14年10月9日

9月29日から10月9日まで、10泊11日のイタリア旅行に行ってきました。
ミラノから入って、ヴェネチア、フィレンツェ、ナポリ、カプリ島、ローマをめぐる旅です。
日記の方もお休みをいただいてしまい、申し訳ありませんでした。
長くなりますが、休載分も含めるつもりで旅行記をお送りします。
読んでいただけたら嬉しく思います。

大内夫婦イタリア漫遊記

14年9月29日(1日目。東京〜ミラノ)


ついに憧れのイタリア旅行に出発する日。
息子がアホでアメリカから帰ってくるのが1日遅れたせいで、昨夜、成田から自宅までの車の中以外、話す時間がなかった。
「楽しかった」と言っていたのでよしとしよう。

今朝は、我々が6時前に家を出る時、玄関わきの部屋でぐーすか寝てる姿に「行って来るよ」と小さく声をかけたら、聞こえたらしく、布団から片手だけ出して、「いってらっさーい・・・」。
これがしばらくの別れの挨拶だ。

バスに乗って吉祥寺へ。
吉祥寺から成田までは空港バスを予約してある。
出張でいつも羽田から出発する大内くんにとっては、とても昔の記憶しかない場所らしい。
私も、25年前新婚旅行で通っただけだ。
そうなると、昨夜息子を迎えに行った時に中の様子がわかっているのはなかなか心丈夫で、思わぬ親孝行をされているもんだ。

飛行機に乗る、というのは大変待ち時間が長い。
今日だって、フライト自体は午後の12時半なのに、朝イチで自宅を出ている。
成田までの道のりが読めなくて、遅れたら大変、という気持ちも手伝っているが、ツアーなので早めの集合だし、荷物検査やスーツケースの預け入れなど、時間がかかるものだ。
新幹線みたいにベルが鳴ってから飛び込む、なんて真似もできないし。
私が知っている限り、飛行機でそんなことをしたのは「エロイカより愛をこめて」のエーベルバッハ少佐だけだ。

それでも、旅行先で使うWi-Fiセットを借りたりしているうちに時間が過ぎ、ツアーの集合は10時25分。
行ってみると、スーツケースを転がした人がいっぱい。
手をからめ腕をからめ、どうして足もからめないんだろう?と思うようなカップルもいる。新婚さんか。
添乗員さんとも初めてお目にかかる。
今井さんという、私より少し年配だろうか、小太りの元気のいいおばさんだ。
これから彼女には骨の髄までお世話になるのだが、その時の我々はまだそれを知らない。

JTBのタグをもらってスーツケースにつけ、まとめて預けて、いったん解散となる。
特にツアー全員そろえて挨拶や自己紹介があるわけではなく、ちょっと拍子抜け。

出発までまだ2時間もあるよ、どうしよう、と言っていたら、我々はエコノミー席よりひとつランクが上の「上級エコノミー」であることを思い出し た。
イタリアまで13時間、エコノミーはきついだろう、と大内くんが気づかって余分にお金を出してくれたのだ。
だから、ビジネスクラスの人たちが使う特別ラウンジが使えるらしい。ありがたいおこぼれだ。

手荷物検査を受け、チケットを発行してもらって、出国ゲートを通り、もう乗るばかりになって行ってみたラウンジは、広々として高級そうな椅子がた くさん並んでおり、飲み物も軽食も無料だって。
貧乏で意地汚い我々はさっそくビールを飲んだりポテチを食べたり。
「ポテチなんて、家でも食べられるもの、やめときなよ。お粥があったよ。サンドイッチみたいなのも」
ホント、貧乏性。

まわりを見るとゆったり構えたおじさんたちがパソコンを開いたりグラスを傾けたり。
「僕は、出張でも国内で短いフライトだから、ビジネスなんて乗ったことないんだよ」と大内くんが情けない声を出す。
いいじゃん、旅慣れない夫婦、ということで行こう!

というわけで、今後この旅行記では、私がアメリカに2カ月ステイしたことがあるとか大内くんが小さい頃シンガポールに住んでいたとか、新婚旅行とそのあとにシンガポールと香港に行ったことがあるとか、そういったことはいっさいお構いなしに、あくまで「初めて海外旅行をする小心者の夫婦」な ので、よろしく!

時間が迫ってきたのでラウンジを出て、飛行機へ。
ミラノ直行便のアリタリア航空だ。

しかし、飛行機なんて乗り慣れてないから何が何だかわからない。
息子は、アメリカへ向かうJALの中で「X-MEN Past&Future」を観た、と言ってたなぁ。
アリタリアには、古い映画しかなかったぞ。
帰りはJALに乗り損ねて急きょシンガポール航空で帰ってきたおかげで、大好きな「新海誠」のアニメ観て来たらしいし。
ミョーに引きのいいヤツだ。

ああちこちいじって、ようやくリクライニングと足台の動かし方がわかり、テーブルを出せるようになった途端、「離陸するので、全部元に戻してください」とアナウンスが。
非情だ。

テイクオフ。
しばらく日本とおさらばだ。
ぐんぐん小さくなる地面を見ながら、これからどんな旅が待ってるんだろう、と思うと、小心者の私は、わくわくするどころか、「なんでこんなとこに来ちゃったんだろう。もう帰りたい」と早くも泣き言だよ。

すぐに、ウェルカムドリンクが配られ、大内くんはさっそくワイン、私はオレンジジュースをもらう。
あっという間にプラカップを回収に来て、引き続きお食事。
トマト味のマカロニグラタンみたいなものと、サラダ、付け合せ、パン、コーヒーなど、おいしかった。
充分及第点だ。

食べ終わり、私がiPadで「美味しんぼ」を読もうと思った頃には大内くんはもう深い眠りの中。
この人は、およそ「眠れない」ということがない。
私は非常に寝にくいタイプ。どっちが人間として高級か、なんて言っても始まらない。
でも、こういう時はうらやましいよ。

時々目を覚まして、「イタリアだねぇ。ついにイタリアだよ」と私の手を握って寝言のようにつぶやいてはまた眠りの淵に落ちるが、私はそれどころではない。
もう機内も真っ暗にしてあって、寝るしかない環境なのに、眠れないのだ。
「明日からタイヘンなんだから」と寝ようとはするんだけどね。
結局、ずうっと「美味しんぼ」読んでました。
iPadは便利だね。何冊でも本持って来られて。

そんな大内くんも、機内食の時間になるとスイッチが入ったように起きる。食欲の方が勝っているのか?
イタリア人のCAさんが、「おにぎり?サンドイッチ?」と聞いてくれるので、この旅の間、日本的なものはいっさい食べまいと決心していた我々はサンドイッチを頼む。
チーズとハムが挟んである小さなハンバーガーのようなのだが、とてもおいしい。
これが、イタリア料理の実力か。

で、また寝ちゃった大内くんととり残される私。
前方のカーテンの隙間から、ビジネスクラスが見えるなぁ。
彼らは、180度リクライニングさせて寝そべることが可能なんだよね。
食事も、しきりにかちゃかちゃ音がしていたところから推して、プラ容器ではなく本物のお皿や金属のカトラリーを使っているんだろう。
上級エコノミーは、エコノミーよりはゆったりしてるし、リクライニングも深いけど、なかなか眠るのは困難。

機内で2食出ると聞いていたので、もう終わりかと思ったら、着陸2時間ほど前にもう1度食事。
さっきのサンドイッチはおやつだったのか。
今回の食事は、「朝ごはん」にあたるせいか、パンとハム、チーズが主体の素朴なものだった。

大内くんもすっかり目覚めて、「イタリアだねぇ!」を連発する。
ついに着陸した時は、さすがに感動で身震いしたよ。
何年も憧れ、1年前から計画を練り、半年前には旅行社に頼んじゃって、それから毎日のようにあーでもないこーでもない、と計画を完成させてきたんだもん。

武者震いと共に飛行機を降りると、ルックJTBのボードを掲げた人が待っていてくれた。今井さんだ。
今夜(そうなの、時差の関係もあって、まだ夜の7時ごろなの)は空港内のホテルに泊まる、明日から観光、と言われ、その日はホテルで解散。
「ホテル・マルペンサ」はとても広い。
我々の部屋はあんがいフロントのエレベーターに近かったので困らなかったが、遠かったら、飛行機で血流が悪くなっている私のひざでは辛かったかも。

さて、部屋に入って、スーツケースも届いていることを確認して、「やったね!ついにイタリアに来たよ!」と抱き合って喜んでいたが、まずは細々と準備しなくちゃな。

コンセントの形が違うのは知っていたのでアダプターを買ったが、変圧器は用意していなかった。
旅行中、iPhoneからiPadからカメラの充電池まで、全部充電しておくのはなかなかタイヘン。
大内くんが電動シェーバーを充電しようと壁のコンセントに差したら。

いきなり、「ぼんっ」と煙が出て、部屋の半分の電気が消えた。
あわてて添乗員の今井さんに連絡し、ホテルの人に来てもらう。
脚立をかかえて現れたガテンなにーちゃんは、「OK、OK」と言いつつ、天井のふたを開けてブレーカーを戻したらしい。灯りが全部ついた。
大内くんがひげそりとコンセントアダプターを見せて身振り手振りで訴えたら、どうやら、「これは、100V用だからダメだよ。220Vのものでなきゃ」と親切に教えてくれたようだ。
こういう時こそチップがモノを言うんだと思うが、まだ小銭を1枚も持っていない。
「サンキュー。サンキュー」と言って切り抜けたし、相手も気を悪くした様子はないので、ここはひとつ、カンベンしてもらおう。

小腹がすいたので、成田で買っておいた軽食を食べ、お風呂に入って寝る。
あとで知ることだが、ツアーで泊まるホテルが全部こんなに豪華なわけじゃない。
でも、その晩は幸せに眠った。少なくとも大内くんはね。
私は持病の不眠症と時差ボケがからまって、全然眠れない。この先、どうなっちゃうんでしょ。

14年9月30日(2日目。ミラノ〜ヴェネチア)

朝食はホテルのバイキング。
思ったよりいろいろあって、おいしい。
でも、イタリアのケーキ類はちょっと甘すぎるかな。

この頃になるとツアーのお客さん同士も仲良くなり始める。
私は非社交的な方なので、すみっこの方に引っこんでた。

いよいよ観光。
ここらへん、決まりが難しいのだが、添乗員さんがガイドをしてはいけないんだよね。
あくまで、現地で雇ったガイドさんとその通訳をする人を付けないといけないらしい。

今日の通訳さんは「ヤマダさん」という日本人男性で、こものすごく詳しい。
その横にガイドのおばさんもいるのだが、全部ヤマダさんが日本語で解説してくれるので、まったく仕事なし。
団体さんがはぐれないように、大きなひまわりを頭上にかかげて、先頭を歩くのが仕事。
「ヤマダさんはなんだか厳しい顔をした百戦錬磨の雰囲気で、添乗員の今井さんが「こういう仕事もライセンスが大変なんですよ」と言うので、「ヤマダさんは、さしずめ『非情のライセンス』ですね」と言ったら、「うまいっ!」とほめられちゃった。

そのひまわりおばさんについて行くと、スフォルツェスコ城の中庭を通る。
我々は、実はこの旅に来るにあたって、大内くんの親友と約束をしてきたのだ。
ミラノにひとつ、フィレンツェに2つ、そして最後はローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるミケランジェロの「ピエタ」を全部見てくると。

ところが、ミラノのスフォルツェスコ城の中庭をすたすた進むヤマダさんに、「『ロンダニーニのピエタ』は、今日、見られますか?」と尋ねたら、表情ひとつ変えずに、「あ、今日のスケジュールには入ってませんね。この中にあるんですがね」という答え。
がーん、「ピエタ第一弾」は不発。ポスターの写真だけは撮った、という情けなさ。

まあ、「最後の晩餐」観たから、許して。
ミラノのドゥオモは美しかった。
レース細工のようだった。大内くんの、
「なんか、張りぼてというか書き割りというか、正面が立派過ぎて、後ろはつっかい棒だけなんじゃないかと思う」という感想はよくわかる。
でも、中に入ると大きな薄暗い天井で、奥行きも相当あった。

ステンドグラスが美しかったな。
顔の部分なんか、ガラスに直接絵が描いてある。
「文字の読めない人にでもわかるよう、聖書の場面を様々に描いている」とのことだ。
大内くんは、あいかわらず「マンガで読む日本史」みたいなものだね!」と興奮してた。
この人にかかると、ゴシック建築だろうがルネッサンスだろうが、全部台無しだ。

さて、団体さんのお昼ごはん。
ミラノ風のリゾットとミラノ風カツレツをいただく。
美味しかった。まだ旅は始まったばかり。

そしてバスに乗って、ヴェネチア(本島)に向かう。
バスの中でも皆さん相当お疲れ。
夕食はタコのサラダとスズキのグリル。まあまあ。
明日も早いぞ。早寝だ、早寝。

14年10月1日(3日目。ヴェネチア〜フィレンツェ)

午前中はヴェネチア観光。
有名な「サン・マルコ寺院」や「ため息の橋」。
今日のガイドさんも、明日はまたここで別の日本人をずるずる引きずって、ガイドさんをするに違いない。

ドゥカーレ宮では、建物自体が古くてすごいんだけど、どうして海辺にそんなもん建てるんだろう?
潮風でいっぺんにぼろぼろになりそうなのに。

ヴェネチアン・グラスの工房を見学し、昼食を含んで2時間ぐらいの自由時間。
雨が降って来ちゃって、しょうがないから、どこか「バール」みたいなとこで何か食べよう。
飛び込んだバールはなかなかいいお店だった。

いかんせん、雨のお昼時、そういつまでもいられるわけじゃない。
現に、まわりのアメリカ人らしきツアー客は、食べ終わるやいなや「OK?Finished?」ってどんどん追い出されてるんだよね。
この雨の中をさまよい出たら一大事!とばかりに、我々は「コーヒー1つ」「シュークリーム1つ」「紅茶をもう1杯」と、ちびちび食べて時間稼ぎをした。
そして、ついにおにーさんが大内くんの肩をポンとたたいて「OK?」と言ってきた。
幸い、彼は次の一手を考えておいたらしく、間髪をいれずに「ワン・ビア。OK?」。
集合時間までにおなかがたぷたぷになってた。

午後はバスで移動。4時間ぐらいかな。
みんな、寝てた。

途中で入った土産物屋さんには、大量にトイレがあった。
ゴンドラも乗ったヴェネチアは、ディズニー・シーのようで、とっても楽しかった。

フィレンツェに着いて、晩ごはんはホテルのレストランでお楽しみの「ビステッカ・フィオレンティーナ」。
肉があんまりいい肉じゃなくて、私、残しちゃった。
あと、イタリア人は一般的に野菜を茹ですぎると思うんだが、どうだろう?
パスタのアルデンテにはうるさいくせに。
まあ、今日は今日の風が吹く。明日のドゥオモに、すでに心を持って行かれている。

14年10月2日(4日目。フィレンツェ〜ナポリ)


フィレンツェは盛り上がりましたね〜。
ウフィッツィ美術館を案内してもらったけど、すごかった。
教科書や画集などで見たことがある絵や彫刻がゴマンと並んでる。
アメリカ人も口開けてよだれ垂らして見てた。

大内くんは、「ヴェネチアのバールでも思ったが、世界を席巻するアメリカが、イタリアではアウェーでけっこう苦労している。いい気味だ」と残酷なことを言っていた。

ウフィッツィで名画のやまやまを見すぎて、クラクラした。
特に天井画。首が痛くなる。
あれって、やっぱり上を向いて寝転んで鑑賞してたら楽ちんなんだろうなぁ・・・

その後は自由時間。2時間も時間をつぶすなんて、不可能!

例によってバールのようなとこに入って軽い昼ごはん。
このあたりから大内くんは体調を崩し始め、食欲がなくなってきたので、驚いた。眠れないことと食べられないことはないはずの人なのに。

それはさておき、我々は、イタリアに4つあるという「ピエタ」が見たくてたまらなかった。
フィレンツェには2つあるそうだから、何とか見られるかも!
ところが、2つあるはずの「ピエタ」、片方は遠すぎで、歩いて行ったらマメできそう。
もうひとつはドゥオモ近くの博物館にあるらしいので、勇んで行ってみたら「工事中」。
添乗員さんに「いや〜ん、大内さん、ついてないですね!なかなかピエタに会えませんね」とからからかわれてばっかりだ。

フィレンツェにお別れして、イタリア版新幹線というものに乗る。
ナポリまで、2時間ぐらいだ。
車窓から眺める風景の中、植物相が違うのか、作物が違うだけなのか、日本とはまったく違う風景に見えて、不思議だ。

夜の8時頃からぞろぞろと徒歩5分の店に向かい、レストラン側が時間になっても準備しようともしないので、マネージャーらしき人に今井さんが、 「予約してんだから、早くしてね!」とスゴんでいた。さすが凄腕のベテラン添乗員。

さて、お楽しみの夕食の時間(笑)だが、今日は「キリストの涙(ラクリマ・クリスティ)」というワインのグラスがついてきた。
料理は「タコの前菜その2」と「スズキのグリルその2」(さらに笑)。
大内くん的には、どうやらその「生茹でであまり新鮮でないタコ」が続いたのが、胃腸にダメージを与えたみたい。

ここで小さな事故が。
レストランの庭先で20分ぐらいたむろしてたので、今井さんも人数確認をしていなかったのだが、席に着いてみると、確かに我々の前の席が2つあいている。誰か足りない?とドキ ドキしたところに、コードネーム「親子」が登場。
今井さんは、いつも人数を数えていて気の毒だ。

「親子」はあいてる席、ということで我々のテーブルに着いたんだけど、よくよく聞いてみたら、写真を撮りまくっていたら、みんなとはぐれたらしい。
でも、その辺の高級ホテルに入って、コンシェルジュに日程表のレストランの名前を見せ、「ここ!ここ!」と言ったら、地図を書いてくれたんだって。
よかったよかった。
機転がきくなぁ。私だったら「はぐれた!」と思った瞬間にもう動転して、何もできないよ、きっと。

39歳の独身の息子さんがお母さんと長旅ができる、ってことにまず驚いた。なんて親孝行なんだ。
おかげで話がはずんで、とても楽しかった。
何枚か我々のスナップも撮ってもらったので、今度アドレス交換をしよう。
しかし、「良いお話はないでしょうか」と聞かれても、歳の釣り合うような知り合いはいないなぁ。
自分では若いつもりでも年齢は正直で、友人知人はみな50代だ。

こうしてナポリの夜は暮れて行く。
前のホテルにケータイ忘れてきて成田離婚寸前の35歳の新郎が、「連絡、取れないじゃないの!」と涙にかきくれるひと回り年下の新妻をほったらかして、いいポイントで写真が撮りたい、とタクシーで出かけてしまった。
奥さん、ご心配でしょう。・・・
(もちろん無事に帰ってきたが、様々な冒険談がついてきてた)

14年10月3日(5日目。ナポリ〜カプリ島)

ストか事故かわからないけど、我々が乗るフェリーの時間が早めになってしまった。
とにかくそのフェリーに間に合うように動きましょう、と、土壇場解決王の今井さんの指示で、
「朝ごはんをホテルで食べるのはあきらめます。ランチバッグを用意するので、お弁当としてバスの中で食べてください」。

バスで移動しながらパンを食べ、教会を見学するぐらいでは私は車酔いしないが、そこから有名なアマルフィ海岸を車窓観光しながらで、この道がまたひどいんだ。
伊豆の海岸線といった風情かなぁ。ものすごい崖っぷちの急カーブが続く。
めったに乗り物酔いはしない大内くんでさえ、ちょっと蒼い顔していた。

それにしてもどこに行ってドゥオモだなぁ。
このへんは大内くんやK子ちゃんに聞いてみなくっちゃ。

有名なポンペイ遺跡にも行った。
ガイドさんはとても日本語の上手なイタリア人で、いろいろ案内してくれる。
公衆浴場があるので、「テルマエ・ロマエ」のこともよく知っていた。
興味深いが、あまり長いこと見てる気にはならなかった。
今、日本はひとごとじゃないし。

再びバスに乗って車窓観光を楽しみ、「帰ったらもう1回『アマルフィ 女神の報酬』でも観ようか」と話しながらバスとはお別れ。
フェリーに1時間ぐらい乗って、カプリ島に着き、ロープウェイで山の上の方まで登る。
着いたのは、こぢんまりとした、いいホテルだった。
ただ、イタリアでは、どんなにいいホテルでもどっかしら壊れてる、というのが私の印象。

カプリ島というのは大金持ちがバカンスを楽しむところらしいが、確かに小さな路地がブランドショップであふれている。
私はプラダと、あとアルマーニぐらいしか知らないけど、女性陣の中には大喜びで突進して行く人もいた。

夜は、ホテルのポーチに並べられた食卓で。
でも、大内くんが胃が重くて一口も食べられない、部屋で休んでようかな、と言うので、
「せっかく皆さんと仲良くなるチャンスなんだし、デザートのケーキぐらいなら食べられない?」と説得して、とにかく食卓には着いてもらった。
今夜は新婚さんと同じテーブルで、ちょっと仲良くなったので、FB友達になっちゃった。

それはともかく、夕食は「アサリのほとんど入っていないスパゲッティ・ボンゴレ・ビアンコ」と「スズキのグリル」第三弾だ。
今井さんによれば、「お店の人は、メルルーサだって言い張ってましたよ!」なのだそうだが、大した違いはない。なぜこんなに魚のグリルばかり続くのか。

さすがに怪しい人もいないし、ここまでずっと緊張してきたから、ちょっと息抜きね、と散歩する。
この旅2回目のジェラートを食べた。
どこで食べてもおいしい。
特にオレンジとかレモンとかメロンは、果汁の味たっぷり。
海の見える展望台で、遠くに見えるナポリの灯りに、「『ナポリを見て死ね』って、こういう光景を言うのか。船でだんだんアプローチして行くのが本当に綺麗だ、って聞いたことあるよ」と大内くん。
ここまでの旅の緊張が少しほぐれて、リラックスできた。

ほんの10分ぐらいの散歩だったが、大内くんは部屋に帰るなり、「もうダメ!」と言って寝てしまった。
残された私はどーすりゃいいんだ?
明日も朝は早い。寝ておこう。

14年10月4日(6日目。カプリ島〜ローマ)

今朝はツアーの皆さんのテンションが高い。
天気がすっかり良くなって晴れ上がっているし、何度通ってもなかなか見られないと評判の、「青の洞窟」なのだ!
このツアーはカプリ島に泊まったので朝から島にいる、つまり他の船がローマから日帰りオプションで連れて来ちゃう人たちに一歩も二歩も先んじて青の洞窟を堪能できるのだ!

ところが。
天気が良くても、海がちょっとでも荒れていたり波が高いと入れないのが「青の洞窟」。
ガイドさんが、「今日はちょっと無理かもしれまセン。昨日もダメでシタ。でも、青の洞窟以外にもいっぱい綺麗なところあるから、写真撮って行ってクダサイね」というに及んで、みんなの元気がぷしゅぅぅと抜けて行くようだった。

でも、かわりに見に行った島の反対側の景色は良かったし、スキーのリフトみたいなのに乗って山頂まで行き、遠くナポリを望むのも決して悪いもんじゃなかった。
ホテルの傍まで戻って、レストランで「シーフード・フリット」(魚介の揚げ物)とシーフードリゾットを食べて、まだまだ時間あるから自由行動かねぇ、私はあれこれが買いたいわぁ、と言うおばさんたちとデザートのケーキを食べていたら、突然、今井さんとガイドさんが、まだケーキが出てこない人まで立たせて店の外に連れて行った。

「皆さん、もう感づいてる方もいるでしょうか、青の洞窟、入れることになりました!」

一同、「きゃー、やったーっ」なのだが、他の団体にバレると混み合ってしまうから、とにかくホテルに手荷物を預けていた人たちは自分の持ち物を取りに 帰り、10分ほどでみんな戻って来た。
桟橋からモーターボートの大きいヤツに23人(+今井さん、ガイドさん、船長さん)で乗り込み、ほんの15分ぐらいで洞窟の入り口に着いた。
ここからは、いわゆる普通の手漕ぎボートに4人ずつ乗り込み、中をぐるっと回って来るらしい。
船に弱い人にとっては、止まって揺れてる、ってのが一番つらいんだろうな。

こうしている間にも天候や波の具合が変わって入れなくなるなんてのもよくある話だそうなので、一同、一心に神に祈る。
(この場合、やはりキリストを念頭に置くべきだろうか?)

私もややあぶなっかしく手を取られてボートに乗り替え、言われたとおりに船底に寝そべるようにして身体を低くして、「その瞬間」を待つ。
ボートが動き出した。本当に、入っちゃうんだ!

中のようすは、口では言えない。
ただ、青かった。
緑の要素なんて全然なく、一面にコバルトブルーだった。

1、2分しか、中にはいなかったろうなぁ。
このために何十万円もかけて、何度もくる人もいるんだろう。
初めて来た今日という日に、見られてよかった。

結果的にはスゴイ強行軍になったわけだが、ナポリに戻るフェリーにも乗り遅れなかったし、スーツケースや荷物はちゃんと港に届いていたし、いいことづくめだった。

フェリーでナポリに戻り、そこからバスで3時間ぐらい走って、アッピア街道が見えた!ついに、ローマだ!
長いこと憧れてきたローマに、来たんだなぁ、大内くんと2人で。

時間の都合か、ホテルに入る前にレストランで夕食となった。
いつも知らない人たちと一緒にごはん食べてるわけだから、今夜だけはカップルや夫婦同士だけの「プライベート・ディナー」ということになってい る。
メニューも、いろいろな料理を少しずつ盛り合わせた「彩(いろどり)メニュー」という、JTBさんの企画だ。

でもねぇ、まずいんだよ。
肉はカチカチだし、野菜は茹ですぎ、3種類のパスタも煮えてないか茹ですぎかどっちか。
スズキのグリル第4弾が出ちゃったし。

ま、いいや。
明日が皆さんのツアー最後の日で、我々はそこから2泊延泊する。
明日も昼食・夕食は自分で好きなお店にどうぞ、ってスタイルだから、もうこんなひどいものは食べないですむだろう。
あんまり食事がまずいので、今井さんにこっそりこぼしたら、
「日本人が行くレストランで、おいしいとこなんかありませんよ!」と豪語された。
それでも大勢の希望者を、オプショナル・ツアーの「カンツォーネ・レストラン」に連れて行くプロ根性のカタマリである。

ホテルに入って、倒れるように寝る。
もうくたくただ。
さすがの不眠症の私でも、少しは眠れるようになったよ。
これから丸3日間ローマ。
「ローマの休日」も「ローマでアモーレ」も観て来たぞ。
バチカンも毎日行かなくちゃ。
もし、くたびれすぎていてホテルから一歩も出ないで暮らしたとしても、それが「ローマの休日」というものだろう。

14年10月5日(7日目。ローマその1)


今日はツアーの最終日なので、朝早くからバスに乗り込んで、まずはコロッセオ。
雄大な建物だ。
人々が殺戮を娯楽とした時代。
壮麗な、完成された美を感じるが、使い道が気に入らない。

車窓観光をしながら、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を見に行く。
我々も、ついに「ピエタ」のひとつにめぐり会えるのだ。

ところが。好事魔多し。
順調にやってきたのに、数日前から突然ミサが始まり、中には入れなくなってしまったという。
めげないガイドさんは目印の傘の先でいろんなものを指して説明してくれるが、我々、ピエタと相性悪いんでしょうか。

バチカンを出て向かう先はトレビの泉。
残念ながら現在工事中。
ビニールシートの向こうに見える彫像群に、お金を投じたい人は投じる。
ちゃんとと「ここからお金を投げてください」的なコーナーがあるのだ。

スペイン階段も見た。
アン王女が歩いている時はもっと広く感じたものだが、撮り方の問題なんだろうか。
私もジェラートやってみたかったけど、今はあの階段、飲食禁止になってるんだよね。

あちこち歩いて、あとはもう、自力でホテルまで戻ってきてください、というフリーダムな企画。
ここまで、自由時間を作ったりして少しずつお客さんたちを訓練してきた成果だね。
例によって今井さんについて行ってしまうレストラン派も多いが、うちはこの際、ローマの街をさまよってみよう!

いつも行く美味しいイタリアンのマスターのおススメメモ、るるぶ、まっぷる、JTBアプリ、そのすべてに記された老舗がある。 「ラ・カンパーナ」だ。
およそ500年ほど前に創業して以来、ずうっと同じ場所でやってるそうだ。
ここはぜひ行きたいと思ってチェックしといたのだが、大内くんのおなかはまだ本調子ではないらしい。

私が食べたかった「ズッキーニの花のフリット」と「アーティーチョークのローマ風」を頼み、モツが好きな大内くんには牛の胃袋をトマトソース味で 煮込んだ「トリッパ」を。
一口食べてみた大内くんは、「すっごくおいしい!身体が万全だったら、いくらでも食べられる!」と興奮していた。

と、そこへ、ツアーの新婚さんがやって来た。
「大内さんたちもいらしてたんですか。早いですね」
「いや、グーグルマップと首っ引きですよ」と話したあと、彼らは遠い部屋に連れて行かれたので、もう顔は見えない。

ウェイターさんに「トリッパ?」と言った時には「トリッパ!グゥーッド!」と喜んでいたのに、我々が大幅に食べ残したので、お皿を下げながら、
「これは食べないのか?キライなのか?」と半ば心配そうな、半ば怒ったような顔で聞いてきた。
「ちょっと体調が悪くて」と言い訳しつつ、チップを多めに置いてきたから、カンベンしてくれ。

新婚さんたちはもう店を出たらしく、我々の次の冒険は「地下鉄でホテルまで帰ること」。
コドモのおつかいみたいだけど、A線のどっかから乗って、テルミニ駅で乗り換え、B線で一つ先のカブール駅、というのが目指す先。

添乗員の今井さんからは、
「地下鉄はおススメしません。汚いし、泥棒も多いです」と強く言われたので、あとからこっそりと、
「やっぱ、無理ですかね?」聞いたら、私たちをさっと見て、
「大丈夫でしょう。男性もついてることだし。いや、同じツアーの他の年配の方々にはちょっと厳しいんで、タク シーをお勧めしたんですが、大内さんたちならまあ、なんとか」と、太鼓判と言うほどではないが、お許しが出た。
後で聞いたら、新婚さんとこも許可が出たそうだ。

なので、スパーニャ駅かどっかで乗って、ぎゅうぎゅうづめなのに驚いて、A線とB線が交差するテルミニ駅へ。
駅にでかいスーパーがあるって聞いてたんだ。

地下鉄の切符をどうすればいいのかわからなくて、どのホームがどっち向きなのかわからなくて、どこで停車するのかわからなくて、それはそれは大冒険でしたとも。
テルミニ駅で買い物をするのがまた大変。お店がどこなのかさっぱりわからない。
しばらく歩きまわってようやく構内地図を発見。あっけないもんだ。

旅先だからそうそう買うわけにも行かないけど、なにもかも欲しかったなぁ。
パンとチーズと生ハムを買った。大内くんのおなかも少し回復してきたので、夜食に食べよう。(ちゃんとスーツケースにテーブルナイフが入れてある)
あと、水とビール。
水をいちいち買うのがめんどくさいね。かと言って生水飲んでおなか壊しても困るし。
それに、スーパーに置いてある量から推して、イタリア人も水道の水は飲んでないと思うなぁ。
大内くんはジュースとビールも買って幸せそう。うん、食べ物があるって、いいね。

で、もう1度地下鉄、今度はB線に乗るんだよ。乗ったら一駅でカブール駅だよ、と緊張して地上に上がり、ちょっと地図見たらすぐわかった。あれが ホテルだ!

とりあえず、爆睡。
「9時過ぎごろになったら、カンツォーネ・ディナーに行った人たちが帰ってくるかもよ。明日でお別れなんだから、さよならぐらい言おうよ」と9時に大内くんを起こして、ロビーに行ってみたら、ちょうど、ぞろぞろ帰ってくるところだった。
「お世話になりました」とご挨拶して、短い間だったけど、楽しいお仲間でした。

我々の他にもうひと組、延泊する人たちがいて、それが新婚さんなんだそうだ。やるなぁ。
今井さんにもよくよくお礼を言って、とりあえず我々のツアー旅行は終わったんだ!

疲れていて、8時頃に行かないと並ぶ、というサン・ピエトロ大聖堂は避けて、予約してあるバチカン美術館にゆっくり行こうよ」と相談がまとまり、またバタンと寝た。
私はあいかわらず眠れない。もうしょうがないね。旅という非日常で私が健やかでいられるわけがない。

14年10月6日(8日目。ローマその2)

その日の移動に合わせてスーツケースを廊下に出しておく必要もない、集合時間もモーニングコールも関係ない。
ツアーにはツアーの気楽さ、良さがあるが、そのあとこうして2人きりになるとまた格別だ。

なので、うんと寝坊してバチカンには予約時間までに行けばいいや、って思って9時半ごろ降りて行ったら、あら、ツアーの皆さん、おそろいじゃないですか。
今から帰国ですね?
皆さんにあらためてお別れを言い、特にひざの関節炎がひどくなって歩けなくなってきた時に痛み止めを分けてくれたコードネーム「親子」のお母さんにはぜひ直接ありがとうと言わねば。
幸い会えたので、よ〜くお礼を言っておいた。親切な人だった。

こうして皆さんバスに乗り込んで去ってしまったので、こちらはこちらでバチカン行こう。
結局このツアーの正規のスケジュールでは、昨日は日曜でバチカン美術館休み、大聖堂だけでもと思っても昨日は急なミサで入れず。
「青の洞窟」にだけは入れててよかったなぁ。
ツアー客の中には、今朝、集合時間までの間にバチカンに走って、大聖堂の天井画見てきた、なんてツワモノもいたらしい。

さて、我々もバチカン行くか。
地下鉄はよくわからないし、私のひざも痛むので、タクシーを奮発した。
10時の大聖堂は、すでに大勢の列で取り囲まれている。
「予約ある?リザベーション!」と声をかけてくるのはダフ屋だろう。
我々はネット予約をして行ったので、なんだか、拍子抜けするぐらい簡単に入れちゃった!

雑誌に書いてあったように「音声案内機器を借りるためにはパスポートを預けなければならない」なんてどこにもないよ。デポジットさえ取られなかった。

美術館の中の間取りがわかりにくいが、やはりここまで来たらシスティナ礼拝堂の「最後の審判」だろう。
そこに行くまでの長い廊下が、ぎっしり人で埋まっていた。
各国のおのぼりさんがツアーのリーダーを見失わないように、しかし絵は見たいしで、人混みを無茶苦茶にかき分けていた。
やっとたどり着き、絵を見て、「ふううう〜ん」という感想しか浮かばない。
人々を救い、争いに巻き込み、多くの国を乱した総力結集、という感じだ。
大内くんはこの絵から「西洋美術の根幹は、十字架と柱である」というような、私には理解不能なことを口走っていたが。

1人の男が2千年前に死んだ。
別の男が、1500年ぐらいたって、その男をテーマに絵を描いた。
そして、世界中の人々がその絵を見に来る・・・
どうしても理解できない。

システィナ礼拝堂を出てしまうと、やっと息がつける。
私は「ピナコテカ」(絵画館)が見たかったので教えてもらってそっち方面に行ったら、天井が高くて涼しく、年季の入った感じの黒っぽい部屋があ り、絵が程々の配置に掛けられている。
(有名な美術館行くと、むやみにぎっしり詰まってたりするからなぁ)
壁沿いの椅子に座って、「そうだよなぁ、やっぱり、美術館ってのは、これぐらい人と絵画が会話する余地がなければダメだよなぁ」と思いながら、ずぅっとラファエロの「キリストの変容」見てた。

そう言えば「ラファエロの間」も当然見たかったのだが、あまりに混んでいて何が何だかわからず、ある部屋の出口で大内くんに、「あれ、『アテネの学堂』じゃないの?」と言われて振り向いたらその通り。ここだったか。団体さんに押されて出てしまったので、まわり道をしてもう1度入ってよく見た。
(団体さんが通り抜けたあとだったので、非常に楽だった)
しかし、何見ても少女マンガに見えるってのも偏り過ぎですか。
岡野玲子の相撲マンガにあったねぇ、「花錦の学堂」。

お昼時になったので、美術館を出て、大聖堂の方はどうかなぁって覗きに行ったら、ものすごい、人、ひと、人。
いよいよ足が限界だし、明日も来られるかどうかわからないバチカン。
一生、「ピエタ」とは相性が悪いのかなぁ。

少し元気出して、ホテルの近くまでタクシーに乗り、目の前の食料品屋さんに寄る。
毎日水を買う、ってのが面倒だね。日本人にはまだまだ特殊な風習だし。

肉のカウンターの向こうに立っている絵に描いたような頑固爺さんに、一生懸命覚えてきたイタリア語で話す。
「ウン・イエット・ディ・クラテッロ」
これで生ハムを100グラムスライスしてくれるはずなんだけどなぁ。
「Sorry, I can't understand」なんて言われちゃったよ。
大内くんの身振り手振りの方がよっぽど雄弁で、肉のかたまりをスライスする真似をしてみたり、おじいさんの横にぶっ刺してある生ハムを指差したり。
おかげで話が通じて、「これは原産地から来た、ものすごくexpensiveなハムだよ。あんたら、正気かね」とか怖いことをぶつぶつつぶやきながら丁寧な職人の仕事をしてくれる。味見もさせてくれたし。

値段が不安になってきたので、「これだけでいくら?」と今切った分を聞いたら、30グラムで1200円ぐらい。
「やっぱり、50グラムでいいです」と言い直したら、「そうだろう、そうだろう、それが当然だ」という顔になって、よりいっそう丁寧に切ってくれたよ。こんなのも、旅先のちょっとした思い出だ。

部屋に戻ってまだ2時ごろ。
「もうちょっと遊べるよ」と言ったら、「でも、もうくたくたでしょ」。
「近場のフォロ・ロマーノくらいなら行けるよ。とにかくおなかすいたよね。私、イタリアに来てから、全然食欲なくて、おなかすいたなぁって思ったことなかったけど、今頃になって、やっと何か食べたい気分になった」

チーズとパンも買って、パニーノ職人の大内くんが、生ハムとチーズのパニーニを作ってくれた。
おいしかった。
イタリア最高の味に思えた。

大内くんは旅行が始まってすぐ、「ホテルで飲むんだ」と言って300円ぐらいの赤ワインのフルボトルを買っていたが、あいにくなことにその時以来、コルク抜きのついた部屋に泊まったことがない。(冷蔵庫の中のワインはみんなスクリュー・キャップ)
「コルク抜き、買ったら?」と言っても、「そのうち遭遇するかもしれない」と頑固だ。

2人でロビーにいる時、「もうローマにまで来たことだし、開けちゃおうよ。フロントに言えば貸してくれるよ」と言ったら、ものすごくしぶしぶ言いに行って、フロント係の指示でバーにいるおにーさんと話をしていたようだ。
戻ってきたので「どうだった?借りられた?」と聞いたら、
「今使ってすぐ持って帰ってくるなら、これ(自分が持ってるやつ)を貸してやる」と言われ、
「今、開けるわけじゃないんですが」
「じゃあ、開ける時に借りに来い」というやり取りがあったらしい。

パニーニ食べて元気出たので、フォロ・ロマーノ行こう。
すぐ近くなのにタクシーで乗りつけちゃう、という悪習がついたものの、安楽さには代えられない。

ここは、古代ローマの政治の中枢がそのまま遺跡になって残ったもので、ポンペイなんかもそうだけど、人々が電力を持たないとは言うものの、充分に文化・芸術を生活に取り入れて、豊かに暮らしていたことがよくわかる。
なまじの修復なんかしないで、壊れた柱は転がってる、屋根はない、というあたりに、リアリティを感じるなぁ。

大内くんがローマで一番感銘を受けたのがここだそうで、炎天下に私を30分もほっといて、遠ーくの方まで写真撮りに行っちゃった。何しろ広いんでね。
にわか考古学者の図はなかなか面白かった。

イタリアの秋。日向にいるとすごく暑い.日陰に入って大理石なんかの上に座るとお尻が冷える。
非常に寒暖の差が激しい。旅行に行く方は、羽織るものが必須ですよ。

あーでもないこーでもないと写真を撮っていたのがやっと終わって戻って来て、「ああ、興奮した!楽しかった!」と叫んでいた。
私みたいな現実感のみで生きてる人間からすると、いいじゃん、昔の遺跡なんか、って思っちゃう。
大内くんが楽しかったのならそれでいいよ。今度、かみ砕いて私にも教えて。休日講座にも使おう!

ホテルに戻って、夜の作戦会議。とにかく自分たちだけで好きに時間を使えるのが嬉しいね。
まあ、まずは夕食を食べるか。
K子ちゃんおススメのリストランテがホテルから徒歩15分ぐらいだ。
大内くんが心配して、「足、痛くない?夜道は怖くない?タクシー呼ぼうか?」と騒いでいたが、ローマの街並は穏やかで、ナポリのように荒れていることはないし、ミラノのように気取ってもいないし、フィレンツェやヴェネチアともまた違う。
やっぱり、世界の中心にいたことの誇りが、彼らをローマっ子にしてるのかな。

ゆるゆると散歩して、見つけました!K子ちゃんおススメの店。
「マトリチャーナ」という名前で、そこそこ格の高い食堂。
期待におなかをさすりがら、大内くんは、「何が名物なの?」と聞く。

「どれってこともないけど、ローマの美味しい料理が網羅されてる感じよ。私は何と言っても『サルティンボッカ』。ローマ来てから一度も食べる機会なかったもん」
「それ、なに?」
「仔牛肉の薄切りの上に生ハム乗せて、ソテーすんの。仕上げに香草」
「僕は、こないだの古いレストランで食べた天ぷらが食べたいな」
「ズッキーニの花のフリットね。おいしかったもんね。じゃあ、あとは、定番のパスタ『アマトリチャーナ』を頼んで」

やがてオーダーが運ばれて来て、うーん、どれもおいしい!
「アマトリチャーナ」は少し太いので「茹ですぎ?」と一瞬思ったが、真ん中が中空になってて長いマカロニのようなものだから、太く見えるんだね。
ソースの絡みもいいし、塩漬けの肉もパンチが聞いてる。
「ズッキーニのフライ」は、前の店に比べるとモッツァレラが堅いようだけど、好みの問題なんだろう。
「サルティンボッカ」は、もう、どうしてこんなにおいしいの?!って感じ。

食べ終わって、大内くんがおなかをなでながら「もう1、2皿食べたいな」というのを聞いて、涙が出るほど安心した。
だってこの人、ごはんが食べられなくなったらピンチなんだよ。
それがもう、2日以上ほとんどなんにも食べてないんだもん。
やっと食欲が出たんだね。何皿でも食べなよ。
「でも、ドルチェにしておこうかな」と、HP表紙のプリンらしきものの写真をずっと見ている。
これがクレーム・ブリュレなのかパンナコッタなのか、私もわからん。
結局、お店の人にケータイの写真見せて聞いたら、「ああ、これはカラメルソース添えのクレーム・ブリュレです!」と断言してくれたので、大内くんはそれ、私はみかんのシャーベットをいただくことに。

最後の最後まで、何もかもおいしかった。お店の雰囲気もいいし。
どうやってこんな店をかぎつけるんだ!と、今度日本で会ったら白状してもらうよ、K子ちゃん。

いい気分でホテルに帰って、明日はいよいよイタリア最後の日だね。
「辛い気分のことが多かったり、もう日本に帰りたいって言って困らせたり、夜は眠れないし、一緒にいる人はたまらない相手だよね」と言うと、
「何言ってんの。キミがいなかったらこうしてイタリアに来ようとも思わなかったよ。すばらしい体験をありがとう」と逆にお礼言われちゃった。

とにかく、明日が無事すめば、もう日本に帰ったようなもんだ。
朝一番でサン・ピエトロ大聖堂に突進し、美術館の方は明日の分も予約してあるし、思いっきりバチカンだ!
ついにめぐり会えるか、ピエタ像。

14年10月7日(9日目。ローマその3)

朝、7時のモーニングコールで飛び起きて身支度をし、軽い朝食をかき込んで7時20分にはバチカンに向かうタクシーの中。
日本円で言うと、2500円から3千円ぐらいかな。ちょい贅沢。

大聖堂は、そろそろ行列が伸び始めていたけど、さすがに朝早いのでかなりすんなり入れた。
荘厳だ。
天空から、神のもの凄い威圧感を感じる。

ついに会えたピエタは、少女マンガに多大なる影響を与えて来たに違いない。
繊細な描線、はかないとも言えるマリアの表情。
今回のイタリア旅行のフタが、完全に閉まった感じだ。
テーマをくれた、大内くんの友達Fくん、ありがとう!

美術館の方も、実は我々は12時の予約を取っていて、説明書きを見ると当日その時間前ならいつ来てもいい、と書いてあるようなのだ。
ただ、昨日のガイドさんの説明では「うーん、わからないわねぇ。12時15分前ぐらいに来るように、ってことじゃない?」とのことで、実は、昨日の分の予約を使ったのも、12時の予約に対して10時ぐらいに行っちゃってるんだよね。
1回見たとはいえ、せっかく予約してお金も払ってるんだからもう1度見に行きたいけど、もし本当に「12時に来なさい」とか言われたら、今(9時過ぎ!) から12時までなんて待てないよ。私、のびちゃう。

そこで大内くんが勇気となけなしの英語力をふるって、係の人に聞きに行ってくれた。
結果はOK!
やったー、3日がかりのバチカン制覇、皆勤だ!

朝早いせいもあって、美術館も昨日よりはゆったり見られた。
ぼうっとして、何を見たか忘れちゃうんだよね。
ミケランジェロとダ・ヴィンチとラファエロの区別、きっとついてないぞ、私。

美術館を堪能し、ホテルに帰ってパニーニの昼食。
本来、この旅では目につくトラットリアやピッツェリアに飛び込んで、各地のピッツアの研究をするはずだったのに、緊張しまくってごはんが喉を通らない。
まずいものばかり食べさせられたのもよくなかったし、体調も崩した。
まあ、そんな中でよく健闘したよ。

自分達へのおみやげしか買わないし、免税の手続きもめんどくさいし、そもそもそういうブランド品が本物なのかもわからない、という理由で、我々は スーパーへ行く。
トマトソースの瓶詰とか、乾燥ポルチーニ茸とか、アラビアータのペーストとか、ジェノベーゼの瓶とか。
家に帰ったら、これでさまざまなパスタやリゾットを作って楽しもう、という腹だ。

スーパーでそういう買い物と水を買って帰ろうとしたら、歩道にテーブルが並べてある。
日本の屋台みたいな雰囲気じゃない。あくまで夜風を楽しむ演出、という感じだ。
「ワイン・バー」とあるが、パスタやピッツァも出すらしい。

「夕食は、ここですませようか!」と話がまとまり、おねーさんの案内で路上のテーブルに着く。
いや、いったんは中のお席でどうぞ、って言われかけたんだけど、外の方がいいから、って。
オーダーはとりあえず水。
たいがいそのあと、「Vino?」とワインを聞きに来るが、なにせワインバーだから、ワインを飲まないお客はダメかと思って、
「We can't drink wine, Is it OK?」と聞いたら、おにーさんは大きくうなずいて「OK,OK」。
「デキャントね。どのワインにする?」
「can't」の部分がデキャントに聞こえちゃったのね。
大内くんが得意のボディランゲージで「No, No, NO WINE!」と断ってくれて、助かりました。

トマトだけを使ったパスタ・ポモドーロも素晴らしいし、ローマ風の薄々のピッツァも素材の味がよく出ていておいしかった!
いろんなことを言われたけど、こうして夜のローマに身を置いていると、危ないとか怖いとかは感じないなぁ。
やっぱり、観光客が詰めかけるスポットが危ないんだろうか。

ローマ最後の夜。
明日も、迎えの人が来てくれるのは11時ごろだから、午前中あまりあわてないでもすみそう。
いらない服をどんどん捨てて来たので、スーツケースにはゆとりがある。瓶詰ソースの5本や10本、簡単に入りそうだ。
でも、今は何でも日本で手に入る、ということと、本当に現地の人が美味しいと思うものは案外日本人には辛いことがある、ということがわかったので(お店で味見させてくれたトリュフのペーストとか)、 無理はしない。

明日の夜は飛行機かぁ・・・

14年10月8日(10日目。ローマその4)


この旅行で初めて、寝たいだけ寝た。
予定やモーニング・コールに悩まされない、というのは精神衛生にいいね。

バイキングの朝食でお茶とヨーグルト、果物だけを食べて、そのあとは部屋でのんびり。
早めの昼ごはんは、大内くん作のパニーニ。
これで、旅行中に買った食べ物は全部消費した。
生ハムを持って帰りたいのは人情だが、厳しい規制があって、成田には「肉発見犬」(天職?)までいるそうじゃないか。
ダメですよ、スーツケースの底に忍ばせたりしちゃあ。

すっかりパニーニ作るのがうまくなった大内くんをほめながら、11時にロビーに降りて行ったら、すぐに若い男性から「オウチさん?」と声をかけられた。
JTBのタグのついたスーツケース持ってるもんね。
運転手の女性と2人で空港へ送ってくれて、男性の方は、出国ゲートまで面倒見てくれるそうだ。
大内くんは、会社の同僚たちが当たり前に外国行って、空港なんて自分ですいすい歩けちゃうんだと思うと、この歳でこの経験値なのが、情けなくて涙が出るらしいよ。別にいいのに。

スーツケース預けて、ガイドさんと別れて、あと2時間以上何してよう?
大内くん、さっき、帰り道では使えないと思ってたVIPラウンジ使えますよ、って言われてたじゃん。行ってみようよ。

ところが、世の中そううまくはいかない。
「このチケットでは、このラウンジはお使いになれません」と言われるばかり。
しばらく押し問答して、元々勝負に弱い大内くんはあっさり降参だ。

「だって、さっきのガイドさんがここに『VIP』って書いてくれたじゃない。大丈夫だよ」ともう1度戦場へと押しやる。
また戻ってきた。
「ダメだって。もう、下の待合室でいいじゃない。混んでて、床に座り込んでる人もいるけど、僕の荷物の上に座っていいから」
「やだ。『いいって言われた』とだけ言って、強行突破しちゃえ。日本人はおとなしすぎるんだよ!」と3回目の交渉。
そしたら、上司が出てきてチケットを見て、「こちらのミステイクです、どうもすみません、お使いください」って言ってくれたよ!

大内くんは、ソファにうずまってワインを飲みながら、「もう、これからは絶対キミのいうことを聞くようにしよう、いつだってキミが正しいんだから」 とありがたそうな顔をしていた。えへん。

やがて搭乗案内があり、ラウンジの旅客たちも席を立ち始める。
イタリアも見納めだ。
来たばかりの時は息子に長いこと会っていなかったことも手伝って強烈なホームシックにとらわれたものだが、いざ去るとなると未練が残る。
ああ、やっぱりジェラートをもっと食べておくんだった!

さようなら、イタリア!
たくさんの思い出をありがとう!

14年10月9日(11日目。東京へ)

帰る間際になって思い出した。明日は息子の誕生日だ。21歳になる。
空港からLINE電話して、「何か欲しいものある?」と聞いたら、「おみやげ買って来て。服とか」という答え。
免税店いっぱいあるけど、免税されるほどのものを買う気はないし・・・結局、「ROME」と書いてあるパーカーとTシャツでごまかすことに。

飛行機に乗ってからは、例によって大内くんは大爆睡。私は夜行動物さながら神経を尖らせていた。
眼が疲れてiPadもあまり読めないし、身体中のあちこちが痛い。筋肉痛か。
つくづく疲れたんだなぁ、と、早くも疲労回復に向かっている本能の男、大内くんに敬服しつつ、ひたすら座っていた。
成田に着く、となった時は、本当に嬉しかったよ。
旅行は楽しかったけど、「どこでもドア」があるんでない限り、私はあんまり遠出をしない方が良さそうだ。

入国審査はスムーズ、スーツケースも割と最初の方に出てきて、これはもしかして、15分後の吉祥寺行きのバスに間に合うかも!と、急いでレンタルWi−Fiを返却し、チケットを買ってバス乗り場へ急ぐ。
間に合っちゃった。
もう1本後だと、1時間半後なんだよね。待つ覚悟はしてたけど、やはりスムーズに乗れた方が嬉しい。

乗ってさえしまえば、吉祥寺まで寝て行くだけ。もちろん大内くんはその口だ。
私は、街並みがイタリアほど歴史もなければ統一が取れた美しさもないのは仕方なくもなつかしかったし、何もかも日本語で書いてある、という当たり前の事実に非常に感銘を受けた。

昼間の高速は早くて、1時間ちょっとで吉祥寺に着いてしまった。
いつもだとここからバスに乗って15分ぐらいで帰るのだが、今日は、イタリアでタクシーづいたせいか、大内くんがタクシーをおごってくれると言う。
私の足も楽だし、バス停まで歩かなくてもすむし、待たないで帰れるので、ありがたく乗せてもらう。

そして、家。
あああ、我が家だ。
崩壊しても焼け落ちてもいない。
There's no place like home!

高速バスの中で、息子からLINEが入って、「家が、あんまりキレイじゃないよ」と警告を受けていた。
だが、1人で10日以上も暮らしてたわりには十分キレイだ。
洗濯をした痕跡もあるし、リビングになぜか布団が1枚敷いてあって、流しにカレーの大鍋が水につけてあり、食器洗い機には味噌汁椀が3つとカレー皿が3枚。
昨日の夜、友達を呼んでカレーパーティーでもしたのかな?

ルンバは、何日ぐらい稼働してくれたかわからないが、部屋の真ん中で息絶えていた。
お風呂やトイレも、それなりに掃除をしながら使っていたようだ。
独り暮らしの練習としては、及第のハンコをポーンと押してあげられる出来だった。

荷物を全部出して、レンタルのスーツケースを返せるようにして(明日、宅配便が取りに来る)、洗濯するものは洗濯機へ、細かいものはそれぞれの置き場へ戻す。
この作業がかなり面倒で、ひざの痛い私はそれを口実にずいぶん大内くんをこき使ってしまった。

なんとか家が復旧し、出かける前と同じ状態になったところで、2人ともおなかがすいているのに気づき、遅めの昼食を。
温かいとろろそばがおいしかった。日本の味だなぁ。

当座の買い物をしに、近所のスーパーへ車を出す。
何しろ冷蔵庫は空っぽで、コーヒーを飲もうにも牛乳がない、ってありさまなんだもん。
イタリアでは右車線だったので、感覚がおかしくて怖くて運転できない。
大内くんがハンドルを握ってくれた。

今夜のごはんは簡単に、と思い、お総菜売り場でコロッケとアジフライ、それにポテトサラダを買った。
ごはんを炊いて、味噌汁を作って、いただきます。
あ〜、日本のごはんだ〜!
私はあんまり日本食が恋しくなるタイプじゃないと思っていたんだが、そして、コロッケが正式に日本食かどうかはあやしいところだが、やはり、食べ慣れているというか、身体にしっくりなじむ感じ。

日本のごはんを食べて、日本語のテレビを見て、日本のお風呂に入る。
幸せだ。
この幸せをかみしめるために旅に出るのかもしれないなぁ。

実際、成田へ着いたあたりでは「もう2度と海外旅行はしない!というか、家から離れない!」と思っていたのに、帰ってくる頃には、
「冬の北海道へ、カシオペアで雪まつりを見に行くのもいいね」とか言っていて、寝る前になると、
「あちこち行ったからくたびれたんだよ。今度行く時はローマに1週間ぐらい泊まって、滞在型の旅行にしたいね」と言い出した、物忘れの激しい私。

でも、ホント、いつかもう1度行きたい街だね、ローマって。
イタリアの主要都市を回ってきたけど、ローマが一番面白かったもん。
身体を鍛えて、今より楽にあちこち行けるようにしよう。

息子も帰ってきて、久々に親子3人そろった。唯生も病棟で元気にしているらしいので安心だ。
(彼は、カノジョ以外の友達は遊びに来ていない、と主張する。大鍋カレーで生き延びて来たらしい)
これから日常が始まる。
ゆったり過ごすのがいいのか、「常在戦場」の心構えで行くのか決めかねるが、淡々とやるしかないんだろうなぁ。
そんな、イタリア旅行のしめくくりでした。
また、来週からの日常日記をご愛読いただければ、と思います。

14年10月10日

息子の21歳の誕生日。
我々は昨日イタリアから帰ってきたばかり。ぎりぎり間に合ってよかった。(半ば、忘れてたんだよね)

「何か御馳走するよ。何がいい?」と聞いたら、
「いつもの、ピザとスパゲッティのうまいイタリアン・ファミレスに行きたいな。あっ、でも、ダメか・・・」
「いや、別に母さんたちに遠慮しなくていいよ。日本のスパゲッティも食べたいし」
「でも、やっぱりね」
「じゃあ、吉祥寺のおいしい焼肉屋さんに行こうよ。しばらく忙しい?じゃあ、13日の月曜日、3連休の最後の日の夜でいい?お店に電話しておくよ」ということになって、それまでは彼は、サークルの仲間やカノジョにたくさんお祝いしてもらうんだろうな。

親は何もしなかったが、もうこんな歳だ。
健康に育ってくれただけでありがたい。
このひと月ばかり、彼の合宿やら仲間との沖縄旅行、それからアメリカでのホームステイにとどめは我々のイタリア旅行で、どうもろくに顔を見ていなかったので、伏し拝みたいような気持がいっそう増している。
いや、別に彼を拝むわけじゃないよ。
ここまでに育ててくれたまわりの人や、神さまに手を合わせたい気分なんだ。

こういう気持ちを、誕生日みたいな節目の時に感じるのはもちろんとして、普段から感謝して忘れないようにしたい。
誕生日、おめでとう!

14年10月11日

赤坂のおじいちゃんおばあちゃんを訪ねる、と言って出かけて行った。
アメリカの従姉(彼らにとっては、姪にあたるのか)からおみやげや言づけがあるらしい。

何も話してくれなかったが、大内くんがお母さんにお礼の電話をしたら、ステーキをおごってもらったうえ、おこづかいとお菓子をもらったらしい。
誕生日のお祝いには、もう高級生チョコをいただいているのでそのお礼に行かせたつもりだったのに、ますますありがたい目にあってしまった。
お義父さん、お義母さん、ありがとうございます。

息子はおじいちゃんおばあちゃんが大好きで、尊敬しているみたいだ。
そういう存在でいてくれることにも、感謝。
将来の夢なども、おじいちゃんたちには語るらしい。
「映画やアニメ、テレビの番組を作る人になりたい」
アメリカから帰ってきた時、成田からの帰り道で車を運転しながら、
「何かを作る人になりたい」と言っていたような覚えはあるが、けっこう方向性がはっきりしてきたね。
まあ、マスコミは大変なので、自分でできる範囲で頑張ってもらいたい。

昨夜はカノジョのアパートに泊まりで、午前中に直接おじいちゃんちに行ったようで、
「カノジョの家から来た」と言われたおばあちゃんはたいそう驚いたみたいだ。
我々も、あまりに悪びれないので驚いたよ。
「結婚するつもりなの?」と聞かれた大内くんも困ってた。
(本人たちは、そんなのまだ全然わからないんだそうだから)
「今の若い人ってそうなのね〜」とおばあちゃん。
はい、そういうもんらしいです。

イマドキの若い人であるその息子は、夕方に帰ってきて、ごはん食べてシャワー浴びたと思ったら、我々が風呂に入ってる間に出かけてしまったらしく、家のどこにもいない。
(久しぶりにかくれんぼの鬼をやったような気分だ。押し入れの中まで見たぞ)
しょうがないからLINEで「出かけたの?」と尋ねてみたら、「バイト」。

吉祥寺から家に帰ってくるわけで、そのあとまたすぐに吉祥寺の病院に夜勤のバイトに行くなら、私なら吉祥寺で時間つぶすなぁ。
いくら自転車で15分ぐらいだからって、面倒じゃん。
彼はそういうとこマメって言うか、ホントにメシ食うだけのために帰ってきて、また消えることがよくある。
パチンコに使う金があるなら、ごはんぐらいガストとかで食べたまえ。

というわけで、2連泊され、またしても息子のいない夜を過ごす我々なのでした。
どうも、互いの旅行で離れている間に完全に親離れされた感がある。
こっちは可愛さが増す一方で、全然子離れできないのに。
大内くんと、
「もう、家を出るまでは子離れなんてできないよ。カワイイんだから、可愛がろう」と開き直っている。
しょうがないじゃないか。
「親があっても子は育つ」という心境だ。

14年10月13日

吉祥寺で焼き肉。
店の前の入り口の待合室で7時に待ち合わせしてたら、「時間より早く着きそう」とLINEが入ったので、ちょっとあわてて、タクシーで飛んで行 く。
6時半だってのに、もう来てた。待たせちゃって、すまん。
彼には、意外と待たされたことがない。授業なんかは遅刻気味に出かける人なんだが。

まずは定番の生ビールを頼んで、乾杯。
考えてみれば、1年前からやれるようになったんだなぁ。
「21歳かぁ」と感慨深そうに言うので、
「アメリカでは21歳から成人なんだよね?」と聞いたら、「そう」。
もしかして、あっちではコドモ扱いされていたのかな?

タン塩、レバー1人前ずつ、カルビを3人前、「サラダ的なものも欲しいね」とムンチュ、あとは息子がごはんとキムチ。
私としてはもっともっと食べさせてやりたかったんだが、充分だ、と本人も言うし、ご飯物か麺類で〆るつもりなのでまあいいだろう。

「で、まだ早いかもしれないけど、就職はどうするつもりなの?」と大内くんが聞いたら、
「アニメ作る仕事がしたい」
「テレビ局の企画をやる人になりたい」と、先日と同じことを言う。
比較的、安全な仕事なので、私としてはとりあえず「刑事」をやめてくれただけでありがたい。

ただ、テレビ局には何のコネもないので、自力でやってもらうしかない。
(どんな業種にも、内定がもらえるほどのコネはない。せいぜい会って話を聞かせてもらう程度)
アニメーターは、私の友達に1人いるが、動画を描く人なので、絵心のない息子の志望には参考にならんだろう。
ちなみに、かつては3人いたアニメーターの友達は、1人が消息不明、1人が45歳で亡くなっているので、残ってるのは1人だけなんだ。
アニメーターというのも、意外と危うい仕事なのかもしれない。

今はいろいろ本やマンガ、映画を吸収したい、と語っており、
「秘密のある一族、っていいよな。そういう話、作りたい」とか言うから、
「柴田昌弘の『クラダルマ』、読んだことある?ちょっとエロいけど、面白いよ〜!『ブルー・ソネット』とか描いた人。和田慎二って少女マンガ家知 らない?『ピグマリオ』とか描いてるその人の弟子なんだけど、師匠よりずっと絵がうまいよ。1度読んでごらんよ」と薦めたら、
「今、読みたいものがいっぱいあるから、時間ないよ。しかし、あんたは ホントによくマンガや本を読んでるね」って。
これは、ほめられたのか?バカだと言われたのか?
彼の趣味から言えば、前者だと思いたい。
でも、ほめられたんだとしても、我々ぐらいの年代はみんなこの程度は読んでるよ。
(しまった、和田慎二は、「スケバン刑事(でか)」と言えばもうちょっと通じたか?!)

ちなみに、ずっと薦めてる宮部みゆきの「小暮写眞館」は、
「ちょっと読んだけど、軽い。気分悪い。もうちょっと重たいもんが読みたい」ということで、却下されました。
まあ、無理もないね。
私だって宮部みゆきが重厚だと思って薦めてるわけじゃないから。
好みがはっきりしていて、けっこうなことだと思いますよ。

そんな話をしながら焼き肉をたいらげて、全員、カルビクッパで〆る。
前はちょっと辛くなり過ぎていたし、肉が少なくなってたんだが、昔のように「ちょい辛」で、甘いカルビ肉がたくさん入っているものに戻っていたの で、大内くんと、
「元に戻ったね。これでこそ『李朝園』だ」と喜び合う。
息子は大昔を知らないので全然気にしないでひたすらガツガツ食べているだけだった。

1万円をちょっと超える程度のお会計をして、ガムをもらって、息子から「ごっそうさんでした」と言われながら、
「このあと、予定あるの?ないなら、お茶でも飲んで行こう」と誘って、こないだも一緒に行った喫茶店「くぐつ草」への狭い階段を下りる。

息子もさすがに慣れたようで、もうキョロキョロしたりはしない。
またひとしきり、マンガや映画の話をする。
驚くのは、彼がいつの間にかけっこう古い作品を見ていること。
マンガなんて、頼まれたものをiPadに入れてやってるのだが、大きなお世話で我々推薦のものを勝手に入れておいても読んでる。

「『カムイ伝』は、面白いけど、長いね」(「第二部もあるよ」と言ったら軽くのけぞっていた)とか、
「ちばてつやは『明日のジョー』だけかと思ってたけど、『のたり松太郎』は良かったな」
「ジョージ秋山って人は面白いね。今、『浮浪雲』読んでる。『銭ゲバ』って面白いの?今度iPadに入れておいてよ」などなど、マンガクラブ出身の我々には涙が出そうな展開だ。
小さい時から「ブラックジャック」や「ドカベン」で英才教育(?)をしておいた甲斐があった。

小一時間話し込んで、そろそろ帰ろうか、ってことになって、もうちょっと街をぶらついて帰ると言う息子と別れて、我々はまたタクシーで家まで帰っ た。
イタリア旅行以前は当然のようにバスか自転車で行き来していたものだが、私のひざが痛むのと、どうもタクシー慣れしちゃったのと、経済観念がおかしくなってるのとがミックスされ、日本に帰ってきてからまだバスに乗ったことがない。
(成田から吉祥寺までの高速バスは別にして)
いちおう大内くんのおごりだけど、こんなことしてたらすぐにおこづかいがなくなってしまうだろう。
気分をひきしめて、徒歩で帰るぐらいの気概と健脚を持たなきゃなぁ。

でも、今日はいい日だった。
息子とたくさん話せた。
2時間ぐらいして帰ってきた時にはもう無愛想なヤツに戻っていたけど、こんなにゆっくり顔を見ていろいろ話を聞けたのはひさしぶりだ。
こういう日もある、と胸にしまって、また明日から元気に暮らそう。

14年10月14日

大内くん、18日ぶりに出社。
久々に1人で、寂しい。
息子はカノジョのとこに泊まりに行ってるし。

大内くん自身、
「ちゃんと会社に行けるのか、仕事ができるのか、心もとない」ともらしていたけど、だてに25年も勤めてるわけじゃないので、ほとんど脊髄反射でどうにかしてきたらしい。

17日間、日本にいる時もイタリアにいる時も、ずうっと一緒にいた。
もうちょっと飽きるかと自分でも心配してたんだが、実にまったく、飽きなかったなぁ。
これなら、定年後も「濡れ落ち葉」とは思わないでいられそうだ。

会議が入って少し帰りが遅かったけど、「鶏もも肉の香草焼き」を一緒に食べた。
特に和食が食べたい、というようなことはなく、家のお惣菜全般がおいしくてたまらない。
つくづく、家はいい。

14年10月15日

年に1度の「主婦健診」。
大内くんの会社から案内が来て、近所の病院で受けられる。
無料ではないしめんどくさいので気が進まないのだが、毎年大内くんから、
「僕はキミにあれしろこれしろなんて言わないけど、これだけはきちんと行って」と懇願されるので仕方なく行っている。

今年はイタリアから帰ったばっかりで疲れているから、なんか異常が出るかな?と思っていたら、案の定、ややイエローカードなところもあり、今度、 専門の病院で調べてもらうことに。
ああ、さらにめんどくさい。

私は、大内くんに比べて、持病が多い。
定期的に診察を受けている病院も複数あり、医療費が家計簿を圧迫している。
持病のせいで疾病保険にも入れず、かろうじて「ガン保険」だけは入れたので、この先病気になるならガンが一番お得。
健康なのが何よりお得で、精神衛生にもいいけどね。

14年10月17日

大学でお笑いサークルに入っている息子が、12月に家の近所の公共施設を借りて、他大学の仲間と「合同ライブ」をやるらしい。
最初に聞いたのが夏頃で、ふだんライブやコンテストを見に行くと怒られるのだが、
「自分たちでやるライブだし、近所だから、見に来てもいいよ」と珍しく自分から教えてくれた。

こないだ、朝まで帰ってこないのでまたカノジョのとこでも泊まったかと思っていたら、帰るなり、
「こんなもん、作ってみたんだけど」とケータイで写真を見せられた。
「合同ライブ」の宣伝用写真だった。
今は、フライヤー、っつーの?

撮影して、どういう体裁にするか考えて、朝までファミレスで企画会議をしていたらしい。
若くてステキなことだ。
見せる義理のないフライヤーをわざわざ見せてくれるなんて、親にもちょっとだけ頼ってみたい気持ちもあるようで、嬉しかった。

大内くんは、会社で育休を取っている部下が、
「保育園の空きを待っていますが、今がかわいい盛りなので、離れがたいです」と言うので、
「みんなそう言うけど、実はね、20歳過ぎてもカワイイんだよ。『メシ』と『金』しか言わないんだけど、それでもカワイイの」と言って、
「それは楽しみですね!」と大爆笑されたらしい。

よく、「コドモは最初の数年で一生分の親孝行をする」と言うが、それが20年も続いてるんだから、親って本当にお得な商売だなぁ。
もっとも、「死ね」「クソ野郎」と言われて泣いていた反抗期の7年間ぐらいを、どうカウントしたらいいかわからない。
「そういう経験があるから、今のちょっとした可愛さが嬉しいんだよ」と、苦労人の大内くんは言う。そうかもしれない。

14年10月19日

家のごはんが食べたくて、いろいろ作り貯めしてしまった。
定番は大鍋いっぱいのカレー。
息子は我々の留守中自分で作って生き延びていたらしいので、もう当分食べたくないだろうと思っていたのに、けっこう食べる。

それから、もう夏は過ぎてしまって冷たいものは何だけど、ビシソワーズ。
皮をむいたじゃがいもを水にさらしてしまうと、とろみが出にくくなるのを発見。
今後、さらさないようにしよう。

大内くん作、酢豚。
「プロ用の店」で「酢豚のたれ」を大瓶で買っているため、味は安定している。
酸っぱいものが苦手な息子も、これは食べる。
「おやじの味」だ。

「おふくろの味」はタンドリー・チキン。
スパイスを12種類ぐらい混ぜて、にんくとしょうが、ヨーグルトとレモン汁を入れて、フードプロセッサで漬け汁を作る。
鳥もも肉は、4枚入りの2キロ袋を2つ買って、両方とも同じように塩こしょうをすりこみ、あわせて8枚の肉は漬け汁に漬け込み、半分はビニール袋に入れてジップロックで密封して、冷凍。
残り半分はタッパーに入れて冷蔵庫。
1週間ぐらい漬け込んだものが私は好きだけど、2日目ぐらいからもう食べられるよ。
後は200度のオーブンで30分ほど焼くだけ。

息子も大内くんも私も大好きな料理で、特に飽きやすい息子が飽きないよう、ローテーションは厳しく管理している。
ま、親の料理を好きでいてくれれば、これ以上の親孝行もないんだが。

14年10月20日

当たり前の生活を当たり前にしていると、イタリアに行ってきたこと自体が夢のようだ。
帰国してもう10日以上になるし、合間合間にFBに投稿してたので、今さらの感があるが、旅行で印象に残ったことをぽつぽつと。

イタリアこぼれ話その1。「イタリア男」

イタリア男はとにかくカッコいい。
特に、こっちが中年過ぎてるせいもあって、ひょろっとした若い男の子はまだまだ全然修行途上で、そこらへん歩いてるおっさんがカッコいいのだ。

まず、姿勢がいい。
背筋がピンと伸びてて、たとえおなかが出ていてもそれ以上に胸板が厚く、上腕二頭筋がしっかりしてる。
その結果、背広姿がむちゃくちゃイケてるよ。
ローマあたりになると背広姿はあんまり見なくなってしまうが、ミラノとかフィレンツェには大勢いるし、あとはどこでもホテルマンがきりっとしてた。

その次の要因として、彼らは、ハゲることを恐れていない。
人種的にハゲやすい男性が多いせいかも知らんが、ハゲ始めるとあっさり坊主頭か極端な短髪にしちゃう人が多いように思う。
日本人のように、残ってる髪の毛をいじましく使ったりはしない。
私の愛読書である「おじさん改造講座」でも、日本のOLたちにアンケートを取った結果、嫌われるのは「かつらや髪型でごまかそうとするハゲ」であって、「堂々たるハゲ」はむしろ好感を持って迎えられるのだ。

さらにイタリア男のカッコよさは、女性に対して手を抜かないことからも来ていると思う。
ヴェネツィアで現地のスーパーに買い物に行った時、500mlのミネラルウォーター2本と大内くん用のビール1本を持って、地元の皆さんが大きなカゴを2つも3つも並べてお会計を待っている列に並んでいると、 私の前の40歳ぐらいの男性がレジの人に、
「この女性を云々」と言っていると思ったら、私にも、
「セニョーラ、○☆△*!」と声をかけ、どうやら「お先にどうぞ」と言っているらしい。

確かに私の買い物はあまりに些少で、彼の買い物カゴは3つぐらいあったので、先にお会計させてもらえて大いに助かった。
日本でも見ることのある光景ではあるし、もちろん男性が相手でも同じことをするんだろうけど「セニョーラ」と言う口調がとてもていねいで、とってもサービスされて大事にされてる気がした。

大内くんは、スーパーを出てから、
「どうしてあんなに親切にしてくれたんだろう?」と首をかしげていたので、
「そこがイタリア男なんだよ。こんなおばさんでも、女性だから親切なんだよ」と言ったら、
「明らかに僕というダンナさんがいるのに?!」と驚く。
「ダンナがいようが彼氏がいようが自分が結婚してようが、モノにできる可能性がゼロじゃない限り頑張るのがイタリア風なんじゃない?」というのが私の意見。

実際、カプリ島をバスで巡った時、島育ちの日本語堪能な男性現地ガイドさんがついてくれたんだけど、去年の8月に「青の洞窟」でプロポーズしてOKもらった相手と結婚したばかりなのに、案内しながらツアーの添乗員さんをいちいち口説いているようにしか見えなかった。
「Oh、トモコ、もう帰らないで、僕の家に住んでくだサーイ!」つったって、家には新婚の奥さんがいるし、トモコさんは私とおっつかっつの年齢と体型だ。
ガイドさんは28歳で、まだまだ若造なのに、もう、口説くのが体にしみついてるというか、習慣になっちゃってるんじゃないかな。

いくつになっても女性が女性として扱われるイタリアは、女性ホルモンが不足してくる更年期の女性にとって、たいそう健康に良いところかもしれない。

私はこれまで大内くん以上にカッコいい男性はいない、と思ってきたが、イタリア男にはずいぶんくらくらっときた。
「モーターボートに手荷物はおいて、手漕ぎボートに4人ずつ乗ってくだサーイ。カメラとチップ(手漕ぎボートの船頭さん向け)だけ持ってね。奥さんは、置いて行ってもいいデスヨ!」と言う前述のカプリっ子ガイドさんの目は、「オレがまとめて面倒見るぜ」と語っていた。
新婚旅行ではあまり行かない方がいいんじゃないかな。
大内くんも、私の「愛の逃避行」をずいぶん心配してたようだった。

以上、「姿勢、ハゲ対策、レディ尊重」の3点、日本人男性にも大いに見習ってもらいたいもの、と思ったよ。
もっとも、大内くんには3番目はあんまり真似してほしくないけどね。

14年10月21日

イタリアこぼれ話その2。「スーパーマーケット」

ちょっと出たのでついでにスーパーの話を。

どこの国に行っても、地元のスーパーに行くのが好きだ。
新婚旅行でシンガポールに行った時も、歩いていてスーパーを発見するとつい入ってしまい、あやしいインスタントラーメンとか、どういう味なのか想像できない飲み物を買ったりしてしまった。
(前者は帰国後、友達へのおみやげに配った。後者はなかなかおいしいココアドリンクだった)

イタリアでも、ヴェネツィアとフィレンツェでホテルの近所に水を買いに行ったし、ローマでは4日も滞在したので、ホテルから歩いて1分ぐらいの ちょっと高級そうなスーパー(と言うより、「食料品店」?)でパスタソース等を買った。
歩いて15分ぐらいのテルミニ駅の地下にあるスーパーは非常に巨大で、面白そうだったので、元気があればもっと通いつめたんだが、結局1回しか行かなかった。

ヴェネツィアにもかなりな大型スーパーがあり、イタリアでスーパーに入ったのはそこが初めてだったので、とても興奮した。
日本のように買い物カゴを乗せるカートがあるのではなく、カゴに車輪が直接ついていて、手に下げるも良し、コロコロ引きずって歩くのも良し、という状態。
もちろん我々は飲み物や夜食用の生ハムやチーズを買うぐらいだが、地元の人たちは食料品を実に大量に買って行く。

どのスーパーも、入り口近くに野菜・果物類が、その奥に肉・チーズ類が並んでおり、そして出口寄りの方に洗剤や日用品を売っている、というあたりは日本と同じ感覚だ。

だが、どれも量が多い。
もちろんタマネギやパプリカとかだと1個ずつ買えるし、水も500mlのボトルからあるのだが、肉のパックの中身がやたらに多いとか(少量必要な人は、中にある肉屋で切ってもらうようだ。我々もそうやって生ハムを買った)、「キロいくら」のぶどうの房が、持ち上げてみたら40センチ以上の長さがあるものだったとか、全体にたくさん買う前提のようだ。
そもそもナスとかピーマンが、日本のものより倍ぐらい大きいし。

「1人が1回の食事で食べる量が多い」
「家族がそろって晩ごはんを食べる回数とか、人数が多い」
「冷凍食品をたくさん買う」
のいずれか、あるいは複数の理由が重なっているのではないかと思う。

冷凍食品が非常に充実してたが、通路の1面分の冷凍庫が全部冷凍ピッツァで埋まっていたのは、さすがイタリアと言うべきか。
また、野菜売り場には、サラダ用にすでに切ってあるレタスやキュウリがあって、イタリアは共稼ぎ率が高いのかなぁ、料理の下ごしらえの部分をだいぶ省略してるなぁ、と感じた。
日本にも、盛りつけるだけで食べられるサラダや、カレー用に皮をむいて切ったジャガイモやニンジンを売ってるよね。

大きなスーパーになると、下着や本まで売っていて、思わず大内くんに、
「どう、イタリアの思い出に黒のビキニブリーフでも買う、ってのは?」と聞いてしまった。
言われている大内くんは、棚一面に陳列されたコンドームの山を一生懸命写真に撮っていた。
生理用品より品数多く、堂々とディスプレイされていたのは確かだが、そんな写真を撮ってどうするのか。
まさかFBにアップもできまいし。
民俗学的資料とでも呼ぶのだろうか。

先ほどから「水を買う」と言っているが、たいがいの外国の例にもれず、イタリアの水道水も飲用には適さないらしい。
石灰質が多く含まれているそうで、添乗員さんによれば、
「薬をのむため、ぐらいの量なら大丈夫だと思います。でも、やはり『水が変わる』と体調を崩す方が多いので、ミネラル・ウォーターを買うのをお勧めします。ホテルの冷蔵庫に入っているものは高いです。観光バスの運転手さんがたいてい水を売ってくれるので、スーパーよりは割高ですが、ホテル近くにスーパーがない場合は買うといいでしょう」と言っていた。
お店で売っている量を見ると、イタリアの人たちも主にミネラル・ウォーターを買っているような気がする。

500mlのボトルが、スーパーで0.5ユーロ(約75円)、バスで買うと1ユーロ、レストランで頼むと3ユーロ、といったところだろうか。
我々は食事の時にお酒を飲まないので、毎回、水をオーダーしていた。
炭酸抜きが飲みたい人は、「アクア・ナチュラ―レ」と言う。
滞在中に、これと「お会計」の「イル・コント」だけは言えるようになった。

日本はいい国だ。
水道の蛇口から出る水がいちおう飲めるし、レストランや喫茶店に入れば必ずタダで水が飲める。(おしぼりも出るし)
結局、旅行中にこの「水にお金を払う」感覚に慣れることはできなかった。
やはり、慣れ親しんだ環境というのが一番ありがたいのかもしれない。

14年10月23日

イタリアこぼれ話その3。「ツアーの人々」

我々の行ったツアーは「ルックJTB」の「イタリアハイライト9日間 煌めきのアマルフィを訪ねて」という、ミラノから入ってヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ、カプリ島、ローマをめぐろうというもので、日本で言えば本州全体の見どころを1回の旅行でお楽しみください、ってんだから、当然、ハードだ。
(これでもかなりハードでない方なのだが)

ツアー定員は25人。
実際に集まったのは23人だったので、ひと組ドタキャンがあったかな?と邪推する。
構成メンバーは、予想されたとおり、一番多いのが「定年後の趣味派」。5組のご夫婦が参加。
次に、「新婚旅行」。こちらは2組で、新婚さんにしては張り込んだねぇ、という印象だ。
最近見逃せないのが、「リフレッシュ休暇組」だということがわかった。
うちと、あと同じ職場の仲良し女子社員が家族を置いて2人で参加しているという2組。
会社によって、勤続30年とか50歳とか細かい設定は違うが、今後、この層は伸びて行くかもしれない。

後は、例外的に「39歳息子とその母」、「おひとりさまの中年女性が1人ずつ、67歳の男性も1人」という、統計的にはあまり参考にならない数字だったような気がする。

私は人見知りするうえ、緊張するとしゃべりまくるため、誰も私が人見知りだとは気づかないので、
「ツアーの人たちと仲良くなるって苦手だなぁ、人の顔も名前も覚えられないし」と、団体行動、特に食事を恐れていた。

でも、やってみればなんでもない、気持ちのいい人たちで、人に無理に話させようとしたり、自分の話ばっかりしたり、場をぶち壊すような人は1人も いなかった。
様々な席に座るうち、ほとんどすべての人の大まかな事情を知るに至った私。
うーん、人に歴史あり。

コードネーム「親子」と呼ばれていた母と息子の組み合わせは、心配してたようにお父さんが亡くなってしまって独身者の長男が母親の面倒を見ているわけではなく、お父さんはぴんぴんしてるが旅行がめんどくさいので、旅行好きの奥さんには息子をお守り役につけているのだ、とか、1人参加の67歳男性は、奥さんが亡くなったのではなく、病気をしたのでもう旅行は無理、あんた1人で行ってきて、と言われたんだとか、思ったほど悲惨な背景をしょって来てる人はいないので、ほっとした。

むしろ、中間層の我々リフレッシュ組は浮いており、定年組から、
「お見受けしたところ、まだまだ現役でしょうが、何でこんな長いツアーへ?」と聞かれてしまう。
リフレッシュ休暇を広める立場にならなくては。

それにしても、定年組はお金あるね。
「年に1回はヨーロッパを回る。次はドイツへ連れてってやりたいんですよ」と奥さんを見て目を細めるダンナさん。
ダンナさんは若い頃から仕事で海外を飛び回っていたが、奥さんはずぅっと日本で留守番だったそうで、その埋め合わせだね。
この夫婦は、何をするにも奥さんが「お父さん、お父さん」とダンナさんを頼りにしていて、初々しかった。

67歳単身旅行はもっとすごい。
年に2回は海外へ行く、と言う。
旅費が1人分だから計算上は帳尻が合うが、よくそんなに出かける気になるねぇ。
「オーストラリアでさ、コアラを抱っこしたんだよ。ありゃ、奇妙なもんだね。じーっとして、動かねえの」
「ナイアガラ瀑布はすげーの。船で近くへ寄ったらさ、もう、しぶきなんてもんじゃねぇよ、びしょびしょだよ」
定年まで海外旅行をしたことがない彼の「珍しいもの見たさ」は当分止まりそうになく、
「次は、クロアチアなんか、面白そうだと思うんだけどねっ!」と張り切っていた。
イタリアは、彼のお気に召しただろうか。

定年組はだいたいそんな感じだ。
彼らが共通して口にするのは、
「動けるうちにしておかなくっちゃ」
「そのうち、やりたくてもできなくなっちゃうんだから」
「身体が言うこと聞くうちよねぇ」といったフレーズ。

忍び寄る老いにおびえながらも、ある程度恵まれた資金力を有効に使って、これまで働いてきた分、夫婦(時には1人で)で楽しもう、ということなんだろう。
我々も、もう10年たつと「あっち側」に行けるのかな。
大内くんは、
「あんなにお金ない。もう1回、ぐらいなら行けるかも。その時は、本当に最後だと思ってお金使おう!もう、ビジネスクラスで行っちゃうよ!」と頼りないんだか頼りがいあるんだかわからないセリフを吐いている。

このように非日常の中で知り合いになった人たち、特に、イタリアのトイレ事情のせいで、
「私、外からドア押さえておいてあげる!」(カギが壊れているのだ)
「ティッシュ、あるわよ!」(トイレットペーパーがないのだ)
「除菌ウェットティッシュ、使う?!」(便座がないのだ)
というような経験を共にして同志のように戦った女性軍はたいそう仲良くなってしまい、私は、コードネーム「親子」のお母さんの方から、ひざの痛み止めの薬をたくさん分けてもらうというお世話にまでなってしまった。

だが、終わってみれば何もなし。みんな、全国に散って帰ってしまった。
「同期会」ができて、旅行後も集まったりメール交換したりまた一緒に旅行行ったり、そういうことはないもののようだ。(期待する方がヘン?)
例外的に、コードネーム「新婚1号」の奥さんとFB友達になったし、写真を撮ってもらったので「親子」の息子さんの方とメアド交換したが、そうそう私が期待しているようにメールをを送り合う関係になれるわけでもないだろう。
あまり立ち入っては失礼だよね。特に新婚さんは忙しいんだし。
気持ちのいい人ばかりだったので、もっとお友達になりたかったけどね。

「袖すりあうも多生の縁」
時々、イタリアで撮った写真に写っているある時期の「仲間たち」を眺めて、「やっぱり旅は楽しかったなぁ」と思い返している。

14年10月25日

イタリアで歩きすぎてついに深刻になったひざの痛みを解消する(筋肉をつける)ため、吉祥寺にある会社契約のスポーツジムに水中ウォーキングをしに 行った。
泳げない私は25メートルプールを黙々と往復し、おおよそ1時間半をかけて2キロを歩いた。

大内くんは、「疲れないかぎり、いくらでも泳げる」といううらやましい平泳ぎの達人なので、1キロほど泳いだそうだ。
しばらく私のウォーキングにつきあった後、彼はサウナに入りに行き、私は「今日の目標は2キロ!」と目を据えて、結果的に大内くんをロビーで10分も待たせてしまったが、初志貫徹!さわやかだ。

2人とも、運動は本当に久しぶりで、歩くとがくがくする感じだけど、これからは、市民プールなどにも行ってみて、経済的にも体力的にも無理のない健康作りをめざすつもり。

帰りは、「運動のあとは適度の栄養」とか言って、気になっていたタイ料理店へ。大内くんの友達の推薦だそうだ。
ランチセットの時間だったので、私はスープつきの「カオマンガイ」、大内くんはライスつきの「トムヤム・ヌードル」を食べた。どちらも小さな生春巻きがついていて、とてもおいしかった。

卓上に小さめの水差しがあって、薄いジャスミン茶のような感じのものが氷と一緒に入っていたのがよかった。
これがなければ、お互い辛い料理を食べ切ることはできなかっただろう。

人にはあまり知られていない大内くんの特性だが、彼は、暑くてもそれほど汗をかかないのに、辛い物を食べるとてきめんに発汗する。
今回も、額から首から胸まで、滝のような汗を流して、「辛い、うまい」を繰り返していた。

お店の感じもよく、そこそこお客さんがいて、でもいたたまれないほど混んでいるわけでもなく、店員さんたちは丁寧で、お客さんを見送る時に「あり がとうございました」のあとタイ語(たぶん)で何かつぶやいて、軽く合掌しているのがいい雰囲気だった。

久々に手駒に使えるお店ができた。
2人でランチするも良し、友人とタイ料理を囲むのも良し、といった感じの、本当に素敵なお店だった。
大内くんの友人のYさん、ありがとうございました。

ついでに、ロフトに寄ってご祝儀袋とカレンダーを購入。
来週、大内くんの会社の若い男性が結婚するのだ。
パレスホテルなので、
「ぜひ、『ローストビーフ食べ放題コース』を!お客さんは、感激するよ〜!一生、忘れないよ〜!」と勧めたそうだが、
「カンベンしてくださいよ。そんなにお金ありませんよ」と、断られたらしい。

大内くんは、8年前にマンガクラブの先輩の披露宴に夫婦で招待され、食べ放題のローストビーフを3枚半食べたのが忘れられないのだ。
実際、今でもお祝い事があるとパレスホテルに行っては、ローストビーフを楽しんでいる。
(今度、12月の大内くんの誕生日もお祝いに行く予定)
さすがに食べ放題ではないけど、いつもおなかいっぱいだ。

その宴席で、ローストビーフを3枚たいらげ、もっと食べたい、でもさすがにもう1枚は無理、と大内くんが悩んでいたところに、黒服が来て、
「おかわりはいかがですか?」と聞いてくれた。
「食べたいんですが、もうおなかいっぱいで」と言うと、
「では、ハーフでお持ちしましょうか?」と笑顔で返され、思わず、
「はいっ、お願いします!」と答え、そして運ばれてきた半分サイズの牛肉は、このうえなくおいしかったそうだ。

S社のHくん、我々、ローストビーフは12月の大内くんの誕生日に食べに行きますので、普通のコースにしておいて、差額は新婚旅行につぎ込んで、 奥様を幸せにしてあげてください。

そんな話をしながら、
「そうそう、せっかくロフトに来たんだから、来年の分のカレンダーを買っておこう。我々って、用意がいいなぁ」と言いながら得々と冷蔵庫に貼るカ レンダーを買って帰り、しまっておこうと棚を見たら・・・すでに買ってあった・・・
我々は、確かに用意がいいかもしれない。でも、同時に、忘れっぽくもあるのだ。
なんだか老人的で、泣けてくる。

お昼をしっかり食べたので、晩ごはんは三浦屋で買った生ハム、チーズ、ロールパンで、大内くん作のパニーニ。
それなりにおいしかったけど、ローマで、身体が弱って食欲がない時に地元のスーパーで買った材料で作ってもらったパニーニが忘れられない。
材料には倍ぐらいの値がかかっているのに。
やはり、本場の食材で作ったパニーニはおいしいのか、あまりおいしくないツアーの食事が続いた後だったからか、それとも旅行自体が最高の調味料だったのか。

「その土地土地の、安くておいしいものをはさむのがパニーニなんじゃない?日本だったら、コロッケパンでいいわけよ」
「いや、そういう意味では、我々の究極のパニーニは、『おにぎり』だよ」
ビバ!日本食。我々の胃袋の故郷(ふるさと)。

14年10月26日

留年確定の息子、去年はまさかのゼロ単位(1個も単位取ってないってこと)で親をはじめとするまわりを驚かせたが、かなり心機一転して臨んだらし い3年生前期は、登録科目中3/4ほどの単位が取れたらしい。
早稲田の場合、期ごとに取れる単位数の上限が20と決まっているので、たとえば4年生なのに50単位残していたりすると自動的に留年。
息子は、1年生の終わりに、「あと3年では足りません」と言われて留年なのだ。

なので、常に「これ以上落としたら2留だ」という危機感があり、本人は、
「要領がわかってきたから、今後はもっと取れるよ」と言うが、どこでつまずくか、親としてはハラハラしっぱなしだ。

バイトを2つやっていて、片方はネットテレビの製作会社の下働きで、もうひとつは吉祥寺の病院の夜間受付。
ネットテレビの方は、先日、
「サービス自体が廃止になったので、仕事がなくなった」と言っており、つまり「クビになった」ってことだ。
新しいバイトを増やす気もないようで、まあ、バイトに励み過ぎて単位を落としても困るので、特に何も言わない。

病院は、真面目に勤めているようだ。
9月は旅行が多く、シフトが少なすぎるんじゃないかと心配していたが、夏休み前は週1コンスタントに行っていたところを、沖縄やアメリカに行く前にけっこう一生懸命行って稼いでた雰囲気だったし、旅行が一段落してからは週1ぐらい行けてる感じ。
このままいくと、バイトが高じて「医療事務のスキル」が身につき、今の大内くんの歳になる頃には、気がついたらどこかの小さな病院で事務長をやってるんじゃないだろうか。

私が息子の就職に直接口を出すのは、大内くんから厳しく禁じられている。
「キミが、自分自身のことには見栄っ張りだが、息子を使って世の中に見栄を張ろうとは思っていないのはよくわかる。社会的地位や金銭に過剰な興味や関心を持っていないのも知っている。でも、それでもやっぱり母親が息子の将来に過大な期待を寄せちゃう、ってのはよろしくないんだ。僕なんか、 『あの大学に入って、弁護士か国家公務員』としか言わない親さえいなかったら、今望んでいるように、高校あたりの社会科の先生になって、『ここは受験に関係ないけどね』とか言いながら、自分の好きなこと教えてたかもしれない。コドモから、本来は本人の物である人生を奪っちゃ、いけないん だ」

うん、私も、息子に何になってほしい、ってのはほとんどないよ。
警察官とか、危険な仕事は困るなぁ、と思うけど。
彼は常識のある人だから、フツーの会社に入って、フツーのサラリーマンになれれば一番いいと思ってる。
もっとも、今の世の中じゃそれがあんがい難しいんだよね。

14年10月27日

12月に行われる息子の「合同ライブ」のチラシができあがったらしく、宅配便で重い段ボール箱が届いた。
おととい、「家に届くかもだから、受け取っといて」と頼まれたんだよね。

土曜にプールに行ってる間に届いたようだけど、不在連絡票は入っていたのに宅配ボックスには入ってなかったので、
「まさか、代金引換?だからわざわざ『受け取っといて』なんて頼んで行ったの?狡猾なヤツだなぁ。こないだ立て替えた『施設使用料』もまだ返して もらってないぞ。だいたい、7人でやる合同ライブなのに、どうして何でも息子のとこに支払い要求が来るの?大番頭?勧進元?」とか思ってたら、再配達で来た。代引きじゃなかった。

夜、帰ってきた息子に、
「チラシ、届いてたよ」と言ったら、「あ、ありがと」って言って、しばらくしたら、1枚持って来て見せてくれた。
こないだケータイの画像で見せてもらったのと同じ絵柄が、A4サイズのキレイなチラシになっていた。

ちょっと感動して、
「これ、10枚ぐらいくれない?」と聞いたら、
「いいけど、なんで?」
「N口さんとか、I原さんとか、父さんたちの友達であなたのことよく知ってる人たちに、送りたいの。いいでしょ?」
「ふーん、別にかまわないよ」というやり取りがあって、300枚ぐらいあるように見える段ボールいっぱいのチラシの中から10枚ほどいただいてお いた。

ただ、「オトナ」のお客さんがあまり増えるのはノーサンキューなのか、
「父さんのフェイスブックに写真載せてもいい?」というリクエストには、「ダメ」という答えが返ってきた。ちぇっ、残念。

「そう言えば、『施設使用料』、まだ返してもらってないんだけど」と言ったら、
「まだみんなから集金してない。今度返す」という答え。
「いつでもいいけど、みんなからちゃんと受け取ってね。あなたの分も含めて全額返してよ。お金のことはきちんとしてね」
「ほーい」
緊張感のない答えだなぁ。

でも、チラシの中でネクタイをゆるめる「くたびれたサラリーマン風」の背広姿の息子はとっても可愛かった。
自分たちで合同ライブを企画・実行するなんて、一生の記念になるだろう。
めずらしく親にも「見に来ていいよ」と言ってくれているし、いざとなれば「施設使用料」は貸し倒れになってもかまわない、と今から思っている甘い親だ。
親がこんなでも、コドモはなんとか育っている。
これからも、なんとかなってほしい。

14年10月29日

会社の大内くんから、少しあわてた感じでLINEが来た。
「忘れてたけど、今週末、もう早稲田祭だよ!」
ホントだ、完全に忘れてた!!

当然、息子のお笑いサークルのライブがあるはずだ。彼も出場するだろうし。
「土曜日の朝、私の病院の診察予約が入ってるよ。何時に出るのか、彼に聞けたら聞いといて」と返事したら、すぐに息子から「香盤」が送られてき た。
そうか、12時、1時、3時と、3回も出演するのか。翌日の日曜も野外ステージ出演があるようだ。

時間的に、ぎりぎり間に合うとは思うのだが、念のため、予約を来週に変えられるか、病院に頼んでみた。
初めての病院なので、どのくらい待つのか読めないのだ。
幸い空きがあって、変更してもらえた。

息子の夏休みの旅行や我々のイタリア旅行で、ここひと月半ぐらいは本当に息もつけないほどバタバタしていて、他のことは全部頭から抜けていたうえ、完全に終わって放心状態だったよ。
そもそも、気がついたらイタリアに出発してからもう1カ月もたってる。つい先週のことのようなのに。
息子の方がよっぽどしっかり暮らしている。
そうか、もう3回目の早稲田祭か。

これが終われば、執行部は2年生に交代し、息子たちの代は就活に入るのだろう。
留年する息子は1年先だが、皆がどうするのか、見ているだけで大いに参考になると思う。

留年が決まった時、
「みんなが引退しても、1年余分にサークル活動ができるわけだよね?」と聞いたら、
「そうだけど、みんなと一緒に引退する」と言っていたので、息子は少しヒマになってしまうかもしれない。
就職のための勉強とか、何らかの資格取得のため予備校に行くとか、やることはいくらでもあると思うけど、やらんだろうなぁ。

まあ、きっちりした引退が決まっているわけではなく、各々の忙しさの度合いに応じて、サークルに顔を出したりライブやコンテストに出る回数が減るだけのようだし、息子が組んでいる3つのユニットのうち、ひとつは同じく留年する同級生かずやとのコンビなので、続けようと思えば続けられるんじゃないのかなぁ。
それも、彼らの慣習次第だが。

会社から帰ってきた大内くんが、
「今日の昼間、電車に乗ってたら、前に座ってる女子大生2人が、『アタシたちの前に座ってた2人って、東大だよね。やなカンジ』って言ってた」と話す。
私「なに、合コンの話?」
大「いや、企業の合同説明会じゃないかな」
私「じゃあ、リクルート・スーツ着てた?」
大「いいや、まあ、普通の格好」
私「紙袋持って?」
大「いや、そういう、いかにも、ってことはまだこの時期、やらないんじゃないかな。でも、何らかの動きはあるみたいだね。『うちは早稲田だから、 テニサー多いんだけど、テニサーです、なんてことは言わない方がいいみたいよ』って」
私「ふーん、始まってるんだぁ」

そんな会話があって、翌日、のっそり起きてブランチを食べて大学行こうとしてる息子に、
「今週末の早稲田祭が終わったら、みんな、執行部やめて引退するの?」と聞いてみたら、
「引退ってわけじゃない。少しヒマにはなるけど」
私「就活始まるんでしょ?」
息子「いや、まだ数カ月先の話だから」
私「あなたはどうすんの?」
息子「わかんない」

伝家の宝刀「わかんない」が出たところで会話はストップ、彼は出かけてしまった。
早稲田祭が終わったら次は合同ライブで頭が一杯だろうなぁ。
バイトも、ひとつ減って病院のバイトしかしてないけど、増やすつもりはないようだし。
はっきり言って、バイト2つしててもおこづかいは足りなくて、毎月私から借金してた。
今の状態だと、月に4、5万は借金。
毎度毎度「すんません、お金貸してください」って言って来るのは殊勝だが、もう借入高が100万超えてるんですよ。どうやって返すつもり?

あまり関係ないが、サークルのHPで、コンテストに出ることが判明。
前にも行ったことのある新宿のライブハウスだし、早稲田祭の翌週の土曜なので「行けるなぁ」と思って、「見に行ってもいい?」と聞いたら、
「小さなとこだから、若い人しか来ないよ。浮くよ。恥ずかしくないの?」
「別に」
「オレが恥ずかしい。来ちゃダメ」と断られた。残念!
まあ、今週末、完全燃焼しよう。

14年10月30日

藤子不二雄が1959年「週刊少年サンデー」第1号から連載していた「海の王子」という科学冒険漫画を読んだ。(全3巻の第1巻)
こんなものが愛蔵版として復刻され、1巻1600円で売っているというのもスゴイが、調布図書館では深大寺分館の書架に並べている、という事実も、なんかスゴイ。

軽い気持ちで借りたが、圧倒されて読んだ、私と同い年の漫画。
日本の漫画文化は本当に豊かだ。
来週、第2巻を借りに行こう。

原案は劇作家の高垣葵(まもる)。
この人、1928年生まれなんだよなぁ。
ウィキによればまだご存命のようだから、もう96歳か。うひゃー。

この人のあとがきを読んだら、
「潜水艦漫画にしたのは、江戸時代の四国の資料で、木造の潜水艦の設計図を見たから」だそうで、これって、島田壮司の「星籠(せいろ)の海」と同じネタじゃ ないかなぁ。
自分が読んだものがどこかでつながる、それはけっこう楽しい出来事だ。

藤子不二雄のマンガの本当の面白さを知るためには、彼らのマンガ人生を描いた自伝マンガ、「まんが道」(愛蔵版全4巻)を読むといいと思う。
手塚治虫に憧れて上京した、昔の「夢のある若者」が余すことなく描かれている。

古くさい少年漫画、と思って話のタネに読み始めたが、ものすごく面白い。
本当に単純な勧善懲悪の、毎回秘密兵器てんこ盛りの冒険漫画だが、なんというか、シンプルで力強い。
息子にもこういうものを読んでもらいたいが、コドモ時代ならともかく、やや病的なものに憧れる今の年頃では読まんだろう。

一方で、彼はジョージ秋山の「浮浪雲」を「たいへん面白い」と思っているようだ。
家に51巻あったのを自炊したので、iPadに最初の20冊だけ入れておいたら、けっこう夢中になって読み、
「終わった」と言うので、
「まだ31巻あるよ」と言ったら大喜びで、
「ホントっ?入れといて。でも、どこまで読んでも同じ話だね」というところまではわかってるみたい。
(「銭ゲバ」を大いに薦めたら、ちょっと読んで、「これもまた、くるねぇ」と喜んでいた。なぜか親はもっと喜ぶ)

で、「浮浪雲」、つられて私も読んだが、なんつーか、人情噺+親子愛だね。
学問所に通い、坂本竜馬と話した思い出を胸に抱いている、ちょっと反抗期の来てる息子の新之助が、
「父上、男とは、なんでしょうか?」と尋ねたら、
「おちんこじゃねえでしょうか」と答える浮浪雲。
うちではこれがやたらにウケて、大内くんと2人、ドラマや映画を観ていても、
「作者の意図はなんだろう?」「おちんこじゃねえでしょうか」とえんえん笑い転げている。
息子にとっては、自分の読んでるマンガを親が追跡してる、ってのはあんまり気持ちのいいもんじゃないだろうから、ナイショね。

でも、ちょっとだけ言っちゃったなぁ。
「浮浪雲読むと、やっぱ、モノを言うには、腕に覚えがないとダメだと思うよね」って。
柔道2段の息子は無言だった。どう思っただろう。
まあ、通しで読んだことがないだけで、大昔からぽつぽつ読むのはこっちが先輩なんだから、何言ってもいいとは思うんだが。

あと、息子は、けっこう「浮浪雲」を「大内くん」と重ねて読んでるんじゃないかな。
あんなに強くはないけど、心からコドモを大事に思ってる、エライお父さんなのはおんなじだから。
浮浪雲が息子を語って曰く、
「あちきはね、野郎がでえすきなんですよ」。
大内くんにそのセリフを話したら、
「まさにそうなんだ!」と泣きそうになってた。

私は、奥さんの「カメさん」かなぁ。
反抗されてもされても、
「そうか、私の子供たちへの思いは、恋心なんだわ」と言いつつ、時々新之助と大ゲンカ。
でも、お父さんじゃないからそれほど期待はされてない。気楽だ。

今回、100巻以上出てることを知って、驚いたよ。しかもまだ終わってないらしいし。
思わずネット古書店で103巻までのそろいを注文してしまった。28000円。
51巻までは持ってるので、ブックオフに売りに行き、残りは家で自炊する。

いや、本当は、電子で買えるお店もあったんだよね。1冊400円。
その方が手間いらずではある。
しかし、今の我が家の技術では、アプリを使ってiPadで読むところまではいいし、そのアプリの中にある「トランクルーム」に入れておけばいつで も読めるのだが、iPadから外に移動させてHDで保存、というところまではできない。
(アホみたいに簡単なのかもしれないが、うちでは、無理)
保存(アプリが使えなくなった時どうなるのか、とか)の問題を考える時、まさかpdfはなくならんだろう、ということで、わざわざ裁断・スキャン だ。
この問題が解決すれば、うちは、電子書籍を買うようになると思う。

紙の本買って、自炊して、資源ゴミにしてしまうのがいいことか悪いことかわからない。
ただ、上村一夫の「すみれ白書」全4巻を1冊2000円(!私がこれまで買った古本では最高値!)で買った今日、紙は焼けてるし、開くと接着部分 がぱりぱり剥がれるし、これはもう、電子で保存するのがマンガ読みの義務だ、というふうにも思う。

電子化を「本に対する愛情の無さ」ととらえる人もいる昨今だが、でもさ、「美味しんぼ」100巻以上とか、「浮浪雲」100巻以上がまだ未完であることを思うと、好きなだけマンガが買えるというのは、ものすごく嬉しい。

ちなみに、大内くんの持論では、
「日本の漫画家で、手塚全盛期に彼のマンガを読み、かつ影響を受けていないのは、ジョージ秋山とモンキー・パンチだけだ」とのこと。
私はそれに「望月三起也」を加えたい。
(「赤いペガサス」とか「仁ーJIN」を描いた村上もとか、「1,2の三四郎」「柔道部物語」の小林まこと等が、望月三起也のアシスタントだったとは知らんかった)

思わずマンガを語ってしまった。
自炊推奨もしてしまった。
だが、ひとつ残念なことに、タブレットやパソコンでマンガや小説を読むのはものすごく目に悪い。
老眼は進むし、目が疲れて、長時間は読めないのだ。
iPad並みの性能で、「目が疲れない『E-ink』」のタブレットが出たら、即座に買うんだがなぁ。(iPadがE-inkになってくれればいいのか)
Kindle撤退しちゃうしなぁ・・・
マンガや文庫本が見開きで読めて、カラーがキレイで、目が疲れないタブレットはないものでしょうか。

14年10月31日

今日は、高校時代からの親友の命日だ。
5年前、急な病で亡くなってしまった。
心にぽっかり穴が開いたようだ。

最初の数年はそうでもなかった。
知らせを聞き、友人たちとお焼香に行った時こそ驚きかつ悲しんだものの、元々、時折メールや電話を交わし合い、数年に1回会っては話し込む、とい うつきあいだったので、今にも、
「おー、女史。元気?どうしとった?」と電話がかかってくるような気がしてならなかった。
「もういないんだなぁ」と得心が行ったのは、去年あたりからだろうか。

毎年、2、3人の友人と大内くんを交えて、彼の命日ごろに集まっているのだが、去年、ゲイであるその中の1人が、若いパートナーを連れて来たのがきっかけだ。

10年ほど前、親友が、私が行けなかった宴会での彼を評し、
「男色を気取るだけあって、本日もオシャレな格好でした」とメールに書いてよこしたことを思うと、この友人が本当にゲイであることを知らなかったのだろう。
実は私も、親友が亡くなるまで、知らなかった。

でも、その後毎年会っていると、若い頃は自分でも知らなかったらしい自分の性的スタンスに慣れるにつれ、その友人は、どんどん自由に、魅力的な人になって行った。
そんなところに、パートナーを同行する旨告げられて、大内くんと、
「よかったね。彼も、幸せになったんだね」と言いながら会いに行ったのだ。

一緒に飲んだそのパートナーは、とてもハンサムで、キュートな若い子だった。
「これからも彼をよろしくね」と私が別れ際に言って握手すると、
「はぁい、大丈夫でぇす!」とにっこりしてくれた。

一緒に飲んだもう1人の友人から、後日メールがあった。
「いつも『偲ぶ会』、開催ありがとう。しかし、Mくん、これだけは損したね。Nくんのカレシを見られないなんて!」
その時初めて、
「ああ、そうだ。私たちは生きていていつでも会えるけど、親友は、もう、死んでしまったんだ」と胸にすとんと落ちるものがあった。

今年も、これから会社帰りの大内くんと待ち合わせ、その2人の友人と会う。
(金曜だし、命日どんぴしゃだ。よかった)
もう1人、都合のつかない友人がいるが、その彼も、
「来年は七周忌なので、必ず行きます」と言ってくれている。
彼らと、高校時代の思い出を語り、自分たちの今日を、明日を語り、亡くなった人を偲ぼう。

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