13年8月1日
早くも第3シーズンを迎えた「孤独のグルメ」、、テレビ雑誌の表紙を「井之頭五郎」が飾る昨今、うちでも毎週見てる。
本当は録画したら翌日には見たいんだが、この頃大内くんが忙しく、なかなか時間が取れない。
そんな中、息子だけは、朝食の盆を持ってテレビの前に陣取り、充実の朝ごはんを食べて大学に行く。
親より先に見るな!とは思うが、何と言っても彼はヒマだからなぁ。
回を重ねるごとに五郎くんの食欲は増しており、殆ど胃袋星人だ。
頭の中はつねに仕事5パーセント、食欲95パーセントぐらいで動いているし。
正直、第1シーズンの頃は良かった。
さらに言えばやはり原作が素晴らしい出来だ、ということかなぁ。
13年8月2日
アマゾンに朝の10時に「裁断機の替え刃」を注文したら、夜の8時に届いた。
その間10時間。
あまりに速くて、びっくり仰天した。
最近アマゾンで本を買うことが多いが、そして対応の速やかさに驚くことはままあるが、これほど速いのは初めてだ。
おかげで、明日に回さなきゃいけないな、と思っていた作業が進められた。本当にありがたい。
この頃、物流がむちゃくちゃ速いのはいったいなぜだろう。
もちろん、注文をPCで受けて、間に人が入る工程が少なくなっているとか、基本的に最初に取り込んだ情報が最後まで使われていて無駄がないとか、
いろいろ理由はあるんだろう。
正直なところ、「そこまで速くなくてもいいのに」と思うぐらいだ。
パソコンでの通販は確かに速いが、「物質転送器」があるでなし、しょせん最後は車に荷物積んで1軒1軒配達してくれるわけで、そのシステムを作り上げた人と現場の勤勉な配達員の人のナイスコンビネーションに、心底感動するよ。
今日も大内くんにアマゾンから古本が届いた。
あの人は、自炊完了以来、やたらにアマゾンを使っている。
前は彼の「お小遣い」で買っていた古本が、アマゾンを通して買えば生活費から引き落とされる、ということに気づいてしまったらしい。
そういう私も、家に本が増える恐怖がなくなったせいか、ブックオフとかに行くと妙に気前が良くなってしまう。
夢は、図書館からデータで本が送られてくることだなぁ。
さすがに私が元気に本を読んでいる間には実現しなさそうだが。
13年8月3日
先日、郷田マモラの「モリのアサガオ」を読んだ。
ドラマにもなったマンガなので、知ってる人も多かろう。
絵もストーリーもすごい、と感じ、「死刑」には一家言あるらしい大内くんにも勧めてみた。
休日を丸1日使って読了した彼の感想は、
「いやあ、まいった。今でもマンガは生きてるんだね。すごいよ」。
ほぼ予想通りの反応だったかな。
「手塚治虫の影響を受けてない世代が育ってるんだね。ついにマンガもそこまできたか」
私も、そう思うよ。
息子が勝手にどんどん買って読んでるマンガを、読んでみようかな。
彼は結構なペースでマンガを買っているんだ。
絶対自炊させてくれないので、せっかく空きのできた本棚が、またいっぱいになりつつある。
これはちょっと困る。
再び本との戦いが始まるのだろうか。しかも代理戦争。
空しいよ。
13年8月4日
街へ出てラーメン食べるついでに、ブックオフに寄ってみた。
大内くんが、郷田マモラの別のマンガも読んでみたいんだそうだ。
「サマヨイザクラ」上下巻を見つけて、買った。
家へ帰って、さっそくスキャン。
それぞれのタブレットで読む。
2人が同時に同じ本が読めるんだ、ということに初めて気づいた。
ベッドに並んで横になり、同じ本を読む。
生まれてから1度もやったことのない読み方だ。
この人は、死刑廃止論者なんだろうか。
作品からはどっちとも読み取れない気がするが、死刑問題のまわりをぐるぐる回ってはいるよ。
読み終えて、大内くんは、
「これもすごいマンガだ。もっと読みたくなった」と言ってパソコンに向かい、アマゾンの古本で「きらきらひかる」全巻と「MAKOTO」を見つけ、買っていた。
買っても買っても本棚からあふれてこない。
この安心感からか、最近本を読むのが楽しくて楽しくて。
もちろん昔から楽しかったが、ついに解放された感じだよ。
あんまり感動したので、息子にも勧めてみたい、と大内くん。
「彼のiPadはベトナムに置いてきちゃったじゃない」と言うと、
「僕のを貸す。僕はどうせネクサスで読んでるんだし」。
「もう知ってるかもよ」と言いながら、
いつもの無断外泊で朝になってから帰って来た息子に、
「モリのアサガオ、ってマンガ知ってる?」と聞いてみた。
「知らない」
「ドラマにもなったじゃん」
「ああ、あれか」という会話があって、
「おススメだよ。iPad貸してあげるから読んでごらん」
「ふーん」と言いつつ昼ごろまた出かけてしまった彼は、iPadを持って行ったようだ。
作戦成功かな。
「コドモにマンガ勧めてどーする!」と思う人もいるかもしれないが。
そういえば、数年前、友人宅でクリスマス・パーティーがひらかれた時、そこんちの中2の1人息子にみんなが、
「クリスマスは、何が欲しいの?」と聞いてみたら、
「スラムダンク全巻」という答えだった。
なにせ受験前だし、マンガクラブで鍛えられたはずのお父さんを含む両親は買ってあげたくなさそうだったんだが、お客さんたちの、
「あれは、いいマンガだよ」
「中学生が読むって、ものすごく正しい気がする」
「絶対、読んでおくべき!」といった熱烈応援のおかげで見事全巻ゲット、となったらしい。
イマドキのコドモとイマドキのオトナの、ナイスコンビネーションであった。
というわけで、大内くんが言うように、マンガは今も「生きて」いる。
みんなでどんどん読もう!
13年8月5日
珍しく大内くんがいわゆる「へべれけ」になって帰って来た。
接待でこんなに酔っぱらっちゃて、いいんだろうか。
私は話が通じない人が大嫌いなので、厳しく叱る。
問題は、厳しく叱っても通じないってとこだよなぁ。
まず、「酔ってない」って言い張るし。
「どうして酔ってないって思うの?」と聞くと、答えは、
「器具を使ってチューニングをつながせるから」。
会話にならない。
「全然話が通じないよ。お願いだから、ちゃんと話して」と言えば、
「じゃあ、話の通じる人を連れてこなきゃ」。
これは、少しは通じてるのかな。具体的に誰を連れてくればいいのかわかんないけど。
ここ数年、こんなに酔っぱらうことはなかったんだが、実はお酒が大好きな大内くんは、隙あらば酔っぱらってしまうのだ。
かみ合わない会話(説教?)を小一時間続けて、くたびれたので、あきらめて寝る。
でも、その前に一筆とっておかなきゃ。
「もう飲みません」と書いた署名入りの紙を、書斎の壁に貼っておく。
ああ、こんなことのために自炊して壁面にスペースを作ったんじゃないのに・・・
で、翌朝。
お約束の通り、
「朝でこんなに酔いが残ってる上、記憶がかなり飛んでるんだから、昨夜はさぞかしひどかっただろう。本当にごめん!」と謝罪が入る。
自筆の誓約書に関しては記憶はあるようで、
「これまでに何回書いたかわかんないよ。キミも、毎度毎度いやな思いをしてるんだろうね。申し訳ない」
いや、私は、謝ってもらうより、同じ過ちを繰り返さないでほしいだけなんだが。
お酒は、「百薬の長」だったり「悪魔の水」だったりするようだが、大内くんには「ほどほど」というものがないので、きっぱりやめてもらうしかないようだ。
彼の数少ない娯楽を奪うのは気の毒なんだが、何より本人が、
「僕のおじいちゃんは酒乱だった。僕にもその血が流れている」とおののいているので、やめるのが一番だろう。
13年8月6日
何につけ仲良しだと思われがちな大内夫婦だが、実は非常に合わない点がある。
体感温度だ。
私は暑がりだが、大内くんは寒がり。
普通の暑い日(私にはそう思える)にエアコンを26度ぐらいに設定してつけておくと、私は半そでのパジャマのみなのに、大内くんは「半てん」を着
こみ、靴下まで履いての完全武装になる。
夜は27度にしているが、タオルケットすら暑いと感じる私に対し、薄い羽根布団とタオルケット2枚を重ねないと寒くて眠れない、と大内くんは言
う。
「まるで白クマとライオンが共棲しようと頑張ってるみたいだ。どうしてこんなに違うんだろう?」と2人して首をかしげる。
どっちが悪い、という問題でないのはよくわかっているが、やはり「恨みがましい」気持ちになるよ。
思えば私は昔から暑がりだった。
真冬というのに素足にサンダルで歩いているOL1年生の私を見て、大内くんはたいそう驚いたと今でも言う。
(「そんなところにもあこがれちゃった」のだそうだ)
その頃からすれば、「2人の胎児にすっかり体温を奪われてしまった」私はずいぶん寒がりになったと思うのだが、大内くんから見るとまだまだ「燃える女」らしい。
いや、ホントにね、コドモを産むと体力が落ちるよ。「しぼりとられる」とはこういうことか・・・と実感する。
私は、乳歯の頃こそ歯医者にかかったことがあるが、永久歯になってからは、虫歯知らずだった。
それが、唯生がおなかにいる時を皮切りに、もう何本神経を抜いたかわからない。
妊娠は歯に悪い、というのは本当じゃないか、と思う。
そして肥満。
いや、2回の妊娠はともにひどいつわりに悩まされ、臨月までトイレで吐いていたおかげでけっこうやせることができたのだが、産後太りが激しかっ
た。
結婚後、体重増加は10キロ単位。
自分に責任がないとは言わないが、これが嘆かずにいられようか。
今日も大内くんは半てんを着る。
そして私は水風呂に入る。
どうも冷夏のようで、あまり暑くないのが救いか。
私としてはカンカンに暑い中、エアコンをかけた寝室のベッドで心行くまで本を読むのが楽しくてならないのだが。
20年前、息子が生まれた年も冷夏だった。
秋にはおコメが不足して、みんなタイ米を買いに走ったものだ。
今年も不作になるのかな。ちょっと心配。
13年8月7日
夜中に満喫に行って朝帰りの息子が、テレビの前でごろ寝していて、宮崎駿の「風立ちぬ」のCMを見て、台所で洗い物をしてた私にめずらしく声をかけてきた。
息子「見に、行かないの?」
私「そのうち行こうと思ってるんだ。もう見たの?」
息子「うん」
私「よかった?」
息子「うん」
私「どこで見たの?連れは男?女?」
息子「新宿。男」
私「カノジョはできたの?」
息子「・・・」
私「ノーコメントかぁ」
息子「『AKIRA』描いた人いるじゃん。大友。あの人の短編映画も見た。4本立て」
私「それも、面白かったの?」
息子「うん」
私(納豆の器を洗いながら)「昔、『大友に納豆を描かせたい』って言った人がいるよ」(糸井重里の「萬流コピー塾」)
息子(身を乗り出して)「確かに!でも、『ごはん』でもいいんじゃないかなぁ」
私「いや、あのねばねば感がいいんだよ」
息子「なるほど〜!」
私「満喫に何しに行ったの?」
息子「読みたいマンガがあったから」
私「こないだ貸した『モリのアサガオ』読んだ?」
息子「うん」
私「面白かった?」
息子「うん」
私「今、あの人の他のマンガも自炊してるから、終わったらまた貸してあげるよ」
息子「いやあ、あの人はもう無理でしょう。あのテーマで描いちゃって、終わりだよ」
私「他のもなかなかよさそうだけどね」
息子「ふーん」
いささか息子の「うん」が多い会話ではあるが、一応、話にはなってる。久しぶりだ。
親が息子にマンガ勧める、ってのがどうなのか今一つはっきりしないのだが、ひとつ確かなのは、我々には「面白い」と思えるマンガがあって、それを息子にも伝えたい、と思っているということ。
なかなか優秀な生徒だしね。この分野に関しては。
そういえば、息子の机の上の本の山に、「経済学」等の「ムツカシイ」本が数冊、出現していた。教科書だろうか。
大学生としては普通だが、息子に関する限り、こんなもん初めて見たよ。
「オクテな彼の大学生活は、今始まったのかもしれない。だとしたら、卒業するのに今から数えて4年以上かかるんじゃないだろうか」と大内くんと話す。
留年もアリかなぁ。
夏休みに入ったというのにバイトもせず、パチンコとマンガに時間を消費している彼だが、まったく咎める気にならない、と大内くんは言う。
「好きなことさせときゃいいんだよ。あれしろこれしろ言うから僕みたいに中退になりかけるんで、普通に生活してれば全く問題ない。ただ、バイトはしてほしいね」
これに関しては、
「夏休みは忙しい。秋になったらやる」と本人が言っているので期待しないで待ちましょう。
免許も取りに行かなくっちゃね。
息子が車の運転!
「あの小さかった彼がねぇ」と、親は素直に思う。
頼むから人を轢かないでくれ。
13年8月8日
今日、明日と大内くんの夏休み第1弾。
第2弾は、来週また3日ほど休みを取ってくれるそうだ。
だが、朝8時現在、まだ起きてこない。
夏休みはいきなり朝寝で始まる。
今年の夏は、唯生の健康状態に不安があるのとお金がないのとで、大きな旅行はしない。
かわりに、「はとバス」に乗りに行くんだよ!
立案者大内くんによれば、「東京の人が見た東京」がテーマなんだそうだ。
そして、泊まらない代わりに晩ごはんを奮発して、パレスホテルでローストビーフを食べる予定。
それは明後日の話で、とりあえず、明日は保育園時代のママ友と「暑気払いの会」なんだけどね。
第2弾にも、近隣の史跡や博物館を訪ねる小さな旅を行うつもりだ。
「ディスカバー・家の近所」
昔あったよね、「ディスカバー・ジャパン」。
これはこれで、すごく楽しみだ。
あんまり暑くないといいなぁ・・・
13年8月9日
大内くんの夏休み第1弾、2日目。(ちょっとややこしい)
たっぷり朝寝を楽しんだあと、録画したテレビを少し消化し、ゆるゆると過ごす。
暑くて天気がよく、洗濯物があっという間に乾いた。夏だなぁ。
夜は、保育園時代からのママ友たちと「暑気払い」の飲み会の予定。
家の近所の居酒屋なので、たいへん楽だ。
会の模様はまた後日、ということで、今日の日記はおしまい。あー、暑い!
先週はお休みして申し訳ありませんでした。
今週は、2週間分まとめてお送りするので、長いですよ〜!
13年8月9日
保育園くじら組のママ友5人と大内夫婦、あわせて7名が居酒屋に集結して、「暑気払いの会」。
なんせ保育園、小学校、学童さんといろんな場所での知り合いなので、各々のコドモの近況や近所話に花が咲く。
しかし、一番盛り上がった話題は、やはり「大内家、テレビの取材を受ける」であろう。
驚くのは、この番組を毎週「何となく」つけていて、「何となく」見ていて、それでいながら結構細かいところまでチェックが入るところだ。
放映前に「もしかして大内家出演?」とメールくれたけいすけくんのお母さんなんか、
「翌週のCMをちょっと見てたら、大内さんのお父さんがちらっと出てたのよ〜!あれ?と思ってメールしたの!」。
番組最後にほんの少し流れる次週の宣伝。
大内くんと息子が出たのはほんの一瞬。
その動体視力、何かに有効利用できないか、けいすけママ!
2時間たっぷり飲んで、幸い個室でカラオケ機まであるので、お母さんたちはもう止まらない。
「飲み放題つき2時間」のコースだったんだけど、
「まだ時間あるわよね。お店はガラガラにすいてるみたいだし。ストップかかるまで、ここで歌って行こう!」と盛り上がってる。
我々は、明日朝早くから大内くんの夏休み第1弾のイベントとして「はとバス」に乗りに行くことにしていたので、その時点で失礼しました。
皆さん、何時ごろまでねばれたんだろう?
気になるが、とにかく帰って寝なければ。
お母さんたち、集まってくれてどうもありがとう!
また、忘年会やろうね。
来年の春にはコドモたちが全員成人してるはずだから、彼らも呼んでの大宴会なんかステキだなぁ。
まだ反抗期を抜けきらないうちの豚児は来ないんじゃないかと危惧されるが。
暑い夏を、さらに熱い親パワーで粉砕し、とても楽しい会でした。
もう、一生の友達だね。人生の親戚。
これからもよろしく!
13年8月10日
唯生の体調が心配だから今年は大きな旅行には行かないが、その代わり、はとバスに乗って東京見物をしよう、と大内くんが計画を立ててくれた。
東京駅近辺の名所をはとバスとは別に見たりして、夜は、昔、友達の結婚式に2人で招待されて食べたローストビーフの味が忘れられないパレスホテルで食事。
「東京に遊びに来た人になったつもりで過ごす1日」というコンセプトなんだそうだ。
本当はパレスホテルに1泊して旅行感を盛り上げたいと思ったのだが、さすがにお金がかかりすぎるし無駄遣いなので、ガマンしておこう。
短い「旅行」が終われば大好きな家が待っててくれるんだから。
さて、まず、朝の10時に東京駅発のはとバス。
初めて乗るよ。今回のツアーは「粋な浅草江戸っ子物語 B(むぎとろ)プラン」。
このツアーはお客さんが我々を含めて7人しかおらず、バスの中はがらがら。ゆったりできる。.
最初の目的地は「靖国神社」。
バスガイドさんの軽い説明を聞いて、あとは1時間近い自由行動だ。
旅行に行くと必ず「資料館」に行くので、今回もちゃあんと旅行気分で資料館である「遊就館」というところに入る。
ここは、まあご想像のとおり「戦争資料館」だが、かなりスゴイ。
いろんな土地の「資料館」に行ったことがあるが、最近の新しい資料館って、ビジュアルとか説明の書き方とか、ものすごく「こじゃれて」いて見やすく、いつも大内くんと、
「同じ人がプロデュースしてるのかと思うよね。影響を受け合ってる数人とか。まあ、流行りのスタイル、ってだけかもしれないけど、とてもいいと思う」と話し合ってるんだけど、ここもどうやらその「仕掛け人たち」の1人の仕事らしいうえ、コンセプトはしっかりしてるし、展示物も解説も多く、素晴らしかった。
1時間ではとても全部見てまわる、というわけにはいかない。中で上映してる映画だけだって1時間近くかかるんだから。
ごく1部を大急ぎで回り、映画も10分ぐらいだけ見て出たけど、絶対にもう1回来て、半日ぐらいかけて全部見よう。
映画は、戦争は悲惨だ、にとどまらず、何かの主義主張があるように見受けられるが、その正体はまだつかめない。
次に来た時が勝負だ。
大急ぎで靖国神社に参拝する。
ちょっと失礼なんだが、ここまできて手を合わせに来ないのはもっと失礼だろう。
今の我々の生活はすべてここに眠る人たちのおかげです。本当にありがとうございます。
時間ぎりぎり、バスガイドさんの笑顔に迎えられてバスに戻り、次は浅草へ。
食事は浅草にある「麦とろ」というお店で食べるのだ。
ちょっと手前の別の店で「どじょう料理」を食べるコースもあるらしく、我々以外の5人のお客さんのうち、男性2人組が降りてどじょうに行くようだ。
後でバスが迎えに来て合流ね。
同じバスの残り3人は2階のお座敷に通された。
若い女性の2人組と、これまた若い女性の「おひとりさま」。
なんか最近、女子は元気だなぁ。
花見の席や居酒屋なんかでも女子会をよく見るし。いい傾向だ。
とまあ、これは余談というか、単なる私の感想。
男の2人連れは、なんつーか誤解を生みやすいけど、女子2人がはとバスに乗ったからといって、「レズだ」とはあんまり思わない気がする。
そうすると、「どじょう料理」を食べに先にバスを降りたおじさん2人は?
レジの人もお運びさんもみんな着物の純和風のお店。
お通しや前菜、茶わん蒸しや味噌汁と次々に運ばれて来て、主役の「麦とろ」の出番だ。
おひつに入った麦飯と、ていねいにすり鉢ですったんだろう「とろろ」。
私はとろろが大好物だけど、普通のいわゆる「山芋」を大根おろしですりおろし、お酢とお醤油を入れる、という超簡略版なんだよね。
正式のは、やっぱりおいしい。
大内くんは昔から食べ物の好き嫌いがないという立派な人だったが、あいにく「とろろ」だけは苦手だったと言う。
ところが、結婚してみたら私が「とろろかけごはん」が大好きだったので、軍門に下り、今では食べられないものはほとんどないのだそうだ。(ゲテモノ はまた別だろうが)
私はこの歳になっても「食わず嫌い」を含む「好き嫌いの女王様」なので、大内くんのこの変化は内心くやしい。
そんな話ははさておいて、デザートの果物まで食べ終わって、バスに戻る。
「どじょう組」ももう乗り込んでいる。
「スカイツリー」を横目で見つつ、次の目的地は「浅草演芸ホール」。2時間も見られるコースだ。
「ナイツ出ないかなぁ」と言いながらホール前の写真を見ていたが、どうも今日は出ないらしい。大好きなので、とっても残念。
でも、もしかして時間が許せば「春風亭昇太」が見られるかも。
ドラマ、「タイガー&ドラゴン」ですっかりファンになっちゃったんだよね。
でも、この人、私と同い年なんだよ。若く見えるなぁ。
そのドラマからのイメージで、がらがらの座席でのんびり見られるものとばかり思っていたのに、とんでもない。
団体の予約が入ってる関係で、満席。
案内のおにーさんが申し訳なさそうに、
「今日は立ち見になっちゃうんですよ。相済みません」と頭を下げている。
まあしょうがないが、世はお笑いブームなんだねぇ。息子も来たことあるのかしら。
入ってみたら本当に満席で、恥ずかしいけど疲れてるんだしかたない、って感じで後ろの壁にもたれて座り込む。
立ってる人が前に来たりするので舞台上が見えないことも多い。
「途中で出て、たとえラブホでもいいから1時間ぐらい横になれないかなぁ」
「もうこのあとはローストビーフも何もかもキャンセルして帰ろうかなぁ」と考えるぐらい、ホント疲れた。
でも、昇太が出てきたらちょっと元気出たよ。観客も大喜び。
ちなみに、帰ってから息子に、
「浅草演芸ホール行ったことある?ないの。私たち今日行ったよ。昇太はよかったよ〜。でも、少し上から目線で威張った芸風になってたなぁ。人気あるからかなぁ」と言ったら、
「いいんだよ、真打ちになったんだから」と答えていた。
息子のヒエラルキー感も相当なものだ。
話は演芸ホールに戻り、昇太が終わるまで見ていたら、次の予定の水上バスの時間ぎりぎりになっちゃった。
仲見世通りはすごい人出で、なかなか思うように急げない。
だが、実は私には意外な特技があって、人混みをすり抜けて早足で進むのがうまいのだ。
「人混みを押しのけて」ではなく、あくまで「すり抜ける」。
前方2メートルぐらいを見て、人混みに隙間があったら、ターボかけてささっと追い越し。
人のいない場所を早めに察知して、縫うように進む。
しばらく行ってふり返ったら、大内くんは取り残されてずいぶん遅れていた。
彼が私にぴったりついて来れば大丈夫なように、彼の分の隙間まで計算してのことだったつもりなんだが。
まあそれでもなんとか水上バスには乗り込めた。
事前にバスガイドさんから、
「2階のある船ですが、2階部分は屋根が透明なうえ、日傘の使用をご遠慮願っております。今日のように日差しの厳しい時は、冷房もある1階の方がいいかもしれません」というレクチャーを受けていたので、迷わず1階に向かう。
実は外人さんがやたらに多い水上バスでの川下り、やはり見晴らしがいい方を選ぶのかこの季節の日本の暑さをなめているのか、みんな2階席に行きたがる。
おかげで冷房の効いた1階席で涼しくすごせた。
隅田川の橋を13架くぐって日の出桟橋までのコース。
橋の様子を語る音声ガイドを聞いて実際に橋の下を通ったら、島田壮司の「御手洗潔の挨拶」の中の「ギリシャの犬」という短編を思い出した。
さて、わかる人はどのくらいいるだろう・・・マイナーな話ですみません。
面白かった水上ツアーを終えると、バスが浅草から日の出桟橋まで移動していてくれた。
乗り込んで終点の東京に向かう途中でガイドさんが言うには、今日は隅田川の花火の日らしく、
「はい、左手の方で、通行制限が始まっております。場所取りシートを持った方たちが大勢出てきましたね」。
花火見物はなぁ、小さい頃名古屋で連れてってもらった時はまだあんまり人のいないところで見る、なんてこともできたんだが、今やディズニーラ
ンドのパレードを見るように厳しい場所取りをしないと座っては見られないね。
高層ビルも増えちゃったし。
うちのベランダからも時々どっかの花火が見えた時期があったんだが、向かいに別のマンションが建って以来、何も見えなくなってしまった。音だ
け聞こえる。
さて、はとバスツアーを終えて、ここからは自前のプラン、「東京駅付近散策」。
自分の勤め先のすぐそばを「観光」する大内くんはどんな気分だろう?
「赤レンガ」の東京駅だって、毎日通ってるわけだし。
「やはり、旅行だと思って歩くと別の街に見えるよ。普段は景色なんか見てないもん」
そうか、幸い今日は土曜日で、会社の人と万一出くわしても別に気まずくはないし、大内くんも楽しめているんだったらよかった。
先日のママ友たちとの飲み会で話に出てた、元東京中央郵便局「KITTE」へ。
「KITTE行った?私たち、こないだ行ったのよ!よかったわよ!」とお母さんたちを興奮させるそれは、いったい何者であろうか?と思ってい
たのだが、そうか、こんなこじゃれたお店の群れができたのか。
まったく知らなかったよ。
大内くんも近くにいるくせに入ったことはないそうで、それではひと回りしてみましょうか。
ひと言で言って、とんでもないとこだった。
まず、吹き抜けが豪華で、内装とか無茶苦茶おしゃれ。入るなり大感動。
そして、レストラン街や4階までの洋服屋さんは私も大内くんもまったく興味のないところなんだが、問題は5階と6階。
やたらにマニアックな趣味の小物を売っている。
本屋さんと雑貨屋さんがまさに融合して、旅の本の横の棚には旅行グッズ、お料理の本の横には台所小物といった感じで、その小物たちがまた、ひと味違っておしゃれなんだ。
アウトドア用品専門店には、今すぐ一式買ってたき火の前でコーヒー飲みたくなるようなステンレスのマグカップが並んでいたり、文房具のお店にはステッドラーの6Bから4Hまでの鉛筆セットを売ってたり。
いや、こう書くと大したことないような感じだが、ディスプレイや品ぞろえが普通じゃない。
ぜひ行ってみてほしい。
私もぜひまた行きたいと思っている。
細かく見始めたらたっぷり1日かかるだろう。中に博物館まであるんだから。
すっかりくたびれた私のために大内くんが、
「今日かかるお金は全部僕にまかせて。食事も当然おごるよ」と言ってタクシーを奮発してくれて、今日最後のイベント、のローストビーフのために、パレスホテル。
5、6年前、大学のクラブの友達の結婚式に夫婦で招待され、とても贅沢な「ローストビーフ食べ放題」の披露宴だったのよ。
大内くんは3枚ほど食べたところでギブアップしそうになったが、ホテルの人に、
「おかわりをお持ちいたしましょうか?」と聞かれて、
「ものすごく食べたいんですけど、おなかがいっぱいになってしまって、悩んでるんです」と正直に言ったら、
「では、ハーフでお持ちいたしましょうか?」とにこやかに言われて喜色満面に「ハイ!」と答えていた。
この時のきめ細やかなサービスと、何と言ってもローストビーフのすばらしさにすっかり心を奪われ、いつかまた来てみたい、と思っていたそう
で、今回の旅行の計画も、
「はとバスに乗ってみたいね」と、
「パレスホテルのローストビーフをもう1回食べてみたいね」という2つの願いが結実したもの。
楽しみだ。
前菜、メイン、デザートをそれぞれリストから選べるディナーのコースがあり、本当はローストビーフはメインに入ってはいないんだけど、追加料金を払えば替えてもらえるらしい。
大内くんが予約を取って支払いもしてくれると言うので私は値段も聞いてないのだが、さぞやお高いんだろうなぁ。
「メインの方はローストビーフで承っておりますが」と言う黒服の人に、
「前に友人の結婚式でいただいたのが忘れられなくって」と大内くんが言うと、
「それはどうもありがとうございます」とにこやか。
「お飲み物はいかがいたしましょう?」とまず聞かれ、2人とも飲まないつもりだったので、大内くんが、
「お水かウーロン茶はありますか?」と聞いたら、
「ございます。お水は炭酸の入ったものと入っていないものがございます」。
私は即座に「入ってない方を」と言い、大内くんは「僕は入ってる方を」と言ったら、ウェイターさんは、
「1本750mlになりますが、よろしいでしょうか?」と聞く。
「それなら、僕も炭酸抜きでいいので、1本」と大内くん。
このやり取りを聞いていて、
「これは、お水もただじゃないな。うーん、お水にお金払うって感覚は、わからん!」とか思ってる間にウェイターさんがグラスにミネラルウォー
ターを注いでくれる。
いかんなぁ、貧乏性で。
前菜もおいしかったが、何と言ってもローストビーフ。
驚くほど大きく、分厚い。
前に食べた時はもっと小さく薄かった。だからこそ食べ放題ができるわけで、これを2枚も3枚もいけるわけがない。
私は、これだけでも食べられるかしらん、って、ちょっと不安になったよ。
おいしい。本当においしい。
肉は柔らかくジューシィで、生のようなのに火が通っていて、ソースがすばらしくおいしくて、欠かせないホース・ラディッシュの刺激がいいアクセントで。(ホース・ラディッシュはお代わりもらっちゃいました)
世の中には、おいしいものがあるんだなぁ、と夢見心地で全部食べちゃった。
いや、堪能いたしました。
「ローストビーフはいかがでした?」と聞く黒服に、
「本当においしかったです。シェフによろしくお伝えください」とお礼を言って、バーから流れるジャズの生演奏を聴きながら帰る。
少し腹ごなしをしようと噴水がキレイにライトアップされた公園を抜けて東京駅へ。
「いつもこんなステキなとこで働いてるんだぁ」と言うと、
「仕事だからね。ゆっくり歩いて景色を見たり、買い物をしにお店に入ったり、なんてことは全然ないよ」と答える。
KITTEに寄り道とかしないで急いで早く帰ってくれるのはありがたいけど、ちょっと申し訳ない感じ。
「ザ・大内くんの通勤経路」をまた通って家に帰る。
あんまりいろんなことがあったので、泊まりがけの旅行に行ったような気分だ。
まだぼーっとしている。
KITTE、絶対また行きたい。
余談だが、パレスホテルで食後のコーヒーを飲んでいる時、我々が頼んであった水はもうなくなっていたんだが、ウェイターさんが来て、別のグラ
スに水差しから注いでくれた。
帰り道で、
「もしかして、あの水だったらタダだったんじゃないの?」と聞いたら、
「僕もそう思う」
「『水でいいです』って言ってたら、ミネラルウォーター代はかかんなかったと思うなぁ。ウーロン茶、とか言うから水もタダじゃない世界に突入したんだよ」
「僕も、しまった!って思った。でも、いいの!今日は贅沢をする日なんだから、そんなこと、気にしないんだよ!」
と言いつつやはり後悔しているらしい大内くんが、私は大好きだ。
夫婦で経済観念が一致している、というのは大事なことだよ。
こんなふうに終わった「大内家’13年夏の旅行」。
浅草も東京駅も、またゆっくり行きたいところです。
近場のお出かけの一番の利点は、そこ。
いくら気に入っても、飛行機に乗って行くようなところは、そう何度も行けるもんじゃないからね、庶民には。
大内くん、どうもお疲れさま&ありがとう。
まだお休みは4日あるけど、あまりに暑いので、家でのんびり骨休めをしましょう。世界陸上もあるし!
気持ちのゆとりが大切 ということでしょうか。
観光地としての東京は大きく、1日ではまだ入り口にも入っていない感じです。
でも、とてもいい街ですね。東京。
13年8月11日
世界陸上の女子マラソンで3位になった日本の副士、表彰式で、織田裕二が「底なしの笑顔」とコメントしていたが、それを言うなら「底抜けの笑顔」
だろう。
「底なし」ってのは酒飲みに使う言葉だと思う。
日本語の乱れを憂うる。
しかし今年も世界陸上はアツい。
今週後半は大内くんの夏休み第2弾で、世界陸上が終わるまで毎日夜中まで見られる。
「どこにも行かない&何もしない」予定なので、思う存分見るぞ!
イシンバエワとボルト、世界新記録は出るのか?!
13年8月12日
大内くんの夏休み、第1弾を終わり、先週末は週末も勘定に入れて3日休んだ。
今日と明日お仕事したら、今週後半は5日間の夏休み。
殺人的な暑さで、散歩する気にもならなそうなんだが、その分、家で世界陸上が見られる。
少し地味に暮らそう、と思うし。
大内くんも、しばし仕事のことは忘れて、お休みにうちこんでね。
13年8月13日
この暑いのに毎日出かけて何をしているのかと思っていた息子だが、どうやらお笑いのコンテストがいくつもいくつもあるらしい。
そのうちの3つぐらいで予選を通過し、本選や準決勝に出場するという。けっこうやるじゃん。
何してるかわかんないでいた時、遊びに行ってるんじゃないな、と感じたのは、朝の9時10時に真面目な顔で出かけ、夜も10時頃に帰って来てしまうからだったんだよね。
最初は、
「夏休みで、泊めてくれる友達も帰省しちゃって誰もいないからなんじゃないの?」と大内くんと話していたこの早帰りぶり、ふだん12時過ぎに帰って来たり無断外泊しちゃったりの息子としては珍しかったんだが、昼間に真面目な用件がある、ということだったのね。
「夏は忙しいからバイトできない」と言っていたのがやっと納得できた。
大阪に行くとか富士山に登るとか、いろんな予定があるらしく、まったく、我々に比べてはるかにタフで真面目。
9月には免許合宿にもいくつもりのようだし。
若い時って、そういうもんなの?
自分は・・・忘れてるし、思い出さない方がいいこともいっぱいあるような気がする。
13年8月14日
大内くんの夏休み第2弾、1日目。5連休の予定。
でも今年は、唯生の体調も心配だし、私も必ずしも本調子ではないし、旅行は行かないつもりだった。
かわりに家の近所の史跡でも見てまわろうか、と話しているところに、この猛暑。
とてもじゃないが外は出歩けない。
この間見て気になっている靖国神社の戦争資料館をもう1回ゆっくり、とも思ったが、お盆近辺、あのへんは遠慮した方がよさそうだ。(KITTEも
気になる。もう1度行きたい)
早朝に家を出て映画と温泉を楽しむ甲府へのドライブも考えたけど、今、甲府はむちゃくちゃ暑い。
それに、いつ帰省ラッシュに引っかかるかわからない。
というわけで手詰まりとなり、結局、家で世界陸上観戦を中心にのんびり、ということになった。
私はともかく、大内くんは日頃の生活でとてもくたびれているので、たまにはゆっくり好きなだけ寝て、本を読んで、自分の時間を過ごしてもらいた
い。
毎日夜中の3時までテレビ見たら楽しいかも。
普段12時には寝てしまう大内くんの、長いこと忘れている境地なんだ。
たまには童心に返ろうよ。ちょっと違うか。
13年8月15日
「国民的大学生芸人グランプリ」通称「大学芸会」、4日あった予選の最終日を見に、阿佐ヶ谷まで出かけた。
息子は何と3つもユニットを組み、今日はそのうち2組で出場なのだ。
おまけに、先日行われた予選の1つで、すでに「敗者復活戦」に残り、準決勝大会出場を賭けて争うことが決まっているらしい。
暑くて外に出たくないし、絶対息子に怒られるのだが、これはぜひ見ておきたい。
久しぶりに来た阿佐ヶ谷。
実は、昔住んでいた街で、息子が3歳になる頃、社宅が閉鎖になるので引っ越したのだ。
それで今住んでる地域に来て、息子が小5の秋に近所のマンションに移ったが、その時に、
「前のおうちはおぼえてない」と言っていた彼で、当然、阿佐ヶ谷の街を歩いても何も記憶にないだろう。
そんな話をしたこと自体覚えてないだろうし。
ちなみに、我々は結婚以来4軒の社宅を渡り歩いたが、すべて閉鎖のため。
おかげで引っ越し代はすべて会社持ちで、このマンションに引っ越す時もそうだった。
だから、今、普通のご家庭が普通に引っ越すといくらぐらいかかるものなのか、まったく知らない。
(オトナとしては、やや恥ずかしい)
話は戻って、大学芸会。
入場開始の1時間近く前に着いたので、会場の場所を確認したのち、近所のドトールで時間をつぶす。
会場付近にはなんだか若い人がぱらぱら集まり始めていた。
「これは、息子の目を逃れても、サークルの人に発見されちゃうね。僕は面が割れているからなぁ・・・」とつぶやく、親子テレビ出演ですっかり名の売れた大内くんである。
時間になったので会場に行ってみた。
若い人ばっか!親なんて全然来てない!どうしよう?!
実際、始まる頃になって会場がそれなりに埋まってきても、「若くない人たち」は我々しかいないのだ。
さっそくロビーで顔見知りのサークルの子に会っちゃったし。
「これは、怒られるね」
「来ちゃったもんはしょうがないよ。怒られたら謝ろう」
休憩を3回はさんで4時間の長丁場。
60組近くが出場し、我々にとって、これほどたくさんの学生芸人さんたちの芸を見られるのは珍しい。
「腰が痛くなりそうだけど、息子の芸がどのぐらいのレベルなのか知るいいチャンスだから、頑張ろう!」と声をかけ合い、観戦スタート。
いやあ、どの組も面白い。
今の若い人はレベル高いなぁ。
息子は第3ラウンドと第4ラウンドに出場。
前者は漫才で、後者はコント。相方は別々。
それにしても学ランっつーのはコントに便利だ。学ランの高校でよかったね。
相方と息子、どっちがネタ書いてるかわかんないけど、両方とも、よく言えば上品、悪く言えばパンチのない芸風ではあった。
みんな、テンション高いからなぁ・・・
まあでも、上品さみたいなものはあとから身につけるのは難しいから、そのカラーを生かしたお笑いを追求して欲しいね。
1ラウンド終わるごとに、客席に配られていた投票用紙を回収していく。
各ラウンドの出場組名が書いてあり、面白いと思ったとこ2つに丸をつける。
「この○は、1個でも3個でも無効票になります。2つ、つけてください!」と回収タイムのたびに念を押される。
「場内にいる人の何パーセントが『面白い』と思ったか」を集計するわけだ。
最後のラウンドの分の集計が出来たところで、結果発表。
敗者復活戦まで含めて、息子は届かなかった!残念!
こうして4時間にわたっていろんな芸を見て、おまけに入賞者や敗者復活戦の人たちが嬉しそうに演壇に飛び乗って行き、中には涙ぐんでる人もいる、 なんてのを見ると、息子も別の予選ではこんなふうに演壇に駆け上がったんだな、と、胸がジーンとした。
今日の芸だけを見るととても選ばれるとは思えないんだが、何だろう、毎回変わる相方の、我々が今回見た2人とはちがうその「誰か」がウマイのだろうか?その子が書いたネタがよかったのか?
若い人がごった返すロビーに出て、トイレに行ったら、鏡の向こうには老けて太ったおばさんが立ってた。
私の自己イメージは30歳ぐらいで止まっているので、あいかわらず新鮮に驚く。
これは大内くんもやや同じ。2人とも、まわりがどう見るかなんて度外視して、恋の乱視メガネで相手を見ては「昔と変わらない」なんて思っているのだ。
大間違い。
我々はもはや立派なおじさん、おばさんだ。
こんな若い人たちに混じって、目だたないわけがない。
なのに、脳内では自分も若いつもりなんだよね。
最後の方でMCのにーちゃんたちがまっすぐ我々の方に手を向けて、
「大勢のお客さんに来ていただきました!ご年配の方もいらっしゃいますね。ご家族でしょうか」と言ったのを、
「目を合わせたくないからうつむいていた」と大内くんは言うが、本当に、完全に、我々を差していたんだってば。
他に親らしき人なんて誰もいないんだってば。
4時から始まって、終わって出たのが9時頃。もう真っ暗。あたりまえか。
帰り道で、
「僕らって、目立ってたかな・・・」とつぶやく大内くん。
思いっきり場違いでしたとも!
これで息子がサークルで、
「また大内の親が来たよ。お前、過保護なんじゃねーの?」と言われていたらあまりにかわいそう。
うん、もう、息子のライブ見に行くのはやめよう。
コンテストやライブにはもう行かない!
4日間の予選がすべて終わったので打ち上げで帰って来ないかと思ってた息子が、むしろ早いぐらいに帰って来た。
彼が帰るなり、私は頭を下げに行った。
私「すまんかった!見に行ったりして。もう2度と行かないから。大隈講堂と早稲田祭だけは別だけど」
息子(全然怒ってない口調で)「なんでそう思ったの?」
私「他に、年取ってる人なんかいなかったもん」
息子「恥ずかしかった?」
私「死ぬほど恥ずかしかった」
息子「やっとわかったの?」
私「ホンットにごめん」
息子「ああ」
半年前なら罵倒されて、壁に穴の1つや2つあいただろうこのシチュエーションで、こんなに穏やかに許してもらえるとは、意外だった。
やはり息子は、大内くんをパチンコに誘った4か月前のあの日以来、少しオトナになった気がする。
はああ・・・それにしてもいったいどんな芸で敗者復活戦に残ったのか、見てみたかった。
おっと、いかんいかん、もう悪の道に戻ろうとしている。
息子がなぁ、家でもうちょっといろんなことを話してくれたら、こんなに彼の行動が気になるという悪癖もなくなるんだけどなぁ・・・
とりあえず、敗者復活戦、頑張ってくれ!
13年8月16日
息子は今日から2泊3日で大阪に遊びに行くらしい。
先輩の家に泊めてもらうんだって。
「また水樹奈々のコンサート?」と大内くんが聞いたら、「ちがう」とだけ言っていた。
5月だったかな、わざわざ大阪まで行って見てきたらしいよ。もちろん東京のにも行ったし。
私なんてアルフィーのコンサート行ったことないのに!
(人混みがキライで行かないだけだが)
大阪、といえば小さい頃に「USJ」に連れてってあげたなぁ。
それが友達と泊まりがけで行っちゃうんだから、感無量だよ。
タコ焼き食って来てくれ。
13年8月17日
唯生の面会に行ってきた。
だいぶ回復してきたらしい。
まだストーマ(人工肛門)の部分に褥瘡が残っているのと、手術の跡が少し要注意らしいが、喜怒哀楽もはっきりしてきて笑顔の出る場面も多いそうだ。
本当によかった。
ベッドの横に座って手を握ったり足をマッサージしたりしながら話しかける、ぐらいしかできることはないんだけど、手術が成功して、本当によかっ
た。
あとはゆっくり回復してね。
家に帰って、万全の態勢で世界陸上を見ようとお風呂に入り、早めの夕食の準備をしていたら、大阪に遊びに行っている息子から、
「帰りの新幹線代がなくなった。金送って」と電話がかかって来た。
何度もこういうことがあって、振込では急場に間に合わないので、バイト代が振り込まれていた口座とは別に彼の銀行口座を作って通帳を預かっていた。
「預け入れ」すればすぐにおろせるようになっているんだよ。
しかし、こんなことをくり返してていいんだろうか。
もうお風呂にまで入っちゃったのに、また外出?
「しょうがないよ。やらなかったら自分たちが気になって楽しめないだけだから、後顧の憂いなくマラソンを見るために、入金しといてあげよう」と、
車で駅前の銀行へ。
ところが途中で道路が通行止め。
どうやらお祭りがあるせいらしい。
これまたしょうがないので、車を少し離れたところに停めといてもらって、私が歩いて銀行まで行く。
夕方の風が吹いてはいるものの、風呂上がりのほてった身体はすぐに汗ばんでくる。
おまけに歩道はお祭りの踊りを見る人たちがブルーシートに座り込み、歩行者はすれ違いで通るのがやっと。
何とかたどり着いて入金し、また戻る。
だが、車が見当たらない。
「おまわりさんがいっぱい出てるから、移動させられちゃったかな?」と思い、大内くんのケータイにかけたら、私が道を1本間違えていたことが判明。
ああ、いったい何年この駅の近くに住んでいるんだ!
電話で話しながら急いで引き返そうとしていたら、向こうから歩いてきた中年の男性が、すれちがいざまに私のおなかを「どん」と叩いて行った。
「痴漢?この歳で?!」と驚いたら、財布と息子の通帳を入れたウェストポーチのファスナーが、ぱっくりあいたままだった。
注意してくれたのだ。
「スリじゃなくて、本当によかった!」と思ったよ。
ただでさえケータイに夢中で(いや、必死だったんですが)歩いてるだけで不注意なおばさんなのに、ポーチ全開だもんね。
親切なおじさん、ありがとう!
車に戻ったら、大内くんが息子に、
「無理して出かけてお金送りました。こういうことはもう終わりにしてください」というメールをうったらしい。
すぐに返事が来た。
「ほんとうにごめんなさい。ありがとうございました」
息子はこういうとこむちゃくちゃうまい。
「あざす」(ありがとう、の意)とか「すまん」とか言ってくるかな、とは思っていたが、彼としては最大級の謝罪&お礼ではないか。
涙が出てきた。
現代医学にやっと生かしてもらっている唯生に会ったあとでは、息子が元気なだけでありがたいのだ。
まあねぇ、帰りの切符代ぐらいちゃんと残して遊べよ、とか、今夜も先輩の家に泊めてもらうようだから、借りられないのか?とか思う。
さらに、「万一の時のため」なんて持たせたお金はすぐに使ってしまうのは何度も証明済みだし、キャッシングなんて論外、という状況下で、いったいどうするのが正解なんでしょうか。
もちろん、まだ15万円ぐらい残ってる彼のバイト代を預かっていて、言われれば必要なだけ渡しているのを、全部彼の口座に入れてしまえばいいんだろうけど、それだと1日でパチンコですっちゃう可能性もある。
息子本人もそれがわかっているようで、自分から「預かっといて」と言って来たし、全部よこせとは1度も言ってこないし。
ま、次のバイトが見つかって、あと2カ月して20歳になって、その時に相談しようかな。
たった今は、とてもオトナとしてやっていけるとは思えないのに、成人しちゃうのかぁ。
「成人猶予願い」があれば、2年ぐらい使わせてもらいたいところだよ。
気を取り直して、世界陸上。
今日は何と言っても女子200メートルと男子マラソンと男子200メートル。
アリソン・フェリックスがまさかの筋肉断裂で倒れた。
まるで撃たれた野生のカモシカのようだった。
こういう時、ライバルで1位になったフレイザーは嬉しいのか釈然としないのか。
怪我も実力のうち、ということかなぁ。
男子マラソンは手に汗握った。
「3回も同じところをまわるのはつまらない」とかは思ったけどね。
やっぱ、もともとは「遠いところを駆けつけた」話なんだから。
あと、今回はやたらに給水所が多かった気がする。
「3回まわる」せいかしらん。熱中症予防?
でも、なかなかドラマのある、いいマラソンだったよ。
私がこれまで見たマラソンの中で一番興奮したのは、トップの選手が沿道から飛び出した暴漢に襲われたやつ。
ブラジルのデ・リマ選手は、もしかしたら金メダルを取るよりもこの事件のせいで、ずっと有名でい続けるかもしれない。
アトランタの時に「靴が脱げちゃった」谷口選手みたいにね。
ボルトは当然のようにメダルをさらって行ったが、世界新は出なかった。
彼も永遠に若いわけではない。
人類の進歩はまた止まってしまうのだろうか。
もう20年も世界新が出てない、なんて競技はざらにあるんだよね。
むしろ、イシンバエワやボルトのように「超人」が現れて記録をぬりかえ続けて去って行き、そのあと誰もとどかない、ってケースの方が多いのかも。
昔は、人間が100メートル10秒を切ることがあるなんて、想像もしてなかった。
私が生きている間に、人類はどこまで行けるのだろう。
13年8月18日
大内くんの夏休みは今日でおしまい。ついでに世界陸上も終わってしまった。
イシンバエワの返り咲きは嬉しかったし、ボルトの3冠もすごかったが、世界新記録が出ない大会だったね。
日本勢が活躍した、と言えるのはマラソンぐらいだし。
17歳、高校生なのに「10秒01」を持っている、「今、日本で一番9秒に近い世界にいる、桐生」に大注目。
ただ、彼は顔が面白すぎると言うか、ハンサムではないという点も、我が家では大いに話題になっている。
夏休みの隙間に出社した時、大内くんが会社の人と桐生の話をしてて、
「桐生は、顔が残念ですよね」と言ったら、
「ああ、100メートル予選ね。残念そうな顔してたね」と言われ、
「いや、そういう意味じゃなくて」
「ああ!そっちの『残念』ね。うん、まあ、でも速いから」
という会話をしていたらしい。
桐生、嘆くな!(いや、別に嘆いてないだろうし、私に言われたかないだろうし)
「坊主頭」っつーのは、どうしても面白い顔に見えるんだよ。
うちの豚児でさえ、柔道辞めて少し長くなったら、それなりにカワイイ顔になった。
キミの走りには大いに期待してるんだ。高校生で世界へ、なんてスゴイと思うし。
まず、坊主頭から改善しよう。ね?
13年8月19日
昨日の夜中に大阪から帰って来たばっかりなのに、今日は富士山に登ると言う。
聞いてはいたけど、こんなに詰まったスケジュールだとは思ってなかったよ。
いきなり「ヘッドライト、どこ?」とか言われても・・・幸いすぐ見つかったが。
朝は5時50分に起こしてくれ、と言われた。
この人は、まだ1人じゃ起きられないのか?
大学に行ってる間は昼から起き出して行くことが多かったのでよかったんだが。
そういえば、起きられなくて試験をぶっちぎっちゃって、単位落とすとか言ってたなぁ。しかも複数。
6月までは夜勤のバイトから直接大学に行くことも多かったのであまり朝のことは気にしないですんだが、バイトをやめて、この先どうなるんだろう。
寝る前に「○○時に起こして」とか言われることはあるが、これが、なかなか起きないんだよね。
「あと5分」「あと3分」「あと1分」って感じで、30分ぐらいはあっという間。
私は最後、もう壁と彼の間に入り込み、足でベッドから蹴り出す、という起こし方をしている。
(重くて、腕や足を引っ張ったぐらいじゃ動かないのだ)
当然ものすごく怒るし、「もう起きないっ!」とか言ってホントに寝ちゃう、なんてこともあった。
でも、2カ月ぐらい前にちょっと機嫌が良くて会話が成立した時、
「ママの起こし方でいいんなら起こしてあげるけど、あれやられるとその日1日ぐらいママのこと、大っ嫌いになるでしょう」と言ったら、
「いや、行きの電車ぐらいで、『悪かったな』って思う」って答えが返ってきて、少し驚いたよ。
今回もそうだったけど、寝不足でも、
「どうしても行かなきゃいけない時」ってのは何とか起きるんだよね。
ということは、彼にとって、試験は「どうしても」じゃないのか!
私もなぁ、大学時代、同じ授業を取っていた寮の後輩が、わざわざ私の部屋まで来て、
「試験ですよ。起きなきゃダメですよ」って起こしてくれたのに結局寝てた、なんてことがあったからなぁ・・・
大内くんに至っては、寝ていて試験に行かなかったために3年目の留年に入ったという、遺伝子的には完全に説明のつく息子の生活ぶりだ。
そんなこんなでとにかく朝の6時過ぎに出かけて行った。
去年も登った富士山に、どうしてまた登りたいのか。
大事なお笑いの大会を控えているというのに、タイトなスケジュール組んでまで。
精進潔斎?
体育会系の人のやることは、わからん。
13年8月20日
昨日富士山に登ったはずの息子がなかなか帰って来ない。
明日は大事なお笑いコンテストがあるから早く帰って来て休むかと思ったんだが。
いや、むしろ、どっかでネタ合わせしてるのかな?
荷物は重いわ汗はかくわで、私なら早く帰りたいが。
(つーか、そもそも登らないよ)
録画予約をしようとテレビをつけたら、ちょうどニュースの中の小っちゃい特集で富士登山の話題が。
驚いたことに、遭難より渋滞の方がよっぽど怖い、と言いたくなるような人の列。
録画しといて大内くんにも見せたが、
「もっと、数人でぱらぱら登る、って感じかと思ってた。これじゃ、道に迷いようもないね」とびっくりしてたよ。
登山者にインタビューもしてたので、
「ここで息子が映ったらスゴイね」と言ってたんだけど、こういうのは「ヒマネタ」というか、何日も前に撮ってあって、何にも重大な事件がない時に流すもので、まさか昨日撮影して今日放映、ってこともないだろう。
夜の9時ごろやっと帰って来たと思ったら、「メシ」。
で、晩ごはん食べて、しばらくゲームしてるようだったので、11時頃、声をかけようとドアを開けたらもうグーグー寝てた。
本選だ。ゆっくり休め。午後5時かららしいから、まさか遅刻はないだろう。
13年8月21日
大内くんは夏休みが終わってしまった愚痴も言わずに毎日会社に行っている。
サラリーマンとしてはそれが当たり前かもしれないが、暑いのに大変だなぁ。
で、こっちはこっちで大変と言えなくもない息子、先日予選を通ったお笑いのコンテストの本選出場のため、11時に目覚ましかけて自分で起きて、キビシイ顔して出かけて行った。
優勝賞金10万円らしいし、プロへの道でもあるみたいだし、そもそも予選を勝ち抜いて決勝出場の20組に入っているのが不思議だ。
彼は、将来プロの芸人になりたいのかね?
先日の「ドッキリカメラ」的番組ではそんなことを言って親やまわりをとりあえず心配させてみたが、その時は少なくとも「プロになるために大学をやめる」というようなことは全然考えてない、と言っていた。
でも、サークル活動にはずいぶんな打ち込みようだし、この夏はけっこうな数のコンテストに出て、上位に食い込む健闘ぶりも見せているようだし、ちょっとハラハラ。
幸い、というか何というか、彼の所属するサークルは、それなりに真面目だ。
大内くんのいたマンガクラブのように「留年を競う」という風潮もないように見える。
また、彼自身が、あんがい堅いと言うか、自分が損することには手を出さない主義のように見える。
学生時代は好きなことを思い切りやって、時期が来たらそれなりに堅い仕事に就くのが普通、と思ってくれれば親は安心だ。
もっとも今、「安定した仕事」なんてないのかもしれないけど。
つまんない考えだよね〜。
でも、、親によってはその程度のことしか考えられらないんです。
ただ、自分のコドモが幸せになれるように、って、心から思っても、コドモにとっての幸せと親が思う幸せは違うかもしれない。
親が子供の幸せを決めて、「あんたのために言ってるんだから」と言ってはいけない気がする。
そのことだけは忘れないように、ってのが「親心」最後の一線。
13年8月22日
今日は私の誕生日。
なのに、大内くんは会議で遅い予定だし、息子はまた別のお笑いコンテスト。
こないだ敗者復活戦に残ったらしい「大学芸会」だ。
その後どこかで猛特訓をしてたのか、無断外泊であった。
それで満を持して今日の「敗者復活戦」に臨んでいるのだ。
昼間、私が寝ている間にちょっとだけ帰ってきて、シャワーを浴びて服を着替えて行った形跡アリ。
忙しい人だね。
1人分の晩ごはんを作るのも面倒で、「イカの塩辛茶漬け」を食べておしまい。情けない。
9時ごろ帰って来た大内くんは、
「お誕生日、おめでとう!」と言ってくれたが、花もケーキもなし。
息子に至っては、今日という日を知らないに違いない。
夜中の1時ごろに帰って来たので、部屋に行って、
「コンテストはどうだった?入賞できた?」と聞いてみたら、
「もう寝るから、あっち行っていいよ」。
またしても、「死ね!とか言われなくなっただけでもよかったなぁ。進歩してる」と思う、どーしようもない親心でした。
もう50歳も半ば。もう2年もすれば、「アラフィー」とすら呼ばれまい。「アラシー」?
老眼とか体力の衰えとか、いろんなところで歳を感じるが、まあ、気を若く持って暮らして行こう。
もっとも、こういうこと考えるのが、すでに老化の現れかしら。
気をつけなくっちゃ。
13年8月24日
富士登山から帰って来たと思ったら、今度はいきなり、
「自転車で江の島まで行ってくる!」と言って、昼頃出かけた。
誰か友だちと一緒なのかと思ったら、「1人」。
なんだか多忙な人だなぁ。
少しは家に落ち着いたらいいのに。
で、その晩、帰って来なかった。
我が家では特に無断外泊をとがめてはいない(というか、もうあきらめた)けど、自転車で遠くに行ってるとなれば話は別だ。
事故にあったんじゃないか、自転車が壊れたんじゃないか、と、いろいろ心配になる。
ケータイにメールしても返事がないので、しょうがないので直接電話してみたが、「電源が入ってない」。
どこ行っちゃったんだ〜!?
翌日の昼間、やっと帰って来たので、
「遠くまで行ってるんだから、連絡ぐらいしなさい!心配したよ!」と叱ると、澄ました顔で、
「電源が切れちゃってた」。そんだけかい。
そして、シャワーを浴びて着替えると、またどこへともなく出かけて行った。
よそ様の息子さんは、もうちょっとこまめに親に何か言わないものだろうか。
子育てに自信をなくす瞬間。
しかもあとひと月もしたらこれで成人になろうってんだから・・・図々しいのにもほどがある。
毎日楽しく遊んでいる。
その点だけは評価してるんだけど.
正しい大学生の姿って、どんなものなんだろう?
13年8月25日
週末に、大内くんが塾の講師を頼まれた。
息子がお世話になっていた塾の夏期講習が佳境に入り、どうしても中3の社会科を教える人が見つからない、という理由で塾長じきじきに依頼をいただいたワ
ンポイント・リリーフ。
授業は初めてではないのでなんとかなると思うが、引き受けてからずっと、週末には本を読んだりテキストを作ったりして、準備にはかなり時間を割い
ていたようだ。
いよいよとなって、
「あー、どうしよう、緊張して来ちゃった!」。
まあ、頑張れ。
塾長からは、
「奥さまもぜひ授業参観を」と勧められていたので、土曜夜、ブリックパックのジュースを20個持って、「授業参観」に出かける。
塾長その他の先生たちは別の教室で授業をしているようだ。
古株のバイト学生、真田先生通称さなやんがちょうど手が空いたようなので、
「差し入れです。何人ぐらいいるかわからなかったので、20個です」と言って袋を渡したら、
「じゃあ、とりあえず大内さんが授業をするクラスに配りましょう」と言って、みんなに配ってくれた。
「大内先生の奥さんからの差し入れだよ!」と言ったとたん、「わーっ、やったーっ!」と歓声が上がり、ふーん、中3ってのは、ジュースにそんなに
感動できるのかぁ。ちょっと新鮮。
そして1時間半、一番後ろの席で大内くんの授業を聴いた。
ホワイトボードを背にした大内くんは、とてもカッコよかった。
いわゆる「公民」の授業で、「株式会社」を題材に取り、
「青年実業家になってアイドルと結婚するには」
と題した1時間半の講義。
「この塾も、塾長が作った株式会社だよ」で始まり、株主や株券についてわかりやすくまとめたもの。
オトナの私が聴いてもけっこう勉強になった。
いかんせん、息子と比べてすら5歳の年齢差がある生徒たちであるので、(大内くん本人にとっては30歳違う)、大内くんが若者にウケようと思ってやってることが中3たちには全然アピールできなかった、なんて反省点もある。
(フランス革命に「ベルばら」を持ってくるのは、どう考えても無理があるだろう。実際、みんな知らないし)
さすがに日夜接している塾長たちとは比べ物にならない。
ただ、コドモたちはとても真面目で、可愛かった。
親鳥がエサを運んでくれるのを口を開けてピヨピヨ待ってるヒナたちのように、彼らは知識を求めてピヨピヨ言ってるのだ。
息子もこんな時期があったなぁ、今は大学でピヨピヨ言ってるのかなぁ、って思ったら、目頭が熱くなったよ。
定年後はこの塾で教えたい、とかなり本気で考えてる大内くん、今回、塾長に充分アピールできたかな?
終わって自転車で帰る道すがら、
「ああ、楽しかった。準備のために勉強したのも、コドモたちの前で授業をしたのも、本当に楽しかったよ。つきあってくれてありがとう」と晴れやかな顔で言っていた。
大内くんが楽しければ、私も楽しい。
だが、やはり私には、「勉強したい」という気持ちはわからない。
その点では大内くんもコドモたちも私よりずっとエライと思う。
13年8月27日
早朝の駐車場から、コドモの泣き声が響き渡る。
「や〜り〜た〜い〜の〜!や〜りたい!!」
何がしたいんだろう?
息子は、幼児の頃、自分で靴を履きたいのに、外出を急ぐ親にささっと履かされちゃった時なんかにこじれてよく大泣きをしていた。
コドモって、物事に対するあるイメージがあって、「自分で靴を履き颯爽と出かける」みたいな言葉以前の欲求があるんだと思うんだよね。
それを途中で邪魔されると、すごくイヤ。泣きたくなる。
「はいはい、じゃあ自分で履いてごらん」とかやり直しを求められても、自分が靴を履きたかったのは「あの瞬間」であり、今はもう「別の瞬間」。
だから、彼らが泣き叫び訴えるのは、
「時を戻して、あの瞬間から全部やり直したい!」ってことなんだろう。
私も子育て中ずいぶん出くわしたこの手の「思う通りに進まない」泣きは、いっぺんひっぱたいて、本人にも説明のできない怒りを、「たたかれた〜!
いたい〜!」というわかりやすいものに変えてやるといいんじゃないか、と思っていた。
今でも、それはアリかなぁ、と思っているのだが、非暴力主義の大内くんにははなはだ評判が悪く、
「根気よくつき合ってあげればいいじゃない。何も叩かなくたって」と、よく言われた。
しかし、そういう彼がコドモ(息子ですね。いくらなんでも唯生は叩けない)を殴ったことがないかというと、これが実は、あるんですよ。しかも、つまんない言い合いで。
「怒ってぎゃあぎゃあ言ってるあの下ぶくれたほっぺたを見てたら、もうだめだった。気がついたら『すぱーぁあん』と、実にいい音をさせて、ひっぱ
たいていた。気持ちがスーッとした」
いや、大内くん、それならやっぱり私の方が「叱らなきゃ」とかの理由で叱ったり叩いたりしてるよ。
怒りにまかせて叩き始めたら自分で自分がコワイので、そっちの方向にはあまり近づかないようにしてるんだ。
上記のように、本人がわやくちゃになっちゃった時は別だけどね。
あと、最近我が家で話題になったのは、意外と親が怒鳴らないこと。
息子からも、以前、ファミレスでの話を聞いたことがあった。彼が中3の頃かな。
「コドモを、怒鳴るお母さんとかいるんだよ。やだね。怒鳴んないのが、いい子供が育つ条件なんだよ」
「ふーん、うちはどう?ママ、怒鳴る?」
「怒鳴んないから、こんないい子ができたんじゃん」
と、これはなかなか心温まるエピソードだよ。
それが今じゃもう、
「オレは甘やかされ過ぎた。もっと厳しく、叩いたりして育ててほしかった」なんて、親のおごりで焼き肉食べながら言われても・・・
いろんなコドモがいて、いろんな親がいる。子育てに正解はない。
でも、話の最初の、
「や〜り〜た〜い〜の〜〜!」の声に戻れば、やらせてあげてください。
あと、遠くから聞こえる幼児の叫びなんてのはわりと風流なものだから、まわりを気にして黙らせようとしなくてもいいですよ。
まあ、映画館とかだったら抱えて退場するしかないけど、普通の街で、生活音はOK。
コドモの泣き声は立派な「生活音」だ!
13年8月29日
だいぶ前になるが、「黛ジュン」がテレビに出てた。
もう64歳になる老女に、ラメつきのオレンジ色のミニワンピースを着ていい、なんて、誰が言ったんだろう・・・
「なつかしい」をはるかに通り越して、「やなもの見ちゃったなぁ」という気分。
歌のうまい人だからなおさらだ・・・
古い人で思い出したのが加山雄三と石原裕次郎と美空ひばり。
加山雄三は実はものすごくいい歌を作る人だし、現在、アルフィーと仲がいいらしいのも好印象。
「ぼかぁ、幸せだなぁ。キミといると、ぼかぁ、本当に幸せなんだ・・・」というナレーションの入る曲が有名だと思うが、
「僕の行くところへ、ついておいでよ 夜空には、あんなに星が光る(中略) 約束しよう、つなぎ合った指は離さないと」っていう曲なんか、ドラマチックなコード進行でスゴイんだよ。
「シンガー・ソング・ライター」のハシリだとは知らなかった。不勉強を恥じる。
それから、石原裕次郎ね。
刑事モノで「ボス」をやってる小太りのおっさんしか頭に浮かばないが、彼がプロデュース&主演をした映画を5本立て続けに観て、印象がまるっきり変わった。
才能のある人だったんだなぁ。「ある兵士の賭け」なんて、芸術的だよ。
美空ひばりも、大内くんが好きなのでずいぶん聴いて、彼によれば、晩年の演歌調よりも、若い頃の英語の歌の方がいいらしい。
「すごくリズム感があって、耳がいい人なんだよ。英語の発音とか、とってもいいね。ジャズなんかをもっと歌ってほしかったな」と、「愛燦々」「川
の流れのように」あたりには否定的だ。
加山雄三はまだ生きてるが、才能を持った人たちが生き急ぐように早死にするケースをよく見る。
(我々的には、手塚治虫なんかがそうだな)
昔よく、母親が新聞の上にかがみ込みながら、
「あらー、あの人も、死んじゃったわぁ」と言っていたのを思い出す。
我々ももうじき、そんなことばかり言うようになるんだろうなぁ。
同世代の友人と、「精神的に、誰の世話になったか」という話をしていて、彼女は、
「筒井康隆が死んじゃったら、ちょっと『くる』ものがあるかもしれない」と言っていた。
私にとっては、そうだなぁ、萩尾望都とか井上陽水が死んだら、「くる」かも。
最近は吉田拓郎を好きになり直して、よく聴いてるから、彼もその対象かしらん。
ガンになって手術をしたとこまでは聞いてるが、まだ歌ってんのかな。
10年以上前に、深夜のテレビで高見沢さまと一緒に「T×2 Show」という番組をやっていたような気がする。
結局、私が歌手を評価する理由は、高見沢さまなのか?
13年8月30日
古い話つながりになるけど、大内くんは最近、You Tube で昔の深夜放送を見つけ、時々聴いている。
「受験の頃なんだけど、深夜放送をよく聴いたよ。息子と違って部屋にテレビなんかないから、ラジオを聴くだけが息抜きだった。部屋にいさえすれば、勉強してると思って親は安心してたしね。オールナイトニッポンなんか、なつかしいなぁ」
私は名古屋だったので、「ミッドナイト東海」だった、と言うと、ものすごく激しい反応が返って来た。
「そう!ミッドナイト東海!つボイノリオがやってる、っていうんで、聞きたいと思って一生懸命チューニングしたよ。雑音に混じって、遠くの方から
かすかに 聴こえる感じだった。そのわりに、いきなりモスクワ放送が入ったりしてね!」
私は私で、レモンちゃんこと落合恵子がパーソナリティをやっていた「セイ・ヤング」なんか聴きたかったなぁ。
彼女の詩集(今となっては?マークがつくけど)を何冊も買っていた。
たび重なる引っ越しで、いつ、どう処分したかも覚えていないが。
「僕も、『もう一つの別の広場』を全巻持ってたよ。自炊できる、って知ってたら、なんとしても持っていただろうけど、やっぱり置き場所に限度があるから処分しちゃった。惜しかったなぁ」と言う大内くんは、こないだやっとアマゾンで1冊見つけて買ったらしい。ご苦労さん。
それにしても、大内くんと話が合うような合わないような妙な感じがすると思ったら、彼の言う「受験勉強」とは、中学入試の頃の話も含まれるらしい。
その頃私は、高校受験直前だったんだ。(勉強はあんまりしてなかったが)
歳が4つ離れていると、こういうことが起こる。
さらに、歌を録音しては聞き書きしてノートを作っていた私と違って、大内くんはいわゆる「ディスク・ジョッキー」のおしゃべりの方が楽しかったんだって。
「だから、歌は邪魔だったね。歌が始まると、しょうがないから勉強してた。で、歌が終わるとまた夢中でおしゃべりを聞くんだよ」
それでよく難しい中学受験を切り抜けたもんだ。
ちなみに、私はその頃、将来パーソナリティになりたかった。
「立て板に水」としゃべるのは得意技だったから。
今では、自分の「平板な、低い声で長々としゃべる」というのと「聴き手を楽しませる陽気なおしゃべり」とはまったく違うものだ、と思うようになっ
たけどね。
何しろ、あの、暗い失恋歌ばっかり作っては歌ってた「中島みゆき」でさえ、テンションの高い「陽気なおしゃべり」だったんだから!
そういうわけで、30年近く昔の話でものすごく盛り上がってしまった。
その頃に会えていたら、どうなっていただろう。
「さすがに小学生の時はどうもなってなかっただろうけど、僕が中3の時、キミは大学1年生でしょ?『ステキなお姉さんだなぁ』って、あとをついてっちゃったかも。キミが大学2年で僕らの大学のマンガクラブに顔を出すようになった頃、僕は高1だったんだよ。僕の中高と大学は同じ駅前だったから、キミも駅のホームにいたんだ!もしかしたら、何度か見かけていたかもしれない。あー、気づかなかったなぁ!」
そんなの、あたりまえだよ。
「僕の少年時代は中学受験と大学受験で塗りつぶされている。その結果、くたびれ果てて3年も留年しちゃった。よ く卒業できたなぁ。就職と結婚が決まってたから最後の学期の試験を何とか乗り越えられたけど、キミがいなかったら、もう1年留年して、放校になってたかもしれない。本当に、人の運命というのはわからないもんだ。実際、クラブの後輩たちは大勢中退してるんだ。僕を見てて『3年は大丈夫』って思った人がいたと思う。大学が、 それほど親切じゃなくなっちゃってたんだね。まったく申し訳ないよ」
何度聞いたかわからない話だが、その苦い経験から、自分のコドモ、特に男の子には絶対男子校受験はさせない、と心に決めていたらしい。
まだ大学2年生なので、この先留年するかもしれないけど、少なくとも大内くんは、
「何も言わない。何も言う資格はない」そうなので、とりあえず4年で無事卒業した私から何か言うんだろうなぁ。
夏休みに入って、少し早く帰るようになった彼(遊んでたサークル仲間たちが帰省中なのだろう)は、やはりシャワーを浴びて倒れるように寝てしまい、ろくに話もできない。
ひとつ確かなことは、彼は深夜放送は聴いてない。高校受験の時も大学受験の時も。
そもそもあれって今でもやってるんだろうか。
ケータイで常時誰かとつながっていられる彼らには、必要ないのかもね。
我々は、1人部屋にいる深夜、誰かと何かを共有したかった。それが深夜放送だった。
配偶者と常時一緒にいられるようになって、もういらなくなったよ。
でも、お互いの体験を語り合うだけでもすごく面白い。たとえ歳は離れていても。
聴き覚えのある「ジングル」(番組の最初の音楽)が流れるだけで、ぞくぞくっとくる。
今夜も大内くんと2人、寝る前に寝室のiPodで聴いた。あー、本当になつかしいね!
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