15年9月1日

大内くんが、風邪をひいた。

いや、昨日の晩、妙に身体が熱いので、熱を計ってもらったら「37.9度」。
つまり、38度近いわけじゃん。
もうテレビどころじゃない、寝て寝て。
と言うまでもなく、本人は気絶するように眠っていた。

夜中に起きたので、冷たいお茶を持って来てあげる間に計った熱が「38.9度」。
うわー、今度は39度近い。
これは、かなりの数のサラリーマンが休む数値だ、と思う。

大内くんもそのへんはさすが勤続26年、夜中にあちこちにメールを打って、明日、出社できない旨を伝え、仕事の算段をして、それが終わったらばったりとまた気絶してしまった。

朝、私が近所の病院が開く前から並んで、番号札2番をゲットしたので、診察開始15分前に始まる受付をし、
「もう、中で座れるようになったから、来て。2番だよ」と大内くんを呼び出す。
本当ならここでついでに私のひざも診てもらいたいところだが、今日は9時に息子を起こさなければならない。
やってきた大内くんと入れ替わりに家に帰ったら、ちょうど9時。
目覚まし時計があちこちで鳴っているが、息子本人は何も気にせずすやすやと眠っている。
「9時だよ!起きて!」と叫ぶと、「うん。もう少し」。
「少しってどのくらい?」
「15分」

15分あったら、ひざを診てもらえたかなぁ、と思いつつ、15分後にまたひと声。
「うん、あと5分」
これがなぁ、最近、可愛くなってきちゃって。
家を出たらこんなこともしてやれないんだもんなぁ、って、5分後にまた声かけ。
「朝ごはん、食べる?」
「・・・何がある?」
「ビーフシチューあるよ」
「・・・少し食べる。ごはんも少し」

で、2人分のビーフシチューをあたため、ごはんもレンジして、「できたよ!」と声をかけたら「はーい」と言いながらゆっくりゆっくり起きてきた。
これでも今朝は早い方だ。どうかすると1時間半ぐらい起こし続けなければならない。
私が勝手に自分の分のビーフシチューを食べていたら、息子もやって来て、お盆ごと持ってテレビの前に行ってしまった。
そしたら、大内くんが帰ってきた。

「おかえり!どうだった?」
「インフルエンザの検査とか、一応したけど、なんでもなかった。何か、ウィルス性の風邪だろうって」
さすがに今はビーフシチューは食べないが、晩に食べる、と言って、また寝た。

息子の方は、
「出かけるんでしょ?」と聞くと、
「ううん、用事がなくなったから、もうしばらく家にいる」って、それなら最初からそう決めといてくれ!
そしたら私、大内くんの次に自分の順番取って、ひざの関節痛を診てもらったのに!

「合理的」に暮らしたい。
でも、「合理的でない」人が1人いるだけで、「合理的な暮らし」は難しくなる。
ただ、最近、息子の寝顔を見ていると、小さい時にもっとたくさん「添い寝」をしてやればよかった、と思うんだよね。
あの頃は毎晩イヤでたまらなかった。1時間から2時間も拘束される恐怖の時間。
それが、今は懐かしくって。

なので、今の息子に関しても、なるべく楽しもうと思ってるんだ。
息子本人からすら、「リスキィな子育てだね」と言われるこの無手勝手流でどこまでやれるかわかんないけど、
「子育ては、結局のところ、趣味だ」
という境地に行きついた今の我々にとっては、これでいいんだと思う。

15年8月2日

息子は昨日から2泊3日でお笑いサークルの合宿に行っている。
普段だってそんなに家にいやしないが、やはりまるっきりいない、というのはありがたい。
ごはんだってテキトーでいいし、夜中に突然、肉野菜炒め定食とか作らされないし。

合宿って、どんな風かなぁ。
自分が20ぐらいの頃は、本当に楽しかった。
野尻湖の大学の保養所に泊まって、目の前の湖にボート出して花火打ち合う「海戦」やって、夜は果てしなく宴会やって酔いつぶれてみんなでザコ寝し て・・・今の大学生もそんな感じになるんだろうか?

息子を見てると、どうも「体温が低い」というか、そんなに飲んで騒いで大宴会、って感じがただよってこないんだよね。
毎日夜中の12時ごろ、日付が変わってから帰ってくるけど、20歳過ぎてほぼ2年、1度も、彼が泥酔して帰ってきたのを見たことがない。
いや、「酔ってるな」と感じたことすらない。
深酒をした日は友達やカノジョのとこに泊まってて、家では見る機会がないだけかもしれないけどね。

お笑いサークルのくせに我々には冗談ひとつ言わない。口を開くのが面倒くさそう。
大内くんは、
「戦士の休息時、の彼しか見てないからだよ。外では、あんなに舞台に立ったり友達と会ったりしてるんだから」と意に介さないようだが、私はもう少し愛想のいい息子が欲しい、と思わなくもない。

とはいえ、いないのが2日目になっただけで、けっこう寂しいね。
明日になれば帰って来ちゃうんだけど。
就職したら、家を出るのかな。
出れば寂しいが、出て行かなければ、それはそれで別の困り方をすることになるので、できれば出て行ってほしい。
自分で起きられない人が、どんな社会人になるのか。
コントでネクタイ締めてるようなわけにはいかないぞ。
2カ月も3カ月も休みの学生と違って、サラリーマンの夏休みはうんと長くても9日間だ。
そう思うと不憫で、今のうちに遊んでおけよ、と思ってしまうのはもう、親の業なんだろうなぁ・・・

15年9月3日

まだ風邪が治らない大内くん、昨日、無理して出社したのが悪かったか、さらに悪化して、またしてもお休み。
熱はだんだん下がってきたものの、喉が痛くて声が出ないらしい。
「これじゃ、会社に行っても仕事にならないよ。話ができない」とカスカスの声で囁くように愚痴を言う。

大内くんに言わせると、私は、大内くんが重い病気になったら絶対見捨てるタイプだから、できるだけ病気にならないよう気をつけてるんだそうだ。
自覚は、ある。
現実に病気の大内くんを見捨てるかどうかはともかく、「困ったなぁ。ウザいぞ」とは思うだろう。
「キミの、そういう、現実から目をそむけない凛々しい態度は立派だ。尊敬する」
今、あなたを見捨てるかどうか考えてるんですけど。

声が出ない以外は大内くんも何とかなって、息子も短い合宿から帰ってきた。
留年が決定している彼にとっては、同期との最後の夏合宿だ。
なのに、20単位中6単位も落としている。
いや、前向きに、14単位も取れた、と言ってあげるべきなのか?

人に対して、前向きに接するというのはどういうことなのか。
苦境に立っていたら、慰めるのか、叱咤激励するのか。
これがまた、状況によっても相手のタイプによっても全然違うんだ。
だったら、せめて自分のやりたいやり方で対処するしかない。

無理にガマンして慰めて、相手から「慰めてほしいわけじゃないやい!」とキレられたら、理不尽というものだ。
怒りたくないのに「ここはひとつ、ガツンと」と強気に出たら、相手が引きこもったり最悪自殺したり。
人間相手は、難しいなぁ。

15年9月4日

いくらなんでも異常気象だ。
涼しすぎる。
例年だと、「残暑が厳しい」とか言いながらエアコンかけてるはずなのに、あまりに涼しい。
気持ちの良い秋の風が入ってきて、本来は喜ぶべきなんだろうが、暑いところにエアコンをガンガンつけて水風呂に入るのが好きな私の生活は、どうなってしまうのか?
今んとこ、水風呂は入ってるけど。

大内くんが風邪をひいていて、あまりエアコンもつけられないので、このぐらい涼しいのがちょうどいいんだろう。
例年より早く秋めいてきたとは言うものの、なぜ、こんな時期に風邪をひくのかはわからない。
「冬に風邪ひかぬ馬鹿、夏に風邪ひく馬鹿」という言い伝えは、本当か?!

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「伝言板」(掲示板)の掃除が終わりました。
長らくひどい状態で放置しており、申し訳ありませんでした。
ご意見、ご感想など、皆さんの書き込みをお待ちしております。


15年9月6日

大内くんが風邪をひいていたが、私にもわずかにうつった模様。
微熱が出て、咳が出る。

元気なのは息子だけで、夜中の3時頃帰ってきたと思ったら、昼過ぎに起きて出かけ、夕方帰ってきてチャーハンを食べたところで、
「泳ぎに行ってくる。市民プール」と言い、水着持ってまた出かけてしまった。
2時間ほどで帰ってきたが、想像するに、合宿で「ラフティング(ゴムボートでの川下り)」をやり、ウェットスーツとライフジャケット着用で川遊びをしたので、「小学生の頃、スイミングスクールで習ったきりだが、自分はまだ、泳げるだろうか?」と疑問に思ったのではあるまいか。

訊いてみる間もなく、
「腹へった。カレーあるの?少し食べる」と軽く夜食を食べ、気がついたらがーがー言って寝てた。
夜更かししたから今日は眠れないかと思っていたのに、泳いで疲れたのかな。
市民プールに泳ぎに行くなんて、何年振りかわからないが、彼は、本当にたまーに、いきなり走りに行ったり、リビングで腕立て伏せをしたり、高校卒業までスポーツをやっていた人間らしいことをする。
もうちょっとコンスタントに運動しないと、こう、夜食を食べては寝てしまう生活では、「がっちりしてる」を超えて「デブ」になりそうな体形に、加速度がつくと思う。

あ、そうか。
昨日、高校柔道部の先輩と、吉祥寺で飲んでいて帰りが遅かったんだった。
大学でも柔道を続けていたその先輩、大学院に進んだのでもう引退したかもしれないが、そのへん、刺激されたのかも。
でも、何回訊いても、その人が柔道やめたのか続けてるのか、一切教えてくれない。
と言うか、必要最低限なことしか口を開かないからなぁ。

「反抗期が終わって、『死ね、クソブタ!』って言わなくなっただけでもいいじゃない。男の子は無口なものだよ。僕みたいに、親に媚びてぺらぺらおしゃべりをするような大学生の方がよっぽど心配だよ。彼は、すこぶる健全なんだよ」と大内くんは言うが、こう書いてみると、そんなこと言われなが ら10年近く、よくガマンしたね、私も。
人間として、言っちゃいかんことが、あるんじゃないだろうか。
うーん、反抗期が終わるまでは、コドモは人間じゃないのかもしれない。

高校柔道部の同期の「なかちゃん」のツィッター見たら、
「本読みきって、昼寝して、夜ごはんの手伝いして、家族団欒して、自分の住みかはこの家で、家族の一員なんだと改めて認識し直した」とつぶやいていた。
こちらは、完全に「人間のオトナ」になってる。
うらやましくて涙が出そうになった。
同じ畳の上で稽古し、何度もうちに泊まりに来たこともある彼のニコニコした顔を思い出すと、なぜこんなに別の種類の男の子が出来上がるのかと思う。

大内くんは、
「なかちゃんは、昔からオトナだったじゃない。息子だって、そのうちオトナになるよ」とまったく気にしていないようだ。
まあ、よその子と比較しちゃいかんよなぁ。
勉強やスポーツと同じぐらい、性格には個人差があるんだから、「なかちゃんは100点が取れるのに、どうしてあなたは50点なの!」って言ってるのとおんなじことだよね。

子育てに、失敗したかなぁ、と思うことがある。
でも、あまり真剣には思ってないかも。
まだ、「育て切ってない」から。
オクテの息子がオトナになるのは、30歳ぐらいかもしれない。

「僕が本当にオトナになったのは、障害児の唯生が生まれて、1年の介護休暇を取った後だった。それまでは、無責任で、家庭も守れず仕事もできないコドモだった」と大内くんは語る。
そうねぇ、私自身、もしかしたらいまだにオトナになれてないかもしれない。
会社に行っている大内くんに比べて、社会との接点がないから問題にならないだけで。

昨日読んだマンガに、こんなことが書いてあった。
「自分が大人になれてないことを、親のせいにしている限り、あなたは永久に大人になれない」
私を支配し続けた母が亡くなって2年近く。
今でも私は、「母に認めてもらえない自分は、ダメな子だ」と思っているのだろうか。
18歳で大学進学のために故郷を離れ、東京で就職し、29歳で大内くんと結婚した、2人のコドモを産んだ、それでもまだ、私は「親」ではなく、 「子」なのだろうか。
それで良いわけがない。
もう、55歳だよ?

大内くんが私を認めてくれている。
反抗期の終わった息子は、愛想こそよくないが、必要な時は、「母さんを好きだし、大切に思っている」と言ってくれる。
今、私の世界で、私を認めていない人間は、私自身だけなのだ。
反省しよう。
私は、自分の家族に責任がある。
息子をオトナにするためにも、自分がオトナにならなきゃね。

15年9月7日

「大内くんの友達を息子に紹介する会」、これまで3回お願いしてきたが、おそらく最後になると思われる今回は、大学のまんがくらぶで同期だった、 最大の「悪友」である映画監督、Nくん。
「クリエイティブな仕事がしたい」らしい息子のために、放送、ゲーム制作、演芸系、とお願いしてきたけど、Nくんがある意味派手に、息子のやりたいことのストライクゾーン真ん中近くに棲息してるので、息子としても会って、話を聞いてみたいようだった。
ただ、大内くんが、
「あいつは恐ろしすぎる。若い男の子の気を惹いて、破滅へ導くことなんて、赤子の手をひねるようなもんだ。とても怖くて会わせられない」と言って尻込みしていたので、今回、私も同席することで、実現の運びとなった。
私もNくんとは昔から親しいうえ、一応クラブの先輩である「怖いおねーさん」で、大内くんを悪い遊びに誘おうと思っても、私が睨みをきかせていると、遠慮しておいてくれることが多かったから。

息子もそれなりに楽しみにしているようで、昼間は家にいたが、待ち合わせの2時間ぐらい前から、
「吉祥寺にどうやって行くの?バス?自転車で、先に行く。ぶらぶらしてる。本買うから、カネ貸して」と言って、出かけてしまった。
吉祥寺の「いせや」。
予約の効かない店なので、私だけ30分ぐらい先に行って、「7時から、4人です!」と言っておいて並ぼうと思っていたら、満員の一歩手前で、
「もう、今、入っちゃっていいよ!このあとだと、入れなくなっちゃうよ!」と言われ、6人掛けのテーブルに4人分の席を取らせてもらう。
小さな男の子がお父さんとシューマイ食べてた。

混雑した店の中で注文もしないで空席作ってるので、目立たないように小っちゃくなって、
「隣の親子連れさん、ゆっくりしてってね。このテーブルに、私を1人にしないでね」って心の中でお願いしてた。
幸い、彼らが食べ終わって帰る寸前に、大内くんが到着してくれた。
すぐに、親子連れの席は女性の2人組でふさがったが。
「もう着いた」とライン入れたら、息子も「わかった」と言いながら早めにやってきたし、Nくんにも待ってると伝えたので、7時前に全員そろってし まった。
ケータイがない頃、人はどうやって待ち合わせをしていたのだろう?

Nくんが来る前に5分ぐらい家族だけになった時、めずらしく息子が口を開いた。
「来年、就活するつもりはあるよ。最近のオレの様子見てると心配かもしれないけど、ちゃんと考えてるから」
確かに夏休みで、遊んでばかりいるけど、それは心配してない。
大学生のうちに遊ぶのはOK。将来の財産になることも多い。
心配なのは、単位だ。
「今期は少し落としすぎた。来期、頑張る。これ以上留年はしないよ」
そうか。1留で留めてくれるか。

「やっぱり、外で会うとちゃんと話してくれるなぁ。家では、ほとんどしゃべらないもんなぁ」と、少しほっとしていたら、Nくんが来て、みんなで中ジョッキ頼んで、飲み会開始。
雑談から始まり、Nくんは息子に会うのが15年ぶりぐらいなので、
「なんか、いい声になったねぇ。小さい時は妙に甲高い声出してたけど。オレのこと、覚えてる?」と語りかけ、息子も、
「覚えてます。海に、行きました」と、2家族合同海水浴を覚えていることを披露した。
「キミのお母さんはね、オレたちの、マドンナだったの」
「私も昔は破滅型だったけど」
「いやいや、何言ってんの。大内みたいなダメな若い男立ち直らせてさ、そいつつかまえてさ、結婚して、ちゃんと働かせてるじゃないの。とんでもなくしっかりしてる。あなたは、20世紀イチのしっかり者だよ」と、ほめてるのかけなしてるのか、どうもよくわからない。

「息子は、テレビ局とか行きたいっぽいよ」と言うと、
「あー、ダメダメ。ああいうとこは、スポンサー筋と行政関係で埋まっちゃってるの。親が金持ちとかすごいコネ持ってるとかじゃないと。あなたたちみたいな一般家庭は、無理。(息子に)ね?キミんとこは、普通なんで、それはダメだね」。
一刀両断だ。ヘンな期待を持たされるよりはいい。

息子も一生懸命、
「映画製作とか、脚本書いたりとか、大学の頃からされてるってうかがいましたが」とか質問し、Nくんのいる世界をのぞこうとしているようだった。
だが、1時間15分ぐらい話す間に、Nくんから、
「大学でお笑いやってて、ヨシモトとかからちょっと声がかかる、その程度じゃダメだよ。行く人は、もう、ピピッと信号出して、そっちに呼ばれちゃ うもん。キミからは、あんまりそういうの、感じないな」とずけずけ言われ、だんだん、下を向いて手元でケータイばかりいじる。
よっぽど、「失礼だから、ケータイさわるのやめなさい」と言おうかと思ったんだけど、誰かからじゃんじゃん連絡が入ってるみたいだ。

話題も、ついつい我々の昔話になっちゃってるとこで、息子が、
「すいません、そろそろ失礼します」と言う。
「突然は、失礼だよ。もう10分、とかいたら?」と私が言ったが、大内くんが、
「もう、いいよ。誰かと会うの?相方?うん、行きなさい」と言い、息子は、
「今日は、ありがとうございました」と言って、去ってしまった。

あまりの礼儀知らずな態度に、私は何が起こってるのか、わからなかった。
大内くんは、完全に息子に腹を立てており、見放しているようだった。
Nくんは、特に気にする風もなく、私が謝るのに、「いいのいいの」と言いながら、大内くんと昔話で盛り上がっていた。

息子に、ケータイで訊いてみた。
「Nさんに、聞きたいことは聞けた?」
「うん」
「母さんたちがしゃべってばかりいたかな?」
「いや、Nさんに焚きつけられて、やる気が出た」
「会った意味はあった?」
「うん」
Nくんにそう話し、あらためて謝ったけど、焼き鳥屋の煙と喧騒の中で、彼は30年前と全然変わらない表情で、大内くんと笑っている。

「隣の女の子たちがちょっとカワイイから、ナンパしちゃおうぜ、って息子くんに言ったら、『いいですね!』って言ってたよ」
え?
息子の隣に私が座っていて、Nくんは息子の真正面だ。
私に聞きつけられずにそんな話ができるとは思えない。やかましいのに。
トイレに立った際とかに2人きりになった瞬間もまったくないと断言できる。
昔、大内くんと他の男子と、原宿でナンパしたという話は聞いていて、大内くんに言わせれば、
「僕の人生で最初で最後の、1回きりのナンパ経験」だったそうだが、その息子まで誘うか。両親の目の前で、気配もなく。
やはり、油断のならない悪魔のような男だ。
悪魔は、とてつもなくハンサムで、魅力的なものなんだよ。

息子が席を立ってから、40分ぐらい3人で会話をしたかな。
「そろそろ、帰ろうか」と大内くんが言い、Nくんも、「ん。そうだね」と言い、店を出て、小雨の中、駅まで歩いた。
なんだか、学生だった彼らと遊んでいた日々を、思い出した。

「今度、家にも来て」とNくんと別れ、大内くんとバスで帰る間中、ずっと、息子のことでケンカしてた。
いや、彼があまりに失礼なので怒っていたのは2人とも同じなんだが、私は、
「突然、帰るなんて。止めればよかったのに」と言い、大内くんは、
「もう、いてもしょうがないと思ったよ。ずーっとケータイばっかりして、もう行きたい、って、顔に書いてあったよ」と言う。
「どうして、しょうがないなんて、許しちゃうの?」
「あの場は、どうしようもなかったよ。今から、メールで叱る」
ストレスで一気にアトピー性皮膚炎が悪化した大内くんは、家に着くなり、足を胸を掻きむしりながら、長いメールを書き始めた。

「今日の態度はひどかった。失礼だ。Nさんはわざわざキミのために時間を作って、吉祥寺まで来てくれたのに」という主旨だ。
ケータイの画面4つ分ぐらいの長いラインを打つと、かなりすぐに、返事が来た。
ま、要するに「キミらのやってることは、お遊び」と言われたので、打ちのめされ、いたたまれなくなり、そして発奮したらしい。
今日は家に帰らずに、相方と稽古したり、コントや漫才のネタを書くようだ。
「すいません」と謝ってきて、「Nさんにもおわびしておきなさい」と返信したら、いちおうメッセンジャーで謝ってるのがわかった。

Nくんにはどんなにおわびしてもおわびしきれないのだが、若者のプライドが傷ついちゃったんだなぁ。
でも、ちゃんと突き放してくれたNくんに、私は感謝している。
「会った意味はあった?」と聞いたら「あった」と答える息子だし、ある意味、ものすごい刺激になったと思う。
「やる気が出た」と言っているが、それは就活しないという方向?
「わからない」
Nくんに会う前、親と話してる時点では8割方就活するつもりだったはずなんだが、五分五分ぐらいになっちゃった?
就活しても、ちょっと意地悪な面接官に、
「大学でお笑い、ふーん、よくいるんだよね、キミみたいなタイプ。自分が思ってるほど、面白くないよ、キミは」とか言われて、憤然と席を立って、 即、不採用、って練習にはなったね。

息子がまだ同席している間に、2杯目からはウーロン茶に変えた私が、
「私としては、堅い仕事のやわらかめのところ、っていうあたりが望ましいんだよ」と言ったら、Nくんは即座に、
「そういうお母さんは多いよ。ま、お母さんだからね。あなたも、立派に1人の母親ですよ」と笑っていた。
やはり、ほめられてるんじゃないな。
愚かな母だよ。
他人に対する礼儀も教え込めないのに、望む道を行かせてやりたい、とは思っちゃう。
大学で教えたりもしている彼は、アタマに血がのぼってカン違いしてる若者やその親に、慣れっこなんだろう。

息子の帰ってこない家で、大内くんともケンカの仲直りをして、30年来の友人と語り合った興奮にも酔って、寝よう寝よう。
今夜、どこで、どんな気持ちでお笑い活動をしているのか、息子よ。
あんがい、ネタを書くどころか、酒飲んで寝ちゃってるだけかも。
「人のことは言えない。僕も、大学時代は飲んだくれてた」と大内くん。「よく、卒業できたなぁ・・・」
Nくんは、
「大内って、3年も留年したんだっけ?オレと同じで、2留かと思ってたよ!いやぁ、よくちゃんと就職できたね。うん、やっぱり、奥さんがいいんだな!」と大笑い。
それも、楽しかった。
Nくん、ありがとう。

15年9月8日

昼寝をしていたら、外泊だった息子が帰ってきた気配。
「なんかごはん食べたいとか言うかな。カレー、残ってたかな」とうつらうつら考えて、半分寝ながら、息子が声をかけてくるのを待っていた。

と、「カチャッ」とカギの閉まる音ではっきり目が覚めた。
あわてて飛び起きてマンションの廊下に出てみたら、息子はもう、呼んでもとどかないほど遠くに走って行ってしまっていた。
「やれやれ」と家のあちこちを見回ると、特に飲み食いした様子はナシ、いつものようにシャワーを浴びた痕跡だけがあった。

「帰ってきたの?」とケータイ打ったら、
「ボルダリング(壁登り)をするのとライブを見に行くので5千円借りました」と返ってきた。
息子の「おこづかい借金用」に千円札がたくさん入った封筒が書斎にあって、私が寝ている時とか、事後申告で持って行っていいことになってる。
もう、150万近いなぁ。
「就職したら返す」って言ってるけど、本当かなぁ。
バイト辞めちゃって、新しいバイト探してるはずだけど、どうなってるんだろう。

で、夜になっても帰ってこない。
大内くんのケータイに、「泊まります」ってライン来ただけでも上等か、と思っていたら、ちょっと驚くようなメッセージが。
「土曜日、車でどこか行きませんか?」

今年のはじめ、カノジョとドライブ行くのに車を貸したら、前の車に軽くぶつけ、相手がかなりのクレーマーであったためなかなか解決しなくて、こないだやっと示談が成立して終わった1件以来、ハンドルを握っていない彼なので、もう運転がイヤになったかと思っていたんだが、そうか、やる気あるか。
大内くんと、「前に行った、『竹取の湯』(マンガ読み放題の岩盤浴がウリ)に行こうか」
「私はどこでもいいよ。とにかく運転してもらわないと」と言う話し合いを手短にすませ、「いいよ。どこに行く?」と訊いたら、「竹取の湯」。
「父さんも、同じこと考えてたよ。土曜日、早起きできる?」「できるよ」ということなので、ドライブ成立。

どうやら、来週、サークルの同期とドライブ旅行に行きたいみたいだ。
そのために、親と運転教習して、車を借りようという腹だったらしい。
心配ではあるが、一生運転はするな、と言うわけにもいかないので、まかせてみよう。
わいわい乗れるノアも、来年、小さい車に買い替える予定で、団体旅行の役に立つのはもう最後かもしれないからね。

1件落着して、私が、
「なかなか顔を合わせる機会がないから、寂しいよ」と送ったラインには、
「明日の晩、会えるよ」と、女あしらいがうまいプレイボーイのような返事が来た。
大内くんも超多忙だし、私の生活は寂しく荒れている。
これまで名前だけ聞いていたところを、いろいろきっかけがあって読み始めた「東村アキコ」のマンガと「乾くるみ」のミステリが面白いことだけが救いだったんだが、息子との「ドライブ・岩盤浴」は、どのくらい役立ってくれるだろう?

15年9月9日

「秋の長雨」というか、「台風接近」というか、昨日からとにかくすごい降り。
でも、歯医者の予約が入っている。行かねばならない。
雨ガッパで重装備して自転車で出かけたが、15分ほどかけてたどり着く頃には、Gパンのすそとか、もうぐしょぐしょ。

私の大キライな「神経を抜く」治療をしている最中だ。
予約診療ではあるし、あまりの雨の激しさに、他に誰も患者さんがいなかったのは助かった。

前回神経を抜いた跡をカリカリとお掃除。この感じがキライ。
出てきてまた雨ガッパを着こみ、自転車をこいで家へ向かう。
もうこのまま帰ってしまいたいが、「緑内障の疑い」で2カ月に1度の検査を受けている眼科に、そろそろ薬をもらいに行っといた方がいいんだよね。
いつも混雑しがちなので、こういう日は狙い目かも。
のぞいてみたら、読み通り、患者さんは1人もいないので、ひと苦労しながら着込んだカッパをまた脱ぐ。

検査の結果は良くも悪くもなく、眼圧を下げる目薬をさしながらまた経過観察。
いったい、私はいくつの病院に通っているだろう?
更年期障害もひどいので、今度、婦人科が加わるかもしれない。ああ、とため息。

帰りには晴れてしまっていて、不思議な天気だ。台風が接近しているらしい。
2時間ぐらいして大内くんから「帰るコール」があったので、「雨、上がってよかったね」と言ったら、驚いたように、
「こっちはざぶざぶ降ってる。でも、天気は西から来るって言うから、そっちに着いたら晴れてるのかな?」と言っていた。

で、晴れていたのに、大内くんが家の近所のバス停で降りたとたん、
「バケツ、いや、風呂桶をひっくり返したような雨が降ってきた。折り畳み傘をさしていても、何の役にも立たなかった」らしく、ずぶ濡れになって帰ってきた。徒歩たった5分の間に
早い帰宅だけど、持ち返り仕事があるので遊べない。
もう、半年ぐらいこういう感じだなぁ。
4カ月前ぐらいに終わってるはずだったんだが、「もう2カ月ぐらい続く」となり、それがさらに「もう2カ月」で、大内くんも私も、ものすごく疲弊しているのだ。

さて、そんなに台風で大変なところに、我が家にも、大型台風が来た。
息子のカノジョが泊まりに来たのだ。
1人暮らしの女の子が、どうして親同居のカレシの家に泊 まりに来るのか、5回目となった今回もまた、わからない。
息子によれば、「同期の旅行に行くはずが、急に明日に用事が入ったので行けなくなって、 泊まる支度してるから、うちに泊まりたいんだって」。
もちろん、いつものとおり、これだけのことをするすると説明してくれたわけではなく、質問に質問を重ねてやっと聞き出したのだ。

しかも、それが、寝る直前の話。
自分自身2日もよそを泊まり歩いていた息子が10時頃に帰ってきて、夕食を食べて、やれやれ、これで久しぶりに落ち着いた、 と思っていたら、突然、「カノジョ、来るから」。
「来ていい?」じゃないの。2人の間で決まってる。既決。

「何時に?」「さあ」って、もう11時まわってるじゃないか!
うちは駅からバスなんだが、終バスに間に合うのか。
「どうやって来るの?」と聞くと、「オ レが自転車で行って、バスに乗せる」と、シャワーを浴び始める息子。
窓を開けたら、雨がざぶざぶ降ってる!この中を自転車で? もしそうなら、なぜシャ ワー?!

「駅からタクシーに乗って来るように言えば?」とシャワー上がりの息子に言うと、「ああ!」と嬉しそうにうなずく。
思いつかないのか?それが、 大学生という生き物?
毎回、息子の案内で来るので家の場所を知らないだろうカノジョに、住所を送っておくようアドバイス。
「駅に着いたって」と言ってきたので 「タクシー乗れそう?」と聞くと、「乗れたら連絡するって言ってんだから、大丈夫じゃないの?」って、「終電頃の、雨の日のタクシー乗り場は長蛇の列である」ということをまだ知らないらしい彼が、気楽にiPadでお笑い見てるので、「様子、聞いてみて!」とブチ切れる私。

土砂降りの雨の中、「突然、すみませ〜ん」と言いながら、タクシーでカノジョが到着したのが1時過ぎ。
すぐに我々、寝たけど、睡眠不足の大内くんは12時ぐらいから倒れそうで、「大学生だよ。まかせておきなよ。もう寝ようよ」と言っており、私が心配性を如何なく発揮してキレそうになっているのにつきあわされて、気の毒だった。
だが、息子カップルと同じ屋根の下で、開け放った窓からかすかに聞こえてくる隣の部屋の彼らの談笑が気になってしかたなく、いつも以上に「どうやったら眠れるのか?」と七転八倒している私よりは、いかなる状況でも寝られるこの人は、本当に幸せなのではないか、と思えてくる。

15年9月10日

朝、少し寝坊してしまった大内くんとあわただしいお別れをして、また寝た。
11時過ぎ頃、息子がトイレに行って、部屋に戻って行ったので、「カノジョ起きた?」と家庭内ライン。
「まだ寝てる」
「ごはん食べる?」
「起きたら」
「じゃあ、その時母さん起こして」と打ちつつ、また寝てしまう。
多分、息子もそう。

翌日の午後2時頃起きてきた2人にごはんを食べさせ、送り出したが、カノジョとはほとんど話さなかった。
もちろん息子とも話してない。
「わりーね(悪いね、の意)」と1回だけ、言われた。
常になく、ごはんなんてよそってたのは、彼なりに悪いと思ってるんだろう。
カノジョと は、 「○○ちゃん、お仕事?」(お笑い芸人修行中の大学生)
「いえー、先輩のライブのお手伝いですー」
「雨で大変だね」
「はいー、もう、大変でー」ぐらい 話したかな。

自分の子供なのに、今の若い人はわからない。息子がカノジョのとこに泊まるのはわかるんだが、なぜ我が家に・・・息子の部屋に布団敷いて寝てる・・・本当に、わからない。
カノジョが洗面所でお化粧してるところで、息子は風呂入ってるし・・・これで、結婚してくれなかったら、どうしたらいいんだろう?

2人を送り出してから、ぐったりと横になっていた。
これで、今日は大内くんが泊まりの出張なのだ。
夜中に1人は寂しいというか、怖いので、息子に、
「今日は家に帰ってきてね」と言っておいた。

「なんで?」
「父さん、出張でいないから。母さん、1人だと怖いから」
「珍しいね」と笑っていたのは、泊まりの出張のことか私の怖がりか。
しょうがないじゃん、息子が森博嗣の「すべてがFになる」なんて読んでるから、「手足のないウェディング・ドレスの死体」とか思い出しちゃって、 怖くてたまらないんだよ!

昨日からのこっちの親切を思うと、少しぐらい親切を返してくれてもバチは当たらないと思う。
人間関係は取引ではない、と大内くんなら言うだろうが。

その大内くんからは、夜、無事に着いて宿に入った、もう寝る、という電話があった。10時半頃かな。
あまり口をきく気力もないようだった。
おやすみなさい。明日も帰りは午前1時を過ぎるんだよね。
羽田から吉祥寺までのバスに乗れるよう、祈ってます。

息子は結局12時近くになって帰ってきた。
リクエストされて作った「カレーうどん」を食べている正面に座って、あれこれ話をしようと試みるんだがうまくいかないうえ、
「今、ラジオ聴いてるから」とでかい音でiPadを鳴らしている。
「単位、大丈夫なの?」
「ああ」
「バイトは決まった?」
「まだ」と、むなしく一問一答が続くだけ。

「母さん、昨日のこととか、もうちょっと『すまないなぁ』とか『ありがたい』とか思ってほしいんだけど」
「ありがと」
ぷっつりと、会話が途切れる。

あきらめてもう寝たが、つくづく私は息子に恋をしている。
しかも、コクれない片思い。
これまでの人生で、大好きな相手に「あなたのことが好きです!」と言えなかったことなんて、ほとんどないよ。
「よく思われたくて」、コクれない人々をバカにして生きてきたが、この歳になってこんな思いをするなんて。
「2人きりになると、何を話していいかわからない」
普遍的な現象ですねぇ。私には、初めてですが。

15年9月11日

大内くん、泊まりの出張中。
朝というか昼、起きて、「ああ、いないんだなぁ」と思ったら寂しくなった。
今日の深夜に帰ってくるので、普通のサラリーマンの奥さんにしてみたら、「たった1泊?ひと晩?それが何か?」だろうなぁ。

そんなことはどうでもいいんだろう息子の、「カレーライス食いたい」の命に速やかに従わねばならず、感傷に浸る間もなし。
食べたらあっという間に出かけちゃったし。
皿ぐらい自分で洗えよ、となぜ言えないのか。
「あとで洗う」と言われてそれっきりになるとか、最悪の場合、「なんで?」とかスゴまれるのがイヤ。

「考えてる間に、やっちゃった方が早いよ」と、恩を売る気も疑問もさらさらなく、さかさかと息子の世話をする大内くんに、
「あなたがそうやって何でもやってあげちゃうから、こうなったんでしょうが!」って八つ当たりしたくなる。

まあ、待てよ、問題点を整理しよう。
「私が息子に片思いしてて、フランクになれない」のと、
「息子のしつけを誤って、勝手すぎるヤツにしてしまった」というのは、少し別の問題だね。
「よく思われたくて、あまりこちらから要求できない」という意味では関係のある2点なのだが。

ここまで来たらもう、就職して家を出てもらうしかないんだと思う。
育て方を間違えた、なんて悩んでも、完璧な育て方をされてる人なんて、きっといないんだから、そこは気にしない。
結婚してコドモができたら、
「あ〜、オヤジやおふくろには、迷惑かけたな〜」と思う日も来るかも。
生活全般については、我々より奥さんが、「皿ぐらい洗え」と仕込んでくれるかもしれないし。

今のカノジョと別れちゃわないように、協力しなきゃ。突然泊まりに来るぐらいは受け入れよう。
息子に次のカノジョができるかどうかは非常に危険な賭けだし、「結婚できない男性」が増えている昨今、現に1人キープしてる、ってのは、相当ラッキーなんだから。
それに、学生時代、同じサークルで仲間を共有してる奥さん、ってのが、我々にとっては「絶対、離すな!」って相手なんだよね。
あ〜あ、バイトから単位から読書からカノジョまで・・・全部、頑張れ。

15年9月12日

息子が久々に運転したい、と言うので、家から4、50分の京王永山駅にある「竹取の湯」というスーパー銭湯に行った
2年前に免許を取ってから、たまにしかハンドルを握る機会がないのに、今度、サークルの同期と伊豆にドライブ旅行したい、ということで、車を貸してくれ、と言ってきたのだ。
1人で運転させるのは心配だけど、やらなきゃうまくならないんで、今回は親が同乗して、路上教習。

運転自体はなんとかなり、「竹取の湯」。施設がでかい。
息子の案内で初めて来てから3回目ぐらいかな。
お風呂は当然「男女別」だが、「岩盤浴」 がウリの施設で、「岩盤浴着」を着て男女一緒に入れるのがいいところ。
でも、「会話はご遠慮ください」なので、ちょっとつまんないかな。

朝一番で非常にすいている岩盤浴。
「岩盤」が12台ほど2列に並んでいる。(しかも、そういう部屋が3つぐらいある)
適当な部屋で3人並んで横たわってたんだが、連日の激務に疲れ果てた大内くんは爆睡してしまい、息子は持って行った「すべてがFになる」を読みふけり、私は置いてあるマンガのライブラリから適当にとって読む。
そんな感じで2時間を過ごして、館内のレストランで昼ごはん食べて、また岩盤浴。サウナより速やかに確実に、スゴイ汗をかく。

お風呂もいろいろあって、露天や泡風呂、薬湯、水風呂などをゆっくり楽しみ、3時に新宿にコントやりに行かなきゃ、の息子と別れて、我々も帰った。
岩盤浴は身体にいいのか、大内くんはとにかく「疲れが表面に浮いてきた」のだそうで、とても満足そう。
私は、お風呂場に続く更衣室に、テルマエな掲示があったのが興味深かった。
「走らないでください」「洗濯はご遠慮ください」といった、入浴にあたっての注意事項がイラスト入りで書いてある。
ヤマザキマリの作品中ではレリーフだったが、こちらは当然、紙。
注意書きは日本語、英語、韓国語、中国語で、なんだか最近の社会情勢がわかるなぁ、と思った。

ドライブ中と食事中に息子から、同期や高校時代の友達の就職状況が聞けたのと、彼の今後をどうするつもりなのかが聞けて、上々吉。
「放送作家になりたい」と、具体的に聞くのは初めてかも。
でも、普通の就活もちゃんとやるつもりのようだ。

まずはとにかく単位。(留年はもう、カンベン してもらいたい)
ガンバレ、と思うぐらいしか、親のすることはない。
息子と「裸のつきあい」をしてきた大内くんは、「やる気になるまではどうしようもない、しかし、いったんやる気が出ると、彼は、必ず結果を出してきた。そこに賭けるしかないね」と言っていた。

息子の友達や先輩たちの近況を聞いた中で一番驚いたのは、柔道部の同期だった中原くんの話。
卒業時、防衛大を目指していた彼は1浪してもかなわなかかったのであきらめたかと思ったら、その思いは非常に強く、入隊してしまった。
それだけならまあそういう選択もあるか、と思うわけだが、なんと今年の春、頑張って頑張って受験し、防衛大に合格したのだそうだ。
厳しい訓練を受けながら、勉強だけしていればいい頃には受からなかった入試に受かる。
いったいどれほどの努力をしただろう。
日本全体が大きく揺れている現在、彼の思うところはまったく揺らがなかったのだ。
立派な幹部候補生だ。偉くなってくれ。

息子にはいい友達がたくさんいる。
嬉しいのは、地元の幼なじみから高校の同窓生、町道場の友達やら大学のサークル仲間まで、あらゆるところでできた友達といまだに縁が続いているらしいこと。
彼には、「そこにいたとは思い出したくない場所」がないらしい。
ガリ勉中高一貫男子校で皆について行けず、軽くいじめられていた気がする、と言う大内くんは、自分の少年時代をあまり幸福に思っていない。
なので、過去の友人たちと今でも気軽に楽しく会える息子がうらやましいのだそうだ。

我々の悲願は、息子の結婚式(もちろん、今のカノジョとの)で、今は大学でジャグリングのサークルにいるという幼なじみのしゅうくんの妙技を見せてもらい、高校柔道部で一緒に漫才をしていたというなかちゃんと新郎である息子の漫才を聞き、カノジョが共にプロを目指している女の子とのペアで、ウェディングドレス姿での花嫁の漫才を披露してもらう、というゴージャスな近未来だ。
「やるけど、親は呼ばない」と言われたらどうしよう。はらはら。
息子から、花束の代わりに最近のトレンドだという「出生時の体重と同じ重さのテディベア」をもらうことを、心から楽しみにしているのに!

何はともあれ、親子で遊びに行けて楽しかった。
息子とのつきあい方もずいぶん変わったような気がする。
もうじき、全然遊んでくれなくなっちゃうんだろうなぁ。

15年9月13日

スーパー銭湯で息子と別れて車で帰る時、唯生のいる施設に行った。
土曜日の午後とは言え、面会のご家族が2、3組も来ているのは、重度障害者の施設ではめずらしい光景だ。
唯生ももう、「障害児」ではなく、「障害者」なんだよ。

眠いのか、ちょっとご機嫌斜め。
側彎が進んでまったく普通の体形と変わっている唯生を少しでも快適に、ということで、PT(理学療法士)さんが上半身 をサポートする「台」(?)を考えてくれて、ベッドの上で少しは楽に身体を起こせるようになった。
ウレタンの中が蒸れて暑くなって不愉快だろう、と、ファン内蔵。
特注、というか、唯生の体形で型を取って作った、完全オリジナル製品だ。

補助が出ると言っても、ウン十万かかる。
とはいえ、唯生は、20歳以降、障害者年金を受給しており、今回のように費用を支払う際は、彼女の貯金から出せばいいので、親の負担はゼロ。
福祉国家だ、と私が思うのも無理はない。
税金を払ってくれてる皆さん、一生懸命工夫してくれたPTさん、製作してくれた「わくわく工房」の皆さん、ありがとうございます。

15年9月14日

今日は歯医者さんの予約がある。
いつの間にか虫歯になっていて、神経抜くのは避けられなかった。
キライな治療なので大変悲しい。何回も通わなきゃいけないし。
今の生活で何がありがたいって、大内くんと息子が帰ってくる時間以外、私を縛るものは何もない、というところが主婦の醍醐味。
歯医者が入るといっぺんに束縛だらけになってしまう。

いい面もあって、20年近くお世話になっているここの先生は、たいそう私の好みの歯医者さん。
私より少し若いかも、と思うがさすがに年上だろう、でも、青年のように線が細くて、メガネかけてて、髪がさらさら。
大内くん的なんだよね。惜しむらくはいつもマスクかけてるので、ちゃんと顔見たことがあんまりない、
あと、どんなに憧れていようと、こちらは常に口を大きく開けている、ただならぬ顔ばかり見せているので、実らぬ恋だ。しょぼん。

前々回に麻酔して歯を削り、神経を抜き、前回、根っこのお掃除をしてから薬を根っこまで詰めて、レントゲン。
そして今回は、「薬がちゃんと歯の根まで届いているかどうかをレントゲンで確認したので、土台を立てる準備をしましょう」と、また歯を削る。
もう神経ないので、麻酔はしない。
で、けずったとこの型とって、次回までに土台ができる、ということらしい。
工程はまだまだある。全部で6回ぐらい通うことになるのかな、1本の歯のために。
こんなことになるなら、虫歯なんかにならなきゃよかった、と思うのは皆同じだろう。

最近、うちの近くにも歯医者さんが増えて来たんだよね。
「痛みの少ない安心治療の秋山歯科」とかバスの中のアナウンス広告でよく聞く。
今行ってるとこは20年前に三鷹に引っ越して来た時からずうっと診てもらってるし、先生の腕も、人柄も良い。
ただ、10年ぐらい前は、始終顔ぶれの変わる若い歯科医(おそらくはインターン)が何人も来ていて、診療室の3つの椅子は常に満員だったのだが、 今はもう先生が1人でやっており、椅子が3つあってもせいぜい2人が座って、片方が麻酔が効いてくるのを待つ間にもう片方を先生がちょっと詰め物する、という流れ作業に使われるだけ。
長年通って来たから惜しいけど、若干遠いし、今のうちに、近所の、新しい病院に行こうかなぁ。

こないだの豪雨の時に、思い知ったよ。
自転車で10分ってのは大した距離じゃないけど、雨の中、傘をさして歩くには少し遠い。
徒歩7分圏内ぐらいのとこに、今度1回行ってみようかな。

歯科医も大変だよね。新しい薬、新しいセメント、新しい素材、日進月歩だ。病院の見てくれだって小綺麗で新しくないと患者さんが来てくれない。
先生には悪いけど、この歯の治療が終わったら、転院を考えるよ。
こういう時に不便なんだが、日本の病院は、データを患者に渡したがらないよね。もともと患者の身体のデータなのにね。
叶うことなら、この歯医者さんにある、20年間の私のカルテとレントゲン写真を持って次に行きたい。さて、もしそう言ったら、どう出ますか?

でもって、歯医者の帰りには別の病院に持病の経過観察と薬をもらいに行く。
殆ど、待たずにすんで、よかった。

このように、私の生活には病院が多すぎる。
家の近くに適度な大きさの病院が多い、というメリットはあるのだが、それらに通ってるとなぁ・・・たいていの場合、大内くんが土曜日を使ってつきそってくれる。1人で行ってるのは歯医者と眼科と変形性膝関節痛ぐらいなものだ。

家計簿をつけていても、「医療費」の欄がべらぼうに高い。
すみません、私が病弱なばっかりに・・・
でも大内くんは全然気にしないのである。

15年9月16日

東村アキコの「かくかくしかじか」を読んだ。
今までまったく興味がなく、1冊も読んでなかったんだけど、「浦沢直樹の漫勉」で見て、あまりのペンの速さに「すげー」と感心しちゃって、即、オ トナ買い。
「マーガレットをりぼんで束ねて、ハイ、ぶーけ」と言われて、マンガを読みまくっていた、作品のひとつひとつに感動し、心を持って行かれてた自分の若い頃を思い出した。
マンガは、いいなぁ。

無茶苦茶、マンガ描きたくなった。
でも、もう15年以上イタズラ描きすら描いていないので、怖くて、とてもクロッキー帳を開く気持ちになれない。
息子が小さい頃の話をもとに、エッセイマンガを描きたい、と思うことは時々あるけど、とにかく1ページでも描いてみなきゃ始まらないよ。
レディコミのあちこちに載ってるよ、「コミックエッセイ募集」。いっぺん、ちゃんと描いてみたら?と自分の声がする。

でも、ついでに買った東村アキコの「ママはテンパリスト」を読むと、もうこれ以上コドモのことをお伝えするスキマは残ってない気がする。全部、描き尽くされちゃって。
(うちの子も、「ごっちゃん」だし)

思えば、これまでの人生で、「やらなきゃいけないこと」はほとんど全部スルーしてきた。
受験勉強とか、大学の授業とか、OLになってからの仕事とか、すべきことがが山積みの中で、「やりたいことだけやって、あとはチョーいいかげん」 ですませてきた。
「やらなきゃいけないこと」も「やりたいこと」もしなくなって、ふらふらと亡霊のように生きている、この20年あまり。そもそも「やりたいこと」をひとつも思いつかないし。

今さら絵を描くところから始めるのもなんなので、せめて、20年も書いているこの日記の中から、ちょっとよく書けた部分をエッセイに仕立てて、 「そこらじゅうでしょっちゅう公募してるエッセイコンテストに出す」、ぐらいはやってみてもいいんじゃないだろうか。
「やればできるも〜ん」って思ってて何もしない人間は、1度、きちんと応募して、落っこちて、空中楼閣崩壊、という目にあわなきゃダメだ。
なんで、50歳半ばにして、まだ「自分って、才能あるかも!」なんて20歳の学生みたいなこと、考えてるんだ!

先日会った、「悪魔のような性格」の友人クリエイターに、
「ネタはある、と。だけど、できない。まあ、勢いがないわけね。そういうことってあるよ。でも、文章うまいんだしさ、やってみりゃいいじゃん。うん、小説書こうよ」と言われ、
「そんな簡単に言わないでよ。こっちは25年以上、『自分の名前が大内であることも忘れてしまう』ぐらい世の中から遠ざかってんだから」と抗議したら、
「いいねぇ、今のセリフ。『自分の名前も忘れてしまった』。すごいいいカンジじゃない。書き出しはそれだね。で、大内とのラブストーリーなんか書いてちゃダメだよ。息子のこと、書こう。芸人が書く小説はいっぱいあるけど、芸人の母が書いた、ってのは世の中に1本もないよ。うん、それ、書こう!!」と立て板に水で言われた。
「オレがプロデュースするから。8割、俺の方に払ってくれたらやるよ!」
「そうなの?じゃあ、9割あげるから、書くとこから全部面倒見てよ!」

ほめ殺しなのはわかっているので、やる気が出るどころか、
「プロのモノ書きである彼からしたら、こういう『ちょっと筆が立つと思ってるシロート』は世の中にごまんといる、って感じなんだろうな。やっぱり、モノ書きに、なんて大それたことを考えるのはやめよう」と思えてきた。

東村アキコのマンガ家活動は、「描いて、描いて、描きまくった」日々に支えられている。
私は、「書きまくって」いない。
まとまった作品としてエンドマークのついたものの1本も持たずに、20年日記書いてるだけで、何が自分を支えてくれるというのか。
ちょっと几帳面な人なら、3、40年日記を書き続けてるなんて、当たり前だ。
まして、職にも就いていないというのに。
あああ、なんか、自己嫌悪に陥ってきたから、やめよう。

力のある創作物に触れた時、人はちょっと、おかしくなる。
私のこのじたばたは、それだけ東村アキコがスゴかった、ってことだな。
さすがはマンガ大賞。

15年9月17日

息子は、サークルの同期仲間たちと伊豆へ1泊2日のドライブ旅行に行く。
家のノアを貸してくれと言う。心配だなぁ。
「お酒飲んで運転しない(これはあまりに当たり前だ!)、寝不足で運転しない、夜中に運転しない」とか注意事項を考えながら帰りを待っていた昨日の晩、突然ラインで「1人泊めるから」と言って漫才の相方を連れて来た。(息子には漫才とコント、2人の相方がいるのだ)
一緒に旅行に行く予定なんだろうなぁ。

その相方、Kくんがいい子で(子、っつても、もう大学院1年生です)、すごくしっかりしてるので、「まあ、こういう子が一緒なら心配ないだろう」と少し安心して車のキーを渡す。
こないだのカノジョの時と言い、家に突然誰かを泊めようとするのはやめてほしいんだが。
いや、泊めるのがイヤなんじゃないよ。突然なのが困るのだ。
今回なんか、ラインで知らせてきた15分後には家に来てたからなぁ。夜中の12時の話だよ。
おかげで息子の仲間とビールを飲むことができた、と言って大内くんは喜んでいたけどね。

Kくんは、息子が我々には非常につっけんどんであることに驚いていた。
「いつもこんなふうなんですか?僕らといる時は、すごく人当たりが良くて気がついて、こないだよその家の屋上で花火を見た時なんかも、僕に、 『一緒にその家の人に挨拶に行こう。迷惑かけるから、ひと言、謝っとこう』って言い出したんですよ。もっと普通で、優しいですよ!」
はい、家ではいつもこうです。
「腹へった。何か作って」と突然私にうどんを作らせるのも、母子家庭でお母さんをいたわってあげてる彼からすると、信じられない横暴さのようだ。

2人が息子の部屋に布団持って行ったので、我々も寝る。もう1時、というのが昨日の話。
実は大内くんも、今日から2泊3日の出張に出かけるんだ。
明日の夜、息子が車とともに帰ってくるまで、私は家に独り。
今夜は2人ともいないんだ。泣きそう。

トランク転がした大内くんを見送ったのが6時半、自分たちで起き出した息子たちを見送ったのが7時半。
Kくんが元気よく「ありがとうございました!」と言うのを、「また来てね」と手を振って送り出し、息子の部屋の窓から見ていたら、うちのノアに2人で乗り込み、かなりの間をおいてよたよたと発進し、駐車場から出て行った。
独り、の始まりだ。

変わったことは何もない。
冷凍の明太子を出して解凍しておいたのと、残り物のコロッケと冷蔵庫のごはんを温めて食べる。
昼はお菓子を少し食べ、夜は明太子とごはんのみ。
合間に本を読み、昼寝をし、また本を読む。
本当に独居生活になったら、料理も掃除も洗濯もやる気がしないだろうな、とのろのろと暮らした。

夜になって、息子は何も言ってこないけど、仲間のツイッターに宿の浴衣着てる写真がアップされていたので、無事なんだろう。
大内くんも、ライン電話くれた。

スケジュールの都合で無理やり飛行機のチケット取ってもらったので、なんと、ビジネスクラスに乗ってしまった!と興奮してた。
生まれて初めてだもんね。
「完全に平らになって寝られる。機内食のパックを愛しているので、カチャカチャいう本物のお皿、って別に興味ないし、どんどんワインとかすすめられても仕事あるから飲めなくて関係ないんだけど、横になって眠れるのは感動したなぁ。2時間ぐらいのことだから、今後の出張はエコノミーでもいいけど、 老後に2人でイタリアに行く時は、もうビジネスクラスじゃないと我慢できないかも!」と感想を熱く語っていた。

とは言え、疲れてくたくたのようで、それほど長電話にはならなかった。
電話を切って、歯を磨いて、普通に中島みゆき聴きながら本読んで寝たけど、とてつもなく、寂しい。
家の中に私1人。
息子は毎日遅いし、大内くんが接待で11時頃まで帰らない、ってのはよくあることなので、夜、1人で家にいることはしょっちゅうなのに、
「今日はもう、誰も帰ってこないんだ」と思ったら、恐ろしいほどの孤独に襲われた。
老後、もし大内くんが先に死んじゃったら、老人ホーム入ろう。1人はイヤだ。

息子は、明日の夜、帰ってくると言っていた。
車も人も無事に帰るよう、祈る。
大内くんはもう1泊するので、また夜に電話くれるって。
ライン、万歳、だなぁ。

15年9月18日

2時ごろ寝たら、朝8時に自然に目が覚めた。なんか、すごく普通。
でも、目が覚めた時、自分が誰と結婚して一緒に暮らしていたか、しばらく思い出せなくて、ものすごく悩んだ。
誰か、すごくいい人と結婚してたような気がしたんだが。
10秒ぐらい考えて、やっと大内くんだった、と思い出し、非常に安心した。

その素晴らしい配偶者、大内くんからはもう「おはよう」ラインが入ってた。
朝ごはんはありきたりな洋食バイキングだったそうだ。
私はまた残り物をもそもそ食べておしまい。
いつもなら、誰かに対する最低限の礼儀としてパジャマから部屋着に着替えるんだが、その気力がわかないぞ。

今日は午後、歯医者に行くのと月例のダスキンさんが来る以外何も予定がない。
いや、予定があるのが珍しいんだ、私の場合。
いつも「予定がある」と感じていたのは、大内くんが何時に帰るか、ということだけだったんだなぁ、とあらためて思う。
私個人には、何のスケジュールもないのに、大内くんを通じて世の中とつながってるだけ。
またぞろ、孤独感に襲われる。
本を読む以外、何もする気になれない。いつものことだが、いっそう症状が重い。

大内くんは今夜も帰らない。
夜、息子が帰って来たら、抱きついちゃいそうだよ。

15年9月19日

昨日の夕方頃、息子が車とともに無事、サークル旅行から帰ってきた。
行く時にうちに泊まって、朝、一緒に出かけた相方のKくんも一緒。自転車をうちに置いて行ったんだって。

「いつもの中華、出前取って!」といきなり言う。
「ごはん、どうする?」って帰る前にラインで聞いたら、
「すぐ寝るからいらない」って返事だったから何も作ってなかったんだよ。
Kくんにおごるのは全然イヤじゃないけど、息子は、事前にひとつも言うこと聞いてないし、返事も「その場の気分」なんだね。

まあ、怒ってもしょうがないので、Kくんを交えて出前の晩ごはんを食べた。
息子は、私が、
「伊豆の、どこに行ったの?」「何して遊んだの?」「同期、って、何人ぐらいで行ったの?」と質問するのに「ん」「まあ」というような意味不明の 返事しかしない。
母子家庭であるというKくんに、
「お母さんとごはん食べる時、話はする?」と聞いたら、
「ええ、いろいろ、しますよ」と言う。
「うちは、いつもこうなんだよ」
「はあ・・・まさかこんなだとは思いませんでした。日頃の顔とのギャップが激しいです」
うん、私も、外での息子見るといつも驚くよ。

ごはんを食べて、Kくんは「ごちそうさまでした!」と帰ってしまったので、息子に。
「お風呂入る?」「うん」
この人は1年中シャワー派で、バスタブのいらない男なんだが、たまーにタイミングが合って彼のシャワータイム(基本は朝起きた時だが、いつ起きる かわからないので、結局不定期)にバスタブにお湯があれば入る、という状態だ。
今回は、私が夕方の早い時間に入ったので、少しわかすだけで入れるようにはなる。

そう言って10分もしないうちにお湯がわいたのでそう言ったら、
「わりい、眠くなったから、やっぱ、入らねー」。
で、そのまま寝ちゃった。
どうしてこうも勝手なのかねぇ。
荷物から洗濯物を出すのも結局、私の仕事だし。

いやいや、好きでやってることだ。文句は言うまい。
何しろなぁ、旅行から帰るなり、息子はKくんをリビングに案内し、私の寝室に来るなり、
「身体、だいじょうぶ?」と言いながら、いきなりハグしてくれたのだ。
私の健康を気遣ってくれてるんだろうなぁ。持病が多いから。

味をしめた私は、Kくんが帰ってソファでテレビを見ている息子のそばに行って、
「ちょっと。ちょっと、立ってみて」とソファから立たせて、
「もう1回だけ、いい?さっき、突然でびっくりしたから、よく覚えてないんだ」と抱きついたら、
「あ、そうなの。うんうん」って、力のこもったハグをしてくれた。

この人は、私のことどう思ってるんだろう?
Kくんみたいに「お母さん」に常時礼を尽くし楽しく優しく接する人もいるけど、息子の態度は、多分彼がまだ全然オトナになれてない、甘えてる、っ てことなんだろうなぁ。
でも、私が元気だったか、寂しくなかったか気にしてくれるようになったんなら、少し、進歩してるね。
次は「他人がいようといまいと、ごはんは楽しく食べるものだ」ということを教えなければ。

そういえば、貸した車、ガソリンを満タンにして返すように言っといたのに、「あ、忘れた」。
社会にはルールがたくさんあって、家庭も小さいといえども社会だよ。
漫喫のバイトの面接も落ちたらしいし、どうも、非常識なヤツなんじゃないかと心配。

まあともかく「ありがとう!」とルンルン気分でお皿を片づけ、まだ国外にいる大内くんにライン。
「息子にハグされちゃった」と言ったら、
「息子は甘美だね」とレスが来たよ。

そのあと少しライン通話で話をして、とにかくくたくたの大内くん。
それが昨日の話で、今日の夜の便で帰ってくるんだが、会社に寄らなきゃならなくなったから、帰宅は1時頃だろうって。
世間はもうシルバーウィークに入ってるっていうのに・・・
無事に帰ってきてくれればそれでいいけど。

15年9月20日

背中がかゆい。
「五十肩」になってからというもの、自分で背中をかくことのできる範囲がきわめて少なくなってしまった。
普段は、大内くんにかいてもらってるんだなぁ、と、大内くんの不在に思う。

ハタチすぎた息子に母親が「背中かいて」とも言いにくい。
向こうも、小さい時から毎日言っていた「せなか、かいて」というセリフをだんだん言わなくなってきて、そうだなぁ、去年はまだ週に1回ぐらい言わ れていた気がするが、今年に入ってから、ほとんど言われてないね、って話を大内くんとしたばかり。

そうか、それで年配の人の家には「孫の手」があるのだ。
五十肩になったり、治っても身体が固くなってきたり、配偶者を失ったり、いろんなことが起こる人の人生の点景として、「孫の手のある家」が出現す るんだね。
今度、旅行先のおみやげ屋か100均か、どっちかで孫の手を見つけたら買おう。

肩や腰、まして背中に「シップ」を貼るのも難しい。
大内くんがいないことが、こんなところから気になってくるとは。

と言いつつ、昨日の真夜中に帰ってきてくれたので助かった。
よほど疲れたのか、死んだように寝ていた。
もっとも、こんな大いびきをかく死体がいたらお目にかかってみたいもんだが。

息子も朝寝。
みんな、昼頃になってやっと起きた。

息子はいつものようにシャワーを浴びたと思ったら出かけてしまった。
たいがいお笑いのライブに出演しに行くか、見に行くかのどっちかだけど、今日は、演劇の好きなカノジョと「芝居見に行く」らしい。
夏前に病院の夜勤のバイトをやめてしまって以来、収入がないので、親への借金ばかりがかさむ。
まあ、「こづかい、よこせ」と言うよりは、「悪いけど、貸してくれ」と言われる方がマシかなぁ。
社会人になったら返す、と常々言っているけど、私の予想では、借金は卒業までに200万円を超えると思う。(今、160万ぐらい)

私は、大学時代は学費も寮費も出してもらい、月々生活費として5万円送ってもらっていた。
3食まかなわなければならないし、おこづかいもかかるので、時々バイトしてたけど、親から出してもらってるとか、いつか返そうとか、思ったことがない。
それを思うと、親の墓には足を向けて寝られないし、息子にもそううるさいことは言えない。
国立大とは言え、7年も大学に行ってほとんどバイトしたことのない大内くんも、似たような状態だ。

10年ほど前に亡くなった私の父親が、ガンで余命を宣告された時から最期までかけて、趣味で集めていた切手を整理し、売り払い、「2人の孫(姉の息子と私の息子)の学費に充てろ」と言い遺してくれたことは、非常に感謝している。
おかげで、息子は1年留年しつつも、ほぼ「おじいちゃんのお金」で大学生活を終えることができる見込みだ。
(これ以上留年すると、足が出て、我々の負担になる)

大学行くって、考えないで行っちゃうもんだね。
自分たちも、息子も、「当然、大学まで」と思っていた。
「勉強は、義務ではなく権利だ」とわかった頃にはもう遅い。

特に大内くんは、息子の在籍する「社会科学部」がとてもららやましいそうで、
「この歳になって初めてわかったけど、自分がやりたかった勉強は、これだ」と思うんだって。
当の息子は、「社会科学はつまらない。文化構想学部に行きたかった」と言ってる。
受けて落ちたんだからしょうがないし、他学部の単位を取ることもできるんだから、四の五の言ってるヒマに講義受けてきてほしい。
そして私は、「あれほど英語の授業をみっちりやれる環境にいたのに、なぜサボってばかりいたのか!」と、やはり後悔している。

大内くんと違って「勉強」がキライなので、もう勉強はしないつもりだったが、今や中学生レベルにまで落ちてしまった英語力だけは何とか取り戻せないものか、と考えることはしばしば。
歴史は繰り返す。
私もいつか、息子が「もっと勉強しておけばよかった」と言うのを聞くかもしれない。
まあ、彼の場合、これ以上ないほど「お笑い活動」に打ち込んでいるので、「わが青春に一片の悔いなし」と思うのかもね。

大内くんがいなかった2泊3日、私は漂流者のようだったよ。
これからまだ丸々3日間も残っているシルバーウィーク。
今日はゴロゴロして過ごすことにほぼ決定だ。
全体に、何も予定はない。
ただ、大内くんは在宅でかなりの量の仕事をしなければならないらしい。
この忙しさは、いつ終わるのか・・・

15年9月21日

たっぷり寝てかなり元気を取り戻した大内くんと、自転車で吉祥寺まで。
最近お気に入りのタイ料理屋「クルン・サイアム」で、私はいつもの焼きビーフン「パッ・タイ」、大内くんは「トムヤム・ヌードル」をいったん休ん で、「鶏挽肉のホーリーバジル炒め」。

ブックオフを冷やかし、ロフトでめずらしく私のバッグを買い、ついでにお香を買う。
バッグはともかく、お香とかバスオイルは完全に趣味の物、と言うか、必需品ではない。なくても困らない。
そういうささやかな贅沢をしている時、ふと気になるのが「老後のこと」。

貯金もしてるし年金もある程度はもらえるだろう、と思うんだけど、ネットで「この先、老人の9割が貧困層になる」などという刺激的な記事を読む と、猛然と心配になる。
お香なんか買えなくなるのかなぁ。そもそも、外食でタイ料理、なんてできなくなるのかも。
大内くんはあきれたように、
「コドモみたいに、わけわかんないのに心配だけしてる。9割が貧困層になるなら、それが『中流』ってことなんだから、いいじゃない」と言う。
うーん、いいのかなぁ・・・

15年9月22日

昨夜、息子が突然、
「明日、車借りていいかなぁ」と言ってきた。
使う予定はないので、
「いいけど、誰と、どこに行くの?」と聞いたら、
「サークルの先輩と、『足尾銅山』に行く」。
大内くんによれば、「日光の方だね?」とのことで、ずいぶん渋いドライブだ。

朝、車のカギを渡したら、
「ありがとう。行ってきます」。
素直だ。いつも思うことだが、これが元気な顔の見納めだったら、どうしよう。

大内くんは半日ぐらい仕事をしていたし、残りの時間は録画したドラマなどを見てのんびりする。
こないだ「J-COM」さんが、
「auのケータイをお使いの方は、1人1500円安くなるので、電話料金その他も計算に入れると、月々500円ぐらいでスカパーが77CH見られるようになる」と言って帰ったが、その後、工事に来て、確かにスカパーは見られるようになった。
でも、録画するためには専用のHDを買わねばならず、それが1万円。聞いてないぞ、そんな話。
「お得」とか言われるのにものすごーく弱い私は、
「結局、いろいろ買わされたりするんだよ」と大内くんに軽く叱られた。

うん、確かに、いまある地デジとBS以外にスカパー77CHが加わっても、そんなにさまざまなものを見るヒマはない。
「ごめんなさい。あなたの言うとおり、スカパー5CHぐらいでキャッシュバックのあるコースにしておけばよかった」としおれていたら、
「まあ、スカパーもいろいろ見てみようよ。『華麗なる一族』の昔のやつやってるよ。『振り返れば奴がいる』も久しぶりに見たいなぁ」と明るく慰められた。
じーん。

今、あんまり見るヒマないけど、こういうものを家に引っ張り込んだ責任者として、できるだけ面白そうなものを録画しておこう。
YouTubeの「喬太郎さん」も見たいしなぁ。

本をデータ化したこともあり、最近、読むもの見るものが多すぎる。
それぞれ機械に頼ってるので、テクノストレス気味だ。

夜7時頃になって、ヤフーニュースで「Uターンラッシュのピークは今夜」「常磐道は40キロの渋滞」などと知り、息子が渋滞に巻き込まれていた ら、とにわかに心配になった。
「渋滞、だいじょうぶ?」とラインを入れたら、少しして、「もう神楽坂にいるから、大丈夫よー」とレスが。(なぜ、可愛く答えるのか?)
最終的に帰ってきたのは12時過ぎだったし、大内くんも私も、「無事な顔を見るまでは寝られない」という状態だったけど、ちゃんと帰ってきて、
「ありがと。運転、けっこう慣れてきた」と言っていたので、よかったのだろう。

明日はもう、SW最後の日かぁ。
仕事もかなりしてたけど、基本、よく寝て疲れが取れたと言う大内くん。
「いやぁ、このタイミングでSWあっておかったよ。疲れてた。すごく休まったよ」
明日休んで、2日間出社したらまた週末でお休みだ。
また仕事でつぶれるだろうけど、家にいてくれるだけでもマシだ。元気出して行こう。

15年9月23日

あー、お休みも今日で終わりかぁ、と言いながら、大内くんの朝の仕事が終わるのを待って、吉祥寺へ。
今日はとりあえず自転車はやめて、40分ぐらい歩いて、井之頭五郎くんも行った「カヤシマ」で昼ごはん。
私は「ナポリタンとハンバーグのわくわくセット」、大内くんは「ポークジンジャーカレー大盛り」を頼む。
この店は、いつ行っても違う人が調理をしている。
そのわりには安定しておいしいのだが。

私の冬用のダウンジャケット、もう4、5年着ているので、「そろそろ買い換えたら?」と言われ、巨大ユニクロに行く。
初めて入るが、正直、7階もあるわりに、どのフロアもすいているぞ。
「もうかってるんだろうか?」と2人で首をひねりながら、ジャケットを買う。
4年前ぐらいまでは「おそろい」を着ていたが、大内くんが「会社に着て行けるものを」と言って、少し丈の長いジャケットに買い替えて以来、別の上着で冬を過ごしてきた。
今回も、似たようなものではあるが、厳密には「おそろ」でない。

くたびれたのでバスで帰ったのが昼過ぎ。
自転車置き場に息子の自転車があるので、
「出がけに寝てたから、まだ寝てるのかも」と言いながら帰りついたら、シャワーを浴びて着替えてお出かけ直前だった。
冷蔵庫の中をあさって、勝手に「チャーハン」と「麻婆豆腐」の残り物を食べ、味噌汁を温め返した形跡あり。
ほっとけば何とかなるもんだなぁ。
「食べた食器を流しに運んで水につけておく」ところまではできるようになってたし。

さて、今日は、前々から約束していた「家庭内飲み会」だ。
2、3カ月前に何かで息子に貸しができた時に、
「このツケは『家庭内飲み会』で支払ってもらうよ」と通達したんだけど、やっと実現の運びとなりましたよ。

「夜の9時から10時の間に始める」と言っておいたので、外出先から帰ってきたのが9時半頃。まあ約束通り。
本日2回目のシャワーを浴びている間にソーセージを焼き、フライドポテトを揚げ、ビールを出す。
こういうことでもないと、親に何にも話してくれないからなぁ。

しかし、友達と夕食を食べてきてしまったらしい彼はあまり食べず、ビールも「ちょっとだけにしとく」と言う。盛り上がらない。
今回のメインテーマは、彼の就職に対する考え。
「放送作家になりたい」というのはこないだ聞いたけど、「普通に就活する気もある」と言っていたので、どういう「普通」を考えているのか 訊いてみたら、「出版社に入って、マンガの編集担当になる」。
えーと、それって、全然普通じゃないんですけど。
とてつもなく難しい、狭き門なんですけど。

「いつもぶすっとした顔をしているのは、なぜ?」
「ふつう」
「友達の前ではもっとにこにこしてるじゃん。家でぶすっとしてるのは、不機嫌なの?素なの?」
「素」
というような会話をしてるうちに、彼は、読みかけの森博嗣の「すべてがFになる」がものすごく気になってきたらしい。
「本、読んでていい?質問には、答えるから」と言いながら食卓で読んでるので、「どこまで読んだの?」と見せてもらったら、あー、こりゃ、佳境に入ってるとこではある なぁ。
ミステリがジェットコースターの下りのように疾走し始めてる時に、先が気になって仕方ないのはよくわかる。
「バイト、どうするの?」
「派遣に登録する」
「肉体労働?」
「いや、事務」
「11月の合同ライブの準備とか、忙しいと思うんだけど、時間の融通はきくの?」
「きく」
といった一問一答式にも飽きたので、もう解放してあげよう。

実際、そのあと、読むのが遅い彼にしてはものすごい勢いでラストまで読んでいたようだ。
「この小説には重大な欠点がある。コンピュータにくわしい人にとっては、『すべてがFになる』という言葉の意味が丸わかりで、謎にならないんだ よ」と昔読んだ時のうんちくを披露したら、息子にしては珍しく、「そうか!」と納得してくれたようだ。
普段、私の言うことにはことごとく反発するからなぁ。
それも、一問一答の時に「なぜ?」と訊いてみたら、「性格の問題」とのことだった。
「同じ王様体質だから、衝突する」という意味に取っておいた。

結局、1時間にも満たない「家庭内飲み会」だったので、
「普通、飲み会は2時間ぐらいやるものだから、今回は半分しか終わっていないということで、近いうちに残り半分でもう1回」と言ってみたら、 「ん」とうなずいてはいた。
承諾だ。今度、また1時間つきあってもらおう。

父親は、飲み会が遅くになっても平気なように、昼寝して備えている。
母親は、息子が読む小説がかつて読んだものなら読み返して記憶を新たにし、未読なら彼より先に読んで知ったかぶりをしようとしている。
(息子は、私が「本に詳しいところ」が好きなんだそうなので、そこんとこの努力は欠かせないのだ)
親とは、さまざまに心を砕くものだなぁ。

一発で就職を決めてしまった私にはわからないが、多数回って「落っことされた」経験も豊富な大内くんは、
「息子は、就活をなめている。年末あたりにでももう少し厳しく覚悟を問う」と眉間にしわを寄せていた。
ただし、身体に毒なので、それまではもう考えないですませたいそうだ。
私もそう思う。

15年9月24日

長かった息子の大学の夏休みが終わった。
SW明けて「忙しすぎるが、しょうがない」とつぶやきながら会社に行く大内くんを午前6時に送り出し、昼過ぎから起きてくる夏休み明けの息子を2時に送り出し(4限に間に合ってないと思う)、さて、家族を送り出すのも久しぶりだなぁ、と思い、あいかわらずベッドでマンガ読んでる。

今、よしながふみを読み返してて、「西洋骨董洋菓子店」全4巻を読んでしまい、続けて「フラワー・オブ・ライフ」全4巻を読み終わらんとしている。
ここしばらく「大奥」と「きのう何食べた?」ばかり読んでいたので、この頃の絵柄を忘れていたが、基本的に、良い。
特に「真島海(まじま・かい)」が好きだ。
メガネかけて髪の毛がさらさらだとポイント高いんだ、と自分で思ってたけど、実はこの人の「どS」なところが好きなんだろう。Sに見える私、実はかなりMだから。
お勉強は、もうちょっと出来る方がいいかなぁ。学年最下位だからなぁ。
この勢いで、持ってるよしながふみを全部読み返してしまいそうだ。

「ジェラールとジャック」がちょっとお貴族モノで、いいと思うので、以前、読んだ友達(女)が言っていた、「ただのエロ本だった」という真っ向唐竹割りの意見にはうなずけない。
初期のものはたいそうなシーンてんこ盛りではあるけど、よしながふみにはエロ以上の何かがあると思う。
と言いつつ、大好きな「大奥」はあんまりエロ風味じゃないんだけどね。
(ほんのちょっとだけホモネタはあるけど、絵に描いていなくて、小さなエピソードがいくつかあるだけ)

彼女のマンガ「愛がなくても喰っていけます」を読んでなかったら、中野のイタリアン・レストラン「イル・プリモ」にはめぐり会えなかっただろうこ とを思うと、「大奥」の映像化が多くてさぞや儲かっているだろう、とご同慶の至り。
力のあるマンガ家さんが報われる、そういう社会であってほしい。

今のマンガブームは、「マンガなんて!」と親たちに焚書坑儒されていた我々の世代が50代になり、実権を握ってきたせいだと思いたい。
何せ、コドモの代にマンガ読ませまくってるもん。
そしたら、「出版社に入って、マンガ家さんの担当になりたい」とか言い出されて、いや、キミ、それは、決して「悪い選択だから」ではなく、「超難しいから」親が難色を示しているだけだ。

本当に、マンガは素晴らしい。
つげ義春の「メメクラゲ」を自分のコドモと共有する日が来るとは思わなかった。

15年9月25日

昨日からずっと大雨。
「歯医者の予約あるから、行かなくちゃ。昼寝できないなぁ。雨もざあざあ降ってるなぁ」と思いながら、雨ガッパを着込んで自転車で駅前へ。
神経抜いて仮詰めしてあるところが気になってしょうがなく、舌でついついさわってしまう。
この違和感とも今日でお別れだ!元気出そう!って、自転車で出かけた。

ずぶ濡れになって歯医者に到着し、軒先で苦労して雨ガッパを脱ぎ、入って受付に診察券出したら・・・
「予約は来週になってるんですけど・・・」と気の毒そうに言われた。
がーん!本当だ、10月2日の金曜だった。
SWの影響で、歯にかぶせる冠がで きてくるのに時間がかかり、来週まで出来上がってこないんだって・・・
前回、そう言われていたのに、忘れていた。

バカだ。本当にバカだ。昨日、診察券確認して、「2時半だな。よし!」って思ったのに、どうして日付に気がつかなかったかな、昨日の私。

もう、合羽を着るのも面倒くさく、雨に濡れながらふらふらと自転車こいでたら、「大内さん!」って大きな声がして、我に返る。息子が通ってた塾の 前で、塾長が手を振っていた。

「ああ、こんにちは。歯医者に行ったんですけど予約を1週間間違えていて・・・」と話していて気がついたが、塾長も傘をささず、雨の中で濡れてる じゃないか。立ち話をしていいシチュエーションではない。
「こないだ、お祭りのみこしを担いでるお写真を見ました」と言いながら、完全に頭の中が 真っ白になり、「それじゃあ、皆さんによろしく」って、「ご家族の皆さん」なのか「塾の先生たちの皆さん」なのか、言ってる自分もわからず、また ふらふらと自転車をこぎ出す。
ああ、本当に、気のきいた挨拶ひとつ思い浮かばない状態だっった。
「今度、また飲みましょう!」とか言えればよかったのに!

雨に濡れるのはキライじゃないんだが、ちょっと土砂降り過ぎだ。家へたどり着き、濡れた服やカッパを乾燥機に放り込み、なんとか乾いた自分を取り戻すまで、時間がかかった。頭がクリアになるまでにも、さらに時間かかったし。

自分はこういうポカミスをあまりしないタイプだと思って生きてきたのに、最近、数日先のこともわからないことがある。真剣に、「若年性アルツハイマーか?!」と思う。大内くんは始終そういうミスをしてきた人だが、最近、仕事を一生懸命やってるせいか、緊張感があって、前より失敗が少な いみたい。立場が逆転しつつある。

今週末、息子を含む3人で落語を聞きに行く予定になってたことも、3日ぐらい前に大内くんに言われるまで、完全に忘れていた。カレンダーにちゃんと書いてあるのに。

落ち着こう。冷静になろう。カレンダーを見て、メモを見て、明日、あさって、来週、ゆっくり予定を確認しよう。
落ち着きさえすれば、大丈夫なはず・・・

15年9月26日

2年前の秋、膝が痛くなってきたので、近所の病院行ってレントゲン撮ってもらって、
「加齢により、骨のクッションになっている軟骨が少なくなって、痛くなる『変形性関節症』。基本的に治らない。体重を減らすこと、運動によって腿の筋肉(大腿四頭筋)を鍛えて、ひざへの負担を少なくすること」と診断された。
1年半ぐらいかけて15キロ減らした体重が、6キロほど戻って来てしまったのと、少し気温が下がってきたせいか、また膝が痛い。

先週、久しぶりに病院行って、膝に「関節の滑りを良くする注射」を打ってもらった。
でも、SW前でものすごく混んでたから、あまり丁寧に相談には乗ってもらえなかった。
「連休終ったら、また来て!」
これが、このお医者さんの精一杯の誠意なんだろう。

徒歩3分のここが、我が家の「ホームドクター」である。
具合が悪くなると朝イチで並んでみたり、混んでる時は診察券を出してから家に戻って1時間ぐらい休んでから行くとちょうど呼ばれる頃合いだったりする。
得意分野は整形外科なので、風邪とかインフルエンザ程度の軽い病気は診てくれるが、問題がありそうな場合は、よくネットワークでつながってる地域の専門の病院を紹介してくれるので心強い。
老人医療にも力を入れているようだし。

もう1度、本気になってダイエットに励まないと、このままでは膝がどんどん悪くなる。
「食欲の秋」ではあるが、とりあえず食べるのを控えないとね。
ああ、なんでやせるのはこんなに大変なのに、太るのはあっという間なのか!?

15年9月27日

家のすぐ近くの三鷹市民ホールで、ドラマ「タイガー&ドラゴン」でなじみのある落語家「春風亭昇太さん」の独演会があったので、家族3人で行っ た。
近隣での落語は、「柳家喬太郎さん」を2回聞きに行った後、3回目になる。
今回は息子が一緒、というところが画期的だ。

800人入るホールは満員。チケットを取ってくれた大内くんによれば、
「即日完売、というほどではなかったが、少し遅れたので、端の方の席しか空いてなかった。三鷹市民は娯楽に敏感だ」とのこと。
駅前からは遠いため、タクシーやバスから降りてくる人もたくさんいたが、自転車置き場があふれていたので、やはり近所の方が多いのかな、と。

始まって、まず昇太さんが白いシャツにGパン姿で現れたのでびっくりした。
彼の挨拶によれば、三鷹にいくつかあるホールの「注意事項アナウンス」は長いことで有名なのだそうだ。
よくある、「ケータイの電源は必ずお切りください。場内でのお食事はご遠慮願います」というようなやつ。
確かに、「マナーモードにしていても、ケータイを開かれますと、あの、長い画面は意外と光って見えるものです。しばし、ケータイのことは忘れてくださるよう、お願いいたします」とか、「コンビニの袋など、ガサガサ音がいたします。まわりの方へのお気遣い、よろしくお願いいたします」等、細 かい指導が多かった。
前回、別のホールで喬太郎さんを聞いた時もそうだった。
でも、三鷹以外で催し物を見る機会などめったにないので、どこでもそうなんだと思っていた。
大内くんは、アナウンスを聞いたとたん、「この前と同じ人がアナウンスしている」と言っていた。(いい耳をしてるなぁ)
つまり、「ホールの職員さん」ではなく、元締めの「三鷹市文化センターの人」が担当している、ということだろう。

さだまさしを思わせるGパン姿の昇太さんが舞台から消えると、二ツ目だという弟子の「昇吉さん」が高座に上がり、雑談をするような調子で前座を務めてくれた。
今ググって驚いたが、東大を首席で出ていて、本まで出しているという。
はきはきして、愉快な芸風の人だった。

昇吉さんが下がって、いよいよ昇太さん。噺は「鷺とり」。
聞いたことはないが、新作というわけではなさそうだ。
興津要の「古典落語」全6巻に出てくるだけが古典じゃないからなぁ。

終わると、いきなり、立ち上がって羽織を脱ぎ、着物を脱ぎ、ささっと着替える。
「昔は下がって着替えてたんですが、その間、誰もいないってのは何なので。30秒もあれば着れちゃいますしね」と言うだけあって、本当に速かっ た。
脱いだ着物は丸めてポーンと投げるのを、下手のカーテンの陰で若い人が受け取めているのが、上手端の我々からはよく見えた。
「着物を、もうちょっと大事にしてください、ってお客さまから言われるんですが」
いや、ナイスコントロールだし、いいんじゃないですか?

そして始まったのが、新作だろう、サラリーマンのリストラを題材にした、「リストラの宴」。
現代風サザエさんのようで、そう長くはないが、面白かった。
終わると、15分の「お仲入り」。息子が、「ふー」と息をついて、「面白いね」と言いながら、トイレに立つ。
わりとすぐに戻ってきたので、「混んでなかった?」と訊くと、「女子トイレはすごいことになってる」と言っていた。
そうだろう、と思って、やめておいた私。
中高年の女性トイレはねぇ・・・混むんだよ。

ちなみに、「中入り」後は、
「さきほど休憩に入りましたので、ケータイで留守番等、確かめられた方もいらっしゃるかもしれません。どうぞ今一度、ケータイをお確かめいただきますよう、お願いいたします」という放送が入った。
「かゆいところに手が届く」とはこういうことか。いや、むしろ「重箱の隅をつつく」なのか?
頑張れ、三鷹市文化センター。

最後の噺は、枕が長く、笑わせながら持って行くのが「お稽古事」。
うーん、「寝床」か「茶の湯」か「あくび指南」か、と思っていたところ、「根岸の里と言うのがございまして・・・」ときたので、「ああ、『茶の湯』かぁ」。
古典中の古典、誰でも1度は聞いたことがあるんじゃないか、と思う。
「タイガー&ドラゴン」で、「ええもう、またドラゴン・ナイトか!」とオチる回は秀逸だった。
「泡を立てるのに椋の皮」なんて、息子にわかるんだろうか、我々だって昔、知らなかったぞ、と思っていたら、「せっけんの代わりに使っていた椋の皮、泡が出ます」って、ちゃんと解説入り。興津要より親切だ。

終わってみたら、2時間半近くの長い時がたっていた。
「はー、すげー」とつぶやく息子は、このあと、明日のライブに向けてのネタ合わせ(練習)があるらしいけど、「まだ時間ある」と言うので、家への 帰り道にある蕎麦屋に行こう、と大内くんが誘うと、「そうか、落語見たあとは蕎麦屋なわけね」と自転車こいで口笛吹ながらついてきた。
しかし、あー、あいにく、まだ「準備中」。
即座に、行き先をその先にある「華屋与兵衛」に変更し、息子は「味噌煮込みうどん、ライスつき」を、 我々はそれぞれ「天せいろ」「寿司せいろ」を頼む。

食べ終わってしばら話していたら、「ガッコ行く」と言い、私がお会計をしている間にもぴゅーっと出て行ってしまった。
「ごちそうさん」ぐらい言っていけばいいのに、と、ちょっとぷりぷりしながら自転車置き場に行ってみると、息子はまだいるし、来た時はさほどでもなかった駐輪場がえらくいっぱいになったなぁ。
やっぱり、落語を聞いたあとの人たちが流れ込んできたのだろうか。
と、気づくと私の自転車が手前に出してある。あとから来た自転車に封じ込められてしまっていたものを、息子が掘り出してくれたのだ。
大内くんのも ほいほいっと掘り出すと、「じゃっ!」と軽やかに行ってしまった。

若くて腕力があるからって、5年ぐらい前までは、絶対そんなことしてくれなかった。
公式には去年の12月19日、初めて自分たちだけのライブを企画・実行した、あの日が「息子の反抗期の終わり」ということになっているが、いや、 本当に変われば変わるもんだ。
親と一緒に外に出るのさえ拒んでいたというのに、自転車掘り出してくれますか。
今でも無愛想なのは変わらないけど、「紅茶、飲みたいな」「ほいっ」「ありがと」というような、お礼の言葉を聞くのが当たり前になってきた、
もちろん、嬉しい。(大学生は、自分でティーバッグの紅茶ぐらい淹れられると思うけどね)

面白い落語をたっぷり聞いたあとで、お笑いサークルの息子と就活の話をするというのは、親として、なかなか格別なものがあった。
明日のライブも、できるだけ観に行くつもりだ。

15年9月28日

昨日はICUのお笑い研ライブがあって、息子も「他大学のゲスト」ということで出演させてもらったので、見に行った。
FBでお友達になったCさんと、三鷹駅のコージーコーナーで初顔合わせ。
1時間半ぐらい話し込む。冷静で理知的な人で、私は例によって「恋に落ちて」しまった。(注:Cさんは女性です)

そんなCさんを車でICUにお連れしたんだけど、土曜日に大内くんと行ってリハーサルしておいたのに、曲がるところを間違えて、道に迷う。
カーナビの使い方も忘れたし。
いいとこ見せたいのに・・・なんとかたどり着いてからも、学生会館の場所を忘れていたり、中の構造も全然覚えてなかったり・・・恥ずかしくて、穴があったら入りたい気持ちだった。

ライブはそれなりに面白く、仕事で遅れた大内くんも息子の出番までには来ることができて、よかった。
ICU独特の、小所帯でみんな親戚みたいなノリのいい観客の雰囲気に、自分が演劇やフォーク・コンサートで舞台に立った時のことを思い出した。

夜のICUは、暗くてだだっ広い。
駐車場なんか、どうやって駐車?って思うぐらい真っ暗。
他にほとんど車がいないから駐車のヘタな私でも停められたけど。
旧D館(学生会館)にもほとんど人がいない。
なのに、開場5分ぐらい前になってオーディトリアムの入り口に行ったら、さっきまで無人だったのに3、40人の列ができてる。
みんな、どこからわいて出たの?!(たぶん、新D館にいたんだろうなぁ。学外の人はバスでどどっと着いたかも)

構内の女子寮に住んでいたことを思うと、こんな暗いところに若い女性がいっぱいいて、大丈夫なんだろうか?と35年も経ってしまった今、あらためて心配になった。でも、構内まで入ってきてくれるバス、教会の十字架を白く浮かび上がらせている蛍光灯、なつかしかった・・・

終わってから、Cさんと大内くんと3人、大学裏手のイタリアン・ファミレスでごはんを食べた。
私は、Cさんに気に入られたい気持ち と、息子のお笑い活動を見た興奮とで、半分気絶してた。
更年期障害で顔から汗がだらだら出るし・・・

三鷹駅までCさんを送って、大内くんと帰ったが、興奮と緊張でリビングの床に倒れたままプルプル震えてしまって、
「昔飼ってた小さいウサギも、死ぬ時、プルプル震えてた・・・」とつぶやいて、大内くんを困らせていた。
12時過ぎて、大内くんが寝てしまい、息子が帰ってきてCさんからいただいた「銀座十石のおにぎり」を「うまいっ!」と食べる頃になって、やっと 少し落ち着いた。

引きこもりの私にリアルの新しいお友達が増えるなんて、何年ぶりだろう?
とても楽しかった。
また一緒に息子のお笑いを見に行ってくれたり、遠出の難しい私のために三鷹まで来てくれるって。嬉しい言葉でした。

まさか自分のコドモが同じICUの舞台に立つのを見る日がこようとは・・・35年の時を超えて、息子と私の青春が交錯した、月の綺麗な不思議な夜の出来事だった。

15年9月29日

新宿の小さなライブハウスで、息子たち各大学お笑いサークルの雄が集まって立てた企画がこのライブ。
同じメンツで、毎月1回、必ず新ネタをかけること、というシバリだ。(いつもは下北沢なんだけど、今回は新宿)
10組ほどのコンビがトップを争い、今月トップを取ると、来月の香盤、つまり出演順を好き勝手に決めていいことになっているし、MCも務める。
さらに、ビリのコンビには、トップから、罰ゲームを与えられる。
要するに、トップは王さま、ビリはいじられ放題ということだろう。

もう5回目ぐらいだが、初回に行ってみたら、さすがにあまりに会場が狭く、20歳の学生に囲まれた我々は非常に場違い。
「若者の飲み会に無理矢理乱入してるみたいだからもうやめようね」と大内くんを説得してたら、4回目に、なんと息子のコンビが1位を取ってしまったという。
つまり、翌月の香盤は息子たちが決めて、MCもやって、他のコンビに罰ゲームみたいなことをやらせるのだ。
香盤や罰ゲームはおいとくとして、やはり、MCぶりを見たい。

それが、明日の夜、ということ。
あいにく、大内くんが今すごく仕事が忙しいので、定時に上がって来て、観られるかどうかは大変アヤシイ。
各大学から「自分たちでお笑いをやろう!」と集まったメンツだけに、内容はかなり濃い。他のメンバーの実力も大したものだ。

そんな中で、息子のコンビがまた別の機会に1位になる、というは不可能と思われるので、1年続ける予定のこの企画、フロックで勝てちゃった今、見 に行かなきゃダメでしょう。
「息子と相方が全部仕切れるのかぁ。MCやるなんて、もう、最初で最後だろうなぁ。観たいなぁ」と大内くん。
「仕事しなよ」と言うべきか、「家族を大切にしてくれて、ありがとう」と言うべきか、私もまだ迷っている。

15年9月30日

1日ゆっくり休んで、明日のお笑いライブに臨むぞ!と張り切って寝ようとしたが、例によって不眠症が邪魔をする。
結局、徹夜して、息子の「明日の朝、早めに出るから、7時半に起こして」に備える格好になった。
寝る直前まで食卓でノートパソコンを開いていた彼は、明日の新ネタがまだ書けてないんだな。
それで、朝練をしよう、と、授業前に大学行くのだろう。

午前7時28分。私の目覚ましが鳴る。
7時30分きっかりに優しく明るく、「朝だよ〜、授業出るんでしょ?」と呼びかける。
「うーん、あと15分」
母さん徹夜して起こしてるのに、あっさりと15分延びますか。
ここで怒ってもしょうがないので怒らないが、おや、息子のケータイに電話が入った。
「ああ」「行くよ」「うん」という短いフレーズしか聞けなかったので、相手が誰だかわからないけど、私の読みでは相方のYくんだろう。
昨日の晩までに息子のネタが完成してなかったので、今日、出来たてのネタを、2人で練習するんだろう、と思う。
相方のYくんは、几帳面に息子とのコンビを支えてくれる、大事な存在。
そもそも、彼の演技力がなければ、コントとして成立しない気がする。

「もう15分」たったので起こしに行ったら、息子はもぞもぞ起きてきた。
親が起こすよりも確かなものは、相方からのモーニング・コールなんだろうか?
それでも私に悪いと思ったのか、朝食を食べて行く日は私に「メシ」と言ってレンジさせたりしてるくせに、今朝は、自分で味噌汁の鍋を火にかけ、大根の煮物とごはんを黙々と温め、だまって食べて、出かけて行った。
彼なりの罪障感であろう。
それなら、お皿を洗うところまで続いて欲しい、罪障感。

そして夕方が来る。
今日、またしても仕事で遅れる、と言われた私は、大内くんのアシストなしに歌舞伎町まで行き、会場にたどり着くことができた。
ものすごく早めに行ったので、1番入場となり、最前列一番左に座るよう、指示されたところで、
「連れが、遅れて、開演中に来るかもしれませんが」と言ったら、「大丈夫です!」と明るい笑顔。
パイプ椅子に座って、どのへんに座ってるか、息子は真ん中ぐらいの出演なので、間に合わないかもしれない、といったことをラインで報告しておいた。
そこまででぐったり。

いざ始まって、息子と相方が「どうも〜!」と言いながら出てきてMCを務める姿を見ることができた。
しかしなんだねぇ、始まってみると、この2人がMCにすごく向いていないことがよ〜くわかる。
息子自身、自らのMCについて、
「なんか、ぬるっとした入り方だね。慣れてないからかな」と言いつつ、幸か不幸か時間もオシていたので、ヘタクソに出演者の名を紹介し、そのまますぐ舞台が始まった。

さて、このライブは、各大学のお笑いサークルの人たちが集まって、10組のメンバーで、月例会を行う。
お客さんに配られたアンケート用紙をすぐさま裏で計算して、その日のうちに「トップ」と「ビリ」が発表される。
息子も、前回まさかのトップを取れたので、今回の、
「香盤決め」
「当日のMCを務める」
「何か、企画を考える」
「ビリの演者さんたちに、何か罰ゲームをやらせる」の、すべての権限がある。

先月のビリは、私の大好きな「レモネーション」。
かなりの実力者たちと見ていたんだが、前回ビリで、「罰ゲーム」としてマンガを描いてきた。
それが、息子たちが要求した「罰ゲーム」かぁ。
A4用紙1枚に、4コマ風の作品が4つ並んでた。
(素人はこんなものか、と、我々、「ロットリング」を持ってたとか、「スクリーントーンが実在することを知っていた」とかというだけで、ずいぶんな「上から目線」。しょうがないよ、まんがくらぶだったんだから)
息子と相方は、これらの権限を有効に使い、冴えたMCぶりを発揮するはずだったんだけど、実力不足はどうしようもないね。

大内くん、早く来ないと、息子のMCどころかコントも見られないぞ!と焦っていたら、胸ポケットに入れたケータイがぶるっとバイブレーション。
「大内くん?」とこっそりケータイを見たら、Cさんが、「後ろの方にいますよ!」とメールくれてた。ビックリ!

おととい、FB友達のCさんが、息子がゲスト出演したICUでのお笑いライブに来てくれて、初顔合わせ。
ライブまでの時間、おしゃべりをして楽しく過ごした。
彼女は相当なお笑いファンらしく、若い人たちのお笑いも大好きだ、と言ってくれていた。

その時にこのライブの話をしたのかな、私は。
会場が「新宿fu-」だということを話したら、
「よく、落語とか見に行きますよ!」と言っていた覚えがあるので、話したんだなぁ。
ちゃんと、チケット取り置きをお願いしておけばよかった。
実に突然のことで、息子のMCがヘタ過ぎるとか、大内くんがいつ現れるかわからないとか、頼まれていた録音・録画がきちんとできているだろうかとかいうプレッシャーに押し流されそうだった私は、「わさわざ来ていただいて、ありがとうございます。終演後にお会いしましょう」と返信するのが精一杯。

一般的に、漫才は声が大きい。相手を威嚇してんのか、と思いたくなるぐらい、大きい。
それに対して、演劇的要素の強いコントでは、それほど大きな声は出さない。
私はコントの方が好きだなぁ。

息子たちのコント、始まってしまった。大内くんはまだ来られない。
ラーメン屋のコントだった。まあまあ面白い。
このライブには、「ひと月に1回公演、ネタは新作のみ」という厳しいルールがあるので、もし毎回見に来たら、毎月新ネタが見られるのだ。
魅力的だなぁ。でも、若者の祭典に親がしゃしゃり出てもなぁ・・・

途中でビデオカメラが止まってしまっていて、息子の出演場面が撮れているかどうか、ものすごく心配。
タイミング的には、息子の出番とそれに続く「中MC」は撮れてないかも。
そのあとはまた撮ってたんだけどなぁ。

と、中MCが終わったその次の次ぐらいに、会社から駆けつけた大内くん登場。
すぐにわかったらしく、私の隣の席へ「すみません、すみません」と座ってる人たちの足をまたいで来て、座る。
「後方に、Cさんが来てくれてるらしいよ」とささやいたら、「知ってる。見た」と言っていた。

全11組の演技が終わって、今回の「企画」(つまり、息子たち2人で考えた、ということ)は、彼らの伝統的な遊びである「大喜利」、たいがいコンビのどっちが出るか決まってるんだけど、今回は、いつもやらない方の相方を集めての大喜利、ということらしい。
にぎやかなのだけが目立って、やや内輪受けというか、目の前で宴会を見ているような気分になった。

とにかく息子のMCはダメダメである。
舞台上は20人ぐらいの若者が好き勝手にしゃべり、床を転がりまわる子まで出て、完全に学級崩壊。
「こういうところをピシッと操るのがMCの仕事じゃないか。なんとか言え!」と心の中で激怒してたが、どうしようもない。
事務連絡事項を伝える役ぐらいしかできない息子と相方であった。
私は彼らの芸風である「上品さ」を決して否定はしない。
「上品さ」というのは一朝一夕に身に着くものではないので、はじめっからそれを持ってるってのは、芸の助けになるよ。
でも、今回は裏目に出たね。

1位から3位までの準備が発表され、読み上げる仕事があるだけでもいいか。
相方は、何にもやらせてもらえないんだもん。
で、息子たちは11組中3位までも到達せず、しかしほっとしたことにビリでもなかった。
今回、ビリの人は、1位の人たちが決めた「マジックをする」という罰ゲームを、のんだ。

これですべてが終わり、学生さんたちの「ありがとうございました!」コールに送られて外に出ると、Cさんが待ってくれていた。
電車でもバスでも、場合によっては歩いても帰れる場所に住んでいるそうだ。
食事でもご一緒に、と思ったのだが、私は今週ずいぶん予定が立てこんでしまい、もうくたびれて使い物にならない状態だったので、失礼して帰ることにした。
大内くんによれば、「顔が、まっ白になっていた」のだそうだ。
でも、短い立ち話でも、会えて嬉しかった。

仕事の帰りに寄ってくれるCさん、仕事を頑張って頑張って終わらせてきてくれた大内くん。息子でさえ、大学の授業受けたうえでここに来てるんだろうから、皆さん、忙しい。
一番ヒマな私がこんなふうでいいのか?!」と猛省しながら帰ったが、やはりくたくただった。
お風呂に入り、這い込むようにベッドにもぐりこみ、さすがに睡眠薬を飲まないでも眠れた。

Cさんは、メールで、「息子さんの育ちの良さが舞台に出ますね」と感想を述べてくれた。
Cさん、本当にごめんなさい&ありがとう。次の機会を楽しみにしています!

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