11月からこのHP、及び日記のタイトルが変わります。
インスタントコピーライターの大内くんに考えてもらいました。
「年中休業うつらうつら日記」です。

(元「主婦の本懐」)

16年1月1日

あけましておめでとうございます。
本年も我が家をよろしく。

息子はオールナイトの映画を観に行き、我々は「紅白」を見ながら年越しそばを食べ、いろいろ話してる間に夜中の3時になり、やっと寝た。
息子が帰ってきた気配で目を覚ましたのが朝の7時。
みんなで眠りに沈んでしまい、起きたら昼過ぎだった。
1年の計は元旦にあるというのに、こんなことでいいのか?

がーがー寝ている息子はほっといて、唯生に会いに行く。
とても元気。
「唯生、あけましておめでとう!」と言ったら、顔中笑いにして喜んでいた。
やっぱり、おめでたい気配はわかるんだなぁ。
3年前に腸閉塞の緊急手術を受けた頃には20キロまで落ち込んだ体重が、今は28キロぐらいまで戻ったらしい。
顔なんかも、丸々していて元気そうだ。

「じゃあね、またね」と言いながら帰ろうと廊下へ向かって歩いて行ったら、前回と同じように「うがー」と泣き声をあげていた。
大内くんと車に乗りながら、
「やっぱり、私たちが来るとわかるのかな?見えてはいないよね?声?匂い?」
「あんがい、匂いなんじゃないかなぁ。唯生は、視覚は発達してないけど、その分、嗅覚が優れてるのかもしれないよ」
といった話をしながら帰りついてみたら、息子はまだ夢の国。

起こしながらお雑煮の支度をし、彼の大好きな牛肉のたたきと大内くん作の「がめ煮」を並べ、やっとお雑煮を祝ったのが午後3時。
皆で軽くビールを飲みながら、さて、大事な話をしようか。

3ヶ月ぐらい前から、彼が、大学5年生になるにあたって将来のことをどう考えているのか、
「今年いっぱいは考えたい」と言われてきた。
我々としても、せかしてもしょうがないので、元旦まで待つ姿勢で、うるさいことは一切言わずにここまで来た。
「お笑い芸人になる」のか「普通に就職する」のか、五分五分だと言われ、間に一昨年に続いて「第二弾」である「合同コントライブ」も見せてもらって、さて、どうなんだろう?とドキドキして待っていた今日という日だ。

大内くんが、
「で、どうなの?」と聞いたら、短く、
「就職する」と言われた。
そうか。そう来たか。

「具体的にはどういう会社を考えてるの?」と聞いたところでは、「福利厚生のいいところ」。
まさか、卒業を待ってイマカノと結婚?早くも孫の顔?と前のめりになったが、よく聞いてみたら、
「今やっているようなお笑い活動を、年に何回か、やりたい。そのためには、働き過ぎず、年休も取れるところが望ましい」という意味なんだそうだ。
ちょっと肩すかし。

まあ、細かい志望はこれから考えていくとして、大内くんが言いたいのは、
「とにかくいろんな会社に行って、いろんな人と会うこと。そこからしか、始まらない」ということ。
私の意見は、
「勤めてみたらその会社が好きになるかもしれない。始めてみないとわからない」「メーカーにも企画部や広告部はあるし、テレビ局にも総務部や経理部はある」という点。あと、
「大学受験の時に『日東駒専』を視野に入れたように、メーカーなんかも考えてみたら?」という意見は、
「気持ちが入らない会社は受けたくない」と一蹴されて、彼の就活へのカウントダウンが始まった。

「まずは卒業だよ。今期、単位は大丈夫?」
「頑張る」
6年生は、ないと思っていいそうだ。
しかし、単位数がギリギリなので、失敗は許されない。
1月後半にある今期の試験を加え、もう3回の試験で取得単位が決まる。
頑張ってくれ。

大内くんは、
「真面目に就職する気があるんだろうか?」と心配していたが、私はむしろ、
「これで学生時代とはおさらばだ!」なんて覚悟ができて就職することの方があり得ないと思う。
「今やってることを続けていきたい」
素晴らしいじゃないか!

何だかくたくたになったので、夜は「芸能人格付けチェック」を軽く見て寝た。
GACKTさまが・・・!

16年1月2日

古い女友達2人が来てくれての、毎年恒例、「小さな新年会」。
大内くんと2人で家を片づけ、料理を作ってお客さまを待つ。
今日のメニューは、

・サーモンのマリネ(ディル入り!)
・タラモサラダ
・アボガドとしらすの和え物
・牛肉のたたき
・生春巻き
・がめ煮(大内くん作)
・おでん(大内くん作)

という感じ。毎年おんなじようなものだが、まあ、おせちってのはそういうもんだ。
お客さんその1はフリーのデザイン関係。お着物で登場したその2はマンガ家。
うちにとっては大学時代のマンガクラブでのつきあいだが、本人同士は高校の先輩後輩にあたるらしい。

あとで大内くんに聞いてみたが、大内くんとの歳の差や浪人やらいろいろ考えると、とてもややこしい。
もう1人、同じ高校出身者がいて、10年ぐらい前にその女性たちの会話を聞いていたら、本人たちにも年次がよくわからなくなってるらしく、
「もう、タメ口で行こうね!」と誓い合っていた。
そして実際、今では、3歳ほど年上の私も含めてタメ口だ。
年下の大内くんだけが律儀に「ですます調」で話していた。

友人その1の持って来てくれたスパークリングワインのロゼを開けて乾杯し、猛烈に、食べ、そしてしゃべる。
ディルを奮発したおかげで、「サーモンのマリネ」は大好評で、あっという間に売り切れた。

その2の元夫は大内くんの親友(本人談)なので、いろいろ噂話をして楽しむ。
私は私で、「ねえねえ、元夫や元カレが結婚したりすると、ムカつかない?」と聞く悪趣味。
しかし、「そうね、昔はイラっとしたけど、今ではみんな、幸せになってほしいわよね!」と人間のできたその2は語る。
「私たち、バツイチ同士なんだ!」と局所的に盛り上がるし。

名代として大内家の実家を訪問してくれていた息子が、途中で帰宅。
食卓に参加したりはせず、部屋でゲームをしていたが、何か飲みに出て来た時にちょうど友人その1がお茶を飲もうと立ち上がったら、
「あ、お茶、やりますんで」と言ってグラスを受け取り、冷蔵庫からお茶のペットボトルを出して注いで、「どうぞ」と運んできた。
こんな、酒の席で上司に「あ、どうぞ」と言ってビールを注ぐような、自然な気配りができるのか!
この気配りが、どうして私たちには全然発揮されないのか?

女の子を2人持つ友人その2は、
「そんなものよ。外ではちゃんとできるのよ」とうんうんうなずいていた。
そんなものなのか。

ビールと前菜から始まって、赤みの強いスパークリング・ロゼを空け、イケる口のその2と大内くんは日本酒に移行し、最後はお持たせのケーキと紅茶 で〆て、5時から10時のフルコースディナー。
おなかいっぱいだ!

とても楽しい会だった。
私がしきりに老後の心配をするので、2人とも、
「あなたは本当に気が早い。まだまだそんな歳じゃないわよ!」とあきれ、その1にいたっては、
「私なんか、将来のことなんて考えたこともない」と断言していた。

まあ、とりあえず近々の未来のことでも心配しよう。
来年も、「小さな新年会」をどうぞよろしく!

16年1月3日

今日でお正月休みも終わりだ。
「楽しかったねぇ」と言いつつ、普段の週末のように買い出しに行き、息子が大量消費する牛乳を買う。
当人は、昨日突然、「高尾山に登る」と言い、実際、我々が起き出すより早く、勝手に出かけてしまった。
夕方、帰って来たので聞いたら、本当に登ってきたらしい。
ただ、ごく普通の服装と靴で出かけたので、それほど本格的な登山ではなく、まあ、舗装された道を歩く程度だったのだろうと想像する。
それでもさすがに疲れたらしく、夕食の「おでん」を食べたら、あっという間に眠ってしまった。

大内くんは、去年、9月末まで猛烈に忙しかったのが、結局、残務処理や忘年会等のせいもあり、12月いっぱい忙しいのが続いた。
「もう終わったよ」と言われても家にいない日ばかりなので全然終わった気がしなかったけど、さすがにお正月休みのんびりさせてもらったので、この 元気で今年を乗り切ろう。

1月1日深夜に大内くんがみていた夢を明け方に聞いたが、抱腹絶倒ものだった。
そもそも、一緒に寝ていたら、不眠の私が明け方にやっと眠れた、って言うのに、横っ腹をどんとつつかれて起きたのが早朝の6時半。
私は夢の中で「中島みゆきの歌」を作曲していていいカンジだったので怒り心頭に発していたのだが、大内くんは、
「僕が誰かを殺したのをキミが見て、警察に言うと思い、起こした」と言っていた。
寝ぼけたらしいが、ぞわぞわっとした。
夜中に、隣の人に、人を殺したの殺されたのと言って起こされるのはとても怖いということがわかった。

あと、印象深かったのは、なんだかんだ言って私でも命は惜しいんだなぁ、ということ。
いつ死んでもかまわないし、大内くんに殺されるなら本望だ、と昔から思ってきたつもりだが、案外、死ぬのは怖い。

大内くんにもっと詳しい事情を聴こうと思い、いろいろ質問してみたら、
「エステ好きのご主人が番頭さんに画像を知らないかと聞いてみた」のだそうだ。
大内くんは3番目の中番頭さんで、
「大奥様(私?)に知らせなきゃと思った」んだって。
明治から続く大店で、大内くんが知っている番頭さんだけで7人ぐらいいるらしい。
3番目の中番頭さんってことは、少なくとも上にいる2人の中番頭さんや大番頭さん、下にいる番頭さんぐらいは知っているはずだから、タテにつながってて横のつながりの薄い大店だなぁ、と感じた。

あとは、お店の中で大奥様の手がつくこともあるらしく、
「急になったお目見え以上だけど、にわか仕立ては危険だと思った」のでお断りしたいそうだ。図々しい。

「朝だけど、みんなもう寝たい気持ちになった方が幸せだと思う。部品屋さんとしてはそう思う。でも、誰が犯人で、誰が殺されたんだろう」と「下町ロケット」みたいなことをつぶやきながら大内くんが寝入ってしまった後、映画を観に行っていた息子が帰って来た音がしたので、いちおう「あけましておめでとう」と言いに行く。
「今から寝る」とベッドに入ったので私もベッドに戻ったが、やがてモーター音が聞こえてきたので、
「息子の電動歯ブラシ?今からまたお出かけ?」と見に行ったら、それは、朝7時に設定されたルンバだった。

こういう初夢はどうなんだろう?そもそも初夢って、1月2日の晩にみるもんだっけ?
「一富士二鷹三茄子」というわけにはいかないようだし、大内くんの今年1年は波乱含みだ。
出世して、「大番頭さん」になれるといいね。

16年1月4日

「今年は曜日まわりが悪く、休みが少ない!」と嘆息しつつ、三が日が開けると出勤の大内くん。しかも5日間、フルに働く。
息子は「プロレスを見に」でかけてしまい、私は久々に1人の家を堪能し、ほとんど昼寝をして過ごしていたが、幸い大内くんも今日は定時に上がれた ので、のんびりと書斎で自炊をして過ごす。

大内くんが入社した頃は、「仕事始めの日」は朝から1杯飲んで、午後は仕事にならず、早く帰ってきたりもしたのだが、今はそんな悠長な時代ではな い。
「女性社員たちは、振袖で出社してたよ。いや、ホント。冗談じゃないってば。電車も、着物姿の女性であふれてた」と大内くんは往時を語る。
私の会社は「新進的」だったので、そんな風習は全然なかった。

時代は変わるもんだなぁ。
「小さな新年会」でマンガ家であるその2と、
「20年後は誰もマンガ読んでないかもしれないよね」と話していたら、マンガ好きなその1が、
「そんなことないよ。読んでるよ!」と断言していたし、私もそうは思うんだが、20年前に、自分が電子でマンガを読むようになるとは想像していなかったからなぁ。

今年も、細々と自炊を伝道して行こう。
電子書籍の未来に、幸あれ。

16年1月6日

夜、洗濯物を干す時に、オリオン座を見た。
今年の冬になって、初めてだ。
全自動洗濯乾燥機を買って以来、外に洗濯物を干すのは久しぶりだからだと思う。

今夜は、テーブルクロスが洗濯物に入っていたので、しわが寄ってしまうのがいやで外に干したわけだが、たまにはそれもいいなぁ、と、しみじみ思っ た。

干す時と、たたむ時に、衣類の細かいところに気づく。
「ボタンが取れかけているなぁ。縫いつけておこう」
「大内くんのワイシャツ、袖が痛んでる。新しいのを買おう」
「息子の靴下、もう穴があきかけてるじゃないか。買わなけりゃ」
という具合。
全自動は便利だけど、ちょっと、服との対話が少なくなるね。

凍てつくような冬の夜空のオリオンを見ていたら、大内くんにも見せたくなった。
書斎でぬくぬくと本を読んでいるのをベランダに呼ぶ。
「ああ、オリオンだ。きれいだね」と、洗濯物仲間だった彼も言う。
「あれが、シリウス。あっちは、ペテルギウス」
さすがは高校時代「物象部」(天文学部のようなものらしい)に入っていた男。

「北極星は、どれ?」と聞いたら、笑って、
「あれば、北の空だから、建物の向こう側だね。ここからは見えないよ」と言う。
大好きな人と見る星は本当に美しい。
うんと遠くにあるのは知ってるが、実際に何万光年とか言われると、それはもう「成仏」とか「悟り」に近い概念のように思われる。
宇宙は、広大だ。

16年1月8日

「御家人斬九郎」という時代劇が好きだ。渡辺謙主演。
着流しの裾が割れて、渡辺謙のふんどしが垂れて見えるのがなぜかとてもカッコいい。
この頃は、彼がこんな国際俳優にまで上り詰めるとは思わず、ただ、好きで見ていた。

先日観た回では、よくあることだが、殺された遊女の仇を打ってやる。
その遊女と斬九郎が出会うシーン。
遊女が、線香に火を点けて立てる。
燃え尽きるまでが、客の「買った」時間。
寝る前に大内くんと寝室で話し合う時間、お香を焚いているのでちょっと笑った。

でも、「買春」は大キライだ。
「強姦」も、字面がキライなので使ってほしくないが、「乱暴」「暴行」される、というのも軽すぎてダメ。二次被害にも腹が立つし。
「痴漢にあうのは、隙があるからだ。そんな露出の多い服装がいかん」
いっぺん、満員電車でキモいオヤジにお尻触られるとか、イヤだって言ってるのに何かされる目に合ってみろ!

どうも私は、大内くんと出会った35年前からそんなことばかり言っていたらしい。
曰く、
「女性にだけ生理痛があるのは理不尽だ。男も腹が痛くなってみろ!」だの、
「男性が、自分の性器のことを『こいつが』とか『息子が』とか第三者的に見るのが腹立たしい。自分の肉体の一部じゃないか。きちんと管理しろ!」 だの
「とにかく穴がある人間の身にもなれ」と怒りまくっており、初対面の女性に滔々とそんな話をされた大内くんは、一発で参ってしまったそうだ。

「僕の場合は、それでよかったんだけどね。世の中一般的には、やっぱり男子校は良くないよ。特に中高一貫はマズい。小学校でお別れした女の子たちが大学生になっていきなり出現してさ、もっとスマートにエスコートしろとか女心を察しろとか言うんだよ?親も、結婚するまでは『婚前交渉』とか 『不純異性交遊』とか言っときながら、結婚したらとたんに『孫はまだ?』とか言ってさ。いつ、どこで、誰に習えって言うつもり?僕の場合、キミに 会っていなかったら、『先生』はオールナイトニッポンの鶴光しかいなかったんだよ?」

彼の文句も、長い。
幸い我が家の場合は、何も言う前に息子本人が自分から、
「男子校はイヤだ」
「中学や大学とつながっている高校はイヤだ」と言ってくれたので、悩みは皆無だった。
共学の青春はどうだろう?今、その真価が問われているのかもしれない。

16年1月19日

今週も、タイ料理屋「クルン・サイアム」で焼きビーフンの「パッ・タイ」を食べた。
もう、何週間同じものを食べているかわからない。
普段の晩ごはんの時にも、幾度となく、
「あー・・・、パッ・タイ、食べたい・・・」とつぶやいてしまう。

昨日、大内くんに「パッ・タイ」と言いながら、ふと気づいた。
「ねえねえ、私がさぁ、ウィークディに1人で吉祥寺に行って、パッ・タイ食べてきても、全然かまわないよね?」
大内くんは少し驚いたような顔をして、
「もちろんだよ。自転車は危ないからバスで行ってほしいけど、それ以外は、まったくかまわないよ」と答える。
もう1年ぐらい「クルン・サイアム」に通っているが、1人で行く、って考えたことないなぁ。

そもそも、三鷹市の社宅に引っ越したのが20年前。
社宅の閉鎖で、近くにマンションを買って引っ越して、吉祥寺にはかえって行きやすくなったぐらいだ。
2歳児だった息子もいつの間にか成人し、毎日、吉祥寺から東西線で大学に通っている。
私が自由に出かけられるようになってから、もう15年ぐらいは経っているだろう。

それなのに。
私が1人で吉祥寺に行ったことは、20年間に、2回しかない。
最初に行った時は自分でも驚いて、昼休みの大内くんにメールを打った。
「今、吉祥寺のスタバでキャラメルマキアート飲んでる」
すぐに返信が来た。
「よかったね。ゆっくり楽しんで」
「ほわー」と1人でため息をついて、隣の席に座っている若いお母さんと、生まれたばかりっぽい赤ちゃんを見ていた。

2回目も、特に用事はなく、病院に行った帰りに、なんとなく自転車の足をのばして行ってみた。桜のシーズンだった気がする。
毎週大内くんと来ている時と同じように、ブックオフをのぞき、ロフトで小間物を見て楽しんだ。
それでも、まだ1人で食事をしたことはない。
というか、私は、大内くんと結婚して26年、外で1人でごはんを食べたことはないかもしれない。
「孤独のグルメ」を見た女友達が、
「このドラマも原作のマンガも、かなり『ひとりメシ』の心をつかんでるね!」と言うのを聞いた時も、
「ひとりメシって、どんな感じだっけ?」と、一生懸命、OL時代のお昼休みを思い出そうとしたが、あまりに遠い昔なので、全然思い出せなかった。

「会社に行ってて、社食や近所のレストランで1人で本読みながらお昼ごはん食べてる人って、相当めずらしいよ。かなり変わった人だと思われてただろうね」と会社勤め26年の大内くんに言われると、OL歴7年で寿退社した私は何も言えない。
そう言えば、学生だった大内くんが、昼休みに訪ねて来たりしたなぁ。親子丼やパスタをおごったぞ。
今思い出すと、軽く腹が立つのはなぜだろう?

それはさておき、「クルン・サイアム」のお客さんは家族連れやカップルが多いが、カウンター席もあり、1人で来てる人は珍しくない。
私が1人で行って、毎日飽きるほどパッ・タイを食べても、家計に収まる範囲でなら、誰も困らない。
うーん、引きこもりなのは自覚していたが、これほどとは、と、今さらながら思う。
1人でマンションの外に出るのは、風邪をひいた時に病院に行くとか、歯医者の予約があるとか、そういう時だけ。
食糧その他、必要な買い物は、週末に大内くんと2人で出かけるし。
毎日毎日、パソコンに向かっているかベッドで本読んでるか昼寝してるかで、万歩計つけて計ったら、多分1日100歩も歩いてないだろうな。

出かけられない、わけではないんだよね。出かけたくない、だけ。
出かける理由がない。
どこかへ行きたいとも思わないし、外に出たいとも思わない。
ひたすら、「大内くんに会いたいなぁ」と思って昼間を過ごしている。
当人は、
「そんなに僕と一緒にいたいって思ってもらうのはとても嬉しいけど、1人で好きなことしてていいんだよ。出かけたくなったら出かけてもいいし、行き先さえわかってれば、僕が帰って来た時に出かけてても、かまわないんだよ。友達と会うとか、自由だよ」と言う。

家以外の場所。大内くん以外の人。
そう言えば、マンガクラブの友人たちとランチをするために1人で大内くんの会社の近くに行って、大内くんを含む数人で食事をして、件の 「ひとりメシ」の女友達と帰り道が一緒だったので、吉祥寺でお茶を飲んで帰ったなぁ。
彼女とも、30年来の知り合いで、25年以上「友達」をやっていて、よく家に来てもらったり外でイタリアンを食べたりしてるが、大内くん抜きで会ったのは、あれが最初で最後、たった1回のような気がする。

「1人」の時、私は生きていない。
亡霊のようにパソコンに言葉を吹き込むだけで、「リアルな私」は姿を消している。
だから、大内くんの定年退職が待ち遠しい。
彼は彼でやりたいことがあるので、全部の時間を私と過ごしてはくれないだろうが、今よりもっと一緒にいられると思うと、胸が躍る。

睡眠障害の薬をもらってる先で、
「大内さんはいつもダンナさんの話をしますね。とても良いダンナさんのようですね」と言われたので、
「夫に、依存しすぎでしょうか?」と聞いたら、
「いえ、大内さんはむしろ、正しく人に依存することを知らないのだと思います。夫婦が互いに信頼し合い、甘え合うのは、当然のことですよ」という答えが返ってきた。

夜、大内くんにその話をしたら、
「当たり前だよ。僕だって、どんなにキミに依存してるか。キミがいてくれると思うから会社に行って働く元気も出るし、生活をきちんとしていこう、って気にもなるんだよ。大学時代にキミに会っていなかったら、と思うとぞっとする。40歳ぐらいまでぼけーっと独身でいて、親の勧めるどうで もいい相手と見合いで結婚して、『結婚生活って、こんなもんだろう』とか思って、奥さんが姑、つまり僕の母親の愚痴を言うのをぼんやりと聞いてるんだよ。あー、本当に恐ろしい。結婚してくれてありがとう!」と、熱を込めて語っていた。

そうか、大内くんは幸せか。
それなら私も幸せだ。
あと、望むのは、とりあえず息子の就職と、宮部みゆきの「ぼんくら」シリーズの続きが出ることだけだなぁ。
10回ぐらい読んでるけど、また読むか。ベッドへ行こう。よっこらしょ。

16年1月10日

息子は、明日からサークルの同期と1泊のドライブ旅行に行くらしい。
最初は、「家の車、使っていい?」と言っていたが、雪道になるかもしれず、うちの車にはチェーンがないので、結局みんなでレンタカーを借りて行く ことになったようだ。
問題解決能力が高くなった。喜ばしいことだ。

問題は、親との間で情報伝達能力を発達させる気がまったくないこと。
「最後の同期旅行になるのかな」
「たぶん」
「みんな、進路は決まったの?就職したって話は、女子1人の分しか聞かないけど」
「わからん」
「仲良しのかずやくんは、留年かもと聞いてるけど、いつ卒業なの?」
「わからん」
やれやれ。

それでもあまり文句を言う気になれないのは、最近、親が元気をなくすことが多く、彼の「元気づけハグ」に大いに助けられているから。
大内くんも、こないだ、
「仕事のことで、少しくたびれちゃった。元気づけて」と頼んだら、「おう」と気持ちよく、ソファに寝そべったままで片腕でギュッとハグしてくれたんだって。
「片腕なんだけど、スゴイ力だよ。腕は太いし。たくましくなったね〜」とすっかり元気になった大内くんが言っていた。
「キミも、やってもらったら?」と言われ、
「いいよ。あんまりやらせると彼が消耗しちゃうだろうし、何より、クセになったら怖い。ずっぽりはまり込みそう」と言って断っておいたのだが、別 の日に、驚くべきことが起こった。

夜中、食卓でゲームしてる彼と少しだけ話す機会があった時に、
「母さん、元気ないんだ。人に、イヤなこと言われたの」
「そんなん、気にしなきゃいいじゃん」とすげなくされ、「ちぇっ」と思って書斎でパソコンに向かっていたら、自室に帰りしなの彼がのっそり入ってきて、椅子に座ってる私の肩を抱いて、軽くぽんぽんっとたたいて、
「ま、元気出しなよ。元気に行こうよ」と笑いかけてくれた。

ぽーっとなっちゃって、何が起きているのかよくわからず、息子が部屋に行っちゃってからあわてて、
「母さん、嬉しくてよくわかんなかった。もう1回やって」と頼んだら、機嫌よく、
「ほいっ、元気出して」とハグしてくれた。
大内くんはとっくに寝ている真夜中のことだったので、起こして話すわけにもいかなくて。1人でしばらくにやにやしてた。

でもホント、使い過ぎないようにしないとね。
確かにたくましい腕だったけど、私のじゃないもんなぁ。
カノジョを抱きしめるためにある腕を、たまたま貸してくれただけなんだから。
あー、小っちゃい時にいっぱい抱っこして育てて良かった!

16年1月11日

かなり突然に、先日、大内くんとお互い夫婦で会ってお友達になったAさん夫妻が遊びに来てくれることになった。
Aさんは、以前、大内くんの会社に出向してきていた弁護士さんで、事務所に戻ってからも、特に去年は、大内くんがお仕事をお願いすることがたくさんあって、実にお世話になっていた。

そのAさんから、
「実は、奥さんが大内夫人の日記の愛読者で、1度お目にかかりたいと言っている」と嬉しい申し出をいただいたのが去年の12月。
吉祥寺まで来てもらって一緒に「クルン・サイアム」でランチを食べ、「John Henry's Study」でお茶を飲んでおしゃべりをした。
今思い出しても驚くが、Aさんには3人のお子さんがおり、4人目が奥さんのおなかにいる。しかも8ヶ月。
そのうえ、年末にかけて一戸建ての新居へのお引越しを控えている、と聞き、
「そんな人に、わざわざ吉祥寺まで来てもらって、いいの?こっちから、行かなきゃいけないんじゃないの?」とひたすら恐縮したけど、よく大内くんのFBや私のHPに出てくる「クルン・サイアム」にも行ってみたい、ということで、来ていただいた。

実際に会って、さらなるサプライズは、奥さんは私の大学の20期下の後輩にあたるということ。
Aさんは大内くんの後輩だ。
私の大学の卒業生が少ないせいもあり、生まれて初めて出会った「夫婦それぞれが同じ大学同士の組み合わせ」だった。

マンガの大好きなご夫婦で、夫のAさんは「紙派」のミセスAの反対をどうにか解決して「自炊」を導入したいとのことで、
「次回は、ぜひ大内家へ来て、『自炊工房見学会』を!」と調子に乗ってしゃべっていたら、現実的かつ問題解決能力旺盛なミセスAは、
「赤ちゃんを産んでしまうとしばらく身動きできないので、できれば、1月中に」と言っていたとおり、てきぱきと引っ越しを終え、
「1月11日も可です」と数日前にメールをくれた。
幸い、我々は何の予定もないし、息子もサークルの同期旅行で家にいない。
何てナイスなタイミングなんだ!

というわけで、本日、Aさんご夫婦に来ていただきました。
3人のお子さんをシッターさんに預け、帰宅時間までのカウントダウンが始まる中を9ヶ月の妊婦さんが駆けつけてくれて、急な話なのと、時間内に自炊を経験してもらわなければ、という状況内でお食事も用意できず、Aさん夫妻はお茶菓子とお昼のおにぎりを持参、という、ホスト側としては誠に申し訳ない状態だった。
Aさん、ミセスA、本当にすみません!

2人がおにぎりを食べている間に四方山話を終え、とにかく書斎へ。
日頃、お客さんが入らない場所なので、けっこう掃除した。
おかげでモノが滞留しがちな部屋が片づいたのは、プラスアルファにありがたい。

部屋の南西角、いつも私が座っている小さな安楽椅子を妊婦さんに薦め、私は南東角で事務椅子、Aさんと大内くんは北側のデスクと裁断機を使いながら、自炊体験をしてもらう。
5畳ほどの小さな部屋は、ほとんど密度いっぱいだ。

Aさんたちも「教材」としてマンガを3冊持って来てくれたが、うちで一番どうでもいい本、素人さんでも気分的に楽な、「ご近所スキャンダル」的なレディースコミック雑誌を、大内くんが、カッターで3分割するところから始める。
裁断機に入る厚さ(1センチぐらいかな?)になった雑誌を、Aさん自身で裁断機で裁断経験していただく。
「指に気をつけてください。ハンドルを下まで押し切って」と大内くんがアドバイスしながら、裁断したものを、スキャナにかける。

「速いですね!両面だし。カラーとか、設定はいろいろできるんですか?」
「うちはカラーでやってます」
「ソフトは」と、このあたりから私はわからなくなってきているので、ミセスAと後ろでおしゃべり。
iPad Airを渡して、実際にマンガがどういう感じで読めるか、見てもらう。
彼女おススメで非常に良かった「ゴールデン・カムイ」が入っていたので、それを見て、自分が紙で読んだマンガがタブレット上ではこう見えるのか! とけっこう感心してもらえたようだ。

「タップでページめくりできるんですね。へえー、案外、キレイですね!」などとミセス同士も盛り上がり、特に、昨日の夜中までかけて読み切ったという「バクマン。」が旬な話題。
私も数か月前に読んだし、今回、少しおさらいしておいたので、スムーズに話が進んだ。
「あのラストなんですね」
「純愛ですよね」
あれは、面白かった。
同じ「マンガ編集マンガ」の「重版出来!」の話も出て、いやぁ、連載もらうって、大変なことですよね!と盛り上がる。

その間に「ご近所スキャンダル」のスキャンが終わったので、iPadを渡してデータの読み込みをやってもらい、「目の前にある、裁断された表紙」が画面にフルカラーで出るのを見てもらう。
「ほほー!」
感心される。「自炊推進委員会」の、一番好きな瞬間だ。

そのあとはAさん持参のマンガを、さっきは雑誌だからなかった「カバー表紙をカッターで切る」プロセスから。
薄手の本なので、そのまま裁断機に入ったようだ。
スキャナに突っ込みながら、Aさんは、
「意外と入りますね。2回ぐらいできちゃいそう」。
そうなんです。文庫だったら180ページぐらいいっぺんにできます。
薄い文庫なら1回でOK。

さらにうしろでおしゃべりに花を咲かせていたら、Aさんが、ミセスAをUSBメモリでつんつんと突っついて、
「もう、できたよ。あのマンガ、ここに入ってる」
「ええっ!」
はいはい、バテレンの魔法ですね。
ついでに、他の持参本もやっちゃってください。
「残骸」が残れば、我々もスキャンして読めるから。

こうして、Aさん夫妻は持って来た3冊のマンガをUSBメモリに収め、大急ぎでもう1度リビングに戻り、今度はフラットベッド式と、なんて言うんだろう、下に置いた本を空中から読み取る「オーバーヘッド式」のスキャナを見てもらう。
「図書館の本など、ページを切って流すわけにいかない本は、こうやってスキャンします」と大内くん。
本に押しつけてスキャンするためのアクリル板は、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のお知らせに出てくるんだ。

そのあとは食卓に戻ってお持たせのケーキとお茶を楽しみながらもろもろの話をして、「4時8分の吉祥寺発の急行に乗りたい」とのことなのでバスの時間を計算に入れて、3時45分には、
「お邪魔しました!」
「今度、ぜひ新居と赤ちゃんとコドモさんたちを見せてください!」と呼ばわり合いながら、嵐のように帰って行った。
1時頃に着いたから、2時間半で2回お茶を飲み(Aさんたちはお昼ごはんも食べ)、自炊をひと通り経験したわけだ。目が回るね。

しかし、何事もテンポが速いのが好きな私には、大変良いお客さんだった。
2人とも、頭の回転が速く、口もよく回る。
おしゃべりの密度が、大内くんとの間に比べると3倍ぐらい能率が良い気がする。
おまけにミセスAは記憶力も非常に優秀で、私がメールに書いたのにし忘れていた話題などを適宜ふってくれる。
「コドモ産むと、どうしてもガサツになりますよね」
「なるなる。アバウトになる」と言いつつ、完全にはアバウトになれないところなど、大学が同じせいなのか、私によく似ている気がする。

ひとつ面白かったのは、Aさんが前に大内くんの職場にいた関係で、ミセスAも職場の人の噂ぐらいは聞いているらしい。
大内くんがいつも、
「とても忙しい。よく働く。彼が残業しすぎるので、みんな、彼並みに働かなきゃいけない雰囲気になって、困る」と言っていて、先日、夫婦同士4人で「12月生まれの人のお誕生会」をしたHさんは、Aさんの家で「激務の人」と呼ばれているとこないだ聞いた。
そして、高次元の精神世界に造詣の深い、元上司のTさんは、「スピリチュアルな人」と呼ばれていることを、今回知った。
私は、Aさん宅で大内くんがどんなコードネームで呼ばれているか、ぜひ知りたい。
「ゆっくりな人」とか「のんきな人」とか「早く帰る人」とか、いろいろ可能性を考えて、2人で楽しんでいる。

こうして、この世界に、また良いお友達が増えた。
次に会う時は4人の子持ちになっているミセスA、その日が楽しみです。
「もう、帰り道でアマゾンで『ぽちっと』どう?」とAさんに言われ、ミセスAも半分以上その気になっていると見たなぁ。
「自炊推進委員会」、本日も頑張りました。
でも、時間がもっと欲しかった。
ミセスA、次回は、私の「『風と木の詩』と『トーマの心臓』における竹宮恵子と萩尾望都のセクシャリティ―についての考察」を、ぜひじっくり聞い てくださいね〜!

16年1月12日

昨日、デヴィッド・ボウイが癌で亡くなったそうだ。69歳の誕生日を迎えたばかりだったとか。

私はあれこれ言うほどのファンではないけど、誰かがFB上で言っていた、「死なない気がしていた」というセリフに同感だ。
「怪し」が過ぎて「この世のものではない」というか、まさに「スターマン」で、異星から来た、異邦人のような気がしていた。
フツーの人間と同じように病気になって死んでしまうとは…驚いた。

友達と時々、「誰が死んだら一番『来る』か」という話になるが、ある友人は、
「筒井康隆だったら、けっこう、『来る』かも」と言っていた。
私は、とにもかくにも高見沢さまだろう。
デヴィッド・ボウイほどの大物ではなく、まあ、地球人だろうとは思うんだが、彼もまた、才能ある美しい男だ。
HBとかファン・サイトが、すごいことになっちゃうだろうなぁ。

いつも言うことだが、自分が高校生の頃、よく母が床に広げた新聞の上にかがみこんで、
「あらー、あの人も亡くなっちゃったわぁ」と独り言を言っていた。
その母も鬼籍に入り、自分もそういう年代になったということだ。
大内くんと始終、「あの人も亡くなっちゃったよ」と言い合っている。

過去に、若すぎるしショッキングだと衝撃を受けたと言えばやはり「ジョン・レノン」だろうし、仕事を惜しむという意味では手塚治虫だ。
この2人が今も作品を世に送り続けていたとしたら、世界はどうなっていたんだろうか。

それにしても人はよく死ぬ。
名前を聞いたことぐらいはある、という人から、精神的にお世話になった人まで。
最近リアルに「あちゃー」と思ったのは、平井和正ぐらいか。

大内くんが物覚えがいいので助かるよ。
始終、「で、あの人はまだ生きてんの?」「いや、確か、亡くなってるよ」という会話を交わしている。
ググれば何とかなるのでこれまた助かるんだが、私の小さな脳みそには、情報が入りきらない。
人工知能の登場は、まことにありがたい。

16年1月13日

息子のカノジョが泊まりに来た。
あいかわらず突然。「今日、カノジョくる」とラインが入るのが10時頃。
しかも、「何時になるかはわからない」。
「サーモンのマリネ」と「ぶり大根」、作っておいてよかった。

11時半ぐらいにやってきた2人は、
「今日中に、ネタを書かなきゃいけない」そうだ。
普段はペアを組んだりしないから、「大助花子?」と聞いたら、
「ちがう。別々のネタ」とのこと。

「今からガストに行ってネタを書く」と言うので、
「せめてお茶を一杯、一緒に」とかき口説いたら、紅茶どころか冷たい麦茶でいいと言われ、カノジョはクッキーを1枚食べてくれたが、息子は、「グラス一杯の麦茶」を飲み干すと、のしのしと部屋に行ってしまった。
残されたカノジョが、クッキーを一生懸命、失礼にならない程度にゆっくり、でも、息子が待ってるからできるだけ急いで食べるのを目の前に見ながら、
「いつもあんなふう?家でと、外では、態度が違うようではあるんだけど」と聞くと、
「んー、わりと、無口なほうですかねー」と言う。
それにしたって親には極端に無口だぞ。

1年後輩のカノジョは今度4年生になるが、アパートを引き払って、埼玉の実家に帰るらしい。
「大学まで通うの、大変じゃない?」
「いえ、単位はほとんど取ってしまったので」
「(息子の部屋を指して)あんまり会えなくなるよね?」
「まあ、東京にはけっこうしょっちゅう来ますから」
「あんなんだけど、よろしくね」
「はいっ!」
力強い返事だ。

クッキーを食べ終えたカノジョは、
「じゃ、失礼しま〜す」と席を立ち、息子と一緒に出かけて行った。
息子は、いったい何のためにカノジョを連れてくるのか。
ネタを書くんなら、最初っからガストに行けばいいじゃないか。
多くの友人知人が、
「家が、よっぽど居心地がいいんでしょうね」と言ってくれるが、何を考えているのか、全然わからない。

夜中の2時頃帰ってきて、出しておいた布団を息子の部屋に運んでいるようだ。
でも、3時ぐらいまでシャワーの音が時々してたので、そうとう夜更かししてるなぁ。
さすがに、大内くんが4時半に起きた時は、ドアの閉まった息子の部屋は静まり返っているというか、息子のいびきが盛大に響いていた。
カノジョは、うるさいと思わないんだろうか。
「こっちにくる時は、また泊まってって」と言えばよかったかなぁ。

大内くんが8時頃家を出たので、完徹の私はそこから眠りに入る。
ヘタに起きてると、彼らの動向が気になって仕方ないのだ。
目が覚めたら午後1時頃で、彼らはとっくに出かけた後だった。よかった。
ごはんと味噌汁を温め、ぶり大根で朝食を食べて行った形跡あり。
なんと、画期的なことにお皿を洗ってくれた。
どっちがやったかわからないが、これまでになかったことで、画期的だ。

若い2人を応援したい気持ちでいっぱいなのだが、さて、どうすると応援したことになるんだろう?
とにかく何かを拝む。
カノジョがお笑い芸人になれますように。息子が卒業・就職できますように。
そして、できればこのままゴールインしてくれますように。

16年1月14日

息子が、風邪をひいた。
昼からの授業なので、さすがに起こさなくてもいいだろう、と大内くんを送り出してから本読んで昼寝してて、目が覚めたら午後3時。
息子の部屋に行ってみたら、なんだかぐったりと寝ている。
熱が38度5分まで上がったそうな。
「単位、大丈夫なの?」と聞いて、OKだそうなので寝かせておく。

インフルエンザの場合が一番怖いので、近所の病院に行かせようと4時過ぎに順番を取りに行ってあげたら、平日の終わり間近はけっこうすいていて、 あと2、3人で順番が回ってきそう。
「もうすぐだから、出てきて」とラインで指令を出したら、のっそりとやってきた。
十中八九ただの風邪だろうし、私にうつされても業腹なので、あとはまかせてさっさと帰る。
3、40分したら、それまたのっそりと帰ってきた。
熱は37度5分まで下がってきた。

「インフルエンザじゃなかった。風邪。お粥食べたい」と言うので、インスタントの「卵粥」を温めて出すと、ポン酢を少しかけて完食。
ペットボトル1杯のポカリスウェットを作って枕元に置いといてやると、布団にこもってマンガ読みながら、水分補給だ。
それから1時間後に、「うどん、作って。味は薄めで」とのリクエスト。
あいかわらず37度5分をキープしてるが、これはもう、「ごく軽い風邪」の部類に入るんじゃないかなぁ。

食べ終わった彼に、
「明日、授業どうするの?語学は、休むとまずいらしいじゃん」と聞いたが、「大丈夫」の一点張り。
まあ、身体も大事だし、単位に影響ないなら休ませとこう、と思ったら、布団で爆睡。
帰宅した大内くんが心配して覗いてみても、スゴイ寝息がするばかりだそうだ。

「彼は治し方を知ってるね。とにかくぐっすり寝て、栄養を補給して水分をマメの取るのが一番の早道だ」と感心していた。
だけど、その結果、私が深夜2時の回診をする頃には、すっかり目が覚めてしまったようで、寝床でiPadのマンガを読みまくってる。
「何度も聞くけど、単位は大丈夫なの?語学落とすと後がないよ」と聞いてみても、「大丈夫。それより、うどん作って」。
大丈夫なんだったらいちいち聞いたりしないよ。
母さんも、心配してるんだよ。

ああ、なんでこんな豚児に、と思いながら夜中の3時にまたしてもうどん茹でてる自分が情けない。

食べてる息子の真正面に座り、「ホントに単位、大丈夫なの?」と聞く。
「大丈夫だけど、大丈夫じゃなかったら、どうしろって言うの?」と聞き返され、
「無理にでも起きて行くしかないじゃん」と言うと、うどんをすすりながら、
「単位は大丈夫だし、今は具合が悪い。そんなこと言ってる場合か」と言われた。ごもっとも。
だからと言って、うどんをぺろりと食べ、ベッドに戻って、マンガばかり読んでる、そういうのを「授業は無理」とは言わないんだよ。

まあ、息子の人生だ。好きにやるしかあるまい。
6年目の留年に入ったら、もう家からはたたき出す。
そもそも彼の場合、しっかり遊んできた、と思うと風邪をひいたり寝込んだりが多すぎる。
一昨日は同期の旅行から帰って来たと思ったら、いきなり「カノジョが泊まりに来る」だもんなぁ。
青春を謳歌するのも、22歳ぐらいまでと思いなさい!

それはそれとして、先日、家に遊びに来てくれたミセス・Aからメールが来た。
添付された写真によると、アマゾンから裁断機とスキャナがもう届いたらしい。
Aさんは、やる気になってしまったようだ。
こうして、この世界に自炊家庭がひとつ増えた。
彼らの自炊生活が快適なものであることを祈る。

16年1月15日

今日はとても愉快なことがあった。
中学時代の女友達と、電話で話をしたのだ。
15歳ぐらいの私は、骨のある秀才女史だった彼女には一目も二目も置いていた。
そういう友達は珍しい。

毎年年賀状だけのつきあいになっていたが、時折、「会いたいなぁ」と思っていたところ、今年はメアドが書いてあったので、勇んでメールを出した ら、エラーで戻って来ちゃった。
彼女の方で、何か書き間違いをしたらしい。
勤め人なので、夜になるのを待って、思い切って電話してみた。
1人暮らしなのは年賀状で知っていたし。

すぐに電話に出てくれて、私が名乗ると、「まあ!」と驚いていた。
「久しぶりじゃない。渋谷の109で会ったのが最後だわよ。あなた、今、何してるの?」
気の強そうな、スカーレット・オハラみたいな顔が目に浮かぶようだなぁ。
もう30年ぐらい会っていないと思ってたけど、彼女の記憶によれば、私が既に主婦になった後に1回会ったことがあるようだ。25年ぐらい前か。
名古屋市の公務員であるバリキャリの彼女に、また会いたい。

仕事柄、東京に来て人に会うことも多いそうなので、チャンスは意外に早く来るかもしれない。
昨日の晩、大内くんが、
「去年の半ばごろから、キミは様子が変わってきた。人と会うことも多くなって、外に出るべきか、と考えることがよくあるようだ。よかった」としみじみ語っていた。
実際、去年は40年近く前の大学の寮仲間と会ったり、リアルだったりリアルでなかったりの新しい友達が何人もできたり、とても画期的な年だった。

就職して、7年働いて、健康を損ねたこともあり、大内くんとの結婚で寿退社して26年。
コドモを2人産み、大内くんの助力を大いに借りながらの、引きこもった年月だった。
一生、このまま、昼間は本を読んで大内くんの帰りを待つ生活でもいいと思っていたけれども、もっと人と会えば楽しいのかもしれない。
昔は自分が社交好きだと思っていたが、この26年、時々古い友達とは会うものの、静かな毎日だ。
ほとんど大内くんだけが話し相手で、よく日本語を忘れないものだと思う。(実際、使わなかったら英語は完全に忘れた)

今日、電話した友達とも、いずれ会えるかもしれない。
中3の頃、実力テストで私が全校で2番だった時、風邪をひいて休んでいた彼女が、
「私が試験を受けていれば、あなたは3番だったわよ」と力んだ様子もなく言っていたのが印象的だ。
(しかし、その時、1番は誰だったんだろう?思い出せない)

トイレに一緒に行ったりする女の子女の子したつきあいがキライだった私にとって、彼女とのつきあいは特別だった。
優等生だった彼女はランクがずっと高い高校に行き、大学受験でも、私が唯一落ちてしまった上智大学に受かった。
いまだに、上智の人には頭が上がらない。
うん、やっぱり、スペシャルな友達だったな。

「人間は一生勉強を続けなきゃダメよ」と口癖のように言っていた彼女は、大学を出てからすがすがしく勉強と縁のない専業主婦の私をどう思うだろう。
彼女に評価されたくもあり、今の自分が気楽でもあり。
ま、いずれ会ってみて考えよう。楽しみだ。

16年1月16日

家族全員よく寝て寝過ぎたので、お昼近くになってやっと活動開始。
こんなんだと、吉祥寺に行ってもどこも行列の嵐だろうな、と思って、家でごろごろする。

去年の大内くんの忙しさを思うと、日中2人でのんびりできるのは本当にありがたい。
大内くんは、今、小説を読むのにハマっているらしい。
「すごく面白い。何を読んでも面白い。こんなに小説が読みたくなったのは、20年ぶりぐらいだ!」とかなり興奮しながら、ネットで古本を買っちゃあスキャンして読んでる。

何を読んでも起こる現象は一緒で、
「ねえ、もう一生読んでいられるぐらい買ったんじゃないの?あなたは、本が読みたいの?それとも、所有したいの?」と私に聞かれる羽目になる。
「わかってるんだけど・・・買わずにはいられないんだ。どんどん読みたいんだ」
「何度も読みそうなものって、ある?図書館で借りる、っていう選択もあるんだけど」
「・・・持っていたい」

押し問答になるのであきらめたし、自分だって人のことは言えないぐらいマンガ買ってるし、いいんだけどね。
最近は「有吉佐和子」がお気に入りのようで、それなら私も何冊か読んでるし、話ができるね。
「彼女がこんなに分厚い文章力で読ませてくる人だとは、知らなかった」
だから、何年も前から「真砂屋お峰」を読んでみろって言ってたじゃないい!

というわけなので、今、うちではヒマがあると自炊をするか本を読むかで、テレビや映画がまったく観られない。
お正月番組の山で、HDDたちがつぶれそうになっているのに、その上にさらに「連ドラが始まった」と言って過負荷をかける。
よく壊れないもんだ。
「真田丸」ぐらいは観たいんだが・・・

16年1月17日

昨日、寝過ごして吉祥寺に散歩に出てごはんを食べる、という計画が頓挫したので、今日こそは、と思っていたら、「マンションの大規模改修」に関する説明会があることを思い出し、大内くんが行ってくれた。
数ヶ月にわたって駐車場が使えなくなるとか、けっこうめんどくさいことがいろいろ発生するらしいのだ。
築11年、そろそろそんな時期か。

1時間半の説明会が終わって帰って来た大内くんは、
「駐車場は、今おいている平置きではなく、立体駐車場の開いているところを使うらしい」とか聞き込んできてくれた。
多少めんどくさいが、仕方ない。

そのまま、本を自炊したり読んだりして過ごす。
最近、映画やテレビとご無沙汰だ。
お正月に録画がたまりまくっていて、少しは消化しないといけないのだが。

2人ともが共通に持っている感覚は、
「テレビや映画は、1時間なり2時間なりの時間を、確実に食われてしまう。もっと主体的に、自分の時間を自分の好きなように使いたい」ということ のようだ。
読書は、自分のペースでできるからね。

それに、大内くんには今、「読書の大波」が来ているらしい。
「小説が、ものすごく面白い。有吉佐和子とか、遠藤周作とか、面白くてしょうがない」のだそうだ。
ただ、悪い癖も出て、やたらにネットで古本を注文しては買っている。
「読み返すの?1回読んで、気がすむものなら、図書館で借りるって手もあるよ」と言ってはみたのだが、
「本というのは、手に入らないとなると本当に入らない。安心のために、持っていたい」と言われると、データ化して場所は取らなくなってるんだし、 反対する理由は主に経済的な点になってしまう。
送料も入れて1冊300円弱の「お買いもの」をとがめるには、私も無駄遣いしてるからなぁ。

試みに、本の所有数を調べてみたら、マンガとあわせて2万5千冊という答えが出た。
気が遠くなりそうな量だ。
いや、もし紙として持ってたら、生活が破綻してるだろう。
データ化してよかった、と思う瞬間だ。

自炊を始めて3年、古本屋でこつこつ買う大内くんと、マンガを全巻ドットコムとかでオトナ買いする私の、蔵書が合わさるとこうなる。
1日1冊読んでいたら60年以上かかると思うと、知恵熱が出そう。
もちろんマンガとかなら1日に10冊20冊読めるだろうが、この数はハンパない。
増やすのをそろそろやめて、読む方に専念した方がいいかも。

16年1月18日

我が家では、たいていの家事は大内くんがやってくれる。
最近エスカレートして、私はもう半年以上、晩ごはんを作る、という行為をしていない気がする。
だって、彼が遅い日は食事はすませてくるから、私は自分の晩ごはんだけ食べればいい。おおむね、前日の残り物だ。
息子はたいがい夜中に帰ってきて夜食を要求するが、それにも大内くんが対応してくれるし。
もう、料理とか、忘れてきちゃったなぁ。

掃除は、おもにルンバが担当し、週末に、ルンバでは対応できない隅っこなどを大内くんがモップをかけてくれる。
ルンバ自体のクリーニングも大内くん。
お風呂も、上がってしばらくすると洗っといてくれる。
さて、私は何をしているのだろうか。

1つの答えが、洗濯だ。
全自動乾燥洗濯機を買ってから、干す必要すらなくなって、洗濯をつかさどるのはそう大変なことではない。
洗濯かごにたまったなぁ、と思えば好きな時に洗濯機を回すし、タオル類は様子を見て週に1、2回交換、シーツ、掛布団カバーは、3つあるベッドのどれをいつ洗濯するかを按配しながら、全体に2週に1度は水をくぐるように気をつけている。
あとは、たたんでしまうだけ。
でも最近、大内くんの肌着とか、回転があまりに速い(毎日、上下出るから)ので、たたむのを放棄し、引き出しにテキトーに突っ込んでいる。

これらの仕事を、大内くんに任せてもいいのだが、実はそうできないわけがある。
大内くんは、「シーツなんか、半年に1度ぐらい洗えばいいんじゃないの?」という感覚の持ち主なのだ。
「あなたのGパンって、あんまり洗濯に出ないけど、どれぐらいに1回洗ってるの?」と聞くと、
「さあ、2、3ヶ月ぐらいはいいんじゃないの?週末しかはかないんだし」
きゃー!

そんなわけで、今日も洗濯機を回す。
もうひとつ、私の仕事になっているのが、これはけっこう重要な、「ビデオを録画予約しておくこと」。
パソコンは自在に操っている(ように見える)大内くん、意外なことに録画予約の仕方を知らないそうなのだ。
まあ、ちょっとトリセツ読めばわかるので、できない、のではなく、やらないだけだとは思うのだが。

毎週、数時間かけて、地上波、BS、主要なCSが全部見られる分厚い「テレビ番組表」と格闘して、日曜の晩を基準に1週間の番組をチェックし、第 1HDD、第2HDD、そして新たな戦力の、J−COMさんから買った 「CS専用HDD」へと、振り分けて予約する。
本当は、テレビもそれ単体として録画機能を持っているので、どうしても番組が重なってしまう時には、使える。

年末年始はお笑い番組が多いから、ちゃんと録画しておかないと息子にスゴまれるし、大型時代劇を録り忘れると大内くんががっかりするし、いろいろ タイヘンだった。
実際、「孤独のグルメ お正月特別版 旭川編」を取り逃がしてしまった。
大内くんがパソコンを使ってなんとかしてくれたが。
こんなにいろいろ観なくっても生きていけそうな気がする、というか、観過ぎだろう、とは思うんだけど、特にお正月は妙に風呂敷を広げた面白い番組がたくさんあるし、うーんともしかしたら、どこかのお笑い番組で、息子のカノジョを見ることもあるかも、と思って山のように録画して、まったく消化できていない。(大学生の身ながら、すでに女芸人だそうだから。しかし、出なかった)

こんな職能を大内くんに譲り渡してしまったら、もう家にいる意味がなくなってしまうので、今日もせっせと洗濯し、ビデオの予約をするのでした。
あー、1月期の新ドラマも続々始まってる。そもそもNHKの大河ドラマ始まってるし。
あまりテレビを見るヒマがなかった去年の生活は過去のものとして、今年は、みっしりテレビを観たい。もちろん映画も。

16年1月20日

先週書いた、郷里名古屋の中学校時代の友人とのメールのやり取り。
午後から早朝まで起きていることの多い私が、「〜だったと思う」「〜だったという記憶が」「〜だったような気がする」だらけの不確かなメールを打つと、5時頃には起きてお風呂に入り出勤の準備をするらしい彼女が返事をくれる。
今のところ、彼女は記憶の泉のようにこんこんと過去を溢れさせてくれて、私は毎朝、大内くんを相手に感動している。

つくづく、中学の頃の記憶は、薄い。
行動が活発過ぎて頭がついて行かないのと、私の素行を心配した母親に日記を読まれてしまい、ものすごく叱られたので、憤怒のあまり日記を全部燃やしてしまったせいだろう。
ただ、高校の頃の日記を読み返すと、恥ずかしくて死にたくなるので、きっと中学生の時の日記も似たようなものだと思う。
残っていたとしても、読めないかもしれない。恥ずかしすぎて。失って幸いかも。
残っている日記、手紙類もすべてデータ化してしまったので、目の前に紙の質量として存在してないだけでもありがたい。

一方、大内くんの方も、来週末に中高一貫男子校だった母校の同窓会に行くようだ。
これまであまり行く気になれなかったらしいのに、どういう心境の変化だろう。
本人は、
「老人になると、ヒマになるのと過去に生きるようになるのとで、小学校の同窓会まで発生すると聞いている。僕も、老化したんだろうか」と、やや不 安そうだ。

しかし、今回、ある大発見があった。
「大学で東京に出てきた人は、小学校、中学校の頃の『スクールカースト』が生きている田舎には帰りたがらない」という記事を、ネットで見たのだ。
地方から「いい大学」に進学した人にとって、故郷は、成績で勝っていたがいじめられていた世界で、その頃の同級生には会いたくないものらしい。
「故郷に錦を飾る」という時代ではないのだなぁ。

大内くんの場合、出身校での成績が悪すぎて、
「スクールカーストなるものがあるとすれば、僕はその底辺にいた」のだそうだ。
何しろ、厳しい受験戦争を何とか勝ち抜いた先で、いきなり「クラスでビリ」だったそうだから。
皆が成績に敏感な世界で、「どうしよう」と絶望したのも無理はない。
「そんな中で、昔のクラスメートと会いたくはならないよね。そうか、僕は、スクールカーストの底辺だったから、同窓会に行きたくなかったんだ」という結論は、前述のネットの記事とは逆の現象のように思われるが、本質的には同じなのだと思う。

「受かりたい」ではなく、「受かるべき」だと思われていた大学受験も奇跡的に合格してしまった彼は、ずいぶん長いこと、自分の立ち位置がわからないでいたようだ。
「結婚して家を出て、親の価値観と違う世界で生きるようになって、初めて自分の生き方がわかった。特に、唯生のために1年『介護休暇』を取った時から、やっとオトナになれたと思う」と語る彼は、同窓会で、どんな自分を、どんな友人たちを発見するだろう。
未来へ進む歩調が少しゆっくりになり、過去を振り返って人生の穴ぼこを時々埋める作業を繰り返しながら、1本の平らな道ができているのを見る時、人は、やっと安堵のため息をつくのだと思う。
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
大内くんも私も、今、幸せなのだろう。

16年1月21日

読書用の老眼鏡を作ったら、これが、驚くほど読みやすくなるので、驚いた。(アタマの悪い文章だな)

今、私は3つのメガネを持っている。
その1.読書をするための「弱近視用」
その2.普段かけている「遠近両用」
その3.ソファに寝っころがってテレビを見るための、「弱い遠近両用」

その2とその3はどう違うのか?と思う人も多いだろう。
その2は、レンズの下部がけっこう広い範囲で「手元を見る」のにちょうどいい度数になっている。
なので、通常の「遠くを見る」つもりの時は、レンズの上半分を使うよう、目線を上向きにする。正確には、ややうつむき加減で上目づかいに近い目つきになる。
寝てテレビを見ていると、それができず、レンズの下部を通して遠距離を見ることになるため、画面はぼやける。
それがイヤで、前に使っていたゆるい遠近両用を使っている、というわけだ。

こうして3つのメガネを使い分けている結果、私は始終、メガネを探している。
その3はテレビを見る時にしか使わないのでソファの近くに置いていて、安定している方だが、それにしてもふらりと立ち上がって飲み物を取りに行っ たりするときはわざわざかけ替えたりしない。
何しろ、ついこないだまで普通に使っていたメガネなんだから。

読書用の弱い近視メガネその1は、読書やパソコン作業にはものすごい威力を発揮する。
使う場所も、パソコンの前かベッドに限定されるはずだ。
なのに、遠くはぼやけるものの、家の中を歩き回る程度なら全然困らない。視力が弱くなってる状態なだけだ。

というわけで、3つのメガネに「厳しい定位置」というものはなく、私は常にいろんなメガネを欠けてふらふら歩いている。
メガネその1(弱い近視用)をかけてメガネその3(強い遠近両用)を探す、という行為が一番多い。
ひとわたり見て、見つからなければ、捜索用に「弱い遠近両用」をわざわざかけて探す。
まあ、ものがものだけに、そうそう突飛なところへ行ってしまうことはないが、ちょっとイライラする。

先日、その1を作った時は、セルフレームなのが失敗だったのと、踏んづけて歪んでしまったのが原因で、ひと月もたたないうちに度数はまったく同じの、シンプルなメタルフレームの物を作った。
先ほども書いたとおり、読書には不可欠になりつつある。

しかし、こうも1日中メガネを探して歩いているのもなぁ・・・これはメガネに背いた者が受けるべき罰というか、制裁というか、作ったばかりのメガネをないがしろにした結果なのだろうか。
メガネの神様はかなり意地悪です。

老眼用のコンタクトレンズとか、画期的に視力の上がるコンタクトが開発中だとか、友達がレーシックを受けたとか、悩みのタネは尽きない。
でもたぶん、一番問題なのは、大内くんも私も強度の「メガネ萌え」な点。
大内くんは、少なくとも私が「メガネ女史」でいる方が好きらしい。
そして、彼はどうか知らんが、私は、メガネをかけている異性は即座に60点ぐらい下駄を履く。
ボストンメガネをかけた高見沢さまの写真を見た時は、心臓が止まるかと思った。

子供のころから慣れているせいもあるんだろうけど、2人とも、なかなかメガネ以上の「もしかしたら有効な」手段に走る決心がつかない。
大内くんがメガネやめたら・・・そうとうイヤだ。
そんな大内くんも、仕事用に老眼鏡を作ったら、「もう、これなしにはいられない」という状態だそうで、我が家の夫婦がメガネをはずす日は、当分こないようだ。

私はシンプルな生活が好きなので、もうちょっと何とかならんかなぁ、とはずっと思ってるんだけどね。

16年1月22日

うたた寝していたら、大内くんと一緒に、就活のため彼の会社の役員面接を受ける夢をみた。
風邪気味で声が出ないのと、座っていた事務椅子の高さが調節できなくて、始終、スプリングで跳ね上がってしまう。
恥ずかしくて、緊張して、
「大内くんはいつもこんな人たちと仕事してんのか!」と焦りまくった。
目が覚めてから、本当にドキドキしてしまった。

思わず、半覚醒の息子の顔を見に行く。
「母さん、就職面接受ける夢みちゃったよ」
「ふーん、やだね」
あなたももうじき受けるんだよ。

その前に、試験だ、試験。
「フル単」(申し込んだ課目全部の単位を取ること)やってくれ。
大学入ってから1度も見ことないぞ。
1学年下のカノジョだって、
「もう単位はほとんど取れてますから」って言ってるじゃないか!
普通の大学生は、ゆとりを持って最終学年を迎え、やり残したことがないか、きちんと考えて卒業するんだよ。

大内くんの大学は、早稲田やICUのように「1学期にとれる単位の上限が決まっている」わけではないので、就職が決まった最後の学期は残りに残っていた60単位ぐらいを一気に取ったそうだ。
結婚を反対されて家出してきて、私の住むアパートのすぐ近くに小さな4畳半を借りて、来る日も来る日も勉強してた。
ガスストーブの上に置いたやかんの音がしゅんしゅんと響いて、この世にたった2人で漂流してるみたいだった。
「ひとつでも落とすと卒業できない。自動的に就職もふいになる」と、布団を羽織ってちゃぶ台に向かい、ずうっとノートと格闘していた大内くん、あとにも先にも、あんなに集中してるところは見たことがない。

息子がまた、語学の単位を落としたりしたら、来年の今頃、
「就職は内定してるが、語学の単位が取れてない」というような状態になっているかもしれない。
歴史は繰り返す。
だがしかし、私はいちおう4年で卒業してるので、この永久循環からは抜けさせてもらうよ。ばっははーい!

16年1月23日

今週もタイ料理食べに行って、いつもの「パッ・タイ」。
もう、水曜日ぐらいから頭の中がパッ・タイになっている。
他のものを食べたくないぐらいだ。

大内くんはこないだ食べて気に行ったという「カオソーイ」とう麺類を頼んでいた。
少し交換してみたら、上はバリバリの揚げ麺、下は普通の麺、という凝ったつくりで、辛いゴマダレ風味がおいしい。

「クルン・サイアム」を出て、必ず行くのがブックオフ。
最低108円で手に入るから、一番コスパがいい。
大内くんは今、小説の大波が来ていて、何だか止まらないらしい。
少額と言えども本を買いすぎなので、経済上の理由から、ここ数か月、スタバでお茶を飲むのは省略している。
寒いから、店内のカウンタ席を取るのもなかなか大変だし。
暖かい季節になったら、また来てみようかな。

気がつけばもう1月も下旬。
すぐに2月だ。
2月は短いから、あっという間に3月、そして桜を待つ日々・・・なんだか、1年が短くなったなぁ。
これは、50歳過ぎのどんな友達に会ってもどちらからともなく出てくる言葉なので、アラフィフの深刻な体感時間なのだろう。
(しかし、私はアラフィフどころじゃないぞ。今年はもう57歳。立派なアラカンだ)

大内くんほどバリバリと本を読む気力もないし、AirじゃないiPadを片手で持って映画鑑賞してる息子ほど体力ないし、アラカンの人って、何が得意種目?
「おばあちゃんの知恵」というほどの年でもないうえ、いくつになっても何の知恵も浮かばない気がするのだが。

何のために生きているのかわからない人生は、空しいなぁ。
せめて、家計簿でもつけよう。
最近、晩ごはんのしたくすら大内くんにのっとられてしまった私の、かなり残り少ない家事のひとつだ。
大内くんによれば、会社で、奥さんに家計簿をつけてほしい男性はけっこう多いらしい。
奥さんにどんなに頼んでもダメなので、ついには自分でつけ始める人まで出現。
「うちのは、市販のノート型の家計簿で毎日の支出をつけているうえ、エクセルで自作した家計簿を使って、年間の収支を年ごとに比較してます」というと、ずいぶんうらやましがられるんだって。

なので私は、我が家が月にいくら、年にいくらあれば暮らせるかは把握しております。
しかし、稼いでくれる人がいてこその収支なわけで、家計簿つけてりゃごはんが食べられるってもんじゃない。
大内くん、毎月お給料をありがとう。
もう1、2年たって息子を家計から追い出せる日が来たら、もっともっと幸福な家計簿をお見せいたしましょう!

16年1月24日

大内くんは、数十年ぶりに母校の中・高一貫男子校の同窓会に行った。
「成績の悪い、スクールカーストの最底辺にいた身としては、あまり行きたくない」とぼやいていたが、同窓会が開かれること自体、10年に1度ぐら いだそうで、お互いサラリーマン生活の最終コーナーを回る年頃なので、会っておきたくなったらしい。

「老人になると、ヒマで人恋しいから小学校の同窓会まで発生すると聞いている。僕も、そんな歳になったのかなぁ」とため息をつく大内くんだが、実 は私も、去年の3月末に大学の学寮閉鎖を前に、なつかしい面々で会おう、と大学まで出かけて行ったし、今度、寮の後輩たちとごはん食べようと計画してる し、名古屋に住む中学時代の同級生ともメールのやり取りが盛んで、彼女が仕事で東京に来たら会おう!と約束してるし、なにやら振り返りモードでは ある。

これは、ここまで夢中で疾走してきた我々が、仕事も安定し、子育ても一段落して、少しペースを落として来し方行く末と向き合うチャンスなのでは、 と思う。

大内くんは4時間近く飲んで帰って来たが、さほど酔ってはおらず、むしろ、頭の中が何かでぱんぱんになっていたようだ。
50人ほどの同期が集まり、はっきり言って頭髪が怪しい人が多く、少数の知り合い以外には、どれが誰だかまったくわからなかったらしい。
そんな中で、「大内でしょ!変わらないねぇ」とやたらに言われた、ということは、大内くんは学生時代の体格と頭髪を残しているということだ。
妻としては、誇りに思う。

一番の収穫は、
「高校のサッカーの授業中に事故があって、低いボールをヘディングしに行った大内くんの顔面を、誰かが思いっきり蹴ったため、大内くんの顔面は陥没し、救急車に乗せられる羽目になった」のだが、その時の相手と、
「大内、あの時は、すまなかった。自分もコドモを持ってサッカーやらせているんだが、そんな事故が起こったらどうしていいかわからないと思う」
「いやいや、気にしないで。なんともなかったんだから。親や学校が介入して何だかややこしい事件になっちゃったけど、全く気にする必要はないよ」
「それは本当にありがたい。気がかりが解消された」という会話を交わしたことらしい。

もうひとつ、その時に大内くんをおぶって保健室まで運んだという元サッカー部の人からは、
「オレが、『ヘディングはどうやるの?』と聞かれて、ヘンな教え方をしたせいであんなことになっちゃったんだと思う。大内が、志望校に現役で合格 した時は心の底からほっとした」と言われたという。

いろんな人の思い残しが取り戻せてよかった。
具体的な成果としては、NHKにお勤めの人に名刺をもらった。
息子の就活に、少しは役に立つかもしれない。

あと、ユーラシア大陸の旅行に無茶苦茶強い旅行社に勤めてる人からも名刺を頂戴したそうだ。
「老後に、シベリア鉄道の旅をしたいんだけど」と話したら、
「もう、まかせて!それは、うちが世界一強い部門なんだよ。個人旅行にすると高くつくから、ツアーを効果的に利用するといいよ。何でも相談して」 と言われたらしい。
これは、数年以内に予定を立て始めた方がいいかも。
行くのはもう10年ばかり先になりそうだが。

それにしても、中高一貫男子校の同窓会は良いなぁ。
なにしろ、女子がいないわけだから、家庭で待ってる奥さんも安心。
最近では、同窓会がけっこう不倫の温床になっていると聞く。
共学の同窓会で、大内くんみたいに背が高くて腹が出てなくて頭髪がふさふさ、しかもまだ大手企業に勤めてる、なんて言ったら、もう、元女子が取り巻いちゃうんじゃないかなぁ。
うーん、私も、大学の同窓会とか行く時、心を強く持たなければならないだろうか。
出がけに見る、全身の映る鏡が、私の心中の何かを強くそぎ落として出かけさせてくれるのだが。

全体に楽しい会だったようで、帰って私に「ありがとう。楽しかった」と言うちょっとセンチメンタルな大内くん。
私も、自分の大学とか会社とか、もう二度と顔を出せないし忘れちゃったし、と思った時期もあったけど、歳をとって出席してみると、驚くほど往時のことは覚えているものだし、自分の「これから」にもつながる良い出会いがいっぱいあった。

私が4歳年上、しかも心配性なせいで、大内くんとしては毎日やや老け込んだ会話を聞くことになる。
申し訳ないが、まあ、必ず老いるから、心の準備ぐらいはしておいてもいいと思うよ。
幸い、会社の中でも家族ぐるみでつきあっているような人が何組かはできて、定年後も会えそうな気配がして、嬉しい。
新しい友を得て、古い友を大切にする、心豊かな老後を目指して…やっぱり、まだちょっと早いか。

16年1月25日

昨日の夜は、ガストで試験勉強中の息子から大内くんに、急なSOS。
どうやら、「経済学」の授業にろくに出ていないので、内容がわからないらしい。
いくつか質問をしてきたが、大内くんだって、そんなものすぐには答えられない。
「とにかく帰っておいで」と連絡して、夜の11時から3時近くまで、「ミクロ経済学」について緊急講義。
一夜漬けの付け焼刃も極まれり。

まあ、その甲斐あってか、「数式は解けた。単語の穴埋め問題は出来なかった」という息子の経済学の単位はどうなるのか。
もう、余分に落としていい単位なんて、ほとんど残ってないんだぞ。はらはら。

翌日の今日も、昼間から早くもSOS。
「昨日は楽しかった。今夜も手伝って」
大内くんはもう、メロメロ。
やったこともない「統計学」を、2人して頭を抱えながらノートパソコンと買ったばかりの専門書を前に、苦悶する。

私は、まったくあてにされてない。
もちろん、あてにされても困るからいいんだけど、運命がひとつ狂っていたら、私も「統計学」(母校では「スタティスティックス」と呼ぶ人の方が多かった)を取っていたところなんだ。

いや、コミュニケーション専攻を目指して語学科に入学した私は、語学をやる気はさらさらなく、語学の研究に必要だという統計学を取る気もさらさらなかっ た。(コミュニケーションを学べば、人の気持ちがわかって、相互理解が進むのかと思っていた。期待していたのとは少し違う学問だった。当たり前か)
しかし、当時、これは語学科の必修科目だったのだ。
私立文系入学で数学は得意でないはずだが勉強熱心な寮仲間たちは、
「どうせ取らなきゃいけないんだったら、早いうちに。しかも、英語で!」と、こぞって「Statistics」の授業を受けていた。

私は、「いやなことはなるべく先延ばしする」という方針で、まあ、3年か4年生になったら取ろう、と思っていたんだけど、なんと、私が3年になる春に、統計学は必修科目から消えてしまった。
取らなくても、卒業できるわけだ。
早々と取ってしまった同期たちは、「何のために!」と天を仰いでいた。

その時はつくづく自分の強運に感謝したものだが、今、大内くんと息子が頭をくっつけてなんとか理論を理解しようとしているのを見ると、「取っていたら、さっそうと登場して説明してあげられたのかも」と夢想しちゃう。
(たんに、単位を落として留年していた可能性の方がずっと高いのだが)

まあ、そんな2人の邪魔にならないように部屋に引っこんでたが、3時間近くたってさすがに退屈になってきたのでリビングに行ってみると、今まさに、息子が何かを理解した瞬間らしかった。
「つまり、こうだよね!」
「そう!そのとおりだ!これで、答えが出る!」
こんな、「エウレーカ!」とか「ウォーター!」みたいな場面に出くわすとは、本当に私は運がいいなぁ。

しばらく興奮していた息子と大内くんは、やがてそれぞれの部屋に散って行ったが、大内くんはベッドに座った私に、
「息子は、実はあんがい数学センスがある。それに、やはり何と言っても頭がいい。キミのCPUと僕のメモリを持って生まれた傑作だ」と言って、喜んでいた。
「とにかく、理解が速いんだ。大まかに問題点を掴んだと思ったら、すっと論点に切り込む。頭が冴えている。若い頃のキミそっくりだよ」
まあ、確かに私は頭の回転が速くて、問題点を見つけるのはうまかったが、数学はできなかったぞ。

これで、少しでも単位取得の方向に向かってくれれば、と思う。
さすがに世話になったと思うのか、昼間、大内くんが、
「3月の合同ライブのチケット、取り置き頼むね。いやだろうけど」とメッセージを送ったら、
「全然いやじゃないよ。とっとく」とフレンドリーな返事が来た。

試験と就活とお笑いが一丸となって息子に押し寄せる今、彼を支える手助けができれば、と思う。
明日以降の試験はみんな、人文系というか、何とか文章をでっち上げれば済む演劇論とか小説論とかなので、親の手伝いはここまででいいらしい。
今週いっぱいで終わる試験だ。寝過ごさないよう起こす仕事は私にまわって来るが、そのくらいはしてやろう。
めざせ、フル単!
(受けてる授業全部の単位を取ること。この4年間、1度も達成したことはない。1単位も取れない「ゼロ単」は1年間経験したが)

16年1月27日

早朝に、アマゾンに萩尾望都の「王妃マルゴ」第4巻を注文したら、午後2時、およそ8時間で届いた。
これまでの最短記録は10時間だったので、記録更新だ。
いくら定価で買ったからって、たかだか500円ぐらいの本1冊を段ボールの薄い箱に収納して家まで届けてくれるなんて、昔気質の私はびっくりするやらもったいないやら。

確かに、欲しいものがすぐ手に入ると嬉しい。
でも、それはキンドルで買うとか別の手段もあるわけで、実際の物流を扱っている会社が、そこまで早く対応しなくてもいいと思うんだけどなぁ。

お正月にテレビを見ていたら、コマーシャルで、
「北陸沖で捕れて、一度も冷凍されないで皆さまの食卓に届く本マグロ」を宣伝してた。
これもなぁ、技術的には可能なんだろうが、冷凍ものじゃない本マグロを食べたければ、産地に行けばいいじゃないか、と思ってしまう。

そんなに何でもかんでもお取り寄せして、配達員さんたちは仕事が増えてお給料が上がって喜んでるんだろうか。
会社は儲かってるんだろうか。
大内くんがアマゾンで古本ばっかり買うから、うちの郵便ポストはいつも本で一杯だ。
1冊の古い文庫本を、ビニールでくるみ、封筒に入れ、宛名を貼って届けに出す。
毎日5、6冊届くそれらの本を梱包してるゴミもバカにならない。
なんだが、今の物流社会が不安になるよ。

16年1月29日

急に、「スローガラス」なるものを書いたSFが読みたくなった。
ボブ・ショウという人が書いたその本は、今はもうないサンリオSF文庫で、なんと古本屋で4千円という値段だ。
気絶しそうになるが、大内くんに、
「欲しいものなら買いなさい。今さら、出し惜しみしてどうするの」ときっぱりとはげましてもらったおかげで、決心がついた。

「光が中を通過するのに何年もかかるので、数年前の風景が映し出される」という「スローガラス」というアイディアはすごいと思う。
ボブ・ショウがこの発明品に関してもっとたくさん小説を書かなかったのは、実に惜しい。

「星新一とか、ドラえもんとか、湯水のようにアイディアを使いつぶしてるよね。『味ラジオ』や『ブロン』で、長編1本書いてもらいたい」と話して するっと通じるのは、さすがに30年以上のつきあいだ。
この人を失ったらどうしよう、と、「スローガラス」を使った短篇、「去りにし日々、今ひとたびの幻」を思い出して、号泣する。

そう言えば、友人たちに薦められてずっと読まなくちゃと思っていた羽海野チカの「ハチミツとクローバー」を読了した。
親しい女友達のMちゃんが、
「ハチクロには、私が少女マンガに求めるすべてが詰まっている」と名言を吐いた作品だ。
このフレーズはとても気に入ったので、何かをほめる時によく使わせてもらっている。
「西荻窪のキッチン・キャロットの『ステ盛りセット』には、私が洋食に求めるすべてが詰まっている」とか。
そのキャロットも今はない。再開店するというウワサを聞いて、ずっと気にかけていたのだが、本当に再開店した時は、もう元のキャロットではなかっ た・・・

話をSFに戻そう。
「ハチクロ」の最終巻に、「ドラえもんに出てくるグッズをひとつだけ選んで、短篇マンガを描く」という企画で、羽海野チカが描いたのが、名前は知らないが、
「書いた文字を写して食べると内容を決して忘れないパン(のようなもの)」についてのマンガだった。
宇宙人の星で拾われた地球人のコドモが、『宇宙大学』に行って初めて地球の日本語を習い、自分の脳裏に浮かぶ文字を理解できるようになる」というお話。
コドモがいる人はみんな号泣すると思う。

というわけで、号泣つながりでした。
ちなみに、4千円した本も、やっぱり裁断して自炊するのだ。
ただし、ここで「本としての息の根を止める」ことには耐えられそうにないので、大内くんの友達に頼んで、裁断済みのものを引き取ってもらうことにした。
向こうで有意義に活用してくれれば、と思う。


16年1月30日

とても寒い日。
天気は悪くないというか、やや曇りで、風がものすごく冷たい。
散歩に出て、お互い右手と左手をつないで、もう片方の手はそれぞれのポケットに突っ込んでたんだけど、ついにガマンの限界が来て、つないだ手を離して両手をポケットに入れ、2人して肩をすくめて歩く。
顔に当たる風が氷のよう。マスクしてくればよかったかな。
来週、北海道に行く前に、家に手袋あったかどうか探そう。
もしなければ、カシオペアを降りたとたんにソッコーで買わなきゃ。いや、行く前に吉祥寺で買った方がいいか。

もちろん今日のお目当てはいつもの「パッ・タイ」なんだけど、半分ほど食べたところで、前の席で「カオソーイ」食べてる大内くんに言う。
「私、もしかして、パッ・タイに飽きたかもしれない!」
大内くんはむしろ喜んで、
「じゃあ、次は『まめ蔵』にカレー食べに行こうよ。井之頭五郎さんの行った『カヤシマ』でもいいよ!」とにこにこしている。
そうだ、彼は、私よりずっと変化が好きなんだ。

「まめ蔵」でカレー食べて、息子に1人分テイクアウトしてあげるのもいいな。
でも、日曜から木曜まで留守にするから、大鍋いっぱいカレー作っといてあげようと、思ってたんだよね。
カレー責めのあとのカレー、系統が違えば大丈夫なのか?
そういえば、私たち自身、カシオペアの「パブタイム」(夜の11時から)のカレーが意外とリーズナブルなんで、食べようかと狙ってるんだよね。
リーズナブル、っつったって、1200円ぐらいはした覚えがあるけど、要予約の夕食のフルコースなんて、7千円だもんなぁ。

前に息子と3人で乗った時は、なんかジュースを飲ませてあげた。
その次に乗ったのは、息子が塾のバイト講師として合宿に行った時で、大内くんと2人、ロマンチックにカクテルなんぞ飲んだけど、ああ、思い出してしまった、1日遅れで家を出た息子が冷蔵庫の扉をきちんと閉めなかったので、家に帰りついてみたら冷蔵庫がピーピー鳴りっぱなしで、庫内温度10度。真夏のことだったからねぇ。
冷凍庫のものは肉も餃子もアイスも全部溶けてしまったし、冷蔵庫の方も、卵も牛乳も廃棄。
辛い作業だった。
そして、予言者としての私の能力がこれほどはっきり証明されたことはない。
「帰ってきて、冷蔵庫のアラームがピーピー言ってたら、どうしよう!」と、ちゃんと出かける前の日記に書いてあるんだから!

今回が4回目になるカシオペア、3月で廃線になるので、「ラストラン」のツアーがたくさんある。
最後に大内くんともう1度2人部屋に乗れて、とても嬉しい。
私は、彼と、密閉された空間にいるのが大好きなのだ。
そして、つきないおしゃべりをする。
いつかシベリア鉄道に乗る旅もしたいが、それも、密室でおしゃべりしたいから。
問題は、しゃべっているうちに眠り込むのが絶対私ではなく、大内くんの方だ、ってことだよ。
私も、たまには大内くんのお話を子守歌替わりに眠り込みたい。

とかなんとかしゃべりながら、今日はどうにか往復の散歩ができた。
片道3、40分だから実にちょうどいい距離なんだけど、私はおよそ身体を動かすことがキライで、散歩も、軽い運動として医者からは薦められてるんだけど、どうしても好きになれない。
とにかく、ある距離を歩いてしまうと、家に帰るまでにまたその距離を歩かなきゃいけない、ってとこがダメ。
家のまわりをぐるぐる回る、という手はあるけど、それもなんだかねぇ。

水中ウォーキングも退屈なだけだと去年の今頃、3カ所のプールに行ってみて悟ったし、さて、今年はどんな方法で、リバウンドした体重を戻そうか。

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