14年7月1日
先日、最近ドライブがしたくてしょうがないらしい息子の提案で、早稲田まで運転させてみることにした。
「1度行ってみたかったんだよね〜」と嬉しそう。
うちからだと、ちょっとあちこち曲がるが、いったん早稲田通りに出てしまいさえすればあとは1本道。
初心者の息子でも、落ち着いて運転しさえすればそう難しい道ではない。
「(漫才の)相方と会う用事がある」と言って早稲田付近で彼が教えてくれたところによれば、サークルのメンバーの1人が近くに部屋を借りており、 他のみんながお金を出し合って家賃を半分持つかわりに部室として使わせてもらってるらしい。
時々外泊するのは、カノジョのとこに泊まってるだけじゃなく、その「部室」に泊まってる日も多いそうだ。
(とはいえ、週に1度泊まりかどうか、という彼は、「たまり場」を持ってるわりには我々よりよっぽど真面目だよ)
車を適当なパーキングに停めて(1発で停めた。「すでにキミよりうまい」と大内くんに言われた。くやしー)、彼の行きつけのスパゲッティ屋さんに
連れてってもらったが、日曜のこととてお休み。残念。
「モスあるよ。モス行こ」という彼に連れられて、モスバーガーに。
軽いお昼でよかったが、息子は出かける直前にごはん食べてなかったっけ?
それでもモスバーガーが入るのか。さすが20歳男子。
「将来は、刑事になりたい」といきなり言われた。
中3の頃、警察柔道を習っていた影響か「おまわりさんになりたい」と言っていて、高校の推薦入試の面接練習につき合った時、
「将来は警察官になりたいと思っています。人権に配慮して仕事ができるよう、大学で法律を学びたいと思います」と、大内くんの手の入った立派な演説をしていたのを思い出した。
その後、高校の部活で柔道をやるようになり、また、大学受験のため日本史を熱心にやったせいで、将来の志望は、
「中学の社会科の先生になり、柔道部の顧問をやりたい」という比較的安全なものに変わり、早稲田の教育学部を落ちると同時に教師熱も冷め、今の活動から、「お笑い芸人になりたい」と言うようになっていた。
「母さんさぁ、あなたが『警察官になりたい』って言ってる時は、テレビの刑事モノを見るたびに『ああ、危険な仕事だ』って心配して、先生になりたいって言われたら、金八先生見て『今はモンペも多いし、大変な仕事だなぁ』って心配して、お笑いやりたいって言われた時はお笑い番組を見ては『食べて行けるんだろうか』って心配して、そいで今また警察に逆戻り?」と言ったら、ハンバーガーを食べながら笑って、「心配性だね」と言われた。
親なんて、そんなもんだよ。
前日に「高校柔道部オヤジの会」に呼ばれた大内くんは、今も現役で柔道やってる先輩たちの話をさんざん聞いて(これがまた、神奈川チャンピオンとか国体日本一とか、派手なんだ)、少し寂しい思いをして帰ってきたので、息子の志望を聞いたとたん、
「警察!ということは、また柔道を!」と喜んでいる。単純な。
いったいまたなんで今さら警察?と思ったら、
「ブラックな内面を知りたい」らしい。
「ノンキャリで交番勤務からはきついよ」と大内くんが言うと、
「わかってる。だから、公務員試験受けたい」という答え。
それって、単に卒業するだけでも苦労してる人には、ほとんど不可能なんじゃないでしょうか?
食べ終わって、
「まだ少し時間あるから、バッティングセンター寄ってかない?」と言われ、ますます嬉しくなってしまう大内くん。
息子とバッティング、なんて、清里に草野球しに行ってた最後の季節、彼が小学校5年生ぐらいの秋だったと思う。
慣れた手つきで4打席打てるカードを買ってバッターボックスに立つ彼も、その頃は「ぶんまわし打法」で全然当たらなかったのが、立派な体格と身軽なフォームで、いつの間にか私譲りのミート打法を身につけていた。
大内くんの番になると、極端なクラウチング・フォームで、それでも昔よりは当たる。
「柔道でもそうなんだけど、ガンガンやってさぁ、しばらく置くと、いいフォームになるんだよね」と語る息子の上腕二頭筋は、いつの間にかすっかりたくましくなっていた。
大内くんもさわらせてもらって、
「鍛えなくっても、ごはん食べてるだけでも筋肉がつく年頃ってのはあるもんだねぇ」と感心してたよ。
大内くんが打ってる間に、息子に、
「干渉しすぎてごめんね。でも、あなたは独りっ子みたいなものだから、父さんも母さんも、可愛くって仕方ないんだよ」と謝っておいたが、やはりさわやかに笑って、
「ンなことないって。普通だよ。普通」と言ってくれた。
この瞬間のために20年以上ガマンしてきたんだ、って思えるぐらい、しびれが走るぐらい、嬉しかった。
2打席ずつ打って気持ちよく汗をかいた2人で、3階まで細い階段を上がり降りする時に息子は、
「階段だけど、ひざは大丈夫?」と気を使ってくれたし、言うことない。
そう言えば、モスバーガーでも正面に座った私を見て、
「今日は顔色がいいね。それに、やっぱりやせたね」と言っていて、普段、私の顔なんか見てないだろうと思ってたので、意外だった。
「じゃ、ネタ合わせ(練習)に行くから!」と言う息子と別れ、パーキングまで戻って、大内くんの運転で帰ったが、彼は道々、
「あー、もう、死んでもいいぐらい幸せだ!息子とこれだけ話ができれば大満足だ。彼は彼で人生を真面目に考え始めてるし、もう僕らがいなくても大丈夫だよ。朝、起きた時は、今日という1日がこんなにスペシャルな日になるとは思わなかった。よく、ここまで育てて来たね。本当に嬉しいよ。キミ のおかげだよ。ありがとう!」と叫んだりつぶやいたり、忙しかった。
でもね、私もまったく同じだよ。
その晩遅く帰ってきた息子は、まったくいつもの息子で、
「やあやあ、父さん母さん、今日も夜食をありがとう!」なんてことは一切なかった。
そもそも、昼間、楽しかったなんて言わないし。
大内くんは、がっかりするどころか、
「これが普通だよ。変わらない息子が一番いい。変化は少しずつやってきて、今日みたいに噴出する日もあるけど、たいていはごく普通の、何でもない日なんだよ。彼が浮わついてない証拠だよ」と、かえって喜んでいる。
そうね、お互い礼儀を知って距離感が取れるようになるにしても、それはゆっくりとしかやってこないものなんだろうね。
大内くんは例によって張り切って公務員試験のことを調べようとしてるし、夏休みに入る頃にはもう1度少し真面目に彼と将来の話をするつもりらしい。
私はそのへんわからないし、興味もないし、大内くんからはむしろ、
「過大な興味を持たないでくれ。母親が息子の進路に大きな期待を寄せちゃうってのは、あまりよろしくないんだ」と言われているので、気楽に蚊帳の外。
柔道にも警察にもあまり興味ないし。
危険で忙しい仕事だとは思うので、そこだけは多少気がかりだが、息子本人には、
「好きなことをやるのが一番だから、何になろうと勝手だよ。多少儲かるとか、偉くなるとか、母さんたちはそういうの関心ないから」と言っておいた。
「ありがたい」と言われた。それで充分だ。
「昔はオレ、ずいぶんひどかったよなぁ」と語る息子よ、キミの過去も、現在も、もちろん未来も大好きだ。
ゆっくり大学生活を堪能して、ゆっくり好きな道を行ってくれ。
14年7月3日
この世に新しいものなんてあるのだろうか。
たとえば、レ・ミゼラブルで銀器を盗んだジャン・バルジャンに神父さんが、
「これを忘れて行かれましたね」と追加で銀の燭台をくれるとか、もう、いい話の権化じゃないか。
それで真人間になった彼が、正体がばれるのも厭わず馬車を持ち上げて人を救う、と、これまた追い打ちをかけるような善行。
そういえば、O.ヘンリーにもそんな話があったな。
金庫に閉じ込められたコドモを救うため、足を洗ったはずの金庫破りの腕を披露しちゃうとか。
これには、やはり追加のいい話がついてくる。
金庫破りを追い詰めていた刑事さんが、観念した彼が両手を差し出して手錠を待っているのに、
「人違いでしょう。私はあなたを知らない」と言って去っていくんだよね、確か。
さて、こういう「いい話」をごまんと聞いて育った我々は、いい加減「いい話に動じない」人間になって行くんじゃないだろうか。
私はコドモを産んだ時、これからそういうことを観察して過ごそう、と心に決めたのだが、いかんせんイキモノ相手のことで、日々の世話に追われている間に、観察対象はどんどん勝手に経験値を増してしまい、気づいたらすでに「動じない」ヤツになっていた。
「いい話」を聞かせてあげても、
「なんだか、どっかで聞いたような話だな」と無感動に言われる。
彼にとっての「いい話」は、どこそこのパチンコ屋は「出る」といった話になってしまったようだ。
唯一救いになるのは、彼がこんなにすれ切ってしまう前、小学生前半の頃はまだ感じやすかった、という点。
一緒に「若年性アルツハイマーで最愛の夫と娘を忘れてしまう前に自分から施設に入ってしまう」という内容の「ピュア・ソウル」というドラマの最終回を見たら、泣くこと、泣くこと、親子3人、脳みそが溶けるぐらい泣いた。
さらに、「ライフ・イズ・ビューティフル」という、「絶対泣ける映画」をいつか息子と観よう、そして彼の反応を見よう、と思っていたのに、小学生の彼が我々の留守に勝手に見てしまったことが判明し、「誠に残念!」と思いながら「どうだった?」と聞いたら、
「悲しい映画だった。泣き疲れるぐらい泣いた」と言われ、「ますます残念!」と思ったよ。
その顔が見たかったんだ!
というわけで、コドモでまだ「すれてない」うちはいいのだが、オトナになるとどんどん「かしこさが2あがりました」みたいな状態になる。
小説家もゲーム作家も、みんな、苦労してるんだろうなぁ。
書けば書くほどすれてくる連中を相手にしてるんだから。
友人のあるゲーム作家は、
「ドラクエ1でいいんだよ。みんな、あれで満足すべきだよ」と飲みながら言っていた。
確かに、お話というものにはぶっとい幹があり、あとは枝葉の部分で、そこをどうするかという問題だけみたいね、残っているのは。
だって、たいがいのことは文豪の筆か市井の言い伝えで言われ切っちゃってるんだよ。
面白い映像がYOU TUBEで一瞬のうちに世界を駆け巡り、芸人さんはテレビに出るたびに新しいネタを考えなきゃいけない、そんな世の中で、我々は「楽しんで」生きて行けるんだろうか?
中学1年の時に、生まれて初めて「歌」に泣いたのは「サルビアの花」だった。
中2のお正月にお年玉を手に息せき切ってレコード屋に飛び込み、買ったのは「サイモン&ガーファンクル」だった。
そんな感動に、今、まためぐり合うのはとても難しいような気がするのは、精神的に老け込んだから?
作り手側に力がないから?
いや、今、この瞬間にも「いきものがかり」や「コブクロ」を聴いて涙を流し、村上春樹に魂を持って行かれてる若者がいるのかもしれない。
「浜の真砂が尽きるとも」、人々の感動を喚起する「何か」は尽きないのかも。
14年7月4日
例によって夜中に帰って来て、「野菜炒め、作って」と横暴なリクエストを出す息子は、大内くんと何やら就職の話で盛り上がっていた。
大内くんは、
「会社の人にキミが警察官になりたいと言っている、という話をしたら、『息子さんが面接に来てくれたら、受からせま すよ!警察ですか…惜しいなぁ。ぜひ来てほしい人材なんですけどねぇ』と言っていたよ」と話していた。
他にも仕事の話をいくつか、かなり真面目な顔で聞いていた息子は、
「オヤジの会社は、やっぱスゴイね。オレ、使い物になるのかな」と、ちょっと不安げだった。
不安である、ということは、やる気もある、ということだ。
「国家が自分に何をしてくれるかを問う前に、自分が国家に何を成しうるかを問いなさい」という有名な演説があるが、 あれと同じで、大内くんは、
「新入社員の心構えとしては実に立派だ。僕だって、採用したくなる」と言っていた。
「大丈夫。サークルの活動をちゃんとやって、人と協力して仕事をしたことがある人は、使えるんだよ」と励ます大内くん。
「ただし、留年は1年までね。2年しちゃうと、ちょっと言いわけがしにくいから」って、自分はどうやって会社入ったんだ、3留のくせに。
ただ、息子の「社会科マインド」には脱帽だね。
「京都議定書」で、定められた以上の廃棄物を出すということはお金がかかるんだろうと思うんだが、そこで、
「今は中国の方がスゴイでしょ」とあっさり看破する彼は、ある意味、空恐ろしい。
「京都議定書」について習い、勉強してる人はいっぱいいるだろうが、それを現実の実業に結びつけられる「社会人未満」はあまり多くないだろう。
やはりサラリーマンが向いてると思うなぁ。
親子2代の「S社の社員」というのも憧れるが、大内くんに言わせれば、
「息子が就職する頃には、僕はもう出向とかしてて子会社に行ってると思う」のだそうだ。
そんなもんなのか。
14年7月6日
BSでやっていた英国お貴族ドラマ、「ダウントン・アビー」がむちゃくちゃ面白かった。
ほぼ全回分貯めておいて一気に見たので、よけい楽しめたかもしれない。
こういうのは、例えばアンソニー・ホプキンス主演の映画「日の名残り」とか、マンガでは森薫の「エマ」とか、どうしてもひっかかってきちゃうんだよね。
今回も「エマ」全10巻を読み返し、「あー、やっぱメイドさんは萌えるなー」と思った。
私は母方の血筋をさかのぼれば鍋島藩のお姫さまに行きつくというれっきとした「貴族」なので(笑)、ご主人さま側の態度というのもチェック・ポイントのひとつ。
やはり、人を使うためにはその器量というものが問われる。
「ノブレス・オブリージュ」を基本とし、使用人たちに対する責務を忘れず、自身の品格、家柄の由緒正しさを誇りとし、常に忘れないこと。
なかなか難しいよ。
ドラマの中でこれができているのは、どうも主役の1人である「伯爵」だけのようだ。
他の人はちょっと自分のことにかまけ過ぎ。
でも、いつもいつも人目にさらされて世話を受ける、ってのもタイヘンだね。
「メイドさんか執事さんが1人いたら助かるなぁ」と思うことは多いけど、適度に贅沢をしつつだらしなく寝そべっていてもおやつをポリポリ食べていても文句を言われな い、日本の中流家庭が一番気楽だ。
私の中の貴族の血さん、ごめんなさい。
すっかり薄まって、今や庶民です。
家も狭いし、使用人もおりません。
「夜会まで昼寝をするわ。起きたらお風呂に入れるように準備しておいて」「はい、奥様」なんて世界、生まれた時から縁がありません。
せめて時々友達とお茶会をするから、それでカンベンして。
14年7月7日
今日は七夕。
夜、洗濯物を出す時に見たら薄曇りではあるものの月が出ていた。
織姫と彦星は無事会えた、ということだろう。
さて、織姫と彦星はそれぞれどの星だっけ。
前者はこと座のヴェガだったはず。後者は?
高校時代に「物象部」という「天文部」のようなものに入っていた大内くんに聞いたら、わし座のアルタイルだと教えてくれた。
代わりに「今日、降る雨を『催涙雨(さいるいう)』というんだよ」と教えてあげる。
大内くんは本をよく読むわりには日本語に疎いので。
もっとも、地理や歴史、政治の話になるとかなわない、というか最初から何の勝負にもならなくて、いつも素直に教えを乞うている。
日本語以外に彼に勝てるジャンルはない。英語は今やどっこいどっこい、いや、私の方が劣るな。
それはさておき、七夕を祝わなくなってもう何年になるだろう。
息子が大きくなって以来かもしれないなぁ。
保育園や小学校では、短冊に願い事を書いたりしてたから。
たいがい、「ナントカカントカがほしいです」系の願い事だったし、実際、買ってやって、
「今日、七夕さまがおもちゃを持ってきてくれたよ!いい子にしてるからだね!」と、クリスマスと混同させたりしていた。
今思えば、間違ってたなぁ。
おととい、大内くんと一緒に鍼の先生のところに行こうと自転車を走らせて息子の通っていた保育園の前を通ったら、七夕祭りをやっていて、今は園長先生になっている当時の担任の保母さんにばったり会った。
「あらっ、大内さん!なつかしい!」
名乗られるまで、気づかなかったよ。
向こうは15年以上前に受け持った子の親だ、というだけで覚えていてくれるのに。
先生の話では、先日、息子がぶらりと会いに来たそうな。お祭りを見に行ったのかしらん。
「大学ではお笑いをやってるんですってね。他にも、○○くんや××ちゃんが来てくれましたよ!」って、みんな、地元の活動にマメだなぁ。
向こうも忙しそうだったし、こっちも予約の時間が迫っていたのでその程度しかお話できなかったけど、息子が思ったより義理堅くって、よかった。
以前、息子と話をしていて、
「父さんや母さんは引っ越しで幼なじみがいないから、あなたには『地元』を作ってあげたかった」と言ったら、大声で、
「そう!それ!それって、すごくありがたかった!」と感謝されたことがある。
今でも保育園時代の友達と会うこともあるらしいし、小中高と、だんだんテリトリーを広げながら、あちこちに友達を作ってきた。
保育園の先生やシッターさん、町道場の先生など、恩のある人たちに会おうと思えばすぐに会える。
それを喜んでくれる息子で、本当によかった。
我々にも数人のママ友が残り、今でも保育園時代からのママ友と忘年会などで会っている。
ありがたい。
大内くんは、「高校柔道部オヤジの会」の飲み会に今でも誘ってもらえるのが嬉しいらしいし。
親にもコドモにも、友達は一生の財産だ。
感謝しておつきあいさせていただこう。
1年に1度ぐらいしか会わない人たちが多くなってきた、とはいうものの、今日の話の始まりは「年に1度会える七夕」だったんだから。
うーん、いつもは話が出だしと終わりで「とっ散らかっちゃう」んだが、今回はキレイに落ちたなぁ。
14年7月8日
最近の息子は、大内くんと話す機会があると必ず仕事の話と求人情報について聞きたがる。
「東大枠、早稲田枠、慶応枠とかあって、『全国区』みたいなのもあるからそこ以外の大学からエントリーして頑張って来る人もいるけど、かなり厳しいよ。悪いけど、父さんは何のコネも用意してあげられないから、自分の力で頑張ってね。早稲田なら、一応、面接には持ち込めるから」と語る大内くんだった。
私は、
「母さんがこないだ本屋でぱらぱら見た本には、「千社にエントリーシートを書いて300社の面接を受け、5社の内定をもらった』人の話が書いてあった」と話した。
息子「千社にエントリー!」
大「今はパソコンでいくらでもできるから、そう難しくはないよ。300社回るのは大変だけどね」
私「それでも内定はたった5社だよ」
大「いや、内定をもらう、ってのはかなり大変なことなんだよ」
息子の頭の中にある「社会的マップ」みたいなものは、相当正確だと思う。
悪く言えば夢がないが、現実を現実的に見る、ってのは難しいのに、あのコドモっぽさでそこだけはしっかりしてるってのが不思議だ。
「社会科」が得意な人なんだろう。
私は、大内くんに言わせれば「ロゴスの人」で、いついかなる時でも正確な論理を導き出せるが、それは、自分がどこにいてどっちに行けば正解か、と
いう役にはあまり立たないのだそうだ。
「何が正しいか」と、「どっちが得か」というのは、少し違うんだ。
どっちがどう正しいのかはわからない。
ただ、息子には、「正しく得をし、他人にも得をもたらす」人になってもらいたいと思う。
まわり中と「ウィン・ウィン」の関係が持てれば、それは「仁徳」というものだろう。
14年7月10日
息子が「親知らず」が生えてきて歯茎を圧迫するので、痛い、と申し出てきた。
あわてて彼の口の中を覗き込むと、確かに「親知らず」が無理矢理生えて来てるようだ。
「口腔外科の先生でないと抜けないかもだから、まず行きつけの歯医者さんに相談に行きなさい」と大内くんが実際的なアドバイスを していた。
「いてぇなぁ。親父もおふくろも、抜いたの?」
「もちろん抜いたよ。4本全部」
「痛い?」
「抜く時は麻酔するから痛くない。しばらく少し痛むけど、まあ、普通は大丈夫だよ。とにかく早く歯医者さんに行きなさい」と言っておいたら、翌日、いきなり抜いてきたらしい。
夕方の早い時間に帰って来て、布団にもぐりこんでいるので、それだけでもビックリするのに、
「どうしたの?」
「親知らずを抜いたとこが痛い。もう寝る」って、まだ4時だよ?
「痛み止めはもらったの?」
「もらって、飲んだ。でも痛い」とますます布団にもぐってしまう。気の毒に。
夜になっても寝ているので、帰って来た大内くんに事の次第を話したら、
「それはかわいそうだね。でも、早めに行って抜いて来たんなら、いいよ。明日の朝になったらケロッとしてるよ」と言う。
結局、夜明けまで寝て、そのあとは起きてゲームをしていたようだ。
痛みもずいぶんおさまったのだろう。
「親知らず(親不知、とも書く)」って、多分、昔、人が短命だった時代に、親が亡くなる頃に生える歯だったんだろうな。
今は親も長生きだから、コドモの親知らず問題に首を突っ込む余地がある。
自分の時も4本全部抜くまではそれなりのドラマというか、1本1本に大騒ぎだった覚えがある。
さくっと行ってさくっと抜いてきた息子はえらいのかもしれない。
大内くん曰く、
「あの人(息子)は時々非常に素早い。まだコドモな面も多いから一概には言えないが、自分が損しないようにけっこううまく立ち回る」と、ほめているのかけなしているのかわからない。
ついでに小さい頃からの行きつけのアレルギー科も行って、薬をもらって来てるし、彼の中で何かが動くと、すごく速いんだよね。
大内くんと私の「せっかち」が強化されたDNAだということか。
ま、医者は早く行くに越したことはない。今回はえらかった。
面白かったのは、歯医者で、まさにやはり親知らずを抜きに来た高校の頃の友達に会ったらしいこと。
一緒にファミレスの「夢庵」で受験勉強をしたり、大学1年の夏休みには2人してママチャリこいで北海道まで10日かけて行った仲だ。
同じ早稲田に受かり、同じ病院に紹介してもらってバイトしていた時期もあるのだが、息子よりずっとオトナな彼とは少し距離ができて、最近は疎遠になっていたと思う。
それでも、同じ時期に「親知らず」が生えてくるのだなぁ、肉体年齢は同じなんだなぁ、と、大内くんと笑った。
無事に抜いてもらってよかったよ、2人とも。
14年7月11日
本をあまり読まない息子が、最近ちょっと買って来て読むようになった。
我々のおススメ本もあるが、うちでは本は全部データ化されていて、タブレットがないと読めない。
(大内くんは、「ギリギリ、iPhoneで読める」と言い張っているが、目が悪くなるだけだと思う)
本人、家でiPad使って読む、と言っていたが、実際には家にいる時はパチンコのゲームばかりしているので、普段ほとんど使わない私のネクサスを、電車の中とかで使うように息子に貸してあげることにした。
イチオシは東野圭吾「ナミヤ雑貨店の奇蹟」だよ、と言い、それ以外にも私好みの宮部みゆきとか清水ちなみ、果ては糸井重里まで入れて渡したら、彼も読みたい気持ちはあったらしく、さっそく「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を読み始めた。
「面白い?」と聞いたら、「うん」。
相手が自分のコドモでも、人に勧めた本を面白いと言ってもらえるのは気持ちがいいものだ。
でも、ペースは遅く、時々聞いてみては、
「あー、まだ『魚屋ミュージシャン』かぁ。その先、泣けて泣けてワーッと世界が展開するんだけどなぁ」とか思っていたら、ある夜、突然、「来た」。
1日に数ページしか読めなかったその本を、家にいるってのにゲームもしないで、ネクサスを速いペースでめくりながら、夢中で読んでいるようだっ
た。
なんとも、嬉しい世界だった。
翌朝、朝食のスープを出しながら、
「ナミヤ雑貨店、読んだ?」と聞くと、「読んだ」。
そうか、やはりあの勢いは、「面白くなっちゃった時」の読み方だったんだ。
「面白かった?」
「すごく面白かった。お笑いのネタも一緒だけど、世界観をどう作るか、だね。うまい人は本当にうまいよ。それがプロってものだろうね」と辛口の彼にしては絶賛。
「東野圭吾って、他のは少し暗くてどうかと思うんだけど、これだけは母さんの超おススメだよ。信用してもいい、って思ったら、次は宮部みゆきの
『小暮写眞館』読んでみて」と言っておいた。
中高の頃本をほとんど読まなかった息子のことを心配していたら、クラス懇親会で親しくなった先輩お母さんが(これまた、本の好きな人なんだ。宮部みゆきの「ぼんくら」シリーズで大盛り上がり)、
「心配しなくても、読む時が来れば読むわよ。うちのお兄ちゃんなんか、20歳過ぎてから読み始めたんだから」と太鼓判を捺してくれた。
あれから5年。
確かに息子は本を読むようになった。
ラノベ的なものは多いが、一方で夢野久作とか島田壮司とか大藪春彦とか、「有名どころ」も押さえておきたいらしい。
カタログ文化の人たちだねぇ。
キイスの「アルジャーノンに花束を」も読んでもらったからSFはもういいし、東野圭吾と宮部みゆきを読むんならミステリも心配ない。
後はもう、本人の好みだね。
なにしろハンパなくマンガを読むヤツなので、こっちも追跡させてもらおう、とやる気はあるのだが、「ジョジョ」60巻、とか、どうやってついてくんだ?
「ハガレン」や「銀の匙」を共有してるだけで良しとするのかな。
「アイアムアヒーロー」なんて、手を出そうとしているうちに15巻まで来てしまっている。
長編マンガの好きな私ではあるが、この勢いで他のマンガの山も雨後の筍。刈り取りが間に合わない。
せっかくマンガの好きな家族なんだから、共有しようよ、とはいえ、こっち側の歩み寄りが足りないね。
こないだは、息子がちゃぶ台の上に放り出していた「臨死!江古田ちゃん」を読んだが、吉田戦車を読んだ時ぐらいくらくらした。
次は、宮部みゆきの「小暮写眞館」を読んでくれると嬉しいなぁ。
主人公が高校生で、親の世代はハートわしづかみなんだが、数年前まで高校生だった人は、どう読むのだろう。
件の友人ちのお兄ちゃんは、
「面白かったけど、あんなに人間が『できた』高校生はいないよ。オトナ過ぎ」と語っていたそうだ。
息子もそう思うのかな。
ともあれ、マンガと映画で教養を広く浅く、が現在の目標であるらしい息子の、さまたげにはなるまい。
むしろ、そろそろまとまった量の活字を読めるようにならないとしんどいよ。卒業や就職に向けて。
何事も経験と慣れだ。
私はネクサスなくって不便だが、それ以上に実りある結果が生まれると信じたい。
14年7月12日
日中に散歩に行ってごはんを食べようと思っていたけど、あまりに暑い。
東京に上陸するはずだった台風が途中で気を変えたのが原因か。
秋のイタリア旅行に向けて歩いて足を鍛えておかなければならないのに、これじゃ夏中散歩は無理じゃないか!
と、窮すれば名案が出るのが私のいいところ。
「ねえねえ、お昼に吉祥寺行くのやめてさぁ、夜になってから行かない?」
「夜!?」
「うん、夜なら涼しいから歩いても平気だよ」
「それはいい考えだ。あいかわらず、寝ていてもアイデアの出る人だね!」
ということで、8時頃までテレビを観て、それから出かけた。
この時観ていた「俺のダンディズム」が面白すぎたのが後の悲劇の原因かもしれない。
家を出て北上すること3分、手をつないで歩いていたら、息子の塾仲間のお母さんとバッタリ出会った。
「あら〜、大内さん!あいかわらず仲がいいですね!」
ここんちの娘さんはうちの息子よりはるかに家庭内情報拡散量が多く、お母さんは、塾や息子について、我々も知らないようなことをたくさん教えてく れた。
15分も立ち話をし、お母さんと別れて、再び北上開始。
心配していたほど足も痛まず、なんとか歩きとおすことができた。
ブックオフに寄り、私は東野圭吾を探すが、欲しいのはない。仕方ない、アマゾンだ。
大内くんはけっこう収穫があったらしい。
巨大なヨドバシでiPadの保護フィルムを買う。
もちろんもう貼ってあるけど、間に挟まった埃がどうしても気になるので、新しいのを買わざるを得なくなった。
そういったアクセサリは今やほとんどがIPad miniかエアー用で、第3世代まではもう、ほとんど見捨てられている。
早く次のが出ないかな。画質がものすごくグレードアップしたやつ。
さて、ここからが悲劇で、そもそも我々、今回は少し新しい店を開拓しよう、まずはタイ料理から!と根拠なく決めて、「食べログ」でお店をピック
アップしていたんだよね。
ヨドバシの裏にも1軒ある、とナビゲーター大内くんは言う。
ところが、歩き慣れたはずのこの界隈、夜になると雰囲気全然違う〜!
ピンク度が増しているというか、客引きのおにーさんおねーさんも違う。
やっとの思いで見つけたタイ料理屋さんは、確かにいい雰囲気なんだが、いかんせん、時間帯が遅すぎて、すでに「飲み屋」になってる!
こんなことなら「俺のダンディズム」観てないで、早めに家を出ればよかった!
すっかり戦闘力の下がった我々は、しおしおと表通りに戻り、いつもの「野方ホープ」でいつものラーメンを食べた。
私が「夏のさっぱりつけ麺」をオーダーしたところと、「開店5周年」のお祝いにひかせてくれた籤で2人ともアイスが当たったので食べながら帰ったのだけがいつもとは違う点。
「いや〜、吉祥寺がこんなに怖い街だとは知らなかったよ」
「心の準備ができてなかったね」
「出張で和歌山に行った時さ、もう、足首から刺青が見えてるような人が歩いてるとこで、『ビール1本2時間ポッキリ2500円』ってお店に入った んだけどさ、いきなりおねーさんたちが出てくるんだよ。『話が違いますから』って感じで、みんなで一気にビール飲んで、逃げるようにして帰った。
その時のことを思い出したよ」
くたびれたのでバスで帰ったが、大内夫婦、土曜の夜の大冒険。
ホント、疲れた。
今週ははのんびり過ごそう。
14年7月13日
今日はビックリするようなことが2つ、続けて起こった。
2つとも、息子の爆弾発言である。
爆弾その1.
「赤坂に住むおじいちゃんおばあちゃん(つまり、大内くんのご両親)を訪ねたい」
それのどこが爆弾なんだ、と思う向きも多かろうが、実は我が家は殆ど親戚づきあいというものをしていない。
名古屋の母が存命中はたまに会ったが、いまや親族の誰にも会わないなぁ。
諸般の事情でそうなっており、息子も、小さい時は我々に連れられて祖父母の家を訪れたものだが、めったに行かなくなった。
最後に行ったのが今年の正月であろうか。今回同様、急に、1人で、勝手に。
その前は数年開くし。
成人したので親からのお年玉はナシ!と通告したとたんに、
「オレ、おばあちゃんちに挨拶に行こうかな」と出かけて行き、お年玉をせしめたうえ、ちゃっかりステーキなんておごってもらっちゃって。
今回もおこづかいプラス焼肉であったらしい。
とまあ、これはこれでカタがついた。問題は、
爆弾その2.
「カノジョが泊まりに来るから」
である。朝、そんなことさらっと言われても。いや、夜ならいいってもんでもないが、とにかく心の準備が。
「ブルーレイの映画が観たいんだって。カノジョんとこ、ブルーレイないから。晩メシは水餃子がいいな。布団はオレの部屋にしいといて」
でも、布団1枚敷くスペースないよ。すごく細長くなっちゃうよ。書斎に2人分敷こうか?」
「いや、いい」
と言うだけ言うと、彼は、爆弾その1の方に出かけてしまった。
残された我々は呆然。
「泊まりに来るったって、向こう、1人暮らしじゃんねぇ」
「うん、映画を見て、息子が送って行けばすむねぇ」
「何で泊まりに来るんだろ?面白いから、嬉しいけど、キンチョーするね」
と言いつつ、本日2人で食べるつもりだった「サバのみりん干し、湯豆腐、納豆」はしまっておいて、水餃子の材料を買いに走る。
1時間後、向かい合って餃子を包みながら、ぼんやりと話す。
「お風呂、私たちが入ってからお湯を抜いて、もう1回入れておこうか」
「うーん、来たら聞いてみて、入るって言ったらお湯を入れようか」
どうでもいいことだ。
しかし、息子が彼女を泊まりで連れてくる時の親なんて、どうでもいい話以外なにもできない。
なんか、さだまさしの歌みたいな雰囲気だ。
で、まずは息子が爆弾その1から帰ってきたので,首尾を聞く。
「いろいろもらった」と取り出すのは、お義母さんの大好きな健康食品だ。
「もう、どれもいらない」という大内くんに、
「もったいないよ。この『きなこプロテイン』なんて、牛乳にとかして息子に飲ませりゃいいじゃん」と言ってる横で、息子もひと言、
「オレものまねー」。
まあ、それらの物の処遇は追って沙汰するとてして、問題は爆弾その2だ。
7時ごろ、息子が「迎えに行く」と出かけようとする。
「自転車で行くの?」
「そう」
「帰りはカノジョとバス?」
「いや、歩いて帰る」
徒歩30分なのに、健脚だね。
8時過ぎ、2人が帰ってきた。
「いらっしゃ〜い」
「おじゃましま〜す」
家に来るのは2度目なので、そこは少し慣れている。
さっそく水餃子を食べる。
息子としては少しドライブするつもりだったらしく、
「オレはのまねー」って言ってたんだけど、いざとなったらめんどくさくなったのか、
「ま、どうせあんまり時間ないしな。ビールくれ」。
「○○ちゃんは、お酒飲んでもよくなったんだよね?」(こないだ、息子と誕生祝いしたの、知ってるよ)
「はい!でも、まだ何を飲んでいいのかわからなくて」
「ビールはヱビスだから、おいしいよ。あと、息子が好きでよく飲んでる『もものチューハイ』があるよ」
「あっ、じゃあ、それいただきます!」
息子は無愛想な顔してビールと牛乳をちゃんぽんで飲んでる。こんな人、いないよ、普通。
私「息子は、優しくしてくれる?」
カノジョ「はい!」
私「私には意地悪なんだけど。親だからかな。○○ちゃんは、お母さんに意地悪?」
カ「いいえ!」
私「お父さんには?」
カ「あっ、少し、意地悪かも」
私「じゃあ、異性の親には意地悪、ってことなのかしらね」
カ「そうですね」
いろいろ話しながら食事は進む。
息子ですら、少し照れくさそうに会話に加わっていた。
ああ、こんな日がこようとは、息子を産んだ時には想像もしてなかったぞ。
あ、そうだ、息子が小さい時のアルバム、まだ見せてないよなぁ。
あれって、交際相手を連れて来た時に必ずやる行事なんだよね。
今度やってみようかな…いや、やっぱり、息子が恐ろしすぎる。やめとこう。
食事がすむと、2人は「映画を見るために」部屋に行ってしまったが、やがて息子が出てきた。
「オレの部屋のデッキ、ブルーレイ見られないわ」
そうだったか。
じゃあ、リビングに2つあるから、好きな方を使いたまえ。我々はもう引っ込むから、と告げると、「あんがと」とカノジョを呼びに行った。
どうやら、フェリーニの映画を見てレポートを出す、っていう課題が今夜締切らしい。面白そうな授業だ。
お風呂は入るようなのでお湯を入れ、お若い2人をリビングにに残して親は寝室に。
「よかったねぇ、いいカノジョできて」
「お泊りだもんね」と、興奮して何度もくりかえしてしまう。
しばらくしてから、カノジョが持ってきてくれたケーキでお茶を飲み、我々は本当にさようなら。
「明日の朝、お父さんは早く出かけるし、私は起きないから、2人で適当に朝ごはん食べて大学行って。何か用意しておくから。○○ちゃんは何限?」
「3限です」
「あなたは?」
「オレは、2限半」
その、半、ってのは何なんだ、とは思うが、この際、突っ込まない。寝室に引き取る。
「仲よさそうだね。私が『きっと、また来てね』って言ったら、『ふつつかものですが』って言ってたよ」
「それはもう、お嫁に来てくれる、って意味なんだろうね」と勝手に盛り上がっている間に、彼らが映画を見終り、お風呂に入り、息子の部屋に行ったようだ。
この頃になると、大内くんは完全に寝ている。
未来のお嫁さんがひとつ屋根の下にいるというのに、そんなことはまったくお構いなしに寝れちゃう人なんだよね。
こうして終わったバタバタな休日。
バタバタ過ぎて、私もどうしていいか、わかんなーい。
なるようになるさ、それが人生だ。
14年7月14日
「孤独のグルメ」、第4シーズンが始まった。
我々は当然「谷口ジロー」版を貴ぶ。
五郎くんは、ただの大食漢ではなく、「束の間、自分勝手に」自分の食事をプロモートしている、ダンドリの人なのだ。
ひるがえって、松重版の五郎くんは、おなかをすかせすぎだと思う。
それでも第1シーズンのあたりではよかったが、だんだん、仕事しに来てんのかメシ食いに来てんのかわからなくなってきた。
我々が特に許せない態度は、
・早くごはんを食べたいので、仕事が長引くとイライラしている。
・ごはんの前に間食しすぎ。
・ごはんを食べたあと、立ち食いそばを食べるって、そりゃ、ごはんに失礼だろう。
の3点。
こういう番組は長くなればなるほど自縄自縛、自己模倣になる恐れがあるので、惜しいぐらいのとこで切り上げてほしかった。
もっとも、息子はそんなことおかまいなしに毎朝、食事をする時に見てる。
まだ第1回しかやってないのに、気にせず、毎朝同じ録画を見てるのだ。
こういうファンもいますよ、久住さん!
実は息子さんがうちの豚児と中学で同級生だったご縁で、FB上でお友達になってもらいました〜!
息子も大好き「ダンドリ君」。うちのバイブルの1つです。
(いや、他にもしりあがり寿の「サラリーマンの魂」とかいろいろあるから、どれがベストとは決めかねるのです)
あー、おいしいものが食べたい!
早くイタリア行きたい!
14年7月16日
月曜が「海の日」でお休みだし、こないだ「ルーズヴェルト・ゲーム」で火がついたので、息子と大内くんと3人で都市対抗野球を見に行く予定。
私は東京ドーム初めてだなぁ、朝からだから、試合前に昔何度か柔道見に来た時にママ友と行った「ムーミンのパン屋さん」に連れてってあげよう、車で行けば、息子にはいい練習になるだろう、お昼はピッツァのおいしい店で、などなどいろんな計画を立てていたのだが、息子のひと言で吹っ飛んだ。
「あ、オレ、月曜は試験あるわ」
休日だよ、ほんとに無理なの?と大内くんがかき口説いても、どうやらその試験は祝日でもやるらしい。
「残念だねぇ・・・」と肩を落としていた大内くんだが、よく調べたら、19日の土曜にも試合がある!
勇んで息子と交渉に入った結果、
「土曜は今のところ、空いてる。行けたら行くよ」というやる気があるんだかないんだかわからない返事をもらってきた。
まあ、忙しい彼のことだ、予定はあっさり入ってしまうかもしれない。
ただ、これまでのところ、彼は親との約束をすっぽかしたり遅刻したことはほとんどない。
今回だって、相手が試験じゃどうしようもないし。
だが、通告はやって来た。
バイトに行っている息子に、
「土曜日、行けそう?」とメールしたら、
「うーん、きつそう。勉強したいし。2人で行って来たら?」
あああ、断られてしまった。
ま、それが道理だよなぁ。試験期間真っ最中なんだもん。誘う方がどうかしてるよ。
大内くんは、
「息子の口から勉強と言う言葉を聞くのは大学入学以来初めてだ。すごく喜ぶべきなんだろう。でも、僕は、一緒に野球行ってくれる方がいい」とこの期に及んでまだ駄々をこねている。
私はそもそも野球を見に行くこと自体気乗り薄だったので、断られてよかったかも。
というわけで、3連休は家でのんびり、イタリア旅行の話でも詰めておきましょう。
14年7月18日
息子があんまり本を読まないので、私のネクサスを貸してあげた。
データを入れ替えてるうちに、「息子に読ませたい本」がいっぱいあって、ずいぶんたくさん入れてしまったよ。
「銀英伝」とか「アルスラーン戦記」、クリスティから「風と共に去りぬ」、「おじさん改造講座」まで入れたが、イチオシは何と言っても東野圭吾の
「ナミヤ雑貨店の奇蹟」。
そもそもこれを読んでもらいたくてネクサス渡したようなもんだ。
今、うちには実体としての本がないので、
「ほいっ、これ、読んでみて」と渡す、というわけにはいかないのだ。
最初はゆっくりと、でも途中からは面白くなったようで、一気に読んでくれた。
さあ、その勢いで宮部みゆきの「小暮写眞館」に行ってくれ!と思ったのもつかの間、ネクサスは通学にも持って行ってもらえなくなった。
「もう使わないの?」と悲しく聞いたら、
「今は、オレはオレで読みたい本があるんだ」という答え。
カバンに入っているのは大内くんが昔あげたという「憲法読本」と小林秀雄の「考えるヒント」。
この件で、私はくやしい思いをしているが、大内くんは何だか機嫌が良さそうだ。ますますくやしい。
これで息子の読書ライフがどうなるかはわからないけど、ネクサスを貸した日の昼間、息子からメールが来た。珍しい。
ぽつんと1行、
「タブレットありがとう」。
これだけだが、じーんときた。
大内くんのiPadを貸してあげたらほとんど占有物にされたが、私のネクサスもそうなるだろうなぁ。
いいよ、私は外出しないからiPadで充分だ。
世の中にはいろんな本がある。
いい出会いをして、本とは仲良くつき合ってもらいたい。
14年7月19日
バイトから帰って来た息子と3人で、今夜は「おうち焼肉」。
大内くんが作ってくれた「いんちきキムチ」(白菜を切って、「浅漬けの素」に豆板醤を入れてしばらくおいたもの)を食べては、
「これ何?キムチ?けっこううまいじゃん」とか、私がじゃんじゃん焼く肉を、「うまいっ!」とおいしそうに食べるとことか、ここ数年はほとんど見なかった顔だなぁ。
「7時ごろ帰ると思う。メシは家で食う」と言われたので、
「焼肉にするね」、と通告しておいて準備をしたが、さて、本当に帰ってくるのか。
夕方6時過ぎたので、「メール入れておくよ」と私が立ち上がってケータイを取りに行こうとしたその瞬間、電話がかかってきた。
息子からだ。
「8時に帰る」とのこと。
うーん、ジャストタイミングだったなぁ。
大内くんは、
「キミたちはテレパシーでつながっている!」と主張してやまない。
「『そろそろ感』がおんなじだけなんじゃない?」と言っても、
「いや、あのタイミングは尋常じゃない。絶対テレパシーだ」と。
どうやら、彼が使っていた音源部分が壊れたiPad2を、私が手かざしで「邪魔なマークは消せたので、音は使えないが読書はできる」状態に持って行ったところで息子に払い下げたら、いつの間にかガンガン音が出るようになったのを使っているので、彼としては超能力とその遺伝について、何か深刻な疑念を抱いているらしい。
夏休みにコミケの会場内整理係に行くので、その会議に出る、というバイトだった、と肉を頬張りながら語る超能力者。
「自分は同人誌は買わないけど、コスプレしてる人とか見るのが面白い」のだそうだ。
大内くんも学生時代は大学のサークルで「売る側」として行っていたが、「売れた?」と聞かれても「全然」。
今のコミケはすごいんだろうなぁ。
「その、普通の入場者は4時間並んで入るという会場に最初から入っている整理員の人って、すごくオイシイ仕事じゃない?」
「まあ、そうかも。でも、オレが行くのは1、2日目の『BL』の日だし、全然関係ねー」
大内くんにはさっぱり意味がわからないようだ。
さっさと食べ終えて戦列を離れた息子にガッカリしつつ、まあそれでも今日は会話になったなぁ、と、喜ぶ。
「で、『BL』って何?」と聞かれたので、
「ボーイズ・ラブのことで、昔の『やおい』の発展系。女性たちは自分たちを性的な視線でつつきまわす男どもに、女性の介在しない、自分たちが安全な場を作り、そこから倒錯した目線のみを投げつけることで、性的な復讐を成し遂げているのだ」と説明したら、お尻を押さえて、「わかった気がする」
とつぶやく大内くんであった。
肉もたっぷり野菜もたっぷり食べて、部屋は焼肉くさくなったが、おいしかった。
息子はまたこれからガストへ行くらしい。
試験期間中のバイト、ご苦労さま。勉強、頑張ってくれ!
14年7月21日
昨夜の豪雨で街はすっかり冷えたようだ。
と、甘く見て真昼間に吉祥寺まで40分以上かけてたどり着く頃には12時10分前。暑いじゃないか!
最近、新しいお店を開拓していないので、ここはひとつ、勝負に出よう。
行ったことない「アムリタ食堂」という、妙にそそるタイ料理屋さんが目的だ。
あらら、開店10分前に、もう長蛇の列ができている。
ひと回り目に入れなかったら、今日は撤退していつものラーメンでも食べるか、と半ばあきらめて相談していたら、最後の最後で「2人席」が空いていたらし
く、我々の前に並んでいた3人連れは「待ちますから」とパスしてくれた、そのおかげで見事ひと回り目に着席。
店内があんがい広かったのが神様のおかげだったかも。
ランチセットの中身は、蒸しもち米、甘辛いたれをつけて食べる「鶏の香ばし揚げ」、4種から選べるサラダ感覚のおかず(私は豚のひき肉炒め。けっこう辛い)、デザートのマンゴープリン。
「もち米を手で食べてください!」という意味から、小さなフィンガーボウルがついてくるところがナイス。
これを1つ頼んで、あとはグリーンカレーとおかゆをオーダー。
今回は珍しく食べる前に写メを撮ることに成功した。(FBかツイッターでご覧ください)
どれもあっさり辛くておいしかった。「香草(シャンツァイ)」の香りがたまらない。
大内くんは、
「いい店を見つけた。これでまた吉祥寺に手駒が増えた」と喜んでいたよ。
問題は、並ばない時間帯というものがあるだろうか?という点。
朝、11時50分を少し早めて、11時40分並ぶ作戦でいこうか。
吉祥寺は、「肉のサトウのメンチカツ」とか、カレーの「まめ蔵」とか、ハモニカ横丁の怪しげなラーメン屋さんとか、とにかく並ぶ店だらけだ。おいしい証拠、Smokin
Gunだ!と叫びたい。
そして、並ぶほどおいしい店ならではだ、と割り切って、並んだことを後悔しながら2回り目を狙う、というのも風情があるかもね。
14年7月22日
都市対抗、息子の試験のせいで行けなくってつまんなかったが、昨日の試合は負けだったという。
(現場からFBで実況してる会社の人がいたそうだ)
大内くんは、
「勝ち上がれば、もう1度試合がある。試験も終わってるはずだし、もう1回息子を誘ってみよう!」と言って彼の部屋へ行き、交渉してきたらしい。
結果は、「まあまあ協力的」で、その日に他の予定を入れないようにする、と言ってたって。
「運転も魅力のひとつだから、前回同様、駐車場の予約を取っておこう。あとは、チームが勝ってくれることを祈るしかない」と言いつつ、そわそわしてる。
「あー、一緒に行きたいなぁ。でも、そうすると息子か僕のどっちかは、観戦中にビール飲めないんだ・・・」と細かいことで落ち込んでいるので、
「私はビールに興味ないから、いざとなったら帰りは運転するよ」と言っておいた。
一緒に都市対抗、観られるといいね。
最近、息子は親切だ。
ツイッターでつながってることもそう気にはしてないようで、帰るなり、
「旨かった?」と聞くのは「アムリタ食堂」に行った件を読んだからだね。
「今度一緒に行こう」とまではまだいかないが、そういう日も夢じゃないのかも、とちょっと思う。
コドモを育てる喜びも、辛さも、一通り味あわせてもらった。
まだまだ就職、結婚と楽しそうなイベントが待ってるが、どんどん「余禄」感が増してくる。
人生そのものが、70過ぎたあたりから全部「おまけ」になるのかもしれないしなぁ。
14年7月23日
息子はこの試験中、すごく勉強している。
あいかわらずガストや夢庵に出張してる気配。
自室の机の上はカオスだからなぁ。
今日もガストから帰って、そのあとも夜中なのに食卓でずっと勉強している。家庭内「夢庵」。
これまでやってないから苦労するんじゃん、と意見する向きもあろうが、親としては、ノート広げた姿を見ると、彼があるラインを超えてしまったなぁ、と思う。
コドモであるライン、大学生は遊んでていいんだ、と思い込んでいたライン、全部、超えたよ。
会社の大内くんからメールが来た。
>朝、7時過ぎに出かけようとしたら、「いってらっしゃい」と声をかけられた。
>「そっちもがんばれよ」と言ったら「うん」
>何だか昔みたい。
>本当に反抗期終わりかけ。
そうねぇ、「死ね!」「ブタ!」と罵られていた頃がウソのようだねぇ。
今は、仲がいいとまでは言わないが、ほどほどの関係がうまく続いている。
(ハードルが低すぎるのは自覚してるんだが)
このまま何事もなく平穏な人生が続くといいなぁ。
若い頃、自分がそんな「尻尾の垂れ下がった状態」の人生観を持つとは思わなかったよ。
今の息子にとって、人生ってどんな感じかな。
14年7月24日
夕方、ものすごい雷雨になったと思ったら、落雷で停電。
うわー、停電なんて何10年ぶりだろう、と思いながら、まだ日暮れ前で真っ暗じゃないから、懐中電灯にもすぐ手が伸びたのは幸い。
いちおう配電盤見 て、ブレーカーが落ちたわけじゃないのを確認してたら、数分で回復。よかったー。
でも、近所のサーバが落ちたのか、パソコンとケータイがしばらく使えなかった。
あちこちコンセントを1度抜いてみて、電話機はそれでよみがえったけど、パソコン使えなくって不安だった。
大内くんとも電話で連絡がつき、「仕事で遅くなるけど、帰ったらパソコンとか見てみるよ」と言われ、ほっとひと息。
実際は帰ってくる前に自然に復旧したし。
電話、メール、ツイッター、FB・・・つくづく、いろんなもので外と繋がってるなぁ、ということと、大内くんに依存して暮らしているなぁ、という
ことを実感しつつの数時間だった。
14年7月25日
あーあ、都市対抗負けちゃったから、日曜にみんなで観戦しに行く、っての、ナシ。
つまらない。せっかく駐車場も借りておいたのにな。
大内くんは、「また来年があるよ」と言うけど、今、残念なものは残念じゃないの、ねぇ?
まあ、急に暑くなって疲れ気味だし、イタリア行きの話と、その前に息子のアメリカ行の話をまとめなくちゃ。
毎日寝てると、どんどんやることがたまってくる。ひとつずつ解決しましょう。
14年7月27日
昼寝をしていたらものすごい雨が降ってきた。予報通りの雨に、「天気予報、あなどれず!」と驚いた。
息子の部屋のひさしのない窓が開いていたため、かなり降りこんでしまった。あわてて後始末をする。
夜はエアコンなしでもすごせそうな雰囲気。水の力は偉大だ。
今年の夏はこれまでのところ、結構すごしやすい。
時折降る大雨のせいだと思う。
息子が生まれた年の夏、私が大きなおなかをかかえていた頃、ものすごい冷夏で、ものすごいコメ不足が起こったのを忘れられない。
みんなタイ米に走り、油を入れるといいだの炭を入れるといいだの言っていた。
私たちは、本格カレーを作り、タイ米をおいしくいただいていたので、みんながなぜそんなに「国産のコメ」にこだわるのか、わからんかったよ。
何でも、安く手に入る時はそれを買って、それなりの食べ方をしていればいいのに、と何度も思った。
そもそも、「タイ米はまずい」なんて、タイの人に失礼じゃないか!
私は常日頃日本の食糧自給率の低さに危惧を抱いているが、21年前のその出来事は、私の危惧を裏づけるものだった。
お金があっても、世界規模の飢饉が来たら、誰も食料を売ってくれないよ。
マンガ家の荒川弘によれば、北海道は充分自給自足できるらしい。うらやましい話だ。
なんとなく、お米を多めに買ってしまう夏。
大内くんは、
「日照時間と温度が充分なので、凶作にはならない」と予言している。
中学受験をした人は、そういうとこ妙にくわしいからなぁ。安心しておくか。
14年7月28日
9月末に行く予定のイタリア旅行のため、iPhoneに入れてみた「音声翻訳アプリ」がすごい。
グーグルのやつにしてみたところ、
「バールはどこにありますか?」
「やめてください」
「いりません」
といった基本的な文章は当たり前として、大内くんがわざと難しいことをやらせてみようと、
「ピザを食べたいのですが、どこの店に行けばいいですか?」と言ったら、ちゃんとイタリア語になった!
これを、相手に見せるもよし、音声で出すのもよし。
双方向なので、英語に設定して「What is your name?」とか「Hou do you
do!」とかしゃべってみたところ、ほとんど音を拾ってもらえなかった。
発音が悪いということだ。さめざめ。
「これに向かってゆっくり話してください」という文章をイタリア語に直してもらったので、いざとなったらその部分を相手につきつける。
それで、相手の言うことが日本語に翻訳されるはずだ。
それにしても、我々はSFの世界に生きてるねぇ、と大内くんと2人で驚きあう。
そもそもケータイ自体、SFだし、音声読み取りや翻訳がここまでできているとは知らんかった。
アメリカに行く息子にもこのアプリを教えてやろうかと思ったが、それでは彼の勉強にならんだろう、と思って、やめておいた。
ただでさえ、ステイ先の大内くんの従姉は日本語ペラペラで、英語が通じなくっても何とかなっちゃう恵まれた環境なんだもん。
今、その旅行と我々のイタリア行きのために、息子に「スカイプなるものを教えろ」と言って迫っているが、返事は常に、「また今度」。
自分のことだろうが!もうちょっと真面目に取り組め!そろそろエアチケットも取ろうと思ってるのに。
息子が10日ほどアメリカに行って、帰って2日後に我々は11日間のイタリア旅行に出かける。
私は寂しくならないだろうか。
息子のアメリカ大冒険の話をろくに聞くヒマもなく出かけてしまって、後悔しないだろうか。
ま、どっちみち大したことは聞き出せまい。
アメリカの従姉に聞いた方がよっぽど話が早そうだ。
こっちはこっちで、勝手にイタリア行くぞ!
今、アマゾンで買った2冊の「るるぶ」を分け合って読んでるんだが、面白いほどおんなじことしか書いてないね。
システィナ礼拝堂のどの絵が何の場面をあらわしているか、とか、最後の晩餐の、どれが誰だ、とか。
あとは食い倒れ。
それなのに、レストランのドレスコードに関して、1冊には「リストランテでもそれほどうるさくない」と書いてあるかと思ったら、もう1冊には、
「トラットリアでもスニーカーはNG」とあったりして、どっちがホント?
大内くんは、
「高級レストランは日本でも行こうと思えば行ける。街角のトラットリアやピッツェリアこそ、僕らが行くべき場所だ」と言っているから、服装に関し
てはあんまり悩まないで、「入れる店に入る」という感じね。
そろそろ息子に洗濯機の使い方を教えるとか、冷凍庫を空っぽにして「開けっ放し事件」(数年前、我々が北海道に行っている間、1日だけ家にいてあとは合宿に行ってしまった息子が起こした悲惨な事件)の再発を防ぐとか考えなきゃいけないし、めんどくさい。
友達を呼んで大宴会、なんてことはしないのだそうだ。
大内くんはあとでこっそり、
「でも、実際に親がいなくなったらやりたくなっちゃうかもよ」と言っていたが、息子も言うとおり、彼はそういうタイプではないのだ。
あと、大事なことは、この機会にお掃除ロボット「ルンバ」を買うかどうか。
ここ数年、買うことは協議されており、もし買うならいまこそその時ではあるまいか。
家に残ってる人は、1回でも掃除しようなんて気は起こさないだろうから、帰ったら床にほこりのカタマリが転がってそうだ。
一考に値する。
もう2カ月後に迫ったイタリア旅行のため、我々はとても興奮し、準備に余念がない。
とにかく圧倒的な量の絵を見て、圧倒的な食事をしてくるつもり。
デジカメを新調しようか、という話は出ているけど、写真は、あまり撮らないだろうな。
写真、苦手だし、そこらじゅうに写真が載ってる絵を撮っても意味ないし。
「真実の口に手を突っ込んだ写真」を撮るために並ぶ、というよりは、行列してる人たちを撮っておしまいにするタイプなのだ、ありがたいことに2人とも。
早く行きたいなぁ。
でも、その前に息子をアメリカにやらなきゃいけないんだよなぁ。
従姉にもメールしなきゃ。ああ、大忙しというわけじゃないんだけど、多忙感が募るよ。
そうなるとバッタリ倒れてしまう自分を自覚して、適当にやろう。
14年7月30日
唯生の暮らす施設で、年に1度のカンファレンスが行われるので、大内くんも会社を休んで出席した。
ただし、始業時間前に会議が1件入ってしまったため、その会議に出て、会社が始まる前に退社した、という、いささか無理なかっこうになってしまったが。
唯生の病棟に行くと、主治医の先生、担当の看護師さん、PT(理学療法士)の人、保育担当の人、7名ほどが待っていてくれた。
お医者さんによれば、人工肛門、胃ろう、腸ろうをつけたことで体調が安定し、体重も増えてきているそうだ。
ただ、いろいろな処置が専門的になってきており、これまでのように外泊は難しいかもしれない、とのこと。
我々も、チューブだらけになった唯生を抱え上げる勇気が出ないので、仕方ないかもしれない。
その分、面会やお散歩の時間を作る、ということになった。
担当の看護師さんは男性で、この23年で初めてのことだ。
入浴やおむつ替えは女性がやってくれているのかもしれないが、世の中が動いているのを感じる。
いつもいろいろな同意書に署名捺印をしないといけないのだが、今回、「心肺蘇生処置の実施についての意向確認書」というものを提示された。これは、
(1) 急変時の対応として通常の無理の無い短時間の心肺蘇生を受けることを 望みます( ) 望みません( )
(2) (1)で「望みます」を希望された方の場合、意識の回復が見込めない状態での機械的延命処置(気管内挿管・人工呼吸装置)を
望みます( ) 望みません( )
という確認書で、ドクターによれば、(2)でいったん機械的な延命をしてしまうと、それをやめることはできないのだそうだ。
大内くんは少し悩んでいたし、ドクターも、
「皆さん、いろんなお考えがあります。いったん持って帰っていただいてもいいですし、あとでお考えが変われば変更することもできますので」と、ゆっ くり考えるようにうながしてくれた。
私の考えは、(1)は望むが、(2)は望まない、という方向だ。
唯生や我々の人生を考えると、(1)すら望まないかもしれない。
大内くんは、(2)の部分で相当ひっかかりがあるようだった。
最終的には、ドクターの、
「(2)の処置は、脳が相当なダメージを受けて回復不能な状態、という前提です」(つまり、いわゆる植物状態)という説明を受けて、やっと決心がついたようで、「望みません」の方にマルをつけていた。
まあ、悩むよなぁ。
書類を書いてカンファレンスが終わり、唯生の顔を見て帰る。
買い物等をすませて、家の近所のパソコンショップでHDDを物色している大内くんに息子から電話があったのが4時頃のこと。
「車がないけど、どっか出かけてんの?」という問いに、
「用があって、会社を休んだんだよ。今、買い物中。どうした?」と聞き返すと、
「今日、カノジョが泊まりに来る」。
オーマイガッ!どうしていつもそんなに唐突なんだ!
「もう、家にいる」
ますますオーマイガッな感じ。
夏休みに入ったとはいえ、どうせ息子は遅くまで帰ってこないだろうから、晩ごはんは2人で湯豆腐と魚の干物でも食べようね、と言ってた矢先の出来事で、家にはなんにもないに等しい。
「晩ごはん、何がいい?」「なんでもいい」
うーん、とにかく買い物に行かねば。
こういう時、家がいつも、「なんとか人さまをお通しできる状態」に保たれていることに感謝しつつ、スーパーへ。
後から考えれば私の得意料理の「鶏肉の香草焼き」とか「ナスとトマトのピリ辛煮込み」とか、いろいろメニューはあり得たんだが、その時はもう、あせりまくっていて、何のレシピも浮かばない。
私よりは平常心に近い大内くんが、
「僕が、麻婆豆腐を作るよ。あとは、レタスの湯引きと残り物のラタトィユでも出そう。おみそ汁の具はしじみでいいね」とてきぱき買い物を進めてくれる。
ほんとうにありがたい夫を持ったもんだ。
買い物をして家に帰ったら、息子の部屋に、2人がいた。
「どうも〜、おじゃましてますぅ〜」とカノジョ。
どうやら、同じ授業を取っていて、今日がレポートの締め切りなので、一緒に勉強しよう、という計画らしい。
とりあえず2人は「ガスト行ってくる」と出かけてしまった。
大内くんと、しばしぐったり。
「あ〜、もう、今日はただでさえ目まぐるしい1日で、このあとは何にもしないでのんびりテレビでも見ようと思ってたのに、彼は何でもいきなりなんだもんなぁ・・・」とこぼしつつ、こないだ泊まりに来たカノジョがまた来るってことは、前の訪問が、
「とりあえずどんな家なのか、見てみたい」とか「どんな部屋で暮らしてるのか、見てみたい」という一過性の好奇心ではなく、息子と充分深いおつきあいをしてくれるつもりがあるんだろうなぁ、とひと安心。
「8時ごろ帰る」と言っていた2人が7時ごろに帰って来てしまったので一瞬あせったが、
「軽く食べたから、晩飯は8時半ごろでいい」と言われ、かえってゆとりができた。
我々はもうお風呂に入ってしまったので、彼らのために再びお湯を入れておく。
2人は、食卓に対面して坐って、それぞれのノートパソコンで何か書いている。
「京劇」についてのレポートだそうだ。
締め切りは日付が変わる深夜12時。
あと5時間だ、書けるのか!?
8時頃から作り始めたので、結局食事の時間は9時ごろになってしまった。
日頃何もしない息子が、妙にかいがいしく「しじみの味噌汁」をよそっていたりするのが何となくおかしい。
このあともレポート書かなきゃいけないので、アルコールはいらないそうだ。
「オレは牛乳」と十年一日の息子で、カノジョに、
「○○ちゃんは麦茶でいいの?」と聞くと、丸い目をさらに丸くして、「ハイ、お願いします」。面白い。
息子はほぼ無言で食べていたし、カノジョは食べるのが遅いタイプなのであんまり話しかけるとますます遅れてしまう、という事情のもと、食事は全体に静かなものだった。
昔はキライだったラタトィユを食べている息子に、
「食べられるようになったんだ」と言うと、
「うん、うまいよ。オレ、もともとそんなに好き嫌いないじゃん」と答える。
いや、酸っぱいものとか、けっこう苦手なものあったよ。
まあ、あまり突っ込むまい。
とりあえずラタトィユが好きになったんだったら、野菜の好きな彼には夏の間たっぷり食べさせてあげよう。
「うちのはベーコンとか入ってなくてオリーブオイルだけだから、ヘルシーだよ」
「うん、その方がいいね。これ、うまいよ」
それはよかった。
あと、息子の柔道着が洗濯に出ていたのでコントに使ったのかと思ったら、湿っていた。
これは、どっかで稽古してきたってことだ。
聞いてみたら、あっさりと、高校の柔道部に行ってきたと話す。
先輩や同期が数人行くので、誘われたらしい。
「息が上がんなかった?」と聞いても、
「いや、平気だったよ」と答える彼だが、きっとウソだ。
こんなにトレーニングしてないんだから、現役の部員たちとやってくたびれないわけない。
給食が食べられなくて居残りさせられてるような状態のカノジョをほっといて、自分だけレポート書いてる冷たい息子。
やっと食べ終わったので、食器を洗い、我々は退散だ。
「リビング、使っていいの?テレビとか、見ないの?」と息子に聞かれたが、今日のところは好きにしてくれ。
「○○ちゃん、スイカ食べる?」
「ハイ、食べます」
「じゃあ、10時半ごろスイカ切るね。あなたは?」と息子に聞くと、
「オレはいらねー」
「スイカ、キライなの?」
「うん」
やっぱり好き嫌いがあるじゃないの!
寝室に引っこんで、大内くんはもう、気絶しそうだ、と言う。
「厚生省(唯生の件)をやって、情報通信担当(HDD購入計画の件)をやろうとしてたら外務省(カノジョが来た件)になってしまった。今日がこんなにくたびれる日になろうとは!」
うんうん、大変だったよね。
私としては、カノジョが泊まりに来ることがこんなに当たり前になってしまった現実がコワイ。
スイカを切りにリビングに行ったら、息子はソファに座ったカノジョの膝枕で何やら話をしている。
仲良さそうだなぁ。
つーか、少しはきまり悪そうにしろよ。
息子を除く3人でスイカを食べていたら、例によって1人だけ遅れて食べてるカノジョに、息子が、
「ちょっと食べさせて」とカノジョの分をかじる。
食べるんなら切ってあげるのに。
「いや、いい。でも、けっこううまいね」
にこやかだなぁ。別人のようだ。
それきり、我々は寝て、彼らが何時ごろ寝たかは知らない。
明日の朝は8時半ごろに起こして、9時に朝食、となっている。
大内くんはベッドに入るなり寝てしまった。
私だって疲れたよ。
でも、何だか夢のよう。
リア充な、楽しそうな2人の笑い声が時々聞える。
それを聞いていたら涙が出てきて、そのまま私も眠ってしまった。
唯生の生死を考え、息子の未来を思う。
本当に強烈な1日だった・・・
14年7月31日
朝、目覚ましの音で起きたのが8時半。
大内くんはとっくに家を出たらしく、もういない。
息子の部屋をノックして、開けると、ベッドの上で息子が、床の狭い空間に敷いた布団の上でカノジョが、爆睡している。
とりあえず距離的に近いこともあって、カノジョの方を起こしてみた。
「あ・・・おはようございます・・・」
「ごはん作るから、息子を起こしといてくれる?」
「・・・はぁい」
私はキッチンに行って「ぶっかけそうめん」のしたくをし、あとはそうめんをゆでるだけ、というタイミングでもう1度息子の部屋を見に行く。
「・・・さっき、ちょっと起きたんですけどぉ・・・」
息子の寝起きの悪さには慣れているようだ。
「ごはんだよ!起きて!」と言ったら、もぞもぞ動き始めたので、そうめんをゆでる。
出来上がったところでもう1回行ったら、なんとか起き出した。
3人でそうめんをすすりながら、ちょっとカノジョと話す。
「○○ちゃんちに息子が泊まってる時、もしお父さんがいきなり訪ねてきたら、息子は怒られるのかな?」という問いに、カノジョは首をかしげてしばし考え込む。
「・・・怒られないと思います。でも、私の部屋、散らかってるので、あとでお母さんに『片づけたかったのに』って言うと思います」
なかなかナイスなお父さん像だ。
そのお父さんと親戚になるかもしれないことを思って、ちょっとボーっとしてしまった。
そのあとは、私はもう1度寝たのでどうなったかわからない。
昼ごろ起きたら、2人ともいなかった。
息子は夜遅く普通に帰ってきたので、
「○○ちゃんは何か言ってた?」と聞くと、
「いや、べつに。ありがとう」とぽそっと言う息子。
ふーん、感謝はしてるんだ。しごくまともだね。
昨日の夕方あわて始めてから、私はずうっとあわってぱなしな気がする。
ゆっくり考えれば、何もあわてることはないのだが。
昨日見た、カノジョの膝枕で笑っていた息子の顔が忘れられないなぁ。
時がこのまま止まればいいのに、と、ちょっと思うよ。
でも、未来に向かって進んで行くからこそ人生は楽しいんだよね。特に若いうちは。
どうぞ、青春を満喫してください。それがどんなに恵まれたことか、意識できないうちはしなくてもいいから。
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