13年9月1日

めずらしく大内くんが「肩がこる」と言って、私の行きつけのマッサージの先生のところに行きたいと言う。
私が行った時、ついでに大内くんの分の予約を入れてもらった。

2週間に1度、1時間半もんでもらいながら世間話をする、「私の話相手」としては大内くんに次ぐナンバー2の先生(ナンバー1と2の間にはとても 大きな時間の開きがあるが)で、今回も、土曜に大内くんと一緒に行った。

私がぎっくり腰になった時(過去3回ぐらい)についてきてもらったりしたし、何しろ「ナンバー2」だから、大内くんのことは、
「お噂はかねがね」で古くからの知己という感じなんだが、大内くん自身がもんでもらうのはとても希な出来事。
これまた、3回目ぐらいかな。15年の間に。

こりにくい体質ではあるようだが、さすがに加齢と仕事のストレスから、
「だいぶこってますね。そうイヤなこり方じゃないから大丈夫だと思うけど」と横たわった大内くんの首をもみながら言いつつ、合間には、
「で、『風立ちぬ』は観たの?」と隅の椅子に座ってお茶をいただいてる私と話す先生。
いろいろ大変だ。

だがしかし、この先生は実は「ネタバレ大王」なのだ。
休日はよく映画を観に行くそうなので(「昼寝しに行ってるんだけどね〜(笑)」と本人談)、封切り後だいぶたってから新作DVDを借りて観ている私に映画情報をくれるのはありがたいんだが、
「あんまり面白くなかったよ」とか言ってるうちはいいんだが、油断すると、
「オチは言わないけどね〜、途中でけっこうビックリするよ。かなり大事な人死ぬし」とか言われる。
先生、それはすでにネタバレです・・・

あと、映画やドラマを、女優さんでしか観ない。
「○○」ってドラマがわりといいですよ、と言っても、
「あのコ、あんまり好きじゃないんだよね」と主演の女優さんで切り捨てられる。
若くてカワイイ人なら何でもいい、というわけではなく、ビミョーに譲れない一線があるようだ。
もちろん年増のベテラン女優の演技力なんか、評価の外の外である。いっそあっぱれか。
好みのタイプは「けなげ」なんだそうで、10年ぐらい前は沢尻エリカに入れあげていたが、さすがに、
「もう見切った。応援しない」のだとか。
今好きな女優さんは、聞いたんだけど、忘れちゃった。
私の方から「あの映画よかったですよ」と言っても、
「女優さん、誰が出てるの?」としか聞かれない。
そして、たいていの場合、私はその女優さんの名前を忘れている・・・よく話がかみ合ってるなあ。我ながら感心。

そんなわけで大内くんの肩こりは部分的に解消し、
「すごく楽になりました。でも、まだ表面が少し解けた、って感じなので、来週、もう1回来ます」と大内くんが言い、2人で自転車で帰った。
「キミはもう、10年以上も月に2回もんでもらってるんだよね。それで治らないんだから、相当な肩こりだね」と言われ、
「先生にしたら、『もみがい』がないと思うよ。少し良くなったと思ったら、まったく元の状態に戻って2週間後に現れるんだから。ゾンビだよ」と答えたら、
「ストレスや気苦労が多いんだよ。のんびり暮らして」と言われた。
自分だってストレスで肩こりなのに、しかもそのストレスは「お給料」という形で報われるのに、時給ゼロの私の肩こりを気遣ってくれるとは・・・せめて、家でマッサージ椅子に座ってください。
そして、来週また先生のとこに一緒に行こう!

13年9月2日

息子がサークルの合宿に出かけた。
2泊3日の短い旅だが、いないと何もかもがものすごく楽だ。

出かける前は、ひどかったもんなぁ。
「友達と映画を見に行く」と言って出かけ、無断外泊をして帰って来たのが翌日の昼。
シャワーを浴びたと思ったら、いつものように全裸で寝てしまった。

「どうせ、昨日徹夜だったんだよ。友達と、ネタ合わせでもしてたんじゃないの?」と言いながら、こちはこっちで勝手に晩ごはんを食べる。
だが、明日は朝早くから合宿、というのに夜になっても起きる気配がない。
「荷造りとか、しなくちゃいけないのにね」と言いながら、ちょっと起こしてみる。
「1回起きて、荷造りしちゃいなさい。明日、朝早いんでしょ?パンツぐらい履いて寝なさいよ」
そしたらむっくり起きて、枕元のケータイを見たと思ったら、
「オレ、約束あるから出かける」とパンツを履き始めた。

夜の10時から外出ですか?
その「約束」とやらは、もし私がそのタイミングで起こさなかったらどうなっていたのですか?
荷造りはしないんですか?
出かけないとしたら、やっぱりパンツは履かないんですか?

聞きたいことは山ほどあるが、返事が返ってくることはまずないので、こっちももう、聞かなくなっちゃった。
ただ、
「合宿代、3万ちょうだい。あと、友達に合宿代貸すから、それとは別に3万。それから現地でのおこづかいもいる。1万、いや、2万ぐらいかな」 と言われると、全部彼のバイト代の貯金から出すのでいいと言えばいいんだが、友達にお金貸すのかぁ。
「いつ返してもらうの?」
「そいつの、バイト代が入ったら」
「友達とのお金の貸し借りはあんまりよくないよ。金額も大きいし」
「いいから、早く出して。出かけるんだから!」
ああ、もう、全然話にならない!

そもそも、彼のバイト貯金も、「友達に3万貸す」時点でゼロなのだ。
おこづかいの部分は私からの借金。
9月は2週間の「免許合宿」もあるからバイトできないんだよね。
そもそも6月いっぱいで前の病院のバイトを辞めてから、次のバイトまだ探してないし。

「10月からはバイトしてよ。それまで貸しておくから」と言ったら、
「バイトね。うん、しないとな。あー、金がねー(ない)!」とため息をついていた。
半年近くバイトして、トータルで120万ほど稼いだけど、ベトナム行ったり北陸行ったり水樹奈々を追っかけて大阪行ったり免許合宿のお金払ったり、一応全部自分で払っているうえ、 バイト始めてか らおこづかいというものをほとんどあげてないので、すっからかんになるのも無理はないか。
けっこう夢中になっていた時期もあるパチンコ、本人は「勝ってる」と言っていたが、どうかなぁ、トータルではやっぱ負けてるんじゃないの?

そんなてんやわんやの中、サークルの合宿には何とか無事に行ったが、帰ってきたら1日おいてまた免許合宿だ。
これに関しては、突然、
「住民票がいる」と言われ、用意している時間がないだろうから、大内くんが会社の帰りにもらってきてくれた。
(駅に、ATMみたいな窓口があるのだ)
「本籍地記載のもの」ってちゃんとただし書きがあるよ。そんな細かい違いはキミにはわからんか。
20歳になろうとか運転免許を取ろうとかしている人とは到底思えない。

合宿所に、段ボール箱ひと箱の往復便を送れるサービスがついてるんだけど、「前日指定で到着」が条件だ。
何の準備もしないでサークル合宿に行っちゃったね。
「荷物なんか、手で持って行く!」って言い張るんだろうからもう何も言わないけど、書類はきちんと読もうね。
そして、早くバイト探してくれ。

13年9月4日

会社帰りの大内くんと9時に待ち合わせ、息子が通ってた塾の塾長と飲み会。
先日、大内くんが臨時に講師を勤めたので、まあ、お礼だね。
こっちも、バイト料もらうわけにはいかない立場だから。

昔は息子について我々よりよっぽど詳しくて、様々な情報をくれた塾長だが、息子が生徒時代を終えて大学に入り、教える側として働いていた頃までとは違い、もうバイト講師を辞めてしまったため、今の息子のことはあんまり聞いていないらしい。
それでも、
「先日、ご子息が塾に遊びに来たようですよ。私はいなかったんで、会えませんでしたが」とか聞くと、
「新しいバイトを探しているはずだから、もしかしてバイト就活?」と一瞬、驚く。
どうやらそういう用件ではなかったようだが、不義理をして辞めてしまったというのに、よく塾に顔が出せたもんだ。

近所にお住まいの塾長なので駅前の居酒屋で用が足りるのが嬉しく、生ビール2杯ずつと何品か料理を取って、軽く飲んだ。
(とはいえ、私は近年になく酔っぱらってしまったが)
息子さん2人が巨漢のお父さんに似てだんだん大きくなってきたこともあり、
「もうちょっと広い家に引っ越したいが、この界隈を離れるのは寂しい」と言う塾長、もう数年したら我が家は「老夫婦2人では広すぎる」という状況になるんですが、しかるべく差額を調整して、お互い住まいを取り換えっこする、というのはどうでしょう?
うちはちょっと駅から遠いのが難点ですが。

楽しく飲んで話して、2時間近くがあっという間。
今の塾には、息子の小学校時代の友達の妹や弟が大勢来ているらしい。
地域に暮らしていればこその、いい話だ。
幸い講師としての大内くんは評判が良かったらしく、定年後の勤め先としてあてにさせていただくことにした。
ついでに、私も事務や受付のバイトをしたい。塾長、よろしくお願いします。

11時ごろ、塾長と別れて自転車で帰路に着いたら、家に帰り着く30秒前に、ものすごい雨が降ってきた。
「うひゃ〜!」と言いながら自転車置き場に駆け込み、
「これが、もう10分早く来ていたりしたら大変なことになるところだった!」と幸運を喜びあう。
何しろ、エレベータで上がり、家のカギを開ける頃には、開けっ放しのベランダの窓から雨が降りこむありさまだったのだ。
(うちのベランダはけっこう奥行きあるんだよ)
洗濯物が濡れ始めていたので、あわてて取り込み、我々がお風呂に入ってから浴室乾燥に入れる。

この洗濯物ってのが、こんな時間に干し始めているってのが珍しくって、それは夜の7時ごろサークルの合宿から帰って来た息子が、あさってから2週間ほど「免許合宿」に行くため、
「洗っといて!」と横柄に言ってきたからなのだ。
よく考えれば合宿はあさってからなんだから、洗濯物は明日の夜までに乾いていればいいはずだ。
それなのに息子に命令されたとたんに「洗濯しなきゃ!」とあわてた、というのは、私が今、「アンクル・トムの小屋」を読んでいるせいなのか?奴隷根性?

最近、親を罵倒しなくなったのは確かで、そこはありがたいと思っているのだが(すでに奴隷根性かも)、人にものを頼む時は、言い方ってもんがあるだろうに、とは思う。
そう内心で思って1人ムカついていると、いきなり優しい声で、「ありがと」とか言って通り過ぎて行くことがしばしばあるのも、それで舞い上がっちゃって、
「いいんだよ、何でも言って」となる自分もイヤだ。
大内くんに聞いてみたら、彼もよくそういう目に合うらしい。
「うまいんだよ。いいタイミングで、ちょっと謝ったりお礼言ってきたりするんだよ!」と憤慨していた。

まあいいや。あさってからは生まれて初めての長期の留守だ。
これまでの最高記録は、ボーイスカウトの「日本ジャンボリー大会」に7泊8日出かけたことかな。
でも、親も夏休みを取ってその間に旅行とかしてたので、あんまり不在感はなかった。
やっぱり、今回の不在で我々の息子離れが問われるのでしょうか。

ちなみに、ジャンボリーは2万人のボーイスカウトたちが1週間丸々キャンプする、という、気の遠くなるような話だった。
今思い起こしても、夢のようだ。
1日に、1人2合のお米を食べるとして、1人で16合。それ×2万人。32万合って、どいだけ?俵で測るべき?
あああ、お米だけでそんなに・・・水やおやつのことは考えたくもない。
だけど、本当にあった出来事なんだよ。世界のあちこちで、毎年行われてることなんだよ。
みんな、コドモはボーイスカウトに入れよう!

と、塾長から話が離れてしまったけど、我々の老後は塾の繁栄にかかっている。
塾長、高校部をもっと充実させて、卒業生をバイト資源として確保しつつ、塾を大きくしましょうよ、と、余計なおせっかいを考えてしまう。
もちろん塾長の方がダイレクトに生活がかかってるし、何しろ「男子一生の夢」なんだから、やる気は充分。
応援させていただきます。そして、10年後に我々をよろしく。

13年9月6日

今日は大内くんがお休みを取ってくれたので、ついに甲府の東宝シネマズの「風立ちぬ」を観に行くことができる。
でも、ここまでがけっこう大変で、朝8時頃の新幹線で新潟へ向かう息子よりうんと早く家を出てしまうので、まず彼を起こすところから始めないといけない。
彼は、もう20歳になろうというのに、1人で目覚まし時計とかで起きる、ということが難しいのだ。
朝も問題だけど、その前の段階、夜の荷造りからタイヘン。

「印鑑がいる」とか突然言われ、「失くしてもかまわない、実印でも銀行印でもないハンコ」を探す。
大学生になった記念にケース入りの印鑑を買ってあげて、安いものではあるがなかなか気の利いたプレゼントだなぁ、と1人で喜んでいたら、印鑑をあげたその翌日、わざわざシャチハタネームを買ってきやがった。嫌味もここまでくるとアッパレかも。

どうも、最終的な免許まで取って来てしまうらしいので、最後、試験場に行かなきゃいけないんだと思っていた我々は少し焦る。
帰って来るやいなや、運転を始めてしまうかもしれないのだ。
まず、車のキーをどこかに隠そう、そして、保険の年齢制限を変えなければ。
今は、運転者が30歳ぐらい、で線引きしてるので、20歳そこそこの息子が運転するとなると、保険の料率がだいぶ上がる。
何しろ自動車事故の半分ぐらいは20歳代の人が起こしているらしいからなぁ。
(いいかげんな知識。昔、免許を取った時に試験場で聞いた話だ)

そうでなくとも、息子が我々の見ていないところで右折や縦列駐車をすると思っただけで、気が遠くなりそう。
私が19歳の頃、原付とはいえホンダのMBとかで夜中に走り回ってたと知ったら、親は気絶するのかな。
(いや、人身事故を起こして、親にはバレまくったんですが。保険は大事だよ〜)

早朝の出発に備えて9時から寝たが、私は10時頃、息子の帰って来た気配で起こされてしまう。
「明日の朝、起きられる?」
「友達んとこ泊まるから、大丈夫」
なんか、あっさり片づいちゃったなぁ。
大きなカバンに荷物を詰め込んでいると思ったら、「腹減った」。
11時から、煮込みラーメン2人分を食べる彼である。健康なことは間違いないようだ。

「2週間でしょ。北海道に自転車で行った時より長い留守じゃん。寂しいから、時々電話してよ」と言っても、
「めんどくせー」
「じゃあ、こっちからかけるよ」
「めんどくせーから、出ねーよ」
愛想のない会話だなぁ。

「で、なんで明日そんなに早く出かけるの?どこ行くの?」と来たので、彼にならって黙ってようかとも思ったんだが、私は人とのコミュニケーションに手は抜けない。
「甲府」
「何しに?」
「パパがドライブしたいって言うから、映画観て、温泉入る」
「映画!そんなもん、近くで見りゃいいじゃん!何見んの?」
「『風立ちぬ』だよ」
「ああ、あれはいい映画だったなぁ」
「今度、一緒に甲府に行こうよ。高速教習にはもってこいだよ」
「めんどくせーなぁ・・・車は、そんなに乗らないと思うよ」
そんなもんですか、最近の若い者は。我々の学生時代は、みんなこぞってドライブ旅行をしたものだが。最近の若者は植物化してるのう。

まあ、最後に話が通じたことに喜んで、「中野からタクシー代がかかる。金貸して」と言う息子を11時半に送り出して、私も寝よう。明日はたくさん飛ばなきゃ・・・(ナウシカ)
あと、息子が食べたあとの食器を洗ってくれた。チョー珍しい。
ヘレン・ケラーの「ウォーター!」に勝るとも劣らない進歩のあかしだ。ありがたい。この先もその調子で頼むよ。

そして朝、5時、安全運転の大内くんにハンドルをまかせ、さあ、ドライブだ、映画だ、温泉だ!
甲府詣では何度目かわからないが、とても楽しい1日になることは保証つき。
中島みゆきの歌で、「キツネ狩りの歌」というのがあり、
「キツネ狩りは素敵さ、ただ、生きて戻れたら」と歌っているが、まさにその通り。
「ドライブは素敵さ、ただ、生きて戻れたら」
安全運転で行きます・・・息子よ、キミも、安全運転を学んできてくれ。
そしたら、車で30分大通りを走る、初心者にはうってつけのコースで唯生の見舞いに行こう。
あ、初心者マーク買わなきゃ。

13年9月7日

日帰りのドライブ旅行で甲府に行ってきた。
息子が2週間の「免許合宿」で不在なので、自由自在。(普段でも彼の生活と我々の生活はあまり関係ないけど)
早くもなじんでしまったダンドリで、早朝4時半に起きて5時に家を出て、中央高速を走って7時に到着、名古屋の人には懐かしいコメダ珈琲でゆで卵とトーストつきのモーニングを食べたあと、近くの東宝シネマズで、さあ、映画だ。
今回はいよいよ「風立ちぬ」だぞ!
大内くんが待ちに待ちながら、なかなか観る決心がつかなかったという、よくわからない屈折したファン心理のぶつけどころだ!
好きな監督の映画ぐらい、さくっと観ちゃえばいいのに、というのが私の意見だが、まあ、悩むところから楽しいんだろう。
恋愛に似てるかも。

はやる心を押さえて、今回は「シネマイレージ」等のお得なサービスに加入しよう、と受付へ。
ところが、受付のおねーさんの言うところでは、我々はすでに、「夫婦のどちらかが50歳以上なら2人で2千円で観られる」という「夫婦50割引」 というものを使っており、ほかのどんなサービスよりもこれがお得で、これ以上安くなることはないんだそうだ。
それならそれでいいけど、50歳というのはそこまで気を使ってもらうほどの年なのか?!と、ちょっとへこんだ。
まあいい。今年の12月には大内くんも50歳だ。問題なく観させていただこう。

もう上映もじきに終わるだろうという頃なので、お客さんはあまりいない。
どう見ても「夫婦50割引」で来ている、という年代のカップルが、我々以外に5組ほど。
みんな、大内くんの親戚、つまり屈折して今頃観てる宮崎ファンなのかなぁ。

私もこれまでずいぶんいろんな作品につき合わされて、まあ、平たく言えば全部観てるわけだが、本当に好きなのは「ナウシカ」と「ラピュタ」ぐらい。
「トトロ」は、好き嫌い以前に非常にお世話になったというか、子育て中の強ーい味方だった。
少々ぐずっていても、「トトロ見よう か」と言えば喜色満面に「うんっ!」。
当然私も観ることになり、セリフの少ない映画でもあり、ほとんど暗誦できたと思うよ。もう忘れたけど。
(大内くんは、「高校時代に『カリ城』を録音したテープを何度も聞いた。セリフは全部言える」と自慢している。親が知ったら何と思うか・・・大学受かったからいいようなものの)

それ以降の、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」は全然いいと思わなかったので、今回はどうかなぁ、と心配してたが、予告編等を観た感じではいけそうだった。
そしてやっと観た実物は、なかなかの名作。
詳細はシネマ日記だが、久々に宮崎駿の「いい面」を堪能できた。

唯一、気分をそがれたのは、横で大内くんがひっきりなしに涙をぬぐっていたこと。
しかも、始まって数分、まだ何も泣けるようなことは起こってないのに。
それが時々やむものの、終わるまでほぼずーっと続き、もう、途中でハンカチを渡して、思い切り泣いてもらった。
いいシーンでは私も泣きたいのに、大内くんが先に「ううう・・・ひっく」とか言ってるから、涙も引っこもうというものだ。

終わって、場内が明るくなってから大内くんに、「何がそんなに泣けたの?」と聞いてみたら、ほとんど放心状態で、「絵が・・・動いてた」。
そりゃ、アニメなんだから、絵が動かなきゃ困るでしょう。ファンの心理はわからん。
でも、とてもいい映画だったよ。サバ味噌がおいしそうだったし、モブシーンは宮崎アニメの真骨頂。
好きで好きで描いてる、って感じが伝わってきた。
「でも、彼ももうこれで終わりなんじゃないの?大好きな風と飛行機をここまで描き込んだら、もう満足でしょう」と言うと、大内くんは、「本当にすごかった…」とまだ夢心地。
魂を抜かれる、とはこういうことか。

映画館を出てイオンモールでモスバーガーを食べ、少し買い物をした後、日帰り温泉に。
大内くんはここのサウナが熱くて水風呂が冷たいのがたいそうお気に入り。
まずは2時間ね、と言って男湯と女湯に分かれて入り、私は1時間半ぐらいで出て、そなえつけのパジャマみたいな浴衣を着て休憩所で寝転んで、iPadで萩尾望都の「残酷な神が支配する」(17巻の長編!)を読んでたが、大内くんはサウナでゆっくりしたようで、2時間ちょっと前に上がってきた。

サウナ室には、ガラスの向こうにテレビが埋め込んであって、退屈しのぎにちょうどいいんだけど、大内くんが見ていた2時からのニュース・バラエティでは、「宮崎駿引退宣言!」の生中継をやってたそうだ。なんてタイムリー。
「キミが予言したとおりだった!」と、大変驚いていたよ。

そのあと大内くんは畳の上で毛布掛けてぐっすり眠ってしまい(「サウナで骨の髄までぐだぐだになった・・・」のだそうだ。引退のショックもアリ?)、私はもう少しマンガを読んでから、また温泉に。
サウナで見た5時のニュースでもその話は出ていたけど、大内くんが聞いたという「『軍国主義的だ』という中韓からの批判」というような話は出ず、かなり編集されたものだった。
うちの近所に「ジブリの森美術館」があるんだが、そこの資料を作り直したりして、ボランティアとしてでも関わっていきたい、と発言していた。

休憩所に戻り、3時間熟睡した大内くんを起こして、しばらく話をしたのち、大内くんは2度目、私は3度目の温泉につかり、帰りの服に着替えて、夕食を。
もとは温泉宿だったところを日帰り温泉のお店にしたようで、料理が何でもおいしい。
私は「カツカレー」、大内くんは「天ぷら刺し盛り御膳」というアナーキーな取り合わせの食事を終えて、家路についたのが8時。
また中央高速に乗り、iPodから流れるユーミンの「中央フリーウェイ」と甲府盆地にきらめく宝石箱のような街の明かりを堪能できたドライブだった。

帰り着いたのは10時。17時間の小旅行なわけだ。
でも、ドライブ、朝食、映画、昼食、買い物、温泉、昼寝、夕食、またドライブ、と言う具合で、いつものことながら充実した1日だったよ。
外で物音がするたびに「息子が帰って来たのかと思っちゃう!」と2人で驚きながら、彼不在の最初の2日が終わった。
息子が免許取って帰ってき たら、高速教習という名目で、彼も連れてっちゃおうかな。(笑)

大内くんの趣味というのは本当にわからなくて、いや、宮崎アニメがいいってのはわかるけど、何も絵が動いただけで泣かなくっても・・・と、家のベッドで彼が眠り込んだあとまで不思議だった。
主人公は夢の中でイタリアの飛行機技師に会うけど、大内くんは誰に会うんだろう?と思ってるうちに私も眠り込んでしまい、気がついたら大内くんと散歩したり食器を買ったりしてる夢をみてた。
今日の出来事が反映されてるかな。
一緒に空を飛ぶ夢だったらオチがちゃんとついたのに、と、目覚めて少し残念。

ずいぶん遅くなっちゃったけど、映画館で観られてよかった。
普段、私は映画館で観るのはあんまり好きじゃないんだよね。席が取れるかどうかが一番気掛かりで。
でも、東宝シネマズは全席指定なのでその心配はない。

「風立ちぬ」、本当によかった。ビデオになったら買おうかな。
大内くんが泣いてない環境で観たいものだ。大内くん、たまには私の滂沱の涙をぬぐってくれ!

13年9月8日

大内くんの会社の先輩が突然のくも膜下出血で亡くなり、今日は「お別れの会」があったそうで、黒ネクタイで出かけて行った。
入社以来ずうっと仕事上のつきあいがある人だったので、悲しみもひとしおかと思う。

最近、同年代の人たちに様々な不幸が起こっている。
脳梗塞を起こし、半身不随になって、今必死にリハビリしている、高校時代の先輩であるマンガ家。
8年にわたるがんとの戦いの末、ついに亡くなった友人の奥さん。
精神の不調に長年苦しみ、自ら命を絶った35年来の親友。
そしてその奥さんも、後を追うように乳がんで亡くなった。残される子供がいないことだけが幸いだった。
みんな、50歳にになるかならないかという年齢だ。

「何か、あるんですか!厄年ですか!」と言いたくなるような、不幸続き。
結婚・出産といったぱあっとおめでたい話が少なくなり、みんな、子供の進学や親の老化などで地道に苦労をしている時期だ、というのはわかるつもりだが、それにしてもつらい話ばっかりだ。

我が家も、22歳の唯生が数度の手術を受けて人工肛門になったり、実家の母の病気で介護の姉が体調を崩しながら奮闘しているといった事情はある。
どうしようもないことなんだろう。
年齢的には近々「親の葬式ラッシュ」になるんだろうし。

大内くんも、
「自分も含めてみんなまだまだ若い、と思っていたけど、やっぱり年はとるんだね。元気に頑張んなくっちゃ!」と、仕事に出かけては、最近こりやすくなった首をコキコキいわせている。
心身ともに健やかで、疲れも恐れも知らなかった20代がなつかしいよ・・・

13年9月10日

小学校入学から高校卒業まで柔道を続けて二段になってしまった息子のことを、よく大内くんと、
「どこから来たDNAかねぇ。我々、こんなに熱心に物事に打ち込んだことなんかないよ」と不思議がっているが、いまだに答えは出ない。
もしかしたら、
「私の孫に運動選手が出るとは思えない」と生前に運動嫌いを語っていた私の父の、切手蒐集にかける熱意が方向を変えるとこうなるのかもしれない。
少なくとも大内くんのお父さんは、いろいろ手を出すが熱しやすく冷めやすいタイプらしいし、息子はいろんな意味で私の父によく似ている。

最近読んだ「信田さよ子」と言う人の「アダルト・チルドレン」の本によれば、
「子供の性格を、『誰々に似ている』『遺伝だ』」と言うのはNGらしい。
性格は環境に大きく左右されるからだろう。
でもやっぱり、DNAという化け物のようなシステムに何か書いてあるのだとすれば、息子のDNAには私経由で彼の祖父から伝わったことがたくさんあるように思う。
父はあまり常識的な人ではなかった(ひと言でいえば、変わり者だった)が、18歳で東京に来たため一緒に暮らした期間が短く、かつ彼譲りの変わり者であった私には、尊敬できる面のたくさんある、まあまあ立派な父親だった。

母はよく「あの人はケチだった」とそれこそケチをつけるが、本当にケチな男が、娘を東京の私立大学にやったり、妻がスカートを100枚も買う(ついでにそれを入れるタンスを買い、タンスの置き場所を作るために家を増築した)ことを許すものだろうか。
彼の世代の男性によくあるように、基本態度が「無関心」だったため気づかなかったけど、自分がコドモを持ってよくわかる。
愛情は、金銭に形を変えることもあるのだ。

私は今、稼いでいないのでわからないが、一家の養い手である大内くんは、
「オレの稼いできた金を無駄遣いしやがって」というように思ったことは1度もないらしい。
実際、高いローンを払って買ったマンションの壁を、反抗期の息子が殴りつけて大穴を開けたことが3回ぐらいあるのだが、
「やめてね。もうしないでね」と言うだけで、怒ってみせさえしなかった。
「息子さんの、それは、家庭内暴力とは違うんですか?」と友人(男性)に真顔で訊かれたりもして、そこんちのコドモたちほどはしつけが良くないのは認めるものの、まあ一過性のものだったようで、今ではそんなことはしない。
大内くん的には、
「もっとつまんないことになら僕はけっこう怒りっぽいんだけど、大事な場面では怒れない。父親のモデル像が欠落してるせいだろう」と思っているら しい。

別の友人(女性)に、
「父親がすぐに怒鳴る人だったため、怒声に異常に敏感に反応してしまい、職場の上司が怒鳴ることに耐えられず、転職した」という人もいるぐらいで、怒りすぎるより怒らなすぎる方がいいんだよ、大内くん。

ちなみに信田さよ子は、
「(母親が)夫にされたこと、姑に言われたことを子どもに垂れ流す、すると子どもは誰にもそれを言うことができず、母の感情のゴミ箱のようになってしまいます。これは虐待以外の何ものでもありません。子どもがおとなしく聞いてくれると、母親は、『優しい子だわ。私がえらいから、こんな優しい子に育ったのよね』と、子どもがどれほど傷ついているかも知らないで、無神経な自己満足に浸ります」
とも書いている。
大内くんは、
「感情のゴミ箱か。うーん」と、何やら考え込んでいたようだ。
私にも、いろいろ考えるところのある本だった。

今日も大内くんは会社に働きに行き、息子は新潟で自動車教習に励み、私は、ごはんを作る必要がないのでこれまでよりさらにくつろいで寝ている。
息子がいないのは少し寂しいけど、このまま帰って来ないと楽だなぁ、とは思うね、実際。
最後にもう1度、信田さよ子の本から引用しておこう。

「家庭とは、支配する、される関係から自由でなければなりません。つまり自分が自分のまま生きて、何か安心できて、ご飯がおいしく食べられて、だ らしなくしていても許されて、自分が何か言ったら聞いてくれる人がいる。それだけでいいんです」

今、私はこの家庭で自由だ。
安心で、ごはんがおいしい。話を聞いてくれる人がいる。
息子もそう思ってくれているだろうか。
実は、私を一番不自由にするのは彼なんだが・・・話聞いてくれないし・・・

13年9月12日

息子が新潟へ免許合宿に行ってからもう1週間。
あと1週間たてば帰って来てしまう。

大学生になってから、毎晩帰りは夜中だったし、12時ごろに急に「メシ!」とか言われる以外は特に世話をしなければならない生き物でもなかったので、いてもいなくても同じようなもんだ、と高を括っていたが、これが実はずいぶん違う。

たとえば、風呂上がりにバスタオルをそのへんに投げ散らかしっぱなし。
「ちゃんとタオル掛けに掛けてね」と何度言っても、「へーい」と言うだけで、気の向くまま、2回に1回ぐらいしか掛けてくれない。
こっちの機嫌がいい時はまだしも、ムカッと来やすい時には、ガマンならない。
特に、ソファに掛けるのはやめてほしい。本革で、買う時には「清水の舞台」な気分だったんだから。
「このソファ、いくらしたか知ってる?」
「○○万でしょ」
小憎らしいほど、1度聞いたことは正確に覚えている。
じゃあ、「タオル掛けに掛けろ」の部分も覚えておいてほしい。
いないと、そういう気苦労が完全にない!

ツィッターのフォロワーには絶対してくれないし、家にメールの1本もよこさない。
「もうハンドルを握らせてもらえた?」とかメールしても返事もくれない。
昨日読んだ本に、「18歳過ぎた子どもと親が同居していて、感情的な対立が起こらない方がおかしい」と書いてあったが、まったくだ!

大内くんと2人だけで暮らす日々は、ごはん作りも最小限でいいし、「今日は何時に帰って来るんだろう?」とか話し合わなくてもいいし、本当に気楽だ。
洗濯物も少ない。普段は、1時間着ていただけのTシャツをどんどん洗濯カゴに放り込む輩がいるからなぁ。

車の事故は怖いので、うちの保険は「対人無制限」にしてある。(秋元康をひき殺しても大丈夫、なはず)
今回、年齢制限を変えて、「20歳以上の人が運転する」という前提にした。
これだけで年に5万円ぐらい違う。
痛い出費だし、本人は、
「オレ、そんなに車は運転しないと思う」と言うが、だからと言って絶対運転しないというものでもないだろうし、運転すれば、事故を起こす心配は常にある。保険は絶対必要だろう。

さて、免許を持って帰って来たとしたら、いきなり「親による路上検定」を行わせてもらうか。
高校時代の先輩が数年前に、
「長男が免許を取ったが、彼の運転は慎重で信頼できる」とメールくれて、その時点でもう、うらやましくて仕方なかった。
うちの豚児は意外と器用で慎重なところがあるのでそこに一縷の望みをかけているが、さて、普通の乗用車で田舎で取った免許が、東京都内でノアを運転する時どのくらい役に立ってくれるものだろうか?
武者震いがする。
「早く帰って来い」半分、「二度と帰って来るな」半分の、不思議な境地。

行く前に、
「就職したら家を出てくれるんだろうね?」と念を押したら、「うん」とは言っていて、さらに、
「長い不在を経験するわけだし、大学生のうちに、もう家を出たくなるかもしれないね?」と聞くと、やはり、「うん」。
今回、身にしみた。
経済的な問題さえクリアできるなら、今、家を出てくれてもちっともかまわない!

13年9月13日

最近「さだまさし」をよく聴くようになって、それは単に、枕元のオーディオデッキにiPodを突っ込んでかけっ放しにした時、ある程度まとまった 曲数が入っていて、かつ、読書や眠るのに邪魔にならない、という観点に立つと、彼が一番無難だからだ。
(アルフィーとかかけてると、曲数はもんのすごくあるが、興奮して眠れなくなる)

大内くんにはいささかバカにされていたのだが、彼も、「0−15」で、
「さだまさしは歌がうまい。彼のユーモラスな曲は聴くに堪えなかったんだが、この曲は難しいのに、リズム感が良くてちゃんと歌えているし、息子が柔道やってた頃を思い出す」と言って、つき合ってくれるようになった。
「コントロールを磨いて 集中力さえつけば あとは駆け引き そして最後は自信で流れも変わる」って、テニスの歌なんだけど、最初の部分を「足技を磨いて」とかにすれば、まんま柔道の歌。つーか、およそあらゆるスポーツに流用可能。

あとねぇ、「親父の一番長い日」で、娘さんをくださいと言ってきた男にお父さんが「一発殴らせろ」って言うんだけど、今でもそんなこと言いますかね?
言う?さだまさしだから?

大内くんは、唯生が絶対お嫁に行かないもんだから気楽なもんで、
「僕は、キミのお父さんがそういうタイプじゃなくってよかった。でも、一応結婚のお許しをいただくために名古屋に行って、お約束の『お嬢さんをください!』ってやつを言ったら、キミのお父さんが、『私は、娘たちのセックスには干渉しない主義です』って答えたんだよね。あれは、驚いたなぁ」と25年前をふり返っていた。
うん、実は、私も驚いたよ。

さらに大内くんの記憶では、
「名古屋まで、夜中の1号線をずっとレンタカーで走って行ったんだけど、道々キミに、『パパは、気に入らない相手だと、口もきかずに2階へ上がっちゃうよ。お姉ちゃんの彼氏なんか、何人もそういう目に合ってるんだから。もしあなたがパパの気に入らないようなら、この結婚話はなかったことにしてもらうからね!』っておどかされて、ものすごく心配したよ。何とか許可がもらえてよかった」そうである。
そういえばそんなことを言ったなぁ。

18歳で大学進学のために家を離れたので、もともと会話の少なかった父とはほとんどまともに話さないうちに死なれてしまったが、結婚式で一緒にバージン・ロードを歩いてくれたこと、披露宴の間、各テーブルにお酒をついで回ってくれたこと、主賓のマスゾエ先生が都合で早めに帰るのを目ざとく見つけ、エレベー ターまで見送りに行ってくれたこと、全部とっても感謝している。
母には「変わり者で社会的常識を知らない」と散々こき下ろされていた父だったが、実に常識人的な振舞いだった。

さらに、父の葬式で親しい親戚のおばさんから、
「パパは、あなたのこと、とっても気にかけていたのよ。大内くんのこともすごく気に入っていて、『ありゃあ、いい青年だ。あの子も、これで安心だ』って、よく言ってたわよ」と言われた時は、葬式用の涙以外のものが目からあふれ出た。

気難しい人ではあったようで、同居の姉はずいぶん苦労をしたと思うが、肺がんで余命半年と宣言された後、残された寿命のすべてを注ぎ込んで、最後は人を雇ってまで趣味の切手の整理に打ち込み、まとまった額に替え、うちの息子と、同い年の姉の息子、2人の孫の学費に充てろ、と遺言してくれて、おかげで息子の大学の学費は全面的にOKである。留年までされるとちときついが。

小学校5年生でいきなり「おじいちゃんのお葬式」に連れて行かれた息子に、1度そう話したことがあり、覚えているとは思わなかったんだが、今年の春に2年の前期の学費を払い込んだ時に思い出し、
「あなたの学費は名古屋のおじいちゃんが切手を売って遺してくれたんだけど、いくらか知ってる?」と聞いてみたら、
「○○万円」と、正確な答えが返ってきた。
本当によく覚えてるヤツだな。
日常の細かい注意もそれぐらいよく覚えていてくれたら助かるんだが。出かける時は玄関のカギを閉めろ、とか。

もう10日ばかりで父の命日だ。
5年ぐらい名古屋には帰っていないので、当然墓参りもしていない。
もっとも、実家の方でも思い立った時に行ってるだけのようで、特にお盆とか決まった時に呼ばれる、なんてことはない。
そもそも母が買った新しい墓で、身寄りなく亡くなった母の姉の遺骨と、母がうんと若い頃に死んでしまった母の両親(つまり私の祖父母だ。写真でしか知らないけど)の位牌が入っているだけの寂しいところに父の遺骨が加わった、という、やや変則的なお墓なのだ。

父の実家は山口県で、かなりの資産家だったようだが、東京の大学に行き、帰省の電車で乗り合わせた母に一目惚れした父が、ちょっと想像できないほどのパワーで押しまくって結婚に持ち込んだらしく、どうもその頃のいざこざで実家とは疎遠になっていたふしがある。
卒業して何の縁もない名古屋で就職し、ほぼ同時に結婚だし。
そのへんは母からもう何度も聞いているのに、いまだにちゃんと覚えていない。
最近弱って来たという母がいなくなると、実家の歴史は闇の中だ。
今頃、同居の姉がイヤと言うほど聞いていて、将来は語り部になってくれると楽観しているけど。(だから覚えられないんだ・・・)

親関係をちゃんと終息させないとオトナになれないような気はするが、我々の世代はいったいどうオトナになればいいんだろう。
家族関係のモデルがなさすぎる。
戦後、核家族化してしまった家族の、そのまた下の世代だからか。
皇室をモデルにすればいいのかと思っていたが、あればあれで、紛糾してるしなぁ。
親と紛糾するところにしか、我々の「オトナ化」はあり得ないのだろうか。
さだまさしに訊いたところで仕方ないし・・・「関白失脚」で自爆してるよ・・・

13年9月14日

おめでたい話がない昨今、と愚痴っていたら、大内くんの学生時代の友人(つまり50歳ぐらい)が結婚することになったそうだ。久々の、純粋におめでたい話だね。今日が結婚式。
大内くんにも招待状が届いてるはずなのに、見てなかった。おっかしいなー?
挙式2週間前になっても返事がないのをいぶかしく思った当人から電話をもらい、大内くんはものすごく恐縮していた。
もちろん披露宴にも、その前の式にも、参列させていただく旨、即答していたよ。
古い友だちも来るだろうから、新郎新婦を祝福しつつ旧交を温めてほしい。

6年ほど前に大学のクラブの友人が45歳で結婚し、愛息にも恵まれて幸せな生活をしている。
さすがに遅い結婚なので、新郎のお兄さんがお酒をついで回りながら、
「もう、結婚は無理だと思っていたので、とても嬉しいです」とニコニコしていたなぁ。
その後、双方の両親にとっての初孫になる男の子が生まれて、いやぁ、年賀状の写真を毎年見るにつけ、およそありとあらゆるお祝い事をこなしている5歳児。
お宮参りやお食い初めは当然として、餅は背負うわ鯉のぼりは上がるわ、祖父母と親の喜びかげんがハンパじゃない。
幸せな幼児だ。まわりも幸せ。

前出の大内くんの友人といい、この友人といい、まだまだ高スペックの男性が初婚で残ってるもんだなぁ。
それに、男の人は若い奥さんさえもらえば今からコドモも夢じゃない。いいねぇ。
その点が若干不利だが、アラフィーの女性陣、頑張れ!
若い人も、お相手の年齢制限を少し緩めるだけで、なかなか掘り出し物の逸材がいるかもよ。
結婚式に行ってきた大内くんによれば、奥さんは勤務医だがまだ若く(30代?)、ホテル・オークラの結婚式は食事がおいしく、いい思いをしてきたらしい。
留守番の私も、おみやげにもらった「ウエスト」のクッキーで幸せ。
いい結婚式&披露宴だったようだよ。

25年前に我々の結婚式に来てもらった人なので、今回、大内くんが話をした範囲では、
「絶対に、自分の結婚式にも来てもらおうとずうっと思っていた。こんなに遅くなってしまったけど」と言っていた新郎らしい。
律儀な人だ。
国民年金会館でやった我々と、ホテル・オークラでは格が違い過ぎて、もったいないことでございます。

悲しい出来事ではあるが、離婚や死別がある、ということで言えば、20代に恥ずかしくなるようなバトルを繰り広げてとりあえず落ち着いたカップルたちが、今からでももう1度参入可能なんだなぁ、と最近気づいた。
6、70代で、もう1回あの大騒ぎをやるのかも、と思ったら、なんか人生が楽しくなる。
もちろん私は大内くんと添い遂げたいと思ってますけどね。
さて、老人ホームは大騒ぎ、なのだろうか。

13年9月15日

明け方に目が覚めたら、ものすごい雨が降っていた。
最近よくある「ゲリラ的豪雨」ではなく、もうちょっと腰の据わった大雨っぽい。
天気予報をググったら、どうも台風が近づいてるようだ。
昨夜寝る前に大内くんと休日の予定をあれこれ考えたが、まず、「隣町へ散歩に行ってカレーを食べる」から挫折じゃないか。
しょうがないから、あさっての予定だった「ニトリにタオルを買いに行く」に変更。
これなら車で行けるもんね。

私はなんだか大雨とか雷とか雹とか、とにかく天変地異が大好きだ。
それであちこちに被害が出たりすると困るが、ひたすら大雨が降っている、というような風情はなかなかのものだと思う。
あまり外出しないから言えることではあるんだろうな。

雨がやんできたすきに行った、車で30分ほどのニトリでは、日頃の欲求不満を晴らすかのようにたくさん買い物をした。
タオルなんか、色違いを2枚ずつ、10枚も買っちまったよ。
あとはお皿を少し。
あいにく、2人ともが「これだ!」と思うほどのモノにはめぐり合えなかったが、今現在、どうしても必要なサイズのお皿があったものだから。

お会計をして4千円ぐらい。まあまあ。
「100均」で買いまくるのに似た満足感を覚える。
ニトリは安くていい。

雨は降ったりやんだりで、どうやら明日は台風上陸らしい。
こういう時、いつも大内くんと、
「昔は缶詰やローソクを出して、なんだか『非常事態』的な雰囲気がただよってたよね。でも、コドモだから全然その緊迫感がわからなくて、わくわくするばっかりだった」という話をする。
古い「サザエさん」を読むと、そういう感じがよくわかるよ。

さて、家中の窓を閉めて、台風に備えよう。
停電もあり得ると思い、とりあえず懐中電灯だけは手元に置いておく。
大内家の台風への備えはその程度だ。

13年9月16日

台風18号、本格的に日本上陸。
起きてすぐ見たニュース映像では、京都で川の水があふれていた。
東京も雨と風が激しい。
外出、なんて考えることもできない。

念のため、新潟にいる息子に、
「こっちは大丈夫だけど、そっちはどう?」とメールしておいたら、昼頃になってから、「大丈夫」とだけ書かれた返事が来た。
「合宿先の人の言うことをよく聞いて、危ない外出とかしないようにね」と返しておいたが、まるで小学生へのメールのようだ。
明日には卒業試験を受けようか、っていう大学生に、こんなんでいいんだろうか。

だが、昼寝をして起きてみたら、そんな台風もどうやら東京はかすっただけで通り過ぎてくれたようで、風はずいぶんおさまっていた。
夕方には雨もあがった。
今週の分の買い物とかレンタルDVDの返却とか、やっと行ける。
同じことを考える人は多いようで、スーパーはどこもとても混んでいるし、お目当てのヨーグルトやチーズも、品薄だった。
すでに買われてしまったんだろう。出遅れたか。

道端に折れた木の枝が落ちていたり、熟れる以前の問題の小さな柿の実がたくさん転がっていたり、壊れたビニール傘が歩道の端に打ち捨てられていたり、暴風雨の激しさを垣間見ることができた。
なんとなく、柿の実が哀れである。

今回の台風で骨身にしみたのは、エアコンと浴室乾燥機のありがたさ。
暴風雨が荒れまくって、窓を開けるのも不可能だったからなぁ。
まだまだ暑いこの季節、エアコンがなかったらどうなっていたことか。
浴室乾燥機も、外に洗濯物を干せない日が続いたのでとてもありがたかった。

そんな時に思うのが、私が生まれた年に名古屋に「伊勢湾台風」が上陸したこと。
小さな時から母親に、よく、
「あなたが生まれた年は伊勢湾台風が来て、本当に大変だった」と聞かされて育ったのだが、今になってやっとわかる。
8月に生まれたばかりの私と、1歳半の幼児である姉を抱えて、窓も開けられないおしめも干せない買い物にも行けない数日、母は困り果てたことだろう。
暑くて泣く幼児、ひっきりなしにおしめを消費する乳児。
冷蔵庫も大したことない当時のことで、食事にも困っただろうなぁ。

そんなことからも、親には苦労をかけたものだ、と思う今日この頃。
台風が過ぎて空がきれいになり、ばら色に染まる夕焼けを見ながら、今の時代に暮らす喜びをかみしめる私だった。

13年9月17日

東京では台風のあとかたもなくなって、大内くんが普通に出勤する朝。
台風上陸直前の土曜日に結婚式を終えてしまった大内くんの友人の運の良さに、つくづく感心する。
結婚式の予定なんてものはヘタすりゃ半年ぐらい前から決まってるもので、台風の真っ最中だろうがその日に式を挙げざるを得なかったカップルも多いだろうし、中にはそれが原因で大モメにモメて、成田離婚どころか入籍にも至らない、なんて人たちもいるかもしれない。

大内くんは、
「台風一過、ってよく言うけど、昔は『台風一家』だと思ってて、どんな家族なんだろう?って思ってた」と言う。
「わかるわかる!私もそう思ってた!」と言ったらとても喜ばれ、しばらく2人で盛り上がった。
「あとさ、『強風波浪注意報』も、『ハロー!』って言いながら、何が来るのかと思ったよね。江口寿史に描かれちゃったけど」
「そう言えば、息子が小さい時、北海道をまっすぐどんどん走ってたらカーナビが『この先5キロ、道なりです』って言ったら、彼の耳には『この先5キロの道のりです』って聞こえたんだよね。コドモの聞き違い、って、本当に面白いね」

もう、そんな面白さには遭遇できない。
息子のコドモに期待する。

13年9月19日

息子が免許合宿から帰って来た。
少しはオトナになっているかと期待していたのだが、まったく変わらない。
「腹へった」と言って煮込みラーメンを作らせ、2人前をぺろりとたいらげたあとはシャワーを浴び、気がついた時にはもう次の予定に向かって出かけてしまっていた。
つむじ風のようだ。

教習手帳を見ると、乗車訓練が第2段階最短12時間、第3段階で19時間なのに、両方ピッタリで終わっている。
「運転がうまい」と自他ともに認める私ですら、1時間オーバーしたのに。
仮免も卒検も1度で合格している。
ただし、学科は2、3回落ちているようだ。
大内くんにそう言ったら、
「僕とまるっきり逆。僕は学科は10分で終わって退室して、合格だったよ。そのかわり実技はかなり長くかかったけど。彼はキミの子だから運転はうまいんじゃないかな。車庫入れはわからないけどね」。
はい、こないだも、マンションの駐車場で隣の車に接触しました。もう3度目です・・・

最終的には試験場で試験を受けて免許が交付されるらしいので、まだ今の彼は運転できない。
免許持ってる人が同乗して、車に「仮免練習中」という札をつければ公道を走ってもいいんだが、まあ、近いうちに試験場に行ってもらおう。うちは近いし。

合宿中にパチンコにお金をつぎ込み過ぎだとか、駐輪場の契約更新を無視してた(大内くんが会社の帰りにしてきてくれた)とか、大内くんは息子に怒りたいことがいくつかあるらしい。
出かけたきりなのでそう言ったら、息子のケータイに電話していた。
「今日、何時に帰って来るの?話があるんだけど。1時?そりゃ遅いね。じゃあ明日話すから、ちゃんと帰って来るように」と、珍しく「お父さんの威厳」みたいなものを発揮していた。

でも、朝起きたら息子はいなかった。1時帰りどころか、無断外泊。
さて、今夜は帰って来るかな?大内くんが、いったいどんな顔で息子を「叱る」のだろうか。
傍観者は気楽だ。ゆっくり見物しよう。

13年9月21日

かなり秋めいてきたなぁ、と思いながら、隣町へ自転車で。
まだちょっと、散歩には暑い。

久しぶりにカレー喫茶のチキンカレーを食べた。
息子の夜食用にテイクアウトを1つ。
最近、いつ帰って来るのかいつ夜食を食べるのかさっぱりわからないので、家で大鍋いっぱいカレーを作る、ということはすっかりなくなった。
夕食はほとんど大内くんと2人きり。
食費がかかんなくなったよ。自分たちのおやつ代はすごいけどね。

ロフトで、バスオイルを何種類か買う。
入れてみたら、シトロネラ、というやつが案外よかった。
甘めのシトラス系で、穏やかな気分になれる。
それ以外にも「心地よい眠りを誘う」というやつも買ったので、今度試してみよう。

いったん家に帰ってから、車を出して唯生の面会に。
ずいぶん容体は落ち着いてきたけど、まだチューブ栄養が安定しないらしく、点滴で栄養を入れている。
唯生にとっては、カレーなんてもう一生縁がないんだなぁ、と思ったら、少し悲しくなった。

ドクターも看護師さんたちも忙しそうだったので、聞けたのはその点滴の話ぐらいだった。
しばらく唯生の顔を見たり腕をさすったりしてから帰る。
正直なところ、唯生と一緒にいても何していいかわかんないなんだよね。
点滴とか取れてチューブ系が安定してくれば車いすで散歩、ってこともできるんだけど、病棟のベッドを離れられない唯生を前にしても、「唯生、唯生ちゃん」と声をかけるぐらいしかすることない。
まったく意識のない患者さんもいるような気がするので、唯生はずいぶん気楽な方なんだが。

とりあえず回復基調だ、と言うことを喜ばなくっちゃね。
人工肛門も問題なく機能してるみたいだし。
唯生、また来るよ。少しずつでいいから、元気になってね。

13年9月22日

ここ数カ月、大内くんと一緒にはまっていたのが「グリコヨーグルトBifix」。
フルーツ味がいろいろあっておいしい。
大内くんはラズベリー、私はストロベリーが一番好きだったんだけど、ひと月ぐらい前から出たのが「マンゴー味」。
普段、パッションフルーツ系は苦手な私でもOKな、自然なさらっとした甘さが実にいい。

ところが、この「マンゴー味」、評判がよくなかったのか原価が高くつくのか、理由はわからないけど発売してすぐにスーパーの棚から消えて行ってしまった。
うちは大好きなのに!もうちょっと高くても、買うのに!

しょうがないからあちこちのスーパーをめぐってみた。
アマゾンと楽天まで見てみた。
でも、やっぱり製造中止なのかなぁ。どこにもないよ。

深く悲しみながらも、今日は散歩をかねて、普段は行かないサミットへ。
やっぱりマンゴー味はない。
上のコジマにちょっと寄って、今のところiPadとネクサス以上にいいタブレットはない、ということを再確認して帰る。

大内家ではいろんなものが「流行る」。
そして、流行りは必ず終わる。
2年ぐらい週末に食べ続けていた「水餃子」も、気がついたら終わっていた。
たった今はヨーグルトとフィラデルフィアのチーズ(ブラックペッパー味とガーリック&ハーブ味)がおやつとして流行っているけど、それもいつかは終わるだろう。

その前は、グリコのアイスが流行っていたような気がする。
アイスよりはヨーグルトやチーズの方が、おんなじカロリーでも健康にいい、と思うのは気のせいだろうか。

13年9月23日

敬老の日。2週続けての3連休はとてもありがたい。
ありがたがって何をするかと言うと、1日中「半沢直樹」。
頭の中は「倍返し!」だらけ。

いや、今期のドラマはね、先期にいいのが多すぎて、デッキのメモリがピンチだったんで、ほとんど何も録画してなかったのよ。
そこへ、この「半沢直樹」ブームでしょ。
第7回ぐらいからは録画するようになったんだけど、そこまでは空白。
しょうがないからさる方法で観た。
時々、ものすごくハングルの字幕が邪魔な回もあったよ。(笑)

すごいねー!
うちはもともと堺雅人は大好きで、映画の「南極料理人」とかドラマの「リーガルハイ」とか喜んで観てたんだよね。
「新撰組!」の「山南敬助」の役がよかったので、数年間、何に出てても「山南さん」と呼んでたけど。
今回は、完全に油断したなぁ。

大内くんは会社での話題について行けないのが可哀そうだった。
日曜夜に見て、月曜朝に話題にする。
メーカーですらそうなんだから、銀行はさぞかしスゴイことになってただろう。

「上司に倍返し!とか言うらしいよ」と言ってた大内くん。
あなたも一応上司じゃないか。いつ「倍返し」されるかわかんないよ。
「僕は、良くも悪くもそういうタイプじゃないと思う。人畜無害」
でも、「意外と怒りっぽい」と言われてるそうじゃないか。部下には常に親切にね。

「倍返し!」は今年の流行語大賞になる予感がするなぁ。
通販のセシールでさえ、「ポイント2倍返し!」とか言ってくるもん。
土下座が流行るかどうかはわかんないけど。

9話までを片づけ、これでやっと明日を待つばかり。
拡大枠だらけのこの話題作、最後はどう「返して」くれるのか。とても楽しみだ。

13年9月24日

で、観ました。最終回。時間がなくて、火曜にやっと録画観たんだけど。
うーん、思ってたとおりと言うか、思いもよらないと言うか。
一つだけ確かなのは、映画なのか2時間スペシャルなのか第2シーズンなのかはともかく、必ず続編があるだろうということ。
楽しみだ。

全部観て、ちょっと驚いたのが「金八関係者」の多さ。
数学の乾先生(通称カンカン)とか、「金八の奥さん」倍賞美津子、圧巻は第6シーズンで性同一性障害の少女「直」を演じた上戸彩とそのお母さん 「りりぃ」。
義理だけど、母子であることはおんなじ。
楽屋で、「またよろしくね、『お母さん!』」とか言ってるんだろうか。
そこに倍賞美津子が、
「私はあの時は遺影だけだったのよね〜」と入って来るとか。

大内くんは、明日会社に行っても話題に困らないだろうなぁ。
うらやましい。
私は話す相手もいない。フェイスブックに流すか。

13年9月26日

もう2週間ばかりたつと、息子の誕生日だ。ついにハタチになる。
2年半前に唯生が成人した時、大変感慨深かった。
寝たきりの重度の「障害児」が、寝たきりの重度の「障害者」になったのだ。
それでも何も変わりはしないだろうと思っていたのに、まったく考えていなかったことが次々と起こった。

まず、我々と世帯が分かれた。
いや、これまでも別々に暮らしてはいたんだが、唯生の暮らしと我々の暮らしは、完全に別物になったのだ。
我々が唯生の生活のために支払う金額も、格段に減った。
成人した障害者は、親よりも社会の世話になる度合いが強いんだな。

さらに、これは本当に何も知らなかったので非常に驚いたのだが、「障害者年金」をもらえるようになった。
唯生の口座に、毎月一定の額が振り込まれる。
2年半もたってみると、これが案外馬鹿にできない額である。
その間に3度ほど入院し、病院の都合で差額ベッドの個室に入った時期が多かったんだけど、まったく問題なく唯生の貯金でまかなえてしまった。
福祉、恐るべし。

この調子で貯金が貯まっていったら、将来息子が結婚する頃までにはそこそこまとまった額になるかもしれない。
そうしたら、息子と結婚してくれる人にとって、息子が我々亡きあと唯生の面倒を見る、というか、書類上の保護者になって年に1回か2回、書類を書いたり面談に行ったりしなきゃいけないのも、仕方ないとあきらめるのが少し楽になるかもしれない。
唯生に財産がある、というのは、親にとっても安心できることだ。

お酒を飲むわけでも借金をするわけでもない唯生が成人しただけでもこんなに変わったんだから、一人前に社会生活を送っている息子にとっては、大ごとだ。
大内くんは、
「そうなったら、彼がサインした契約は全部有効になってしまう。前にテレビのドッキリカメラみたいなやつで『この書類に親のサインがいる』なんて言われたけど、もう親の承諾はいらなくなっちゃうんだよ。とんでもない書類にサインしちゃったらどうしよう」とかなり真剣に悩んでいる。

まあ、息子は確かに成人するには思慮が足りずアホであるが、だいたいみんな似たような人たちが成人するのだ。
何とかなるだろう。
我々だって、いつ何時とんでもないことをしでかしてしまうかわからない状態で成人したんだから。
それが今や50歳過ぎ。時間は、本当にすさまじい。

13年9月27日

そういうわけで、息子の誕生日はちょっと豪華に祝ってあげようと思って大内くんと相談している。
私は隣町の焼肉屋で思いっきり肉を食べさせて、生ビールのジョッキも飲ませてやろうと思ったんだけど、大内くんの計画はかなり違う。
先日、我々が一大決心をしてローストビーフを食べに行ったパレスホテルに、息子を連れて行ってやろう、と言うのだ。

このローストビーフは、6年ほど前に大学の頃の友人の結婚披露宴に招かれた時、「食べ放題」のコースだったんだよね。
大内くんは「すごくおいしい!」と言いながら3枚ぐらい食べたが、ついに力尽き、もっと食べたい、でも食べられそうにない、というところで年配のウェイターさんからにこやかに、
「おかわりを、いかがですか?」と言われ、
「食べたいけど、食べきれるかどうかわかりません」と正直に答えたら、いっそうにこやかに、
「では、ハーフでお持ちしましょうか?」と聞かれて、ありがたくいただいたその半切れのローストビーフは本当においしかった、という思い出のあるものなのだ。
味もさることながら、一流サービスマンの絶妙の接客に感動したよ。

そんなパレスホテルに6年たってやっと行って、コース料理のメインを料金アップでローストビーフに替えてもらった。
もちろん「食べ放題」ではないが、ひと切れがものすごく厚く大きく、大満足したよ。
そこに、息子を連れて行きたい、と大内くんは思うらしい。

どうしようか、と悩んで、フェイスブックで友達に相談してみた。
めずらしく6人ほどの人たちからお返事がもらえたんだが、答えはみんな同じ。
「ローストビーフにしなさい」
降参しました。パレスホテルに行きます。

一応息子に予定を聞いて、誕生日当日はさすがに友達やカノジョ(いれば、の話だが)にお祝いしてもらうんだろうから外して、翌日の金曜夜、大内くんの仕事が終わってから行くことにした。
さっそく予約を入れる。ついでに、
「お祝い事なのでシャンパンをお願いしたいんですが、おいくらぐらいからありますか?」と聞いてみた。
答えは、「1万5千円」ぐらい。
まさかドンペリやクリュッグを開けようとは思ってなかったけど、最低ラインでこれかよ。料理の倍するじゃん。

まあ、ここはひとつ、ゴージャスに行きましょう。
東京駅で待ち合わせて、「パレスホテルへ」ってタクシーに乗り、重厚なホテルの絨毯を歩く。
「ノータイでもいいけど、一応スーツでね」と息子には言ってあるし、食事のあとは上のバーで飲むつもりだし、さて、少しは親のハッタリがきくだろ うか。
「『カクテルでも飲む?わからない?うん、じゃあ、マンハッタンでも頼もうか』と言ってみたらどうかねぇ」と大内くんに言ったら、
「マンハッタン、って、何が入ってるんだっけ?オリーブ?」。
それは、マティーニだ。(マンハッタンはスィート・ベルモットとウィスキー)
やっぱり、カッコつけずに実力相応でやるしかないね。

13年9月28日

隣町まで散歩。
暑い季節の間は片道だけ歩いて帰りはバスだったり、近くまで自転車で行ってあとは歩くとか、いろいろ工夫してたんだが、それが裏目に出て、片道30分の道のりを、ブランチやお茶、買い物のあと歩いて帰れなくなってしまった。
足が弱ったんだね。

今日は何としてもそこをクリアするぞ!と意気込んで、とにかく行きは歩いた。
ラーメンを食べ、ロフトで買い物をし、ブックオフをひやかし、スタバでお茶を飲んで、さて、帰る前に優秀な魚屋に行くか。
ここは駅ビルに入っているチェーン店で、うちの最寄り駅にもあるが、どうも隣町の方が勢いがあって魚が新鮮な気がする。
客の回転がいいからだろうか。

そしたら、ものすごいブリの群れと遭遇してしまった。
奥でさばいてるにーちゃんの横に、5、6尾のでかいブリが転がっている。
当然ブリはお買い得で、先週買った時は刺身ひと柵が780円だったのに、今週は2柵で580円。
これが買わずにいられようか。
ついでに、無茶苦茶肉のついてるでかい「かま」を400円で買う。
さらに、どう考えてもお買い得なヒラメの切り身を3切れ買う。これは煮つけにしよう。
ああ、大富豪な気分。

だがしかし、ちょっとばかり困るのは興奮して買い過ぎたブリたちの始末。
とりあえずブリ大根を作って「かま」を消費するとして、刺身はどうしようかな。
あいにくなことに来週は大内くんが遅い日が多く、最近晩ごはんを決して家で食べなくなった息子は最初っから勘定に入れないとして、刺身2柵かぁ。
おまけに、今週焼こうと思ってタンドリーチキンを漬けこんであるんだよね。
ない時はないのに、ある時はありすぎる、それが食べ物。

結局、その日のうちに刺身と湯豆腐の具にしてひと柵を食べ切り、残りのひと柵は、私が3日間、朝も夜も「ブリ茶漬け」を作って食べ切りました。
いや、よく鯛とかヒラメとかの白身の刺身を、ゴマ醤油に漬けておいてお茶漬けにして食べるでしょ。
あれを、ブリでやってみた。案外いける。
つくづく、私は魚のお茶漬けが大好きだ。

翌日「ヒラメの煮つけ」を食べて、これがまた肉厚でおいしいのなんのって。
きゅうりの浅漬けと煮つけを食べて、大内くんと、
「もう、これ以上は何もいらないね。僕らもついに、老人の胃袋に近くなってきたよ」と話し合う。

こうして何とか木曜まで来て、やっとタンドリーチキンが焼ける。
10日ぐらい漬けこんでいて、これまでの最長でも1週間だったので、ちょっと心配。
大内くんは、
「空気に触れさせないでヨーグルトに漬けてあるんだから、大丈夫だよ!」と自信満々。
まあ、とにかく焼いてみよう。
!おいしいじゃないか!

今日は料理の神様が降りてきたので、ついでに茄子の南蛮漬けとレンコンのきんぴらを作る。
冷蔵庫は食べ物で一杯。
幸せだが、これを全部食べる我々って…やっぱり食べ過ぎ?

13年9月29日

「厩(うまや)火事」という落語がある。
髪結いをしている女房が、亭主が自分を大事にしてくれるかどうか、長屋のご隠居さんの入れ知恵で試してみようとする話だ。

「中国の賢人、孔子は、自分の留守中に厩(うまや)から火が出て大切にしていた愛馬が焼け死んだにもかかわらず、配下の者たちに『お前たちが誰も怪我をしなかったのなら、よかった』と優しく声をかけ、人心をつかんだ。一方、日本のさる殿様は、奥方が高価な陶器を持って階段から落ちた時、 『茶碗は無事か、茶椀は無事か!』と息もつかずに繰り返すのみで、まったく奥方の身を心配しなかったため、実家が怒って、奥方を引き取って離縁させてしまった」

とまあ、こういう話を聞いた女房が、亭主は自分のことを大事にしてくれるだろうか、と亭主が大切にしている皿を割ってみる、すると・・・という感 じ。

ドラマの「タイガー&ドラゴン」、大好きなのでDVDで買ったのを観ていたら、この「厩火事」を元にした話があった。
これを観て、息子が中学生の頃、ボーイスカウトで「スタンツ」と呼ばれる寸劇をやったことを思い出したよ。

「スタンツ」とはスカウト活動ではよく行われる短い劇。いくつかのスタンツを組み合わせる場合が多い。
息子たちは、「ボーイスカウトの楽しさ」を4つほどのスタンツで表現したいと思ったらしく、熱心に脚本などを書いていたが、
「ねえ、隊長さんが優しい、ってことを示すには、どんなお芝居をしたらいいと思う?」と聞いてきた。
私は「厩火事」のことを思い出し、話してみた。
「隊長は、何を大事にしてる?」
「そうだなぁ、バイクかなぁ」
「じゃあ、そのバイクをみんなが勝手にさわって壊しちゃうんだけど、それを知っても全然怒らないで、『君たちに怪我がなかったんだったら、いいんだよ』って言ってくれる、ってのは、どう?」
「それ、いいね!」と、息子は大喜び。
けっこう出来のいい脚本が作れたようだ。

その発表の日、「感謝祭」という催し物に出かけて、各家の持ち寄りごちそうを堪能し(うちは十年一日の「タンドリー・チキン」。でも、評判が良かったらしく、息子が小さな声で「おいしい、って、みんな言ってたよ。あっという間になくなっちゃった」と嬉しそうに教えてくれた)、幼稚園児の ビーバーさんたちの歌や踊り、小学生のカブスカウトのお芝居などを見たあと、いよいよボーイ隊のスタンツだ。

最初の数話はすごくうまく行っていた。
「フライパンの手入れは大変なんだよなぁ。これがなきゃいいのになぁ。でも、今やっとかないと、あとで後悔するんだよね。暑いのになぁ」
「ねえねえ、今度、隊舎に扇風機がつくらしいよ!」
(全員で)「ああ、ボーイスカウトって、すばらしい〜!」

こんなのが3、4個続き、さて、問題の、息子が私のアドバイスを元に書いた脚本の部分だ。
「あっ、隊長のバイクだ。乗ってみようぜ」
「やめなよ、隊長に怒られるよ」
「大丈夫だよ・・・あっ、パンクさせちゃった!」
そこへ隊長役の子が現れる。
「すみません、隊長。バイク、こわしちゃいました」
当然、「いいんだよ、君たちに怪我がなかったんなら」とくるところで、隊長役の子は、完全にあがってしまったらしく、
「いいんだよ・・・」と言ったきり、あとが続かない。
しばらく、痛い沈黙があって、他の子たちが小声でセリフを伝えようとするのだが、みんなあせってしまって、うまくいかない。
再び、「いいんだよ・・・」と繰り返してはみたものの、やはり沈黙。
しかたなく、息子が「本当にすみませんでした!」と言い、他の子たちも「すみません!」と言って、むりやりに、幕引きの感じ。
うーん、いい脚本だったんだが・・・

まあ、そんな些細なことは観客の誰も気にしていなくて、すぐに始まった高校生の「ベンチャースカウト」による「潜水艦」という伝統芸に夢中にな る。
これは、一列に並んだ男子たちが、
「我々は、潜水艦である。ただ今、海底をパトロール中。あっ、前方より魚雷接近!魚雷、命中!」と言うのを合図に、前から順にくるりと後ろを振り向いて、後ろの子をビンタしていく、といういささか体育会的な芸。
続いて、「前方から巨大魚雷接近。巨大魚雷、命中!」となると、もっと派手なビンタが飛ぶ。

順繰りにビンタしていき、なんだ、最初の子は殴られないし、最後の子は殴られるだけで誰も殴れないし、損得の差が大きいなぁ」と思っていたら、途中で、
「後方から、巨大魚雷3発接近。巨大魚雷、3発命中!」となって、一番後ろの子から逆方向へ、大きなビンタが3発ずつ。
終わるとみんな、ほっぺたが真っ赤になっているという、今でもやってるかどうかとてもアヤシイ伝統芸だ。

そんな楽しいボーイスカウト活動も、息子たちの代は3人しか隊員がおらず、しかも誰もベンチャーに「上進」しないで終わってしまった。
ここからが「ご恩返し」なのに。
今でも夏休みになると富士山頂に登ってしまう息子の生活感覚は、多くがこのスカウト活動によって培われている。
体育会系で、熱心。けっこうなことだ。
親の負担は少ないし、費用も、登山用具などにいささかかかるとは言うものの、会費等はとても安い。
皆さん、息子をボーイスカウトに入れよう!娘さんには、ガールスカウトもあるよ!

13年9月30日

図書館で借りた「雅子さま論争」という本を読んでいたら、次のような一文に行きあたった。

「ダイアナ妃には(略)ドレスコードを守った上での『これが、私よ!』という意思表示があった。頭のいい不良は、制服の範疇内でギリギリの制服改造ドレスダウンをして、カッコよさを競うが、そういう、したたかさは大衆の心をグッと捕らえる」

うーん、あの人と並べるのはとてもおこがましいが、私にもそういう「頭のいい不良」だった時期があった。
高校時代、女子の制服は紺のプリーツスカートに夏には同色のベスト、冬には襟なしのブレザーと決まっていたが、生徒会活動に足を突っ込んで、 世代的に学生運動に間に合わなかったことをちょっと寂しく思っていた私は、生徒手帳をすみからすみまで熟読して、「ベスト着用が必須」とはどこにも書いていないことを発見し、ベスト不着用、学校指定の白いブラウスにスカートのみで通すことを宣言し、学校側を少なからずあわてさせた。

結局、学校側との話し合いの結果、毎週月曜日の「全校集会」の時だけはベストを着る、という条件をのんで、私は校内で唯一ベストを着ていない女生徒になった。
そういう発散の仕方がなかったら、本当の不良になっていたかもしれない。
無事に卒業させてくれた先生方には、今でも感謝している。
(何かというとマラソンをさせたがった体育の先生たちは別だけど)

ついでに書けば、夏はブラウスも基本的に半袖になるのだが、私は半袖を嫌って、長袖をまくり上げて着ていた。
これに関しても校則では定められておらず、先生方の異論もなく、3年間、夏冬通して長袖を着ていたわけだ。
ところが、結婚して気がついたんだけど、大内くんは夏でも半袖を着ない。長袖をまくり上げている。
「半袖って、何となくキライ。長袖の方が好き」

そういう人って、私以外にもいるんだなぁ、って思ってそれ以上は考えなかったけど、あらためて「半袖問題」に突き当たったのは息子が中学生の時。
4月に入学し、ブレザータイプの制服を着て出かけるようになった彼のために、夏前に半袖のワイシャツを3着ほど買っておいた。
衣替えになれば、冬と同じ(生地は少し薄い)グレーのチェックの長ズボンに半袖のワイシャツを着ることになっていたからだ。

ところが。
息子は衣替えが終わろうが夏休みに入って部活に行こうが、冬服の時の長袖のワイシャツをまくり上げて着ていて、半袖には手を通そうとしない。
「どうして?」
「なんとなく、長袖の方が好き」
オーマイガッ!長袖好きのDNAが強化されちゃってる!

結局、半袖のワイシャツは1度も袖を通さないまま小さくなっちゃって、窓ガラスを拭いたりした挙句に捨てられていった。
すまん、半袖くんたち。
私の母も、同じように困ったのかなぁ、と、生まれて初めて思いましたよ。母親にも、すまん、です。

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