14年11月1日

早稲田祭に、息子のお笑いサークルのライブを見に行った。
事前にもらった「香盤」によると、彼は、1日に4回やる公演のうち3つに、別々のユニットで登場の予定。
朝イチの10時半からの回に出ないのには親孝行だ。
それより、昨日の夜バイトの夜勤で仮眠しか取ってないのに、大丈夫か。
午前8時半いったん帰ってきて、シャワー浴びて食事して、支度をして急いで出かけてしまった気忙しい本番の朝。

我々も、ゆるゆると早稲田に向かう。
12時からの第2回公演。漫才。
「最近、『鰻』って食べてないよね」と言われると、話の進行の都合だろうと思いつつも、値上がり以降食べさせてやってないなぁ、と思う親心。
息子「鰻、って漢字がむずかしすぎるからだと思うんだよね。もっと簡単に、たとえば、長いから、魚へんに『長い』をあてがって、どう?」
相方「もうあるんだよ〜」
息子「えっ、あんの?」
相方「ハモ」
息子「じゃあ、腹が白いから、『腹』ってあてて、どう?」
相方「もうあるんだよ〜。アワビ」

ここまでで、「ウソつけ」と思ってしまった。
ハモは「豊」で「鱧」だし、アワビは「包」で「鮑」じゃないか!
そのあと、
息子「じゃあ、絶対ないのにしよう。魚へんに『土佐犬』。これ、ないだろ」
相方「あるんだよ〜。カツオ。土佐だから」
息子「ん〜、じゃあっ、魚へんに『金玉』!これはないだろ!」
相方「あるんだよ〜。キンタマウオ」
息子「そんなもん、あるかいっ!」

というふうに続く漫才なんだが、ずうっと、
「最初っからウソ言っちゃだめだよなぁ。それじゃ、あとの『土佐犬』とか『金玉』が生きないじゃないか!」と思ってた。
ところが。
家に帰って調べたら、あるんですねぇ。
「ハモ」は「鱧」もあるけど、「魚へんに長い」もあるんです。
「アワビ」は「鮑」が普通だけど、「鰒」もあるんです。
息子の方が語学力あるじゃないか!

とは言うものの、一般のお客さんの常識に合わせた方が面白いので、難しすぎて、却下。基準は寿司屋の湯飲み。
「オレら漫才やってるから、漫才の曼で、『鰻』にしよう!」というオチは読め切っているし。
息子は、漫才は今ひとつなんだよなぁ。コントの方が面白い。どっちにしろ親の欲目だが。

で、1時間のライブが終わって1時半からのに並ぶ前に焼きそば買って来て食べる時間があると思ってた。
私にとって、学祭の華は焼きそばだ。
ところが、時間が押したせいもあり、また人気もあるのか、はたまた降り出した雨で屋内企画に人が集まってきたのか、すでに次の回に入場したい人の列ができている。
もう並んじゃわないと、立ち見になっちゃうかも!

というわけで、涙を呑んで焼きそばをあきらめ、1時半公演を見ました。
今回は、「集団」。
いつも組んでる2人のユニットとは全然違う5人のメンバーが、そろいの横ジマTシャツを着て、監獄ネタ。
顔見知りの同期の子たちの活躍が楽しかった。もはや自分の子同然だ。

最後の公演となる3時からの回も事情は似たようなもので、さらにそれが過熱しており、スタッフたちは、伸びすぎた行列をどこにどう伸ばしていいかわからない状態。
学園祭実行委員会の女の子と、
「上の階段に並んでいただいちゃうと、上の企画とごっちゃになっちゃうんですよね!」
「でも、下は、もう建物の外に出そうで、お客さん、雨にぬれちゃいます!」ともめていた。

たまたま行列の一部の最前列にいて、目印のプラカード持ったスタッフと実行委員会とのこのやり取りを聞いていた大内くんは、
「あと2分ぐらいで開場なんだから、下に並んでもらって少し詰めれば問題ないです!」と言いたくてたまらなかったらしく、もう、喉どころか口の先まで出かかっていたと言う。
幸い、伝令が来て、「もうじき開場ですから!」と言ってくれて、大内くんは、
「あああ、やっと頭のはっきりした人が来てくれて、話がすっきりした!」と胸をなでおろしたそうだ。
どうも、株主総会で、お客さんができるだけ第2会場に入らないように、とかいう仕事をしていた経験がトラウマになっているらしい。仕事は人を作る。

そう言えば、就職するまで息子の塾でバイトして教えてくれていた早稲田卒の先生が、結婚したばかりの奥さんと一緒に見に来てくれているのに遭遇した。
「○○先生に似た人いるよ」とかたわらの大内くんにささやいたとたん、その「似た人」が、
「あっ、お母さんじゃないですか!こちら、大内くん(この場合は息子)のご両親」と奥さんに紹介してくれた。
階段下方に伸びた列にすぐに並ばないと入れないかも、という危機感の元だったのでほとんどお話はできなかったが、息子のお笑いを見に、わざわざ来てくれたそうだ。ありがたい。

で、満席で立ち見まで出た最終公演は大成功で、我々が見てても普段のサークルのレベルより高かった気がした。
さすが学祭と言うべきか。
息子のコントも、外部のコンテストなんかでもいい成績を出してるコンビなので、安定感もあったし、我々が普段欠点だと思ってる「息子がツッコミをやりたがる。相方にツッコませた方が絶対面白くなるのに」という点を新機軸トライアルで解消しており、満足できる出来だった。

終わって、帰ろうとしていたら、出口でお客さんたちをお見送りしていた息子が、さっきまでのコントの背広姿のまま、すぅっと大内くんに近づいてきた。
そのまま、人の流れに押されて階段を下りる大内くんに、
「どうだった?良かった?」となんだか嬉しそうに聞くのはとても珍しい。
「良かったよ。特に、キミがボケをやったのがよかったね」と言うと、満面の笑顔になって、
「ちょっと、ちょっと、こっち来て」と、階段の隅の人のいないところに我々を引っ張って行って、
「他に、どのへんが良かった?」とさらに聞こうとする。

2、3言立ち話をしたが、すぐに大内くんが、
「さっき、○○先生が来てたよ」と言ったので、
「ホントっ!オレ、会いたい!じゃっ」と会場の方に戻って行ってしまった。

「まあ、いいよね。我々は、家でゆっくり話せば。今日は帰ってこなくても、明日ぐらいには帰ってくるでしょ」と言いながら小雨のやんだ喧噪のキャ ンパスを抜けて、バスに乗って歌舞伎町まで出て、サムラートでカレー食べて帰った。
いつものカレーもシークカバブもおいしかったが、今年はついに焼きそばを食べられなかったなぁ。

ワタシ的には、第2回公演のMCをやった息子の同期で顔見知りのかずやくんが、アンケートの採点方式の説明をしなかったため、アンケートの書き方(面白かったものに○をつける。特に面白かったら◎)がわからず、まわりの人もみんなわからなかった様子だったので、終わって出て来た時に会った彼に、
「かずやくん、こんにちは。アンケートの書き方がわかんなかったよ」と言ったら、
「あっ、しまった!説明するの忘れた!でも、あなたはわかったでしょう!」と言われ、私の名前が思い出せなかったのか、同期の大内のお母さんだということを忘れてしまったのか、と想像を巡らせつつも、この歳の差で「あなた」と呼ばれたことの違和感をしばらくかかえていた。
大内くんは、
「かずやは、ナマイキなんだよ」と言って笑うのみだが。
どう言うのが穏当なのかなぁ。誰彼かまわず「お母さん」ってのも問題ありそうだし。

あと、息子のカノジョとも顔を合わせたのでご挨拶。
「こんにちは」
「あっ、ハイ、こんにちは!」
「最近、遊びに来てくれないから、寂しいです。また遊びに来てね」
「ハイっ!」というやりとりがあった。
ステージを見ていても、じかに会っても、彼女があか抜けたと言うか、線がほっそりして美人さんになってきたような気がする。(いや、もともと目が大きくてカワイイんですが)
年頃なのか、いい恋愛をしてるせいなのか。後者だと思いたい。

この学祭が終わると、息子たちの代の執行部は後輩と交代だ。
じきに就活も始まるだろう。
ひとつの大きな区切りがついたところで、息子はどうするのかなぁ・・・
「みんな、まだ引退じゃない。少しヒマになるだけ」という彼は、今度は12月19日に家の近所の武蔵野市の施設で仲間たちとやる「合同ライブ」で頭がいっぱいだと思う。
まあ、青春を完全燃焼させてくれ。
大内くんは、不完全燃焼が続いて3年も留年したんだそうだから、「もう気がすんだ」と言うキミは、1年で何とか。

14年11月2日

今日も学祭はあるが、息子は理工ステージで昨日と同じ漫才をやる、と言っていた。
もしかしたら我々が見に来るとイヤなのでウソをついているのではないか、と勘繰る私に、大内くんは、
「もう、今さらそんなウソはつかないよ。見に来てほしくない時は、イヤだって言うだけだよ。それに、もし別の漫才やコントやるって言われても、僕はもう、出かける気力がない。昨日で使い果たした・・・」と言って、1日ゴロゴロ寝て過ごした。
まあ、私も同様だ。

息子は昨日遅く帰ってきて、夜食を食べながら、ちょっと元気なかった。
「コント、芝居みたいであんま良くないって評価が多かった」
面白かったのに!

そりゃあね、あなたが、「ネタに使うから腕時計貸して。アナログのやつがいい」って言ってたから、「ああ、時計使うんだな」ってわかってた我々には面白かった、って面もあるよ?
でも、良くなかった最大の理由は、相方があなたが寝てる間に腕の時計をどんどん進めちゃうとか、あなたがケータイ出して時計と見比べて、
「ケータイ、めっちゃ狂ってるわ。壊れてる?」「ああ、カンッペキ壊れてますね」ってやり取りをしたあたり全部が、客席からは見えてなかったせいなんだよ!
我々からでも、人の頭の陰になって、手元は全然見えなかったもん!

普段のコンテストみたいに、演壇の上でやればまた全然違うと思うよ。
いっぺん、コンテストにかけてごらんよ。
今までの、あなたがつんのめってツッコミをするコントより、相方にいじられてる方が、面白いんだよ。

そんなことを切々と訴えてみたけど、なんだか落ち込んじゃった彼は、あんまり聞いてくれないみたい。
しょうがないから、我々がカメラで撮ったビデオ画像をパソコンで見せて、どのくらい見えてなかったか検証してもらうしかないか。
「見てみたら?」と言っても「いい」と断られてしまったのでどうしようもないが。
息子のケータイにデータ送りつけてみるか。

大内くんは、
「もうちょっと待とう。なんかの拍子に『やっぱり、見る』って言い出すかもしれないし。昨日、僕に『どうだった?』って聞いてきたのだってとっても珍しくって、僕はびっくりしたよ。何か、いい機会があるよ」と言う。
私としては、この相方とのコンビで仲間たちと合同ライブをするのがひと月半後に迫っているので、今、彼に、方向性を間違えてほしくないんだよね。

まあ、コドモのお笑いに親がそんなにのめり込んでもしょうがないか。
本人たちが納得いくライブができれば、それでいいんだろう。儲けようってわけじゃなし。
今日のステージも頑張っといで!また「キンタマウオ」ですか?

14年11月3日

学祭は終わったし、今日は休みだし、ゆっくり寝るのかな?と思っていた息子が、9時頃から起き出している。
「芝居見に行くから、金貸して」
いつもの「おこづかい借金」だ。
「いいけど、もう110万円超えてるよ」
「うん」
「返してくれる気、あんの?」
「うん!」
どうも本気っぽいので、貸してあげよう。

「芝居、カノジョと見に行くの?」
「うん」
そうか、お笑いと演劇の二足のわらじを履くカノジョとか。
キミは演劇に親しまなさすぎるから、少し教育してもらいなさい。
母さんだって、小学校から大学までステージに立っていた元・演劇少女だが、まあ、自分の親にそんなこと教わりたくもないだろう。私はドラマツルギーもわからんし。

「○○ちゃん、おととい学祭で見た時、なんかキレイになってるなぁ、って思った」と言うと、
「ホントっ?」とちょっと笑顔。そうか、やっぱり自分のカノジョがほめられると嬉しいか。
「うん、本当。少しやせたんじゃない?」「そうかもね」と言いながら、ミョーに機嫌良く出かけようとしてる、と思ったら、突然、
「ファックス送んなきゃ。パソコンから送れるんだっけ?」とか言い出す。
「ううん、今は、電話機のファックス使ってるよ。でも、母さん、送り方よく分かんないんだよね」

どうやら、今度の合同ライブの会場に確認書類を送らなきゃいけないのを、閉め切り過ぎても抱えてたらしい。
会場側に電話をかけて、ファックスを受けてくれるようお願いしたりしながらしばらく電話機と格闘してたが、うまく行かない。
出かける時間が迫っていたようで、
「もういい!明日、郵送する!」と叫んで出かけてしまった。
「母さん、送れたら送っといてみるよ」「うん!」
嵐のようだなぁ、あいかわらず。

そのあと、取説をよく読んでみたら何とか送れた。
イマドキ、ファックスの使い方も分からないとは、息子に何と思われたことだろう。
LINEを入れて、
「送れたみたい。会場に確認しておいて」
「ありがとう」
「これで会場取れてなかったら大変だね。大丈夫?」
「会場は取れてるから」
「そりゃよかった」
「はーい」
という会話があって一件落着。

いや、こないだ、ライブのチラシを500枚作ったらしいんだけど、学祭に行ったら、座席に用意されたアンケートやプログラムと一緒に、そのチラシがあったんだよね。
「ふーん、こういう時に使うのかぁ」と、何となく、近くのお店に貼らせてもらうとか道で配るといった地道な使い方を考えていた私は驚いたんだが、 大内くんは、
「当然、コンテストやライブの時にチラシ入れてもらうんじゃない?」と言っており、彼の方が正しかったわけだ。
息子に10枚わけてもらったものに加え、2人分×3公演分、6枚を新たに合法的にゲットした。嬉しい。
家で友達とクリスマス・パーティーやる時にバラまこう。
保育園のママ友たちとの忘年会でも配ろうかな。近所だもんね。

そんなふうにチラシまでまいてしまってから、息子の怠慢で会場が取れてない、なんてことになったら本当に大変だ。
学祭が終わるまでは次のことに頭が回んなかったんだろうなぁ。
使用施設から送られてきた封筒が、開封されているとは言えずっと食卓の上にあったんだから、少し気をつけてやればよかった。
自分達でライブをやろうって言う大学生たちを、それはまた甘やかしすぎか。

そんな息子は今日はバイトで帰らない。
大内くんは九州に出張で、朝一番に出て最終の飛行機で帰ってくる。
夜中まで私1人じゃないか。怖いぞ。
先日大人買いしたジョージ秋山の「浮浪雲」全103巻のうち、まだ持っていなかった51巻以降を自炊して過ごす。
(すでに持っていた1巻から51巻はブックオフに持って行った。値段つかなかった・・・)
この作品をかなり気に入って、20巻ぐらいまで読み進んでいる息子に、
「103巻まで買ったよ。なんと、104巻がそのうち出るんだって。まだ続いてるんだよ」と言ったら、「すごっ!」と言われた。
それだけで、なんか嬉しい。どうしてかな。

昼寝してたら、息子がベトナムでお笑いのライブをやる夢をみた。
大内くんは車の事故を起こし、ケガはないけど警察に行かなきゃいけないので、
「キミだけでもライブに行って!」と言われ、行ってみたら入場口でのボディチェックで私が妊娠していることが判明し、息子が満面の笑顔で、
「母さん、おめでとう!今日のライブは、母さんのためにやるよ!」とハグして、キスしてくれる、という相当おめでたい夢だった。(大内くんは事故ってるが)

はてさて、これは、私のどういう心理を表すのでしょうか。
夜中の1時に帰ってきた大内くんに話したら、
「キミは、息子が大好きなんだよ。それはそれでいいことだよ。好きでいたまえ」と寛大だった。
疲れてるだろうに、妻に寛大。エライなぁ。

こうして、息子のいない夜は支障なく暮れて行くのでした。

14年11月4日

土曜の夜、歯が欠けた。
と、思ったら、過去に詰めたプラスチックが取れたのだった。
どっちにしても歯医者に行かねばならず、用事が増えたので悲しい。

連休明けの今日、予約を押し込んで行ってみたら、今度治療予定の歯の手前の歯で、「かぶせてある金属を治療の時に取るんですが、今回の歯も、その時一緒にやると治療しやすいので、次回、いっぺんに」と言われ、数日、ペンディング。
特に、痛んだりはしないので大丈夫。

どうも、イタリアに行って以来、歯の調子が悪い。
全体に、「浮いた」感じがする。歯茎がまたやせたのだろうか。
大内くんは、
「とにかく、疲れたんだよ。僕だってまだ疲れてるもの。2、3カ月は疲れてるのが当たり前、と思って過ごした方がいいよ」とアドバイスしてくれる。
実にためになるし、親切だ。ありがたいなぁ。

なんだか、老け込んだ気分になることが多い今日この頃。やっぱり疲れてるのかしらん。
50歳半ば、中年の終わり頃、ってのが、「老け込む」原因なのかもしれない。
これで60歳になったら、
「もう『老人』だけど、まだまだ若い!」って思えるのかも。

気にしても気にしなくても、歳はとる。
正しく気にして、健康に気をつけるとか意識的に運動をするとか言うんでないかぎり、気にしすぎていいことはひとつもないだろう。
肩や腰の痛みなんかと無縁な息子をうらやましく思い、その若さをムダにしていることに時々腹を立てたりハラハラしたりしつつ、元気に歳をとろう。

14年11月6日

大内くんは、毎日使っている自転車のチェーン・キーの組み合わせ番号を忘れてしまったらしい。
「突発的な健忘症にかかった」と言っている。
ひと晩ゆっくり頭を冷やして考えても思い出せなかったので、車に積んで自転車屋さんに持って行って、チェーンを切ってもらった。

「本人確認のため、免許証などが必要でしょうか?」と聞いたら、
「いや、もう、こっちが信用するしかないですね!」と元気に答えて、でかいハサミでチェーンをぱちんと切ってくれた、人を疑わない自転車屋さんのにーちゃん、ありがとう。

ある種のパズルのようで面白いので、切ったあとのチェーンをもらってきた。
ベッドサイドに置いて、私も思いつく限りのナンバーに回してみるのだが、まだ開かない。
大内くん、いったい何番に設定したんだろう?
愛人の誕生日?
それなら、少なくとも私には永遠にわからないぞ。

出費は新しいチェーン代だけだったので、別にかまわないが、大内くんは自分の記憶力の衰えに大きなショックを受けたらしい。
最近、固有名詞とか思い出せないって言うし。
確かに、2人でテレビのドラマや映画を観ていても、昔は「これ、誰だっけ?」という問いに猛烈に役に立つ人だったのに、
「よく見る人なんだけど、名前が思い出せない・・・」と言ってうなって、結局、エンドロールまで待つことが多くなった。

こないだは、2人同時に、
「息子の小学校の時の友達で、高校にラグビー進学をした男の子」
「ドラマ『ランチの女王』で『キッチン・マカロニ』の長男をやった俳優さん」
という2人の名前が思い出せなくなり、私はすぐにギブアップして、過去の日記を見たりググったりして「そうそう、そうだった!」という 状態になれたんだが、大内くんはずっと眉間にしわを寄せている。

「私、もう調べたからわかったよ。教えてあげようか?」と言っても、
「いい。自分で思い出す」と頑固だ。
やがて、
「ああっ、どうしても思い出せない!」と悶絶し始めたので、
「ヒントあげる」と言ったんだけど、やはり答えは、「いらない!」。

時間ばかりが無駄にたつ。
「もういいじゃない。ヒントだけ」と、なかば無理矢理、「さ」と聞かせたら、
「佐藤くんだ!どうして思い出せなかったんだろう!こんなにはっきり覚えてるのに!」と叫ぶ。
「じゃ、もうひとつのヒント。『ジュエリー』」
「・・・ツツミ。堤真一だ。ヒントが簡単すぎる」と、ついに不機嫌になってしまった。

その後お風呂に入りながら、
「どうしてそんなに負けず嫌いなの?昔、北海道に旅行した時も、ホテルの部屋にあったパズルを私が始めて、難しいからすぐに投げ出したら、『僕は、こういうの、始めるとやめられないんだ。だからやりたくなかったのに、始めちゃって』とかなんとかぶつぶつ言いながらえんえんやってて、でも 結局解けなくて、すごく機嫌悪く寝たよね。ああいうの、いい態度だと思う?」と聞いたら、憮然と、
「いいとは思わない。でも、くやしいんだからしょうがない」とつぶやいていた。

人間、どういう面を持っているかわからないものだ。
歳をとると、そのへん、だんだん忘れてみんな仏さまのような人格になれるんだろうか。
我々は、今、その準備をしているところなんだろうか。

いや、とてもそうは思えない。
単に、忘れっぽくて頑固で怒りっぽい老人の群れが出現するだけだと思う。
そして愚痴っぽくなっていく。ああ、長生きはしたくないもんだ。

14年11月7日

「今日は帰る」と言っていた息子が、夜中にLINEを入れてきた。
「やっぱ、帰んないかも」
我々2人は顔を見合わせる。

「カノジョのとこかねぇ」
「いや、そうなら、もっと早めに言って来るよ。カノジョんちは、ずるずる居続けをする雰囲気じゃないもん、いつも」とか話し合ってるうちに、我々も寝てしまった。

そして朝、大内くんがまだ会社に行ったばかりのほやほや、7時過ぎ、という時間に帰ってきた。
「あら、お帰り。そこで、父さんに会わなかった?」
「うん、会わなかった」
「じゃあ、行き違ったんだね。授業は?」
「昼から。11時頃、起こして」と言うが早いか、がーがーいびきをかいて眠ってしまった。
こりゃ、昨夜は完テツだね。

なんとか昼に起こしてごはん食べさせて送り出し、8時頃大内くんが帰ってきたので事の次第を報告して晩ごはんを食べようとしていたら息子が帰ってきた。ずいぶん早いご帰還だ。

息子のごはんを作りながらいろいろ聞いてみたら、どうやら同期の友達のところに泊まったらしい。
サークルの、引退なんだって。
息子「完全にやめるわけじゃない」
大内くん「でも、部室に行く頻度が低くなって『OB』みたいになる、とかはあるんでしょ?」
息子「そんな感じ」
大「みんなは就活始まるんだろうけど、キミはどうすんの?余分にもらった1年で、何して過ごす?」
息子「わかんない」
大「もう、警察官はやめた?」
息子「うん」
大「危険な仕事だから、やめておいてくれると安心だね。じゃあ、国家公務員試験を受ける、って話も、ナシね?」
息子「うん」
大「ま、今は12月の合同ライブのことで頭がいっぱいか。頑張ってね。母さんから借りてる施設使用料は、ちゃんとみんなから集金して返しておいてよ」
息子「うん」

およそ、こっちの推測と彼のゆるい肯定だけでできあがってるような会話だが、今の彼は、あんまり親と話す心境じゃないだろう。
おそらく、早稲田祭終了直後にサークルの執行部交代が行なわれ、3年生は形式的に引退し、そして彼ら同期は「引退打ち上げ飲み会」に突入し、普段はつき合い悪く終電までには帰ってしまう息子も、さすがに去りがたかったのだろう、徹夜で語り合い、そして、就活に向かう同期たちを見て、一抹のうらやましさと不安を抱えて帰って来たのだろう、というのが、我々の想像。

留年仲間のかずやがいるとはいうものの、同じ道を歩めるでなし、また、留年や就職に対する心持ちもまったく同じではないだろうし、息子は、こ れから、少し寂しく、ヒマになるかもしれない。
入学時のクラスの同期とは、もう離れてしまった、と言っているし。
ただ、今朝もほぼ自分で7時半に起きて、留年解消の要である1限の語学の授業に出かけて行った様子を見ると、1年遅れで卒業する気は満々なよう だ。

これまでサークルの部室か仲間の部屋にたまっていたことが多かったろうから、今後は、昨日みたいに早く帰ってきて「Hulu」で「ピラニア」観まくっているか、外で映画やライブを見てお金がかかってしょうがないか、どっちかだろうなぁ。
どっちにしろ、彼にとって悔いのない、有意義な若い日々を過ごしてほしい。
そのへん間違えると、一生、「ああすればよかった、あの時こうすればよかった」ってのの嵐になるだけだから。

大内くんみたいに、「親の言いなりにならずに、高校の先生になればよかった」って思ってる人は、今でも「お勉強」がやめられない。
夜中に横のベッドで「受験の世界史」とかやられてごらんなさいな。いやぁな気分になるから。
定年後は塾の講師のバイトでもしてもらわないと、帳尻が合いませんよ。

14年11月8日

ことの成り行きで「腸の内視鏡検査」を受けねばならなくなり、病院に予約を入れた。
一応その前に診察があり、出かけた先は、

「吉祥寺からうちまでバスに乗って来る途中で、『患者さんにやさしい内視鏡検査を行っております』という音声案内が流れる」

という内科クリニック。
「安心治療の秋山歯科」とか「柔道で礼儀正しく強い少年少女に 池内柔道教室」とか言ってるのと同じような感じだ。
大内くんも、それから内視鏡検査ではひどい目に合ったと言う友人も、
「ああ、バスに広告が流れてるあそこね。うん、なかなかいい選択じゃない?」と言ってはくれるが、私としては、
「そんなに『患者さんにやさしい』のがウリってことは、『内視鏡検査』ってのはずいぶん大変なものなんだろうなぁ。受けたことがある人はたいがい尻込みしてるもんなぁ」って、気が重くなるだけ。

さて、診察ですが、9時開院のところを9時に予約を取って、それでも混むのではないかと心配して8時半に行ってしまったところ、問診票を書き終わるなり、8時45分には診察室に呼ばれてしまうという、たいへん勤勉なドクターだった。
想像していたような、
「潜血反応が出たということなので、もう1度、便を調べましょう」とか、
「とりあえずレントゲンを撮ってみて・・・」というようなことは一切ない。
ことの起こりである「半日人間ドック」の結果と、補助的に別のK病院での血液検査の結果を見て、
「確かに貧血がありますね。内視鏡で調べましょう!」と、もう向こうは、やる気満々。

私はそれだけでも陰鬱な気分になっているのに、横についている大内くんが余分なことを言う。(いやまあ、客観的には適切な発言だろうが)
「かかりつけのK病院の先生も貧血を心配して、『できれば胃の内視鏡も同時にやってもらいたい』とおっしゃってるんです」
ドクターはうなずいて、
「わかりました。どうせおなかの中身を全部出してしまうわけですですから、両方やった方が確実ですね。やりましょう」。
みんな、「消化管の持ち主」である私の意見なんか聞いてやしない!

「あのぅ、内視鏡検査は苦しい、って聞くんですけど」と「消化管の持ち主」がおそるおそる聞くと、
「普通は、薬でボーっとしてる間のことなので、それほど苦しくありません。ただ、大内さんの場合、睡眠薬等、神経系のお薬をのんでいらっしゃるので、多少、こちらのお出しする薬が効きにくいかもしれませんね」。
「それは、その、つまり、『苦しい、おえっ』となっちゃう、ってことですか?」
「まあ、そういうことです」

そこまでで診察室から出されてしまい、あとは看護婦さんから検査に向けての準備の話を聞くように言われたんだが、なんか、オソロシイことを言われたような気がするぞ。
まあ、まだひと月も先の話だから、考えないようにしよう。

ところが、看護婦さんから「前日に食べる宇宙食みたいな食事やおやつ」と「1リットルは入りそうなプラ袋(これにいっぱいの薬を、2時間かけて飲むのだ!)」をもらったりしながら予約の日を確認していたら、いけない!12月6日の土曜日は、私、他に大事な用事を入れちゃった!

あわてて予約の変更をお願いしたら、人気のある病院らしく、次の空きは来年1月半ばになるという。
「ま、しかたがないよね。何らかの病気だとしたって、そう急には悪くならないでしょう」と大内くんに言ったら、
「そんな先でいいんだろうか。僕は、心配だ」と苦々しい顔をしている。

そしたら、さっきから頭つきあわせて何やら相談していた看護婦さんが、私を呼ぶ。
「大内さん、11月17日の月曜に空きがあるんですけど、検査、やっちゃいませんか?」
ええっ、そんなに急に?
にわかに勢いづいた大内くんが、
「ぜひ、その日でお願いします!」とか言ってるけど、元々の予約より早いじゃないか!

実際、いい病院だった。
待合室はアットホームで、ドクターは勤勉、看護婦さんたちは親切で有能。
だが!
10日後に上から下から管を入れられるのは私なんだ。
こう見えても、痛いのや苦しいのはキライなんだ。

こうして私は、「もしかしたら重大な病気かもしれない・・・」という心配をする、という気の紛らわし方さえ奪われて、いきなり眼前に迫った「上下からの内視鏡検査(しかも薬が効かないかも)」の恐怖におびえている。
この件に関して、大内くんは、
「お産まで経験している人が何を今さら。みんなやってることだよ。全然苦しくないらしいよ」と楽観的かつ冷酷だ。
誰か、大内くんの口にゴムホースでも突っ込んでやって!

14年11月9日

こうして重大な決断が下されてしまったが、それでひざの関節痛が治るわけではないので、どんなにつらいことがあっても、そっちはそっちで頑張らないといけない。
吉祥寺まで来たついでに、スポーツジムで水中ウォーキングだ。

今日は、大内くんの会社が契約しているもう1軒のジムに行ってみた。
実は、こないだ来たところのななめ向かい。
こんなに近くにスポーツジムが2つもあって、大丈夫なんだろうか?

こないだよりこっちの方が手続き面倒。
最後に写真を撮って、写真入りの会員証を作るぐらい。
うーん、そんなに何度も来るかどうか、わかんないぞ。
使用料は向こうより1回100円高いし。

病院が早く終わったおかげで朝一番に来られたんだけど、驚いたことに列ができてる。
開館と同時に列の人々がだーっと奥へ行くのを手続きしながら見守っていて、「マシンを使いたいからかなぁ」と思っていたが、フロントと同フロアのマシンジムがそれほど混んでくるわけでもない。
インストラクターに聞いてみた。
「あの行列の人たちは、いったいなんであんなに急いでるんですか?」
「人気のあるエアロビなどのコースが、混んでるです」
ははあ、エアロビですか。あれば、やったことが皆無ではないが人生で2度とやらんだろうと思ってることの1つです。

手続きがすんで、さて、いよいよプールだ。
しかし。
狭い。
16メートルぐらい、2コースしかないプールで、泳いでる(ちゃぽちゃぽして遊んでる?)おばさんたちが数人いるだけ。
深さも全体的に私の胸までぐらいしかなく、歩いていると肩が冷えてくる。

大内くんは例によって平泳ぎでたくさん泳いだようだが、私は、距離が短くて何往復したか覚えるのが大変で、頭の中では「16メートル×60=96」だから、30往復して約1キロを目指そうとは思うものの、端にたまっておしゃべりしてるおばさんたちが邪魔でしかたなかった。
そういうのは、そこのジャグジーでやってくださいっ!あっちの方が温かいんだし。

20往復ぐらいしたところで、泳ぎを中断した大内くんが来た。
「どう?」
「今日はあと10往復ぐらいでやめるよ。ここ、プールはあんまりよくないね。こないだの方がよかった」
「そうだね。トレーニングするならこっちのほうがいいのかもだけど・・・(プールの下のフロアでエアロビが大混雑なのをガラス窓越しに見て)僕は、ああいうことはできないなぁ。映画の『ジーザス・クライスト・スーパースター』で『熱心党シモン』が踊り狂ってるのを思い出す」
「わかるわかる!」
と話して、サウナに行くと言う彼と40分後に待ち合わせることにして、またひたすらウォーキング。

やっと終わって、このジムにはお風呂もなくってジャグジーだけなのでジャグジーで温まって、急いで着替えて、それでも5分ぐらい遅刻してしまった。
大内くんが待っていたフロアには、ウォーキングマシーンとかいろんな器具がたくさん並んでいて、少し混み始めてはいるようだけど、エアロビほどじゃないようだ。
「人気のある」エアロビのコースが終わったら、ここも「熱心党シモン」で埋め尽くされるのか。

なんだねぇ、ジムに来る人ってのは、何だか手馴れてるっていうか、私なんかマシンの使い方もわからないでおろおろするだけな気分だけど、さっと来て会員証をピッと機械に読ませて、すたすた着替えてエアロビの教室で鏡の前でいいポジションを取るとか、トレーニング・ウェアのポケットにスマー トに突っ込んだiPodで音楽を聴きながらあるいはマシンについている液晶画面で映画を鑑賞するとかしながら、2時間も3時間も運動するんだろうなぁ。
ああ、想像しただけでイヤになってきた。

スポーツする人が悪いんじゃないのよ。私が、とにかくおよそありとあらゆる運動がキライなのよ。
よしながふみ「昨日なに食べた?」の筧先生の弁護士事務所の事務員さんが、
「お金を払ってまで運動することの意味がわからない」と言っていたが、そーゆー感じ。
まして、熱心に、なんて。

まあ、私もこうしてわざわざお金払って水中ウォーキングしに来てますが、基本、散歩ですませたい。
今はひざが痛くて普通には歩けないから、負担の軽い水中で歩いてるわけで、できれば週末に大内くんと吉祥寺まで往復1時間歩いたり、普段の日に買い物に歩いて行きたい。タダだし。
でも、それ以上に、散歩だって運動で、運動はみんな、大っキライなんだってばぁ!

しかも、この道には終わりがない。
減量しようがひざに筋肉がつこうが、どれぐらいやれば治るかわからないし、そもそも肉体が老化することを考えれば、これから先、運動はますます必要になりこそすれ、しなくてよくなる、ってことはないだろう。
これがなぁ、「目を良くするためには1日5時間ぐらいの読書が必要です。そして、使えば使うほど、目は良くなります」と言われてるんだったらどんなに楽か。
ところが、肝心のその目の方は、使えば使うほど酷使で老化してしまうのだ。
あああ、なんか、無性に下ネタが言いたくなってきた!!

ぜいぜい、そういうわけで、次回はうちから歩いて行ける市民プールにお邪魔する予定です。
そこでいったん我々の「さすらいのプール行脚」は終わり、どこに行くのが一番いいか決めて、できるだけ毎週そこに通うようにする、ということ。
プールだけならあんがい市民プールが一番安くてカンタンかも。
サウナはないし、ジムは使える時間が限られていて混雑が予想されるけど。

大内くんは、「ジムで筋肉をつけたい」という野望を持っているらしい。
スゴイなぁ。私なんか、健康上の理由でどうしようもなく避けられずにプール行くだけなのに。
気が短いから、筋肉が育ってくるのなんか、待ってられない。
運動って、そうすぐに結果が出るもんじゃないんだよね・・・
高校時代、プロテイン飲みながら「ビリーズブートキャンプ」や筋トレ頑張った、柔道部の息子はえらいよ。
もっとも、その筋肉も今や相当な危機だけどね。
せっかくつけたんだから、維持したら?と、他人事としては、私も言える。

14年11月10日

たった1日(いや、半日か)のことを書くのに3日もかかっている。
そのぐらい、先週末はイベントフルだったということだ。

スポーツジムの帰りに、こないだも行ったタイ料理屋さんでお昼ごはん。
メニューを見るといろいろおいしそうなものが並んでいるんだけど、大内くんも私も、こないだ食べた「トムヤム・ヌードル」「カオマンガイ」がそれぞれ忘れられなくって、結局同じものをオーダー。
もう2、3回通えば、違うものも食べたくなるかもしれないけど、今はまだダメ。

運ばれてきたお料理は、前回と同じ、ううん、期待がのっていただけに、前回よりもおいしく感じた。
辛くて汗と鼻水が出るのは少し困るけど、大内くんなんか、困る様子も見せずに淋漓たる汗を流して満足げだった。

食べたあとはどこにも寄らずにまっすぐ帰って、週末の買い物をしに車で出かけたのだが、その日の晩ごはんは豚汁とごはん、それにレンコンのきんぴらのみで軽く。
それ以上食べられない。

食後、ゴロゴロしてたら昨夜は帰ってこなかった息子が帰宅して、
「メシ、なんかある?」
「豚汁あるよ。あと、きんぴらレンコン」
「食いたいな。両方、ちょうだい」と言ってシャワーを浴びてがつがつと夕食を平らげたと思ったら、
「じゃ、オレ、出かけるわ」。
ちょ、ちょっと待って。もう9時だよ?今からどこに?

「馬場。ネタ合わせ」とだけ言って出て行こうとするのは、つまり、大学のあたりでお笑いの練習をする、ということだね?
「今日は帰るの?」と追いすがるように私が聞くと、「わからん」と言い残して、行ってしまった。

私「あの人は、いったい、何しに帰ってくるのかねぇ。定期と自転車で交通費はタダだから、メシ代浮かせるため?」
大「いや、あれはあれで、愛情補給してるんだって。『家に帰れば親がいて、ごはんが食べられる。自分を理解してくれる人々に温かく歓迎され、居場所がある』ってことを確認できるからこそ、また元気に外に出て行けるんだよ。そこらへん、自信がないと、僕みたいにヤクザな気分になって、家に帰りたくなくなっちゃうよ」
私「それにしても、フットワーク軽いね」
大「若いからね」

新たに自分たちの老け込み具合を思いながらBSでやってた「エレキの若大将」を観て、あまりに出来がいいのと「青春っていいな」という気分とでぼーっとしながら、夏に観た「FNS歌の夏まつり」をなんとなく少し戻して観たら、絶妙のタイミングで加山雄三が歌ってた。高見沢さまもいた。
この、才能あふれる「老けない男たち」にいっそうガツンとやられて、早々に寝た私たちでした。
(そして、息子は翌日夜まで帰ってこなかった。彼もまた、若いのだ)

今週末も、タイ料理食べに行きたいなぁ。
あっ、ダメだ、私は土曜からもう、検査のための食事制限が始まるんだ!
また落ち込んできた・・・

14年11月12日

朝、シャワーを浴びて、扇風機の前で涼んでいる息子に、
「授業、行くの?」と聞いたら、
「うん。今日は帰らない」という返事。

思わず、
「カノジョんとこ?」と尋ねると、ためらいなく「うん」。

ああ、なんてオープンな時代なんだ。
大内くんは若い頃、アパート暮らしだった私のとこに泊まるため、あらゆる友達の名前をでっち上げて外泊の口実にしてたぞ。
そもそも、「帰らない」と親に言うこと自体、珍しかった。
叱られるのがわかってるのに無断外泊。
何度も、
「ウソでも、電話1本ぐらい入れておきなさいよ」と注意したのだが、最後までなおらなかったなぁ。

我々は、息子が今のカノジョと結婚まで持ち込んでくれることを強く望んでいる。
とてもチャーミングな人だし、大学時代のサークル仲間と結婚するとそのあとも サークルの友達とつき合いが続いて楽しい、ってことを、しみじみ知っているからだ。
うっかり別れちゃうと、どっちかがサークルそのものに顔を出しづらくなってしまうし。

というわけで、外泊大歓迎。
でも、バイト以外で帰ってこない日って、せいぜい週に1度ぐらいなんだよね。(今週はミョーに多い。ライブがひと月後に迫っているからだろうか)
他の友達のとこに泊まってるのも勘定に入れると、カノジョんちには月に2、3回というところか。
私みたいにべったり一緒にいたいタイプじゃなく、自分の生活を真面目にやってる堅い子なんだろう。
ますますお嫁さんに来てもらいたいなぁ。

14年11月14日

たとえ真冬でも、私と息子は風呂上がりに扇風機を使うので、大内家の扇風機にはオフ・シーズンというものがない。
その酷使がいかんかったのか、スイッチ部分が壊れてしまったらしく、動かなくなった。
気の早い大内くんはさっそく大きなゴミ袋を出してきて、
「はいはいっ、動かなくなった家電は、捨てる捨てる!」ともうゴミ扱い。

でも、私はそう簡単にあきらめない。
壊れたスイッチに手かざしして、念を込めたら。

直った。

単なる接触不良程度の故障で誰がやってもすぐ直っただろうと思うが、大内くんは、畏れおののいている。
「キミはやっぱり超能力者か巫女さんだ。捨てようとしたのは謝るから、神罰をあてないでほしい」
そんな力があったらとっくに世界征服してアルフィーをはべらせていますよ。

今の扇風機にはとても安いものもあるので、冬になる前に予防的に買っておこうと思う。(もう遅いか?!)
その場合、壊れかけた方は捨てることになるんだろうなぁ。
せっかく未知のパワーで直したのに。残念。

14年11月15日

大内くんが、職場のBBQに行った。
息子を連れてった。
肉をさんざん食べたあと、息子はお先に失礼してどこかへ出かけてしまい、帰ってきた時は大内くん1人だった。

そんな彼は、夜中に帰ってきて、内視鏡検査を明後日に控えて眠れない私と冷蔵庫の前で遭遇した。
「身体の方は、大丈夫なの?」と唐突に聞かれる。
「あさって検査だけど、大丈夫だよ。体調いいし」と答えたら、黙って私の肩を2、3回ぽんぽんと叩くと、片腕でゆっくりハグしてくれた。
こんなこと、初めてだ。
「ありがと。検査のことは心配しないでね」「うん」という会話があって、息子は夜食のカレーピラフを食べ始めた。

ベッドに戻って軽くうとうとしたら、40分たっていた。
キッチンに行ってみると、カレーピラフとスープのお皿、それに牛乳パックとグラスが出しっぱなしだ。
いつもこんな風なので気にしていないが、さすがに今日は、ちょっと文句言いたい。

「さっきみたいなのがあなたの気持ちなら、お皿ぐらい洗っておいても罰は当たんないよ」
息子は黙って自室に行ってしまった。

朝、大内くんにその話をしたら、あきれたように、
「そりゃ、深追いしすぎだよ。『ああ、気が弱くなってママに優しくなっちゃった!』って自分でも恥ずかしいところへ、そんな追い打ちをかけられたら、逃げるよ」と言っていた。
うーん、その心理がわからん。

普通、家族の病気を心配してくれるんなら、自分が使ったお皿の1枚や2枚、洗っておかないか?!

「男の子ってのはね、フクザツなんだよ。デリケートなもんなの」と大内くんは言うが、理解できないなぁ。
そんな大内くんは、会社の人が息子から聞き出した、
「オヤジは本当にすごい人だ。教養があってどんな話題でもつきあってくれて、尊敬している」というコメントが嬉しいんだろう。ちぇっ。

思えば、大内くんが入社して数年、まだコドモたちも小さかった頃、当時大学生だった会社の上司の息子さんと話す機会があったらしい。
数年前まで反抗期真っ盛りで上司を悩ませていたその息子さんは、「お父さんの会社の人たち」と一緒に山登りをしながら、
「オヤジはやっぱり、すごいです。尊敬してます」と語っており、大内くんは、
「あの上司がお父さんなら、そう言われても全然おかしくない。自分が息子からそんなふうに言われる日は一生来ないだろうなぁ」と思っていたそう だ。
でも、やっぱりあなたにも順番が回ってきたね、大内くん。よかったよ。

14年11月16日

内視鏡検査を明日に控えた私は、朝は軽くフレンチトースト、昼は検査食のゼリーとウェーハス、夜はこれまた検査食、レトルトのごはん、豆腐ハンバーグ、インスタントみそ汁みたいなものだけ。
おいしかったけどね。
おやつにビスコもついてきた。メーカーがグリコなんだ。
緊張してたせいか、あまりおなかがすいた、という感じはしなかった。

寝る前に、指示通り下剤を3錠飲んで、おやすみなさい。
麻酔が効きにくくなるとイヤだし、寝不足でぼんやりしていた方がマシかと、睡眠薬を飲まずに寝ようかとも思ったが、大内くんのお得意のセリフ、「いつもどおり、が一番いいよ」に説得され、普通に薬のんで寝た。
明日はいよいよ本番だ。ドキドキ。

14年11月17日

皆さん、内視鏡検査というのは苦しいものだと思いますか?
実は、私もそうとう怯えていた。
特に、睡眠薬等、神経系の薬をのんでいるので、麻酔(?)の効き目が弱いとか。
苦しかったらどうしようかなぁ、と思っていた。

でも、大内くんが、
「医療の分野でオリンパスがスゴイ実績を上げているんだ。今の内視鏡は『うどん』ぐらいの太さだよ」と、ざっとネットを見ただけで懐柔にかかる。
さらにたたみかけるように、
「薬が効かないなんてことないよ。ちゃんと、『おくすり手帳』見ながら、しっかりかけて施術しますので、ってドクターも看護士さんたちも言ってたよ」。
うーん、そこまで言うなら、安心なのかなぁ。

前日の昼ごはんから検査食になり、下剤を3錠のんで寝て、当日は6時半に起きる。
まず吐き気止めの薬をのんでから、1800ccの下剤を2時間かけて飲み切るというミッション。
ポカリスウェットみたいな味でわりと飲みやすい。
下剤が効きすぎて七転八倒したという友人の話で用心していたが、全然おなか痛くならなかった。
ただただ身体が、水分の通る筒になるだけ。
「こないなぁ」「キター!」とかツイッターしながら、病院の説明通りになって行く私。

さて、10時45分にタクシー呼んで、病院に早めに着いて、薬や持病などの問診を終え、いよいよ内視鏡。
不織布でできた感じの「おしりのとこが割れてる『検査ズボン』」を直にはいて、ストレッチャーに左側を下にして横たわり、左腕を伸ばして点滴を入れる。
そのまま、大内くんを引き連れて、処置室にストレッチャーごと移動。
すぐにドクターが、
「少し頭がボーっとするお薬を入れますね」と言ったあと、マウスピースを噛んだ私の口に、何やら管を入れてる印象。

「もう、始まっちゃってるのかぁ」と、全然ボーっとしてこないことに焦りを感じながら、足先を動かすと、足側で待機していた大内くんがつま先を握って励ましてくれる。
そんなことに気を取られてる間に、「えっ、もう?!」という感じで、胃の方は終わってしまった。

大腸はさすがに大変か、と思ったら、それも、10分ぐらいで終了。
私は合間合間に固定されている左手の指先を動かしてみたり数えてみたり。
やっぱり、「ボーっとする薬が効いてないのかなぁ。でも、全然痛くも苦しくもないから、いいや」ってほっといた。

一番時間がかかったのが、「お薬が覚めるまで、休んでてください」と言われて、点滴つけたまま、20分ぐらい待ったこと。私は薬があまり効いてなかったからか、すぐにも立ち上って帰れそうな気がした。
ただ、さっきまで私がいた空間で別の人が検査を受けているようで、そこを突っ切って帰るわけにもいかない。
「なるほど、検査の終わった患者さんを休ませてる間にドクターが次の人の検査をして、その人が終わって休んでる間に私が自分の検査結果を聞くのか。そして、その間に、さらに次の患者さんが支度をするのか。合理的な流れだなぁ」と感心した。

で、私が着替えて診療室に呼ばれると、キレイなピンクの写真がモニターにいっぱい。
そうか、これが私の内部か、って感じだった。

モニタに何枚も画像を出してドクターが説明してくれたところでは、胃に、少し深い穴が開いているところがあり、今はもう治りかけだが、考えられる線としてはひざの関節痛のためにのんだ「痛み止め」のせいで胃壁が荒れたのではないかと。
他には何の異常もなく、今現在は問題ない状態らしい。

あと、大腸に一部、空気のたまった泡のような部分があり、これは組織を取る装置で突っついてみたところとても柔らかく、問題になるようなものではないそうだ。
あとから大内くんが言うには、
「施術中、モニタを見ていて、これが写って突っついてみてる時にはひやっとして、息をのんだ。その気配がわかったのか、先生は、『空気がたまったもので、問題ありません』ってすぐに言ってくれたよ」。
この言葉は、私からも聞こえていた。やはり、かなり意識ははっきりしていたようだ。

「心配なところはまったくありません」と言われておしまい。
待合室に戻り、看護師さんが「ゆっくりお休みになってお帰り下さい」といってくれるところを、
「いえ、もう大丈夫です。帰ります」と病院を出て、平気そうだったので帰りはタクシーを使わずにバスにしたけど、まったく困ったことにはならなかった。

というわけで、内視鏡検査は苦しくないです。
見ていた大内くんは、「胃の内視鏡は、うどんよりは細いよなぁ」とか「おしりの方が、中の組織を取ったりポリープの手術をしようとかで、うどんより少し太いかなぁ」と思っていたそうだ。
それでも、苦しくなかったし、胃と大腸合わせて15分足らずの施術、病院に行ってから帰るまで、2時間程度の簡単なものだった。

クリニックを出る前に息子にラインで、
「検査、終了。全然異常なし。痔ですらなかった。心配かけてごめん」と連絡入れたら、すぐに、
「よかった!」とレスが来て、数秒後にもう1度、「本当によかった」と。
心配しててくれたんだなぁ。
あいかわらず態度は無愛想だが、私としてはあの「熱いハグ」の思い出だけでしばらくは生きて行けそう。
(母心としてはちょっとキモいか?)

さあ、皆さんも、身体に異変が起きたら、内視鏡検査をしましょう。
ちょっと、面白いですよ。(そして、ちょっと高い・・・1万円ぐらい。胃か、大腸どっちかだけなら半額かな?)
心配していてくれた方々には、不謹慎で申し訳ないが、そのご恩返しも含めて、「内視鏡は苦しくない!」体験談を広めていきたいと思う。
「胃カメラって、苦しいって聞くから・・・」と二の足を踏んでいるあなた、お近くの「患者さんにやさしいクリニック」を探そう!

14年11月19日

息子がちばてつやの相撲マンガ、「のたり松太郎」を読み始めた。
もともと、「いつか、読まないかなぁ」と思って、何かのついでに私が彼のiPadに入れておいたもので、今回、読み始めて、嬉しい。
しかも、「面白いじゃん、これ!」と興奮して読んでるようなのだ。

ほとんど一気呵成に32巻まで読み切った息子に、さて、次は何を薦めてみようかな。
まずは、我々が勝手に「のたり松太郎の前編」と思ってる、ちばてつやの「男たち」全2巻でも。
ただねぇ、これ、未了なんだよね。「のたり」もそうだけど。
ちばてつや、もうちょっとだけ描いて終わらせてくれ!

自分のコドモがマンガ読むと嬉しい、って、ヘンだろうか。
我々としては、息子のマンガの趣味がいい、と言うか、少なくとも我々が薦めた物はおおむね当たりだ、というところが、
「子孫にちゃんと伝えた感」があって、ほっとするんだろうな。

大内くんは、
「やっぱり、こっちの世界に興味持ってくれたら嬉しいんじゃない?」と言うので、
「『ルパン三世』や『未来少年コナン』見たがった時も、嬉しかった?」と聞いたら、
「そりゃあ、もう」という答え。
そうか、やっぱり嬉しいのか。

大学に入ってから、マンガ、特に我々の世代の人気作を読むことが増えた彼だ。
ジョージ秋山の「浮浪雲」とか、白土三平の「カムイ伝」とか、シブいじゃないか。
親の欲目と言うか、なかなか趣味がいい、と思うことが多い。

あずまひでおの絵日記を買って来て渡したら、持ち歩いて読んでいるらしいし、そもそも私が買って来て自炊した翌日に「アル中病棟」買って来ちゃう し(机の上に発見した時は、自炊した本の幽霊が出たかと思ったよ)、なぜか急に、
「『キャプテン』って知ってる?」
「ちばあきお?」
「そうそう」とか言い出すし。
我々の間でも教養としてしか残っていないようなマンガを、よく知ってるなぁ。

イマドキの若者って、けっこう我々のあとをついて来るよね。
平和な世の中が続いているから、文化的な断層がない、ということか。
その一方で、大内くんは、
「会社のBBQで『アラン・ドロン』の話になったら、その場で知っているのは45歳以上の人だけだった」と言っている。
こないだも、
「新聞社の人たちと会ったのに、庄司薫を、誰も知らない」と言って嘆いていたっけ。

明治の文豪、なんて、学校で習うからみんな知ってるけど、教わらなかったら夏目漱石も森鴎外も消えてたんじゃないかな。(私だって読んだかどう か)
若者たちにとっては「ケータイ小説」の方がよっぽど切実なんだろうから。

せめて、大内くんと私は、大好きなアニメやマンガを残して行こう。
息子が見たい読みたいと言うものは、何でも見せてやろう。

14年11月21日

今日は、名古屋の母が亡くなってからちょうど1年。命日だ。
特に法事があるわけではないので帰省せず、姉にお花券を送っておいた。

もっと寂しいものかと思ったけれど、この1年、寂しいということはほとんどなかった。
むしろ、気が楽になった。
これで、私には父も母もいないのだ。

自分のことを、大内くん以外の誰にも相談しなくていい、分かってもらう必要もない、というのはなかなか素敵なことだ。
結婚してのち、自分の家族だけを大事にしてきたつもりなんだけど、やはり母の影響というのは大きかったから。

これからも、大内くんと人生を決めて行こう。
そして、息子にそういう人が現れたら、潔く手を引いて、彼らの人生を黙って見守ろう。

14年11月22日

今日は、ほとんど何もしなかった。
2人して爆睡していたのだ。
午前中少し起きた(そして息子をどこやらへ送り出した)覚えはあるが、はっきり記憶を取り戻したのは夜の8時近くなってきてから。
「あ〜、よくねた〜」とは言いつつも、お休みを1日丸々無駄にしてしまったわけで、少し後悔。

いや、だが、寝られるってことは疲れてるってことで、実際、10月初めのイタリア旅行以来、骨がらみの疲労が取れない。
毎日昼寝してる私でさえこうなんだから、働いてる人はどれほど疲れてることか。
せめて休日はゆっくりしてください。

録画が貯まってきたので、丹波哲郎版の「鬼平犯科帳’75」を少し見て、で、結局また寝た。
ホントによく寝られる・・・

14年11月23日

近所の市民プールに、水中ウォーキングをしに行った。
吉祥寺のスポーツクラブに比べると地味だが、1人2時間250円と安いし、あんがい人は少なく、ウォーキング用のコースも設定されているので、ここが一番正解かもしれない。
サウナもお風呂もないけど、運動するだけならね。
大内くんは1キロ泳ぎ、私は1キロ半歩き、健康的に過ごした。

息子が小さい時は、よく連れて来たなぁ。
名古屋の甥っ子と一緒に来たこともあった。
泳ぎを覚えたばかりのコドモたちは、きゃあきゃあ言ってはしゃいでいたものだ。
それぞれがもう、21歳。年月のたつのは、早い。

14年11月24日

友人女性と「一緒ごはん」。
10月にイタリア旅行に行った我々と、ほぼ同じ頃に出張で北欧旅行に行った彼女との、互いの「旅行報告マッチ」だ。

11時半に吉祥寺のタイ料理屋「クルン・サイアム」で待ち合わせして、お昼ごはんを食べる。
私たちは、やっと「トムヤム・ヌードル」「カオマンガイ」を卒業できて、別のランチセットを。
大内くんは焼きビーフンの「パッ・タイ」、私は鶏挽肉のホーリー・バジル炒め「ガイ・パット・バイ・ガパオ・ラート・カオ」(これは、辛いので、 少し辛さ抑え目に頼んだ)。980円ずつ。
友人も「パッ・タイ」を頼んで、それぞれスープつきのランチを楽しむ。
とてもおいしかった。

今日、一緒に来ようかなと言っていた息子は出がけに急用が入ったので来られなかった話などをして、食べ終わる頃にはお店が混んで来たので、いったん出て、喫茶店「John Henry's Study」でお茶。
持参のノートパソコンを開いて、旅行の写真を見せながらの報告マッチだ。

イタリア旅行の経験が豊富な彼女も、バチカンは行ったことがないらしく、楽しんでもらえた。
彼女の北欧旅行記も面白かった。
機能的で、清潔で、安全で、「外国語としての英語」がよく通じる国々らしい。
1度行ってみたい気もしたが、我々は、イタリアにもう1回行くだけで精一杯かもしれないなぁ。
仕事で海外出張したことが1回しかない大内くんは、とってもうらやましがっていた。

この喫茶店は、昨日、共通の親しい男性友人が「今来ている」とフェイス・ブックで言っていた場所なんだよね。
彼曰く、
「30年たっても変わらない癒しの空間。しかし一緒に来ているのが主婦の妹。あかん」なのだそうで、うん、確かに学生時代からずぅっと通っているね。
最近は、息子とも数回来た。
私はロシアン・ティーを2杯飲み、ケーキセットも食べた。食べすぎだ。あかん。

結局2時間ぐらいいて、旅行の話をたっぷりし、お正月には恒例の「小さな新年会」をしよう、と約束して、彼女と別れる。
歩いて来た我々は、帰りも徒歩30分の道のりを歩き、私が去年の今頃ひざを傷めてから、初めて往復歩き通す画期的な散歩をすることができた。
少しは回復してきたかな?

ごはんもお茶もおいしくて、とても楽しい1日を過ごすことができた。
また1週間の始まりだ。頑張って暮らそう。

14年11月26日

息子からラインが入る。
「今日7時半からNHKでジョンラセターの番組あるからとっといて」
誰?

言われたとおりに録画して、ついでに見てみたら、ピクサーの社長の話だった。
ラセター氏は、ディズニースタジオにいたが、クビになり、10数年後にはディズニーをなかば乗っ取る形で仕事をしてるわけだ。
面白い番組だった。
息子は、夏休みにアメリカにステイしに行った時、ホストファミリーのダンナさんがピクサーに勤めていたので、社食に連れて行ってもらってたが、社長のラセター氏に会ったのかしらん、

我々が寝る頃になっても帰ってこない息子と、大内くんがラインで会話していた。
大「母さんが録画してたけど、ラセターさんに会ったの?」
息子「あってはいない」
大「ものを作る仕事って素敵だよね。キミは、どういうものを作りたいの?」
息子「わかんね」
1、2分後、短い文章が加わった。
「面白いの」

息子は、中2の夏に、進学したい高校を決め、とうてい無理な成績を、内申点を7点も上げながら手の届くところまで引きずり上げ、見事合格した。
高2の夏には、早稲田に行きたい旨通告し、これまた合格可能性E判定のところから、最後の最後に社会科学部に受かる、という形で実現させた。

さて、今が、彼の、「大学3年生の誓い」なのだろうか?(留年するので、就職はまだ2年先だが)
とうてい無理な「クリエイティブな仕事」に就くべく、今、決心を固めてるのだろうか?
いろんな夢をもちながら、大学生のほとんどが「ただのサラリーマン」になる。
私は息子が何になってもかまわないし、このご時世、ただのサラリーマンになれれば上等だと思っている。
それでも、彼にもし何らかの夢があるなら、そして、彼のこれまでの人生でやり抜いてきたように、夢を実現させることができれば、本当に嬉しいと思う。

親にできる事はもう、ほとんどないのだ。
彼の心身の健康を保つ手助けができれば、夢に向かう背中をそっと支えてあげられれば、と、それだけを願っている。

14年11月28日

Eテレでやってた「浦沢直樹の漫勉」という番組の再放送を録画することができたので、観る。
ものすごく面白かった。
「紙にマンガを描く」という作業を知らないではない我々だが、さすがに一流の方々の作業風景は緊張する。
そうか、浦沢直樹は「眉→目」という順番でペン入れするのか。
私は顔の輪郭からだった。

Bの0.5ミリのシャーペンで、ささっと書いていくたくさんの下描きの線の上を、1本のペン入れの線が走る。
どの下描きをなぞるのでもなく。一筆入魂のペン入れだ。
私がペン入れする時は、1本にしぼった下描きの鉛筆線をなぞっていた。
やはり、プロは違う。

「かわぐちかいじ」と「山下和美」が取材されていた。
そうか、かわぐちかいじは、ある時点から目が大きくなっていたのか。
言われてみれば、「沈黙の艦隊」の頃はもう目がでかかったなぁ。
「目は、感情が出るところだから」
そのとおりだ。

山下和美は「数寄屋造り」の家に住んでいるという。
(思わずアマゾンに走って、「数寄です!」を4巻買ってしまった)
イマドキお茶室まであるような家を新築して住んでいて、嫌味にならないのは人徳だ、と感心してしまった。
仕事場の机の上、高いところの空間に、ネコ用のベッドがいくつもおいてある。
これが気に障らないのもまた、人徳だろう。
普通、ペットを飼ってない人間からすると、ペットを大事にしすぎるのを見てるとイラッとするものだから。

マンガは、楽しい。
芸術だ何だ言う以前に、絵が楽しい、話が楽しい。
自分で描いてみた頃がなつかしい。
これからも読者として読み続けよう。
「最終兵器彼女」を貸してくれて、「東京大学物語」を読みたいと言ってくるような息子を育てて、幸せだ。

14年11月29日

朝から病院とか図書館とかいろいろ用事をこなし、いったん家に帰ってお昼ごはん。
午後からは市民プールに行って水中ウォーキングをしなければ、と思っていたら、小雨が降ってきた。

大内くんと、
「めんどくさいえねぇ」
「明日、吉祥寺のスポーツクラブに行って、ついでにタイ料理を食べる、ってのはどう?」
「それがいいね!今日は寒いし、雨降ってるし」
「僕は、こんな寒い日はプールのあと、サウナであったまりたいよ」
「タイ料理も食べたいしね。うんうん、それがいいよ」

というわけで、徒歩での外出ゼロ。
1週間後のクリスマス・パーティーに向けて、家を掃除して過ごす。
キッチンのシンク、最近磨いてなかったなぁ。
窓枠も拭かないと、結露がしたたって超汚れてる!

カーテンを洗い、窓を拭き、流しを磨いて、何とか大掃除を終える。
かなりきれいになったが、新築のマンションに引っ越して来た時のようなわけにはいかない。
本当は、毎週このぐらいきれいにしたいんだよね。

後は、もう少しモノを捨てて収納場所を作らないと、微妙にあふれてきたモノが居住スペースを荒らし始めている。
これまた、引っ越して来たばかりの頃は「収納率70パーセント」ぐらいで、入れようと思えばあちこちにモノを入れる場所があったもんだが、今や、「適当に押しのけて突っ込んでおく」というスタイルになりつつあり、憂慮する次第だ。

コドモたちの服の小さくなったものとか、使わないガラクタとか、まず、掘り出すのが面倒なんだよね・・・
とりあえず、お客さんが来ることとは関係ないし、と思うとなおさら。
まあしかし、住み始めて10年以上だ。
そろそろ大ナタを振るってもいい頃だね。
「年末に大掃除をするなんて、ばかげてる。そういうのは、もっとあったかくてヒマな時にやればいいんだ」というのが大内くんの信念だが、そうとばかりも言っていられない現状。
オーソドックスに、大掃除するかなぁ。

14年11月30日

今日も朝からやる気なし。
昼ごろ起きてきた息子を筆頭に、誰も、生産的な気持ちになんかならない。
いや、「友達と用事」と言って出かけて行った息子が一番生産的なのかも。

「プール、どうする?」
「今から吉祥寺に行っても、もうお店も混んでるしねぇ・・・運動は、買い物に行く時散歩ですませる、ってのはどう?」
という話し合いを経て、またもや外出を取りやめにした我々なのでした。

アマゾンから浦沢直樹の新刊、「Reマスター・キートン」が届いたのも大きいかも。
注文してからずっと古い「マスター・キートン」全18巻を読み始めて勝手に「祭り」を始めていた私はもちろん読んだし、最近マンガ読んでるヒマなく自炊ばっかりしてる大内くんも読んだ。
大掃除の続きをしながらの午後は、その話で持ちきり。

いやあ、やっぱり浦沢直樹はスゴイね。
「Reマスター・キートン」はこの先ずっと続けて行くわけではなく、「スペシャル」というか、「アンコール」というか、まあこれで完結してるってことなんだろうけど、20年の時が、きちんと刻まれている。
「サザエさん、チエちゃん方式じゃないんだー」と大内くん。

うん、主人公が歳を取っていかない、というスタイルもあるからね。
(よしながふみの「きのう何食べた?」なんか、地味だけど、シロさん徐々に歳取って来て、こないだ50歳になってショック受けてた)
もちろん歳取って行く、ってことは、いつかは描けなくなる、ってのが前提だが、普通作者本人が描けなくなってるだろうから、別にいいよ。

夜になってもなかなか寝つかれず、珍しいことに大内くんまでそういう状態。
「やっぱり、面白いマンガ読むと、興奮するよね」と言って、夜中までマンガの話してた。

私は、久しぶりにデータでない生の本を読んで、
「ああ、自炊したのは失敗だったか?本は、やはり紙で読むべきか?」といつもの無限ループに入って悩んでいたけど、大内くんはそこんとこ、さっぱりしてる。
「データ化したからこそ、今、これだけの量を持っていられる。キミだって、『祭りだ!』って言ってすぐにマスター・キートン全18巻が出てくるのはそのおかげでしょ?こないだも水島新司の『光の小次郎』を大人買いしたけど、本を買うお金はあっても、その本を収納するスペースを買うお金はもうないよ。あとは、居住性を犠牲にするしかないし、それだって限界がある。僕は、本が積み重なった家に暮らすのもイヤだし、持ちたいだけ本が持てる生活を知ってしまった今、それが少々読みにくかろうが何だろうが、元には 戻れないなぁ」
めずらしく、雄弁で説得力のある彼でした。はい、すみません。

というわけで、うちは迷いなく自炊で行きます。
フェイス・ブックで友人が、「本が1万冊を超えている生活」について語っているが、まあ彼は編集者だ。商売だからね。
一般人は、本が千冊を超えたぐらいからつらくなってくるもんだよ。
私が自炊し始めた頃、どうだろう、マンガと本、あわせて5千冊ぐらい持ってたかなぁ。
当然、家の中は本棚だらけでしたよ。
そして今、本棚のない暮らしは快適です!

このデータが一発で消えちゃう、とか、もっとスキャナとリーダーの解像度が上がってこれまで取った本がぼんやりとしか見えなくなる、とかいうことが起こったら悲しい思いをすることになるかもしれないが、自分だってあと何年生きられるかわかんないもんなぁ。
こういう時、大内くんはいつも言う。
「セ・ラヴィで行こう」「セ・ラヴィだよ」
「人生ってこんなもんだよ」の意か。まあ確かにそんなもんだ。

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