13年10月1日
最近ずっと仕事で帰りの遅い大内くん、今日も遅い。
おまけに、仕事が終わってから大学時代のゼミの同窓会に行くと言う。
「ホントにちょっとだけしか行けないけど、先生に長いこと会ってないから、顔出すだけ」と言いつつ出かけて行った。
25年前に結婚式を挙げた時、入社したてで会社の人も遠い親戚も全然呼ばなかった平均年齢の低い式で、主賓をつとめてくれたのがゼミの教官だった マスゾエ先生。
本当は仲人をお願いしてたのだが、「奥さんが若くて世慣れないから」という理由で断られ、「そっかー」と思っていたら1年後には離婚していた。そういうわけだったのか。
しかし、大学では大勢教えていただろうし、その後は政界入りしてやたらに大勢の人に会ってるだろうし、とてもじゃないが25年前に教えた学生のことなんか覚えちゃいまい。
ところが、11時半ごろ帰って来た大内くんによると、
「仕事がオシて、もう、ホントに会の終わりにちょっと顔を出せただけだったけど、先生とは少し話せたよ。僕のこと、覚えてるって言ってた」。
大「もう覚えてないでしょうけど、大内です。結婚式にも来ていただきました」
マ「何言ってるんだよ。覚えてるよ。娘さんはどうなったかな、って心配してたんだ。元気なの?」
大「重度の障害者ですが、元気です。今回、ストーマをつけることになりました」
マ「そう。会社の休暇取るって言ってたから、どうなるかな、って思ってた」
大「大丈夫です。無事に復職しました」
マ「今もS社?」
大「はい」
マ「そりゃよかった!奥さんも、お元気なの?」
大「はい」
マ「そう!頑張ってね!」
大「先生こそ、こんな時ですから、頑張ってくださいね!」
マ「うん!」
というようなやり取りがあったらしい。
うーん、さすがは一流政治家。いろんなことをよく覚えてるもんだ。
頭のつくりが我々とは違うんだろうなぁ。
大内くんは尊敬する先生に久々に会えて、とても嬉しかったらしい。
「頑張ってくださいね、って、肩なんてぽんぽんっとたたいちゃった。ちょっと図々しかったかな」
いいんじゃないの?すごく若い時からの知り合いなんだから。
もし先生が総理大臣になるようなことがあったら、彼が主賓としてスピーチしてくれた我々の結婚式のビデオは我が家のお宝映像になるだろう。今でも充分お宝だが。
実際、結婚式のあと、私の母は近所の人にずいぶん自慢したらしいし。
私はその当時「エライ人」の感覚がよくわからなかったので、「あのマスゾエ先生が式に!」と興奮したりはしなかったが、その後だんだん、実はエライ人なのだ、ということがわかってきて、母の気持ちもわかるようになってきた。
でも、大内くんにはそんなことはあんまり関係ないんだろうな。
尊敬する先生が、自分の世界で頑張ってる、そんな中で大内くんのことも覚えてくれてる、ってことが嬉しいんだろう。
それでいいんだよね。
マスゾエ先生、頑張って日本を良くしてください。
唯生や、老人やいろんな人が安心して暮らせる、立派な国にしてください。
微力ながら、応援しています。
13年10月3日
会社の大内くんから電話がかかって来た。
大「いいニュースと、悪いニュースがあるんだけど、どっちから聞きたい?」
私(きっぱりと)「悪い方!」
大「それがさぁ、事の性質上、いい方から言うしかないんだよ」
私(じゃあ、聞くなよ、と思いながら)「で、どんないいニュース?」
大「すっかり忘れていたけど、明日は会社の創立記念日で、休みなんだ」
私(大喜びして)「やったー!で、悪い方は?」
大「うん、なのに、忘れていて、どうしてもの用件を昼に入れてしまった。だから、数時間、会社に行かなきゃならない」
オーマイガッ!
せっかく1日大内くんと過ごせると一瞬すごく喜んだのに!
それに、午前中家にいるんだったら、私は予約を入れていたマッサージの先生を断らなければ。
そうだ、最近、朝「起こさなくていい」と言いつつほっといたら授業をサボってしまう息子の指導を、大内くんに頼もう。
いろんな考えが脳裏を駆け巡る。
それにしても、創立記念日を忘れてしまうとは、さすがは去年合併したばかりの会社の社員。
少しだけ余分のお休みを手に入れて、さて、何をして遊ぼうか。
溜まった録画を見るぐらいしか思いつかないなぁ。
散歩に行くべきなのはわかってるけど、私は先週の散歩のダメージから完全には回復しておらず、身体のあちこちが痛いんだ。
これも老化だろうか。
とにかく、2人でごはんを食べよう。
食べるものはいっぱいあるぞ。
13年10月4日
というわけで、私が昼寝してる間に大内くんはひと仕事すませてきてしまった。
降ってわいた休日、残りはテレビを見て過ごす。
ちなみに「創立記念日」は、合併の日そのものではなく、「合併した日を含む週の金曜日」と決まっているのだそうだ。
ハッピーフライデーですね。
本当は私もついて行って、大内くんの仕事中はKITTEでも見てぶらぶらして、終わったら2人で、こないだの夏休みには時間がなくて(はとバスだったから、時間制限があった)ゆっくり回れなかった「遊就館」という戦争資料館に行こうと思ってたんだけど、ちょっと疲れてたからパスさせてもらった。大内くん、すまん。
来週はいよいよ息子の誕生日でパレスホテルのローストビーフだ。
それこそ、待ち合わせ時間まで私はKITTEで時間つぶしをしようかな。
免許合宿から帰って以来、なぜか「子供返り」して機嫌の悪い息子と、話が通じるだろうか。
心配だが、楽しみだ。
13年10月5日
隣町の駅前に散歩に行く。
夏の暑い盛りは「往復歩く」というのを休んでいたので、先週、少し涼しいのをいいことに無理矢理往復歩いたら、2人とも身体のあちこちが痛くなってしまった。
「今週は、散歩、やめとこうか?」という相談もしたが、積極派の大内くんが、
「帰りはバスになっちゃってもいいから、歩いてみない?少し涼しくなったし、散歩の習慣は途切れさせずに続けて行こうよ」とかミョーに立派なことを言うのに、折伏されてしまった。
しかし、今日はいささか暑いんでないかい?
歩くと暑くなるし、と、私は7分丈のパンツにTシャツ、上に半袖のシャツを羽織ったが、大内くんはTシャツの上に長袖のネルシャツ、さらにその上に軽い上着を着て、ちょっと着過ぎかも。
でもね、そう言っても聞かないの、あの人は。
「僕は寒いぐらいだ」って、いばってる。
歩き始めたら、陽がさしてきて、身体を動かしてることもあって暑くなってきた。
大内くんは、痛恨な顔で「失敗した!」と言っている。
毎年、5月と10月には必ずこれをやるんだよね。
そして、記憶力はないが今現在に対する判断力に勝る私が、たいがい勝利する。
「キミの言うこと聞いておけばよかった。暑い!」
気の毒だが、「私の言うとおりにしておく」という習慣ができない以上、毎年苦しんでもらうしかないね。
しかし、我々は足が弱った。
前は30分で歩けたカレー喫茶への道のりに、45分近くかかってしまったよ。
それでもなんとか開店後2組目のお客さんになれて、いつもの席に座れたのはよかった。
カレーを息子用の持ち帰りまでオーダーして、大内くんは一生懸命ネルシャツを脱ぎ、リュックにしまっていた。
私も羽織っていた半袖シャツを脱いで、一緒に入れといてもらう。
いつものおいしいチキンカレーを食べ、あと1個スタンプがもらえると1皿ただになる、という状態のスタンプカードを財布にしまって、お互い涼しく満腹でごきげん。
ただ、やはり疲れるので、今日はいつものスタバで冷たいものを飲んだあとはどこにも寄らず、魚屋さんだけのぞいてみてバスで帰ろう、という話に。
先週買ったブリのアラ、あれで作ったブリ大根はおいしかったなぁ。
大根2本分も作って、さすがに少し飽きたので、今日の目玉商品に期待する。
じゃーん、今日はアジだった!
見たことないぐらい大きなヤツをごろごろと、1尾330円で売っている!
2尾買って刺身用に3枚におろしてもらって、大内くんはアジの刺身、私はたたきだ。(ビミョーに好みが違う)
たたきがいっぱいできて、でかいアジだったよ、まったく。
杖をついて、腰かけて休みながら散歩しているおじいさんとか、支え合って歩いている老夫婦とか、いろんな人を見る。
我々も、老後はそうやって時々遠出しながら、散歩暮らしをするようになるのかな。
少し体重を落とさないと、ひざに来るから気をつけなくっちゃ。
70歳になったらバスはただになるよ、一緒に外出しよう。
もっとも、2人ともが70を越えるにはあと15年以上かかるし、その頃には敬老パスは年齢引き上げになってるかもしれないし・・・うん、そしたら
やっぱり歩こう!
13年10月7日
「半日人間ドック」に行った。
大内くんの会社で社員の配偶者を対象に毎年行ってくれるもので、昔は社宅の駐車場に献血バスみたいなやつやレントゲンバスが来てくれたものだが、今は近所の大きめの病院でやってもらってる。
ここ2年ぐらいだから、合併の効果か?
社宅閉鎖から合併するまでの時代は、市の公会堂の部屋でやってたよ。
イロイロ検査しました。
結論から言うと、肥満以外はほぼ無問題。
マンモグラフィーは何度受けても面白い。(おっぱいが平たいガラス面に圧迫される様は、まるでおもちのようだ)
この面白さは、男性にはわかるまいなぁ。
もっともこちらはお尻の穴に指を突っ込まれるらしい「前立腺検査」は受けたことがないけどね。
いや、待てよ。婦人科の内診というものがあるではないか。
あれも男性には縁がないよなぁ。
お医者さんは男性だったけど、さすがに2人のコドモを産んだあとは、ビミョーな場所に男性に指突っ込まれても平気になった。
妊娠して、最初の内診を受けたあたりでは、泣きそうな気分になったものだが。
加齢は女を強くする。
そのへん以外の検査は男女共通で、必ず行われるのは「採血」。
最近では、ゴムのふたがついた小さな試験管のようなものがあって、血管に針を刺しておいて、「ぷつっ」と注射針の反対側の針でふたを刺すと、血液が、細い糸のようにほとばしって試験管に流れ込んでいく、というやり方がメイン。
実は、私はこれを見るのが大好きなのだ。
「ああ、生きてるなぁ」って感じ。
これがなかったら、自分の生を確かめるためにリスカとかしちゃうかも。
看護師さんの横に5本の試験官が置いてあったので、
「やったー!今日は、5回も見られる!」と喜んでいたんだが、試験管の持ち方のクセの違いか、看護師さんの手が邪魔になって、その熱く美しい紅い糸はほとんど見えなかった。残念だ。
ちなみに、定期的に行ってる病院があってそこでも毎回採血はするが、昔ながらの「シリンダーをゆっくり引いて行く」タイプの採血なので、やはり紅い糸は見られない。
注射器の中にだんだん自分の血液が引かれて行くのが見えるだけ。
それでもないよりはマシだ、と思える私は、異常でしょうか?
毎度一番苦労するのは胃部レントゲン。
例の、あのバリウムってやつを飲む。
発泡剤を一緒に飲むことによって、バリウムの量は激減し、味も粘度も改良されているので、昔よりは数段よくなったけどね。
毎年、大内くんと、
「昔はマックシェイクのLだった。今はコーヒーのSカップって感じ」とうなずきあってる。
ただ、レントゲン台の上で、
「げっぷを我慢してください。はい、右回りに3回まわりましょう。少し左側を上げて。はい、左に半分まわってうつぶせになって」とか無理難題を言
われている間に私は少しげっぷをしてしまい、生まれて初めて、「ちょっとしぼんじゃじましたねー」って途中で発泡剤を飲み足しさせられたよ。
最後に機械のアームでおなかをぐりぐり押されながら、
「はい、もうげっぷをしていいですよ」と言われた時は、出産時に、
「はい、もういきんでいいですよ」と言われた時の2パーセント分ぐらい嬉しかったなぁ。
ひとわたり終わると、受付で「お食事券」(まず「汚職事件」って出たぞ)をもらって、食堂でごはんが食べられる。
朝から何も食べずに来い、と言われている患者さんたちには、ありがたい制度だ。
「サケの焼いたの」をメインに野菜の煮物とかついてる、たいへんヘルシーでおいしいごはんだったよ。
食事が終わった後、しばらく待っていたら、もう今日の検査の結果が出て、〆はお医者さんとの面談。
私は、持病の部分と肥満以外のあらゆる点がほぼOKだった。
あ、肺活量がすごく落ちてるとは言われたなぁ。
「器具の取り扱いなどのせいもあると思いますので」(要するに、管に息を吹き込むのが下手だった、と言いたいらしい)と言われ、
「そう言えば、ここ数年、カラオケで歌ってて、前は歌えたワンフレーズが息がもたなくなって歌えないんですよね。話していても、昔はひと息で言えたことが、今は息継ぎしないと言えません」と答えたら、
「肥満のせいで、横隔膜の力がなくなってるんですかねぇ・・・まあ、心配することはありませんが」という答えだった。
面談で、カラオケの話をする患者さんはあまりいないのかもしれない。なんか、驚いていたみたいだった。
思えば、人間ドックの書類が来てひと月ほど。
私は自分の健康にはあまり関心がないのだが、大内くんが毎年毎年行けとうるさい。
で、しょうがないから行くわけで、いざ行くとなると大真面目に行くのが私。
ちゃんと書類読んで、何の検査があるか把握して、便や尿の検体をいつ採るかの指示を守る。
人間として、当たり前のことだと思っていた。
ところが、「便の検体は2回採ってください。4日前から大丈夫です」と書いてあったので、
「えーっと、1回目は青いラベルの方ね。2回目が赤ラベル」と確認しつつ、まず検査4日前に1回採って、2日前に2回目の検体を採ってトイレから出てきたら、大内くんが、「えらいねぇ」と言う。
「何がえらいの?」
「いや、ちゃんと指示を守って準備しててさ」
そんなの、当たり前じゃない!書いてある通りにしてるだけだよ!
よくよく聞いてみたら、大内くんも年に1回会社で健診を受けてるんだが、採って来るように言われた検体をめったに持って行かないんだそうだ!
びっくり仰天して、
「それなのに、私には人間ドックに行け行け言うの?検査してもらうんだったら、検体を持って行くのは普通じゃないの?!今頃、直腸がんになって鮮血反応が出てるかもしれないよ!それで死んじゃったら、『大内くんの健康に無頓着だった』って、私は自分を責めるし、あなたのお母さんにだって、
『一緒に暮らしていたくせに、気づかないなんて!息子を殺したのはあんただ!!』って罵られるんだよ。ご近所スキャンダルにはよくある話だよ!」 と訴える。
「すみません、来年からはちゃんと採ります」と謝られ、
「頼むよ。私なんか、今日、昼ごはんを食べに散歩に出たから、外でもし検体が採れそうになったら明日は無理かもしれないから、って、採取セットを持ち歩いてたんだよ!」とカレーを食べた人とは思えないことを言ってしまった。
お食事中の方にはお詫び申し上げます。
ついでに言えば、大内くんはおそらく2日分の検体を色違いのラベルの容器に採るとは気づくまい。
取扱説明書とかほとんど読まないで始めちゃうタイプだから。
そして、当然2分の1の確率で起こるマチガイを、8割ぐらいの確率で発動させちゃうと思う。
こういうのが「マーフィーの法則」なんだよね。
ともあれ、このようにおおむね健康が確認された私。
これからはあちこちガタが来るんだろうなぁ、とは思いつつ、今日の健康は喜ばしい。
バリウム飲むのも1年は考えないですむ。
12月に健康診断を受ける大内くん、くれぐれも検体はよろしく。バリウムも飲んできてね。
13年10月8日
酒井順子の「負け犬の遠吠え」という本を読んだ。
ちなみに「負け犬女性」というのは、未婚、子なし、30代以上」の女性を指すらしい。
愛読している「ご近所スキャンダル」のたぐいにもよく出てくるなぁ。
「30で結婚、子2人」という私は当然この範疇には入らないのだが、なぜか気になって図書館で借りてきた。
これが、「下方比較」というやつだろうか。
いくら私が「社会学的に結婚の高齢化、少子化が気になるのだ」と言ってみたところで、「勝ち犬」のくせにこういう本を読もうということ自体が失礼なのか?
いや、今、「信田さよ子」にはまっててさぁ(ACとかの人を扱うカウンセラーね。いろいろ本を書いてる)、「それでも、家族は続く」という本の最後に上野千鶴子との対談があって、その中で上野千鶴子が、
「香山リカと酒井順子と私、っていうのが『最強負け犬トリオ』」と言っていたので、ちょっとスピンオフしてみたわけです。
家族の問題というのは(特に自分たちと親の問題)、大内くんと毎日のように話すテーマなんだよね。
そういう意味で、信田さよ子はとても勉強になるよ。
酒井順子はちょっと違うような気がするけど。
私の友人にはこの「負け犬」に分類される女性が何人かいるが、正直言って彼女らの生き方は清々しい。
自分で自分を養い、すべてを自分の責任で処理し、自分のことは自分で決めている。
オトナとしてはあたりまえなのかもしれないが、「専業主婦」という名のプーを25年も続けている私からすると、伏し拝みたくなるほど、彼女らは自立している。
特に、私の友人たちには、
「結婚したかったけどできなかった」「結婚しようとして失敗した」という人がほとんどおらず、最初っから「自分が楽に生きる生き方」で生きていたら結果的にやっぱり結婚はしなかったなぁ、という流れの人が多い気がする。
そんな彼女らを、「結婚できなかった→当然の帰結としてコドモも持てなかった」というふうにくくるなら、「負け犬」という言葉は意味が違うと思う。
勝つも負けるも、そんな勝負に関心を持ったことがない女性、というのが正しい言い方だろう。
私は彼女らを心の底から尊敬しているし、むしろ働いていない自分の方が言い訳しようのない「負け犬」だと感じる。
ちなみに、酒井順子によれば、負け犬女性がよく口にする言葉として、
「やらないで後悔するよりは、やって後悔した方がいい」というものがあるらしい。
実は私は、20代か30代の初めまで、はっきりとそのように思っていた。
だが50を過ぎた今、明らかに、
「やって後悔するよりは、やらないで後悔する方がマシ」の人生を歩んでいる。
私の人生でこれほど価値観が180度変わったとはっきり言い切れる出来事も珍しいぐらいだ。
(他にもいろいろあるんだろうが、客観的に意識できない)
30年私をそばで見続けてきた大内くんも言う。
「変わるところはずいぶん変わったね。もちろん変わらないところも多いけどね。キミがいつも自省するように『保守的になった』わけじゃなくて、ひと呼吸、待てるようになった。だいたい、コドモを育てていて、ひと呼吸待てなかったら大変だ」
昔はさぞかし猪突猛進、後ろは見ない、僕の前に道はできる僕のあとに道はない、当たって砕けろ、というタイプだったんだろうなぁ。
この件に関しては、どっちかというと今の自分の方が好きだ。
昔の自分に猛烈に憧れる、というか、還りたい、と思うことは多いんだけど、それは、若さ一般に対する憧憬なのかもしれないし。
少なくとも、人に迷惑をかける度合いがぐっと減ったのはありがたい。
息子を見てると、考えナシの若い人ってのは、本当に迷惑なものだ。身近であればあるほど。
というわけで、今日もぐっとひと呼吸、すでに遅刻が決まっている時刻に「メシ!」という息子に朝ごはんを作る。
この苦労が「勝ち犬」のものなんだとしたら、少しはいい気持ちになってみるか。
いや、なりませんけどね。
犬を飼ってるから狂犬病の予防接種に連れてかないといけない、っていうのに限りなく近いような気がするだけだ。
13年10月9日
そんな息子も、明日から20歳。
朝、大内くんと話してて、、
「彼が未成年だから親が代わりに決めておけることで、やり残したことはない?今日中に考えつかなかったら、アウトだよ」と頭を絞る。
たぶん、もう何もない。
大内くんが今一番気にしているのは国民年金加入の件らしいし。
両方の親から「お祝い金」が届く。もう、どかどか書留で届く。
金額も、我々的にはハンパじゃない。
日頃息子にたかられている千円2千円の世界とは、ゼロが2つ違う。
やはり、我々の親たちの世代は、金持ちなのか?!
だが、とてもあいにくなことに、息子は去年の11月から今年の6月までやってた病院の深夜の事務というバイトを辞めて以来、まだ新しいバイトを探してこない。
(「隣町か家の駅前のツタヤに行こうと思ってる」とつぶやいてるのは聞いたことがあるが、先日散歩をしている時にその「隣町のツタヤ」の前を通ったのでわざわざ中に入ってみたが、特に「バイト募集」の張り紙は見当たらなかったぞ)
一応おこづかいは自分でまかなうことになっているので、前のバイトで稼いだ120万を使い果たしてからは時々私から「借金」をしてしのいでいるが、それが積もり積もってそろそろ20万近い。
この状態の彼に、そんな大金を見せたら、ますますバイト探しに行かなくなっちゃうんじゃないだろうか。
しょうがないのでその旨双方の親に謝っといて、とりあえず渡さない方針。
渡しちゃって、私への借金をそこから返してもらおうかとも思ったけど、それじゃ、長瀬智也主演のドラマ「タイガー&ドラゴン」でやってる、借金を取り立ててる落語家志望のヤクザが、取り立てたその場で「授業料」としてそのお金を西田敏行に渡す、って感じだよ。
あー、息子が今日の内にバイト決めてきてくれないかなぁ。
そしたら、この大金をそっくり渡すのに。
だがしかし、そのとたんに辞めてきても困るしなぁ。
息子の友達には、本屋のバイトを8時間で辞めた(「重労働すぎる」のだそうだ。ツワモノというか軟弱モノというか・・・)人もいるらしいので、要注意。
バイト見つけて、仕事を覚えて、授業やサークル活動と折り合いをつけるコツを学んで、給料をもらって・・・ああ、けっこう果てしない努力が必要だ。
やはり、お祝い金は渡さない方がいいだろう。
おばあちゃんたち、すみません!
もらったことだけは報告するつもりですから。
お祝いしてくれたことに対するお礼の電話はできるだけさせる方向で努力しますから!
13年10月10日
息子の20歳の誕生日。今日を境に成人となる。
もちろん親としての感慨は深く、伝えておきたいことは山ほどある。
もしかしたら、向こうも「20年育ててくれてありがとう」とか言うかもしれない。
そんな甘い期待は、前日の夜から裏切られた。
帰って来ないのである。
夜中の12時を回り、
「誕生日に、なっちゃったねぇ」
「帰って来ないつもりかねぇ」と言いながら、とりあえずハッピー・バースディメールを出しておく。
そして夜が明けて。
我々が目を覚ました時、彼の姿はなかった。外泊だ。
まあ、無断外泊は珍しくないし(むしろ「今日は帰らない」なんて言って出かけたことは、大学入学以来1、2度あるかないかだ)、友達とか、もしかしたらカノジョがお祝いしてくれてるのかもしれないし、野暮は言うまい。
とは言え、結局帰って来たのは誕生日の終わった夜中で、我々はもう寝てた。
誕生日というまる24時間を、拒否されて過ごした感がある。
双方のおばあちゃんたちからもらったお祝い金(これが、スゴイ額なんだ)も、渡したくても渡せていない。渡すかどうか、まだ大内くんと相談中だし。
明日の夜、パレスホテルのローストビーフメインのディナーでお祝いしてあげる予定なので、すべてはその時だな。
13年10月11日
さあ、今日はパレスホテルだ!
私は朝、出かける用事があったので、授業に出る息子を起こして、
「ノータイでいいけど、スーツでね」と何度目かの注意をして(大内くんからもメールで何度か指示が出ている)、彼を残して出かけた。
昼ごろ帰ってみたら彼は出かけたようで、もちろん2度寝してまだベッドにいるのを発見する、なんてことを考えればありがたい状態なのだが、スーツを着て行った形跡がない。
磨いておいてあげた靴も玄関にある。
彼のワードローブをざっと見渡したところ、だいたいどういう格好で出かけたかは想像がつく気がする。
パレスホテルに入れてもらえないほどラフ、ということはないと思う。
ケータイに電話してみた。
2度目のコールで出た、と思ったら、次の瞬間切られていた。よくあることだ。
再度かけると、今度はお留守番センターに接続されちゃう。
出たくないのか出られないのか、謎は深まる。
しょうがないので、
「スーツ着て行かなかったみたいだけど、1度帰って来るつもり?ラフ過ぎなければ、わざわざ帰って着替えなくてもいいよ」とメールを打っておいた。
どんな格好で現れるのか。そもそも、待ち合わせ場所の東京駅に、本当に現れるのだろうか、彼は。
うすうす気がついてきたけど、成人する、ということは、親にとっては大感激のメルクマールだが、本人にとっては「堂々と酒が飲める」ぐらいのご利益しかないんじゃないだろうか。
「ついにオレもオトナの仲間入りか。父さん母さん、今日まで育ててくれてありがとう」なんてみじんも思ってないように見える。
大学に受かった時の方がよっぽど感激して親子で喜んだものだ。
まあ、20歳になるのに、努力はいらないからなぁ。ほっといても月日がたって、なれちゃう。
でも、20年間無事に過ごして、その間にいろいろ思い出も作り喜びも悲しみもあり、今の自分は全部今までの自分でできているんだ、と実感してほしい。
親に感謝するのはもうちょっと先でもいいから、自分が充実した人生を送って来られたことに、自分で感動してほしい。
ローストビーフとシャンパンでどのくらい「オトナの威厳」を示せるかわからないけど、頑張ってきます!
13年10月12日
先日FB上で、
「息子の誕生日を祝ってやりたいが、焼き肉食べ放題とパレスホテルのローストビーフディナー、どっちがいいでしょう?」と問いかけたら、答えてくれた人は1人残らず「ローストビーフ派」だった。降参。
昨日の夜、パレスホテルに行ってきました。
誕生日そのものは友達やカノジョが(いれば、ですが)お祝いしてくれるだろうから、ということで、翌日の話ね。
「ノーネクタイでもいいけど、一応スーツでね。ホテルでディナーだから」と大内くんが軽く脅かしといてくれたんだけど、本人、学校にスーツで行くのがイヤだったようで、いったん家に帰って着替えて出る、と連絡があった。
でも、実際は時間が足りなくて直行となり、Tシャツと綿パン、ショルダーバッグと いう姿で待ち合わせ場所の東京駅に現れた。
私も少しおしゃれをして、七分パンツと白のTシャツの上に紺色のブラウスを羽織り、ペンダントトップとピアスはおそろいのティアドロップ型の誕生石、ペリドット。口紅までつけて、さあどうだ、文句あるか!って気分。
仕事を終えた大内くんを含め、3人ともが集合時間の15分前に着くというパンクチュアルな状態で、タクシーに乗ってパレスホテルへ。
免許合宿を終え、あとは試験場に行って試験に受かれば運転免許を手に入れられる息子が助手席に乗ったので、
「道の感じをよく見ておきなさいよ。東京で運転するのは難しいよ」とおせっかいを言ったら、運転手さんが、
「免許取ったんですか?東京では、右折はまず無理ですよ。あとね、黄色い線(車線変更禁止ライン)を越えるとアウトです。おまわりさんに切符切られます。タクシーは、狙われてますからね」と細かいアドバイスをいろいろしてくれた。
親の言うことは全然聞いてない彼も、運転手さんには「へー、そうなんですか」「ホントに車、多いですもんね」と、感心して神妙に聞いていたようだ。
パレスホテルに着いて、ドアマンが開けてくれたタクシーのドアから出ると、きらびやかなエントランス。
予約してあったレストランで、簡単なコース料理のメニューから前菜をそれぞれ選び、メインはもちろんローストビーフ。
前菜に「秋刀魚のマリネ」(さんま、ってよく読めたなぁ)を頼んでしまった息子は、実は酸っぱい味はあまり好きじゃないので、苦労してた。
途中で、私のサワークリーム添えのサーモンと替えてあげたよ。
(サワークリームはそれほど酸っぱくはない)
そして、ローストビーフ。おいしかった〜。
息子は「ふーん、こんなもん?」と生意気な口をきいていたが、きびきびと、でもやわらかく優雅にシャンパンを注ぐソムリエの手つきに、すっかり魅了されたようだった。
痛恨なのは、ローストビーフはもちろん、前菜やシャンパングラスも撮影してFB上にアップしようとカメラを準備して行ったのに、はっと気づいた時はもう、お皿はからっぽ、デザートに入ってしまっていたこと。
(よしながふみが、お店紹介マンガの中でそんなことについて描いてたなぁ)
それでも、シャンパンを頼んだ時に、私が、
「お祝い事なんです。この人(息子を示して)の誕生日なもので」と言っておいたおかげで、デザートのミルフィーユのお皿にはチョコで「Happy Birthday」と書いてあり、細いロウソクが灯っていた。
「よろしければ、当店の合唱団がバースディ・ソングを歌わせていただきますが」と言われ、私と大内くんは「それはぜひ!」という感じだったんだけ
ど、肝心の本人が「いや、オレ、そういうのは苦手で」と断ってしまった。
あとから大内くんが、
「合唱団は惜しかったなぁ。聴きたかった」と言うので、
「じゃあ、息子が何と言っても『もう、どんどんやっちゃってください!』って押し切っちゃわなきゃダメだよ」と小言を言っておいた。いつものパタン。
(「それにしても、あの時、黒服はとっても残念そうだった。歌わせてあげればよかった。もう、合唱団がすぐそこにスタンバッてる感じだったよ」
と、いまだに無念そうな大内くんである)
そのあとは6階のラウンジに行って、「何頼めばいいの?」と聞く息子には大内くんが「カクテルなんかどう?」とソルティ・ドッグを勧め、自分はオールド・パーのロック、そして私はシャンパンですっかり出来上がっていたのでトマトジュースにしておいた。
息子はグラスのへりについた塩をなめて、「しょっぱ!」とビックリしてた。若い人をおどかすのは楽しいなぁ。
ローストビーフの間もたくさん話をしてくれたが、親密に酒を飲む雰囲気のラウンジでは、さらにいろんな話が聞けた。
今はお笑い活動が面白くてしょうがないこと、将来の夢は何とかその道に入って行きたいらしいこと、勉強では大いに苦戦していること、保育園の時に作ってもらった遠足のお弁当の
「ゆかりおにぎり」がおいしかったこと、小学校で柔道を始めた時は柔道着を持って学校に行くのが重たくて挫折しそうだったこと(いったん学童保育所から柔道着を取りに家に帰って来るようになってからは楽しかったらしい)、などなど。
私がとても興味深く聞いたのは、
「あんたの話は面白くない。笑えないし感心もできない」と正面から言われたこと。
あんまり言われたことないもんな。自分は、話し上手なんだと思い込んでた。
一方、大内くんの方は、FB上で息子と友達なので、「FB読んでるよ。やっぱ、頭いいな、って思える。面白い」。
うーん、世間の評価は逆だと思っていたけど、やっぱり毎日会社での激論で鍛えてる人と25年間ろくに人と話してない人間との差だろうか。
これからは、「聞き上手」の修行をしよう。
あと、彼はマンガしか読まないでここまで来たので、本好きの我々は大いに憂い、かつあきらめていたんだが、
「最近、ミステリにはまってるんだ」 と来たのには驚いた。
私「へえ、何読むの?」
息子「やっぱ、上から、って感じ。今は『占星術殺人事件』」
私「島田壮司!アゾート!」
息子「そうそう、アゾート。あのトリックはすげえよな。ミステリ、って感じするよ」
私「ママは東野圭吾や宮部みゆきも好きだよ」
息子「東野圭吾はなぁ・・・『麒麟の翼』なんて、全然ミステリになってないじゃん」
私「パパの会社の上司で、『この本、全然面白くないんだよ!』って嬉しそうに貸してくれた人がいた」
息子「変な人だな。で、面白かった?」
私「いや、それがもう、全然面白くなかった。京極とかは読まないの?」
息子「ああ、あの、分厚くなっていくやつね。何か、読んだよ」
私「分厚くなった後、とすれば、少なくとも『姑獲鳥の夏』じゃないよね」
このへんは、大内くんは立ち入れない世界なわけです。
彼所蔵のマンガを一部自炊させてもらうことに了解を得、両方のおばあちゃんたちからのお祝いの手紙とお祝い金を渡し、我々からのも渡したら、
「手紙はついてないの?手紙が面白いのに」とちょっとブーイング。
確かに手落ちだったかも。
でも、彼は一瞬にしてすごいお金持ちになっちゃたよ!もう、当分バイトは探さないんじゃないかな。
我々に20万近い借金があるのに、1万円しか返してくれなかったし。(全額返しても半分残るのに!)
「いいのかね、20歳になるってだけでこんなに・・・」と、やや呆れたような口調が印象的だった。
とにかく、とても喜んでいたよ。
「それぞれにお礼の電話をしておきなさい」と言って、電話番号を赤外線で渡しておいた。
「親だから、好きだよ。キライなわけないじゃん。怒っちゃう自分に、腹立ててるよ、いつも」などというセリフに、もう涙腺決壊寸前。
このまま死んでもいい、って幸福感の中、イルミネーションの街を歩いて東京駅へ。
そこで別れて、息子は勝手に家でもどこか好きなとこへでも行く、ということで、大内くんと私は中央線に乗ってバス乗って帰った。
本当に楽しい夜だった。一生にそう何度もはない時間だろう。
彼がまっすぐ育っていること、我々の悲願だった「コドモに地元を与える」件について、彼が
「それ!それ、すごくありがたかった!」と言ってくれたこと、健やかに今の人生を楽しんでいること、すべてがいろんな人の支えのおかげで成り立っている。
本当にありがとうございました。
明日からはまた不機嫌な息子とその世話を躍起になってする我々に戻るだろうが、ひととき、夢の中。
今、カノジョがいないことまで聞いて、そうか、頑張れ、と思わずうなずいた。
コントのネタを考えてる時が一番楽しいそうだ。
もうオトナなので、自分で考えて、自分で行動してくれ。
とりあえず、「ハンコはつくなサインはするな保証人にはなるな」の方向で、よろしく!
13年10月13日
吉祥寺「いせや」で、大内くんと共通の友人と3人で飲む。
久しぶりだ。改装後初めてかな。
あいかわらず行列ができていて、混雑時は2時間だけのシバリ、お客は焼き鳥を焼く煙でもうもうと燻されていた。
いや、昨日の朝になってから、前日の夜、大内くんのケータイにその友人から「飲もうよ」というメールが2回も入っていたのに気づいたのだ。
すぐに「いいよ。何日ごろ?」と聞き返したら、
「いつでもいいよ」とのことだったので、今日の夕方、いせやを指定したんだ。
「混んでるだろうから、早めに行ってるね」とつけ加えておいたとおり、約束の時間の15分前から並んでいたら、友人からメール。
「現場から行くので、ちょっと遅れる。ごめん!」
彼は脚本家なのだ。
他にもいろいろやるし、本業は映画監督をやりたいらしいが、20年前に1本撮ったきりで、後が続かない。厳しい業界なのだろう。
なまじ本人が器用で何でもできちゃうから、かえってピンポイントで監督、ってのが難しいのかもしれないし。
結局30分ぐらい遅刻で現れ、その間我々は、
「いきなり飲もう、ってのは、何か相談事でもあるのかねぇ」
「再婚するから、って話じゃないの」(共通の友人女性とずいぶん前に離婚している)
「そもそも、あんなに突然誘ってくるってことは、たまたまその時間に吉祥寺にいて、時間があいちゃって、『大内でも呼び出すか』って思ったのかもよ」とかいろいろ話していたんだが、彼が来てから聞いてみたら、結局、
「他の誰かに対する誘いを、間違って大内くんに送ってしまった」
ことが判明。おまけに遅れて来たのは、約束の時間を1時間間違えていた、と言う。
「なんだ、わざわざ会わなくてもよかったんだ」とガックリしたよ。
ま、思わぬことで古い友人に会えたんだから、よかった、とするんだろう。
おととしぐらいかな、新宿に、彼が脚本・プロデュースをした舞台を観に行った時、ちらっと会ったのが最後だ。
その時一緒に行った息子に、
「今日、N瀬くんと会うよ」と言ったら、「ホント!」と興奮してた。
「どうすると、ああいう業界に入れるのか、ぜひ聞きたい」と言うので、
「一緒に来る?会えるよ」と勧めたのだが、あいにく他の用件が入っていたらしく、また、
「親が一緒、ってのは話しにくいなぁ。家に遊びに来る他の人でも、N口さんとかI原さんとか『すげえな』って思うオトナは何人かいるんだけど、親がいると話しにくくって」と愚痴をこぼす。
「それなら、今度遊びに来てくれる機会があったら、あなたの部屋に個別に派遣するよ。好きなだけお話しなさい」と言っておいた。
しかし、お客さんが来るとすぐに部屋に引っこんでしまい、ろくに話をしたこともない人たちなのに、「スゴイ人」って、どこを見て言ってるんだろう?
N口さんに関しては、彼が書いた本を渡したらあっという間に読んでしまったことがあり、「面白かった!」と興奮してたのでまあわからんこともない が、私の一番親しい女友達、I原さんなんか、よく来るお客さんではあるが、何話してるのかなんて聞いたことないと思うぞ。まして休日講座に出席したこともないし。
謎だなぁ。カタギのサラリーマンではない、フリーに近いとこでお仕事してる、ってとこがポイント高いのかな?
そういう中で、N瀬くんというのはまあ一番評価しやすい、というか、彼の仕事自体がまず人に観てもらう、という性質のものが多いので、業績に触れる機会が多い。
息子も、大学に入ってお笑いを本格的に始め、「ギョーカイ」に対するあこがれが強まってるんだろう。
なのでN瀬くんに、よろしくお願いしておいたが、
「早稲田?留年しそう?早稲田だったら留年はカッコ悪いぞ。中退しなきゃ」。
よその息子のことだと思って、カンタンに言うなぁ。自分だって大学はちゃんと卒業してるくせに。
シューマイと煮込みと焼き鳥をサカナにビール3本飲んで、タイムアップになったので引き上げた。
もう1軒、とかいう元気はもうないし、そもそもお誘い自体が間違いだった、と思うとそれほどつき合う気にもなれんぞ。
大内くんは、
「現場から行くので遅れる、というのもきっとウソだよ。いせやに着いた、っていう僕からのメールを見て、『いかん、忘れてた!』ってあわてて出て来たんだよ。実際、あとになってから『実は待ち合わせの時間を間違えてた』って言ってたじゃない。あいつはとんでもないウソつきなんだよ」と言いながら自転車をこいでいたが、知ってるよ、あなたは彼のそういうところに、かわいらしさを見ちゃうんだよね。
腐れ縁、って、こういうことを言うのかな。
「今まで会ったことのある人間の中で一番のインチキ野郎だ」というのが彼のN瀬くん評だけど、一番の悪友、まあ、親友なんじゃないの?
「息子に、N瀬くんと2人で会えるようにセッティングしてあげたら?きっと息子は喜ぶよ」
「いや、あいつと2人きりでなんか会わせられない。どういう世界に引きずり込まれるかわからない。あいつは本当に悪魔のようなヤツだし、妙に魅力的で、ハタチの息子を惑わせるなんて、朝飯前なんだよ」
そう言えば、大内くんが彼に「人たらし、って言われない?」と、最近ドラマで耳にした言葉を使ってみたら、
「ああ、言われるね。『浅い人たらしだ』、って」と言ってたもんなぁ。
息子に彼のようになってほしいかどうかはさておき、そもそも息子には勤まらんと思うよ。
「何やって食べてんの?」と聞いてみたが、「ん、まあ、いろいろ」とN瀬くん。
こんなアヤシイ生活に自分のコドモを放り込みたい親はあんまりいないだろう。
N「いいネタはあるんだよ」
私「なんで映画にしないの?」
N「金がかかる」
私「いくらぐらい?」
N「7億いるんだよね。5億までは集めたんだけどさぁ」
私「少し安っぽくなっても、作っちゃったら?」
N「そういうわけにもいかんしねぇ・・・もう、本にしちゃおうかな。直木賞とれるよ」
ああ、実力から言っても「ホラを吹く」能力から言っても、やっぱりうちの息子には無理な世界だ。
カタギになってもらおう!
13年10月14日
大内くんと昨日の話をしていて、
「すみの方で1人でちびちび酒を飲むおじいさんがいたね。常連さんっぽかった。僕も、キミが死んじゃったらああやって明るいうちから煮込みをサカナにちびちびやるのかも」とか、
「それにしてもトイメンに座っていたカップルの男、あのチンピラ臭さはなんだろう。『職業:チンピラ』って書いて貼りつけてあるようなチンピラ、ってのを初めて見たよ。髪型とかサングラスのせいもあるんだろうけど、挙動がもう、チンピラ以外の何物でもなかった」
とか、同じ人を見て同じように感じていたことを再発見。ちょっと嬉しい。
だが、その「チンピラ」は、「半沢直樹」の話をしまくったあげく、「『安藤ロイド』は、今日、放映中止だぞ」と、とんでもないガセネタを流していた。
昨日の新聞を見ても、予約録画を見ても、ちゃんと放映されてるじゃないか。
これは、丸っこい顔をしたイモねーちゃんであるカノジョが、
「あっ、安藤ロイド、予約録画してくるの忘れた!9時までに家に帰らなくっちゃ!」と言うのを、なんとか帰らせないように口から出まかせを言ったのだろう、と想像する。
(さすがに話の内容を全部聞いてたわけじゃなかったし・・・真相はいかに?)
どこまでもチンピラな男だ。
大内くんは、
「あのイモねーちゃんは無事だったかなぁ。ソープとかに売り飛ばされてないかなぁ」と心配してた。
大丈夫だよ。そこまで悪い人じゃない、っつーか、そんなに根性入ったワルじゃないと思う。
「煮込みにあんまり七味かけるなよ。オレ、辛いの苦手なんだよ」なんて、コドモ舌のくせに亭主ぶっちゃって、カワイイじゃないの。
「Every Jack has his Jill」なんだなぁ、世の中は、って、久々に感じた夕方だった。
13年10月16日
昨日から今朝にかけての台風、すごかったらしいね!
大内くんの会社では「朝、何時に出社してもいい」というおふれが出たそうで、午前10時頃、中央線が動くのを待って出社した。
息子に関しては、昨日のうちに、
「台風が来ると電車が止まったりするし、危ないから、早めに帰っておいで。明日、どうしても、の授業があるなら、大学の近くの友達の部屋に泊めてもらうのもいいかも」とメールしておいたら、めずらしく、
「今日はたぶんかえらない」という返事が来た。
だから、夜7時ごろ大内くんが、
「ひゃ〜、濡れた濡れた」と言いながら帰って来たあとは、もう息子の心配もなく、テレビを見たりしてのんびり過ごしたよ。
寝る時になって、
「息子が外泊だってわかってる日は気楽だね。でも、家が落ち着かないっていうか、あの玄関わきの部屋にずっしりみっちりと息子が寝てるっていう安心感が少し足りない」と言ったら、大内くんに笑われた。
「要するに、さびしい、ってことでしょ。ヘンな人だね。いればいたで僕に文句ばっかり言ってるし、いないとすぐさびしくなっちゃうんだから」
ふん、自分だって本当は寂しいくせに。
それはともかく、今年は台風がいっぱい上陸した感じがする。
アメリカで言えば、「ジェーンが来て去ったのち、キャサリンが来て、追いかけるようにメアリーが来て・・・」という感じかしらん。
科学技術が進んだ現代でも、人間はまだまだ自然の猛威にはかなわないんだなぁ、と痛感する秋だ。
13年10月18日
味噌汁の具で、私が一番好きなのは「かぶ」だ。
なぜか知らないけどちょっと辛くなる。
ナスもそう。
かぼちゃとかタマネギとかサツマイモは甘くなるのでキライ。
ナスとミョウガをくたくたに煮たりするといいなー。
息子がミョウガがキライなので、刻んで汁椀に入れておき、熱いみそ汁を注ぐ、というのしか飲ませていただけない。
鍋で一緒に煮ちゃうと、息子が食べられなくなるから。
ミョウガの大袋が200円ぐらいで買える秋の日を迎え、彼が留守なのをいいことに、たっぷりミョウガを煮て食べる。
いくらでもあるので、大内くんが「かき揚げ」を作ってくれた。うまい。
物忘れするとしても文句はない。
私も好き嫌いが多い方なので人のことは言えないが、息子は輪をかけて好き嫌い多すぎ。
ま、ミョウガなんてのはオトナの味、ちょっと刺激的なのでコドモのうちは難しいのかも。
私はコドモの頃から大好きだったんだが。
そうか、だから忘れっぽいのか!
魚は基本的にダメな彼だけど、妙に健康志向で野菜が大好きなのは、まあいいことだ。
(ミョウガは、野菜じゃなくて「薬味」の扱いなんだろうな、この際)
夜中に帰って来て、食事を要求する。
「腹へった!メシ!野菜の味噌汁とごはんと納豆!納豆はネギ入れて」(入れてほしい時とほしくない時がある。不思議)というリクエストは、横暴ではあるが健康的でもある。
勝手にカップめんでも食べてろ、って思うし、こないだ成人の話し合いをした時に、
「これからは夜中に帰って来てもごはんは作らないよ。おなかがすいてる時は、自分でコンビニでおにぎりとかパンでも買ってきてね」と言い渡しておいたというのに、この不可侵条約はまったく守られていない。
もっとも、断れば「あっそう」と言って引っ込むので、こっちの気分の問題かな。
こないだ夜中の1時、こっちが寝ちゃってから帰って来た時さすがに断ったら、自分でチキンラーメン作って食べた形跡があった。
(どんぶりぐらい洗っておけよ・・・)
珍しいこともあるもんだ。
育て方が良すぎて、基本ジャンクフードがキライな人間に育ったのはまあよかったんだが、それで今頃こっちが苦労するとは・・・こういうのを 「自縄自縛」っつーんでしょうかね。
今日も味噌汁の作り置き。
息子用にはタマネギとニンジンとじゃがいも。
2つの鍋が冷蔵庫に入っている。
作りたてが一番おいしいのはよーくわかっているし、実際自分たちの食事用にはナスとミョウガのやつを夕食時に作ったが、息子用のを毎回、言われるごとに作っていたら、面倒で仕方ない。
自分たちのも、基本的に3回分ぐらい作って温め返して食べているってのに。
手抜き?
あー、今日は何時ごろ帰って来るのかな。
また「メシ!」って言われるのかな・・・
13年10月19日
昨日、無断外泊で帰らなかった息子が、今日の夜中になっても帰ってくる気配がない。
連泊か。
大内くんが面白がってケータイから、
「今日も泊まり?パンツの替えは大丈夫?」とメールしたら、しばらくして、「だいじょうぶ」という返事が来た。
「これはつまり、今日も帰らない、ってことだね?素直なもんだね。親に叱られるとか悪いとか思ってたら、開き直って『うるせー』とか『余計なお世話だ!』とか返事して来そうなもんだから、きっと、悪いことしてるなんて全然思ってないんだよ。男友達の部屋に泊まり込んで、早稲田祭の打ち合わせでもしてるんじゃないの?」と大内くんは言う。
確かにそうだ。
大内くんは学生時代よくアパート暮らしのOLの私のとこに泊まって行ったが、親に叱られるのがイヤでなかなか連絡しようとはしなかった。
「電話1本入れて、『晩ごはんはいらないし、今日は帰らない』って言っておけばいいのに」とよく諭したものだが、たいがい、
「すごく怒られるから、電話はしたくない」とコドモのようなことを言っていた。
でもさ、無断外泊すると、ただでさえ怒られるのに、
「晩ごはんを作っていたのに。いつ帰って来るかと、夜中中寝ないで待ってた」とかいう「第二次お小言」が発生しちゃうじゃない。
電話1本入れておけば、少なくとも「朝まで待ってた」とは言われないですむよ。
息子もなぁ、ひと言ことわっておいてくれれば、いくら外泊しても怒らないし、実際怒ったことなんかないんだが、どうして連絡してこないのか。
大学生なんて、そんなものか。
13年10月21日
昨日は散歩に行こうかと思っていたのだが、前日夜から強い雨が降り始めていたので、車でスーパーに食材の買い出しに行く以外は家でごろごろして過
ごす。
テレビの新ドラマをずいぶんチェックした。
今期は何だか豊作の予感だ。
そろそろ寝ようかという時間になっても息子が帰って来ないので、大内くんが、
「さらに外泊?パンツの替えは本当に大丈夫?」とメールしたら、「今日は帰る」という返事。
雨も上がったし、そろそろ帰って来た方がいいだろう。パンツも心配だし。
ところが、1時過ぎても帰らないので、もう寝てしまっていた大内くんの代わりに私がメールしてみたら、
「朝帰る」と簡潔な返事だった。
それはつまり、3連泊、ということだね?
さすがに初めての長丁場かも。
修学旅行じゃないんだからさぁ、もうちょっとひんぱんに帰って来てくれない?
せめて外泊は1日おきに、とか。
授業にちゃんと出ているのか、着替えやパンツはどうしているのか、風呂には入っているのか、心配なことだらけだ。
(もちろんどれもどうでもいいようなことばっかりだけど)
で、翌朝も帰って来ませんでした。
「メシ!」とか言われるかと思ったし、工事断水なのでトイレの水はお風呂に汲んであるのをバケツで流せとか、細かいことがいろいろあるので、私が徹夜で待っていたんだよね。
そうか、こういうところから「叱りたくなる」のか、と腑には落ちたよ。叱らないけど。
結局、昼の12時過ぎに帰って来て、10時半からの授業には出たのかと思いきや、「休んだ」。
「で、午後の授業は?」と聞いたら、「休む。眠い」と布団にもぐりこんでグーグー寝てしまった。
単位は大丈夫なのか?
会社から帰って来た大内くんに事の次第を話したら、苦りきった顔をして、
「本当にしょうがない人だね。僕が単位や留年のことをとやかく言えるわけもないし・・・まあ、文化祭が終わるまではしょうがないよ」と甘い甘い。
まだ免許も取りに行ってないし、バイトも探してこない。
これに関しては、20歳記念のお祝い金をはずんでくれたそれぞれの実家の中で、
「我々に借金をしているぐらいなので、今はとてもあげられない。ごめんなさい。バイトが決まってから、お正月ぐらいに渡します」と断ったにもかかわらず、
「これはおばあちゃんと私からあげるものだから、絶対に誕生日にあげてください!」と強く反意を表明してきた名古屋の姉に、いささかの恨みを抱いている私。
だからさぁ、お姉ちゃん、大学生に大金を渡したら働かなくなるんだってば。
小・中・高とお世話になった地元の塾で、大学受験を控えた子たちのモチベーションを上げるためだろうか、「大学の文化祭めぐり」の企画が立てられている。
息子はちゃっかり、「早稲田の大内先輩によるお笑いステージ」として、自分のお笑いを塾長や生徒さんたちに観てもらおうという腹らしい。
どこまでも抜け目のないヤツ・・・
外泊も、この秋から執行部になる2年生たちが誰かのアパートに集結して企画を練っているのではないかと想像される。
そのぐらいはやってくれないと、パンツの心配までした甲斐がない。
リーダーシップと企画力を磨き、来年からの就職活動に備えてもらいたい。
もちろん、そういうことは昼間のうちにすませてくれても一向にかまわない、と言えば言えるんだけどね。
マンガクラブでヘタなマンガを描いて同人誌を売っていた大内くんによれば、
「僕らよりよっぽどしっかりしている。学外でのライブや大学対抗戦まで広く行っているようで、たいへん頼もしい」とのこと。
だけど、家にはもう少しちょくちょく帰ってね。
それか、「今日は帰らない」というメールを早めにうってもらいたい。
いなきゃいないで楽ができるから歓迎なんだが、問題はいつ帰って来るのか、また来ないのか、たいがい朝になってからしかわからないという点である。
キミの分の晩ごはんを作るかどうかの大事な境目だ。よろしく頼む。
13年10月20日
久々に本の新刊購入。
普段はアマゾンの中古ばっかり、もしくはブックオフだから。
いや、島田壮司の御手洗くんモノ最新刊&国内編最終章ということで、どうしても欲しかったのよ。
上下巻で3600円で買えるんだが、中古市場に慣れている私には、清水の舞台から飛び降りる感じだった。
「星籠(せいろ)の海」という長編ミステリ。
何やら美しいタイトルでしょ?
最初は、日頃レディースコミックを山のように届けてくれる恩に報いるため、近所の本屋で買おうと思ったんだけど、行ってみたら置いてない。
「仕方ない、アマゾンで買うか」と思っていたら、店番のダンナさんが、今、神田に仕入れに行っているという奥さんに電話して聞いてくれた。
今日中に入手可能らしい。
しかし、町の本屋さんが島田壮司を知らないとは!と驚いたよ。
だって、「しまだ、と・・・。そうじ、ってのは、どんな字を書くんですか?」と私に聞きながらパソコンを人差し指でポチポチ打ってるんだよ。
出版されたことも知らないようだし。
「話題の新刊」として認知されてないのかなぁ、島田壮司。
で、夕方配達してもらいました。
普通の本を本屋さんに配達してもらって読むのは初めての体験。
月に2回、5冊ぐらいずつ持ってきてもらうレディースコミックに少し飽きたので、今日、行ったらついでにしばらく配達を断ろうかと思っていたの
に、この大騒ぎでとても言い出せる雰囲気ではなかった。
もう1、2カ月たってからにしよう。
「ご近所スキャンダル」「本当に怖いご近所の噂」といったマンガを月に10冊以上も買いまくる私は、いったいどんな人だと思われているだろう?
さすがに素人には見えず、その道のマンガ家かなんかと思われてるかも。
で、届いた島田壮司は、とても綺麗な本だった。
これをね、今から自炊しちゃうの。
カッターで切り裂いて、裁断機にかけてばらばらにし、スキャンして、残骸は捨てちゃうの。
ほとんど悪鬼の所業だね。
私もだいぶ自炊には慣れて来たけれども、文庫本や雑誌が多く、ハードカバーに刃を入れることは珍しい。
ましてこれだけの新品、しかも綺麗な装丁となると、手が震える。
とても自分ではできなくて、ハードカバーに慣れていて島田壮司に何の思い入れもない大内くんにやってもらいました。
その大内くんでさえ、
「綺麗な本だね。まあ、切っちゃえばおんなじだけどね。カバーの色はそのまま残るわけだし」と言いながらだった。
表紙の、そのキラキラ感が失せるのはつらいなぁ。
というわけでスキャンし、私のiPadに入れて、3日3晩かけて読みました。
うーん、ワトソン役の石岡くんがまず最初ですべっている。
彼は、女の子の腕をとったりしないと思う。
1993年の話なのにケータイ電話普及しすぎ。
何より、ブラフが多くて、実際の謎はそう大したもんじゃなかった。
副題の「The Clockwork Current」は「時計仕掛けの海」という意味だろうが、ちょっとミスリーディングだったね。
それでも面白いことは面白く、夢中になって読んだ。
今年は実は本がよく読める。
去年から今年にかけての半年ほど、自炊に夢中になるあまり、読む方はお留守になっていたからなぁ。
読みたい本がかなりたまったので、今後は消費する方向で行こう。
13年10月22日
大内くんが、会社で部下の人に、
「台風が近づいているけど、今日の屋形船の接待はやるの?」と聞いたら、敢然と、
「ケッコウです!」と答えたそうだ。
それでは、接待があるのかないのかわからない。
「決行」なのか、「欠航」なのか。
結局は「やります!」の方だったらしいが、日本語は難しいなぁ。
こないだ、「お食事券」という言葉を変換しようと思ったら、まず「汚職事件」が出たし。(そもそも「変換」が「返還」と出た・・・)
うちのパソコンの辞書は優秀で、数年前に私がひじを痛めて整形外科に行ったところ、「ほうかしきえん」という聞き慣れない病気と分かった時、家に帰って、日記に書いておこうと思って「ほうかしきえん」とそのまま入れたら、一発で「蜂窩織炎」という字が出たのだ。
スゴイ・・・
ちなみに、日記を読んだ友人が自宅で同じように入れてみたら「放火し奇縁」と出たそうだ。
「八百屋お七」?
大内くんが年に1度主催している「休日講座」なるイベントにコメントを入れてきた銀行員の友人のメールでは、当然のように「講座」が「口座」になっていたし。
うちはパソコン共有なので、お互いに相手が使った後は変換の仕方が変わっていて、少し使いにくい。
大内くんもそう言ってた。
私が使っていて「こうかん」と入れると、普通は「交換」が出るところ、大内くんが使った後は「鋼管」が出るとかね。さすがは鉄鋼業。
昔、翻訳の先生の仕事を手伝っていて、「ギザの大ピラミッド」に関するトンデモ本を入力していた時、めんどくさいのでじゃんじゃん単語登録をして使っていたら、大内くんが使う時、「大」と入れると「グレート・ピラミッド/大ピラミッド」とか長い単語が出てきてめんどくさかったそうです。
変換はパソコンの命。
眠い時は間違いがち。
ちゃんと推敲しようね、始終とんでもない変換をしている大内くん。
13年10月24日
私と大内くんの共通の知人が、大学入学当時からつき合っていた女の子と6年越しの愛を実らせて婚約に至ったらしい。
本人がフェイスブックに書いてきて、
「告白したのと同じ日、同じ場所でプロポーズしました。指輪も用意して行きました」。
もともと「友達」が多い人ではあるのだが、私は、350人もの人が「いいね!」と言っているのを初めて見ましたよ。
もちろん、大内くんも私もその350人の1人ではあるんだ。Sくん、おめでとう!
13年10月25日
朝、起きてみたら、前夜いなかった息子がまだいない。
つまり、外泊だ。
大内くんと、
「しょうがないね。最近、外泊続きだ。早稲田祭の準備で忙しいんだろうね」と言いつつ、仕事を始めた彼を残してベッドに戻り、もう1回寝る。
次に目が覚めたのは、月に1度来てくれるダスキンさんの訪問を受けた時だった。
換気扇のフィルターを替えてもらい、モップを交換してもらってお金を払って終わり。
と、その時気づいた。
今日は、2週間に1度のマッサージの日じゃないか!
9時からなのに、とっくに私の持ち分の時間は終わっている!
あわてて先生に電話したら、笑いを含んだ声で、「寝坊したでしょ」と言われた。
「すみません!電話してくれればいいのに」と言ったら、「雨降ってるし、いいよ」。
実際、過去何度か電話で起こしてもらっていて、
「5分過ぎたら電話ください。遅刻はまずないし、他の用事もありませんから、5分過ぎて来ない、ってことは寝坊してる、ってことです」と言ってあるし、先生の方から、
「大雨だから、来られないでしょ。今日は、休みにしておく?」と電話をもらったことも何度かある。
家から自転車で10分ほどなので、雨の時は休むこともあるんだ。小雨決行だけど。
あああ、申し訳ないことをしちゃったなぁ。
私が行かないと、先生、1時間半することなくてその分稼ぎが減るんだよね。
キャンセル料も取らないので、よけい申し訳ない。
来週は珍しく用事が入っているし、再来週かな。
五十肩がバキバキ言ってつらいが、自業自得だ。
やれやれ、明日は、3年前に亡くなった友人を偲ぶ会で、隣町で高校時代の男友達2人と飲むんだよね、大内くんも一緒に。
だから、美容院ぐらい行っておこうと思い、マッサージのあとで寄るつもりだったのだが・・・このぼさぼさ頭で行くのか。
男友達と言っても、1人はゲイだ。彼氏ができたので紹介してくれるらしい。
とても楽しみ。
女性に興味のない彼らにとって、私の頭がぼさぼさだろうがセットしたてだろうがあんまり変わりはあるまい。
もう1人は離婚経験者、私の高校時代の元カレである。
二次元に萌える彼もまた、私の頭はどうでもいいだろう。
「土曜日も雨模様のようですが、○○くん(故人)がそうひどいことにはしないでおいてくれるでしょう」と書いてきたゲイの人のためにも、少し天気が回復することを祈る。
13年10月26日
隣町の居酒屋で、高校時代の男友達2人と飲んだ。大内くんも一緒。
3年前に急死した親友を偲ぶ会だ。
彼が亡くなったと奥さんから連絡を受け、すぐに友人たちに声をかけ、遺骨が郷土の名古屋に帰ってしまう前にお焼香をすることができた。
その帰りに「精進落とし」ということで居酒屋で飲んで以来、毎年命日付近の休日に会っている仲間たちだ。
高校時代は親密だったが、それぞれの経緯をたどって東京暮らしに落ち着いてから、あまり会うことはなかった。
10年ぐらい会っていない人もいた。
それでも最後にみんなで集まったのは、10年前、うちがマンション買って引っ越し、「オープン・ハウス」をやった時。
ちっとも変わらない人、巨大化した人、いろいろだった。(私は後者)
次は、やはりマンションを買ったアニメーターの彼のオープン・ハウスだね、とメールや電話で相談しており、
「そろそろ片づいたので」と言っていた矢先の急死だった。
コドモのいない夫婦2人暮らしで、日頃から、
「自分に何かあったら、唯一の友人である大内さんに知らせてほしい」と奥さんに頼んでいたそうだ。
悲しいことを言うなよ。こうやって集まってくれる友人たちが、ちゃんといるじゃないか!
私にとって忘れることのできない10月31日、常に土日、というわけにはいかないので、今年は少し早くて、10月26日に集まったわけだ。
離婚して今は病気休職中のシステムエンジニアに、1度、
「毎年集まるのは負担じゃない?」と聞いてみたら、笑って、
「集まれるうちは集まろうよ。そのうちまた誰かが送られる番になるかもしれないしさ」と言っていた。
もう1人、こちらも離婚経験者だがそののち自分がゲイであることを発見し、一気に生きるのが楽になったらしい人も、
「皆さんのお顔を拝見できるなら、そういう機会は大事にしましょうよ。ね?」と、オネエ言葉というよりは慇懃無礼一歩手前の丁寧な物言い。慣れてるから
大丈夫だけど。
本当はもう1人、亡くなった彼と同じアニメーターをやっていた男性もいるのだが、彼は彼で別種の悲しみが深いのか、故人とは親しくても我々とは少し距離があったのか、ここ2年ほどは、
「すみません、今年も欠席です。1人でひっそり偲びます」と飲み会の席には顔を出さない。
それはそれでいいだろう。
不謹慎なようだが、今年の目玉は54歳の「ワカ専」ゲイである友人に、28歳の「フケ専」の彼氏ができたこと。
連れてきて紹介してくれるというので、システムエンジニアと大内くんと私は、緊張しつつワクワクして居酒屋に到着。
しかし、ゲイ本人は現れたが、肝心の彼氏がなかなか来ない。
スマホでしきりに連絡を取っているので聞いてみたら、
「中野まで東西線で来たけど、寝落ちしちゃって、気がついたら折り返して西船橋まで行ってしまった。これから向かう」という状態のようだ。
登場までのこの緊迫感、どうしよう?
そしたら、1時間20分遅れぐらいで、現れましたよ。モノホンのゲイが。28歳が。
一同、「ははーっ」って頭下げたくなった。
スゴイ若くて、スゴイ美青年。
帽子やストールがオシャレで、やせてて、水商売は慣れてるそうで、物腰がていねい。
酔っぱらうと彼の手を握ったりするそうなのだが、あいにくタイムアップで、そこまで酔っぱらってはくれなかった。
さすが人あしらいに慣れていて、私が伊勢丹の閉店セールで「大きなサイズのお店」でスーツを買った話をしたら、ちょっと身をくねらせるようにし
て、
「えー、全然、大きくなんかないですよぅ」。
くらっと来たね。
「○○くんの、どこが好きなの?」と、あたかも彼女を紹介された時のように質問したら、
「んー、やっぱり、知的なところですね。話してて、面白いですもん」という答え。
さすがは美術評論家のタマゴな友人だ。
今は別々に住んでるようだが、いずれ一緒に暮らせばいいのに、と余計なおせっかいを言ってしまう。
カレシ的には異存はないようで、
「そしたら、漬けもの作ってあげる。ぬか漬けとか」と言うので、
「ぬか床ができたら、わけてちょうだい」と、女の風上にも置けない情けないセリフを吐いてしまった。
だって、パエリアも作れるって言うんだよ!
一応、古い友人を偲ぶ会なので、iPadに写真を10枚ぐらい入れたのを持って行った。
でも、実は、故人を偲ぶだけが目的ではなく、ごく自然に一緒に写っているゲイの彼の高校時代をカレシに見せてあげたかったの。
「わぁー、○○さん、わかーい。やせてるー」と、ウケていたようだ。
当時は、本人も含めて、彼がゲイであるとは誰も知らなかったんだよ。
時間が過ぎたので、1人2700円という安い会費を徴収し、おひらきに。
私は、駅で別れる時に、しっかり28歳の手を取って、握手しながら、
「○○くんをよろしくね。ずぅっと一緒にいてあげてね」とお願いしておいた。
彼は、くねっとおじぎしながら私の手をしっかと握り、
「はぁーい、わかりましたー!」と言ってくれた。
来年も、来てくれるって。
○○くん、こんな出物は2度とないよ。
どんなに大事にしてもしてもし足りないよ。
絶対、彼の手を放しちゃダメだよ。
あーっ、もっとしっかり説教しておけばよかった!
こうして、高校時代の友人が少なくとも2人、元気で暮らしていることを確認した。
それぞれ、自分に合った暮らし方をしているようだし。
システムエンジニアの方は、我々の自炊の先導者なんだよね。
しょっちゅう質問して、お世話になってます。
皆さん、今後ともよろしく。また来年、元気で会いましょう!
13年10月27日
吾妻ひでお久々の新刊、「アル中病棟」を買って読んだ。
いや、いつもはブックオフとかネットとかで中古を買っているのだが、この人の場合、「生活を援助する」ことが必要なのではないかと・・・
なので、もうデータ化して持ってた「失踪日記」を買い直してダブらせてしまった、なんてたいした問題じゃない。
あの人はいろんな意味でホンモノだ。
ホンモノの天才、ホンモノのアル中、ホンモノのキ○ガイ(すみません、ちょっと書けませんでした・・・)。
とにかく、うまい。
休筆中に、よけいにうまくなったような気がする。
驚いたのは、ML上で友人の推薦文を読んですぐに買い、裁断・自炊してiPadで読み、ついでに行方知れずになっていた「失踪日記」も買って同様にして読んでたら、昨日の夜中に帰ってきた息子の机の上に、ちゃんとした本の形をしている「アル中病棟」を発見したこと。
一瞬、自炊された本が成仏しないで化けて出たのかと思いましたよ。
「なんで買ったの?」と聞いてみたら、「面白そうだから」。
「これの前の、『失踪日記』も面白いよ。iPadに入れておいてあげるね」と言って枕元に投げ出しておいたら、今、読んでる。
授業は行かんのか。
このように、マンガクラブの血は脈々と受け継がれている。
彼には彼の好みがあるらしく、自分で勝手にどんどんマンガを買ってきてしまい、息子の部屋の本棚はマンガとフィギュアであふれ返っている。
いや、冗談じゃなく、本当にあふれてきていて、しょうがないから我々の自炊で空いたリビングのテレビラックの方に収納してる。
他に何を入れるつもりもなかったので、それ自体はまあいいんだが、少なくとも自分で片づけてもらいたい。
今のところ、机の上にモノの山ができて、それが雪崩をうって崩れてしまいそうなので、少なくとも本類だけは集めてリビングに持って行く。そんなことのくり返しだ。
それでも、息子がマンガを読むのが嬉しい我々は、どっかおかしいのだろうか?
毎晩、大内くんと話している時、彼は、
「小さい頃に手塚治虫の『ブラックジャック』と水島新二の『ドカベン』を、暗記するほど読ませた、あれが良かったんじゃないかな」と言う。
1度、彼が買ってる「イマイマのマンガ」を読んでみたいと思ってはいるのだが、なかなか気力が出なくて・・・
絵が、怖いのもけっこうあるんだよね。
私としては最近ミステリを読むようになった彼と、島田壮司の話ができて嬉しい。
文庫本を持ち歩いているようなので、データをタブレットで読むのはキライかと思ったけど、
「島田壮司、データでよければ家にいっぱいあるよ。入れとこうか?」と聞いたら、
「データでも読むよ。入れといて」という返事だった。
何カ月かけて読むつもりかわからないけど、かなりいくらでもあるんだ。楽しんでくれ。
13年10月28日
大内くんが、会社で友人から回って来たメールを家に転送してくれた。
「辛い話だ。帰って話そう」
何のことかと思い、添付の新聞記事を読んだら、驚くべきことが載っていた。
大内くんには、大学時代からの古い友人がいた。
うつ病にかかり、ずっと治療を続けていた。
大内くんの卒業間近に紹介された私は、薬でどんよりした彼しか知らなかったが、学生時代を知る大内くんは、
「カミソリのように頭の切れる人だった」と言う。
その後、夫婦で、微力ながらさまざまに話をしたり、相談にのったりしていた。
地方に住んでいる人だったので、時には、
「今、もう新幹線に乗ってそっちへ向かっている。ぜひ相談にのってほしい」と言われたこともある。
次第に家族ぐるみのつき合いになり、我が家の息子より1歳年下の「だいくん」も一緒に家族3人で我が家に泊まりに来たり、一緒に、当時放送中だっ
た「ゴーゴーファイブ・ショー」を見に後楽園に出かけたりした。
当時は大内くんの会社の保養所が日本中あちこちにあり、彼の家からそれほど遠くないということで、湯村という温泉に行って「カニ三昧」したことも
ある。
4、5歳だっただいくんと息子はウルトラマンの話で盛り上がり、幼児ながらもお互いに気が合うヤツとして認識し合っているようだった。
そんな友人が、ある年、死んでしまった。自死だった。
生活に追われて、彼の相談に充分にのってあげていたとは言い難かった我々にとっては、大きなショックだった。
朝一番の飛行機で現地に向かった大内くんは、お通夜だけ出席して帰って来たが、気を紛らわすためか、お菓子の袋を持って奥さんの妹さんに手を引かれ、境内を散歩していただいくんに会った、と言っていた。
「大内のおじちゃん、覚えてる?」と聞いたら、「うん」とうなずいていたという。
聡明な、明るい子だった。
やっと話は今に戻るが、新聞の切り抜きで、そのだいくんが、身体中ガンにむしばまれて入院している、ということを知った。
脳腫瘍から白血病、大腸ガンまで併発し、8年にわたる闘病生活で、現代の医療ではもう手の施しようがないらしい。
その彼が、スマホに書きためた文章を自費出版で本にする、という内容の記事だった。
とりあえず大内くんに、
「この本を何冊か買って知人にも配りたい。買い方を、メールくれた友達に聞いておいて」と頼む。
一方、年賀状のやり取りだけは続いていた奥さんのアドレスにメールしてみたが、戻ってきてしまった。
大内くんは、近いうちに連絡先を突き止める、と言っている。
もう、抗がん剤も効かずモルヒネで痛みをコントロールしているだけだというだいくんは、どうなってしまうのだろう。
新聞記事には、彼が大腸ガンを併発した時に初めてお父さんの死の真相を知らされた、と書いてあった。
一瞬は、「見捨てられた」という感覚がわくだろうな、と思うと、涙が出た。
息子と一緒にレゴやプラレールで遊んでいただいくん。
息子のベッドで一緒に眠っただいくん。
ゴーゴーファイブ・ショーに歓声を上げていただいくん。
2月の寒い夜、身体に毛布を巻きつけ、息子と抱き合うようにして湯村の余部鉄橋を最終電車が「銀河鉄道」の風情で走って行くのを見ていただいくん。
他人の子でもこんなに思い出があって悲しいのに、夫を失い、息子が重病の床にある奥さんは、どんな気持ちだろう。
これからだいくんはどうなっていくのか、遠くにいる我々にはわからない。
できることは、彼が命をかけて書いた本を買って読むことだけだと思う。
11月に出版されるというその本を、私は待っている。
だいくんに、これからもたくさんの時間が残されているように祈っている。
「あきらめない」という本だ。
もし興味のある人がいたら、私に連絡ください。
よろしくお願いします。(文中は仮名です)
13年10月30日
夜中に帰って来た息子が、珍しくおなかはすいてない、と言うので仕事がなくなった。
なんとなくやる気が余っていたので、寝る前にリビングのソファに寝転んでゲームをしている彼に、いろいろ話しかけた。
私「ねえ、だいくん、って、覚えてる?」
息子「覚えてねー」
私「小さい頃、一緒に湯村に行ったじゃない。車に長ーいこと乗ってさ、カニを食べたり、夜、毛布にくるまって電車を観に行ったり、そうそう、だいくんが泊まりに来た時は、翌日一緒にゴーゴーファイブ・ショー見たよ。覚えてない?お父さんがパパの友達だったんだけど、ずいぶん前に死んじゃったんだよ」
息子「覚えてねーよ。その子が、どうかしたの?」
私「ガンで、大変なんだよ」
息子「死ぬの?」
私「かもしれない」
息子「お母さんは?」
私「いるよ」
息子「兄弟は?」
私「いないよ。1人息子だよ」
息子「ふーん・・・」
それきり黙ってしまった息子に、ついでに(と言っては失礼だが)友人が闘病中で、治っても普通の食事は無理で、胃ろうからの栄養液摂取になるかも しれない、と話したら、
「なに、今日は、そういう話ばっかり聞く日なわけ?」と言われた。
「50過ぎると、そうめでたい話ばかりじゃないんだよ。じゃあ、ひとつ、おめでたい話をしようか」
「うん」
「こないだ、パパの友達が、50歳で結婚したよ」
(思いっきり胡散臭そうに)「めでたい話って、それ?」
「そうだよ」
「・・・」
まあ、オトナの事情を中途半端に伝えたのがいけなかった。
でも、そのあとテレビを見始めた息子のところに行ってみたら、
「何の偶然かわからないけど、闘病モノの番組が始まっちゃたんだよ。しょうがないから、見てる」と苦笑いをしていた。
うん、世の中、何があるかわからない。
キミだって、ママたちだって、どうなるかわからないんだから、シュミレーションして傾向と対策を考えておくのは悪いことじゃないよ、と、そろそろ
「エンディングノート」(お葬式の希望とか、現金や保険証書の在りかとか、書き留めておく遺言みたいなもの)を作ろうかと思っている私です。
13年10月31日
今日は親友の命日。
3年前、亡くなった時から、毎年お盆と命日には実家に花を送っていたのだが、お母様から毎年律儀にお礼のお菓子と手紙が来るのが心苦しくて、大内くんの意見もあり、今年からは見合わせることにした。
代わりに、お手紙を書いた。
友人たちが集まったこと(さすがにゲイの彼氏を紹介された、とは書かなかった)、みんなで写真を見ながら思い出話をしたこと、また来年も集まろ
う、と話したこと、などなど。
35年つき合った親友との思い出はたくさんあり、私が東京の大学に行き、彼は地元名古屋の美術大学に行き、私が帰省したおりにはよく彼の家に遊びに行ったものだ。
他の友人たちが顔をそろえることもたびたびで、お母様にはずいぶんご迷惑をかけたと思う。
一番印象に残っているのが「肉まん事件」。
飲み会の席で、28歳の彼氏にも聞いてみたのだが、
「ふつう、肉まんには何をつけて食べる?」という問いに、彼は大真面目な顔であごに手をやり、
「うーん、肉まんねぇ・・・僕は、何にもつけないですねぇ」と答えた。
今でこそ、私も肉まんには何もつけず、具の味だけで食べているが、当時、名古屋ではいろんなものをつける人がいた。
お母様がたくさん出してくださった肉まんを前に、親友が、
「みんな、何つける?」と聞いて、必要なものを取りに階下の台所に行ってくれたのだが、結果、そこに並んだものは、
「マヨネーズ、ケチャップ、醤油、ソース、辛子、酢」というラインナップだった。
みんなで笑い転げた。
「たかだが5、6人が肉まん食べようとしてるだけなのに、どうしてこんなにいろんなものがいるの?」
ちなみに、私は酢醤油派であった。
「マヨネーズ、って、何?誰が頼んだんだろう?」と今回盛り上がり、そこに来ていないアニメーターが罪を着せられ、
「きっと、△△くんだよ。彼って、『マヨラー』的な顔してるじゃない!」と断じられてしまった。
気の毒に。人は、その場にいないと何を言われるか、わかったもんじゃないよ。
少しずつ、気持ちは落ち着いて行く。
親友の突然の死に打ちのめされ、「死」という言葉を聞くことすら苦痛だった頃に比べれば、私もずいぶん楽になった。
結婚式で会ったきりで、初めて言葉を交わしたのはお焼香の席だった、という彼の奥さんからも、これからいろいろ思い出話を聞こうとと思っていたのに、1年ほどで後を追うようにガンで亡くなってしまった。
親友のお父様もこの春亡くなったと聞く。
友人の言う、
「僕らも、いつ見送られる側になるかわからない」という言葉が真実味を持って迫ってくる。
大内くんは今年、ほんの少ししか年上でなかった先輩の「お葬式」(正確には「お別れの会」)に出た。
友人たちの中には、厳しい闘病生活をしている人もいる。
たった今、元気でいられることに感謝しよう。
闘病中の友人の、
「ハーフ・エンプティ」ではなく、「ハーフ・フル」であることをいつも忘れないで行きたい、という言葉に、ただただ頭が下がる。
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