13年4月1日

4月。春。新しい季節の始

14年4月2日

大内くんが何だかとっても妙な顔で帰ってきた。接待があったのだ。
「どうかしたの?」と聞くと、
「いやぁ、今日は驚いたなぁ」と答える。

日本をしょって立つテレビ局の人と会ってきたらしいのだが、大内くんが驚いているのは、彼より少し若い人数人を相手に、「庄司薫」を語ったらしい。
そしたら相手の人たちは、
「それ、誰ですか?」と真顔で訊いてきた、さらに、
「ピアニストの中村紘子と結婚したんですが」と言っても「知りません」と言われた、というのが大内くんビックリ話の顛末。
「テレビ局の人でも知らないんだ!」と驚きの中に一抹の寂しさを隠せない彼であった。
流行作家の運命なんてそんなもんだよ。

まあしかし、私もちょっと驚いたんだけどね。
私は当然「赤黒白青」全部読んで、大内くんみたいに、
「『僕の好きな青髭』だけはテイストが全然ちがう。あれはゴーストライターで、しかも村上春樹である」とまで主張する気にはなれないけど、やっぱ り「青春時代にお世話になりました」って感じだよね。

本を、無限に持っていられたら、って誰でも1度ぐらい感じない?
我々は、自炊によって、その壁を突き抜けてしまった。
私はそれなりに贅沢に本棚を使わせてもらっていたけど、大内くんは、本棚に2棚ぐらいしかスペースを持っていなかったので、始終買い換えていた。
今、「好きなだけ本を持っていられる」身分になって、彼は本当に幸せそうだ。
私だって、「ハガレン」持ってて本当に良かった!と思ってるしなぁ。

そんな彼の自炊熱は、高い。
蔵書をやっちゃって、ブックオフに行って気に入ったのがあれば買って、好みの問題だけど図書館から借りた本をフラットベッド式のスキャナで1ページずつ読み込んで、留まるところを知らない。
「だって、全部持ってていいんだよ。いくら増やしてもいいんだよ」とニコニコしてるのを見ると、何も言えないし。
ノートとフラットベッドを持ってきてリビングでテレビを見ながらスキャンするのが、最近の一番楽しい状態かもね。
「嬉しい?」と聞いてみたら、「ものすごく楽しい!」のだそうだ。
その時間を、本を読むために使いたくならない?
なんだか、「一生かけても全部観ることはできない」と言われてた、宮崎某のビデオ収集癖のようだ。

私と大内くんの本の趣味は徹底的に合わない。
まずあちらさんは、小説をあまり読まなくて、歴史の本、政治の本、社会科学の本、みたいなのばっかり。
どうしてミステリやSFに行かないんだ!

対する私は、ドキュメント本としては皇室関係ぐらいで、それだってゴシップが好きで読んでるんで、大内くんのように、
「天皇制を喪った時、日本はどうなるのか?」みたいな難しいことは考えてません。
林真理子と島田壮司と清水義範と宮部みゆきが好きです。
わりと多作の人が多いので、本棚時代は苦労したよ。
本の種類、ということになると、息子は私にものすごく近い。
「一般常識から始めようと思ってる」と言われ、今度は私が浮かれる状態。
今、宮部みゆきの「火車」を読んでるそうなので、私も電子で読んでます。
息子が読了したら、また感想を聞いてみよっと。

「中学の時から読みに読んできて、もうあとは好きなもんだけ読めばいいよ。もう歳だしさ、キミがかつて読んだ本は、キミの血管の中に流れているよ。キミは、頭はいいし、考える筋道は正しいし、今、林真理子しか読めなくてもいいじゃない。僕は、あの人は何だかエライ人だと思うよ」
以上のように、いつも通り大内くんに慰めてもらいました。しみじみ。

とりあえずは、大内くんの「振り返り力」の邪魔はしないようにしよう。
「大学受験が終わったあと、何もかも捨ててしまった。受かった後の人生について、たとえばキミと結婚したいとか、考えられなかった。だから、それがわかるまで、3年も無駄にしちゃったよ」といつも言う大内くん。

そういうわけで、彼はアマゾンで、
「昔持ってたけど処分しちゃった。おかげで、今頃集めなきゃなんない」と言いながら、物理やら古文やらの参考書買って再勉強をしてる。
先日は、ネットオークションで、数学の参考書を競り負けていたけど、負けてよかったよ。3万円、とかの世界だよ。
わからない人だなぁ。
ま、息子の通ってた塾の先生を、定年後にはやらせてもらいたい。そういう意味での勉強なら、理解はできる。
塾長、大内くんはなんだか張り切ってます。よろしくお願いします!

彼は、
「古本屋めぐりをしてでも、もう1度読みたい」
「チャンスの女神は前髪をつかめ。本は『買える時に買え』。昔の人はいいこと言うね」と言っては、地道に「発掘してる」ようだ。
(アマゾンはむちゃくちゃ楽だしね)
そりゃあ、私だって持っていられたらよかった、と思う本ぐらいあるが、大内くん、多すぎ。
もう、「7年目のもうひとつの広場」のことはあきらめて生きて行ったら?

14年4月4日

荒川弘の「鋼の錬金術師」を一気に読んだ。読みも読んだり、全27巻。
もう10年以上前のマンガなのに、どうして1回も読んでなかったんだろう。
一応、いつか読むつもりで持ってはいたんだよ。
マンガ界の将来は、明るい。

息子に、「スゴイね」と感想を語ったら、「スゴイよね」と、珍しく素直な態度だった。
人は、天才の前には謙虚なものなのだなぁ。
「ハガレン」が月刊誌の「ガンガン」とかいうやつに連載されていた頃、息子も買ってた。小学生だったけど。

初連載でいきなりメガヒットを飛ばした荒川弘。
最終回掲載誌は何とそこら中で「売り切れ」になってしまい、異例なことに、「次の号に、再掲載」されたそうだ。
息子に聞いたら、彼が買ったのは「再掲載版」だったらしい。
「だって、売り切れだったんだよ。その間に読んだことは読んだけど、やっぱり持っていたくて、翌月買った」
小学生にとってひと月は長いだろうに。

今は「銀の匙」を読んでいて、これがまた震えが来るようないい作品だ。
「ハガレン」ほどの派手さはないが、農家の生まれで農業高校を出た、という荒川本人の体験を踏まえてだろう、ずっしり描いてる。
息子に、
「ハガレンの、あれだけの大きな世界を構築しちゃった人が、どうして次に、何の特殊能力もない普通の高校生が描けるんだろう?」と聞いたら、
「その『振れ幅』がマンガ家さんの力なんじゃねーの?」と言われた。
人生55年にして、20歳のオトコノコに説教された気分だ。

ちなみに荒川弘は女です。「ひろむ」と読みます。
初めて知った時は、予想だにしていなかったので、ちょっとクラクラしました。
「ハガレン」の連載をやりながら10年間、1度の休載もなく、コドモを2人産んで育ててたらしい。
そして、初の週刊連載となった「銀の匙」を描きながら、3人目を産んだそうだ。
「農作業の基本は『しゃがむ』ことなので、マタニティーヨガでも『しゃがみ系ポーズ』は大の得意だった」うえ、「出産は、牛ので慣れてる」と語る荒川さん、さぞや安産だったことだろう。

早く「銀の匙」の新しいの出ないかな。
ほとんど必ず息子とダブり買いをしてしまうので、今回はなんとか調整しなくては。

14年4月5日

ベッドを買おうと思って、新宿の大塚家具に出かける。
まずはお昼ご飯を食べよう、と、サムラートにやって来た。
吉祥寺の支店がつぶれてから、よほどの用事がないと遠出しない私は、めったにサムラートでカレーを食べる機会がないのだ。

吉祥寺時代に顔見知りになったインド人店員さんがこっちに移って来ていて、顔を合わせると、「ああ!」という表情を見せてくれる。
ランチ時だと言うのにセットを頼まず、アラカルトで「マトン・サグワラ(マトンとほうれん草のカレー)」と「バター・チキン・カレー」、そして 「シシカバブ」を、と思ったら、シシカバブは800円から1150円ぐらいに値上がりしていたのでやめておいて、あとはナンとバター・ライス。
これを2人で食べるのだ。
今日はまた、ひときわおいしかったなぁ。シェフの機嫌がいいのかしらん。

食べ始めてすぐ、
「あっ、そうだ、こういう時は写メ撮っておいてFBにのっけるんだった!」と思い出し、あまり食べかけに見えないように調整して写真を撮った。
この頃書くことがあまりないので、こういう機会を大切にしないとね。
サムラートは本当においしい店だし。

さて、おなかいっぱいになって次は大塚家具だ。
ここ20年近くダブルベッドを使っていたんだけど、年々体感温度に差が出てきて、私がちょうどいい気温だと思えば大内くんには寒すぎ、布団を増やすの毛布を掛けるのと大騒ぎになる。しかもベッドの半分だけ。
1つのベッドの上でそれをやっていると大変なので、この際、ベッドを分けようかと。

寝相の悪い大内くんは今使ってるダブルをそのまま使いたいと言うから、シングル1つだけ買うつもり。
7畳ばかりの寝室は、ほぼベッドだらけになる。ちょっと狭苦しいが、まあ、寝るための部屋だから、快適に寝られるのが一番だよね。

思えば大塚家具も、10年前の引っ越しの当時は吉祥寺に支店があったので、大いにお世話になった。
たいそう便利で、何度足を運んだかわからない。
テレビラック、本棚、ソファ、息子のベッド、タンス、本当にいろんなものを買ったよ。
吉祥寺から、いろんなお店が撤退してるんだなぁ。

今では一番近いのが新宿。
ドライブがてら多摩センターの支店にも行ったことがあるけど、もうつぶれちゃった。
うやうやしく接客してくれる雰囲気はどこも同じ。

今回も、入るなり中間管理職的な雰囲気の男性がスーッと近づいてきた。
「ベッドを買いたいんです。予算は10万円ぐらい、シングル、宮なしで、マット面までの高さが45センチぐらいの物。ヘッドボードにクランプ式の スタンドをつけたい関係で、板にカーブのない物を。マットは、これまでフランスベッドのE-MAXを使っていたので、それと同様の堅さの物で」と 要望を伝え、会員カードを渡す。
ぜいぜい、こんなに好みがはっきりしてる客も珍しいだろう!という感じ。

おかげで話はスムーズに進み、ほぼ15分ぐらいで決まった。
顧客カードで登録しているおかげで、配送伝票も書かずにすむ。
クレジットカードでお支払いしている間に、冷たい飲み物を出してくれた。
大内くんはオレンジジュース、私はアイスコーヒーを飲む。
ここ以外ではなかなかお目にかかれないような小さなグラスがかわいらしい

ああ、食事も買い物もすんじゃった。
新宿にいるとくたびれる。人が多すぎる。
「町のネズミと田舎のネズミ」なんか思い出しながら、「田舎のネズミはとっとと退散だ!」という気分になる。
新宿まで来ているのに紀伊國屋書店に行かなくなって、もう何10年たつだろう。
学生時代にはあり得ないことだったんだが。

帰り道にちょっと井の頭公園の昼桜。
ここもすごい人出。
駅から公園までの狭い道が、人で渋滞して動けない。
焼き鳥の「いせや」公園通り口支店が大繁盛してるのはわかった。

今年は、先週急に桜が咲いてしまった上、雨模様だったので、花見はワンチャンス、この週末しかない。
それすら、花は少し葉桜で、万全とは言えない。
花見的には少し残念な年だったと言えよう。

ほとんど「花見」ではなく、「花見客見」で終わり、公園の端をかすっただけでバスに乗って家に帰った。
新宿もスゴイが、吉祥寺でも充分人出が多い。
毎日満員電車に乗っている大内くんと違って、静かに引きこもっている私の生活からすると、刺激が大きすぎて、気絶しそうだ。
明日、ICUに花見に行けるかなぁ・・・

14年4月6日

食料品の買い出しに車を出したついでに、寄り道をしてICUの昼桜を見に行く。
運転席の大内くんも慣れたもので、車の入場をチェックするゲートで、
「卒業生です。D館へ行きます」と言って入場。
渡されたボードに私が名前を書いていたら、おや、我々の前に入った人は、「UWD」と書いているね。
我々同様花見に来ただけで、「第二女子寮」に用があったとは限らないだろうが、もしかしたらOGが訪ねて行ったのか、親御さんが会いに行ったのか、なんにせよ、親近感がわく。
そう、私は大学時代、構内(というか森の中)にある第二女子寮に住んでいたのでした。

面白かったよ。
基本、異学年の3人部屋で、時々男子寮が「ストーム」と称してバケツの水をぶちまけて行くとか、新入生は最初の1週間、各寮ごとにコスプレをし て、授業もその格好で出なきゃいけないとか、ハロウィンにはやはり森の中に住んでいる教職員のコドモたちが仮装をして「トリック・オア・トリー ト!」と叫んでお菓子をもらいに来たり、クリスマスになるとロウソクを持った合唱隊、キャロリングが窓の外で聖歌を歌ってくれたとか。

「そんないい環境なのに寮に居つかないで僕らの大学にばかり来ていて、ダメじゃん。あー、いいとこだなぁ。僕も、英語を猛勉強して、定年になった らもう1度、この大学に入り直すかなぁ。静かな森の中で本と親しむ生活・・・あこがれちゃうなぁ」と大内くんは言うが、言うほどやさしい大学じゃないぞ。お金もかかるし。

私が入学した時に25年物だった桜が、今や60年物。
月日のたつのは早い。
そして、大内くんほどじゃないけど、私も、もっと勉強しとけばよかったなぁ、と思うことはしばしばある。
大学を生かしきれなかった、そのことが心残りだ。

だからと言って、今、息子にそんなお説教をしてもどれぐらい聞いてくれるか。
私の持論だが、
「経験が言葉によって伝わるものなら、人類はもっと長足の進歩を遂げているはずだ」。
みんな、自分でやってみないとわからないし、気がすまないんだよ。

桜を堪能し、今年の桜もこれで終わりだな。
また来年来よう。
60歳の大学生、大内くんを見てみたい気はするけどね。

14年4月7日

息子がかつて通っていた塾の塾長と飲む。
冬に大内くんが地理を教えた、そのお礼を兼ねて、息子の様子などを語り合う「春の連絡会」だ。
息子に関しては、彼が塾のバイトを辞めた1年生の秋から、もう塾長経由で聞くのは無理だろうと思っていたのだが、そこは塾長の底力、小・中学生を招いて行われた「お楽しみ会」を「お笑い劇場」にして、バイト先生たちが漫才をやったりするその一環で、大学のお笑いサークルで活動中の息子にも、相方と一緒に出てくれないか、と聞いてみてくれたらしい。

で、息子は喜んで芸をしに行き、塾長は当日撮ったビデオのSDカードを貸してくれた。
さすがな心配りである。
でも、「ラ王」のネタを見るのはこれで4回目です。
「悪いけど、面白くないよ」と言って1年半、なぜこの漫才ばかりやるのか?!

「不義理な辞め方をしてしまい、もう先生には二度と面倒見てもらえないものだと思ってました」と言うと、塾長は、
「いや、怒ってませんよ。むしろ、4年生、5年生になった時、彼が戻って来てくれるのかな、と、楽しみにしています」と微笑む。
どうも、LINEでの連絡中に、息子から、
「親父が頑張ってるので、オレも頑張ろうかな、と思います」という一文が来て、これは要するに、大内くんが塾で教えているから、自分もいつかまた教えてみたい、という意味だと塾長はとってくれたらしい。
親子2代の先生が同時に教える。
さすがの塾も、それは初めてだろう。楽しみだ。
その時、大内くんは「レジェンド」と呼んでもらえるだろうか。

塾の今後のビジョンを聞いたり、良き家庭人である塾長のお父さん奮戦記を聞いたり、大変面白かった。
それにしてもうちの豚児の反抗期は長い。
中学に入る直前ぐらいから始まって、もう8年になる。
塾長のとこの中学生は、1年ぐらいですんじゃったらしいのに。
これはやはり、父親の偉大さ如何なのか。

幸い、最近ちょっと抜けて来たのか、短い会話をすることが増えているし、何かしてあげれば「ありがと」「悪いね」と言った心配りの言葉をもらうことも多い。
その程度で、と思われそうだが、我々にとっては画期的な進歩だ。

そんなことも塾長に話し、笑われて、和やかに2時間の飲み会が終わった。
また夏には大内くんの出番もあるかもしれない。
「そのためにも、勉強しなくっちゃ!」と妙に張り切る大内くん。

普通の奥さんならここで、
「そんなことどうでもいいから、働いてよ。いつ部長になるの?!」とか言うものなのかもしれないが、私は夫の出世にはまるで関心がないのだ。
楽しく仕事ができれば、と思うばかり。
だから、最近、大内くんがちょっと仕事で消耗してるのが気になる。
心身の健康が保てる程度に仕事してくれ。
身体を壊しては元も子もないぞ。
大学に入り直すかどうかはゆっくり考えるとして、塾で教える、という夢は、あと10年たったら叶うかもしれないよ!

14年4月8日

俳優の蟹江敬三が亡くなった。享年69歳。胃がんのようだ。
大内くんは実はこの名脇役が大好きで、よくドラマを観ていたので、けっこうショックを受けたみたい。

その晩、たまたま録画してあった「鬼平犯科帳」を観ていたら、「犬」の1人である蟹江敬三大活躍の回だった。
「なんとなく落ち込むなぁ」と言いながら、勝手に追悼番組を設定して観ている我々。

でもさ、好きだったからだけじゃなく、蟹江敬三って、しぶといと言うか、そう簡単には死なないタイプに見えたせいもあるんじゃないかと思うんだよ ね。
どんな窮地からも脱してしまうような生命力。精力的な人だったよ。

「これから、こういうことが増えるんだろうね。私の母がよく、新聞の上にかがみ込んで、『あら〜、あの人も死んじゃったわ〜』とかつぶやいていたよ」と言うと、大内くんも、
「親しい人たちがだんだんあっちの世界に行っちゃって、自分も死ぬ覚悟ができるんだろうね」と考え込んでいた。

人間、どんな人でも死んじゃう、ってことは、誰もが「死」について考える機会があるわけで、そう思うと人は皆、哲学者だよなぁ。
ご多聞にもれず、私も「死」についてはしょっちゅう考えているが、答えは出ない。
もう10年ぐらいは生きているつもりだが、それも自分で決められることじゃないから、どうなることか。
大内くんよりは先に死にたいと思っているんけど。

ちょうど手塚治虫についてのドラマも観たところで、あの人が60歳で死んだのは本当に惜しい。
宮崎駿と並んで、アニメを作り続けてほしかった気もする。
(私は虫プロのアニメはほとんどいいと思ったことがないのだが)
あの人にあと10年の寿命があったら、いったい何をしでかしてくれただろう?

誰も彼も死ぬ。
せめて生きてる間は元気に過ごさなくっちゃあ、損だよね。
とりあえず、「ブラック・ジャック」をもう1回読もう。

14年4月11日

めずらしく、外泊の息子が「翌日も午前様」ではなく昼過ぎに帰ってきたので、我々の夕食にしようと準備していた「水餃子」に混ぜてあげよう。
スープに入れた餃子とポン酢で食べる餃子、両方を頬張りながら、いろんな話をしてくれた。

「やっぱ、人が面白がるのがいいよなぁ。オレ、漫才には向いてないんだよ。コントだね」
「大会もけっこう上位に残ってるし、少しは名が売れてると思うよ」
大内くん「それは、『おっ、早稲田ルードの大内がまた出てるぞ!』って感じ?」
「そうそう」

またえらく風呂敷を広げて見せたものだが、若い時はこんなもんでいいんだろう。
私も、大学時代、2段ベッドの上で近い天井を見ながら、
「世界は私に何を期待しているのだろう!?」とか興奮して眠れなかった夜とか、あったよ。
息子たちは学内ライブから外の大会まで、常に「お笑い」を評価してもらわなきゃいけないんだから、興奮もするよね。

小学生の頃は小太りで気が弱そうで、とても人前に出るなんてできそうもなかった彼だが、相方がいて全くの孤独ではないものの、よくもまあ、「どう も〜!」と言いながら舞台に走り出ることができるもんだよ。
とにかくお笑いは楽しくてしょうがないらしい。

「将来、お笑い芸人になる?」と何気なく聞いたら、
「それとこれは別。あくまで大学でやりたい」と言う彼なので、留年にさえ気をつければどうにか卒業はしてくれそうだ。

カノジョとはまあうまくいってる、ただし、お互い忙しい身の上なので、あんまり会えない、とか聞くと、心配になっちゃうなぁ。
大学のサークルの人と結婚するとむちゃくちゃ世界を共有できるからねぇ。
彼の結婚式に、お笑いサークルの人が次々とお祝いを言いながら芸を披露して行ってくれたら、こんな嬉しいことはない。
そうそう、保育園からの親友しゅうくんは、大学でジャグリングをやっているそうだから、ぜひ呼んで、「お笑いvs.ジャグリング」で、盛り上げてもらいたい。

でも、そんなことばっかり考えてると、案外、
「仲間内だけのささやかな人前式にした。親は来るな」とか言われちゃうんだよなぁ。ガックリ。

果てのない妄想はさておき、息子はとっても話しやすくなった。
「目が三角になる」こともあまりなく、一応会話が成立する。

「今、なに読んでんの」と私が聞けば、
「占星術殺人事件」。
「ずいぶん長くかかってるねぇ」
「難しいんだよ。でも、アルジャーノンは読んだよ」
おおっ、あの、SFのある種最高峰であるあれを、読んだか!
「オチは読めていた。ああなると思っていた。でも、面白かった」
キミも、老後のどこかで、自分がアルジャーノンだと感じる日が来るだろう。
少なくとも、私は今、相当にアルジャーノンだ。

社会科学部に入った時、大内くんは大塚久雄の岩波新書「社会科学の方法」を息子に渡したのだが、それから2年、毎日持って歩いてはいるものの、進めなくて進めなくて困っているそうだ。
大学生が、岩波新書1冊を1日2日で読めないようでは困るねぇ。
ま、お守り代わりに持っているのもいいか。

そういうわけなので、本の話はなるべくしないようにし、マンガとアニメについて語る親子。
息子は私方面なマンガ読みなので、あんまり苦労はしない。
アニメ方面は大内くんがいくらでも語れるし。

ビールを飲み終わった息子が急に立ち上がり、「じゃっ、今日はここまで!」と宣言したと思ったら去ってしまったので、夫婦2人でいささか脱力。
「ホントにあの人は、終わり際が速いねぇ」
「それで、いつも誰かの部屋で飲んでても、三鷹までの終電近くなると『じゃっ』って言って帰ってくるんだろうね。ずるずるしてなくて、いいよ」と 語り合う。

今日はエキストラな飲み会(夕食?)だったが、つい先日、「家庭内宴会」に参加してもらったこともあり、どうも、昔は年に1度あるかないかだった 「息子と話す機会」が月に1度以上にも増えている。
やっぱり、反抗期が終わったのかなぁ。

ところで、広告代理店のバイトを始めてひと月ぐらいたったと思ったら、もうやめているらしい。
「次はどうすんの?」
「今、忙しいから、20日過ぎたら考える。当てはある」と言う彼だが、
「悪い!おこづかい、貸して」と言われ続けて半年余り、私への借金はついに40万を超えた。
「どうするつもり?」と聞いたら、
「バイト始めたら、返す」とは言っており、踏み倒す気はないようだ。
それでも、本当に返してもらえるのは就職して2年目のボーナスぐらいなんじゃないだろうか。

今は新歓の時期で、忙しいのはわかる。
だが、借金は借金だ。きっちり耳をそろえて返してもらいたい。
少なくともこれ以上借金が増える前にバイト始めて、自分で自分のおこづかいぐらい稼いでくれ!

14年4月12日

夜遅く、「ちょっと散歩」と小1時間ほど出かけていた息子が帰って来て、レンタルDVDを見ている。借りてきたのかな?
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
小耳にはさんだことはあるが、娯楽大作と言うよりは「シネヴィヴァン単館上映」って感じじゃないのか?
なぜ突然そんなものを。

夜中に見終ったようなので、翌朝「どうだった?」と聞いてみた。
「そこそこ」というのが評価。
「母さんたちも見せてもらっていい?返しておくから」
「いいけど、中野のレンタル屋だよ。もう返却期限、過ぎてるし」
地元で借りたんだとばっかり思ってた。
カノジョのアパートの近くかな。見終ったのを貸してもらったのかも。
確かに、息子の趣味というよりはカノジョの趣味という感じがする。

で、その日持って出かけたんだろうと思って、息子の部屋を片づけてたら、カバンからDVDが。
まだ返してないのかぁ!延滞1週間!延滞料が2千円以上つくぞ!
トム・ハンクスもサンドラ・ブロックも出てるじゃないか!
こんなことなら我々も見て、少しは元を取ればよかった。でも、もう夜中。しくしく。

翌日の土曜日、
「DVD返しなさいよ。なんなら中野までドライブの練習する?」と聞いたら、乗り気になったらしい。
「行こうかな。サークルの幹部の集まりがあるし」
キミは部長に当たる「幹事長」でも、その下の「副幹事長」でもないのに、幹部の1員なのか?
「3年生で一番面白いオレが、幹部でないわけがない」
その図抜けた自信はどこから?
新人獲得は、忙しいねぇ。

運転は、こないだよりはスムーズだった。道が少しすいてたせいもあるかな。
助手席の大内くんは、
「運転技術はキミ譲りで確かだね。あとは慣れだ。そこそこうまいドライバーになると思うよ」と言っていた。
サークル関係のおしゃべりをしたり、カノジョとうまくいってるか聞いたり、6年生になる心配はないのか確認したり。
家族で、楽しいドライブになったよ。

意外と息子が乗って来るのが、「就職の話」。
息子「オヤジも、面接とかしてんの?」
大「弁護士採ったりしてるね。若い頃は大学の卒業生をリクルートする、っていう流れがあったんだよ。早稲田も、社内にそういうルートあるよ」
息子「どういうヤツ取るの?」
大「大事なのは、学生時代にサークル活動とかで『人と協力して仕事をきちんとこなす』、って経験してるかどうかだね。あと、やっぱり受ける会社をちゃんと見てるかだよ。たとえば、うちの会社で言えば、『どこどこの製鐵所を見に行きました!鐵に惚れてます!』って言われたらじーんと来るね」
息子「ふーん。で、どう?オレみたいなの、採りたい?」
大「そこそこ真面目だから、悪くないんじゃない?まあ、まず単位取って、エントリーシート書いてね。お笑いのプロは目指さないの?」
息子「うん・・・まったく考えないわけじゃないけど、大学でやれたから、いいかな」
あんがい堅実なヤツだな。

中野でDVDを返してから大学での「幹部会」に行く、と言う息子を落として、運転を大内くんが替わり、雑踏に消える後姿を見送って2人で帰る。
「もう1、2回親同伴の『教習』をしたら、車を貸してあげてもいいかもしれない。問題は、事故もさることながら、乗って行ったきり2、3日帰って こないとか、我々が使う予定があっても返してくれないとかそういう方面」と大内くんは言う。確かに。

「バイトも、結局、広告代理店はひと月もたたずにやめちゃって、次のバイトは『20日過ぎて忙しいのが終わったら探す』って言ってて、金欠だよ。 当てはないじゃないみたいだけど。今は居酒屋やコンビニもそこそこ時給がいいんだから、えり好みしないで肉体労働やサービス業にいそしめばいいのに。今日も、結局延滞料含めて1万円もおこづかい貸しちゃったよ。財布に1万円札しか入ってなかったのが敗因だね。『これで、1週間ぐらいは催促しないでしのげるから』とは言っていたけど、もう借金が40万円に届いた。いったいどうやって返してくれるつもりなんだろう」と、大内くんに不満をぶちまける。

「僕は、バイトすると親がすごく嫌がった。塾の講師とかだったけど。『そんな時間があるなら、勉強しろ』って言われた。どうせしないのに」と大学 時代常時金欠だった大内くんも、
「たまにはカノジョにおごってあげたりしなきゃいけないのにね。DVD延滞したり、ATMで手数料を1回210円払ったり、金銭感覚がなさ過ぎるよ。お金の苦労を知らないのは、困りものだね」と苦い顔。

こんなヤローに「結婚してコドモができたら、このマンション譲ってあげるよ」なんて甘いこと言うんじゃなかった。
せめて、5万円ずつぐらいでも、家賃取ろうかしらん。
大内くんが定年になる頃の話だから、我々も金欠だよ。
息子がお世話になった塾で講師のバイトをやらせてもらうという遠大な計画の元、少しずつ世界史や数学を勉強しているみたい。
(学生時代にやり切らなかったのが原因か?)
でも、ひとコマ1500円として、週に10コマ教えても15000円。月に6万だ。
ああ、会社って、なんてたくさんお金をくれるとこなんだろう!

息子よガンバレ、卒業して、就職せよ!妻子を養え!
考えてもごらん、生まれてから就職するまで22、3年。そのあと、それより長い40年近くの勤務が待ってるんだよ。
人は、就職するために生きるんだ、と言っても過言ではない。
つくづく、人生は仕事と結婚のためにある。
20年で終わる子育てですら、たいした目標ではないのかも。

14年4月13日

先日、息子が「自転車を撤去された」と言って、しばらく自転車なしで暮らしていた時、あまりにバス代がかかるし本人は取りに行く気がないしで、 しょうがなく我々が行ってみたところ、集積所にはないことが判明した。
「ということは、盗まれたのか?」
「どうせ息子がカギをかけなかったんだろう。そもそも言った通りの場所に置いていたかどうかも怪しいもんだ」と息子の株は散々に下がったのだが、 今回、通知ハガキが来た。

つまり、撤去してから集積所に行くまでにタイムラグがあり、我々はそのはざまに取りに行ってしまったのだ。
息子を疑ったことを、心の中で詫びる。
(だがしかし、本当は置いてはいけないところに置くから撤去されるんだよなぁ)

息子にハガキを見せて、
「引き取りに行く?」と聞いたら、
「うん。でも、今、すごく忙しいんだよ」と言うので、
「明日、母さんたち、ついでがあって出かけるから、取りに行ってあげようか?」と聞くと、
「ついでがあるなら、頼みたいな。すまんね。あんがと!」と喜んでいた。
このぐらい感謝されるんなら、もっといろんなことをしてあげたくなっちゃうよ。

というわけで、隣町の図書館に予約した本を取りに行くついでに、集積所に行きました。
こないだ来た時とは違い、息子の自転車はちゃーんとあった。
保管料3千円を払い、タイヤに空気を入れさせてもらい、車に積んで帰る。
「集積所の人は、ていねいだねぇ。『あんたが置いちゃいけないところに置くから自転車がこんなとこにあるんでしょうが!』なんてひと言も言わないし」
「『はい、ここにサインをお願いします』とか、『わざわざどうも。お疲れさまでした』とか、親切だよね。役所関係の人は、昔に比べてとてもていねいになったよ」と話しながら、買い物をすませ、家でぐったり。

大内くんは早くも借りてきた本をフラットベッド式のスキャナでデータ化してる。
2人でテレビを見ながら、黙々と作業にはげむ彼だった。

とにかく、自転車が見つかってよかった。
もう新しいのを買っちゃったけど、息子的には軽くて高価な前のやつの方が使いたいらしくて、駐輪場のシールを貼り替えて、そっちに乗って出かけたらしい。
買っちゃった方も、この状態ではいつ何時替えの自転車が必要になるかわからない。大事にとっておこう。

息子よ、自転車を買うお金も引き取りに行く手間も、全部肩代わりしといたぞ。
ちょっと可愛がり過ぎるぐらい、大目に見てガマンしろ!

14年4月15日

テレビでやっていた「冷凍食品」のランキング番組を見て、
「へー、そんなにおいしいんだー」とか、
「でも高すぎない?」とか話し合った挙句、スーパーに行ってためしに買ってみよう、という話になった。

冷凍うどんだけは、過去にその手の番組を見た時買ってみて、本当に普通にゆでめんを買うよりおいしくて安上がりだし、便利だ、と思ったんだよね。
いまだに、うどんを食べるたび、
「あの番組を見てなかったら、こんなにおいしいうどんは食べられなかったんだよね。運が良かったね」と言い合っているのだ。
さて、他のはどうか。

「ごっつ旨いお好み焼き」は確かにおいしかった。
パスタは日清の「プレミアムBIG ナスとミートソース」。
これはこれでウマイ。
さすがに「アルデンテ」というわけにはいかないが、スパゲッティもソースも、よく出来てる。
独り暮らしだったら面倒で、これ買って来てすませちゃうかも。

冷凍食品を見て歩いてる時の大内くんは、
「こんなの、缶詰のミートソースかレトルト使って、麺はゆでた方が早くない?」とぶつくさ言い通しだった。
だからさぁ、お湯を沸かしてパスタゆでてレトルト温めるのが面倒なんだっては。
ちゃんと作るのも大事だけど、手を抜くとこは抜かないと息切れするよ。
もちろんコストはアップするが、そうも言っていられない時も多い。

まあしかし、大流行りに流行って大内家の冷凍庫はすぐできる冷凍食品がいっぱい、ってことにはならなそうだ。
肉、麺、さといも等の「素材」はたくさん入ってるけどね。
そして一番大切なことは、半年に1回ぐらいは総ざらえして、中身を入れ替えること。
うちの冷凍庫には、ときどき、「いつ買ったんだ?」と首をひねりたくなる代物が入っている。
どうかすると霜がびっしりついて中身が何なのか、判別がつかない。
冷凍庫って、けっこう秘境だよ。たまには空にしてみよう。

14年4月16日

歯医者さんの予約に寝坊。向こうから電話がかかって来て初めて思い出した。
看護師さんに叱られた。

「予約、取り直し。今度は木曜ね。『歯医者復活戦』だ!」と言ったら、大内くんにはすごくウケたので、しばらくして帰ってきた息子にもう1回言ってみたのだが、冷たい目で見られただけだった。
他人のギャグに笑えないヤツが、自分だけ笑ってもらえると思うなよ!

14年4月18日

久々に家でカレーを作った。
もちろんジャワとかバーモントのルゥを使うやつ。
今日はジャワの中辛とバーモントの中辛をブレンドしてみました。

新歓活動の真っ最中、夜中に帰ってきた息子は、
「腹へった。なんかある?おっ、カレー?食べる食べる!」と喜ぶ。
確かになぁ、最近、カレー作ってなかったもんね。
理由は単純、息子が家で飯を食わんからだ。
大学に入ってからというもの、シチューやカレーの作り置きをしなくなった。

「おいしそう!」と言ってお盆を持ってテレビの前に陣取り、猛烈な勢いでカレーを平らげ、「おいしい!」と珍しく大声を出す。
とどめに、皿を下げながら、「ごちそうさん!」。
作る方にも、やっぱり「やる気が起きる」言われ方、ってもんがあるなぁ、としみじみ感じた。

おまけに寝る前に我々の寝室のドアをひょいと開け、「おやすみ」と声をかけて行く。
大内くんと2人して、「もう、死んでもいいぐらい、幸せだねぇ」としみじみしたよ。
要求するハードルが低すぎる、というのはよくわかっているんだが、小学校5年生ぐらいから延々10年ほどの「反抗期」が、ついに終わったのか?! と興奮している。

こないだ塾長と飲んだ時に、2人いるご息子のうち、中学生になる上の息子さんの方が反抗期になったらしいのだが、1年ほどで終わったと言ってい た。
塾長、我々の育て方は、何か間違っているのでしょうか?
そう言えば、塾に通い始めたのも小5の頃。
塾長が見てきた「うちの息子」は、ほぼ全体が反抗期で出来上がっているんだなぁ。

14年4月19日

大内くんと一緒に向ヶ丘遊園にドライブして、高校時代の友人に会いに行く。
システムエンジニアだが、今現在は病気休職中。実は元カレ。
「お金がなくなったから、本を全部データ化して、家賃の安い狭いアパートに移った」という合理精神の権化である。
私たちの自炊のお師匠さんだ。
4年前に彼に勧められてから、2年間考えに考え抜き、決心を固めてからさらに彼に会うまで半年、そして1年半かけてここまできた、という我々の自炊の、始まりであり励みであり先達である大切な友人だ。

12時にコメダで会う。
不思議なもので、名古屋の高校で知り合った彼と、今では全然関係ないところに住んでいるのに、それぞれ名古屋の象徴であるコメダに徒歩5分、 というところに住んでいる。
東京にコメダがそうそうあるものでもないのに、この符号は何だろう?

そもそも中高一貫男子校の大内くんにとって、「高校時代の異性の親友」なんてものは理解不能かつうらやましいものらしい。
「息子を男子校に入れなくてよかった。もっとも本人が早めに察知して『絶対、イヤ!』と言ってくれて、ありがたかった」のだそうだ。
いいもんだよ、何でも話せる異性の友人というものも。
ただ、若い頃というのは何かというと恋愛沙汰になってしまい、純粋な友情は難しいね。
今ではものすごくいい友達、というか、やっぱ親友としか言いようがないし、枯れ切っていて味わい深いものだが。
あなたも、今から作ったら?恋愛抜きで。
候補のママ友がいっぱいいるじゃん。

それはさておき、コメダでお昼を食べながら、今回の目玉要件、リスク分散を考えてそれぞれのHDを交換する。
横浜のクラウドサービスとも契約している大内家は、なるべく自宅から遠いところにHDを置いておきたいと考えているのだ。
(今度、貸金庫を借りて1つ入れておこうと思ってる。いや、ホント)
5個に分けて持っているHDのうち1つを預かってもらったわけだ。
向こうの事情も同じようなものだと思う。

ついでに、彼の部屋を見せてもらう。
50代半ば独身男性が、パソコンを友にどんな暮らしをしているか興味があったので。
ひと言で言って、圧倒されました。
人は、ベッドとパソコン、モニタがあれば生きて行ける。
我々の生活は削ぎ落とせる無駄のカタマリだ。
これから老後に向けて、生活のダウンサイジングを考えているので、大いに参考にさせてもらおう。

彼と別れて、家に帰る。
「陽気がいいので生田緑地なんか気持ちいいよ」と言う彼は、狭い自宅に住みつつ、借景というか、広い空間を利用して優雅に暮らしている。
(私が少し体調が悪かったので、散策は遠慮したが、次回に是非)
一戸建てに住んでて猫の額ほどの庭があったって、近くの広々とした緑地にはかなうまい。
これまた頭が下がる。

圧巻は、彼のHDの中身。
「やまいだれ」をつけるかどうか迷うところだが、まあとにかく「知の巨人」だ。
こんな人と高校時代に親友になっていたのか。

大内くんにはいつも強く言っていることだが、彼が「ヲタ」になった件について、私は何の責任もない。
高校時代は、マンガもアニメも興味ない彼と、哲学論を戦わせていただけだ。
そこから40年たって彼が堂々たる「ヲタ」として再登場したのは、私のせいじゃありませんってば!

何にせよ、古い友だちはいいものだ。
それに、昔から「医者と弁護士を友達に持て」というじゃないか。
現代では、これに「IT関係者」を絶対入れるべきなのだ。
いや、Oくん、そんな理由であなたとつき合ってるわけじゃないですよ。
これからもよろしくお願いします。

14年4月20日

大塚家具で買ったシングル・ベッドが届いた。
もしかして採寸間違いがあって、部屋に入りきらなかったらどうしよう、とひそかに心配していたので、慣れた手つきのにーちゃんたちがセッティングして行ってくれた時は、心底ほっとした。
これで、寝室にはダブルとシングルのベッド、間にチェストがおさまった。あとはタンスね。

本当はシングル2つにしたかったのだが、今まで使っていたダブルを捨てるのがもったいなかったし、大内くんは寝相が悪いので、広々としたベッ ドで寝かせてあげたかった、というわけで、ダブルを残した。
私は狭いとこでも平気。というか、シングルぐらいの方が落ち着く。

「一面、ベッドだらけ」という有様になった寝室を後に、シングルのシーツ類を買いにニトリへ行く。
これまで、息子がシングルを使っていたのでシーツや布団カバーは余っていなくもないんだけど、息子と寝具を共用するのは何となくイヤだ。男臭い。
大内くんは汗臭くないのに、息子は誰の何が遺伝したのだろう、けっこう汗臭いヤツなのだ。
本人、気にして朝晩シャワー浴びてるよ。

気に入ったシーツと布団カバー、それから大内くんとおそろい感を出すための枕カバーを2つ買って、ついでにいい食器があったのでそれも買っ て、壊れかけてるデジタル電波時計も買って、あいかわらず1万円しないお会計をすませる。
ちょっと散財したい時には最適の場所だ。
問題は、家にモノがあふれてくることだけかな。
ま、大内くんがマメに捨ててくれてるので大丈夫だろう。

家に帰って、さっそく布団カバーをかけてみたら、おや、ファスナーが壊れているぞ。
どうした、抜群のシェアを誇る「YKK」よ。

しかたないので、晩ごはんを食べてからまたニトリに行く。
幸いすぐに謝罪とともに交換してもらえたが、
「何らかの見返りが欲しいよね。10パーセントオフクーポン券とか。ガソリン代と時間使って来てるんだからさぁ」とさもしいことをつぶやいた ら、大内くんに、
「ビジネスマインドというものだね。キミはそういうとこ、ホントにしっかりしてる。しかも要求はしないところが奥ゆかしい」とほめられた。
何でもほめる人だなぁ。

というわけで、結婚して25年、最初の5年間は布団並べて、残りの20年はダブルベッドで寝ていた我々、ついに離れて寝ることになった。
これについては私は相当寂しいのだが、大の字になって寝られる喜びからか、大内くんは、
「寝る直前までは今まで通りダブルベッドの上で話をしたりマッサージしたりして過ごすんだから、かまわないじゃない。寂しくなったらいつでも 隣のベッドに来ればいいんだし」とのんきな姿勢だ。
「オヤスミ」即睡眠の人ならではかもしれない。
私は寝つくまでに1時間ぐらい孤独の時間を過ごすからなぁ。
もっとも、これに関しては隣の人がぐーがー言って寝ている、という意味で、ベッドが同じであろうが別々であろうがあんまり関係ないか。

幸か不幸か、大内くんは軽く風邪をひいたらしい。
「寒い」と言って、しまってあった猛烈にあったかい毛布を持ち出して、我々が別寝するに至った最大の理由である「体感温度の違い」が十二分にものを言った。
なにしろ、私が布団1枚でも暑いと感じる時、大内くんは羽毛布団2枚重ねの上に毛布を掛けたい、という有様だったのだ。
これから夏に向かって、私はエアコンをつけてもタオルケットをおなかに掛けるだけ、大内くんは布団2枚、といった光景が見られることだろう。
「咳込んでも隣の人に気を使わないですむし、何よりどんなにあったかくしてもかまわないので、風邪ひいてても安心」と彼は語る。
寂しいなんて高級な感情は、暑さ寒さの前には何ほどのことでもないのだ。
生きる、っつーのは、そういうことだよなぁ。

14年4月21日

朝、悪夢にうなされた。
大内くんをいくら呼んでも、声が出なくて届かない、というエンドレスな悪夢。
別々に寝たのが影響してるのか。
幸い、最後には「ううー」という声が出たらしく、すでに起きていた大内くんがやって来て、
「どうしたの?大丈夫だよ。夢だよ」と起こしてくれた。

大学に行くしたくをしていた息子まで、
「おふくろ、どうしたの?」と心配してくれたらしい。
「ちょっとうなされただけだよ」と説明したら、「あっそ」と言って出かけてしまったそうだが。

時は午前9時。
「おやじ、何でいるの?」と息子に驚かれた、という大内くんは、風邪をひきこんで会社を休んだ。
ベッド別でよかった。
今年は、軽い風邪を何度もひきこむねぇ。インフルエンザまでやったし。(その時は私もつきあった)
去年の冬、家族全員1回もひかなかったツケがまわってきたのだろうか。

2人して、1日、寝て過ごす。新しいベッドは寝心地がいい。
私は、枕元のチェストの引き出しを抜くなどの工夫をして、iPadスタンドをがっちり取りつけた。
これで、念願の「身体の右側を下にして横を向いて寝た状態で本を読む」ということができるようになった。万歳!
前に1度、大内くんと寝る位置を交換してトライしてみたんだけど、お互い、逆側に寝るというものすごい違和感に耐えかねて、元に戻さざるを得なかった。(歩く時も寝る時も、私は常に大内くんの左側)
左側を下にして寝ると、消化器官の形状の問題から胃もたれを起こして吐き気がするから、ぜひベッドの左側にiPadを据えて、右を下にして横たわって読みたかったんだ。
思ったよりずっと快調。
いつの間にか入眠できる自然な寝姿のようだ。

長年の懸案だったベッド問題が片づいて、さて、あとは秋にイタリアに行く話とそれに先立つ私のひざの関節炎の治療、つまり減量という課題が待っているだけ。
この冬から春、大内くんが何度も風邪をひいたおかげで食事が少なくなり、すでに2人とも5キロ以上の減量に成功している。
私はややリバウンドが来て今、戻りつつあるが、大内くんは10キロ近くやせた。
「親に会いたくない。やせればやせたで、太れば太ったで、『どうしたの!そんなになっちゃって!!』と大騒ぎをされる」と、会う予定もないご両親との面談を心配している大内くんは、もうしばらくは快調にやせられそうだ。
私も頑張ろう!

14年4月22日

去年の夏、家の近所のスーパー付近で、フクロウをそれぞれ1羽ずつ連れた男女2人組を見た。
大内くんと、
「あれは、『フクロウ友達』なんだろうか?」
「夫婦で飼ってるんじゃない?動物病院に行くとこかもよ」とか話していて、そのままずっと謎だったんだけど、今日、もしかしたら、って出来事があったよ。

いや、テレビを録画した古い情報番組を見ていたら、「吉祥寺特集」なのね。
我々が愛用する「カレー喫茶」もばっちり映っていたよ。
その中で、「猛禽カフェ」なるモノに遭遇したのだ。

吉祥寺にそんなものがあるとは知らんかった。
そもそも、世の中にあるということもまったく聞いたことなかったし。
お客さんは、お店のタカにさわってもいいし、自分とこで飼ってるタカやフクロウを連れてきてもいいらしい。
大内くんと、
「そうか!あの時の2人連れは、きっとそのカフェに愛鳥を連れて行くとこだったに違いない!」と大声を出してしまった。
方向的にも合ってるし、徒歩30分ぐらいだから、フクロウの散歩(?)のついでなんだろうな。

「猫カフェ」なるモノがあるのは知っていたけど、「猛禽カフェ」ってのは意外だ。
きっとどこかに、「爬虫類カフェ」だってあるんだろう。
動物全般が苦手な大内くんは、
「死んでも行きたくない」と言っているけど、同好の士が集まって、飼い方の相談をしたり芸を披露したりしてるんだと思うよ。
好きな人にとってはペットともども、いい息抜きの場になってるんだろうね。

我が家ではペットを飼う予定はないけど、友人の中には「陸ガメ」を30匹以上買っている烈女がいる。
すべてに名前があり、個体識別ができるそうだ。
(一緒に住んでるダンナさんにはできないんだって)
いろんな人がいて、いろんなお店があるもんだねぇ。

14年4月23日

カフェで思い出す場所と言えば昨今は「メイドカフェ」であろう。
高校時代の友人男性に会った時、
「いきつけのメイドカフェが閉店になってしまい、たいそう悲しい」と言っていたが、地道にファンがいるもんだ。
大内くんや息子を連れて行ってみたい。
「ご主人さま、奥さま、坊ちゃま、おかえりなさいませ!」と言ってくれるらしいよ。
時間制限があって、(2時間ポッキリ、というのに似ている)、時間になると、
「お時間でございますので、どうぞいってらっしゃいませ」とか言うんだって。

私が最近驚いたのは、実は、「執事喫茶」というものがあるらしいこと。
個人的には、年配の、銀髪をオールバックになでつけたシブい老執事に、
「奥さま、おかえりなさいませ」と迎えられたいが、その実情はライトなホストクラブのようなものだそうだ。
いや、ホントに執事がいてさ、
「税務署に提出する先年度の医療費、リストができております。ご指示のあり次第、申告に行ってまいります」って事務仕事を片づけてくれたら助 かる のに。

大内くんは常々、ドラマとかを見ては、
「執事さん、いいな!1人、欲しい!」と叫んでいる。
最近では「リーガル・ハイ」の謎の過去を持つ執事さんが良かったらしい。
大内くんがあんなにそそっかしく頼りなくなければ、執事みたいなもんなんだけどなぁ。

14年4月25日

最近、息子がかわいい。
夜の12時過ぎに帰ってくる、ないしは無断外泊のどっちかで、その時になってみないと分からないので、11時半ごろになると大内くんがメールを打っている。
前は、「SUB:今日は」「本文:帰ってくる?」という感じだったんだけど、ここ1週間ぐらいは簡略化されて、「SUB:?」だけで話が通 じ、数分後に息子から返事が来るのだが、その内容が、昔は「わからん」「かえる」といった無愛想なものだったのが、この2週間ぐらい、「帰るよ〜」とか「かえるよー」とか、妙に語尾が愛想いい。
これは、本格的に「反抗期」を抜けて来たかも。

先日なんか、昼間息子が寝室をのぞいて、
「ベッド、どうしたの?」と聞くので、
「買ったんだよ」と答えたら「ふーん」とあまり興味を示さなかったようなのだが、夜の定例メールで、
「今日は帰る?ベッドいいでしょ。父さんはちょっと風邪気味です」と珍しく長いメールを打ってみたら、すぐに、、
「お大事に。ベッドいいね。今日は帰ります」という、何というか、懇切丁寧というか、商談が佳境に入ったセールスマンみたいな行き届いた返事 が来たよ。

毎晩、「こんなに幸せでいいのかなー」と言いながら暮らしております。
これで息子が留年を重ねて8年生になっちゃうとか、就職が決まらないとか、お笑い芸人目指して10年下積みとか、不幸のタネはいくらでも思いつくけど、そんな目先のことには負けない。
幸せは幸せだ。
1人の人間を、何とかこの世に送り出せそうなんだから!
そのあと彼が多少苦労しようとも、それはもう、我々の責任の範疇を超えている。
我々は、あくまで勝手に幸せになるぞ。


14年4月26日

今年は大変な飛び石連休だが、それにしたってGWだ。今日は初日、ということで、まったく久しぶりにツタヤに行く。
さすがにかなりな名作がたまりまくっており、7本も借りちゃったよ。
今日は映画を見まくろう。

それ以外には、特に予定なし。
女友達とごはんを食べに行こうとか、去年の夏の「東京を訪ねてきた人のつもりになって過ごす」企画の続きで東京駅近辺とか靖国神社の戦争博物 館とかをもう1度回ろうとか、話はしてるが、具体的な計画はひとつも。
とにかくゆっくり過ごしたい。

最近、忙しかったというか、落ち着かない日々が続き、夫婦の心が離れてしまったような気すらしたので、ここでじっくり一緒の時間を持って、互 いの位置を確認したい。
飛び飛びに会社に行く大内くんはご苦労さまだ。
私は家で待ってるよ。
休みの日はのんびりしよう!

14年4月27日

今日も休み。GW継続中。

息子がまた履歴書を書いている。バイトの面接用だね。
「面白くないから」と、恵比寿の広告代理店をひと月でやめ、今考えているのは新宿の映画館らしい。
いったいどこからそんな話を聞きこんでくるのか。

書き上がった履歴書を、郵送しようとする。
「住所、って、ここでいいんだよね?」と聞いてくる彼の書いた封筒を見ると、真ん中にどっしりと、相手先の社名が書いてあり、左下の隅に住所 が。
「・・・ふつう、右肩から住所書いて、真ん中に相手の名前書くよ」
「誰も見やしねーよ、そんなとこ」
いや、バイト学生の良識を推し量るため、見ると思うなぁ。
「自分の住所は書かなくていいよね。中の履歴書に書いてあるんだから」
郵便事故ということもある。書いておきなさい。

とどめは、
「『採用係様』はおかしいよ。普通、『御中』って書くよ」と注意すると、
「何、それ」。
知らなくて当たり前か。
「want you!」と書かなかっただけ、マシなのかも。
こういうことって、学校では教えてくれないのかしらん、とモンペなことを考えてしまう。

さて、こんな彼のバイト就活ですが、受かるんでしょうか。
早くバイト始めて借金返してくれないと、困るんですけど。

14年4月29日

おとといの夜は突然、
「友達のとこに泊まる。明日の朝一番で、『アメイジング・スパイダーマン2』を見る」と言って出かけてしまい、実際外泊で、なんだかあまりに唐 突にいなくなるので驚かせてくれた息子だが、今日はヒマだったらしく、ごろごろしてると思ったら、
「車を運転したい」と言い出した。

親を乗せての教習は歓迎するところなので、近所の八百屋と少し離れたブックオフを回り、駐車の練習をしまくって、最後は行きつけのスーパー。
実は息子が中学生の時、社会科の「職場体験」で派遣され、働いたことがあるところ。
買い物に来るのは初めてだろうが。
(バックヤードで黙々とキャベツをむいている姿をこっそり見に行ったことがバレて、あとで本人から怒られた私。しくしく)

今日の買い物は総計8千円といったところで、週に1度の買い出しとしてはまあ普通の値段なんだけど、息子は普段大量の買い出しなんかしないか ら、「8千円も!」と驚いていた。1万円超える時もあるんだけどなぁ。
食費は、月に7、8万円かかるよ。外食費もコミで。
キミの外食費が「おこづかい」の方に移動して、そこだけは昔より楽になった。
もっとも、バイトしてくれないでおこづかいは親からの借金でまかなっているため、ここ半年ほど、家計の総額は苦しい。

なんとか無事に家の駐車スペースに車を納め、気が向いたら5月6日(その日しかヒマじゃないそうだ)に彼が友人と行ってすごくよかったという 京王永山駅の「スーパー銭湯」に一緒に行こう、という話がまとまり、重いスーパーの袋も持ってもらってドライブは終了。
連休を祝って1杯飲もう、と、ソーセージを焼いてビールを飲む。

息子といろいろ話したいんだけど、彼は親との話にはすぐに飽きてしまうんだ。
食べるだけ食べると「ごちそうさん!」って席を立っちゃう。
彼は、「じっくり飲む」ってことがないね。
友達とはある程度飲むんだろうが、夜、12時ごろに帰ってくる日が多く、外泊が意外と少ないのは、大内くんのように「盛り上がって来ると帰り たくなくなって、終電がなくなろうが何だろうが正体を失くすまで飲んでしまう」という性格ではないからだと思われる。

「親のこと、好き?」と聞いたら、
「育ててくれた大切な人だとは思うが、クリエイティビティの点で、まったく関心がない」という答えが返ってきた。
妙なところにこだわるなぁ。クリエイティビィティ?どういうことを意味するんだろう?

すぐにくよくよする私と違って、大内くんは大らかで、
「親を『大切だ』と言ってくれるだけでも、僕よりはずっと親孝行だよ。嫌われてるわけじゃないんだから、そんなに落ち込まないで!」と前向き だ。
私は、人が認めてくれないとすぐ悲しくなっちゃうんだよね。「私のどこがいけないの?」って。
おそらく、親として同居人として、ものすごく「ウザい」タイプだと思われる。
だからイヤがられるんだよなぁ。
ほら、また。イヤだなんて言われてないのに。

「今日は、何もない日かと思ったら、思わぬドライブや飲み会になったじゃない。いいGWだね!」と大内くん。
本当に立派な人だ。
確かに楽しい1日になった。
彼に1人で運転させる日も近いのだろうか。
大内くんは、
「今度、永山駅までのドライブがうまくいったら考えるよ。安全運転も大事だけど、約束した時間、日に車を返してくれることもきちんとしてくれ ないとね。僕らが使う予定の時に使えないと困るから」と言っている。
確かにそれも大切な点だね。

いろんな意味で、コドモは独立していく。
最後に残るのは夫婦だ。
夫婦仲良しなのがイチバン。

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まり。
花見もしたし、誰も風邪をひかなかった驚異の冬であった。

さて、今日はエイプリル・フール。
夜、大内くんと話していて、
「結局、誰もだまさずに1日が終わってしまった」ことを嘆きあう。
1日誰にも会わない私はともかく、社会生活を営んでいる大内くんにはもうちょっと頑張ってもらいたい。

彼の今日の話題は、社食で「ブラック・カレー」が出たこと。
当然食べてみたらしい。
「ものすごく甘いのに、あとから辛さが追っかけてくる」と言うので、
「タバスコがじゃかすか入ったあんこのようなもの?」と聞いたら、
「まさにそんな感じ。一緒に食べていた同年輩の女性に『味平を思い出しませんか?』と聞いてみた」のだそうだ。
答えは、
「・・・美味しんぼならわかるんですけど・・・」というものだったらしい。
やはり「包丁人味平」は一般向けではないのか。

そして大内くんはさらに言う。
「昼休みにデパ地下に行ったら、神田川俊郎がまぐろの解体ショーをやっていたよ。立ち止まって見ちゃった」
スゴイねぇ。さすが東京駅のデパ地下。
あの人は、日本料理界のヒールになった感がある。

と、ここまで聞いて、大内くんはいきなり笑い出した。
「エイプリル・フールだよ!神田川がデパ地下に来るわけないじゃない!」
驚き、笑い、憤りながら聞いたところでは、
「ブラック・カレーのくだりは本当。あれが、神田川への布石だった」とのこと。
やけに手間をかけたもんだね。

そのようにだまされつつ、寝るまでに何かひとつはウソをついてやろうと思っている間に、寝る前の読書の時間になり、そして2人ともぐっすり寝入ってしまった。
朝、くやしくて涙が出た。

皆さんもだましたりだまされたりの1日だったのかなぁ。
私ほど極端に人に会わない人もあんまりいないのではないかと思いつつ、人間関係の潤滑化に、ぜひ、この日を活用してもらいたいものだと思ったよ。

13年4月3日

大内くんの会社にはこの日記の愛読者がいらっしゃるそうで、今回、大内くんはその愛読者の方から叱られたらしい。
「大内さん、警察には自分で電話させなきゃダメですよ!」
これは、私がすでに叱られた分のおまわりさんの言い分とまったく同じです。

S社のHさん、お叱りはごもっともですが、息子はまったく言うことをききません。
夜中の12時に帰って来て、「メシ!」と要求し、作り置きのビーフシチューもブリ大根も「食べない!」と言い張り、新たなおかずを作らせませす。
大内くんは、持ち合わせて生まれた「他人に頼まれるとイヤとは言えない」性格が災いして、黙って夜中に肉を焼いております。
どうしたらいいのでしょうか。(涙)

13年4月5日

息子の荷物の中から、真っ赤なパンツの股間に金色の「蛇口」がついているものが発見された。
ハンズとかロフトのパーティーグッズ売り場で買ったんだろうか。
そして、何に使ったのだろうか。
順当に考えれば、なにかしらお笑いに使ったんだろうなぁ。
私は前々から「小島よしおのお母さん」は実に気の毒だと思っていた。
だって、息子が公衆の面前でビキニパンツだよ。
「でもそんなの関係ない!」のだろうか、と考えていたが、今回、お母さんの気持ちがちょっとわかったような気がした。

さらに、先日、大内くんは息子から、
「オヤジが前に使ってた野球のユニホーム、あるだろ。出して」と言われたようだ。
清里で草野球をやった名残りだが、息子は野球をするのか!?
彼がグローブを2つ持って出かけたあとで、2人でビックリしたし、大内くんはとても喜んでいた。
(なぜ、喜ぶ?)

だが、後日、これは野球をしたのではなく、コントに使ったのだということが判明。
大内くんは落胆のどん底に叩き落された、という風情だった。
私はといえば、野球をやらなくってもちっとも困らないが、「おふくろ、ブラジャー貸して」と言われる日も近いのではないか、と心配だ。
彼には、カバンから女子高生の制服らしきプリーツスカートが出てきた、という過去もあるからなぁ。
(「どうしたの?買ったの?」と聞いたら「借りたんだよ。買うわきゃねーだろ!」と怒っていた)

コントをやると、小道具をいろいろ家から持ち出すので、困る。
ユニホームは返ってきたようで、よかったよ。
楽しそうな大学生活だねぇ。
彼の所属する「お笑い工房」と老舗の「寄席研」の対決ライブがあったりするようだ。
机の上からチラシを発見し、息子も出演したのを知った大内くんは、またしてもぐんにゃりしてしまった。
だからさぁ、学生の集まりに親が行っちゃダメなんだってば!

息子のお笑いに対する情熱はなかなか見るべきものがあり、不満と言えば「親に見せてくれない」という点に尽きるだろう。
また大隈講堂ライブでも見に行くかなぁ・・・
蛇口つき赤パンツで出てきたら、どうしよう・・・

13年4月6日

桜は咲き切ってしまうし、小雨は降ってくるし、花見にはまったく向かない土曜日。
スケジュール的には皆さんこのへんでやっちゃうしかないと思うんだけどね。
息子も何やら新歓お花見会のお仕事があるらしく、昼前に起こしたらあわてて出かけて行った。
もう大学2年だからなぁ。
就活で3年生が実質動けないだろうから、執行部の仕事は2年生にまわってくるものと思われる。

息子がいなくなったので我々も出かけることにして、隣町まで自転車で。
この冬以来、歩いて30分ほどのその場所に自分の足で出かけてそのまま歩いて帰る、ということができなくなっている。
歩きで出かけた日にはくたびれてバスで帰ってしまうし、自転車で近くまで行くことが多い。
老化現象だろうか。
2人とも冬の肥満に悩んでいるので、春に向けて少し体重を落としたいものだ。

今日はごはんは食べて出かけたので、街ではスタバに寄ってコーヒーとチャイ・ティー・ラテを飲んだだけ。
ブックオフにも行ってみたが、あまり収穫なし。
いやぁ、自分の本の自炊が終わってみてよくわかったことだが、「自炊は、くせになる」。
もう裁断・スキャンするべき本は残ってないのに、あの作業がしたくて仕方ないんだ。
夜中に、よっぽど電話帳でも自炊してみるか、と思ったよ。

なので、文庫本が5冊ぐらい買えたのは嬉しい。
帰ったら自炊だ。
晩ごはんの自炊もしなければ。
魚屋さんにあまりこれといった目玉商品がなかったので、今日はポトフ。
練習中だった「イワシのオーブン焼き」はうまく作れるようになったが、代償として大内くんが少しイワシに飽きたらしい。
ああ、人間って、なんでこんなにいろんなものを食べないと生きていけないんだろう?

13年4月7日

ものすごい風。春一番か。
桜はすっかり散ってしまい、土埃と相まってますます花見に向かない天気だ。
今年の桜は、荒れ模様でしたね。

唯生の見舞いに行き、買ってきた服を棚に入れておく。
ところが、お正月過ぎた頃に買った服は、今見るとものすごく暑苦しい。
今日は特に暖かいからなぁ。いわゆる「5月並みの陽気」である。
まあ、寒い日もまだあるだろうから、置いていこう。

唯生はとっても機嫌がよく、時々1人で「にやり」とか笑う顔が面白い。
「早く外泊できるようになるといいねぇ」などと話しかけ、また「にやり」を楽しむ。
もう1カ月もたたないうちに、22歳になっちゃうよ。
うちでお祝いできるかな?

帰りに行きつけのイタリアン・ファミレスでピザを食べる。
春の人事異動なのか、トム・ハンクス似の店長さんがいなくなり、代わりに「アリとキリギリス」のアリの方によく似た小柄な男性が小粋なベストと黒エプロンで働いている。
少し寂しい。

ピザの方はあいかわらずおいしい。
メール会員になっているので時々お得なクーポンを送ってくれて、今回のは「3千円以上だと500円引き、5千円以上だと千円引き」のクーポン。
我々はたいがいピザ4枚、5千円ぐらい食べるので、これはありがたい。

ところが、席に案内されてメニューを見ていつものあたりに決めようと思ったら、合計が5千円行かないのを発見。
(わざわざケータイの電卓を叩いたのだ)
ピザも、安いのは980円ぐらい、高いのは1480円ぐらいと、差があるからなぁ。
なんとか5千円をわずかに超える額の注文を決定し、おねーさんに注文しつつ、念のため、
「これで5千円になりますか?」と聞いたら、おねーさんは、
「5千円のクーポンをお持ちなんですね。今、計算してまいります」と少し笑っていた。
大丈夫。クリアした。

今日のオーダーは、
・トマトソースとガーリックのマリナーラ
・春野菜のとイタリアンソーセージのピザ
・生ハムとルッコラのピザ
・特製ミックスピザ
の4枚。
どれもおいしかったが、特に生ハムとルッコラは、前回と前々回に生ハムが少なかったのでトム・ハンクスに軽く文句を言っておいたのが効いたのか、 一面に生ハムが乗っていて、なんともおいしかった。

お会計をすませて帰る道すがら、大内くんと、「小金がある生活」のありがたさについてしみじみ語る。
老人になっても、たまにはこのピザを食べに来ることができるだろうか。
孫まで含めた一族郎党で来ている楽しそうなおじいさんがいたが、払いは彼か?息子か?
我々も、息子の家族にピザぐらいおごってあげたいなぁ。

13年4月9日

息子が、突然、「パスポートを作りたい」と言い出した。
口の重い彼から何とか聞き出したことによると、5月半ばにサークルの友人たち(例によってオトコばっかり)と韓国に行きたいらしい。
だからさぁ、パスポートぐらい春休みのヒマな時期に取りに行けと散々言っておいたでしょ。

そうこう言っていてもしかたないので、大内くんが会社の帰りに我々の本籍地である杉並区の役所に謄本を取りに行ってくれた。
これで現住所を本籍地としていくつもり。
これまでは、2人が一緒に暮らし始めた永福町に敬意を表して本籍地にしておいたのだが、やはり現住所から離れたところに本籍地があるといろいろ面倒くさい。
ここはひとつ、終の棲家になりそうな現住所を使おう。

大内くんがもらってきてくれた書類をもとに、翌日、私が市役所に手続きしに行った。
ところが、誤算がひとつ。
本籍を移す手続きそのものは順調だったが、息子のパスポートのために新しくなった本籍地の謄本を取るのには1週間ぐらいかかるらしい。
幸い時間がありそうなのでほっとしたが、急きょ取りたい時だったら焦ったろうなぁ。

息子が初めて海外に行く。
その時の顔を見てみたい。
大学時代に山のように英語の授業を取り、寮のルームメイトにも外人がいた、という私でさえ、初めて海外へ行き、トランジットで止まったソウル空港で、
「ここで切手を買えますか?」「もちろん」という会話を売り子さんとしただけで「通じた!」と興奮したもんだよ。

息子の英語は海外で通用するのか。
そもそも、旅行の話は本当に実現するのか。
(この手の話は、よく流れている)
楽しみといえば楽しみ、心配といえば心配だ。
「もう大学生なんだから、大丈夫だよ」と言う大内くんよ、自分は大学時代そんなにしっかりしてたのか!?

とにかく、戸籍謄本だけは取ってきてあげよう。
「パスポートの取得の仕方」もネットで探したので、プリントしておいてあげよう。
だが、親がしてあげるのはそこまでだ。
「1人でパスポートも取れないようでは、海外に行く資格なし!」と言う大内くんに、大賛成である。

13年4月10日

大内くんは泊まりの出張で帰らない。
朝、ひげそりと替えのパンツをカバンに入れるだけが彼の旅支度だ。

めずらしいことだから寂しくてもガマンするけど、今週は帰りの遅い日が続くんだよね。
息子も帰ってこないし、晩ごはんを作らなくてもいい、という点だけだね、メリットは。

それでも、iPadでマンガを読んでいると時間はいくらでも経つ。
アマゾンで有吉京子の「SWAN」と「アプローズ」を5、6冊買ったら、すでに持っているものだった、なんてのはご愛嬌。
でも、これからはちゃんと「持っている本のリスト」を見るようにしよう。
こないだはブックオフで東野圭吾をダブらせたし。

ダブルベッドの真ん中に大の字になって寝る、という贅沢を楽しんでいたら、大内くんから電話がかかってきた。
「今、宿に入ったところ。いやあ、やっぱり寂しいもんだね」
私は泊まったことがないが、ビジネスホテルのシングルルームなんて、けっこう殺伐としてるんだろうな。
今夜は赤穂に泊まり、明日の朝一番で北九州まで行くそうだ。
いやはやほんとにご苦労さん。

深夜の2時ごろになってやっと息子が帰って来た。終電か、地元で遊んでいたか。
「あいつは?泊まりの出張。ふーん」とあまり興味なさそうにあっという間に寝てしまった。
父親を「あいつ」呼ばわり。家庭が崩壊しかかってるぞ。大丈夫か?!

13年4月12日

唯生がまたイレウス(腸閉塞)を起こして、住んでる施設の隣の病院のERに搬入されたらしい。
すっ飛んで行ってドクターと話をしたが、前回ほどひどくはなく、手術もおそらくないだろう、とのこと。
少しだけ安心。

帰って来た大内くんに事の次第を話し、今日は夜遅かったからできなかった入院手続きを明日しに行こう。
大内くんといろいろ話したが、2人とも、
「唯生が健康に幸福に過ごせる時期は過ぎてしまったのかもしれない。今後は何があってもおかしくないので、悔いのないように過ごそう」と思っていることを確認した。

また1週間ぐらいの入院になりそうだ。
先週の日曜に会いに行った時は元気そうで、機嫌も良かったのになぁ。
ドクターも、「このままうまく回復してくれると思ったんですが・・・重大なことにはならないと思いますが・・・残念ですね」と言う。
今現在も、機嫌はさほど悪くないようだから、症状が軽いんだと思う。

まったく、人が健康に暮らすというのは何と難しいことなんだろうか。
唯生は体力もないので、常時心配だ。
今回もスムーズに退院できるといいんだが。

13年4月13日

我が家では、「1ブックオフ」を105円、「1アマゾン」を251円と定めている。
それぞれのお店の、最低料金をあらわしているわけだ。
ブックオフはたまに50円の本があったりして油断ならないが、基本は105円ということで。
アマゾンの方は「1円」の古本を山ほど売っているけど、送料が一律250円かかるので最低料金は251円。

今回の買い物でも、間違えて家にある文庫を買ってしまったのが帰ってから発覚したので、大内くんに、
「ダブっちゃったよ。無駄遣いして、ごめん」と謝ったら、
「1ブックオフでしょ?かまわないよ」と寛大なお言葉。
そういう彼は、1アマゾンの本を買いまくっているのを、私は知っているぞ。

本を買っても買っても、スキャンしてしまえば家の見た目は全然変わらない。
大内くんも私も、そこに溺れているんだ。
幸い、私は月に2度、計10冊ぐらいのレディースコミックを本屋さんに持ってきてもらってるので、自炊のタネが尽きることはない。
大内くんは古本に走っているし。

「昔にこの環境があれば、あの本もこの本も処分しないですんだのに!」と、時々嘆いている大内くん。
確かにね、本って、案外一時的にしか手に入らないものなんだよね。
夏目漱石がこの世からなくなることはないだろうが、例えば「7年目の別の広場」を図書館、さらにはアマゾンで見つけようというのは相当無理がある。
神保町を歩き回らなくても古本が買える、という点は大いにありがたいのだが。

そんな日々を過ごしていると、普通の本屋さんで本を定価で買う、という行為が何やらむなしくって。
もともと私は図書館派で、図書館で4回ぐらい借りて読んだ後、文庫で出たら買うケースが多かった。
それが今や、「データ化されてない本は、iPadで寝たまま読めないからなぁ」という理由で、ブックオフに行く。
悪鬼の所業にも似た裁断も、すっかり慣れてしまったし。

友人に本の編集者がおり、常々、
「作家さんのためにも、ぜひ本は一般書店で定価で買ってください」と言われているのだが、やはり、本は高い。
もっとも、我々にとって本を持つことの一番の難点は「場所」だったので、今となっては定価で買ってもかまわないのだが、いやあ、ブックオフは強いよ・・・

13年4月15日

うららかな春の日。
暑すぎず、寒すぎない、理想の気候。
最近さすがに疲れ気味なので、大内くんと2人、ほとんど1日中寝て過ごした。
例外は、ツタヤで借りた映画を観た件と近所のブックオフに行った件ぐらいか。

今や自分の本は全部自炊してしまったので、退屈でならない。
自炊した、その本を読めばよさそうなものだが、人間の心理はそう簡単ではないようだ。

さて、そんな本たちの中には、自炊はしたいが本体を持っていたい、というものもある。
コピー機式のスキャナなら1ページ1ページスキャンしていく、ということも可能だが、あいにくうちのは裁断したものを流すタイプだ。
私が一番最後まで迷ったのが、「ハリー・ポッターシリーズ」。
装丁がきれいだし、お話も好きだ。(訳者がどうも気に入らないが)
なので、しばらくブックオフで探していたところ、あった。ありましたよ。

しかも、全巻そろっていて、4巻から7巻までの正続2冊組なんて、本屋さんで売ってるままビニール包装されており、開封した気配さえない。
それが、1ブックオフつまり、105円。2冊組でもだよ。
ちょっと夢のようなお話だと思わない?

全部をカウンタに持って行ったら、本当に全部105円だった。全7巻、11冊もあるのに。
ずっしりと重い袋を持って帰るのは、かなりの満足感があった。
これで、電子でもリアルでも両方のハリー・ポッターが楽しめる。
出版社も最後の方はずいぶん強気な増刷をかけたと聞いているが、今は世の中の古本屋さんにこのシリーズはどんくらい置いてあるのだろう?

ところが。
大喜びで家に帰って本棚に並べようとしたら、あれ?1冊足りないぞ。
どうやら私は、第2巻の「秘密の部屋」を買い忘れてきたらしい。
がーん!
「また明日行ってみようよ。ブックオフで売り切れてても、ネットでも、ほら、1アマゾンで売ってるよ」と慰めてくれる大内くん。
いやいや、本当にいい人と結婚したものだ。

というわけで、ハリー・ポッターが並んでるんだが、大昔、第2巻のあたりを息子の小学校の同級生に、
「読んじゃったら、おばちゃんに貸してくれない?」と持ちかけて、
「今、夏休みの自由研究でハリー・ポッターの続きを書いてるから、本がいるんだよ。それがおわってからでいい?」と聞かれ、
「もちろん、いいよ」と答えつつ、息子が警察に習いに行っていた柔道の応援&お迎えに行った際に他のお母さんからゲットしてしまった、というような過去がある。
あの少年は、どうしているかなぁ。

ややロマンに欠ける点は、「あの少年」のお父さんに、大内くんが時々会社で会っているらしいこと。
同じ社宅に住んでいたんだけど、社宅が閉鎖になったので、うちも含めて多くの社員が近くに家なりマンションなりを買って同じ地域に住み続けているから起こる現象だ。
というわけで、「あの少年」は1浪して日本で一番難しいとされる大学を目指していた、ということまでは聞いているんだけど、受かった話は聞かな い。
大内くん曰く、
「最近はさすがに2浪してまで、という風潮はないから、どこか私立に行ってるんじゃないかなぁ」。
あいにくなことに、お父さんはヨーロッパに赴任してしまったので、もう「あの少年」のうわさを聞くこともない。

息子がここまでくる間に出会い、お世話になったコドモたちも、今はみんなそれぞれの道を歩んでいることだろう。
いつか、就職面接の会場で会うかもしれない。
大内くん、その日を楽しみに仕事頑張ってくれ。

13年4月16日

大内くんが骨休めに取ってくれた有給休暇を使って、また唯生に会いに行った。
こういう場ではもっぱら大内くんが話をしてくれるんだけど、今回、看護師さんが点滴の様子を見に来た時に大内くんが何にも言わないので、私が、
「日曜に先生が『浣腸をかける』とおっしゃってましたが、便は出ましたか?」と聞いたら、
「少し出ました。先生にお会いになります?呼んでみますけど」と言うので、ありがたく会わせてもらうことにした。

大内くんは、こういう時に相手の負担にならないよう控えめにしている傾向がある。
でも、それは自分や、自分の身近な人を犠牲にして、ということなのだ。
結婚してからずっと言い続けているが、なかなか治らない。

やがてあらわれたドクターの話では、腸閉塞自体はもう何とかなっていて、唯生が施設でなく一般の病院に入院していることのストレスを考えると、早めにセンターの方に移して、あとはドクターが往診する、という形に持って行きたいらしい。
そうね、病院には身動きできない人もいるかもしれないけど、お話できない人、ってのはあんまりいないからね。
世話をするだけで大変だろう。

今回も、細長いストレッチャーに寝て検査に運ばれて行った唯生を病室のベッドに移すのに、看護師さんが3人がかり。
センターでは、1人でやるんだよ。
その点だけ取っても、唯生のような重度の障害者の受け入れは難しいんだな、と思った。

帰り道で、大内くんは、
「キミの言うとおりにしたらドクターにも会えて、話を聞くことができた。僕はまだまだダメだね」と反省していた様子。
まあ、なんでもかんでも自分の思い通りにしようとする人でも困るので、我々は2人で1人前かな。
これからもいいペアを組んで行こう。
それにしても、唯生が外泊できる日が再び来るのかどうか、ちょっと不安になるなぁ。

13年4月17日

先日唯生の面会の帰りに行ったブックオフに行ってみたら、ありましたよ、「秘密の部屋」。
もちろんこれも105円。
ついでに林真理子と清水義範も買い込み、うーん、ブックオフの思うつぼにはまっている私たち。

帰って、さっそくスキャン。
時々自炊をしないと気分が晴れない我々は、すでに人間じゃないんだろうか。
大内くんは、
「最初のハードカバーの背表紙をバリバリと引きちぎった時の感触が忘れられない。今はもう慣れちゃったけど」と語る。
私は「ご近所スキャンダル」などのレディース・コミックから入ったので、その悩みはないなぁ。
今でも、ハードカバーはほとんどやらないしね。
「ざっくり」と文庫を裁断した時の手触りは確かに印象に残る。
これがやりたくて、自炊を続けているのかしらん。
やっぱり、人非人だ。

13年4月18日

夜の10時頃、お風呂に入っていたら、電話がかかって来た。
最近は家の電話にはめったにかかってこないんだが。
大内くんがあわてて出るも、切れてしまった。
着信を見ると、唯生の入院してる病院じゃないか!

大内くんがコールバックしてくれたが、事態は何やら深刻そう。
「わかりました。1時間ぐらいでうかがいます」と言って電話を切った大内くんが言うには、唯生は「腸捻転」になって緊急手術らしい。

温めていたカレーを大急ぎでかっこみ、車で病院へ向かう。
忘れちゃならないのが大内くんのキンドルと私のiPad。
どのぐらいの時間、病院にいなきゃいけないか、わからないからなぁ。

これから帰宅するであろう息子に、
「唯生ちゃん緊急手術。帰りは多分夜中になるのでよろしく」とメールしたら、しばらくして電話がかかって来た。
「大丈夫なの?」
「まあ、大したことはないよ。もう家に帰ったの?」
「うん」
「遅くなるから、先に寝てて」
「わかった」
という会話があった。

車の中で、
「腸捻転、って、真面目な意味で聞いたのは初めてだよ。たいがい、笑い過ぎて腹がよじれる、みたいな時に使う言葉じゃん」
「僕もまったく同じだよ。マンガとかでよく使うよね」という話をしながら、病院に着いた。
さすがに夜中なので道がすいてて速かったよ。

もう手術は始まっているらしく、去年もお世話になった家族のための待合室みたいなとこで待つだけ。手術室と同じ3階にある。
前方の大きなモニタに「21歳11か月。外科。麻酔中。開始時間22時40分。終了予定時間1時半」と出ているのが唯生だ。
我々以外にはひと家族しかおらず、どうやら75歳の人の手術を10時間ぐらい待っている人たちらしい。お父さんかねぇ。

待合室の他にもいくつか小部屋があり、その家族連れは基本個室にいて、時々出てきてはモニタで手術の進行具合を見ているようだ。
真夜中のこととて個室がいくつもあいているし、他に待ってる人たちはいないみたいだ。
看護師さんに頼んで部屋を貸してもらおうかと思ったが、誰もいない。
ソファでななめになって眠りかけてる大内くんに、
「個室もあるよ。ソファもあるみたいだし、仮眠がとれるよ。でも、誰に断って使えばいいのか、わかんないんだよ」と言うと、控えめな彼にしては珍 しく、
「別に、いいんじゃない?使わせてもらおうよ」と言って、どんどん部屋に入って行き、ソファに横になって眠ってしまった。
今日は仕事も遅くて疲れたみたいだし、明日も午前中は絶対出社しないといけない用事があるみたいなので、そっとしとこう。

私は、「甘いものでも食べなきゃやってらんない!」と思って、1階に降りてローソンでシュークリームとチーズケーキを買う。
部屋に戻ってそれを食べちゃったあとは、ひたすら待つだけ。
買って自炊したばっかりの有吉京子の「スワン」というバレエマンガを、全14巻、始めから終わりまで読めてしまったよ。
3時間ぐらいの間の出来事だが、さすがにiPadの充電が怪しくなってきた。
コード持ってくるんだったな。コンセントはあるんだから。

途中で看護師さんがのぞきに来て、部屋を使っていいという許可をくれたうえ、タオルケットを2枚貸してくれた。
とても助かる。
大内くんはほとんどずっと不安定な眠りをむさぼっていた。

夜中の2時頃に、大内くんを起こす。
「手術がずいぶん長引いてるみたいだよ。心配だね」と言うと、
「去年の手術の時もけっこう長引いたよ。そう心配することはないよ」という答え。
「正直言って、このままお葬式になったら、とか思ってるんだけど」と、私としては破格の爆弾発言をしたつもりが、
「僕もそうだよ。やっぱり週末まで待ってほしいから、冷凍庫に入れとくのかなぁ、とか」と驚くような答えが返って来た。

そのあとしばらくお葬式について話したが、
「唯生はあんまり人に会わない寂しい生活だったからさぁ、近所のママ友とか、息子関係の人とか、唯生に直接関係ない人にも大勢来てほしいんだよ」 と私が言うと、大内くんは、
「唯生はひっそりやるんでいいんじゃないかなぁ。キミの時は盛大にやってあげるから」。
まあ、そうならそれでもいいんだけど。

途中で私が室外の様子を見に行ったら、看護師さんがいて、様子を聞けた。
もう縫合に入っていて、順調に終わりそうだ、とのこと。
そのあと、渡されていたPHSが鳴って手術終了が告げられたのが朝の4時半。
ずいぶん長引いたもんだが、ドクターはその間立ちっぱなしだからなぁ。

そのドクターが、術後の説明をしに来てくれた。
要するに、腸のねじれを治そうと開腹したら、ねじれのせいで穴が開いているところが2カ所あり、前の手術の時に生じた癒着をはがすと同時に穴をふさぐ手術をして、その際に、たいへん残念なことに「人工肛門」を作らざるを得なくなった、というのが全体のストーリーらしい。

「今後、慎重に様子を見て行きますが、腸を切除したことから他の臓器に負担がかかり、最悪の場合、生命の危険もないとは言えません」と言われたので、
「簡単には言えないのはわかるんですが、何割ぐらいの確率でしょうか?」と聞くと、
ドクター「そうですね・・・1、2割といったところでしょうか」
私「5、6割を覚悟しなきゃいけないのかと思ったので、少し安心しました」
ドクター「しかし、おなかを開けても、盲腸とかなら0.05パーセントという感じなので、唯生さんの場合、かなり確率が高いです」
私「わかりました。しばらくは臨戦態勢で行きます」
ドクター「こちらとしても、慎重に診ながら手は尽くしたいと思います」

唯一の明るい話題は、人工肛門建設により、唯生が長年苦労してきた「便秘」とは縁のない生活になるらしいこと。
「むしろ、常時下痢気味、という感じになります」とドクター。
もう浣腸も下剤も必要ないんだなぁ。

ここらでお礼を言ってドクターと別れ、さらに1時間ぐらい待ったところでICU(大学じゃないぞ)に入った唯生に面会できた。
これが、5時半近くの出来事。
麻酔が完全にはさめていないようで、目は開いてるんだけど、うつらうつらしてる感じ。
看護師さんたちにお礼を言って帰ることにする。
深夜、いや、早朝のICUの廊下は長く、人っ子一人いない。
無言で、大内くんと手をつないで歩いた。

仮眠をとったとはいうものの眠そうな大内くんの代わりに私が運転。
東へ向かって走ったので、とてつもなく大きな朝日を真正面から見ながら帰ることができた。
大内くんは午前中出社して、午後は唯生のためにスタンバッてるつもり、と言って出かけて行った。
不安だよね。私も、大内くんがいてくれればとても心強い。

「胃ろう、腸ろうときて人工肛門じゃ、もう外泊は無理かもね」とハンドルを握った私が言うと、大内くんも、
「管だらけだからね。ベッドから車椅子に移すだけでも怖いよ。どっかにひっかけちゃいそうだ」。
これからは、面会に行って一緒に散歩するのが精いっぱいかもしれない。

「そういえばさ」と大内くん。
「こないだ唯生の主治医の先生に、『弟さんが成人されたら、唯生さんの入院手続きなどに代わりに来ていただくこともできますよ。そうなさってるご家族もいらっしゃいます』って言われたじゃない。彼を朝起こすついでに、『成人したらそういうことを頼むかも』って言ったら、『そうか、オレ、そんなことできるんだ』って言うんだよ。ちょっとプライドをくすぐってやろうと思って、『今、病院でバイトしてるから、手続きとか簡単にできるん じゃないかなぁ』って言ったら、『ああ、できるよ。オレ、プロだもん』ってさ。本当にやってくれるかどうかはその場にならないとわからないけど、 わりといい感触だったよ。ついでに『留年とかしないでね』って言ったら『ん』とだけ言ってた。彼とこんなに会話が成立するなんて、珍しいよ」
確かに珍しく多弁だとは思うが、こんなのが長い会話なんだとしたら、親子の関係としてはかなり寂しいぞ。
そもそも、2、3日に1回、深夜の病院のER受付をやってるうえ、お笑いサークルの新入生勧誘に燃える彼は、全然家に帰ってこない。
大内くんは、こないだ、
「もう1週間ぐらい息子に会ってない」とこぼしていた。寝顔だけなんだって。
「パンツはどうしてるんだろう?」というのが大内くんの一番の関心事らしい。
私は、昼頃にバイトから帰って来て、「メシ」という部分を見ているが、実のところあんまり嬉しい会い方ではない。
夜勤明けは起きられなくて授業を相当すっぽかしているようだし。
本当に留年しないで卒業できるんだろうか。
「僕は、この件に関しては何も言う資格がない」と、大内くんも弱気だ。

というわけで、しばらくは「酒を飲まない」(運転できなくなるから)「家をあまり離れない」(すぐに病院に行かなきゃいけないかもだから)という 臨戦態勢で行きます。
予感があったのか、単に何もかも面倒くさかったからなのかわからないが、そもそも今年のGWは旅行の予定はなく、近所の史跡めぐりでもするか、と ひと月ぐらい前から話しており、うってつけの状態だ。
ごろごろして、DVD観て、唯生の面会に行ってだらだらと過ごそう。
1年以上止まっている「墓地を買おうか」という話も、再考に値するかも。

我々を悪趣味だと思わないでほしい。
人は、いつ何時何があるかわからない。
障害者を家族に持つということは、その「何時何が」の確率がかなり上がるということなのだ。
今さら不幸を嘆いても始まらない。
できることをできる時にやる。それだけの話。

唯生や息子のお産の次あたりになるであろう、「大内家のとても長い夜」のお話でした。
半徹夜なので早退してくるつもりで会社に行った大内くんと、午後はゆっくり寝よう。病院からの呼び出しがかからなければ、の話だが。
家じゅうの電気をつけっぱなしで寝てしまったらしい息子への対応は、これからちょっと考えないとなぁ。

13年4月19日

ちょっと重いですが、聞いてください。
腸ろうと胃ろう、そして人工肛門を建設した唯生は、これからの一生を、小腸以外の消化器官を使わずに暮らしていくことになる。
おいしいものを味わうこともなく、温めた栄養液が胃に満ちてくる「満腹感」も知らず、「大」が出る時の爽快感すら知らずに、ただ、必要な栄養を小腸から吸収するだけの人生になるのだ。

正直言って、それが楽しい生き方だとは思えない。
唯生に、いったいどんな楽しみがあると言えるのだろう?

思えば高校まではよかった。
施設内の院内学級とはいうものの、毎日のように「授業」に出かけ、楽しい歌やリズムに囲まれて過ごしていた。
身体もよく動かしてもらって、側彎があまりひどくなることもなかった。

でも、今は、病棟に寝たきりで、時々看護師さんが「唯生ちゃん、ちょっと待っててね」と言ってくれたり、私物のラジカセで音楽を聴いたりする以上の楽しみはめったにない。
背骨の側彎が進み、内臓にも負担がかかって、今回のようなことが起こってしまったのだ。

関係者の人たちが、みんな一生懸命やってくれてるのはよくわかる。
夜中に、6時間もかかる手術を成功させてくれたドクターにも、とても感謝している。
それでも、思いは浮かんでくるのだ。

「唯生は、生きていて幸せなんだろうか」

この答えは、とても難しい。
おそらく、唯生が生きている間には答えが出ないだろう。
だがそれでも、やはり私は問うてしまうのだ。
「唯生は、幸せですか?」
問うている相手の名は知らない。
きっと、神様ってやつなんだろうなぁ。

13年4月20日

昨日の早朝に「腸捻転」で緊急手術をした唯生のお見舞いに行った。
半徹夜で会社に行った大内くんも、午後は家に帰ってきて睡眠をむさぼったので、だいぶ元気になったみたい。

元気がないのは私も唯生もおんなじ。
つーか、今、大内家で元気なのは息子だけだ。

唯生はまだICUにいて、給食のおばさんのような格好にならないと入れないのかと勝手に思い込んでいたが、普通の格好で入れた。
無菌室なわけじゃないのね。
正体不明の管をたくさんつけた唯生は、ベッドに横になってうつらうつらしていた。
はっきり目が覚めたらおなかを切ったとこが痛いだろう、と思うので、麻酔が効いているならその方がよかろう。
しばらく顔を見てから帰った。

精神的に疲れる休日だったので早寝をしようとしていたら、息子が帰って来た。10時頃か。彼にしちゃ、早い。
と、我々の部屋のドアを開けて入って来たと思ったら、開口一番、
「明日、パチンコ行かない?」。
たまげましたよ。
息子から何かに誘われるなんて年に1回あるかないかだし、しかも行く先はパチンコ。
「やったことあんの?」と聞いたら、
「時々やってるよ。だいたい勝ってる」。スゴイじゃないか。

誘われたのは大内くんだけのような気もするんだが、便乗して私もついて行っちゃおうっと。
「一緒にごはん食べようか。ラーメンとイタリアンとタイ料理、どれがいい?」
「何でもいいよ」
いったい、この素直さはどうしたんだろう?

息子が立ち去ったのち、大内くんと顔を見合わせる。
「あれ、機嫌よかったよね」
「かなりね。何かいいことでもあったのかな」
「明日、食事を一緒にするんなら、聞きたいことはちゃんと考えておいた方がいいね。まず、『カノジョ、できた?』だよね。それから、『バイトはうまく行ってるか』、あと、『サークル活動はどうなのか、ちゃんと卒業できそうか。将来のことはどんなふうに考えてるか』あたりかな」
「そんな感じだね」
で話を終わって寝たけど、2人ともちょっと興奮しちゃったなぁ。
息子と外でごはん、なんて、半年ぶりぐらいだよ。
家にいたって一緒に食べてくれないし。

ああ、楽しみ!
私はパチンコはしないつもりだが、息子と大内くんは勝てるのか?!

13年4月21日

息子に誘われて隣町にパチンコに出かける。
なかなか起きず、やっと起き出したと思ったら、
「あとから行くよ」と言うので、息子を残して大内くんと2人自転車をこぐ。
待ち合わせ場所で10分ほど待ったら息子が現れた。
「どうせ今からシャワー浴びるんだよ。どいだけ待たされるか、わかったもんじゃない」と言っていた私は、ちょっと反省した。
ほんのちょっとだけね。

まずはブランチだ。
いつも大内くんと行くスタバの、向かいにある「地中海料理店」が気になっていたので、いい機会だ、そこでごはん食べてみよう。

思ったより単純な店で、幾種類かのパスタやピザ、それぞれのサービスセットなどがある。
何を注文してもドリンクバーがつくようだ。
息子は「ナスのピリ辛ミートソース」、大内くんは「カルボナーラ」、私は「明太子スパ」と、みんなでつつくようにピザを1枚。
息子だけは、プラス250円でサラダがついてくるセットだ。この健康志向野郎め。

早速ドリンクバーでコーヒーでも、と立ち上がりかけた私を手で制し、息子が、
「いいよ、オレ、持ってくるよ」と言う。
「じゃあ、パパの分をママがとってくるよ」と言っても、
「いいから、いいから」と2人分のコーヒーを持ってきてくれたのち、自分用にジュースを2種類持ってきた。
驚きだ。息子にこんなに親切にされたのは、6才の頃に遠足のおみやげに光る指輪をくれたこと以来かもしれない。

やがて運ばれてきたパスタを食べながら、いろいろ話をした。
サークル活動は面白いらしい。これから2年生になるので、中心になってやっていかねば!という決意がみなぎっていた。
勉強の方はまったく何もみなぎってこないようだ。
驚いたのは、語学で、秋にドイツに1カ月行くことになっているクラスを取ったらしい。
「だからさ、金ためてるんだよ」
5月には友達と韓国に行くらしいし、なにやら急にインターナショナル。

「カノジョはいるの?」
「いねーよ」
それで終わりか?
「好きな人とか、いないの?」
「オレ、女はあんまり好きじゃない」
・・・大丈夫だろうか。

将来のことは全然考えていないようだ。
「ママたちの頃は、10月1日が就活の始まりだったなぁ」と語ると、
「4年生の?!うそっ!」と驚愕したらしい。「何にもできないじゃない!」
「4年生は、のんびり卒業に向けて単位を取り、卒論書いて、就職は頑張って、あとは運転免許取りに行くんだよ。少なくともママはそうだった」
息子は目を真ん丸にしたままだった。

やがて、ドリンクバー3杯目のコーヒーでだいぶおなかがだぶついてきたので、いよいよ本日のメインイベント、パチンコだ。
私はまったく興味がないので、息子と大内くんをスタバで待つ。
やっぱり、iPad持ってきてよかった!

1人でチャイ・ティー・ラテを飲むこと1時間、大内くんから電話がかかって来た。
「今終わったとこ。そっちへ向かってるよ。息子もバイトまで時間があるから、一緒に来るって」
これまた驚きだ。そんなに長いこと親につきあってくれるとは。
2人して大負けしてきたらしい。いくらつぎ込んだのかは、あまり知りたくない。

あいにくスタバは混んできたので、3人で近くの喫茶店に行った。
去年、大学入試が終わった頃に大内くんがごはん食べに連れて行ってあげたとこだ。
狭くて急な階段をのぼりながら、息子は、
「あ、前にも来た店だ。なに、またメシ食うの?」
いや、ここはランチとかも食べられるけど、その実態は喫茶店なのだよ。
普通の人は、2時間に1回食事したりしないんだよ。キミがどうしようと勝手だが。

すいていて静かな店内で、またひととおり息子と話しているうちに、
「あー、眠い。オレ、ちょっと寝るわ。このあとバイトなんだ。3時過ぎに出ればいいから、その頃起こして」と、ソファに横になって眠ってしまっ た。
(「靴脱いだら、足も上げて寝ていいかな?」さすがにそれはダメでしょう)

口を半開きにしていびきかいて寝てる彼は、連日夜勤のバイトなので、かなり疲れてると思う。
そこに授業とサークル活動を入れると、もう、彼のスケジュールにはほとんど空白がないだろう。
喫茶店で息子が寝ちゃうというのはいささか気恥ずかしいが、睡眠不足はいかんともしがたいからなぁ。

息子の寝顔を見ながら、大内くんといろいろ話す。
私「楽しかったね。本当にこんな日もあるんだね」
大「なんだか、一回り大きくなったというか、余裕が出てきたね。これまでは気力で補ってきたんだろうから」
私「コーヒーなんて持ってきてくれて、いったいどうしちゃったんだろう?これでもう、親子問題は解決?」
大「いや、まだ油断はできない。今日だけ特別機嫌がいいだけかもしれない」」
私「でも、10年ぐらいたって彼が本当にオトナになったら、我々は、『ああ、あの日が息子幼年期の終わりだった』って思うのかもよ」

そんな話を1時間ぐらいして、息子もだんだん覚醒してきて、
「おしっ、バイトいくか!」と気合を入れていた。
店を出たところで「じゃ!」と立ち去る息子の姿に、大内くんと2人でぼーっとなっちゃいましたよ。

愛想よく、フレンドリーな息子には、もう長いこと会ってなかったが、今日は堪能しちゃった。
細かいことは他人さまには全然面白くないと思われるので割愛し、とにかくあと半年で飲酒を含めてあらゆる権利を得る彼である。
(ないのは被選挙権ぐらいなもんだろう)

楽しかった。本当に楽しかった。
植えた木の苗がどんどん育って、その木陰で一休みする時、人はこんな気持ちかねぇ。

13年4月22日

たいへんたいへん!
持ち歩いていたiPadが壊れてしまった。

息子と大内くんがパチンコに行ってる間、スタバで待っていて、マンガでも読むか、とiPadを出したら、バッグの中で硬いものに押されていたのか、側面の「音量調節ボタン」が本体にめり込み、常時最大音で鳴るようになっていた。

ただ、私はiPadで音を聞くことはまずにないので、現に大音量になってるとしても、全然困らない。
困るのは、画面の真ん中に「音が出ています」的な小さな絵が表示される。
もちろん読むのに邪魔になる。
どうしても、ってわけじゃないけど、「このマークが消えたら楽だろうなぁ」って設定ボタンとかいろんなものを押してみたけど、効果なし。

家に帰ってから大内くんにそう白状すると、
「よくあるトラブルらしいね。気にすることないよ。修理でいい?」と寛大にも言ってくれたので、こっちも調子に乗って、
「そんなら、いっそ新しいのが欲しいなぁ」。
「いいよ」って、そんな、ボーナスだってどうなるかわかんないこの不況の日々に、ちょっと壊れただけで新品ですか?
灰皿がいっぱいになるとキャデラックを買い替える、という大富豪の話を聞いたことがあるが、我々的にはそういう感じ。

まあ、実際欲しいと思っていたし、大内くんも、
「もう、キミはiPadがないと生きて行けないよ。それぐらいよく使っている。もう十分ペイしてるよ。それに、新しいのを買ったら、今使ってるやつ、僕にくれるんでしょ?」と言う。
2人で、近所のコジマへ、GO!

ひょんなことから、欲しくてたまらなかったものを買ってもらえて、嬉しくて嬉しくて。
これからもiPadを頼りに生きて行く所存でございます。
あんたはキンドルだろうが、と内心で思いつつ、
「うん、一緒にマンガ読もう」とにっこり。自分の夫をたぶらかしてどうなるというのだ、自分よ!

そんなわけで、新しいタブレットを注文して来ました。
もう1台は、どうせ修理に出すんだったら何してもいいんだな、と思い、ボタンのあたりをぐいぐい触っていたら、あれ、画面上でとっても邪魔だったマークが、消えちゃったよ。
大内くんが見て、
「なおってる!キミは本当に巫女さんだ。不思議な力を持っている!」と大声を出していた。
そんなさぁ、15年ぐらい前に壊れたビデオデッキに「手かざし」かけたら直った、という過去は確かにあるが、今の私は普通の人間です。あんまり期待しないでおいてください。

というわけで、古い方のiPadは大内くんが使うことに。
息子は1代目、大内くんは2代目、ミニはとばして、私がiPad3。
唯生以外の全員がiPadを持っている、しかもほぼマンガを読むためだけに使っている、という、なんだかゴージャスな話だ。

まったく、本を全部処分しちまったために、図書館で借りた本ぐらいしか読めない。
最初、壊れた本体を修理してもらおうか、と思っていた時は、1週間ぐらい全然読む物ない、って生活になるんだな、って「大きな誤算」を感じたよ。
幸い自力で直ってくれたので、新しいヤツが来る直前まで役に立ってくれた。
タブレットがないのがこんなに困るとは思わなかった。

大内くんは、同じような心配をしているらしく、家にパソコンが1台しかないのは不安だ、と言う。
「ノートを1つ、買おうかな」
息子の机の上のぐちゃぐちゃの底に、入学祝いに買ってあげたノートがほぼ使われずに置物と化している。
大内くん自身、会社から支給されたノートを毎日カバンに入れて出社している。
この状態でもう1台、とは大胆なり。

ま、私もノートがあったら便利だろうな、って思うし、ボーナスの額次第では買っちゃうかも。
iPad3はいい買い物だった。

たまたま同じマンガが両方に入っていたので、呼び出して、2台iPadを並べてみた。
同じ絵だとすぐわかるが、やはり新型の方が画面がキレイ。
「買ってよかったじゃない!」と喜んでくれる大内くん、その、画質がキレイな方を私が使わせてもらうんですけど・・・
「全然かまわないよ。キミの方が、何百冊とiPadで読んでるじゃない。僕には通勤用のキンドルもあるし」
ありがたく使わせていただきます。

13年4月23日

息子が5月半ばにサークル仲間たちと外国(韓国?)旅行をしたいらしい。
はっきり言って、旅費ぐらいはもう貯めてしまった彼なので、保護者・出資者としての体面を保つのがにわかに難しくなった。

とりあえず、結婚した時住んでいた場所が本籍で、不便なことも多いので、現住所と戸籍を一致させた。
1週間ぐらいで新しい戸籍謄本が使えるようになるらしい。
ついでに、我々の免許証を書き換えるための住民票もとる。

戸籍謄本とパスポート用の用紙ももらってきてあげて(しかも、間違える場合を考えて2部!)パスポート申請の準備をする。
大内くんは、
「そんなにいろいろしてあげなくても、自分でできるぐらいでないと外国へなんか行けないよ」という主義のようだ。
私はねぇ、頼まれるとイヤとは言えない性分なんだよ。

だから、息子が、
「よくわかんない。取得までの流れを書いておいて」と来た時にも、がっくりしつつ、すでにプリントして息子に渡してあった小冊子を無言で息子のカバンから出す。
「ど〜も」と言う息子よ、キミは本当に外国なんて行っちゃいけないんじゃないの?

さらに翌日、頭に来る電話がかかって来た。
バイト明けの息子が、昨日のうちに手続きに行ってなくて(「明日の朝、行く」と連絡が)手続きをまだすませていないうえに、「1万円ぐらいかかるので、 足りない」。
費用も、全部書類に書いてあったでしょうが!

とにかくあちこち駆け回って、やっと何とか送金を終えた。
大内くんが息子に、
「オトナの態度とは到底思えない!」とお叱りのメールを出したら、
「すみませんでした」と返事が来たという。これはかなり珍しい。

こないだ雑踏で人に紛れて行く彼の後ろ姿をしみじみ見て、やってることはコドモだが、パチンコや食事に親を誘ってくれるなんてこれまでめったになかったので、大内くんと、
「振り返ったら、これが人生のメルクマールになるのかもしれない」とつぶやきあった。
嬉し寂しい親心である。
外国は危ないから、気をつけて行ってくれ。

13年4月25日

「銀の匙」というマンガの新巻が出るので、息子に「ママが買うから、買わないでね」と言っておく。
前に、ダブらせちゃったんだよね。

なのに買ってくる。なんで?
「聞いてなかったの?」
「聞いてたけど、本屋で店頭に並んでるのを見たら買いたくなった」
キミには「経済観念」というものがないのかね?!

今後は彼に買ってもらうことにしよう。
「BILLY BAT」とか「進撃の巨人」とかは共有してて、危ないんだ。

まあ、彼は自分のマンガを絶対自炊させてくれないので、今回は私が買った分を自炊できて、助かったかも。
iPadを使い始めて早2年ほどか。ものすごく便利。
むしろ、紙の本を読みにくく思うほどだ。
大内くんは大内くんで、アマゾンで古本を買ってはスキャンしている。

「欲しいだけ、本を買っていいんだよ!しまうところ、なんて全然関係ないんだよ!」
確かに、この状況は購買意欲をそそるものだ。
でもね、もう一生の間に読み切れないぐらいあるんだよ。
持てないにしろ持てるにしろ、人の悩みのタネってのは尽きないもんだ。

13年4月26日

春、というより、初夏を感じさせる気候。
中央分離帯のつつじが咲き誇り、心はずむ季節だ。
そして、「iPad3」は素晴らしい。

いやあ、こんなにいいものだとは、想像してませんでしたよ。
実際に紙で読むよりキレイに見えるぐらいだ。
嬉しくって、いっそう読書に燃える私。

私のお古のiPad2を使っている大内くんも、両者の実力の違いは知りつつも、古い方でガマンしてくれている。
GWは2人で並んでごろごろ、本やマンガを読みふける予定です。

唯生の状態が安定してきて、ICUから普通の病棟に移ったそうだ。
もう3度目の入院になるので、看護師さんたちの人気者らしい。
GWにはお見舞いに行こう。
唯生が心配で、この春は旅行には行けない。
夏も、場合によってはあまり遠くへは行かないかも。

でも、日に日に回復していると聞いてほっとした。
誕生日を病院で迎えるのも2年続いてしまったけど、仕方ないね。
もう22歳か。立派なオトナだ。
「元気に生まれていたら、どんな子になったんだろう?成績は良かったかなぁ。ピアノなんか習ってたりしてね。女子柔道もいいけど、少女剣士にも憧れちゃうなぁ」と夢見がちな大内くん。
私は、唯生はとにかく頑固な子だったんじゃないかと想像してる。
負けん気が強くて、勉強なんかもちょっと頑張っちゃうみたいな。

唯生はどちらかといえば「大内の血」の方が勝っているような気がする。
叔母さんにあたる、大内くんの妹さんに似てるんだよね。眉毛だけ私だけど。

一時は「命の保証はない」という状態だったことを思えば、一般病棟に移れただけでもありがたい。
今後のさらなる回復を祈る。

13年4月27日

ややこしくて、何からどう書けばいいのかわからないが、家にテレビの取材が来た。
要するに、息子の大学のサークル経由で、「コドモの志望をお父さんは応援できるのか?!」という番組のための撮影をしたい、というオファーがあっ たのだ。
息子が私にこっそり持ち込んできた話で、あくまで「お父さんにはナイショ」というところがポイントらしい。

撮影クルーがやって来て仕込みをする時間、大内くんを追い出さねばならず、いろいろ考えたが、結局「息子が私にだけ話したいことがあるらしい。あ とで大内くんにも相談するから」ということにして、心配そうな彼には近所のガストに行っていてもらうことに。

ほぼ大内くんと入れ替わるように撮影隊から連絡があって、5人ほどのクルーが到着。
リーダーらしいおっさんが名刺をくれて、どうも本当にテレビの取材のよう。
最初は息子が私も追い出すつもりで家のカギを渡していたみたいなので、「手の込んだ窃盗団」なんじゃないかと心配していたのだ。

「息子が『大学をやめてお笑い芸人になる修行をしたい』と言い出す。お父さんはどう反応するか?」という、いわゆる「ドッキリカメラ」的な取材になる。
台本を元に息子と打ち合わせをしているのを聞くと、彼が本当に大学をやめたいように思えてきて、気をもんでしまう私だ。

部屋のあちこちに小型の隠しカメラを設置し、時々私に、
「お父さんは、カーテンが開いてたりすると気にしますか?」
「こんなところに息子さんのカバンがあると、不審に思うでしょうか?」とか聞いてくる。
答えは常に、
「絶対に、気づきません!」。
よくよく鈍感な父親だ、と思われただろうなぁ。

どうやらうちには物陰というものがないようで、クルーたちの作業を見守るディレクターさんは、
「とても片づいていて、カメラを隠すのが難しいですね。これまでいろんな家に行きましたが、難しさではベストスリーに入ります」と太鼓判を押してくれた。

やがてカメラの設置が終わり、だいたいの流れが決まって、大内くんを呼び戻す。
クルーはベランダに隠れている。
大内くんが心配そうに帰って来るのを息子が待ち受けていて、
「父さん、話があるんだ。ここに座って」と食卓に呼ぶ。

息子「母さんには今、話したんだけど、オレ、やっぱりお笑い芸人になりたいんだ」
大内くん「どうするつもりなの?」
息子「大学をやめて、専門学校に行く。もうオーディションに受かってるんだ」
大「それならもうちょっと早く言ってほしかったね。授業料払っちゃったばっかりだよ」
息子「悪いと思うよ」
大「大学をやめなきゃいけないの?」
息子「もう、一刻も無駄にできないんだ。今売れてる人はみんな、若い頃から修行してるんだ!」
大「大学に行きながらじゃダメなの?」
息子「あとはもう契約書に親のサインをもらうだけなんだ。1年、契約してもらうんだ」
大「ふーん、書類見せて。悪いけど、父さんは会社で書類見る仕事してるから、契約書を見るのは専門家だよ。どれどれ・・・サン・ミュージックって 会社なんだね・・・出演料は会社に全額取られちゃうの?乱暴だね。『5年間』って書いてあるよ。1年じゃないの?」
息子「・・・とにかく、今すぐ契約したいんだ」
大「キミが本気かどうか、わからないね」
息子「本気なんだ。どうしてもやりたいんだ」
大「大学に入ったばっかりの時、『ワーキング・ホリデー』に行きたい、って言ってて、結局行かなかったね。その時と、どう違うの?」
(私のつけてる隠しイヤホンに、ディレクターから指示が入る)
「・・・お母さん、賛成してあげてください・・・」
私「こんなに言ってるんだから、応援してあげたらどう?」
大「どんな芸をするの?ピンでやるの?」
息子「リアクション芸をやりたいんだ」
大「どんなもの?見せてよ」
息子「(用意してあった風船を出して)やるよ・・・オレ、何があっても驚かないから・・・(風船をふくらませて)あー、こんなにふくらんじゃっ た・・・ふつう、ビビるよね。でも、オレはビビらないから・・・(さらにふくらませて)絶対に驚かないから・・・(どんどんふくらませるが、リハの時はすぐ割れたものがなかなか割れないので)母さん、ハサミ貸して!」
私「はい」
息子「普通、ビビるぞ!でも、オレは平気!(ハサミで風船を突き刺して)パーン!うわっ、わぁっ、ひえっ!(大げさに驚く)」
大「・・・それが、リアクション芸ってやつなの?」
息子「・・・そう」
大「悪いけど、全然面白くないよ」
息子「とにかく、サインしてくれよ!」
大「とても無理だね」

そこで、カーテンがわさわさってなって、カメラマンとディレクターを先頭にして、ベランダからクルーたちが乗り込んできた!

ディレクター「どうも〜です!」
大(大変驚いて)「な、なんです?皆さんは?」
ディ「すみません〜!」
大「サン・ミュージックの方ですか?」
ディ「テレビ局の者です。今回は、『○○』というテレビ番組の取材でうかがいました!大内さん、驚かれましたか?」
大「・・・驚きました」
ディ「息子さんには、番組に協力していただいて、撮影をさせていただきました!」
大(私に)「知ってたの?」
私「ごめんなさ〜い」
大「そういうこと・・・」
ディ「落ち着いていらっしゃいましたね」
大「そうでもないですよ」
ディ「息子さんが本当に大学をやめてもいいと思われましたか?」
大「いえ、説得するつもりでした」
ディ「今回は、ご協力ありがとうございました」
大「これ、放映されるんですか?」
ディ「はい。他のご家庭でも取材させていただいて、一緒に放映される予定です」
大「・・・そうですか」

そのあと、いろいろ説明があったり放送に同意する書類にサインをしたりして、テレビ団は嵐のように帰って行った。
大内くんは、とにかくお風呂に入る、と言ってぐったりしていたが、お風呂で、
「キミは、知ってたわけね」と、ちょっとなじられた。
「まあ、よかったよ。キミにだけ話したい、って聞いた時には、『赤ちゃんができちゃった』って話かと思って、かなり気をもんだ。撮影とはね。彼は、そうまでしてテレビに出たいんだね」と妙に感心していて、実際、上がってから息子に、
「大学にいる間に、1回テレビに出られたらそれでもういい、って言ってたけど、これで気がすんだの?」と聞き、
「いや、やっぱり、お笑いでちゃんと出ないと」という返事に、
「そうだよね。まあ、頑張って」と笑っていた。

私は息子と共謀して大内くんをだましたことをもっと非難されるかと思っていたので、少し安心したが、大内くんには本当に悪いことをした。
でも、面白い体験だったなぁ。
息子には、本当にいろいろ楽しい経験をさせてもらっている。
大内くんには申し訳ないが、放映がとても楽しみだ。
友人知人に宣伝しまくろうと思ってたのに、大内くんから、
「どんな恥ずかしい映像になってるかわからない。とりあえず見るまでは、人に言わないで。面白かったら録画したものを見せてもかまわないから」と 釘を刺された。
残念だ。

ちなみに、息子が大内くんを説得しようと熱弁をふるうのを聞いていて、リハーサルまで見ていたくせにまた心配になっちゃった私は、
「で、本当に大学やめたいとか思ってない?」と息子に聞き、
「全然。大学生が一番いい身分じゃん。やめるわけないよ」と言われて、息子の方が私より数段オトナだ、と感心してしまった。
あと3年弱、その「いい身分」を楽しんでくれ。
そして大内くん、本当にすまん!

13年4月28日

唯生の見舞いに行った。
個室から4人部屋に移っていたのは状態がいいからなんだろう、ちょっとほっとした。
昼食時のせいかカーテンが閉まっていたので、相部屋の方々がどんなふうなのかはわからない。

大内くんは、「唯生、たいへんだったねぇ」と言いながら彼女の耳のあたりの匂いをくんくんと嗅ぎ、
「もう大丈夫。健康になった匂いがする。順調に回復してるよ」と言う。
彼ほどの達人じゃないから匂いでは判断がつかないが、私の目にも表情なんかが元気そうに見えた。
こないだは本当に苦しそうだったからなぁ。
穏やかな顔をして、時々目をきょろきょろと動かしていた。

看護師さんのお話では、栄養液を入れ始めていて、今は300キロカロリーだけど、明日にも600に増やしてみる、ということだ。
1食分なのか、1日の単位なのか、聞きそびれてしまった。
1日だとすればトータルは1800キロカロリー?
1日1500キロカロリーを守れ、と言われているダイエット中の私より多いじゃないか。
体重20キロの寝たきりの障害者には、ちょっと多いんじゃないかな。
でも、1日600は少なすぎるし。
今度来た時に聞いてみよう。

しばらく顔を見て、帰ることにした。
このGWは唯生が入院しているのでどこにもいかない。
家の近所で遊んだり、家で片づけや読書をして過ごす予定。

こないだは、ついに自分の過去の日記や手紙をスキャンしてしまった。
日記の一部等、鉛筆が薄くて読めないところがたくさんあるのを無視して、どんどんスキャン済みにして捨ててしまった。
勢いのなせる業。
自分の高校時代となんか、早く決別した方がいいような気がする。
ちょっとだけ読み返したら、死ぬほど恥ずかしかった。
そんな恥ずかしいものが段ボール2箱もあったのだ。

大内くんにはそんなものは一切ないのだそうだ。
ふーん、でも、20歳の大内くんがくれた手紙は、今回スキャンした中にあるよ。これははっきり読める。
今度何かで私を怒らせたら、大声で音読してあげよう!

13年4月30日

息子の所属する早稲田のお笑いサークルのブログを見ると、今日、「新歓ライブ」を行うらしい。
彼はコントとかやるだろうか。
大内くんが、
「行きたいけど、今日は大事な会議があって残業になる可能性が高い」と言って出かけたので、一応、ビデオカメラの充電をして夕方を待つ。

で、やはり会議は長くなり、定時にはとても出られない様子だったので、カメラを片づけて寝て待つ私。
帰って来た大内くんは、目に見えて憔悴していた。
「紛糾した。あとはGW後に持ち越しだ」
気の毒な。

お風呂に入って読書をして寝たが、息子は帰る気配もない。
「新歓ライブのあとは宴会になるようだから、今日は帰ってこないんじゃないの?」と大内くん。
GW中にサークル登録の日があるらしいので、新入部員確保の、今が一番重要な時、ということだ。

思えば息子も去年の今頃、毎日いろんなサークルに接待され、毎日午前様だった。
酔った様子も見せずに12時1時に無表情に帰って来ては、「メシ」とか言ってた。
そんな彼が、今年は先輩となって新入生を勧誘する。
あっという間の1年だった。

おそらく、終わってみればあっという間の4年間であろうし、もっと言えば、人生はあっという間の数10年だ、と感じ始めている私。
この幸せも喜びも、人類の歴史の中の一瞬に過ぎない。
なにやらアンニュイになって来た。
もう寝よう。

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