14年5月1日 

ここ数週間、大内くんが風邪の後遺症で咳が止まらなくなっていた。
先日は、会社の診療室で薬をいろいろもらい、
「吸入剤もください」と言ったら、
「胸に貼るシートで充分でしょう」と言われた、と言って、小さなシールみたいなのを貼っていた。
効くのかなぁ。

不安に思っていたら、案の定、数日、咳で眠れない日が続く。
とどめに今夜、どうしても咳が止まらなくなってしまった。
「はちみつしょうが湯」を2杯飲んで、バンダナにくるんだ「ホカロン」をのどに巻いても止まらなかった咳が、ネットで調べてあげた「咳の治まるツボ」を押していたら何とか止まって眠れたみたいだけど、夜中の2時までかかったよ。
この人の場合、やはり最後は東洋医学なんだろうか?

明日の朝、近くの病院に寄って診察を受け、吸入剤をもらってから会社に行く、と言っている。
その方がいいね。
問題は、部屋をあったかくしていないと咳込んでしまうので、この暖かい季節にエアコンをつけて寝ていること。
私は暑くて、寝るどころか部屋にも入れない。
ベッドを別々にしただけでは足りず、部屋も別々でなきゃダメなのかも・・・

14年5月2日


出社前に朝イチで近所の病院に寄った大内くんから電話。
やっぱり、「咳喘息」らしい。
いい薬をもらったから、今夜は多分大丈夫、と言っていた。

この辺は、なんだかやたらに病院が多く、しかもどこもいい病院っぽい。
うちがホームドクターとして頼りにしている先生がいる病院は徒歩3分、老人医療や乳がんにも力を入れている。
私はこの半年ほどひざの関節炎で悩んでいるが、今日、大内くんの顔を見た先生は、
「奥さん、体重も落として、頑張ってますね。顔なんか、ほっそりしてきましたよ」と、ひと月ぐらい前に受診した時のことをよく覚えてくれていた。
大内くんも、
「ひざの調子が良くなってきて、体調もいいようです」と伝えてくれたので、先生がよかったよかったと言っていたそうだ。
患者さんのこと、よく覚えてるもんだなぁ。しかも夫婦セットで。
1回、同時にインフルエンザにかかった時に一緒に受診し、あと、大内くんが私の診察に2、3回ついてきてくれた、それぐらいで、プロには充分なんだろう。

昨夜はそれぞれの事情でみんな寝たり起きたり、ひと晩中出入りが絶えなかった。
息子はヘンな時間にちょっと昼寝をしてしまったせいか、夜中に起きて朝まで映画を見ていたようだ。
で、今、高いびき。
私も完テツなので、洗濯もすんだし、今から寝よう。

明け方、パソコンに向かっていたら、息子がのっそり来て、「背中かいて」と言う。よくあることだ。
「もういい」と立ち去りがてら、「さびしかった」とつぶやくので、徹夜して映画見たりするから不安定な気持ちになってしまったのか?!と部屋へ追って行って、
「さびしかった、って言った?」と尋ねると、
「ンなこと言ってねーよ。『朝メシ食う』、って言ったんだよ」という答え。
私の耳はどうなっているのか?とカレーをあっためながら、自分でも自分のうろたえようが可笑しかった。
いやー、親ってのは、コドモが好きなもんなんだね。

精神学者の斎藤環が書いた対談集に「萩尾望都」が出ているのが珍しくて図書館で借りて読んでいたら、別の人との対談で「先日、朝日新聞に『息子に失恋する』という気持ち悪い特集が載っていましたが」と言っているから、
「やっぱ、母親と息子、ってのは気持ち悪くなっちゃうもんかね?」と、起き出して仕事をしながら、咳に効くかと淹れてみた甘い紅茶を飲んでいる大内くんの背中に聞いたら、
「別に気持ち悪くないよ。お父さんがバージンロードを歩いて花婿に娘を渡すじゃない。ああいう、きちんとした失恋の儀式が必要なんだよ。親は、 異性のコドモにちゃんと失恋するべき。実際、恋愛してるんだから。『恋愛なんかしてません』ってごまかすから問題なんだと思うね。近年、結婚式で、生まれた時とおんなじ体重のクマのぬいぐるみを親に、特に娘から父親に、息子から母親に渡す習慣が広まってるらしいけど、昔の花束贈呈よりよくできてる、見事な『変わり身の術』だね。キミも、もらって呆然としてる間に逃げられるんだよ。大丈夫、僕が慰めるから。日本 にないのは、そのあと夫婦でやっていく、っていう姿勢だと思うよ。しかし、斎藤環もまだまだ修行が足りないね。そんなとこで『気持ち悪い』なんて書いちゃうのは」と、実に明快に解き明かして、実際慰めてくれた。

大内くんがいてくれてよかった。
この人に失恋しないかぎり、私は10人の息子に失恋しても大丈夫だろう。
(いや、この場合、息子が1人きりの方が傷は深いのか?そこらへんの機微はわからない)

明日から4日お休み。
楽しみにしていた友人との食事も東京巡りも無理そうだけど、運が良ければ息子と3人でお風呂に行けるかも。
でも、実はこの場合、私はあんまり楽しくないんだよね。1人でお風呂やサウナ入るだけだから。
大内くんは、大いに裸のつきあいをして男同士の話を楽しんでくれい。
私が楽しみなのは、備えつけのマンガを、岩盤浴に持ち込み放題だ、って話。
それって、かなりの極楽かも。混んでないといいんだけどなー。
身体を暖めるのは、大内くんの咳にもいいんだろうし。

今年の連休は地味になりそうだけど、のんびりゆっくりをテーマにごろごろします。
7日に23歳の誕生日を迎える唯生の面会にも、4連休のどれかに行こう。
外泊できず、家で迎えられない誕生日も3回目だけど、もうオトナだ、そういうこともある!

14年5月3日

GWも半ば過ぎ、4連休の始まりだ。
大内くんは咳込んでばかりだし、楽しいことはひとつも計画されていない、と言いたいところだが、実は、最終日に息子も含めて一緒に「岩盤浴」を堪能しに行くつもり。
旅行、とまでは言わないが、期待の持てるシチュエーションだ。

また映画やテレビを見てごろごろ過ごす。
これはこれで、いつもとは違う感じ。楽しい。

長丁場なので、これにて失礼!

14年5月4日

お墓を見に行って、真剣に買う気が増してきたので、大内くんに実家の事情を聞いてみた。
我々は入るつもりはないけど、本家のお墓というものがあるらしい。

私はまだ行ったことないのだが、大内くんの実家のお墓はすごく立派なんだそうだ。
「1メートル四方ぐらいの敷地に、墓石がいくつか立っている」んだって。
「でも、薄暗くって気味悪くって、あんなとこに入りたい人の気持ちがわからない」と言っていた大内くんだが、私はわかるような気がするなぁ。

お墓って、うちみたいに「生きてる人が生きてる間はお参りすればいい。永代供養が続く間だけでOK」って考えるより、「このお墓なら、私が死んで 何百年たっても残ってそう」って思える方が、死後の永遠を信じる人には心強いんじゃないかしらん。

ま、とにかく私は大内くんより先に死ぬつもりなので、お墓の面倒は大内くんがみてくれるだろう。
息子の代までは責任持てないし。
今度、買いに行くかなぁ。
友人へのメールに「お墓を買いに行こうと思ったけど、行けなかった」というふうに書いたら、
「『お墓を買いに行こうと思ったけど』というのはすごいセリフだね」と返事が来た。
確かに、一生に1度あるかないかの「買い物」だよ。家よりレアかも。

14年5月6日

GW最後の日、大内くんが咳喘息に悩まされっぱなしで買い物以外のお出かけができなかった恨みを晴らすように、息子おススメの「岩盤浴がウリのスーパー銭湯」に連れてってもらう。
風呂のたぐいは男女別々になってしまうので、私にはあまり楽しくないレジャーである面もあるのだが、調べたところでは「岩盤浴ゾーンは『岩盤浴着』を着たうえで、男女混合」なのだ。大内くんと一緒に入れる!

朝9時からなので、何でも早いのが好きな我々は8時に家を出る。
車の運転の練習をさせてもらえる息子は少し嬉しいらしいが、起きるのが遅くて、15分ほどの遅れ。
しかし、今から風呂に入りに行くのに、なんで朝シャワー浴びるんだろう?謎だ。

大過なく運転し、多摩センターの方まで。
息子が出遅れてくれたおかげで、時間ピッタリに着いた。怪我の功名。
タワー式の駐車場の車用エレベータの中に1人で入って行かなきゃいけない時は、降りてる父親をちょっと情けない顔で見ていた。何事も試練 だ。

無事車を駐車して、9時ちょうどに入場。
まずはお風呂に入ったが、広くてキレイでいろんなお風呂がある。時節柄、「菖蒲湯」もあったよ。
惜しいのは、映画「テルマエ・ロマエU」の公開を記念して、明日からは「古代ローマ風呂」が出現するらしい。1日早過ぎた。
どんなものなんだろうなぁ。

とにかく岩盤浴をしなくっちゃ、と岩盤浴着に着替えてお風呂を出たら、ちょうど大内くんに会った。
2人で2階のマンガコーナーから好きなマンガを2、3冊持ってきて(許されているのだ!)、薄いシートを敷いて、隣同士の岩盤浴に並んで寝る。
残念なのは、「おしゃべりが禁止されていること」と、岩盤浴の、石焼き芋を蒸すような石をもっと大きくしたような玉砂利がうるさくて、寝返りをうったり場 所を移動しようとするとものすごい「じゃりじゃりじゃりっ」という音がするところ。
それ以外は快適。快調に汗が出る。

途中で朝食抜きの息子が、
「腹へった。なんか食べたい」と言うので、岩盤浴着のまま、食事スペースへ。
いろいろある。
息子は蕎麦屋的なとこに入って、「カレーうどん」。
大内くんはお寿司。(5つしかなくて、とても少ないけど、足りるんだよなぁ、最近のこの人には)、私はざるうどん。
みんなでおいしくいただきました。

再び岩盤浴に戻って、大内くんはうっとりと、
「咳も出ない。あったかくて気持ちいい」と半分寝る構え。
私の方はと言うと、暑いのが苦手なので、すでに逃げ腰。
途中で2、3回水風呂につかりに行った。
大内くんがしっかりとなりの岩盤を確保しといてくれたし。

それでもやはり限界は来る。
2時間以上横たわっている大内くんに、小声で、
「この後、どうすんの?お風呂、入んないの」と聞くと、
「最後にシャワーを浴びるだけで充分。あと1時間ぐらいこうしていたい」。
家に岩盤浴がなくてよかったなぁ、と心から思いながら息子を探してうろうろしてたら、お風呂に行くとこをつかまえた。
「父さん、あと1時間ぐらいだって。2時15分にマンガのコーナーに集合」と伝える。

もうちょっとだけ岩盤浴して、あとはお風呂に入りに行った。
浴場もキレイで広々なので気持ちいい。
ジェットバスの水流は強いし、露天は適度にぬるいし、薬湯もあるし。
(私のひざに効くことを祈る)
サウナも広くてテレビも見られる。
あの、サウナ大好き大内くんが全然サウナに興味を示さないのは不思議だ。岩盤浴の魔力か。

ゆっくりいろんなお風呂を回って、合間合間に水風呂に入って(今日はさすがに気温も上がってきたせいか、ひざが痛くなかった)、髪を洗って身体洗っ て、浴槽でくつろいで最後は水風呂で〆る。
予定時間10分前。着替えの早い私なら十分間に合うだろう。

実際、渇いたのどをフルーツ牛乳で潤した大内くんと所定の場所で会ったのは2時10分。約束の5分前だ。
もう来てる大内くんもえらいが。

「息子に、全然会わないんだよ」
「私も、さっき集合時間を伝える時にずいぶん探した。結局、お風呂への通路で会ったから、お風呂に行ったんだと思うけど」
約束の時間になったので、大内くんがケータイをかけてみる。
「たった今、あがったとこだって。今から来るって」
結局15分ほど待たされたが、今日は運転手もやってもらったし、何よりこの素敵な施設を教えてもらったんだ、文句は言うまい。

5時間45分いて、6時間の無料駐車券が出て、なんだかとっても効率よく動いた我々。
帰りも息子の路上教習。
今日が無事に終わったら、車を貸してあげることも条件次第でOK、という大事な教習。
ルートとして唯生の施設へ曲がる交差点をまっすぐ行ってすぐなので、寄って行くことにした。
明日は誕生日だしね。

家で誕生日がやれなくなってもう3年か。
順調に回復していて、手術後は20キロになっていた体重が、27キロぐらいまで戻ったという。
私は、もう抱っこは無理かもしれないなぁ。
病棟の人たちからも、
「無理に外泊するより、面会を増やすとかしたら」という配慮のあるアドバイスをもらっているよ。
一考の余地はあるね。

さて、この面会だが、息子は帰りに、
「唯生ちゃんのすぐそばを通るから、寄って行こうか。明日、誕生日なんだ」と言われ、
「行ったらいいね。オレは車で待ってるよ」。
「うん、父さん母さんで行ってくるから」と車の中に残して、我々は面会。
もっとも、大内くんの咳喘息がひどくて咳込んでしまうので、、風邪ではない、とはいえ、早々に引き揚げた。
唯生、咳が治ったらまた来るから、待っててね。

車に戻ったら、中島みゆきをでかい音で聴いていた息子が、
「ちょっと、早くない?」と不審そうだった。
「父さんの、咳がひどいから、ちょっとだけにしといた」

何とか無事に家まで帰って、大内くんが、
「約束通り、これからは車使っていいよ。ただし、3日ぐらい前に『予約』してね」とか、他にいくつか約束事をケータイに送っていたみたい。

楽しかった。また行きたいな。
息子と親子で岩盤浴、ってのも悪くないね。
彼も、
「オレがヒマだったら、また行ってもいいよ」と機嫌は悪くない。スポンサーがつくからか。
それでも、いいとこ教えてくれて、一緒に行ってくれて、ありがとう。

14年5月7日

連休も無事開けて、さて、それぞれ初夏の勤勉さとか解放感で躍動してほしい。
なにしろ私は、この何もしないGWだけでくたびれ果てて、目が覚めたのが12時半。(明るい方ね)
同居人たちは勤勉に勝手に、それぞれの会社や学校に出かけたあとだった。がちょーん。

唯生は元気にしてるかなぁ。
今日で、23歳になるんだ。
昨日会いに行った時に、「お誕生日だね」と言ったらにっこりしたような気がした。
「お誕生日」と言うと、またにっこり。
もしかして、唯生の中では「お誕生日」ってすごくスペシャルな、いい響きなのかもしれない。
我々だって、ローソクを立てたケーキとかプレゼントとか脳裏に浮かんで、いいカンジになるよね。

唯生、もう1回大きな声で言おう。
「お誕生日、おめでとう!」

14年5月9日

ひざの治療のために鍼をやってもらいに行こうと駅前に向かって自転車で走っていたら、前方歩道で両手を振っている人あり。
昔は息子が、最近は大内くんがいろいろとお世話になっている塾の塾長だ。
こんな巨漢に気づかないで自転車こいでるんだから、私も危ないなぁ。

「大内さん、こんにちは!」と明るく言う塾長は、午前中にジムへ行く途中で、息子と自転車ですれ違ったという。
「さっきみたいに、手を振って挨拶したら気づいてくれたんですよ。大学へ行く途中だ、って言ってましたよ」
そうか、ちゃんと大学方面に向かっているか。
「元気?って聞いたら、元気です!って、明るかったですよ」
そうか、大学に行くのはそれほどイヤではないか。

「また、5月末か6月ごろに飲みましょうよ!」と言ってくれる塾長、近頃いいんだか悪いんだかよくわからない息子との関係について教えを乞いたいと思います。どうぞよろしく。

塾長と別れて鍼打ってもらった帰り道。
団地の横を通ったら、菜園にじょうろで水をやっている「おばちゃん」に遭遇。
また、「あら、大内さん!」と声をかけられる。
息子が小さい時からお世話になっているシッターさんだ。
今では半ば息子のおばあちゃんで、「うちの孫みたいなもの」と言って何かとかわいがってくれている。これまたありがたい存在。

「こないだ、テレビ見てたら映ってたのよ!」
どうやら、息子が早稲田界隈のお店に入ろうとしているところがテレビの取材にたまたま映っていたらしく、
「見たわよ〜!元気?」と思わず電話をかけてしまったらしい。
それに、「元気だよ〜」と答える息子もフランクだ。

少し世間話をして別れたが、いやいや、世の中には息子がお世話になっている人がたくさんいる。
そして、ちょっと駅前を走り回るだけで息子の情報が取れる取れる。
驚いた。

皆さん、これからも地域で仲良く元気にやりましょう。
いろいろお世話になります。ありがとうございます。

14年5月10日 

外出から帰ってきた息子が急に、
「車の運転したい」と言い出した。
大内くんが、
「いきなり『車貸して』はダメだよ。『3日前には承諾を得ること』って約束じゃないの」と言ったら、
「父さんたちも一緒でいいから。ツタヤまで、練習したい」って。

ツタヤに行き、ゲート式の駐車場でボタンを押して駐車券を取る、ってのを初体験し、駐車の練習。
今、いろいろ映画が観たい(そろそろこの字をあててあげよう)ようで、「メメント」「ヒッチコック」などを借りていた。
我々からの強いおススメは「グランド・イリュージョン」。
大当たりだったんだが、息子にはどうかな?

その後、さらにもう少し運転したいと言うので、車で10分ほどのドンキホーテまで。
また駐車の練習。
昔、教習所で「縦列駐車」をかなりしつこく教わったけど、今ではたいていの路側は駐車禁止なので、縦列駐車する機会はめったにないように思う。

夜中の12時過ぎのドンキはけっこうにぎわっており、何でも売っているので驚くよ。
炭を買ってるガテンなあんちゃんたちが数人。
明日、バーベキューでもするのだろうか。
楽しそうで、いいねぇ。

少し買い物をしてから、家に帰る。
マンションの駐車場に入れる練習。これは大事だ。

うちの両脇のスペースは、右側がタワー駐車場のコントロール機械、左は普通に居住者用の駐車場だが、なぜかいつも別の車が停まっており、また、朝から夜まで、必ずいない。
大内くんは、
「車のディーラーをしてる人が、商売物を停めてる」という意見。
それぐらいしか、考えつかないよね。

さすがに今日はもう夜中なので、車がある。
気をつけてくれ。
言うのも恥ずかしいが、私はもう2回もそこんちの車の横っ腹にぶつけて、平謝りに謝って保険で修理しているのだ。
寛大にかまえてくれるのにも限界があろう。「仏の顔も3度まで」だ。
このうえ息子がぶつけたら・・・もう、どうやって謝ったらいいのかわからない。
いつもいないので、かなり助かってるんだが。

助手席の大内くんも窓をいっぱいに開けて顔を出し、「大丈夫、まだいける。ハンドルを大きく左に切って。はい、戻し始めて」とか言ってアシストしてる。
なんとか駐車終了。
今夜の教習では、やはり「駐車に難あり」ということがわかった。
「車が今、どういう状態なのか、がわかってないみたいだね。慣れだよ、慣れ」と車庫入れのうまい大内くんは言うが、いやー、やはり空間把握能力とかの点で、私の遺伝なんじゃないでしょうか。
「運転そのものはわりとうまい」らしい。

息子言うところの「おいしい紅茶いれて」のロイヤルミルクティーをみんなで飲み、ひと息ついて、我々は寝た。
もう1時近いんだもん。
思わぬところで息子と交流してしまった。
ドンキで買い物した荷物を大内くんと2人で持ってくれて、私に持たせようとはしなかった、その点だけはオトナになったかな。
駐車はまた練習しましょう。

14年5月11日

唐突だが、ゆで卵はウマい。
ゆでて塩をかけただけなのに、どうしてこんなにウマいんだろう。

家の近くに名古屋資本の「コメダコーヒー」の支店ができて、いつ行ってもすんごく混んでる。大繁盛。
朝の11時までに行くと、コーヒーにゆで卵とバタートーストが自動的についてくる、「モーニング」形式だ。

そこで食べたゆで卵がおいしくて、家でも作ってみたら、当たり前だけどおんなじぐらいおいしかった。
大内くんは、
「殻があんなにキレイに剥けるようにゆでるのは難しい。ゆでた後、冷やすのがコツなんだと思うけど、いまだにちょうどいい加減がわからない」とこぼしていたよ。
 興味深いのは、私がコドモだった40年前から、卵の値段はほとんど変わっていないという点。1個10円ぐらい。
今でも安売りの時は10個パックが100円で買えるからねぇ。
つまり、昔は高級品だったのだろう。

私の座右の書、「糸井重里の萬流コピー塾」のお題が「卵」だった時、
「意外に思われるかもしれませんが、卵は今でも1個1個にわとりが産んでいます」というのがあった。なかなかナイス。確かに盲点だ。
(「生卵が効かないんじゃない。おまえが松坂慶子じゃないからだ」というのは少し下ネタだが、松坂慶子が大好きな大内くんは喜んでいた)

そう遠くない過去に、「ゆで卵ダイエット」ってあったような気がする。
特定のものしか食べないダイエット、ってよくあるよね。バナナとかリンゴとかキャベツとか。
たった今の私は、
「ゆで卵ならいけるかも!」って思ってるけど、きっと3日で飽きるんだろうなぁ・・・

14年5月13日

「じゃりン子チエ」全67巻に疲れ、荒川弘版の「アルスラーン戦記」を読んでついでに原作の田中芳樹を読み返して、やっぱりこれは小説の方がいいな、と思いながら、インタビュー番組に触発されて藤子・F・不二雄の「SF短編集『カンビュセスの籤』」を読み、SFといえば星野之宜だよな、と「2001夜物語」を。
ああ、読む物が無限にあるって、なんて幸せなんだ!

「じゃりン子チエ」に戻れるのはいつだろう。
現在17巻。先が長い。
何度も「読み始めて」いるこの名作、最後まで読んだことがあるんだろうか?

今、読書欲が高まっていて、読みたい本がどんどんたまっていく。
時間はあるのでいくらでも読めそうなものだが、難点は老眼。
特にタブレットで読んでいるせいか、疲れやすい。
こういう時に「目薬」のCMなんか見ると買っちゃうんだよね。

「アルスラーン戦記」第1巻が発行されたのが昭和61年8月。もう25年以上前だ。
いまだに終わっていないこのシリーズ、作者はあとがきの中で「エンドレスな物語ではないので、最終巻まで書きます」と言っているんだけど、終わらないねぇ。
50歳の坂を越えたら、やるべきことはやっておかないと、いつできなくなるかわかんないよ、と田中芳樹に言いたい。
何より、私が終わりまで読みたいんだ。

荒川弘には「銀の匙」でお世話になっている。
ストーリー構成力のある人なので、原作つきではいささか惜しい。
オリジナル作品を描いてもらいたい。

藤子・F・不二夫は、分厚い愛蔵版で3冊もあるのでまだ当分楽しめるけど、これ読んでると「SF」はほとんど言い尽くされてる感があるよ。
2巻の「みどりの守り神」に出てくる「氷のカタマリにエンジンを埋め込んだ宇宙船」、宇宙空間では氷は溶けない、という説明まで田中芳樹「銀英伝」の「建国の父、ハイネセンが作った宇宙船」と同じなんだが、どっちが先なんだろう?
両方とも同じタネ本に触発されてる、という可能性もあるし。

人類が老化していく、という文明観には完全に同意する。
宇宙に対するあこがれをはじめとする冒険心みたいなものが、ここ数十年どんどん衰えてると思うもの。
私が老化しただけかとも思ったけど、少なくとも現代日本人は文化として老化してる気がするよ。
やがて、地球規模で文化的衰退期が訪れ、完全に停止する時、それは、とりあえず「現在の地球文明の死」なんだろう。
大内くんと話してる限りでは、地球文明はすでに何度かこの「死」を迎えている、という仮説を立てているんだ。
今んとこ、南極を掘ってみたら氷の底から何かが出てくる、と予想してるんだけど。アトランティスとか。

14年5月14日

あいかわらず藤子・F・不二雄を読んでいる。
あの絵なのに、星野之宜よりSFなんだからなぁ・・・星野、もうちょっと頑張れ。

洗濯しようと、枕元のケータイで天気予報を見る。ついでにFBをのぞいて。
これって、すでにドラえもんの世界じゃないかなぁ。
手元にパソコンおいてるようなもんだし、どこにいても人と通話できる、ってのは、ウルトラ警備隊時代にコドモだった人全員のアコガレだったはず。

1987年に出た島田壮司の「御手洗潔の挨拶」の中で、名探偵御手洗は、腕時計を持っていないことをからかわれて、時間を教えてくれるだけの機械に興味はないと言い返している。

「僕の左手をふさぐ気なら、その十倍程度の機能は当然持つべきだ。たとえばFMを聴かせてくれる、テレビを観せてくれる、友人の電話番号を教えて くれる、ついでに目の前の男が、単なる口八丁のプレイボーイか、それともいっぱしのコソ泥であるかなんてのも赤ランプの点滅で教えてくれるとありがたい」

ケータイは、ここに並べられたうち、最後の機能こそ持っていないものの、それ以外は完全に満たしたうえ、電話もかけさせてくれるのだ。
自分が生きている間にこんな時代が来るとは思わなかった。
特にスマホにして、人生観が変わったような気がする。

で、あんまりSFSFして息苦しくなると、田中芳樹の「アルスラーン戦記」に戻ります。
架空の国の大歴史ロマン。古代ペルシアを想定してるんだそうで。
ちょっと血なまぐさいという点をのぞけば、悠揚たる気分にひたれる。
SF読んでると、頭の中に広大な宇宙と無限の時間が広がりすぎて、自分が無に思えてくるところが、身体に悪い。

現実の私はお洗濯。
だいぶ洗濯物が乾きやすくなってきた。いい季節だね。

14年5月16日

寝る前に寝室で大内くんのiPodを聴いていたら、坂本九が歌う「新八犬伝」のテーマが流れてきた。
「ああ、これ、好きだったなぁ」と遠い目になる大内くんである。
一方、私は観てなかったせいか全然なつかしくなく、「いざとなったらタマを出せ」の歌詞で吹き出してしまうのみ。
これで笑ってしまうのは不謹慎なのかもしれないが。

坂本九という人は、日本人の貴重な財産だった。
全日空の事故で亡くなってしまって、心から惜しい。
3.11の時に、「上を向いて歩こう」が日本国民の最大のメッセージ・ソングであると思い知った。
私は、「見上げてごらん夜の星を」も好きだ。

昼間1人でいる時は、自分のiPodで「中島みゆき」「さだまさし」「谷山浩子」をよく聴く。
これらの曲は、昼寝しやすい。
(アルフィーとか聴くと、興奮して眠りにくい)
夜は、大内くんのをシャッフルで。
時々、本人にも何でこんなの入れたんだろう?と思うようなものもあるらしい。

CDの時代に比べて、iPodは夢のように便利だ。
それとか、高校時代の友人から彼のおススメ曲が200曲ぐらい入っているUSBメモリをもらったが、チョー便利。
「素人さん向けに編集してあるから」とのことで、かなり楽しませてもらっている。
この友人とは、急逝してしまった別の友人を偲ぶ会で毎年顔を合わせるので、次に会う時に「玄人さん向け」のものをリクエストしておいたら、水木一郎が延々入ってるやつをくれた。

でもさ、高校時代に親しくしてたけど、フツーの人だったよ。
マンガを読むでもアニメを見るでもなく、ひたすら読書家で、よく哲学について語ったものだ。(あくまで高校生の実力の範囲で、だが)
それが、30年ばかりたったら、堂々たるオタクとして再登場。
「びんちょうタン」がカワイイとかメイド喫茶が楽しいとか涼宮ハルヒがいいとか、高校時代の彼を知ってる者としては開いた口がふさがらない。
もう哲学書は卒業して、ラノベ一辺倒らしいし。

あと、亡くなった友人はアニメーターだったが、仲間内にもう1人アニメーターがいる。
それに、中学の時の友人女性が、さほどアニメ好きとも見えなかったのだが、名古屋の短大を中退してアニメーターになるために上京し、しばらく仕事してた。 (現在は消息不明)
大内くんにとっては、 「親しい友人にアニメーターが3人もいる、ってのは多すぎる。美大で会った、とかいうわけじゃないんだから。普通の中学生や高校生が、どうしてそんなことになってしまうんだ?!」と驚きの対象らしい。
私は慣れてるから驚かないけど、そうか、アニメーターってのは、知り合いに1人いるかいないかぐらいが普通なのかもなぁ。

ただ、現在もアニメーターをやってる友人は1人しかいない。
亡くなる人あり、消息不明になる人あり。 もしかして、アニメーターって苦労しすぎ?

宮崎駿はどうしてあんなに元気そうなんだ!?


14年5月17日

最近、意図的に「夜更かし」とか「徹夜」をするようにしている。
朝の5時ごろ、起きてきた大内くんと少し話をし、7時ごろに寝て、12時までは眠っていたい。

なぜかと言うと、大学3年目に突入した息子が、最近ものすごく真面目に講義に出るようになったから。
いや、家を出ているだけで、本当に大学に行って講義を受けてるかどうかはまた別の問題としても、画期的なことには、1人で目覚ましで起きるようになったのだ。

起き始めるのはたいがい9時ごろからで、長い時はそこから1時間以上かかり、うっかり起きているとその間に起こしたくなってしまう。
彼の方でも、いったん親が介在し始めると、「イイや、起こしてもらおう」と思って、例の不毛な「あと5分」「あと3分」の世界に突入してしまい そうで。

なので、その時間帯はなるべく寝ているようにして、12時頃に起きると、家の中にはバンザイ誰もいない。
その気になれば大学に行くぐらいは何でもないのだ。
大内くんも私も、一向にその気にならなかったのが問題だったわけで。

息子には(今さら遅いかもしれんが)、地道に大学行って授業受けて単位を取って卒業してほしい。
今度また外でのお笑いコンテストの予選を通過してしまった彼で、学業よりお笑いの方が成績よかったらどうしよう・・・

今朝は、起きたら食卓の上に大内くんとの伝言用に使っているマグネットボード「せんせい」が出ていた。
磁石のペンで書くと、鉄粉が浮き上がって文字が見えるもの。
息子が幼児さんの頃から使っているのだが、それに、
「今日、明日と飲み会があるので8000円借ります」と書いてあった。笑えた。
コドモって、親とか家の習慣を、当たり前のように踏襲する時あるよね。

息子は、お金に関してなかなかキレイというか、潔癖だ。
今のところ、親の財布から金を抜いたこともなさそうだし、バイトを辞めて以来おこづかいは全部借金で45万円にも上っているが、毎度、
「すんません、お金貸してください。バイト料はいったら返しますから」と低姿勢。
彼が日常で一番低姿勢なのは、この「おこづかいをもらう(借りる)時」だろう。

今は渋谷の映画館でバイトしているらしいのだが、続くんだろうか。
借金完済の日は、来るんだろうか・・・

14年5月18日

日曜は、井之頭五郎の行った食堂で、大内くんは日替わり弁当(豚肉のオイスター炒め、 ライスは「やや盛り」)、私は「オムライスとハンバーグのワクワク セット」というお 昼を食べて、スタバでお茶。
天気がいいからか、外のデッキは満員御礼状態なのに、気に入りの中のカウンタ席は空いていた。ラッキー。

スタバのカウンタ席でラテをすすりながらお客さんを見るのが大好き。
でも、最近、やたらに赤ちゃんに目が行ってしまう。
「半年ぐらいかね。まだつかまり立ちだね」
「あの子は3か月ぐらいかな。まだ若いね」
「あそこでお父さんに抱っこされてる赤ちゃんは、本当に若い。生後2週間ぐらいかもしれない。あんなに小さい子が外出してるのは珍しいね!」など と、赤ちゃんウォッチングをしてしまう。

これは、要するに息子が生殖年齢に達したので、我々の本能が「次の世代」を求めている のではないだろうか。
現代日本では人間の本能は抑圧されており、コドモは成熟するのに時間がかかり、ぶっちゃけた話、「生殖できる歳」になったからと言って生殖できる というもんでもないのは、皆さんご存知の通り。
でも、自分の加齢をよく知っている我々の肉体は、「そろそろ孫の顔が見たい」と主張しているのだ。 そうとしか思えないよ。

スタバを出たところで、珍しく別行動。 大内くんはブックオフに行き、私はユニクロでTシャツを買う。
自分用にスヌーピーの、息子用に「ONE PIECE」のものを。 もし息子が気に入らなければ、大内くんが着ると言う。
「チョッパーなんだけど」と言ったら、「僕はチョッパーが大好きなんだ!」って。

家に帰って息子のタンスにチョッパーを放り込んでおいたら、風呂上りに黙って着てた。
でも、その後着ないので、気に入ったのか入らないのかわからない。
Tシャツ1枚でも難儀なことだ。 早く孫の顔を見せろ。
「でき婚」にはやや反対の私なので、さっさと結婚の話を進めること。

14年5月19日

「家の廊下」で、突然、転んだ。

いや、寝不足でふらふらしてるところでいきなり足がもつれて、そのまますっ転んで壁に背中を強打したのよ。
洒落じゃなくって、「老化の始まり」だろうか。
打った背中がずきずきする。

まさか背骨が折れちゃいないだろうなぁ、と思いつつ、高3の柔道引退時に肋骨にひびが入った経験者、息子に聞いてみる。
私「ねえねえ、母さん、転んで背中打ったんだけど」
息子「転んだ?どこで?」
私「家の廊下」
息子(冷ややかに)「もう、おしまいだな」

いや、それはわかってるんだ。人間として、おしまいが近いよね。
でも今は、とりあえず背骨のことを聞きたい。
私「昔、肋骨にひび入った時、痛かった?」
息子「痛かったよ」
私「背中側なんだけど、背骨が折れてる、ってことはないかねぇ」
息子「背中やってたら、今頃そんなもんじゃすまないぞ。死んでるな」

ごもっともなので退散し、帰ってきた大内くんに事の次第を訴える。
「それは、医者に行った方がいいよ。どんなふうに痛いの?骨?」
そう聞かれても、経験のないことだから、何と言っていいかわからない。
「骨って感じじゃないんだけど・・・敢えて言うなら、『肉離れ』って感じかな。やったことないからよくわかんないけど」
「とにかく、明日、病院行ってね!」

強硬に言われたので、おとなしく近所の病院に行こう。
この病院は、整形外科にくわしいので、レントゲンでも撮ってもらえばすぐにわかるだろう。
最近、ひざの関節炎がわりと調子いい、ってことも言わなくっちゃ。

14年5月20日

というわけで、朝一番で病院へ。
ところが、開く前から行って並んでようと思って8時半にかけたつもりの目覚まし時計、うっかり「9時半」にしちゃったよ。

で、目覚ましの音で飛び起きて、寝ている息子に、
「母さん、病院行くから。大学自分で起きて行ってよ!}と出がけに声をかけたら、ベッドの中から眠そうに、「だいじょぶ」と答え、また布団にも ぐってしまった。
これ以上かまってるヒマはない。

行ってみると病院はもう開いており、「おかしいな」と思いつつ受け取ったのは「15番」という番号札。
まだ9時前なのに、どうしてそんなに番号が進んでるんだ?と時計を見て初めて、自分が完全に1時間間違えていたことに気づいた。
それでも3人待ちだったのでほっと胸をなでおろす。
いつもだと、出遅れると相当待つんだ。
今日は、神さまが味方してくれたみたい。

15分ぐらいののち、呼ばれて診察室に入ると、いつもの先生。
事前に書いた問診票を読んで、
「ん?なに、今日は、背中なの?ハイ、背中出して」と言って私の背中を数カ所どんどんっと叩き、
「ここは痛い?ここは?」と聞いたかと思ったら、
「じゃあ、レントゲン撮ってみよう!」。
あいかわらず仕分けの早い先生だ。

レントゲン撮ってもらって、またすぐ呼ばれる。
最近のレントゲンは現像がなくって、そのままモニタに出るので、時間が大幅に節約できるのがいい。

先生はレントゲンを見て、
「骨じゃないね。捻挫かな・・・おやっ・・・ああ、やっぱり肋骨にひび入ってるね」と言う。
一瞬、大安心したのに!

胸に巻くコルセットの簡易版みたいなのをもらって、
「1週間ぐらいは痛むけど、ひと月ぐらいで治るよ。1週間たったら、もう1回僕に診せに来て」と言われつつ、ついでにひざも診てもらい、
「水もあんまり溜まってないし、いいね!体重落としてね」と言われた。
「7キロぐらい落ちたんですけど」
「じゃあ、あと3キロか5キロ、頑張ろう!」と励まされてしまった。

診察室を出ると、わりとすぐにお会計。
今回はコルセット代が入ってるので少し高い。
薬局に行って処方された痛み止めと湿布薬をもらい、今日の用事は完結。

そうか、やはり骨か。
治るものだし、数週間のガマンだからかまわないけど、何もないところで転ぶかなぁ、普通?
大内くんにも大いに心配されたし。
頑張って早く治そう。

14年5月21日

先日、風邪のあと咳が止まらなくなり、「咳喘息でしょう」と言われた大内くんは、どうしても診断に納得いかないと言う。
「ネットで調べたけど、『マイコプラズマ肺炎』の可能性が高いんじゃないか?」と考えているらしい。
まあ、どっちでもいいじゃない。
もう治ったんだし、息子にも私にも伝染しなかったんだから。

これは、「濃い接触感染」で染るもので、家庭や学校で伝染しやすいらしい。
時々、大学など若い人たちの間で大流行するとか。
今、流行ってるのか?
息子が家に持ち込んだのか?
息子自身は、本当に大丈夫なのか?

14年5月24日

「休日講座」とは、年に1回、大内くんが近所の公民館の会議室等を借りて、学生時代のマンガクラブの面々から講師を募り、趣味や仕事の話をしてもらう、まあ、勉強会 といった位置づけ。
始めてからもう15年ぐらいになるか。当初は年2回の開講だったが、皆さん多忙になってきたのと講師が払底する恐れから、8年ぐらい前からは年1回、細々と行っている。

もともとは芸大を出た友人が卒論に書いたという「ジャポニズムの話」を聞いていて、大内くんが、
「これをみんなで聞かないのは惜しい。勉強会形式にして、発表してくれませんか?」と頼んだところ、
「まあ、聞く人が数人なら」という感じで承諾してもらえて、でも、フタを開けたら10人ほどが集まる大講義になってしまったの。
おもしろかったなぁ。

幸い、友人たちには仕事でも趣味でも一家言ある人が多く、今日まで講師を途絶えさせずにやってくることができた。
ちなみに、去年はお茶室のある施設を借りて、お茶を習っているキャリア30年のマンガ家さんが「お茶講座」をやってくれた。
今年は、IMFの一員として国連パスポートで世界の紛争地域を縦横に駆け回り、少なくとも日本語と英語とフランス語はぺらぺらであろう銀行の人、 それから、会うたびに名刺が変わる謎の男で、現在は投資関係の仕事をしている人の「自衛隊話」。
学生時代から武器オタクではあったが、何をどうやると、自衛隊のヘリに乗れるのか。
堅いような柔らかいような、奇妙な2時間半でした。

私は生まれてこの方、人をえらいと思ったことがない傲慢な人間なのだが、IMFにはまいった。
3カ国語以上を自由に操るところも完敗だし、各国のエライおっさんをつかまえて、「こいつは、ホントいい奴なんです」だの「やな人でしたね、実際」 などと両断するのを聞いてると、こういう人が日本を動かしてるんだなぁ、って、素直に思える。

自衛隊オタクの方も、好きなものにはいろんなルートからの触り方ってものがあり、彼は、防衛大に行くとか防衛庁のキャリアになるといった「触り方」も充分にあると思いつつ、より自由な立場から、戦車に触ることを選んだわけだ。
こういう人は、陰から日本を動かすのかな?

同じ会に来ていた某男性は、昔から宝塚が大好きで、いかんせん男の身の上では入団はままならない。
彼はどうしたか。
大学名と実力にモノを言わせて阪急電車に就職し、通常の業務を有能にこなしながら延々「宝塚に行きたい」という社内希望を出し続け、10年以上かけてその座を勝ち取った。
これなんかも、「好きなものにはいろんなルートからの触り方がある」という良い一例だろう。

まあ、そんな油断のならない人々を10人以上集めて講座を開いた揚句、徒歩5分ほどの我が家に移動して「反省会」。
実体は、持ち寄った酒や食べ物をむさぼりながらおしゃべりを楽しもう、という趣旨で、今回は、テーマが堅いのでお客さんが少ないかと思いきや、家 に集まったメンツは我々を入れて14人。これまでの最多タイ記録だ。
いくらうちのリビングをホームパーティーがしたくて広く作った、とは言え、キャパシティギリギリな感じ。
持ち寄りのチーズやワインを開け、自衛隊オタクの持って来た「ミリ飯」(ミリタリー・ごはん、ってことでしょうね)も披露され、我が家が用意したサラダ、タンドリーチキン、ハヤシライスはあっという間に売れてしまった。
(実際、私はタンドリーチキンをひと切れも食べてない。売れたってことはそこそこおいしかったってことで、味見は不要かもだが)

ハヤシライスなんてねぇ、3箱分作ったんだよ。
普通の、ご家庭で使うハウスとかのルー使って。
おそらく、合計24皿分は下らないと思う。ごはんも8合以上炊いたし。

お酒は皆さんの持ち寄りが豊富過ぎたか、と一瞬青ざめたが、事が終わってみたら、カウンタの上に1ダース以上のワイン瓶の空きビンが並んでた。
私みたいに飲めない人もいることを思うと、1人、軽く1本は飲んでる。
食卓コーナーとソファコーナーになんとなく分かれて座ってそれぞれ盛り上がっていたけど、最後の方はもう、床の上に座る人も出て全体が緩やかな円になって話題を共有してて、変な宗教団体みたいだった。

ああ、やっぱり学性時代の友達はいいな。(正確に言えば、私は少し年上でOLだったが)
おのおの家庭を築いたり築かなかったり、コドモを持ったり持たなかったり、いろんな違いはあるけど、それをぶっ飛ばして昔に帰れるのが本当にありがたい。

一夜明けてゴミを出しながら、大内くんは、
「いやぁ、ホームパーティーをたまにしないと家の隅々が汚れていくね。『お客さんに見せられる家』が一応の目標だから、今回も目標クリアでよかったよ。みんなも楽しんでくれたようだし、僕らも、楽しかったね!」と言っていた。同感だ。

ただし、酒ビンの量に関しては、寝る前に一応ビニール袋にまとめて玄関に置いといたところ、夜中に帰ってきた息子がちらっと目を走らせて、
「いったい、何人来たの?ずいぶん飲んだねぇ」と半ば感心半ばあきれていた。
「今日、父さん母さんの友達来てパーティーやるよ。あなたも早く帰れたら参加したら?映画監督のN瀬くんとか、ゲームデザイナーのN口さんとか、 あなたの好きなデザイン関係のI原さんとか、そのほかにももう、IMFのエライ人とかワイン世界一の人とか無茶苦茶いろんな人が来るよ。少しは見聞を広めたら?」と言ったら、最近、「芸能関係」「ただのサラリーマンではない自営的な才能のある人」に興味があって仕方ない彼ではあるものの、 やはり親の友達と会う、というシチュエーションには引くものがあるらしく、
「そのうちまた、機会があったら」とつぶやいて出かけてしまい、夜中まで帰ってこなかったよ。

まあねぇ、お客さん各位も、ついこないだまでつっころばしたらぴいぴい泣いていたような代物が、いつの間にか体重78キロで現れたら、覚悟が必要だよね。
私自身、「息子はもう高2です」の声を2つ聞いて、
「えっ、あの、レゴの箱をぶちまけてその中に乗ってそりごっこをして新築の我が家のフローリングを傷だらけにしたあの子たちが、もう大学受験近いの?!と心から底から驚きました。
そうだよね、築2年の家であれをやった5歳児コンビは、もう17歳だ・・・

そんなふうに時の流れも感じつつ、気力体力が続く限りこの企画を続けて行く所存の大内くんなので、皆さん、よろしくお引き立てのほどを。
講師のお2人、観客の皆さん、本当にどうもありがとう。

余談その1:自衛隊オタクが持ってきてくれた「ミリ飯」の米軍版には、チョコレートやガムも入っていた。
こういうふうだから、この人たちは戦争に勝っちゃうんだよなぁ、と思いつつ、私の目に留まったのは、高さ3センチほどの「タバスコのビン」。
ラベルもちゃんと印刷してある。
ミニチュアモノが大好きな私は喜んで、あとで写真を撮ろう、ホンモノと並べたらいいかな、といろいろ考えていたのだけど、片づけのどさくさに、大内くんがすべて捨てしまった。Oh, My God!

余談その2:全員が帰ったあと、ちょっと残ってお茶を飲んで行きたいと言う女性のお相手をしていたら、我が家にスマホを忘れた、という男性から電話。
(仕事用のスマホで、その電話は個人用のガラケーからかけていたそうな)
この人がまた、大変な方向オンチで、私は、生まれて初めて自分より方向オンチな人を見た。
大内くんが電話で誘導してもしても、何度もうちのマンションの前を素通りしてしまう。
遂にたどり着いた時は、その女性と拍手喝采をしてしまいましたね。

玄関先で彼を迎えた大内くんは、
「もう、こうなったらお茶を飲んでってください!」と半ば強引にお茶会に招じ入れ、そこからは彼の専門のビールの話等で大変盛り上がりました。
デザイン関係の彼女にも参考になったんじゃないかな。

週バスの時間になったので、いささかあわてて辞去した2人、今度は女性の方が着てきたジャケットをコート掛けに忘れて行った。
うちって、ブラックホール?
また今度彼女に会う口実ができて嬉しいけど。

以上、「休日講座」顛末記でした。

ちなみに来年の講師ももう決まっていて、長いこと合気道とヒップホップダンスをやっている男性が軽く教えてくれるそうです。
「スポーツ系」の講座は初めてなので、大内くんは、
「汗をかいたらどうするんだ。女性陣の着替えは?化粧直しは?私にそういうものがいらないからって、女をなめてない?企画不足!」と怒られております。

14年5月25日

今期のドラマは面白いのが多いが、中でもこれは、相当面白い。「ルーズヴェルト・ゲーム」
まあ、半沢直樹の焼き直し(原作者同じ)だとかサラリーマンものと野球ものがミスマッチだとか、いろんな意見はあろうが、我々にとっては御大山崎努が出てきてしまったところで、もう相当文句は言いにくい。

しかしなぁ、江口洋介と唐沢寿明は、昔、「愛という名のもとに」というトレンディドラマの中で鈴木保奈美を奪い合っていたのに、保奈美はとんねるずの石橋にとられたのでやけになって会社のトップ争いをしているかのようだ。
この2人がこんな脂っこい役をやるようになったなんて、自分も年を取るはずだよ。

企業ものと野球もの、両方が面白くてたまらない大内くんは、毎回のたうちまわりながら見てる。
でも、いち派遣社員の進退が社長室で語られるとか、どこか半沢直樹ですね。
4回まで見てきて、私が一番感動したセリフはこれ。
大手電機メーカーの社長が、吸収合併に失敗した下請けの社長に怒って、こう言う。

「私とあんたでは、金という言葉の意味が540度違うんだよ!」

うん、180度では弱いし、かと言って360度違う、って言っちゃったらくるっと回っておんなじになっちゃうし・・・決死の空中1回転半。
しみじみいたしました。

今後も、「花咲舞が黙ってない」(これも池井戸くんだよ。どんだけもうかるんだ?!)、「ブラック・プレジデント」「SMOKING GUN」「「オレのダンディズム」「MOZU season1 〜百舌が叫ぶ夜〜」(始まる前からシーズン1、って、どいだけ自信があるんだ?)などを見る予定ですが、今はとりあえず「ルーズヴェルト・ゲーム」に夢中。絶対どれか落ちるよなぁ。

14年5月27日

大内くんには、アメリカ人の従姉がいる。
元々は日本のコドモだったところを、両親の仕事の関係で小学生の頃にアメリカに渡り、そのままアメリカ人と結婚してしまった、DNA的には日本人、しかし国籍はアメリカ人、日英ペラペラのバイリンガルなのだ。

我々の結婚前に何度か会ったことがあって、今年の春に、ピクサーのエンジニアをしているダンナさんと3人のコドモを連れて日本に来た時にも夫婦で会ってきた。
日本語が完全OKだから、減退した私の語学力でも困らなかった。
ダンナさんは「日本語少し」なのでかなり困った。下の子たち、5歳の双子はこれまた日本語が達者で助かったなぁ。
中学生のお姉ちゃんも「日本語少し」なのかな。あまりしゃべらなかったから私や大内くんの英語でも何とかなった。

その従姉が、たいへんいい人で、時々寄こすメール(完全英文なので、読むのも返事を書くのもひと苦労)でしょっちゅう、
「アメリカに遊びに来て。いくらでも泊めてあげる」と言ってくる。
本当にいい人なんだ。

そして彼女は書いてくる。
「この間は息子さんに会えなかったので、大変残念だった。ぜひステイしに来てほしい。夏休みにでも、ひと月ぐらい来ないか」
その話を息子にしたら、けっこうその気になったようで、9月いっぱいの夏休みの、3日頃に大学の「お笑いサークル」の繁忙期(コンテストが多いのだ)が終わるので、
「3週間ぐらい行こうかなぁ」と言い始めた。
向こうは完全にその気だし、「友達を連れてきてもOKだ」と言っている。
息子も、1人で行くか友達を誘うか、ちょっと考え中らしい。

この件に関しては、親とその従姉に感謝してほしい。
夏休み、お金を払って海外にホームステイしに行く大学生は大勢いるだろうが、親の親戚がアメリカにいて、しかも日本語にも困らない、というのは相当な幸運なんだ。
なかなか普通はないシチュエーションだよ。

向こうさんに迷惑をかけるのではないか、息子が3週間もいなかったら寂しくてたまらないのではないか、ちょうど彼が帰ってくる頃に我々は10日以上のイタリア旅行に行ってしまうのですれ違いになるのではないか、等、心配事は数限りないが、実現したらかなり嬉しい話だね。

英文のメールを書くのにいちいちスゴイ苦労をしてるので、大内くんに、
「お金がかかってもかまわないから、従姉のケータイに直接電話をかけて、日本語で打ち合わせをしてはどうか」と進言してるところ。
細かい日時を決める段になったら、記録の残るメールの方が便利だけど、
「是非お世話になりたいと思っている。今、友達を誘うかどうか考えているので、もうちょっとだけ待って」というすり合せの段階では、どうも日本語の方が楽な気がする。

なにせ、メールを書く段になると、必ず双方が、
「会社の仕事で外人と会ってるくせに」
「あんなに英語教育をする大学に行っていた人が」
と相手に押しつけ合ったあげく、個人攻撃にまで発展しそうな勢いなんだ。

でもホント、息子が海外でいろんな経験をしてくれたら嬉しい。
従姉は、いろいろ楽しい計画を立てて彼を迎える準備をしてくれているようだし。
家事の手伝いをしながら、外人と接する大学3年の夏。すばらしいじゃないか。

そもそも、息子はわかってないようだけど、社会人になったら「数か月のバケーション」なんてものは、退職しない限り訪れない。
大学生って、ものすごくいい身分なんだよ。
感謝して大事に使ってほしいなぁ。

皆さんも、この企画がうまくいくよう、お祈りしていてください。

14年5月29日

タンドリーチキンは私の得意料理のひとつだが、息子の大好物でもある。
今週も、5日目ぐらい漬け込んでおいたものを焼いて大内くんと食べ、夜中に帰って来る息子にも残しておいてあげたら、帰るなり、
「今日、タンドリーチキンだったんだろ?食いたい!」と来た。
確かに、朝、大学に行く時に、
「今晩はたぶんタンドリーチキン」と言っておいたんだ。よく覚えてるなぁ。

息子が夜食を食べている部屋に大内くんが用事があって行ったら、「チョーおいしい!」と言いながらガツガツ食べていたそうだ。
作った人間としては、相手が喜んでくれるのは嬉しいものだね。

飽きっぽい息子なので、大切なメニューを使いつぶさないよう、2、3カ月に1回ぐらいしか作らないようにしている。
これまた彼の大好物「鶏もも肉の香草焼き」も、同様にローテーションを慎重に見てる。
どこの親も、こんな苦労をしているのだろうか。
そりゃあ、私は確かにレパートリーが少なく、しかも気に入ると同じものを何日も続けて食べたりするタイプだが、もうちょっと「食べさせてもらって る身」という気分になってくれないだろうか。

そう言えば、もう2年以上、週末の夜は大内くんと「水餃子」を食べ続けている。
もちろん息子はとっくに離脱し(3週目ぐらいで怒り出した)、彼がいない日を見計らって作っているのだ。

ちょっと申し訳なくなって、大内くんに、
「こんなに水餃子が続いて、大丈夫?」と聞いてみたら、
「全然大丈夫!自慢じゃないけど、僕は食べ物には飽きないよ。水餃子は肉・野菜・穀物を含む完全食だし、もう永久に今のペースでかまわないよ。中国の人は毎日食べてるんだから!」と頼もしい返事。

それにしても、世の中の主婦の方々は、毎日どんなごはんを作っているのだろうか。
私には料理の才能がない。
大内くんはスゴイんだけどね。
ダンナさんより料理が劣る妻・・・情けない。

14年5月30日

昨日、「まだ帰ってこないかなぁ」と何気なく大内くんのケータイに電話したら、胸ポケットの中で知らないうちに「通話状態」になったらしく、
「もしも〜し!」という呼びかけに答えはなく、代わりに接待の席上での大内くんの声が聞こえた。
どうやら、何かのはずみで「電話を受けた」状態になったらしい。

面白いから10分ぐらい聞いていたら、
「やはり、グループ会社として部下の育成を」とか、「弁護士の先生にお世話になって」とか、ほとんど大内くんがしゃべってた。
これが接待というものか。

やがて、「終わったから今から帰るよ」と電話してきた大内くんに、
「弁護士の○○さんにはお世話になってるみたいね」と言ったら、大驚愕して、
「どうして・・・もしかして、ケータイつながっちゃってた?!」と言う。
うん、悪気はないけど、聞いちゃったよ。

「そのことは言ってくれるな。僕はもう、恥ずかしくて、穴があったら入れたい気分だよ」
これは、言い間違いなのか下ネタのジョークなのか。
とっさに判別はつかなかった。

11時半ごろ帰ってきた彼は、本当にもう恥ずかしそうで、
「外での僕を知られたかと思うと、どうしていいかわからない」とひざから崩れかけていたよ。
「私が、今の語学力で外人と、伝わらない英会話をしてるのを聞かれるような気分かなぁ」と言ったら、
「もっともっと恥ずかしい。ああ、小さくなって毒になって沈黙しちゃいそうだ」と、ファイナルファンタジーでグレートモルボルにやられた時の気分を思い出したらしい。
(わからない人、すみません。ゲームの話です)

スマホの電話はけっこう危険だ。
うっかりするとかけちゃうし、受けちゃう。
電話を使った後は、ホーム画面に戻しておくよう、強く勧めたい。

かつては教師をしていた歌人の俵万智に、
「まちちゃんを 先生と呼ぶ子らのいて 神奈川県立橋本高校」という良い短歌があり、私も、
「大内くんを 室長と呼ぶ人らのいて」という気分だ。
私には私の顔しかないが、大内くんには外での顔がある。
今回、その一面を見て(聞いて)しまった。

「しっかりお仕事してるんだなぁ、家でも、もっと大事にしてあげなきゃなぁ」とは思うものの、やはり料理の上手な大内くんの外での顔は想像しにくい。
大内くん、ご苦労さま。だがしかし、ケータイには気をつけよう!

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