13年11月1日
今日は早稲田大学社会科学部の「ペアレンツ・デー」。
親を集めて、社学部の施設やシステムの紹介、今現在の学部の外部からの評価、就活の時期とどんな人材が求められるか、等の説明会だ。
要するに、高校でとっくに縁が切れたと思っていた「保護者会」です。(さすがにPTA役員選出はないけど)
今は大学でもそんなことするのかぁ、と、成績表を保護者に送って来てくれた時と同じぐらい驚いた。
相談したいことがある親は、全体会の後で時間を取ってもらって、個人面談もあるそうな。
こういうことにはとことん熱心な大内くんはさっそく個人面談を希望し、両親そろって行く旨連絡し、当日は午後休を取って参加。
学校も過保護だが、親はそれに輪をかけて過保護なのだ。
ひととおり聞いて全体会が終わると、個人面談を希望した各人におおよその開始時間が提示される。
2時半までの会が終わったところで、我々は5時に来い、と言われた。
まだ3時間近くあるじゃないか。
食事でもしよう、と、新宿まで出て、インド料理のサムラートに行く。
隣町に支店があった頃よく行っていて、その頃そっちに勤めていたインド人従業員が新宿に移って来た。
我々を覚えているらしく、会うと嬉しそうに挨拶してくれる。
今日も、安いランチではなくアラカルトから選ぶという変則的なことをしたせいか、にこにこして、サラダを持ってきてくれた。
「セットない、サラダない。これ、サービスね」(セットじゃないからサラダはつかないけど、サービスしときます、って意味だろう)
うーん、常連さん気分というのはいいもんだなぁ。
マトン・サグワラとバター・チキンを頼んで、ナンとライスは半分こ、シシカバブも半分こね。
あー、今日のカレーはまた特においしかった。満足して店を出る。
これからバスで早稲田に戻ればちょうどいい時間だ。
果たして、控室で待っていたらすぐに呼ばれた。
大きな部屋のあちこちに机があって、親と先生が話してる。
何となく「ご商談が成立」しちゃいそうな雰囲気だ。
息子に関しては、心配した通り、単位が危うい。
「今期17単位申し込んでいるが、そのうち10単位を落とすと、もう即座に留年が決定」なんだそうだ。まずいじゃないか。
「語学が問題。ドイツ語と英語の出席が非常に悪い。何かバイトをしていますか?」と聞かれたので、正直に、
「病院で、深夜の受付のバイトをしていましたが、大変なので、今はやめています。サークル活動が楽しいらしく、学校に行きたくない、ということはありませんが、朝は弱く、授業に遅れることや休むことが多いです」と答えた。
「語学は朝早い授業が多いですからね。でも、ここを頑張って取ってしまえば、あとは楽になりますよ」と言ってれた先生である。
「まだ学校から呼び出して注意喚起する、という段階ではありませんが、親御さんも協力して、学校に来て講義を受けてくれるようお願いします」というのが結論だ。
はいはい、わかってます。毎朝、起こしてます。
起こしても、ごはん食べながら「クロコーチ」見始めると動かなくなるだけです。
80キロ近い物体を玄関に引きずって行くわけにもいかず、重い腰が上がるのを待ってます。
やっと出て行く頃、それは、ほとんど毎日、始業時間を過ぎた頃です。
出席にしてもらえるのだろうか・・・ああ、心配。
外に出るともう真っ暗で、そこかしこで明日から2日間の学祭に備えて屋台や舞台の準備をしている。
息子も明日、教室でのお笑いライブに出るはずだ。
あさっては理工学部キャンパスのステージに立つと聞いている。
ああ、やっぱり3日間連続で通わなきゃいけない・・・
13年11月2日
早稲田祭に行く。
昨日もペアレンツ・デーで行ったし、明日もステージがあるので見に来なきゃいけないし、日頃家からほとんど出ない私にとっては3連発の気合の入ったお出かけだ。
ついに、「スイカ」を手に入れたぞ。
これまで、電車に乗ることなんて年に数回だったし、バスに乗る時には大内くんがたいがい一緒で、「2人分」と言って私の分まで払ってくれたので、
無問題だったんだけど、さすがに今回3日間のお出かけがあるので、スイカを買った、というわけ。
電車で「ピッ」、バスで「ピッ」、気持ちいいじゃないか〜!
昨日、待ち合わせ場所の早稲田駅で大内くんに会った時、
「買ったよ!これからは自分のバス代は自分で払うんだよ!」と威張ったら、紳士的に、
「これで大人の仲間入りだね。よかったね」と言ってくれた。私、50歳過ぎてるんですけど・・・
さて、本日はゆるやかな気分で学祭見学。
たどり着いたキャンパスは朝から人混みのカタマリ。
コスプレ部が色鮮やかなウィッグをつけてメイド服を着たり、前を歩いてる女の子はどう見てもゴスロリだし…あちこちついて行きたい欲望が刺激される。
だめだめ、今日は息子のお笑いを見に来たんだから。
指定された教室に行ってみると、案外盛況。
立ち見も出る勢いだ。
少し端の方だが並んで座れる席があって、ビデオカメラの用意をして出番を待つ。
始まってみると、どのグループも面白い。
プロの真似をしてるだけ、という感がなくはないが、大学生のやることなんてそんなもんだ。
息子たちのグループも頑張っていた。
11時から12時の回を見て、12時半からのにもう1回出るらしいので見に来よう、ということになり、席取りのため上着を机の上に置いて、学祭と言えばこれでしょう、という感じの焼きそばを食べに行く。
売っていた焼きそばは、具が肉しか入ってないし、盛りは小さいし、紅ショウガも青のりもついてない。それで300円。
「こんなの、学祭の焼きそばじゃない!」と私が言えば、大内くんが、
「ボーイスカウトや学童保育所の行事でさんざん焼きそばを焼いたが、こんなにおいしくなく作るのはかえって難しいぐらいだ!」と呼応する。
そもそも、コテを握る両手にはめた滑り止めのゴム付軍手で、生めんをビニール袋から引っ張り出すのはやや不衛生ではあるまいか。
焼きそば的には失望した。息子のライブに期待しよう。
ところが、教室に戻ってみたら席に置いてあった上着がない。2人とも。
案内のおねーさんに聞いたら、1度リハーサルなどを含めて片づけちゃったらしい。
すみません、席取りなんかして。
上着は返って来たし、超混雑してきた会場内でもなんとか座れたし、息子のコントはまあまあだった。
やはり息子さんが早稲田の2年生である、大学時代のまんがくらぶの先輩が見に来てくれた。
終わった時点でお礼を言ってお別れする。後日、メールで感想をもらおう。
初日はこんなもんでしょう、と、くたくたになって帰還。
私の大学は、総学生数2千人ばかり、へき地なので、学生以外にわざわざ学祭に来てくれるのは近所のおばちゃんぐらいなもの、目玉はだだっ広い芝生にぽつんと立った「ゲル」(モンゴル遊牧民の移動式住居)の展示のみ、という学祭風景で、早稲田祭は別世界だ。
すごく疲れた。
晩ごはんはうどんでも軽く食べて、早寝しよう。ぐー。
13年11月3日
今日のステージは理工学部のキャンパス特設ステージ。
本キャンからはちょっと遠い。
理工学部の焼きそばは、肉とキャベツともやしが入っていて、紅ショウガがついていて青のりまでかかっていた。
これが、大きめの容器に入って250円。
昨日、本キャンで食べた、肉しか入ってない紅ショウガや青ノリもない、小さな器に入っていた300円の焼きそばはなんだったんだろう。
理工は、たこ焼きもおいしかった。
人が少ない分、商売が誠実なのだろうか。
11時から息子のステージ。
相方が同じなので少し嫌な予感がしたが、黙って見ていたら、それは、昨日教室ライブでやったのと寸分たがわぬ漫才じゃないか!
そうと知っていたら、来なかったかもしれない。
まあ、他の演者さんのもいっぱい見られて面白かったから、いいんだけど。
これが11時半の出来事で、4時過ぎに塾の「学祭弾丸ツアー」と称して、卒業生や講師たちの大学の学祭をいくつかまわる、というツアーが早稲田に来るはずだ。
なつかしいから合流しようかと思ったが、息子に会って機嫌悪くされるのもイヤだし、くたびれたので、早々に帰る。
なんとか息子の舞台は全部見て(3回出た)、焼きそばも食べたし、スイカは快調だったし、いいお出かけだった。
夕方になって、図書館の本を一生懸命フラットベッド式のスキャナで電子化している大内くんに、
「楽しいお休みだったね。いろいろありがとう。明日っからまた元気に働いてね」と言ったら、
「明日も休み。3連休だよ。金曜に半休取ってペアレンツ・デーに行ったから、カン違いしちゃったんだね」と言われた。
ブラボー!!
もう1日、大内くんとゆっくり過ごせるのかぁ!
ビバ、3連休!
というわけで、夜更かしして書籍の電子化を行い、帰って来るわけない息子のことは忘れて、のんびり寝ました。
明日もたくさん寝よう。
13年11月5日
息子が楽しく学祭をやってる間は封印しておこう、と思っていた件がある。
先日書いた、友人の息子だいくんが、亡くなったということ。
おととい、大内くんがやっとゲットしたお母さんの連絡先に電話して様子を聞こうとしたら、
「亡くなりました。昨日が初七日でした」と言われたらしい。
愕然とした。
それほど死が迫っているとは知らず、まだ時間の猶予はあるはず、って勝手に思ってた。
だいくんが書いた自費出版の本の出来上がりや、その反響も目にすることができたうえでの、死だったという。
うちが、ゴールデンタイムのバラエティ番組に取材された「人間観察モニタリング」という番組は広島でもやっていて、病院のだいくんが、
「これ、ごーちゃん(息子)のお父さんじゃないかねぇ。じゃったら、これがごーちゃんやろうか」と言いながら、お母さんと見ていたらしい。
最初の方の名前がテロップで出たあたりは見逃したようだし、6歳の時に会ったきりなので今の息子はとんと分からず、大内くんの顔だけを覚えていたようだ。
それにしたってスゴイよ。小学校に入る前に何度か会ったことがある、という程度のオトナの顔を、普通だったら覚えていないんじゃないかなぁ。
いつも、私がこの番組を録画したものを見ていると「恥ずかしい〜」と言って家のどこかに避難してしまう大内くんだが、今回も恥ずかしかった?と聞いたら、
「いや、今回はいつもと感じ方が違う。一種のビデオレターというか、だいくんやお母さんにうちが元気に暮らしてる、ってことが図らずも伝わった、 と 思うと、良かった、という思いがわいてくる。あの番組自体はドッキリカメラで、息子がお笑い芸人になるべく大学をやめようとしている、てのはウソだったんだけど、現実の今の我が家を手短に紹介するとしたら、ああいう書き方しかないと思う」と、きりりとしていた。
「でもそうか、だいくん、死んじゃったのか」と言いながら、私は泣いた。おいおい泣いた。
お母さんの気持ちを思ってか、だいくんの命を惜しんでか、小さなころの思い出の中のだいくんのためか、理由はよくわからないが、ここで泣かなくてどうする!って気持ちで、激しく号泣した。
しばらく泣いて落ち着き、鼻をかんでいる私の横で大内くんは、
「僕はいつも、何でも後悔ばっかりだ。お母さんからの年賀状に数年続けて『子供の病気で』とか『子供が具合が悪くて』って書いてあったのに、電話かメールで様子を聞いてみようともしなかった。僕はあらゆることに手遅れな人間だ」と、彼なりの方法で深く悲しんでいるようだった。
本当に悲しい出来事だ。
張り切って学祭をエンジョイしている最中の息子にはさすがに言えず、今日、後片づけを終わって帰って来たと思われた(夜中の12時帰り!いつものことだが)時をきっかけに、
「こないだ話した『だいくん』が死んじゃったよ」と話した。
夜食のチャーハンを食べながら、「えっ、いつ?」と驚いていた。
彼自身は覚えてない子の話だし、私経由おじいちゃん似の冷血DNAなので、
「10日ぐらい前だよ」と話しても、「ふーん」と言うだけで、チャーハンを食べる手は止まらなかった。
「お母さんは?」と聞かれたので、
「気丈にしているよ」と答えたら、
「可哀そうだね」と言っていたのが唯一人間らしい反応だった。
彼は、人畜無害な見かけによらず、本当に冷たいところがある人なのだ。
「『モニタリング』で父さんの顔見て、『これ、ごーちゃんのお父さんじゃない?』って見てたらしいよ」と話したら、
「よく覚えてんな。頭いいわ」と感心したようだった。
東京の大学に来たかったらしいだいくんと、同じキャンパスに通ってた可能性もあるんだよ。
人生、何が起こるかわからないね。
「オレが死んだら、あんたたちも死ぬ?」と聞かれて、
「さあ、小さい時ならともかく、もう大きくなってそれなりに楽しい思いもしたわけだから、あきらめるよ。大泣きするだろうけどね。後を追って死んでもらいたい?」と聞き返したら、
「どうでもいいや。勝手にして」とだけ言っていた。
育てた甲斐があるのやらないのやら・・・
今日は、だいくんのことを考えて過ごそう。
ただただ、悲しもう。
13年11月7日
最近、上野千鶴子や酒井順子の本を読んでいて、死別や離別で「市場に再参入」の人の話によく触れる。
そもそも、「勝ち犬」(結婚済み)の人でも、よほど運が良くない限り夫婦のどちらかが先に死ぬわけで、そしたらシングルの世界に「おかえりなさ〜
い」ということになるわけだ。
そう考えると、シングルの人の方が「どうやって1人で暮らして行くか」の経験値が高いだけ、有利かもしれないなぁ。
うちでは、大内くんが私より長生きして、私を看取ってお墓に入れてから死ぬ、ということになっていて、私は大内くんの死後、1人になった自分の心配はしなくていいはずなのだが、もちろんそんなことは人間に決められることではない。
もし大内くんがいなくなったら・・・うーん、やっぱり考えたくないなぁ。
ちょっと昔、女友達の1人と話している時に「大内くんが死んだらどうしよう」という話になって、心細くなっていたら、彼女がこう言ってくれた。
「私だって○○ちゃん(別の女友達)だって、あなたのこと、ほっとくわけないじゃない。必ず何とかして、助けてあげる」
これ聞いてから、未来が少し楽になったよ。
ありがとう!>友達。
私自身も、そんなふうに誰かの力になれる時があるかもしれない。
そのためにも、心身健やかに長生きしよう。
そして、最悪の場合は何とか結婚市場に返り咲いて、再婚して幸せになろう。
ごめん>大内くん。
13年11月8日
夜食を作ってあげた時に、息子と長めの話をする機会があった。
息子「大学の時、授業って行った?」
私「あんまり行かなかったね。寮に住んでなかったら留年してたと思うよ。そしたら、おばあちゃんに頼んでお金出してもらって、1年か半年ぐらい留学 しようと思った。留学したら、卒業が1年遅れても言い訳できるから」
息子「そうなんだー。いや、オレさ、授業がクソつまんないんだよね」
私「社会科学部の授業が、ってこと?」
息子「そう」
私「それなら、どうしても必要な単位だけ早く取って、あとは文化構想学部の授業でも受ければいいじゃない」
息子「そうだね。オヤジはなんで留年したの?」
私「小学校の頃から『いい大学へ行きなさい』って言われて、なんとか入学はしたものの、くたびれすぎちゃったし、おばあちゃんたちへの反発が重なって、授業に出なかったんだよ。最後の年なんか、もう1個試験受ければ卒業できるかも、って時に、寝坊して留年だよ」
息子「今日、テストひとつ寝坊しちゃった」
私「ママの起こし方でいいんなら起こしてあげるけど、あれやられるとその日1日ぐらいママのこと、大っ嫌いになるでしょう」(ベッドの壁側に寝て、壁側を背にして足で息子を蹴り出すという方法)
息子「いや、行きの電車ぐらいで、『悪かったな』って思う」
私「それなら起こしてあげるから、目覚まし時計代わりに使って」
息子「いや、自分で起きられないと意味ないから」
私「そうだね。オトナになるには、まず自分で起きられるようになんなきゃね。まあそれに、何でも勉強だよ。あなたは、本は読み始めたばっかりだ し、テレビも映画ぐらいしか見ないでしょ。もっと本読んだりニュース見たり新聞読んだりしなきゃね。でも、パパとママも新聞は読まないね。もうやめちゃおうか、っ
て思ってるんだ」
息子「えー、オレ、読むよ。これから、新聞をオレの部屋の前に置いといてよ」
私「わかった。それで、留年しそうなの?」
息子「かなり危ない」
私「うーん、あなたはコドモっぽいから、1年ぐらい留年してもいいかと思ってるんだけどね。でもやっぱり、留年はつらいよ。そのへんはパパがエキスパートだから、聞いてみたら?ところで、学祭も終わったことだし、バイトはしないの?」
息子「今まで忙しかったから」
私「そろそろ定期的なバイトをしてよ。おばあちゃんたちの20歳のお祝い金も、限界があるでしょう」
息子「オレの手元にはまだある。大丈夫」
私「パチンコにつぎ込むのはほどほどにね」
息子「いや、もうパチンコはやめたから」
一番肝心なとこを聞き忘れてた。
私「で、今、カノジョいるの?」」
息子「いいや」
私「そうかー、カノジョいると青春なんだけどね」
この程度の話でも嬉しい。
親心とは卑屈なものだ。
そもそも毎朝起こさないと大学に行けない、ってのも困ったもんだ。
語学さえ終わってしまえば、午後の授業ばっかり取る、ってのもアリなんだろうけど。
今が正念場か。ガンバレ、自分。
13年11月9日
息子がかつてお世話になっていた塾の塾長と、非公式な面談。というか、飲みに行った。
こちらの主題の1つは留年しそうな息子。
向こうさんにも、早稲田を8年がかりで卒業しようというスタッフがいる。
それ以外にも留年した人には事欠かない。
塾長自身、早稲田中退だし。
我々の話を聞いて、巨漢の塾長は松の木の根っこのようなたくましい腕を組んで「うーん」とうなっていたが、
「5年かかるとしても、問題は、その5年間をどう過ごすか、ということでしょうね」と、我々が考えているのとほぼ同じことを言う。
うん、我々は、きっと誰かに認めてもらいたかったんだな。この現実を。
となればいっそ気は楽で、もう1つの主題は、ボランティアで塾で教えたい、という大内くんの売り込みだ。
「冬期講習とか、どうでしょう?使っていただけませんか?」
人間の出来ている塾長は、ここで困った顔などしない。
「やっていただけますか!それでは、中学生の社会科をお願いします。地理なんか、手薄なんですが」
どうやら、大内くんのハリキリどころがあるようだ。
受験勉強というものはクセになるのか、大内くんは、いまだに本屋に行くと参考書の棚の前によく立っている。
私は、あんなところには二度と近寄りたくない。
かつて近寄ったことがあるかどうかも不明だ。
昔は私の大学の赤本(過去問集)はなかったし。
でも、大内くんは言う。
「会社を定年退職したら、塾で使ってもらって少し老後の生活費を稼ごうと思ってるんだよ。将来への投資」
まあ、交通整理をしたり自転車の整理をしたりの肉体労働よりは楽かもしれないが、そんなに教えたいのなら、いっそ最初っから学校の先生になってれ
ばよかったのに。
そう言うと、彼は決まって、
「人生が2度あれば、そうしたい。教師になって、高校で世界史を教えたかった。大学に入っても親の言うままに役所か弁護士、とか思ってた自分が不甲斐ない」と嘆
く。
選択肢のない人生だったようだ。
私と出会ってからも、「パリ大学で政治学を学びたい」とかうわごとを言っていたぞ、この人は。
結局、この歳になってもシンガポールより遠くに行ったことがないくせに。
まあ、老後に好きなことをして多少お金が稼げるなら、そんないいことはないだろう。
私には、好きなことがない。
ひたすらモノを並べるとか、本を1巻から順にそろえるのが好きだとかは、仕事にはなりにくいだろう。
そもそももう25年間も働いてない50女を雇ってくれるところはあまりないと思う。
しかも「モノを並べたいんです!」と言われちゃあなぁ。
一応、図書館でアルバイトを募集してないか聞いてみたことはあるよ。40代の頃だが。
答えは、正職員が出勤しない土日の就労が多いうえ、好きなだけ本が読める優雅な仕事だと思い込んでくる人が多いけど、実情は他館から来た本の整理とかで段ボールを持ち運ぶような力仕事が多いのだそうだ。
腕力に自信のない私は、即座にあきらめた。
土日は大内くんと遊びたいし。
大内くんが定年になったら、土日も関係ないからその点では選べる職種が増えるかも。
でも、その時、私は64歳だよ?!
ほとんどあらゆることを未経験な60代半ばの老女に、何の仕事があろうか。
ああ、やはり私の人生は無為に過ぎて行くしかないんだなぁ。就労意欲、薄いし。
そんな私に比べて、大内くんは豊かに生きている。
「キミがいてくれると思えばこそだよ。それだけで、キミは充分働いているんだよ」
世の中に、これほどのことを言葉にして奥さんに伝えてくれる夫が他にいるとは思いにくい。さめざめ。
そんな大内くんを支えて、今日も社会に微力ながら貢献します。
とりあえず、シーツを洗濯しました。今日の寝床は気持ちいいです。
あと、外泊して帰って来た息子を叱りませんでした。家庭の平和を維持しています。
塾長、あと10年、塾をわずかずつでも大きくして、大内くん参入の日を待っていてください。
それまでは、時々ボランティアで参加させてあげてください。
そして、息子の大学生活が5年以上にならないよう、目を配ってやってください。
(この点に関しては、8年間学生の真田先生通称さなやんが、大先輩として時折息子に接触するよう計らってくれるそうだ。ありがたいお話)
つくづく、いろんな人に支えられて我々の今日がある。
感謝してもしてもしきれない。
と、私のマッサージの先生に言うと、いつも、
「まずは親に感謝しなくっちゃね!」と元気よく言われる。
そこは弱点だ。克服します。
とりあえず、大内くんのお父さんのお誕生日に、大好物だという「ウニの瓶詰」を送っておこう。
13年11月10日
散歩に出る。
ぽわーんとあったかい、まだ11月なのに、「ああ、冬も終わりだな」と錯覚してしまうような陽気だった。
図書館に行って借りていた本を返し、予約していた本を借りて、少しまわり道をしてスーパーに寄り、お菓子などを買って帰る。
まことにのんびりした、いい日だった。
宮部みゆきの「ソロモンの偽証」全3巻の、第1巻を読んでいる。
iPadを使って、350ページぐらい読んだので、「もうそろそろ終わり近いかな?」と思って全体のページ数を見てみたら、まだ半分も行ってない。
これで3巻のうち1巻しか読んでないのだ。
いったい、どのくらいの大著なのか、宮部みゆきよ。
こないだ島田壮司の「星籠の海」上下巻を読んだ時も、新刊を買って読んだので「清水の舞台」だったが、この「ソロモンの偽証」もブックオフの新刊の棚で買ったので、けっこうな値段を払った。
なのに、数か月かかってやっと読み始め、3日ぐらいかけてまだ1巻の途中。
今、ブックオフで買ったらもっと安いかも、とか思い始めている。
でも、最近、いったん読めなくなっていた本がまた読めるようになってきた。
自炊の結果の果実を収穫している、という感じだ。
と言うか、自炊していた頃は少し「本に飽き飽きする」という気持ちになっていたかも。
何しろ、持っている本を全部上から下までひっくり返す、という様だったので、「お、こんな本も持っていたのか!」と猛然と読みたくなる気分になっ
た覚えはあるんだけど、それ以上に「物体としての本と対面する」場面も多かったからなぁ。
特に、裁断してスキャンした後の本を紐でくくって「古紙の山」としてゴミ捨て場に行くのは、何か悪いことをしているようで、妙に夜中に人目を忍んでマンションのゴミ捨て場に台車で運んだ気がする。
でも、自炊のおかげでその後は欲しい本をいくらでも買えて、もちろん金額的な限度はあるけど、スペース的な限度は皆無になった。
清水義範とか林真理子、東野圭吾といった、「読みたいけど、買って持ってるのはちょっと・・・」というような本を、ブックオフでバンバン買った
よ。
大内くんもアマゾンでバンバン買っている。
自炊前は彼が自分のおこづかいで買っていた本が、アマゾンを通すと家計からどんどん引き落とされて楽なのを発見してしまったらしい。
毎日のように古本屋から本の入った封筒が届き、アマゾンの箱がやって来ることも多い。あの段ボールを捨てるのが、またひと仕事。
負けじと私もマンガの全巻そろいをアマゾンで買う。きりがない。
スペース的な限度、というのが、実は生活を律していてくれたのか、と思うこともたまにある。
けどね、読みたい本がいつでも手元にあるのはとても嬉しいんだよ。
前は図書館で借りては返し、借りては返し、5、6回借りて読んだあたりであきらめて文庫本を買う、というパタンだった。
大内くんが、枕元の本を見て、
「図書館から借りてるこの本、もう何度も見てるねぇ。何回借りてるの?」と聞いてくることもしばしば。
今ではついに禁断の「新刊書を買う」まで行っちゃってるから、少し自重しないと。
大内くんと、散歩のコースに図書館を入れながら、
「やっぱり、図書館と学校と病院は文化の証だ。うちは、すぐ近所に分館もあるけど、市の本館にも近いから、便利だね」と話す。
特に、古い本をフラットベッドでデータ化することの多い大内くんにとって、
「パソコンで検索して予約すると、書庫に入っている本でも簡単に借りることができる」というのがとても便利らしい。
また、案外、書庫でしか発見できないような本を欲しがる男なんだよ、彼は。
「僕の探してるタイプの本は、けっこう高いんだよ。アマゾンで見つけても1冊5千円ぐらいする時がある。それがタダで借りられるんだから、まったく図書館はありがたい」とよく言っている。
でも、千ページ近い本を見開きでページごとにスキャンしていく作業を書斎で後ろから見ていると、1時間半ぐらいは楽々かかってしまうので、
「で、あなたの時給っていくらぐらいなの?」と聞きたくなる。
少々高くても、買って、裁断してオートフィーダーにかけた方が、手間まで考えると安上がりなのではないだろうか。
もういいかげん、大殺戮にも似たその作業にも慣れたことだし。
本をバラバラにしてフィーダーにかけて捨てちゃう、ってのが、最初の頃は悪鬼の所業に思えたんだよね。
今じゃすっかり手慣れたもんだけど。
我々のまわりには愛書家が多いので、「本に刃を入れる」というだけで、自炊という行為は忌み嫌われている。
古い友人から、いささか冷たく、「もっと紙の本に愛着を持つタイプかと思っていた」と言われたこともある。
しょうがないんだよぅ、家が、狭いんだよぅ。
そういうわけで、今日も図書館。
もっとも、大内くんもいいかげんフラットベッド使ってまで欲しい本はなくなったようなので、今後は地道に古本を買うつもりらしい。
だが、時々は正価で本を買おう。
「作家さんのためにも出版社のためにも、本やマンガは普通の本屋さんで定価で買ってください」と友人の編集者からも頼まれていることだし。
散歩のコースには、「町の本屋さん」もあるよ!
13年11月12日
1時からの授業に出ると言っていた息子を12時に起こすが、なかなか起きない。
起きたと思ったら、肉まん食べてシャワー。
もう大丈夫か、と思うも、そののち、布団にもぐりこんでゲーム開始。
何度も声をかけ、1時半頃、やっと送り出すことができた。(3限は1時から2時半。うちから大学までは4、50分)
授業を聞こうというつもりはまったくないようで、出席にさえなればいいと思っているらしい。
出がけに、私がパソコン作業している書斎のドアから顔をのぞかせて、
「悪いね。ちょっと体調が悪いからぐずぐずしちゃって。今から行くよ」と軽い笑顔でコメント。
そんなことをわざわざ謝って行く、というのは画期的だ。
なんだかうるうるしちゃった。
最後に謝りさえすれば何をしてもいいと、既に思われているようなのが少しくやしいが。
13年11月13日
と言っていたら、昨日の夜、9時ごろ帰って来た。珍しく早いご帰還だ。
「具合悪りー。もう寝る」と言いながら、あっという間に寝てしまう。
熱を測ったら38度2分もあるので驚いて、抗生剤を飲ませ、おでこに冷えピタを貼り、ポカリスウェットを大量に作って枕元に置いておく。
今日は1日中爆睡。
疲れてたんだろうなぁ。
昔、高校卒業ぐらいまで、息子はけっこうよく熱を出していた。
たいてい原因不明で、医者に行っても「軽い風邪ですかね?」とこっちが聞かれるありさまで、おそらくは過労だったのだろう。
今回も、早稲田祭が終わってサークル内の人事交代が終わった途端に寝込んだ、という印象で、おそらくは気が張っていたのではあるまいか。
(ちなみに、部長にあたる「幹事長」には、やっぱりなれませんでした。人望の足りない息子)
それでも食事はけっこうしっかり食べ、夕方には「買い物行ってくる」と言ったきり出かけて、数時間帰って来なかった。
すっかり元気になり、晩ごはんに、大好物である近所の中華料理店の「味噌チャーシューメン」の出前を取ってあげたら、「野菜炒め」もつけてぺろりと平らげ、今はベッドでお笑い番組を見ている。
久しぶりに一緒に食事をとった。
警察ドラマ「クロコーチ」を見ながらではあったが、それなりに会話もあり、接待で遅い大内くんには気の毒なことをした。あとで報告会を開こう。
実況はこんな感じです。
会話は、かなり唐突に始まった。
息子「身体の調子はどうなの?」
私「え?」
息子「いや、最近あんまり吐いたりしてないみたいだから」
私「ああ、胃ね。うん、だいぶいいよ。もともと吐きやすい胃の形なうえに、胃もたれしやすいんだよね。それに、少しやせなきゃね」
息子「いいんじゃね?」
私「いや、健康のためでもあるし、少しね。パパは、最近太った、って自分で言って気にしてるよ」
息子「太ったの?」
私「5キロぐらい」
息子「見かけに出ないな」
私「あなたは、少し太った?」
息子「うん」
私「やっぱり運動してないからね。パパは、あなたの昔の柔道のビデオとか見て、『今やってたら、強いだろうなぁ』とか勝手に夢見てるよ」
息子「いや、もう柔道はいい。今やってることに比べれば、全然面白くなかった」
私「お笑いはそんなに面白い?」
息子「面白いね!もっと早くからやればよかったよ。高校生からやってる人とかいるわけだから」
私「でも、高校までそういう部活とかなかったんだから、しょうがないじゃない。文化祭の『中夜祭』では、柔道部の友達と3年間連続で漫才やったわけだし」
息子「もっと、なんかやればよかったよ」
私「でも、そういう、今までやってきたことが支えになる、ってことはない?」
息子「ないね!」
私「苦しい時にさぁ、『オレは柔道やりぬいてきたんだ!』とか『オレには黒帯がある!』とかさぁ」
息子「柔道やってた、なんて、今や人には言わないよ」
私「まあ、小学校から延々やらなくっても、高校で半年やっただけで黒帯は取れるからねぇ」
息子「それにしても、オレもけっこういろんなことやってきたなぁ。こんないい息子はなかなかいないよ。よくやってるって、自分でも思うよ」
私「それは、パパとママもいつも話し合ってるよ。親として、ありがたいよ。ところで、明日の朝は?」
息子「1限あるけど、起きなくていいよ。自分で起きられるから」
私「パパに頼んどこうか?」
息子「いや、いい」
私「語学は大事にね。卒業には5年かかりそう?」
息子「5年はかかるね」
私「塾の先生の『さなやん』は、8年がかりらしいね」
息子「8年は、いられるんだよ」
私「裏表8年、ってやつね。パパは、教養課程が4年で限界なところを5年かかったから、大変だったんだよ。そう言えば、だいくんの本は読んだ?」(大内くんの友人の息子さん。先頃、病気で亡くなった。自費出版した闘病記を、お母さんから送っていただいた)
息子「読んだ」
私「ああいうの読むと、卒業に5年かかる、なんて小さな問題だって気がしてくるね」
息子「当たり前じゃん。大した問題じゃないよ。お母さんは本当に気の毒だね。どうしているの?」
私「なんとか気丈にやってるようだよ。ところで、島田壮司の『占星術殺人事件』は読めたの?」
息子「いやあ、難しくって、まだ。文章の細かいとこがむちゃくちゃ難しいじゃない」
私「そんなの、京極読んだらもっと大変でしょう」
息子「今、『ドグラマグラ』読んでるんだけどさぁ、あれも文章難しいよね」
私「夢野久作?ああいう、死の世界に直結してるみたいな根の深い文章読んでると、具合悪くならない?もっと健康的なもん読んだら?」
息子「そういうのじゃ、勉強にならないからなぁ。しかし、あんたもよく本読んでるね。それでどうして、(話が)もっと面白くならないんだろう?」
私「高校時代は、1日4冊読んでたよ」
息子「すげっ!」
私「クリエイティビティがないんだよ。パパは、『物事を理解する直観力はすごい』って言ってくれるけどね。それに、自分の話ばっかりしちゃうからかな、面白くならないのは」
息子「外人みたいだな」
私(「クロコーチ」を見てたので)「この、3億円事件って、45年前の話でしょ?関係者、全員、若すぎない?もっとジジイばっかだよ、真面目に描いたら」
息子(笑って)「見栄えが悪すぎるからじゃないの?」
私「それに、当時でこそ騒がれたけど、今じゃ家買ったらおしまい、って金額じゃん」
息子「今だったらどのくらい?10億、とか?」
私「うーん、そんなもんかね。それに、警察は騒いだけど、言うほどの大事件じゃないんだよ。強盗ですらないんだから。けが人も死人も出てなくて、
む しろ詐欺って言うか、単なる窃盗だよ」
息子「なのになんでそんなに警察が騒いだの?警察から盗んだの?」
私「そういうわけじゃないけど、警察官に化けてたわけだし、警察のメンツの問題だね。雨で初動捜査がうまくいかなかったのと、オートバイだの車だ の、遺留品がこんだけ残ってるんだから、ちょろい、っていう思い込みで、捜査が遅れたんだろうね。その後、被疑者死亡説とか、米軍関与説とかいろいろ出た、ってテレビで見たことあるよ。基地に逃げ込んだんじゃないかって」
息子「ふーん」
私「それにしても長瀬智也はいい役者になったねぇ。こないだ、『タイガー&ドラゴン』見たくなっちゃったよ」
息子「『はらちゃん』はどうだったの?」
私「面白かったよ!いい人もできるんだー、って、感心したよ。手足が長くて、カッコいいよね。今、実写のルパン撮るとしたら、彼にやらせたいな」
息子「言える!確かにそういう体つき」
私「今期、一番面白いのは『クロコーチ』かもね。あなたは『リーガルハイ』は見ないの?」
息子「評判がイマイチ。演技は野村萬斎の真似だし」
私「そうなの?!」
息子「そっくりじゃん」
私「でさぁ、話は変わるんだけど、お笑いサークルの幹事長にはなれなかったらしいね。HPで見たよ」
息子「なるわけないじゃん」
私「副幹事長、とか、周辺の役職ないの?」
息子「ないよ、そんなもん」
私「卒業後の進路は、なんか考えた?やっぱり芸人目指す?」
息子「まだ全然わからない。あー、腹いっぱい。ごっそうさん!」
とまあ、だいたい、このような会話があった。
この1年間で、彼とこんなに話したのは2回目か。
1回目は1カ月前、バースディ・ディナーのローストビーフの時だったような。(数日前にも、ほんの少し話せたかな)
無意味に長くなった気もするが、イマドキの大学生は親とたまにこういう話をする、というひとつの見本です。
みんながみんな、そんなにちょっとしか話してくれないわけではないと思います。
毎日のように夕食時はこんな感じ、というお宅も多いでしょう。
うちは、そもそも一緒に食事をする、というのが非常に珍しいのです。(毎日、夜中にならないと、彼が帰ってこないから)
もうひとつだけ、重要なこととして、私が例によって食べこぼして胸元を汚してしまったら、彼が、
「こぼしてるよ、胸のとこ」と言ってティッシュを取って渡してくれたことをつけ加えておきましょう。
あああ、大内くんにはしょっちゅう言われていることだけど、ついに息子にまで!
えらそうなことを言っても胸元には食べこぼし。赤ちゃんみたい・・・息子は妙に親切だった・・・
13年11月15日
昼間1人でいる時は、ベッドで本を読んでいることが多い。
その際、枕元のデッキにiPodを突っ込み、たいていまとまった数入っている歌手のどれかを選んで、同じ人の歌をランダムに聴いている。
もちろん主眼は読書で、歌を真面目に聴いているわけではない。
なのに、たまたま選んだ「さだまさし」で、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」をつい聴き込んでしまって、歌詞の何カ所かがわからないのが猛烈に気になり、何度もリピート再生。ダメだ、聴き取れない。
業を煮やしてベッドから飛び出し、書斎のパソコンでググって簡単に解決したが、これができなかった昔、私たちはいったいどうやって生活してたんだ
ろう?
大内くんと結婚したての頃、誰か俳優さんの話になって、
「○○ってドラマに出てた人」
「そうそう、ちょっとシャープなカンジの」
「目つきの鋭い」
「わかるわかる。名前、何だったかな〜」
「もう、のどのここまで出てるんだけど、思い出せない・・・」
「うーん・・・」
そういうことって、あるでしょ?(結局、「柳葉敏郎」だったんですけどね)
で、小一時間悩んだ挙句に、友達に電話して聞いてみた。あっさり解決した。
そんなこともなくなって、わからないことはググるし、電話はしないでメールとかMLとかで聞くし・・・便利な時代だなぁ。
今、固定電話ってほとんど鳴りませんよね。
(私のケータイも同じぐらい鳴らんが)
ちなみに私はベッドの中でiPad(iPodとまぎらわしいですね。読書用タブレットの方です)使ってるんだが、なぜそのままiPadで歌詞を調べられないのだろう?
どうも、何でも専用機として使ってる傾向がある。
パソコンはメール書くだけ(たまにググる)、ケータイは電話するだけ、iPodは音楽聴くだけ、iPadはマンガ読むだけ。(メッセージとかラインなんて、意味もわかりませんよ)
今の電子機器はひとつでいろんなことができるのに。
スキルが上がらないのは、勉強不足というか、人に接することがほとんどないので、刺激を受けにくいんだろうな。
老化でその傾向に拍車がかかっている今日この頃だ。とほほ。iPhoneでも買って勉強するか・・・
13年11月16日
毎日忙しそうな息子と少しでも接点を持とうと、焼肉を食べに行くことにした。
彼の大好きな、隣町のおいしい焼肉屋さんだ。
最初の予定は金曜の夜、大内くんの仕事帰りに合わせて予約を入れておいたところ、3日ぐらい前に息子に予定を確認したら、
「金曜は用事が入った。土曜にしてくれ」と言われた。
行列のできるその焼肉屋さんは、土曜日は予約を受けてくれないのだが、元々金曜に予約を入れておいたこともあり、予定の7時に、順番表に名前を入れておいてくれると言う。
ありがたいことだ。
で、大内くんと2人、7時10分前ぐらいに着いてレジのおばさんに「大内です」と言ったら、
「何名様ですか?」
「3名です」
「もうおそろいですか?」
「1人、まだです」
「じゃあ、おそろいになったらお声かけてください。すぐご案内できると思います」
という会話があり、エレベータの前のソファで息子を待つ。
「昔は、この店の上の屋上がバッティング・センターで、待ってる間にひと打席、とかやったもんだ」と大内くん。
そのバッティング・センターも今はない。
大内くんが息子に「お店に着いた」とメール入れたら、すぐに、「10分ぐらいで着く」と返事が来た。
そして、そのとおり、ほぼ定刻に現れた。この人は、案外パンクチュアルなんだ。
すぐに席に案内された。店は満席、待ちもかなり出ている。
本当においしくて評判の店なのだ。
先月成年の誕生日を迎えた息子と、生ジョッキで「乾杯!」。
「堂々とビール飲めて、嬉しい?」と聞いたら、「別に」。あいかわらず体温低いな。
大内くんが決めたオーダーは、「カルビ4人前、タン塩とレバーそれぞれ1人前、ムンチェ(サラダみたいなの)とチャプチェ(やっぱりサラダみたい
なの。春雨がたくさん入ってる)」。
息子は「ごはんとキムチつけて!」と言う。
すぐに炭火のおこったコンロとともに注文の品が運ばれてきたが、大内くんがオーダーし忘れていたので、キムチは来なかった。
息子が、低い声で、
「オレ、キムチも、って言ったよね?」と脅しつけるように言う。
いちいち怒るな。今日は少し機嫌が悪いか?
でも、肉をじゃんじゃん焼いて食べる間に少しは機嫌がよくなったようだ。
顔もほんのり赤くなって、ビールが効いてるかな。
「大学は、5年かかってもいいけど、語学だけは早めに取っちゃいなよね」と言う大内くんに、「わかった」と言いながら肉とごはんを頬張る。
大「5年かかるにしても、その5年の過ごし方が大事だ、って、塾長も言ってたよ」
息子「わかってる」
大「あとは、運転免許取りに行かなきゃだよ。あれって、期限は半年?1年?」
息子「半年」
大「!それは大変だ!遅くとも冬休みには行かないとね。バイトはどうするの?」
息子「やりたいけど、とにかく忙しいから」
大「なにが忙しいの?やっぱり、お笑い?」
息子「そう」
大「楽しい?」
息子「楽しいね!」
彼は彼なりに、充実した日々を送っているらしい。
やっぱり、将来はお笑いの道を行きたい気持ちもあるようだ。
「オレ、サークルの2年生の中ではけっこう上の方にいるんだよ。もっと頑張りたい」
「まずはもうちょっと滑舌が良くないと聞き取りづらいね。そもそも、キミはツッコミじゃなくて、ボケなんじゃないかなぁ。何が何でもツッコミ、って 思わないで、ボケもやってみたら?」という大内くんの意見に、うなずく局面も。
留年の件も芸人になりたい件も、私としては静観するしかない。
「どうぞ」と言うほど寛大にはなれないが、「絶対、ダメ!」と言うほど狭量にもなりたくないのだ。
そもそも、今や「3年の留年」のおかげで「過去にちょっと『やんちゃ』しました」と「ちょい悪」を気取ることができる大内くんと違って、結果的には「人並み」な人生を送って来たからなぁ。(他の面ではいろいろ「やんちゃ」した私だが)
肉を焼く合間に、驚くようなことを言われた。
「つげ義春」を読みたい、と。
軽くのけぞった大内くんが、
「どうしてそんなもの読みたいの?」と聞くと、
「評判が高いから、興味がある。1度読んでみたい。うちにある?」。
「データであるから、帰ったらタブレットに移してあげるよ。シブいもの読むね」と大内くん。
ついにマンガも「教養」の世界か。
肉をたらふく食べ、〆に全員カルビクッパを食べて、焼肉はおしまい。
「このあと、何か予定あるの?」と聞いたら息子は首を横に振るので、大内くんが、
「じゃあ、お茶でも飲んで行こうか」と誘い、ガムを噛みながら店を出て繁華街を歩く。
「『ジョン・ヘンリーズ・スタディ』にしようか」と大内くんに言われ、私が、
「お酒飲むの?」と聞き返すと、
「いや、コーヒーでも」と言うので、
「じゃあ、『くぐつ草』にしよう」と答えて、昔よく行った喫茶店に入る。
息子は、高校・大学と通学コースになっているこの街で遊ぶのに少しは慣れてきたようだが、「喫茶店に入る」という経験は浅いようで、お店とお店の間にほんの1メー
トルぐらいの幅の階段が地下に伸びているところを大内くんが降りて行くと、
「へー、こんなとこに店があるんだー」と少し感心したようにつぶやいていた。
静かな喫茶店で、席に着いた息子は少し落ち着かなげにメニューを見て、シナモン・ココアを頼むと言う。
大内くんはストロング・ブレンド、私はアイス・コーヒーで。
やがて運ばれてきたシナモン・ココアのシナモン・スティックを見て「?」という顔をしている息子に、
「たいていの人は、最初にこれをかじっちゃうんだよ。香りづけに軽くかき混ぜるだけ」と言うと、うなずきながらココアをぐるぐるかき混ぜて、カップにスティックを突っ込んだまま、ちびちび飲む。
「甘い?」と聞くと、「少し」と、焼肉屋の時より緊張してるみたい。
そんなこっちゃ、デートもできんぞ。
その席でも、マンガや小説の話を少しした。
私としては、息子とミステリの話ができる日が来るとは想像もしてなかったので、かなり嬉しい。
小説とマンガの違いはあれどその点は大内くんも同じようで、まさか「つげ義春」の話を今さらしようとは、って感じ。
「ガロ、って雑誌があってね・・・」などと話し、息子はうんうんとうなずいて聞いていた。
我々としては、「カムイ伝」の作者を知らない人と話すのは何だか不思議だ。
そのかわり、我々は、「アイアムアヒーロー」を知らない。「彼岸島」も。
彼が読んでるマンガを、私も真面目に読んでみよう、とはいつも思ってるんだが、いかんせん、読みたいものが目の前に積み上がりすぎていて、なかなかそこまで手が回らないんだ。
30分ほどで店を出て、おや、もう9時近い。
息子とは自転車を置いてある場所が違うので「じゃあ」と言ってお別れし、我々は自転車を拾って帰った。
家に帰り着いてお風呂に入っても、息子はまだ帰らない。
「楽しかったねぇ。ずいぶんいろんな話をしたよ」と、大内くんにとっては「留年する」ことより「つげ義春を読む」ことの方が重大なようだ。
さっそくiPadにデータを入れてあげていた。
「ついでに何を入れようかなぁ・・・」と思案するのも楽しい、という表情だ。
私は、かつて森薫の「エマ」をリクエストされたことの方が嬉しい。
「このあとは予定ない、って言ってたけど、帰ってこないね。パチンコかな」と言うので、
「パチンコはもうやめた、って言ってたじゃない。ガストでコントのネタ書いてるのかもよ」と息子を弁護してあげた。
結局、1時間半ぐらいぶらぶらしてから帰って来たようだった。何してたんだろう?
20歳の誕生日のローストビーフ・ディナーほどではないが、けっこういろんな話をして楽しかったよ。
いつの間にか留年は容認された形になっている。ほとんど「事後承諾」。
まあ、覚悟はしてたよ。
話していても思うけど、彼はまだまだ幼い。社会に出るのは少しゆっくり目でいいだろう。
その「社会に出る」が、「お笑い芸人になる」という方向だったらどうするのか・・・今はまだ、実感がわかないなぁ。
普通に働いていても将来どうなるかわからない世の中だ、好きなことをするのが一番だろう。
親は、「事後承諾」し、「応援する」しかないんだなぁ、と、思い知った夜でもあった。
ああ、食べすぎで胃がもたれて仕方ない・・・
13年11月17日
ついにiPhoneを買った。夫婦で1台ずつ。
契約の段になって初めてまともに価格を聞き、高いのと、それが割賦で月々の料金に乗せる段になると、千円、とかですんでしまうことの両方にビックリ。分割払いはコワイなぁ。
大内くんはシルバー、私はゴールド。
少し興奮して家に帰り、説明書というものが一切ないのにまたビックリ。
たまたま家にいた息子は案外親切にいろいろ教えてくれるんだが(LINEは、それ専用のアドレスを別に作らなきゃいけない、とか)、すぐに飽きて、勝手に出かけてしまった。
私は大内くんが設定したらそのやり方を聞こうと思ってたんだが、大内くんも全然わからないと言う。
「息子は、最初どうやって始めたんだろう?お店で最初の設定だけでもやってもらえばよかった!」と言いながら、ネットでいろいろ調べていた大内くんだが、しばらくして完全にギブアップしたので、私の勧めで「iサポート」に電話をしてみた。
私はiPadでものすごくお世話になっていて、こっちがどれほど無知をさらけ出してもまったく動じないサービスマンたちに、いっそホストクラブのような信頼を抱いているのだ。
「私、聞いててもいいの?」「別にかまわないよ」という会話ののち、家の電話をスピーカーホンにして話しているのを聞くと、
「まず『♯5000』を押してください。それから、『1234』と入力してください」とか、むちゃくちゃ専門的なこと、と言うか、知らなかったら
絶対できないようなことを言ってるのに驚く。
大内くんもかなりテンパってて機嫌悪くなりかけていたし、あとで教えてもらおうったって覚えちゃいられまい、って気がしたので、後ろで一生懸命メ
モを取った。
懇切丁寧な指導のおかげで大内くんは無事に設定を終えたらしく、電話に向かって、
「ちょっとお待ちください」と言ったうえで、私に、
「キミもイチから教えてもらったら?」と聞くけど、メモ取ったからいいや、と思って、断った。
大内くんはサービスマンによくよくお礼を言って電話を切り、
「いやぁ、こんなの、聞かなかったら絶対できないよ。キミは本当にいいの?僕、全然教えられないよ」と言う。
「メモ取ったから。えーと、最初はどうするんだっけ?」
「わからない・・・」
まったく、ゼロですか!?
しばらく格闘して、やっぱりどうしようもないので、私もサービスに電話して聞くことにした。
「だから、僕の担当の人にもう1回教えてもらえばよかったのに」と言われ、
「さすがに2回同じことを同じ人に聞くのは・・・」と言うと、
「向こうはそれが仕事なんだから、かまわないのに」。
「いいから、向こうへ行ってて」
まず、大内くんを書斎から追い出す。
実は私は、サポートの人と電話してるのを聞かれるのがとっても恥ずかしいのだ。
だって、「ひらがなの入力の仕方がわかりません」っていうようなレベルから始めるんだよ!
日本人の前で英語使う、しかも通じない、ってとこを見られるのとおんなじぐらい、恥ずかしいよ。
すぐにサポートに電話がつながり、さっきとは別の人が出た。なんとなくほっとする。
ところが!
私は本当に何もわからないので、恐ろしく初歩的なところで何度もつまづく。
そこへ、大内くんが戻って来て、電話している私の横で古本の裁断を始めた。
ちょうど、「誕生日を入力する」と言うところに差し掛かってる私が、
「誕生日は22日なんですけど、同じ数字を2回入れるやり方がわかりません」って聞いてるとこで、大内くんは無邪気に、
「2を2回入れればいいんじゃない?」と口をはさむ。
(2を2回、じゃなくって、ダイヤル式に出てくる31までの数字から22を選ぶのが正解だ!)
声には出さず「あっち行って!」と手で追い払う仕草をすると、怪訝そうなまま、裁断の続きを始めた。
思わず、背中を蹴ってしまった。
私の必死な形相に驚いた大内くんがリビングに行ってしまって、そこからさらに恥ずかしいやり取りの結果、私のiPhoneも何とかなったのでよかったが。
あまりに時間がかかったので申し訳なく思った私がサービスマンに何度も「すみません」と言うのを、多分マニュアルに「時間がかかったお客様向けの対応」として書いてあるのだろう、彼は、
「時節柄、お風邪などお召しになりませんように。本日はご利用ありがとうございました」と言う。
あああ、本当に申し訳ない!
リビングに戻ると、大内くんがiPhoneをいろいろさわっていた。
私「蹴ってごめんね、恥ずかしかったんだよ。ね、前から言ってたように、iサポートの人はものすごく丁寧で親切だったでしょ?」
大「うん、感じよかったね」
私「徹底した職業的訓練を受けてると思うよ。こっちがどんなとんでもないことを言っても、『はぁ?』とか一切言わないの。『かしこまりました』で 受けるの」
大「お客さんは、わからなくて電話かけてるんだから、とんでもないことを言ったってかまわないと思うんだけどなぁ・・・(私の表情が少し険悪になっ たのを感じて)いや、でも、ホントに親切だったね。それにしても、最初に『♯5000』なんて、聞かなきゃ絶対わかんないよ。無事設定できて、よかった。僕は、ケータイメール使えなくなるとたちまち困るから」
私「よかったね!」
最後は心安らかに寝ることができた。
いろいろあったけど、これで私もスマホ使いだ。
ただ、電話もメールも月に2、3件あるかないかというような私に、本当にスマホが必要かどうかはとってもアヤシイ。
たいていのことはパソコンですませてるからなぁ・・・
こんな恥ずかしい思いまでして手に入れたんだ、何とか使いこなしたい。
LINEはどうやらめんどくさいだけで相手がいないような気がするし、ツィッターもよくわからないし・・・
いや、そのへんを勉強しようと思って買ったんじゃないか!弱気になっちゃいけない!この投資を無駄にしないよう、IT時代に参入するぞ!(そのセ
ンスがすでに古いような・・・)
13年11月18日
先日、焼肉を食べに行った時、息子がいろいろなマンガを読みたいと言っていたと思ったら、我々のパソコンからiPadに適当に移して行ったようだ。
その晩は朝までいろいろ読みふけっていたらしく、朝、5時に起きた大内くんが見に行ったらまだ寝ないでベッドの上でiPadでマンガ読んでた。
「『家畜人ヤプー』って、有名だから読んどかなきゃ、って思って読んだけど、あんがいすごくねーな」と言われたので、
「あれは、石ノ森章太郎を読んでもダメだよ。原作読まなきゃ」と言っておいたそうだ。
(原作は、第1巻だけで充分。2巻3巻は蛇足。読まない方がいい)
徹夜の後の朝寝は深く、午後の授業に送り出すのにひと苦労したが、今が「インプット」の時期なんだと思う。
また、中にため込んだものを「醸す」時期でもあるので、少々活動が不活発であったり引きこもる感じがしても、放っておくべきかもしれない。
映画についてもいろいろ聞かれ、大内くんが「ディア・ハンター」とか「カッコーの巣の上で」とか、
「アカデミー作品賞を取ったものは、教養として観ておく方がいい」と言っていた。
私も「日の名残り」とか勧めながら、
「どうしても1本選べ、って言われたら、ママはやっぱり『物体X』だよ」と言っておく。
息子もあれはけっこう好きらしく、続編の「ファースト・コンタクト」がよかった、と語る。
「すごいよね、元のやつの話、全部ちゃんと描いてるもん」と言うので、
「ああ、犬が走って来るとことか、ノルウェー隊が掘り出しちゃうとこね」と答えたら、かなり嬉しそうだった。
「宮部みゆきは、『小暮写眞館』の中で、登場人物の高校生に、『ジョン・カーペンター監督は、あれの続編の構想を持ってるんだけど、お金出すヤツがいないんだよ。ハリウッドも、しょぼいよね』って言わせてるよ」とうんちくを垂れると、
「作りたいのに、金がないの?どうして誰も出さないんだろう?!」と真剣に悩んでいた。
うん、私がもし何十億もお金持ってたら、絶対出すよ。
「ママが学生の頃は、マンガクラブに入ったこともあって、『マタンゴ』とか『ガス人間』が必須教養で、池袋のオールナイト4本立てとかで一生懸命
『勉強』したよ」と言うと、そのへんも知らないではないらしく、「マタンゴ!」とうけてしまったなぁ。
今はレンタル屋でずいぶんいろいろ見られていいよね。
そのかわり映画館のいわゆる「2番館」みたいなのは減っちゃったんだろうけど。
「最近のアニメはどうなの?」と、むしろ教えを乞う格好で大内くんが聞くと、
「オレは『おおかみこども』がよかった」という答え。
あれは確かによかった。
(「家にある?」と聞かれ、「ないね」と言ったら、3日後には机の上にブルーレイが出現していたよ。買ったのか。私ももう1回見せてもらおう)
大内くんとよく話すんだが、親と子供の世代が断絶していない平和な時代が続くと、話が「通じる」。
我々は自分たちの親とあんまり話が合わないし、むしろ「テレビ、マンガ」は禁じられるものだったのが、今や親が推奨しているぐらいだ。
江戸時代とか、こういう感じだったのかなぁ。
「3代目の市川團十郎はホントによかった」と親が言えば、
「5代目もいいよ」と子供が言う、みたいな。
テレビが導入され、カラーやハイビジョンなど、技術的に多少の進化はあっても、「ここにないものを見ることができる」点では大きく変わらない環境を下の世代と共有している現代の我々。
「文化的」になり、娯楽に時間やお金を割く、ということが当たり前だという点も同じ。
さて、この爛熟はどこまで続くのだろう。
贅沢な良い時代に親になったものだ、と、個人的にはありがたい。
そう言っているたった今、「寄生獣」が映画化されると聞く。
親子で「あれ、いいよね!」と言ってはばからないあのマンガが、ついに映画化かぁ。
実写になると単に「気持ち悪い」ものになる不安もなくはないが、作ろうと思うと気持ちは理解できる。
きっと息子は映画館に行っちゃうだろうな。
我々はビデオになるまで待つかもしれない。
どっちにせよ、いつか息子と話し合うことがあるだろう。
「あれ、どうだった?」
「うんこだった」
という会話にならないよう、製作者サイドは頑張ってくれ。
これも、ひとつの文化であろう。
13年11月20日
大内くんは泊まりの出張。珍しいことではある。
朝の飛行機で九州に行き、そのあとは接待でフグを食べるのだ、という。
「フグ!いいねぇ」と言ったら、
「別に食べたくはないよ。食べたことがないわけじゃないけど、それほどおいしいとは思わないなぁ」。
大内くんがひと晩いないと思うと、心細い。フグにあたったらどうしよう。
朝の7時ごろ家を出る彼を見送って、息子は外泊でいないから、とりあえずすることがない。本でも読むか。
おや、iPadの設定のとこに何か来てるぞ。「バージョン・アップ」?まあ、いいや、ボタン押しちゃえ。
あああ、どうしてその時そんなふうに思ったんだろう。
大内くんがいないっていうのに。
そのあと、使えなくなった。i文庫が読めない。
もう1台のiPadは息子が持ってっちゃったし、家には本がない。
データ化を極限まで進めると、こういう困ったことが起きる。
このまま使えなかったら、今日、明日、私はどうやって本を読んだらいいのか?!
いざとなれば、iPhoneを使えばいいのか!とか、そういえばネクサスも持ってたんだった、と気づいたのは夜になってからで、朝の私はパニック状態。
iサポートに電話する?何時からなんだっけ?
いやいや、まずは落ち着いて、大内くんに電話してみよう。
幸い、羽田までのバスの中の彼と短い会話をすることができた。(マナー違反です。乗客の皆さん、すみません。緊急事態です)
私「iPadをバージョン・アップさせちゃって、i文庫が使えなくなっちゃったの!」
大「それは困ったね。アプリを買ったら?」
私「インストールとか、全然わかんない!」
大「iストアに接続してみればいいよ」
私「とりあえずやってみる。羽田に着いたら電話ちょうだい」
大「わかった」
で、i文庫を開いてみたら…「更新」でいいのかな?
うわあ、あっという間に本が読めるようになった。しかもお金はかかんなかったみたい!
急いでバスの中の大内くんにメールを打つ。
「読めるようになった!お金もかからなかった!もう大丈夫だから、電話しなくていいよ」
すぐに返事が来た。
「よかった!」
こうして大内くんは心安らかにフグを食べに行き、私はのんびり本を読む。
iPadが、iPhoneと同じような画面になって、フォルダの書体とかが変わってしまってヘンな気分だけど、問題ない。
なんか、ここ数日、自分がITに完全について行けてないのを露呈しているなぁ。
持ってる本を全部データ化した人が、こんなことでいいんだろうか。
やっぱり市役所でやってる「パソコン講座」を受けに行った方がいいのかも。
老人ばっかり来てるんだろう、って、敬遠してたけど、私もIT的には立派な老人だよ。
夜、大内くんに何度かメールしてみたけど、返事がない。
ホテルに入った頃を見計らって電話してみたら、向こうは向こうでiPhoneに慣れておらず、バイブレーションが弱くて気がつかなかったらしい。
そのかわり、声はクリアに聞こえるようになった。
私「フグは、どうだった?」
大「なんてことなかったね。雑炊はおいしかったけど」
私「ホテルの部屋は、どんな感じ?」
大「1人なのに、なぜかツインだよ」
私「いないと寂しいよ」
大「そうだね。僕も寂しいよ。明日も帰りが遅くて迷惑かけるけど、大丈夫?」
私「うん、大丈夫。あっ、今、息子が帰って来た!」
大「今日も無事でよかった」
私「うん、じゃあ、明日の夜ね」
という会話をして電話を切り、
「明日は1限に出るから、7時半に起こして」と言いながらいつまでもマンガを読みふけっている息子を、
「早く寝ないと、朝、起きられないよ!」と何度も叱りながら、私も寝る。
ベッドが広いのに、なぜか端の方に寝てしまう。
ダブルの真ん中に大の字になって寝てもいいんだけどなぁ。これも一種の貧乏性か。
大内くんはもう寝たろうか。
「枕が変わると寝つかれない」という現象には無縁の彼のことだ、もうとっくに夢の国だろう。
少々寂しくても、身体的にはシングルベッドで1人で寝る方がよく眠れると思うよ。
日頃の睡眠不足を少しでも解消してもらいたい。
そして、元気に帰って来てくれ。
13年11月22日
昨夜、名古屋の母が亡くなった。享年78歳。
様々な症状で身体が弱っていたところに、肺炎を起こしたらしい。
本人の希望通り、無理な延命はせず、自宅で、私の姉とその息子に看取られての安らかな死だったそうだ。
ここ数年、あちこち具合が悪くなっていたが、元が元気な人なので、同居の姉は、
「もう1回、元気なママに戻ってくれると思う」と言っていた。
私も、もう数年は大丈夫かな?と思っていたよ。
突然なものだねぇ。
明日、名古屋に行って、お通夜と葬儀をやってきます。
すべて姉まかせで申し訳ないが、大学に入ってから数えると36年別居だったからね。
18歳で家を出た、その倍の年月を、母とは別に暮らして来たのだ。
そう考えると、親子の縁というものもあんがい薄いものだなぁ。
今夜はお笑いサークルの「ネタ合わせ」で帰れない、という息子も連れて行かねばならんので、朝、東京駅で待ち合わせ。
寝過ごす、とかしないんだろうか、あの人は。
昨夜、帰りの遅い彼に電話で、
「名古屋のおばあちゃんが亡くなったから、あさってお通夜だよ。行かなきゃ」と伝えたら、
「死因は?」と来た。
ちょっと、刑事モノの見すぎじゃないかね。
とにかく、明日は朝から新幹線だ。。
今日は息子の黒ネクタイを買ったり銀行で姉に頼まれたお金をおろしたり、いろいろ走り回ってしまった。
早く寝なきゃ。
皆さん、こんな状態ですが、年賀状は普通に出します。
「喪中ハガキ」というのがあまり好きでないうえ、今からではちょっと間に合わなくてあちこちに迷惑かけてしまいそう。
父が亡くなった時もそうだったので、お気になさらず!
それにしても、母が亡くなる前日に、昼寝をしていたら母が亡くなる夢を見た、とてもリアルだった、というのは、私が超能力者だからなんでしょうか?
来週の日記は、ややとどこおりがちになるかもしれません。ご容赦を。
13年11月23日
というわけで、帰省して来ました。
友人宅に泊まってコントの練習をする、という息子とは、朝8時頃の東京駅で会うことができた。
3人並んで新幹線。
こんな家族旅行はいつ以来だろう、とぼんやり考える。
いかんいかん、今回はもっと厳粛な用件だ。
まずは姉の自宅に行き、母と5年ぶりぐらいの再会。
ちっちゃくなっちゃったね、ママ。
今にも目を覚ましそう、というのはあまりに手あかがついた表現で使いたくなかったのだが、事実は凡人の筆で書ききれるものではない。
生きているのと同じ、ただちょっとやせて老けた母が、そこにいた。
実は、母が亡くなったとおとといの夜に姉から連絡をもらって以来、私は1度も泣いてない。
大内くんは、
「突然だからね。段々身にしみてくるよ」と私が暴発しないようにいつもそばにいてくれた。
そして母の顔を見て、
「ママ、ご苦労さん」と言ったら、涙がぽたぽたっと落ちた。
すぐ引っ込んじゃったけど、あれが私の「大号泣」かもしれない。
姉や姉の息子の語るところによると、ベッドで寝ていた母は、
「寒い。ふとんかけて」と言い、しばらくしたら、
「やっぱり重い。ふとんどけて」と言い、それがほとんど最後の言葉だったそうだ。
「土壇場まで、わがままでマイペースな人だったねぇ」と少し感心して言うと、甥っ子が、
「ホント、そうだったんですよ〜」としみじみ言っていた。
母の、軽く開いた口に姉が口紅を差してあげ、キレイな死体になった。
気に入りの服を着た母は、埋まってしまうほどの花束に囲まれてお棺に収まる。
姉が、
「ママは、これが何よりお気に入りだったもんね!」と言いながら、「ダスキンモップ」を副葬品に入れていたよ。
甥っ子はもうちょっと無難と言うか、
「おばあちゃんは車が大好きだったじゃない」と、家の外に走り出て最近乗ることののなくなっていた母の愛車をカメラに収め、パソコンとプリンタで
あっという間に3枚の写真を作った。
こういうものに囲まれて、母は旅立つのだ。
姉の指揮に従って斎場に着くと、父の葬式と同じところで、普通のお葬式ではなくて、斎場の畳の部屋を借り切って、午後3時から6時まで、母の親しい人たちを呼んでお別れをしてもらう。
お焼香はあるが、読経や祭壇、位牌はない。
みんな、棺に近づいて「さようなら」と言って、仲間のテーブルに戻ってお茶を飲む。
なるべく、親しい人だけに送られるよう配慮したのも、父の時と同じだ。
手作り感がかえって面倒くささを産むが、母や姉の希望するところなら致し方ない。
友人たちから贈られた花に埋まるような母は、やっぱり眠っているだけに見えた。
久々に名古屋の甥っ子(私の姉の息子。うちの息子と同い年)に会った。
あいかわらず濃い顔してハンサムだ。
私は「覚えのない」(少なくともこちら側はそう思ってる)おばさんやおじさんから、
「あこちゃん、大きくなったねぇ。何年ぶりだろう?」とそこら中で言われる。
ニコニコして乗り切るしかない。
意外だったのは、息子が「柔道をやっていた明るい印象の好青年」を見事に演じ切っていたこと。
いや、演技じゃないんだな。彼の、ある種の「素」はそういうもので、親には常に最低最悪のところしか見せてくれない、そういう感じなんだろう。
おじさんおばさんを相手に縦横に聞き上手を勤め、今どきの若い人の考えを求められれば素直に応じ、うーん、本当に人って、油断ならない。
やがて母の友人たち(2、30人ぐらいかなぁ)が潮が引くようにお帰りになった。
姉的には、このあと甥っ子の保育園関係とか姉の個人的な友人とか来るようだったが、我々はもう会わなくてもいい人たちだから、と姉に言われ、ふすまを引いた隣の部屋に布団敷いて、ジャージに着替えて、大ビール大会。
大内くんと私、息子と甥っ子、みんな「はあ〜、疲れた」という感じ。
1時間もたったら姉も来て、
「もう今日は誰も来ないと思うわ。あー、ビールビール」。
この人は本当に酒が好きなんだ。
あまり思い出話をする感じでもなく、姉は大部屋に自分の息子を引っ張って行って何事か深刻に話し始めたが、我々は疲れたので先に休ませてもらうことにし
た。
それでも夜中の12時。
1日、何が起こったのか、いまだによくわからない。
ずうっと隅っこで「天むす」食べてたような気が。
疲れた。あとは明日のこと、ということで。
13年11月24日
今日は葬式だ!
とはいっても、昨日も来てくれたお友達が数人、お焼香した後で火葬場までつき合ってくれるだけのようだ。
どうも、私の感覚の普通の葬式とはずいぶん違うような気がする。
火葬場から親族だけで墓地に行って「納骨」しちゃうそうだし。
「最後のお別れでございます」
いかん、やっぱり涙は出ない。
列席してくれた人は、目を真っ赤にしている姉と私を見比べて、「冷たい妹だなぁ」と思うに違いない。
そう言えば、とても立場のはっきりしない大内くんが、お通夜でお茶を出したり座布団を持ってきたり、まめまめしく働いていたので、多くの人が、 「あの人は、葬儀会社の人よね?」とささやき合っていたらしい。
残念でした。次女の夫でございます。
そんな大内くんや私も焼いてる間のご挨拶を拝命し、まずは私が。
「故人の次女です。この人は本当にわがままで自分勝手な人で、私は小さい頃から『お父さんは、どうしてこんな人と結婚したんだろう?』と不思議に思っていましたが、皆さんのような素晴らしいお友達におつきあいしていただけた、ということは母の良い面も少しはあったということでしょう」
と、ちょっとだけ笑いが取れた。
大内くんと息子は無難にこなしたが、「お笑いサークル」仕込みの話術を披露してもらいたかったなぁ、息子よ。
場所柄、まさか漫談をやれとまでは言わないから。
1時間ほどで焼き上がった旨連絡が来たので、みんなで窯の方にぞろぞろぞろ。
姉と私が最初にお骨拾いをして、続いて甥っ子と息子、それからもう1回甥っ子が大内くんの相手をしてくれて、あとは友人たちがやってくれた。
一応ここでお別れ、ということで、皆さんによくお礼を言って、解散だ。
姉から「分骨」したいか、と聞かれたんだが、まだ墓ないし、リビングの飾りにするのもナンだし、父の時ももらわなかったから、「いい。い らない」と答えておいた。やはり冷たいか?
しかし、火葬場の駐車場で隣の人に車のドアこすられて警察に書類持って行かなきゃけなくなった姉は気の毒だ。ただでさえ忙しいこんな時に。
我々親族は、家に荷物を置きに帰った後、父が眠る霊園へ。いいとこなんだよ〜。
広々してて明るくて、背の低い石のプレートが並んでいる。
うちも、こういう墓地が欲しいよ。時々近所の墓地を見に行くんだが、こんないいとこは見たことない。
写メ撮っとくんだったなぁ。
iPhoneに替えてから、その後悔に襲われてばっかりだ。
ここでも驚いたのは、息子の腰の軽さ。
普段だと「えー、めんどくせーよ」とか言ってやらないような用事を沢山こなしてくれた。
「水汲んできて」と言われれば「はいっ」と遠くの水道に走って行くし、
「このケース、洗ってきてくれない?」と言えばまた「はいっ」と走る。
ここまで社会的訓練が出来ているとは思わなかった。
お墓の下のコンクリの穴に母の骨壺を安置し、父、母の姉妹のお骨、母の母(私のおばあちゃん。母が17歳ぐらいの時に亡くなっているので、私は当然会ったことない)の写真などをプラスチックケースに入れてまた穴の中に戻し、石材のふたを戻す。
そしてお墓に水をかけて綺麗にしてお花と水とお線香をそなえて完了。
ママ、長いことありがとう。
私が東京に行っちゃってからは前のようには会えなかったけど、いろんな話をしたね。
今の私には、もう大内くんと言う最高のパートナーがいるから、私の心配はいらないよ。天国で安心しておだやかに楽しく暮らしてください。
お参りも終わり、おいしい味噌煮込みうどんの店に連れてってもらった。
「まこと屋でしょ!絶対あこちゃんはそれ食べたがると思った!」と姉。
喪服から普段着に着替えて、荷物を車に積んで、味噌煮込み食べに行く。
ああ〜、やっぱりおいしい!
(ここでもまた、写メ忘れた。気がついた時には、食べ始めていた)
地下鉄の駅まで送ってもらって、一路名古屋駅へ。
あいにく新幹線の時間まで1時間以上あるので、変更ができるかどうか、大内くんが「みどりの窓口」に行ってみたが、変更どころか、もうぱんぱんの混みよ
う。
仕方ないから出発時間の15分前に集合、として、自由行動。
息子はパチンコやるなりなんなり好きなことをすればいいが、さて、我々はどうしよう?
結局、クリスマス色のショッピングモールにスタバがあるのに気づき、そこでまったり時間をつぶしました。
時間になったのでホームに行ってみたら、息子はもう来てた。
朝、起きられないことに目をつぶれば、なかなか頼もしい男になったもんだ。
息子だけちょっと離れた席を取っておいたんだけど、彼も、そして私の隣の大内くんも、盛大にいびきをかいて寝ていた。疲れたもんねぇ。
こうして終わった「葬式騒動」。
こっちはほぼ行くだけだからほとんど仕事してないが、お姉ちゃんは喪主として張り切ってたし、これからが大変だろう。
物をやたらに集めると言うか、いわゆる「捨てられない女」である母が住んでいた家は、「清潔に分類されてはいるが、はっきりってゴミですね」というものであふれ返っており、これが片づいたら、きっと気持ちいいと思うよ。
いささか散文的ではありますが、とりあえず「葬式レポート」。
自分の心、というのは、もうしばらくはどうにもならない気分です。
ただ、これで私には両親がいないのだなぁ、と考えると、頭の上がぱあぁっとひらけて、幾筋もの光の階段が降りてくるような気持。
ま、不謹慎だ。すまん、ママ。
13年11月25日
お互い疲れたし、私が精神的に不安定なので、大内くんが休みを取ってくれた。いわゆる「忌引き」ですね。
ゆっくり寝て、大学の授業のことなんか頭をよぎりもしないであろう息子は寝たままおいといて、隣町に散歩に行く。
もっとも、片道30分以上を歩ける気がしなかったので、途中まで自転車で行ったけど。
久しぶりにカレー喫茶のおいしいチキンカレーを食べ、息子の為にもテイクアウトを1つ買って、スタバでお茶を飲んだあとはバスオイルを買いに行ったのと、大内くんの希望でブックオフ。
こないだ、唯生の見舞いの帰りにうちからはかなり遠いブックオフに行ったら、大内くんが欲しい本がいっぱい見つかったそうで、15冊ぐらい買っていた。
ハードカバーの、難しそうな本とか、参考書だよ。
「1冊1ブックオフ(我が家の通貨単位。105円)だから、普通に買ったら1冊でこれ全部より高いんだよ!」とかなり興奮していたようだ。
今回はあまり収穫がなかったらしい。
魚屋さんで、タラの切り身と子持ちカレイの切り身を買った。
カレイの方は煮ておいて明日か明後日食べよう。
タラはフライにして今夜のおかず。
タルタルソースは、ピクルスとゆで卵、タマネギ、マヨネーズ、レモン汁、塩コショウをフードプロセッサに一気にかけて、すぐできる。
揚げたてのフライと作りたてのタルタルソースは、うまい。
人間、死んじゃうんだなぁ、でも、死ぬまでは生きてるんだよなぁ、と、なんだか「みつを」みたいなことを考える。
姉とその息子は、同居の家族を失って、寂しいだろうか。
私は、大内くんさえいてくれればあまり寂しくはない。
母も、今でも名古屋に暮らしているような錯覚が消えないし。
やっぱり、私は根が冷たい人間なんだろうか。
13年11月27日
テレビドラマの「クロコーチ」を毎週録画して観てるが、息子もこれが大好き。
朝、ごはん食べててうっかりこのドラマを見始めると、もう授業が始まる時間なのに、見終わるまで動こうとしない。
大内くんも、回を追うごとに目が離せなくなる画面を見ながら、
「こりゃ、授業行けないわけだよ。面白すぎるよ!」と毎度興奮している。
親がそんなこと認めててどうするんだ!
今期は、「リーガルハイ2」と、この「クロコーチ」が断然のイチオシ。
つーか、他は「ダンダリン」だろうが「安堂ロイド」だろうが、観てないもん。
一応録り貯めてはいるんだが、もう、全消去の日も近いな。
もうひと月たたないうちに、年末年始の特番が目白押しになるからねぇ。
今年の「ダウンタウンの笑ってはいけない」、舞台はなんだろう?
紅白のメンバーも発表になったね。
サブちゃんは今年で引退かぁ。
息子的には「水樹奈々」が3年も出場で嬉しいだろう。
あと、我々が毎年とっても楽しみにしているのが、「芸能人格付けチェック」。
無敗のGACKT様、今回はどうなるのか?
13年11月29日
明日は、骨休めに甲府に映画観に行って温泉入ってきます。
朝の5時出発なので、9時に寝なきゃ。
今回珍しいのは、映画を2本、朝と夜に観てくること。合間に温泉と昼ごはん。
かつてない贅沢に、身体がうち震える。
寝よう寝よう。早く寝よう。
それでは皆様、おやすみなさい。
13年11月29日
甲府で、「清州会議」と「かぐや姫の物語」を観ることにした。
どうにも身体にまとわりつくような疲労感が抜けない。
温泉にゆっくりつかったら、少しは良くなるかも。
名古屋の姉に、
「時々、甲府までドライブして、映画観て温泉入って来るんだ」と言ったら、
「ガソリン代も高速代もかかるでしょ!」と、やや非難の混じったニュアンスで驚かれた。
えー、ドライブしたい時もあるじゃん。デートの王道だよ!
「映画観に行く」わけじゃなくて、ドライブと映画と温泉が、それぞれ独立した娯楽なんだよぉ。
というわけで、朝の5時過ぎに家を出て、いつものようにコメダ珈琲に着いたのが2時間後。
早朝のドライブは車も少なく、晩秋のこととて出発した時にはまだ暗かった空が、だんだん明るくなる。
このドライブに唯一文句をつけるとしたら、西に向かっているので朝日が見えない、という点だけだろう。
東京の大学に受かり、寮に入るために布団や衣服、本を積んだ母の車で早朝の東名高速を名古屋から東に向けて走っていた時、前方に昇ってくる真っ赤
な朝日を見て、運転する母が、
「ほら、あなたの前途を『寿いで』、太陽が昇るよ」と言ってくれたその日、生まれて初めて「ことほぐ」という言葉の意味を知った。
今はもういない母だが、文学少女だったらしく、難しい言葉をよく知っている人だった。
なつかしい母の思い出のひとつである。
それはさておき、コメダでゆで卵と「バターを多めにお願いします」と言ってしたたるほどのバターを塗ってもらったトーストのついたモーニングセッ
トを食べて、今日の映画はまず8時50分からの「かぐや姫の物語」。
高畑勲のこのアニメを、大内くんはとても楽しみにしていたらしい。
今回はちょっと変則的に、映画を2本観る、しかも朝と夜の2回にわけて、というスタイルだ。
夜の部の「清州会議」は、息子には不評で、名古屋駅で「かぐや姫」のポスターを見た時、
「三谷幸喜はもうダメでしょ。オレは断然こっちを見るなぁ」とナマイキなことを言っていた。
ま、両方観て試してみましょ。感想はシネマ日記で。
ああ、それにしても映画館に来ると予告編やポスターに刺激され、どれもこれも面白そうに見える。
「永遠の0(ゼロ)」なんて、どうやっても見たいなぁ、と思えるよ。
「47RONIN」は、予告編を2種類見たのだが、まるっきり違うお話のようだった。
片方は歴史モノ、もう片方はファンタジー。そもそもどこの国の話やら。
あいかわらずぱらぱらとしか人の入っていない映画館をあとにして、今日はイオンで買い物したりしない。
温泉に直行。
まずはひと風呂、ということで、男湯と女湯に分かれ、1時間半後に休憩所で会おう、と約束する。
昼前でもあり、あまり人がいない。思う存分ゆったりと温泉を楽しんだ。
サウナも入ったが、あまりに熱いのですぐに撤退して水風呂へ。
そのあとは露天風呂や寝湯でのんびり。
1時間15分ぐらいで上がってきたら、大内くんがもう上がってた。
「どうだった?男湯は混んでた?」とか話しながら、2階のお食事処で昼食だ。
私は1週間ぐらい前からもう、「カツカレー」に決まっていた。そんな気分なんだもん。
大内くんは、いったんはお刺身や天ぷらがついてくる「釜めし御膳」に決めたようだが、あいにく、
「釜めしは、30分ほどお時間をいただきますが」と言われ、今日はそこまで時間の余裕がないので再考に入り、結局「ロースカツ定食」。私とあんまり変わらない気がする。
畳敷きの休憩所で毛布掛けて寝転がり、私は本を読んでたが、大内くんは2時間ぐらい寝ると言って、グーグーと盛大な寝息を立てていた。
私は途中で1回お風呂に入りに行き、戻って来てまだ寝てる大内くんを起こす。
「よく寝てたねぇ」
「・・・うん、お風呂が気持ち良すぎてさ、身体がぐだぐだになってるから」と、言い訳もいつもと同じ。
もう1回、2人でお風呂に入り、浴衣を脱いで帰りの服に着替えて集合!
(この頃になると温泉もけっこう混んでくる)
今からもう1本、映画観るぞ!
車で5分ほどのイオンの駐車場に戻って、TOHOシネマズ。
これまでにない試みなんだ、1日2回、朝と夜に分けての映画、ってのは。
私がひそかに心配していたのは、夕方6時頃のイオンの駐車場は満車なんじゃないか、ってこと。
大内くんは笑い飛ばしていたが、実際、3つある巨大駐車場のひとつには「満車」のライトがついてる。
ぎりぎりセーフだったけど、シミュレーションを欠かしちゃいけませんよ、大内くん。
そして「清州会議」。これについてもくわしくはシネマ日記でお願いします。
映画が終わったのが9時近く。
シネコンは妙に混み始めている。
やっぱ、人々の娯楽ってのは、朝イチよりは夜遅くなってからなのかね?うちはたいてい朝イチなんだが。
まだまだにぎわうイオンを後にして、帰路に着く我々。
今回は途中でドライバー交代し、私も少し運転させてもらった。
久々の高速は、怖いやぁ。
油断するとすぐに100キロ出ちゃうし。なるべく80キロ巡行を心掛けたけどね。
小腹がすいてきて、そういう時のために、有名な談合坂の巨大パーキングの次にある「藤野」という小さなパーキングに「モスバーガー」のお店がある、と調べ済みだったので、そこに入る。
普段、映画を朝観て買い物してから温泉に行くパタンだと、イオンの中のモスバーガーに行くことが多いんだよね。
今回は、夜食にしてみました。やっぱりおいしい。
でも、小さな小さなお店で、バイトのおにーさんが2人でやってるっぽくて、なんか、寂しかったなぁ。
昼間はもっと繁盛してることを祈るよ。モスは、おいしいんだから!
家に帰り着いたのが11時。18時間のお出かけでした。
あいかわらず楽しかったなぁ。
「甲府は、当分楽しめそうだね。映画館も温泉も、夜にはずいぶん人が入ってたじゃない。つぶれる心配はなさそうだから、これからもまた行こうね」
と、大内くん。
私が落ち込まないよう、いろいろ気を配ってくれるんだよ。ありがとうね。
実母が死んだ、ということの重さが、葬式の時よりむしろ増しているようで、ふと気がつくと大きなため息をついている。
「死んでから2、3日で焼いてお骨にするとこまでやっちゃうのはしんどいなぁ。もうちょっと実感が持てるまで待っててくれるといいんだけど」とい うような気分。
ま、すべて終わったことだ。
毎晩、大内くんに、
「私を残して死んじゃダメだよ。元気に長生きしてね」とお願いはしてるし、大内くんサイドでも、
「極力、貴意に沿うよう弊社としても鋭意努力中であります」なんだが、こればっかりはなぁ・・・
とにかく、甲府は楽しかった!
しばらく立て込んでるから、次に行けるのは春頃かなぁ。
楽しみだ。
13年11月30日
大内くんと2人で買ったiPhoneはとっても好調。
もちろん、予想されたとおり私のところには電話もメールもめったにない。
こればっかりは、スマホに替えたからと言って急についてくるものではないようだ。
先日、ついに「指紋認証」にチャレンジした。
いや、大内くんがiPhoneと一緒に買った画面シールに、ボタン用の赤いシールもついてきたのよ。
「きれいだなぁ」と貼って喜んでいたら、会社で、
「大内さん、それ新型でしょ?指紋認証ついてるはずですよ。シール貼ってたら意味ないじゃないですか!」と言われたらしい。
で、ネットでやり方を調べて指紋を登録し、使ってみました。
すご〜い!
本当に、指紋だけで動く!
念のため、互いのを交換してボタンを押してみたが、開かない。
ちゃんと「持ち主」を識別している!
2人して大感動。大内くんは、
「僕の言うことしか聞かないなんて、ジャイアント・ロボの声紋認識みたいだ!」と喜んでいる。
「ねえねえ、ペットを飼う人の気持ちが少しわからない?ご主人さまが呼ぶと来るんだよ。ご主人さまの言うことしか聞かないんだよ」と動物嫌いの彼
に言ったら、
「少しだけ、わかるような気もしてきた・・・」とうつむいて、ボタンを撫でていた。
そう言えば、買った時に設定の仕方がわからなくて、iサポートのおにーさんたちに大迷惑をかけた我々だが、私は何度も、簡単な説明書はないのか?
と聞いたんだよね。
息子に、
「どうやって最初の設定したの?お店でやってもらったの?」と聞いても、
「紙が入ってたから、その通りにやった」という答え。
ますます疑いを濃くした私は、大内くんを使い、ネットでiPhone5Sの梱包状態を調べてもらった。
「同梱の説明書」!!書いてあるじゃないか!
「まさか、全部捨ててないよね?」
「いや、捨てちゃったかも・・・」と弱気な大内くんと家宅捜査したら、iPhone買った時の紙袋が出てきた。
中に・・・iPhoneサイズの小さな取説が入ってるぅっ!
これまでもそういう失敗の多い大内くんだが、なぜ、「絶対入ってなかった」と信じ込めるんだろう。
「もしかしたら入っていたかも」と考えるのが普通だろうに。
大内くんのこういうところは、「うっかり」を通り越して「他罰的」と我が家では言われている。
あー、謎が解けてすっきりした!
指紋認証は可愛いし。
でも、やっぱり私のスマホは鳴らないのです・・・
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