12年5月1日
今日はいちおう平日だが、大内くんの会社は「メーデー」ということでお休み。
息子の大学も、今日明日は休みらしい。
高いびきの息子をほっといて、我々は朝からお出かけだ。
平日なのに大内くんがフリーだと、済ませてしまいたい用事がたくさんあるので。
まず、唯生の見舞いプラス書類の提出のため、車で病院に行く。
書類手続きはすぐ終わり、病室の唯生のもとへ。
看護師さんの話だと、明日にも経管栄養に戻れるらしい。今はまだ点滴。
ガーゼの寝巻をめくってみたら、みぞおちから下方へ15センチぐらいの傷は、赤い筋になっていて両側にホチキス止めの跡が点々とついているが、心配していたほど目立たない。
私は傷跡が盛り上がってしまう「ケロイド体質」だが、唯生はそうじゃないのかも。
大内くんは、「僕もケロイド体質だ。唯生は誰からの遺伝なんだろう?」と不思議がっていた。
何にしても、傷跡が目立たないのは嬉しい。
熱もすっかり下がり、すました顔をしている唯生にさよならを言って、家へ。
駐車場に車を停め、家には戻らずにもうそのまま出かける。
バスで駅に出て、電車に乗って、パスポートの申請をするための戸籍抄本を取りに阿佐ヶ谷にある杉並区役所へ行く。
23年前、私が永福町のアパートで独り暮らしをしていたところに大内くんが転がり込んできてそのまま結婚したので、我々の本籍地は杉並区なのだ。
本当は、めんどくさいのでそろそろ今住んでいるところに本籍地を移したくて、今回その手続きもしてしまいたかったのだが、うっかりするとパスポー
トの申請と重なって書類が整わなくなるので、それはまた別の機会に。
昔、私が名古屋の母に戸籍抄本を取って送ってくれ、と頼んだ時、実家が引っ越したばかりだったので、母はついでに新住所に本籍を移す手続きをしてしまい、私が戸籍抄本を使って手続きをしようとしたら、
「あなたの本籍は、記載されているものとは異なっています」と言われたことがある。
母は、バカだった。
抄本をもらって、新宿にある都庁の近くのパスポートセンターに行く。
少し並んだけど、おおむねすぐに手続きできた。
新婚旅行以来海外に行っていない我々のパスポートはとっくの昔に失効しているが、前夜、手続きに必要な古いパスポートを探し出した時、23年前のお互いの写真に、大いに盛り上がった。
「女優さんみたいにキレイだ」というのが大内くんの私に対する感想だが、それはいくらなんでも大げさだろう。
25歳の大内くんは、新型うつにかかって休職中のSEのような顔をしている。
書類を記載して、並んでいる間にチェックしていたら、大内くんは2カ所の間違いを発見し、2回、記載台に戻って行った。
こういう人が会社で山のような書類を作っているかと思うと、私は職場の人たちに深く同情し、申し訳ない気分になる。
それ以外はまあ問題なく手続きは終わり、さ来週の日曜日に取りに来よう。
次は、懸案だった、息子の大学見学だ!
都庁前から地下鉄に乗り、早稲田へ。
幸か不幸かお休みなんだよね。
息子にバッタリ会う心配がないのはいいが、昼食を食べてみたかった学食がお休みなのは残念。
それでも、大隈さんの銅像を見たり、新しくてピカピカの社会科学部棟を見たりしたのち、構内を少しぶらついて、街に出て、昼ごはん。
「安くて量の多い食堂」という感じのお店に入って、大内くんはカツ定食、私はカツカレーを食べた。
私は食べ切れなくて、3分の1ぐらい大内くんに手伝ってもらった。
「僕も、もう歳だから昔みたいには食べられないよ。学生の頃がなつかしい」と言いながら、何とか全部食べてくれたよ。
食券を買う販売機で、私はお釣りを取り忘れ、お店の人が気づいて「お忘れですよ」と渡してくれた。
ああ、大内くんの書類仕事のことを言えない。
構内に戻り、学生会館は開いていたので、中に入って探検した。
西棟と東棟に分かれていて渡り廊下でつながっており、真新しいステキな建物だ。
息子が入ったらしいお笑い研究会は部室をもらっていないようで、ケータイで検索して見つけた「部室」は、日によって違うサークルが使う部屋だっ
た。
各階にある小さなホールでは、アカペラサークルらしき男女学生がすごく上手な歌を歌っていたりして、楽しかった。
学生会館から東西線早稲田駅までは歩いてすぐ。
家まで直通で帰れる。
最寄り駅に着いて、駅ビルの魚屋さんで「かます」を買い、バスに乗って帰った。
息子は自転車を使っているけど、どっちにせよ、部室から家までのドアtoドアで1時間かからない。
恵まれた通学環境だ。
スポーツ科学部で所沢だったら、大変だっただろう。
帰ったら息子はベッドでぐーぐー寝てた。これが4時頃の出来事。
パジャマ姿なんだが、コンビニの鍋焼うどんを買ってきて食べた形跡もある。
いったん着替えて、またパジャマに戻ったのだろうか。
この連休はよく寝ている彼だ。やはり疲れているのだろう。
夜はバイト先の塾の授業があるので、出かけて行った。
我々は「疲れたね〜」と言いながらテレビを見て、のんびり過ごしたが、少し早寝しよう。
明日は大内くんの出勤日。
1日行ったらまた4日お休みだよ!
12年5月2日
連休の谷間に、大内くんは会社。
息子は、サークルの登録日にあたるらしく、大学へ行った。
夜の10時半ごろ帰って来て、特に酒気を帯びたようすもなく、比較的早いお帰りだ。
てっきり、新しい仲間たちと飲み放題だと思ったのに。
大内くんと、
「息子はストレスがたまってない。まぎらわせようと何かに没頭したりお酒に逃げたりとかが、まったくない。日々が楽しく過ぎているのであろう」と話す。
少なくとも大学生の時の大内くんは、ストレスのカタマリだったからなぁ。
息子はそもそも「家を出てもいいよ。いや、むしろ、出てくれ」と言われても自宅から通える大学に固執したぐらいで、親とケンカしようとか家を出ようとか、全然考えてないみたいなんだよね。
この年頃の男の子って、もっと親ギライなものなんじゃないの?
反抗期はひどいし自分勝手だけど、家は好きみたい。
そりゃ、何時でも洗いたての服がタンスに入っていて寝床はふかふか、食事は出てくる、ときたら、家を出たくなんかない、というのはわからんでもないが、それ以上に「自由」が欲しい年頃じゃないかねぇ?
ま、我々はその「自由」をあまり侵害しないから困ってないだけかもしれないが。
12年5月3日
またお休みに入った。
今日は1日ごろごろしてすごしたよ。
息子はバイト先の塾で麻雀の指導を受けて来たらしく、昼間はいなかった。
唯生は連休明けに退院が決まった。
恐ろしいほどの早さで回復したもんだ。よかったよかった。
明日は先日訪問を延期した友人が来るので、晩ごはんは一緒に「坦々ごま鍋」。
楽しみだ。
12年5月4日
女友達が遊びに来た。
つーか、彼女のマンションまで迎えに行った。
来週末、大内くん企画の「休日講座」を開催するので、講師の1人である彼女と打ち合わせをするため。
この件に関しては私は蚊帳の外だけどね。
車で40分ぐらいのマンションまで迎えに行って、帰りにはうちの近所の墓地を見に行く。
買いたいと思ってる場所があるので、彼女にも墓石のトレンドでも見せてあげたいと思って。
幸い、「誓ってもいいが、こんなところに誘ってくれる人は他にはいない」と言われた。
多分ほめてるんだと思う。いや、思いたい。
小雨の中、傘をさして墓石の間を行きつ戻りつしている彼女は、遠目になかなかの風情だったよ。
「今度来たら手付けを打っちゃおう」と言う大内くんと3人で家に帰り、のんびり話をする。
本当は「キッチン・ストーリー」という我々が前に観て面白かった北欧モノの映画を観るつもりでツタヤで借りておいたのだが、まず休日講座で彼女がやってくれるレクチャーの中身を見せてもらって、長崎の「軍艦島」に旅行に行った際に撮ってきた写真などの出来のよさに感心し、そのあとは深夜ドラマ「孤独のグルメ」の、彼女が観てないヤツと観たけど近所の話なのでもう1回観たい、というヤツを立て続けに鑑賞してたら時間オーバー。
すっかりおなかがすいてしまって、ごはん以外のことは考えられなくなっちゃった。
晩ごはんは「坦々ごま鍋」。
けっこう量があったんだが、「孤独のグルメ」の食欲増進力は恐るべきもので、3人でぺろりと食べちゃった。〆にうどんまで入れて。
そのあとはおしゃべり。
「孤独死」から「マンガ自炊」まで、話題は尽きない。
8時を回ったので送って帰ったが、いやあ、楽しかった。
また遊びに来てもらいたい。
そうか、今回はすぐに休日講座で会うことになってるんだ。楽しみ!
12年5月5日
息子の高校時代の友達が3人、泊まりに来た。
昔なじみの友達が来てくれるのは嬉しいね。
「おじゃましま〜す!」とやってきた彼らは、わざわざゲーム機の「Wii」を持ってくるほどの力の入れようで、実際、ずーっとゲーム。
将来は国を担う若人がこんなんでいいんだろうか?
上智に通う高松くんは、いつも髪型をおしゃれに決めているのに、今日はつんつんしてない。
「いつもと髪型違うね。つんつんさせるスタイリング剤とか変えたの?」と聞くと、
「あ、今日、なんもつけてないんッス。どっちがいいっスかね?」と聞き返されたので、
「うーん、私はいつもの方が好きかな。でも、何にもつけてないのも自然な感じで、いいよね」と答えた。
うちの豚児もそうだが、男子高校生・大学生は案外おしゃれだ。
女子ともなれば、スゴイ騒ぎなんだろうなぁ。
夜は、息子のリクエストでカレー。
食べながら息子を含む4人の大学生と会話する。贅沢だ。
「部活何やってるの?軽音?パートは?ギター!私も昔フォークギターやってたことあるよ」と話していたら、
「オレらが話してんだよ。黙って聞いてろよ。何、自分のこと話してんだよ。自慢かよ!」と息子に叱られた。
だって、誰も話してないから、景気づけにと思ったんだもん。
しょぼんとして、彼らの話に耳を傾ける私。
面白いのは、クラスの人数や男女比を語りながら、合間に彼らがつぶやいたひと言。
「ぼっちメシは、きついよな」
そうか、1人でごはん食べるのはイヤか。
「ぼっち」という言葉は、早稲田生が書いてる2chのスレで見つけた言葉だが、実によく出てきて、恐らくはひとりぼっち(友達がいない)の状態を指すんだろうが、言葉があるってことは事実があるってことで、みんな、1人になるのを恐れているんだな、ということがよくわかった。
「ぽっちメシ」にならないように祈ってはいるが、人間、最後は1人だから、ある程度は孤独にも耐えられないとキツイ時期もあるかもしれないよ。
柔道部だったなかちゃんがウィンドサーフィンをやっていて、毎週末逗子の海岸に出かけているとか、元バレー部の高松くんは「テニサー」(テニスサー クル)だったり、家が近い望くんは軽音。
みんな、大学生活を謳歌してるね。いいことだよ。
よく遊び、よく学んでほしい。
我々は食事の後片づけをして部屋に引き取ったが、やがて息子がやってきた。
「オレら、銭湯行ってくる」
泊まりに来た時よく一緒に出かける近所の「限りなくスーパー銭湯に近い普通の銭湯」だが、今日は自転車が足りないね。
「いいよ、歩いて行く」と言うので、「車で送ろうか?」と聞いても、「いい」。
歩いたら、どうだろう、30分はかかりそうだ。
「まあ、いいじゃない。夜中近くに友達同士で歩いて銭湯、なんてロマンがあるよ」と、あいかわらずロマンに弱い大内くんであった。
そんなわけで、彼らは銭湯に行った。
サウナも露天風呂もあるので、楽しめるだろう。
実際、楽しそうに帰ってきたよ。
留守の間にリビングの家具を寄せてスペースを作り、布団を出しておいたので、あとはご自由に。
息子が合格発表のあと、「ヒマだ」と言いながら始めた1000ピースのジグソーパズル、いっこうに完成する気配がない。
途中で頓挫している。
私もだいぶアシストしたんだが。
今回、なかちゃんがちょっと燃えて、朝までの間に少し進めておいてくれた。
「こういうのって、気になりますよね!」
うん、そう思うんなら、夏休みにでもまた泊まりに来て、これを完成させてくれないだろうか。
夜中にちょっとのぞいたら、息子はちゃっかり自分の部屋のベッドで寝ていて、あとの3人はリビングに敷きつめた3枚の布団の上で気持ちよさそうに寝てた。
若い子はいいなぁ。
これからも息子のことをよろしく頼むよ!
12年5月6日
GW最後の日、息子の高校の柔道部の試合を見に行った。
もちろん息子はとっくに卒業してるんだけど、後輩たちの応援。
地区予選を通っての都大会で、関東大会に行けるかどうかの瀬戸際だ。
息子が入学した年、つまり3年前には男子が関東大会に行けて、ものすごく盛り上がって記念に部員全員の名前の入ったスポーツタオルを作ったりしたので、入学してすぐ、なんの貢献もしていないのにタオルを5本買うことになってしまった。
今ならどんなことが起こったのかよくわかり、夢中で応援したと思うんだが、当時は何が起こってるのかさっぱりわからず、
「1年生はタオルの割り当てが5本なんだって。3年生は15本だよ。こんなにタオルばっかりあっても困るよね」と思っていた。
もし息子がいる間に関東に行けてたら、タオルを50本ぐらい買ってもいい、と今は思う。
そんな関東大会進出がかかった試合なので、見ておきたい。
息子も、昨日からうちに泊まっているなかちゃんと一緒に見に行くと言っていたので、車で行く我々は彼らをおいて先に出かけた。
もちろん一緒に乗せて行きたいところなんだが、そんなことを言ったらどれほど怒られるか。
試合を見に行く件についても、昨夜の食事中に、
「明日どっか行くの?」と聞かれ、「うん」とだけ言ったら、どうやら何をするつもりなのかはとっくにバレてると見えて、「どこ?」と追及されたので、しかたなく、
「試合見に行くよ。怒る?」と聞いたら、
「いや、それは個人の自由だから」とだけ返事があった。
よくわからないが、許可が出たようだ。
そんなわけで、やってきました講道館。
試合場を見下ろすように取り囲む応援席は親や高校生たちで満員で、なんとか1つ席を取り、大内くんはすぐ横の階段に座っての観戦となった。
途中でトイレに立ったら、息子たちの高校の応援席を見つけた。
息子やなかちゃん、他にも大勢いて、今年卒業した男子部員は全員来ていたようだし、その前の先輩まで1人、来ていたよ。
結論から言いましょう。
2回戦を勝ち抜き、3回戦で負けたものの、敗者復活戦の緒戦に勝ち、いよいよ正則学園と当たった決定戦で、最後の大将戦で勝てれば関東だ!というところまで行った。
「正則学園」というのは、超一流じゃないけど柔道進学する子がたくさんい、応援の父母もそろいのTシャツを着込んで大声で声援、というけっこう本格的な学校で、もし勝てたら大金星だ。
しかし、負けてしまった・・・
今年は、男女とも関東には届きませんでした。残念!
茫然と帰ろうとしていたら、なかちゃんたちと一緒になった。
息子の姿が見えないので、「あれ?どこ?」となかちゃんに聞いたら、
「なんか高校のクラスの友達と約束がある、って言って、1時頃に帰りましたよ」と言う。
それが2時半頃の出来事。
最後まで応援しないなんて、ダメじゃん!もしかして、おデート?!
途中でものすごい雷雨に雹まで降ってきて、
「車でよかったね。息子はどっかで雨にあってないかねぇ」と心配しながら家に帰り、お泊まりのあとを猛烈な勢いで片づける大内くん。
タフだなぁ、私はぐんにゃりだよ。
餃子のタネまで作ってもらって、一緒に40個の餃子を包んだ。
今日も水餃子だ。
片づけが終わり、水餃子を食べ、お風呂に入って、ああ疲れた。
でも、話はつきない。楽しいGWだった。
明日から会社の大内くんは早めに寝たいそうで、9時半就寝だ。
私は疲れすぎて寝つけず、結局、息子が11時頃に帰って来るまで起きてた。
高校の友達とバーベキューをしたと言っていて、余った肉や野菜をもらってきたみたい。
誰かから「田舎から送ってきたイノシシの肉」をもらったらしく、「冷凍しといて」と言われたので、冷凍庫に入れる。
どうやって食べようか?
「嵐が来てたでしょ。どうしてたの?」と聞いたけど、
「そんなこと関係ねーだろ!あっち行け」と冷たくされた。しくしく。
「正則学園相手に、大将が勝てば関東、ってとこまで行った」という話には、少し興味を示し、
「誰と誰が負けたんだ?」と聞いてきたので、
「副将が負けたのかな。1勝1敗2引き分けの状態だったんだよ。正則の大将のでかいヤツは、最後、大将戦に勝った時に『うぉ〜!』っ て叫んで、泣いてたよ。パパが言うには、正則が都立に負けて関東行けなかったら、監督の進退問題だそうだよ」と話したら、
「そりゃそうだろ」って、もう興味を失っていた。
本当にお子ちゃまだ。
こんなふうに終わったGW。
お墓を買うとこまでは行かなかったのが残念だ。
週末にまた見に行こう。
12年5月7日
GW明けの月曜だ。元気に働こう!
と言いつつ、月曜は息子の時間割がすこーんと空いていて、お休み状態。
さんざん朝寝昼寝を楽しんだあと、「クラスの友達とメシ食う」と言って出かけて行った。
久しぶりに出社した大内くんは接待で帰りが遅く、10時半頃だった。
お風呂に入り、雑用をしてたらもう11時過ぎ。
ベッドに行っていつものように話をしていたら、息子が帰ってきた。
「ちょっと、終電がなくなった友達、泊めるから」
おおっと、いきなりですか。
電車の駅からバスに乗らないとたどり着けないこんな遠いところまで、ようこそ。
「あんまりいろいろ詮索すんな」と言う息子をかいくぐって聞けた話は、
・早稲田のお笑いサークルで一緒。同じ、新人。
・本人は東京理科大。インカレサークルなので早稲田まで出張。
・息子の漫才の相方ではないが、今度一緒にやってみたいと思っている。
・家は茨城の方で、終電がなくなったし誘われたので、泊まりに来た。
・近いうちに1人暮らしを始める予定。(そしたら息子を泊めてくれるって)
翌朝は言われたとおりに7時に起こしたら、ちゃんと起きて、朝ごはんに出した納豆や鮭の切り身をパクパクと平らげてくれた。
2人とも1限からあるそうで、8時頃には出かけたよ。
あー、「終電を逃した友達が転がり込んでくる」って、私の夢だったんだよね〜。
そのためにはもっと便利なところで余ってる部屋がないと無理だと思っていたのに、来てくれる子がいるんだ。
息子の部屋に無理やり布団を敷いて寝てもらったが、すごく狭いんだよ。
こないだみたいに大勢来た時は、もう、リビングのソファを隅に押しやったり、大変。
今回は布団を出すだけですんだ。
「お邪魔しました。ありがとうございました」と言う彼が息子と2人で出かけるのを見送って、布団を干して洗濯をする。
他の男の子が泊まると、部屋の中が普段とは違う匂いになって面白い。
息子よ、また友達を連れてきてくれ!
で、実は今日は唯生の誕生日。21歳になった。
手術のあとはめざましい回復ぶりで、今日、もう退院したよ。
GWをはさんで、2週間ちょっとの入院。
ずいぶん心配したが、とりあえずほっと一息。
外泊ができるようになるにはもう少しかかるだろうけど、元気になってくれて嬉しい!
12年5月9日
買ったばかりのiPad2が調子悪くなったので、修理に出した。
さすがに「いつお買い上げになりましたか?」なんてことは聞かれない。
最近買ったに決まってるもん。
買ったのは近所のヨドバシなんだが、電話して不具合を訴えても、全然ピンとこない様子。
あまりくわしくないおにーさんだったのだろう。
しまいに、
「Appleのサポートセンターの電話番号をお伝えしますから、電話してみてください」
頼りない。
ひるがえってAppleはというと、実にくわしかった。
電話の向こうでも同じ機械を使って操作してみてるんだろうけど、
「今から初期化します。『設定』のボタンを押して・・・」などと、彼の言うがままに画面にタッチしていたら、
「これでお店で売っている時と同じになりました。不具合はまだ発生しますか?」と聞かれ、言われたとおりにしてみて、
「まだちゃんと作動しません」と言ったら、
「それでは、故障でしょうから、修理ということでクロネコヤマトさんが取りに伺います。あとはこちらで修理して、終わりましたらまたご連絡差し上げますので、しばらくお待ちください」。
あたりまえなんだが、口のきき方のしっかりした人だなぁ。
ヨドバシのにーちゃんなんか、タメ口ききかねない感じだったぞ。
で、クロネコヤマトさんが来て、iPad2を大切そうに厳重に梱包して「お預かりします!」と去って行った。
というわけで、私は今、iPadを持っていない。
どうしても読みたいものがある時は、2を買った時に息子に下げ渡した1を貸してもらってる。
やや情けない。
早く修理終わるといいなぁ・・・
12年5月11日
と、言っていたら、iPad2は翌々日の朝には返ってきた。
とてもじゃないけど修理してる時間はないと思われるので、新品と替えてくれたんだろうなぁ。
初期設定とかが全部まっさらなので、私の手には負えない。
でも、今日は接待で遅い大内くんが帰って来るまで待てなくて、自分でトライする。
普段、パソコン関係はおまかせしてるので、さっぱりわからない。
どうも、設定がうまく行かないようだ。
しょうがないからAppleのサポートセンターのフリーダイヤルにかけてみたら、サポートの人たちは素晴らしい!
「設定をクリックしてください。そうすると詳細、という表示が出ますので、そこをクリックしてください」てな調子で、ついに私はi文庫をインストールして電子書籍を呼び出せるようになってしまった!
応対も丁寧だし、パソコン音痴のこっちがどんなにバカなことを言っても困った様子を見せないし、いやあ、私はすっかりAppleのファンですよ。Macは買わないけどね。(笑)
そして私は快調に本を読む。今、読書の波が来てるんだ。
身体感覚から行くと、もう1週間以内ぐらいにその波は去ってしまう気がするので、今のうちにたくさん読んでおこう。
図書館からも清水義範と島田荘司を中心に20冊ぐらい借りてるし。
マンガも読みたいし、読書の波が来てる時は本当に幸せだ。
読めなくなると本当にぷっつり、まったく読めなくなるので、今のこの状態を大切にしよう。
12年5月12日
大内くんが年に1回主催している「休日講座」が行われた。
これは、大学時代のマンガクラブの友達の中から毎回2人ぐらいに仕事のことや興味のあることについての講義をお願いして、10人ぐらいのお客さんが傾聴するというもの。
今回は、「廃墟シリーズ」として、長崎の「軍艦島」と、香港の「九龍城」についてのお話だった。
どちらも大変面白く、興奮した。
家の近くの公民館の一室を借りて行なったんだけど、「パソコン室」だったため、教室式に並んだ机の上に、1人1台ずつのパソコンがあった。
メインのパソコンから各パソコンにデータを写して手元で見る、ということも技術的には可能なのかもしれないけど、あいにくそこまでの準備はできな かったので、各講師が持ってきてくれたノートパソコンから、前方のスクリーンに映写して行なった。
長い机に2台ずつ置かれたパソコンの間に、犬のぬいぐるみのような「スクリーンクリーナー」(おなかの部分でスクリーンの汚れを取る)が置いてあって、「ここに戻してください」と犬の輪郭を描いたシートが机に貼ってあった。
これがないと、クリーナーを持って帰ってしまう人もいるのかもねぇ、と、戻す場所があるとちゃんと戻してしまうだろうと人間の心理を突いた、 面白い工夫だと思ったよ。
講座が終わると、いつものように大内家に場所を移して「反省会」と称する宴会に突入する。
今回は夕方から用事がある受講者が1人帰ったので、お客さんは9人。
充分な数ではある。
ところが、デザイン会社代表の男性が「あがた森魚60周年記念ライブ」の招待券を持ってきた。
1枚で2名様が入れる。
ゲーム会社勤務の男性がとても惹かれてしまって、結局その2人は1時間ほどで切り上げてライブへと向かってしまった。
さらに、7時ごろ、大手ゼネコンの建築士である女性が、
「まことにすまないが、8時から新宿で知り合いのライブがある」と言い、やはり先に帰ってしまった。
残りは我々を入れて6人だ。
重なる時は重なるという感じか、残ったうちのデザイン関係フリーランスの女性が、「軽い風邪ではあるが、ちょっと不調だ。早めに失礼する」と言って、帰った。
残されたのは、キャリア30年のマンガ家さんと、メーカー勤務のSEと、私より12歳若い女性。
この女性は、小学校の頃から大学のマンガクラブに出入りしていたというツワモノで、10歳以上年上のダンナさんが今、仕事でアフリカに単身赴任しているので、たいそうヒマにしているらしい。
来年の講座の頃にはアフリカへ行っているかもしれない、と、ちょっと残念そうに語っていたよ。
普段だと実際に「反省会」になって、講師への質問がどんどん出たり、次回の講師を決めたりするのだが、五月雨式に人数が少なくなったせいもあり、 そういう話にはならなかった。
私としては、「危険だが給料がよく、三種の神器(冷蔵庫、洗濯機、テレビ)なんかは当たり前に持っていた」という軍艦島の暮らしに、数年前に行っ た「石見銀山」を思い出したので、その話がしたかったなぁ。
やはりお給料がよく、また、コドモが10歳になるまではお米が支給された(「今で言う、子供手当ですね」とガイドさんが言っていた)ぐらいもうかったものの、「30歳を過ぎると長寿の祝いをする」と言われるほど危険で過酷な仕事だったらしいのだ。
軍艦島に、そっくりだと思う。
9時前におひらきになって、皆さんが帰る。
大内くんと2人で、スゴイ勢いで食器を洗い、洗濯をしつつ風呂に入って、あっという間に寝る準備。
お客さんとすれ違いで、塾のバイトに行っていた息子が帰ってきた。
「下で、ママたちの友達に会わなかった?」と聞いてみたら、なんだかびっくりした顔をして、
「別に。誰か来てたの?」。
「お客さんが10人ぐらい来るよ」って、昨日のうちに言っといたんだけどなぁ。
そんなこんなで終わった休日講座。
皆も毎年楽しみにしてくれているらしい。
「これがなかったら、何年も友達の顔を見ないで終わっちゃう」と言う人もいる。
お互い忙しいけど、子育ても一段落することだし、あと10年もすれば仕事も終わりかもしれない。
そしたら、もっと会おう!
12年5月13日
今日は、先日手続きをしに行ったパスポートを取りに行こうと思っていたのだが、あまりにくたびれていたので、来週に延期。
大内くんから、
「なぜか、今日行かなくては、と思い込んでいた。こんなに疲れているのに出かけることはない。もし、急にパスポートが必要になったら、その日に会社を抜けて新宿に行けばいいだけなんだから。今日はやめておこう、というキミの意見はまったく正しい。これからも僕をそういう正解に導いてくれ」 と頼まれた。
そんなことでいいなら、いくらでも。
事をサボる口実を作るのは大得意だ。
1日のんびり休んだら、ずいぶん元気が出た。
休日講座は楽しかったなぁ。
大学時代の友達と、年に1度でも顔を合わせるのはいいものだ。
というか、働き盛りの今の時期だと、そのぐらいがちょうどいい頻度かもしれない。
どうかすると2年ぐらい会わない友達もいたりして、20代の頃は毎週のように飲んでいたので、不思議な感じだ。
昨日の午前中に、唯生のところへ行って諸手続きをしてきた。
入院費があんがいかからなくて、差額ベッド代だけでももうちょっと行くんじゃないかと覚悟していたんだが、さほどでもなかった。
(でも10万単位の話)
元の住まいに戻った唯生は、ベッドの位置がこれまでの奥の日当りのいいとこじゃなくて、ナースセンターからよく見える入り口付近に移動していた。
やっぱり、要観察なんだね。
それでもとても元気そうで、手術の傷の治りもよくて、本当によかった。
そろそろチューブ栄養に戻れるかもしれない。(今は点滴)
もう21歳かぁ。
このままいくと、遠からず我々は「コドモを2人とも成人させた親」になるのだ。当たり前といえば当たり前だが。
昨日会った友人たちの中にも、そろそろコドモが中学受験、とかいう人がいて、一方、娘さんを2人とも成人させてしまった人なんてのもいて、前を行く人あり、後ろに続く人あり。
休日講座も、息子が興味を持つぐらい先まで続くと、面白いんだがなぁ。
12年5月14日
月曜は、息子の授業が全然ない。
10時頃までぐーぐー寝てた。
昨日は、昼間、「サークルのヤツと公園で会う」と言ってでかけて、帰ってきたリュックからグローブとキャッチャーミットを出していた。
こんなもんを見るのは7年ぶりぐらいかもしれない。
「キャッチボールをしてきたんだね。息子は、健全だね。相手は、お笑いサークルの漫才の相方かもね」と大内くんが言っていた。
でも、息子が口走ったことから察するに、お笑いサークルの集団レクで、大勢いたらしい。
4時頃帰ってきたと思ったら、「バイト」と言って、塾に出かけてしまった。
帰ってきたのが夜中の1時前。
どうやら先生におごってもらったようだ。
もう、最初のお給料が出たはずなんだが、先日、塾の近所の信金のキャッシュカードができてきたので、
「これでおこづかいをまかなってね」と言ったその日、
「このカード、つかえねーよ!」と言ってきた。
「どうして使えないの?暗証番号とか入れたんでしょ?」と聞くと、
「暗証番号?何それ。レジで、カードをかざしたのに『ピッ』ってならなくて、コンビニの人に『そのカードは使えませんよ』って言われたんだぞ!」。
息子よ、キミが持っているのは、ナナコカードでもおサイフケータイでもなく、キャッシュカードだ。
それでお金をおろし、そののちおもむろに買い物をするのだ。
完全に、使い方を誤っている。
「知らない」というのは面白いものだなぁ。
「切手の貼り方」を知らず、私がぺろりとなめて貼って見せたらビックリ仰天な顔をしていた小学生時代を思い出したよ。
息子がこんなふうに面白いのも、あと1年ぐらいのことだろう。
せめて、その間は楽しませてもらおう。
12年5月16日
東野圭吾の「容疑者Xの献身」を読んだ。
前にも読んだのだが、その時よりなぜか胸に迫るものがあった。
前回は、あまりの驚天動地なトリックにひたすら驚いていたからかもしれない。
若干のネタバレになるのであまり書くわけにはいかないが、「これほどの愛情がこの世に存在するのだろうか」と「探偵ガリレオ」であるところの湯川先生は思う。
私のアタマの中では完全に福山雅治である彼は、心底から感動していたのだ。
私は大内くんを愛している。
この世の誰よりも大切に思っている。
(自分より大切だが、それは私の性格ゆえ自身の優先順位が低いからで、それだけ大内くんへの愛が深いということにはならないだろうけど)
それでも、これほどの「献身」をするのはおそらく不可能だろうと思う。
いい小説を読むのは本当に幸せなことだ。
笠井潔がこの小説を「本格だ」と認めたとか、そんなことはまあ些末な問題。
ただ、ミステリというのは小説の中でちょっと地位が低いというか、「娯楽作品」だと思われてると思うが、「娯楽」が悪いということはあるまい。
人間の心を温め、感動を呼ぶ。
それができれば、創作物としては大成功なんじゃないのか。
同じ本を何度も読むのは私にはよくあることなんだが、今回は本当に「2度読んでよかった」と心から思った。
福山雅治のビジュアルを与えられたこの「探偵」の、今後の活躍を祈る。
12年5月18日
ふと思い立って、老人ホームについて調べてみた。
とは言っても、あまりに膨大に情報があるのでくらくらした。
私が望んでいるのはいわゆる「介護付老人ホーム」だ。
高級なとこだと入居金だけで5千万円かかるうえ、2人だと月々50万ぐらい払うみたいだ。
別世界の話だなぁ。
しばらくながめて、結論が出た。
私は大内くんより先に死ぬ。
すでにローンが終わっているこのマンションで、在宅の介護を受けつつ80歳ぐらいの天寿を全うする。
大内くんはそのあとがっくりきて「あとを追うように」亡くなり、人様から「仲の良い夫婦だったからねぇ」と言われる。
ほとんど資産価値がないであろうマンションは、息子が相続して、後は勝手にやってもらう。
なので、老人ホームの心配をするのは大内くんの仕事、と決めてしまったら気が楽になったよ。
そもそも、我々の世代がそういうことを考えるのは、団塊の世代が老人ホームを山のように築いて去った後だろうし、自分たちの心配をするより先に上の世代の人たちのことを心配するべきだろう。
もっとも、彼らは概して我々より金持ちなので、生活するだけでやっとの我々ができることはあまりない。
最近、老後のことをよく考えるんだよね。
身体のあちこちにガタが来てるせいかもしれない。
大内くんとの楽しい生活はいつまで続くんだろう、って、気が弱くなってる時は涙ぐんじゃうぐらいだ。
それだけ今の暮らしが気に入ってるってことなんだけどね。
大内くんの定年まであと12年。
「毎日が日曜日」なんてコピーもあったようだけど、そうなったら我々はどんなふうに暮らすんだろう。
朝一番に図書館に行ってその日の新聞を読んで大活字本借りて帰って、昼のワイドショー観て、散歩に行って買い物してお刺身でも買ってささやかな晩ごはんを食べて、とか細かい点まで想像し始めちゃう。
まずは息子に独立してもらうところからか。
ニートになったらどうしよう。はらはら。
12年5月19日
息子の高校時代の柔道部仲間、なかちゃんが泊まりに来た。
わりと唐突な話だったので何も準備できず、冷凍してあった焼肉と、残り物のハヤシライスという手抜きな夕食になった。
もっとも、なかちゃんは何を出してももりもり平らげてくれるんだよね。小柄なのに。
夕食が終わって我々は寝室に引っ込み、息子となかちゃんは息子の部屋で何やら話してる。
楽しそうだなぁ。仲良しなんだ。
高校で、いい友達とめぐり会えたね、と、大内くんと2人、大喜び。
大学ではウィンドサーフィンをやってると言うから、忙しくてもう遊びに来てくれるヒマはないのかと 思ってたよ。
こんなふうに、なかちゃんは我が家にとってとても大切な人になってしまった。
また泊まりに来てほしい。
これからもよろしく!
12年5月20日
唯生の見舞いに行く。
手術のあとはめきめき回復しているようだが、まだ外泊まではムリなんだよね。
病棟に行ってみたら、ちょうど、院内学級の催し物に行くところだった。
高校1年の時に前の施設から移ってきて、3年弱、ここの院内学級に通ったものだ。
今でもそんなふうに交流があるらしい。
看護師さんの話では、経管栄養には戻れたが、まだ胃腸の消化力が弱いので、チューブを十二指腸まで入れているという。
これが胃まで引けたら完全に元通りなんだね。
お礼を言って立ち去り、唯生の車椅子を押して、勝手知ったる院内の迷路のような廊下を歩いて、院内学級に到着。
「あっ、唯生ちゃん!お父さんとお母さんも。よかったねぇ、唯生ちゃん!」と先生。
手術のことはくわしくは聞いていないようで、大まかに説明し、服をめくっておなかの手術跡を見せたら、
「大変でしたねぇ。唯生ちゃん、治ってよかったねぇ」と力づけてくれた。
ただ、服をめくる時に「失礼します」と言う先生たちで、そうか、障害のある人にでも、オトナの健常者に対するのと同じ配慮が必要なんだ な、 と、あらためて感心した。
我々は、深く考えないで服をめくるが、何しろもう21歳の女性だからなぁ。
そんなことまで教えられて、唯生を院内学級に残して帰った。
早くチューブが引けるといいんだが。
12年5月21日
太陽の前に月の影がすっぽり入る「金環食」。
遮光シートを用意しておいて、朝から観察した。
多くの人が道に出て空を見上げていたよ。
私はマンションの5階の廊下の突き当りの陽だまりで見ていたんだけど、
「見えますか?」と言って通る人が多いので、3人ぐらいの人にシートを貸してあげて天に功徳を積んだ。
「あっ、すごいすごい!よく見えますね!」と、みんな感動していたよ。
最大食になって金環がキレイに見える頃、会社に行く大内くんも参加。
「シート買ってなかったら、目に悪いとか言う以前に、まぶしくて見えないね。、キミの準備がいいから、こんなものが見られるよ。どうもありがと う!」と言って嬉しそうに出かけて行った。
一方、息子は、一応「最大食」前に起こしたんだよ。
「160年に1度のショーだよ。次に見られるのは300年後だよ」と言って起こしたけど、
「はあ?だからなんだよ!」と機嫌が悪かった。
月曜は授業をひとコマも入れていないので、彼にとっては日曜日なんだよね。
結局、最大食を5分ほど過ぎたところで、
「なに、どこで見んの」と言いながら、Tシャツにパジャマのズボンというしまらない格好でシート持って出て行って、やはり廊下の突き当りで見たようだ。
「すごかったでしょ」と聞いても、無言でベッドに戻ってまた寝てしまったが、まあ、見られただけでも良しとしよう。
12年5月22日
大内くんと散歩がてら近所のお墓を見に行った。
その前に図書館に寄ろう。
唯生のカードの期限が切れてて、ネット上で予約とかができなくなっていたのだ。
カウンタの女性に「カードの更新をしたいんですけど」と言ったら、
「本日、ご本人様であることを証明する書類を何かお持ちですか?」と聞かれたので、
「障害者なので、自分では来られず、親の私が代理で来ました。保険証があります」と言ったら、あっさり通った。
「私は、人に唯生の話するのが好きなんだよね。ヘンかなぁ」と大内くんに言うと、
「いや、日頃会えないわけだし、かまわないんじゃない?」と親切な返事。
だが、唯生は実のところ図書館なんて使わないから、もしかしたらこれはNGかもしれない。
お墓に着いて、おや、こないだ会った石屋さんがまたいるぞ。
それに、今日は坊さんが来てるし喪服の人たちが7、8人いる。納骨かしらん。
「私、10日に1回ぐらいしかここには来てないんですよ。よくお会いしますね。お名前を頂戴しておりましたよね」と言うので、
「大内です。先日、お名刺をいただきました」と言うと、
「今日は、ご購入ですか?」とちょっと嬉しそうだが、ごめんね、まだ買わないの。見るだけ。
もっとも、そう言ったら、
「ゆっくりごらんになってください」と言われたけどね。
こないだは大内くんが熱心に話を聞いていたが、今日は私の方が熱心。
石屋のおっさんは、同じ話を何度もしなくちゃいけなくて、気の毒かも。
「寿陵(生きてる間にお墓を用意すること)の方は多いんですか?我々、50歳ぐらいなんですが、まだ早いですか?」と聞いたら、
「買っておかれる方は多いですよ。でも、お若いほうですね。実のところ、私も50ぐらいですが、こういう仕事してましても、お墓を用意しておこうとは、全然思ってないです」。
正直な人だなぁ。
墓石の間をぶらぶらしていた大内くんも戻ってきて話に参加したが、驚いたことに、石屋のおっさんは大内くんと同い年だった!
どうしてよそのおっさんはこう老けて見え、大内くんはこう若く見えるのか。
本人は、あとでこっそりと、
「見た目が若くても全然嬉しくない。貫録がなくて仕事にも差し支えるし、ちゃんとオトナになれてない。自分で、恥ずかしい」とこぼしていた。
その、老けて見えるおっさんに、
「実は、上の子が障害があって、もう成人なんですけど、施設で暮らしてるんですよ。こないだ大きな病気をして手術したんですよね。お墓を買うこと は前から考えていたんですが、こういうタイミングで買ってもいいものなのか、むしろ買うべき時なのか、悩んでるんです」と話したら、
「あっちゃー、それは大変でしたね。…確かに、あまり買いたくなくなるでしょうね。お客さまの中には、『お墓を買ったから縁起でもないことに病気をした』というふうに思われる方もいます。でも、一方で、先日ここを買われた方で、お買い求めになられてからすぐに、ダンナさんが事故にあわれたんですよ。その奥さまは、『ああ、買っておいてよかった』っておっしゃってました。人それぞれですね」と語ってくれた。
そうか、じゃあ、もうちょっと考えよう。
帰り道で、大内くんに、
「私って、人に唯生のこと、話し過ぎかなぁ」と聞いたら、
「僕なら話さないね。キミは、よく人にそういう話をしてるなぁ、とは思う」と言われたので、
「あなたたちが会社で仕事をしながら接待とかして親睦を深めようとするのとおんなじだよ。主婦は、街角でそれをやっているだけ。石屋の人だって、 『そんなご事情があるんですか!』ってうなずいてたじゃない。きっと、『大内さんに、いい墓石を売りたい』って思ってくれるよ。ウィンウィンな話
なんだよ」って言ったら、納得してくれた。
そして、若く見えるので悩んでいる大内くんは、自分のお父さんに相談してみるべきだと思う。
大内くんはお父さんに似ているし、禿げてこない遺伝子とかもらってる。お父さんも歳よりは若く見えるタイプだし。
そう言ったら、
「そこまでして解決したい問題でもない。自分で何とかする」と言っていた。
いいアイデアだと思ったんだが。
12年5月23日
お墓に行く途中で知らない公園の前を通りかかったら、キャッチボールをしている数人の高校生ぐらいの男の子たち、1人のTシャツの背中に 「KUNIEDA」と書いてある。
息子が小学校の頃、仲の良かった国枝くんかもしれない。
少年野球のチームにいた活発な子で、家に泊まりに来たこともあった。
「怖い話が好き」だと言うので、ツタヤで借りた「黄泉がえり」をみんなで見ていたら、ソファでぐーぐー寝てしまったもんだ。
しばらく後ろ姿を見ていたが、埒が明かないので、「国枝くん!」と声をかけてみた。
振り向いた彼に、
「○○小学校だった国枝くんでしょ?大内の親なんだけど」と言ったら、「ああ!」という顔になって、「どうも!」と帽子を取って頭を下げる。
「野球やってたの?高校でも?」と聞くと、「はい!」。
「今はどこ?」
「あ、浪人なんで」
「そうか、頑張ってね」
「はい!」でお別れした。
大内くんに、
「今回は聞いてみたんだけど、聞かないでおいた場合、夜、寝る時に、『国枝くんかどうか、聞けばよかった。気になる!』ってことない?」
と聞いてみたのだが、
「いや、僕はむしろ、『国枝くんだったのかもなぁ。そんなこともあり得るよなぁ』って考えるのが好きだ」と言われ、がっくりしていたら、
「でも、キミが聞いてくれるのは助かってるよ。勇気ある人だ、って、いつも感心するよ。さすがはイルカに触る人だね」だそうだ。
もう10年以上前、伊東かどっかに行った時、しょぼい水族館で「イルカに触るショー」に参加したのを、まだ根に持っているらしい。
まあ、息子でさえ、舞台に上がった私を見て、
「ママは恥ずかしい。でも尊敬する。でもやっぱり恥ずかしい・・・」とまばらな客席で顔をおおっていたそうだし。
夜、息子が帰って来てから、
「今日、街角で国枝くんに会ったよ。浪人中だって」と話したら、例の如く、
「だからなんだってんだよ!」とスゴまれた。
なんでこうコワいのかねぇ。
国枝くんはさわやかな好青年に成長していたのに、うちの豚児と来たら・・・まったく・・・
12年5月25日
先日うちに遊びに来てくれた人々の中に、娘さんが美容師のタマゴという女性がいた。
「ねえねえ、○○ちゃんはまだカットモデルいらないの?ショートでよければ私の髪を切りに来てくれないかぁ」と聞いたところ、専門学校2年目に 入ったばっかりで、
「まだ人の髪を切るところまで行かないの」という答えだった。
「どんな腕前でもかまわないよ。○○ちゃんがやってくれなかったら、大内くんがバリカンで切るんだから」と言ったら笑っていた。
どうやら冗談だと思われたらしい。
ところが、これが冗談じゃないのだ。
カットモデルの件は無理とわかり、でも髪はぼうぼうに伸び放題でだらしない。
いよいよ大内くんの出番だ。
うちのバリカンは、長さが6センチまで調節できる。
大内くんは、もう何度、柔道部の息子の髪を坊主にしてやったかわからないが、私の髪は、まだ3回目ぐらい。
私としては、美容院に行く手間、待ち時間、美容師さんとのやりとり、すべてが面倒くさくてたまらず、「おしゃれにしたい」という欲求をはるかにしのいでいる。
というわけで、友人たちとの集まりも終わり、これから1カ月は確実に人に会わない、という目途が立ったため、大内くんとバリカンに登場願う。
「洗面台に敷く紙持ってきて」と言う大内くんに、2つに折ったチラシを持って行ったら、
「もっと大きいヤツ。それの倍ぐらい。息子だってそれぐらい言わなくても持ってくるよ」と、彼にしては冷たい物言い。
どうやら、責任重大過ぎて、やりたくないらしい。
それでも何とか仕上げてくれて、髪の山ができたチラシ紙を捨てながら、
「それにしても髪の毛多いよね」と言う大内くん。
うん、だから、伸びてくるとうっとおしいんだよ。
翌朝、起きてきて軽く寝ぐせを直した私の髪を見て、
「わりとうまくいったね。なんとかなってるよ」と機嫌がいい。
やはり、女性の髪を切る、ってのはタイヘンなんだろうなぁ。
息子の髪を丸刈りにしている時は、洗面所からものすごい罵倒の言葉が鳴り響いていた(もちろん息子の声)ものだが、私は別に文句も言わないし、楽なお客さんだと思うんだが・・・
12年5月26日
息子の勤める塾の塾長と個人的な会合をさせていただいた。
9時過ぎに授業が終わって塾長の身体があくのを待って、駅前の居酒屋で。
こちらは大内くんと私。
席に着くなり開口一番、
「今日はワリカンで。半々でお願いします!」と巨体の塾長に言われたが、我々も事前に打ち合わせをしてあり、
「ワリカン、と言われるだろうけど、できるだけこっちで全額持つ。どうしても、と言われたら、3で割ったワリカンで行く」と決めていたので、押し 問答の末、「頭割り(3で割る)」に落ち着いた。
本当はこちらが全額お支払するべきなのだが。
グレープフルーツサワーの塾長と生ビールで乾杯し、大内くんが適当に選んでくれたつまみを食べながら、息子の勤務態度などを聞く。
今のところ、真面目にやっているらしい。
小学校5年生の頃から生徒としてお世話になり、特に高校受験、大学受験の時には、本当にもう、すべての教科の先生に教えていただいた。
当然費用もかさみ、家計がパンクしそうになったよ。
塾長も、高校受験に成功した時の感謝飲み会で、
「正直言って、大内さんとこほど塾にお金を落としてくれたお宅はありません」と笑いながら語っていた。
大学受験の時も、似たような状況だったし。
そんな彼が、今はお給料をもらう身だ。感慨無量。
塾長は息子にお給料をくれるのみならず、我々だけでは到底知りえないような「息子情報」をくれる。
幾度となく、
「そうなんですか〜、家では何も話してくれないので・・・」とつぶやく我々。
この分では、カノジョができたりしても、我々がそれを知るのは塾長経由だろう。
2時間ほど飲んでお別れしたが、とても楽しかった。
大内くんは、会社を退職したら塾で雇ってもらいたいらしい。
英語や世界史を、ほんのちょっとずつ勉強し直している。
寝る前の15分ほどの「勉強」だが、何もしないよりはいいだろう。
一方で私は一切何もする気がないので、毎日マンガ読んでゴロゴロしてる。
大内くんに比べて、あまりに情けないありさまだ。
今度、大学の卒業30周年と、とっくの昔に辞めた会社の入社30周年の集まりが近接して行われるらしく、お誘いをもらった。
大内くんからは、
「行って来たら?昔の友達と会うのも楽しいもんだよ」と勧められているのだが、ほとんど授業に出ないで大内くんの大学に遊びに行ってばかりだった大学も、入社7年で寿退社してしまった会社も、今の自分があまりに不甲斐ないので顔を出せない感じ。
そう言えば5年前にも同じような状況があったなぁ。
大学卒業と就職が同時だから起こることだね。
入社した頃はまあまあの秀才でまあまあの体重だった私が、記憶力はボロボロ、話し相手がいないから頭は悪くなる一方、そして体重は20キロ近く増えた、という現在。
昔の友人たちには会いたくない・・・
ただ、これを逃すと次の機会はまた5年後になるし、その時自分が生きてるかどうかもよくわかんないし、人とは、会える時に会っておいた方がいいんだろうなぁ。
大内くんが、
「着て行く服がないんだったら、買えば?」と言ってくれても、そもそも服を買う、と考えただけで面倒くさくて寝込みそうだ。
幸い、両方とも配偶者同伴が許されているので、大内くんが一緒に来てくれるという。頼もしい。
大学は家から自転車で20分ぐらいのとこだからいいんだけど、会社の方はバスで駅に出て電車を1回乗り継いで、軽く1時間はかかると思われる。
最近引きこもりの私には遠すぎる感があるよ。
今、人に会ったら私は、息子が大学受験に成功したことを自慢してしまうかもしれない。
奇跡のような合格ではあっても、いや、それだからこそ、嬉しくてたまらないのだ。
塾長にも熱烈に、
「息子さんは本当に頑張りましたね。結果が出て、我々講師陣も嬉しいです」と言ってもらったが、何しろ人づきあいのない私であるので、まだ、「自慢する」のに飽きてないんだよ。
大内くんは会社でひとしきり話題にして、もう「飽きた」らしい。
確かにもう6月で、合格発表からほぼ3カ月。旬の話題とは言えまい。
塾長との飲み会で、つくづく家からあんまり遠くまでは行けなくなっている自分を発見した。
そして、気合の入った服装と言っても綿パンとスニーカーまでがやっと。(普段着は短パンとサンダル)
ハイヒールなんて、もう何年も履いてないぞ。
最後に履いたのは、8年前の父の葬式の時だったような気がする。
太ると、足にも肉がついて、ハイヒールはつらいんだ。
靴だけでも買いに行くか。ああ、迷う。でも、両方ともそろそろ出欠の返事をしないと。
幹事さん、お返事遅くなってます。すみません。
12年5月27日
家族全員、何も予定のない日曜、みんながちゃんと起きたのはなんと午後3時になってからだった。
疲れてるんだなぁ。
私は6時に1回起きて、洗濯機を2回まわしてシーツからバスタオルからいろいろ洗ったのだが、起きてベランダに洗濯物がたくさんひるがえっているのを見るまで、洗濯したことも忘れていた。
予備電子頭脳で動いていたと思われる。
そう言えば、シーツを洗ったってことは、大内くんも1回起きてくれたんだなぁ。
書斎で仕事をしていたような気がする。
息子は近場の友達と会っているのか、ちょこちょこ出入りをしながら、晩ごはんを食べ、風呂に入り、また出かけた。
最後に帰ってきたのが、なんと夜中の3時半。
ドアの音で目を覚ました私が、
「外泊する時は、ひと言ことわるんじゃなかったっけ?」と言うと、
「遅く帰ってきただけじゃん。外泊じゃねーよ!」と不機嫌。
まあ、外泊とは言わないか。
月曜日は授業がないので朝は起きなくてもいい息子は寝てしまい、4時半に大内くんが起きた。
息子の帰宅時間を告げたら、
「1時間遅くて、今帰ってきたんだったら外泊と言ってもおかしくないかもだけど、確かに3時半はビミョーだね。午前様なだけかも」と言っていた。
大学に入学して丸2カ月。
まだ1度も外泊してない。
昨日、塾長に会った時もそんな話をしたらたいそう驚かれたので、やはり普通は大学近くに下宿してる子のアパートになだれ込んで外泊、ってやるもんだよね。
息子の「真面目さ」はいつまで続くんだろう。
大内くんのように、大学に入ったとたんに構内の寮で酔いつぶれて3日帰らなかった、といった武勇伝はナシにしておいてもらいたい。
外泊してもいいから、1泊で帰って来てね。
「全然、カネがねー」と言われたので、おこづかいを少し渡し、バーターで何か情報を取ろうと試みたところ、
「落第はしない。(お笑いの)サークルは、大変だけど面白い。大学生活は、楽しい」ということが聞けた。
5千円の価値がある情報かどうかはちょっとよくわからないが、今の息子の声が聞けてよかった。
まだ2か月しかたっていない大学生活だけど、就職へのカウントダウンはもう始まっている。
正直言って、まだ就活のこととかは考えられない。
そもそも、その時こそもう全部息子にまかせて、我々は傍観者でいたい。
自分のコドモに「より良い暮らし」を、と思うのが親心ではあるものの、いつまでも気にしてはいられないのだ。本人の問題だし。
こっちはこっちで、コドモの世話にならない老後をデザインし、それに備えて貯金するだけ。
だから息子よ、親のことはいいから、一生をともにする人を早く見つけて、孫の顔を見せてくれ。
私が人生に望むのはもはやそれだけだ。
12年5月28日
日曜の夕方、借りてきた映画を観ようと思ったら、いきなりテレビが壊れた。
「ぷつっ」と切れたきり、映らなくなったのだ。
さっそく日立さんに電話して、修理を頼む。
どうやら翌日には修理に来てくれるらしい。早いなぁ。
日曜なのにフリーダイヤルの修理問い合わせが機能してるだけでもスゴイのに。
で、実際、月曜の昼には日立のメカニックさんが来た。
日立のWooシリーズのHDDデッキを2台使っていた頃に、リコール寸前のシロモノで、何度修理に来てもらったかわからない。
最後には2台とも返金、引取りをしてもらった、という過去がある。
その時と同じメカニックさんが、今でもテレビの修理に来てくれるのだ。
「どうも〜、ご無沙汰してま〜す」と言って現れたメカニックさん、そういう立場の人の挨拶としては妙なもんだ。
でも、本当に「お久しぶり!」って感じだよ。
このマンションに引っ越した時に買ったテレビなので、8年物。
そろそろ部品が傷んでくる時期らしい。
「8年以上たつと、部品がなくなっちゃうんですよね」と言いつつ、モニタの基盤とヒューズを交換してくれたようだ。
「次に壊れたら、『買い』ですかね?」と聞くと、
「そうですね。今はずいぶん安くなってますし」。
「2、30万ぐらいですか?」
「いえいえ!10万ぐらいですよ。昔は『インチ1万円』でしたけど、今じゃ、20型より小さければ『インチ千円』ですね」
そんなに安いのか。
うちのは42型だが、50万近く出して買った覚えがある。
今回も、修理代が3万円近くかかったので、買い替えるべきだったか?
「申し訳ありませんでした〜」と言って帰るメカニックさんを、
「またお会いしましょう、と言いたいところですが、会わないのがお互いのためなんでしょうね(笑)」と見送って、夜、帰ってきた大内くんに話をし たら、
「今回は修理でよかったと思うよ。次に壊れたら、買い替えよう」と言っていた。
メカニックさんの話によれば、今のテレビは、画質は良くなってるんだけど、小さく作りたいのでスピーカーをかなり削っているらしい。
「音は、相当悪いですよ」と言っていた。
うちは別に音にはこだわらないけど、あまりに悪いのはイヤだなぁ。
というわけで、結局テレビのない不便な夜はひと晩だけだった。
借りていた「ワイルドセブン」のDVDを観なくちゃいけなかったので、書斎のパソコンで観たが、
「うんと近くで観るのなら、小さい画面でも一向にかまわない」ということが判明したよ。
迫力の銃撃戦を大きな画面で観なかったのは、もったいないのかもしれないが、困る感じではなかったなぁ。
息子が自分の部屋に置いてある19インチのテレビを楽しんでいるのを見ると、世の中進んだもんだ、と、しみじみ思う。
修理代がかかるぐらい、なんでもないよなぁ。
12年5月29日
「読書の波」が来たので、精力的に本を読んでいる。
とはいえ、昔読んだ本の読み返しが多い。
例外は東川篤也で、ドラマ「謎解きはディナーのあとで」が面白かったので、原作を読もうと図書館に予約を入れた。(200人待ち!)
古いものでもいいや、と検索して探したら、いろいろあった。
その中から「放課後はミステリーとともに」を借り、読んでみた、というわけ。
まあまあ面白かったかな。
何度読んでも面白い、と思うのは少女小説。
今回は、「あしながおじさん」と「続・あしながおじさん」を読んだ。
「続」の方はあまり有名ではないと思うけど、「正」に勝るとも劣らない面白さ。
古い新潮文庫のフォントの読みにくさを相殺して余りある。
(でも老眼の身にはこたえる)
それ以外には、清水義範を読み返している。
この人は、図書館で借りる、というポジションが一番ふさわしい。
面白いが、持ってる必要はない、ということ。
「やっとかめ探偵団」のシリーズを読んでいると、自分が名古屋人であることをひしひしと感じる。
「やっとれせんでいかんわ」
「待ってちょうよ」
「いこまいか」
「はばにする」
などの「名古屋弁」が、まったく抵抗なく読める、というか、自分のマザータングであることに気づくのだ。
大内くんによれば、私は、「全然なまりのない標準語を話す」らしいのだが、そもそも「標準語を『東京弁』と言う」のが名古屋人だとすれば(清水義範はそう書いている)、私はまごうかたなき名古屋人だ。
持って生まれた言語センスのおかげで、大学4年間でなまりはとれたらしい。
「自分が言語センスがいい」(笑)というのは大学時代に気づいたことだが、方言のある人と話していると、すぐに方言が「うつって」しまうのだ。
女子寮の電話室(インフォメーションルーム、略してインフォメと呼ばれていた)で、広島出身の友人と電話で話していたところ、たむろしていた数人の後輩が電話を終えた私に言うには、
「大内さん(もちろん当時はそういう名前ではなかったが)って、広島の人だったんですね!」
いや、名古屋人だよ、と訂正しつつ、いつの間にか広島弁でしゃべっていた自分が興味深かった。
もともと、名古屋弁に加えて母親の出身地である博多弁もネイティブだったようで、高校時代に「博多っ子純情」を読んだ時は、セリフがするっと入って面白かった覚えがある。
大内くんは東京生まれの東京育ちで方言がまったくないので、実はうらやましく思ってるらしい。
「お国ことば、っていいよね」とよく言っている。
今でも名古屋の母と電話で話しているとつい名古屋弁に戻ってしまう私を見ていて、そう思うんだって。
話は大きくずれてしまった。
要は清水義範も面白い、ということか。
東野圭吾も何冊か借りてきたので、しばらくはゆっくり読書三昧だ。
読めない時は徹底的に読めなくなるから、この「読書の波」を楽しもう。
12年5月30日
昨日書いてて思い出したんだが、大学の女子寮には受付兼電話室があって、10時半の門限を過ぎて施錠するまで、誰かが来客の受付をしたり電話の取次ぎをしたりしていた。
4畳半ほどの、玄関に向けた小窓のある部屋だったなぁ。
1時間交代で務めるその役は「インフォメーション・デューティー」と呼ばれ、掃除や風呂沸かしなど、他の「デューティー」同様、サボるとペナルティーだ。
電話を受けて3階まで人を呼びに走る、ということを始終やる、大変な肉体労働。
私はしょっちゅうサボって、ペナルティーのお掃除をするのだが、それをまたサボっていたわけで。
寮の同窓会で同僚先輩に会った時、
「あなたほどデューティーをサボる人はいなかった」と叱られた。すみません。
そんな「インフォメ」も、ケータイ電話の普及によって姿を消したらしい。
夜ともなると寮生が「インフォメーション・ルーム」にたまって、赤電話で実家のお母さんと話す人、黒電話で他の寮の友達と内線通話をする人、さまざまだった。
あれはあれでいいものだったんだが、そうか、もう固定電話や赤電話は不要か。
自分の学生時代にケータイやパソコンがあったらよかったのに、とよく思うんだが、どんな感じだっただろう。
少なくとも今、家にこもっているとケータイもほとんど使わないんだよね。
原始的な生活をしている、と思う。
こんなに家に閉じこもりっきりで、いいんだろうか・・・
12年5月31日
ついに、恐れていたことが起こった。
ほぼ毎日、1限からの授業を取っている息子は、ここまで真面目に登校してた。
ところが。
今朝になって驚いたが、本格的に起きない。
いつもは、「うーん、もうちょっとだけ」とベッドの中でもぞもぞしてるんだけど、今回は、
「大学は休む。ふたコマ取ってるけど、両方、出欠とらないから」。
そんな調子で大学休んで、いいと思ってるのか?
大内くんは、
「大学生らしくなってきたね。キミも僕も、人のこと言える立場じゃないよ」。
だからって、自主休講はやめてほしい。キリがないから。
「息子にとって、勉強は『義務』であって『権利』とは思えないんだね」と大内くん。
「明日っからまた真面目に行くよ」と言う息子をどのくらい信頼していいのか、親心は不安定。
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