17年1月1日
今年も年が明けました。
皆々様にはお変わりなく、おめでたい日をお迎えのことと思います。
また1年、大内家をよろしくお願い致します。
まずは、大みそかの暮れ模様から。
12月31日
この休みはとにかく家事に手を抜いて、夫婦とも本が読みたい、ということで、年越しそば用の天ぷらを買いに行く以外は外出せず、ずっと家でごろごろと過ごす。
紅白の途中でかき揚げそばを食べ、続きを見ていたら息子が帰ってきた。
年明けを一緒に迎えるのは、大学入学以来、初めてのことではなかろうか。
いつも、夜中は出かけていて、そのまま成田山まで初詣に行ってしまったりしてたから。
紅白を観終って、「紅組勝利はどうしても納得できない。テレビの前の視聴者の意見はどうなる!」と憤懣やるかたない気持ちでいたら、いつの間にかテレビは息子が勝手に「ガキつか」で奪って行き、
「もう12時だよ。年、開けた」と言われて我に返り、互いに「あけましておめでとうございます」「どーも―」といった気の抜けた挨拶を交わす。
我々は寝室で本を読み、息子はガキつかを見続け、結局、3時頃にみんな寝た。
1月1日
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします!
10時頃にお雑煮。今年は家で新年会をやるのを省略したので、作ったのはお雑煮とサーモンのマリネのみ。
大内くんがおでん作ってくれたのはまた別の機会に食べることにして、食後は息子の運転で1時間ほどの永山駅にある「竹取の湯」という「岩盤浴場」に出かける。
私は、この温かい(というより熱い)岩盤があまり得意ではなく、気が進まなかったのだが、息子に異論がないうえ、大内くんはたいがいの疲れは岩盤の上で眠っていれば治るという体質なので、ま、仕方なく。
息子のハンドルさばきはなかなかうまくなってきて、免許を取って3年、もう1人で運転させてもあまり心配ないレベルだ。
ただ、デートに貸してくれとかいう申し出は滅多にない。
むしろ、コントライブの荷物運びに駆り出されるぐらいだ。
前の、大きなノアだったらいろんなものが積めたんだろうけど、今は小さなアクアだからなぁ。
家計の事情で、申し訳ない。
行く途中に唯生の暮らす施設があるので、
「お正月だから会いに行こう。あなたはしんどかったら車で待ってていいから」と息子に言ったら、外泊できなくなった唯生に2年前に会いに来て、帰り道で号泣していた彼は、
「うん。待ってる。行くだろうとは思ってたけど、事前に言っておいてほしかった。オレの、すごくナイーヴな問題なんだ」と複雑な顔をしていた。
その気持ちはよくわかる。
唯生に会うたび、25年たってもいまだに心底からは彼女を受け入れられない自分を見つけ、そんな自分を責め、健常に産んであげられなかったことまで含めて、様々な思いが私の胸中を去来するのだ。
息子に、無理に会え、とは到底言えない。
幸い、唯生は機嫌もよく、おだやかにしていた。
短めの訪問となったが、大内くんは、大好きな唯生の首筋の匂いをかいで、
「健康そうな匂いだね。元気だね」と喜んでいた。野生生物的な可愛がり方。
そこから車で30分ぐらいの岩盤浴場は、休日料金で1人2300円。
浴衣(よくい)とタオルを借りて、さっそく浴衣に着替え、岩盤浴ゾーンへ。
ここは男女混合だから大内くんの横にいられるのだが、いかんせん、おしゃべり禁止。
もっとも大内くんはそんなことおかまいなしに、「どこでも寝る男」の本領発揮だ。5分ほどで寝落ち。
息子は備え付けのマンガを持ってきて読んでるようだし、なんだかんだ言って家族が全員並んで岩盤浴してる。
私は30分ほどでギブアップ。
と言うより、私の呼吸音があまりに荒いので、寝ていたはずの大内くんが、
「心臓が苦しいんじゃないの?」と訊いてきて、そう言えば息苦しいので、早々にお風呂ゾーンに退避した。
こっちは男女別浴。ここにいるかぎり、息子や大内くんには会えない。
露天風呂に浸かったり上がったりを繰り返し、のぼせてきたので水風呂に入ってみたら、関節炎で痛めている左足のひざに固まったような痛みが。
こりゃいかん、とまた温水に入ってなんとかひざをなだめ、あとはもっぱら露天で頭や上半身を涼しい風に当てながら温度調節し、1時間半ぐらいを消化した。
昼ごはんを一緒に食べる約束だったので、浴衣に着替えて集合場所に行ってみたら、大内くんがカルピスウォーター飲んで待ってた。
息子は、10分過ぎても現れない。
珍しいな、と思っていたら、食事が終わったら用件があって帰るつもりらしく、普通の服に着替えて現れた。
「あれ、待ち合わせ場所、上じゃなかったの?」「ここだよ」というやり取りで、どうやら彼は別の場所で10分ぐらい待っていたらしい。「ケータイに『どこにいる?』って、ラインしたんだよ」と言うが、大内くんも私も浴衣姿でケータイ持ってなかったんだよね。申し訳ない。
かなり混んでいる3時半のお食事処で、大内くんは天ざる定食、息子はカレーうどんセット、私は豚生姜焼き定食を頼む。
こういう時、息子は、何も言わなくてもセルフの給茶機へ行き、人数分のお茶を持って来てくれるようになった。これも成長か。
生姜焼き定食は少し甘かったが、まあ、美味しかった。
息子の卒業や仕事の見通しなど、語ってもらおうじゃないかと思っていたら、4時から、正面にある低いステージで、若い女の子たちの和太鼓の演奏と歌が始まってしまった。
音がものすごくて、隣に座ってる大内くんとでさえ話が通じない。まして対面に坐っている息子とは、全然会話が成立しない。
それでも、音がやんだ瞬間を見て息子が、
「これで食って行けるのかな。オレ、ちょっと顔見てこようっと」と言いながら、近くまで行ってよくよく見ていた。
彼も、もしお笑いの道を選ぶなら、こういったステージで、聞いてくれるかどうかわからない不特定数のいろんなお客さんの前で漫才とかやらないといけないんだろうか。
そんな思いが、彼の胸にも当然あったに違いない。
食事を終えて、先に帰る息子と別れた。
大内くんと私と交互にぎゅうぎゅうと手を握り締め、人目がなければハグしたいところだったのだろう、しきりと、
「オレ、頑張るから。大成するよ!」と堅い約束をしてくれた。
何で、どう大成するつもりなのかわからないが、旅立ちの目をしていた。
「母さんは、あなたがあなたらしいあなたになってくれれば、それ以上は望んでいないよ」と言ったら、手をぎゅっと握って、
「大丈夫だから!」と真面目な顔だった。
息子と別れた後、もう30分ほど大内くんとそれぞれ男湯と女湯に別れてお風呂に入り、ロビーで待ち合わせ。
今から、車で20分ほどの南大沢のTOHOシネマズに「この世界の片隅に」を観に行くつもりだ。
大内くんは運転しながら、岩盤浴で私の心臓が苦しくなった話と水風呂でひざが痛くなった話を聞き、ぽつりと、
「もう、ここの岩盤浴場に来るのも最後かな」とつぶやいていた。
「あなたと息子はけっこう岩盤浴が好きなんだから、2人で来ればいいじゃない。お風呂も一緒だし。私は留守番してるよ」と言っても、あまり喜んではもらえなかった。
最近、私の体の不調でできないことが増えてきた気がする。まだそれほどの歳でもないのに。
TOHOシネマズに着き、予約してあったチケットを発券してもらう。
今日は1日だから「映画の日」でどのみち1100円だけど、私が50歳になった7年前から、「夫婦のどちらかが50歳以上なら2人分で2200円」という「夫婦50割引き」を愛用している。3年前から大内くんも50歳になったので、堂々の「50割引き」。
でも、値段は一緒。
今回の映画はあまりに世間の呼び声が高いので、
「去年あたりから、アニメ・ファッショを感じる」と言いつつ、DVD派なのを敢えて劇場に足を運んだ。
こうの史代も好きなマンガ家だし。
ジャパニメーションの実力を見せてもらおうか、と思ってやって来たのですよ。
導入のほっこりした画から引き込まれる。
人物たちの表情が豊かだ。遠景もいい。
とてもあたたかいものが全編に流れているのを感じる。
少しなつかしいような、胸に小さな灯がともるような。
事態がきな臭く、風雲急を告げて来てもその、どこかあたたかいものは消えない。
あの、小さな爆発までは。
そこからの、時間がのろのろと過ぎるような、何かが止まってしまったような流れが印象的。
しかし、やはり時間は動き始める。
今度は、大きな爆発が起こっても、呉の人々の生活はたちまちには変わらない。
不安が、哀しみが、踏みにじられたかすかな怒りがある以外は。
全体に、すごい映画だと思った。
観るべき1本だ。息子にもそうラインしておいた。
こうして2017年の元旦は暮れて行く。
17年1月2日
吉祥寺で友人女性と「小さな小さな新年会」。
11時半からタイ料理を食べ(私は今年の初パッ・タイ)、そのあと喫茶店へ。
デザイン関係の仕事をしているフリーの彼女の話はいつもとても面白い。
オランダに行く飛行機の中で隣に座っていたオランダ人夫婦は、「錦鯉の買いつけに」日本に行っていたらしい。
「カープ、と言っていたから、たぶんそうなんだろう」とのこと。確かに他には考えにくい。
いろんな話をし、例年通りお年賀にカレンダーをいただいた。(お礼にキャンベルの缶スープを2つ、持って行った)
壁に貼る大きな1年カレンダーだが、2018年の3月まであるところが他とは違う。
息子の受験期など、夏頃からもう1月2月の予定が入ったもので、非常に役に立った。
来年は1月にローマに1週間ぐらい行こうと思っているので、GW過ぎぐらいに旅行社が1月のカレンダーをパンフに載せ始めたら、このカレンダーにローマに行く日を書き込むことができる。楽しみだ。
2時間近く話して、友達と別れ、ジュンク堂でローマの本を買う。
新刊本屋で買い物をするのは超久しぶり。つーか、本って、高いなぁ。
でも、ずらりと並んだ新品の本たちは、とっても魅力的だった。
ふらふらと、もう読まないブラッドベリを買いそうになった。
今回は、珍しく吉祥寺への往復を歩き通すことができたが、くたくたになった。
「1時間20分歩いてきた」と言っていた友人は、大内くんと同じぐらいの歳だが、江戸時代の人ですか?と言いたくなるほどの健脚だ。
我々は、1度に1時間も歩けないと思う。
夜は、録画し忘れた「格付けチェック」を、大内くんがパソコンで観られるようにしてくれたので観る。
ホリエモンと組んだGACKTさまは今年もパーフェクト。8年通しての48勝の個人記録を伸ばしている。
来年はどうあっても高見沢さまと「チーム・アーティスト」を組んでもらいたい。
高見沢さまは、ワインとか豪快に間違えそうな気がする。「忘れろ〜!」と叫ぶかもしれない。
大内くんのご両親を訪問していた息子が、デートを経由したらしく、今、演劇少女のカノジョから借りて読んでいる「ガラスの仮面」、先に進んだものを持って帰って来た。(文庫版を3冊ずつ毎日のように交換してくる)
ここから怒涛の「大内家家族新年会」に突入するとは想像もしていなかったが、夜食を食べ終わった息子に大内くんが大胆にビールを勧め、息子がノートパソコンを見ながらとは言えそのグラスを受け取ったので、私も缶梅酒で参戦。
いや、結局、1時間半ぐらいは話したんじゃないかな。
途中で大内くんがソーセージを茹でると言い始めた時も、息子は「あれば食う」と言って実際食べてたし、ビールをひと缶飲み終わってからも、「日本酒、もらおうかな」と言って、大内くんのお酌でコップ酒2杯目まで行ったし、私の知る限り、息子がこんなに酒を飲み、親と語ったことは、かつてないような気がする。
まあ、いろんな話をしたよ。
●就職について
・早く働きたい。楽しみ。
・自分はゲームの仕事ができると思っている。
・昔バイトの時にやってしまったように、プライベートを優先させるような失敗はもうしない。仕事とコントの用事が重なったら、仕事を優先させる。
・お金を稼ぐこと、は非常に大切なことだと思っている。
●お笑いについて
・いろいろあるとは思うが、自分は、コントという形に行きついた。
・今のユニットを、どう続けていくかはわからない。それぞれ仕事をし始めれば事情が変わって来るだろう。
・食って行きたい、と思わないではないが、その道はまだ見えない。
・人からお金を取れるだけの物を作って行きたい。それには、一にも二にも勉強だと思う。しかし、大学の勉強にはほとんど興味が持てない。
●自分の歴史について
・小学校の頃から家にあるDVDで面白い映画をいろいろ観てきた。
・高校で友人とお笑いをやり始め、文化祭の中夜祭で2回、漫才をやったが、サークルがないのがとても残念だった。
・柔道は、どうでもいい。しかし、さすがに12年やったので、身体についていていつでも出せるし強いから、楽しいとは思う。
・大学でサークルに入ったことは大きな転機だった。
・しかし、食って行こうと思えるほど、本当にお笑いに目覚めたきっかけは、4年生の冬にやった「合同コントライブ」だった。
・その後もそのかかわりの中でユニットを立ち上げ、大学5年生の生活をしているが、やりがいがある。
●家族について
・親には何の文句もない。ありがたいと、感謝している。
・両親が仲がいいので、たいへん嬉しいと思っている。
・父親が働いてお金を稼いでいるという点は立派だと思うが、両親ともややヘンな人たちだし、空気が読めなくて世間が狭い。まわりから疎まれていないといいが、と心配している。
●自分の生き方について
・「明日死んでも後悔しない」という生き方をしたいし、ほぼできていると思う。
・人から、「おまえ、ダメじゃん」と言われても、「今はね」と言い返せるぐらい、いつも前を向いて努力をしていきたいと思う。
・そのためには、とにかくインプットを多くしたい。今は本を読みたい。
とまあ、これぐらいのことをしゃべったわけよ、我々がうながしたとは言え。
私は途中からもう頭が真っ白だし、大内くんは酔っ払ってるしで、今書いただけの分量を思い出すにもものすごい手間がかかった。
これまでの学校生活で、息子はいつも、入学当初はぱっとしなかった。
しかし、なぜか最終学年になると、人が変わったように俄然やる気を出し、到底無理だと言われていた第一志望の高校、大学に受かってきた。
そんな彼を我々は、「最終学年の男」と呼んできたが、大学では、留年したこともあるし、今でも単位はギリギリで大いに心配な状態だし、今年が最終学年かどうかの見極めがつかなかったのだが、今夜、確信を持った。
目の前にいるのは、「最終学年の男」だ。
いいかげん夜も更けたので、大内くんが「もう寝よう」と言って新年会はおひらきになった。
「オレは、いつでも聞かれたことには普通に答えるよ」と言っていた息子に、
「これからは、こういうふうに聞けば、ちゃんと答えてもらえるんだね?」と訊いたら、
「こんなにはイヤだ。時間の無駄」と一蹴された。しくしく。
まあ、いいや。
今夜の収穫は、23年間育ててきて、一番の豊作だった。
親の希望は、ほぼすべて、かなったと言っていいだろう。
17年1月3日
お休みも終わりの日、私は、昨日の晩の「灼熱の家族新年会」で、どうしてもガマンできないことがあった。
息子は、話の中で、「母さんをどう思う?」という質問に対して、「知識人ぶりたい人」と言ったのだ。当人を前に。
当たらずとも遠からずなだけに大ショック。
新年会が終わってベッドに行ってからも腹立ちがおさまらず、地団太を踏んだ挙句に蛇足な文句をつけに行ったが、
「素直な感想。悪口を言ったわけじゃない」と言われてすごすごと退散。
べろんべろんになった大内くんは、
「2人で育てた子供が親の批判をするまでになった。喜ぶべきことだ」と浮かれて、
「実際、そういうとこあるのは自分でもわかってんでしょ?」と泣きっ面に蜂なことを言ったと思ったら寝てしまった。
私はむしゃくしゃして眠れなかったぞ!
で、今日になってフェイスブックで、
「息子に『知識人ぶりたい人』と言われました」と書き込んで泣きついたら、「いいね」をして去る人ばかりで、コメントはない。
「慰めてください!」と自分でコメントをしたら、それにも「いいね」だけして通り過ぎる人たち、という有様。
大内くんは、
「どう見ても一種の痴話ゲンカだし、ここに集う人たちには、ちょっとコメントしにくい内容ではあるんだよ。みんな、身に覚えがあるんじゃない?いいじゃん、僕が慰めるから」と言う。
でも彼は、昨夜、ものすごく大事な話が勃発しているのに1杯2杯の酒を余分に飲みたがるばかりで、未来を語る息子の前でべろんべろんに酔っ払っていた。
「肝心のあたりはみんな忘れた」という状態になってしまったことを猛烈に責め立てられ、
「そういうのを八つ当たりって言うんだよ」と軽く逆切れしたところで、私の怒りMAX。ちゅどーん。
しかし、高校の先輩女性が、
「よしよし、いい子だ。あなたは知識人ぶってるわけではなく、本当に知識人なのだよ」と言ってかばってくれたし、まんがくらぶの後輩は、
「子供の成長と思って乗り切りましょう」と建設的な意見を言ってくれた。
「まさかの友は、真の友」という言葉を久々に思い出す私であった。
とは言え、息子との間で、これはやっぱり解決したい。
そんなふうに思われたままではいたくない。
いくら大内くんが、
「僕だって、一緒に『文化人ぶってる』って言われたよ?彼は、何度も言ってたじゃない、『お金を稼いでる点だけは別にして』ってさ。彼は今、コントでお金を取るかゲームを作ってお給料を稼ぐかしなきゃ、って一生懸命だから、稼ごうとしてない人の文化活動に、厳しいだけだよ」と説得しようとしても、息子との間で決着をつけなければ気がすまないのが、私の因果な性格だ。
幸い、息子は「聞かれれば答える」と言っていた。
面と向かって話すと無愛想な表情に委縮してしまうので、ラインで。
「羊と鋼の森(本屋大賞)って、どういう意味のタイトルだと思う?」
「わかんない」
「ピアノのことだよ。鋼鉄の弦をフェルト(羊毛)で叩いて音を出す構造だから」
「へえ」
「父さんから教わった。小説としてはおとなしすぎるけど、タイトルのつけ方だけは面白かった」
「そうかあ」
「こういうところが『知識人ぶってる』のかなぁ?」
「いや、そんなことないんじゃないかな」
「これからあなたにいろいろ言って行くつもりだから、知識人ぶっていて嫌だと思ったら、その都度、教えて」
「嫌だと思うことはないから、大丈夫」
「母さんたちの年代だと、『知識人ぶってる』というのは、ものすごい悪口なんだけど、あなたたちの世代ではそういう意味合いはないの?」
「ん」
「そういうものなのかー。母さんなりに意訳してみたんだけど、あなたの言う知識人ぶってるって、『母さんは家にいるからなんの役にも立っていない(お金にならない)けれども、知識人だねえ』ぐらいの意味なんだろうか?」
「だよ」
「理解した。ありがとう」
なんと、息子と私の間では、使われる言葉の意味が全く違っていたのだ!
欠点ではなく、単に特徴を述べただけ、とは本人も言っていたが、その話をもっとよく聞くべきだった。
批判というより、むしろほめていたのか!
今で言うと、「あいつ、ヤバい」がけなしているのではなく賞賛しているのだ、とか、昔で言えば「SFキチガイ」は全く悪口ではなくほめているのに、前の世代の人からすると他人をキチガイ呼ばわりとはとんでもない、とか、そういう言語的ギャップが生じているようだ。
これが、息子たち世代と我々世代全体の問題なのか、単に息子の個人的な言い方の癖なのか、これから時間をかけて調べて行かねば。
一番の誤解のもとは、彼が、「お金にならない」アマチュアと「お金になる」プロを完全に区別しており、「稼げるかどうか」に一番の価値を置いているという、ゲーム会社勤務のかたわらコントライブをやって行きたいというような人生設計を描いている人としては、ある意味、非常に厳しく頼もしい価値観を、他人にも自分にも課している、という点に注意が足りなかったことだったと思う。
「ぶっている」のはニアリーイコール「お金にならない、アマチュアである」けれども、そのこと自体が悪いわけではなく、単に(プロの)知識人ではないね、と言っていただけ。
もっと突っ込んで言えば、「アマチュアにしては頑張ってるね」という意味合いすらあるかもしれない。
とにかく、正月早々とんでもない悪口を言われた、と嘆いていたら、当の相手は、「母さん、物識りだね」と言っていたわけだ。
お年玉に500円玉を20枚ももらったのに、単に重たい袋を持たされたと思って捨てようとしているようなもんだった。
ああ、誤解がとけて、本当に良かった。
この結論に行きつくまでの自分の執念深さというか、どうしてもわかりたい、という気持ちは、相手にとってはもしかしたら大迷惑かもしれないが、貴重な資質だと思う。
日頃から気をつけているつもりでも、言葉というのは魔物。
ある意味、自分のライフワークとして自分と他人をつなぐ辞書を編みたいと思ってはいたが、とりあえず「息子語」の辞書の編纂が大きく進んだ。
杉田玄白が「ターヘルアナトミア」で苦労していた「フルへッヘンドせしもの」が鼻であるとやっとわかった、という気持ち。
FB上で、慰めの言葉をかけてくださった方々、興味を持って足を止めてくださった方々、ありがとうございました。
誠心誠意ぶつかって行くだけが自分の模索のスタイルだと、あらためて思い知らされた出来事でした。
これからも頑張ります。
17年1月4日
大内くん、仕事始め。
「大昔、僕が入社した頃は、仕事始めの日は、女性社員が振袖を着てきて、みんなでお酒飲んで帰るだけ、なんてこともあったけど、今は普通に出社して、普通に忙しい」と言っていた。
なのに、普段より1時間も早く帰ってくるという電話があった。
2つ先のバス停まで散歩で迎えに行き、あらためて、「2017年」が始まったねぇ、と感慨深く話す。
とは言え、我々の最大の趣味は、息子である。
「間違えた育て方をしちゃったところで、今さらどうしようもないよね。僕ら自身と、彼の努力を信じるしかないかもしれない」と、夜道を歩きながら、息子に思いをはせる大内くん。
私も、少なくとも今年1年、少しゆっくりしたいな、と思っている。
のんびりと、ベストを尽くして行こう。
17年1月5日
大内くんは朝4時過ぎに家を出て、九州出張に向かった。帰りは夜中の1時の予定。
あまりに大変そうなので、もう本当に、前の晩から行くか、泊まって来るかしてもらいたいぐらいなんだが、本人はどうあっても家のベッドで寝たいらしい。
息子とラインしてて、ちょっと語気の強まったところがあったので、「怒った?」と訊いたら「いや、全然」だったんだけど、
「母さんは、あなたを怒らせちゃうんじゃないかとビクビクしてるんだよ。いつ、怒り出すかって心配でしょうがない」と打ったら、
「大丈夫だよ。愛してるから」と言ってきた。
「愛してる」!
これまでにも、「好きだよ」「大好きだよ」とラインで言われたことはあるけど、ついに最終形態ですか。
ラインを通してのことだからハグはなかったけど、もし目の前にいたら、とてつもなくでっかいハグをいただけた気がする。
もっとも、ラインだから言えることで、普段の生活の中では言えないよね。
今の若い子の言葉って、意味合いが違うんだろうか?ここんとこ、そういうトラブルがどかどか起こったから。
いやいや、ここは素直に嬉し泣きしておこう。
夜中に帰って来て夜食を要求するので、作ってやりながら、さりげなく(私の「さりげなさ」は常に「ヤマト、発進!」の勢い)、
「ねえ、母さんのこと、愛してるの?」と蛮勇を奮って聞いたら、持ってるタブレットで映画を観ながら、でも片手を上げて、「はーい」と言ってくれた。
夢中になって何も聞いていなかった可能性は充分あるけど、とりあえず、喜んでいよう。
夜中によれよれになって帰って来た大内くんに、事の顛末を話したら、
「それはすごい。彼もずいぶん変わったねえ」とニコニコしてくれた。
30歳までかかると言われている今の若い人の思春期、オクテな息子には40歳ぐらいまで終わらないかも。
とりあえず、親に親切になったことと、4月から働きに行くのだということを視野に入れて、おっとり構えていよう。
(そこが一番難しいところなんだが)
17年1月6日
ひざが固まった感じで痛いので、軽く散歩をする。
ホントに軽いんだよ。
家から徒歩5分のスーパーに言って買い物して帰っただけなんだから。
でも、しょうがないの。
今夜の大内くんは、部の大新年会が催されるのだ。
シンデレラ並みに帰ってくればいい方だろう、大好きなお酒もたっぷり飲めるし。
息子は今日からもう大学が始まった。
久しぶりに、「うーん、あと15分」「あと5分。お願い」「もう3分だけ。ホントのホント」
というやつにつきあわされた。
まあ、試験前だから授業が始まる前に学校行く、とか何やら勝手に盛り上がってるので、試験までに息切れしないでね。
と言いつつ、この人は何だか上手くて、半年1年の間ぐらいなら、本当に自分でペースを作って息切れしない、しかし最良の道を選んできている。
これ以上親ができることはほどんどないから、せめてまあ、起こすぐらいのことは。
ただ、就職したら、絶対イヤだよ、起こすの。
自分で起きるところから、社会人人生が始まるんだからね。
加齢もあってのことだろうけど、学生時代、あんだけ時間にルーズだった人が、毎朝4時半の目覚ましで、妻を起こさないようにそっと身支度をして出て行く。
まことに、「サラリーマンの魂」である。見習ってほしい。
17年1月7日
3日会社に行っただけなのに、またお休みだー!しかも3連休。
お上の配慮に感謝しながら、とりあえず今年の病院始めで吉祥寺へ。
何とか片道は歩いて行った。
「変形性膝関節症」を発症して3年近くになるが、今の整形外科はもう1年ぐらい通っているかな。
3軒ぐらい行ったけど、今のとこは先生が親切なので気に入っている。
だからと言って、そもそも「治る」という性質のものではないので、ひざに水がたまってないことを確認したのち、ヒアルロン酸の注射を打ってもらい、
「とにかく筋肉つけることだね。プロテインなんかも効くんだけど、あれ飲むと、重くなっちゃうんだよね」という説明を聞く。
どうやら、1にダイエット、2に運動らしい。
私の嫌いなもんばっかりじゃないか!
と心の中で悪態をついても、目の前にいる親切なおじさん先生に言うわけにもいかず、痛み止めの湿布薬をもらってすごすごと退散だ。
でも、今回、すんごくいい方法を見つけてしまった!
病院は9時からなので、10時半ぐらいの適当な時間に行く。
当然、ある程度は混んでいるので、診察券を出して、「ちょっと用事を済ませて来ます」と言うと、看護師さんがにこやかに、
「はい、わかりました。12時半までにお戻りください。お戻りになったら声をかけてください」とだけ言う。
そして我々は、ロフトに行ってお香を買ったり、ブックオフをのぞいたりしたあげく、11時半開店のタイ料理屋に5分前から並ぶ。
(今日はなんと、「パッ・タイ」ではなく「鶏挽肉のホーリーバジル炒め」をいただいた!進歩と変化だ!)
で、ゆっくり食事をして、12時過ぎに病院に戻り、受付で「大内です。戻りました」と言うと「はい」と言って何やら診察券を操作し、我々は、今入ってる患者さんの次に呼ばれるのだ。
何という、時間の節約術であろうか!
「これからは、2週間に1回ぐらいこうやって来ようね」と大内くんと「るんたかるんたか」歩く。
病院から徒歩30秒で大通りに出ると、そこには、家まで徒歩3分のバスがいっぱい並んでいる。
かなり、どれに乗っても通るバス停なのだ。
本当は行きも帰りも徒歩で、最低限の運動をしたいのだが、ひざに注射打った後は、少し痛むんだよね。
それを言い訳に、目の前に来たバスに乗り込む。
家まで10分ほどだ。
「いちばん住みたい街」吉祥寺の近くに住んで、日頃は喧騒と縁なく過ごし、休みの日には買い物や食事を楽しみにくる。
いい生活じゃないか。
17年1月8日
よく寝て過ごしている。
日頃睡眠たっぷりの私に比べて、大内くんは慢性的な睡眠不足だからなぁ。
「月刊フラワーズ」に萩尾望都が描いている新たな「ポーの一族」が大人気で、当初は前後編掲載予定だったものが、連載化されることが決まったらしい。
小学館も、頑張ったなぁ。
行きつけの本屋のおばちゃんに電話をしたら、まず、取り置きをお願いしている「ご近所スキャンダル」のたぐいが2冊たまっているから、配達しましょうか?と聞かれ、それはお願いしてしまう。
その上で、フラワーズの予約をしたかどうか確かめ、
「ひと月だけのつもりだったんですけど、とりあえずしばらく続けて取り置きしてください」と言ったら、
「ああ、はいはい、連載ですもんねぇ」と話が早い。
私より5歳ぐらい年上かなぁと思えるこのおばちゃんは、昔、マンガ少女だったに違いない。
いくら本屋だからって、萩尾望都の連載をつかんでいたり、私がよく買うからって、
「内田春菊、新しいの出ましたよ。一緒に届けましょうか?」とはならんだろう、普通。
夜は、息子と交渉事。
彼にはコントライブを一緒にやっているメンツとは違う一派の仲間がおり、もう1年半ぐらい、「毎月1回、必ず新ネタ」というシバリで10組ぐらいでやってるライブがある。
10組ぐらいいるその仲間たちも、だいぶ屋台骨がゆるんで来たというか、まず、「毎月1回」が難しくなってきており、ここ3回ぐらい、実質「2カ月に1回」になっている。
さらに、息子個人も、コントライブ・グループの方が重さを増してきて、その月イチのライブには出なくなってきたのだ。
そこのツィッターを見ていたら、2月末に行われる予定で、しかも息子は珍しくピンで出るらしい。
何度かピンで舞台を踏んでいるんだが、我々は運が悪くて、1度も観たことがない。
もうこれは最後のチャンスと思われるので、若者の集いにおじさんおばさんがやってくるという恥ずかしい現象をなるべく避けたがる息子に、許可を取らねば。
ところが、大内くんが話したところ、そのライブは、3月の息子たちの公演のチラシをアンケート用紙と一緒にはさんでもらうためだけに出場するので、出来は全然良くない。
親に、そんな中途半端な出来の悪いピン芸なんか恥ずかしくて見せられないから、今回だけは遠慮してくれ、という内容を、怒るでもとがめるわけでもなく淡々と語ったらしい。
自分なりの完成度を常に追求している息子にとって、それは、確かにイヤかもね。
というわけで、2月末のそのライブはあきらめました。
3月、息子たちが「本業」としてやる「第3回ライブ」を楽しみにしよう。
主宰の息子が就職してしまったら、もう次はやれないかもしれない。
HPには、「年に複数回のライブを目指したい」と書いてあるので、今年、卒業前の3月にやって、もう1回、年末であろうともどこかでやれれば「複数回」になるのだが・・・
若者たちの行く道は険しい。
でも、それが苦にならないように神様から授かった力が「若さ」だ。
ついでに言えば、徹夜が苦にならないのは、徹マンをするためではなく、赤ちゃんが夜泣きしても対応できるように、なんだからね?あんまり徹夜力を無駄に使うと、あとで後悔するよ。
17年1月9日
もうお休みが終わってしまう。
それでも、次は4日会社に行けばまた2日の週末があるのだ。元気出そう!
昼まで寝て、掃除をし、来週食べるものを作って、もう何にもすることがない。
いや、本当は私はそろそろ家計簿をつけないと、去年の分が5日ぐらいたまっているうえ、年が明けて、息子に渡した「おこづかい借金」の記録以外、何にもしてないのだ。
これは、絶対に帳尻が合わないだろうなぁ。
毎日つければちゃんと計算が合って美しいのに、どうして貯めちゃうんだろう、って、夏休み明け直前のコドモみたいなことを考えながらおろおろするも、しまいに、
「いいや、明日、大内くんがいない時にやろう。2人でいるのに家計簿なんてつける必要ないよね!」と開き直ってしまった。
そこで、2人で「ご本遊び」、つまり、それぞれのベッドに寝転んで読書をすることにした。
クリスマスに息子に「iPad mini」を買ってあげてから、彼はそれで本こそ読まないものの、映像は完全にminiで見るようになった。
(いつも1人で笑っている。何を見てるんだろう?)
それで、息子が今まで使っていたiPad Retinaが余ったので、私が前から薦めていた通り、大内くんはマンガを見開きで読むようになった。
これまでは、彼もminiで、片ページずつ読んでたんだよね。
でも、こないだ薦めた「アイアムアヒーロー」は見開きの多いマンガなので、ぜひRetinaを使ってもらいたかったわけ。
このiPad移動は素晴らしい成果を呼び、大内くんはすごい勢いで「アイアムアヒーロー」を読み、連休中には、手塚治虫をいくつか読み返したのち、「高台家の人々」「3月のライオン」など、今まで彼が手を出さなかったジャンルにどんどん頭を突っ込んでいた。
「3月のライオン」を読んでる大内くんから、「宗谷冬司、ってのも、すごい寒そうな名前だなぁ」ってつぶやかれると、内心、
「それっ、それっ、その人、ホントは耳が聴こえないの!」とか言いたくなって、でも今の時点ではネタバレになっちゃうから、
「うん、私の萌えキャラナンバー2だよ。もちろん1番は桐山零くんよ、でも、ナンバー3の島田さんも捨てがたいのよ、みんな、あなたにちょっと似てるでしょ?!」と、あたりさわりのない雄叫びをあげている。
「高台家の人々」も、
「ねえねえ、どこまで読んだ?」
「3男が猫をもらう話を考えてるとこ」
「そうだよねぇ、きょうだいって、下に行くほど冷遇されるんだよね。なんでだろう?」と言いつつ、ぷぷっと吹き出す。
もうじき、「食べるものがないので長靴を煮て食べ、あまりのまずさに『長靴をはいた猫』になろうとは」って、思ったら笑えちゃう。
それとか、心が読める森番のお姉さんの恋人が、「無表情で意地悪そうなキツネ顔のメガネ男で、女子社員からは少し怖がられてた」とか書いてあると、「意地悪そうじゃないけど、大内くんにそっくり!」と足をじたばたさせ、
「ねえねえ、どこまで読んだ?」
「森をさまよってるところだよ」
「うーん、そのうち、『あなたに似た人』が出てくるよ」とか言ってたもんだから、大内くんが、
「今、何を読んでるわけ?」と聞いてくる。
「高台家だよ。もう読んだけど、読み返してんの」
「自分の、ちょっと先を読んでる人がいるってのは、気になるもんだなぁ」と、珍しくプンプンし始めたので、もうやめることにした。
確かにあまり良い趣味とは言えません。
みんな、自分だけが開くマンガの地平線だと思って読んでるんだからね、初読の時は。
あーでも、
「この、香子さんってすごいキャラだね」とか言う方も悪いんだよ。
「その人はね、そのうちどろどろの不倫の中にいるのがわかるんだよ!」って、言いたくなるのが人情じゃない!
(10分後、「ヤクザとつきあってんの?」と訊かれたが、後藤さんは立派な棋士だよ。「穴熊」だってする)
連休最後の夜は、マンガの話をして過ごした。
柏餅とほうじ茶で、なぜマンガの世界はあれほどに豊潤で奥深いのだろうかと。
「小説もいいけど、やっぱり、あの、絵とお話が一緒に脳に入ってくる感じがいいんだと思うんだよね。映画もその点はいいんだけど、スピードが、誰かによって決められてるでしょ。自分の好きなスピードで読めるマンガは、個々のニーズに一番ぴったりなんだと思うな」とか。
息子からラインが入って、今日もカノジョが来るとわかってあわててキッチンから撤収しかけたが、よく考えたら別にあわてることはないんだ、カレシの家の人が食卓でお茶を飲んでゆっくりくつろいでいる、そういうところへやって来てるんだ、って示した方がカノジョのためになるかもしれない。
実際、じきに帰ってきた2人をパジャマ姿でほうじ茶飲みながらお迎えし、
「こんばんは。私たちはもうリビング使わないから、好きなようにして。じゃあ、お休みなさい」と言って大内くんと寝室に引き取ったら、何か、ちゃんとやるべきことをやったような気がしたよ。
明日からまた会社だ。
でも、そんな生活ももう数年で終わるかもしれない。
「今」を惜しみ、大切にしよう。
17年1月11日
昨日、急に息子にものを教えたくなって、ラインした。
私「『紺屋(こうや)の白袴』って、意味知ってる?」
息子「知ってる」
私は、知らなかった場合を想定して、
「自分のこともちゃんとできないのに人の世話を焼くこと。同義に『医者の不養生』」という文章を準備して、ペーストすればいいだけにしておいたのに・・・無駄になっちゃった。
「そうか、いい言葉だから教えてあげようと思ったけど、もう知っていたか。嬉しいような悲しいような。最近は使われないけど、第2の意味として、『染料を扱いながら、白い袴に一滴の汚れもつけない、職人の心意気を表す』ってのもあるよ」
息子「知らなかった」
お、こちらはヒットしたか。
私「かしこさが1あがりました。「母親が時々教えたくなる言葉シリーズ」第1弾だよ。こんなのが120個ぐらい来たら、イヤだよね?」
息子「うん。月に1回ぐらいでいい」
私「じゃあ、そのぐらいを心がけるよ。お互い、勉強しよう」
息子「うん」
と、なかなかいいやり取りができた。ラインは便利だね。
月に1度だったら、ちょうど10年で120個だね。ネタを探しておかなきゃ。
来月は「袖刷りあうも多生の縁」で行くつもりなんだけど、皆さんはこれが「他生」ではなく「多生」であることを知っていますか?
仏教の輪廻思想の中で、たくさんの生を生き、さまざまな人や魂に出会う、という意味らしい。
実は私は「前世」というような意味で「他生」なんだと思っていた。かしこさが1つ上がった。
もちろん、「多少」は論外だが。
本当に私は故事・名言を120個も知っているだろうか。
にわかに心配になってきた。
まんがくらぶの先輩のお言葉に、こういうものがある。
「しめきりを見て縄をなう、これを『しめなわ』という」
これも語り継ぐべき名言だと思う。いつか教えてやろう。
17年1月12日
冬休みの間、朝、息子を起こさなくてよかったのですっかり忘れていたが、彼は本当に寝起きが悪い。
イヤになって、昼からの授業とかはもう、こっちも昼寝してて起こさなかったりする。
しかし、今朝は久々の「1限」だ。9時からね。
前の晩、息子に、「起こさないよ」と言ってみたら、「起こして」と頼まれた。
私は、理不尽なことでも頼まれると断れない。
しかたがないので、朝の7時半に目ざまし時計を3つもかけて、一生懸命起き、息子を起こす。
「もう7時半だよ。授業に、遅れるよ」
彼の答えは「もう10分」。
いつもこうなんだよね。
「大丈夫なんだね?」と念を押しつつ、タイマーかけてマンガを読む。
10分たったところで起こしに行ったら、「もう5分」。
何度も聞くけど、本当に授業に間に合うんだろうね?
そして5分たち、起こしに行って、さらに「あと10分だけ」と言われる。
昔はこのへんでこめかみの血管が切れそうになったものだが、何度か繰り返していればそのうち起きる、とわかって来たし、タイマーつけてマンガ読んで過ごす、というやり方にも慣れたので、なんとかなっている。
さすがに起きてくれた。
いったん起き上がりさえすれば、あとはシャワーを浴びてどんどん出かけてしまう。
最近では、通りがかりに「ありがとう」と言われる日も多い。
しかし、会社に行くようになったら絶対起こさないぞ。
昔、1人暮らしの男友達があまりに遅刻が多いので、アパート引き払って都内の親元から通うように、と上司の厳命を受け、実家に戻った、という件があるので心配だが、実家から通っていても起きない人の場合、どうなるんだろう?
単に、クビ?
それも困るなぁ。
まあ、ともあれこうして息子が出かけて、1人になって昼寝したりマンガ読んだりできる幸福に感謝しながら日中を過ごし、夜は息子のお笑いサークルの後輩2人が他のコンビたちと一緒に行う「合同ライブ」を観に行く。
三鷹駅から徒歩1分の小屋なので、たいへんありがたい。
ただ、息子は、場所といい入場無料カンパ制といい、一昨年に自分たちがやったとおりなので、真似をされたと思うのか、しきりに「あんなもん、観に行くヤツの気が知れない」とか言って怒っている。
(と言いつつ、会場でばったり会った。やっぱ、来てるんじゃないか)
会社帰りの大内くんと合流して観た、1時間ちょっとの8人でやるコントライブは、開いた口がふさがらないほど面白くなかった。
息子たちのライブを6回観たが、あれぐらいが学生ライブの水準なんだと思っていた。
いや、息子たちの水準は、高い。少なくとも今日のライブのはるか上を、当然のようにこなし、さらにそれでは面白くないと悩み、上を狙っている。
本当に、ものすごくダメだった。
「無料カンパ制」なので、あとで息子に「いくら払った?」と聞いたら、「200円ぐらい」という答え。
「いくら入れたの?」と逆に聞き返され、「ケチだと思われるから、言わない」と言うと、「いいじゃん、教えてよ」と珍しく食い下がる。
実は、大内くんに500円玉を見せたら、「1枚でいい」と言われ、「千円?」と聞いたら、「100円!」ときっぱり。
「可哀想だよ。頑張ったのに」「いーや、100円の値打ちしかなかった」ときつく言われ、結局100円。
しかも、終わってすぐ出たので一番最初にカラのカンパ箱に100円玉をそっと入れる羽目になった。
箱を持ってた人はさぞかしケチなおばさんだと思っただろう。
でも、息子にそう話したら、深々とうなずいて「そんなもんだ」と納得の顔をしていた。
(ライブ会場のおじさんおばさんって、珍しいから、「大内の両親が来ていた。100円しか出さなかった。ケチだった」とものすごい評判になってもおかしくないんだが)
彼らは今年卒業するらしいので、「お笑いに行くの?」と聞いてみたが、息子は「知らん」としか言わない。
普通に就職することをお勧めする。
親御さんも、絶対そのほうが気楽であろう。
私だって、本当はもっと普通の大きな会社にするっと入ってくれたら、と、どんなに祈ったことだろうか。
ただ、本人が、「気持ちの入らないところには行きたくない」と強く言っていたのと、大手はほとんど落ちているのではないかという邪推から、「すごく行きたい会社」と言われた小さな小さなゲーム会社で納得したふりをしてるのだ。
子供を持つ、というのはとても面白い経験だが、私のような小心者には向かないのではないかと思うことがしばしばある。
とにかく何でも心配で。
いくら、学生同士のコントライブの出来で、はるかにインテリジェントで緻密だからと言って、それが仕事の役に立つのか?
そして、3年後、5年後、その会社はまだあるのか?
ああ、心配だ。
17年1月13日
珍しく、朝、早起きした(5回ぐらい「あと5分」と言われて起こしたが)と思ったら、レポートの提出があるらしい。
昨日の晩、書いたものを印刷して出そうというつもりが、まず、息子のアカウントがネットにつながらないと言う。
これは、私たちのアカウントを使わせることで何とかなったが、USBメモリがいると言われても、どこにあるのか、私は知らない。
自力で探し出したらしく、また1つステージをクリアしたものの、プリンタのインクが、年賀状の印刷でなくなってしまっていて、印刷できない。
「クソだな!」と罵るのは私のことか、インクを用意していない大内くんのことか。
年末にカノジョと一緒にコントライブのアンケート用紙を100枚ぐらい印刷して、インクがなくなったことを思い出してもらいたい。
ジャケット着て鞄持って出かけようとしているので、「大丈夫?今日、提出なの?」と訊いたら、「うん。でも、大丈夫!」と大急ぎで出て行ってしまった。
自分の20歳の頃のことを思い出すと人のことは言えないが、なんでも早めに準備しないとダメだよ。
ボーイスカウトの掟は、「そなえよ、つねに」だったじゃない。
そう言う私は、卒論の提出期限2時間前にまだ書いていて、とっくの昔に提出した寮の仲間たちが心配してコピーを取りに走り回ったり製本を手伝ってくれたりしたなぁ。あのアシストがなければ、間に合ってなかったかも。
まあ、今はコンビニでもUSBメモリがあればプリントできるそうだし、大学に行けば大学のネットが使えるので、出かけた以上心配はするまい。
これ以上、心労で老けたくはない。
何事もなく1日が終わると言うのはなかなか大変なものだ。
今日は1時にダスキンさんがモップとフィルタの交換に来るし、4時から6時の間に、初めて頼んでみたスーパー西友の宅配が来る。
ぼんやりと寝ているわけにはいかないのであった。
17年1月14日
2人とも疲れていたのか、目が覚めたら12時近く。
前夜までマンガを読んではあれこれ議論していたのがいけなかったか。
大内くんは最近、立て続けに「アイアムアヒーロー」「高台家の人々」「3月のライオン」など、イマイマの流行りのマンガをたくさん読んだので、頭の中身がパンパンらしい。
まあ、特に用事もないし、のんびりするかな。
彼が読んだ中には、「先生の白い嘘」(鳥越茜)があって、私と初めて会ってから30年以上「穴のあいてる身にもなれ」とえんえん説教されているので、何やら考え込む様子だった。私もいろいろ考えた。
現在6巻まで出ているこの作品、どうなって行くんだろう?
教えてくれたマンガ読み、友人のミセスAには感謝してもし足りない。
「ゴールデンカムイ」を教えてくれたのも彼女だし。
当然世の中で名が売れがちな長編が好きな私と違って、彼女は良い作品をピンポイントで精密に狙い撃ちしている。
もちろん長編も読むんだそうだけど、10歳から1歳の4人の子供が、母を求めてあるものは駆けまわりあるものは泣きまくる、そんな、坐っていることも難しいミセスAには、なかなか長編を読む機会があるまい。
「エマ」(全10巻)を読み始めた、途中の「ファンタスティック!」までは報告があったのだが、もう読み終わったかなぁ。
感想戦を、やりたいなぁ。
息子までマンガを読んでいる。しかも「ガラスの仮面」。
演劇少女のカノジョから薦められたようで、毎日3巻ずつ交換してくる。
その程度には会えているんだ、良かったね。
と言っても、お正月はさすがに家を出られなかったか、お休みだったが、松も取れてくると、あいかわらず2日にいっぺんぐらい顔を見ている。
息子の単位が危ないのではないか、卒業できないのではないか、と心配でならない。
本人、「さあ?」とか言ってるし。
キミのお父さんは、7年目に就職と母さんとの結婚を決め、「これは、絶対卒業しなきゃ」と決意し、最後1ヶ月ぐらい、幽霊のような顔になるまで勉強し、1期に60単位を取った男なんだよ。(彼の大学には単位の天井がなかったことも幸いした)
しかも、最近知った話なんだが、全部試験で、レポートのように「めんどくさいけど、テキストを書き写しておけば何とか」という楽な代物ではなかったそうだよ
キミも、1単位2単位が足りなくて留年、なんて真似をしないで、きっちり卒業しようね。
母さんはもう、心配で胸がつぶれそうだよ。
17年1月15日
吉祥寺までお散歩。
ものすごく寒くて、さすがの「燃える女」の私でも、ちょっと背中を丸めて歩く。
でも、寒いのってキライじゃない。
そもそも、今日こんなに寒くなかったら、往復はきつかっただろう。
暑い時期は散歩してる場合じゃないよ。
去年、8月と9月に昼間出るのをやめて、そのおかげで大内くんは秋にすごく体調が良かったんだって。
やっぱり、無理しちゃダメですね。もう若くないんだし。
夏は夏でみんないろいろ文句言うが、確かに日中歩くのは大変とは言え、あんだけ暑いのもいっそ壮快。
大内くんを夜のバス停までお迎えに行く、という習慣も、夏場に昼間は外に出られないから生まれたものなんだよね。
真冬の今、寒くてかえってつらいけど、1日1回は外に出ましょう!
と、話は元に戻って、吉祥寺の天丼。
いつもは11時開店ジャストの5分前に行くと3人ぐらいが並んでいる、という状況なんだけど、今回は休日の午後2時半だ。それなりに行列ができている。
寝坊したからしょうがないんだけどね。
しかし、階段は思ったより人が少なく、6人ほどが待っているだけだった。
ピーク時には階段を降り切っちゃって、外にまで行列ができているもんだが、日曜だから?時間が違うから?
まあ、おそらく飲食店のピークが3時頃にあるのだろう。
現に、天丼食べて出てきた時には誰も並んでなかったし。
ああ、15分後にくるんだった、と少し後悔したワタクシ。
それでも天丼はおいしくて、もともとの天丼に、大内くんは舞茸の「梅」、私は鱚がトッピングされた「竹」を食べてるけど、丼が来た時点で互いのトッピングを半分に割ってそれぞれあげてるから、問題なし。
私は「つゆ」を多めにしてもらって、「つゆだく」。美味しいなぁ。
何となく私も思っていたけど、大内くんの口から、
「もう、タイ料理は少し飽きたよね。今度は他の店に行こうか」なんてセリフは聞けないものだと思っていた。
「店に飽きる」ということがこれまでなかったから。
でも、私も内心旗を振り回して「そうだそうだ!」って叫んでる状態だったので、
「うん、いいよ。もう2年ばかり通ったし、私は結局『パッ・タイ』から脱却できなかったし」と言ったら、嬉しそうな顔をして、
「今度は井之頭五郎も行った『カヤシマ』に行くかな。たまにはカレーで『まめ蔵』とか」と言うので、ちょっと吹き出しそうになった。
ここまで自由になってもまだ、「新しい店を探そう!」とはならないんだねぇ。
同じ店に通いつめたい体質の私とは、本質的に相性が良い!
17年1月17日
西友に配達を頼んでみた。
前から、ネットで5千円以上買うと無料で翌日の指定された時間内に持って来てくれる、というのは知っていたんだが、なんとなく気が進まなくて見送っていたのだ。
牛乳1本165円とか、牛ステーキ肉グラム158円とか、店頭で売ってるのと同じ。
これがいつも不思議で、大内くんに、
「人を使って配達する手間がかかるのに、どうしてお店の値段と一緒なの?」と幼稚園児のように聞いたら、
「お店をやるには敷地が必要で、インフラにいろいろかかるうえ、陳列したり接客したり、店員さんの人手がたくさんいる。ネットスーパーなら、商品と配達の人手さえあればやれるからね」と噛んで含めるようにていねいに説明してくれた。
うちは、とにかく牛乳を買う家なんだよね。息子が、他の飲料はほぼ飲まず、食事の時も牛乳。
まあ、身体が丈夫になってくれそうだし、甘いジュースをたくさん飲むよりはよかろう。
水さえ飲まず、よく冷蔵庫の前に仁王立ちになって、パックからごくごくと水代わりに飲んでいる光景を見る。
我々もコーヒーに入れたりするので、週に8本から10本、消費される。1リットルパックでだよ。
当然、週末にはこれを買い出しに行かねはならず、他の肉や野菜、食良品も一緒に運ぶのはひと苦労だ。
「ストレスたまるもんね〜」と言いながら買うおやつは、驚くなかれ、「嗜好品」の名の元、家計簿上の「通常食品」(ピザとか、切り干し大根とか、まあ、いろいろ)や「野菜」といった項目を抜いて、「肉・卵・豆製品」の部に次いでの第2位だ。いいのか、それで。
そういうわけで、おやつの姿を見て欲望に負けることなく、重い牛乳10キロ近くを運んでもらおうと、ネットスーパーに頼むことにした。
うれしいことに、店頭では見たり見なかったりの名古屋銘菓「なごやん」(パン売り場にけっこう置いてある敷島パンが作ってるせいか?)を「今日はあるかなぁ、ないかなぁ」と不安に駆られずに堂々と買えるし、朝、コーヒーと一緒に朝食代わりにしているヤマザキのレモンパックというクラッカーみたいなお菓子が、店頭にはないのに買えてしまう。
大内くんの唯一の不満は、週に2度は食べてしまうステーキの肉の、脂の入り方、厚さなどを自分で吟味して選べないことらしい。
というわけで、今日、指定した4時から6時の間、4時半ごろに配達の人が来た。
レジ袋5つぐらいに分かれていて、
「はい、これは冷凍食品です」「はい、これは冷蔵庫です」「こちらは常温です」「これはシャンプー、洗剤類です」「これは肉類です」と言うのを玄関先で受けとると、サインだけして、おしまい。
事前に西友のカードで引き落とし手続きをしているので、ここでは金銭の授受は発生しない。
5千円以上の買い物をしたので、配達料もかからない。
とても便利。
ついでに言えば、買えば2円か3円のレジ袋も無料で5枚も手に入れた!
残念なことに、注文して品物を受け取ってしまってから、「お菓子」の欄に「かしわ餅」があるのを発見した。
食べたかったのに、何となく生ものは売ってないような気がしたんだよね。
肉も野菜も売ってるけど、ほら、みたらし団子とかかしわ餅って、2、3日しかもたないでしょ。
そのせいでね。
次に牛乳を買う時には、かしわ餅も買おう。
と言うか、1本165円の牛乳を買って、それに加えて最低ライン5千円に届くほどの買い物をするのはけっこう大変で、今回は、やたらにシャンプー、洗剤、コーヒーで稼いでしまった。
でも、大内くんからの、
「いつも、週に1度買い出しに行くと、西友だけで8千円から1万円ぐらい使ってるでしょ。5千円買うのが、なんでそんなに難しいの?」という質問は正しく、いつもほどは買ってないということだなぁ。
やはり、現物を目の前にしないと購買意欲がわかないものなんだろうか。
だとしたら、お菓子を目の前にしない、というのは正しいですね。
次は牛乳とかしわ餅、なごやんに加えて、レモンパック、ステーキ肉(西友のステーキ肉はなかなかステキだ。赤味で、おいしい安いし)を買おう。
あんまり何もない時は、「お米かビールを買って、5千円に近づけるように」と大内くんから指導を受けている。
防災リュック用の水もそろそろ入れ替えたいしね。
うーん、デジタルカタログを見ていると、それはそれで夢が広がって行くなぁ。
さて、これからは散歩でスーパーまで行っても、どんなものを売っているかの市場調査だけに留めて、重い荷物を運ぶために車を出す必要もなくなるのかな。
最近、週に1回、買い物のとき、あとはときどき私の病院につきあってもらってる程度しか使わない車だが、本当に必要なんだろうか、との疑いが忍び寄る。
息子がカノジョとドライブに行く、なんて青春も訪れず、我々はお休みの日にはテレビを見るのすらしんどくて、ベッドでごろごろ本を読んでいるだけだ。
車は、思ってたより早く処分しちゃうことになるのかな。それにしても5、6年は乗りたいものだが。
17年1月18日
1年留年し、まわりも驚いた「0(ゼロ)単位」を成し遂げた(普通は、留年中に少し余分に単位を稼ぎ、卒業時に楽なようにするもんなんだが)息子は、
「今年こそ、絶対に卒業する!」と宣言し、それなりに真面目にやっていたのだが、事ここに至って、どうも試験を1つでも落としたら危ない、という状態らしい。
家で、テキストやほかの参考資料を使って好きなだけ時間を使って書き上げるレポートと違って、試験は、本当に前日までにテキストを読んで、与えられた1時間半とか2時間とかの間に書かねばならない。
その「試験」をギリギリまで多数残しているらしいと聞いては、親としては安眠できない。
大内くんはのんきなもので、「会社の方も6月や9月卒も認めてくれてるんでしょ?だったら、いいじゃない」という姿勢を崩さない。さすが3回留年した男。
できれば、「4月にくぐった校門を、3月に出て行ってほしい」、ってのは私のワガママなのかな。見栄なのかな。
お正月頃に、保育園仲間のお母さんたちに聞いた話や友人から聞いた話では、どうもまわりの男の子たちに元気がない。
なんだか、社会に出る決心がつかないように見える。
女の子は元気に働いてる子が多くて、大内くんと、
「これは、人類が増えすぎると自然に起きるようDNAに組み込まれたシステムで、『男の子が元気なくなっちゃう=人口が減る』。もちろん教育のやり方とか、社会の変化とかも関係するが」と新説を展開してるけど、我々は自分たちで到達したこの結論が、けっこう気に入っている。
だがしかし、自分の息子が「卒業したくない病」にかかっていたらどうしよう、と思うのは親心。
まあ、息子の場合は単に他のことばっかりやってるから自然と淘汰されてるだけなんだなー。うまくできてるもんだ。
あんまりなので、ラインを打ってみた。
「卒業、できそう?」
「わからない」
「単位、足りないの?」
「いや、テストが全部取れれば大丈夫」
「テスト勉強が大事?」
「いや、まあわからん。なるようになる」
「わからんじゃ困るし、なるようになるんじゃなくって、なるようにして欲しいなぁ」
「大丈夫、どんどんコントと演劇には堪能になってるから」
「それって、卒業に近づく道?」
「まあ、みといて」
「気の毒だけど、試験前はコントや演劇も控えてもらわなきゃならないかもしれない」
「そんなわけないじゃん」
「コント優先?」
「当たり前でしょうに」
「母さんは、まず会社で自分の力を試しながら、外の世界に向かって行くんだと思っていた」
「そうだよ。どちらにせよ、会社には入るわ」
「必ずしも4月卒業ではないということかな」
「そ。少しばかり才能があるみたいだから、ほとんどない勉強の意欲でそれを枯らすことはしないわな」
なんか、それ以上続けてる気力がなくて終わりにしたけど、最後の一文のあたり、なに?教祖様?って感じ。
何に才能があるのかなぁ。
この間、息子の後輩がやった8人でのコントを見たが、あれが学生お笑いの世界なら、確かに息子は頭ひとつ抜きんでている。
しかし、その程度の違いを「才能の有る無し」と語るのは傲慢すぎないだろうか。
そりゃ、本当に「少しばかり」だよ。
あと2週間かそこらで息子の試験が終わる。どんな顔をしているやら。
大内くんは、
「いよいよ卒業しようか、っていう就職の決まってる人には、大学側も少し甘いから、大丈夫。もし、どうしても留年だったら、僕が学長室に行って土下座してお願いしてくるから、もう心配しないで」と言う。
ああ〜、息子よ、言いたくないが、留年した場合、誰が学費を出すの?
キミの5年間の学費は、10年以上前に亡くなった名古屋のおじいちゃん(私の父)が、趣味で集めていた切手を整理して、末期がんで動けなくなってからは人を雇って病床から指示を出してまで完成させたコレクションを、売ったお金だよ?
「孫2人(姉のとことうちの豚児は同い年)の学費に充てろ」と遺言してくれたんだよ?
それを今、ほとんど使い切っちゃってて、この先の学費を誰かが出してくれる、なんて、忘れて暮らしてるんじゃない?
と、まあ、あんまり厳しいことを言ってもしょうがないし、「会社には早く行きたい」と逸り猛っているので、「卒業後を恐れている」というような心配も的外れだし、やっぱり、お笑いとのバッティングだよね。
そこを何とか乗り切って、勉強して全ての試験で「可」を取って卒業してもらいたい。
16年1月20日
夜遅く、息子が帰ってきた。
何やらしゃべりながら玄関を入ってきたので驚いたが、ケータイでカノジョと通話していたらしい。
そのあとも自室に閉じこもって長話をしているようで、私はケータイに猛烈な嫉妬を感じた。
いや、息子をカノジョに取られたと思うからではない。全然違う。
私が大内くんとつきあっていた頃、OLをしながら暮らしていたあの頃、ケータイがあったらどんなによかったか、と思うと、凶暴な嫉妬がこみ上げてくるのだ。
ケータイで話しながら歩いている、すべての若い人に。
次に会う約束がなければいつ会えるかわからない、仕事中でも外線がかかってくると「もしや大内くん!」とドキッとした、不安定で先のわからない時代だった。
年上で離婚歴のある私との交際に大内くんの親は猛反対しており、家に電話しても取り次いでもらえない状態で、友達に頼んで代わりにかけてもらい、電話口まで大内くんを引っ張って来てもらったことも何度もある。
信じられないことに、大内くんはそういう状態でもデートに大幅に遅刻し、私は彼の家に電話するもならず、駅の伝言板を背に、ひたすら待っていたことも多かった。
今の人は、いいなぁ。
電話だけじゃなく、ラインやメールで、いくらでも連絡がつく。
もっとも、そんな便利なグッズを持っていたら、私は全然仕事にならなかっただろう、とは思う。
今の子育てが難しい点もそこにあり、中学生ぐらいからケータイを持つようになると、どんな友達とつきあっているか、わからなくなってしまう。
昔は、リビングにある電話が鳴り、親が取ることが多く、
「最近、あの子からよく電話がかかってくるなぁ。仲良しなのかな」とか、
「あの子はしゃべり方もはきはきしてるし、挨拶もちゃんとする。しつけのいい家庭の子なんだろう」とか、子供の交友関係を知ることができるし、何より、カレシ、カノジョができたことを親に隠すのはほぼ不可能だった。
滅多にないことだが、私も、友達と会う時にラインで「あと5分で着きます!」「ゴメン、少し遅れます」等、連絡を取り合ったり、どこにいるか知らせたりする。
毎年、「井の頭公園の花見」を見に行って(桜を見るというより、人を見に行く)、一面のブルーシートを見るたびに、大内くんと、
「昔、あとから来た時って、いったいどうやって合流してたんだろう?」と首をかしげる。
本当に便利な時代になったものだ。
でも、便利になったからと言ってカノジョができやすくなり、別れにくくなるわけではなく、こまめに連絡がつくからこそ、気の合わないところは露呈してしまうのかもしれない。
息子を見ている限り、連絡し合い過ぎのような気がするが、それが現代の常識なのかもしれない。
そもそも2日に1回は泊まりに来る、というあの人たちは、会い過ぎなのかもしれないし。
高校時代、好きな人に会えないかと1時間、2時間、生徒会室で待っていたストーカーのような私が「連絡し過ぎで、会い過ぎ」と思うんだから、時代も人も、変わるんだね。
17年1月21日
昨日の夜、夜更かしして遊んだ(なんのことはない、大内くんは「ガラスの仮面」を読み、私は「火の鳥」を読んでいただけ)ので、今朝はゆっくり朝寝坊。
昨夜急にやって来たカノジョも、息子ともども昼になっても起きてくる気配なし。
最近、西友に宅配を頼んでいるので牛乳などの重たい買い物をしないですんで助かっている。
そのかわり、車で近所の八百屋に行って、たくさん野菜を買った。
豚汁と、里芋の煮っ転がしと、かぼちゃの煮つけを作る予定。
里芋とかぼちゃは味がかぶるので、かぼちゃは後日。
他にも買い物に行って、1時間半ぐらいたって帰って来たら、息子とカノジョは出かけた後だった。
カノジョはちゃんと布団をたたんでしまって行ってくれるのでありがたい。
本を自炊したり読んだりしながら、のんびりしてたら、大内くんの出かける時間。
今日はね、珍しく、中高一貫男子校だった母校の、同窓会があるんだよ。
なんでも6年間クラス替えがないそうで、そうか、6年間顔をつき合せた野郎どもの「今」にお目にかかりに行くか。
最近、私も名古屋に行って女子会したり、回顧活動は盛んだ。
大内くんも、楽しんで来て。
実は、大内くんにとって中高時代はちょっとした暗黒時代で、軽くいじめられていたし、体育の授業中の事故で親同士がもめたり、あまりいい思い出がないらしい。
「それでも、もうオトナだからね。みんなとも、また違う視点で話ができるかもしれない」と積極的になったのは立派。
でも、私が大内くんだったら、
「僕って、ちょっといじめられてたよね?」
「誰が僕のロッカーに落ち葉をたくさん詰め込んだの?」って訊いちゃうな。
ま、それができない人がいじめられるんだろうが。
大内くんにとって幸いだったのは、6年間顔をつき合わせたあげくに、半数以上が駅の反対側にある日本一の大学に進学してしまうという校風の中、「入学した時はビリだった」はずの彼が、華麗に成績を伸ばして現役合格してしまったことだろう。
そのへんのヒエラルキーが厳しそうだから。
映画が1本撮れそうだ。
入った後、3年も留年したことがどう影響するのかはわからないが。
3時間ばかりの会だったらしく、夜の8時ごろ帰ってきた。
「楽しかった?」と聞いたら、いくぶん晴れやかな顔になって、
「楽しかったよ。何人か、好きだった友達にも会えたし。でも、みんな頭髪が怪しくなっていた」と言う。
大内くん、それを言っちゃダメだよ。
あなたはたまたまDNA的に恵まれてふさふさだが、男子たる者、頭髪ぐらい思い通りに行かないことは、ちょっと他に類を見ないんだから。
「来年もやるって。なんか、10年以上ない時もあったのに、ここ数年、すごく盛ん。なんでだろう?」と首をかしげていたが、やっぱり、50歳を越えたぐらいから、子育ても一段落し、会社での地位もその先もまずまず予想がついて、
「そう言えば、あいつはどうしているんだろうか」みたいなことを考え始めるんじゃないの?
私の友達も、年賀状に「第二の人生について考え始めました」って書いてくる人が多くなったよ。
私は専業主婦だから第二の人生も何も考えてないけど、もし息子が家を出る日が来たら、とりあえず途方もなくヒマになるだろうなぁ。今でもヒマにしてるけど。
自分で何かしようと言う気が全然ないので、とりあえず大内くんの仕事が変わるのを待つ。
今の会社には、あと2年ぐらいしかいないだろう、といつもいつも言われているので、会社での愚痴を聞いても、
「いいじゃん、あと2年なんでしょ?」と真面目に聞いてあげなくなった。良くない傾向かなぁ。
マンションも買ったし貯金もした。
あとは、この春、息子が無事に卒業してくれて、内定もらってる会社にスムーズに入れてもらえれば、とりあえずすることはない。
会社に行くのに毎朝起こさなきゃならないような人になったらどうしよう、と、ふと心配になるが、そこは心を強く持って、無関係を保つんだろうなぁ。
17年1月22日
散歩を兼ねて、今日は吉祥寺方面ではなく、1つ西寄りの三鷹駅まで歩いてみる。
駅前のギャラリーで、《天の光・地の灯》という星の写真の展示会をやっており、高校の同期男子であるFB友達も出展しており、この土、日は名古屋から来て会場にいる、と聞いたので、顔を見に行ったのだ。
FB上で何度か現在の写真を見て行ったので、「誰だかさっぱりわからない」ということはなかったが、まあ、変わらないっちゃ変わらないし、変わったと言えば変わった。
それはおそらく、むこうさんも同様に思っただろうし、まあ、私の場合体重増加と劣化が激しいからww
今ぐらいだと夜は寒かろうに、屋外で何百枚と言う天体写真を撮る。
素人目には全然変わらない毎月の月の満ち欠けを、撮って撮って撮りまくる。
人間、突き抜けた趣味を持つのはうらやましいなぁ、と、その写真展を見て思った。
力作が並び、ただでさえ美しい星をこんなに美しくパネル上に残すことができる人々への、畏敬の念でいっぱいになった。
私は何年の時のクラスメートか覚えていなかったのだが、1年生の時に同じクラスだったそうで、共通の友人女子の名前が出たりした。
彼は静かな学究肌の秀才で(現に、今は大学で教えている)、私のようにけたたましいタイプとはほとんど接点がないと思うのだが、覚えててくれるもんだなぁ。
記憶力がいいからだろうか、やっぱり。
今も名古屋近辺に住む彼によれば、10年に1度、我々の代で同窓会が催されるらしく、来年が卒業40周年にあたるので、多分また同窓会があるだろうとのこと。
登録はしてあるので通知が来ると思うが、うーん、高校の友達か。
なんだかろくでもないことばかりしていたような気がするわが身としては、行ったもんだかやめといた方がいいんだか。
その友人とは握手をして別れ、大内くんとふらふら歩いて帰る道すがら。
「去年も中学の友人、Cちゃんのご好意で名古屋に行ったし、今年ももうしばらくしたらCちゃんたちに会いに行く。還暦を迎える3年後にはきっと集まろうね、って約束したから行くつもりだし、そうすると、来年も行くのはちょっと多すぎかも。50周年が大々的にあるだろうから、その時にしておこうかな」と大内くんに言ったら、真顔になって、
「その時、いくつだと思ってるの。68歳だよ。もしかしたらもう生きていないかもしれないし、キミが生きていても、その間に何かあって会えなくなってる友達もいるかもしれない。毎年名古屋に行くことになろうが、ぜひ行くべきだよ!」と口角泡を飛ばす。
そうか、58歳と68歳ではやはりリスクが違うか。
大内くん自身、昨日、中高の同窓会に行って、思うところがいろいろあったのかもしれない。
うん、そこまで言ってくれるなら、案内が来たら行ってみようか。
ついでにまたCちゃんと彼女お気に入りのレストランで食事もできるし、もしかしたら中学の友達との女子会もまたできるかも。
でもなぁ、4、5人の女子会には1人で出られるようになった私だが、大勢の会はやはり慣れなくてストレスが強い。
配偶者同伴可なら、そして、それまでに15キロぐらいやせていられたら、ということにしておこう。
今のままでは、誰も私が当時の「ヤナイ」であることに気づかないよ。悪目立ちしてた女生徒だったのに。
お天気のいい日で、良い散歩ができたし、旧友に会うこともできた。
私も何か、趣味が欲しいなぁ。
こないだ、久しぶりにマンガ(というか、お絵描き)を描いてみて、この方向が妥当なのではないかと思った。
とりあえず、家にある画材(パステル、水彩絵の具、水彩色鉛筆、カラーインクなど)を使ってみようかと、簡単な水彩画の描き方とか色鉛筆での描き方、塗り絵などの本を買ってみたので、そのへんからぼちぼちと。
老後は大内くんと井の頭公園に大勢いるイーゼルな人々の仲間入りをしてみようかしらん。
17年1月23日
先々週、息子のお笑いサークルの後輩が中心となって行われたコントライブに行ってきたことをもう少しくわしく書こう。(重複する点もあるだろうが)
考えてみれば、息子たちがやる以外の自主的なコントライブって観たことがなくて、最初は大隈講堂などの学内ライブから入り、学祭を経て、コンテストの嵐に呑まれた。
息子が初めて他のユニットたちと一緒に「合同コントライブ」をやった時は、
「かわるがわる、それぞれのユニットがコントをやるんだろう」と漫然と考えていて、まさか2時間近くに渡る演劇のように、ストーリーと登場人物が絡み合う、1つのテーマに貫かれたものになるとは思ってもみなかった。
それが、2年ちょっと前か。
その1年後、同じメンバーでもう1回同じタイトルの合同コントライブをやり、後輩と2組でのライブをやり、息子の最初の主宰作品となるライブを去年やった。
その後、正式に息子が主宰するコントグループを立ち上げ、その公演が9月、12月と行われ、今度、3月にまた行われる。
結局、自主ライブをもう6回もやっていることになる。
学生の活動としてはまずまずの成果だろう。
というわけで、「学生のライブはこのへん」というラインを、大内くんも私も持っていた。
我々がチケットを押さえたのを後輩経由で聞いたのか、息子は、
「あんなもん、観に行くヤツの気が知れん。全然面白くないぞ」と悪口雑言を並べ立てていたが、何しろうちの駅前の劇場だからなぁ、無料カンパ制だし、観に行きたいよ。
で、2人で観に行った。
(会場で息子にばったり会った。やっぱり観に来てるんじゃないか)
ビックリ仰天した。
面白くないのだ。
全編ドタバタで、笑えないギャグが続き、しまいにメンバー8人とも舞台に出て来てしまったが、誰もたいしたことはしていなくて、そこにいるだけ、という有様。
おまけにカーテンコールまでするし。
さっきまで全員舞台にいたじゃないか。あれでもう、充分だ。
無料カンパ制なので、お客さんは何らか心ばかりの額を払うことになっている。
席を立ちながら、大内くんに500円玉を見せたら、「1枚!」と言う。
「千円札?」と訊き返したら、「100円で充分!」。
それはそれでいいけど、誰もまだお金を入れてない箱に最初に入れる立場になってしまった、そんな時に100円玉を入れる身にもなってくださいよ。
うーん、やっぱり、程度の差というものはあるんだなぁ。
もちろん息子たちの芸をプロの芸と並べたらアラだらけだろう。
しかし、少なくとも学生お笑いの世界では通用する、知的で精緻な造りだと言えよう。
3月の公演が終わるとほとんどのメンバーが社会人となり、そのために辞めて行く子(郷里に帰って学校の先生になるんだそうだ。彼の演技が惜しすぎて涙が出る)も出てくる。
さて、この先、どこまで行けますか。
親だから、ずっと観てるよ。気持ち悪いかもだけど、そういう親心もあるんだよ。
17年1月25日
アマゾンで、「夫のちんぽが入らない」という身もフタもないタイトルの本を見つけた。
新刊で、高いのに、ふらふらと買ってしまった。
さすがにこのタイトルはインパクトがあり過ぎるだろう。
読んでみて、驚いた。
「夫」はインポではなく、妻も他の人とはできるのに、夫とだとどういうわけか、「入らない」のだそうだ。
ローションを使ったり大出血したりしてるところを見ると、「その気になれない」わけでもなさそうだし。
これは、何かのメタファーなのか?
現代の夫婦の、新しい問題提起なのか?
それぞれ他の人とやるとか風俗に行くとか、そういうことは黙認されているらしい。ますますわからん。
私は、何でも「真に受ける」傾向があり、SFとミステリと歴史小説以外は全部「私小説」だと受け取りがちなんだが、もしかして空想小説とか難しい心理描写の小説なのか?
これ以上の分析ができるほどの読書家じゃないぞ、くやしいけど。
もう2、3回読んでよく考えようとは思うが、とりあえず初読ではそんなもん。
人に、「『夫のちんぽが入らない』って小説を読んだんですけど、どうして夫のちんぽが入らないのか、わけがわからないんです」と相談するにしても、やはりこのインパクトあるタイトルが邪魔をする。
世の中には難しいことがいっぱいだ。
16年1月27日
1年先に、大内くんと海外旅行の予定を立てている。
2年前に行ったイタリアへのツアーで、延泊をつけて4日間滞在したローマがすっかり気に入ってしまったので、もう1度、今度は1週間ぐらいローマだけにいてみよう、という話。
1年も先なのは、ハイシーズンには40万円以上するイタリア1週間フリープランが、1月2日出発なら15万円ぐらいで行けるので、長期休暇を取るために準備期間が充分に必要だからだ。
旅行社の陰謀の裏をかくのもなかなか難しい。
ところが、半年ぐらい前にはとてもその旅行を楽しみにして、毎日パンフレットを見ていた私が、最近、心身の衰えを強く感じて、非常に不安になっている。
大内くんがいないと日常生活もおぼつかず、買い物ひとつ行けないありさま。
英語もわからないし、イタリア語は論外。
地図も読めず、2手3手先のことがわからなくなっている。耄碌の始まりか。
「というわけで、とっても心配。もう、海外旅行なんか行けないんじゃないかなぁ」と大内くんに言ったら、
「うーん、僕も、ヨーロッパはほとんど行ったことがないし・・・出張でしょっちゅう行ってる人たちに比べると、サラリーマンとしての経験値が低すぎるからなぁ」と、彼も不安そう。
「そういう時は、嘘でも『僕が一緒なら大丈夫。まかせといて』って言ってほしい」と訴えたところ、大内くんの返事は、
「うん、僕がいれば安心だよ。大風呂敷に乗ったつもりでいなさい」というものだった。
なんだかとっても泥船に乗った気分・・・
17年1月28日
前からの心臓の持病が悪くなり、ここ10年ほどずっと定期的に医者に行き、検査をしていた。
問題点は3つある。
@かなり大きくなった胸部大動脈瘤がある。
A生まれつきの弁の奇形で、血管が狭窄してきている。
B徐々に進む心肥大から、拡張型心筋症の疑いがある。
このうち、@とAは比較的簡単な手術で治すことができるが、両方やろうと思うとどうしても開胸手術になるんだよね。
大動脈瘤だけなら、足の付け根の動脈から入れるステント手術が可能だと思うし(最近は人工血管に取り換える手術もあるから油断できないけど)、弁を取り換える「弁置換術」も術式の安定した、ポピュラーな手術だと思う。
なにせ、小学校で検査すると100人に2人は弁の奇形がある、というすそ野の広さだから。
ただねぇ、この歳で手術するとまだ若いので、将来交換の必要のない「人工弁」を使わなくてはならなくて、そうすると血栓ができないように「血液をサラサラにするお薬」を生涯服用しなければならないらしい。
歯医者さんとかで、聞かれたことないですか?
「血液をサラサラにするお薬、飲んでませんか?」って。
手術などを受ける時に、問題になる薬のようだ。
毎日定期的に薬を飲む、という行為自体は慣れているし、キライじゃないのでOKなんだが。
ちなみに、Bは、まだまだ様子見。
もし、「チーム・バチスタ」等で有名になったこの病気の疑いが本当になったら、ゆくゆくはバチスタ手術を受けるか心臓移植を受けるしかないそうだ。
まあ、長いことかかってゆっくり悪くなってきているので、別の病気かもしれないし、死因が拡張型心筋症になるとしても、ずいぶん先のことのように思われる。
バチスタ手術自体、今、どんどん技術が上がってきてるだろうし。
気にしすぎてもしょうがない。
中学時代から「心雑音」を指摘されてきて、ここが信じられないところなのだが、母親は、1度は病院に連れて行ってくれたものの、「心房中隔欠損」の可能性を指摘された後も、「気のせい」と言って、私の心臓に注意を払わなかった。
(心房中隔欠損症自体は成長の過程で治ったようだが、雑音はあいかわらずだった)
その頃から、軽くネグレクトされていたのだなぁ、と、母亡き今は思う。
なので、私は今、むしろ生まれて初めて、「具合が悪いです」「それはいけない。横になりなさい」という簡単な英会話の練習のような状態を楽しんでいる。
死に、一歩近づいてはそのスリルを楽しんでいたと思ったら、死にたくなくなってそっと死から遠ざかろうとして初めて、相手は動き、ゆっくり近づいてくる。
誰しもそろそろ、自分の「死に方」を考える年ごろだと思う。アラカンだし。
もし余命を宣告されるようなことがあったら、私は大規模な生前葬を行い、死後、大内くんが空しく聞くだけだったはずの「故人をほめたたえるスピーチ」を山ほど聞くつもりだ。
皆さん、そのおつもりで。
17年1月29日
この歳になると、女子が集まっても「恋バナ」ではなく「病バナ」になるというから、私も遠慮なくもう少し病気を語ろう。
開胸器でめりめりと、とか聞いても大丈夫ですか、Kちゃん。
まず病院の選択。
これが、実にスムーズに行った。
10年ぐらい通っていた主治医は、風邪とかで近所の病院に行ったら心肥大(当時はそんなもん知らなかった)を指摘され、
「心臓と肺はなめちゃいけない。すぐ心臓専門の病院に行きなさい。紹介状書くから」と言われたのがきっかけ。
実は、このかかりつけ医が三鷹の医療関係をよく把握していて、適切な病院へ人を送る仕事を熱心にやっているのだ、という事実をあとから知った。
その時は例によってものすごくめんどくさくて、もうネグっちゃおうか、と思ったんだけど、必ずここで出てくるのが忠義者の中番頭さん。大内くんである。(from
去年の初夢。「3番目の中番頭さんだった」のだそうだ。大きなお店(たな)だなぁ)
「病院行けって?土曜日に連れて行ってあげるから、行きなさい。何かあったら大変だ」と本当に連れて行かれちゃった。
縦長の、不思議な構造の病院で、1Fは受付、2Fは尿、血液の簡単な検査室、3Fは心エコーやMRIがあるちょっと本格的な検査室、4、5Fは入ったことなくて、てっぺんの6Fに先生の診察室があり、晴れた日には待合室の窓から富士山が望める。
どのフロアも狭いが、結局は看護婦さんがたくさん必要になるので、どうもお金のかかる病院らしい、という疑いを持っている。
ところが、予約制ではあるものの、ほとんど待たされたことがないんだよね。
この点にコストがかかっているのか?
病院で待たされるのはイヤなので、嬉しくはあるのだが。
実際、私は6週間に1度、検査に行き、普通は採血・採尿コース経由、診察室。
先生が、脈を見ながら血圧を測り、上半身の前後に聴診器を当て、まあ、その時々によっていろいろ。
糖尿の症状が出た時に薬で抑え込んでもらったこともあるし、良くなったので薬が必要でなくなった症状もあり、今のように、心臓の不調をやや多めの薬で抑えてる、って場合もある。
それで、薬代含めて1万円近くかかる。
毎回、気絶しそうになるよ。
あんまり医療費が家計を圧迫するので、先生に、
「6週間に1度、ではなく、2カ月に1度、というわけにいかないでしょうか」と相談を持ちかけたのだが、先生は血相を変えて、
「とんでもないです!今でも少なすぎるぐらいなのに!」と怒っていた。
治療費を取りたいからだ、と疑う気持ちがないではないが、万一のためにケータイの番号まで教えてくれて、
「もし、救急車に乗るようなことになったら、僕の名前を出して、日赤か榊原医院を指定してください」と言ってくれる。
これは、患者さんを救いたいタイプなんだろうなぁ、と想像はしてみる。
さて、今回、手術の可能性を提示され、紹介されるのが上記の榊原記念病院。
ネットで見る限り、心臓外科については関東一の名病院で、患者さんの口コミでも説明が丁寧だとか病室が居心地がいいとか、まあ、普通いいことしか書いてないよね、と思いつつも、期待を持つ。
年間千件切ってる病院の名医を紹介してもらえる、というのは、運がいいというものだろう。
しかも、家から車で20分ぐらいしか離れていないし。
今、そちらの病院での検査のスケジュールを相談してる段階らしい。
検査、即入院、即手術、とはならないと思うが、来年1月にローマに行く計画立ててるんだ、その後にしてくれないかなぁ。
自分でも、活発な人生を歩んできたと思うし、この口のまわるうるさい女が、実は心臓が悪いんだ、って言っても信じ難いよね。
私も信じられない。
晩年は癌とがっぷり四つに組んで、押しまくるも惜しくも土俵を割る、というような最期しか想像してなかった。
母方も、父方も癌の家系だからなぁ。
でも、父は50代で弁置換術を受けている。
お骨と一緒に、セラミックのわっかが焼け残っていた。
どういう状況だったのか、弁の奇形は遺伝するのか、聞いてみればよかった、と思いつつ、もう父も母もいない。
人が死ぬと、不便だなぁ、としみじみ思う。
ところで、こういう状況で、「医龍」を読み、テレビでキムタクの「A LIFE」を観るのは、とても精神衛生上悪い。
「医龍」は読み切っちゃったのでいいが、キムタクは、どうしようかなぁ。
開胸器、見ちゃったよ。やだね。
17年1月30日
昨日、野菜をたくさん買ったので、大内くんがポトフと肉じゃがとかぼちゃの煮つけを作ってくれた。
大内くんは炒め系が得意だと思っていたが、煮込み系もなかなか。
「おでんとポトフは煮立たせない。お風呂に入れるような気持ちで」とかつぶやいている。
実際、最後には透き通った黄金色のスープに、豚ばら肉やキャベツ、たまねぎたちがとっぷりと浸かっていたよ。
さすがに試験期間中、しかも大学生活最後の試験であるという現実と関係あるのかないのか、珍しく早く帰ってきた息子から、さっそくポトフの要求。
ロールパン2つをつけて、「うまい、うまい」を連発しながら食べていた。
ただ、彼は、我々がポトフには欠かせない、と思っている「粒マスタード」を全然使わないんだよね。塩をかけるだけで食べてる。
いや、それでもおいしいとは思うし、人の食べ方はそれぞれだが、「まだまだお子ちゃまなんだねぇ」と大内くんと顔を見合わせる。
しかし、大内くんは料理がうまくなったなぁ。
私は「適当」とか「塩梅」という概念が苦手で、レシピ通りの料理ならまあ上手に作れるのだが、大内くんは、たいがい発想からスゴイ。
「レタスとソーセージがあるから、これでチャーハンを作ろう」と、私は一生思いつかないだろう。
そんな、大内くんに支えられた食生活の中で、私が作って最近ヒットだったのが、ネットで見た「巻かないロールキャベツ」。
要するに、ハンバーグのタネみたいなものを作って、炊飯器の中で、レンチンしたキャベツの葉っぱ5枚と交互に重ね、あとはトマト缶とスープキューブを入れて、普通に炊飯スイッチを押すだけ。
かなりいい仕上がり。
大内くんと2人で「おいしいね」と食べて、夜中に帰ってきた息子に夜食に出してあげたら、「うまいね!」と、彼にしては絶賛。
「また作って」とのことなので、飽きっぽい彼が飽きないペースを守って、また作ろう。
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