつも蕎麦屋での呑み会だが、今日はいつになく気合いが入ってた。芝浜の効用か。
2時間でおつまみを8,9品頼んで、お酒も2杯ずつ飲んで、それでも〆てみたら1人アタマ3千円いってなかった。
ちょっと信じられない。あんまり安くて旨いので、どこの店かはナイショ(笑)
19年3月18日
20年以上前にお見合いしてつきあってた男女が、まだ2人とも独身だからって、また会ってみたら?ってのは発想がおばさんだろうか?
気がついたら我々夫婦以外は全員独身だったので、「お節介おばさん合コンもどき」。
クラブの長老はやもめだが、独身に変わりはないだろう。
飲み始めて30分後にはデフォルトで亡妻の話を始めるにしてもだ。
主役のSくんは介護職で、毎月シフトが変わるそうなので、今月の定休日である月曜に設定。
去年この企画が出た時にたまたま同席して噺を聞いていたというだけの縁で呼ばれてしまったのは、長老とGくん。
私も含めて昼間っからぶらぶらしてるこのメンツに、思わず「宴会前4時間カラオケマラソン」も追加企画してしまった。
「早い時間から近くをうろついてるかも」って言うSくんも、カラオケ屋に集合だ。
週に何回も外出する体力がないので、翌日のクリニックの予約を1日早めて、14時に面談で15時からカラオケ、19時から宴会。
我ながらぎっちぎちに予定を作るなぁ。美しい。一歩段取りが狂ったら、地獄だけど。
この日は余裕で予定が進んだので、隙間の時間に「土田よしこ原画展」をのぞき見して、御大のサイン会を見物したりする。
有意義に時間を使っている!と自画自賛。
宴会の前だからアルコールは避けて、飲み放題はソフトドリンクだけにしたのに、なぜ全員アルコール持参なのか。
持ち込み自由の店だからそれはいいんだけど、Sくん、君はそれなりにやる気があるのではないのか?
Gくんが紙パックからどばどば注いでくれるからって、濃い焼酎入りの炭酸ドリンク飲んでる場合じゃないだろうに。
いつものように速やかに酔っ払ったGくんは、中島みゆきをがなりながらすごいペースで焼酎を飲んでいる。
長老と私がついつい歌う昭和青春歌謡「青年は荒野をめざす」「銀色の道」などを聞いて、
「オレはそれほど年が変わらんと思っていたのに、あんたたちの歌う、フォークっつーの?それは、わからん!」と叫んでいた。
私の愛唱歌「恋のコリーダ」には、「あんたそのものじゃねーか。そんなぴったりの歌を歌ってて、いいのか?!」とからむ。
「征服欲の湖水は満ちて 流れて落ちる破滅の滝へ」だからだろうか、それとも「光る落涙 誰が為ぞ 愛する人は我が手中」だから?
彼も大内くんラブなんだねぇ。
ジュリーファンのSくんが長い物語バラードを切々と歌っていたので、「コンサート中止をどう思うか」とヒアリングしたところ、「埼玉スーパーアリーナは、私も行こうかと思ってました」と大真面目に語っていた。
ファンならひと言意見してあげてほしい。
仕事を終えた大内くんが19時前にカラオケ屋の前まで迎えに来てくれた。
手にぶら下げた袋には、望月三起也の「ケネディ騎士団」全7巻そろいが入っているのだと言う。
「欲しいけど、アマゾンでは高いってためらってたでしょ。駅の向こうの古本屋さんで見つけたから」
ブラボーである。いいダンナさんだ。
女性2人がそれぞれ残業や用事で遅れて、7人全員そろったのは19時半を回っていた。
あらためて乾杯して、飲み放題とチーズフォンデュ食べ放題の3時間マッチが始まった。
やや初対面の人々もいるこの場、しかもSくんの過去の見合いの仕切り直しでもあるのに、私のマチガイその1は人選。
カラオケですでに酔っ払ってるGくんは、いつものように「ん?あんた誰?」なモードに入っていて、やめなさい、ご婦人方が引いちゃうじゃないか。
トイレに行ってもなかなか我々の個室に戻ってこられなくなっちゃうし。
おねーさんの、Gくんを見る目が怖くなってきたよ。
長老は、得意の「亡妻のDNAを保存してある。焼いた骨なんて、写真よりも情報量が少ない。写真部の私が言うんだから、間違いない!」を始めてる。
そういうネタは、SFオタクにしか通じないんじゃないだろうか。
そして、マチガイその2はお店の選択。
「安いとこ」と主張するGくんと「ビールがうまい店。発泡酒?まあ、ドライよりはマシか。ドライビールだけは絶対許さん!」と譲らない長老、そして会合の趣旨上「個室」が取れて、女性も喜ぶシャレオツな雰囲気で、飲み放題で時間が長めで、糖質制限中の我々のためにできればでんぷん質中心のメニューではなくて、という総ての条件を満たす店を探すのはが難しく、結局「チーズを食わせてくれそうな」この店になった。
(一番最初の条件だけでいいなら、「つぼ八」とか「鳥貴族」に行ってる)
しかし、目玉であるチーズフォンデュの鍋(?)が2つ運ばれてきてみるとあまりに小さく、おまけに固形燃料がすぐに燃え尽きる。
チーズも具材もどんどんおかわりしていいとの話で、それは実際嘘じゃないんだが、10分に1回ぐらいボタンを押しておねーさんを呼び、「チーズのおかわりください」「火が消えちゃいました」「飲み物お願いします」って言わなきゃいけない。
おねーさんの顔はだんだん怖くなり、具材がなかなか来ないのでお願いしたら、「注文が通ってなかったんです!お待ちください!」と切り口上で言い、火が消えるとの訴えに固形燃料をバラバラと置いていってくれたものの、そのチャッカマンも置いてってくれないと…とのリクエストには備品のチャッカマンをテーブルに放り出すように置いて行ってしまった。
のちに大内くんが語ったところによると、
「人が、キレる瞬間を見た。口元がくいっと吊り上がった」のだそうだ。
「飲み放題のビールが発泡酒しかないからって、長老が『偽ビール、もう1杯!』とか言うからですよ」
「わしのせいじゃない、Gくんがトイレに行ったときにおねーさんに抱きついたんじゃないか?」
「オレは何にもしてないぞー」
「気になるんですけど、今さっきGさんがトイレから戻ってくる時、おねーさんに案内されてきて、最後、ぽいって部屋に放り込まれてたんですよね…」
「何度も戻れなくなってるんじゃない?」
「おうっ、毎回連れてきてもらってるが、悪いのか?」
(全員)「それだー!」
考えてみれば一番入り口に近い席にGくんが座っていて、おねーさんが来るたびに泥酔者ぶりを見せつけていたのもいけなかったかもしれない。
急遽席替えが行われ、Gくんは無難な大内くんとチェンジして奥の席に押し込めておいた。
そもそも大内くん、私が幹事役としてこんなに苦労してるのに、あなたは何を涼しい顔で奥に座って野菜をフォンデュして食べていたのだ!
唯一良かったのは、怪我の功名と言うべきか、Gくんが酔っ払い、長老がのろけまくり、大内くんは黙々と食べていたこの宴会は、Sくんの株が上がるしかない状況だったこと。
20年前の彼とは比べ物にならないぐらい、気が利いてて有能でしかも人当たりが柔らかくなってた。職業柄だろうか。
私が独身だったら立候補して真剣に考えてもらいたいところだ。
結局、試みが成功したのかどうかわからない。
女性陣は楽しかったと言っていたし、また遊びましょうと笑顔で別れた。
そのあとの個人的なやり取りでも「顔と名前の一致しなかった方たちに会えて楽しかったです!ぜひまた!」なのだが、なんだか不安。
世の中の、お見合いとか合コンとか世話する人たちは、人の人生を操る運命の糸にちょっとでも指を触れてしまうことにためらいや恐れを感じないのだろうか。
私には向いてない、ってことがよーくわかった。
ちなみに、毎回「帰りの電車で寝てしまって、ヘタすると高尾で始発を待つ羽目になる」Gくんは、一度立川まで行ってしまいはしたものの、何とかその夜のうちに家まで帰り着いた模様。
長老も井の頭線で爆睡し、吉祥寺−渋谷間を一往復以上したらしい。タメイキ。
19年3月21日
昨日、夜中になってもあまりに眠れないので、大内くんを拝み倒して、彼の預りとなってる睡眠薬をかなり多めにもらってのんでみた。
2時間ぐらい、「全然眠れないぞ」と思っていたが、そのあと、殴り倒されたように記憶がない。
昼前に起きて、ひたすらぼっーっとしていたことも、そのあと一緒に喫茶店に行ってサンドイッチとかドリアとかフレンチトーストとか、とにかく糖質山盛りなランチをとったことも、全然覚えていない。
いや、大内くんはもちろん覚えているんだよ。
「たまにはガッツリ糖質食べようね!」とか「ニトリ!いいねぇ」とか、いちいち楽しそうに反応しては運転してくれてたはずなんだ。
こっちの記憶が全然ないことに、彼はいつ気づいたのかはたまた気づいていないのか。
いずれにせよ、30年近くもこんな状態で生活し、あまつさえ子育てしていたんだなぁ。
早々に他人の手にお願いしてしまった唯生はともかく、曲がりなりにも家で育てた息子は、よく無事に大きくなったもんだよ。
今、「百均で一緒に買ったんだよ。楽しそうだったよ」と言われてもさっぱり思い出せないグッズの山を前に、少し途方に暮れている。
家計簿をつけようとレシートを見ても、買った記憶のない品々。
残念でくやしくてならないのは、2人で3品も食べてコーヒーもしっかり飲んだ喫茶店で、いつも押してもらうスタンプの形跡がないこと。
スタンプカード出さなかったんかい、記憶の彼方の自分よ。ダメじゃん。
睡眠薬の飲みすぎよりも何よりも、それが一番ダメダメ。
19年3月22日
外出しすぎの遊び過ぎが原因か、息苦しくなったり夜中に涙が止まらなくなったりしていたら、とどめに唇に膿を持った湿疹ができてきた。
これは、大内くんが長年患っている口唇ヘルペスじゃないだろうか。激しく痛い。
昨日の朝、そう言ってみた時は、「これは、違うね。ヘルペスじゃない」って答えだったけど、今日帰ってきて、1日で非常に悪化して小鳥のくちばしのように腫れあがった上唇を見るや、あわてて手持ちの特効薬を塗ってくれた。
そしたら、すぐに腫れがひいてきたじゃないか!
私「みるみる治ってきたよ。膿が消えてかさぶたができてきた」
大「本当だねぇ。やっぱりヘルペスだったか」
私「入院までした権威のくせにさ、ヘルペスの見分けがつかないなんて。それ以外の何物でもないよ。その証拠に薬がばっちり効いたじゃん」
大「そのとおりだ。なぜだか違うと思い込んでいた」
私「塗ってみて害になるわけじゃないんだから、試してみりゃよかったんじゃない?そしたらこんなにひどくならなかったよ」
大「まったくもってそのとおり。不明の至りだ」
ヘルペスはね、性病じゃないんだよ。よく誤解されるけどね。
ただ、接触によって感染はする。
ウィルス持ちの大内くんと長年一緒に暮らしていれば、こんなこともあるだろう。
私「キスはしない方がいいらしいよ」
大「何をいまさら」
発症してる時の心がけを言ってるんだよ!
あなただって、立場が逆ならしないだろうが!
いや、大内くんをいじめてみてもしょうがないんだが、言い過ぎたか、逆襲にあってしまった。
「そもそも、1週間に3度の宴会は、多い。身体が弱いうえに体調が万全じゃないんだから、もっと気をつけて。4月はもう、宴会もカラオケも禁止だからね!」
え〜、クリニックの帰りに一人カラオケするのもダメなの?
「ダメ!」
こういうの、居丈高って言わない?江戸の敵を長崎で討つ?違うか。
まあいい、4月初めに息子のコントライブを見に行くついでに、友人と大内くんと3人で「懐かしの下北沢ツアー」を敢行する約束になっている。
GWが終われば、大内くん主宰の休日講座とそれに続くホームパーティーも予定されている。
6月には高校同窓会のための名古屋行きがあり、8月には船旅を計画している。
十分すぎるぐらい遊んでいるよなぁ。
気力と体力のバランスが悪いと言うか、自分が持ってるイメージほど元気じゃないようなので、もうちょっと用心深く暮らした方がいいのかも。
「そうそう、何しろもう還暦なんだから。あちこちガタが来る年頃だよ」って横から言われ、むやみに頭に来るぞ。
「現代人八掛け説」にのっとれば、まだ48歳に過ぎないんだからね!
毎晩ひざと腰にシップを貼っていても、気持ちは若いんです。ぷんぷん。
妻のかなり重い闘病日記
足弱妻と胃弱夫のイタリア旅行記
「年中休業うつらうつら日記」目次
「510号寄り道倶楽部」