13年6月1日

息子のサークルで「お笑いライブ」をやるそうなので、見に行くことにした。
場所が新宿となれば、大好きなインド料理の「サムラート」に行くため、昼ごはんを抜いて夜に向かって万全の備え。
マトン・サグワラ、バターチキンのカレー、これにナンとバターライスをつけ、とどめはシシカバブ。
日頃の節制はこういう日のためにあるんだ、とばかりにたらふく食べる。ああ、おいしかった。

さて、ライブ会場を探すか、と大内くんがプリントアウトしてきた地図を見ながら移動したんだが、どうもよくわからなくなってきた。
新宿は、広いからなぁ。
居酒屋の看板持って呼び込みしてるおにーさんとかいろんな人に道を聞いて、最後は街の見張りをしていたおまわりさんまでわずらわせる田舎者の道行となった が、着いてみてびっくり。
てっきりホテルかどっかの大使館か、と思っていたゴージャスな建物の中に、ライブハウスがあるのだった。
こんなにでかいのか。
そりゃあ、聞かれた人がみんな知ってるわけだよ。

そんなこんなで開場時刻を過ぎてしまったけど、まだまだ席にはゆとりがある。
全部で・・・そうだなぁ、100人ぐらい入るかなぁ。意外と立派な小劇場だったよ。
ちゃんとベンチ式の席があった。ゴザに座るとか、良くてもパイプ椅子が並んでるんだと思ってたからねぇ。
開演の頃には立ち見も出始めていた。

息子が宣伝してたようなので、誰か知ってる子がいないかなぁと客席を見渡したけど、とりあえずいなかった。
2組目で出た息子、今日は、アフリカのチームに誘われたサッカー選手とマネージャーのコント。
まあまあ面白かった。
録画については事前に注意がなかったのでOKかと思ったが、慎重な大内くんは、ひざの上に置いたビデオカメラで「隠し撮り」をしてた。

8組出たところで休憩。全体ではもう7組出て、総計15組で、「オレら(女の子もいますが)のお笑いサークルで誰が一番面白いか」を決める「頂上決戦」らしい。

トイレに行こうと思ってホールに出たら、1年ちょっと前に大勢で家に泊まりに来てくれた時の紅一点を見かけた。
向こうも覚えてるらしくて、「ああ、大内くんの!」ときた。
「今日、来てるのはナイショだから。知ると怒るから、ナイショでお願い」と言うと、明るく、
「あ、でも大内くん、もう知ってるみたいですよ。開始前の挨拶で全員がステージに並んだ時、見つけたらしいです。『あ、うちのかーちゃん来てる』って言ってました」とにこにこしてた。
それは大変だ。帰ったら怒られるのだろうか。
とりあえずその女の子には「また泊まりに来てね」と言って、トイレに行き、席に戻る。

残り7組も健闘していて、面白かった。
大内くんは感心したように、
「今の大学生は、面白いねぇ。自己表現が上手なのかね」としきりに言っていた。

入場の時にもらったアンケート用紙(クリップボード、ボールペンつき)に、
「面白かったら○、特に面白かったら◎をつける」という説明を聞き、書いて提出する。
MCのにーちゃんたちがしゃべくってる間に人海戦術で集計し、順位を発表する、というシステムだ。

残念ながら息子の組は3位までの入賞には入ってなかった。
(あとから聞いたら「7位だった」とのことで、まあ、真ん中ならいいじゃないか)
でも、なんだかとってもさわやかな顔をしているというか、たいそう明るい表情だったのが嬉しい。
いい仲間たちに恵まれてるね。彼は、いつもそうだ。

ライブ会場を出たら、お見送りをしている部員たちの間から、「大内くんのお父さんだ」とささやきがもれる。
どうも、テレビ出演で一部に顔を覚えてもらったらしい。
さて、新宿から帰るか。
私にしてみれば大変な遠出で、すっかりくたびれてしまった。

来週の金曜日は「大隈講堂ライブ」。
サークル内のオーディションはかなり厳しい様子なのに、息子はそちらの公演にも出られるらしい。
「もしかして、お笑いの才能があるのかね?人間、何でもやってみないとわかんないよね。高見沢さまが、大学時代に坂崎たちと会ってなくって普通のサラリーマンの人生を歩んでいたら、せいぜい、忘年会の流れで行ったカラオケで上司から『おまえ、ミョーに声が高いな』って言われるだけだったかもよ」
しかし、親には冗談ひとつ言わない彼が、外ではあんなにサービスがいいんだから、親っつーモノも寂しいね。

ちなみに、苦労して隠し撮りしたビデオは、やはりというか何というか、大内くんの操作ミスで何も映ってなかった。
まったく、期待を裏切らない人だねぇ。

13年6月2日

日曜は、井之頭五郎の行った食堂で、大内くんは日替わり弁当(豚肉のオイスター炒め、ライスは「やや盛り」)、私は「オムライスとハンバーグのワクワク セット」というお昼を食べて、スタバでお茶。
天気がいいからか、外のデッキは満員御礼状態なのに、気に入りの中のカウンタ席は空いていた。ラッキー。

スタバのカウンタ席でラテをすすりながらお客さんを見るのが大好き。
でも、最近、やたらに赤ちゃんに目が行ってしまう。
「半年ぐらいかね。まだつかまり立ちだね」
「あの子は3か月ぐらいかな。まだ若いね」
「あそこでお父さんに抱っこされてる赤ちゃんは、本当に若い。生後2週間ぐらいかもしれない。あんなに小さい子が外出してるのは珍しいね!」などと、赤ちゃんウォッチングをしてしまう。

これは、要するに息子が生殖年齢に達したので、我々の本能が「次の世代」を求めているのではないだろうか。
現代日本では人間の本能は抑圧されており、コドモは成熟するのに時間がかかり、ぶっちゃけた話、「生殖できる歳」になったからと言って生殖できるというもんでもないのは、皆さんご存知の通り。
でも、自分の加齢をよく知っている我々の肉体は、「そろそろ孫の顔が見たい」と主張しているのだ。
そうとしか思えないよ。

スタバを出たところで、珍しく別行動。
大内くんはブックオフに行き、私はユニクロでTシャツを買う。
自分用にスヌーピーの、息子用に「ONE PEACE」のものを。
もし息子が気に入らなければ、大内くんが着ると言う。
「チョッパーなんだけど」と言ったら、「僕はチョッパーが大好きなんだ!」って。

家に帰って息子のタンスにチョッパーを放り込んでおいたら、風呂上りに黙って着てた。
でも、その後着ないので、気に入ったのか入らないのかわからない。
Tシャツ1枚でも難儀なことだ。
早く孫の顔を見せろ。
「でき婚」にはやや反対の私なので、さっさと結婚の話を進めること。
ほんの一瞬「カノジョがいた」ような気もするが、ほぼ「カノジョいない歴=実年齢」の人に何を言ってもムダかも。嗚呼。

13年6月4日

私は日々家計簿をつけている。
「おこづかい帳をつけろ」と、どんなに母親が高圧的に言っても、「おこづかい帳を見せなければもうおこづかいをあげない」とまで言われてもやらないコドモだった私が、大学に入って親元を離れた途端に簡単な出金簿をつけるようになった。
結婚と同時に家計簿をつけ始め、今では毎年11月末には翌年の家計簿を買っている。
いやぁ、人ってのは、どういうきっかけで何を始めるか、わかったもんじゃないね。

昔懐かしいアナクロな家計簿を使いつつ、一方では、エクセルで自作した家計簿で、年間のお金の動きを見ている。
これをやると、大内くんの存在価値が一気に浮上したりするのだ。

ところで、家計というのは不思議なもので、
「今月は使っちゃったなぁ」
「今月はけっこう節約モードだったぞ」
とか思っても、多くて2万ぐらいしか変わらない。
なので、つい浪費をしてしまう。
もともと、別に節約してお金を貯めて、って考えて始めたことじゃない。
単に、細かいことを記録しておくのが好きだという性格ゆえです。

ところで、先月(5月)の家計簿には驚いたよ。
いや、大まかに組んだ予算の枠内にはおさまってるんだけど、食費がものすごく浮いてんの。
特に乳製品、肉、魚のあたりが。
外食費は高くなっているけど、ほかの費目で余った分を吸収してるから、目だたない。
もう一つ吸収してもらってるのが「おやつ代」。
うちでは、カマンベールチーズもヨーグルトもおやつだ。
本来なら乳製品のとこに入れてあげたいんだけど、食事以外の時に食べるものはみんな「おやつ」なのだ。

これはやはり、いかに息子が家で食事をしなかったか、ということだろうなぁ。
ただでさえ病院の夜勤のバイトで夕方から翌朝まで留守、いや、そのまま大学に行くことも多いようで、帰って来るかと思ったらまた外泊、今回はバイ トじゃないの、知ってるぞ!という感じ。
特に4月、5月は新入生獲得のために走り回ってたし、新歓ライブ、新人デビューライブなども続き、ますます帰って来ない。
たまに夜の11時ごろ帰って来ても、前のように「メシ!」とは言わなくなった。
仲間たちと食べてきてんのかねぇ。

そういうわけで、もうかったか!?と一瞬思ったら、1万5千円の予算枠でやってる「趣味・娯楽費」が大赤字。
アマゾンで本を3万円分買ったのは誰だ!?

当然犯人は大内くん。
いや、私も少し買い過ぎましたけどね。
これはきっと、自炊が楽しくて楽しくて、古本を買っちゃあ裁断してスキャンしてるからなんだろう。

家計簿は、いい。
ここ10年ぐらいは電脳化しており、全体の流れを把握するのが簡単になったのも、とてもいい。
「自分ちの家計」って、スリリングだよ。何しろ全部自分たちのお金の問題だから。
でも、そろそろ予算を組み替えないとなぁ。
息子の「こづかい」の欄や「息子外食」の欄はもういらないだろう。

もう数年したら、息子関係の費用は全部いらなくなるんだな。
そうなることを、切に願う。

13年6月6日

「鋼の錬金術師」の作者である荒川弘のマンガ、「銀の匙」が流行ってるみたいね。
北海道の「農業高校」を舞台にした青春モノ。
我々の世代だと「動物のお医者さん」なんだが。(「麦ちゃんのヰタ・セクスアリス」という選択もあるな)

東北に旅行した時、夏休みの東北大のひと気のないキャンパスで、白衣を着た数人の学生が、ヤギを追っかけて走っていたのが思い出される。
その後、大内くんは息子に「東北大をはじめとする地方国立大で寮生活」という見果てぬ夢をみていたようだが(北大を見に行った時もそうだったなぁ)、あいにく彼は、最初っから最後まで私立文系を主張していて、最後は早稲田。
コドモは親の期待通りになんかならない、という生きた標本だった。

話を元に戻し、このほど「銀の匙」と「動物のお医者さん」を両方読んでみた。
「銀の匙」は息子の本棚から失敬したのだが、彼はホントにマンガの趣味がいい。(「タフ」とか「彼岸島」は少しコワイが)
こないだ新刊が出た時は、2人して買ったので、ダブってしまった。
「進撃の巨人」の時もダブったなぁ。
息子と同じマンガを読む時は、気をつけないといけない。

「動物のお医者さん」は、シベリアン・ハスキーブームの火付け役だ。
最近見ないが、ペットの流行りというのはあまり感心しない。
犬だと、20年ぐらい生きる場合もあるわけで、車や冷蔵庫のように買い換えることはできまい。

ちなみに、キムタクの出てた「南極大陸」の中で置き去りにされて生き残った「タロとジロ」は、「樺太犬」というふうに聞いて育ったけど、今思えばシベリアン・ハスキーだったんだ。
横浜で「氷川丸」を見た時、南極に向かう時は赤道を通るので、とても暑かった、そして、人間の居室にはクーラーがなかったが、犬小屋にはあった、 という話を知った。
人間よりも暑さに弱かったんだね。

息子が小さい時、一瞬「すもう」を習ったことがあって、当時80歳過ぎだったおじいさん先生によると、彼の波乱万丈の人生の中に、
「南極船に乗って、タロとジロを置き去りにしてきた」というエピソードがあったよ。
そんな彼が、人生の終わり近くに目をつけた、小太りだった息子。
「鍛えればものになる。私に預けてくれませんか?」という申し出を、柔道の町道場に通うことになったからと言って、断ってしまった。

町道場と警察柔道両方の厳しい稽古のおかげでその後みるみるスリムになった息子だが、あの時すもうに転向していたらどうなっていただろう?
その柔道も2段になってやめ、今はお笑い道に精進している彼を見ると、人生って本当に面白いと思う。

いつものように、書き始めた話と終わる時の話はまったく関連性がない。
「自由連想」というのはオソロシイものだなぁ。

13年6月7日

私は林真理子が好きだ。
彼女のポジションとして「ミーハーなブス」という立ち位置があまりブレないので感心している。

それに、彼女の筆が描き出すところの世界観は、決して我々と無縁ではない。
「下流の宴」で、
「過度の期待をかけた憶えはない。東大などということは考えたこともないが、せめて並みの上レベルの大学を出て、人が聞けばああ、あそこねと言われる程度の会社に行く。そのくらいのことを息子に期待して何の悪いことがあろうかと思う」という描写があるのだが、まさにそのようなことを、私は息子に期待している。

また、「聖家族のランチ」では、一流大学の男性たちの声として、
「そうした自分には、名門女子校のマークを幼稚園のバッグに付けて育ってきた女こそふさわしいのではないだろうか。あるいは自分と同じように努力ということを知っている、偏差値七十の大学を出た女、後に奥さまの出身校はどちらですかと問われた時、さりげなく答えられるような大学を出た女がいいのではないだろうか・・・」と書いている彼女の、この露悪的なまでの「真実を伝える筆」は、スゴイんじゃないだろうか。

あまりにわかりやすいために、読書家からは敬遠されるかもしれないけど、私はとても高く評価しているよ。
今でも新刊が出れば図書館で借り、文庫化されるのを待ってブックオフで買う。
かつて本棚に並んでいだ「文庫本」の中では、一番数がまとまった作家さんだった。
(その次は島田荘司。妙な趣味だ、と、自分でも思う)

マンガも含めて、本を読むのは本当に楽しい。
私が今一番恐れていることは、老眼が進んでどうにもこうにも本が読めなくなること。
今のところはメガネをはずして裸眼で読む、というのがベストなんだが、いつか、老眼鏡とかルーペの世話になるのかもしれない。
図書館の大活字本に期待するのかもなぁ・・・林真理子はあるのだろうか?
そうか、タブレットを縦にして、片ページずつ読めば、活字はかなり大きくなるぞ!
家を広々とさせ、私の読書を快適なものにし、最後は老眼の面倒までみてくれるのか。
タブレットで本を読む、という習慣がもっと広まることを祈る。

13年6月8日

昨日は息子の大学でお笑いライブがあり、彼がまた出演するらしいので、会社帰りの大内くんと早稲田駅で待ち合わせて見に行く。
まずは、息子が延滞しまくっていた図書館の本を返す。
何度も督促状が来てるってのに、一向に返す気配がないんだよね。
一応、「大学に行くから、ついでに本を返しておくよ」とメールを打ったら、「おう」という短い返事が返って来た。
なんだかエラそうな人だね。

図書館は大きくて立派。
でも、本を返却したら、あまりの延滞ぶりに、「3カ月ぐらい、貸出停止になります」と言われた。
こないだお財布を落とした時に市の図書館のカードもなくしてしまい、まだ新しいのを発行してもらってない息子。
あちこちの図書館とどんどん縁が切れて行く彼は、レポートとかどうするんだろう?

そうそう、学食で晩ごはんを食べてみたいんだよね。
学食は、キャンパスの端の方、緑が重なる美しい森の中にあった。
大内くんは味噌ラーメン、私はキノコスパゲッティにした。
正直言って、「お値段なり」の味だった。
大学周辺の店が繁盛するわけだ。

会場は「大隈講堂」。とても立派。
こういうとこで漫才できるだけでも、早稲田に入った甲斐があるというものだ。
去年も見に来たが、その時は入りたてほやほやだった息子は出場しなかったんだよね。
今年は厳しいオーディションをくぐり抜けての出演。
先週は新宿のライブ会場で見たし、来週もまた大隈講堂で出演するらしいよ。
これは、大内くんが出張でいないので出不精の私は家に引っこんでますが。

ライブが始まり、お客さんは100人以上いただろうなぁ。
MCの2人が会場の人に手を挙げてもらったところ、「家族や友達が出るから」見に来た人がほとんど。
10人ぐらい、関係者でない人もいたようだが。

息子はひと組目で、いきなり登場。
こないだと同じ相方と、今回は漫才。(先週はコントだった)
「オレ、ホモだから。オレより腕相撲が強いやつとしかつき合わない!」というのはネタだとは思うのだが、少し不安になる親の立場だ。
「飼ってたカブトムシのメスが死んじゃって」と言っていたけどそういう事実はないので、言ってることが全部本当なわけではないのだが・・・心配。
「室伏とゴリラ、どっちもすんごく歓迎!」
本当に大丈夫なんだろうか・・・

学生さんたちは頑張るなぁ、という印象の中、13組のお笑いをたっぷり楽しみ、最後にみんな舞台に出てきたのを拍手で迎える。
MCの人が、
「親御さんが来てるメンバー、ちょっと前に出て。3人ですか。呼んだんですね!」と言うと、舞台上で前に出た息子が何やらささやく。
「呼ばないのに来た!って人もいますね!」
確かに呼ばれてはいないが、フェイスブックで宣伝してたじゃないか!
そのまま前列で拍手にこたえる息子。笑いを取るためには親でも何でも使うヤツだな!

会場を出たらもう暗い。
「楽しい大学生活で、本当によかった。サークルはしっかりしててメンバーも100人いるそうだし、ライブ活動も盛んで、いい学生生活だ」としみじ みしながら東西線の駅へ。
電車で最寄駅に着く頃には少しおなかがすいてきたので、回転寿司をつまんで帰る。

ああ、本当に楽しかった。
テレビ出演の甲斐もあってか、「ああ、大内くんのお父さん!」と声をかけられてしまう大内くんは、「しょっちゅうライブに来てる熱心なお父さん」 と、息子がからかわれるネタになっていないだろうか。
まあ、こういう外に開いたサークル活動である限り、親が見に来ても文句つけられるいわれはないぞ。
他にも年配の、どう見ても親だろう、って夫婦者が5組ぐらいはいたし。
1年ちょっと前に、受験で右往左往してたのが夢のようだ。
いや、本当に、人生は一睡の夢かもなぁ。

13年6月9日

昨日、息子のお笑いライブから帰って来て、着替えてると思ったら大内くんが大声を出す。
「ネクサスを、なくしちゃった!」
いつも背広の内ポケットに入れている小型のタブレットが、見当たらないらしい。

「会社に置いてきたんじゃないの?」
「いつも電車の中で読んでるだけで、会社では出さないから、置いてくるわけないよ。あー、どうしよう。買って2週間しかたってないのに・・・」
そう言われると、
「僕はうっかりしてて、すぐに落としたりなくしたりしちゃうから、高いものは買いたくない」と言うところを説得して買わせた責任を感じちゃうじゃないか。

「会場までの電車の中では出さなかったの?背広を脱いだ覚えはない?確か、大隈講堂では脱いでたけど、ごはん食べる時は脱がなかった?」といろい ろ聞いてみて、どうも大隈講堂に落としてきた可能性が一番高いらしい。
「明日、電話してみようよ。落し物で届いてるかもしれないよ」となぐさめ、寝る前の読書はiPad2を使うよう進言する。
「失くしちゃったんだったら、また買ったらいいよ。よく使う物なんだから。あなただって、私がiPadを失くしたら、おんなじように言うでしょう?」
「それはそうだけど・・・自分で自分が情けない・・・」
そこまで言わなくても。

で、朝一番に電話してみました。
最初は大学の事務室に電話し、そういうことは大隈講堂に直接聞いてみてくれ、と言われたので素直にかけ直す。
「タブレットを落とした」とか言ってもなかなか通じないんじゃないかと横で心配してたんだけど、朗らかに、
「ああ、ネクサス端末ですね!ちょっと待ってください、見てきますから」と言われている様子。さすがは大学だ。タブレットの落し物が、多いんだろ う。
「今見てきましたけど、ないようですね!」と、これまた朗らかに言われちゃって、一縷の望みも失って、うなだれる大内くん。

夜中に帰って来た息子には一応聞いてみたんだが、
「ネクサス?なに、それ。タブレット?落としたの?明日、サークルの人に聞いてみるけど」とめんどくさそうに言われたのみ。
朝早くから出かけてしまった。サークルで、後片づけでもするのかな。

午後になり、今日は予定もなくのんびりなので、「ネクサス、買いに行こうよ」と誘ってみた。
大内くんも昨日よりは落ち着いてだいぶあきらめがついたようで、「うん、行こう」。
近所のコジマで速攻で同じものを買い、帰って速攻で設定。
さすがに2週間前にやったばかりの作業なので、あっという間に終わった。
「これからは背広の内ポケットに入れるのはやめよう。会社に着いたら、カバンに移すようにしよう」と決意する大内くんである。

ところが、昼寝を楽しんでいたら夕方、息子からメール。
「ネクサス、あったって」
やはり、大隈講堂に落としてきたらしい。大内くん、大ショック。

「いいじゃん、1個私にちょうだいよ。昨日出かける時も、iPad持って行こうかどうしようか迷って、ケースに入れるといつものバッグには入らな いから、わざわざリュックしょって行ったんだよ。めったに1人で外には出ないけど、小さいタブレットがあったら便利だなぁ、って思ったんだ」
「そうか、じゃあ、使って」
「ありがとう!だいたい、5千冊もの本をデータ化したんだよ。出口になるタブレットは、1個や2個じゃ心細いよ。こないだ私がiPad2をこわし ちゃった時も、たちまち困ったじゃない。悪いけど私、iPad4が出たらいきなり買うよ」
という会話があって、私はiPad3とネクサス、2個のタブレットを持つ人間になれたのでした。

ちなみに、夜、息子が帰って来たので、
「ネクサス持って帰ってくれた?」と聞いたら、
「サークルの人が拾った、って言ってたけど、今日は会わんかった。明日も会わないと思う。今度、会ったらもらっとく」というそっけない返事。
さて、ネクサスは無事に家まで帰って来るのでしょうか。
今や持ち主となった私は、たいそう心配しております。

13年6月10日

今日は、夜、息子がお世話になっていた塾の塾長との飲み会。2人で駅前まで出かける。
将来はその塾で教えさせてもらいたい、と言う野望を持っている大内くんには大切な機会だ。
50歳を迎えようかというのに、まだ「将来」を考える気力があるという点で、大いに感心してしまう。
やっぱりお勤めの人は、定年後のこととか考えるものなの?
何をすることもなくだらだらと長い年月を過ごしてきた私にとっては、同じような長い日々が、今後は老化をともなって過ぎて行くだけ、という感覚なのだが。

塾長はまだ若いうえ、何しろ会社経営者だ。当然、野望がある。
今の彼にとっては、「塾の支部を持つ」というのが念願らしい。
夢を語る人ってのは、いいなぁ。

息子が小5の頃からお世話になって、高校、大学と第一志望をかなえることができたのは、ほとんどすべてこの塾のおかげだ。
大学ではそのご恩を返すためにバイト講師をやらせてもらったのだが、サークル活動や他のバイトで忙しくなってしまったため、かなり「恩知らず」なかっこうで辞めてしまった。
まことに申し訳ない。
それなのに我々としょっちゅう飲んでくれる塾長は、頼もしい体格と相まって本当に偉大な人に思われる。

息子の高校卒業、大学入学を境に、
「これからは顧客ではなく、従業員の親という立場になるので、これまでのように気軽にお誘いはできませんね」と言ったら、
「何を言うんですか。これからはお友達ですよ。西山先生、ではなく、『西やん』と呼んでください!」と楽しそうに答えてくれた塾長改め西やんは、 とてもいい「友達」だ。
大内くんが最近始めたフェイスブック上でもよくレスをくれる。
「大内さんのフェイスブックは、これからどんどん面白くなっていきそうですね!楽しみにしてます!」
ありがとう、西やん。

「昨日、早稲田に行ったんですよ。学食でごはん食べてきました」と元・早稲田生の塾長に言ったら、
「どうでした?僕らの頃は、まあ、あんまり…という感じでしたが」と言われ、
「いや、どうも変わってないようです。近所の飲食店は流行るでしょうね」と答えると、塾長は巨体をゆすって笑っていた。
そうなんだよなぁ。この先生たちのおかげで、息子は後輩になれたんだよなぁ。
ホンットにありがたかった。
大内くん、将来、この恩を返しておいてくれ。

あっという間に2時間が過ぎ、それぞれの家に自転車で帰ったが、ああ、楽しかった。
殆どアルコールの飲めない私なのに、生ビールを2杯も飲んでしまった。
コドモが育った後に、友達が残る。
我が家にはあまりないシチュエーションだが、大切にしていきたいご縁だ。
いつか、大内くんを講師として雇ってくれる日が来るだろうか。
そうしたら、私は生徒として教わりに行こう。
もちろん塾代は払います!

13年6月12日

大内くんは和歌山に泊まりの出張。
昔は何としても帰ってきたりしていたが、ここ数年は、年に数度あるかないかとはいえ、家を空ける日もある。
うーん、サラリーマンっぽい。
帰らぬ夫を待ちつつマンガを読む。これは、主婦っぽいのか?

とにかくヒマでヒマでしょうがない。
息子まで、便乗かと思うぐらい帰って来ない。
今日はもう、無断外泊決定だ!

自分だけの晩ごはんを作る気力がなく、ありあわせと言うか、冷蔵庫に入っていたものを適当に食べる。
いつも大内くんが、
「キミが先に死んだら、もう何をする気力もないだろうなぁ。ごはんだって、全然作らないよ。毎日『サバ味噌』の缶詰だ」と言っているが、今の私の 状態、これはもう、老人モードだね。

最近、2人とも自炊にはまっているので、テレビや映画をほとんど見ない。
気がつけば書斎と寝室しか使わないで毎日が過ぎる。
「この、リビングって、ホントはいらないんじゃないの?」という声が上がるほどだ。
確かになぁ、まったく使ってないよ。

数年たって、息子が家を出たら、この家は我々には広すぎる。
もっと小さな棲み家をさがすかなぁ。
「老化」という言葉が身にしみる今日この頃。
若い頃は100回できて、1年前には20回ぐらいできた「腹筋」が、今ではまったくできなくなっているのに気づいてしまった。
かなり寂しい出来事だった。

13年6月13日

息子経由でネクサスが返って来た!
ヘタすると、
「受け取ったけど失くしちゃった」とか平然と言いそうな息子なので、戦々恐々だったのだ。

大内くんに操作を教わり、これからは外出の時はネクサスだぞ!
iPadはさすがに大きすぎて、バッグに入らないんだよね。
どこまで広がるか、電脳生活よ。
とりあえず、日曜にはスタバに行って、2人でそれぞれのネクサスを読もう。

13年6月14日

外出する息子が、
「晩ごはん代、ちょうだい」と言うので、
「自分のバイト料でまかなって」と言ったら、
「何にもしてくれないんだね」といつものセリフが出た。

ちょっとうつむいて悲しそうに言う、このひと言が、私はたいそう苦手だ。
「あれもこれもしてあげてるでしょ!」と思いつつも、申し訳なくなってしまうのだ。
彼の方ではそこまで計算して言ってると思われるので、気にしない方がいいとは思うのだが。

だいたい、大学生にもなって親に「何かしてもらおう」という根性が間違っている。
たまには「親に何かしてあげよう」という気にならないのだろうか。
自分を振り返って・・・ははは、ないね。あるわけないよ。

それでも千円札を渡したら、
「悪いね。ありがとう!」という声が聞けた。
最近、けっこう素直にお礼とか言うんだよね。
昔は口を開くのも損だ、というような顔をしていたが。

大内くんのお母さんから電話がかかって来て、どうもテレビ出演のことを日記で知って、
「どうして教えてくれなかったの?」という苦情らしい。
いや、お義母さん、どういう内容になるのかわからなかったので、あまり宣伝しなかったんです。
大内くんは会社で、「たまたま見てて、驚いた」という人からずいぶん声をかけられて、本人自身驚いてるんです。

最近、息子が反抗期を抜けてきたようだ、という記述を読んだお母さんが言うには、
「あなたみたいに素直な子になって来たのね」。
これまた、いや、お義母さん、大内くんは私と結婚する頃まで、反抗期のきっかけがなかったんです。
素直だったわけじゃなく、
「何か言うと何10倍にもなって返って来る」という家庭環境から、おとなしかっただけなんです。

結婚前は親に頭が上がらず、結婚後は奥さんに頭が上がらない。
こういう男性は少なくないと思う。
親の過保護が叫ばれる今日この頃、結婚する年齢になったら、恋愛という異質の引力に引かれて親以外の誰かと、ここからが長い関係を作る。
現代ではその際の「親の引力」が強すぎるきらいがあるように思う。

大内くんは結婚に反対され、ほとんど駆け落ち状態で私と結婚したが、
「その選択は間違ってなかった。むしろ、マチガイの多い僕の人生の中で、最も正しい行動をした瞬間だった」と語る彼が、幸せになれたのならよかった。
あとは、息子を家からたたき出すだけだ。
大学から送られてきた「取得単位と成績」の紙を見ると、もう、いますぐたたき出してやりたいぐらいだが。

「外泊は全然困らないけど、せめて『今日は泊まる。晩ごはんいらない』ぐらい電話してきてもいいのにねぇ」と言う大内くんよ、私は証言しよう。
キミは、大学時代外泊しまくりだったのに、親には電話1本入れなかった。
「電話しときなよ」と言っても、
「電話の向こうで怒るに決まってるから、話したくない」と言われ、
「でも、電話しとけば、翌日帰った時に、『「寝ないで待ってた』とか『「晩ごはんを作ってしまったのに食べない』とかいう、『第二次お小言』を聞かないですむよ。たとえ怒鳴られても、ひと言断っとく方がよくない?」と説得しても、聞き入れようとはしなかった。
「うちは、外泊したからって怒りはしないのに、どうしてメールの1本もよこさないのかねぇ?」と首をかしげる大内くん、思春期の息子なんてそんなもんだよ。

彼の親子関係で一番不思議なのが、上記のような状態なのに、親から「おこづかい」をもらっていたこと。
私は寮生活だったので、学費+生活費(月に5万円)をもらっていたが、とうてい足りないので、時々バイトしてた。
「お母さんに、何て言ってお金もらうの?」と聞いたら、
「参考書買うから、って言ったら、すぐくれたよ」。
大内くん、キミは、案外黒いねぇ。

私だったら、すぐにおこづかいを停止する。兵糧攻めだ。
もっとも、この件に関しては息子の方がはるかに経験値が高く、すでに何十万も稼いでいるので、意味ないんだが。
今度、キツかった夜勤のバイトをやめるけど、別のバイトを探す気は当面ないらしい。
おそらく、貯金がなくなったら考えるんだろう。

「僕は、バイトすると親がいい顔をしなかったので、3年生になるまでぐらい(5年かかっております)あんまりバイトはしなかったなぁ。親は、バイトより勉強してもらいたかったみたいだけど、結局バイトも勉強もしなかった。そういう意味では、バイトだけでもちゃんとやってる息子が頼もしい。勉強?するわけないじゃん、あの彼が。サークル活動に打ち込んでいるだけでもスゴイよ」

というわけで、息子は順調に単位を落としている。
このままだと、卒業までに5年はかかるね。
「お願い、大学ってのは、5年行くもんだ、って私を洗脳して。そしたら怒らないですむし、もし4年で卒業できたらラッキー!ってことになるじゃない」
留年のエキスパート大内くんにそう頼んでおいたが、彼は、息子に、
「自分の力で起きて予定に間に合うように行動することがオトナの基本だ。甘えた気持ちで生活していることが顕れているよ」とメールしたようなのだが、返って来たのは、

「三留の親父がいうと、説得力があるな」

というものだった。
ナイスな返事なのか、失礼なのか、よくわからないが、言ってることは正しいような気がする。
大内くんの返事は、

「説得力、あるだろ」

この親子は、漫才のコンビを組んだら案外いけるかも。

親子関係は、難しい。
長い反抗期のさなかにある大内くんの行動は、息子と良い関係を作っていくための反面教師として、大いに参考にさせてもらおう。

13年6月15日

懸案だった、書斎のデスク下にパソコンをもっと効率よく収納するためのラックを買いに、車でニトリに行く。
10年前、引っ越した時には家具はおおむね大塚家具で買ったし、実際どの家具も衰えを知らない高品質だが、最近は小物を時々ニトリで買っている。
濃い茶色を基調にした家具や小物が多く、我が家にはピッタリなのだ。

組み立て式のラックと、そこにパソコンを置いた残りのスペースを生かすため、収納カゴを4つほど買った。
帰ってから大内くんが組み立ててくれて、うん、ナイスな感じだ。
問題は、せっかく収納カゴを買ったのに、今の家には収納すべき余ったものがない。
どうも、「生活品<収納」という関係らしい。それはそれで美しいことだが。

そういえば、こないだ大内くんと息子がテレビに出た時、事前に隠しカメラを設置しに来たADのおっさんが、
「物が少なすぎて、カメラを隠す場所がありません。今までいろんなお宅に行きましたが、『隠しにくさ』という意味では、3本の指に入ります」と太鼓判をおしてくれたが、やはりあれば、ほめ言葉だったのだろうか。

まあ、家は片づいている方が何かと便利だ。
特に今、大内家は自炊のおかげで本棚がどんどんなくなっている。
今度の週末、最後のいらない本棚となった2本を友人宅に引き取ってもらえれば、自炊も完成形だ。

ただ、本棚というのは実によくできていて、本があふれてくるとスゴイことになっちゃうんだが、収納できている間は、あんなに収納力があるものは めったにない。
そういう意味では、自炊して本棚を減らしたからと言って、そうそう目に見えて部屋が広くなったりはしないんだ。

今でも、書斎の空になった本棚を見てると、
「島田荘司の『大根奇聞』はどんな話だったかなぁ」とか、
「林真理子の『素晴らしき家族旅行』にはどんなふうに書いてあったっけ?」とか身体が本棚に吸い込まれていくような感じがする。
「このへん一帯が、講談社文庫のあの黄色い背表紙だったなぁ」
あああ、もしかして、自炊って、やっちゃいけないことだったのかも!!

13年6月16日

気を取り直して、自炊作業を進めよう。
って言っても、もう終わってるんだよね。
終わらないのは、いつまでもブックオフで本を買ってきてしまうから。

長年我々を縛っていた、「本を置く空間があるかないか」の問題が一気に解決してしまったので、欲しいと思った本はいくらでも買えるのだ。
今のところ累計5千冊だが、もっと増やしても一向にかまわない。
「紙としての本」の魅力はいまだに抗しがたいものがあるけど、とにかく「好きなだけ買える」という状態になったのは人生のごく初期のうちだけだったので、本当に嬉しい。

ただ、オソロシイのは、それが単なるデータだということ。
本棚をいっぱい持ってる人が困るのは「火事で全焼」の時ぐらいだろうが、データは一瞬で消えるからなぁ。
実際、大内くんは1度、操作を間違えて5千冊を一気に消してしまったことがある。
「・・・」
言葉もなく見つめ合う2人。
恐怖で髪が白くなる、というのが本当なら、こういう時に起こるんだろうな、と思ったよ。
大内くんはそののちしばらく、「アドレナリンがガンガン出てる。眩暈がする」という状態だったらしい。

幸い、1週間前にバックアップを取ってあったので、被害はその週の間に自炊した分だけだった。
それも、ゴミに出す前だったので、ほとんどすべて復元できたし。
よかった。

それ以来、より慎重になった大内くんは、1テラのハードディスクを5個使い、クラウドサービスと契約し、データの保全に努めている。
しかしなぁ、25年前に「100メガで10万円だった」HDが、今は「1テラで1万円弱」なんだ。
10万分の1?
世の中に、これほど値下がりしたものは他にないんじゃないだろうか。
「卵」なんて、30年前も今も1個10円だぞ。

13年6月17日

あまり知られていないことですが、今日は大内夫婦の結婚記念日です。
24年たった。
来年はめでたく銀婚式だ。
そこからさらに25年たつと金婚式なのだが、これは「夫婦で長生きする」という、いささか難しいシバリがある。

さすがに銀婚式は真面目にやろうと思っているけど、今年はまだ手抜き。
大内くんは帰りが遅く、夕食も一緒にはとれなかった。
忘れているかもしれない大内くんを、例によって披露宴の時に会場からもらった巨大なメモリアル・キャンドルでビックリさせようと思っていたが、前日にもうめんどくさくなっちゃったので、
「明日は結婚記念日だよ!」と声をかけたら、
「もちろん覚えているとも!」と威勢のいい返事が返ってきた。
これで、ほぼ終わっちゃったなぁ。

今日は、昼間からキャンドルを灯し、「25年」の目盛りのちょっと前まで燃やしておいた。
だいたい結婚記念日ってのは、

2人で旅行。互いに記念品を贈り合う→フレンチレストランで優雅なディナー。夫からちょっとしたアクセサリーの贈呈→(このあたりでコドモが発生する)おうちでワインを抜き、手の込んだ夕食→普通の晩ごはん。食後にケーキが出るのが最後の抵抗→(今、ほぼここらあたり)忘れる

という順番で簡略化されていくものなのだ。
うちも、大内くんが花を買ってこなくなって何年ぐらいになったかなぁ。
「早く帰りたくて、選ぶ時間も惜しくて、店先にあった花束をつかんで買ってきた」というのは何となく愛が感じられるが、その「花束」が菊を中心にした、どう 見ても「仏花」であるところが大内くんらしい。

ともあれ、楽しい結婚生活だ。
来年にはコドモたちが2人とも成人している。
「夫婦生活にコドモがいる時期、ってのは、あんかい短いものだね」と大内くん。
うん、だから、基本は夫婦関係だよ。
2人で作り上げたこの夫婦生活を、私はとてもありがたく思っている。
ここまで我々を見守って来てくれた諸関係者の方々、ありがとうございます。
そして誰よりも、大内くん、本当にありがとう。

13年6月19日

今年初めての「冷房を入れた日」。
気温もさることながら、湿度が高い。
私は蒸し暑いのに弱いんだ。
出身地である名古屋は、蒸し暑いので有名らしいが、18歳で家を出て東京に来るまで、私はいったいどんな夏を過ごしていたんだろう?

あー、エアコンは気持ちいい・・・
エコでないのはわかってるんだが、水風呂に入りつつ涼しい寝室で本を読みまくるのが、私の夏の楽しみ方。
今はまだ朝晩は少し過ごしやすいが、夏本番となるとねぇ。
今年もお世話になりますよ、エアコンさん。

このマンションに引っ越してきてから、驚いたことにすべての部屋にエアコンがついている!
今では当たり前なのかもしれないが、毎年、新鮮に驚ける。
まあ、そうだよね。
石油ファンヒーターなどの使用が禁じられているわけで、エアコンっつーのは、夏も使うが冬にも欠かせないものなんだから。

今年も、私の大好きな夏が来る。
1年で一番悲しい日、それは「夏至」だ。
この日を境に、日はどんどん短くなるんだもん。
当然、嬉しい日は「冬至」。
ちょっと、ヘン?
どん底って、意外と元気出るよ。

13年6月21日

図書館で借りた「死の準備」という本を読んでいたら、あちこちに傍線や書き込みがある。
ただでさえ本に書き込みをするのはキライなのに、図書館の本に!

そのモラルのない人は、日本語能力も高くないものと見えて、「(死ぬ前に)痛いのや苦しいのはぞっとしません」という文章の、「ぞっとしない」の ところに傍線を引き、「?」マークをつけていた。
意味がわかんなかったんだろうなぁ。

「ぞっとしない」と「ぞっとする」は、似てるよね。
「ウソをつけ!」というのと「ウソをつくな!」というのがほぼ同じ意味であるように。
日本語は難しい。

うちで人気のある笑い話で、日本語の勉強をしている中国の人が、
「うってかわって」という言葉を使って文章を作りなさい、と言われ、出した答えが、

「彼は麻薬をうってかわってしまった」

というもの。爆笑した。
他にも、「どんより」を使って、と言われて、「うどんよりそばが好きだ」という文章を作ったとか、いろいろある。
「まさか、〜ろう」に対して「まさかりかついだきんたろう」とかね。
この人の場合、ある意味日本能力が高いとも言える。花マルをあげたい。

しかし、外国の人を笑えないと思ったのは、新婚旅行でシンガポールに行った時のこと。
シャツを買って翌日着ようと思ったら、ピンがついていた。
大内くんは、「あぶないね」と言いながらそれを枕元の灰皿に入れ、お掃除のメイドさん宛てにメモを書いた。

「Take care of it」

まあつまり、「気をつけてください」と言いたかったんだろうが、それなら「Be careful of it」だろう。
「これの面倒をみてください」というメモをもらって、メイドさんはどう思ったことか。
新婚旅行の、楽しい思い出のひとつだ。


13年6月22日

家にあった自炊の生き残りの本棚2本を、ついに友人宅に運ぶことになった。
お届けは明日だが、万一、車に入らないようでは困るので、今日のうちに積み込み作業を行う。
さすがはノア、というべきか、厚みは15センチほどのものながら、180センチ丈の本棚が2本、びっちり入った。
あとは棚板、金具、ネジ類を積み込む。台車も忘れちゃいけない。
やれやれ、これで一安心。
でも、まだ相手側の家で降ろして運び込んで設置、というハード作業が待っている。
もうひとがんばりだ。

明日が、今日のように「晴れてはいるがあまり暑くない」と言うような気候であることを祈る。

それにしても、家から台車で3往復。
けっこうな荷物だった。
大内くんのようにでかい男と結婚したことが、こんなところにも効いてくるとは。
やせ型だが案外力はあるし、背が高いのみならず腕が長いので、かなりの高さまで脚立いらずの男である。
モノの組み立てとかになるとやや悩む傾向はあるけど、役に立つ人だ。

でも、一番ありがたいのは、そこまで便利である人が私をこの世で一番好きでいてくれることなんだ。
私の側はなぁ…こんなに便利な人を嫌いになるのは難しいじゃないか。
だから、私が大内くんへの気持ちを心底証明できるのは、彼が、役に立たなくなった時なんだろうな。

今でも私が大内くんにしてあげていることは多々あるらしいが、自分ではまったくわからない。
家に電気つけて待ってる?暗いんだから、当たり前じゃん。
体調を心配してあげる?明日会社に行けなかったら、大内くんの稼ぎで食ってる私も困るじゃないか。
「大好きだ」と言ってあげる?リップサービスなんてただみたいなもんだよ。

このように、私の真心を示す機会はあまりない。
とっても残念。

それはそれとして、荷物を積み終わったら、大急ぎで唯生の住んでるセンターへ。
今日は年に1度のカンファレンス。
主治医の先生を中心に、唯生の関係者がずらりとそろって最近の唯生の調子について説明してくれるのだ。
車を飛ばしてなんとか5分前に間に合った。はあはあ。

ドクター、唯生担当の看護師さん以外は全員女性の、10人ほどのスタッフが集合してくれる。
毎年、ここで新鮮に驚くんだよね。
唯生が生きて行く、それだけのために、これだけの人たちが手を尽くしてくれているのだ。

数か月前から唯生の担当をしてくれている看護師さんは、25歳ぐらいの男性。
私の知る限り、男性の担当看護師さんは初めてだ。
こういうふうに、男女がシャッフルされていくといいなぁ、といつも思っていたので、とても嬉しい。
彼の司会で会はどんどん進む。

ドクターは、とにかくこの2年間の手術や胃ろう・腸ろう・人工肛門の建設について説明してくれる。
いかにギリギリのところで唯生の命が救われたかが、よくわかった。
それもこれも、センターと病院の関係、ひいてはセンターの主治医の先生がいつも心を砕いて、どのタイミングで病院に任せるかを見切っていて、適切な判断をしてくれているからだと思う。
あらためて、頭が下がる。
というか、この集まりでは、私の頭は下がりっぱなしだ。

「唯生さんは、ずいぶん調子が良くなりました」と言うPT(療法士)の方とか、唯生の体調が安定しない時はベッドサイドまで来て「授業」を行ってくれる保育の先生。
「唯生さんは、いきものがかりの『風が吹いている』が大好きなんですよ」と語るのは、オリンピックの歌だね。
我々も好きだよ。

とにかく、どの人も唯生が大好きで、唯生の一挙手一投足に喜んだりほめたりしてくれるし、大勢の患者さんを抱えて大変なのに、「うつぶせ寝」を試してくれたり、腕が当たると音の出るおもちゃを持ってきて、唯生がそれを意識してくれるといいな、といった働きかけをしてくれる。

私は以前、この日記に、
「唯生に、どんな幸せ、喜びがあるというのだろうか」と絶望をつづったことがあるが、あれはマチガイだった。
唯生は、楽しく暮らしている。
多くの人に愛され、2度の手術をくぐり抜けても、病院の看護師さんのアイドルになる。
唯生の退院の時は、大勢のナースさんたちが別れを惜しんでくれたらしい。
「唯生ちゃーん、また来てねー。あっ、違うね、来ちゃダメなんだよね!」と、みんなで大笑い。
カンファレンスに出席してくれていた看護師さんも、
「唯生ちゃんは、人気者でしたからねぇ」とにこにこ語る。

大内くんが少し咳をしていたので唯生に会うのは最小限にとどめて、てきぱきと進んで40分ほどで終わったカンファレンスを後にする。
本当に、人の幸せってのはわからないなぁ。
わかったのは、私がまだまだ全然修行不足だということ。
皆さん、唯生のみならず、私の心も癒してくれて、ほんとうにありがとう。
きっと、今よりは立派な人間になりたいと思います。

13年6月23日

いよいよ懸案の本棚の搬入。
車を走らせながら相手方に「10分ほど遅れそう」とか連絡を。
結局、5分遅れぐらいで到着できたよ。

彼女のマンションは、ほぼ10年前、我々と同じ年に買った1LDKで、それ以来あまり変化なく段ボールが積み上がっているという因縁つきのしろものだが、1人暮らしには十分広い。
特に、今回は彼女も本棚搬入の為かなり「通路」を確保したので、少し段ボールの間をくねくね曲がる不自由はあるものの、奥の彼女所の寝室まで運び込めた。
もっとも、壁に傷つけちゃったりするとコワイし、実は3人の中で一番体力がなさそうだったしで、私はただのギャラリーであったが。

サイズ的にはピッタリ入って、さて、次の問題は本棚の背で隠れてしまう電気のスイッチとコンセンドだ。
大工仕事には慣れている彼女は、さかさかと電動ドリルとかカッターを取出し、いささかくたびれた大内くんが座ってお茶をいただいている間に、あっと いう間に背板に2つの窓を開けた。

「これで良しっと!」と言いながら彼女が本棚を置き直すと、おお、ちゃんとスイッチとコンセントが使えるようになってる。
この人は、家具作り職人になろうとか思ったことはないんだろうか?

この時点で、まずは腹ごしらえ。
彼女のマンションの近所の、緑に覆われたイタリアンへ。
あいかわらずパスタがウマイ。
1時間ぐらいのんびりして、さて、残りの作業をするか、というところでちょっと買い物。
ここの1階にあるパン屋さんはウマイんだ。
先日食べた「ロングソーセージ」をくるんで焼いたやつを、もう1回食べたい。

ところがところが、お店のにーちゃんによると、
「さっき、最後の1本が売り切れました!」。
うーん、しまった。食事をする前に買っとけばよかったんだ!
久々に「私のバカ、バカ!」と自分の頭を叩く羽目になりましたよ。
まあ、しょうがない。今度来たら5本ぐらい買い占めてやる!
いやあ、本当に美味しいんだよ。30センチぐらいのソーセージをパン生地でくるんで、粒マスタードまで焼きこんであんの。
皆さんも、ぜひ!

さてと、あとは、彼女のとこに戻って、仕上げをしなくっちゃ。
2本の本棚にはそれぞれ高さの違う上置きがついていたんだけど、今回、それはとりあえずはずして作業。
というのは、背の高い方の上置きを置くと、天井にちょうどぴったりというか、下手したら1mmの違いが命取り。
踏み台に乗った彼女と、何ににも乗らない大内くんが、2人してなんとか上置きを押し込もうとしたが、これ以上やると天井に傷がつく、というところであきらめたらしい。残念だ。

「本を入れたら沈むんじゃないか」
「いや、どうせベッドが邪魔で上の方の本は取れないから、上置きは使わないで行こうかな」
など、いろんな意見が出たが、結局彼女としてしばくら様子を見つつ、上置きは別の場所で本棚に使いたいという方針らしい。
我々もそれに異論はなく、これでまた彼女の部屋が片づく方向に向かうことを祈る。

いや、実際、状況は変わってきているのだ。
組み立て本棚とは到底思えない凝ったつくりの本棚が出現したり、段ボールの山が減ったり。
よそのおうちの引っ越しを、しかもスローモーションで見る、って機会はあんまりないよ。堪能しました。

彼女とは、今週半ばに別の友達と一緒に晩ごはんを食べる予定。
建築会社勤務の友人が、今、我々の最寄駅の北側にでかいマンションを建てようとしているらしい。(うちは南側)
基本的にはマンション賛成。
大勢いっぺんに住めるし、無駄がない感じなんだもん。
さてさて、老後にこのマンションを売ろうと思った時、果たして値がつくのでしょうか?
息子に何か残してやりたい、これは見栄っ張りなだけなのか、親の無償の愛なのか。いつもわかんないよ。

13年6月24日

本棚を運び込んだ彼女と一緒に再び彼女のマンションに帰る道すがら、彼女が、
「悪いけど、ちょっとだけ遠回りさせて」。
はて、いったい何があるんだろう?と思っていたら、野菜の直売所。
時々田舎の方で見る、屋根つきの小さな台に野菜が並べてある格好のもの。

先客の若い奥さんと、直売所のおばあちゃんが話すのを聞いていると、何とも面白い。
「いんげんなんか、うめえよ。ちょっとゆでで、しょう油かけて喰うンさぁ」
「若い男の子なんか、キュウリそのままかじりながら歩ってるンだから」
「このキャベツなんか、あそこの畑で今朝取って来たのさ」
奥さん「やっぱり、おいしいんでしょうねぇ」
「さぁね、おらぁ、他の野菜喰ったことねえからわかんねえなぁ。朝一番に来なけりゃあ、ダメなンだよ。もう、ぜんっぶ売り切れちまうんだから」

そんな話を聞いて、友人が選んだのはキャベツ。
私も持たせてもらったが、ずしりと重い。
ホンモノの結球だなぁ、と感心した。

彼女の生活は何となくシンプルでいいなぁ。
部屋が片づいて我々がお茶に呼ばれる日も楽しみだが、彼女の蔵書を一望できる日が来たら…それはけっこう嬉しいかもしれない。

13年6月26日

友人女性が2人、遊びに来た。
ひとりはつい数日前にも会った「友人その1:デザイン関係フリーランス」で、もう1人はゼネコンに勤める「友人その2:建築士」だが、ここ1年ぐらい友人その2が、マンションが建つ関係上、仕事で週に1回、我が家の最寄り駅、線路を越えた向こう側に仕事で来ているらしい。
せっかくそんなに我が家に近いところ(それでもバスで10分ぐらいかかるらしい)に来ているんなら、ぜひ遊びに来てくれ、というわけで、今回が2度目。

その1はけっこう個性的な人だが、その2も負けてはいない。
なので、我々にとっては、一緒に並べてみてそれぞれの個性を堪能する会、になる。
まあ実際仕事を持って独身だとか、共通項もいくつかあるしね。
我々と同じマンガクラブの出身だけど、互いにあまり面識は深くないらしい。ますますいいカンジ。

今日の趣向は、その1と時々やっている「大内家の普通のごはんに乱入」。
つまり、特別なご馳走は全然作らず、我が家の普段の食卓をご覧いただこうと。
今日のメニューは、
・揚げ春巻き
・セロリと牛肉の炒め物
・野菜サラダ
「お通し」は謎のキノコマリネ。
その2が少し遅れて登場する頃には、全員待ちかねて食べ始めてしまった。
純粋な「晩ごはん」としてはややおかずが多すぎる気がするけど、まあ、お客さんを完全無視、というのも難しいもんだし。

その2の差し入れのワイン(白だが、どこのもんだかさっぱり。我々はワイン音痴である)を開け、料理をガンガン食べ、一同満腹。
おしゃべりも楽しいが、せっかく我が家に来てくれたんだから、と、先日大内くんと息子が出演した番組を見せた。それなりにウケた。皆さん、オトナだからなぁ。

久方ぶりに楽しいおしゃべりだった。
もう20年も知人であるというのに、その2のことを全然知らなかったなぁ、とため息がでた。
今後、この溝を埋める方向に努力していきたい。
その1の力も充分に貸してもらいたいところだ。

それにつけても、私は大内くんがいないと何にもできない。
今回も、料理の材料を切っておくとか下味をつけるとかはやっておいたんだが、やはり中華鍋を振る彼のカッコよさには驚く。
友人たちの接待も任せてしまったし。
仕事の話が好きなんだよね、全員。
私は正直、蚊帳の外である。
でも、いい旦那さんを持つ、というのはいい奥さんの甲斐性なんだよ。えへん。

その1がもってきてくれたおみやげのシュークリームを食べておなか一杯になったところで、駅前まで車で送ることにした。
もちろん大内くんは飲んでいるので、私がハンドルを握る。
駅前で2人を降ろしたら、なんだかとてつもなく寂しくなった。
大内くんはこういう時、
「友達が来て楽しいな」と、
「やっと2人きりになれた。嬉しいな」と、2つの悦びを使い分けているそうである。
それも何やら達人の域だ。

こうして終わりに近づいた大内家の社交シーズン。
あとは、再来週の日曜日にアメリカから子連れ(一家総出。しかも下の小っちゃいちゃんたちは双子!)で1カ月ぐらいこっちに滞在する大内くんの従姉家族に会ったら、本当にシーズン終了だ。
また寂しくなっちゃんうんだろうな。

大内くん曰く、
「キミは、人と会いたがるくせにすぐくたびれちゃう。それなら会わなきゃいいのに、アレンジをしてはまたくたびれている」のだそうだ。
確かに、実はあんまり人間が得意でないのかもしれない。
でも、友達には会いたいんだよ。

「しょうがないから、僕も手伝うよ。一生懸命面白いと思われる話で援護射撃をするよ」と大内くんは言うが、それをやればやるほど、大内くんのファ ンが増えるだけだと思う。
私は、修行はできてないし、人格はころころ変わるし、よくぞみんな友達でいてくれるもんだ。
感謝しつつ、またしばらくは寝たきりのひきこもりでいよう。

13年6月28日

家から本棚がほとんどなくなって、特に書斎は狭い部屋に無理矢理本棚をたくさん立てていたので、今やまるっきり様相が違っている。
自分でも、
「こんな広い家に住んでいたのか!」と驚けるほどだ。
これで、息子が自分の本棚(マンガとフィギュアだらけ)を持って出て行ってくれたら、どれほど広々とすることだろう。
下宿人でもおきたくなっちゃうかも。

本に、愛着がないとは言わない。
週末に友人宅を訪れた時、本であふれてる彼女の部屋を見て、一瞬、嫉妬に似た感覚が背筋を走り抜けた。
自分も、本を手元に置けたらどんなに良かったろう。

アマゾンでせっせと古本を買っては自炊している大内くんはまったくそんなこと思わないらしい。
「だって、いくら買っても見た目にちっとも影響しないんだよ。好きなだけ買えるんだよ」と、そればかりを喜んでいるらしい。
私は、時々本棚のあった場所に立ち、架空の本を取り出してパラパラめくってみる。
なつかしいような、切ないような気分におそわれる。
どんなに部屋が狭くなっても、ほこりだらけになっても、本を、持っていたかった。

今のこれは感傷に過ぎず、1年もたつころには本のない暮らしに慣れているだろう。
第一、本を完全に捨ててしまったわけではなく、データで持っていて、大内くんじゃないけど「いくらでも読める」のだ。
最近はiPadをはじめとした読書用の端末、タブレットがずいぶんいろんな種類出ているし、そもそも、ブックオフの隆盛を見れば、一般大衆が本を読みたい、でも置く場所がない、と悩んでいるのは明らかなんだよね。

先駆者には、様々な孤独がある。
大内くんとすら完全には分かち合えないこの孤独に、いつか私も慣れて行かねば。
少なくとも部屋はすっきりした。
視界がすっきりすると、頭もはっきりするらしいから、これでいいんだろう。

そうそう、書斎が広くなって初めて気づいたのだが、今やこの部屋には、布団を2枚ぐらい並べて敷いてお客さんに寝てもらうスペースができた。
本棚が倒れてくる心配もないし。
息子が泊まりの友達を連れてくることはもうめったにないだろうけど、誰か、泊りに来て語り明かしませんか?

13年6月29日

来週、アメリカから一家5人でやって来る大内くんの従姉(国籍はアメリカでダンナもアメリカ人だが、DNA的には日本人)とランチを一緒にするので、プレゼントを買おうと、パルコに行ってみた。
下の双子はまだ5歳ぐらいだそうなので、友人からもらった小さなゾウのぬいぐるみを3個ずつ。物量作戦で行こう。
夫と従姉本人にはそれぞれ「お香」。私の好きな「白檀」と「沈香」を買う。
一番迷ったのは15歳ぐらいになる上の女の子向けのもので、いろいろ見て、大内くんはシーズン的に売り出されていた「浴衣」をあげたい、と言うのだが、いささかお値段が張る上、帯やぞうり、下着など、いろいろ小物がいる。着せる人も必要だし。

結果として、浴衣売り場に並んでいた、底が藤製の巾着袋にした。
ちょっとジャパニーズティストなとこがいいね。大内くん的には、
「ランチバッグにして、サンドイッチでも入れてくれれば」ということらしい。

あと1週間で外人と会うのか。
従姉とは大内くんと結婚する頃に何度か会ったことあるけど、ダンナさんや3人のコドモたちに会うのは初めて。
一家そろってかなり日本語OKの家だそうなんで少し安心してるが、大学を出て会社勤めを辞めて、その後20年以上遊び暮らしている私の英語力は激しく落ちた。
「How do you do!」以上のことは言えないと思う。
向こうの日本語力に期待するだけだ。

ひとつ残念なのは、息子がサークルの用事で同席できないらしいこと。
「まだ会ったことないのよね。柔道黒帯なんてすごい!会ってみたかった」と従姉さんも言ってくれてるんだけどね。
彼が英語をしゃべるとこを見てみたかった。
もっとも、私の英語力もばれてしまうので、ここはまあ、良かった、と思っておこう。

13年6月30日

珍しく夜の10時頃から家にいた息子が、これまた珍しくノートパソコンに向かい、レポートかなんか書いてるなぁ、と思ってたら、夜中を過ぎた頃になって突然、
「涼しくて気持ちいいから、外で寝る」と言い放ち、寝袋を持って出て行ってしまった。
どうも、駐車場の、うちの車を停めている後ろのところが申し訳程度の芝生になっているので、そこで寝るつもりらしい。
大内くんも、
「面白いこと考えるねぇ。でも、めんどくさい人だね」と言って、反対でも賛成でもないように眠りに落ちてしまった。

朝になって隣の車が出る時に危なくないかなぁ、とか心配していたら、30分ほどで帰って来た。
「やっぱ、寝にくい。家のベランダで寝る」
だからさぁ、どうしてそんなに外で寝たいの?

ベランダに布団を敷いてくれ、と言われたが、砂ぼこりなどでけっこう汚れているところに布団を敷いて、あとでシーツを外して洗濯してまた布団に掛けなきゃいけない、と思っただけでくたびれてきたので、すぐ洗えるベッドパッドでガマンしてもらうことに。
「下が、かてーよ」(硬い、の意だろう)との文句はこの際受けつけない。

それでもやがて眠ってしまったが、こっちは寝るどころじゃなくなったよ。もう夜が明けそうだ。
実際、1時間半ほど待っていたら、5時起きの大内くんが起きてきた。

「彼は、ベランダで寝てるよ」とここまでのいきさつを話すと、
「何を始めるかわかんないね。まあ、好きにさせておこうよ」と言うので、私としても異存はない。

結局、昼過ぎに私が昼寝から覚めたらいなかったので、大学に行ったんだろう。
外で寝て、去年の夏休みに自転車で北海道に行ったことでも思い出してるのかしらん。
5月いっぱいと言っていた病院のバイトは6月いっぱい勤めるようだ
北海道に一緒に行った友達の紹介で始めたことだから、やめるのはいいけど、あんまり後足で砂をかけるような格好にはなってほしくない。
もちろんどんな仕事でも同じだが。

心配なのは、けっこう大金を稼いでしまったので、それがなくなるまでバイトをしないんじゃないか、という点。
「次のバイトは、少し休んでから考える」と答える疲れた彼なので、あんまり無理も言えないしなぁ。
夏休みは稼ぎ時なんだ。期待してるぞ。

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