14年12月1日
めずらしく息子が早く帰ってきた。
我々がお風呂に入り、ごはんを食べようとしていた折の出来事。
「ごはん、食べる?」「うん」という愛想のない会話のあと、麻婆豆腐とレタスの湯引き、味噌汁、若い人には物足りないだろう、と、大内くんが鶏肉を焼いて市販の塩レモンだれでさっぱり仕上げたひと皿をつけてやる。
大内くんはいつものようにさっさとお盆を出し、息子の分は彼がどこでも好きなところに持って行って食べられるようにしてあげてる。
「どうせ、僕らと食卓を囲んだりしないよ」と彼は言うが、私の意見は違う。
半ば強引に、彼の席に牛乳やグラス、味噌汁のお椀などを並べてしまうのだ。
で、おかずを作り終ってよそってテーブルに置き、「ごはんだよ」と声をかけたら、すんなりと食卓で食べ始めた。
ほら、大内くん、これでいいんだよ。何事も、始める前にあきらめない!
もっとも、ぎゃんぎゃん言ってるiPad(オールナイトニッポンだろう)をわきに置いて、左手はケータイを握って、という、とんでもないお行儀の食事だが、
う ちはそれについてはあきらめている。
私自身、「食卓で本を読んじゃダメ」と言われてすごく理不尽な思いをしたし、独り暮らしを始めて、ごはん食べながら本を読んでもいい、って状態になった時は至福だったもんなぁ。
息子は、大内くん作の「鶏レモン焼き」を、
「ん、これ、うまいね。親父が作ったの?どうやって作った?うまいよ」と褒めちぎりながら勝手に食べて勝手にごちそうさまだ。
でも、「単位は大丈夫?」とか「同期の子たちは、もう就活始まった?」などの問いにはそれなりに返事をしてくれたので、大変有意義な晩ごはんだっ
た。
食べ終わって、テレビで「リーガルハイSP」を見ていたら、ソファに寝っころがって場所ふさぎな息子が言う。
「あー、車、運転してー」
実は、我々がイタリアに行ってる時、いや、正確にはその前に息子がアメリカから帰ってきた時に財布を失くしたんだよね。
(本人曰く、「飛行機を降りた時には確かにあった」。じゃあ、空港内か?)
結局見つからず、保険証やら学生証やら、いろんなものを再発行してもらわないといけなかったんだが、その最たるものが免許証。
めんどくさいのか、一向に取りに行こうとせず、先週やっと行ってくれたんだ。失くしてから2カ月もたってるよ。
それを確認した上で、我々も、彼が車の練習をするのは大賛成だ。
夜遅いので、車で10分ほどの近所のドンキでガマンしてもらう。
そしたら、意外なことを頼まれた。
「12月の20、21日の週末って、車使う?」
「使わないけど、どうして?」
「同期のみんなと湯河原に行くんだけど、車貸してもらいたいんだ」
オーマイガッ!ついに来ましたか!
免許取らせたときから、覚悟はしてたんだよね。仲間内でのドライブ旅行。
しかもうちの車はノアだから、大勢乗れて便利だし。
まあねぇ、我々もさんざんやったことだしねぇ。
事故とかは、いっそ親の庇護下にある今のうちに体験してもらった方がいいかもしれない。
一生、彼ひとりではハンドル握らせない、とでも言うなら話は別だが、そうもいかんし。
「夜中に移動しないこと。寝不足で運転しないこと。言うまでもないけど、お酒飲んで運転しないこと」を言い渡し、さらに、
「万一事故を起こしたら、必ず警察を呼んで、父さんと保険会社に連絡するように」と言っておく。
今日の運転も、まあまあうまかったし、あとはもう、慣れの問題で、経験値を積むしかないからね。
本人も、久しぶりのハンドルに最初はちょっと緊張してたようだけど、すぐに、
「案外、忘れねーもんだな」とかつぶやいてたよ。
湯河原かぁ、温泉だ、いいねぇ。
仲間とドライブ、楽しかったもんだよ。
ノア買ったのも、唯生の車椅子を積まなきゃいけないから、という理由はあったんだけど、それ以外にも、友人たちと清里に野球しに行く時に便利だとか、息子の友達を5、6人積んで柔道の試合やプールに連れて行く、なんてことも夢想してた。
でもなぜか、ノアを買ってからはそういう話がぴたりとやんじゃったんだよね。
この先は唯生も外泊できそうにないし、我が家としてはもう、ノアの時代は終わっちゃったんだなぁ。
息子にも、大内くんがきちんと話してくれた。
「あと1年半たつと、小さい車に買い替えるかもしれないから、ドライブ旅行も最後の機会だよ」
「え、なに、この車、売るの?」
「もう10年乗ったからね。次の車検が来たら、買い換えるつもりだよ」
「ふーん」
「前の車は覚えてる?カローラのワゴン」
「うん」
「あれに、唯生ちゃんの車椅子が積めなくなって、それでノア買ったんだよ。でも、唯生ちゃん、おなかが管だらけで、家で面倒見る自信ないし、もう外泊はできないかもしれないから、大きな車は必要ないんだ。もし外泊できる時があったら、レンタカー借りればいいし」
「そうかー」
ともかく、信用して貸すんだから、信頼にこたえてもらいたい。
ゆくゆくは、自分の家族を積んで走る日も来るだろう。
その日のために、何でも経験、練習だ。
14年12月3日
今日は大内くんの誕生日。
でも、本人は接待で遅い。ケーキもごちそうもない。
51歳になったので、
「やっぱり、50歳になる時に比べたら51なんて何でもないでしょう?」と聞くと、
「そうだね。変わりばえしないね」。
「40歳になる時と、50歳になる時と、どっちがつらかった?」
「そりゃあ、40歳になる時だったね。『社会的には立派な中堅でありながら、仕事に家庭に、いかほどのことができているか』って自問自答したよ」
「60歳は、どうだろう?」
「それは、無茶苦茶でかいと思うよ。定年にはなっちゃうし、いよいよ言い訳できない『老人』の世界に入るわけだし」
「でもさ、60になったら、『老人だけど、その中ではピカピカに若い』って感じかもよ。今だと、30代、40台に比べて『だいぶ老けこんだ中年』なわけじゃない。いっそさっぱりするかもね」
そんな会話を交わしたが、くやしいことに私の方が年上なので、老化に関する様々なことは、たいがい私が先に経験してしまうのだ。
「いいじゃない。もしキミが年下だったら、女性の方が寿命が長いんだし、僕が先に死んじゃうよ?」と言われると、なるほどそれはそのとおり、とは思うのだが。
なにはともあれ、順調に50代のサラリーマン。
もうしばらく働いてくれ。
引退後は好きなことしていいから。
もし行けたら、もう1回ローマに行こうね!
と言っていたら、実は大内くんには老後にやりたいことがあるらしい。
「最近でこそ勉強が面白いと思うようになったけど、若い頃は、親にぎゃんぎゃん言われて無理矢理受験して入った大学で、自分で行きたいと思ったことはないんだよね。でも、今、好きな大学に入れるんだったら、もう1回学生に戻りたいな」
「はあ。もしこれからどっか大学行ってもいい、ってことになったら、どこに行きたいの?」
「キミの大学」
何か勘違いをしてるんじゃないかと思うのだが、私の大学って別にそんなに良くないよ?その頃はもう佳子さまもいないだろうし。
「いや、森に囲まれたあの静かなキャンパスでもう1度大学生をやれるんだったら、頑張って受けてみたいと思う。キミと同級生になりたい」
いやいやいや、前提が間違ってる。私はもう、二度と大学なるモノには行かないから。
それに、少人数クラス制のうちの大学で、60過ぎの人がいたら目立つよ〜
大教室の真ん前に陣取って、なんてもんじゃなくて、20人ぐらいのクラスなんだよ、語学じゃない普通の講義も。
私が18の頃、25とかの人がいると、「長老」とか「お父さん」って呼ばれてたよ。あなたが行ったらどうなる?
「レジェンド、って呼ばれるかなぁ」
そんな、嬉しそうに言われても。
確かに近所ではあるし、通学は楽そうだが、そもそも、あなたが稼がなくなって、ただでさえ家計が苦しくなるのに、学費がかかるんだよ。
「奨学金とか、ないかなぁ」
60過ぎの人がもらえる奨学金なんて、聞いたことありません!
息子が今大学生で、毎日楽しそうな雰囲気をばらまいてるから(いや、本人は仏頂面なんですが)、大内くんも「失われた青春」を取り戻したくなっちゃったみたい。
「ま、いいんだけどね。キミがいればいつも青春だから」
嬉しいこと言ってくれるなぁ。
こっそり学費の積み立てでもしておこうかしらん。山内一豊の妻。
14年12月4日
息子がこの夏お世話になった大内くんの従姉の家には、「オーペア」がいる。
家事や育児を手伝いながら、外国の家に住み込んで現地の大学などに行く、という制度の元にいる学生だ。
女子大生である「えりさん」は、けっこう長いこと従姉の家にいるらしい。
息子も10日間のステイの間、いろいろお世話になったようだ。
今回、その「えりさん」が日本に一時帰国するにあたり、我が家に1泊泊めてほしい、と、息子を通じて申し出があった。
「いつ?」と聞いたら、息子は「今度の日曜」。
うーん、土曜にクリスマス・パーティーをやるから、日曜はちょっとゆっくり休みたかったが、息子がお世話になった人だ。
ひと晩泊めて夕食をふるまうことぐらいならできるだろう。
そう思って、その旨息子に言っておいた。
ところが、今日になって、外出中の息子にラインで、
「えりさん、日曜の何時ごろ来るの?」と聞くと、
「土曜だった・・・」という答え。
土曜はクリスマス・パーティーで家に大勢お客さんが来るよ、って、何度も言ったじゃない!
息子は、
「パーティーが終わるまで吉祥寺で一緒に遊んでから家に行くから」と言い、そもそも、
「オレ、土曜、って言ったよ」と言い張る。
そんなはずないでしょ、こっちはパーティーあるって言ってるんだもの。
「土曜だった・・・」って言うからには、ホントは自分が間違えた、ってわかってるはずだよ?
大内くんも混ぜて3人でラインしてる間に、息子も、「ごめんなさい」と言うようになったので、やはり自分が悪かったってわかったんだね。
「じゃあ、パーティーが終わったら片づけながら連絡するから、そしたら家に来て。残り物でえりさんの歓迎会をやろう」と言うと、
「ありがと」としおらしい。
最初っからそういう態度でいてほしいよ、まったく。
そういうわけで、土曜は俄然忙しくなってしまった。
まあ、息子のアメリカでの生活ぶりを聞くいい機会だ、泊まりに来てもらおう。
息子がリビングのソファで寝て、ベッドをえりさんに提供する、という話はすでについているしね。
さて、パーティーで食べ物やワインの余りが出るといいんだが・・・あんまり期待はできない。
夕食はすませてくるんだろうから、いざとなったらソーセージでも焼いてビールで乾杯だ。
アメリカ帰りの女子大生、どんな人だろう?
写真では見たが、実物に会うのは初めて。楽しみではある。
14年12月6日
今日は、マンガクラブの面々が集まって、我が家でクリスマス・パーティーをひらく予定だった。
だが、昨日の朝、息子が発熱。
念のため医者に行かせたら、見事に「インフルエンザ!」なのであった。
加えて私が、昨日の昼頃から腰痛がひどくなってきて、夕方にはしっかり固まった「ぎっくり腰」。
もちろんインフル患者が出た時点で、家に人を呼ぶ、というのは考えられないことなのだが、最後に我々の背中を押したのは、実は別件。
食器洗い機が壊れたのだ!
パーティーの途中からガンガン働き始めるこのメカ、今回はパーティー終了後、アメリカの従姉の家に住み込んでいる女子大生が来る、というので「さくっと片づけ、さくっと解決」の予定だったのに、これがないと片づけしてから彼女を呼ぶ、っていうのが難しいよぅ!
というわけで、前日のうちにパーティー中止とアメリカから来る「えりさん」へのお断りが決まった。
皆、おおむね「インフルエンザじゃしょうがない」と思ってくれたようだ。
息子は、手負いの獣のように自分のベッドでこんこんと眠り続けていた。
食事もせずに、ポカリスウェットの2リットルボトルを3本ぐらいあけて、ひたすら汗をかいて寝ていたのは、むしろ「正しい治し方」なのではあるまいか。
私も、ひざの関節痛に加えて腰まで痛くなってしまい、お客さん、しかも夕方から夜のグループと、その夜に泊まりに来る人とをいったいどうアレンジすればいいのか?!と悩んでいたので、最後、食器洗い機が故障した時は、
「ああ、物事ってのは、なるようになるんだなぁ」と、改めて神の存在が気になってきたよ。
今日明日は、「もらった休暇」だ、のんびり過ごそう。
息子にならってひたすら寝るか?
お客さんたち、ごめんなさ〜い!
代りに新年会をやるからね。
アメリカから来てる人には、謝りようもない。
息子にメールでしっかり謝らせたつもりだが、大丈夫かな・・・
14年12月7日
息子の熱はすっかり下がった。
昨夜は瞬間最大体熱40度を記録したので少し心配だったが、早めに医者に行って薬をのんだのが良かったのか、今日の昼頃にはごはんも普通に食べられるようになった。
しかし、人間ってコドモの頃から変わんないね。
熱がある間はしおしおと寝ているくせに、下がった途端、
「あー、どっか行きてぇ―!退屈ー!」と吼え始める。
本人が良くなったようでも、他人に感染させる恐れがあるから、自分の部屋にこもってなさい!外出なんて、もってのほかだよ!
そんな彼を残して買い物に出て、1時間ぐらいして帰ってみたら・・・リビングのテレビ周りにモノをいろいろ放り出して、何やらゲームをしてるようだ。
「何してんの?」
「プレステ2。ロックマンX」
ああ、そんなもんまで掘り出すとは、よっぽど退屈してるんだね。
さらに彼の退屈は続く。
「ギターって、いつごろ覚えた?」と私に聞いてくる。
「中学の頃かなぁ」
「誰かに習ったの?」
「いや、独学で」
「すげっ」
うふふ、少し尊敬されたぞ。
「弾きたいの?」「うん」と言うので、40年物ぐらいのフォークギターを引っ張り出して、チューニングから教える。
「いくらぐらいした?」
「そうだねぇ、当時でも2、3万はしたと思うよ。これで、簡単なコードをいくつか覚えれば弾ける曲もあるから」
(ケータイでコード表を見て)「何これ。どこ押さえんの?」
「Amだったら、こことここと、ここを押さえて」
「水樹奈々弾きたいんだけど」と言ってケータイでコードのついた歌を探し出したのはいいが、何しろAmも覚えられないので、10分ぐらいで挫折。
「うちって、オルガンなかったっけ?」
カシオトーンの簡単なキーボードだったら、あるよ。
大内くんがわざわざ出してきてくれた。
「これは、いつ頃やってたの?」
「さあ、会社に入ってから、おもちゃ代わりに買ったんだよ。いろいろ遊べると思って」
「いくらぐらい?」
「まあ、2、3万じゃないの?」
値段のことばっかり聞く人だね。
こちらも、あっという間に飽きた。
そろそろリビングはぐちゃぐちゃだ。
とりあえず、録画しといた「柔道グランドスラム東京」を一緒に見る。
ひとしきり興奮したあと、お笑い番組、「IPPONグランプリ」を。
息子はこれがとても楽しそうで、途中で、
「メシ食う時に見るから」と止めて、大事に見るつもりのようだ。
そして、そして、とっても心苦しそうに、
「パチンコしに行っていい?」と聞いてきた。これが夕方4時頃の出来事。
「オレ、ネタ書かなきゃいけないんだけど、煮詰まってるんだよ」
「パチンコはやめる、ってこないだ宣言してたじゃない?」と大内くんが文句つけると、
「いや、だからこそ、今やるって申告してるんだよ」
もう、どうしようもなく退屈なんだろうなぁ、と、あきらめて、2千円渡して行かせた。
ほぼ治ってる、とは言うものの、インフル患者が外に出ていいのか、ちょっと不安だが、家にいるのはもう飽きたみたいなんだよね。
夕食までにはさっぱりした顔で帰ってきて(少し浮いたらしい)、坦々ごま鍋を食べながら、「IPPONグランプリ」の続きを見たよ。
食欲もすっかり元通り、お笑いのうんちくを垂れながら食事を終えて、そのあと見始めた今日の分の「柔道グランドスラム」でもまたあれこれうんちく垂れて、我々は風呂に入りながら、
「まったく『一本!』に縁がある人だね」
「威張りん坊だね」とくすくす笑ってた。
いろんな予定が吹っ飛んだのも、今日、退屈し切ったのも困ったんだが、久々に息子とゆっくり、本当にゆっくりのんびり過ごして、お笑いや柔道に関
してあれこれ言われるのも、日頃の無口な彼からするとウソのようによくしゃべってくれて、楽しかった。
あとは、私がインフルエンザにかかりさえしなければ「終わり良ければすべて良し」だ。
何しろ、大内くんと唯生以外の家族は予防ワクチン打ってないからなぁ。
夜中にネタ書きにガストに出かけてしまったらしい彼で、私は1日顔色をうかがい、バカにされるようなことを言われないように緊張して過ごしたので、寝る頃にはすっかり具合が悪くなってしまった。
だってさぁ、「大喜利番組」を楽しんでるだけなのに、
「これ、面白い!」と言えば、
「シロートだね。こんな当たり前の答えは、全然つまらないよ」とか言われるし、柔道見てれば、
「韓国は、組手を切るんだよな」なんて言われても、全然わかりません。(涙)
くたくたになってよく眠れたので、インフル感染だけは起こさずにすみそう。
自分のコドモは可愛いけど、そろそろ家にいない方がよくなってきた気がする・・・
14年12月9日
息子から、寺沢武一の「コブラ」を借りる。
いや、向こうの方から、
「コブラ、買ったけど読む?」と言ってきたのだ。
最近出たコンビニ本を2巻買ったようだが、私も11巻持っているのでそう言うと、
「じゃ、iPadに入れといて」と言われた。
ストーリーがダブってる部分もあるんだよね。
息子が寺沢武一読んだからと言って、なぜ嬉しくなるのか。「コブラ」なんてそれほど評価してるわけじゃないのに。
「アメコミみたいな絵だね。フルカラー版、すごいよね」
「うんっ、あれはスゴイ!」と話が合っちゃったりすると、妙にニコニコしちゃうよ。
そんな息子が、「東京大学物語」を読みたいからiPadに入れておいてくれ、と言う。
あれは、私が最初に電子化した本だ。
あそこまで活字が多くてもタブレットで読めるか、と実験した。
それから蔵書を全部データ化して今に至るわけだが、その、「家の見えるところにはもう全然ない」マンガを、時々息子が、
「あれ、持ってる?」と聞いてはデータで読んでいるわけで、うん、始めたことがちゃんと機能しているのはいいね。
たった今は、息子が後輩から借りた、という「最終兵器彼女」を、電子でも持ってるけど久々の生本で読みながら、宮部みゆきのミステリ小説「ソロモンの偽証」を読み返してる。
こっちは、息子に、
「映画公開前に読み終えたら報奨金を出すよ」と約束してるんだ。
なので、私と息子は今、同じ本を2種類、並行して読んでるわけ。
「面白いよ」とは言ってるが、何しろあの分厚い3冊組だ、報奨金ぐらい出さないと途中で挫折するだろう、本に慣れてない豚児は。
昔、マンガクラブの友達とよくやった「長編合宿」を思い出すなぁ。
貸別荘を借りて、みんなで「読みたい読ませたい」長編マンガを持ち寄って、3日間ぐらい、がーっと読んだ。
今と違うところは、データになってると、同じ本を一緒に読むことが可能だ、という点。
「長編合宿」では生本だったので、面白いシリーズを読んでても、遅めの誰かが先行して読んでると、後ろにくっついて待ってなきゃいけなかった。
仲間うちには「本好き」が多いので「自炊」している我々は必ずしも評判よくないのだが、けど、少なくともその点だけは便利になった、と思う。
ちなみに高橋しん、
「ああ、『いいひと。』ね」と言ったら、「知ってんの?」と仰天された。
今頃「最終兵器彼女」を貸し借りして読んでるキミらの方に驚くよ、私は。
マンガは今も脈々と生きてるなぁ。
14年12月11日
息子は、新作映画「寄生獣」を1人で見に行ったらしい。
「どうだった?」と聞くと、「だめ」と短いコメント。
「あれは、原作で完結してるし、映画にする意味が全然ない。面白くなかったし、客も入ってなかった」
手厳しい評論家だ。
一方、私が買って貸してあげた「Reマスター・キートン」がどうだったか聞いてみたら、「まあまあ」。
日本中の、浦沢信者が聞いたら怒るぞ。
浦沢直樹はかなり好きで、「Billy Bat」なんか「すごすぎる!」って言ってる彼なのに。
このように、我が家ではマンガが普通に親子の間で共有されている。
おそらく、我々の世代の多くの家がそうだろう。
文化的に切れ目がない、というか、断絶がないので、文化が平和に長生きしてるのだ。
まあ、大内くんと結婚する前、「寄生獣」を読んでいて、まさかこれを自分の息子と語り合う日が来るとは想像してなかったのだが。
友人たちの間で時々聞く話では、「親が、マンガにすごく厳しかった」という育ち方をした人がいて、
「学校で友達に借りてこっそり読んでた」とか、
「通学バスの中で、雑誌をバラして、好きなマンガだけ大事にとっておいた」とか証言してる。
私は、物心つく頃には父親が「鉄腕アトム」を毎月買って来てくれた、という恵まれた家庭環境で、まさか推奨されやしないが、禁じられる、ってこともなかったなぁ。
そもそも、禁じられた人が大学に入って無茶苦茶読むようになったりしてるんで、あんまり意味ないと思うし。
大内くんちも厳しいクチだったらしい。
だからと言って、人から借りたマンガまで全部捨てたり焼いたり、という話を聞くと、
「本を焼くような国は、人を焼くようになるであろう」とかいう故事名言を思い出すよ。
実際、私が貸したマンガも焼かれてしまったそうで、大内くんはあとから同じ本を探して買って弁償するのに苦労したそうだ。
お寺にこもらせるんでもないかぎり、今の世の中でマンガ禁止ってのはしんどいよね。
私は、息子がマンガしか読まないんで密かに胸を痛めていた元・文学少女だが、今や私の知らない小説を買って来ては家の収納を圧迫してる。
「貴志祐介」って、なに?ホラー?
「読まない子も、ハタチ過ぎてから読み出したりするわよ!」と高校時代励ましてくれたクラスメートのお母さん、どうもありがとう。
3人の息子を育てたあなたの言葉は、真実でした。
ま、これまた「読むべき本と読むべきでない本」なんて存在しないんだよね。
ある程度、本を読む訓練ができさえすれば、あとは好みに従って読めばいいだけの話で。
思うんだけど、夏目漱石とか森鴎外って、「明治の文豪」なんてくくりになってて国語の時間に習うんでなかったら、今頃、誰も読んでないんじゃないかねぇ。
読むにしても、一部の物好きが勝手に読めばいいじゃん。
昨日、「リーガルハイ」を見てる途中で、病院の医療過誤がテーマだったせいだろう、堺雅人が白衣を着て現れると、聞いたことあるような曲が流れた。
大内くんが、「あ、これは」という間もなく、ソファでけたたましくiPad聞いてた息子が言う。
「白い巨塔」
いつのまにそんなもんを!と驚いたわけだが、このように、知っているとギャグがわかる、他人の言外の意図をくみ取ることができるという点で、物知りなのは大変結構なことだ。
だが、「知っておくべきこと」はあまりに多く、「知らなくてもいいこと」だって、いつどういう場面で必要になるか、わからない。
その線引きを、親がしなくてはならないのだとしたら、親の仕事はあまりに過酷でつらい。
まして、我が子が喜んでやってることを矯めねばならないというのは、私のごとき凡人の手には余るよ。
今の世の中の親でよかった、と胸をなでおろしながら、息子が後輩から借りたという「最終兵器彼女」をありがたく読ませていただいて、今現在のマンガの水準の高さにビックリしつつ、丁重にお礼を言って息子に返しておいた。
次の課題は、息子が宮部みゆきの「ソロモンの偽証」を映画公開前に読み終わるかどうかだ。
一応「報奨金を出す」と言ってしまったので、彼が読み切ったらそれなりの金額を払わなくてはならない。
だが、「廷吏ヤマシン」の話が通じるようになったら、それぐらいちっとも惜しくない、おつりがくるぐらいだ、と思ってる私である。
14年12月12日
私の腕時計はデジタル式で、日本時間以外にもうひとつ、時間を登録しておける。(ボタンで切り替える)
そんな機会があったのは息子がアメリカにいる間と、我々がイタリア旅行をしている間だけだったが。
それで、今さら困ることがあろうとは思わなかった。
最近、眠りが浅くてすぐ目が覚めてしまう。
今朝も、目覚ましも鳴らないのに6時半に起きてしまった。
大内くんがいつも5時ごろに目覚ましをかけているのだが、それが鳴らなかったんだろうか?
仕掛けてはあるけど、もう時間過ぎてるよ。
「私が起きていて、よかった。このままだと寝坊して会社に遅刻してしまうところだった」と得々として大内くんを起こす。
「もう、6時半だよ。起きなきゃ。目覚ましが鳴らなかったのかな?」と言うと、
「そんな時間なんだぁ・・・起きなきゃ・・・」と眠い目をこすっている。
と、私が書斎に行こうとしてたら、
「まだ1時半だよ〜」。
がーん!いつの間にか時計がイタリア時間になっていた!まだ、向こうの時間で夕方6時半、日本時間で午前1時半なんだ!
大謝りに謝って、また眠ってもらったが、絵にかいたような失敗だなぁ。
なんとなく思い出に残してあったイタリア時間だが、この際、日本時間に戻しておくか。
そうすれば、こんなギャグみたいな間違いはしなくてすむもんね。
14年12月13日
めずらしく息子も家にいて晩ごはんを一緒に食べられる、と言うので、ホットプレートでお好み焼きを焼いた。
テレビの前のちゃぶ台で、みんなして鉄板を囲むと、身も心もほっかほか。
息子も上機嫌で、「うまいね!」を連発しながらたくさん食べてくれた。
今、5日後に迫った仲間たちとのお笑いライブに向けて、練習に余念がないらしい。
夜、貸しスタジオを借りて稽古したりしているそうだ。
ツイッターで写真を見たが、鏡張りの部屋に集合してるとこなんか、何だか本格的だなぁ。
卒業まであと2年ある留年生の息子だが、お笑いは、ここでひとつの区切りがつくんだと思っていた。
ところが、彼に言わせると、「すぐ次のライブを考えている」らしい。
「同期は、そろそろ就活じゃないの?」と聞くと、
「いや、まだまだガチでネタ書いてる」。
そうか、例年だと会社訪問等が始まる時期だが、今年から就職協定が変わって、少し遅くなったんだよね。
でもまあ、同期が1年早くやってくれるわけだから、いつ頃、どうすればいいのかは、参考になるんじゃないかな。
話は変わるようだが、名古屋の姉から、昨年亡くなった母親の遺品というか、古い写真や手紙が届いた。
「いらないものならくれ、こっちで見て、必要なものだけ取っておいて、あとは処分するから」と言ったので、段ボール箱いっぱいの遺品を送ってくれたのだ。
まだよく見てないが、自分にしか興味のない私が一番興味をひかれたのが、私から母や父、姉にあてた手紙。
全部で10数通しかないけど、大学時代や独り暮らしOL時代に書いたものらしい。
大内くんと2人で読んで、私があんがい普通、というか、友人たちに出すような手紙を家族にあてても書いていたことを発見し、ちょっと驚いた。
もっと、「構えた」ものを書いていたのだと思っていたよ。
中でも、父親にあてたものは2通あるが、両方とも「就職口を紹介してくれたことへのお礼」だった。
いきなり入社できるほどの強力なコネではなかったが、まあ、「しっかり見てもらう」ぐらいの役には立っていたようだ。
大内くんは、
「僕には何のコネもないから、息子にしてあげられることはないなぁ。特に、彼はマスコミに行きたいようだから、そんな方面はさらに難しいよ」と言う。
私の父親は、「ホテル」と「電器メーカー」の話を持って来てくれた。
「ホテル」の方は興味が持てなかったので断ったが、電器メーカーの方は試験と面接を経て、するすると話が決まり、私の人生におけるたった7年間の「OL生活」はテレビやビデオと共にあった。
今思うと、ホテルの話は少し惜しかった気がする。
意外とホテルマンに向いていたかもしれない、と、30年以上たってやっと思うわけで、いやいや、自分の狭い経験で一生のことを決めつけちゃいかんなぁ。
就職は難しいけど、決まるとこんなありがたい話はない。
私は大内くんと結婚して寿退社したことを後悔はしていないが、下北沢のアパートで独り暮らしをし、銭湯に通い、自分で自分を養っていたその7年間を誇りに思っているし、人生で一番充実していた日々だと思っている。
息子は多分一生働いて妻子を養わなければいけないだろうが、できれば自分の好きな仕事に就き、充実した社会人人生を送ってもらいたい。
お好み焼きを食べながら、
「父さんの友達で、NHKに勤めてる人いるよ。会いたい?」と聞いたら、即座に、「会いたい!」と叫んでいた。
「親のコネなんか、有難迷惑だろうけどさ」と私が言うと、
「いや、ありがたいばっかりだ。よろしく頼む」ときた。
「就職を頼むわけじゃないからね。ものを作ることの難しさ、楽しさを聞かせてもらう機会だから」と大内くんが念を押していたが、
「わかってる。それで充分。ありがとう」って。
息子にこんなことで感謝される日がこようとは。
さっそく予定を入れて、今週中に会うことにしたらしい。
マスコミの第一線で働く人に会うのだ、ものすごくためになるに違いない。
あらためて、「社会人なんだなぁ」って、私が大内くんに惚れ直す瞬間でもあった。
息子が社会人になってネクタイ締めて出勤するようになったら、息子にも惚れてしまうのかなぁ、サラリーマン好きの私は。
14年12月14日
近所のコジマで、テレビのスピーカーを買う。
いや、11年前、引っ越す時に買ったテレビが壊れて、もう部品も作ってないから買い換えた方がいい、と日立のメカニックさんに勧められて、そん時は日立のWoooだったのを、パナのビエラにしたのよ。
メカニックさんが言うには、
「今の大型テレビは、ガワを小さくするためにスピーカーをそうとう削ってます。音は絶対悪いですよ」とのことだったが、うん、確かに、構造的にスピーカーをテレビの裏につけざるを得ないようで、音がこもるというか、聴き取りにくい。
そこで、前から考えてはいたように、スピーカーを買うことにした。
普通のスピーカー端子がついていてくれれば、家に余ってる小型スピーカーもないじゃないけど、光ケーブルでつなぐらしいね。
コジマに行ってみたら、へえ、本当にテレビ用のスピーカーがいっぱいある。
たいがい、テレビの前に置く1メートルぐらいの棒のような形をしている。
4、5万出せば「映画館がお宅に!」というふれこみのサラウンド式スピーカーセットなども買えるが、そこまでのものは必要としていない。
要するに、普通に音を正面に向かって出してくれれば。
少し迷って、ONKYOのシンプルなものにしたが、大内くんは、
「メカニックさんの言うことは本当だねぇ。今の大型テレビの音が悪いから、こんなにスピーカーを売ってる。僕、全然知らなかったよ」と感心していた。
うん、私も知らなかった。
家に持って帰って接続してみたら、おお、音がクリアに聴こえる。
「買ってよかった。これからお正月に向けて、テレビはいい環境で観たいよね」と喜ぶ大内くん。
はい、これもあなたの稼ぎの一部です。本当にありがとう。
それにしてもリモコンが増える増える。
テレビと2台のHDDデッキの分はしょうがないとしても、ルンバ、テレビの簡略版、スピーカーと、ちゃぶ台の上に乗っているリモコンが多すぎて、どれがどれだかわからない!
14年12月15日
息子がインフルエンザにかかって以来、本復した彼はともかく、私は軽く風邪をひいたようだ。
大内くんに言わせると、
「インフルエンザになっても鼻水や咳は出ない。それは、インフルエンザが連れて来た風邪の菌の仕業だ」ということらしい。
それでも何とか治って咳が止まる頃、今度は大内くんが咳を始めた。
彼は、呼吸器系が弱いらしく、風邪をひくとてきめんに喉に出る。
激しい時は、ひと冬全然咳が去らない年もあるぐらいだ。
「会社のお医者さんが、吸入タイプの薬をあんまりくれないんだよ。肌に貼る、パッチタイプばっかりで。僕の症状には、吸入器がすごく効くんだけどなぁ」
そんな状態なので、夜寝る時もエアコンをつけて寝るようになった。
夜中に完全に布団をはいでいるので、
「あったかくしても、意味ないんじゃないの?」と聞いてみたら、
「いや、部屋の温度が高いと、身体には暑すぎても喉にはとてもいいんだ。あたたかい空気を呼吸してると、少し咳が止まって楽になる」という返事。
こうして思ったより早く本格的にエアコンの季節が来て、今年の春からベッドを分けたの大成功。
私は大内くんよりずっと暑がりなので、ひとつ布団に寝ていると、ダブルベッドの片側にだけ毛布がかかってるとか、布団の中で大内くんだけ薄手の毛布にくるまっているとか、無理だらけだったんだ。
今では、私はシングルベッドに寝て好きなだけ薄い布団で寝られるし、ダブルベッドを占領した大内くんは、分厚い布団をかぶってその上に毛布を掛けても誰にも怒られない。
しかしね、エアコンはちょっと問題だよね。布団をかけていなくても暑い時があるぐらいだ。
こんなことが続いたら、私はベッドを分けるのみならず、別の部屋で寝なくてはならなくなるかもしれない。
家庭内別居。
今のところ空いた部屋はないのでそんなことも起こりようがないが、息子が家を出ちゃって、彼の部屋が空いたら、そこを私の寝室に使っちゃうかもなぁ。
できるだけ避けたいところだが。
そもそも、ベッドを分ける時だって泣きの涙だったんだよね。
「同じ部屋にいるのに、ベッドが別々だなんて!」と。
大内くんは、
「いいじゃない、すぐ横にいるんだから。何かあったら、起こして」と言うが、そういう問題じゃないんだ。
私は、寝てる時でも大内くんにそばにいてもらいたいんだ!
問題は互いの体感温度の違いなのでどうしようもないし、寝相の悪い大内くんが20年ばかりもダブルベッドの片端でガマンしていたと思うと、今、大の字になって寝ているのを見るにつけ、申し訳なくなるのも確か。
もう半年以上たって、私も1人寝に慣れたしね。
これからますます寒くなる。
大内くん、布団や毛布をどれだけ自分のベッドに積み上げてもいいけど、エアコンはほどほどにしてね。
電気代もかかるし、乾燥しすぎも喉に悪いんだよ。
じゃあ、って加湿器を買ったりすると、これはもうまさに「マッチポンプ」。
気をつけて、風邪ひかないように暮らそうね。
14年12月16日
今日の大内くんは、会食。
とは言っても、いつもの会社の接待とは違う。
10年ぶりだ、というNHKの友人と会い、息子を同席させて紹介するのだ。
この友人は大学時代の同級生で、仕事柄転勤が多く、めったに東京にはいない。
今年は帰ってきてるので、運よく会うことができる。
一方で息子は、将来のことを考える時、つい、「何か面白いものを作りたい」と口走ってしまう年頃だ。
彼の場合、「面白いもの」とは小説や美術ではなく、映像系、というか、有体に言ってテレビ局なんかとっても魅力的。
そんな彼に大内くんが、
「父さんの友達に、NHKの人いるよ。会いたい?」と聞いたら、「会いたい!」と飛びついてきた。
もちろん、留年してまだ卒業には程遠い彼のことなので、就活といった生臭い話ではなく、
「ものを作る、とはどういうことか。その大変さと楽しさ」を語ってもらえたらなぁ、というわけ。
会社の接待施設ですき焼きを食べることにして、3人、現地集合。
息子も遅刻なく現れたらしい。
以下は、私が大内くんから聞き出すことのできた会食での息子の発言である。
「ものを作りたい。NHKさんは本当にていねいに番組を作っていて、すごいと思います」
「おやじは、すごいなーって思います。知識量とか、話の面白さとか。母親のことも、尊敬しています」
「反抗期?ありましたよ。面白いこと考えたいのに、親の考えてることが普通過ぎて、ホントにイヤでした。その頃は、自分がコドモで、親のすごさがわからなかったから。でも今は、その時間がもったいなかったな、って思います」
「(マンガや映画など)サブカル的なものを与え続けてくれたことに、すごく感謝してます」
「親への反抗期が終わった、っていうのは、人生でかなり大きめのブレイクスルーだった気がします」
「(ホームページを私が書いていることを聞かれて)「文章に起こされると恥ずかしいですけど、一生の宝ですよね。母親がいなくなって、それが残されていたら、もう泣いちゃうと思います。親孝行したいなぁ」
大内くんとしては、こういった中身もさることながら、ずっと脇に控えてて、久々に会った大学時代の友人同士が仕事の話ばっかりしてても全然割り込んでこなくて、話すべき時に話していた、というあたりに感心したという。
まずしょっぱな、ビールを酌み交わすあたりで、
「こういう席での立ち居振る舞いに慣れていないので、失礼があるかもしれませんが」と言っていたそうだ。
どこで身につけるんだ、そんなオトナな言い回し。
大内くんの友人の、番組を作る姿勢とか、地方に行った時のそこでの暮らしの面白さとか、いろんな話が聞けたらしい。
3年ほど前に結婚したそうで、もうコドモは考えてないという彼は、友人の息子に、どんな感想を持っただろうか。
とにかく刺激的な2時間半だったようだ。
帰り道、
「今夜は徹夜稽古がある」と言って大内くんと途中で別れた息子は、いささか唐突だが、
「名古屋のおじいちゃんに会いたかったな。頭のいい、とんがった人(先鋭的な、というぐらいの意味だろう)だったみたいだし」と残念がっていたそうだ。
彼が小学校5年生の時に亡くなってしまったので、オトナとして会ったことはないんだよね。
「きっと、面白かっただろうなぁ」と言うキミよ、世の中には、二度と会えない人がたくさんいる。
今日会った人だって、もうこれが最後かもしれない。
「一期一会」とは言うが、実際、今、この時だけが、その誰かと会う瞬間かもしれないんだ。
人の縁を大事に、真摯に、懸命に生きてもらいたい。
それさえしてくれれば、我々がキミにしてほしいことはほぼ終わりだよ。
別に、NHKのディレクターになれればいい、なんて思わない。
ただ、もしなりたいんなら、死ぬ気で努力してくれ。
時間を割いてくれた大内くんの友人の気持ちに、何らか応えられるといいね。
14年12月17日
大内くんとよく話していることだが、子育ては、ロケット打ち上げに似ている。
コドモはみんな、親を中心とした家族という重力圏を突破するだけのロケット燃料を備えている。
そして、ある時期が来るとそのエネルギーを使っての「反抗期」という打ち上げ態勢に入り、飛び出して行ってしまう。
大気圏を通過している間、コドモとの連絡は途切れ、相手がどこでどうしているのかわからなくなるのは、実際の宇宙飛行でも連絡が途絶するのとおんなじ。
でも、もしそれまでの間にコドモとの間にある程度の絆ができていて、互いにわかりあうことができていれば、ほぼ計算した通りの場所に出て、通信が回復するはず。
「こちらは宇宙船『コドモ号』です。計算通り、大気圏を出て通信復活しました。これから周回軌道に乗って3周した後、外宇宙を探検しに出かけま〜す!」と元気な声を聞いて、いよいよ1人の人間をこの世に送り出すんだなぁ、と親2人で手を取り合って喜ぶ、ということになればラッキーだ。
「反抗期」に親がうろたえてエンジンに水ぶっかけて止めようとか、補給の停止をするとか余計なことをすると、引力圏を脱するだけの燃料が足りなくなり、コドモは親に縛りつけられて一生を過ごすことになってしまう。
この場合の「補給の停止」には、コドモがどんなに大きくなっても家にいる限り必要とするはずの「愛情補給」が含まれる。
お金を渡さないとか自由を縛るといった「補給停止」も良くないが、「愛情補給の引き上げ」は一番良くない。
「そんなことをするあなたは、うちの子じゃない」
「我々の子供であれば、そんなことはしないはずだ」
「だから、もうあなたを愛さない。あなたが愛されるのは、我々の望みどおりの子供でいる時だけだ」
コドモは、親に愛されたいと思っている。
「コドモを愛さない親はいない」とよく言われるが、それは実は間違っていて、「親を愛さないコドモ」こそがいないのだ。
親は、自分勝手にコドモを裏切ったり自分のうっぷん晴らしに使ったりする。
それでもコドモは、親に愛されたい一心から、本来の自分とは違う行動をとり続けることがあるのだと、大内くんも私も、よく知っている。
昨日、大内くんの友人に会った時、息子は、
「親を尊敬しています。反抗していた時期がもったいないぐらいです」と言ってくれたらしいが、とうとうここまで来たか。
ここ1年ぐらい、ずっと「もう反抗期は終わったのかなぁ」とうかがっていたけど、どうやら10年近くに及ぶ長い長い反抗期はおわってくれたようだ。
もちろん、このあと別人のように愛想が良くなるとか親孝行になるとかは期待していないが、親が、自分のやりたいことを邪魔しない存在であると信頼してくれて、必要があれば何でも相談にのる「配偶者の次に親密な他人」と認識してくれたら嬉しい。
14年12月18日
大内くんの会社の同僚Hさんと、奥さんを交えての会食の機会があった。
ずっと前からよく話には聞いていたHさんは、私の日記も息子が幼児の頃から愛読してくれているらしい。
Hさんも大内くんも12月生まれなので、「一緒に、お誕生会をやりましょうか!」という流れになって、今日は我々の大好きなパレス・ホテルのローストビーフ・ディナーだ!
現地集合ということで、私は6時過ぎに東京駅で大内くんと待ち合わせ、タクシーでパレス・ホテルへ。
レストランの席で待っていたら、奥さんが先に到着した。
「初めまして。いつもご主人にはお世話になって」
「いえいえ、こちらこそ」と挨拶してる間に、Hさんも来た。
私は初めて会うと思っていたのだが、実は、18年ほど前に阿佐ヶ谷の社宅に住んでいた頃、部署の後輩の方々数人と一緒に遊びに来てくれたことがあり、その時に会っていたのだった。
奥さんとは本当に初めてお会いする。お噂はかねがね、といった感じだ。
おめでたい席だから、ということで、まずはシャンパンを。
「グラスですが、口開けです。運がよろしいですよ!」とソムリエさんがシャンパン・フルートを手に、優雅に注いでくれる妙技に見入る。
それぞれ前菜を頼み、ワインを1本開けよう、ということになった。
Hさんと奥さんはワインに造詣が深く、共通の趣味として楽しんでいるようで、さっぱり門外漢の我々は神妙に赤ワインを選んでもらった。
フルーティーな、さわやかな赤だった。
メインは全員ローストビーフ。これを食べに来たんだ。
「大内さん、この肉、ものすごくおいしいですね!」とHさんも奥さんも口をそろえて言う。
我々は、自分が焼いたんでもないのに得意そうに、
「そうでしょう!本当においしいんですよ!」と胸を張った。
会社から近いせいか、Hさんも仕事で使うことがよくあるレストランだそうだが、ローストビーフは初めてなんだって。
「人間は、牛肉を食べた時だけ脳からナントカって幸せ物質が出るらしいですよ」と、これまた得意げによしながふみを引用する私だった。
(今、調べて知った。「アダンナマイド」だそうです。次回まで覚えてられるかな・・・)
その「アダンナマイド」をふんだんに出しながら、会社の話やプライベートな話を楽しむ。
奥さんも同じ会社に勤めていたので、社内事情には大変詳しいのだ。
私も大内くんからいろいろ聞いていて、会社の話はけっこう面白い。
「昔、上司のNさんから『この本、面白くないよ!』って薦められて、本を借していただきました」と私が言うと、Hさんは、
「あっ、その本、今ウチにありますよ。東野圭吾の『麒麟の翼』でしょう?」
「それそれ!」
「いや、そんな面白くない本を世に広めてはいけないと思って、ウチで止めておいたんですよ。Nさんは『もういらないよ』っておっしゃってたし」
「それがですねぇ、2回目読んだら、面白かったんですよ。ミステリとしては面白くないけど、小説として面白かったみたいです」
Hさん、お時間ある時に、もう1度読んでみてください。よければ奥さんも。
デザートの時間になって、Hさんと大内くんの前にはそれぞれ事前に伝えてあった名前つきで「Happy Birthday!」とチョコで描いたお皿が運ばれてきた。
先ほどから大活躍中のソムリエさんが、
「よろしければ、バースディ・ソングのサプライズがございます!どちらかお一方のお名前をいただいて」とニコニコし、Hさんと大内くんはひとしきり「いや、そちらの名前で」「いえ、大内さんこそ」と譲り合った挙句、いちおう先輩だから、ということで大内くんの名前で、歌ってもらった。
いやぁ、けっこういきなり始まったんで、ケータイで録画とかしてるヒマがなかったんだけど、従業員の方々6人ほどで見事にハモり、特にリード・ボーカルのソムリエさんの歌声が朗々と響きわたり、終わった時にはレストラン中のお客さんが拍手してくれて、大内くんはとっても面映ゆい思いをしたそうだ。
合唱団が一礼して風のように去ったあと、
「素晴らしいですね。来年もやりましょうか」という話になったので、その時には絶対、録画しよう。
ものすごくおいしいデザートを食べてコーヒーを飲み、
「上のラウンジで、軽く飲みましょうか」とみんなで出口に向かうと、コートを預けてあったクロークの人が、
「上までお運びしますので」とコートの山を抱えてエレベーターで案内してくれた。
こういう一流のサービスを受けられるようになった今の自分の生活は、本当に贅沢でありがたいことだと思う。
それもこれも、Hさんが「1日4時間しか家にいない」(睡眠時間を含む!)状態で働いてくれているからだ。
週末も1日中パソコンに向かっているという。
「今日、絶対してはいけない質問」として事前に大内くんから言い渡されていたのが、
「Hさんはどうしてそんなに働いてるんですか?」なのだが、実のところ、大内くんが先に、
「Hくんは、働きすぎだよ」と言ってしまった。
「私は、働くのが好きなわけじゃないんですよ」と憮然と答えるHさんに、奥さんは、
「もっと言ってやってくださ〜い!」と喜んでいた。
今日、この席に来てもらうためだけにでも、Hさんは相当苦労して時間を捻出してくれたらしいのだ。
一緒にいる総合時間が短いせいか、Hさんと奥さんはとてもとても仲が良い。
と言うか、生真面目なHさんの素顔は、ものすごく甘えん坊なのだ。
ラウンジで1杯ずつ飲む間にも、お2人の仲の良さ、Hさんが年上の奥さんに甘えている様子がうかがわれて、
「うーん、この世で一番夫婦仲がいいのは我が家だと思っていたが、まだまだ上には上がいるなぁ」と、大いに勉強させられた私だった。
ホテルでHさん夫妻と別れ、大内くんと一緒に家に帰った。
いつの間にか、4時間近くがたっていた。
私がこんなに長い間、時計を見ずに過ごすことは珍しい。
「本当に楽しかった。また来年もご一緒できるといいね」と大内くんに言ったら、
「Hくんが、もう少し怠け者になってくれるといいんだけど。でも、そしたら仕事が立ち行かなくなっちゃうしなぁ」と、少し困っている様子だった。
まったく、世の中にはスゴイ人がいっぱいいる。
働き者で、ワインに通じ、ピアノを弾く、しかしてその実態は「甘えん坊」のHさん。
大内くんより4歳年下なので、4年後には今年我々がもらった「リフレッシュ休暇」がもらえるはずだ。
「イタリア、行きたいですねぇ」と言っていた奥さんのためにも、たとえ大内くんが徹夜で会社に詰めることになろうとも絶対リフレッシュ休暇をとってもらいたい、と思いました。
Hさん、これからも様々によろしく!
14年12月19日
息子のお笑いライブを観に行った。
大勢が出演する文化祭やコンテストなどは何度も観たが、自分たち数グループだけで自主的に公演するライブは初めてだ。
そういった大会等で知り合った、大学も違う3つのグループ7人が意気投合して企画したものらしく、半年ほど前から計画は聞いていたが、「3組が交互に持ちネタをやるんだろう」と思い込んでいて、普段のライブ以上の期待はしていなかった。
親孝行なことに会場は三鷹駅北口徒歩1分。
150席ほどの小劇場で、入場無料カンパ制。
半月前ぐらいにチケット取り置きの人で一杯になり、当日券はなかったらしい。
我々はもちろん話を聞いたとたんから「取り置きお願い!」だったんだが、本当に取り置いてくれるかどうか、直前まで心配だった。(行ったら「チケットありません」と言われるんじゃないかと)
でも、今週の始め、息子が大内くんに、
「まあ、1週間頑張って働きなよ。週末、いいもん見せてあげるからさぁ」と言ってたと聞き、どうやらチケットはあるようだ、と胸をなでおろした。
いいこと言われちゃったねぇ、お父さん。
満席の小さなホールで繰り広げられた2時間は、我々にとっては意外の嵐。
それぞれのグループのショートコントをやっているようでいて、だんだん話が混ざって来て、「終電に乗り遅れたサラリーマン」から「彼らが始発で帰るまで」のひと晩に起こったいろんなところでのいろんな出来事を描いた不条理劇みたいになってきて、7人全員が舞台で芝居している瞬間も多かった。
「これは、考えるのも脚本を書くのも練習をするのも、全部、ものすごく大変だっただろう!」と、心の底から思った。
2時間が、あっという間だった。
とにかく、感動した。魂を抜かれたような気がした。
息子がどうしてお笑いの世界に入って行ってしまったのかはいまだに謎なのだが、その世界で、自分をぶつけて精一杯頑張り、楽しみ、成長しているのが実感された。
親として間違っているかもしれないが、「これは、留年ぐらいするよなぁ・・・」と心底納得した。
彼の将来の進路に口を出す気は元々なかったし、一方で、「たいてい、フツーのサラリーマンになるんだよ。それだって、今は大変なご時世なんだから」というスタンスでいたのが、「ものを作りたい」という彼の言葉を、まともに、彼の言っている意味通り受け止めよう、と決心した。
父親は「鉄」というものを作っているが、息子は、「面白いものを作りたい」と明言している。
どんなに無謀でも、マスコミなり放送作家なり、彼が「面白いものを作れる」世界に飛び込んで行ってほしい。
朝から家のノアに乗って出かけて大道具を運んだりして1日車を使い、夜、返しに来てそのまま自転車で駅前に「打ち上げ」に出かけた。
そんなことも含めて、西暦2014年12月19日をもって、大内家における反抗期問題は終結したと見なす。
親の役目も実質終わりだ。(まだまだごはんを作ったり洗濯したりはするだろうが)
もう、オトナだ。
本当に、良いものを見せてもらった。
息子にこれほどお礼を言いたい気持ちになったのは初めてだ。
ありがとう。
第2回もやりたい、ということなので、さらに期待して待っている。
蛇足だが、カンパの話を。
終演後、出口でお金を集めていて、私としては1万円ぐらい出して、会場費や打ち上げの費用まで助けてあげたい、と思っていた。
でも、大内くんが2人分として入れたのは「3千円」。
「僕もね、たくさん入れてあげたいな、とは思ったんだ。でも、彼らの舞台にふさわしい、適切な値段を払うことが、彼らに対する誠意だと思った。1人分1500円の値打ちが、充分にあったよ、って意味で、3千円にしておいた」
息子よ、これも親心だ。誰がいくら入れたかなんてわからないだろうけど、硬貨の多い「カンパ箱」に入った3千円の重みを受け止めてくれ。
14年12月20日
昨日の興奮も冷めやらず、朝の5時まで「打ち上げ」をしていた息子は、帰ってきたと思ったら、家のノアを借りて、大学のお笑いサークルの同期たちと箱根旅行に行くと言う。
いちおう聞いてはいたが、その時、
「寝不足で運転はダメ。夜中の2時には帰ること」と条件をつけたのだが、実際ライブを観てしまうと、そのあまりの出来上がりに、
「これは、打ち上げないわけにはいかないだろう。朝までずっと打ち上げてればいいよ。車の運転は、他の人にやってもらえばいいんだから」と親の方がぐにゃぐにゃになっちゃって、という結果が「5時までの打ち上げ」だったわけで。
だってさぁ、本当にすごかったんだよ。我々は、いまだに放心状態だよ。
さて、帰ってきたはいいが、車には大道具が積みっぱなしだ。
これでは旅行に行けないので、いったんおろして、家の前のポーチに積み上げ、息子はよろよろとノアで出かけた。
手伝わされた大内くんとしては釈然としないものがあるらしいが、「いいもの見せてもらった」んだから、いいじゃん。
湯河原に行くと言っていたので、温泉旅行だね。
しかし息子もバカと言うか、そんなにキチキチにスケジュール入れなくても、今日はゆっくり片づけをしたり余韻に浸ったりすればいいのに。
若い人は、本当にせっかちだね。短い時間で生きている
こっちが「象時間」だったら向こうは「蟻時間」だ。
午後になって、心配になったのでライン入れてみた。
「あなたも車も、無事?」
しばらくしてレスが来た。
「無事。運転してないし」
そうか、言いつけどおり、ドライバーは人に替わってもらったか。
暗雲にわかに立ち込めてきたのはそれから1時間ぐらいたってから。
ツイッター見てたら、
「○○が警察に捕まった。大内がいない間に、大内の家の車の番号、警察に控えらえた」とサークルのメンバーが書き込みしてるのだ!何をやらかしたのか?!
そこへ、息子から電話がかかってきた。
「車検証、って、どこ?」
そんなことも知らんで運転してるのか。
「ダッシュボードの中に、ファイルみたいなのが入ってて、そこにあるよ。どうしたの?」
「車がぼこぼこなんで、警察に捕まったらしい」
???
とりあえず事故ではないことを確かめつつ、よく話を聞いてみたら、
・息子が宿で休んでるかなんか、いない状態
・昼ごはんを食べていた食堂の駐車場
・隣の車が「ぶつけられてへこんだ」と言い出した
・警察が来て調べたら、うちの車がぶつけたわけではなかった
・しかし、なにせ酷使されてへこみまくってる車
・乗ってるのは若いのばっかり
・車検証見せて、と言ってもすぐには対応できない
というわけで、「これはアヤシイ」と取り調べを受けた、と。
大した問題ではなかったのでよかったが、やはり、コドモに家の車を使わせると緊張するね。
ま、それ以外は問題なく旅を楽しみ、息子ものんびりできたようでよかった。
明日、ちゃんと帰ってきてよ。
「遠足は、家に帰るまでが遠足です」だし、「無事これ名馬」だよ!
14年12月21日
日中、息子や警察から電話がかかって来ることもなく過ぎて、夜、申告通りの時間までにちゃんと帰ってきた。
よしよし。
こういうことが蓄積されると、家の「第3のオトナ」としてスケジュールを融通し合って一緒に車を使う、ってことになるんだろうね。
それにしてもいいライブだったなぁ。
デジカメで撮っていた画像は1時間ぐらいで電源切れになってしまったので途中までだが、ICレコーダーを持っていたので、音だけは全部聴ける。
舞台の様子は、映像記憶力の悪い私にしてはしっかり脳裏に焼きついているし。
これだけの経験をしちゃうと、「ものを作る喜び」みたいなものにずっぽり足を取られて、抜け出しにくいよね。
我々は学生時代マンガを描いていたわけだが、自分の考えたことがペンと墨汁で形になり、それにスクリーントーン貼ったりベタ塗ったりするとにわかに立派に思えてくるし、写植貼って製本し、同人誌にしてみると、ますますそれっぽいと言うか、大したものに見えたもんだ。
家でちらっと顔を合わせただけで旅行に行ったり寝てしまったりした息子からは何にも聞けなかったが、
「すごくよかったよ!感心した!」と賛辞はふりまいておいた。
またやる気になってくれたら、嬉しい。
ちなみに、息子は留年が確定してるが、相方の日芸の子も留年なんだって。
2人で、5年間もお笑いやれるね!
14年12月22日
過去はふり捨て、未来を見つめなければならない。
という感じで、今朝は家の前に置いてあった大道具を片づけて、車に積み込み、メンバーのひと組が在籍する「学芸大」のサークル室に置かせてもらうため、運んで行った。
車使われるのも、慣れちゃった感があるなぁ。
息子の、「ワン・ナイト・ステージ」の痕跡が去ってしまった。
ちょっと寂しい。
息子自身は、車のキーを返しに来たと思ったらまた出かけちゃったし。
今までも、家を出ると帰ってこない鉄砲玉だったが、今回からのこれは、すでに「巣立ち」の感がある。
頑張ったもんね。
150人入る小ホールをいっぱいにして、2時間釘づけにしたよ。
もっとも、これに関しては、7人のメンバーが20人ずつ知り合いに動員かければ達成できちゃうし、実際、内情はそんなもんだろうが。
評判を聞きつけてわざわざ誰かがやって来るとか、駅前を歩いてる人を勧誘して観に来てもらうわけでもないし。
ま、そうだとしても立派なもんだった。
親はまだ夢心地。いつ覚めるんだろう。
14年12月23日
会社関係等で忙しい大内くんと違い、私には年にひとつの忘年会しかない。
保育園くじら組で一緒に卒園式を迎え、その後も中学校までともに過ごしたお母さん仲間たちとの会だ。
黒一点の大内くんを含む7人のお母さんたちが集まった。
私は今日、みんなに聞きたいことがあったんだよね。
健康に関することだ。
この半年ぐらい、顔や上半身にむやみに汗をかくわりに、手足の先は冷える。
めまいもする。
これって、もしかして「更年期障害」?!
だとしたら、いい病院、ない?
と、ぶちまけたら、皆の意見は、
「それは更年期障害」
「だが、評判のいい医院は混む」
「治療してもしなくても、あんまり変わんなかった」という感じ。
なので、私も自然に収まるまでほっとこうと思うに至ったわけだが、かわいそうなのは大内くんで、みんな、彼がいることを忘れて、
「あたし、まだ生理あるもん」
「えー、すごい!私はもうあがっちゃったわよ〜」などの会話が飛び交い、途中で誰かがはたと気づき、
「ちょっとぉ、大内さんのダンナさん、いるじゃない!無視しちゃって、もう!」と笑いの渦。
「いえいえ、いいんです。そのぐらい無害に思っていただいた方が」と大内くんも笑っていた。
もう、「名誉お母さん」だね。
あとはまあ、それぞれのコドモが月に1万5千円のおこづかいでやりくりしている(「バイト?してないわよ〜。大学まで往復5時間かかるから、遊んでるヒマがないのよ〜)とか、もう美容師さんとして働き始めているがまだ髪の毛は切らせてもらえないとか、高校中退してどうするつもりかと思ったら高卒の資格は取って公務員目指して勉強し、どうやら内定が取れそうだ、とか、いろんな話。
息子のライブのために作ったフライヤー(チラシ)が余りまくっていたので(こういうとこも、バカ。必要枚数だけ刷れ)、お母さんたちに配った。
もう終わったライブに関するフライヤーなんかもらってもしょうがないだろうけど、まあ、帰って息子の幼なじみであるコドモたちに見せてやってくれ。
「次は、やる前に教えてよね。見に行くから!」とお叱りを受けたのもありがたいことでございます。
ちなみに私が、
「こ〜んな顔でやってんの」と息子の顔真似をしたら、フライヤーの写真と見比べて、
「そっくり〜!お母さん、似てる〜!」とむちゃくちゃ受けてしまった。ある意味、当たり前なんだが。
そんなふうに楽しく2時間半が過ぎて、外に出たら、寒い寒い!
もう1軒行く勢いのお母さんたちと別れ、我々は自転車で家に帰った。
私の体力が持たないんだよね。
昔は、夜中の2時にジョナサンで3次会、なんてこともできたのだが・
とりあえず、更年期障害は気にしない。
変形性ひざ関節炎については特に意見がなかった。
胃カメラは、やはり普通のとこでは「おえっ」となって、とても苦しいらしい。
めったに人に会わずに過ごしている私の、貴重な情報源だ。
来年も、どうぞよろしく。お互い元気に過ごしましょう。
14年12月25日
昨日は息子が外泊。
イブだから?と勢い込んでいたら、ラインによれば別の友達のとこに泊まってるらしい。
「明日は帰るよ」って、明日、独り暮らしのカノジョのとこに泊まんなくてどうするの!
「クリぼっち」(クリスマスに、ひとりぼっち)という単語を覚えたばかりの私は、使ってみたいぞ、その言葉。
でも、やっぱりクリスマスだからなのか、
「明日、車借りていい?」と言ってきた。
「父さんに聞いてみないとわからないけど、多分大丈夫だよ。カノジョ?」
「うん」
「クリスマス・デートだ!」
「そう」
なかなかやるじゃん。
んでもって、大内くんは昨日から大阪に泊まりの出張なんだよね。
夜、電話かかってきたので、車のことを確認しておく。
「まあ、彼もずいぶん1人で運転するのに慣れてきたから、いいんじゃないの?夜、あんまり遅くならないように言っておいて」とだけ注意された。
ちゃんと言っといたよ。
というわけで、今朝、大内くんのいない家から車で出かけた息子、江の島に行くことにしたらしい。
デートのダンドリは男の子の腕の見せ所だ、頑張ってくれ!
クリスマス・プレゼントも用意してあるの、知ってるよ。
つーか、私がアマゾンで注文させられたんだもん。お金はバイト料で払う、って言ってたけど、もうおこづかい借金が120万超えてるんだよね。
サラリーマンになったら、ボーナスで返してもらうよ!
ところがところが、油断大敵、世の中何があるかわからない。
昼過ぎに息子から電話がかかってきた。
「オカマ掘った」
追突事故を起こしたってこと!?
すぐに、もう朝のうちに東京に戻っていた大内くんに連絡し、保険会社とのことや事故証明の件など、息子に直接電話してもらった。
だらしないけど、コトが事故ともなると、私の手には少々余るのだ。
おおかた片づいた時点で連絡をもらったが、どうやら、
「駐車場でゆっくり前進した時に、前の車に軽くぶつけた」程度の事故で、ケガ人も出てないし、軽微なものであるらしい。
ほっと胸をなでおろしつつ、カノジョの前で事故起こして、おろおろと親に連絡してるとこなんか見られちゃって、気の毒だなぁ、と思ったよ。
出かける前に、
「27日の土曜も車借りていいかな。カノジョが帰省するのを送って行く」と言っていた。
実家は埼玉の本庄だ。そう遠くはない。ドライブに最適だろう。
「あなたは、実家に挨拶に行くの?」
「いンや、送って行くだけで、親とかには会わずに帰るよ」と言うが、こういう機会にご挨拶しておかなきゃダメじゃん!
帰ってきた大内くんと、
「いや〜、びっくりしたね〜」と言い合いつつ、あさってにも車を借りたいと言っている、と伝えると、少し怖い顔になって、
「1週間ぐらいの『家庭内謹慎』を言い渡すつもりだったんだけどね」と言う。
「まあ、いいじゃない。これで、彼も慎重になるよ。ドライバーは、事故を起こして初めて運転がわかるんだよ。ちょっとした事故でひやっとする、ってのが一番ありがたいよ」と説得して、やっと許可がもらえた。
ところが、予定時刻の9時を過ぎます、すみません、と何度かラインを入れつつ11時に帰ってきた息子から聞くと、ずいぶん様子が違う。
相手がヤクザとまでは言わないが、けっこう「怖い人」だったらしく、
「オレ、ぶつけたのも気がつかないぐらい、バンパーが軽く当たっただけなんだよ。でも、『痛ってぇなあ!』って言って来てさ、病院行くって、言ってた」としょげている。
「まあ、あとは保険会社にまかせておけばいいから。もしかしたら病院にお見舞いに行かなきゃ、なんてことになるかもしれないけど、多分、それほどのケガはしてないと思うよ」と大内くんが慰める。
「大きな声じゃ言えないけど、父さんも母さんもけっこう派手な事故やってるんだよ。父さん、バイクの人とぶつかって怪我させて、お見舞いに行ったよ。母さんなんか、ホンモノのヤクザのオカマ掘ってさ、相手が難癖つけてきて大変だったんだけど、覚せい剤で捕まってくれたから、逮捕されてる警察署で示談
したんだよ」
うん、確かにその通りだ。若気の至りとは言え、今、こうして無事でいられるのは本当に運が良かった。
「で、土曜日どうするの?車、使う?」と聞くと、息子はぷるぷると首を横に振る。
「もういい。車はやんなった。電車で送って行く」
ちょっと、吹き出しそうになっちゃったよ。
当たり前だけど、今はあんまり運転したくないだろうね。
事故の件が片づくまでは少し気分が悪いだろうけど、まあ、いずれ終わるよ。
車も、また今度、親がいるとこで練習したらいいよ。
「カノジョからの評価が下がったかな?」
「ンなことねーよ」
じゃあ、いいじゃん!
14年12月27日
今年は曜日めぐりがよくって、土曜から翌週日曜まで、9日間のお休みがいただける。
第1日目は、はりきって吉祥寺に行き、落として壊したiPhoneを直しがてら、タイ料理を食べたあとで、スポーツジムに行って大内くんは水泳、私は水中ウォーキングで運動。
充実した休暇の始まりを予想させる。
(iPhoneの保証をつけていなかったので、全とっかえ、3万円以上もかかったこと、そのあとの設定が大変
だったことなどは言うまい)
明日からはお正月の準備もしなければならない。
全く、どうして年末というヤツはこう多忙感があるのだろう。
ずうぅっとテレビを見ておでんをつつく、というわけにはいかないのだろうか。
我が家のお正月が多忙なのは、多分に、お休みになった大内くんが「家の中のいらないものを捨てて片づけようとする」からだと思われる。
そういうことはもっと寒くない、GWなどにやればいいと思うのだが、興が乗ればガラス窓まで磨いちゃう人にはかける言葉がない。
明日は息子がコミケのバイトだ。
朝4時半に起きて始発で出かけると言うから、大内くんが「起こしてあげよう」と密かに思っていたにもかかわらず、夜の9時頃に、急に、
「カノジョのとこ行くわ。そこからコミケ行く」と立上るやいなや出かけてしまった。
嵐のように消えて立ち去った息子のあとには、我々がボーゼン。
これもまた、成長か。
14年12月28日
昨日の運動がたたって、今日は2人ともちょっと「腰をいわせちゃう寸前」。
なるべく静かに過ごす。
何事もあんまり張り切ってやりまくるのはよくないと思った。
たまったテレビを見て、本を自炊して、少し口げんかをして、おおむね平和に過ごした。
「老後って、どんな感じだろう」
「こういう日が、ずうっと続くのかねぇ。身体と頭は段々老化しつつ」
いかん、あまり明るい見通しではない。
もうちょっとバラ色の未来を夢見よう。
まったく、ヒマだとろくなことを考えない。
「小人閑居して不善を成す」には、こういうことも含まれるのだろうか。
14年12月30日
今日は、正月の買い物をしつつ、基本はごろごろ。
夜には「レコ大」をだらだら見る楽しみもあるし。
「アメトーク見ちゃダメ?」という息子のリクエストは、気の毒だが却下だ。
お笑いも見なくはないが、年末年始は、基本1年間の歌謡事情をキャッチアップする好機なので。
あいさつ回りも終わったし、開けて2日の、お客さん1人の「小さな小さな新年会」の買い物もしたし、明日は大内くんが張り切って「おでん」を作ろうとしている。
私は「タラモサラダ」と「牛肉のたたき」ぐらいかな。
そう言えば息子に、
「あの牛肉、作んのかよ」とぶっきらぼうに聞かれた。
彼は、年に1度、お節料理にしか作らないこの「たたき」が大好物なのだ。
あまりに好きなので不憫になって、
「お正月以外にも、普段のおかずに作ろうか?」と聞いてみたことがあるけど、
「いい。特別な料理だから」と凛々しい答えが返ってきた。
今年も、目玉が飛び出るような和牛肩ブロック肉を800g買って、レモンの代りに、知人からいただいてたくさんある「シークワーサー」を使って作ってみようと思う。
うちのお節は種類が少ない。
伝統的なものなど皆無だ。
でも、みんなが好きなぜいたく品をいろいろ作ってパーティー気分で楽しんでいるので、悪い事ではあるまい、と思う。
14年12月31日
天ぷらも買った、おそばも買った。
後はちょっと家を片づけて、紅白に備えて過ごそう。
もう年末年始の休みも折り返しで、半分を過ごしてしまったか。
つくづく、大内くんが思うさまのんびりできる日々が待ち遠しい。
でも、まだもうしばらく頑張ってもらわないとね。
お鏡餅と一緒におがんどくから、来年も元気に働いてください。
今はとりあえず、のんびりモードね。
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