17年10月1日

朝の9時から息子と家族会議のはずが、起きやがらねえので、結局11時になった。
こういうルーズなところがガマンできない。
せいうちくんから、
「1週間以内に家を出るように」と言われて初めて真面目に考えたらしい息子は、
「それはさすがにムリ。年内ぐらいで」としぶしぶ言っていた。
「金がないからルームシェアとか考えたい。相手を探すのから時間がかかる」のだそうだ。

せいうちくん「11月には家を出る、10月になったら計画を話してくれる、って約束だったでしょ」
息子「さあ」
せ「自分が言ったんじゃないの」
息子「忘れた」
せ「何日も前から今日の話し合いのためにメッセンジャーでリマインドもしたよ」
息子「よく読んでない」
せ「不真面目だね」
息子「なんで真面目になれないのかな・・・親を、バカにしてるからだろうね・・・」
せ「バカにしないでください」
息子「会社とおんなじこと言うんだよな。普通って言うか、つまんないことばっかり」
せ「会社がイヤだったからって、親と同一視しないで」
息子「ふーん・・・」
ろくに顔を見ずにしきりとキーボードを叩いてメモを取っているのは、真剣なのか逃避なのか。

前のお給料の残りが9月20日に入ったがかろうじて自分のおこづかい分しかまかなえない彼には、敷金礼金等の初期費用だけは貸してやらねばならない。
30万ぐらいか。
それすら貯められない人に1人暮らしを始めさせて暮らしが立ちゆくものかと心配だが、放っとくと何にも考えないようなので少し追い込むしかない。
実際、「10月になったら働く」と言っていたのに全然その気配がないので、おととい、
「来週から働くっていう約束だよね。最低限、金銭的自立が大人の条件だよ」と厳しく言っておいたせいか、
「月曜から週3回夜中のバイトをする」と言い始めた。

「どんなバイト?」とせいうちくんが聞いたら、
「言わない。いろいろ言うから」とコドモのようなことを言う。
「今まで君のやることをいいのダメだの言ったことないでしょ?もっと親を信用して。何すんの?」と重ねて聞かれてやっと、「新宿のバーテンダー」だと白状した。
「やったことあんの?」「ない」
シェイカーを振ったこともないのに、そもそも、前の会社で「気配りができないから」と軽んじられて傷ついて辞めたくせに、どうしてそんな気配りのカタマリのような仕事を選ぶのか。
「社会勉強」つったって、コンビニや居酒屋のお運びさんも充分社会勉強になると思うよ。
まあいい。四の五の言っても始まらない。働く気になっただけでもよかった。

「床に靴下とか放り出さないで。ルンバが巻き込んで、壊れる」
「牛乳を飲んだあとのコップはすぐにゆすいで。放置すると底にこびりついて洗うのがタイヘン」
「起きるつもりがないのに目覚まし用にケータイでいつまでも音楽鳴らすのやめて。うるさい」
ああ、どうしてこんなに細かいことばかり言わなければならないのか。
しかも、何度言っても守れない。
理由もきちんと伝えて、納得してもらってると思ったのになぁ。
「他人と暮らしてるつもりで、気を使って」とせいうちくんが言ったら、
「ふーん、他人ね。はいはい」とふてくされたようにキーボードに打ち込んでいた。

「もうよろしいですか?終わった?質問は?ないね?」と言い捨てて彼が出かけてしまったので、せいうちくんと大きくため息。
まあいい。家を出てもらう目途だけは立った。

ぐったりしているところに追い打ちをかけるように、待ちわびていた「たこ焼き器」は明日まで届かないことが判明。
すっかりその気になっていたので大変ガッカリ。
まあいい。決戦は、明日だ!

17年10月2日

たこ焼き器が届いた。
さっそく開けて、使い方をチェック。
そうか、やっぱりテフロンだから金串はダメなんだな。
どっちみち家には串がない。よし、買いに行こう。

近所のスーパーに自転車を走らせ、竹串を買う。
台所用品の「爪楊枝」と同じところにあると思ったのになくて、あせったけど、少し離れたところに置いてあった。
12センチのものと15センチのものの間でしばし悩む。
熱い鉄板の上で使うことを考えて、長い方がいいだろうと思い、15センチの方を買った。
普通のねぎを使うつもりだったが、たこ焼き器についてきたレシピ通りに作ろうと「小ねぎ」も購入。

家に帰って40個分のたこ焼きの粉を溶き、たこを40片に切り、小ねぎと紅しょうがをみじん切りにし、天かすを出しておく。
準備ができたところにちょうどせいうちくんが帰ってきた。
お風呂に入ってから、いざ、たこ焼きだ!

くぼみは20個。
思っていたより薄い溶き液を半量、鉄板に流し、ひとつずつたこを入れ、小ねぎと天かすと紅しょうがを一面に散らす。
私の分の10個には「醤油」をたらしておく。
ソース味ではなく醤油味で、しかも「焼けてとろっとした小麦粉の中に醤油がしみている」状態を作りたいのだ。
チリチリと焼けてきたところで、竹串を使って「4分の1回転」ひっくり返す。
ここで、小刻みに2回返すことによって、うまく丸くカリッと焼き上がるのだと言うが・・・せいうちくんは説明書を読んでもそのへん理解しなかったらしく、いきなり半回転させてしまい、もう、こんもりとした「たこ焼き」のカタチができちゃってる。

「違うよ。ちょっとずつひっくり返すんだよ。作り方よく読んで」
「えっ?あっ?ホントだ。ちがう」
しかし、指示通り作っている私の方がブサイクだ。
「えーい、もういいや、ひっくり返しちゃえ!」
2人して竹串でころころころころ、丸い丸いたこ焼きを転がし続ける。
素晴らしい!なんて簡単に丸くできるんだ!
昔使っていた鋳物のたこ焼き型とは比べものにならない手軽さに、夢中になってしまった。

焼きたてのたこ焼きはとてもおいしかった。
食べながらふた焼き目を作り、慣れたのでさらに簡単にできた。
私は小さい頃食べて長年恋しかった「醤油味のたこ焼き」を食べられて嬉しい。
せいうちくんの食べるソース味のも分けてもらって食べて、それなりにおいしいとは思うけど縁日でもコンビニでも食べられる味だから、家で焼く時は醤油で行こう、と強く思った。

「たこ焼きって、外で買うと1人前せいぜい8個だよね。今回は20個ずつあるよ。さすがに食べ切れないね」と言われ、
「もちろん残しておいておやつにするんだよ。焼きたてがおいしいからできるだけたくさん食べるけど」と残りをお皿に集めたら、12個。
1人14個も食べちゃった。

しかし我々は、これから夫婦2人暮らしに戻ろうかという時になんで「たこ焼き器」なんてかさばるものを買って、200個分もの粉でたこ焼きを作ろうと目論むのか。
まったくもって計画性がない。
こういうのはコドモが小さいうちに楽しんでおくもんだろう。
ホットプレートでお好み焼きはさんざんやったけどね。
昔は楽しかったな。一緒にごはん食べて。
ちょっと涙が出た。もうじきお別れだ。
息子よ、家を出る前に1回ぐらい食卓を囲んでたこ焼きを焼こう。

17年10月3日

3回目のカイロプラクテッィク。
先日もらった「骨盤ベルト」の使い心地を聞かれたので、
「締めると腰痛がいいみたいです。でも、まだ暑いので、あせもができちゃうんですよね〜。もうちょっと涼しくなったら楽にできると思います」と答えたら、あまりうるさいことを言わない主義らしい若い先生はうんうんとうなずいていた。
教えてもらった体操もあんまりしていないことを告白したけど、
「負担にならない範囲でやって行きましょう」とのお返事。
ありがとうございます。
自分の身体のことではあるんですが、私、まったくもって体育会系じゃないんです。

あちこち押して背骨と骨盤の矯正を受け、帰りがけに「ストレート・ネック」の矯正に効果があるという枕を購入。
1万4千円ナリ。
正直言って効くのかどうか疑わしいのだが、なにしろ自分で治そうという気があまりないものだから後ろめたく、せめて誠意を示したいという実に卑屈な動機で大金を投じるのだった。

待合室で順番を待っていた親子連れに枕を抱えて会釈をしたら、お母さんが、
「その枕、うちも買いましたよ」と言う。
「使ってみて、どうでした?良かったですか?」と聞くと、
「はい、良かったです。この子が『ストレート・ネック』なものですから」と横に座った中学生ぐらいの男の子に目をやり、彼はニコニコとうなずいていた。
「そうですか。使うのが楽しみです。お先に失礼します」と言って治療院を出たが、なんとなく嬉しくてうきうきした。
人と気持ちが触れ合う瞬間ってのは、いいもんだなぁ。
高価な枕を買うのが自分だけじゃないと知って、なんとなく安心したし。

10日に1回ぐらい通うだけでも、今の私には荷が重い。
本当は常時骨盤ベルトを装着のうえ寝る前に体操をし、できれば散歩とかもして自分で治さなければならないんだが、正直言って今は何もする気になれないのだ。
せいうちくんから、
「身体が手術のダメージから回復していない。今年いっぱいぐらいはゆっくり静養して」と言われているからまだいいが、これで、
「もう治ったろう。怠けてないでキリキリ働け」と言うようなダンナさんだったらいったいどうするんだろう。
いや、もちろんそんな人とは結婚しないつもりなんだが、わりと人は、豹変するものらしいからなぁ。

施術を受けていても、うつぶせになるとまだ胸の傷が痛い。
骨はくっついているが、皮膚が引きつれて痛むのだ。
先日、心臓のクリニックで傷を診てもらい、
「ケロイド体質のせいか、傷が盛り上がってしまって」と言うと、
「半年近いんですよね・・・まあ、きれいにくっついてますよ。ひどい人はまだガーゼが取れなかったりしますからね」とのこと。
今度、せいうちくんが行きつけの皮膚科でアトピー用の軟膏をもらう時に一緒に行って、できれば傷を柔らかくする塗り薬でももらえればと思っている。

17年10月4日

夜中にせいうちくんがうなされた。
私は眠れなくて自分のシングルベッドでマンガ読んでたんだけど、突然「うあ、うわ、ああぁうぁ〜!」って声が聞こえたので寝たまま飛び上がり、となりのダブルベッドに転がり込んだ。
「だ、大丈夫!?」
肩を抱いて、揺り起こす。
目を固く閉じて「うう〜」とうめいていたせいうちくんは、「あっ・・・夢だったのか!」って言って目を開けた。
「どうしたの!?」
「・・・追いかけられる夢をみた」
「何に?」
「・・・忘れた・・・でも、キミがすぐ起こしてくれて、よかった」
言いながら、ぶるっと震えると、「怖かった・・・」とつぶやいて、また寝てしまった。

こっちの方がよっぽど怖かったよ、よりにもよって「東京喰種(グール)」読んでる深夜3時に、いきなりすぐ横で悲鳴を上げないでほしい。

せいうちくんはめったに夢をみない、というか、みても忘れてしまうのだそうで、毎晩2時間おきに悪夢にうなされて目を覚ます私より健やかに眠れる人なのだが、たまに悪夢をみるらしい。
そして、いざみるとなると慣れてないぶん気の毒な感じがして、できるだけ励ましてあげたいと思うのだ。
今夜も助けてあげられて、よかった。

明け方までマンガを読んで、せいうちくんが起きるまでの数時間を一緒に眠るのが日課。
ダブルベッドにもぐり込むと眠ったまま抱きついてくる。
よく寝ているので、誰が入って来ても抱きつくのではないかと疑っているのだが、
「僕の隣に入って来るのはキミだけだと思っているからだよ!」と心外そうに言う。
誰か男の人を放り込んで試してみたい、と常々思っているけどなかなか機会がなくて残念だ。

でも、ぎゅうぎゅうと腕を巻きつけてくるのが嬉しくて、人生のこの時期になっても抱きしめて一緒に寝てくれる人がいるのは本当にありがたいなぁ、と思う。
体感温度とか眠りに入る速度とかが全然違うのでベッドを分けたけど、「おやすみ」を言う時と「おはよう」を言う時は同じベッド。
せいうちくんが7時頃に家を出たら、私は2、3時間1人で眠る。
起きたらまたマンガを読む。

心臓の手術をきっかけに長年の睡眠薬をすっかりやめたので慢性的に寝不足なのだが、まあ、寝不足で死ぬことはあるまい。
死ぬより先に眠くなるはずだ。
せいうちくんも1日に5時間ぐらいしか寝てなくて眠いのだそうだけど、目覚まし一発で起きてしまうのは歳というものだろう。
明け方に寝て10時間ぐらい寝ている息子のいびきが家中に響くのを聞きながら、
「若い頃はいくら寝ても眠かった。彼もいつかはこんなに眠れなくなる」と大目に見てしまう我々だ。

17年10月5日

息子はなんとたった1日でバイトを辞めた。
「あんな仕事が面白いとは思わない」って、社会勉強だっつって自分が決めて来たんでしょうが。
怪しいバーのバーテンダーだったので、ビビったに違いない。
さすがに怪しすぎて、辞めてくれてほっとしてしまい、「簡単に仕事を変えるな」と指導できないところがつらい。
辞めたことを3日ばかり隠していて、「今日は休みだから」とか言っていたのもよろしくないし。

また仕事を探さなければならない。
「映画館ででも働く」と言っているけど、簡単な仕事なんてないよ。
夜中のバイトとは言えせっかく生活が軌道に乗るかと思われたのに、イチからやり直しかぁ。

ますます頑なになって不機嫌な息子に、何と言っていいかわからない。
来週には24歳になるんだけど・・・彼の未来はいつ開けるのであろうか。

17年10月6日

柴門ふみの「東京ラブストーリー After 25 years」を読んだ。
大ヒットした「東京ラブストーリー」から25年たったあとの話。
「カ〜ンチ、セックスしよ!」で一世を風靡した赤名リカと、その息子アフリカが現れる。
リカを捨てて選んだはずのさとみとの結婚生活は穏やかだが、リカとの再会に中年になったカンチの心は揺れ、それは、かつての恋人三上の夫婦仲がうまくいっていないと知ったさとみにとっても同様で・・・

とまあ、描かなくてもいい後日談を描いてしまった感は否めない。
しかし、私は何でも後日談が大好きなのだ。
「めでたしめでたし」で終わった話の、そのあと。
ストーリーは決して終わらない。
常に小さな到達点があるだけで、そこからまた新しい日々が始まり、お話は続いて行く。

読み終わって、泣いてしまった。
「人が見れば50歳のおじさんだけど、私には高校時代の彼らが透けて見える」
「今は中高年・・・でも心の目にはいつも輝かしい日々の彼らが映るの」
「人生を並走してきた者たちだけが見ることのできる景色――」
8年前に亡くなった高校時代の親友Mくん、そして2か月前に亡くなった元カレのOくんを思い出さずにはいられない。

2人とも、ずっと生きていてくれるはずだった。
30年のつきあいが40年になり、50年、60年と歳を重ねて行くはずだった。
若い頃に見えない未来の中でお互いを必要としていた情熱が冷めても、長い日々を共に語らってきた者同士として、熟成した友情を静かに大切に思いながら一緒に老いて行くはずだった。
まだ少し照れくさい10代の思い出話を、いつかは穏やかにしてみたかった。
それが全部、途切れてしまった。
死んでしまった人には二度と会えない。
今何を考えているのか、あの頃何を考えていたのか、もう決して聞くことはできない。

だからこそ、人はいつも真剣でなければいけないのだ。
時は戻らない。生命は還らない。
人には生きている間に誠を尽くし、共に過ごす時間を大切にし、かつて共有した思い出に感謝しなくてはならない。
それを怠った分だけ、後悔という苦い罰に耐える日々がやってくる。
今生きている友達に心を砕いて行きたい。

幸い、せいうちくんとは比較的長い時間をここまで一緒に過ごすことができた。
出会ってから35年、お互いに誠実に、悔いのない関係を築いてきた。
これからどのぐらいの時間が許されているのかわからないし、友人たちを若くして亡くした今の私には人生がそう長いものには思えないけれど、寿命が続く限り、大切に思っている気持ちを伝え続けよう。
出会えてよかった、結婚できて嬉しい、人生の伴侶に選んでくれてありがとう、と言い続けて、いつか、できるだけ長い時間がたったあとに私の方がほんの少し早く先に行こう。

17年10月7日

土曜日は朝イチで食料品の買い出し。
優秀な八百屋は今日も安い。
秋はきのことナスだね。
レジ袋4つも野菜を買い込んで、3500円ですむ幸せをかみしめる。
今日いちばん嬉しかったのは「しそ」。
80枚も入ったパックが150円。
普段10枚を98円で買っていることを思うと、夢のようなぜいたくだ。
しかし、何に使うのか全然ビジョンがない。

今週は何を食べようかなぁ。
たこ焼きをまた食べたい。
しそを買ったから、大好きな「カツオの混ぜ寿司」を作ろうか。
涼しくなったので鍋物にも惹かれる。水餃子とか。

車で西友も回ってから、大量の食品を冷蔵庫に詰め込んで、バスで吉祥寺に。
1ヶ月ぶりに整形外科へ行き、膝の関節炎にヒアルロン酸の注射を打ってもらった。
お昼ごはんは「孤独のグルメ」井之頭五郎さんも行った「カヤシマ」で、「ナポリタンとハンバーグのわくわくセット」を。
世の中でナポリタンに私より多量のケチャップを入れる人はここの「社長さん」だけかも。
駅ビルの中の優秀な魚屋さんでは、たこ焼き用のたこと混ぜ寿司用のカツオを買う。
3連休中のごはんが次々と脳内で完成して行く。

1時半にせいうちくんと私の2人分、予約を取った皮膚科の診察。
せいうちくんはいつものアトピーの塗り薬をもらう。
「で、奥さんは?」と言いながら女医さんがモニタに私のカルテを出したので、
「手術の傷跡が痛くて」と見せると、
「うーん、いつごろでしたっけ?」と聞く。
「4月です」
「何の手術?」
「弁と大動脈の交換です」
「そりゃ大変でしたね。まあ、きれいにくっついる方ですよ。傷が盛り上がってるのはね・・・ひと月に1度の注射を何度か続けるとか、薬を飲むとか」
「通院できますから、注射をお願いします」
「はいはい」

というわけで、細い針で、15センチほどの傷跡の何ヶ所かに注射をしてもらった。
けっこう痛い。効きそうな気がして注射してもらったが、飲み薬にしといた方が良かったか?

「特に女性はね、乳房で両側に引っ張られるから傷が開き気味になるんですよね。テープで留めといた方がいいです」と、シリコン入りのテープを薦められ、注射のあとの出血を止めるのを兼ねて、看護婦さんが3センチほどに切ったテープを傷に貼ってみせてくれた。

薬局で800円のテープを買いながら、せいうちくんが、
「先生、看護婦さんに『ちょっとテープ長すぎ』って言ってたよ。ケチだね」と笑っていた。
あの先生はそういうとこがカワイイので、せいうちくんも私もファンなんだが。

いつものように病院のハシゴで暮れた土曜日だったなぁ。
くたびれたので昼寝をして終わってしまいそう・・・

17年10月8日

高校時代の男友達が急死したのでご両親を弔問しようと思っていたら、まったくの別件で、訃報が舞い込んだ。
息子が小さい時に面倒を見てもらったシッターさんのダンナさん「おじちゃん」、実の孫のように可愛がってもらっていて、会社を辞めて荒れている息子のことを相談したいなぁ、とか思っていた矢先に、心筋梗塞で突然亡くなったと「おばちゃん」から電話が。
この土地に引っ越してきて20年ちょっと、本当にお世話になってきたご夫婦なのだ。

お通夜とお葬式はまた考えるとして、午後に友人の親を訪ねるつもりだったので午前中に「おじちゃん」に会いに行くことにし、せいうちくんと喪服を着て、駅前の花屋で白を基調にした花束を2つ作ってもらった。
弔問のダブルヘッダーになるとは思わなかった。
なんだか頭がじんじんする。

78歳だという「おじちゃん」は安らかだった。
おばちゃんによれば、本当に突然のことで、朝、起こそうと呼びかけたら目覚めなかったのだそうだ。
「お父さん、って揺さぶったけど、もう冷たくなってたの」
まったく苦しむことなく、ほとんど眠ったままだったろうと、搬送した救急病院で言われたって。
せめてもの慰めだ。

「お父さーん、せいうちさんご夫婦が来てくださったよー。『うちの孫』のパパとママだよー」と「おじちゃん」に声をかけるのは、近所のコドモを預かって可愛がっていたご夫婦は我が家の息子も大勢の「うちの外孫」の1人にカウントしてくれているから。
お線香をあげてお茶をいただきながら見せてもらった「おじちゃん」の昔の写真の中には、小さい頃の息子のショットもあった。
よく遊んでもらったなぁ。
柔道をやっていた「おじちゃん」に稽古をつけてもらったこともあったろう。

大学を卒業してからは顔を出していない息子の近況を話して、
「今日はバイトの面接があるので一緒に来ませんでしたが、近いうちに顔を出すと言っていました。どうぞ、お説教してやってください」とおばちゃんにお願いして、次々とやってくる弔問の人々に席を譲って辞去した。

家に帰って喪服を脱ぎ、休憩してから今度は川崎までのドライブ。
友人のご両親は名古屋から出てきて、こちらの老人ホームに住んでいるのだ。
2度ほど遊びに来た彼のアパートから本当にすぐ近くだった。
車を停めて中に入り、受付で用向きを告げると、初対面のお父さんがロビーで待っていてくださった。
「遠いところをわざわざありがとうございます。今、家内もまいりますから」と、共用部分の応接室に案内してくださる。
すぐにお母さんもいらして、こちらは高校時代に友人たちとお邪魔した時にお目にかかっているのだった。

お父さんがくわしく話してくださったところによると、友人は、8月初めに1人暮らしのアパートで突然くも膜下出血に襲われて倒れ、そのまま亡くなったそうだ。
週に1度ぐらい電話をしていたお父さんがたまたま翌日かけて、出ないのを不審に思い、歩いて見に行ったところ明かりがついているのにインターホンに答えない。
おかしいとは思ったけどとりあえず帰って、その翌日また見に行ったらやはり出ないので管理会社や警察に連絡して開けてもらって発見、という流れだったそうだ。
2日後に発見されたし、エアコンがついていたので大事に至らなかったようだが、それでももう1日遅かったら腐敗が始まっていただろう、というところまで話してくれた。

年に1度、高校時代の友人たちと集まって飲むのを楽しみにしている、とご両親に語っていたらしく、
「友達が少ないので、ありがたいと思っていました」とお礼を言われた。
そのメンツでお墓参りをしたいと思う、と言ったら、
「その時には声をかけてください。皆さんにもご挨拶して、お礼を申し上げたい」とのこと。

「『明日死んでも後悔しない生き方をしたい』とよく言っていました。合理的で冷静な人でしたから、本人としては悔いのない人生だったのではないでしょうか」と言うと、友人によく似た面差しのお母さんはハンカチを顔に押し当て、お父さんは、
「親にはあまり話をしてくれなかったんですが、お友達から息子の話を聞けて、胸のつかえが取れる気がします」と言ってくださった。

お兄さんがパソコンの中身を整理しようとしている、と聞いて、せいうちくんが、
「Oさんは、冗談のように、もし自分が死んだらパソコンの中身は見られないように何重にもロックをかけてある、と言っていましたから、もしかしたら難しいかもしれません」と言ってくれた。
我が家に預かっているOくんの蔵書のデータが入ったHDは、形見にもらっておいていいようだ。
彼に預けてある我が家のHDが見つかったら返してくれるそうだが、お兄さんが興味を持つようならお手元に置いてもらってもいいと思う。

応接室から居室に場所を移し、Oくんの若い頃の写真が飾ってあるささやかな祭壇を見せてもらう。
手向けた花束を入れて、写真を撮った。
今度友人たちと集まったら、見せよう。

2時間ほどお話をして、充分に思い出話をして、辞去した。
胸が詰まり、涙が浮かび、ご両親と悲しみを共有した時間だった。
次は墓前でお目にかかる約束をして、お別れした。

1時間ちょっとの帰りのドライブ中も、せいうちくんと彼の思い出に浸ることができた。
様々な思い出を分かち持ってくれる得難い伴侶だ。
今日は弔問二連発で、いささか疲れた。
人の命ははかない。
生きているこの日々を大切にしよう、と素直に思えた。

17年10月9日

6時に朝帰りしてバッタリ寝てしまった息子。
「午前中に『おじちゃん』の顔を見に行く」と亡くなった人の家を訪ねるはずだったのに全然起きないので、せいうちくんと2人、すごく気をもんだ。
昼過ぎにやっと出かけたが、喪中でとり込むお宅を訪問する約束をしたくせに時間通りに行かないなんて、他人の都合をどう思っているのだ。

「やっぱり早く家を出てもらおう。彼といると振り回されてイライラしてしょうがない」と愚痴をこぼしながらたこ焼きの準備をし、昼下がりからは友人女性を迎えてのたこ焼きパーティー。
「うさちゃんたちの家に来るのは去年の1月以来かなぁ」と言う彼女と私は8月に四谷でランチをしたが、せいうちくんに会うのはお正月以来だと言っていた。
例年はもうちょっと会っているんだが、やっぱり今年は私が寝ついていたせいで交友関係が不活発だ。

たこ焼きを60個焼いて、私の好きな「醤油焼き」はあんまり売れない。
いいんだけどね、1人でいっぱい食べるから。
もちろん20個ぐらい余ったから、あとでおやつにしたし。

彼女のおみやげは「栗どら焼き」。
私は栗がキライなので、せいうちくんと2人、顔を見合わせて吹き出してしまった。
「え?なに、なに?」とあわててる彼女にそう言ったら、
「ああっ、しまった!知っていたのに!」と激しく恐縮するのは、かつてモンブランをホールで持って来てくれた時に「実は栗がキライ」と言ってあったから。
ゴメンね、私は好き嫌いが多いんだ。
給食で居残りさせられたクチだよ。
「私の好きなもの、知ってる?」
「フィナンシェ!」
うん、知っているなら次はそれで頼む。
でもね、この「隙だらけ」の関係が、なごんで楽しいんだよ。

会話はさまざまに弾んだけど、このあと仕事がある彼女とは時間制限つきで、いつものことだが話し足りなくて名残り惜しい。
長年の友人やお世話になった人が急に亡くなることが続き、落ち込み気味なので、慰めてもらいたかったんだけどなぁ。

夜には息子からメッセージ。
「この間来た人がまた来ても大丈夫?」
「大丈夫だよ。カノジョ?」と地雷覚悟で尋ねたら、「そうだよ。彼女」。臆面もないな。
せいうちくんと2人でひっくり返って驚いた。
「女の切れない人だね!」
「こないだ振られたばっかりなのにね!しばらくは未練がましくしていてほしいよ」
「我々は元カノのシンパだから、新カノへの対応は苦しいね」
とうなだれ、困り果てる。

それでも帰ってきた息子が真面目くさって紹介してくれたのは嬉しいし、ルックス的にはこれまでで一番の美人だったので、何と言ってよいやら。
ただ息子よ、こないだ聞いたら私の大学の後輩だと言っていたから「で、○○さんはICUなの?」と聞いちゃったよ。
「え?違います」って、別大学でも全然かまわないのに、会うなり出身大学を聞くヤなおばさんに落ちぶれちゃったじゃないか!
演劇つながりだと言っていたはずが「劇団?いいえ」と言われ、いったいどこで知り合ったんだろう?
いやいや、もういい、言わないでくれ。
元カノにも悪いし、きりがないので、今後は息子のカノジョに過剰な関心は持たないでおこう、というのがせいうちくんと話し合った結論なんだ。

リビングでカノジョと映画を見る、と言っていた息子が我々の部屋に入って来て、
「おじちゃんに会ってきた。オレ、ちゃんとするよ。仕事もするし、頑張る。おじちゃんと約束したんだ」と決意の表情で語ったが、いつもよりほんのちょっとスリムに見えた。
人間、真面目な時は引き締まるのか。
おじちゃん、きっと息子に説教してくれたんだね。ありがとう。

17年10月10日

息子の24歳の誕生日。
泊まったカノジョが「1限がありますから」と言って朝早く1人で起きて帰って行ったのとは対照的に、昼過ぎまで起きない。
人間、誕生日だからって急に変わったりはしないものなんだなぁ。
昨日の晩、「おじちゃんと約束したからしっかり暮らす」と言っていたような気がするんだが。

どこに行くのかわからないが息子が夕方出かけ、せいうちくんも遅いしつまんないなぁ、と思っていたら、
「父さんは今日、遅いの?」とメッセンジャーで聞かれた。
私「接待で10時半ごろになるって言ってたよ。なに?」
息子「帰りに吉祥寺でごはん食べよう、って伝えておいて」
私「連絡つくのが9時頃になると思うよ」
息子「いいよ」
私「父さんと、外で話したいんだね?」
息子「そう」

ラインとメッセンジャーを入れてせいうちくんからの電話を待っていたけど、接待が長引いたらしくて結局10時頃にかかってきた。
大「今からだと11時頃になるなぁ。いい?」
私「いいよ。ゆっくり話を聞いてきて」
何か、決心でもしたんだろうか。

せいうちくんが帰ってきたのは午前1時頃。
あまりいい話ではなかった。
「親が恥ずかしくてしょうがないから、言うことを聞く気にならない」のだそうだ。
だから家を出なさい、って言ってるでしょう、と言ったら、カノジョが4月に就職するのを待って一緒に暮らそうと思うので、それまで待って、ということらしい。
今、面接の結果待ちのバイトが決まっても月に7万ぐらいにしかならないが、創作活動を重視したいのでそれ以上は働けないんだって。
明日も会社がある人を呼び出して、夜中まで引きとめて、そんな話かい。
これまでさんざん週末に話そうとしていたのに、キミがまともに話してくれなかった件じゃないか。

「会社を辞めたことを非難している、と思ってる?」とせいうちくんが聞いたら、「うん」と言われたらしい。
「それだけは、ないから。そんな世間体重視なことを考えてると思われてるだけで、ものすごくイヤだから」と言ったら、
「オヤジはそうかもしれないけど、あんたら2人ともの意見なのかどうか、確信が持てない」。

えーっ、私もそこまで信用ないの?!
なんかもう、ガックリくるなぁ。
辞めて惜しいほどの会社だなんて、思ってないよ。
それぐらいなら最初からキユーピーとかカルビーとか、聞こえのいい安定した大手に行けって高圧的に言ってるよ。
クリエイティブで好きな仕事をしたい、って言うから、まかせておいたじゃないか。
自分の自信のなさを親に投影して当り散らすな!

せいうちくんも消耗していたが、とにかくこの状態で4月までガマンして一緒に暮らすことはできないと思うので、カノジョの分の家賃を援助してでも11月中ぐらいに出て行ってもらおう、と意見が一致した。
金曜日に誕生日ディナーを外で食べる、その時に話そう、と決着して、今日は寝る。
オトナは明日も生きて行かねばならんのだ。

17年10月11日

お世話になった「おじちゃん」のお通夜。
せいうちくんも参列すると言って早く帰って来た。
しかし、外出先から行くと言っていた息子は、「やっぱり行かない」とメッセージをよこした。

「その時間を、コント師としての勉強に充ててほしいっておじちゃんが言ってる気がする」って、そんなに一刻を惜しむような暮らし方はしてないじゃないか。
亡くなった人の言葉を勝手に作って、盾にするのは卑怯だよ。
「悲しすぎて自殺したい気分になったらどうするんだ」って、脅迫するのはますます卑怯だし。

「悲しいんだとしても、安っぽい」と叱ったら、
「僕の気持ちを勝手に推し量るな。おこがましい。恥を知れ」と返事が返ってきた。
厨二状態。

「おじちゃんとのお別れに際して、自分の気持ちを最優先していることが安っぽい。子供だから何でも許されてるだけなんだよ」と送ったら、
「あとで斎場には行く。気持ちが落ち着いたら」と言う。
もう時間だし、我々は我々で出かけよう。

喪服で自転車に乗って斎場に着いたら、驚くほど大勢の方が来ていた。
「おじちゃん」の人徳だなぁ。
列に並んで、お焼香をする。
おばちゃんとお子さんたちが弔問客1人1人にお辞儀をしており、涙で声を詰まらせたおばちゃんの「ありがとうございます」が痛々しかった。
突然のことで、まだ心が落ち着いてはいないだろう。

混み合った境内で息子の姿を探したけど見当たらない。帰るか。

夜中に帰ってきたので「お通夜は行ったの?」と聞いたら、
「行ったけど、閉まってた。黙祷してきた」と言っていた。
ちゃんと参加して、おばちゃんの心を慰める助けをしてほしかったんだけど、彼はその「ちゃんと」を毛嫌いする精神年齢にとどまっているようだ。
純粋におじちゃんを悼む気持ちが嘘だとは言わないが、誰よりも悲しいおばちゃんを支えるために皆が集まるのが葬儀なので、自分だけが悲しいようなことを言って酔っていても仕方ないと思う。
そういう考え方が「普通すぎてイヤだ」と彼に両断されるところなのかもしれないが。
若い人との断絶は深いよ。

17年10月12日

せいうちくんが高校の時の友達と飲み会で、遅かった。
10時には終わると言っていたのに10時半を回ってやっと電話してきたので、「遅い!」と言ってそのあとラインを無視していたら、「家出しないでね」とラインを送りながら焦って帰ってきた。

ふてくされていようと思ったんだが、ベッドに座って私の足をもみながら、
「医者になった人がいてね、キミの手術はたいへんな大手術だって言ってたよ。榊原病院も高梨先生も日本一らしいよ。運が良かったね、って言われたよ」と話しかけてくるもんだから、ついつい相手になってしまった。

私「大した手術じゃない気がするんだけど」
せ「いやいや、難しい手術だそうだよ。弁置換よりも、大動脈の交換が難しいらしい」
私「ふーん」
せ「弁の奇形から、大動脈が風船のように膨れてしまうことはあるんだって。キミはそういう状態だったんだね。成功してよかった、って言われたよ」
私「そうなのか。心筋症は治るって?」
せ「いや、やっぱり完全に治るのは難しいらしい。一生つきあって行くしかないだろうって。気をつければなんとか生活して行けるんだそうだよ」
私「治らないのか・・・」
せ「僕がついてるし、大丈夫だよ。ほどほどに暮らして行こう。旅行代理店の人もいて、シベリア鉄道の旅を紹介してくれるって言ってたよ。心臓が悪いとロシア旅行はリスクがあるけど、何かあったらとにかく日本に帰って来てね、って。ロシアや中国で入院しちゃ、ダメなんだって」
私「ロシアの人も、難しい病気だと北海道の病院に搬送してもらいたがるらしいね。あわよくば内地の病院に運ばれて、手術受けたいんだって」
せ「そうそう。榊原病院にも、ロシアの人が来るらしいよ」
・・・いつの間にか引き込まれちゃったじゃないか!

「古い友達を大事にしろってキミが言うから出かけてみて、楽しかったよ。ありがとう!」って、帰りが遅かった件は完全にごまかされて寝たが、秀才ぞろいの同級生たちに気後れしていたせいうちくんが、そのへん大丈夫になったのはめでたいことだ。
若い頃は趣味が合うとか価値観が一緒とかいうところに重きを置いてしまうけど、この歳になると、思い出を共有しているだけでも友達づきあいの甲斐があるよね。
旧交を温めて来て、よかったよ。
「怒ってごめんね」と耳元でささやいたら、もう「ぐー」って眠ってた。寝つきのいい人だなぁ。

17年10月13日

「明日の朝、早く起きたいから」と言ってソファで寝てしまった息子。
そこで寝るな、と再三言っているのだが、ベッドで寝るより早起きしやすいと信じているようだ。
「何時に起きるの?」
「9時」
しかし、9時半になっても目ざましすら鳴らないじゃないか。
しょうがないから起こしたけど、結局10時半まで起きなかった。
たとえバイトの面接に受かっても、これではすぐにクビになるんじゃないだろうか。

8年前に亡くなった友人が出てくる夢をみた。
アニメーターだった彼が美術専門学校に通っているのを迎えに行ったら、幽霊とゾンビばっかりで、「生きてる人間が来た!」って大騒ぎになって何度も殺されそうになった。
「もう、Mくんと一緒にこっちにいようかな」って思ったが、死ぬ前に目が覚めたのはよかった。
Mくん、なんとなく私に残ってほしそうだったし。
いや、実は生徒に主婦が多くて、授業も面白そうだったんだよ。
先生がゾンビでなかったら、通いたかったかも。

ゾンビはキャンディーが弱点、っていう設定の夢だったので、ゴミ箱の飴を集めて溶かしたのを塗りつけたナイフで刺して倒した。
敵もさるもの、前もって犬を殺して、犬のゾンビをけしかけてきたりする。
我ながら夢が面白すぎる。寝ていて疲れるわけだ。

2か月前に亡くなったOくんのご両親に会ってきた話を同じ高校の女友達にラインでして、ついでにその夢の話をしたら、
「そこにOくんはいなかったの?彼は美術に興味ないか」と聞かれた。
「まだいなかった。彼だったら『戻るんだよ』って言ってくれたかな」
「そうかも。あこちゃんの夢、面白い!マンガにして」
ホラーの絵柄じゃないんだよ。

そしたら彼女が言う。
「今、スッキリに『にゃんこスター』が出てる。あの2人、つきあってるんだってね」
「もう有名なんだ」と言いながらリビングに行って、寝ている息子に、
「にゃんこスターがテレビに出ているらしいよ。見ていい?」と聞いたら、「ダメ」と言われた。
後輩が売れているのがツラいらしい。
ラインに戻って友達にそう言ったら、「笑」が返ってきた。

お仕事に行く彼女に「行ってらっしゃい」のスタンプを送って、出かける息子を見送って、さて、夕方に彼の誕生日ディナーを食べに行くまではヒマだ。
読み返してる「バクマン。」の続きを読もう。

17年10月13日

先日息子の誕生日だったので、一緒に食事をする約束になっていた。
時々夫婦で行く、よしながふみ御用達の中野のイタリアンに連れてってやろうと待ち合わせしてたんだが、
「体調が悪いから遠出はキツイ。吉祥寺で頼む」と連絡が入る。
「そもそも外食がツラくはないのか?」と聞いたら「それは大丈夫」と返ってきたので、すぐにイタリアンの店に電話して予約を取り消し、代わりに家の近くの中華料理屋の席を取り、会社から中野に向かっているせいうちくんに連絡を入れて、一件落着。
あー、短時間にアドレナリンを放出して頑張った。
「せっかく予約してくれたのに、ごめんね」と息子が言ってきたし、よかったじゃないか。

と言うわけで3人でこじゃれた中華を食べる。
えーと、

ホタテと大根のサラダ
中国青菜炒め
油淋鶏
魚のさくさく揚げにんにくだれ
じゃがいも豚肉細切り炒め
青菜と鶏肉のお粥
鶏肉とピーマンねぎかけご飯

を頼んで、あと、ジョッキを1杯ずつ飲んだ。
いいすべり出しだ。

「こないだ受けた映画館のバイト面接はどうだったの?」と聞いたら、「落ちた」。
受けてから1週間も結果がわからないのかい。
おととい「朝の9時に起きる。用事がある」と言っていて起きられなかった、あの時が呼び出しで、遅刻してふいになったんじゃないかと疑ってしまう。

「で、次のバイトのあてはあるの?」と聞くと、すでに三白眼になって、
「そうやって『バイト探せ、働け』ってせっつかれるのがイヤだ」と言う。
「母さんだって、病気だから働けないんでしょ?ムリなもんはムリ」って言うから、
「ちゃんと病院行ったり薬のんだり、やれることはやってるよ。あなた、病気なの?」
「違うけど、やれない時はある」って、ついに人の病気のことまで引き合いに出して、しかも無茶な比較をして自己弁護するかね。
こないだも、
「母さんだって起きられない時はあったでしょ」とか言ってきたなぁ。
悪いけど私はせいうちくんとの了解のうえで身体の弱い専業主婦やってんだよ。
おまけに、コドモを育て上げてそろそろ引退したいんだ。
楽そうだからって、将来のある若いもんがマネしないでくれ。

「親にあれこれ言われるのが、本当にイヤ」って凶悪な目つきをされても、経済的に自立してないうえに親の家で暮らしてるんだから、そりゃ、言われるよ。
「家を出ればいいじゃん」
「出たいよ。金がない」って、なんで金がないか、よく考えてみて。

そのへんはせいうちくんと相談してあったので、
「初期費用は貸すし、4月からカノジョと暮らすにしても、できるだけ早くアパート探してあなただけで住み始めて。4月までのカノジョが出す分の家賃と生活費は援助するから」と通達する。
「公演の準備もあるし、ムリ」と言うけど、今後も2、3ヶ月に1度は公演をして行きたいんだったら、バイトや引っ越しと同時進行しなかったらやっていけないよ。

しぶしぶのように、
「11月中ぐらいには」と言うから、
「それまでの間は、朝、早く起きること」と言い渡したら、やっぱり「ムリ」。
決まった時間に起きて生活することができなかったらバイトもできないじゃん。
おいしい中華を食べながらどんどん険悪な話し合いになって、料理が全部出て、食べ尽くす頃にはサイコーに雰囲気悪くなり、しまいに息子は「帰る」と言って席を立ってしまった。
決裂だ。

せいうちくんと中華料理屋の椅子にもたれて、「はあ〜」とため息をついた。
せ「言うべきことは言ったよ」
私「うん。よくもまあ、あんなに自分勝手なことばっかり言えるね。人の金でメシ食ってさ」
せ「厨二だね」(こないだ教えたので、「中二」と変換してたのを「厨二」に直したようだ)
私「こんなんなってもカワイイから、好かれたいから、悲しいけど、これ以上一緒にいたら、ますます嫌われるよね。離れた方がいいんだよね?」
せ「うん。いつかわかってくれるよ。今は、とにかく家から出そう」
2人でのろのろとお会計をして家に帰った。

先に帰っていた彼は部屋にこもっているようだ。
この方が普通と言うか、思春期も反抗期も扉を開けっぱなしにしていることの方がおかしかったよなぁ。
こちらの気持ちをはね返すように扉が立ちはだかっているのは、かえって気持ちが落ち着くような気がする。

寝る前に書斎に行ったせいうちくんが息子につかまっていた。
「金がない。バイト探しに行くにも金がいるから、来週、2万円貸して」と言われたらしい。
最後の給料が9月20日に入ったきり収入ないし、貯金もしてなかったからオケラなのは当然なんだけど、すぐバイト見つけないと早晩そうなるよって警告しなかったっけ?
根拠なく、「大丈夫」って言ってなかったっけ?
「急に『お金貸して』って言わないで。1週間前には言って」って前もって言っておいたよね。
お借り入れは計画的に。
そもそも、食事してる時に言うべきじゃん。怒って帰っちゃったくせに、実は金欠でしたか。
「明日の案件。また話そう」とせいうちくんが言っておいてくれたようだ。ああ、また家族会議。

17年10月14日

朝、八百屋に買い物に行ったらナスがすごく安かった。10本ぐらいあって200円。
おばちゃんに、「おねーさん、ナス、持ってって、ナス!」と言われ、家にいっぱいある気がするのでいったんは断ったんだけど、せいうちくんに聞いたら、もう食べちゃったって言うから、
「ダンナが、もうナスはないって言うから、もらう!」って言ったら、喜んだおばちゃんが、
「ホント!じゃあ、おまけしておくね!」ってザルから2本取って、私がかごに入れたナスの山に足してくれたよ。
店のおにーちゃんが、
「あ、おばちゃんの魔法の手を見ちゃったなぁ」と笑っていた。魔法の手、ありがとう。

それと、「しそ」がまた安くなってた。
先週は100枚150円だったけど、100円!
使うあてはないが、買うしかない。

気分良く買い物をして、昼はたこ焼き焼いて、夜は息子と話し合い。
なかなか進まないけど、12月から会社勤めをするつもりらしい。もちろん確定ではないそうだが。
「そうすると、1月まで決まった収入がないわけだよね?生活費はいくらぐらい?カノジョとルームシェアするまでの家賃の援助も含めて、いくらぐらい必要?」とせいうちくんが聞いてもはかばかしい答えが得られないので、
「それまでのつなぎにバイトして、いくら稼げる?」と聞くと、
「7万円ぐらい。創作活動を優先したいので、それ以上はムリ」と言う。
「バイトは探してるの?」
「まだ」
温厚なせいうちくんもさすがに軽くキレて、
「今から1時間あげるから、時給いくらぐらいのバイトがあるか、ネットで調べて!」と息子を部屋に追いやった。

夕食の餃子を2人で包みながら、
「まったくもう・・・やることやんないで、何の自立なんだ!」と怒る我々。
60個の餃子を包み終わる頃にはかなりの憤懣を吐き出していた。
1時間たって呼ばれた息子は、
「あんまりいいバイトはない」と言ってなんだか恨めしそうな上目遣いになってるし。

紙を持って来てガシガシと計算し始めたせいうちくん、引っ越しの初期費用も含めてざっと百万の金額をはじき出して、
「父さんが『早く帰って母さんと遊びたいなぁ』と思いながら会社で働いて、もらうお給料の一部で君が生活するわけだから、誠意は見せてもらうよ。朝は早く起きること。7時半に父さんが会社に行くまでには起きて」
「ムリ」
「9時なら?」
「ムリ」
「どうして無理なの?12月から会社に勤めるつもりなら、起きられなかったら困るじゃないの」
「・・・」

なぜか席を立ってカウンタの中に入り、流しの前で水を飲み始めた息子。
3杯ぐらい飲んでも、戻ってこない。
しびれを切らしたせいうちくんが、
「どうしてそっちに立ってるの?」と聞くと、
「ここでも話はできる」
「目を見て話せないの?」
「・・・」
さらに水を飲む。
もう7杯ぐらい飲んでるぞ。

やっと口を開いたと思ったら、
「起きる、って言っても起きられなかったら、どうするの?」
「恥じてもらう」
「え?」
「自分で、恥ずかしいと思ってもらうよ」
「・・・わかった。それだけ?」
「あとは、自分のことは自分でやって生活して」
「わかった」
また、部屋にこもってしまった。

食事のしたくをして、息子にも声をかけてみた。
「水餃子、食べる?スープのとポン酢のと、両方あるよ」
「・・・食べる。できたら声かけて」
「はいはい」
餃子が茹だってから呼んだら思いのほか素直に出てきて座り、次々お皿に餃子を放り込んであげると、
「・・・ありがとう」と言いながら15個ぐらい食べた。
黙って食べて、「ごっそうさん」とだけ言って部屋に行っちゃっていささか陰気だったが、久々に家族で食卓を囲むことができたよ。
昔は楽しく水餃子を食べたなぁ、って泣きそうになるけど、こういうのも人生経験だろう。

寝ようとしてたら、息子が寝室のドアを開けた。
「・・・早起きするよ」
時々、急に素直になるなぁ。よろしく頼むよ。

17年10月15日

「早起きする」と言った息子なんだが、とりあえず起きないんだよね。
まあ、日曜だからまけておくか。

午後は会社のバーベキューだけど、あいにくの雨。
屋内でもやれるので雨天決行なんだって。
どっちみち私は行かない。
いちおう管理職なせいうちくんで、上司の妻なんて若い人には気づまりなだけだろう。
華麗に肉をおススメするというような技も使えず、ガツガツ食べてる自分を想像すると恥ずかしいし。
仲良しのAさん一家が来るらしいので奥さんに会いたいのはやまやまなんだけど、今日のところはパスだ。

こないだ借りたマンガを返して最近買ったマンガを貸そうとせいうちくんに持って行ってと頼んだら、あんまりたくさんあるもんだから、
「持って行くのはいいとしても、子連れのAさん一家には荷物になる。一部にしておいて」と言われてしまった。
返すものはもうしばらく置いておくことにしよう。

送り出して昼寝をしていたら、バーベキューたけなわのAさんの奥さんから写メが送られてきた。
せいうちくんがAさん宅のお子さんたちと写っているのはいいが、前に並んでいるのは野菜ばかりで、空の紙皿には焼肉のたれがついている。
もう肉を食ってしまったのか〜!うらやましい〜!
私なんてインスタントラーメンとごはんの「ラーメンライス」だぞ。
これはこれで美味いものだが。

先日は、ジャンクなものが食べたくなってわざわざ「カップ焼きそばUFO」を買って食べてしまった。
なぜだろう、40を越えてから食べられなくなっていたインスタントものやスナック菓子が、最近は食べたい。
手術以来胃の調子が悪くて食が細くなっているというのに、そういうものは食べられるのだ。
体重の増加傾向がなくはないし、身体にいいとも思えないからほどほどにしないといけないんだが、食欲が出てきたのはいいことなので、様子を見ているところ。
寝室にポテトチップスの袋を積み上げているのはどうなんだろうか。
開けると食べ切ってしまうので、60gのものに限定はしているんだけどね。

雨の音を聴きながら、ベッドに横になって、長編マンガを一気読みしながらポテトチップスをつまむ。
なんて優雅で至福な時間だろう。
息子のことで悩んでいるのも忘れるひとときだ。
それなりに波瀾万丈の50数年は、今のこの幸福のためにあったのか、と素直に思う。

さて、昨日の昼食はたこ焼きだったが、今日の夕食もたこ焼きなのである。
たこ焼き器を買って2週間、もう5回目ぐらいか。
最初は40個焼いていたものがだんだんエスカレートしてきて、今回はなんと80個分の粉を溶く。
中身はまったく進歩しないオーソドックスな「たこ、ねぎ、天かす、紅しょうが」のみ。
友人の家ではチーズや餅を入れているらしいけど、私は偏食で変化が苦手なんだ。

昨日の残りのたこ焼きを今朝のごはんにしようと楽しみにしていたのに、夜中のうちに息子に食べられてしまったショックがでかい。
ひと晩中、6個乗っかったお皿をイメージしていて、朝キッチンに行ったら影も形もなかった・・・
いや、お皿を洗ってくれたのは進歩と言うものなんだが、寝る前に寝室に引き取っておけばよかったなぁ。

1人暮らしが長かったので、結婚してしばらくの頃、楽しみにしていたプリンを食べようと冷蔵庫を開けたら消え失せていた時、ものすごいショックを受けた。
せいうちくんが勝手に食べるとは想像もしてなかったのだ。
向こうは向こうで実家暮らししかしたことがないものだから、冷蔵庫の中のものは何でも食べていい王子様の生活だったわけで。
「他人と暮らすとはこういうことか・・・!」と天啓のように悟った瞬間だった。

先日はカップ焼きそばを息子に食べられてしまい、
「母さんが買ったものを勝手に食べないで。冷蔵庫にあるものは何でも食べていいけど、戸棚の中のものは食べちゃダメ」と言い渡しておいたんだが、さて、今回の、カウンタの上に置いてあったたこ焼きはどういう扱いになるのかな?

80個分の粉なのになぜか68個しか焼けなかったたこ焼き、私が18個、せいうちくんが14個食べて、6個のソース味と30個の醤油味が残った。
息子がまた食べてしまっても、明日の私のごはんに15個ぐらいは残るだろう。
念のため、醤油味は全部寝室に隠しておいたけど。
人間を離れてハムスター化している気がするよ。

17年10月16日

今朝も息子は起きない。
1時過ぎには寝たのに、10時間寝ても足りないんだろうか。

私は10日に1度のカイロプラクティック。
もうずいぶん通い慣れてきた。
あいかわらず教わった体操は全然しないし骨盤ベルトもしてないと告白されて、先生は少し困った顔をしている。

今日は雨なので車で行き、停めるところを教えてもらった関係で、施術中に、
「アクアの乗り心地はどうですか?」と聞かれた。
前はノアに乗っていたが、アクアの方が燃費がいい、と答えたら、実は前にトヨタに勤めていたので気になるんです、と意外な過去が明らかに。
まだ若い先生だし、会社を辞めた人の話が気になって仕方ない私は、いろいろ聞いてしまった。
息子が離職したことは話してあるので特に不審がられはしなかったし、
「修行中の生活費はどうしましたか?開業資金は?」とか聞いても怒られなかった。

トヨタ時代にちゃんと貯金してたんだって。
あと、銀行から借りたそうで、そこはまあ、事業計画を提出するタイプの借金だからいいよね。
息子の「コント師になりたい」という人生に、銀行が金を貸してくれるとは思いにくい。
だから親にきちんとプレゼンして頼んでほしいのに、と思わず愚痴をこぼす。
先生は、人の背骨や人生の面倒をみるのは慣れているプロなので、親身に受け答えしてくれた。
しかし、肝心の私の覚悟が足りないせいで、背骨も息子もなかなか好転しないのであった。

「10時間以上寝ている息子さんは、身体の具合が悪いんですか?健康な人は、なかなか8時間以上は眠れないものなんですが」と言われると困るなぁ。
3年留年していたせいうちくんは、気力がなくなってまったく起きられなかった時期があるんだそうだ。

運転するのは久々なので、ついでにそのへんを走り回ってみた。
あまり意味なくスーパーのハシゴをしたり。
この半年、頭が冴えてきているので、かつて苦になっていたことのいくつかがそれほど大変ではなくなっている気がする。
身体がつらいためあまり外出はしたくないんだが、慣れればもう少し世界が広がるかも。
車の運転のような昔はむしろ得意で好きだったことに、回帰できたらいいなぁ。

こういう時に昔なじみのOくんが生きていたら会いに行ったりするのかな、と突然思った。
彼が亡くなってしばらくして、せいうちくんに、
「ケンカしたりした時に家出する先がなくなって、少し安心?」と聞いたら、
「そんなの、連れ戻しに行けばいいんだから、かまわないよ。むしろ、Oさんが今いるところに行かれてしまうのが一番困る」と大真面目に言われたなぁ。
そうね、遠いところにいるんだもんね。

家に帰ったら息子は起き出してパソコンに向かっていた。
「メシが食いたいなぁ」と言う。
「たこ焼き食べる?」
「昨日、食った」
「昨日のはソース味。醤油味のがまだ残ってる。母さんはたこ焼きでごはんすませるつもりだった」
「たこ焼きはもういい」
「ごはんが残ってるから、レトルトのカレーでも食べて。自分でできる?」
「・・・」
「疲れてるから、自分でやってほしいんだけど」
「わかった」
日頃、面倒はかけてない、と言い張る息子であるので、それぐらいやってもらってもいいだろう。

ベッドに行って、しばらくして見に行ったら、ソファに寝転んでタブレット見てる。
「食べないの?」
「・・・」
「もしかして、やってもらいたい、っていうアピール?」
「そんなことはない」
「じゃあ、お願いね。食べて、活動開始してください」
さらに30分ぐらいして、やっとあきらめて自分でカレーとごはんあっためて食べて、出かけた。
お皿も洗ってくれたよ。進歩進歩。

「うるせー!」と悪態をつくくせに、ごはんは作ってもらいたいとか思うんだろうか。
そんなとこで「まだまだコドモ」なんて思われても業腹だろうに。
そもそもうるさく言われるのがイヤで家を出たい、しかも資金は援助すると言われてるんだから、さっさとアパート決めてくれば良さそうなものだ。
昼に起きてぐずぐずしているヒマに不動産屋を回りたくならないんだろうか。

せいうちくんに言わせると私はややアスペルガーの気があるので、人の心の細かいひだがわからない。
理屈の上で「アパートを探すべき状況、しかもさまたげになる問題はない」となれば、即実行だろうに、としか思えないのだ。
もしかして本当は家を出たくないのかなぁ、と疑問に思ったので、
「家を出ることに、何かネガティブな気持ちはある?」と聞いたら、「いや、全然」と言われて、もう議論はすんでいる。
こういう理詰めな人間と暮らすことはストレスかもなぁ、とも思うので、なおさら早く出て行った方がいいと思うんだよね。

17年10月17日

せいうちくんの仕事が終わらないので、午前中は家でパソコンに向かっていた。
こういうのを見てると、今の事務職のサラリーマンは週に何日かは在宅勤務で行けるんじゃないかと思う。
もちろん家にいるからって遊んでくれるわけではないんだけど、通勤距離が長いので、往復の時間が節約できたらいいだろうになぁ。

夜中にリビングの息子から、
「『ニュー・シネマ・パラダイス』を観始めたので寝るのは遅くなる。がんばって早起きするから」とメッセージが入った。
なんだかんだ言って2日に1本ぐらいは映画を観たいようだ。
4時半にベッドに入る気配がしてた。

「きっと起きられないよ」と言っていたせいうちくんだが、9時に目覚ましが鳴ったので起こしに行ったら、もやもやと起き上がろうとはしているそうだ。
せいうちくんのリクエストでうどんを作るついでに息子にも「食べる?」と聞いたら、「食べる」という答え。
本当に起きてきた。
3人で「たぬきうどん」を食べる朝。
10時には出かけたし。
思わず顔を見合わせたよ。
こういう日ばっかりだったらこっちのストレスもないんだけど。

昼に出かけたせいうちくんが夜には帰ってくるシアワセ。たった7時間の不在。
晩ごはんには土曜の残りの餃子を焼いてもらった。
こないだマンガで「餃子を、酢とラー油とこしょうで食べる」というのを読んでから、ずっとやってみたかったんだ。
ふだんはきわめてノーマルに「多めの酢、醤油、ラー油」なんだけど、醤油を入れないと、さっぱりしていていくらでも食べられるんだそうだよ。

果たして、たいそうおいしかった。
いくらでも、と言ってももちろん限度はあるが、別のおいしさで、油っこい餃子がすすむ。
せいうちくんにも試してもらったら、「んー、いいね!」とは言っていたがふだん通りに食べ続けたので、それほど琴線に触れなかったらしい。

秋に入って、「みょうが」が大袋で売られるようになった。
夏場は3個で198円もするのに、数えきれないほど(70個ぐらい?)あって300円。
この季節には、1年分の「みょうが」を食べる。
どんなに忘れっぽくなってもかまわない、記憶がかすむほど食べたい、大好物。
今日はナスの味噌汁に山ほど入れた。

日曜日に観終らなかった「おんな城主直虎」を観て、本当はもう少し今期のドラマを消化したかったんだけどせいうちくんはもうテレビに疲れたようなので、ベッドに行ってそれぞれの本を読んだ。
1時間半ほどで眠くなったと言われ、よく考えたら私は今日、2時間ぐらいしか寝ていない。
眠いんだが、あいかわらず眠りに入るのが難しい。
「ゆーっくり、息をして。落ち着いて。気を楽〜にして」とせいうちくんは言うが、性格的にリラックスと縁遠いためか、眠気はいっこうに訪れず、寝かしつけているつもりのせいうちくんの方がいつものように先に眠りに落ちてしまう。
仕方ないからパソコンに向かって、今、午前4時。不眠との戦いは続く。
あちこちの部屋から盛大に響くいびきのハーモニーに、ちょっと虐殺的な気分になってくる夜明けだ。

17年10月18日

やっぱり2時間しか寝られなくて、ふらふらになって行く先は「主婦健診」。
年に1回、せいうちくんが会社に申し込んでくれて、近所の病院で受けられるもの。
日頃病院で検査を受けまくっているのであまり必要ないかとも思うのだが、
「僕はキミにあれしろこれしろなんて言わないけど、これだけは行って」と毎年せいうちくんに懇願されるので行かざるを得ない。

おまけに「可能な限りのオプション検査を受けて」と言われ、腫瘍マーカーを追加する羽目になった。
これは血液検査だけで、どうせ採血されるから手間はかからないが、2500円も払わなくてはならない。
ま、「がんの家系」なので、用心するに越したことはないんだけど。

受けるとなると几帳面な私は、ちゃんと4日前から2回の便を取り、当日朝の尿を取り、前夜10時から食事を控えたうえ朝食は抜きで臨んだ。
ところが、最初の問診をしてくれた看護師さんから、
「1年以内に心臓の手術を受けた方は、胃部レントゲン検査を受けられません」と言われてしまった。
そんなことなら絶食しなくてもよかったのに!
にわかに激しく鳴るすきっ腹を抱えて、脱力感がハンパない。

血圧、採血、聴力・視力検査、身長・体重・腹囲・骨密度測定、乳房触診、マンモグラフィー、肺レントゲン、眼底撮影、心電図、腹部エコー、婦人科内診・・・あと、何やったっけ?
とにかくひととおり。

婦人科内診は、もうこの歳で、2人もコドモを産んでいるので今さら何ほどのこともないけど、いつもながら「若い頃だったらイヤだったろうなぁ。不妊治療を受ける出産経験のない若妻は、とことん不快だろうなぁ」と思う。
最近の内診台は坐った椅子が機械仕掛けで回ったり上がったり開いたりするんだけど、結局スゴイ格好で初老のおっさん医師にこんにちはしてるわけで、「指つっこんでんじゃねーよ!」と胸の中で毒づいたりしてるのだ。
お医者さんには迷惑な話なんだが。

あと、終わって初めてわかった衝撃の事実は、
「今年はなぜか『半日人間ドック』ではなく『ただの健診』に申し込んでしまったので、メニューに肺活量の検査が入っていない」ということ。
去年まで3年ほど肺活量が異常に落ちていたのだが、心臓のせいだとしたら手術後回復しているかもしれず、今回の検査でそこが確かめられると思って楽しみにしていたのに。
オプションでやると3500円もかかり、肺活量を測るだけでそんなに払うのはもったいないから、あきらめた。

せいうちくんが申し込みを間違えたのだろうか。
来年、人間ドックを受ければ肺活量を測ってもらえるだろうか。
もっとも、去年までは自己負担が5200円ほどあったような気がするところ、今年はオプションの腫瘍マーカー代以外は無料だったので、肺活量なんか一生測らなくてもいいんだが。
実際に、これまで低すぎるからと言ってなんにも手は打ってないけど、困ってないもんなぁ。
先日カラオケに行った時、ここ数年、息継ぎせずに歌えるワンフレーズが短くなっていたのが長持ちするようになっていたから、改善されてると思うし。(乱暴な自己診断)

あと、人間ドックだと思ってあてにしていたお昼ごはんがつかなかったのも痛手だった。
家で残り物を食べよう、と昨夜からの空腹を抱えてふらふらと歩いて帰ったら、昼過ぎになってやっと起き出したらしい息子が冷蔵庫の残りご飯を食べちゃってた!
おかずの麻婆茄子はあっても、白い飯がない。
半分泣きながらカップ焼きそばを食べる。
目先を変えて買ってみた「エースコックの焼きそばモッチッチ」はダメだったぞ・・・

腫瘍マーカーも含めて、結果は3週間ぐらいで郵送されてくる。
体調は常に悪いが、原因は全部わかっていて治療・服薬中なのでこれ以上どうしようもないし、さらなる病気が見つかったりはしないんだと思う。思いたい。

それにつけても息子よ、せいうちくんがカタギの会社員だから私も主婦健診を受けられる。
キミはフリーターになって、自治体がやってくれる健康診断をきちんと自分で受けに行けるだろうか。
自己管理は、面倒くさいんだぞ。
父さんもいつまでも税金を払えと言ってくれるわけじゃないので、せめて引き落としにして払うなり、将来的には税理士を雇うとかしてくれ。

17年10月19日

せいうちくんと私は35年前にせいうちくんの大学のまんがサークルで出会った。
11月にそのサークルの大きな記念パーティーがある。
共通の友人がたくさん出席するはずで、たいへん楽しみにしている。

実は、私は同じサークルの人と短い期間結婚していたことがあるのだ。
せいうちくんには先輩にあたるその人とはもう10年以上会っていないが、まあ普通に友達で、久しぶりに会えると思ってそれも楽しみにしていた。

ところが、連絡を取ろうと思ったら、メールの返事が来ない。
知り合いに聞いても、今の消息は知らない人ばかりだ。
パーティーの幹事さんにも聞いてみたが、どうやら通知自体届いていないらしい。

1人暮らしをしているはずの彼の、勤め先も今の住所も知らないことに気づき、にわかに心配になってきた。
先日孤独死してしまった高校時代の友人のことと重なるのだ。
今年はいろいろ厄年なのもあって、いやな予感がつのるばかり。
3週間ほどむなしい消息探しをしたあげく、彼と仲の良かった女友達に20年ぶりぐらいに連絡をしてみた。

今はSNSがいろいろ発達していて彼女の現在の仕事先がたどれたので電話してみたら、あっさりつかまった。
久々なので向こうも驚いたらしいが、彼の現在を教えてくれた。
なんと数年前に結婚していて、しかも相手は彼女の親しい女性で、今もつきあいがあるのだと言う。
そうか、生きてたか。元気だったか。
ものすごくほっとして、一気に気が抜けた。

しばらく電話で話して互いの近況を交換した。
彼女はパーティーには行かないのだそうだ。

2年前に元ダンナとメールした時はもう再婚していたのか。
そんなことは全然言ってなかったなぁ。
お互いに何の感情もなくなっているのはわかっていたので驚くというのでもないのだが、何やらとっても安心した。
別に、私が彼の人生を台無しにしたわけではなさそうだ。
「『結婚しないんですか?』と聞かれた時に、『1度、失敗しているので』と言うとそれ以上何も言われなくて、便利だよ」と笑っていたものだが、もしかして、もう結婚はこりごりだと思っていたら申し訳ないな、と思わないでもなかったから。

それに、勝手に親しい距離にいると長年思い込んでいたが、20歳になる頃の5年ばかりのつきあいだ、その後30年以上も別々の人生を生きてくれば、今さら何の関係もない人なのかもしれない。
向こうも結婚したとなればなおさら。
今の奥さんは彼がバツイチだとは知っているそうだが、元ツマなんて愉快な存在ではあるまい。
せいうちくんほどこだわらない人の方が珍しいと思う。

友人女性に、
「もうあの人の人生とはかかわりのない人間だから、今の連絡先とか聞くのはやめるよ。あなたが夫婦ともに親しくしてるんだったら、もしあの人に何かあったらその時は教えて。私も万一の時にはあなたに連絡するようにせいうちくんに頼んでおくから。私が言うのもヘンだけど、あの人のことをよろしくお願いするね」と言って、うーん、なんだかとってもさっぱりした。

帰ってきたせいうちくんにその話をしたら、ずっと私が行方を捜して心配していたのを見ていたので、
「よかったね!」と喜んでいた。
「Oくんは亡くなったし、元ダンナは再婚したし、あなたが死んでももう頼る人はいなくなったから、長生きしてね」と頼むと、
「僕はいろんな人からキミを託されたと思ってきたけど、いよいよ責任重大。絶対キミを残しては死なないから、安心してね」と言ってくれた。

この不思議な感情を何と言ったらいいのだろう。
昔の私なら自分と特別な絆のあった人が離れてしまったような気がして残念に思ったかもしれないが、やはり大きな手術などを経験すると人生観が変わるのか、驚いたけど、寂しくはない。ひたすら安心した。
それだけ自分が成長したような気もするし、今の人生が幸せだということでもあるし、手術と入院を一緒に乗り越えてくれたせいうちくんのことを、この30年近くの結婚生活で一番ありがたく大切に思っているのをしみじみと感じる。
年を取ったのかもしれないなぁ。
これまでの人生でかかわりのあったすべての人に感謝し、幸せを祈っている。

17年10月20日

夜中に帰ってきた息子に、
「今日はアパート探した?バイトは?」と聞いたら、三白眼を向けて、
「そんなこと聞いてどうすんの?話さないよ」という返事。
「10月中に探すって言ったじゃん」
「だから何?まだでしょ」
「10月の終わりになって『まだ決まってない』って言われるのはイヤだよ」
「そうなるかどうか、わかんないでしょ。何が言いたいわけ?」
「朝、9時に起きるって約束したのに、ちっとも起きてくれないじゃない。約束が守られるかどうか、心もとないよ」
「起きるよ」
なんだか言い負かされて終わってしまった。
そして、翌朝、起きない・・・

「うるさく言われるのがイヤだから、家を出たい」
それなら、アパート決めてくればいいじゃないか。
そのためにはバイトも決めなきゃいけないだろうし。
朝からせっせと不動産屋をまわり、バイトを探すのはむしろ楽しいんじゃないのか?
費用は出すと言われて、自分の夢の実現に向けてやるべきことをやるだけなのに、いったい何が気に食わなくて時間を無駄遣いしてるのか、まったくわからない。

こうして今日も気分の悪い1日になりそうだ。
約束を破られている側が当り散らされるのって、とっても理不尽。
せいうちく〜ん、早く帰って来て〜。
もっとも、彼もなかなか強くは出られない人なので、息子に隠れて抱き合って泣くぐらいしかできないんだが・・・

17年10月21日

同じ小中学校だった友達Cちゃんが名古屋から遊びに来た。
前日に出てきてこちらの友達に会って都内のホテルに泊まり、翌日、私とランチを食べてくれると言う。
何度か名古屋に一緒に帰って顔見知りのせいうちくんも一緒でいいと言うので、駅前のイタリアンに3人分の予約を入れてコースを頼んでおく。
食事のあとは我が家に来てもらってゆっくりとおしゃべりしようという計画だ。

さて、楽しみにしていた当日は雨模様。Cちゃんと共に台風も来たらしい。
駅からバス便の我が家であるので、大事を取って車で出かけ、私は駅前で降りてせいうちくんに車を駅の反対側に回してもらう。
改札の前に行ってみたら5分前なのにもうCちゃんが来ていた。
「荷物をコインロッカーに預けるから、早めに来たの」
雨の中、来てくれてありがとう。
そのまま反対側の階段を降りたところの道路でせいうちくんに拾ってもらい、徒歩7分ほどのレストランまで。
お店の前で降ろしてもらってせいうちくんは車を停めに行った。

2月に名古屋で会ったCちゃんはお変わりない。
私は飲まないが、せいうちくんと2人で1本開ければいいから、ランチをおごる代わりにワイン代を持ってくれ、と言うと、
「あら、いいわね」と楽しそうにワインリストを見始めた。
1年に360日は晩酌で、ボトル半分のワインか日本酒2合を飲むと言う酒豪なのだ。
(理性的な酒飲みでもあるので、1人酒の場合それ以上は飲まないと決めているらしい)
そして、ウェイトレス兼ソムリエールに、顔色も変えずにオソロシイことを言う。
「メインはお肉?じゃあ、1万円ぐらいでお薦めの赤を選んでください。ランチだから、あまり重たすぎないものがいいわ」
Cちゃん!
ランチのコースは、1人分3500円なんですけど!
食事代の総額が、ワイン代ととんとんになってしまうんですけど!

おススメのワインを2本までに絞ったところでせいうちくんがやって来たので、
「せいうちさんはどんなワインがいいですか?」と優雅に微笑んでCちゃんが聞くと、値段を見ていない彼は、
「私はしっかりしたのが好みです」と呑気に答える。
「そう、じゃあこっちにしましょう。この赤と、あと、前菜に合わせてスパークリングをグラスで2杯いただくわ」
Cちゃん!ランチサービスでも、1杯2千円のスパークリングが1500円になるだけなんですけど!
酒代が、凄いんですけど!

2人がその凄い値段のグラスをどんどん空けるのを飛び出しそうな目玉を押さえながら眺めつつ、前菜とパスタとメイン、そしてデザートのコースをゆっくり食べた。
味はまあまあのお店なんだが、とにかく時間をかけてコースを出してくれるので、おしゃべりを楽しみたいお客さんにはうってつけの手駒である。
2時間かけて食べ終わった時には、昼時で七分ほど入っていたお客さんは我々以外ひと組も残っていなかった。

少し余ったワインにソムリエールがしっかり栓をして持たせてくれたので、Cちゃんが抱えて車に乗り、飲んでいない私の運転で家に向かう。
「料理は、口に合った?味つけは少し薄いかと思うんだけど」と聞くと、
「メインの牛肉煮込みがとっても美味しかったわ。パスタは、お味が少し『なるかった』わね」と言うCちゃん、それは、名古屋弁だよ。
「駅から車でずいぶん走るのねぇ」
大学こそ東京だがその後ずっと名古屋暮らしだと驚くかもだが、東京の住宅事情はそんなもんだよ。
「え?この細い道は一方通行じゃないの!?」
名古屋の人と道の話はしたくない。
メインストリートの中央分離帯は公園のように広く、どんな細い路地もたっぷり2車線あるような土地柄なんだから。

初めて来る我が家に、Cちゃんは、
「素敵じゃない!これがあなたのおうちなのね。写真を見たり話を聞いたりしているうちにイメージが出来上がっていたけど、違ってたわ。こういう感じなのね」とほめてくれたが、1人暮らしなのに我が家と同じ広さのマンションに住んでいる人なんだよね。
おまけに、10年以上住んでいるとは思えない、ピカピカに磨き上げられたモデルルームのようなお部屋。
すみません、うちは掃除も片づけも行き届かなくて、生活感満載なんです。

床暖房をつけたいと言うせいうちくんの希望を半袖の私がにべもなく却下したら、Cちゃんは面白そうに、
「駅であなたの服装を見て驚いた。みんなコートとか着てるのに、袖まくりしてるんだもの」と笑う。
すまん、更年期障害なんだ。
リクエストでほうじ茶を淹れたあとは、せいうちくんが選んだ日本酒と彼謹製の「きのこのマリネ」でおもてなし。
ぬる燗を楽しむ酒好きの2人。

名古屋の友人たちの近況を聞くと、孫の生まれた人もおり、Cちゃんのケータイに新生児の動画が送られてきたのを見せてもらった。なんだかとってもうらやましい。
「私に会う、って言ってくれた?」
「もちろん言ったわよ。みんな、よろしく、って言ってたわよ」
去年のお正月に何十年ぶりかにCちゃんとメールをやり取りし始めてから2年足らずの間に旧交は温めに温め返されて円熟のとろみを増すばかり、2回も女子会を開いてもらって、小学校からのつきあいの乙女たちはきゃっきゃきゃっきゃと50年の時を遡った。
楽しかったなぁ。また名古屋に行っていい?

「もちろんよ。また来て」と言いながら夜の新幹線で帰るCちゃんを再び駅まで送ってさよならを言ったら、ものすごい寂しさが襲ってきた。
日頃ラインで息子の愚痴ばかり聞いてもらってるうえ今日もたっぷりぶちまけたが、イヤな顔ひとつしない良き聞き手のCちゃんに、泣き伏したいような気持ちになったよ。
「薬をやめたんで、口調が昔に戻ったって言われるんだけど」
「そうよ。中学の時のあなたのイメージ。去年再会した時は、話すのがおっくうそうにゆっくりで、心配したもの」
現存する私の友人の中で、もっとも太古の記憶を持つ人だ。

来年は高校の同窓会があるからまた名古屋に行くよ。
女子会開いてね。
せいうちくんはホテルに置いて、「時をかける少女」になって会いに行くから。

17年10月22日

台風が迫る不穏な天気の日曜日。選挙だ。
お昼は、たこ焼き器を買ってから6回目ぐらいのたこ焼き。だいたい60個焼くあたりで落ち着いている。
息子にも焼きたてを食べるよう声をかけたんだけど、起きないね。
10時に起きるはずが結局3時。

その間に我々は雨の中を選挙に行ったが、帰って来てもまだ寝ているので、せいうちくんがキレた。
「今日は用事があるって言ってたじゃない!何にもないんだったら、一緒にアパート見に行こう、って言ったのに、朝から用事があるからって断ったんだよ!午前中だけ使ったってアパートぐらい探せるよ。どうしてこんなに時間を大切にしないの!」
話し合いはまた決裂し、不機嫌に黙り込んだ息子をどうしようもなくなって、寝室に撤退する我々。

半分泣きながらいろいろ相談し、せいうちくんが、
「晩ごはん、食べる?」と声をかけに行ったら、彼はちょうど冷めたたこ焼きを口いっぱいに頬張ったところだったので、いくぶん気まずそうだったらしい。
もぐもぐと、「いらない」と答えたそうだ。
だからさぁ、1回ぐらい焼きたてを食べなよ。おいしいんだから。

押し黙ったまま彼が出かけてしまってから、今夜のごはんは鍋。
寒くなってきたから恋しいよね。
鶏鍋の材料を買って、せいうちくんが丁寧に下ごしらえをして作ってくれた。
白菜はゆでてひと口大に巻いてある。いい仕事をするね。
たっぷり残して、来週は具だくさんの雑炊を食べられる。

食べてたら息子から電話がかかってきた。
「悪かった。今度はちゃんと話聞くし、アパートも探す。バイトは、公演との兼ね合いもあるからすぐには難しいかもしれないけど、真面目にやるから」と言ったらしい。
「オレがおさないから」って、自分でも自分の幼さを持て余してるのかね。
そしていつもの、「カノジョ、来てもいい?」。
それでそんなに低姿勢なの?

10時頃にカノジョと一緒に帰ってきた。
明日の朝、起きられるんだろうか。
まあ、どうせ台風が来てて電車も止まってるかもしれないし、午前中は何にもできないかな。
寒いのに暑い。私は汗をかく。
湿度95パーセント。何とかしてくれ。

17年10月23日

息子とカノジョにお昼のカレーとサラダを出して食べさせる。
食べたら活動開始してくれるかと思ったら、2人して部屋に戻って眠り込んでる様子。
3時になっても起きてこない。こんちきしょうめ。
病院の予約があるから出かけなくっちゃ。

眼科で半年に1回の「視野検査」。
緑内障の疑いがあると言われた2年ほど前からおこなっている。

片目をガーゼで覆い、検査する目のまぶたを閉じてしまわないようにテープで引っ張り上げる。(軽いまばたきはできる)
部屋を薄暗くし、半球に顔を突っ込むようにして、レンズからのぞいた視野に光る点が見えたら手元のスイッチを押す。
半球の中心から端まで、視野のどこに小さな光点が現れるかわからない。
これを両目におこなう。
とても神経を使い、30分ほどの検査が終わるとぐったり疲れてしまう。
毎回気が重い。

あいかわらず結果が少しグレーだったので、とりあえずの治療法として眼圧を下げる目薬を使う。
もっと数値を下げるため、今回は薬を変えるそうだ。
そうすると、ひと月以内にまた眼圧を測りに来なければならない。
安定すれば目薬を3本もらって、3ヶ月に1回の通院でいいんだけどなぁ。
ま、それにしたってまた半年で視野検査を受けることに変わりはないんだが。

緑内障は、見えなくなってしまった部分は回復しないので、予防が大切なんだって。
基本的に眼圧を下げる以外の治療法はなく、手術を受けるとしてもやはり眼圧を下げるためだそうだ。
手術のためには血液をサラサラにするワーファリンを数日止めなければならないと言われたが、私の場合、1日も止められないので入院して別の薬を使うことになる、と言ったら、それだと入院日数が延びるのは避けられないだろうと。
「まあ、1年以内に手術ってことはないです。するとしても数年後」とのことなので、一生懸命目薬をさして検査にも通おう。

4時半に帰って来たら2人の姿は消えていた。
どこかへ行ったものと見える。
いろいろ困った状況下ではあるが、若い恋人たちはいいなぁ。
このまま2人で手に手を取って生活し始めてくれて一向にかまわないのだが。

半年サボっていた家計簿に着手した。
せいうちくんの給料袋とか光熱費・住居費等をエクセルに記帳していてたら、保険料とマンションの管理費がそれぞれ上がっているのを発見。
これは気づいていても節約しようのないところだからいいんだけど、気づかないうちに、というところでちょっとショック。
4月からお給料が上がってはいるものの、これでは焼け石に水だ。

さらなるショックは、いつの間にかNetflixと契約していたこと。
料金がカードから引き落とされている。
それなのにどこにも登録アドレスが見当たらず、心当たりを入れてもログインできない。
サポートに電話してみて初めてわかったのは、ビミョーに間違ったアドレスで登録していて、引き落とし口座だけはちゃんと伝わっていたのでしっかりお金は取られていたという現実。
家族の誰も観てないのに。1年間も、しかも一番いプラン。orz…。
泣きながら、とりあえず「光のお父さん」観てます。
正気を失っていた1年前の自分への憎しみは海よりも深い。

何しろレシートの山なので生活費まで全部記帳するにはまだまだ時間がかかりそう。
しかしやっぱり私は家計簿をつけるのが好きだ。
電卓叩いてると気持ちが落ち着くし、年間の貯金額とか見ると、少なくてがっかりする年も多くて嬉しい年も等しく受け入れられる。
とにかく数字を打ち込むのが好きなんだなぁ。
会社で3年ほど数字を扱う部署にいて、経理とか簿記とかは大嫌いだしわからんのだが、数字の入力だけは嬉々としてやってた。
家計簿をつけるために生まれてきた女、と呼んでもらおう。

でもね、家計簿って、つけたからってすぐさま節約には結びつかないよ。
粛々と、支出がかさむのを見守るだけ。
生活にはお金がかかるなぁ、ってちょっと茫然とするためにつける。
あと、今年はいくら貯金ができたか見る。
まあ、収入と支出を把握してると、人によっては無駄遣いが減るのかもしれない。
そんな程度の効果。
あとは、爪に火をともす雰囲気が味わえてなかなかよろしいです。

17年10月24日

昼過ぎまで起きない息子に雑炊を作ってやってやっと起こしたと思ったら、
「仕事を探しに行くのに電車賃がいるから、2千円貸して」と言われた。
「それはないでしょう。10月半ばに父さんが残り半月分の生活費として振り込んでくれた6万円、もう使っちゃったの?」
「うん」
「だからバイト探せって言ったのに」
「ないもんはない」
「急にお金貸してって言わない約束でしょ。1週間前には言うって」
「・・・とにかく貸して」

どうしようもないから財布から2千円出して渡し、出かけるのを見送ったけど、予期せぬような、予想されていたような成り行きに、身体の力が抜けてしまう。

さっそくせいうちくんにラインでチクる。
「都内の主婦(58歳)、無職の息子(24歳)に電車賃2千円をせびられ、カッとなって撲殺、寸前」
2時間後にせいうちくんが読んで返事を寄こした。
「6万円が、もうないの?」
「ないらしい」
「うーん」

うなったせいうちくんが息子あてにメッセンジャーで聞く。
「お金もうないの?どうして?」
答えは、
「服買って演劇見てサウナ行き過ぎた」
ショックを受けたせいうちくんは、ついに爆弾発言を。
「いくらなんでも、まさかそんな人だとは。ちょっと顔が見れない。もう今日から帰ってこないで。応援できない」
「おう」
「さようなら。楽しかったよ」
「おう」

グループ内で見ていた私は、どうしよう!とおろおろしていたのだが、事態は奇妙な方向へ。
息子「本当はまだ1万円あるって言ったらどうする?」
せ「その嘘は何のため?」
息子「反応を見るため」
あまりのことに、思わず割り込む。(同時に、せいうちくんは会議が始まったので落ちたらしい)
私「何を試したかったの?」
息子「どう思われてるか。約束を守れるかどうか、だけで測られてるなら、そこ、大の苦手だからどうしようかなーって思って」
私「だけかどうかはともかく、そこは大事だよ」
息子「普通に帰っていい?」

なんか言い方がカワイイな。言ってることの図々しさはスゴイけど。

私「アパートとバイトを探す約束は守る気あるの?」
息子「たぶん、明日内見に行くところに引っ越すよ」
私「どこになる?」
息子「新宿に近いとこだと思う」
私「荷物をまとめるためにも、家には帰って来ていいと思うけど、今父さんが落ちてるからちょっとわからない。1万円残してるからって帰って来ていいと言うのも違う気がする」

と言ってたら、せいうちくん、再登場。
せ「試したこと、ウソを言ったことを謝ってほしい」
息子「すんませんでした。最近、やっとどれだけ迷惑かけてるかわかったよ」

せいうちくんのケータイはここで充電が切れてしまったので、この先の話はないのです。
強いて言えば、息子はしおらしく帰って来たが、せいうちくんが、
「親を試すようなことを言わないで」と叱ったら、
「親だってオレを試すじゃん」と逆ギレしていた。
「そんなことしたことないよ!」とせいうちくんが文句を言ったら、黙り込み、
「朝は起きるし、アパート探すから。悪かった」と謝って寝たようだ。

言い方は女々しかったけど、言いにくい最後通牒をバシッと言ったせいうちくん、カッコよかったぞ。
あの瞬間、私は物陰でおろおろする「明子ねえちゃん」だったかも。
それにしても、明日がどうなるのかさっぱり見当もつかない・・・

17年10月25日

さすがに今日は9時前に起きた息子。
昨日私から借りた2千円を返してきたところを見ると「1万円残っている」のは本当なんだろう。
疑い深いせいうちくんは、
「2千円を元手にパチンコをやり、たまたまツキがめぐってきて1万円稼いだんじゃないか」って言ってるけど。

先週受けた健康診断の結果がもう返ってきた。
糖尿の気がある以外は特に問題ないようだ。
胸部レントゲンの所見が「異常あり」なのは、手術後半年しかたっていないことを考えれば、経過観察が必要でしょうがないだろう。

近眼が進んでいるという結果が出たのは、遠近両用メガネの上側のレンズを使って遠くを見るのがヘタなため、うまく見えなかったせいだと思う。
定期的に眼科で検査を受けているから、大丈夫。

腹部エコーがややグレーなのは「?」だが、2カ月ほど前に内視鏡やってるし、1年後に再検査、とのことなので来年の健診を待とう。

ここ2年ほど心拍が早すぎたんだけど、平常値になっていた。
これは手術の結果良くなったということだろう。
低血圧も改善されたようだ。

なんだか地味にあちこち不調な日々ではあるが、重大な病気はなさそうで良かった。
腫瘍マーカーの値、乳がん検診などの結果は大丈夫だったし、骨密度も年齢相応、と言うか、平均値よりは少し丈夫。
飲酒・喫煙はやめてるし休養たっぷりなので、生活で改善すべき点は「あり得ないぐらいの運動不足」だけだろう。

先日、2か月前に急死したOくんのご両親がお住まいの老人ホームを訪問し、彼の思い出話をしてきた。
お父さんから直筆のお手紙をいただいた。
「親の知らない思いがけない一面をいろいろお聞かせいただき、おかげさまで改めて故人に対する思いを新たにすることができました」
「親としての務めを充分に果しえなかった後悔は残りますが、今は本人なりの生涯を全うしたと考えるようにしております」
と、残された親御さんの気持ちがつづられていた。
人の子の親として、胸が締めつけられる思いがし、また新たな涙にくれる。

供養に、と高額の図書券が同封されていた。
お花とお菓子を持参したのでそのお返しということなのだろうが、本の好きだったOくんからの贈り物のような気がする。
アマゾンとブックオフでしか本を買わなくなっているのでなかなか使いどころが難しいが、大切に使わせてもらおう。
やたらに本を買いたいらしい息子にあげるのもひとつの手か?とも思う。
現金での援助はパチンコにつぎ込むかもしれないから。

週末にはOくんにも会えるはずだった飲み会を開く。
思いがけず、彼を偲ぶ会になってしまった。
友人たちにご両親のお気持ちを伝えて、できれば一緒にお墓参りに行く話をまとめよう。

17年10月26日

荒川弘のマンガ「鋼の錬金術師」が実写映画になるせいか、東京ドームシティのギャラリーで原画展が行われている。
評判なので見に行きたいと思いつつ生来の出不精からぐずぐずしていたが、会期が終わる寸前の今日、一緒に行ってくれる友人のおかげで行くことができた。
昨日のうちに全巻一気読みして臨んだので準備は万端だが、睡眠は3時間。眠い。

お子さんたちを学校や保育園に託してしばし自由の身になったAさんと、10時に会場入り口で待ち合わせ。
9月にすでに1度見に来ているだけあって、「入り口のアルフォンス像が注目です」と、チェックは確か。
お約束通り写真を撮る人々に混じって、私もパチリ。

前回は音声ガイドは借りなかったと言うAさんも、デバイスを首から下げてもらっての入場。
けっこう大勢が並んでいたが、入ってみるとやはり朝イチで来た甲斐があり、原画を見る人々の足並みがゆっくりなため、我々の後ろではぎゅうぎゅう詰めの混雑が発生していた。

マンガが大好きで最近は育児4コマを描き始めたAさんは、ペン入れなどの作業をしたことはないので、マンガクラブで多少経験のある私の解説を面白がってくれた。
プロのアシスタントはスクリーントーンの種類が頭に入っているとか、集中線を描いた上からトーンを貼って、ホワイトはその上からとか、そんな話。
荒川先生は最近では珍しく原稿用紙に自分でトンボを打つタイプのマンガ家さんであった。
あと、効果のために入れるホワイト以外の修正ホワイトの少なさに感心した。

ちなみに、若い頃、バイトでアシに入ったことが1回と、友達のマンガ家さんの手伝いに行ってお礼をもらったことが2回ほどある。
絵の技術がないので基本の消しゴムかけとベタ塗りが主だった。
モブを描けとか、カメラを渡されて「これ描いて」と言われたのとかは断ってしまったが、本当のプロアシさんはそんな情けないことは言わない。

Aさんは2回目なのになめるようにカラー原画や生原稿を見ていた。
それらの展示も良かったが、素晴らしいのは光や映像を駆使した2分ほどのミニシアター2つ。
本物の人体錬成を目の前で見たような気分になった。
マンガがこういう広がりを持つ時代に生まれてよかった、と目頭が熱くなった。

アニメを見ていない我々にとっても音声ガイドは面白かった。
特に感動したのは、最後のコーナー「旅立ちの日」で謎の4ケタの数字を入れるとシークレット音声が聞けるようになっていること。
これが全然わからなくって、いや、国家錬金術師の証の銀時計に刻印されている「Don't forget」の日付だとは思うんだが、昨日全部読み返して来たというのに思い出せないんだ。

ふと思いついて、入り口でもらった「ハボック雑貨店」のお品書きを見たら、ああ、あったあった、銀時計のレプリカの写真。
ちゃんと刻印も写っている。
いかんせん、写真が小さすぎて日付が読み取れない。「1、Nov」?11月1日?
打ち込んでみたけど、違うなぁ。

「私、こういうのはあきらめ早いんだよ」と言ったら、Aさんはデバイスを握りしめて、
「私はあきらめ悪い方です!」と言いながらいろんな組み合わせの4ケタを打ち込んでいる。
しまいに、会場の片隅で「聞けた!」と喜んでいるっぽい女学生2人連れに、
「すみません〜、何番でした〜?」と聞きに行った。
「私たちも、わかんなくってオリジナルに当たったんですよ!」と嬉しそうに教えてくれた数字を入れたら、おお、聞けたぞ!
さすがは「鋼の錬金術師展」、なかなかにディープなオタクの巣窟であった。

グッズショップでTシャツを2枚買った。
ふだんユニクロで買っているのの3倍の値段なんだが、1枚息子にあげよう。
(帰ってから「白と黒、どっちがいい?」と聞いて見せたら、気に入ったようなので両方ともあげてしまった。ははは、甘いと笑わば笑え)

興奮冷めやらぬまま、Aさんとドームシティのイーティングコーナーでアイスクリームを食べる。
お子さんが保育園から帰ってくる時間までのシンデレラと、40分ほどおしゃべりを楽しんだ。
日記を読んでくれているAさんなので、話題はついつい息子の現状。
愚痴はこぼすが他人のアドバイスはあまり聞かないという態度の悪い私に、Aさんも困ったのではないだろうか。すみません。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、地下鉄の駅でAさんと別れ、私は水道橋から総武線でゆっくり座って帰った。
日頃外出しないので足腰が痛い。
涼しくなったら少し散歩をして鍛えないといけないんだが、更年期障害なのかほてりと汗がひどくて、なかなか難しい。
朝、家を出てから6時間ほどのお出かけになり、かなり疲れた。
いやいや、早朝5時に家を出て帰りは深夜12時になる日帰り出張のせいうちくんを思えば、何ほどのことだろうか。
ああ、Aさんともっとおしゃべりしたかったなぁ。

17年10月27日

昨日、出張から遅く帰ってきたせいうちくんとお風呂に入って、上がったら息子が帰ってきててビックリした!
もっとビックリしたことに、「アパート、ここにしようかと思う」と見せてくれた紙は、こないだから話していたシェアハウス。
一軒家をシェアするのとかと違って、昔の共同炊事場、共同トイレの4畳半が小奇麗になったものと言えばいいだろうか、4畳ちょっとのワンルームが並んだアパートに、共同のキッチンとトイレ、シャワーがついているという体裁。

敷金・礼金がかからないとか、共同の洗濯機・乾燥機や電子レンジなどがあるので初期投資が抑えられるとか、水回りを管理しなくていいので清潔が保ちやすいとか、いくつかいい点がある。
しかし、1年契約で更新時には家賃1ヵ月分がかかる、退去時にはハウスクリーニング代と鍵交換で4万5千円かかる、といった点が、実は敷金・礼金がないメリットをほとんどつぶしている。
うまい話はない、と言うか、住まい方によって何がお得かは違う、ということだろう。
息子の場合、とにかく家を出してしまいたい、しかも初期費用は親持ちであるので、退去時のことはまたその時考えればいいような気がする。

そうと決まれば(いや、まだ決まってないけどww)引越しだ!と、気の早い私は夜中にタブレットに向かって「ネットでお見積もり」をしてもらった。
そしたらまあ、夜中だと言うのにメールが来るわ来るわ、サカイさんからは「明日見積もりに伺ってもよろしいですか?」とメッセージまで来た。
ロボットでない人が、働いてるんだなぁ。

朝起きて、せいうちくんにあらましを話して送り出したあと、息子を起こしてごはん食べさせた時に、
「引越し屋さん、頼んでいい?」って聞いたら「いいよ」と言うので、話を進めよう。
午前中に私のケータイにじゃんじゃん電話がかかって来て、「電話見積もり」を4件も抱えてしまった。
どこも安い値段を言ってくる。

あんまり感じが良くないとこは、確かに安いんだけど、今からサカイさんの見積もりが来る、と言ったら、
「サカイさんは高いこと言いますよ。電話して、断れませんか?」とか言う。
もう来ちゃうから断れない、と言ったら、
「うちの値段は言わないでくださいね」と言い、しまいに、
「あちこちから電話がかかって来てわずらわしいでしょうから、知らない番号からの電話には出ない方がいいですよ」って。
安いのが自慢なら堂々と見積もり勝負すればいいじゃないか!って思うんだけどね。

いろんな引越し会社からのお値段をメモしていたら、サカイさんが来た。
いきなり、「お時間取っていただいたお礼です」と言ってお米を1キロくれた。
さすがは大手、横綱相撲だ。

そして、見積もりしてもらったらやっぱりお値段も横綱。軽々と、安い会社の倍。
正直にそう言ったら担当のにーちゃんは苦悶しながらかなり下げてくれた。
「主人と息子に聞かないと、決められませんから」と言って、最終的なお返事は全部明日に持ち越しだ。
主婦の最強の逃げ台詞だなぁ。

出てってくれるかもしれないと思っただけで、この浮かれよう。
つくづく私はストレスを感じていたんだと思う。
タオル類を買って持たせよう、百円ショップに行って爪切りや耳かき、ハサミ、文房具とかも買おう、最低限の薬ももたせなきゃいけないからドラッグストアに行こう、バンドエイドと風邪薬、ビタミン剤と正露丸、せいうちくんと共用してた電気髭剃りも彼用のがいるね、そうそう、ドライヤーももうひとつ買わないと・・・etc。

「アパート決めるかも」と言っただけでここまで飛躍して鼻歌歌ってる母親を、彼はどう思うんだろう。
「そんなにオレを追い出したいのか!」って怒ったり世をはかなんだりするのかしらん。
ごめんね、母さん、今あんまりいろいろ考えられない。
いや、引越し方面のこと以外は、って意味ね。
君が出て行くのは少し寂しいけど、「ついに!」って思うとウキウキしちゃって、引越し屋さんに、
「で、段ボール箱はいつもらえますか?」とか聞いちゃうの。

今夜、息子とせいうちくんに引越し屋さんたちの見積もりを伝えて、値段の安さを取るかブランドの安心を取るか決めてもらって、明日は、契約を取りたくてうずうずしている営業のおにーさんたちの5分の4にお断りの電話をしなくっちゃ。
断るとこだけでも息子にやってもらいたいなぁ、いい社会経験だよなぁ、としみじみ思うよ。
ちなみに、
「父さんと母さんも引越しに立ち会いたい。最終的な家具の置き場所を決めて、動かすのを手伝うから」という要望は、
「いや、来なくていいから」とあっさり却下された。しょんぼり。
「カノジョの出入りは不可」と言い渡されたらしい息子の部屋を見るチャンスは来るのだろうか?

17年10月28日

雨の吉祥寺で、亡くなった友人たちを偲ぶ会が開かれた。
高校時代からの親友だったMくんが急死した8年前、東京で時々会っていた友人たち3人と私とせいうちくんでお焼香に行って以来、毎年彼を偲んで会合を持っていたところ、今年は仲間の1人、Oくんも「くも膜下出血」で急死していたことが判明し、正直言って右往左往。
更にメンバーを欠いた状態で、今年の「偲ぶ会」を開催した、というわけ。
偲ぶ側から偲ばれる側への移動が激しい。

6時半に待ち合わせの居酒屋に行ってみたら、Nくんがもう来ていた。
毎年会場に使っていた安い「魚民」がつぶれてしまったので、今年は適当に選んだ「北海道料理」の店。
2時間飲み放題、3500円のコースです。

Nくんとせいうちくんと3人でちょっと手持無沙汰に座っていた。
私は亡くなったOくんのご両親に会ってきたことやお墓参りの計画など、話すことがいろいろあるんだが、
「もう1回話すのは面倒くさいから、Kくんが来てからいっぺんに話すよ。だから、あたりさわりのない話をしよう」と言って、Nくんの近況などをてきとーに聞いていた。

時間になって「飲み放題を始めさせていただきます」と店側が言ってきたので、とりあえずの生ビールをもらっておつまみと一緒に口に運んでいたら、20分ほど遅れてKくんが来た。
「雨で、バスが遅れちゃって」とのこと。
あらためて、4人でOくんに献杯する。
「10年前は6人で会っていたのに、4人になっちゃったねぇ」

ここにも前に書いたことだが、1人暮らしのOくんがくも膜下出血で倒れたこと、近所の老人ホームに住んでいるご両親が連絡取れないのを不審に思って人を呼んで開けてもらったので死後2日で発見されたこと、先日ご両親に会いに行ってOくんの思い出話をしてきたこと、などを報告した。
我ながらでしゃばり女の大活躍だ。

NくんもKくんも残念そうではあったが、ある意味さっぱりしていると言うか、どうも我々はあんまり物事を深刻に取らない人種、という顔でつきあってきたようだ。
その最たる人がOくんで、Mくんが亡くなったあと、この先も毎年会うのか?という話になった時、
「この中からも、次は誰が送られる側になるかわからないから、それまで、会えるうちは会ったらいいんじゃない?」と言ってくれたんだが、彼もまさか自分が次に送られる人になるとは思ってなかっただろうなぁ。

「何でもよくご存知で、話題の豊富な人でしたよねぇ」とNくんが言えば、
「面白い人だったよね。何を言い出すか、わからなかった。僕はあんまり親しくなかったんだけど、最近仲良くなってきたところだったんだよね。残念だ」とKくん。
「あまり口数が多くなかった」と言っていたご両親に話したら驚かれたが、実は仲間内のムードメーカーで話題の提供者だったOくん。
彼がいなくなって、確かに少し座持ちが悪くなっていた。

私が、
「2年ぐらい前に会った時、せいうちくんがOくんに、『私が先に死んだら彼女が寂しがると思うので、一緒に暮らしてやってくれませんか?』って頼んだら、『ああ、いいですよ』って言ってくれたんだよね。こないだ、元ダンナが再婚してるのもわかったし、私の老後が心配だよ」と言ったら、礼儀正しいゲイのNくんは、
「貴女ならご不自由はなさいませんでしょ。でも、万が一、お困りでしたら、お声掛けくださいね。私ではおいやでしょうけど」と申し出てくれたんだが、正直に、
「いや、どうせなら私は、恋愛対象が女性な人と暮らしたいから」と断ってしまった。
すまんね、Nくん。お気持ちはありがたく受け取っておくよ。

体調を崩して片耳が聞こえにくくなっているが医者に行くつもりはない、という乱暴なアニメーターのKくんが、
「ところで、あなたは心臓の手術した話をしてくれるんじゃなかったの?」と聞いてくれたので、新たな聴衆を得て勢いづいた私は、もう何度もしている手術の話をまたひとくさり。
この話題も旬が過ぎようとしている。せいぜい今年いっぱいの命だろう。

2時間があっという間で、飲み放題は必要だろうかと悩んでいたのに、終わってみたら私以外は全員5杯ぐらい飲んでいて完全に元を取っていた。
(私も最後は「夕張メロンカルピス」を飲んで頑張った。「思った通りのオレンジ色!」と評判だった)

皆、お墓参りには行きたいと言うので、予定を出し合って一番都合の良さそうな11日(土)に設定し、私がまたOくんのご両親と連絡取って日取りを決定することに。
「みんな、どんな格好して行く?」と聞いたら、
「喪服は大げさでしょうけど、背広ぐらいは」とNくんが言い、Kくんも、
「ネクタイぐらいはするつもりだったよ」と言う。
「私、喪服の下のグレードはいきなりGパンなんだよ」と言うと、Kくんが少しあきれたように、
「って言ったって、女性なんだから、何かしら持ってるでしょう!」。
コドモの入学式も卒業式も終わってしまった引きこもり主婦のワードローブを、過大評価するな!

「まあまあ、適当な服をお召しになって」とNくんにも言われて、うん、何か考えるよ。
じゃあ、また連絡するね。
「いつもありがとう!」と言われながら、雨の駅前で解散だ。
お墓参りの次はいつどうやって会うのか、まだ考えてないけど、今度決めよう。
とにかくみんな、生きていてよね。

17年10月29日

朝帰りの息子が「腹へった。何かある?」と聞くので、朝の6時半からたこ焼きを焼く。
「今からわざわざたこ焼き?いいよ、起きてから食うよ」と言っていたが、「すぐできるから」と言いくるめ、具材を刻みながらせいうちくんを起こして、とりあえずひと焼き目を焼いてもらう。
せいうちくんは息子をうながし、一緒に竹串持ってひっくり返していた。
とにかく「息子とたこ焼き」の悲願だけは果たせたよ。

しかし、息子が食べ終わってふた焼き目を焼く時、せいうちくんは「たこ」を入れ忘れた。20個全部。
たこ抜きの「焼き」を食べる羽目になった私。
それはそれでけっこううまいとも言えるけど、やはり単なる「焼き」では困るよね。

10個食べてすぐ寝てしまった息子のあとを追うように、片づけ終ったせいうちくんも寝てしまったので、私も寝る。
9時に起きて、11時に起きると言っていた息子を起こして、彼が出かけるのを見送って、1人マンガを読む。
もちろんせいうちくんを起こしたくてしょうがなかったんだが、最近仕事が忙しくて疲れていると言っていたので寝たいだけ寝かせてあげようと思い、ガマンできるだけガマンした。
「ぼのぼののお父さん」みたいに「アタマが地面にめり込むほどガマンして」いたら、やっとせいうちくんが大きく寝返りを打って、起き上がった。

「今、何時?」
「2時」
「ええっ?!」(飛び起きる)
ものすごくびっくりしたみたいだ。
「たくさん寝たなぁ、とは思っていたけど、まさか2時とは思わなかった。せっかくの休日を無駄にしてしまった!」と後悔していたようだけど、疲れがとれたんだったらいいよ。

今期のドラマを選別したり溜まった録画を片づけたりして、あまりまとまったこともせずに夜になってしまった。
今日は水餃子。
せいうちくんがウィークディに食べる用の「豚汁」を作ってくれている間に、いつもは2人で包む餃子を私1人で60個包んで、晩ごはんを食べ、今週も間に合わなかった「直虎」を追っかけ再生で観て、本を読んで寝る。
何だかあっという間に終わった週末だった。
最近、日々を消化するためにだけ生きているような気がする。

17年10月30日

息子の引っ越しを頼むのに、大手だからと思ってサカイさんにして他は全部断って、サカイさんすぐ段ボール箱持って来てくれるって言ってたのに、昨日、1日中待っても来なかった(涙)
「正直、安い値段を言ってくるところはサービスや保証がいいかげんなところも多いです」って営業のおにーさん言ってたけど、大手の良さは信頼できるサービスじゃなかったの?

安いとこはみんな断っちゃったから一時的に孤立無援だが、また頼み直せばいいからと思って、結局値段が倍ぐらいだったサカイさんも断った。
営業のおにーさんは焦って、すぐ段ボール持って行きますから!って言ってたが、
「お引っ越しには安心が大切です」ってあなたが言ったんだよ。安心できないから、やめます。
さすがにはっきりそうは言わないでおいたが、もしかして言った方が良かった?

ところが、幸いと言うか何と言うか、息子は急にアパート別のところに決めてきた。
これまで最有力候補だった高円寺の家具なしシェアハウスじゃなくって、うちから車で15分ぐらいの家具つきのとこ。
それなら引っ越し屋さん頼まなくても自分で段ボール箱集めてきてできるじゃん。
そう思うと、サカイさんが段ボール届けてくれなかったのは運が良かったなぁ。
全部断ったの、大正解だ。
小さいけどうちの車出すよ、って言ったら、引っ越しに参加させてもらえるっぽいし。
卑屈だけど、彼の新居が見たい私なのだった。

「気に入ったんなら契約しておいで」って言ったら、今日、契約したようだ。
家賃5万円に共益費1万円(光熱費込み)。
月6万円が払えるのかどうかわからないけど、本人は「払える」と言う。
ここまで時間がかかってしょうがなかったから、決まっただけでもありがたい。
リビングに若者が集うタイプのめんどくさそうなとこだが、いきなり1人暮らしを始めるよりも寂しくなくていいのかも。
とにかく家を出て生活してもらおう。

17年10月31日

せいうちくんが休みなので、朝からすき焼き。
しかし息子はなかなか起きてこない。
「9時にすき焼きね。肉を焼くばかりになったら起こしてあげるよ」って言っておいたじゃないか。
5時から起きて仕事してるせいうちくんや、白菜切ってしらたき煮て準備してる私の努力をどう思うのだ?

割り下で野菜をぐつぐつ煮ている間になんとか起きてくれて、食べ始めたのは10時過ぎてから。
けっこういろいろしゃべってくれたのはいいが、「とりのぼせた若さ」としか思えない。
「オレは地道に働くなんてつまんない人生には耐えられないけど、オヤジはよくガマンしてるよな。ちょっとコツを聞いておこうかな」って態度。

そのせいうちくんの生き血を吸うように、
「11月は公演があるからバイトはあんまりできない。12月から就職するつもりだけど、どうなるかまだわからない」と言う彼にはとりあえず仕送りをすることになる。
1月いっぱいまでは援助する約束をしたが、そのあとは自分で暮らしてね。
あと3ヶ月かぁ。
その70万ほどを捻出するために我々が当分レジャーや旅行をあきらめたことを、息子は知らない。

「映画を観たり本を読んだりする時間が大切」って言っても、キミはその時間を確保するために、最低限の生活費も稼いでないんだよ?
それじゃ、「食って行く準備をしている」とは言えないね。

「母さんたちの友達には、家庭を持って勤めに出ながら、1日1冊は本を読んでレビューを書いている人や、年間200本ぐらい映画を観ている人がいるよ」と言うと、
「すげっ!でも、そういう人はオタクでしょ」って、わりと普通にいるけどなぁ、趣味に生きているカタギのヒト。
休日の行動半径があまりに広いので、「あの人は絶対3人はいる」と我が家で言われているゲーム会社の偉い人とかもいるし。

いくら言っても真面目には聞いてなさそうなので、そのへんはいつかわかるだろうとしか言えない。
我々も、若い頃は自意識でぱんぱんになっていて、オトナの言うことは全部つまらなく思えた。
今、「地道に生きることそのものが難しくて大変」なんて思うようになったのはここ20年ぐらいのことで、まだ20数年しか生きていない息子がそう思えないのも仕方ないんだろう。

風邪気味なのに薬を切らしているので、ドラッグストアに行く。
ついでに、家を出る息子のために置き薬でも買っておこう。
風邪薬に正露丸、バンドエイド、マキロン、巻爪用の特殊な爪切り。
シェアハウスの個室には備え付けの冷蔵庫もあったなぁ、ってペットボトルの水まで買うので、せいうちくんに「過保護」とバカにされた。
あなたにだけは言われたくない。
せいうちくんがこういうものを買い込まないのは、ひとえに想像力が不足しているからに他ならない。

ついでに段ボール箱を集めて行こう。
ドラッグストアでは、中身が軽いものが多いせいか、大きめの段ボールが2つ手に入った。
衣服を入れるのに使えるだろう。
スーパーに回って手に入れた小さめの段ボール10箱ほどは、本を入れるのに使おう。
まだまだいるけど、あとは本人にやらせるか。

家に帰って昼寝をしようとしていたら、息子から電話。
管理会社に、せいうちくんの印鑑証明を出さなければならないらしい。
幸い平日で役所が開いているから、取りに出かける。
せいうちくんは「住基カード」を作っているので、自販機のような機械で証明書が取れて、便利だね。

でもさ、いつの間にか連帯保証人にはならされるし、印鑑証明は取らなきゃいけないし、息子は親に面倒かけてることをもっと自覚すべきだよね。
「印鑑証明は本人でなくても取れるんだから、日中ヒマな息子が取りに行ってくれてもいいんだよ。そういうことをひとつもしないで寝てばっかりいて、本当に時間がもったいないよ!」と、普段はあんまり見ないですんでる彼の「起きなさ加減」を目の当たりにしたせいうちくんは機嫌が悪かった。
毎日起こしてる、そして起きないんで苦労してる私が機嫌悪いのも、察してくれ。

車を出したついでに、所在地が判明したアパートを見に行く。
家から細い街道をずっとたどって行くと、15分ぐらいで着いた。
もとは学生寮だったと言いうシェアハウスは40室入った3階建ての大きめの建物だった。
まあ、これなら安心ではある。
外をぐるりと回り、
「自転車置き場もあるねぇ。引っ越しの日、彼は自転車に乗ってこっちに来ればいいよ。家に帰ってくるのにも、自転車で20分もあれば移動できるね」
「通りを出たところにコインパーキングがあったから、引っ越しには車をそこに停めて荷物を降ろせばいいね」などと下見ができた。

息子は友達の車を借りて引っ越しをしようと思っていたようだが、都合がつかなかったらしい。
「家の車で何往復かすればできるかな」と言うので、せいうちくんが、
「一緒に荷物運ぼう」と返事をしていた。
出て行ってくれると思うと、寂しいけど、当面は解放感が先に立つ。
彼が出て行ってからゆっくり泣こう。

「家を出て行くのは寂しくない?」と聞いたら、
「全然。考えてることがこんなに違うんだから、一緒に暮らす意味ないでしょ」と軽く言われてショックでないと言えば嘘になるが、そうとしか考えられない彼の「幅のなさ」が哀れに思えるのは、こっちが歳を取っているからなんだろうな。

寝る前にベッドの中でせいうちくんに、
「あなたが私と暮らすために両親の家を出た時も、同じことを言ったわけだよね」と言ったら、
「まったく違うよ。親は、僕のやりたいこと、大切なことを認めてくれなかった。僕らは、息子の道に反対したり止めたりしてるわけじゃないんだから」という答えだった。

そうね、むしろ応援してるつもりなんだが、息子は大人同士として一緒に暮らす相手としては不適格すぎる。
彼が幼い頃はとにかく面倒みなきゃいけなかったから手間暇かけて育ててきたけど、もうオトナだ、私も母親業は引退して、好きなように生きて行きたい。
離れてお互いを尊重できるようになり、より良い関係で会えるようになることを祈って、今はこの寂しさに耐えよう。

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