16年10月2日
私は、「ご近所スキャンダル」とか「本当にあった女の人生ドラマ」「ご近所の悪い噂」などと、タイトルを書くだけでも恥ずかしいようなレディースコミック雑誌を愛読しており、月に10冊近く、近所の本屋さんが配達してくれる。
買い始めた10年前には、1年後には部屋のあちこちに1メートルぐらい積み上げた雑誌の山ができていた。
その後、少しは捨てたが、基本的にマンガが多すぎる生活が続き、大内くんからも、
「いい加減にしないと、捨てるよ」と脅迫されるようになって来た時、光明が見えた。
自炊(本のデータ化)である。
全ての本を裁断・スキャンするのに何カ月かかったか、しかし、思ったよりスムーズに作業は進み、本の山は跡形もなくなった。
それ以来、大内くんに叱られる心配もなく愛読を続けてきたが、このほど、新しい課題にぶつかった。
「費用」である。家計が苦しいのだ。
1冊650円ぐらいするものなので、月に5千円以上使ってしまう。
アマゾンで買う古本などはどうしても欲しいものが多く、あきらめきれないので、思い切ってここに大ナタを振るおう。
好みの作家さんが描いているか等を検討して、似たような傾向のものを4冊やめることにした。
「ご近所サスペンス」「ご近所ミステリー」「別冊ご近所ミステリー」「恐怖の快楽」
別に、殺人事件とか幽霊とかの話じゃなくて、ふつーに不倫とか、結婚を焦る女の話だ。
これを読んでいたおかげで、この10年、新聞を読まなくてもテレビを見なくても社会で起こっていることを知ることができたと思う。
長年、ありがとう。
まだ半分以上残っているので、そっちを大切に読むよ。
これまでより一層楽しめることと思う。
16年10月4日
少女の頃から大好きで、何度読み返したかわからない「赤毛のアン」シリーズ全10巻だが、6巻目、「アンの幸福」の原書のタイトルが「Anne
of Windy Poplars」で、本文中の「柳風荘」と合わないうえ、「Windy
Willows」の方が頭韻を踏んでいて、絶対ステキなのに!と、ずっと不満だった。
ところが、ウィキで引いてみたらあっという間に解決。
英語版は「Windy Willows」で、アメリカ語版は「Windy
Poplars」となっていて、内容も少し異なるらしい。
私が持っていた原書はアメリカ版だったのだ。
さて、内容が違う、と言われると気になるし、「Windy
Poplars」は手元にある。トライすべきか?
いや、「大きな森の小さな家」の原書も手に余るようになっている今の語学力では、おそらく読み切れないだろう。
小さな疑問が解決したことだけを喜んで、原書はデータの山に埋めておこう。
それにしても、少女小説というのはいくつになっても読めるものだ。
SFが読めなくなった今でも、「あしながおじさん」や「若草物語」(あまり知られていないことだが、なんと、第4部まであるのだ!みんな、結婚しちゃうよ)は読める。
少女時代を振り返るのは、不連続時間帯を想像するより簡単だ、ということか。
そのあといろいろググったら、結局、
・イギリス、カナダで発表されたものは「Anne of the Windy Willows」
・アメリカで発表されたものは「Anne of the Windy Poplars」
ということだった。
その理由は、アメリカでは、
・"Willow in the Wind"というよく似たタイトルの小説が既にあった。
・柳は何となく縁起が悪い。「wear the willow」(恋人を弔う)という成句があるぐらい。
・両者の内容が違う、ということにも関係するのだが、アメリカ版ではアンが知り合いから聞く「幽霊譚」がかなりカットされている。
要するに、縁起が悪い話、怖い話はアメリカでは好まれなかったようだ。
まあ、「日本人の知らない日本語」(海野凪子・蛇蔵)第4巻にも出てくるように、イギリスでは、幽霊の出る家、部屋というのが好まれ、住宅雑誌には、日本の「ペット可」「防音」「子供可」みたいなアイコンで、「幽霊の出る部屋」をわざわざ示しており、当然家賃も高いらしい。
ずいぶん昔から抱いていた疑問が、解けてしまった。
嬉しいような、気が抜けたような。
一緒に調べてくれた大内くんに、
「あなたの唱える『サンタクロース=なまはげ同一起源説』だって、誰かがとっくに言ってるかもよ。ググってみたら?」と言ったのだが、頑固に、「いいや、会社を辞めてヒマになったら自分で調べる!」と言い張る。
じゃあ、せめて流れるような筆跡の古文書が読めるように「習字」を習ったら?と薦めているのだが、それにもうなずかない。頑固な人だ。
16年10月5日
大内くんが、1泊2日の韓国出張に行ってしまった。
少しずつ慣れてきているとはいえ、やはり夫の不在は寂しいものだ。
寂しさを紛らわせようというわけでもないが、例によって医者のハシゴ。
駅前の薬局の前に自転車を停めて、診療を受けに行き、薬局に処方箋を出してから電車に乗り、1つとなりの吉祥寺駅にある整形外科医でひざの関節にヒアルロン酸を打ってもらって、痛み止めのシートをもらう。
この整形外科は意外と混んでいないし、先生は面白い顔をしているが親切で、
「はい、また注射打っておいたからね。痛いだろうけど、頑張って体重落として、筋肉つけてね。いいかい?」と独特の物言いをする。
実のところ、この病院に通い始めてから痛みがぐっと減じているのだ。
大内くんが見ていたところでは、「前の病院より、注射が深い」という。
確かに、前の病院では注射したからと言って入浴を控えるように言われたことはないが、こちらの病院では、
「今日は、お風呂やめておいてね。シャワーがかかってもいいように、ビニールのシート貼っておくからね」と、制限がある。
「ひざの関節は、蜂窩織炎とかあって怖いから、感染に注意してるんだよ。やっぱり、奥まで注射針入れてるんだと思うなぁ」と、門前の小僧、大内くんは言う。
都会の思わぬエアポケットのようなすいた病院で注射をし、これまた人けのない薬局で痛み止めをもらい、また電車に乗って三鷹へ。
薬局に行くと、薬が用意されていて、受け取るだけで済む、という、私としては嬉しい美しい全体像を描いている。
大内くんいないから、好きなもの食べちゃおっと、というわけで、スーパーに寄ってピザを2枚買う。
これで、今日と明日のごはんなのだ。
せっかく冷蔵庫に使いかけのタマネギが入っていたので、スライスして上に乗っけて、オーブンで焼く。
1枚513キロカロリー。
今日、朝にクラッカーを食べただけだということを考えると、総摂取カロリーはそれほど多くないだろう。
台風が近づいてきてるので、飛行機が心配だったのだが、7時半ごろ大内くんが羽田から電話してきた。
予定通り飛ぶらしい。
さらに、ソウルのホテルに入った11時頃にライン電話を試みるも、まったくつながらない。
お互いメッセージで、「つながらないね」「どうしてだろうね」「まあ、今日は寝るかな」「じゃあ、明日帰るの待ってる」といった短い会話を交わして、終わり。
私も、大内くんの不在に慣れたもんだなぁ。
息子は、勝手に帰って来て、勝手にゲームして、勝手に寝た。
明日は1限だそうだ。
今期、2単位落とすともう1年留年することまではわかっている。
本人によれば、
「楽勝な授業ばっかり取ったし、再試もあるから、絶対大丈夫」とのことだが、心配性の私は1限のある日だけは起こしてあげよう、と思っているのだ。
「もう3時だよ。4時間半しか寝られないじゃん。早く寝なさい!」とわざわざベッドのところまで行って話しかけたら、彼は図書館で借りた分厚い村上春樹を読んでいる最中で、
「今、本、読んでんだよ」と不機嫌。
それでも「寝なさい!」とちょっと強く言ったら、ふてくされた表情で本にしおり紐を挟み、閉じて、電気を消した。
「もっと読んでたかったんだろうな。面白いとこだったのかもな」と少し不憫に思い、また、私に怒ってるだろうな、とくよくよして自分のベッドに入ったら、トイレに行くのだろう、息子が通りかかって、明るく「じゃあね〜!」と声をかけて行った。
彼がこんなに愛想がいいのは珍しい。
おまけに、トイレの帰りには再び私の部屋をのぞき込むようにして、「おやすみなさ〜い!」と挨拶してった。
珍しすぎる。
思うに、彼としてはやはり今期、単位がフルに取れるかどうかは気になるところで、そういうことで親にも心配をかけている、という思いが無きにしもあらず、という感じ。
母さん、すっかり嬉しくなっちゃったよ。
明日の朝は、気合を入れて起こすからね〜!
16年10月6日
真夜中、とか、何かに絶対的にむいている時間帯がある。
たとえば家計簿をつける。
これは、1週間分ぐらいためてしまうとけっこう小さな地獄が見られるのだが、そのダメージを最低限にとどめるには、真夜中にやるのがいい。
というより、1週間手をつけなかったレシートと格闘しようとするには、他のことがすべて終わっており、朝の活動を迎えるまでに何時間か発生している真空のような時間が適切だ。
他のことでちょっとでも忙しい時はやる気にならんので。
でも、これが、合わないんだなぁ。
たいてい数千円の誤差が出る。
多すぎる時もあるし、少なすぎる時もあるので、ならせば平らだ、と言わんばかりに無視しているので、帳簿上は全然無問題。
「明日から誤差が出ないよう、毎日、きちきちと詰めていくぞー!」と思うのも、
「めんどくさい。明日まとめてやろう」と思うのも、毎日の話。
他に真夜中に向いている作業というと、「大鍋いっぱいのビシソワーズを作る」なんてのもいいですね。
量が多すぎて、普段の食事を作る「ついで」にはとても作れないのだ。
家人が寝静まった深夜3時頃、脚立兼椅子を出して、流しに向かってえんえんとじゃがいもの皮をむく。
頭の中で鳴るBGMはユーミンの「チャイニーズ・スープ」だが、
「椅子に座って 爪を立て さやえんどうの筋をむく」のと「じゃがいもの皮むき」はずいぶん違う作業だ。
昔の、密航者になって発見され、罰として航海中ずっとイモむきをやらされたらやだなぁ、と思う。
逆に夜中に向いていない作業。
それは、何と言っても日記を書くことだ。
筆は乗るので、作業としては進むが、結果、非常にお恥ずかしい内心を吐露したものをお見せすることになる。
ああ、人生に夜中がなかったら、私はあんなことは書かなかっただろうし、あんなことも書かなかったのに!と悶絶する夜は多い。
昨夜は大内くんのいない夜の寂しさも手伝って、センチメンタルなことを書きそうになったので、路線を変更し、この夏最後のビシソワーズを作ることに専念した。
「愛とは何ぞや」「個人としての幸福のみを希求した先に真の幸福はない」とか書くよりも、2つの大型タッパーに収まった7リットルのビシソワーズを見る方がずっと精神衛生に良い。
もうじき1限を取らなければならない息子を起こす使命も待っている。
首尾よく起こせて、彼が出かけたら、私はのんびりと睡眠をむさぼるのであった。
16年10月7日
今日は平日。
でも大内くんは朝寝。
何故そんな幸せな状態かというと、会社の「創立記念日」なんですねぇ。
もっとも、数年前に合併してできたばかりの会社ではあるので、この時期が創立記念日であることはあまり思い出さない。
10月1日に「創立」されたが、社員の福利厚生のため3連休を作ろうと、毎年「10月の第1週の金曜日」が休みになる。
今年は体育の日もあって、4連休というラッキーさだ。
だがしかし。
そうそうのんびりもしていられない。
昨日の夜中、大内くんが1泊の出張から帰るより15分ほど早く、息子が「カノジョくる」とのラインをタテに、傍若無人にやって来たのだ。
そこへトランク引きずって疲れ果てた大内くんの帰宅。
夜中の12時頃、我が家の玄関付近は異様な緊張に包まれていた。
(いや、緊張してるなんて思ってるのは私だけで、息子とカノジョは「素」だし、大内くんは疲れて寝たいだけ)
お先にお風呂をもらって、我々はとにかく寝た。
気持ちよーく寝て、目が覚めたのが9時頃。
と、息子も自分の部屋から出てきてシャワーを浴びている。
「カノジョは?」と聞くと、
「まだ寝てる。昼まで用事はないと思う。オレはオレの用事で、出かける」。
またしてもこの人は、カノジョを置き去りにして自分だけ出かけてしまおうと言うのだ。
昨日作ったビシソワーズをスープボウル1杯飲み終えると、「じゃっ!」と出て行ってしまった。
唖然としつつ、息子の部屋のドアを見る。
この向こうには、今カレシに置き去りにされた女性がすやすやと眠っているのか。
とりあえず我々にできることは何もないので、自分たちのベッドで本を読んで過ごす。
あっという間に時間が過ぎ、3時間経過したが、カノジョの気配はしてこない。
「昼過ぎに用事、って言ってたなぁ。いちおう、起こしてみるか」と、部屋のドアをトントントンと叩く。
ドアの向こうで、「いけないっ!」と声がしたのは、やはり寝過ごしたか?
しばらくして出てきたカノジョは、自分が使った布団をちゃんと押し入れにしまってくれる。
この人の、こういうところが好きだ。ご両親に良い躾をされたに違いない。
「時間ないの?」と聞くと、
「いえ、今日は授業はありませんし、演劇の練習にもまだ間があります」。
「じゃあ、ビシソワーズだけでも飲んで行ってよ」
「いいんですか!嬉しいなぁ。お言葉に甘えます!」と本当に明るくて元気がいい。
私たちはビシソワーズを飲み、書斎から出てきた大内くんはコーヒーを飲み、実はいろんな話をしてしまう、話好きなカノジョである。
息子のことをとっても好きで、「大内さんも、私のこと、同じように思ってくれていると思います」。
ピュアだなぁ。若いって、いいなぁ。
それにしても息子よ、どうしてオオカミの群れの真ん中に羊を放置するような真似をするのか。
いや、我々、そうひどいことはしないけど、やっぱりいろいろ訊いちゃうよ?
カノジョも、訊かれたことにお茶を濁すようないい加減な性格じゃなさそうだよ?
カノジョの将来の展望等、いろいろ聞かせてもらったが、やはりまだ結婚とかは考えられないらしい。
「でも、この人(大内くん)と私が結婚したのも、なんだかんだあって、出会ってから7年以上経った後だったよ。いろんなことがあるけど、結ばれる人は結ばれるよ!ICUのチャペルでの式を見たいなぁ」
「お2人は、ICUのチャペルは考えなかったんですか?」
うっ、それを言われるとつらい。
最初の結婚をそこでしてしまったため、2度目はさすがに同じ神さまの前に出られなかったのだ。(どこでもおんなじ神さまなんだろうけど)
私自身は早い離婚を告白するにやぶさかでないが、息子の許可を取ってからの方がいいだろうなぁ。
そんなこんなで1時間も話してしまっただろうか、お引止めしすぎたことをお詫びしながら玄関へと見送ると、息子の部屋をさして、
「御布団カバー、新しい、可愛いのになってますね。大内さん、『オレは、なんでも親に頼りっぱなしだなぁ』って、頭をかいてましたよ!」と教えてくれた。
そうか、ニトリで勝った可愛い格子柄の布団カバー、気に入ってくれたか。
カノジョがすみからすみまでぴたりとキレイに布団をかけ、自分が息子から寝巻代わりに借りたのだろう、Tシャツと短パンがきちんとたたんで置いてあった。
ああ、お嫁さんに、欲しいなぁ。
でも、こればっかりは本人たちの気持ちと運の問題だから・・・
16年10月8日
先日も書いたが、「3段ピット式の2段目」に駐車場が移った。
まだ自信がないので、運転も車庫入れも全部大内くんにおまかせしてしていて、私は駐車場の機械を動かす係。
よくあんな狭いところにきっちり入れられるなぁ、と毎度思う。
私はというと、「無理無理無理!」って感じ。
「そのうちできるようになるよ。要は慣れだから。空間把握力のある、普通の人はね」
あ、今、軽く殺意がわいた。
でも、2段目は楽。
わりとすぐに上がってくるし、下ろすのも早い。
「この夏は、車を地下に入れられるだけでも助かった。乗ったらいきなりサウナみたいだとか、熱くてハンドルが触れない、ということもない。車の塗装も保護されて、いいんじゃないかな」と大内くん。
うちは10年を目途に車を買い替えてきたので、最長でも70歳になったら免許は返還する、と言っている大内くんはあと18年の間にはもう1台買わなきゃならないんだが、63歳で買い換えるのって、勇気いるなぁ。
いつまで運転できるかわからないし、次に買う車の使用年数が少なくなっちゃうし。
大「いっそ、この車を18年間もたせようか。その意味でも、ピット式2段目で大事にしまっておく、ってアリだと思うよ」
私「もつかな」
大「もたせるんだよ。そもそも70歳前にもう乗らないって決めることもあり得るし」
ま、それが妥当かもね。
年金さえもらっていない身に、新車代は痛いだろう。
そう考えたら、地下に沈んでいくアクアを見るとホッとするようになった。
上がってくる時は当然「サンダーバード」が鳴るし。
これから18年、頼むよ。
16年10月9日
近所のスーパーに買い出しに行くので、蛮勇を奮って運転にトライ。
車庫から、出すのはいいんだ、出すのは。
問題は入れる時。
狭い街中もアクアだと楽、とは言うものの、まだ買ってから2回目の運転なので、慣れない。
昔は毎日のように運転してたけど、最近すっかり大内くんに頼っているからなぁ。
なんとか買い物を終えて、大内くんが降りて荷物を下ろし、3段地下ピット式駐車場の2段目である我が家のスペースを上げてくれるのを車で待ち、「さあ、どうぞ!」のサインを受けてバックで駐車させる。
最終的には何とかなったけど、それは大内くんがつきっきりで、
「もっと思いきり右に回して」
「そこでハンドル戻して」
「どうして今、ハンドルきるの?」
と懇切丁寧に見てくれてたから。
教習所だったら乗って10秒で「検定中止」になるような気がする。
もうちょっと練習しておかないと、大内くんにバカにされっぱなしだ。
16年10月10日
今日の祝日が息子の23歳の誕生日であったため、前日から泊まり込んでいたカノジョと4人で、イタリアン・ファミレスに行く。
ハンドルをまかせたところ、息子の運転はかなりうまくなっていた。
後部座席でカノジョに「運転、怖くない?」と聞いたら、
「コントライブの荷物運びの時にずいぶん一緒でしたから、慣れました。上手だと思います」という感想だった。良いカノジョだ。
お店では、ピッツァ2枚とパスタ3皿を頼み、みんなでぺろりとたいらげた。
カノジョとごはんを一緒に食べるのももう4回目ぐらいか。
だいぶ慣れたけど、息子の機嫌悪そうな顔にはまったく慣れない。
カノジョは全然動じないようで、
「おうちではあんまりしゃべらないんですねー。そういう時のふにゅんとした顔も面白いです」と楽しそうにコメントしていた。年下とは思えない大物ぶりである。
正直、私は「この場はすんごく気まずいんじゃないか」と思って焦っており、皆が無言で食べているような気がしていた。
私の予定では、もっと和気あいあいとした雰囲気になるはずだったのに。
息子が、大内くんに自分のスマホを差し出す。画面を見ろと言っているらしい。
昨日の夜中に私が打った、
「母さん、1回離婚したことあるって、カノジョに言ってもいいかなぁ。父さんは全然OKって言ってるんだけど」という文章を指して、
「これ、かまわねーから。てか、気にする意味ねーから」と大内くんに。
なぜ私に直接言わない?単に、斜め前に坐っているから、トイメンの大内くんに言っただけ?
しかし、許可は出た。
先日、カノジョと「ICUのチャペルはステキよね」という話をしていた時、
「お2人は、どうしてあそこで式を挙げなかったんですか?」と無邪気に訊かれて、最初の結婚式をそこでしたので、2回目はさすがに場所を変えたのだ、とは言えなかったんだよね。
で、私のトイメンにいるカノジョに、
「先日のチャペルの話だけど、実は私、大学卒業して1年ぐらいで1回結婚してるの。その時、ICUで式を挙げたの。こないだは離婚したって言えなくて、ごまかしちゃって、ごめんなさい!」と謝ったら、カノジョはさほどびっくりした様子も見せず、
「そうだったんですか。いえ、私もそういう話は全然大丈夫です。そうかー、あのチャペルで、式挙げたんですね〜!」
「よかったですよぉ。まだ卒業して間がない頃だったから、大学の友人たちも大勢来てくれて、チャペルの中がガラガラで格好がつかない、ってこともなくて。オルガンもお願いして弾いてもらったんです。当時はまだボロかった食堂で、披露宴もしました」
「今は食堂新しくなって見かけはキレイですけど、味は、うーん・・・ただ、披露宴とかする時の実力は凄い、って聞いたことありますよ!」
そこから、大内くんが助け舟を出してくれて、同じ神さまに2度誓うわけにもいかない、とは言うものの、どこの教会でもいる神さまは同じなんじゃないか、とか、日本の神道やお社は、場所ごとにいる神さまが違いますよね、とか話してくれて、小さく盛り上がった。
息子は知らん顔してスマホ見てた。
私が、彼とカノジョがあのチャペルで式を挙げてほしい、食堂での披露宴が見たい、って思ってることは、2人にはバレバレだろうか?!
春から1年休学して就活したり充電したりしたい、というカノジョと、新社会人として働き始める息子には、結婚なんて、まだまだ先の、考えてもみないことなんだろうか?
主観的にはかなりあっという間に食事が終わってしまい、大内くんが「じゃあ、行こうか」と立ちかけるので、大声で、「えっ、ケーキ食べないの?ケーキ!誕生日なんだから、ケーキでしょ!」とさえぎる。
カノジョはにこにこして、「甘いものは別腹って言いますもんね。食べましょう!」。
ナイスフォロー、ありがとう!大内くんよりずっと頼りになるよ。
お茶とケーキでいくぶん雰囲気がほぐれた、と(私だけが)思い、思い切って息子に、「楽しい?」と聞いてみた。
これはこれでものすごい虎児を得んとするトライだが、意外なことに彼は、「うん。楽しい」と言う。
「不機嫌、ってことない?」
「全然。オレは、あんまり不機嫌になんかならない」
カノジョが明るく、
「ウソですよ。時々、不機嫌で、顔のパーツが真ん中に寄ってますもん。『寄ってるよ』って、教えてあげるんです♪」と言う。
何と良い娘であろうか。嫁に来てくれ。
「家にいると、けっこうストレス感じたりしてない?」
「オレは、ストレス感じたことなんかないよ」
えーっ、じゃあ、あの三白眼や、とげとげしい口調は何?天然?
大内くんが、「ママは、空気が読めないから、わからないんだよ」と笑っている。
23歳息子の、カノジョの前で、三人称「ママ」はないだろう。
私はいつも気を使って、人前や、息子とのラインでも、大内くんのことは「父さん」、自分のことは「母さん」と呼んでいるぞ。家族だけでしゃべる時は、「ママ」になっちゃうけど。
どうやら、みんなは楽しく食事をし、しゃべり、私だけが空気を共有していないらしい。
何だかがっくりきて、まあ、息子の機嫌が悪くない、と自分で思っているならいいや、と、重い気分で、いらんケーキまで食ってしまった会計をする。
1万円もしないのが誕生日祝いとしてはショボく感じられ、なんだか息子にもカノジョにも申し訳なく、「ごちそうさま!」と2人から言われ、ますます鬱になる。
マンション下で、自転車で出かける2人を見送り、大内くんと2人きりになったので、とりあえず、「バカバカバカ〜!」と叫んでみる。
「自滅してるね。彼はあんなもんだよ。別に、不機嫌だったわけじゃないんだよ。キミだけにそれが伝わらない、というのは本当に気の毒だと思うよ」と慰められても、「不幸な誕生日」な気分は消えない。
まあ、みんな、おなかがいっぱいになったことだけは確かだと思うので、それで良しとしよう。
しかし、私と息子の関係は、何かが間違っているんだと思う。
たぶん、私のせいなんだろう。
16年10月11日
息子が車を運転している時、「今、○○が自転車で通った」と言う。小・中学校の、友達だ。
助手席の大内くんは、少し目を閉じて、
「んー、うん、そうだ!あの子だ。今、すれ違ったのを思い出した」。
どうやら、視覚記憶を巻き戻したらしい。そんなことができるのか。スゴイ。
私なんか、目の前で見たものだって思い出せないのに。
このように、大内くんと私は記憶能力が全然違う。
大内くんに言わせれば、私は、cpuが優秀なので情報の処理速度は速いが、メモリが絶望的に少ないのだそうだ。
「10ギガぐらい。本が少し入るだけでいっぱい」
小さい時、高熱が1週間ぐらい続いて、医者に「脳をやられるかもしれません」と言われた、あれがいけなかったのか。
「きっとそうだよ。後頭部がぜっぺきだもん。記憶野をやられたんだよ」
ひどい言いようもあったものだ。
しかし、確かに大内くんは見たものを忘れない。
冷蔵庫を開けた時に見た中身が映像記憶になって残るらしく、ずいぶんあとになってから、
「そういえば、プリンがあったね」とか言う。
その時は意識しないのに、あとから思い出すらしい。
まあ、世の中には見たものすべてを覚えている「写真的記憶力」を持ってる人もいるというから、少し記憶力が良ければ大内くんぐらいの小技は見せるものなんだろう。
問題は、私が高校時代に1日5冊の本を読み、当時はいちおう内容を覚えており、大学入試も通っているという事実である。
今では昨日読んだ本も覚えていない。蔵書のすべてが未読の新刊書状態。
いったい私の脳みそに、いつ、何が起こったのか?
そんな大内くんも、最近ではすっかり記憶力が悪くなり、人の名前が出てこないぐらいは当たり前らしい。
「えーと、ほら、あの人、あのドラマに出ていた、腹黒い役の、あのメガネかけた人・・・」とか言って、苦しんでいる。
俳優さんの名前とかやたらに憶えている人だったが、ざまあみろである。
どうも、50歳すぎると人は衰え始めるようで、52歳の大内くんのまわりでは、
「徹夜ができなくなった」
「酒に弱くなった」
「人の名前が思い出せなくなった」
という現象をよく聞く。
前述の「写真的記憶力」を持っている人でも忘れっぽくなったりするのだろうか。
そうだとしたら、本人は一般人以上に不安だろうなぁ。
友達に、メモや手帳を一切持たずに暮らしていた人がいるが、彼なんか、どうしているんだろう。
ちなみに、最初の話に戻って、3歳の時から同じ街で暮らしている息子は、しょっちゅう幼なじみとすれ違っているらしく、全然珍しい話ではないそうで、まったく感動していなかった。
親は、「地域に生きるって、いいなぁ」と勝手に喜んでいるんだけどね。
16年10月13日
私は毎日、息子との関係に悩んでいる。
彼が幸せなのか不幸なのか、確信が持てないし、充分に手をかけてきた自信もない。
親として、彼の上に立つことができる気が、まったくしない。
大内くん曰く、
「子供との関係で、親は負けるに決まってる。良い親はね」。
子供を支配することにためらいを感じない無神経な親以外は、子供に対して自信など感じられるわけがない、と言うのだ。
とりあえず、息子が私を大好きだと心から信じられたら、私の生活は大きく変わると思う。
「子供を愛さない親はいない、のではない。親を愛さない子供こそ、いないのだ」と何かで読んだ言葉がすごく納得がいくような気がするのに、その時、自分の立場は子供で、親の立場に立って、
「そうか、子供に好かれているのか」と思うことができない。
もう20年以上親をやっているのに。
「キミのお母さんは何年も前に亡くなってしまったけど、今でもキミを支配しているんだね。何をしていても、『あなたは子供なんだから』というお母さんの声が、聞こえるんだね」と、大内くんは理解を示してくれるが、あきれたことに、18歳で親元を離れ、もうその倍以上の月日を生き、結婚生活も30年に近くなろうかと言うのに、今でもそんな有様だ。
今、全巻買った「3年B組 金八先生」のDVD、第3シーズンを観ているんだが、中3の息子について、
「私はあの子のことを何から何までわかっています。母親ですもの」と躊躇なく言うカリカチュアライズされた母親を、いっそうらやましいと思うぐらいだ。
息子は特に私や家庭に不満はないと言い、ごはんを作れば「ありがとう。いただきます」と言うし、帰れば「ただいま」、寝る時は「おやすみ」と言う。
あたりまえの風景だ、と人は思うだろう。
でも、こうなったのはここ数年のことで、私にとってはまったくあたりまえではない。
10歳すぎから10年近く続いた反抗期には、良くてまったくの無言、機嫌が悪ければ「死ね!クソブタ!」と罵られ、「うるせー」「黙れ」は日常語だった。
最近では、ラインを通して聞けば、
「母さんのことは好きだよ」と言ってくれるが、日々の生活ではあまり好意を表さない。
そもそも会話もあまりない。
別に無口なわけではなく、友人たちやカノジョには、
「家での様子は普段とまったく違う。いつもはよくしゃべって気が利き、親切なのに、驚き」と言われる。
今の若い人たちは、30歳ぐらいまで思春期が終わらない、と言う心理学者がいるが、オクテな息子は40歳ぐらいまで思春期かも。
まあ、カノジョを始終、家に泊めていること自体、彼が家庭にストレスを感じていない証拠で、家や母親が嫌いなら、そもそも自分自身家を出たがるはずだが、来春の就職に際して、
「カネもかかるし、家から通いたいなぁ」と話していると、屈託のないカノジョから聞いた。
そういうことをまったく客観的に見られない私の精神構造に問題があるのは明らかだ。
こうして、自信のない母親と長い思春期を過ごす息子の間に立って、大内くんは苦労しているだろう。
父親としての彼がいなければ、私はとっくに息子を殺していたかもしれない。
「そう言うキミこそ、精神的に殺された子供だ。『悪い』親は、子供を簡単に殺せる」と言われた。
私は、「良い」親でありたい。
しかし、なんでもそうだが、「普通」をめざすのが一番早道なんだろうなぁ。
16年10月14日
息子が帰ってこない。
いや、普段でも、夜中の2時3時まで近所のガストでノートパソコン広げてネタ書いてるのは聞いてて、
「夜中、遅い時はたいがいそれだから、心配しないで」とまで言われていたので、3時頃まで心配はしていなかったのだ。
しかし、3時を回り、明日も授業が午前中にあることを思うと、いい加減帰って来てもらいたい。
「ちょっと遅いんで、心配だよ」とラインを打つ。
返事がない。既読にもならない。
「どうしたんだろう?」と思いながら、結局、5時になって大内くんが起きても息子は帰らない。
「さすがに心配だね。電話してみよう」と大内くんがライン電話を鳴らしてみたが、日頃から電話にはめったに出ない彼のケータイは空しく呼び出し音が鳴るだけ。
と、電話を切ったら、彼からラインが来た。
「ごめん。カノジョんちに朝までいた」
そうか、いつも泊まりに来る方専門のカノジョだが、今日は泊めてくれたか。
「ということは、同居のお父さんについにご挨拶したのか?!」と多少色めきたって、
「お父さんには会ったの?」と聞くと、「いいや」。
なーんだ、お父さんが何らかの理由でいないもんだから、カノジョんちに泊まったのかぁ。
初めてのことだろうな。珍しい経験ができてよかった、と言ったら相手のお父さんに叱られるだろうか。
というわけで、交際3ヶ月、もっかラブラブの2人だが、さて、どこまで行けるのか。
「恋人=結婚」の主義で通して来た私としては、彼らの将来をすでに期待しちゃって仕方ないのだが、大内くんはもうちょっと冷静で、
「若いんだから、何があるかわかんないよ。いろんな人と出会うだろうし」と言う。
初恋の人と結婚した人のセリフとは思えない。(笑)
目下、私の最大の関心事は、10時40分からの授業に出るため、彼がいったん家に帰るつもりがあるのかどうか。
ある、として、実際帰って来ちゃったら、もう爆睡して絶対起こすのは無理、だと思う。
カノジョんちで9時半ごろまで寝ててくれれば、ないしは徹夜でいてくれれば、そのまま授業に出られる。
来春卒業するためには、あと1単位しか落とせない彼なので、出席は大事なのだ。
もう7時を回った。
今から帰ってくるとは思いにくいが、何をするかわからない人だからなぁ。
16年10月15日
今日は吉祥寺に散歩に行き、とてもおいしい天丼を食べた。
久々にタイ料理の「パッ・タイ」以外のものを食べる休日。1年ぶりぐらいかなぁ。
「行列ができる店」ではあるものの、開店10分前から並んだだけでひと回り目に入れる。
食べ終わって2階から1階への階段にびっちり並んでいる人々を見ると、
「なぜ、もうちょっと早く来て、あまり並ばずに食べる工夫をしないのだろうか?」と、元来並ぶことがキライな私はいつも思ってしまう。
片道きっちり歩くことだけが目標だったので、無理せず、ロフトでバスオイルを買ったのちは魚屋さんをのぞいて掘り出し物がないことを確認し、バスで帰る。
これだけでくたくた。
2人とも、ぐったりと昼寝をする。2時間足らずだが、身体の芯から溶けていくような、深い深い眠りだった。
晩ごはんは軽くすませて、今、楽しみにしている「金八先生」の第3シリーズの続きを見る。
娘と2人暮らしの飲んだくれの前田吟が急死したからと言って、金八先生が授業を自習にして「おくりびと」みたいなことをするのはいかがなものだろうか。
そもそも金八は、もっとすべての物事を児童相談所と分け合うべきだ、と、児相には散々お世話になっている我々は強く思う。
父親が働かず、中3の娘がバイトしてるという状況を知った時点で、児相だろう、と思うのだ。
第6シリーズで1人暮らしになった生徒が父親が隠していた覚せい剤に溺れて行く、という話でも、金八は弁当を届けてるヒマに問題を児相に持ち込むべきだった。
中3の1人暮らしって、あり得ないでしょう。
「金八先生が一生懸命」ということを表現するためだけに、社会の大きな窓口が無視され、世間に知らされないのはまことに遺憾である。
児相の人を無意味に忙しくさせるつもりはないのだが、子供の生活の問題はまず児相だ、と思う。
そんなことを話し合っているうちに、あっという間に寝る時間。
またカノジョ泊まりに来るみたいだけど、もう好きにしてくれていい。慣れた。
16年10月17日
親しい友人が亡くなり、先週の13日が四十九日だったので、ご自宅にお花を送った。
しかし、「花きゅーぴっと」からの報告によれば、ご不在で、届けることができなかったらしい。
「花きゅーぴっと」自体との連絡がなかなか取れなかったこともあり、今日になってやっと、お花が届いたという連絡を先方の奥さんからいただくことができた。
どうやら、納骨と法要のために地元に帰っていたらしい。
連絡しないでお花を送るのは危険。今度から気をつけよう。
今年は25年ぶりにカープが優勝したのに、もうちょっと頑張ればそれが見られたのに、と、大内くん同様、「いつもほんの少し運が悪い」タイプであった友人を思う。
彼は舌がんの手術を受け、再発、2度目の手術、再々発を経て亡くなったのだが、マンガクラブの大内くんの2年ほど後輩に、もう1人、舌がんの手術を受けた人がいる。
もう20年近く前で、舌の半分を失い、今でも「少しピリピリしたノイズを味覚に感じる」と言う彼は、手術後、ワインにのめり込み、10年ほど前の国際的なワイン資格の大会では、1位の成績で資格を取得した。世界一だ。
ソムリエになっていないのは、ひとえに彼が一流企業に勤務しており、「3年以上飲食店に勤めた経歴が必要」という要件を満たすのが難しいからだと想像している。
定年退職したら、ソムリエの資格を取っちゃうんじゃないかなぁ。
実に、舌というものは「量より質」なのだ、と思わせるエピソードである。
そして、たいへん驚いたことに、もう1学年下の部員から、また舌がんが出た。
冒頭の友人のお通夜にも来ていたので、久しぶりに顔を合わせたんだけど、昨日、メーリング・リストに書き込みがあって、
「お通夜の時から違和感はあったが、正式に舌がんの宣告を受けた」のだそうだ。
驚いた。
その後輩自身、驚いているのだと思うが、
「マンクラの舌がん、さすがに多過ぎませんか?部位別統計的な門を見てもその他扱いでマイナーながんだと思うんですが。わたしが把握している限りこれで3人目ではないでしょうか。しかもかなり近い年次で。
あるいは、わたしが知らないだけでみなさんのほとんどが既に別のがんを場合によっては複数回おやりになっていて、従って相対的に相応の件数だというようなこともあるのかなと一瞬思いましたが、それはそれでかえってありそうもない話ですし」
と書いている。
私としては、今のところ、冒頭の友人が「全部持ってちゃってくれてる状態」ではあるし、最初に発病したワイン通はもう20年近く無事でいるし、大丈夫なんじゃないかと思うんだが。ステージ1らしいし。
過去に、まだ誰も亡くなってはいないが2人も舌がんの手術を受けた、と聞いた頃、傍観者の気楽さで、大内くんに、
「舌がんの5年死亡率は30パーセントぐらいらしいから、我々の仲間内で今度舌がんの人が出たら、その人は助からない、という統計になるね」と話したことがあり、1人の死亡者を出した今、3番目にかかった後輩は、助かるという計算になる。
とにかく、私より4歳年下の大内くんたちの年次付近は、ほとんど初めての病没者を出し、いささかうろたえているように感じられる。
「俺たちも、ついにそういう歳になっちまったのか?!」と。
私も、大内くんを通じての社会生活の方が多いので、その年代の気分に巻き込まれてはいるかな。
自分自身、ほっとくと深刻なことになりかねない心臓の病が発見されてもう6年。
年々進歩する医療のおかげで治癒率は上がっているものの、命取りの病気はまだまだ存在する。
それをまぬがれると、今度は「認知症」が待っているわけだし。
友人知人を見渡して、「自殺」が死亡率の1位だった40代までを抜けて、50代は病の世代の始まりだ、と感じる。
ましてアラカンの私は、こまめに病院に行かねばならんのだろうなぁ。
心臓の病院にひと月半に1度通っているが、毎回血液検査と尿検査を受けるため、医療費がかかってかなわないので、先生に、
「2カ月に1度じゃいけませんか?」と聞いたことがあるのだが、やや気色ばんで、
「とんでもないですよ!今でも、間があきすぎなぐらいです!」と言っていた。
病院の金儲け主義と言えばそれまでだが、「何かあった時のために」と携帯の番号まで教えてくれているぐらいだから、私がのんきすぎる面もあるのだろう。
実際、大内くんは、
「横で見ていても苦しそうな時がある。面倒な気持ちはわかるが、病院にはきちんきちんと行ってほしい。医療費のことなんて二の次だ」と言って、6週に1度、土曜日に車で病院に付き添ってくれている。
先生や大内くんの気持ちを無駄にしてはいかん、ということだ。
自分が病気だとはなかなか思えないし、命が惜しいと思ったこともない私だったが、最近、さすがに少し、
「あんまり早死にはしたくないかも」と思う時がある。
でもそれは、残された大内くんがどんなに悲しいか、わかる気がするからなんだよね。
短命な家系の私と違って、長生きの家系の大内くんは、私の死後、ヘタをすると何十年も1人で生きなきゃいけないかもしれないのだ。
「手塚治虫の『火の鳥
未来編』で、他に生きているかもしれない人を5千年待っていた主人公のような気分だよ。無理にとは言わないけど、出来るだけ身体を大事にして、長生きして」と言われると、罪悪感でいっぱいになる。
「人はまだ、完全に病に勝つ方法を見つけたことはないのです」とよしながふみの「大奥」で蘭方医が言っている、その時代よりずっとずっと進んだ医療の時代に我々は暮らしているが、現代の医師も、同じセリフを言うだろう。
人生もまた、量より質であり、質を高めながらも量も増やそう、というのが我々の企みである。
次の世代に負担をかけない範囲にしておきたいのだが。
16年10月19日
昨夜の息子は外泊であった。
珍しく、「今日は帰るの?」とラインで訊く前に、「外泊する」と申告してきたので、「連絡ありがとう。ところで、どこに?」と訊いたところ、「カノジョんち」。
2回目なのでそれほどは驚かなかったが、お父さんと2人暮らしのカノジョのとこに、泊まるのか。
前回、お父さんにご挨拶できなかったというか、まだお父さんにお目にかかったことがないようなので、
「お父さんにご挨拶はした?」と訊いたら、「いや」。
「お留守なの?」
「寝てらっしゃる」
妙な敬語が笑える。
今日の昼にいったん帰って来て、授業に行く前に食事をしていたので、
「結局、お父さんには会えたの?」と質問したところ、「いいや」という答え。
「そのうち、ちゃんとご挨拶しなさいよ」とは言っておいたが、彼は「ん」と神妙な顔で答えたきり、ごはんを頬張っていた。
何を考えてるのか、あまり悟らせないポーカーフェイスの彼である。
「カノジョのお父さんからはお電話でご挨拶いただいているので、今度は僕がしなきゃいけない立場かなぁ」と大内くんは悩んでいる。
まあ、それもこれも、息子が直接ご挨拶してからの話だろう。
「男性側が、女性側の父親に挨拶、って、ちょっと特別なシチュエーションになってしまうし(「お嬢さんをください!」ってやつね)、うちの父は恥ずかしがり屋なので、特にご挨拶いただかなくて大丈夫です」とカノジョは言うが、何しろ、一つ屋根の下に泊まってるんだよ。しかも、娘の部屋に、男性が寝てるんだよ。
無視できない状況だと思うが・・・
いったい、どうするのがファイナルアンサー?
16年10月20日
昨日、私が愛用しているiPad Air2が不調になった。
ロック時間が設定どおりにいかず、いつも5分に設定しているのに、1分ほどで切れるようになってしまったのだ。
どうも、iOS10にアップデートしたのがいけなかったようだ。
1週間ほど、避けていたんだけど、あんまりいつも「アップデートしますか?」と訊かれ、「後で」ってボタンを押さなければならないのに嫌気がさして、実行してしまったのが失敗か。
朝一番にサポートに電話して聞いてみたところ、やはりOSの問題らしい。
即座に新しいOSを作ってバラまいているところなので、みんながいっせいにアクセスしていて接続しにくくなってるけど、おそらくそれで改善するだろうと。
ところが、なんとかアップデートした「iOS
10.0.2」では症状がおさまらず、むしろ、FB画面の文字が英文になってしまうという困ったおまけがついてきた。
結局、「強制再起動」という動作で少なくともFBの英文は直ったが、iPadがまったく反応しなくなるというひと幕もあり、ひやひやしたし、最終的にはロック画面の時間は直らず、まあ、設定時間を長くすれば何とか用は足りるので、次のOSバージョンアップを待ちましょう、という結論になった。
そこに行きつくまで、私は何度サポートに電話し、名前と電話番号、iPadのシリアル番号を告げたかわからない。
データの出口として、パソコンは別とするとiPad1台しか持っていない現状が、不安になった。
まあ、いざとなればパソコンの前に坐ってマンガを読めばいいし、息子の使っているiPad
Retinaもあることだし、とは思うが、寝っころがってマンガを読むのが楽しみな私からすると、ベッドのヘッドボードにつけたスタンドにサイズが合わない息子のRetinaでは困るし、パソコン前に坐るのも肩がこるものだ。
早くiPadの新しいやつ出ないかな。即座に買うのに。
何でも「予備」がないと不安なタチなので、現況に不満である。
ともあれ、結果的にはいつもいつもアップル・サポートには感心しているのだ。
まったくパソコンやiPadのことがわかっていない私を上手に誘導し、問題を解決してくれる。
高い機械を売ってるんだから当然と言えばそれまでだが、常に冷静なプロ意識を感じ、感嘆することが多い。
製品の性能にも、サポートにも、かなり満足している私だ。そういう人ばかりでもないのかしらん?
16年10月21日
今日は、たいへん活動的な日だった。
バスで三鷹駅まで行って美容院に行き、そこから電車でひと駅の吉祥寺の整形外科でひざの関節痛の注射をしてもらい、バスで家まで戻る。
しかも、吉祥寺では「おかしのおかまち」で買い物をした。
1年前からお世話になっている美容院では、いつもの美容師さんが切ってくれて、カットとヘアカラーとシャンプー、トリートメントで1万2千円弱。
うーん、大内くんがバリカンで刈ってくれれば超安上がりな私の頭に、こんなにお金が・・・
お会計の時に、スタンプカードに書き込みをしながら美容師さんが言う。
「大内さん、スゴイですよ!」
何かと思ったら、
「大内さんが最初にいらしたのが、去年の10月21日で、今日も10月21日なんですよ!」。
うーん、偶然というのは恐ろしい。
だが、その初回と今回の間の1年間に、私が2回しか来店していないことの方が恐ろしい気がする。
セミロングならともかく、私はベリーショートなのだ。
それで1年に3、4回しか美容院に行かないってことは、、その間には何度となく、大内くんのお世話になっているということ。
息子の頭の方がよっぽどお金がかかっている。
いや、頭髪に関しては、4200円の床屋に月に1回行っている大内くんが、一番金食い虫かもしれない。
息子だっていまだに時々「ヘアサロン・大内」の世話になってるからなぁ。
うん、やっぱり、大内くんが一番ちゃんとしてるというか、お金かかってるよ。
「定年退職したら、いっぺん坊主になってみたいとか思わない?」という問いに、「いや、特に」と答える大内くんは、ヒゲをはやす計画もないらしい。
「じゃあ、ヒゲは、永久脱毛したら?」と薦めると、
「それが・・・なんだか気が進まないんだよ。やっぱり、去勢された気がするというか・・・生涯にわたってヒゲをはやす予定はないし、はやしたいとも全然思わないんだけど、完全に脱毛するというのも・・・」
ははぁ、そんなもんですか。
毎朝、シェーバーでヒゲをそるのが面倒くさいんじゃないかと心配していたんだが、本人がそれに何らかの意義を見出しているなら、続ければよかろう。私はどうでもいい。
病院では、いつものお医者さんにいつものように励まされ、ヒアルロン酸の注射をしてもらって、痛み止めのシートをもらっておしまい。
「ひざに筋肉をつけるんだよ。いいかい?」
毎回言われるが、何だか、面白い口調なんだよ。
「今日はお風呂は入らないでね。いいかい?」
向こうさんは真剣なんだろうなぁ。
問題はその後だった。
病院を出てすぐのバス停の群れから、ほとんどどれに乗っても家に帰れるというのに、私は何を考えていたのか何も考えていなかったのか、バス停を通り越して駅まで行って、改札通って、もうちょっとで三鷹行きの電車に乗ってしまうところだった。
「家(バス)→三鷹(電車)→吉祥寺(バス)→家」という三角形で帰れるのに、
「家(バス)→三鷹(電車)→吉祥寺(電車)→三鷹(バス)→家」という四角形を描きそうになっていたのだ。
電車に乗る寸前に気づいてよかった。
そうしてすぐ来たバスに乗って家まで10分ほど。
家を出たのが11時半で、帰ったのが4時。私にしては長いお出かけだった。
疲れたから、今日は大内くんをお迎えに行く夜の散歩ができないかもなぁ。注射を打った日は少し足が痛むし。
とりあえず、少し寝て考えよう。
美容師さんが、仕上げにワックスをつけて形を整えてくれながら、
「今日はご主人、遅いんですか?」と訊くから、「たぶん早いです」と答えたら、「じゃあ、見せてあげられますね!」と笑顔になっていた。
「いや、たぶん、会う前に昼寝しちゃうから、ぐしゃぐしゃです」と言ったら笑顔が苦笑に変わっていたよ。
いろいろ個人の事情があるんです。すやすや・・・
16年10月22日
近所の優秀な八百屋に行く。
冬野菜が安くなっていた。
全部、漢字で行くぞ!
ゴロンとした大きな里芋。
直径3センチあろうかという牛蒡。
太くてバリバリしていそうな蓮根。
あとは人参を買って、そうだ、冷蔵庫に冷凍の鶏肉がある。
「がめ煮」を作るしかない。
焼いたり切ったりするには少し小ぶりの茄子は揚げ浸しにちょうどいい大きさ。
南瓜の煮つけも作ろう。
真っ白な蕪は味噌汁に。
ついでに牛乳も安く買えてしまった(1本165円)ので、もうスーパーへ行く理由がなくなってしまう。
大内くんと私の自転車のカゴはいっぱいになり、重さで左右にふらふらと、裏道を通って帰った。
さて、上記の大野菜大会を仕切るのは私ではない。
私がソファに横になっている間に、がめ煮と茄子の揚げ浸し、南瓜の煮つけ、味噌汁、全部大内くんが作ってくれちゃった。
彼は、料理は全く苦にならないという。
「好きだから、やってて楽しいよ。今日みたいに良い材料が手に入ると、もう嬉しくて、『何作ろうかな』ってワクワクする」
息子の小学校からの友達に、おうちが食堂を経営している子がいて、うーん、大内くんはそこんちの子供に生まれたら幸せだったかも。
4リットルのタッパー2つにいっぱいできてしまったがめ煮を見て、本人も、
「これは作り過ぎたかも」とつぶやいていた。
お客さんが来るわけでもないのに、そして、大内くんは今週3日も海外出張に行ってしまうというのに、本当に食べ切れるんだろうか?
と言っていたら、息子から、いつものように「今日、カノジョ来ていい?」という問い合わせがあった。
通達ではなく、問い合わせであるところに、彼の人間的な進歩を見る思いがする。
渡りに船とばかりに、
「煮物作り過ぎちゃったの。晩ごはん、なるべく家で食べて」とお願いしておく。
「はーい」と返事はいいが、2人がやって来たのは夜の12時。あんまり食べてくれなさそうだ。
カノジョと談笑しながらダイニングでノートパソコンを開く彼に、「煮物、食べる?」と訊いたら、「ああ、少しね」という返事。
カノジョに訊いたら元気よく、「はい!いただきます!」。いい返事だ。
2人ともごはんはいらないと言うから、それほど空腹なわけじゃないんだな、と思いながら「がめ煮」と「ナスの揚げ浸し」をそれぞれ器に入れて出す。
息子に食器を洗っておくように言ってはおいたが、なかなか言うこと聞かないんだよね。
でも、今日はカノジョがいるから、
「大内さん、食器洗わなきゃダメですよ!」と叱ってくれるかもしれない。
しかし、皿を洗うどころか、うっかり寝室を出てダイニングに行った大内くんは、
「煮物、もうちょっとちょうだい。あと、ごはん」と追加オーダーを受けてしまったそうだ。
どうしてハンバーグやカレーより、こういうシブい料理が好きなのか。
いつも大内くんと顔を見合わせて、お互い「自分のDNAじゃないっス」と言いたげに首を横に振っている。
「お父さんの煮物」がおいしい家庭。いいじゃないか。
結局皿洗いまでさせられて、ある種の権威はなく寝室に帰ってきた大内くん。
がめ煮いっぱいありがとうね。
あなたが出張してる間、おそらく私はまともなものを食べたいとは思わないだろうから、このタッパー2杯のがめ煮で命をつなぐよ。
きっと、ダイエットになるだろうなぁ、野菜ばっかりこんなに。
しかも繊維質の多い野菜が多い。
今日も家族の健康に寄与してくれて、ありがとう!
(しかし、カノジョんちはお父さんが食品関係のお仕事をしているせいか、「わー、これ、お父さんが作ったんですか!すごーい」というようなありきたりの賛辞は聞けなかった。残念?)
16年10月23日
朝、2人で買い物に出て、戻った時には、玄関からカノジョの小さな靴が消えていた。
しばらくしたら息子も起きて来て、カノジョが使った布団は、床に綺麗にたたまれていた。
いつもは押入れにしまうところまでやってくれるカノジョなので、今朝は自分だけが用事で早く出るので、寝ている息子を起こさないようにそっとしておいたんだと思う。
実際、息子に聞いたら、昨日今日と、ICUの演劇部の公演があって、カノジョと、あと息子が組んでいる8人コントユニットの紅一点が出演するらしい。
彼も、野菜の煮物と味噌汁だけ食べて、忙しそうに出かけて行った。公演見に行くのかな。
そうそう、こないだから2度ほど息子がカノジョんちに泊まって来てるらしいので、大内くんがカノジョに、
「前にお父さんからお電話いただいたけど、今度はこちらからお電話すべきなんじゃないかな?」と訊いたら、
「はい!今度、大内さんがお泊まりに来たら、大内さんからお電話してもらって、(こっちの)お父さんに変わってもらえばいいと思います!」ときっぱりしていた。
それにどうやら本格的に顔合わせをするらしく、
「今度、大内さんとうちの父と私で、食事をすることになりました」って、アレンジは全部カノジョがやってくれてるに違いない。
「てきぱきしている。キミの若いころそっくりだ。やっぱり男の子はお母さんに似た人を好きになるんだね」と寝室で大内くんが言うから、
「そうね。あなたのお母さんと私もよく似てるもんね」と答えたら、何やらベッドに突っ伏して悩んでいた。
「だってそうじゃん。よくしゃべるし、自分の意見は通すし、お父さんがやめてくれないことをいくつも、もう何十年も『やめて』って言い続けてるわけでしょ?そっくりだよ」
「確かにそういうところは・・・でも、お願いだから別にしておいて」
まあ、いじめてるわけじゃないから、そのぐらいにしておくけどね。
ホント、実際、似てなくはないよ。
少なくとも、世の中に「口数の少ない女の人」がいるんだとしたら、私とお義母さんはその人たちとは別の、同じ場所に分けられるよ。
いいじゃん、私は別にマザコン嫌いじゃないよ。
「結婚するまでは母の言いなり。結婚したあとは妻の言いなり」って、ある意味理想のタイプだなぁ。
ちなみに、夕方入ったライン連絡によれば、
「今日もくるかも」である。
だんだん、カノジョが家にいる方が普通の生活になってきた気がする。
16年10月25日
朝の4時頃起きたら、息子がいないのでびっくりした。
無断外泊か。別に珍しくはないけど、最近、泊まってくる場所は限られてるからなぁ。
また、カノジョんちかしらん。
早くお父さんにご挨拶すればいいのに。
ところが、ケータイに入っていたラインによれば、私の予想は外れたらしい。
夜中の3時頃に連絡をよこしていた。
「今日は漫喫泊まります。あと、大変申し訳ないんだけど、もろもろで3万円お金をお借りしたいのです」
で、返事をしたら向こうも起きていたのか、ラリーが始まった。
「3万円、いいけど何に使うの?」
「ゲームを買うのと、お金を人に返させてもらう」
「お金はどうして借りたの?」
「旅行の時に立て替えてもらったり」
「旅行はずいぶん前だし、そのお金は渡したはずだけど」
「長らく借りてた。向こうで足りなくなった分」
「言い出すのが唐突だし、相手は誰なの?」
「同期のスタッフ」
「わかった。お金を長く人に借りているのはだめだよ」
「ごめんなさい」「必ず返します」
「信頼してるよ」「今日、授業は直接行くの?」
「朝帰る」
「授業、出られるの?」
「うん」
「しっかり頼むよ。母さんにあまり手間をかけさせないで、自分で起きてね」
「はーい」「好きだよー」
「え、母さんのこと?」
「そう」
「とっても嬉しいけど、急にどうしたの?」
と、しばらく返事がないと思ったら、玄関のカギを開ける音がした。帰って来たのか。
「おかえり」と玄関まで出迎えると、腕を広げて、ギュッとハグしてくれた。
「好きだよ、って、言いたい気持ちだったの?」と訊いたら、「うん」とうなずいて、またギュッ。
すぐに自分の部屋に行ってベッドに入ってしまった。徹夜かな?
「何時に起こす?」
「9時半」
それを最後に、もう寝息になってしまった。
一部始終を見届けていた大内くんは、
「よかったじゃない。実にいい話だよ。何も聞かないのに、『好きだ』って言ってくれるんだよ。お母さんが、大好きなんだよ」とにこにこしている。
しかし、私はどこまでも勘繰る。
「3万円を貸してくれるお母さん」が好きなんじゃないかなぁ。
スポンサーへの、リップサービスなだけじゃないかなぁ。
大内くんは私の疑り深さにあきれ、
「息子はそんな手の込んだことはしないよ。もっと単純だよ」と言う。
私も、小さい時を別にすれば、初めて彼から自発的に好きだと言われ、これは、本当に私のこと好きなのかもしれない、って思える気がする。
「だから、そこを疑うの、やめてあげなよ。子供はみんな、お母さんが大好きなんだよ。それが自然なんだよ」と言う大内くんを横目でにらんで、
「じゃあ、あなたも自分のお母さんが大好きなんだね?」と訊いたら、がっくりうなだれて、
「自然な場合は、好きになるんだよ。僕んちはもう、不自然だから・・・」。
気を取り直して会社行ったし、息子も10時過ぎに起きて(起こすのに30分かかった。いつもと同じ)、また煮物と味噌汁だけ食べて出かけて行った。
嬉しく、切なく見送る。
そっか、ママが好きか。悪いもんじゃないね。
「好きだよー」って、10歳ぐらいまでは、毎日聞いてたのに、完全に忘れてたよ。
大事なことを、すっかり忘れてた。
だって、その後、10年近く、毎日「死ね!クソブタ!」「うるせー、死ね!」って怒鳴られてたんだよ。
今日が、息子の反抗期の終わりってことにしよう。
思春期はまだ続くだろうけど、反抗期は終わり。
私の長い長い、あてのない旅も終わり。息子も大内くんも、お疲れさんでした!
16年10月26日
今日から2泊3日、大内くんは韓国に出張。
今朝早くから出かけて行った。
うちは吉祥寺までバスで1本だけど、その吉祥寺からは「成田・羽田」それぞれの空港に直通高速バスが出ている。
おかげで大内くんは、家からのバスでグー、吉祥寺からのバスでまたグーと寝て行けるのだ。もちろん帰りも同じルート。
さて、残された私は涙にくれて、目が溶けそう。(嘘。単に昼寝しすぎて目の前がチカチカするだけ)
以前の出張の時に、
「出かけた後、あちこちからポストイットのメモが出て来たりしたら嬉しいもんだよ。『元気でね』とか」
と話したら、あわてていくつか仕込んで行ったようで、冷蔵庫のお茶のポットから「じゃあね」というメモが発見されたりした。
私は今でもその紙をベッドサイドの引き出しに貼って大事にしている。
それを見せて、「最近、こういうことないね」と言ったら、しょぼんとして、
「言われちゃったから、もうダメだねと言うので、
「そんなことないよ。そりゃサプライズの方が点が高いかもしれないけど、ないよりはある方がいいよ」と言っておいたんだが、今朝、出がけに「あ、メモ貼るの忘れた」と言う。まあいいよ。
そしたら、さっき昼寝から起きたら、息子がもう大学に行ったようで、姿がない。
「3限、間に合ったかな。まあいいや」と思ってリビングに行ったら、目の前の高さに小さなメモが。
「元気でね」「鬼越トマホーク」「いつもありがとう」
前にも使った手だが、どうやらラインかなんかで息子に指示を出したらしい。
「ないよりあった方がいい」の極意なので、特に責めない。
むしろ淡々と言われたとおりにやってくれた息子に感謝する。
メモは3カ所の扉に貼ってあった。これからもう1、2枚見つかるかもしれない。
意味不明(調べたらお笑いコンビの名前だった)のものもあるが、「いつもありがとう」は息子の名前と大内くんの名前が連名になっていて、嬉しかった。
今夜、大内くんから電話があったらこの話をしよう。
しかし、全然サプライズじゃないのに喜んでる私が扱いやすい女なのか、それとも人間というのはそんなものなのか。
たぶん後者なので、わかり切った、ネタの割れた仕掛けでも、好きな人にたまになんかしてみよう。
いい線行くかもよ。
少なくとも私は今、大内くん大好き。(息子もね)
16年10月27日
今年のお正月に、ふと電話をかけたことから、中学時代の友人女性と話がつながった。
それほど激しく親しかったわけではないが、父親同士が同じ会社だったことなどもあって、まあ、「家族ぐるみのつきあい」と言えなくもない。
個性豊かな彼女のことはよく覚えていた。
それから2か月間、我々は毎日のようにメールをやり取りし、互いの40数年を語り合った。
名古屋の公務員である彼女が出張で来たのを良い機会として、東京駅で一緒にランチした。
思ったより変わっていないのに驚いた。
向こうは私の外見が変わったので驚いたらしい。(「貴女、パスタとか食べ過ぎると太るわよ!」)
ランチ後、シブい喫茶店があったので行こうと思ってたら、満員。
大内くんの会社の目の前だったので、道をウロウロしながら「喫茶店を探している」というラインに、大内くんが飛び出してきてくれて、あっという間にいいカンジのカフェに案内してくれた。
彼女が名古屋に帰ってからのメールで、
「貴女が困っているとさっそうと現れる、彼が貴女のスーパーマンなんですね!」と書いてきた時はさすがに照れた。
その後も、週1ぐらいのペースでやり取りをしている。
うらやましいことに、彼女は私もよく知っている人やかすかに覚えてる人、数人と、始終ランチ会を開いている。
私の話を出したら、
「まあ、覚えてなくもない。変わった人だった」という反応だったらしい。
そんな女子会を、彼女が私のために企画してくれると言うので、4年前に母が亡くなってから1度も行っておらず、今後も二度と帰らぬ「故郷」になる予定だった名古屋に、すっかり行く気になってしまった。
明日、金曜から2泊3日。
1日目は着いていきなりのお墓参り。
上記の件とはまったく関係ないが、8年前に高校時代からのつきあいだった親友が亡くなり、奥さんのご好意で自宅マンションで仏壇を前にお焼香はさせていただいたが、郷里名古屋のお墓を訪れるのはこれが初めて。
その奥さんも1年後に乳がんで亡くなってしまい、もう東京に親友の暮らしていた跡はない。
高校時代のこれまた親友、T子ちゃんが、
「お盆に自分ちのお墓に行ったから、地図ももらってきたよ!広いから、タクシー使った方がいいかも。お花やお線香は用意しておくから」と、すっかりアレンジを引き受けてくれた。
T子ちゃんも亡くなった親友とはグループ交際で親しかったのだ。
東京側では残り3名のグループ仲間が、大内くんまで入れた飲み会を、毎年彼の命日である10月31日あたりに開催している。
今年は私がお墓参りに行くので、少し遅れて、11月3日(木・祝)に開催する予定。
T子ちゃんも1度は東京に来て、彼らと「M君を偲ぶ会」ができるといいんだが。
お墓参りのあとはT子ちゃんと大内くんとゆっくりお茶を飲んで散会し、6時半には今回のアレンジをすべてお願いした勤め帰りのCちゃんと、フレンチ・ディナー。
近所にホテルを取ったので、翌日はCちゃんのマンションで中学校の友達3人、Cちゃん、私の5人で女子会。
大内くんはホテルでお留守番。
「いつもは何でも一緒に来てもらうんだけど、今回は『女子会』だから!」と失礼なことを言われても、
「うん、寝てるか、本読んだりしてる」。
「そもそも、あなたが名古屋に一緒に来るメリットはほとんどないんだよね。お金もかかるし、私1人で行こうかなぁ」
「何言ってんの?僕は行きたいんだよ。キミと2泊3日の旅行、一緒の新幹線に乗って、一緒の部屋に泊まる。これはもう、旅行だよ。何度か会ったT子ちゃんや、まだゆっくり話したことないCちゃんに会うのが、楽しみだよ」
そこまで覚悟を決めているなら何も言うまい。黙ってついてきてもらおう。
あと3日で名古屋・・・
もう、「帰る」ではなく、「行く」場所になってしまうが、それでもやはり、なつかしい。
では、今夜は出張帰りの大内くんを迎えて、明日の午前中に、新幹線で名古屋に行きます。
40年前に女子中学生だった女性たちが、今、どんな人になってるか、とても楽しみ。
まずは大内くんをお迎えしなくっちゃ。
留守中、息子は毎日「がめ煮」を食べ続けたよ。
今日なんか、カレーなのに「野菜の煮たの、つけて」と言われた。
もう1回分残っているので火を通しておいたが、
「もう、がめ煮、飽きた?」と訊いたら、「いいや。全然大丈夫」という答え。
大内くん、あなたの煮物は愛されてるよ。
それ以上に、なんでこんなに野菜が好きなんだろう?って、不思議でしょうがないんだけど。
16年10月28日
今日から2泊3日で私の郷里、名古屋へ行く。
一時は「もう2度と帰ることはないだろう」と思った、中島みゆきの「異国」のような場所だったが、今年のお正月からメル友になった中学時代の同級生、Cちゃんのおかげで、帰郷が実現した。
(それでもやっぱり、「帰る」よりは「行く」という感覚なんだが)
なにしろ、1日目は別口の高校時代の友達T子ちゃんと親友のお墓参りをしたあとは、勤め帰りのCちゃんとイタリアン・ディナー、翌日はCちゃんのマンションで小・中学校の同窓生たちとの女子会、3日目はCちゃんの愛車で市内の思い出の場所あちこちをめぐってのドライブ、と、Cちゃんの週末を全部奪うような計画なのだ。多忙なバリキャリなのに。
でも、このさいご好意に甘えよう。
わくわくしながら午前中に家を出て、大内くんと一緒に駅弁を買い、新幹線に。
1時間40分に短縮された新幹線にはあまり慣れていないのだが、驚くほど速い。
お弁当食べて、少し話をしてるうちに大内くんが例によって寝てしまったので、iPadでマンガを読んでいたら、2冊読む頃にはもう着いちゃった。
大内くんを起こし、荷物を下ろしてもらって、名古屋駅に降り立つ。
母の葬儀・納骨以来だから、4年ぶりか?
まずは、明日の女子会で酒好きのCちゃんを中心に乾杯するためのおみやげを買う。
ご夫婦ともにワインに造詣の深い、大内くんの同僚のHさんの奥さんに、前もって相談しておいたところ、
「女性のランチ会の手土産ということを考えると、やはり華やかなシャンパーニュがいいかと思います。シャンパーニュは懐が深いので、お料理にも合わせやすいと思います。それにシュワシュワする泡が綺麗だし」と、ヴーヴ・クリコやモエ・エ・シャンパンを薦めていただいた。
「予算が許すならロゼがおすすめです。ピンク色で綺麗ですよ。女子は盛り上がります!」というコメントもついてきて、
「冷えてないものを買うなら、前の日くらいから当日まで冷やしておいてくださいね。辛口がお好きな方なら、ヴーヴ・クリコです」と細かいご配慮。
Cちゃんは酒飲みらしく辛口が好きだと言うので、ヴーヴ・クリコだね。
大内くんが、
「駅を出たデパートに売ってなかったら、どこで買えばいいかなぁ」といらぬ心配をしているので、
「ちゃんと、高級なとこならどこの酒屋さんでもおいているもの、ってリクエストしてあるんだから、大丈夫!」と押し切り、目の前の高島屋の酒屋さんに入って、
「ヴーヴ・クリコのロゼありますか?」と訊いたら、「はい、ございます」。
ほーら、大丈夫だったでしょ?
続いて、お墓参りにつきあってくれるT子ちゃんへのおみやげとして、本家博多以外には名古屋駅と東京の新宿にしかない和菓子の「鈴懸」に行き、イチゴ大福を買おうとする。
我々の今夜のおやつにもしちゃおうっと。
もう11月だし、こないだHPに写真が出てたから、売ってるだろう。
ところが!
イチゴ大福は11月半ばからなんだって!
がっくりしながらT子ちゃんには別の和菓子を買い、自分たちのおやつには目の前にあったとてもおいしそうなバームクーヘンのカットをふた切れ、買った。
2時にロビーで待ち合わせのホテルに着いたのが1時半ごろ。
チェックインは2時からなので、とりあえず必要な荷物だけ持って、リュックやシャンパンは預かってもらう。
2時ちょっと前にT子ちゃんが現れて、「こんにちは〜!」「久しぶりだねぇ―」ときゃいきゃい手を握り合ってはしゃぐ。
前に会ったのは、ほぼ1年前、彼女が東京に用事があってきた時だ。
大内くんと3人で、さっそくタクシーに乗って、すぐそばの霊園に向かう。
大きな立派な霊園で、名古屋でも3本の指に入るだろう。
お盆に自分ちのお墓参りをした時に地図をもらっておいて場所を確認してくれていたT子ちゃんのおかげで、全然迷わないで広い広い墓地の中から、8年前に帰らぬ人となった高校時代の親友、Mくんのおうちのお墓に着いた。
雨の中、T子ちゃんが苦労して用意のお花を切って花活けに入れ、お線香を焚き、お供えのコーヒーを置いてくれて、みんなで手を合わせる。
Mくん、ついに来たよ。ゆっくり眠ってる?
「おー、女史、帰りゃ―たか。久しいなぁ」と言ってくれる姿が浮かぶようだ。
すっかり気がすんだので、待っていてもらったタクシーに乗って、ホテルに戻る。
5時頃まで、T子ちゃんと大内くんと3人でしゃべってた。
あれ、何をしゃべってたんだろう。自分でも思い出せないけど、すごく話が弾んで、楽しかった。
Mくんを交えて図書委員をやり、図書室をたまり場に、毎日遊んでいたこと、今の生活のこと、自分たちの子供のこと、いろいろおしゃべりをしたなぁ。
時間になったので、T子ちゃんにさよならを言い、見送ってから、チェックイン。
今度は、車で20分ほどのレストランで、6時半にCちゃんと待ち合わせだ。
雨のせいもあり、時刻も悪く、タクシーを呼ぶのにちょっと時間がかかったのと、道路の渋滞で、少し遅れそう。
その旨ラインを入れると、6時15分ぐらいにCちゃんが、
「もうお店にいます。ジントニック頼んで飲んでるから、ごゆっくり」と返事があった。
さすが酒飲みだ。食前酒にジントニックか。
5分過ぎぐらいに約束のお店に着くと、Cちゃんが笑顔で手を振る。
「お久しぶり!大内さんも、お疲れのところを大変だったでしょう」と言うのは、昨日まで大内くんが仕事で2泊3日の韓国出張をしていたから。
「いえいえ、Cさんこそ、お仕事帰りに」とか挨拶を交わす、ほぼ初対面のような2人。
3月にCちゃんが東京出張に来た時、大内くんの会社の近くでランチをし、喫茶店を探してさまよっている、と大内くんにラインを入れたら即座に目の前に現れ、いいカンジのカフェに案内してくれて、私が帰る時に一緒に帰るからと迎えに来てくれた彼を、「貴女のスーパーマン。危機に陥ると助けに来てくれるのね!」と散々冷やかして帰った彼女なのだ。
彼女の行きつけだというこじんまりとしたイタリアンで、乾杯のスパークリングのあとはそれぞれグラスワインを頼んで料理を楽しんだ。(私はお冷やだが)
Cちゃんは前菜とお肉、私は前菜(カニのサラダだったかな)と、大好きなプッタネスカがあったのでパスタ、大内くんだけ、前菜とパスタと魚料理と3品も食べた。
Cちゃんは常連さんらしく鷹揚にチーズを頼み、ひと口分けてもらったその白カビのチーズはとてもおいしかった。
もちろん、お料理も全部本格的な味で、おいしかったんだよ。
コーヒーを飲んでいたらCちゃんがお財布を手にレジへ行こうとするもんだから、これあるを予測していた私も、財布を出してレジに突進する。
レジ前で、「私が払うがね」「いーや、私が払うて」とやるのは名古屋名物「おばさんの伝票奪い合い」で、結婚後はよく母とやったものだが、今回のこれは、絶対勝たねばならない。
「あなたたち、わざわざ新幹線に乗って来てるんだから」
「ううん、3月にCちゃんが昇進した時、私、メールに書いたでしょう、『お祝いに、いつかごはんをおごります』って。今がその時」
「えー、ダメよ。せめて、ワリカンに」
「絶対的に、断固として、ダメ。ここは私が払う。そういう約束」
「あー、私、ジントニックまで頼んじゃったのに・・・」
「それでもです。断固として、です」
はぁはぁ、ついに、伝票争いに勝ったぞ。
壮絶な争いの後は、Cちゃんが明日の女子会には来られない大内くんのため、おうちを見せてくれようと、食後酒に誘ってくれたので、地下鉄で15分ほどのCちゃんちへ。
驚くほど片づいた、モデルルームのように華麗なマンションの部屋を見せてもらい、バーボンを2杯ご馳走になって、明日のためにヴーヴ・クリコを預けて(「キャー、嬉しい!」とCちゃん大喜び)、お休みを言って、道順を確認しながら地下鉄の駅へ、そしてホテルへと戻った。
大内くんは韓国から続く暴飲暴食なので、おやつのバームクーヘンは私にまわってきた。嬉しい。
やっぱり、彼がお酒が好きで目の色が変わるように、私はお菓子が大好きだ。フィナンシェとかマドレーヌとかバームクーヘンにはまったく目がない。
ややヘビーな1日を終え、まあ、明日は私は女子会に出るだけだし、大内くんは1日中ホテルで寝ててもいいので、少し楽になるだろう。
40年以上会ってない友人と会う。どんな感じだろう、ドキドキ、とは言うものの、さすがの不眠症の私も、ずるっと眠りに吸い込まれた。ぐー。
16年10月29日
雨もすっかり上がり、上天気で、暑いぐらいだ。
朝はゆっくりのんびり10時ぐらいまで寝て、昨日の残りのバームクーヘンで朝ごはんをすませ、朝風呂に入ったりごろごろしたりしているうちに11時半ごろ。
Cちゃんからラインが入って、良くない知らせだ、と前置きして、
「Mちゃんのダンナさんがぎっくり腰になってしまったので、病院に付き添わなければならず、残念ながらMちゃんは欠席です」とのこと。
それは確かに良くない知らせだ。
今日集まるメンツの中で、Cちゃんをのぞいて一番私がよく覚えていて、同じグループで仲が良かった気がしていて、会いたかったMちゃんが、欠席かぁ。残念だなぁ。
でも、他の2人ともけっこう仲良かったらしいし(私が覚えてないだけ)、女子会はとても楽しみなので、気にしないで行こう。
もしかしたら、Mちゃんのダンナさんが、
「もう医者にも行ったし、午後は1人で大丈夫だから、行っておいで」と優しく出してくれるかもしれないからね。
女子会は12時半からだから、もうちょっとしてから行けばいいんだけど、道に迷うと困るので早めに行こうかなぁと思っていたら、大内くんがCちゃんのマンションまで送って行く、と言う。
地下鉄で2駅だし、道順はちゃんと覚えたから大丈夫、と言っても、信用のない私。
「ベッドメイクを直してもらったりもしたいし、街を歩いてみたいから、外出するよ」と言う大内くんに連れられて、地下鉄に乗って昨日行ったCちゃんのマンションへ。
とちゅうのコンビニで下戸の自分用のお茶を買い、時間をつぶしてつぶして、何とか5分前になった。
人を訪ねる時は、あんまり早めに行くと準備ができてなくてかえって失礼だから、5分遅れぐらいを旨とせよ、とよく言われるけど、どうしても早めになっちゃうせっかちな私たちです。
大内くんと手を振って別れて、Cちゃんの部屋のボタンを押すと、「はーい、どうぞー」と声がしてドアがするすると開く。
自分もオートロックのマンションに住んで10年以上だから慣れたけど、30年ぐらい前に初めてオートロックの先輩の家を訪ねた時は、「どうぞ〜」と言われてもどうしていいかわからずに、いつまでも突っ立っている姿をインタフォン越しに皆が見て笑っていた、なんて目にもあったなぁ。
昨日、緑の上品な上着に緑のガーネットのペンダントと指輪を合わせていたCちゃんを見て、帰り道で大内くんと、
「ああいう人は、Gパンなんかはかないんだろうね。カジュアルな時は、スマートなパンツ姿なんだろうね」と話していたのだが、家で女子会を主催するホステスの彼女は、すっきりした細身のジーンズにふわっとしていながらパリッとした純白のシャツというマニッシュないでたち。
まいりました!
顔も名前もちゃんと記憶にあるKちゃんが来ていた。
「わー、ヤナイ(私の旧姓)だー、久しぶり!なつかしい!覚えてる?」
「うん、覚えてる。私は、わかんなくなっちゃったでしょう、太ったから」
「そんなことないよー、やっぱり、面影があるよー」と盛り上がっている間にも、ケータリングのおつまみが届き、もう1人のゲスト、Rちゃんが現れた。
「きゃー、ヤナイ!私のこと、覚えてる?」
「ごめん!思い出せない!でも、卒業の時、サイン帳に書いてもらったのを発掘した。Cちゃんに聞いたんだけど、私の家に遊びに来てくれたこともあるんだって?」
「そうよぉ。昨日はSホテルに泊まったの?私、あそこでブライダルの仕事してるのよ。チェックアウトはいつ?明日の朝?仕事で行くから、会えるかも!」
と、きゃいきゃいしながら席に着いたら、ホステスのCちゃんが、「ヤナイがくれたシャンパーニュよ!」と言いながら、抜栓。
残念ながらKちゃんとRちゃんはまったく飲めないのだそうで、Cちゃんと私でいただく。
私も下戸だが、1杯や2杯なら飲める。
そこそこ飲むというMちゃんが欠席なのはかえすがえすも残念だ。
だって、中学の友達がお酒飲んでぽおっとなったとこなんて、見たことないんだもの。
色白で可愛かったMちゃんがほろ酔いになったところが見たかった。
(そういう意味では、Cちゃんは強すぎて可愛くないかも・・・)
Cちゃんお手製のパエリアはさすがな出来栄え。人参のサラダも美味しい。
ケータリングしてもらったおつまみは華やかにいろんなものが入っていて、目にも楽しい食卓だ。
私は中学の頃のことって自分のこと以外覚えてなくって、友達の名前も出てこないと思っていたのに、4人で話していると、どんどん記憶が呼び起される。
彼女たちから見た私は、とにかく「変わった人で、よく本を読んでいた」という印象らしい。
激しい反抗期が来ていて、生真面目な元の性格とそこそこの頭の良さがなければ、転落していたかもしれない不良人生だった。
「そんなに不良って、何してたの?」とKちゃんたちに聞かれて、
「学校にはちゃんと行ってたけど、深夜に家を抜け出して友達のとこに行ったりしてたよ」と答えたら、びっくりされた。
「そんなふうには全然見えなかった。変わった人だなぁ、とは思ってたけど、不良なんかじゃなかったよ」と弁護され、ちょっとくすぐったく、嬉しい。
Rちゃんが言うには、運動会のクラスごとの横断幕に、私が真ん中に「VICTORY」と書いたので、とてもカッコいいものができたそうで、
「中学生で、こんな難しい単語知ってて真ん中に書くなんて、センスいい・・・」と感心してくれたそうだ。
でもそれは、マンガの「サインはV!」が実写化されていて、テーマソングの始まり、「V、I、C、T、O、R、Y!サインはV!」を覚えていれば、誰でも書けたのだよ。
萩尾望都の話でも盛り上がったなぁ。
あの頃は、女子は全員「ポーの一族」の連載読んでたんじゃないだろうか。
席をダイニングからリビングに移して、Cちゃんが発掘してきてくれた小・中学校の「卒業写真」でまたきゃいきゃい。
「この男の子、なんて言ったっけ。頭いいけど真面目過ぎて、『こういうヤツがクラス役員になると、クラス会はないぞ』って言われてたけど、実際、1度もないわ」
「私、けっこう親しくしてたよ。本の話とかよくした。Oくん。女子数人でニセのラブレター書いて渡したりしたことある」
「えーっ、ヤナイ、そんなことしてたの?!それでどんな返事来たの?」
「お互い中3と言う大事な時期だから、勉強に専念しよう、みたいな」
「あの子らしい〜。あっ、この子、覚えてる。ゴローちゃん」
「私、この子と交換日記してたよ。ゴローちゃんのお母さんに怒られたんでやめたけど」
どうも私はろくなことをしてない気がする。
小・中の卒業アルバムは、持ってないんだよね。実家にも、もうないと思う。
良いものを見せていただきました。
お互いの家族のことに話は移って、娘さんが急性盲腸になったので東京に飛んで行ったとか、痴呆の進んだお母さんを最後まで看たとか、みんな、一家の主婦だなぁ。
1人者のCちゃんも楽しそうに話を聞いていたし、私は話すほどドラマチックなことはしてないので、やや聞き役に回る。
KちゃんやRちゃんの「嫁人生」にはかなわない。
私が聞き役に回るなんて!歳月は、人間を進化させるものなんだねぇ。
4時間ほどが経って、Kちゃんの持って来た「麩饅頭」やRちゃんの持って来た「ぶどう」で、おなかもいっぱいで少しくたびれたので、家主のCちゃんに頼んでタクシーを呼んでもらった。
Kちゃん、Rちゃんとは、
「また会おうね!絶対に、3年後には来るから、還暦のお祝いをしよう!」と誓い合った。
女子中学生を熟成させると、こんな見事な結実が得られるのか。
話し好きで、世話好きで、働き者で善良な、一家の要である明るく聡明なご婦人たちだ。
こんな人たちの話が聞けて、私も彼女らに何ほどかの者と思ってもらえるなんて、素晴らしい。
無駄に生きてきた人生の1年1年が、急に輝き出し、私を空中へ浮かび上がらせるよう。
何度もさよならを言って、皆と別れてタクシーに乗り、大内くんの待つホテルへ帰った。
大内くんは近くの古本屋で6冊ほど本を買った後、それをしょって、山のてっぺんにあるお寺まで行って、山門や仏像の写真を撮り、2時間のハイキングをしたらしい。
私が戻った時は仕事をしていたが、
「いやぁ、くたびれたよ!」と、こっちはこっちでそれなりに楽しんだ様子。
抱きついて、
「楽しかった、楽しかった!楽しかったよ!本当に楽しかった。女子会って、いいもんだねぇ!」と叫ぶ。
だって、すごく楽しかったんだもん。
Cちゃんが大内くんにと持たせてくれたお饅頭とぶどうをぺろりと食べた大内くんは、さすがに疲れた様子で、早々に寝てしまった。
ウィークディの韓国出張の疲れも出てるみたい。無理させちゃったな。
でも、それをおぎなって余りあるような、豊かな女子会だった。出席して、本当に良かった。
しばらくは興奮で眠れず、脳裏を中学生の私が駆け回っていた。
なんと素晴らしい友人たちと共に過ごした時間であることか。
次は、今日会えなかったMちゃんにも会いたいな。
16年10月30日
名古屋旅行最終日。
今日は、Cちゃんが朝から愛車のトヨタ「サイ」を出してくれて、小学校や高校、昔、私がすんでいた住宅街などの思い出の場所をめぐった後、「味噌煮込みうどん」を食べて、名古屋港の金城埠頭というところに行って対岸の名古屋製鐵所を見てから(これは、大内くん向けのサービス)、時間があればお茶でも飲んで、3時の新幹線に間に合うように駅に落としてくれる、というドライブ計画。
早めにチェックアウトして朝10時前にロビーに行くと、昨日会ったばかりのRちゃんが、ブライダルスタッフの制服も凛々しく、現れた。
「あっ、ヤナイ!やっぱり会えたわね!」と2人で大喜び、ロビーで小さくきゃいきゃいして、
「また会おうね」「うん、楽しみにしてるわ」というあわただしい会話ののち、Rちゃんは今日の式のご親族を案内して、ロビーから去って行った。
本当にお仕事の合間にちらっと会えて、スパッと頭を切り替えて「働く女性の顔」に瞬時に戻ったRちゃんにすごく感心した。
で、大内くんとロビーのソファに座っていたら、時間ちょうどにCちゃんが現れた。
ベージュとブラウンを基調にした、秋のドライブにふさわしい軽快なパンツ姿だ。いつもおしゃれだなぁ。
「お待たせ。じゃあ、行きましょ」と言われて駐車場で彼女の愛車、純白のサイに乗って、出発。
まずは、小学校へ。
4年生で転校してきた小学校は5年の時に分校ができて私はそっちへ行くようになり、翌年、独立したので、第一期卒業生となる。
Cちゃんや昨日会ったRちゃん、Kちゃんとは、4年生の短い間を一緒に過ごし、そのあと本校の彼女たちとは別れ、中学でまた一緒になった、という関係。
「昔、近所に沼だか池だかがあって、けっこう危ないんだけど、みんな平気で行って、ザリガニ釣りとかしてた気がする」と言っていたら、小ぎれいに護岸されているものの、確かに池はあった。
で、小学校につき、今日は日曜だから誰もいない。
東京の田舎、三鷹だと、休日の小学校のグラウンドは少年野球やサッカー団の練習場になっており、その場所取り合戦(市役所に申請するわけだが)はなかなか熾烈である。
グラウンドを誰も使ってないということは、きっと名古屋は土地が余っていて、ちゃんと他に練習場があるんだろう。
小学校の門の写真を撮り、車に戻って、私が住んでいた住宅街へ。
いっせいに建売が並んだそのあたりも、もう世代が変わり、私の家だったところは建て替えられていた。
今でもそのへんに住んでいる友達もいるらしい。
「この道をまっすぐ行くと、ダイエーがあったんじゃなかったっけ?」と問うと、
「そうよ、今はもうないけど」という答えが返ってきた。
母の車に乗せられてよく行き、「すがきや」でラーメンを食べ、母の買い物が終わるまで本屋に放流されていた思い出の場所だったが、もうないのか。
でも、手前のミスドは覚えがある。
高校生の頃、よく帰りにカレシと食べに行っていた。
それから中学校。
こちらは昨日の女子会で「写メ撮ってきて!」とCちゃんがリクエストされていたなぁ。
確かに覚えがある。
「この渡り廊下とか、体育館、見覚えがあるねぇ」とCちゃんと2人、しみじみして、校門前で並んで大内くんに写真撮ってもらう。
まわりの公団住宅はもう廃墟になってるところも多くてびっくり。
いずれ建て替えられるんだろうけど、深夜徘徊をしていた私はよく、公団の2階に住んでる友達をベランダから登って訪ねたりしていた。
「このへんの商店街もさびれちゃったのよ」と言われ、
「その道を入った商店街でしょう?『白馬』っていう文房具屋さんがあったよね。お小遣いがない時でも、シールや筆箱を物色したりして、中学生の憩いの場だったよ。あの頃、『象が踏んでも壊れない』筆箱が人気だったよね」
「そうね。筆箱、あったあった!」
「でもあれ、象の足の裏は柔らかいから小っちゃい筆箱なんか壊れないんだけど、中学生がバコバコ踏んだら割れてたよ」
「あなた、そんな乱暴なことしてたの?」
「男の子たちがやってたんだよ。で、そこの商店街にスーパーがあって、横にたこ焼き屋さんがあったんだよね。あそこのたこ焼き、好きだったなぁ」
「たこ焼き屋さんは覚えてないわねぇ」
という会話を交わしながら、向かうは高校。
高校は、彼女は別のもっとランクの高い高校に行ったので、何の思い出もないはずだが、慣れたハンドルさばきでたどり着いてくれた。
よくボーイフレンドと語り合った近くの河原は、立派な橋こそかかって車が通れるようになっていたが、土手を降りれば昔と変わらない水辺のようだった。
校舎の上の天文ドームも健在。
なつかしいなぁ。
高校のまわりを車でゆっくり1周してくれるCちゃんに、
「正門の前に、お好み焼き屋さんがあったんだよ。当時でももう、おじいちゃんおばあちゃんがやってたから、今はなくなってるみたい。帰りによく、焼きそばの大盛りを食べたよ。それで家に帰ってまた晩ごはん食べるんだけど、昔は若いから太らなくて、良かったなぁ」
「あなたの話は、全部食べ物屋さんに行くのねぇ・・・」と、ややため息、の様子。
うん、小学生の時、Cちゃんちにお泊まりに行って、ごはんを4杯おかわりして彼女に怒られてから、全然性格というか、食欲が変わらないんだよ。
その次に、私が高校を卒業するころ住んでいたマンションの前を通ってくれた。
私が住んでた時はまだ地下鉄が来てなかったんだけど、途中で、路線が伸びた地下鉄の、終点になったらしい。
「だから、一時はにぎやかな街だったんだけど、地下鉄がもっと伸びて遠くまで行っちゃったから、降りる人が少なくなって、ずいぶんさびれちゃったのよ」
ふーん、昔とあんまり変わらなく見えたのは、私が知ってる頃と、さびれた後が、同じような様相を呈してる、ってことか。
大急ぎで回ってまいりましたが、ここで、私からの前々よりの強いリクエストで、味噌煮込みうどんのチェーン店、「まことや」に。
オトナになってからできた店なのかな、大内くんと帰省すると、母がよく連れてってくれた。
母の葬式が終わった後にも、姉の運転で行った記憶がある。
でも、Cちゃんが連れてってくれたのはいつも行ってた店ではなかった。どこも同じようにボロくて土鍋がススぼけていて、でもすごくおいしいからいいんだけど。
「人気の店だから、11時の開店と同時に飛び込まないと!」とCちゃんは言っていたが、10分ほど遅れた。
それでも駐車場に1台だけ空きがあり、店内も、まだ満席にはなっていなくて、4人掛けのテーブルに坐れたのは運が良かった。
実際、オーダーして、ぐつぐついう土鍋が出て来る頃には、もう行列ができ始めていた。
「よかったねー、入れて」と言いながら、私が、最後に残しておいた卵の黄身をすくおうとしていたら、Cちゃんがびっくりしてた。
「あなた、卵の黄身を、そんなふうに食べるの?!」
「え、じゃあ、どうやってたべるもんなの?」
「少し煮えたぐらいのところで少しずつ崩して、麺や具にからめて食べるものじゃない。黄身だけ食べる人って、初めて見たわ」
不思議なところで驚かれてしまった。
ここのお勘定はどうしても持たせてもらう、と主張していたCちゃんのご好意に甘えて、ご馳走になってしまった。
これ以上名古屋名物の「伝票争い」をしたくはないからなぁ。
そのあとは大内くんのために車を港へと走らせ、埠頭に車を停めて名古屋製鐵所を眺めた。
「煙突から白い煙がもくもくと上がっているねぇ」と言ったら、
「煙、はまずい。せめて水蒸気と言ってくれ」と、大内くん。
市役所にお勤めのCちゃんは3月まで環境関連の仕事をしていたので、大内くんとしてはやや頭の上がらない相手らしい。
でも、やはり製鐵所を見ると何だか張り切ってしまう彼である。
Cちゃんの運転はわりと穏やかだったので、助手席から、
「名古屋のドライバーにしては穏やかで安心できるねぇ」と言ったら、
「あなたが、名古屋のドライバーについて何を知っていてそう言うの?」と訊かれたので、
「うちの母と姉の運転を知っている。それに、昨日マンションからホテルまで送ってもらったタクシーの運転手さんも、カミカゼ運転だった」と言ったら、あらまあ、という顔をしていた。
母の運転は、今振り返ると本当に乱暴だったし、姉は車が大破するほど道端の電柱にぶつけた過去の持ち主だ。
私の感覚では、名古屋と静岡のドライバーは恐い。
北海道も怖いが、これは道路があまりにもまっすぐで車が少ないせいだろう。
埠頭でのんびりしすぎたせいもあり、お茶を飲んでいる時間がなくなってしまったので、市の中央へ向かい、Cちゃんのお勤め先である名古屋市庁舎のあたりをぐるっと走り、名古屋城の金のしゃちほこを一瞬車窓から見て、無事、新幹線に乗る名古屋駅まで送ってもらった。
「またね!」「ありがとう!」をくりかえしながらCちゃんの車を降り、駅へ。
駅弁は「天むす」で軽くすませることにし、自分たちへのおみやげに初日に着いた時も買ったバームクーヘンと、あと名古屋銘菓「千なり」を買って、新幹線を待つ。
乗ってしまえば駅弁食べてマンガ2冊読む間、というのは行きと同じ。
東京駅始発の中央線に坐って帰り、吉祥寺からバスで家へ。これも座れた。
東京の大学を出て公務員としてUターン就職をして30年以上のCちゃんが、名古屋の地理、特に市役所近辺に詳しいのは当たり前だが、私は18歳までしか名古屋にはいなかったので、地図が頭に入っていない。
40年の間に地下鉄は伸び、街は変わり、古いものはなくなって新しい建物が増えていた。
名古屋港の金城埠頭から製鐵所を望む大内くん向けのコースから、どうやって名古屋城を見ながら名古屋駅まで送ってもらったか、さっぱりだ。
もう、「土地の人」ではなくなってしまった自分が、少し寂しかった。
それでも、両親が亡くなり、もう二度と行くことがないと思っていた故郷を、Cちゃんのおかげで訪ねることができ、さまざまな楽しい思いをした。
古い友人たちに会い、気がかりだった人のお墓参りをし、味噌煮込みうどんを食べた。
3年後には還暦の集まりをしよう、と小・中学校の同窓生と約束し、また行くことができそうだ。
健康を保ち、旅ができる状態でいたいと思う。
まずはダイエット!幸い、名古屋で食い倒れていたにもかかわらず、体重は1キロしか増えなかったので、これを神の恩寵と受け止め、さらなる減量を大内くんと誓い合った。
昔の2時間から1時間40分に短縮された新幹線はあっという間で、11年後にはさらにリニアができるそう。
40分では、駅弁を食べるヒマもない、とサラリーマンをやめているはずの大内くんはむしろ嘆いている。
さて、その頃にも私は名古屋を訪ねることができるだろうか?
16年10月31日
昨日の話。
旅が終わって帰ってみたら、マンションは焼け落ちても倒壊してもおらず、ひと安心。
家のドアを開けて玄関からのぞくと、息子の姿はないが、ベッドの布団が異様にきっちりと掛けられているところを見ると、少なくとも昨日の晩はカノジョが来て泊まったのだろう。
さらにリビングに行くと、家のどこかで力尽きているか、息子に止められてしまってホームベースに戻れなくなっているか、と思われたルンバが、きちんと定位置に収まり返っていた。
3日間、ちゃんとお仕事をしてくれたものと思われる。
キッチンを見ると、どうやら若い2人は「鍋」をしたらしい。
土鍋が出ていて、中身が器1杯分ぐらい残っていた。
残留物やごみの様子から、キャベツと豚肉とシメジが入っていたことまでは確認されたものの、味つけ、その他の材料は不明。
あと、冷蔵庫から開封していない「ゆでうどん3玉セット」が発見されたので、
「〆にうどんを入れようという計画だったが、思いのほかおなかがいっぱいになってしまったので、うどんはあきらめた」ものと想像される。
テレビの前のちゃぶ台の上から、爪切り等が置いてある小盆やテレビ雑誌等がどけられてソファの上に移動していたので、いつも我々と鍋を食べる時のように、ちゃぶ台で食べたのだろう。
「あの人は、土鍋や鍋敷きのありかを、よく知っていたねぇ」と感嘆すると、大内くんも、
「彼はあんがい何でもよく見てるんだよ。注意深い人だね」と言う。
荷物を片づけて、洗濯機を回して、コーヒーとバームクーヘンを食べながら「真田丸」を観て、日曜の夜が終わる。
日頃外に出ない私はもう足腰ががくがくしてるし、2泊3日の出張明けにいきなりまた名古屋だった大内くんは、さぞやお疲れだろう。
帰ってきた息子も、
「あ、おかえり。どうだった?」ぐらいは聞いてくれて、
「楽しかったよ」と答えたら、「ふーん、よかったね」。
そこそこ人間らしい会話が、成立するようになってきたなぁ。
おみやげにバームクーヘンあるから、食べてね。
今日、会社に行った大内くんはさすがに疲れたようだが、私なんて、「腰をいわしちゃう」直前だし、ふくらはぎも痛い。
1日丸々寝倒して、まだ疲れが取れない、というか、やっと「疲れが表面に浮いてきて、今から本格的に疲れる」という状態だ。
もう少し普段の外出を増やして鍛えないと、3年後、名古屋での還暦の女子会に行けないよ。
楽しみと目標ができたことを喜んで、とりあえずは明日も寝ていよう。
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