16年4月2日

薄曇りで雨の不安も無視できない土曜日、今週もまた「クルン・サイアム」、今日もまた「パッ・タイ」(エビ入り焼きビーフン)・・・かと思いきや!
ついに「パッ・タイ」の呪縛を逃れた私は、今日、「鶏挽肉のホーリーバジル炒め」(タイ語は長すぎて覚えられなかった・・・)をオーダーして、おいしく完食いたしました。辛さは、ちょっとマイルドにしてもらったが。

気がつけば1年近く、他の店にはほとんど行かず、毎週末のように「クルン・サイアム」に来ていた。(天丼屋さんに浮気したこともあったけど)
タイ料理は、とにかくおいしい!値段も手ごろだし、うーん、今度行ったら、また「パッ・タイ」食べようっと。

井の頭公園に自転車を停め、池のまわりをぐるりと歩いてからごはんを食べに行ったので、花見は一応終了。
もう今日しかない!って感じの気迫で、そこらじゅうにブルーシートが敷き広げられ、ぽつん、ぽつん、と場所取り係が座っている。
もしかして、来年の今頃、新入社員の息子の初仕事はこういうものかもしれない。

今年は何だか大殺界で、「そうだよなぁ、うんうん」という感じで日々を何とかこなしているので、夜桜まで見る気力はなかった。
映画も、月に1本ぐらいしか観られない。年間120本以上を観ていたあの日々はなんだったのか。
ほっとくと、週に1冊も本が読めない。
問題は、家で一番ヒマな私に、なぜそんなに時間がないか、という点だろうな。
そして、その答えは「昼寝」なのだ。

読む本より、買う本の方が圧倒的に多い。
しかもたいがいアマゾン科ブックオフの古本だから、スペースを気にしなくてよくなった自炊後は、買いたいだけ買える。
やはり、人には何らかの「くびき」が必要なのかも。

16年4月3日

今日は、大内くんが私抜きで息子と面談をする日。
と言うと大げさだが、先日、かなり力を入れていた「合同コントライブ」が終わったところで春休みもそろそろおしまいなので、大学5年生として迎えるこれからの1年を、どう思って、何を目標に過ごすのか、ということを、「オヤジと差し向い」で話してもらおうと。
この手の話を家でやろうと思うと、するっと逃げられてしまうし、焼肉とかおごっても「ごっそうさん!じゃあね〜!」と先に帰ってしまうだけでコストをかけた甲斐がないので、一番普通に、外でごはん食べて来てもらうことにしたのだ。

「明日、父さんと吉祥寺でごはん食べない?母さんは留守番で」と大内くんが声をかけたら、息子はまんざらでもない顔をして、「ん〜、いいよ」とうなずいていたらしい。
この場にどうして母さんが同席してはならんのだ!と腹は立つが、実際問題、私が息子といるともめやすい。
息子は、大内くんとの方がまだしも口を開く。
どうしようもない現実である。

夜の8時に吉祥寺の喫茶店だかパブだかよくわからない店へ行く大内くんに、
「面白い話が出たら、教えてね。母さんのこと、どう思ってる?って、絶対訊いてね」とお願いをし、もう暗い外へと送り出す。
息子の方は何か用事があるらしく、昼から出かけている。
約束の時間に店に現れるかどうか、不安なところだ。

マンガを読んで気を紛らわせていたら、10時半頃、電話がかかってきた。
「今、終わった。これからバスで帰る」と大内くん。
もっとも、自転車の息子の方が先に帰ってきてしまったが。

ところが、その息子が挙動不審。
走りに行ってしまったり、帰って筋トレをしたり、シャワーを浴びたりして、もう寝るのかと思いきや、普段着に着替えて、
「今から後輩の家に行く。泊まり」
これが、夜の12時近くの話。

後輩というのはおそらく、この近所に住んでいるサークルの後輩だ。
おばあちゃんの介護などの事情で、今、家族向けの一戸建てに1人で住んでいるらしい。
寂しいだろうなぁ。息子でも少しは賑やかしになるなら、どうぞどうぞ。

でも、大内くんは息子の態度が少し悪いと思ったのか、
「エントリーシートかいたり、面接の準備したり、そういうこともしないといけないんじゃないの?」と後ろ姿に声をかけたら、黙って行ってしまった。

数分後、ラインが来た。
「心配かけて申し訳ないのだけど、僕にも即日面接を入れる方法はわからないので、今締め切りを迎えそうなESを出すしかない状態です」
息子らしい言い様、というか、真面目に考えてるんだけど、空回りしてるんだろうなぁ。
大内くんも、そのへん察してあげて、
「わかった。負担かけてごめん。思うようにやってごらん」とレスしていた。

そして、本人がいなくなったのをいいことに、怒涛の報告会。
とは言え、大まかな点は、
・もう留年はしない。絶対、今年、卒業する。
・就活も、今から頑張る。
・今つきあっているカノジョとの先を真面目に考えている。
ってな感じ。うん、やるしかないことばっかりだ。考えてどうこうなる問題じゃない。

私が訊いてほしかった「母さんについて」は、
「ずっと家に引きこもってて、オレだったらガマンできない。辛いことがあるんだろうけど、オレにはどうしてやることもできない」そうで、
「オヤジ、頼むから、あの状態の母さんをオレに押しつけて事故や自殺で死なないでくれよな。オレ、もう、どうしていいかわかんないよ。困窮しちゃうよ」と真顔で 頼まれたらしい。

「母さんもね、、キミは信じないかもしれないけど、20代の頃は、本当に頭のいい、美人な、素晴らしい人だった。やせてたしね。モテモテだった よ。どうして父さんと結婚してくれたんだろう?って、不思議なくらいだった」
「へー」
「剃刀のように頭が切れて、どんな問題も解決していたよ」
「それは今でもわかるような気がするけど、お姉ちゃんが生まれて悩んだから、ああなっちゃったの?」
「それだけじゃないよ。いろいろ、辛いことがあったんだと思う。でも、母さんのことは父さんが引き受けるから、キミは何にも責任を持たなくていいよ。だた、もう少し優しくしてあげて。母さんは、キミが大好きなんだから」
「オレだって、好きだよ。母さんだもん」
「じゃあ、それでいいんだよ」
というような会話があったみたいね。

もうじき、息子の最後の学年が始まる。(最後でなければ困る)
これまで、「やる」と言ったことはすべて成し遂げてきた、不可能を可能に変える男は、今回、どうなるのか!

2人で軽く食べて飲んで、〆に「野方ホープ」のラーメンを食べてきたらしい。
男同士の話し合いをして、肩を並べてラーメンを食べる。
これだけのことがそんなにうらやましくてどうするのだ、自分!という感じではあるが、そろそろ我が家にも生真面目に春が来る気配。

16年4月4日

マンガ家であったり歌手であったり女優であったり、まあいわゆるマルチタレントな内田春菊の家族マンガ「私たちは繁殖している」、新刊が出たので買った。もう15巻かぁ。
この人の言うことすべてに賛同はできないが、少なくとも子供を4人も産んで育てているということに、ひれ伏してしまう。

「子供が学校に行きたがらない時は無理に行かせない」「極端に偏食で、お弁当すら食べられないが、なるべく好きなモノだけを選んで入れてあげる」等々は、人によっては「緩やかなネグレクト」と取るかもしれないし、いくら婚姻が自由だと言っても、4人の子供に3人の父親はすでに多すぎるだろう、とは思う。
このマンガが15間続いている間には、「ラブラブでだ〜いすき!」だったはずの最後の夫がだんだん嫌われて行くプロセスも描かれており、しかも、ある意味一方的なものだった。
本人はモノ書きだからあちこちで好きなように書けるが、一般人はそれに抵抗できず、「こういう人」と いうレッテルを貼られてしまうのだ。
最近、まだボーイフレンドと別れたか復縁したか、そのへんも書きたいように書いている。

しかし!好きじゃないのに支持するというのは実は相当支持しているというということで、私は、「穴のある立場」の性として、これぐらい強気な人が いなくちゃダメじゃん!と思っている。
彼女の息子も通っていた京都精華大学の学長をやっている竹宮惠子が、「マンガにおける性のパイオニア」とし て名前が出ているのを先日見た。
ぜひ、人が「自分の穴を他人に左右されるのがどんなに嫌なことか」を、広めてもらいたい。エロマンガの権 化みたいに言われてちゃ困る。

脱ぎっぷりはいいが、ただのエロじゃない。そういうマンガを竹宮惠子も萩尾望都も描いてきたはずだ。
特に、萩尾望都の「残酷な神が支配する」は、性的暴行を受けている期間より、そのあと主人公が自分を取り戻すまでかかる時間の方がずっと長く、彼の人生が穏やかになったという保証もない。
皆さん、もっと「穴」の扱いにはデリカシーを持ちましょう。

内田春菊という、穴を大事にしてるのかしてないのかわからない人について書いてるうちに、こんなところまで来てしまった。
ちなみに、私のリアルな 知り合いで子供を4人産んだ人はまだ1人しか見たことがない。
先ごろ4人目の方が生まれたので、いつか子供たち全員を見せていただく日を楽しみにしている。
4人もいれば、さぞかし良い子らが育つことだろう。
Aさん、応援してますよ〜!

ところで、萩尾望都と言えば、こんなのあります。(おしえてくれたKちゃん、ありがとう)
http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/exhibitioninfo/2016/02/post-138.html

16年4月6日

家から一番近い桜での「きわめて個人的な花見」。
美容院と病院と歯医者に行った帰りのこと。こういう理由でもないと、家から外に一歩も出ないのだ。

最近の美容院では、できあがりを鏡で見せてくれる代わりに、左右両方と後ろから撮った画像をiPad miniで見せてくれる。
それ用のアプリがあるんだそうだ。こういう使い方もあるのか。

だが、30歳過ぎであるという担当の美容師さんは、「萩尾望都」を知らない、と言っていた。
「私、マンガはけっこう読む方なんですけどね〜」と首をかしげる姿に、今まさに「残酷な神が支配する」を読み返している私は、なんとなくうなだれてしまうのだけれど、「NARUTO」と「ワンピー ス」を読まねば、と思ってるとこだけは意見が一致した。

持ってるデータの中で、「まだ読んでない山」が3割を超えてきているのをじわじわと感じ、それなのに「バクマン。」をもう1度読みたいとか「3月のライオン」はまだ3回しか読んでないじゃないかとか「浮浪雲」全巻を読み切るのは人間に生まれたおかげで拾ったロマンだよなぁとか思っている と、未読の山の方が大きくなりそうだ。

それにしても、お笑いサークルを引退して就活を始めた大学生は、夕方以降は家にいることが判明しつつある。
妙な時間に食事を作らされ、とてもイヤ。
また、単位がギリギリな時、「会社説明会」と「授業」とどっちを優先させるかは本人に任せてあるが、薄氷を踏む、とはこういう感じか、と体感 しつつある。

16年4月8日

息子が寝ころんでiPadで映画を見ているようなので、「なに見てるの?」と聞いてみたら、「ゴッドファーザー」という答えが返ってきた。
「そうなの。父さんのベストワンだよ。聞いたら、喜ぶよ。面白い?」と聞くと、少し起き直って、
「優しいシーンが多くて、厳しいシーンが少ない」
「それは、いいの?悪いの?」
「(深々と)とても、いい。すごく面白い」
「そうか!」
「めっちゃ長いけどね」
「そうだよね。コッポラだから」
「そうなんだね」と言ったあたりで、お邪魔だろうから会話は遠慮しておいた。

大ファンの大内くんにつきあって、私も10回ぐらい観てる気がする。
大内くんが帰ってきた時に、ちょうどマシンガンの音が派手に鳴った。
「ああ、これは、ソニーが撃たれてるシーンだなぁ」と思い、「ただいま」と言う彼に、あらましを話したら、やはり予想通り大喜び。
「コドモが、『ゴッドファーザー』に感心するぐらいオトナになったんだね。あんなに小さかったのに」
その感動は、私のベストである「遊星からの物体X」を「面白い!」と言って見ていた、10年ぐらい前に味わったことがある、と思う。

しかし!
彼がトイレに立ってそのまま部屋へ行って何やらマンガを見てる間も、画面は動き続けている。
途中が飛んでも、全然気にしないんだよね、いつも。
画面をのぞきこんだら、そこらじゅうでマフィアが撃たれるシーン。
「ほとんど、オチじゃん!一番大事なとこ、見ないの?」と、部屋まで呼びに行く大内くんだ。
のしのし歩いてきて、めんどくさそうに少し戻して見てた。

「リアルタイムでしか映像を観られなかった僕らと違って、彼らは、好きな時に、好きな部分を見ることに慣れきっている!」と大内くんは憤慨していた。
さっきまであんなに喜んでたのに。
「まあ、そんなこと言ったらさぁ、『何かある』現場にいなくても、その何かを見られちゃう写真やテレビが発明された時から、人間はものの見方が変 わって来てるんだよ。しょうがないよ」と、なだめる。
あなただって、DVDの途中で止めて、トイレ行くじゃん。
世界は、文明の進歩とともに退化し、いつか、極限まで縮み、また別の世界が始まるのだと思う。
何千年もかかる話で、我々が次の世代の心配をしてもどうしようもないよ。

まあとにかく、大好きな「ゴッドファーザー」を息子が「いい!」と言ってくれたので、大内くんも上機嫌だ。
ホントにね、私も「物体X」を息子が何度も見ていた頃は嬉しかったもんね。
彼が普段好んで見ている映画は、ホラーすぎて私にはついて行けないんだが、その分、息子の方が守備範囲が広いってことだなぁ。
後は「見たものが身につくかどうか」だが、お笑いのネタに映画を使ったりしてるのを見ると、きっと大丈夫なんだろう。

ああ、もう一つ、大事なこと。
いろいろ見て、広い心を養え。
親に「死ね!」「クソ野郎」と言わなくなったのは、それもできているからだと信じるよ。
映画の効用を十二分に生かしてくれ。
でも、まだキミたちは「見ている」だけ。「観ている」になるのは、もうちょっと先。だと思う。

16年4月9日

家から一番近い桜での「きわめて個人的な花見」。
美容院と病院と歯医者に行った帰りのこと。こういう理由でもないと、家から外に一歩も出ないのだ。

最近の美容院では、できあがりを鏡で見せてくれる代わりに、左右両方と後ろから撮った画像をiPad miniで見せてくれる。それ用のアプリがあるんだそうだ。こういう使い方もあるのか。

だが、30歳過ぎであるという担当の美容師さんは、「萩尾望都」を知らない、と言っていた。「私、マンガはけっこう読む方なんですけどね〜」と首をかしげる姿に、今まさに「残酷な神が支配する」を読み返している私は、なんとなくうなだれてしまうのだけれど、「NARUTO」と「ワンピー ス」を読まねば、と思ってるとこだけは意見が一致した。

持ってるデータの中で、「まだ読んでない山」が3割を超えてきているのをじわじわと感じ、それなのに「バクマン。」をもう1度読みたいとか「3月のライオン」はまだ3回しか読んでないじゃないかとか「浮浪雲」全巻を読み切るのは人間に生まれたおかげで拾ったロマンだよなぁとか思っている と、未読の山の方が大きくなりそうだ。

それにしても、お笑いサークルを引退して就活を始めた大学生は、夕方以降は家にいることが判明しつつある。妙な時間に食事を作らされ、とてもイヤ。また、単位がギリギリな時、「会社説明会」と「授業」とどっちを優先させるかは本人に任せてあるが、薄氷を踏む、とはこういう感じか、と体感 しつつある。

16年4月10日

大内くんが吉祥寺で息子と食事をしてくるようにアレンジする。
いや、これまでも一緒に焼肉を食べに行ったりしていたのだが、彼の場合、食べるだけ食べると「ごっそうさん」とさらりと言って、帰ってしまうことばかりだったのだ。
それならせめて単価の低い、喫茶店のディナーセットでも食べて来い!というわけで、大内くんが出かけた。
私も行ってもよかったんだが、就活に入ってからは、また反抗期がぶり返したように私には冷たい。

大内くんは、
「一生の仕事を決めようってんだもの、神経質にもなるよ。男親はまだしも情報持ってるから『聞いてみようかな』って気分になっても、母親はそうもいかないんだよ。父さんに甘えたい時 と、母さんに甘えたい時は別モノなんだよ」と言いながら、午前中から出かけている息子が本当に夕方、約束通りに来てくれるか」の方がよっぽど心配 そうだった。

大内くんが現地に行きつくのが8時、食事をして1時間ちょっと、夜はパブになるその店でそのまま飲み始めるとして9時半過ぎ。
よっぽどどっぷり飲んだとしても、2時間が限界だろうなぁ、あの、酒が好きじゃない息子相手では。

はたして、大内くんから連絡があったのが10時半。なんだ、だいたいいい読みじゃん。
読みが外れたのは、彼らがラーメンを食べてきたこと。
よく、そんなに食べられるなぁ。

自転車の息子の方が早く帰ってきてしまい、バス便の大内くんの方が遅かった。
「ねえねえ、どんな話したの?」と訊きたくなるのは人情というものだろう。
大きく分けて、結論は3つ

・これ以上の留年はしない。絶対来春、卒業する。
・就活を頑張る。今の自分を買ってくれる会社に行きたい。
・すでに芸人活動に入っている彼女との将来も真剣に考えている。

うーん、どれひとつとっても立派だなぁ。
もちろんそれ以外のこぼれ話もたくさん聞けたのだが、それはまあ、プライバシーの問題、ということで。
ただ、私がほとんど外に出ず引きこもっていることに関しては、
「可哀想だね。ああはなりたくない。やっぱり、お姉ちゃんが生まれたことから具合が悪くなったの?」と気にしていたらしい。
大丈夫だよ。キミが、お姉ちゃんの2倍も3倍も頑張ってくれてることはよくわかってる。
せめてやせないといかんよなぁ、と、やや方向のずれた、しかしこれだって大事な問題である件を述べて、おしまい。

16年4月11日

パソコン、スマホ、iPadと、いろんな機械で、電話、メッセンジャー、LINE、メール、フェイスブック、ツィッター、いろんな通信をする。
ニュースを受け、意見を発信し、見知らぬ他者からの反応を待ち受ける。
本を、アマゾンで、kindleで、街角のブックオフで買い、自炊をする。
混乱だ。カオスだ。混沌だ。頭を動かすと、砂が落ちるようにさらさらと、情報がこぼれていく。

イライラする。脳みそがかゆくなる。
「こういうのを、『テクノストレス』っていうのかね。少し、絞ってみる?」と、やはり脳がかゆいらしい大内くんは、実際にアタマを掻きむしりなが ら言う。

仕事で外へ出て、人と会い、話をする大内くんは情報過多だろうが、私は現実の外との交流が恐ろしく少ない。
情報を絶ってしまうことに、足元が崩れるような心もとなさを感じる。
そう思うこと自体が、病的なんだろう。

年賀状とかがどさどさ届く仕組みは、一応わかっているから安心なのかな。
電子の世界は、まるでわからないので「これでいいのか?」と心配になる。少ししか知らないのに、恐怖する。
他の人はみんな、わかって使ってるんだろうか。
電車の中にいる頭の悪そうなコギャルでも、スマホがどうやって動いてるのか、理解してるの?

大内くんに常々「パソコンのことがわからない。わからなすぎて、不安だ」と言うと、
「大丈夫、僕が何とかするから。何でも、僕に頼んで」と言ってくれていたのだが、ある機嫌の悪い朝、起きた彼を待ち受けていた徹夜の私が、
「大事な名簿の出し方がわからないの。教えて」と頼んだら、
「自分でわからないの?!」と迷惑そうな顔をした。
「不安を持つことないよ」と言ってくれていたのに。
生活上の重要な部分を、自分でコントロールできないので困る、と訴えた時は、「心配ないよ」と言ってくれたのに。
人の心もブラックボックスだ。

まあ、それを言えば、身のまわりにブラックボックスが多くなったよね。
テレビや冷蔵庫だって、どうやって機能してるのか、知らない。
そもそも、なぜ日が沈み、また昇るのか、植物はどうやって芽吹き、実るのか、自分の身体はどうやって食物を栄養とし、命を永らえるのか。
表面の理屈、現象の説明だけを知っていて、その働きを止めたり変えたりできないで依存して暮らしていることは、数え切れない。
神様や家電の修理屋さん、システムエンジニアたち、そんな私の知らないブラックボックスの中身を知っている人たちに、依存しているのがつらい。

こういう気分になった時は、赤ん坊を育てるといい。
草花を育てたり動物を飼うのも同様の効果があると思う。
相手は、絶対的に、正しい。
決して主張を曲げず、根幹の物しか要求しない。
そこに思想はなく、嘘も誇張もない。
人為が介在するテクノロジーから一時的にでも避難するためには、スイッチを切るわけに行かない現象につきあうのはとても有効。

もちろん、そういう行為にも必ず何らかのストレスがついてくるので、時々「勝手にやめてしまう」人もいるけどね。
水をやるのに飽きて植物を枯らしてしまうぐらいはまあセーフだが、それだって小さく「命を絶つ」ことに変わりはない。
情報を絶つ、命を絶つ。
どちらも、私にとっては恐ろしいことだ。

16年4月12日

人生には思わぬ落とし穴がある。
息子は、そう人生経験がある方じゃないけど、まあ並みなんだ、と思っていた。
中学生の頃に、「書類送るから、切手ちょうだい」と言われ、額面の切手を渡したら、なんだか困った顔をしている。
「どうしたの?」と訊いてビックリ、息子は、切手の貼り方を知らなかったのだ!

「こうやって、裏をペロンと舐めるかスポンジで濡らすかすれば、簡単に貼れるよ」と教えたら、
「なーんだ、そうだったのかぁ!」と拍子抜けしたような表情になっていた。

さて、大学生になり、もうじき社会に羽ばたこうという人でも、中身はあんまり変わっていない。
私が食卓の上を見ると、企業に出すのだろう、大きな封書が置いてあった。
しかし、「○○部△△係」というのは乱暴すぎだろう。
今、息子がいれば教えるところなんだが、あいにく外出中。その時私は昼寝中かもしれない。

仕方ないので、「係」の後に、「御中」と書き添えておいた。
息子は全然その違いに気がつかないまま出しに行ってしまったらしい。

帰ってきて、大内くんと2人で叱る叱る。当人は、
「WEBで書き方を見たら、こうなってた」と主張するが、そこは社会経験豊富な大内くんが、
「キミが往復はがきを書くとするでしょ。そしたら、受取人の名前には「行き」という字がついてるんだよ。自分で自分のこと、『様』何て書いたら変でしょ。だから、往復はがきをもらったら『行き』を消して『様』って書くもんなんだよ」

まあ、このぐらいは相手の会社も苦笑いしながら許してくれる範囲かもしれないが、更なる取り返しのつかない事態発生。
昨日が締切日だった履歴書が戻ってきてまったのだ。しかも2通も。

これは、彼が我々に相談せず、「封書はみんな82円」と思い込んでいて、大判の封筒にも「82円切手」を貼ってすませてしまったところ、当然ながら「料金不足」出戻ってきてしまったのだ。
締め切りはもう、過ぎている・・・

「ま、何事も経験だからさ、やってみて初めてわかる失敗なんて、数限りなくあるよ」と言う大内くん、「それをいちいち身をもって体験しなくても、頭の中のシュミレーションですますことができないだろうか?」と考えているのが私という生き物です。

「まあ、企業はいくらでもあるし、書類選考で落ちることもあるし・・・」と煮え切らない大内くんではあるが、一家総出で落ち込んでいても始まらないので、大内くんを見習おう!
今後、就活が終わるまでに、我々はいくつの「初めてのマチガイ」を発見するだろうか?

16年4月14日

一昨日、息子が風邪をひいて寝込んでいた。
彼は、動物的というか、具合が悪くなると常温のポカリスウエット(冷たいものは身体に悪いそうだ)のペットボトルを抱え込み、うどんや雑炊など、 ひたすら消化のいいものを体力が落ちない程度に食べて、ヘッドにこもって、眠れるだけ眠る。
見習いたい立派な態度である。
そのため、風邪等が長引くことはあまりなく、普通は2、3日で回復する。

今回は、困ったことに私にその風邪がうつってしまい、さらに困ったことには大内くんにまでその風邪が伝わってしまった!
息子と私は軽症だったが、大内くんは「つまらない風邪をがっつりひいた」という、本当につまらない状態。
さすがに今日は熱も高かったし、身体の節々は痛むし、咳と鼻水は止まらないし、という状態だったのでお休みを取り、息子にならって1日寝ていた。

それでもまだよくなり切らないようだ。熱も下がり切らない。
私はほぼ快癒したので、彼も明日ぐらいには何とかなると思うのだが、本人が、
「これは、休めって神さまが言ってるんだ」という感じで、週末に向けて4連休を実施してしまいそうな気がする。
早く良くなるといいんだけど。
私も、熱と悪寒できのう何してたかの記憶が全部飛んじゃった。

16年4月15日

大内くんの風邪、継続中。
ついに最大瞬間体温38度6分を体験し、こりゃ、さすがに会社に行けまい。
基本的に息子と同じで、ベッドでうつらうつらして過ごした。
食事は「そば」のみ。(ここが、「うどん派」の息子と違うところ)

私も再感染したか、喉が痛くて咳が出る。
今週末は何も予定が入っていないのが救い。

いやー、それにしても風邪ってつらいもんだねー!
身体のどこかが調子悪いのはわかってるんだけど、いざ特定しようとすると、つるんと逃げちゃうんだよね。
「頭痛がするのか?」つるん。
「咳が出る?」つるん。
「胃が気持ち悪い?」つるん。
「あーっ、もう、体温持ってこーいッ!」
38度。
「こりゃ風邪だ。寝るしかない」という野蛮な決め方でした。少なくともうちの実家では。

未だに治らないんだけど、頭痛とか、吐き気とか(実際、吐いちゃえばOK )、そういう数値化できな身体の不調って、無視されてきた。
「具合が悪い?体温計って。36度8分。大丈夫大丈夫!」
特に私は頭痛持ちなので、「数値化出来ない」痛みを常時抱えており、それがまた「怠け病!」と叱られるタネにもなった。

なので、今でも自分の体感を信じることができない。
精神と肉体が乖離している。二重人格みたいだ。
だから、「具合悪い」となったらすぐにお布団に突進する息子も大内くんもうらやましい。
「仮病でしょ!」なんて言われないんだから。

息子が小さい時は、少しアヤシイ時期があった。
「今日、おなかが痛いから、学校お休みする」
時間割を見てみると、苦手な科目がある日だったりするのだ。
「そうか!じゃあ、おなかの薬のんで、寝てなさいね!」と言っておくものの、相手はコドモだから、午後になると身体がむずむずしてくるらしく、
「僕、もう治ったみたい。公園言っても、いい?」とか言い出す。
「病み上がりなんだから、気をつけて遊ぶんだよ!」「うん、わかった」
そのスキップがすべてを物語ってるっつーの。

そんな彼ももう大学5年生。
一昨日までは風邪っぴきだったが、いまや元気のカタマリ。
外に走りに出ちゃうほどだ。
人間、健康が一番だねぇ。しみじみ。
大内くんの風邪も、早く治りますように。

16年4月16日

大内くんの風邪が全然良くならず、熱が下がらないので、朝一番に近所の病院に診察券を出しに行く。
私も少し風邪っぽいし、持病の変形性膝関節症も痛むので、ついでに診てもらおう。

開院20分前に行くと、5人ほどの行列ができてる。まあ、短い方だ。
5分後には扉を開いて中に入れてくれるし。
2人分の診察券を出して、問診票を書いて、大内くんに電話して定時に来てくれるよう頼む。

診療が始まる頃には、院内はほぼ満員だった。
「今来た人は、『あちゃー』って、帰っちゃうかもなぁ」と思うほどの混雑ぶり。
いつも大流行りの「町の診療所」だが、風邪の季節の土曜日だからか、普段にも増しての大混雑だ。

すいすいと患者さんは流れ、我々は6番目に一緒に呼ばれる。
まず、私のひざを診てもらい、
「うーん、これはね、体重を落とすしかないんですよね」といつものお医者さんにいつものことを言われ、一応関節に注射を打ってもらう。
風邪は、全然大したことなさそう。

熱が38度もある大内くんの方が本命で、先生は問診票を見て、
「今、熱の高い風邪も流行ってるんですよね。まあちょっと、インフルエンザの検査をしましょう。これで出たら、奥さんも検査ね」と言いながら、大内くんの鼻に細い綿棒をぐいぐいと差し込む。(私の分まで、ありがとう!と大内くんに内心手を合わせた)
「はい、じゃあ、結果出るまで待合室で待って」と言われ、しばらく待っていたら、また呼ばれた。
「インフルじゃないですね。ただの風邪。奥さんは、いいですよ。2人とも、風邪薬出しますから」と言われて放免。
やれやれ、この週末中に大内くんの熱が下がればいいんだが。

軽く買い物をして家に帰ると、息子が起き出して出かけようとしている。
「今日も会社訪問?」と訊くとあいまいにうなずくが、なぜホチキスを持って行くのか。
お笑いライブに使う以外考えられないが、わざわざ背広で行くところを見ると会社か?
それとも単にサラリーマン役をやるライブか?

2人にはたぬきうどんを作って出し、私は残り物のビーフシチューを食べる。これで完食だ。
「悪いね。僕、熱のせいで食欲なくて、うどんぐらいしか食べられない・・・」と情けなさそうに言う大内くんを見ると、ぐらっとくるなぁ。
軽く病気の配偶者というのも、保護欲をそそってほど良い感じだ。
夜も、おそばしか食べられないと言う。
うん、山芋買ったから、とろろそば食べよう。

食器を片づけながら息子を見送って、2人して薬を飲んで昼寝。
夕方に起きたらさすがにもう寝過ぎでこれ以上は寝られないと言う大内くんと、たまったテレビ録画を片づける。
BSで録画した「鬼平犯科帳」が山のようにあるなぁ。ちょっと見て「これは!」という回以外は消してしまおう。

新作は、知人のマンガ家さんが原作を描いている「重版出来!」。
なかなか面白い。
この間、大河ドラマで亡くなったばかりの「黒木華」が元気に編集さんをしている。
出版社もまわっている元柔道青年の息子に、
「就職・編集・柔道。『重版出来!』、見るべし!」とラインを送ると、「へえ」と即レス。
柔道やってた人が、マンガの編集さんになりたい理由をどう語るか、見ておいて損はないだろう。
来週、全国の出版社で全国の柔道家のタマゴたちがまったく同じセリフを語るかもしれないが。

お風呂入り、夕食はおそば食べて、テレビはやはり疲れると言うのでベッドでお互いの本を読み、ほどほどの時間に眠くなった大内くんに合わせてお休み。
とにかく風邪を治さなくっちゃね。
売薬とどっちが効くかわからない気休めのような薬でも、病院で出してもらった薬を信じて、寝よう!

16年4月17日

食品の買い出しには昨日行ってしまったし、風邪気味の息子はまだ眠りつけるつもりらしいし、よし!今日は、昼間何にもしないで本を読みふける ぞ〜!と朝から気焔をあげているのは大内くん。
私にとっては、それは日常。
でもまあ、大内くんと一緒に本を読むのもいかな。

最近、柔らかめの小説ばかり読んでいる、という大内くんに、萩尾望都の「王妃マルゴ」(1〜4巻)を熱烈に薦めておいて、こっちは10年1日の清 水義範を読む。
大内くんは、最初、「それほど面白いとは思わないけど、相変わらず絵はすごいね!」と言っていたのが、2巻、3巻と進んで行くにつれ、口数が少な くなっていく。
遂に口を開いた時は、こう言っていた。「ポルノ?」

うん、だからさぁ、萩尾望都がほとんど初めて書いた「異性愛の官能の世界」なんだよね。バレエマンガで基礎の肉体の形を勉強したと思ったら、こう言うふ うに使うとは、思わんかった。
と、私も素直に肯定しておいた。
男色で、「感覚」までは描けたかもしれないが「官能」に行きつくとは。

大内くんの意見はさらに無情で、
「これって、60歳過ぎた萩尾望都をついに目覚めさせた『男性』がいるってことじゃないの?」
うん、私もそれは想像したんだけど、大内くんはさらにディティールを追っかける。

「浦沢直樹が、彼の企画した『漫勉』ってテレビ番組に萩尾望都でもらったじゃん。僕は、あの辺が怪しいと思うんだよね」
そこまで言う!
確かに彼は、何をしでかしてもおかしくない異能の人だが。

まあ、いつまでも2人で密室劇を語っていてもしょうがないのであきらめたが、萩尾望都は本当にチャレンジングだ。
60を過ぎての連載、しかも絵柄もストーリーもこれまでとはがらりと違う。
やる人ってのはやるもんだなぁ・・・

そんな変なあたりで力んでしまったのがいかんかったのか、夜、大内くんは、4日も続いた風邪についに飽き飽きしてしまい、日曜夜、熱も大体下がったことだし、と、「卵酒を飲むことにした!」らしい。

しかし、我が家では誰も「卵酒」の作り方を知らない。
大内くんは「器に日本酒を入れて、卵を落とし、そのままレンジする」と言い張るし、私は、 「小鍋に日本酒を入れて溶き卵をかき卵汁の要領で混ぜればいい」と思う。

結局、飲む人の意見が通り、白身がわき上がった妙なものが出現した。
おまけに、レンジしすぎで熱く、本人も器すら持てないありさま。
「日本酒が飲めるだけで嬉しい」とのことなので深くは追求しないが、なにごともま ず、クックパッドから!と思った。

幸い、その「卵酒もどき」はよく効いたらしく、ほど良い酩酊感とともに、大内くんを夢の世界に連れて行ってくれた。
横のベッドで「残酷な神が支配する」を読みながら、「ツイン・ピークス」の「キラー・ボブ」みたいにベッドのあちこちから顔をのぞかせるお父さん を堪能いたしました。
これは、今度ちゃんとレビュー書こう。
そのくらいの大作だ。

16年4月18日

新築のマンションに引っ越してきて、はや12年。
そう古くなったとも思わないが、「大規模改修工事」の時期に入っている。

その資材を置くため、平置きだった我が家の駐車場は場所を変らなくてはならないようだ。
新しい駐車場は、これまで使ったことのない機械式3段ピット方式の1番下。
要するに、まずボタンを押すと駐車場2台分のスペースがゴゴゴゴと上がって来て、3階建てになった駐車場の最下部が地面と同じ高さになったところ で止 まり、それでようやく乗り込んで「サンダーバード、発進!」できる。

もちろん、いったん上げた駐車場はもとのとおりに戻しておかねばならず、同様に時間がかかる。
これで、ちょっとDVDを返しに行こう、とはなかなかならない。
今のところ、緊急時以外は週に1回だけこの手順で車を出し。使用している。
なにしろ、帰って来た時には同様の手順でまた「上げた」駐車場最下部に車を停め、さらにまたしまわなければならないのだ。
一番端の難しいスペースなので、切り替えし切り替えし、左右に15センチほどのゆとりしかないそのスペースにバックで入れて駐車する。
言うのは簡単だが、上がり下がりの間はずっとボタンを押し続けていなければならず、一番端にある関係で、何度か切り返しをしないとうまく停められ ない。

もちろん動作は1人の人間が行うことが基本なんだが、うちはたいてい2人でいるので、大内くんは離れたところに車を停め、私がやっている。
アタマからぼーっと音がしそうだ。
ピットを上げて、車を入れてみて、また下げる。
完全に地下にしまわれているのだ。
大雨注意報が出た時など、外に出しておかないと駐車場内で浸水してしまうとか、いろいろ面倒くさい。

しかし、このマンションに引っ越してくる時、事前に説明会が開かれ、駐車場、駐輪場、役員決めがあったのだが、当時は小学校5年生でそんなものに つきあってくれるはずもない、家で一番の強運の持ち主であった息子のツキを分けてもらうべく大内くんがギュッと手を握らせてもらって抽選に臨んだ のだが、何と、順位は、3番、3番、4番。
80世帯が集まってる会場での話だよ。
息子に、もっと良く説明しておけばよかったのだが、
「なんでも、5番以内ならいいよ」と言ってしまったため、5人選ぶ役員にまで当たってしまった。
まあ、いつかはまわってくるんだからいいのだが、最初ってのは、煩雑な要件が多そうで、ちょっとヤだった。

そんな息子の強運で引き当てた駐車場、3番目に好きな場所を選んでいいということで、前の2家族が決めた後に残っていた、ピット式の地上階ではな いアスファルトの地面の上で、入り口からほぼ一番近い場所を選んだ。
そこと隣とは、ほとんど条件が同じ、と思って適当な方を選んだのだが、あとから気づいたのは、隣は後ろ部分が配電盤になっていてスペースがない が、うちの駐車場は後ろが小さな芝生の土地になっていて、要するに、ノアの後ろハッチを開けるのに何の支障もないうえ、荷物運びに使った台車を ちょっと置いておくのに好適だということ。
強運って、ホントにあるんだなぁ、と思ったよ。

私も大内くんも運は強い方で、特に大内くんは、「ここ一番の電車には必ず乗り遅れる男(結婚式で大内くんの先輩が言った名言である)」にもかかわ らず、どうしてか、一番いるべき場所にちゃんと着いてしまうというたぐいの強運なのだ。
そんな強運の2人の掛け合わせで生まれた息子の運は、一生ついて回るのだろうか。
それとも、幸運の量は人皆同じで、使っていればいつかなくなってしまうのだろうか。
高校受験、大学受験の時に見せた強運を思うと、駐車場ごときで浪費してはいかん、と強く思う我々なのだった。

ちなみに、3段ピット式の2段目(上げ下ろしが少しは楽)もあいているところはあるのだが、うちの車はノアででかすぎるので、3段目にしか入らな いら しい。
今は新しくトヨタのアクアに買い替えたから、2段目が空いたら入れることになっている。
唯生が、チューブだらけになってもう家に帰って来ることは難しいだろうから、唯生の車椅子が乗せられるという点で買ったノアは、もう次の車検を通 さないつもりだったのだ。

それもこれも、5月ぐらいになってからだなぁ。
地下に収納されている車は、汚れにくく傷みにくいというメリットがあるのは嬉しい。
生活には、いろいろな変化があるものだ。

16年4月20日

夜中に、夢をみて目が覚めた。
私が浮気して、大内くんに正直に話したら、最初は「うん、しょうがないね」と聞いていた彼が、「やっぱり、ダメだ。僕は出て行く」と言って家を出てしまう夢だった。

なんで浮気なんかしたんだろう。
知人の男性で、好きでも何でもないのに、温泉に連れてってもらっていろいろご馳走してもらって、「やっぱ、なんにもお返しが無いのは悪いかなぁ」 とか思って・・・
いいわけないじゃん!

飛び起きて、隣のベッドの大内くんの横にもぐりこんだ。
「ねえねえ、私が浮気したからあなたが家を出て行っちゃう夢みたんだけど」と半分泣きながら話すと、やや眠そうに、それでもしっかり目の覚めた口 調で、
「大丈夫、そんなことで家を出たりしないから。キミのことなら、何でも許すから。キミこそ、家を出たりしたら、ダメだからね」と言って、腕枕をしたまままた眠りに入って行った。

あんまりビックリして唐突に目が覚めたので全然眠れる気がしなかったので、起きて、キッチンにお茶を飲みに行った。
寝るときまだ帰ってなかった息子がいつの間にやら帰っていて、山のように積み上げた「HUNTER×HUNTER」を読んでいる午前2時半。
「寝ないの?」と訊くと、「もう寝る」と言って、私がしばらくパソコンの前に座って気持ちを落ち着けて寝室に戻ろうとした時には、もう電気を消し て寝ようとしていた。
大長編マンガを途中で読みやめて寝ることができる自制心が、頼もしい。

明日は月曜、また会社説明会とかあるんだろうな。
けっこう自分で計画立てていろいろ回ってるみたい。
合間にお笑いライブ出演などもあるらしいのは、毎日持って行く小道具でわかる。
ホワイトボードペンとかホチキスとか、持って出た小物はちゃんと返してほしいけど。

このひと月ふた月ぐらいの会社回りで将来が決まるかもしれない。
平日にも会社訪問が多くて、授業にちゃんと出られてるかどうかが心配なところだけど、どうしても昼間は時間取られちゃうんだよね。
「大丈夫。ちゃんと出席になるようにしてる」とは言うし、大学の方も、この時期の4年生(もう5年生ですが・・・)には多少の配慮はあるだろう。
就職できなくても困るし、卒業できなくても困るという、難しい立場の、単位ギリギリの最終学年・・・

ああ、それにしてもすべて夢でよかった。
目が覚めればそこは大内くんと息子のいる現実の家で、みんな元気で、眠そうな大内くんに、
「全部、大丈夫なんだよね?唯生のこと以外は、全然困ってない、幸せな我が家なんだよね?」とすがりつくと、
「うんうん、大丈夫だよ。みんな元気で家にいるよ。唯生も、困ってないよ。心配なことは何もないよ」と言われた。
今朝、息子が「大喜利用」にか持って行ったホワイトボードペン2本が無事に帰って来たかどうかだけが心配な私。
気分を落ち着けるためによしながふみの「きのう何食べた?」の最新刊を読み返し、
「あー、月末には『大奥』の最新巻出るなぁ。そろそろ1巻から読み返して備えるかなぁ」と考えて、幸せに再び眠りにつく私。
浮気なんか、絶対しないぞ!

16年4月22日

私はiPadで本を読む。横にして見開きの文庫本を読むと、ちょうどいい大きさだ。
でも、好きな作家さんの新刊書を見ると、ガマンができなくなって買ってしまう。
それを、持ち帰ってすぐに裁断し、自炊し、タブレットで読む。
ああ、面白かった!

では話が終わらないのだ。
新刊書の文字は、文庫版に比べると小さい。
なので、私は新刊書を読む時はタブレットを縦にして片ページずつ読んでいる。
ベストポジションとは言い難い。

なので、私には、いったん高いお金を出して買った本でも、文庫本が出ると買い直してもう1回自炊し直す、という悪癖があるのだ。
2度目に、文庫本の見開きで見る本は美しい。
お話も、新しいもののようにするっと中に入ってくる。

しかし、笑いごとではない。
古本を主に買っている我が家では、出たばかりの新刊書を買うというのがそもそも贅沢だ。
大内くんは、「そんなに好きな本なら、仕方ないよ。買って、読んだら?」と優しく言ってくれる。
さすがに定価は気が引けて、ブックオフで2割引きぐらいで買うが、1冊108円のブックオフの本が12、3冊は買える値段だ。

さらにそのうえ、その本が文庫化されると大騒ぎ。
「ああっ、買うんじゃなかった!文庫を、待てばよかった!」
「まあ、そう言ったってもう読んじゃったじゃない。その時間差が幸せってもんだよ」とまた大内くん。

文庫もなぁ、忘れ去られて5年ぐらいたち、ブックオフの100円均一の棚に並べば買えるんだが、新装発売となるとなぁ。
ああ、でも、あの話をもう1回文庫で読みたい。文庫の組み、活字の大きさ、並びで読みたい!
大内くんほどではないが、私も多少はフォントや版組に淫しているのだ。

かくして、私は、同じ本を2回買う。1度目はブックオフの新刊書として。
2回目は、ブックオフに行くヒマも惜しく、アマゾンで。(考えられる限りの安値ではあるが、送料も入れると定価と遜色なし)
たいていの人気小説は、文庫化される時に上下巻2冊になるので、その費用も痛い。

でも、横にしたiPadで丸っこい最近のフォントで宮部みゆきを読んでる時なんか、本当に幸せ。
大内くん曰く、
「キミは同じ本を何度も読むんだから、気持ちいい読み方を何度もなぞって、至福に浸ればいいよ」。
うん、至福。

2人合わせて月に3万〜5万の本代は、こういうところからも出ているのだ。
大内くん、すまん!
この時期高いであろう、「真田太平記」全12巻、1800円で買っていいから!

16年4月23日

息子が小5から高3までお世話になった地元の塾の塾長と、久しぶりにごはんをご一緒した。

と言うのも今回はちゃーんと理由があって、去年いっぱいでお笑いに行くか就活するか、進路を決めると言っていた息子の最終回答を待ち、もし「お 笑い芸人になりたい」と言われたら私たちの勝ちで、塾長におごってもらう、逆に就活すると言われたらこっちの負けで、塾長におごる、という話になっていたのだが、さすがに塾長はコドモを見る目が優れている。
「息子さんはきっと就活しますよ」と予言されていた、まさにその通りになった。
息子は今、毎日、コントなのか就活なのか、背広姿で飛び回っている。


行きつけのタイ料理屋でごはんをおごり、喫茶店でお茶をおごって、息子の進路を四の五の考えながら今日の面談は終わった。
昔は、息子の動向に関しては塾長が非常に太いパイプだったのだが、大学に入ってしばらく塾でバイトをしていたのを辞めて以来、塾長としても息子が どうしてるかまでは把握できないのだ。
むしろこっちの方から、
「カノジョが泊まりに来ますよ」
「単位はかなり怪しいです」等の報告をする。
塾長は、ひとつひとつの話を、楽しそうに聞いてくれた。

今、忙しいんだよね。塾長は。新入生も入る時期だし。
そんな時に我々に気に気を使っていただき、どうもありがとうございました。

しかし、息子のことはもう過ぎた過去かもしれないが、実は大内くんには「これから」がある。
会社を退職したら、塾で、講師をさせてもらいたい、と何度も申し入れているのだ。
そのために、寝る前に英語や世界史の参考書を読むのを欠かさない。
自分が勉強するのも人に教えるのも大キライな私からすると、そうとう思い切った転身に見える。

塾長は毎回、真顔で大内くんを見て、
「私も、大内さんと一緒に働ける日を待っています。それまでに、塾をもっと立派な、大内さんに恥ずかしくないものにしておきます!」と真摯に答えてくれる。
大内くんの定年っていつなんだろう。
塾長、それまで塾を大きくして、待っててあげてくださいねー。この人は、本気ですから!

16年4月24日

今日は友達2人と一緒に遊んだ。
昨日と同じレストラン、同じ喫茶店で会うという、テリトリーの狭い我々。

2時スタートだったので、タイ料理屋さんには多少行列ができていたが、すぐに席に通されて、相手2人を待つ状態になった。
友人男性は、「現地に着きました」という大内くんのメッセージを見て、
「すまん!来週だと思っていた!すぐに向かう!」と返信を寄こしたので、
「食事はすませてしまいますから、メインの『萩尾望都展』で合流しましょう」と返事して、おしまい。
やがて友人女性が現れたので、3人での食事になったことを伝え、あとはもりもりと元気に食事した。

私は日頃この店ではほぼ「パッ・タイ」と言う焼きビーフンしか食べないのだが、昨日も今日も食べたので、さすがに飽きることができたか、と思いき や、今日のパッ・タイは昨日のパッ・タイよりおいしく感じられ、まだまだ当分飽きられそうにない。

食事を終えてメインイベントである「萩尾望都SFイラスト展」を見に行く。
友人男性とも無事に合流できた。
しかし、彼はメモ帳とか手帳を持って歩かないので有名なのだが、そろそろ加齢もあり、限界なのでは?とやや心配な私。

そう言う私も、信じられないようなミスをする。
日頃、普通の遠近両用メガネと中距離(テレビなど)を見るメガネと読書用の弱い近視のメガネを使い分けているのだが、この「軽い近視のメガネ」が曲者で、家の中しか歩かない私は、実はほとんどこれで用が足りてしまうのだ。
(さすがにテレビを見るのは無理か)

出がけにかけていた、その弱い近視のメガネで、そのまま家を出てきてしまったのに、途中で気づいた。
取りに帰ってる時間はないし、普通に歩く分には問題ないし、展示も、むしろ近づいて見るのに具合がいいかも、というところで話は落ち着いたが、そ して実際、全然困らなかったのだが、自分のポカミスがくやしい。
最近、この手のミスが増えている気がするのだ。
老化?

まあとにかく巨匠の筆をたっぷり楽しんで、こないだ大内くんが息子と来た時にボトルを入れた店に行く。
皆して水割りを飲みながら(友人女性はノン・アルコールのモヒートだったが)、一応全員元マンガクラブ。
語ることはいっぱいある。
私や大内くんが語る「萩尾望都と浦沢直樹できちゃった説」は、さすがにひんしゅくを買ったが。

長年の友達も、古くからファンである漫画も、本当にいいものだ。
これからも何かを応援していきたい。

16年4月25日

まだ風邪のダメージから完全に復調しない大内くんは、珍しいことに食欲があまりないらしい。
具合が悪くてもごはんは食べられる人だったんだけどなぁ。
とは言え、「カレーはOKだけど、ステーキはNG」というレベルの「食べられなさ」なんだが。

昨日も一昨日もタイ料理の辛いヤツを食べてそれで平気なんだから、もう大丈夫かと思ったら、
「水がまずい。何を食べても、なんかおいしくない。いわゆる『口がまずい』という状態なんだと思う」と言っていた。
「ミネラル・ウォーター買ってみる?」
「いや、そういう問題じゃないと思う」
はて、彼が食べられるものはなんだろう?

「なんか、おいし〜いもの、飲みたいね」と言うと、
「その気持ち、わかる!」と大賛同。
「たった今、何ならおいしく感じられそう?カルピスなんか、どう?」
「あ、それ、いいかもしれない」と言うことなので、近所のローソンに買いに行ってみた。

ちょっと驚いたのは、コンビニレベルになるともう、「原液」は売ってないのだ。
「カルピスウォーター」の500mlがあるだけ。
いつの間にか、おいしい飲み物が増えて、カルピスの地位が下がっているのだろうか。
我々が小さい頃には、何が何でもカルピス、年に数回、いただきものでしか飲めないカルピス、オレンジやグレープになると、もう、年に1回レベルに なっ ちゃって、病気になると飲ませてもらえたあのカルピス。

「うーむ、時代は変わるものだなぁ。ネクターが消えていく時、我々の親世代はそう思ったのだろうか」などと考えながら、自分用には「飲むヨーグル ト」1リットルを買って帰る。

カルピスウォーターを一口飲んだ大内くんは、
「これだ!これなら飲める!おいしい!」と大絶賛。
私は、「飲むグルト」がおいしいのを発見。
大内くんにも飲ませてあげたら、「ああっ、これもおいしい!」と、口のまずさはずいぶん治ったらしい。
乳酸菌、おそるべし。

なんにせよ、風邪をひいたのがうかつだった。
その風邪を家に持ち込んだ張本人と思われる息子は、ほとんど熱も出ず、2日ほどベッドにこもって治してしまったのだが、大内くんは日頃が過労なの か、結局ずいぶんかかってしまった。
ちなみに私も軽く伝染されたが、日頃の昼寝が効いているのだろう、おおむね平気。
結局、気の毒なのは大内くんだけであった。
もうちょっとゆっくり休ませてあげないとなぁ。

16年4月26日

オーディオが、小型しつつある。
私のようにあまり音質にこだわらない人間にとっては、とにかく家の中がすっきりするのが嬉しい。

今回買ったのは「ANKER」の4.5センチ角のスピーカー。ネットで見つけて、猛烈に欲しくなり、まあ「1999円」ならよかろうと、横で眠っ ている大内くんには何の相談もなく、ぽちっとしてしまった。
翌日訳を話して謝ったら、
「そのぐらい、好きに買えばいいよ。いちいち僕に相談しなくたって」と寛大なのは、彼がもともと寛大な性格なのにプラスして、そのスピーカーが小 さく、家が片づく方向の話だったからだと思われる。

iPodからBluetoothで飛ばすだけなので、めんどく さいところが全然ない。本体も充電式で、コードを外しても8時間は聴いていられるらしい。ただのサイコロ。

このおかげで枕元のスペースが大幅に空いた。先日まで使っていたSONYのiPod充電器を兼ねた小型オーディオはリビングへ。キッチンで際限なくラタトウィユを作ったりするときに聴けて、便利。
こっちもそれなりに小さいし、性能良かったよ。

どっちも、結局iPodかiPhoneを使うところがミソなんだと思う。もう、CDなんて全部iPodにしまっちゃって、タンスの奥だ。GWには もしかしたら思い切って捨てるかも。

音盤を取り換える必要なく何10時間でも聴いていられるiシリーズはまことに福音である。今日も私は、5千曲をシャッフルしながら読書をする。 こんなに幸せでいいのかね、人間て。今、「カールスモーキ―石井」が「炎のたからもの」を歌っている。至福。

夜中に書斎に行く時も、スピーカーのケーブルを外し、iPodと一緒に持って行くだけで音楽が楽しめる。
パソコンの前なら、音楽は自在だろうって?
私は知る人ぞ知るパソコン音痴なのだ。えへん。

あああ、そう言いながらアマゾン見てたら、同じコンセプトのソニーのスピーカー見つけちゃった。(つーか、ANKERが、真似っこか)

多少機能が多くて8千円。1999円と比べてどうなのか。
だが、好奇心が燃えてしまった。私の手ではない、誰かほかの人の手が、「ぽちっ」とやってしまった・・・
明日、大内くんになんて言い訳しよう・・・

16年4月27日

先日買った「小さなサイコロ状のスピーカー」が面白かったので、同じような、だが色が数種類あるソニーのものから、ブルーを選んで買ってみた。

思ったより大きい。前のと比べると、普通スイカと大玉スイカぐらいの差はある。今、充電中なので何もできていないが、ストラップをつけるところがあると か、音量調整ボタンがついているとか(前のは、iPod側でしか調節できなかった)、電話もつなげて寝床に置いたまま不精な会話ができるとか、いろいろ楽 しそう。

もともとアンドロイド用で、アプリを使えばできることは増えるようなのだが、技術的に追いつかず、泣きながらあきらめる。
いつかできるようになる日も来るだろう。
なかなか楽しいおもちゃだし。

しかし、値段だけは楽しくない。
前のは1999円で買ったのに、8千円もする。
例によって大内くんは怒らなかったが、おもちゃを買うにはちょっと高すぎたかな。反省、反省。

デザイン的には安いやつ(黒)の方が好き、というところが困る。どこか、良い使い場所はないものだろうか?

16年4月29日

GW初日は、息子の部屋の大掃除から始まった。
北向きの部屋なうえ、息子が毎日遅くまで寝ているため、なかなか窓が開けられず、結露がひどいのだ。
先日ベッド側を頑張ったが、今回は、机、本棚、衣類タンスを動かし、小さなクロゼットの中を空にしての大布陣である。

そう言ったものの中身すべての物体をリビングに移して、床に広げると、もうスゴイ有様。
人間が生活するにはこんなにいろんなものが必要なのか?
本、マンガ、CD、ゲーム、DVD、衣服、靴、柔道歴を彩る数々の賞状・メダル、写真、手紙、卒業時にもらう寄せ書き、コントの小道具、その他もろもろ、もう、小物の嵐。

服は比較的簡単に分けて捨てさせてもらえたし、センチメンタル・バリューのあるものは親の方がこだわったりするのだが、やはり、激戦区は本・マンガ。
「オレは紙の本がいい」と言って、自炊させてくれないのだ。

息子が出かけた隙に、何とかお許しの出た小林まことの「柔道部物語」と河合克敏の「帯をギュッとね!」全巻を袋に入れて、彼が昔通っていた塾に持って行く。
2、3ヶ月に1度一緒に飲んでいる塾長の、高校生になる息子さんが今度柔道部に入ることになったのだ。
塾長譲りの恐るべき巨体と空手のキャリアを持つ彼は、数年を待たずしてものすごい怪物になることだろう。
どうぞこれで、柔道への気分を存分に盛り上げてもらいたい。

塾長や先生たちにあわただしくお別れを言って家に帰り、カビの生えた壁を掃除し、許された範囲での物品の選別を行い、どんどんゴミ袋に突っ込んで捨てて行く。
ゴミ置き場へ、台車で何往復しただろう。40L袋を軽く10個は出したと思う。
やっとリビングの床が少し見えてきた。

帰って来た息子と、また協議し、いくらかの物量を捨てる許可をもらう。
たった5畳の小さな洋間に、よくぞこんなにモノが入っていたもんだ。
タテに積み重ねる、ってのはすごい威力だなぁ。
平面には大して物は置けないが、本棚やダンスにしたとたん、高さ1メートル2メートルに積み上がるもんなぁ。

服をかなり捨てさせてもらい、これもそくざにゴミ置き場行き。
資源ゴミ収集がこんなにありがたいものだとは思わなかった。
部屋にある物体の多くが服と紙だったので、相当量が出せた。

明日は本とゲームの選別を徹底的にやってもらうよ、服もまだまだあるよ、という状態で、夜の10時になって突然息子が言う。
「今日、カノジョ泊まりに来る」
オーマイガッ、なぜ、今日という日に?
リビングは足の踏み場もなく、息子の部屋はタンスも本棚も動かして部屋の中央に寄せてあり、ベッド以外寝る場所はないのに?

「なんとかなるよ。タンスとか、戻せばいいんだし」と気楽な息子を見ていると、もう何もかもどうでもよくなる。
普通の精神状態だったら、この家に人を入れようとは思わないんだろうが、何せ息子がこうだし、カノジョもああだからなぁ。

少しはリビングの見栄えを良くしようと奮戦していたら、12時頃、再び息子のご託宣。
「今日は、もう来ないって」
そうか、終電に間に合って埼玉の実家に帰ったか、と思いつつ、もう、息子への怒りなんか微塵もわいてこない自分たちに驚く。
慣れきってしまう、というのはおそろしいことだ。

明日を控えて、とにかく寝る。
なんだかんだで3時頃までみんな起きていて、GW初日としては実に派手に成果があったと言えよう。
全行程を終えるのは5月5日が目標。頑張ろう!

16年4月30日

また朝が来た。
午前中は大内くんはパソコン仕事をし、私は小間物を片づける。
息子はと言うとゲームをしている。
そういう態度でいいのか、と言いたくなるが、彼は、ある程度頭脳作業をやった後は無心に手を動かして敵をなぎ払ったり銃撃戦をしたりして頭をからっぽにしないと、動かなくなるようなのだ。

昼ごはんを食べ、ふと思いついて息子を誘ってみた。
「新しい車、運転したくない?」
2、3週間前に買ったトヨタのアクア、まだほとんど乗っていない。
マンションが大規模修繕中で駐車場の位置が変わり、3段ピット式の最下段に眠っている緑のアクア「ケロちゃん」((カエル色だから)を、息子は見たことすらほとんどない。

「乗りたいな。ついでに、服買いに行きたいから、ユニクロ行く」
「ああ、母さんたち、唯生ちゃんに会いに行こうと思っていたから、そっちのユニクロに行く?」
「うん、オレは会いに行かないけど、ユニクロは行く」
この5月に25歳の誕生日を迎える唯生に、連休中に会っておきたいと思っていたんだ。

息子が唯生に会わない、というのをいぶかしがったり非難したりする向きもあろうが、我々は、2年ほど前に初めて車を運転して唯生に会いに行った時、帰ろうと乗り込んだ運転席で、数年ぶりに会った重度障害者の姉の姿に、
「お姉ちゃん、いたんだ・・・」と号泣したのを見て以来、無理に会ってもらおうとは思っていない。
一緒に育っていない彼にとっては、重すぎる、受け止めきれないものがあるのだろうと思う。
その最大の証拠に、彼は、結婚まで考えているカノジョに、まだ姉のことを話せていないのだ。
今回も大内くんが、
「で、カノジョには話したの?」と軽く聞いてくれたら、
「いや、まだ。結婚する時でいいかな、と。もう何年かかかるだろうし」と少し複雑な顔で語っていたらしい。

というわけで、息子をユニクロに落として、我々は唯生に会いに行った。
とても元気そうだ。
介護士の人たちに体位交換をしてもらい、人工肛門の処理をしてもらいながらの面会で、今さらながら、唯生の置かれている状況の厳しさを思い知る。
また、それを支えてくれている多くの手の存在も、とてつもない大きさで我々に迫ってくる。
1人の人間を生かすこと。
そのことに、いかに多くの器具、技術、情熱が注がれているか。
そうまでして生かされている生命に、我々はいかほど向き合っていられるか。そもそも、その生に意味はあるのか。
毎回、答えは出ない。ただ、とても厳粛な気持ちになる。

少し後追い泣きをする唯生に、
「今日も泣かれちゃったね」
「最近、毎回、泣いてくれるね。情緒が安定して、寂しいって気持ちが発達したんだね。悲しいけど嬉しいね。複雑な気持ちだ」と話し合いながら、ユニクロに息子を迎えに行く。

「唯生ちゃん、元気だったよ」
「ふーん、そうか・・・このズボン、2枚買ってもらっていい?あと、ベルト1本欲しい」という会話を交わして、レジを通り、隣の本屋をのぞいて行く。
「新刊の本屋に来るのは久しぶりだよ。いつもブックオフかアマゾンですませてるから。何か欲しい本があるなら買ったら?」と声をかけると、
「今は、読んでる本あるから、いいや」と言うので、そのまた隣のプロ仕様の食材店に行き、スープの元だの調味料だの冷凍の肉団子だのを買い込む。
荷物持ちの息子がいるので助かる。

帰って、食料品をしまうと息子は猛烈な勢いでゲームと本を選別し、いらないゲームは売りに行くらしい。
「ちょっと、出かけてくる」とゲームの袋を下げて出かけてしまったので、夕食の支度をし、片づけを進める。
もう一歩だ。
あとは、乾燥させた息子の部屋にモノを戻せばいい、というところまで来たぞ。
自炊させてもらえないマンガの山はテレビラックの扉つきの棚に全部収納すればいいだろう。

せっかく自分たちのマンガを自炊して空にした棚が、再びマンガで埋まってしまうのは腹立たしいような嬉しいような。
少なくとも彼は、
「小学生の頃からマンガや映画などのサブカルに触れさせてもらって来たことは、ものすごく感謝している」と言っているので、良しとするかな。
その結果、ゲーム会社や出版社に就職したくなっていることはもう、彼の選択だから。

そう言えば、ドライブをしながら就活についてかなり突っ込んだ話をした。
(ちなみに、小型の車を運転する彼のハンドルさばきは速く、判断も早い。なかなか上手なドライバーだ)
要するに、彼は他人を楽しませるコンテンツを作って行きたいのだが、漠然と考えていたテレビの世界は違うと感じ、今、ゲーム方面に気持ちが向いているらしい。
「こないだ受けた会社で、企画が、1本ボツだったけど1本通った。ああいう手ごたえの仕事を、やってみたい」
いいだろう。その会社が半分パチンコ屋であることも、もうどうでもいい。
玉は我々の手を離れた。
どう転がっていくかは、ここまでの20数年を信頼して待つしかないだろう。

「そろそろ晩ごはんだよ」とラインを打ったら、「もうちょっとやってから帰る」と言うレスがあり、
「ゲーム売ってタネ銭ができたからって、パチンコかよ」と思いながら、「パチ?」と訊くと、「いや、コメダ」と言う。
近所の喫茶店やファミレスを自室代わりに、コントのネタを書いたり企画を考えたりは彼の日常だ。
部屋がひっくり返っていても、困らないわけだね。

我々が「真田丸」を見ながら夕食を食べ終わる頃に帰ってきて、彼も夕食を食べ、さて、明日は大内くんは出勤だし、息子は車を運転してカノジョと横浜に行くらしい。
引き出しの奥から出てきた、中学時代に友達と3時間ぐらいかけてサイクリングで行った湖での写真を見ると、あまりにコドモなので笑ってしまう。
大きくなった。
免許を取り、カノジョができ、結婚を考え、就活をする。
20年をひとまたぎだ。

寝る前、大内くんが言っていた。
「就職して、食べて行くので精一杯かもしれないよ、って言ったら、『あ、オレ、そういうの大丈夫だから。必要なことはわかってる。ちゃんと暮らせる』だっ て。親に甘やかされて育ってはいるものの、目の前の現実が厳しいのはわかってるみたいだよ。もう、まかせておいて大丈夫だよ」。
今の彼の部屋を見ると、1人暮らしの部屋など想像もしたくないが、自分も通ってきた道だ。
「僕らも社宅を3、4軒使いつぶしてここまで来たじゃない。結婚と同時にマンション買ってあげるような真似さえしなければ、借家を使いつぶしながら生活のコツはつかむよ。すぐに1人じゃなくなるだろうし」

そう、1人じゃないことを祈る。
大内くんが私に寄り添ってきてくれたように、彼には「彼のひと」がいると思いたい。

「510号寄り道倶楽部」に戻る
最新「年中休業うつらうつら日記」目次