17年8月1日

9月に大学の同窓会がある。
(卒業生たちはこれを「リユニオン」と呼ぶので、大内くんは「ヤな大学だ」と言っている)

しばらく会っていない友人たちから、
「リユニオン、出る?」というメールやラインが3件もまとめて来たのは、今、みんなが「あなたは出る?」とやり取りし合っているのだろう。
一番遠くの人はタイから来るらしい。
私のように大学の近所に住んでる人ばかりではないのだ、あたりまえだけど。
自転車でも行けるんだから、リユニオンに行くんでなければ、何のためにこんなところに住んでいるかわからない。

とは言え暑い時期だし、健康状態が心配なので、大内くんに車で送ってもらって一緒に行くことにした。
「ダンナと一緒に行く」と答えたら、友人たちの中には、
「あいかわらず仲いいね。いいダンナさんだ」と言ってくれる人もいる。
そう言う彼女のダンナさんはずっと若い頃に亡くなっているので、ちょっと申し訳なく、フクザツ。

高校の先輩に聞いたところでは、30周年記念の同窓会が名古屋で行われるらしい。
ということは、我々の代は来年か。
地元の仲良しの女の子に「一緒に行こうね」とラインを打っておく。
ここ数年、同窓会に行く機会が多いなぁ。
中年になって、皆さん振り返りモードなんだろうか。

「中高の同窓会は不倫の温床」という記事をSNSで読んだので、夕食を食べながら大内くんにそう話したら、
「僕の場合は心配ないね。男子校だから」と明るく言われた。
免疫がない分、他の場面が心配じゃないか。
しかし、大内くんはさらに明るい。
「僕ぐらいそういう心配のない人もいないよ。会社でも、奥さんの話ばっかりしている」
最近はさらに息子の将来について、皆さんから聞かれているらしいし。
となりの室の室長さんは、毎日のように「息子さんはどうですか?」と聞いてくれるそうだ。

こんなに家庭が大変で、かつ楽しいのに、不倫なんかしている場合じゃないぞ。
パワーは集中させて使いたい。

17年8月2日

年に1回ある、唯生のカンファレンス。
施設のお医者さんや看護師さん、ケースワーカーさんなどを交えて、彼女の生活の報告や今後の1年間の見通しを聞く機会だ。
午後休を取って帰ってきた大内くんと冷やし中華を食べ、車で出かけた。

毎年、「順調です」と言われ、「来年もこのように」と言われるだけだったので全然緊張してなかった。
ただ、6年ほど診てくれていた主治医の先生が外国に行ってしまったので、後任の先生との初顔合わせだなぁとは思っていたが。

定刻に、我々以外に6人ほどのスタッフがそろってカンファレンス開始。
新しい主治医は女医さんか。40歳ぐらいかな。
でも、お話は、思っていたのとは違っていた。

6月に、嘔吐物がのどに詰まって、呼吸困難を起こした、と言う。
先月面会に来た時には聞いていなかった話。
様子を見て行くが、今後も繰り返すようなら、事故防止のために気管切開を考えなければならないのだそうだ。
「唯生さんは、すでに胃ろう、腸ろう、人工肛門をつけており、これ以上デバイスを増やすのは、とも思うのですが、体重の減少など、体力全般が落ちていますので、考え時かもしれません」
まだ我々と会ったばかりの女医さんは、話し合いをして行きたい、と言ってくれたが、私は頭がぐるぐるして、事態があまりのみ込めなくなっていた。

唯生は、いつまで生きられるのだろう。
無理な延命はしたくないが、できるかぎり平和に、苦痛なくおだやかな生を過ごしてもらいたいと思っていた。
もう、それは難しくなっているのだろうか。
そもそも腸閉塞を起こして緊急手術をした時に人工肛門を建設せざるを得なかった3年前から、「おだやかな生」ではなくなっていたのだろうか。
しゃべったり声を出したりしない唯生にとって、気管切開をしたからと言って失うものはないかもしれないけど、やはり痛々しい。
これ以上彼女の身体を傷つけたくない、という思いが自然にわいてくる。

30分ほどのカンファレンスを終えて、唯生の顔を見て帰る道々、大内くんも言葉少なだった。
「唯生は、長生きしないのかな」と私がつぶやくと、
「難しくなってきてるかもね。今は小腸しか使わないで消化吸収をしてるわけで、それなのに胃から1リットルもの排液があるって言ってたでしょ。ちょっと、多いね。この状態には限界があるのかも」と答える。
また無言になる私。

どんな状態でも生かして欲しいから気管切開をしてもらおう、とも思わないし、逆に不自然だからと言って気管切開を毛嫌いもしない、特に施設での介護を難しくし過ぎないために必要なら、医療サイドの意見に従う、という方針を2人で話し合って、今後、伝えていくことにした。
「悲しいね。悲しいと、眠くなるね」と言いながら、なんだかぐったりと早寝をしたけど、あまりよく眠れなかった。
手足の先がしびれるような、重たい悲しみ。
唯生が生まれてから何度繰り返して来たかわからない、なじみのある悲しみだが、その名は「絶望」ではない、と思いたい。

17年8月4日

夜中に帰ってきた息子に、唯生の状態を簡単に伝える。
「そうか・・・悲しい?」と聞かれた。
「うん、悲しいよ。だから、元気に生まれたあなたには、好きなように生きてもらいたいと思っているよ。父さんも同じ気持ちだよ」と言ったら、
「そうだね。頑張るよ」と答えてくれた。

しかし、つらい話も聞くことになった。
「カノジョと、しばらく距離を置くことにしたから」
そうか。
「お互い好きなんだけど、オレが甘えちゃうから。芸能の道に正対する者として、もっとしっかりしなきゃ」
そうか。
何かあったの?と聞いたら、
「それはあんまり聞かないで。オレにとってもしんどい話ではあるんだ」
そうか。おやすみ。

先週、カノジョから相談を持ちかけられて、息子と考えが合わない点があると言われたんだが、それは息子の方が間違っているから、別れたくなっても私は止めない、と答えた、あれがいけなかったんだろうか。
大内くんと、その後カノジョが顔を出してくれないね、と気にしてはいたんだが、やっぱり別れてしまうんだろうか。
「私があんなこと言わなきゃよかったのかな」と言うと、大内くんは、
「そんなことないよ。僕も同じ意見だし、そこでキミが『男なんてそんなもんよ』とか言ってたら、カノジョは僕らのことも信用できなくなって、もっと離れてしまったと思うよ。コント活動には今後も関わってくれるって言ってたんでしょ?これから、息子がもっとしっかりしてきたら、戻って来てくれるかもしれないよ。彼にとっても、必要な試練だよ」と言う。

1年しかもたなかったな。
カノジョが、もう1回息子を信用する気になって、戻って来てくれる日もあるのかな。
明け方までうとうとしてはカノジョの夢をみて、目が覚めるとすべて夢だったのか、と思っては、別れたのが現実だと思い出して悲しくなるのを繰り返していた。

春に、カノジョが就職して家を出るなら、息子と一緒に暮らし始めてくれるといいなと思っていたけど、そんなのももう、夢なんだな。
カノジョが好きだったビシソワーズ、最後に作ったのは飲んでもらえなかったな。
もう、一生ビシソワーズは作りたくないよ。

唯生のことと言い、悲しいことが多い。
親が無力なのを感じる。
コドモたちがそれぞれオトナになってきたということなんだろう、あらゆる意味で。
親が彼らの人生をコントロールできていた頃には、感じなかった無力感だ。
それだけのパワーが自分にないのも感じるし。
人生の、ある種、苦しいステージにいるのかもしれない。
大内くんの手を握って、1歩ずつ前に進もう。とりあえず、ごはん作って食べよう。

【お詫び】

先週は更新をお休みしてしまいました。
息子の先行きが決まらなくてなかなか落ち着かないのと、体調不良と、何しろ暑くて暑くて、というのがミックスし、お盆休みとなった次第です。
今後は定期的に更新しますので、お許しください。
日記を書き始めて20年以上、息子がいかなる組織にも所属していないという経験は初めてです。
心細いものですね。
さまざまなことを突きつけられ、問いかけられている気がします。
夫婦で力を合わせ、感謝を忘れず心を平らに持って、ぶれずに暮らして行きたいと思います。

17年8月5日

大内くんが仕事で知り合ったAさんのおうちに遊びに行く。
もう4回目か。
奥さんが私の日記を愛読してくれて、ダンナさんに「この、大内さんの奥さんに会いたい!」と言ってくれたのがきっかけでお友達になった、20歳年下のご夫婦。
今日は、奥さんのお友達で、やはり日記のファンという女性が遊びに来るから、と誘われた。
私に会いたいと言ってくれる人なんて貴重だ。いそいそ。

ラインでやり取りしているミセスAに、
「事前にお友達のお名前やお仕事を教えてください」と言ったら、
「当日、自己紹介をしながら場をほぐして行きたいそうなので、その場で」という返事。
謎の人だ。
人の名前を聞いてもすぐ忘れてしまう、呼び間違えたら困るから、と理由をつけて、名前だけ聞き出した。
Eさん。
A家に着いたら、4人のコドモたちと一緒に出迎えてくれたAさんの後ろから緊張の面持ちで登場したのが、そのお友達。
ついに会えた。

京都から来たと言うEさん、Aさんご夫婦、コドモたち、大内くんと私。大量の人員がAさん宅のリビングに席を占め、ミセスAが次々と料理してくれるピザとパスタを食べながら語り合う。
初めて会うEさんなのに、ずっと日記を読んでくれていて大内家にはくわしいので、ずっと前からのお友達のように話がはずんだ。

皆さん、そうそう個人情報を出してはいないだろうからあまり細かくは書かないが、世の中には様々な夫婦の形がある。
Eさん宅は、奥さんが働き、ご主人は家事と育児を引き受けているのだそうだ。
Aさん夫妻も仲良しだが、Eさんたちも、AさんとミセスAが太鼓判を押す仲良し夫婦。
ご主人にも会ってみたいなぁ。
ほとんどの家事をこなす大内くんとは、話が合うのではあるまいか。
それを言えば、コドモたちの面倒も見ればサラダも作るAさんも立派なダンナさんだし。

Eさんは私の日記をものすごくほめてくれて、あんまり素晴らしい賛辞をそそがれたので、すっかりぼうっとなっちゃった。
そもそも自分の書いたものを公開しているような人間だ、ほめられるのがキライなわけがない。
頭脳明晰で表現力豊かなEさんの言葉は真摯で、とても力づけられるものだった。

大内くんは、忙しいAさん宅の休日にあまりお邪魔をしてはいけないし、昼前から夕方までという訪問は長すぎると思っていたようなんだが、Aさんがコドモたちを歯医者に連れて行ったりして出入りしているのを背景に女3人が中心になっておしゃべりをしていたら、あっという間に午後5時になってしまった。
Eさんは、「信じられないスピードで時間がたちました!」とびっくりしていたし、私はまだまだしゃべり足りない。
大内くんに押し出されるようにして玄関に向かいながら、未練がましくいろいろ話し続けていたよ。
Eさん、ミセスA、また会いましょうね!

大内くんの運転で家に帰る道々、「楽しかったです!」とミセスAにラインを打ったら、Aさん夫妻と我々のライングループにEさんを招待したいということで、大賛成。
帰り着く頃にはEさんからラインが入るようになり、新幹線の中の彼女と楽しくやり取りをしているうちに、2時間もたってしまった。
大内くんが自分のケータイを見て、「86メッセージ!どういう人たちなんだ!」と叫んでいた。
たぶん、さよならを言うまでに100メッセージを超えていたと思う。

こうして京都に新しいお友達ができて、ぜひまた会いたいし、ラインでのやり取りもたくさんさせてもらいたい。
世界は美しく、友情と希望に満ちているなぁ。
いい休日だった!

17年8月6日

先日、
「まだ考えがまとまってないのに、突然、上から目線でいろいろ言われてイライラする」とダメ出しされた息子との話し合い、日をあらためて時間を提示してほしい、という大内くんのリクエストに2週間以上たってやっとお返事がいただけた。
それも、今日の朝ということでいったんOKが出たのに彼の都合で夜になり、夜中にしか帰れないと言われて大内くんは昼寝をして備えるという強行軍。
どんだけエラいんだ、息子よ。

昼間寝ただけでは足りないので、息子が夜中の12時に帰って来たら起こしてあげるね、と言って大内くんを寝かせ、起きて待っていたら、「30分遅れる」「10分遅れる」「あと5分」を経て、帰ってきたのは1時近く。
しかも、「15分ぐらいで」と会議時間の制限が。
「無理。1時間はかかるよ」とあらかじめメッセンジャーで伝えてなんとか時間を確保する。
大内くんを起こして、不機嫌そうな息子と食卓で対峙。真夜中の家族会議だ。

「どういうことを仕事にして行きたいのか?」で始まる親側の質問は大内くんがあらかじめ文書で送ってくれていたけど、息子はあんまり準備していないようで、いちいち時間がかかる。
それでも、
「とにかく9月のコントライブを成功させて、最終的にはそれを仕事にしたい」と思っていることを聞き出した。
しかし、
「演技の勉強、脚本の勉強など、今まで系統だててしたことがないので、やってみたい。学校に行くのはそのためと、一流の方々との接点を持つため」
「バイトとかでお金を稼がなければならないのはわかっている。でも、バイト、と決めつけるのはイヤだ。お金を稼ぐ方法はいくらでもある。たかがお金のことじゃないか」
「生活費?まず、勉強のために芝居を観たりするのに、月5万はかけたい」
等々、ツッコミどころ満載のコメントがいっぱい。

大内くんは、「会社を辞めたら、9月から生活費として月に20万稼ごう。自給千円のバイトを何時間するか、考えよう」と私に電卓を取りに行かせ、「週に5日、10時間労働」の生活を提案して、息子に、
「そんなに働いたら勉強の時間もコントを書く時間もない」とにべもなく断られていた。
大内くん「だから、舞台を観るのに1万円使ったら、コントを書く時間を10時間分犠牲にするってことだよ」
息子「それは違うな。10時間考えるより、1時間舞台を観た方がいいコントが書ける場合もある」
横で私はイライラしてきた。
この人は、いっぺん家を出て自分で光熱費から払ってみなきゃ、なにもわかるまい。

「じゃあ、生活費の内訳を考えよう」と言って、息子のアタマに「税金、保険料」から叩き込もうとする大内くん。
「部屋代がいくらかかるかによって内訳が全然違ってくるから、でかい家賃から考えようよ」と私が言うと、息子は、
「え、それは、春からの話でしょ」。
家を出るまでに、敷金礼金家具家電代等を貯めようという気もないらしい。
私「だからさ、家にいる間にも家賃分ぐらいは浮かせて貯めるためにも、最初から家賃のイメージを・・・」
大「そんな先走った話をしてもしょうがないでしょ」
現場は、混乱の渦。

それでもなんとか、金銭面の話し合いは終わった。
息子が考えているような月に5万円も舞台や映画を観るのに使うという生活はできないと思うが、それはもう、実感してもらうしかないね。
会社を辞めると貸与されているパソコンを返さなくてはならないので、自前のマシンを買うための10万ほどと、学校の費用15万ほどは、8月分のお給料から出してもらうことにした。
もちろん彼の財政を圧迫するが、自分のお財布で暮らす練習だ。

この先のスケジュールで明らかになっていることは、

・数日中に、学校の合否通知が来る。おそらく受かっているだろうし、9月から開講。
・8月18日まで会社に行く。そのあとは有休扱いで、8月いっぱいで退社となる。
・8月中は、5万円ほどになるバイトを1件やる。
・8月中に、9月からの仕事を決める。
・今はとにかく9月半ばに迫ったコントライブが最優先。

というあたり。
夜中の2時を過ぎたので、今日はここまで。
まあまあ真面目に話してくれたけど、まだまだ甘いところがいっぱいあって不安だなぁ。

17年8月9日

朝、会社に行こうとしている息子に、
「8月9日はハグの日だよ」と腕を広げて近づいたら、
「ちがうよ、長崎の日だよ」と言われて、ハグはしてもらえたけど赤面した。
「正午に黙祷してね」と言ったら少し変な顔をされたので彼が出かけてからググったら、原爆の日の黙祷は「投下時間」じゃないか。正午は終戦記念日だった。
「長崎は11時2分」とメッセンジャーで訂正したら、「ありがとう」と返ってきた。
どうも、何から何まで彼の方がエライ。

昨日、今日と、何度も郵便受けを見に行っている。
息子が先日受けた演劇学校のオーディションの結果が、郵送されてくるらしいのだ。
「来たら開封していいよ」と言われており、「もう届いた?」と聞いてくるので、早く結果が知りたいんだろうなぁと。
昨日は空振りだったけど、今日は来るかも。

半年の講義を中心に生活が組み立てられていくので、先日話し合った時、大内くんは、
「他にも学校を考えておいた方がいいんじゃない?」と言ったのだが、
「オレ、絶対受かるから」と聞く耳を持たない息子。
その自信はいったいどこから来るのか。

昼の1時にポストを見たら、学校からの封筒が。
ドキドキして家に帰り、ハサミで開ける。
「誠に残念ながら、今回はご希望に添えない結果となりました」
落ちてるじゃん!

急いで写メを撮り、家族グループにメッセンジャーで送る。
「残念だけど、落ちてたよ」
すぐに返事が来た。待ち受けてたんだね。
「そか、オレ落ちてたのか。なんとか通えないかなぁ。ちょっと掛け合ってみる」
あきらめないのはいいと思うけど、大内くんにも知らせたらがっかりしてた。

「帰ってきたら何て言おうか」と2人で顔つき合せていたけど、夜中になっても帰ってこないので聞いてみたら、コントグループの練習で帰らないんだって。
「学校はどうなりそう?」と聞くと、
「いや、行かねえよ」という返事。
そうか、掛け合ってみたけど、ダメだったんだね。
「学校というものに全然行かないってこと?」
「たぶん」
演技と脚本の系統だった勉強して、一流のプロにコネつけるんじゃなかったの?!

大内くんと頭を抱える。
「受かると思い込んでたから、ヤケになってるね。半年やそこらの学校なんていくらでもあるじゃない。次々オーディション受ければいいのに。もともと、絶対そこじゃなきゃ、って選んだわけでもないんだし」
「昼間の学校に行くために、会社を辞めるんだよね。学校行かないんだったら、辞めないでおくか、別の会社に就職してもいいじゃん。もともと、最初に行きたいって言ってたのは来年1月からの夜間の学校だったよ」
でもそんな建設的なこと言ったら、怒るだろうなぁ。

しょうがないから寝たけど、胸がふさぐ。
なんだか、散歩に出た猫が犬やほかの猫に追われてどんどん迷走し、家から遠ざかって行く様のようだ。
いったん立ち止まって、何がしたいのか、よく考えた方が良くはないだろうか。

17年8月11日

夜中に帰ってきた息子をつかまえて、学校に行くつもりが全然ないとはどういうことかを問いただした。
ものすごく機嫌が悪くなって、悪態をつかれた。
なんとかその場に踏みとどまり、
「いつなら話し合ってくれるの?8月中には先のことを決めなきゃと思うんだけど」と言う大内くん。
「期限を切られるのがイヤだ。すぐには無理。ひと月かふた月先になる」
「そんなに!?」
「今、落ち込んでるんだよ。落ち着くのに時間がかかる」
「じゃあ、今日、今のこの話し合いを続けよう」
「絶対、イヤだ!」

私も参戦してかなり長丁場の話し合いになり、結果として、3日ほどで息子の気持ちがマシになったら向こうから声をかけるから、ということになった。
いろいろ言いたいことはあるが、しばらくは黙って見守るしかないようだ。

17年8月14日

珍しく息子が12時前に帰ってきたので、「早かったね」と言って出迎えたら、「早い?どこが?」と猛烈にイヤそうな顔をされた。
毎日1時2時なんだから、今日は早いじゃないか。新鮮な感覚を失わない人だなぁ。

息子「父さんは?」
私「もう寝てるよ。何か食べる?」
息子「そうめん食いたい」
私「わかった。作るよ」
息子「悪いね」
私「いいよ、母さんも少し食べるし」

ミョウガとしそとねぎとおろししょうがを添えてそうめんを出したら、
「薬味が豪華だね」と言われた。
「まあね、そうめんは、薬味が命だから」
深夜に、黙々とそうめんをすする私たち。

と、息子がぽつりと言う。
「父さんは何て言ってる?堅い仕事の父さんからしたら、あきれてるだろうね」
私「いや、父さんも母さんも、あなたが会社を辞めることもコントを仕事にしたいのも、あきれてはいないよ。ただ、どうやってその道に入って行くのか知らないから、心配してるだけ」
息子「そう」
私「学校に行く、っていうルートを説明されて納得しかけたところで、やっぱり行かないかもしれないって言われて、じゃあどうやって?って思ってる」
息子「所属に縛られちゃいけないんだよ」
私「でも、たとえば30歳になった時にコントで食えてる状態になるためには、回り道に見えても、今、1年2年かけて勉強してもいいんじゃない?」
息子「そんなふうに先が読めるヤツはいないよ」

ああ、やっぱり言葉が通じないなぁ。
彼は、私と違う言葉で話している。会話が空回りする。
そうめんの薬味のことでは気持ちが触れ合えても、肝心の彼の将来のことになると、届いたと思った指先が離れて行くのを感じる。

私「父さんとも話した方がいいから、また今度ね。母さん、土曜に内視鏡の検査受けて、その日のうちに結果はわかるから、夜に話そう」
息子「具合、悪い?」
私「そうね。心臓の手術以来、体調が安定しない」
息子「死ぬの?」
私「それはないと思うけど、もし死ぬんだったら、どうする?」
息子(さっき食べたクッキーのセロファンを集めてゴミ箱に捨てながら)「こういうことをするようになるかな」
私「いいね。でも、そこまでは心配いらないよ」
息子「ふーん。お大事に」
私「ありがとう。会社は今週いっぱいだけど、寂しくはないの?」
息子「全然!」
私「そうか。おやすみなさい」
息子「おやすみ」

お皿を片づけて寝たが、今夜の息子は穏やかだった。
いつもこうならいいのに。

17年8月15日

息子は今週いっぱいで会社を辞めるが、まだ次のバイトとかは決まってない。
しかし、朝、食卓の上にホスト求人誌を見つけてしまった。
大丈夫か。

起こしても起こしても、息子はちっとも起きない。
「疲れた」と言って結局昼まで寝ていた。会社どうするんだ。
もう辞めるから真面目に行かないのだろうか。
それは何だか情けない。
「大内は遅刻か」
「どうせ辞めるヤツだ。ほっとけ」とか言われてたらつまらないぞ。
「立つ鳥 あとを濁さず」という言葉を知らんのか。

そんなだらしない彼なのに、正午に市役所のスピーカーから「今日は終戦記念日です。正午から、黙祷をします。黙祷」との放送が聞えてきたら、シャワーを浴びてパンツいっちょうのかっこうなのに、リビングに出てきて頭を下げて黙祷していた。
私も一緒に手を組んで目を閉じる。
なんとなく心が触れ合うひとときだった。

そのあと、
「ちょっと疲れてたから。起きなくて、すまんかった」とつぶやいて、会社に行った。
あと4日だ。悔いなく勤めてくれ。

17年8月17日

息子の将来を考えると暗澹としてくるので、自分の過去の日記を読み返している。
彼が中学・高校生だった頃を読むと、昔から「お笑い芸人になりたい」「サラリーマンはつまらない」と言っていたことがわかる。

中学の卒業アルバムにクラスでのランキングが載っていた。
6個のランキング中、5個に息子が入っている。

「面白い人」第1位
「将来芸能人になりそうな人」第1位
「早く結婚しそうな人」第2位
「金持ちそうな人」第2位
「長生きしそうな人」第2位
ランクインしてないのは、「高校でモテそうな人」だけ。

カバンに友達が書いてくれた寄せ書きには、「吉本に行け!」「面白いヤツだった!」などの言葉が。
「立派な警察犬になって、人にかみつくなり投げ飛ばすなりしてください」というのは、警察で柔道を習っていた彼の志望がいっとき警察官だったからだろうな。
おおむね、「面白い人」だと思われていたんだ。けっこう人気者だったね。
「将来芸能人になりそうな人」
もしかしたらなるかもしれないなぁ。

思えば小さな頃からお笑いが好きだった。
中学校の時はドラマの「タイガー&ドラゴン」を見て落語家に憧れ、クラスで「まんじゅう怖い」を披露していた。
高校では文化祭の中夜祭に3年連続出場して漫才やコントをやった。
「高校生漫才」通称ハイマンにこっそり出場したこともある。
「部活にお笑いがないから柔道部に入ったけど、ずっとお笑いがやりたかった」と言って、大学に入るやいなやお笑い研に飛び込み、4年間さまざまなコンテストに出たりライブをやったり。
しまいにコントグループを立ち上げ、主宰としていまだにその活動を続けている。

私たちはそんな息子の活動を「趣味だ」と思い、「弁護士」「警察官」「教師になって柔道部の顧問」といった堅い志望ばかりを真に受け、応援してきたのだが、彼のやりたいことはずっとブレていないのかもしれない。
安定した裕福な生活を送ってもらいたいとは思うが、
「一流企業に入って出世しろ」
「人聞きのいい職業に就け」
と言って価値観を押しつけるような親にはなりたくない。
きれいごとを言うようだが、彼が選ぶ道を応援してやりたい。

ただ彼があまりに幼く、目標に向かって効率的に進んで行かないので、不安。
「夢を追いたいが、今の自分の力では届かない」と認めるなら、今から専門学校に2年ぐらい行ってもいいんじゃないか、とも思うし、経済的に自立できなくても、モラトリアムな自分を受け入れて親向けのプレゼンをちゃんとしてくれるなら、もうしばらく援助も有り得るかとも思う。
冷静に、客観的に考えているようには見えない。

しかし、大内くんは言う。
「僕は、25歳まで親元から大学に通っていた。将来のことも決められず、うわ言のような夢を語っていた。キミと結婚しようと思って初めて、家を出て就職しようと真剣に考えた。その僕に比べれば、頭でっかちな夢でもしっかり持っているという点では息子の方がえらいと思う」

それに、息子はあらゆる場所で「1年目」はふるわなかった。
小学校、学童さん、中学校、町道場、高校、柔道部、大学、そのすべてで、1年目は実力の伴わない「オレはやれる」という思いばかりが先行し、ぎくしゃくしていた。
しかし、着実に実力をつけ、だんだん自分の居場所を作り、最終学年では立派に結果を出してきた。
中学でも高校でも、彼の志望校を聞くと先生や親は「いったいどうやって入るんだ!」と言ってあきれたものだが、受験する頃になると無謀な夢ではなくなっていたし、事実、きっちり第一志望に受かってきたのだ。
問題は、社会人には「最終学年」や「受験」のようなわかりやすい目標がないということだろう。

人は歴史から学ぶ。
彼を誠実に見つめようと思うのなら、これまで彼の歩みを見守って記録してきた日記を活用し、彼が成し遂げて来たことを評価するべきなのかもしれない。

17年8月18日

今日は息子の仕事納め。
朝、きちんと1人で起きて出かけて行った。
真っ赤なTシャツに、彼の最後のやる気を見たような気がする。

夏休みの続きを取った大内くんと買い物に行く。
息子に何か記念の品を贈りたいと思ったので。
「ノートパソコンはどうだろう」と大内くんは言ったのだが、古くなったら買い換えてしまうものはつまらない。一生手元に置いておけるものがいいと思う。
相談の結果、腕時計にした。
ただ、息子は日頃、時計をしないんだよね。時間はケータイで見ているらしい。
「フリーになるこれからは、よりいっそう時間を意識して暮らしてもらいたい、ということで、どう?」と大内くん。

大きなヨドバシカメラの時計売り場に行ったら、いきなり2人とも目を吸いつけられたのがセイコーのソーラー電波時計。
3万5千円ほどでお値段が手ごろだし、デザインがシンプルでカッコいい。
いちおう売り場をぐるっと見たけど、それ以上気に入るものがなくて、10分で決まった。

金属バンドなんだが、息子の腕の太さがわからない。
店員さんに大内くんの腕にはめてもらって、「もうちょっと太いと思うので、パーツ2つはずしてください」とお願いする。
もし太すぎたらまた持って来て直してもらおう。

でも大内くん、どうしてわざわざ自分の腕時計はずしたの?
「そりゃ、息子の時計をはめてみるためだよ」
「あいてる右手にはめりゃいいじゃん」
「!!!」
細かいことを考えないところが、この人の魅力なんだろう。

ついでにケータイのプランを変更しに行って、2人とももう18年もauのケータイを使い続けていることを知って驚く。
古いプランでは料金を払い過ぎていて、新プランだと半額以下になることも驚き。
本人がいないと手続きができないので息子の分は変更してないが、今度、彼にもauに行ってもらおう。
そもそも、料金を自分で払うようにしてほしいものだ。

駅ビルのモロゾフでチーズケーキを買う。
明日の夜、息子と家族会議をするはずだし、会社を辞めた慰労のためにご馳走しよう。時計もその時渡そう。
大内くんは、プリンタで「InterConti」というカードを作って時計の箱に入れた。
息子が3年前にやったコントに、「300万円のインターコンチ」という架空の時計が出てくるものがあるのだ。
彼は覚えているかなぁ。
我々も、なんだかちまちまと芸が細かいもんだ。

せっかく吉祥寺に来たのだからタイ料理の店に行って久しぶりのパッ・タイを食べたかったんだけど、明日内視鏡検査を受ける私は朝から検査食を食べてるんだよね。
病院で買わされたレトルトのセットで、
朝:鶏と卵の雑炊
昼:スープカレー、おかゆごはん
夜:大根とじゃがいもの鶏そぼろあんかけ、おかゆごはん
という内容。
そうおいしいもんじゃないけど、検査とか入院とかいうとこういうもんでもガマンしようと思える。
技術進歩の跡は感じるし。

夜は下剤を飲んで寝て、明日の朝は2リットルの下剤を飲む予定。
体力いりそう。早く寝よう。
息子はコントグループの練習で遅いのか、送別会でもやってもらってるのかなぁ。
退社時間になったら黙々と荷物をまとめて誰にも気づかれずに帰ってしまい、
「大内?そう言えばあいつ、今日までだっけ?もういないのか。なんだか、使えない、暗いヤツだったなぁ」とか言われてたらどうしよう?

17年8月19日

内視鏡検査を受けるため、朝から2リットルの下剤を2時間かけて飲む。
吐き気止めの薬をまず飲んでいるのでなんとかなるけど、非常に気持ちが悪い。
1リットル飲んだ頃から「ひたすら水を通すだけの管」になるし。
前回は朝一番の検査だったが今回は昼の1時からなので、おなかがすいた。
隣で丼いっぱいのカルビクッパを食べている大内くんに殺意がわいた。

下剤を飲み終え、水を出しにトイレに通い、空腹に耐えてやっと検査の時間になり、大内くんの運転する車で病院へ。
患者さんが準備するブースが7つほども並んでいる。
問診を終え、「お尻が割れている不織布のパンツ」(サイズフリーでぶかぶか)に履き替えて狭い寝台に横たわると、腕に点滴。
ベッドごと検査スペースに移動し、頭がぼうっとする点滴を入れて、うとうとしているうちに上から下からの検査を。
大内くんは足元の方に控えていてくれた。
あとから聞いたら、彼の目の前にモニタがあって映像がよく見えたそうだ。

麻酔があまり効かずに苦しかった人の話なども聞くけど、私には良く効くようで、前回も今回もぽわーんとしているうちに終わった。
お尻からの検査の時にちょっとぐいぐい突っ込まれてる感があったけど、痛いとか不快とか言うほどではなく「押してるなぁ」って思っただけ。
多分、上から下からで30分もかかってない。

そのあと麻酔が醒めるまで元のブースで休む、これが長く感じた。
大内くんがおなかをさすりがらいろいろ話しかけてくれていたので退屈はしなかったが、「もう醒めたなぁ」と思ってからが長かった。
特に点滴の針を抜いてから血が止まるまでに時間がかかったのは、やはり血液が固まりにくくなる薬を飲んでいるせいかも。
そのせいで、万一ポリープが見つかっても当日の処置はできない、って言われてたんだよね。

しかし、診断を聞いたら、なんともなかった。
神経性の食道炎と、軽い痔。
ずっと心配していた大内くんはいたく喜んで、
「ボラギノール塗ってあげるね。前に僕が痔になった時はキミが塗ってくれたから」と浮かれている。
私は最悪の場合まで想像していたので、なんだか気が抜けた。

しかし、3年前は親切だったドクターが、とってもせかせかして感じ悪くなっていた。
いくらかかりつけ医に診断を送っておいてくれるからと言って、前はもっとていねいに説明してくれたのに。
クリニックを移し、検査専門にして流れ作業のように大勢を扱うようになったので、ゆとりがないんだろうか。
施術が苦しくないのは確かだが、これから先また来るかどうかはわかんないなぁ。

息子のケータイに、
「母さんは深刻な病気じゃなかった。心配させてごめん」と打ったとたん、今夜に予定されていた家族会議を、
「帰りは遅いし、疲れてるから、ムリ」と断ってきやがった。
約束じゃないか!
「退職記念のケーキ買ったから、お茶だけでもどう?」と下手に出たら、「ま、軽く」と返事。
それだけでもありがたくなっちゃう我々は、本当に奴隷体質だ。

家に帰って、昨日から検査食やら絶食やらで不満がたまっていた私は、大内くん作のスパゲッティ・ボンゴレ・ビアンコを山ほど食べた。
昨日、いいアサリが買えたのだ。
まだ明日の分もあるぞ。

夜中になって息子が帰ってきたので、ケーキを切って時計の贈呈式。
「何、これ?」と箱を開けた彼は、「おお、時計だ。スゴイ!カッコいい!」と喜んでくれた。
「インターコンチの時計、見つけたよ」と冗談を言う大内くんに、
「ん?ああ、そういうこと。なるほど。この札、作ったの?ヒマだな」と言いながら、「いくらなの?」と聞く。
「インターコンチの100分の1」
息子の作ったコントに出てくる時計は、300万円だったもんね。
「高っ!」というのが息子の反応。でも、普段腕時計しないのに、翌日出かける時にはめて行ってくれたので私たち大感動。

バイトをどうするのかとか、これからどんな生活になるのかとか、そういう話はしてくれない。
次の週末ぐらいに話をしてくれるそうだ。
気が変わらなければ、だろうし、例によって何にも考えてなくって話にならないかもしれないけどね。

17年8月20日

心配していたような深刻な病気が私になかったので、2人とも喜んで、なぜかニトリへ枕とシーツを買いに行く。
憂さ晴らしには買い物に限るんだけど、洋服や装飾品を買う趣味がない我々は何かと言うと消え物の食品や日用品を買いあさるのだ。
シーツとかは贅沢品にあたるが、たまには新しいものを買って古いのを捨てると豊かな気持ちになれる。
ニトリぐらいだとそう高級品は売ってないので、買いまくっても1万5千円ぐらいだし。

大内くんのダブルベッドと私のシングルベッド用におそろいの色のシーツ、それぞれのベッドパッド、超安い羽根枕を2つ、奮発して息子にも新しいシーツを買ってやる。
大内くんが我々のと同じ淡いグリーンのシーツを選ぶから、「ダメだよ。洗濯する時にまぎらわしいでしょ」と言って彼には紺色を買った。
家に帰ってベッドに掛けてみたら、濃い色のシーツというのはなんだかエロい、と意見が一致してしまったが、それはそれで若い男のベッドらしくていいのではないか。

枕は失敗。
安い羽根枕は、頭を乗せたら思いっきり沈んだ。
大内くんがピロケースに枕を2つ突っ込むとちょうどいい固さになったので、それを私が使うことにする。
数秒で入眠できる大内くんには枕なんてどうでもよくて、今まで使っていたパイプ枕で充分なんだって。

ここ20年ぐらい羽根枕を使っており、夜の間にぺしゃんこになったのを毎晩ぽんぽんとたたいてふくらませている。
羽根は、リカバリー力があるのだ。
「キミの就眠儀式」と面白そうに言う大内くんに、
「私が死んだら、柩に羽根枕を入れて、よくふくらませてね。最後の休息の枕なんだから、ていねいにね」と注文したらとてもいやがられた。
なんでも遺言しておくのは良い心がけというものではないか。

17年8月21日

息子が「『静かなるドン』、読みたい」と言う。
大内くんは、「ああ、ショーロホフだね」とつぶやいていたが、おかまいなしに私まで「読みたい」と言い出したので、面くらっていたようだ。
新田たつおなのに。
ショーロホフなんてうちでは誰も知らんぞ。
かつて全巻ドットコムで買って自炊したデータがあるので、息子のiPadに入れてやる。

翌日、昼の2時まで起きてこなかった彼が言うには、
「面白いんで、朝の6時まで読んでた」。
それで寝倒していたのか。

大内くんが作って行ったおにぎりも食べずに「カレー食いたい」と要求する彼は、平気で皿も私に洗わせる。
「ありがとう」と言うだけ昔よりマシだが、私はもう主婦を卒業したい。
少なくとも、彼の面倒をみる理由はもうないはずだ。
そう言ったらおそらく、「何もしてくれなくていい」と言うんだろうけど。
これも、週末の話し合いの案件だな。

今日はバイトが休みなんだそうで、そういうことは前もって言っておいてくれないと心配するじゃないか。
結局、昼過ぎに起きて夕方に出かけるまでまたマンガ読んでた。
これが噂に聞くニートというものか?
8月中の不定期なバイトが最後の細い命綱で、9月からの予定は何にも決まってないもんなぁ。

いや、そりゃ私も人のことは言えない日常だが、いちおうキミのお世話をする主婦だし、大内くんとの合意で彼の収入の半分をいただく権利を有しているんだ。
それに、もう子育てを終えた還暦間近の引退モード、有為な若者であるキミとは立場が違う。
30年近く、何らか社会に還元して来たんだよ。

とは言え、やっぱり女に生まれてダンナに養ってもらってるってのはいい身分だなぁ。
「男女雇用機会均等法」前年入社の私は、7年で会社を辞めてそれ以来お勤めをしていないので、本当のところ今の社会での女性の立場はよくわからないんだが、少なくとも自分はパートに出ることもなく家にいられて、本当に恵まれていると思っている。
主婦になってから翻訳の学校にも通わせてもらったし、若干の在宅仕事で学校代ぐらいは稼いでトントンにしたかもしれないけど、家事労働はほんの気持ち程度。
大内くんが横暴な男だったら、みじめな待遇に耐えなければならなかっただろう。

息子ももうちょっと人間関係に力を注いで、「職業:ヒモ、趣味:コント」で生きていくという選択はないだろうか。
少なくとも私は30年間大内くんに不平を言わせない話し上手の床上手なのである。えへん。

17年8月22日

私の58歳の誕生日。
夜中に、
「日付が変わったらおめでとうって言うよ」と言っていた大内くんは12時前に寝てしまった。
朝一番に、
「私に何か言うことないの?」と聞いたら、「おはよう」。
ギャグですか?!

息子は昼まで起きてこなくて、起こしながら、
「母さん、今日、誕生日なんだよ」と言ったら、「あ、おめでと」。
食事をかき込みながら、「あとで何か買ってくるよ」と言うだけマシか。

何人かの友達がFACEBOOKでお祝いを言ってくれたけど、まあ、地味な誕生日だ。
まだ何もプレゼントもらってないし。

とは言え、今年は手術もして大変な年だったので、内視鏡で深刻な病気がないことがわかっていただけでもありがたい。
検査を受けるまでは、
「がんだったとしても、ツラい抗がん剤や手術は受けないで、1年ほどの余命を穏やかに過ごそう」
「心臓に機械弁を入れてみて、身体に手を入れるのはもう御免だ。直腸がんが見つかっても人工肛門なんかつけずに死んでいこう」とか思っていた。
とりあえず健康なので、この状態を大事にしようとは思う。

思えば若い頃は自分が60歳近くまで生きるとは思ってなかったなぁ。
なぜか死がいつも身近で、せいぜい30歳ぐらいまでの人生しか想像できなかった。
今年手術をして、希薄だった身体感覚を取り戻してからは、自分の生をビビッドに感じることができるようになった気がする。
睡眠薬等を全部やめてみてもあんがい大丈夫だし。
頭がクリアになって、物忘れもなくなった。あれ全部、薬のせいだったのか。
大内くんは、
「出会った頃のアタマの冴えたキミが戻ってきた。言いくるめるのが難しい。軽々と論破されて苦しいけど、昔のキミにまた会えて嬉しい」と困ったり喜んだりしている。

今はまだ夏のせいもあって身体が本調子でないけど、涼しくなったら1人で街に出てみようかな。
会社に勤めていた頃みたいに、1人でレストランに入って食事をすることもできそうな気がする。
別に大内くんと一緒でもかまわないが。
そして、長生きをしよう。
息子のコドモの顔を見て、定年を迎えた大内くんと船の旅をして、老夫婦になって、大内くんに看取ってもらって天寿を全うしよう。
彼は長生きの家系なので、両親が70代で亡くなっている私が先に死ぬだろう。
ヘタをすると20年ぐらい1人で生きなければならない彼は、今からユウウツになっているようだ。
茶飲み友達でもみつくろっておくかね?
目ぼしい女友達にはみんな断られているのはなぜだろう?

17年8月23日

大内くんが泊まりの出張だからなるべく早く帰ってね、って息子に言っておいたのに、1時半頃まで帰らなかった。
昨日は突然外泊したから、食べると言ってたおにぎりが残っちゃったよ。
仕方ないから私が食べたよ。
夜食を食べたいとか言うし。
いいよ、私もおなかすいた。

そうめんをすすりながら少し話す。
私「週末に、話をしてくれる約束だよ」
息子「何の?」
私「9月からのバイトとか、生活とか」
息子「話すことないよ」
私「約束したじゃん」
息子「自分の考えを人に話す習慣はないし、その気もない」
私「一緒に暮らしてるんだから、少しは話してよ」
息子「自分の好きなことや生きる目的がないから、人にそういうことを求めるんじゃないの?」
私「あなたを育ててきて、あなたを気にする習慣がついてるんだよ」
息子「親に育ててもらったおかげ、って言いたいの?」
私「そんなつもりはないよ。あなたの視野には私たちが入ってないだろうけど、私たちの視野にはずっとあなたが入っていたんだよ。どう行動するつもりかは、教えてもらいたいよ」
息子「予定より早く家を出るよ。春のつもりだったけど、11月ぐらい」
私「お金さえ貯まればもっと早くてもいいけど、うるさく言われるのがイヤだから?」
息子「オヤジが家を出たのだって、自分の好きなように生きて行きたかったからだろ?」
私「会社員だった頃には、そんなに干渉しなかったつもりだけど」
息子「世間体が満足されてたからだろ?」
私「朝、ちゃんと起きて会社に行ってたし、自分のお金は自分で稼いでたからだよ」
息子「またそうするよ」
私「9月からのバイトは?」
息子「まだ考えてもいない」
私「朝、起こしても起きないじゃん」
息子「起こさなきゃいいだろ」
私「起きる1時間も2時間も前から目覚まし鳴らしっぱなしだよ。気になるよ」
息子「じゃあドアを閉めておく」
私「聞こえるし、声をかけたら『あと5分したら起こして』とか頼んでくるじゃん」
息子「もう、食い終った。ごちそうさま」
私「お皿ぐらい、洗う?」
息子「なんで?」(部屋に行ってしまう)

あああ、あいかわらず理屈が通じないなぁ。
話せば話すほど、彼が身勝手でコドモだ、と思えてくる。

彼は、困難な道を選んだことや演劇学校のオーディションに落ちた挫折感に勝手に打ちひしがれてふてくされているみたいに思える。
自立した気持ちでコントの道を目指しているように見えないから心配しているだけで、世間体や安定を求めて彼を責めているつもりはないのに、親を信頼してくれていないのだろうか。
「学校に行った方がいいのではないか」とこだわるのも、「なぜ学校に行く意味があるのか」と説明してくれて納得できた後、「なぜ行かないか」の説明がないから混乱しているだけなんだけど。

何を話していても、「じゃあ、家を出てもらうしかないね」という結論に流れ着く。
決して、言うことを聞かないからとか迷惑だからじゃなくて、「人と一緒に暮らすこと自体が好きじゃない」と言う人とはお互いに傷つかない距離を取って、オトナ同士の良い関係を保ちたいからのつもり。

大内くんが帰って来たら相談しよう。
夫婦の間は何でも話し合いで解決できるのに、親子関係は難しいなぁ。
選んで一緒に暮らしている夫婦と、生まれついて否応なしに関係がある親子との違いなのかな。
3人で暮らすルールを作り上げたかったけど、コントグループの仲間たちとのようには話し合ってくれないんだろうな。
たぶん、私にも甘えがあり、傷ついているのはこちらだけじゃないんだろう。

17年8月24日

めでたく出張から帰った大内くんと晩ごはんを食べながら、息子の話。
「ひどいね。ご苦労さん」とねぎらわれた。
そのうえで、大内くんの意見は、
「彼は、今、ウツなんだよ。やることなすことうまく行かなくて、落ち込んでる。親に当たることないし、もっと信頼して本当の意味で甘えてくれたらと思うけど、まだ思春期なんだね。僕からも言うべきことは言うけど、しばらくそっとしておこう」。
「生温かく見守る?」
「いい言葉だね。生温かく。そう、ほほえましい、とはとても言えないけど、まあ、かばう気持ちで」
難しいけど、努力しよう。

その晩、大内くんが寝てしまって、もう息子は帰ってこないのかなぁと思って玄関をウロウロしていたら帰ってきた。2時半。
汗を浮かべて玄関に立ってる私を見てびっくりしたようで、「どうしたの?!」と目を丸くしていた。
「帰らないのかと思って」と言ったら、「ごめんごめん」と言いながら、笑ってハグしてくれた。
「いろいろ算段してるから。心配しないで」と耳元で言われ、ぽうっとなってベッドに戻る。
大内くんが目を覚ましたので、
「帰ってきたよ。ハグされちゃった。機嫌がいいよ。『算段してるから、心配しないで』って言ってた」と言うと、
「国民保険と年金の手続きだけは早くやるように言っておこう。僕は明日最後の夏休みを取ったから、一緒に行ってもいいし」と言いながらリビングへ行った。

しばらくして戻ってきた大内くん。
「単発のバイトが残ってて明日も行くから、役所の手続きは火曜日に行くって。パソコンも買うって言ってたよ」
「機嫌、よかった?」
「まあ、普通だね。愛想よかったよ。酔ってるんじゃないの?」
「珍しいね。なーんだ、酔ってるのからハグしてくれたのか」
「ま、いいんじゃない。母親に心配かけてる、って自覚はあるよ」
そんなもんか。

私はなぁ、状況が変わってなくても謝られたり態度を軟化されると許しちゃうんだよなぁ。
30年ぐらい前に大内くんとつきあってた時も、もう別れよう!って何度も思ったのに、謝られたら許してた。
「キミは、決して話し合いを放棄しなかった。そのおかげで今日がある。息子もいつか、キミの辛抱強さに感心し、感謝するだろう」と大内くんは言う。
そうなるといいねぇ。
その日を夢みて、今日は寝よう。

17年8月25日

とても暑い。
大内くんが切れ切れにとった夏休みもこの3連休で終わりだ。
10時まで寝倒して、11時からバイトに行くと言っていた息子を起こすと、
「12時から行く。裁量労働」と言って、起きない。
友達に紹介してもらったバイトなので、大内くんは、
「フレックスってことだろうけど、当日になって申告するのは迷惑だ。彼はこうやってまわりの信用を失い、仲間も友達も失くして行くかも」と嘆いていた。

朝ごはんのスパゲッティを作って息子を起こし、お説教しながら食べるけど聞いてやしない。
食事中にビートたけしの「だから私は嫌われる」を読むのやめろ。
こないだは岡本太郎の「孤独を恐れるな」だった。
どうしてそういう人生ハウツーものみたいなんばっかり読むんだ!

「帰りにパソコン買う」と言っている彼を残して買い物に行き、野菜を山ほど買って帰って来たらいなくなってた。
勤労せよ。暑いが。

今日の大失敗、
ダスキンのフィルター交換のおにーさんが来たので、顔なじみなところを大内くんに見せようと、
「むーくんはもう夏休み終わりましたか?」と小学生の息子のことを聞いたら、
「昨日、宿題をやってました」とのことだったが、おにーさんが帰ってから思い出した。
そこんちの息子は「ようくん」だ。「むーくん」は別のおうちの息子。
知ったかぶりの敗北か。あう。

大内くんは、
「僕なんか、会社で毎日のように人の名前を間違えている。大声で、全然違う人の名前を言ってしまう。よくあることだ」と言うが、恥ずかしいよぉ。

さらに今日の小さな失敗。
ライングループで、関係ないメンバーもいるのに、わからない話題を流してしまった。
SNSは難しい。さめざめ。
「私ってバカだ!」と悶絶していたら、
「そんなこと、今までバレてなかったと思うの?みんな知ってるよ。僕だって知ってる。大丈夫」と慰められた。
「はあ?!」と怒ったら、立ち直れた。
大内くんの、深い愛情だなぁ。

お礼に、「オフパコ」と「オネショタ」という新しい言葉を教えてあげた。
両方、ほぼノーヒントで正解にたどり着いた大内くんはエラいが、私が昼間読んでるものの内容に大いに疑問を持ったようだった。
「インパール作戦」も教えてあげるから、カンベンして。

今夜は息子をつかまえて少し話をすると言って昼寝して備える大内くん。
まだ2日も休みがあるよ。嬉しいな。
「パソコン買うのはやめて、スマホにつないで使うキーボードにした。アマゾンでこれ買っておいて」と、息子が商品を知らせてきた。
「あいよ」と言ってポチッてから気がついたが、これだとうちの家計から出ちゃうじゃないか。あとで取り立てよう。
タイムセール中1499円の品物だから、いいんだけどね。

17年8月26日

夜中に息子と家族会議。
「9月からのバイトは決まったのか。会社を辞めてまで行きたかった演劇の学校はどうするのか。どうやってコント作家になるのか」というあたりを聞きたかったのだが、向こうは今のところ親と話す気にはなれないらしい。

「そんなにうるさく言われるなら、自分の身の回りのことは自分でやる。そのかわり、話はしたくない」と言われたので、大内くんが「それでいいよ」と言ったのだが、よく考えたら自分のことを自分でやるのは当たり前だから、朝までに撤回する旨のメッセージを打っておいた。
こんな超身勝手な人と一緒に暮らすことを考えると目まいがするけど、家を出てもらうまではしょうがないのかなぁ。

大内くんの3連休の中日。
ゆっくり起きて昼から病院。
こないだ別のクリニックで受けた内視鏡検査の結果が回って来ていて、心臓の薬以外に胃と痔(涙)の薬も出してもらう。
チューブの軟膏が1本かと思っていたのに驚いたことに1回ずつ使い切りの小さなチューブになっていて、しかも朝晩2回を30日分。
ものすごい量の薬袋を抱えて帰る羽目になった。
「わがものと 思えば軽し 傘の雪」とつぶやく。

昨日、近所の優秀な八百屋に買い出しに行ったんだけど、家に帰ってみたら買ったはずのタマネギとねぎとそうめんが見当たらない。
4つあったと思ったレジ袋が3つしかないし。

「車に忘れてきたのかな?」と思ったけどタワー式の駐車場を動かして入れてしまった車を見に行くのも面倒くさくて、今日また乗るまで放っておいたんだ。
で、車を出すついでに見たけど、ないじゃん!

とてもお客さんの多い人気の大型八百屋なので、
「今日の午前中も戦場のようなありさまだっただろうし、昨日の忘れ物なんか残ってるわけないよね」と言いながらそれでも見に行った。
もう夕方でお客さんは誰もいなかったので、レジのおばちゃんに、
「あのー、昨日、タマネギとねぎと・・・」と話しかけると、「あるわよ〜!」と言いながらレジ袋を出してくれた。
おばちゃん「あと、そうめんね!」
私「そうそう」
おばちゃん「『あの人たち、忘れて行ったね。取りに来ないね』って、待ってたのよ〜」
私「家に帰って気がついたので、今日になっちゃった」
おばちゃん「ねぎは、古くなるから、売り場に戻しちゃったのよ。今、店先から持って来るね。ん〜、2把だったけど、3把持ってって!」
私「ありがとう!」

大喜びしながら店を出ると、駐車場に車を停めた大内くんが近づいてくるので、レジ袋を差し上げて見せると、向こうもガッツポーズ。
「あったよ!ねぎも、おまけしてくれたよ!」とくわしく話したら、とっても喜んでいたよ。
「いい八百屋さんのそばに住んでて、本当に良かったね!」
うんうん、同感だ。

そのあと、少し離れたトヨタのお店に、こないだ頼んでおいたスペアキーを受け取りに行く。
店内に坐ってお待ちください、と言われたのでご成約でにぎわっているフロアの一角で待つ。
すぐにキーが来たので、「お飲み物はもらえなかったかぁ」と少しガッカリして店を出たら、フロントのおじさんが追っかけてきた。
「キャンペーン中なので、どうぞお持ち帰りください」
袋いっぱいの野菜だ。
喜んでお礼を言って車に乗り込む。
かぼちゃに、えんどうに、ゴーヤー!
「野菜長者になっちゃったね」と大内くんに言い、彼も「ドリンクがもらえるかと期待していたのでガッカリしかけたけど、今は嬉しい」のを確認して、八百屋での幸運に続いて2人して幸せをかみしめた。

まあそれはそれとして、最近ストレスが多いので、憂さ晴らしにカラオケ。
あの個室に入るのは何年ぶりだろう。2人で3時間歌いまくった。
大内くんが1曲入れる間に私は3曲。
アルフィーの「府中捕物控」を初めて見つけた。
「残酷な天使のテーゼ」「怪盗きらめきマン」「救急戦隊ゴーゴーファイブ」「Take Me Higher」「Brave Love, Tiga」「神話(ガメラ)」
17年前で時が止まっている。

喉カスカスになって出てきたら大内くんが言った。
「明日も来ようね」
超前向き。

17年8月27日

街へ買い物に出た。
こないだニトリで買った羽根枕がイマイチだったので、ロフトへ枕を見に行く。
1800円でわりといいのがあったよ。
ニトリのは680円だったからなぁ。
やっぱりある程度のお値段は払わないと。

ブックオフを冷やかしたあと、久しぶりのタイ料理屋に「パッ・タイ」食べに行く。
スープとミニ春巻きのついたランチセットを完食できた。
2カ月ぐらい前に来た時は、食べ切れなかった。
少し体力が回復してきたかな。

今日もカラオケ。2時間歌う。
昨日のDAMが演奏・画面ともあんまり気に入らなかったのでJOYSOUND。アルフィーがいっぱいあってナイス。
「普通の人はこういうのはあんまり歌わんだろうな」と思いながら、「祈り」「2人のSEASON」「恋愛論理」「ユーラシアン・ラプソディ」を。
高見沢さまの金切声はどうしても出ない。
喉がつぶれそうなのでポルノグラフィティに移行して、「今日はアニソンはお休みかな」と思っていたら、最後に「メリッサ」で「鋼の錬金術師」の画面を観られた。

大内くんは「ガッチャマン」「ダイターン3」などを歌って、77秒も間奏が続くアルフィーの「宇宙戦艦ヤマト2009」のあと「この愛を捧げて」で締めた。
2人とも、とても人様にはお聞かせできないような叫びや唸り声をあげる。
夫婦カラオケは恥を知らない。

家に帰ってから車でスーパーに買い出しに行く。
安い八百屋でさんざん買い占めていた1個100円のゼリーが入荷されなくなってしまったので、スーパーでは3個288円のものをたくさん買った。
食欲のわかない夏の間、大内くんはゼリーで命をつないできたのに。
一見したところスーパーの方が安いんだけど、プラスチックのカップの下部が下すぼみなんだよね。
八百屋のゼリーはふくらんだ丸型。
内容量は八百屋のゼリーの方が多い!
どっちもおいしいからいいんだけど。

飲み物とアイスをいろいろ買ってしまうのも夏の買い物だ。
普段は麦茶しか入っていないうちの冷蔵庫だが、コーヒー牛乳とか飲むヨーグルトとかミルクティーとか、とにかく棚を見ていると喉が渇いてつい買ってしまう。
「スーパーに買い物に行く時はおなかいっぱいで行かないと、余分なものを買ってしまう」とよく言われるが、飲み物に関しても注意した方がいいかもしれない。特に夏場は。

今日買った羽根枕はやはりいいカンジ。私のベッドで使おう。
こないだのやつも、大内くんが2つまとめてピロケースに突っ込んでくれたら使える高さになったので、大内くんのベッドに置いて私のビジター用。
枕を持ってベッドを移動するのが面倒くさかったので、とってもありがたい。

大内くんが寝ている布団に入ると、眠ったままもぞもぞと布団から腕を出して腕枕をしてくれる。
嬉しいが、誰が横に入って来ても無意識にやるんじゃないだろうか。
「布団に入って来るのはキミしかいないと思ってやってるんだよ!」と言うので、今度、会社の友達のHさんが酔っ払ったら大内くんの布団に入れてみようか。
2人を一生ゆすれるいい写真が撮れたらどうしよう。
とりあえず、社内でいくらで売れるか、Hさんの奥さんと相談するか。

17年8月28日

昨日、8時までに晩ごはんを食べ終われなかったので、「政次亡き後の直虎」は追っかけ再生で観ようね、と張り切っていたら、大内くんのお母さんから電話。
老人ホーム問題が再燃しているらしい。
お母さんとの話が終わったと思ったら妹さんから続けてかかって来て、結局寝る時間になった。
「気賀がどうなったか、気になって仕方ない」と憮然とした面持ちでベッドに入った大内くんだった。

「今日こそ気賀の様子を見るよ」と言って帰ってきたけど、またお母さんに電話しなきゃいけないので観る時間なし。
気の毒。

横で聞いてるだけだが、今の老人はお金持ちだなぁ。
どこでも望む老人ホームに入れるだけの資産と月々の生活費を持っているようだ。
年金の額など聞くと「ひょえ〜」と目まいがする。
もちろんそういう恵まれた人ばかりでもないんだろうが、亡くなった私の両親も最後までお金には不自由しなかったようだし、今、親がホームを検討していると言っていた名古屋の友人のところもそれなりの収入があるみたいだ。
一介のOLだった私でさえマンションの頭金を貯めることができたバブルの時期に、手堅く運用してきたということなのだろうか。

ちなみに私は、新卒から7年しか勤務経験がないし、1人暮らしだったのでそれほど裕福ではなかったが、とにかくお給料もボーナスも手当たり次第に通帳に放り込んで、まとまった額になると「一時払い養老保険」とか「郵便局の定額貯金」とかに移していた。
利率が8.88パーセントで、10年たつと100万が200万になって返ってくるという夢のような時代。
「10年間貯めさえしたら、元本を戻してエンドレスに増える!」と有頂天になったものだ。
もちろんバブルがはじけてそんないい時代は終わってしまったが、それでも結婚退職したあと何年間も、増えた貯金が戻って来た。

幸い大内くんもつつましい性格の人だったから、我々の家庭は順調に貯金をし、頭金を貯めて、今のマンションを買うことができた。
入社以来ずっと社宅のお世話になったのもよかったのだろう。
OL時代から「趣味は財形貯蓄」と言い放っていた私にとって、毎月大内くんのお給料がいただけて何がしかの貯金が増えて行く時代は楽しかったなぁ。
マンションのローンを払うようになって、月々の残高が減り、理屈はわかってるんだけどちょっと落ち込んだりもしたよ。

さてさて、早々に会社を辞めて次のバイトも探していない息子の経済生活はどうなるのだろう。
見ているとストレスがたまるので、早く家を出てほしいなぁ。
敷金礼金も稼がない状態で居すわられても困る。
彼にとっても、健やかな精神生活は経済的自立を抜きには語れないと思うのだが・・・

17年8月29日

会社を辞めた息子は、様々な手続きをしなければならない。
年金、健康保険、銀行の振込、諸々。
前夜に、大内くんがファイルに必要な書類を詰め込んで渡そうと思っていたようだが、息子が帰ってこないのでメッセンジャーに細かく指示を書き込んで送っていた。
「嘱託のファイルを持って行って」と打って、「あっ、変換を間違えた。食卓なのに!」と騒いでいたが、送ってしまったメッセージは直せない。

大内くんが出勤してから、例によって昼過ぎても起きない息子を、
「銀行は3時までだよ。その前に役所に行かないといけないよ!」と一生懸命起こす。
やっと起きて、ファイルを持って出かけてくれた時は心底ホッとしたよ。

会社から帰ってきた大内くんは、手続きに出かけてくれたと知ってこれまたホッとしていた。
「健康保険が一番心配だよね。今、熱が出て病院に行かなきゃいけなくなっても、保険証もないんだから。そういう事務手続きをしてくれるだけでも、会社に雇われているっていうのはありがたいんだけどなぁ。フリーでやって行く厳しさが、彼にはわかってないんじゃないだろうか」
私もそう思うけど、親に似ず、地道な生活がキライなんだったら仕方ないね。

六星占星術上、大内くんと私は「金星人のマイナス」で、「人が好きな、寂しがり屋」なのでこの上なく相性がいい。ちなみに唯生もまったく同じ星回り。
家族の中で息子だけが「土星人のマイナス」で、「孤独を好む秘密主義者」。
これは、私の父と同じだ。
DNAと星回りで偏屈な祖父に似ることになった彼は、両親である暑苦しい性格の我々とはどうにも肌が合わない。

こっちは自分の子供だと思ってるからカワイイが、向こうからしたら親というだけで自分の行動にうるさく口をはさむうっとおしい存在だし、若い人は往々にして年長者の意見を嫌う。
かくして、現在我が家はとっても暗雲垂れこめているのだ。

その晩、息子は突然の外泊だった。
銀行通帳も年金手帳も印鑑も持ったまま帰ってこない彼に、
「せめてファイルだけでも家に戻してもらいたい・・・無事に返って来るんだろうか」と心配する我々。
オトナになると、印鑑や通帳をなくした時の煩雑な手続きを考えただけで目まいがするものなのだ。
翌日、息子とともにファイルが無事に戻った時は、またしても2人してホッとしましたよ。
緊張と緩和の繰り返し。
メンタルに、いい運動になって若返るかもしれない、と半ばヤケクソに考える私。

17年8月30日

美容院に行った。
4月に手術を受けて以来、4カ月ぶりに髪を切ったのだ。
さらに驚くことに、お店で聞いたら私が最後に美容院で切ってもらったのは去年の10月。
その間は大内くんにバリカンで切ってもらってたわけだ。
5センチとか6センチに設定できる替え刃もあるし、「すき刈り」もできるから。

手術前に「サロン・ド・大内」で可能な限り短くもらって、そのあと伸ばしっ放し。
前髪だけはうっとおしいので少し切ってもらった。
大内くんはずっと短くしていた私のヘアスタイルが気に入らなかったようで、伸びてきたのを見て喜んでいた。
「週末に大学の同窓会があるから、さすがにこの頭では気が引ける。美容院に行く」と言ったら、
「あんまり短くしないでね。これから伸ばしてね」と頼んできた。
「どういう髪型がいいの?」と聞いたら、
「キミが25歳の頃の写真みたいなの」。
長めの段カットですね。あれがキレイなのは、髪型が似合ってるんじゃなくて、若くてぴちぴちしていたからですよ。

年に1回ぐらいしか行かないお客さんではあるものの、私にも「担当の美容師さん」がいる。
しかし、今回その人は「産休」に入っていた。
代わりに切ってくれた店長さんは、
「もうちょっとマメに来てくださいね!」と言っていたよ。当然か。

「今、伸ばしてるんで、裾の方だけ切ってください。ゆくゆくはボブみたいなかっこうにしようかと」とテキトーなこと言ったら、
「イメージが変わって、いいかもしれませんね」と言いながら形を整えてくれて、それだけなのに膨大に出る髪の山。
どうしてこんなに髪が多いんだろう。

高校生の頃から、伸ばして三つ編みにすればぶっとい束が横に突き出て「しめ縄」と呼ばれ、OL時代に後ろの編み込みが流行れば「伊勢エビ乗っけてるみたい」と言われ、おばさんになって刈り上げのベリーショートに落ち着こうかと思ったらダンナが夢みがち。
タメイキが出る。

美容院に出かけるのはキライ、椅子に座っているのもキライ、髪型にもキレイになることにも興味ナシ、シャンプーされれば気を使ってくつろげず、1回5千円以上かかるカット代には目玉が飛び出る。
そんな私が、美容院に通いたいわけがないじゃないか!

大内くんも髪が多くてヘアスタイルがキマらず、床屋に行くのは面倒くさいんだそうで、よく2人して、
「髪なんか、伸びなきゃいいのにね・・・」と嘆き合っている。
いっそ一緒に仏門に入りたいぐらいだ。
せめて大内くん、私の髪型に萌えを求めないでくれ。

くたくたになって昼過ぎに美容院から戻り、やっと起き出して「メシ」と言って目の前でガツガツと食べている息子に、
「母さん、久しぶりに美容院に行ったの。カワイイ?」と言うと、ちらっと目を上げて、
「ん。いいんじゃない?」とにっこり。
うーん、それだけで何やら満たされるじゃないか。
別に息子が永遠の恋人だとは思わないし、そういうことなら大内くんの方が好きなんだが、息子の意見というのも捨てがたいね。

17年8月31日

めったに外出しない私の、最近の出来事。
1日中ベッドに横たわってタブレットでマンガを読みながら時々FACEBOOKとツイッターをのぞくと、ネット界隈のニュースがいろいろと入ってくる。
特に最近はツイッターが軌道に乗ってきたので、面白い話をいっぱい仕入れて大内くんの帰りを待ちわびているわけで。

魔夜峰央の娘がマンガ家デビュー。
ウェブマガジンで「魔夜の娘はお腐り申しあげて」という連載を始めた。
ついでに田中圭一が「ペンと箸」で描いた魔夜家の話がネットに上がっていたので、そっちも読む。
父娘でよく似た筆致だし、描く内容もどことなく上品なのは家庭環境か。
魔夜峰央は妻に一目惚れして口説いて結婚したらしく、今でも「愛してる」と妻に言うらしい。素晴らしい。
そういう両親を見て育った子供は情緒が安定しそうな気がするが、魔夜峰央の娘は腐女子になり、うちの息子は芸人になりたいと言う。
(私も最近「腐女子」になりたくなってきた。いや、この歳なら「貴腐人」か)

朝の7時半にツイッターを見ていたら、「けものフレンズ」の最終回なのに、北朝鮮のミサイルが日本上空を飛んで行ったらしい。
各局そのニュースでもちきり、特番に切り替わる中で「けもフレ」の放映を敢行したテレビ東京の名声はいやがおうにもうなぎ登り。
おまけにいわゆる「L字」、画面外のニューステロップで外相が海上の安全を呼びかける中、サーバルちゃんたちが世界を救おうと船出する格好になったのだそうだ。
私も「けもフレ」観てみようかなぁ。

FACEBOOKで知人が「けもフレ」の話題を書いていたので、
「現物を見たことのない私にとって、サーバルちゃんは巨乳。ツイッター恐るべし」とコメントしたら、サーバルちゃんの画像を出してきて、「それほど巨乳だとは思わないが」と言うので、
「載せるのがはばかられるようなイラストがツイッター上に蔓延しています。あれでは子供に見せたくないと言う親が続出します」と書いたら、泣き顔の絵文字が浮かんだ。

これはリアルの話。
珍しく美容院に行くために外出したので、帰りに駅前の八百屋に寄る。
家の近所の八百屋で大内くんの大好きなゼリーを入荷しなくなったけど、駅前の支店なら置いてるかも、と思ったので。
ところが、細い路地を自転車でいくら走り回っても見つからない。道に迷ってしまった。
探し疲れて、通りかかった親切そうなおばさんに、
「このへんに○○青果って八百屋さん、ありませんでしたっけ?」と聞いたら、
「ああ、あったけど、つぶれたのよ」とあっさり。
いくら探しても見つからないわけだ!
20年以上あったお店なのに。
家の近くの本店が健在で、よかった。

こちらもリアルの出来事。
単発のバイトが今日で終わる息子を「最後だからきちんと行きなさい!」と起こすも、やはり1時まで起きない。
いったい何時からのバイトなのか?
「起こさなくてもいい。気にしないで」と寝続ける彼だが、気にしないなんて、ムリ!
大内くんが自分のお弁当用に作ったおにぎりを忘れて行ったので、「あとで食べて」と息子のリュックに押し込んでおく。
「全身の写真、撮って。あと、上半身も」とスマホを渡されたのは、どうやら何かのオーディションを受けるつもりらしい。
結局来月からのバイトは決まってないので、
「会社を辞める時に、9月からもバイトをする、だらしない生活はしない、って言ったじゃん、忘れた?」と聞いたら、
「言ったかもだけど、知らねー」と一蹴された。

近所の本屋さんにテレビガイドを買いに行ったら、店主のおばさんに、
「大河ドラマなんか、観る?」と聞かれたので、
「観ますよ。先週の『直虎』は泣けましたね」と答えたら、嬉しそうに顔を輝かせて、
「そうなの!泣いたわ!今、これ読んでるの」と言い、高殿円の「主君 井伊の赤鬼・直政伝」を見せてくれた。
「ネットでもすごい評判ですね」
「ああ、ロスに、みんな陥ってるってね」
「うちも、夫ともども政次ロスですよ」と会話し、
「今週も鬼気迫ってましたね。来週も観ましょう!」と約束して別れた。
地元のお店との、良い交流であった。和んだ。

こういう話を、大内くんが帰ってくるとお風呂に入りながら次々と浴びせるわけです。
喜んで聞いてもらえるけど、大内くん、仮にも1日外に出て働いて電車で通勤して、面白い話のひとつもないってのは本当ですか?!

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