16年7月1日
息子がカノジョと別れ、
「ああ、これから彼の『カノジョいない歴』が始まるんだな。いつまで続くんだろう。もしかしたらこの先一生かもしれないなぁ」と暗澹としていたのだが、この点でも彼は親孝行というか、前カノと別れたと聞いた1週間後に、
「今日、人が泊まりに来るから。こないだのライブ手伝ってもらったICUのコ。今度のライブも手伝ってもらうんで、その打ち合わせ」と電話してきて、30分後にはその彼女がちんまりと我が家のリビングに座っていた。
軽くお茶を飲ませていただいて(何しろ息子が横で目を光らせているのだ)、「じゃあ、あとはかお若い方たちで」と寝室に引き取り、大内くんと興奮して、
「あれ、カノジョかね?」
「ただの友達じゃないの?」
「あなた、聞いてきてよ」
「冗談じゃない。息子に締め落とされちゃうよ。そういうのはキミが得意だから」
というやり取りをした後、リビングに行ってみると、カノジョが髪を拭きながら、
「あ、シャワー浴びさせていただきましたー、本当にすみません。こんな夜遅くに」とにこやかに言う。
息子はシャワー中らしい。チャンスだ!
「つきあってるの?カノジョさんなの?」と直截に聞くと、はにかみながら、
「大内さんに聞いてください」と言うので、
「彼にそういうこと聞くと、ものすごく怒られちゃうんだよ」と言い訳したら、やはりにこにこしながら、
「そうです」。
あああ、息子の「カノジョいない歴」終了!
カノジョはひとつ年下で、ICUの演劇サークルに入っており、息子の「合同コントライブ」に先輩がメンバーとして入っていた関係でかかわりを持ってくれたらしい。
その場はとにかく、「ゆっくりして行ってね!」と言いながら退場。
大内くんに事の次第を伝える。
「うーん、僕らの心配がこれほど早く終わるとは・・・前カノと別れたのがいつなのか、正確には聞いてないんだけど、確かひと月ぐらい前には泊まりに来てたんだよね。彼らの間ではもう終わっていて、友達として来たのかな。それともまさかの二股?!」
「あの人の道徳レベルはところによってすごく低いから、そういうこともあるかもね。しかも仲間内で調達しちゃうし・・・前カノとの関係はどうなるんだろう?それにしても、なんだかんだ言っても女の切れない人だね」
そのまま寝たので後のことは知らない。
翌朝も、我々が出かけて昼近くに起きた時にはもう2人ともいなかった。
新しいカノジョか・・・
前カノには悪いが、これはこれで先が楽しみだ。
さて、外出だが、ひざの「変形性関節炎」が今、とても悪くて、家の中を歩くのにも不自由な有様。
土曜日の朝一番に、大内くんが皮膚科に行くついでに(彼は、アトピー持ち。息子にも遺伝)、となりの整形外科に行ってみた。
前からかかってるところは、院長先生が整形外科が得意とはいうものの一応内科病院だったので、1度、専門医に診てもらおうと。
レントゲンを撮って、やっぱりひざの軟骨が少なくなって、骨同士が触れて傷むんだ、という同じような診断を聞いて、
「手術とか、完全に治す方法はないですか?」と聞いても、
「まだ若すぎますね。あれは、歳をとってからやるもんです」と、腿の筋肉を鍛える体操を教わって、痛み止めのシートをもらって、おしまい。
あまり愛想のいいお医者さんじゃなかったし、抜本的な治療は無理なので、もう病院には行かず、こつこつと筋肉を鍛えよう。
ただ、もらった痛み止めのシートは、 「他の痛み止めと併用するな」 「1度に2カ所以上に貼るな」 と厳しい注意がついてきただけあって、かなり強い、効くシートで、嬉しい。
その病院にもらいに行くのは気が進まないし、第一混んでるので不便。
別の入手先を考えなくちゃな。
そう思いながら、家に帰ってちょうど起きてきた息子にごはん食べさせて、午後イチで今度は心臓の病院。
息苦しいのが止まらないので、薬をまた少し増やしてもらう。
先生が何だかうわの空で、珍しく血圧を測り直したり、「聴診器で胸と背中の音を聴く」の背中の方をすっかり忘れてて、「はい、いいですよ」と言うので、私が「背中は・・・」と問いかけて初めて、「あ、そうですね。そっちも診ておきましょうね」と言って聴診器を当てたり。
(お医者さんって、こういう時、絶対「あ、すみません」とか「申し訳ない」とか言わないんだよね。職業的訓練)
帰りに大内くんと、 「先生、様子おかしかったね」と話し、「娘さんの陣痛が始まった」とか「息子が補導された」とか「親の危篤である」までいろいろ可能性を考えてしまった。 人間だから、いろんな背景があり得るよね。
今回はこっちもその雰囲気に「呑まれて」しまい、痛み止めシートをもらえるかどうか聞くのを忘れたんだが、普通の痛み止めシート(ロキソニンテープ。上級種の「ロコアテープ」というのがすごく効く)は、これまで、私のどこが痛いのか聞くこともなくたくさんくれたので膝に肩に貼りまくってたんだが、今度、よく効くやつをお願いしてみよう。
薬局で聞いたら扱ってるそうなので、先生があいかわらず気にせず「ああ、そっちがいいですか」と出してくれることを期待する。
心臓の病院はどっちみち月イチぐらい通うから。
朝から午後にかけて2人で3つもの病院に行ったので、週末の買い出しをすませて帰って来たら、2人とも泥のように疲れていて、思わず4時から7時(夜のだよ!)に昼寝をしてしまった。
医者めぐりは本当に疲れる。
なんとかのそのそベッドから出て、お風呂に入って、なぜかステーキを焼いて食べてしまったのは、「元気になりたい!」という素朴な欲求からか。
でも、ステーキおいしかった。
2人分で600円を切るという怪しく安い肉だが。
新しいカノジョと、医者めぐり。
1日に起こったこととは思えない。
のんびり「鬼平犯科帳」でも見て、明日は明日でゆっくりしよう。
16年7月2日
昨日の晩もカノジョが泊まりに来て、息子はカノジョから「親に対する態度のあまりの悪さ」にお説教をもらったのか、我々に対して妙にていねいであった。
前回来た時、カノジョは短い話の中で、
「外にいる時と全然態度が違います。もっと親切で、やさしいです」と力説してたんだよね。
「信じられません。別人のようです!」
いや、そう言ったって、親には親切にしてくれないんですよ、と愚痴をこぼした、あれが効いてるのかな。
しかし、ICUの学生だから私と話はむちゃくちゃ通じるし、高校生の時フランスに交換留学に行ってたこともあるらしいし、芝居もすれば絵もうまい。
うちには、和英仏ペラペラのお嫁さんが来てくれるのだろうか?
ま、若い頃はいろいろあるよ。
我々だっていろいろありすぎて、関係者各方面には多大な迷惑をかけての押し切り結婚だ。
仲良くやってくれればそれで充分。
ちなみに、今日は一緒にDVD映画を観るらしい。
今度、カノジョの属する演劇集団でやる劇において、息子は演出補を務めるので、その原作の映画を観ておこう、という主旨のようだ。
そんな、ろくに演技の経験もないのに、なぜ?
そりゃ、コントは演劇的要素の強いお笑いだが、大丈夫か、務まるのか。
カノジョがにこにこと、
「お時間あったらぜひ見に来てください!」と言うと、息子がうなるように、
「いや、来なくていいから」と言う。
このへんは変わってないなぁ。
カノジョによる、よりいっそうの教育を期待する。
16年7月3日
今日のお出かけ先は9時からの吉祥寺のスポーツクラブ(会社が契約してるので、毎回の使用料だけで済むのだ!)。
私は泳げないし、水泳はやや激しい運動なのか、主治医に止められているので、ひたすら水中ウォーキング。
1時間半かけて2キロ歩いたよ。
ひざも、温水プールの中なら全然痛まないから。
大内くんは1キロ泳いだ後、ジムに行って、バイク漕ぎをしてきたらしい。
お互いシャワーを浴びてフロントに集合、いつものタイ料理屋さんにちょうど間に合い、例によって「パッ・タイ」。
ここ2、3週間、行列がスゴイ。
前から「行列のできる店」ではあったが、雑誌にでも紹介されたのだろうか、普段の倍以上の人が並んでいた。
「少し運動もしなっくっちゃね。ジムの人が、『心臓に負担をかけずに腿の筋肉を鍛える運動はあります。足が痛い人用のメニューを組みますよ』って言ってくれたよ。今度はキミもジムに行ってみるといいよ!」と、大内くんは、妙に健康的になっていた。
でも、スポーツクラブって妙に敷居が高いんだよね。
常連さんはもう、さっさと着替えて慣れたもんだけど、こっちは「どこから先、土足禁止?」というところで悩んでいる。
まあ、夏の暑い時にあんまり動き回りたくないから、この計画は秋に持ち越しかもしれない。
とりあえず、整形外科で教わった体操を地道にやろう。
16年7月4日
うちは一応いつも片づいてるから、急なお客さんでも困りはしないけど、新しいカノジョがまた家に来た。
一昨日来たばっかりなのに。
今日は、息子が社会に出ても続けて行きたいと思って活動してる、コントユニットの「ウェブ会議」なんだって。
カノジョは出演者じゃないけど、前回別の公演の時にチラシの絵を描いてくれたり、いろいろ手伝ってくれて、今回、9月に行う予定の「第1回公演」でもスタッフとして働いてくれるらしい。
「なので、ウェブ会議の邪魔しないで」と息子が肩をそびやかす。
はいはい、何のおかまいもいたしません。 寝室にこもっております。
わずかの間に聞き出した話ではあるが、前の時のチラシの絵ってすごくうまくて、いちおうマンガクラブ出身者である我々は、 「かなり美術をやる人だね。スタッフのとこに、『美術担当』って人がいるよ。この人が描いたのかね」と感心していたのだが、まさかそれが息子のカノジョになるとは!
息子、けっこうモテる?
それにしても今の人ってすごいねぇ。「ウェブ会議」かぁ。
パソコン同士で、昔、夢のようだった「テレビ会議」を個人の家でやってる。
お茶を飲みにキッチンに来た時にちらりと見た感じでは、息子が楽しそうに話していて、相手(何人?)方も丁々発止のやり取りで、 「コントやる人はやっぱり違うなぁ。アイディアから全部作ってる!」と感心しつつ、2時過ぎまで続いた会議が終わる頃、我々も寝た。
一応カノジョに、 「うちは全然かまわないんだけど、外泊が続いて、おうちで叱られたりしない?」と聞いたら、 「んーと、まだ大丈夫です!」という答え。
大丈夫なのか! ただ、帰る時にタオルケットをきちんとたたんで枕の上に置いて行くとか、細やかな育ちの良さを感じる。
前カノは布団敷きっぱなしで帰ってたからなぁ。 早くも姑根性?
16年7月5日
息子がゲームに興じている背中に、
「少しは勉強もしておきなさいよ」と言いかけて、ふと気づいてやめた。
確かにもうじき前期の試験だし、これ以上単位を落とせない息子にとっては大切な時間だ。
しかし、私たちは何のために幾度となくコドモに「勉強しなさいよ」と言って来たのか?
それは、すべてこの日のため、就職するためだった。
息子がもし、単位をクリアし、卒業したら、一部の熱心なサラリーマン(TOEICを上げようと思ってるとか)をのぞけば、勉強はおろか、本すら読まなくってもたいして困りゃしない。
そう思うと、長い日々だった。
私も、大学の卒業式の日にバチェラーガウンをまといながら、
「もうこれで勉強とはすっぱり縁切りだ!二度と勉強なんかしないぞ!」と晴れ晴れと思ったものだ。
その結果が今で、困ってるっちゃあ困ってるんだが・・・
とにかく、就職するってのは大変なことなのだなぁ。
16年7月7日
またカノジョが来た。
なんかこう、マヒしてきたぞ。
息子が話させないようにしているが、すきをみて話すと、とても社交的な、明るいお嬢さんだ。
しかし、息子の気持ちがわからない。
家族のいる実家に自分のカノジョをそんなに泊まらせたいものなのか?
我々のことを信頼してくれている、という現れなのかなぁ。
そんな話をしながら、大内くんとベッドで本を読む。
若い方々は、リビングで映画を観ているようだ。
ツタヤの袋からDVDを出している息子に、
「映画観るの?何?」と聞いたら、
「どうせ知らない映画」と、木で鼻をくくるとはこういうことか。
全然信頼されてる感じがしないぞ。
とても悲しくなって、息子に長いラインを送る。
「母さんはあなたと仲良くしたいのに、どうすれば気に入ってもらえるかわからない。嫌われるのがとても怖い。うまくやっていく方法を教えてほしい」というような、まあ、カレシに送ったら一気に引かれて振られるのは必至、って内容だ。
そしたら、映画観ながらだろう、返事をくれた。
「大丈夫、全部照れてるだけだから」
あああ、よかった!嫌われてない!照れてるんだって。
とっても嬉しい!
青年期は難しいね。
大内くんに言わせれば、
「『死ね!クソブタ!』と罵っていた頃は、今思えば2歳ぐらいの『イヤイヤ反抗期』だった。今が本当の思春期の反抗期だ。でも、それが終わりかけてる。この先も続いては行くだろうけど、30歳になるぐらいには終わるんじゃないかな」。
30歳の思春期!
でも実際、モノの本には、
「最近の若い人は思春期が長い。昔は20歳までには終わっていたものが、30歳までかかります」って書いてあったなぁ。
それに輪をかけてオクテな息子は、いったいいつまで思春期なんだろう?
当面、就職したら変わるんじゃないかとか、家を出れば関係が良くなるんじゃないかとかいろいろ話してるんだけどね。
でも、当の大内くんが、
「もうしばらく家にいてほしい。可愛くて、手放せない」とメロメロなので、大内家に健全な親子関係が築かれる日は大変遠いと思われる。
あー、長いこと親をやれる、って、喜ぶべきなのかなぁ・・・
16年7月9日
2、3年ばかり前に左ひざが痛くなり、近所の病院でレントゲン撮って見てもらったら、 加齢によってひざの軟骨が少なくなることが原因の「変形性膝関節炎」と言われた。
治療法は、体重を減らすことと太もも前面の筋肉(大腿四頭筋というそうです)を鍛えること、につきるそうだ。
その後、イタリア旅行に行きたいという気持ちを原動力に15キロぐらいやせることができたんだけど、生来の運動嫌いで筋肉はまったくつかず、体重も、1年半前にイタリアに行った後、リバウンドと言うのだろうか、みるみる10キロ近く戻ってしまった。
それでも何とかだましだましやってきたんだけど、ここに至って、ひざが痛くて歩行困難、という事態に陥った。
とりあえず、専門の病院で見てもらおう、と一番近い「整形外科」を訪ねたら、レントゲン撮って、
「あー、こりゃ、変形性関節炎だね。体重減らして筋肉つけて。痛み止めのシップ出しておくから」と早口で言われ、それっきり。
もらったシップ(「ロコアテープ」。これまで心臓の病院で肩こりを理由にもらってきた「ロキソニンテープ」よりはるかに強力)を貼って、「痛いよー、運動やだよー」と言っていた、これが先週土曜日の出来事。
しかしひざは痛くなる一方、歩くと激痛が走るようになってしまった。
大内くんが、
「こないだの先生、あれはひどかったよ。ろくに説明もしてくれないし、『はい、次』って流れ作業やってるみたいな診療だった。たとえすぐによくならなくても、『痛いよね、辛いよね、こうやって治して行きましょう』って患者さんに寄り添う気持ちがなくちゃダメだよ」とかばってくれても痛みは引かない。
「じゃあ、吉祥寺の整形外科に行こう。毎日乗るバスの中で『つらい痛み、止まない痛みにA整形外科』って広告が流れてるよ。きっと、いい先生だよ」と根拠なく説得され、まあ行ってみるか、という気分で、バスで吉祥寺まで行く。
なんだかドクター・ショッピングをしているようで気が引けるけど、現実に、びっこを引いた歩き方しかできないんだから。
「ついでに、ジムに行ってマシン・トレーニングのメニューを組んでもらおう!」と、こういうことになると妙に明るくはりきる大内くんと、まずは整形外科病院へ。
9時に行ったら、老人が大勢座ってる。
「これは、待つかもなぁ」と思っていたら、老人たちは薬だけもらうとか注射だけしてもらうとかの常連さんが多いのか、案外どんどん「はけて」いく。
30分も待たずに診療室に呼ばれました。
中年の、面白い顔をした男性の先生で、
「ん?今日は、どうしたの?ひざが痛くて変形性関節炎だって言われた?うん、じゃあ、レントゲン撮ってみよう」と妙にひょうきんな口調で、でも優しく言ってくれて、レントゲンは撮ったらすぐに診察室のモニタに出て、
「あー、だいぶ軟骨が減ってるね。痛いだろうねぇ。これはね、筋肉を鍛えて体重を落とすしかないんだよ。いちおう注射打っておくから、そのあとはリハビリに行って。うん、頑張ろう。痛いけど、きっとよくなるから」と、もう、前の先生とは正反対な優しさ。涙出そうになっちゃった。
「リハビリ室」ではおねーさんがこれまたやさしく、何かの装置でもってひざを温めてくれ、あれこれ曲げながら、
「これは痛いですか?こうではどうですか?」と聞いてくれ、「整体」をしたような感じ。
「外に出るのがキライで、家で読書してるのが好きなんですね。わかりました」と笑顔で言って、
「運動しなさい!」という高圧的な雰囲気は一切なし。
シップももらって、大内くんは、
「いい先生だったじゃない。僕は好きだなぁ。注射を5回まで打てる、って言ってたから、少なくともそれだけ通おうよ。ね?」と機嫌がいい。
「私もあの先生好きだけど、毎週吉祥寺までバスで来るの大変だよ」と言ったら、
「2人で行けばどこでもデートじゃない!今度はスポーツ・ジムに行こう!」。
ホント、妙に元気。
ジムでは、私はマシンでももを鍛えるプログラムを組んでもらい、5種類ぐらいかな、「10回」のセットを3回ずつやる、というような感じ。
大内くんはずっとバイク漕いでた。
目の前の台にiPad miniを置いて読書しながら、なかなか優雅な時間を過ごしたみたい。
で、終わって2人ともお風呂に行ってシャワー浴びて、バス乗って帰って、今日の用事はおしまい!
いや、これはこれでいいんだけど、毎週通院してジムに行く、って、キライなことのカタマリなのよ。
これから暑くなって外出も大変だし。
大内くん的には、
「せっかく吉祥寺まで来てるんだから、病院のあとごはん食べて、それからジムに行って、水中ウォーキングやサウナも楽しむといいよ。ジム代700円、しっかり元を取ろう!」という前向きな姿勢。
彼本人も、1時間バイクを漕いだだけでぐったりくたびれたそうで、
「もう、身体が歳取って来ちゃったんだなぁ。いい機会だから、僕も運動するよ。一緒に頑張ろう!」とすっきりした顔で言っていた。
というわけで、今週の土曜からひと月ぐらいは、とにかく医者行ってジム行って健康的な生活を目指すことになりそう。
実際、具体的に目指してるのよ、1年半後に控えた「ローマ8日間の旅」を。
歩き回れなかったら、全然楽しめない。
そんな半病人の愚痴日記でした。
16年7月10日
土曜の夜は「コントライブ」の「深夜練習」でひと晩中稽古してたらしい息子が、早朝に徹夜明けで帰ってきた。カノジョ連れて!
カノジョも美術担当として、雰囲気をつかみたい、ということで参加してたみたい。
2人で部屋にこもって寝て、2時ごろ起こすまで倒れてたようだ。
ごはんを作ってあげて、食べる横から話しかけてたら、カノジョはわりとよくしゃべってくれる。前カノとは全然違う。
「大内さんのこの態度は信じられません。親にはほとんど返事もしないなんて。昨夜は、稽古の間ずっと、人に気を使ったり励ましたりリードしたり、すごく優しかったんですよ。それと比べると、もう別人!って感じです」と驚嘆してもらえたので、今後の彼の親に対する態度は、カノジョの指導を受けて少しはマシになるかも。
そんなに不機嫌になるぐらいなら、そもそも連れてこなけりゃいいのに。
「でも、照れてるんですよね、きっと!」と明るく言うカノジョにずいぶん救われた。
そのあとは投票に行って買い物して帰ったらもう2人とも出かけたあと。
それぞれの選挙かな?
昨夜は布団とベッドで別々に寝たようで、息子の部屋にきちんとたたまれた布団と上掛けが積んであった。
やはり、前カノより行儀が良い。
こう立て続けに会ってると前カノのことは忘れてしまいそうなんだけど、息子もそうなのかな。
毎日3回、リハビリの体操やって、週1でジムに通って、今のところは「そんなんで本当に良くなるの?」と恨みがましく懐疑的な私だが、まあ、しばらく頑張ってみよう。
16年7月12日
足の筋肉を鍛えるため、新たな試みがなされている。
大内くんの帰りが定時の日は、バスで15分ほどの吉祥寺から連絡をもらって、私はバス停2つ分を歩き、大内くんは2つ手前で降りて落ちあい、家まで歩いて帰る、という散歩。
これから暑くなったり、大内くんが夜遅い日が続いたりするとなかなか難しいけど、ほっとくと1日中家から出ない私には、ちょうどいい運動なので、続けたいものだ。
もっとも、今現在、最大のネックになっているのは当の「ひざが痛い」という問題なのだが。
そんな痛い足を引きずって夜の10時に歩いているというのに、接待ですっかり酔っ払ってしまった大内くんは、私の「バス停で待ってるよ!」とのメールをすっかり忘れて、いつものバス停まで乗って行って、家に帰ってしまった!
15分ぐらい待ったかなぁ、大内くんからラインが入った。
「今どこ?」
「待ち合わせのバス停だよ!」
そのあとは電話で話しながらだが、ほろ酔いで気持ちよ〜く家に帰った大内くんは、先に帰っていた息子に、
「母さん?いないよ。オレが帰った時からいなかった」と言われるに及び、ケータイを見て驚いたらしい。
結局、大内くんが駅に向かってバス通りをさかのぼり、戻ってきた私と合流した。
これだけでも相当怒られるのに、本人、酔っ払ってる。
「酔ってるでしょ」といくら言っても「酔ってない」と言い張る。
結婚生活27年、これを、何回やっただろう。
ちょっとしか酔っ払ってない時は、
「そうだね、少し酔ったかな」と言うもので、明らかに飲んで来てるのに「酔ってない」と言い張る時はろくなことにならないのだ。
「酔ってるよ。自分で気がつかないの?」と聞きながら家に帰ってお風呂に入って、
「キミが、足をもんでくれないってみんなに言いふらすから、困る。とても困る。もちろん正気で言っている」と大真面目に言うに及んで、パソコン上にメモしておいた。
私が、誰に言いふらすと言うのだ?(足はいつももんでもらっていて何の不満もないし)
明日になれば、絶対、
「こんな変なこと言ってたの?!昨日はすごく酔ってた。記憶がない。迷惑をかけた」と謝ってくるに決まってるんだから。
さらに、パソコンの調子が悪く、パスコードを入れなくても開いてしまう無防備な状態だったので、そう訴えたら、
「パスコード?なに、それ」
「ほら、ケータイにも入ってるでしょ、4ケタの数字とか。知ってる人しか開けられない仕組みだよ」と懇切丁寧に説明しても、
「パソコンが開く?なんのこと?言ってることがおかしいよ」と全然理解されない。
この件も、明日まとめてじっくり叱ろう。
16年7月13日
朝、起きたらこってりお説教だ、と勇んでいたのに、私は寝過ごしてしまった。
目が覚めたら、大内くんはまさに出かけるところで、
「じゃあね〜!行ってきま〜す」と、昨夜のことは全然覚えていないようだった。
しかし、昼頃、ケータイに「お詫び」と題したメールが来た。
「だんだん昨夜のことを思い出してきた。
さぞかしいやな思いで昨晩は寝たんだろうね。
朝、何も覚えていないのでほとんど何も話もしないで出かけてしまったけど、本当に悪かった。
パソコンのことも少し思い出した。
へんなことばかり言って、いこじな態度だった。
なかなか気持ちが戻らないだろうけど、夜また話しましょう。
本当にごめんなさい。また夜に」
この手の「詫び状」は、もううんざりするほどもらっている。
夜、帰って来た時に話し、やはりこれはもう、酒を断つしかない、というのが大内くんの結論だった。
私も、ほどほどに酔うぐらいならそんなに怒りゃしないんだが、理屈が通じなくなるのがすごくイヤなんだよね。
大内くんは、あれでまともに接待ができているのだろうか?
「お酒を目の前にすると、もう飲みたくて仕方なくなっちゃって」と語る彼の、おじいちゃんは「酒乱」だったそうで、大内くんがお酒をやめたい、と思う一番の理由はそこにあるらしい。
「僕もそうなっちゃったらどうしよう」
アル中の治療は、まず「一滴も飲まない」から始まると、吾妻ひでおも描いてるよ。
1度、読んでみたら?「アル中病棟」。
「やめられないんだよね〜」と痛恨な表情の彼の気持ちは、下戸の私にはわからない。
「私が、バームクーヘンやパウンドケーキを目の前にした時みたいな感じ?」
「たぶん、そう。『ああっ、おいしそう!ガマンできない!』って気分になる」
まあ、これまでに何度も誓った断酒で、何度も守られていない。
こういうことが私の心の底に積もっていったら、何が起こるのだろうか。
私も案外すぐに忘れちゃうからなぁ・・・
16年7月15日
林真理子の「アスクレピオスの愛人」なる小説を読んだ。彼女の小説は、ほとんど全部持っているし、読んでいる。エッセイ集は別だが。
どうも彼女は小説家として正当な評価を受けていない気がする。露悪的なエッセイとか有名人との交際をことさら自慢することとかで、マイナスイメージを持たれているかもだし、最初に売れた「ルンルンを買って、おうちに帰ろう」というエッセイ集がミーハーであまり知的には思えなかったせいかもしれない。
いや、いっそ正直に、「ブスのくせにエラそう」と言ってしまおうか。
しかし、私は好きだ。歴史ものなど、そうとうに勉強して調べ込んで書いていると思うし、いつの間にかセレブになってしまったのに、あいかわらずセレブを嗤うようなところが正直でストレート。
文章は読みやすいが洞察に富んでおり、題材もチャレンジングなものが多い。
「アスクレピオスの愛人」を読むのは2度目。1回目は新刊書で買い、その後、文庫が出たので買い換えた。
私の読書は99パーセント、データ化したものをiPadで読むので、画面を横にして、文庫を見開きで読むのが一番楽なのだ。
実を言うと林真理子はもう2冊ぐらい新刊が出ているのだが、どうせ他の本を読むのに時間を取られるし、いまさら「すぐ読みたい!」と言うほどの熱意がないし、文庫化され、ブックオフで108円になったら買おう、という壮大な計画。
2年ぐらいかかるかなぁ。でも、それぐらい待てるようになった。歳をとると気が長くなる?
ちなみに、アスクレピオスと言うのは医学の神様のことらしい。WHOで働く女性医師を描いた、あふれるリッチ感と彼女らしいまっすぐな批判精神が同居した、ちょっと面白い小説だ。
私はここで林真理子を薦めているのかけなしているのかよくわからないが、もし「あのデブスが書いたと思うと読む気がしない」と思う人がいたら、1度、何か読んでみてください。
個人的には「聖家族のランチ」が好きです。
16年7月16日
朝一番で自転車で吉祥寺の整形外科へ。
開院時間の9時より5分ぐらい前に着いたら、5人ほどの患者さん(主に老人)が待っていた。
でも、診療が始まると同時にみんなリハビリや注射のためだろう、どこかの部屋に呼ばれて行って、我々が診察室に呼ばれたのは2番目ぐらいであった。
良いことだ。
気に入ったすいてる病院がある、というのはありがたい。
前回と同じ先生が、私の左ひざを診てくれる。
「ロコアテープがよく効きました」
「うん、あれはね、新しい製品なんだよ。だから今は制限が厳しいけど、1年ぐらいたつともう少し出せるようになるんだよね。痛む?」
「はい」
「もうね、運動して筋肉つけて、体重落とすしかないんだよ。サプリ?うーん、ああいうものは原価が安くて値段が高いわりには効かないね。飲みたい人は止めないけど。プロテイン?あれはね、筋肉は確かにつくけど、体重が重くなっちゃうんだよねぇ。やめといた方がいいよ。今日も注射しとく?一応、関節の滑りが良くなるし、軟骨を補う働きがないではないんだよね。じゃあ、そこに寝て。いいかい?ちょっとちくっとするよ」
けっこうよくしゃべるおっさんであった。
「いいかい?」の響きが独特で、いたわられている気がして、悪くない。
そのあとはリハビリに呼ばれて、また先週と同じおねーさんがやってくれた。
「すみません、前回教わった体操、全部忘れちゃったんです」と情けない告白をする私の横で、大内くんが神妙に手帳とボールペンを出して待っている。
「いいですよ、忘れちゃっても。またやりましょう」と明るく言って、私の身体を曲げ伸ばししてくれる。気持ちいい。
「昨日も5時まで起きてたんですか?」と笑っていて、私の生活をよく知ってるなぁ。先週話したのを覚えてるのかしらん。
プロの鑑。
で、メモを取る大内くんの横で3つぐらい体操を教えてくれた。
これから家でもしっかりやろう。
終わって、2週間分(これがマックスだそうだ)の「ロコアテープ」をもらって、出てきたら1時間ぐらいしかたってない。
いい病院を見つけたなぁ。
吉祥寺まで来なきゃいけないけど、大内くんに言わせれば「2人でやれば何でもデート」なのだそうだから、1つの目安である注射5回までは来ようかな。
「ロコアテープ」も貯めたいし、と、なんでもたくさんないと気がすまない私は思う。
11時半にタイ料理屋が開く。
それまでにジムに行くのは無理っぽいので、とりあえずちょっと離れた北の方の西友に、水着を買いに行くことにする。
今後、ジムにも通うかもしれず、どれも「ぴっつんぱっつん」にきつくなってしまった水着では恥ずかしい。
大内くんの水着はすぐ決まった。試着もしなかった。
(あとで、「実は、きつかった。試着した方が良かったかも…でも、これを目標に、頑張る!」と大内くん)
私の水着は、お店の人にも勧められたし、試着室に入った。
しかし・・・13号は無理だった。
そして、西友には13号以上の水着は売っていないのだった・・・(涙)
半分泣きながらパジャマ売り場をのぞいてみて、夏の部屋着にちょうどいい木綿のワンピースを見つけた。
平たく言えば寝巻だが、宅配便の人が来た時にパジャマでいるよりは恥ずかしくない。
左横にあるポケットから、黒猫が上半身をのぞかせているワンポイントが可愛くて、買ってしまった。
3Lのサイズは常に貴重だし。
それからユニクロへ行って大内くんの半そでシャツを2枚買わせる。
だって、1枚しか持ってないんだよ、オフ用の私服としての半そでを。
もうよれよれじゃん!と怒って、さすがの「自分の服を買うのがキライ」な大内くんも、逆らわない方がいい、と思ったのだろう、2枚を選んで買った。
そしてお菓子のまちおかに行って朝ごはん用のクッキーを買い、ブックオフに寄って、開店時間が迫ってきたので「クルン・サイアム」に行ってみたら、10分前で誰もいない。
先週までは、雑誌に紹介されたに違いない、と思ったほど行列ができていたのに。
「やっと正常に戻ったんだよ。これで、一時退避していた常連さんも戻ってくるね」とのんきに言いながら待っていたら・・・10分が経過する間にどんどん人が集まって来る。
結局、開店する頃には10人以上の行列ができていて、うーん、雑誌の効果はまだ続いていると見える。
それでも一番に入ったので、お気に入りの席に落ち着き、私は十年一日のパッ・タイ、大内くんは辛いトムヤム・ヌードル。
だらだら汗を流していて、この人は、暑くても運動をしても汗をかかないんだが、辛いものを食べた時だけは別人のように汗をかく。
本人曰く、
「ある程度、長いことサウナに入っていても同じ効果が得られる。ただし、最初の15分ぐらいは全然発汗しない」のだそうだ。
何をしてもしなくても汗をかいてしまう体質の上、更年期障害が来ている私からすると、うらやましい話なのだが、大内くんは大内くんで、
「すぐにさわやかに汗がかけるキミがうらやましい」のだそうだ。人それぞれだね。
さて、これからジムへ行って、私の水着は買えなかったから水中ウォーキングはあきらめて、マシンだけやろう、と思っていたら、注射の副作用なのか、ひざがものすごく痛くなってきた。
時々あるんだ、注射のあとの痛みが。
マシンどころか、歩くのもおぼつかなくなってしまったので、予定をすべて変更して、家に帰ることにした。
幸い、自転車をこぐ分には痛みはなかったので、無事に家まで帰りついた。
大内くんはしきりに、
「ごめんね、遠い西友に連れて行ったりユニクロ行ったり、調子に乗って歩き過ぎたね。また今度、病院とジムだけにしてみようね」と謝る。
彼のせいではなく、こちらの問題なので私こそ申し訳なくて仕方ない。
さて、病院、ジム、タイ料理をどう組み合わせればいいのか。
もうしばらくは悩めそうな吉祥寺行き。
「パッ・タイ」に飽きる日は来るのだろうか・・・
16年7月17日
昨日、足を痛めたし、明日は野球の試合「都市対抗」に出かけることになっているので、1日家でごろごろしていた。
大内くんは今、家の画像のデータ処理をしており、書斎にこもってパソコンに向かい、新しいベッドに喜ぶ5歳の息子とかすっかり色が抜けて白黒になってしまっている清里のペンション対抗野球とかの映像をHDに移している。
私は後ろの小さな安楽椅子から、さまざまに声をかける。
これはこれで平和な1日だ。
自分が赤ん坊の時の映像が普通に残ってる今の若い人って、それを見る機会があったら、どういう反応を示すのだろう。
うちの息子は、恥ずかしさで凶暴に怒ると思うが、その彼にコドモができたらまた違う反応になると思うし、そもそも自分だって我が子の映像を取りまくるかもしれない。
大内くんは明日の「都市対抗」をとても楽しみにしており、
「うちの会社から2チーム、同じ日に出るから、いったんお昼ごはんを食べに行って、戻って第2試合を見るのもいいね。去年は負けちゃって行けなかったし、その前の年は息子の試験と重なってたんで、行けなかったんだよね。今年こそ!もう、最後の機会だろうしねぇ。キミの足が心配だから、東京ドームまで車で行こう。息子も、運転させてあげたら喜ぶと思うし。暑くないかって?東京ドームは、完全冷房だよ!人が、そんなにむちゃくちゃくるわけじゃないし、ゆっくり楽しめるよ。ああ、息子に、何か急な予定が入らないといいんだけど!」と1人で大騒ぎしている。
私は野球は全然好きじゃないし、人混みに出かけるのもキライなので、気が重いんだが、ここまでよろこばれるとなぁ・・・そもそも息子がよくOKしたものだ、と感心するばかり。
「今日は早く寝ようね!」とあいかわらず張り切りながら、息子に、
「明日は朝早いから、早く帰ってきてね」とラインを打つ大内くん。
そしたら、折り返し電話がかかってきた。嫌な予感がするなぁ。
案の定、息子が、
「明日って、もうチケット取っちゃった?」と聞いてきた。行けなくなったか?
「カノジョと会うことになったんだけど。ついでに、今日、カノジョ泊まりに来るから」という連絡だった。
恋人との約束は最優先だからねぇ。
と、ここで大内くんが自分でも気づかないうちに大技を繰り出した。
「チケットは現場でもらい放題だよ。カノジョも一緒に行くんじゃ、ダメなの?」
後ろで「行く?」と聞いてる気配がして、「うん、じゃあ、行くよ」。
うわー、息子のカノジョと野球観戦?
これって、正常なこと?異常なこと?
もう、何の判断もつきませんわ。
というわけで、夜中の12時頃やって来たカノジョに、
「明日、よろしく。急でごめんね」
「いえいえ、こちらこそ、一緒に連れて行っていただけるなんて」とあわただしいやり取りをし、我々はすぐ寝た。
大変なことになっちゃったぞ。大丈夫か?!
16年7月18日
翌朝、2人ともちゃんと起きてくれて、息子の運転で後楽園に向かう。
カノジョと私はずっとICUの話をしていた。
(これがまた、ニッチに通じるんだ。「(ICUを)昔も、『Isolated Crazy
Utopia』って言ってました?」「Freshman's English Program」はつらかったねぇ」等々)
快調に東京ドームにつき(「息子はなかなかうまいドライバーになったよ」と大内くん)、スゴイ人混みにびっくり。
でも、会社の人の誘導ですぐに中に入れて、涼しくて幸せ。
試合を見ながらFACEBOOKに「息子の今カノと都市対抗を見に来ている」と書き込んだら、日記を毎週読んでくれてる大内くんの同僚が、いささかあわてた風に、
「それって、大内さんのご家族が、新しいカノジョとご一緒ということですか?!」とメッセージをくれた。
なにせ、新旧交代劇がほんのひと月で行われてるもんなぁ。
「前カノと別れた時に『ホッとした』と書いておられたので、大内家にとっては今カノがより『運命の人』なのでしょう」
うん、悪い意味じゃないんだけど、前カノは、人に話したとき必ず聞かれる「可愛い?」に素直にうなずけない個性的な顔だったし、言動もやや「不思議ちゃん」(何しろ、「女お笑い芸人」になろうとしてるんだよ?)だったので、「ああ、この子が嫁に来るわけじゃないんだ」とちょっとホッとしていたのは否めない。
そして新カノ。
小柄できゃしゃで可愛くて、でも高校の時に1年間フランスに交換留学生に1年行き、大学生の時には「フランス語で歌を歌うコンテスト」で入賞し、今は演劇とお笑いをやりつつ、息子たちのコントユニットの美術担当をしてくれている。(高校時代に美術部だったそうで、かなりうまい)
そして、何よりも普通に話が通じる!
前カノは、息子が我々と話させないように目を光らせていたせいで話せないんだ、と思い込んでいたんだけど、新カノは息子のブロックをものともせず、いろんな話をしてくれる。
「大内さんは、自分で『オレは怒らないタチだから』とか言ってますけど、けっこう怒りっぽいですよね。顔のパーツが真ん中に寄ってくるんです。『今、寄ってるよ』って教えてあげてます」
こんな会話、前カノだったら10年たっても聞けてないだろう。
ドライブの間中、また、試合が終わっての食事の時に、いろんな話が聞けた!
しかも、カノジョは息子のコントユニットに関わっているので、いろいろ重要情報が聞ける。
「ホームページのあおりは誰が考えたの?」(あまり名文ではないので、てっきり息子だと思っていた)
「ああ、○○さんです」
げげっ、あの神経質そうなICU男子が、あんなダサイあおりを書くのか!
「フライヤー(チラシ)もできてきますよ。大内さんに、見せてもらってください」
ありがたいことばっかりです。
「息子の試験がすんだら、またレストランとかでお食事をしましょう。それまでも、来られる時には遊びに来て」
「はいっ、ぜひお邪魔させてください!今日も、レポート1本、書かせます!」と、食事をすませて解散し、若い2人が雑踏に消えていくのを見て、我々は何だか腰が抜けそうだったよ。
前カノに対して感じる申し訳なさと、新カノの愛想のいい可愛さで両側に引っ張られ、精神が分裂しそうだ。
帰りの車を運転している大内くんと、
「これは、今日限りのことにしておこうね。これからもまた、今日みたいにつきあってもらえるとか思ったら痛い目に合うかもしれない」
「そうそう、それに、前カノとの3年間が身体に残ってて、急激接近したせいもあって、新カノともう3年以上つきあってるような錯覚に陥るけど、それは錯覚だから。新カノとは、まだ1ヶ月。半年もせずに別れちゃうかもしれない。そこを忘れないで暮らそうね」と、2人で言い合いながら、家に帰り着いた時はもう、肉体疲労と興奮と気疲れで、立ち上がれなくなっていた!
それにしても息子は、不機嫌そうに見えるのに、なぜカノジョを次々連れてきて泊めたり、親との行楽に同行させたりするんだろうか?
まったく理解できない。
なんだかんだ言って、親と家が大好きなのかなぁ・・・そうは見えないんだけどなぁ。
まあ、事実から推論するのが科学的な立場というものなので、「家族大好き人間で、そのくせ照れている」ととっておこう。
ちょっとだけ気が休まったのは、ドライブ中ナビシートにいた大内くんがドライバーの息子とけっこういろんな話ができたこと。
(その頃、私はリアシートで必死に新カノを接待していた。あくまで私の主観だが)
単位がギリギリで滑り込み卒業できるか!?と心配していたのですが、入る予定の「小さなゲーム会社」は、
「単位が足りなかったら入社してから取ってくれていいから」
「6月採用という形も取れる」
「最大、もう1年留年しても、もう採用する気持ちだから、そう思って」
と言ってくれているそうだ。
よかった〜、留年、無職の恐怖はまぬがれた〜。
それに、大内くんが聞いたところでは、息子はゲームメーカーに就職するつもりではなく、教育、医療等の分野にも広がるソフトの企画を考える仕事をすると言っていて、今の社会の在り方、会社の方針、自分の立ち位置がよくわかっているそうだ。
単に「ゲームが好きだからゲーム会社に入った」と思っていた我々は、息子を相当なめてかかっていたようだ。
お笑いを続けることに関しても、今のメンバーですでに就職して参加している人がいるらしく、「仕事とライブの両立はできる!」と確信を持っているそうだ。
息子にとってのベストメンバーでの初ライブは9月だが、彼は大内くんに、
「今度のライブは、ものすごいことになりそうだ」と語っていた、とのこと。
よっぽど自信があるんだなぁ。
そんなこんなで、くたびれ果てた1日だった。
ちなみに、試合は2試合とも負けた。私にとってはあまりにどうでもいいのですっかり忘れていた。
応援合戦とか、面白いところもあったけどね。
我々も若い恋人たちを応援したいが、あまり相手がコロコロ変わるとそれも難しいので、息子よ、適当なところで頼む。
しかし、キミは思っていたよりしっかりしているし、女にモテるねぇ。
新カノはなかなかの傑物だよ。できればつかまえといてくれ。
16年7月19日
「都市対抗」が面白くなかったように書いてしまったが、それは主に息子とそのカノジョが一緒であるという緊張からで、野球の試合、ということで言えば、やはり目の前で繰り広げられる攻防は興味深いし、大内くんの解説つきで、良いものを見られた、と思う。
ただ、野球というのはなんてヘンテコなスポーツなんだろう。
あんなに小さなボールを、3万人が見つめる。
細い棒でそれを打つと、ベースという不思議なものを中心に、野手が様々に動く。
私にとって一番許せないのは「ショート」の存在だ。
各ベースに1人ずつ見張り番がつく、というだけなら何とか理解できるのだが、ショートというものはいったいどういう意図で作られたポジションなんだろう?
大内くんに聞けば懇切丁寧に教えてくれると思うが、私のショート嫌いについて、中学の野球部でショートだった彼は傷ついている。
これ以上聞くのはやめよう。
大勢の人が一球ごとに一喜一憂するのは面白いね。
85年、にわか阪神ファンになった私は、優勝の瞬間を神宮球場で見たんだけど、そのあとはもう一生野球は見ないと思っていた。バースいないし。
でもこうして見てみると、自分の発想が「あの年、阪神ファンだった人の特殊な構造」になっているのに気づく。
相手方1点リード。嘆く大内くん。
「ホームラン1本打てばいいじゃん」と思う私。
同店のランナーが出た、と喜ぶ大内くん。
「ホームラン打てば、逆転じゃん」と思う私。
正直言って、1点2点を争っている試合には興味が持てない。
8点差ぐらいで負けているところで打線に火がつき、ぼかすかホームランを打って、バックスクリーン3連発を打って、終わってみたら8対11ぐらいで勝っている。
それが、私の野球観だ。
応援合戦も楽しいね。
楽隊がヤマトを演奏する。きっと息子たちにもわかるだろう。
ルパンになった。
これは、息子は絶対わかると思うが、カノジョはどうだろう?
横にいる大内くんをつついて、その横にいる息子に聞いてみたら、その横にいるカノジョに聞いてくれて、帰って来た伝言ゲームの答えは、「知ってる」。
なんて文化的に切れない世代なんだ、この2、30年は!
でも、カノジョは息子の部屋に泊まってのお出かけで、着替えがないので息子のTシャツを着ている。
それで我々とピザ食べてるって、昔の親子関係では考えられないことだよね。
彼我の価値観の淵は、浅いのか、深いのか。
16年7月21日
カシオペアで北海道に行って以来、腰の調子が悪い。ひざも痛いし。
やはり、日頃運動不足の人間が長いこと歩いたり乗り物に乗ったりするのは良くないんだろう。
大内くんが定年を迎え、時間が自由に使えるようになったら、「シベリア鉄道」の旅をしたいとこの20年ばかり思ってきた。
ウラジオストクから2人用コンパートメントに乗って、途中のイルクーツクやエカテリンブルグで2回ぐらい降りて、お風呂に入って休み、観光を
して、また鉄道に乗る。
モスクワまで行ったら乗り換えてサンクトペテルブルクに行き、そこから東欧を抜けてウィーンまでたどり着く、という列車の旅だ。
でも、私の体力が持たないかもしれない。
ウィーンまで、というのはあまりに無茶だろう。
定年後なら時間が自由に使えるので、17日かけてサンクトペテルブルクからウラジオストク経由で戻ってくる鉄道の旅を見つけ、なかなかいいなぁ、と思っているのだが、やはり足腰は心配だ。
鬱々と考え込んでいた私の頭にひらめいたのが、「クルーズ」。
船で寝ているうちにあちこちに運ばれて、港で下りて観光をし、また船旅をする。
これなら、身体に負担をかけずにあちこち行けるのではないか?
そう思って調べたら、なんと、サンクトペテルブルクに行くクルーズはたいそう人気があるらしく、どの船会社もそのクルーズを持っている。
普通は1日しか停まらない各港であるのに、サンクトペテルブルクには1泊するのがデフォルトなのだ。
前からキュナード社の世界一周クルーズを、コドモが絵本を楽しく読むように眺めていた私だが、もしかして、17日間のこのクルーズなら、節約
して貯金すれば、行けるかもしれない。
そのことを考え始めたら、私の頭はクルーズでいっぱいになってしまった。
できれば世界一周クルーズに行きたいとずぅっと思っているが、予算的に到底無理そう。
でも、このほど、日本発か着の「世界半周クルーズ」というものを発見した。
これなら、半額ですむうえ帰りの飛行機代がかからないので、お財布に優しい。
こんな落としどころがあるとは思わなかった。
ぐずぐずと考え続けていたこの半年ほどが、嘘のようにさっぱりと解決した。
私の「コンプリート癖」がちょっとだけ邪魔をするが、そこは日本に帰港するという美しい締め方で納得してもらうことにして。
さて、まずは、英会話だ。
船内のアナウンスが、
「3時から船長主催のお茶の会があります」なのか、
「緊急事態です。救命胴着をつけてデッキに集合してください」なのか聞き取れるようになるまで、もう1度英語の勉強をしてもいい、とまで思い詰める私である。
そして貯金。
おやつを減らし、買う古本を減らし、何ほどの効果があるかはわからないが、資金を貯めるぞ!
16年7月23年
昨日、いつもの左ひざが痛んだので、痛み止めのシートを貼って、3回めの病院へ。
やはり、思ったほど混んではおらず、診察に呼ばれるのも早い。
いい病院、見つけちゃったなぁ。
あんまり痛いので、手術で何とかならないか、と聞いてみたら、おしゃべりで親切なお医者さんは、手術には懐疑的らしい。
うん、まあ、こっちもスタンスを聞いてみたかっただけで、手術をすれば魔法のように良くなるのに、と思っているわけではない。
この機会に運動をして、老後の健康にも備えよう。
やはり、何もせずに寝ころんで本を読んでいた、ここ数年が良くなかったようだ。
今日は、靴の底に左足の左側を持ち上げる格好になる「足底板」というのを入れてもらった。
軟骨がすり減ってX脚になりかけている左足を、少しでも正常に近づけようという試みだ。
「すごく楽になる!」と言うほどではないが、しばらくつけて歩いてみよう。
この夏はサンダルとはお別れだな。
で、リハビリをしてもらって体操を教えてもらって、痛み止めのシートは制限が厳しいので今日はもらえなかった。
何でも貯め込みたがる私としては、ストレスのかかる状態だ。
足りてはいるので、問題はないはずなんだが。
そのあと、ジムに行って軽く運動。
私は組んでもらったメニュー通り、ストレッチのあと、
「座った状態で両足を上げ、ボードを膝の屈伸力で押す」
「やはり座った状態で、脛に当たっているロールバーを足を上下させてあげては降ろす」
「反対に、ひざ下のロールバーを足の力で押し下げる」
というマシンを「10回×3セット」こなし、ウェイトも前回は「女性ビギナー」用だったが、今回は「男性ビギナー」よりひとつ上げたぐらいのとこで頑張った。
最後に後ろにもたれた格好でバイクを15分漕いで、今日の運動は終了!
ずっとバイクをやっている大内くんに、
「もういいよ。ごはん食べに行こ」と声をかけると、
「キリがいいところまでやったら」と少し待たされた。
でも、2人とも汗をかかない程度にしか運動してないので、今日はお風呂やサウナはバスして、いつもの「クルン・サイアム」へ。
いやあ、ジムというのもなかなか壮快なものですなぁ。
100パーセント運動嫌いの私にでも、ちょっと試してみようかな、とは思わせる。
開店10分前に着いたクルン・サイアムはひと気がなかったので、また「雑誌効果も終わりかな?」と思っていたら、先週同様、10分の間にどんどん人が集まってきて、最終的には10人ほどの行列ができた。
我々は一番乗りだったので、開店してすぐ、気に入りの座席に着くことができた。
もう何週間食べ続けているかわからないパッ・タイをまた食べた。(もはや年単位のようにすら思える)
大内くんもいつもの辛〜い「トムヤム・ヌードル」。
ジムに行った時以上の汗を流して食べていた。
今日は歩き過ぎて先々週の轍を踏まないように、用事は最低限。
ロフトの1階でバスオイルを3本買うだけ。
また、「イランイラン」の妖艶な香りに包まれようか、それとも、タイムスリップを期待して「ラベンダー」にしようか。さわやかな柑橘類の「レモン」も悪くない。
16年7月24日
今日は大内くん、朝から用があって実家に行っている。
1日、つまらなく過ごす。
こういう時にバリバリ本が読めたり映画が見られたりすると、私の人生ももうちょっとレベルアップするのだが。
huluで「ダウントン・アビー」が観られるので、ベッドの「読書スタンド」につけたiPadで少しずつ観ているが、大内くんがいないと何もかもつまらない。
あんまりいつも寝て暮らしているので、息子に、
「病気なのは仕方ないけど、オレはああはなりたくない。何が楽しくて生きてるんだろう?」と言われてしまうんだが、ふーんだ、私だって大内くんがいれば、とっても楽しく暮らせるのだ。ほっといてくれ。
くたびれた顔で帰って来た大内くんは、ごはんを食べながら、どうも腰が痛いと言う。
昨日のジムでのバイク漕ぎがいけなかったのか?
「朝から少し違和感があったけど、今日1日でものすごく悪化したと思う」
こんな日は早く寝よう、大好きな「真田丸」観てスイカ食べたらすぐ寝よう、と言っていたら、妹さんから電話。
何やら長話になり、「真田丸」の時間はとっくに過ぎてしまった。
番組が終わる頃に電話もやっと終わり、もう、スイカを食べる気力もなくなったと言う大内くんは、立ち上がるのも辛そう。
痛み止めのシップ貼ってあげるから、元気出して。
辛い日もあるけど、楽しい日もきっとあるよ。
16年7月25日
朝起きたら、痛み止めのシップが多少効いているとは言うものの、動作全般にとても不安がある大内くん。
「まっすぐ坐っていたり立っているのは平気。立ち上がって動く時が難しいんだが、コツはつかんだ」と言うけど、その「コツ」を使った動作ははっきり言って面白すぎる。
何と言うか、腰を落としてややひざを曲げ、おまけにカニのような横歩きになっている。
まあ、会社は行かないわけにもいかないので、またシップを貼って送り出す。
腰痛はツラいものだよね。
「まだ、『いわせちゃった』状態ではない。でも、いついわせちゃってもおかしくない」と言いながら出勤する大内くんを見送って、さて、眠れそうにないし、じゃがいもがたくさん余っている。
ビシソワーズを作ろう!
キッチンの壁と冷蔵庫の隙間にいつもたたんで置いてある「脚立兼椅子」を出してきて、腰かけて、えんえん大7個のじゃがいもの皮をむき、薄切りにし、タマネギも5個ばかり切る。
口をついて出るのはユーミンの「チャイニーズ・スープ」だ。
「椅子に座って爪を立て さやえんどうの筋をむく」
やってる内容はかなり違うが、まあ、気持ちはおんなじだ。
先日買った6センチ四方ぐらいの青いスピーカーとiPodを持って来て、音楽はいくらでも聴ける。
両方とも、コードレスで充電で動いてるものだから。
便利になったなぁ。
ブイヨンを足した水とじゃがいもとタマネギを大鍋に入れ、時々あくをすくいながら30分ほど煮る。
全部軟らかく煮上がったら、少しずつフードプロセッサにかけて、どろどろになってもらう。
この作業を5回ぐらいやり、再び大鍋に移して(うちにはこれ以上大きな容器がないから)、牛乳を1パック近く入れて、塩こしょうで味を調えて、できあがり。
4.5リットルと2.5リットルのタッパーに八分目ほどできたから、6リットルぐらいかな。
粗熱が取れたところで冷蔵庫へ。
ところが、何が幸いするかわからないもので、また息子から電話が。
(最初はラインで送ってくるのだが、こっちがなかなかケータイを見ないので、業を煮やして電話してくるのだと思う)
今夜もカノジョが泊まりに来ると言うのだ。
もはや無感動ではあるものの、手料理を振舞えるのは嬉しい。
でも、いつものように深夜ではなく、10時半という比較的穏当な時間にやってきたカノジョに、確認しておかねばならないことがある。
私「〇○さん、うちは全然かまわないんだけど、こんなにしょっちゅう外泊して、お父さんかお母さんに叱られない?」
カノ「大丈夫です!今日は、言ってきましたから!」
私(少し喜んで)「カレシができて、その家に泊まってるんだ、って言って来たの?」
カノ「いいえ。でも、『今日も泊まるよ』と行ってきましたから、同じおうちに泊まってると察してはもらえていると思います」
私「カレシの家、とは察してないの?」
カノ「はい、女友達の家に泊まってると思ってるようです」
私「もしお父さんに怒られたら、うちのお父さんが土下座しに行く覚悟はとうに出来てるそうだから、そう言って」
カノ「いえいえ、とんでもない。それに、怒ったら怖いのは実は母親の方かもしれません」
え、そうすると、私が何か言わねばならんのか?
いずれにしても、つきあい始めて1ヶ月の間に、もう7、8回はお泊まりしている。
20歳過ぎた人同士の話なのでそうそう口をはさむわけにはいかないが、やはり、舞台が「我が家」であるところに問題があるかもしれない。
でもなー、断って、来なくなってもつまんないしなー。
(すでに、相手の親の気持ちについては考えていない。人非人)
あいにく息子と一緒に食事して来たそうで、おなかがすいてないんだって。
冷蔵庫の中の大量のビシソワーズを見せたら、カノジョは、
「大好きです!作っちゃうんですか?しかもこんなに。すごいですね!」と感心してくれて、ちょっといい気分。
「じゃあ、明日の朝、食べてね」と、小さなスープボウル2つとスプーン2本、彩りに散らす粉パセリまで用意して、我々は寝た。
翌朝、徹夜のまま、5時頃起きる大内くんを待ち、一緒にビシソワーズを飲み(「今日のは特に出来がいいね!」と大内くん)、7時ごろ送り出したのちが私の睡眠時間。
次に目を覚ましたら、家には誰もいなかった。11時ごろかな。
「よかったら食べて行って」と書いて食卓に置いて行ったメモに、カノジョの達筆で、
「ありがとうございます。とっても美味しかったです。大内さんの試験が終わったら、またゆっくりお話させてください。またお邪魔しますので、よろしくお願いします」と書いてあった。
礼儀正しい。
お皿は洗ってあったし、布団もしまってあり、タオルケットはきちんとたたまれて枕の上だ。
将来の嫁・姑問題を考えてみるが、今のところ何の問題もないような気がする。
息子よ、このめぐり合いを生かしてくれ。
若いうちは3人4人と相手を取り換える羽目になるのもキミだけの責任ではないだろうが、どこかで落ち着いてほしい。
そして、今、かなりいい星回りと思われるので、カノジョにきらわれるようなことをしないで、頑張ってくれ。
我々も、何ができるかわからないけど、旗もって振りたいほどの応援精神でいるのだ。
まことに失礼な言い方だが、こんな上玉を逃したら、もう次はないんじゃないかと思われる。
ただでさえ心配性の私に、これ以上心配をかけないでいただきたい。
しかし・・・本来、相手の親御さんにご挨拶の1つもしているべき状態なのに・・・我々も放置している。
大丈夫なんだろうか。
私が愛用している痛み止めのシップの弱い方を大内くんの腰に貼ってあげて、さて、こちらも大丈夫かどうか、とても危うい。
16年7月26日
息子は試験週間中に少なくとも3回のお笑いコンテストに出て、うち2回で1位を取った。
もちろん我々が見に行く、というようなことはない。
と言うか、息子が自分のツイッターで「1位!」と発表するまで、そんなコンテストがあるのも知らないでいる。
息子のお笑い活動を、全部見たいなぁ。
私が重病で危篤になったら、枕頭に息子とその相方を呼んで、ありとあらゆる持ちネタを披露してもらいたい、と真剣に考えるぐらいだ。
なので、コンテスト用の2、3分の細かいものにはあきらめがついても、彼ら自身が行う1時間半から2時間ぐらいの「コントライブ」は全部見に行ったし、映像も、撮れる時には撮った。
だが、できればDVDを入手したい。
全部、彼らは記録としては持ってるはずなんだから。
第2回の「合同コントライブ」の時に、1年前の「第1回」のDVDを販売する、と聞いた時は、息子に頼んで事前に30枚ぐらい分けてもらい、友人知人に配った。
もちろん代金は払った。少しイロをつけたぐらいだ。
そんな彼らは、第2回もDVD化する、と言っていたのだが、それがいつになるか全然わからない。
息子に聞いても、
「作るよ。いつかはわからない。知らねーよ。作るって、言ってんだろ!」とすぐ凶暴になるので怖い。
思い余った私は、「合同コントライブ」をやった時の7人のうち、ツイッターでつながっているメンバーにメッセージで聞いてみることにした。
「大内の母です」という語り出しに、向こうさんは大変ていねいに、
「大内くんにはいつもとてもお世話になっています」と返事を返してくれて、第2回DVDについても、
「次の合同ライブに合わせて製作中なのですが、遅くなって申し訳ありません。データはありますので、『母ルート』(笑)で送ることはできますよ」と言ってくれた。
私は、もちろんその話に乗った。
就職もし、働きながら9月の合同ライブに備えて脚本を書き、深夜練習にも励む彼には、とても感謝し、よい公演になるように祈っている。
ところが、その数日後である今日、息子から怖いLINEが来た。
「二度とメンバーに連絡しないで」
「非常識甚だしい」
そして、とても幸いなことに私がその2通を見る前に彼も頭が冷えたのか、
「まあ言い過ぎたけど、なるべくやめてください」
と優しい論調になった3通目が届いていて、一緒に読むことができたのは本当に運が良かった。
最初の2通だけを受け取っていたら、私はボコボコにされて気絶していただろう。
「ごめんなさい。でも、DVDいつ出るかわかんなかったから」
「何回も、まだ作ってないって伝えてるけど」
「『作るの?』って聞いても無視することが多くて、怖いから」
「作るよ。もう他の人に聞かないでね」
「はい、出来たらわけてね」
「はい」
「ありがとう」
とLINEは終わったが、いやぁ、彼もオトナになったもんだね。
2、3年前に私が彼の友達のツイッターに「いいね」を出した、と大激怒した時は、
「もう、フォロワーは外させてもらう!」と怒鳴られ、それが読めなくなると彼の行動は一気につかめなくなるので私が泣いて謝って、大内くんの口添えもあり、何とか矛を収めてくれた彼が、
「それにしても、オレもオトナになったよな」とつぶやいていたが、その時よりさらにオトナになったよ。
(ちなみに、友達に「いいね!」を出したのは、うっかりボタンを触ってしまっただけで、意図的ではなかった、という弁明も多少は容れられたらしい)
しかしなぁ、大内くんにも話して考えたんだが、夜中にいきなり彼女やら友達を連れてきて泊めるのは、非常識甚だしくないんだろうか。
そして、カノジョが美術担当で、コントユニットの1人と先日突然一緒に泊まりに来た、そういう状況で、我々は、コントユニットのまったくの「他人」なんだろうか?
向こうにしてみれば、「親が首突っ込むな!」という気分なんだろうが、こちらだって、「こっちの生活は大いに浸食されている」のであり、なぜそれをガマンしているかと問われれば、ひとえにコドモの活動に興味があり、協力したいからだ。
それを、切り捨てるような言動こそ、「なるべくやめてください」だ。
それにしても私は息子の怒りに弱い。
母親が理不尽に怒りっぽい人だったせいもあるかもしれないが、人が怒ること全般が苦手。
「気にしちゃダメだよ。面の皮厚く行こう」というのが大内くんのアドバイス。
けっこういいセリフだ。それが一番なのかも。
別のコントライブで、息子がYouTube化することになっているはずのものがあるのだが、それも、いつできるのか聞いたら教えてもらえるんだろうか・・・
16年7月27日
今日で息子の5年生前期の試験が終了する。
今回は、カノジョのサポートもあって、そこそこ熱心に勉強していた学期であった。
前日の夜に、
「何限?朝、起こすよ」とつい甘やかしてしまうが、大事な試験の日に寝坊して3年目の留年が確定していた大内くんのことを思うと、私のできることは何でもしてやりたい。
というか、やらないと自分が「あの日あの時、なぜ起こさなかったのだろう?!」と大変なショックと後悔にさいなまれるのがわかっているので、起こさずにはいられない。
「10時半からだから、8時半に起こして」「わかった」という会話のあと、息子は寝てしまい、接待で遅い大内くんが帰る頃には珍しく私も熟睡していた。
今朝、ドアが開く気配で初めて目が覚め、仕事をしている書斎に行って
「ごめんごめん、寝ちゃってた」と謝ると、
「いいよ。よく眠れて、よかったね。息子は、今、出かけたよ」と言う。
ええっ!まだ5時半じゃないか!
「試験前で眠れなかったか、昨日早く寝たから目が覚めたんじゃないの?ガストかどこかで勉強してから試験に行くんじゃないかなぁ」
確かに、家では決して勉強しない彼であるので、そういうことかもしれない。
「今期は、気合入ってるね」
「うん、今期と来期で6単位落とすと留年だからね。いくら就職が決まっていて、向こうの会社が少々単位不足でも雇ってくれる、と言ってるとは言え、彼にも男のメンツってもんがあるんじゃないの?」
最も恐ろしい相手は後期の第二外国語、ドイツ語で、10月からの新学期が始まったら、私はそれこそ何を犠牲にしても週1回、1限からのこの授業に間に合うように息子を起こすつもりだ。
本来1年生の後期に取っているもんなんだが・・・5年生まで持ち越すとは、そうとうな苦手科目と思われる。
「クラスメートが、だんだんいなくなって、3年目ともなるともう、クラスに知った顔なんかいないんだよ。あれは、孤独なもんだったなぁ」と以前、大内くんが息子に語っていたが、少しは聞いているのだろうか。
今カノが高1の時に交換留学生としてフランスに行ったというのは素晴らしいが、ドイツだったらもっと良かったのに、とたった今の私は思うのだった。
こうして、朝の5時半から大内くんと起きていたが、本来起こすべき8時半になっても息子はいないし、大内くんはとっくに会社に行ってしまったし、寂しいもんだなぁ。
これが、「空の巣症候群」というやつだろうか。
しかし、夜にはまったく違う様相を呈する我が家。
大内くんが早く帰ってきてくれたので、いつものメニューだがステーキを焼いて楽しく食べていたら。
息子から電話があって、またカノジョが泊まりに来るらしい。
こっちは早々に寝る支度をしていると、11時頃、息子がカノジョを連れて帰って来た。
ソファに並んで、一緒に映画を観ている模様。
我々はもう寝室に引っこんでいたのだが、私がお茶を飲みに冷蔵庫のところに行こうとリビングとの間のドアを開けたら。
息子は、左側に座ったカノジョの肩に今まさに腕を回したところで、そして私が出現したとたん、その腕は、逆方向にゆっくりと宙に弧を描いて元の位置に戻って行った。
私も吹き出すのをこらえるのは難しかったが、カノジョはもう、大笑い。
多分、今起こったことについて言ってるんだと思うんだが、
「映画みたいですね。いえ、コントですよ。今のは、コント」と笑い転げていた。
うーん、2、3日に1回は泊まりに来て、一緒の部屋で寝ていて、まだ肩を抱くのに逡巡があるのか。
初々しいなぁ。
面白いもん見せてもらったので、寝室に帰って大内くんにご報告。
こっちも笑い転げていた。
こうやって、だんだん仲良しになって行くんだろう。
息子の場合、「好きだ→つきあう→家に連れてきて泊めちゃう」の最後の段階が急ぎすぎなんだよね。
こっちは面白いからいいんだが、カノジョも気詰まりであろうに。
今のカノジョはとても明るくて社交的な感じなので、こっちは気づまりに感じないですむんだが、さてさて、間に挟まれて息子はどう思ってるんだろう。
ま、何も考えてないな。考えてたら、絶対この段階では連れてこないと思うもん。
16年7月28日
大内くんが1泊の大阪出張なので、
「寂しいな。こないだみたいに、目が覚めたらあちこちからあなたが書いたメモが出てくると楽しいのにな」と言ったら、
「そういうのって、いったん言ってしまうともうつまんないんじゃないの?自分がやらせてるわけだから」と言われ、
「そりゃ、いきなり、がベストだけど、何もないよりはあった方がいいよ」と言うと、「ふーん」と考え込んでいた。
翌日、早朝に送り出して、即座に昼寝して目が覚めたのが昼過ぎ。
あれ?トイレのドアと書斎のドアに貼り紙がしてあるぞ?
書斎の「人間賛歌は勇気の賛歌 ジョジョの奇妙な冒険」はあきらかに息子だが、トイレの「行ってきます」は?
まあとにかく2人からメッセージをもらい、「貼り紙が、はやってるのかな?」と不審に思いながら、謎が全部解けたのは、夜、ホテル入りした大内くんから電話をもらった時だった。
「あれね、僕から息子に頼んでおいたんだよ。出る前にやるの忘れちゃって。『そういうのは自分でやんないといけないんじゃないの?』とか言われたけど、『とにかく、母さんを励ましてあげて』って頼んだんだ。ジョジョから来たか。コントユニットの脚本家として、そうつまんないことも書けないと思ったんだね。けっこうひねったね」
なんと、両方とも息子が、しかも大内くんに頼まれて!
別に、座右の銘を貼り出すのが流行ったわけじゃなかったんだ!
出かける前に彼が軽く握手を求めてきたと思ったらぎゅっとハグしてくれたのも、「母さんを励ます運動」の一環だったのか。
「ネタバレされてみるとつまんない?」と大内くんがちょっと心配そうだったので、「いや、そんなことは全然ないよ。人に頼もうと思ったことだって立派な誠意だし、息子はいろいろ考えてくれたし、嬉しいよ」と言っておいた。
確かに、夜中に1人で家にいるのに全然寂しくない。今夜はよく眠れそうだ!
16年7月29日
大内くんが出張から帰ってきて、例の貼り紙を見て感心していた。
「新幹線の中からLINEでお願いしまくったんだけどね。『人間賛歌は勇気の賛歌』か。いっぺん、ジョジョも読んでみなくちゃね」と言いながら、大内くんのケータイを見せてもらったら、
「母さんを励まして。『行っててくるね』『元気でね』とか、父さんが言いそうなことを、お願い」と頼んでる。
それを見て喜んでいたら、寝室の扉にも貼り紙があるのに気づいた。
ここは、開けてる時は陰になってるし特に今の季節は開けっ放しのことが多いので、たいへん気づきにくい場所なのだ。
一行、でかでかと、
「愛してるよ」
と書いてあった。
発注者大内くんもそこまでの依頼はしてなかったそうで、いやあ、コドモは親の背中を見て育つと言うが、彼にとっては、こういうセリフが「大内くんが言いそうなこと」として含まれてたんだ。
父親に成り代わり、いったいどんな気持ちでこの一行を書いたのだろう?
嬉しいような、空恐ろしいような、寝室の扉だった。
16年7月30日
先週に引き続き、吉祥寺の整形外科へ。
100円で3時間止められる駐輪場が近くにあって、助かる。
吉祥寺の自転車事情と言うと、もう大変なもので、撤去・回収は日常茶飯事、ちょっとした買い物のために店先に自転車を置くと言うのもあり得ない。
午後になってから駐輪場を探すとなると、ほとんど望みなし。
我々は動き始めるのがわりと早いので、自転車が停められない、という思いをしたことはないが、とにかく不便。
バスで来てもいいんだが、定期持ってる大内くんはともかく、私が往復するだけで440円。
これは、駐輪場の方が安い。
さて、今日は少し遅めのご出勤となったが、やはりあまり待たなくてすんだ。
今回から「リハビリ」をやめてみる。
簡単なマッサージをして太腿に筋肉をつける体操を教えてくれたけど、もう覚えたからいいや。
経費削減。
先生は、あいかわらず面白い顔をしながら私のひざを触り、「水はたまってないね」と言いつつ、ヒアルロン酸かなんかの注射を打ってくれる。
5本が1セットと聞いており、この病院がお盆で休みになる8月13日の土曜、その前の土曜日にちょうど5回目になるので、それまでは通おうと思っている。
「痛み止めのシート」ももらったし、正直、最近少し痛みが減じているようだ。
ヒアルロン酸が効いてる?時々サボりながら1日3回やっている体操が効いてる?
どっちにしても、少し前が信じられないほど、楽になった。
やはり時間が余ったので、ブックオフで涼む。
実は今日はきちんとジムへ行き、たっぷり汗をかくほど運動し、お風呂とサウナ(わりとしょぼい)をゆっくり使おう、という計画を立てていた。
会社の契約施設なので入会金と月々の会費は会社が持ってくれるのだが、1回使用するごとに700円の個人負担金がある。
これを払って、30分や1時間ではもったいないのではないか!?と思うようになったのだ。
ところがどっこい、そううまくはいかない。
ひざに注射を打った日は、お風呂はやめて、シャワーもなるべく注射痕を濡らさないように、と言われたのを急に思い出したのだ。
「クルン・サイアム」でいつものメニューを食べながら、相談する。
「ひざの感染は怖いよね。キミ、昔、ひじの蜂窩織炎(ほうかしきえん。これがいきなり変換できるところがスゴイ)やったでしょ。ああいう感じで、ばい菌が入るとパンパンに腫れちゃうんだよね。家のお風呂だって怪しいのに、他人と一緒に入るプールややサウナはダメでしょう!」というわけで、今度から、土曜日は病院とランチの日、日曜にジムに行って、少し運動しよう、ということになった。
それにしてもなぁ、外は暑すぎる。
今度の土曜に5回目の注射を打ってもらったのちは、病院は少しお休み。
大内くんの夏休みも始まるけど、この酷暑の中を痛いひざを引きずって歩くのはあまりにも過酷なので、9月まで、週末やお盆休みだからと言って、出歩かないことを決めた。
ジムも、当分行かない予定。
大内くんもこないだバイク漕ぎで傷めた腰が本調子でないようだし、お休みは涼しくごろごろ暮らそう〜!
とは言え、用事とは必ずあるもので、八百屋で買い物をした後は、もう1軒、病院をハシゴ。
心臓の持病をここ5年ぐらい診てもらっているが、先生が、聴診器を胸にあてた状態で、「うん?」という感じでしばらく聞いていた。
どうやら、奇形の弁である「二尖弁」周囲に、だんだん起こってくると言われている「石灰化」が疑われるらしい。
これが進むと手術だ。
大動脈瘤と一緒に手術してしまえるのはラッキーだが、いずれにしても開胸手術だ。
今「医龍」を読んでいるから言うわけではないが、やっぱりちょっとビビる。
「希死念慮」が強いので、失敗して死んじゃう程度のことはあまり問題にしないが、痛いのはいやだ。
唯生を産んだ時の帝王切開のあとは、2、3日、ホントに辛かった。
ごはんも食べさせてもらえないし。
お?まてよ、心臓の手術だったらもしかして食事は普通にできるのだろうか?
うん、期待しておこう。
おお、そろそろ緑内障の点眼薬がなくなる。
半年に1回は検査に来いと言われているので、これは今週中に行っちゃおう。
何だか検査漬けの日々である。
そんなにまでして生きていかないとダメなのかな。
16年7月31日
幸い、と言うか何と言うか、今、家のデータ整理をしているのだ。
もちろん私はわからないので大内くんにおまかせだが、古い手焼きのCDをHDに移した時、タイトルを入れていくぐらいはやんなくちゃ。
結婚式、コドモたちの誕生・成長、友人たちとの楽しい時間、さまざまな動画も処理しなければならない。
なので、気がまぎれると言うか、このところずっと続いてるやっかいな問題とか、自分の健康のこととかに、あまりかまけてもいられない。
それに、昨日は嬉しいことがあった。
3日に1度ぐらいのペースで止まりに来ていた今カノが、ご両親に、
「カレシができて、その人の実家に泊まっている」ときちんと告白できたんだって!
向こうの親さえOKなら、うちは泊まりに来てもらっても全然かまわないし、むしろ3日も顔を見ないと「別れちゃった?」と心配するほどだ。
向こうのお父さんがご挨拶をしたい、とのことで、今夜9時頃、大内くんのケータイに電話をくれるそうだ。
さてさて、「娘がいつもご面倒をおかけして」のタイプかな、それとも「人んちの娘を勝手に泊めて、どういうつもりなんだ?!」というタイプか、私は今から楽しみでならない。(大内くんは当人なのでちょっとビビってますが)
それにね、こないだ息子とラインをしている時、
「お姉ちゃんのこと、〇○ちゃんにまだ話せてない?」と何気なく聞いたら、
「話した」とのレス。
「びっくりした。偉かったね。〇○ちゃんはなんて言ってた?」
「いや、大人の対応だった」
多分、「それは大変ですね」というような無難な対応で、「ドン引きされた」わけではない、ということだろう。
前カノと3年間つきあっても、「最初に言いそびれて」ついに話せなかった事柄だった。
もちろん重たい話なのは分かっているし、2年ぶりに病棟に会いに行った息子が、帰りの車の中で激しく嗚咽していたのも見ているし、誰よりも私が、まだ唯生を受け入れるに至っていない。
前カノとの3年間にも後押しされてのことだと思うが、話してくれてよかった。嬉しい。
「障害者の姉をカミングアウト」
「親同士の挨拶」
あまり前のめりにならないようにはしているつもりだが、こういうファクトが重なってくると、やはり「結婚」の2文字が浮かびあがる。
ICUのチャペルでやるといいな。
私は1回目の式をそこで挙げてしまったので、さすがに2回目は気が引けて、中・高・大と駒場近辺の学校に通っていた大内くんが、駅の宣伝看板を見て、
「あー、いいな。いつかここで結婚式を挙げたいな」とずっと思っていたという、「こまばエミナース」という国民年金会館で式と披露宴を行なった。
(中学の頃から自分の結婚式のことを考えていたとは、ロマンチックだが変わった男子中学生だ。中高一貫男子校の弊害?)
なにせ「国民年金会館」だから、そんなしゃれたとこじゃない。
でも、7年かかって大学を卒業し、奇跡的に今の会社に拾ってもらった大内くんは当時弱冠25歳のまさに「青二才」で、早い結婚なので友人たちも学生が多く、地味で素朴な、でも温かい結婚式ができました。
さて、今夜、どんな電話がかかるのだろうか。楽しみ。
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