13年5月1日
朝、起きたら、息子はベッドでグーグー寝てた。
早朝に帰って来たらしい。始発が動くのを待って、というやつか?
平日だが、メーデーなので大内くんの会社はお休み。
寝てる息子はほっといて、前からの計画通り、近所のお寺にサイクリングに行く。
おそばと温泉で有名だ、とマッサージの先生に何度も勧められていたのだ。
自転車で3、40分もあれば着いてしまうだろう、と大内くんは言っていたが、実際には25分ぐらいで着いてしまった。近い。
途中が結構な下り坂だったので、帰り道のことを思って暗澹としてしまった。
自転車を停めて、アップダウンの多いお寺の群を見る。
説明文を音読する大内くん。
「マンコー殿が建立され・・・」
そんなものを声に出して読むな。
今、「糸井重里の萬流コピー塾」を読んでいるので、内容、文体ともに影響を受けまくっている私である。
ずらりと並んでいるおそばの店で、適当な1軒に入り、大内くんは山菜そば、私はとろろそばを食べる。
おそばって、盛りが小さいよね。
若い頃は「もり3枚」ぐらいは食べないと満腹にならなかった。
今回も、まあ「小腹がおさまった」程度。
それで2人分1990円。高い感じがしますね。
道端でまんじゅうをふかしたり、おいしそうな店がたくさんあって、ガマンできなくなった大内くんは、露店で売っている「瓦せんべい」を一袋買ってくれ、と言う。500円。まずまず。
温泉に行くつもりでタオルまで持ってきたのだが、歩いてるうちにとってもくたびれてしまったし、思っていたほど温泉がじゃかすかあるわけではな
く、1軒しかないようなので、何となく帰ることにした。
体力の衰えを感じる。
幸い、思ったほどの登り坂でもなくすぐに帰れたので、また今度来よう。
家の近くに観光地があるとは、と、いささか驚いたけど、大したことはない。
こないだちょっと車で来た時は休日でもあり老人が大勢来ていて、巣鴨が「おばあちゃんの原宿」ならここは「おばあちゃんの清里」だなぁ、と思ったものだ。
帰って瓦せんべいを食べ、昼寝。
大内くんは床屋に行った。
床屋のマスターのご子息は今年早稲田の理工に入ったそうで、昨日は息子が新歓コンパで帰ってこなかった件はともかく、テレビの取材が来た件は、普段、客のいろんな話を聞き慣れていてめったに驚かないマスターに大ウケしたらしい。
「会社の人にも言わないんですか?」と言われたそうで、放送日が5月16日であることだけはここにこっそり書いておこう。
どんな恥ずかしい映像になってるかなぁ。
13年5月3日
GWたけなわ。
毎日データスキャンとテレビで暮らしている。
「夢のように楽しい。これがずっと続いたらいいのに・・・」と、定年後を夢見る大内くんである。
息子はどうやら新歓活動の中心的立場にあるらしく、毎日何だかお仕事をしているようだ。
ここ数日は立て続けの「新歓ライブ&新歓コンパ」で、朝帰りの日も多い。
珍しく日付が変わる前に帰って来た今日、話しかけていて、何かの拍子に「お芝居」の話を。
「ママは、大学の時、新宿でお芝居に出たことあるよ」
ちょっとだけ興味を引いたらしく、
「ふーん。どんな役をやったの?」と聞いてきた。
「『ウェーバーを読む女ネズミ』の役だった。ウェーバーって、わかる?」
(鼻で笑って)「わかるに決まってるじゃん。オレ、社会科学部だよ?」
わかるとは思ってなかったので、かなり驚いた。
まるっきり本を読まない人だから、読んではいないと思うんだが。
大内くんはあとでこっそりと、
「小耳にはさんで話だけは通じる、ってところが、キミにそっくりだね。頭のくるくる回る人たちだ」と言っていた。
私も同感だ。
13年5月4日
終日、自炊。
ついに書類を終えた。
本棚が2本、完全にあいたよ。
友人女性に譲る予定。
これで、家から計7本の本棚を駆逐することになる。
思えば、「自炊」という言葉を知ったのが2年半前。
高校時代の親友の命日を偲ぶ会で、大内くんも交えて同じ高校の友人たちと飲んだ時、プログラマである元カレが持っている本を全部スキャンした、と
聞いた。
(「おかげで家賃の安い狭いアパートに引っ越しできた」と独特の節約術を語る彼である)
その時はあまり興味が持てず、iPhoneで読んでいる、と言う彼に、
「やっぱ、本はめくって読みたいなぁ」とか言っていたのだが、1年ぐらいその考えを転がしていたら、だんだんすごくいいことに思えてきた。
それからもう1年考えに考えて、最後、去年の同じ会でプログラマに会った時、技術的なアドバイスをいくつか受け、2年間あたためてきた計画をスタートさせ
た。
裁断機やスキャナなど、必要な装備をそろえ、いざ自炊ワールドへ。
(カッターなどの小道具が必要なことはわかっていたが、意外なことによく使うのがゴミに出す本をくくるための「玉紐」。10玉近く消費しました)
本の表紙ををべりべりと破るとか、裁断してスキャンして最後は紐でくくってゴミ捨て場へ、といった非人道的行為を続けること2カ月。
当初の目標であった私のマンガと大内くんの書籍は、すべて片づいてしまった。
年単位のプロジェクトであると思っていたので、ちょっと拍子抜け。
そこから、空になった本棚を処分するとか空いたスペースに椅子を買うとか、第一段階が終わった感じ。
だが、さしてスペースを取らないということで残してあった文庫本の本棚を見ていたら、むらむらと自炊欲が。
これが、第二段階。
こちらも2カ月ほどで作業が終わり、かなりぐったり。
もう、家に本というものがごく少ししかない。
それでも本棚がまだ残っていたのは、書類や資料がいろいろあるから。
そっちも紙であることに変わりはなく、むしろもう2度と必要としないものもけっこうありそうなので、手をつける。
これが第三段階。
本の処理は精神的につらい、ということを度外視すれば、実は書類が一番大変だった。
穴をあけてファイルしてあるものを外したり、クリアファイルに入ってるものを出したり。
B4のものは半分に折ってカッターで切らなきゃいけないし。
合間に、押し入れのアヤシイ段ボール箱を開けたら、大内くんの大学入試のための日本史のノートが出てきたり。
ちなみに、このノートは「その2」で、「その1」もあったらしいのだが、大内くんは、「両方とも捨ててしまったと思っていた」んだそうで、とてもなつかしそうだった。
大内くんにしてはむちゃくちゃにキレイな字で書いてあり、私にも読める。(笑)
「これは、大学に受かるわけだ。息子の受験前に見つかっていたらよかったんだけどね。いや、自分で作るノートの方が勉強になるな。息子のノートの方がずっと立派だし」とつぶやいていた。
そのノートも自炊してしまったらしい。エライなぁ。
そのほかにも、私の大学卒業時の成績表が出てきたり(「思ってたよりずっといい。ちゃんと優があるじゃん」と外野。キミには言われたくない)、初月給の頃は手取り10万を切っていて、これでどうして独り暮らしをしつつマンションの頭金になるほどの貯金ができたのか、とか、小学校時代の日記はなかなか立派なことが書いてあるなぁ、とか。
大内くん的には、小3の時に「東映まんが祭り」で「太陽の王子ホルスの大冒険」をリアルタイムで見ていた、という記述に大変感動したらしい。4歳の年齢差が決め手だね。
結婚式の写真や招待客のリスト、色紙、ご芳名帳なども出てきて、
「よくもまあ、あの卒業やら就職やらで忙しい中で結婚式ができたもんだ。僕なんか、大分に2カ月研修に行っちゃったから、全部キミまかせだったよね。どうもありがとう」と真面目にお礼を言われた。
うん、結婚式は大変だった。
でも、やっといてよかったよ。
といった大騒ぎを経て、ついにすべての作業が終わった。
うちにはもう、要らない紙はない。
1年ぐらいはかかるんじゃないかと思っていたんだが、実際は半年だったよ。
手紙も写真も保育園の連絡帳も、ぜ〜んぶデータ化された。
「いろんなことがあったもんだね」というのはさておき、我々は、自炊というものが大好きになってしまった。
時々、ブックオフで買った古本をスキャンして喜んでいる。
さらなる野望として、「ツィート」や「リツィート」「ライン」というような方面がまるでわからないので、少し勉強したい。
大内くんに、
「2人でiPhoneを買ったら、いろいろ実験できるよ。お互いの間なら何にも恥ずかしいことないし」と提案してみたのだが、私ほどは前向きになりたくないらしい大内くんは、
「うーん・・・考えさせて。今は、自炊が終わったことで、もう気力を使い果たしちゃって・・・」と、ややしおれている。
散歩中に見つけた面白いものを写メで撮り、ケータイでFACEBOOKにアップする、そんな人に、私はなりたい。
13年5月5日
久しぶりに友人女性と大内くんと、3人でランチ。
とはいえ、彼女とはこないだもタイ料理を食べに行ったような気がする。けっこう会ってるかも。
今回は、最初は彼女に家に来てもらって「大内家の晩ごはんに乱入」という企画だったのだが、我々も連休疲れがたまってきたし、彼女も忙しそうなの
で、こっちから車で押しかけ、彼女のマンションの近所にあるイタメシ屋に行くだけにしとこう、ということになった。
天気のいい五月晴れで、まわりを木に囲まれた2階席の大きな窓からさわやかな風が吹きわたり、暑くも寒くもない、絶妙な気候だった。
「いい店の近くに住んでるねぇ。うちだったら、毎週でも来ちゃうな」
「そんなにしょっちゅう来たら、飽きちゃうよ(笑)」といったおしゃべりをしながら、みんなランチセット。
前菜盛り合わせと、3種類から選べるパスタ。
彼女は春キャベツのペペロンチーノ、私はしらすと大葉のトマトのスパゲッティ、ペンネを頼んだ大内くんだけは、「おなかがすいた」と言ってさらにメイン料理がつくセットだ。
これまた3種類から選べるメイン料理のうち、スズキのグリルを頼んだ。
オーダーをすませてあらためて店内を見ると、実に気持ちのいいイタリアン・レストランだ。
緑に囲まれて、まるで植物園の中にあるお店のよう。
「大葉とか、自分とこで作るのかね」と私が言うと、彼女も、
「生ハーブぐらい、作ってそうだね」と言っていた。
感心したのが、ウェイターさんのイケメン度。
大内くんまで、
「確かにイケメンが多い。面接で顔ばっかり見てるのかも」。
いやぁ、夜はホストクラブなんじゃないかと思うほどですよ。(私はまだホストクラブというところに1度も行ったことがないけど)
やがて運ばれてきた前菜は、チーズとトマトを合わせたものとか、エビとブロッコリとか、よくわからないがおいしかった。
パスタも結構なお味だったが、、圧巻は大内くんの「スズキのグリル」。
頼んでないのに3人分の取り皿を用意してくれるとこもステキ。惜しげもなく分けてくれる大内くんもステキ。
彼女も私も味見ができて大満足。いい具合に焼けていて、とても香ばしい。
あまりにおいしかったし、イケメンのウェイターさんが「デザートはいかがですか?」とささやくように聞くので、思わず予定になかったティラミスを頼んでしまった。
これはもう、晩ごはんは抜きにしなきゃなぁ。
食後のコーヒーまで楽しんで、いいランチ会だった。
帰りに、彼女が1階のパン屋さんを見て行きたい、と言うのでつきあってパンを見ていたら、長ーいソーセージ(30センチぐらいある)をパンでくるんで焼いたものがあり、たいそうおいしそうだったので、1本買うことにした。
晩ごはんはこれを半分こすれば足りるだろう。
なんだかんだ言いながら、やはり晩ごはんを食べるつもりなんだな!>自分。
また散歩して、彼女のマンションの前で別れる。
その前に古い型のスキャナを車に積んできたので箱ごと渡したら、
「小さい!軽い!」と驚かれた。
まだまだ部屋が片づかないのでスキャナはしばらく出さないかもしれない、と言う彼女に、
「接続とか使い方に困ったら、言って。いつでも来るから」とえらそうに言う私だが、私じゃないんだ。メカニックは大内くん担当なんだ。
自炊のおかげで余ってしまった本棚2本を引き取ってもらう話もあるし、何よりもう2週間たたないうちに大内くん主催の「休日講座」があるじゃないか。
今年は、市の持ち物である、古い民家を改装した施設を借りて、お茶を習っているマンガ家さんに「ご亭主」を勤めてもらってお茶会をしようという目論見。
しかし、この人(大内くん)はいろんなことを思いつくね。
老後もイベントフルにしてもらえそうだ。
そして、晩ごはんに食べたソーセージパンはとてもおいしかった。
粒マスタードがたっぷり入ってるのがいいね。
おいしいおいしいで暮れた今日だった。
そして連休はあと1日。
次は夏休み目指して、頑張れ大内くん。
13年5月6日
連休最後の今日は、病院にいる唯生に会いに行った。
木曜日に退院が決まっている。
手続きに来たり、少し面倒くさいが、とにかく元気になってくれてよかった。
一時は最悪の事態も想像してたから。
唯生と言えば、驚くべきことがあった。
昔の書類を自炊していた大内くんが、後ろの安楽椅子で応援していた私に紙を渡す。
「ほら、唯生の中学の卒業記念ひと言ノートだよ」
おう、先生たちがいろいろ書いてくれている。
同じ施設に入所していた子もいれは、自宅から通学していた子もいる。
なつかしいなぁ。
KAT−TUNの亀ちゃんが大好きだったえみちゃんはどうしているだろう。
どこかで、「妖怪人間ベム」を見ているといいのだが。
そんな中に、「檀くん」という子がいた。
肢体は不自由だったが頭脳は明晰で、電動車椅子を自分であやつり、高校は都立のチャレンジスクールへの入試に受かっている。
唯生が「おしめを替えてもらう」だけの「受験」をして何事もなく都立養護学校の高等部に進学したのに比べると、ずいぶん「普通」。
前出のえみちゃんなどは、
「檀くんはね、都立に行くの。普通の高校なんだよ!」と自分のことのように大喜びして話してくれたものだ。
唯生も含めてみんながそれぞれの「入試」を受ける時に、電動車椅子で教室に入って来て、
「僕は、みんなとは別の日に受験するけど、みんな、頑張ってね!緊張しちゃ、ダメだよ!」と、1人1人の前に行っては名を呼んではげましてくれた。
もちろん唯生もだ。
「検索かけてみたら?珍しい名前だから、何か引っかかって来るかもよ」と大内くんに言うと、「そうだね」と検索してみたらしく、すぐに、「うひゃ〜!」という叫び声をあげた。
「どうしたの?」
「檀くん、いたよ。アメリカにいる!」
「え〜っ!」
本人がブログに書いているのを読むと、
・アメリカの大学で、ビジネスを専攻している。
・自分を含めて4人の兄弟姉妹が、全員同じ障害を持っていた。
・自分以外の兄弟たちは、みな亡くなってしまった。
・モルモン教徒である。
ということがわかった。
彼は言う。
「すべては、私が愛してやまない父である神様のご計画です。私は、それに従って生きることに喜びを感じます。兄弟たちにもまた会えると信じています」
うーん、深すぎる・・・
重い障害を持って、立つこともできなかった檀くん。
そんな彼が、幸福であると言う。
信仰の力はすごいなぁ、と、あらためて目の前がひらけるような気分だった。
唯生の生活も、神様の計画なんだろうか。
私はキリスト教にシンパシーを持ってはいるが、基本的に無宗教な人間なので、檀くんと同じ神様を信じてはいないと思う。
でも、人智を超えた何か、が在ることは信じている。
唯生も、私自身も、その大きなものによって生かされているのだろう。
こういう時は、信仰を持っている人がうらやましい。
兄弟を全員失い、自分もまた同じ病に倒れる可能性を常に目前にしながら、それでも生きることができる。
私が信じている「何か」が、もっと顔の見えるものだったらいいのになぁ・・・
まあとにかく、今回の結論は、「パソコン、すごっ!」というところだろう。
ネットには脱帽だ。
今度、「元カレ」を片っ端から検索して遊ぼうかしらん。
そして、元気でいてくれ、檀くん。
13年5月7日
今日は唯生の誕生日。22歳になった。おめでとう!
残念ながら去年と今年は、生活の場である施設ではなく、となりの病院に入院して迎える誕生日だったよ。
このたび人工肛門になったため、おなかにつける袋を買わないといけない。
ざっと試算すると、月に3千円から6千円ぐらいか。
唯生は身体障害者手帳の1級(1番エライ)を持っているけど、今後はオストメイト(人工肛門を持つ人の総称)用のまた別の手帳を申請し、補助を受ける。
役所の仕事も大変だね。
これまでは時々外泊を楽しんでいた唯生だが、今後は難しいかも。
少なくとも私はもう唯生をだっこするのが体力的にキツくなっている。
大内くんも、
「唯生は、車に乗るのがキライだし、家に帰って来てもあまりメリットがないかもしれない。今後は、面会に来て車椅子で散歩、とかそういう会い方になって行くんじゃないかな」と語っていた。
何しろ胃から腸からあちこちからチューブが出ている、という印象で、よくわからないのだ。
すべてのチューブが落ち着いてしまえば、ストーマ(人工肛門)以外は身体の外にチューブが出ている感じはしないのかもだし。
でも、唯生ももう成人した障害者だ。
障害があるならあるで、また健康ならそれはそれで、いろんな形で「自立」していくのだろう。
とにかく目の前のことから片づけよう。
すべては、退院して元の生活に戻れてからのことだ。
「22才の別れ」なんて歌もあったなぁ、とふと思い出す。
いや、何の関係もないんですが。
13年5月8日
ちょっと前になるが、野尻湖で大学生が2人、亡くなる事故があったらしい。
実は、似たようなことを我々もしていた。
野尻湖の大学寮で、毎年マンガクラブの合宿が行われていたが、湖にボートを出してはロケット花火を打ち合う「海戦」を行ったり、夜中に真っ暗な湖にボートを出して真ん中にある島に行ってみたり。
今思うと、危なくって仕方ない。どうして誰も止めなかったのか。
そんな遊びの間に、ボートが一艘、転覆したことがある。
大内くん他4人ほどが乗っていたが、みんな自力で泳ぎ帰ったり転覆したボートにつかまっているところを他のボートに救助されたり、なんとか戻ってくることができた。
泳げない人も何人かはいたようで、ひとつ間違えば命にかかわる問題だっただろう。
大内くんの1歳上の友人で、今でも親しくつきあっている男性は、まったく泳げなかった。
彼は、その後、どんな水辺にも近寄らない。
一緒に海に行ったことも何度かあるが、堤防にさえ近づかないぐらいだ。
よほどトラウマになったと見える。
銭湯にも行けないんじゃないだろうか。
今、息子が大学生活をしているのを横から見てると、心配なものだね。
今度、友人たちとベトナムに旅行に行く計画があるらしく、夜中に急に我々の寝室に押し入って来て、
「これ、サインして」と言う。旅行代理店との契約書らしい。
私は先日の「契約書ドッキリカメラ」のことを思い出し、思わず息子の後ろを見てしまった。
今回は普通に契約書に保護者の同意がいるらしい。
今日は今日で、朝、急に、
「旅行社に金払うから、8万、出して」と言う。
息子からバイト代の一部を預かっている、その中から出せばいいらしいが、
「あのね、そんな急に言われても、家に現金がない場合だってあるんだよ。何でも、急に言うのやめて」と言ってはみたけど、あんまり聞いてないみたい。(涙)
無事に行って、無事に帰って来てほしい。
息子は、本人の言うことが本当なら、秋に1カ月ドイツに行く授業を取ったらしいので、大内くんは、
「僕は、小さい頃シンガポールにいたことをのぞけば、新婚旅行でシンガポールに行ったのと、その2年後に一緒に香港に行ったことしか外国体験がな
い。このままでは息子に経験値的に追い越されてしまう」と心配そうだ。
心配するところが違うだろうに。
「ハワイにすら行ったことがないんだよ。いいね、キミはアメリカに行ったことがあって」
老後にイギリスとか行ってみたいね。
そうだ、来年には勤続25年の休暇がもらえるんじゃないか!
イタリア行こう。バチカンも。
あ〜、しかし1週間も息子を1人で置いとくのが不安だ。
「もう大学生なんだよ」と言う大内くんよ、去年の夏に我々が北海道に行くので、合宿に出かける前の一晩、息子を留守番させたときのことを覚えていないの?
開けっ放しの冷蔵庫が3日間ピーピー言い続けて、冷凍食品も牛乳も、全部ダメになっちゃったんだよ?
結論:大学生は、いろんな意味でオトナじゃない!ほぼコドモ!!
13年5月9日
イレウス(腸閉塞)で入院していた唯生が、無事に退院した。
会社の帰りに手続きに寄ってくれた大内くんによると、「とても元気そうだった」とのこと。
唯生はひと足先に施設に帰っていたのだが、病院で退院手続きを済ませ、会いに行った大内くんは、
「これはもう使わないので、おうちに持って帰ってください」と言われた唯生の私物(冬服や、写真等)を大きな透明のビニール袋に入れ、持って帰って来た。
ひと目見て驚いた私が、
「これ、どうやって持って来たの?」と聞くと、平然と、「かついできた」。
大きいのに…重いのに…「透明袋サンタ」の出現?
この人の、こういうところはスゴイと思う。
私だったら、
「次に車で来るまで(シャレじゃないよ)預かっておいてください」と頼むところだ。
で、帰って来た大内くんは言う。
「こないだ家にドッキリカメラが来た番組、来週放映だけど、もしかして予告編に映るかもしれないから、録画しといて」
へー、案外気にしてるんだ。
録画ついでに全部観たが、超ゆるい番組であることは確かだ。
「年頃の娘が『一緒にお風呂入ろう』と言ったら、お父さんはどう反応するか」
「回転寿司で、隣の人がこっちの皿の山に重ねてきたら注意するのかしないのか」
ゆるい・・・
お風呂でお尻まで撮影されちゃったお父さんの立場は、どうなるんだろう?
「お父さんには知らされていない」のは我々の経験上確かなんだが。
予想通り、予告編に大内くんと息子がちらっと映っていた。
「若く見えて、カッコいいお父さんだよ!」とはげましたが、大内くんは番組に出るのを後悔している様子。
「放映不可、の方に丸をつければよかった…」と言うのは、収録後に簡単な同意書にサインしたからだね。
でも、本当にハンサムに映っているし、思ったほどスタジオに「いじられる」こともない、ゆるいけど何てことない番組だよ。
どうせ映るのは3分ぐらいのもんだし。
宣伝してもいいでしょ?
というわけで、お暇のある方は見てみてください。16日19時です。
(番組名はやはり恥ずかしい・・・)
息子の青春の記念がまた増えるかな。
13年5月11日
裁断した本や書類をScanSnapでデータ化する、という計画も一段落したので、今度はフラットベッド式のスキャナの安いやつをを買って、図書館で借りた本をスキャンしてみることにした。
「これが成功すれば、図書館にあるあの本もこの本も、全部が自分ちの本として立ち上がってくる!」という野望だ。
自分で読むだけなら著作権法もOKだろう。
だがしかし、世の中はそう甘くはなかった。
とにかく、時間がかかってしょうがないのだ。
買ったスキャナはキャノン製で、ネットのスペック表でくらべてみると、かなり速い方だ。
それでも、1枚とるのに7秒。
これは、スキャンバーの片道だけの数字なので、端まで行って戻る、帰りの時間は入ってない。
なので、実際に見開き2ページ分をスキャンするのには15秒ぐらいかかる。
300ページの本で、150回スキャンと考えると、2250秒。37.5分だね。
バーが戻ってくる間に本のページをめくってセットして、とはいうものの、どうしても遅れがち。
その時間も加えると、1時間近くかかる、というのが現実だ。
私が持っていたい本はブックオフやアマゾンで最低価格で買える場合が多いが、大内くんが欲しいのはけっこうマニアックな、高い本なんだよね。
だから、図書館の本がスキャンできたら夢のよう、って、はりきって分厚い本を最大限度数である10冊も借りてきた。
もちろん彼は平日仕事で忙しいので、スキャンは私がやってあげよう、と言ってある。
・・・精根尽き果てました。
800ページもある分厚くて重い「刑法」の本を徹夜でやった時は、もう2度とフラットベッド式でのスキャンはするまい、と心に誓った。
しかし、4時間近くかかったその作業と違い、私が借りてきた清水義範なんかは、40分ほどですんでしまうのだ。
なんとか気持ちを奮い立たせて1冊やって、「これなら、もう少しできるかなぁ」とは思ったが、結論として、やはり本はブックオフかアマゾンで安いのを買って裁断し、ScanSnapで読み取るのが一番いいみたい。
たとえそれが、本を最終的にゴミにしてしまう悪魔の所業であったとしても。
あー、疲れた・・・
13年5月12日
大内くんは、FACEBOOKをやりたい、と前から言っていたんだが、ついに始めてしまった。
今日はほぼ1日、散歩にも行かずにパソコンの前に張りついていたよ。
何とか設定ができて、プロフィールを入力したり友達を増やそうと試みたり、横で見ていてくたびれるほどの熱中ぶりだった。
ついでに今まで空白だった私の顔のところに14歳の頃の写真を貼ってもらった。(電脳はイマイチな私)
40歳若いその私は、今と体重が30キロぐらい違うんじゃないかなぁ。
大内くんには「インチキな人だね」と言われたが、その真似をして18歳の頃の写真を貼った人に言われたくない。
その日のうちに友達が40人ぐらいになったが、驚くのは、うっかり息子に「友達申請」をしてしまったら、即座に認証されたこと。
おかしい。
前に彼がやってたFACEBOOKの時に友達申請したら、返事がないどころか、オープンだったのに「友達しか見られない」設定にされたことがあるのだ。
その後別のページができたので、静かに時々見守るに留めておいたってのに、どうしちゃったんだろう?
数百人の友達がいる彼の「友達の波」にのまれて、気づかれずに入り込めたのかしらん。
大内くんは、調子に乗って毎朝記事を載せようとするので、
「そうやって、始めた頃は威勢がいいけどあっという間にほったらかしになっちゃう人が多いんだよ。最初から、飛ばさないで自分のできるペースでやる方が上品だよ」と注意したら、反省したようだったのに、翌日、私に黙ってこっそり早朝のパソコン仕事の合間に書き込みをしていた。
しかも、過去に自分が描いたイラストを切り取って貼りつけるという念の入れよう。
もちろん、会社から帰って来た時にたっぷり叱った。
「忙しい忙しいと言いつつ、そういうことをするヒマはあるわけね。もう、あなたの『忙しい』は信用しないよ。それに、人に言われたことが気に入らないんなら、ちゃんと『僕は毎日書きたい』って論破すればいいじゃない。その場では面倒くさいから『そうだね、わかったよ』とか言って、こっそり やっちゃうなんて、人格が卑劣!」
散歩にも買い物にも連れて行ってもらえなかったことを根に持ってか、我ながら久々の大嵐であった。(私は犬か?)
大内くんって、のんびりして見えるけど、案外のめりこむと何も見えなくなっちゃうんだよね。
1日パソコンで、見てるこっちがくたびれたよ。
まあ、10年以上会っていなくて連絡先もわからなくなっていた友人と再会したり、それなりにいいこともあったらしい。
実は、「私よりたくさん友達がいる」ことが事態に影響を与えているかも。
私も友達増やすかな。それとも、HPごとFACEBOOKに乗り込むかな。
いや、やはりこの分量はHP向けだろう。
FACEBOOKは大内くんにまかせて、私は「主婦の本懐」に細々と書き込みをしよう。
ただ、ひとつだけ大きな声で言っておきたい。
皆さん、大内くんの背景に貼ってある雲海の写真は、彼が富士山に登ったから撮れた写真ではありません。
登頂してご来光を見たのは、息子です。去年の夏休みのことです。
そんな息子の持って行ったデジカメから失敬した写真を貼って、あたかも山登りをしたかのように見せようとしている大内くんは、けっこうインチキな人です!
13年5月13日
名古屋の甥っ子が成人になった。
うちの息子と同い年の彼に何か記念になる物を贈りたいと思い、大内くんの知恵も借りていろいろ考えたのだが、結局、私の好きな映画のDVDを5枚買って、些少なお小遣いと一緒に送ることにした。
ちなみにその映画たちは、
「ショーシャンクの空に」
「富士山頂」
「日の名残り」
「ジーザス・クライスト・スーパースター」
「遊星からの物体X」
である。
私の生涯のベスト5と言っていいだろう。
惜しいのは「ジーザス・クライスト・スーパースター」で、今現在日本で手に入れようとすると2000年版しかない。
私が映画のベスト1に挙げたいのは1973年版の方なのだ。
(入手不可能なわけではないが、リージョンの関係で観るのが困難)
ウィキで調べたところ、天才作曲家アンドリュー・ロイド・ウェーバーがこの映画の演出をとっても嫌いなんだそうだ。
いいのになぁ。
というわけで、甥っ子に送ったのは2000年版。
こっちは舞台色が強いので、演劇を趣味とする彼にはむしろいいかもしれない。
さて、彼はどんな青年になっているだろう。
長いこと帰省してないので、彼にも4年近く会っていない。
息子より5カ月ばかり早く成人した彼は、母親である私の姉に似て酒豪なのだろうか。
いつか一緒に飲む機会があると面白いかもしれない。
もっとも私は飲めないタチであることが年々明らかになってきたので、ウーロン茶でおつきあいかな。
そうか、息子が成年したら、「イトコと酒を飲む」ことができるのか。
なんか、感慨無量だね。
13年5月15日
大学2年の息子が、サークルの友達と3人で、4拍5日のベトナム旅行をするらしい。
パスポートを取りに行ったりしていたので、どこかに行くんだろうとは思っていたが、韓国とのウワサもあり、直前までどこなのか、いつなのか、全然わからなかった。
旅行自体は明日からなんだが、今日、夜勤のバイトがあるので翌日そのまま行く、ということで、こっちからすると旅行が1泊のびた、って感じ。
費用は8万円ほど。安いね。
感心なことに、貯めてたバイト代で行くようだ。
ただ、今日になって、
「おこづかいくれないかな。気持ちだけでいいから」と言ってきた。
まあしょうがないか、と2万円渡し、
「こういうのを『お餞別』って言うんだよ。もらったら、おみやげ買ってくるもんだよ」と一般常識を教えたつもりだが、今でもそういう風習はあるのだろうか?
朝、大きな荷物を持って出かけ、その格好で大学の授業を受け、バイトにも行くのかしらん。
旅行は楽しいものだし、いい経験になるから、応援してはいる。
大内くんは、荷造りをしている彼に、「性病には気をつけて」とだけ言っていた。
私は、お金や荷物はひとつにしないで分けておけ、と現実的なアドバイスを。
ベトナム。大内くんも私も行ったことない。
そもそも海外に行くのは初めてな息子で、その顔が見てみたかったので、友達と行っちゃうのが少し残念。
彼の英語はどのくらい通じるのか。うーん、やっぱり見てみたい。
13年5月16日
おととい、夜中に帰って来た息子に荷造りを手伝わされた我々だが、昨日、彼がいない家で話をしていて、2人とも同じ感想を持っていた。
息子は、とても素直になった。
反抗期真っ盛りの昔から、親に悪態をついたあと、ぽつりと「すまんかった」と言ってくる、なんてことは時々あったが、今回のように、「うるせーなー!」「しらねーよ!」といった罵倒語が一切ないのは珍しい。
旅行が楽しみで機嫌がいいのかもしれないが、彼はもともとそういう時はかえって緊張して不機嫌になるんだよね。
それに、どうもここひと月ぐらい、本当に素直で、驚くような反応が多いのだ。
大内くんは、
「ほら、一緒にごはん食べて、パチンコしに行った日があったじゃない。あの日以来だと思うよ。やっぱり、あの日が『息子幼年期の終わり』だったんだよ!」と驚いたり喜んだり。
荷造りの合間に、大学の授業で大内くんの会社の話が出た、なんてことも言っていたらしく、
「大学行ってるんだよ。授業中も、いちおう寝ないで聞いてるんだよ」と感激する大内くん。
それはいくらなんでも期待する水準が低すぎるのでは、と言うものの、私も似たような感想だなぁ。
驚くことに、
「ケータイは使えないかもしれないけど、Wi-Fiは使えるみたいだから、メールはFACEBOOKに送って」と言われた。
こないだ大内くんの「友達申請」を受けてくれたのは、ちゃんと親と知って認証してくれたわけだ。
何かのマチガイかと思っていたので、たいそうびっくりした。
ベトナムから帰ってきたら、みやげ話が聞けるかな。
不機嫌に戻ったりしてないといいな。
13年5月17日
昨日、大内家がテレビに映った。
こないだ(4月27日)書いた取材の件が、放映されたのだ。
事前にあまり宣伝はしないようにしたが、ここには書いちゃったし、朝、大学のマンガクラブのMLにも流した。
けっこう言いふらしてるか・・・
「人間観察」を掲げたゆる〜い番組で、企画のひとつに、「コドモが大学をやめてお笑い芸人になる、と言い出したら、お父さんはどんな反応を示すのか」というコーナーがあり、うちも含めて3家族のお父さんたちがだまされていた。
とても気の毒。
まず朝。
出社した大内くんからメール。
保育園仲間のママ友から、
「先週、テレビの予告編で大内さんに似た人を見たんだけど、ただの似た人?」と聞いてきたらしい。
「あのゆるい番組を、予告編までしっかり見てるのか・・・」と私はなんか力が抜けたが、大内くんは、
「肯定しとくよ」と言っている。どうぞ。
息子はベトナムに行っちゃったし、大内くんは会議で帰りが遅いので、家にある3台のデッキが全部ちゃんと録画中なのを確認し、私1人で見る。
大内くん、意外とハンサム。言ってることもまともだし。
と、大内くんと息子が映るシーン(私も映ったけど、丸いおばさんが夫の隣で無言でうなずいてるだけだった)が終わったと思ったら、電話がかかって来た。
息子が小さい頃にお世話になり、今でもおつきあいのあるシッターさん、通称「おばちゃん」からだ。
「まあまあまあ!息子くん、映ってたじゃないの!お父さんの言ってることは、正しいわよ!本当に大学やめたいって言ってるの?」
単なる「やらせ」で、ドッキリカメラであると説明したら、おばちゃんはものすごくほっとしていた。
「よかった!そうじゃないかとは思ったけど、本当だったらどうしようかとあわてちゃって。もう、どう説得したものかと、ハラハラして見てたのよ!」
息子のことをそんなに心配してくれるなんて!
いつも、「うちの孫みたいなもの」言ってくれてるおばちゃんは、本当にありがたい。
おばちゃんを安心させたところで電話が終わったら、またすぐ電話が鳴る。今度は名古屋の母だ。
そういえば、昨日、姉のケータイにメールしといたんだよね。
「大内くんはとってもカッコよかった。俳優さんになればいいのに。名古屋に、大ファンができました、って言っておいて!」
あいにく姉と甥っ子は外出していて見られなかったらしい。あとから姉がメールをよこした。
DVDにでも焼いてあげたいんだけど、うちのブルーレイのデッキはどうもよそのデッキと相性が悪いらしくて、見られない場合が多いんだよね。
9時頃大内くんが帰って来て、お風呂もごはんも後回しで、まず録画を見たいらしい。
「あ〜、恥ずかしい!『T大卒』ってなに?僕、そんなことひと言も言ってないよ。息子が勝手に言ってるんだね。『一流企業に27年勤務』って、単純に僕の歳から逆算したんだろうけど、僕は3年留年してるから、24年しか働いてないんだよ。経歴詐称だよ!」と、盛大に感想を述べていた。
それでもまあ、思ったほどスタジオの芸人さんたちに「いじられ」たりしないですっきり終わったので、ほっとしたみたい。
「カッコよかったよ。いい記念になったじゃない」と慰めたら、
「息子のおかげでいろんな経験をする。ありがたいことではある」と言いつつ、だまされた3人のお父さんの中に、1人だけ、
「夢を追うのはいいことだからな」と言いながら、「芸人養成学校」の書類にサインし、ドッキリカメラだとわかった途端に、
「おいおい、ウソだったのか。つまんねーなぁ!」とがっかりしてた、という豪傑がいたことに、しきりと感心していた。
「僕なんて、つまんないお父さんだよね」と少し自己嫌悪に陥っていたみたい。
その後、出演を知らせてあったマンガクラブの数人がFACEBOOKなどで、
「大内家出演!」とか言ってくれたりしたが、驚くのは、意外とこの番組を見てる人が多いこと。超ゆるいのに。
どんどんメールが来る。
・今朝メールをくれたママ友 「観ましたよ〜。お父さんカッコ良すぎ。でも、ドッキリが本当になることはないのかな?少し心配です。」
・私の高校の同窓会を仕切ってる男性 「貴殿の家族が映っていたような。。。ご子息の名前が珍しいと思ったので、気がつきました」
・10年ぶりに連絡がついた学童保育所時代のパパ友 「TVを見ながら夕食を食べていると突然大内さんにそっくりな人が・・・
びっくりするやら、懐かしいやらで思わずご飯を喉に詰まらせました」
すくなくともこの3人は、知り合いが出てるから見てるんじゃなく、見たくて見てるんだぁ。
まあ実際、面白い体験だった。
こういうのも「ラッキーアイテム」としての息子の威力かな。
最近、「人間にはものすごく『ついてる』人がいる」のか「一生の『ツキ』の量はみんな同じで、いつ使うかがちがうだけ」なのかわからない。
後者だとしたら、第一志望の大学にも入れたことだし、息子にはもう少し「ツキ」をセーブして使ってほしい気がする。
パチンコなんかで小出しに使っちゃ、ダメ!
「大内家テレビ出演体験」はこんなふうでした。
ベストコメントは、私の母の、
「あなたは何にもしゃべんなかったわねぇ。お地蔵さんみたいに、そこにいるだけ」
であろう。
私はむしろ、「布袋さま」に限りなく似ていると思ったが・・・。
13年5月18日
今日は大学のマンガクラブの友人たちと、年に1度の「休日講座」。
大内くんが「みんなの仕事や趣味の話を聴きたい」と言って人を募って始め、もう15年ぐらいたつかな。
今回は、この1年ほど「茶道」を習っているという現役マンガ家の女性をご亭主に迎えての、「お茶会入門」。
普段は市民ホールの会議室を借りて行っているけど、今回初めて、お茶室のある施設を借りてやることになった。
先生と我々を含めて13人の会。
準備のため、開催時刻の1時間前に行ってみたら、和服姿の先生がもう来てた。
あと、時間を間違えたメンバーが1人来たので、一緒に準備を手伝うことに。
例年よりより1時間遅い2時半始まりだと、注意するようにちゃんと告知したのに!だがまあ、遅れるよりは良い。利休もきっとそう言ったに違いない。
デザイン会社代表の彼は、小さい時お母さんがお茶の先生をやっていたそうで、思わぬ門前の小僧の出現に、イマイチ自分のお茶に自信のない「ご亭主」はちょっとうろたえていたが、さすがに毎月大勢のアシスタントを使ってマンガを描いているだけのことはあり、我々を縦横に使って準備を始め
た。
門前の小僧はキャリアを買われて「お抹茶を漉す」仕事をまかされていたうえ、
「お花は、花屋さんで買っちゃいけないの。『野の草』を摘んできました、って感じがいいの。今日は、近所のおうちで分けてもらったから」と先生が言う小さな花を活ける仕事までこなしていた。風流な人だ。
先生はお菓子も準備してきてくれた。
「主(おも)菓子」と呼ばれる生菓子(今回は「練りきり」)と干菓子。
お茶室は4畳半ぐらいなので、生徒さんたちには半分ずつ入ってもらって、2回やりましょう、といったことは事前に大内くんが打ち合わせをしておいてくれたので大丈夫。
私は、前日眠りに落ちる前に、2組に分ける「くじ」を作ろう!と思いついたのだが、そのまま寝て忘れてしまっていたので、先着順に分けることにした。
ぽつぽつ現れる生徒たちに、
「じゃあ、○○くんまでが1組目ね!」と少しだけ仕切る威張りん坊の私。
みんなの手も借りて、定時には先生のお話から始まる会を開くことができた。
遅刻して、1回目の「お点前」が始まってから到着したけしからん人も2名ほどいた。やはり、先着順は正解だった。
先生が講座用にわざわざ大きな紙に書いてきてくれた「お茶の心得7つ」の中には、
「刻限には遅れぬよう」というのもちゃんとあるのだ。
本日はそういうことも勉強してもらおう。
大内くんには1組目に入ってもらい、私は2組目に入ったので、お茶室の隣の和室で2組目のメンツとおしゃべり。
間のふすまは開けてあるから、1組目をのぞいて「ふんふん」と手順を覚えたりデジカメで写真を撮ったりする熱心な人たちもアリ。
本日の顔ぶれは以下の通り。
女性その1.キャリア30年の少女マンガ家。2人の娘さんはすでに成人。(講師)
女性その2.外資系ソフト会社勤務。既婚。
女性その3.大手ゼネコン建築士。未婚。
女性その4.デザイン関係フリーランス。未婚。
女性その5.無職。下のコドモが今年成人。(私だ!)
男性その1.デザイン会社代表。コドモあり。(何人か忘れてしまった・・・)
男性その2.女性その2の夫。プログラマ。
男性その3.ゲーム製作会社勤務。未婚。
男性その4.大手飲料会社勤務。ワインに関する資格多数。未婚。
男性その5.銀行勤務。1児の父。
男性その6.2つの仕事をカケモチする謎のフィクサー。2児の父。
男性その7.電機会社システムエンジニア。未婚。
男性その8.製鐵会社勤務(大内くん)
1組目の「お点前」が終わり、少し休憩したのち、私を含む2組目。
難度が高い、と思われる「正客(しょうきゃく。1人目のお客さん。一応主賓、ということになる)」を誰が務めるか事前にもめていて、「ご亭主」の高校時代からの友人である女性その4にどうぞ、と私が言ったところ、
「いや、ここは当然、あなたでしょう!」と言われ(確かに最年長だし主催者の妻だし)、
「じゃあ、ジャンケンで決めよう!」と言ったら、争いごとのキライな彼女は、
「わかった。いいよ。やるよ」と言ってくれた。ありがたい。
というわけで彼女を先頭にまず縁側から外に出て、庭に面した「にじり口」から1人ずつお茶室の中に入る。
この時点でお茶は始まっているわけで、なかなか難しい。
私なんか太ってるから、「にじり口」でクマのプーさん状態になる自分を想像してしまった・・・
全員が無事に入って畳に正座し、先生が用意して事前に配ってくれた「懐紙とくろもじ(太めの爪楊枝)」を前に置く。
そして、正客から順に、鉢に盛られたお菓子を1つずつ取って行く。すでに相当難しい。
その後がいよいよ本格的にお茶で、皆さん、大真面目な顔のご亭主が袱紗をたたんだり柄杓でお湯を汲んだり、といった挙動にいちいちうなずく。
おかしいなぁ、さっきの組は、もっとくだけた雰囲気だったぞ。天井から忍者が現れたりして、とか言って笑ってた。
女性全員がこの組に入っていて、1組目は男性ばっかりだったせいだろうか?
ざっと教わっていたし、その場でも先生が小声でいろいろ指導してくれるので、やり方にはあまり困らない。
ご亭主のわきに置かれた茶碗に、正客がまず「両手の拳を畳について正座のままにじり寄り」、「茶碗を置いてはにじり下がり、置いてはまたにじり下がる」という難しい移動をして自分の席に戻り、左隣の「次客」に軽くおじぎをして「お先に失礼いたします」と言い、ご亭主におじぎをして「お点前頂戴いたします」と挨拶し、お抹茶を「三口半」で飲み干し、最後の半口では軽くすするような音を立てる。(これがなかなか大変)
そして、再び「にじり寄り、にじり下がる」をやって茶碗をご亭主のところに戻す。
ここまでで、一段落。
お菓子はいつ食べてもいいそうなのだが、お客さんたちはおおむねみんな、まず干菓子を食べてみて、それからそれぞれのお茶の順番に合わせて主菓子を「できるだけお茶の直前に食べる」ような食べ方を励行していた模様。
「次客」は上記の手順に加えて、茶碗を運んできた直後に、前のお客さん(正客)に対しておじぎをし、「ご相伴いたします」と言わねばならず、3人目以降は同じ。(「末客」は次客への挨拶が不要)
私はこの簡単そうな3人目の席に座っており、いい席に着いたなぁ、と自分の手際の良さに1人うなずいていた。
ところが。
意外なところに困難はあるもので、私の次の人からは、「正客⇔私」とは直角に折れて並んで座っており、実は私の席はご亭主から一番離れたところ。
つまり、「移動距離が一番長い」のだ。
ただでさえ、体重あたりの筋力が誰よりも小さい私は、途中でご亭主のいる右側に少しカーブしながらとても長く思われる道のりを「にじり寄り、にじ
り下がる」の だが、特に帰り道が大変だった。
腕の力だけでは移動ができず、つい両膝を交互に動かして「這い下がる」格好になる。
他の人たちはそんな私に失笑してしまう余裕も出てきて、
「距離、長いよね」
「正客が一番近くて楽かもね」
などと軽口をたたいていた。
そうか、このへんになると「忍者が天井裏にいて・・・」とか話すゆとりが生まれるのか。
何とか自分の席に戻り、あちこちにおじぎをしてからお抹茶をいただく。おいしい。
ついさっき「練りきり」を食べたばかりの甘くなった口に、ほどよい苦さが広がる。
「おかわり!」と言いたくなるのをぐっとこらえ、三口半で飲み干したけど、最後の「すする音」は難しかったなぁ。
茶道ってのは、あちこちにトラップのように「難しさ」が隠れている。やはり、あなどれない。
もちろん茶碗を返しに行く時も同様に難しかった。そう急には慣れないものだ。
こうして、ひとわたり全員がお茶を飲んだ。
ご亭主によれば正客から順に「おかわり」を頼んでもいいらしく、チャレンジ精神に富んだデザイン関係フリーランスは果敢におかわりに挑んでいた。
私ももう1杯いただきたかったが、またあの畳の上の長距離移動をするのにくじけて、お願いしなかった。
後半はおしゃべりも出て、終始なごやかに、2組目も終わった。
みんなにも手伝ってもらって後片づけ。
ここまででもう2時間半ぐらいたっている。
いつもの市役所の会議室での講座のあとは、徒歩5分ほどの我が家に場所を替えて「反省会」兼「宴会」を行うんだけど、今回は会場が駅に近く、駅からバスで10分ぐらいの家からはかなり離れているので、駅前の居酒屋に6時に予約を入れていて、時間が余るようなちょうどいいような、微妙な感じ。
先生は、このあと「取材も兼ねて永平寺に3泊4日の座禅修行に行った」時のお話もしてくれるつもりで、大きな紙に描いた教材をいっぱい用意してくれている。
大内くんが私に、
「余った時間でやってもらおう」と言うが、移動にもぞろぞろ大勢でゆっくり時間がかかるだろうし、その教材があまりに力作ぞろいなので、20分ば
かりの講義では申し訳ない。
「来年の講座で別にお願いした方がよくないかな」(休日講座はたいがい「反省会」で1年後の講師を決めてしまう)と答えたら、大内くんは先生と何やら相談していたが、やがて、
「1年たつと忘れちゃうし、勢いもなくなるから、今日やっちゃいたいんだって」と言ってきた。
そうか、本人がそう言うなら、お願いしよう。
で、聞きました。座禅の境地を。
「食事の時は、絶対音を立てちゃいけないの。なのに、『たくわん』が出るのよ。たくわんを、音を立てずに食べるのって難しいわよね。だんだん慣れてきて、『おみそ汁の具のお豆腐と一緒に食べて音を消す』とか、工夫したけど」などと語る先生は、大きさの少しずつ違うお皿を4枚とお箸とお匙、
そして、「食器の汚れを拭い取る」ための道具を、厚紙切り抜いた原寸大の「模型」にして持ってきてくれていた。
「お皿は、こうやって重ねるとちょうどいい大きさなの!」
うーん、やっぱりお茶会の残りの時間では惜しかったなぁ。
普段の、2人の講師が1人当たり1時間以上かけてやってくれる講座でお願いしたかった!
「座禅の型」(両足を組む「結跏趺坐」。できない人は片足だけ組む「半跏趺坐」で良い)とか、
「警策(きょうさく。座禅の時に、これを持ったお坊さんが見回りをし、動いた人の肩を打つ)は、やってほしい人だけでいいの。動いちゃったな、っ
て思ったら、手を合わせてちょっと頭を下げると、お坊さんが軽く肩に警策を当てるから、反対方向に首を傾けて肩を打ちやすいようにすると、『ぴ
しっ』って、すごいいい音をさせて打ってくれるのよ。音が響き渡って痛そうなんだけど、それほどでもないの」
とか、座禅のお作法を教わったり。
すごく面白くて、ためになった!
その後、みんなで歩いて駅前に移動し、他に用のある先生ほか4人が二次会はパスして帰るそうで、そこでお別れ。
和服に草履ですたすた歩いていた先生、本当にありがとう!
長くなったので、二次会は明日書く。
「休日講座」本編はここで終わり。
読んでくれた人は、ぜひお茶を始めるか永平寺に座禅しに行くかしてください。
私はとりあえず興津要の「古典落語」に載ってる「茶の湯」をもう1度読もう。
2週間ぐらい前にも読んでみたのだが、今読むとまた違う境地で笑えるだろう。
13年5月19日
さて、昨日の続きになるが、「休日講座」の二次会。
駅前の居酒屋、個室で椅子席、90分飲み放題つきね。
まずはビールだよね、と、巨大なピッチャーを2つ頼み、みんなで乾杯だ!
「休日講座」には、始めた時から変わらない、大内くんが決めたルールがある。
「二次会のみの参加は原則お断りしております」
こう言っとかないと、「宴会だけ出たい」という人が大勢出そうな気がしたんだそうだ。
しかし、今回ついに例外を認めてしまった。
自身の出身大学で工学部の准教授を務めている「博士」だ。
昔はよく一緒に遊んだものだが、多くの人がそうであるように、彼も仕事と子育てに追われるようになり、古いつきあいの友達とあまり会うチャンスがない。
しかも、今回昼間の講座に出席できない理由が、「中2の息子の運動会があるから」。
我々にも覚えのある境地で、そりゃあもう、そっちを最優先させてください、って感じだ。
「夜はあいてるので、二次会だけ参加させてください」と言われた大内くんは、大原則たるこのルールにどのようにして例外を認めるか、しばらく考え込んでいたようだが、結局、
「普段は家でやってるけど、今回は外での会合だから」と、やや無理矢理な適用をしたようだ。
でも、私は博士が参加してくれて嬉しいな。
13人の休日講座で、二次会不参加の4人が駅でお別れして帰り、博士が加わって、10人。
ワリカンしやすくなった!
始まって30分ほどたった頃、デザイン会社代表に急用が発生したらしい。
割り前を払って帰ってしまった彼で、ケータイの便利さというか、不便さというか。残念だ。
9人になり、さて、よく見ると、コドモがいるのは博士とうちだけだなぁ。
デザイン会社代表(彼は仕事で、子育てには関係ないんだろうが)を含め、子持ちは帰る率が高い。
それになぜだか、マンガクラブには未婚の人が多いのだ。
正確には、「休日講座」などの遊びに参加できる人にはシングルの人が多い、と言うべきか。
やはり、独り身は自由なんだろうなぁ。
余談だが、私の正面に座っていた博士は、前腕部が真っ赤に日焼けしていて、
「どうしたの?」と聞いた直後に気づいた。
彼の返事は想像した通り、
「いや、運動会で」。
仕事でもないかぎり、1日外で過ごすなんてめったにないことだし、初夏の日差しは意外と強いので、春の運動会を見に行くとけっこう日焼けするのだ。
忘れかけてたなぁ、そんな感じ。やはり、コドモが中学生と大学生の違いは大きい。
もちろん、コドモがいるという共通点の方がずっと大きいんだけどね。
「綱引きもしました」という博士。
わかるわかる。親の参加競技。大内くんも綱引きやってたなぁ。あれは保育園の頃か。
博士よ、腰に気をつけたまえ。
話は戻って、思えば、皆が結婚したての頃はよくオープンハウスを兼ねてのホームパーティーを含め、よその家におよばれする機会が多かったんだが、この10年ほど、我々の知る限りでは、
うち以外にホームパーティーを催す人は減った。(うちだって、年に2回ぐらいになってしまったし)
40代50代ってのは、仕事に家庭に忙しい頃で、学生時代の延長で遊べていた時代とは違うんだろうなぁ。
私はずっと専業主婦だし、家事は大内くんがやってくれることの方が多いぐらいで、とても楽なんだが、それでも下の子が大学まで行ってしまって初めて、「あ〜、やっとヒマになった!」と思う。
大内くんに言わせれば、
「親の世代を見てると、60代になるとホントにヒマになるみたいな気がする。小学校の同窓会があるとか、ゆとりがあるからなんだろうね」。
働いてる人たちも、あと10年ぐらいで一段落。また遊べる日も来るだろう。
そんなことを考えながら、2時間半ぐらいの二次会はあっという間に終わってしまい、9時ごろおひらきに。
我々は自転車で帰るが、電車組の中には三次会まで行く人もいるんだろうな。
息子はベトナム旅行中で、我々が三次会に行ってもまったくOKなんだが(いや、たとえ息子が家にいても全然かまわないのだが)、午後からずっとの会で、少し疲れた。やっぱ、帰るよ。
となると、問題はコドモではなく我々のやる気や体力の方なのかも。
あと、家に帰っても2人だから、小さな宴会をずっと続けてるようなものなんだろうなぁ。
大内くんとの暮らしは、外向きにも内向きにも楽しい。
すでに来年の休日講座の講師を依頼して決めてしまったらしい彼である。
「大内家」は、実は大内くんでもっているのだ。
実は、も何も、当然そうでしょう!という意見も多いことと思う。
もっと大内くんを大事にしよう。
13年5月20日
息子が、4泊5日のベトナム旅行から帰ってきた。
とは言っても、夜便で行って朝便で帰って来たから、実質は中3日しか遊べなかったと思う。
手ぶらで帰って来たので驚いて、「荷物は?!」と聞いたら、
「(マンションの)廊下に置いてある。持ってきて。うんこしたい」と言ったきり、トイレに。
玄関を出てみたら、お隣の部屋のドアの前に荷物が2つ転がってる。
50歳過ぎた腰痛持ちの病弱な母親に荷物を運ばせるとは!と思いつつ、重いのを引きずるように玄関に入れる。
なぜ、ここでサービスしてしまうのか?親心?
しばらくしたらトイレから出てきて、
「腹いてー。正露丸出して」。
さてはベトナムの水にあたったか、と、やはりいそいそと正露丸を出してやる。これも親心か。
「楽しかった?疲れた?」と聞くのに「まあまあ」とか答えながら、どんどん風呂場に入ってしまう。
この頃少し暑いので、私は毎晩水風呂を入れて夜中とか翌日の昼間に入り、夜にそれをわかして普通に入る習慣。
息子はほとんどシャワーですませているのだが、今日は、久々にゆっくり風呂に入りたいだろうと思い、朝からお湯を用意して待っていた。さらなる親心。
マンガを読みながら湯船につかり、やがて盛大にシャワーの音がして、息子の風呂終了。
あいかわらず使ったバスタオルをタオル掛けに掛けもしない。
普段は「自分で掛けてよ〜!」と叫びながらやっておくのだが、今日は黙って掛けといてやった。親心、ここに極まれり。
「I LOVE (ハートマーク) TOKYO」のTシャツを着て出かけたはずが、「I LOVE HANOI」になっていた。
出かけるつもりらしく、着替えて、どこへ行くとも言わずにさっさと出て行ってしまったよ。
いつもの夜勤のバイトがないことだけは確認した。
「晩ごはんは?」「さあ」
日常が戻ってきたなぁ。
バッグから出した洗濯物とおみやげらしきお菓子やラーメンが散乱しているのをため息をつきながら片づける。
親心もいいかげんにしろ、と自分で思う。
それが午前11時ごろの出来事。
とりあえず大内くんに、「無事に帰って来たよ!」とメールしておいた。
そして夜になって大内くんが帰って来て、ごはんを食べてお風呂に入ってのちは自炊活動。
寝る時間になったのでベッドに行き、それぞれの本をそれぞれのiPadで読む。
12時近くなっても息子が帰らないので、大内くんはいつもの「今日は泊まり?」メールを送っていたが、返事ナシ。
「もう寝るよ」と言う彼に、
「旅行前日にバイトがあったから、実質5泊6日だったし、私は昼間会ったけどあなたは会ってないから、6泊7日会ってないんだね。明日は仕事で遅いんでしょ?会えるのは、早くて明日の夜中だね。もしバイトが入ってたら、7泊8日顔を見ないことになるよ。寂しい?」と聞いたら、
「少しね。まあ、無事でよかったよ。しばらく会ってないサークル仲間なんかと楽しくやってるんだろうね。サークルの人と3人で行ったわけだけど、
他の人たちにも会いたいんだろうな」。
理解のあるお父さんだね。
「そういえば、テレビ放映はちゃんとは見てない、って言ってたけど、ネットで見たのかね。今頃、誰かのアパートで上映会してるのかもよ」
「楽しいのが何よりだよ」
という会話を交わして、12時10分ごろ「おやすみ」と言ったら、大内くんはいつもの如く30秒で寝てしまった。
私は、大内くんが図書館で借りてきた本をフラットベッドスキャナで自炊するため、昨日は徹夜だったんだよね。
それでもやはり眠れない。
夜中の3時近いから、もう息子が帰って来る目はほとんどない。
寝る努力をするか、開き直って本でも読むか、大内くんの自炊を進めてあげるか。
なんにせよ、5時起きの大内くんと顔を合わせるまで起きてる公算大。
あー、すぐ寝られる体質になりたい!
息子と大内くんは、この才能に恵まれている。いいなぁ。
「眠れない」って、案外つらいものなのだよ。
13年5月21日
私がうたた寝してて、4時ごろ目を覚ましたら、外泊の息子がいつの間にか帰ってベッドでぐうぐう寝てた。
「うーん」と寝返りをうって起きそうだったので、
「おかえり。何時ごろ帰って来たの?」と聞いたら、
「3時ごろかな。ちょっと体温計持ってきて。熱あるかも」と言うので、あわててリビングに行って取ってくる。
しばらくしてから「どう?」と聞いたら、「37度ちょっと。寝る」とつぶやいたと思ったら、もう寝てしまった。
大内くんによく似たヤツだな。
しかし、旅行から帰ってすぐ発熱とは、よくよく疲れたのだろうか。
もしかして、「知恵熱」?
やがて大内くんが帰って来たので熱のことを話したら、
「悪い病気でも拾ってきたんだろうか?」と心配しながら息子の顔を見に行った。
私と違い、昨日の昼間会えてなかったので、トータル1週間ぶりのことだね。
何やら話をしているようだが、そのあと着替えながら大内くんが言うには、
「いやあ、久々に顔見たよ。軽い風邪だったんじゃないかな。ひと汗かいて、もう熱は下がったみたいだよ。このまま寝るって。明日は7時半に起こしてくれってさ」。
久々に父親に会えて嬉しい、という風情はまったくなかったようで、どうも、絶対出なければいけない授業があるっぽい。
「本人のみならず、5人ぐらいの友達と順繰りに代返していく、って感じの真剣味だったよ。うっかり休むと、その『互助会』から追い出されちゃうん
じゃないかな」と言う大内くんは、「互助会」に慣れているんだろうか。
いつも言うことだが、私の大学は非常に規模が小さく、1学年500人足らずだったから、授業も20人ぐらいのクラスが多く、「代返」なんてめったにない。
ヘタすると、教授から、
「今日はミス大内はお休みですか?」とか言われちゃう。
そう話したら、大内くんは、
「それって、僕らで言えば『ゼミ』の感覚だよ」と言う。
こっちは逆に「ゼミ」ってやったことないんだよね。やっぱり、大学によって違うもんだね。
というわけで、普段は私に頼んできてもせいぜい9時ごろの息子を、大内くんが出社前に起こしてくれるって。
ありがたいなぁ。
私は、話の通じない状態の息子を起こすのはイヤなんだ。
「互助会に入れるうちは大丈夫だよ。友達がいる、という点と、単位を取りやすくなる、という点で、互助会はありがたい。留年を続けていくと、まわりに知った人がいなくなっちゃうんだよ。寂しいし、頼る人もいないし、困るんだよね」と大内くん。
それは、2年たつと教養学部が終わって、別の場所に行くようになるから、ってのも大きいんだろうね。
早稲田はその点、どうなんだろう?
「休日講座」の二次会でも何人かから、
「それで、息子くんは留年しないでいけそう?」と聞かれた。
マンガクラブは留年率が高かったからなぁ。
「1年や2年の留年は、人生の幅」と考えてる人もいまだに多いし。
ま、私も、1年ぐらいなら留年してくれてもかまわない、と思っているよ。今は、ね。
(実際に起こったら、猛烈に困るんだろうな)
大内くんには、何の意見もないらしい。
「僕に何を言う資格があるのか・・・」と、つぶやくのみ。
とりあえず、できることから始めよう。明日の朝、起こしてあげてね。
13年5月22日
昔よく清里に草野球をしに行った時に泊まった「ペンション H2O」を覚えている人も何人かいるだろうが、今は廃業して別の仕事をしているオーナーから、突然電話がかかって来た。
もう10年近く会っていない人なのですごく驚いたのだが、理由にまた驚いた。
「私は見てないんですが、娘たちが、『大内さんちがテレビに出てた!』って言うもんですから、なつかしくなって、お電話しました」
オーナーはとてもお元気で、60を過ぎた今でも野球をしたり、スキーのインストラクターをしたりしていらっしゃるそうだ。
「ずいぶん大勢で来てくださったこともありましたね。皆さんにもよろしくお伝えください」と言っていたよ。
我々の交友関係の一部である大学のマンガクラブの、そのまた一部の人たちは、過去を懐かしむように心がけてください。
それにしても、「テレビを見ていたら」と電話やメールをくれた人が10人は下らない。
ほとんど映ってない私なのに、知人がメールをくれる。
曰く、「息子さんの名前が珍しいので、これは、と思いました」
大内くん関係の人たちは「おお、これは大内くんじゃないか!」という感じが多い。
誰が見るんだ、って思うようなゆるいバラエティだが、さすがにTBS夜7時のゴールデンタイムはあなどれない。
乱暴な計算で、視聴率が10パーセントだとすればざっと1200万人の人が見てるわけで、その中にたまたま大内くんや息子を知ってる人がいて も不思議はない。
大内くんは、「連絡してこない人だっているだろうから、実際は10人以上の知人が見てるんだろうね。うーん、オソロシイ」と気絶しそうになっている。
思ったよりスタジオにいじられたりしないですんでよかった。
とても太って見える私は、あんまり映ってなくてよかった。
懐かしい知人から連絡があったのもよかった。
こんなことはもう一生に二度とないだろうが、後日談まで入れて、たいへん面白い経験でした。
13年5月24日
先日書いたように、iPadスタンドが原因で、これまでとは反対に、大内くんは窓側、私が入り口側に寝るようになった。
横向きになってスタンドで本を読む都合上、胃弱の私が快適に本を読むには、そうするしかない、と思ったのだ。
右側を下にして寝ないと、胃の中身がスムーズに流れず、むかつきや吐き気の原因になる。
まあ、そのデメリットには目をつぶろう、と思ったのは、結局、2人ともがものすごい違和感に悩まされたから。
つきあい出してから30年、私は常に大内くんの左手を握って歩いてきた。
おひなさまだって、男性は向かって左側じゃないか!
というわけで、また模様替え。
(実はだいぶ前の話。5月に入る前にはもう元に戻っていた)
今回は元に戻すだけで何にも変わる要素がないので、あまり興奮しないかと思ったが、完成して大内くんと2人、ベッドに寝てみて、
「ああ、やっぱりこっちだよ。我慢できないほどじゃないけど、やっぱ、違和感があった!」と喜び合う。
皆さん、自分の両手の指を握り合わせる時に、かならずどっちの親指が上になるか、決まってませんか?
(右利きの人は、たいがい左手の親指が上になるようだ)
そして、その反対に組んでみると、違和感で気分が悪くなりませんか?
ちょうどそんな感じの、1カ月ほどでした。
もう数年したらシングルベッドを2つ入れようかな、とか、夢は尽きない。
何より、寝相が悪くてむちゃくちゃな格好になって寝ている彼を見てると、ダブルベッドはキツイだろうに。
ただ、本人が
「1人で寝るのは心細い.怖い夢とかみてる時に、キミが『どうしたの?大丈夫?』って言ってくれるから安心して寝てられるんだよ」と言うもんだか
らねぇ。
私は眠りが浅いので、隣のベッドの人がうなされてたら、真横に寝てなくても助けてあげられると思うよ。
13年5月25日
木曜夜に、ちょっとしたもめごとがあった。
大内くんは今、通勤電車の中でキンドルを使って読書をしている。
だが、私が見るに、キンドルはちょっと読みにくい。大きな本で字が細かいものだとなおさらだ。
家では私のお古のiPad2を使っていて、とても読みやすい、ということなので、別のタブレットを買ったら?と何度も何度も言っているのだが、聞
かない。
表面的には、「キンドルは8千円ぐらいで、安かった。他のタブレットは高い。もったいない」と言っているけど、彼は、新しい技術や商品や考え方に 出会うと、とても面倒くさくなってしまうらしい。
だが、これまでにも、レコードをCDに買い替えるとか、自転車のライトをLEDにつけ替えるとか、いろんなことで「やっぱり、CDは音でレコードにかなわないから」とか「今のままで不便はないし」とか言ってるところを私に説得され、しぶしぶ重い腰を上げた結果の彼のセリフは、常に同じだ。
「もっと早くこうすればよかった!すごく便利!」
だからさぁ、学習してよ。
同じ過ちを何度も繰り返すのは、頭が悪い証拠だよ!
それでも彼は、まだ四の五の言ってる。
大「ほら、僕ってそそっかしいし、うっかりが多いでしょ。あんまり高価な物を持つと、落としたりなくしたりしそうで」
私「あなたの、定期券っていくらする?」
大(言葉につまって)「・・・いいとこついてくるね。・・・うーんと、でもさ、ほら、定期は、ないと会社に行けないから」
私「半年分ずつまとめて買ってるよね。そんなに失くし物が心配なら、少しぐらい割高でもひと月ごとに買うとか、リスクを下げる工夫はしてるの?」
大(さらに困って)「・・・ああ言えばこう言う。キミは本当に弁護士に向いている。これで記憶力さえあったら、すごく強い弁護士になってたと思う
よ。弁護士ってのは、とにかく負けないことが大事なんだから」
だいぶ山を越えつつあるなぁ。ここでもうひと押し。
私「ほめてくれるのは嬉しいけど、それは横に置いといて、2、3万円するからって、他のタブレットを買わないの?私が『新しいiPadが欲しい、
でも贅沢かな』って言った時は、『これほどよく使う物なんだから、いくらお金をかけてもいいよ。買いなよ』って言ってくれたじゃない。私だって、
あなたのことは同じように思ってるよ」
大「・・・まいりました。週末に買いに行きましょう」
私(たたみかけるように)「週末まで待つことないよ。明日の帰り、近くのコジマで会いましょう。一緒にタブレット買おう。私、ちょっと先に行ってタブレットを研究
しとくから」
大「ありがとうございます・・・あああ、またキミに言い負かされてしまった!でもなぁ、好きな人に言い負かされるのはイヤじゃないんだよなぁ・・・」
結論。
今日、タブレットを買いに行きます。
今のところ、「iPad mini」が有力候補だけど、最近はいろんなメーカーさんが出してるからね。
ここまで自炊を進めてしまって、タブレットをケチっていてはそれこそ「もったいない」でしょう。
大内くんも、自分の問題でない時はそう思ってるみたいなんだけど・・・
13年5月26日
そういうわけで金曜は、会社から帰って来る大内くんと、近所のコジマで待ち合わせ。
私は10分ばかり先に来て、いまやずいぶんいろんな種類のものが並んでいるタブレット売り場で、いいのを物色していた。
話しかけてくる店員さんは、どうも私よりさらに商品のことがわかっていないらしく、
「このタブレット、動画再生で9.5時間バッテリーがもつ、って書いてありますけど、本を読むだけだったらどのぐらい違いますか?」
「えーと・・・それほどは変わらないです。3分の1、延びる程度で・・・」
「じゃあ、12、3時間はもつんですね?」
「いやぁ・・・10時間ぐらいでしょうかねぇ・・・」
と、あやふやなやり取りをしていた。
わかんなくっても、自信を持って客を煙に巻け!それが店員さんというものだ!
iPadミニは案外でかい。
キンドルのように背広のポケットに入れる、ということを考えると、ネクサス(NEKSUS)という機種が人気が高そうだ。
「ASUS」って、聞いたことないメーカーだな。韓国かしらん。
やがて大内くんが現れ、彼もネクサスが気に入った様子。
私は細かいことは全然わからないので、大内くんを応援するために、ちょっと離れたとこにいる店員さんをつかまえて、
「タブレットに詳しい人とお話ししたいんですけど」と言ったら、さっそく小型マイクで呼び出してくれた。
うん、さっきの人の世話にだけはなりたくないんだ。
しばらくしてやってきた店員さんは、確かに商品知識は豊富そうだ。
ちょっと早口でオタクっぽいけど、わかんない人よりはマシ。
しばらく迷って、何台もポケットに突っこんでみた大内くんは、最後はやはりネクサスに落ち着いたようだ。
売れてるらしいよ。
「いいものが買えた。ありがとう!」と無邪気に喜ぶ大内くんよ、キミにはこれから立ち上げという難しい作業が待っている。
私は何の手伝いもできないよ。
「さっきの店員さん、くわしかったね。電器屋さんのおつとめも、今は大変だねぇ、いろいろ新製品は出るし」と言うと、
「でも、そういう彼らが洗濯機に強いとは限らないよね」。
面白いことを言うじゃないか。
確かに、白物は白物で、別の難しさがあるね。
でも、私がひそかに一番尊敬しているのは、実はケータイショップの店員さんだったりする。
機種はいろいろ、学割だの家族割だの、パックや、サービスや、もんのすごく大変そう。
時々、私みたいに、
「自分の電話番号は、どこを見たらわかるんでしょうか?」なんて客もいることだし。
家に帰って、大内くんは晩ごはんもお風呂もそこそこに、この「新しいオモチャ」で遊び始めた。
いや、本人は必死なんだが、実は楽しいらしいので。
それでも寝るまでの2、3時間で勝負はついた。
ちゃんと見られるようになったのだ。
私は、薦めた責任上、うまく行かなかったらどうしよう、とはらはらしていたので、大内くんに負けず劣らずほっとしたよ。
そして、大内くんは言う。
「ものすごく細かくてキレイ!本に載ってる写真や挿絵が、くっきりカラーで見やすい!(キンドルはモノクロだった)いいものを薦めてくれて、ありがとう!」
だからさぁ、絶対そうなる、って言ったじゃん。
キンドルの読みにくさを、何度も覗き込んでは心配してたのに、
「いや、これで充分読める。読みやすいよ」と言い張っていた大内くんは、知り合って30年、全然進歩ナシ。
私「私が何て言ったか、忘れちゃいないよね?」
大「うん、覚えてる」
私「絶対、『キンドルよりいい!』って言うよ、って言ったよね」
大「言った。で、ホントにキンドルより良かった」
私「じゃあ、これからはつべこべ言わずに私の言うとおりにしてくれるね?」
大「もちろん!」
私「…何度おんなじことを言ったか、わかんないよ…また、忘れちゃうんだろうなぁ。それで、私はやっぱりあきらめが悪くて、何度も同じことを言い
続 けるんだろうなぁ・・・」
大「そこがキミのいいところじゃないか。僕みたいな人を見捨てないで、ずぅっと怒り続けてくれるなんて。今度から、本当にキミの言うことを聞く
よ」
というところで話は終わり、大内くんはネクサスを愛用している。
家では私のお古のiPad2で、通勤中はネクサス。
書籍を全部データ化した、ということは、タブレットがものすごく重要だってことだ。
私自身は今使ってるiPad3にまったく文句がないけど、これが壊れちゃったら困るなぁ、とはよく思う。
だから、今度iPadの第4世代が出たら、もう、有無を言わさず買っちゃうかも。
図書館から借りた本をスキャンするのも地道に続けているし、マンガのリストの整理もほぼ終わったし。
電脳を楽しむのはこれからだ!そして、困るのもこれからだろう・・・
13年5月27日
この頃、大内家は電脳づいてると言うか、やたらにハードを買ってきてしまう。
やっとタブレットが落ち着いたと思ったら、今度はノートパソコンだ。
毎日電器屋さんに通い詰めているぞ。
今、うちにはデスクトップが1つと、息子が大学受かった時に買ってあげたノートが1つ、それから、戦力に数えちゃいけないのかもだけど、大内くんが会社から支給されていて毎日持ち歩いてるノート。
息子のと会社のは自由には使えないので、マンガと本のバックアップや整理のために、ぜひもう1台欲しい、と大内くんは言うのだ。
私も、あればあったで便利だろうなぁ、と思いはするのだが、息子のまるっきり使っていないノート(課目登録と、あと、ごくたまにレポートを書いて 送りつけているらしい)の立場はどうなるんだろう、とか不安がいっぱい。
最近のパソコンは安いからお金のことは心配してないが、一番心配なのは、こういうことにいったん手をつけると何時間でも格闘してしまう大内くんの性癖だ。
ただでさえ、最近、本ばっかり読んでて遊んでくれないのに。たまりまくったテレビの録画はいつ見るの?!
そんな声が聞こえたのか聞えないてのか、土曜の朝一番で近所のパソコンショップに行って、ものの15分ぐらいで決める。
このへんは私に似ている。
ASUSって、どっかで聞いた社名だな。
そうだ!ネクサスと同じ会社だ。
よくよく見たら made in China。
高くても、国産を買うべきなんだろうか、こういう場合は。
でも、結局買って帰ったのはASUS。
我々はこれを「あざす」と呼ぶ。
息子やその友達が「ありがとうございます!」と言う時、発音はほとんど常に「あざす!」。
激しい時はメールでお礼を言う時もひと言「あざす!」。
ネットでよく調べたら、台湾の会社で、「えいすーす」と読むのが正しいようだ。
いいの。うちでは、「あざす」なの。
ははは、笑っちゃうよね。
結局、そのあと土日をびっしり使って設定その他。
やっと一段落ついたのは日曜の3時ごろで、
「遊びに行けなかったけど、せめて隣町にラーメンを食べに行こう」と誘われて、行ってみたけど、いやあ、繁華街の夕方ってのは何だかアンニュイだねぇ。
すれ違う人たちもちょっとイライラしてるみたいだし。
いつもは午前11時ごろ、行きつけのラーメン屋さんやカレー喫茶の開店と同時に来て、少し買い物をしてスタバでお茶を飲んで2時までには家に帰りついてしまう、という遊び方なので、夕方の街には慣れてないのだ。
本日、一番驚いたのは、ラーメン屋さんのバイトの時給がいいこと。
昼間でも1050円からだ。
世の中不景気だと聞いていたけど、バイト代を見る限り景気よさそう。
10年以上前に、本当に不景気だった頃って、時給は680円とかそういう感じだったよ。
息子が5月いっぱいで今のバイトをやめ、他のバイトをするつもりらしいけど、まあ、さすがに疲れた、しばらくはのんびりしたい、とか言ってるので、次のバイトはいつ始めるのかわからない。
親はついつい求人ビラを読んでしまうんだけどね。
居酒屋の深夜なんて、もうちょっと稼げるぞ。
自転車10分で2つの繁華街に行けるから、バイト先には困るまい。
キミはね、少し、接客をやった方がいいよ。
なんてことを考えながら帰って来て、お風呂に入り、今日はもう晩ごはんはいらないね、と話しながら、やはり大内くんの足は書斎に向いてしまう。
「いや、パソコンでちょっと気になることがあってさ」
茫洋とした見かけによらず、彼は凝り性だ。
しつこく見える私の方が、よっぽどあきらめがいい。
まあ、それでもほとんどのことができるように設定してもらい、ありがたい。
「これからは、ベッドの中でもマンガの整理ができるよ」って嬉しそうに言われても、ケータイやメールがあるから仕事が追っかけてくる、ってのとおんなじ構造ではありませんか?
私は、ベッドの中では本を読むかおやつを食べる以外のことはしたくないのだ。寝る、という大目的もあるし。
大内くんも、これで当分電脳は十分だ、と言っているので、しばらくは平和な時が訪れるのだろう。
彼がこんなに消耗しなければ、ビバ、タブレット!ビバ、ノート!なんだけどなぁ。
お金を使うだけ使って、そんなぜいたくを言ってちゃいけないよね。
13年5月29日
めずらしく日曜の夜に早く帰って来た息子。まだ8時頃なのに。
まあ、昨日の夕方から病院で夜勤のバイトをしてきたんだから、時にはゆっくり休んだ方がいいよ。
我々のビデオの棚を眺めたり、自分の部屋でテレビを見たりしているので今日はもう出かけないんだろうと思っていたのに、彼の側では家でゆっくりす る気はあまりないようで、パンツ一丁でうろうろ(シャワーを浴びるつもりなんだとばかり思ってた)してたと思いきや、やおらTシャツと短パンに着替え始めた。
そして、リビングに来て言うには、
「こづかい、くれよ」。
冗談言うなよ。月に10万以上稼いでるくせに。
なんで今さらあげなきゃいけないんだ?!
でも、妙に甘えた声で、
「ね〜、たまにはいいじゃん〜」と言われると、弱いんだよね。
「いくらぐらい?」と聞いたら、息子の要求金額は、なんと「3千円」。
バイトで荒稼ぎして、40万円ぐらいは貯め込んでいる彼なのに。
拍子抜けして、3千円渡したら、「ありがと〜」と言って出かけようとする。
「どこ行くの?」「ドンキ」
安売りのドンキホーテに行くのか。何だろう、コントに使う道具でも買いに行くんだろうか?
彼が出て行ってから、大内くんと2人で笑った笑った。
「あんなにお金持ってるくせに、3千円が欲しいんだね。親の愛情を確かめたい、ってやつかね」と大内くん。
「あそこで『指を3本立てて』見せられたら、絶対3万円だと思っちゃうよね。彼の生活も、いつの間にかインフレしてるんだなぁ。それにしても3千
円で何を買うのかね?」
しばらくテレビを見たり自炊をしたりしていたら、もう寝る時間。
「彼は、どこ行っちゃったんだろう。もう3時間近くたつね。とてもドンキで時間つぶせるわけないよ」と大内くんが言うので、私も一生懸命考えたが、よくわからない。
「誰かから、昔よくやってたように公園での筋トレに誘われたのかね。最近のコドモは、ケータイで連絡取り合ってるから、何してんだか全然わかんな
いね」
と、大内くんは言う。
「ガストで、コントのネタ書いてるんじゃない?」
「ああ、きっとそうだ!彼は、入試の頃から行き詰まるとガストに行っちゃってたよね!」
「もうじき大隈講堂ライブもあることだし、他の人たちからコントの台本書いてくれって頼まれることもあるらしいし、うん、これはガストだな」
そんな結論に達して2人でうんうんうなずいてたら、話題の息子が帰って来た。
もちろん、「ガストでネタ書いてきたの?」などとは聞かない。
最近、せっかく機嫌いいんだ。いいまま寝てくれ。
しばらく息子にお小遣いなんてあげてなかったのに、今日は3千円で何だか親らしい気分になれた。ちょっとお得感。
「うるせー」って言われなくなったし・・・ああ、楽しい毎日だ。
13年5月31日
先週の休日講座で「茶道」のご亭主をつとめてくれた「先生」から、大内くんのケータイ宛に「訂正」が来た。
どうやら、
「干菓子は奥から取るが、主菓子(おもがし。生菓子のこと。今回は「練りきり」だった)は手前から取るのが正しい。両方とも奥から取るように言っ
たのはマチガイ」
「最後、『にじり口』から出る時は必ず頭から。後ろ向きでいいんじゃないか、と言ったのはマチガイ」
と、この2点を皆さんに伝えてもらいたいんだそうだ。
「にじり口」を頭から出たのでは履物を履くために足を出すのが大変なんじゃないか、と返信したら、
「そうなんです。私のお茶の先生も、『転びそうになる』って言ってました!」とのこと。
この場で読んでる人のためにも、一応書いておきますので訂正ヨロシク。
最後の最後までこんなに面倒見てもらって、助かります。ありがとう!>先生。
これで、今年の休日講座はおしまいで、来年は大内くんがすでに根回しを終えており、市の施設であるお茶室を借りた今回とは違い、いつものように市役所の会議室で、
・謎のフィクサーによる、「国を守る人々を支えるお仕事について(仮)」
・日銀の行員による「職業としてのお札の発行(仮)」
ということになっているようだ。
さらに、この件に関しては妙に積極的な大内くんは、再来年のことまで考えているらしく、10年以上「合気道」と「ヒップホップ・ダンス」を習っているプログラマにもう講師を頼んでいるそうで、
「市の体育館を借りる!」と張り切っている。(どっちを教えてくれるのかは不明。両方?)
大学4年生になっているはずの息子も柔道教えに来てくれて、「女性のためのワンポイント護身術」なんてやってくれたらいいなぁ。
ま、息子は来るわきゃないか。
順調に行ってれば翌年からは社会人だから、その程度には社交的になっててもらいたいもんだが。
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