17年6月6日

昨日、一昨日、と、息子のカノジョが泊まりに来た。
平日の晩に泊まりが可能だと、毎日午前様の息子の勤務状況でも、なんとかつきあっていけるのではないかと希望が持てる。
朝も、2人で7時過ぎには起きて家を出てくれるし。
4月半ばから5月半ば、私が入院していて大内くんも付き添っていたため、息子がいつの間にか1人で起きられるようになっていたのは嬉しい誤算だったなぁ。
あの時期に、完全に自立してくれたから。

今は、毎晩2時頃に帰って来て、朝は7時過ぎに目覚ましで起きる。
この2日間は12時半とか1時頃にカノジョと一緒に帰ってきたようだ。
少し話す時間があったカノジョは、就活中で忙しくはあるが、充実した生活を送っている模様。
私の経過は順調で、体調もいい、と話したら、「よかったですね!」と喜んでくれた。

今日は、大内くんが出張で、泊まり。
明日の晩遅くに帰ると言う。
退院して以来寝たり起きたりの生活で、まだ大内くん不在には自信がないが、黙って寝て、本を読んで、食事をするだけだ。
4月以来体重が6キロほど減ってそのままを保っているのはいいが、食欲がないと言うか、食事の好みが変わってきてさっぱりしたものばかり食べたがるので、大内くんは少し心配しているらしい。
今日は、昼間スーパーのお総菜売り場で買ってきた「あなごのお寿司」を食べ、キュウリとマヨネーズをのせた「冷やし中華」を食べた。

入院中に、以前から服用していた心療内科の薬と睡眠薬を全部やめたので、体調は基本的に悪くないが、精神的にはきつい時もある。
今日のような時は、とりわけきつく感じられる。
しかし、結局は身体を蝕む強い薬をやめたことで、生活の手触りを大切に前向きに暮らせるようになったし、大内くんの定年もまだ先で、いずれは息子が家を出ることも考えると、「1人の時間」と向き合うしかない。
基本、不眠気味だけど、別にそれで死ぬわけじゃないしね。

大きな手術を受けると人生観が変わると言うが、私もある意味、天からの啓示を受けた気がする。悟りの連続。
入院中は、かなり譫妄状態だった。
大内くんは、毎晩、眠れないで譫言を言い続ける私の横に寄り添って、
「夢だよ。夢をみてるんだよ」と明け方まで言い続けてくれた。
今も、真夜中に汗びっしょりでうなされ、自分の叫び声で飛び起きる私に、
「うなされて起きる、ってことは、眠れてるってことだよ」と一生懸命声をかけてくれる。
大内くんは、眠れているんだろうか?
出張中の今夜ぐらいは、ぐっすり眠ってくれるといいなぁ。
私も、お風呂に入ってベッドに行こう。

17年6月15日

そろそろ手術で切った胸の骨もくっついたようなので、お世話になった方々に快気祝いのお菓子を送る。
息子の写真を加工・額装してお見舞いに持って来てくれた大学の後輩とか、名古屋で心配してくれていた友人とか、第一次退院時にはお花を、第二次退院時にはパウンドケーキを贈ってくれた大内くんの会社の後輩ご夫婦とか。
大好きなウェストのクッキー、自分あてにもひと箱送った。
週末の「父の日」には、4人のコドモを持つAさん夫妻が、おうちにお招きくださった。快気祝いのパーティーだ。
クッキー持って、ピザをご馳走になりに行くよ。

ミセスAとの会話に備えて、鳥飼茜をいっぱい読む。
「おんなのいえ」と「地獄のガールフレンド」はまだ読んでなかった。
我々よりも先鋭的なマンガ読みであるAさん夫妻には、教わることばかりだ。
先日も、ダンナさんから森恒二の「自殺島」を薦められ、大内くんと2人で「ほー!」と感心して読んだ。
あのご夫婦は、子育て真っ盛りで超多忙なのに、いったいどうやってマンガを読むヒマを捻出してるんだろう?

私は、手術以来家でぶらぶらしてるので、たいそうヒマだ。
大内くんは、私の健康状態が改善されたとは感じるものの、
「体力を奪われ、身体の芯が弱っている。完全に回復するまで、ゆっくり養生してもらいたい」と思うらしい。
いっとき、食事が全く食べられなかった様子を見ているので、不安なんだそうだ。
そう言えば体重が減ったし、肉類や油ものが苦手になって、しその葉とか漬物とかばかり食べたがるもんなぁ。
昨日はセロリを買って来てかじっていたので、「食べ物の好みが特殊になったね」と言われた。

不思議なのは、家で1人でいるのがつらくなくなったこと。
マンガや小説が面白い時期にさしかかってるのもあるが、大内くんが不在の時でも、「必ず帰って来る」と思えるようになったかも。
前は、いないと不安だった。
「絶対帰って来るんだから」と言われても、「そのイメージが持てないの!」と抗弁していたものだが、今は、気づくと穏やかに待てるようになっている。
「大病や手術をすると人生観が変わる」と言うけど、そのせいなんだろうか。

「自分が何者かでなくてはならない」「何事かを為さなければならない」と思わなくなったかもしれない。
結婚して30年近く、コドモは育ち上がり、親としてしてあげなければならないことももうない。
私は私だし、大内くんはそんな私が好きだし、私も大内くんが好きだ。
満たされている。
なぜ、以前はあんなに満たされていなかったのだろう?

難しいことを考えていると、ふふっと笑えてくる。
「ま、何でもいいや。幸せだなぁ」と思う。
ウェストのクッキー持ってベッドに行き、鳥飼茜の続きを読もう。

17年6月16日

快気祝いを送ったので、あちこちからお礼のメールやラインが舞い込む。
我が家にもついでに送ってもらったので、私も大好きなウェストのクッキーを食べられて幸せ。
何人かの方は、
「何にもしてないし、お見舞いにも行ってないから、もらえないよぅ」と言ってくださったが、いいの、人に快気祝いって送ったことないから、送ってみたかったの。
どうぞご笑納ください。

それにしても、振り返るとけっこうな大手術をしたものだ。
2カ月の間に、近所の歯医者や内科医で初診を受ける機会があったので、
「4月に心臓の手術をしました」と言うと、
「どんな手術ですか?」と聞かれ、
「機械弁と人工血管への置換術です」と答えると、
「それは、たいへんな手術をなさいましたね!」と驚いてカルテに書き込む、ということが続いた。
あまり考えずに大決心をする傾向のある私だが、今回も、そうだったか。
そして、運がいいのでたいていうまく行ってしまう、という結果になるところも、私らしい。

大内くんが時々私の心臓に耳をつけ、音を聴いている。
「しゃく、しゃく、って、規則的で力強い音がする。機械弁が、お仕事をしっかりしている」と嬉しそうだ。
「カイコが桑を食べるみたいな音だね」
「そんな感じだよ」
私もその音が聴けるようにとアマゾンで聴診器を買ってくれたが、彼が使ってみたところ、胸に耳をつけて聴くほどは素晴らしい音がしないのだそうだ。

1月にローマに1週間行こうという計画は、私を横で見ている大内くんが、
「すごく迷うんだけど、体力の回復が充分でない気がする。大事を取ってもう1年、様子を見て、さ来年の1月に行くことにしよう」と言うので、ほぼ見送り。
残念だけど、自分自身、全身の筋肉が落ちて、特に足が弱くなり、ろくに歩けない気がする。
食欲も今ひとつだし。
今の暑い季節が終わったら、また散歩を生活に取り入れて、もう少し歩けるようになってからローマだ。

長い間、精神と肉体の乖離に悩んできたが、この2カ月、自分の身体を自分の手に取り返した感がある。
体力が落ちたのも、食欲がないのも、実感を持って感じられる。
人生がまぶしい。
引きこもりな生活なのは変わらないが、手ごたえを持って、日々を楽しんでいる。
とりあえず、エアコンの涼しい風の中で読書三昧なのは本当にありがたい。

17年6月17日

昨日の晩、暑いのでエアコンをつけて、大内くんのダブルベッドにもぐりこんで寝たら、明けて結婚記念日の朝、起きてびっくり。
私のシングルベッドに、息子が寝ている。
夫婦の寝室に入って来るかね、暑かったのかなぁ、と思い、昼ごはんのベーコン・スパゲッティを食べながら聞いてみたら、「覚えてない」。
大内くんは「寂しかった説」を唱えてニコニコしている。
夜中に我々の部屋をひょいとのぞいて、エアコンの冷気に誘われてふらふらと入ってきて、そのまま私のベッドに・・・というのを想像してるんだけど。

親子関係としては気持ち悪いが、朝、息子の姿を発見した我々は、なんだかものすごく嬉しくなってしまって、「ははは」と笑いながら、休日の朝寝を敢行したのだった。

今日は28回目の結婚記念日。
息子にそう言ったら、
「6月17日。そうか!おめでとう!母さんは手術以来、白髪が増えたね。でも、元気になったみたいで、よかった!」という返事。
はいはい、ありがとう。

出かけて、夜遅く、カノジョを連れて帰ってきた彼だが、起きていた私が挨拶に出たら、カノジョから、
「おめでとうございます!大内さんから聞きました!」と言われた。
親の結婚記念日だ、とカノジョに言う。良い関係だ。親ともカノジョとも。

「じゃあ、おやすみなさい」と言ってリビングをあとにし、
「そうだ、来週一緒に食事に行けるかどうか、カノジョのスケジュールを聞いておかなきゃあ」ととって返したら、ソファに座った息子が、床に座ったカノジョに後ろから抱きついている最中だった。
カノジョは「きゃあ!」と笑いながら息子を押し戻しており、私の出現に、
「あっ、大内さんを、殴ってしまいました!」と目をまん丸くしていた。
息子も私も笑ってしまった。
お邪魔してごめんなさい。あとは、お若い方々で、お好きにどうぞ。

17年6月18日

4人のコドモを育てている最中の、大内くんの仕事関係のお友達、Aさん夫妻のおうちにおよばれ。
私の快気祝いをしてくれると言う。
あちこちに快気祝いとして送ったウェストのクッキー、Aさん宅用には大箱を我が家宛に送って用意していたので、マンガ友達の奥さんに貸す「渡辺ペコ」と一緒に持って、車で出かける。

Aさん夫妻と4人のコドモたちというフルメンバーに歓迎され、みんなでお菓子とピザを食べ、ミセスAが焼いてくれたかぼちゃのパウンドケーキとチーズケーキをご馳走になり、夢のように楽しい1日だった。
途中で上の3人のコドモたちは嬉々としてお父さんとプールに出かけ、赤ん坊の末息子が「ぷーゆー」と言いながら残される、というようなひと幕もあり。
我々は、お留守番のミセスAと赤ちゃんに、日常生活上の愚痴をさんざんこぼしてしまった。
ごめんなさい、ミセスA。

ご夫婦とも言っていたことだが、私はずいぶん印象が変わったらしい。
「前より元気に、パワフルになった」
この2カ月、ほぼ家で寝たきりの生活だったけど、まあ、それは昔からだし、そうねぇ、いろいろ変わった気はする。
自分に肯定的になったと言うか、なんとなく、前向きになれたような。
人からも、そう見えるのか。嬉しいね。

我々夫婦が息子に甘いのは皆さんから言われるところだが、今回、Aさん夫妻からも叱られてしまった。と言うか、あきれられてるんだと思う。
こればっかりは・・・変えようがないかも。すみません。
モンペにだけはなるまいと思ってはいるが、そして、2人ともいたって小心なので、なりにくいとは思うんだが・・・自分ではわからないし、ブレーキも効かないかもなぁ。
モンペになろうと思ってやってる親はいないんだろうから。

そんなわけで、なんと朝から夕方まで遊んでいただき、楽しい思いをして辞去したが、大内くんが仕事上でこさえてきてくれたこの若い友人夫妻は、本当にありがたい。
これからもよろしくお願いします。

17年6月20日

12時過ぎという、比較的早い時間に息子が仕事から帰ってきたので、起きていた私が出迎えた。
「おかえり。わりと早かったね。おなかはすいてない?」
「すいてる。なんか食べたい。なんかある?」
「肉じゃがとしいたけの肉詰めが残ってるよ」
「食う。あっためて。走って来てからでいい」
そう言って、着替えると、外に走りに行ってしまった。
冷蔵庫から残り物をいろいろ出して、温めるしたくをして待つ。

ごはん。
かぶの味噌汁。
しいたけの鶏挽肉詰め。
肉じゃが。
小松菜のおひたし。
きゅうりとナスの浅漬け。

何を食べても「うまい!」と言う。
「いつも何食べてんの?」
「弁当、とか」
「コンビニのは、飽きるよね。家のごはんはいいよね」
「うん、うまい」
「父さんが作ってくれたんだよ」
「うん、うまい」
そればっかりだねぇ。

エンデの「モモ」の文庫本を読みながら、ぺろりとたいらげて、満足そうにおなかをなでていた。
食器を洗い器に突っ込んで、私は寝る。
「早く寝なさいよ」
「うん」
しかし、食べてすぐ寝るのは身体によくないんだよね。困った。
久々に家で食事するのを見て、嬉しいんだが。

17年6月22日

ずっと胃腸の調子が悪いので、近所の消化器内科に行っている。
最初は「逆流性食道炎」の薬をもらい、しかしそれは、別の病院ですでにもらっている薬とかぶることがわかった。
こういうことがあるから、お薬手帳の携帯が必要なんだね。

ネットで調べたところ、症状としては「逆流性食道炎」な感じはしなくて、むしろ、唯生がずっと罹っている「空気嚥下症」の方が近い。
大内くんも、
「長いげっぷに苦しんでいるところがそっくり。遺伝だ」と言うし。
唯生の飲んでいる、「ガスコン」という薬の、ジェネリックをもらう。

胃の方は少しおさまったけど、腸の不調が去らないのでまた病院へ。
漢方を勧められた。
おなかを触診したところでは、張りはそれほどでもないし、胃がん等の重い病変な感じもしないらしい。
「大腸過敏症候群」ではないか、ということ。
胃カメラを飲むことも考えたけど、2年前に飲んだ吉祥寺の病院に行かないといけないんだよね。
とりあえず、漢方飲んで様子を見よう。

大内くんが毎日心配してくれる。
手術の前からずっと全身の調子が悪いわけで、彼が心配し出してからもう半年ぐらいになるかもしれない。
心臓の心配だけはしなくてよくなったんだけど、ひざとか胃腸とか、悪いとこ続出。
暑い季節になって、エアコンかけないとぐんにゃりしちゃうし。
体感温度が違うので、大内くんはけっこう低温に耐えて暮らしている。申し訳ない。
長い夏になりそうだ。

17年6月23日

乳がんで闘病中と聞いていた小林麻央が、亡くなったというニュースが入った。34歳だった。

在宅専業主婦の特権で、テレビのワイドショーで市川海老蔵の緊急会見を見る。
昨日、奥さんが死んで、今日、もう会見か。
いくら役者さんでも、心の準備ができてないだろうなぁ。
声を詰まらせ、ときおり涙をぬぐいながら、
「お見苦しいところをごらんにいれて」と語る彼に、なんだか胸が苦しくなり、途中でスイッチを切ってしまった。

自分が入院したり、友人が亡くなったりしている昨今、この手の話に弱い。
今も健康に不安があり、近所の医者に行っては薬を変えてもらっていて、悪い病気だったらどうしよう、などとぼんやり考えてしまうのだ。
不思議だなぁ、若い頃はあんなに死にたかったのに、今は、死ぬのが怖いよ。
おもに、大内くんはどうなっちゃうんだろう、と思うからなんだけど。
息子も、以前よりはずっと私の健康状態などを気にかけてくれていて、私が死んだら、やっぱり悲しいだろうなぁ。

うん、やっぱり、長生きしなくっちゃ。
大内くんの定年までは生きて、ずっとお休みになった彼と、毎日一緒に過ごしてみたい。
お金があれば、船旅にも行ってみたい。
一番の趣味がお互いといることであるという基本安上がりな夫婦なんだ、定年を待たずに何の意味があろうか。

17年6月24日

最近、非常にストレスになることが起きている。
暑いのと、更年期障害と、ストレスで、発汗、不眠、目まい、肩こり、腰痛がひどい。
胃腸の調子も悪いし。

大内くんは、
「手術からまだ2か月半しかたっていない。身体が弱って、元に戻っていないと思うので、ゆっくり休んで。半年ぐらいは本調子にならないと思うよ。幸い、心臓の具合はとても良くなったんだから、体力が戻れば元気になれるよ。あせらないで、この夏は寝て過ごして」と言う。
エアコンをかけて寝てばかりいると、よけいに腰痛や肩こりがひどくなりそうな気もするのだが、もともと暑いのには弱いところに更年期障害の症状でひどく汗をかくので、しかたないかも。

以前は、自分の身体の不調に気づきにくかったのだが、手術以来なぜか肉体と精神の乖離が改善し、身体感覚が良くなった。
そのせいで不調に敏感になり、つらい思いをしているというのは、良かったのか悪かったのか。
大内くんが喜んでいるので、いいんだが。

そんな愚痴をこぼしながら、手術以来行けなかった唯生の面会に行く。
重度身体障害者病棟に入所している脳性まひの彼女は、会わなかった間に25歳になった。
昔ならクリスマス・ケーキのこんな年まで、命を長らえることができるとは思ってもみなかった。
腸にあけた穴から栄養液を流し入れ、人工肛門で排泄する、寝たきりの状態だとしても。

看護師さんが買ってくれたらしい靴下をはいていた。「ヲタ専用」と書いてある。そうか、キミは、腐女子か。
「ゆいちゃん、機嫌がいいですよ!おなかをなでると、笑顔が出ます」と声をかけられ、大内くんと2人、ベッドサイドで一生懸命おなかをさする。

大内くん独自の、唯生の体調判別法は、「首筋の匂いを嗅ぐ」。
「健やかな匂いがしている。元気そうだ」
3年ほど前に腸閉塞の手術をして命が危険だった頃は20キロまで落ち込んでいた体重が、今は30キロ以上あるという。
体力が戻って本当によかったが、もう私は抱っこできないなぁ。
看護師さんたちは、「腰痛との戦いです」と笑いながら、特製の車椅子への移動などをやってくれるのがスゴイ。

しばらく唯生をあやして、「ゆいちゃん、また来るね」と言って帰ることにする。
近くにプロ用の食材店があり、冷凍食品などを大袋で売っているので、買い出しして行こう。
いつも唯生に会ったあとは何をどうしていいかわからないほど悲しいが、大量の食べ物を見ると、少し元気が出る。

障害のある娘を持ったパール・バックは、その著書「母よ嘆くなかれ」の中で、
「逃れることのできない悲しみに耐えるということは、他人から教えられるものではないのです」と述べているが、私たちはこの25年間、様々なやり方で自分なりに悲しみと向き合い、耐える方法を模索してきた。
今もまだ、模索中。
私にとって救いなのは、大内くんがどこまでも私と共に歩んでくれることだ。
私もまた、大内くんの悲しみを分かち持って行きたいと思う。

17年6月25日

日曜の朝、目が覚めたら、息子の部屋のドアが閉まっている。
玄関を見るとカノジョの靴が。夜中のうちに一緒に帰って来たらしい。

午前中はマンションの総会があり、今年の役員を務める大内くんは出かけて行った。
明け方ずっと眠れなかったのでついベッドでうとうとしていたら、バタンと玄関のドアが閉まる音。
息子とカノジョが出かけてしまった。一緒にブランチを食べようかと思っていたのに。
最近、息子とゆっくり話してないなぁ。
夜中に帰って来た彼に夜食を出す時、顔は合わせているが、「元気?」「困ったことない?」という質問には、「ん」と短く答えるだけの息子である。
朝は、起きて10分でシャワー浴びて出勤しちゃうし。

総会から帰ってきた大内くんにそう話すと、「残念だね」と言っていた。
彼もまた、息子と話したいと思っているようだ。
カノジョと4人で食事に行こう、という誘いをかけていて、昨日も、彼らの都合がつけば近所の中華レストランに行こうと思っていたんだけど、夜遅くにしか身体があかないと言われたんだよね。店が閉まっちゃう。
「じゃあまた次の機会にね」とラインで答えたら、「はーい」と返事は返ってきたので、次の週末にまた誘ってみよう。

もう昼近くなってしまい、今から吉祥寺に昼を食べに行っても混んでいるから、午後遅くに出かけよう、と言って、お互い本を読んだりして過ごしたのち、2時過ぎに家を出る。
幸い、曇りで、日差しがない。
自転車も、100円駐輪場になんとか停められた。(無料のところはいっぱいだった)

久しぶりに「行列のできる天丼屋」に行く。
日曜の午後遅い時間だったせいか、満員だが店の外には並んでる人はいなくて、少し待つだけで入れた。よかった。
私は「竹」(鱚)、大内くんは「梅」(舞茸)を頼んで、いつものように鱚と舞茸を半分こする。

ところが、とってもおなかがすいていたしおいしかったのに、私は3分の2ほど食べたところで力尽きてしまった。
大内くんが残りを平らげてくれて、助かった。
お店を出ながら、
「いつもより、油っこかった?」と聞いたら、「そうでもないよ。いつもどおりだったよ」という答え。
おかしいなぁ、なんだか油が強くて、食べられなかったんだよ。
「最近、キミは油が苦手になったよね。家でゴーヤーチャンプルーを作っても、前より油っこいと感じるみたいで、食も細くなった。手術以来、体質が変わったのかもしれないし、年相応ということもあるから、無理することはないよ。残してくれたら、僕が食べるよ」
天丼1杯ぐらい、楽勝だったのになぁ。

ブックオフに寄って帰ったが、なんだか気分がすっきりしない。
「暑いせいだよ。昔から、夏はあまり調子よくないじゃない」と言われ、まあ、そうかも。
まだ6月なのに、もう夏バテかしらん。

17年6月26日

夕食の時から少し痛かった歯が、夜中にどうにもうずいて痛くて眠れなかった。
朝になるのを待って近くの歯医者に予約の電話をかけたら、運良く今日の午後イチで取れたので、出かける。

前に通っていた歯医者さんは少し遠いので、前回から、近所に新しくできた歯医者さんに行くようになった。
若いご夫婦が一緒にやっているらしい。
前回は、金属が出っ張っているところを軽く削ってもらっただけだが、設備が新しくて、ていねいでいいと思った。

ところが、夜中じゅう続いた歯の痛みは、出かける頃にはおさまってしまった。
歯医者の椅子で先生にそう告げると、プローブで歯茎をつついて調べてくれたが、どうも虫歯ではなく、疲れか体調不良から来る歯周病による歯茎の症状らしい。

ただ、前の歯医者さんで難しい処置をして神経を半分抜いている歯のあたりなので、その治療の時に言われていたように、今度何かあったらもう抜歯しなければならないし、そうなったら、インプラントを考えている。
今度の歯医者さんもインプラントは受けつけているので、お願いしようと思う。
1本何十万もかかるインプラントを、これから我々は何本入れることになるだろうか。
老後の資金には、インプラント代も計上しなければ、とあらためて思った次第だ。

ついでに、最近胃腸の調子が悪くて消化器科にかかっている話をし、
「ネットで調べたら、『噛みしめ呑気症』が一番当てはまるんですけど、歯医者さんに相談するように書いてありました」と言ったら、
「寝ている時などに、歯を食いしばっている自覚はありますか?」と聞かれ、
「はい。心臓の手術以来、身体がつらいせいか、起きた時に顎が痛いぐらい食いしばっています」と答える。
安定剤や睡眠薬をやめて、ストレスがかかっている話もした。
「うーん、できるだけ緊張しないように過ごしてみてください・・・」
まあ、心がけるけど、あまり気の晴れるアドバイスじゃないね。

その後も歯茎の痛みはおさまっているので、とりあえず歯磨きを念入りにして、様子を見よう。
歯を食いしばるせいか、歯並びが変わってきてしまっているのが心配だ。
大内くんも、歯並びが悪くなってきたと言っている。
加齢により、歯茎が痩せて、歯が動いているのだと思う。やれやれ。

17年6月27日

今日は大内くんの会社の株主総会。
入社以来30年近くずっと総務畑ひと筋なので、もう29回目の総会だと言っていた。(途中で1年、唯生のために介護休暇を取ったので、正確には28回しか出てないそうだけど)
若い頃には演壇に上がってお題めくりをしたこともある。
その準備中には、大内くんの髪型があまりにダサいのが上司の目に留まり、「あいつのアタマを何とかしろ。パーマかけさせろ」と言われ、一生で一度だけ、とてつもなく似合わないパーマをかける羽目になった。

数年前までは総会が近づくとキリキリしていたけど、ここしばらくは直接の仕事を離れたのか、あまり緊張はしてない様子。
でも、朝6時頃家を出るし、絶対遅刻できないと言っている。
昔は爆風スランプの「青春時代」を大音量でかけて目覚ましにしていた。
今でも、縁起物として会社に行く途中で聴いているらしい。

先日は、今年小さなゲーム会社に就職した息子が「株主総会の案内係をするから」と言って、普段は着ない背広を着て、大内くんのズボンのベルトを奪って行った。
自分のはジーンズ用なのでダメなんだそうだ。
おまけに、着け方がわからなくて壊して、結局自分のベルトをして行った。大丈夫だったのか。
ベルトを壊された大内くんだが、息子も株主総会と聞いて、何だか嬉しそうだった。
サラリーマンの考えることはよくわからない。

大内くんの帰りが遅いので、晩ごはんには、スーパーのお惣菜売り場で買っておいたパックの焼きそばを食べた。
パックを洗ってビニール袋に入れてゴミ箱に捨てたら、何だかすごく荒れた生活をしている気分になった。
自炊をしていると生ゴミは出るが、プラゴミはそれほど出ないもの。
やはり、素麺でもいいから、自分で作ったものを食べた方がいいみたい。

17年6月28日

朝起きたら、息子の部屋にカノジョが泊まっているらしく、ドアが閉まっている。
7時半になっても2人とも起きてこないので、ノックすると、バタバタと息子が出てきた。
いつもは自分で起きてくれるのだが、さすがに昨夜寝るのが遅かったようだ。

大内くんが着替えて玄関に行くと、ちょうど息子も急いで家を出ようとしているところ。
「あ、オレ、忘れ物した!ちょっと待って!」と叫んでいる。一緒に家を出るのかな?めずらしいね。
カノジョはまだ寝ているらしい。

40分ぐらいたったら、私が本を読んでいたタブレットで、家族でグループを作っているメッセンジャーの着信に気づく。
大内くんから息子あてだ。
「今日は新宿まで一緒に行けて、楽しかったよ。元気に過ごして」
ふーん、昨日カノジョと帰ってきたから、駅に自転車置いてきて、今朝はバスで行ったってことか。

たぶん電車の中にいるだろう大内くんに、ラインしてみる。
「息子と通勤?いいなぁ。どんな話、した?」

すぐに返事が来て、けっこう意外な事実が明らかになる。
「会社辞めて劇団に入りたいけど、辞めないように説得されているらしい」
「うひゃー」
「劇作家のH氏がやっている養成所に行きたいらしい。平日は不感症になる、と言って、ずっと無表情だった」
「無感動に過ごしている、ってことかな」
「うん。言葉も出ないらしい。早晩、会社は辞めそうだ」
「当然、学費がかかるんだよね。お給料出ないんだよね」
「バイトして頂くしかないね」
「ちょとつらい」
「でも、本当につらそうだったよ。こっちも涙が出そうだった」
「夢を追いたいだろうね」
「うん」
「回り道もありかな」
「そう思った。つらいが」
「ゆっくり話さなきゃね」
「週末の食事を実現させよう」
「そうだね」
「また夜話そう」
「うん。ありがとう」

大内くんとのやり取りを終えて、しばし茫然。
会社を辞めちゃうかも、とは思っていたが、別の会社に勤めるんだとばかり思っていた。
演劇の道に行きたいのか。しかも今から勉強して。

とりあえず、彼の言っていた養成所を調べてみる。
俳優だけでなく、演出、脚本の道もあるらしい。彼が行きたいのはどんな方面だろう?

そしたら、カノジョが起きてきた気配がしたので、部屋を出て声をかける。
「おはよう。ごはん食べて行く?」
「いえ、もう出かけます」
「お父さんが、一緒に会社に行ったみたいで、少し話す時間があったらしいんだけど、会社を辞めて劇団に入りたいんだって。聞いてる?」
「会社は辞めたいって言ってますけど、劇団は聞いてないですね。劇団経営の勉強じゃなくってですか?」
「んー、わかんないなぁ。Mちゃんは、彼が会社辞めても、イヤにならない?」
「なりませんよ!」
「劇団入ってもいい?」
「かまいません」
「そうか。何にせよ、やりたいって言うなら私たちは応援するしかないと思ってるんで、Mちゃんも応援してあげて」
「はい、応援します!」
「Mちゃんは就職決まったの?」
「はい、前からインターンで行ってたところです」
「おめでとう。引きとめてごめんね。また、ゆっくりと」
「はい!」

というわけでカノジョも帰ってしまって、またちょっと茫然。
カノジョの就職先も演劇関係だって聞いてるなぁ。
一緒に暮らしてくれないかなぁ、ってのは虫が良すぎるかしらん。

夜、帰ってきた大内くんと話したところ、1月に新規募集のオーディションがあるので、それまではあまり動きがないらしい。
とりあえず、今もらってるお給料からもっと貯金をするべきなんじゃないかと思うんだけど。
30万近くもらって、我々に3万円借金を返して、2万円住居費を入れて、残り25万円のうち2、3万しか余ってないみたいだね、この2カ月ほどの話。
毎晩夜中まで働いてるから、この勢いでバイトすればけっこう稼げるけど、そんなには働かないだろうし、劇団の費用もかかるわけだから。
「どうするにせよ、自分にかかるお金は自分で稼いでもらうよ。家にいるのはかまわないけどね」と大内くん。

息子がオトナになるのは30歳過ぎになるだろうと思ってはいたが、まさかこんなに仕切り直しをすることになろうとは。
まあいいや。ゲーム会社に勤めていても、ウィキペディアに載るような人にはなれないだろうけど、夢を追っていれば、そんな日も来るかもしれない。
老後を見てもらおうとは思っていないから、彼の暮らしが立てばそれで充分だし。
ちなみに、劇団主宰のH氏は息子の高校の先輩、私とカノジョの大学の先輩だとウィキで知った。ご縁があるのかも。

17年6月30日

息子が、駅前の契約駐輪場の更新をちっともしてこない。10日ほど前から何度も言っているのに。
夜中に帰ってきたので、「更新、してきた?」と聞いたら、「まだ」。
私「明日の朝、できる?」
息子「できない」
私「朝はできないの?」
息子「・・・」
私「母さんのこと、うるさいと思ってる?」
息子「思ってる」
私「やらないからじゃん」
息子「自転車、飲み屋の前に停めたら、チェーンでくくりつけられて動かせない。だから、駐輪場の更新ができない」
私「え?撤去されたんじゃなくて?それは、どうしたらいいの?」
息子「会社が休みの日、店が開いてる時に行くしかない」
私「そんならそう言えばいいのに」
息子「めんどくさかった」
私「それで母さんに怒るって・・・逆恨みってもんじゃないの?」
息子「・・・」(もう無言)

自転車をさぁ、駐輪場以外のところに置くと、撤去されたりパンクさせられたり、とにかく不都合が起こって普段通りの生活ができなくなるって、キミはまだ学ばないのだね。
更新しろ、って口頭やラインで言ったら、「はーい」とか「うぃー」とか言ってたじゃないの。
だから何度もリマインドしたんだよ。できない、って知ってたら言わなかったのに。
あきれた。母さんはもう寝るよ。

翌朝、いつもの時間に起きてこない彼を起こしたら、
「今日は会社休む・・・疲れ過ぎ」。
入社して3ヶ月、初めてのことだ。
先日、辞めたいともらしていた彼なので大内くんと2人、ビックリして、とりあえずごはんを作って食べさせながらいろいろ聞いてみた。

曰く、仕事のヤマをひとつ越えたところで、疲れたので休むが、来週からはまた普段通り行く。
有給休暇は5日しかない。
「夏休み、とかって、『それ、何?』って感じ」
辞める話は、まだ結論が出ていない。もうちょっとゆっくり考えたい。
「オレも、甘いから・・・あんまり優しくしないでくれ」
今日は少し寝て、それから自転車を回収しに出かける。

実際、昼過ぎまで寝て、雨の中をバスで出かけて行った。
いったん家を出ると、晩ごはんに帰って来るかどうかもわからない鉄砲玉だ。
もっと身体を休めた方がいいし、ゆっくり話したいから、夕食には帰っておいで。
と言っても無駄なのはよくわかってるんだが。

「母さんは、もうあなたに何にもしてあげられないからなぁ」と思わず弱音を吐いたら、
「ンなことないよ」といつにない笑顔を浮かべて、最近では珍しくなったビッグ・ハグをしてくれた。
あああ、困った野郎だとしか思ってなかったのに、ごまかされちまうじゃないか!

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