16年12月3日

大内くんの誕生日。
めずらしく息子から朝一番に「おう、誕生日おめでと」と言われていた。
「で、いくつになんの?」
「53歳だよ」
「けっこう歳だな」
言うなりシャワーを浴びに行ってしまった息子に、大内くんとしては喜んでいいのか悲しむべきなのか、ちょっと立ち位置がわからなかったらしい。

私は、57歳になった時にやはり同じように息子から聞かれ、57だよ、と答えたら、
「あんがい若いな」と言われ、それはそれで何やら傷ついた気分になった覚えがある。
いったい、人をいくつだと思っていたのだ!?

そんな今日は、私の年末のビッグ・イベント、保育園からのママ友たちとの忘年会。
大内くんが幹事を引き受けてくれていて、毎年「暑気払いの会」と「忘年会」を8人ぐらいで細々と続けている。
ここ数年は、元の保育園の先生が園長先生を経て三鷹市の議員になって、お忙しいだろうに毎回顔を見せてくれるのが嬉しい。

今回も大内くんと私を入れて総勢8名。
Kくんママのおススメで、駅前の隠れ家的な美味しい和食のお店。

先生が遅れている隙に、我々は来週末に迫った息子のコントライブのチラシを配る。
ママ友たちは、息子の写真を見て、「へー、こんなことやってるんだぁ」「顔替わったねぇ」と言いつつ、それぞれの家で子供さんに見せておいてくれると言っていた。
少しは動員力になるか?!

話題の大目玉は、同じクラスだったMちゃんが、7月にママになったこと。
お母さん自体、若いシングルなので、49歳のおばあちゃんができあがってしまった。
我々が知る限り、最初の2世である。おめでとう!

あとはそれぞれの子供たちの消息をがやがやと話している間に議員の先生がやって来た。
みんなでお礼を言い、再び乾杯。

と、真冬ちゃんのママが、大内くんに袋をくれた。
「今日、誕生日でしょう?笑っちゃうぐらい、やっすいものだけど、まあ気持ちだけ、どうぞ」とくれた袋からは、大きな真っ赤なハートの箱が出てきた。
その中には、ピンポン玉ぐらいの(それを加工して作ってるんだと思う)「メッセージ立て」が4個。

「ほら、フェイスブックでよく、メモを置いて行ってくれると嬉しい、とか奥さん言ってるじゃない。これで、よろしく!と」
まいりました、真冬ママ、そこまで考えたプレゼントをくれた人はかつていないと思う。
これで、次に出張に行く時が楽しみになって来たよ。

話題は、先生を中心に市政と住民の現実の生活の間を縫うようになめらかに滑って行く。
当たり前だけど、みんな、市役所のお世話になってここで暮らしてるんだもんね。
少なくとも私は、たいそう暮らしやすいところだと思っているので、何の文句もない。

ふと、話題がこちらにまわってきた。
先生が、「息子くん、どうしてる?」と聞いてきたのだ。
「1年留年して、今年就職します。聞いたこともないような小っちゃいゲーム会社です」と言ったら、
「カノジョが、替わったんだって?」。

なんでそんなこと、先生が知ってるんだ、と大いに焦ったが、どうやら地域を束ねるTさんというおばさんと親しくしており、Tさんは小さなころから息子のシッターさんを引き受けてくれていたので、今でも「孫のような存在」と言って可愛がってくれているのだ。
先生は、保育園生活を通じてTさんとは肝胆相照らす仲なのだろう、とっくに保育園を離れた息子のことまで、よく話題に上っているらしい。
「Tさんのところに、報告に来たらしいわよ!」
そう言えば、柔道の試合に勝った時とか大学に受かった時とか、息子は1人でいつのまにかTさんに知らせに行ってたなぁ。
地域が取り持つご縁はありがたい。

全体に、女の子はもう社会に出てる(それどころか、ママになってる!)が、男性陣はだらしなく、淡々とソフト会社に勤めるオタクを生きるKくん以外は、留年だの浪人だの大学院だので、なかなか実社会に出て行かない。
これからの課題だろう。結婚とか。

2時間以上、たっぷり飲み放題で、ごはんも美味しくて、楽しい思いをした。
私は家にこもっているので滅多に会わない顔ぶれだが、また次の会の時に会おうね。
「あのプレゼント、箱は100円で、中身も100円なの。ダンナさんに、内緒ね!」と言う真冬ママ、あの人はね、そういうものが安ければ安いほど喜ぶんだよ。
「八百屋で見事なほうれん草が3把100円だった時とおんなじ。ぜひ、伝えさせてもらうね」とお礼を言っておいた。

皆さん、来年も変らずよいお年を!
素晴らしい2017年になりますように!

16年12月4日

昨日、優秀な八百屋に行ったので、冷蔵庫が野菜であふれている。
いつものように張り切る大内くん。
結局、昼頃まで寝てて、そのあとは晩ごはんまでずぅっとキッチンにいたような気がする。

今回の作品は、「がめ煮」「切り干し大根」「カブの炊いたの」「茹でほうれん草」「南瓜の煮物」。
私は、ネットで拾ったレシピを元に、「ピーマンと鶏ささみのマヨネ和え」を作った。
何と言うか、副菜だらけで主菜がない。
まあ、もっとも主菜はその時その場で肉を焼けばいいだけなんだろうけど。

冬を迎え、大内くんの煮物の腕は非常に上がった。
まあ、安くて大量の野菜を買うところから始まるんだよね。
いささかバリエーションに欠けるきらいがあるのはしょうがない。

息子が、野菜好きで、常に、「なんか野菜のおかず、ある?」と聞いてくる。
夜中に大内くんが野菜炒めを作らされることもしばしば。
今日、夜中の3時頃帰ってきた時も、
「腹減った。なんかある?」と言うので、
「いろいろあるよ」と冷蔵庫を開けて整然と並んだタッパーの山を見せたら、
「これなに?」と指差すのは「ピーマンと鶏ささみ」。
そう言ったら、「それ食いたいな。あと、がめ煮と、カブ」。
カブなんて、不透明のタッパーの中に何やら白くて丸いものがつゆに浸ってるだけなのに、よくわかったな。

彼がシャワーを浴びている間に「がめ煮」と「カブ2個」をレンジで温め、「ピーマンささみ」を器に盛り、レンジが空いたらごはんを温めつつ、カブの汁を少し鍋に入れ、沸騰させて、火を落としたのち、水で溶いた少量の片栗粉を入れる。
きちんと「あん」ができあがった。これ、ダマにしちゃったりすること多いんだよね。

彼がシャワーから出て来るころには、
「ごはん、がめ煮、カブのあんかけ、ピーマンささみ」の立派な定食ができていた。
痛恨なのは味噌汁で、彼はむやみやたらと味噌汁が好きなので冷蔵庫に常に作り置きが入っており、今日ももう1把のカブで味噌汁を作っておくつもりだったのに、忘れてしまったのだ。
これに関しては、ないではすまされないので、「インスタント」でカンベンしてもらう。

パジャマ姿の息子が、「ありがと」と言ってお盆を持って食卓に行き、iPad miniで何やら映像を楽しみながら、がつがつと夜食を食べる。
そう美しい眺めではないが、気持ちが穏やかになるなぁ。

カブのあんかけがよほど気に入ったものか、何度も「これ、うまいね!」を連発する。
父さんが作ったものに、母さんが仕上げのあんをかけたんだよ。
「カブって、いくらぐらいする?」と訊かれたのは唐突だったが、
「この小カブが7つで250円ぐらいかなぁ」と答えたら、
「へー、そんなもんなの。カブって、うまいよね」
「母さんは、お味噌汁の具はカブが一番好き。あなたもでしょ?ごめんね、今日は作り忘れちゃって」とあやまると、
「いいよ、いいよ」と上機嫌。

いつもは映像見ながらごはん食べてる時に話しかけると、
「今、忙しいから」とつれなく会話を拒むんだけど、今日は、昨日聞いてきた彼の保育園仲間の近況を語っても、
「Mちゃんがね」
「なに、妊娠した?」
「いや、もう産んじゃった。7月に」
「へー」
「Jくんは一浪した大学を卒業して、就職浪人になるらしいよ。教員試験に落ちちゃったんで、来年またチャレンジだって」
「なに、どっちで落ちたの?」
「どっちって?」
「筆記か面接か」
「そこは聞いてないなぁ」
「そうか、院には行かないのか」
「うん。今年就職したKくんは、お母さんの誕生日に初めてプレゼントをくれたんだって。3ヶ月前にふと『欲しいなぁ』ってつぶやいた包丁だったそうだよ」
「いい話だねぇ」

お気づきかと思うが、やや息子の口数が多く、会話が進展してる。
いつもだともっと、「ああ」「うん」「知らん」ぐらいしか返ってこないんだけどね。
そこだけ見ても、オトナに近づいてきたもんだなぁ。

食べるだけ食べたら、「ごっそうさん!ありがと!おやすみ!」と叫んで、さっさと寝に行ってしまった。
寝る前のドカ食いは太るのに。
すでに高校で柔道やってた頃から10キロ以上太っているし、これから若くなくなると、ますます太るようになるのに。
いちおう口頭で注意はしておいたが、改まる気配はない。
あと、お皿を洗っておく、ということもまだできない。
それでも親は「オトナになって」なんて思うんだから、愚かな生き物だよね。
でもね、「ありがとう」「いただきます」「ごちそうさま」ついでに「おやすみなさい」を言うだけでも、大変な進歩なんだよ。
ちょっとずつ、だねぇ。

16年12月6日

今週は、大内くんは比較的ヒマだと言う。
「夜の会合が1回しか入ってないから、他の日は早く帰れるかも」
そして、今日の夜、本当に最近としては珍しく、定時に上がって帰ってきた!

ごはんも作り置きベースで簡単だったので、お風呂と食事が終わっても、まだ8時前。
「あー、嬉しいねぇ。これぐらいだと、今から映画を1本観ようかと言う気にもなるねぇ」と言いながら、録画した「鬼平 THE FINAL」を観はじめる。
当代中村吉右衛門が演じるのがこれで最後、と言う意味なのか、もう作りつくしてしまったと言われている「鬼平」そのものが終わりなのかはわからない。
「どうせまた、他の人でやるよ」という意見もネットでは見るのだが。

ところが、喜んで観始めたこの番組、なぜかだんだん辛くなってきた。
みんな、老けたんだもん。
鬼平は、柔和な笑顔こそ変わらないが、目の光がもう違う気がする。
「犬」のおまさも、あんなに口元がすぼんでしまったのは老女になったからなのか。
半分ぐらい観たところで、ついに投げ出してしまった。

「もう、今日は『テレビ遊び』はやめよう」
「うん、『ご本遊び』にしよう」って、要するに寝室に行ってそれぞれの読書をするというだけの話だが、最近、遊びが少ない生活なので、こんなつまらないことを「○○遊び」と言って喜んでいるのだ。

特に、本を読むことが多い。
昔はヒマがあるとテレビを見ていたのに。
やはり、テレビというメディアには未来がないのか?「ダウントン・アビー第5シリーズ」も始まったのに、ダメなの?
いつもより少し長く本が読めた。

それでも、私は「本が読めて読めてしょうがない時期」を抜け出して来たのか、どうも気合が入らない。
浅田次郎の「椿山課長の七日間」を、こないだ読んだばっかりだし、最初の方をぱらぱら見ると確かに読んだ覚えがあるのに、最後どうなったのかがいっこうに思い出せない。
忍び寄るアルツハイマーなのか?
でも、ここ10年以上、ずっとそんな感じだよなぁ。
たまたま面白く読めた覚えがあったから気になるだけで。

こうやって、心身共に老け込んで行くのか。ああ、まだ50代なのに。タメイキ。

16年12月7日

「今日も普通に早く帰るよ」と笑って出かけた大内くんから、午後のライン。
「今日は、9時頃になるかも」
あああ、昨日、あんなに楽しかったのに、長続きしないものなのね、幸せって。
半分泣きながら5時から昼寝をして、目が覚めたら8時。
とっさに夜とは思わず、
「もー、大内くんたら、カーテン全部締めっぱなしで出かけちゃって!」とぷりぷりしながらカーテンを開けたら真っ暗。仰天した。
時々、こういう昼夜逆転現象を起こすので、昼寝は面白い。

しかし、面白がっている場合ではない。
9時には大内くんから、
「11時頃になるかも」とラインが入ってきた。
「泣いていいですか?」という私の問いに、答えは、
「一緒に泣こう。すでに泣いている」というもの。

ケータイの向こうとこっちでどんなに泣いても、仕事は終わらない。
思えば大内くんは私が病身だったことも手伝って、ずいぶん楽なサラリーマン生活をさせてもらえたからなぁ。
今、帰りが10時の12時のと言ったところで、お仕事はしなけりゃね。
特に、昨日、「ボーナス出たよ」と明細表をもらって、2人で「ありがたいねぇ」と拝んでたぐらいだし。

せめて、帰って来たら一緒にピザを焼いて食べよう。
ああ、ホントにもう、当たり前のことを受け入れるのが苦手な私の頭では、
「早い日もあれば、遅い日もある。そもそも、多くの家庭では毎日遅い」という簡単な「理(ことわり)」がわからない。
これだと、不幸なままだよなぁ、まったく。

16年12月8日

昨日は寝たのが1時半過ぎだったのに、「朝一番で大阪に出張」の大内くんは、5時に起きて出かけて行った。
昔の彼からすると信じられないが、本人も、
「やはり、老人になって早起きが得意になって来たかも。そのかわり、夜は早くから眠くなるけど」と言っている。
53歳で老人はあんまりだろう。

若者代表の息子は、1限があるから早く寝ろって言っても言ってもなかなか寝なくて、それで朝の7時半に起きるのがつらいらしい。
それでも1年2年の頃に比べると起こしやすくなった。
「あと10分」「あと5分」が数回ですむような気がする。
前は起こすだけで1時間半ぐらい平気でかかってたからなぁ。

ここんとこ毎日のように深夜のガストでネタ書きしてたけど、コントライブ本番を3日後に控えてさすがに肚が決まったか、わりと早く帰って来て、小林賢太郎のDVDを観ていた。

今日はいろいろ作ったおかずが余って、ごはんが豪華になった。
「まあ、いつも的なおかずで」というリクエストに対する答えはこうだ。

・がめ煮
・切り干し大根
・ネギのコンソメ煮からしマヨネあえ
・カブのあんかけ
・明太子
・味噌汁
・ごはん

お盆に並んだおかずを見て、
「わー、いっぱい!」と嬉しそうにテレビの前に運んで行き、コバケンを見ながら「うん、うまい!」。
「どれが好きなの?」と聞いたら「全部」。
昨日まで同じおかずが続いていたけど、今日、作り足した「ねぎのコンソメ煮」と大内の家から送ってきた「明太子」が効いていた気がする。
それにしても、こういうちまちました、しかも野菜系のおかずが好きだね。
動物性蛋白質って、がめ煮に入ってる鶏肉だけじゃん。(明太子は、どうカウントすべきか?)
「カレー」とか「ハンバーグ」っていうタイプじゃないね。まあ、そういうのも食べるけどさぁ。

大内くんは、多分夜中の1時頃に帰ってくるって。
もう、泊まって来てもらいたいんだが、本人が「できるだけ家に帰りたいタイプ」らしく、新幹線がある限り、帰って来ちゃう。
昨日も遅かったし、どうせ寝るためだけに帰ってくるなら、向こうのホテルに泊まった方が身体が楽だろうになぁ。
まあ、帰って来てくれると嬉しいんだけど、寝不足の顔は見たくない。ビミョーな妻心なのだ。

16年12月9日

というわけで、大内くんは夜中の1時に帰って来て、それから20分ぐらい仕事をして寝たんだが、
「ああ、やっぱりおうちのベッドはいいなぁ。ホテルに泊まると寂しくって。少々無理をしても、家に帰ってくるのが一番だ」と喜んでいた。

昨夜。
私がうたた寝をしていたら、誰かが帰って来た音がする。
半分寝たまま、
「うーん、大内くんか、息子か、どっちかなぁ」と思ってそのまま横たわっていたら、私の傍らに来た人が、右手を両手で優しく包む。
「あ、これは大内くんだ!」とパチッと目が覚め、目を開けたら、実は息子だった。

よく睡眠薬でふらふらしてる私を見慣れてるせいか、「はい、あっち行こうね〜」(気づかなかったが、私はリビングのソファで寝ていたのだった)と優しく両肩をつかみ、ほとんど抱きしめてるような格好で、寝室まで誘導してくれて、
「はい、ここで寝ようね」とベッドに寝かせ、布団をかけて、出て行った。
私は状況が良くつかめず、ぽえーんとなっていた。

とりあえず枕元のケータイを見ると、今は午後11時半で、大内くんから、
「東京に戻って来たよ。今から帰る」とラインが入っていた。ちょっと前の出来事だ。

あわててリビングに戻ると、ソファでゲームしてた息子が驚いたように跳ね起きた。
「どしたの?」
「パパ、帰って来るから、お風呂沸かさなきゃ!」
彼は、私が寝ぼけていると思ったらしく、
「オヤジは、帰ってこないよ。もう寝なよ」とまた肩を抱く。
「いや、帰ってくるのよ。大阪だから、日帰りなの」と言うと、ちょっと拍子抜けしたように、
「帰ってくるのかぁ」とつぶやいていた。
きっと、「オヤジの留守中はオレが面倒みる!」と決意して、さっきまでの危なっかしい寝ぼけた私に親切だったんだね。

その証拠に、向こうの言うことも変わってくる。
「今さぁ、腹減って、なんか食おうと思ったんだけど、頼める?」
見ると、がめ煮や明太子、いろんなもののタッパーが出ているじゃないか。
あのまま寝てたら、彼は自分でやってたのか。ちっ、惜しいなぁ。

「うん、いいよ。作るよ」と息子に背中を向けたら、
「ありがと〜」と言いながら、後ろから抱きついてくるじゃないか!
「ありがとね〜」と、首筋に顔をなすりつけ、後ろから回した両手で私の腹をなでさすっている!
「おなかはさわんないでね」と全然意味合いの違う羞恥心から言うと、「うん」と少し離れ、両手で私の両肩をぽんっとたたくようななぜるような。
それきりテレビの方に行ってしまったが、いったいどうしちゃったんだ?

惑乱しつつも、とにかくおかずを温める。
カブにかけるあんを作る以外は、全部レンチンな晩ごはん。しかも今週はほぼずっと同じものが続いている。

お盆に乗っけて、「できたよ〜」と声をかけると、「はーい、ありがとー」とお盆をテレビの前に置いて、なにやら見てる。
鍋やタッパーを洗っていたら、
「うまいよ」と大声。
「そう、よかった」と答えたら、
「オレ、こういうおかずが大好きなんだよね。肉とか、あんまり好きじゃない」
「えー、じゃあ、みんなで『焼肉食いに行こうぜ!』とか言う時も、ノリ悪いわけ?」
「そういう時は、それはそれでうまいけどさ、でもやっぱ、基本は野菜だね」
「今週の初めに出した『ピーマンとささみのマヨネ和え』は母さんが作ったけど、あとのがめ煮とか切り干し大根とかは全部父さんだよ」
「ああ、あのピーマンの、うまかったなぁ」
「じゃあ、また作るよ」
フェイスブックで見た、「クラシル」のレシピに大感謝である。
息子がこんなにしゃべるのも珍しいし。

ちょうど彼が食べ終わる頃、大内くんが帰ってきた。
疲れた身体でコロコロのトランク引いて。
「おかえり!」と出迎えたら、
「あ〜、やっと家だよ。やっぱり、家はいいねぇ」と深い安堵の表情になっていた。

背広を脱ぐ彼に、手短に息子の様子を伝えたら、とっても驚いていた。そうだろう、私だって驚いた。
「親に優しい年頃になったんだねぇ。よかったね」と、大内くんは嬉しそうだった。

寝る前に、いつものようにベッドに寝転んで話をする。
「明日も早いんだから、割愛して、早く寝たら?」
だって、もう夜中の2時過ぎなんだよ。
「いや、ミニマムでも、いつもどおりのことをいつもどおりにして寝たい」
今日の話題はもちろん息子のこと。
私はむしろ、
「どっか具合でも悪いの?悪いもんでも拾って食べたんじゃないの?」という感想なんだが、大内くんは物事をポジティブにしか見ないので、
「よかったよかった。これで、彼にとって一番大事な家庭が別にできて、親は二の次三の次になるのが何よりだね」と喜んでいる。

まあ、その話には同感なんだけど、これで、明日からの彼がいつもハグしてくれる優しい人になったわけじゃないと思う。
また、機嫌が悪いこともあるだろうし、そもそも明日も朝の9時頃に起こす時、そんなに愛想よく早起きしてくれるわけがない。
今日のことは私のスペシャルボックスに大事にしまっておくけど、これからまだまだ戦いは続くに違いないんだ。

16年12月10日

いよいよ明日は息子のコントライブ。
8人で始めたコントユニットも、就活で一時的に抜ける人あり、新しく加わった人あり、今回は出られるけど、3月に予定されている第3回ライブは就活で出られない人あり、さまざまに事情がある。
息子も、来春働き始めてからはどうするつもりなんだろう。
そこが、一番気になってるところではあるんだ。

夜中に、美術担当兼マネージャーをやってくれてるカノジョと一緒に帰って来て、まだまだ準備があるらしい。
当日配るアンケート用紙を印刷しているようだが、そういうのは前もって大学の安いコピー機で作った方がいいんじゃないの?
うちのプリンタで1枚1枚印刷するってのはどうも・・・おまけに紙がなくなってしまいそう。
コンビニに紙を買いに行くのか、もうコピーもしてきちゃうのか、わからないまま、混迷する2人を残して我々は寝ちゃうのでした。

まあ、実際、いろいろ後手に回ったね。
フライヤーができてくるのが遅すぎて、おまけにそれを各大学のお笑い研で配ってもらうとか、ライブのアンケート用紙にはさんでもらうとか、下北沢のいろんなお店を回って置きチラシさせてもらうとか、やった方がいいことがいっぱいあるのに、ほとんどやってなかった。
千枚作ったフライヤー、今日のアンケートにはさんでも、まだ500枚はまだうちに残るようだ。
いつか、捨てちゃうしかないんだよね。
もったいないし、せっかく素晴らしいフライヤーをデザインして作ってくれたカノジョに申し訳ない。

大学のサークルに入っていた頃は、ライブのやり方は流れるように決まってるし、スタッフさんもよく訓練された人たちが大勢いて、うん、自分たちだけでやろうとすると本当に大変だね。
だんだん慣れて来るとは思うんだけど、慣れて、いつまで続けられるんだろう?

とにかく明日は昼夜2公演を両方見せてもらう。(そんなお客さんは我々だけだろう)
前日の夜、急に、
「サラリーマンがよく着てる、長いコート、ない?」と聞かれても、大内くんもここ数年ブルゾン派だし、いきなり言って何でも出て来る魔法のおうちじゃないんだから。
結局、私のバーバリーのトレンチコートを持って行った。袖丈が短いぞ、大丈夫か?

16年12月13日

本番前日に泊まりに来て、その翌日、「打ち上げで酔っ払い過ぎて」泊まりに来て、さらに昨日の晩、息子が、
「今日、カノジョ来ても大丈夫?」とラインを寄こした。
うちは大丈夫なのだが、カノジョんちは、本当に大丈夫なんだろうか?

とりあえず公演が終わったということで、我々からプレゼントを送った。
iPad miniというタブレットと、家にあるデータをほとんど全部を詰め込んだHD。
これで、少しは本を読む方向に行ってもらいたい。

今日の昼頃、私が目を覚ましたら、息子は授業に出かけた後で、カノジョが部屋から出てきたところだった。
特に予定はない、とのことなので、お菓子と牛乳で、食卓でしばらくおしゃべりをした。
何でもよくしゃべってくれる明るいカノジョなのだ。

「大内さんは、ご両親のこと、本当に大好きだし、『親孝行したいなぁ』っていつも言ってますよ」
本当かいな、と思う。
「私のこと、なんて言ってる?」と聞いてみたら、
「大好きみたいですよ。優しくて、繊細な人なんだ、って」
牛乳を、ぶっと吹きそうになった。

私より、35年遅く同じ大学に入学したカノジョは、あの荘厳なチャペルで、息子と結婚してくれるだろうか。
そのことを考えると、私の頭の中は「妄想お花畑」になる。
もちろん本人たちの気持ち次第だから強制はできないし、少なくともつきあって半年ぐらいの今ではまだまだ考えられないだろうから、軽くおススメしてみるのももう数年たってからだろうなぁ。

それにしてもこの外泊率。キミらはもうちょっと何か考えた方がいいんじゃない?
一緒に住むとかさぁ。

16年12月14日

別に記録をつけているわけでも回数を勘定しているわけでもないが、今日もカノジョはお泊まり。
本番前日から、間に1日だけ抜けて、4日泊まってるなぁ。
ごはんを出すでもなく、少なくとも息子がいる時はおしゃべりするでもなく、ただお布団を提供するだけ。
もう、なかばウチの子である。

いや、明るい娘なのよ。
私とでも、時間があり息子の目がない時はよくしゃべってくれる。

大内くんと、
「この時期になっても息子が家を出たいとかアパート探すとかいう話になってないってことは、就職後も家から通うつもりなんだろうね」
「私はさぁ、カノジョが再来年の春に就職したら、一緒に暮らしたらいいと思うんだよね」
「うん、それぐらいがちょうどいいね。息子も会社や仕事に慣れてくるだろうし」
「でも、それだと仕事始めたばっかりのカノジョに負担がかかるんじゃない?」
「うーん、そうかぁ・・・じゃあ、もう1年ぐらいしてから」
「そんなもんかもね」
というような、本人たちをまるで無視した会話をこっそり交わしているのであった。

そうそう、画期的な話。
公演から帰ってきた息子に、「おめでとう!よかったよ!」と廊下で声をかけたら、ゆらーりと左右に揺れながらl、両腕を軽く広げて近づいてきた。
「今、たった後ろにカノジョいるんですけど!母親とは言っても、よその女の人、ハグするのって、問題ありませんか?!」という気分。

結局ハグしてもらっちゃった。
「まだまだ、もっと頑張んなくちゃな」と言うのは、昨日の公演に不満がたくさんあって、もっとブラッシュアップしたい、という意味からだろうだろうな
「いい出来だったよ。また、新しいの、作って、見せてよ!」と話してもなかなか終わらない、ビッグ・ハグであった。
カノジョ、ごめんね。ちょとだけ、貸しておいてね。

16年12月15日

画期的なことが起きた。
息子が、1人でごはんを食べながら、こないだプレゼントしたタブレット、iPad miniで、本を読んでいるのだ!
これまで、古いiPad Retinaに比べたら軽くて使いやすいからだろう、動画を見たりはしょっちゅうしてたんだが、本を読んでる姿を見るのは初めて。

「何読んでるの」とか聞くと、とたんに機嫌が悪くなって読むのやめちゃうんじゃないか、って心配で、でも何読んでるのか知りたくて、大内くんもまったく同じ気持ちで、2人で書斎に逃げて行ってじたばたしていた。

それぞれにおススメの本を入れておいてはあるんだが、十中八九、今、彼がハマっている村上春樹だろうなぁ、と大内くんは言う。
私なんか、宮部みゆきとか清水義範とか、「頭すかすかなんじゃねーの?」と罵倒されそうなもんばっか入れた。
でも、このまま彼がタブレットで本を読むのに慣れて、我々のデータから本を持ってって読むようになるといいなぁ。

16年12月17日

毎年恒例、大内くんの大学の、まんがくらぶの友達を招いてのクリスマス・パーティー。
今年は我々を入れて10人が集結した。
常連の1人、今年の10月にがんで亡くなってしまったOくんにスパークリング・ワインで「献杯」して、始まったのが4時。

みんなの持ち寄りのワインや日本酒がどんどん空き、チーズやハム類も豊富。パンもたくさんもらった。
うちではサラダとハヤシライスと「明太子とサワークリームのディップ」を作って出したが、いつも思うのは、「サラダは必ず売れる」ということ。
皆さん、健康志向なんだろうか。
今年はディップの売れ行きがイマイチだった。
後で私が残りのクラッカーと一緒にいただいてしまったので、かまわないんだけど。

献杯のワインのあとは冷たい緑茶を飲んでいた私だが、そう言えば今年はお茶を所望する人が多かったなぁ。
みんな、そんなに飲めなくなってる?
10人が4時間飲んで、ワイン6本、日本酒1升と5合、というのは、けっこうな量だとは思うのだが。

親御さんたちが患ったり亡くなったりの話も何件か聞いたし、子供がトラブルを抱えている家庭も複数ある。
そういう、「大変な年回り」なのだろう、我々は。
悲惨だったのは、胃腸炎から突如、腸狭窄になりかけて緊急入院したという女性。
もう退院したそうだが、「4日間の絶食を経て、食べ物が何もかもすりつぶされた世界にしばらくいた」という状態で、とてもパーティーどころではなく、今年は残念ながら欠席だった。
自分の健康にも気を配らねばならんのだろうなぁ。
私も、ここ数年、どんどん通う病院が増えているので、医療費だけで頭が痛い。

来年は、私たちが出会ったまんがくらぶの結成50周年になる。
盛大な大コンパが予定されている。
夏頃、記念に出す冊子のための座談会に大内くんと出かけた時、後輩の人たちが、先輩たちから何枚か絵や文章を出してくれないだろうか、と言っていたので、クリスマス・パーティーを好機に、リビングの一角にお絵描きコーナーを作り、お客さんたちにいろいろ描いてもらった。
50センチ四方ぐらいの小さな折りたたみ机2つは、息子のコントライブで小道具に使ったもので、また使うかもしれないから取っておいてくれ、と言われてしまってあったもの。
何が役に立つかわからない。

即興で見事な1枚絵を描く人たちあり、自信なさげに鉛筆でぼそぼそと、学生時代に酔いつぶれた経験を文章にする人ありで、面白かった。
私は事前に充分に時間を取って描くことができたので、ちょっとインチキ。
大内くんにも描いてもらわなくっちゃ。

そんなこんなで、亡くなったOくんと同郷の後輩が思い出のよすがにと持って来てくれた「もみじ饅頭」をみんなでいただき、ほうじ茶を飲んで、8時過ぎにお開きとなったパーティーだった。
大内くんがあっという間にお皿を全部食洗機に突っ込み、ゴミをくくってくれる間に、私はお風呂のスイッチを入れ、お客さん仕様にしてあったソファを元の位置に戻し、全部片づく頃にはお風呂が沸いていた。嗚呼、文明生活。

今年も楽しく集まれてよかった。
しかし、みんなにも語ったことだが、亡くなる人がいると、「不便」だ。
息子のことで面白いが困った話を、同じ年頃の息子を持つ、かなりリベラルな父親であったOくんによく聞いてもらったり意見をもらったりしたものだが、
「そうだ、Oくんに話そう!」と思った次の瞬間、「ああ、亡くなったんだった・・・」と思い出し、がっくりくるのだ。
亡くなって悲しいと全然思わなかった母親に関してさえ、
「父親が受けた心臓の手術は私と同じものなのか」ということを聞いておくんだった、とやはり「不便」に思う。
話せる人とは、話せるうちに話しておこう。
訊きたい話は、今、訊こう。
人間、大事なのは「今」である。

16年12月18日

昨日はパーティーだったし、今日は午前中は病院、午後は友達に会いに吉祥寺へ、という、私にしては忙しい週末。
でも、ここを越えればもう年末までノンストップ、通院以外、何の予定もないカレンダーになるはず。

行きつけの心臓専門医では、近々、心臓の奇形弁を交換する手術と大動脈瘤の手術をいっぺんにするかどうかを大きな病院で見定める、その準備のための中ぐらいの規模の検査を受けた。
検査のための検査だ。ややこしい。
まあ、6週間に1度の通院ペースなので、今回の結果が出るのも来年の話、大きな病院に行くかどうかはその時に考えましょうということで、それほど危急な話ではないのだ。
さらに拡張型心筋症を患っている可能性が高く、心臓に爆弾を3つも抱えているので、自分の寿命にあまり興味のない私はともかく、大内くんにとっては爆弾2つを回収できるその手術に、大きな期待を寄せているらしい。

心臓エコーを撮った後、MRIを撮るため、点滴で薬品を入れるらしいのだが、いつも見事だと誉められるひじの内側の静脈ではなく、手首から入れなければならないそうで、こちらは「細いわねぇ。入らないわ」と言われ、痛い思いをしたあげく、結局手の甲から入れた。(これも痛かった)
で、MRIの機械に入って、寝た姿勢で「腕を上げてください」と言われるんだが、これがまた、五十肩が痛んで。
点滴で薬品を入れると身体の内部がぽかぽかと暖かくなる不思議な感触がある。前にやった時とおんなじだ。
「お薬を入れましたから、このあとはたくさん水分を取ってくださいね」と言われ、検査は終わり。

ドクターの診察はいつものように血圧と胸の前後からの聴診器。
定期的な尿・血液の検査では、今もらっている薬が効いているらしく、心臓の働きを示す数値が良くなってきたらしい。
ただ、薬がないと暮らせない状態なのはどうやら確からしい。

何となく眉間にしわを寄せた大内くんの運転で家に帰り、ひと休み。
それから散歩で吉祥寺に向かう。
先月あたりから紅葉狩りに行った人たちの写真をフェイスブックで見て、うらやましく思っていたけど、井の頭公園でも充分に見事な紅葉を見ることができた。

約束の時間までたっぷりゆとりがあったので、ごはんを食べ(またパッ・タイを食べてしまったorz)、ブックオフに行き(またダブってしまったorz)、ヨドバシとロフトで買い物をした。
クリスマス前の日曜の午後とあって、街は活気にあふれていた。
iPhone用のコードなんていうつまらない買い物をしていても、妙にウキウキし、ロフトでは必要なわけでもないのに文具売り場でハサミを買ってしまった。
購買意欲に火のつくシーズンなんだなぁ。

2時にアトレの中のカフェで待ち合わせをした友人、4児の母であるミセスAは、生後1年の末っ子まで含めて全部を夫に託し、音楽会の練習のために吉祥寺に来たそうだ。
そのあとPTAの用事が入っているので、限られた逢瀬ではあったが、待ち合わせたカフェでマンガの話にぶわっと花を咲かせた、有意義な1時間だった。
彼女と会う時はいつも思うが、無駄なくてきぱきと事を進める人で、会話も情報量が多い。
マンガの感想を交換するだけで、ものすごく話し込んだ気分になれる、お得な話し相手だ。

ああ、それにしてもちょっと歩くと足腰が痛い。赤ん坊を抱えて走り回っていた頃もあることを思うと老けたものだと、20歳年下のミセスAのつるんとした顔をしみじみと眺めてしまった。
「もう行かなきゃ!今日はわざわざ本当にありがとうございました!」と言ってきびきびと彼女が立ち去ったのち、ゆっくりとお会計を済ませ、さすがにもう歩けないと思ったのでバスで帰った。

幸い席に空きがあり、大内くんが私を座らせてくれた。
いつも、座席が1つ空いていると彼は必ず私を座らせる。
荷物を持ってあげるぐらいのことは私もするし、女性で、年上で、ひざの悪い私を優先してくれるのは当たり前なのかもしれないが、若い頃から女性だからと言って特別扱いされることがほとんどなかったので、いまだに慣れない。
サークルの、女性部員たちはさまざまな思惑の中で誰か男性が送って帰るものだったが、私は1人でバイクで帰っていたんだよね。
おごってもらったこともないし、学生の大内くん相手だと、ヘタするとOLの私がおごっていた。
つくづく、女性としてお得な立場に立ったことのない人生だったが、後半に、こんな優しい扱いを受けるとは、想像もしていなかった。
得をしようと先行投資したわけではないが、結果的にエビで鯛を釣った格好になり、大内くんと結婚して、本当に良かったなぁ。

そして夜は早々とお風呂も食事もすませ、大河ドラマ「真田丸」の最終回をじっくり観て、ほぅーっと長いため息をつく。
堺雅人が素晴らしかったし、三谷幸喜の「史観」も大変楽しませてもらった。
こんなに面白かった「大河」は「新選組」以来だ。我々は、よくよく三谷幸喜が好きなのだろうか。
後は、録り貯めてある「逃げるは恥だが役に立つ」が何かと話題なので、全編を、今年中に観られればいいのだが。
他のドラマ同様、まとめて消去しちゃうかもしれないなぁ・・・

16年12月19日

やっと気分を落ち着けて書けるようになったので、遅ればせながら、息子のコントライブの話を。
先週の日曜の話だ。
場所は懐かしの下北沢。
私がOL時代に5年ほどアパート住まいをしていたところで、駒場から近いので、大内くんもしょっちゅう泊まりに来たし、まんがくらぶの宴会場になることもしばしばだった。
引きこもり寝た切り主婦の私にとっては、自分で稼いで自分を養っていた、とても楽しい時代だった。
お風呂がないので、500円玉を握って銭湯に出かけ、260円だった代金を払い、20円で髪を乾かして、残り220円でビールを買って帰って飲む。
残金ゼロ円の、美しい贅沢だった。

そんな下北沢は、線路が高架になったためか、もう、街として全然様相が変わってしまった。
自転車がごちゃごちゃおいてある下北。
洋服屋ばかりあって原宿かと思うような下北。
かつて住宅街だった場所が、いたるところで商業化している。
そして、それだけの人を収納しきれない街。
混沌とし、雑然とし、少し気持ち悪くなってる街。
でも、それが今の下北沢だ。

息子の高校が駒場だったのと、大学に入ってお笑い活動を始めてからは小さな小屋で時々ライブに出ていたのとで、年に2度ぐらいは行って、南口のアンゼリカでカレーパンを買うところから始まり、a亭でラーチャンを食べ、行きつけの喫茶店に行く、という行動を繰り返してきた。
今回は、昼と夜の2公演だったので、まず昼3時からの部を。
カレーパンとラーチャンまではすませておいた。
喫茶店は、7時からの回までの時間に行ければ行こう。

下北沢の100人ほどの小屋が、立ち見が出る寸前の満席。
いい滑り出しだ。
1時間40分ほどのライブは、ちょっと失望の出来だった。
全体の統一性がなく、ただのコントの羅列になってしまっていて。
ややがっかりしながら、いったん退場して、喫茶店に行く。

「ご利用時間が60分を超える場合、人数分のお飲み物の再注文をお願いしています。よろしくお願い致します。店主」

という掲示が、各席にあった。世知辛い。とても悲しい。
喫茶店って、コーヒー1杯で2、3時間ねばる、ってのがあたりまえだったのに。
しかも、30分たったところで「再注文お願いします」と店員さんがやって来た。
「まだ60分たってませんよ」と言ったら、「いえ、たちました」と言われ、ちょうど待ち合わせの友達が来たので全員注文はしたのだけど、時間の件はうやむやになってしまった。くやしい。
こんなふうにお店が感じ悪くなるなんて、本当にいやなものだね。

でも、やはり学生時代に下北沢になじんでいたその友達も(正確に言えばまんがくらぶの大内くんの先輩。駒場時代はみんな下北沢で遊んでいたのだ)、街そのものが変わってしまって悲しかった、と言っていた。

そんなことをしゃべっているうちに時間がたち、7時からの夜の部へ。
驚いた。
同じ内容なのに、2、3時間の間に、何をどう稽古したものだか、テンポや言い回し、表情などが格段に良くなっており、セリフを変えたところも数か所、気づいた。
お客さんの反応も断然良くて、昼の部ではくすくすと笑いが起こった場面で大爆笑、というところがたくさんあった。
やっぱり、本番は何よりの練習だね。実戦が一番。
昼の部では65点ぐらいしかあげられなかったけど、夜の部なら85点あげられる、と思ったよ。

後日、マネージャー兼美術担当の息子のカノジョから聞いた話では、やはり音響・照明をちゃんと入れた練習をする機会がなかったそうで、本番が初めてのトライアルだったらしい。
「だから、やっぱりゲネプロはやりたいんですけどね」と残念そうに言っていた。

それでも、昼夜ほぼ満席で、小屋代をあらかた稼ぎ出し、あとはチラシや道具類、スタッフさん達へのお礼などの出費分赤字が出たけれども、まあ、メンバーがお小遣いを出し合えば何とか、という範囲だったらしい。

いちおう録画してみたのだけど、あまりうまくできなくて、息子からデータをもらう約束もしてはいるんだけどいつになるかわからない。
もう1回観たい。

一緒に行った友達はソニーを3年で退職して以来ずっとゲームデザイナーをやってる男性で、
「面白かったよ。素人で、あれだけできればいいんじゃない?」という反応。
なにより、「赤ちゃんの頃から知っているよそんちの息子」が主宰だと思うと、
「キャストやスタッフ合わせて10数人の人間を、彼が動かしてあれだけの物を作った、ってのは、すごいんじゃない?立派な『主宰』だよ」との感想になるらしい。

次回公演も3月19日、ともう決まっており、息子はすでに次のコントを書き始めているという。
何に夢中になるか、わかんないもんだね。
親としては、「とことんやれ!」と応援してあげたい気持ちと、「真面目に卒業・就職を頼むよ」という気持ちの間でふるふると揺れ動いております。

終演後、友達と3人で簡単に飲み会(合計6杯、つまみ3品で1人750円ぐらい。激安)をしたのもあわせて、私にとっては1日がかりのイベントで、ものすごくくたびれた。
今週は、たぶん家から出られないで寝て暮らすな。まあいつものことだけど。

息子は何やら元気だ。
一番不思議だった出来事。

「キャンプ」のコントで、息子が小さな折りたたみ椅子に座っているのだが、それは私がイタリアに行く時、美術館等の行列に備えて買ったもので、耐荷重50キロ。
私が座っただけでみしみしいって怖かったので、ほとんど使わなかった。
そして息子は85キロ。
ずっとみしみしみしみし音を立てていた椅子が、夜の部の、コントの終わりの瞬間に壊れて、息子は大げさに後ろにひっくり返った。
大内くんは、演技でわざとやっていると思ったらしい。

しかし、その夜、家に戻ってきた椅子は完全にぐにゃりと曲がっていた。
息子も他のメンバーもよくごまかしたので、全然不自然でなかった、それは良かったのだが、いったい、なぜ、練習の最中とか、昼の部の時とか、夜の部でやってる途中とかでなく、最後の最後に壊れたんだろう?なぜあのタイミングで?
なぜ、ひっくり返ったことでかえって笑えるような、あの場面で?

やはり、息子は、「何か持ってる」のかもしれない。

次は3月19日にもう「第3回コントライブ」の開催が決まっているらしい。
とても楽しみだ。
卒業して就職できれば、その先のライブは難しくなるかもしれないが、本人は、「やれるところまでやりたい」と言っている。
すでに社会人として参加しているメンバーもいるそうだ。
第4回も第5回も、期待しているよ。

16年12月21日

息子が夜食を食べながら、読んでいるのは4年ぐらい前に私が渡した、「ミニ・ミステリ傑作選」というショートショート・ミステリの文庫本。
本を読みながら食事、という光景は初めて見た。
いつもはタブレットやスマホで映像ばかり見ていたから。
自分が選んだ本を読んでもらえるのは、とっても嬉しい。
こういう小ネタの本を読んでおくと、コント書くのに役立つと思うし。

iPad miniでは安部公房を読んでいるようで、こちらは大内くんセレクションなので彼が得意顔。
「ついに、やっと、本当に本を読む人になった気がするね。iPadも活用して、自分で選んだ本も、僕らが渡した本も、どんどん読んでほしいよ」と2人で語り合う。

息子にHDで渡した本のデータのうち、大内くんのは政治・歴史に偏っており、小説も古典が多い。
ひるがえって私のデータは、古いものでもブラッドベリのSFぐらいで、ここ4、50年のSFやミステリばっかり。
ごちゃまぜにしちゃおうか、という意見も出たが、一応「父」「母」とデータは分かれている。
「本棚を見れば人がわかる」ものなので、息子の評価がとても心配だ。

私は、ヘタクソな小説家だと思いつつ何となく好きで大量に持っている「名古屋人作家」清水義範(この人が、本当にまったく、無駄に多作なんだ)を、「息子は名古屋人ではないから」という理由でほとんど削除してしまったのだが、大内くんは素直に自分の手の内を全部さらしている。
潔い態度だ。見習いたい。
マンガの本棚からは、「ご近所スキャンダル」のたぐいは外してしまったし。千冊はあるのに。
ま、あたりまえか。彼には何の用もあるまい。

最近、本を読むのが非常に遅くなり、かつ、集中して読める時間が短くなっているので、文庫本1冊読むのに2日ぐらいかかる。
1日5冊読めた高校時代がウソのようだ。
老眼と緑内障と戦い、読書用のメガネを作り、すべての読書をタブレットで行うようになって5年ほど。
大内くんはなぜか、「時間さえあれば、昔以上に読める」のだそうだが、私はツバメがカタツムリになったような気分。
もう、あの天空を舞うような飛翔感と高揚を伴う、旺盛な読書欲は戻ってこないのだろうか。

特に、バイオリズムなのか何なのか、「読める」時期と「読めない」時期が交互に訪れるようになり、今、読みたいものはたくさんたまっているのに「読めない」時期なのが、焦りに拍車をかける。
再読が多く、新しい本になかなか手が伸びないのも私にとっては恥ずかしい悩みなのだが、これに関しては、大内くんの、
「本は、同じ本を読めば読むほど得るものがある。再読したい本があるというのは素敵なことだ」という意見を筆頭に、「再読というものをしたことがない」友人から、
「同じ本を読む、というのはとても贅沢でリッチな気がする」と言われたり、何年も同じ本を行きつ戻りつして「飴玉を口の中で転がすように」楽しんでいる友人の賛意を得たり、意外な気がする。
彼らには、「中身を忘れちゃうから」という単純な理由を、言えない気がする。

さて、息子はどんな読書家になるのだろう。
マンガも含めて、紙でも電子でも、書に親しんでもらいたいものだ。

16年12月22日

男友達と会った時、
「最近、手足が冷たいんだよなー」と言われたので、
「電気あんかがいいよ。すごく足が温まって、よく眠れるよ」と薦めたら、
「やっぱ、1人暮らしだからなー、電気のものって怖いんだよ。消し忘れて出火して、火事になったら、と思うと」と否定的だった。

あんかの良し悪しは別として、私は、もう30年以上つきあいのあるこの男性の若い頃を当然知っており、あの、やけくそで無軌道でいいかげんだった男が、出火を案じるとは!とものすごく新鮮な気がした。

しかしそれを言うならば、やはりいいかげんな男だった大内くんが、
「明日の朝の分のごはんあるかな。1食分しかないな。カノジョくると足りないから、炊いておこう」と夜中のキッチンでごそごそしているのを見ると、人はいつか、「かなり」きちんとするもんだなぁ、って思う。

私が小学校3年生ぐらいの時、1人でバスに乗って、少し遠くの市民プールに行った。
帰ろうと思ってバス停に行ったら、30分に1本ぐらいしかないバスは、出たばかりだった。
私は「なんとなく」家の方向に歩きだし、途中であまりに暑いので、「なんとなく」アイスを買って食べた。
帰りのバス代を使い込んで、である。

一文無しになった私は、歩きながらアイスをおいしく食べ、最後に棒をペロペロなめながら、
「さて、これからどうしようか」と、極めて泰然自若に考え始めた。
家方向に歩いてはいるものの、そう簡単に歩いて帰れる距離ではない。
お天道さまもかっかと照りつける夏の日の午後。

と、そこに買い物帰りの母親が車で通りかかった。
当然、私は回収され、なぜこんなところをふらふらと歩いていたのか説明しなければならなかった。
訊き終わった母親はあまりに茫然としたので叱るのも忘れ、
「ママが、通りかからなかったらいったいどうするつもりだったの?」と訊いてきた。

「さあ。なんとかなるかなーって、思ってた。実際、なんとかなったし」

こういう性格の人間が、老後の生活が心配だとかシャンプーのストックが切れかけているから買わなきゃあとか考えて暮らしている、それがオトナの世界。

おこづかい帳をつけなければおこづかいは停止だ、といくら言われてもどうしても入出金の管理ができなくて、週に50円のおこづかいをもらうとダッシュでお菓子屋さんに行き、50円のチョコベビーを買い、その日のうちに食べてしまっていた小学生が、市販のものとエクセルで自作したものと2つの家計簿をつけ、年間の費用をにらんでは、「医療費が多すぎる!」と悩むようになる。
息子の今の生活は心配だが、家を出てしまえば、案外なんとかなるのかもしれない。

大内くんは、
「僕が本当の意味でオトナになってちゃんと働けるようになったのは、唯生のために介護休暇を取った時以来だ。あの、1年間が僕を完全に変えた。キミと一緒に唯生と生まれたての息子と過ごしたあの1年間は、何物にも代え難い」といつも言っている。
私も、子供を育て、それが終わりになりそうな今、自分の性格が完全に変わっているのを感じる。
単に年を取ったせいかもしれないが。

人間は変わる。
今の私の楽しみは、息子がオトナになっていくことだ。
昨夜はコントグループの男性メンバー2人と銭湯に行ったと言う。
楽しそうだね。
オトナになっても、ずっとつきあっていける人たちがいっぱいいるよ。

16年12月24日

2人で久しぶりに昼まで寝て起きたら、息子はとっくに出かけた後だった。
いつも1万5千円入れてある現金袋を調べてみると、3千円しか残っていない。こんなに持ち出すのは珍しい。
ラインで「1万2千円持って行った?」と尋ねると、「うん、借りた」。
「いささか多いねぇ」
「カノジョ、今日誕生日なのよ」
「そうなのか!ごはんとか、どうするの?」
「材料買って行って、自分たちでお鍋をしたいんだけど」
「いいんじゃない?時に、そのお鍋に我々も混ぜてくれ、と言ったら迷惑だろうか?」
「いや、別に」
というわけで、家での今夜のごはんはお鍋になった。

9時ごろ、大きな買い物袋2つ下げてやって来た彼らに台所はまかせちゃって、30分ほどしてカノジョが書斎のドアをノックして、「できましたー」と言われるまでのんびり。
何鍋でもないようで、やっぱり「ちゃんこ風」と呼ぶものなんだろうか。

出汁を取って、塩で味付けした、という風情ではんぺんとかさつま揚げとか入っており、ますます「ちゃんこ風」だ。
私は好き嫌いが多く、特に「さかなのすり身全体がキライ」、と論理的な表現ができる偏食の徒。
「かまぼこ」「はんぺん」「ちくわ」「さつま揚げ」まとめて全部ダメ。

でも、他の食材も山のように買ってきてくれたので、全然困らなかった。
キャベツや豚肉もたくさんあって、むしろ、さしもの私も途中でギブアップしてしまった、という状態だ。

昔、誰かにお礼にもらったか買ったか釈然としない白ワインを開けて1本飲んだ。
カノジョはそれほどお酒に強くないのか、真っ赤になっていたけど、息子は平気な顔をしていた。
お皿を洗ってリビングを引き払う頃には、2人はソファでもたれ合うように肩を寄せて、映画を観ていたようだ。

イブを一緒に過ごすカノジョがいる!
しかも、自分の親に紹介してあって、一緒にお鍋をつつくことができる!
息子よ、いい人生じゃないか!

ただ、就職のこと(春から行く予定の会社)のこととかを話すと、まだまだ未成熟だなぁ、と感じる。
「クリエイターだし、私生活でもエンタティメントに関わるオレ」という意識がいまだに邪魔をしている気がする。
思えば大学1年の後半ごろ、病院で夜勤の事務処理のバイトをしていたが、早く帰りたかった時に、彼は、
「オレ、サークルのネタ見せあるんで」と当然のように帰ってしまったらしい。
ネタ見せ、とはオーディションなんかでみんなに漫才やコントを見てもらうもので、この場合、もちろん「お遊び」である。
それを、誰にでもそう言えば通るような錯覚を起こして、おまけにお笑い用語で言っている、というあたりが非常に恥ずかしい。

私たちは今、その懸念に取り憑かれているのだ。
「明日、ゲネプロだから休みます」
首になるよなぁ・・・

また、息子は息子で会社ととてもいい関係で入社を決めたらしく、
「仕事がイヤになるなんて考えられない。絞り出すのは苦しいけど、好きな『コンテンツ』を作るだけなんだから、公私ともにやる気があるよ」と言われると、
「会社ってのはね、いやなこともいっぱいあるの。あなたのまわりが全部コント屋さんだ、なんて面白い状況じゃないの!」と言いたくなる。

おまけに、「大丈夫。オレ、レベルいから。同期の中でも『ささってる』から」と言うに及んで、ちょっといい気になり過ぎてやしないか、とこれまた心配。(もちろん意味不明です)

まあ、そんなことを話してくれるだけでも、昔よりはずっといいかも。
昔は会話が成立しない、という、私が最も苦手とする日々だったからなぁ。
とにかく、朝、自分で起きて会社に行ってくれ!

16年12月25日

今日もごろごろして過ごした。
大内くんが日ごろくたびれ気味なので、こういうのんびりした日があるとありがたい。
だらだらと散歩に行き、ツタヤまで行ったのでDVDを借り、家でだらだらと観る。
これに「ぬる燗1本」がつけば、大内くん的にはもう何もいらない、という状態だろう。
いや、別に飲んでもいいんですが、本人が、
「明日会社だから、やめておこう」と言ってるので。

かわりに最近うちで流行りの「ほうじ茶」と「みたらし団子」を食べる。
時は8時過ぎ。
「あーあ、日曜のこの時間に、『真田丸』なしにお団子を食べてるなんて・・・」と、大内くんはすっかり「真田丸」ロス。
気の毒だ。
おまけに、来年の大河ドラマはイマイチ応援する気にならないらしい。
なんだか東村アキコが流行って来そうな内容ではあるが。

今週3日行けばお正月休みだ。
カレンダーが今ひとつで、もうちょっと休みたいなぁ、とは思うものの、お休みは嬉しい。
今年はお客さんの都合がつかなかったこともあり、家で「小さな新年会」をするのはやめにした。
ご馳走も作らない。
息子に、「お正月の、いつもの肉、食べたい?」とローストビーフのことを聞いたら、
「いや、いらない」という返事だったし。
大内くんは再び「がめ煮」を作りたいと言う野望を燃やしているらしい。

新年会の代わりに、年が開けて2日、吉祥寺に行ってクルン・サイアムでパッ・タイを食べるつもりなので、お客さんが1人きりになってしまった場合の「小さな小さな新年会」のお客さんであるKさんを誘ってみる。
これでダメなら、大内家史上まれな、新年会のなかった年、ということにしよう。

(後日、Kさんと1月2日にクルン・サイアムで会う合意ができた。新年会だ!)

16年12月26日

「アイアムアヒーロー」、息子が中学生ぐらいの時からだんだん本棚を侵食していたので、「これは1度読んで、イマドキの若い子の感性について行かねば」と思っていたら、あれよあれよという間に20巻を超えてきた。
昨日、やっと全部を読むことができたが、終わってないんかーっ!

10年ぐらい前に1巻を手に取ってぱらぱらと見てみた時は、「ちょっと大友的。オタクマンガ家の日常マンガ?」とか思ったんだが、読んでビックリ、「寄生獣」か「進撃の巨人」。
映画化されてるが、怖くてグロくて観られないと思う。
なんだか「ぱらいそさ行くだ」って臭いもするし。

あー、イマイマのマンガ読むと疲れます。面白すぎて困るものがいっぱい。
もう、死ぬまで「手塚治虫全集400巻」を読み返して生きるつもりだったのに、「東京タラレバ娘」とか「先生の白い嘘」とか読み始めちゃうし。大内くんからは、「このマンガがすごい!」を毎年買うように厳命されました。
2017年版を買ったので、今、アマゾンさんとのやり取りが「すごい」。

つくづく、自炊してなかったら、こんなにマンガ買えなかっただろうなー、って思う。
買うお金がないわけじゃないんだ、置くスペースがないんだ。私が「金の国水の国」「寂しすぎてレズ風俗に行きましたレポ」をじゃんじゃん買っている間に、大内くんはひそかに英文法の参考書とか買ってる。なんで今さらそんなもの買うんだ?

16年12月27日

息子は金遣いが荒い。
月に10万ぐらい使うことも珍しくない。
大内くんがもらっているお小遣いからすると、爆風スランプが「45歳の地図」で、

「いつの間にやら息子も 一流私立大学生
コンパコンパで明け暮れ 俺より金を喰らう」

と歌ってる、まさにその状態。
入学して1年足らずで病院の夜勤で120万円を稼ぎ出し、そのうち90万をパチンコですった男だからなぁ。

それ以来、本人も自分がお金を持っているのがコワイらしく、毎朝、
「今日は飲み会あるから3千円貸して」
「友達と映画観るから2千円貸して」といった具合に、毎日小分けにして借りていく。
面倒なので、
「1万円、とか持っててそれで1週間暮らす、ってできないの?」と苦情を言うと、
「大金を持つと使っちゃうから…」と情けない顔をする。
おかげで、私の財布はいつも千円札でぎっしりだ。

うちは、お小遣いをあげる式ではなく、一応、彼が親から借りる、という方式になっている。総額でもう300万に近いだろうか。(旅行代金とかライブの費用も含まれる)
いつになるかはわからないが、就職したら頑張って返す、といつも言っている。
でも、それを聞いた我々の友人たちは異口同音に、
「それは、返す気ないね」「返ってこないよ」と言う。どうしてだろう。
本当に返す気がありそうに見えるのは、親だから?

最近、公演もあったことだし、お金がずいぶん出て行った。
週末にカノジョの誕生日&イブということで1万2千円也、翌々日に本を買いたいと言って8千円也、明日とあさっては飲み会があるので合わせて6千円也。

公演の会計自体、今、不明瞭になっているので、大内くんが貸借対照表を作れ、と言って指導しているようだが、プライベートもなぁ・・・と思っていたら、息子からラインが来た。

「お金の管理は私が学生時代に解決しなきゃいけない最後の課題だと思います。
必ず克服しますので、どうか暖かな目を向けてのんびり見ていてください」

ちくしょう、こんなこと言われたら四の五の言えないじゃないか!
というわけで、今日も問題は未解決、息子は私から小金をむしって出かけて行くのでした。

16年12月28日

昨夜、珍しく息子が早く寝てしまったので、
「どうしたんだろう」「疲れたのかね」とささやきあっていたのだが、一夜明けて謎が解けた。
彼は、6時頃から起き出して、シャワーを浴び、出かける支度をしているのだ。
「どこ行くの?」との問いに、「高校」と短く答えながら柔道着をリュックに詰め込んでいる。
そうか、今年の稽古納めに、先輩として参加するのか。
そのために、早寝したのか。

彼が出かけてしまってから、大内くんと2人、何だか泣きたいような笑いたいような。
「彼の身体には、柔道が染みついてるんだね」
「いくらお笑いの水で洗っても、落ちないんだね」
日頃、
「柔道なんかやりたくなかった。お笑いがやりたかったけど、高校にそういうサークルがなかったから、しょうがないんで柔道やってた」とか言って親を心配させているが、小学校1年から12年間、もうどうしようもなく、柔道の人だよ。

大内くんには別の心配もあるらしく、
「高校卒業以来10キロ以上も増えた、あのぶくぶくの身体で、現役の人たちと勝負になるのかね。怪我しないといいけどね」と気をもんでいる。
まあ、確かに体格はずいぶん変わった。
少なくとも高校時代は、腹が出てはいなかった。
今では、コントの踊りの場面で腹が揺れて、笑いを呼んでいるほどだ。

夜の7時頃と、日頃の彼にしては早いおかえりではあったが、稽古が何時まであったのか、そのあと何か会合があったのか、一切教えてくれない。
「前より、弱くなってた?強くなってた?」と訊いたら、「普通」。
コメントはそれだけですか。
そしてそれきり、シャワーを浴びたと思ったらバッタリ倒れて寝てしまった。熟睡。
よっぽど疲れたんだろうなぁ。先輩の威信を保つのは大変だよ。

部長まで務めて頑張った高校柔道部だ、思い入れがないわけがない。
でも、彼の考える「カッコよさ」は、そのへんを知らん顔で素通りするところにあるらしい。
お笑いに燃える青春もそれなりにカッコいいが、汗と涙にまみれた柔道漬けの高校生活もカッコよかったよ!

16年12月30日

大内くんは昨日から待ちに待ったお正月休みに入った。新年3が日いっぱい、6日間のお休みだ。
2人で本読み放題、テレビ見放題。わくわく。

息子は何やら毎日出かけているし、我々も買い出しや料理に忙しい。
しかし、このお正月休みには、結婚以来何らかの形でほとんど毎年家でやっていた「新年会」をお休みし、外で友人1人とランチをするだけ、という超簡略版にしたので、作る料理もさほどない。
大内くんは例年の如く「おでん」を作ったが、量はかなり絞ってある。
それでも三浦大根まるまる1本と卵が20個入っているという豪儀さではあるのだが。

一方、私は、息子が大好きな「和風ローストビーフ」を経済的理由からやめにした。(作るのは全く簡単なので、手間はいいんだけど)
「食べたい?」と事前に聞いたら、「いいや」という答え。親孝行だ。ひと言で8千円ぐらい家計が潤ったぞ。
かわりに「スモークサーモンのマリネ」を作ることにした。
これは、香草の「ディル」を入れるかどうかでまるっきり別物になる。
幸い、吉祥寺の魚屋の隣にある八百屋のディルは安かった。100円。
私は「180円ぐらいかな」と思っていたが、大内くんは「300円ぐらい」と思っていたらしい。
どっちにしてもローストビーフでの節約を思えば些細な問題だ。

昼まで寝て、最低限の掃除をし、それぞれの料理を作り、並んで本を読んで、大内くんは今、息子が通っていた町の学習塾の忘年会に行っている。
息子の同期たちがバイト講師を務めるのもそろそろ今年で終わりだし、大内くんは近い将来定年退職したらその塾に雇ってもらおうと、毎晩、英語と世界史を勉強しているのだ。
また、塾長に営業をかけに行かねばならない。
なぜか先日、息子が夜中に「塾長と飲んでる」と謎のラインを寄こしたので、そのへんの話も聞いてきてくれるように頼んでおいた。

忘年会が終わって帰って来たら、お風呂に入って、みたらし団子を食べながら録画してある「レコ大」を観るのだ。
どうせAKBかEXILEトライブが取るんだろうが、どっちが取るかぐらいは、まあ観てみてもいいかな、と。
息子のカノジョ、来るのかな。来たらおでんとサーモン食べさせてあげたい。
週に3日は泊まりに来ているので、ここ2日ぐらい顔を見てないのが気になって、昨日、
「もう、今年中にはカノジョ、来ない?」と訊いてみたら、
「さすがに大みそかは来ないでしょ」と言うので、
「そうか、今年はもう、顔見られないのか」とちょっとがっかりしたら、表情も変えずに、
「明日来ない、とは言ってない」とのたもうた。

さて、いつも、「来る直前30分までは来るか来ないかわからない」カノジョ、大みそかイブのお泊まりはあるのか?!

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