12年6月2日

昨日の夜は息子が帰ってこなかった。
「初」外泊である。
入学してからずっと、「いつあってもおかしくない」と大内くんと相談し、とりあえず、
「急な外泊の時は家に一報入れること!」と言い渡しておいたのだが、聞いてなかったことが判明。

「飲み会がある」と言って出かけて、夜中の1時過ぎたので「泊まり?」とメールしてみたら、「とまり」という返事が来た。
土曜の午前中は空手の稽古があるので、
「空手、どうすんの?」と返すと、
「サークルがある」。
これ以上言っても仕方ないので、
「先生に『休みます』ってちゃんとメールしときなよ」と言って終わりにしといた。
また空手を休むのか。(「股から手」と変換されたので少し笑った)
連続3回目。先生に失礼だぞ。

まあ、大学生というのはなかなか忙しい商売だ。
不義理を少なく、きちんと予定を立てて動いてもらいたい。

そんなわけで息子がいないので、また近所のイタリアン・ファミレスにピザを食べに行った。
なんと、改装4周年記念のクーポンが配信され、ピザは1枚につき300円割引があるらしい。
ここんとこ、もうピザ以外のものは食べないので、とってもお得。
4枚のピザを平らげ、いつもより1200円少ないお勘定を払って満腹で帰った。

息子は、大学の授業もあるはずだし、バイトも入ってる予定。
10時過ぎに帰ってきたのでいろいろ聞き出そうとしたが、ことごとく撃沈。
唯一の成果は、大内くんが、寝る前の息子の背中をかいてやりながら、
「大学は楽しい?サークルは?」と聞いたところ、素直に、
「楽しいよ」と答えたことだろう。

外でのことをもうちょっと話してくれたら何の注文もないんだが。
でも、大内くんは、
「まだ大学に入って2か月しかたってないんだよ。もう2年も待ってごらんよ。『あの時期がウソのようだねぇ』って、話し合うようになるよ!」と前向き。
この人のこういうところには本当に感心させられる。
私なんか、ペシミストの王道を行っているから、「このまま息子が悪の道に走ったらどうしよう」と、杉田二郎の「ANAK」を口ずさむ日々だ。

12年6月3日

息子は初めての「早慶戦」に出かけた。
憧れだった早稲田の一員となり、みんなと一緒にスタンドで声をかぎりに応援する。
とても楽しかったらしい。

朝から機嫌が良く、珍しく行く先を我々に教えてくれた。
「早慶戦、行くんだ」
なんだか、遠足に行くコドモのような顔をしていたよ。

夕方ごろに帰ってきたので、ちょっとビックリ。
勝ち試合だったらしいし、当然みんなでスクラム組んで飲み会に突入するんだとばかり思ってましたよ。

息子には、ちょっとした孤独癖があるような気がする。
我々が信奉する「六星占星術」で、唯生まで含めた家中みんな「金星人」なのに、彼だけは「土星人」。
人間を6つに分ける(正確にはプラスとマイナスがあるので、12種類だね)なんて乱暴だと思うんだが、これが、なんだかけっこう当たるんだ。
土星さんは、
「わかってくれる人が周りにいなくても、かえってさっぱりしていいや、と思うような性格です」と言われている。
私の父と、友人女性がこの「土星さん」なんだけど、深々とうなずくなぁ。
暑苦しい金星人に囲まれて、息子はすでに人生の苦労をし始めているよ。

寝顔を見に行ったら、日に焼けて顔が赤くなっていた。
くたびれ果ててぐっすりだったけど、いい顔してた。
人間、帰属意識ってのは必要だよ。
たとえそれが「土星さん」だったとしても。

12年6月5日

テレビでやっていた「老後の生活」の特集番組を見た。
そろそろ老後のことでもお勉強しておこうかと思って。

東京では、夫婦2人でひと月30万ぐらいは欲しいらしい。
うーん、年金ってそんなには出ないよね?
どんな準備をして臨めばいいんだろう?

我々は、今のマンションに住み続けて、早ければ70代で、夫婦一緒に老人ホームに入るつもりなんだけど、この、「老人ホーム」ってのがまた、ピンキリなんだよね。
高いところは入居金が7500万円とか、いったいどんな人が入るんだ?
かと言って、
「ここは、内側からカギもかかるんですね!」などとリポートしてるのを見ると、
「本来、カギはかかんないものなの・・・?」と、寂しい気持ちになっちゃうし。

海外で暮らす人もいて、ずいぶん物価が安い国もあるみたいだけど、私たちはずっと日本にいたいな。
老後にそんなに環境が変わるのにはついていけないよ。
海外組は、外交官とか商社とか、そういう方々が行かれるんじゃないですかね。

少し、いい話だな、って思ったのは、「介護つきのマンション」というものが出始めているらしい現状。
うん、それ、良さそうだよ。
検討しよう。

ひとつ確かなことは、我々が老後を迎える前に、「団塊の世代」が道を広く大きく拓いていってくれるだろう、という点。
施設がいっぱいできるだろう。

50代になったばかりで老後の心配は気が早いと思われるかもしれないけど、私は心配性で、常に先のことを考えてしまうのだ。
大内くんは、
「こんなにステキなマンションが買えるなんて、思ってもみなかったじゃない。大丈夫、必ず幸せに暮らせるよ!」と太鼓判を押してくれる。
そうだね、マンションはいきなりいいのが買えちゃったもんね。
考え込んでもダメなものはダメだし、何かが決まる時はすとんと決まるもんだ。
気楽に行こう。

これまでと大きく事情が違うのは、私の深刻な悩みだった、
「ホームに入るんだとしたら、本の山をどうしたらいいんだろう。ほとんどを捨てなきゃいけなくなるんだなぁ」という点が解決されたこと。
書籍の電子化である。
業者さんに頼めば1冊50円から100円でやってくれるらしいし、自分でやる方法もあると聞く。
私の蔵書がたぶん4千冊ぐらいあるので、40万円の出費を覚悟して、あとはHDDとパソコンさえあればOK。
電子リーダもずいぶん進歩してきてるようだし。

なので、大内くんと2人、1LDKあれば暮らせるかもしれない。
団塊の世代の皆さん、いいホームをたくさん作ってください!

12年6月6日

夜、テレビを見ていたら大内くんがコーヒーを飲みたくなったらしく、自分の分を入れるついでに私にも入れてくれた。
うちのコーヒーはインスタントの粉を溶くだけの簡単仕様。
大内くんはクリープを入れるが、私は半分ぐらいが牛乳の「カフェオレ」的なものを飲む。

というのも、私はいわゆる「猫舌」で、熱い物が飲めないのだ。
牛乳で温度を下げないと、熱いコーヒーをいつまでもふうふう冷ます羽目になる。

で、ちょっとドラマに夢中になりながらカップからがぶりとひと口飲んだら、熱かった。
間違えて、大内くんのコーヒーを飲んじゃったのだ。
結果はてきめん、口の中の薄皮がべろんとむけてしまった。
「本当に猫舌なんだね」と、大内くんに笑われたよ。

昔は、猫舌というのは気分の問題なんだと思っていた。
でも、25年ぐらい前に、友人とお昼を一緒に食べていて、同じメニューが同じタイミングで運ばれてきて、ほぼ同時に食べたのに、私は「あちち!」と叫んで口の中をやけどし、友人は何ともなかった、という経験を経て、気のせいなんかじゃないことがよおくわかったよ。

どうやら、猫舌の人は口の中の水分が少ないらしい。
普通の人は、水分が口の粘膜を保護し、飲食物を冷ます役割をしているってことだね。

息子はまったく猫舌ではないらしい。
大内くんも同じ。DNA的には大内くんの勝ち。
熱い食べ物をパクパクと食べられる、これはとてもうらやましい。
バカみたいにいつまでも食べ物に息を吹きかけてふうふう言いながら少しずつ食べていると、情けなくなるんだ。
コドモじゃあるまいし。

で、口の中は3日間ヒリヒリしてました。
もちろん熱いものはいっさいNG。
本当に情けない・・・

12年6月7日

こないだも不調になったiPad2が、また不調。
「ホームボタン」を押しても、メニュー画面にならないのだ。
前とまったく同じ症状なので、Appleさんに電話してみたら、少しいろいろ聞かれたけど、すぐに、
「新しいものをお送りしますので、古い方を宅配業者に返してください」と言ってくれた。
「リコール寸前なんだよ。同じ故障が起こって、大して何も言われずに新しいのが来る、ってことは、欠陥があると見るね」と大内くん。

そして、新しいのが届いたのはいいが、あいかわらず私には設定とかがわからない。
大内くんが帰るまで待てばいいんだけど、待ちきれない。
結局Appleのサポートセンターに電話して、細かく指示を受けて言いなりにしていたら、設定できた。
しかも、前から使っていた「i文庫HD」というアプリを、買い直さなきゃいけないんですよね、出費ですね、と文句を言ったら、「購入済み」の場合 はタダでダウンロードできるということを教わった。
前の時にそれを聞いていたら、800円払わなくてすんだのに。

ちなみに、Appleのサポートさんたちは実によく教育されていて、こっちがメカ音痴でとんでもないことを言い出しても、動じない。
「それでは大内さま、画面に何も出ないということですので、端についているボタンを押してください」
「これで設定前の状態になりましたので、ここから設定していきましょう」
と、とっても親切。
ただし、私の場合はあまりにもこちら側がわからない人間なので、途中で、「シニア・アドバイザー」という上司に替わられてしまった。
こないだもそうだったよ。ああ、恥ずかしい。

しかし、やはりシニア・アドバイザーは百戦錬磨で、まったく理解できていない私を誘導し、ついに完成形に持ち込んでくれた。
「私の前にお話させていただいた者の対応は、いかがでしたでしょうか。何かご意見等あれば、うかがって今後のサービス向上に努めたいと思います」って、そんな、文句なんてひとつもありませんよ。
Macを買う日は来ないと思うけど、「i シリーズ」に関しては、今後も熱い期待を寄せて行くつもりだ。
iPadも、どんどん新しくしちゃうかもしれない。その時はよろしく!

12年6月8日

大内くんが泊まりの出張に行った。
サラリーマンには当たり前のことだが、うちでは、できるだけ泊まらないようにスケジュールを組んでもらうので、外泊はとても珍しいのだ。
行く先は大阪。
翌朝一番に会議があるらしく、
「4時頃に家を出れば間に合うかもしれない」と、最後まで泊まりを避けようとした大内くんだが、そんな時間に起きるのも前日から早寝するのもタイヘンなので、今回はもう、私の方から「泊まってきてください!」って感じだった。

夜に、「ホテルに着いた」と電話があった。
「さびしいものだね。早く帰りたいよ」
1泊ぐらいで何を言っているのだ。
私はあんがいさびしくなかった。
息子にも、
「父さん(最近、こう呼ばせようと苦労してる)は出張でいないけど、母さんを守ってあげてね」と声をかけて行った大内くんだが、息子の答えは「へいへい」。真剣みに欠けることおびただしい。

翌日も無事に起きて会議に臨めたらしい。
それより心配なのは、帰りに中野のスタジオで行われる、早稲田大お笑い工房の「新人デビューライブ」を見に行くことだ。
息子は、高校の時から柔道と漫才を一緒にやってきた友達(大学は法政)を引っ張り込んで、ついに早稲田生としてのデビュー戦、というわけ。
出張だろうが泊まりだろうが、これだけは見たいだろう、大内くん!

息子は何ひとつ教えてくれないので、塾長や友達、あらゆる伝手をたどって、今日、夕方6時半からライブがあることを突き止めたのだ。
おかしなもので、息子は友達には「見に来てくれ」と知らせまくっているようなのに、我々には一切言わない。
親が見に来るのは、恥ずかしいのかなぁ。
現場で顔を合わせたら、あとから猛烈に怒られるかもしれないけど、こればかりはゆずれない。
「客を選んで漫才ができるか!」と叱り返すつもり。
そもそも、息子の漫才は面白いんだろうか。
「場内が水を打ったように静まり返って」いたらどうしよう・・・

12年6月9日

昨日は会社帰りの大内くんと現地待ち合わせで、息子の漫才サークルの「新人デビューライブ」を見に行った。
小さな小さな小劇場、といった会場に私の方が先に着き、「今入った」と大内くんにメールしたら、5分ほどで彼も現れたよ。
ライブを見に来ているお客さんに、「親」的な人はまるっきりおらず、クールビズのためネクタイこそしていないが、大阪出張をこなしてきました、と いう風情の大内くんはとても浮いていた。
そうか、もう親が見に来る年じゃないのか。

20組ほどの漫才、コントの中で、息子と元同じ高校柔道部のなかちゃんのは、2番目。
一番最初のコンビが実はものすごくうまかったのだ、ということが、全体を見て分かった
が、見始めたばっかりの時はそんなことわからず、ひたすら、
「息子はヘタな方なのかなぁ。テンパっている。キンチョーしすぎ。もっとお客さんをつかんで!」とか思っていた。
全部見たあとでは、
「この中ではまあまあのレベルだった。及第点をあげよう」という感じ。

いちおう新人ライブなのだが、3年生、4年生のグループも出る。
(学年が進んでからの入部ということか?)
やはり上級生ほど落ち着いててうまかったよ。

前MCの人が、
「『どうも〜』って入ってきたら、拍手してあげてくださいね。これ、めっちゃ気分に影響しますんで」とか、
「オレら、いっぺん『はけ』ますんで」などと、業界っぽいことを言うのもまあ良き哉。

始まるまでの間に、息子の塾関係の友達が3人、高校の友達が2人、それぞれ組になって現れた。(互いの存在は知らないようだったが)
時々家に泊まりに来てた高校の大倉くんなんか、浪人中を押しての応援だ。嬉しいね。
我々が知らない友達(特に女子)が他にも来ていた可能性が大。

息子の漫才を見て。
「じーん」とした。
これまでは「幼い」と思えていた彼の顔つきが、今日、「幼さを残しながら」もオトナの顔になっていた。
やっぱり大学のサークルは違うなぁ。
自分たちもマンガの原稿描いて同人誌を作って売ったり、学園祭で似顔絵を描いて部費の助けにしたものだが、単純計算すれは、活動をやってる人の半分は「オトナ(ハタチ過ぎ」)なわけだから、自分たちで何でもできちゃう。
今回は無料だったけど、入場料を取ることだってあるのかもしれない。
そんなキビシイ要求をされるライブも、勉強になるだろう。

明日もライブはあるのだが、今日出た人はもう出ない、と聞いて、家に帰る。
帰りの電車の中で、大内くんと、
「いいサークルだった。人数も多いし、やる気があるし、ここに4年間お世話になれば、ヘンな道に踏み込むこともないだろう」と話し合う。
早慶戦で日焼けした顔がライトに映え、みんな、いい顔してたよ。

小腹がすいたので駅前の回転寿司を軽くつまみ、バスで家に帰りついたのが10時頃。
お風呂に入ったりたまった仕事を片づけたりして、12時頃、寝ようと思っていたら息子が帰ってきた。
いや、遅いから泊まりかな?と思って「ところで今日は帰って来るの?」とメールしたら、
「あたりまえだろ」という返事が来たんだよね。
彼にとっては、家に帰るのはそれほど当たり前なのか。
我々は週に半分ぐらいは泊まって遊んでた気がするんだが。

「今から大学の友達とカラオケに行く。金がないから帰ってきた。金よこせ」と言われる。
こないだから、ちょくちょく万札を巻き上げられているぞ。
でも、そんな話をしているうちに出かけるのはめんどくさくなったらしく、誰かに電話して、
「やっぱ、ねみーや。(眠い、の意だろうか)今日はやめとく」。
このあっさりした身の引き方も、人間関係に貪欲だった我々には経験のないものだ。

ライブに行ったのはやはり息子のお気に召さなかかったようで、
「なんで、何にも言わないで来るんだよ!」と大内くんは襟首を締め上げられていた。
事前に言ったら、それはそれでもめるくせに!

まあ、息子も夜食を威張って食べて寝たし、いいライブだったし、大内くんは出張から帰ってきたし、いい日だった。
私は、親としてひと皮むけたような気がするよ。(あくまで「気がする」だけなんだが)
大内くんは、
「そんな心境になれたなんて、えらいね。人間、いくつになっても成長だね」と喜んでくれた。
これからも息子を応援はするが、あまりかまうのはやめよう。
客席に「お父さんお母さん」なんて1人もいなかった今日が、私を変えたのである。

12年6月10日

息子のお笑いサークルの「新人デビューライブ」を観に行った日、
「なんで来たんだよ!」と怒ってる息子に、
「200円出したらDVDが買えるみたいだから、買っておいてくれる?いや?じゃあ、直接サークルの人に頼むよ?」と言ったのが最後の一撃とな り、
「・・・どうしてそんなにオレを困らせるのかな・・・もう、死んでくれよ・・・」とうなだれて洗面所に行ったと思ったら、「ガッ」と音がした。
翌朝見るまで気がつかなかったが、また、息子が壁を殴って穴を開けたのだ。

マンションの壁というものは、案外薄い。
「空気が一番いい断熱材だ」と大内くんは言うのだが、壁はあんなに分厚く頑丈そうに見えても薄い石膏ボードで、あとは「空間」だったのか。
リビングや息子の部屋に、彼がアタマに来て正拳突きをかました、ないしは「殴ったら、穴が開くかなー、と『思って』」開けた穴は、これで5つめか。
そのうちまとめて修理をお願いしようと思うが、親の血と汗の結晶である新築のマンションの壁に、次々と穴を開けるのはやめてもらいたい。

行きつけのマッサージの先生にその話をしたら、昔気質で独身、もちろんコドモなしの50男である先生は、
「・・・そういうのは、父親がガツンと言わないとダメなんじゃないの?」と、つらそうな顔をしていた。
我が家で息子に干渉しすぎたりワガママを許したりしている話をすると、先生はいつもそんな顔をする。
今回の件については私も先生に同感なんだけど、大内くんは全然腹が立たないらしく、
「あそこまで言われたら、息子が怒るのも無理ないよ。僕がガツンと?思ってないことを言っても、迫力ないしねぇ」と困り顔。

今度、空手の試合があるらしく、大内くんはもう場所、日時等の情報をゲットしているみたい。
「見に行くの?」と聞くと、
「行きたいねぇ。でも、いいかげん、かわいそうかねぇ。塾長や小学生の息子さんたちも出るだろうから、行っても大丈夫だろうとは思うんだけど・・・」と迷っているようだ。
私は、場所が遠い(中央区なんだって)のであまり気が進まない。空手のルールもよくわかんないし。

でも、親たちがそんなふうに迷ってる間に、息子の事情は刻々変わる。
息子「オレ、空手の大会出ないと思う」
私「なんで?練習に行ってないから?」(週に1度、土曜午前の練習に、ここ1カ月ほど、まったくご無沙汰なのだ)
息子「いや、ちょっと予定がかぶっちゃって」
私「なに?お笑いサークル?」
息子「いや、ちょっとね」
それ以上は聞き出せなかった。
まあ、どっちでもいいよ。

そもそも、先日の晩、息子がいきなり我々の寝室に入ってきて、
「空手の大会の申込用紙、どこにやった!?」と怖い顔で聞く。
「全然見たこともないよ」と大内くんと2人で答えたが、
「カバンに入れといたんだ。空手着を出す時に、どっかにやったんだろう!」。
「本当に知らないよ。さわってもいない」
しばらく押し問答していたが、大内くんが息子の部屋に行ってカバンを見たら、その中に「あった」。

「で、謝罪の言葉とか、ないの?」と言う大内くんに、息子は、「あー」。
これで謝ったつもりらしい。

さらにアタマに来ることに、しばらくして息子がまた入ってきて、
「すまんかったから、夜食作って」。
それは、「すまんかったけど」でしょう!と追及する間もなく、大内くんが、「いいよ」と気軽に受けてしまった。
「夜の11時がオーダーストップじゃなかったの?!もう11時45分だよ!」と文句を言ったら、
「・・・忘れてた」。
大内くんがカンタンに言うこと聞くから、やってあげない私は不評で、時々「人間のクズだ」とか罵られてるんだよ!
息子よ、人間のクズなのはどっちか、よーく考えろ!
「謝られたとたんに、何もかもどうでもよくなっちゃったんだ・・・」と言う大内くんにも腹を立ててる私。ぷんすかぷん。

12年6月12日

ネプチューンというお笑いトリオが年に何度かやる冠番組で、「ハモネプ」ってのがある。
楽器を一切使わず、人間の声だけのパーカッションやベース、コーラスを取り混ぜて、アカペラの喉を競う。
大内くんも私も大好きで、毎回観てる。

普段は素人さんたちが頑張るんだが、今回は「芸能人アカペラ スターリーグ」だった。
ハワイアン歌手であるらしい小錦と演歌の黒人ジェロがグループを組んだら、そりゃうまいだろう。

最初は、
「こういうのを玄人がやるのは反則だよね。素人さんの番組だったのに」とブーイングしながら観てたんだけど、これが面白くて、ついつい引き込まれちゃった。
優勝は「アカペラーZ(ゼット)」。
アニソンの女王、堀江美都子と「アニキ」こと水木一郎、串田アキラがアニソンメドレーを熱唱。
いやあ、これ以上ない贅沢だ。いいもん観た。
これで「帝王」ささきいさおが入っていたらどんなによかったか。

しかし、世知辛いと思うのは、「2世バンド」で我が子たちを応援に来た研ナオコとBro.KONEが出たと思ったら、「この番組は5月26日に収録されたものです」とテロップが出るから、
「誰か、死んだか逮捕されたかどっちかだよ」と言いながらググると、あにはからんや、Bro.KONEは脅迫罪かなんかでつかまっちゃったらし い。
(「その時点では任意同行。容疑が固まり次第、逮捕」ということだそうだ)
テレビ局って、なんだか冷たいなぁ。

ところで、話はまったく違うんですが、去年の今日、息子はインターハイの予選を終えて(もちろん途中で負けた。でも頑張った)、
「今日から受験勉強する!」と宣言したという、そういうアニバーサリーです。
実際、その日から人が変わったように猛勉強してた。親も文句をつけられないぐらいだった。
1年後の今日、第一志望の大学に受かってお笑いサークルで遊んだり塾にバイトに行ったりしてる、ってことを、去年の自分や息子に教えてあげたい。
もう2、3年するとどうなっているのか。就活か。
教えてくれ、その時の自分よ。

12年6月13日

朝起きて、大内くんを送り出し、起こすのにさんざん手間取った息子がなんとか起き出すのを見て、眠いのでベッドに戻る。
よくあることで、夜中に起きてしまってそのまま眠れなかったから。

10時に、車検を頼んでおいたトヨタさんから電話があって起きた。
「今から、自転車でお車を取りに伺います」
はいはい、よろしく、と答えたところで、「ぐがー」といういびきに気づく。
息子の部屋に行ってみたら、ベッドで爆睡してるじゃないか!

「授業は?」と言いながら起こすと、ねぼけまなこで、「1限からある」。
「もう10時過ぎだよ!」
「えっ」
というわけで、あわてた様子で、でもシャワーはしっかり浴びて、あたふた出てった。
もちろん1限にはもう間に合わないだろうが、そのあともあるだろう。

それに、今日はお笑いサークルの活動日だ。
日替わり制の部室に集結して、いろいろ話をするんだろうな。
そのまま飲みに行って、誰かの部屋に沈没して、帰ってこないことがあるかもしれない。

8時頃に帰ってきた大内くんにそんな話をしながらテレビを見たりして、さて、寝る時間だ。
12時だけど、息子は帰って来る気があるんだろうか。
大内くんが、
「帰って来る?外泊の時は連絡すること」ってメールを打ったら、すぐに「帰るよ」と返信が来た。
で、安心して寝ようと思ったんだけど、1時になっても2時になっても帰って来ない。
メールしても返事は来ないし、電話してみたら、電源を切ってる模様。
朝帰りかねぇ。

そしたら、3時過ぎに帰ってきた。
「駅前にいたんだね」って言ったら、「なんで?」。
「だって、終電がなくなったから、帰ってこれないと思ったんだよ」
「セブンで話してただけじゃん」
ずっと家の前にいたのかぁ。誰となのかは言わないけど、地元の友達なんだろうなぁ。

「7時半に起こして」って、3時に起きてる私には難しいよ。
ぐっすり寝入っている大内くん宛てにメールを打っておいて、私も寝よう。
なかなか外泊しないなぁ。
って、私は息子に帰って来てほしいのか外泊してほしいのか。
ごはん作るのが面倒なので、帰って来なければそれはそれで嬉しいかも。

12年6月14日

「最近、トイレが近いんだよね。キレも悪いし。女性が尿漏れに悩む、とキミに聞いていたが、まったくおんなじだよ。テレビでCMやってる『ハルンケア』とか、買ってみようかなぁ」と大内くん。

頻尿や残尿感、尿漏れに悩む方、それは、白髪や老眼と同じ、まったくの老化現象です。
恥ずかしがるには及びません!

先日、腰痛で病院に行った時、主治医から、
「生理は?」と聞かれて、
「昨年1月ごろに閉経しました」と答えたら、
「骨密度はまあ年齢平均。でも、閉経後はどんどん下がるから、気をつけてね」と言われた。

それを、2週間に1度のマッサージの先生のとこで、「こう言われました」と話したら、同い年ぐらいの先生はなんだかぶったまげたらしい。
「閉経したの?!」
「はい」
「もう、生理ないの?!」
「はい。もともと生理痛が重かったので、なくなってさっぱりしましたよ!」
と、こんな会話を交わしたわけだが、いくら医療従事者とはいえ、異性にこのようにあけすけに語ってはいけないことだったのだろうか。
なにも、そんなに驚かなくったって。

これから身体が老化していくんだろうなぁ。
誰もが通る道だが。
お日様浴びて散歩して、骨密度を鍛えなくっちゃ。
早口言葉のような「骨粗しょう症」にはなりたくない。舌かむし。

12年6月15日

山本鈴美香のあまりにも有名なマンガ、「エースをねらえ!」を読み返した。
最後に読んだのが恐らく息子がまだ小学校に上がるかどうか、って年頃だったと思う。

今回感心したのは、
「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」とか、
「悪く勝てば慢心する 悪く負ければ卑屈になる」
といった、今やお山にこもって新興宗教をやっていると聞く作者の、深い叡智が秘められている部分だ。
息子にも伝えてあげたいことがいっぱいだよ。

だがしかし、「七つのエルドラド」を完結させるというから1巻から6巻までを買ってそろえたのに、宗教の方が忙しいのか、もう20年ぐらい放置されている。
いいマンガだと思うのでなおさら完結させてほしい。

我々は大学のマンガクラブで知り合い、友人たちもほぼその時のメンツなので、互いの間の読書おススメは盛んだ。
私もこないだ人に薦められて読んだのが森薫の「乙嫁語り」。
「エマ」までは追っかけていたが、こんなものも描けるのか。
モンゴル騎馬民族の、細かい服の模様や様々なアクセサリーを丁寧に描きこんでいる。
読んでしまうのがもったいないほどの緻密な絵である。

さて、こんな我々に、マンガばっかり読んでいる息子ができて、いったいどうなっちゃうんでしょ。
面白いことに、彼は我々のマンガにはほとんど興味を示さない。
小3ぐらいまでは「ドカベン」とか「ブラックジャック」を暗記しそうに読んでいたが、今では彼の買ったマンガを私がこっそり読んでいる、という卑屈な状態だ。
たまに、「進撃の巨人」とか「銀の匙」とかダブって買っちゃうし。(涙)

私は、生涯、マンガを読むのをやめないと思う。
「団塊の世代」が「シルバーコミックス」というジャンルを切り拓いていってくれると信じてるし。
だってさぁ、我々がコドモの頃、オトナがマンガ雑誌買って読んで網棚に捨てて行く、なんて光景はなかったよ。
日本はいろんな意味でマンガ大国だ。
息子にも多少は買い支えてもらいたい。

12年6月16日

昨夜、息子の大学の「お笑いサークル仲間」が泊まりに来た。全部で5人も!

夕方に息子と一緒に帰ってきた男子が2人。
そのあと1人増えて、晩ごはんは息子を含むその4人で食べたのだが、11時過ぎに、息子がバス停まで迎えに行ったと思ったら、もう2人増えた。
しかも、そのうち1人は、女子!
ちょっとクラクラした。

彼女は、愛知県出身だと言うので、名古屋出身の私と、局所的に盛り上がってしまった。
私よりずっといい高校出身だぞ。

オトコどもはゲームばっかりしており、会社から帰ってきた大内くんが、こっそりと、
「お笑いサークルなんだから、『大喜利ごっこ』でもして遊べばいいのに・・・」とつぶやいていたが、夜中の1時ごろ私が台所にお茶を飲みに行った時には、もうゲームはやめて、ちゃぶ台を囲んで「コクった話大会」をやっていたし、翌朝リビングの布団の海から全員(唯一の女子には、息子のベッ ドを貸してあげるよう指導しておいたので、彼女だけ息子の寝室で寝ていた)を起こしていたら、「大喜利ごっこ」をした形跡のノートのきれっぱしが たくさんあった。
大内くんは大喜び。

10時半ごろ、「ごはん、味噌汁、目玉焼き、サラダ、納豆」の朝食を出したら、
「うわー、おうちのごはんだぁ」と歓声が上がったのは、独り暮らしの人も何人かいたせいだろう。
(女子は独り暮らし組だった)

昼から授業がある子が息子以外にもう1人いて、その2人が出かけなければならないせいか、12時過ぎには帰ってしまったお客さん。
いや〜、大学に入っても集団のお泊まり会があるとは思わなかったよ。
1人がポツリと泊まりに来る、ってのは2回ぐらい経験してるけど、集団は、高校までで終わったかと思ってた。
とっても嬉しい。
「もうひと部屋、和室でもあればいいのに」
「息子の部屋がもっと広くて何人でも泊まれればいいのに」
「駅から徒歩30分も離れてなくて、もっと駅前だったら友達もいっぱい来てくれるかも」
といつも思うのだが、こんな遠くまででも、来てくれることがわかった。

今日来た皆さん、まだ来てない皆さん、ぜひ我が家に泊まりに来てください。
「話題に入ってくるな」とか怒る息子はほっといて、大学生活の様子でも教えてくれ。

ちなみに、晩ごはんは大なべいっぱいカレーを作って出した。
「大内家のカレーの、野菜の大きさには驚くものがあるね」と言う子がいると思ったら、息子が、
「めんどくさいからじゃねーの?」と答える。
書斎で聞いていた私は、おもむろにキッチンに行き、カウンタ越しに、
「その方が、おいしい、という信念を持ってやっていることだよ」と言ったら、青年たちには多少ウケたが、息子には、
「話に入るな、って言ってるだろ。向こうに行ってろ!」と叱られた。

カレーは少し余ったので、明日の我々の晩ごはんにしよう、と喜び勇んでいたら、朝起きた時にはもうカレー鍋はカラだった。
流しにお皿もたくさん出ていて、夜中におなかがすいた人たちで食べてしまったらしい。
青少年の食欲はけっこうなことだ。

だがしかし、前日の夜中に、
「明日友達が5人ぐらい泊まりに来るから」って言うのはあんまりなんじゃないだろうか。
大内くんは帰りが遅かったのだが、帰るコールの時に、「大勢来てる」と言ったら、
「あれは、土曜日のことじゃなかったの?金曜?今日?息子がなんか言いに来た時、寝ぼけててよく聞いてなかったんだよ。苦労かけるね」と驚いてたよ。
お泊まりは大歓迎だが、息子にはもうちょっと「予定」というものについて考えてほしい。

12年6月17日

今日は我々夫婦の結婚記念日。
23年になる。
もう2年で「銀婚式」か。思えば遠くへ来たもんだ。

だからってわけじゃないけど、息子の大学のお笑いサークル定期ライブを見に行った。
大隈講堂って、立派だなぁ。
息子も堂々と権利を持ってこの講堂を使うことができるわけだ。
また、涙で前が見えなくなった。大内くんも同じような心境らしい。

こないだ小劇場でやった「新人デビューライブ」とは違い、そもそも息子は出ない。
上級生、しかもオーディションを勝ち抜いて今日この舞台を踏む若人は、さぞ嬉しいことだろう。
大隈講堂を使うかどうかはともかく、ライブは時々やるらしいので、またチャンスがあるかもしれない。
我々も見に行くつもりだ。

講堂の前にたまってる大学生たちを横目で見て通り過ぎようとしたら、昨日泊まりに来たメンツを発見。男子2名。
向こうも、
「あ、大内くんのご両親」と挨拶してくれた。
先輩の芸を鑑賞しにきたのか、現場のお手伝いか。
どっちにせよ、立派なサークル活動だね。

そんな大隈講堂ライブの日なのに、息子は1日中家でゴロゴロ昼寝とゲームを楽しんでいた。
大内くんに言わせれば、
「昨日、夜中の2時か3時ごろに目を覚ましたら、誰かと電話してたので、ほっといた」らしいので、徹夜かもね。
今日の爆睡をとがめることはできない。
夕方からは塾のバイトに行ったようだし。
大学生だなぁ。

ライブ自体がどうだったかと言うと、面白かった。
座席は3分の1ぐらい埋まった。
親らしい人も何人がいたし、やはり、おもに出演者の友人知人が多いものと推察される。

新人ライブの時も思ったことだが、やっぱり、「プロみたいに」やるのが楽しくてしょうがない、という感じ。
みんな、「どうも〜!」と言って出てきて、「もうええわ」と言って終わる。
「もうええわ」というのは無理やり話を終わらせるためによく使われる、最近ではとてもメジャーな手法なのだが、驚くことに、きちんと「落ちてる」場合でもつい、「もうええわ!」と言ってしまうようだ。
そのへんは、もうちょっとオリジナリティーが欲しいかな。
あからさまに「間違えた」人も何人かいたし。

まあ、なんだかんだ言っても全体を通して非常に真面目、かつ楽しそうで、いいサークルだと思う。
サークル活動は大学生活の華。
今後も、舞台に立てるよう頑張ってもらいたい。

ライブが終わって、電車とバスで家まで帰る。
行きつけのイタリアン・ファミレスで300円引きのクーポン券を使ってピザを4枚も食べたし、いい結婚記念日だった。
「これからもよろしく」と大内くんに言ったら、とても嬉しそうに「こちらこそ」と言う。
もうじき息子も手を離れ、夫婦2人の生活に戻る。
今でも恋人のように好きか、と言われれば、多少は所帯じみてきてるのだが、状況が許す限り最大限、大好きだ。
好きな人と暮らして、コドモはすくすくと育って、何の後悔もないいい人生だと思う。
今度生まれ変わっても、また大内くんと結婚したい、と、切に願う。
そして、すこやかに生まれた唯生を育ててみたい。

12年6月19日

朝から雨だと思っていたら、夕方にはすごい暴風雨になってきた。
幸い大内くんは早く帰って来たし、息子は駅前の塾にバイトに行ってるとは言うものの、まあ大学よりは家の近所にいるので少し安心。

台風は夜に向けてどんどん勢力を増し、大内くんとテレビを見ていても外で風がごうごういってるのが聞こえる。
11時頃になっても風雨がやまないので、自転車で帰って来る息子が心配になり、大内くんが、
「台風がひどいけど、帰って来られる?」とメールしたら、すぐに、「大丈夫」と返事が来た。
実際、11時半ぐらいに頭のてっぺんから足の爪先までびしょ濡れになって帰って来たよ。
靴がガボガボいってた。
すぐにシャワーを浴び、ベッドでテレビを見始める。

大内くんと寝室でいろいろ話をしたが、やはり、
「台風が来た。でも、唯生も含めて全員が無事に屋根の下にいる」というところに感謝するよ。

私が生まれた年には愛知県に「伊勢湾台風」が吹き荒れ、「大変だった」と母親にしょっちゅう言われたものだが、今ならその気持ちはよくわかる。
1歳半の姉と、生後ひと月に満たない赤ん坊の私をかかえ、おしめは乾かないし、蒸し暑い中、窓も開けられない。
2人のコドモは、きっとそれぞれに暑かったり退屈したり、機嫌良くは過ごせなかっただろう。
乾燥機もエアコンも紙おむつもなかった時代の話である。
そんな思いをして育ててもらって、親には頭が上がらないよ。

その恩を、親に返すのは膨大すぎて無理なので、次の世代を育ててそれで勘弁してもらうしかない。
いやホント、海より深く山より高い親の恩。
息子も、いつかそう思ってくれるだろうか。
あの人は、およそ人に感謝するということがなさそうな気がするのだが。

まあいいよ。
最低限、孫の顔さえ見せてくれれば。
その前に、嫁さんの顔を見せてもらえるとありがたい。

12年6月20日

7年乗ったトヨタのノア、車検を通す。
12万もかかったが、しょうがない。

私の息子と言ってもおかしくないような年頃のにーちゃんが引き取りに来て、かつ、3日後に届けてくれた。
「前は何をお使いでしたか?」と聞かれたので、
「やはりトヨタさんで、カローラワゴンでした。上の子の車椅子が大きくなったので、それを積める車、ってことでエスティマなんかも検討したんですが、ノアになりました。いい車ですよね。気に入ってます。今度買い替える時も、ノアにしちゃうんじゃないですかね」なんて話をする。

思えば、私の人生は車での思い出が多い。
大学を卒業して独り暮らしを始めた頃、マツダのファミリアを買った。当時流行った、真っ赤なヤツ。
贅沢だけど、車が欲しかったんだよ。
大内くんともよくドライブをした。
2人が入っていたマンガクラブに「モータリゼーション」の時代が来て、みんな、学生のくせに車を買い、海に山に出かけていた頃なんだよね。

結婚して、最初に買ったのが三菱のグレーのファビオ。
これは、母の友達の娘さんが3年ぐらい乗った中古を譲ってもらった。
そのあと、カローラワゴンになって、今のノアになって、今日に至る。
やはりトヨタがいい、と思うようになった。

ファビオは、車体が重いわりにエンジンに力がなく、よくエンストした。
それに、前の持ち主の癖が悪かったのか、エンジンがすっかり煤けていたようだ。
車は、新車の方がいいね。
特に我々のように車のことがさっぱりわからない場合は、きちんとしたディーラーで新車を買い、アフターケアをしてもらった方が安心。

あと何回車検を通せるかわからないけど、乗り心地のいい、運転しやすい、いい車だ。
色まで含めてとても気に入っているので、次も、まったく同じ車を買ってしまいそうで、コワい。
車を買う、というのはそれなりにデカい買い物なので、できればいろんなものに乗ってみたい気もする。
その頃は、どんな車が売れてるのかなぁ。

12年6月22日

大内くんと散歩をして帰って来て、家の前のコンビニに買い物に寄ったら、お店から駐車場に飛び出したコドモ(推定3歳)を、お母さんが激しく叱っていた。
これがもう、こっちがいたたまれないぐらいで、曰く、

「飛び出したらひかれるでしょ!ひかれたら死んじゃうんだよ!死んじゃうってことは、どういうことかわかる?!パパにもママにもお姉ちゃんにも、2度と会えなくなるんだよ!いいの?!」

という長台詞であった。なんつーか、ディテールに凝るお母さんだね。
確かに、駐車場や道路でのコドモの飛び出しはコワい。
我々もよく車で街を移動しているので、他人事ではないよ。
実際、大内くんは、
「ちょっと厳しすぎるかも、とは思うけど、命に係わる大事な点だから、どれだけ叱っても叱りすぎということはないだろうなぁ」とつぶやいていた。

息子が、車にひかれることもなく病気に倒れることもなく、18歳まで育った。
それはもう、それだけでありがたいことだ。
これからも元気でいてくれ。

12年6月23日

今日は私が30年前卒業した大学の、「同窓会」。
もっとも、みんなこれを「リユニオン」と呼んでいる。
「自転車で行ける距離に住んでて、行かないなんてもったいないよ」と、同行までしてくれた大内くんは、
「やな大学だね。敷地広すぎるし」と、常に羨望のまなざしだ。

数年前に新築された学食での立食となる。
私は胸がいっぱいで、あんまり食べられなかったが、「まあまあのお味」だったそうだ。
大内くんは、
「僕はすることないからとにかく食べるよ。キミはそのへん歩き回って社交しておいで」と言いながら、カレーとナンを3度もお代わりしていた。

いや、何しろさ、私は大学2年になった春に大内くんの大学の「マンガクラブ」に学外部員として参加するようになったので、しょっちゅう出かけていて、自分の大学にはほとんどいなかったんだよ。
ただでさえ浮いてるのに、この大学には1学年450人ぐらいしかいない。
入学式と卒業式では1人1人呼名されるほどで、4年も通えば、みんな親戚のようなものだ。
親しい人は見つかるかしらん。誰も覚えてる人がいなかったらどうしよう!?と、不安だった。

そんな私を支えてくれたのが寮生活。
男女合わせて7つの寮があり、私は「第2女子寮」に1年から4年までフルにお世話になった。
今回も6、7人の寮仲間を見つけ、掃除や風呂沸かしなど、「デューティー」と呼ばれる当番制のお仕事をサボりまくったことでも有名な私は、また叱られてしまいました。
すみません!

卒論なんか、提出期限2時間前まで書いていて、寮の仲間たちが手分けして、できてる部分のコピーを取りに走ってくれたり、製本をしてくれたり、総出で手伝ってくれた。
寮にいなかったら、私は卒業できなかったと思います。皆さん、ありがとう!

4年生の時に同じく4年生の人と2人部屋をもらい(普通は異学年の3人部屋)、1年彼女と生活したわけだが、彼女は彼女でわりと外に遊びに行っ ちゃうタイプなので、我々の部屋には常に誰もおらず、他の寮生たちはこの部屋を「空き部屋」と呼んでいたらしい。(笑)

今はタイで保険会社に勤めている彼女は、わざわざタイから飛んできてくれたようだ。
ダンナさんはタイ人で、航空会社のパーサーなんだって。
自分の英語脳につくづく愛想がつきている私は、恐らく英語で話すことになるだろうそのダンナさんが来なかったことに、安堵の胸をなでおろした。

あと、9月入学となる帰国子女(セプテンバーと呼ばれる)のコで、私が2年当時、半年一緒に生活した後輩が来てた。
(学年が違うのに来てるのは、 ダンナさんが私の同期だったから)
もう1人の同室者はその場にはいない、当時3年生の先輩で、寮のリユニオンで2度ほど会っており、セプテンバーの後輩に、
「今度、ルームリユニオンをしようか」と言ったら、たいそう乗り気だった。
(「ルーム210」であることを、私はすっかり忘れていたが、彼女はちゃんと覚えていた)
あいにくその先輩は金沢に住んでいるのでそうすぐには実現しないかもしれないが、楽しみだ。

この「ルームリユニオン」というのもしょっちゅう行われる行事で、私は前述のように寮にあまりいなかったので、熱烈に親しい姉妹のような友人たちはできず、今回初めて「やれるかも!」と期待している。
年頃の娘たちが集まって寝食を共にして共同生活をしていたら、一生の友達になるよね、普通。

入学時に寮に入っても途中で出て行く人もいて、残るのはたいがい半分ぐらい。
私の時は、そのタイに住んでる彼女も含めて、同期6人ほどが残った。
いなかった人が言うのもナンだが、とても楽しい生活だった。
今でも残る「イニシエーション」と呼ばれる、新入生が仮装をしてその格好で授業にまで出る風習とか、男子寮が時々いきなり襲ってくる「ストーム」とか、クリスマスには窓の下でロウソク持った「キャロリング」が賛美歌を歌いに来たとか、ハロウィンには構内に住んでいる教授たちのとこの小さい子たちが「トリック・オア・トゥリート!」(「お菓子くれないといたずらしちゃうぞ!」の意)って言いにきたとか、大内くんに話すと、
「いいなぁ、あんな林の中のステキな風情の寮に住んで、楽しいこともいっぱいだったんだね。僕の大学になんか、来なきゃよかったのに」といつも言われる。
いや、でも、そうしたら私たち会えてないし、結婚してないと思うんですけど。

そんな楽しいリユニオンに出席し、いろんな人に会えた。
先ほど述べたように、セプテンバーの後輩は学内結婚をしており、私と同期のその夫は、会社も同じだった。
(彼も今は転職してるらしいが)
「今度、会社の30周年同期会があるじゃん。行くの?」と聞いたら、「行くよ!」という返事。
奥さんは連れてこないそうだ。
うちなんか、また大内くん一緒に行くぞ。
大内くんをして、「ヤクザにしか見えない」と言わしめた彼と、会社の同期会で会うのも楽しみだ。
唯一のユウウツな点は、私の服装がまったく同じであろうこと。
よそ行きは、季節ごとに1着ずつしか持ってないの!

12年6月24日

天気が良くなったので、隣町まで散歩をして、いつものカレー喫茶でお昼ごはん。
あいかわらずおいしくて、息子にも1人前テイクアウトしてあげよう。

しかし、妙にお客さんが多い。
11時開店で、11時半には満員になって外に待ちの列ができる店ではあるが、5分過ぎただけですでに3分の1ほど席がうまっていた。
いつもの11時5分なら、一組目のお客さんになることも珍しくないのに。

11時15分ごろには満席になり、待ちが出た。
いつもよりずっと早い。
カレーを食べながら大内くんと「なんでだろうね?」と話し合い、結論は、「HANAKOかなんかにお店の紹介記事が出た」というもの。
それ以外、考えられないよ。

食べ終わってお店を出て、店外の行列に驚き、
「しばらくは、開店時刻に来ようね。遅れると、座れないかも」と話す。

暑くなったので、街をぶらつく元気もなく、スタバでコーヒーを飲んで帰る。
水風呂の季節到来だ!
暑い日に、時々水風呂に入りながらエアコンの効いた寝室で長編マンガを読みまくる。
私にとってはこれ以上の贅沢はない。

最近、休日とか寝る前の時間の使い方が少し変わってきて、大内くんが半分勉強半分趣味で世界史の本を読んだりしているので、2人でベッドに並んで横たわり、それぞれの読書をしている。
それはいいが、アマゾンで5千円もする古本を買うのはやめてもらいたい。
家のパソコンからアマゾンに注文すると、お代は自動的に引き落とされて、家計で買うことになってしまうのだ。
おこづかいの少ない彼ならではのセコい手法だが、今月はもう2万円ぐらい買ってるんじゃないかな。
家計簿を〆る人(私)が気絶しそうになるので、困るんだ。

12年6月25日

大内くんは、明日が「彼の1年の中で一番大事な」株主総会になるので、前日から泊まり込みである。
去年まではちゃんと帰って来て朝早く出かけて行ったものだが、震災後、
「交通機関に何かあって総会に行けないと困るから」という理由で泊まってくるようになった。今回で2回目。

そんな大変な日に、息子がいきなり「野宿する」と言う。
ボーイスカウトで使っていた寝袋や銀マットを引っぱり出し、荷造りしてるよ。
「どこで、誰と?」と聞いてはみたが、「外!気にしなくていい!」という返事しかしないで出かけてしまった。

というわけで、今夜は家に1人でいる寂しいワタクシです。
「こんな日は早寝に限る」と10時頃寝たが、2時に目を覚ましてそれっきり眠れない。
しょうがないから、朝一番で大学向けの装備にチェンジするため帰って来る予定の息子でも待とう。

大内くんは、お仕事ちゃんとできるかな。
おみやげのお菓子が余って、もらってこないかな。

12年6月26日

大内くんも息子もいない夜が明けて、寂しかった私は半ば徹夜。
6時15分頃に新聞を取りに行くついでにコンビニに寄ろう、と家を出たら、帰って来た息子と廊下でバッタリ会った。

私「あら、おはよう。おかえりなさい」
息子「寝てねーのかよ」
私「夜中に起きちゃって」
息子「心配かけて、すまんかったね」
(ここで私はものすごく驚くが、平静を装って)
私「いいんだよ。で、どこで寝たの?」
息子「外だよ」
私「教えてくれたっていいのに。何か買ってきてほしい物ある?」
息子「コーヒー牛乳買ってきて」

それで息子と別れてコンビニに行き、新聞を取って戻ってきたら、息子はベッドでゲームしてた。

私「で、誰と一緒だったの?」
息子「誰だっていいじゃん。もう大学生だよ。そんなこと、いちいち言わねーよ」
私「言う人もいると思うけどな」
息子「いねーよ、そんなヤツ」
私「徹夜?寝なくていいの?」
息子「寝たら起きられない。8時半に友達と待ち合わせしてるし」
私「1限は?」
息子「休講」

言葉遣いは悪いが、終始、機嫌は良かった。
友達とひと晩過ごして、楽しかったんだろう。相手が誰だか知らないが。

その後、やっぱり7時頃に寝てしまい、8時半に起こした時はもう深い深い睡眠の中で、起こそうとする私に怒る。
「わかってるよ。そろそろ起きるよ!」
そんなこと言って、起きたためしがないじゃないか。
結局、待ち合わせしていた友達に「もーダメ」メールを出したようで、そのまま寝続けた。

その後も何度か起こしたが、実際起きたのは1時頃。
今から大学行くのか?
「うるせー」とか「もうほっといてくれ」とか悪態をつかれながらのことで、毎度のことながら消耗する。
「そんなんだったら、起こさなきゃいいじゃん」と言う向きもあろうが、一応、寝る前に「起こして」って頼まれてるからなぁ。

起きて、シャワーを浴びた息子が廊下で仁王立ちになって私を見ているので、
「どうしたの?」と聞いたら、ぽつりと、「ごめんね」。
本当に、報われる瞬間だ。

私「起こすと、怒るじゃん」
息子「怒ってねーよ」
私「覚えてないの?毎度毎度、ものすごく罵られるんだけど」
息子「すまんね」
私「これからも起こしてほしい?」
息子「うん」
という調子で、彼がこんなに「話し合い」に応じるのはめずらしいなぁ、と思う。
もしかしたら、反抗期の終わりかも!

今日は、「行ってきます」と言って出かけたし、晩ごはんにスパゲッティを作ったら「ありがと。いただきます」と言われた。
望みがものすごく低くなってるのは自分でも感じるが、この程度で満足しちゃう。
息子の反抗期が始まっておそらく6年以上たっている。
「反抗期を抜けたらどういうヤツになるのか」が、うっすら見えてきた感じ。
息子とともに成長していくぐらいのつもりで、楽しく接しておこう。

12年6月27日

株主総会のため、前夜から会場のホテルに泊まりこんでいた大内くんが、仕事を終えて帰って来た。
おつかれさま。
入社以来、24回目の総会仕事だったらしい。
「合併するから、来年は僕はもう総会はやんないんじゃないかな。同じ仕事をしてる人が大勢来るんだから、今の部署で今と同じ仕事ってことはないと思うよ」
それはそれは。今回、思う存分働けたかな?

おみやげのお菓子ももらって、嬉しかったけど、やっぱり大内くんがいない家は寂しいよ。
息子が急に「寝袋でお泊まり」なんてことを考えつくから、なおさらだ。
「咳をしてもひとり」とかつぶやきながら、早々に寝た。
(でも結局夜中に起きてしまった、というのはすでに書いた顛末だね)

大内くんに、
「仕事、楽しい?」と聞くと、大真面目な答えが返って来る。
曰く、
「仕事は仕事だから、楽しい時も楽しくない時もある。特に僕は、法律の仕事に向いていないので、本人もまわりの人も苦労している。だけど、僕が働き続ける理由は、唯生が安心して暮らせる世の中にするためには、企業がお金を稼いで国に税金を沢山払ってくれるのが一番いいと思うから。そのためにこそ、僕は会社が損しないように、より儲けられるように、向かない性格をおして頑張ってるんだ」。

実に立派な心がけだ。
自分のお給料のために働いてるんでないところがいいね。

そう言えば、息子も大学受験の時、
「塾の後輩たちに、オレみたいに遅くまで部活やってても早慶受かる、ってことを見せて安心させてやりたい」
「部活の後輩たちに、大丈夫だから思いっきり部活をやれ、と言いたい」
といった、「自分ではない人のために」という動機があった。
大内くんもそうだが、「他人のために努力できる」という能力は、きっと神様に愛でられて良い一生を送ることができると思う。

もちろん自分の生活も大事だよね。
生活が安定していて初めて人のことを思いやれるものだから。
と言うわけで、ボーナスをありがたくいただきました。
10年ぐらい前に比べると、
「なんであんなにもらえたんだろう?」って感じ。
今年は、私が家計簿をつけ始めてから一番の冷え込みである。
ま、いずれまたよくなる日もくるだろう。
とりあえず「大金をもらった」ということに満足したワタシ。

12年6月29日

トイレで、ウォシュレットを使おうと思ったら、水がちょろちょろっと出て、止まってしまった。
「故障か?いつ買ったんだっけ?まずはマニュアルを探さなくっちゃ!」と1人で大騒ぎしてみたが、マニュアルが見つからない。
と、洗面所の水を出そうとしても出ない。
トイレの水を流すことができたのはタンクに1回分は水が入ってるからで、2度目はムリそう。

「これって、もしかして断水?事故?それとも事前にお知らせがあるような計画的なもの?」と、1階へ降りて掲示板を見たら、確かに今日は朝から晩まで断水だと書いてある。
本当は、トイレの水などにそなえてバスタブに水を張っておくべきだったんだ。

夕方には回復した水道(もちろんウォシュレットも回復)だが、その間に1回、家の前のコンビニにトイレを借りに走ってしまった。
ただ借りるのも何なので、牛乳を1本買う。どうせ足りなくなっていたし。

いやあ、油断はコワい。
マンションの「床清掃」とか「エレベータ点検」とか、ちゃんとお知らせが出ているものでも、ほとんど目を止めずにすませているよ。
用心用心。

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