14年4月2日

大内くんが何だかとっても妙な顔で帰ってきた。接待があったのだ。
「どうかしたの?」と聞くと、
「いやぁ、今日は驚いたなぁ」と答える。

日本をしょって立つテレビ局の人と会ってきたらしいのだが、大内くんが驚いているのは、彼より少し若い人数人を相手に、「庄司薫」を語ったらしい。
そしたら相手の人たちは、
「それ、誰ですか?」と真顔で訊いてきた、さらに、
「ピアニストの中村紘子と結婚したんですが」と言っても「知りません」と言われた、というのが大内くんビックリ話の顛末。
「テレビ局の人でも知らないんだ!」と驚きの中に一抹の寂しさを隠せない彼であった。
流行作家の運命なんてそんなもんだよ。

まあしかし、私もちょっと驚いたんだけどね。
私は当然「赤黒白青」全部読んで、大内くんみたいに、
「『僕の好きな青髭』だけはテイストが全然ちがう。あれはゴーストライターで、しかも村上春樹である」とまで主張する気にはなれないけど、やっぱ り「青春時代にお世話になりました」って感じだよね。

本を、無限に持っていられたら、って誰でも1度ぐらい感じない?
我々は、自炊によって、その壁を突き抜けてしまった。
私はそれなりに贅沢に本棚を使わせてもらっていたけど、大内くんは、本棚に2棚ぐらいしかスペースを持っていなかったので、始終買い換えていた。
今、「好きなだけ本を持っていられる」身分になって、彼は本当に幸せそうだ。
私だって、「ハガレン」持ってて本当に良かった!と思ってるしなぁ。

そんな彼の自炊熱は、高い。
蔵書をやっちゃって、ブックオフに行って気に入ったのがあれば買って、好みの問題だけど図書館から借りた本をフラットベッド式のスキャナで1ページずつ読み込んで、留まるところを知らない。
「だって、全部持ってていいんだよ。いくら増やしてもいいんだよ」とニコニコしてるのを見ると、何も言えないし。
ノートとフラットベッドを持ってきてリビングでテレビを見ながらスキャンするのが、最近の一番楽しい状態かもね。
「嬉しい?」と聞いてみたら、「ものすごく楽しい!」のだそうだ。
その時間を、本を読むために使いたくならない?
なんだか、「一生かけても全部観ることはできない」と言われてた、宮崎某のビデオ収集癖のようだ。

私と大内くんの本の趣味は徹底的に合わない。
まずあちらさんは、小説をあまり読まなくて、歴史の本、政治の本、社会科学の本、みたいなのばっかり。
どうしてミステリやSFに行かないんだ!

対する私は、ドキュメント本としては皇室関係ぐらいで、それだってゴシップが好きで読んでるんで、大内くんのように、
「天皇制を喪った時、日本はどうなるのか?」みたいな難しいことは考えてません。
林真理子と島田壮司と清水義範と宮部みゆきが好きです。
わりと多作の人が多いので、本棚時代は苦労したよ。
本の種類、ということになると、息子は私にものすごく近い。
「一般常識から始めようと思ってる」と言われ、今度は私が浮かれる状態。
今、宮部みゆきの「火車」を読んでるそうなので、私も電子で読んでます。
息子が読了したら、また感想を聞いてみよっと。

「中学の時から読みに読んできて、もうあとは好きなもんだけ読めばいいよ。もう歳だしさ、キミがかつて読んだ本は、キミの血管の中に流れているよ。キミは、頭はいいし、考える筋道は正しいし、今、林真理子しか読めなくてもいいじゃない。僕は、あの人は何だかエライ人だと思うよ」
以上のように、いつも通り大内くんに慰めてもらいました。しみじみ。

とりあえずは、大内くんの「振り返り力」の邪魔はしないようにしよう。
「大学受験が終わったあと、何もかも捨ててしまった。受かった後の人生について、たとえばキミと結婚したいとか、考えられなかった。だから、それがわかるまで、3年も無駄にしちゃったよ」といつも言う大内くん。

そういうわけで、彼はアマゾンで、
「昔持ってたけど処分しちゃった。おかげで、今頃集めなきゃなんない」と言いながら、物理やら古文やらの参考書買って再勉強をしてる。
先日は、ネットオークションで、数学の参考書を競り負けていたけど、負けてよかったよ。3万円、とかの世界だよ。
わからない人だなぁ。
ま、息子の通ってた塾の先生を、定年後にはやらせてもらいたい。そういう意味での勉強なら、理解はできる。
塾長、大内くんはなんだか張り切ってます。よろしくお願いします!

彼は、
「古本屋めぐりをしてでも、もう1度読みたい」
「チャンスの女神は前髪をつかめ。本は『買える時に買え』。昔の人はいいこと言うね」と言っては、地道に「発掘してる」ようだ。
(アマゾンはむちゃくちゃ楽だしね)
そりゃあ、私だって持っていられたらよかった、と思う本ぐらいあるが、大内くん、多すぎ。
もう、「7年目のもうひとつの広場」のことはあきらめて生きて行ったら?

14年4月4日

荒川弘の「鋼の錬金術師」を一気に読んだ。読みも読んだり、全27巻。
もう10年以上前のマンガなのに、どうして1回も読んでなかったんだろう。
一応、いつか読むつもりで持ってはいたんだよ。
マンガ界の将来は、明るい。

息子に、「スゴイね」と感想を語ったら、「スゴイよね」と、珍しく素直な態度だった。
人は、天才の前には謙虚なものなのだなぁ。
「ハガレン」が月刊誌の「ガンガン」とかいうやつに連載されていた頃、息子も買ってた。小学生だったけど。

初連載でいきなりメガヒットを飛ばした荒川弘。
最終回掲載誌は何とそこら中で「売り切れ」になってしまい、異例なことに、「次の号に、再掲載」されたそうだ。
息子に聞いたら、彼が買ったのは「再掲載版」だったらしい。
「だって、売り切れだったんだよ。その間に読んだことは読んだけど、やっぱり持っていたくて、翌月買った」
小学生にとってひと月は長いだろうに。

今は「銀の匙」を読んでいて、これがまた震えが来るようないい作品だ。
「ハガレン」ほどの派手さはないが、農家の生まれで農業高校を出た、という荒川本人の体験を踏まえてだろう、ずっしり描いてる。
息子に、
「ハガレンの、あれだけの大きな世界を構築しちゃった人が、どうして次に、何の特殊能力もない普通の高校生が描けるんだろう?」と聞いたら、
「その『振れ幅』がマンガ家さんの力なんじゃねーの?」と言われた。
人生55年にして、20歳のオトコノコに説教された気分だ。

ちなみに荒川弘は女です。「ひろむ」と読みます。
初めて知った時は、予想だにしていなかったので、ちょっとクラクラしました。
「ハガレン」の連載をやりながら10年間、1度の休載もなく、コドモを2人産んで育ててたらしい。
そして、初の週刊連載となった「銀の匙」を描きながら、3人目を産んだそうだ。
「農作業の基本は『しゃがむ』ことなので、マタニティーヨガでも『しゃがみ系ポーズ』は大の得意だった」うえ、「出産は、牛ので慣れてる」と語る荒川さん、さぞや安産だったことだろう。

早く「銀の匙」の新しいの出ないかな。
ほとんど必ず息子とダブり買いをしてしまうので、今回はなんとか調整しなくては。

14年4月5日

ベッドを買おうと思って、新宿の大塚家具に出かける。
まずはお昼ご飯を食べよう、と、サムラートにやって来た。
吉祥寺の支店がつぶれてから、よほどの用事がないと遠出しない私は、めったにサムラートでカレーを食べる機会がないのだ。

吉祥寺時代に顔見知りになったインド人店員さんがこっちに移って来ていて、顔を合わせると、「ああ!」という表情を見せてくれる。
ランチ時だと言うのにセットを頼まず、アラカルトで「マトン・サグワラ(マトンとほうれん草のカレー)」と「バター・チキン・カレー」、そして 「シシカバブ」を、と思ったら、シシカバブは800円から1150円ぐらいに値上がりしていたのでやめておいて、あとはナンとバター・ライス。
これを2人で食べるのだ。
今日はまた、ひときわおいしかったなぁ。シェフの機嫌がいいのかしらん。

食べ始めてすぐ、
「あっ、そうだ、こういう時は写メ撮っておいてFBにのっけるんだった!」と思い出し、あまり食べかけに見えないように調整して写真を撮った。
この頃書くことがあまりないので、こういう機会を大切にしないとね。
サムラートは本当においしい店だし。

さて、おなかいっぱいになって次は大塚家具だ。
ここ20年近くダブルベッドを使っていたんだけど、年々体感温度に差が出てきて、私がちょうどいい気温だと思えば大内くんには寒すぎ、布団を増やすの毛布を掛けるのと大騒ぎになる。しかもベッドの半分だけ。
1つのベッドの上でそれをやっていると大変なので、この際、ベッドを分けようかと。

寝相の悪い大内くんは今使ってるダブルをそのまま使いたいと言うから、シングル1つだけ買うつもり。
7畳ばかりの寝室は、ほぼベッドだらけになる。ちょっと狭苦しいが、まあ、寝るための部屋だから、快適に寝られるのが一番だよね。

思えば大塚家具も、10年前の引っ越しの当時は吉祥寺に支店があったので、大いにお世話になった。
たいそう便利で、何度足を運んだかわからない。
テレビラック、本棚、ソファ、息子のベッド、タンス、本当にいろんなものを買ったよ。
吉祥寺から、いろんなお店が撤退してるんだなぁ。

今では一番近いのが新宿。
ドライブがてら多摩センターの支店にも行ったことがあるけど、もうつぶれちゃった。
うやうやしく接客してくれる雰囲気はどこも同じ。

今回も、入るなり中間管理職的な雰囲気の男性がスーッと近づいてきた。
「ベッドを買いたいんです。予算は10万円ぐらい、シングル、宮なしで、マット面までの高さが45センチぐらいの物。ヘッドボードにクランプ式の スタンドをつけたい関係で、板にカーブのない物を。マットは、これまでフランスベッドのE-MAXを使っていたので、それと同様の堅さの物で」と 要望を伝え、会員カードを渡す。
ぜいぜい、こんなに好みがはっきりしてる客も珍しいだろう!という感じ。

おかげで話はスムーズに進み、ほぼ15分ぐらいで決まった。
顧客カードで登録しているおかげで、配送伝票も書かずにすむ。
クレジットカードでお支払いしている間に、冷たい飲み物を出してくれた。
大内くんはオレンジジュース、私はアイスコーヒーを飲む。
ここ以外ではなかなかお目にかかれないような小さなグラスがかわいらしい

ああ、食事も買い物もすんじゃった。
新宿にいるとくたびれる。人が多すぎる。
「町のネズミと田舎のネズミ」なんか思い出しながら、「田舎のネズミはとっとと退散だ!」という気分になる。
新宿まで来ているのに紀伊國屋書店に行かなくなって、もう何10年たつだろう。
学生時代にはあり得ないことだったんだが。

帰り道にちょっと井の頭公園の昼桜。
ここもすごい人出。
駅から公園までの狭い道が、人で渋滞して動けない。
焼き鳥の「いせや」公園通り口支店が大繁盛してるのはわかった。

今年は、先週急に桜が咲いてしまった上、雨模様だったので、花見はワンチャンス、この週末しかない。
それすら、花は少し葉桜で、万全とは言えない。
花見的には少し残念な年だったと言えよう。

ほとんど「花見」ではなく、「花見客見」で終わり、公園の端をかすっただけでバスに乗って家に帰った。
新宿もスゴイが、吉祥寺でも充分人出が多い。
毎日満員電車に乗っている大内くんと違って、静かに引きこもっている私の生活からすると、刺激が大きすぎて、気絶しそうだ。
明日、ICUに花見に行けるかなぁ・・・

14年4月6日

食料品の買い出しに車を出したついでに、寄り道をしてICUの昼桜を見に行く。
運転席の大内くんも慣れたもので、車の入場をチェックするゲートで、
「卒業生です。D館へ行きます」と言って入場。
渡されたボードに私が名前を書いていたら、おや、我々の前に入った人は、「UWD」と書いているね。
我々同様花見に来ただけで、「第二女子寮」に用があったとは限らないだろうが、もしかしたらOGが訪ねて行ったのか、親御さんが会いに行ったのか、なんにせよ、親近感がわく。
そう、私は大学時代、構内(というか森の中)にある第二女子寮に住んでいたのでした。

面白かったよ。
基本、異学年の3人部屋で、時々男子寮が「ストーム」と称してバケツの水をぶちまけて行くとか、新入生は最初の1週間、各寮ごとにコスプレをし て、授業もその格好で出なきゃいけないとか、ハロウィンにはやはり森の中に住んでいる教職員のコドモたちが仮装をして「トリック・オア・トリー ト!」と叫んでお菓子をもらいに来たり、クリスマスになるとロウソクを持った合唱隊、キャロリングが窓の外で聖歌を歌ってくれたとか。

「そんないい環境なのに寮に居つかないで僕らの大学にばかり来ていて、ダメじゃん。あー、いいとこだなぁ。僕も、英語を猛勉強して、定年になった らもう1度、この大学に入り直すかなぁ。静かな森の中で本と親しむ生活・・・あこがれちゃうなぁ」と大内くんは言うが、言うほどやさしい大学じゃないぞ。お金もかかるし。

私が入学した時に25年物だった桜が、今や60年物。
月日のたつのは早い。
そして、大内くんほどじゃないけど、私も、もっと勉強しとけばよかったなぁ、と思うことはしばしばある。
大学を生かしきれなかった、そのことが心残りだ。

だからと言って、今、息子にそんなお説教をしてもどれぐらい聞いてくれるか。
私の持論だが、
「経験が言葉によって伝わるものなら、人類はもっと長足の進歩を遂げているはずだ」。
みんな、自分でやってみないとわからないし、気がすまないんだよ。

桜を堪能し、今年の桜もこれで終わりだな。
また来年来よう。
60歳の大学生、大内くんを見てみたい気はするけどね。

14年4月7日

息子がかつて通っていた塾の塾長と飲む。
冬に大内くんが地理を教えた、そのお礼を兼ねて、息子の様子などを語り合う「春の連絡会」だ。
息子に関しては、彼が塾のバイトを辞めた1年生の秋から、もう塾長経由で聞くのは無理だろうと思っていたのだが、そこは塾長の底力、小・中学生を招いて行われた「お楽しみ会」を「お笑い劇場」にして、バイト先生たちが漫才をやったりするその一環で、大学のお笑いサークルで活動中の息子にも、相方と一緒に出てくれないか、と聞いてみてくれたらしい。

で、息子は喜んで芸をしに行き、塾長は当日撮ったビデオのSDカードを貸してくれた。
さすがな心配りである。
でも、「ラ王」のネタを見るのはこれで4回目です。
「悪いけど、面白くないよ」と言って1年半、なぜこの漫才ばかりやるのか?!

「不義理な辞め方をしてしまい、もう先生には二度と面倒見てもらえないものだと思ってました」と言うと、塾長は、
「いや、怒ってませんよ。むしろ、4年生、5年生になった時、彼が戻って来てくれるのかな、と、楽しみにしています」と微笑む。
どうも、LINEでの連絡中に、息子から、
「親父が頑張ってるので、オレも頑張ろうかな、と思います」という一文が来て、これは要するに、大内くんが塾で教えているから、自分もいつかまた教えてみたい、という意味だと塾長はとってくれたらしい。
親子2代の先生が同時に教える。
さすがの塾も、それは初めてだろう。楽しみだ。
その時、大内くんは「レジェンド」と呼んでもらえるだろうか。

塾の今後のビジョンを聞いたり、良き家庭人である塾長のお父さん奮戦記を聞いたり、大変面白かった。
それにしてもうちの豚児の反抗期は長い。
中学に入る直前ぐらいから始まって、もう8年になる。
塾長のとこの中学生は、1年ぐらいですんじゃったらしいのに。
これはやはり、父親の偉大さ如何なのか。

幸い、最近ちょっと抜けて来たのか、短い会話をすることが増えているし、何かしてあげれば「ありがと」「悪いね」と言った心配りの言葉をもらうことも多い。
その程度で、と思われそうだが、我々にとっては画期的な進歩だ。

そんなことも塾長に話し、笑われて、和やかに2時間の飲み会が終わった。
また夏には大内くんの出番もあるかもしれない。
「そのためにも、勉強しなくっちゃ!」と妙に張り切る大内くん。

普通の奥さんならここで、
「そんなことどうでもいいから、働いてよ。いつ部長になるの?!」とか言うものなのかもしれないが、私は夫の出世にはまるで関心がないのだ。
楽しく仕事ができれば、と思うばかり。
だから、最近、大内くんがちょっと仕事で消耗してるのが気になる。
心身の健康が保てる程度に仕事してくれ。
身体を壊しては元も子もないぞ。
大学に入り直すかどうかはゆっくり考えるとして、塾で教える、という夢は、あと10年たったら叶うかもしれないよ!

14年4月8日

俳優の蟹江敬三が亡くなった。享年69歳。胃がんのようだ。
大内くんは実はこの名脇役が大好きで、よくドラマを観ていたので、けっこうショックを受けたみたい。

その晩、たまたま録画してあった「鬼平犯科帳」を観ていたら、「犬」の1人である蟹江敬三大活躍の回だった。
「なんとなく落ち込むなぁ」と言いながら、勝手に追悼番組を設定して観ている我々。

でもさ、好きだったからだけじゃなく、蟹江敬三って、しぶといと言うか、そう簡単には死なないタイプに見えたせいもあるんじゃないかと思うんだよ ね。
どんな窮地からも脱してしまうような生命力。精力的な人だったよ。

「これから、こういうことが増えるんだろうね。私の母がよく、新聞の上にかがみ込んで、『あら〜、あの人も死んじゃったわ〜』とかつぶやいていたよ」と言うと、大内くんも、
「親しい人たちがだんだんあっちの世界に行っちゃって、自分も死ぬ覚悟ができるんだろうね」と考え込んでいた。

人間、どんな人でも死んじゃう、ってことは、誰もが「死」について考える機会があるわけで、そう思うと人は皆、哲学者だよなぁ。
ご多聞にもれず、私も「死」についてはしょっちゅう考えているが、答えは出ない。
もう10年ぐらいは生きているつもりだが、それも自分で決められることじゃないから、どうなることか。
大内くんよりは先に死にたいと思っているんけど。

ちょうど手塚治虫についてのドラマも観たところで、あの人が60歳で死んだのは本当に惜しい。
宮崎駿と並んで、アニメを作り続けてほしかった気もする。
(私は虫プロのアニメはほとんどいいと思ったことがないのだが)
あの人にあと10年の寿命があったら、いったい何をしでかしてくれただろう?

誰も彼も死ぬ。
せめて生きてる間は元気に過ごさなくっちゃあ、損だよね。
とりあえず、「ブラック・ジャック」をもう1回読もう。

14年4月11日

めずらしく、外泊の息子が「翌日も午前様」ではなく昼過ぎに帰ってきたので、我々の夕食にしようと準備していた「水餃子」に混ぜてあげよう。
スープに入れた餃子とポン酢で食べる餃子、両方を頬張りながら、いろんな話をしてくれた。

「やっぱ、人が面白がるのがいいよなぁ。オレ、漫才には向いてないんだよ。コントだね」
「大会もけっこう上位に残ってるし、少しは名が売れてると思うよ」
大内くん「それは、『おっ、早稲田ルードの大内がまた出てるぞ!』って感じ?」
「そうそう」

またえらく風呂敷を広げて見せたものだが、若い時はこんなもんでいいんだろう。
私も、大学時代、2段ベッドの上で近い天井を見ながら、
「世界は私に何を期待しているのだろう!?」とか興奮して眠れなかった夜とか、あったよ。
息子たちは学内ライブから外の大会まで、常に「お笑い」を評価してもらわなきゃいけないんだから、興奮もするよね。

小学生の頃は小太りで気が弱そうで、とても人前に出るなんてできそうもなかった彼だが、相方がいて全くの孤独ではないものの、よくもまあ、「どう も〜!」と言いながら舞台に走り出ることができるもんだよ。
とにかくお笑いは楽しくてしょうがないらしい。

「将来、お笑い芸人になる?」と何気なく聞いたら、
「それとこれは別。あくまで大学でやりたい」と言う彼なので、留年にさえ気をつければどうにか卒業はしてくれそうだ。

カノジョとはまあうまくいってる、ただし、お互い忙しい身の上なので、あんまり会えない、とか聞くと、心配になっちゃうなぁ。
大学のサークルの人と結婚するとむちゃくちゃ世界を共有できるからねぇ。
彼の結婚式に、お笑いサークルの人が次々とお祝いを言いながら芸を披露して行ってくれたら、こんな嬉しいことはない。
そうそう、保育園からの親友しゅうくんは、大学でジャグリングをやっているそうだから、ぜひ呼んで、「お笑いvs.ジャグリング」で、盛り上げてもらいたい。

でも、そんなことばっかり考えてると、案外、
「仲間内だけのささやかな人前式にした。親は来るな」とか言われちゃうんだよなぁ。ガックリ。

果てのない妄想はさておき、息子はとっても話しやすくなった。
「目が三角になる」こともあまりなく、一応会話が成立する。

「今、なに読んでんの」と私が聞けば、
「占星術殺人事件」。
「ずいぶん長くかかってるねぇ」
「難しいんだよ。でも、アルジャーノンは読んだよ」
おおっ、あの、SFのある種最高峰であるあれを、読んだか!
「オチは読めていた。ああなると思っていた。でも、面白かった」
キミも、老後のどこかで、自分がアルジャーノンだと感じる日が来るだろう。
少なくとも、私は今、相当にアルジャーノンだ。

社会科学部に入った時、大内くんは大塚久雄の岩波新書「社会科学の方法」を息子に渡したのだが、それから2年、毎日持って歩いてはいるものの、進めなくて進めなくて困っているそうだ。
大学生が、岩波新書1冊を1日2日で読めないようでは困るねぇ。
ま、お守り代わりに持っているのもいいか。

そういうわけなので、本の話はなるべくしないようにし、マンガとアニメについて語る親子。
息子は私方面なマンガ読みなので、あんまり苦労はしない。
アニメ方面は大内くんがいくらでも語れるし。

ビールを飲み終わった息子が急に立ち上がり、「じゃっ、今日はここまで!」と宣言したと思ったら去ってしまったので、夫婦2人でいささか脱力。
「ホントにあの人は、終わり際が速いねぇ」
「それで、いつも誰かの部屋で飲んでても、三鷹までの終電近くなると『じゃっ』って言って帰ってくるんだろうね。ずるずるしてなくて、いいよ」と 語り合う。

今日はエキストラな飲み会(夕食?)だったが、つい先日、「家庭内宴会」に参加してもらったこともあり、どうも、昔は年に1度あるかないかだった 「息子と話す機会」が月に1度以上にも増えている。
やっぱり、反抗期が終わったのかなぁ。

ところで、広告代理店のバイトを始めてひと月ぐらいたったと思ったら、もうやめているらしい。
「次はどうすんの?」
「今、忙しいから、20日過ぎたら考える。当てはある」と言う彼だが、
「悪い!おこづかい、貸して」と言われ続けて半年余り、私への借金はついに40万を超えた。
「どうするつもり?」と聞いたら、
「バイト始めたら、返す」とは言っており、踏み倒す気はないようだ。
それでも、本当に返してもらえるのは就職して2年目のボーナスぐらいなんじゃないだろうか。

今は新歓の時期で、忙しいのはわかる。
だが、借金は借金だ。きっちり耳をそろえて返してもらいたい。
少なくともこれ以上借金が増える前にバイト始めて、自分で自分のおこづかいぐらい稼いでくれ!

14年4月12日

夜遅く、「ちょっと散歩」と小1時間ほど出かけていた息子が帰って来て、レンタルDVDを見ている。借りてきたのかな?
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」
小耳にはさんだことはあるが、娯楽大作と言うよりは「シネヴィヴァン単館上映」って感じじゃないのか?
なぜ突然そんなものを。

夜中に見終ったようなので、翌朝「どうだった?」と聞いてみた。
「そこそこ」というのが評価。
「母さんたちも見せてもらっていい?返しておくから」
「いいけど、中野のレンタル屋だよ。もう返却期限、過ぎてるし」
地元で借りたんだとばっかり思ってた。
カノジョのアパートの近くかな。見終ったのを貸してもらったのかも。
確かに、息子の趣味というよりはカノジョの趣味という感じがする。

で、その日持って出かけたんだろうと思って、息子の部屋を片づけてたら、カバンからDVDが。
まだ返してないのかぁ!延滞1週間!延滞料が2千円以上つくぞ!
トム・ハンクスもサンドラ・ブロックも出てるじゃないか!
こんなことなら我々も見て、少しは元を取ればよかった。でも、もう夜中。しくしく。

翌日の土曜日、
「DVD返しなさいよ。なんなら中野までドライブの練習する?」と聞いたら、乗り気になったらしい。
「行こうかな。サークルの幹部の集まりがあるし」
キミは部長に当たる「幹事長」でも、その下の「副幹事長」でもないのに、幹部の1員なのか?
「3年生で一番面白いオレが、幹部でないわけがない」
その図抜けた自信はどこから?
新人獲得は、忙しいねぇ。

運転は、こないだよりはスムーズだった。道が少しすいてたせいもあるかな。
助手席の大内くんは、
「運転技術はキミ譲りで確かだね。あとは慣れだ。そこそこうまいドライバーになると思うよ」と言っていた。
サークル関係のおしゃべりをしたり、カノジョとうまくいってるか聞いたり、6年生になる心配はないのか確認したり。
家族で、楽しいドライブになったよ。

意外と息子が乗って来るのが、「就職の話」。
息子「オヤジも、面接とかしてんの?」
大「弁護士採ったりしてるね。若い頃は大学の卒業生をリクルートする、っていう流れがあったんだよ。早稲田も、社内にそういうルートあるよ」
息子「どういうヤツ取るの?」
大「大事なのは、学生時代にサークル活動とかで『人と協力して仕事をきちんとこなす』、って経験してるかどうかだね。あと、やっぱり受ける会社をちゃんと見てるかだよ。たとえば、うちの会社で言えば、『どこどこの製鐵所を見に行きました!鐵に惚れてます!』って言われたらじーんと来るね」
息子「ふーん。で、どう?オレみたいなの、採りたい?」
大「そこそこ真面目だから、悪くないんじゃない?まあ、まず単位取って、エントリーシート書いてね。お笑いのプロは目指さないの?」
息子「うん・・・まったく考えないわけじゃないけど、大学でやれたから、いいかな」
あんがい堅実なヤツだな。

中野でDVDを返してから大学での「幹部会」に行く、と言う息子を落として、運転を大内くんが替わり、雑踏に消える後姿を見送って2人で帰る。
「もう1、2回親同伴の『教習』をしたら、車を貸してあげてもいいかもしれない。問題は、事故もさることながら、乗って行ったきり2、3日帰って こないとか、我々が使う予定があっても返してくれないとかそういう方面」と大内くんは言う。確かに。

「バイトも、結局、広告代理店はひと月もたたずにやめちゃって、次のバイトは『20日過ぎて忙しいのが終わったら探す』って言ってて、金欠だよ。 当てはないじゃないみたいだけど。今は居酒屋やコンビニもそこそこ時給がいいんだから、えり好みしないで肉体労働やサービス業にいそしめばいいのに。今日も、結局延滞料含めて1万円もおこづかい貸しちゃったよ。財布に1万円札しか入ってなかったのが敗因だね。『これで、1週間ぐらいは催促 しないでしのげるから』とは言っていたけど、もう借金が40万円に届いた。いったいどうやって返してくれるつもりなんだろう」と、大内くんに不満をぶちまける。

「僕は、バイトすると親がすごく嫌がった。塾の講師とかだったけど。『そんな時間があるなら、勉強しろ』って言われた。どうせしないのに」と大学 時代常時金欠だった大内くんも、
「たまにはカノジョにおごってあげたりしなきゃいけないのにね。DVD延滞したり、ATMで手数料を1回210円払ったり、金銭感覚がなさ過ぎるよ。お金の苦労を知らないのは、困りものだね」と苦い顔。

こんなヤローに「結婚してコドモができたら、このマンション譲ってあげるよ」なんて甘いこと言うんじゃなかった。
せめて、5万円ずつぐらいでも、家賃取ろうかしらん。
大内くんが定年になる頃の話だから、我々も金欠だよ。
息子がお世話になった塾で講師のバイトをやらせてもらうという遠大な計画の元、少しずつ世界史や数学を勉強しているみたい。
(学生時代にやり切らなかったのが原因か?)
でも、ひとコマ1500円として、週に10コマ教えても15000円。月に6万だ。
ああ、会社って、なんてたくさんお金をくれるとこなんだろう!

息子よガンバレ、卒業して、就職せよ!妻子を養え!
考えてもごらん、生まれてから就職するまで22、3年。そのあと、それより長い40年近くの勤務が待ってるんだよ。
人は、就職するために生きるんだ、と言っても過言ではない。
つくづく、人生は仕事と結婚のためにある。
20年で終わる子育てですら、たいした目標ではないのかも。

14年4月13日

先日、息子が「自転車を撤去された」と言って、しばらく自転車なしで暮らしていた時、あまりにバス代がかかるし本人は取りに行く気がないしで、 しょうがなく我々が行ってみたところ、集積所にはないことが判明した。
「ということは、盗まれたのか?」
「どうせ息子がカギをかけなかったんだろう。そもそも言った通りの場所に置いていたかどうかも怪しいもんだ」と息子の株は散々に下がったのだが、 今回、通知ハガキが来た。

つまり、撤去してから集積所に行くまでにタイムラグがあり、我々はそのはざまに取りに行ってしまったのだ。
息子を疑ったことを、心の中で詫びる。
(だがしかし、本当は置いてはいけないところに置くから撤去されるんだよなぁ)

息子にハガキを見せて、
「引き取りに行く?」と聞いたら、
「うん。でも、今、すごく忙しいんだよ」と言うので、
「明日、母さんたち、ついでがあって出かけるから、取りに行ってあげようか?」と聞くと、
「ついでがあるなら、頼みたいな。すまんね。あんがと!」と喜んでいた。
このぐらい感謝されるんなら、もっといろんなことをしてあげたくなっちゃうよ。

というわけで、隣町の図書館に予約した本を取りに行くついでに、集積所に行きました。
こないだ来た時とは違い、息子の自転車はちゃーんとあった。
保管料3千円を払い、タイヤに空気を入れさせてもらい、車に積んで帰る。
「集積所の人は、ていねいだねぇ。『あんたが置いちゃいけないところに置くから自転車がこんなとこにあるんでしょうが!』なんてひと言も言わないし」
「『はい、ここにサインをお願いします』とか、『わざわざどうも。お疲れさまでした』とか、親切だよね。役所関係の人は、昔に比べてとてもていねいになったよ」と話しながら、買い物をすませ、家でぐったり。

大内くんは早くも借りてきた本をフラットベッド式のスキャナでデータ化してる。
2人でテレビを見ながら、黙々と作業にはげむ彼だった。

とにかく、自転車が見つかってよかった。
もう新しいのを買っちゃったけど、息子的には軽くて高価な前のやつの方が使いたいらしくて、駐輪場のシールを貼り替えて、そっちに乗って出かけたらしい。
買っちゃった方も、この状態ではいつ何時替えの自転車が必要になるかわからない。大事にとっておこう。

息子よ、自転車を買うお金も引き取りに行く手間も、全部肩代わりしといたぞ。
ちょっと可愛がり過ぎるぐらい、大目に見てガマンしろ!

14年4月15日

テレビでやっていた「冷凍食品」のランキング番組を見て、
「へー、そんなにおいしいんだー」とか、
「でも高すぎない?」とか話し合った挙句、スーパーに行ってためしに買ってみよう、という話になった。

冷凍うどんだけは、過去にその手の番組を見た時買ってみて、本当に普通にゆでめんを買うよりおいしくて安上がりだし、便利だ、と思ったんだよね。
いまだに、うどんを食べるたび、
「あの番組を見てなかったら、こんなにおいしいうどんは食べられなかったんだよね。運が良かったね」と言い合っているのだ。
さて、他のはどうか。

「ごっつ旨いお好み焼き」は確かにおいしかった。
パスタは日清の「プレミアムBIG ナスとミートソース」。
これはこれでウマイ。
さすがに「アルデンテ」というわけにはいかないが、スパゲッティもソースも、よく出来てる。
独り暮らしだったら面倒で、これ買って来てすませちゃうかも。

冷凍食品を見て歩いてる時の大内くんは、
「こんなの、缶詰のミートソースかレトルト使って、麺はゆでた方が早くない?」とぶつくさ言い通しだった。
だからさぁ、お湯を沸かしてパスタゆでてレトルト温めるのが面倒なんだっては。
ちゃんと作るのも大事だけど、手を抜くとこは抜かないと息切れするよ。
もちろんコストはアップするが、そうも言っていられない時も多い。

まあしかし、大流行りに流行って大内家の冷凍庫はすぐできる冷凍食品がいっぱい、ってことにはならなそうだ。
肉、麺、さといも等の「素材」はたくさん入ってるけどね。
そして一番大切なことは、半年に1回ぐらいは総ざらえして、中身を入れ替えること。
うちの冷凍庫には、ときどき、「いつ買ったんだ?」と首をひねりたくなる代物が入っている。
どうかすると霜がびっしりついて中身が何なのか、判別がつかない。
冷凍庫って、けっこう秘境だよ。たまには空にしてみよう。

14年4月16日

歯医者さんの予約に寝坊。向こうから電話がかかって来て初めて思い出した。
看護師さんに叱られた。

「予約、取り直し。今度は木曜ね。『歯医者復活戦』だ!」と言ったら、大内くんにはすごくウケたので、しばらくして帰ってきた息子にもう1回言ってみたのだが、冷たい目で見られただけだった。
他人のギャグに笑えないヤツが、自分だけ笑ってもらえると思うなよ!

14年4月18日

久々に家でカレーを作った。
もちろんジャワとかバーモントのルゥを使うやつ。
今日はジャワの中辛とバーモントの中辛をブレンドしてみました。

新歓活動の真っ最中、夜中に帰ってきた息子は、
「腹へった。なんかある?おっ、カレー?食べる食べる!」と喜ぶ。
確かになぁ、最近、カレー作ってなかったもんね。
理由は単純、息子が家で飯を食わんからだ。
大学に入ってからというもの、シチューやカレーの作り置きをしなくなった。

「おいしそう!」と言ってお盆を持ってテレビの前に陣取り、猛烈な勢いでカレーを平らげ、「おいしい!」と珍しく大声を出す。
とどめに、皿を下げながら、「ごちそうさん!」。
作る方にも、やっぱり「やる気が起きる」言われ方、ってもんがあるなぁ、としみじみ感じた。

おまけに寝る前に我々の寝室のドアをひょいと開け、「おやすみ」と声をかけて行く。
大内くんと2人して、「もう、死んでもいいぐらい、幸せだねぇ」としみじみしたよ。
要求するハードルが低すぎる、というのはよくわかっているんだが、小学校5年生ぐらいから延々10年ほどの「反抗期」が、ついに終わったのか?! と興奮している。

こないだ塾長と飲んだ時に、2人いるご息子のうち、中学生になる上の息子さんの方が反抗期になったらしいのだが、1年ほどで終わったと言ってい た。
塾長、我々の育て方は、何か間違っているのでしょうか?
そう言えば、塾に通い始めたのも小5の頃。
塾長が見てきた「うちの息子」は、ほぼ全体が反抗期で出来上がっているんだなぁ。

14年4月19日

大内くんと一緒に向ヶ丘遊園にドライブして、高校時代の友人に会いに行く。
システムエンジニアだが、今現在は病気休職中。実は元カレ。
「お金がなくなったから、本を全部データ化して、家賃の安い狭いアパートに移った」という合理精神の権化である。
私たちの自炊のお師匠さんだ。
4年前に彼に勧められてから、2年間考えに考え抜き、決心を固めてからさらに彼に会うまで半年、そして1年半かけてここまできた、という我々の自炊の、始まりであり励みであり先達である大切な友人だ。

12時にコメダで会う。
不思議なもので、名古屋の高校で知り合った彼と、今では全然関係ないところに住んでいるのに、それぞれ名古屋の象徴であるコメダに徒歩5分、 というところに住んでいる。
東京にコメダがそうそうあるものでもないのに、この符号は何だろう?

そもそも中高一貫男子校の大内くんにとって、「高校時代の異性の親友」なんてものは理解不能かつうらやましいものらしい。
「息子を男子校に入れなくてよかった。もっとも本人が早めに察知して『絶対、イヤ!』と言ってくれて、ありがたかった」のだそうだ。
いいもんだよ、何でも話せる異性の友人というものも。
ただ、若い頃というのは何かというと恋愛沙汰になってしまい、純粋な友情は難しいね。
今ではものすごくいい友達、というか、やっぱ親友としか言いようがないし、枯れ切っていて味わい深いものだが。
あなたも、今から作ったら?恋愛抜きで。
候補のママ友がいっぱいいるじゃん。

それはさておき、コメダでお昼を食べながら、今回の目玉要件、リスク分散を考えてそれぞれのHDを交換する。
横浜のクラウドサービスとも契約している大内家は、なるべく自宅から遠いところにHDを置いておきたいと考えているのだ。
(今度、貸金庫を借りて1つ入れておこうと思ってる。いや、ホント)
5個に分けて持っているHDのうち1つを預かってもらったわけだ。
向こうの事情も同じようなものだと思う。

ついでに、彼の部屋を見せてもらう。
50代半ば独身男性が、パソコンを友にどんな暮らしをしているか興味があったので。
ひと言で言って、圧倒されました。
人は、ベッドとパソコン、モニタがあれば生きて行ける。
我々の生活は削ぎ落とせる無駄のカタマリだ。
これから老後に向けて、生活のダウンサイジングを考えているので、大いに参考にさせてもらおう。

彼と別れて、家に帰る。
「陽気がいいので生田緑地なんか気持ちいいよ」と言う彼は、狭い自宅に住みつつ、借景というか、広い空間を利用して優雅に暮らしている。
(私が少し体調が悪かったので、散策は遠慮したが、次回に是非)
一戸建てに住んでて猫の額ほどの庭があったって、近くの広々とした緑地にはかなうまい。
これまた頭が下がる。

圧巻は、彼のHDの中身。
「やまいだれ」をつけるかどうか迷うところだが、まあとにかく「知の巨人」だ。
こんな人と高校時代に親友になっていたのか。

大内くんにはいつも強く言っていることだが、彼が「ヲタ」になった件について、私は何の責任もない。
高校時代は、マンガもアニメも興味ない彼と、哲学論を戦わせていただけだ。
そこから40年たって彼が堂々たる「ヲタ」として再登場したのは、私のせいじゃありませんってば!

何にせよ、古い友だちはいいものだ。
それに、昔から「医者と弁護士を友達に持て」というじゃないか。
現代では、これに「IT関係者」を絶対入れるべきなのだ。
いや、Oくん、そんな理由であなたとつき合ってるわけじゃないですよ。
これからもよろしくお願いします。

14年4月20日

大塚家具で買ったシングル・ベッドが届いた。
もしかして採寸間違いがあって、部屋に入りきらなかったらどうしよう、とひそかに心配していたので、慣れた手つきのにーちゃんたちがセッティングして行ってくれた時は、心底ほっとした。
これで、寝室にはダブルとシングルのベッド、間にチェストがおさまった。あとはタンスね。

本当はシングル2つにしたかったのだが、今まで使っていたダブルを捨てるのがもったいなかったし、大内くんは寝相が悪いので、広々としたベッ ドで寝かせてあげたかった、というわけで、ダブルを残した。
私は狭いとこでも平気。というか、シングルぐらいの方が落ち着く。

「一面、ベッドだらけ」という有様になった寝室を後に、シングルのシーツ類を買いにニトリへ行く。
これまで、息子がシングルを使っていたのでシーツや布団カバーは余っていなくもないんだけど、息子と寝具を共用するのは何となくイヤだ。男臭い。
大内くんは汗臭くないのに、息子は誰の何が遺伝したのだろう、けっこう汗臭いヤツなのだ。
本人、気にして朝晩シャワー浴びてるよ。

気に入ったシーツと布団カバー、それから大内くんとおそろい感を出すための枕カバーを2つ買って、ついでにいい食器があったのでそれも買っ て、壊れかけてるデジタル電波時計も買って、あいかわらず1万円しないお会計をすませる。
ちょっと散財したい時には最適の場所だ。
問題は、家にモノがあふれてくることだけかな。
ま、大内くんがマメに捨ててくれてるので大丈夫だろう。

家に帰って、さっそく布団カバーをかけてみたら、おや、ファスナーが壊れているぞ。
どうした、抜群のシェアを誇る「YKK」よ。

しかたないので、晩ごはんを食べてからまたニトリに行く。
幸いすぐに謝罪とともに交換してもらえたが、
「何らかの見返りが欲しいよね。10パーセントオフクーポン券とか。ガソリン代と時間使って来てるんだからさぁ」とさもしいことをつぶやいた ら、大内くんに、
「ビジネスマインドというものだね。キミはそういうとこ、ホントにしっかりしてる。しかも要求はしないところが奥ゆかしい」とほめられた。
何でもほめる人だなぁ。

というわけで、結婚して25年、最初の5年間は布団並べて、残りの20年はダブルベッドで寝ていた我々、ついに離れて寝ることになった。
これについては私は相当寂しいのだが、大の字になって寝られる喜びからか、大内くんは、
「寝る直前までは今まで通りダブルベッドの上で話をしたりマッサージしたりして過ごすんだから、かまわないじゃない。寂しくなったらいつでも 隣のベッドに来ればいいんだし」とのんきな姿勢だ。
「オヤスミ」即睡眠の人ならではかもしれない。
私は寝つくまでに1時間ぐらい孤独の時間を過ごすからなぁ。
もっとも、これに関しては隣の人がぐーがー言って寝ている、という意味で、ベッドが同じであろうが別々であろうがあんまり関係ないか。

幸か不幸か、大内くんは軽く風邪をひいたらしい。
「寒い」と言って、しまってあった猛烈にあったかい毛布を持ち出して、我々が別寝するに至った最大の理由である「体感温度の違い」が十二分にものを言った。
なにしろ、私が布団1枚でも暑いと感じる時、大内くんは羽毛布団2枚重ねの上に毛布を掛けたい、という有様だったのだ。
これから夏に向かって、私はエアコンをつけてもタオルケットをおなかに掛けるだけ、大内くんは布団2枚、といった光景が見られることだろう。
「咳込んでも隣の人に気を使わないですむし、何よりどんなにあったかくしてもかまわないので、風邪ひいてても安心」と彼は語る。
寂しいなんて高級な感情は、暑さ寒さの前には何ほどのことでもないのだ。
生きる、っつーのは、そういうことだよなぁ。

14年4月21日

朝、悪夢にうなされた。
大内くんをいくら呼んでも、声が出なくて届かない、というエンドレスな悪夢。
別々に寝たのが影響してるのか。
幸い、最後には「ううー」という声が出たらしく、すでに起きていた大内くんがやって来て、
「どうしたの?大丈夫だよ。夢だよ」と起こしてくれた。

大学に行くしたくをしていた息子まで、
「おふくろ、どうしたの?」と心配してくれたらしい。
「ちょっとうなされただけだよ」と説明したら、「あっそ」と言って出かけてしまったそうだが。

時は午前9時。
「おやじ、何でいるの?」と息子に驚かれた、という大内くんは、風邪をひきこんで会社を休んだ。
ベッド別でよかった。
今年は、軽い風邪を何度もひきこむねぇ。インフルエンザまでやったし。(その時は私もつきあった)
去年の冬、家族全員1回もひかなかったツケがまわってきたのだろうか。

2人して、1日、寝て過ごす。新しいベッドは寝心地がいい。
私は、枕元のチェストの引き出しを抜くなどの工夫をして、iPadスタンドをがっちり取りつけた。
これで、念願の「身体の右側を下にして横を向いて寝た状態で本を読む」ということができるようになった。万歳!
前に1度、大内くんと寝る位置を交換してトライしてみたんだけど、お互い、逆側に寝るというものすごい違和感に耐えかねて、元に戻さざるを得なかった。(歩く時も寝る時も、私は常に大内くんの左側)
左側を下にして寝ると、消化器官の形状の問題から胃もたれを起こして吐き気がするから、ぜひベッドの左側にiPadを据えて、右を下にして横たわって読みたかったんだ。
思ったよりずっと快調。
いつの間にか入眠できる自然な寝姿のようだ。

長年の懸案だったベッド問題が片づいて、さて、あとは秋にイタリアに行く話とそれに先立つ私のひざの関節炎の治療、つまり減量という課題が待っているだけ。
この冬から春、大内くんが何度も風邪をひいたおかげで食事が少なくなり、すでに2人とも5キロ以上の減量に成功している。
私はややリバウンドが来て今、戻りつつあるが、大内くんは10キロ近くやせた。
「親に会いたくない。やせればやせたで、太れば太ったで、『どうしたの!そんなになっちゃって!!』と大騒ぎをされる」と、会う予定もないご両親との面談を心配している大内くんは、もうしばらくは快調にやせられそうだ。
私も頑張ろう!

14年4月22日

去年の夏、家の近所のスーパー付近で、フクロウをそれぞれ1羽ずつ連れた男女2人組を見た。
大内くんと、
「あれは、『フクロウ友達』なんだろうか?」
「夫婦で飼ってるんじゃない?動物病院に行くとこかもよ」とか話していて、そのままずっと謎だったんだけど、今日、もしかしたら、って出来事があったよ。

いや、テレビを録画した古い情報番組を見ていたら、「吉祥寺特集」なのね。
我々が愛用する「カレー喫茶」もばっちり映っていたよ。
その中で、「猛禽カフェ」なるモノに遭遇したのだ。

吉祥寺にそんなものがあるとは知らんかった。
そもそも、世の中にあるということもまったく聞いたことなかったし。
お客さんは、お店のタカにさわってもいいし、自分とこで飼ってるタカやフクロウを連れてきてもいいらしい。
大内くんと、
「そうか!あの時の2人連れは、きっとそのカフェに愛鳥を連れて行くとこだったに違いない!」と大声を出してしまった。
方向的にも合ってるし、徒歩30分ぐらいだから、フクロウの散歩(?)のついでなんだろうな。

「猫カフェ」なるモノがあるのは知っていたけど、「猛禽カフェ」ってのは意外だ。
きっとどこかに、「爬虫類カフェ」だってあるんだろう。
動物全般が苦手な大内くんは、
「死んでも行きたくない」と言っているけど、同好の士が集まって、飼い方の相談をしたり芸を披露したりしてるんだと思うよ。
好きな人にとってはペットともども、いい息抜きの場になってるんだろうね。

我が家ではペットを飼う予定はないけど、友人の中には「陸ガメ」を30匹以上買っている烈女がいる。
すべてに名前があり、個体識別ができるそうだ。
(一緒に住んでるダンナさんにはできないんだって)
いろんな人がいて、いろんなお店があるもんだねぇ。

14年4月23日

カフェで思い出す場所と言えば昨今は「メイドカフェ」であろう。
高校時代の友人男性に会った時、
「いきつけのメイドカフェが閉店になってしまい、たいそう悲しい」と言っていたが、地道にファンがいるもんだ。
大内くんや息子を連れて行ってみたい。
「ご主人さま、奥さま、坊ちゃま、おかえりなさいませ!」と言ってくれるらしいよ。
時間制限があって、(2時間ポッキリ、というのに似ている)、時間になると、
「お時間でございますので、どうぞいってらっしゃいませ」とか言うんだって。

私が最近驚いたのは、実は、「執事喫茶」というものがあるらしいこと。
個人的には、年配の、銀髪をオールバックになでつけたシブい老執事に、
「奥さま、おかえりなさいませ」と迎えられたいが、その実情はライトなホストクラブのようなものだそうだ。
いや、ホントに執事がいてさ、
「税務署に提出する先年度の医療費、リストができております。ご指示のあり次第、申告に行ってまいります」って事務仕事を片づけてくれたら助 かる のに。

大内くんは常々、ドラマとかを見ては、
「執事さん、いいな!1人、欲しい!」と叫んでいる。
最近では「リーガル・ハイ」の謎の過去を持つ執事さんが良かったらしい。
大内くんがあんなにそそっかしく頼りなくなければ、執事みたいなもんなんだけどなぁ。

14年4月25日

最近、息子がかわいい。
夜の12時過ぎに帰ってくる、ないしは無断外泊のどっちかで、その時になってみないと分からないので、11時半ごろになると大内くんがメールを打っている。
前は、「SUB:今日は」「本文:帰ってくる?」という感じだったんだけど、ここ1週間ぐらいは簡略化されて、「SUB:?」だけで話が通 じ、数分後に息子から返事が来るのだが、その内容が、昔は「わからん」「かえる」といった無愛想なものだったのが、この2週間ぐらい、「帰るよ〜」とか「かえるよー」とか、妙に語尾が愛想いい。
これは、本格的に「反抗期」を抜けて来たかも。

先日なんか、昼間息子が寝室をのぞいて、
「ベッド、どうしたの?」と聞くので、
「買ったんだよ」と答えたら「ふーん」とあまり興味を示さなかったようなのだが、夜の定例メールで、
「今日は帰る?ベッドいいでしょ。父さんはちょっと風邪気味です」と珍しく長いメールを打ってみたら、すぐに、、
「お大事に。ベッドいいね。今日は帰ります」という、何というか、懇切丁寧というか、商談が佳境に入ったセールスマンみたいな行き届いた返事 が来たよ。

毎晩、「こんなに幸せでいいのかなー」と言いながら暮らしております。
これで息子が留年を重ねて8年生になっちゃうとか、就職が決まらないとか、お笑い芸人目指して10年下積みとか、不幸のタネはいくらでも思いつくけど、そんな目先のことには負けない。
幸せは幸せだ。
1人の人間を、何とかこの世に送り出せそうなんだから!
そのあと彼が多少苦労しようとも、それはもう、我々の責任の範疇を超えている。
我々は、あくまで勝手に幸せになるぞ。


14年4月26日

今年は大変な飛び石連休だが、それにしたってGWだ。今日は初日、ということで、まったく久しぶりにツタヤに行く。
さすがにかなりな名作がたまりまくっており、7本も借りちゃったよ。
今日は映画を見まくろう。

それ以外には、特に予定なし。
女友達とごはんを食べに行こうとか、去年の夏の「東京を訪ねてきた人のつもりになって過ごす」企画の続きで東京駅近辺とか靖国神社の戦争博物 館とかをもう1度回ろうとか、話はしてるが、具体的な計画はひとつも。
とにかくゆっくり過ごしたい。

最近、忙しかったというか、落ち着かない日々が続き、夫婦の心が離れてしまったような気すらしたので、ここでじっくり一緒の時間を持って、互 いの位置を確認したい。
飛び飛びに会社に行く大内くんはご苦労さまだ。
私は家で待ってるよ。
休みの日はのんびりしよう!

14年4月27日

今日も休み。GW継続中。

息子がまた履歴書を書いている。バイトの面接用だね。
「面白くないから」と、恵比寿の広告代理店をひと月でやめ、今考えているのは新宿の映画館らしい。
いったいどこからそんな話を聞きこんでくるのか。

書き上がった履歴書を、郵送しようとする。
「住所、って、ここでいいんだよね?」と聞いてくる彼の書いた封筒を見ると、真ん中にどっしりと、相手先の社名が書いてあり、左下の隅に住所 が。
「・・・ふつう、右肩から住所書いて、真ん中に相手の名前書くよ」
「誰も見やしねーよ、そんなとこ」
いや、バイト学生の良識を推し量るため、見ると思うなぁ。
「自分の住所は書かなくていいよね。中の履歴書に書いてあるんだから」
郵便事故ということもある。書いておきなさい。

とどめは、
「『採用係様』はおかしいよ。普通、『御中』って書くよ」と注意すると、
「何、それ」。
知らなくて当たり前か。
「want you!」と書かなかっただけ、マシなのかも。
こういうことって、学校では教えてくれないのかしらん、とモンペなことを考えてしまう。

さて、こんな彼のバイト就活ですが、受かるんでしょうか。
早くバイト始めて借金返してくれないと、困るんですけど。

14年4月29日

おとといの夜は突然、
「友達のとこに泊まる。明日の朝一番で、『アメイジング・スパイダーマン2』を見る」と言って出かけてしまい、実際外泊で、なんだかあまりに唐 突にいなくなるので驚かせてくれた息子だが、今日はヒマだったらしく、ごろごろしてると思ったら、
「車を運転したい」と言い出した。

親を乗せての教習は歓迎するところなので、近所の八百屋と少し離れたブックオフを回り、駐車の練習をしまくって、最後は行きつけのスーパー。
実は息子が中学生の時、社会科の「職場体験」で派遣され、働いたことがあるところ。
買い物に来るのは初めてだろうが。
(バックヤードで黙々とキャベツをむいている姿をこっそり見に行ったことがバレて、あとで本人から怒られた私。しくしく)

今日の買い物は総計8千円といったところで、週に1度の買い出しとしてはまあ普通の値段なんだけど、息子は普段大量の買い出しなんかしないか ら、「8千円も!」と驚いていた。1万円超える時もあるんだけどなぁ。
食費は、月に7、8万円かかるよ。外食費もコミで。
キミの外食費が「おこづかい」の方に移動して、そこだけは昔より楽になった。
もっとも、バイトしてくれないでおこづかいは親からの借金でまかなっているため、ここ半年ほど、家計の総額は苦しい。

なんとか無事に家の駐車スペースに車を納め、気が向いたら5月6日(その日しかヒマじゃないそうだ)に彼が友人と行ってすごくよかったという 京王永山駅の「スーパー銭湯」に一緒に行こう、という話がまとまり、重いスーパーの袋も持ってもらってドライブは終了。
連休を祝って1杯飲もう、と、ソーセージを焼いてビールを飲む。

息子といろいろ話したいんだけど、彼は親との話にはすぐに飽きてしまうんだ。
食べるだけ食べると「ごちそうさん!」って席を立っちゃう。
彼は、「じっくり飲む」ってことがないね。
友達とはある程度飲むんだろうが、夜、12時ごろに帰ってくる日が多く、外泊が意外と少ないのは、大内くんのように「盛り上がって来ると帰り たくなくなって、終電がなくなろうが何だろうが正体を失くすまで飲んでしまう」という性格ではないからだと思われる。

「親のこと、好き?」と聞いたら、
「育ててくれた大切な人だとは思うが、クリエイティビティの点で、まったく関心がない」という答えが返ってきた。
妙なところにこだわるなぁ。クリエイティビィティ?どういうことを意味するんだろう?

すぐにくよくよする私と違って、大内くんは大らかで、
「親を『大切だ』と言ってくれるだけでも、僕よりはずっと親孝行だよ。嫌われてるわけじゃないんだから、そんなに落ち込まないで!」と前向き だ。
私は、人が認めてくれないとすぐ悲しくなっちゃうんだよね。「私のどこがいけないの?」って。
おそらく、親として同居人として、ものすごく「ウザい」タイプだと思われる。
だからイヤがられるんだよなぁ。
ほら、また。イヤだなんて言われてないのに。

「今日は、何もない日かと思ったら、思わぬドライブや飲み会になったじゃない。いいGWだね!」と大内くん。
本当に立派な人だ。
確かに楽しい1日になった。
彼に1人で運転させる日も近いのだろうか。
大内くんは、
「今度、永山駅までのドライブがうまくいったら考えるよ。安全運転も大事だけど、約束した時間、日に車を返してくれることもきちんとしてくれ ないとね。僕らが使う予定の時に使えないと困るから」と言っている。
確かにそれも大切な点だね。

いろんな意味で、コドモは独立していく。
最後に残るのは夫婦だ。
夫婦仲良しなのがイチバン。

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