15年3月1日

息子のお笑いコンテストを見に浅草まで行く途中、下北沢で寄り道。
「アンゼリカ」のカレーパンを買ってから、ラーメン屋「a亭」でラーメンと チャーハンのセット「ラーチャン」を。(大内くんは両方大盛り だ!)
あと喫茶店「パルファン」。

どこも30年以上前から通っているけど最近はあんまり行けないので、行くたびに「もうつぶれちゃってるんじゃないか?」と心配になる。
全部まだ無事でした。

パルファンのマスターはもうそろそろ70歳ぐらいだけど、まだまだお元気なようす。
息子が駒場高校に通っている頃は年に2、3回行く機会があったところ、すっかりご無沙汰でした。
でも、顔は覚えていて下さるようです。

おなかいっぱいになって浅草へ。
吉本主催のコンテストなので、本陣に乗り込む感じ。
予選を通過した9チームが競う「団体戦」で、早稲田からは3チーム出ていた。
4位までが来週の決勝に残る。
1位通過は早稲田の先輩チーム、息子たちのチームは2位。決勝進出だ!

出演者全員がずらりと並んだ舞台の上で、とても嬉しそうだった。
明日の準決勝2日目にも、別チームで出る。
同期4人でコントをやるようだ。
今日と同じように運良く勝てれば、決勝戦で2度の舞台を踏むことができる。


帰りの電車の中で、「おめでとう!コント、よかったよ。決勝戦のチケットは、もう買ったよ」とラインを入れたら、すぐに、「もっとがんばる」という返事が来た。
なぜそんなにお笑いが好きなのかはよくわからないが、高3まで続けた柔道と同じぐらいに打ち込んでいるように見える。
出場するのを待って待って、3分の試合を見る、という点では、柔道とお笑いはよく似ているよww

また、いい試合を見せてもらいたいと思う。
舞台の上でコントをやっている時の演技の確かさ、決勝進出を決めた時の晴れ晴れとした笑顔が、とても印象的だった。
2日連続の浅草通いの苦労も、吹き飛ぶ思いだ。

15年3月2日

2日連続で、学生お笑いコンテスト「大学芸会」の準決勝。昨日、上位4チームに入って決勝進出を決めた息子は、今日、同じサークルの別チームで出場し、3位獲得。
決勝に出る8チーム中の2チームに名を連ねることになった。
ひと晩見に行くだけで、2回、自分の息子が見られるわけで、親と しては大変お得な状態、ということです。

今回の大会は「団体戦」で、各大学のお笑いサークルから、「漫才、ピン、コント」の3種目で1チームを作る。
昨日は、昨年末にコントライブをやった時のユニットで、コント部門を担当した。
日大の子を相方に、さまざまなコンテストでも好成績を残している。
コントが得意な息子のお笑い活動の、おもな部分。

今日は、サークルの3年生同期のチーム。4人で組んだユニットで、同じくコント部門。
チーム全体では7人の同期が出演し、留年する息子 は、春からは就活に入る彼らとは少し活動内容が違ってくると思う。同期で心を合わせて活動する、最後の機会になるかもしれない。
決勝進出は、良い記念になりそうだ。ついでに、優勝しちゃえ。

優勝すると、サークルに30万円の賞金が入る。
早稲田からは、息子の入っている2チームとは別にもう1チームが決勝に出るので、8チーム中3チーム。
どれが勝ってもサークルが潤うという、けっこうな話だ。
我々としては、もちろん息子のいるチームに優勝してもらいたいところだが、勝つ と、「就職しないで芸人になりたい」と言い出さないかね、あの人は。

もっとも、彼も自分が芸人には向いていないのがわかってきたらしく、「舞台の、袖から見ている人になりたい」「面白いものを作りたい」「もっといいコントを書きたい」と言うようになってきており、漠然と「放送作家」のようなものを考えているようなので、考え過ぎない方がいいかもしれない。
そもそも彼の人生だし。(でも、いろいろ考えちゃうんだよね、親は)

昨日も今日も、舞台の上で満面の笑みを見せてくれた。
内側から光が差すような、輝く笑顔だった。
決勝でもその顔が見られるといいなぁ、と思う。
1週間ばかりの間に2チーム分の「ネタ合わせ」(練習)をしなければならないのでかなり忙しくなるだろうが、できるだけ応援してあげたいと思っている。頑張れ!

15年3月3日

見に行ったお笑いの大会で、あやうく恋に落ちるところだった。
慶應チームの、3種目(漫才、ピン、コント)全部に出たトライアスロン選手みたいな位置づけの、おそらくはサークル内でも人望がありお笑いがうまいであろう、男の子に。

いやぁ、カワイイんだよ。小柄できゃしゃなのに存在感あるし、神経質そうでクールで頭良さそう。もちろんメガネかけてる。(隠す気もないメガネ萌えの私)
実に私のタイプだ。
家に帰ってから、ようつべで彼の漫才を探し出して、見まくってしまったよ。

でも、物覚えのいい大内くんによれば、
「彼は、こないだの大会で『就職決まりました』って、言ってたよ。もうお笑いも最後なんじゃないかな。残念でした」
心なし、嬉しそうだったのは、気のせいか?

もっとも、何をどう言っても、「息子のような年齢」だという現実は変えられない。
まさに息子だよ!
自分がもう30若かったらほっとかないんだが、なんて、考えるだけ、むなしいんだよ!

ここしばらく軽い恋に落ちてなかったので、免疫切れてた。ドキドキする。
息子に聞いたら、「ああ、あいつね、知ってるよ」と言っているので、せめて名前だけでも、と思ったが、「めんどくせー。教えねー」と夕食のポトフをすすっていた。
名前がわかんないから、大内くんと話す時もいちいち「あの、慶應の、カッコいい子」って呼ばなきゃいけないじゃないか!

大内くんに何の不満もないが、人は時々恋に落ちる。
相手はキムタクだったりイ・ビョンホンだったり竹ノ内豊だったりする。
そう言えば、高見沢さまへの片思いは、いつの間にかすっかり治っているなぁ。
破れた恋の一番の治し方は、新しい恋をすること。
って、オチついてどうするんだーっ!、もうええわ。どうもー。(漫才風に終わってみる)

15年3月4日

というわけで、「あの子、カワイイなぁ」と思いながらiPadをいろいろにさわっていたら、あっという間に本名から就職先、FBまでわかってしまった。

どうこうするつもりはないけど、ネットはけっこうオソロシイ。
調べてる方が、驚いたよ。

15年3月5日

ここ10日ぐらい、ずうっとDSの「クロノトリガー」をやっていた。今日、エンディングを見た。
昔やったことがあるんだが、もう忘れていて、とて も新鮮だった。

息子から、去年の暮れにやった2時間の合同コントライブについて、「クロノトリガーが大好きだったから『時計』を主題にして考えてみた」と聞いて感心し、夜中ににわかにやりたくなってゲームソフトをあさったところ、空のケースだけあった。
朝、「どこにあるか、知らない?」と聞いた時には「わからん」と言っていたのが、夜帰ってきてからどこからか探し出してくれたらしく、「あったよ」と言う。
時すでに遅 く、アマゾンさんに注文済み。
キャンセルはもうできな い。1500円の無駄遣いだった。
でも、すぐ欲しかったんだもん。

「クロノトリガー」には、私がRPGに求めるすべての要素が入ってる気がする。
ストーリーは面白く、伏線は広く張り巡らされ、お使いイベントが いっぱいあって、無理なレベル上げやゴールド稼ぎがいらない絶妙のゲームバランス。
楽しく冒険してる間にどんどん強くなれて、気づいたら適正なハラハラ感でラスボスを倒せるようになっていた。感動。
過去で何かしておくと現代にそれが反映されるとことか、タイムトラベルの面白さが十二分に描 かれていて、本当に良くできている。

DS版だからなのかもしれないが、クリアすると、その強さのまま、もう1度始めからゲームを楽しむことができる。
エンディングもいろいろあるらしい。少なくとももう1 回はやってみよう、と思って、今、励んでいる。
クリア後に行けるようになる場所なども出現するようだし。どこまでも面倒見のいいソフトだ。

iPadをわきに置いてDSを握り、ネットの攻略チャートを見ながらやっていて、自分でもどうかと思うのだが、大内くんは、「キミは攻略本なしにゲームしたことなんてないじゃない。なんでも『なぞる』の が好きなんだよね。自分が気持ちいいようにやったらいいよ」と親切な言葉をかけてくれる。
勇者に大内くんの名前ではなく、息子の名前をつけてしまう私は、 夫を裏切っているような罪悪感。
なにしろ大内くんは、「カエル」なんだもん。
しかも、「先頭にしてフィールドを歩くと、ぴょこぴょこ飛び跳ねていて、セーブポイントが踏めない」と、本人には責任のない文句まで言う。すまん、大内くん。

ゲームの進め方によっては、「カエルが人間に戻る」エンディングもあるようだから、今回はなるべくそれを目指すね。
HP999/MP99でやって いると、HP20ぐらいのザコ敵を「2800」とかの一撃で粉砕していて、進みは速いが罪悪感いっぱい。
中盤過ぎるとそれほど楽でもないだろうけ ど。

クリア直前に、「お金が30万ゴールドもたまっちゃったんだよ」と大内くんに言ったら、「その世界の貨幣価値ではどのくらいなの?」と聞かれた。
「ポーションが50ゴールドで買えるぐらい。でも、エリクサーは2万ゴールドなんだよ。全員のHP/MPを全回復できるラストエリクサーなんか、 5万ゴールドもする。6個しか買えない」と答えたら、門前の小僧でエリクサーの貴重さぐらいは小耳にはさんでいる彼は、「クロノトリガーにも、エ リクサーが出てくるの?!」と驚 いてた。
いいんだよ、スクエニだもん。

「僕が唯一プレイして面白いと思ったのは、FF2だった。あれは本当に面白かった。キミの話を聞いていると、今のゲームにはセーブポイントが多す ぎると思う。ひと晩かかってアルテマ取ろうと塔を攻略して、明け方に中ボス戦に負けてすべてが水泡に帰す、あの厳しさがよかったのに」というのが 大内くんの意見だ。
私はヘタレゲーマーなので、フロアごとにセーブポイントがあってくれても全然かまわない。
少なくとも、中ボス戦の前には欲し い。

FFでは2が、ドラクエでは4が一番面白いと思うので、クロノトリガーをやりつくしたらドラクエ4をやるつもり。
昔は徹夜して並んで買ったなぁ。 アマゾンさんのない時代。
それもまた、ゲームの興奮の1つだったけど、今は面倒だと感じる私は、もう若くない。
それでもちょっと血が燃えた。あり がとう、クロノトリガー。

15年3月6日

大内くん、近隣アジア国出張、
およそ海外出張というものをほとんどしたことがなく、おととしにやはり同じ近隣国に行ったのが、サラリーマン人生の初の、唯一の、海外出張体験だった。地味で、けっ こうなことだ。
今回、少し経験値をふやしますか。それでも「スライム」が「スライムべス」になった程度ですね。

しかも今回は「日帰り」。
もう少しのちに1泊の出張もあるらしいが、それにしたって地味だ。

空港の近くで会議をし、そのまま帰って来ちゃうので、おみやげなども一切期待できません。
街並みを歩く、なんて、あり得ません。
そんなんでも海外出張だから、本人、必死でパスポート持ってってる。

「まあ、九州出張と同じぐらいの距離感だから、心配しないで待ってて」と言うが、そこはやはり外国、もし行ってる間に戦争が勃発したら、帰って来られないなんてこともあり得る。
安全に、早く帰ってきてください。

15年3月7日

平井和正が亡くなってからというもの、「なんでウルフガイ・シリーズを手放しちゃったんだろう!」と半分泣きながら探していたところ、親しい友人が実家にひとそろい(彼女曰く、「そんなにそろってない」)持っていると判明し、しかも、もういらないから譲ってくれると言う。切り刻んで自炊してもかまわない、と。

忙しい彼女が実家まで取りに行ってくれるのを待っていたが、このほど連絡があり、無事にゲットできたようなので、ランチ会を兼ねて吉祥寺のタイ料理屋で会うことにした。
わざわざ重い本を持って来てくれるので、お礼に、最近手に入れて潤沢にある「キャンベルのクリーム・チキン・スープ」を2つ、持って行った。安い対価だ。

いつものように混雑している「クルン・サイアム」で、私はここのところずうっと焼きビーフン「パッ・タイ」を食べている。
大内くんと彼女もそれぞれ好きなものを頼んだ。
料理が出てくるのが早い店なので、ほとんどおしゃべりする間もなく、テーブルに料理が並んだ。
「パッ・タイ」が食べたくて仕方なかった私は、彼女にペースを合わせるのも忘れて黙々と食べてしまったよ。
(もちろんFB用に写真を撮ることなんて、脳裏をよぎりもしない)

と、お皿に最後の2割ぐらいの焼きビーフンが残った状態で、大内くんが、
「それ、ひと口食べさせてよ」と言う。
答えは、「やだ」。

もっと早く言ってくれれば分けてあげたんだけれども、もう私の中では最終コーナーを回ってバックストレートに入っており、どのように食べ終わるかのイメージが細部まで細かく決まっている状態なのだ。
麺の1本まで無駄にできない、というのは誇張じゃないぞ。

そんな私の性癖をよく知っている彼女はくすくす笑っていたし、大内くんも「そうか」と引き下がり、1分半後ぐらいに食べ終わって満足のため息をついた時には、「悪いこと、したなぁ」ぐらいの感想は持ったし、実際、そう言って謝ったが、この、細かいところまでイメージができてしまうと動かせない、という性格は治らない。
常日頃から困っているところではあり、今回も改めるチャンスだったのかもしれないが、あいにく食欲とセットでやってきたので、無理だった。
今度、もっとハードルの低い「変更」から試してみよう。帰りにどの道を通って行くか、とか。

大混雑の様相を呈してきた店を出て、お茶を飲みに「John Henry's Study」へ。
こちらもランチ時で少し混んでいたが、我々がコーヒーを半分飲む頃には、少しすいてきた。
彼女と何を話したかな。
今日は、「パッ・タイ」に興奮してたのもあるが、しばらく待っていた平井和正をもらったのが嬉しくて、よく覚えていない。
もしかしたら何か失礼があったとしても、いつも以上に気づかない私であった。

1時間ほどで、最近仕事が忙しい大内くんが少し眠くなった、と言うので、帰って昼寝をすることにした。
彼女もそうヒマな身体ではないし。
いつも思うが、世の中に私ほどヒマな人間もあまりいまい。

本をどうもありがとう、Iさん。
大事に読ませてもらいます。
(自炊する時点で、「大事にしている」とは思いにくいだろうが、そこはひとつ、ご勘弁いただいて)

15年3月8日

昨日、彼女と別れて自転車で家へ帰り、大内くんはすぐに昼寝したが、私はベッドで平井和正を眺めていた。
すぐに自炊してもよかったのだが、本の状態を少しは楽しみたい。
自分がこれらの本を買った頃のことを、いろいろ思い出した。
とにかく、若かった。
「狼(ウルフ)より若き友人たちへの手紙」なんてあとがきを読んだ時は、真剣にファンレターを書こうと思った。
いや、実際、書いたかもしれない。さすがに出しはしなかったと思うが。
真夜中に1人で聴く深夜放送のように、自分が誰かとつながっている、つながっていたい、と熱に浮かされたように考えていた頃だ。

そういうことを思い出すたび、気になるのが今の息子の心中だ。
めったに日付変更以前には帰ってこないし、カノジョのとこに遊びに行ってるばっかりじゃないみたいだし、飲み会ですらない時があるようだ。
(そんなに毎日飲み会があったら、財布がもつまい)
本人の口の端から漏れる言葉をつなぎ合わせると、ファミレスのドリンク・バーでねばってコントのネタを書いてる時もあるようだし、家までの道を自転車を走らせるのではなく1人で歩いてみたりしていることもあると言う。
私にとっての平井和正が、彼の中にもあるのかもしれない。

いずれにせよ、青春だ。
もう今年には22歳になる彼を、「思春期」と呼ぶと友人たちに笑われるが、我々にとってはまだ全然成熟しきっていないオクテの彼で、親との確執は消えつつあるものの、自分自身とのつきあいにおいて、幼い部分を多く残しているように見える。
大学を留年するのも無理はない、と言うか、来年卒業して就職だ、って言われたら焦るよ。
去年あたりからやっと大学生らしくなってきた感じなんだから。
私個人としては、就職に影響がないならばもう1年留年させてやっと少しオトナの端に引っかかる、という感じで、まだまだ卒業する器には見えないのだが、大内くんは、
「さすがに早稲田で2留はキツい。就職が危うくなると思う」と言う。
3留の人が言うことだ、素直に聞いておこう。

でも、それは「卒業・就職」というタイム・スケジュールの問題で、私の身体感覚では、月満たずに生まれてしまいそうな未熟児を、
「1日でも長く、胎内に留めたい。今、生まれてしまうのは早すぎる。1日が過ぎるごとに、肺が、心臓が、脳が、少しでも昨日よりは育っていき、外界で生き延びるチャンスが大きくなる」とすがるような気持ちで「最後の頑張り」をしている気がする。

まあ、そんなのもキモい親心の言い訳に過ぎず、若者は無茶だろうが何だろうがじゃんじゃん世の中に出て行くべきなんだろうなぁ。
自分だって寮生活とは言え、18歳で親元を離れたわけだし。
この1年ほど、目立って成長を感じる彼を、そろそろ手放す時期なのかもしれない。
問題は、外泊しようが留年しようが文句を言われない実家の気楽さを、彼自身が手放すつもりがなさそうに見えること。
夜中に夜食を作らされながら、
「こんなに良くしてもらったら、普通、出て行かないよなぁ」と苦笑する我々だ。

15年3月9日


今年に入ってから息子がずっと予選で戦ったり準決勝で戦ったりしていた「大学芸会」というお笑いコンテスト、今日が決勝戦。
もともとは学生が自主的に運営していたところに「よしもと」が目をつけ、電通とタイアップして参画してきた、という、いささか生臭い話ではあるものの、決勝まで来たら勝ちたい勝たせたい、優勝賞金30万円をサークルにもたらしたい、と思うのが人情だ。
特に早稲田は戦績が良く、決勝戦を戦う8チームのうち、3チームが息子の所属するサークルから出場しているので、賞金をもらえる確率はものすごく高い。

しかも、息子は3チームのうちの2チームに参加している。これは他の誰もやっていないことだ。
「漫才、コント、ピン芸」の3種目で争う、何やら体育会系なルールで、彼は両方とも得意のコントで出場。
彼がネタを書いて、日大の男の子と組んでいる「柔(やわら)くん」というユニットは、相方の天性の演技力と人間力に支えられ、各コンテストでも入賞成績が良い。

もう1チームでは、サークルの3年生同期がすべての種目を演じ、息子は「戦闘種族」という4人のユニットのコントをやる。
私の大のお気に入りであるクールな同期、留年もつきあってくれてしまうかずやくんがネタを書いているらしい。
彼の最後のキメ台詞、「以上、戦闘種族」とともに両手を上げると、羽織っていた学ランがパサッと落ちる、その光景を見た2年生の時のライブ以来、 大ファンなんだ。期待してるぞ。

優勝候補とみなされていた慶應のチームを準決勝で下し、私がそこの男の子にひと目惚れしそうになった、というようなスリリングな状況で、息子たちの真のライバルは、数々の大会で優勝してきたコンビ「Gパンパンダ」を擁する4年生チーム。
特に、3年生チームにとっては「卒業していく先輩に勝ち逃げを許さない」という後輩の意地のかかった、重大な対決だ。

会場は新宿ルミネ2の中にある「ルミネtheよしもと」。
大内くんは、仕事が佳境に入って大変忙しく、連日会議で遅いのだが、なんと上司に、
「息子のお笑いの決勝戦を見に行きますので」と、定時に帰る宣言をしてきたらしい。
親バカここに極まれり、である。
「だって、どうしても見たいんだよ」ってさぁ、50過ぎたいいおっさんが、なに言ってるんだまったく。

と言いながら、私は私でルミネへ急ぐ。
「もしかしたら、準決勝で負けた慶應のカッコいい子が、決勝戦を見に来てるかもしれない」と思うと、かなりの混雑を見せているロビーで、彼の姿を 探してきょろきょろしてしまう。
私も少し、自分の歳を自覚した方がいいと思う。
でも、その時の私は、脳内ではハタチだった。鏡のない場所で良かった。
鏡見ると、小太りのおばさんがダサい格好してて、ビックリするから。
やってることは、女子高校生みたいなんだが・・・

あいにく「慶應のカッコいい子」は見当たらなかったけど、すぐに大内くんが現れた。
こちらは、歳の割に若く見えるとは言うものの、さすがにどう見ても30代には見えない。おまけして、45ぐらいか。
いいんだよ、いつもは学生さんしかいないお笑い会場に、今日は年配の方々もけっこう見受けられる。
どこのおうちでも、娘や息子がルミネで決勝戦、ということになれば見に来てしまうという点、我々の親の世代とはずいぶん感覚が違う気がする。
うちみたいに、
「普段の大会には絶対来るな。常識で考えればわかるだろう。年寄りなんか1人も来てねーんだ。自分で、恥ずかしくないのかよ!」と恫喝されているが、さすがに勝ち上がったので見に行く許可が出た、なんてご家族が他にもいるのかなぁ。

いよいよ開演となって、MCは「ジャルジャル」。
我々が見に行ったことがある大会の中で、一番売れている芸人だ。さすがよしもとの力。
よしもとのかかえる芸人さんのお笑いを3人見せてもらって、本番開始。

8チームが3つずつ芸を見せてくれるので、「8×3=24」。
24本も、ネタを見た。
息子も、2回出てきた。
サラリーマンのコントと、高校生のコント。
衣装の調達が楽だ、ということで、学生さんたちはこの2種類のコントが大好きなんだ。

客席の私はすごく緊張してた。
息子は、緊張しないのだろうか。
こんなに大勢のお客さんを前にして、相方と2人きりで、自分が考えた3分間のコントをやる。
小学校から大学までずっと演劇部だった私より、すでにステージ数では勝っているだろう。総時間数はわからんが。
畳の上にいる、ってのも一種、舞台のようなものなので、柔道でも鍛えられている。あまり上がらないのかも。

すべてのパフォーマンスが終わり、観客たちはお手元にある「採点用紙」に「よかったチーム」を3つ選んで○をつける。
2つでも、4つでもダメ。○は3つ。
「友達が出ているから、とか、そういう理由じゃなく、面白かったチームにマルをつけてください。組織票はナシですよ!」とジャルジャルは言うが、 私としては息子が出たものに○をつけるしかない。
優勝候補でありライバルである、4年生チームは、あまり調子が良くなかった。
コントが鉄壁の強さなのだが、やや考えオチだったような気がする。
全体ではさすがによくまとまった、強いチームという感じはしたけどね。

学生スタッフたちが採点用紙を回収し、猛烈な勢いと人海戦術で集計をしていると思われる15分ほど、また、よしもとの芸人さんたちに楽しませてもらっ た。
今は落語家の修行をしていると言う、かつての「世界のナベアツ」まで見た。
やはり大手はゴージャスだなぁ。

そして、発表。
全員が舞台に出てきた。
2チームに出た息子はどうするのか、と思っていたら、自分が書いたコントをやった方のチームの先頭で、チーム名を書いたパネルを持っていた。そうか、一応、代表者か。

舞台両横の大型モニタに、各チームの得点が映し出される。
優勝は、早稲田の4年生チームだった!
負けた!
勝った方は、踊り上がって喜んでいた。Gパンパンダに、ついに土をつけることができなかったあぁぁ。

2位は、日大チーム。
確かに、ここはよかった。
去年、息子が一緒に合同コントライブをやらせてもらった子が、実力者だと思った。
息子は3位と4位だった。健闘だ。

よしもと関係者の「審査員」が3人来ていたんだが、その人たちが選ぶ、「審査員賞」がある、という。
ジャルジャルが読み上げるのは、「チームテキサス!」
息子たちのチームじゃないか!
審査員賞か。思っても見なかった。まあ、何ももらえないより良い。

興奮の中に幕は閉じ、開始から3時間がたっていた。夜10時。
たいへん残念なことに、新宿に来たら必ず寄るインド料理の「サムラート」が、10時半閉店、10時オーダーストップなんだよね。
もう10分早ければ、カレー食べに行ったんだが。

帰り道の吉祥寺で回転寿司でもつまもう、と言いながら、学生でごった返すロビーを抜け、新宿駅へ。
「負けたか。4年生たちをガツンとやっつけて追い出してもらいたかったんだけどね」と大内くんはぼやく。
「しょうがないよ。審査員賞がもらえただけで、よかったよ」と言うと、
「もちろん、すごく嬉しいよ。息子のコントは出来が良かったし」。
「なんだねぇ、彼は、柔道やってる頃からそうなんだけど、けっこう勝てるけど、そこそこ、なんだよねー」
「でもさ、200組以上のチームから8チームにしぼられる、しかもその中の2チームに出場だよ。彼がいつも言ってる、『うちのサークルでは、オ レらがGパンパンダの次に面白い』ってのも、誇張じゃないわけだよ」
「トップじゃないのに自慢、ってのも情けないけど、今日はとにかくこれで充分だ、ってことにしとこう」

と話してる間に吉祥寺に着いたので、井之頭五郎も行った「天下寿司」で遅い夕食。
1人6枚ぐらい。1500円ちょっとだった。
サムラートで豪遊すると5千円近くかかるので、節約できてよかった。

食べてる間に息子にラインを入れておく。
「審査員賞、おめでとう。コントのネタ、よかったよ。面白いもの見せてくれて、ありがとう」
わりとすぐに返信が来た。
「うむ。悔しいけども」
悔しいのは、一生懸命やった証拠だから、いいよ。

雨の中、ぎゅうぎゅう詰めのバスで家まで帰り、風呂に入って寝る、と言いたいところだが、今日、仕事をいったん棚上げして息子のお笑いを見に行った人は、これから働かなきゃいけないのだ。
私も書斎の椅子で本を呼んで背中に応援脳波を送り続けていたが、息子は帰らない。
「打ち上げ?」と聞いたら、「んまぁ」と、やや煮え切らない答えだ。何を思っているのかなぁ。

結局、「少しでも寝といたほうがいいよ。完徹は、キツイよ」という忠告を容れて大内くんが寝たのは明け方の4時。それで6時に起きて、もう会社行くって。

なんだかんだ言って、完徹したのは私の方だ。息子も帰ってこないようだし、今から寝よう。
良い晩だったなぁ。
またひとつ、大内くんと共有する息子の思い出ができた。
我々はこの輝くような思い出をたくさん持って、じきに彼と別れて暮らすようになるのだ。
「お笑い芸人になりたい、って言い出したらどうしよう」って思ってきたけど、もしも、彼が本当にそう望むなら、応援してあげられるような気がしてきた。

彼は、今から何にでも「なろうと思える」。(「なれる」と言うほど自信たっぷりな親じゃない)
何になりたいと思っても、また何になっても、それが彼の人生だ。
ただ、彼がいるところはどこも彼のステージで、我々は常に客席にいる。
彼が勝っても負けても、拍手をし、少し体温を上げて、彼のステージを見続けるだろう。

優勝した4年生チームの名は、「ありがとう」という。
「チームありがとう」、優勝おめでとう。
息子も、キミたちのように、いろんなものに感謝しながら卒業して行ってもらいたいと思います。

15年3月10日

仕事が立て込んでる大内くん。
家には9時10時に帰ってくるのだが、書斎にこもって仕事をし続けている。
傍目にも忙しそう。

今日は、ついに完徹だ。
「眠いでしょ」と言うと、
「ふらふらだよ。もう、倒れそう」と言いながら、それでも朝まで仕事をしていた。

大内くんは日頃あんまり仕事をしないが、後輩のHさんなんか、毎晩タクシーで帰る生活らしい。
休日は、仕事をしてるか平日の寝不足を解消してるかどっちかだそうだし。

「今、過労死裁判になったら、勝てるような気がする」と言うが、無理だよ、あれは、恒常的・日常的に超多忙じゃなきゃダメなんだから、と言うと、
「Hくんが働きすぎるから、みんな、Hくん並みでないと『働きすぎ』って言われない。僕みたいに働く力が弱い人には迷惑な話だ」と怒る。
確かに、話だけ聞いてるとHさんにはプライベートなんて皆無に聞こえるね。
そこまで働いても、給料が大内くんの2倍なわけじゃないから、彼のような有能な働き者は、サラリーマンにはもったいないのかもしれない。

どっちにしろ、大内くんは睡眠不足になるとてきめんに注意力その他が落ちる。
今の状態が続くと、効率が悪くなる一方だろう。
私の睡眠を、わけてあげたいよ。

15年3月11日

たぶん、更年期障害。
ウワサには聞いていたけど、こんなにめんどくさいものなのか。

私の場合、まず、汗をかく。
この気温でも、屋内で、しかもごはん食べたりしてると、顔が火照ってだらだら汗が出る。
とても困る。

で、そのわりに手足が冷える。特に足先。
私は昔から暑がりで、真冬でも素足にサンダルを履いて歩いていた、と大内くんは証言する。
「『燃える女』だった。そんなところにも憧れちゃった」のだそうだ。

しかし、そんな「燃える女」も、2度の妊娠・出産を終えてみると、「赤ん坊に体熱をすっかり吸い取られてしまった」感がある。
唯生はまだしも、息子は、北側の部屋に寝ているくせに、夜中に布団を蹴飛ばすわ、日中、「風を入れたい」と言い出して窓を開けていたり、「燃える男」だ。
私にとってははた迷惑なだけで、ちっとも憧れの念はわいてこない。

とは言え、寒がりの大内くんとの体感温度差はそんなものではすまない。
私は「普通+薄手」の羽布団でひと冬快適に寝られるのに、大内くんは薄い毛布をかぶった上から私と同じ羽布団を掛け、さらにその上に毛布を掛け、とどめにエアコンを22度ぐらいに設定したがる。
私は、布団さえあれば真冬でもエアコンはいらん。

そんな「生息温度の違い」から、ついにベッドを分けたのが去年の冬。
20年近くダブルベッドで寝ていたが、「2人ともが心地よい温度」というものを、ついに発見できなかったのだ。
加えて、大内くんはたいそう寝相が悪く、そんな人がシングルより狭い空間でちょっとずつ苦労して寝返りをうっているのを夜中に目撃してからというもの、申し訳なくて仕方なかった。
今は、寝室にもう1つベッドを入れて、大内くんがダブル、私がシングルで寝ている。

ちなみに、私は眠っている間、まったく寝返りをうたず、「直立不動で寝ている」というのも大内くんの証言だ。
「夜見ても朝見ても、夜中に見ても、真上を向いた姿勢以外、見たことがない」
人間は必ず寝返りをうつもんだと思っていたが、確かに、自分でも入眠する時も目覚めた時も、同じ姿勢だとは思う。
大丈夫なのか、自分?!

余談はともかく、功を奏したのは、まず、夏。
気温26度、湿度70パーセントを超えるとぐにゃぐにゃになってしまう私と、
「エアコンをつけるなら、厚めの布団を掛けたい」と言う大内くんは、ついに自分の好きなように布団(私はせいぜいタオルケット)をかけて寝られる ようになった。

で、今、厚めの羽布団1枚で寝てます。それ以上掛けると暑い。
ただ、ここで新兵器として登場したのが、「湯たんぽ」。
もっとも、わざわざ買ってきたわけじゃない。
2リットルのペットボトルに60度のお湯(水道のお湯は60度が上限)を入れて、ベッドに持ち込む。
「更年期障害で冷えた足先」が温まって、たいそう気持ちがいい。

問題は、手放せなくなっちゃったことだ。
「外部からの温度の供給」なんて、私には屈辱的なんだよね。
一種の病気だから仕方ないとは思うんだけど・・・特に、最近、60度では足りずに電気ポットの熱湯を3分の1ぐらい足したりしてるのでなおさら。

「ちゃんとした湯たんぽ、買ったら?」と言われても、ペットボトルの貧乏臭さを楽しんでるんだ、ほっといてくれ。
湯たんぽにお金をかけたりしたら、ますます屈辱的じゃないか!

ところが、この「省エネ」湯たんぽにも、重大な欠点があった。
あたりまえだが、中のお湯の温度がすぐに下がってしまうのだ。

しかたないから、水道から出る最高温度の60度のお湯を半分ほど入れ、あとは、すぐ横に置いてある電気ポットからお湯を足す。
相当熱い、良い湯たんぽになった。

ところが、3日ぐらいたったら、足の土踏まずの柔らかいところが赤くなってきた。
これは、やけどではないだろうか? 低温やけど。
やっぱり、安物の代用品はダメなのかしらん。

とりあえず、湯たんぽは温度を下げて使っているが、「ホンモノ」を買うべきかなぁ・・・

15年3月12日

昨日は何とか5時間寝て、とても完全回復とはいかないが、朝から羽田に向かい、人生で3度目ぐらいの海外出張。
買ったばかりのスーツケースを大事そうに転がして、出かけて行った。
吉祥寺から羽田へは直行バスが出ているので、車内で寝倒して行くって。

昨夜、大内くんが荷造りしてるところに帰ってきた息子は、書斎の大内くんをちらっと見て、
「海外出張って、明日?」と聞いてきた。
「そうだよ」
「ふーん、気をつけて」
そのぐらいのことは言ってくれるようになったか。

彼は彼で、週末にもう1回ライブが終わると少しヒマになるらしく、「沖縄に自転車で行く」計画を立てているそうだ。
大学に入った年の夏休み、高校からの友達と一緒にママチャリこいで北海道に行き(自転車は現地で廃棄し、飛行機で帰ってきた)、今回は沖縄。「日本を縦断した男」になろうという魂胆か。

行くのはいいんだが、1人旅だそうなので、いくらハタチ過ぎの男だからって、親は心配だ。
毎晩そこらへんで寝袋で寝ていた夏と違って、野宿も寒いだろうし。
「行くなら、夜は街にいるようにして、カプセルホテルとかに泊まってほしいな」と大内くんが言ったら、
「わかってる。そのへん、そんなに無茶はしないから」という答え。
口調も穏やかだし、素直だ。
どうも、こないだの決勝戦以来、またひと皮むけた感があるなぁ。

いくらぐらいかかるのか、とか、どういうルートで行き、どのくらい向こうに滞在するのか、とか、わからないことだらけだが、「Nくんと2人で、自転車で行って、飛行機で帰ってくる。10日間ぐらい」という以上のことを一切教えてくれずに出かけてしまった3年前に比べると、格段に話しやす い。
とりあえず今度の週末にはライブが終わるがまだ出かけないので、我々と話す時間を作ってくれそうだし。

最北端の宗谷岬に行くのはそう難しくないが、最南端となると、大内くんによれば、
「どっかの島。船が出てるかどうかもアヤシイ」そうなので、実際には「日本列島を端から端まで」ってわけにはいかないらしい。
そもそも、本当に行くのか?「計画だけはしてみたけど実現しなかったこと」って、山ほどあるからなぁ。
行くなら行くで、その前に無茶苦茶なことになっている自分の部屋を何とかしてからにしてほしい。

大内くんを送り出して、朝11時。
風で飛びそうな洗濯物を直していたら、起きてシャワーを浴びた息子が全裸でベランダに立ち、歯を磨き始めた。
その異様な自然主義に打たれたか、私の口から、つい、この間のお笑いライブで恋に落ちそうになった相手のこの先を聞く言葉が出てしまった。

「○○くんは、D通なの?」
答えに、超弩級に驚いた
「いや、あの人は、留年するから」
「・・・それって、つまり、卒業するつもりで就活してたけど、留年になった、ってこと?」
「そう」
キミはその轍は踏まないで、と言いそうになったが、代わりに出た言葉は、
「キミも、相方も、留年だから、もう1年、余分にお笑いできるね」
「うん」
「楽しみにしてるよ」

あああ、それにしても慶應の○○くん、かわいそう。私が30年若ければ慰めてあげたい・・・いかん、また妄想の世界にちょっと行ってました。留年って、本当に怖いなぁ。

15年3月13日

大内くん、海外出張。
サラリーマンには珍しくもないことだろうが、我が家では私が病身なこともあり、これまで、たとえ国内でも泊まりの出張はなるべくしないように働いてきてくれた。
ここ数年、やっと国内の1泊の出張ができるようになってきて、去年あたりからは近場の海外出張も登場。

「私が至らないばっかりに、ごめんなさい」という気分だが、働く男性が家庭を優先させる、一種のモデルケースかもしれない。
実際、障害を持って生まれた娘、唯生の療育のため、1年間の介護休暇をとってくれたのが22年前。
導入されたばかりの制度で、大内くんは男性女性 を問わず、社内での取得第一号であった。
その後も息子が警察に柔道を習いに行けば柔剣父母会長を4年務め、小学校でも中学校でも高校でも、お父さんがほとんど存在しないPTA役員を、何度も務めてくれた。

一番ありがたいのは、彼がそのことでまったく恩着せがましい気持ちを持っておらず、「家庭はひとつの単位。やれる人がやれることをやればいい」と 言い続けてくれたこと。
人間だから、「どうして自分ばっかりこんなに働いて」「家でも外でも働かされて」と思っても当然なのだが、この25年、そういう言葉を聞いたことはないし、言外に言われているなぁ、と感じたことも1度もない。

2時間睡眠、完徹とふた晩続いて、前日になってやっと5時間の睡眠をとることができて、「空港に行くバスの中で寝倒す」と言って、
「新しいスーツケース、いいなぁ。買ってよかった」と荷造りしながらにこにこしていた。
ここまで忙しいことはさすがにあまりないが、前向きな人である。

珍しく日付が変わる前に帰ってきた息子が、「おっ、オヤジ、出張は明日?ごくろーさん」と声をかけて廊下をすたすた通り過ぎて行った。
思えば、この息子がいちおう友好的な口をきくようになるまでの反抗期の間も、大内くんには「父親として、ひとつ、ガツンと」といった期待が寄せられ、いやはや父親というのは大変なものだ。
「僕は、僕のやれることしかやってない。周りの人に助けてもらって、やっと今の暮らしが成立している。そのご恩は、どう返していいかわからないけど、とりあえず仕事をするのと息子をまともに社会に出すことかなぁ」
私が言うのもなんだが、同感だ。

昨日の夜、ライン電話がかかってきた。
「聞こえる?すごくはっきり聞こえるねぇ。これでタダなんだから、驚くよね!」と言っていた。

昼間、ラインで送った「本日の大ネタ3選」で盛り上がる。
大ネタその1.ペットボトルの湯たんぽで、私の土踏まずにやけどの水疱ができた。
大ネタその2.○○日に下北で、慶應のカッコいい子と、こないだ優勝をさらった早稲田の先輩の出るライブがある。息子は沖縄に行ってるはずの時期だから、見に行っても怒られずにすむ。

ところが大内くんは、まさに今日の昼間、仕事上で、
「この件は次は○○日にやりましょう」と締結してきちゃったのだ。
「もう、あの子の漫才視るのも最後だもんね。就職だから」と残念そうに言うので、
大ネタその3.慶應のあの子は、留年しちゃったので就職はふいになった!

これは、驚かれたなぁ。
私だって、聞いた時は驚いたよ。
もっとも、お笑い活動を続けるのか、相方はどうするのか、といった情報収集は難しい。
素直に、息子に聞いてみるか。
どうも彼は、私の下心に気づいているような気がするんだが。

こうして、異国で驚いていても、今日はもう帰国だ。待ち遠しい。
早く帰ってきてね。


15年3月14日

今日はお客さまが来てくれた。
大内くんの会社の後輩で、今はそれぞれ別の会社に勤めている仲良しの男性2人。
なぜだかわからないが、大内くんの交友関係には、この「すでにある、とても仲の良いグループに入れてもらう」という形態が多い。

入社直後に大分の製鐵所に研修で行った時もそうだった。
寮の、別の部屋の3人組とむやみに仲良くなり、夜な夜な街に繰り出しては遊んでいたらしい。
結婚式を1、2カ月後に控えて、いい度胸と言えよう。
みんなで一緒に家族旅行に行ったりして、今でも「また会いたいね!」と言い合う、良い関係だ。

話がそれたが、それはさておき、今日のお客さま。
大内くんより4つばかり若いだろうか。
2人とも、そろそろコドモの進路に悩み始めるパパである。
大内くんは、子育てでも少し先輩なので、息子さんが公立中学の2年生になる、というSくんに、しきりに高校入試の制度を説明していた。

でも、Sくん千葉に住んでるから、東京とは事情が違うかもしれないし、何より、この受験システムというものが本当に生モノで、1年でも変わってしまうし、数年たつと殆ど参考にならないかもしれない、というぐらい激しく変わる。
我々は、息子より1年早く都立高校に娘さんを入れた友達女性にものすごく参考になる話を聞いたが、すでに事情は変わり始めていたし、息子の受験で得たノウハウは、全部まとめて翌年高校受験をする友人に説明して資料を渡したが、それが役に立ったかどうかはよくわからない。

さて、この後輩2人組は、とても本が好き。
私たちも本はかなり好きだが、即座に「参りました」と言うほど実力が違う。
うちへくる間にも古本屋を軽くめぐって、
「大内さん、井の頭公園の方に、良い古本屋がありますねぇ」と言って、荷物から重い本を出す、という感じなのだ。
神保町へもよく行くらしい。
最近すっかりアマゾンにお任せの書斎派の大内くんは、恥ずかしそうだった。

それに、不思議なことに、我々は一応「マンガクラブ」だったから人よりは少しマンガにくわしい、と思っていたのに、「素人」のはずの2人の方がむやみにくわしいのだ。
「藤子不二雄の弟子が描いた」という「ハムサラダくん」というマンガを、「まあ、『まんが道』みたいなもんですかね」と話題に乗せてくれたのはいいが、我々はそのマンガを全然知らない。
「絶対見たことあるはずですよ!有名です!」と2人で口角泡を飛ばすが、本当に、まったく聞いたことがない。

2人が帰ったあとでネットで調べ、「ある!」と驚きながら「立ち読み」をしてみたが、見たことないなぁ。
世の中には時々、こういう「組織されていない、濃い人々」というものがいる。
恐るべし。

でも、宮部みゆきの「ソロモンの偽証」を全部読んだ人に初めて出会えて、
「新刊書で読んだ? 文庫本の末尾には、20年後のエピローグがついてるよ。ぜひ読んで!」と教えてあげられたし、「クロノトリガー」を、「あれはたいへん良いゲームです!」と深々とうなずいてもらえたり、あとで大内くんが、
「会社で知り合ったとはとても思えない。すばらしい友人たちにめぐり会えたものだ」と感動していたのに、激しく同意する。
マンガクラブとはまた味わいの違う、ステキなマニアの2人だった。

大内くんがいつも「自分が受験の時に使った参考書」を探していて、
「捨てるんじゃなかった。自炊ができると知っていたら、なんとしても 持っていたのに!」と言っているのだが、これは、私には変態としか思えない。
私なんか、参考書はほとんど使ってないし、著者がいる、なんて考えたこともないんだから。
ところが、その日集まった人はみんな私から見れば筋金入りの変態で、参考書の話で盛り上がってる!
「山川の世界史はうんぬん」「受験への数学はかんぬん」
そして大内くんに、「今度古本屋めぐりをする時には気をつけて見ておきますよ!」と請け合う。
七帝大の人って、みんなこうなの〜?!

さて、本日のお料理は、

・タンドリー・チキン
・アボガドとしらすの和え物
・タコのサラダ
・生春巻き
・明太子とサワークリームのディップ

だったが、実は、最後のひと品は、よしながふみが大好きなSくんに敬意を表したもの。
実際、「ああ、クリスマス・ディナーですね!」とすぐにわかってもらえた。(「きのう何食べた?」より)
彼は、転職した際に、新しい職場で「よしながふみが好きです」と自己紹介したら、女性陣を中心に、「ほお〜ぉ」と感嘆のため息が上がった、という伝説の持ち主だ。

そして、ディップを山ほど作り過ぎてしまい、「バゲットが足りないかも!」と不安になっていた私に、
「これ、私が一番好きなパン屋で買ってきたものなんですが、どうぞ」とバゲットをおみやげに持って来てくれたKくんは、予知能力者?

テーブルにお料理が並び、おみやげにいただいたワインを開け、デザートのお菓子までもたらされたというのに、私は例によって例の如く、「写真を撮っておく」のを完全に忘れていた。
今回こそちゃんと撮って、FBにアップしようと思っていたのに。そのために、ケータイをキッチンのカウンタの上にわざわざ置いておいたのに。
もうこれは、何かの病気だとしか思えない。
食べ物を見ると、食べること以外何も考えられなくなっちゃうんだもの!

お客さんが帰ったあと気づいて、泣きながら、洗ったティーカップの写真を撮ってFBに上げた。
他には何にもお客さんの痕跡はないんだもの!

ともあれ、5時間半に及ぶ楽しい会になり、私も、自分の友達のよう(しかも私の方が年上なので威張りがち)に気軽に話してしまった。
5時間半があっという間の、本当に楽しい会でした。古い友人の良さをかみしめています。
Sくん、Kくん、ありがとうございました。
またぜひ遊びに来てください。
次のテーマは、老眼といかに戦うか、にしていただきたいと思っています。どうぞよろしく。

15年3月15日

先日、友人女性が「もういらないから」と、ウルフガイ・シリーズをメインに、平井和正をたくさんくれた。嬉しかった。
その中で欠けている部分を埋めたくなって、アマゾンで探し、「狼のレクイエム」2冊を古本で手に入れることができた。
これまた、実に嬉しい。

レクイエム、と書いてあるだけで、何となく胸にせまるものがある。
西洋式の葬式に出ることはめったになく、教会へも行かない私は、実際のレクイエムに触れる機会はほとんどないわけで、それでも「レクイエム」という言葉に惹かれてしまうのは、やっぱりバッハとかの仕事がでかいんだろうなぁ。
平井和正もそういう効果を狙って、ややベタなこの言葉を使ったのだろう。

大内くんが、朝、パソコンで仕事をしながら音楽を聴いていることがあるが、
「この曲、なに?」
「モーツァルトのレクイエムだよ」という会話をなんど交わしたかわからない。
私は、基本的に音痴で健忘症なのだろう、クラシックなどの曲を覚えるのは非常に苦手だ。
もっと言えば、クラシックそのものが大の苦手で、大内くんがけっこうクラシック・ファンであることを耐えがたく思うこともある。

でも、大内くんもアルフィーには敬意を表して、「いわゆるクラシックにまったく劣らない素晴らしい音楽だ」と言い、私がガンガンかけていた頃も何も言わなかったんだから、こっちも寛大にならないとなぁ。
合意点は「アルフィー・クラシック」か?

で、話は戻って「狼のレクイエム」なのだが、思春期真っ盛りの頃は、なにもかもが胸に迫って来て泣けた。
今は、まだ読んでないからわからないけど、平井和正は基本的に「エロとバイオレンス」の作家だから、あまり好ましく思えないかもしれない。
私にウルフガイをたくさん譲ってくれた友人も、一時的にはまったもののすぐに足が抜けたようだし。

若さは、暴力に、親和力がある。
老人は、破壊性を、好まない。
さて、今の私は、ウルフガイをどう思うのだろう。
「幻魔大戦」全20巻を読んだ限りでは、あれは暴力性よりもオカルトだからなぁ、何とも言えない。
でも、エロいシーンは、「はあ・・・そうですか」みたいな気持ちが強かった。
いいも悪いも、他人事で。
ウルフガイにはもうちょっと感情移入できることを祈る。
せめて、こないだお笑いの大会で慶應の男の子に恋に落ちかけた、あの時ぐらいのふらつきを、少年・犬神明に感じたい。
(神明、あるいはアダルト犬神明は、最初っからまったくタイプじゃない。今でもそうかなぁ)

15年3月16日

おととしの半日人間ドックで、「緑内障の疑い」が出た。
年末に眼科で検査をしたら、症状が出ているとは言い切れないがややグレーゾーンなので、半年に1回ぐらい検査に来てみてください、と有能そうな女医さんから勧められた。

でも、めんどくさくて放っておいたらかれこれ1年以上。
さすがにそろそろ行かないと、何かあったら困るからなぁ、と同じ眼科へ。

眼圧を測ったり(目玉にふっと風をかける感じ)、光を当ててみたりしたあと、薄暗い部屋で小さなドーム用のものに向かって座り、片目を覆い、見える方の眼で「光点が見えたら手元のスイッチを押す」という本格的な検査をする。
これが、非常にくたびれる。
両目終った時は、神経使いすぎてくたくただった。

5分ほどで結果が出て、女医さんは、コンピュータ処理した資料を見ながら「うーん」とうなる。
「必ずしも、症状が出ている、とは言えないんですよね。ただ、緑内障は、悪くなってしまったところはもう回復しないので、注意が必要なんですよ」
「どういう治療をするんですか?」
「今のところ、2つの方法が考えられます。ひとつは、時々検査を受けていただいて、症状がはっきり出てから本格的な治療に入る、というやり方。も うひとつは、眼圧を下げる目薬をさすことなんですけど、いったん目薬を始めてしまうと、そのあとはずっと通って、さし続けていたかないといけないんですよね。眼圧もさほど高いわけではないですし・・・どっちにするか・・・うーん」

女医さんが悩む、ってことは、まあ当事者の私が決めないといけないんだろうな、って思って、結局、安全を見て目薬を使い始めることにした。
「いつも混んでますか?」と聞いたら、
「まあ、今日ぐらいです。朝早いと、もっとすいてますが」という返事。
3人待ちぐらいだったなぁ。昔はもうちょっと混んでる病院だったが。
朝早いとすいてる、って言うのは、やっぱり眼科ってそう緊急性はないと言うか、朝一番で駆けつけて治してもらおうって患者さんはあんまりいないんだろうなぁ。

目は、怖い。
一生、本を読んでいたい私にとって、目が見えなくなる、ないしは悪くなる、というのは、とてもオソロシイ感じだ。
老眼だけでも悩んでるのに。
あー、これが白内障だったらなぁ、手術受けて、ついでにレンズ入れてもらって近視や老眼を治せてラッキー!なんだけどなぁ。

大内くんも、
「緑内障は、治らないの?白内障みたいに、レーザーでびゅーってわけにはいかないの?」と心配している。
今のところ、老眼が進んでいる以外に目に異常は感じられないから、女医さんの言うとおり、目薬をさして様子を見よう。

もしかして誰でもそうかもしれないが、私は患者としては非常に几帳面なタイプで、言われたことはちゃんとやる。
朝に晩に「おっといけない、目薬だ」と言いながら、大内くんのいつもの、
「キミは本当はとっても生真面目で几帳面なんだよ。キミのお母さんやお姉さんが『あなたはだらしないから』って言うのを聞いて育ってるせいで、ものすごく自己評価が低い。もうそろそろ、現実を見て、直してもらいたい点だ!」というお叱りを聞いている。
しょうがないじゃん、実際、あなたと結婚するまでぐらいの私は、本当に生活態度がいいかげんだったんだから。

また1枚、財布に入れる診察券が増えた。
2カ月に1度ぐらいの通院ですみそうだけど、目薬は大事に使わなくっちゃ。
ついでにタブレットで本を読むのが原因と思われる疲れ目にも、ビタミンの入った目薬をもらった。
2つ一緒にさしてはいけない。互いに流し合っちゃって、効き目が薄れるから。

生活は細かいことの積み重ねだ。
そして私はとても細かい。自分で自分にくたびれる。
のんきな大内くんがついていてくれなかったら、人生はつらいものだったろうなぁ・・・
大内くんも、私が細かいことに気づいてくれるおかげで助かっているのだそうだ。
「Every Jack has his Jill」
仲良くやろう。

15年3月18日

医療費がかかる。
年々増えてきた。

心臓の弁の奇形、心肥大、胸部大動脈瘤、変形性膝関節炎、緑内障。
病気のデパートのような気分で、毎日いろいろな薬を飲んで暮らしている。
毎月のように行われる血液検査等で、費用はかさむ一方。

せめて少しでも家計の助けに、と、医療費の控除を毎年申請しているが、この申請用紙の書きにくいこと。
もちろんPC上のものだけど、ちょっとした修正などで、大きくつまづく。
たとえばうっかり「切り取り」をすると、その部分は罫線ごと持って行かれてしまって、修復が不可能なのだ。

しかしこのフォームを使うしかないので、あきらめて新しいフォームを画面に呼び出す。
せめて、さっき8割まで打ち込みが終わっていた申請書を見ながら記入すれば、領収証を1枚1枚見ながら書き込むよりは早い。

ところが、それができない。
普通にエクセルを使う場合、2つのウィンドウを並べて見ることは簡単にできるのに、このフォームは、そういうことをさせてくれない。
こちらの技術が未熟なだけかもしれないが、普通の使い方をしているなのに。

何度もミスをし、結局3枚目のフォームで何とか打ち込みを終えた。
私は旧時代のOLで、パソコンを使って仕事したことがほとんどないのだが、ミスがあって残業になってデートが流れたりする時って、きっとこんなふうに泣きたくなるんだろうなぁ。

そしてまた、大内くんも息子も領収証は年間10枚程度なのに、私の方は1カ月にそれぐらいはもらってしまう、というところがより悲しい。

健康は何よりの財産。
若い頃に「不健康こそ知の証」とでも言いたげに身体に無頓着だった友人たちが、歯が悪いのでインプラントをするだの、腰を痛めたので手術をするだの、今や彼らの知性は肉体という牢に閉じ込められているがごとくで、身体を大事にすることがすべての始まりだ。

私も、人のことは言えない。
泳げないのでプールで水中ウォーキングをしながら、
「いつ、どこで死に果ててもいいとさえ思っていた、死を希求していた私が、足腰の痛みを軽減し、『健康のため』、こんなことをしているとは。人生って、わからない・・・」と考える。
夭逝に憧れる、なんて言ってる間に、中年ですよ。もうじき老人だ。
大内くーん、一緒に長生きしようねー。

15年3月19日

息子が、沖縄に行った。東京から、自転車での1人旅だ。

彼は、大学に入った年の夏休みに、友人と2人で「ママチャリで北海道へ行く」という旅を敢行した。
1週間かけて、夜は寝袋で寝ながら毎日自転車こいで北海道に到着し、札幌や宗谷岬を見たあと、自転車は現地で廃棄し、飛行機で帰ってきた。とても大きな経験だったと思う。

さて、今回、彼はまたしてもママチャリこいで、今度は沖縄まで1人で行く、と言う。
いくら21歳男性、柔道2段と言えども、1人旅は心配だ。季節的にも夏休みと違ってとても寒い夜もあるし。
彼の言い分は、「やった人の体験記はネット上でも無数に見ることができる。1人でも、計画的に行けば危険はない」「子供じゃないんだから、寂しいとかそんな気持ちの入る余地はない」「路上で寝るような無茶はしない。ちゃんと自分なりに考えている」というもの。

話し合いの結果、「夜は必ず『街』にいるようにする。ひと気のない道を、夜走ったりはしない」「漫喫やカプセルホテルを利用し、野宿はしない」「毎日連絡を寄こす」といった条件をつけて、送り出すことにした。

今日出発ということで、地図を見たりケータイで調べ物をしていたが、朝出発だとばかり思っていたのが、夜中の3時半に我々を起こしに来た。
「今日中に箱根を越えたいから、もう出かける。行ってきます」と言い、寝ていた大内くんとは握手をし、起き出した私をしっかりとハグし、「じゃあ」と言って結局寝袋も入れてぱんぱんになったリュックをしょって出かけて行った。

「行っちゃったね」と言いながら、今日も仕事に追われる大内くんはまた眠ってしまったが、私は眠れない。
来る日も来る日も1人でペダルをこぎながら、息子はどんなことを考えるのか。帰ってきた時の彼は、もう今の彼とは違うだろう。
計画は聞いていたが、本当に実現するとは、半ば信じていなかった。「やっぱ、めんどくさい。やめとく」と言ってくるとばかり思っていたのだ。

力強いしっかりとしたハグを思い出しながら、「オトナなのかコドモなのかわからないけど、行っちゃったなぁ」と、今はちょっと呆然としている。
さて、彼は、新学期が始まる4月6日までにケータイからの課目登録を済ませ、帰って来られるでしょうか。
いろんな場面でコドモを送り出す、親の気持ちは複雑。
とにかく無事を祈る。

そして夜が明け、大内くんが出社し、私は昼寝をするといういつもの生活が始まった。
不穏なのは、昼頃、私の眠りを破った大内くんからの電話。

「どしたの?」
「息子が、箱根で大雨に合って、何もかもイヤになったらしい。『もう、あきた』って。今日中に帰るかもしれないよ」
オーマイガッ!
「ママチャリで沖縄に行く」という気宇壮大な夢を実現するべく、夜明け前に旅立った息子だったが、もう終わりかい。
「短けえ夢だったなぁ」(by クワトロ from「風の谷のナウシカ」)

そして、本当に帰って来ちゃいましたよ。夜の8時ぐらいに。
「つかれた〜、ああ、しんど〜」とつぶやきながら、濡れた服の大きな袋を持ってとぼとぼと。
お風呂がわいていたのでそう言ったら、シャワー派の彼にしてはのんびりゆっくり入ってた。

ツイッターにも、「いってまいりやす!」と夜中の3時半に自転車写してアップしたりしてたんだが、さっき見たら、
「箱根の峠は、人間の自転車で超えることは不可能でした」
「人生で一番しんどかった.雨も激しかったし」と愚痴をこぼしていた。
仲間内でも、そうとう男が下がったろう。気の毒だが。

私としても、この「自転車で旅をする」という行為は大学生として非常にカッコよく、道中の危険やトラブルの可能性を差し引いてもぜひやり遂げて欲しいと思っていた。
それが「箱根で挫折かよ orz」って思わないわけがない。
本人もやる気があって計画してたんだろうから、責めることはできないが、「もうちょっと根性出せよ!」と心のどこかで思っている。
柔道やめてから10キロ増えたうえ、ほとんど運動してない。それがいけないんじゃないの?

幸い、大学に入った年に友人と2人で「自転車で北海道」というのはクリアしてるので、今回はその沖縄バージョンなだけで、過去の良い思い出に傷がつくってことあるまい。
「自転車で沖縄」思いついただけでも偉かった!頑張った!未遂に終わったのは箱根の山をなめてかかったのと運の悪い大雨のせいだ!
と思っておこう。
北海道には行けたんだ!

ところで、本人やっぱり沖縄には行きたいようで、順当に飛行機で、明日から出かけるという。
高校の修学旅行で行ったのは知ってるけど、何でそんなに沖縄が好きなんだろう?
私は1度も、行きたいと思ったことがないんだがなぁ。(史跡とか博物館全般には興味ありますが)

というわけで、皆さん、お騒がせしました。
豚児は、今、ソファに寝っころがって、
「箱根は本当に大変だった」とかつぶやいております。
この若気の至りを、どうぞ責めないでやってください。(笑うのは、大いに笑ってやってもらいたいと思います。親も笑っています)

「自転車旅行沖縄編」、とんだ結末になってしまいました。
やっぱり、1人旅、っつーとこがまずかったんですかねぇ。
でも、私は忘れない。旅立つ朝のしっかりしたまなざしを。力強いハグを。
またひとつ、オトナになった彼。
北海道チャリ旅と富士山登頂はちゃんとやれたわけだし。(←結局、親は世間体を気にしている)
教訓:天気予報はしっかり聞こう。

15年3月20日

こうして「自転車で沖縄旅行」が中止になってしまった息子、沖縄に行く気だけはあるらしく、飛行機のチケットを取ろうとしている。
ハイシーズンではないものの、春休み中だからか、「明日のチケットを今日予約」というわけにはいかないらしい。
「今日は取れなかった。明日の分を申し込んでおいた。たぶん大丈夫」と言って、ヒマそうにしている。

「キャンセル料がかからないんだったら、あさっての分を押さえておいたら?」と言うと、「どうして?」と驚いた顔になる。
そりゃ、今日より明日、明日よりあさっての方が、予約ってのは取りやすいんじゃないの?
そう説明したけど、よくわかんないみたいだった。まだまだコドモだなぁ。

とにかくヒマがありあまってるらしい。大内くんにこのヒマを分けてあげたい。
(それを言ったら、日頃の私のヒマの方が問題か)
旅行費用を渡してそのままなので、
「時間とお金がたっぷりある状態だろうけど、パチだけはやらないで」と懇願しておく。
「飛行機代払い込んで、映画観てくる」と言って出かけたが、大丈夫だろうか

「あー、やっぱ、(自転車で)行けたかもしれないなぁ。寝たら、大丈夫になった」ってつぶやいてるけど、徹夜した翌日、自転車で箱根越えをしようというのが間違ってるんだよ。体調管理も旅行のうちだ。
ボーイスカウト2級まで行った人とは思えない。

今、うちでは、浦沢直樹「20世紀少年」に描かれている「ドンキーの箱根越え」の難しさが話題だ。
あれは、面白いマンガだったなぁ。
5回は読んだと思うが、まだまだ読める。あれだけの長編なのに。
息子もめずらしく激しく同意している。

明日、チケットが取れて沖縄に行ってくれればこっちもひと息つけるんだが。
大学生の休みが長すぎる点について小一時間、という感じ。
ちょっとは世のため人のためになることでもしないだろうか。
うーん、それも、「天に唾する」って状態だなぁ、私が言うと。

うちで唯一の勤労者、大内くん。昨日もほとんど寝ていない。
早く週末を迎えて、とにかく寝てくれ。

15年3月21日

息子が、飛行機で沖縄に旅立った。

おととい、「自転車で沖縄目指す」に箱根で挫折し、帰って晩ごはんを平らげたあとはすぐ寝てしまった息子だが、その前にケータイぽちぽち打って、 翌日の飛行機便を予約しようとしていたみたい。
夜中にのどが渇いて起きたようなので、冷蔵庫の前に仁王立ちになってパックからごくごく牛乳を飲んでいる後ろ姿に、
「飛行機、何時なの?」と聞いてみる。
「取れてれば、3時」
「取れてるかどうかは、いつわかるの?」
「朝」
短い会話だ。ツイッターの世界に生きているなぁ。

で、朝、と言えるかどうか、昼近く彼の目覚ましが鳴るのを待って、起こしに行く。

「あー、やっぱ、行けたかも。寝たら身体が楽になった」と言うので、
「そんな大事な時に 徹夜で行くのが悪い。ダメじゃん!」と叱ったが、聞いているのかいないのか、またケータイで飛行機のチケットを取ろうとしている。
前日に申し込んだ分は、取れなかったらしい。

「明日の往復チケットを申し込んだ」と言うから、
「キャンセル料って発生するの?」と尋ねる。
「たぶん、ない」
「じゃあ、あさっての分も申し込むだけ申し込んで押さえておいた方がいいんじゃない?」
「え?なんで?」
心底きょとんとした顔で聞き返されて、
「だって、明日の分が取れなかったら、またその『明日』の分を申し込むわけでしょ?先に『あさって』の分を申し込んどいた方が確率が上がるじゃない」
「・・・よくわからない。とにかく、めんどくせー」
あああ、こんなにコドモだとは思わなかった!こんな人が1人で自転車で沖縄行ったりしなくてよかった!

私、間違ってないよね?もしかしたら、少し倫理に欠けるところがあるかもしれないけど、問題はそこであって、とにかく早くチケット取りたいんだったら、正しい方法だよね?
ちょっと自分の「計画性」に信頼がおけなくなってパニックしてる私を置いて、息子は、「金を払い込むついでに、映画観てくる」と言って出かけてしまった。

帰りは夜中になるだろうと思ったから先に寝たけど、朝起きたら、いない。外泊か。
大内くんのケータイには「チケットが取れたので、明日から沖縄行きます」とラインが入っていたようだ。
「いつ帰るの?」
「もうじき」
「飛行機何時?」
「5時」といったやり取りを経て彼が帰ってきたのは3時間後。どこが「もうじき」なんだ?

「カノジョんとこ、泊まったの?」
「うん」
「帰りの飛行機は、何日?」
「27日」と言いながら、荷造りを始めたのはいいが、おととい雨でぐしょぬれになったリュックの中に濡れた服のカタマリが入っていたらしく、着替えの在庫が少なくて、少し困っていたようだ。
今からそのカタマリを乾かすないしは洗濯するこっちの方が困る。

6泊7日か。自転車で行く計画よりは早く帰ってくるけど、いきなり1週間もいないのか。寂しいじゃないか。
「宿泊費は、いくらぐらいかかるの?」
「1日千円ぐらい」
「そんなに安いの!!?」
「漫喫とかだから」
「身体が、休まらないでしょ。たまにはホテルとか泊まんなさいよ」
「まあ、適当に」
そんなやりとりをしながらなんとか荷造りを終え、少し神妙な顔で、
「じゃあ、行ってきます。つっても、親に借りた金で行くわけだけども・・・」と、大内くんと握手。私はこのすきにハグしてもらう。自転車で向かう時ほどの熱心なハグではなかったが。

こうして彼が出て行ってしまったのが2時頃。大内くんと2人、図書館や買い物に行って、帰って夕食のしたく。
「行っちゃったねぇ」
「無事に着くといいけど。やっぱり、家を離れてると心配だね。自転車で行ってたりしたら、どんなに心配しただろう?」
と話しながら夕食を食べていたら、ケータイに連絡が。
「無事、着きました」
これが、夜の8時頃の出来事。言われなくても連絡を寄こすとは、感心だ。

そのあと、ガマンできなくなってライン入れたのが10時頃。
「宿は決まった?」
「まだ」
「今、何してる?」
「飯食ってる」
「漫喫のナイトパックとかは何時からなの?」
「確認してない」

不案内な土地で、メシ食うより先に宿の心配をしろよ、とじりじりしてたら、11時過ぎに連絡。
「漫画喫茶にした」
「落ち着けそう?」
「大丈夫そう」
「よかった。じゃあ、おやすみ」

こうして、彼の沖縄第1日目が終わった。
漫喫に泊まるというのがどういうものなのかは小説やマンガの中でしか知らないが、快適とは言えまい。
それが気にならないのも若さか。
まあ、青春1人旅だ、好きにやってもらおう。

ふり返ると、私は彼に質問ばかりしている。
彼もよく答えてくれるようになったもんだなぁ、と感心するぐらいだ。
読み返すと、自分でも「過保護でし つこい」と思えるもん。
でも、心配なものなんだ。沖縄に行くのは高校の修学旅行を入れて3回目らしいので、行ったことのない我々より彼の方がずうっと慣れてるのかもしれないが、初めての1人旅で、どうしてるだろう、って思うじゃないか。
明日からはもう少し落ち着けるかもしれないが、ここ 数日、いろんなことがいっぺんに起こった気がして。

1週間。
自分勝手に、好きなように、何の制約もなく旅をする。その自由のありがたさは、今の私にはもうわからない。
オトナにとっては、ある意味、日々を何事もなく終えるのが大変で難しく、時には奇跡のようにありがたく思える。
少なくとも私は、毎日布団に入るたび、「今日も無事に終わりました。ありがとうございます」と、何者かに語りかけてしまう。
息子も漫喫に落ち着いて、施設にいる唯生も含め、我が家の全員が、どこかで1日の終わりを迎えている。
厳粛な気持ちだ。明日も頑張ろう。


15年3月22日

今日の息子 in 沖縄。(2日目)

当然のように何の連絡もないが、夜の8時頃になって、ツイッターに観覧車から見た夜景と映画のチケットが上がってきた。
「ミュータント・タートルズ」を観るのはいいが、それは、沖縄に行く前日にも観たんじゃなかったっけ?
「肌黒い、米兵と見る、カワバンガ」と一句添えてあった。
わからなかったので調べたら、「カワバンガ」というのは、サーフィンでうまく立てた時などに使う言葉で、「ミュータント・タートルズ」のキメ台詞であるらしい。

映画が終わる時間がチケットに写っていたので、終わる頃を待って、「今夜の宿は決まった?」とライン。
「まだ」
「今日は何したの?」
「首里城行ったり。いろいろ」
観覧車とミュータント・タートルズのことを報告する気はないらしい。
まあいい、ツイッターで済んでるわけだし。

予想していた通り、11時過ぎに連絡が来る。
「今夜も漫画喫茶」
きっと、漫喫のナイトパックが11時からなのだと思う。観覧車+映画+漫喫、それに加えて食費や移動費がかかるわけで、うーん、いくらぐらい使ったんだろう。
もちろん我々が考えるより「旅行費」よりはるかに少額だと思う。パチさえやっていなければ、の話だが。

「沖縄に来てまで『さすらいアフロ田中』読んでる」と昨夜のツィートにあったが、今夜もアフロだろうか。
とにかくねぐらにありついたところまでは 確認できたので、こっちも安心して寝ることにしよう。
明日からはまた大内くんも仕事でいない。
昼間、誰もいない家で寝るのは慣れているつもりなの に、「いない人」の1人は遠くに行っているんだなぁ、と思うと、ちょっと寂しくなる。

ただ、息子のいない生活は快適というか、不合理なことは何も起こらない。
妙な時間に食事を要求されることもないし、牛乳を飲んだグラスが置きっぱ なしになっていることもない。
すべてが大内くんとの相談ずくで、整然と、合理的に進む。
就職したら家を出てもらおう、とあらためて思う。

なぜだか大内くんの方は、「寂しいから、就職しても、結婚するまでは自宅でもいいんじゃないかなぁ」と物騒なことを言い出す。
この人は、どこまで 「下僕体質」なのだろうか。
お仕えしたいなら、私にしてくれ。
息子の就職先が、即座に地方転勤を伴うことを祈る。

15年3月23日

寒い!
昔の人はえらかった。「三寒四温」とはまさにこういうことだ。
息子が自転車で沖縄行ったりしなくてよかった。行ってる途中だったらさぞかし心配したことだろう。
今はむしろ、「あったかいとこに行ってて、いいなぁ」という感じ。
週末あったかかったので、少し油断をして薄手の上着で出かけた大内くん、大後悔。

ペットボトルの「湯たんぽ」で「低温やけど」をした私の足の土踏まずは、大きな水泡が破れて、痛い。
ウワサには聞いていたが、「低温やけど」とはこんなに怖いものなのか。
60度のお湯に少し熱湯を足して、70度ぐらいかなぁ、と思って安心して使っていた。
大内くんは、ペットボトルを布にくるむとかしなさい、とうるさい。
しかし、現実にかなりひどいやけどをしているんだから、反論はしにくい。

直径2センチにもなろうかという火ぶくれの皮がむけた痕を見てると、つくづく皮膚というのは丈夫に、よくできていると思う。
マメができた時とか、指に「逆むけ」ができた時とか、小さな傷でもすごく痛いじゃん。
皮膚で守られてる部分がちょっとでも外にさらされてみて初めて、ありがたみがわかる。

まあ、それで言ったら人体のあらゆる部分は「よくできてる」のだが。
心臓なんか、生まれてから死ぬまで1度も止まらないんだよ。
数年で壊れる家電とかと比べて、人体、いや、生き物はみんなすごい。
細胞の「再生」あたりがキモなんだろうなぁ。
「新陳代謝して常時リフレッシュ」のパソコンなんかあったら、どんなにありがたいだろう。

息子が旅立つ前に、愚痴をこぼしつつ、教育を試みた。

私「母さんさぁ、低温やけどしちゃったんだよ」
息子「なに、それ」
私「50度ぐらいのものでも、ずっと皮膚にくっついてると、やけどしちゃうんだよ」
息子「なんでそんなことになったの?」
私「ペットボトルにお湯入れて、湯たんぽの代わりにしてたの」
息子「なんでそんなもん、布団に持ち込むんだよ」
私「更年期障害で、つま先が冷えるから」
息子(もう、興味を失くして)「・・・」
私「将来、あなたにコドモとかできたら、低温やけどには気をつけてあげて」

彼にしてみたら、更年期障害なんか知らないかもしれないし、知ってたとしても知ったこっちゃないだろうし、自分の母親が「老化」している、というのはそれほど愉快な話題ではあるまい。

それはさておき、今日の息子 in 沖縄。(3日目)

今夜は安いホテルに泊まるらしい。4千円。そりゃ安い。
毎晩、漫喫ではくたびれるだろうと思っていたんだ。そろそろホテルでもいいだろう。

「今日は何した?」と大内くんが聞いたら、砂浜の写真と共に「離島とか、行った」とレス。「ふーん、意外とちゃんと旅行してるねぇ」と驚く大内くん。私も驚いた。昨日が首里城と観覧車と映画だからなぁ。あんまり「旅」っぽくない。あ、首里城はOKか。

私は1人旅なんてしたことがないからわからないのだが、気ままにあちこち行けて面白いものなんだろうか。
スケジュールを立てて遂行しつつ、常時、感想をしゃべりっぱなしでないと旅をしてる感覚というよりも生きてる感覚がしないタイプの私は、大内くんと旅行するしかない。
イタリアの団体旅行は案外よかったなぁ。スケジュールはきちきちだし、大勢いて、常に誰かが私と話をしてくれていた。
向かない人にはとことん向かないだろうけど、ツアーというものにも見るべき点はあったと思う。

ともあれ、息子は今日も無事。こっちも安心して寝られる。沖縄が、明日も良い天気でありますように。あるじ不在の部屋が、少し寂しそう。

15年3月24日

今日の息子 in 沖縄。(4日目)

今夜もホテルに泊まる、と連絡があった。どこにいるともつかないが、沖縄の地理がわからないから聞いてもしょうがないかも。
「クルーズをした」と言って、川を進む20人ぐらい乗れそうな船の一部とアマゾンっぽい岸の写った写真を送ってよこした。
「自転車に乗った」と言うのは、レンタサイクルに乗ってそのへん走り回った、ってことかな?

ツイッターによればホーキング博士の映画を観たらしい。映画ばっかり観てる。何しに行ってるんだろう?まあ、いいか。楽しいんだそうだし。

さすがにだんだんいないのに慣れてきて、大内くんが今とっても忙しいのもあって、「いないのもいいなぁ」と思い始めている。
「本当にもう、いなくてもいい」と思った頃に帰ってくるんだ、いつも。

午前中はケータイがしきりに「iCloud」のパスワードを入れろ、と言ってくる件についてアップルさんのサポートセンターの人と電話で話し、最終的には明日どうにかしなければならない、という結論。

午後は、HDDに貯めてある息子の高校時代の柔道の試合とか、いい加減にDVDに焼いてしまわないと、と思い立ち、ビデオデッキと生DVDと格闘 する。
結果、ついにわかったのは、2台あるデッキの1台は完全に修理が必要な状態だ、ということ。
パナの DIGA。
買ってから6年目ぐらいか。
なんだかとっても精神的に参った。

夕方5時ぐらいから1時間ほど、「カスタマー・サービスに電話しなきゃなぁ」「もう受付時間過ぎてるかなぁ」とぼんやりする。
保証書を探すとか、型番を確認するとか、そういうことが一切合財面倒くさくなって。
ごはんも、夜だけ食べた。
しかも昨日作ったチキンライスの残り。
家に誰もいないと、楽だが、人間らしい生活からは遠ざかる。

週末に軽いお花見の予定が入りそうだけど、お誘いを受けて、「あー、嬉しい・・・行けるかな…行きたいな・・・」とまた小一時間ぼんやり。
実は沖縄にいる人とパイプでつながってて、あっちが元気に観光すればするほどこっちの元気はなくなるんじゃないだろうか。
何かを「ちー」と吸い取られている気がする。

大内くんは大内くんで、1日パソコンの設定と格闘して、最後に、数字の「1」と英小文字の「l」を間違えていた、ということがわかったらしい。
接 待から帰ってきたのが12時直前。時間だよシンデレラ。

問題と言えば、パソコンが勝手に窓をどんどん開いたり、時間がたってもロック画面にならない時があったり、というのも問題だろう。
直視したくない。
そのうち適当に直るんじゃないか、と根拠なく思う。

2人とも「orz」な状態で、息子がいればいいのに、なのか、いなくてよかった、なのか話し合う気力もなく、とにかく大内くんは寝た。
寝る前からすでに寝ている、という状態だ。
私は今日、昼寝をしたのかなぁ。してないような気がするなぁ。

友達からもらって自炊した、「ヤング・ウルフガイ」シリーズを読み切ったのは嬉しいが、もらったはずの「アダルト・ウルフガイ」が1冊見つからない。
家の本棚に入っている写真があるから、受け取ったことは確か。
裁断してから、スキャン前に処理済みの山に入れてしまったのか?
シリーズの始めなので、これがないと次が読めな い。
何だか敗北感にまみれて、アマゾンで買い直す。
唯一救いなのは、少し読みにくい祥伝社ノベルズではなく、昔持っていたハヤカワのが見つかったことか。

生きているだけでグロッキーな日もある。今日はそんな1日だった。

15年3月25日

今日は大内くんが早く帰ってきた。
最近、忙しすぎる。こういう日もないと、身体ももたないだろう。

私は、今日はアップルさんとパナさんに電話して、もろもろ、修理や設定の手はずを整える。
アップルさんからは今日メールが来て解決するはずだったのに、来るべきメールが届かなかったため、後日に持越しだ。
パナさんは、明日DVDデッキの修理に来てくれる。

昨日は気力がなくてできなかった「保証書を探し出す」「品番を調べる」という作業を朝イチでえいっとやってしまったのがよかった。
デッキは思いのほか最近買ったもので、「5年間の長期保証」をつけていたことが判明する。
今年の4月9日で5年の期限が切れるのだ。
あやうく、長期保証を無駄にするところだった。
やはり、何でも早めにすませないといかんなぁ。

15年3月26日

息子 in 沖縄。(6日目)
昨日もホテルに泊まったらしい。
「何してた?」とラインで聞くと、「ぼーっとしてた」。

大内くんは、
「沖縄に行って、観光客みたいなことばかりしている。もうちょっと、ただ海を見てコントを書くとか、思索的なことをすればいいのに」と不満をもらしていたから、この答えで満足?
パラオで暮らしたことのある友人に言わせれば、
「私の経験から、南の国は思索には向きません。ぼーっとするのが正解です。思索するなら北国を目指すべし、です」とのこと。

朝起きて、通帳の残高を確認したら、あと2万円しかない!
10万円入れておいたのに!5万円持たせたのに!
1週間足らずで13万も使ったってこと?

まだ寝てるだろうと思いつつ、ラインで聞くと、すぐ返事が返ってきた。徹夜?
手元に3万円持ってるのと、飛行機代が往復で5万円ぐらいかかってることを説明してくれた。
使ったのは7万円か。あまり貧乏旅行とは言えないね。

そろそろ寂しくなっていたこともあり、起きているならば、と大内くんに電話をしてもらう。
元気な声が聞けた。

「徹夜なの?」
「いや、昨日の6時頃からホテルで寝て、1時頃起きた」
「お金、だいぶ使ったね」
「メシ代にけっこうかかってる。酒代とか」
1人で飲むのか。ちょっと意外。
「パチとかピンクとかにお金使ってない?」と聞くと、
「いやー、そういうのにお金使ってたら、ダメでしょう」と慨嘆する様子。
なんだか、つい最近「後悔し始めた」って感じするぞ。
昨日、けっこうスッたとか、そういう感じ。

「明日の飛行機で帰るんだよね?」
「いや、えーっと、今日、何日だっけ。26日?ああ、明日だ!」
日付の感覚がないらしい。この人は、アメリカから帰り忘れた過去があるからなぁ。

私も電話を替わってもらう。
「元気?」
「うん」
「ソーキそば、食べた?」(息子は、全国どこに行ってもラーメンを愛する男である)
「うん。うまかった。フルーツが、うまいね。マンゴーとか」
「明日、会えるね。飛行機、乗り忘れないでね」
「うん」
まあ、こんなものか。

電話を切って、大内くんと話し合う。
「彼は、1人旅が大丈夫なんだね。僕ら、1人は苦手だけど」
「家からも友達からも離れてる、って、珍しい体験だから、いいんじゃない?」

人は、旅で新しい自分を発見する。
沖縄で飲む1人酒は、彼にどんな感想をもたらしただろう?
少なくとも我々は、彼がいないと生活がとても楽だということを発見した。
夜中にメシ作らされたりしないし。
この自由を、あとひと晩、満喫しよう。

昼間にパナさんが来て、DVDをあっという間に直して帰って行った。
5年の長期保証期間にあと2週間を残すだけ、という非常にラッキーなタイミングだった。
リモコンも壊れたので新しくしてもらったが、こちらは部品扱いで補償の対象とならないらしい。3240円取られた。

2年前にもDVDユニットの交換をして直してもらったことを話すと、
「DVDはかなりしょっちゅう、焼かれますか?やっぱり、よく使ってらっしゃる方は、2、3年で傷んできますね」という答え。
それでいいのか、とはあまり思わず、「はあ、そうですか」となってしまう。
家電、しかも掃除洗濯炊事と関係ない「趣味」の分野の機械は、壊れるのが当たり前みたいに思ってるからなぁ。
洗濯機が2年で壊れたら文句言うか、二度と決してそのメーカーのものは使わない、となりそうな気がするけど。

消費社会で、買い替えで世の中回ってる。
そんな感想を持っちゃいけなくて、もっとクレーマーになるべきなのか?

夜、大内くんからの帰るコールの時に、オソロシイ話を聞いた。
息子から、
「飛行機の時間、3時だと思ってたけど、1時半だった。危ないところだった」というラインが入ったそうだ。
気絶しそうになった。

あああ、気がついてくれてよかった!
朝、話した時に、「チケット見て」と言うべきだった!本人がチケット確認する気になってくれてよかった!
やはり、前科のある人は信用してはいけない。人は経験から学ばねば。(彼は少しは学んだ、ということか?)
空港に行ったら飛行機はすでに出発、お金ももうない・・・ああああ。

明日、思ったより早く帰ってくることはわかった。
無事に帰りついてもらいたい。
飛行機の時間・・・あああ。

15年3月27日

1週間の沖縄旅行を終えて、今日の夜、息子が返ってくる予定。(飛行機に乗り損ねなければ、の話だが)
昨夜の宿は「民宿」だそうで、どんな感じなんだろう?
いずれにしても沖縄最後の夜だから、楽しく、またしみじみと過ごしてもらいたい。

あー、また夜食を作る日々が始まるのか。
新学期が始まったら、授業に遅れないよう起こす仕事もまわってくるのか。
一切合切手を引いたら、どういうことになるんだろう?
でもなぁ、そこらへん手を抜いた結果が留年だった、という過去もあるし・・・あと2年、我々が彼の人生に関われるのはあと2年と開き直って、かまい倒すしかないか。

我々がこんなことを企んでるって知ったら、息子は沖縄から帰ってこないかもなぁ。

息子から、「羽田に着いた」との連絡が入った。
「新宿でライブ見て帰るから」と、あいわからずの息子節炸裂。
「晩ごはんは?鳥もも肉の香草焼きだよ」と彼の好物で釣ったら「家で食べる」。
家に帰るまでが、旅行です。

大内くんは今日、持ち返り仕事で徹夜の予定。
私も一緒に徹夜して応援しようと、昼寝をして待ち構えている。
そいで明日は大学の同窓会で、あさってはお花見の席に呼ばれていて・・・来週の私は、倒れ込んで爆睡だな。

昔よりは親バカも落ち着いてきたものの、やはり息子の元気な顔が早く見たいね。
おみやげ買って来てくれるらしいし。
晩ごはんの時に、いろいろ話が聞けたらと思う。
たいてい、「いろいろの、い」にも届かない量なんだけどね。

「家で晩ごはんを食べるが、遅くなる」と言ってよこしたので、
「いいよ、待ってる」とすきっ腹をかかえて待つこと2時間。
「やっぱ、食べてくことになっちゃった」と連絡がきた。
「そんなこっちゃないかと思ったよ」と料理をオーブンに入れていたら、さすがに腹が立ってきた。

「そのドタキャンは、ちょっとないんじゃないの?」とラインしようとケータイを手に取ったら、新しいメッセージが。
「こめんなさいね」.

あああ、彼はうますぎる。いいタイミングで、あやまったり礼を言ったり、とにかく最小の労力で最大の効果をあげてしまうのだ。
今回も、「あの人にはかなわないよ」と言いながら大内くんとごはん食べて、しばらくしたら帰ってきた。久しぶりだ。無事でよかった。

そんな親の感慨などどこ吹く風で、まるで今朝大学に行って帰ってきたような顔をしている。
「ほい、これ」とくれたおみやげは、紅芋タルトとスパムの缶詰だった。
ゴーヤーチャンプルーでも作れと言うのか。

シャワーを浴び、ソファに寝転がっているのを見ると、1週間も留守にしていたなんて、嘘のようだ。
ずっとこんな感じで迷惑かけられていたような気がする。
まあ、いたらいたで、いなければいないでいいものだということが、よーくわかった。
最終的には、彼のいない生活をめざそう。

15年3月28日

大学の同窓会。
と言っても、同期の集まりではなく、今度 建て替えになる「第二女子寮」に住んでいたメンバーが集まって、寮を見に行こう、という主旨の会。
何か月も前から、金沢に住む元寮生の大学教授が頑張ってくれて、当日は、20人を超える何代もの寮生が集うことになった。
MLを見る限りでは私の2、3代上の学年の方々が多いようだったところ、蓋を開けてみたら、私たちの代が一番人数の多いカタマリだった。

私のように自転車で来る近所の者もいれば、タイからわざわざやってくる人まで。
入学した時は大勢いるようでも、大学生活に慣れるにしたがって寮を出る学生も多い中、今日、集まった6人の同期は、4年間ずっと一緒にいた仲間たちだ。
一番、集団生活には向かない私が残れたのは、共に暮らすストレスを感じるのは私本人ではなく、周りの方だった、という理由だろう。

当時の寮は基本的に異学年の3人部屋で、世話役のお姐さんは私が2年生の時に同室だった先輩だ。
もう1人、「セプテンバー」と呼ばれる9月入学の帰国子女の後輩と、3人で暮らしていた。
「あなたは、本当に寮にいなかった。デューティー(掃除当番などのお仕事)もサボりまくっていた」とお姐さんにきっぱり叱られる私だった。

最終学年の4年生になると2人部屋がもらえるが、タイから飛んで来た同期と私の部屋は、2人とも遊び歩いて全然寮にいなかったため、皆から「空き部屋」と呼ばれていた、ということを今頃になって知る。情けない話だ。

食堂に集合した20数人の「おばさん」たちはおしゃべりが尽きず、
「はいっ、では、寮に向かいます!」と金沢のお姐さんによってとどこおりがちに引率され、第二女子寮へ。
裏の窓側から寮へアプローチすると、「なつかしい〜」と写真を撮るのでますますとどこおる。
「この、窓に小石を投げて合図するのよね、『開けて〜』って」と言うのは、10時半の「門限」と共に正面玄関は施錠され、中から開けてくれる共犯者なしには入れなかったからだ。

私には、その必要はなかった。
「門限破り」どころか、「朝帰り」だったからですよ。(笑)

春休み中ということで、在寮生はとても少なく、2人が我々を歓迎してくれた。
うち1人は、退寮するため、今日荷造りだそうだ。忙しいところを、申し訳ない。

「はいっ、では、ここで2つのグループに分けます。ここからここまでがAグループ、残りはBグループ。それぞれ、在寮生の方について、中を案内してもらってください。でも、寮には具合が悪くて寝ている方もいらっしゃいます。どうぞ、お静かに!」と、学生に指示を出し慣れている大学教授のお姐さんは声も枯らさずに叫び、我々はおとなしく寮内を見学する。

とは言ったって、何十人ものおばさんたちが静かにしているわけはない。
そこらじゅうで、「なつかしい〜」コールが起こる。

かつて「インフォメーション・デューティー」と呼ばれていた、玄関前の小部屋での「電話番兼玄関の見張り番」は、ケータイの普及によって姿を消したそうだ。
昔は3階まで駆け上って「お電話です!」と伝えに行った重労働だった。

ちなみに、大内くんがよく泊り込んでいた彼の大学の寮では、館内放送で呼んでいたそうだ。
男からの電話だと「中寮12Sの○○さん、電話です」、女性からだと「お電話です」、そして、親からだとこれが「大電話です」になったのだとか。
この味わい深い風習も、ケータイに押されて消えていったことだろう。

不思議なことに、インフォメ・ルームを見てもお風呂場を見ても、「ソーシャル・ルーム」と呼ばれていた談話室を見ても、皆、一様に「小さ〜い!こんなに、狭かったっけ?!」と驚嘆する。私も同じ感想だ。
「私たち、小さかったのかしら?」と言う人に、大爆笑。そうね、幼児だったのかも。

居室まで見せてもらって、今はどの学年も2人部屋であること、2段ベッドは姿を消し、シングルベッドになっていることなどにも驚く。
デスクも新しくなっていたが、作りつけの本棚は変わっておらず、私はそこにソニーの「ジルバップ」という最新式のラジカセを置いていたことを思い出した。
今は亡き両親からの、高価な入学祝いだったものだと推察される。
東京の私立大学に行かせてくれたことも含めて、あらためて感謝した。
ただ、先輩によれば、寮費は月に5千円であったそうな。
食費は含まれていないが、学食を利用すればかなり安く暮らせたと思う。

寮内をひとわたり見せてもらって、ソーシャル・ルームで集合写真を撮り、寮にさよなら。
近所に住んでいるので毎年花見には来ているが、寮内に入ったのは33年ぶりだ。
ありがとう、後輩たち。

またしてもお姐さんに引率されて、集団で学生会館に移動。
そこで皆が持参したお菓子を広げてくつろぐ。
タイ産のプレッツェルまで含めて、日本全国津々浦々のお菓子が。
広島から「もみじ饅頭」を持ってきてくれた同期がいて、これが大好きなので嬉しかった。

おしゃべりをしたり持ち寄った写真を見たり新たな写真を撮ったり、大騒ぎ。
寮には「イニシエーション」と呼ばれる儀式があり、新入寮生は、それぞれの寮ごとの伝統的な仮装をして入学後の最初の1週間を過ごす。授業にも、その格好で出る。
我々の第二女子寮は、「ワンダーウーマン」で、「トレーナーとブーツとブルマー(!)」着用。

集合写真が残っていたので大内くんに見せたら、
「うーん、ブルマーかぁ・・・そういう、時代だったんだねぇ。それにしてもやることがいちいちバタ臭い人たちだね。イニシエーションかぁ」とうなっていた。

iPadに入れて持って行った10枚ほどの中で、その写真は大反響。
「えーっ、こんな写真、残ってたの〜!恥ずかし〜!!」である。
私は幸い後列であったため、ブーツとブルマーの間の足は写っていないが、その場にいた数人は、10代のおみ足を惜しげもなくさらしておられる。そりゃ恥ずかしかろう。

あっという間に時は過ぎ、4時半から三鷹駅前の「ハルピン」という餃子の店で二次会があるらしい。
私は行かないので、皆にさよならを言い、特に同室だった2人とは、
「また、ルーム・リユニオンをしましょう!」と固く約束をして、同じく帰ると言う同期と2人でとぼとぼ歩く。

彼女は、某大学で英語とフランス語を教える才女だが、ひと月前にお母様を亡くされ、10年ぶりに連絡を取った私の誘いに、とてもそんな気になれなかったらしい。
「でも、あなたが、『当日の気分でいいから、来られたら、来て』ってやさしい言葉をかけてくれたから、こうして出てこられて、みんなにも会えた。本当にありがとう」と、心からの感謝の言葉をもらった。
卒業生たちのそうそうたる職歴にひがみがちな無職引きこもり専業主婦の私は、日頃、大学のつきあいにはあまり熱心でないのだが、今回、彼女の役に立てたことは素直にとても嬉しかった。

FB上で大変お世話になっていて、在学中よりよっぽど親しくさせていただいている京都在住の先輩に直接会うこともできて、ほとんどの時間を大内くんの大学に入り浸って過ごした学生時代ではあるものの、やはり私もこの大学の卒業生なのだ、と、しゃんと背骨が入った気がした。
来週、大内くんと花見に行く予定のキャンパスだが、これまでのように借り物の上着を着ているようなこそこそした気分ではなく、胸を張って桜並木を歩こう、と思う。

今から思うとどうやって大学に入ったんだ、と驚くし、同期からは、
「あんなにサボりまくって、どうやってFreshman's English Program (新入生のための、1年間のハードな英語教育)を通ったの?」と言われるような体たらくだが、入ったし、通ったんだ。びくびくするのはやめよう。
せっかく入社した会社も、病気が原因で7年で退職せざるを得なかったが、もし、その時辞めていなくても、障害を持つ娘が生まれた時点でやはり辞めるしかなかったろう。

人生には、いろいろな分かれ道があるし、自分の人生、しか存在しない。
他人の人生をうらやんでも、空しいことだ。
さまざまなことを教えてくれた、いい同窓会だった。ああ、楽しかった!

15年3月29日

大学の話は一変し、今日は、大内くんの大学のマンガクラブ関係者で花見。
我々はちょっとくたびれていたので、中目黒での花見が終わったら渋谷に住む友人女性のマンションで飲む、という、そっちの方だけ参加させてもらう ことに。

家からバスで吉祥寺。吉祥寺から井の頭線で渋谷まで。渋谷からは徒歩7、8分。
大変便利なロケーションにお住まいだ。
途中の酒屋でビールを1ダース買い、ついでに、ここ以外ではなかなか見られない、大内くんの大好きな「コアップ・ガラナ」というアヤシイ飲料の小瓶を4本買う。
いや、北海道に行けば珍しくないんだけどさ、旅行した時にハマって、以後、東京では時々しか見ないので、見つけたら買うようにしてるんだ。

4時半に集まったのは、

女性その1.書店経営者。マンションの主。未婚。
女性その2.ソフト関係会社勤務。その1の中学からの友達。既婚。
女性その3.主婦という名のプー。私だ。
男性その1.IT関係起業者。女性その2の夫。
男性その2.出身大学で工業関係の博士。既婚。
男性その3.フリーのゲームデザイナー。未婚。
男性その4.謎の名刺をたくさん持ってる怪しい人。自衛隊他各方面に顔が利く。既婚。
男性その5.製鐵会社勤務。既婚。大内くん。

という8人のメンツ。
何人かは、お花見をすませて買い物をして、宴会の準備をしていてくれたらしい。
最初っからワインがガンガン空いて、飲む気充分。

私は、最近お酒にめっきり弱くなったし体調もイマイチだったので、アルコールはやめといて、自分で買ってきたお茶のペットボトルをせっせと空けていた。

今回の話題の中心は、日本の新しい空母、「いずも」。
男性その4が撮影してきてくれた画像をいっぱい見た。
自衛隊音楽隊はレベルが高いなぁ。
こんなんで、「宇宙戦艦ヤマト」鳴らされた日には、みんな、戦場へ行ってしまいそうだ。

あと、これまでがたがただった歯を、全部抜いて「インプラント」という名の総入れ歯にしてしまった男性その3も、話題の中心。
最新の歯科事情を聞いて、みんな、うなずくのみ。
だって、他には1本のインプラントをした人すらいないんだもん。
9時間に及ぶ手術、1カ月の「スープとお粥の生活」、600万もの費用…すべてが驚きである。

後はもう、だんだん入り乱れてきて、いつもの飲み会のペース。
「お笑いを見てて、慶應のカワイイ男の子に胸キュンになった」メガネ男子萌えの私には、みんなして、羽海野チカの「3月のライオン」を力いっぱい薦めてくれた。
「絶対ハマりますよ。間違いなし!」
うん、それは、読む予定の本の山の中には入ってるんだが、何しろ今は平井和正を読んでる最中で・・・と言うと、男性その3が、
「うん、平井はね、オレもやっぱ、『ボヘミアンガラス・ストリート』のシリーズとか読んでるけど、あれは、完璧に『中2病』の小説でさ」・・・彼の文学談議は、少しよくわからない。本人も、きっと酔っててよくわからないんだろう。

男性その2は、その場にいる貴重な子持ちの既婚男性で、「夫婦間の気持ちのすれ違い」「子供の進路に関する親の気持ち」等を真摯にしゃべってくれたのはいいんだが、やはり途中で酔っ払ってしまい、何が言いたいのかわからなくなってきた。
工学博士でも、酔えば理性を失うのだなぁ、と、当たり前のことに驚いた。

私はその場にいる唯一の素面の人間だったので、みんながだんだん酔っ払っていく様を、思う存分、観察することができた。
私を無事に家に連れ帰らねば、と真剣に思ってるらしい大内くんでさえ、飲むとなったら限度がない。

仕事が忙しいので、早めに帰ろう、と言っていたにもかかわらず、予定の8時に私が小声で、
「楽しいから、もうちょっと」と言ったとたん、腰を据えて飲み始めた。
その後は、30分おきぐらいに私が「そろそろ」と言うのだが、「うんうん」と言うばかりで、結局、みんなより少しお先に宴会を辞したのは11時頃。
明日、大丈夫なのか?

やっぱりなぁ・・・大内くんにお酒を飲ませちゃいかんのだよなぁ・・・
本人は大丈夫、と言うが、ある一線を越えた瞬間から自制がきかなくなる。
「ん?聞いてるよ?」と言いながら、井の頭線の手すりにガンガン頭をぶつけながら寝ている人が、いったい人の話のどこを聞いてると言うのだろう。
「酔ってない」と言う時はだいたい酔ってるし。

宴会のあとは、いつも少しむなしい。
大内くんが、ほどほどの酔いを楽しむ、ということができないからだ。
アルコールを飲めない人間の、これは、嫉妬なのだろうか?
若い頃の、力ずくで酒を飲み、騒ぎ、倒れていた自分を、なつかしくもシニカルに振り返る。
「もうお酒は飲まない」と翌朝の頭痛を抱えて言う大内くんは、単なる嘘つきだし。
あーあ、私とお酒のいい関係、ってのは、難しいのかなぁ・・・

15年3月30日

そんなふうに飲んで帰ってきた昨日、12時ごろに家に帰りついたら、息子が先に帰っていた。
時間的にはおかしくないが、夜中に帰ってきて、いつもはいる両親がいなかったら心配して「どこに行ってるの?」とラインの1本も入れそうなもんだ。
ソファに横たわってようつべ見てる彼は、
「おかえり。どこ行ってたの?」と一応聞くが、「○○さんとこで宴会」と答えたら、もう興味を失くして「あ、そう」。

ただ、履歴書をパソコンで打ち出してほしい、と頼まれた。
新しいバイトを始めたいらしい。
「今のバイトと両立できるの?」と聞いたら、1年以上やってる病院の深夜受付の仕事はもう飽きたので、別の仕事がやりたいそうだ。
今度のは、映画館関係らしい。
「月に3万円ぐらい」と言う収入は、現在の5万円ほどよりかなり下がるね。
よりいっそう、親に借金して暮らしていくつもりなのだろうか。もう120万ぐらい貸してるんだが。

大内くんは、
「あんまり仕事をころころ変えて欲しくはない」と難色を示しているが、まあ、それがバイトのいいところであり、学生の特権だから、世間を広げると考えれば悪いことばかりでもない。

ただ、彼の場合、病院の深夜受付は2回経験があるが、どっちもまあまあ長続きし、そこそこ稼いだ。
対して、その間にやった「広告代理店の事務補助」とか「ネットテレビ会社の事務」とかは、始めたと思ったらいつの間にか辞めていた。
なので、大内くんが病院関係にこだわる気持ちはわかる。
「ちょっとマスコミの匂いのする仕事」に引きつけられがちな息子の気分と、それに反比例してフェードアウトしてしまうバイトの実態は、少し心配だ。

とにかく、履歴書は打ち出してやった。
採用されなければそれまでだ。
何をするにしろ、頑張って稼ぐように。

15年3月31日

先日の同窓会で桜並木を歩く機会がなかったので、今週末、大内くんと行こうと思っていたら、もう満開だというウワサを聞いた。
同窓会で何となく自信がついたこともあり、引きこもりの掟を破って、病院に行くついでに自転車の足を20分伸ばしてキャンパスへ。
ああ、本当に咲いている。満開だ。

私が入学した時に25年物だと聞いた覚えがあるので、もう60年物近い。
学生が「滑走路」と呼ぶ正面の長い長い通りの両側に、ずらりと並んでいる。今年も見事な眺めだ。..

毎年、母校の桜が見られる喜びをかみしめ、少しぐらい葉桜になっていても、週末は大内くんとまた来よう。井の頭公園の夜桜も見たいなぁ。(あれは、花を見るというより、花を見てる人を見るのが、楽しいです)

その大内くんは、昼間、会社で会議があって、その結果をどうしても明日には投げ返さなければならないらしい。
「帰りはそんなに遅くないけど、帰ってから仕事する」と宣言されていたので、何の期待もなく、9時頃の帰宅を待ち、お風呂に入り、夕食を食べ、さぁて、仕事にかかってもらおうか。

最近、家で仕事する時間が増えたので、私との時間の過ごし方が変わってきた。
大内くんにとって望ましいのは、私が、「後ろの安楽椅子に座って本とか読みながら、時々話しかけてくる」というスタイルらしい。
「ただし、仕事に没頭していて『生返事』になっても怒らないで」とのこと。
私サイドがOKなら、それが一番落ち着くのだそうだ。

これまで、邪魔をしては悪いと、大内くんが仕事中の時は寂しいけど1人で寝たり、ベッドで本を読んでいたりしたが、同じ部屋にいてもいいなら話は別だ。
仕事する背中を見ながら本を読んだりネットをしたりしよう。
(iPadは偉大だ)

いやあ、最近、徹夜に近く仕事をする大内くんをよく見るが、荒れるねぇ。
モニタで書類を見ていたかと思えば、プロ野球の名シーンが次々流れたり、クラシック音楽が鳴り響いたり、デビュー当時の石川さゆりが切々と歌っていたり。

今回、友人から教わった「自衛隊音楽隊」はなかなかいい。
ヤマトから999、ルパンまでやってくれるし、演奏は大変うまい。
目が覚める、という効果も充分あって、
「これからは、徹夜の友はこれで行く!」と大内くんが言うのも無理はない。

しかし、私は人生でそんなに忙しかった経験がほとんどないので、大内くんの気持ちはわからない。
15分もうたた寝をしてしまうぐらいなら、思い切って30分ぐらいベッドで寝た方がいいと思う。
そう言ったら、「じゃあ、30分だけ寝るよ」と言ってベッドに行って、即、熟睡。

タイマーで30分計って、時間になったので、「グリーン先生、時間ですよ」と起こしに行ったら、
「30分じゃどうにもならない」と言ったきり動かないので、気分はもうERのベテラン看護師、ベッドの足元に仁王立ちになって、「起きるか、もう 30分寝るか、どっちかに決めてもらえませんか?」と聞くと、「もう30分」。そして、ぐー。

私は不眠症なので、たとえ昼寝をしていなくても、大内くんほどすぐに熟睡に入ることはできない。
「寝落ち」でもすれば話は別だが。
さてさて、彼は、今夜中に仕事を終えることができるのでしょうか。

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