17年2月1日

雑事にとりまぎれて大事な話を忘れていた。
萩尾望都が40年ぶりに描く「ポーの一族」、第2話が掲載された月刊フラワーズを無事ゲット!

もともとは前後編の予定だったのよね、この作品。
しかし、巨匠がもっと描きたいと言ったのか、編集部がもっと描いてくださいと言ったのか、そのへんはまったく不明なまま、いつの間にか「連載化」されることになったのだ。

前回、大変な勢いで売れてしまった月刊フラワーズは、雑誌としては異例の「重版出来」となり、3万部刷ったところにもう2万部を投入したと聞く。
今回は、最初から普段の2.8倍を刷るらしい。
それなら、買えなくて泣いているファンも出ないですむだろう。

さすがに連載化とあって、ストーリーが、単なるスピンオフではすまず、「ポーの一族」の根幹に迫って行く勢い。
来月が楽しみだ。

最近、大内くんは私や友達に薦められて、「アイアムアヒーロー」「高台家の人々」「3月のライオン」を立て続けに読んでおり、今、息子が演劇少女のカノジョから借りて読んでいる「ガラスの仮面」も無視できず(息子は借りた本を、我々は家にあったのをデータ化したものを読んでいる)、
「マンガって、なんてすごいんだろう!最高だね!」とベッドの中でじたばたしていたのだが、ここに至って、「ガラスの仮面」を一旦お休みして、「ポーの一族」フラワーコミックス全5巻を丸呑みした。

「いやぁ、大学に入った頃に読んだけど、やっぱりすごいマンガだね。巨匠だよ。手塚治虫が始めちゃったことだとしても、もう事態は彼の手を完全に離れているね。いやいやいや、『ポーの一族』はすごい」と嘆息する彼と、フラワーズについてきた年表を見ながら、彼らの系譜をたどる。特に「エヴァンスの遺書」あたりの入り組み方は、かなりなハーレクインロマンスだ。

私が吟味して薦めているから、というのもあるが、世の中である程度はやっているマンガは、好き嫌いはあるにせよ、一定以上の力を持っている。
それを最初に掘り出す編集さん、って商売は、いったいどんな人がやるんだろう?
息子も就活の中には出版社が含まれていたらしいが、恐らく、全然歯が立たなくて敗退したんだろう。

「これから、もっといろいろ読まなきゃね」
「そうだよ、僕ら、『NARUTO』も『HUNTER×HUNTER』も『ワンピース』も読んでないんだよ?世界に誇る日本文化に囲まれていながら、怠慢だよね」
「読みたいものはいっぱいあるのよ。『ちはやふる』だって『重版出来』だって『宇宙兄弟』だって『聖おにいさん』だって読みたいよ。でも、あんまり膨大にあるから、気合負けしちゃうんだよね。戦う前から、物量で、負け」
「僕がこんなに時間を投入して頑張ってるんだから、時間のある人はもっと頑張ってください!そして、面白いのがあったら、また教えて」
「わかった」

というような会話を交わしながら、でも「人間仮免中」みたいなんを1冊読んじゃうと、その後丸1日は使い物にならないからなぁ、とは思う。
いい作品、はいっぱいあるが、時々、「ものすごい作品」があるんだ。
目が見える限り、字が読める限り、マンガを読んで行きたい。
たとえ心臓の手術を受けても、iPad持ってって、「ものすごくヒマな時間」をもらったと思ってマンガを読もう。

17年2月2日

今日が息子の試験の最終日。
9時からの1限と、4時50分からの5限。
いったい間をどう過ごすのだろう?

朝の7時に声をかけたら、いつもだと「もう10分」「もう5分」と布団にもぐっているのだが、一発で起きた。
時間があるので朝食でも食べるかと思ったら、無言でシャワー浴びて、たちまち服を着て、何も言わずに出かけてしまった。
大内くんと2人で、「頑張ってね!」と声をかけたが、今の彼の心境はどんなものだろう。

単位がギリギリで、この試験で2単位落とすとまた留年。
もっとも本人は留年する気はまったくないらしく、かと言って無茶苦茶勉強するでもなく、淡々と今日を迎えた。
大内くんがラインで、
「単位足りてるの?すでに留年が決まっていても怒らないから、正直に言ってごらん」と聞いたら、
「ギリだけど、何とか」というリアリティーのあるレスが返ってきた。

まあ、息子によれば「8単位以内の人には再試がある」とのことで、はっきりした意味は分からないが、何らか救済措置があって、息子はそれに該当する、ということだろう。
大内くんは、
「大学側も、あと数単位で、就職も決まってる人をいちいち留年させたくはないだろう。かならずいくつも『徳俵』があるよ」と言っている。

23歳。学校教育を17年間受けた。
決して好きではない勉強を、とりあえずの目標校を見つめることで、なんとかやって来た。
今、彼は「早く働きたい。バイトでもしたいぐらいだ」と言っている。
もっとも、3月19日に彼が主宰するコントグループの「第3回コントライブ」があるので、
「今さら焦っても仕方ない、そちらの準備を万全にして、悔いの残らないようにしてほしい」と甘い親は思う。
実際、会社に行くのをとても楽しみにしているらしく、逸り立つ若駒を「どうどう」となだめているような状態だ。

本を、よく読むようになった。
今カノが「大内さんって、とっても読書家なんです」と言って来た時はのけぞったが、この半年、演劇少女のカノジョの指導よろしきを得てか、気がつくと蜷川幸雄やつかこうへいがそこらじゅうに転がってる。
「コントと演劇は違う。しかし、演劇の素養もあった方がいいコントが書けると思う」と本人も言っており、2日に1回ぐらい泊まりに来るカノジョと、夜中まで向かい合ってパソコンで何かしている。
ICUの演劇サークルの「演出補」を務めたと思ったら、3月には、舞台にも出るそうだ。
私も小学校から大学まで演劇をやってきたが、自分の息子が役者として舞台に立つと想像したことがなかった。(小学校の学芸会は別だが)
しかも、何の因縁か、私が大学時代に踏んだのとまったく同じステージなのだ。
人の運命はわからない。

コントだけでも大変なのに、このうえ演劇にかぶれてしまったらどうしよう、もう会社行ってる場合じゃなくなっちゃうかも、と、心ひそかに心配しているが、大内くんは、
「何かにかぶれなくて、何のための青春か!」と喜んでしまって、説教する気はまったくないらしい。

もう、ごまかしようもなく、私が読んだことない本ばかり読んでいるので、「知識人ぶる」ことも難しくなってきた。
カノジョから借りて「ガラスの仮面」を読んでいることだけが共通の話題か。
大内くんも、こんな大作を今まで読んでないのもいささか不勉強だった、と言い、寝る前に1冊ぐらいずつ読んでいる。
でもね、あれ、終わってないのよ。
もう、どっちが「紅天女」を演じてくれてもかまわない。じゃんけんで決めろ、と言いたくなる。
父子でそんな途切れたハイウェイを疾走して、大丈夫なんだろうか。

今夜、帰ってくる息子は、もう昨日までの息子ではない。
あくまで希望的観測だが、大学の過程をすべて修了し、あとは社会に出るだけだ。
嬉しい。しかし、何事にも終わりがあるもんだなぁ、としみじみする。
とは言え、とりあえず家から通うつもりのようだから、ヘタをすると大学時代と同じ感覚で夜食とか作らされちゃうのかも。
急に洗濯を始めるとも思えないし。
結局、大して変わらない生活か。
いや、お給料をもらってくるので、そこから「住居費」を払ってもらい、あと、学生時代の借金(300万もあるんだ、これが)を返してもらいたい。

「普通は『食費』を取るんじゃないの?」と、いろいろ画策している大内くんに聞いたら、
「食費を取ると、『夜食作って』と言われた時に断りにくい」のだそうだ。
だったら、「住居費」を取ると、掃除させられちゃうんじゃないかなぁ、と思う。
親子の攻防は激しいもんだ。
でもね、やっと「大人同士」として会話ができるかもしれない、私は、その一点に賭けている。

17年2月3日

今日は節分。美味しく楽しい恵方巻きの日。
もう2週間前からローソンで予約してあるんだ。
朝イチで買って来て、大内くんと食べよう。

ところが!
大内くんが出かける寸前に目が覚めた私は、「行ってらっしゃい」を言うのに必死で、そのあとは2度寝して、恵方巻きを思い出したのは結局午前10時頃。
しょうがない、夜、一緒に食べよう。
私を起こそうと思わなかった大内くんも、忘れていたのかなぁ、ローソンで6時受け取りだと言っておいたのに。
それとも、恵方巻きごときで私の健やかな眠りを妨げたくなかった?
案外、前者なんだよなぁ、この人の場合。

息子は今日からもう目ざまし時計をかけずに生きていける立場だが、やはり友達と遊びに行ったりコントの打ち合わせがあったり、いくからかいくらなんでももうちょっと早く起きたいと思ったりで、目覚ましだけは盛大にかける。
iPad miniとiPadとiPhone、全部でかける。
朝の10時は、何だか不思議な交響曲に包まれて眠る息子。

もちろん、私の「起きなよ」という勧告は無視される。
まあ、いいや。
もう授業に遅刻するぅっ、って心配もないんだし、友達との約束を寝過ごせば、彼の信用が落ちるだけだ。
会社入っても、起こしてなんかやらないぞ!

それでもなぜか、「あと5分」と言われると起こしてしまう。
今朝は3セットやった。短い方だ。
彼には彼の恵方巻きを食べさせて送り出し、ああ、やっとゆっくり眠れる。

17年2月4日

もう、息子の大学生活も終わりに近い。(と、思いたい)
「勉強がキライだ」と言いながら、よくまあ小学校から大学まで行ったもんだ。
私も同様に勉強がキライだったし、親は我々とは違う動機から、勉強にうるさくなかった。
私は、「もうちょっと勉強した方がいいんだけどなぁ」と思っても息子を怒らせたくなかったり、「勉強って、そんなに大事だろうか?」と思ったりで、勉強しろしろと言う気にならなかった。

私の親が勉強しろと言わなかったのは、私がとにかく頭のいい子に見えたかららしい。
「授業なんて、退屈だろうなぁ、よく毎日学校に行くなぁ」って、それだけを考えていた、のだそうだ。
もちろん高校に入る頃には完全な理科系落ちこぼれになっていて、数学の追試を受ける人が再追試、再々追試になるに従って一人ぽっちになって行くさまは、校内の年中行事だった。

そんな私がどうして大学まで行ったのかは、「なぜ行ったのか?」と「どうやって行ったのか?」という二重の謎に包まれている。
ホントに、どうやって入ったんだろう。今だったら絶対に落ちるぞ。

そして大内くんに出会い、彼が3年留年するのを見ていて、「度胸あるなぁ」と思ったよ。
だって、彼の家って無茶苦茶そういう方面には厳しいんだもん。
結婚してから何度も、今でさえ時々、
「ねえねえ、最初に『留年しました』って親に言う時、どんな気分だった?何て言われた?」と訊いてしまう。
「それがねぇ、覚えてないんだよ。まあ、現役で入ったし、まわりに留年してる先輩がいっぱいいたから、普通かな、と。親の反応?ものすごくギャーギャー言ってた気はするけど、もう忘れちゃったなぁ」

それはね、あなたがいた場所が悪かったのよ。
まんがくらぶは、留年生の巣窟だったから。
私でさえ4年で卒業したんだから、別のサークルとか集団に入ってもうちょっと真面目にやれば、普通は7年も大学行かないよ。

「親に反抗する気持ちも強かったんだろうね。勉強勉強言われて、気がついたらこんなところにいて、もう、思い通りにはならないぞ、みたいな」
「で、息子の留年をどう思いますか?」
「あれは、仕方ないよ。彼は精神年齢が低すぎて、自分でもそれがわかってて、猶予期間が欲しかったんだと思うよ。その証拠に、学校には行ってたじゃない。その結果のゼロ単位には驚いたけど、彼としては、何かを『やらかしてみたかった』んだろうね。今、単位がギリギリではあるけど、彼の気持ちの中ではしっかり卒業する気になってると思うよ。問題は、彼がそう思っても、試験が難しくて落とした場合だろうね」
「その時は、あなたが学長室に行って土下座してくれると信じているよ」
「まかせて。もう、何でもするから」

息子の留年も面白い話になってしまう。
この状態でいいのか悪いのかわからないが、息子は、「両親の仲がいいのが嬉しい」と言っていたから、仲良くキミのウワサをするよ。

17年2月5日

これまで、買い物は週末に大内くんの運転で近くの八百屋やスーパーを回って、買い出しに励んでいた。
中でも苦しいのが牛乳。
重たい1リットルパックを、10本近く買わねばならない。
息子が、麦茶の、水の、ジュースの、あらゆるものの代わりに牛乳を飲むからだ。

何となく買い物に行き続けて20年、そろそろ楽をしても良かろうと、西友の配達を頼むことにした。
5千円以上注文すれば無料で、翌日のその時間に届けてくれる。
もう5回ぐらい頼んだかな。

ところが不思議なもので、いつも週末に買いに行くと8千円〜1万円ぐらいの買い物をしていたのに、パソコンの画面を見ながら注文を考えていると、宅配ラインの5千円の買い物を捻出するのが難しい。
もちろん牛乳は10本、これだけで1650円。
野菜は八百屋で別に買っているからいいとして、ステーキ肉をいつも2枚ぐらい買うなぁ。
つけあわせの冷凍ポテトフライを買おう。
お菓子も少し買う。
今週はこないだネットで拾った「炊飯器で作る巻かないロールキャベツ」にしようかな。
挽肉と、トマト缶を買う。
あれ、これ以上、買うものを思いつかなくなっちゃったぞ。

やっぱり、品物を実際に見てカートを押して歩いてみないと買い物はできないものなんだろうか。
大内くんが肉じゃがを作ってくれると言っているので、牛肉薄切りとしらたきを加える。
ああ、あと、料理酒が切れかけてたな。これも買おう。

と、これぐらいで何とか5千円に届く。
お菓子を見なければ買わずにすむかと思ったら、広島のもみじまんじゅうとか、名古屋のなごやんとか、2袋、3袋の勢いで買っちゃってやっと、の話だ。

ということは、節約ができているのかもしれない!
今月の家計簿を〆るのが楽しみだ。
でもやっぱりお菓子代が突出してたりして・・・

17年2月7日

息子と、会社帰りの大内くんと行きつけのパブで待ち合わせ、軽く飲む。まあ、珍しい出来事だ。
大学生活が終わり、社会人生活の始まり(予定)なので、少し話をしてみようと思って。

30分前から集合してしまった大内くんと私は所在無く酒を飲む。
いや、大内くんは、「奥さんとデートだ、嬉しいな」とか浮かれていた気がする。
7分遅れぐらいで息子がやってきた。

「卒業はできそう?」と聞いたら、
「うん、3月1日に単位が取れたかの発表があって、ダメなら追試がある」。
その追試というものには、必ず受かってもらいたい。
「まあ、大丈夫でしょ」と、目先の未来しか考えてない、楽天主義の若者が目の前にいた。

しかし、アンチョビのスパゲッティを食べMarker's Markの水割りを飲みながら、彼は驚いたことを言う。
「今度入る会社はスマホゲーム作ってるわけだけど、人のためにならないかもと思うんだよね。もう、先も見えてるし」
そっ、そんなことを考えるなら、もっと半年以上前に考えてほしかったよ!
今頃、自分の会社が気に喰わなくてどーすんだ。
待遇のいい大会社ならともかく。小さな会社を選んだのは、「やりがいがあるし、やりたいことができる」からではなかったのか!?

「じゃあ、もう1年留年か休学して、もっとやりたい仕事を探す?」と聞いたら、
「いや、それはいいのよ。まずやってみる。どうしてもだめでも、スキルを身につけたということで、他の仕事を探すから問題なし」とこれまたあっさりと言う。

「あなたさぁ、何をしても食って行ける、って思ってる?」
「まさか!そんなに傲慢じゃないよ、オレは」
「いや、どんな分野でも食っていける才能がある、なんていう意味じゃなくて、コンビニでバイトしても食ってはいける、って意味」
「うーん、たぶん大丈夫だと思う」
しかし、その時、キミの妻は、子は、住宅ローンは!と考えてしまう私は、頭が古いのだろうか。

結局、親も子も、わかってないのだ、これから続く長い苦しい道のりを。
わかりたくないので、目をつぶっている。少なくとも私は。
「大会社に入ったからって、偉くなれるとは限らない」「昔みたいな年功序列のエスカレータじゃない」と一生懸命唱えて、自分の心の平安を保ってきたのだ。
そこへ、「業界に問題があるかも」なんて、言ってほしくないよ、今頃になって。

まあ、いいや。
私の隣に座っている大内くんは、家出と結婚に押されて、今の会社に飛び込んだ。
さしてガッツのあるスイマーではなかったが、疲れないように平泳ぎを続けていて気づいたら、30年近くがたっていた。
みんなと同じようなペースで、なんとか遅れずに沈まずに泳ぎ切ろうとしている。
アンチョビのパスタを食べ終えて、まだ足りなくてキーマカレーを頼んでいる彼に、これからの人生なんていくら口を酸っぱくして言っても、わかる時にしかわからないものなんだ。

「で、今日の用事はそゆこと?」と言われて、一番大事な話をする。
お給料が出たら、月々5万円もらう。
内訳は、借金返済3万円と家賃2万円。
借金は、そのペースで行くと300万を返し切るのに8年ぐらいかかるが、途中でゆとりができたら早期返済も可、ということで。
まったく異論はないようだった。

「どうせ、すぐ家出るから」と軽く言われ、うろたえた大内くんは、
「そんなに急がなくても、ゆっくりいていいんだよ。仕事に慣れて、いろいろ1人でできるようになってからでいいんだよ」と猛烈に引き止め、息子は息子でけろっとして、「うん、じゃあ、しばらくいようかな」。
緊迫感があるのかないのか。

「少なくとも夜食作ったり、お皿洗ったりは自分でやってね。そもそも、あなた、そろそろ夜食やめないと、身体がピンチだよ。おなかまわりとか」と、私は私の責任において言ってはおく。
1人暮らしでもしないことには、この人に生活力はつかないと思うのだが、大内くん、いつか、今日のセリフを後悔する日が来ても、私は同情しないよ。
40過ぎたカサ高い息子に、夜食を作る70歳の父。ああ、考えるだけで、イヤだ。

結局キーマカレーを少し残した(大内くんが食べた)彼に安堵しつつ、閉店まぎわのユニクロに飛び込んで、彼のリクエストでパンツを2着買う。
寒いので、思わず横を歩いている息子の腕にしがみついてしまい、
「母さんと腕組みは、恥ずかしい?」と聞いたら、「いや、全然」と腕をギュッと締めつけてくれる。
あったかいのと、若者の躍動的な動きは歩き方にも現れるのか、やけに上下にスプリングがいいのに気づいた。
前を歩いてる大内くんに、
「ね、ね、彼と腕組んでみてよ。面白いよ〜」と替わってあげる。

腕を組んで歩く父子。
面白い見ものでもある。
そして大内くんは予想通り、
「体力が余ってる感じだね!」と感嘆し、私が、
「そんな彼も、今から下り坂なんだよ」と言ったら何だかしょんぼりしていた。

これからまたガストでコントのネタを考える、と言う自転車の彼と別れてバスで帰ったが、何やら感無量。
ああ、いつも聞こうと思って忘れてしまう根源的な問いを、今日も忘れた。
「いったい全体、なぜ、お笑い、特にコントの世界に行ってしまったの?」
これについては理解できたこともなければ、理解できるような説明を聞いたこともないので、いつも気になっている。
次の機会には、問わねば。

17年2月8日

今夜は1人ごはんなので、ピザを1枚焼いて食べようとしていた。
食卓で、iPad読みながら焼けるのを待っていたら、7時過ぎというのに息子が帰ってきた。
こんなに早く帰ってくるのは珍しい。

だが、その瞬間私の脳裏を走った問題とは、
「このピザを、半分こせねばならんのか?」という悲嘆にまみれたものだった。

ところが、運命の神様はいつも通り私びいき。
「1人で、何してんの?」と聞く息子に、
「ピザ焼けるの待ってるの。ご飯は?」と聞いたら、
「食ってきた。大丈夫」
「ピザ食べる?」
「いいや」
嬉しい!おまけにおまけに、息子は身を乗り出して、座ったままの私をぎゅうっとハグしてくれた。

「もう、これは、心臓の手術をして失敗して終わる、っていうフラグかしら」と思うような、優しい、力強いハグであった。
そうか、結局、私の「親なんてキライでしょ」という思い込みを越えて、息子は、私が好きなんだなぁ。
ピザも美味しかったし、マンガ「真夜中のダメ恋図鑑」も面白かった。
まだまだ生きて、いい思いをしなくちゃなぁ、と帰りのバスに乗ったとラインしてきた大内くんに、
「息子はいい子だよ。あなたのおかげだね。ありがとう」とそっと手を合わせた。

17年2月9日

ここ7、8年かかっている心臓の医者から紹介された、「榊原記念病院」に行ってきた。
家からは車で20分ぐらい。近くて助かる。

朝イチで行って、30分ぐらい待って、部長先生に診察してもらった。
なんか、ものすごいオーラが出てる壮年の男性で、「切って、切って、切りまくってる」雰囲気全開だった。
この人に執刀してもらえたらいいなぁと、素直に思った。(無理だろうけど)
先生としては弁置換術と大動脈瘤の手術を前提にMRIを撮るつもりでいたようだが、診察をして、手術に踏み切るかどうかはカテーテル検査をしてから決めよう、という方針になったらしい。

1週間ぐらい検査入院せねばならず、なるべく大内くんについていてもらいたいが、限度があるからなぁ。
3月10日からの入院と言われ、息子の第3回コントライブが19日にあるので、絶対それまでには退院させてもらおう、もし何らかの事情で退院できなかったら、外出許可をもらって行こう、と思った。

カテーテル検査についての説明ビデオを見たが、腕や足の付け根の血管から管を入れて心臓まで伸ばし、何やら検査をするらしい。
腕ならその辺の毛をちょっと剃るだけだが、足の付け根だと…ヤバい。
どうか、腕の血管から入りますように、と祈っているところ。
それだけの検査で1週間も入院なのかぁ。びっくりしたぞ。

今回、手術が一歩遠のいた、という感じがするけど、検査の結果次第ではすぐ切られちゃう気がして、コワイ。
来年1月に予定しているローマ旅行はどうなるんだ。
それまで待ってもらった方がいいのか、ちゃちゃっと受けちゃって回復してから行けばいいのか。
しかし、開胸手術をした後、半年ぐらいで海外旅行ができるもんなんだろうか。
唯生を産んだ時の帝王切開のことを一生懸命思い出してるんだが、あまりに記憶の彼方なので、どのくらいで回復したか、よく覚えていない。
1週間ぐらいで退院したのは確かなんだが。

さすがに心臓専門病院だからか、受付や案内の人がていねいで、みんな、向こうから来てくれて、次のところまで連れてってくれて、「ここでお待ちください」と座らせてくれる。
最近の病院って、みんなこんなに患者さんの待遇が良いの?

駐車料金まで含めていろんな手続きが終わったのがちょうど3時間後。
待たなかった印象はあるけど、やはりある程度はかかるね。

ついでだから食堂に行ってみた。
大内くんは「白身魚の黒酢あんかけ」、私は「ヒレカツ重」。
規模は小さいけどなかなかおいしかった。
しかし、病院の食堂でこれまで一番感動したのは、息子を産んだ、神奈川県の「こども医療センター」だった。
病に疲れた母子を慰める、とてもとてもおいしい料理を出す。
今はどうなってるんだろうなぁ。

さてさて、あと1ヶ月の間に、いろいろ考えなくっちゃ。
iPadに入れて行く本を選んだり、万が一の場合に備えて書きものをしたり。
本棚からいきなり「遺言書」が出てきたら、大内くん、驚くだろうな。
でも、そのぐらいの覚悟で臨むよ。まだ前哨戦だけど。

入院の日とその3日後の検査の日は、大内くんに詰めてもらわなくてはならないらしい。
いっそ息子も呼ぶか、と思ったが、彼はコントライブの準備で忙しい。検査ぐらいじゃ来てくれないだろう。
それでも、手術する日が来たら、大内くんと一緒に病室で待っていてくれると言っていた。感心感心。

4人部屋か個室(3グレード有り。ベストのは経済的にとても無理)なんだが、できれば安い方の個室が望ましい。
でも、当日にならないと空いてるかどうかわからないのだそうだ。
差額ベッド代1万5千円/日も痛いなぁ。
若い頃から病気だったから、保険に入れなかったんだよね。
辛うじてがん保険だけは入れたので、病気にかかるならがんが望ましい、と言えなくもない。
拡張型心筋症とどっちが治癒率が高いだろうか?

個室で、iPadでマンガを読みまくり、大内くんにお見舞いに来てもらって、時には補助ベッドを貸してもらって泊り込んでもらう。
普段の生活と変わらないじゃないか。
でも、ホントはちょっと怖くて、イヤ。
検査でこんなにブルっていて、本番があった場合、対処できるのだろうか、私は。

17年2月11日

昨秋行ったばかりだというのに、また名古屋へ行ってしまった。
理由は、こないだ友人のCちゃんがアレンジしてくれた「小・中学校ミニ同窓会」に、中学校時代大好きだったMちゃんが急な欠席(理由は、「ダンナさんが突然ぎっくり腰になったから」)で会えなかったことと、もうひとつ、私のイチオシ、「鈴懸」のイチゴ大福が、まだ季節前で売っていなかったこと。
九州の本店以外では、名古屋の高島屋と東京の新宿でしか売っていないという、全国的にもレアなもの。
「あまおう」が1つまるごと入っていて、薄いぎゅうひと、ほど良く少ないあんこ。
ぜったい、Cちゃんやみんなに食べてもらいたかったの!
(って、名古屋ならみんな自分で買えるし、そもそも最初に私が食べたのCちゃんの名古屋土産だったし!)

願いがかなって、再び名古屋の地に降り立つ。
すぐに高島屋に飛び込み、明日の「女子会」に向けてCちゃんにおみやげのワインを買い、念願のイチゴ大福を16個!(おみやげ4人分で8個。あとは自分たちで食べるつもり)
別口の高校の友人へのおみやげにはバームクーヘン、それに、こないだとっても気に入ったバームクーヘンを自分用に4切れ。
さて、どうするんだこんなに、と買ってから悩む私。

正午にCちゃんが愛車サイで駅まで迎えに来てくれた。
今、名古屋城本丸御殿を木の香も新しく再築中なんだって。
天守閣からの眺めをたっぷり楽しんだところで、Cちゃんが科学館とプラネタリウムに連れてってくれた。
「私は家に車を戻してゆっくり来るから、科学館を楽しんでて。4時40分からの回のプラネタリウムの切符を、私の分も買っておいてね」と軽やかに走り去ってしまったCちゃんに、「なんて計画的かつ行動的な人なんだ!」と驚嘆しつつ、科学館へ。

ここ、大内くんと結婚した頃に1回来たんだよね。
すっかりリニューアルされていて、元の面影を探すのが大変なぐらい。
入り口には高い天井から吊られた「フーコーの振り子」がゆっくり回っては球体の一番下に取りつけられた「針」で、円周に沿って並べられた小さな棒を倒していく。
科学への雰囲気を十二分に盛り上げる、見事なオブジェだった。

ただ、理科オンチの私は、あれは地球の自転から動力を得ていて、いったん動き出せば止まることがないんだと思っていた。
夜、大内くんにそう言ったら、
「振り子のロープがとても長いのと、球体自身の重さがかなりあるのとで、1日1回ぐらい押せば止まらないんだと思う。自転から影響が出てるのはむしろ方向で、自転方向には影響を受けていないから、少しずつずれて、並んだ棒を倒して行ったでしょ?」とちゃんと説明してくれた。
そうだったのか!

それ以外にも中では人工の竜巻を見たり、部屋の向こう端とこっち端で、「集音器」を使って話ができるとか、タングステンから檜まで、さまざまなカタマリを持ち上げてみて、タングステンが驚異的に重かったことと、檜は水より軽いんだ、という事実を知る。
2時間があっという間だった。
名古屋からは続々と科学者が生まれるような気がするなぁ。

いろんな驚きとなつかしさに口をあんぐり開けたまま、4時半にCちゃんとプラネタリウムの入り口に集合。
こちらもすっかりリニューアルされて、そもそも、古いプラネタリウムの機械は、今、科学館に展示されている。
2つの球体が真ん中の少しふくらんだ棒でつながっているような、ちょっとずんぐりした鉄アレイのような機械を見たことがある人も多いとは思うが、なんと、今のプラネタリウムの中央に鎮座ましましているのは丸い機械1個。技術進歩の結果だ。

椅子は、全部個別に分かれており、リクライニングもできるし、左右に30度ぐらいずつ、回すことができる。
これで、見にくい真後ろの金星なんかも見えちゃう、というわけだ。
今では、「東洋一のプラネタリウム」と呼ばれているらしい。
満天の星々を見て、解説者の静かな声を聞いて、あたりは真っ暗で…気づいたら、50分の投影時間が終わっていた!
オリオンがうさぎを踏んづけてしまった、という話は聞いたし、オリオンが連れている猟犬の中にシリウスがある、とも覚えているんだが・・・うーん。

Cちゃんと大内くん2人から、
「宇宙船が降りてきたじゃない?すっごく巨大な。あれ見てないなんて、完全に寝てるね」と笑われ、大内くんに至っては「ぐーぐーと寝息が聞こえた」と証言する。屈辱に泣きながら、テレビ塔へ。
Cちゃんによれば、ステキなイルミネーションをやってるらしい。
展望室に登り、はて、私はここに来たことがあるんだろうか?
地元の人は意外と来ない場合があるし、私は18歳までしか名古屋にいなかったし・・・初登りかも。
うーんと小っちゃい時に、親戚のおばさんかなんかが来て、みんなでテレビ塔に登ろう、って話になった時、あのとんがった「先端」に立つんだと思った私は大泣きに泣いて、結局みんな登れなかったんだ、という話を、50歳になるまでに、何度親族の集まりで聞かされただろうか。
今はもう、母もいないので「あの時、あんたは・・・」と我が家の伝説を語る人もいない。

夜景とイルミネーションを堪能し、次はCちゃん行きつけの小さなイタリアンのお店。
7千円でおまかせしていたディナーだが、「食べられないものはありますか?」と事前に聞かれた、とCちゃんからラインをもらっていたので、好き嫌いの多い私は、「豆類と、甲殻類」をとりあえず×にしてもらう。
豆は、単に嫌いなだけだし(でも、納豆と豆腐は好きだから、栄養学的には問題ないと思う)、甲殻類は、アレルギーでも何でもなく、「カニをほじるのが面倒くさいから」という単純な理由。
まあ、そのぐらいは許されるだろう。

で、食べましたよ、イタリアン・フルコース・ディナーを。
ホントに小っちゃなお店で、お客さんは我々ともうひと組だけだし、カウンタでは推定7歳の跡継ぎ息子(?)が1人でパソコンゲームして遊んでる。
私が「ドレスコードは困る」とラインしたら、Cちゃんは、「デニムでもパジャマでもかまわないような街のレストランだ」と言って寄こした。
いくら何でもパジャマでレストランに行ったことはないよ。魅力的だけど。

プチシューに「何か」のペーストを詰めたアミューズから、8種類ぐらいの「ひと口」が並んだ前菜、ジャガイモのクレープで鯛を包んだサフランソースの魚メイン、手打ちパスタのアンチョビ味、そして肉のメインは牛か仔羊を選ばせてくれたので、Cちゃんと私は仔羊、大内くんは牛をもらった。
ひと口もらったので知っているが、両方とも、絶品であった。
ちなみに小食なCちゃんは、ここに至るまで何度も大内くんに少しわけてあげて、それをまた私がご相伴する、という形で食事は進んだ。
酒好きなCちゃんと今夜はホテルに帰って寝るだけの大内くんは、食前のスパークリングをご一緒した私からすると「鯨飲馬食」という感じでワインを1本開けてしまったが、Cちゃん、酒は別腹なんだろうか。

楽しいディナーをたっぷりいただいて、タクシーでCちゃんを家の近所で降ろして、明日の女子会用のイチゴ大福とワインはCちゃんに保管を頼み、我々は八事(やごと)のホテルまで。
キレイなホテルだ。

あまりにいろんなことが起こったので、もう、よく覚えていない。
お風呂入って、ベッドにもぐって本読んで、大内くんも似たようなもので、さて、明日は女子会だ。
大内くんはお留守番。マンガ読んで過ごしたら?iPadにいっぱい入れてきたんでしょ?
と言ってる間にも眠りに落ちる大内くん。
私は興奮し過ぎてなかなか寝つかれない。
2泊3日、名古屋の1日目がこうして過ぎて行く。

17年2月12日


買っておいたイチゴ大福とバームクーヘンを食べて朝ごはん。
まだ降り出してはいないが、雪になるとの予報。
まあ、いざとなればタクシーで帰るし、大丈夫。
Cちゃんちは、地下鉄の駅2つしか離れてない。

大内くんに行ってきますを言って、指定された12時半ちょうどにCちゃんちへ。
1人暮らしの彼女のマンションは、いつもとっても片づいている。
というレベルを超えて、毎週、磨き上げていると思う。
どこを見ても、ホコリがたまった跡すらない。

去年、中学校が一緒だった、と40年ぶりに聞いてはいたが、こっちは完全に忘れていたRちゃんがもう来ていて、「Rちゃ〜ん」「ヤナイ〜」と、気分はいきなりJC。
覚えてなかった時期があるなんて信じられないほど、親しく、楽しい会話が弾むのだ。
と、そこへ中学の頃すごく仲良かった、とこっち側では思っているMちゃん登場。
「きゃー、ヤナイ!」覚えててはくれるんだなぁ。
お互い、街ですれ違っても全然わからないだろうとは思うけどね。

冷静なCちゃんが、お席へどうぞと言ってくれたので、4人で大きなガラスの食卓を囲む。
Cちゃん手製の水餃子風鍋と、デリバリーのオードブル。
Mちゃんと、Rちゃんと、そしてCちゃんと、いろんな話をした。

Mちゃんは、私と同じグループで遊んでいたことを思い出してくれて、私が作った「超常現象研究会」の存在も覚えてる、と言ってくれた。
ただし、超常現象は1回も起こったことがなかったそうだ。
友達のお母さんが住み込みで働いていたため、休日に自由に出入りさせてもらってた「幼稚園」の小さな講堂で、私が、こういう、人が集まるところには「何か」がいて、「何か」が起こるのだ、と言って、みんなでその「何か」を待っていたらしい。
「でも、なーんにも起こらなかったわねぇ」とMちゃん。

「よく『コックリさん』をやったわよね」とこれまたMちゃん。
Rちゃんも「やったやった!」と興奮していた。Cちゃんはそんな無駄なことはしたことがないのだろう、ほとんど表情は変わらなかった。
「あれ、誰かが動かしてたのかなぁ。すごく、すーっ、すーっと滑るように動くのよね!」3人で、うんうん。
今でも時々突発的に流行ることも多いと聞くが、我々の頃は流行ってたね。

あと、Mちゃんは、私が5円玉を糸で吊って何かをしていた、と言う。
「あれは、何だったの?」
「サイコキネシス、つまり、念動力を鍛えていた。手で吊っていると自分で少し動かしてしまったりするので、自宅では目の前の本棚に吊るしてじっと精神を集中させていたけど、結局、そういう力はつかなかった。でも、今でもテレパシーとか、信じてるよ」と言ったら、ちょっとびっくりした顔をしていたけど、Mちゃん自身が幽霊を見た話をしていた。

Rちゃんも、よく金縛りにあっていた時期があり、動けないんだけど、気迫で追い返そうと思って胸のうちで「こらっ!こらっ!」と追い払おうとしていたらしい。
「1回成功して、寝返りを打てたの!」
私はそういうところで本当に社交ベタで意地悪い。
「そこで起き上がって、『今、気力で金縛りを追い払った』とか日記に書いてあるんでもなきゃ、やっぱりただの夢だよ。夢には、いろんな作用があるからね」
Rちゃんは気を悪くする様子もなく、「レム睡眠とかノンレム睡眠、っていう、あれね」とうんうんうなずいていた。教養のある人だ。

お料理が一段落したと見るや、我々をリビングに誘い、手早くお茶を淹れてくれる凄腕のホステス、Cちゃん。
「ヤナイが持って来てくれた、イチゴ大福よ!」
昨日は、持って帰って保管しておいてくれたのはいいが、中身を確認して8粒も入っているのでたいそう驚き、
「4個は明日、みんなで食べて、4個は大内さんへのおみやげにしますね」というラインを寄こし、実はこっちはこっち用に8個買ってあるのだ、と聞いて、もちろん彼女が何とつぶやいたかは知る由もないが、きっと、
「貴女、だから太るのよ」と嘆息したに違いない。
でも!女子会の皆さんは大喜びで2つ目を所望しだよ!
Cちゃんは本当に顔に出さない人なんだんけど、心の中では思いっきりため息をついていたと思う。
(その場では、彼女は1個しか食べなかった。翌朝、「今、食べた」と全部無くなった旨を申告してきた)

小学校、中学校の卒業アルバムを広げて、4人できゃいきゃい。
Mちゃんはやっぱり私のまわりの友達をよく覚えていた。
それにしても、地元だからか、みんな、誰がどこの高校に行ってどこの大学に行ったとか、よく覚えてるなぁ。
やっぱり、私は物忘れが激しいんだろうか。アルツハイマー?

去年同じような会を開いてもらった時は、もう1人、Kちゃんも来ていて、それでMちゃんはダンナさんのぎっくり腰で急きょ欠席だったわけだが、今年は、Kちゃんのダンナさんがちょっと重い病気で手術をしたので、しばらくは女子会どころではないようだ。
皆さん、自分の用事や健康問題ではなくダンナさんであるところが、30年に渡る結婚生活を思わせる。
仲良きことは美しき哉。

私は去年まで、「もう二度と名古屋の土を踏むことはないだろう」と思っていた。
両親が亡くなり、さして仲が良くない姉から「相続放棄の判を突け」と言われた時から、もう、故郷はどこにもないものだと思っていた。
でも、去年のお正月に年賀状にメアドが書いてあったことから始まった幼なじみのCちゃんとのメールのやり取りを通して、女子会に呼んでもらい、とても楽しい思いをした。

ただ、Cちゃんがあまりにいろんな企画を立てて車まで出してくれるので心苦しく、次は4年後ぐらいにしておこう、と思い、
「還暦の年にまた来るね!」と言ったのだが、Mちゃんに会えなかったのが惜しくて、ついまた来てしまった。
もちろんCちゃんの水も漏らさぬ接待を受けて。

今度こそ、3年後だ、と思っていたら、フェイスブックで再会した高校の友達が、
「来年は40周年の集まりがあるよ」と教えてくれた。
あまりに始終名古屋に行くことになるので、大内くんに、
「50周年に行こうかと思う」と言ったら、怖い顔で、
「それまでにキミに何かあるかもしれないし、そうでなくても、会いたかった人に何かが起こるかもしれない。行ける時に行きなさい」と厳命された。
谷口ジローみたいに69歳で亡くなる場合もあるもんね。

というわけで、Cちゃん、ゴメン、来年も来るよ。そいで、それから2年後の還暦の年に来る。
でも、もう女子会を開いてくれるだけでいいからね。
Cちゃん、Mちゃん、Rちゃん、Kちゃん、そして私、の5人がそろえば、私的にはベストメンバーだ。

親の話、子育ての話、孫の話(なんと、Rちゃんには2人も孫がいるのだ!)、仕事の話、健康上の話、いろいろと。
近いうちに心臓カテーテルをやる、とはちょっと言えなかったな。それだけ、私の中では深刻な話なんだろうな。
雪がちらついていたのが何とかやみそうで、12時半に始めたのにもう5時になる!と気づいたMちゃんはお子さんとごはんを食べる約束があるらしい、ややあわててた。
エントランスまで見送ってくれたCちゃんによくよくお礼を言い、私は来年の来訪を約束し、3人で地下鉄の駅まで歩いた。
Kちゃんは私が帰るホテルで土日のウェディングの仕事をしているそうで、今日も、仕事ではないけどそこまで行く、と言うので一緒に帰れて心強かった。

「じゃあね!」と手を振り、一時的にとても孤独になった私は、ホテルに駆け込む。
実は、宿を取るのをすっかり忘れていて、「宿は取れてるんだね?」と大内くんに確認された時にはもう2週間前ぐらいになっていて、もっと間の悪いことに名古屋で「三代目 J Soul Brothers」のコンサートが開かれるうえ、ちょうど受験のハイシーズンであることから、最初の晩は普通の部屋が取れたんだけど、2日目は「スィート」になってしまうんだって!
一応部屋は押さえてもらってあちこち調べたんだけど、確かにどこも満員。スィートだろうが何だろうが、取れてるだけでラッキー!
20年ぐらい前にも、鈴鹿サーキットで大きなレースがあるとかで、やはり全然ホテルが取れず、あきらめたことがある。
イベントで盛り上がる名古屋であった。

というわけで、大内くんが散歩している間に部屋のチェンジが行われ、女子会の途中で「部屋は601」という連絡が入っていたので、楽しみにしてドアをノックする。
「おかえり〜」と寝ぼけまなこの大内くんはとりあえずおいといて、部屋をチェック!
うーん、かなり広いけど、「続き部屋」じゃないし、広いだけですね。
お風呂は無駄にでかい。2人でのんびり入れる。
ただ、風呂場の部屋に面した部分は大きな一面ガラスになっており、部屋の方には扉が。
これを開けると風呂場が丸見えなんだが・・・なぜか、扉が開かないように補修されてる。

要するに、作ってはみたけどラブホみたいで下品だ、って、評判が悪かったのね。
だから、ふさいだのね。
いっそ、普通の壁にしちゃったほうが良くない?扉は、設計者の意図を何かしら伝えてしまうよ。

「女子会はどうだった?Mちゃんには会えた?」と聞かれて、
「すごーく楽しかったよ。みんな、パートで働いたりして、すごく面白い話をいっぱいしてくれたよ。私なんて、ダメだね」と言ったら、
「それぞれの人生だよ」と言ってくれた。ありがたいです。
働きもしないのに、名古屋まで来させてくれたし、わざわざついてきてくれたし。
「そこは、僕も楽しんでるんだから。旅行してるんだから」
うんうん、あなたには頭が上がらないよ。

と、ソファに身を投げ出したら、テーブルの上に小さな「ヤマサの醤油」のボトルが置いてある。
ミニチュア好きの私としてはコレクションしたいところだ。
「これ、どうしたの?」
「ああ、散歩に出たら、近くにイオンがあってね、食料品売り場で、お酒と豆腐とお醤油を買ったの。で、部屋のポットでお酒のお燗をつけて、豆腐をつまみに一杯飲んでた。楽しかったよ」
お豆腐は、木綿と絹の2種類を買ったそうだ。この人の、こういうところは、本当に面白い。

晩ごはんにはイチゴ大福を平らげてしまって、私はお昼をたっぷりいただいたからもう食べられなかったけど、大内くんは最後の最後まで買い物に出るかどうか迷ってた。
しまいに、さすがに面倒くささが先に立って、やめておいたそうだけど。
「お醤油飲んだら?コーヒーシュガー入れて、お湯で割ったら『つゆ』ができない?」と提案はしてみたが、却下された。

こうして更ける名古屋の夜2日目。
せっかくだから、お風呂はたっぷり入った。明日、朝風呂に入ろう。温泉みたいだな。嬉しい。
今日は睡眠薬飲まなくても眠れそう。スゴイ眠い。ぐー・・・

17年2月13日

昨日の雪の気配はすっかり去って、抜けるような冬の青空が気持ちいい、美しい朝。
ホテルの部屋の大きな窓から見下ろすと、白い、小さな教会が。
皆さん、あそこで式を挙げるんだろうなぁ、披露宴をこのホテルでやるんだろうなぁ。
そして、今日は休みなものの、毎週末スタッフとして働いているRちゃんが話してくれた「あんなこと」や「こんなこと」が山のように起こるんだなぁ。
表面は無事に見えても、結婚式の内実は実に多くの「きゃー!」に包まれているのだ。
Rちゃん、本でも書いたら、絶対ウケるよ。せめてブログを。
でも、仕事やめてからでないと書けないね、「あんなこと」や「こんなこと」は。

貧乏根性からもう1回お風呂に入り、新婚さんの朝風呂を想像しながらお湯にたゆたう。
朝風呂ってのは、いいもんだね。

そんなのんびりした私をよそに、大内くんは荷造りをし、時々私から「iPad入れてくれた?」「今日の着替え、どこだっけ?」と邪魔されてた。
インスタントコーヒーの粉を持って来ていたので、ホテルのお湯使って、イオンで買った牛乳をたっぷり入れて、毎朝飲んでるカフェオレ。おかわりもしちゃう。
この旅行中に、何杯飲んだかな?

さて、今日は、高校時代の親友、Tちゃんと会って、同じく親友ではあるが、8年ほど前に亡くなってしまったMくんのお墓参り。
これがあるから毎回、巨大霊園の近くにあるこのホテルに泊まってるんだよね。
10時にロビーでTちゃんと待ち合わせ。
「お花を買ったので、少し遅れます」とゴメンマーク入りのラインが来て、我々はのんびりロビーでくつろぐ。
こないだ、半年ぐらい前に来た時はしとしとと冷たい雨が降っていて、Tちゃんお線香に火をつけるの苦労してたけど、今年も雪になるかと思ったよ。
Mくん、そんなに私に会いたくないの?と胸のうちで恨んだものだ。

でも、今回は快晴。
ホテルからタクシーを呼んでもらって、広い広い霊園の中のMくんちは「パンダ」のマークのとこ。運転手さんにそこまで行ってもらって、お墓参りの間、待っててもらう。
Tちゃんはちゃんと菊を中心とした仏花を用意していて、墓石に柄杓で水をかけ、我々にも、
「お線香代わりと思って、一杯ずつかけてあげてください」と言いつつお線香も灯してくれて、最後、簡単なお経を読んでくれた。
私から見ると、お墓参りのスペシャリスト。

見晴らしのいい高台に眠るMくんに、それぞれのお祈りをして、あっという間に次は食欲の問題。
タクシーで15分ぐらいの、「まことや」という味噌煮込みうどんの店へ行く。
ここは、去年、Cちゃんが連れて行ってくれたとこだなぁ。
母がよく連れてってくれたところはまた別で、名古屋には、たくさんの「まことや」があるらしい。
私はここの「濃い」味噌味を食べないと、名古屋に来た気がしないんだ。
大内くんはご飯をつけてもらって、Tちゃんに、「よく食べますね」と言われ、「いやぁ、この味にはどうしても白いご飯が食べたくなってしまって…」と言い訳してた。

あっという間にすごい行列ができていて、今頃になって、「写メ撮っとくんだった!味噌煮込みうどん自体、撮ってない!」と地団太踏んでる。
とにかく、すごくはやってるお店なんです。

タクシーでホテルのある八事に舞い戻って、大内くんがコメダを見つけてくれたので、3人でお茶。
「Tちゃん、また会えたね」
「うん、来年も来るんでしょ?最近、よく会えて、嬉しいわぁ」
「同窓会、あるらしいよ。行こうよ」
「私、地味だったから、誰も覚えててくれないのよ」
「一緒に行くから、いいじゃん。私だって40年ぶりなんだもん、壁の花だよ」
「そう?一緒に行ってくれる?じゃあ、行こうかな」
「行こう、行こう」

それ以外にもお互いの家族のこと、健康のこと等、話が尽きない。
「50代は病バナ」ってのは本当だなぁ。
数年前に肝臓の検査でカテーテルを入れた、というTちゃんの話を、私は聞きたいような聞きたくないようなで、半分耳をふさいでた。
でも、「痛くはない」らしいし、困ったことは術後半日ぐらい安静にしていないと出血が止まらないので、ベッドから動けなかったこと、あと、大部屋で、同室者に困った人がいると困る、ぐらいのことは聞いた。(やはり個室にしておこう、と思った・・・)

横の大内くんがほとんど居眠りを始めたので、2時間ぐらいしゃべってたのを終えて、我々は名古屋駅へ向かう。
Tちゃんにバームクーヘンの袋を無理やり渡し、「強奪」と言う言葉があるなら、これは「強与」だなぁ(by 糸井重里)と思いつつ、名残惜しく別れた。

そのあと、名古屋駅の高島屋で、来る時も買ったイチゴ大福を息子とカノジョのおみやげ用に買おうと思っていたのだが、どうも時間がギリギリだし、地下の食料品売り場は混んでいそう。
何度か、大内くんに、
「もういいよ。イチゴ大福はあきらめるよ」と言ったのだが、彼は、「大丈夫!」とぐいぐい行ってしまう。
まあ、結論から言えば買えて、新幹線にも間に合ったのだが、かなりギリギリだったこと、大内くんが行く先を間違えて新大阪行きのホームに登ってしまったことなどで、私はホントにもう、気絶寸前だった。

デパ地下が混んでいたのは、ひとえにバレンタイン前の日曜だったからだと思われる。
イチゴ大福の「鈴懸」は、奥の方でひっそりと営業しており、すぐに買えたから、よかった。

それに、ホームに上がってみたら、雪のため、舞原あたりで止まっていたか遅れたかしたものらしく、我々の便は10分遅れだった。
それでも、私の動悸は治まらず、結局1時間45分、大内くんの手を握りしめて「もうだめ。ごめんね」と呪文のように繰り返していたような気がする。

東京まで来てしまえば、もう大丈夫。たとえタクシーに乗っても帰ることはできる。
順調に吉祥寺まで来て、バスもすぐ来て家まで着いて。

ああ、帰ってきたよー。
部屋はそんなにひどい状況ではなかった。
前日に、カノジョが泊まりに来ていろいろしてくれたんだと思う。
息子は洗ったタッパーを立てかけておいて乾かす、なんて超絶ワザは知らないに違いないから。

お世話になった人々にそれぞれ簡単にラインでお礼をし、ちゃんとしたメールは後日。
とにかく疲れた。
何をしに行ったのかわからない、私の友達と会ってはニコニコと話につきあう大内くんの疲労は、この比ではあるまい。
本当に、誰よりもありがとう、大内くん。あなたがいないと、私の世界は壊れてしまうよ。
Tちゃんとお墓参り。
コメダでお茶。長話。
イチゴ大福で新幹線ギリギリ。1時間45分、動悸止まらず。
でも家。
息子はカノジョと帰ってきた。
イチゴ大福は喜んでもらえたらしい。よかった。

これで、我々の短い旅は終わり。
女子会の時間以外はずぅっと大内くんと過ごし、楽しい休暇だった。
来年、また行こう。

17年2月16日

名古屋旅行中、息子から連絡。
また自転車を撤去されたらしい。
「だから、母さんの自転車借りてま〜す。ごめんね〜」という能天気なラインが来る。
これは、早く引き取って来てもらわねば。

で、なんで駐輪場じゃないところに自転車を停めて来ちゃったのかよくよく聞いてみたら、春から入社予定の会社の研修があって、時間ぎりぎりになっちゃって、駐輪場まで行って帰る時間がなかったんだって。
「時間を守るのは社会人として最低限の常識だよ」と大内くんが叱るも、
「結局、間に合った」とほざく。
「自転車を駐輪場に停めて、駅に歩いていく時間も計算に入れてこその時間厳守だ!」と大内くん一喝。
でも、あんまり聞いてないなぁ、あの顔は。

とっくに締め切りを過ぎている「卒業旅行」の代金も支払い忘れていたことが判明。
旅行中に連絡をもらい、ATMからの送金方法等を指示するも、ダメダメ。
結局、カノジョの助けを借りてなんとか振込みをしたらしい。カノジョ、年下なのに。

我々が帰って2日後には自転車も取りに行ったようだし(ただし、そこには私のヘルプが大いに入っている)、何とか普段の生活だ。
西友に宅配を頼んで食料品もそろったし、いい天気だから洗濯も大々的にやれたし。(全自動乾燥器つきなんだけど、たまに、無性に干したくなるのだ。あと、シーツとかの大物は、さすがに干す)

名古屋で、小・中・高校の友達と会う。
誰もいない雪原を歩いてきて振り返ったように、私の足取りが確かにある。
でも、私は、自分で思ってたほど派手だったわけでも賢かったわけでもなく、ただ、1人の「ちょっと変わった子」「よく本を読んでいたヤナイ」にすぎなかったのだなぁ、と今頃になってしみじみ思う。
このように、自分が持っていたセルフイメージが修正される機会を得て、友人たちには深く感謝したい。
正直で、善良で、思いやり深い友人をいろんな世界に複数持っている自分は、神に祝福されていると思う。

もちろん大内くんの力も大きい。
でも、彼は、
「小学校の時のキミ?もちろん正しい、はきはきした子だったよ!」と太鼓判を押すことはできないんだ。
Cちゃん、Mちゃん、Rちゃん、Tちゃん、私の過去を肯定してくれて、本当にありがとう。

17年2月17日

春一番。天気晴朗なれど、風強し。
奥歯がちょっと欠けたので、歯医者さんに行って診てもらった。
なんらかの材質を少し盛って、けずって整えて終わり。
虫歯でない時は気が楽だ。

この歯医者さんとも20年のつきあいになる。
私の歯の歴史が詰まったカルテがあるんだろう。
最近、自転車での遠出が苦痛になってきたし(と言っても15分ぐらいだが)、雨の日などに備えて、近所にぽこぽこ筍のように生じてきた新しい歯医者さんの1軒に行ってみようかと思う。
そんな時に、どうしても決心がつかないのは、この20年分のカルテの存在ゆえだ。
決して、先生が大内くん似の優しげなハンサム(私の主観)だからじゃないぞ!

名古屋に行っている間、自分の自転車を撤去された息子が私の自転車を乗り回していたのは聞いていたが、サドルの高さを微妙に変えられてしまったような気がしてならない。(帰って聞いてみたら、やっぱり上げていたらしい)
くやしいことに、彼が力いっぱい締めたサドルのハンドルを回すことができなかったので、そのまま乗ったが、やや高い。
今度、大内くんに頼んで直してもらおう。
いくら私より身長があるからと言って、柔道体形の短足野郎にサドルを上げられてしまうとは、屈辱ナリ。

そんな彼は、私が歯医者さんに行っている4、50分の間に近所を走ってきたらしく、私が帰った時はジャージ姿、リビングの床で筋トレをしていた。
彼は、大事の前にはよく「走りに行き」「筋トレをする」。
最近は「縄跳び」もしているようだ。
一種の精進潔斎と思われる。体育会系だ。

試験も終わり、2週間ほど後に単位取得の結果が出る。
1個や2個は追試を受けるかもだが、卒業できない、ということもないだろう、と必死に自分を励ましている今日この頃。
息子もそのへんがもやもやするので筋トレしてるのかな。
それとも、ひと月後に迫った「第3回コントライブ」に向けて気合を高めているのか。
どっちにせよ、春だなぁ。

17年2月18日

柳家喬太郎さんの「みたか勉強会」の日。
年に2回、市民ホールに来てくれる。
毎回、友人を2名誘って4人で来ているが、とにかくチケットを取るのが大変。
申込日の朝10時に電話の前に坐って、時刻と同時にかける。
(別口で息子のためにパソコンから1枚取る)
これが、15分で完売しちゃうんだ。
三鷹市民の皆さんは、落語を愛し、喬太郎さんを愛しているよ。

ところが、危惧していたところではあるんだけど、息子が前々日になって、
「急な予定が入ってしまって、どうしても行けない」と言い出した。
彼にはまだ、2500円のチケット代とか、苦労して取ったチケットだとか、そんなことは些細なものにしか見えないんだろうなぁ。
なかば「はいはい」とガックリきながら、
「誰かまわりの友達に聞いて、ただであげてもいいから、行ける人を探しなさい」と言っておいたし、息子も一応の努力はしたらしい。あくまで「一応」だろうが。

それに加えて、言っておかなきゃいけないことがある。
「満員御礼だよ。座席がびっしり埋まってるんだよ。そこに空席があったら、イヤな気分になると思わない?自分だったら、どう?」と説教したら、
「それはよーくわかる。空席を作らない努力はする」と言ってくれたけど、でもやっぱりわかっちゃいないんだよね。
わかる時まで待つしかないんだろうなぁ。

そんな盛り下がるアクシデントはあったものの、現場で友人たちと集合し、席について出囃子を待つ。
前座は柳家小多けさんの「道具屋」。生真面目な顔をしてるが、なかなか面白い。
そして喬太郎さんの1話目は、「夢の酒」。
下戸の私にはわからないが、夢の中でバームクーヘンを丸ごと出されて、
「行儀が悪いから切って食べたい」と言い、切ってもらおうとしたら目が覚めて・・・「あーあ、かぶりつけばよかった」。
そんな話かなぁ。

仲入りがあり、続いて高座に上がったのは、真打昇進が決まったばかりでまだお披露目はしていないという柳家ろべえさん。
変わった名前だと思ったら、「やじろべえ」から「やじ」を取った結果の「ろべえ」。
「ですから、皆さんにヤジを飛ばしていただくと『やじろべえ』になります」と早くも笑わせにかかる。
細面のなかなかハンサムな人だ。
演目は「五人廻し」だが、3人までで終わる。トリじゃないからだろう。

そして、トリの喬太郎さんは、「吉田御殿」。
正直、聴いたことなかった。びっくりした。ものすごくエロい噺だった。
喬太郎さん本人も、
「昼の回からやる噺じゃないですよね」と苦笑してみせる。
本当に上手だなぁ。彼の動きに満場が揺れる。観客は、完全につかまれている。

ほわっと夢から醒めたように、緞帳が降りるのを見ながら懸命に拍手をする。
いやぁ、いい出来だった。

「よかったわねぇ」とみんなが言いかわしながらロビーに出て、クロークで上着を引き取って帰ろうとしている4時30分、我々は駅の方向に歩いて10分ぐらいの蕎麦屋を予約してある。
でも開店が5時半なので、各々時間をつぶして5時半に現地集合。
大内くんと私は自転車だし、特にすることもないから、そのままロビーに坐っていた。

しばらく休憩した後、自転車で待ち合わせ場所に行ったら、まだ開店5分前ぐらいかな。
友人2人もそれぞれ陶器を見たり古本屋で本を買ったりしていたようだ。
やがて開店となり、店に入る。
まずは中ジョッキで乾杯!

焼き味噌、煮込み、小エビの天ぷら、セリのお浸しなどをつまみに、さっきまで見ていた落語について語る。
いやぁ、面白かったなぁ。
喬太郎さんは、今、脂がのりきってる、って感じだね。
「夢の酒」で1箇所、完全に間違えて、「ああ、夢か」と先に行ってしまったところがあるが、笑顔でごまかして堂々たるもんだった。
(でも、翌日、大内くんの会社の人の友人が聴きに来てて、「事故があった」と語っていたことが判明。ああいうのを事故と言うのか。厳しいね)

1時間半ほどしゃべって、〆に各々好きな蕎麦を食べておしまい。
また半年後の約束をして別れた。

帰ってお風呂に入ったりいろいろしてたら、息子が帰ってきた。
「演目はなんだった?」と聞くので、教えてあげて、「五人廻し」を3人までしかやらなかった、と話したら、
「トリの前なら、そうだろう。なかなか面白い組み合わせだったね」とか言う。
いつ、どこでそんなこと覚えてきたんだ。
そんなヒマがあったら、取れたチケットはきちんと使え!
一緒に聴きたかったぞ!
キミの席が空席なのがよーく見える席で、ずっと悲しい思いをしてたんだぞ!
また今度、一緒に行こうね。

17年2月19日

大内くんの大学の「まんがくらぶ」の、今年は発足50周年にあたる。
40周年の時も大々的にOB・OG会が催され、大勢の友人たちに会えたが、さすがに50周年の区切りを迎え、現役の方たちも張り切ってくれているようだ。

その一環として、冊子造りに取り組んでいる。
まんがくらぶの過去をたどり、歴史を開陳するというものになるのだろう。
OBとのインタビューをしたいとメーリング・リストで回ってきたので大内くんと一緒に行ってみたら、他にはOB2人だけ。
何だかいろいろ、あることないこと言っていたら、大真面目にテープ起こししたもんが送られてきて、一応、赤を入れる。
うーん、やっぱり、部内結婚した人たちが12組もいて、離婚した人は・・・とは、その場では言えても、印刷されるのはどうもなぁ…残念ながら、消してくれるようお願いしておく。

それ以外にも、先輩たちの描いた絵やコメントを載せたいということで、去年の12月にうちでクリスマス・パーティーを開いた時に、「お絵描き席」を設けて、何枚かの作品を入手した。
その後も、大内くんの原稿取り熱は冷めず、ぶっちゃけた話、自分が描いてほしい、在学中にファンだった人を中心に直接メールで原稿を頼みこんでいた。
もちろん、くらぶのMLには流れている話なので、誰でも参加できるのだが、大内くんに直接頼まれちゃった人たちは…描くしかなかろう、という状況に追い込まれた。

実際、集まった原稿を見たら、当時のくらぶとしても珠玉の達人ばかりで、大内くん、いい仕事したねぇ。
神さまを10人近く集めた、って感じだよ。

私だったら、あんなに絵がうまかったら毎日絵を描くんだがなぁ、と思うような人たちなんだよね。
まあ、謙虚さというものを捨てて単純に比較すれば、自分よりは私の方が絵がうまい、と思ってる人はそう言う私に、「もっと描けよ」と思ってるかもしれないわけで。

そんな神仙の1人、Nさんは、在学当初からその絵のうまさと寡筆さで知られていた(男性なのに男性によるファンクラブができたほどだ、くらぶ内に、だよ)が、大内くんの依頼を見て、
「大内が、『ナンシー』の続きを描くなら考えてもいいけど」と言ってきた。

実は、大内くんにはとても恥ずかしい過去があり、「サークル誌」に、宮崎駿のコナンそっくりの主人公が意味不明の行動をして、女の子が銃を突きつけられて「八ッ」となる、という終わり方をしている数ページのマンガを描いたのだ。
本人曰く、「マンガを描くなんて生まれて初めてで、とにかく背景に細かく模様を描いてみるとか、効果線を使ってみるとか、やってみたかった」んだそうで、最後のコマに、
「中途半端ですみません。読みたい方はお手紙下さい。必ず続きをお送りします」と書く、という恥の上塗り三重五重塗り、をやってのけた。

当然、先輩たちは「これは大変なヤツが入って来てしまった」と思ったし、その後、外に向かって学祭とかで売り出している、この「サークル誌」を講評制にしようか、つまり、あまりにマンガの水準に達していない人のは外そうか、という話が出たのは、この件と無縁でないと私はひそかに思っている。

話は大きく戻って、その未完の大器が「ナンシー」というマンガで、Nさんはちゃーんと覚えていたのだった。
「それなら、彼にも『駒場のダークホース』という未完の作品があるから、バーターにしなさい」と大内くんには言ったのだが、N御大の玉稿がいただける、という話に目が眩んで、彼は、週末を1日使って、「ナンシー」がどうなったのか、1ページで全部説明するという暴挙に出た。
うん、まあ、マンガだし(と言うより、絵物語?)、終わってるし、Nさんに送ってみたら?と言うと、大内くんは「送らいでか!」と鼻息も荒く、NさんのパソコンにA4で1枚の原稿を送りつけた。
次の週末、Nさんから華麗なイラストが送られてきたことは、私自身ファンだったことからも、大内くんの妻という立場からしても、たいへん平和で有難いことだった。
(「駒場のダークホース」は今も未完である。惜しい作品だ)

11月にもう会場も押さえてあるらしい。楽しいことになりそうだ。
今、名簿作りのお手伝いもしている。(部内結婚をしたせいか、私が几帳面なせいか、うちの名簿はわりと優秀なのだ)
しかし、やはりGパンで行くしかないワードローブの少ない私・・・
ま、いいか、どうせ大内くんもGパンか背広かの選択肢しかないし、あまり肩肘張った集まりじゃないからね。
準備中の現役後輩の方々、どうぞ頑張ってください。

17年2月21日

息子が毎日のんべんだらりと過ごしているようなので、
「会社から読むように言ってきた本は、読んだの?」
「会社に呼ばれて研修、とかないの?」とこまごまと聞いては、「そのうち読む」「ねーよ、そんなもん」とか木で鼻をくくったような、とはこういうことか、と思えるような会話をしていたが、このほど、研修もあることが判明した。
遅刻しそうになった息子が契約駐輪場じゃない駅前に自転車を置いて撤去されたからだ。

そのうえ、カノジョからは、
「大内さん、会社からやるように言われてる宿題をやってないんですよ。みんなでラインしてるのに、大内さんとこで止まっちゃうんですって」と緊張感のかけらもない報告を受ける。
あの人たちって、なんか、バンカラ気風と言うか、「やるべきことはやらない方がえらい」という価値観で生きてるような気がするなぁ。
もっとも、そういうことを言うと、
「卒論を、提出期限2時間前まで書いていて、寮中の同期を走り回らせていたのは誰だっけ?」と言う人がいるし、こっちはこっちで、
「寝過ごして、試験1個受け損なって、3年目の留年という大危機に突入したのは誰だっけ?」と言わざるを得ず、気がつくと息子のことはそっちのけで非難し合っている。
誰の為にもならない。

まあ、カノジョも息子の目の前で言っているので内緒の話ではない、ということで、大内くんから説教メールが飛ぶ。
「そのうちやる」というのが返事だ。
ここに至って、まだコドモである息子。
会社は、そんな彼をわかったうえで採用してくれているんだろうか?
3年後に会社があるかどうかの心配をしていたが、それより先に1年後に息子が契約更新してもらえるかどうかの方が重要な気がしてきた。
(「年俸制だ」と言うので1年契約かと思うが、その実態は明らかでない。終身雇用から限りなく遠いことは確かだが)

17年2月23日

週末の買い物に行った時、よく「みたらし団子」とか「おはぎ」を買っている。
日曜の晩、ほうじ茶を淹れてその和菓子を食べ、大河ドラマを観るのが大きな楽しみだ。
(こんなことを言っていてダイエットも何もないもんだ、とは思うけど、ほら、洋菓子ほどは太らないって言うじゃない?)

大内くんとおばぎ2つずつ、と楽しみにしていたら、珍しく家にいる息子が、「おはぎ、ちょうだい」と言う。
「やだよ」「あっそう」という簡単な会話で終わったと思っていたこの問題、意外と根深かった。

「やだよ」と言った本人の私が、くよくよし始めたのだ。しかも食べちゃってから。
「あげとけばよかったなぁ。彼が、私たちのお菓子を欲しがるなんて、珍しいことだもんね。いつも自分でコンビニで買ってきたお菓子を勝手に食べてるもんね」とくよくよが最大値に達した時、大内くんが、
「あげなかったし、彼も、それほど気にしてるようでもなかったじゃない?全然、気に病むようなことじゃないよ」と慰めてくれたんだが、それでも止まらない。

「チャン・イーモウの映画みたいに、お弁当も食べないうちに子供が学校で死んでしまったら、悲しいよね。もし、明日、彼に何かあったとしたら、『ああ、あの時、おはぎをひとつ、あげておけばよかった』って思うのかな」
くよくよくよ。

大内くんは半ばあきれて、
「だって、そのおはぎはもう食べちゃったんじゃない。今頃後悔してもしょうがないんじゃないかなぁ」と投げ出しモード。
「あなたにはね、子供が生まれた時から母親が自分の汁だけで育ててきた、その気持ちがわからないんだよ。母親の本能は、おなかがすいた、という子供のサインを読み取って食べさせてあげるところから始まるんだよ!」
「ふーん、そんなに食べさせたいなら、あげればよかったのに」
ぶつっ(←理性のタガが飛んだ音)

その後の大ゲンカの模様は割愛させていただくとして、今日は、道明寺がある。
またしても家にいる息子に、「道明寺、食べる?」と聞いたら「うん」と答えるので、4つあるうちのひとつをあげた。
残り3つを大内くんと半分こして食べた時、彼の目には明らかに「気がすんだ?」という色があった。
とりあえず何も言わずにほうじ茶を飲んでいたけど、恐ろしき哉、親心。
これからは、親心に逆らわず、何でも息子が食べたいと言ったらわけてやろう。今以上に甘やかしてどうするんだ、って思うけど、甘やかせるうちは甘やかしてやろうじゃないの。

17年2月25日

大内くんが会社でお世話になっている弁護士の方、Aさんのおうちに呼んでいただいた。同じ部で、隣のシマのHさんも。
奥さんのミセスAがピアノを弾くので、3階建の一戸建てのてっぺんの部屋にはグランドピアノがあるのだ。
ついでに言うと、お子さんが4人。8歳をかしらに歩き始めたばかりの1歳児まで。
何もかもを過剰に持っている、うらやましいお宅だ。
Hさんもピアノが弾けるので、今日はお2人のピアノをたっぷり聴かせていただこう。

大内くんはもちろん仕事上で弁護士Aさんと仲良しだが、私はミセスAとマンガの論評をしあう、もっとディープな仲良しだ。
ついでになって申し訳ないが、Hさんとも、奥さんと4人でローストビーフ食べに行く仲良し。
仲良しさんに囲まれて、1人興奮する私。

まずは1階のリビングで、それぞれが持って来たお茶菓子で、お茶の時間とする。
我が家は「急場はこれしかない」というウェストのクッキー詰め合わせだったが、流行に敏感で女子力の高いHさんは、色とりどりのマカロンを持って来てくれた。不思議な口触りの、謎の笹饅頭も。
Hさんの部署内には、おいしいおやつを愛する「甘部(あまぶ)」というものが存在し、出張のおみやげやいただきものなどを、皆で堪能しているらしい。「甘部」。いいなぁ。

ここで「エマ」とか「ゴールデンカムイ」とかの話をしたいんだが、実はHさんだけはマンガを読まない人なんだよなぁ。残り4人は全員読んでいるのに。
それでもちらちらっとは話題に出してしまった。Hさん、ごめんなさい。

お菓子を食べているうちに子供たちが吹き抜けの2階にどんどん行ってしまい、成行き上大内くんが後を追ったら、結局、2階に保育園が開設された模様。
1階では、かなり落ち着いて話ができた。大内くんさまさま。

しゃべりたいネタはいくらでもあるのだが、今日の集まりの正式なタイトルは「ミセスAとHさんのピアノ・リサイタル」なので、お菓子を食べ終わってそれなりにくつろいだのち、3階のグランドピアノ室に集合。

正直言って、私はクラシックの道に暗いのだ。もう、真っ暗と言っていい。
結婚してしばらく、大内くんがクラシックが好きだと知った時は気絶しそうになった。
さいわい彼は雑食系と言うか、演歌からフォーク、ミュージカル、歌謡曲となんでも好きなので、会社の行き帰りに1人イアホンで聴いているかもしれないが、私の耳に触れるところではクラシックは聴かないでいてくれる。ありがたい。

でも、知ってる人が生で弾くのはまた別ものだ。
ミセスAは「となりのトトロ」をアレンジしたものを弾いてくれたし、Hさんの弾くクラシックも迫力満点だった。
楽器を弾ける人っていいなぁ、
私も昔はフォークギターを普通に弾けたが、今ではもうすっかり忘れてしまい、AmとEmぐらいしか覚えていない。
60の手習いで、教わりに行ってみようかしらん。
しかし、決まった時間に決まった場所に行く、という簡単なことをせずにやってきた引きこもり歴30年が邪魔をする。
困ったなぁ。

たっぷりピアノを楽しんで、みんなまた階下に行ってミセスAからコーヒーの接待を受ける。
子供たちが規律正しく、しかし場を楽しんでいるのには驚いた。
泣く子もぐずる子も、テーブルの上のものをひっくり返す子もいない。
こういうことは日頃の躾で成り立ちうるものなのだろうか。
だとしたら、うちの躾は完全なる失敗だ。
もう社会人になろうかという歳なので、やり直しは一切きかないと思うが。

ひとしきり楽しいおしゃべりに興じていたが、時間はあっという間に過ぎ、お開きとなる。
ミセスAはまた同様の会を持とうと考えてくれているらしいし、私もまたお招きを受けたい。
車で来たので、駐車場とは反対方向の駅に向かうHさんともお別れして、帰路につく。
Hさんとは、彼が忙しすぎなければ、来月中に奥様同伴のお食事会をする予定。
本当は12月生まれのHさんと大内くんのために「12月のお誕生会」をするはずだったのだが、Hさんがあまりに忙しく、まったく時間が取れなかったので、ついに3月に持ち越してしまった。
予定の日、Hさんの身体が空いている保証もない。

Aさん宅とか我が家では、Hさんは「激務の人」というコードネームを持っている。
さて、「激務の人」夫妻とローストビーフを食べに行けるだろうか。
それまでに私は検査入院を終えているはずだが、大丈夫か。
なにかと不安の多い今日この頃だが、まあ、その場になれば何とかなるもんだ。
このアバウトな生き方を、私は大内くんから学びつつある。

Aさんご夫妻、Hさん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
とても楽しい時間でした。
ぜひまたこういう機会を作っていただければ、と思います。

(追記:「トトロ」を弾いてくれたのは、ミセスAではなくHさんの方でした。失礼しました)

17年2月26日

昨日がアクティブな日だったので、今日は対照的にだらだらと暮らしてみる。
昼近くに起きて、残り物のごはんをたべて、息子は親とは関係なく(しっかり食事だけは要求するが)どこかへ出かけてしまい、何となくテレビを見る気にもなれなくて、2人とも自分のベッドでマンガを読んで過ごす。

私は今、入院を控えて面白そうな大長編を探しているので、「ジョジョの奇妙な冒険」を読んでみてるんだが、なんか、想像してたのと全然違う。
DIOさまって、悪い人だったの?
息子に聞いたら、
「悪いよ。それに、最初の方はもろに『北斗の拳』だから、しばらく読まないと面白くならない」と言っていた。
さすが、伊達にマンガの山をこさえてるわけではなさそうだな。

大内くんは、今、古今の名作を読もうと頑張っており、「アイアムアヒーロー」「高台家の人々」「先生の白い嘘」などを経由し、途中に手塚治虫をはさみながら、「エースをねらえ!」と読み終わりつつあるところ。
「いやあ、さすがに全国の信者たちが続きを待っているだけのことはあるね。実に、堂々たる大作だ。とんでもない変態マンガだよ。山本鈴美香はこれが事実上のデビュー作だそうだね。すごいよ」と褒めちぎっている。
まあ、時代のせいで多少男尊女卑なところが見受けられるが、大内くんをして「変態マンガ」と言わしめるのは、宗方コーチと岡ひろみの激しすぎる師弟愛の部分だろう。
あんなに己を空しゅうしてついて行く、ってのは、ほとんど「法悦」だよね。

やがて2人ともうとうとしてしまい、甘美な昼寝。
西友の宅配便のおかげで眠りは破られたが、買い物に行かなくてすむのは本当に助かっている。
買い出しに行かなくなったので、車を使う機会がぐっと減って、もともと週に1度かそこらしか乗っていなかったのに、今や10日以上放り出している。
駐車場が、地下ピット式の2段目になったせいかもしれない。前は平置きだったから、気ままに出られたものだが、今はやや面倒くさくて。

冷蔵庫がいっぱいになったところで大内くんは床屋に行き、1時間ほどで小ざっぱりとして帰ってきた。
豚汁を作りながら話してくれるところでは、床屋の息子さんも早稲田で、理工なので、研究室を通して大きなメーカーにお勤めが決まったらしい。
卒業も怪しく、コントのことばっかり考えている我が家の豚児と比べると、つい、涙がこぼれてしまうよ。

そんなふうに何事もなく終わった日曜日、息子は例によってカノジョを伴って帰って来て、2人はリビングで肩を抱き合って映画を観る。
世の中、変わったものだなぁ。
彼らに、「婚前交渉」と言ってみても、意味も通じまい。
それは、我々が歓迎する、というか、そうありたいと思って作ってきた世界観なので、すがすがしいばかり。
若者よ、恋をしたまえ。
たとえすぐに破れてしまう恋でも、恋は、しないよりした方がずうっといいいものなんだから。

17年2月28日

夜中にお茶を飲もうとキッチンへ行ったら、リビングのテーブルで何やら作業している息子から、
「紅茶、もらえない?」と言われた。
いい年をして紅茶も淹れられんのか、とは思いつつ、わりとよくあるリクエストなので「はいはい」と受けたら、少し驚いたような顔になって、「いいの?!」ときた。
断ったことなんかないじゃないか!
驚くぐらいなら、頼むなよ!

ついでに自分もおなかをあったかくしようと思ってブランデー・ミルクを作って飲んだが、どうもブランデーを入れ過ぎたらしい。
寝床に戻ってから、猛烈に動悸がしてきた。
これが心臓の悪い人の行きつく先なら、やはりきちんと手術して治そう、と思ったよ。

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