16年5月1日
今日も朝から息子の部屋の片づけ。もうあらゆるものを出してきて、リビングに積み重ね、部屋はカラになった本棚やタンスを乾燥させているところ。本人もある程度は協力的
で、いらないフィギュア等を捨ててくれた。なのに、なぜかDIO様が捨てられないらし
い。衣装が黄色いのと黒いのと2種類とも取っておくんだって。DIO推し?
もういくつのゴミ袋をゴミ捨て場に持って行ったか、覚えていない。幸い、マンションの他の住人たちの中にGWに大掃除をするつもりの人は他にいないようで、ゴミ置き場は我が家から出た袋が積み上がって行くのみ。
年末とかだと、けっこう皆出すからスゴイことになっちゃうんだよね。
作業を切り上げて吉祥寺にごはんを食べに行ったが、何と私はここ2日間ぐらい、歯が痛くなっている。一応、連休前に歯医者さんには行ったんだけど、「歯周病かもしれないし、様子をみましょう」と言われた。
というわけで、歯が痛い私と、風邪が治り切らずに苦しそうな大内くん、2人でタイ料理を食べる。もうちょっとで「パッ・タイ」残しちゃうとこだった。痛くて。
心配した大内くんの提案で、明日、歯医者さんに痛みがガマンできない急患だと言って、予約に割り込ませてもらうことにした。
そうとう痛いんだ、これが。
神経を抜くことになるかな、と恐怖しながらも、この痛みと毎日つきあうよりは抜いちまおう!って気分になってる。まあ、歯医者さんの診断次第。
もう20年近く通っているイケメンの歯医者さんで、説明が丁寧で腕がいい。
もちろんその歳月の間に多少は老けたが、何と言うか、大内くんのように老けにくい、オタクっぽい人なのだ。
そういう歯医者さんを歓迎している私は、少々変わった趣味なのかな?
「だいたい、キミはガマンしすぎなんだよ。歯医者さんに行ったら、『痛いですぅ。ガマンできませぇん!』って騒げばいいんだよ」と大内くんは言うが、私は息子を産む時の陣痛中にも、助産師さんたちに、
「あのう、これ以上痛くなったら私、ガマンできないかもしれないんですが、どうしたらいいでしょう?」と理性的に尋ね、
「それは、あなたがガマンして産むしかないでしょう」と笑われたので、
「はい、わかりました」とアタマが地面にめり込むぐらいガマンした、というタイプなのだ。
それでも、痛み止めを飲んで昼寝をしたり借りて来たDVDを観たりして、リビングがむちゃくちゃなことだけを除けばまあまあ楽しいGWを過ごしている。
あさってにはリビング一面に置いてある引き出し類に中身を入れたものを息子の部屋に戻す予定で、なんとか片づけの目途はついてきた。
今日は早く寝よう。
16年5月2日
おじいさんは会社に仕事をしに行き、おばあさんは歯医者に診てもらいに行った。どんぶらこっこ、どんぶらこ。
やはり、治療した歯の根っこが傷んで来てるかもなので、神経抜くとのこと。
でも、「ちょっとちくっとしますよ〜、はい、鼻からゆっくり息を吐いて〜」と優しく麻酔注射をしてくれて、削る時も、
「この歯は、少し麻酔が効きにくい歯なんです。もし、お痛みとか困ったことおありになったら、左手をあげてお知らせくださいね〜」と柔らかく言ってくれる。
うーん、インフォームド・コンセント。
で、治療痕を開けてみたら、やっぱり根っこが少し腐ってたらしい。
「下手にフタをしたりするとかえって膿やガスがたまって痛いことがありますから、開けっ放しにしておきますね」と言い、連休中に万が一痛み出したらどこそこの救急治療院へ行け、という指示を出してくれた。
私は、痛みが去ったのに夢中で、説明なんか聞いてやしない。
歯が痛くないってのは、こんなに幸せなことなんだなぁ。
人間、小さな幸せを大事にしなきゃいけない。
そう思いながら、久々に歯が痛くない状態で昼寝する幸せな私でした。
元気に遊び呆けているのは息子だけで、家の車で横浜へドライブに行ったらしい。
カノジョ?と期待して聞いたら、サークルの友達と2人だって。
野郎同士で、何が楽しいんだろう。
それでも、先日、ドライブを兼ねた運転教習を断らなかったのは、こういう下心があったからなのか。
ま、夜には無事に帰ってきてくれたので、よかった。
ただ、何か楽しいことがあったか?とか聞いても何も答えない無愛想な彼ではある。つまらない。
ちょっとびっくりしたのは、マンガ好きの間では知らぬ者のない吉野朔美が、4月20日に亡くなっていたと発表があったこと。
最近、よく萩尾望都等の少女マンガを読み返していて、
「こういう人たちが亡くなったら、かなりぐらりとくるだろうな。ヘタしたら、手塚治虫の時よりショックを受けるかも」とか考えていたので、ビックリしたし、やはり世界は少しぐらりと揺れた。
素晴らしい描き手さんであったし、つい最近までお仕事していたらしいので、死因は病死らしいとしか伝えられなかったが、とにかく残念だ。
16年5月3日
軽いドライブを兼ねて、杉並の方に住む友人の家の近くの、植物園のように木の茂った中にあるイタリアン・レストランへ行き、3人で食事をする。
この友人とは、毎年GWにここでランチをしている気がする。
5月は美しい季節だ、とため息をつくような場所なのだ。
ただ、あいにくなことに私は歯の神経を抜いたばかりだし、大内くんは風邪気味だしで、いつもほどならもう1軒、喫茶店にでも行ってゆっくりするところを、ランチだけで失礼してしまった。
「歯が痛くなくものが食べられる」という喜びをかみしめる一方で、GW中に何かあっては一大事、という面もあり、レストランの1階パン屋さんで売っている柔らかそうなチョコパンとクリームパンを夜食用に買い、友人を阿佐ヶ谷駅まで送り、帰る。
彼女はひと月前に買ったばかりのアクアに乗るのは初めてで、今までのノアとはずいぶん違うとは言いつつ、車のデザインも仕事の中に入ってくるフリーランスらしく、いろいろ訊いていた。
また、そのうちゆっくりドライブでも。
そう、この友人とは、ノア以前のカローラワゴンの頃から、何度一緒にドライブ旅行をしたかわからない。
清里のペンションの野球大会に張り切る大内くんや別の男友達を見物したり、温泉に泊まりに行ったり、日光東照宮を見に行ったりした。
最近そういうイベントが少なくなっている、というか、ほぼゼロ。
やっぱり、歳取っちゃうと気力がなくなるのかな。
少なくとも私はそういう企画を立てる力がなくなっている。
老齢のせいにするか更年期障害のせいにするか、どっちにしてもトシだ。
「キミは少し老化を急ぎすぎるよ。まだ50代なんだから、そう老け込むことないじゃない。更年期障害が終わると、やたらに元気な60代の女性が出現するとも聞くよ。また、旅行でも何でも行こうよ」と言ってくれる大内くんや、ランチにつきあってくれる友人に感謝して、気を若く持とう!
16年5月4日
大掃除の目途が立って来たので、ずいぶん観たいものがたまってきていたDVDを借りに行く。
おお、「スターウォーズ フォースの覚醒」も出ているではないか。
大喜びで8枚も借りて、えーっと、4枚は明日までに観て返し、3枚は土曜までに観て返し、1枚は来週でいい。
何とか観られるペースだろう。
というか、最近テレビやビデオをほとんど観なくなってしまっており、じゃあ、何をしてるかというと、自炊をするか読書をしていた。
テレビやDVDは、時間を束縛される気がするんだよね。
本を読むのは、自分のペースで読みたいように読めるから、今みたいに何にも縛られたくない気分の時には読書の方がいいみたい。
まあ、映画も観るには観るんですけどね。
やっぱり、世の中で話題になってるものは観たい、という一種の野次馬根性で動いております。
感想はシネマ日記で。
16年5月5日
最後に残ったゴミを捨てて、本棚や机の位置を元に戻し、ずいぶん中身の減ったタンスや机の引き出しを納め、本棚に息子がセレクトし抜いたフィギュアを飾った。
部屋は、ものすごくきれいになった。
もちろんその陰には犠牲もあり、我々が手持ちのマンガを全部自炊して空っぽにしてしまったはずのテレビラックの棚は、扉を閉めてるから見えないだけで、8割ほどが息子のマンガで埋まってしまった。
整理して納める作業は一緒にやってもらったが、よくぞこれほどの量のマンガを買ったなぁ、というのが素直な感想。
小学校の頃から買い始めたと記憶しているが、中高大で爆発的に増えた。
そして、決して自炊させてくれない。
我々のマンガでデータになってるものはiPadに移してかなりの量を読んでいるが、自分の買ったマンガは自炊NGらしい。
「オレは、やっぱり紙で読みたい」と言われるとどうしようもないが、いつかこの家を出て行く日には、全部持って行ってもらうよ。
武士の情けで、その時自炊してもらいたければしてやってもいいんだが。
あと、コントの小道具がリビングのクロゼットにかなりの量、入っている。
もう唯生は家に帰って来られないだろうし、大人になったから、という理由でひな人形まで処分したというのに、何と言う贅沢な空間の使いようだろう。
これも、引っ越す時には持って行ってもらわなきゃ。
実際、息子が家を出る日に備えて荷物の整理をした、という感じだ。
5畳ほどの洋間と半間弱のクロゼットが、すっきりと片づいた。
本棚も空っぽに近いし、タンスの中身もだいぶ減らしたから、洗濯後にたたんだTシャツをぐいぐい押しこむような真似ももうしなくていいだろう。
いつか、息子はこの部屋にあるものとリビングのマンガと小道具を全部持って家を出るのだ。
早ければ、卒業し、就職する予定の来年春。
だが、大内くんが、
「会社に行くのも、最初は起きられなかったり大変だから、GWぐらいまでは家に置いてあげてもいいんじゃない?」とか恐ろしいことを言い出しているので、今後のことは大変不安だ。
実際、私も、「家を出ちゃったらこっちが寂しいだろうな」と思わなくもない。
本当に叩き出せるんだろうか。心配だ。
ところで、この一連の大掃除の様をFBにアップしていたら、複数の人から、
「自分のテリトリーに手を入れられて、平気なのか?」という疑問が寄せられた。
大丈夫です。
彼は、自分の部屋を自分のテリトリーだとは思っていません。
いつでも開け放ってある部屋のドア、全裸でベッドに大の字に寝て何もかもワイドオープン、エアコンをつけているのになぜドアを閉めないのか?と、こっちの方がよっぽど疑問に思っている。
おそらく彼は、家全体を自分の緩やかなテリトリーととらえているのだろう。
こっちがテレビを見てるのに、平然と音を出したiPadを持って来て、
「うるさいよ。音下げて」と言うまでそのままだったり、気が向くと毛布を持って来てソファで朝まで寝てたり、言えば場所を譲ってくれたり静かにしてくれたりはするが、共同の持ち物だと思ってるみたいね、家全部が。
運良く自室を持っている思春期の少年はそこを根城にして引きこもるんだとばかり思っていたが、息子の場合は家中を好きに使っている感じ。
もちろん我々の寝室は例外だし、書斎も、一応パソコンを使う許可取りに来たりはする。
まあ、なんとか棲み分けて今日までやってきた。
彼が完全に彼の場所であるアパートの部屋かなんかを持つまでは、共存して行こう。
16年5月6日
連休のはざまの出勤日、大内くんは朝早く出かけて行ったし、息子も、志望の出版社に履歴書を出しに行くらしい。
彼がそれを書いているとは知らず、
「リビングの机で、なんか妙に真面目に書き込んでるなぁ。しかも時間かかってる。相当本気出してるね」と大内くんとこそこそ言いながら観ていたのが「バクマン。」。
マンガ家を目指す高校生2人組が少年ジャンプの集英社と渡り合い、連載トップを取る話だ。
いろいろ手法が面白くて、特に「目の見えない人のための音声ガイド」のような「ト書き」の部分が音声で流れるのがデフォルト、というところが好きだ。
私は、小説の行間を読むことは得意だが、映像の行間って、読めないんだよね。
解説してくれて、すごく助かった。
しかし、それを見ている後ろで息子がずっと書いていたのが、実は当の「集英社」あての履歴書だとは知らんかった。
映画を観終って、息子も書き終わって、お互い「うーん」とのびをしながらそれぞれの活動をしている間に、息子はまた外にコントの台本か履歴書か、どっちかを書きに行ってしまった。
机に乗ってる履歴書を見て、初めて、
「え?集英社、受けるの?『バクマン。』見てる後ろで、ずっとこんなもん書いてたの?」と驚愕する。
細かいことは読んでないが、1つだけ、私が嬉しくてたまらなかったことがある。
「あなたの人生でよかったと思える映画を3つ上げてください」の質問の答え、2番目が、「遊星からの物体X」だったのだ。
1位と3位は見なかったが、これをベスト2に上げてくれただけで、もう私が息子を育てた甲斐があったというものだ。
この超弩級のB級作こそ、私の人生のベスト1で、息子にそれを伝えたのは小学生の頃だったんだから。
あー、コドモ育ててると面白い目に合う。
集英社に受かるとは微塵も思ってないが、彼は、私がそこにマンガの原稿を持ち込んだことがあることをおそらく知らない。
「りぼん」ではけちょんけちょんだったが、「ヤングジャンプ」の編集さんは、
「面白いもの持ってるね。また何か描いたら持って来て」と、お世辞にしても言ってくれたぞぉぉぉ!と、今の息子に話してみたい。
16年5月7日
連休中だというのに、心臓の検査のため、病院に行かなければならない。
まあ、それを言えば、連休中だというのに診察をしなければならない先生の方も大変なんだが。
私は、心臓の弁に生まれつきの奇形がある。
3枚あるはずのひだが、2枚しかない弁があるらしい。「二尖弁」と言われる。
小学校で100人検査すれば、2人はいる、という、わりとポピュラーなもの。
それに関係はないのだが、プラスして胸部大動脈瘤がある。
こちらも、そう珍しいものではないと思う。
今回は、半年ほどで定期的に行っているエコーとCTを撮った。
そのあと、診察を受けたわけだが、先生曰く、
「今回の検査の結果を見て、場合によっては、もっと大きな病院で精密検査を受け、手術を考えた方がいいかもしれません」。
大動脈瘤はステントを入れるとかしてこれ以上太くならないようにするのだろうし、二尖弁は人工弁に交換するのだろう。
両方とも、術式の安定した手術でそう怖くはないと思うし、実は、父が昔、心臓の手術を受けている。
詳しく話を聞いておけばよかったと思いつつ、その後肺がんでもう死んでいるので聞けないんだが、同じ奇形が遺伝してるんだったら、面白いものだなぁ。
その父が、誰にともなく、
「腹ならまだしもなんだが、胸を切る、ってのが何となく、イヤだよなぁ」とつぶやいていたのを思い出す。
私も唯生の出産の時に緊急帝王切開になったので、一応「腹を切ったことがある」人間なのだが、確かに腹は何だか鈍感そうだけど、胸はいろいろ細かく詰まっていて、切りたくない気がする。
医療ドラマを観てると「開胸器」なんて恐ろしげなモノも出てくるし。
(切断面を、キリキリキリっと歯車仕掛けで拡げておくものらしい)
若い頃から持病があったため、疾病保険に入れなかったので、個室を取ると差額ベッド代が出ないんだよなぁ。
でも、大部屋はイヤだ。個室がいい。
大内くんは、
「1日1万5千円の差額ベッド代が、10日分ぐらいかかるだけだよ。15万だ。どうせ手術はお金がかかるし、健保とかでいろいろ戻ってくる分もあるし、気にしないで。毎日、お見舞いに行くよ」と言ってくれる。
個室で、iPadを使って無限に本が読める日々・・・ちょっと、あこがれちゃうかも。
もうひとつ、私が楽しみにしているのが全身麻酔。
(帝王切開は腰椎麻酔で、下半身のみ。意識はずっとあった)
落ちるように完全に意識がなくなる、というのが、不眠症の私にはあこがれの的なのだ。
聞いた話では、本当にある瞬間以降の記憶がなくなるらしい。 楽しみだなぁ。
でも、寂しいだろうね。 大内くんも、夜に少し来てくれるだけだろうし。
息子を産んだ時は、なんと唯生の介護休暇に入っていた大内くんがつきそい入院をしてくれて、ずっと2人きり(時々息子も混ざった)で過ごしていたという甘ったれた入院だったので、夜、1人で入院、と言うのは唯生を産んだ時と、息子を産んだ後の1ヶ月検診で出血が止まらなくなり、緊急入院した記憶だけで、どちらも非常に不安な時間を過ごした思い出しかないので、気が重いのだ。
とは言え、「来月、検査の結果を見て、精密検査をするかどうか決めて、その結果、手術をするかどうか決める」わけで、間に何段階もある。
別に、すぐに手術するわけじゃない。
まあ、どちらも放っとくわけにもいかない状態らしいから、いつかは必ず手術をすることになるのだろうが、今かもしれないが、10年後かもしれない。
思い悩んでもしょうがない。
せいぜい読みたい本を選ぶ楽しみに没頭して、iPadに入れる準備をしておこう。
ああ、何百冊も本が入るiPadは無敵で素敵だ。
6年5月8日
今日でGWもおしまい。
ほとんどどどこにも行かなかったし、何もしなかったが、最近ずっと大内くんが忙しかったので、長い時間一緒に過ごせたのは本当に良かった。
一緒に買い物に行き、散歩をし、並んで本を読み、書斎で、1人は本の裁断をし、もう1人はスキャンをした。長い時間。
映画もたくさん観られたなぁ。
お正月休み以来のことだ。
ここ数年の傾向からすると、次にたくさん観られるのはお盆休み、ということになりそうだ。
大内くんも、お休みが終わるのは切ないみたい。
「ああ、楽しかったなぁ。こういう日々が続くといいのになぁ」
と言いつつ、会社の同僚のHさんのことを心配している。
彼はとても忙しく、連休中も半分は会社に来ていたし、なんと昨日から海外に出張しているらしい。
1泊や2泊で帰してもらえる大内くんと違って、語学に堪能なHさんは、いったん海外に連れ出されるとあまりの重宝さにあちこちに「拉致」されてしまうそうだ。
「2週間の予定の出張が、1ヶ月になったりするんだよ。こないだそうなった時は、帰ってきて、『さすがに家内に会いたくなりました。寂しかったです』って言ってたんだよ。Hくんがそこまで言うなんて、よくよくのことだよ」
Hさんご夫妻とは、これまでに2、3回お食事を一緒にしたことがある。
Hさんも大内くんも12月生まれなので、ここ数年、「12月のお誕生会」をやっているのだ。
去年は、奥さんから「鬼平犯科帳」のたいそう面白い回を教えてもらい、幸い家に録画があったので、すぐに観た。
確かに面白かった。
「Hくんがいなくて奥さんも寂しいだろうから、メールを打ってあげて」と大内くんに言われたので、
「私みたいにダンナさんが年中あんまり働かなくて一緒にいる人間が、『お寂しいでしょう』なんてメールするのは不遜なんじゃないの?」と聞いたら、
「いや、そんなことはないよ。Hくんも、『メールでもしてやってください』って言ってたよ」とのことなので、今度、打ってみよう。
ダンナさんが毎日家に帰ってくる、そんな当たり前のことが、Hさんちでは難しいのだ。
有能な人のところに仕事が集まる傾向は常にあり、Hさんはみんなに頼りにされているうえ、本人が責任感が強く、真面目なので、ついつい働き過ぎてしまうんだろう。
それだからってお給料が大内くんの倍もらえるわけじゃない。(いや、もらっていてほしいが)
これから社会人になろうとしている息子にも、仕事とプライベートのバランスが取れる仕事についてもらいたいけど、そう贅沢を言っていてはそもそも就職できない。
大内くんのように、真面目に見えるが実はほどほどに無能である、というあたりが一番楽をさせてもらっている。
ありがたくも、申し訳ない。
大内くん、せめて、明日からまた会社行ってくれ。
16年5月9日
GWが終わって唯一ありがたいのは、歯医者が開いていること。
連休中ずっと不安だった、「神経が半分傷んでいるので、歯を削って穴を開けておいたが、もしかしたら痛むかもしれない」と言われていた歯の治療を、やっと再開してもらえる。
歯科医で、先生に「どうでした?」と訊かれたので、
「痛みませんでした!」と言ったら目に見えてほっとした様子で、「よかったですねぇ!」と言っていた。
もしかして、危険な状態だった?
今回はもう神経を完全に取ってしまったけど、
「半分傷んでる、っていう、ちょっと難しい状態だったんですよ。膿がたまらないようにまだ穴を開けたままにしておきますから、次回まで、お食事の後は強くぶくぶくと口をゆすいで、穴に物がたまらないようにしてくださいね」と言われて、今日はおしまい。
月曜なのに、次は金曜しか取れない、というのもGWの影響だろうな。私としては明日にでも治療の続きをしてもらいたいところなんだが。
雨がぽつぽつ降っていたので上着を着込んで自転車で走っていて、思いついた。
緑内障の治療でそろそろ眼科に行かないといけないのだが、こんな天気の日はすいているかもしれない。
寄って行ってみよう。
果たして、いつもは混雑している待合室は空っぽで、3人の看護士さんたちがヒマそうに顔を寄せておしゃべりに興じており、私を見て、「こんにちは〜!」とコーラスする。
患者さんは、検査の人が1人いるだけのようで、すぐに私は視力検査と眼圧検査に回された。
看護師さんたちも、仕事ができて嬉しそうだ。
緑内障と言っても、疑いがある、というだけで決定的ではないので、今のところ眼圧を下げる目薬を点眼して、2カ月に1回、簡単な検査をし、半年に1度、本格的な検査をしている。
ここ1年半ぐらいかな。
今回は簡単な検査をして目薬をもらうだけ。
すいていて、ラッキーだった。
眼科って、そんなに緊急に来ようとはあんまり思わないから、雨の日とかはすいてるんだよね。
それにしても通院が多い。
歯医者まで入れると、主観的には毎日何かの診療を受けているような気分になる。
もちろんどこにも行かずにヒマな日がほとんどなのだが、病院って、何だかひと仕事な気分になるでしょ?
更年期障害の治療に行くかどうか迷ったが、だんだん落ち着いてきているような気がするので、病院を増やさなくて正解だったかも。
しかし、当分は歯の治療だ。神経抜くと、4、5回はかかるからね、終わるまでに。
でも、これで落ち着いてくれたら、ここ1年ぐらいずっと気になっていた歯の不調が終わることになる。
それは、おいしく食事がいただけるということを意味するので、たいへん嬉しい。
頑張って通おう。
16年5月11日
就活中の息子が急に江戸川乱歩を読みたい、と言ってきたので、自炊した分と青空文庫の分をiPadに入れてやる。
すぐに読み始める気配はないが、何やら、思うところがあるのだろうか。
江戸川乱歩ぐらい、中学生の頃に済ませておけよ、と文学少女だった私は思う。
考えれば、読むべき本は高校に入るまでに読んでしまって、高校からは読みたい本を読んでいたような気がする。
そして私は急に「ポーの一族」を読み返す。
エドガー・アラン・ポーなわけだなぁ。萩尾望都も文学少女だったんだろう。
アランが一番好きだった。
エドガーはなぁ、髪型がヘンだろう。
実は、今度、「月刊フラワーズ」という雑誌に、「40年ぶりの『ポーの一族』」が掲載されるらしい。
萩尾望都がどんな「ポー」を描いてくるのか。
いっときはアマゾンでも予約ができなかったほどの大混だったが、さすがに伝説の「ハガレン」のように「最終話が載った月刊誌が売り切れ続出だったため、翌月、同じ原稿が載る」ほどのことはあるまい。
私自身は、毎月10冊のレディースコミックを配達してもらっている地元の本屋さんとの間に太いパイプがあり、過去はバリバリのマンガ少女であったろう店のおばさんから、
「萩尾望都が載るんですってね。まあ、そんなに大評判なんですか。大内さんの分はちゃんと取っておくから、大丈夫ですよ」と言われてひと安心。
「ポーの一族」全編の、「復刻版 限定スペシャルBOX」も出るらしい。
この大騒ぎを見ていると、読者は2つに分かれている。
片方は、現役でマンガを読んでいる、年齢的にはまあ我々に近いが、もっと若い場合もある人たち。
もう一方は、我々の年代で、長いことマンガなんか読んでなかったが、ふと萩尾望都の噂を小耳に挟み、猛烈になつかしくなって読んでみたい、と思っている人たち。
私がネットで出会うのは主に前者だが、現実の友達には後者がいる。
BOXも買うらしいCちゃんは、中学時代に読んだポーの一族の雰囲気にひたりたいそうだ。
その後バリバリ勉強して、途中ではマンガなんて読まないバリキャリだった彼女も、そろそろ60歳の節目を数年後に控え、思うところがあるのだろう。
私はずっとマンガを読んできたが、今の人たちのように大量には読めない。
いくつもの連載のラストを覚えておく月刊誌もムリだし。(レディースは基本読み切りだから、大丈夫)
この歳になると、新しいものを読みつつも、古いものに回帰することも多く、読み返しの時間が圧倒的に必要なのだ。
というわけで、ポーの一族から始めて萩尾望都を次々に読んでいる。
バレエマンガは、頑張ったなぁ。
最新連載の歴史マンガ「王妃マルゴ」を読んでも、彼女が勉強家で、チャレンジングなのが見て取れる。
もう新しいジャンルになんか行かなくてもいい巨匠なのに、ぐいぐい新境地を開いていく。
まことに見習いたい人だ。
しかし、そんな読み返しをぜいたくにできるのも、自炊していればこそである。
自炊以前は、バレエマンガのシリーズや、新しめの「Away」などまでは手元に置く余裕がなかった。
読んで処分するわけだが、記憶力の少ない私には、身を切られるような思いだ。
このまま世の中が電子書籍に移行することを期待しながら、今日も本を裁断し、自炊する。
紙の古本でなくキンドルとかで買ったら高いぞ、ということはとりあえず考えない。
16年5月13日
私は記憶力が悪い。
普通に高校も大学も受験したわけだから、人並みの記憶力はあったはずなのだが、ここ10年ぐらい、どんどん物覚えが悪くなっている。
マンガの最新巻を買うと、必ず1巻から読み返さないとストーリーを思い出せないほどだ。
今、よしながふみの「大奥」、2週間ほど前に出たばかりの第13巻を読んでいて、もう4回ぐらい読んでいるのにどこからどう読んでみても初めてのような気がしてしょうがないので、大変面白く読んでしまった。
友人たちも、口々に「記憶力がなくなった」「人の名前が思い出せない」と言っているので、老化の影響もあるだろう。
睡眠薬等、神経系の薬を飲んでいるせいもあるかもしれない。
だが、それより何より「若年性アルツハイマー」という病気が気になる。
1度、ちゃんと診察を受けてみた方がいいのではあるまいか。
進行して、大内くんのことを忘れたりしたら一大事だ。
その大内くんは、無慈悲に、
「器質的なもの。3歳の頃に高熱が1週間も続いて、医者に、『脳をやられるかもしれません』って言われたんでしょ?その時に、記憶野をやられたんだよ。昔
は普通だった?それは、若い頃は超天才だったのが、普通に戻ったんだよ。つまり、キミはどう頑張っても今程度の記憶力しかないんだよ」と言い放つ。
彼に言わせれば、人間の記憶野は後頭部にあり、私の後頭部はぺったんこの「ぜっぺき」なのだそうだ。
一緒に暮らしている人の意見なので、傾聴しよう。
しかし、不便だねぇ。
何でもメモしておかないと忘れちゃうし、読書は忘れちゃって戻ってばかりなのでなかなかはかどらないし、先週の日記を読んで自分で「いろいろあったんだ!」って驚いているぐらいだし。
年単位で昔の記録を読むと、自分の人生にそんなことが起こっていたのか!と、心底ビックリする。
数日、顔を見てないと、子供を産んだことも忘れてしまいそうだ。
そういう意味では、唯生のことを忘れている瞬間が多く、これは唯一、助かる点かもしれない。
いつもいつも心に置いておくには、重い出来事なのだ。
16年5月15日
なかなか風邪の抜けない大内くんの提案で、永山にある「竹取の湯」というスーパー銭湯に行った。
「あそこの岩盤浴に何時間か寝ていたら、この骨がらみの風邪が抜けるような気がする」と苦しい咳の下から訴える。
息子の運転だが、まあまあ安心して後部座席に収まっていることができた。
ナビシートの大内くんがいろいろ指導しているようだし、昔の私に似て、反応が速く、車の流れを読むのもうまい。
こうして私は家で唯一「車の運転をしない人」になってしまった。(もちろん唯生は計算の外である)
「しばらくハンドルを握ってないから怖く思えるかもだけど、昔はあんなにうまかったキミじゃない。すぐ慣れるよ」と優しい大内くん。
そうなんだよね、料理と車の運転って、横から見てると「あんなのムリ!」って思えたりすさまじく面倒に思えるのだが、いったん身体が覚えていることだから、やってみると案外できちゃうもんなんだよね。
運転も家事も、大内くんにまかせっきりの自分が空しい。
さて、9時半ごろに「竹取の湯」に着いて、3人分の代金を払って、バスタオルとタオルの入った手提げと「岩盤浴衣(よくい)」をもらう。
お風呂は男女別だが、岩盤浴は、浴衣を着て男女混合なのだ。
とても残念なことに、おしゃべりは禁止されている。隣に大内くんが横たわっていても、とにかくだらだらと汗をかく以外、することがない。
息子は慣れたもので、さっさと2階スペースから持ち込み可のマンガを何冊か持って来て、あお向けに寝て読み始めた。
大内くんは「スラムダンク」を読むつもりだったようだが、実は彼は、こういうところに来るとすぐに寝入ってしまう。
こんなに下から熱気が来るのに、よく眠れるなぁ、と感心する。
以前、温泉旅行に行った際に出会った岩盤浴で、
「サウナより簡単に多量の汗をかくことができる!身体の芯から、すぐにあったまる!」と先天性冷え性のような感想を持ったらしい。
ちなみに私は更年期障害になる前から「火照り症」で、常に身体が熱く、大内くんの表現を借りれば「燃える女」なので、サウナとか岩盤浴はあんまり快適じゃない。
そのかわりお風呂は大好きなので、しばらく岩盤浴で汗を流したあとは離脱して大浴場に行くことにした。
露天風呂、薬湯、ジェットバス、バブルバス、寝湯、水風呂とさまざまにあり、もちろん普通のお風呂もある。
入らなかったけど、サウナもあるよ。
私は白濁した薬湯が気に入って、しばらく入っては水風呂に入るのを繰り返していた。
水に浸かる時の、頭にキーンと冷たい血が上がってくる感じが大好き。
変形性関節症で左ひざを痛めてからは、冷やすと痛むので、家でも大好きだった水風呂に入れずにいたのだが、今回はなぜか調子が良く、薬湯が効いたのか岩盤浴で温ためたせいか、痛まないので、何度も水風呂に入れた。
家でも入りたいものだが、更年期障害から突然得てしまった「冷え症」がよくないのか、症状が倍加した「火照り症」の上半身は水風呂を求めているのに、腰から下が冷たい水に入ることを拒んでいる状態。
「犬神家の一族」のスケキヨみたいに真っ逆さまに入るしかないのか?と悩んでいたが、この分なら、もうちょっと暑くなってくれば全身が心をひとつに水風呂に入りたいと思うかもしれない。
何しろ、5月に入っても水風呂を用意しないなんて、ここ25年、なかったことなんだから。
息子が大学受験の年なんか、「水ごりみたいなもんだ」と言って、真冬の2月になっても 入っており、結局1年丸々水風呂に入り続けたことだってあるぐらいだったのに。
やがて、食事のための待ち合わせ時間が近づいてきたので、髪を洗って、ジャージのよう な「館内着」をもらって着替え、2階の食事スペースへ。
ちょうど、息子と大内くんもやってきた。
大内くんは岩盤浴衣のままだが、息子はもう普通の服に着替えてリュックをしょっていた。
3人で食事をすませたら、
「じゃ、オレ、お笑いの練習があるんで、行くわ。どうも、あんがと!」と言って、 ピュッと消えてしまった。
「忙しいね」 「でも、充実した顔してるよ。大丈夫だよ」 と話したあとは、大内くんはもうちょっと岩盤浴をしてからお風呂に入り、帰る、と言う。
私ももうちょっと水風呂を楽しみたかったので、別れて、1時間後にロビーで集合。
キーについてるバーコードで食事代や自販機で買った飲み物などの清算をし、総計1万円 ほど。
午前9時半から午後2時頃までの家族のレクリエーションとしては、まあまあだった。
息子とも、けっこういろいろ話せたし。
でも、それは明日の話題にとっておこう。
今日はもう、「真田丸」見たら寝よう。
16年5月16日
昨日、岩盤浴を楽しみ、館内着で中のレストランでお昼ごはん。
大内くんは天ざる(天ぷらとざるそば)、私はあまりおなかがすいてなかったので、いなり寿司(3個)とネギとろ巻1本。
なんだか息子が心配してくれているのか、
「それぽっちで足りるのかよ。調子悪いの?」と訊いてくれた。
「今、おなかすいてないから。身体の調子は良いよ」と答えておいたが、息子の母親に対する愛情というのは、控えめで照れ屋さんで、嬉しくなっちゃう瞬間。
そう言う息子は石焼ビビンパ、途中で「トマトのサラダ、もらっていい?」と旺盛な食欲を見せてくれた。
大内くんは、ここぞとばかりに就活の話をいろいろ聞いてくれた。
ここへ来るまでのドライブ中にもけっこう聞けたが、さらに細かく。
息子は気難しくて秘密主義なので、普段はほとんど何も教えてくれないのだ。
(そのかわり、書きかけのエントリーシートなどは食卓に置きっぱなしにしていくので、見たいと思えば見られる、ユルイ状態)
何かの拍子に考えてることをしゃべり始める時もあり、今日は、ややそれに該当したようだ。
「行きたいとことは、今んとこ、いい関係」
「1つ、落ちた」
「テレビは、NHK行って社員の人に会って、あ、これは違うな、って思った」
「テレビの仕事には、オレが求めるような面白いコンテンツはない。大阪のテレビ局だけは受けてみようかと思ってる」
「出版も受けてみてる。マンガの編集がやりたい」
「面接に進んでるとこもいくつかあるし、まだ始まってないのも何社かある」
言葉は少ないが、言ってる内容は、我々にとっては貴重な情報だ。
私が、
「家は出る?」と聞いたら、「うん、たぶん」という答え。
「家賃高いよ。暮らしていける?」とある意味、私以上に心配性な大内くんが訊くと、
「住宅手当も出るから、なんとかなる」。
「マンガの山はどうすんの?」と私が訊いたら、
「持ってく」と簡潔な答え。
「カノジョと暮らす、とかないの?」という質問にも、
「ない」ときっぱり。
「お笑いの方はどうなるの?」
「9月に公演をやる」
「それって、観に行っていいの?」とまた心配そうな大内くん。
「いいよ」
よかった!また息子のコントライブが見られるのか!
でも、誰とどんなことをするのかは教えてくれない。本当に秘密主義だ。
帰り道、大内くんとのドライブで、2人ともちょっとため息をついて、
私「いろいろやってるね」
大「もう、親が心配してどうこう言うレベルは超えてるね。まかせるしかない」
私「思ったより一生懸命だよね」
大「僕が見たところ、高校受験や大学受験の時と同じか、それ以上にテンション高いよ」
私「そうそう、それで、家ではテンション下げたくて、手を動かすゲームに熱中してるんだよね。そいで、夜中に私がお茶飲みに起きてくると、リビングのノーパソでエントリーシート作ってる」
大「いいカンジじゃない。きっと、行きたいところとご縁があるよ」
私「あなたんとこも私んとこも、おじいちゃんの代からメーカーで、家業と言ってもいいぐらいなんだけど、そういう方面に向かう気は、まったくなさそうだね」
大「うん。早稲田の名前が有利に使える就活じゃないね。いいんだよ。第一志望の大学に受かって、いろんな人とご縁ができて、素晴らしい仲間たちに会えて、
4年間、充実したサークル活動をやり抜いたじゃない。もう学生お笑いからは引退しちゃったから、これまでみたいなコンテストや大学でのライブはなくなるだろうけど、すでに自分たちのライブを9月に計画してるんだから、大したもんだよ。ギリギリの単位も、きっとクリアしてくれるよ」
といった話をする。
あと半月。
背広着て、アマゾンで買った安い書類カバン持って、どこを回っているのだろうか。
面接で、どんなことをしゃべり、どんなふうに評価されるのだろうか。
これはもう、入試とかと同じように、我々が立ち入れない世界だ。
「彼は、ゲーム業界とかに行って、1つの会社にずっといるんじゃなくて、スキルを上げて次の会社に移る、というような仕事のしかたになるかもしれない。そうなると、同じ会社の同じ部署に27年勤めてる僕がどうこう言える世界じゃない。いわゆる『出世する』ってこととは無縁かもしれないよ?」
「そんなの、いいよ。私はあんまり出世やブランドにこだわらない方だと思うし。あなたと結婚決めた時だって、就活はおろか、卒業も危うかったじゃん。自分で食べて行けるだけ稼いで、それで、できれば奥さんと子供たちとみんなで協力して暮らして行けるようなら、それでいいよ」
息子にも話したことだが、私は、大学を卒業して、7年間、1人暮らしで会社に勤めていた。
自分でお金を稼ぎ、家賃を払い、銭湯に行き、ビールを飲んだ。
毎日が、充実して楽しかった。
自分で自分を養う以上に楽しいことはあまりない。
大内くんや息子には悪いが、人生で一番素晴らしい時間は、その7年間だった。
親はいろいろ考える。
しかし、子供は常にその斜め上を行く。
息子の就活に関しては、どこか、お給料をくれるところに入れれば、とりあえず文句はない。
自活してくれ、自活。
実家にマンガを預けて行くようでは自活とは呼ばんぞ、と思いながら、でもこっちにスペースないわけじゃないし、取りに来たり置きに来たり、出入りしてくれるかもなぁ、置いていくなら預かってもいいなぁ、なんて思う。
家族の業という流砂に呑まれて行くのは息子なのか、私の方なのか。
16年5月17日
昨日の夜、地震があった。
大内くんと私はまだ起きて書斎にいたが、息子は早くから寝落ちしていたので、あわてて起こす。
「地震だよ!大きいから、起きて!」 ただならぬ気配に、彼もすぐさま起きた。
そう長くは続かなかったが、揺れは大きかった。
あとからテレビを見たら震度4ぐらいだったようだ。
揺れがおさまるのを待ち、クロゼットから非常持ち出し袋に使っているリュックを出す。
古いものだが、水や乾パン、防災シート、予備のメガネなどが入っているのだ。
しばらく身構えていたが、余震もなく、静かになったので、息子には寝るように言って、 非常持ち出し袋は念のため、朝まで廊下に置いておくことにした。
2時間ぐらいたってから寝たが、私は何やら怖くて眠れなかった。
家族がそろっている時間だったのが、本当に幸いだった。
熊本では、毎日こんなふうなんだろうか。 余震と強い雨が交互にやって来て、土砂崩れも起こっていると聞く。
あらためて、自然災害の恐ろしさを思った。
最近ネットでよく見る1万円ぐらいのコンパクトな非常持ち出し袋を買おうかな、と真剣 に考えている。
しかも、1つでなく、3つ。
今日みたいに全員家にいれば、1人1つずつ持てば、何かと助かるのではないだろうか。
私は何でも量を過剰に買ってしまう性質ではあるが、今回ばかりは、大内くんも「3つ買おうか」という意見だ。
でも、今は品薄なんじゃないかな。
せめて、今使っているリュックの中の水や乾パンを取り換えておこう。
3.11が忘れられない。
ありがたいことに息子は高校の修学旅行で沖縄に行っていて、ぴくりとも揺れは感じな かったそうだし、ニュースを聞いてすぐにケータイで「そっち、大丈夫?」と問い合わせ てきた。
もっとも、「大丈夫だよ。そっちは?」というレスに、「特に」と答えたきり、うんとも すんとも言ってこなくなってしまったが。
大内くんは、夜になってから会社を出て、4時間以上かけて歩いて帰って来た。
帰宅したのが夜中の12時頃だったと思う。
会社で防災に使うヘルメットをかぶっていて思わず笑ってしまったが、今思い返すと、賢明だった。
それまで会社では「非常時には歩いて帰宅」を目標に、時々歩行訓練などを行っていたようだが、3.11以後、「無理に歩いて帰るのは危ない。会社にはそれなりに物資の蓄え
もあるので、会社に留まる事」となったようだ。
私は一目も見ていないので想像がつかないが、ちょっとしたお祭り並みに人が歩道にあふ れて、全員同じ方向目指して歩いていたそうだ。
「混んでたよ。家の前を少し行った大通りでも見ておけばよかったのに。あんなに大勢が 歩いて帰宅するとは思わなかった」と大内くんは言っていた。
途中で余震が来て、高いビルからガラスが落ちて来たり、火災があったりしたら大変なことになるところだった。
やはり、無理に歩いて帰宅するのはやめた方がいいだろう。
息子の高校では、学校にいて、家が遠くて帰れない子たちを集めて体育館で非常食を食べて毛布で寝たそうで、2年生の終わりで修学旅行に行っていた息子たちは運がいいのか悪いのか。
日頃遭遇しない事件が起こって、みんなで体育館に泊まる。
これを拒否する高校生男子はおそらくいないだろう。
実際、お母さんが近くを車で通りかかっていたので連れて帰られてしまった柔道部の後輩 は、最後まで抵抗していたそうだから。
大内くんも、 「息子が学校にいる日だったら、僕も歩いて帰る途中で寄ってみたかもしれない。そして、息子を連れて帰るか、一緒に体育館に泊まるかどうかは大変怪しかったと思う。やっぱり、体育館が魅力的だよね」と語っていた。
高校の先生をしている先輩から後日もらったレポートによると、近所の人や、近くを通っ ていた保護者等を受け入れていたそうだから、大内くんも、非常食をふるまわれ、息子と一緒に体育館で寝たかもしれない。
それはそれで、惜しかった。
大内くんは会社に置いてあったスニーカーを履いて帰って来たが、それでも足の親指の爪 が浮いてしまい、1週間ほどしてから近所の病院で爪をはがしてもらった。
もう、完全に下に薄い爪ができていてはがれる寸前だったので、麻酔をしなくても痛くはなかったそうだ。
「歩いて帰れることはわかった。わかったからこそ、もう、歩きたくない」と言っている。
今度、こういう事態に陥ったら、息子は大学に、大内くんは会社に、それぞれもしいれば の話だが、留まるように話し合った。
私はたいてい家にいるから、近所の小学校に避難して、その後、広域被害場所に行き、落ち着いてから帰って来た家族と、避難所で落ちあう。
ケータイはつながらなくなるが、ツィッターやFBがあんがい使えるとも聞いた。
何が起こるかわからない。 きちんと備えをして、いざという時あわてないようにしよう。
16年5月19日
久しぶりに息子のカノジョが泊まりに来た。
夜遅かったが、「お茶でも飲まない?」と誘ったら、息子が怖い顔をして、「いやだ」と言う。
「そういう断り方はないんじゃないの?」と言うと、冷徹な顔つきで、 「オレには、オレが間違っていないと思う理由がある」と答える。
「母さんが悪いってこと?」 「いいや」 それ以上話す気はないらしい。
後で大内くんが部屋に呼んで真意を聞いたら、 「カノジョが具合悪くなって、埼玉の家まで帰れそうにないので、泊まりに来た。お茶なんか飲む状態じゃない」とのこと。
さすがに大内くんもあきれて、 「そんなの、ちゃんと言えばいいじゃない。普通に説明すれば」と言ったのだが、「話したくなかった」とか言って仏頂面をしていたらしい。
それでも、コンビニで買ってきた冷凍の鍋焼きうどんをカノジョのために作ってあげて、 「これなら食べられるでしょ」と優しく言っているのを目撃した大内くんは、私にそう話しながら、
「カンベンしてあげて。彼はまだ、みんなにいっぺんに優しくはなれないんだよ。カノ ジョのこと、すごく気づかって、心配そうだったよ。鍋焼きうどんだって、いつもは威張って僕らに作らせるくせに、カノジョのためなら作れるんだよ。本当に甲斐甲斐しかった。反抗期は抜けたかもしれないけど、思春期がまだ終わらないんだね。この間も、『今の若者は、30歳まで思春期が続く』ってどっかに書いてあったよ」と一生懸命、息子を弁護していた。
いいんだけどね。カノジョが1番で、母さんは5番目ぐらいでも。
ただ、正直に簡単に言えばいいのに、って、不思議なだけ。
カノジョはひと晩寝たら具合が良くなったのか、翌朝、「お世話になりました〜」と言って、息子と一緒に出かけて行った。
さて、ともに就活中、しかもカノジョの方はお笑い芸人と二足のわらじを履くつもりだと聞いているが、どうなるか。
若い人たちの未来を応援したい。
16年5月20日
吉田秋生の新境地、「夜叉」「イブの眠り」を読む。
今頃読んでどうするんだ、って言うぐらい遅い。
新境地はむしろ「海街diary」だろうに。
持っているだけで読む気にならなかったのは、「あの絵は受けつけない」と大内くんが言っていたせいばかりでもなく、私自身、「BANANA FISH」が終わって以来、絵が変わってしまったとは思っていた。
「夜叉」をぱらぱら見ると、むやみに首が太くバランスを失った肉体、とがりすぎた顔、 描き込みの少ない背景、あまり迫力のないカンフー・ファイトなど、気に入らない点がいっぱい過ぎて。
でも、今回、一気に読んでみて、まだまだ「引きこまれる」感があることに気づいた。 ストーリーは思ったより壮大だったし、エピソードもうまく挿入されているものが多い。
それらの点を評価しつつも、「ホモ・スペリオール(新人類)」はSF書きの夢で、さまざまな作品がある中、この連作はどうしてか、伸びきることができずに稚拙に終わってしまった感がある。残念だ。
それにしても、どうやってここから「海街diary」に戻って行けたんだろう。
ほとんど奇跡のように、「夜叉」「イブの眠り」で気になっていた絵のゆがみを修正し、元の良さを 取り戻している。
大内くんと私の吉田秋生ベストは「河よりも長くゆるやかに」であると 合意して25年、大内くんは今、泣かんばかりにして「海街diary」を抱きしめて、「よ く戻ってきてくれた!」と言っている。これからが楽しみだ。
16年5月21日
何の用もない土曜日。
ありがたいなぁ、と大内くんと2人、がーがー寝ていたら。
目が覚めたのが、3時!(昼過ぎの、あの3時ですよ)
目が覚めたのなんのって、2人で大あわてにあわてる。
しかしすぐに、何の予定もないことを思い出し、「な〜んだ」と胸をなでおろすのもつかの間、今度は、明日、お客さんが大勢来るから「料理の仕込み」と「家の掃除」をしておかねば、ということに気づく。
結局、やることはあるんじゃないか!
スーパーに買い物に行き、帰って家を掃除し、そののち、サラダとハヤシライスの仕込みをする。
大内くんは掃除をしながら、
「やっぱり、去年1年すごく忙しかったから、家にも全然手を入れてない。家が、よそよそしくなって荒れている。毎週舐めるように掃除していた新築の頃がなつかしい」と泣き言を言っていた。
「・・・ルンバ買ってから油断してた」
そうね、私はけっこう隙間をモップで拭いたりするけど、ルンバにはできないお掃除はたくさんあるね。
諸々、用事が終わって家全体を見ると、心なしか隅までつやつやしている。
「時々お客さんを呼ぶ、って必要かも。社交上の意義以上に、家が片づく」と大内くん。
うん、私も小間物をけっこう捨てたり整理したりしたから。
後は、この空間にお客さんが10人ほど来てくれればいい。
下戸の私は「酒盛りだ〜!」というふうには燃えないが、「お客さんだ〜!」という方向にはかなり燃える。
明日は大内くんと2人、燃え尽きよう。
あっ、ダメだ、翌日から4日間の海外出張があるんだ。
燃え尽きていては出国審査を通過できない気がする。
ほどほどに燃えよう、大内くん。
16年5月22日
今日は「休日講座」。
大内くんが主催しているもので、1年に1回、お題を決めて大学時代のマンガクラブの友人たちに何かしらの講義をしてもらうのだが、20年近い歴史の中で、聴講者たちが一緒に演奏や歌、ダンスまで楽しんでしまうというのは初めての経験。
元々は芸大卒の友達が卒論でやったという「ジャポニズム」について話してくれた時、
「こんな面白いことを大内家だけで聞いてはもったいなく、申し訳ない。会場は押さえるから、どうか講義を」と口説き落とし、うちの近所にある市役所公会堂の中の会議室を借りて、発表してもらった、といういきさつで始まった。
今回は、マンガクラブとはすっかり疎遠になっていた、アフリカの太鼓叩きと整体師を生業とする講師を担ぎ出しての講座となる。
本人も、「みんなに会うのが楽しみだ」と言っていた。
「参加する人は、何かしら楽器を持って来てください。空き缶に石ころを入れたものでも けっこうです」と案内を出したので、うちからはギター、カシ オトーン、フルートを
持って行ったが、講師のアフリカン・ドラマーがキャリアに3つも太鼓を乗せて来てくれたし、リコーダーあり、カスタネットあり、謎の「振りもの」ありで、講師は大満足の様子だった。
「ファンガ」なる、「Call & Response」という形式の曲を習った。
(片方が歌って、もう片方が答える)
「ファンガー ラフィア アシェ アシェ ファンガ― ラフィア アシェ アシェ」
という単純な歌を、まず楽器で思い思いに講師に教わったリズムで音を出し、次は歌をいれ、最終的にはダンス(簡単なステップ)までやって、1セッション終わり。
皆、くたくたになった。
音楽に乗せて体を動かすっていうのは、いいもんだね。
記念に写真を撮っておこうかと思ったんだけど、私本人も踊り狂っていたので、そこまでの余裕がなかった。
最後に「本番」をやる時、大内くんが3脚で動画を撮っていたようなので、もし技術的な ことがクリアできれば、何か残せるかも。
私が大内くんを心から尊敬するのは、20年近く、これを続けて来たこと。
同じ講師の方が別の話をしてくれることもあり、ここまで続けてきたけど、毎年、反省会 と称して家で開く宴会の席で、もう来年の講師と日どりを決めてしまう。 これが、ダレないコツなんだそうだ。
それにしても、日銀の人にお金の話をさせたり、自衛隊シンパの怪しいフィクサーに 「護衛艦に乗ってのパーティー」を語らせてみたり、一番面白かったのは、お茶室を借り
て、「お茶を習ってはいるけど・・・」としり込みするマンガ家さんに無理矢理ご亭主をやらせた時だったなぁ。
受講者もワインを飲み、ティスティングをしながら行ったワイン講座もあった。
去年は、これまた初めての試みで、ヒップホップダンスを習っている男性から、ヒップホップを教わった。
(たぶん、誰も理解できてないと思う)
最近、体育系が続いているということだね。
ホットヨガとか太極拳を始めるのはいつだろう。
こういうテーマを考えつくって、スゴイことだよね。
ちなみに来年は、大内くんがトルコの歴史を調べて発表したいので、ワイン講座の講師に聞いたら、トルコワインというのもりっぱな1ジャンルらしい。
なので、ワインと歴史双方がら攻めようという「トルコを知ろう!」(仮題)が予定されている。
講座に参加した人が講師、我々とか子供を入れれば14人。
うち2人は宴会の方は欠席だったので、家に入った人数は12人。
たいそうにぎやかなパーティーになった。
(幸い、ご近所からまだ注意されてはいない。まだ、ね)
飲み物食べ物はみんなの持ち寄りで、パンたくさん、チーズたくさん、生ハム、肉みそのレタス巻き、パンにつけて食べるミートソース、うちからは焼きたてのタンドリーチキン
とサラダとハヤシライスを出した。
飲み物の方も足りたようで、太鼓のエナジーを受けてか、みんな、いつも以上に話し、はしゃぎ、テンポの速いしゃべり方になっていた。
私はあいかわらず素面だけど、思わず釣り込まれそうになっちゃうね、酔っ払いの求心力には。
親子連れ3人で来てくれた男性は、やはり子供(小2)から離れるわけにもいかず、ソ ファの方のコーナーで「名探偵コナン」を大音量で見てた。
(うちのテレビの音声インジケーターが100まで行くのを初めて見た!)
みんな、気を使ってかわるがわる何かしら話をしてきたようだが。 私も、奥様と教育談議をいたしましたよ。
4時に始めて、7時半に終わる、健全な会だった。
(翌日から大内くんが3泊4日の出張に行くせいだろう)
すべて片づけて、お風呂に入るゆとりができたのは8時半。
いずれにせよ、ひと仕事終わった。
みんな喜んでくれていたし、大学卒業後30年近く会っていない人などもいて、とても有意義な会だった。 ほとんど同窓会。
ちなみに来年がクラブの発足50周年に当たるらしく、キーボードを担当してくれた後輩が幹事をまかされているそうなので、連絡網等、手伝えることは何でも手伝うよ、と安請け合いしておいた。
唯一の後悔は、宴会の場で、「フラワーズ7月号 萩尾望都 40年ぶりのポーの一族」の話をし忘れたことだ。これは、本当に残念だった。
そして、一番驚いたことは、7時半ごろ閉会にして(明日から大内くんの出張があるので、早めに終わらせていただいた)、皆さんをお見送りしてから気づいたら、玄関わきの息子の部屋のベッドで、本人がすやすや寝ていたこと。
いったい、いつ帰って来たんだ!
皆さんと、さんざん息子のウワサをして、ちょっと本人には言えないようなことも話していたのに、聞いてなかっただろうか?
とっても気まずい思いをしている我々でした。
16年5月23日
朝、パチッと目を覚ましたら、目の前に大内くんの顔のアップがあった。
「どうしたの?」と聞いたら、「寝顔を目に焼きつけておこうと思って」だそうである。
起きて良かった。
おかげで、「おはよう!」と朝の挨拶をして、「気をつけて行ってきてね」と十二分にお別れを言う時間があった。
さて、今日から4日、いや、もう夜で1日過ぎたからあと3日かぁ。
電話くれたから、元気は元気みたい。
今朝は面白かったなぁ。
毎朝飲む薬の袋を手に取ったら、「大好きだよ」と書いたポストイットが貼ってある。
お茶を飲もうと冷蔵庫を開けたら、お茶のグラスの前に、「行ってきます」、パソコンの前に座ったら「三浦しをん、自炊しておいたよ」、パソコン用メガネには「自転車に乗る時は気をつけてね」と、そこら中からメモが飛び出す。
もちろん嬉しいが、実はこれ、大内くんオリジナルではない。
しばらく前に、私が、
「あなたって、なんだかんだ言って私に能動的に働きかけるってことないよね。話しかけるのもこっちからばっかりだし」
「・・・そうかも」
「そうやって言われて、とりあえず反省した顔はして終わらせちゃうけど、本当に本当のところでは、あんまり私を大事にしてないかもね」
「・・・いつも、何か言いたいとは思うんだけど、どう言っていいのか、わからないんだよ」(このへんが、ヲタクと結婚した女性の難しいところである)
「たとえばさ、私が開けそうな戸棚があったらそこから『愛してるよ!』って、メモが飛び出すとかさ。そのへんのスキル、低すぎ」と散々酷評したんだが、そうか、実行したか。
結局、私が言った通りのことをしているだけで、新しい工夫がないじゃん、と非難することもできるが、彼のように気が利かないタイプにそこまで期待するのは無理だろう。
言われたとおりにやってみるだけでも大進歩だ。
それに、された方はどんなに自分が教えた手でも、使われると嬉しいもんなのよ。おほほほほ。
16年5月24日
大内くんが出張でいない間、私は本当は朝も夜もなく寝て暮らしたかったんだが、やたら に歯医者さんの予約を入れてしまったので、毎日、外出しなきゃならない。
これはちょっとストレスかも。
でも、今、私の歯は大変気まずい状態になってるらしい。
歯医者さんによれば、かつて治療した歯の、根っこが「半分腐ってる」状態なんだそうだ。
最悪の場合、抜かなければならないらしい。
「抜いたら、どうなるんでしょう?」
「やはり、ブリッジか入れ歯、そうでなければインプラントか・・・」
うん、ここの先生、インプラント上手そうなんだ。
「1本いくらぐらいですか?」 「どうしても36、7万は・・・」
それって、イタリア旅行に行けるぐらいの金額じゃないですかっ!
「大内さんのこの歯は、一番力がかかってくる大事な歯なんですよ。だから、できるだけ抜かないように治療して行きたいんですが、時間がかかるかもしれません・・・」
茫然として、気がついたら診察室を出てお会計だった。
その2日ほど後に、たまたま歯医者さんの事務を長いことやってる高校時代の友人と電話 で話していて、「そうだ、こういう人に聞いてみよう」と思い、
「根っこに膿がたまってるらしいんだけど」と話したところ、まったく動じずに、 「あ、それはね、半年かかっても膿が出なくなるまで治療する先生もいれば、すぐに抜いちゃう先生もいる」とあっさり答えてくれた。
「『時間がかかります』って言うのは、その先生が、簡単に抜かないいい先生だってことだと思うよ。根気強く、治療に通ってください!」と言った瞬間の彼女は、私の古い友達ではなくベテラン歯科勤務の顔になってたと思う。
そんなわけで、今日も、明日も、治療に行きます。
ここまでくる間、「先生、歯のこのへんが痛むんですけど」と訴えた時に、こんこん叩いたり冷たいものを当てたりして診てくれたあとで、 「治療した中で神経が痛んでるって感じもしないんですよね…もうちょっと様子を見ましょう」と言われた、あれがいけなかったのか?!
だとしたら、私がかかってる先生はヤブだ、ということになってしまう。
でも、意外と、先生を恨む気持にはならないんだよね。
むしろ、今、一生懸命治療してくれてることを評価するというか。
大内くんは、私のそういうとこが好きなんだそうだ。るん。
と踊っている場合ではない。今日も行かねば。
そして、「時間がかかる」というのが、週単位なのか、月単位なのかよく聞いてみよう。 素人にはまったくわからないんだから。
でも、もしかしたら先生自身、 「この膿がいつ止まるかは神のみぞ知る」と思ってるかもしれないなぁ。
16年5月25日
歯医者に日参している。
歯の根っこが半分腐ってしまっているらしく、一時は歯を抜いてインプラントにするか、 という騒ぎにまで発展した。
幸い、熱心な治療と高度な技術が功を奏し、何とか抜かずにすませられるようだ。
家から少し遠い(自転車で10分ぐらい)ので近くの歯科医に転院しようかとも思ったが、さすがに20年、私の歯とつきあってくれただけのことはある。
今日で神経を抜く治療が終わり、薬を充填して、あとはなんだか歯を半分に切って、冠の部分でまた一体化させるとか怖いことを言っているが、全幅の信頼を持って、私の口中を
大内くん似の先生に委ねよう。
きっと、口腔内ヲタクなんだろう、あの先生は。
いいんだよ、歯医者さんは、腕さえよければあとは何でも。
おまけに愛する夫に似たタイプなんだ、幸せだと思わなくっちゃ。
それにつけても歯医者さんとの不倫って想像しにくいなぁ。
向こうはこっちの「大口開いた顔」ばっかり見てるわけだもんね。 恋愛には発展しにくいだろう、普通。
お見合いパーティーとかでは、歯医者さんは手に技術の金持ちなので人気があるようだ が、日常生活でもモテるのかな?
16年5月26日
わーい、今日、大内くんが3泊4日の海外出張から帰ってくる。
思っていたほど寂しくはなかった。
ケータイやラインでいつでもつながってるという気分でいられたのが良かったのかもしれない。
しかし、思ったようにはなにも行かなかったなぁ。
料理したくないから作っておいたハヤシライスにはたちまち飽きたし、久々に食べたポテチはちっともおいしくなかったし、合間合間につまみ食いするチョコレートのせいか、体重は増加傾向、用意してあった長編マンガは結局1冊も読まなかった。
ぐでぐでと横になって過ごすつもりが、歯が思いのほか傷んでいたので、連日歯医者さんに行く羽目になったし。
それでも、当初「歯を抜かないといけないかも」と言われ、頭の中でインプラント代がチカチカしたのに、慎重に治療を続けてくれた先生には、感謝している。
息子は息子で、お笑いサークルを引退してから毎晩帰りが早く、「なんか食わせろ」という雰囲気。
家ではゲームばっかりしていて、あなた、どこかの会社のエントリー・シートに「趣味: 読書」とか書いてなかった?
ゲーム業界を中心に回ってるんだからこれも1つの就活かと思わんでもないが、リビングのテレビ占拠して古いRPGやるのやめて。
「父さん、出張で寂しいよ。母さんの話し相手になってあげよう、とか思わない?」と聞 いたら、「今、忙しい」。
手元でゲームしてるだけじゃん!
殆ど口をきかずに4日間終わりそうだが、特筆すべきことに、今朝、出かけたと思ったら ラインが。
「よかったね。今日帰ってくるね」
彼は彼なりに、私が寂しいと思ってはくれたんだなぁ。
大内くんからも、もうソウル空港で、じきにフライトだ、と電話が入った。
まったく、スマホとラインがなければ我々、生きていけないのでは。
帰って来て一番の話題は、息子のツイッターに書いてあった、新しいユニットでの第1回 コントライブのことだろうな。
今まで一緒にライブをやってきた他大学の仲間たちの、いちばん上質な上澄みを取ったような、抜群の8人なのだ。
「みんな、卒業は?」と聞きたい気持ちは抑えておこう。
9月にやるらしい。あー、楽しみ。
就職した後もこういう活動を続けたい、と言っている息子だが、父さんの友達に言わせれば、 「ゲーム業界にブラックでない会社なんてないぞ」とのことなので、自主ライブを開くほどヒマがあるか?
お笑い学生の親の意地にかけて、卒業後も最低1回は彼のステージが見たい我々なのでした。
16年5月27日
昨夜遅く、大内くんが帰って来た。
顔を見たら、なんか力が抜けた。たった3泊の留守だったのに。
とにかく疲れてるだろうから、早く寝てもらった。
金曜は会社を休ませてもらうそうだ。
そして今朝は、2人とも昼の12時まで爆睡。
私が起きたら、もう息子は勝手に家を出た後のようだった。どこへいったのやら。
大内くんを起こし、平日だからこの時間からでも大丈夫だろう、と「クルン・サイアム」へ。
大内くんはタイスキ、私は本当にまったくいつも変わらないパッ・タイ。
おいしかった。
ロフトで帰国記念(笑)のバスオイルを2種類買い、家に帰ってひと休みしてから、私の歯医者さんにつきあってもらった。
「なんとか歯を抜かずにすませられそうです。今日は、歯を2つに切ります」と先生に言われ、それはどうやって切るんだろう?と思いつつ、「痛いですか?」と聞いたら、「麻酔します」。
そうか、普通に痛いのか。
で、口の中で「ちゅいーん」って例の音がして、奥歯を横に2つに切断されてる雰囲気。
麻酔のおかげで痛くはないが、イヤな感じは否めない。
終わって、「軽ーく口に水を含むだけみたいな感じでうがいしてください」と言われた時はホッとした。
明日、消毒に来るように。
万が一、痛くなったら痛み止めを飲む。
歯を抜いたのと同じようなダメージなので、激しい運動、飲酒、入浴は控えてください。
口を強くゆすぐのも出血の原因になるのでやめて。
以上のことを言い渡され、車で待っていてくれた大内くんと合流、明日も連れて来てもらうことにして、帰る。
夕食は軽くお蕎麦だけにして、2人でゴロゴロとマンガを読む。
明日は萩尾望都の「40年ぶりのポーの一族」が載った月刊フラワーズの発売日だ。
帰りに立ち寄ったマンガオタクのおばちゃんがやってる本屋さんでも、
「大内さんに教えてもらうまで、そんなに話題になってるとは知らなかったんですけど、予約がいっぱい入ってるんですよ。10冊仕入れました。大内さんの分はちゃんと取ってありますから、夕方でよければ配達しますね」と言われ、
「いえ、気になるので、きっと朝のうちに買いに来ちゃうと思います」と答えたら、
「本当にスゴイですよねぇ、まだ描き続けてるなんて・・・」とおばさんは少し遠い目になっていた。
やっぱり、昔はマンガ少女だったに違いない。まさか、元祖腐女子?
明日を楽しみにして、大内くんは萩尾望都のバレエマンガを読み、私は彼が出張中に読み終わったという「バクマン。」をもう1度読んでいる。
マンガはすごい。
こんなにマンガが読める世の中に暮らしているなんて、とてもとても幸せだ。
特に萩尾望都。生きていてよかった。
16年5月28日
フラワーズ7月号、入手しました!
いやぁ、ここしばらく、私のまわりはざわざわしてたんだよね。
アマゾンでも「在庫なし」と予約を受けつけない時期があったし。
今は売ってはいるが、なんと雑誌1冊が1800円!
私は行きつけの本屋さんが取っといてくれたので、チョー安心。 (棚にたくさん予約された分が並んでいた) 友達は、本屋をめぐって3軒目でやっとゲットしたんだって。
本屋さんでなら、定価で買えたろう。
この「ポーの一族」をどう思うかは非常に人それぞれだと思う。
私としては、冬に出るという続きを読んでから判断したい。
ただ、エドガーの鬼気迫る感じはまだ出てこない。アランも少し可愛くないし。
付録に「訪問者・湖畔にて」がついてきたのはよかった。
もっとも、ふろくの方から先に読んでしまったため、今の絵に「ギャッ」となった人もいいるらしい。お気の毒に。
山岸涼子との対談も読みごたえあり。
決して写真を載せない山岸涼子は慎重なのかな?
さて、裁断をするか。(自炊の悪魔)
喜んで読んでいたら。 昼間にインターフォンが鳴った。
出てみると、画面の中に中年の男性が立っている。何かのセールス?
ところが、彼の名乗るところによると、テレ朝の記者らしい。
「大内さんですよね。10年ほど前に、舛添都知事に献金なさいましたよね?」
ここで、私の手には余ると思い、様子を見に来た大内くんに、「テレ朝の人が舛添先生のことで来てる」とだけ伝えて、あとはまかせておいた。
取材は断ったらしいが、12年前に、舛添先生が議員たらんと苦しい戦いをしていた頃、 元ゼミの恩師、結婚式の主賓としても来てくれたということもあり、「応援の気持ちだっ
た。『お金をかけない選挙を』と謳う姿勢にも賛同し、ボランティアでポスター貼りもした」のだそうだが、献金の額、2万円。
いや、もちろん我が家にとっては大きなお金だが、他にもっと何十万、何百万と献金して る人がいるだろうに、その人たちに、「あなたの献金が不当に使われたかもしれないことをどう思いますか?」と聞きに行けばいいのに。
いや、とっくに行ってるか。
今は、「庶民の応援の気持ちからの献金が以下同文」で取材してるんだろうなぁ。
いや、感心したのは、2万円と言えどもどこかの台帳に載っていて、それを誰かが細かく 調べて、そしてまた誰かが談話を聞きに来る、という細かさ、ニッチさである。
テレ朝の人、ご苦労さま。
舛添先生、頑張ってください。
都民は、いえ、民草は、時の政府に不安ながらも心を寄せて生きているのです。
16年5月29日
大内くんに出張の疲れが出たか、何一つする気にならない週末。
仕方がないので寝て、本を読んで過ごしていた。
息子の方が100倍元気で、休日としては朝早く(それでも9時頃だが)、 「今夜の夜行バスで大阪に行く。受けたいゲーム会社がある」と言い、往復のバス代と当座のおこづかいとして3万5千円持って行った。
背広着て行かなかったし、面接じゃなくて試験?
それとも、息子が入りたいようなゲーム会社は面接もラフな服装?
「もう、今夜このまま行くから。帰らないから」と勢いよく出て行った。
最近、やや煮詰まった顔をしているが、決して悪い煮詰まり方ではないと思う。
若者が、自分の将来について真剣に考え始めたら、あのぐらい煮詰まって来ない方が心配だ。
帰りはあさっての朝になるそうで、1日就活してバス便で往復。 若いというのは大したもんだ。
私は少し寂しいが、大内くんが出張から帰ったばかりだし、もう寝ようとしているところ にいきなり「野菜炒め作って!」と頼まれるのもイヤなので、この二晩は大事に使おう。
16年5月30日
このマンションに住んで12年。 何もかも気に入っていて、老後もここですごそうか、という話がまとまりつつある。
一時は、息子が出て行ったら2人暮らしには広すぎるだろう、人に貸して、自分たちは小さなマンションに引っ越して、差額で老後の生活を潤わせよう、と考え、不動産屋さんを 呼んで査定までしてもらった。
確かに今、このマンションの値は高い。
12年前に買った時の値段と全然変わらないぐらいだ。
10年も、ただで住んじゃったよ。
家賃も相当期待できるらしい。
しかし、私たちはこの棲み家をたいそう気に入っており、よそで暮らしたいとはまったく思わない。
賃貸に出すための内装工事費、手数料、税金、もろもろ考えてたらアタマ痛くなった。
考え方は人それぞれだが、借り手がつかないリスクまで考えると、多少広すぎても、このマンションに住み続けるのもひとつの選択だ。
第一、売値が高い、ということは買値もまた高い、ということで、我々が当初考えていた ような小さめの2LDKや大きめの1LDKを住居として買う、となれば、その出費も予想外に大きかった。
というわけでここを離れない決心をして、大内くんが最初に気にしたことは、窓の結露。
冬場、陽のさすリビングはともかく、やや北の我々の寝室と、一番端の北の部屋である息子の部屋は、窓の桟どころかベッドの横の壁にまで、カビが生えている状態。
大内くんがカビキラーを使って徹底的に掃除をしてくれてずいぶんマシな状態になったが、そもそもの原因である結露は解決しない。
もちろんこれからの季節は大丈夫だろうが、次の冬のことを考えると居ても立っても居ら れない大内くんが、「二重窓」を提案してきた。
さっそく業者さんに見てもらったら、間に2mmの真空を挟んだ二枚ガラスの「スペーシア」という商品を提案された。
冬場の結露を軽減するし、夏の冷房効率もたいへん良くなるらしい。
必要な窓は全部で5カ所、10枚で、まあ結構なお値段にはなる。
でも、結露防止の決意に燃えた大内くんはそんなことでは止まらない。
「この家に、一生住むんだよ?またカビが生えたら困るじゃない。僕は、いい商品だと思 うよ」と一生懸命私を説得するので、普段からそういうことはおまかせな私に否やはない。
というわけで、今日の朝10時、工事の人たちと施工会社の女性が2人、やってきた。
窓ガラスを1枚ずつ外して、マンションのドアの外でガラスをはめ込む加工(だと思う) をしてくれる。
我々はまったく関係のない書斎にこもって自炊をしていたが、ものの2時間ほどで工事は終わってしまった。
「お世話になりました」 「いえいえ、どうもありがとうございました。また、何かお困りの点がございましたら、 ご連絡ください」と優雅に笑って、施工会社のおねーさんたちは工事の人たちを連れて帰ってしまった。
なんだかあっけにとられる私たち。
「早いね」 「うん、すぐだったね」
なんとなく1日仕事を予想していたので、することもなく、2人でガラスをなでまわす。
「1枚ガラスにしか見えないね。この間に2mmの真空が挟んであるんだ。スゴイ技術進歩だね」
「普通のガラスと変わらないね。でも、明日の朝が楽しみだな」と大内くんは大喜び。
「心なしか、サッシの部分は冷たいのに、ガラス部分はそれほどひんやりしてない気がする」
「うん、そんな感じだね」
「あー、明日が楽しみ!」
カビキラーを手に戦った人にしか、この気持ちはわからないのであろう。
先に書いちゃいますが、残念なことに今は結露が起こるほどの気温じゃない。
そもそも窓開けて寝てたし。
というわけで、大内くんを悩ませていたガラス窓は全然結露してなかった。
「来年の冬、いや、今年の秋から威力がわかるよ。エアコンの効率もいそうじゃない?いい買い物したね!」と喜んでいるのを見ると、私も嬉しい。
だがやっぱり、実際にカビをどうにかしなくては、と奮戦した人との温度差を感じる。
いや、私だってカビは困るけどさぁ。
大内くん、ごめんね。
夏の冷房効率も楽しみだな。
朝、ちょっとエアコンを入れるだけで、あとは1日エアコンなしでも大丈夫なぐらいなんだそうだ。
1日家にいてエアコンを空費している私には朗報。
夫婦で、大きな買い物して、ちょっとずつ違うことを考えているのだった。
16年5月31日
朝の9時に私が起きた時には、もう息子が帰って来ていた。
「授業は?」と訊くと、「眠いから、休んだ」と言う。
じゃあ、その手に持っているコントローラは何なんだ!
まあ、実際に疲れてもいるようで、しばらくしたら自分のベッドに行って盛大にいびきを かいていた。
夜行バスで行って帰るだけでも大変なのに、就活してきたんだからなぁ。
大阪にあるゲーム会社を受けに行ったらしいが、成果はあったのか?
背広は持たず、普通の格好で出かけたので、もしかして、面接じゃなくて試験?
それほどの規模の会社とも思われないが、わざわざ試験を受けに大阪まで行ったんなら 相当狙ってるとこなんだろうし。
大内くんによれば、明日が解禁、内々定なども出始めるらしい。
息子も、まったく手ごたえがないわけではないらしく、なんとなく普通の顔をしている。
明日、内定が出る子は出ちゃうのかぁ。イヤだなぁ。
ここまで子育てしてきて、非常に当たり前のことに行きついた。
親は、子供を出来るだけ早くから「いい集団」に入れようとする。
でも、例えば学芸大附属なんかは全然エスカレーターじゃなくて、中学、高校と試験を受けるらしい。
慶應みたいに、どんなに苦労しても1回受かればそのあと人生バラ色、っていうならわかるけど、途中で何度も関門を潜り抜けなきゃいけない、そんなめんどくさい学校に子供を入れたい人は、何が目的で?と大内くんに尋ねたら、
「それは、いい集団に入れておくと、その中で真ん中だとしても、外の受験をする時にはトップクラスである、という可能性が高いからだよ」という答え。
で、なんで最近は当たり前になってしまった中学受験から始めるかというと、いい高校にエスカレーターで行けるし、場合によっては大学まで行ける。
まあ、普通の「成績がいい子」はエスカレーターじゃない、もっとすごいとこを狙ってくるわけで、要するに、いい大学に入れたいからヘタしたら小学校からいい学校を目指す。
そして、何のためにいい大学に行かせたいか、というと、これが、今やってる「就活」のためなんですねぇ、すべて。
人間、普通は一生働くもんだし、つぶれにくくてお給料をたくさんくれる会社に入れたら嬉しい。
小学校からの苦労は、この時のためにあったのかぁ、とあらためて気づいて愕然としましたよ。
しかも、みんな、あんまり就職を意識してないように見える。
ある中学、高校、大学に入ることが目的みたいになっちゃう。
「人はなぜ受験をするのか」 「良い職場に選んでもらうためです」
こんな簡単なことに、私も今の今まで全然気がつかなかったわ。
そのうえ、息子はせっかく早稲田という、大内くんに言わせれば、
「日本中の会社が、会ってはくれるだろうねぇ。一次面接で落ちればそれまでだけど、面接までは普通、行けるよ。書類で落ちるってことはないだろう」というプラチナチケットを持っているのに、それを使う気が全然ない。
正直、専門学校に行ってその分野の勉強だけしていた方が有利だ、というような会社ばかり受ける。
「ねえ、大学受験の時に『日東駒専』受けたみたいに、うまく行かなかった時のことも考えて、メーカーとか、学歴を見る会社も受けてみた方がいいんじゃない?」と再三促したのだが、答えはいつも1つ、
「気持ちが入らない会社には行きたくない」。
行きたいって思ってもなかなか入れないような大会社の話をしてんだよ。
ちょっと態度が悪くない?
まあ、結局本人が苦労するしかないんだ。
小さな会社には小さな会社の良さがあるだろうし。
しかし、5年もかけて卒業するってのに、その学歴を有効に使わない息子の性格が、私は大好きなのか大っ嫌いなのか、いまだにわからない。
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