11月からこのHP、及び日記のタイトルが変わります。
インスタントコピーライターの大内くんに考えてもらいました。
「年中休業うつらうつら日記」です。
(元「主婦の本懐」)
16年2月1日
萩尾望都をまったりと楽しむ合間に、ちょっと浅野いにおに浮気した。
「うみべの女の子」という全2巻のその作品は、絵は細かくてうまいと感じたが、登場人物があまりカワイクない「やりたい盛りの高校生の話」だっ
た。
朝、息子を起こしたついでに聞いてみたら、「それはあんまり面白くない。
今、オレが読んでる『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』が面白い」と、あとでパソコンでググらなければとても聞き取れないような
タイトルを言われた。
今日も、
「3千円貸してくれ。最近、マンガたくさん買うんで、カネがいるんだ」と言われたので、
「母さんたちも読ませてもらっていい?」と尋ねると、「いいよ」と気軽な返事。
試験のために買ったのだろう、講義で使ったらしい本も面白そう。
大内くんは、アドラーの「嫌われる勇気」を行きの電車の中で読み終えたようだ。
息子も、「面白いよ」とメッセージをくれた。
彼の机の上には、入江杏「悲しみを生きる力に 被害者遺族からあなたへ」とか、池田雅之・滝澤雅彦「比較文化のすすめ
日本のアイデンティティを探る必読55冊」とか、やや怪しげな、しかし興味深い本がマンガと一緒に積み上がっている。
問題は、家で一番ヒマなはずの私が、どうして誰にもついて行けずに泡喰ってるのか、という点だ。
やはり、再読ばかりしているのがいけないのか。
それとも、読んでる最中に昼寝しちゃうせいなのか。老眼が進んでいるからか、レディースコミックを読むのをやめるべきなのか、知的好奇心の衰退が
止まらないのか。(嗚呼、アルジャーノン!)
いろいろ悩んでる間に、少しでも先へ行こう。今日は萩尾望都を読む!
全集を1巻から読んでると、悠久の歴史をたどるようだ。
ポーチで少女は子犬と遊び、モードリンは踊り、精霊は空を駆け、ママレードはおいしい。
最近の作品では、「ここではない★どこか」シリーズがとても良い。
「あぶな坂HOTEL」も好きだが、やはり、赤い服に見とれて転げ落ちてくる男たちばかりなのだろうか。
16年2月3日
今日は節分。
でも、コドモたちが大きくなってからはもう豆まきはしてない。
代りに入ってきた風習が、「恵方巻き」。
ひと口にやっと入る大きさの、15センチぐらいの棒状の太巻きを、「恵方」(毎年変わる。今年は南南東だった)に向かって、「丸かぶり」(ひと口
で食らいつくこと)しながら、黙って食べる。
食べてる間はおしゃべり禁止。
この風習は、5、6年前ぐらいに家にやってきた。
元々は大阪の方の行事らしい。
例に寄って最初は文句つける大内くんは、
「また、コンビニのヘンな流行に乗せられて」と冷たい目で見ていたが、東京駅で通勤の帰りに売っているのをよく見るようになったのと、何よりおい しいので、あっという間に降参した。
「年に1回食べる、あのおいしい太巻きが忘れられない。今年もこの日が来たと思うと嬉しい」と喜んでいる。
今年も、2週間ぐらい前から3本入りを予約して、家族で食べよう、でも、どうせ息子は起きないだろうから、彼だけ夜食べればいいや、と胸算用して
いた2月3日。もちろん早朝から仕事をしている大内くんのために、朝の6時に予約したよ。
私も早起きないしは徹夜して、ローソンに買いに行こう。
と思って本を読みながら朝を待っていたら、4時頃、急に睡魔に後頭部を殴打され、ずるっと眠りに落ちてしまった。
次に目を覚ました時には、大内くんが私を起こしながら、
「寝坊して、遅刻しちゃう。恵方巻きは、帰ってから」とだけ言って、あわてて出かけてしまった。
残された私は呆然としたが、時間は8時前。
そのまま再び寝入って、その次に目を覚ましたのが12時。真昼間だ。
息子はもうとっくにどこかに勝手に出かけてしまったようだし、やや不安定な気分で部屋を掃除してみたりする。
と、恵方巻きのことを思いだした。買いに行かねば。
幸い、ローソンの方では朝の6時に予約した客が12時に来ても全然かまわないらしく、恵方巻き3本セットと、サービスにお茶の500mlボトルを
1本つけてくれた。嬉しい。
そこから本やらマンガやらを読んでいたが、一緒に食べようと思ってるものがあるせいか、時間の進みが遅い。
萩尾望都を少し離れて竹宮惠子に入ってみたのもよくなかったようだ。
少しイライラしながら、大内くんからのカエルコールを待つ。
でも、そんなイライラは大内くんの声を聴けば吹き飛ぶのだ。
「これから帰るよ。恵方巻きは?」
「もちろん買ったよ!一緒に食べよう」
「うん、でも、恵方巻気だけじゃ晩ごはんとしてはさみしいね。豆腐はないけど、白菜だけ茹でて白菜鍋食べようか」
うん、柚子こしょうを知ってから、湯豆腐や白菜鍋は立派なおかずになって立ち上った。
そして1時間ちょっと経って、大内くんが帰って来た。お風呂に入ろうとしてる間に、
「息子に、恵方巻き食べるかどうか聞いてみるね」とラインを打ったら、しばらくして、「帰ったら食う」という返事が。
その時、大内くんは確かに「ちぇっ」と小さくつぶやいた。
できれば2本、ないしはせめて1本半の恵方巻きを食べたかったらしい。小さな男だ。
で、2人で同じ南南東を向いて、黙って1本、丸かぶりした。
参詣のノリで、いくつかお願いごともした。
無事食べ終わって、さて、今度は白菜鍋でごはんを食べよう。
ついでに言えば、日付が変わる直前に帰って来た息子は、
「今、腹いっぱいで、食えねー」とのことなので、大内くんが大喜びして、1本を半分に切ってくれた。
これだと「丸かぶり」にはならないので単なる夜食であるが、おいしくいただいた。
今年もいいことがたくさんありますように。
まずは、土曜日に友人2人と息子を誘って、柳家喬太郎さんの落語を聞きに行く。
その翌日は、夕方からカシオペアだ。楽しみだなぁ。
16年2月4日
新しいマンガが読めない。
自分が若い頃に読んだものは読めるのだ。郷愁を感じたり、同じ作者の新作に触れれば未来への可能性を感じるし、いろんな想いがわいてくる。
いくらでも読めるような気がする。
ところが、息子が買ってきたマンガを「これも勉強だ」と読もうとすると、何とも言えない違和感を感じる。
絵はうまい。ストーリーはやや奇天烈だが、何らか筋が通っているというか、この世界のお約束があるような気がする。
なのに、読めないのだ。
自分が旧人類の一種だとは認めたくないが、やはり、もうすでに自分なりの「マンガ脳」が育ちきってしまっていて、新しいものは受けつけないのだろうか。
そう言えば、最近、新しいドラマを観ずに「鬼平犯科帳」ばっかり観てるなぁ。
すべて新しいものへの可能性は断ち切られて、私は、これまで築 いてきた小さな世界で満足しなければならないのだろうか。
もちろん、それだけでも充分豊かであるとは思うものの、息子が鼻歌混じりに読んでいるあのマンガを、あの感覚で読みたい!
これはもう、一種の若返りを希求する壊れた心なんだろうか。
古いマンガを読み返すだけでも、日々はまわって行く。
新しいものと言っても、「ワンピース」や「ナルト」ぐらいなら、ガイジンも読むぐらいだ、 きっと身体には悪くないんだろう。
そう思っても、何かに追いつけない焦燥感がある。
夢の中で、走っても走っても先へ進めないような、足元をどんよ
りしたものにとられてしまっているような、倒れたらおしまいだ、何かに喰われてしまう、という恐怖心。
マンガは楽しいものだったのに、息子が自分の小さな領土を主張し始め、自炊が済んで空っぽになっていたテレビラックに、どんどん正体不明のマンガ
を詰め込むようになった。
これじゃ、家はまたマンガだらけになるじゃないか。
せめて自炊させてくれ、と言ってもこの侵略者は聞く耳を持たない。
かくして、リビングに、心理的には大変な質量のブラックホールが出現し、テレビを見ていても、扉のついた棚のひとつひとつの中身が気になって仕方
ない。
やりきれなくなって、書斎にこもり、アマゾンで買った本を自炊して過ごす。
昔は処分せざるを得なかった長編マンガが、今はいくらでも持つこ とができるのだ。
ジョージ秋山の「浮浪雲」を全巻読むことが、どれほど憧れだったか!
何かが間違っているような気がして、やはりまだ悪夢の中にいるような気がして、早くこの夢から醒めたい。
息子よ、マンガ持って出て行くか、全巻き ちっと整理して自炊させてくれるか、どっちかにしてくれ。
母さんは、認めたくないが、マンガの流砂に飲まれて沈む寸前だ。
16年2月5日
お正月に作ったオードブルのサーモンマリネがおいしかったし、評判も良かったので、毎週、吉祥寺に散歩に行くたび、駅ビルの中の優秀な魚屋さんで
スモークサーモンを買い、高級な八百屋さんでよく合うハーブ、ディルを買う。
始めに「つまみ」ありきで、大内くんはビールを飲むことを許され、
「あ〜、このマリネは絶品だよね〜」と言いながら大河ドラマ「真田丸」を観ながら350ml缶のヱビスをちびちびと飲む。
私は冷たい緑茶を飲みながら、つきあう。
お客さんに出す時は、サーモン1パックに対してタマネギ1個が適正な量だというのはわかっているけど、家でつまみにする分にはタマネギも充分おい
しいマリネになっているので、サーモン1に対してタマネギ2である。
もちろんタマネギだらけになるが、大内くんと2人の時は何食べててもいいの。
意外なことに、酸っぱいもの全般が苦手な息子も食指が動くらしい。
時々、「あの、サーモンのヤツ、少しちょうだい」と言ってくる。
しかしそこはまだそれ、コドモ舌だから、「あれ、ちょっとすっぱすぎる」とクレームがついたりはするんだ。
酸っぱくしないマリネって難しいよね。
酢とレモン汁を入れてるが、どっちか減らしてみるか。
オリーブオイルを減らしてサラダオイル足して、油の量を増やして味を薄めるか。
いずれにしてもこの週末は作らない。
北海道でサーモンパックの安売りを見つけたらクール宅急便で家に送ってみようか。
しかし息子もオトナになってきたなぁ。
昔は魚があんまり好きじゃなかったのに、この間、ちょうど我々の夕食時に帰って来た時、まさに「サバのみりん干し」を焼いていたので、他におかずを作ってやろうかと思いながら、「サバ、食べる?」と聞いたら、意外なことにうなずいた。
比較的大きなものが2枚だったので、両方から3分の1ずつ切り分けて、息子に出したら、特に何も言わずに食べていた。
干物が好きな子になると、料理が楽なんだけどな。
でもそれも、我々と同じ時間に食事をする時だけで、夜中にいきなり冷凍の干物を焼けと言われたら後始末の面倒(網を洗うとか)を考えて断ってしまうかもしれない。
何を頼まれても、キムタク主演のドラマ「HERO」に出てくるパブ(?)の店長みたいに「あるよ」と言って作ってしまう大内くんが、夜食担当でよかった。
16年2月6日
友人2人と大内くんと息子と一緒に、柳家喬太郎さんの「みたか勉強会」に行ってきた。
チケット取るのけっこう大変で、受け付け開始から17分で完売してた。
その中からゲットした5枚。ひとつだけ座席番号が離れてるから、息子をそっちにやろう。
満員のホールの中、まずは前座の「粗忽釘」。
若くて明るい。見てると嬉しくなっちゃう。
続く喬太郎さん、今日は「猫久」。
2つ目は「だくだく」。
ちょっとコントを思わせるような舞台運びが斬新な感じ。
とにかく若い子たちが頑張ってくれてた。
トリは、何をやるのか、喬太郎さん。
全然知らない話だし、ご主人と番頭さん、小僧さんのやり取りで笑いは取るものの、どうも深刻だ。
結末までが長かったが、少しも長いと感じさせない自在な演技で、もう、1人芝居だ。
遠くから人々の探す声が小さく聞こえるなか、祝言を逃げ出して来たお店のお嬢様と奉公人の徳さんは・・・
しみじみと胸にしみとおるような心中噺だった。
終演後、1人だけ離れたとこに座ってた息子と合流し、このあと用があって一緒に飲めないらしいので、「どうだった?」と尋ねたら、「訊くのは野暮だね」と言われた。
確かに、無常がしみいるような長い長い時間のあとで魂を抜かれたようになっている彼に、そんなこと今さら訊くまでもないかも。
一本取られた感がある。
息子と別れて、さて、と友人たちと4人で前にも行ったお蕎麦屋さんで「落語のあとのぬる燗」を楽しもうと思ったら、前回と同じく、開店は40分後。
いったん散会して、各自、適当に時間をつぶし、開店時間に再び店先で集合してみると・・・!なんと、4、5人の行列ができているうえ、予約のお客さんがたくさんいるので、入店は無理、ということが判明した。
こんなことなら、誰か1人、並んでればよかった。というか、予約しておけばよかったわけか。
去年、この蕎麦屋を嗅ぎ当ててくれたゲームデザイナーの仕事をしている友人男性が、再びその嗅覚を発揮し、いいカンジの「西洋居酒屋」みたいなとこに入る。
じっくり腰を据え、ぬる燗でおいしいおつまみをいろいろ食べてみたら、大当たりの店だったのは本当に幸い。
地元民が店を知らないのは申し訳ないと思うけど、家族で 暮らしていると、案外、近くで外食ってしないものなのよ。
中学時代の友達がやはり落語を聴きに行って、終演後に居酒屋に入ろうとしてもお店がまだ開いてない!と不満をもらしていた。
「落語は3時から開演せよ。ないしは、居酒屋は4時から営業せよ!」という彼女の言葉は、下戸の私の胸をもうつ正当な叫びだった。
なぜに空白の時間帯がある?
もしかして、落語を聴いたあとはすぐ飲みに行ったりしちゃダメで、小一時間、散歩とかしながら今しがた聴いた落語を頭の中でリフレインさ
せて味わうべきなの?そういう設定?
我々は明日から北海道に旅行だし、友人女性は明日、仕事があるそうで、8時頃、軽めの宴会は幕を閉じた。
落語とあわせて、本当に楽しい時間だったなぁ。
なんでもすぐ団体を作りたがる大内くんが名づけた「喬友会」、3回目の活動でした。
4回目は8月かな。チケット取れればいいんだけど。
そうそう、蕎麦屋の予約もしておこう!
その時はまた息子も参加させて、今度こそぬる燗で一杯やりながら、いろいろおじさんおばさんの苦労話を聞かせたい。
実際、この歳になるといろんな「大変」が降って来るのを感じるもんだから。
前座と二つ目の若い人が元気で上手で明るかったことに思いを馳せて、喬太郎さんの境地にはなかなか届かないが、小人は小人なりに精進努力したいと思う。
あ、期せずして、ダジャレ。
(とかいちいち説明するから野暮なんだよなぁ。すみません)
16年2月7日
カシオペアでの夜更かしに備えてゆっくり朝寝をし、お昼に家を出て、上野動物園へ。
「動物園南北戦」だ。
あいにくパンダはお休み中らしい。
旭山動物園で見ることになるペンギン、シロクマなどをけっこう重点的に見る。
モノレールに乗った。混んでいた。
家の近くに井之頭動物園があるので、動物園は比較的よく見ているかもしれないなぁ。
家から歩いて30分のところに象がいる、ってのはなかなかいいものだ。
ただ、やはりオリの中にいる動物、特にノイローゼ気味にぐるぐる回ってる大型の肉食獣なんか見ると、かわいそうという気もしてくる。
動物園を出て上野駅に入り、カシオペアに乗る前にお弁当を買い込む。
大内くんは小洞天の「焼売弁当」。日本橋にお店があって、とてもおいしい中華料理屋さんなのだそうだ。
私は大学生の頃、帰省する時によく東京駅で買った頃から変わらない「チキン弁当」。
食堂車の夕食は高いが、夜遅い「パブタイム」には1200円ぐらいのリーズナブルなカレーやパスタがあるようなので、夜食が食べられるといいな。
いちおう用心深く、夜食を食べ損ねた時用に「万世のカツサンド」も買っておこう。
入線しているカシオペア、3月が「ラストラン」のためか、いつも以上に「撮り鉄」たちが群がって写真撮影をしている。
ふふふ、今から乗るの。ちょっといい気分。
「1122号室」は「いい夫婦」の部屋。(笑)
カシオペアの中は本当に良くできている。
車両端の2部屋は少し高さがないせいか、1階建ての3人部屋。
息子が小学生の時かな、一緒に乗って北海道に行った。
他の部屋は上下2階に分かれ、それぞれが2人用の個室。
最後尾だけは2階を両方、リビングと寝室として使う、スィートだ。
ドラマの「相棒」で、水谷豊が乗ってたことがある。犯人護送中だったかな。
「飛行機で1時間半のところを、18時間かけて行く、それが、贅沢というものですねぇ」と右京さんが言っていた。
本当に、贅沢。
狭いが実に機能的にできている客車に、あいかわらず感心する。乗るのは3人部屋も入れて3回目か。
何しろ各個室にトイレがついているのがすごいと思う。
壁にたたまれた洗面台とか。
興奮しているうちに、いつの間にか動き出した。
靴を脱いでスリッパに履き替え、ウェルカムドリンクも配られて、さて、ごはんだ。
向かい合せたソファに座り、目の前の卓で、それぞれの駅弁を食べる。おいしいね。
しばらく話をしていたが、せっかくだから、とソファを引き出して広げ、互いに90度の角度に寝ることになるベッドを2つ、作る。
シーツを敷いて、毛布と枕を出す。
「寝心地いいよね。ホントによくできてる」と壁の埋め込みテレビを見たりしているうちに、列車の心地良い振動に負けて、大内くんはあっという間に寝入ってしまった。まだ7時にもならないのに。
まあ、夜中に起きていておしゃべりをするつもりだから、と、放っておいて、持参のiPadで本を読む。
今どのあたりかわからないけれど、空を見ると、星が綺麗だった。驚くほどの、満天の星。
普段、家のベランダからオリオンを見る時、目が悪くなったせいで剣の部分が見えなくなったと思っていたのに、三つ星のベルトから下がった剣がはっきり見えた。
外はもう、雪景色。列車の中はとても暖かく、居心地がいい。
9時45分からパブタイムで軽食が食べられるので、20分前に並ぼうと大内くんを起こし、勇んで出かけたら、11号車から3号車までけっこう距離があったのもよくないのか、もう長い行列ができていた。
ちょうど我々の前で満員になってしまい、天を仰ぐ。
でも、前にいた、列車内で知り合ったらしい大学生の鉄ちゃん2人が、さらにもう1人のおじさんの鉄ちゃんと楽しそうに談笑を始めたのに、何となく喜びを感じる。
彼らは相席になったようなので、きっと、鉄分の高い話をするんだと思う。
やはり、鉄ちゃん度が上がっているような気がした。どうして廃線になっちゃうのかなぁ。残念だ。
部屋へ戻る前に我々の車両の次、最後尾12号車の展望室へ行ってみる。
数人の鉄ちゃんがあれこれ写真を撮っていた。
駅弁を食べてからもう5、6時間たつんだな。おなかすいた。部屋で万世のカツサンドを食べる。
フェイスブックに車内の様子を送ったり、しゃべったり、時々大内くんが眠りそうになるけど、なんとか午前2時。青森で機関車交換。
最後尾のスィート車両の前に付け替え、逆向きに引いて行くのだ。
展望室は鉄ちゃん鉄子でいっぱいになり、一番前にいる人たちは熱心に窓ガラス向こうの下の方を撮っている。
連結器を外したりする作業を写してるんだと思う。
関心がない者から見ると、どうしてそんなに一生懸命、と思うぐらいだ。まったく、趣味というものは面白い。
部屋に戻り、大内くんは歯を磨いて寝てしまったけれど、私は雪が降る窓の外をずっと見ていて、列車が動かないのを心配していた。
私がやきもきしたからって動くわけじゃないんだが。
一応ゆっくり動き出したのが午前4時。私も少し、寝て行こう。
16年2月8日
旅行2日目。
7時に目を覚ますと、1時間遅れで函館。
雪のホームを、鉄ちゃん鉄子が大勢走っていた。
大急ぎで外から車体を写し、また戻って来る模様。
函館で積み込んだサンドイッチを売店で3箱買う。あったかいコーヒーも。
6箱しか入荷がないじゃないか。
売店が開くのを並んで待っていてよかった。買い損ねたら、空腹との戦いだ。
でも、ハムがぺらっと挟んであるだけだったりするのは、つまんないなぁ。
どうも夜のうちにけっこう雪が降ったらしく、除雪作業に時間がかかったらしい。
札幌着も1時間15分遅れの予定。
大内くんは、ソファに坐りなおしてあれこれ算段し、「いざとなったらお寿司をあきらめよう!」とか何事か計画していた。
この頃はこういうのを全部おまかせしているので気楽な身分。
ここ5、6年ぐらいか、出張にもけっこう行くようになった大内くんは、意外と頼りになるんだ。
で、12時過ぎに札幌に着き、カシオペアに最後のお別れを言って改札を出ると、ツアーのタクシーの運転手さんが「大内様」と書いたプレートを持って待っていてくれて、そのまま小樽まで連れて行ってくれる。
小樽では、お寿司を食べる。
待っているタクシーに乗って、運河クルーズの船着き場まで送ってもらい、小一時間あったので、そのへんをぐるりと一周。
昔、夏場に2人だけできたのはもう大昔か。
その時もお寿司を食べた覚えがある。
20人ぐらい乗ったクルーズ船(大きなボート、という感じ)では、前に関西の大学生らしき男の子4人組がいて、中の1人、茶髪の子が息子のサークル仲間そっくりだったので、思い出されて仕方なかった。
早くも「息子が切れる」私。
明治時代に埋め立てて造った運河で、普通は掘って作るので、珍しいらしい。
巨大な、缶の工場があった。大内くんは、「お得意様だろうか」と気にかけていた。材料の鉄を卸してるかもしれない。
海に出ると、海保の立派な巡視艇が4隻、税務署の船、警察の船、いろいろ。
海運の現場を守る船たちは、とても頼もしかった。
1時間ぐらいでクルーズは終わり。ベンチのお尻部分にヒーターが仕込んであるのか、あったかいのを通り越して熱くなっていた。
船着き場にさっきのタクシーが待っていてくれて、また札幌のホテルまで送ってもらう。
運転手さんはカシオペアのお客さんをアテンドするこの仕事が長く、
「新幹線が来るって言ったって、札幌まで来てもらわなきゃどうしようもないし、もう、明日のおまんまをどうしよう、って気分ですよ」とこぼしていた。わりと愚痴っぽい人だった。
しかし、明日行く旭山動物園の見どころ(カバが面白いらしい)とバスツアーと靴に着けるすべり止めについて貴重な情報をくれた。
「札幌から旭川、そんで動物園だと、1、2時間いられるかなぁ。そこから『ガリンコ号』ってことは、紋別でしょう?網走のは『オーロラ号』でね。バスで3、4時間はかかりますよ。サンセット・クルーズやって船が帰ってきて、札幌に戻るのに軽く4、5時間かかります。路面、凍ったりしたら速度制限になって渋滞するし。いやあ、こりゃ、大変なツアーだ。よそのことだからあんまりあれこれ言っちゃいけないんだけど、私なら、やりませんね」
と言ってる間に札幌駅前のホテル、「モントレ札幌」。どうもお世話になりました。
これが、5時頃の話。
チェックインしようと思ったら、札幌駅でも小樽でもたくさん見た、中国、韓国の人たちが大きなトランクを転がしている。
しつけのなってないガキは、たいがい日本語でない言語で騒いでる。
キーをもらって三階の部屋に行ってみると、随分広いなぁ。歩き回る空間が十二分にある。いや、十八分ぐらいある感じ。
タクシーにアテンドしてもらうこととか、我々も豪華な旅行をするようになったもんだ、と感慨深い。
荷物を整理し、少し休んでから、地下鉄ひと駅離れた「雪まつり」会場へ。
途中のコンビニで、運転手さんから教わった「靴の滑り止め」を買う。
1組680円、つま先の方に金属製のスパイクを、かかとに回した丈夫なゴム紐で装着する。
うん、雪が少し積もっているところにガシガシと食い込んで、いいカンジ。
会場は、大通り公園全体を使っているようだ。
大きな滑走台を造り、スノボーのショーをやっていたし、陸自が頑張って協力しての、「進撃の巨人」のワンシーンが巨大な雪像になっており、ライトアップと音楽が派手で、集団催眠にかかりそうだった。
食べ物屋のブースがやたらに多い。しかも多国籍。
人混みで、歩きにくいぐらい。相当な人出だなぁ。
奥の方まで歩いて、やっと、イメージしていた「雪まつり」の雪像(中くらいから小さいもの)が並んでいた。
しかし、ここまで派手なものを見て歩き過ぎたため、力作も全部「雪だるまの凝ったヤツ」みたいに見える。
審査の基準は「欽ちゃんの仮装大賞」みたいな「ほほえましさ」だった。
歩き疲れたのでタクシーをひろってススキノへ。
ここは、息子が大学1年の夏に「ママチャリで北海道まで」という旅を実行した時に、「とても好きな雰囲気の街」と言っていたので、ぜひ来てみたかったんだ。
「探偵はバーにいる」って映画の舞台にもなったよ。
吉祥寺に雰囲気が似ているような気がするが、ビルに入ってる呑み屋さんとかの数がハンパない。
これは、歓楽街だ。
「氷まつり」で、氷像がたくさん並んでいた。
ススキノのお店が出している作品が多いような気がする。
「魚をたくさん氷に閉じ込めた」傑作は、「すしざんまい」の名物社長の看板がでかでかとついていた。
歩き疲れたので、タクシーで「サッポロビール園」へ。我々、いつの間にこんなにタクシー慣れしちゃったんだろう?
このタクシーの運転手さんは楽観的で、
「新幹線が来れば、やっぱりお客さんが来てにぎわいますからね。助かりますよ。いずれは札幌まで来るんだし」と言う。
いろんな人の、いろんな意見だ。
少しくたびれて食欲がないので、目指していた「生ラム食べ放題」のコースはやめて、「生ラム2人前」にしておいた。
大内くんは「ファイブ・スター」というビールがおいしいと、中ジョッキ。私はヱビスの小。(このあと、大内くんはおかわりにヱビスの中)
外国人であふれる店内に向かい合って座ったら、私の視界は欧米人だらけ。私の後ろ、大内くんの視界はアジアが広がっていたらしい。
少し丸く持ち上がった浅い鉄カブトのようなジンギスカン鍋は、周囲が少し工夫してあって、北海道のデザインになってる。
写メ撮って息子に「サッポロビール園の生ラム食べ放題、覚えてる?」とラインしたら、すぐに、「覚えてるよ」と返事が来た。じーん。
小学校5年生だったから、12年ぐらい前だろうか。よく覚えてるなぁ。やっぱり大内くんに似て、映像記憶力がいいのかな。
その大内くんは、「前に来た時はあのへんの席だったような気がする」とか言ってるし。
ここのジンギスカンの魅力は、何と言っても「謎のタレ」。
オーダーした肉が来ると、お皿にたれを注いでくれるのはいいが、持って行っちゃうんだよ。
なんでなのか、前回、3人ですごく悩んだ。
今回、タレのポットが最初からテーブルに置いてあるのを見て、「方針変更したのかな?」と思っていたら、肉が来たら、あらら、やっぱりお皿に注いてくれたあとは下げられちゃった。
あんまり不思議なので、忙しそうに働くウェイターさんにビールのおかわりをお願いするついでに、
「なぜ下げるのか?」と真っ向から訊いてみた。
「お恥ずかしいんですが、ポットの数が足りないからです」
そんなわけあるかい、と思って、別のウェイターさんにもう1回訊く。
「ポットに、油がついてしまい、洗うのが大変だからです」
私は、実はこれが当たりだと思う。服や荷物を入れる袋をくれたり、紙エプロンをくれたりするぐらい、テーブル中、油だらけになるからだ。
しかし、それならなぜ違う答えが返って来るのか?
大内くんは、「秘伝のたれを使い過ぎされたり、持って帰られるのが心配だからだ」と言い張っている。
お腹いっぱいになって、タクシーでホテルへ。
お風呂に入って寝る。
部屋が豪華なのを楽しむゆとりもない。
明日は、タクシーの運転手さんにも脅された、過酷なバスツアーだ。朝も早い。頑張ろう!
16年2月9日
旅行3日目。
朝8時に集合のバスツアー。
昨日、タクシーの運転手さんに脅されてるので、とっても心配。
結論をおおざっぱに言いますと、
8時→(バス3時間。お弁当をもらう)→旭山動物園11時着、1時出発(2時間)→(バス2時間半)→30分ほど待って、紋別で砕氷船「ガリンコ号」サンセット・ツアー4時発、5時終了(1時間)→(バス4時間半。お弁当を注文したい人はしておく。我々はしなかった)→札幌に9時半着
という、実に長距離を移動する厳しいツアーだったが、幸いなことにまったく渋滞などでの遅れがなく、スムーズに移動できたようだ。
皆さん、バスの中では盛大に寝まくっていた。もちろん、大内くんも。
私はこういう時、あまり眠れないタイプだ。iPadで途中だったドラマ「エ・アロール」を観ていたら、山奥に入って電波が届かなくなってしまったので、映らない。
しょうがないので、ちばてつやの「のたり松太郎」を読んでいた。
(昔から乗り物酔いはしないけど、車の中で本を読んだ時だけは酔うのだ。マンガは大丈夫。普通の本がダメ)
さて、イベント毎にはどうだったでしょう。
まず、旭川の旭山動物園。
かなり高低差のある園内を、最初はずっと降りて行く。
「靴の滑り止め」がすごく役に立ったが、「アザラシ館」と「ペンギン館」では外さないといけなかった。床にプラスチックを使ってる部分があるので、傷がついちゃうんだって。
皆の足元を慎重に見張っていて、外すために座るベンチもあるし、入れるビニール袋まで用意してくれていた。
運ちゃんが教えてくれた「カバ館」が実はたいした見もので、水中の底がプラスチックになっている部分があり、泳いでいるカバのお腹が見える。
カバのお腹を下からのぞく。
こんな体験、したことないでしょ?
足が短くて、よく陸上で歩けるなぁ、という感じだが、水中ではあんがいよく動く。
これもポイント。
「よく動くカバ」、他の動物園ではあまり見られない光景だ。
満足してカバ館を出てきたら、ちょうど、「ペンギンのお散歩タイム」。
ディズニーランドのエレクトリカル・パレードみたいにロープが張られ、見物客がルートで待っている。
ただ、さすがにディズニーランドほどの人出ではないので、10分ぐらい待つ気持ちがあれば充分ロープの真ん前で見ることができる。
「前列の方は、しゃがんでください。しゃがめない方は、後ろから見てください」とアナウンスされたので、大内くんに前でしゃがんでもらい、その肩に上半身を預けるように、後ろから立って見ていた。
15羽ぐらいのペンギンの集団が、目の前をよたよた歩いて行く。
雪の上をお腹で滑って行く無精者もいる。
ゆっくりなので、写真もたくさん撮れたし、胸元の鮮やかな黄色い羽毛や、パタパタさせている腕(羽根?)、それから、意外とすり切れてみすぼらしくなってるしっぽまで、目の前で実によく見ることができた。
ペンギンって、なんであんなにカワイイんだろう。
人間が歩く様子に似てるからだろうか。
昔、どこかで、「南極越冬隊の姿を見ると、『自分たちに似ている2足歩行の生き物、何だろう?』って、人間を全然警戒しないで近づいてくる」という話を聞いたことがあるなぁ。
向こうさんは、ひしめき合って自分たちを見ている「ヒトの群れ」をどう思ってるんだろう?
ペンギンの団体さんが通り過ぎて行ったので、人混みがほどけてあちこちの建物に吸い込まれて行く。
我々は、素直に「ペンギン館」。
2階からは、水に飛び込む順番を待って並んでる姿や、羽ばたいて水中から上がってくる姿がよく見える。
1階に降りると水槽下部で、びゅんびゅん泳いでるとこが見られる。
行動を見せる、ってとこが、旭山動物園のウリらしい。
NHKに勤めるFB友達が、
「同じ素材も切り取りかたによって異なるコンテンツになり得るという好例」という感想を述べていたのがよくわかる。
ペンギンのお散歩でだいぶ時間を取られたので、猛獣ゾーン等はスキップして、帰り道へ。
いったん丘の下まで来てしまっているので、上りは相当キツイ。
心臓に持病があって動悸がするので、ゆっくり、ゆっくり、登った。
何とか集合時間にゆとりを残して上の出口までたどり着けたので、のんびり時間をかけて装備交換。
というのも、Tシャツの上にヒートテックのフリースタートルネックを着て、さらにネルシャツを着て、その上から上着を着ているのだが、屋外ではそのくらいの装備が必要でも、これから何時間もバスの車内に閉じ込められることを思うと、ヒートテックを脱いでおきたい。
更年期障害の一症状である火照りや発汗に悩まされているここ2年ほどだ。
それに北海道というところは、外が寒い分、建物や車内の暖房が充分すぎて、暑いくらい。
10年ぐらい前に、札幌出身の大内くんの友達が、
「中は薄手にしておいて、上に分厚いものを着るといいです」と教えてくれたのを、今でも守っている。
「滑って転んだ時に備えて、手荷物はリュックにして、両手をあけておきましょう」という教えも。
無事に全員集合、定時出発、予定よりも早く到着するスムーズな旅程。
ただ、暖冬の影響で、流氷は少ないそうだ。
流氷をガリガリ砕いて進む砕氷船も、「ハスの葉のように水面のあちこちにある小さな流氷を『どけて』進むだけ」らしい。
それでも、沈む夕陽を水上に映して茜色に染まった空と海を眺め、流氷のカタマリを見ていると、それだけで十分楽しい。
1時間のクルーズ中、4分の3ぐらいは1階の席に座って窓から海面を観察し、風景を見て、いよいよ一番沖に来たかな、というあたりで、ちょっとデッキに出て遠くの空を撮影したりした。
思ったほど海上も寒くはないが、手袋をしないと手が痛い感じはする。
だが、手袋ではスマホやカメラが操作できない。
脱いだりはめたり、けっこう忙しかった。
予定通りに戻ってきて接岸し、またバスに乗って、帰り道。
2回のトイレ休憩をはさんで、ほとんどの人が眠っているバスは夜をついて走る。
大内くんもぐっすり。
電波が悪いのはずっと変わらないので、「のたり松太郎」を読み進む。
何回読んでも面白いなぁ。
何百冊もの本を旅先に持って行けるiPad、本当に便利だ。
さて、時間より早くホテルに着いた。
大内くんが思いついて、前に泊まった姉妹ホテル「モントレ・エーデルホフ札幌」の露天風呂が使えないかフロントに電話して聞いてみたら、割引券をくれると言う。
1人860円だが、14階の絶景露天風呂が気持ちいいので、いったん解きかけた旅装を軽く直して、徒歩3分ほどのエーデルホフへ。
「45分でね」「うん、休憩室でね」と別れて、浴場へ。
さっそく露天風呂へ。うひゃ〜、寒い!お湯に入ると、別世界!
そう広くはないし、外がよく見えるわけじゃないんだけど、冷たい外気に頭をさらしていると、いつまででも入っていられそう。
人間、頭が冷えていれば「のぼせない」のだなぁ。
それでも温まり過ぎてきたら、少し上がって上半身を外気にさらす。
うん、エンドレス。
おまけに、粉雪が降ってきた。頭の中でレミオロメンが鳴る。
顔に、吹雪っぽい風と雪が吹き付けてますます気持ちいい。
一緒に入ってる人の頭を見ると、「傘地蔵」状態になってるし。
結局、サウナも泡風呂も全部無視して、髪や体を洗う時間以外はずっと露天風呂で過ごしてしまった。
うっかりヒートテックを着てきてしまったので、汗をかかないよう、サウナ外の「かかり水」でよく身体を冷やす。
大内くんも時間厳守で上がってきてくれたので、「気持ちよかったね」「『こな〜ゆき〜』だったね!」と言い合いながら、激しくなり始めた雪の中を自分たちのホテルまで帰った。
コンビニで買った夜食を食べ、やっとひと息。
ガラナエールもたくさんある。
東京ではめったに買えないので、昔の北海道旅行で大好きになってしまった大内くんは、「セイコーマート」でこれを買わないと気が済まない。
そう言えば、エーデルホフの近くにセイコーマートがあった、と記憶していた大内くん、すごい!10年ぐらい前の話なのに。
この人の、映像記憶力は本当に尊敬する。
それにしても、どこに行っても大型バスで送り込まれてくる中国、韓国の家族連れでいっぱい。
あらゆるトイレには、「トイレットペーパーはくずかごに捨てずにトイレの中に流してください」という表示が、日英中韓で書いてある。
アジアの紙は、ごわごわして水に溶けないんだろうなぁ、と想像する。
国ごとに事情が違うのは当たり前で、仕方ないとは思うが、よく張り紙を見て、指示通りに使ってもらいたい。
「デパートのトイレの洗面所で、子供に用を足させていた(しかも、大)中国人がいて、店員さん、大パニック」なんて話を聞くと、彼の国の人々の「爆買い」から不愉快になってしまう。
この旅で、日本語を話さない人々からは離れていたい、と思うようになってしまった。
極彩色のダウンジャケットを着た恰幅のいいお父さん率いる家族連れを見ると、避けたくなる。
もっとも、悪名高かった「農協」の時代とか、バブルの頃の日本人は、欧米人から同じような目で見られていたんだろうなぁ。
露天風呂でもタオルをお湯に浸してる中国人母娘がいて、「掲示を読め!」という気分になるけど、胸を隠すようにしているのを見ると、それが向こうでは当然の風習なんだろう、仕方ないか、とも思う。
昔、国際色豊かな大学の女子寮に住んでいた頃、「パンツを履いたまま入浴するフィリピーナをどうするか」と、みんなで真剣に悩んだものだ。
「全裸で他人とお風呂に入るなんて!」と、向こうにしてみれば思うんだろう。
しばらく北海道のテレビを見たりして楽しんでいたが、1時過ぎて、
「もうダメ、眠い、とにかく寝よう、明日の朝食には起きるが、そのあと空港に向かうのは昼頃だから、12時のチェックアウトまで寝よう」とほとんど意識を失うように倒れる大内くん。
私は、家でそうしているように、少し読書をしてからでないと眠れない。
「のたり松太郎」よ、入幕せよ!
16年2月10日
北海道旅行最終日。
すみません、更新が間に合わないので、飛行機が雪で1時間15分遅れたけど、無事に帰って来られて、羽田からバス便で吉祥寺(45分!超スムーズ!)、吉祥寺からまたバスで自宅まで帰れた、ということだけご報告させていただいて、今週の日記は終わりです。
会いたくてたまらず、旅先から「母さん、寂しいよ。寂しくない?」と聞いたら、速攻で「全然」とノックアウトを食らう。
「無事帰って来たよ!」と報告したら、相手は、「今日帰らない」とラインして寄こした。
もう、切れてるのに。禁断症状が出そうなのに。
思ったより全然家が汚れてないとか、風呂場の髪の毛から察するにカノジョ泊まりに来たなとか、いろいろ感慨深いけど、とにかく洗濯機を2回まわして息子の4日分の洗濯物と自分たちの旅の洗濯物を洗う。
息子用に作り置きして行った大鍋カレーは3分の2以上余ってるので、我々のごはんはカレー。
明日も祝日でお休みなのは本当にありがたいと思いながら、久々の自分ちのベッドで、やっと私も熟睡するのでした。
16年2月13日
朝起きたら、息子がリビングに布団敷いて寝ていた。
「どうしたの?」と聞いたら、
「壁にカビが生えているのが気になって眠れないから、こっちに来た」という答え。
シャワーを浴びた彼が出かけてから大内くんと2人でシーツをはずし、マットレスを運び出し、ベッドを横倒しにしてみたら。
うわー、確かに結露のせいだろう、壁から床までカビだらけ。
こういう時、非常に頼りになる大内くんは、さっそくバケツにお湯を汲んできてゴム手袋をし、床や壁の掃除を始めた。
「これは、彼が嫌がるわけだよ。黒カビの上に白カビが生えてる、って状態だ」と言いながら、ベッドの枠も拭き、仕上げに壁にカビキラーを噴霧。
「もう、この部屋はとうぶん窓を開けっ放しにしよう。息子にはリビングで寝てもらうことにして」
幸い、窓が2つあるので、扉を閉めても充分換気ができる。角部屋ならばこそだ。
もっとも、外気に触れている壁がかびちゃうんだから、角部屋の弱点とも言える。
大内くんは、前々から自分が出窓からの冷たい空気に悩まされていることもあって、窓を、2重窓にすることを考えていたらしい。
「結露防止になって、掃除も楽になるよ」と言う。
今使ってるサッシの会社に電話したら、土曜に見積もりに来てくれるって。
幸い、息子は火曜から木曜まで合宿で不在だ。
「見積もりに来てもらうまで、部屋とベッドを充分に乾かして、息子はしばらくリビング暮らしだね」
私のベッドは北向きの小さな窓に横っ腹を向けておいてあるのだが、どうもこちらもかなり結露しているようだ。
我々の寝室と息子の部屋の窓、全部で4つ、全部2重窓にしよう。
家のメンテってのは大変だなぁ。
16年2月14日
今日はバレンタインデー。
くたびれたので何もやる気が起きない。
大内くんはとても珍しいことに、休日出勤で会社に行ってしまったし。
ぐずぐずと過ごす。
午後は彼と吉祥寺ででも待ち合わせてごはん食べようかと思ったけど、午後を過ぎた吉祥寺はたいそう混むからやめておいた。
バレンタインといえば思い出す。
高校の頃、文化祭でギターを弾いて歌ったら、下級生のファンクラブができて、バレンタインにはその子たちからチョコレートをもらった。
しかもわが母校は共学である。
女子校ならそうめずらしい風景ではないのかもしれないが。
過去の栄光にすがらないと生きていけないというのも困ったもんだ。
大内くんが息子に、
「母さんは昔すごくカッコよくてモテモテだったんだよ。パパが争奪戦に勝って結婚してもらったんだよ」と言っても全然信じてもらえない。
何しろ体重25キロ増だからなあ。
彼が生まれてからこの方、カッコ悪いとこしかお見せしてないし。
息子のために、シチューを大鍋いっぱい作り、牛乳を8本買いだめして週末が終わるのだが、冷蔵庫を満杯にしてやれやれとひと息ついたとたん、
「明日から合宿行くから、3日間いない」と言われた。脱力。
どうして自分の予定を前もって話してくれないのか。
大人が一緒に暮らしているのに、同居人の予定が分からないというのは、相当困ることだぞ!
3月には卒業旅行に行くらしく(本人卒業できないのに)、それはまあ申告済みだからいいんだが、それぞれお金はかかるね。
本人も小さい声で「金食い虫だよな」とつぶやいていた。
すべて親からの借金だが、もう2百万を軽く超えている。
どうやって返してくれるのか、たいへん興味深いところだ。
でも、我々は親からお小遣いをもらうのが当たり前だと思っているよりは、形だけでも借金していると思ってくれる息子が気に入っている。
「返すつもりなんてないよ」と言う人が多いが、お小遣いをあげちゃったら絶対返ってこないじゃないか。
「大内信金」の取り立ては意外と厳しいぞ。覚悟しておくように。
16年2月16日
北海道から帰ってきて以来、ずぅっとぐんにゃり。
足腰が痛くて、立ち上がるのもやっと。
幸いというか、息子がサークルの合宿で2泊3日不在。
誰はばかることなく、1日中寝ていたら、少し元気になってきた。
やっぱり旅は、楽しいけれども疲れがたまる。
書き損ねていた旅行最後の日の様子はこんなふう。
16年2月10日
朝、寝たいだけ寝ていたいところだが、朝食を食べに行かなくっちゃ。
着替えて、朝食会場に行き、あまり変わり映えのしないバイキング式の料理の中から、私は、
「コーヒー、オレンジジュース、スクランブルエッグ、ベーコン、ポテトグラタン、ポテトサラダ、チョコデニッシュ、ヨーグルト」
けっこうがっつり行ってるなぁ。
それに比して大内くんは、
「ヨーグルト3つ、フルーツ、オレンジジュース」だけ。
彼もまた、旅の疲れか?
部屋に戻って、荷物の整理をし、もういつでも出られるようにしておいてから,私はベッドに倒れて爆睡。
いや、あんなに眠りの淵に引き込まれる、ってのも珍しい経験だ。
大内くんによると、時々目を覚ましては「味噌汁の作り方がわかった」とかつぶやいていたそうだ。
そんな状態で3時間ぐらい。大内くんもとろとろしていたらしい。
さて、12時チェックアウトなので、11時45分頃のフロントへ。
札幌駅まで歩いて、あとは電車で千歳空港だ。
さらば、札幌よ。お世話になりました。キミが冬季オリンピックで活躍したことは、生涯忘れないよ。
駅で、特急のチケット買って、やや混んでるホームで列の先頭に並ぶ。
「これなら座って行けるね。1時間近くかかるみたいだから、座れないとキツイよ」と大内くんと話していたら、電車が来て、あらあら、我々の前をド
アが素通りして行っちゃった。
ちがう列に並んでたんじゃないかっ!
もう、並び直してもとても座れる感じじゃなかったので、1本遅らせて次の電車の列に並ぶ。
表示札をよく見て。前には2人しか並んでいない。座れるか?!
10分ぐらいしてやってきた電車は、降りる人も多く、すいていた。
手近な席をささっとゲットして、ああ、これであとは終点の千歳空港に行くだけだ。
大内くんはあいかわらず寝ている。
この人は、旅の間中、何かを見る機会でもない限り必ず寝ていたような気がするよ。
無事に千歳空港。
家でたべる用と会社のおみやげ用に、「マルセイのバターサンド」を買う。これ、好きなんだ。
大内くんは少し険しい顔で、
「これが最後の贅沢だからね。帰ったら、これを食べ終わった瞬間からダイエットの始まりだよ!」と脅す。
旅行中に体重増えちゃったかなぁ。
大内くんが前に会社の人に連れてきてもらってすごくおいしかった覚えがある、というジンギスカン屋さんに連れて行ってもらう。
野菜をタレで煮て食べる感じがおいしいんだって。
悪くはないけど、私はやっぱり「サッポロビール園」だなぁ。
大内くんも、
「そこは、比べたらかわいそうだよ。あっちはすごい観光名所でもあるわけだし」と言っていた。
やっぱり、ジンギスカンはビールだよなぁ、と、飲めない私も小ジョッキをもらう。あとは飛行機の中で寝るだけだもんね。
早々に手荷物検査を受け、簡単にパスし、出発ロビーで待つ。
椅子の座り心地はいいし、ひらりひらりと雪の飛ぶ飛行場がよく見えて面白い。
しかし、にわかに不穏なアナウンスが聞こえてくる。
「札幌発東京行き○○便は、雪のため、出発が1時間ほど遅れます」
3時の予定だったのに、4時!
おまけに、もう1回アナウンスが入った時は、「1時間15分ほど遅れます」になっていた!
目の前の吹雪がひどくなってきたし。
大内くんは、
「飛行機が飛ばないんじゃないか。ということは、ここにいるお客さんのほとんどが今夜の宿を探して走り回ることになる。どうしよう」と真剣に困っていたし、私も心配はした。
だがまあ、2本ある滑走路のうち1本が使えなくなってる、というだけらしいから、飛ぶことは飛ぶんじゃないの?
実際、1時間近くになったところで、乗る予定の飛行機が着陸した、今から機内清掃等を行えば、すぐに乗れる、ってアナウンスがあったよ。
大内くん、頑張れ!
とうとう入場ゲートが開いて、乗れた。
荷物を上げて座ってシートベルトして、iPadをフライト・モードにして、もう万全。
雪がひどいので、大内くんはまだ心配してる。
「やっぱり飛べません。降りてください」とか言われたらどうしよう?とかつぶやいてるよ。
いよいよ飛び立った時、皆嬉しかっただろうけど、大内くんの喜び方は尋常じゃなかった。
そののちは、妙に早く羽田に着いた。
機長さん、ターボかけたのかしらん。
ギリギリのところで吉祥寺行きのバスを逃し、まあ、次が50分後に出るから、と空港内でのんびり待つ。
それにしても、雪のない景色というのは不思議なものだなぁ。
ついさっきまで、足元注意の雪景色だったのに、飛行機で1時間飛んだだけで、全然違うところに来てるなんて。
やがてバスが来て、わりとすいてて並んで座れた。
道路も、奇跡的にすいていて、吉祥寺まで45分。
そこからまたバスで、家まで10分。
ああ〜、帰ってこられた〜!
家は、倒壊しても焼け落ちてもいなくて、心配していたほど散らかってもいなかった。
息子はあんがい使い物になるなぁ。
16年2月18日
今日は息子が合宿から帰ってくる。
家で待ってる分にはそれほど寂しいものでもないし、何より、大人が2人で暮らしていると何でも話し合いで解決がつくというか、無駄なストレスが
少ない。
変な時間に食事を要求されることもないし、朝早くから家中を開け放して掃除することもできる。
ずっとこのままでもいいなぁ、などとまだゆとりで考えることのできる私である。
(これがもう3日ぐらい伸びると、「カムバ〜ック、息子」となってしまうのだ)
まぁとりあえず、鬼のいぬ間に命の洗濯。
就職して家を出たらこんな感じかなぁ。
大内くんは、
「就職しても、1、2年はお給料も安いし、生活も大変だろうから、しばらく家に置いてあげようかなぁ」と言うような恐ろしいセリフを吐く。
なんだかんだ言って「下僕体質」で、人にお仕えすることを何とも思ってないからなぁ。
おかげで私もずいぶん助かってはいるんだが。
いかん、旅行から帰ってきたばかりで、面白いことは何もない。
面白いことがないからこそ旅行に行くので、家に帰ってきたら当面いつもにも増して面白いことはないよ。
のんびり「鬼平犯科帳」でも観るかな。
16年2月19日
昨日の夜、息子が帰って来た。
特に合宿の話はしてくれない。いつものことだ。
それに、毎晩徹夜で「大喜利」でもやっていたのか、シャワーを浴びたらいつの間にかソファで寝入りそうになってる。
「オレの部屋、まだ寝られないの?」とは聞いていたが、特に気にすることもなく、寝られる場所ならどこでも眠りたいようだ。
リビングの床に布団を敷いてやって、そっちへ追いやる。
前後不覚になって寝ているよ。
我々も、北海道から帰ってきたり、息子が合宿でいなかったり、どうも落ち着かない。
私の、テンションが上がり過ぎてるんだろう。
たった今は、2年後に焦点を合わせた「ギリシャ・ローマ、クルーズの旅」で頭がいっぱい。
旅行から帰って来たばかりなのに、って思うでしょ?
でもね、列車やバスの旅行がしんどいのがわかったから、一番楽そうな「クルーズ」に1回乗ってみたくなったの。
もしかして、乗ってみたら実は船旅は趣味が合わないかもしれないし、そうしたらまた別の旅行プランを練らなくちゃだから。
カシオペアの個室で大内くんと語り合ったことが忘れられず、でも、シベリア鉄道は腰に悪そうで行けないかもで、それならサンクトペテルブルクに行くクルーズあるよ、17日間も会社休めないから、その前に1週間ぐらいのイスタンブールとローマに行くクルーズに行ってみて、ついでにローマに数日滞在、なら可能?とたたみかける私の思考法。
ところがねー、クルーズの予定って、毎年変わるんだよね。
私はキュナードって会社がやってる「クィーン・シリーズ」が好きなんだけど、今年あった「イスタンブールからローマ(チビタヴェッキオ)10日間クルーズ」ってのが、来年はもうない。
他の船会社も調べてはいるんだけど、なんとなくキュナードが好きなんだよね。それなりにコスパいいし。
というわけで、再来年クルーズに行くつもりなら、来年出るパンフレットをゲットして考えなくっちゃね。
まだまだ先の話。
もしもこれで「船の旅が一番楽で素敵」ってことになったら、遠い将来、世界一周の旅に出ることもあり得るかも。
70歳過ぎて元気で、貯金がそこそこ残っていたら、是非考えたいプランだ。
こういうのを、人は「夢」と呼ぶのだろうなぁ。
16年2月20日
一番北の端の息子の部屋と、その1つ南側の我々の寝室、角部屋で西側の壁が外に面していることもあり、冬は結露がひどく、息子の部屋の壁がかびてしまったのと、西側の出窓にアタマを向けているので肩口が寒い、という大内くんの訴えを容れて、二重窓を検討することになった。
前から考えてはいたらしいんだけど、北海道に旅行に行って、多くの窓が二重窓になっていることに感銘を受けたらしい。
時間きっちりにやってきたリフォーム会社の女性と、ガラス屋さんの男性が話を聞いてくれて、早速窓そのもののサイズを測ったり状況を見たり。
寝室をお見せしちゃうのでちょっと気恥ずかしかったが、医者にかかるのに裸になるのと同じだ。仕方ない。
窓を本格的に2枚にすると、工事も大掛かりになるし、当たり前だが、窓を2回開け閉めしなくてはならない。
「ちょっと、不便ですよね」と言いながら、ガラス屋さんは真空をあいだに挟んだ「ペアガラス」を薦めてくれた。
一部、工事が難しい点があるかもしれないけど、なるべくその方向で、とお願いし、今、見積もりを待っているところ。
「冷暖房効率は、劇的に良くなります!」と言ってくれたガラス屋さんに信頼すべきものを感じた大内くんは、「寒い寝床」から解放されることを夢みているらしい。
私は、正直「電気あんか」さえあれば全然寒くないので、大内くんのこの切望はわからない。
更年期障害は、足先が冷えるんだよね。
アマゾンで買った一番安いものを使っていたら、スイッチすらついてなくて電源を抜くだけ、しかも私はめんどくさがって抜かない(だって、どうせ1日中ベッドにいるのに・・・)という状況下で、北海道のタクシーに乗っていた時、ラジオで、
「電気毛布や電気カーペットなどが原因の火災が多くなっています」と言っているのを聞いた大内くんは、
「絶対スイッチのついてるやつを買いなさい!それから、大手メーカーのものにすること!PLがしっかりしてるんだから!」と珍しく激昂し、東京の自宅に帰るなり、私に買い替えを迫った。
不承不承パナソニックの5千円もするあんかを新しく買って、「前のは1030円だったのに」と悲しんでいる私だが、さすがに前のよりあったかいし、手元のスイッチで強弱も変えられるし電源も切れる。
これで更年期を乗り切ろう。
大内くん、ありがとう。
16年2月21日
乗っているトヨタのノアが、今年で11年目を迎え、6月には車検を通さねばならない。
「車は10年ぐらいで買い換えたい」と考えているので、決算前のセールもあることだし、と、近所のトヨタさんに行ってみることにした。
今のノアは、唯生の車椅子が大きくなった時にカローラワゴンから買い換えたものだが、3年半ほど前に腸閉塞を起こしたことをきっかけに
「胃ろう」「腸ろう」と「人工肛門」を建設せざるを得ず、管理が大変難しいことから、家への外泊がほぼ不可能になってしまった。
もう、唯生の車椅子を積むことはないかもしれない。
「それなら、もっと小さな車でいいね。もし車椅子を積むことがあれば、レンタカーを借りるという手もあることだし」と大内くんと話して来たので、車種は1500ccの「アクア」にほぼ決まっており、グレードと色の確認をして、3月までに買ってしまおう、という、あいかわら
ず話の早い大内家。
もちろんトヨタさんでは担当の人が大喜びで「ご商談」してくれて、まだ2年目の新人だと聞くと、
「息子も、数年以内にはこんな感じかなぁ」と勝手に胸を熱くさせている私。
上司がわきについて、細かく指導している。
仕事を覚えてる最中なんだろうね。もう数年すれば息子も…(以下同文)
グレードは、ホンットに普通の普通。スポーツタイプとか、全然希望しません。
カラーは、パープルを考えていたのだが、やや仕様が違うため、高いし、ミラーやドアの取っ手がカラーでなく銀色になると言う。
それはあんまり嬉しくないので、結局、グリーンにした。
最近、大内くんは使うタオルとかケータイのカバーとか、グリーンを使うことが多いのだ。
「僕の色。カエルの王子さま」と1人でつぶやいて笑っている。寒いぞ。
本当にもう、とんとんとーんと話が決まって、気がついたら百万単位の買い物がすんでいた。
もちろん大内くんは試乗もさせてもらい、私も助手席で、いい車だなぁ、と思った。
最近は、衝突防止装置とか、いろいろついてるんだよね。
大内くんが一番欲しかったのは、私が駐車場で隣の車にぶつけそうになった時に止まるメカだったらしいが、あいにく、前方の車に追突しない、という機能しかないらしい。
ただ、ギヤをバックに入れた時、モニタに映像が出るのはノアの時と同じだが、ハンドルを動かすと、「予測車体通過線」がモニタに表示される。
「このままだと、横の車に接触しちゃいますよ」というのはわかるわけだ。
「これがついてれば大丈夫!」と、もう3回も隣の駐車場の人のとこに謝りに行ってる(うち2回は同じ人)大内くんは、目に見えてほっとしてた。
私も最近判断力の衰えなどから車に苦手意識が出てきて、ほとんど運転することがなくなっていたが、かつては「かっ飛びの大内夫人」と呼ばれた名運転手だ、車が小さくなったらまたトライしよう。
これから10年ちょっとつきあう車。カエルの王子さまだから、名前は「ケロリン」にしようか。
「大事に乗れば、人生最後の車になるかもしれない」と大内くん、ちょっと厳粛な面持ち。
そうね、70歳過ぎたら運転はしないかも。でも、大内くんが70歳になるまでは、まだ18年もあるんだよ。
私が4歳年上なうえ、この頃気が弱くなって老後の心配ばかりしてるから、大内くんはバリバリの働き盛りでありながら、引退後の生活ばかり考えさせられている、という気の毒な状況だ。
50代はまだ若い。春も近いし、車も買った。
4月の納車を楽しみに、新しい季節を生きよう。
16年2月22日
大内くん海外出張プラス大阪出張で、明日の深夜まで帰らず。
「パスポートだけは忘れないようにしないと」と言いながら荷物の準備をしているのを見ると、本当に心細い。
朝は、4時半に起きて、成田行きのバスに乗るため、5時過ぎに出かけて行った。
徹夜して見送り、さて寝るか、とベッドに入ったが、そう簡単には寝られない。
本を読んだりしてやっとうとうとし始めた11時頃、息子に猛烈な勢いで起こされた。
「メシない?」
もう大学の5年生なんだからさぁ、自分で何とかなんない?
「カレーあるけど」
「うーん…スパゲッティが食いたいな。あと、味噌汁」
はいはい、文句言う気力もなく眠いぞ。その組み合わせは何なんだ、とは思うが。
私も軽く食べることにして、缶詰のミートソースを温め、パスタを茹でる。味噌汁も昨日の残り。
できあがって、「お、ありがと」と言われ、これが聞けるようになっただけでも、数年前よりははるかにましな状態だなぁ、と対面でガツガツ食べている息子を見る。
「ありがと!ごっそうさん!」と食器を乗せたお盆をカウンタまでは運んでくれるようになったので、まあいいか。
お皿を洗って倒れるように寝て、2時頃また目を覚ましたら、息子はもういなかった。
クロゼットを見ると、どうも、こないだ就活用に買った「いい背広」をコント用に持って行った気配が濃厚。
リュックに丸めて放り込む、という扱いをされて、入学式用の一張羅の背広はもうボロボロになってしまったので、
「コントには古いのを使うこと!」と厳命して新しいのを2着買ったのだが、まったく、どうしてこう人の言うことを聞かないのか。
しかし、3月1日には大学で「大就職説明会」があり、「いっろーんな会社が来る」とのことで、「もちろん出るよ!」と決然としていた、と一昨日あたり大内くんから聞いたので、最悪、背広はクリーニングに出してやろう。
翌日、3月2日には、彼のサークル活動としては最後になるかもしれない大きな大会への準決勝出場が決まっている。
しかも、同じサークルから2チームに参加して出るので、我々は、1日行くだけで2回、彼のお笑いが見られるのだ。
準決勝は2日間にわたって行われるので、1日に「寄せて」くれた彼は、親孝行だ。
ついでに、敗者復活戦への参加が決まっており、もし勝てれば、3月2日に彼を3回見ることができる。
この4年間、1度も見ることのできなかった「ピン芸」だ。
敗者復活戦はどうなるのか!?
決勝まで行ければ、優勝賞金30万がチームにもたらされるチャンスが。
去年、同じ大会の決勝まで行って、最後、同じ早稲田の先輩チームに敗れたものの「審査員賞」に輝き、チーム全員で大喜びしてた。
「5年生は、サークルはやめる」のが慣例らしいので、春以降の彼はどうなるのだろう。
と、大内くんに聞いたら、ちょっとびっくりしたように、「就活じゃないの?」との答え。
ああ、そうだった。
単位もギリギリの彼は、授業に目いっぱい出ながら就活もする。
と言っても何が起こるのか私には全然わからない。
私は、30年以上前に入りたいと思った会社に思った以上にスムーズにするすると入ってしまったもので、いわゆる「就活」をした覚えがほとんどないからなぁ。
それにしても、単位というのは、真面目にやっていれば3年で取れてしまうものらしい。
1学年下の、息子のカノジョが、
「もう、大学の単位はほとんど取ってしまったので」と言って、埼玉の実家に引き上げてしまったのだ。
アパートの引っ越しがあったのか、息子が持って行って「貸して」いたHDデッキが戻ってきた。
他にも、息子が彼女の家で過ごす時に来ていたのだろう、しばらく見た覚えのないTシャツや短パンがいっぱい出てきた。
やはり「貸した」かっこうになっている初代iPadは、引っ越す時には返してくれるだろうと息子は言っていたが、まだ使わせてあげたいようなので、黙認。
「仕事もあるし、東京にはしょっちゅう来ます」と言っていた女芸人志望のカノジョと、会う機会は減るんだろうな。
息子に、
「あんまり会えなくなるよね」と言ったら、「うん」。
「寂しくない?」「別に」
まあ、2人の絆のひとつとして、iPadぐらいは貸しといてあげよう。
「東京に来たら、またうちに泊まりに来ればいいよ」「うん」
無表情な息子からは、彼の内心は推し量れない。
でも、私だったらガマンできないなぁ。いくらラインやメールがあっても、寂しいよ。
大内くんが1泊いないだけでこんなに寂しいんだから。
16年2月23日
夜の11時頃、無事に韓国と大阪の出張から帰って来た。
非常に疲れたらしい。
だが、その疲れた理由をよく聞いてみて、驚いた。
受けた接待が、大内くんにとっては生まれて初めての「キャバクラ」だったのだという。
「いやぁ、もう、どうしようかと思ったよ。両隣に女の人が座るんだよ」
私も実はどういうところか知らないので、
「胸とか押しつけてくるわけ?」と聞くと、
「いや、そこまではいかない。むしろ、同行者たちが腰に手を回したりお尻を触ったりするのを嫌がってる風に見えた。でも、やっぱりかなりくっついて座ってるから、もう、どうやって遠ざかろうかと」
「楽しくはないわけ?」
「楽しいどころじゃないよ。僕は、初恋の人と結婚した一穴主義者として、死んだら神さまのところに行って『初恋大賞』をもらわなきゃいけないんだよ?それ
をこんなところで台無しにされたらと思うと、もう、あせっちゃって。とにかく、座ってると手を握られちゃったり太ももが迫ってきたりするから、ずぅっとステージに立って、カラオケ歌ってた」
「ふーん、実は楽しんで、ちゅーぐらいしてるんだったりして」
「うん、キスはした」
「はあ?」
「向こうの会社の人がさ、いや、もちろん男性だよ、『私は、あなたとならキスできます』って言うんだよ。で、まあ、何とか場を治めようとね、5回ばかし、キスしてきた。もちろん舌は入れてないよ」
「なんか、めまいがしてきた。それを、通訳する人もいるわけ」
「うん、ちゃんと通訳してくれた」
「それはさぁ・・・次に接待を受けたら、『日本の大内さんには美少年を用意して』ってことになるんじゃないの?」
「相手の男の人、かなり太ってたから、『デブ専』と思われたかも。でも、女の人の大群が来るより、マシ」
うーん、奥さんとしては、どういう顔をして聞いていたらいいんだろう。
もちろん私は嫉妬深いタチなので、心穏やかではない。
しかし、それを上回って、大内くんの困った顔は一見の価値があった。
「キャバクラ」っつーのは、昔で言えば「バー」みたいなもんで、女性がついてくれてお酒や話の相手をしてくれるし、多少のおさわりぐらいは「悪い手ね!」と大目に見られる、というイメージだが、実のところ、想像がつかない。
これまでの生涯で、バニーさんがいるところに1回だけ、学生時代に教授に連れて行ってもらったことがある、という大内くん、2回目の酒席女性経験
だ。
2人でひとしきり「ピンクはいかん、ピンクは」と気焔を上げた後、とにかく夜も遅いので寝ることにした。
なぜ、男性は女性のいる店へ行って飲むのだろう。
お尻を触ると楽しいのだろうか。
朝から満員電車の中で痴漢をするのもマメなヤツだと思うが、酒を飲むだけでもくたびれるのに、ついでに女性にも触ってしまおうとは、ある種のやる気は認めざるを得ないのかもしれない。
だが、大内くんは隠れもない愛妻家、もしくは恐妻家だ。「貞操は守った」と疲れ果てて帰ってきて可哀想。
どうぞ皆さま、彼にいい思いをさせてあげたいと腐心して、無駄な費用を使わないでください。
この人は、ガード下のおでん屋でおっさん同士語り合うのが、一番好きなんです。
16年2月25日
今日は朝から「半日人間ドック」。
大内くんの会社で、社員の配偶者を対象にやってくれるのだ。
昔、社宅があった時分にはレントゲン車やさまざまな検査をするバスがやってきたものだが、今では近所の病院で行われる。
もちろん大内くんの会社の奥様方以外にに受けに来ている人も多いので、なかなかの混雑だ。
朝の8時15分から来てると言うのに、もっと早い人がいっぱい。
前もって用意してあった検便、尿などの検体を渡し、ロッカーのカギをもらって検査着に着替え、メインの待合室で待っていると、実にいろんなことの
ために呼ばれる。
血圧、採血、視力検査、眼圧検査、聴力検査、肺活量検査、身長・体重測定、婦人科検診、骨密度測定、心電図、乳がんエコー検査、肺レントゲン。
いよいよ最後が大物の胃部レントゲンだ。
レントゲン台の上に立ち、係の人が渡してくれる発泡剤を少量の水で飲むと胃部がしゅわしゅわーとなる。
「げっぷはガマンしてくださいね。出そうになったら、あごを引いて唾を飲んでください」って、具体的にげっぷのガマンの仕方を聞いたのは生まれて初めてだ。どうもありがとう。
バリウムのコップを渡してガラス窓の向こうに行ってしまった人から、マイクを通して様々な指示が出る。
台が横になってるのに、
「はい、その姿勢で、左に3回まわりましょう」って、どんだけ難しいことを要求してるのかって自覚はあるんだろうか?
その後も、
「もうちょっと身体を右に向けて」
「そのまま左に腰をひねって」
などと本当にいろんな恰好をさせられる。
最後に、機会のアームが伸びてお腹をグイっと押す。
幸い、ここで、「もう、げっぷをしてもいいですよ」と言われたので、ぐっと楽になったが。
フラフラになった3時間ほどだが、すぐに結果が出て、ドクターからお話を聞くことができる。
結論から言って、今の私はおおむね健康です。
若干健康でない部分はあるが、それはすでにあちこちの病院で投薬を受けていたり経過観察中だったりするので、今からすることはほとんどない。
強いて言えば、肺活量が弱すぎるので、今度、心臓のケアをしてくれている内科に行った時、紹介状を見せるよう、もし、専門外だと言われたらここの病院にくるように、と言われておしまい。
骨密度もピロリ菌も子宮頸がんも、とりあえず来年まで考えなくていい。万歳。
カギを返して本人負担分の料金を払うと、引き換えに「汚職事件」、じゃない、「お食事券」をもらえる。(この変換間違いは毎年やる)
2年ぐらい鮭の焼いたのが続いたと思っていたが、今年はカレーピラフにクリームシチュー、茹で野菜のサラダにリンゴのコンポートだった。ヘルシーでおいしいメニューだし、皆さん、検査のために朝ごはんを抜いてきているので、たいそう助かる。
食後のコーヒーまでついて、満足して家に帰った。
だがしかし、持病の多い私は月に2、3カ所の病院に行くのがデフォルトで、実際、来週も眼科に緑内障の検査をしに行かねばならない。
医療費が突出してかかる。
稼いでくる大内くんには申し訳ないことだ。
せめて、医師からもしっかり言われたダイエットを、もうちょっと頑張ろう。
16年2月26日
1年以上前にイタリア旅行に行った時知り合いになったおばさまと、今でもメールやお菓子のやり取りでつながっている。
しかし、身体からぷしゅううううと空気が抜けたような気分になるのは、我々がイタリアを懐かしみ、定年後にはもう1度ローマへ!とか興奮して1年以上旅行に全然行かなくって、こないだやっと北海道に行く気になったその間、おばさまは、ギリシャ・ローマのクルーズに行き、フィンランドに行き、
ハワイのコンドミニアムで過ごしておられるのだ。
まことに、貧富の差と言うのはあるものなのだなぁ。
でも気取らないおばさまから、手作りのオレンジピールをたくさんいただいた。
夏みかんの実が10個同梱されていたので、私もネットでレシピを見て、自分で挑戦してみることにした。
30分ぐらい煮る、を2セットやって、それから砂糖を加えた少量の湯で煮詰めていく。
過程を見ていた大内くんは、
「その砂糖を、全部、入れるの?ダイエットについてはどう思ってるの?」とひるみながらの詰問モードに入った。
できあがったものは喜んで食べるくせに!
でも、やはりおばさまとは年季が違う。
あまり、いい出来ではなかった。
いや、おいしいことはおいしいのよ。
でも、乾燥のしかたが悪かったのか、水分の多いピールになった。
何度も言うけど、これはこれでおいしいんだってば!
3月半ばに中学校の時の友達が仕事で東京に来るのでランチをすることにしたんだけど、彼女は、とってもおいしい「すずかけ」という有名なお店で
「イチゴ大福」を買って来てくれるんだって。
私は、やはり手作りのオレンジピールをプレゼントするとこだよね?
大内くんにお伺いを立てたら、
「オレンジピールとしては、僕はおばさまの作った方が美味しいと思う。でも、友達に手作りのものをあげたい気持ちもわかるから、両方あげたら!?」という名託宣だった。
なので、今、家の冷蔵庫の中では、乾燥したオレンジピールと、「ややジャム?」なオレンジピールが枕を並べて解凍される時を待っている。
Cちゃん、期待して、東京に来てね。私も「イチゴ大福」に期待してるから。
ランチも、楽しみだね。
16年2月27日
サークルから何組か出るコンテスト、息子は運よく「準決勝」まで残れるそうだ。しかも、2チームで。
このコンテストは各サークルから複数のメンバーを選んでチームを作って、「漫才、ピン、コント」の3芸を競う。
息子は、「集団でのコント」で1チームから参加。
もう1チームではオーソドックスな2人のコントをやる。
彼は、コントが一番冴えるし、本人も好きなようだ。
さて、そこで、もう1戦。
「敗者復活戦」がある。
息子がピンで出るこのチームが敗者復活して3月2日の準決勝に出てくれたら、我々、ひと晩に3回も息子が見られる果報者になっちゃう。
しかも、息子がたま〜にやるピン芸を、我々はまだ1回も見たことがないのだ!ぜひ見たい!
だがしかし、現実はそんなに甘くない。敗者復活戦には落ちた。しょんぼり。
まあ、準決勝に2チーム出ているのであれば、どちらか、ないしは両チームとも決勝戦進出できるかもしれない。
実際、去年の大会では2チームに所属し、優勝は卒業寸前の先輩チームに持って行かれたものの、息子たちのチームは「審査員賞」をもらった。
敢闘してるじゃないか。
そんなわけで、今年も浅草の「5656(ゴロゴロ)会館」に行って参ります。
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