17年9月1日
昔は今日で夏休みが終わり、始業式だった。
学校が始まるこの日に、自殺する若い命が多いのだそうだ。
8月の終わりに上野動物園がこんなメッセージを出したという。
「学校に行きたくないと思い悩んでいるみなさんへ
アメリカバクは敵から逃げる時は、一目散に水の中へ飛び込みます
逃げる時に誰かの許可はいりません。わき目も振らず逃げて下さい
もし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい。人間社会なんぞに縛られないたくさんの生物があなたをまっていますから」
同様のメッセージを、ある図書館や教会も子供たちに向けて発したそうだ。
何かと自分に事寄せて考えてしまい、息子も、逃げたいのだろうか、と思う。
いったんは社会に出たものの、何かに疲れてしまったのだろうかと。
もうじき24歳になるとは言うものの、社会年齢よりも幼い彼は、まだオトナになれないのだろうかと。
長い人生で、迷い、逃げ、実を結ばない時期があってもいいのではないだろうかと。
「いったいどうしたの」
「しっかりしなさい」
と言っている限り、言葉が通じないかもしれない。
休みたいだけ休んだら、元気が出るのかもしれない。
一本道を着実に歩いてきた人間には、挫折しそうな人間の気持ちはわからないのかもしれない。
毎日、迷っている。
何と言葉をかけたものかと。
1日に10時間ぐらいも眠る息子は、とても疲れているようだ。
「親がいると思っていてはダメだ。『みなしご』のような気持ちにならないと」と言われ、
「親の家に住んで、親の作ったごはんを食べながら、そう言うの?オートキャンプ場でレトルト食品を食べながら『自然に還れ』と言ってるようだねぇ」と思ってしまう私は、冷たいのだろうか。
もがいている彼に、
「だから、お金を稼いで家を出ればいいじゃない」と思っているのは、突き放した考えだろうか。
必死になっているように見えないという理由だけで、悩んでいない、いい身分だ、と決めつけていいのだろうか。
答えの出ないことを考え続けるのに疲れてしまった。
理性で割り切れる生活をしたい。
すっきりした解答を得たい。
生きることに答えはないのかもしれないが。
17年9月2日
ICUの35周年同窓会があった。
大内くんと一緒に出かける。
家から車で15分ぐらいだ。
大内くんが運転してくれたが、帰りは私が運転するから大内くんは飲んだらよかろう。
「あいかわらず広いねぇ」と感心する大内くんとキャンパスを横切って食堂に入ると、すでに数人の同窓生がいた。
顔見知りと挨拶や会話を交わすうちに、寮で一緒だった友人たちとか、ルームメイトだった後輩のダンナさんが現れる。
「今日、妻は来られなかったんですよ」というダンナさんに、
「またルーム・リユニオンをやりたいから、彼女によろしく言って」とお願いし、寮仲間のところに戻る。
大内くんは非常におとなしく、話しかけられれば愛想よく話すし、1人になると、所在無げでもなくにこにこと立っているよ。
いいダンナさんだなぁ。
だんだん人が集まって来るけど、とにかく規模が小さいのだ。100人ぐらいと言っていただろうか。
それでも450人の4月生と数10人のセプテンバーと呼ばれる9月生の中から集まっているんだから、よく来たもんだとも思う。
海外から来た人も3人いたようだ。
私の4年生の時のルームメイトも今、タイにいるんだが、今日、来ると言っていたのに来られなくなったようで、寮生たちはみんながっかりしていた。
乾杯をしたあとはご歓談。
おなかがすいていた大内くんと私は料理に突進して、かなりわき目も振らず食べていた。
ここの食堂の料理はおいしいんだ。
ソニーで一緒だった男の子が2人来ていたし、寮の仲間もいたし、あとは私が覚えていないけど向こうは覚えていてくれたセクションメイトに声をかけられた。
授業で一緒だったことがある、と話しかけられた時は、
「え?私、授業なんか出てたんだろうか」と心底あせった。
ひとクラスの人数が極端に少ないので、知り合いが多いのだ。
それを言ったら4年間真面目に通った人たちは500人足らずの同期のほとんどと顔見知りの、狭いムラ社会なんだし。
私は在学中から大内くんの大学のまんがくらぶに入り、足しげく出入りしていたので、自分の大学にはあまりいなかったんだよね。
同窓会事務局からの発表によると、当時「47:53」ぐらいだった男女比は、現在「34:66」になっているらしい。
ほぼ「1:2」だ。
しかも普通は女子の方が真面目に授業に出るので、キャンパスはほとんど女子大のようだろうなぁ。
食べるものを食べたので寮の仲間たちと社交をした。
ラインのやり取りをしていたため、メインの話題は私の心臓の手術のことだった。みんな驚いていたみたい。
「前から悪かったの?」
「今はもういいの?」などととても心配してもらった。
日頃、大内くん以外の人と話をしないので、他人と会話し、そのうえ熱烈に心配されてとってもありがたかった。
残念ながら今後は良くなっていく一方だろうから、今のうちに病人気分を味わっておこう。
最近ずっとうつうつとしていた息子の現状も、友人たちに語ってしまうと何だか何ほどのこともなく、いろんなご家庭がある中の、ひとつの悩みにすぎない気がする。
こういう普遍化と言うか一般化ができるので、人づき合いは大事なんだなぁ。
先輩母さんが多く、「コドモはみんな、なんとかなるものよ!」と言われると、気が楽になるよ。
ひとしきり食べてしゃべったあとは抽選会。
有志が、会社とかから商品を提供してくれる。
一番の大物はルンバだった。あと、空気清浄器。
うちにもルンバはあるけど、「もう古くなってきたから」と大内くんが欲しそうにしていた。でも外れた。
寮の友達が空気清浄器を当てていた。
他の仲間にもケータイの充電池とか当たった。
うちは2人分の抽選番号を持っていたのに、最後にクッキーやワインになっても当たんなかったぞ。
1年生の時に英語の授業を受けるために「セクション」と呼ばれる20人ぐらいのクラスに分かれた、そのセクションごとに記念写真を撮った。
私は「セクションI」。男女合わせて7人いたかな。
よく覚えてる人は1人しかいなかったけど、「変わった人いたよね」「いたいた」とか思い出話で盛り上がった。
時々大内くんのところに戻りながらいろんな人と話をして、2時間半の会は終わった。
「バカ山」と呼ばれるキャンパスのゆるい丘に100人が集まって、集合写真を撮った。(大内くんも混ぜてもらっちゃった)
二次会に行く人が多いようだが、疲れたので我々は帰ることにした。
寮の友達が1人、帰ると言うので、近場の駅まで車で送りながらいろいろ話をした。
大学で英語とフランス語を教えている彼女は、大内くんとよくおしゃべりをしてくれて嬉しかった。
駅で落とすと、「またね!」と手を振ってくれたよ。
古い仲間はいいもんだね。
大内くんも楽しかったと言っていたが、まあ少し疲れたね。
スーパーに寄って買い物して、もう晩ごはんはあんまり食べられないや。
買い込んだゼリーでも食べてよう。
私の青春はほぼ大内くんの大学に置いてきてしまったようなものだが、ICUのキャンパスにもやはりしっかりと思い出はあったと感じる1日だった。
私が知っていて、私を知っている人々。何やらしんみりする。歳かなぁ。
17年9月3日
火曜から金曜まで、大内くんが3泊4日の研修に行く。帰ってこない。さめざめ。
最近とみに機嫌が悪く、昼はずっと寝ていて夕方に起き出し、出かけるとひと晩帰って来なかったりする生活の乱れた息子と顔をつき合せているのもイヤだなぁ、と思っていて、いいことを考えついた。
私も近場に泊まりに出かけるのだ。
大内くんにそう言ったら、
「いいね!新宿にでも泊まったら?」と言ってくれたので、さっそく新宿のホテルを3泊押さえた。
大内くんは毎日夜遅くまで研修なので、遊んでくれる人を募集する。
まんがくらぶの仲のいい友人男女がお蕎麦屋さんで飲んでくれると言うので、待ち合わせの約束。
女性の方はついでに翌日に「ゲイバー」に行ってみたいと言うので、私の高校の友人でモノホンのゲイである男性に、お店を紹介してくれるように頼んでみた。
「ゲイとノンケでは料金が違うんですけどね」と言うので、
「どっちが高いの?」と聞いたら、少しあきれたように、
「そりゃあ、ノンケですよ」と言われた。
ノンケ割引があるのかと思ったんだよ。
大内くんも家を空けるので、いつも出張に使うスーツケースを持って行くと言う。
私は旅行バッグを使おうかと思っていたんだが、
「いい機会だから、キミもスーツケースを買ったら?コロコロがついてると、楽だよ〜」と言われ、これから旅行に行くこともあるかと思い、買うことにした。
吉祥寺のロフトに行くついでに、前に「井之頭五郎」が行ったお店に昼ごはんを食べに行く。
私は「スパゲッティ・ナポリタンとハンバーグのわくわくセット」。
大内くんは「ポークジンジャーカレーの大盛り」。
なんつーか、安っぽい喫茶店のような店で、メニューが郷愁的においしいのである。
「ふう、食べすぎた」と五郎くんのようにおなかをなでながらロフトへ。
大内くんは、自分が使ってるような「フロントオープン」が断然便利だと言う。
本体を開けなくてもノートパソコンやタブレットが取り出せるんだそうだが、意外とそういうタイプは店頭に少ししかない。
仕方ないから大内くんのと色違いのお揃いにしようかと思ったけど、色が紺しかなくて、イマイチ気に入らない。
「あなたのえんじ色を私に使わせてよ。あなたは紺でいいじゃない」と言ったら、えんじ色を愛している彼は少し抵抗したが、結局折れてくれた。
ところが、買う寸前になって、となりのもうちょっと明るいブルーのやつが、2人とも猛烈に気に入ってしまった。
お値段がかなり跳ね上がるけど、気に入ったものが一番なので、そっちを買う。
これなら私が使ってもいいな。
「いいものが買えたね」と大喜びで転がしてバスで帰る途中、大内くんはしみじみと、
「キミと買い物に行くと、必ずいいものが買える。2人の好みが同じだし、感謝の気持ちがあるから、買い物が楽しい。僕は本当にキミと結婚してよかった」と言っていた。
実は私もそう思うんだ。
いろいろ困難なことはあるけど、そんなの大したことないって思わせてくれる大内くんとの生活があるから、明日も前向きに生きて行けるよ。
「おひとりさま」のプチ旅行を楽しみに、旅のしたくをしよう。
17年9月4日
タブレットでネットサーフィンをし、とりあえず明日新宿でどう過ごすかを考えた。
ホテルの近くにTOHOシネマズがあるので、「スパイダーマン:ホームカミング」を観ることにして、席を予約する。
チェックイン前にホテルに荷物を預けて、1時からの回を観よう。
それが終わったら、肩こりがひどいのでマッサージを受けに行く。
台湾マッサージの店を、こちらも予約。
電話の向こうの男性の日本語が怪しかったので少し心配だが、「女性でも大丈夫ですか?」と聞いたら「ダイジョブです」と言っていたから、あとはまあ、店構えを見て考えよう。
何しろ歌舞伎町だからなぁ・・・
夜はおひとりさまでイタリアンを食べに行こう。
飲めないし、そんなに食べられないから、面白くはないけどね。
昨日、眠れないから冷蔵庫にあった梅酒の小さい缶を2つ飲んだら、ものすごく酔っ払って、結局苦しくて眠れなくなった。朝になっても頭が痛かったし。
ホテルの部屋で1人で飲もうかと思っていたけど、麦茶にしておいた方がよさそう。
アマゾンから今日届いた宮部みゆきの新刊上下を自炊して、iPadに入れよう。
長いこと起きてるとやっぱり疲れるから、プチ旅行とは言え、メインはホテルの部屋でごろごろと本を読む予定なんだ。
少し怖いミステリらしいので、心配だなぁ。
息子に、
「父さんが研修で泊まりの間、母さん、家にいても仕方ないから新宿に泊まりに行ってみる」と言ったら、
「1人で大丈夫なの?」とびっくりしたようだが、出かけること自体は賛成らしい。
違った環境で会えばちょっとはマシかと映画に誘ってみたけど、
「忙しい。オレにもオレの生活がある」と振られてしまった。
もっとも、
「新宿でN口さんと飲むよ」と友人の名前を出したら、彼のことが大好きな息子はちょっと心を動かされたらしく、
「いつ?」と聞いてきたが、「水曜」と答えたら、
「その日は用事がある」とやっぱり威張って断られた。
息子とデートは難しい。
17年9月5日
今日から3泊4日、大内くんが会社の代々木の研修所に泊まりなので、私も新宿のアパホテルに3泊宿を取った。
公演を控えて生活と気分が荒れて行くばかりの息子と顔をつき合せているのもイヤだし、大内くんの近くにいたいのだ。
4月に心臓の手術をしてからずっと寝たきりだったので多少くさくさしてもいて、この機会に羽を伸ばしてみたい。
30年近く引きこもりだったのにうまく遊べるかどうかわからないけどね。
朝、大内くんを見送って、荷造りをする。
買ったばかりのコロコロつきトランクに着替えやタブレットを詰めて。
重くなってもいいや、と手当たり次第に詰め込んだので、フタが閉まりにくい。
1時からの映画を予約してあるから、その前にホテルに行って荷物を預け、ランチを食べたい。
家の中をしばらくうろうろしていたけど10時ごろに決心して出かけることにした。
今朝も明け方まで起きていてベッドの中でうんうんと寝返りをうっている息子に「行ってきます」を言って、コロコロと歩き出す。
旅の始まりだ!スゴイ解放感!
バスに乗って電車に乗って新宿へ。
あさってランチを食べる予定の友人にメッセージを入れておこうと思ったら、今日は近郊出張の彼女は停電のために電車が止まってピンチらしい。
大変!
中央線は動いていたけど、新宿駅が近くなると確かに各線が止まったり遅延したりしてるようだ。
影響なくて、よかった〜!
しかし、新宿駅の東口で、私はトランクを転がしたまま完全に途方に暮れる。
どこにいるのか、ホテルはどっちなのか、どこに向かって歩き出せばいいか全然わからないのだ。
ちょうど、タクシー乗り場の正面にいる。
大内くんから、「困ったらタクシーを使いなさい」と言われていたのを思い出し、どうせ大した距離じゃないだろうからと、タクシーに乗り込む。
もちろんアパホテルの場所はすぐにわかったものらしく、運転手さんは車を出してくれた。
「歌舞伎町タワーね。アパホテルは、あちこちにあるんですよ!」
はいはい、そうらしいですね。
600円ぐらいで着いた。
中国人旅行者にしては日本語うまいでしょ、ワタシ、とか言いたくなった。
ホテルにトランクを預け、ネットで探しておいたレストランの場所を聞くと、フロントマンがタブレットを操って道を教えてくれた。
さほど迷わず行けて、まだすいている歌舞伎町「QUINTO」のカウンタに坐ってランチセットの「ツナとヤングコーンのパスタ」を注文する。
サラダとパンがついてくる。食後のアイスコーヒーも。
パスタはおいしかった。
口コミではスペアリブが評判らしいけど、食べにくくて油っこいのだそうで、私はパス。
iPad miniで東野圭吾の短篇集を読みながら食べ終わった。
そのあとは、ホテル近くのTOHOシネマズで「スパイダーマン:ホームカミング」を観る。
おなかはいっぱいだからポップコーンはやめて、カルピスの大きいサイズを飲みながら。
1人で映画館に来るなんて、いったい何年ぶりだろう。多分、30年ぶりぐらい?
いつも大内くんと手を握り合って観てたけど、自分で自分の腕を抱いて観る映画も新鮮だなぁ。
映画の選択も良かったんだろうな。素晴らしい青春映画だった。
興奮して映画館を出て、やっとホテルにチェックイン。
前払いの料金を入金機で払って、夜に来る大内くんの分もカードキーをもらって、ダブルの部屋に。
ふえー、狭いけど、よくできてるねー。
さっそくWi-FiをつないでiPadを生かして、これからの予定をサーフィン。
うんうん、4時からマッサージね。
最初は適当に台湾マッサージのお店に電話かけて、「女性1人でも大丈夫ですか?」って聞いたら、「はい、ダイジョブ。女のヒト、きます」と言われたのでいいかと思ってたんだけど、やっぱり大内くんからクレームがついた。
「もっと安心できるところにして。1人だと、何かあっても助けも呼べないし、荷物を見てるのも大変でしょ」
「行方不明になって何年もしてから海外で『ダルマ人間』になって発見されても困るしね」
「うわっ、怖いこと言わないで!」
というやり取りがあったので、いかにも日本人がやっている、スタッフの大勢いるサロンにしたよ。
「あしカラダ 新宿東口店」
行ってみたら、歌舞伎町表通りのビルの6階にあるそのサロンは、薄暗くて落ち着く静かなとこだった。
男性マッサージ師が90分もんでくれる。
やはり私は肩こりなのか、「堅いですねぇ」と少し困ったような声だったけど。
淡々と終わって、気持ちよかったから滞在中にまた来ようかな。
ホテルに戻ってしばらくごろごろと休みながら、今夜の食事を算段する。
近所のイタリアン・バルが「全品500円」のピッツァやパスタを出していていいカンジだったので電話してみたが、「おひとりさま」の予約は受けつけていないうえ、もう今夜はいっぱいなようだった。
別のピッツァレストランに電話してみたら、こっちは空いていると言うので「1人ですけど、8時頃行きます」と言ったら、
「念のため、お席をお取りしておきましょうか?」と1人分の席を予約させてくれた。いい店だ。
「9時頃行けるよ」と大内くんから連絡が入ったので、
「8時から食事しようと思ってたんだけど、お店で合流して一緒にワインでも飲もうか」と返事を打ったんだけど、返ってこないから、
「1人で食べてるね」と打って、ぶらりと行ってみた「ピッツァサルバトーレクオモ サブナード」はホテルから徒歩5分ほど。
「タコのマリネ」とグラスワインを頼んで、ここでもiPad miniを読みながら食事する。
カッコつけてワイン飲んでみたけど、なんだか胸が苦しくなるばかりだなぁ。やっぱり下戸だ。
「ピッツァ・マルゲリータ」はナポリ風で耳がふかふかしてたから耳だけ残しちゃおうかとも思ったが、おいしいから食べた。
ピッツァは薄々のローマ風が好きかも。
イタリアンづくしの1日。嬉しいなぁ。
しばらくゆっくりしてて、どうせ通り道だから大内くんが来るまでいようかと思ったが、「9時過ぎになる」と言ってきたので先にホテルに帰ってることにした。
部屋でくつろいでたら、「コンコン」とノックして出張ホスト大内くん登場。
「チェンジ!」と言うと「困りますぅ」と言うのがカワイイですね。
「ウソだよ。いいコが来たなぁ。好みのタイプ」と迎え入れる。
欲を言えば私は背広フェチなんだが、研修所では服装自由なのでGパン姿だった。残念。
最上階にあるアパホテル自慢の大浴場に入りに行って、戻って来たら大内くんはもう上がっていた。
サウナも水風呂もないんじゃ、そう長居はできないよね。
「温度管理も大変だし、事故やトラブルのモトだから、そういうものは作らないんだよ」と大内くん。
まあ、部屋のユニットバスと違って足が伸ばせるだけでもお値打ちだ。
買っておいたビールを飲んで、ダブルベッドにもぐり込んでお互い少し本を読んで寝ました。
ホストは明日の朝早く研修所に戻らないといけない。
なかなか難儀な商売だね。
17年9月6日
朝の6時に起きた大内くんに、昨日買っておいたサンドイッチとヨーグルトを食べさせて送り出し、私はもう1度寝ようと思ったけどあんまり眠れない。
しかたないから起きてマンガ読んでた。
11時に開店のイタリアン食堂「ブラーボ」という店に目星をつけ、地図を見ながら行ってみた。
紀伊國屋書店の裏だった。
急な階段を降りたところにある狭くて暗い店だったが、なんだか鼻がひくひくするものがある。
「この店のピッツァは、ローマ風ですか?ナポリ風ですか?」と聞いてみたら、「えー・・・」という顔をされたので、写真から見当をつけて「耳まで薄々ですね?」と聞くと「はい!」とのことなので、「ピッツァ・マルゲリータ」をを頼んでみたら、添えられていた自家製タバスコまで含めて、実にステキな味だった。
小さなピッツァ1枚しか食べられなくて残念だ。今度、大内くんと来て、ラージサイズとパスタも一緒に食べよう。
平日のランチタイムなのでアイスコーヒーが無料でついてきて、よかった。
計画していた通り、都営地下鉄「新宿三丁目駅」から「九段下」の靖国神社に行く。
数年前の夏、大内くんと「東京に観光に来たつもりになって『はとバス』に乗る旅」をした時にコースに入っていて、回る時間があまりなくて戦争博物館の「遊就館」をじっくり見られなかったのが心残りだったのだ。
今回はたっぷり時間を取って、館内で上映される映画も2本とも見た。(15分と50分)
大内くんと違って日本史は苦手なので、大東亜戦争への歴史はさらっと流して(いや、こういう時こそ勉強すべきか?)、おもに特攻隊の人々が残した手紙などを見た。
妻や子、婚約者をおいて死地に赴く若い人たちの最後の言葉を見るにつけ、涙があふれ、この国の平和と安寧は彼らの生命で贖われているのだと思わずにはいられない。
この夏、ツィッターをよく読むようになって、高須院長が靖国への参集を呼びかけるのに応える人々の声を見て、これは何だか気持ち悪いなぁ、まあ、季節モノの高揚だから仕方ないかなぁ、とか思っていたのだが、軽々しく右傾するのではないにしろ、ここにシンパシィを感じてしまうのは日本国民としてどうにも止めようがないかも、と事実を深く胸に刻んだ。
愛する人と死に別れても永遠の生命を生きることを選んだ人々が、今の日本を作ってくれたのだ。
涙を拭きながら靖国を出ると、しぐれ雨。
また地下鉄に乗って、今度は「新宿駅」まで。
友達のFACEBOOKの記事に影響されて、フルーツパフェが食べたくなったのだ。
新宿でフルーツパフェと言えば、それはもう、「タカノフルーツパーラー」に行くしかないでしょう。
ところが、さんざん迷ってたどり着いたフルーツパーラーは、一部改修工事中だったせいもあるのか、ずらりと人が並んで超絶混雑していた。
「30分待ちになります」と言われて、いったんは列に並びかけたけど、パフェを食べるためだけにそんなに待つのもバカバカしい。
「やっぱりやめます」と、なぜか女性2人連れでにぎわうパーラーを出て地階に降りると、おや、高級果物売り場の一角にカウンター席のみの小さなパーラーがあるじゃないか。
2人ぐらいしか待ってない!
5分ほどで案内されて、お高いけど「桜桃のパフェ」を食べる。
素晴らしい!柔らかくて甘くて、疲れた身体に沁みわたる。
大内くんから「お金はいくらでも使いなさい」と言われていなければ、1200円のパフェは食べられないなぁ。
しかし食べた。おいしかった。
ホテルに戻るともう4時半。
今日は7時に西新宿のお蕎麦屋さんで友人2人と飲むことになっている。
大浴場で汗を流し、少し休んでから身支度を整えて出かけた。
実は、新宿駅の西口には「とらのあな」という「同人誌漫画専門本屋」があり、最近、普通には手に入らない趣味のマンガも読んでみたいと思うようになった私は、ちょっと見学に行きたかったので、早めにホテルを出たのだ。
しかし、小雨が降り始めていて、傘を買うのも面倒なのでそのまま歩いていたので視界も悪く、意外と遠い西口を目指していたらどんどん道に迷い、結局待ち合わせに遅れそうになったので「とらのあな」に寄ってる時間がなくなってしまった。
まあいい。遅くまでやってる店のようだから、帰りに寄ろう。
友人男性に指定された蕎麦屋に着いて案内を請うたけど、誰も来ていない。
予約のできない店らしくて、今はいっぱいなのだそうだし。
仕方ないから小雨の降る軒下で友人にメッセージを打って待っていたら、「すまんすまん」と言いながら現れた。
もう1人の友人女性も「今、駅に着いた」と言ってきたので待つ。
「いきなり新宿で飲もう、とか言われて驚いた?おまけに大内くん、いないし。また大内くんとケンカして家出したかと思った?」と聞いたら、「うん、ちょっと」と言うのは、30年近く前、新婚時代に大内くんと最初の大ゲンカをした時に「もう家出する!」と言って、彼を呼び出して吉祥寺でピアスを開けるのにつき合わせたからだ。
けっこう彼のトラウマになったらしい。
間の良いことに、そんな話をしていて友人女性が来るころには、ちょうど席が空いて入れるようになった。
久しぶりに会う2人だ。
と言うか、4月の手術以来ほとんど外に出ていなくて、例外は5月末の友人のお通夜だったのだが、友人男性とはその時に会っている。
私より5歳も若くして病没したその女性を惜しんで、いまだに立ち直れない私は彼に悲しい思いをぶつけたかったのだが、彼もまた、友人を失ったショックが色濃いような気がする。
仕方ないので、第二の目的である「息子の身の上相談」。
2人とも、いわゆる「カタギの勤め人」とは違うので、いろいろ参考になる話が聞けた。
とにかく家を出してしまうしかないらしい。
とりあえず来週のコントライブを、2人とも見に来てくれると言う。
「彼の舞台を観て、そのうえで彼と飯でも食って話してみるよ。そしたらまた、なんか相談に乗れるかもしれない」と言ってくれる面倒見のいい友人男性であった。
来週は大内くんもいるから、舞台のあと、軽く飲もう。
2人はそば焼酎を、私はそば湯を飲んでつまみを食べ、〆にそれぞれの蕎麦をたぐって店を出て、もう1軒、と飲みに行く。
ビールが中心の洒落たパブに案内されて、私はやっぱりソフトドリンク。
2人はビールを飲んでいた。
女性の方とは、明日、一緒に「ゲイバー」を見学に行くことになっている。
「そんな店、どうやって見つけたんだ?」と驚く男性と、
「私の高校時代の男友達がゲイなんだよ。『女性でも安心な店を』って、紹介してもらった」
「ほえー」という会話を交わしながら、女性と明日の打ち合わせ。
歌舞伎町界隈のレストランで食事をしてから向かおう、お店は適当に探して、あとで連絡します、ということでその晩はお開き。
遅くなったので「とらのあな」はあきらめて駅に向かう女性と別れ、四谷に住む男性が歌舞伎町方面まで送ってくれて、ホテルに帰った。
「あこちゃんは、手術のあと薬をやめたせいか、言葉がはっきりしたねぇ。久しぶりに聞いた感じがする」と言ってもらって、嬉しかった。
ホテルの近くから電話をしたら、ちょうど大内くんが到着したところだったらしい。
「『天下一品』のラーメン食べようよ」と言って、ホテルの下まで呼び出す。
すぐそばのラーメン屋で今夜の〆を食べ、満足した。
部屋に戻り、大浴場に行って、また本を読んで寝る。
明日の晩は来られないと言う大内くんだ。
寂しいけど、少しは研修中らしいこともしなきゃね。
30年近く前に会ったきりの同期とけっこう顔を合わせるらしく、なつかしいんだって。
明日はそういう人たちと飲んで来てください。
17年9月7日
同じように朝、大内くんを送り出し、でも昨日よりはちょっと物悲しく熱心なお別れ。今夜は会えないもんね。
私は10時45分から少し離れた「バルト9」で「ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない第一章」を観る。
この映画館はかなり遠いのだが、近くのTOHOシネマズでは夜遅い上映が1回あるだけで時間的に合わないので、わざわざこっちまで来た。
まあ、このあとは「四谷三丁目駅」まで行って別の女友達とランチなので、「新宿三丁目駅」に近いここは場所としてはいいんだけど。
ポテトとLサイズのアイスティーを楽しみながら観た映画は面白かった。
息子の大好きな「ジョジョ」を、私も50巻ぐらいまでは読み進んでいたので、ストーリーについて行くのには何の苦労もなかった。
むしろ、終わってないのでがっかりした。
この話の進み具合だと、あと何本の映画を作ったら終われるかなぁ。
しかも、「ジョジョ」の中では一部に過ぎない。
つくづく長い話だ。今では「ジョジョリオン」になってるし。
「バルト9」から「新宿三丁目駅」はすぐ。
「四谷三丁目駅」を降りてこれまたすぐのベトナム料理「ティンフック」。
この女友達ともイタリアン・ランチをしようと思っていたのだが、相談してるうちによしながふみが「愛がなくても喰っていけます」の中で書いていた「ミュン新宿店」に行きたくなって調べてもらったら、「ミュン」はつぶれて今は四谷三丁目の「ティンフック」に収束してるのだそうだ。
昨日会った男性友人もそう言っていた。さすがは近所に住む男。
すいている店内でiPad miniを広げてのんびり待っていると、仕事で少し遅くなった彼女が「ごめんね〜」と言いながらやってきた。
「もしかして、手術前から会ってない?新年に会ったきり?」と言われて、うん、よく考えたらそんなもんかも。
彼女と半年以上会わないのは珍しい。
しかし、大内くんがいない状態で会うのもまた、珍しいと思う。
結婚して近所に住んだのをきっかけに親交を深めてきた、不思議なおつきあいの共通の友人なのだ。
安いランチの中から彼女は「豚肉と野菜の炒め物」、私は「春巻きそうめん」を選んで、食べながらいろんな話をする。
日頃、メッセンジャーでやり取りをしているのでだいたいの消息は知っているのだが、細かい話がたまっていた。
メインは、やっぱり息子の話になっちゃうね。
彼女もフリーの仕事が長いため、息子の選択には特に異論はなく、まあそれにしても3ヶ月で会社を辞めちゃったのはつらかろう、しばらくほっといてあげるしかないよ、と若者寄りの視点を保っている彼女らしい意見だった。
生まれた時から知っているコドモが大きくなって人生の選択に迷っているという話は、「自分自身、オトナになり切れていない」といつも自認している彼女にはある意味身近な話題なのかもしれない。
彼女と話すといつも「家族問題」に行きつくのは、お互いそのへんが整理できてなくて、「オトナの女性」らしからぬ自分たちが却って気楽なせいなんだろう。
間違っても彼女から、「婚家との関係を大切に、良いヨメをやれ」なんて言われないからなぁ。
私も彼女に「女の幸せはやっぱり結婚だよ」なんて言わないし。
いや、大内くんと結婚できたこと自体はとても幸せだと思って、いつも自慢してるようなもんだけどね。
それ以外には、近年のSNS発達に伴う人々の心の荒廃とか人間関係の変化について面白い考察を交わした。
彼女との会話は、井戸端会議めくこともあるがおおむね知的な好奇心を刺激する、頭脳と感性双方を適度に疾駆させる心地良い運動のようだ。
いつももっと長く話していたいと思うけど、足りないぐらいのところでタイムアップとなる。
それもまたいいんだろう。
小雨の中を彼女の小さな傘に入れてもらって駅まで歩き、一緒に地下鉄に乗って新宿三丁目で別れた。
私はそれから再びマッサージサロンに行き、前回と同じく90分コースでもんでもらった。
ホテルに帰って先日も行った「ピッツァサルバトーレクオモ
サブナード」に7時から2名分の予約を入れ、夜に一緒にゲイバーに行く友人にその旨連絡してから少し休んだのち、出かける。
彼女はもう来ていた。
こないだも食べた「タコのマリネ」を頼み、ピッツァとパスタを頼んで、2人ともソフトドリンク。
昼の友人とはまた違って知らないことの多いお互いだが、それなりにフランクに話が進み、楽しかった。
8時半ぐらいまでのつもりが思いのほか会話が弾んで、店を出たのが9時近く。
新宿2丁目まではけっこうあって、特に現場に近くなってからは雰囲気にのまれてしまったのと道がわかりにくいのとで時間がかかった。
とうとう路上にいる「もしかしてゲイ?」な人々に声をかけ、店の名を言って「ああ、それならこの角を曲がったところ」と教えてもらって到着した。
30分ぐらい歩き回ってたかも。
ビルの5階にあるその店は、カウンタ7席、ボックス6席ぐらいの小さなスナックのようなところで、カウンタには2人の若い男の子がいた。
カラオケを歌っているカウンタのお客さんが2人。
「あのー、Nさんの紹介で来た、大内ですけど・・・」と声をかけると、女性客であることから見当がついていたのか、にこにこと笑みをたたえて、
「いらっしゃい!うかがってますよ!」と迎えてくれた。
カウンタを薦められて友人と並んで座り、おしぼりをもらったところで、飲み物の説明。
セット料金1人4000円で「鏡月」のハーフボトルと乾き物をもらえるらしい。
よくわからないので、2人してぶんぶんと首を縦に振って、とりあえずグラスを作ってもらう。
彼女はジャスミン茶割り、私はカルピス割り。
「お2人とも、お酒はよく飲まれるんですか?」と聞かれ、またぶんぶんと、今度は横に首を振る。
カウンタの中の2人の名前を聞いたけど、緊張して忘れちゃった。
2人ともゲイではあるが、片方はバイであるらしい。
私たちを主に接客してくれていたコは23歳だと言うので、
「うちの息子と変わんないです」と言うと、
「息子さんに、ゲイにはならないように言ってくださいね。苦労しますよ」と笑うので、
「女好きなので、ならないと思います」と答えたらまた笑っていた。
人当たりがいい。さすがはお水だ。
友人はしきりと男の子たちが片耳ピアスをしている、と注目していた。
どうやら左耳だけにピアスをするのがゲイの証らしい。
「息子さんがピアスやタトゥーをしたらどうします?僕は、『親からもらった身体に!』って、ひどく叱られましたよ」と言うので、
「ピアスは私もしてるぐらいだから怒りませんよ。別に親からもらった身体をどうとかって思わないし。タトゥーは、少なくとも日本では温泉に入れなくなって不便だから、やめるように言うかも」と答えたら、
「現実的ですね!」と目を丸くされた。だって、いわれなき差別を受けるじゃん。
あとは、紹介者たる私の友人Nくんの話を少々。
「Nさんには仲良くしてもらってますよ。昔からのお友達なんですか?」
「高校の時からの友達です」
「へえ!その頃からゲイだって知ってたんですか?」
「いや、彼は、自分自身ゲイだと気づくのに時間がかかったみたいですよ。高校の時はヘテロでした。ちょっとキモいタイプの男の子だった」
「へえ!」
どうやら、まだ来ていないこの店の「ママ」が彼とは仲良しらしい。
もう1人の男の子は、
「僕、Nさんはあんまり知らないんです」と言って遠巻きにしていた。
お客さんのメンツがいくたびか変わり、カウンタ席がほぼ埋まる頃、「ママ」がやってきた。
「かずまママ」と紹介されたその人は、28歳なのだそうだ。
ともに50をとうに超えた我々は「ほえー。お肌キレイ」とか言うばかり。
Nくんをよく知っているらしいかずまママは、
「あの人、とっても紳士で、ていねいですよね。口癖が、『そんな、物騒な』ですよね」と言う。
「そうそう、私なんか乱暴なことばっかり言うから、『貴女、そんな物騒なことをおっしゃって』ってよく言われます」と言うと、「それそれ!」とウケる。
どうやらみんなで一緒に旅行に行ったり伊勢海老を食べに行ったりする仲らしい。
Nくんのおごりだろうか。
だいぶお酒もまわってきたので、友人に、
「せっかく来たんだから、ゲイの人にしか聞けないこととか聞いたら?」と耳打ちすると、
「いやー、特にそういう質問はないから」と言うので、しばらくして、帰ることにする。
半分近く残っていたハーフボトルは、
「これ、Nくんにあげるとかできないんですか?」と聞くと、申し訳なさそうに、
「できないんですよー。Nさんも、ご自分のボトル入れてらっしゃいますし」と言うので、残して行く。
かずまママを真ん中に友人と私のケータイでそれぞれ写真を撮ってもらい、2人で帰る。
ボったくられることもなく、最初の話どおり、1人4千円だった。
新宿駅に向かって歩きながら、
「ごめんね。思ってたのと違って、つまんなくなかった?」と友人に聞くと、
「全然!楽しかったよ!」と言ってもらえて、紹介した者としては胸をなでおろす気持ちだ。
お互いの大病の話や中年女の恋バナに似たようなものを交わしながら駅に近づき、ホテルのあたりで別れた。
来週、息子のコントライブでまた会うことになる彼女である。
コンビニでお茶とおにぎりとカップラーメンを買って、部屋に帰った。11時半近かった。
今夜は1人だ。
安い料金だけあって、ベッドのマットレスが柔らかすぎて腰が痛い。
大内くんがいる時は気にならなかったが、ちょっと安宿の寂しさが身に沁みる。
今日1日、本当に珍しくいろんな人と会っていろんなことを話したので、少しくたびれたかな。
人にあたった、という感覚かもしれない。
おにぎり食べて、早く寝ちゃおう。
明日は家のベッドで大内くんと会える。
昼間会った友人にゲイバーで撮った写真を送ったら、すぐに返事が来た。
彼女も私に会って楽しかったと思ってくれたらしい。
「薬をやめて、口調がクリアになったとN口くんに言われたよ」と共通の男性友人の名を挙げたら、
「そうなんだよ。あのビシバシした口調が戻って来てどれほど嬉しいことか」と言ってくれた。
古い友人は本当にありがたい。
寝る前に少し大内くんと話して、マンガを読んでそろそろ寝ようと思っていたら、また電話がかかってきた。
「どしたの?」
「いや、キミが、電話してってラインくれたから」
「え?それはもうずいぶん前のラインで、電話はとっくにもらったけど?あれから2時間以上たったよ」
「そうなの?今、外で飲んで帰ってきたんだけど」
どうも、酔っ払っているようだ。
羽目を外しているなぁ。私なんかおとなしいもんなのに。
「はいはい、また明日ね」と言って電話を切る。
私もドライになったなぁ。一人旅は女を変えるものだ。
17年9月8日
朝、やっぱり早く目が覚めてしまった。今日は思い切り朝寝をするつもりだったのに。
8時には大内くんが起きて研修が始まると言っていたので、その頃にラインを入れてみたら電話がかかってきた。
昨日の晩のことをあまり覚えていないらしい。
「晩のおやつのゼリーを買いに外に出たら、飲みに出ていた人たちにつかまってしばらく飲んでいた。よく覚えてない」と言う。
「夜に会えるよ。今日の冒険の話をするからね」と言って電話を切る。
大浴場に行き、10時過ぎにチェックアウトして、荷物を預けて映画を観に行く。
今日は「エル ELLE」だ。
FACEBOOKの友人たちの間ではすごい評判だったが、確かに面白くもエロい、ものすごい映画だった。
こんなもん1人で観に来るのは身体に悪い、大内くんと観たかった、としみじみ思った。
DVDが出たら一緒に観よう。
映画館でけっこう具合が悪くなり、胃がもたれて生げっぷが出る状態だったのだが、おなかが空いてるのがいけないのかなぁ、と、2回目になるイタリア食堂「ブラーボ」に行ってみる。
ランチのパスタが、大好きな「プッタネスカ」だったので、これは食べるしかないだろう、とサラダとドルチェと飲み物がつくランチセットを食べた。
この店の「自家製タバスコ」がたいそう気に入ったので、明日会う友人たちの分も合わせて3瓶買って行く。
ホテルに寄ってトランクを引き取り、
「トイレをお借りしたいんですけど」と言うと、驚愕の事実が明らかになった。
「客室以外のトイレはご用意していません。一番近いトイレは西武新宿駅です」
まあ確かにそう遠くはないが、そうか、卑しくもホテルと言いつつ、ロビーにトイレがないか。
お客さん以外のたまり場になっては困る、というような、歌舞伎町の事情もあるんだろうなぁ。
TOHOシネマズの方がうんと近いけど、公共の建物以外のトイレを薦めるわけにもいかないんだろうし。
別にトイレに行きたかったわけではないのでいいんだが、帰る電車の中で具合が悪くて、脂汗が出てきた。
胃が痛くて吐き気がする。
暴飲暴食のせいだろうか。
重いトランクを持ち上げて中央線の階段を上ったりしたのも悪かったのか、汗が止まらず、座っているのがやっと。
バスに乗り換えてふらふらと家に帰り、息子がまだ家にいるのに驚いて、取るものも取りあえず洗濯機を回すだけはやり遂げてベッドに倒れ込む。
息子が出かけてしまったあと、あまりに具合が悪いので近所の病院に電話をかけてみる。
いつもは混んでいるが、さすがに4時半という中途半端な時間がいいのか「すいていますよ!」と言われて、行ってみた。
ウソつき。混んでるじゃないか!
まあ、いつもの満員の診察室よりはずっとすいてはいたが、かかりつけの病院が混雑しがちだというのは物悲しい。
待っている間にも脂汗が流れる。
病院って具合の悪い人が来るのに、みんな、よく待っていられるなぁ。
30分ほど待ってやっと診察室に呼ばれた。
なじみの先生に、
「食べ過ぎかとは思うんですが、胃が掴まれるように痛くて、時々背中も痛いです」と訴えると、
「それは、胆石かもしれないね。エコー撮ってみよう。すぐわかるから。ちょっと待合室で待ってて」と言われ、戻って座る。
エコーの機械を準備してるんだと思うけど、これがまた時間がかかるように思えて。
永遠の苦しみかと。
やっとまた呼ばれて、エコーを受ける。
待っている間にスマホで調べたところ、確かに胆石の症状に似てるなぁ。
でも、胆石だったら手術?薬で散らす?新しいところでは超音波を当てて砕く?
いずれにしても明日、友達のとこに遊びに行く計画とか来週末に息子のコントライブがあるとか、そのへんがあやしくなっちゃうじゃないか!
ただの胃痛であってほしい。
先生がおなかを機械で撫でて、
「あー、胆石じゃないね。ちょっとこっちの方も診よう。うん、胆石は100パーセント、ないね」と言った時はほっとした。
「よかったですぅ〜」
「でもね、胆石だったら手術ですぐ治るよ」
「私、ワーファリン飲んでるんで、手術はまずいんです」
「あ、ワーファンリン、止めなきゃね」
「機械弁入れてるんで、止められないです。入院してヘパリンに切り替えないと」
「ヘパリン。それは、入院になるね」
「はい、だから、胆石じゃなくてよかったです!」
とりあえず胃薬と痛み止めをもらって、1週間たっても治らなかったらまた来て、と言われて病院を出る。
その間、1時間20分。
ちっとも早くなかった。
しかし、重病の可能性は潰せたし、薬ももらえた。
これで来週まで何とか乗り切ろう。
17年9月9日
大冒険の興奮も冷めぬまま、大内くんのお友達のおうちにおよばれ。
4人の子持ちのAさん宅には、もう何度お邪魔したかわからない。
いつもとってもお邪魔だろうと恐縮するのだが、ついつい長居をしてしまう。
今日も、奥さんのお友達も来るからぜひぜひと言われて、このお2人は我が家のHPの大愛読者なのだ。
リアルな読者に会える喜びで、いそいそと出かけて行く私。
特に今日は3番目のお子さんのお誕生日ということでプレゼントも用意したし、誰も祝ってくれなかった私の誕生日のためにミセスAがチーズケーキを焼いてくれると言うし、胃薬を増量してでも絶対行きたい。
うつる病気ではないから、大丈夫だろう。
11時に着くと、ミセスAはおもてなしのピザを買いに行っているところで、Aさんと4人のコドモたち、遊びに来ていたミセスAのお母さん(そっくり!)が出迎えてくれた。
やがてミセスAが帰ってきて、もう1人のお客さん、Eさんも現れたので、お出かけ前のお母さんが集合写真を撮ってくださる。
良い記念だ。
そのあとは、胃を壊している私は自分の分のヨーグルトやプリンを買って来たと言うのに、ミセスAが作るパスタやピザがおいしそうで次々に手を伸ばし、お母さんのおみやげと思しき「鱒寿司」にもガマンができず、もちろん私のために焼いてくれたというチーズケーキはいただくし、横で大内くんがずっとにらんでた。
しょうがないじゃない、おいしいんだから!
ミセスAやEさんとの話題は、婚約内定会見があったばかりのプリンセス眞子さまや英国王室、マンガの「エマ」のことなど、なんだか上流に偏っていた。
昔ハマった皇室・王室ファンがこんなところで役に立とうとは。
ミセスAによれば私の「身バレ具合はハンパじゃない」そうだし、ミセスAもEさんもそれぞれにSNSの世界にお知り合いがいるので、あまりいろいろ書いてはご迷惑になることもあるだろうからこのぐらいで。
しかし、毎度毎度楽しい集いだ。
いつものごとく、「ああっ!」という間に時が過ぎ、大内くんが「とても無理だろう。途中で失礼することになるかも」と言っていた6時間が経過した。
胃は落ち着いている。楽しい時は大丈夫なものなんだ。
またしても大内くんに引きずられるように、未練がましく何事かしゃべりながら退場する私。
ああ、楽しかったなぁ。
まだ見ぬEさんのダンナさんにも会ってみたいし、20も年下のこの人たちの子育てが終わる日が来たら、みんなで温泉とか行きたいなぁ、と唐突に考えた。
末っ子が1歳半のAさん宅では20年近く先の話。
我々、生きてるかしらん?
17年9月11日
先週の大冒険がいかんかったのか、胃痛に加えて風邪の症状も出てきた。
また病院に行く。
「良くならない?今日はどうしたの?」とびっくりしていた先生だが、喉を診て、
「あー、赤いね。今、ウィルス性の軽い風邪が流行ってるんだよ」と言いながら、薬をいろいろ処方してくれた。
帰って薬を飲んでから気づいたが、おなかに「じんましん」が出始めていたんだった。
これも相談してみればよかったなぁ。
とりあえず胃薬と風邪薬を言われるがままに飲んで様子をみよう。
17年9月12日
家の近所の「カイロプラクティック」に行く。
実は、歌舞伎町のマッサージ屋さんをネット予約した時、
「口コミレビューを書くなら、近所のお店が無料に!」というキャンペーンをやっていて、家の近くを検索したら見つかったのがこの施術院。
60分5千円が、無料。いいじゃないか!
というわけで、予約を入れた今日、行ってみました。
少し雨が降っていたけど、自転車で10分ほどの距離をなんとか。
場所はよくわかっていたつもりなのに、ついた先のブロック塀に掲げてあった看板の施術院名が、違う。
「どこかで見た名前だなぁ」ってHPを見たら、やっぱり先生の名前だった。
前の診療所の名前、とかだろうか?
おまけに、どうやら古いアパートの1室で営業しているらしい。
廊下をのぞいたら、ちゃんとした名前の看板が出ていたのでわかったからいいんだが。
ちょうど前の人が終わったところらしくて、若いにーちゃんが「どーもー」と言いながら出て行った。
お客さん、いるんだ。ほっ。
先生は若い男性で、きびきびしていて感じがいい。
60分の時間内に質問用紙への記入などを通じて私の症状を聞き、実際に身体を触って骨の曲がり具合などを診てくれる。
「うーん、やっぱりストレートだなぁ。大内さんはね、背骨の湾曲が少ないんですよ。そうすると、こうなるんです」と言いながら、「背骨の模型」をくいくいっとまっすぐにして持たせてくれる。
S字に湾曲した模型に比べて、ずしっと重くなるのがわかる。
「骨盤に、負担がかかるんです」
なるほどなるほど。
幅の狭いベッドに寝て、骨盤や背骨を矯正してくれるらしい。
「小さい頃にハイハイが少なかった人はこうなりやすいんですよ」と言われたが、さすがに覚えてないです。
骨盤バンドを巻いたり、押したり、30分ほどいろいろやってもらったら、ほー、確かに腰が軽くなった。
「何度か通っていただくと、もっと良くなると思うんですが」と言われ、お得な回数券を使うと1回3500円ぐらいになるようなので、しばらく通おうかと思う。
お礼を言って家に帰ったが、マンションの廊下を歩いていて、変形性関節炎の膝も痛みがなくなっているのに気づいた。
これも、施術で治るかもと言われてはいたのだが。
1時間ほどしたらまた痛むようになってしまったけど、もしかして治ったらいいなぁ。
その晩から、背中と腰に筋肉痛が出た。
骨を矯正すると筋肉にも影響があるので、出るかもしれないと言われたから驚かない。
でも、じんましんまでひどくなってきたのはいったい何?
17年9月13日
風邪をひいて熱が高いと思ったら、ものすごい「じんましん」が出た。全身にびっしり。
あわてて病院に行くと、診察した医者までが「うわぁ!」と言う。
おととい出した風邪薬の影響かと思われたらしいが、飲む前から少し出ていたと言ったので疑いが晴れ、抗アレルギー薬をもらって飲むことになった。
先生に、「週末にまた来て」と言われて、息子のコントライブがあるから、
「用事があるので、来られません」と言ったら、
「用事って言ったって、こんな状態でどこ行くの!」と叱られた。まあ、ごもっとも。
金曜にプチ旅行から帰ってきて、その後、4回も病院に通っている。
「胃痛→風邪→じんましん」というコースだ。
毎日もらう薬がハンパない。
服薬には慣れてるつもりだったが、朝のワーファリンを忘れないようにするのがちょっと大変。
夜中に帰ってきた息子に「ほら、じんましん」とパジャマをめくっておなかを見せたら、「わー!」。
「どうしたの?」
「疲れてるみたい」
「早く寝なよ」といちおう優しい言葉をかけてもらって、満足して寝ようと思ったけど、かゆすぎて眠れないのであった・・・風邪も治らないので、大内くんのベッドにもぐりこむわけにもいかないし。
かつてないほど遊び倒して満足は満足なんだが、払うツケはでかい。
虚弱な体質であるという自覚がないまま生きてきて50年余。
いまだに自分とのつきあい方がわからない・・・
17年9月15日
朝、大内くんを送り出してタブレットを見ていたら、「ミサイル警報」が出た。
北朝鮮から日本に向けて、発射されたらしい。
あわてて大内くんに「北朝鮮がミサイル発射」とラインとメッセンジャーを入れる。
すぐに、「どこに向けて?」と返事が。
そうか、日本に、とは限らないんだなぁ。
「日本」と打つと、「どの地方?」。
ああ、すまん、全然情報が入ってない。
「東京より北の方みたい。建物の中に入れ、って言われてるけど」
「バスの中だよ。困ったね」
いや、まあ、とりあえず東京は大丈夫なんだろう。
ラインをやり取りしながら大内くんは会社に着き、平常に仕事が始まったらしい。
前の時もそうだったけど、誰も生活を乱さない日本人。
このままなし崩しに慣れて行くんだったりして。
そいで、ある日、どかーんとやられちゃうんだったりして。
国際情勢に目を配りつつも、私の悩みはかゆいかゆい「じんましん」。
全身が赤いぽつぽつに覆われている。
出がけに大内くんの行きつけの皮膚科に行くよう薦められたので、診療開始を待って予約の電話を入れる。
幸い今日の午後に診てもらえることになった。
かゆくてあまり眠れていないから寝ておきたいんだけど、明け方までコントの態勢表を書いていた息子が、5時に起きた大内くんと入れ替わりにパソコンの前から退場して寝てから全然起きない。
10時に起きると言っていたし、明日はもうライブの本番だ。いろいろ準備もあろう。
何度も起こして、病院に行く時間になっても起きないので、しょうがないから出かけた。
1週間の間に、5回目の病院。
皮膚科ではすぐに診察室に呼ばれ、大内くんの付き添いで何度も会っている女医さんに診察してもらう。
「うーん、これは、じんましんじゃないですねぇ」
じゃあ、なんなんだろう?
「おくすり手帳」を精読した先生は、月曜日に頭痛のためにもらった鎮痛剤がアヤシイと言う。
微妙に、飲み始めた時期とじんましんが出た時期が合わない気はするのだが、なんだかもう面倒くさくなって、抗アレルギー薬とかゆみ止めの塗り薬をもらって帰る。
「かゆいでしょう」と同情した口調で言われたことと、「お薬塗ってあげて」と言われた看護婦さんが、自分では手が届かない背中にたっぷりと薬を塗ってくれたのが嬉しかったので、もう治ったような気分になった。
家に帰ったら息子はまだ寝ていたが、
「母さん、皮膚科で塗り薬もらって来たの」と声をかけたらむっくりと起きた。
シャワーを浴びて、食事もせずにばたばたと出かけたところを見るとコントライブの準備に間に合っていないのではなかろうか。心配だ。
彼が主宰するコントグループが行う第4回コントライブは、FACEBOOKの告知を読む限りでは今回ずいぶん力が入っている様子。
今回のテーマは「リーダー大内の恋」なのだそうだ。
スタッフにも名を連ねている元カノに振られて間がない彼の、「不器用に恋に突き進む男の生き様」とはどんなものなのか。
あまりに楽しみなので、土日合わせて3回の公演、すべてのステージのチケットを買ってある。
明日の土曜日は、夜公演の前に大内くんと2人で新宿サムラートのカレーを食べ、観て帰る。
あさって日曜日は、昼公演の前にこないだ私が1人で行って気に入ったイタリアンのお店でランチを食べ、ステージを観てから会場近くのアパホテルに取った部屋で昼寝をして、夜公演。
友人2人が来てくれるので、舞台のあと一緒に飲む。
夜食にラーメン食べてからホテルに泊まり、ゆっくり寝て、翌日月曜日はお休みだから、封切ったばかりの「エイリアン:コヴェナント」を一緒に観る。
場合によっては前日に食べたイタリアンをまた楽しんで、何ならタカノのフルーツパフェを食べて帰る。
うーん、素晴らしい予定表だ。
そして私はまた食い倒れて、翌週寝込むだろう・・・
そのためにも、今日は今日の休息を取っておかねば。昼寝する!
そして眠れないまま夜が来て、大内くんが帰る時間。
今日は近くの駅で用事があったので、早めの帰還となり、駅から電話をしてきた。
「晩ごはん、どうする?」と聞かれたので、「コロッケでも揚げようか・・・今、どこにいるの?」と聞き返すと、
「武蔵境の駅」。
「その近くに、餃子の王将があったよね。退院した時、食べたくて車で買いに行ったから覚えてる。買って来られる?」
「うん、大丈夫。餃子か。いいね!キミは本当によく気がつく!ありがとう」
そう言って餃子を持って帰ってきたのが45分後。
今夜はおいしく餃子でした。
明日からバカンスだ!
台風が心配だぞ!
17年9月16日
息子の主宰するコントグループの第4回単独ライブ、土日で3ステージあるうちの、今日は1回目の夜ステージ。全部お取り置きしてあるもんね。
息子は昼前から現場に行ってしまった。
ごはん食べてから行こう、と3時頃大内くんと出かける。
先々週、大内くんが3泊4日の研修に行ってる間に1人で新宿で遊んでいたので、いろいろなところに連れて行ってあげたい。
まずはタカノフルーツパーラー。
予想通り上の階のパーラーは1時間待ちだそうなので地下のパーラーに行くと、さすがは週末で、こないだ1人でウィークディに来た時は2人待ちだったところ、10人ぐらい待っていた。
「どうする?やめとく?」と聞くと、大内くんは、
「いや、待つよ。せっかく来たんだから!」とすっかりやる気になっている。
「言っとくけど、高いよ?」
「いいよ!わざわざタカノに来たんだもん!」
並んでいる間にメニューを渡されたので、大内くんには私が食べた「桜桃のパフェ」を薦め、私は今回「マスクメロンのパフェ」。なんと1600円もする!
20分ぐらい待って10席ほどのカウンタに通され、目の前に出てきたパフェはどちらもとてもおいしそう。
ひと口食べた大内くんは、「おいしい!」とうっとりした顔になった。
上に乗っているメロンと桃を、少しずつ交換する。
「この、スプーンとフォークが細くて、上品だね。パフェを崩さないようになんだね」と言いながら、最後はパフェの器をグラスのように傾けて底に溶けたアイスを「飲む」、上品とは言えない大内くん。
2人分で、レストランで豪華なお食事ができるほどのお値段だからねぇ。
「おいしかった。キミが1人であのカウンタで食べているのを想像したら、ますますおいしかったよ」と嬉しそうな大内くんに案内されてすぐそばのビルに入ると、そこはブックオフ。
うわー、新宿のブックオフは品揃えがすごいね。
思わず5冊も買っちゃった。リュックに入れてくださいな。
さらに手を引かれて近くのビルに入ると、目指していたインド料理の「サムラート」。さすがなナビゲーション。
最近はタイ料理も始めたことを決して快く思っていない我々だが、半年に1度ぐらいはカレーを食べに来たい。
ランチのバイキングやディナーのプレートではなく、アラカルトから選ぶのがこだわりだ。
(プレートの小さなボウルに入ったカレーは味が薄いと勝手に思っている)
そのせいか、さほどの常連というわけでもないのに顔を覚えていてくれるインド人の店員さんも。
彼は、吉祥寺のサムラートが閉店した時に新宿に移ってきたので、吉祥寺時代からの我々が記憶にあるらしい。
今回は、オーダーをする前から「マトン・サグワラ、と、チキン?」と言われてしまった。
そうそう、マトン・サグワラと、今日はバター・チキンでお願いします。
あと、バターライスとバターナンと、マトン・シークカバブを。
テーブルの案内を読むと、ライン登録すると初回サービスで飲み物かデザートをもらえるらしい。
さっそく2人とも登録をし、大内くんはデザートを、私は飲み物でラッシーをお願いする。
カレーとシークカバブはおいしかった。
いつもおいしいが、ちゃんとシェフが手で作っている証拠に、毎回味が違う。
今日のシェフは機嫌が安定している雰囲気だった。
辛すぎず、塩加減はちょうど良く、スパイスの香りが立っていて、本当においしい。
最近、前ほどは食べられなくて半分のナンを持て余すこともあるし、おまけに今胃をこわしているのに、するするとおなかに入ってしまった。
もっと食べられそう。
レジのマネージャーさんも何となく顔見知りな雰囲気で、「いつもありがとうございます」の声に送られるのも嬉しい。
「タカノのパフェもおいしかったし、サムラートのカレーもおいしかった。すごいお金使っちゃったけど、シアワセ」とぽうっとなった。
「まあ、日頃がつつましいんだからさ、こういう時ぐらい使おうよ。今年はキミが手術したから旅行も行かなかったし」と、大内くんは優しい。
小雨が降ってきた中を、折りたたみ傘をさしてライブの会場へ。
歌舞伎町東の、小さな小屋だ。
明日泊まる予定のアパホテルの横を通ったので、ついでに予約の確認をしておく。
確かにここだ。
小屋からほんの2分の距離。
明日は2回の出動なので、間はホテルで休もうという計画。
開演時間前に着いてしまったら、よく知ってるメンバーが傘をさして入り口に立っていた。
「あっ、大内くんの!」と言われて、「どうも〜」とご挨拶。
「よくいらしてくださいました!」「頑張ってくださいね」という会話を交わし、まだ時間前なので、もうちょっとあたりを歩いてみる。
ホテルの前に焼肉屋があった。
明日の夜に来てくれる予定の友人2人とは、ここでごはんを食べよう、と相談がまとまったところで、会場へ戻る。
5分過ぎなので、パラパラとお客さんが集まり始めていた。
我々も前売りチケットを出してもらって中に入る。
狭いけど、ちゃんと背もたれもあるいい椅子だった。
時間を15分ほど過ぎて開演する頃にはほぼ満員。100人ぐらいかな。
アンケート用紙と一緒に配られたフライヤーによると、息子は新しい小劇団で「演出・脚本」をやるらしい。
11月か。観に行かなくちゃ。
全然聞いてなかったけど、いろんな計画が発動してるんだなぁ。
今日もスタッフとして裏で働いてるはずの元カノは、コントグループのメンバーの1人と「2人芝居」のユニットを立ち上げたようだ。
こちらも、ぜひ観に行きたい。
「アース・ウィンド&ファイアー」の曲が流れて、暗くなった場内。
照明がつくと、効果音のセミの声の中、3列目の我々からは目と鼻の先に、息子が立っていた。
コントライブの始まりだ。
1時間半ほどの、とても面白いコントライブだった。
息子が書いた脚本の中に、とても良いものもあった。
私が一番好きだったのは、息子ともう1人の脚本家の合同作品、時間がループする世界を描いた「ゆうちゃん」。
SF小説を読んでいるような味わいだった。
あと、息子が歌って踊れることを発見して驚いた「偽smap」も好きだ。
7人のメンバー全員が大学を卒業してひと皮むけて、脚本家も演者もそれぞれ長足の進歩を遂げていた。
終演後、「演者とのご歓談希望の方は、ステージで」と息子のアナウンスがあったので、アンケートをスタッフに渡したあと、ぷらぷらとうろついてみた。
息子が、数人のお客さんと笑顔で握手を交わしている。
3分ほどで人が途切れたので近づくと、「何?」とけげんな顔をされた。
「いや、演者さんとのご歓談希望」と言うと、顔をしかめて、「家で」との答え。
「だって、帰ってこないじゃん」
「そのうち」
追い払われちゃった。
ふつーにお金払って観に来たお客さんだよ。明日も来るんだよ。もうちょっとファンを大事にしろ!
「ちぇっ」と言いながら、雨の会場前にたむろする若いお客さんたちに交じって他のメンバーと少し話をし、
「良かったですよ。明日も来ますから」と言って、帰る。
「楽しかったねぇ。良い出来だったよ」と大内くんは機嫌がいい。
私みたいに、冷たくされてないからなぁ。
JRに乗って吉祥寺に帰り、小腹がすいたので「天下寿司」に寄って2人で10皿ほど食べて、バスに乗る。
回転寿司って、おなかのすき具合がバラバラな時には絶大な威力を発揮するね。
感想を語り合っていたら止まらなくて、いつの間にか夜中になってしまい、意外と早く息子が帰ってきた。
でも、話はせずに寝てしまった。
メッセンジャーに送っておいた我々の感想にも、反応なし。
これまでは、機嫌が悪いようでもライブのあとには「どうだった?」「ネタのダメ出し、ちょうだい」とメッセージを送ってきたものなのに。
まあいいや、明日も歌って踊る息子が見られるよ。
17年9月17日
息子のコントライブ2日目。
今日は昼と夜の2回なので、朝の10時半に家を出る。
もちろん息子はもっと早く出かけてしまった。
夜中に「明日まで」と言って衣装を洗濯・乾燥させられたのは腹が立つけど。
西日本に台風が上陸しているらしい。
この週末の公演はかなりなアウェー感だ。
折り畳みでない傘を持って出かけ、新宿の中村屋で差し入れのお菓子を買う。
昨日、ビニールを掛けた袋をスタッフに手渡してる人を見て、そう言えば差し入れをしようと考えてたのを思い出したので。
11時半に、私が先日1人で行ってとても気に入ったイタリアンのお店に大内くんを連れて行った。
「そんなにしゃれた店じゃないよ。小汚い食堂だよ」
「行きつけの中野のイタリアンほどじゃないでしょ?」
「いや、あそこよりボロいかも」と言いながら階段を降りて入った店は、まだ空いていた。予約の必要はなかったか。
坐ってあたりを見回した大内くんも、
「なるほど。中野より、ボロいね」と納得の顔をしていた。
「タコのカルパッチョ」「ピッツァ・マルゲリータのラージサイズ」「エビのクリームパスタ」を頼んだ。
エビのクリームパスタはこの店のイチオシなんだが、私はクリームパスタがそれほど得意じゃないのでこの間は食べなかった。大内くんは好きなんだ。
ランチサービスの飲み物をつけて、4500円ぐらいになってしまう。
ランチメニューのみならもうちょっと安く上がるんだが。
タコのカルパッチョはおいしかったけど量が少なかった。
やっぱり、今度来る時はお得に食べよう。
でもピッツァもパスタもとっても気に入ってもらえて、
「ぜひまた来て、トマトのパスタも食べてみたいね」と言う大内くんは、ここへ来る途中で通った紀伊國屋書店の建物の中の食堂街にもそそられたらしく、
「お気に入りの場所がいろいろできた。新宿はいい街だね。もっとちょくちょく遊びにこよう」と嬉しそうだった。
雨の中を昨日も行ったアパホテルまで歩いて、着替えの入ったリュックを預けて身軽になる。
「このホテルを取ったのはすごくよかったね。夜までの間、休憩できるし、夜に少し飲んだあと、泊まってバッタリ寝られるよ。いいアイディアをありがとう」と言われたが、とにかくちょっと動くと休みたくなる私なのだ。
12時半の開場時間に行くと、昨日より出足は悪いようだがそれなりにお客さんが来ている。
まあ、ほとんどの人が前売りを予約しているし、お友達枠なので不義理なドタキャンもしにくい、というところだろう。
持って来たお菓子を顔見知りのメンバーに渡したら、たいそう恐縮された。
私は息子の元カノが会場案内をしているのに出会ったので、
「Mちゃん、今日、会えるかと思ってた!会えて嬉しい」
「私も会いたかったです!お元気でしたか?」と盛り上がったので、ついうっかりと、彼女とユニットを組むメンバーの名前を出して、
「今、つきあってるの?」と聞いてしまい、
「ちがいますよ!やめてくださいよ!」とマジで怒られてしまった。Mちゃん、ごめんなさい。
Mちゃんには幸せになってもらいたいんだよぅ。
「バカだね!」と大内くんにも怒られてしゅんとしながら観たステージだが、昨日とほぼ同じ、でもところどころ変えてきたライブはさらに面白く、展開を知っているのに楽しめた。
息子の歌と踊りはやっぱり良かった。
終わって出てきたところで、大内くんが、
「後ろの席に、年輩の女性たちがいるんだよ。メンバーのお母さんたちじゃないかなぁ。ちょっと、お話をしてくるよ」と言って会場に戻って行った。
待ってたら、3人の女性と一緒に出てきた。
どうやら、1人が大学時代からの息子の相方、Yくんのお母さんらしい。
一緒にお茶を飲もうということになったようなので、アパホテルに小さいながらもティールームがあったのを思い出して、そちらへ向かう。
全部で5人、それぞれのオーダーと前払いのお会計を別々にして、席について落ち着いて話したら、Yくんのお母さんと、Yくんを通じてのママ友ではないお母さん自前のお友達2人らしい。
Yくんのことは生まれた時から知っていて、公演も何度も観に来ていて、相方である「大内くん」もよく知っている、と言ってくれた。
「大内くんは、演技がうまいですよね。脚本も書くし、才能ありますよ!」とほめられちゃったよ。
2時間ほど楽しくお話をしたが、やはり最大の収穫は、アルバイトをしながらお笑いの道を目指しているYくんとどう暮らしているかの体験談。
1度は家を出たが、「暮らしていけないので戻ってきた」Yくんが部屋を散らかすため、「家の資産価値が下がる」と憤懣やるかたないお母さんの気持ちは痛いほどわかる。
「洗濯とか掃除はしてあげなくもないけど、自分が食べたゴミぐらいは片づけてほしい」
そうそう、そうなんですよ!
大内くんは、
「税金とか健保とかは自分で払うのが当然なのに、その収入がアヤシイ」というあたりに大きくうなずいていた。
ビミョーにツボの違う我々・・・
ホテルの部屋でシャワーを浴びて少し寝てから出かける、という予定はすっかり有意義に消費され、気がついたらチェックインして着替える程度の時間しか残ってなかった。
でも、Yくんのお母さんと、
「これからもお互い困ったら相談しましょう!」とラインを交換した大内くんはとても機嫌が良かった。
そうだよね、ほとんど同じ境遇だもんね。
「大内くんはちゃんと就職したのでうらやましかったです」と言っていたお母さんだが、今や、ちゃんとバイトしているYくんの方がうらやましいのだ。
息子があまり一般的でない進路を選んだ場合、親はどうすればいいのか、公約数的な答えのない世界だけにこういうネットワークは貴重だなぁ。
「今回も、とても面白かった。大内くんの脚本は良くなっていますね」と言ってくれる3人と別れ、特にYくんのお母さんとは今後ともよろしくとくれぐれもお願いして、チェックイン。預けた荷物も引き取った。
ここのアパホテルは珍しく大浴場がないことがわかり、大内くんは少しガッカリしていた。
一瞬ベッドに横になり、さて、出動だ!
もうこれが最後か、と思いながら行ってみると、待ち合わせた友人2人のうち、女性の方がもう来てた。
謝りながら取り置きのチケットをもらい、お財布を出す彼女には、
「ここはいいです!このあと、ごはんを食べる時はワリカンなので」と言って、席に着く。
「もう1人来ますから」と前から2列目の端の方、出入りできる席をお願いして、大内くんに受付の方に行っていてもらったら、やがて男性友人を連れて現れた。
4人並んで、舞台を観る。
2人は、けっこうよく笑ってくれて、楽しんでくれたようだった。
終演後、ごはんを食べに行くことにして、目星をつけていたホテルの向かいの焼肉屋に誘導したのだが、予約で満席だった。がーん。予約しておけばよかった。
新宿にくわしい男性が先頭に立ってくれて、少し歩いたところでロイヤルホストに入った。
「オレも、新宿で知らない店に飛び込む勇気はないよ。ファミレスは安心」
同感だ。
ビールを飲み、それぞれの料理を食べながら、今日のステージの話と息子をどうするかの話。
前にも観に来てくれた男性は、「前回の方が面白かったかな」という、少し辛口の意見。
女性は、お笑いを観ること自体珍しいので、「面白かったわよ〜」という感じだった。
息子の件については、2人とも「とにかく家を出すことだ」と口をそろえていたよ。
私もそう思えて来た。
問題は、収入がないことなんだよね。
「お金を貸してでも、とにかく出せ」という意見が正しいんだろうな。
息子を生まれた時から知っている男性は、
「1度、メシでも食って話してみるよ。彼もバカじゃないから、自分のことはちゃんと考えてるよ」と言ってくれた。
ひとしきり飲んで話して、2人と別れて、コンビニで食料を買い込んでホテルへ。
くたびれたね〜。
私はいろいろ疲れて、悲しくなってきちゃったよ。
最後に会場を出た時、息子が友達に手を振ってたから、彼の視線を捉えた時に私も手を振ってみたら、「ちっ」という顔をされたのを思い出すと涙が出る。
「ライブは大成功だったのに、なんであんなに機嫌が悪いんだろう。私はもう、死んじゃいたいよ」と言っているうちに涙が出てきた。
たぶん、拍手に包まれた息子が、にこやかになって、私にも笑顔を向けてくれるはずって想像してたんだね。
「今夜、家に帰らないことにしてよかった。息子と顔を合わせたらよけいにつらい」と言ったそばから、
「今頃どこかで打ち上げしてるんだろうか。新宿中探して、会場に乱入したい」と言って泣くので大内くんが困って、
「もう帰ったんじゃない?僕らがコンビニで買い物してる時、スタッフの女の子がキミの前にレジでお会計してたよ」と言う。
「えっ、そうなの?打ち上げのための買い物とかじゃなくて?」
「そんなに山ほど買ってたわけじゃないから、もう帰るとこだったと思うよ」
「そうか、今日のところは片づけて帰って、後日打ち上げなのかもね・・・」
ガマンできなくなって、メッセージ入れてみた。
「大山を越えたんだから、もう少し穏やかに優しくなってくれればと思います。よろしく。ゆとりない?」
既読になったのに、返事がないから、もうひとこと、
「返事だめ?」
大内くんは、
「深情けな恋人みたいだねぇ。キミはそういう人だし、気持ちはわかるけど」とますます困る。
ついに、めったにしない電話をかけてしまった。
別人かと思うような明るい声で、「はい、大内です」。
「母さんだけど」
あっという間に冷たい声になって、「は?何?」
「どうしてるかと思って・・・」
「今、外」
「今日、帰るの?」
「え?そっちは帰らないんでしょ?」
「そうだけど」
「また、家で。じゃっ」
あー、切られちゃた・・・
涙にくれてホテルで眠る。
楽しかったから、よけいに悲しいんだなぁ。
この公演が、私にとっても気持ちの張りだったのかも。
明日から、どうやって暮らして行こうかしらん。
17年9月18日
明け方に目を覚まし、うつうつと眠れなかった。
7時ごろ大内くんも起きて、買ってあった菓子パンとかを食べて朝ごはん。
のんびりできるのはいいね。
10時にチェックアウトして、少し離れたTOHOシネマズに「エイリアン コヴェナント」を観に行く。
新宿プチ旅行で鍛えた私の方向感覚は「そろそろ右折」と言うんだけど、大内くんは「もうちょっと先に大通りがあるから、そこで右折だよ」と言う。
「それだと、少し戻る感じにならない?」
「いいや、、曲がった先にあるはずだよ。僕にまかせて!」と自信たっぷりだが、無理やり少し手前で曲がってみたら、ああ、やっぱりもうすでに行き過ぎてるじゃないか!
「絶対、こっちだと思ったんだよ!」
「キミは方向音痴のはずだったのに。コロコロつきのトランクを買ってあげたのがいけなかった。『キャスター』を装備して、パラメータが上がってしまった!」と大内くんが嘆くのは、昨日見た「キャスター」というコントの中で、「ゲームのキャラが『キャスター』を装備」していたからだね。
どうも、トランクを買って以来、大内くんは私がある日決然と家出をしてしまうのを心配しているらしい。
映画館ではポップコーンとカルピス2つの「ペアセット」を買って、上映間近のシアターに飛び込むと、予約した時は10席ぐらいしか埋まっていなかった場内はフルフルに満員だった。
幸い、座席の列が途切れて前の空間が空いている並びの席、しかも車椅子席の横で人の邪魔にならない席を取っておいたので、迷惑にならずに着席することができた。
シートの腕にドリンクのトレイをセットして、両側からポップコーンをつまみながらエイリアンを観る。
うげー、あいかわらずグロいなぁ。
いろいろ言いたくて口がむずむずする状態で観終わった。
シネコンの長いエスカレータを降りながら、
「今ここで、昇ってくる人たちに向けて『ウォルターはぁ!』って叫ぶの、アリかなぁ」
「ピンとこないんじゃないの?叫んでみたら?」と話す。
シネコンの中心でネタバレを叫ぶたわけもの。
もちろんやんなかったですけどね。
新宿駅に戻って、中村屋でカレーを食べて帰ることにする。昨日から、決めていた。
地下の中村屋は猛烈に混んでいたけど頑張って並んだよ。
まあカレーだからそれなりに回転が速くて、20分ぐらいで案内された。
お客さんをさばく黒服を見てると、「息子よ、何でもいいから、働け」と思う。
昨日タカノで制服着て立ってる店員のにーちゃん見た時も、同じこと思ったよ。
有名なインドカレーはおいしかった。
「名前だけは知ってたけど、初めて食べた」と大内くん。
「せっかく高い地面代払って東京に住んでるんだから、有名どころのお店ぐらいは行ってみないともったいないね」と貧乏性の私。
自分たちの「おのぼりさん度」が高いのを感じる。
となりの席の中年男性がしきりに、
「カレーの、辛さが何段階もある店があるんだよ。なんて店だったかな」と首をひねっている。
「それは『ボルツ』では?」と言うわけにもいかず、黙々とカレーとらっきょうを咀嚼していたら、
「そうだ、『ボルツ』だ!どこにあったかな?」
「渋谷です」とはやはり言えない。
おっさん、ケータイでググって、
「そうだ、渋谷だ!30段階もあってなぁ」とかうんちくを語り出す。
「3段階目ぐらいで降参ですよ」とやはり言えずに、それでもガマンできずに突然、
「『ムルギー』ってまだあるのかな。(渋谷です)昔、みんなでよく行ってたけど、私、好き嫌い多かったからあんまりおいしいと思わなかったんだよ。今なら食べてみたいなぁ」
「じゃあ、そのうち行こうか」とかいうかすった会話を交わす我々。
いやぁ、ググれば何でもわかる時代でよかったね。
ボルツの話を聞きながらパフェを食べ始めた隣のおばちゃんを横目で見ながら店を出て、JRに乗って帰る。
すっかり晴れ上がって「台風一過」な青空の下、暑かった。
傘を持って歩いているので、旅行者の雰囲気がいや増すばかり。
でも、大内くん的には、
「キミが1人で回った新宿の、いろんなところを案内してくれてありがとう。キミのプチ旅行を追体験できて、楽しかったよ。これからもまた、一緒に新宿で遊ぼうね」という、ゴージャスな3連休だったのだそうだ。
よかったね。
無事に帰り着いて、あー、くたびれた。
「息子はさすがにいないねー。公演の、後始末とかに行ってるのかな」
「玄関先に荷物がたくさん置いてあったから、いっぺん帰って来てまた出かけたんだろうね」
と話しながら洗濯物を出していて、ふとリビングのソファを見て驚いた。
全裸の息子がタオルケット1枚でがーがー寝てるじゃないか!
シャワーを浴びて倒れ込んだものと想像される。
「寝てるよー!」
「あっ、本当だ!」
荷物の中から貸してあったビデオカメラを掘り出した大内くんは、データをダビングしようとしたが、別のSDカードを使って出してしまったのか、何の映像も入っていなかったらしい。
公演の映像をダビングさせてくれるって言ってたのに。
息子はそのまま夕方まで寝てて、起きたと思ったらバタバタと出かけてしまって、データに関しては何も聞けず。
まったくもって、つまらない。お休みも終わりだ。
17年9月20日
夜中に帰ってきた息子に、大内くんがお金の話とかをしに起きて行ったんだけど、全然聞いてもらえなかったらしくて、悲しそうにベッドに戻ってきた。
「息子を、失ったかもしれない・・・」
頭をなでてあげたら、
「ツラいけど、明日も仕事だから、寝なきゃ・・・」と言って寝た。エライなぁ。
朝は5時に起きて仕事してたし。
息子は、イヤな会社を辞めて好きなコントの道を歩くと決めて、仲間と公演もして、いったい何がそんなにツラいんだろう。
大変かもしれないけど、とにかくやりたいことやってるんだから、いいじゃん。
いくら親だからって、同居人にストレスかけるなよ。
こっちこそ、イヤなことにも耐えて日々オトナの暮らしを成立させてるんだよ!
と、面と向かっては言えないヘタレな私なので、息子が、
「麻婆豆腐?飽きた。他にないの?しいたけの肉詰め?それ少しあっためて」とごはん食べて出かけた後、1人でインスタントラーメンとコンビーフという厨二食をもそもそ食べて気晴らしをする。
コンビーフにマヨネーズって、どうしてこんなにおいしいんだろう。
病院あちこち予約入れなきゃ、って診察券の束持って電話の前に座るだけでも気力が要る。
歯医者は今日休みだorz。
眼科に緑内障の検査の予約入れなきゃいけないのに、今混んでるらしくて、なんと1か月後の予約しか取れなかった。
眼圧下げる目薬、あとひと月ももつかしらん・・・
17年9月21日
マンガを読むのにはiPad Airを見開きで、本を読むのにはiPad mini 3を片ページずつで使っていた。
miniは大内くんのお古で、もともと少しこわれていて画面の下の方が2ミリほど見えなくなっていたのね。
読むのに支障はないから、大内くんが新しいminiを買った時にもらったんだけど、このほどさらにこわれてきた。
見えない部分が1センチほどになって、文庫本の活字ギリギリまで迫り、さらにその喫水線が上がる気配。
「どうしよう?」と見せたら、
「本をすべてデータ化した我が家にとって、タブレットは生命線。本が読めなければ意味がない。即刻買いなさい」とのことなので、ありがたく買わせていただく。
しかし、問題はいろいろある。
私はタブレットをベッドのヘッドボードにつけたスタンドを使って、あお向けの姿勢で読んでいる。
iPad用とiPad mini用の2つのスタンドが伸びたベッドは私の秘密基地なのだが、実はそのスタンドを買うのにはけっこう苦労した。
アームの長さがちょうど良く、使い勝手が良いものに行き着くまでになかなかの旅路があったのだ。
そして、最新のiPad mini
4を買ってしまうと、サイズが微妙に違うので、これまでの3をホールドしていたスタンドでは用を為さなくなってしまう。
アマゾンで探したけど、今、使っているスタンドでmini 4に対応したサイズがあるかどうかはよくわからない。
「miniとしか書いてないから、最新型に対応してるんじゃないかなぁ」と大内くんに相談したら、
「それはもう、mini 3を買うしかないね」という答え。
うん、性能に不満があるわけじゃないから、3でかまわないよ。
というわけで、新しいiPad mini 3を買いました。
全部自分でセットアップして大内くんをあっといわせようと思っていたのに、アプリを入れるところでつまづく。
反則だけど、アップルサポートに電話しちゃった。
アップルのおにーさんおねーさんはとっても親切で、デジタル音痴な顧客がどんなに妙なことを口走っても「はあ?」とか言わないところが大好きなんだ。
今回も、
「それはお困りですね。しっかりサポートして行きますので、どうぞご安心ください!」と言ってくれたおねーさんは、間違ったIDでサインインして暗礁に乗り上げていた私を救い出して、見事アプリを買えるようにしてくれた!
でも、それ以外はほとんど自分1人で新しいタブレット使えるようにしたんだから、さすがに私も慣れて来たもんだ。
当然だがスタンドにもぴったりはまって、画面は隅から隅までキレイで、嬉しいなぁ。
買ったばかりの東野圭吾の「マスカレード・ナイト」を読もう。
こうして寝たきり人生はますます深みにはまって行く・・・
17年9月22日
今日は待っていたマンガの新刊が4冊も届いてたいへん嬉しい。
西原理恵子「毎日母さん 卒母編」
中村光「聖☆おにいさん」
よしながふみ「きのう何食べた?」
山下和美「ランド」
「ランド」だけは息子も読むので自炊せず、枕元に置いといてやる。
私は過去作を読み返して備えるか。
結局午後3時にやっと起きてきた息子。
大内くん作のカルビクッパを温めてやってたら、シャワーを浴びてのそのそと扇風機の前に坐りながら、
「ごめんねー、なんか、起きらんなくって。やっぱ、充電中、ってことで」とつぶやくように言う。
珍しく素直な様子に、たちまち胸キュンになってデレる私。
私「いいんだよ。疲れてるんだろうね。会社に行ってる間はあんまり寝れなかったもんね」
息子「いや、どうも睡眠の質が悪いようなんだよね。呼吸が苦しい」
私「アレルギー?」
息子「うーん、鼻と喉だとは思うんだけど」
私「耳鼻科に行って、薬とかもらってみる?」
息子「やっぱり、手術なんじゃないかな」
私「あー、その方がいいかもね。こういう機会にすっかり治しちゃいなよ。昔、近所の大学病院でレントゲン撮ったの、覚えてない?」
息子「そうだっけ?」
私「小学校のプール授業が受けられないからって、診断書取りに行ったんだよ。アデノイドが大きくて、将来的には取った方がいいって言われたよ」
息子「そうかー。来週でも、病院行ってみるかな」
私「うんうん、それがいいよ」
せっかく人生の夏休みなんだから、大きな治療はした方がいいね。
自分で「充電中」って認めてくれれば、こっちも気が楽だ。
その間に身体も万全にできれば言うことナシ。
10月からはバイトするつもりもあるようだし、にわかに視界が明るくなる。
どうして私はこんなに近視眼的なのか。
長時間記憶力が弱いせいなのかもしれないなぁ。
西原理恵子の「毎日かあさん」読んで、「母さん力」上げて頑張ろう。
17年9月23日
今日は秋分の日で、お休み。でも、土曜日。なんだかソンした。
病院もお休みだから、通院日にもできず。
食料品は、昨日のうちに西友の宅配を頼んじゃった。夜に配達されるまですることなし。
せっかくなので朝寝する。
それでもあまりに無為に過ごすのも気が引けて、昼ごろニトリに買い物に行こうと車を出した。
おや、通りかかった優秀な八百屋が開いてるじゃないか。休日なのに!
「今、野菜はいっぱいあるよ」と渋る大内くんをひきずって突進すると、うーん、キノコ類が安い。
キュウリが10本200円は真夏でも珍しい安値だ。
サラダ食べたいからレタス買おう。
なぜか里芋を買って煮っころがしたいらしい大内くんには、マカロニも買って今度グラタン作ってもらおう。
(レシート見たら「韓国のり組合値引き」で10円引き。謎のマカロニとのりの関係)
やっぱり袋いっぱい買ってしまった。
道路が混んでいて、ニトリまではずいぶんかかった。
枕カバーとタッパーを買いたいんだ。
どちらもけっこう使い込んでしまうが、高いものでもなし、こまめに買い換えて清潔と気分一新を心がけたい。
ニトリは安いし、見た目小奇麗ないろんなものを売ってはいるんだが、家中のあらゆるものがあるのが災いして、品目ごとの種類はさほど置いてない。
枕カバーも「綿100パーセント。あいまいな柄物は不可。色はシーツに合わせて黄色かグリーン系」とシバリをかけたら選択肢がなく、グリーンの無地というつまらない結果になってしまった。
タッパーは、驚くほど「ない」。
いや、すごく大きいのとか、ガラス製のちょっとしゃれたものは多いんだが、我々が求めている「ごはん2合がちょうど入る大きさで、蒸気抜きの穴がついてるもの」というようなニッチなのはなかった。
しょうがないのであまり長持ちしないタイプの安いヤツ、小さいサイズを4つほど買う。
「いくつあってもいいよね」と思うものはザルとボウル。
ステンレスのザルを買い足す。
しかし、ボウルはやはりデザインが凝ってる、趣味の合わないものしかなかった。
タッパーとともに、今度大きなスーパーに行く機会があったら買おう。
今メインに使ってるボウルは、なんと30年ぐらい前に私が会社のバーゲンで買ったサイズ違いの3つ組。
たぶん、我が家で一番古株の家財道具だ。
一番大きいやつは息子が小学校でハンバーグをこねる時に持って行ったため、裏に「大内」とマジックで名前が書いてあるのもご愛嬌か。
もっと買い物がしたくて未練がましく小物を見ていたら、白いプラスチックの「漏斗」が目についた。
今、麦茶をペットボトルに入れるのに使っているのは10年以上前に買ったアルミ製。
「もうずいぶん汚れているから、新しいのを買いなさい」と大内くん。
金属性なので、漂白剤漬け置き洗いができないの。
安いものだから買ったが、実はこれが、本日一番のいい買い物だった。
夜、使ってみたら、ものすごくするすると麦茶が移動する。
お茶を作る係の私が大喜びしているのを見て、大内くんは、
「人生は有限だから、抜ける手は抜いた方がいい。今まで、キミが流しの前に突っ立ってアルミの漏斗でゆっくりお茶を移しているのを見ていて、気の毒だった。よかった」と喜んでくれた。
時間を戻してニトリを出るところ。
まだ漏斗の効用を知らない私だが、2500円足らずの買い物でコストパフォーマンス良くハイになれた。
ニトリの、ここが最高に素晴らしい点だろう。
買い物、しかも「消え物」でない雑貨は、いかにもお金を使った気分になれるものだ。
家を出る時から、今日のお昼ごはんはケンタッキー・フライドチキンを食べたいと思っていた。
昨日、FACEBOOKで「ケンタッキーのチキンから上手に骨を外す方法」を読んだのだ。
「骨って、外すもんなの?初めて知った」というコメントにまるっと同感で、実際にやってみたい。
帰り道でドライブスルーのケンタッキーに入り、家で寝ている息子の分も入れてチキンを8ピース、あと、大好きなボックス・ポテトを買う。
帰るまで待ち切れない運転手大内くんのリクエストでボックス・ポテトを開けてみてびっくり、拍子木型だったポテトは、厚さ1センチ、幅2センチほどにくるんと剥いたような形。
長さのあるものは少しらせん状になっている。
しかし、これがカリッとしていておいしい!
拍子木型より断然、食感がいい。
曲線部分が多いため、箱に意外と量が入っていないところはケンタッキーの陰謀というものかもしれないが、おいしさ的には大正解だった。
2人でポテトの半量ほどを食い尽くしながら家に帰り、チキンもむさぼり食う。
「骨の外し方」を実践する間もなかった。どうせ忘れちゃったし。
寝ている息子に2ピース、私の晩ごはんに1ピース残して、私が2ピース食べたってことは、大内くんは3ピースも食べたのか。
ポテトは、車の中で食べたのが大正解。
帰る頃には水蒸気で少しぐんにゃりしていた。
息子に少し残して食べちゃったけどね。
大内くんが昼寝している間に、息子が起きてケンタッキーを食べて出かけ、西友の配達が来た。
この夏ずっと食べ続けていた3個250円のゼリー、マンゴーを12個、みかんを9個、白桃を9個、合わせて30個も買ったのだが、なんと白桃は品切れ。代替品として、パインが。
代替品は希望しなければ断ってもいいことになっているので、ゴメンして、持って帰ってもらった。
明日、白桃のゼリーを買いに行かなくちゃ。
夜は大内くんが個人的な飲み会でお出かけ。
息子が昔お世話になった塾の塾長と、久しぶりに会ってくる。
私も行くことが多いんだけど、手術以来体調が安定しないので外での飲み会はパスしておこう。
小雨の中を吉祥寺に出かけて行ったよ。
2時間飲んで、帰ってきたのが11時頃。
2年後に塾の講義を持たせてもらいたいと希望を出し、私にも、問題集のカット描きのオーディションを受けないかという話をもらってきてくれた。
特段何もないと思っていた1日だが、ずいぶんいろんなことがあったなぁ、と眠りにつく。
日々の生活は、それだけでイベントフルだ。
だから私は、毎日ごろごろしてても生きていけるんだね。
17年9月24日
昨日届かなかった白桃のゼリーを買いに西友へ。
その前に、ブックオフに寄ろう。
サイバラの「まいにちかあさん」最終巻だけ買って読んだら、これまでのも読みたくなったので。
しかし、見事に置いてない。アマゾンに頼るか。
しょうがないから前から買いたかった田中圭一の「うつヌケ」を買い、あと、昔育児マンガでお世話になった青沼貴子、コドモたちが大きくなって「就職できるかな?」というマンガを描いていたのでそれも買う。
何しろ長男がニートだ。
今、私はこの話題に弱い。
ニートの息子から言われて嬉しいセリフは、
1.「仕事が決まった」
2.「面接に行ってくる」
3.「背広、どこだっけ?」
なのだそうだ。身につまされる。
西友では、ついでに春巻きの材料を買う。
よしながふみの「きのう何食べた?」に揚げ春巻きが出てきて、久しぶりにすごく食べたくなったので大内くんにリクエストしたのだ。
春巻きは結婚前からの大内くんの得意料理。実家で作っていたそうだ。
これしか作れなかったのだが、何しろ、デートに遅れたので糾弾したら、
「春巻き巻いていたので家を出るのが遅れた」と言われたことがあるぐらいだ。
巻く時に「太めに切ったきゅうり」を入れて揚げるのが、彼の実家風。
驚いたけど、食べてみるとちょっと冷たい食感がアクセントになって、なかなか良い。
コドモが生まれてからは大量に作って冷凍しておくようになったため、きゅうりは入れないようになったんだが。
そんな長年の得意料理なのに、「何本巻くんだか、忘れちゃった」と言う。
「昔は60本とか80本とか作って冷凍してたよ?」
「最近はそこまでたくさんは作ってない。うーん、40本で行こう。その場合、中身はどれぐらいだっけ?いかん、完全に忘れている。そういう時は基本に帰ろう」とぶつぶつ言いながら、春巻きの皮の袋を見て、豚小間の見当をつけていた。
夜は大鍋いっぱいのカレーと春巻きの具を作ってもらい、2人で黙々と40本の春巻きを巻く。
大内くんが思い出したところでは、「標準は50本」だったのだそうだ。若干少ない。
「今夜は何本食べる?」と聞かれ、「そうだなぁ、6本かな」と答えると、10本冷凍しておいて、残りは揚げると言う。
「ウィークディに、息子とキミのごはんにして」
はい、作り置きのカレーと18本の春巻きで乗り切ります。
巻くのに手間取ったため晩ごはんが遅くなり、「おんな城主直虎」は追っかけ再生になってしまった。
今週も夢中で観る。
「観始めた時は、こんなに面白くなるとは思わなかったなぁ。僕の大好きな『黄金の日々』とかと同じく、DVDを買いたいほどの出来だよ」と大内くんは来週が待ち切れないらしい。
近所の本屋のおばちゃんから「政次ロス」だという告白を受けたと思ったら、店番をしている妙齢の娘さんからも「高橋一生はカッコいいですよねっ」と声をかけられるようになった私は、その店で「政次ファン」という位置付けになっている。
高橋一生が表紙のTVガイドを買っただけなのに。
17年9月25日
医者のハシゴ。
とは言っても、今日はカイロプラクティックと歯医者しかも歯のクリーニングなので、「病気」からはいささか外れている。
こないだまでなんだか病気三昧だったからなぁ。
カイロプラクティックは今日で2回目。
「背骨がまっすぐすぎる」と言われ、骨盤の矯正を受けている、らしい。
「うーん、前回、少し良くなったんですが、戻っちゃいましたね〜」と先生が困っていた。
Tシャツと短パンという服装で受けに来たので、
「こんな格好でいいですか?先生のやりやすい服にしますけど」と聞くと、
「患者さんが楽な格好でいいです。スカートでさえなければ」という答え。
私「スカートで来る人もいるんですか?」
先生「それが、いるんです。困りますよ。『施術者は男性だ』ってわかってるでしょ?!って思います」
私「はぁ、気を使いますね。密室ですからね。早く若くてイケメンじゃなくなると、楽ですね」
先生「貫禄が欲しいですね」
・・・若いのはともかく、イケメンだって言われて、否定しなかったよこの人。
いや、イケメンなんですけどねww
施術を受けると腰痛もひざの痛みも一時的に消えるので、きっと効いているのだろうと思い、8回分の「お得な回数券」を買って通うことにした。
そしたら、サービスで「骨盤矯正バンド」をくれた。
黒いパンツにマジックテープで留める幅広のバンドがついている。
これで骨盤を締めていると、腰痛が良くなるのだそうだ。
1時間の施術を終えて次は歯医者。
簡単な検診と、歯のクリーニング。
歯石を取っても全然痛くない。最新の機械と技術か。
たいそう綺麗になったし。
次は半年後ぐらいに案内のハガキが来たらまたクリーニングに来てくれ、とのこと。
家に帰って骨盤矯正ベルトを巻いてみた。
効果のほどはよくわからないけど、私は身体を締めつけるものがキライで、ブラジャーも外出する時にソフトタイプのものをつけるだけなんだよね。
このギチギチしたベルトを常時つけていられるかどうか、心許ない。
17年9月26日
「来週からは朝、起きる」と言っていた息子が起きないので、メッセンジャーで苦情を言ってみた。
「明日も起きるかどうかもめるのかなぁ」
息子の返事は、
「何も気にしないでください。人間は午前中に起きなければならないという法律はないので」
いや、そうじゃないでしょ、あなたが「起きる」って言ったんじゃん。
家族グループなので、大内くんが参加した。
「父さんと母さんの家は、午前中には起きて活動を始める家だよ。法律は関係ない」
息子の答え。
「馬鹿すぎる。本当に東大出てんのか。扱う言葉が貧相すぎる」
無茶苦茶言うなぁ。そしてラリーが始まった。
大「意味がよくわからないよ」
息子「結局、午前中に起きなきゃいけない理由が家のルールだから、ってだけなの?」
大「そうだよ。他の大人が運営している家に暮らしているんだから」
息子「お母さんは病気だから寝てねきゃいけない時もあったけど、その時からあったルールなの?」
大「母さんは本当にずっと病気だったから。君にも何か理由があるの?健康な成人だと思っていた」
息子「適当にルールを作るなよ。このルールのゴールは大人は午前中に起きるもの、っていう盲目的な理由だけなの?」
大「ルールは運営している大人が決めるんだよ。それは受け入れるしかないよ。かわいそうだけど」
息子「馬鹿か」
大「都合悪くなったら『馬鹿か』とか言うのは卑怯者のすることだ」
息子「いや、12時ちょうどに起きればいいだけなのだから大丈夫です。何も都合は悪くなってない。こんなに魅力的じゃない言葉遣いする人だったんだね」
大「その脅しには屈しないよ。真面目に会話しているだけだから。遅くとも昼には活動を開始する家だということを受け入れるのか?」
息子「脅しでもなんでもないわ。別に起きようと思えば昼前に起きるのは可能なので起きます。その上で、めちゃくちゃガッカリした」
大「真実そういう人なので、仕方がないよ。誤解が続いているよりいいと思う」
息子「おう」
大「夜中の仕事なら別だけど、基本的に夜更かしは時間の無駄だよ。結局今の君は毎日10時間かそれより多く寝ているので、時間がもったいないと思う。身体と心を休めなければならないということがなければ薦めない暮らし方だ。父さんは君の方が頭もいいし身体も立派だと思っているんだよ。なのに、学歴のことを持ち出すなんて、つまらないよ。お願いだからそんな小さな男ぶりを親に見せないで」
もう、このへんまででいいかげん頭が痛いと言うか、あまりの言い合いになってしまったので収拾がつかなくなったかと思ったんだけど、事態は急転直下。
息子「ほーい」
大「わかってくれればいいんだよ」
息子「ごめん」
大「父さんにがっかりしたから、適当に言ってるの?」
息子「適当言ってるわけじゃない」
大「真面目に答えてくれてありがとう」
???なんで息子は急におとなしくなったの?
やっと口をはさむゆとりができたので、私も参戦してみる。
私「病気だったし、これから先のない母さんの人生と、未来が開けていて何でもできる、一瞬一瞬が貴重なあなたの人生とを一緒にしないで。もっと自分の未来を大切にして。あなたは伸びゆく人なんだよ」
息子「おう。頑張るわ」
それでラリーは終わり、しばらくして帰ってきた息子は黙って寝てしまったけど、何が起こったんだろう?
大内くんが紋切り型に「つまんないルール」を持ちだしたように見えて怒ってたのが、きちんと説明したから納得した?
わからん!
その晩は、「悪魔のようになった息子に超絶ひどい目に合わされる」夢をみた。
暴虐の限りを尽くしたあと折りたたみ傘に変身した息子を、ビニール袋に閉じ込めて身動きできなくさせるのだが、いつの間にか抜け出して巨大な缶詰を私の頭上に倒してくる。
下敷きになってつぶれる私。
なんとか再び息子を傘の姿に変えて袋に詰め込み、捨てて来て、と大内くんに頼む。
「わかった。中央線特急甲府行きに置いてくるよ。遠くの駅で遺失物置き場に塩漬けになってるよ」
「何言ってんの!戻って来て、どんなひどい目に合わされるかわからない。絶対生き返らないように始末して!」
「そうか!じゃあ、製鐵所に行って溶鉱炉に放り込んでくるよ。エイリアンもターミネーターも、最後は溶鉱炉だよ」
それなら、とホッとしたところで目が覚めて、
「いかん!息子を殺そうと思ってた!」とかなり焦る。
こういうのって、相当煮詰まってるのかなぁ。
そうしたら、起きて出かけようとした息子から誘われた。
「今度、芝居でも観に行かない?」
「いいね。無名の人の安いやつがいい?高いやつ?」
「安いのは、自分でも観られるからなぁ」
「そうか、じゃあ、有名な劇団のを観よう。父さんも一緒がいい?2人で観る?」
「どっちでもいいよ」
「それなら父さんも誘うよ。3人で行こう。今度、何がいいか、調べておいて。チケット買うから」
「わかった」
スポンサーが欲しいだけにしても、のってみるか。
彼なりの、歩み寄りかもしれないし。
しかし、息子は我々の本棚から「うつヌケ」を持って行って読んでるようだ。
大内くんが心配しているように、ウツなのかしらん。
長男がニートやってる青沼貴子の「就職できるかな」も持って行ったぞ。ニートの自覚があるのか?
17年9月27日
やっぱり昼過ぎまで起きないじゃないか。
「12時ちょうどに起きればいいだけなのだから、大丈夫です」とか啖呵切ったくせに。
夕方、大内くんが会社からメッセンジャーで、
「昼前に起きるって約束、守ってくれましたか?」って聞いたら、「12時に起きた」ってウソ言うから、
「起きたの12時40分じゃん」って書いたら、大内くんが、
「それは約束違反だよ。ごまかすのはよくない。そういうのはやめてください。『今日は起きられなかった。ごめん』がしかるべきだと思う」と言うのに対し、しばらくして、
「約束が守れず、ごめんなさい」と返してきた。驚いた。
おまけに、夜、帰る前に、
「今日、終電なくした友達を泊めてもよいかしら」って聞いてきた。
大「いいよ。男?女?」
息子「女」
大「つきあってるの?」と聞くのは、息子はカノジョができるとやたらと家に連れてきて泊める習性があるから。
息子「いいや」
よかった。息子も前のカノジョとは「距離を置く」と言っていたきりだし、今の活動を通じて接点が続いているので、しばらくは未練がましくしていてほしい。
やがて女の子を連れて帰って来た。
大内くんは寝ていたので私が挨拶だけしたが、うーん、美人だなぁ。
ルックスだけで言えば、今まで家に連れて来た女の子の中で一番美人かもしれない。
短い自己紹介でわかったのは、演劇関係の友人で、私の大学の4年生だということ。
つまり、元カノと同じ卒業式に出るんじゃないか!
こっそり息子に確認したら、元カノとは知り合いじゃないらしい。
あの狭い大学で、よくそんなニアミスをやるなぁ。
女出入りが激しいので、親の方がドギマギしてしまう。
そういうことは親のあずかり知らぬところでやってもらいたい。
次にカノジョができても、正式に紹介する時以外は家に連れて来なくていいから・・・
この人は、親に何を求めてるんだろう。
ものすごく信頼し、甘えてるのか?
自分のやりたいことを、禁止したり制限したり、絶対しない存在だと思っているのか?
これだけ反抗的なのに平気で友達を家に泊めたがる、その気持ちがわからない。
私も大内くんも親がうるさくて、しかもコドモの友達を好き嫌いで分けて「つきあうな」とか言うタイプだったので、次第に家に友達を連れて行かなくなったものだが、息子は全然そういうことはないみたいだ。
でも、友達と我々がしゃべると怒る。
親の居住空間に連れて来ておいてそれはないだろう、とは思うのだが。
彼としては「自分の家に、自分の友達を連れて来てるだけ。自分の勝手」と思ってるようだね。
翌朝、リビングに布団を敷いて寝ていた女の子が早起きしたので、
「もっと寝ていればいいのに。お父さんは出かけちゃうから、もう邪魔はしないよ」と言ったら、
「いえ、用事がありますから。大内さんも起こしてくれって言ってました」と言って、自分の部屋で寝ていた息子を起こして、一緒に家を出てくれた。
少なくとも今朝は起きられた彼である。ありがたかった。
17年9月28日
大内くんが半休を取ってくれたので、1時にタイ料理屋「クルン・サイアム」で待ち合わせて一緒にランチ。
1人で吉祥寺に向かうと、風はもう秋なのに、エアコンのかかっていないバスの中はめちゃくちゃ暑い。
大内くんはもうお店に着いていた。
「キミには気の毒だけど、今日はエアコンがついてないよ」
「バスの中もそうだった。暑い」
「え?バスも故障?」
と言われてよく見ると、「エアコンが故障しております。ご迷惑おかけします」と貼り紙がされていて、大きな扇風機が出ている。
秋になったからじゃないのか。
汗を拭き拭き、いつもの「パッ・タイ」を食べる。
ダメだ、また残してしまった。
「カオソーイ」とミニごはんを平らげた大内くんが引き受けてくれたけど、どうしてひと皿が完食できなくなっちゃったんだろう?
おなかすいていたのになぁ。
「暑かったね。でも、お客さんはみんな、まんざらでもない顔で食べてたよ」
「そうだね。タイ気分が盛り上がったね」と話しながら店を出て、先日買ったiPad mini 3の画面に貼るフィルムを入手しにヨドバシへ。
もうmini 4のフィルムばっかりじゃないか。
すみっこにやっと3種類ばかりの3のフィルムを見つけて、買う。
最新機種について行かないのはやっぱり心細いものだね。
今日の一番の目的は、ユニクロで唯生の服を買うこと。
センターの看護師さんに「可愛い秋物を」と言われてからずいぶん間があいてしまった。
主観的には何だか多忙な日々なのだ。
おもに息子のことで勝手に心労してるだけな気もするけど。
唯生、後回しになってしまって、すまん!
大きめのキッズか小さめのレディースかで少し悩むが、まあ、キッズだろうな。
体幹だけなら140かもだけど、手足が長い唯生なのでモノによっては150、という感じ。
スパッツやTシャツ、上着などを数枚ずつ買った。
キリッとした男顔だから案外ブルーが似合うかも、と男児モノも混ざっている。
大内くんのイチオシはパープルに黒の千鳥格子柄のスパッツ。ちょっとオバサン柄だと思うのは私だけ?
ふくらんだ荷物を抱えて、バスに乗って帰る。
せっかく外でデートだからもうちょっと遊びたかったけど、2人ともくたくたにくたびれてしまった。
「半日働いただけなのに。隣の課の『激務のヒト』Hくんからしたら、1日の4分の1ぐらいの労働しかしてないよ」
「軽く昼ごはんまで、って感じ?」
「いや、それどころか、Hくんにとっては10時のオヤツが終わったぐらい」
「なのにあなたはよろよろになって倒れ込む、と」
「そう。ダメだなぁ!こんなに働けなくて、会社員が勤まるんだろうか・・・」
つぶやきながら家に帰り着いた大内くんは、
「あー、ベッドが恋しかった・・・」と言って、本当にベッドにもぐり込んで寝てしまった。
まだ3時前なのに。せっかく半休取ったんだから、遊びたいのに。
でもあっという間に熟睡されてしまっては仕方ない。
自慢じゃないけど私は筋金入りの不眠症で、そんなに簡単に眠れないんだぞ。
寝遅れるといびきの騒音でますます眠るのが難しくなるし。
晩ごはん、よく眠れた大内くんは寝られなかった私に「キノコのペペロンチーノ」を作ってくれた。
FACEBOOKが教えてくれたポイントは、
1.にんにくを焦がさない
2.パスタに塩味をしっかりつける
3.オリーブオイルにゆで汁を加えて、よく混ぜて「乳化」させる
ですよ!
この3点をちゃんと守ってくれたので、おいしかった。
「ボンゴレ・ビアンコ」に加えて「ペペロンチーノ」を自家薬籠中の物としつつある大内くんだ。
17年9月29日
8年前に、高校時代の親友が亡くなった。
家族だけの密葬が終わったあと、親しかった友人たち3人と私と大内くんでお焼香に行き、数年に1回しか会わなかった彼らと、それ以来毎年会うようになった。
今年もまた命日が近づいてきたので「偲ぶ会」をしよう、と3人にメールを出したのだが、中の1人、Oくんからは返事が来ない。
ケータイにかけてもつながらない。
自宅で仕事をしている彼とは他に連絡の取りようがなかったので、2週間ほどたってからハガキを書いた。
わざわざハガキにし、彼が知っているはずの私のケー番を書いたのは、もし何かあって近所に住んでいる親御さんなりアパートの管理人さんなりが見ても連絡をくれるようにと思ってのことだった。
しかし、4日後、ハガキは「あて所に尋ねあたりません」とスタンプを押されて戻って来てしまった。
集まる予定の友人のうち、Oくんの沿線に住んでいるNくんに連絡して事の次第を話すと、Oくんのアパートを見に行ってくれた。
誰も住んでいないと言う。
Nくんがアパートに貼ってあった管理会社の連絡先を読み上げてくれたので、電話してみた。
Oくんの友人であることを説明し、連絡を取ろうと試みたことを話して、
「何かあったのではないかと、心配しています」と言うと、話しにくそうに、実はふた月前に亡くなったのだと教えてくれた。
お父さんも来た、と言っていたので、近くの老人ホームに住んでいることは聞いているが、と言うと、私の連絡先を伝えてくれると言う。
そして夜、お父さんから電話があった。
Oくんはくも膜下出血だったそうだ。
暑い季節のことなので孤独死を心配していたのだが、幸い、週に1度はご両親と連絡を取っていて、たまたま亡くなった日に電話して出ないのを不審に思い、翌日に人に見に行ってもらったところ、倒れているのが発見されたとのこと。
早くてよかった。1人で亡くなったのは気の毒だが、それだけは幸運だった。
高校時代のOくんは厳しいご両親だと言っていたが、大人になって近くに住むようになって隔てが取れたようで、会ったことのない私たちのことをお父さんは、
「年に1回、皆さんと会うのが楽しいと言っていました。少ないけれど良いお友達がいてくださって、ありがたいと思っています。今年も皆さんが集まるのなら、その場にうかがってお礼を申し上げたいのですが」と言ってくださった。
「遠いのでお気持ちだけ」とお答えし、
「納骨が済んだら友人たちと誘い合わせてお墓参りに行きたいと思います」と言うと、
「では、その時に知らせていただければ、皆さんにお目にかかりたい」とおっしゃるので、「それは是非」とお答えする。
私はどうしてもOくんのことをもっと聞きたくて、
「ご迷惑でなければ、親しくしてもらっていた夫ともどもお目にかかってお話を伺いたいのですが」とお願いすると、快諾していただけたので、近いうちに老人ホームを訪問させていただくことにした。
「私たちも、息子の話を聞かせていただきたいです」とお父さんはおっしゃっていた。
我が家に「自炊」をもたらしてくれた「お師匠さん」の彼と、お互いに本のデータを入れたハードディスクを預け合い、毎年会うごとに1年間新しいデータを増やしたものに交換していた。
お父さんにその旨お話して、OくんのHDは形見として手元に残させていただくことにした。
我々のHDは、これからお兄さんがパソコンの中身を整理したりするそうなので、もしお兄さんが欲しければ持っていてもらっていいし、いらなければいつか返してもらうのでいいが、急がないのでゆっくり整理してください、と言っておいた。
半分泣きながら電話を切ると、大内くんが「お疲れさま」と肩を抱いてくれた。
ここしばらくずっとOくんのことを一緒に心配してくれて、亡くなったとわかった時は、
「大好きな友達が次々亡くなって、悲しいだろうね。本当にかわいそうだ」と慰めてくれた。
ありがとう、大内くん。
でもね、つらいよ。悲しいよ。
どうして60にもならないうちに、大の仲良しを2人も亡くさなければならないんだろう。
年に1回みんなで会う合間に、Oくんとはメールをやり取りしたり大内くんを連れてOくん宅に遊びに行ったりしていた。
今年も、心臓の手術を受けたこと、手術のあと、Oくんも心配してくれていた薬の服用をやめられたことを話そうと思っていた。
思いのほか回復が遅くて寝込んでいたのでついおっくうになっていたけど、もっと早くメールしていればよかった。
それで彼が死ぬ運命を変えられたとは思わないけど、せめて7月に連絡していれば、何か話せてのお別れになっていたのに。
今年は、自分の病気にかまけている間に親しい女友達のSちゃんに逝かれてしまい、そしてまた、Oくんか。
「もうOくんに会えないよ。話もできない。もっと早く連絡していればよかった」と泣いたら、大内くんは、
「手術以来薬をやめたキミの口調がはっきりしてきて、昔みたいだから、Oさんも喜んでくれたかもね。残念だったね。でも、Oさんはいつもキミのこと、高校時代の写真の中と同じ熱い視線で見ていたから、ずっと特別な人だと思っていてくれたよ」と慰めてくれた。
私にとっても特別な人だった。
5年ぐらい前に、大内くんはOくんに頼んだことがある。
「彼女を残しては死なないつもりですが、もし私が先に死ぬようなことがあれば、残された彼女がとても寂しがるでしょうから、一緒に暮らして話し相手になってやってくれませんか?」
元カレであるOくんは、「ああ、いいですよ」と答えていた。
長い長いつきあいなので、歳を取ってそばにいてもいいな、と思っていた。
もちろん大内くんがいなくなってしまったら、のことだけど。
そのOくんが先にいなくなってしまった。
彼が読んだ膨大な本も、観た膨大な映画も、彼の頭脳と一緒に消えてしまった。
人間は、何のために生きるんだろう。
死んだら、何が残るんだろう。
大内くんが死んでしまったらどうしよう。
怖くて、不安で不安でたまらない。
17年9月30日
午前中は月に1度のマンション理事会。
大内くんが行ってくれる。
10年に1度のお仕事とはいえ、面倒くさいよね。
「住んでる苦労を分かち合う、と言う意味でも、息子に代わりに出席してもらいたいぐらいだ。もう成人してる住人なんだから資格はある」とぶつぶつ言いながら出かけて行ったよ。
今日は3時間もかかり、午前中いっぱいがつぶれてしまった。ご苦労さん。
昼から心臓のクリニック。
今日は手術後初めてのエコーを撮って「血液を吐き出す力」を測るはずだったんだが、先生が新しい技師さんに不満で辞めさせてしまったので、今日のところは検査できなくなってしまったらしい。
ひと月後になった。
「より正確な検査が受けられますよ」と言う先生だが、クビにするならちゃんと次の人を充当してからにしてほしい。
毎月の血液検査の結果出る数値があんまり良くないので、心臓の働きを助ける薬を増やして行かなくてはならないらしい。
弁と血管を交換したことで機能が上がるかと思っていたんだけど、心筋症の症状が消えていないようだ。
少しユウウツになる。
せっかく治って前向きに暮らして行こうと思っていたのに、やっぱり生きているのは面倒くさいとしか思えないじゃないか。
景気づけに、前から欲しかった「たこ焼き器」を買いに行く。
ネットで読んだ「イワタニのスーパー炎たこ」というカセットコンロ式のがとてもいいらしいのだ。
使っている友人がFACEBOOKでほめているのを見て、ますます欲しくなってしまった。
「ガスコンロだから電器屋には置いてない。ホームセンターだ」と言う大内くんに連れられてお店に来たが、電気式のものしか置いてなかったので、店内でもうアマゾンをぽちっとしてしまう。
明日届くらしい。
ホームセンターはただでさえアマゾンに客を奪われているだろうに、こんなヒット商品を、
「さあー、そういうものは置いてないですねぇ」と言うような意識の低さでは困るぞ。
その足でスーパーに行き、たこや天かすを買う。
「タネは、小麦粉に『だし』や山芋を入れて作ればいい」と言う手作り派の大内くんを、
「最初だから心配。専用の粉を買おう」と慎重論で言い負かして、さらに、
「西友開発商品、『みなさまのお墨付き』でいいんじゃない?」と安く上げようとするところをブランドイメージで押し切り、結局、「日清のたこ焼き粉」を買う。
しかも、量を間違えて2袋も。
とりあえず40個作りたいんだが、200個もできちゃうぞ。
もちろん一部しか使わないけどね。
最新「年中休業うつらうつら日記」
「年中休業うつらうつら日記」目次
「510号寄り道倶楽部」