16年8月1日

そして昨日の9時ちょうど。大内くんのケータイに電話がかかって来た。
どうも相手はカノジョ 当人らしい。
 「大内さんのお父さんですか?うちの父がひと言ご挨拶をしたいと言うので、電話を替わってもよろしいでしょうか?」
「ハイ、大丈夫ですよ」と言って、「父対決」が始まった。

全体はそんなに長いものではなく、10分ぐらいの間のことだろうか。
大内くんによれ ば、「ガテンな感じの、ちょっと怖いお父さんだった」
カノジョ情報では食堂を経営しているらしい。

カノ父「うちの娘が始終お邪魔しておりますので、これは1つご挨拶をしなければ筋が違うと思いまして、お電話しました」
大内「いいえ、こちらこそ何も言わずによそ様のお嬢さんを泊めてしまって・・・ご心配だったでしょう」
カノ父「いえ、もう20歳も越えていますし、しっかりした子なので、心配はしておりません。ただ、そちら様にご迷惑をかけているのではと」
大内「全然迷惑ではないです。2人が仲良く映画を観たりしている様子を見て、安心しています。それよりむしろ、こちらからご挨拶もせずに勝手なことをして申し訳ないのではと」
カノ父「ご迷惑になっていないならいいんです。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。筋を通すため、お電話させていただきました」
大内「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」

こうして、平和裏に「父対決」は終わった。
私たちの印象では、カノ父は本当は我々や息子に怒っているのだが、娘にアタマが上がらないため、何とか怒りを抑えて不承不承挨拶をしたのではないだろうか。
あれだけ「筋を通すことが好きな人」だと、いきなりやってきて可愛い可愛い娘(どうやら一人娘さんらしい)を週に何日も外泊させてる男が、「筋を通している」とは到底思えないだろうし、そんなことをさせている親にも出来ればひと言あるぞ、という迫力を感じ させた。

ま、しかしこれで、双方の親公認の恋人同士だ。
うちはもともと恋愛に寛大だし、向こうも娘可愛さにガマンするだろうから、息子がよっぽどバカなことをしでかさない限り、しばらくは平和でいられそうだ。

やっぱり、世のお父さんたちは、娘に弱いなぁ、というのが最大の感想。
うちでも、もし唯生が元気だったら、大内くんは私なんか放り出して「唯生ひとすじ」になってしまっていたのだろうか。
何が幸いする かわからないもんだなぁ。

カノジョは息子たちのコントユニットの美術担当で、今回もフライヤー(チラ シ)の絵を描いてくれた。
裏面には、簡単なユニット紹介が載っていたが、 「大内をはじめとする4人の脚本家」と書いてある。
主宰はやらせてもらうし、名前は挙げてもらえるし、どいだけ皆に大事にされてるんだ、 我が息子よ。
恥ずかしくないステージを、9月に、期待してるからね。
カノジョのお父さんの手前も、頑張れ!男を見せろ!
うちにはこういう時に頼りになるオトコがいないから困るんだよなぁ・・・

16年8月2日

晴れて両方の親公認の中になったカノジョは、昨日も夜中に泊まりに来て、まだ息子の部屋のドアは閉ざされたままだ。
うちはいつも朝ごはんを食べないんだけど、珍しく私が夜寝て朝起きたので、食パンやベーコンを買ってきた。
若い恋人たちに朝ごはんを作ってあげたいと思ったのだ。
十中八九、「もう、すぐに出かけるから!」と断られると思うが、自己満足の気持ち。
昨日の昼間に6リットルぐらいのビシソワーズを作ったのも、朝食の強力な後押しになるだろう。

カノジョも堂々と我が家に来られるようになって、本当に良かった。
向かうところ敵なしの恋愛パワーが、前カノの面影さえ吹き飛ばして行く。
新しいカレシができているといいなぁ、と心の底から祈る。

「筋を通す」ためには、息子がカノジョのご両親に挨拶に行かねばなるまい。
父親が電話でちょっと話しただけ、ではすまされない。
息子よ、一発殴られる覚悟で行って来い!

こういうことが、全部、我々の次の世代で起こっているんだからね。
多少、加齢を感じても無理からぬことだと思う。
夜の散歩を続け、8月中は暑いので昼間の外出は控えるつもりで、ジムもお休み。
替わりに、朝昼晩と、病院で教わった「ももに筋肉をつける体操」をしている。
あっ、今朝の分をまだやってないや。やんなきゃ!

16年8月3日

家にある音楽テープ、8mmテープ、CDを全部大内くんがHDに落としてくれている。
本の自炊に次ぐ、大整理である。
古い映像はもう色が抜けて、モノクロですか?って風情なんだけど、かえって味が出たとも言える。

今年のお盆休みは、どこへも行かず、食料品の買い出し以外には家でごろごろ過ごそう、って合意がなされた。
少なくとも8月の日中に外出するのは正気の沙汰ではない、と、年齢が進んで我々もついに悟ったわけだ。
例外は8月27日に近所のホールへ、柳家喬太郎さんの「みたか勉強会」を聴きに行くだけ。
年に2回、喬太郎さんが来てくれるので、申込み開始日には電話もってキーボードの前に座り、一気に5枚をゲットしている。
15分ぐらいで売り切れてしまうので、申し込みの日は毎度戦争のような緊張感に包まれる。
三鷹の皆さんは、かなりの気合で落語に臨んでおられるようだ。

親しい男友達と女友達各1人と、私たち夫婦、それに、ここ2回ほどは息子も参加している。
5枚取ると、4枚は並びで取れるのだが、5枚目だけ、離れた席になってしまいので、息子をそっちにやっておく。
どのみち、噺を聴きながら雑談するわけじゃないしね。

終わった後は駅前で飲むんだが、これは息子はまだ参加したことがない。
来春からは社会人なんだから、ビールの1杯ぐらいつきあえ!とは思うが、彼は彼で忙しく、毎度、「すんませんッ」と言って帰ってしまう。
まあ、親の友達と飲みたがるのも変だから、これでいいんだが。

どうしてか、落語がはねる時間と「蕎麦屋・居酒屋のたぐい」の開店時間には差がある。
いつも3、40分間が空いてしまい、間の持たない思いをする。
名古屋の「酒好き」で「落語好き」の友人とメールでこの話をしていたら、
「全国の落語は3時からにせよ、ないしは蕎麦屋・居酒屋は4時から開けよ!」と怒っていた。
私もまったく同感だ。

まあ、そんな用事はあるものの楽しいイベントだし、気にしない。
お盆休みが8連休ぐらいあるのにどっこも行かない、というのはちょっとした決心だが、思えば1年半前、25年勤務のご褒美に「2週間のリフレッシュ休暇」と旅行券を会社からいただき、大喜びでイタリアに行った、あの時以来、ほとんど旅行に行きたいと思わないのだ。
今年の2月に北海道に行ったが、3泊4日の軽いものだった。

実を言うと、もう、大型旅行にしか興味が持てなくなっている。それも、海外。
日本の名所もいろいろ見たし、楽しかったんだが、加齢とともに旅行のスタンダードが上がって行くのを感じる。
それに、イタリア旅行みたいに、「準備に1年、旅行が10日、あとの2年は思い出話」というようなコスパのいい旅行はなかなかないよ。
次は1年半後にローマに1週間ほど滞在することを考えており、そうすると、中途半端なお金の使い方がイヤで、暑い国内を数日間動き回って10万、15万といったお金を出す気にならないんだよね。

なので、今年の夏は、リオ五輪を中心に、家と仲良くして過ごすことにした。

16年8月5日

こないだ来て、朝食を食べていたカノジョにいらんことをべらべらしゃべったから、後で怒られるだろうと思った。
だって、話が通じる人と会うことが少ないんだもん。楽しくなっちゃって。

「大内さんは、自分にコドモができたら漫才とかいっぱい見せて見せて見せまくって、『お笑いサイボーグ』を作るんだ、って言ってましたよ」と、貴重なこぼれ話。こういうの、もっと聞きたいなぁ。

そこで、こちらも、
「小さい時は、『大内家の息子を取り返しのつかない特撮マニアにする会』ってのがあって、ちゃんと会長も副会長もいて、毎月のように遊びに来てはソフビの怪獣をたくさんくれた」

「小学校3年生か4年生の頃に、おばあちゃんと従兄にビデオレターを送ろうと、『はい、何かしゃべって』と言ったら、『ぼくはさいきん、お笑いにはまっています。アンジャッシュが好きです!』と言っていたのに、親はすっかり忘れてた。あれが、彼の原点で、柔道やろうがボーイスカウトやろうが、心の奥にはもうお笑いが棲んでいたいたんだねぇ」
などと、お返しの情報を伝える。

ソファに寝転んでいた息子が、
「なんか意味あるわけ?時間のムダなんだけど」と言うので、しゅんとしちゃった私を見て、カノジョが、
「大内さん、そういう突き放したこと言っちゃダメですよ」と叱ると、
「自分だったら、って考えてみて」とあいかわらず無表情なので、
「も〜、この人、いっつもこうなんですよ。人に、自分で考えろ、って態度」ととりなしてくれた。
なんと良い娘さんであろうか。

それでも息子がシャワー浴びてる間にカノジョと少し話したら、
「でも、そういうところもあの人の素晴らしいところなんですよね!」と言われ、あいかわらず後ろにひっくり返りそうになりながら、
「素晴らしいの?あれが?」と問うと、
「いえ、いつもはもっと口数が多くて、よく笑い、よく話につきあってくれるんです。頭もいいし、コントいっぱい書いてて、本当に素晴らしい人です!」と力説していた。

そのあと私は書斎に引っこんでいたのだが、息子がのそっと入ってきて、
「4千円貸して」と言うので、お金を渡しながら、
「気をつけて行ってらっしゃい」と言ったら、彼は、両腕を広げて私に一歩近づいて、しっかりハグしてくれた。
唐突だったのでよく覚えてないが、途中で、「元気でね」と言っても、「うん」とうなずいてからさらに力を込めてギュッと。
長く、力強いハグだった。

「じゃあ、行ってくる」と少し笑って部屋を出て行った彼に、すべてが信じられない!
いったい、何が起こったの?

何もなかったかのようにカノジョと出かけてしまった彼だが、あのハグは何だったんだろう?
朝ごはんまで作ってもらったのに、冷たくし過ぎた、と思ったから?
カノジョに叱られたから?

いずれにしても、嬉しいものだった。
とても幸せな気分になった。
この気持ちを、魂に直接書き込めればいいのに!
それができないから、私はいつまでも不幸なんだろう。

16年8月6日

ひざを診てもらいに、病院へ行く。
今日は「クルン・サイアム」に行く時間との兼ね合いで、いつもは診察開始時間に行っていたところを、30分以上遅れてみた。
でも、今日も、かなりすいていた。
実際、20分ぐらいで呼ばれたし。
お盆休みを控えて混む、というのを予想してたんだが。

いつものドクターが、
「はいはい、足はどうかな?水は溜まってないね。少しは痛まなくなった?それはいい。体重を落として筋肉をつけるしかないから、頑張って毎日体操してね」とひざをあちこち押しながら話してくれる。
「注射、どうする?」と聞かれて、一応、続ける目安の5回目なので、お願いする。

これで、来週はお盆休みだし、ドクターも、
「2週間に1回ぐらい注射して、シップ出してあげるから、そんな感じで来てみて」と言っているし。
実際、注射の効力なのか、ささやかに続けているトレーニングがいいのか、ひざはあんまり痛くない。
痛い時のための強力なシップももうずいぶんたまったし。
何でもたくさんあると安心な私。

ひざに注射を打つと、感染症がこわいので、その日はお風呂も入らないし、濡らさないようにすること、と言われるので、大内くんとスポーツジムに行って汗かいてトレーニング、ってわけに行かない。
「でも、通院が2週に1回でいいなら、2週間に1度、病院のない日にジムに行こうよ。水中ウォーキングもマシンも、ゆっくりたくさんやって、それでサウナやお風呂も楽しんで、モトを取ろうよ」
この人は、発想がだんだん私に似てきたな。

病院を出たのが思いのほか早く、まだ10時半。
あと1時間どこかで時間をつぶさないといけない。
「JTBの案内場に行って、海外旅行のパンフ見ながら相談しているふりをして、涼もうよ」と私が言うと、
「それだ!なんていいアイディアなんだ!椅子もたくさんあるし、実際僕はパンフ見たいよ。『ふりしてる』なんて言わずに、本当に2人で相談しようよ!」と言って、JTBへ。

カウンタ席は順番待ちが激しいようで、離れたテーブルに座ってる我々のことは誰も気に留めない。
大内くんはこの機会にトルコへ行くツアーを考えたいらしい。

しかし、もう団体旅行はしたくないよ。
案内がいると安心は安心だけど、いらないものを作るのを見学の上、売りつけられる「免税店」とか、強行軍なバスの旅とか、何より、食事がまずい、と前回イタリアで思い知ったからなぁ。

「先にトルコ行く?」と聞いたら、飛び上がって、
「いや!まずはローマでしょう。ローマに1週間。『ローマです。何と言ってもローマです!』映画、よかったなぁ。また見てから行こうね」
まったく、「ローマの休日」は名作だね。

しかし、ローマに行く予定は再来年だ。
あと1年5カ月を切ったところ。先は長い。
旅行社がぐっと値下げしてくる(つまり誰も行かない)1月を予定している。
やっぱり、お正月過ぎてから旅行に行く人は少ないよね。
普通、お正月過ぎたら働くもんだ。

なので、大内くんも2年越し計画というか、来年のお正月はもう仕事も入り始めていて難しいので、再来年に何とか調整してみてくれると言う。
「1週間ローマフリープラン」、安い時は1人14万、高い時は42万。
いくら仕事が忙しいからって、この料金体系を無視できるとは思えない。

で、時間までJTBにいて、あいかわらず「前より激しく行列ができるようになった店」クルン・サイアムで、あいかわらずの「パッ・タイ」。
どうしても飽きることができない。
大内くんも、辛い「トムヤム・ヌードル」と「カオソーイ」の間を行ったり来たりしているだけで、変化に乏しい。
もしかしたら1年ぐらい通い続けてるんじゃないかと思うんだが。
「新規開拓」の気持ちなんかかけらもわかない。
我々と「クルン・サイアム」の蜜月は、いつまで続くのだろうか。

16年8月8日

夜中にカノジョを連れて帰って来た息子。
快調に泊まりに来るなぁ。3、4日に1日ぐらいだろうか。
もう、完全に慣れてしまい、3日も顔を見ないと、「別れちゃったのかねぇ」と言い暮らしている今日この頃。
毎回、使った布団をしまっていくところがポイント高いぞ。

幸い、「豚汁」と「切り干し大根」を作ったばっかりなので、翌朝(というか、昼過ぎ)起きてきた2人にごはんを食べさせることができた。嬉しい。

大内くんが電話でご挨拶した「お父さん」はなんと65歳で、カノジョは彼が43歳の時に生まれた一人娘と判明。 
そんな「掌中の珠」をお預かりしていいもんだろうか?
大内くんは、
「いつでも土下座する覚悟はできているが、息子本人にも責任を痛感してもらいたい」と言っている。

彼女自身はおしゃべりをするのが好きだそうで、朝ごはんを出した時などは私とよく話をしてくれる。
息子も、むっつり黙って箸を動かしながら、この「女たちの饗宴」に異議ははさまない。
勝手に食べ終わって、食器をカウンタまで下げると、1人で冷凍庫からアイス出してきてソファに寝っころがって食べたりしてるので、カノジョと、そっと笑っている。

Tシャツにブリーフ一丁という格好は何とかならんだろうか。
「パンツですよね」とカノジョは笑う。笑いごとじゃない気がする。
多少前を隠しながらも、全裸でシャワーから戻ってくるし。
カノジョの前で、というより、彼女がそこにいる状態での親の手前、もうちょっと穏やかにならない?

「外ではあんなに話す、サービス精神の高い大内さんが、おうちでは全く傍若無人にふるまって、一言もしゃべらないんですね。驚きました」と彼女はいつも言う。
私も、息子のお母さんではなく友達になって、話をしてみたかったなぁ。
近頃の若い人は30歳ぐらいまで思春期らしいので、長生きすれば息子のおしゃべりが聞けるかもしれない。

来週、大内くんのお盆休みに、カノジョを交えてゆっくり中華料理でも食べて来ようと思ってる。
まだ、一緒に食事したことはない気がするので。
例によって息子はぶすっとしてるだろうが、カノジョが叱ってくれることを期待する。
というか、カレシの家に連れてこられて、両親との間を取り持ってもらうでもなく、カレシは親と口をきかない、って、カノジョ的には相当いたたまれない気分にならないだろうか。
まあ、それだけ外では愛想よくふるまってて、そっちが「地」だと思われてるのかも。

食事中、iPhoneで何かガンガン鳴らしてたら、対面に座ったカノジョが、すっと手を伸ばしてスイッチを切ってしまった。
「この女(ひと)は使える!」と思った。
これからも、息子の悪い点はカノジョに叩き直してもらおう!

16年8月10日

息子のカノジョが遊びに来ている時に、「大内さんは、とっても読書家ですよね」と言われた。
まあ、確かに最近でこそ少し読むようになったが、ハタチになるまでは活字の本は教科書とか参考書、それにたまに子供向けのラノベを読む、という雰囲気だったので、今の、この評価にはかなり驚いた。

私自身が「自称:文学少女」で、高校生の頃は1日に5冊以上の本を読んでいたのが自慢だったうえ、コムツカシイ本を読むのが大好きな大内くんとの間の子供であるので、息子には大いに期待していたのだ。
しかし、環境がDNAを上回るのか、DNAも時々休眠して子孫に継がれていくせいか、息子にはマンガ以外の読書はまったく期待できない、と我々が同意したのは、そう最近のことじゃない。
もちろん我々は本を読むのは楽しいことだと思っているが、楽しいことはそれだけではないので、息子がゲームやマンガに時間を投入していても、さほど気にしてはいなかった。

大学に入ってから数年、時々小説らしきものを読んでるなぁ、ホラーか。何にしろ、活字を読む習慣がつくのはいいなぁ、と思っていたら、喫茶店でコーヒーを飲んでいる、という珍しいシチュエーションのもと、ちょっと驚く告白を受けた。
「マンガとか映画とかの、サブカルにずっと触れさせてきてくれたのは、とても感謝している」
特に意図はしなかったが、どちらも家にふんだんにあるものだから、彼の興味は邪魔しないよう努めては来た。
それが、今回、カノジョの言によれば、「本をたくさん読ませてくれたことに感謝している」という一文がつけ加えられているようだ。

私の人格は、彼に大変低い評価をつけられており、中でも「面白くない」という点が大きいらしいのだが、それでもなんとか親ヅラをしていられるのは、読書家だと思われているからだ。
「しかし、あんたもよく本読んでるね。それでどうして話がもっと面白くならないんだろう?」と首をかしげられる。
今やほとんどマンガばかり読んでいることはけっこうナイショの話だ。

そして、本人からラインが来る。
「この本、買っておいて。ユリシーズ、プルーストの失われた時を求めて、中央公論社の世界の歴史、カズオイシグロ」

まず、自分で買えよ、と思いつつ、こういう本の得意な大内くんに回しておいたら、
「プルーストは長すぎる。図書館で読むべし」とか、
「世界史は古いのと新しいのがあって、データはある。いずれも買うには多い
」「ジョイスとイシグロは買ってよし(ただし、ジョイスはワケワカンナイので、日本語より英語で読めというけどね)」と、さすがな回答がすぐにきた。

で、私はというと、大急ぎでカズオ・イシグロの「私を離さないで」を読み、今、「日の名残り」にとりかかったところ。「何でも読んでるお母さん」像を崩したくない一心。
「日の名残り」は、映画で見るのが一番なんだがな。

コドモが本を読まなくても困る、急に読み始めても困る、ハルキストになられるのも困る、私は困ってばっかりだ。
本を全部自炊したことについて、データでは読めないと言う彼についてカノジョが言うには、「大内さん、『本は、惜しかったな』と言ってました」。

うーん、彼が、「親の本棚」に興味を示すまで自炊は待つべきだったか?
だとしたら、これは我が家の史上最大のすれ違いだ。悲しい。
しかし、待っていたら、今持ってる本の半分以下の量しか持ててないわけで、それも困る。
決して自炊を後悔はしていなくて、よい選択をしたと思っているが、こういう瞬間だけは、ちょっと揺れる。

まあ、本棚は自分で作るもんだ。
データで読めないなら古本屋で本を買うべし。
そして増え続け、積み上がり、ホコリの元になってから相談においで。自炊してあげる。
こっちが生きてる間に頼むよ。

16年8月11日

昨日、また突然、「カノジョくる」とラインをよこした息子に、我々は、
「オリンピックの男子体操個人総合をリアルタイムで見たいから、9時頃に寝て、午前3時に起きる。それでもよければどうぞ」と返信して、寝てしまった。
私が眠れないでいる間に2人がやってきたのが10時半。この人たちにしては早い。いつもは夜中過ぎるんだが。
「ごゆっくり」と言って寝室に引き上げ、眠ろうと努力したが、結局3時に目覚ましが鳴るまでほとんど眠れなかった。

普段から早起きして仕事をする習性の大内くんにとっては「2時間ほど早い目覚め」であっただけで、かなりハイテンションにテレビに夢中。
私は、ソファで時々居眠りしていた。
でも、最後に内村が鉄棒でいい演技をし、それでも最後のウクライナの選手に及ばず、2位か、と思って見ていたら、ウクライナの演技も素晴らしかったにもかかわらず、意外と低い点に留まり、内村の金が決定した、というところを生で見た。
感激した。

「あそこで逆転できるとはね。国内試合だったら、『内村ジャッジか?』と疑うところだよ」
「ウクライナの選手も良かったのにね。でも、男子体操は本当に凄い結果を出したね」
と言いながら、6時頃、また寝た。

私が次に起きた時は9時過ぎで、大内くんは起きて仕事をしていた。
若い方々はぐっすりかな、と思ったら、大内くんによれば、
「息子はついさっき、『用事があるから出かける。カノジョをよろしく』って手でゴメンして出かけて行ったよ」と言う。
閉ざされたドアの向こうで、カノジョは1人で眠っているのか。
恋人を置き去りにする息子の神経もスゴイが、カレシの実家で眠り続けるカノジョもなんだかスゴイ。

12時頃に「おはようございま〜す」と起きてきたカノジョに食事を出し、大内くんと2人で取り囲むようにして話しかけてしまう。
カノジョは気苦労だろうが、これも冷たい恋人を持った運命とあきらめてもらおう。

幸いカノジョは、
「私、こうやっておしゃべりするの、大好きなんです!大内さんの話をいろいろ聞けますし」と言って、食後も、ずっと話し相手になってくれた。
途中、大内くんは仕事をしに少し抜けたが、たっぷり2時間は我々につきあってくれたカノジョである。

意外なのが、息子の両親評。
「大内さんは、ご両親のこと、『大尊敬している』ってよく言ってますよ。ただの尊敬じゃないですよ。『大尊敬』です」
信じられない思いで私が、
「それは、お父さんのことでしょう?」と聞くと、
「いえ、ご両親ですよ。お母さんも大尊敬ですよ」と強く言ってくれるカノジョ。

実は、私は息子に評価されてるという自信がまったくない。
尊敬もされてないし、好かれてもいない、といつも思っている。
この自己評価の低さは、私の対人関係全般に大きな影を落としているのだが、自分でもどうしようもないのだ。
まして、息子からは、10年近くにわたる長い反抗期に、
「死ね!クソブタ」「うるせー、黙れ!」という激しい罵倒を投げつけられてきた。
20歳を過ぎてやっと、
「オレも昔は荒れてたからなぁ」と言い、日常に「ごめん」「ありがとう」という平和な言葉が戻ってきたが、私のトラウマは容易には消えない。

今、カノジョと楽しそうに話しているのを見るにつけ、
「私にこんなふうに話してくれるのはいつのことだろう。今の若い人は30過ぎまで思春期が続くって言うから、それぐらいだろうか」
「自分に子供でもできたら、私への態度ももっと優しくなるだろうか」
と思えてならない。

大内くんが、
「そろそろ解放してあげないと。僕らの相手をずっとさせてたら、気を使って気の毒だよ」と言ったのをきっかけに、「おじゃましました!」とカノジョは帰って行った。
ICUのチャペルで息子と結婚してくれたらなぁ、とか、つい思ってしまう。
ママ友たちは、
「息子なんて、どうせお嫁さんに盗られちゃうのよ」と言うが、私は自分に大内くんがいるせいか、息子にも早く「この世で一番大切な人」ができてほしいと思う。
彼が私に優しくなる一番の早道はそれだと確信しているし。

玄関で靴を履きながら、
「大内さんは、『会社に行くようになっても、お金もないし、家に居ようかな』って言ってましたよ」とカノジョが言うので、
「え、それなら、あなたと暮らすとか、そういう選択もあるのに」と思わず言ってしまった。
「いや〜、それはまだちょっと」と笑い、「お世話になりました!」とドアを出て行ったが、あり得ないのかなぁ。
さてさて、若い恋人たちはどうなるのだろう。

16年8月12日

「980円で読み放題」のKindle Unlimitedに入会してみた。最初の30日は無料。
読みたい本を探すのにひと手間だし、3作セットのうち、2作目は「Unlimited」に入ってない、という商売はいかがなものか。
それでも、マンガとかけっこういろいろあって、「1度に何人が読んでもOKfだし、減らない」という電子書籍の良さを生かした斬新なやり方かもしれないし、これをきっかけに電子書籍が広まってくれれば、と思う。

佐藤秀峰の「特攻の島」全8巻を読む。モトは取れたかもしれない。
母の死を嘆く特攻隊員の姿に涙し、ふと息子にラインを打ってみた。
「悲しいマンガ読んでたら、泣けて、気弱になっちゃった。あなたは、母さんのこと、好きかなぁ?」
しばらくしたら返事が来た。
「そうなんじゃないの?」
やや冷たいので、
「ありがとう。もうひと声!」と打つと、
息子「いやだよ」。
私「どうして?」
息子「めんどくさい」
私「そう言わずに」
息子「普通だよ、普通」
私「普通、ってことは、大好きってことだね?」
息子「大好きだよ。言わずもがな」
私「ありがとー!」
息子「ごめん」
私「どうして?」

最後の質問には、答えが来なかった。既読スルー。
たぶん、「素直になれなくてごめん」的な意味合いなんだろうな、と勝手に解釈し、
「聞くのが野暮だったね。ごめんごめん」と打っておいた。
すでに終わっていたラリーはそれで完全におしまい。
いったい、いつの間に「言わずもがな」なんて日本語を覚えたのだろうか?

時々、こういう言葉をくれる。年に1、2回だが。
むしろ、無言でハグしてくれる回数の方が多いかな。
日本人にもハグの習慣は広まりつつあるのか?
柔道で鍛えたあと、だいぶ脂肪がついてしまったとは言え、たくましい息子のハグはほっとする。
この腕で、自分自身の家族をハグし、守って行ってほしい、と心から願う。

16年8月13日

大内くんのお盆休み第1弾の、初日。
とりあえず5連休を取って、月末にまた4連休を取ってくれると言う。
その最初の1日、ということだ。

でも、何にも予定を立てていない。
2人とも、去年忙しかった影響から完全には抜けきっていなくて疲れているし、何しろ夏は暑いもんだし、歳になると暑さもこたえるので、ひたすら涼しい家でのんびりしようと。
おりしも時はオリンピック。
肉体の祭典をテレビで眺めつつ、老化し始めた自分と向き合う。

これがいけないんだよね。
2人ともまだ50代だし、今は人が当たり前に80歳過ぎまで生きる時代なんだから、もっとしゃんとしないと。
オリンピック見放題もついてくる。
朝から晩まで若者の活躍を見つめ・・・ああ、いかん、やっぱり老け込みそうだ。

16年8月14日

「バットマン vs. スーパーマン ジャスティスの誕生」を観た。
くわしくはいずれシネマ日記だが、25年ぐらい前、まだ私が翻訳者への夢を抱いていた頃、バットマンの日本語抜粋版を出版することになり、下訳の仕事が回ってきた。
映画の脚本とかゲームのノベライズとか、いろんな仕事が来ていた、私の夢の時代だったかも知れない。

何が言いたかったかと言うと、バットマン(&ロビン)は、かなり古い時期に既にスーパーマンとタッグを組んでる。
初期の話はどれも単純だから、読んで面白い、と言うほどではないが、スーパーヒーローの孤独を垣間見る、なかなか味のある作品であった。

その後、ペーパーバックの下訳を2冊やったが、重度の障害児である唯生が生まれ、心労と実際の療育の大変さで、私のキャリアは途絶えた。
元SFマガジンの編集長にも弟子にとってもらった格好になり、素晴らしいスタートが切れた、と思った矢先の事故だった。
もっと頑張れる人ならやれることはあったんだろうが、最初の2年ぐらいは、唯生のことしか考えられなかった。
少しでも良い訓練を、少しでも能力が発言するように、そればかりを考えて暮らしていた。

2年半後に息子がまったく問題ない健康優良児として生まれた時、大内くんは、唯生の介護を1年してみたい、と言って、導入されたばかりの「介護休暇」を取得した。
1年間、無給。戻った後のポストも保障されない。
大内くんは、男女を問わず会社での取得第一号だった。

それから1年、大内くんは産後の肥立ちが悪い私に変わって唯生と息子を車に積み込んで、毎朝、30分ほどのドライブをして唯生の療育施設「キラキラ星園」に通った。
クーファンに入った新生児の息子も、手の空いた先生たちや事務長さんの部屋で可愛がられ、お昼近くなると「ほぎゃあ」とだけ泣いて、あとは解凍母乳が出て来るまで文句を言わない、理想的な赤ん坊だった。

脳性まひの子供に手足の動かし方を覚えさせるため、大人4人がかりで歌に合わせて四肢を動かす「パタニング」、時間がある時は「息子さんにもやってあげましょう!」と、3ヶ月ぐらいになっていた息子の手足を、みんなで動かしてくれた。
息子が8ヶ月でつかまり立ちをし、10カ月で歩いた、という早い発達には、この「パタニング」が大きく影響をしているのではないかと思う。

あいにく、唯生の方には目立った効果が現れなかったが、音楽を聴くと笑うこと、赤ちゃんの泣き声に反応して表情が変わること、これらすべてが、訓練の賜物だと思う。

だから大内家では、「あの1年間」を家族4人で過ごした「人生の夏休み」だと思い、様々な思い出を大切にしているが、「出世が遅れる」「クビになる」という不安は一切持たなかった。
もしそういう心配をしたとしても、やはり、あの黄金の時間には代えられなかっただろう。

私は「男女雇用機会均等法」前年の入社であるため、また、7年間と言う短い勤務しかしてこなかったことで、女性にどのくらいの恩恵が与えられているのか、実感としてわからない。
健康を損ねて退職したが、そうでなくとも唯生が生まれた時には辞めるしかなかったろう。

時代は変わる。
そんな中でも、大内くんの愛の勇気には、本当に感謝している。
これから、もっと子供を育てやすい、病児でも夜更けでも預かってくれる施設ができること、を祈っている。
そして、私が25年以上子どもを育ててこられたのは、社会の福祉も大変な手助けになったが、一番身近な、「共同製造担当者」が惜しまぬ苦労をしてくれたこと、それに尽きると思う。
大内くん、ありがとう。

16年8月15日

「終戦記念日」
多くの日本人に大きな意味のある日。
ノンポリの私でも黙とうぐらいはする。

テレビの時計が12時を刻むと同時に、市役所のスピーカーが鳴り始めた。
ふと、自分の部屋にいる息子の方を見たら、ベッドに寝転がっていたところを、起き上がって黙とうをしている様子だ。

これまで、柔道の試合会場などでよく行われてきたせいもあると思うが、「黙とうのできる息子」に育って、本当に良かった。
テレビのチャンネルをぱっと変えてしまったり、ゲーム機を手放さない人間に育っていたら、いったいどうしていただろう。
さまざまな欠点を持った息子だが、これだけは良かった。

大内くんは、
「してる現場を、何度か見たことがあるよ。いいことだね」と言っていたが、私は、この時間を息子と共有するのは初めてだ。
何度も言うが、本当に良かったと思う。
これができていれば、後のことは何とかなる、と真剣に考える。

私たちが「倫理観」と呼んでいる、宗教に近い何か。
日本人は明確な宗教を持っている人が少ないけど、かわりに、「畏れ」の気持ちを持っていると思う。
今回、息子の中にその芽がしっかり根を張っているのを感じ、嬉しかった。

ここまで育ててきて、もうちょっとで社会に出すことになるだろう息子。
大内くん曰く、
「子供は、社会からの預かり物だと思うよ。預かって育てて、その喜びを感じさせてもらって、でも、ちゃんと社会に返さないといけない。私物化して自分の物だなんて思っちゃいけない。僕らの仕事もそろそろ終わりだよ」。

私もそう思う。
単位が足りなくてもう1年留年するってことも充分あり得るんだが、少なくとも彼はもう社会に出るつもりになっているし、私も寂しくてもガマンして、家を出ると言われる心の準備をしている。
その上で、親としてだけではなく、人生の先輩として、また、かなり無条件で彼の味方をしてあげられる存在でありたい。
もちろん、ベストな伴走者は恋人なり奥さんなり、同年輩の「誰か」であることは言うまでもない。
その人に、もうめぐり合ったか、まだこれからか、興味は尽きない。

16年8月16日

夜中にビシソワーズ作ってたら、息子がカノジョ連れて帰って来た。
「オレら、2時ごろ帰るってメールしたよな。なんで今、わざわざ作ってんの?」とスゴまれたので、
「遅くなる、とは受け取ってるけど、2時なんて聞いてないよ」
「ホントかよ(自分のスマホ見て)、ちぇっ」
自分が間違ってただけじゃん。
リビングで2人きりでいたいのはわかるけどさぁ。

でも、カノジョと2人で折り重なるようにして映画を観てるのを見ると、
「最近の親は、こういうのをガマンしないといけないんだよなぁ」と思う。

悪いことをしているとは思わないが、もう少し遠慮してもいいと思う。
オープンな親をやってるつもりでも、ここはアメリカじゃないし、やっぱり自分たちの育った環境を思うと、
「ちょっとオープンすぎない?」と思うことはある。
そう、大したガマンを必要とするわけではないが、せめて、最低限の礼儀として、家人が夜中に台所でビシソワーズを作るぐらいは認めてくれてもいいと思う。

翌朝、彼らが寝てる間に大内くんとパン買ってきて、ブランチを整えてやろう。
ビシソワーズもあることだし。
12時になって、まだドアが開かないので、一応ノックして、「もう昼だよ」と声をかけた。
息子が不機嫌そうにのっそりと現れ、「なんだよ」と言うので、「いくら何でもそろそろ起きなさい」と言ったら、何とか起きるつもりになったらしい。
カノジョも後ろから現れ、「おはようございます!」今日も元気だ。

食卓で向かい合わせに座っている2人の両側に大内くんとそれぞれ坐って、カノジョに話しかけていたら、息子は猛烈に不機嫌に朝食を平らげ、勝手にソファの方に離脱してしまった。
「また逃げてますね」とカノジョは笑いながら言うが、それほど話をしたくないなら、そもそも連れてこないとか、自分の部屋にこもってるとか、そういう「正常なやり方」はいくらでもあると思う。

息子に関する大きな謎は、そこだ。

彼は、干渉されたいのかされたくないのか。
どこからどこまでを自分のプライベート・ゾーンと思っているのか。
親と話したいのか話したくないのか。
カノジョを我々と交わらせたいのか交わらせたくないのか。

彼は、矛盾のカタマリだ。
ラインで可愛く送ってくる、「照れてるだけだから」なんて一文ですますには、事が大きくなりすぎてる気がする時がある。
複雑な子供心、っつったってもう22歳だよ?
親心の方がよっぽど複雑だ。

16年8月18日

5連休だった大内くんの夏休み第1弾終了。
もう1回、月末に4連休を取ってくれると言う。
今朝、元気に出勤しました。

暑いので、毎晩散歩に出る以外、何にもしなかった。
ひたすら眠ったり、オリンピックを見たり、本を読んだりして過ごした。
お休み最終日の昨日は、再び始まる翌日からの仕事に備えて10時半頃の早寝をしたが、朝、起きたら、カノジョが来ていた。

ラインで「カノジョくる」と短い連絡があった時は、もう我々は寝ていたんだよね。
玄関の、小さなサンダルを見て、
「あ、来てるんだ。しかし、実にしょっちゅう来るねぇ。もう、うちの子みたいなもんだねぇ」と、珍しく朝寝をして7時頃に大内くんを起こした時、言ったら、
「カノジョのお父さんは怒ってないだろうか。だいたい、息子は向こうの家に挨拶に行かなくていいのか」と、少し悩んでいた。

大内くんは出勤し、私がもうひと眠りしていたら、「パチン、パチン」という音で目が覚めた。
リビングで、爪を切っている息子の姿があった。時はまさに正午。
「もう起きるの?カレー食べる?」
「食べる」
「カノジョは?」
「まだ寝てる」

昨日大鍋に作ったカレーを一部小鍋に移して温めていたら、息子がやってきて、
「カノジョ、起きた。カレー食うって」と短い伝言。
カレーを足して、さらに温める。

「おはようございます!」といつも元気なカノジョが起きて来て、息子と差し向かいでカレーとビシソワーズを食べていた。
私と、ほとんど言葉を交わさない息子を見て、カノジョはどう思っているのかな。
まあ、とりあえず昨日カレー作っといてよかった。
たんと食べて、今日の活動にいそしんでください。
暑くはないが、台風が近くて豪雨の恐れありだ。気をつけて。

16年8月19日

おととしの秋、イタリアに行った。
その思い出が忘れられない。
どの街も、素晴らしい芸術にあふれていた。

1年半後に、もう1度、一番好きになったローマに1週間滞在したいと思っている。
そんな気持ちの元になっている当時の日記を改めてアップした。
HP表紙の「イタリア旅日記」か,、下記からお入りください。
行くまでのドタバタ、その後の雑感等、まとめてみたので、どうぞ、読んでみてください。


16年8月20日

保育園「くじら組」のママ友たちと「暑気払いの会」。
年に2回、忘年会とこの夏の会を続けている。
当たり前だが、コドモたちがみんな同い年なので、話はコドモで盛り上がる。

9月に三鷹駅北口の施設でやる、息子の「コントユニット旗揚げ公演」のチラシを、5人のお母さんたちに配ってみた。
「うわー、こんなことしてるんだ〜!」と声が上がる中、対面に坐ったけいすけくんママは、
「DVD、観たわよ。面白かった!」と言ってくれた。
一昨年の「合同ライブ」を彼らが販売してくれたのでたくさん入手し、去年、配ったので、全員観ていてもおかしくないのだが、感想を述べてくれたのは彼女だけであった。ありがとう、けいすけママ。

女性陣2人はもう働いているが、男性軍4人になると、去年、卒業・就職をした、というけいすけくんが一番華々しい。
院に行っているりょうたはしかたないとしても、留年・浪人で出遅れている男子は、うちの息子を含めて頑張ってほしい。

男子の「カノジョいない率」は高く、その点だけは息子は少しエライ。
ただ、りょうたを末っ子に3人の息子を育てたりょうた母によれば、
「そんなの、すぐ別れちゃうわよ。3、4人つきあって、初めて『結婚しようかな』って思うもんなのよ!」とのこと。
ありがたく聞いておく。

飲み放題コースなので、みんな、ガンガン飲む。
飲めない私ですら「梅酒ジンジャー」というあやしいチューハイを3杯も飲んだ。
ただ、このお店は発泡酒しかおいてないそうで、「とりあえず、生!」というわけにはいかなかった。
それでも果敢に飲む母たちではあったが。

もう、何年彼女らと飲んでいるだろう。
コドモが小さい頃は保育園や学校で顔を合わせることは多くても、飲みに行くつきあいには発展しなかったなぁ。
もちろん、親しいお母さんたちは都合をやりくりして飲んでたかもしれないが、私の側にそれほどの「人づき合い力」がなかった。
それでも、もう10年以上は続いてるな。

昔は1次会、2次会(たいていカラオケ)は当たり前で、3次会は真夜中のジョナサンでお茶を飲む、というコースだった。
カラオケのカウンタやジョナサンの駐輪場で、他のママ友と出くわしたこともよくある。
夜中。それは、日頃の雑務から解放されたママたちのつかの間のやすらぎの時間であったことだなぁ。

今はもうさすがに1次会が限界の私は大内くんと一緒にバスで帰り、当然のように2次会に繰り出す他のママたちのテンションに感嘆する。

「『しゅうママ』がさ、『こないだ、大内さんちの息子さん、けいすけくんとうちの子、誘いにきたみたいよ。一緒にガストでごはん食べた、ってうちのが言ってた』って話してくれたじゃない?嬉しかったな」
「そうだね。幼なじみがいて、今でも気が向くとつきあえる、ってのはいいよね。彼は、ここまでの人生が全部つながってるんだよね。だから、いろんな友達と自由に会ってるね」
「『父さんと母さんは引っ越していて、地元、がないから、キミにはそれを作ってあげたかった』って言ったら、『それ!それはすごく嬉しかった!』って、珍しく大声出してたじゃない。良かったなぁ、って僕も思ったよ」

帰ってみたら、下の駐輪場に彼の自転車があるので、
「あれ?もう帰ってるのかな?まだ9時半だけど」と言いながら家に入ったら、誰もいなかった。
大内くんが、
「そうだ、今日は深夜練習の日なんだ!」と言異ながら寝て、起きたら、明け方近く、「寝るために帰る。カノジョも一緒」とラインが入っていたが、そんなもん、誰がいつ見るんだ!
朝、起きたら布団をしまってあるクロゼットの扉が開いていて、玄関にカノジョの小さなサンダルがあったので、事の次第を知る我々。

夜中は、壁が鏡張りになったスタジオが安く借りられるらしい。
8人のコントユニットで、稽古してるんだ。
カノジョも、美術スタッフだからいてもおかしくないんだけど、どうも我々は引っ掛かりを感じてしまう。
オノ・ヨーコが「5人目のビートルズ」と呼ばれ、解散の原因になった、という故事を思い出すと、カノジョもヘタすると「9人目のメンバー」と呼ばれ、亀裂が入るのかな、と。
「僕もちょっとだけそう思うけど、ま、仕方ないじゃない。それでうまく行かなくなっても、それも青春だよ」と大内くん。

12時頃起きてきた息子には簡単に朝ごはんを食べさせ、15分ほどして出てきたカノジョには、息子が、
「食ってる時間、ないから」と断ろうとするところを、スープだけでも、と大内くん作の「何でも入り」みたいなスープを出す。
「『シェフの気まぐれスープ』だけど」と言ったら、彼女は笑いながら、それでも息子が食べ終わるまでには飲み切るという決意でスープを飲んでいた。
2人とも、食べ終わるやいなや、「ごちそうさま!」と自分の使った食器をカウンタまで下げ、本当に凄い勢いで飛び出して行った。
待ち合わせの時間があるんだね。

どの子も、みんな青春の洗礼を受ける。
何かが、耐えがたく思えることもあるかもしれない。
そんな時、生まれた時から彼を知っている人間として、そっと寄り添うことができれば、と思っている。

16年8月21日

この夏は、用事がある時以外は決して昼間は外を歩かないようにしよう、と決めたせいか、身体が少し楽だ。
午前中、買い物に行って1週間分の買い物を済ませ(牛乳だけで8本!)、いったん帰って、夜の男子マラソンにそなえてちょっとだけ寝ようかと思ったが、何も1時や2時まで観ようってんじゃない。ゴールインは11時半ぐらいだろう。
なので、起きて、大内くんは仕事、私は後ろの小さな安楽椅子で本を読み、時々話しながら過ごした。

夕方4時半に、半年前に買ったアクアの点検・整備のため、トヨタさんへ行く。
何だか意を決してしまって、私が運転した。
前のノアの時、最後2年ぐらい全然ハンドルを握らなくなって、アクアに替えてからは、もしかして公道を走るのは初めてかもしれない。
昔は「かっとび娘」と言われたぐらい運転が好きで、うまかったのだが、この10年ぐらい、全面的に大内くんにお願いしている。

慣れてない、のもあるが、やはり何と言っても事故が怖い。
慣れ、の方は、料理しているのと似たようなもので、大内くんがキッチンであれこれやっているのを見ると、
「あー、私、もうお料理は無理だよ」と思ってしまうんだけど、まな板と材料を目前にすれば、身体が覚えている限りには作れる。
運転も同じ。
あんなにおっかなかったハンドルが、握ったとたんに、
「うん、さすがにアクアは小回りが利くなぁ」という感想に変わる。
あいかわらず駐車はドヘタだけどね。

あと、アクアのせいなのか、私にブレーキを踏み込む癖がついたのか、ブレーキがやたらによくかかる。
「踏み込み過ぎかなぁ?」と助手席の大内くんに聞いたら、
「いや、やっぱり、ノアが重すぎて、ブレーキ踏み込むしかなかったんだよ。エンジンと車体の重さのバランスの問題。すぐに慣れるよ。久しぶりにしちゃ、うまいじゃん。運転してる分には全然困らないよ。息子もうまいけどね。ただ、2人とも車庫入れがあり得ないぐらいおかしい。遺伝?」と大内くんはあきれている。
私の父親は生涯運転免許を取らなかったし、母は、タクシーの運ちゃんのような無茶な運転ばかりするドライバーだった。
父親がもし免許を取っていたら、車庫入れヘタだったかも。

16年8月22日

お誕生日。
「30歳以後、歳をとりませんの。おほほほ」と取り繕っても仕方ない。
50代後半、立派なアラカンである。

家族の誰も覚えててくれないので、しょうがない、とこちらから言ってみる。
「私、今日、誕生日なんだけど」

大内くんの反応は激烈で、
「そうか、しまった。完全に忘れていた!ごめん。本当にごめん!」と、土下座しそうな雰囲気。
「いや、誕生日なんてそんなに祝わなくていいよ」と、なだめるのが大変だった。

息子は、予想通り、「へー、そう」と言ったきり、すたすたと自室に戻って行った。
両者の差異はいったい何だろう?

友達が大勢、フェイスブックでお祝いメッセージをくれた。
夜は大内くんが接待で遅いので、1人で残り物の夕食を食べた。
誕生日っつーのも、50回以上やってるといささか飽きるね。
今、欲しいものは大内くんと遊ぶ時間とお金。
前者はともかくとして、後者の方は、皆さん、気持ちを形で表して下さってもよろしいんですよ。おほほほほ。

16年8月23日

半年ぐらい前に「J:COMさん」が訪ねて来て、テレビの契約をして行った。
もちろんそんなにスムーズに事は運ばず、
「今ご加入いただきますと、お得なんです。スカパーの無料チャンネルが、たったの〇○円(忘れた)でご覧いただけるんです!」と勢いよく言われ、「お得」と言うフレーズに弱い私が、
「そんなにチャンネルあっても、観ないよ。今、地上波だけでも持て余してるじゃない」との大内くんの説得も聞かず、
「いや、時代劇チャンネルの『御家人斬九郎』だけは観たい」
「じゃあ、時代劇チャンネルだけ契約すればいいじゃない」
「たくさん観られたら、嬉しいの!」と無茶を言った。
私の無茶が何でも通る楽園、それが我が家です。

というわけで、結果的には今までのテレビ契約より高い契約をしてしまった。
「あとから〇○円戻ってくるので、お得です」
「今日までのご加入には〇○のサービスがついてきます」
私は、とことんこういうやつに弱いんだよなぁ。
きっと、老後はテレビショッピングばかり見て、鍋とかヘンな健康グッズとか買うんだろうなぁ。(買った過去あり)

「『今日まで』とか『今すぐ』って言ってくる契約は怪しいんだよ。まあ、せっかく入ったんだから、たくさん観てね」と言う優しい大内くんでした。

その後、やっぱり全チャンネルなんて観られるわけない、という当たり前のことに気づいた私が、更新月である8月に、チャンネル数をぐっと落としておいた。
でも、まだ「御家人斬九郎」観られるよ。

そしたら、土曜日にJ:COMさんから人が来た。
大内くんが玄関先で話を聞いてくれたのだが、終わってよくよく聞いてみたら、
「どうしても、BS料金も払わないといけないらしい。このタイミングで来るのが狡猾だね」と言っていた。

そうなの、普段なら、「そんなこと言ったって、、絶対観ませんから!」と何とか断る態勢になるところ、今、オリンピック中なんだよね。
やたらにBSにはお世話になってしまったのよ。

「一番断りにくいタイミングで来るね」と大内くんと嘆きあう。
向こうも、今日あたりまでに全戸回ってしまわなきゃ、って焦ってるだろうな。
そして、やはりテレビは全然観ないで、iPadの小さな画面でhuluの「ハリー・ポッターと死の秘宝」なんて見てるもんだから、大内くんに、
「『ハリー・ポッター』は家にDVD全部買ったでしょ。で、50インチのテレビがあって、なんでiPad観てるの!」と叱られました。くすん。

16年8月24日

駐車場を、平置きから地下ピット式駐車場の2段目に替えた。
入居時「息子に分けてもらったくじ運の強さ」で、80戸ばかりの家の中から「好きなところを3番目に選べる」権利を引き当てたので、出入り口に一番近い、地下ピット式の平置きではない(だって、ものすごく左右の幅が小さいんだもん)、フツーのコンクリ床、上がりも下がりもしないところを選んだ。

「これで、快適だね」と喜んだのもつかの間、12年の間に、私は3回も隣の車の横っ腹にぶつけてしまった。
1回目の人が引っ越したので、「もう、過去は忘れよう!」と思って運転を続けていたら、さらに2回、お隣さんにぶつけた。
大内くんと菓子折り持って行って謝り、保険で直した。
もう1回同じことをした時も、上に同じ。
さすがに「仏の顔も三度まで」と思い、運転自体怖くてできなくなって、もう5年ぐらいたつかなぁ。

そしたら、築12年のマンションの「大規模外壁補修」が行われることになり、平置きの駐車場は資材とかを積んでおくスペースとして、あちこちの空いてる地下駐車場に振り分けられた。
ますます幅が狭いので、私はもう運転はあきらめた。
元の駐車場は、各戸がベランダで育てていた花卉の臨時待避所となり、うーん、人はなぜこんなに植物が好きなのか?とあきれるような、ジャングル的な場所になった。

話は戻るが、3段目はさすがに深いので上げ下ろしに時間がかかってしょうがなかったが、ある日、私が管理人さんにばったり会った時。
「大内さんは、修繕工事が終わったあと、もとの駐車場でよろしいですか?」と聞かれた。
常日頃、大内くんとも駐車場の話はしてたが、交換も可能なのか?

「今乗ってらっしゃるノアだと、車高の関係で3段目しかないんですが、今度お買いになるアクアだったら、2段目に入るんですよ。2段目に替えられる方、けっこう多いですよ」
さすがはマンションの「執事さん」、車庫証明とかいろいろ手続きをしてもらってるので、私より詳しい。
それはいい話かも!と顔には出さずにうきうきして、主婦の必殺技、「主人と相談してみます」と、言っておいた。

帰って来た大内くんに話したら、かなり乗り気。
「2段目だと、上げ下ろしも早いし、3段目と違って台風や大雨の時の冠水でも困らないし、車体が日に当たらないから、長持ちするかもね。それに」と、ため息をつく。
「キミが隣の車にぶつける心配がなくなるよ。柱にぶつかるだけで、自分ちの車が傷つくだけなら、大丈夫だ!」
確かに、それなら大丈夫そう!

こうして、さっそく管理人さんと手続きをして、あとはスペースが空く日を待つだけだ。
さて、私は、左右5センチぐらいしか隙間のないピット式駐車場に、ちゃんと停めることができるだろうか?

16年8月25日

今日は大内くんが1泊の国内出張。
寂しいけど、しっかり留守番しなくては。

とりあえず映画を観ちゃうか、と、「ハリー・ポッターと死の秘宝」を終わりまで。
人が死ぬシーンは反則だよなぁ。
タオルつかんで泣いちゃった。

観終ったので、今度は本でも読むか。
ちまたで噂の(というほどは聞かない)「Kindle Unlimited」を使い始めて半月。
さすがに試し読み30日間無料と言われれば、ひと月分ぐらいは払うのが常識だろうと考え、60日980円のつもりでいるのだが、友人が嘆いていた通り、読みたい本が少ない。
大内くんは、
「本を手元に残しておけないのでは資料的価値がない。図書館で借りてスキャンした方がマシ」と言い切るし。

大体、この人たち、どういうつもりでこの企画をやってるんだろう?
いちいちログインするから手間がかかるし、取った本はなかなかキンドルに配信されない。
電子書籍の宣伝のためだけにでも「読み放題」にお客さんを引っ張ろう、って気持ちが見られなさすぎ。

それでも私は、佐藤秀峰の「特攻の島」全8巻と、里中満智子を30冊ぐらい読んだので、もう元は取れていると思う。
里中満智子のような鉱脈にぶつからんものかと、古いマンガ家をいろいろ探しているんだが、今のところ、収穫なし。
この歳で里中満智子の純愛モノとか読むと、時代を感じますね。

今のうちに読みたい本を、と焦ってるんだけど、何を読みたいのかもわからない。
昨日書いた「J:COMさん」の話もそうだけど、なぜ現代の日本人はこんなにあらゆる方面のメディアから攻め立てられるのか?
観たい時間にテレビの前にちんまりと坐って、番組が始まるのを今か今かと待っていた、あの「一期一会」の精神はどこに行っちゃったんだ?

16年8月26日

今日は快晴。夜もお天気で、無事に出張から帰るといいなぁ。

実は昨夜、ホテル入りした大内くんからの電話を待ってる間に、不覚にも寝入ってしまったらしい。
朝起きて、時計で6時前であることと隣のベッドに大内くんがいないことを確認して、
「んもー、また朝、私に内緒で仕事してる!」と憤慨して書斎のドアを開けたら、「あれ?いない!」。

じゃあ、どこに行ったんだ?と家の中を探してから気づいた。
今日は土曜でも日曜でも祝日でもなく、むしろ大内くんがいないのは当然の、出張中じゃないか!
息子のカノジョが泊まりに来てた気もするけど、玄関を見ても小さなサンダルは見当たらないし、布団を出した形跡もない。
思い切って軽くノックをしてから息子の部屋を開けてみたら、いつもの暑苦しい人が1人で寝ていただけだった。
熟睡中なので、よし!

続いて思い出したのが、大内くんから電話をもらうはずだったこと。
ケータイを見ると、昨夜10時頃に2回電話があって、その下に、
「宿に帰った。起きたら電話してみてね」とだけ打ってあった。
スゴイなぁ。
私だったら、出るまでかけ続けるとか、ホテルのフロントにかけて館内電話で起こしてもらうとか、ありとあらゆる手段を使って、「寝てたでしょっ!」と叫ぶと思う。
ぐっすり眠っている私を起こさないで「おやすみ」と心の中で言ってくれているであろう大内くんに感謝。

そして、今朝の7時15分ごろには「おはよう」とラインが来ていて、私はまだ寝てるんですねぇ。
その10分後に電話が入っていて、出なかったもんだから、少し心配になったらしく、「大丈夫?」とライン。
心配かけながら10時まで寝てて、あわてて電話した。
打ち合わせ中なのか、「ちょっと待ってて」と返事が来て、10分ぐらいしたら電話がかかってきた。

「ごめん。寝ちゃった」
「よく眠れたんだったら、それは良かったよ。今日の夜には帰るから。羽田に9時半ごろだから、うまく行けば11時半ぐらいに会える。よく休んで」
仕事中だろうに、優しいね。

天気もよさそうだし、帰りは迎えに行きたいな。
でも、遅いし、大内くん小さなコロコロのトランク持ってるから歩きづらいだろうな。
まあ、いいや。向こうの空港から電話くれるそうだから、その時に相談しよう。

やっぱ、人間、訓練だねぇ。
この10年ぐらい、1泊の出張はガマンできるようになったし、今年に入って、入社以来初めての3泊4日の出張に行った。
それ自体が、サラリーマンとしては異常なことなのだが、それでも今日まで勤めてこられたのは、大内くんが有能だからだ、と思う。
「他にいい年頃の人がいないからだよ」と本人はいつも言うが、サラリーマンとしてそこそこ出世するのは実力だよ。

私が家で、「そんなんじゃダメじゃん!」とよくお説教をしている、あれが効いている、と彼は言う。
「キミの言うことは毎回正しいから。ああ。こんな有能な人を僕1人の専用に家に持ってるなんて、贅沢だなぁ」と誉めてくれる、そういう優しさと謙虚さがおもてに出てるんだろうと思う。
人を管理する、という能力にはいささか欠けるところがあるので、管理職にはイマイチ向いていない気はするが、よく働く人ではある。
「怠け者だから、早く休みたくって雑に仕事してるだけだよ」
これも謙遜か。
いいダンナさんに当たっちゃったなぁ。
大内くん、ありがとう。無事の帰宅を待ってるよ。

16年8月27日

昨日の晩、「明日からまた4連休のお盆休みを取ったから」と言う出張帰りの大内くんを待っていたら、思いがけないメールが舞い込んできた。
マンガクラブで大内くんの同期だった、今もしっかりつきあいが続いているOくんの奥さんから、
「主人が永眠いたしました。もしもの時は大内さんにご連絡するように、と申し使っておりましたので」という知らせ。

Oくんは、15年ぐらい前に舌癌で手術を受けている。
素人にはわからないが、舌の付け根のあたりをかなり切除したのではないかと思う。
話し方が不明瞭になったことと食事が不自由になったこと以外は、まったく病気を感じさせないはつらつとした筋金入りのカープファンで、その後もニューヨーク、ロンドンといった経済都市で銀行マンとして精力的に働いており、家族と離れての単身赴任の時期も長かった。
9.11の時は一家でニューヨークにいたため、大変だった、と後で語ってくれた。

36年間つきあってきて、次第に、互いに息子が1歳しか違わないこと、同じ大学に行ったことで絆が深くなり、よい友達だった。
奥さんも交えたホームパーティーを催してもらったり、1年早くコドモの高校受験を経験した者として、
「去年と今年ではかなり事情が違ってきたりはするのだが」と前置きしつつ、資料等を全部引き取ってもらってレクチャーを聞いてもらった、というようなこともあった。

再発した、と聞いたのは何年前だったか。
さらに手術を受け、さらに言葉が不明瞭になったが、明るく理知的な性格は変わらなかった。

そして今回、再々発の知らせをもらい、我々としても完治を信じてはいるものの、
「自分たちのためにも、後悔のないつきあいをしよう!」と話し合い、通院治療をしながら会社に通うOくんに、大内くんはメッセンジャーで「野球と政治」の話を議論し始め、「コワイおばさん」の私は、去年渡した息子の合同コントライブのDVDを観てくれたのに感想があまりにつまらない、と詰め寄り、
「今度、もっとちゃんとしたのを送りますよ」と言われていた。

大内くんは2月ほど前に会社帰りの彼と「立ち飲み30分1本勝負」をしてきた、と語っていたが、その後、もう1度誘った時は、
「ちょっと抗ガン治療がうまく行かないので、また落ち着いたらぜひ!奥さんからの宿題も忘れていませんよ」という返事が来たらしい。

最後のメールが4日前。
奥さんによれば、3日前まで会社には行っていたそうだ。
「もう半年ぐらいか、とは思っていましたが、こんなに早いとは」とメールにあった。

これだけのことが頭を駆け巡る間、私はあたふたとケータイを探し、とにかく、九州の空港にいるはずの大内くんに連絡だ。
幸い、飛行機待ちのヒマな時間で、私が、
「あの、あの、えーと」ととっ散らかっているので「どうしたの?」と軽く驚いていたが、
「Oくんが、死んじゃったんだよ!」とやっと言葉になったのを聞いて、「えっ!?」と絶句していた。

「そうか、彼が」と、電話の向こうではかなり泣きじゃくっている様子。
私も一緒に泣いた。
「これまで亡くなった友達との疎遠さを思うと、今度こそずっと伴走しようと思ってたのにね」
「僕が、油断していた。昨日でも一昨日でも、メールしておけばよかった。ああ、人生はなんて後悔だらけなんだ!」とまだ泣いている大内くんは、飛行機の時間になったので帰京し、11時半には我が家の人となった。

もう泣いてないけど、とにかくOくんの信頼にこたえるため、うちが握っているマンガクラブすべての人の連絡先にメールを入れ、月曜にお通夜、火曜に告別式、ということを伝える。
夜中過ぎにやっと作業が終わって、すぐさま驚きのレスが次々と返ってくるのを確認しつつ、寝た。

今日は、半年前から約束していた友達と、柳家喬太郎さんの「みたか勉強会」を見に行くことになっていた。
友人は2人とも、クラブの人なので訃報は届いており、なにやらやるせない落語の時間だった。
そのあと行った蕎麦屋では、Oくんのために乾杯し、おいしいつまみをたくさん食べ、彼のことを話した。

しみじみとした時間を過ごしたあと、それぞれ家に帰り、我が家では喪服を点検するところから始めなければならない。
ここ10年ぐらい、お葬式には縁がなかったからなぁ。
(最後に出たのが、今日、一緒に落語を聴いた友人女性の父君の葬儀だったような気がする。あ、4年前に自分の母親の葬式もあったなぁ)
2着ある喪服はどちらもサイズがきつく、おまけに冬物だ。
口紅ぐらいは必要だろう、と思ったが、10年ほど前に「もう使わない!」と決めてほとんど処分してしまったし、残っているものはカチカチに変質している。

明日、吉祥寺に喪服と口紅を買いに行こう。すべてはそれからだ。
なぜかまた泊まりに来ている息子のカノジョに気を使う余地はない。
ま、どうせ勝手にやってくれているので、いっそ楽だが。

16年8月28日

閉め切ったドアの向こうで熟睡している風情のお若い方々は置いておいて、さっそく朝から雨のぱらつく吉祥寺へ。
まずは東急へ行く。
何軒もあったデパートの、最後の生き残りだ。
クィーン・サイズの店で簡単に3着ほど試着し、そのうちの1着を買った。
夏物は持ってなかったし、必要経費だ。
大内くんからは、
「次に冬のお葬式があったら、今、持ってるやつでなんとかしてもらうよ」と珍しく脅された。やせなきゃ。

1階で、適当な化粧品屋さんに駆け込み、
「普段すっぴんなんですけど、お葬式に使える色のものをひとつ」と注文し、選んでもらったものを言われるなり買った。
そしたらちょうどいい時間になったので、「クルン・サイアム」でいつもの「パッ・タイ」。
もう、一生食べ続けるような気がしてきた。

黒のストッキングや下着など、とにかく日頃フォーマルに縁のない私が必要とする物は多い。
幸い、吉祥寺という街は、その全てのニーズにこたえてくれるのだ。

台風が近づいてきてるので何やら怪しい天気になっている中を、とりあえず家までバスで帰った。
お2人さんは起きてきたようなので、大内くんが適当残り物ごはんを出してくれる。
出かけようとする息子に聞いたら、なんと、彼だけ出かけて、今夜、近所の中華料理屋さんで会食する予定のカノジョは置いて行っちゃうそうだ。
「時間までには帰るから」と息子は言うし、カノジョも、
「大内さんの部屋で、ちょっと作業してますから」と言い、ふーん、いくらしょっちゅう泊まりに来てるとは言うものの、面と向かって話すのは今日の会食が初めて、というような親のいるおうちに、1人で残されても平気なのかぁ。
最近の若い人は、わからん!

で、息子は出かけ、カノジョは息子の部屋にこもり、我々は書斎で本のスキャンをする。
このところあわただしくて、大内くんはスキャンすべき本の山をずいぶんこさえてしまった。

2時間もしたら大内くんは疲れて眠くなったというので、ベッドに行き、私はリビングでボーっとしてたら、カノジョが出てきた。
「作業ははかどった?」「はい!」という明るい返事から話が始まり、気がついたら何だかいろいろ話していた。

「大内さんは、とにかくすごく本を読んでいるし、知識も豊富で、立派な人です。独特のボキャブラリが面白くって。頭のいい人なんですね」
ん?どこの誰の話をしてるんだろう?
「今度のコントライブでも、アイディアを出したり、みんなを引っ張って行ったり、スゴイですよ。だからこその『主宰』なんです」
ああ、やっぱり息子のことかぁ。
我々の知っている息子像とあまりに違うので、ちょっとわかんなくなっちゃった。

オフレコで、2人のつきあい始めの話なんか聞いちゃった。
どのカップルにもドラマあり。
こっちはこっちで、
「私、過去のある人ってダメなんですよね。ヤキモチ焼いちゃうから。大内くんは、そのへんまっさらなので、大丈夫です」と語って、
「え、じゃあ、お父さんって」
「そう、私が初恋の人なの。彼が18の時に会ってお互い一目惚れして、いろいろあったから卒業・結婚まで7年もかかったけど、大内くんにとって唯一の女性が私。死んだら、神さまのところに行って『初恋大賞』をもらうんですって」と調子に乗ってしゃべると、カノジョは両手で口を覆い、
「きゃ〜、甘酸っぱい!こ〜れは、甘酸っぱいですね。たまりません!」と大笑いしていた。

「息子は就職したら、家に残るか、家を出るか、Mちゃん(カノジョ)と一緒に暮らすか、の3択だと思うんだけど」
「う〜ん、ちょっとわからないですね。大内さん、部屋、無茶苦茶にしそうだし。『一度も掃除とかしたことない』って威張ってましたよ」
「そこは、叩き直してやってください。仕事して一緒に暮らすなら、平等ですから。ママ友に『カノジョできた』とか言うと、『じゃあ、カノジョに掃除に来てもらえばいいじゃない?』なんてあっさり言われちゃうけど、私、そういうの絶対に間違ってると思うから」
「あ〜ん、やっぱり先輩だ〜、このジェンダー意識、わかってもらえるなんて、嬉しいです!」とカノジョが言うのは、同じICU出身者だから。

私は別にフェミニストの闘士ではないが、常々、「穴のある人の立場になって考えよ」とは唱えている。
「男の人って、『こいつが』とか『息子が勝手に』とか言うじゃないですか。自分の肉体の一部なんだから、自分の脳みその指令に従って動いてるんだから、責任とれよ!って思います。『穴があるから入れていい』なんて思ってる男どもは、一律並べて切除したいですね」
「お母さん、スゴイ〜!」
いくら何でも楽しく話し過ぎかしらん。ドン引きされて別れる原因になったらどうしよう?

やがて大内くんも起きてきて、何となく過ごしているうちに息子が帰って来た。
「じゃあ、8時の予定だったけど7時からにしてもらおうか」とお店に電話入れたらOKだったので、先発隊として大内くんと2人で出かける。
「Mちゃんといっぱい話しちゃった!」と中身を伝えたら、
「だからICUは怖いんだ。僕、怖くないICUの女性って見たことないよ」とややおびえていた。
うん、Mちゃんはちょっと心してかからなければならない相手かも。
将来、娘になってもらうかもしれないんだし。

徒歩5分でお店に着き、大混雑だけどすぐに席に通されたので、メニューを検討しつつ、息子に「そろそろおいで」とラインを入れる。
10分ぐらいしてふらりと2人が入ってきた。
さて、交際2カ月の新カップル、真面目にお話するのは初めてだね!(さっきまでのやや下世話な話とかはカウントしないで)

息子やMちゃんの希望も入れて6、7品適当に頼んで、最後に麺かごはんで〆よう、と決め、まずは中ジョッキで乾杯!

2人は、9月に3日ほど一緒に奈良に行く旅行を計画しているらしい。
「婚前旅行」なんて言葉が存在した時代もあるなぁ。隔世の感だ。

Mちゃんから見て、息子の欠点は、
「何事も、面白いか面白くないかで判断してしまうこと」なのだそうだ。
それは、息子も常々言っているような気がする。実際そうだし。
彼に「面白くない」箱に放り込まれている私としては、もうちょっとしばしば中身の再検討をし、かつ、「面白くない」からと言って無価値と決めつけないでほしい。

お料理は、「棒棒鶏、トマトのサラダ、夏野菜の炒め物、油淋鶏、ホタテと大根のサラダ、鶏のから揚げ」といささか「鶏率」が高いものの、どれもたいそう美味しい。
家のすぐ近所に、こんな高級そうな店があり、また駅からものすごく遠いのに大繁盛してるのはけっこうなことだ。

息子も普段よりはずっと口が軽く、私としてはこの2人がICUのチャペルで結婚式を挙げ、時折こうして一緒に食事ができたら、なんて妄想が奔馬のように脳内を駆け巡る。
若くてかわいらしい、幸せそうなカップルだ。
「コドモのカノジョやカレシに入れあげても、別れる時は別れちゃうわよ」と先輩ママたちから教訓をいただいているが、自分自身、高校時代から「つきあう人とは必ず結婚する気でつきあってきた」ので、「恋愛」と「結婚」を分けて考えるのが難しいのだ。

ああ!カノジョには、息子の許可なしには私が離婚歴があるとは言えないんだが、最初の結婚はICUのチャペルで、素晴らしく荘厳な式だった、と言いたいなぁ!
「ICUのチャペルは素敵よね」と昼間言ったら、
「ご両親はどちらで式をお挙げになったんですか?」と無邪気に訊き返され、
「中・高・大と駒場に通っていた大内くんが、前を通るたびに『将来はここで結婚式を挙げたいな』と思っていた、『こまばエミナース』という国民年金会館なの」と言わなきゃいけないのはちょっと悲しかった。
でも、カノジョは、
「そんな昔から憧れてたところでお式ができて、よかったですね!」と感激してくれたのでよかったけど。

最後に息子の好きな「鶏とピーマンのあんかけご飯」と「担担麺」を頼んで、4人で分けて食べた。
美味しかった。
どうせ息子は我々と一緒には帰らないだろうから、
「お会計はしておくから、2人は先に帰りなさい」と言って、「ごちそうさまでした!」との声を受け、席を立つ彼らを見送って、ほっとひと息。

「今日も泊まりかね」
「この勢いだと、泊まっていくね。僕、本当にカノジョのお父さんに何て言ったらいいんだろう」と言いながらお会計をする。
1万円ちょっと。思ったより安い。
「お車ですか?」と聞かれたので、
「いえ、家が歩いてすぐそこなんです。今日は、息子がカノジョを連れてきたので、食事でも、と思って」と言うと、
「ああ、さっき並んで出て行かれたお2人ですね!」とニコニコ笑顔を見せてくれた。
美味しかったです。また来ます。

帰り道、前方にコンビニから出てきたと思しき2人の姿を捕捉。
今の若い人たちは自分の飲み物とかは勝手に調達して来て、家の冷蔵庫の中身には手をつけないようだ。
礼儀正しいとも言える。

結局、その晩やはりカノジョは泊まって行き、我々は明日、雑多な用事を片づけたうえで大内くんの皮膚科に行き、帰って喪服に着替えてお通夜に行くという段取りだ。
木曜の夜には、「お盆休みを取ったからゆっくりしよう」とあんなに気楽だったのに、Oくんの急逝がすべてを変えてしまった。
逆に言えばお盆休みだからお通夜も告別式もゆとりを持って出られるのだが。

友人の1人が、
「マンガクラブからもお花を出した方が良くない?」と指摘があったので、大内くんが花屋さんに申し込み、メーリスに流したら、大勢が「お花代、出します」と言ってくれたので、明日会ったら徴収しよう。
お葬式関係だけでも、本当に目が回る。
遺族は、悲しんでるヒマもなく様々なことを片づけてるんだな。
何度も会って親しくお話をした奥さんと、中学生の頃の面影しか知らない1人息子のことを考える。
悲しいだろう。本当に、無念で悲しいだろう。
その悲しみの渦中に、明日は我々も身を投じる。少し、いや、かなり、覚悟がいる。気をしっかり持とう。

16年8月29日

午前中は銀行を回ったり買い物をしたり。
定期預金をしている銀行が商品券をくれたが、昔はちょっとの額を貯金しただけで袋いっぱいのティッシュやサランラップやアルミホイルをもらわなかったっけ?
それで言えば、ガソリンスタンドで満タンにするとティッシュを5箱セットでくれたし、チラシに着いてる引換券を持って行くと傘やタッパーなどをくれた。灰皿に芳香剤のビーズ入れてくれたし。
時代は変わるもんだねぇ。
(20年も前のそのタッパーたちを、我々は今でも使っている)

昼から大内くんのアトピーを診てもらってる皮膚科を受診。
いつもの塗り薬や飲み薬をもらって帰る。

さて、ここからが本番だ。
買ったばかりの喪服に着替え、小さなハンドバッグに口紅とハンカチと替えのストッキングとケータイだけを入れ、他の荷物は大内くんのカバンに入れてもらう。

代々木上原の近くの斎場なので、家からはどう行っても行きにくい。
クラブのみんなと会って飲みに行く可能性が高いので、車で行くわけにもいかない。
結局、タクシーにした。
最近、私がひざが痛いのと大内くんが一生懸命稼いでくれるおかげで、タクシー使用率が上がっている。
今回はもう非常時だから、何があってもいいけど、普段はね。節約節約。

家のすぐ近くにタクシーの給油所があるので、実は簡単につかまえることができる。
今回もすぐに1台つかまえ、斎場へと行ってもらう。
40分ほどで着いた。
記帳の列に並ぶ間にも、友人を何人か見かけた。

小雨の中、辛うじて軒先で行列を作り、お焼香を待つ。
1度に10件ほどの葬儀が行われているようだ。
わりに一部屋ずつは狭く、座ってお焼香を待つことはない。行列になる。
部屋の奥に、Oくんのまだ再発ぐらいの時期だろうか、痩せてはいるが髪も黒々として笑顔でこちらを見ている写真が掲げてあった。
お花もいっぱいあり、中の1つには「東大漫画倶楽部」と正式名称が書かれていた。
手配は間違いなかったようだ。よかった。

だがしかし、私はパンプスというものを甘く見ていたかもしれない。
日頃まったくパンプスを履かず、サンダルと運動靴で通しているので、サイズ的に大丈夫だからといって安心はできない。
待っている間にも、右のかかとの少し上が焼けるように痛む。
ちょうど靴のへりが当たるところだ。
でも、そんなこと言ってる場合じゃない。

祭壇の前にたどり着き、3人ずつがお焼香をする。
大内くんの隣で見よう見まねであちこちにお辞儀をして、お焼香。
でも、喪主席の奥さんとはしっかり目が合った。泣き腫らした目で、小さくうなずいていた。
私もうなずき、もう1度お辞儀をして列を離れた。

大内くんに「足が痛いの」と説明し、化粧室に飛んで行く。
あー、もう、完全に皮がむけて「靴ずれ」になってるよ。
出がけに思いついてバントエイド持って来てよかった。
これがなかったら、もうこのままタクシーで帰るしかなかった。

バンドエイドで手当てし、待っていてくれた大内くんと合流して2階の「お清め場」に上がると、10人以上のクラブの仲間が廊下に集まっていた。
お清め場は狭く、ビールやお寿司が出ている雰囲気ではあるのだが、そこに全員が入れるのはいつになるかわからない。

1人が、ケータイでさくっと検索し、代々木上原の「魚民」はダメだが、13人が何とか入れる居酒屋を予約した、と言うので、みんな、ぞろぞろ移動を始めた。
私は足がいろんな意味で痛むので、あとから大内くんとタクシーで行くことにした。

ところが、タクシーが全然いないのだ。
タクシー呼び出し専用電話もあるのだが、斎場の人が言うにはまったくつながらないらしい。
駅までは大通りもないし、途中でタクシーが拾える見込みもなさそう。

仕方ないので歩き始めたが、駅までの3分の1も行かない間にバンドエイドがずれてかかとの痛みMAX。
住宅街の暗がりだから、ここでストッキング脱いじゃって足の手当てをしたら?と大内くんが提案するが、それはいくらなんでもでしょう。
「おんぶしていこうか?」
「体重が同じくせに、何言ってんの?」
としばし話し合い、結局、大内くんが私のパンプスのヘリにバンドエイドを貼りつけてくれることでとりあえず解決した。
靴を片方脱いで、かがみこんだ大内くんの肩に手をかけて身体を支えている、これって昔よく、「草履の鼻緒が切れた女性を助ける」シーンであったよね。
とてもありがたいので、恋に落ちてしまうのが納得できた。

これでどうにか歩けるようになり、駅前の居酒屋まで。
奥にぎっしりと友人たちが詰まっており、我々の席を作るのにいささか苦労してくれたようだ。
2列の卓を使っていたので、大内くんと背中合わせに、3人の男女と卓を囲む格好になった。
生ジョッキをもらい、あらためてOくんに、乾杯!
つまみはどれも美味しい、ボロいが正統派の居酒屋だった。

不謹慎なほど湿っぽくならず、笑いがあふれていた。
でも、何度か、
「ここに、Oくん、いたらいいのにね」との言葉が出る。
皆が大学1年の時に会って以来のつきあいだ。(私は学外部員の先輩なので、4歳上だが)
彼の54年間の人生の、36年を知っている人々。
いろんな彼の姿が思い出される。

我が家としては、彼が結婚し、コドモが産まれてから、適度に油っ気の抜けた、さわやかな人になって行った気がする。
若い頃は、奥さんも交えて10人ぐらいで貸別荘に行く、なんてこともあったなぁ。
知り合いが全然いない中で、明るく、うちとけた雰囲気をすぐに作れる奥さんは、Oくんにはもったいないのではないか、と思ったりもした。
その奥さんの、あんな泣き腫らした目を見る日が来るとは思わなかった。

誰も言わなかったけど、同年輩から病気で亡くなる人が出る、「俺たちもそろそろ結構な歳だなぁ」という、「終わりの始まり」を感じた。
だんだん、みんな、「あっち側」に行っちゃうんだね。
でも、少なくともOくんはいるんだな、と思うと、「あっち側」が少し怖くなくなる。
これから、こういうことが増えてくるんだろう。
みんなと、いくつぐらいまで飲めるのかなぁ。
私にしては珍しくジョッキを重ねる。
なんか、ここ数日、ずっと飲んでるよ・・・

やがて散会となり、再びタクシーで家に帰る。くたくただ。足は無残なことになってるし。
「もう寝ようね」と言っていたら、息子からライン。
「台風で電車止まっちゃったから、カノジョ、もうひと晩泊まる」
まさかの3連泊。カノジョのお父さん、大丈夫か!?
息子が車で送って行くって選択もあると思うんだが・・・まあ、かまわないので、「いいよ」とレスしたら「ありがとう」って。しおらしいじゃないか。
さすがに3日目ともなると、彼もこちらの機嫌をうかがう気にもなるらしい。
「もう、うちの子になっちゃいなよ!」って思えてきた。

友を失くす日あり、新たな関係者を迎える日あり。
人生はさまざまだ。

16年8月30日 

10時から告別式。
今日は自分ちのアクアで出かけたので、タクシー代はかからない。
昨日と同じ服装で。
結婚10周年の記念に、大内くんから真珠のネックレスをもらったのだが、こういう時に役に立つんだね。
やっぱり、オトナの女性に喪服と真珠のネックレスは必須だね。パールのピアスも買っといてよかった。
あと、問題なのは、数珠を持っていないことだなぁと思う。今後の課題だ。

告別式は、昨日に比べてはるかに規模が小さく、3、40人といったところだろうか。
クラブの後輩が1人、来ていた。昨日は都合が悪かったらしい。
「大内さん、お花代を払いたいんですが」と言うので、
「昨日来た人たちだけで充分まかなえたので、気持ちだけでいいよ」と言っておいた。

椅子に座って読経を聴き、Oくんの写真を見つめる。
「頑張ったね。もういいよ。ゆっくりして」と心の中で語りかける。

近年、どんどん好きになってきている友達の1人だった。
大内くんは、
「僕が好きになる人は、みんな早死にしちゃう」と言う。
私も早死にするのかな。しかも、大内くんの好意の度合いからすると、今、生きているのが不思議なほどだ。

読経が終わって、「花入れの儀式」の準備のためにいったん外に出る。
ロビーの椅子に漫然と座っていたら、思いがけないことにOくんの奥さんに声をかけられた。
いろんな方への挨拶やその他でお忙しいだろうに、と思ったら、泣けてきた。
「主人が、本当にお世話になりました」と赤い目をしたはかなげな奥さんを、ハグしたくてしょうがなかった。
数分ではあるものの、Oくんの思い出などを語ることもできて、告別式に来た甲斐があったなぁ、と思った。

やがて「花入れの儀式」になって皆、中に入り、大内くんも私もお花をもらい、Oくんの横たわる柩の中に入れていく。
死に顔を見て初めて納得がいった感があり、心からのお別れができた。
奥さんが最後まで頬や額に触れ、お別れをしているのを見て、また涙。

ひとつだけ残念なことは、この斎場には火葬場が併設されているらしい。
霊柩車を使わないで、ストレッチャーのようなもので運んでしまう。
私は、最後のお別れに霊柩車が長いクラクションを鳴らすのを聴くのがとても好きなのだ。
心の底から「さようなら」が言える。
ヘンな趣味だし、そうそう期待しちゃいけない類のことなのだが、個人的にはこだわりがある。
「まあ、思い残しがあるぐらいの方が本当だよ」と大内くんがいつも言っているので、良しとしよう。

後輩と別れ、家に帰って、午後は唯生の施設のケース会議がある。
1年に1度、唯生の生活・健康などについてドクターや看護師さん、保育担当の人など、 10人ぐらいが集まって唯生の話をするのだ。
今は、健康状態も良いので、あっさりした会議になることが多い。

喪服から普段着に着替え、ひと休みしてまた出かける。
唯生の施設までは車で30分ほど。
運転手大内くん、今日は大活躍。

施設に着いて、まずは唯生のご機嫌伺い。
元気そうだ。笑顔もよく出る。
ここ数年、やはり体調が良いせいなのか、それとも唯生は唯生なりに成長しているのか、ステキな笑顔をたくさん見せてくれるようになった。

時間になり、ドクターを含むスタッフの方々が集まったので開始。
でも、拍子抜けするぐらい、何にもないの。
それぐらい、今の唯生は健やか。問題なし。

「夕方になって、スタッフが忙しくなる頃に甘え泣きが出ることが多いですよ。寂しいんですね。声をかけたりすると落ち着きますし、むしろ、情緒面が育っているという、良いサインととらえています」と看護師さん。
唯生の精神年齢がどのくらいなのか、私たちにはわからないが、大きな手術の後のこの数年、何か、伸びてきたような気がする。

最後に、いつも書く「緊急時の蘇生に関する書類」に署名する。
心停止などが起こった場合に、どのくらい目いっぱい蘇生の努力をするか、というデリケートな問題だ。
人工呼吸器をつけるとか、今の医学で「生かしておく」方法はいろいろあるのだが、そこまでしてもらいたいか。
唯生が障害者であるから、ではなく、私自身、自分に無理な延命を施してほしくない。
最初の頃は迷っていた大内くんも、ずいぶんいろいろ考えたようで、最終的な延命措置は断る方針になった。
「胃ろう建設の良し悪し」等にも興味を持つ、最近である。

癌と闘った友人を送り、胃ろう、人工肛門をつけて笑う唯生を見る。

そこにはどうしても「大きなもの」への畏怖と、「しかし、負けない」という気持ちが生じる。
友人は、負けなかった。
死に打ち勝って、彼自身がメールの中に書いてきたように、「次のステージに向かった」のだと思う。

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