15年5月1日
本格的GW入りの初日は、息子のお笑いライブを観に、下北沢へ。
1、2年前は、
「親が見に来るヤツなんか、いない。老人が浮いてて、自分で恥ずかしいと思わないのか!」となかなかライブを観に行く許可が出なかったんだけど、コンテストやよしもと主宰に出るだけじゃなくて、自分たちで企画したライブをやるようになったこの1年ぐらいかな、ずいぶん締めつけがゆるくなった。
でも、今回も前日の夜に、「やっぱり、くるな」と言われた。
事前に調べて、席数が80という小さな小屋だと知っていたので、
「人数が少ないから、親は目立つ?だからイヤなの?」と聞いたら、
「いや、それはいいんだけど、まだできあがってないから。出来の悪いのは見せたくない」という理由らしい。
「観に行けないのかぁ」と大内くんとしょんぼりしてたら、その様子を見て気の毒に思い、発奮したのか、
「ちゃんと作り込むから、来てもいいよ」と言い直したのは立派。
7時からのライブなので、息子は昼頃出かけ、我々も、下北で遊ぶ時間をたっぷり取ったスケジュールで動く。
30年前、私が住んでて、大内くんがよくアパートに泊まりに来てた、なつかしいところだ。
マンガクラブのメンバーもいっぱい来て、始終、深夜までの飲み会に発展してた。
今はまったく下戸の私が、よくあんなに飲めたなあ。若さ?精神力?
まずは南口のパン屋「アンゼリカ」でカレーパンを買う。9個も買った。(翌日に1個ずつ食べて、あとは冷凍した)
そこから西の方に回って、喫茶店「パルファン」。
いつもは満員のことも多い店。さすがにGW中は東京の人口が少ないのか、すいていた。
もう70を超えているマスターが、お客さんが途切れた時に席に来てくれた。
「どうですか、息子さんは、まだ柔道続けてますか?」と聞かれたのは、彼が駒場の高校に通っていた時分に、PTAとか保護者会とかで駒場に行くと、可能な限り下北に来てパルファンに寄っており、柔道部に入っている話とかしていたからだろう。
さすが、お客さん商売。よく覚えてるなぁ。私には無理だ。
「今はお笑いサークルに入っていて、今日も、下北沢でライブなので来ました」と言ったら、「ほう!そりゃあ、そりゃあ!」と驚いていた。
マスターはテレビのゴールデンタイムには店に入っているのであまりお笑いを見ないが、「サンドウィッチマン」が好きなんだそうだ。
お別れを言って店を後にし、東の方に歩いてラーメン屋「a亭」。
ここも、30年以上通っている。
ラーメンとチャーハンのセット、「ラーチャン」を食べた。
大内くんがおなかがすいていると言うのだが、両方大盛りというのはできないのを知っているので、
「ラーチャン2つ。1つはラーメン大盛り、1つはチャーハン大盛り」と頼んで、テーブルに来た時点で大盛りを両方大内くんに渡す。
よく食べるなぁ。もう50代のくせに。
ほどよい時間になったので、会場に行ってみると、数人の若い人がたむろしている。
「今からライブで〜す!見て行ってくださ〜い!」と呼び込みをするのは、この手の集まりで初めて見た。
たいがい、「事前に取り置きお願いします」だし、公演当日までには完売するもんだが。
でも、なんか、ライブっぽくていいなぁ。
息子が取り置きしておいてくれたので、名前を言ってチケットを2枚もらう。
前売で1人500円。当日券は700円。
息子が去年やった「合同ライブ」が「無料カンパ制」だったことを思うと、少し高めかな?
まあ、千円のライブもけっこうあるけどね。
こんなに小さな小屋でやるのを観るのは初めてだ。
前の方は、つばが飛んできそうな距離。全体で、前から12列ぐらいかな。
開演までに客席はいっぱいになり、そしてやはり、老人は我々しかいない。
少し恥ずかしい。
しかも、始まってみたら、「少し」ではすまなかった。
「前説」のコンビが出る。
(ちなみに、「前説」というのはMCとはまた違う、ライブや番組を盛り上げてアイドリング状態にするために出てくる演者さんのことらしい)
彼らは、前から5番目ぐらいの端に座っている我々をほとんど指差して言う。
「ちょっと、お年の方たちも見えてますね〜」
「関係者の方々じゃないですか?」
「ああ、ご家族とかね。見るからに、年齢、違いますもんね!」
「どちらのご家族ですか?」
そこまで言われたら、言うしかないじゃないか!
「○○(コンビ名)です・・・」
前説の2人には、大ウケしてしまった。
「似てますね!」
いったい、息子が、我々のどっちに似てると言われてるんだろう?
いや、もしかしたら相方が似てると思われた?
いずれにせよ、やせこけたタイプではない2人なので、私に似てるんだろう。
息子は、今頃、舞台裏でカンカンに怒ってるだろうな。
今夜、帰って来たら、どれほど罵倒されるだろう。
どう見ても場違いなのに、観に来たがる我々が悪い。それは、明白だ。
そんなふうに、ライブが始まった。
メンバーの1人がBSテレビの密着取材を受けているそうで、撮影のクルーが来てた。
「テレビに映りますので、未成年の方と、絶対映りたくない方は、手を上げてください」
3分の1ぐらいのお客さんが手を上げている。
我々、映ってもいいけど、となりの女の子が「映りたくない」らしいし、絵的に汚いので、きっと映してもらえないよ。
開場前に路上で呼び込みをやっていたのも、絵を作るためで、実際には満席だったらしい。
「あれで、もし『じゃあ、入る』って人がいたら、どうなってたんでしょうね?」と笑いを作るのも、前説の仕事。
11組のコンビが、漫才やコントをやる。
息子たちは6組目。
初めて見るネタだ。
背広を着てサラリーマンになった息子が、天丼屋に入る。
相方が店の人。「あじさいの天丼」。面白いじゃないか。どっちが考えついたんだろう?
だが、オチが弱い。残念な感じ。
あらかじめ渡されていた「採点表」に記入したものを、終わった途端にスタッフが回収して回る。
どんなライブやコンテストに行ってもこの方式は変わらず、その場で集計され、結果が発表される。
例外は、学園祭や定例ライブ等、大学内で行われているものぐらいだろう。
裏で猛烈な勢いで採点しているであろう時間、全員が舞台に出てきて、にぎやかにMCと言葉を交わす。
ここに至って初めてわかったことだが、このライブは様々な大学のお笑いサークルの有志たちが集まって、「月に1回。必ず、新ネタ」というシバリで行っていくもので、今回はその最初の公演らしい。
採点の結果、トップを取ったコンビが、次回の公演の「香盤」、つまり出演の順番を決める。
あと、ビリになったコンビは、罰ゲーム風に、他のコンビと組んでひと芸やらなければならない。
この組み合わせも、トップが決める。トップを取れば、次回の王さま、というわけだ。
採点は時間のかかるもので、いささかダレ気味になって来たところで、しゃべっていた演者さんを制して、息子は言う。
「長くて退屈だから、うちのお母さん、寝ちゃってますよ!」
寝てなんかいない!あまりにも興奮し、目の前がチカチカするので、目を開けていられないだけだ!
怒られるかと思いきや、笑えるものは親でも笑う。芸人魂だね。
トークを止められた男の子は、方針を変えてきた。
「僕、心理学専攻してるんで、人の顔やしぐさを見れば、どんな性格かわかるんです。お母さん、あなた、落ち着きがないでしょう!」
客席の大笑いがはじけ、一瞬の間があったので、はっきりした大声で答えた。
「いえ、私、落ち着いてる方です」
さらなる大笑いが起こった。ウケた?
そのへんで、集計の結果が出た。
息子たちは、8位。
罰ゲームにはならないですんだようだ。
「また来月、ここでやりますんで、よろしくお願いします!」という声に送られて、狭い地下の小劇場から階段を上がって道に出ると、演者さんたちがお見送りをしている。
息子もいる。
目が合ったような気がした。軽く目礼したら、向こうも目礼したような気がした。
言葉は交わさずに、駅へ向かった。
「これから彼は毎月新ネタをやらなきゃいけないんだね」
「さすがに我々は、もう来ないだろうね」
「コンテストに出てるだけじゃ物足りなくて、自分たちで場を作り始めたんだね。そんなとこ見せてもらえて、もう死んでもいいねぇ」
と話しながら、井の頭線に乗って帰った。
大内くんが、
「楽しかったよ。ありがとう。お騒がせして、ごめんね」とラインを入れたら、すぐに返事が来た。
「いいえ。ネタのダメ出しお願いします」
感想を言えと!観に行ったことを怒らないどころか、頭を垂れて来たか!
「オチが弱かった」とだけ言ったら、「ありがとう。気をつけます」。
ウルトラ素直だなぁ。
吉祥寺からのバスの中で、私もライン入れてみた。
「若者の祭典にお邪魔してすみません。母さん、空気読めてなかった?」
こちらもすぐに返事が来た。
「いや、別に。ネタのダメ出しちょうだい」
私にまで聞いて来る!彼の中で、大内くんと私、父さんと母さん、あんまりつながってないのかな?
オチだけ注意して、「ありがとう」と言われた。
彼が帰ってくる頃には、我々はお風呂に入ってベッドで休んでいた。
あんまり顔を合わせるのも気恥ずかしい。
会場や舞台が狭かったせいもあるし、お客さんもみんな友達に誘われて来てるんだろうし、若者の宴会にまぎれこんだような気分だった。
確かに場違いだよ。
これまで、保護者面してたから気がつかなかったけど、息子はもう、オトナなんだろうなぁ。
オトナが、オトナとして遊んでる。
これは、距離を取ってあげなきゃいかんだろう。
と言いつつ、7月に彼らコンビがサークルの後輩コンビとやる「合同ライブ」を観に行ってもいい、という許可はすでに取ってある。
新宿の小劇場で、客席50。今日の80席より、さらに狭いぞ。ほとんど、サークル内ライブだろう。
今回は、なつかしい場所も、まぶしい場所も全部堪能した、パーフェクト下北沢。
幸福だと死んでもいいような気がするってのは、普通なのか異常なのか、
我が家の羅針盤、大内くんも「そんな気がする」と言っているので、異常じゃないんだろう。
15年5月2日
夜更かしをして、翌日は自然に目が覚めるまで寝た。起きたら昼過ぎだった。
早寝早起きの方が、時間がたっぷりあるような気がする。
終日、ゴロゴロ。
映画を観て、ごはん食べて、な〜んにもしない。
私はともかく、大内くんにはそういう日が必要だろう。
外出している息子からめずらしく電話がかかって来て、何かと思ったら、
「オレの部屋にあるHDDデッキ、使ってないから、カノジョんちに貸してあげて、いい?番組の録画とか、したいんで」。
まあ、実際、彼の部屋のデッキは使ってない。テレビもね。
画像を見る必要がある時は、スマホかタブレットだ。
昨日のライブ風景がBSで放映されるから、2人で見たいのかな?
カノジョの部屋にあるのは、DVD再生専用機らしい。
「いいけど」と言いつつ、本当は「別れる時には返してもらえるの?」と聞きたかったんだが、さすがにちょっと聞けなかった。
大内くんが配線を外して出しておいたら、夜の8時ごろ帰ってきて、
「今からメシ食いに行く。そのあと、カノジョんち行く。今日は帰ってこない」と言いながら、シャワーを浴び、着替えて、デッキを大きめのバッグに入れてかついで出て行った。
その間20分ほど。
なんとなく、あっけにとられてしまった。
こんなにオープンにつきあってて、そのうち結婚とかしちゃうのかな。
先のことはわからないけど、サークル内結婚をすると、仲間のつきあいがずっと続いて楽しい、ということを我々はよく知っている。
気まずくならないでくれ。
どちらか、もしくは両方が、サークルのことをイヤな思い出にするのだけはやめてくれ。
この調子で、息子の部屋の備品が少しずつカノジョのとこに移動して、ある日、本人も移動しちゃう、ってのも悪くないね。
やっぱ、気が早いか。
15年5月3日
「映画観に行く」と言って昼頃出かけ、夜の11時に、突然、
「今日、後輩泊まりに来るから」と連絡を寄こす息子。
驚いた。
「何人?男?女?」と大内くんが聞いたら、「男1人」。
「ごはんは?」
「適当にする」
「買ってくるって意味?」
「いや、あるものでいい」
夕食の麻婆豆腐がたっぷり2人分は残ってるけど、常時「冷蔵庫に何かある」と考えるのも勝手すぎるだろうに。
3年前、息子がサークルに入ったばかりの時、ちょうど今頃か、唐突に同期たちを5、6人連れてきたことがあったんだよね。
リビングでみんなザコ寝。(女子が1人だけいたので、息子のベッドを明け渡すように提案し、容れられた)
おかげで今も、その子たちの顔はわかる。
息子も若気の至りでそんなことしちゃったけど、もう後悔して、二度としないだろうと思ってたのに、後輩か。
1時間ぐらいしたらやってきた。
家が、いつでも人を通せる状態になっていることを、本当にありがたいと思ったよ。
息子にも、
「いきなり人を泊める、って言われて対応できる家ばかりじゃないんだよ」と軽く文句を言ったら、「はい」と神妙だった。
Fくんという、その2年生は、なんと我が家から歩いて30分ほどのところに住んでるらしい。
おじいちゃんとおばあちゃんが介護施設に入っちゃったので、息子に言わせれば、
「2階建ての家に、1人で住んでんだよ」とのこと。
息子も、2度ほど泊めてもらったらしい。
そう聞くと、1人暮らしのカノジョが泊まりに来た時も同じように驚いたんだけど、どうして1人暮らしの子の家に泊まらないで、窮屈な実家に人を呼ぶんだろうか、うちの息子は。
今日だって、一緒に映画を観て、もうちょっとしゃべろうか、って思ったんだったら、距離的に言っても、別にFくんちでかまわないような気がするんだが。
いや、来てくれる、そのこと自体は全然かまわないし、ウェルカムなんだよ。
ただ、不思議なんだ。
残り物の麻婆豆腐と味噌汁でもてなす間にも2人はビールを飲み始めたので、我々もビールの缶を持って横に座る。
「なに?飲むの?」と息子が言い、追い払われるかと思ったら、かなり機嫌のいい様子で、今日観た映画のこととか、お笑いのこととか、歓談し始めた。
これまた驚いた。嬉しくて胸がいっぱいになった。
それぞれに麻婆豆腐とごはんをおかわりし、食べ終わって風呂に入ると言う2人を置いて、皿を洗い、撤収する。
息子の部屋に布団を敷いて扉を閉めているので、もう様子はわからない。
でも、お風呂から上がった頃に、ドライヤーのゴーゴーいう音が2回響いていたから、イマドキの若い人は、男の子でも髪を乾かして寝るんだなぁ。
うちで、ドライヤー使うのって、息子だけだよ。
「なんでうちに連れてくるのかねぇ。いろいろ聞かれて、面倒だろうに」と大内くんに聞いたら、
「事実から物事を判断するキミらしくないねぇ。息子は、けっこううちが、気に入ってるんだよ。Fくんだって、『泊まりに来い、って言われたので』って言ってたじゃない。カノジョの時もそうだったよ。家に、連れて来たいんだよ」という答え。なるほど。
まあ、家がキライじゃないならよかった。
友達は、じゃんじゃん連れて来なさい。
15年5月4日
まだ寝ている息子と後輩の分に卵焼きを焼いて納豆を出しておいて、あとはごはんも味噌汁も勝手に温めて食べる、と言っていたからほっといて、吉祥寺に散歩に出た。
いい天気で、5月は美しい。
久々の「まめ蔵」でカレー。
例によって写真を撮るのは忘れて「orz」、さらに久々過ぎてスタンプカードの期限が切れていてまた「orz」。
明日会う予定の友人が翻訳をした「美しいハチドリ図鑑」という本を買って、サインを入れてもらおう、と大内くんが言うので、ジュンク堂でその本を買った。
4冊ぐらい、棚に平たく並べてあった。
スタバでお茶を飲みながら眺めてみたら、全写真実寸大の、文字通り「美しいハチドリの本」だった。
レジでおねーさんがにこにこと、「今日は暑いですね!」と声をかけてくれたので、
「本当ですね。冷たい飲み物がよく出るんでしょうね」と 答えたら、「はい、フラペチーノのご注文が多いです!」。
ホントのとこ、フラペチーノが何なのかよくわかっていない私のオーダーはキャラメルマキアートのアイス、大内くんはホット。暑いのに。
天気がよくて風がさわやかなので、ウッドテラスは大人気。私には少し暑そうに見えて、屋内なのを感謝。
帰りに「井之頭自然文化園」の前を通ったら、今日は「みどりの日」で無料だって。
そういえば、そういう風習があったなぁ。
家族連れが大勢来ていて混んでたけど、無料なら、公園を回って帰るようなものだ、と入ってみた。
息子が小さい時以来、ほとんど来たことがないので、もう15年ぶりぐらいかなぁ。
入り口近くにはモルモットを抱っこしたりなでたりできるコーナーがあり、大人気。すごい行列。
大内くんと小声で、
「モルモットたち、かなりなストレス。明日は円形脱毛症になっちゃうかもよ」と話して眺めていたが、もちろん自分たちも、小さな息子に無理やりのようにモルモットを抱っこさせ、写真におさめていた。
いい絵に見えるんだけど、コドモによっては、「こわいー」って泣いちゃったりするんだよね。
息子は、モルモットでは泣かなかったけど、歩いて入れるリス舎で、しっぽまで入れても全寸20センチぐらいのちっちゃなリスにスゴまれて泣いていた。
証拠のビデオ映像もある。
他にはペンギンが人気。キツネやタヌキはややヒマそうにお昼寝だった。
ゾウ舎の前には人だかりができていて、写真が撮れなかった。
それにしてもゾウっ てヘンなかっこうした生き物だ。
井之頭文化園のゾウは、確か大島弓子も描いている「花子さん」で、少し精神的に疲れていた時期もあると聞いていたが、今は元気なのかな?ゆっくりと鼻を振っていた。
大混雑の園を出て、住宅街をゆっくり歩いて2時頃家に帰ったら、息子たちはまだいた。
シャワーを浴びて、ごはんを食べたところらしい。
それぞれの用事で出る、と言うので「また来てね」と送り出す。
あー、昨日は予定外に遅くまで起きていたし、動物園まで行っちゃっ
て、疲れた疲れた。
昼寝をし、起きて、映画を観る。
お休みもあと2日。
順調に、楽しく過ごしている。ときおり順調でなくなるとしたら、それはほぼ100パーセント、息子が原因。
静かな水面に波が立つような、それもまた佳き哉。
15年5月5日
唯生の面会に行ったら、すやすやお昼寝中。昼ごはんが終わって、眠くなったかな?
しばらく手を握ったりおなかをなでたりしても、ずうっと寝てた。
あさって24歳になるのに、お昼寝ですか?
お母さん似ですか?
施設の近所にある巨大ツタヤで文具を探し、業務用スーパーで冷凍食品や調味料を大量に買う。
よくS&Bとかのスパイスをスーパーで売っているが、あんなもの、タンドリーチキンを1回作るにも足りない。クミンとか、たくさん入れるのに。
なので、うちでは業務用の大缶を利用している。
中華担当の大内くんも、
「甜麺醤(テンメンジャン)のビン、スーパーのやつだと麻婆豆腐であっという間になくなる。YOUKIの500グラム入りに限る」と買い込んでい
た。
友人とイタリアン・ランチ。
唯生やら買い物やらであちこち行き、しかも冷凍食品をしまうためだけにいったん車を家に戻したら、とっくに勝手に起きて出かけてるだろうと思っていた息子が、今まさに起きてシャワーを浴びたところ。
彼にとってはいいタイミングだったらしく、「メシ」と言われて、昨日、「まめ蔵」で買ってきたチキンカレーを温めて食べさせる。
そんなこんなでバタバタしてて、時計を見たら、友人との約束に、まあゆとりをもって間に合う時間。
車に乗って、
「こういうの、『オンスケ』って言うの?実に気持ち良く時間通りに予定がさばけるねぇ」と喜んでいるうちに30分で友人のマンションに着いたので、打ち合わせ通り呼び出して、一緒にレストランまで10分ほどの散歩をしよう、と電話をかけたら。
「えっ?ええっ?ちょっと、待って!」と言われた。
こっちもびっくりして時計を見たら、約束は1時20分なのに、今はまだ1時間早い12時20分だ!
間違えちゃった!
そそっかしい大内くんはともかく、私にはめずらしいポカミスだ。
遅い方向に間違えなくて、よかった!
確かになぁ、それ以前のすべての予定をゆとりを持って片づけたんだから、時間ちょうどになるわけないよなぁ。
ちょうど今、立て込んでるらしい彼女には謝り倒して、いくつか雑用(コンビニを探して「自動車税と固定資産税を払う」といったような)や買い物を片づけてから、先にレストランの1階にあるカフェに行って待つことにした。
緑がいっぱいの敷地内は植物園か森のよう。
吹き抜ける風がさわやかで、最近別の友人が FB上で萩尾望都から引用していた、「五月は一番美しい季節」という言葉を実感する。
カフェの横のベーカリーで、1年前に買ってすごくおいしかった「ロングソーセージパン」をまた買おう、と決めていた。
長さ20センチぐらいの粗挽きソーセージをたっぷりの粒マスタードと一緒にパンにくるんで焼き上げた、とてもおいしいもの。
「こないだは1本を2人で半分こしたけど、今日の晩ごはん用に2本買っちゃえ!」」
そんなふうに力が入っているのは、こないだ上のレストランで食事をした後、ベーカリーに寄って同じロングソーセージパンを買おうと思っていたのに、売り切れちゃってて、しかも、
「ついさっき、最後の1本が売れました!」と言われ、
「しまった!レストランに食事に行く前に買っておけばよかった。そうすれば売り切れになる前に手に入ったのに!」と地団太踏んだから。
今回は、食事の前にお茶を飲んで友人を待つ段階で買っちゃうよ。
もし、「今焼いてる最中で、焼き上がるのにお時間かかります」って言われても、
「そうですか。じゃあ、上で食事をした帰りに寄りますから、とっといてください」ってにこやかに言えるよ。
果たして、ショーケースの中にロングソーセージパンはない。焼いてるのか?
「ロングソーセージパンは、今、ないんですか?」とバイトのおねーさんにゆとりで聞いたら、
「えっ・・・ちょっとお待ちください・・・」と、別のおねーさんを呼びに行く。
ふんふん、いくらでも待っちゃうよ。
ところが、そこで衝撃の事実が明らかになる。
「ロングソーセージパンは、今はもう、作ってないんです」
ええっ、売り切れ中、じゃなくて、製造中止?あんなにおいしいのに、なぜ?
「いろいろ作らせていただいていて、お品物、変わってしまうことも多いんです」
あああ、立ち直れない!もう食べられないなんて!
でも、ベーカリーで気絶しててもしょうがないから、夕食用に4つほどパンを買う。
そこの、「チョココッペ」っておいしそうなチョコはさんだコッペパンもください。おやつだ、おやつ。
で、カフェでお茶を飲んで、「今、まさに仕事のメールが入った!」とケータイで謝る友人が予約しておいてくれた2階のレストランへ。
「誰かが、時間通りに行って席を確保しておいた方がいいだろう」と彼女が判断したんだが、正解で、外のバルコニーの席はいっぱいになる寸前だっ
た。
席を取っといてよかった。
やがて現れた友人と、ランチのコース料理を食べる。
前菜もパスタもメインディッシュもデザートも、全部おいしかったが、やはり何よりのご馳走は、清涼な風と一面に広がる緑だろう。
こんないい店の近所に住んでいるなんて、友人がうらやましい。
食後は、彼女の行きつけの喫茶店にでも案内してもらおうかと思っていたが、今日は定休日で休みだそうだし、他の気に入ってる店は少し遠いらしい。
今日の分の散歩はもうしてしまったような気がするので、もう1度下のカフェに行くことにした。(彼女は1回目だが)
さっきは屋内でのお茶だったけど、今回は外のあずまや風の席が空いていたのでそこに座らせてもらう。
レストランでの続きで、いろんな話をした。
トータルで3時間ぐらい一緒にいたかな。
今日の彼女は忙しいので、このへんで。
もっとも、ヒマでヒマでしょうがない、なんてとこはほとんど見たことがないけどね。
仕事は有能な人のところに集まる。頑張って働いてください。
車で帰って、
「GWもあと残すところ1日か。あんなにたくさんあったような気がしたお休みが、全部どこかに行ってしまった」と嘆く大内くんを、
「どこかに行ったわけじゃないよ。映画だってたくさん観たし、友達にも会ったし、2人で吉祥寺にも行ったじゃない。それに、会社が始まっても、すぐに週末が来るよ」と慰めて、一緒に映画を観た。
そろそろPCを開けると仕事が来ている、という状態なので、明日も半日ぐらいは根を詰めることになりそうだって。
誰も彼も、忙しいねぇ。ヒマなのは、私だけか。
息子でさえ、毎日なんだかんだ言って出歩いてて、GW中と普段の生活はほとんど変わらない。
授業に行くか、映画を観に行くかの違いがあるだけ。
親が1枚200円ぐらいのレンタルを観てるってのに、始終ロードショーを観てる彼だ。
親に、140万円ぐらいの借金がある。
「おこづかい」をあげていれば話は別なんだろうけど、いちおう「貸して」いるんだ。
そうだ、家計簿つけなきゃ。
週末は、大内くんと「GW中の出費について」の閣議会議を行おう。
予算委員会も大変だ。
15年5月6日
あんなにたくさんあるように思えたお休みも、今日でひとまずおしまいだ。
何も予定を入れず、DVDやテレビを観て、買い物に行って、のんびりする。
2人とも、GW中に少し太っちゃったよ。戻さなきゃ。
大内くんは明日から仕事だ。
おまけに金曜から泊まりの出張で、土曜日の午前中に帰ってくるという。
しょんぼり。
大内くんのいない夜かぁ。
さらにおまけなことに、息子もその晩、夜勤のバイトだそうだ。
ひと晩、家に誰もいない。コワイ本は読まないようにしよう。
15年5月7日
「おじいさんは会社へ仕事をしに行き、おばあさんは家でお昼寝をしていたら、息子の部屋から『どんぶらこっこ、どんぶらこ』と目覚ましの音がして」
という再び出社の日々の始まり。
私はGW中ほとんど昼寝ができなくて、夜はいつも通り不眠気味で、要するに、非常に疲れた。
大内くんの充電期間は、私の放電期間だということがよくわかった。
何事もなく8時頃に帰ってきた大内くん。
「仕事は、ちゃんとできた?」と聞くと、
「まあ、さすがに毎日やってることだからねぇ。身体が覚えてるよ」。
彼には、息子が生まれた年、2歳だった唯生の訓練施設に通うため、1年間「介護休暇」を取ってそのあと復職した、という輝かしい過去がある。
今では、その空白は、目を凝らさなければほとんど見えない古傷のようなものだ。
たった6日間の休暇が何ほどのものであろうか。
明日は出張。夜は泊まり。
スーツケースを用意しながら、
「また忙しくなっちゃうなぁ。僕は、忙しいのはダメなんだよ」と愚痴をこぼしつつも、25年以上働いている男の姿。
頼もしいなぁ。惚れ直しちゃう。
ところで、今日は唯生の誕生日だった。24歳。
ふた昔ぐらい前なら、「クリスマス・イブ!」と言って結婚を焦っていた年頃だと思うと、感慨深い。
病棟で、他の5月生まれの人たちと一緒にお誕生会をやってもらえるだろう。
次に会いに行ったら、壁に写真が貼ってあるかも。
今は、大きな健康上の心配事もなく、体重が増えて体力もついてきた感じがする。
この1年、元気に暮らしてほしい。
15年5月9日
GW中のサークルのレクで、恒例の草野球があったらしい。
息子は、15年ぐらい前に大内くんが着ていたユニフォームを持って行った。
もう4度目か。
なんでお笑いサークルで草野球をやるのか、とか、ユニフォーム、しかもオールド・ファッションのだぶついたスタイルのものを着用に及ぶ部員が他にいるんだろうか?とか、いろんな疑問はあるが、現実にユニフォームが洗濯に出されているのでしかたない。
大内くんが草野球のチームで着ていたこのユニフォーム、背番号「31」は、中学時代に部活でやっていた時と同じにしてもらったそうだ。カケフではない。
「Seiuchi」とネームが入っており、息子とは名前が違うので、サークルの子たちに、
「先輩、それ、誰のユニフォームですか?」と聞かれているかもしれない。
去年だかおととしだかには、そのユニフォーム姿で満塁ホームランをかっ飛ばしたそうで、ご利益があるのかな?
父親(大内くんです)の清里草野球時代には、そんな晴れがましいことは起こらなかったと記憶しているが。
そう、年に2回清里に行って、なじみのペンションに泊まり、オーナーたちが主催する野球大会に出てたんだ。
5、6年は行ったかな。
最後に行った時、息子は小学校5年生で、オーナーの息子さんが小さい頃着ていたユニフォームを貸してもらって、2塁を守った。
大内くんがショートで、最初で最後の親子二遊間だったなぁ。
試合には、めずらしく勝てたような気がする。よく覚えてないが。
その後、友達とのボール遊びぐらいしかやっていなかった柔道少年が、大学3年生の今も、野球をやる。
(本当は4年生。でも、留年してるから、3年生と呼んでいる)
運動神経は悪くないので、まあ、素人同士ならそれほど見劣りすることもあるまい。
ユニフォーム着ててヘタクソだったら、悪目立ちだもんね。
彼には彼のGWがあり、我々のGWと同様、もう終わってしまった。
大内くんは毎日会社へ行き、息子は毎日でもないが大学に行き、私だけが家で寝ている。
15年前、どうやって1日野球観戦をしていたか、覚えてないし理解できない。
タテになってるだけでくたびれて、日々横になってるのに。
今日も朝から疲れている。
まだ午前中だが、昼寝をしよう。
15年5月11日
宮部みゆきの「ソロモンの偽証」、5回目かな?の完読。厚めの文庫本6巻とは言え、3週間近くかかったのがだらしなく情けない。
でも、面白かった。
何度読んでも新しい発見がある。
廷吏ヤマシン推しなので他の人物に今ひとつ目が行ってなかったが、今回は被告人の不良少年の内面にも着目した。
(着目するほどの中身ががあるか、と問われるとつらい)
そのまま、何か別の本を読もう、そう言えば宮部みゆきの「悲歎の門」上下を新刊書で買ったのにまだ読んでないじゃないか、と思ったところで、ふとイタリア旅行のことを思い出したのがまずかった。
青池保子の「エロイカより愛をこめて」で、バチカンから法王を盗んで(?)くる話があったなぁ。あれ、けっこう面白かったなぁ、と思うとすぐに読めるのが自炊のおかげ。
その賜物である全39巻未完のマンガを、読み始めてしまった。
また、何日かかるかわからない。
けっこうよくローマが舞台になるので、「旅はするもんだ」と懐かしみながら読んでいる。
終わったら、青池保子つながりで「アル・カサル−王城−」全13巻+番外編を読んじゃうかも。
宮部みゆきの新刊はいつ・・・
自炊してなかったら、こういう長編マンガを全部は持っていられなかっただろう。
実際、親から独立して以後の10回にわたる引っ越しのせいで、ずいぶん多くのマンガ(もちろん本も)を処分してきた。
自炊以来、全巻ドットコムのお世話になって、いろんな長編マンガを取り戻している。
たとえば、庄司陽子の「セイント・アダムス」全7巻なんて、自分でも、「本棚をふさいでまで置いておくマンガではない」と思ってるけど、今やスペース的には何の問題もないから、気楽に読み返している。
ちなみに、同じ庄司陽子の「生徒諸君!最終章」に関しては、大内くん曰く、「ひどい絵だ。なんでまだ連載が続いているのか。データでなければ無断ででも捨ててしまいたいマンガだ」そうだ。
市東亮子の「やじきた学園道中記」40冊を、大内くんの「捨てていい?」コールから守って来るのもけっこう難しかった。
読んでもいないくせに、人が好きなマンガを「どこがいいのか」とか言って捨てたがるなんて、マンガ読みの風上にも置けない野郎だ。
そんな大内くんも自炊のおかげでかつて処分してしまった本や、いつか読みたいと思っていた本を、たくさん手元に置いておけるようになったと言って喜んでいる。
「一番の悩みは、老人ホームに入る時に、どの本を持って行ってどの本とお別れをするか、ということだった。もう、そんなつらい選択とは縁がなくなったと思うと嬉しい」と感涙にむせんでいるのだ。
最近、うーんと時々、人から「で、どうなの、自炊って?」というようなことを聞かれる。
「自炊推進キャンペーン中」の我々は、もちろん、老人ホームに持って行ける件まで含めて、いかに簡単で速くなっているか、いかに空間がいらないか、と演説してる。
たいていの本好きの人は、いつか、自分の住まいのキャパを超えて本を持つことになってしまうから、本が好きであればあるほど、切実な問題なのだ。
「もう、本を処分する必要がないんですよ。いくら買ってもいいんですよ」とささやいて、推進キャンペーン続行中。
電子書店でマンガを買うことを覚えた私は、家計簿を気にしながらこっそり買う。
紙の本より安い、とは言うものの、ブックオフや全巻ドットコムよりは高いから。
まだ長編オトナ買いをしたことはない。
毎月10冊ほどレディースコミックを買っていて、月に2回、本屋のバイトさんが届けてくれる謎めいた生活を送る私としては、これらの雑誌が電子配信になる日を待ちわびている。
本に刃物がが入れられない人でも、家にある書類や写真をデータ化するだけでけっこうスペースが空きます。
さあ、一家に一台、ScanSnapを!
15年5月12日
21歳の息子がいつの間にか山下和美の「ランド」第1巻を買って来て、あまつさえ私に薦めてくれた。
「これ、買ったから」と手渡されて驚き、
「え、ありがとう。なんで母さんに?」と尋ねたら、
「『柳沢教授』、好きでしょ?」という答え。なんでバレ てるんだ。そもそも、彼はどこで「柳沢教授」読んだんだろう?
絶対に自炊はさせてもらえないので、最近のポリシーには反するが、とりあえず生本を読んだ。
ものすごく面白かった。
夜中に食卓にマンガ積み上げて、ビール飲みつつ読んでる彼から、さらに「ブルージャイアント」というマンガを薦められた。
「これ、すごく面白いよ」。薦めてくれるのはありがたいけど、こんなにマンガ買ったの?
自炊しちゃ、ダメなの?じゃあ、この物量はどこに行くの?
もう、あなたの本棚 だっていっぱいじゃない!
でも、くやしいけどいいマンガをよく読んでるっぽい。
別のマンガを手に取って「イマイチな絵だね」と言ったら、「うん、それは面白くない」。大内くんま
で加わってマンガの批評大会に発展しそうだった。
大内くん忙しいから、ビールを私と半分こして飲む間しか、参加できなかったけど。
書斎にひきあげて、「それにしても彼は、マンガの趣味、いいねぇ。どこでそんな目を見につけたんだろう?」と仕事する大内くんの背中に語りかけたら、
「彼は、なかなか大したヤツなんだよ」と嬉しそうだった。
「アニメ作る人になりたい」と言われて、親はかなり動揺するというか、初めて聞く「将来の志望」だなぁ。
これは、かなりころころ変わる。
小学校卒業の日:「弁護士になって、困ってる人を大勢助けてあげたいです!」
中学:柔道の面白さに目覚め、「警察官になって、悪いヤツをとっつかまえる」
高校:中学の教師になって、柔道部の顧問になりたい。
大学(初期):お笑い芸人になりたい。(orz)
大学(中期):やっぱり、警察官になって、世の中の黒い陰謀を見てみたい。
そして大学の今現在としては、「アニメ作る人」ですか。
もちろん、彼は絵が描けないし、CGを駆使するほどのIT力もない。
ということは、何だろう、「ストーリーを考える人」?
(「ヘスティアの例の紐」を知らなかったようなので、アニメオタクではなさそう)
ちょっと前までは「NHKに入れたら、サイコーだ!」と言っていたので、放送作家?
はっきりとは言わない(「21歳で、何になりたいか決まってたら、おかしいでしょ!」)のでよくわからない。
それでも、どうやらマスコミの方に行きたいみたい。
本を読まないくせに、活字の世界も興味あるようだが、映画・アニメ方面かなぁ。
まあ、何にせよ難しい就活になるね。
このように日々変わってしまう彼の未来図だけど、少なくとも親が無理やり言ってるんじゃないので、気が楽だ。
だが、大内くんと頭つきあわせて考えていて、
「彼が言い出すまで気がつかなかったけど、編集さん、ってのも大変な仕事だね。1冊の本を作るのに、いろんなアイディアを出したり、場合によってはストーリーを一部考えることもあるかもしれない」と話す。
でも、編集さんの名前は、著者があとがきで「○○出版の××さんには、本当にお世話になりました」って入れてくれるんでもないと、世間には編集さんの名前は広まらない。(それだって、地味だ)
縁の下の力持ちだ。
とにかく、本を読め。
映画やアニメやマンガも大いにいいけど、最後はやっぱり若い頃の読書の蓄積がモノを言うと思うよ。
どんな仕事に就くせよ、読書は邪魔にならないよ。
さて、息子は何になれますか。
危険な仕事でなければ、あとはもう、親の口出しできる話じゃないよね。
15年5月13日
昨夜は「カノジョのとこに泊まる」と連絡してきたので、そのまま授業に行ったはずなんだが、昼の1時頃、「家にごはんある?」と聞いてきた。
「カレーとごはんとお味噌汁があるよ」と返信すると、
「10分ぐらいで家に着くから、あっためておいて」。
実際、すぐに帰ってきた。
12時までの2限に出て、家で昼ごはんを食べ、2時半からの4限に出る、ということらしい。
自転車と電車で50分。定期で無料とは言うものの、マメだなぁ。
食費を浮かせたいんだろうか。
ごはん食べてシャワー浴びたら、本当に出かけてしまった。
「授業」と短く言い残して。
愛想がいいんだか悪いんだかわからない。
いや、世間的には全然良くないのはわかるんだけど、我が家ではまた話が別で、これまで、「出がけに何か言う」なんてなかったからなぁ。
ほとんど「食事つきの木賃宿」ですが、いいんです・・・
15年5月14日
岩明均の「寄生獣」を読み返す。
やはり、すごい名作だ。これ以上の作品はなかなか見当たらない。
深いテーマ性、身近な高校生の生活の中での「事件」が主人公と彼女の心を結びつけていく過程、という等身大のストーリーと、人類の危機、地球にとっての人類、という壮大な問いかけが、自然にからみあっている。
「寄生された人間の眼は、乾いています」と作者が語る通り、あの、一見ヘタな絵で、怒りに燃える主人公の眼と、虫けらを見るような無感動な寄生生物の眼、そして、次第に個性を得て行く寄生生物たちの表情の描き分けまでが見事になされている。
途中から加速する、画力アップからも目が離せな い。
レンタル屋にDVDが出ているのを見て非常に惹かれたが、「完結編」が出てから一気に観よう、と、ぐっとガマンした。
頭が地面にめり込むぐらい、 ガマンした。
ところで最近、本を読み返してばかりいるのだが、ミギーが、「これまで得た情報だけを材料に思索を続けようと思う」というところに大きく共感した。
もちろん人の一生に充分なほどの本を読んでしまったなどということはない。
まだまだ勉強しなければならないことは多く、読むべき本もたくさん あるだろう。
でも、今の自分には、少し休憩が必要な気がする。
さらに言えば、これまで読んだものを「なぞる」という行為が、無性に心地良い。
RPGも攻略チャートを読みながら進める私は、大内くんに言わせれ
ば、「冒険をしたいんじゃない。世界が、自分の知っている約束事に従って動いていることを確かめて安心しているんだ」ということらしい。
なぞる。なぞる。
傷のついたレコードが、何度も何度も同じところを繰り返すように、いやなこと、つらいことを繰り返してなぞる習性のせいだろう か。
萩尾望都の「残酷な神が支配する」で、大好きな登場人物、リンドンからそう語られた時は驚いたなぁ。
「こんなことをしてる人が、他にもいるの
か!自然なことだったのか!」と天啓のように受け止めて以来、「いやなことをなぞる」くせは少なくなり、心地良い刺激を繰り返すようになった。
安 心毛布が手放せるのはいつのことか。
遅い思春期の終わりは、まだか。
15年5月15日
たいへん! 週に1回更新しているホームページが不調で、データを送れない。
パソコンを落としてみたり、いくつかはやってみたけど、うまく行かない。
IT大臣の大内くんにそう訴えたら、「帰ったら見るよ。まかせて」と頼もしい返事が返ってきた。
土曜の朝を楽しみにしてくれている「お客さん」を思うと、ありがたくて、遅延させる気にならない。
PCって、なんかの拍子に使えないことがある。
大内くんは「全然わからない」と言いつつ、試行錯誤の末、常に何とかしてくれた。
最近は仕事が忙しいので、帰るなりそんな心配をかけて申し訳ない。
「ついでに八百屋でレタス1個買ってきて」と言うのも言語道断な気がする。
幸い、何でも受けてくれる大内くんなので、こちらも少しリラックスしよう。
息子は病院の夜勤のアルバイトで帰ってこないし、テキトーな夜でいいのだ。
ただ、ここ数日間2時間〜5時間睡眠で回している彼は、いくらなんでも疲れてるだろう。
休日はゆっくりしてもらいたい。
と言いながら、明日は朝から私の心臓の検査につきそってくれる。
ありがたいことでございます。
15年5月16日
年が明けてからおそらく一番暑いであろう今日、大内くんと一緒に自転車で吉祥寺に行った。
いつもの「クルン・サイアム」で、汗をだらだら流しながら辛いタイ料理の昼ごはんを食べ、ロフトに行って「地球儀」を買った。
シルバーブルー、
シルバー、普通の黄土色の3種類があり、置くつもりの出窓に雰囲気も合うし、「マルコ・ポーロっぽい」と大内くんが主張するので、黄土色のにし
た。
家に帰って置いてみたら、なんだかとってもいい感じ。地球儀のある暮らし、って、何十年ぶりだろう?
帰り道で、「鍵の専門店」に立ち寄る。
先日、私が外から戻った時、マンションの横手のドアから入ろうとカギを鍵穴に差し込んだら、そのまま抜けなくなってしまったのだ。
幸い、ドアを開けることはできたので、カギが刺さった状態でちょっと放置し、9時から5時までは常駐してくれている管理人さんを呼んだ。
あとはもう、管理人さんにおまかせしちゃって、横で心配はしてるが、頑張ってくれたまえ的な気分。
しばらくカギをガチャガチャやっていたら、スポンと、抜けた。
「よかったですねぇ。でも、大内さん、このカギ、コピーしたものですよね。駅前の、靴を直したり合鍵を作ったりする店だと、こういうこともあるんですよ。すごく複雑な造りのカギなので、専門のお店でやった方がいいですよ」と管理人さんは言い、お店の住所と名前をメモにしてくれた。
確かに、入居した時に受け取ったカギは2本しかなかったので、家族3人の分+非常用ということで、合鍵を2本作ったんだよね。
鍵穴(マンションの設備)には問題がなく、こっちが使ってるカギが問題だ、と言われては、その「安心な合鍵」を作るしかないではないか。
というわけで、吉祥寺からの帰り、西の方に10分ほど自転車を走らせ、教えてもらった鍵屋さんへ。
小さな倉庫のような店構えで、おばちゃんが1人で店番をしている。
「これ、合鍵を作りたいんですが」と頼んだら、「はいはい、じゃあ、今、番号を控えますから」とパソコンに向かい、何やら作業をしたと思ったら、
3分ほどで終わったらしい。
「はい、もう番号控えましたから、カギはお返しします。1本3240円で、できあがるのに1カ月ほどかかります。できたらご連絡しますから。お名前と電話番号を」と、非常にてきぱきと片づけられてしまった。
カギの番号を控える?
型取りをするわけでもなく、パソコンに入力するだけで、もうカギ返してもらっちゃって、いいの?
最近のマンションのカギは、複雑だけど、1個1個が固有の「番号」を持っているのだろうか?
なんとなくキツネにつままれたような気分で、20分ほどかけて家まで帰った。
いろんな技術進歩について行けてない時、なんだかちょっと眠くなるというか、外界を遮断したくなる。
仕方ないので昼寝をした。
最近、外からの刺激に弱くなっていて、ちょっと吉祥寺に出たり買い物をしたりすると、てきめんに疲れるんだよね。
25年間、大内くん以外の人と会うことも話すこともほとんどなく、まあ、いわゆる「引きこもり」だ。
脳の細胞がプチプチと音を立てて死滅していき、大脳皮質のしわが少なくなっていくのを、日々実感している。
それでいて、気楽な気分にはちっともならない。
買ったばかりの「イランイラン」のバスオイルを入れたお風呂でも、リラックスは難しい。
まあ、いいや。
今日はとにかくひとつ仕事をした。(合鍵)
ロフトでこまごましたものを買った。(地球儀とホワイトボードペンとバスオイル)
タイ料理を食べ、スタバでお茶を飲んだ。
私の普段の生活からすると、たいへん活動的だったと言ってもいいだろう。
日常は、些末なことの積み重ねだ。ひとつひとつ、ね。
15年5月17日
10年ちょっと前に近所の社宅から引っ越してきた時、新しい住まいから徒歩3分のところにメガネ屋があった。
行きつけのメガネスーパーが駅前にあったので、我々のメガネはそっちで作っていたけど、小5から近視の症状が出てきた息子の「初メガネ」はその、
家から一番近いメガネ屋で作った。
数年が過ぎ、まあ、メガネ屋なんてものはそう大勢お客さんが来るものでもないからいつもからっぽでも気にしていなかったところ、いきなり、つぶれた。
驚いていたら、居抜きで買い取ったものか、すぐに新しいメガネ屋が開店した。
息子の2つ目のメガネはそこで作った。
さらに数年が過ぎ、またしても店がつぶれ、またしても新しいメガネ屋が開店。
その頃には、息子はもう高校生になっていて、通学の途中である吉祥寺のコンタクト屋に通うようになっていた。
なので、3軒目のメガネ屋がつぶれても、うちではもう、誰も驚かなくなっていた。
さすがにメガネ屋には向かない立地だということがわかったのか、3軒のメガネ屋跡には、コンビニができた。
今のところつぶれてはいない。
もっとも、そんな近所に商売敵のコンビニができたため、マンションの真ん前に立っていたセブンイレブンがつぶれてしまったが、そのことはこの話に直接関係がない。
さて、この地に住んで20年近く。
その間、我々夫婦は次第に度を増す「近視・乱視・老眼」に、駅前の「メガネスーパー」で対処してきた。
メガネというのはけっこう高額なものだ。
3年に1回ぐらい、「数万円の出費×2」があるところを、お互いに「メガネ萌え」であることでどうにか我慢してきた歴史がある。
しかし、もう限界だ。私の遠近両用メガネは、明らかに度が合っていない。
フレームが歪んでずれやすいので調整してもらいたいこともあり、駅前の歯医者に行ったついでに、久しぶりにメガネスーパーに行ってみた。
自転車で、駅前通りを走る。
ゆっくり走りながら、メガネスーパーを目で探す。
ない。
駅まで行きついてしまったので、戻る。
戻りながらもう1度目で探す。
ない。
さらにもう1往復、探してみた。
やはり、ない。
私の地図感覚がおかしくて、行きつけのメガネスーパーを見つけられないのだと思いながら、帰り道で雑貨屋に寄り、日用品を買うついでに、
「この通り沿いに、メガネ屋さん、ありましたよね?」とレジのおばちゃんに聞いたら、
「ああ、あれねー、なくなっちゃったわよー」。
こっちも、つぶれたか!
仕方ないから、ネットで調べたら吉祥寺にもメガネスーパーがあるようなので、行ってみた。
フレームを直してもらって、ジャストフィット。
遠近両用のメガネを作るのは、また今度にしよう。
聞いてみたら、三鷹のお店がつぶれた時に顧客データが来てるらしいので、ここ20年近くの私の「メガネ遍歴」がわかるはずだ。
何でもネットでつながっているなぁ。
老眼は、相当しんどい。
モニタを見てると、夕方頃には目がかすんでくる。
地球儀の細かい文字が、裸眼でも見えないので、あせった。
次に買うべきは、「天眼鏡」、いわゆる虫眼鏡の大きいやつだな。
きっと、メガネスーパーに売ってるだろう。
15年5月19日
まだ10年近く先のことだけど、大内くんが、定年退職したら「シベリア鉄道」に乗りたい、と言っている。
ウラジオストクまで船か飛行機で行き、そこから鉄道で、終点のサンクトペテルブルグまで、あとは欧州鉄道をどうにかしてウィーンまで行きたいのだそうだ。
で、ヨーロッパを少し観光し、飛行機で日本に帰ろう、と。
最近、老化して、長く座っているのが苦手になったので、20年ぐらい温めていたこのプランはもう無理か、と思ったけど、1等の2人用コンパートメ
ントさえ取れれば、昼日中からベッドにしてごろごろしててもいいわけだし、なんとかなるかも。
漠然と、1週間ぐらいはかかるんだろうなぁ、と思っているし、大内くんの希望では、できれば途中で2、3カ所ぐらい、降りて1日観光をし、現地のホテルに泊まって、また翌日の鉄道に乗る、というスケジュールにしたいらしい。
私は、経済的にも日数的にも「正味のとこ、どのくらいかかるのか」 を調べてきたらまた話を聞いてあげよう、というスタンスでいる。
正直言って、定年退職後にどのくらい経済的余裕があるのか、かなりわからない。
老後にお金が無くなっても困るし、貯金だけ増やして早死にしてもつまらないし。
結局、どこかで「賭けに出る」のだろう。
去年イタリアに行った時のツアーの人たちは、半分以上が60代半ばぐらいで、「定年退職後のぜいたく。70歳過ぎると、もう旅行もできなくなっちゃうから、身体が動く今のうちに」としきりに言っていた。
中には「年に1度は海外旅行に」というような富裕層もいて、「50代ですが、海外旅行は新婚旅行以来、しておりません」という雰囲気の我々とは全然世界が違うのだった。
まあ、身体の老化は貧富の差とあまり関係がないから、やはり60代の序盤のうちに、行っておきたい。
イタリア旅行でツアーに延泊を2日つけ、4日間いて大好きになったローマに、できればもう1度行き、今度は1週間ぐらい滞在したいと思っている。
それも、定年後の楽しみ。
そのうえシベリア鉄道で10日以上かかるだろう旅をしようとは、ずいぶん贅沢なことを考えるようになったものだ。
息子も 大学3年生になり、もう数年したら彼にかかる出費がなくなり、少しは貯金もできるかな?と楽天的に考えているのかも。
これから10年ぐらいかけて旅行のプランを練るうえで、大切なのが地理。
目に見える形で野望を表そうと、とりあえずロフトで「地球儀」を買ってき た。
コドモの時以来だなぁ。
よく見て驚いたが、大内くんが疾駆しようと思っているシベリア鉄道のルートは、とても長い。
文字通り、シベリア平原を、ひたすら西へ走る。
ロシアとオーストリアが意外と近いので驚いた私は、中・高の時、社会科の成績がむやみに悪かった。
授業中ずっと寝ていたに違いない。
夢が広がる。こういうことを考えないと、生活の中で息が抜けない。
大内くんは面白いことを考えつくなぁ。
「夢をみる」ということにかけて、彼は私をはるかに凌駕する。
だが、それを実現させるには、現実的な(みみっちい、とも言う)私の、地に足のついた意見がないと、夢は空中で四散してしまうのだ。
風習も言葉もわからないロシアの大平原を、我々は本当に終点までたどり着けるのだろうか。
英語すらままならなくなっていて、車掌さんとちゃんとコミュニケートできるかどうか不安だし、食堂車でボルシチを注文して支払いを現地通貨ですませることができるだろうか。
とりあえず、大内くんに丸投げだ。
11日間、添乗員さんがほぼずうっとついていてくれるツアーで何とかこなしたイタリア旅行にも、準備は数年かけた。
半年前になって旅行社に費用を 払い込んだ時と、1カ月前になってキャンセルがきかなくなった時は、過呼吸になるかと思った。
でも、その数年間、たっぷりモトが取れるほど楽しん だ。
今度は、旅行社に頼むにしても、かなり自分たちで設計しなくてはならないと思う。
今から10年、楽しませてもらおう。
まずは大内くん、だいたいでいいから、日数と費用を出してくれ。
「毎日が日曜日」な定年後、時間はいくらでもあるだろうが、今からその費用を積み立てられるかどうか、家 計簿と相談して考えてみる。
BGMはもちろん大滝詠一だ!
15年5月21日
夜中、ものすごい嵐だった。
あまりの雨風の音に、ベランダに出してあるサンダルと牛乳パック入れのゴミ箱(重しにペットボトルを入れてあるけどちょっと心配だった)を室内に入れておいた。
ひと晩中PCの前にいて、夜中の2時から5時ぐらいまでかな、雨はざかざか降るわ、風はごうごうと音を立てるわ、おまけにかなり近くまで雷が来てた。時々、「ガラガラどっしゃーん!」と音を立てて雷が落ちる。
よっぽど大内くんを起こそうかと思ったが、別に、起きててもらったからってどうしようもないなぁ。
懐中電灯を手元に置いて、万が一の停電に備えた。
5時頃、大内くんが起きて、「すごい嵐だね!」と驚いていた。
それぐらい、激しかった。
「会社に、行けるかなぁ。交通機関に影響が出ないかなぁ」と心配そうだったが、これがまた、あっけなく終わっちゃったんだよね。
突然、さっきまでの風雨がウソのように、ぴたりとやんだ。
美しい夜明けの、洗い上げられたような静寂があるのみ。
「台風の目に入った?そもそも、台風が来てたの?春の嵐にしちゃ、遅すぎるし」と話してはみたものの、こうあっさり晴れてくれたなら、別に文句はない。
大内くんは6時半ごろ会社に行き、徹夜した私は9時に息子を起こさなければならない。
いいかげん1人で起きられるようになってもらいたいし、実際、起きていた頃もあるのだが、もうすっかり甘え癖がついちゃって。
「1人で起きてね。母さん、起こさないよ」ときっぱり言ったら、小さな声で、
「起こしてもらいたいなぁ。もっと早く寝なきゃいけないのはわかってるんだけど、つい映画とか見ちゃって」とつぶやく。
頼まれたんじゃしょうがない。起こしてあげましょう。
もっとも、デッドラインの1時間ぐらい前から起こし始めて、際限なく、
「あと15分」
「あと10分」
「もう最後にする。あと5分」
「ちょっとだけ。あと3分」
「もう、本当に本当の最後。あと15分」
だからさぁ、なんでそこで一気に増えるのよ?
これだけで、朝の1時間が奪われる。
タイマーを使い、マンガを読みながら、鳴ったら起こす、という方式だ。
授業の、少なくとも始め半分は間に合ってないな、出席カードをもらうためだけに、最後にほんのちょっと受講するだけだな、とバレバレの時間帯で動
く息子。
今朝も、戦いが1つ終わった。あと何日、何カ月、これが続くんだろう?
15年5月23日
年に1度、大内くんが主催している「休日講座」。
もともとは、芸大出の友人が卒論に書いたという「ジャポニズム」の話が興味深く、
「こんなに面白い話を我々だけで聞いてしまうのはもったいない。ぜひ、大学のマンガクラブの友人たちにも聞かせてあげたい」ということで、市民会館の一室を借りて行った講義がきっかけ。
その後も、仕事や趣味の話をしてくれる「講師」を募って、続けてきた。
もう15年ぐらいになるか。
大内くんも製鐵の話を披露したし、ワインが趣味の友人は「ティスティングつきの講座」をやってくれたし、近隣のお茶室のある施設を借りて、茶道の教室をやったこともあった。
大内くんは、頑張ってる。
今回はまたいっそうハードルが高く、初めての「運動系の講座」。
10年以上「ヒップホップダンス」を習っている友人が、みんなに簡単な踊りを教えてくれると言うので、市民会館の、少しぐらい騒がしくてもかまわない広い部屋を借りて、ダンスだ!
私はひざと腰が痛いので見学だけど。
1時半からなので20分ほど早めに行ってプロジェクタ等の機材を借りて準備して待っていたら、講師が、奥さんと一緒に現れた。
「一部屋、仕切って、着替え用にしようか」とか話してる間にも、「生徒たち」がやってくる。
家からいいかげんな格好で来た大内くんと私以外の人は、楽に動ける服装に着替えるのだ。
小学生になったばかりの息子さんを連れて、家族で来てくれた友人もいた。
本日の参加者は以下の通り。
女性その1.講師の妻。
女性その2.出席者の妻。ヅカファン。1児の母。見学のみ。
女性その3.私。見学のみ。
男性その1.講師。システムエンジニア。
男性その2.ゲームデザイナー。独身。
男性その3.銀行員。1人息子はうちの豚児と同じ大学。
男性その4.日銀勤務。1児の父。今でもバスケをやってるそうで、身体がよく動く。
男性その5.デザイン会社代表。2児の父。最近、椎間板ヘルニアの手術をしたので腰の調子がいいそうだ。
男性その6.林野庁勤務。気難しいタイプだが、なぜだか今回は来てくれた。1児の父。(2児だっけ?)
男性その7.無職であると自己申告する、謎の男。カノジョと別れたらしい。独身。
男性その8.女性その2の息子。職業は小学生。
男性その9.女性その2の夫であり、男性その8の父。宝塚プロデューサ。
男性その10.大内くん。
ずいぶん、大所帯になったものだ。
この講座の発端になった芸大出女性は「運動はさすがにちょっと」と言って欠席だ。軟弱である。
皆、着替えて、まずは講師のやるようにストレッチを。
「これだけでも、相当きつい」という声がそこかしこで上がる。
さらに、そのあと、簡単なステップを習う。
見学してるとよくわかるけど、大内くんって、身体は動くんだけど、全然リズム感というものがない。
彼が踊ると、なんつーか、「田植えの踊り」でもやってるように見える。
動きに、キレがないよ。
対照的に、日銀勤務の男性その3は、バスケの賜物なのか、むちゃくちゃ動きがいい。
誰もが一目置く秀才なのに、運動神経まで発達してるのか。天は二物を与えるもんだなぁ。
少し休憩になったところで、私は、「みんなが持ち寄ってくれた食べ物飲み物の中で、冷やしといた方がいいハムとかチーズとかワインとか日本酒とか」を受け取っていたので、一足お先に家に帰り、料理の続きをしたり、宴会の準備だ。
しばらくして、大内くんに、
「踊りがまとまったら、写真か、できれば動画を撮っておいて」とラインを入れたら、15分ぐらいして、「おそかりし」とレスが来た。
そのあとすぐに電話がかかってきて、
「さっき終わった。体育館でシャワーを浴びる人もいるけど、ほとんどの人が家に向かっている。僕も、自転車で帰る」と言ったと思ったら、帰ってきた。
そのあとは、団体さんが到着し、シャワーを浴びた2人もやってきて、ビールで乾杯だ。
普段はワインがよく空くんだけど、今日はやっぱり、ビールだよね。運動したもん。お疲れさま。
あっという間に宴会になだれ込み、女性その1がよく手伝ってくれてお料理がひとわたり出て、ワインに行く人もあり。
そんな中で、男性その5が、所用のため早めに帰らなければならない、と言い、「また飲みましょう!」と言って去って行った。
そのかわり、講座に間に合わなかった「男性その11。大学の工学部教授。2児の父」がやってきた。
オトナとコドモ、合わせて13人が飲み食いしてたのだ。盛会だなぁ。
知らない人には全然ぴんと来ないだろうが、男性5、6、7は、学生時代、たいそう人間嫌いで、怖かった。
その3人に「ヒップホップダンス」を踊らせる日が来るとは思わなかった。
やっぱり、人間、コドモができると変わるんだろうか?
もっとも男性その7はいまだに独身でもちろんコドモはいないのだが、男性その8であるところの小学1年生と、かなり本気で遊んでおり、皆から、
「へぇ〜、あの、彼がねぇ」と感嘆されていた。
4時過ぎに始まって、さらに男性2人がそれぞれの用事で先に帰り、残ったメンツで盛り上がっていたが、まあ皆さんお疲れだろうし、と、9時頃にお開き。
お酒は、やや余り気味だった。普段は大変な量の酒瓶が出るのに。
そのかわり、ビールがよく売れたけどね。やっぱり、汗かいたからかな。
例年のように、次回、つまり来年の予定を立てる大内くん。
今日、直前に欠席となってしまった、「アフリカン・ドラム奏者」に頼んで太鼓を叩いてもらい、「生徒たち」にも何か音の出るものを持ち寄ってもらって、合奏をやろう!という話になった。
うちは、私がギターで大内くんがフルートだが、ハーモニカとかリコーダーとかタンバリンとか、何でもいい。
極端な話、空き缶に石ころを入れた物を振って音を出すだけでいい。
早くも来年が待たれる。
皆を送り出して、ほっとひと息。
「今年も、無事にやれたねぇ。ありがとう」と大内くんが言うので、
「身体を動かす企画なんて、参加者が集まらないかと思ったけど、いつもより大勢来たぐらいじゃない。大成功だよ。ご苦労さま」とねぎらう。
実際、これを続けている大内くんはかなりエラいのだ。
友人たちの中には、「年に1度のこの機会を、とても楽しみにしています!」と言ってくれる人もいるんだよ。
毎年5月にやってるが、大内家のスケジュールとしては、
「正月が終わるとGWが来て、休日講座。講座が終わるとあっという間に夏休み」という感じ。
なんだろう、やっぱり、ほっとするというか、放心しちゃうんだよね、この規模の集まりをやると。
私は、年に2回、「休日講座」と「クリスマス・パーティー@大内家」をやるだけで1年が終わってしまう。
今年も、半分終わったなぁ、と思う。
常に、来年、再来年の講師の目星をつけ、きちんとお願いしている大内くんで、再来年の予定もいい感触だそうだ。
それに、「運動系」がこんなに成功するんなら、今日のダンス講師は実は合気道も習っているので、3年か4年したら、「合気道講座」をやってもらうのはどうだろうか、と思う。
こんなことしてると、時間があっという間に過ぎて、あっという間に歳取っちゃうなぁ。
友人たちと、楽しく過ごせてよかった。
みんな、すごく貴重な人たちだ、と感じる。
若い頃にむやみやたらに一緒にいた、その時間が今に生きている。
また来年、そして再来年もその次も、ずぅっとよろしくお願いします。
今日、来られなかった人たちも、来年はぜひ!
15年5月24日
息子が腹を下した。
そうとしか言いようがない。ピーピーである。
普段より少し早め(つまり、真夜中よりは前)に帰ってきたとたん、トイレに駆け込み、「正露丸、くれ。のむ」と言っていた。
その時点では、腹痛もさることながら吐き気が激しかったらしく、あまり吐かない体質の彼は、しばらく便座を抱えるようにして苦労してたけど、「ダ
メだ、吐けない」と狭いトイレでぐんにゃりしてた。
本人は、「安いホルモン屋に行ったのがいけなかった。ホルモンにあたった」と言っている。
大内くんは「おなかにくる風邪をひいたんじゃないか」と言い、そうしてる間にも熱が38度を超えて来たので、「抗生剤」と「おなかにくる風邪用の漢方薬」をのませて、とにかく寝ろ、と言っておいた。
こういう時の彼は、言われなくても寝る。
ただ。ポカリスウェットを2リットルペットボトルに作ってくれ、と言い、ひたすらそれを飲んでトイレと自室を往復しており、ほとんど、眠れないんじゃないかと思うぐらい。
私は「食あたり」をした経験がほとんどないので、どうなっちゃうのか、見当もつかない。
「救急病院に、行ってみる?」とは聞いたのだが、病院の深夜受付のバイトをしている彼にしてみたら、あまり良いことが起こるとも思えないらしい。
おとなしく寝て、その晩を過ごした。
15年5月25日
息子の「食あたり」、継続中。
朝、レトルトのお粥を食べたいというので温めてあげたけど、日頃なら3、4杯食べちゃうような量なのに、持て余していた。
あいかわらずポカリスウェット。(もう1本、作らされた)
あとは、「10秒チャージ」のウィダーを飲んでる。
高校の頃、朝ごはん代わりに毎日飲んでたなぁ。
さすがに苦しいらしく、熱は下がってきたと言うものの、ただ寝てるだけで良くなるとは思えなかったようで、近所の医者に行った。
その結果、「ノロ・ウィルス」だったそうだ!
血液検査したんだから、間違いないんだろう。
本人は釈然としない顔で、
「あのホルモン屋が、アヤシイと思うんだけどなぁ」とつぶやき、おなかをなでながら、まだトイレに通っている。
それでも、薬ももらったし、ひと安心かな。
「オヤジたちに、伝染させてないかな」と彼も心配し、こっちでも彼がトイレに駆け込んでいるのを見て「ああはなりたくない」と思うもんだから、まず、コップとタオルを分けることにした。
「はい、このコップがあなたのだから、何でもそれで飲んでね。洗面所ではよく手を洗って、こっちの白いタオルは使わないで、茶色のタオルを使ってね」と説明したら、こういう時は面倒くさくないらしくて、素直に従っていた。
また、お医者さんから「冷たいものを飲まない方がいい」と言われたので、ポカリスウェットはやめ、お白湯を飲んでいた。
この、お白湯の作り方が、実にワタシ的なんだよね。
コップに水を半分ぐらい入れて、そこに、ポットの熱湯を少し入れて、ぬるい白湯を作る。
湯灌がどうのとか、うるさいことはこのさい言わない。
いきなり熱湯をコップに入れたら割れるかもしれないし、手が熱い。
なので、合理的に、そういう方法を取っている
そしたら、自分で白湯を作るようになった息子が、まったく同じ方法でやっていた。
大内くんは、
「彼は、何でもよく見てるし、合理的だと思うとその方法を取り入れる。感心した」とつぶやいていた。
自分だったら、熱湯入れて「あちちち!」というタイプなんだって。
そうこうしてる間に、おなかはかなりおさまってきたみたい。
まだ、お粥とウィダーで生きてるが。
手負いの獣のように、最低限の栄養をとってひたすら丸まって寝ている姿を見ると、私よりははるかに「健康」な人生を送れるだろうなぁ、と感じ入るよ。
合理的、かつ、身体の声に敏感な人物、それが息子だ。
大内くんと私の良いところがミックスされてできあがったのがよくわかる。
もう、心配しないで我々も休もう。
15年5月26日
自炊の進んだ我が家では、本やマンガはタブレットで読んでいる。
息子は、「オレのマンガは、自炊するなよ!」と強硬に主張しながら買ってきて、生本で読んでることも時々あるけど、まあ、多くは我々が全巻ドットコムなどで入手し、自炊したものをタブレットで。
大内くんは通勤中でも読めるように、ネクサス。
息子は、iPad第1世代を使っていたのに、3年前、サークルの人たちとベトナム旅行に行った時、ホテルに忘れてきた。
いろいろ電話して確認したところでは、「リチウム電池の輸出に問題がある」ため、送り返してもらうことはできないらしい。
日本語の話せるホテルのスタッフが、「あきらめてください」と言うもんだから、言われるがまま、あきらめた。
その頃には私は新しく出たばかりのiPad第3世代(Retina)を買っており、第2世代が1台、余っていたので、息子にはそれを貸してあげた。
もちろん、忘れてきたことはとっくりと叱った。高いものなんだから。
でも、あまり反省はしてない気がする。
実は、その第2世代のiPadはボリューム調節のボタンが壊れてしまっていた。
私はデータの本を読むだけで音楽関係には使っていなかったから、そこは困らなかった。
画面の真ん中に、「最大音量」を示す絵が出てるのは邪魔だったけど、「手かざし」したら消えた。
大内くんが私を、「超能力者か、巫女さん」だと信じてるゆえんである。
だがもっとすごいのが、私のDNAを存分に受け継いだ、息子。
音の出ないiPad2を渡して1週間ぐらいしてから、いつの間にかでかい音でYouTubeやHuluを見ている。
それから3年、彼のiPad2はまったく不調を見せず、音量も「うるさいよ」と言えば下げてくれるので、コントロール可能ということだ。
「あれって、完全に壊れてたから貸してあげたんだよね?」と、大内くんと2人、超能力者の家系について考え込んでいる。
「エアは軽いだけで、画面のキレイさとか変わらないから、買わない。もし、解像度の上がったエアが出たら、すぐに買う」と思って3年、息子のも私のもそれぞれ快調。
私はベッドにスタンドをつけて、あお向けでマンガを読み、FBを見る。
時々、Huluで「渡る世間は鬼ばかり」を見たりするけど、基本は読書器だ。
息子の方がずうっとダイナミックに使いこなしているように見える。
そんな彼のiPadが、姿を消した。ある時から、iPhoneで動画を見ており、iPadが見当たらない。
「まさか、またどこかに置いてきちゃったの?!」と本人に聞いてみたら、「カノジョに貸してる」のだそうだ。
カノジョに、って言っても、もともと親の物で、貸してあげてただけなのに、勝手に貸しちゃうの?
「いつ返してもらうの?」
「まあ、充分楽しんでもらうまで。マンガ読んでるし」
「物の貸し借りは慎重にしてね。返してもらってね」
という会話があって、それからひと月ばかりたっても返ってくる様子はない。
そこへもってきての「食あたり騒動」、出かけるもならず、30分に1回トイレに行く、という状態の息子は、眠るだけ眠ってしまったら、さすがに退屈してきたらしい。
私が昼寝から覚めてiPadを見ようと思ったら。
ない。
スタンドにつけて、マンガ読みながらいつの間にか眠っていたので、どこかに行ってしまうわけはない。
息子の部屋に行ってみたら、あーっ、人のiPad勝手に持ってって映画見てる!
パスコードを、家族にはわかりやすい数字にしておいたのがいけなかった!
「どうして勝手に持って行くの!母さんのでしょ!」と叱って取り上げたら、不満そうな彼はおなかの調子はよくなったのか、そのまま大学に行ってしまったが、夜、さすがに普段より早めの9時頃に帰ってきたと思ったら、
「iPad貸して。Hulu見る」と言う。
iPadには、メッセージや、FBも入っている。
息子に見られたくないものも多い。
「iPadは、iPhoneと同じ、プライバシーのカタマリだよ。貸さないよ。ないと不便なら、カノジョから返してもらいなさい!」と強く言うと、仏頂面になって部屋に行ってしまった。
「Huluなら、リビングのテレビでも見られるよ」と教えたけど、見る気ないみたい。
とにかく、バレているパスコードを、まず絶対わからないだろう数字に設定し、さらに、私が寝たかと思って部屋をのぞきに来た彼に、
「貸さないからね!」ともう1度言うと、また黙って引っ込んだ。
その後、カノジョと何らかのやり取りがあったらしく、もう寝ようとしている我々の寝室にいきなり入ってきて、
「6月2日、ヒマ?」と聞く。
「何曜日?火曜日?父さんは、用事が入ってる。何かあるの?」
「また来る」
ゴジラとかガメラとかが来るみたいに言うな。
カノジョが、泊まりに来るんだね?
もう5回目ぐらいか。
なぜ、1人暮らしの女の子が、親のいるカレシの家に泊まりに来るのか、あいかわらずわからない。
「晩ごはん、何がいい?」
「なんか、出前取って。あの、おいしい中華屋の」と、前にもカノジョをもてなす時に出前を取った店がいいらしい。
大内くんいなくて、3人でごはんか。キンチョーするなぁ。
iPad2は、返してもらえるんだろうか。
カノジョは、本当に何を求めて家に来るのか。
これが、あんがい、息子が誘ってるんだということが、我々にもそろそろわかり始めている。
両親や家が、ウザくはないってことだね。よかったよ。
15年5月27日
昼はスパゲッティが食べたい、と言って、ほぼ完全に復調したらしい息子。
3日間、ほぼお粥しか食べてなかったので、少しスリムになった。
ふと顔を見たら、カッコよくなってたんだよね。
大内くんに聞いてみたら、彼も、息子の男ぶりが上がったと思ったんだって。
「ちょっとやせるだけで、違うもんだねぇ」と言うと、
「つまり、もう何キロか真面目に減量したら、モテちゃうのかもねぇ」と大内くん。
人間、顔からやせてくるっていうから、まず顔に出たんだろうけど、おなかとかどうにかすると、カッコいいかもねぇ。
21年間育ててきて、ノロだろうが何だろうが、これほど急に激しい症状が出て体調を崩す、というのは経験がない。
健康なコドモだったということだろう。
それに、今回の態度を見ていても、野生の勘に従って生きてるなぁ、と思った。
自分の身体と話し合いができて、そのうえで休むなら休む、絶食するならする、というのは、感心だよ。
私がまた、「身体の声」が全然聞こえないタイプだからなぁ。
遺伝してなくて、良かった。
もう明日からは普通の生活に戻れそう。
我々も少し疲れた。いろいろあったからなぁ。
大内くんはあいかわらず忙しそうだが、それにすら慣れちゃった感があるよ。
マンガでも読んで、のんびり過ごそう。
そう言えば、カノジョが泊まりに来る話は、「忙しいから」とのひと言であっという間になくなった。
別にかまわないが、忙しいのはキミたちではなく、大内くんの方だ。
15年5月29日
「休日講座」のお客さんの1人は、息子がうちの豚児と同じ大学に行っている。
ひとつ年下なのだが、豚児は留年したので、同じ年に就活することになりそう。
妙齢の息子を持つ者同士、少し盛り上がってしまった。
彼は、数年前までロンドンに単身赴任していて帰国し、最近、仕事も替わったので、家族に割く時間が増えたように思う。いいことだ。
息子が出しているので黙って洗っている、ピンクのお弁当箱があるという。
「それって、カノジョが作ってくれてるってこと?」と大内くんが興味津々で聞いたら、どうやらそうらしい。
黙って洗っとく、ってとこに、すごく親心を感じるね。
彼がロンドンにいた頃、時々奥さんが訪ねて行っていたようなんだが、その間、妙に家がキレイに整頓されていた、とその父は言う。
「それも、カノジョだね?」とまた大内くん。
うん、うちも、息子を1人で置いて夫婦で11日間イタリアに行ってる間、カノジョ来てたらしいもん。
いいねぇ、年頃のコドモは楽しくって。
ちなみに、今度大学受験する長女を持つ工学博士は、自分が中高一貫男子校でつまらなくて、
「共学じゃなきゃ、ダメですよ。ハーマイオニー(「ハリー・ポッター」に出てくる女の子)がおらんかったら、いかんでしょう!」と数年前は言っていたのに、今や、「異性は、受験の妨げです」と大真面目な顔をして言っている。
我々としては、理系クラスにいるらしい娘さんが、モテモテでカレシできまくり、でもお父さんにはナイショ、ということを大いに期待している。
恋人ができたぐらいで、受験がダメになるなんてこと、ないよ。
まあ、「娘を持つ父親」ってのはまた、格別、妙なことを考えるもんだね。
「僕には、その気持ちはやっぱりわからないや」と、少し寂しそうな大内くん。
そうね、唯生は、「娘がいる」ってのと、ちょっと違うからね。
工学博士が「花嫁の父」になる日を楽しみに、見物していようよ。
15年5月30日
「いつか行きたい旅」が、私に話すと「来年行く旅」の様相を呈してくる。
大内くんとシベリア鉄道に乗りたいという話をして、地球儀を買った後、私 は毎日シベリア鉄道について考えてしまうのだ。
「何日かかるの?」と聞いたら、「さあ、1週間ぐらいかなぁ」というあやふやな返事が返ってきたんだが、ネットで調べたら確かに直通で1週間だった。
「どこで降りてて観光するの?」「うーん・・・わかんない」と言われれば、イルクーツクとエカテリンブルグが大きい街のようでいいんじゃないか、と考える。
あいにくと言うか何と言うか、今のご時世、旅行社に行ったり電話したりしなくても、そこそこのことはネットでわかってしまう。
「ゴールデン・イーグルで行くシベリア鉄道の旅」というサイトでは、ウランバートルやエカテリンブルグに降りながらの「モスクワからウラジオストク」への15日間のツアーを見つけた。
(我々の計画とは逆向きだが、まあ、参考にはなる)
人気だという「インペリアル・スイート」だと1人320万円。
一番安い「シルバー・クラス」でも180万。2人で360万円?!そんなにするの?高い!
ツアーで行くからいけないんで、自分たちだけで行けばそれほどかからないだろうとは思うんだけど、大内くんは、ウラジオストクからサンクトペテルブルグまでのコンパートメントの料金とか、知ってるんだろうか?
ウラジオストクまでの運賃とか、ウィーンまでの旅費、ホテル代、帰りの飛行機代だってあるんだぞ。
「疲れるから、ビジネスクラスにした方がいいね」とか言ってたが、ヨーロッパからのフライト代だけで何十万かかることか。
調べ始めちゃうなぁ。
45万!
ANAのウィーン発フランクフルト経由成田着だからいけないのか?
アエロフロートのエコノミーなら、6万ぐらいですむんだが。
何もかも高い。心臓に悪いなぁ。老後の娯楽って、こんなに高くつくのか。
大内くんみたいに、夢とロマンを掌の上で転がしてあたためて楽しむタイプの人は、私なんかと旅行の計画立てちゃダメなんだよね。
現実的で心配性で 小心者で、おまけにケチだ。
彼は、「もしかしたら行かないかもしれない旅」でも楽しめるようななんだが、私は「何か無理な要素があって行けないなら、最初っから計画しない方がいいじゃないか!」と考えてしまう。
大内くんが20年ぐらい考えて楽しんでいた「シベリア鉄道の旅」が、私の検閲を受けると、「高すぎて行けません!ムリ!」ってことになっちゃう。
行きたいけど、私が思ってたよりお金かかるみたい。
もしかしたらそのへんは大内くんにとっては折り込み済みで、だからこそ一生一度の旅なのかもしれない。
しばらく考えるのやめよう。
大内くんの夢を、中途半端に現実に引き戻して台無しにしてしまうからね。
何しろ10年先の話だし、その頃、世の中がどうなってるかもわからないし。
(ビジネスクラスが、すごく安くなってるかもしれないじゃないか!)
地球儀を回して、オーストリアを探すのは大変だった。小さな国だ。
大内くんの、いや、我々の夢の行きつく先。
私とこの旅をしたいから、今、頑張っ て働いてくれてるんだよね。
はっきり書類にして出したりしないだけで、彼なりに考えてるんだろう。
「なんとなく」という言葉が大好きな大内くんと、苦手な私。
それでも一緒にコンパートメントには乗りたい。
イタリア旅行がそうだったように、ぼんやり「行きたいなぁ」と思って、だんだん計画
して、そのプロセスまでもが一生の思い出になると信じて、今日は今日の貯金をしよう。
(結局、お金の話から離れられなかった・・・)
15年5月31日
久々に大内くんが仕事を(あんまり)しない1日。
一家全員好きなだけ寝て、目が覚めたら午前11時。
まあよく寝たもんだ、と、まだ寝ている息子を起こし、我々は吉祥寺に買い物に行く。
今日は暑そうだから、歩くのやめて自転車で行こう。
ちょこちょこと用事があるんだよね。
まずはメガネ屋さんに行って、私のメガネをフィッティングしてもらう。
遠近両用メガネを新しくしようと思っているし、場合によっては老眼鏡を作ってもいい、と思っている。
検眼に時間がかかるから、今度、私1人で来られたら来てみよう。
そのあと、ユザワヤの文具売り場に行って、「ホワイトボードペン」を探す。
うちが好んで使っているのは、パイロットの極細。
あちこち行くたびに探してるんだけど、まだ安定供給先が見つからない。
今回も、スカであった。
ついでにロフトの文具売り場も見る。やはり、ない。
1階でバスオイルとお香を買って、「てんや」にお昼ごはんを食べに行くことにする。
混んでいたので1階のカウンタ席しか空いてなかったが、調理場の風景が見えて、面白かった。
見たとこ、注文を受けるとその具材が油に投入され、ベルトコンベアに乗って運ばれてくる。
これを注文通り乗せたら、天丼の出来上がりだ。
私は「ナスを足して、つゆだくで」。
大内くんは珍しく普通盛りで文句がないどころか、
「もう、身体が老人になっている。昔ほどは食べられない」とこぼしていた。
今日が、とても暑い日だってことも、関係するんじゃないの?
大内くんのご飯茶碗が割れてしまったので、新しいのを買いに、瀬戸物屋さんへ。
この20年ぐらい、ずぅっとおんなじ柄のを買って使っている。
有名なトレンディ・ドラマ「私の運命」で、段田安則と坂井真紀の兄妹が使ってたのと同じ夫婦茶碗であることは、なんとなく得意得意。
でも、いつもはあるのに、同じ柄のがなかった。
「別の、好きな模様のにしたら?」と言ったのだが、
「おそろいがいいな」と言われたので、予備がある私の茶碗でごはんを食べることにした。
お茶碗が少し小さくなって、大内くん、自然なダイエットができるかも。
えーと、あとは、大内くんが引退後に講師に雇ってもらおうと虎視眈々の塾が、このほど近くに支部教室を出したので、お祝いに時計でも、と、ヨドバシで大きくて綺麗な壁掛け時計を買った。
来週の土曜日、塾長と個人的な飲み会をするので、その時に渡そう。
支部を出すのは塾長の悲願だったので、実現して嬉しい。
大内くんを雇ってくれるかどうかはわからないが、教室が増えた、ってことは講師も大勢必要なんじゃないかなぁ。
もうこれですべての用事が終わったか、と思ってスタバに行ったら、昼過ぎだったこともあり、大盛況。
表に座る元気はないので、自転車で帰る。
パンクしてた大内くんの自転車(出がけに気がついたので、吉祥寺には、予備の自転車で行った)を車に積んで、直してもらいに行ったら、
「もうかなりガタが来てますね。買い換えた方がいいですよ」と薦められ、しょうがないから新しいのを買った。1万円ちょっと。
毎日、通勤に使うものだから、必要経費だ。
「1日にこんなにいろんな用事をすると、くたびれるね」と言いながらフェイスブック見てたら、大内くんの先輩のSさんが、午前中は自衛隊の船を観に行き、 午後は府中でダービーに燃えた、というような活動をしていることを知り、がっくり。
「みんな、元気だなぁ。毎晩タクシーで帰ってるようなHくんだって、お休みの日は10キロ走ってるらしいし。僕は、どうしてこんなに体力も気力も
ないんだろう」と長嘆息の大内くん。
SさんやHくんは、人種が違うんですよ。マネしようったって、無理。
私は最近、シベリア鉄道の旅を考える方向に燃えているので、大内くんより4歳年長な自分の歳を考えると、60歳で定年を迎えたら即座に列車に乗ってしまわないと、数年たってからでは行けないんじゃないか、と思う。
なにしろ、10日ばかりかけてシベリア鉄道に乗ったあとはウィーンに行って帰るつもりだったのに、せっかくウィーンまで来たらイタリアはすぐとなりだ、ついでにローマ行こう、それなら、いっそ、イスタンブールに出て、エーゲ海をクルーズしてローマへ行き、数日滞在して帰国しよう、と、時間的にも金銭的にも、とてつもない大旅行になってしまっているのだ。
「本当に、行けるのかね?」が合言葉になりつつある我々。
それにしても今日は暑かった!
本格的な夏の前には梅雨があるんだけど、そのへんすっ飛ばして暑い。
今年も夏バテせずに乗り切れるかな?
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