15年1月1日

あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします。

吉例に従い、去年の様子から。

14年12月30日

大内くんは、しないと言っていた大掃除を結局始めてしまい、家中からずいぶん多くのモノを有無を言わさずゴミ袋に突っ込んでベランダに出した。
誇張でなく、20個ぐらいあったと思う。
私に相談すると捨てさせてもらえないので、極秘にやった部分も多いらしい。
どうせ私はゴミ屋敷に住む「捨てられない女」ですよ。
確かに家は片づいたし。

買い出しに出かけ、スーパーでおでんの材料を、八百屋で野菜を買ったあと、駅前で例年のように「たたき用の牛肉」と「タラモサラダ用のたらこ」を買う。
どちらも「おせち料理」として息子からかなり期待されてるので、高いが省略できないのだ。

そのあと、お酒を2本買って、年末のあいさつ回りをすませてしまう。
1本は「おばちゃん」こと、息子が小さい頃からお世話になってるシッターさんちに。
こないだ「田舎から送ってきたから」といただいたお米が死ぬほどおいしかった件を、たっぷりと語っておく。
実際、つやといい味わいといい、普通のお米とは全然違う。
農家の人が自分たち用に作ってるお米は、こんなにおいしいものなのだろうか。
今度、入手ルートを教えてもらいたいものだ。

もう1本は、息子が高3まで通っていた塾に。
定年後はこの塾で講師のバイトをしたい、という野望を持っていて、今からもう特別講習の時はお声がかかる大内くんだが、今年は冬季講習に呼ばれなかったので、少し心配になったらしい。
あいにく年末最後の授業中だったようで塾長には会えなかったが、ナンバー3の講師の先生に渡しておく。
年末打ち上げの時にでも使ってください。

こうして暮れの用事がだんだん片づいていく。
何もかもさっぱり終えて、気がかりのない新年を迎えたいものだ。
レコ大を見て、年末感はいやがおうにも高まってゆく。

14年12月31日

無事に大みそかにたどり着き、大内くんはおでんの仕込みを、私はその他の我が家のおせち料理とお雑煮の下ごしらえ。
そのあと、年越しそば用の天ぷらを買いに行って、今年の用事はほぼ終わり。あとはおそばを食べるだけになって、のんびり紅白を見る。
大トリが松田聖子でいいのかとか、まあ、和田アキ子よりはよかろうとか、福山雅治はあいかわらず地方からの中継だなぁとか、中島みゆきはNHKまでは来ても紅白のホールには来たくないようだとか、全然ヒットのない中森明菜がなぜ出場、レコーディングぐらい予定変えてちゃんと日本にいろとか、実にいろんなことを考える。

外出していて夕食には帰ると言っていた息子は、急に思い立ったのか、
「新宿で『攻殻機動隊』の4部連続上映をやってるので、夜中まで帰らない」とラインを入れてきた。
白組に投票し勝ちを見届けてからの年越しそばも、2人きり。
除夜の鐘が鳴って1時間ぐらいしたら、息子からまたライン。
「すごくよかった。ぶらぶら散歩とかして過ごしたいから、もうしばらく帰らない」
「お雑煮は?何時ごろ起こしていい?」
「10時頃」

彼と21年暮らして、11時過ぎから1時ぐらいまで「2年参り」に行って一緒に年越ししなかったことは何度かあるが、こうも完全に不在のまま新年を迎えるのは初めてだ。
これも成長か。
唯生も3回目の外泊できないお正月で、寂しいけど、だんだんこうやってコドモ抜きで過ごすようになるんだろうなぁ。

寒いので夜中の初詣はやめておいて、いろいろ話をしたりさだまさしの顔を見たりしながら2時ごろ寝た。
息子はまだ帰らないのかなぁ。

15年1月1日

「あけましておめでとう!」と9時頃起きても、息子のベッドは空だった。
「成田山に初詣に来てるから、何時に帰るかわかんない」と連絡が。
「何をお祈りした?」
「いいコント書けますように、って」というやり取りを経て、大内くんと2人きりで、お雑煮とスモークサーモンと牛肉のたたきというお祝いごはんを食べる。

初詣は省略。
唯生に会いに行く。
病棟はいつものように静かでおだやかだ。
重度のオトナばかりなので、お正月に帰宅する人はほとんどいないように見える。
ベッドサイドに座り、腸ろうから栄養液の昼ごはんを入れている唯生の手を握って、しばらく過ごした。
雪がちらついていたので、やや短めの面会となったが、今年も元気にニコニコして暮らしてほしい。

息子が帰ってきたのは夜も遅くなってから。
ほとんど寝てないらしい。若いなぁ。
「お雑煮、食べたいから、今度作って」と頼まれる。
三つ葉、全部使っちゃったじゃないか。買ってこなきゃ。
明日も朝からいないそうで、彼が家でお雑煮を祝えるのはいつになるのか。

15年1月2日

友人女性を招いて、「小さな小さな新年会」。
もう1人、マンガ家の友達に声をかけていて、4人で「小さな新年会」をやろうと思っていたのだが、どうやら仕事が忙しいようで、数日前に、
「ごめんなさい!行けません」と連絡が来た。
頭書の友人と連絡を取り、最小規模でもいいからのんびりした新年会をしよう、ということになって、午後3時半ごろ、シャンパンとケーキを持って、訪ねてきてくれた。

息子は病院の夜勤のバイトがあるので飲めないそうだし、しばらく同席して軽い夕食を食べたら、1時間もたたないうちに離脱して出かけてしまった。

今回のメニューは、
・スモークサーモン
・タラモサラダ
・牛肉のたたき
・生春巻き
・おでん

であった。毎年変わらないうえに、今年は本当に簡略版だ。

9時頃にお客さんが帰り、大内くんと2人で、
「楽しかったけど、息子は正月早々あんまり家にいないし、ちょっと寂しいね」と言いつつ寝る。
9連休もあったのに、もうあと2日か!と驚いてるよ。

15年1月3日

朝一番で隣町のイトーヨーカドーに行って、息子のために服の福袋を買う。
去年はハッシュパピーだったけど、今年はプレイボーイ。ちょっとオトナに昇格かな?

家に戻ると、バイト明けの息子が帰っていた。
「あ、福袋、わざわざ買って来てくれたの?ありがと」と、やや嬉しそうに袋を開けて、シャツ、セーター、ジャケットを取り出していたが、
「え?女物?」と言うのは、セーターが赤いからだね。
なんだか「いやいやえん」の精神状態から成長してないように思える。
キミは色白だから、赤も似合うと思うよ。

ついでにスーパーで買ってきた三つ葉を使って、やっと息子にお雑煮を食べさせることができた。
食べ終えたらさっそく買ってもらったばかりの服のセットを着こんで出かけてしまった。

毎年楽しみにしているテレビ番組、「芸能人格付けチェック」を観る。
今年もGACKTさまは全面勝利。
でも、彼の相方になる人はいやだろうなぁ。
今年はゴールデンボンバーの鬼龍院翔が後輩として駆り出されていたが、GACKTさまの連勝記録に土をつけるかも!ってかわいそうなぐらいビビってた。

もう、高見沢さま呼んで、「チームアーティスト」でやってくれ。
あの人は、間違えそうだが気にしない気がする。
そして、高島政信には来年もぜひ来てほしい。間違え方がハンパないから。

15年1月4日

大内くんのお正月休み最後の日。
買い物に行き、おでんを食べ切り、お笑いを観て過ごす。

去年イタリアでくたびれたので、今年は1年かけてゆっくり体調を整える年にしたい。
というわけで昼寝しよう。
今、家で元気なのは息子ぐらいじゃあるまいか。
年末、コミケで稼いだバイト料をパチンコで増やしたのか、外出が多いわりにはおこづかいの請求がない。
それはそれで心配だ。
彼の今年の目標は、「単位を取ることとパチンコをやめること」にしてもらいたい。

15年1月5日

「惑星直列の影響で地球が一時的に無重力になり、日本時間の深夜2時47分にジャンプすると『3秒ぐらい宙に浮いていられる』そうだ」とツイッターで聞き込んだ息子が、
「オレ、ちょっと試してくる」と夜中の2時40分ごろにわざわざ着替えて出かけて行った。
しばらくしたら戻ってきたが、
「ガセだった」と肩を落としていた。

若いって、いいなぁ、と思った。

息子がそんなバカなことをしているとは知らないで一生懸命寝ていた大内くんは、お休みが終わり、初出勤だ。
「仕事、できるかなぁ。忘れちゃってないかなぁ」と心配そうに出かけたが、
「けっこうくたびれたけど、さすがに25年もやってるから、身体が仕事を覚えていてなんとかなった」と定時に帰宅。

息子がステーキを食べたいと言うので買いに行ったのに、
「用事ができたので、ステーキは帰ってから食べます」を経て、結局、
「ごめん、夕食、食べちゃった」と連絡を入れながら帰ってきた。
連絡を入れるだけ、学生時代の大内くんよりはるかにマシだ。ケータイの恩寵か。

「東西お笑い寄席」を録り忘れていた。ガックリ。
「これだけいっぱいお正月番組を録画予約してたら、忘れるのもあるよ。すぐにYouTubeで観られるようになるだろうし」と慰められた。
この便利な娯楽社会について行くのは、非常なテクノストレスを呼ぶ。
今年は「市民パソコン講座」にでも行こうかしらん。

15年1月8日

今日から大学が始まる。
昼からの授業なのでなんとか出かけてくれた。
キビシイのは、金曜の1限(朝9時から)の語学の授業だ。
これ落とすと、また留年しちゃうよ。
1月末に試験があるので、そこまでは、朝起こしてやるつもり。
一時、自分で起きられた時期もあるのだが、うっかり起こしてしまったある日から、また親に頼るようになってしまった。
でも、キレイ事言ってる場合じゃない。卒業がかかってるんだ。

大内くんの会社生活も、私の引きこもり生活も、元の落ち着きを取り戻しつつあるが、進歩という面では見るべき点はない。
去年のような今年、が待っているだけだ。

とは言え、去年は息子がアメリカに行くわ我々はイタリアに行くわの異常な年だったので、参考にはならんなぁ。
「おととしを思い出して、その通りに暮らす」ということになりそうだ。
あー、それにしてもやる気出ない。
まだ年が明けたばかりの、本来ならフレッシュな気分に満ち満ちているはずの時期なのに。
去年の疲れのせいにしてるが、実は加齢のせいではないかとひそかに疑うほど、夫婦してくたびれている。
中年というのは、こんなにくたびれるものなのだろうか・・・

大内くんより4つ年上の私に届く年賀状には、
「そろそろ先のことを考えなければ、という歳になりました」という書き込みが多かった。
私は引きこもり専業主婦だから60歳になっても何の変化もないが、お勤めの方々は「そろそろ」だよね。
大内くんにも、必ずその「そろそろ」はやってくる。
そうか、私にとってもその時が「そろそろ」なのか。

この間気づいたが、私は、大内くんと同じ部屋にいて別々のことをしている、という時間が苦手だ。
たいてい、何か話しかけてしまう。
この半年ほど、朝の5時頃起きる大内くんを徹夜して待ち、書斎のパソコンで仕事してるのを後ろから見てるのだが、話しかけられてると仕事にならんだろうという当たり前のことにやっと気づき、私は私で本を読むように心がけ始めた。

そしたら、なんか、仲が悪いというか、ケンカしてる最中というか、大内くんが怒ってるような錯覚を起こす。
「怒ってる?」と聞かれた大内くんは驚いて、
「全然!なんでそんなふうに思うの?」と問い返して来た。当然だろう。
「話してないと、怒ってるような気がするの」
「それは、何気なく人といることができない人と、人生の始めの方を一緒に過ごしてきたからだよ。人は、何にもしゃべらなくても、同じ場所にいるだけでいいんだよ」

それ以来、私は大内くんと「ただ、一緒にいる」ということの練習中だ。これが今年の目標か。なかなか難しい。
でも、これができないと、定年後が地獄になるかもしれない。
夫ではなく、妻が「濡れ落ち葉」「ワシ族」になってしまう。
何事も練習だ。こんな練習が必要になるとは思ってなかったが。

15年1月10日

市民プールに行って水中ウォーキングをしようかとも思ったが、3連休の始めで景気いい気分なせいか、タイ料理が食べたくって、吉祥寺までの散歩に切り替える。
今、一番気に入ってるお店、「クルン・サイアム」で、大内くんは「タイスキ」、私は「パッ・タイ」を食べる。

「タイスキ」は、具は肉、野菜、春雨など、日本のすき焼きにも似ていなくはないが、味は全然違う。
オレンジ色の汁の中に具がたっぷり入っていて、辛い。ごはんがついてくる。
「パッ・タイ」は焼きビーフン。エビが入ってる。あんまり辛くはない。
ついてくるスープが、実に何というか、さわやかに辛くて酸っぱい。タイ料理の基本の味だと思う。
何を頼んでも一緒に来る小さな生春巻きもおいしい。

こないだ、女友達に遊びに来てもらって大内くんと3人で「小さな小さな新年会」をやった時、一緒に生春巻きを巻いたが、香菜(シャンツァイ)の香りと市販の「スィート・チリソース」で、かなり本格的な味のものができるのには毎度のことながら感動。
今年は、「カオマンガイ」を家で作れるようになりたいなぁ。
クックパッドとかを見た限りでは、炊飯器に鶏肉とお米その他を入れて炊くだけで、けっこうおいしそうなものができるみたいだ。
頑張ってレパートリーを増やそう。

15年1月11日

このところずっと、知り合いからもらった農家直送のお米5キロを炊いて食べていた。
つやつやしていて、とてもおいしいので喜んでいたら、当たり前だけど米びつの底が見えてきた。
仕方なく、自分で買った「あきたこまち」を食べてみたら。
全然違う。炊きたてごはんの色つやからして違う。
なんとか購入ルートを教えてもらって、自分たちでも買おうか、と真面目に相談している。

「あきたこまち」も充分おいしいお米だったんだよ。安いし。
パンドラの箱を開けちゃったなぁ。
おまけに、今年は夏の始めが涼しかったので、息子の生まれた年の「冷夏、そして米騒動」を思い出し、10キロ袋を4つぐらい買いだめしちゃってる。
まず、これを食べ切らないと新しいお米が買えない。

とりあえず、少しだけ残しておいたおいしいお米を3合炊いて、大内くんと2人、「ごはんパーティー」をした。
ここ20年ぐらい、ダイエットの意味で「ごはんのおかわり禁止」で暮らして来たけど、たまには思いっきりおかわりをしよう、ということで。

おかずは、お米の味を引き立てると我々が思っているものばかり。
豚肉の生姜焼き、明太子、味海苔、キムチ、ふりかけ。
炊飯器をどかっと食卓に乗せ、「ホントにおいしいねー」と言いながらおかわりし、それぞれ3杯食べた。おいしかった。
幸せだ。

唯一、心残りだったのは、1杯ぐらいは「卵かけごはん」でいけばよかった、という点。
食べてる時は思いつかなかったんだよね。
文豪、夏目漱石が3杯食べて「修善寺の大患」を引き起こしたという、伝説のおいしいごはん。
血を吐いて倒れるのは困るが、1杯ぐらいなら。
今度「ごはんパーティー」をすることがあったら、忘れずに食べよう。

15年1月12日

うちには、2年ぐらい前まで、5千冊を超える本やマンガがあった。
そのすべてを「自炊」して今の広々ライフを手に入れたのだけど、この頃ちょっとユウウツなことが。

息子が「本をデータで読むのは好きじゃない」と言い出したのだ。
「マンガは何とか読めるけど、それでも初めて読むマンガ家さんの時とかは紙の本じゃなきゃダメ」
難しい注文をつけてくるねぇ。

「本を読むのは好きだよ。データじゃ読めない、ってだけ。紙の本じゃないと読んだ気がしない。みんなそうだから、電子化は進まないんでしょ」

この言葉を聞いた瞬間は、蔵書を全部自炊したことを、死ぬほど後悔した。
せめて、もう2年待てばよかった。
彼が我々の本棚を眺め、「わー、本がたくさんある」と思い、そのうちの何冊かを手に取るまで待てばよかった。
「今、母さんたちの本棚があったらなぁ、って、思う?」
「うん」
あああああ・・・

頭を抱えて悶絶していたら、大内くんが冷静に説得にかかる。
「息子が本当に本が好きだったら、電子だろうが何だろうが、あるものを手当たり次第に読むよ。えり好みしてる間は、大した読書家でもないよ。そもそも、キミがわざわざ本で買い直した『ソロモンの偽証』も『萬流コピー塾』も読まないじゃない。どっちも、『読んでみたいとは思ってる』って言ってた本なんだよ?あんだけヒマそうにしてて、パチンコばっかり行ってて、週に1冊も本が読めないんだよ?それを『本読むのが好き』?笑っちゃう ね」
「自炊しなかったら、『あぶさん』も『浮浪雲』も『のたり松太郎』も、全部1回読んだらブックオフに持ってくしかなかったんだよ?2人で決めて2人で自炊して、快適に暮らしてるのに、息子がからむと、すぐ裏切り者になるんだからなぁ。正直、僕は情けないよ」

そうだよなぁ・・・最近でこそ「貴志祐介」とかけっこう買って来て読んでるけど、爆発的に増えるってこともないから、あんまり読んでないんだろうなぁ。
そもそも家で本読んでるの見たことないし。
読む、って言うから宮部みゆきの「ソロモンの偽証」文庫で買い直したやつ、データで読みかけのはずなのに、全然手をつける様子ないもんなぁ・・・と、やや冷静に返る私。

たぶん、親の本棚なんてコドモにはそう魅力的には映らないもんだろうし。
お笑いを希求する息子には「萬流コピー塾」ぐらいは読んでおいてほしいし、本人も「気にはなっている」というから文庫版買い直しちゃったけど、こちらも読む気配なし。
それ以外に、私の本棚に並んでいた林真理子や島田壮司や清水義範を、彼が積極的に読んだとも思いにくい。

大内くん、すまんかった!
私は、息子の言葉に心乱れて、あなたを裏切るところだった!
本がないからこそ実現できてる今の、また将来の暮らしを、もっと大切にするよ。
息子には、「毎日1冊読めるようになってから、顔を洗って出直して来い!」って言っとくよ。

どうしてこうも息子に弱いのか、私よ。
「言ってみるだけ」の男であることは充分承知してるつもりなのに。
ダメな男と手を切れない優柔不断な女になったような気分だ。

まあ、大内くんの言うところでは、
「親は、異性のコドモに恋をしている。それ自体はまったくおかしくない。正しく失恋することが大事なんだ」とのことなので、もうちょっとつきあってみます。
結婚式で「重さ3882gのクマのぬいぐるみ(でかい赤ん坊だったんだ、あいつは)」をもらってしまう日まで、私の道ならぬ恋は続くのかもしれない。

15年1月13日

名古屋にいる、高校時代からの女友達と、ライン通話で長電話。1時間半も。
「何年ぐらい会ってないかしら?」
「最後に会ったのが、名古屋で大内くんを一緒に連れてって会った時だから、もう5年にはなるね」
「そんなに!」
引きこもりの私には、とても楽しい時間だった。
正直、外でお酒飲んだりするより、長電話の方が楽しいかもなぁ。

彼女は、本当は明るいのに生真面目で目立たない「いい子」だったから、その明るさを、高校時代には抑圧してるようなとこがあった。
私という、自他ともに認める不良娘とつきあうのは勇気がいっただろうけど、誘われて体育の授業をサボって裏山で昼寝してるとか、彼女的には「1人では絶対にしないだろうこと」をいくつかしてみて、少しは楽しい高校生活になったんじゃないだろうか。

私は、そんな彼女をリードしていい気になってたところもあるんだが、互いに結婚し、コドモを産み育ててみると、何のことはない、彼女の方がよっぽど常識的にたくましく、社会に適応して明るく暮らしている。
短大卒の彼女が就職した会社をしばらくして寿退社した時も、私は4大卒でバリバリ働いていたからなんだかエラそーな気分になっていたが、7年で寿退社した後はずうっと病気療養中。
子育てが一段落してから近所の歯医者さんでパートをし、今では在宅で医療事務の仕事もやっている彼女の方が、引きこもり専業主婦の私よりまったくしっかり働いている。

なので、今ではすっかり頭が上がらない私に、屈託なくいろいろ話してくれるのがとてもありがたい。
共通の友人たちのこと、コドモたちのこと、老化に関する愚痴、何でも素直に言える。
高校時代からそうだったのに、私が肩ひじ張っていたから気づかなかった。
彼女こそ、私の親友と呼べる人だ。

もう、父も母もいない名古屋に私が行くことはないだろうから、彼女が東京に来る用事があったら会おうね、と約束した。
老後には時間がたっぷりあると言われているから、いつか、そんな日も来るだろう。

C子ちゃん、楽しい時間をありがとう。
またラインで話そうね。
高校生の時は照れくさくって言えなかったけど、ずっと友達でいてね。

15年1月14日

去年は「ビシソワーズ」を作れるようになったのが収穫だが、ここ10年ぐらい、レパートリーが激減している。
ほっとくと同じ物ばかり作って食べてしまうのだ。
息子が家でごはんを食べなくなり、夜中に帰ってきてからの「メシ」の要求には、手っ取り早い炒め物を得意とする大内くんが主に対応してるせいも大きい。
私の得意料理は、どちらかというと煮込んだり、オーブンで焼いたりするものが多く、とっさの夜食には対応できないの。しくしく。

おかげで、息子からの「帰ったらなんか食うもんある?」というラインは、私のケータイではなく大内くんの方に来る。
これは、主婦としては相当恥ずかしい状況ではあるまいか。ますますしくしく。

とは言え、急な要求に毎度お応えするのも難しいので、「作り置き」も盛ん。
今週はクリームシチューだ。先週はカレーだった。
問題は、鍋いっぱい作ってしまうのに、息子は3回目ぐらいから食べなくなってしまうこと。
先週も、遅く帰った日に「なんかある?」と聞かれ、「何が食べたい?」と聞き返したら、答えは「カレー以外」。
結局、私は1週間の間に7回もカレーを食べた。大内くんは2回。息子もたぶん2回。
普通、週に2回ぐらいが限度なんでしょうか?

大内くんはかなり「飽きない」方なので本当はもっとカレーを食べてもらってもよかったのだが、連日仕事で遅く、平日に家で夕食を食べたのは1回だけ。
土曜の夜は2人でカレーを食べたし、日曜日のお昼ごはんは「カレーうどん」で、何とか全部のカレーを消費した。

ところで、大内くんが考えるカレーうどんと私が考えるそれは、ずいぶん違う。
おそらく、かけうどんにカレーをかけて食べる大内くん風の方が普通なんだろう。息子もそれを要求するし。
私のカレーうどんは、ゆでたうどんを斜め切りしたネギと一緒に油でざっと炒め、皿に盛って、その上にカレーをかける、という料理。(見た目はある種のパスタのよう)
作ってから7日目(途中で何度か火を通しているので、問題ない)のとろとろの残りカレーに、とてもよく合うと思うし私は大好きなのだが、普通じゃないんだろうなぁ。
ちなみに大内くんはどっちでもいけるそうです。

今夜は珍しく大内くんが寝てから「腹へった」と言われたので、大内くん作のチャーハンの残りと、カブの味噌汁と、明太子と白いごはんという変則的な夜食を食べさせておいた。
クリームシチューは平日の夜のために温存しておきたい。

我が家の料理は決して健康目的で作ってるわけではなかったのに、息子は誰に似たのか、何かというと「野菜食わせろ」と言う。
「野菜炒め」なんて大好きだ。
カップめんのようなものはめったに食べない。若いんだからたまには食べてくれ、と手抜きな私は考えるんだが。
冷凍食品もあまり好きではなさそう。手のかかる男だな。

そろそろ自分で作らんものか、せめて、冷蔵庫に入ってるおかずとか味噌汁、ごはんを温めるぐらい自分でやってくれ、と思っていたところ、こないだ、 深夜に思わぬ光景を見た。
我々が寝てしまった後の出来事で、さすがに親を起こしてまで夜食を作らせる気にはならなかったのか、インスタント・ラーメンを1人で作って食べていたのだ。
「自分でできるんじゃん!」「インスタント・ラーメンも食べられるんじゃん!」と大いに驚き、かつ少々怒った私であるが、息子に直接そう言う勇気はなかった。
ああ、なんてチキン・ハートなんだ!

大内くんに言わせると、私は無用に息子を恐れすぎるのだそうだ。
だって、2年前ぐらいまで、10年間近く、「うるせー、死ね、クソブタ!」って罵られてたんだよ?
いくら反抗期だからって、これが怖くない人がいるだろうか?
今や、「紅茶いれてもらっていい?」などと多少配慮のある口をきくようになった彼に、大喜びでティーバッグで紅茶を淹れ、砂糖を入れ、ミルクまで入れる大サービスぶりの私だが、時々思う。
「大学生って、ティーバッグの紅茶ぐらい淹れられるよね?」
でもやっぱり言えない。どこまでもチキン・ハートの私。

15年1月16日

明日は、大内くんとの共通の友人たち、大学のマンガクラブの面々を呼んでの「新年会」。
例年だと12月頭に「クリスマス・パーティー」をやってしまい、新年会は特に行われないのだけど、去年は、前々日ぐらいに息子のインフルエンザ、私のぎっくり腰、食器洗い機の故障のそろい踏みになってしまったので、申し訳ないがドタキャンさせてもらったのだ。
代りに企画したのが、今回の「新年会」というわけ。

フタを開けてみたら、皆さん年末より年始の方が少しは時間が取れるのか、招待した人全員がOKという返事で、本当に全員来たら、我々入れて14人という大所帯のパーティーになる予定。
(その後、よんどころない事情で2名が欠席と判明。12人かぁ)

楽しみだが、キンチョーする。
人と会う時はいつもそうだ。
まして、自分が主催するホームパーティーとなれば、お客さんは時間通りに来てくれるだろうか、飲み物・食べ物は足りるだろうか、話に入れなくてつまんなそうな人はいないだろうか、酔っぱらい過ぎて気分悪くなってる人は出ないだろうか等々、心配のタネは限りない。

大内くんは、そんな私をいつも笑う。
「世界は、キミの双肩に乗ってはいないよ。もっと気楽に構えたら?」
それができれば苦労はないです、ハイ。
粛々とお料理作って、明日を待ちます。

15年1月17日

去年の暮れにやるはずだった恒例の「クリスマス・パーティー@大内家」が、息子のインフルエンザで中止になったので、代わりに今日の「新年会」。
10人のお客さんが来て、我々を入れて12人の集まりだ。

朝から家を掃除したりお料理を作ったりして忙しく過ごす。
大内くん曰く、
「お客さんが来ないと、家がキレイにならない」。
そのとおりです。
少なくともリビングとキッチンは片づけておかないと。

大内くんはサラダとハヤシライスを作り、私はタンドリー・チキンを焼き、タラモサラダを作る。
年末か年始のこの機会と、たいがい5月に大内くんが招集かけてる「休日講座」という勉強会の時だけは、家がいっぱいになるほどお客さんが来るんだよね。
大内くんの大学のマンガクラブのつきあいなので、私だけ3つから5つほど年上だ。
それでも30年ぐらい前には毎週のように渋谷や下北沢で飲んでいた、気のおけない仲間たちです。

定刻の4時より、少し早くお客さん第1号が来た。
ゲームデザイナーを生業とする、大内くんより1コ先輩の男性。
昔は必ずと言っていいほど時間には遅れていたし、忘れてすっぽかすことでも人後に落ちなかった彼が、今ではお誘いのメールに誰よりも早く返事を し、時間にもパンクチュアルになった。
人間、変われば変わるもんだ。

そのあとはもう、五月雨式に次々とお客さんが登場し、我が家のチャイムは鳴りっぱなし。
「30分ぐらい遅れる」と連絡があった夫婦者以外の全員が、4時15分頃には集結していた。
みんな、オトナになったねぇ。

持ち寄り制でお願いしてるので、各人お酒や食料をいろいろ持って来てくれる。
特に今年は、持ち寄り物資の事前申告ではお酒類が多く、食べ物が不足するのではないかという恐れから、私が、
「食糧歓迎!」のメールを送ったので、ほぼ全員が、お酒以外にもつまみを買ったり自宅から持ってきたりしてくれた。
「余るかも!」と一気に逆向きの心配を始める私は、念頭に誓った「今年は気苦労をやめる」という目標がまったく守れていない。

すごかったのは、日銀に勤める男性がコストコで買って来てくれたという、冷凍ピッツァ。
直径が、40センチぐらいあった。ピザーラのLサイズよりでかかったと思う。
半分に切ったら何とかオーブンに入ったので、2回に分けて出す。

お客さんが数人増えるたびに「とりあえず」のビールや「もう開けちゃっていいですかね?」のワインで乾杯していたので、遅れた夫婦者が到着し、ソムリエ並みのワイン通である男性が持って来てくれたシャンパーニュを開けて最終的に「新年、おめでとう!今年もよろしく!」とグラスを掲げたのは、4回目ぐらいの乾杯だったと思う。

そのあとは全員で、、ひたすら飲んで、食べた。おしゃべりも山ほどした。
食卓のまわりだけでは8人が限界だったので、4人がソファコーナーに行って話してた。
12人が座れるほどのでかいテーブルだったらよかったのに。

私は隣に座った5歳年下の工学部博士と子育てについて話し合っていたが、開始2時間ほどで所用あってお先に失礼、といいながらソファ組が1人抜けたので、
「よし、社交しよう!」と博士を誘って、ソファ組に参加。

博士に、
「息子が、私のこと、面白くないからって評価してくれない」と愚痴をこぼしたら、
「あなたが、彼から見ると面白くないんですか?僕は、彼の年頃からあなたを知ってますが、こんな面白い人はいない、って言うぐらい、面白いと思ってきたんですが」と太鼓判を押してくれた。
いいなぁ、古い友達って。

ワイン通が持って来てくれたワインが、何だかものすごく価値のあるもんだったらしい。
みんな、「うお〜!」って言ってた。
私はワイン音痴なので、貴重なワインを味のわからん人間が飲んでも無駄だろう、と思って飲まなかったのだが、皆さんは盛り上がっていた。
みんな、いつの間にそんなにワインが好きになったんだ。
30年前は、ウィスキーと焼酎で充分だったじゃないか!

大内くんも加わっているテーブル組では、広島出身者が3人もいたせいか、野球の話でもちきりだったようだ。
広島の人にとって、今、「黒田」っていうのはとってもスペシャルな言葉のようだね。

2時間後に、テーブル組の1人が、
「完全に酔っ払ったので、お先に失礼します」と言って離脱して行った。
役所のエラい人である彼は、一昨日ぐらいまですごく大きな仕事を抱えていたらしい。
それが終わったんで、
「今日はもう、1人勝手に打ち上げみたいなもんです。ありがとう!」と言いながら、ふらふらと退場したよ。
お役人も、大変だね。

そのあと1時間ぐらい飲んだだろうか、10時近くなったので、「そろそろ」と散会にする。
潮が引くようにお客さんが全員「どうも〜」「お世話になりました〜」「今年もよろしく〜」などと言いながら帰るのを見送ってから、大内くんと2人、大奮闘。
ワインと日本酒の空き瓶を片づけ、料理の残りを集め、テーブルクロスを洗濯し、ゴミをまとめ、食器とグラスを洗う。
30分ほどで片づいたので、お風呂に入り、
「ふわ〜、くたびれた。でも、お客さんは楽しいね!」と言いながら、寝る支度。
息子はカノジョのとこに泊まるらしく、「帰らない」とラインが入っている。

6時間近く、よく食べよく飲みよくしゃべった。
あれだけいっぱいあったおつまみや大鍋いっぱいのハヤシライスも、ほとんどなくなってしまった。
人数、というのはオソロシイものだ。

「クリスマス・パーティーもいいけど、新年会も面白いね。年末は忙しい人も多いし、今年の暮れに声かけて集まりが悪かったら、また新年会にしてみようか」と話し合う。
本当に楽しかった。
30年以上のつきあいになるこの友人たちと、また集まって騒ぎたい。

15年1月18日

SF作家の平井和正が亡くなった、という訃報をネットで見る。享年76歳、病死。
ちょっとショックだった。

中学生の頃から「ウルフガイ・シリーズ」等でお世話になった作家さんで、私の人生に大きく影響を与えた人だ、と言っても過言ではない。

「ウルフガイ・シリーズ」の第1作である「狼の紋章」を読んでボーっとなってた中2の時、3年生の教室の前を通ったら、ロッカーの前に置かれた 「学級文庫」らしき本の中に、続編の「狼の怨歌」があったのだ。
すぐさまその教室に入り、本の持ち主を尋ね、貸してもらえないだろうか、と交渉した。
その相手が、のちに私が初めてつきあったカレシ、ということになるとは、その時は知らなかった。
中坊のことで、1年ほどで別れてしまったが、博識で読書家の彼からずいぶんいろんなことを教わった。

「超革命的中学生集団」を読んだ時には、似たような内容の小説もどきを書き始め、主人公の名前が「木田真」通称キダシンであったことから、大学時代にマンガクラブに入って同人誌に描く際のペンネームが「木田真」になる、というようなことも、やはりその当時は知らなかった。

「超革中」のあとがきで、登場人物であるヨコジュンや鏡明がSF作家と共に喫茶店に集まる「一の日会」の存在を知り、
「東京に行けば、こういう人たちに会えるんだ!」と衝撃を受け、何としても東京の大学に行きたい、と思い始めたのもその頃。
夢がかなって上京する頃には、もうそういったファンの集いは消え失せていたし、私はどちらかと言えばマンガの方に走っていたので、ついに平井和正に会うことはかなわなかったが、彼の作品に出会っていなければ、私はまだ名古屋にいたかもしれず、大内くんとも会えずに終わっていたかもしれな い。
そんな意味でも、本当に私の人生を変えた人だった。

その後、「幻魔大戦」がかたよった宗教色を帯びてきてついていけなくなるまで、筒井康隆と並んで、大好きな作家さんだった。
20年ほど前だろうか、花見をしに自分の大学を訪れた時、掲示板に彼の講演のポスターが貼ってあるのを見つけた。
「光の大天使ミカエルの再来」である、さる宗教団体の広告塔の女性を紹介する講演だった。
なんだか寂しくなった覚えがある。

だんだん、広い意味で「お世話になった人たち」が亡くなる。
自分たちも歳を取った、ということだろう。
大内くんは大内くんで、初代の五右衛門の声をやった声優の大塚周雄が亡くなった、と言ってふさいでいる。
今は亡き名古屋の母が、よく新聞紙の上にかがみこんで、
「あらー、あの人も亡くなっちゃったわ―」と言っていた高校時代を思い出す。

平井さん、いろいろありがとうございました。
大天使のもとへ行かれたのでしょうか。
みな、死後はそれぞれが奉じる神のところで永遠に平和に暮らすことを信じて、ご冥福をお祈りします。

15年1月19日

宴会から一足先に帰った総務省役人から、宴たけなわの時に電話がかかってきた。
「ケータイをどこかで失くした。お宅にないか?」という問い合わせ。
とりあえず、そのケータイにかけてもらって、こっち側で音を頼りに探してみるも、どこからも何の音も聞こえないし、
「彼が、ケータイを出しているのは1度も見ていない」というまわりの証言もあり、
「心当たりを探してみます」と向こうが言ってその電話は終わった。
だが、もちろんみんな、彼のケータイの行方を大いに心配した。

宴会が終わってお客さんが帰り、片づけをしている最中に彼から再び電話がかかってきた。
帰りのバスの中で見つかった、という。
よかった!

さっそくその件を参加者にメールで送ったら、みな安堵しているようだった。
今、ケータイを失くすほど面倒なことはない。
財布を失くすのとほとんど同じぐらい大変だ。

「こいつぁ、新春から縁起が良い!」と喜んでくれた人もいて、よかったね、Nくん。
今年は新年早々ひやっとしただろうから、失くしモノ、忘れモノには大いに気をつけて、無事な1年を過ごしてほしい。

15年1月20日

友人たちとの集まり、次は5月の「休日講座」だ。
15年前に始めてから、初の体育系講座で、システム・エンジニアの友人が習っている「ヒップホップ・ダンス」か「合気道」のどちらかを教えてくれるらしい。

年明けに、第1回講師であるところの、この講座が始まるきっかけを作ってくれた女友達に聞いてみたら、やはり、と言うかなんと言うか、
「それは…欠席してもいいですか?」と言われた。

今回の新年会でもヒアリングを行ったところ、みんな腰が引けている。
ただ、20年以上誰も会っていない仲間の1人で、アフリカの太鼓をやっている人が来るかもしれない、と言ったら、
「あいつが来るのか!そんなら話は別だよ。オレは、出るよ!」とゲーム・デザイナーが叫び、総務省役人が、
「私、ひざと腰がが悪いもんで、座ったままの参加はどうっすかね?」と聞いてきて、私もひざが悪いので見学だ、と言ったら、目に見えてほっとした様子で、
「それなら参加しますよ」と言ってくれた。
他のメンバーも、「まあ、面白そうですよね」という感じで、何とか人は集まりそうだ。

ただ、大内くんに強く言いたいのは、女性の参加者に、「着替え、化粧直し」等についてヒアリングしろ、と言ったのに、私以外の唯一の女性のお客さん(講師の妻。ソフト会社勤務)に何も聞かないのは良くない!
私は、身支度も何もかも簡便で、旅行先で旅館の仲居さんから、
「お客さま、身支度が早いですね!これまで見た、どのお客さまより、早いです!」と感心された過去があるぐらいなので、女性としての参考には全然ならないのだ。

一種の勉強会であるこの会、これまでも文字フォントの歴史やら自衛隊の話やらいろいろやってもらってきて、一番異色だったのは「お茶室」を借りて、茶道を習ってる人から「お点前入門」を教えてもらった時だろうが、今回、「スポーツをする」という、初めての試みをする。
我々はマンガクラブの仲間なので、スポーツを趣味にしている人はほとんどおらず、かなり無理のあるチャレンジとなりそうだ。
メンバーの2、3人が、昔、清里で幾度か一緒に草野球をしたことがある、というところが唯一の希望か。

また、5月に盛会となることを祈る。
みんな、ラジオ体操でもして、ひざと腰の調子を整えつつ、参加をお願いしたい。

15年1月22日

新年会で友人たちと息子の話をしていたら、「中2病」という言葉が出てきた。
知らない言葉だし、説明を聞いても今ひとつ判然としない。
ただ、息子が中2病なるものであるかどうかに関しては、その場で、
「カノジョいて、リア充なんだ。そりゃあ、中2病じゃないなぁ」という結論に達していたようだ。
(そもそも、もう大学3年生だしねぇ)

後から大内くんがネットで調べたところ、

「中2病(ちゅうにびょう)とは、『(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動』を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。『病』という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である」という説明に行きあたった。

具体的な症状としては、

1.洋楽を聴き始める。
2.旨くもないコーヒーを飲み始める。
3.売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
4.やればできると思っている。
5.母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
6.社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。

ということらしく、大内くんは、
「これって、僕が大学に入った頃そのまんまだよ・・・あれって、『中2病』だったんだ…」と言ってアタマを抱えていた。

私も、身に覚えがないでもないが、まさに中2の頃に軽くかかって、すぐに治っているので、揶揄されるほどの「病」ではないと思われる。
大内くんのように、遅く、しかも長期間かかっている場合が問題なんだろう。

「結局、結婚するぐらいまで続いてた気がするよ。親との関係に問題があるのはわかってたんだけど、直視できなかった。もっと早く家を出るべきだった」と、いつもと同じような結論に達する。

そういう意味では、息子はほとんど「中2病」ではない。
親がキライな反抗期が長かっただけ。
それとも、これからかかるのか?

またひとつ賢くなった。
人と話すって、大事だなぁ。

15年1月23日

訃報に接したのがきっかけで、猛烈に平井和正が読みたくなった。
「幻魔大戦」のシリーズは20冊以上持ってるが、「ウルフガイ・シリーズ」は過去に処分してしまって、手元にない。
アマゾンで買おうと思ったら、古いものはキンドル版しか手に入らないじゃないか!
試みに「狼の紋章」を買ってみて、本を、注文して、送ってもらって(ここで梱包材というゴミが出ます)、裁断して、スキャンして(また「本」というゴミが出ます)、といった手間がまったく不要ですぐに読めるようになる点は大いに便利であるものの、文字サイズとか、気に入らない点が多く、読みづらい。
「。」(句点)ごとに改行してるんだよ?ラノベじゃあるまいし。

それ以上買う気にならず、あちこちの図書館をあたってみて、なんとかそろえることができそうだが、1ページずつ開いてガラス板を押しつけながらスキャンするのはめんどくさいなぁ、と暗澹とした気持ちになっていた。
つくづく、本は手放すものじゃない。
やっぱり自炊するしかないのか。
結婚して実家から完全に独立するにあたり、すべての本を引き取り、新居に入りきらない分は手放すしかなかったあの頃、自炊技術があったらどんなによかったか。

大内くんがいつも、
「僕は本と、本当に悲しいお別れをしてきた。だから、好きなだけデータで本が持てるようになった今、それを取り返さずにはいられないんだ」と言っている意味が、初めて心から理解できたよ。

ところが、話は思わぬ方向に転がって行く。
平井和正への私なりの追悼文をFBに上げたら、親しい女友達から、
「私も中学生時ハマりました」という答えが返ってきたのだ。
さらに驚いたことに、もうとっくに卒業したらしい彼女は、実家にまだウルフガイ・シリーズを持っていて、譲ってくれると言う!
これで、図書館から借りた本をスキャンしなくてもすむ!ブラボー!!

こうして私は、彼女が実家に何を持っているかが判明するのを待っている。
「神がかって」「天使的になった」後のウルフガイには興味がないので、「狼の紋章」「狼の怨歌」「狼男だよ」「リオの狼男」ぐらいまでがあれば充分な収穫だ。
喜ばしきものは、本を大事にとっておく友達。
そして、スペースに縛られずに本を持つことのできる技術革新。
まったくもって、ありがたい。
電子書籍販売にも未来はあると思うが、なるべく手を加えないで出版してもらいたいものだ、と心から思う。

15年1月24日

ドラマ「アオイホノオ」が大変面白かったので、島本和彦の原作マンガを読む。というか、これまで読んでなかったのが怠慢だろう、としみじみ思った。
記憶の中の島本和彦と絵柄はずいぶん変わっていた。

夜中に帰ってきて夜食を食べている息子の正面に座ってiPadで読んでいたので、「なに読んでんの?」と聞かれ、「『アオイホノオ』だよ。ドラマが良かったから」と答えたら、「ああ、面白いよね」と言われた。すでに読んでいたらしい。

ケータイどころか寮に1台しかない電話で呼ばれるとか、ビデオがなくて「リアルタイムでテレビを見る」以外の選択肢がなかったことと か、想像もできないだろうイマイマの若者に、簡単に「面白かった」などと言われたくない。

私は、小学校低学年の時に「マグマ大使」が見たいのに外食 に連れて行かれ、「絶対間に合うように帰るから」と言われたにもかかわらず、放映時間になってもレストランにいた、ということで、すでに他界 している母親をいまだに恨んでいたりする。
予約録画ができない、というのはそういうことだった。

でも、ハイテクの時代になっても若者の悩みは変わらないのかもしれない。
「自分とは何か」「自分は何かになれるのか?」とか自問自答してはのたうちまわってる「焔燃(ほのお・もゆる)」に近いのは、やはり私ではなく息子の方なんだろうなぁ。

15年1月25日

自炊するぐらいなら、マンガを電子書店で買った方が簡単だ、と思う人は多いだろう。何しろ、

アマゾンに注文→届くのを待つ→届く→開梱→裁断→スキャン→データをタブレットにコピー→やっと読む

という流れの、最初と最後の部分だけでできあがってて、裁断済みの本をくくって「ゴミ捨て場」に捨てに行く、という手間もかからない。
本を切り裂く性格異常者、とも、とりあえず言われないですむし。

「じゃあ、なんで電子書店で買わないの?」と聞かれるのは当然。
実は何度か買ってみたけど、データを自分で持つことが難しいみたい。
もちろん書店には「本棚」があって、自分が買った本はちゃんと管理ができるんだけど、そのアプリの本棚から、買った本のデータを自分で、(おそらく基準として残っていくだろう)「pdf」の形にして、自分で管理できるようにはなっていないらしい。

もし、その電子書店がつぶれたらデータはどうなるんだろう、と思うと、怖くて買えない。
ゆくゆくは解決できる問題だろうけど、今はまだアプリや電子書店が成熟してないように思える。

ちなみに、「キンドルはダメなの?」と聞いてきた友達がいるが、確かにキンドルは大手だし、危険は少ない気がする。
値段も良心的だし。(印刷・保存のためのスペースも手間もいらないわけだから、安く売ることはできるはずだよね)

でも、こないだ買った平井和正の「狼の紋章」(600円也)を読んでみたら、ひどいことになってた。
「。」(句点)ごとに改行してあるんだよ。ラノベじゃあるまいし。
もうちょっと原版にこだわってはもらえないだろうか。

手間がかからないことも含めて、電子書籍には未来がある、と信じている。
もうすぐそこまで来てる気がするんだけどなぁ・・・

15年1月27日

息子が「腹へった」と言う。もう夜中の1時なのに。
しょうがないから、ありあわせのおかずをお盆にのっけてやったら、「あんがと」とつぶやきながら食卓へ持って行って黙々と食べていた。
お鍋を洗いながら、そんな息子を見ていたら、何か話がしたくなった。

私「母さん、けっこうよくコドモの面倒見てるよね?」
息子(ちょっと驚いて)「うん、そう思うよ。なんで?」
私「いや、足りないかな、って思って」
息子「全然。よくやってもらってると思ってるよ。ありがとう」

息子からこんなことを言われる日が来るなんて、生きててよかった!
本当に、このへんが最後の「カワイイ盛り」なんじゃないだろうか。
でも、我々夫婦には、これから大事業がある。
この「カワイイ盛り」の息子を、家から放り出すのだ。

地方大学への入学で物理的に放り出す、という計画が頓挫し、気がついたらまだ家にいる。
4年の執行猶予か、と思ったら留年で1年延長。
正直、めんどくさいことも多いが、反抗期の終わった(らしい)息子はなかなか可愛くて、時には親を頼りにしているようなところも見せつつメシを作らせる(笑)ので、なかなかこの魅力には抵抗できない。
自分以外の人間を可愛がれない性格の私ですら、気がつくと息子の世話を焼いている。
恐ろしきは血の絆、か。

「子離れしなよ」と友達に言われるのももう慣れっこになっちゃって、
「可愛いうちは可愛がるよ。それでダメになるようなヤツなら、最初っからダメだって」とかうそぶいている。
もはや子育ては、夫婦共通の趣味なのだ。

それでよく思うんだけど、世の中には犬を非常に可愛がって、服を着せたり写真を人に見せたりする人がいるが、「親バカ」は叱られても、「飼い主バカ」は叱られないんだよね。どうして?
非常に理不尽なものを感じる今日この頃。

とは言え、わかってるよ、人間のコドモの場合、いちおう、外の世界に放り出すまでが親の仕事だよね。
前は、大学に入ったら家を出てくれるもんだと思ってたけど、「出て行け」と言っても出て行かなかったので、次の機会は就職かなぁ、と。
ヘタすると功利主義者の息子は、
「なんで?家出ると、カネかかるじゃん!」と言って親に半ば寄生する生活を続けようとするかもしれない。
断り切れるだろうか。
友人を見ていても、東京に生まれ育ち、大学も親元から通った人は、就職したからって出て行かない場合も多いようだ。
「転勤」のある仕事に就いてもらうしかないか?

息子の場合、今のところ希望が持てるのは「カノジョ」がいること。
就職を機にカノジョと暮らしたいと思うかもしれないし、それが無理でも、結婚すればイヤでも出て行くだろう。
問題は、まだ若すぎて、2人とも「結婚」なんて考えもしないらしいこと。
不思議だなぁ。私は、高校生の頃から、つきあっている人とは常に「結婚」する気でいたんだが・・・

まあ、コドモが家を出て行くのは一大イベントだ。うちのように1人っ子のような感じでここまできちゃうと、なおさら。
いざとなったら「介護」を匂わせてみようかな。「これからずうっと面倒見てね」って。
「じゃあね!」と逃げ足早く出て行くかもしれない。
「親との関係に不満のない」コドモを家から追い出すのもひと苦労だ。

15年1月29日

大内くんも島本和彦の「アオイホノオ」を読んだので、2人で若い頃を思い出してみる。

大内くん「僕は、大学に入るまで『アオイホノオ』みたいな体験はなかったなぁ。そんな趣味の人、まわりにいなかったから。マンガクラブに入って初めて、まわりのみんなが僕の好きなものについていつまでも話してるのを聞いた。夢のようだったよ。宮崎駿が描いてた回のルパン三世出てきたでしょ、『死の翼アルバトロス』。あれ、夢中になって観たよ」」

私「私は、実はアニメはそんなに好きじゃなかったんだよね。あくまでおつきあい程度、って感じ。マンガに関しては、どこまでも話が通じて面白かったけどね」

大「いやあ、もう、みんなが上に見えてしょうがなかった。マンガもうまいし。自分でも、イタズラ描き程度だったマンガをペンと墨汁で描いてみて、興奮したよ」

私「高校時代に○○くん(今は亡き親友のアニメーター)に会ってたんで、マンガがうまい、って点で驚くことはなかった。○○くんは本当にうまくて、合作とかすると便利だったなぁ。人物さえ描いておけば、背景も効果も全部やってくれたから」

大「高校の頃からそんな友達がいて、うらやましいよ。僕は、マンガを描く、ということより、みんなで『締切合宿』をしたりしたことの方が楽しかったかも」

私「あ、それはあるね。昼間働いてるわけでもないのに夜に描くんだよね。リポD飲んでね」

当時を思い出すと話は尽きない。
そんな仲間たちと、今でも会って飲むことがある、って、ものすごく幸せなことだ。

「結局、ガイナックス(アニメ会社)を作った人たちがあの時代、あの場所に集まっていて、島本和彦もそれを見てたんだね」
「フィクションもある、って書いてあったから、同じ大学の同じ学年、ってことはなくって、数年ぐらいずれてるけど、話を盛り上げるためにみんな同期、ってことにしてある、ぐらいのことはありそうだね」

9時頃、そんな話をしてたら息子が帰ってきて、しばらくリビングでぼんやりしてると思ったら、どこかから電話がかかってきたらしい。
「今から?もっと早く言ってくれよ。うん、うん、行くから」と言って出かけようとするので、「今から出かけるの?」と聞いたら、高校時代の友達から呼び出されたらしい。

「行ってくる」
「どこまで?」
「渋谷」と短く答えて出かけたあと、
「彼には、昔からの友達がいっぱいいて、いいね。今のサークルや合同ライブやっちゃうようなお笑いの仲間も大勢いるし」と話す。

大内くんによれば、彼の大学時代のNHKの友人に頼んで息子と話してもらった時、帰り道で、息子はこんなことを言っていたそうだ。

「オヤジの仲間は素晴らしいね。でも、オレにももう、そんな仲間がいるよ」

もうじき大人の世界に羽ばたいて行く我が子の言葉としては、この上なく頼もしい。
今日で試験も終わった。
彼にしては珍しくレポート書いたり勉強したりしていた形跡がある。
これ以上単位を落とすと留年が1年ではすまなくなるので、頑張ってもらいたい。
親が、勉強するより仲間を作ることの方が大事だ、とかなり本気で思っているのが問題なのかなぁ。

15年1月30日

朝、起きたら雪が降っていた。けっこう降り続き、積もってきている。
午後からマッサージの先生の予約が入っていたのだが、降りしきっているし自転車で行くのが難しいので、電話したら、
「来るの、無理でしょ。今日はお休みにしておこう!」と元気よく言われて、申し訳ないけどキャンセルさせてもらった。

午前11時現在、雪はやむ気配がなく、リビングでは息子が熟睡している。
自分の部屋、自分のベッドがあるくせに、時々リビングで寝たがる息子の気持ちは理解できない。
思春期の男の子って、普通、自室にこもりたがるものじゃないの?
彼はなぜか、リビングを独占したがる。
昨日の夜、急に友達に渋谷まで呼び出された彼は、夜中に帰ってきて、掛布団を持って来てソファで寝ようとしていたところ、気が変わったらしく、
「床に、布団敷いて寝たい」と言い出したので、押し入れを開けてやり、敷布団を出すのは自分で出してもらって、そのまま床でばったり。

そんな彼の「中央進出路線」、「良くない」というほどのことでもないだろうと放置してあるが、邪魔くさいのはどうしようもない。
後期の試験が昨日終わったので、かなりフリーなはず。何時に起きるつもりなんだろう?

とりあえず起きたら食べさせようとタンドリー・チキンを焼きながら、私は自分のベッドで読書。
最近、更年期障害の一症状か、足先が冷えるので、60度のお湯をペットボトルに入れたものを布団に持ち込み、湯たんぽ代わりにしている。
大内くんは、
「湯たんぽはいい考えだね。ちゃんとした湯たんぽ買ったら?」と言ってくれるが、ペットボトルで全然困らない。
貧乏臭さが快感だしww

こうしてしんしんと降る雪の中、あったかくして好きな本を読みながら、遠くから響く息子の寝息を聞いていると、何やら別の世界にいるようだ。雪にはそういう力がある。
帰りの大内くんの足が心配だが、それもちょっと遠い世界の出来事のよう。
今、この世には、私と息子の2人しかいないような気分だ。

「親は異性のコドモに恋をする」と大内くんは言い、それはある意味本当のことだろう。
「でね、大切なのは、正しく失恋することなんだよ」と、これもまた大内くんの言い分。
私は順調に失恋してるかなぁ。
恋してるのは確かで、ドラクエを始める時も、勇者の名前は息子。
大内くんは、魔法の使えない力だけが取り柄の仲間あたりになって、やっと登場だ。
我ながら、あからさまな態度だね。

もうしばらく、この平和を乱すものは何もない。
自分だけがこんなに幸せでいいのかな、って思う瞬間。

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