12年8月1日
今日は富士登山だ。大学の先輩に誘われたらしい。
中学生でボーイスカウトをやっていた頃、徹夜で登ったが、山頂を目前に力尽き、他の同い年の隊員たち2名とともに9合目の山小屋から「ご来光」を拝んだという経歴を持つ息子は、今回リベンジを果たせるのだろうか。
朝早く、6時頃には家を出た。新宿で待ちあわせみたい。
「元気に行っておいで!」と送り出したが、いやぁ、気苦労ですなぁ。
前日夜になって、「何を着て行けばいいか?」とか聞かれて、もっと早く準備しろよ、と思いながら「夏 富士山」とググったら、「服装」がカンタンに出てきた。
大変混雑するうえ、ご来光を見るのはとても寒いらしい。
「真夏でも早朝の気温は5度ぐらい。ご来光を見るために山頂で待っている人たちは、雨具まで着込んで震えている」と書いてあった。
急遽、フリースとかを出す。
「フリースやジャンパー」を薦められる息子は、「こんなにいらねーよ!」という勢いだったんだが、しまいにはちょっと弱気になって、言われるまま荷造りをしていたよ。
本人、経験者のはずなのに全然ピンときていないようだったぞ。
真夜中に「酸素の缶」なんて探させないでほしい。
数日前に大内くんが「登山靴」を出してきてくれて、
「何これ。こんなの、入んねーよ」と文句を言っていた息子が履いてみたら、ぴったりサイズだった。
「もっと小さい頃に買ったヤツはボーイのバザーに出しちゃったけど、最後に買ったこれは、とっといたんだよ。また使う日が来るとは思わなかった」
と、大内くんは嬉しそうだった。
「買わなきゃ、と思ってたんだよ」と言う息子よ、そのお金と時間をどうやって捻出するつもりだったのか?
無計画にもほどがある。
他にも、雨具や防災シートなど、家にあるそれっぽいものは全部出しておいた。
思えば昔はよく山に登ったもんだよ、彼らは。
暑いと言っては登山、寒いと言っては登山、という感じだった。
しかも、隊長さんたちはイベントのたびに下見をきちんとしてくれていて、息子たちが無事に卒業までスカウト活動を続けられたのはすべて指導者の皆さんのおかげだ。
そんなスカウトに恩返しをすることもなく、ボーイの次の「ベンチャー」には誰も「上進」せずに終わっちゃったなぁ。
ただでさえ人数の少なかった団なので、今頃は地域の他の団と統合されているかもしれない、と、自分自身カブスカウトをやっていた大内くんは語る。
いや、彼はね、小学生の頃、警察の剣道とカブスカウトをやっていたのだよ。
でも小4から、中学受験のための「塾通い」がすべての活動を粉砕してしまった。
「とっても寂しかったんだ。まわりには受験する子なんていなかったし、塾はイヤだったし・・・」という過去を持つ彼は、「自分にコドモができたら
絶対に警察で柔道か剣道を習わせたい、スカウト活動も、卒業までやらせたい。ついでに言えば、中学受験は絶対させないし、男子校にも行かせな
い!」と心に誓っていたという。
息子はなぜか柔道の方に進み、それは単に「警察少年柔剣道」の柔道と剣道のうち、柔道を先に見学に行ったからにすぎないのだが、結果オーライなんだそうだ。
そして、ずっと共学の学校に通い続け、ボーイスカウトと警察柔道を卒業し、「一部のコドモだけでなく、みんながする」高校受験をし、第一志望の都立高校に受かり、厳しい部活の柔道を卒業まで続けた。
キャプテンになる、というおまけまでついた。
2段になって卒業し、第一志望の早稲田に受かり、うーん、こうやって並べてみると、息子は実に親孝行だなぁ。
この話になるたびに大内くんは、
「僕の人生の思い残しは全部息子に拾ってもらった。これ以上望むことは何もない」と目を潤ませている。
そうね、もうひとつだけ望ませてもらおう。「孫の顔」。
そんなわけで、こうしてる間にも富士山頂にリベンジをかけている息子。
本当に親孝行だよ。
準備段階ではまったくそう思えなかったけど、いざ家にいないとなると、孝行息子だったような気がしてくるんだ。
なのに、やることと言えば「早寝」。
オトナ2人の生活は、とても落ち着いている。
もう数年したら、毎日がそんな日になるのだ。
想像すると、少し寂しい。
いや、いないからそう思うだけで、帰ってきて1時間もたつと「いない方がいい・・・」と思うんだけどね。
12年8月2日
富士登山に行っていた息子が、無事帰還した。
コドモじゃないんだからいちいち喜ばないつもりなんだが、どうも、
「無事に帰ってきてよかった!」と素直に思う。
「頂上まで行ったの?」
「ご来光は見たの?」
「寒くなかった?」
「山小屋は満員だったでしょう!」
というこれらの問いかけは、ことごとく、
「まあね」
のひと言で片づけられた。
まあいいや、無事なら。
このあとも、9月いっぱい夏休みだそうで、さすがに大学生の休暇はダイナマイトですな。
息子としては「自転車で北海道へ行く」とか「9月半ばぐらいからバイトするから」という言い分なんだけど、これまでそういうのが実現しなかったことは無数にあるんだよね。
両方とも同じ友達が関与しているため、「大丈夫?」とメールしたんだが、返事が来ない。
途方に暮れる私。
大内くんは、
「行けなかったら行けないだけのこと。そもそも息子にはまだ無理だよ」と笑っている。
じゃあ、夏休み中のおこづかいは誰が出すんだ!?
すでに、「床屋代」「自転車の駐輪場」の費用をもぎ取られて、ひと月たっても髪は短くならないし、3か月分の代金を渡した駐輪場は、
「北海道の帰りに廃棄してくるから、ひと月しか契約しなかった」。
それならそれでいいが、当然残金があるだろうに。
そんなのも、みーんな着服されてんの。
ああ、せっかくの夏なのに、バイトぐらいしろ!親にたかるな!!
12年8月3日
私がキッチンにいたら、息子が冷蔵庫のお茶を飲みに来て、ぽつりとひと言。
「最近、野菜食ってねーなー」
そうね、やっぱり、家で食べる機会が少なくなって、外食が多いんだろうね。
「野菜ジュースとか、飲んじゃいるんだけど」と言う彼に、
「もうちょっと気をつけて野菜を増やすよ。週末に、一緒にお好み焼きでも焼かない?キャベツいっぱい入ってるよ」と提案したら、「ん」とだけ答えて部屋に行ってしまった。
私のここ数年の経験から見ると、これは決して否定のサインではない。むしろ、肯定的。
週末のお好み焼き、実現するか!?
12年8月4日
今日はお昼にラーメンを食べに行った。
隣町の駅まで、できれば散歩したかったんだが、殺人的な暑さで、とてもじゃないけど日中外にいられない。
しょうがないので自転車で行った。
それだって十分暑かったよ。
11時の開店と同時に店に入ったんだけど、我々がオーダーし、食べている間にもどんどんお客さんが来て、出る頃には満席、待ちが出ていた。
さすが大人気の店。(「おとなげ」と読んでもおかしくないですね。でも「だいにんき」なんですよ)
帰りに雑貨屋でお香を買う。
最近の私のマイブームだ。
少し高いけど白檀のを買った。いい匂い。和の香りだね。
昼間は、少し昼寝をして、それから4日後にせまった北海道旅行の準備をする。
宿に確認の電話を入れたり、あちこちのバス停の時刻表をプリントアウトしたり、いやいや、パソコンがない頃、我々はどうやって旅行してたんでしょう?
書斎のパソコンの前で電話を握っていれば、すべての用が足りる。
分厚いプリントの束ができて、作業完了。
今回は、カシオペアに乗るのが画期的だし、5年前に息子と行ったあたりをなぞってくるので、「思い出をふりかえる」というのがテーマだ。
「あの時は息子がいたねぇ」という話を、何度も何度もする予定。
中2の冬を最後に彼と旅行はしていない。
もう親と行く年でもないからね。
彼は彼で、友達と自転車で北海道に行く計画があるようなので、そっちに専念してくれ。
ひそかに応援しているよ。
晩ごはんはここ半年ぐらい週1で食べ続けている「水餃子」。
大内くんがタネを作ってくれて、2人で包むんだけど、彼はもう、目をつぶっていてもタネを作れるようになってしまったらしい。
よく食べてるもんなぁ。
息子は、昨日の晩突然、
「海人のとこに行ってくる」と出かけてしまった。もう10時なのに。そもそもこないだも泊まりに行ったばかりじゃないか。
「海人くんって、浪人中じゃなかったっけ?」と聞くと、「そうだよ」。
「そんなに行って、いいの?」
「オレが、自分から『行っていい?』なんて聞くと思うのか?誘われたから行くんだよ!」と高飛車な態度だねぇ。
ま、しょうがない。
海人くんには英気を養ってもらうということで、よろしくお願いします。
12年8月5日
高校時代の友達、海人くんちに泊まりに行った翌日、夜遅く帰ってきて、
「1日、何してたんだ?」と思ったのもつかの間、あっという間に「どこに行っていたか」は判明した。
真っ赤に日焼けしているのだ。
顔から胸から腕から、もう、全身が真っ赤。
ごていねいに体の裏側はほとんど焼けていない。
「海に行ってきた」と不機嫌そうに言う息子は、灼熱の太陽の下、あおむけで寝入ってしまったんだろうか。
海外医療ドラマ「ER」にそんな人が出てきたなぁ。
まあ、あきれてばかりもいられないので、冷蔵庫に3年ぐらい入りっぱなしでキンキンに冷えている「カーマインローション」を塗ってやり、
「気持ちいい〜!」と言うところにたたみかけるように、氷水で絞ったタオル2枚を、寝転んだ息子の胸と顔にかけてあげる。
「ああ、冷たい〜、ありがと〜」と、さすがの彼も素直であった。
思えば柔道をやって12年。
ごわごわの柔道着を着る彼らは、日焼け御法度。
うっかり日焼けすると、分厚い生地にこすれて、地獄の苦しみだという。(from 「柔道部物語」 by 小林まこと)
彼にとっては、小学校に入ってから初めての「焼けてもいい夏」なのだなぁ。
夏だ!海だ!青春だ!!
親心というのは不思議なもので、コドモが楽しくしてるとこっちも楽しくなっちゃう。
急に決まった海行きで、海パンを持っていたかも謎だが(洗濯には出てなかった)、楽しかったんだろうなぁということぐらいは真っ赤な顔を見ればわかる。
最近できたと評判のカノジョも一緒だったのかなぁ、いや、どうも男だけで行ったっぽいなぁ、と、いろいろ考えてしまう。
いずれにしても、楽しい時期だよね。
海人くんも、早く大仕事が終わるといいんだが。
12年8月6日
私の卒業した大学の「リユニオン(同窓会)」で、当時、寮で同室だった帰国子女の女の子と会った。
他の寮生たちはけっこうしょっちゅう「ルーム・リユニオン」という同室での集まりをやっているらしい。
私もやってみたくなって、彼女にそうもちかけたら、「いいですね!」(私の学年の男の子と学内結婚したので来ていたが、学年は下。そもそも9月入学だし)と言ってくれた。
そののち、もう1人のルームメイト(こちらは私より1つ上の先輩。ものすごくお世話になった、キップのいい姉御肌)にもメーリング・リストでその話をしたら乗り気になり、おまけに金沢から東京に出張があるらしく、
「会いましょう!」ということになった。
後輩のアドレスがわからないので家に電話したら、娘さんが出た。
「○○大学の大内ですが」と切り出しても「はい」という感じで、しばらく双方勘違いに気がつかなかった。
娘さんも同じ大学で、ちょうど向こうさんも大学の事務局の人からの電話を待っていたので、私の電話をその件だと思った、というわけ。
「△△さんも東京に来るんだって。ルーム・リユニオンをやろうよ!」というあたりで向こうさんがおずおずと、
「あのー、もしかして母の方でしょうか・・・?」と聞いてきて、やっとマチガイに気づいたよ。
そんな経緯で、今日はなつかしい2人に会った。
適当に決めた居酒屋に2人を誘ったんだけど、景色もよくごはんはおいしく、なかなかの当たりだった。
7時から飲み始めて、お勤めしながら2人の娘さんを育てている後輩、金沢で大学の教授をやっている、一人息子が高校からサッカー進学のため家を出てしまうかも、という先輩と、延々4時間飲んでた。
私はもう「主婦という名のプー」をやって長いのであんまり話すこともないけど、相変わらず大内くんの話はむちゃくちゃウケるなぁ。
誰と話していても、「すっごくいいダンナさん」「ラブラブ夫婦」と感心されてしまうのはなぜだろう?
大内くんに言わせれば、
「キミが自慢しすぎ。ふつう、自分の家族のことはもうちょっと控えめに言う」らしいんだが、好きな人を好きだと言って何が悪いのだ!
あなたが掃除やご飯作りなど、家のことに大いに貢献してくれるのも事実じゃないか!
とにかく楽しかった。
互いの「今」を交換するのに夢中で、大学の半年間を一緒の部屋で寝起きした思い出についてはちょっと話し足りなかったかも。
もっとも、2人から、
「あなたは本当に寮にいなかった」というお墨付きをもらってしまったよ。旧悪露呈。
別れ際に、先輩からは地元名物のお菓子、後輩からはサシェと入浴剤をもらった。
何も準備してなかったのは私だけ。
「大内さんは企画してこのお店を予約してくれたから」と優しい2人は言うが、恥ずかしい!
一緒に来たがっていた大内くんは、今日は珍しい泊まりの出張。
私が自転車で家に帰り着いたのが11時半頃。
家には誰もいない。
お風呂に入りながら、「ちょっと寂しい」気持ちを味わった。
12時過ぎに九州で宿に入ったという大内くんから電話。
「ルームリユニオンはどうだった?」と聞いてくれる彼は、やっぱり優しいダンナさんなんだろうなぁ。
あらましを話して、
「またやりたいよ」と言ったら、
「やればいいじゃない。僕も、キミにいい友達がいて嬉しいよ」。
先輩が、
「今度はぜひMr.大内にもお目にかかりたい」と言ってくれたことだし、次の機会には一緒に行く?
いや、女子会なとこがいいんだよなぁ、ルームリユニオンは。
本当に、あっという間の4時間だった。
とっても盛り上がって、ぜひ第2弾をやりたい。
だんだんコドモに手がかからなくなって、そんなことも増えるかもしれない。
次の機会を楽しみに。
今日はどうもありがとう!>先輩、後輩。
12年8月7日
昨日、大内くんは出張でいないし息子は帰ってこないしで、お風呂から上がって12時頃1人で寝ようとしていたら、玄関のドアが開く音が。息子だろうなぁ。
寝室から顔だけ出して「おかえり」と言ったら、なんとそこには漫才の相方、なかちゃんが。
あやうく全裸でご挨拶してしまうところだった!
彼は、ちょくちょく泊まりに来てくれるので大歓迎なんだけど、あまりに急な話に頭がくらくらした。
息子が電話でひと言断ってくれたら、こっちも心の準備ができるのに。
今、ちょっとした大会があって、彼らは毎日「ネタ合わせ」に余念がないらしい。
明日も夕方から大会なんだって。
ネタ合わせに来たなかちゃんなんだろうけど、なんだかテレビばっかり見てるね、この人たちは。
帰るなり、「メシ。何がある?」と言って冷蔵庫を物色して、ごはんと納豆と残り物のおかずでいいから食べさせろ、と息子は言う。
「なかちゃんはいいの?」と聞いたら、
「自分、大丈夫ッスから」と頼もしい返事。
まったく、いくら自分ちだからって、息子は傍若無人すぎないか?
なかちゃんの手前も恥ずかしいよ、ホントに。
朝は「6時に起こして」と言われたが、なにせ寝たのが2時過ぎだ。
本当に起きられるのだろうか、と危惧しつつ、2時半に寝た私が6時に起きて2人を起こす。
案の定、起きられない。
「7時に起こして」って、こっちはそのためだけに早起きしてんだよ!
紆余曲折あって、結局、息子が起きたのは8時半。
なかちゃんはもっと早く起きてくれたが、彼もまた、息子を起こすほどの気力はないようだ。
息子がシャワーを浴びている間に、なかちゃんにこっそりと、
「ああいうふうなんだよ。ひどいよね」とささやいたら、
「あんなもんじゃないッスかね」という答え。
おだやかで品行方正ななかちゃんも、家では案外ひどいのか?
食べると言っていた朝ごはんも食べずに2人が出かけてしまったあとには、3合のごはんと解凍してしまった納豆が残された。
大内くんが泊まりの出張から帰るのは11時頃だと言っていたし、明日は昼から北海道に行く。
ごはんどうしよう。
12年8月8日
今日から大内くんと2人、3泊4日で北海道に行く。
息子が塾の合宿に今年は初めて生徒ではなく講師の立場で行くので、我々もその隙をついて旅行でも、と思って。
もっとも、漫才の大会の都合で、息子は1日遅れての参加になるという。
そういう生徒さんが何人かいるので、講師の1人が2日目の早朝に車を出して拾って行ってくれるらしい。
もうそんな面倒をかけているのか。ダメじゃん。
1泊目は寝台特急カシオペアだ。
これは、チケットを取るのがかなり難しいらしい。
「アレンジをお願いした旅行社の人が、『カシオペアが取れるかどうかで、旅行社の格が決まります!』って言ってたよ」と大内くん。会社の関係で、
いい旅行社に当たってるようだ。
でも、この15年以上、旅行というとお願いしていた担当の女性が、2年ぐらい前に異動になっちゃって、他の人が担当してくれるようになったんだよね。
旅から帰ると、お土産のお菓子と旅行中に描いた大内くん作の「絵日記」を届けに行くのが習わしだったから、少し寂しい。
息子は明日の早朝に出かけるらしいので、
「火の元、戸締りには十分気をつけて」
「朝の4時に電話するから、ちゃんと起きてね」などの注意事項をよーく言い聞かせておく。
(5時に函館着なので、4時起きはそれほど難儀ではない)
「下宿してる子なんかもいるぐらいなんだから、大丈夫だよ。まかせておけばいいよ」と大内くんは大らかだが、私は、帰ってきたら家が焼けている、
なんて目にはあいたくないんだ!
洗濯物を取り込んで、2時ごろ家を出る。
4時過ぎにはカシオペアだ。
ああ、興奮する!
帰ってきたら旅日記を書きます。
とりあえず来週の更新までお待ちください。
新鮮な北海道の思い出をお送りしますね。
12年8月8日
大内家恒例の夏の旅行。
とは言っても、息子はもう一緒に行ってくれる歳ではないし、そもそもバイト先の塾の勉強合宿に行くというので、その隙をぬって行こうというセコイ
話なんだ、実際は。
今回は北海道に行き、函館と網走を見てくる。
両方とも昔行ったことがあるところなので、どう変わったかな、と。
特に網走の「北天の丘
あばしり鶴雅リゾート」というホテルには5年前息子と一緒に泊まり、できたばかりの素晴らしいホテルだったので、どうなってるかなぁ、というわけ。
北海道には夏2回冬1回行っていて、うち2回はコドモ連れ。我々にとっては今回で4回目か。
息子が露天風呂のある部屋ではしゃいでいたのが昨日のことのようだ。
この旅の間、何度も、
「前は、息子がいたね。可愛かったね」と言う予定。
だがしかし、息子が合宿に行ってる間にキレイにはめ込んだ旅行だったのに、「お笑いの大会がある」というだけの理由で、1日遅れての出発となるという。
我々が16時のカシオペアに乗って翌朝函館に着く頃に、息子は自宅を後にする。
「大丈夫だろうか。帰ったら家が焼け落ちていないだろうか」とおろおろする私に、大内くんは、
「もう大学生だよ。家によっては、一人暮らしをさせてるんだよ。大丈夫に決まってるじゃない!」と自信たっぷりだ。
「戸締りと火の元だけは気をつけてね」とかきくどいての出発となったが、心配でたまらない。
「冷蔵庫開きっぱなしで、3日間アラームがピーピー鳴ってたらどうしよう?」
そんな私を、人は心配性と呼ぶ。
さて、そういうわけで出発だ。
14時ごろ家を出て、16時20分発のカシオペア。
私はチキン弁当、大内くんは万世のカツサンドを晩ごはん用に買う。
カシオペアはあいかわらず大人気で、入線した車体を、大勢の人がカメラに収めている。
我々も旅の始まりの記念写真ということで、交互に撮る。
部屋に行ってみると、2人部屋はとてもよく設計されている。
前に乗った時は3人部屋で、やや広かったかな。
でも、2人部屋の機能性にも感心する。
車窓を横に、向かい合って座っても少しも狭く感じない
壁に埋め込まれた小さなテレビでは、BSのオリンピックをやってる。電波が悪いのか、画面は途切れがち。
動き出した列車に、「旅の始まりだね!楽しみだね!」と言いながらお弁当を食べ、19時頃に試しに座席をひらいてベッドを2つ作って寝てみたら、 ものすごく寝心地がよく、電車の振動に身体を預けているうちに2人とも眠り込んでしまった。
起きたら23時過ぎ。
食堂車の「パブタイム」でビールでも飲もうかと思ってたのに、営業時間が終わっちゃったよ。
せっかくコーヒーチケットももらったのに。残念だ。
本格的に寝たのは1時過ぎ。でも夜中の2時に目を覚ましてしまう。
青森で停まって、列車の前から後ろに機関車をつけ替えるのを待つ。案外時間がかかった。
函館まではそれほど長くない。寝られるうちに寝ておこう。
12年8月9日
4時に起きて、家で寝ているはずの、塾の合宿に参加する息子を電話で起こす。
ちょうど青函トンネルに入っていたので、しばらくはケータイが圏外だった。
10分ほどでトンネルを出てつながった。「起きてるよ」とだけ言って電話を切られたぞ。
こっちは4時起きして起こしてやってんのに、と思ったら、ケータイに「起きてる」というメールが入っていた。気づかなかったよ。
4時半ごろ、車掌さんが「もう30分ほどで函館に着きます」と起こしに来てくれた。ありがたい。
札幌まで行く方が普通だろうなぁ。
予定通り5時に着いてカシオペアを降りる。
ホームを歩きながら列車を見ると、けっこう皆さん起きていて、窓の外を見ている。
駅のベンチでは大勢の人が寝ていた。
実はこれが正解なのだと、のちに思い知る我々。
7時に動き始める市電を待てなくて、最初の目的地である五稜郭へと歩き出してみる。
20分ほど歩いたらくたびれてしまったし、小雨が降ってこともあり、道沿いで店の前を掃除しているおっさんに頼んで、食堂の中で雨宿り+休憩させてもらう。
すぐにやんだので、また歩き出し、やがて本格的に歩けなくなってきたところでちょうどやってきたタクシーを拾う。
五稜郭へは10分ほど。歩くのは無理だっただろう。
早朝の散歩(ウォーキング?)をしている人が多いなぁ、と思いつつ、新築されたという奉行所の前にある広場に6時半過ぎに出たら、大勢の老人たちが「ラジオ体操」をしていた。きちんと第二まで。
終わったら、波がひくように去って行き、誰もいない広場に、あっけにとられている我々だけが残された。
シルバーたちの健康意欲にはいつも驚かされる。
散歩を続けていたら、シルバーな男性が、にこにこして「これどうぞ」と差し出すのは4つ葉のクローバー。
さっきから足元にクローバーがいっぱいあるので、軽く目で探してはいたんだ。
「旅人さんですね。これをあげましょう」って感じかなぁ。
ありがたくいただいて、大内くんの手帳にはさんでおいた。
ほのぼのする旅の人情。
9時に五稜郭タワーが開くまで、駐車場の自販機の前のベンチで時間をつぶしつつ休む。
1時間半ぐらいか。
ヒマなので、息子にメールしてみる。
「北海道なう。そっちはどう?昨日は眠れた?」
そしたらレスが来て、
「なうとか言ってんじゃねえよ。だせえぞ。昨日は寝てねー」
ああ、息子は健在だ!
「こっちはちょっと雨。寒いよ。ちょっと寂しいな。顔が見たくなっちゃった」
「あっそ。じゃあね」
これが正常な親子関係というものなんだろうなぁ。
2日目でこんなに疲れていていいのか?と思いつつ、五稜郭タワーが開いたので、展望台に昇る。
上から見たら、確かに五稜郭は星形をしていた。これほどの高さでないと形が分からないのに、作った人はエライよ。
一か所、床に穴が開いていて強固なガラスをはめ込んであるようで、まっすぐ下に地面が見えている場所があった。
上に立ったら頭から血がひくような気がした。コワい。
2人とも、高所恐怖症の気はないんだけど。
再築されたという奉行所に行ってみた。とても広い。
できるだけ当時の材料、建築法を再現したという再築のようすを映画にしたものを見たが、たいへん興味深かった。
昔はどうしても色むらの出た瓦の1枚1枚が、今は均一な色に出来上がる。
そこで、わざわざ微妙に違う4種類の色の瓦を造り、混ぜて屋根をふいたという。復元への執念に、頭が下がる。
市電で網走の駅を通り越し、坂と教会の多い元町へ行く。
20年ぐらい前に来た時に食べた、「カール・レイモンさんのソーセージ」が忘れられなかったんだ。
ものすごい登り坂をうんうん言いながら登って、やっとたどり着いたお店。
もうとっくに死んじゃった人ではあるけど、ドイツ生まれの食肉加工業者さんで、日本においしいハムやソーセージを伝えてくれた人。
大内くんはホットドッグ、私はハムサンドを頼み、2人とも全然足りなかったので、長い焼きソーセージを1つ頼んで一緒に食べたけど、まだ入りそうだったので、ベーコンサンドを頼んで2つに切ってもらった。
これもぺろりと食べちゃったなぁ。
函館に来たのは、この店に来たい、というのが9割がたなんだ。
息子にもぜひ食べさせてあげたいので、日曜に家にクール宅急便で届くようにソーセージの詰め合わせを注文した。
教会がいっぱいあってロマンチックだし、いいところだよ。
難物は坂ですね。
2人とも、かなりなグロッキーで、
「息子は富士山の山頂まで登ったんだよね。ご苦労さまなことだね」と苦しい息で言う。
ロープウェイにも乗った。眺めはものすごく良かった。でもやっぱりくたくた。
ロープウェイで降りてきて、空港へ向かう。
空港へのバスを逃しそうになりながらなんとか無事乗れて、座席が横に3列しかない小さなプロペラ機を函館空港から丘珠(おかだま)空港で乗り継いで、網走の近くの女満別(めまんべつ)空港に行く。
それぞれ1時間ほどのフライトだし、待ち時間もほとんどないけど、ちょっとめんどくさいね。
無事女満別空港に着いて、バスで「呼人(よびと)駅」という小さな無人駅までたどり着いて、宿の人を電話で呼ぶ。
数分で、車が迎えに来てくれた。
5年前に息子を連れてきたところで、この宿がどうなっているか見たい、というのがこの旅のメインの目的だった。
少しも変わっていない。
住所を記帳したりする時、席に案内されて、小さなグラスに入った「りんご酢」をすすめられるところまで。
サービスや部屋はどうなっているのか。わくわくしてきた。
5年前にも泊まった「露天風呂のついた部屋」に案内されたら、何も変わっていなかった。
(ベッドやテレビ、窓の外の浴槽の位置などが「線対称」で逆向きだったから、別の部屋ではあるんだけど)
マッサージチェアのある窓際のくつろぎコーナーの壁にCDプレーヤーがとりつけられ、数枚のCDが置いてある。
前に来た時、
「絶対、持って帰っちゃう人が出るから、CDをずっと置き続けることはできないだろうね」と言いながら帰ったというのに。
盗っ人が出ないのか、「必要経費」と割り切って補充し続けているのか、どっちかわからないけど、変わっていないのに驚いた。
これが確認したくて再びやってきた、と言っても過言ではない。
会社の保養所や清里で野球をやっていた頃のペンションを除けば、同じ宿に2度泊まるのは、大内家史上初めてのことだと思う。
絶対、もう1度来よう、と思ったよ。
次は大内くんが引退してからかなぁ。
札幌の「雪まつり」を見て、この網走に、「流氷」を見に来よう。
大浴場で岩盤浴やサウナを楽しむ。
「テルマエ・ロマエ」のポスターが貼ってあった。
(「入浴上の注意」が、ちゃんとヤマザキマリの絵で描いてあるよ。確かにこれは、全国の温泉に貼るべきだろう)
疲れたので、2人とも、マッサージをしてもらう。
別の部屋でやってたのでわかんなかったけど、大内くんはよだれをたらして寝入ってしまったそうだ。恥ずかしい人だね。
青山学院大学のラグビー部の合宿があるそうで、確かにごつい体格のにーちゃんたちがうろうろしていた。
大内くんは、男湯で大変きゅうくつな思いをしたらしい。
それに、5泊もするそうで、いやはや青学の人たちはお金持ちだなぁ。
息子は受けて落ちてるんだが、行かなくてよかったよ。
部屋に戻ってくつろぎ、夕食はホールでバイキング。
山海の珍味をたくさん楽しんだ。明日はフルコースを頼んである。楽しみだ。
部屋でのんびりオリンピックでも見るか、と思ったけど、大浴場にはもう1度ぐらい行っておきたいし、バーで好きなものを飲める「ワンドリンクチケット」ももらっちゃったし、あちこち行かないと。
こういうとこが貧乏性でダメなんでしょうか。
全部すんで部屋に戻ってきたのが23時頃か。
大内くんは、恒例の「旅絵日記」を描く気力もなく、強く薦めたら部屋の露天風呂に1回入ったが、あとはベッドでぐんにゃり。
明日もあるしね。私も寝よう。
12年8月10日
7時頃起きて、まずは部屋の露天風呂に入る。
大浴場に行かなくても朝湯が楽しめる、これが露天風呂つき個室の醍醐味であろう。
私はもう、露天つきでない部屋には泊まれないかもなぁ。お金ないのに。
朝食バイキングの部屋に行くと、各テーブルにIHヒーターがついていて、だし汁を張った鍋が置いてある。
「お好みの具材を取って、お味噌汁を作ってください」ということらしい。変わってないなぁ。
前に来た時は、息子がハマグリの味噌汁が食べたい!と張り切ってたんだよね。
今回はアサリとねぎだぞ。
朝食を終えると、予定通りサイクリングだ。
宿の車で「道の駅」まで10分ぐらいの距離を送ってもらって、そこで、電動機つきレンタサイクルを借りる。
3時間千円というのは安いのか高いのか。
電動機つき自転車は、石見銀山に行ったときに乗ったことがあるけど、いやあ、楽なもんだね。
ちょっとこいだだけで、するするっと進む。
坂道もほとんど疲れない。
でも、めざす建物はみんな山の上にあるんだよね・・・
というわけで低い山とはいえ、ほぼ頂上まで自転車で登ってしまった。
まずは、「網走監獄博物館」。
前に息子を連れてきたが、もう1回見たかったんだ。
新設された部分もあり、たいへん楽しめた。
北海道の大地を拓くにあたって、安い労働力としての囚人を使ったってことか。
勉強になりました。
次は「流氷博物館」だ。
こちらの売りは、「しばれ体験」。
要するに、流氷を砕いたカタマリ(それでも1個が人の背丈より高い!)がたくさん入っている「冷凍庫」みたいな部屋に入り、入り口で渡された濡らしたハンドタオルの端を持ってくるくるくるくる3、40回回すと、あ〜ら不思議。タオルが凍って、カチカチになっちゃった!
これはかなり感動的な見世物で、冷凍室を出て展示を見た後、我々はもう1回やらせてもらっちゃいました。
冷房がなくて暑いなぁ、と思ってたところへの思わぬサービス。
ずっといたら死んじゃうんだろうけど、つかの間の涼しい楽しみをさせてもらいました。
もうちょっとあちこち回る予定だったんだけど、この旅何度目になるかわからない「くたびれた」状態なので、帰ることにする。
3個借りたうちのバッテリーが2個消耗される、というサイクリングでした。(バッテリーは、1個1時間ぐらいもつって)
3時間を15分ぐらい超えてしまったので、くやしいけれども追加料金を千円ずつ払う。
電話したら宿の人がまた迎えに来てくれて、やれやれ疲れたぞ、って部屋に戻ったのが13時半頃。
14時から大浴場に入れるので、大内くん的には青学の人たちがラグビーの練習だか試合だかをやっててくれる間にゆっくりサウナに入りたいらしい。
実際、1時間40分ぐらい帰ってこなかったよ。
「すいてた?楽しかった?」と聞いたら、
「岩盤浴で寝入っちゃって、ひからびた」と言っていた。
まあ、のんびりできたんならいいじゃない。
大内くんはそのまま昼寝に入ったので、私は持って行ったiPadで読書。
うーん、iPadは偉大だ。
旅のお供の本を悩むのが常なのだが、気になるやつは全部放り込んでくればいい。
本当に役に立つよ。
やがて大内くんが起きて、夕食の時間になったので、今日は個室でフルコース。
ちょっと私好みのイケメンのウェイターさんが世話を焼いてくれる。
メニューは以下の通り。
・じゃがいものピシソワーズムース 網走産前浜の生ウニ飾り
・本日入荷鮮魚のお刺身風サラダ仕立て
・海の幸のパナッシェ バートフィロ包み焼き
・シェフ特製スープ
・市場からのお魚料理
・お口直しのグラニテ
・あばしり産和牛フィレステーキ
・本日のデザート
・全粒粉を使用したパン
すごいごちそう!
おなか一杯になるまで食べてしまったよ。
でも、なんとなく前の時はもうちょっとイタリアン寄りだったなぁ、と思い、ウェイターさんに聞いたら、5年前、オープン直後だった時と、シェフは変わってるんだって。
大内くんに、
「すごい舌を持ってるね!」と感心されたよ。
いや、普段は全然わかんないんですけどね。
今回は、「私の大好きな味」から「わりとおいしい味」へと変わっていた、というだけ。
ウエイターさんに「ごちそうさまでした。とてもおいしかったです、と、シェフにお伝えください」と言って部屋に戻り、お風呂のしたくをしてロビーへ。
ハープの生演奏をやっていた。
アルゼンチンから来たハープ奏者らしい。
なんだかゴージャスな女の人だった。
今日もドリンクチケットをもらっているので、窓の外で燃えている「シンボルタワー」のかがり火を見ながら2人でしんみり。
「楽しい旅行だったね」
「絶対、もう1度ここに泊まりに来ようね」
「息子はもう一緒に来てくれないかね」
「10年ぐらいしたら、息子の家族と一緒に来たりしてね」
などと、話は尽きない。
でも、明日もあるから寝なくちゃね。
部屋に戻り、そなえつけのコーヒーメーカーで大内くんがコーヒーを入れてくれる。
豆からひく本格派だ。
部屋の露天風呂を楽しみ、CDの音楽を聴きながらコーヒーを楽しむ。
明日はもう東京だ。
遅い便なのでゆっくり帰ろう。
12年8月11日
いよいよ旅行も今日で終わり。
今朝も朝から部屋風呂に入り、大浴場でものんびりして、また味噌汁を作って朝食。
私はパンをいっぱい食べた。
宿の人たちにお礼を言い、昨日の夕方に持ってきてもらったレンタカーのカローラに乗り込み、さて、今日は釧路まで行くぞ。
大内くんが運転してくれて、ドライブは快適。
2時間ぐらいはかかる、とカーナビが言っていた摩周湖に、1時間ちょっとで着いてしまうのは、やはり北海道の車の速さか。
博物館を見ていたら、釧路の街で「ルパン三世アニメ化40周年記念展示会」をやってるというポスターを見た。
大内くんはルパンが大好きだ。
(いや、正確に言うと好きなシーズンとそうでないものがあるらしい。「カリ城」はもちろん大通し)
これは見に行かなくっちゃ、と向かった先は、釧路市立美術館(釧路市生涯学習センター3階)である。
立派な建物で、駐車場は満員だし、大内くんは、
「みんなそんなにルパン好きなの?」と驚いていた。
もちろんルパンを見に来る人ばっかりじゃなくて、いろんな催し物をやってるようだ。
ルパンはかなり立派。
山のように展示されているマンガ原稿を見て、大内くんはため息をついていた。
どうやら作者の「モンキー・パンチ」はこの近辺の出身らしい。
それでこんなに大がかりにやってるのかぁ。
すっかりルパン心が満たされて、おみやげ屋さんでメモ帳を1コ買い、次は釧路の博物館。
この頃になるとだいぶ疲れており、重い足を引きずるようにしてマンモスやクジラの骨を見学した。
ここまでで15時ぐらいだが、飛行機は20時発なのでまだ時間はたっぷりあるね。
でも、元気の方が足りないので、とにかく空港に行っちゃおう、ってことになり、レンタカーを走らせる。
ところが、空港近くにガソリンスタンドがない。満タンにして返さなきゃいけないのに。
しょうがないから空港に近づいてからまたいったん離れて軽いドライブをしてみたが、全然ない。
おまけに霧がたち込めてきた。
広い北海道の風景が霧に包まれて何も見えない中、対向車もほとんど来ないような寂しい道を走っていると、思わず、
「黄泉平坂(よもつひらさか)とはこういうとこかねぇ」とつぶやいてしまう。
おまけのドライブをそれなりに楽しんで、仕方なくレンタカー屋さんに戻った。
ガソリンを入れてもらわねばならず、さぞかし「レンタカー値段」なんだろうなぁ、と心配してたら、「リッター136円」。
街中とほとんど変わらないじゃん。
余分に走って、損したかも。
「半径20キロ以内にはガソリンスタンドはないです!」と受付のおねーさん。
妙なところで胸を張るな!
フライトまではまだまだ時間がある。
とりあえず空港内でラーメンを食べた。なかなかおいしかった。
あまりにヒマなので、2人して「足つぼマッサージ」をやってもらう。
1人30分3千円。この旅では、ずいぶん贅沢をした。
これで30分つぶしたが、あとはもう、椅子で待つしかないよ。
運転で疲れた大内くんを膝枕でソファに横にならせておいて、私はiPadで読書。本当に役に立つなぁ。
1時間ぐらいで起きた大内くんと話していたら、どうも濃霧のため、丘珠空港から来た飛行機が着陸できずに出発地に戻るようだ。
心配になってカウンタに聞きに行ったら、小さなプロペラ機は自動誘導装置がついてなくって離着陸ができないけど、我々が乗る大きなやつはまず大丈夫なんだそうだ。
ここで東京に帰れなかったら、えらいことだぞ。
レンタカー屋さんのおっさんに、
「ずいぶん霧が出てますけど、めずらしいんですか?」と聞いたら、
「いや、しょっちゅうですよ」と言われたので驚いて、
「こんな中を、飛行機は飛べるんですか?」と聞き返したら、
「あんまりひどいと欠航になっちゃいますけどね」とあっさりしたもんだった。
ドキドキしちゃう。
5分遅れにはなったものの、無事離陸。
2時間弱で東京だ。
大内くんはずっと寝てた。
骨休めの旅行でこんなにくたびれてちゃいかんよなぁ。
我々も歳だから、そろそろもうちょっとゆったりした旅行をするべきなのかもね。
宿は連泊して充分休んだけど、サイクリングがよくなかったのかな。
何事もなく東京に着き、家方面のバスにも無事に乗れて、またしても大内くんが寝てる間に、隣町まで着いた。
そこからバス。
家にたどり着いたのは真夜中の0時のことでしたとさ。
塾の合宿に講師として初めて参加した息子はまだ帰っていなかった。
塾で、残務処理をしているものと思われる。
こうしてつつがなく終わった大内家夏の旅行’12年。
本当に楽しかった。
「北天の丘」にはぜひもう1度泊まりに行きたい。
人生の終わりが見えてくるであろうその頃、我々はどんなふうに暮らしているんだろう。
本当に、息子の家族と一緒に温泉に行ったりする日が来るんだろうか。
12年8月12日
さて、旅行が無事に終わったと書いたが、必ずしも無事とは言えないかも。
我々が帰って家のドアを開けたら、「ピーピー」というアラーム音が鳴りっぱなし。
「たいへ〜ん!冷蔵庫が開いてる〜!」と駆け寄ったら、冷凍庫の扉が少し開いていた。
もちろん冷凍庫のものは全部溶けちゃったし、その影響で冷蔵室や野菜庫もすっかりあったまっちゃってる。
庫内温度10度。
「戸締りと火の元」だけはと言って出かけたはずなのに、息子の部屋とリビングの窓は開けっぱなし。
玄関のカギをかけただけでも上出来か。
そんな大騒ぎをしているところに息子が帰ってきたので、
「冷凍庫が開きっぱなしだったよ!餃子もお肉もアイスも、全部溶けちゃったよ!」と叱るも、
「ふーん。荷物かたづけといて」と言ったきり、部屋に行ってしまった。
何事にも動じない大内くんが、片づけてあげてたようだ。
私だったらやってあげないなぁ。
でも、
「ほっといてもやらない。洗濯物とか出さないといけないし、やるしかないでしょう」と言うのが大内くんの言い分。
私はそこまで達観できませんよ。
牛乳も卵も全部廃棄だ。
溶けちゃった冷凍餃子はぶにょぶにょして気持ち悪い。
山のような食料品を生ゴミ袋にぶち込んで、ゴミ捨て場に持って行く。もう1時だ。
このように、息子がほぼまったくあてにならないことがよくわかった。
「もう大学生なんだから」と言う大内くんよ、大学生なんか信用しちゃ、ダメ!
それにしても、私は「心配性」とよく人に言われるのだが、ここまで心配がズバリ的中した経験もないかもしれない。
この損害を、息子のバイト料から出してくれないものだろうか・・・
旅行明けの今日は、みんな昼まで寝てた。
それからは、洗濯と買い物に追われたし、息子はデートなのか何なのか、
「新宿に行く。交通費500円ちょうだい」。
いや、キミからはむしろお金をもらいたいぐらいなんだが、と思いながら、
「塾のバイト料、出てるでしょ。自分でお金おろして使いなさい」と言ったところ、
「合宿があったから、まだ給料出てねー。金がねーんだよ!」と言う。
大内くんが、
「いいよいいよ、出してあげなよ」と言うので出したが、憤懣やるかたない思いだ。
あとから大内くんは、
「デートかもね!」と言うが、デートだったら電車代だけじゃなくってもうちょっとせびらないかね。
きっと漫才のライブでも見に行ったんだよ。
我々の留守中に、スカイプでカノジョと長話、という荒業を発見したらしい息子。
必要は発明の母だ。
でも、私はこのナイスアイデアがなぜか気に入らず、めずらしく、自分でも理由がわからない。
「それが姑心ってやつだよ」と大内くんに笑われ、実に腹立たしいが、勉強ももうしなくていい息子が、お金をかけずにカノジョと仲良くできるんだったらそれに越したことはないよね。
うーん、やっぱり、息子の色恋沙汰は面白くないものなのかなぁ、女親ってのは。
ロンドン・オリンピック最後の競技、男子マラソンを見ながら恒例の「水餃子」を食べる。
オリンピックであること以外は日常だ。
スカイプやってる息子の声がかすかに聞こえる寝室で、おやすみなさい。
明日からまた元気に暮らそう。
楽しい日々だった・・・
12年8月13日
大学の夏休み中に、息子が東北にボランティア活動に行きたいらしい。
サークルの先輩に誘ってもらったようで、「未成年者の参加を認める」旨、保護者が印をつく書類を持って帰ってきた。
でも、肝心の費用とか仕事の内容とか、全然わからない。
「内容をご確認の上、承諾をお願いします」って言っても、パンフレットひとつないんじゃなぁ。
息子は、
「書類を出したらもらえるんじゃないかなぁ。とにかく、書いて!」と強硬だ。
でも、会社で法務を担当する大内くんとしては、
「職業柄も、気になってきた。内容を確かめないと、『めくら判』を捺すわけにはいかない」(これって、差別用語ですか?)という感じ。
でも、息子にいくらそう言っても、怒るばっかりで、話し合いにならない。
最後には、大内くんが根負けし、少なくとも主催会社がネットでもボランティア活動してるとわかる旅行社であることを確認し、書類を書いた。
あんまりモメてると、息子のやる気がなくなって「もういいっ!」とか言いそうで怖かった私としてはありがたいけど、こんなとこで節を曲げてはいかんのかもね。
まあしかし、いい経験になることは確かだ。
2泊3日、どんな活動をするんだろう?
スカウト活動で、ボランティア経験はいろいろあるけど、家を離れて遠くで、ってのは初めてだ。
ちょっと緊張する。
少しでも被災地の方々の助けになるといいんだが。
12年8月14日
息子がこの夏休み中に「北海道まで自転車で行く」(自転車は現地で廃棄して、飛行機で帰ってくるらしい)という大旅行の計画と、9月半ばからは病院で夜間の事務のバイトをする、という計画を立てているらしい。
両方とも同じ友達からの誘いで、この子は高校時代からのつきあいで大学も一緒だという、けっこうな仲良しである。
(ただし、彼にとっての早稲田はすべりどめであったらしい)
この2つの計画について、息子本人にいくら聞いても埒が明かないので、思い切って友達にメールしてみた。
メアドは高校のクラスメートのお母さんから息子さん経由で入手した。
しばらく返事か来なかったので、
「どうしたんだろう。やっぱり、友達のお母さんからメールが来ても、レスしたくないものかなぁ」と心配していたら、1週間ほどたって、長いレスが
来た。
内容は、要するに、
「北海道行きは今、計画を練っています。ほぼ確定です」ということと、
「病院でのアルバイトは、徹夜で働くので大変ですが、自己管理ができれば大丈夫です」。
そして、両方に共通して、
「お母さんはいろんな面でご心配でしょうが、大丈夫だと思います」と書かれており、たいへん礼儀正しい文面で、末尾には、
「大内くん(この場合は息子)は大内くんでしっかりしていますから、まかせておいてもいいと思います」に加えて、
「僕たちももう20歳ですから、少し信頼して見ていていただけたらと思います」と結んであった。
何やら、完敗である。
息子の友達にそんな風に言われて、親としてオトナとして、穴があったら入りたいよ。
イマドキの大学生はしっかりしてるなぁ。
つーか、息子がだらしなさすぎるんだろうけど、そんなだらしない彼にもしっかりした友達がいて、対等につきあってくれてるんだから、少しは信頼すべきか。
12年8月15日
家の前のセブンイレブンがつぶれるらしい。大ショック!
とっても便利だったのにぃ!!
いや、夜中にネット上の「セブンアンドワイ」で本を買おうと思って、普段通り「いつものセブンで受け取り」しようと思ったら、家の前のセブンが表示されないのだ。
「これは、もしや」といやーな予感を抱えて、セブンに電話して、
「そちらのお店での受け取りができないんですけど」と言ったら、バイトのにーちゃんが、
「あ、それはたぶん、うちが今月いっぱいで店を閉めるからだと・・・」と言う。
やっぱり!
ちょうど大内くんが起きてきて、「眠れないの?」と聞いてくれたので、
「大変なの!セブンが、つぶれちゃうの!」と訴えたら、
「それは大変だ!マンションに売店がついてる、ってぐらい便利だったのに!」と大内くんも驚いていた。
次は何になるのか、まだわからない or 教えてくれない状態だし。
いや、何が困るって、ここのセブンは、私が行くどんな本屋さんより「ご近所スキャンダル」「本当にあった嫁と姑」といったレディースコミック雑誌をたくさん置いているのだ。
少し離れたセブンとか、2年ほど前にできたばかりのローソンとかをのぞいてみたが、やはりその手の雑誌はほとんど置いていない。
「キミが、5年ぐらいかけて作った店なんだよ。買う人がいるから、入荷して、売るんだよ」と大内くん。まったくそのとおりかも。
翌朝、店長夫人に小さな声で聞いてみたら、
「あらっ、どうしてご存じなんですか?」と驚かれ、
「本の受け取りができなくなっているので」と答えたら、
「まだ公式には発表してないんですけどね。長いことお世話になりました。いろいろ勉強もさせていただいて」とお辞儀されて、はて、お世話はともかく、何を勉強させてあげたのだろうか?
「お客さんというのは甘い顔をしてるとつけあがる」ぐらいのことしかお教えできなかったと思うんだが。
ともあれ、朝のコンビニ詣でをするつもりなら、私の早朝散歩は少し長くなる。
もちろん、それだってほんのワンブロックといった感じで、「近くにコンビニがある」という状態自体は変わらないのだ。
今のセブンがそのまま別のコンビニになるかもしれないし。
とりあえず、レディコミ雑誌の入手先を考えなくては・・・
12年8月17日
出張から帰る途中の大内くんがメールをくれた。
「新幹線ナウ」
「それを言うなら『新幹線なう』ですわよ。ダサいですわね」と返事したら、何やら落ち込んでいたww
はやり言葉を使いたい気持ちはわかるが・・・
(私もこないだ息子に叱られたからなぁ)
12年8月18日
唯生が、長年の懸案であった「胃ろう」の手術をすることになった。
正確には、腸にあけて栄養液を摂るための「腸ろう」と、たまりがちな空気を抜くための「胃ろう」、2つの穴をあける。
普通は内視鏡を使って切らずに建設するのだが、唯生の場合はちょっと難しいので、開腹になるようだ。
それでもさほど危険のない手術で、2時間ほどで終わるらしい。
木曜に入院の手続きをしに行き、麻酔医と執刀医の先生から手術について説明をしてもらった。
2人とも若い女性。医師としての医療への女性の参入を、心強く思ったよ。
朝の10時に入院手続き、そのあと、手術中の先生たちの仕事が終わるまで唯生の病室で待った。
で、会えたのは実に16時。半日がかりだ。
でも、先生たちはその間遊んでいたわけじゃなくって、立ちっぱなしで手術してたんだと思うと、文句も言えない。
唯生の病室は、トイレのついた、見晴らしのいい個室。
前回「腸閉塞」で手術した時とは違って、差額ベッド代がかからない。
退院までずっといられるかどうかはわからないけど、とりあえず支出は少なくてすみそう。よかった。
翌日、金曜に手術。
朝一番、8時45分から始まるので、で大内くんと2人で駆けつけた。
唯生はストレッチャーに乗せられ、「???」という顔をして手術室に消えて行ったよ。
数時間かかる手術が終わるのを、病室か専用の個室で待つのか、また、手術の様子をモニタで見られるのか、と思ったけど、待合室みたいなとこでほかの人たちと一緒に待つようだ。
前方にある大きなモニタには、10人ほどの手術の経過が出ている。
空港の、出発案内板を想像してもらえばいいと思う。
個人情報保護のためだろう、氏名は出さず、月単位までの誕生日で個人の識別をする。
唯生の場合は、「21歳3か月」と出ている。
「入室」「麻酔中」「手術中」「終了」という感じで、状況がわかるのだ。
あと、待ち始める時にPHS機を貸してもらい、院内ならどこにいても手術終了を知らせてくれるらしい。
おかげで、院内のカフェでコーヒーを飲むゆとりがあったよ。
予定では1時間半だった手術が終わったのは、2時間半経過してからだった。
途中で、
「何かうまくいってないのかなぁ。大丈夫かなぁ」と少し心配になったが、無事に終わったよ。
「何も問題ありません」と執刀医の先生から説明を受け、お礼を言い、観察室に連れて行かれる唯生とはサヨナラして、家に帰った。
午前中いっぱいの出来事だ。
安全な手術だと聞いてはいたが、不安がまったくないわけじゃなかった。終わってよかった。
もう8月の半ば。
唯生が外泊できるようになるには、どのくらいかかるんだろう。
今年はお正月に帰ってきて以来、息子の大学受験、唯生本人の腸閉そくの手術、今回の胃ろう建設の入院と、いろんなことが立て続けで、全然外泊できない。
今度のお正月には帰ってこられるといいんだけどね。
12年8月19日
おととい胃ろうの手術が終わった唯生に、面会しに行く。
あいかわらずナースセンターの近くのよく目の届く部屋を使わせていただいてる。ありがたい。
もう、鼻腔チューブは抜いてあった。
栄養は点滴から摂っているのか、すでにおなかのチューブが機能しているのか、看護師さんたちは忙しそうだったので、聞く機会がなかった。
でも、元気そうだし、やはり顔にチューブがついてないとほっとするなぁ。
この感想について、障害を持つ子の親の中には、
「『顔がキレイになりますよ』って病院側は言うけど、そんな理由でおなかに穴をあけるのはリスクが大きい」と反応する人もいるようだ。
唯生の場合、経口摂食が無理になってしまってチューブ栄養になったし、今回の胃ろう・腸ろう建設は他に選択の余地がなかったということもあり、
我々的にはあまり悩んでいない。
最近は、「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)という考え方が出てきて、患者さんの「生活の質」をより高いものにするために医療従事者と家族が話し合う、ということが増えてきているそうだ。
唯生にとって、鼻腔チューブと胃ろうでは、どちらが彼女の人生の質を高めてくれるのだろうか。
「唯生、お顔がキレイになったね!」と素直に思ってしまった自分は、どうなんだろうなぁ。
12年8月20日
保育園「くじら組」のママ友たちと暑気払いの飲み会。
もう15年余のつきあいになるね。
北海道の大学に行ってしまった永遠のライバルりょうた、浪人中の親友しゅうくん、オタク仲間のけいすけくん、公務員目指して勉強中の真冬ちゃん、
以上4人のお母さんが出席してくれた。
うちはもちろん夫婦での参加だよ。
幹事を引き受けた大内くんがネットで探した居酒屋は、お料理がたいへんおいしかった。
今の居酒屋はレベル高いなぁ。
毎年、忘年会をやってて、また、夏休みにはコドモたちを集めて「お泊まり会」を企画し、ついでにお母さんたちもうちに集まって飲みましょう!って 感じだったんだけど、やはりコドモたちが大きくなっちゃったし、浪人中の人もいるので、今年の「お泊まり会」は成立しなかったよ。
いろいろ話して楽しかった。
くたびれたので一次会だけで失礼したが、あの元気な人たちはきっとカラオケとか行ったんだろう。
我々も、元気が余ってる時は二次会のカラオケはもちろん、三次会のジョナサンでお茶、まできっちりつきあうんだが、ここ2年ぐらい、飲むとすぐく
たびれちゃう。
大内くんに、
「年なんだから仕方がない。りょうた母は仕事の後に来て三次会まで行く?あの人は別物だ。もともとのパワーが違う」と言われちゃったよ。(笑)
次はまた忘年会かなぁ。
しゅうくんが受験目前だから、お母さんも飲んでる気分じゃないかも。
こないだ駅前のお祭りで偶然会ったしゅうくんは、
「ダメっすね。2時過ぎると、もう、集中できなくて」とこぼしていたが、保育園時代から知ってる私から見ると、キミが浪人してるってことだけでオドロキだよ。
息子と同じぐらい勉強がキライな子だったのに。
そもそも、息子が大学入試までお世話になり、今は講師のバイトをさせていただいてる塾は、小5の頃、しゅうくんに誘われて門をたたいたところだ。
息子の高校受験、大学受験の成果はすべてこの塾のおかげなので、しゅうくんにはいくらお礼を言っても言い足りない。
しゅうくんも、来年受かったらバイトに来るらしい。
保育園仲間が同じ塾で講師をする。いいねぇ。
というわけで、コドモ同士も仲は良いが、ママ友の輪も楽しい。
いつかコドモたちも一緒に飲めたらステキだね。
12年8月21日
そんな塾の塾長と、個人的に飲み会をした。
これまでにもさまざまな機会に親しくさせていただいていたが、高校を卒業する時に、
「もう、これまでのようにお時間いただくわけにはいきませんね。顧客から、従業員の親になってしまったわけですから」と大内くんが言ったら、
「何を言ってるんですか。これからは友達ですよ。(西山さんだから)『西やん』と呼んでください!」とアツく言われ、さらに、
「息子さんの大学生活や講師ぶりも気になるでしょうから、月イチぐらいで『報告会』をやりましょうか」と言っていただき、いくらなんでも月イチは
申し訳ないので、2カ月に1度ぐらい一緒に飲んでる。
今回も、息子に関して「ええっ!」と驚くようなホットな話が聞けたよ。
息子は、我々には隠し事だらけというか、何も話そうとしないんだが、塾長をはじめとする先生たちには、かなりいろんな話をしてるようだ。
塾のバイトをいつまで続けられるかわからないけど、今は皆さんに可愛がってもらい、『同期』の女子たちも何人かは働いてるようだし、楽しそう。
塾長、これからもよろしくお願いします!
12年8月22日
今日は私の誕生日。
でも、家族は誰もお祝いを言ってくれない。
1度ブルーベリーのサプリを買った「わかさ生活」と、7年前に行ったきりのUSJから「おめでとうメール」が来たのがなにやらもの悲しい。
あ、あと、友人が数人、FACEBOOKに書き込んでくれたよ。ありがとう。
そんな私の誕生日を祝う間もなく、息子は今日から東北にボランティアに行くそうだ。
荷造りして、夜の新宿目指して出かけてしまった。
夜行バスに乗るのかなぁ。
2泊3日の短い旅だし、そもそも出発が21時集合なわけで、初日は全然使えてないよね。
最終日は帰る支度もあるだろうし、結局ちゃんと働けるのは間の1日だけなんじゃないだろうか。
彼は、コドモの頃からスカウト活動でボランティアには慣れているが、何しろ被災地に行くなんて親も経験ないからなぁ。
無事に帰ってこられるんだろうか。
大学に入って最初の夏休み、彼の予定はなかなか興味深い。
富士山に登ってみたり今回のようにボランティアに行ってみたり、あとはお笑いサークルの合宿と、ママチャリに乗っての北海道行き計画とか、何やら禁欲的というか、真面目な学生だ。
合間にデートもしているらしい。めでたい。
欲を言えばもうちょっとバイトして稼いでもらいたいんだが、本人にやる気がないのでしょうがないね。
おこづかいをせびられるたび、「もっとバイトしてよ」と言ってるけど、9月後半から友人の紹介でいいバイトがある、ぐらいの計画しか聞けないん
だ。
まあ、とりあえずボランティアから帰るのを待とう。
事故なく終わるといいんだが。
12年8月23日
息子がボランティアのツアーで東北に行っていて、少し寂しい。
家にいたらいたで、とてもうるさくてかさばるヤツなのだが。
そんなことを考えながら洗濯機を回していたら、学ランのズボンとワイシャツが洗濯に出てた。
「エプロン出して」と言われたのはボランティアに行くためだとばかり思っていたのに、旅立ちより早く洗濯物から出てきたし。
これらを使ってコントをやったのではないか、というのが大内くんとの共通見解だが、大内くんは、
「そんなことしてるのか!ああ、見に行きたい!」と、私から見ても親としていささかどうかと思われる状態だ。
夏休み中も、息子のお笑いにかける熱意はむしろいっそう増しており、天気と一緒になって暑苦しさをかもし出している。
忙しいのでバイトもちっともしてくれないし。
例外は春からやってる塾の講師だが、基本時給スタイルなのにコマ数をあんまりとらないので、収入が少ない。
親にたかるのはいい加減カンベンしてほしい。
12年8月24日
大内くんの会社では、夏の間の省エネのため、「なるべく全員が出社せず、エアコンや電気を使わない」という金曜日を設けている。
今日が、「この夏最後のそういう休み」なのだそうだ。
朝から近所のコメダに行き、モーニングとシロノワールを楽しみ、唯生の見舞いに行く。
元気そうでひと安心。
夜には息子も帰ってくる予定だが、今のところは何時に帰ってくるのかもわからない。
そういうことをちゃんと伝達して行ってくれると助かるんだが、彼はまだ反抗期を抜け切っていないので、ダメだね。
かんかん照りに晴れていたので、遅ればせながら冬物の上着とかを洗濯した。
ダウンジャケットはさすがに家で洗う気にならないが、綿入れ半てんとかフリースのパーカーとかは大丈夫。
日差しが強いので、強力に乾くよ。
大内くんのお休みは本当に嬉しい。
大したお出かけはなくても、近所の西友に一緒に買い物に行くだけでも充分だ。
大内くんに言わせれば、
「食品の買い物はスッキリする。『消え物』で、家にたまらないでお金を使う喜びを味わうことができる。服や雑貨は、そういう趣味がないという理由もあるが、家が雑然としてくるからあんまり買いたくない」のだそうだ。
最近驚くのは、唐突だが、「うなぎ」の値上がり。
昔は中国産や養殖のものが安く買えたのに、どうしてなのか、倍ぐらいに高くなってる気がする。
もっとも、我々のコドモ時代には「うなぎを食べに行く」などと言ったら大変な贅沢だったわけで、安かった時期が異常なのかもしれないなぁ。
冷凍もできるので安い時に買いためておいたものだが、今ではすっかり高級品で、めったに口に入らない。
息子が留守だったので食品の減りが少なくなっていたが、またたくさん買い物をして、冷蔵庫は満員だ。
「週末の冷蔵庫」と我々が呼ぶ、すっからかんの時期から、ぎゅうぎゅう詰めの時期になる。
こないだ家族全員が旅行中だった時、息子が閉め忘れた冷凍庫のせいで冷蔵庫の中身が相当ダメになってしまったけど、その傷もほとんど癒え、再び冷凍庫もいっぱいになってきた。
考えてみれば、古い在庫を一掃する、いい機会だったのかもしれない。
家と同じで、冷蔵庫もモノが滞留して片づかない、ってことはあるからなぁ。
さてさて、息子は何時に帰ってくるのだろうか。
そして、少しでも経験を語ってくれるだろうか。
震災の爪痕を目の当たりにした若い心はどんな衝撃を受けるのか、こればかりは語ってくれないとわからない。
目で見ること、手で触れること、その地を踏むこと、すべてが大きな体験だろう。
だからと言って別人のようになって帰ってくる、なんてことは期待していない。
いつもどおりのうるさいヤツが家にいるようになる、それだけのことだろう。
それでも、彼の顔から何かを読み取りたい、と親は思うのだった。
12年8月25日
東北にボランティアに行っていた息子が帰ってきた。
何も語ってはくれないが、自分で下駄箱から出して荷造りして行ったらしい「長靴」が泥だらけになっていて、作業の厳しさが少し実感された。
本人は、帰ってくるなり「洗濯物、出しといて」と言うだけで、あとは無言の行。
久しぶりに顔を見るんだ、なんかもうちょっと気の利いた挨拶はないのか?
それでも、「背中かいて」と言われていつものようにかいてあげると、首筋なんかが日に焼けていて、ずいぶん頑張ってきたんだろうね。
いつか、何か話してくれる日があるといいな。
12年8月26日
息子が卒業した高校の、柔道部の息子や娘を持つオヤジたちが集まっての飲み会があり、誘われたので大内くんも出かけて行った。
幹事さんが我が家に近い所に住んでるせいか、隣町の居酒屋で開催、大内くんは自転車で行けて超ラッキーという感じだ。
オヤジたちは5人ほど。先輩のお父さんばっかりだ。
大内くんは、
「本来、僕が頑張って次の代のお父さんたちを集めなきゃいけないのに、途切れさせてしまった。『オヤジの会』が終焉してしまう」と自責の念に駆られているようだった。
いろんな子の近況を聞いてきたようで、MARCHの1校に行っていて今2年の男子は、成績が良すぎて奨学生になってしまったという。
(ほとんど全部「S」評価で、1個だけ「A」だったらしい)
うらやましくてクラクラした。
今でも柔道を続けているのは息子の1年先輩である小田原くんだけのようだ。
息子もやめちゃったもんなぁ。
みんな、しんどい思いをしながらよく頑張ったよ。
私は、息子の柔道は高校までで終わりで一向にかまわない。
大内くんは、少し未練があるようだけどね。
3時間、楽しく飲ませていただいたようだ。
これからも、もし誘ってもらったら参加してくれ。
子育てが、風とともに去っていくような気がする昨今、一緒に子育てマラソンのラストスパートを走り抜いているお父さんたちと会うのは、とても楽しみだし、ためになると思う。
12年8月27日
息子が通学に使っている自転車の駐輪場、ほっとくと更新してこないので、大内くんが隣町での飲み会に行くついでに、申し込んでお金払ってきてくれ
た。
6ヶ月分、9600円は高いのか安いのか。
息子はこういう点、本当にだらしない。
親が手を出しすぎ、というのはわからんでもないんだが、ほっとくと悲惨なことになる場合も多い。
ま、自分で失敗するしかないんだよね、本当は。
ただ、今回の件で言えば、
駐輪場の期限が切れる→停められなくなる→そのへんの道に停めるようになる→パンクとかさせられたり、盗まれたりする→本人、自転車がなくて困る
→その日は親に迎えに来させて、翌日からは私の自転車に勝手に乗っていってしまう→私が困る
という感じで、結局困るのは息子ではなく我々なんだ。
「迎えに来させて」というあたりでほうっておく、という手はあるが、
「塾のバイトに遅れる」とか脅迫されるともうダメなんだよね。
大内くんは、
「だんだん自立するよ。もう、今のうちだけだから、やってあげるのは全然かまわない」という教育方針のようだ。
「反抗期だって、だんだん終わってきたじゃない。もう数年したら、機嫌のいい、親切な息子に会えるよ」
その楽観主義はどこから来るのか。
私は、息子は反抗期が続こうが終わろうが、親には冷たい人だと思う。
だって、彼の遺伝子を強力に支配していると思える私や私の父は、とっても冷たい人なんだもん。
12年8月28日
唯生が退院した。
「胃ろう・腸ろう」の手術が無事終わり、これで日常生活に順調に戻っていけるといいね。
個室なのに「差額ベッド代」が生じなかったので、今回は病院への支払いはゼロ。ラッキー!
退院の手続きをしに朝一番で病院に行ったら、手の空いてる看護師さんたち5人ぐらいが見送ってくれた。
「唯生ちゃ〜ん!退院おめでとう。また来てね。あっ、来ない方がいいんだよね!」という感じ。
唯生はどこでも人気者だ。
手術前の麻酔医の問診で、麻酔科医の先生が、
「お口は開けられますか〜?」と唯生に聞いていた。
「本人、判らないと思いますので」と口添えしておいたが、唯生のように重度の身体障害がある場合、知能程度がどのへんなのか、見当がつかないというのはあるんだろうなぁ。
老人ホームで、みんないっしょくたに、
「は〜い、おばあちゃ〜ん、ごはん食べようね〜」なんて言われるのがイヤだ、って人もいるよね。
身動きできない肉体の中に、ものすごい頭脳が秘められている、というとホーキング博士を思い出すよ。
唯生の知能程度はどのくらいなんだろう。
私は、「自分の名前を呼ばれてもわからない」あたりだと思っているが、学校の先生や病棟の看護師さんたちは、「わかりますよ」と言う。
毎日そばで世話してくれてる人の言うことのほうが確かなんだろうなぁ。
あー、退院できて本当によかった!
12年8月29日
私はエアコンが大好きだが、大内くんは苦手らしい。
息子も苦手。
朝、寝ぼけながら「エアコン消して」とつぶやく。
ついでに言えば、寝相の悪い大内くんにとってはダブルベッドで一緒に寝るのも苦労らしく、
「この間、北海道旅行でシングルベッドに分かれて寝た時は楽だった」と言う。
先日、めずらしく泊まりの出張に行ってシングルベッドで寝た時も、やはりのびのび眠れたらしい。
大内くんのいないその朝、起きたら、息子はリビングのソファで寝てた。
横には寝袋が出しっぱなし。
寝苦しくて、安眠できる場所を求めてさまよったものと見える。
私はダブルベッドに大の字で寝て、不眠症気味の私にしてはよく寝たので、息子が気の毒だ。
と言っていたら、今朝は明け方に我々の寝室に来て、大内くんが起きたあとの空間に割り込んでグーグー寝ちゃった息子。
彼の部屋はエアコンつけてなかったので、涼しい部屋が気持ちよかったらしい。
そのまま1時間ぐらい一緒に寝ちゃって、半分目覚めた私が隣の大内くんに抱きつこうとしたら、それは息子だった。
「うげー!」となった。
いい年をして、親のベッドに寝るな!
大内くんとは、シングル2つで別々に寝ようか、という話も持ち上がっている。
息子が生まれたばかりの頃住んでいた社宅では和室に布団を敷いて親子4人で寝ていたが、そのあと引っ越して、ダブルベッドに寝るようになった。
それから15年以上、ダブルベッド。
今のマンションの寝室に、シングルベッド2つはギリギリ入ると思うんだが、一緒に寝るのが好きなので、どうしても決断がつかない。
とりあえず、「息子が家を出るまで」は今のままにしておこう、ということになった。
「そしたらキミが息子のベッドに寝る、という選択もあるわけだし」と大内くん。
えー、部屋まで別々?それはちょっと・・・
皆さんのお宅では夫婦はいったいどうやって寝ているのだろう?
案外語られないこの話、アンケートでもとってみるか。
12年8月31日
最近、「東野圭吾」が売れに売れている。
ドラマ化、映画化が相次ぐ中、大人気の「探偵ガリレオシリーズ」最新作の「虚像の道化師」が出た。
ここしばらく本屋で平積みになっているのをよく見るので、図書館で借りようと思って検索かけたけどまだ入ってないみたい。
図書館って、新刊が出てからそれを買い、シールやICチップ貼ったりカバーをかけたりしてからやっと貸出になるわけで、時間かかるんだよね。
と、ネットで調べていたら入荷したようだ。
でもまだ「予約受付開始」してない。
なのに予約が12人いる。どういうことだろう?
図書館に電話で問い合せてわかったことだが、「この本を買ってください」というリクエストを出すと、予約が事前にできるらしい。
「でも、本が入荷してしまったらもう予約は受けつけないんです。貸出開始まで待っていただかないと」
そういうからくりになっているのか!
大内くんは、
「じゃあキミも、読みたい本があったらリクエストを出せばいいじゃない」と言うが、これがまたうまくできてるというか、簡単にネットでリクエスト出したりはできないのだ。
図書館に足を運んで、リクエスト票を手書きして出さないといけない。
これが面倒で、なかなかリクエストする気になれないんだよ。
もしネット上で出せるようになったら、みんながてんでに好きな本を書き込み始めて、収拾がつかないと思う。
そんなわけで、「貸出開始日」を待つ私。
日付が変わる瞬間に予約を入れようという腹だ。
同じことを考えてる人が何人ぐらいいるかがわかるよ。
深夜零時。
「この資料を予約する」というボタンが出た。今だ!
次の瞬間、私の予約は受理されたが、12人だった待ち人数は24人になっている。
私は、11人の人に負けたのだ。
これで無事に予約は済んだ。
蔵書は4冊あるようだから、じきに回ってくるだろう。
ベストセラーになってから予約しに行くと、平気で「300人待ち」とかになるから、今回はとってもスムーズだったと言えよう。
(4日たった現在は120人待ち。早めに動いてよかった!)
しばらく図書館にリクエストを出していないが、数日前に、知人の書いた本が面白そうだったので図書館で借りられないかと検索かけたが、なかった。
本人のためでもあり、アマゾンで買った。
昔は杉並区立図書館に「コスプレ図鑑」なんて買わせたこともあったんだが。
(ちなみに、山中俊治さんの「カーボン・アスリート」という本です。面白いです)
いずれにせよ、図書館は文明度の証だ。
病院、学校と並んで、なくてはならないものだと思う。
これからも人々のために頑張ってくれ。
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