14年9月1日

息子はサークルの合宿に行った。2泊3日いない。
もっとも、無断外泊や夜勤のバイトが当たり前になってしまった昨今、さしたる感慨もない。
昔は、息子をひと晩お泊まりに出すためになら何でもした、そのぐらい親が、ひと時のお休みが欲しかった、という時期があったんだけどなぁ。
隔世の感があるよ。

前夜3時ごろまでごぞごそ起きていたから、寝起きの悪い彼が「7時出発、8時に早稲田集合」できるのか、と心配していたら、6時45分に目覚ましが鳴った途端に飛び起きて、昨日カレー喫茶でテイクアウトしてきたカレーをかき込んで、7時過ぎには家を出てしまった。
やればできるんじゃん。
どうして、相手が授業だとこういうわけに行かないのか・・・

昨夜、寝る前に着替えを雑に詰めたバッグの上に、勉強椅子用の座布団が乗っている。
朝食を食べている彼に、
「座布団、持って行くの? 何に使うの?」と聞いてみたら、
「座るため」
「バスの中で?」
「いや、床」

いったい、どこの床に座るんだろう?
それ以上の説明はしないで出かけてしまったので、謎。
帰ってきた大内くんに話したら、
「それは、きっと『笑点』をやるんだよ! みんな、座布団を持ち寄るんだよ!」と興奮していた。
にわかには信じられないが、サークルの若者たちは、何を始めるかわかったもんじゃないからなぁ。
しかし大内くんよ、お笑いサークルが合宿でお笑いをやるぐらい、当たり前のことじゃないか。
そう興奮せずともよろしい。

そして、大内くんは、息子がカレーを食べながら食卓に置いたジグゾーを、2、3ピース、そっと入れているのを目撃したらしい。
想像すると、なんだかカワイイ。

さてさて、3日間、息子はいないし、ごはんなんて大内くんと2人なら超テキトーにすませられる。
冷蔵庫の牛乳も減らなくて助かる。
「息子元気で留守がいい」
だが、私はきっと3日目ぐらいには寂しくてたまらなくなるんだろうなあl。

今、息子が就職して家を出たら、って、イメージトレーニングに余念がないんだよね。
「結婚するまで家にいてもかまわないんじゃないかなぁ」とか大内くんがオソロシイことを言い出すんだ。
就職したら、さすがに家を出てほしい。
いるんなら、食費と部屋代を出したうえで、自分のことは自分でやってもらいたいよね。
主のいないカオスな部屋を見てると、独り暮らしの彼の部屋を想像して気が滅入るし。
あー、早く結婚してもらいたい!

14年9月3日

息子が合宿から帰ってきた。
メールしたら、
「6時半ごろ帰る。晩ごはんは家で食べる」とのことだったので、こないだ大内くんが作って評判よかった「カルビクッパ」、大内くんはちょっと帰り が遅いので、私が作ってみた。
ついでに、冷凍サトイモで「煮っ転がし」を作る。
イタリア行きに備えて、冷凍庫を空っぽにするプロジェクトの途上なのだ。

だが!
肝心の息子はちっとも帰ってこないじゃないか!
7時半ごろに「まだ帰らない?」とメール。すぐに返事は来たが、
「8時ごろになる」。
そして、実際に帰ってきたのは10時半ごろ。
それならそうと最初から言ってくれればいいのに!
大内くんの方がよっぽど早く帰って来ちゃったよ。

カルビクッパを2杯ぐらい食べて、合宿の話はいっさいしてくれない。
しかし、前期の取得単位数がわかったらしく、それは普通に教えてくれた。
(2年前は、なかなか教えてくれなかったので、これも進歩というものでしょう)
いちおう、ギリギリ、あと2年半で卒業できる単位数だった。
本人も、
「5単位落としたけど、だいぶ要領がわかってきたから、これからはもっと楽」と言ってることだし、6年目はないと思っていいね!?

しかし合宿か。なつかしい。
3、40人ぐらいで行ったかなぁ。
野尻湖の大学寮で、玄関真正面から湖に出られるのはよかったけど、トイレ汲み取り式、食事は粗末、という、イマドキの学生さんたちは決して使わないようなとこ。
実際、10年以上前に閉寮されちゃったしね。

大内くんの最初の合宿、私は行かなかったんだよ。
4年の年齢差があるので、OL1年生の私はさすがに忙しくて行けなかったの。
翌年から何年かは行ったけどね。

いやぁ、よそさまの合宿はどうか知らんが、けっこうあちこちで修羅場になったり恋のさや当てが演じられたりしてたなぁ。
大内くんと私は、そのへんに勝手に出かけたり、派手なケンカをしたりしてたような気がする。
湖で遊ぶかトランプでもするか、って感じのヒマな合宿で、貸自転車で湖畔を走るグループ、なんてのは大いに健全な方だった。

とにかく、危険な年頃の男女が3日も4日も一緒にいるから、疑似恋愛を含めて、ホントにいろんなことがあった。
夜の飛び込み台の下で、開放的ないい気分になって、つき合ってる男子がいるのに他の男子とちょっと怪しい雰囲気になってたら、カレシが飛び込み台の上に寝っころがってて、全部聞いてた・・・なんて話もあった。
その後、そのカップルは別れてしまった。

大内くんと私みたいに部内結婚した人は何組かいて、合宿で仲良くなったカップルもいるんじゃないかなぁ。
逆に、別れ話が炸裂してたカップルもいるし。

息子たちの合宿では、そんなことは起こらないのだろうか。
そもそも、お笑いのユニットを組むにあたって、恋人同士、ってことは少ないみたい。
息子のカノジョも、息子とは全然違う人と組んでるし。
そういうのって、我々はもめやすかった。

少なくとも私は、大内くんが他の女子から親しげに、マンガを合作しようだの、原作を書いてくれだの言われてるのは、むにゅ〜とした気分だったよ。
だからって、彼と合作しようとも思わんかったけどね。

そのうち、我々の青春について、息子に語りたいし、息子の青春も知りたい。
向こうはどっちもノーサンキューだろうが。
ま、無事に帰れてよかった。
次は同期で沖縄旅行らしい。
また親に借金していくんだろうなぁ。(合宿代は借金だ)
学生のうちだから楽しいのはかまわないけど、修羅場は避けようね。

14年9月5日

おとといの夜、何となく眠れなかったので、徹夜で、料理をたくさん作った。
4リットルのタッパー1杯のラタトゥイユ、同じ量のビシソワーズ、鳥もも肉大8枚分のタンドリーチキン。
タンドリーチキンは半分冷凍庫に入れて、残りはタッパーに入れて冷蔵庫で寝かせる。
ラタトゥイユとビシソワーズは、大内くんと晩ごはんにじゃんじゃん食べる。
気候がちょっと涼しくてイマイチではあるが、おいしくできたなぁ。

息子も全部好きらしく、よく食べてくれた。
タンドリーチキンを焼いてラタトゥイユとビシソワーズを添えて出したら、
「これ、うまいね」を連発しながらぱくぱくと。
料理にうるさいオレ様男の息子から、このセリフを聞くのはけっこう難しいんだ。
あとは、飽きさせないこと。
ま、今年の冷たい夏野菜料理はもう終わりだから、大丈夫だろう。

大内くんは、ビシソワーズはじゃがいもとタマネギとコンソメと牛乳だけ、ラタトゥイユにいたっては野菜以外一切入れず、油分はオリーブオイルだ け、ってのがものすごく気に入ってるらしい。
「ベーコンとか入れるレシピもあるけど、あれは、冷やすと脂分が白く固まる。おいしくない」と言う。

息子にも、
「余分なものはほとんど入ってないよ」と言うと、喜ばれる。
若いのに、ジャンクなものをめったに食べない健康志向の彼らしい。
彼がいない間に残り物のタンドリーチキンを食べてしまったら、夜食に食べたかったようで、とってもぷんぷんしていた。

というわけで、ラタトゥイユとビシソワーズ、あっという間に縦長のタッパー、底5センチのあたりまで減ってしまった。
私は何でも大量に作るのが好きだし、それが家人の気に入ってもらえてどんどん売れて行くのは楽しい。
今年の夏は、ビシソワーズの作り方を会得したのが最大の収穫か。
大内くんも、
「我が家のメニューにいい料理が加わったね」と言ってくれる。

でも、じゃがいもとタマネギを煮たあと、フードプロセッサにかけて牛乳を足しただけで漉してないので、なめらかさは全然。
だから、おもてなし料理にはならないなぁ。
あくまで家庭料理と言うか、お惣菜みたいなもんだ。

今年は野菜をいっぱい食べた。
次の課題は、イタリア旅行に出発する9月末に備えて、冷凍庫を空にすること。
おととしの夏、北海道に行ってる間に、誰もいない家から合宿に行った息子が冷蔵庫の扉をきちんと閉めず、3日間ピーピーアラームが鳴ってて、冷蔵庫も冷凍庫も全滅、だったことが忘れられないのだ。
「冷蔵庫に何にも入ってなければ、被害は電気代だけだよ」と言う大内くん、久々のナイスアイディアだよ。

というわけで、大鍋料理を作る一方で、冷凍庫の底までひっくり返して、いつの物ともしれない怪しいブリの切り身を照り焼きにして食べたり、肉を解凍しておかずに使ったり、なかなか順調。
そろそろかなり底が見えてきた。
おととい冷凍したタンドリーチキンも、来週ぐらいに焼いて食べちゃおう。
9月は息子もアメリカに行くし、我々は今、ほぼ1日1食で暮らしているので、食料品は減りにくいんだ。
冷凍してある食品を意識的に食べないとね。
さすがに冷蔵庫の調味料類を食べつくすのは無理だと思うが、まあ、それは常温保存でも廃棄するところまではいかないだろうと。

これも旅行の準備のうちだ。
そろそろ本腰入れないとなぁ。

14年9月6日

久々にヒマな1日。
イタリア旅行の情報誌を2冊(るるぶとまっぷる)を2人で交代で読む。
大内くんは、世界史の勉強に気を取られ過ぎていて、肝心の「何を見に行くか」「どこでおいしいものを食べるか」といったあたりがやや手薄だったので、ちょうどいい時間だった。

それにしてもイタリアってのは、ルネッサンスとバロックが幅きかせてんねー。
どこもかしこもベルニーニとミケランジェロじゃん。
私はこういう迫力ある写実派みたいな、はったりのきいた彫像は大好きだから、嬉しいけど。

息子はカノジョのとこに泊まりに行っちゃったし、もう、思う存分イタリアにはまる。
録画した「バチカン」の番組見て、
「あ、あれ、我々が泊まるテルミニ駅だ!」
「A線とB線、わかるわかる」
「ボルゲーゼ美術館もわかるよ!」といった具合。

本当はネットでローマパス(3日間、地下鉄、トラム、バス乗り放題。美術館2つ無料になって、あとは割引がつく)を買いたかったんだけど、ちょっ と我々の手には余ったので、ツアーに出発してから添乗員さんにお願いすることにした。
すみません、頼りないお客がくっついてきちゃって。

スケジュールはだいぶ明らかになって来た。
旅行10日前ぐらいになると旅行社の方からくわしい資料が来るので、インプットはそのあとでよかろうと。
それより、9月14日にサークル仲間と沖縄行って、17日に帰って来て、18日0時過ぎ(つまり、限りなく17日に近い)のフライトで10日間の アメリカの旅に出かける息子の予定はどうなっているのだろう?
彼が帰国したら1日置いて我々は11日間イタリアだし。
アメリカ体験談を聞くヒマもない。

最悪、17日の深夜に我々が羽田まで行って、おみやげや生活費持たせたり、荷物取り換えたりしてくるつもり。
甘いのは承知だが、そのぐらいしないとほとんど顔も見られないんだもん。
できれば、空港でラーメンでもすすりながら沖縄のみやげ話を聞きたいよ。

今頃になって歯が痛いの虫歯だの言い出す息子に、大内くんもはたと、海外旅行保険に加入しなくては、ということを思い出したらしい。
我々の分は手続きしたのに、息子のは忘れてた。
親戚の家に行くからって、ちょっとたるんでたね、親も子も。
ふんどし締め直して、頑張りましょう。

14年9月7日

この忙しい旅行シーズンに「歯が痛い」などと言う問題を持ち込んできた息子に、大内くんと2人がかりで怒っていたら、翌日、速攻で歯医者に行っ た。
削って型とってもらって、金属ができてくるのが12日(金)だそうで、沖縄旅行にギリギリじゃないか!
うまいこと切り抜けたなぁ、と思ったり、どうして土壇場になって虫歯なんかになるんだ!と思ったり。

そもそもこの沖縄旅行は、アメリカに単身行くと言うスケジュールの直前に突如現れたもので、さすがの本人も、寝起きでボーっとしてる時だけだろうが、
「ちょっと入れ過ぎだよなぁ…無茶したよ」と反省をにじませ、つぶやいていた。
ちゃんと目が覚めてる時に聞くと、
「帰って来て、間に合うんだから、いいだろ?!台風が来たら飛行機が止まる?そんなこと、めったにねーよ。だいたいオレ、運が強いし」。
ずっと寝てろ。カワイイから。

そもそもツキってのは、そういうこと、自分で言い始めると運が逃げてくんだよ。
強運は、意識して使う物じゃないんだから。あくまで謙虚な気持ちでいる人にしか、神さまは目をかけてくれないと思う。

まあいいや、那覇で足止め食って、アメリカ行きのチケット流して、その時初めて悔し泣きすればいいよ。
ところでで、那覇から直接アメリカ、ってコースはないもんですかね?
もちろん、息子にそんな計画力はないので、どうしようもないけど。

14年9月8日


めずらしく息子が速く帰ってきたと思ったら、友達と夕食食べるとかで、また出かけて行った。
それでも最終的に帰ってきたのが9時ごろ。
日頃の日付変更線を越えてからの帰宅よりはずっと早い。
一緒に世界柔道を見る。

ところが、メシ食ってきた、というわりにはなんだかんだ食べたがるなぁ。
串揚げを食べたそうで、
「あんまり食べなかったの?」と聞いたら、
「いや、それなりに」という答え。
それでなぜ、菓子パンを2つ食べたうえで、北海道に帰省だか旅行だかして来た友達からもらったものだろう、レトルトの「たらばがにカレー」を食べたがるのか。「ごはん、多めで」と。
思春期の胃袋は謎だ。

たらばカレーはとってもおいしい匂いがして、レトルト袋を開けた私は、くらくらした。
昨日作ったビシソワーズも出す。
「夏のメニューだから、そろそろ終わりなの。でも、安定して作れるようになったでしょ?」と問うと、
「うん、うまいよ」。
ああ、このひと言のために、どれだけ苦労をしているか。

一般のスポーツファンの方々の興味はさぞかし「錦織」でしょうなぁ。
うちでも、大内くんが一瞬血迷ってWOWWOW入ろうとしたぐらいで。
まあまあ、キミには、世界柔道があるじゃないの。

14年9月9日

息子からラインが来て、やっと沖縄旅行のフライトがわかった。
17日(水)の16時に羽田に着くらしい。
その真夜中の0時すぎにアメリカへ発つ彼は、あんがい間に時間があるので、いったん家に帰ると言う。
私だったら、羽田のソファで寝て時間をつぶすなぁ。

夜、また出かけるのがかわいそうだし、話す時間もあまり取れないので、大内くんの会社が終わって帰って来たら、車で羽田まで送って行ってやろうと思う。
お笑いサークルの同期仲間たちとの沖縄旅行でどんなことがあったのか、おそらくあんまり話してはもらえないだろうが、機会を作るだけでもこっちの良心は痛まなくなるんだ。

サークルの同期たちは、入学してしばらくの頃、1度大勢で泊まりに来たことがある。
何度か、ライブやコンテストを見に行った時、
「あっ、大内くんのお父さんお母さん!」と挨拶されたこともあり、顔見知り、と言っていいだろう。

我々は、彼らに対して、息子に次ぐ愛着を持っている。
これまでも、息子が保育園時代からこっち、家に連れて来た友達の面々と同じような気持ちだ。
息子が何を血迷ってうるさい親がいる実家に7、8人もの同期を泊めに連れてきたのかはわからないが、いいチャンスをもらった。
その後は年相応に用心深くなった彼は、もう友達を家に連れてきたりしない。

それでも、時々、
「○○はオレと一緒に留年した」
「××は野球が好きで、シーズンが始まると毎日のように横浜スタジアムに行っている」
などと情報を仕入れることができて、本当に、あちこちに息子を持っている気分だ。

もちろん大学以前の友達にも興味と愛情が尽きず、幼なじみのお母さんたちと忘年会をしたり、高校の「柔道部オヤジの会」の飲み会に大内くんが誘われたりす ると、いそいそと出かけて行っては、コドモたちのウワサ話を聞いてきて、喜んでいる。

今回、息子は、サークル仲間たちとどんな夏を過ごすのだろう。
沖縄には高校の修学旅行で行ったことがあるはずだ。
夏だ!海だ!南の島だ!って感じで、底抜けに楽しく過ごしてもらいたい。
あいまに「大喜利」でもやって。
そして、このつきあいが、我々の大学のサークル仲間のように、一生モノであることを祈っている。

14年9月12日

朝、突然「スカートを貸せ」と言われた。
コントで使うらしい。
私はスカートをほとんど持っていない。
かろうじて、ウエストフリーのフレアースカートを1枚、出してやる。

キッチンバサミがなくなっていて、大内くんは息子を疑っていた。
「帰って来て、聞いてみるまではわからないよ。疑わしきは罰せず、だよ」と言っていたら、案の定、彼が持ち出しており、無事に返ってきたからいいようなものの、家から小物がなくなることは日常茶飯事だ。
今回、テーブルクロスも持ち出されていたし。

今日も床に背広と学ランが転がっていた。
大会へのエントリー費用もバカにならないらしい。
もうコンテストは終わりだ、と言っていたが、ライブが何回かあるみたいだ。
どうしてこんなにお笑いの好きな人に出来上がってしまったのだろう?
そして、こんなに迷惑してるのに、どうして我々は殆ど何も教えても見せてももらえないのだろう?!

14年9月13日

明日から息子がサークルの同期と3泊4日の沖縄旅行に出かける。
それに向けて、おこづかいを無心された。
(旅行費用の方は、もうごくあたりまえに、自動的に、貸している)
親への借金が100万越えてるってのに、バイト料入ったばっかりの身の上で、おこづかい?
息子によれば、
「(バイト料は)まだあるけど、向こうで足りなくなるとイヤだから、1万円ちょうだい」。
これは微妙だ。
彼は、これを借金の一部ととらえているのか、それとも親からのカンパだと思っているのか?

カノジョんちに泊まってる息子とそんな会話をライン上で続ける大内くんは、いきなり思い立ったらしく、
「机の上のガラクタを捨てさせてくれるんなら、いいよ」と言う。
「自分でやる。捨てられたくないから」
「自分でやって、1万円もらいたい、ってこと?」
「そうそう」
「じゃあ、明日中にやっちゃってね」
「わかった」
というやり取りを経て、さて、あの、腐海と化した机の上が、なんとかなるもんだろうか?
今日は夜勤のバイト、それが終わったらもうそのまま沖縄に発つ彼なのに。

マンガが、いちばんわかりやすい山なので、それだけはリビングのテレビラックに引き取らせてもらいたい。
あとは、何があるのかよくわかんないよ。ひたすらカオス。
まあでも、自分でやる、って言ってるんだから、やってもらうよ。
ルンバと大内くんのおかげで床はキレイだし、私が週に1度はシーツを替えているので衛生上さほど問題はないはずなんだが、このままだと、ヘンな虫 がわいたりキノコが生えてきそうだ。

沖縄旅行が終わって東京に帰ってくる、まさにその真夜中に、10日間のアメリカ行きが始まる予定。
そして彼がアメリカから帰ってくるのが27日の夜中。
我々は29日の早朝から11日間のイタリア旅行に出かける。
間に丸1日しかない。

そんな怒涛の4週間ほどの幕開けは、息子の外泊と急に入った病院の夜勤で2日早まった感がある。
思ってたより、顔を合わせる時間がないじゃないか!
明日はもう帰ってこない、と言いながらさっさと荷造りをし、約束の「部屋の片づけ」をテキトーにすませて、お金受け取ったと思ったらあっという間 にバイトに行ってしまった。
予定のすり合わせ等をもう1度行うも、めんどくさそうに、ほとんど聞いてないし。

我々がイタリアに行っている間に唯生に何かあったらとりあえず駆けつけてくれ、と行き方のメモを作っておいたのとか、洗濯は3日に1度ぐらいはし ろ、と言って洗濯機の使い方を教えておいたのとか、早めにやっといてよかった、と胸をなでおろす。
やはり、ボーイスカウトの合言葉、「そなえよ、つねに」は大事だなぁ。

でもね、荷造りしてる彼に、大内くんが、
「しばらくほとんど会えないね。キミは何とも思ってないだろうけど、父さんたちはちょっとさびしいよ」と言ったら、
「悪いね、バタバタして」と優しい口調の返事があったらしい。
うん、あわただしい別れになってしまったのは、キミのせいだ。
それを謝ってくれたってことは、我々がさびしく思うのを、「気持ちわりー!」とは思わずにいてくれるってことだよね。
それだけでもう、いろんなことがどうでもよくなったよ。

3日後に、帰って来たら少し話そう。
「アメリカ行きの空港まで車で送るよ。沖縄のみやげ話を聞かせて」と言っても、「うん」とうなずいてくれた。
「話なんかねーよ!」って言われるかと思ってたんだけどね。

この頃、ずいぶん一人前と言うか、「出来の悪いオトナ」ぐらいにはなってきたなぁ、という印象だ。
沖縄やアメリカへの旅行で、また一段と成長するといいね。
とにかく元気に帰って来てくれ。

14年9月14日

息子の部屋、昨日あわただしくではあるものの、机の上を片づけてくれたので、少しはマシになった。
あとは本棚からあふれそうになっているマンガを処理しなくちゃ。

文字の本はあまり読まない息子だが、そのかわり、マンガにはかなり詳しいらしい。
まあ、親がこれだけマンガ持ってれば、たいていのものは眺めてるだろう。
そして、国力がついた国の常として、逆輸入を始めた息子。
大メジャーではあるものの、彼から教わった「ハガレン」「銀の匙」は本当にいいマンガだ。
自分のコドモにマンガ薦められるようになっちゃったかぁ・・・

ただ、マンガを買うのはけっこうなんだけど、彼は自分のマンガを自炊させてくれない。
「オレは、紙で読みたいんだ!」と公言し、机の上や床に、どんどん石筍状に積み重なっているマンガが、そう遠くない将来、どんな結果を産むか、真 剣に考えてはいないようだった。

我々から見るといつ地滑りを起こしても不思議はない状態だったので、今回、息子の許可が出たのを幸い、全部リビングのテレビラックの中に移してお いた。
本がどいた机の上からは、「なくした」と言って何度も買わされたUSBケーブルが幾本も絡まって出てくるとか、そういう腹の立つ状況ではあったの だが、片づいたところを見る満足感は、何物にも代えがたい。

リビングにそんなに余裕があったのは、我々のマンガを全部自炊した結果なんだが、そこにまた息子のマンガが入って来るのは何やらむなしいものがあ る。
将来的には、自炊させてもらうか、マンガとともに家を出て行ってもらうか、二つに一つだろう。

コントで使ったらしい金髪のかつらとか、ピストルとか、股間に金の蛇口がついた真っ赤なビキニブリーフとか、いったいどうしろって言うんだ。
せめてどこかに片づけろ!タンスの上に奇妙なものの山を作るんじゃない!

ああ、これだけキレイにしてやっても、またすぐにむちゃくちゃになるんだろうなぁ。
正直言って、日頃の息子の部屋は、いわゆる「泥棒が入った直後のような」ありさまなのだ。
自分達が苦労してローン払って買った家の一部がそういう状態、ってのは、本当に精神衛生に悪い。

14年9月15日

この夏、サンフランシスコに住む大内くんの従姉の家に10日ほど泊めてもらう息子は、ときどきラインなどを介して話を進めてるらしい。
先日は、従姉からのラインをそのまま送って来た。

要するに、小学生の双子を学校に送り迎えする片道30分のドライブで、聴くCDがもうなくなってしまった、と言うのだ。
「日本語を教えたいから日本の歌をいろいろ聴かせている。サザンは持ってるけど、funnyな英語であんまりよくないし、子供向けの童謡は聴き尽 くしちゃった。日本で今、流行ってる、コドモでもわかるような歌のCDを何枚か、持ってきてくれないかなぁ。もちろん費用は出すわよ」

彼女が知っているグループは、「AK48(原文ママ)」、「ひるね」「パスピエ」といったところらしい。
息子のミッションではあるものの、沖縄行きをひかえてあまりに忙しそうなので、少し手伝ってあげることに。
とは言っても、アマゾンでレンタル落ちらしい中古を5、6枚注文しておいた、ってだけの話だ。
今、家に続々とVDたちがやって来てる最中。

やはり、世界のAKBといえども外国では「AKであってる?」という感じだ。
息子の好きな水樹奈々も入れてあげたかったんだが、本人が、
「あれは、普通の趣味じゃない。一般的とは言えない」とケツまくっていた。

そうそう、あと、日本語のやさしい本として、「アナ雪」の絵本のようなものはないか、と聞かれたなぁ。
吉祥寺のデカいジュンク堂に行ってみよう。
今、その手の本はものすごく多いに違いない。
ちなみに、従姉は「Frozen」と書いてきたので、最初意味がわからなくて家族全員煩悶した。
ググればいいんだよね。
そうか、「アナと雪の女王」の原題は「Frozen」と言うのか。勉強になった。

このように着々と準備を進めている息子の渡米。(いや、彼がやってるんじゃないんですよ。我々が進めてるんですよ)
「オレ、向こうで何してようかなぁ」と、本人はいささか頼りない。
街をぶらついて、映画館にでも行ってみたら?ショッピング・モールも面白いよ。
まあ、まずは同期との沖縄旅行を楽しんできて。
無事に帰ってこられたら、同日夜中にシスコに発つ。
しかしまあ、キミは、忙しい人だねぇ・・・

14年9月16日

息子が昔お世話になっていた塾の塾長と、個人的な飲み会。
定年後はこの塾で社会科を教えて生活費を稼ぎたいと思っている大内くんには、大事な接待(?)の機会でもある。

会社帰りの大内くんと、駅前の塾で仕事を終えた塾長と、駅近くの居酒屋に集合。
あいかわらずたlくましい巨漢の塾長と、まずはひととおり、今、塾でバイトしている息子の同期の面々についてのウワサ話を聞く。
息子も大学に入ってしばらくはこの塾で教えさせていただいたが、「お笑い」活動に夢中になり過ぎたことと、本人が、
「オレはコドモはキライだ。人に教えるのも向いてない」と言い始め、入学後半年ぐらいでフェードアウトしてしまっている。

「Yくんが、合宿を黒字に運営する工夫をしてくれました」
えっ、Yくんって、中3の頃、塾の帰りに車通りの少ない道とは言え、息子と自転車レースをして帰るので、塾長が2人を叱ってくれた、あのYくんで すか?
「Tくんは、頑張ったんですが、1単位足りずに、留年決定です」
はあ、あの、アタマがよくて真面目なTくんも留年とは。
「S先生は、8年かかってついに卒業できそうです。卒業後は、うちの塾に来てもらいます」
あー、とうとう卒業ですか。器用で何でもできるS先生は、きっといい戦力になりますよ。

みんな、元気にしてるんだなぁ。
同期たちは、塾長に言わせれば、
「もう、連中に任せておけば、塾ひとつ運営していきますよ、ヤツらは」。
頼もしいなぁ。
息子も、深夜のERで受け付けの仕事をしているが、
「大内くん(この場合、息子ね)なら、もうずうっとまかせておける」と言われているといいね。

息子の側の話もひととおりして、今、問題なのは、世界史の先生が払底してること。
なので、大内くんのようなロートルにも、夏期講習・冬季講習で数コマ見てもらえないか、と打診があるのだ。
定年後の生活もあるし、何より勉強して人に教えるのが大好きな彼は、チャンスをもらったことをたいへん喜んでいる。

ヒザの故障(塾長も関節炎を起こしているらしい)からイタリア旅行まで、話は尽きなかったが、2時間を目途に散会。
近くのマンションに帰る塾長と別れて、我々も自転車を連ねて家に帰る。
楽しかった!

いつもお支払いをどうするかもめるのだが、今回は夏休みに大内くんが授業を数コマ持ったことと、先月が私の誕生日であったことなどから、おごって もらうしかなかった。
次こそおごってやる!と毎回闘志満々なのに、気づくと、1対2であるにもかかわらず、「半々の割り勘」にされてしまっているようなことが多い。
さすがは個人事業主。

大手進学塾もリストラを行うほどの「コドモ不足」の状態で、街の補習塾を繁盛させて行くのはなかなか気骨の折れる仕事だろう。
塾長、あと10年は塾を続けてくださいね。
大内くんは、毎晩勉強してます。
秀才ってのも、不治の病なんですね。

14年9月17日

息子が、3拍4日の沖縄旅行から帰ってきた!
だが、たちまちのうちに荷造りをし直して、サンフランシスコ行きの飛行機に乗るために羽田へ向かわねばならない。
いやぁ、私だったら帰ってこないな、実際のところ。
少々危険でも、パスポートもドルもおみやげも、全部持って沖縄行っちゃう。
飛行機の便は変えようがなかったので、いったん羽田に帰ってくるのは仕方ないとしても、家に帰るかねぇ?

直前に従姉から来たメールを夜中に読んでいたら泣けた。
「Just so you know, your son will be like my son while he is here」
いくら従弟の息子だからって、会ったこともない日本の青年を、こんなに歓迎してくれるとは。
彼女はもうさまざまな計画を立ててくれているようで、10日ばかりのステイの間に、野球観戦、ピクサーの社食、アルカトラズ観光、友人宅でのパー ティー、ルーカススタジオ関連会社のパーティー(彼女が昔、勤めていたのだ)などなど、じつにいろんなところに連れてってくれるようだ。プールに 行くかもしれないから、水着も持って来てくれって。
私も昔みたいに英語がスラスラ書けて、彼女に胸いっぱいの感謝の気持ちを伝えられたらいいんだけどなぁ。

4時ごろに、
「はあ〜、疲れた〜」と言って帰って来て、麻婆ナス定食をむさぼり食った息子にこのメールを見せたら、
「向こうで何しようかな〜。何も決めてないな〜」とのんきに構えていた彼も、こんなに歓待されるのか!と、ちょっと驚いたらしい。
「水泳パンツは沖縄で失くしちゃった。向こうで買うよ」と言いながら、何となくびびった雰囲気になっていた。

大内くんが帰ってごはんを食べるのを待って、8時半頃、車で再び羽田に逆戻り。
息子が運転したいそうなので、ハンドルを握らせてやる。
沖縄は、楽しかったそうだ。海がキレイだったって。
彼にしては機嫌良く、いろいろ話してくれた。(それでも大したことは教えてくれないけど)
首都高はすいていて、9時半過ぎには羽田に着いてしまった。

とりあえず車を停めて中に入り、カフェでお茶を飲む。
息子はゲームをしながら、
「で、オレ、アメリカ行って何すんの?パーティー行ったって、英語できないから困るよ」とか文句たれてた。
「じゃあ、何で行きたかったの?アメリカに、何を期待してたの?」と逆に聞いてみたら、
「空気感?」と答えるので、
「そうねぇ、母さんだって、大学の寮で外人と同室だったりして英会話はイヤっつーほどやってたけど、実際にアメリカ行った時は、トランジットのソ ウル空港で切手買って、売り子さんと話が通じた、ってだけで踊り上がりたいほど嬉しかったからねぇ。やっぱ、行く、っていうのは意味があると思う よ」と言っておいた。

息子によると、従姉のダンナさんが空港まで迎えに来てくれることになっていたが、少し具合が悪くて、来られないかもしれないそうだ。
「そしたら、どうやって従姉の家まで行くの?」と尋ねたら、
「パケ死しちゃうから、ケータイメールは使えない。電話で何とかする」と言うので、電話番号を確認しておく。
これが、アメリカに行ってからのか細い頼りの糸か。

「オレに、何か言っとくことある?」と聞くのは珍しいね。
「今、と言うより、私たちがイタリアに行く時いろいろ言っときたいことがあるよ。アメリカから帰って来たら間に1日一緒に過ごせる日があるから、 その時言うよ」と答えたが、単身アメリカに行く、という今、何か言っとくべきことがあっただろうか?
帰ってきた時、息子は、もう別の人格になっているかもしれないからなぁ。

それなりに会話をして、彼がまだ将来何になりたいのかわからない、というところまで聞いて、そろそろ搭乗1時間前だ。チェックインした方がいいだ ろう。
席を立って荷物を預け、手荷物検査のゲートに並ぶと、息子は振り返ってちょっとだけ不安そうに、
「え、ここでもう、お別れ?」と言う。
「そうだよ。気をつけて行ってきて」
「うん。じゃ。ありがと」と列に並び、幾度かふり返って手を振りながら、彼はゲートの向こうに消えて行った。

大内くんと、
「じゃ、帰ろうか」と言いながら車に戻り、無言で発進する。
「小さかった息子を、数日よそに預けたことがあったじゃん。あの時みたいな気分だね」
「うん、バルタン星人の人形を持って、手を引かれて廊下の向こうに歩いて行ったのを見送った時と、似てるね」
ぽつぽつとそんなことを話しながら、2人とも、とても寂しかった。

「明日、あなたは出張で泊まりなんだよね。あー、いきなり私、家に1人かぁ」
「ごめんね。寂しいだろうけど、待っててね」
いや、実際、寂しいよ。つーか、独りだと、家、怖いし。
なるべく陽気なマンガを読んで過ごすことにしよう。

夜中のこととて帰りはいっそう道がすいていて、1時間弱で家まで着いてしまった。
「今ごろ、飛行機が発ってるよ」と言いながらさっそく従姉に息子が無事飛行機に乗った旨メールしてお風呂に入っていると、すぐに返事が来た。向こ うは今、朝なのだ。
どうやらダンナさんは具合がよくなったようで、ちゃんと迎えに来てくれるらしい!
彼女のメールには、こんなことが書いてあった。

「We are so excited to have he visit! Dream comes true. My little son woke up this morning and the first thing he said was "He's coming today!!"」
向こうでも楽しみにしていてくれるらしい。
胸が熱くなる。
息子は楽しい10日間を過ごせるに違いない。

「本当に寂しいね。彼の結婚式から帰った時って、こんな気分だよ、きっと」と言いながら寝た。
実際、疲れていたのですぐに眠ってしまったが、これからの日々を思うと涙が出てくる。
とりあえず、明日は家に独りだ。
ちょっとでも怖いマンガは読まないようにしよう。

14年9月19日

買ったばかりのお掃除ロボット「ルンバ」は大変好調。
1週間を待たずしてダストボックスがいっぱいになり、開けると、綿ぼこりがぎっしり詰まっている。
それだけ、家からほこりを駆除してる、ってことだ。

ただ、唯一問題なのは、この家が標準より少し広いため、ルンバの手に余ることもしばしば。
一番端の息子の部屋にはめったに来てくれない、なんてことが起こるのだ。
気が向くと2時間ぐらい掃除をしているが、どうかすると20分ぐらいでホームベースに戻ってしまうことも多い。

大内くんも私も、「ルンバ」を買ったこと自体は大変良い選択だったと思うので、この際、家を2つのブロックに分けて(リビング側と居住部分側)、 リビングでは今使ってる「770」というタイプを使い、間取りがややこしい居住部分側は「お部屋ナビ」という、誘導装置を置いておくと順番に部屋 に入って掃除をしてくれる「780」をもう1台買おうか、と相談している。

そうなると、家電の好きな大内くんは、
「どうせ買うなら上位機種を買いたい。最初に安い普及型を使ってみて、コンセプトがよければ上位機種に行く、というのが僕らのスタイルだ」と言 う。
「お掃除力」がアップし、ダストボックスも大きくなったという評判の、「800シリーズ」も気になるのだそうだ。

さて、話は大きく変わるようですが、ガマンして読んでください。
昔、私が社会人となって大学の寮から出て、西荻窪で独り暮らしをしていた頃、なにせ家賃が安いぼろアパート、しかも1階だったので、すきまからア リが侵入してきて、列をなして歩いていて、困ったことがあった。

仕方がないから薬でも撒くか、と、当時のカレシに「明日、『アリ滅』(アリ退治の薬)を買ってこなきゃ」と話した翌日から、ぴたりとアリの侵入が やんだ。
アリは、人の言葉がわかるんだ!って、ものすごく驚きましたよ。

話は戻って、どうやら、ルンバも人語を解するらしい。
「もう1台買い足そうか」と言い始めた日から、実に熱心に掃除してくれるようになった。
毎日1時間半。家の端の方まで来てくれるし。
「バカだなぁ、誰も、捨てちゃうなんて言ってないのに」と、思わず頭(どこ?)を撫でてしまう私である。

大内くんの会社にも、「隠れルンバファン」がけっこういるらしく、使った人はみんな、口をそろえて、
「とてもいい商品。役に立つ」と証言するのだそうだ。

うちとしても、こないだの「家電祭り」の時に買ってしまったテレビも洗濯機もルンバも、みんないい製品ばっかりだ。
洗濯機は、無精なようなのだが、もう外に干す、って考えられない身体になって来ちゃった。
実によく洗え、よく乾く。
フィルター掃除をマメにしないといけないのが面倒と言えば面倒だが、厚さ3mmぐらいのグレーのフェルト布みたいになった綿ぼこりが取れるのは面 白い。

残るはテレビなんだが、これは、まだ本格的には使っていないんだと思う。
今はイタリア旅行で頭がいっぱいだけど、秋になったらパソコン繋いだりHD繋いだり、いろいろやってみてくれる、と大内くんが言っている。
保存したい映像は、これまでHDDからDVDにダビングしてきたが、非常に時間がかかるうえ、面倒くさい。
しかも、データは不安定で、10年ぐらいしたら読めなくなる危険がある、IT関係の友人は言う。
だったら、HDに入れた方が便利かも。
検討してください、我が家の科学技術庁長官、大内くん。

14年9月20日

無事ホストファミリーである大内くんの従姉宅に落ち着いた息子、金曜の夜は一家総出で野球観戦に行ったらしい。
従姉から、メールと写真が送られてきた。
従姉夫婦、ティーンエイジャーの娘、小学校2年の男女の双子、オーペアの日本人女子大生、それに息子と、大所帯で写っていた。
(通りがかりの人にでも撮ってもらったのだろうか?)

息子はなんだかニコニコしてて、
「その笑顔を、家でももうちょっと使えよ!」と言いたくなる。
アメリカ的に過大にほめてくれてるのかもかもしれないが、従姉のメールの中では息子は「great guy」だったり「nice young man」だったりするのだ。
ついに、国際的内弁慶だよ。

こっちは、寂しい!ひたすら、寂しい!
「ペットロス症候群」ならぬ、「息子がホームステイに行っちゃった症候群」だ。
彼が帰るまで、もつんだろうか?
明日にでも、サンフランシスコ行きの飛行機に乗りこんじゃったりして・・・

14年9月22日

朝、通勤途上の大内くんのケータイに、息子からライン通話の電話がかかってきたと言う。
どうやら、大内くんの伯母さん、息子の大伯母さんにあたる、従姉のお母さんが、週末に泊まりに来たようだ。
かなりな認知症を患っていて、短時間記憶がさっぱりないというその大伯母さんのことは、事前に息子にちゃんと説明しておいた。

「あなたの、赤坂のおじいちゃんのお姉さんだよ。従姉は、その娘なんだよ」って、噛んで含めるように言っておいたのに、息子が電話で訴えるのは、
「親戚のこと、全然話してくんなかったじゃん。隠してたの?!」。
いいえ、全部ひと通り説明しました。あなたが聞いてないだけです。
だいたい、何でその家にステイさせてもらえてると思ってたの?親戚だからでしょ!

「今度、ゆっくり話すから」と言っておいたらしいが、人間、コドモのうちは自分の親戚のことってわかんないもんだね。
実は私も、亡くなった母の従弟とか、父の実家関係とか、いまだによくわからないんだ。
2人いた母の姉妹も、数年前にたぶん孤独死してて、姉が葬式関係とか全部やってくれちゃったからなぁ。
その分、遺産とかもうおまかせなんだけど。

昨日の晩、従姉がくれたメールによれば、息子は、その認知症の大伯母さんに対し、非常に「patient」で、「kind」だったそうだ。
これまた信じられない話。
「母は、何度も何度も(原文によれば、probably 50 times)同じ質問をし、彼は、何度同じことを聞かれてもあたかもそれが初めての質問であるかのように受け答えしていた。たいそう立派だった」
「彼は、母を2回散歩に連れて行ってくれて、食卓でも世話をしてくれた。あなた方は良い息子を育てたもんだ」
とか書いてあってねー、ホントに、同一人物かな。
我々が知っている彼は、同じことを2回聞かれると、
「何回聞いたら気がすむんだ!」と怒る人だよ。少なくとも私はしょっちゅう怒られてる。

前夜、私が相当まいっていたので、大内くんが、
「母さんは、寂しくて我慢できないみたいだよ」と言ってくれて、
「オレも、話すこといっぱいあるから、明日でも電話するわ。うん、OK、OK」と、すでにアメリカ化し始めているらしい。
たぶん、彼の「話すこといっぱい」って、大内くんと軽く話して、もう気がすんじゃってるんじゃないかなぁ。
「家に残ってるプレ老人」の私に比べると、「すごい体験をしている最中の若い人」だからねぇ。

まあ、明日にでも電話で声が聞けたら嬉しいな。
たとえ、「大伯母さんのことはひと言も聞いてない」というような理不尽な苦情だとしてもね。

14年9月23日

アメリカ滞在6日目の息子から、昼間、ラインで電話をもらった。(あっちは夜の10時ごろ)
少し話したら胸がいっぱいになってしまい、「秋分の日」で大内くんがお休みだったので、
「父さんに替わるね」と言ったら、
「え?なんでオヤジいんの?」と驚かれた。
そうか、向こうは休日じゃないんだ。

スピーカーホンから息子の声を聞いていたら少し気持ちが落ち着いた。
「親戚の話、まだ聞きたい?そう、そんなら、帰ったら話すよ。空港まで迎えに行くから」と言う大内くんに替わってもらい、
「うん、OK、OK」と言ってる息子と、もう1度話した。
「いやぁ、母さん、寂しくってさぁ。3日目ぐらいに禁断症状が出たよ。今は少し落ち着いたけど」と言ったら笑う。
「あなたを送って空港から帰ったらもう寂しくて、『彼の結婚式の晩って、こんな感じかな。おめでたいことなんだけど、ものすごく寂しいの!』って 父さんと話してたんだよ」と言うと、また笑った。
どうも、アメリカ人を相手にしてるとしょっちゅうジョークに笑わなきゃいけないから、笑うのがクセになってるんじゃないかと思う。

「今日、ルーカスの会社(ILM。インダストリアル・ライト&マジック。ルーカスの子会社である特殊効果のスタジオ。従姉が昔、勤めていたので、 パーティーに招かれたらしい)で、オヤジにパーカー買ったんだけどさ、母親には何を買ったらいいか、わからなかったんだよ。何か欲しいものある?」と聞かたので、
「Tシャツとか、イタリアでいろいろ買うつもりだから、当面、欲しいものはないよ。何か、あなたが『面白い!』と思うものがあったら買って来て」 と言っておいたが、少なからず驚いた。そんなに気を使ってくれるのか。

私「アメリカはどう?楽しい?」
息子「楽しいよ!」
私「そっか。みんな、よくしてくれる?」
息子「うん」
私「あと4日だね。楽しみに待ってるよ。気をつけて帰ってきて」
息子「うん、OK、OK」
私「本当に気をつけてね。楽しんでね」
息子「うん、Thank you!」
どうやら、たった6日で本当にアメリカ化してしまったらしい。アメリカ菌、恐るべし。

電話を切ったら、胸が苦しくなった。
アメリカにいる息子と、会話したんだなぁ。
ラインは、偉大だ。

そのあと従姉から来たメールによると、明日はダンナさんがアルカトラズ観光に連れてってくれて、夜はジャズ・コンサートに行くらしい。お酒も飲んじゃうのかしらん。オトナみたいだ。(もうオトナだけどww)
あさってはダンナさんがお勤めのピクサー、社員食堂でのランチ。
夜は、ピクサーのプロデューサーのお宅のホーム・パーティーに招待されてるんだって。
毎日接待。従姉夫婦に心から感謝。

従姉はこう書いてきた。
「彼は、あなた方が『最高』(ここだけ日本語)な両親だと言っている。2人とも『グレイト』な親だって。インテリジェントで本をたくさん読んでいて、いろいろな話題に富んでいる、と言ってるよ。また、優しくて、一緒にいるととても楽しいって。ただし、面と向かっては絶対言わないそうだけ ど」

そうか…そんな秘密を聞いてしまったか。ありがとう、従姉よ。
自分のコドモから「グレイト」だと言われるのは、嬉しいものだ。
たとえ彼がアメリカナイズされていて少々大げさに言っているか、語彙が乏しかったりするせいだとしても。
「最高」は日本語だったんだろうしね。
感激して、ちょっと泣いちゃった。

マーシャル・アーツを習っているという小学生の双子と格闘しながら、息子のアメリカ滞在はこの上なくうまくいってるようだ。
本当に嬉しい。
このまま無事に帰ってきてほしい。
間に1日おいただけでイタリアに行ってしまう我々は、アメリカナイズされた息子の「OK」や「Thank you!」が薄れて行く過程を見ることはできないかもしれないのが、少し残念。
間に1日おいただけでイタリアに行ってしまう我々は、アメリカナイズされた息子が少しづつ「日本人」戻って行く過程を見ることはできないかもしれないのが、少し残念だが・・・何日ぐらいで元に戻るのだろう?!
その前に、「知恵熱」が出るかもしれない。

14年9月25日

ついに冷凍庫が完全に空になった!

いや、イタリア旅行に行くために、ぎっしり食品の入った冷凍庫をからっぽにすべく頑張ってたのよ。
それもこれも、おととしの夏休みに大内くんと2人で北海道に行ってる間に、我々より1日遅れて塾のバイトで夏期講習の合宿に行ってしまった息子が、冷蔵庫の扉をきちんと閉めずに出かけたため、我々が帰ってきた時には冷蔵庫が3日間ピーピー鳴りっ放しで、中は完全に室温、冷凍食品は全部溶 けてしまい、冷蔵庫の牛乳も卵も含めてすべて廃棄、という仕儀になっていたから。

今回は、息子が家を留守にするわけではないとは言うものの、いつ開けっ放しで外泊してくるかわかったもんじゃない、冷蔵庫の扉はちゃんと閉めろ、 と口が酸っぱくなるまで言い聞かせよう、と思っていたら、大内くんからめずらしくナイスアイデアが。
「冷蔵庫、空にしとけばいいじゃない!」
それだ!というので、2カ月ぐらい前から計画的に着手、冷蔵庫の調味料とかはまあそう簡単には腐らないだろうから、生モノと、あと、冷凍庫は完全 に空にしよう、という方針で食事を作ってきたのだ。

冷凍庫って、意外に秘境だね。
いつ冷凍したのかわからない霜のいっぱいついた正体不明のジップロックが出てくる出てくる。
一応、食品を冷凍する時、特にパッケージから出してしまう場合は、メモ用紙に「いつの、何なのか」を書いて一緒に入れるようにしていたのだが、大 内くんはけっこう面倒くさがり屋さんで、この工程を省いてしまうことが多いのだ。
結果、解凍してみたらブリの切り身だった!というようなことが起こる。
じゃんじゃん照り焼きにして食べましたけどね。

あと、「11月2日」と書いてあるようなものは、やっぱり1年近く前なんだろうなぁ。(まさか、2年前?!)
それも、勇気をふるって調理して食べた。

空っぽの冷凍庫、うーん、買った時に一瞬見ただけの姿だなぁ。
今回のことで少し反省し、なるべく半年以内ぐらいには貯蔵品を回転させようと思ったよ。
「あさりは1週間以内」と筧史朗くんも言っていることだし(from よしながふみ「昨日何食べた?」)
ご家庭用の冷凍庫は、決して永久冷凍できる魔法の箱ではないのだ。

さて、これで、息子が冷蔵庫を開けっぱなしてもあんまり怖くない。
もちろん、そんなことは起こらないに越したことはないのだが。
よろしく頼むよ!

14年9月26日

レンタルのスーツケースが今日届いた。いよいよイタリアも近づいている。
買えば数万かかるものだし、その後旅行に行く計画の無い我々には無用の長物と思われたので、レンタルにしたのだ。
大内くんがなぜか「大きい方がいい!と主張し、私が折れたのだが、これに関しては珍しく大内くんの方が正しかったみたい。

私の荷物+2人の共有物を詰めてみたら、けっこう半分ぐらい埋まってしまった。
古い服を捨てて来よう、とかは考えてるけど、それほど劇的にも減らないだろう。
でも、帰りにスーパーで「ザ・イタリア食品」を買いあさってくるつもりなら、スーツケースは大きいに越したことはない、と思うに至った私。
どうせ、運搬は大内くんがやってくれるんだろうし。

かなり涼しくなってきたので、やはり軽い上着は必要かなぁ、とか、買ったばかりのウォーキング・シューズを履きこなす時間が足りなかったなあ、と か、いろいろ考えてしまい、夜も眠れない。
(大内くんから、「睡眠時間がめちゃくちゃな方が、時差ボケにならずにすむんじゃない?」と冷たく言われている・・・)。

本当に、楽しくで仕方なくて、楽しみで楽しみでこの半年やってきたけど、夢って、実現しちゃうと少し冷めるもんなんだろうか。
かと言って、何かの事情で行けなくなったら、それはそれで身をよじって苦しむと思うし・・・
楽しい計画を実現させる時、人はみんな、そんなものなの?

ともあれ、明日の夜中には息子が帰って来る。
そのあと、丸1日しか一緒にいられないし、どうせ彼のことだから。、みやげ話なんかせず、
「友達に会いに行く」とか言って出かけてしまうに違いない。
11日後に我々が帰ってくる頃には、アメリカの記憶もすっかり風化してしまっているだろうし。
帰り道で、羽田からのドライブの間に聞き出すしかなさそう。

14年9月27日

息子が、今夜、10日間のステイを終えてアメリカから帰ってくる。
はずだった。

息子の帰宅をひかえて、昨夜、大内くんに、
「ラインでリコンファームしておいて」と頼んだら、
「お疲れさま。シスコの空港からライン入れて。無事、出発できるか」と打ってくれた。
その返事が返ってきたのは翌朝6時。
「おっけー。(アメリカ化している)フライトは29時間ぐらい後だけど」
それに対して寝ぼけた大内くんは、
「了解」とだけ打って、また寝てしまった。

フライトは今日だ!
息子も大内くんも、1日間違えてる!

それが判明したのは、2人して起きた昼頃、私が、
「そろそろ飛行機に乗ってる時間だよ。空港に行ったかどうか、電話してみて」と言ったから。
「!!!」と大内くん。
息子が帰るはずの便は、彼を乗せずに飛び立ってしまった!

サンフランシスコで楽しいフェアウェル・パーティーが開かれてるさなかに、いきなり、
「飛行機の時間じゃないの?!チケット、確認して!」という電話。
「何だよ、明日だろ・・・(がさごそと、チケットを出す音がして)あっ・・・!」
そこから先は、もう修羅場。

あさって、我々がイタリアに行ってしまう前に、なんとしても帰ってきてもらわねばならない。
大内くんがJALに電話をかける一方で、アメリカの従姉もあちこちに電話して、大車輪だ。
こっちが明日夜10時着の「40万」の片道切符の仮予約をするのとほぼ同時に、有能なる従姉は、同7時半着、「9万円」のシンガポール航空を押さ えてくれた。
もちろんそっちをお願いすることにして、JALはキャンセル。

その間、2人の間をラインでおろおろつないでいた息子は、さすがに、
「しまった・・・オレのせい・・・だけじゃない・・・いや、オレのせいだよなぁ」としょげていた。かわいそうに。
でも、全部キミのせいだよ。まあ、一部、大内くんのせいか。

こうして、息子の帰国は1日延び、我々がイタリアに行く前夜、ということになりました。
いきなり、ヒマになっちゃったなぁ。
明日は息子とゆっくり過ごして、アメリカのみやげ話を聞くつもりだったのに。

大内くんは死ぬほど後悔している。
「キミがあんなに警告してくれたのに。『時差のせいで、また勘違いしてる。取り越し苦労ばっかりして』って思ってた。でも、キミが正しかったん だ。全部、僕の責任だよ」
「まあまあ、無事に帰りの便が押さえられたんだから、いいじゃない。どうせ、彼が帰ってきても、出かけちゃうか、何にも話してくれないかだよ。迎えに行って、帰りの車の中で話聞いて、ついでに外でごはんでも食べれ ば、それで充分だよ」と慰めてはおいたが、私は、申し訳ないが従姉も含めた「大内家のDNAのそそっかしさ」に、一抹の危惧の念を抱いている。

旅行のしたくもほぼすんでしまったし、明日の夕方まではすることがない。
「ロング・バケーション」の始まりは、そんなふうだ。
「何事もなくイタリア旅行を終える」のがさらに難しく思える今、気を引き締めて、長期旅行に臨もう!

14年9月28日

成田空港で、無事、息子ゲット!
どうなることかと思ったが、なんとか3人で家まで帰り着くことができた。
ハンドルを握った息子は終始機嫌よく、旅の話をしてくれた。
こんな時間を持てるなんて、アメリカの従姉に深く深く感謝する。
明日は我々がイタリア。ああ、目まぐるしい。

14年9月29日

ついにイタリアです!
朝、7時に出発して、飛行機は12時半発のアリタリア空港。
13時間のフライトになります。

ほとんど海外旅行をしたことがなく、今のところ息子に経験値的には追い越されちゃってる2人の珍道中、どうなりますか。
旅先からFBで実況中継ができるかどうかもさだかではありません。
ルネッサンス美術とピッツァを求めて、11日間、行ってきます!

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