15年10月1日
「いっぴ」というのは、物事を始めるにはまことにふさわしい日だ、と思う。特に「10月いっぴ」は下半期の始まりだし。
大内くんが今年の2月からかかりっきりになっていて、そのおかげで我が家には暗雲たれ込め、新作映画のDVDを観たり、録画しておいた連ドラを観たり、全然できなくなっていた。
その仕事が、昨日で終わったぞー!
「これからは家族のために時間を使うよ。本当に長いこと、迷惑かけたね」と大内くんは言う。
仕事してお金もらってるんだから、大内くんが謝る筋のことじゃない。
むしろ、それを支えてあげられない私がいけない。
ただなぁ・・・私は非常に人見知りをするのだ。
この「人見知り」を発動すると、よくしゃべるようになり、でも、相手の話は聞いてない、相手の目をじっと見て、でも、実はどこも、見えてない。
なので、人は私を「興奮しやすい人だなぁ」「話し好きの人なんだな」と思うかもしれないが、実はこれは、人見知りの症状なのです。
大内くんと、互いの顔を見ることも忘れてしまったようなこの8カ月で、すっかり「大内くんに対する人見知り」。
自分でも、緊張して態度が固くなっているのがわかる。
そんな私と26年も結婚している彼には、「あ、今、人見知りになってるな」とわかるんだって。
そして、
「気持ちをゆったり持てば、治るよ。僕が、忙しすぎたね。しばらくはのんびり暮らそう。してほしいことがあったら、何でも言って」と言ってくれる。
つくづくありがたいダンナさまである。
とは言え、宮仕えの道は険しく、大仕事が終わったと思ったら、その件でお世話になった方々にご挨拶しないといけないらしい。
なので、今日・明日は帰りが夜中。
「なーんだ、大仕事が終わったって、全然いいことないじゃん!」と、ますます人見知りになっていく気分。
15年10月2日
息子は大学の単位が足りないので留年が決定してる。
でも、それだけじゃないんだ。
「語学」の単位が、まだ取れてない。
これ取らないと卒業できない。
普通の人は1、2年生のうちに取っちゃう。
それが、4年生の後期になっても取れてないって、どういうこと?
語学の朝は早い。
学年が上がるにつれ、学生さんたちの側で、「できるだけ遅めの授業を」と考えるようになるのは道理だと思う。
なので、1年生向けの「語学」は1限、9時から。
これに間に合うように息子を起こすのは並大抵の苦労ではない。
先週1回やっただけで、もう、やりたくないと思った。
おとといの夜、まだ帰ってこないが帰るつもりはあるらしい息子に、ラインで、
「母さん、くたびれちゃったんだけど、木曜はカノジョんちに泊めてもらって、金曜の朝、起こしてもらう、って選択はない?」と聞いたら、
「いや、自分で起きるから」という返事。
起きられないと大変なんだけど、わかってるのかな、この人は。
で、今朝。
甘え心が出るといけないので、私は寝室で寝たふりしてた。
おっ、起きたみたいだぞ。シャワー浴びて、出かけて行った!
よかったね、先週も今週も、授業出られたね、と本を読みつつ再び寝ようとしていたら、息子からライン。
「?」と思ったら、「休講」。
板書してある「休講のお知らせ」をわざわざ送ってきたのは、証拠写真というやつでしょうね、「オレは、出席したぞ」 と。
我々も、大学の頃は「休講」っていうと喜んでたんだけど、今日の息子みたいに苦労して1限に出た人は、アタマに来るかも。
まあ、実際、「補講」がないなら、「こっちは金払って聴きに来てるんだ。勝手に休むな!」という権利意識もあってもいいかもしれない。
でも、そう思うのは親ぐらいなもので、学生さんたち、特に息子のようなコドモっぽい人は、そんな意識はないだろうと思うが・・・
来週もまた、朝のバトルだ。
さすがに1限はひとコマしかないけど、10時45分からの「2限」がたくさんある。この場合、9時に起こさないといけない。
木曜だけは「4限」、つまり2時45分から始まる授業しかないので、この日ぐらいはゆっくり寝られるかぁ、息子も「起こさなくていい」って言ってたし、と昼寝をして目が覚めたら1時。息子はまったく起きる気配なし。
2時に出るとギリギリ間に合うんだが、というその「ギリギリ」の30分前、1時半に、さすがに「そろそろ起きなさい」と声をかけたら、「あっ、うん」と、普段よりはすんなり起きて行ってくれた。
「甘やかし過ぎ」「大学生にもなって親に起こしてもらうなんて」「そもそも、親、起こすな!」という意見が、ざわわざわわと私の脳裏を横切って行きます。
大内くんに頼まれちゃったんだよね、「今期だけは、朝、起こしてやって」と、6時半にネクタイ締めながら。
「寝起きが悪いのは僕に似たんだ。でも、その僕でさえ、今じゃ毎朝5時に起きられるんだから、人間、なんとかなるもんだね」って、そんなとこで達観しないで!
ああ、最後の望みの綱は、カノジョだけだ。
15年10月3日
昨日はサークルの友達男子のとこに泊まったらしい息子、朝早く、帰ってきて、爆睡。
我々はかねてからの予定通り、吉祥寺に行って、いつものタイ料理食べて、大内くんの「遠近両用メガネ」を新しく作り、私の時計が壊れかけてるので買い換えて、スタバでお茶が飲めるといいな〜、という休日。
6時頃から寝てて、11時近くなっても起きない息子に、
「父さん母さん、タイ料理食べに行くよ。気が向いたら、連絡入れて、あとからおいで」とラインを入れておく。
で、案の定全然現れないので、私はいつもの「パッ・タイ」、大内くんは少し路線を変えて「カオマンガイ」。
どっちもすごくおいしい!
正直、大内くんとこんなにのんびりしたのは半年以上ぶりだ。
合間合間に遊んではいたけど、そこには常に、
「家に帰ったらこの仕事をやらなきゃ」
「今頃、誰々さんからクレームがついてるかも」という緊張があり、完全にのんびりしたことがなかった。
会社勤めをして26年、のんびりする方がおかしいのかもしれないが。
そんなのんびりムードに突然水を差すのは、息子。
出かけているので、いつものように夜中には帰ってくるだろうと思っていたら、彼の行動は我々の予測のななめ上を行く。
「今日、カノジョ来る」というラインが入ったのが夜の11時。
さすがに大内くんも疲れているので、「今日はコンディション悪し。見合わせて」とレスしたんだが、「理由がある」と返信が来た。
お笑い芸人志望のカノジョが、夜中のBSに映るらしい。「カノジョんち、BS映らないから」それが、理由だ。
結局、我々が折れて、2人が家にやってきたのが夜中の1時。6度目の来訪になる。(数えてるあたり、私も「お姑さん」予備軍?)
「いちおう、顔を見てご挨拶してからでなくては寝られない」と主張する私と、「おかまいなく。先に寝てて」という息子と、板挟みになったところに眠さが普段の3乗でやって来る、という感じで、大内くんは少し、不幸だった。
家族はいろいろだ。うちは、取り立てて変わってもいないつもりだったけど、少しヘンかも。
15年10月4日
こうして昨日はカノジョが泊まって行った。
朝ごはん(とは言え、もう10時だ)は、スパゲッティ・ミートソースとサラダとキャンベルのクリームチキンスープ。
小食らしいカノジョに気は使ったが、何とか完食してくれた。
許せないのは息子で、自分が食べ終わるとさっさと席を立ってしまう。
食べるのが遅いカノジョや、それに合わせてゆっくり食べている我々の立場はどうなるのか!?
「食事が終わるまで席についてなさい」と教育的指導を試みるも、
「くだらねー話ばっかりしてるから、やだ」。またしても爆沈。
2人では楽しそうに話してるのに、我々と彼女を会話させたくないのか?
じゃあ、何でわざわざこんな田舎まで連れてくるんだよぉっ!
カノジョの部屋で、思いっきりいちゃいちゃしろ!止めないから!
2人がそれぞれの用事で出かける、と言って、出かけた。
そうそう、彼女の出る番組は、2、3回続くらしくて、
「じゃあ、来週も泊まりに来るんだね?」と訊いたら、一瞬、「あれっ?」という顔になり、それから破顔して、
「そうです!」と言っていた。
次は心の準備をして、朝ごはんの算段だけでもしておこう。
パン買って、ベーコンエッグでも作るか。またキャンベルのスープの出番だ。
テレビに映ったカノジョはなかなか可愛かった。
芸歴18年というようなおねーさんとおばさんの中間な感じの女性お笑い芸人が8人集まる中、芸歴
4ヶ月、現役女子大生のカノジョは、ひときわ目立ってた。
彼らはテレビ見ることしか念頭にないみたいだけど、我々、事前に録画予約しておいたもんね〜。
彼らが出かけた後、ゆっくり見せてもらいましたよ。
来週は、どんな試練が彼女を待っているのかな?!
息子はずっと仏頂面をしていたバカだとしか認識できなかったが、その日の昼過ぎ、
「ご飯とか、いろいろありがとう!」とラインが来た。
こういうとこに騙されちゃうんだよなぁ、大内くんも私も。
15年10月5日
BSはなぜか皇室特集をするのが好きなようで、しょっちゅう「天皇陛下ご成婚」の映像を流す番組をやっている。
今日も、若き日の美智子さまのローブデコルテ姿やパレードの映像を熱心に見てしまう。
「昭和34年4月10日。この日、何が起こったと思いますか?」
道行く人々に問いかけると、年配の人々は、「天皇陛下のご成婚ですねぇ」「パレードがあったんですよね、もう本当にお美しくて」とけっこう覚えている。
それに対し、若い人たちは、「何の日だっけ?」と首をかしげることが多い。
(まあ、テレビ局がそういう絵を作ってるんで、仕方ないんだが)
知っている女子高生などもたまにいるが、「天皇だっけー?結婚とかナントカ?」とくる。
果ては、「テンノー的な?ケッコン的な?」。
陛下と呼べとまでは言えないが、何でもかんでも「…的」をつけるのはやめよう。
でも、この言葉、便利だからけっこう使っちゃう。
「お風呂的には、わいてるけど」
自分で言ってて、ヘンだな。
なんにせよ、56年ぐらい前にとてつもないおめでたいことがあったわけだ。
民間からの美貌の才媛、パレードにローブデコルテ、テレビの普及。
我々も、もう10年ぐらいすると、「雅子皇后 その愛と人生」なんて番組を見るようになっちゃうんだろうなぁ。
いろいろあった皇室騒動だが、今度は眞子さん佳子さんの結婚相手とか、そもそも愛子さんをどう扱うか、とか。
幼い悠仁さん、キミの双肩に、日本の未来がのしかかっている。
頑張つてくれたまへ。
15年10月6日
朝、一生懸命、息子を起こす。
とにかく今期だけでも、頑張って「フル単」(制限いっぱいの20単位を取ること)をやってほしい。
2年生の時に、親もまわりも驚く「ゼロ単」(字義通り、取得単位ゼロのこと)と言う思い切ったことをやってのけた男だ、その逆ぐらい簡単にできるだろう。
普通なぁ、留年するにしても、遊んでる1年の間に卒業が楽になるようにある程度の単位は取っておくもんだが、1年間を通してゼロ単というのは、大先輩であり、中退者である塾長も「ゼロ単ですか!」と驚いていたよ。
人生に保険をかけない、堂々たるヤツだと思いたい。
単位を取るには、勿論勉強もしなきゃいけないが、大前提として出席しなければならない。
科目ごとに、名前を呼ばれるとか、開始後1時間ぐらいで出席カードが回って来て記入しなければならないとか、やり方はいくつかあるが、基本、出席を取る。
それに、聞いてない授業の試験でいい点を取るのは難しいだろう。
そういうわけで、私は大内くんを送り出すためには起きなくても、息子を起こすためには目覚まし時計かけて、一生懸命起きているのだ。
その結果、
「あと15分」
「あと10分」
「あと5分。本当に最後」
「あと3分だけ。本当に本当の最後」
「あと15分」(だから、なぜそこで急に増えるんだ?!)
という感じで、起こすのに1時間以上かかる。
ベッドの中でもぞもぞし始め、メガネをかけ、ケータイを見始めたらミッションの8割は達成。
ベッドから出てパジャマを脱ぎ捨て、シャワーを浴び始めたらミッション・コンプリートだ!
もちろん最後の方では私はかなり腹を立てているが、「怒るよ!」と言っても、「あっそう、じゃあ、いいよ。もう授業行かない」とフテ寝してしまい、本当に行かないこともあるのだ。
今の私の頭にあるのは「フル単」のみ。
人間性、とか、躾、とかいう美しい単語は、とりあえず頭の奥の方にしまいこんである。
そして、「3千円貸して」とか言われて、彼が出かけて、必ず1度戻って来て(家のカギを閉めようとして、定期券と一緒になってるカギを忘れてることに気がつくせいだろう)、そして私の苦行は終わる。はああ、今日も、無事に終わった。でも、永遠のように「明日」がある。
あんまりひどいので、9時からの語学がある日だけでも「カノジョの家に泊まって起こしてもらうわけにはいかないのか?」と考えて、カノジョが来た時に聞いてみたのだが、金曜朝9時からの授業は取ってないし、彼女自身、起きるのにあまり自信のある方ではないようだ。
どうも、いい解決法ではなさそう。
そんなに苦労して起こした日に限って、昼頃、ラインが入る。
「朝、起こしてくれてありがとう」
ああ、もう、この人はヒモかなんかになって暮らすのが似合いなのかも!
少なくとも私は、アメとムチでいいように扱われている!
15年10月7日
11月26日に、家の近所の小劇場で息子がライブをするという。
去年の冬にも同じメンツ7人で企画・実行した「3組合同ライブ」第二弾だ。
大内くんも私も、今から楽しみでしょうがない。
ひいきの引き倒しだろうが、面白かったし、これだけの物を、自分たちだけで作れるのか、と胸を打たれた。
また、面白いといいなぁ。
という状態なので、息子が「会場にファックスで書類送んなきゃ。送っといて」と言い捨てて出かけちゃっても、全然気にならない。
ほいほい引き受けちゃう。
ただ、書類をよく見ると、1箇所、記載漏れがあるようだ。
息子にラインで聞くと、「こう書いておいて」と指示が来た。
忠実に守って、普段全然使わなくてほこりをかぶりかけてる電話機兼ファックスで、マニュアル片手に苦労して書類を送る。
「書いて、送っておいたよ」「ありがとう」
単純に、嬉しい。
しかし、このファックスなるもの、いつなくなるのだろう?
メールですんじゃう時代もそう遠くはないと思うんだが。
少なくとも、うちでは年に1回か2回しか使ってないと思う。
私は33年前、「男女雇用機会均等法」直前の年に就職して、最初の仕事は「海外から来るテレックスをチェックして、必要な人のところへ届けること」であった。
各フロアのコピー室に、テレックスをカプセルに詰めて「管」に入れると、ひゅーっと送られて行く「エア・シューター」もあった時代である。
IBMの英文ワープロを使っていた覚えはあるが、日本語ワープロはまだほとんどなかったんじゃないかな。(総務部とかにあったかも)
2年後ぐらいにはオアシス使ってた。
でも、部署に2台しかなくて、「使用予定書」に記入して、みんなで融通してたよ。
テレックスはいつの間にかファックスに替わり、
「裏面で入れたため、相手側に大量の白紙を送った」なんてのは可愛い方で、
「いくら紙を送っても、戻って来ちゃうんです」と、物質転送機みたいに思ってる人もいたそうだ。
ファックス番号間違えて入力して、ライバル会社に重要書類を送っちゃった、これはまあ、ファックスに限らない間違いかもしれない。
(私はよく、大内くん宛のラインを、息子に送ってしまう)
ウィンドウズが出現し、「一太郎・ロータス」の時代が来て数年後、まだパソコン1人1台体制からは程遠い時期に、結婚し、退社したんだけど、数年後のある日、大内くんに、
「ファックスの紙ってつるつるしてるから、書き込みがしにくいよね」と言ったら、ものすごーく憐れむような目をして、
「今のファックスは、普通のA4用紙使ってるんだよ」と教えてくれた。
それも遠い過去の話。
で、今、家庭用ファックスに手を焼いている、というわけ。
技術の進歩はすごいですね。
我々の老後には、どんな新しい技術とそれに伴って現れる生活様式があるんだろう?
ツィッターでかなりめんどくさい思いをしている。(というか、使いこなせていない。フォロワー20人ぐらいだし、1カ月ぐらい何にも書かないことが多いし)
フェイスブックではけっこういい思いをしてて、電脳友達がいっぺんに増えた。リアルな友達に発展してくれる人もいる。
それでもやっぱり、お作法とか教えてくれる人がいないから、こういう長文をFBにアップしていいものか、また、気軽にシェアしてましたが、あれは 元ネタを送ってくれた人にひと言断ってから、が常識なのかどうか、悩んでいます。
15年10月9日
ふっふっふっ、世間の皆さまは、3連休だと言ってさぞや浮かれているだろう。うちは、実は4連休。「会社の創立記念日」である!
前の創立記念日はくっついた記念日が4月1日だったのだが、今回の合併ではくっついたのが10月1日。
「じゃあ、10月1日が創 立記念日なんじゃないの?」と言われそうだが、何と社命で、「10月の第2金曜日を休みにして、3連休を作る」ことに決まってるのだ。
だから、今日は大内くん、休み。
明日もあさっても、しあさっても、ずうっと休み。何しようかなぁ。
たまってる「鬼平犯科帳」でも見るかなぁ。
こんな時こそ映画を見なくてどうするんだ、とはいうものの、この8カ月にわたる大内くんの忙しさとそれに伴う私の人見知りは幾何級数的にうなぎ上りで、とてもじゃないが、1日や2日では解決しない。(ところで、どのくらいかけると治るんでしょうか?と訊きたいヒマな人向けの回答は、ずばリ
「8カ月」。原因が続いたのと同じぐらいの時間はかけてもらわないと)
こんな時、世の中の奥さんは宝石とか服とか買ってもらうのかなぁ。
そんなに甲斐性のある男と付き合ったことがないからわからない。
実際、まだ終わったって実感がわかないんだよね。
10月いっぴからこっち、まいにち「お世話になった方々にお礼の席を設けなければ」と、土日はさすがに休んだが、それ以外全部接待。
土日も、「なにしようか・・・」「うーん、気力がわかない」と言ってる間に終わってしまった。
今、こってるのは落語の「柳家喬太郎さん」をYouTubeで探して観ること。
探すったって、向こうの方からどかどかやってきますよ。天下の喬太郎さんだもん。
惜しいかな、画面はスティルで音声のみのモノが多い。
それでも、目を閉じて聞いていると、喬太郎さんのしぐさのひとつひとつが浮かんでくるようだ。極楽極楽。
今期のドラマもそろそろ始まるし、とにかく大内くんと同じものを観ていたい。
「超・仕事モード」の時は、後ろの椅子に座って、徹夜でパコパコパソコン叩いてる大内くんの背中ばかり見ていた。
BGMとして、「宇宙戦艦ヤマト」アニメ版全部を、ふた回り聴いた。
未だに、帰ると「仕事は?」と聞いてしまう。
「もちろんないよ!会社が終わったら、仕事もおしまいだよ!」と明るく言われて25年、「仕事は?」「うーん、今日も4、5時間はやらなきゃいけ
ない。徹夜になるかも・・・」と言われて8カ月。本当に終わったのかなぁ、と遠距離記憶を持たない私が思うのも無理はない。
だいたい私の記憶って3日ぐらいしかもたないんだよね。
それなのに、体にしみついたことは忘れない。
大内くん、と言われれば「ハイ、仕事です」って感じ。
まあ、本人が「誰よりも、僕が信じられない。あれだけ仕事したことって、ない。キミが信じられないのは当然だ」って言っちゃってるもんなぁ。
この4連休を無事に済ませて、また少し、大内くんと仲良くなりたいものだ。
15年10月10日
今週も、息子のカノジョが泊まりに来た。
金曜深夜のBS番組に出ているそうで、カノジョの家ではBSが見られないので、テレビを見に家に来る、というわけだ。
今日は息子の誕生日なので、カノジョがケーキを買ってきてくれた。
みんなで食べて、我々は寝室に引き取り、彼らはリビングでテレビを見ている。
将来同居したらこんな感じかな、とちょっとだけ思ってみた。しませんけどね。
お互い別居が気楽だろう。
しかし、番組が続く限り、カノジョは毎週金曜夜中の12時に泊まりに来るのだろうか?
カノジョはなんと、200人を書類選考で絞った60人に入り、その中からオーディションにより8人に残り、そこからはテレビに出演しての心理戦のジャンケンに勝ち、4人のレギュラーメンバーの一員となってしまった。
テレビ映りも良く、普段の「不思議ちゃん」な感じだけでなく、何やら迫力がある。目力と言うやつだろうか。
この人は、本当にお笑い芸人になってしまうかもしれない。息子と結婚してくれたら「一般人と入籍」と報道されてしまうのか?
というわけでカノジョが泊まって迎えた22歳の誕生日、息子は「2人とも、出かける用がある」と彼らにしては早起きな9時頃に朝ごはんを要求してきたので、普段の和食とは違うものを出してみよう、とトーストにベーコン・エッグとサラダをつけて、食べさせる。
カノジョは洗面所でくるくるドライヤーを使っている。持って来たのか!
女の子の身支度は、大変だなぁ。
私だけ見てた時の息子は、そんなこと、想像もできなかったかもしれないが、多分、普通は手間取る方がデフォルト。
「10月10日に生まれた、柔道2段の息子」。
いや、誕生に際しては別に、「10月10日」と「柔道」をかける気はなかったんだけど、結果的に。
当時は「体育の日」だったので、運動の得意な子になるといいなぁ、とは思った。
思惑通り、柔道はそこそこ強くなった。
でも、致命的に足が遅く、中2の体育祭で「1000メートル走」に出た時は、最後、2周遅れのビリで、ゴールした時は満場の拍手をもらっていた。
拍手をもらうのがこんなに恥ずかしいことだとは、考えたこともなかったよ。
コドモを育てていると、思わぬことに遭遇し、経験値が上がるもんだね。
そんな彼は、今日、家の車に乗って出かけ、カノジョとドライブデートをするらしい。
いいなぁ、青春で。
こないだみたいに、前の車に軽く「ごんっ」と当たるのはやめてね。
我々は「足」を奪われた思いで、何の気力もなく、昼寝したり、ぼんやりテレビを見たり。
何しろ、大内くんの「大仕事が終わった」ことに、まだ納得がいってない。
今にも仕事を始めそうな気がする。
この8カ月、家で仕事ばっかりしてたからなぁ。実感がわくのは、まだこれからかもなぁ。
夜中の12時頃に、息子が無事に車と共に帰ってきた。
「ありがと」とキーを返してよこし、何だか楽しそうでいいねぇ、キミらは。
彼が寝て、朝になってから気づいたが、クロゼットの扉にハンガーにかけた新しい紺のシャツが妙に大切そうに下げてある。
きっと、カノジョからの誕生日プレゼントなんだね。
部屋があまりに散らかっているし、タンスの中が衣類でパンパンになっているので、大内くんが大ナタを振るい、ゴミ袋5つもの「取っておくか捨てる
か決めなさい袋」をこしらえた。
今、我々の部屋に置いてある。
これを週末までに検分し、捨てるならよし、タンスに戻す場合は同量の衣類を新たにタンスから捨てるよう、言い渡しておいた。
さすがの息子も、この物量にはぎょっとしたらしく、
「はい、わかりました」と頭を下げていた。
まったく、5畳ほどの部屋に、どうやったらこんなにモノが入っていたのだろう?
現代の生活は、ゴミとの戦いである。
家の中に「汚部屋」が出現するのはイヤなので、戦っていくしかない。
15年10月11日
先日買った腕時計、使ってみたら、文字盤がやや見にくい。
大内くんにそう言うと、何だか嬉しそうに、
「じゃあ、これは僕がもらっておくから、新しいのを買ったらいいよ。今日、吉祥寺に僕のメガネ取りに行くから、その時、買おう。ね?」と言う。
彼はだいたいに私が物を買おうとすると喜ぶという妙な嗜好の持ち主だ。「代理お買いものマニア」?
(そのかわり、使わないものはすぐ捨てようとする。そしてまた、新しいのを買わせようとする)
まあ、私も大内くんにメガネ買わせようとしたし、我々夫婦はほっとくと本以外の物をほとんど買わないので、世の中の景気に貢献するため、互いに努
力しているといえなくもない。
さて、今日の吉祥寺巡りだが、大内くんにはすっかり腹案が出来上がっているらしい。
「いつも行列ができている『天丼屋さん』があるんだよ。前から気になって仕方なかったんだ」と、ついに今日、開店前の行列に並んでみることにした
らしい。
開店10分前に行ってみたら4、5人の列に並ぶことができ、1回転目に入れた。
まずは「様子見」ということで、無難に「竹(鱚)980円」をチョイス。
大内くんは大胆に大盛りだ。(100円増し)
卓に置いてある大根とごぼうの「ガリ」が嬉しい。
あっという間に店は満員になり、美味しそうな天丼が運ばれてきた。
うーん、この値段で、この味は、大満足。
ついこないだまで道路を1本東に行っただけの「てんや」で食べていたのが悔しいぐらいだ。
次回は絶対「松(穴子)1380円」を食べよう。
大内くんは「梅(舞茸)880円」でいいそうだ。ただし、やはり大盛りで、とのこと。
あと、大内くんは今回、お店の人の「温泉卵は崩してごはんと混ぜてお召し上がりください」というアドバイスを聞いていなかったので、卵を一口で食
べてしまった。
たれの沁みたごはんにとろっとろの黄身が絶妙なのに。
死ぬほど後悔しているようだった。
やはり、人の言うことは、よく聞いていなければいけない。早くも次回が楽しみ
だ。
(追記:帰りには、2階から1階までの階段全部でもおさまりきれずに路上にあふれた行列ができていた)
腹ごしらえを済ませ、ヨドバシに行ってで時計を選ぶ。
同じCASIOの「G-SHOCK」というブランドから選んで、黒とゴールド基調の、やや重たいものにした。
ベルトが、穴あき式ではなく金属のパーツをはめる式なのがとても良い。
先日買った方はポイントカラーのピンクがいたく大内くんのお気に召したらしく、これまであまり腕時計をはめずに出かけていた彼なのに、日常用に使
うそうだ。
私としても、衝動買いしてしまった物が有効活用されたら嬉しい。
ブックオフを冷やかし、スタバでお茶を飲んで、ゆるゆる散歩で帰る。
実に充実した休日だった。
買った時計もすごく気に入ったし、天丼屋は大当たりだった。
こんな日々が続いたら、いいな。
15年10月12日
今日は息子の誕生日のお祝いに、吉祥寺で待ち合わせて焼肉を食べる。
もう2日も過ぎてしまったが、カノジョや友達にお祝いされて、満足そうな彼である。
「プレゼントは何がいい?」と訊いたら、「何でも」というので、まあ、現金を渡しておいた。
欲しいものがあれば買うだろう。
今、彼のモノを増やしたくない気分だし。
焼肉屋に待ち合わせの時間に到着し、すぐにテーブル席に案内されたので、「上カルビ4人前、タン塩2人前、レバー1人前、サンチュ、ムンチュ、ごはんとキムチをひとつずつ」というオーダーをし、生ジョッキを3つ頼んで、乾杯!
思えば、息子の誕生日をこの焼肉屋で祝うようになってもう4年たつが、3回はジョッキを上げてのお祝いだ。最初の年はまだ未成年だったのでウーロ
ン茶だった。
大きな変化のように思われるが、毎日毎年見ている息子の顔は、
「オトナっぽくなったなぁ」と思える時もあり、「コドモのままだなぁ」と思える時もあり。
今回は、就活の話とか将来の志望を語ってもらったので、まだ世の中の頑なな言葉を吐く前の年若い柔らかそうな唇からあふれ出る、未来への展望を聞 くの
はとても楽しかった。
今、彼の頭は、来月末に迫った「合同コントライブ」のことでいっぱいらしい。
去年、初めて自分たちだけのライブをやった時に一緒に組んだ3組の仲間たちのうち、1人に大変な才能を感じているようだ。
「『島田』は、すごいんだよ。オレも、細かいとこまで笑えるように詰めようと思うんだけど、だいたい大まかなアイディアをオレが出して、島田が仕上げるって感じになる」と、ごはんを頬張り、肉を焼きながら、お笑いのことを夢中でしゃべっている。
確かに去年の2時間のライブは素晴らしく、今年第2弾をやってもらえるのは我々にとってもすごく嬉しいことなので、楽しみにしているが、どうして
そこまでお笑いに身を捧げちゃったかねぇ?
「もう、留年はしない。単位はきちんと取るし、年明けから就活も始める」と宣言していて、お笑いの「演者さん」になろうとは微塵も思ってないみた
いだ。
うん、その方がいいよ。
キミは、何かを作る才能はあるのかもしれないが、舞台で演じるのを観てると、ただのヘタクソの1人だ。
裏にいる方がいいだろう。
焼肉を平らげてしまって、カルビクッパを3つ頼み、それもキレイに食べてしまったので、
「時間、あるんでしょ?もう1軒、軽くつきあわない?」と誘うと、
「ネタを書きたいから酒は飲まない。コーヒーとかならいいよ。『くぐつ亭』行こうか」とついてきた。
店の名前は「くぐつ草」なんだけどなぁ。完全に間違えて覚えちゃってるなぁ。
それにしても彼を見ていると、酒をあまり好まない。
脳内快楽物質で足りてしまってるのか、外からアルコールを入れる、という発想があまりないのだ。
むしろ、酔って頭がぼんやりするのを嫌う、という印象の方が強い。
私や大内くんは、酒ばっかり飲んでたけどねぇ。
昔、チェスの日本チャンピオンと仲良くしてた時、「酒と風呂は頭がぼんやりするからキライだ」と言ってたなぁ。
地下にある喫茶店「くぐつ草」は満席のようだったので、もう1軒の候補、「John Henry's Study」に行くか?と聞いてみたら、
「いや、今日はもういいや」と言われ、一瞬焦ったが、彼が入り口隣のトイレに行っている間に3人連れがひと組席を立ち、空いた。よかった。
出てきた彼 に、「席、空いたよ」と言うと、「あっそ。じゃあ、飲んで行こうか」となったので、ほっとした。
息子との時間を少しでも取りたい。
それに、私が黙って大内くんにまかせておくと、
「オヤジはやっぱ、アタマいいな」と嬉しそうに尊敬をあらわにする息子は、けっこうよくしゃべってくれるのだ。
私も「おふくろって、アタマいいな」って言われたいけど、誠に残念なことに、彼と私は考えることの傾向がまったく同じなので、新幹線が速くても同
じ速度で横を走っていると動いているように見えない、という理屈で、私の話は彼にとっては全然面白くないらしい。
だいたい、両方とも「オレ様」で自分の話を聞いてもらいたいばっかりだし。
かろうじて私が彼の尊敬を勝ち得ている分野は読書で、読むのが速いことと、歴史書や判決文ばっかり読んでる大内くんよりは彼と似た本を読んでいて
話が通じるので、ミステリやサスペンスの軽い話で、「よく読んでるね」と称賛を勝ち得ることができる。
もっとも、そのために私は彼のために本を買い、彼の食指が動く前に読んで備えておく、という人知れぬ努力を続けているのだ。
そのからくりをすべて知っている大内くんは、
「相手に好まれようと努力するのは大事なことだよ。彼は、この母の愛を知らない。でも、僕だけはわかってるし、評価してるよ。キミは、素晴らしい
お母さんだよ」と言ってくれる。
(今朝も、買っておいたら彼が夜中にラストにさしかかってる五十嵐貴久の「交渉人」を、「面白い?ふーん、じゃあ、読もうかな」と、彼が寝てから いただいて、朝
までかけて読了し、朝ごはんのしたくしながら「『交渉人』、面白かったね」と声をかけたら、「早すぎねっ?!」と驚愕されて、少しいい気分。で も、これは余談)
「くぐつ草」の濃いコーヒーを飲みながら、お笑いのこと、本のこと、仲間のことを語る彼は、若々しさにあふれ、まだ罪を知らぬような澄んだ瞳で見えざる物を見据えている。
「人を1人、育ててしまった。どうできあがろうとも、とにかくこれが1つの結果だ」と、金縛りにあったように、彼の引き締まった頬から目が離せなかった。
あいかわらず彼が社会科関連に並々ならぬセンスを持っていることを大内くんとの会話で確認しつつ、やがて「くぐつ草」をあとにした。
親が学生時代から通いつめていた喫茶店に、20歳過ぎになった息子と行けるってことだけで、私は本当に幸せだ。
「ガストでネタ書くから!」と手を振って駐輪場の方に去る彼の後姿に、
「あんまり遅くならないようにね!」と親らしい注意をしながら、大内くんと2人、のんびりと腹ごなしのつもりで3、40分かけて家まで歩いて帰った。
「幸せだねぇ」と私がつぶやくと、大内くんも、
「うん、彼が、リア充なところがいいね。カノジョもいるしね。もう、僕らは、死んじゃってもいいねぇ」と、日頃の私のようなことを言う。
彼もまた、息子のふりまくキラキラした若さに幻惑されているのだろう。
今年は同期がみんな就職かと思いきや、ふたを開けてみたらちゃんと決まったのは真面目で人格者の女子1人だけで、あとは軒並み、思う結果が残せず、留学して語学を磨いて志望するスポーツ用品の分野を狙う、と言う子をはじめとして、ほとんどの同期が就職浪人をするらしい。
息子にとっては、就職仲間が増えて嬉しいのか、ライバルが増えて困るのか、まあ、何十万人が就職しようってのにまわりに数人同期が増えただけで息
子の就職が難しくなるってこともないだろう。そもそも難しいんだし。
これからしばらく、私は就活のことは考えたくない。
考えても仕方のないことを考えては不幸になる自分の性格を知り抜いているからだ。
できれば明日気を失って、はっと我に返ったら就活は全部終わっている、そんな状態になりたい。
15年10月13日
今日は、歯医者と婦人科のハシゴ。
前者では、選択の余地なく神経を抜かれた後の治療が続いているし、後者では医者に相談するまでもなく更年期障害なんだが、持病の薬とバッテングし ないか、主治医に相談してからでないと「女性ホルモン投与」ができないということで、とりあえず1カ月、漢方薬を飲んでみることになった。
婦人科の本棚が充実していたこと(私の好きなマンガがたくさんあった)と、薬局でひざの関節痛のための「コンドロイチン」を買ったら「稲庭そうめん」をもらったことだけが、今回の病院
めぐりのいいところだった。
いや、採血の人に、血管をほめられたな。久しぶりだ。
肉体上、数少ない自慢が、腕の血管。
昔、よく献血をしたものだが、必ずと言っていいほど、
「いい血管してますねぇ。よく出て、針が入りやすいです!」と言われた。
この血管が細い人がけっこう多く、難儀をするそうなのだ。
定期的に検査に行っている病院で毎回採血をされていて、こちらも最初の頃は「まあっ、いい血管!」と言われたが、もう何年も通っているので、言わ
れなくなっちゃった。
ちなみに、採血されるのは大好き。
小さな試験管の中に自分の血液が細い紅い糸になってほとばしっていくのを見るのは、大きな楽しみだ。
それを4、5本採ってもらうと、たいへん満足。
今飲んでる薬をやめられたら、大内くんと吉祥寺の献血ルームに行くかなぁ。
私は趣味で献血したいんだが、大内くんはRHマイナスのO型、という、希少なうえ、どんな血液型の人にでも輸血できるという貴重な血液なので、ぜ
ひ献血すべきだ。
献血ルームは、ゆったりした椅子に座って目の前の小さなモニタで映画とか観られるし、お菓子と好きな飲み物をサービスしてくれる。
人助けにもなって気持ちがいいから、夫婦で行きたいなぁ。
もうひとつ私が自慢できる(?)のは、「髪の毛の多さ」。
どこの美容院に行っても驚かれる。
小さい時から「黒々と多すぎる頭髪」に密かに悩んでいたが、母親から、
「年取ると、女の人でも髪の毛が薄くなるものだから、そのうちみんなにうらやましがられるわよ」と慰められていた。
さて、その日はいつ来るのだろうか。
今のところ、「うらやましがられた」経験はまだない。
ただ、レディースコミックには「女性用部分かつら」の広告が載っていることがあるので、悩む人はこれまた密かに悩んでいるのかもしれない。
そう言えば、大内くんも髪の毛の多さでは悩むことこそあれ困ることはなかったのに、最近、妙に抜け毛を気にしていると思ったら、髪の毛の総量がず
いぶん減ったような気がする。
ぺしゃん、としてしまった。髪を洗った後など、けっこう目立つ。
本人も気にしているそうだ。白髪も増えたし。
やはり、この8カ月の過酷な日々が我々双方にかなりのダメージを与えたよ。有形無形にね。
まあ、大内くんが少しぐらいハゲても私は気にしないよ。
智は額にあり、だ。彼の聡明そうな広い額を、私は愛している。
15年10月14日
大内くんがお休みを取ってくれたので、早稲田の近くでやっている「春画展」を観に行った。
私の「FB友達」の間では開催前から大変な評判で、ぜひ観に行かねば、と思っていたんだ。
すごい品ぞろえだった。
平日昼頃だったので、お客さんはそこそこ。
ほぼ1列か2列ぐらいで絵の前をゆっくり眺めながら4階から観て降りる感じだった。
心配していた「男女でエロいものを観る気まずさ」みたいなものを、私はまったく感じないですんで、「ああ、やっぱり良いものを観る時、人はそう妙なことは 考えないんだな」と思っていたんだが、大内くんは、出た途端、
「おばさんたちが異様にじっくり観ていて、いたたまれなかった!ひとつの絵を、5分以上観ている女性ばかりだった!」と過激な感想をぶち
まけていた。
食い入るように春画を観る(と大内くんには映る)彼女らの頭の上からは、「まあ・・・!」という吹き出しが出ていたのだそうだ。
「男の人からは、どんな吹き出しが出てたの?」と訊いてみたところ、「えー・・・」なんだって。
まあ、とにかく、大きすぎるよね。
「これまで知らずに来たけれど、自分はずいぶんな粗品にあたっているのかも!」と思う女性がいても不思議はない。
男女比は3:7ぐらいだろうか、一番多いのが年配のカップルで、女性同士の方も多かった。
「おひとりさま」も、ちらほら。
不思議なことに、男性の「おひとりさま」はいても、男友達同士、という方々はほとんど見受けられなかった。
各地の資料館などでも思うことだが、文化の吸収には、女性が熱心かな?と思う。
特に今回は、テーマがテーマだけに、男女比やグループの構成員が興味深かったよ。
知人のFBによると、史学を学ぶそこんちの女子大生の娘さんが仲間たちと意気揚々と出かけたはいいが、絵を正視できず、キャプションだ けしか見られなかったので、図録を買って来てくれ、とお父さんにミッションが下ったらしい。
そうだなぁ、私も、20歳ぐらいだったら正視できなかったかも。
(だからと言って、お父さんにあれの図録を買って来いとも言いにくい気はするが)
大内くんは、
「おばさんたちは、正視できないどころか、穴が開くほど見つめていた。怖いほどだった。連れのダンナさんがもう行きたそうに肩を動かして
いても、身じろぎもせず、絵の前に立ち尽くしていた」とさらに語る。
どうも、よほどの怨念を感じたらしい。
私は、絵を観るのは大丈夫だったんだが、セリフつきの絵、あのくにゃくにゃしたひらがなともカタカナともつかないやつを現代字に直した
もの(北斎の「蛸」とか)を読んで、あんまりなことが書いてあるので卒倒しそうになった。
読めないから平気で見ているが、ものすごい文章なんだよ!
私はどうやら、絵を卑猥には感じないが、文章にはカーッとのぼせてしまう性質であるようだ。
ビジュアルじゃなく、テキストにエロを感じる。
写真集よりエロ本に弱いタイプか。
大内くんが「一番、ぐっと来た」絵は、「鎧帷子をつけた男女が絡み合っていて、『直垂』(鎧の一部)を仕掛け絵本のようにめくると陰部 が丸出しになる」という趣向のものだったそうだ。
かなり、むずむずするものを感じたらしい
女性の鎧姿、ってのは、要するに「男装の麗人」なわけだし、武具と性器、ってのもエロくはあるなぁ。
まあ、とにかくいろいろ面白かった。
せっかく東京に住んでいるんだから、もう少し家から離れたところにも出かけて、見聞を広めたいものだ、と思ったよ。
15年10年16日
今日は大内くん、日帰りだけど海外出張。心細いなぁ。
夜遅く帰ってくるらしいお疲れのところをすまないが、どうやら今週もカノジョが泊まりに来るらしい。
そのうち、住みついちゃいそうだ。
息子もほぼ1人で朝の8時に起き、1限からの語学の授業に出かけたし、とりあえず、昼寝をしよう。
私の気力の元は、読書と昼寝だ。両立しないところが痛ましい。
15年10年17日
昨日は大内くん、日帰りだけど海外出張。心細いなぁ、と思っていたら、最終便の飛行機からバスを乗り継いで帰ってくる彼より早く、息子のカノジョ
が来ていた。
今週もお泊まりだって。
もう、このまま同居でもいいよ、と考え始めてる我々。
ちょうど、お若い方々のためにお風呂を入れたとこだったんだけど、とにかく疲れて帰った大内くんを早く寝かせてあげなくっちゃ。
2人に断りを入れ、息子の部屋で遊んでてもらって、我々は風呂に入る。
しかしなんだね、ということは、カノジョに、
「お宅では、ご両親が一緒にお風呂に入るんですね〜」と言われてるかもしれない。
初めて恥ずかしくなった。
今週も、深夜2時からBSでやっている「伊集院光のてれび」という番組を見に来たそうだ。
(カノジョの部屋ではBSが見られないんだって。
先週と先々週は、カノジョが8人の女芸人からレギュラーになれるか、っていう内容だったんだよね。
見事4人のレギュラーに入ったカノジョ、今週、来週は「タレント」の部なので、いちおうお休み。
それでも番組は見たいか、こんな三鷹の果てまで来て。
と思っていたら、2時頃冷蔵庫にお茶を飲みに行くと、カノジョはソファですやすやと眠っており、息子が傍らに寄り添って、あたかもカノジョの眠りを見守るようだった。
ちょっとカッコいい、と見直しちゃったぞ、息子よ!
再来週には、レギュラーとしてのカノジョが見られるといいね!
番組が終わった頃、2人がカノジョ用の布団一式を持って廊下を移動していく気配が伝わってきた。
今から寝るのかぁ。
明日は2人とも朝から用事がるあるので9時には起きる、と言っていた。
朝ごはんは何にしようかな。豚汁作ったから、納豆つけてごはん出そっと。
埼玉出身のカノジョは、納豆イケるかな、それともNGかな。
そして夜が明けて9時になり、起きてきたカノジョに訊いたら、「OKです!」とのことなので、「豚汁納豆定食」ね。
勝手に食べててもらって、我々は買い物に行く。
来週も来るかな。
夜遅いので、晩ごはんの心配はしなくていい、と息子から言われてるんだけど、朝ごはんは食べたいそうで。
ローテーション的にはそろそろまたパンかなぁ。
息子よ、親というものは、いや、人間は、あたかも水面に浮かぶ白鳥のように、見た目は優雅でも水面下では必死に水をかいているのだ、と花形満も
言ってたぞ。(たぶん)
その努力を、少しは察するがいい!
15年10月18日
また吉祥寺の「行列のできる天丼屋さん」に行った。
少なくとも休日の開店(11時)10分前に行けば、充分ひと回り目に入ることができるようだ。
平日だと、オフィスの多いあたりだし、また事情が違うかもしれないが。
カノジョのとこに外泊中の息子も昨晩からラインで誘っておいたのだが、「起きられたら」ということだったし、当日、家を出る段階で打っておいた
「どう?」というラインも既読にならないので、寝過ごしているんだろう、と判断し、2人で入った。
今日の私は「松(穴子)」につゆ追加。大内くんは「梅(舞茸)」。先日は大盛りだったので、普通盛りでいいのか、と訊いたら「もうわかった。この店では、普通盛りで充分だ」と言っていた。
それだけ天ぷらがボリューミーということか。嬉しいね。
都合のいいことに、大内くんの舞茸はふた切れあった。ひとつを私がもらって、私の長い穴子天を半分、大内くんの丼に載せる。ちょうど半分こだ。
他には海老天2本、ししとう、賽の目に切ったイカ、ノリの天ぷらが載っている。
私は穴子より、先日食べた「竹」のキスの天ぷらの方が好きな気がす るし、大内くんは舞茸で充分だと言う。
つまり980円と880円でいいということだ。コスパ良し。
(120円の味噌椀も、この間食べたのでもうなくていい、とのことだった)
天丼で満腹になって、買い物をし、お茶でも飲んで行こうかということになって、既読になったので起きたらしい息子に再びラインを入れる。
「『くぐ つ亭』(本当は『くぐつ草』だが、我々の間ではもう、マチガイがコードネームになっている)でお茶飲んでる。ごはんは?」と言うと、「今、中野」
とのことなので、「カレー食べられるから、『くぐつ亭』においで」と相談がまとまった。
地下の、穴倉のような喫茶店で、30年前から一緒に通っていた人と、22歳になった息子を待つ。格別な思いだ。
時間は、時に速く、時に緩く、過ぎて行く。
息子が中野からやって来るまではそれほど長い時間ではなく、それぞれがアイスコーヒーを1杯飲む間のことだったが、「たゆーん」とした、 充実した時間が流れているのが感じられた。
やがてやってきた息子は、親のそんな思いとはまったく関係なく、
「このあと、家に帰ってシャワーを浴びたらまた出かける。11月末の『合同コント ライブ』に向けての準備がいろいろある」と言って、猛烈な勢いでカレーを食べて、
「早稲田祭には7日の土曜だけ出る。8日の日曜には池袋で『防犯 の集い』でコントをやる」とだけやっと聞き出したと思ったら、「ごっそうさん!」と言うなり、出て行ってしまった。忙しい人だ。
「防犯の集い」でコントをやる、というのが、実は我々にとっては深い思い入れがある。
息子が小学校1年から中3まで続けた「警察柔道」で、大内く んは4年間「父母会長」を務めたのだが、その役職の中で、「防犯の集い」に出席する、というのはかなり大きなものだった。
日の丸とピーポくん(今にして思えば、元祖「ゆるキャラ」である)の旗が掲げられた壇上に並べられたパイプ椅子に座り、市長や警察署長の挨拶を延々と聞かなければならない。
大内くんだけを犠牲にはすまじ、と最初の年は私も出かけて観客席から見ていたが、彼は、次第に椅子の上でズリこけて居眠りをしていたことを証言 しておく。
で、退屈な式典が終わって壇上の人々が去ると、事態は急転直下、変貌を遂げる。
パイプ椅子が片づけられたあとで、明治大学の落研メンバーが余興の漫才を始めたのだ。
どうも観客が老人ばかりだと思ったら、実はこれは、「防犯の集い」と仮称する、「敬老ショー」なのである。
お年寄り向けのコントが終わると、元「ぴんから兄弟」のボーカルが、1人で演歌を歌いあげた。
この件をいささかコミカルに当時の日記に書いたところ、「ぴんから兄弟のどこがおかしい。私はれっきとした長年のファンである!」と息巻いた「現役警察官」から、掲示板に、厳しいお叱りの言葉をいただき、しばらくは何だか怖くて何も書けない気がしたものだ。
とまあ、そのような思い入れのある「少年柔道父母会」のために出かけた「防犯の集い」でお笑いを聞くとは思っていなかったとというのに、10年以上が経って、柔道からお笑いに道を転じた息子が、おそらくは豊島区のお年寄りたちのために芸をする。「老人向け?」と訊いたら、「うん、意識して
作ったコントをやる」と言う。
大内くんは見に行きたそうな顔をしていたが、本人から場所を聞き出せなかったし、ググっても出なかったので、あきらめたようだ。
このように時は過ぎる。何が起こるか、何が何に繋がって行くか、わからない。「くぐつ亭」に、息子がそのまた息子か娘と一緒にカレーを食べに行く日も来るかもしれない。
一方で、時は貴重なものだ。天丼屋さんに並ぶ人たちも、もう20分早く来れば並ばないでも食べられるのに、その20分が捻出できないのはなぜだろ
う?と考えながら、「列なす人たち」を写真に収めて立ち去った私だ。
15年10月19日
カノジョが泊まりに来る話の余波。
どうも、大内くんが会社で聞き込んできた話では、
「えーっ、息子さんのカノジョ、スゴイじゃないですか!あの番組のレギュラーからブレイクして売れて行く芸人さん、むっちゃ、多いんですよ!」というスケールの大きな話らしい。
我々も、心して応援せねば!
ブレイクして、写真週刊誌に追われるようになり、ウチのマンション正面でキャップを目深にかぶって息子と手をつないでいるカノジョが激写され、
「毎週末はお泊まり!一般人のカレシとは、ご家族も公認の交際!」ってキャプションついたらどーしよー!
いつも思うよ。
私の、このムダな妄想力と1人あわてツッコミは、何か実用的なことに使えないだろうか・・・
せめて電気を起こす、とか・・・
15年10月20日
もともと本を読むのは好きだが、このひと月ぐらい、「自分じゃ、手が伸びないだろうな」って本をたくさん読んでる。
代表的なのが五十嵐貴久の 「リカ」。
こういうホラーサスペンスものは、まず自分では読まない。
薬丸岳の「虚夢」もまあまあだった。全部、息子のおかげ。
ついに、普通
に市立図書館に行って、好きな本を借りて、期限内に読み切って返す、ということができるようになったか、と、親はつまらないことで感涙にむせぶ。
ここまでくれば、親の本棚は必要ないだろう。
「自炊を、急ぎ過ぎたか?!」とフライパンの上で煎られつつある豆のような気分になっていたのがが、ほぼ解消した。
「1つの作品をどうこう言う時は、最低その作者の物を2冊読んでからにすること」という自分ルールは、ずいぶん、若い頃に決めた。
たまたま面 白いだけの物もあるし、反対の物もあるし。
五十嵐貴久は、「リカ」と「交渉人」の2冊を読んだから好きに判定していいんだけど、まだ1冊ごとのカラーが化ける段階なので、もうしばらく、何冊か読んでみて考える。
薬丸岳は、「虚夢」が食い足りなかったので、もう1冊買って期待を寄せてみる。
ただ、さすがにこの世にあれだけ本があふれるのも無理はなく、人の本の嗜好は万別だ。
私には大内くんが面白いと言った話が、まず面白かったためしがないし、逆に、彼から「それほど面白くはなかった」と何気なく渡される1冊がすごかったりとかね。後者は滅多にないんだが。
でも今回、勢いが余っていたところに大内くんが会社の上司の方から「本屋大賞」の三浦しをん「船を編む」を貸していただいたので、夫婦で2日で読んだ。
こういう、小説らしいのって、いいなぁ、と、ちょっと放心。
「まあまあだったよ」と先に感想を教えてくれた大内くんを非難したが、
「キミは、言葉の話が好きだからなぁ」と簡単に片づけられてしまった。
ちなみにこの本を貸してくれた上司のFさんは、「この主人公、キミに似てるよ。うん、そっくりだ」と、ちょうどその同じ頃、私が自宅のベッドの中
で、
「大内くんだなぁ。実にまったく大内くんだよ」と思ってるとは知らずに、「似ている」と繰り返して言っていたらしい。
もちろん私はFさんの慧眼に敬意を表するし、自分の夫が小説の主人公(どんなに情けなくても)に似てると言われれば嬉しいじゃないか。
「キミからもFさんからも、ものすごく言われるんだよね。どうして?」って、そりゃ、複数の人の意見であなたが「馬締さん」に似てるんでしょうよ。
さすが、本屋大賞を受賞するだけあって、多くの人に愛され、読まれて行く本だ、と思った。
それはつまり、大内くん像が世の中に広まっていく、ということで、欠点も長所もまるごと愛している家人としては嬉しい。
15年10月21日
私は読んだ本をすぐに忘れてしまうので「読書日記」(自分で書いてて思った。辛気臭い!)をつけている。
読み返しが多いので、2度目以降を読んだ時はそのまま作者名と題名を書いておくだけだが、初めての場合は著者名とタイトルの間に「★」マークが入
る。
今年は★が多い!(と言ったって、まだ20個ぐらいですけどね)
★が増えたのも、あらすじを書きとめておくようになったのも、実はこれみーんな息子のおかげ。
自分ちにいるコドモの観察記録を続けていたら、思わぬ効用に気がついた!という状態。
彼らは、親が思いもかけないような小説を読むのだ。必然的に、私の「★」は増え続ける。
そして、あらすじは絶対必要。
息子と語り合う時に「で、誰が真犯人だったっけ?」では、「いつ見ても読書をしている知的な母」のイメージががらがらどんとこわれるじゃないか!
ところで、「まだ、これは、って追っかけて読みたいような作者にはお目にかかってないね」と言ったら、「うん」と言っていた。
もしかしたら、かなりな冊数が無造作に本棚に突っ込んである「貴志祐介」はそういう作者かもしれないが。
私にとっての宮部みゆきや東野圭吾、有吉佐和子、石川英輔、清水義範、そして何と言ってもモンゴメリにぶつかるのが楽しみだ。(こう書いてみると 情けない本棚だなぁ・・・電子化されてて、
外から見えないことに感謝しちゃう)
さすがにもう、ブラッドベリやアシモフのことはあきらめている。今、SFは流行ってないんだ、と思うことにした。
少なくとも我々の世代のSFを語るなら、「アルジャーノ ンに花束を」と「冷たい方程式」、そして、マンガではあるが、藤子・F・不二夫の「SF短篇傑作集」全3巻を読めば、もういいだろう。「
ロビン・ウィリアムズ主演の「NDR114」見たらもう、アシモフの「ロボット三原則」もわかってるだろうし。
あー、そもそも、アトム読んでるからいいのか。
ミステリに欠かせない薀蓄だと思って来た「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」だって、必要な時にググれ。
しかし話というのは面白い方に転がるもんで、私は日頃、自分の読書が9割方読み返しであることを非常に恥じ、人にはあたかも次々と新刊を読んでいるかのような見栄を張っていたもんだが(「ああ、『村上水軍の娘』ね。うん、これから読む予定の本の山に入ってるよ」)、世の中には、読み返しを
是とする人々がいるのだ!
きっかけは、私がFBで例によって「読書自慢」をしつつ、友人たちに嘘をついているのが申し訳なくなって、「まあ、新刊は10作に1作ぐらいで、
読み返しが多いんだけどね」とおずおずと「告った」(意味ちがう。わかってます)ところ、辛口のうるさ型で通っている男性が、
「同 じものを2度読むという経験が殆ど無い(少しはある)身としては、当たり前のように読み直しをしてる大内夫人が異星人に見えるwなんかいいね、そうなりたいものだ」と書いてきたこと。
もちろん読書力も記憶力も、仲間内で一目も二目も置かれている彼にかなうべくもなく、せせら笑われたと感じた私が、
「それは、あなたの記憶力が良くて、2度読む必要がないからですよ。そうなりたい、はこっちのセリフ。異星人め!」と張り返すと、彼は落ち着いて、
「記 憶力がいいわけではなくて、同じものを読む時間があるなら別のものを読まなくてはという強迫観念、貧乏性なんだよね。だから大内夫人がリッチなセレブに見えるw」と淡々と返して来た。
うーむ、さすがは読書王。自分の読書量をさり気なくアピールしつつ、ほめ殺しと来たか!
そしたら、思わぬ方向から敵の援軍が。
私がいつも、
「生活時間が違う(彼女の時間は、私のそれより緩やかに豊かに流れている)ので、「読書の、『量』だけなら勝てるかもなんだが、深く読み込むという点においてはまったく勝負にならず、負けている」と感じている友人女性が、
「読み返しがゆとりのある(精神的にリッチな)行為、という、感想は私も同意です」というコメントを、彼女らしく、ていねいに置いて去って行ったのだ。
ここに至って私は、本を読んでいる読んでいないは勝負の対象にならず、各々が自分のペースとと好みで楽しめばいい、ということに初めて思い至った。
小学校の頃から「図書カード」(ほら、昔の学校にはあったでしょ、借りる本のタイトルを書いて行くやつ)の枚数には絶大な自信があり、人後に落ちたことのない私だったが、みんな、もっとゆとりを持って、そして、私が恥ずかしいと思っている「読み返し」を、「精神的にリッチな行為」と感じてくれているのだった!
さてさて、大いに反省しながらも、やはり私は私だ。
驚異的に読むスピードが上がり、かつ、大内くんに言わせれば「ねじまき鳥クロニクル全3巻の、3巻目を読んでる!」らしい息子。
これはもちろん、スピードもさることながら、ついこないだまでジュブナイルしか読んでなかった彼が村上春樹を読む、という点にも驚いております。
1歳児が、すっくと立った、それは普通だろうが、その直後に猛然と100メートルを疾走したのを目の当たりにした驚き。(しかも10秒2ぐらいで)
そんな息子がこれから読むものに、出来るだけ寄り添って行き、
「その本、母さんも読んだよ。アリバイ作りが穴だらけだったね」とか話 し合っていきたいたと思っている。
息子の方でも、
「あんた(の話)は面白くない。あれだけ本を読んでて、どうしてもっと面白くならないのかな。やっぱ、クリエイティビティに難があるのかな」と本人を目の前にして真剣に不思議がる。
まあ、私のクリエイティビティに難があるとしても、言及する程度には、読書量だけは認めてくれている状態なので、そろそろと現状維持で行こう。
とにかく思い知ったよ。
読書というのはプライベートにして豊かな、間接的に人間からにじみ出る智の蓄積で、たとえ「智」でなくとも「感性」の部分からも否応なしにあふれてしまう、内面的な行為なのだなぁ。
(ここに至ってもなお、読書が相手に対してどう見えるか、から離れられない。これはもう、「業」とでも言うしかない私の「ビョーキ」 なので、カンベンして欲しい)
いや、反省した。
昨日、息子が図書館で借りてきた西村健太の「苦役列車」が、まったく理解できず、戦後間もない「カストリ小説」の匂いを勝手に嗅ぎつけ、息子の読書傾向と、幅広さ、あっという間に親を抜いて行きそうなスピードに、「素人は怖い」とつぶやきつつ、今日はマンガしか
読まないぞー、と一大決心をする。
(「マンガだって、あなたが勝手に芸術じゃないと思ってるだけだよーん」と読書大人の声がする。くすん)
15年10月22日
美容院に行った。
実にこれが10年ぶりだ、と言うと、皆さんは私が腰まで届くロングヘアをしていたのかと思うかもしれないが、全然違う。
この10年、私は大内くんにバリカンで髪を切ってもらっていたのだ!
もともとは小学校から柔道を始めた息子の髪を、いちいち床屋さんで丸刈りにしてもらうのがもったいないので電動バリカンを買った、といういきさつ
なのだが、やがて、美容院で毎回ショートヘアにしてもらっていた私も、
「・・・これは、もしかしてスゴイ節約になるのかも!」と、大内くんに頼むようになった。
(5、6センチまで調整できるんだよね。いくら私が女捨ててるからって、丸刈りはイヤだよ)
彼の腕前は、最初はおぼつかなかったが、息子と私双方の髪を始終刈らされているうちに、いつしか繁盛する「ヘアサロン大内」はけっこうな腕前になってしまった。
ただ、もちろん素人がバリカンでやるのでいくら無造作な私でも、「これはちょっとなぁ・・・」と思い始めるし、何しろ白髪が増えた。
大内くんも、この半年で驚くほど白髪が増え、また、髪にコシが無くなって分量も減ったそうだ。
お互い、辛い8カ月の仕事だったねぇ。
それに、これからあり得ないほどの社交シーズンで、今週末はまんがくらぶのメンバーが開いてくれるホームパーティー。
出かけるついで、と言っては申し訳ないが、名古屋の親友女子から、他界された妹さんがずっと描いていたイラストの展示会をしたい、とダンナさん主導で動いてて、彼女も何十年ぶりかに東京に来ると知らせが来たので、これはぜひ、会わなくっちゃ!
そして、来週末には同じ高校の親友だった男性が亡くなった7回忌にあたるので、こちらもセッティング。
私にしては、目が回りそうな忙しさだ。
そんなわけで、少しは身なりに気を使おう、と、10年ぶりに美容院探索。
大内くんと駅前を歩いていた時に、まあまあ感じのいいお店を見つけた。
昨日、1人で行ってきたが、まあまあ、最近の美容院はハイカラだねぇ。という感じ。
担当の女性が、
「じゃ、こちらでシャンプーします。担当の、ショーゴくんです」と微笑むと、ショーゴくんがにこやかに、「ショーゴです。どうぞよろしくお願いします」。
行ったことないけど、ホストクラブって、こういう感じかなぁ、って美青年。
ここ、確かに美容院だよね?
美容院である証拠に、シャンプー後、担当のおねーさんに「ベリーショートでお願いします。もう、後ろなんか、刈り上げちゃってください!」と頼んだら、ちゃんとそのように切ってくれた。
そして、初めての経験、白髪染め。
家で自分でカラーリングしてた頃もあったんだけど、やってもらうのは、まして白髪染めは、初めての経験だった。
この美容院のウリである「オゾン・トリートメント」が髪にいいらしい。
もう1回シャンプーしてもらった後、何やら髪がお湯にたゆたうような心地良さがしばらくあって、オゾン・トリートメント終了。
ショーゴくんに軽くマッサージしてもらって、あとはドライと仕上げ切りでおしまい。
合わせて1万円弱、というのは安いのか高いのかわからないが、これまでのバリカン切りに比べたらはるかにカッコよくできてるし、気になっていた白
髪もすっかり目立たなくなった。
これは、「お値段相当」なんだろう。
これからも2月か3月に1度ぐらいは通おう、と得体のしれない決心をして店を出て、ややオレンジがかったその刈り上げたうなじに、秋も深まる風の気配をしみじみ感じる美容院体験だった。
15年10月23日
今夜もカノジョが泊まりに来る、と息子から連絡があった。
というより、「来るのかな?」とラインで聞いたら、「わからない」「来そう」「来る」の3段階を経て結論がわかったのだ。
それでも来るのは夜中近いらしい。
まあ、2時からのBS番組を見るために来る人たちだからなぁ。
これが8回目の来訪になるわけで、うん、そろそろ数えるのやめよう。
なにしろ、この1カ月、毎週末泊まりに来ているのだ。
美容師さんに髪を切ってもらってる時、世間話のついでに、
「息子のカノジョが泊まりに来る」と言ったら、
「え、息子さんは、1人暮らしなんですか?」と聞き返されたので、
「いいえ、1人暮らしなのは向こうで、息子は私たち両親と暮らしてるんです」と言ったら、かなり混乱しているようだった。
そうだよね、やっぱり、1人暮らししてる方のアパートなりなんなりに行くよね?
でも、今週ももう半ば来てくれるだろうという気になって、お茶うけにドーナツを買ってしまっている私。
ホント、最初は「なぜ?!」という気持ちが先に立ったけど、今では楽しみにしているんだよね。
仕事で疲れた大内くんは、
「コンパクトに睡眠をとっておく」と言って、カノジョが来るまで寝ている姿勢。
息子の信用できない情報によれば11時半ごろ来るらしいので、来たら、起きて一緒にお茶を飲み、そして我々はまた寝る。今度は朝まで。
彼らも、夜通し起きているわけではなく、わりと早めに(そうは言っても3時過ぎだろうが)寝ているみたい。
明日は我々、出かける予定があるので、少なくとも午前中に起きてもらわないとごはんが間に合わないよ。
まあ、今日焼いたタンドリーチキンの残りとごはんだけなんで、自分たちでテキトーに食べてもらってもかまわないんだが。
息子の好物だけど、カノジョも気に入ってくれるかなぁ。
いつか、このレシピを伝授する日が来るのだろうか。
ああ、なんだかどんどん「姑化」しているような気がする。
15年10月24日
朝、我々は買い物に行くので、まだ寝ているらしい2人に、食事を温めればいいだけにしておいて、勝手にさよなら。
昼前に帰ってきた時にはもういなかった。
食事も、食べなかったらしい。私のタンドリーチキンを食べてもらいたかったのに、残念だ。
友人宅でのホームパーティー用にチキンをもう1回焼いて、アルミ皿に盛りつけてお出かけ。
郷里、名古屋に、C子ちゃんという親友が1人いる。
高校の時仲良くなって、彼女が地元の短大から就職、私が東京の大学へと進んだ後も、正月休みに帰省した時など、よく会っていた。
もう1人、男性の親友、Mくんもいて、彼を含む数人のグループで、よく遊んだ。
あいにく、名古屋の美大を出てのち上京してアニメーターになった彼は、6年前に急に亡くなってしまったが。
たがいに結婚した後にはC子ちゃんとは会うこともほどんどなく(ちなみに、私が生まれて初めて出席した結婚式が、C子ちゃんのであった)、この
2、30年に3回ほどしか会ってないが、それでも最近ではラインのやり取りをしたり電話したりしていて、それぞれ、コドモが大きくなって手がかか
ら なくなる、とはこういうことを言うのか、と思ったりする。
その彼女が、東京に来ると言う。
彼女には、絵の上手な妹さんがいて、残念なことに数年前に亡くなってしまったのだが、C子ちゃんには義弟にあたる配偶者がとてもできた人で、早世した妻の想い出のために、住んでいる静岡や、時には東京で、小さな個展を何度か開いているらしい。
デザイン学校を出たというC子ちゃんの妹さんは、森と、静かな表情の少年少女をモチーフにした絵をたくさん残して逝ったようだ。
で、今回、個展のお知らせをいただいて、私も珍しく都心の方に出る用事があったので、表参道の小さな画廊を訪ねることにしたのだが、同じ日に、C子ちゃんも来ると聞いて、喜びいっぱい。
本当は、来週だともっとよかったんだよね。
土曜がもう1人の親友Mくんの命日で、毎年数人で集まっては彼を偲んでいたのだが、今年は特に7回忌ということで、これまであまり顔を出さなかった人も来てくれて、少しにぎやか。
ここに、C子ちゃんも来てくれたら、どんなによかったか。
でもまあ、日程が合わないんじゃしょうがない。
彼女との写真を撮ってもらい、当日、皆に見せよう。
みんなの写真も送るね、とC子ちゃんに約束したし。
娘さんの高校時代のママ友と一緒に来た、というC子ちゃんは、明日、はとバスに乗って観光してから名古屋に帰るそうだ。
ママ友の方とはあまりお話もできず失礼してしまったが、C子ちゃんと数年ぶりに会えたのはとても嬉しかった。
もう、私が名古屋に行くことはないだろうと思っているので、彼女の方が東京に来る用事がない限り、会えないと思ってたから。
そのうち、1度帰って、父母の墓、Mくんの墓参りをして、またC子ちゃんに会ってこようかな、と、考えることは考える。
実現はまた、いろいろあって難しいんだが。
夕方からまんがくらぶの友人宅でのホームパーティーに呼ばれていたし、C子ちゃんとママ友も観光や買い物をする、ということで、妹さんのダンナさ んにあとはまかせて、失礼することにした。
何度も手を振りながらC子ちゃんと別れ、次なる用事へ。
地下鉄に乗ろうとしたら半蔵門線が止まっていたため、大内くんがタクシーをおごってくれた。
着いた先は皇居近くの億ション。
友人の、生活水準が高すぎる。
10人ほどが集まっての、にぎやかなパーティーだった。
持ち寄り制だったので、うちはタンドリーチキンを焼き、家にあったワインを2本持って行った。
いろんな人の持ち寄りに、ホストが「ゴルゴンゾーラのペンネ」を作ってくれたりするので、食料はたいそう潤沢。
実に楽しく過ごした。
例年だと12月初めに「クリスマス・パーティー@大内家」が開催されるのだが、今年はもう、この時期に集まっちゃったからなぁ。
5月になれば大内くん主催の「休日講座」があるし。
(今年の講師はアフリカン・ドラムをずっと続けているプロ。みんなで楽器を持ち寄って合奏をする予定)
まあ、年末までに適宜外での飲み会を行う、ということで、今年のクリスマス・パーティーは終わったことになった。
ホストの配慮で一室に閉じ込めてあった小型犬を、「かわいそうじゃん」とお客さんの1人が出してしまったので、犬嫌いと言うより「犬恐怖症」の大内くんが蒼ざめていた、というようなハプニングはあったが、皆、よく食べ、よく飲んだ。
私が酔っ払ったのでお先に失礼することにして(それだって、4時始まりの9時だよ!みんな、元気過ぎ!)、マンションを出て、
「あー、このまま家に帰れればいいのにな〜」とつぶやいたら、大内くんが、
「じゃあ、タクシーに乗ろう。7千円ぐらいで帰れるよ。僕がおこづかいから出すよ」と、なかば強引に、すぐ目の前でお客さんを降ろしたばかりのタ
クシーを止める。
「えっ、えっ、ええっ、本当に家までタクシーで帰るの?!」と私がパニックしている間にタクシーに押し込まれ、大内くんは、「首都高乗って、三鷹
までお願いします」って言っちゃってる!
うーん、高給取りのサラリーマンと結婚しているというのはこういうことか!
実際、家まで30分足らず、7千円ちょっとで着いた。
かぼちゃの馬車で帰ってきたシンデレラは、酔いと興奮でくるくる踊りながら家に入るのでした!
大内くんとつきあって30余年、タクシーでこんなにお金を使ってもらったのは、結婚後2度目の海外旅行で香港に行った帰り、成田から当時住んでい
た戸塚まで乗っけてもらった時以来だ!
いろいろな友人に会った喜び、死を悼む心、乗ろうと思えばタクシーにも乗れる生活、そんな全ての想いが私の中でぐるぐる回って、今日という日が終
わったのだった。
15年10月25日
朝、起きられたら吉祥寺にごはん食べに行こうかと思っていたが、2人ともやはり疲れていて、ベッドを出たのが12時過ぎ。
今から行っても混雑してるばかりだから、家でゆっくり掃除をした。
昼ごはんは抜きにして、晩に期待しよう。
そもそも、昨日使ったタクシー代を思えば、外食なんかしてられないよ。
最近、行きつけの西友に食べたいクッキーがなくて困る。
「価格を安く」の合言葉の上、商品の種類や置く量を、かなり絞っているのだ。
経済的には正しいが、欲しいものがないのはどうもねぇ。
別のクッキーを買って帰って、今日は自炊を含めた読書の日。
息子も出かけちゃったし、地味に過ごす。
昨日が派手だったしなぁ。
もう少し体調が安定したら、「絵画教室」に行きたい、と、東村アキコの「かくかくしかじか」を読んで以来考えている。
もちろん、あんな厳しい先生にあたったらえらいことだが、1度、ちゃんと絵を習ってみたいのだ。
昨日、友人の妹さんが遺した絵を見た時も考えた。
ダンナさんも絵を描く趣味があるそうで、40本ぐらいのカラーマーカーがあった。
「どうぞ、記念に何か描いてください」と言われたので、大内くんと2人で、いつもの「家族の肖像」を描いた。
ああ、やっぱり、絵はいいなぁ。
1度も使ったことのない24色のパステルと、36色の水彩色鉛筆、12色のカラーインクを今でも捨てずに取ってある私は、やはり、いつかは絵を描きたいんだな。
大内くんと、老後の趣味にスケッチでもするか。
井の頭公園には、そんな人々がいっぱいイーゼルを立てている。
I原さん、どうです、老後、一緒に絵を描きませんか?
大内くんは、「イタリア旅行」の絵日記がノルマとして残っているのを思い出して、「きゅいーん」と丸まってしまった。
毎回、旅行絵日記は大内くんの仕事だもんね。私はちゃんと文章で残したよ。
定年後、次の海外旅行に行くまでに、描きあげてくださいね
15年10月26日
息子の態度があまりに悪いので、
「いったい、どう考えてるの?!」と詰問する。
「別に」
「少しは他人のことを考えないの?!」
「さあ?」
ブチ切れそうになるが、ぐっと我慢して、我々の夕食であるステーキを切り刻んで食べていた。
自分の分は「チャーハンがいい」と言って人に作らせ、とっくに食べ終わった彼が、立ち上がりしなに、
「ひと切れ、もらっていい?」と言うので、「どうぞ」と言ったら、「ごめんね」と言う。
てっきり、肉をひと切れもらったことについてのコメントだと思ったのだが、息子はもう1度、私の肩を軽くたたいて、
「ほんとに、ごめん」と言って 立ち去った。
あれは、やはり口喧嘩についてのコメントだったんだろうなぁ。
大内くんと、「彼は、本当に効率よく、うまい。最小限の労力で最大限の効果を上げている」と感嘆する。
我々は息子にメロメロなので、彼の「ツンツンツンデレ」攻撃にあうと、一気に戦意を喪失するのだ。
この調子で、どっかの会社の人事の人を骨抜きにしてくれないものだろうか。
いや、就活はそう甘くはないだろうなぁ・・・
15年10月28日
人によって、好きな本のサイズ、フォント、行間など好き嫌いがあると思うのだが、私は、最近の文庫の紙の薄さや大きめのフォントが好きだ。
これが、大内くんになると、ハードカバーの本で、フォントは明朝的で古ければ古いほどいい、って感じ。
新しい文庫のフォントは大キライだって。
ま、私も大内くんが図書館の書庫から出してもらってスキャンしているようなフォントはまっぴらごめんだけどね。人それぞれ。
もうひとつ、私が文庫版を好む理由は、電子化してiPadで読む場合、横にして使うと見開きとしてのサイズがちょうどいいのだ。
これがハードカバーの新刊書になると、字が小さくなり過ぎるので、iPadをタテにして、片ページずつ読まなければならない。
マンガが見開きの方が都合がいいのは言うまでもないが、文章の本でも、見開きの方が読むリズムみたいなものがとりやすい。
そんな私も、「今すぐ読みたい!」という誘惑に負けて、文庫化される前のハードカバーを買ってしまうことがある。
たいがい文庫が出ると買い直しているという、不要の出費。
そんな中で、かなり好きでハードカバーを全巻持っている「ハリー・ポッター・シリーズ」(DVDも全部持っている)が、版元の静山社から「ハリー・ポッター文庫」として文庫化されることになった。
(おまけに、「ペガサス文庫」なるものまで出る。これは正体不明。手を出していない)
アマゾンでやや安く、とはいうものの、けっこうな額を払って文庫版全巻を手に入れる。(間違えて3冊ぐらいダブったのは秘密だ)
ところが、困ったことに、ハードカバーには各章の初めにイラストがついていて、これがいい味のイラストで、私は大好きなのだが、文庫版ではそれが省略されている。
(もっと他に不満な点はいくつかあるが、文庫版のフォントが丸っこくて大きさもほどよくって私の好みなので、許す)
そこで活躍するのが電子化だ。
ハードカバーも文庫版も両方電子化されているので、ハードカバーの方からイラストのページを抽出して、文庫版の各章の始めに貼りつける。
全作業終った時は、「私だけのハリー・ポッター」ができていた。
イラストは奇数ページに載せること、その際は「白紙を入れる」というコマンドがあるのでそれで調整する、など、いろいろ勉強になった。
何より、フォントも大きさもイラストも自分の好きなものが手に入った喜びは本当に大きい。
今後、電子化が進んだ時、フォントをもっと自由に選べるといいな、と思う。
(今でも選べるのかもしれないが、その知識は私にまでは届いていない。つまり、一般化されていない<私が神だ)
15年10月30日
萩尾望都の「残酷な神が支配する」を何度目かに読んで、やはり大したマンガ家だ、と思うし、精神的に傷つくというのがどういうことかがよく描かれていると思ったので、大内くんに読んでもらうことにした。
これまでにも何度か薦めているのだが、そのたび、
「いや、そっちの方はちょっと・・・」とお尻を押さえて後ずさりしているので、今回はかなり強硬に。
たまには穴がある身になってみろ!
で、読み始めて2日ぐらいたったので、「どう?」と訊いたら、
「いやぁ、やっぱりすごいね。もうほとんど描いてないんだって思ってたけど、その間にこんな大作を描いていたとは。まだ3巻目だけど、ビシビシ伝わってくるものがあるよ。読まなきゃいけないマンガだね。それにしてもひどいオヤジだ」という感想。
もうすぐにあなたも知るだろう、生きてる親父なんか大した問題じゃなくて、ツインピークスの「キラー・ボブ」みたいにベッドの端から現れるようになるともっと大変だし、ジェルミの長い長い傷ついた生が何より描かれているのだ。
大内くんはマンガが好きだし、そこそこ読む。
でも、決定的に時間が足りない。
今のようにマンガを読んで暮らしている者からすると、読ませてあげたい名作がいっぱいだ。
たとえ少々お尻が不安になるとしても、それこそが作品の力なのだよ。
15年10月31日
6年前に急死した、高校時代の親友男子。
今年も、彼を偲ぼうと、大内くんを含めて5人で吉祥寺で飲んだ。
今年は七回忌にあたるそうなので、普段は顔を出さないKくんまで来てくれた。
Kくんは、亡くなったMくんとはアニメーター仲間で親しかったのだが、我々とはちょっと距離があり、毎年一緒に飲もう、という気分にはなれないよ
うで、お焼香とそれに続く歳の命日ぐらいには来てくれてたけど、そのごはちょっとご無沙汰。
でも、今年元気な顔が見られて安心したよ。
集まる動機が動機だし、大内くんと私以外は1人暮らしなので、これから何かと心配だろう。
私は最近将来のことをいろいろ憂えているのだが、その最たるものが、大内くんがいなくなったら寂しくて生きていけないだろうこと。
食べて行くだけのものは用意したつもりだが、人交わりが少ないわりに寂しがり屋のこの私は、どうしたらいいのだろう?
大内くんが名案を思いついてくれて、ついでにその場にいたOくんにお願いまでしてくれた。
「僕が死んだら、同居して、いろいろ話を聞いてやってください。寂しくないようにしてあげてください」
これに、顔色も変えずに、「はい、いいですよ」と言うOくんは太っ腹なのか、やはり「元カレ」が効いているのだろうか。
この集まりで毎年しみじみ思うのは、健康に生きて、人生を楽しむことの大切さだ。
Mくんはほんのわずかの隙に絡め取られてしまったし、生きているのがつらいことがある。
そんな時には、大内くん始め、まわりの人が悲しむだろう、というような考えにしがみついて助けてもらっている。
これから、友人が増えることよりは減っていくことの方が多いかもしれない。 私も、自分が助けてもらっている分を皆さんにお返ししたいと思っていますので、何かあったら「あっち」へは行かずに、まずメールください。
(普通の人はあんまりそんな心配はないのかもしれませんが) これから先、もう20回ぐらい元気に会うことを目指して、とりあえず今年はお疲れさま。
また来年(これがまた、あっという間に来ちゃうんだ)を楽しみにしよう。
最新「年中休業うつらうつら日記」
「年中休業うつらうつら日記」目次
「510号寄り道倶楽部」