11月からこのHP、及び日記のタイトルが変わります。
インスタントコピーライターの大内くんに考えてもらいました。
「年中休業うつらうつら日記」です。
(元「主婦の本懐」)
15年11月1日
大内くんの仕事の山が去ったー!
と思って喜んでいたら、今度は残務処理に忙しい。
仕事持ち返りとは言うものの、一応、家に帰ってきた頃がなつかしいよ。
何しろ明日から2週間、毎晩接待だからなぁ。
唯一空いていると思われた文化の日は、部下の結婚式に呼ばれているので遊べないし。
(でも、結婚式が快晴の佳き日に執り行われましたこと、おめでとうございました)
今日は、とにかく休養。
大内くんと2人、昼過ぎまで寝ていたら、起きた時には息子はいない。
起こされた覚えもないし、食事をとった形跡もない。
実に自立して、起きない親なんかには目もくれずに、お笑いの練習に出かけたんだろう。
息子はこれから忙しいんだよね。
今週末はもう早稲田祭だし、その翌日は池袋の警察(?)から「防犯コント」を依頼されている。
そして定例のひと月一度のガチンコライブがあり、サークルの部内ライブもあり、おまけに去年やって大好評だった「合同コントライブ」も、同じ3組で心をひとつに取り組んでいるようだ。
実のところ、この「合同ライブ」がスゴく面白かったのだ。
自分のコドモがやってるからだけなのかもしれないが、2時間、映画を観ているように楽しかった。
今回のライブでは、去年の分をDVDにしたものを販売するそうで、我々はもう、何十枚単位で購入予定ですよ。
手に入るのが楽しみ。
これまでお世話になった人々の迷惑も顧みず押しつける予定。
そのライブのあと、就活について話し合うつもり。
こうして見ると、いろんなことをやり切ってきたなぁ。
全部、趣味の範疇にしか入らないけど、他人を「ほう」と言わせるぐらいまではやってきたと思う。
我々的には、この「合同ライブ」が一つの区切りだ。
忘れもしない4年前、高校生活最後の柔道の試合、胸のあばらに少しひびが入った状態で試合に臨んだ息子は、これまでで一番いい試合を見せてくれた。
そして、その晩から、塾の「大内席」に座り、ある時は「夢庵」でクラスの子3人で夜中まで頑張ってたり、ある時は「ガスト」に通いつめてみたり、図書館で勉強したり、コミセン使ったり、とにかく地域を最大限活用して勉強した。
「部活の終わった日」がそのまま「受験の始まった日」になるとは思ってもいなかった。
なので、ライブががすぎたら、スパッと「単位、勉強、就活」に気持ちが切り替わるのかな、と多少期待してる。
でも、サークルの同期はずいぶん就職浪人をして残るようだし、コントの相方も留年らしいし、まだまだ続けて行けるかな、お笑い。
15年11月2日
先日、息子から「池袋の警察に頼まれた」とコントをやる話を聞いたので、大内くんが「警察柔剣道父母の会」会長として演壇の上に並んで座って退屈な祝辞を聞いていたら、その実態はお年寄り向けの娯楽ショーだった、という経験のある我々は、彼が、てっきり豊島区のお年寄り向けのコントをやるのだとばかり思ってた。
ところが調べてみてビックリ、「豊島区が行う『悪徳商法絶滅キャンペーン』」、池袋サンシャインシティで行われる「防犯の集い」であるようだ。
「東京都×芸人ラボ×学生」が「お笑いで、悪いヤツらをぶっとばせ!」という趣旨が書いてある。
観覧は誰でも申し込めるっぽい。
そもそも、このハガキを手に入れるのに、大内くんはパソコンで何やら一生懸命申し込んでいたが、よく取れたなぁ、当日の3週間前とは言え。
入場無料で、勝手に立ち見して行ってもいいらしい。
我々は座席券を手に入れてしまったのでゆったり見られるけど。
「ナイツ」が司会・進行をしてくれて、学生さんたちのお笑いが11組出演。その中に息子のユニットも混じってるわけで。
以前にもナイツと同じ舞台を踏んだことがある、という彼は、
「舞台の袖から見てて、スゴイ勉強になった。嬉しかった」と語っていたので、今回もまた、いい勉強ができることだろう。
今週末は、土曜日に早稲田祭のステージに出て、翌日曜日には問題の、その「ナイツ」とちょっとでも共演できる、という場所に行く。
本人も嬉しいかもしれないが、実は親も嬉しい。
単にサンシャインに遊びに行って、人垣ができてると思ったら「ナイツ」だった、ってだけでも、嬉しいよね。
昔、戸塚の社宅に住んでいた頃、近くのユニーという大型スーパーの前で、ポール牧が指ぱっちんやっていた、あれよりはお得感があるような。
そして、今月末日には、今、彼らの生活の中心と言ってもいい「合同コントライブ」が行われる。
フライヤーを何百枚も作ったのに、早稲田祭の時にアンケート用紙などと一緒に渡してもらおうと思っていたところがもう150席の会場は予約で満員
になっていて、「どーすんだ、このチラシの山?」という状態になっているし、深夜にスタジオを借りて(昼間より安いんだそうだ)徹夜で練習した
り、準備に余念がないのは確か。どっか抜けてるけど。
嬉しいことに、この企画は第二弾で、去年も同じメンツでやったのだが、その時に撮ったDVDを売ってくれるらしい。
我々は何10枚単位で買い込むつもり。
HPを読んでいて、住所を知られてもいいとお思いの方は、メールでこっそりご連絡ください。
見ていただきたいので、枚数の許す限り、無料でお送りします。
常日頃、息子のお笑いの話ばっかり読んでるが、本人は面白いヤツなのか!?と興味を持っていただければ幸いです。
今回やる第二弾も、いずればDVD化してもらいたいなぁ、というのが親の素直な感想。
親バカ以外の人が見るとどう思うかわからないけど、けっこう面白い2時間でしたよ、去年のは。
お時間のある方、お笑いの好きな方、どうぞご一報ください。
さらにおヒマなら、11月7日の早稲田祭ライブでのライブをどうぞ。
以上、親バカに徹することを決意した親からのメッセージでした。
そうそう、サンシャインは2時から3時40分です。
息子はともかく、ナイツ見られますよ、生ナイツ。
15年11月3日
大内くんが部下の人の結婚式に招待されて、私の大好きなバームクーヘンをもらって来てくれたので、結婚について語る。
私は結婚が大好きだ。
好きな人と一緒にいるとほめられて、各種お国の保護が受けられ、コドモ生むとまたほめられる。
「大好きだから結婚した相手」と、ずうっと一緒にいられる。
何事も合法であることを愛する私には、とってもありがたい。
ただ、シングルになった時がつらいね。
先日、シングルの40代のお友達ができて、楽しくおしゃべりをしたが、独身女性たちで、「シェアハウスを作ろう」というような話をするらしい。
私は大内くんに充分な生命保険をかけているし、マンションも今や自分たちのモノなので、暮らしに困ることはないと思うが、一緒に暮らす、おしゃべ
りをする、人とふれあって過ごす、そんな相手がいなくなったら、どうしたらいいんだろう。
そうなった時に強いのはシングルで、すでに人生をシングル仕様で計画してる。
寂しいとしても、慣れてる。むしろ、1人でいたいからシングルを選ぶ人も多い。
誰でも彼でも結婚に向いているわけないので、そこは自由だ。
家のどこにいても私がとことこついてきてしまって、1人になれるのはトイレの中だけ、という生活ができるのは、やはり、大内くんならではであろ
う。
しかし、いくら今、仲の良い夫婦として暮らしていても、いつかは、どっちががシングルにならなきゃいけないんだろうな。
私が独り残ったら、どうすればいいんだろう?
大内くんは、
「もし僕が将来大きな病気にかかって、余命を宣告されたら、キミ1人を残しては行かない。苦しくないように、連れて行ってあげる」
と言う。
嬉しくてぞくっとし、ドキドキした。
人様から「ラブラブ夫婦」と言われるのには慣れていたけど、ここまでの深い愛情だったか。
大内くんにそんな壮絶な面があるとは、普通、思わないよね。私も相当驚いた。
こんないいパートナーと出会えて、一緒に暮らせる私は、本当に幸せ者だ。
もっと大事にしてあげたいんだが、私の「大事にする」って、かまい倒すことだからねぇ。
ま、大内くんもかまい倒されたくて私と結婚してるんだから、うーんとかまってあげよう!
15年11月4日
友人に、「iPadやiPhoneの音声入力に目覚めてから、私のメールは無駄に長い。自覚はある」とメッセージを送ったら、
「もっと、テキスト主体で推敲するタイプだと思っていた」と驚かれた。
えー、話す時って、瞬時に頭の中に原稿が浮かんで、それを音声化してるだけじゃないの?
だから、音声入力はすごく楽だよ。いちおう失言とかはチェックして直せるし。
「話す時も、人はできてくる原稿を読んでるんだと思っていた」と言ったらまた驚かれた。
どうやら彼女は、言葉を舌に乗せる前に、考え、推敲し、チェックしまくるらしい。
仕事の話とかはいざ知らず、個人的なことになると妙に無口になるのはそのせいだったのか。
「賢者は多くを語らず」というたたずまいだなぁ。
人にはいろんな考え方、話し方がある。
私の最近の悩みは、これまで自然にわき出ていたその「準備原稿」ができてこないことだ。
しょうがないから、考えながらしゃべる。
そうすると、つじつまが合わなくなったり関係ないことをしゃべったりしてしまう。
実に困る。
文章もほぼ同じで、いわゆる「自動書記」みたいな感じで、頭から指先へ勝手に指令が行っていた。
脳みその中の、文章をチェックする機能は文字通り「校正」のためだけにあり、書いちゃったものの大筋を直す必要はまずなく、誤字脱字のチェックが主な仕事で、細かい表現の書き直しとかがたまにあるぐらい。
ただ、最初から「自分にとっては完成度の高い文章」を書いているので、推敲してそれより良い文章にすることができない。
その点が矯正できれば、私の文章はもっと高度になるはずなのだが。
まあ、5つのボールをお手玉してるようなもので、
「あれ、今、3つ目のボールはどこにあるんだっけ?」なんて考え始めたら曲芸はできない、とでも言おうか。
訓練による、「慣れと体感」でやるもんだよね。
その状態から、常時何個のボールが空中にあるか確かめ、いつ手元から放り出し、受け止めるか、それを全部意識的にしなければならなくなってきたのが、最近の私の文章だ。
あらすじが通っているかどうかだけチェックするのに精いっぱいで、面白い文章は枯渇しとります。
これは、50代を過ぎて半ば、そろそろ「自分の言葉を大切に」っていう神様からのメッセージなのかもなぁ。
若い頃って、無闇に考えるのが速かったり、人を言い負かしたりするじゃん。
ああいうの、この歳になったらもうやめなきゃね。
言葉は、人とともにあるために存在するのであって、勝敗を決めるためにあるんじゃないから。
それにしても、ネタのない日の私の考えることは、やはり意味なく長く、退屈だ。
件の友人が薦めてくれたとおり、「これは、というネタがある日だけ書く」というスタイルが一番いいのかもしれない。
15年11月5日
さて、今週もやってきた、「息子のカノジョがBS見るついでにお泊まりしていく金曜日」。
でも、息子にヒアリングしたら、
「今週は、来ないんじゃないの?」とつれない返事。
もう、こっちはすっかり楽しみにする精神状態になってしまっているのに!
他に、BS見せてもらえるとこができたのかな。
ということは、息子もそっちにお泊まりかな。
今週はレギュラーとして出演しそうで、楽しみでならない。
一方、息子の大きなイベント、今月末の「合同コントライブ」は順調に仕上がっているようだ。ひと月前に150席が完売。
深夜練習なども出てきた(スタジオを借りるのに、夜中が安いらしい)ところをみると、もうシナリオはできていて、あとは演技かな。
これが終わってしばらくすると冬休み、大きめの大会、そして試験、春休み・・・あんまり考えたくないが、就活が始まる。
息子がどのくらいの覚悟で就活に臨んでいるかが今ひとつよくわからないんだよね。
「お笑い芸人になりたい」とは思わなくなった、ということだけは確かなんだけど、今度は「作り手」の方になりたくなっちゃったらしい。
マスコミはきついぞ〜、何のコネもなくもぐり込むのは無理があるぞ〜。
でも、就職には口出さないって約束しちゃったからなぁ、大内くんと。
そもそもどういうのが「いい就職」なのかわかんないし。
息子が行きたいところに行くのが一番だ。
受かるとはまったく思っていなかった「日芸」になぜか受かってしまった大学受験の時のことでも思い出して、「息をつめて走りぬけよう」。
15年11月6日
わー、息子にハグしてもらっちゃった。
大学休みで半日ソファでゴロゴロしてるので、出かけないのか?と訊いたら、全然予定はないらしい。
そのうち、「金ちょうだい。2千円」って言うので渡しながら「パチやんないでね」と言ったら、「あ、やっぱ3千円ちょうだい」って言うから何か買うものでも思い出したのかな?と思ってもう千円渡したら、「今のですごく気分が悪くなったからたくさんもらっとく」と言う。
「そんな、理由のないお金は出せないよ」
「じゃあ、理由があれば出すんだな。今度、早稲田祭で1万いるから、ちょうだい」
「そんな大事なことは、父さんと相談してからでないと、出せない」
「理由があればいいんだろ!」
「お金のことで言い争いはしたくないよ。それに、あなたも、腹を立てたんなら怒ればいいんで、お金を要求する、って、やなカンジだよ。とりあえず母さんがお金を出したりひっこめたりしたところが悪かった。ごめん」って謝っておいた。
一応、これで一件落着かな。彼も、自分で反省する気分だろう、とベッドに座って本読んでたら、シャワーの音が。
「出かけるんだな。1人で映画でも見に行くのかもな」って思っていたら、シャワー上がりの息子が部屋の入口までやってきた。(さすがにフルチンではなく、パンイチだった)
彼は言うのだった。「ごめんね」
そして、濡れた身体も髪もバスタオルも一切気にせず、「ホントに、悪かった、ごめん」と、ぎゅうぎゅうハグしてしてくれました!
一瞬の夢のようなひとときだったなぁ。恐れ多くてあんまりハグを返せなかったけど、逞しい、若い雄の肉体に力がみなぎっていた気がする。
男の子を1人育て上げたなぁ、という感動が、しばらくは胸を去らなかった。
また、謝り会える関係ができあがっていて本当に嬉しい。
コツは、気まずくてもこっちから謝ることのような気がする。
いつも無口な息子とこういう形で交流があると、驚いたり嬉しかったり。
3千円はちゃっかりとられましたが。(笑)
15年11日7日
問題の、「金イチ泊まり姫」、息子にヒアリングしてみたところ、
「今日は来ないんじゃないの?」と言われ、何だか急に寂しくなり、大内くんが帰るのも遅いことだし、と睡眠薬を少し飲んで寝た。
そのあとは記憶ナシ。
朝、家中で一番早く目覚めた私は、時計を見てびっくり。
「もう朝だよ〜、起きないと遅刻するよ〜」と大内くんにコーヒー入れながら声をかける。
「うーん」といつもの寝ぼけ顔で起きてきたが、
「今、何時?」「7時前だよ」というやり取りのあと、
「今日は土曜日だから、お休み。カノジョも来てるよ」と言われて最初のびっくりの5倍増しぐらいでビックリだ。
大内くんの証言によると、彼が10時半頃見たら私はベッドとベッドの間の狭い隙間でグーグー寝ていて、カノジョと一緒にちょうど帰ってきた息子も協力して、ベッドの上に何とか寝かせることができたという。
その間、カノジョにリビングで待っててもらったので、「ごめんね」と大内くんが息子に言うと、
「こんなこと、大変でも何でもないけど、どうしてこの人、時々こうなっちゃうの?」と真面目に聞かれたようだ。
大「いろいろ、つらいことがあるんだよ」
息子「ふー・・・ん、オレが、何か力になってあげられるといいけど」
大「優しくしてあげて。母さんは、キミが大好きなんだから」
息子「いつも優しくしてあげ・・・てる・・・うーん、確かに優しくないかも・・・」
大「昨日、ハグしてあげたじゃん。父さんにもすごく自慢してて、嬉しそうだったよ」
息子「そうかー、優しくしてあげるのかー・・・」
と、まあ私はベッドで寝る、大内くんも隣のベッドで寝る、息子は自室のベッドで寝る、カノジョはいつものとおり、息子の部屋のあり得ないぐらい狭いスペースで寝る、という穏やかな夜だったわけだが、問題は私がいつもの癖で早起きしちゃったこと。
あらましを聞いて「あっちゃーっ!」となった私は、
「うーん、記憶ない。土曜日!それじゃまだ寝ていたいよね」と大内くんを寝かせ、すぐに息子がドタバタ起きてくるのに遭遇。
「昨日は、迷惑かけちゃったみたいだね。ごめんね」
「えっ、覚えてないの?単に床から持ち上げただけだよ」
と、朝の7時から出かけるという彼らは一体どこに?
大内くんが布団の山の中から答える。
「早稲田祭!」
ああっそうか、そうか、今日は息子のステージを3回観られるんだ!
早々に出かけて行く2人を見送り、ゆっくり休んだ後、我々も出かける。
今日はサークルのライブが4回あるが、息子は朝1番を抜かした他の3つ全部に出演する。スケジュール的には親孝行だ。
我々が着いた開演30分前にはもう列が出来ていて、まずは相方Kくんと漫才。
いつものことだが、ちょっとパンチが足りない。
この2人は、上品すぎるんだ。
10組ほどの演者さんを見た後は、すぐに教室を出て、次の回の列に並ぶ。30分しか間がないので、外に焼きそば食べに行っちゃったりすると、立ち見になっちゃう。
真面目に並んだので、まあまあ前の方に座れた。
今回は「団体」。
めずらしく、息子が大声を出す役だった。
でも、これもイマイチかなぁ。
同様にもう1度終わって並んで入室して、最後はなじみの相方Yくんと、医者と患者のコントだった。
けっこう面白かった。やはり、息子が持ってるユニットで一番実力があるのはこのコンビだろうな。
外での大会などでも、いい成績を残している。
ただ、準決勝、決勝には出るが優勝はしない、というタイプだ。
もうひと伸びすればなんとかなりそうな2人なんだが。
ここでもやはり「上品さ」が邪魔をしている気がする。
お笑いって、ガーッと行く勢いがないと、観客が「乗り損ねちゃう」んだよね。
息子を含む演者さん、スタッフさんたちに見送られて教室を出て、バスで新宿駅へ向かう。
今日は、誰が何と言ってもカレーの「サムラート」に決まっているんだ。
マトンとほうれん草のカレー「マトン・サグワラ」と、チキンのカレー、あと、「シシカバブ」とライスとナンを頼んで、食べまくる。
半日、ずっとお笑いを見ていた。楽しかった。
いちおう点数をつけるアンケートに記入してきたが、いつもの大会のようにその場で順位が決まったりはしないので、気が楽だった。
どの子もみんな、面白い。
学祭の火照りを残して、楽しい1日だった。
15年11月9日
何事もなく終わった週末のようだが、実はけっこう大変なことが起こっていたのだ。
土曜の夜の9時頃に、「明日、楽をするためには、今、買い物に行っておいた方がいい」という事態が出現したので、2人で24時間営業のスーパーへ
行こうと車に乗ったら。
エンジンが、かからない。
どうやら、前回乗った時にルームランプを点けっぱなしにしてしまい、そのままにしておいたので、バッテリーがすっかり上がってしまったらしい。
「やれやれ」と思いながらJAFを呼ぶ。
もう20年以上JAFに入会しているが、実際に困ってしまって呼んだことは初めてかもしれない。
過去に2回、同様の事故でバッテリーがあがってしまったことはあるが、2回とも、社宅時代だったので近所の知り合いに頼んでエンジン直結をやらせてもらい、回復していたもんだから。
30分でやってきたJAFのおにーさんは、あっという間にエンジンを復活させてくれて、
「1時間ぐらい動かしてないと、またかからなくなっちゃいますから!」と怖いことを言って去って行った。
マンションの駐車場でエンジンかけっぱなしにしたらうるさくて困るので、とりあえず、行く予定だったスーパーに買い物に行き、大内くんにエンジン をかけたまま待っててもらい、買い物を済ませる。
でも、これだけでは30分ぐらいにしかならないので、大内くんの希望で、近くのブックオフに行く。
今度は私が留守番をして、大内くんが本を買いに行った。もちろんエンジンはかけっぱなし。
息子がいる場所によってはドライブがてら拾って帰ろうかな、と思って事情をメールで説明したら、家に向かいつつはあるが、めんどくさいので電車と自転車で普通に帰りたい、とのことだったので、あきらめる。
大内くんが思ったより長く買い物しててくれたおかげでほぼ1時間、エンジンをかけていたことになる。
夜間のことで、ライトをつけているとか、少しマイナス材料はあるが、まあ、家に帰ろう。
駐車場に停めて、おそるおそるエンジンを切って、キーで施錠してみたらライトが光って施錠できた。
よかった。バッテリー回復だ。
我々は実に運がいいというか、これまで3度ほどバッテリーがあがってしまったことがあるところ、すぐさま車でどこかに向かわなければならない状況、と言うのが1度もない。
全部、事前に発覚し、リカバリーする時間が十分にあった。
「そなえよ、つねに」がボーイスカウトの合言葉だが、我々の場合、本当に運がいいだけなんだろうなぁ。神様に、感謝!
15年11月10日
最近、家の近所の市民ホールに落語を聞きに行く、というのにハマっている。
数年前に民家を改装した建物で100人が畳に座布団で座って「柳家喬太郎さん」の落語を聞く、という会に行ってから、もう1回喬太郎さんが聞きたくて仕方なくなった。
もちろんYouTubeとかでいくらでも聞けるが、やっぱり生がいいよね。
というわけで、去年、「三鷹勉強会」と言ってわざわざ三鷹までお越し願った時に聞いてきた。
そのへん一緒に行ってくれる友達が2人いるので、4人で落語を楽しみ、そのあとは「蕎麦屋」でぬる燗に「焼き味噌」や「煮込み」。
最後は天そばで〆て。
とても楽しかった。
その次は、ちょっと別の場所で「春風亭昇太さん」を聞く。息子と3人。
彼もいちおうお笑いサークルだから、勉強したいみたいだ。
生の落語を聞いたことがあるのかないのかよくわからないけど、「すげー」と放心しながら、お笑いのネタ合わせに行ってしまったよ。
2月にまた喬太郎さんが来てくれる会があるというので、申し込み開始時間にでパソコンの前で待つ。
開始。
パソコンが重くて、動かない。
ようやっと5枚のチケットが取れたのが17分後。完売でした。
皆さん、コツがわかってるのね。
三鷹市民の、娯楽にかける情熱というのは、これがけっこう熱いものなんだ。
この、なかなか取るのが難しいプラチナチケットで、また喬太郎さんが見られる。
大内くんが勝手に「喬友会」というのを作って、メッセンジャーでやり取りしてる。
今回は、友人2人に加え、ぜひ「生」喬太郎さんを見たいという息子も連れて行く。
彼と、ぬる燗を飲むのかなぁ。
それもなんだか風情があっていいような気がするね。
15年11月11日
私が早く休んでしまった夜、会社から帰ろうとする大内くんと、飲み会から帰ろうとする息子との間で、壮絶にして猛烈なラインバトルがおこなわれていたらしい。
事の発端は2週間ぐらい前。
サークルの顔見知りかずやくんのツィッターをのぞいたら、(れっきとしたフォローとフォロワーです!)
「ライブのノルマを押しつけられた。俺と大内ちゃんの最後のライブになると思うので、よろしく。もし最後にならなかったら、俺からチケット買った人には、お金返します」と書いてあった。
この2人は1年生の頃からずっとコンビを組んではいるのだが、運悪く、我々は1度も見たことがない。
それがもう最後?
確かにかずやくんは来年卒業してしまうらしいのでもうコンビ活動はできないだろうけど、最後なら、見ておきたいなぁ。
チケット買うのもかずやくんのノルマ軽減に役立つし、もしかしたら返金してもらえるかもしれないし、いいことづくめじゃん!
そう思ってかずやくんに連絡取ったら、「ありがとうございます!」の言葉とともに、チケットを取り置きしてくれた。
やれやれ、これでやっとあの2人の漫才が見られるぞ。
そしたら、前日の夜になって急に、息子が、「来ないでほしい」と言って来たのだ。
「若い人ばっかりで、目立つし、あんまりいいネタじゃないし、後輩に見せてやりたいから席ゆずって」
あらゆることを言うなぁ。
大内くんが「絶対見たい」と譲らないので、2人とも電車の中でぽちぽちラインしまくったあげく、ついに、「未熟な缶詰の取り置き、キャンセルするよ」と言われてしまった。
これは、もう2週間ほどで行われる「3組合同ライブ」で、去年非常に面白いライブだったものを、第2回までやってくれるという。
もちろん我々は大喜びで、取り置きが始まった途端に、友人の分も合わせて4枚もチケットを取ってしまった。
それを「キャンセルする」とは、まさに「生殺与奪の権を握っている」わけで、卑怯だぞ!
結局、大内くんが泣き落としでチケットを死守したらしいが。
これには後日談があって、2人とも家に帰ってきてから、夜中に、冷蔵庫の前で大内くんと出会った息子は、大内くんの肩をぎゅっと握りしめ、
「オレが、小さい男だったんだよ。親がわざわざ金払って観に来てくれるって言うのをごちゃごちゃ言ってさ、あー、ちっちぇえ、ちっちぇえ!オレっ て、なんて小っちゃい男なんだ!」と勝手に自己反省を始めたかと思ったら、冷蔵庫を開けて牛乳をごくごく飲んで、部屋へ戻って行ったらしい。
大内くんはあっけにとられていたそうだが、私がその全てを聞くのは翌朝になってからだった。
面白いね、うちの豚児は。
勝手に怒って、勝手に反省して、1人で盛り上がったり盛り下がったりしてる。
若いってのは、そういうもんかねぇ。
15年11月12日
問題のライブが下北沢であったので、会社帰りの大内くんと待ち合わせ。
ずいぶん早く着いてしまったのだが、大内くんも早くて、結局、アンゼリカでカレーパンを買い、a亭で「ラーチャン」を食べ、おまけに喫茶店パルファン
に行く時間まであった。
マスターはもうだいぶお年だが、いつもGパンに白いシャツで、身体には贅肉がない。
お客さんが少なかったので、我々の席に来て、「オール阪神巨人」のお笑いの話などをしてくれた。
「息子さん、頑張ってるんでしょう。人を泣かせるのも感動させるのも難しいけど、笑わせるってのは、これは本当に難しい。頑張ってくれるといいですね。ご両親が見に来てくれて、また、気持ちが盛り上がるんじゃないですか?」
「いや、もう、『来るな』って怒られてます。それでも行っちゃうんですけどね」と言いながら、開演時間が迫っていたので、失礼した。
50席ほどの小さなライブハウスで、前にも来たことがある。
今日は、「イッツマイプレシャス浩司」という人がみんなを呼び集めてライブをやる、ということになっていたはずだが、話を聞いていると、誰もプレシャス浩司さんに会っていない。会場にも来ていない。
11組の芸を見て、最後にみんなが舞台上に集合した時も、プレシャス浩司さんはいなかった。
「オレ、一昨日ラインで『友達になってください』ってとこから始まって、『今日、出演してください』って言われて」と言う人ばっかり。
OBの人なんか、「会社の帰りに下北に来られたら来て、芸をしてください」と言われたそうだ。
この作り、どこかで聞いたなぁ、と思ったら、ベケットの「ゴドーを待ちながら」だと思うんだよね。
みんながゴドーを待っている。いろんな人が待っている。でも、肝心のゴドーは最後まで現れない、というお芝居だ。
もちろん作り話だよ。
だって、私、サークルのかずやくんのツィッターで、
「プレシャス浩司のパシリなんで、オレだけチケットのノルマがあるんです」って言うからチケット買わせてもらったんだもん。
でも、みんながそこにいない「プレシャス浩司」の話をしてるのは楽しかったな。
息子がかずやくんと組んでいたユニット、やっと観ることができた。
今まで、どうにもタイミングが合わなくて、観られなかったんだよね。
自意識過剰のこの2人がどんなコントをやるのか、興味は深かったし、実際、なかなかいい出来だった。
息子のコントの中では面白い方かも。
でも、やっぱり2人とも自意識過剰だったよ。
ライブハウスの狭い階段を登って地上に出る。
上着を着ていたら、道路の向かいにかずやくんが立っていたので、もう会う機会もないかと思い、
「どうもいろいろお世話になりました」と声をかけてお辞儀をしていたら、横に息子がいて、
「いいから、早く帰れ!おい、帰れよ!」とドスの利いた声で脅す。
あわてて立ち去りながら大内くんに、
「あれって、本当に怒ってたのかな?」と聞くと、
「いや、パフォーマンスでしょう。ホントに怒ってたら、あんなこと言わないよ」と言うし、帰りに電車の中から、
「いい舞台見せてくれてありがとう。ご迷惑かけました」とライン入れたら、「ほーい」という、いつもの気の抜けた返事が返ってきたから、怒ってないんだな。
明日は大内くんが休みを取ってくれると言うので、帰って、お風呂入ってのんびりしてたら、意外と早く息子が帰ってきた。
まだ11時前なのに。
現場を片づけて撤収して、特に打ち上げとかはなかったのかもね。
「中華粥が食いたい」って親に言って作らせるぐらいだから、何も食べてこなかったんだろう。
今、息子を取り巻く仲間たちは、アツい。
それぞれの大学のサークルだけでは物足りなくて、どうもよく見るメンツがそろって来てる。
大学の枠を超えて自分たちで主催するライブも多くなった。
その1つが、今日の「イッツマイプレシャス浩司」なんだが、プレシャス浩司は、どんな顔をしてるんだろう?
15年11月14日
ここひと月ほど、毎週、金曜日の夜中に泊まりに来て自分が出演するBS番組を見ていたカノジョが、今週は来なかった。
もうすっかり習慣になっていたので、来ないと寂しいもんだ。
息子は逆に妙に早く帰ってきて、10時頃にはもう夜食を食べ終わってグーグー寝ていた。
早稲田祭もナイツとの仕事も終わって、疲れたかな?
で、翌朝土曜日、大内くんが8時頃に起きたら、息子はもう起き出して、まさに出かける瞬間だったそうだ。
今、彼の頭の中は10日後に行われる「3組合同コントライブ」のことでいっぱいらしい。
去年、初めてサークルのライブや準備された大会への出場ではなく、自分たちだけで企画したライブをやってから1年、サークルの後輩との合同ライブも経験して、去年と同じメンツでどんなコントライブを見せてくれるんだろう?
驚いたことがひとつ。
録画してあった、カノジョの出る深夜番組を見たら、カノジョがちゃんと出ていたので、
「どこで見たんだろうね?自分の部屋にBSひいたから、もう家に来なくてもよくなっちゃったのかな?まさか、ケンカ別れ?」と少し心配して話していて、見終って気づいた。
HDDに録画した番組は、10回に限ってDVDにダビングできるのだが、その「10回」の表示が、「9回」になっている!
息子は、朝、我々が起きる前にどうにかして番組をDVDにダビングしたのだ!
これは、けっこう難しい技で、大内くんは使えないし、そもそも「生DVD」がどれかなんて、息子にわかるとは思わなかった。
BSが見られないカノジョのために、頑張ってDVD焼いてあげたんだ!
大内くんと、「愛の力は偉大だねぇ」と感心することしきり。
カノジョの部屋にある機械で見られるといいんだけど。
そんなことに驚きながら、散歩しつつタイ料理を食べに吉祥寺に行こうかと思って玄関を出たら、雨が降っている。
これでは散歩にならないので、明日行く予定だった唯生の面会に行く。
車で30分。ほどほどの距離だ。
唯生はちょうど食事中で、おなかに開けた「腸ろう」から栄養液を入れてもらっていた。
担当の看護師さんが、
「唯生ちゃん、とっても体調も機嫌もよくて、元気なんです!」と報告してくれる。
そうか、ユーミンのアルバムを聴きながらお昼ごはんで、楽しそうだね。
「唯生は、高見沢さまは好きかなぁ?イブに新しいCDが出るから、クリスマス・プレゼントに持って来てあげようか。うん、今年のプレゼントはアル
フィーのCDにしようね」などと話しかけ、しばらく唯生を囲んで話をしていたが、やがて大内くんが、「そろそろ帰ろうか」と言うので、「そうだ
ね。唯生、また来るよ」とベッドサイドを離れ、看護師さんたちによくよくお礼を言って帰ろうとしていたら、壁にバスハイクの写真が貼ってあった。
唯生も写ってる。
それを写真に撮っていたら、遠くから、唯生の泣き声がする。
「うおーん、うおーん」と、仲間を呼ぶ狼のようだ。
そうか、急にいなくなっちゃったから、寂しくなったのか。
ちょっとあわててベッドサイドに戻ると、食事の管を閉じながら、看護師さんが、「呼ばれちゃいましたね」とニコニコしていた。
「唯生、また来るからね。元気でね」ともう1回お別れを言いながら部屋を出ようとするとまた泣き声が。
「きりがないからね。帰ろう」と大内くんに言われ、後ろ髪をひかれる思いで帰った。
唯生は、我々のこと、「パパとママ」って認識してるのかなぁ。
単に、話しかけられたりぎゅうぎゅう抱きしめられたりしたのがなくなったから、寂しくなっただけなのかも。
でも、どっちにしろ、声かけやハグにはよく反応し、寂しいという気持ちが表明できるということだ。
体調が安定しているせいか、情緒面での成長を感じる。
もう24歳だけど、ゆっくり成長してるのかもね。
夜は、大内くんが会社の人との飲み会に出かけた。
とても珍しい。
昔、社宅で一緒に小学校に通っていた林田くんのお父さん(当然、大内くんと同じ会社)がヨーロッパ赴任から一時帰国していて、近所の親しい人と飲みたい、ということで吉祥寺でセッティングされた会らしい。
場所も近いし、林田くんが今どうしているか知りたいので、出かけたようだ。
「さくっと2時間ぐらい」と言って出かけたのに、3時間を過ぎてもケータイすらつながらない。
結局4時間も飲んでいたそうで、
「あっという間に時間がたっちゃった!ごめんねー」と、最近私がハマっているローソンのドーナツをおみやげに帰ってきたが、ちょっと気を緩める
とこうなんだもんなぁ。
肝心の林田くんの話はほとんど聞けなかったそうだし。
(1浪して大学に入った、というところぐらいしか)
夜中に帰宅した息子に、
「小学校に入った時、同じクラスだった社宅の林田くん、覚えてるでしょ?」と聞いたら、全然覚えてないそうだ。
あんなに毎日一緒に登校して、途中のブランコに乗って自分で「ブランコ・デート」って言ってたのになぁ。(いや、相手は男子ですが)
まあ、林田くんは小4ぐらいで引っ越してしまったし、人間、小学校の頃なんて案外覚えてないもんだよね。
「私だって、小学校の友達のことはゆみこちゃんとまゆこちゃんとさつきちゃんしか覚えていない」と言ったら、大内くんに、
「すごいね、3人も覚えてるんだ」と感心された。
もっとも、大内くんは当時では大変珍しかった「中学受験」をしたので、クラスの子たちとはあまり交流がなかったらしい。
勉強だけできる、ヤなガキだったに違いない。
「10で神童、15で秀才、ハタチ過ぎればただの人」という言葉をプレゼントしよう。
15年11月15日
吉祥寺へ散歩。
あいかわらずタイ料理の「クルン・サイアム」に通っている。
しかも、大内くんは3種類ぐらいのメニューをくるくる回っているだけだし、私に至っては焼きビーフンの「パッ・タイ」から一歩も動けない。
メニューはもっともっといろいろあるというのに、どうしてこんなに保守的というか、変化に弱いのだろう。
本屋で来年の家計簿を、ロフトで小さな卓上カレンダーを買う。
もう来年の準備の始まりだ。年賀状も買ったよ。
書斎の壁に貼ってある、「翌年の3月まであるカレンダー」がとても便利で、毎年、お年賀にそれを持って「小さな新年会」に来てくれる友人がいる。
お正月を彼女と過ごすようになって、もう15年ぐらいはたつんじゃないかな。
他の人も招くこともあるが、彼女は最強のコア・ゲストである。
彼女と大内くんと私の3人だけの「小さな小さな新年会」もめずらしくない。
数年前、唯生がまだ外泊で帰ってこられて、唯生の世話をしながらでも宴会ができた頃、写真が趣味の彼女は、よく唯生の写真を撮ってくれた。
立派なアルバムになって、我が家の数少ない「生写真」である。(他の写真はほとんどデータ化してしまったから)
唯生の世話が大変になり、お客さんと同時進行が無理になってからは新年会は別の日にやってたし、ここ数年は、唯生自身、帰って来られない。
おそらく、唯生が家に帰ってくる日はもうないだろう。
それぐらい重度の、成人した障害者なのだ。
面会を終えて家に帰ると、いつも、少し泣く。
私の中の悲しみのカタマリは、表面が少しずつ溶けては行くものの、無くなることはなさそうだ。
気が早いが、今年ももう残り少ない。
私のこれからは、保育園時代のママ友との忘年会が1件、年賀状を刷る仕事、それだけだが、自分ではなんだか多忙感があってじたばたする。
大内くんなんか、幾度の忘年会に出ることか。
人間、忙しいならそれなり、ヒマならそれなりに、忙しい、と感じるものなんだなぁ。
15年11月16日
息子が夜中まで帰ってこない。
そんなことは当たり前、毎日のことだ。
しかし、夜中の12時40分にラインが来て、
「カノジョ泊まりに来るから」。
相談されてないの。決定事項の伝達のみなの。
いくらなんでも、もうちょっと早めに相談とかしてくれないかなぁ。
でも、先週の金曜日に泊まりに来なかった時、ちょっと寂しかったんだよね。
BS出演が終わったら本当にもう来なくなるかもしれないし。
今回も、要するに金曜に用事が会って家に来られなくって、BSが見られなくて、録画してあったのを息子がダビングしてあげたんだけど、うまく行かなくてカノジョんちでは見られなかったので、来訪という話になったらしい。
大内くんはもう寝てしまっているし(一応、起こして相談した。「いいんじゃないの?ふられてるより、いいよ」と言ったきり)、朝ごはんの用意もしてないし、と思いつつも、返す返事は「了解」。
「朝ごはん、どうするの?ビーフシチューがあるけど」
「ごはんがいい」
「チャーハンもあるけど」
「ごはんがいい」
(少しキレてきて)「ごはん、って、何?」
「普通のごはん。あと、味噌汁」
息子は良くても、カノジョの手前、もうちょっとなんか「おもてなし感」を出したいじゃないの!
結局、根負けして、「大根の煮物あるから、食べておいて」「はい」というやり取りで私も寝ようと思っていたら、1時半頃、2人が帰ってきた。
「こんばんは」と出迎えると、カノジョは「すいません〜、夜中に〜」。
うん、わかってる。無理を言っているのはカノジョではない。息子だ。
絶対、カノジョが遠慮しても、「うちに泊まりなよ。大丈夫、大丈夫」って言ってるんだと思う。
もう、手慣れたもんで、自分たちで布団を出して、息子の部屋の、あり得ないぐらい狭いスペースに無理矢理敷いてカノジョが寝る。(小柄な子だか ら、できることだよ)
翌日は、私は大内くんと一緒に5時頃起きて、大内くんは7時頃出かけて、彼らは10時頃起きて、
「朝飯はいいや。授業あるから、もう行く」
「おじゃましました〜」と嵐のように去って行った。
大根の煮物、食べてくれないの?残念。
布団をたたんでリビングまで運んできたのは大進歩だ。
深夜のBSとはいえ、芸人としてテレビに出ているカノジョは、フォーカスとかされないんだろうか。
「一般人男性と交際中。親も公認のお泊まりデート」なんてスクープされてみたいなぁ。
15年11月17日
家の廊下で転んで、顔から落ちたので、かけていたメガネが折れてしまった。
つい数か月前に新調したものなのに!
つるの部分が折れてるから、ロウ付けすれば使えるかもしれないが、強度が弱くなる。
これは、新しいフレームを買うしかないかも。
なるべくレンズをそのまま使えるような大きさの物にしよう。
幸い、常にメガネの予備はあるので生活には困らないが、自分としてはショック。
ここ数年で、何回転んだかなぁ。
あばらにひびが入ったこともある。
息子には「ふらふら歩いてるからだよ!」と叱られるし。さめざめ。
でも、倒れる音がしたとたんに「どうしたの?!」と聞いてくれただけ、よかった。
駆け寄ってくれればもっと嬉しかったんだが、そこまでマメではない。
更年期障害、変形性膝関節症、ふらつき・・・老化の道をまっしぐらだ。
この頃、なんか、自分は長生きしないんじゃないかと思うんだよね。
両親とも短命の家系だし、父は72歳、母は78歳で亡くなった。
現代の基準から言えば、短命な方だろう。
ひるがえって、大内くんちはスゴイ。
結婚して26年、私は1度も大内家の葬式に出たことがないのだ。
祖父・祖母のあたりがさすがにもう亡くなっていたというのはあるが、ご両親たち、その兄弟姉妹たちがいるというのに、皆さん、元気で長生き。
私はがんの家系だが、大内くんちは、「糖尿、高血圧、認知症の家系」なんだそうだ。
認知症、っていっても、若年性認知症じゃなくて、単に、それほど長生きである、ということだと思う。
なので、大内くんと私の死生観は相当違う。
ただでさえ私の方が年上、おまけに病弱なのに、大内くんは、いくつまで生きるのか見当もつかない。
可哀想だなぁ、私が死んでから、30年ぐらい生きているかもしれないよ。
「友達の中の適当な人に後添いに来てもらって、私の思い出話をしてちょうだい」と頼んでいるが、本人、あんまり私のことが好きなので、ちょっと他の人は考えにくいそうだ。
私なんか、「同居して茶のみ話をしてくれそうな男友達」を何人か考えてるけどなぁ。
というわけで、最近もめているのは「大内くんが何歳まで働くか」。
大内くんは、「65歳ぐらいまでは、何かして働くもんじゃないの?」と言うし、私は、残り時間が少ないのに勤めてる場合じゃない!と思うのだ。
どっちみち出世はしないそうなので、60歳で会社はやめることになるだろう、と言うならば、そのあとは私と遊んで暮らそうよ。
私が70歳で死ぬとして、大内くんが65歳まで勤めてたら、1年しか遊べないんだよ!
またローマにも行きたいし、一生に一度ぐらいはクルーズ船の旅というものをしてみたい。
旅行のキライな私がここまで言ってるってのに!
あー、週末にメガネ直しに行かなくちゃ。
こういう不意の出費もあるから、やっぱり働いてもらわないといけないのかなぁ・・・
15年11月18日
大内くんが海外出張に行ってしまった。しかも2泊も。
丸3日も、何してればいいんだ!と、サラリーマンの妻を26年やっているわりにはだらしない。
家に誰もいないと、寂しいんだよ。
今んとこ、「ハリー・ポッター」を読み返しているので、同時に映画も観てみようかな。
7作全部、DVDを買って持っている。
第1作「賢者の石」を観て、ラドクリフくんは、私が期待していた方向には成長しなかったなぁ、と強く思う。
1作目の時は、あんなにメガネが似合って聡明そうで可愛かったのに、その後、頭が悪くなっていくのを、毎年のように観たものだ。
個人的には、リチャード・ハリスが途中で死んで、3作目から「ダンブルドア校長」が交代したのが残念だった。
あれほどすごいヒゲに覆われていれば、誰が演じても同じようなものかも、と思っていたが、俳優の力というのはすさまじいもので、後任の「マイケ
ル・ガンボン」という名の薄い人は、リチャード・ハリスの影も踏めない、という雰囲気だった。
結局、あのシリーズで一番得をしたのは「ハーマイオニー」役のエマ・ワトソンかもしれない。
夜、大内くんから電話があって、「ライン通話」は本当に助かるねぇ、としばし話し込む。
「ホテルの窓から見える韓国の『高炉』は、なぜか7色にライトアップされている。このセンスがわからない」と不思議そうに何度も言っていた。
息子も帰ってきたし、一瞬、幸福になった私だが、電話を切った後は、とてつもない寂しさに襲われる。
あと、まる2日間、昼寝とハリー・ポッターで過ごして行けるのか?
15年11月20日
そしてハリー・ポッターの本の方は最終巻「死の秘宝」に入り、映画は1本目の「賢者の石」を観ただけで終っている。
今から2本目に取り組む気力はないので、ここまでだ。
本は、終わりまで読もう。号泣できるラストなので。
大内くんから連絡があり、飛行機が遅れて、帰るのが少し遅くなると言っている。
空港で待ってるのは退屈だろうなあ。
会社の他の人と4人で行ってるからまだしもだろうけど。
息子には「父さん、3日間出張」と事前に言っておいたのだが、昨日も夜中に帰ってきて、我々の部屋をのぞいて、
「父さん、まだいないの?」と目を丸くしていた。
何にも聞いてないんだからなぁ。
今朝は1限(9時から)の語学の授業があり、これを落とすとまた留年なので、起こしてやった。
わりとすぐに起きて、いつものようにシャワーを浴びて出かけて行き、途中の電車の中からだろう、ラインで、
「今朝は起こしてくれてありがとう」と言ってきたのをみると、本当に素直になったもんだ、と感心する。
昔は、起こしただけで機嫌を悪くして、「もう起きない!」とフテ寝していたからなぁ。
まあ、留年に関しては、本人もけっこうな危機感を持って向き合っているようだ。
来週の「3組合同コントライブ『未熟な缶詰』第2弾」に向けて、適度な緊張のもと、徹夜練習が敢行されたり、家でノートパソコンに向かって脚本を直したり、いい感じに仕上がって来ていると思う。
観に行く私たちも楽しみ。
夜になれば大内くんが帰ってくる。
早く会いたい。
15年11月21日
昨日の夜遅く、大内くんが2泊3日間の韓国出張から無事に帰ってきた。
体重とひざの関節が許すかぎりぴょんぴょん跳ねて喜んで抱きついたら、誇張でなく本当に、キムチくさかった。
「しょうがないんだよ。毎食、キムチが山ほど出たんだから」と、大内くんも久々の自宅で、嬉しそうだった。
長〜いこと会わなかったような気がするよ。
一緒に夜食を食べ、1個残っていたドーナツを半分こしてコーヒーを飲む。
ゴミ箱に捨ててあるプリングルのポテトチップスの筒を見て、
「本当に、3日間、ドーナツとポテトチップスで暮らしてたんだ」と言う大内くん。
出張前に、
「ごはんなんて食べる気にならない。ローソンのドーナツとポテトチップスだけでいいや」と言って、大内くんを見送った足で徒歩1分のローソンに行き、ドーナツとポテチを買い込み、あとは3日間、1回も外に出なかったんだよ。ベッドでひたすら寝たり本を読んだり。
息子も、2晩とも外で食べて夜中に帰ってきてたし、朝ごはんには残り物を片づけてもらってた。
何とかなるもんだなぁ。
そして、画期的なことに、そんな自堕落な生活をしていても、体重は全然増えなかった。と言うか、減った。
それに対し、普段晩ごはんしか食べないのに3食がっつり食べてしまった大内くんは、2キロぐらい太っていた。
2人とも、これからしっかりやせよう!
「他の仕事がないのと、通勤時間がない分、普段よりずっとよく寝た。飛行機とか空港からのバスの中でも寝たし」ということで、2時過ぎまで起きていられたかなぁ。
久々にゆっくりテレビを見たり、おしゃべりをしたり。
そんな夜の翌日は、寝たいだけ寝た。
用事は、とりあえず食料の買い出しと大内くんのインフルエンザの予防注射だけ。
近所の病院で打ってもらった。
買い物のついでにツタヤに行き、気になっていたDVDを何本か借りてきて、リビングでボーっとしながら観た。
ああ、のんびりする。
この半年以上、休日も、家で仕事してたから。
10月いっぱいで終わったはずの仕事の後始末にけっこう時間をとられてしまい、結局今日まで、「終わった」という実感はなかった。
これから忘年会のシーズンなので、そっち系で忙しくなりそうなのが心配。
でも、とりあえず3連休。
家で全然仕事しないのって、どんな感じかなぁ。
「大内くん、パソコンに向かう。私、iPad持って後ろの安楽椅子に座っている」というスタイルが定着しすぎていて、今月に入ってからも気がつくとやっぱり仕事してる。
私は長時間記憶力がないので、もう、「結婚してからずっとそういう生活をしていた」ような気がするんだよね。
今年の始めまでは、会社に行く前にちょっとパソコンに向かう以外は、仕事を家に持ち込んでいなかったはずなんだが。
ここが肝心だ。
今、譲歩してしまうと、「家でも仕事するのは当たり前」になってしまう。
せっかく25年以上守ってきた生活スタイルを、なんとかして取り戻さねば。
15年11月22日
吉祥寺に散歩に行く。
あまりに毎週タイ料理だったし、さ来週、大内くんの仕事上のお友達ご夫妻と「クルン・サイアム」でランチの予定なので、久々に「野方ホープ」のラーメンを食べることにした。
もしかして、1年ぐらい来てなかったかも。
何の付属もなく、ラーメンだけを食べる。
無料でライスがつくとか、100円で餃子がつくとか、いろいろあるのだが。
そして思った。私はもう、ラーメンを食べられないかもしれない。
脂っこいし、身体がラーメンを欲しないのだ。
昔のようにおいしいと思えない。
ただ、これに関しては大内くんも「あまりおいしくなかった」と言っているのと、こないだ下北で「a亭」に行った時はそれなりにおいしく食べたことから推して、「野方ホープ」の味が落ちている可能性も高い。
一時的なものかもだが。
今日は、マストな用件が2つある。
先日フレームを壊してしまった私のメガネをどうにかするのと、アクセサリを売ること。
いや、先週、大内くんの韓国出張中、思い立って寝室の引き出しを大整理した時に、ここ20年ぐらいほとんど使わなくなったアクセサリがけっこうあったのよ。
もともとほとんど持ってはいないけど、とにかく、それなりに年齢のいった女性としてはどうかと思うぐらい、安っぽいものしか持っていない。
結婚10周年記念に大内くんに買ってもらった冠婚葬祭用の真珠のネックレスと、やはり葬式用に真珠のピアス、あとは昔、自分で買ったルビーの指輪、大内くんからもらった婚約指輪(3万!)、結婚後に買ってもらったサファイアの指輪、誕生石のペリドットのペンダントとピアスぐらいを残し、
ガラクタとして処分しよう。
指輪は全部きつくて入らなくなってるのでサイズ直しをしたいのだが、どこの宝石屋に持って行っても、「当店でお取扱いしたもの以外は、お受けできません」と言われてきた。
そして、買った店は全部つぶれている。直しようがない。
いつか、息子のカノジョにあげようかなぁ。
でもそれは、結婚後でないと、私から指輪をあげたらヘンだろうし。
と、母親からもらった金のペンダントが2つと、ルビーのペンダントが1個あるのに気づいた。
吉祥寺の「メガネスーパー」が入ってるビルに、なんだか怪しいブランドショップみたいなものがあった気がする。
質屋のような、と言えなくもない。
もしかして、ああいうところでは、貴金属を買い取ってくれたりするもんだろうか。
豆粒みたいなルビーでも、50円か100円ぐらいにはなるかもしれない。
いきなり捨ててしまうのも乱暴な話だろう。
というわけで、まず、メガネスーパーでメガネを直す。
だが、ロウ付けして直してもらうと、やはり強度がかなり落ちるそうだ。
それに、忘れていたんだけど、買った時に保険に入っていたらしく、同じフレーム(色違いも可)を選べば、そのフレームを半額で買って、レンズを入れ替えることができるらしい。
実はフレームの色がちょっと気に入らないので、替えたかったんだよね。
前回、「葬式にして行けるメガネ」を目標にシルバーにしておいたが、やっぱり赤いフレームが好きなんだ。
同じフレームの中に赤いのがあったので、それにレンズを入れてもらうことにした。
「10分ぐらいでできますよ」とのことなので、
「ちょっと他のお店に行って、すぐに戻ります」と言って、上記の、ちょっと怪しいブランド屋さんに行ってみる。
やはり、貴金属の買い取りをしてくれる、とグラマラスな店員のおねーさんが言うので、見てもらうことに。
奥の、椅子が2つ並んだ小さなカウンタに案内され、カーテンまで閉めてくれる。お茶も出たし。
古本屋とリサイクル・ショップ以外で「何かを買い取ってもらう」のは初めての経験だ。
「全然価値がないかもと思うんですけど・・・」と言うと、
「そんなことありませんよ。金はやはり価値がありますからね」とニコニコ答えながら、レンズで見たり、「試金石」(?)にこすりつけたり、試薬をつけたり、いろんなことをし、電卓をパンパンパンっと叩いて、
「このようになりますが」
大内くんと2人で、見せられた電卓に驚いた。
2万7千円!!!
細い金のチェーンが3本と、小さなペンダント・ヘッド2つと、ルビー。それだけで、そんなに!!
もうちょっとで、そのまま捨てちゃうところだった!
興奮してかくかくうなずきながら、いくつかの書類に必要事項を記入していたら、大内くんが、
「こちらは、指輪のサイズ直しは受けつけていますか?」と聞いてくれた。
「はい、できますよ。お測りしましょう」と、私が持っていた指輪と、今している結婚指輪のサイズを測ってくれて、念のために指のサイズも。
13号が、16号に!
25年ほどの間に、指はそんなに太くなってしまったのか!
(途中で2回、結婚指輪を買い替えている・・・)
15号でもいけるかもしれないらしい。
無理しない方がいいのか・・・しかし、これから絶対やせるつもりだし・・・と悩んでいたら、「15.5号にお直ししましょうか?」と、どこまでもサービスがいい。
それでお願いします!
あー、長年懸案だった指輪のサイズ直しができるうえ、思いがけない現金収入を得てしまった。
メガネを受け取りに行き、フレーム代の半額を払いながら、
「新しいメガネを作れるぐらい、軽ーく稼いじゃったなぁ・・・あのお店に行ってみようと思わなかったら、2万7千円を、捨てちゃうところだったんだなぁ」と心ここにあらず。
「帰ったら、捨てるつもりだったモノをもう1回見てみよう。銀の指輪あったし、新婚旅行で行ったシンガポールで、蘭に金箔かぶせたの買った、あれも捨てるとこだった・・・」
異常なテンションが下がらなくて、全然まっすぐ歩けない。
なんだかふらふら帰ってきて、捨てるつもりの袋からいろいろ出してみる。
どんなにガラクタに見えても、とにかく金色してるものは全部見てもらおう。
「いいんじゃない?どうせ、直した指輪を受け取りに、必ず行くわけだし」と大内くん。
うん、この際、恥ずかしいと思うのはやめよう。
少し、家の中のモノを整理して捨てよう、と思っていたが、アクセサリに限らず、使えそうなものは何でもリサイクル・ショップに持ち込んでみるかな。
年末に向けてそういう人が多くて、お店の人も大変だろうとは思うが。
と、私が正気に返らないのを幸いと、気がついたら大内くんが仕事してた。
「!」とにらみつけたら、
「すみません、仕事してました。もうちょっとします」って小っちゃくなって、でももうふり返らずにキーボード叩いてる。
本当に元の状態に戻れる日が来るんだろうか。
そもそも、元の状態って、どんなだったっけ?
15年11月23日
今日もお休み。
でも、やっぱり仕事するなぁ。
いろいろ話し合ったら、これから年末に向けて、「私にしては」超多忙であることが判明する。
家族以外の人と、年に数回しか会わないで暮らしているところを、今週、友達と一緒に息子の「合同コントライブ」を観に行くのを皮切りに、年末までに、5回も人と会う予定。
どの1件も、嬉しい旧友との再会であったり、これからずっとおつきあいが続くかも、という素敵なめぐり会いであったりするのだが、日頃の引きこも
りぶりからすると、異常な状態。
何か、いい運気が回って来てる?
来年に向けて、ものすごくラッキー?
息子は、「合同コントライブ」に向けてスタジオを借りての徹夜の「深夜練習」。
夜中は、スタジオの賃料が安いらしい。
早朝に帰ってきて倒れるように寝たかと思ったら、そのあと全然起きられなくて、何度起こしても「あと5分・・・」と言い続け、結局、授業を2コマも休んでしまった。
本当にもう1年留年せずに再来年卒業できるのだろうか?
この状況下で、徹夜練習をしたりする、お金も時間も奪われる「コントライブ」を応援しちゃう我々って、親としてどうなんだろう?
何が本当に息子のためになるのか。
判断するのは本当に難しい。
やりたいことを全部親に阻まれてきた大内くんは、
「頼むから、長い目で見てやって。好きなことを好きなだけする、それがどれほど人生を豊かにすることか。勉強や就活に対しても、かえってやる気が増すと思うよ」と擁護派だ。
私も、できるだけ手助けをしてやりたいが、「また留年する」「就職しないでお笑い芸人になる」と言われたらどうしよう、と思うと、けっこうビビる。
ありのままの息子を認めてやりたいのに。
人生って、どうしてこんなに難しいんだろう・・・
15年11月26日
最近、YouTubeで「カノッサの屈辱」を見つけ、このなつかしくもアヤシイ深夜番組の世界に毎日ひたっているが、面白いのが、息子の反応。
彼の知らない文化史の話であるので、いくらサブカルが得意科目だと言い張る彼でも、経験したことのない「デート資本主義」や「コミック雑誌の趨勢」が面白いわけがない、と思っていたら、我々の背後でしばらく黙って見ていたと思ったら、「これ、すっごい面白いじゃん!」と来た。
我々がある一線を越えては小林多喜二や竹久夢二に興味が持てないように、息子は「ポパイ」や「ホットドッグプレス」に興味の持ちようがないだろう、と思ったのに、不思議な反応だなぁ。
一方で、友達に薦められた「おそ松さん」はやたらに面白く、こんなことをしていたら、私たちは歴史の渦に巻き込まれ、1960年代から1990年代ぐらいの30年間を、洗濯機の中の洗濯物のようにぐるぐるぐるぐる回っているだけで、人生を使い果たしてしまうのではあるまいか。
コドモと話が合うのは楽しいことだが、「ガンダム」とか「サンバルカン」とか言われると、彼の人生が本当に有意義なものであるかどうか、心配になってしまう。
唯一、最近将来に希望が持てるのが、彼から教わった「薬丸岳」というミステリ作家がかなり面白かったこと。
これで京極夏彦とか森博嗣、いや、もっとさかのぼって「ドグラ・マグラ」や「虚無への供物」ばかり読まれても困るからなぁ。(五十嵐貴久の「虚夢」を読んだことがあるか?と聞かれた時には「虚無への供物」と関係あるのか?!とかなりあせった)
新しい文化も、ささやかながらあちこちで産声を上げているに違いない。
大内くんの人生のテーマが、「サンタクロースなまはげ同一起源説」を証明することだとすれば、私のテーマは、「平和な時代が続くと、世代間で文化が共有されて行くという現象」で、極論するところ、まずは江戸時代の研究から入らないと現代に起きていることは説明がつかないのではないか、という点なので、もうちょっと江戸文化を研究しよう。
今のところ、「石川英輔」と「宮部みゆき」しか参考にしてないからなぁ。
せめて「杉浦日向子」ぐら いは・・・
15年11月29日
1年前に行ったイタリア旅行ツアーで一緒だったおばさまと仲良くなり、今でもメールのやり取りをしたり、そのうち会おうかというお話をしている。
高崎の方の大地主、という感じで、親切で気さくな人だった。
40歳独身の息子さんと2人連れで、しょっちゅう国内外を旅行しているそうだ。
去年、帰国してしばらくした12月に、ご自宅の庭でとれた柿を樽柿にしたものと、ゆず、かぼすをたくさんいただいた。
お礼に、こっちが知っている唯一の礼儀正しいお返しとして「とらや」の羊羹を送る。
そしたら、年が明けて、やはり自宅でとれるという夏みかんを使ったオレンジピールを送ってくれた。
こちらはまたお菓子でお礼の気持ちを表す。
そのままだともう縁が切れちゃって、あのおいしい柿とオレンジピールをいただけなくなってしまうのか?!と恐れて、夏に、とらやの新作お菓子を
送ってみる。
お礼のメールが来て、ドキドキしてたら、このほど、柿が届いた!
(もちろん、ゆず、かぼすも入っていたので、晩ごはんは「さんま」になった)
すぐさま送ったお菓子のお返しに、じき、こんにゃくをいただけるらしい。
今、こんにゃくをどう食べようかな、と考えて、待ってるとこ。
あと、オレンジピールをもらうには、どうやってつなごうかな、とか。
柿もオレンジピールも、お礼のお菓子代を考えたら買った方が安いし、手間がかからないかもしれない。
でも、私も大内くんも、あのおばさまからいただくのが嬉しいのだ。おいしいし。
旅のご縁は大切にしたい。
そんなおばさまは、老後にもう1度ローマに行けたら、という庶民の夢を我々がはぐくんでいたこの1年の間に、ギリシャのクルーズ旅行と、フィンランドのムーミン旅行に行った模様で、お正月はハワイのコンドミニアムに行かれるらしい。
お金持ちってのは、とことんお金持ちなんだなぁ。
うらやむ気持なんかぜんぜんわかないほどの、いっそすっきりするほどの格差である。
柿、ゆず、かぼすはあまりにたくさんいただいて、家では食べ切れないと思ったので、少し「おばちゃん」ちにおすそわけ。
「おばちゃん」とは、息子が小さい頃のシッターさんで、20年以上、実の孫のように可愛がってくれる。
公団に住み、バザーを愛するバリバリの庶民だ。
喜んだおばちゃんは、これまたあちこちからいただいたのだという野菜や、田舎から送って来るのだという新米をくれる。
おばちゃんの田舎で作るお米は本当に田んぼから来たもので、こんなつやつやぴかぴかのごはんは、食べたことがない。
またおいしい思いをしてしまった。
私ももう50代ど真ん中のおばさんなんだが、友達とモノのやり取りってしたことないな。
物資が回転してない。
上の世代の人たちとの習慣の違いなのか、世の中に「オトナのやるべきこと」があるのに自分はまだそれができてないのか、時々とても不安になる。
回ってる大縄跳びにうまく入れてないような感じ。
とりあえず、今、「おばさま」と「おばちゃん」と「おばさんである私」の間で、物資が小さくぐるぐる回っているよ。
この輪を広げて行くことが、できるのかなぁ。
めざせ、物々交換!
15年11月30日
「ハリー・ポッター」文庫版読了。
いやあ、ひと月以上かかってしまった。(もちろん、合間にマンガやほかの本を読んでるからいけないんだけど)
文庫本を買いそろえて、電子化して、ハードカバー版では各章扉に入っている挿絵が載っていないのに憤慨し、データを切り貼りして「挿絵の入った文庫版」を自分で作り上げて大満足、意気揚々と読み始めたのはいいが、何しろ厚めの文庫20巻だからね。
たくさん読んだ〜!
本を読むにあたって、自分がうるさい好みを持ってるなんて、思ったことがなかった。
文字サイズがフォントがどうの、行間がどうのなんて、そんなのは大内くんの言うことだと思ってた。
でも、iPadで本を読むようになってから、気になるようになってきたんだよ。どうしてだろう?
HP書いてたりして、好きなフォントといやなフォントがあるのは知ってたけど、小説を読む時はあんまり気にならなかったんだけどなぁ。
やはり、小耳にはさんだ通り、タブレットで活字を読むのは気力が必要で、少しでも読みやすい方が、精神的・頭脳的な疲労が少なくてすむのかしらん。
たぶん、きちんと計れば私の「一番好きな活字の大きさ」とか「本の大きさ」「行間」とかがあるんだろうな。
今のところ、「ハリー・ポッター文庫版をiPadで見開きで読む」ないしは「講談社文庫の宮部みゆき『ぼんくら』シリーズの活字」という感じだ。
大内くんの好きなフォントは、標準より古く、小さく、読みにくい。
ヘタすると旧仮名遣いの頃のモノが好きなんじゃないか、と疑う。
今は、例えば新刊書の小説を読むなら、iPad miniで片ページずつ読んでいるらしい。
私ともめるのは、彼が自分の好きな小説を買う時、新刊サイズを買うこと。
文庫版があるなら文庫買ってくれた方が、私も読めるのに。
いや、新刊書が読めないわけじゃないよ。自分だって時々買うし。
でも、文庫版が出てしばらくすると、安くなった文庫版に買い替えてスキャンしてしまう。
それぐらい、文庫版が好き。
わかってるよ、無駄遣いだって。
だからせめて、大内くんが買う時ぐらい、最初から文庫版買ってくださいよー、ってお願いしてるの。
そこへ息子が、「オレは紙の本しか読まねー」と言って登場するから、よけいに話はややこしい。
我々が電子化したマンガを、彼はどんどん物体として買ってくる。
「よつばと!」の13巻が出た!とか言っても、彼が買ってきたその最新巻を、私は自炊して読みたい、ないしはせめて読んでから自炊させてもらいたいのだが、NG。
「オレの買ったマンガは、自炊すんな」が彼の掟である。
かくしていったん広くなった家は、また狭くなる。
本は、大混乱のモトだ。
思考の、感情の、喜怒哀楽の大モトでもあるが、本があると、家は、人は、混乱する。
せめて自分の一番好きな手触り目触りで読みたいと思っている時は、今回のように「自作したハリー・ポッター」が最適。和む。
肝心の小説が気に入らないことなんか、二の次三の次ですわ。
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