17年11月1日

昨夜からの「軽い風邪」に耐えかねて、朝一番で近所の病院へ。
いつも混んでいるけど、出遅れたからか風邪の季節だからか、いっそう混んでいて、人は具合が悪い時に病院に行くのに、どうしてこんなに待たなくてはいけないんだろう、と、毎度毎度の絶望を感じる。

40分ほど待ってやっと診察室に入れてもらえて、「風邪ですね」。うん、わかってる。
「頭痛がひどいので痛み止めをください。『クリアミン』は、こないだ薬疹を起こしたのでやめておいてください。ワーファリンを飲んでいるのでロキソニンは良くないそうです。主治医からは『カロナール』を薦められてます」と言わないといけない。
めんどくさい患者だ。
そのうえ、薬局では、
「うさこさんは緑内障の治療をしているので抗生物質の種類がお薬に合いません。先生に言って、変えてもらいました」と言われる。
ますますめんどくさい。

家に帰ったら息子はまだ寝ていた。
朝起きる、という条件で、昨日せいうちくんが生活費を振り込んだんじゃないのか。
「父さんと約束したでしょ。起きる、というバイトをしているようなもんだよ」と言って起こそうとしたが、起きない。
「こういう時、約束は忘れてるの?」と聞いたら、
「覚えてる。ごめん」と言いながら、まだ寝ている。
本当に、こんなんで勤めとか行けるのか?

「母さんは風邪ひいたから寝てるよ」と言ってベッドに入ったが、寒気とのぼせが交互に来て眠れない。
昼過ぎにやっと息子が起きてきて、
「具合どう?大丈夫?」と部屋をのぞきに来た。
ごはんをあっためて食べて、出かけたようだ。
しかし、引っ越しの準備は全然進んでいない。

土曜日に心臓のクリニックに薬をもらいに行った時、一緒にもらっているいつもの胃腸の薬を先生が忘れていたので電話で頼む羽目になったんだけど、今日になっても届かない。
クリニックに電話して確認したら、ゆうパックで送った薬が、同じ市内の病院から埼玉の集荷所まで行ってそこからまた市内の我が家に戻って来るらしい。
長い旅をしてきた薬をやっと受け取って、3日ぶりにのんだ。
ちょっと胃の調子が悪くなってたぞ。

1日うつらうつらと眠れるような眠れないような。
せいうちくんも遅いし、息子も遅い。
息子が家を出たら毎日がこんな感じなのかしらん。
朝起きない人がいるとか、牛乳飲んだら飲みっぱなしでグラスをゆすぎもしないとか、そういうつまらないことでイライラするのがなくなって幸せだと思うんだけど、寂しくなったら、わずらわされたことさえありがたく思えるのかな。

17年11月2日

風邪、継続中。終日、ベッドで過ごした。
昨日、せいうちくんから、
「約束の中に『9時起床』『11月からバイト』があることを忘れないで」
「約束を守ってくれないと、父さんも資金支援の約束を守る理由がなくなってしまうので」
「旅立ちをきれいに仕上げてください」
と言い渡されて「はいよ」と答えたはずの息子は、今日も起きない。

11時近くなってやっと起こして食事を食べさせたが、30分前に、
「母さん、カルビクッパ食べるから、一緒に食べる?」と聞いた時には「いらない」と寝ぼけまなこで言っておいて、私が食べ終わってから起きて、「食べる」と言うな。二度手間じゃないか!
作ったけど。

おまけに、まったく荷造りせずに出かけてしまった。
「夜やる。そいで、箱が足りなかったら明日もらいに行く」
そもそも部屋にある10数箱の段ボールは母さんたちが集めてきてあげたんじゃないか。
本が多いなら絶対足りないと思うよ。

とにかく不真面目である。
憤懣と風邪で、熱が上がりそうな私だ。

憤慨していても元気がないので何もできない。
ひたすら寝たままタブレットで「ダウントン・アビー」を観続ける。
もうシーズン4まで来た。

友達からのライングループによると、他にも観た人がいるらしい。
マンガの「エマ」は読んだけど「ダウントン・アビー」は観てない人、「ダウントン・アビー」は大好きだけど「エマ」は読んだことない人、が入り混じっていたので、とりあえず「エマ」を読んでない人にはアマゾンで中古の全巻そろいを買って送りつけておいた。

マンガ10巻を読むのは3連休もあれば足りると思うけど、小さなお子さんのいる主婦が「ダウントン・アビー」全6シーズン(しかもまだ続く)を全部観るのはとても困難だと思われるので、そっちは敢えて薦めない。
いつかヒマになったら観てください、と祈るしか。

先日亡くなったOくんのお墓参りの話を取りまとめたと思ったら、お父様からお電話いただいた。
「皆さんとのお墓参りのあと、せっかく来ていただくのだし、故人の供養のために近くのホテルでお食事を差し上げたい」とのことで、もうホテルを予約してしまわれたそうだ。
お気持ちありがたく受け取ることにして、ただ、5時からのお食事というと時間も遅く、おおげさでもあるので、ランチに変更していただくことにした。

それを受けて、2時だった待ち合わせの時間を11時に変更したり、駅でご両親と集合してタクシーで墓地に行く予定だったがタクシーがつかまりにくいということなので、友人2人はうちの車に乗ってもらって、ご両親とは墓地の方で待ち合わせ、ということにしたり。
お父様がいろいろ細かく気を遣われる方なので、ご心配のないようにしてあげたい。

「喪服までは着ないが、Gパンよりはまともな格好」というドレスコードだったけど、さらにホテルでの会食かぁ。
いよいよ、ちゃんとした格好をして行かなければ。
10日に美容院の予約を入れておいて良かった!

そうそう、明日の引っ越しのためにレンタカーを予約しなければ。
値段を調べたら5千円ぐらいで借りられそうなので、せいうちくんと相談して、やっぱりうちの小さな車で何往復もするより小さなトラックを借りて1度に運んでしまおうという話になったのだ。
そしたら迷っていた本棚も運んでしまえるし。

トヨタレンタカーに電話して、ハイエーストラックを予約した。
本棚のサイズを測り、荷台の大きさを聞いて、積めることを確認。
当日の朝、せいうちくんと自転車で行ってトラック運転して運んでこよう。
すべて自分の好きでやってることではあるのだが、こういう段取りまで全部やってもらってることを、息子はいったいどう考えてるんだろうか?
ごはんを作ってもらうこと同様、かなり「当たり前」と受け取っているような気がしてならない。
その関係に風穴を開けるために出て行ってもらうんだが。

そんなこんなで夕方からベッドとパソコンの間を行ったり来たりしていたので、また熱が上がってきた。
咳のしすぎで胸や腰が痛い。
特に心臓の手術の傷跡がひどく痛む。
身体を2つに折るようにして咳き込んでは、「あいたたた」と腰をさする夜。
せいうちくんは帰りが遅い。
横にいてくれるだけでとても楽になるんだけどなぁ。
寂しい夜の病人は愚痴っぽいのであった。

17年11月3日

文化の日でお休みなんだが、せいうちくんは仕事が入ってしまったので珍しく休日出勤だ。
「打ち合わせが入っちゃって。九州からわざわざ来る人もいるんだよ」と言いわけする。
最近地味に忙しいらしく、本人も悲しそうだ。
息子に社畜扱いされるのも無理はないかも。

その息子は、明日引っ越しだというのに全然準備ができていない。
昨夜、帰って来てから荷造りすると言っていたが、朝起きてみたら、本を少し詰めただけで頓挫してソファで寝ていた。
ソファで寝るな、ちゃんとベッドで寝ろ、と何度言っても結局聞いてもらえなかったなぁ。
しかも自分の布団を持って来ないで薄い布団を出して掛けている。
寒くなってきたからと、せっかく分厚い布団に替えてあげたのに。
そんなことももうこれで終わりか。

「大きい段ボール箱には衣服を詰めて、本は重いから小さい段ボールに詰めなさい」と言っておいたのに、ドでかい箱に本を入れ始めているじゃないか。
こんなの、全部詰めたら持ち上がらないよ。底が抜ける。

「彼はアタマが弱いんだろうか?」と嘆いたら、せいうちくんは、
「引越しに慣れてないんだよ。準備してない?僕の知ってるある女性は、引っ越しの朝、手伝いに行ったら、前夜の宴会で手伝いの人たちと酔いつぶれていて、荷造りはまったく終わってなかったよ。引っ越し屋さんが来てもまだ箱詰めしてた。何とかなるもんだよ」と言い捨てて、ぴゅーっと会社に逃げて行った。
怒りに燃えて立ち尽くす私。
自分の黒歴史を握られている相手と結婚するのは、幸せなのかそうでないのか。

今日はさすがに家にいて荷造りするんだろうと思っていたのに、何とか9時半に起きた息子は、
「今日も用があって出かける。9時頃帰るかな。段ボールが足りない?帰りに集めてくるよ。ごはん?食べない。お気遣いなく」って、今日は夕食を一緒に食べるって言ってたじゃないか。
そのつもりでお鍋の買い物をしておいたのに。
最後の夜になるんだよ?

そういうセンチメントと無縁なのが若さか。
まあいい、私も正直言って何も考えられない。
すべては引っ越しが終わってから考えよう。
どのみち、もう引き返せないんだから。
だが、彼が段ボールを集めてこない方に200カノッサ。

17年11月4日

昨日の夜、5枚の段ボールを抱えて帰ってきた息子と、最後の晩餐。坦々ごま鍋。
むすっとして本を読みながら食べている、そんな姿も見納めか。
「食事の時に本を読むなら、いつ見ても読んでて『ああ、一刻も惜しいんだなぁ』って説得力がないと」と言ったら、いっそうむすっと、
「外ではずっと読んでる」
「そうか、母さんの知ってる本好きの人たちは家にタケノコみたいに本が増えて増えてどうしようもないんだけど、あなたはそこまではいかないね」
「・・・」(いっそう本に逃避)
こういうことを言うから私は嫌われるんだろうな。

食べ終わって、せいうちくんが、
「さ、やろうか!」と声をかけてもしばらくはもぞもぞとタブレットで映像を観ていたが、やがてあきらめたように荷造りに取りかかったので、私は部屋に引っ込んだ。
9時から夜中の1時頃までかかって、段ボール箱大2個の衣類と小12個の本を詰めた。
せいうちくんはノートや書類の整理を手伝い、かなりの量のゴミを捨てたらしい。
あとでこっそり聞いたら、息子はけっこう真面目に自分の過去と向き合い、思い出のあるものは「もうしばらく取っておいて」と頼んで残していたそうだ。

そして朝、私は6時から起きて部屋を少し片づけ、息子の部屋に持って行くシャンプーや薬箱を用意する。
せいうちくんからは、
「そんなにいろいろ用意してあげなくても、必要なら彼が自分で買えばいいよ」と言われたが、こういうちまちましたところに母心が発揮されるものなんだ。

9時になってせいうちくんを起こし、自転車を連ねてレンタカー屋さんに。
連休の朝とあって、狭い事務所はものすごく混んでおり、受付をするのにたいそう時間がかかった。
ノアとほぼ同じサイズだというタウンエーストラックを借りて、家に帰る。
結婚前、家出したせいうちくんの荷物を運び出した時も軽トラックを借りたが、「マニュアル車、しかもコラムシフトだった」と本人は語る。
今回は辛うじてAT車ではあるものの、限界まで安く作ってあり、パワステもオートウィンドゥもなくていっそ新鮮かも。
「カーナビがついているのが不思議なぐらいだ」とせいうちくん。

マンションの駐車場に停めさせてもらうのを管理人さんにお願いして、
「コドモがアパート借りたので、小さな引っ越しです」と言ったら、
「ああ、○○くんが。それではご主人と奥様とお2人になるんですか?」と言われた。
住人を、よく把握してるなぁ。プロだ。
「近くなんで、ちょくちょく帰ってくるかもしれませんが。駐輪場も、契約を残しておきます」
「はいはい」
思えば、息子が小学校5年生の時に越して来て、もう12年も住んでたんだ。

その、すっかり大きくなって可愛くない彼を起こしてごはんを食べさせるとなんとか始動し、せいうちくんと2人で本棚から動かし始めた。
大物はそれだけなので、あとは彼が1人で積み込んだ。
小さめの箱とは言え、本の詰まった段ボールを2箱いっぺんに持ち運んでいたので驚いたよ。
ムダに飯は食ってないなぁ。
体力に自信のないせいうちくんは腰をいたわりたい雰囲気が濃厚で、息子にも、
「若いからって過信しないでね。腰に気をつけてね」と声をかけていた。

テレビとDVDデッキを詰めた最後の段ボールに「電動歯ブラシ」「コンタクトレンズ」「ティッシュの箱」などを放り込んで荷造り終了。
それも持って行ってもらって、積み込みが終わった。
「じゃあ、向こうで会おうね!」と言ってせいうちくんと車で出発したら、息子も出てきて自転車に乗るのが見えた。
彼の、実家とのお別れだ。

シェアハウスまで10分ほど。
道にトラックを停めていたら息子も到着。
こんなに近いのか、とあらためて驚いた。

さっそく本棚から運び入れはじめた2人を眺めながら、なんとなく道端に停めたトラックと荷物の番をしている格好になったが、私も建物の中や部屋を見たい、とうずうずしてきたので持ち場を離れて物見高くのぞきに行ってみた。
開け放した入口を入ると、広い玄関にはやや乱雑な下駄箱があり、奥に続くリビングに2人が入って行くところ。

ついて行くと、管理人だという40代ぐらいの感じのいい女性が共有部分のキッチンやリビングについて説明をしてくれている。
共有の食器や炊飯器はすぐに洗って、というようなことだ。
(流しを見て、「こういうのはダメですよ」と言っていたので、食器を洗わずに置いてる人がいたんだね)
管理人室に常駐してるのだそうだ。安心だなぁ。
「どうぞよろしくお願いします」とせいうちくんと2人で頭を下げるのを、息子は憮然とした表情で眺めていた。

彼が段ボールを運び入れ始めたので、持ってきた飲み物を部屋に備えつけの冷蔵庫に入れる。
牛乳、コーヒー牛乳、ミルクティーと水のペットボトル、缶ビール。
息子が荷物を置きながら、
「あれ?途中で買って来てくれたの?」と聞くので、
「ううん、家にあるのを持ってきた」と答えたら、いやがるかと思ったけど、
「そう、ありがと!」と明るかった。
まあ、こういうウザいのが母の愛だ。
これからは距離があるんだから、ありがたく思ってくれい。

あっという間に搬入は終わり、本と服の段ボール箱を押し入れに積むと、6畳ほどの部屋はこざっぱりと住み心地が良さそう。
備えつけのベッドには、新品のベッドパッド、肌掛け、枕、シーツとカバーリングが置いてある。
てっきり使い古した洗いざらしのものだと思っていたので、なんか感激した。
ここで彼が1人暮らしを始めるのは、とてもいい考えな気がする。

後の片づけはおいおい息子にまかせることにして、お別れのごはんを食べに行こう。
「来る途中にロイヤルホストがあったね。あそこにしよう。自転車で来られる?」とせいうちくんが聞くと、「うん」とうなずくので、我々はトラックに乗って先に行こう。
「掛布団が薄いけど、どうする?今まで使ってた羽毛布団を、明日持って来ようか?」
「うん、お願い」
「じゃあ、明日うちの車でまた来るよ」と言って、いったん部屋とはお別れ。

10分後、ロイヤルホストで集合して、ごはん。
息子は機嫌がよく、ドリンクバーの機械についてうんちくを傾けていた。
(原液を水で薄めているんだが、昔の倍、水が出ているんだそうだ。彼らがコドモの頃は、水を止めて原液だけ飲むのが流行っていたらしい)
あと、映画の話とか、アニソンの話で少し盛り上がった。
(「ゴダイゴの『999』は完璧だ。よくあんな曲ができたもんだ!」「マンガの『999』で、誰も他人をうらやまない星が出てきた。素晴らしい設定だ」)

なにやらやる気が出てきたらしい彼の顔を見ていたら、もうこれでお別れなんだなぁ、とこみあげてくるものがあった。
私「あなたは、父さんの記憶力と母さんの論理力が結びついた傑作だから、頑張ってね」
息子「そうだねぇ、名古屋のおじいちゃんに似てる気はするよ」
私「おじいちゃんから私に伝わり、あなたに連綿と続く血の遺産なんだよ」
息子「うん、まあ、頑張るよ」
頑張ってくれ。

店を出ると、朝からずっと息子にお別れのハグをしてもらうことばかり考えていた私の胸中お見通しのせいうちくんは、「ほら」と言いたげに、私を息子の方に押しやる。
「ん?なに?」といぶかしげな彼に、
「母さんは、お別れのハグをしてほしいんだよ」とせいうちくんが言うので、
「いやそんな、こんなとこで、恥ずかしいよ」と尻込みすると、息子は「ああ!」と笑い、「じゃあね」と言ってぎゅうっと抱きしめてくれた。
「オヤジも」とせいうちくんをハグして、「ごちそうさん!」と自転車で去る彼を見送る。

「終わったね」
「うん、終わった。帰ろう」
トラックを運転し、レンタカー屋さんに返しに行く。
「大事を取って12時間借りたけど、6時間でも楽勝だったね」
「まあ、千円しか違わないから」と言いながら4時間で返したら、なんと、
「お客さま、早めにご返却いただきましたので」と千円戻ってきた!
トヨタレンタカーが大好きになった瞬間。
そうめったに使うもんでもないのが残念だ。

自転車で帰る途中、せいうちくんが、
「今、楳図かずおとすれ違った」と言う。さすがは吉祥寺の裏通り。
「やっぱり縞のTシャツを着てた?」
「いや、普通の服だった」
「?それでよく楳図かずおだってわかったね?!」
「縞じゃなくても、顔が、楳図かずおだった」

せいうちくんはよく有名人に遭遇する。
わりと一緒にいるのに、なぜ私は見ないのだろう。
映像認識力に難があるのは自覚してるのだが…クヤシイ。

家に帰って、「あー、くたびれた!」とベッドに転がったら、がらんとした息子の部屋を見に行ったせいうちくんは、戻って来て布団にもぐってしまった。
「どうしたの?」
布団をめくってみたら、中で丸まって、泣いている。
「泣いてるの!」
「あんなに可愛がったのに、いなくなっちゃったよう。もう、いないんだよう」
涙をぽろぽろこぼして、口をへの字にして、おいおいと。
私もつられ、2人で抱き合って、しばらく泣いていた。

「お疲れさま。楽しく暮らしてね」と息子に打ったメッセージに返事が来た。
「24年間、ありがとう」
そう言ったら、せいうちくんはますます泣くし。

終わったね。
本当に、可愛がって可愛がって育ててきた。
「自然発生的な親の愛情」なんて信じない主義の私だが、息子のことは自分なりに可愛いと思ってきた。
しょせんはエゴだと思うから、「あなたのためを思って」とは絶対言わずに育ててきたつもりだが、彼の目にはどう映っていただろうか。
彼に良かれと思うよりは自分の気がすむようにしかしてこなかった子育てだけど、そこにはそれなりの強みがあるはずだ。
正しく自分を愛せる人になってもらいたい。
親の期待する人間になんかならなくていいから、自分で自分を好きになってもらいたい。
そうできなくて苦しい生き方をしてきた昔の私をもう1人作らないために、息子に望んだことはそれだけだ。
彼が自分をとことん好きになって、いつか、その自分を育ててくれた我々のことも好きになってくれたらと願って、これからの人生をもう1度2人きりで生きて行こう。
せいうちくん、お疲れさま。ありがとう。

17年11月5日

引っ越しをしたばかりの息子の部屋に、掛け布団が薄いようなので今使っているものを届けに行った。
頼まれたように朝の10時に電話したら、眠そうにではあるが出たので、車で向かう。
替えのシーツ、枕カバー、布団カバーと、有料ゴミ袋、グラスを2つ、箸、せいうちくんの実家からもらった青汁の残り、ついでに昨日焼いたたこ焼きを紙皿に入れてソースとマヨネーズかけたものにかつお節のパックつけて持ってった。

10分でアパートに着くと、コインパーキングの前で眠そうな顔をした彼が待っていて、部屋に入れてくれたが、押し入れに置いた衣類の箱のフタが開いている以外はほとんど片づけが進んでいないようだった。
室内はエアコンがカンカンに効いていて暑く、シェアハウスの方で用意してくれた新品の薄い布団を掛けて寝たようだ。
これまた新品の布団カバーは、開封してもいなかった。
かろうじてシーツと枕カバーだけは掛けてあったけど。

いろいろ話を聞きたかったんだが、届けるものだけ届けたらせいうちくんが「じゃあ!」と言って私を部屋の外に押し出し、あっという間に帰らされてしまった。
息子も、「ん、ありがと。青汁、助かる。たこ焼き、食うよ」と言ってバイバイしてるし。

車に乗りながら文句を言ったら、
「長っ尻しないでさっと帰るのが、好印象のコツなんだよ」と涼しい顔。
昨日おいおい泣いてたのはどこの誰なんだ!

息子が整理していらないと置いて行った本をブックオフに売りに行く。
紙袋3つ分で、2千円ちょっとになったようだ。
「これは彼にあげよう」とせいうちくんがお財布にしまっていた。
まあ、彼のお金なのかもね。新生活応援。

帰り道の西友で買い物をしながら、
「このあたりは前からよく通っていたけど、これからは『息子の町への道』という扱いになりそうだね。息子ストリート。途中にあるロイヤルホストも、今後、『じゃあ、ロイホに集合ね!』って言ってごはん食べるかも」と話し合う。
この西友自体、中学生の時に社会科の「職場体験」で息子が派遣されてきたことから発見され、車で買い出しに来るようになった店だし。
息子が、いろんな思い出のある土地から急に遠くに行かなくてよかった。

帰って簡単に昼ごはんを食べ、テレビを観たりして過ごしたが、なんだかものすごくのんびりするなぁ。
家が、片づいたままなのが嬉しい。
息子がいた間は、片づけても片づけても食卓の上とかに彼の荷物が積み上がって、ソファには脱いだ服が広がって、部屋のベッドの足元には服の山ができる、という状態だったから。
なんだか寂しいのは一瞬で終わって、思い通りの生活ができる喜びに打ち震えているよ。
息子の方もそうなのかもしれないなぁ。

夜は「卒親の打ち上げ」で近所の中華料理屋に行く。
7月に息子と前カノと4人で来て、10月に息子と3人でしんどい話し合いをして、やっと2人きりで向かい合う店。
うんと小さい頃にも連れて来て、いろんな思い出があるね。
「海鮮おこげを食べた時、私が息子を連れてとなりの本屋に行ってる間に運ばれてきちゃったから、『鉄鍋に熱いあんを注いで、じゅうっ』っていうのをあなた1人で見たんだよね」とせいうちくんに言って笑う。
生ジョッキで乾杯し、お料理を4品頼んで、「おいしいね」と言いながら思い出をかみしめた。

「これから2人の生活に戻るね。2人で子育てしてきて楽しかったね。まだ金銭面での援助とかはあるけど、いちおう、親業の終わりだよ」としんみり。

「結婚した時とまったく同じ気持ちってわけにはいかないけど、あなたと結婚して本当に良かったと思ってる。1度も後悔したことないし、これからもしないよ。ずっと2人で仲良くしてね」と言ったら、せいうちくんもうなずいていた。
もう1回、新婚生活だ。
これからもよろしくね、せいうちくん。

17年11月6日

朝5時に起きたら、せいうちくんは4時から起きて仕事してた。働きもんだ。
しかし、2時間ごとに目が覚めてしまう不眠症の自分にも困ったり感心したり。
日中いつも眠いのに、眠れないんだよね。
まあ、死にゃしないからいいけど。

いつもはせいうちくんは朝ごはん食べないが、手術以来1日3食おなかがすくようになってしまった私は何か食べてる。
普段なら勝手に残り物で朝ごはんをすませるんだけど、2人きりになって張り切ってるので、今日は簡単に作ろう。
コンビーフにたまねぎのスライス入れてマヨネーズであえたものを、2つ割りにしたマフィンに乗っけて焼いて、コーヒーと一緒に書斎に持って行ったら、ぺろりとたいらげて「おいしいね!」とまだ食べたそうにしていたので、マフィンをもう1つ焼き、今度はマーマレードを塗った。
実はマフィンの一番おいしい食べ方はこれだと思う。

昨日、会社の奥さん友達から、
「卒親のお祝いにマドレーヌをお届けします」というラインもらったので、買ったばかりの西原理恵子の「女の子が生きて行くときに、覚えておいてもらいたいこと」をせいうちくんに持たせる。
ダンナさんが同じフロアに勤めるようになったので、彼女と私の間にホットラインが開設されたのだ。
たこ焼きを焼きながら、
「飽きたら、たこ焼き器を会社に持って行ってあそこんちに貸してあげるってのはどうだろう?」と話したりしている。
通勤電車に乗るダンナさんたちにとってはいい迷惑かもしれないが。

会議がある、と言ってなんと7時前に家を出てしまったせいうちくん。
この頃忙しいらしいが、9時始業なのに8時から会議があるのはいかがなものだろうか。
「就業時間中はもうこれ以上会議を入れられないぐらいびっちり立て込んでいるので、みんなの身体があいている始業前とか終業後に予定を入れられてしまう」と、せいうちくんは悲しそうだ。
スキあらば定時に帰ってしまう彼のような人に働いてもらうためには、そういう方法を編み出すしかないのだろう。

またしても昼寝に失敗しつつ、朝イチで皮膚科に胸の傷跡の治療に行く。
盛り上がって痛痒い傷に沿って、細い注射器で何か所か、ステロイドを打ってもらうのだ。
前回の注射であまり良くならなかったので、今回は飲み薬ももらった。
「うさこさんは飲んでる薬の種類が多いから」と前回は飲み薬を出したがらなかった先生だが、治りが悪く私がぶーぶー言うので出してくれた。
だって、痒いんだもん。
テープを貼っておけと言われて高価なシリコンテープを買ったけど、貼ると皮膚がかぶれてよけい痒いですぅ。
かぶれがおさまってる時だけでもいいから貼れ、と言われた。つらい。

午後は洗濯機の修理の人が来た。
買って3年の全自動乾燥洗濯機は、わりとしじゅう乾燥機の分解掃除が必要になる。
前回3月に来てもらったので、今回は同じ修理の延長という形で、無償だったのでありがたい。
息子がやたらにTシャツとか着替えるので2日に1度の洗濯だったが、2人きり、しかも2人ともそんなに服をいろいろ着るわけではない、となると、結婚したての頃のように週に1回ですむかも!

思えばコドモたちが生まれてから、鬼のように洗濯をしていたなぁ。
布おむつを使っていた頃なんか、1日3回ぐらい回してた。
息子が毎日柔道やるようになってからは柔道着の洗濯がタイヘンだったし。
こんなところにも生活の変化を感じる。
いい天気も手伝って嬉しくなり、シーツや布団カバー、バスタオルをうわっと洗って干して、壮快だ!

その日あったことをその日のうちに書けば、日記はいくらでも細かくなる。
しかし、別に私の生活を細かく知りたい人もいないだろうから、もうちょっと精神的なこと、形だけでも「イイこと言った!」って感じになるような内容を書こうね。

17年11月7日

せいうちくん、2泊3日の海外出張。
「前よりずっと大丈夫になったよ」と言ったら、
「『必ず帰ってくる』と思えるようになったんだね」と嬉しそうに言われたので、「んー」と考えて、
「あいかわらず、帰ってくる、とは思えてない。そういう先の見通しは持てないまま」と答えたら、
「帰って来なくても平気になった、ということか…」と悲しそうな顔をされたので、あわてて、
「いや、帰って来てほしいとは思ってるよ。ただ、いなきゃいないでなんとかなるようにはなったかな」と言うと、
「まあ、それでもいいや。帰って来たら喜んではもらえるんでしょ?」と不確かな表情をしていた。
そりゃあ、喜ぶよ。無事のお帰りを待っています。

というわけで朝の5時半に出かけて行ったので、私はお店が開くのを待って買い物に。
車で、となり町のイトーヨーカドーへ行くんだが、この地に住んで20年以上、1人で行くのは初めてだ。

週末に友人たちとお墓参りに行き、故人のご両親とランチをご一緒するので、普段のようないい加減な格好というわけにはいかない。
その気になってクロゼットをひっくり返したら、衝撃の事実が判明した。
数年前にワードローブの大整理をしてから、私には「おしゃれ着」というものがない!
ブラウスもカーディガンも、全部捨ててしまった!
何か適当なパンツとブラウスに上着、と思っていたのに、本当の本当に何もない!!

最後にきちんとした格好をしたのは息子の高校の卒業式か。5年半前だ。
その時は淡いピンクのスーツだった。
いくら何でもお墓参りには着られない。季節も合わないし。
それ以外のオフィシャルは喪服だったが、今回、喪服も大げさだよね。
ああ、足が痛くならない靴もないんだった。いつもスニーカーで通していたから。

というわけで、にわかに上から下まで外向きに着られる服を買わなければならない。
こういうシチュエーションでイトーヨーカドーに行こうとしか思わないのは本当に情けないんだが、セシールに頼むには日数がないし、カタログショッピングであせるとろくなことはないから。
吉祥寺のデパートやブティックに行けばいいのかもだけど、非常に敷居が高い。ドキドキしちゃう。
ここはひとつ、慣れた値段帯で。

車で15分ほどのイトーヨーカドーにはスムーズに着いた。
ここ数ヶ月、かつてないことだけど1人で運転することが増えている。なかなか気持ちがいい。
すっかり薬が抜けて頭がクリアで眠くもないから、せいうちくんも心配してないそうだ。
バックの時にカーナビにガイドラインが出るので、駐車も不安なし。

しかし、お買い物は不調だった。
季節がいけない。
更年期障害で汗がだらだら出て、いまだに半袖のTシャツを着ているというのに、売ってる商品は「ヒートテック」「あったか遠赤外線」「裏地起毛」のオンパレード。
ボアつき、なんて見ただけでぶわっと汗が出るよぅ。
なんとか黒の七分袖のTシャツを1枚買って、もういかん、あとはセシールの「お急ぎ便」に頼ろう。
靴も、品数が少なくて高いので、明日吉祥寺の安売りの店に行こう。

ケンタッキーでチキンとポテトをたくさんテイクアウトして、ヨーカドーの地下でお寿司と肉まん買って、今日明日のごはんを確保。
せいうちくんはいないし、息子に食べさせる必要ないし、なんて気ままなんだ!

買い物が思い通りに行かなかったことは置いて、なんだかとっても気分がいい。
せいうちくんの出張なんて今まで寂しいばっかりだったのに、この自由さはなんだろう。
やっぱり子育てが終わったことから来る解放感かしらん。
3日間、ごろごろして「ダウントン・アビー」を観まくるつもり。
あれ?普段の生活とそんなに変わらないのに、るんるんしてる。不思議だ。

17年11月8日

せいうちくん海外出張2日目。
1人でお風呂入って1人でごはん食べて1人で眠る生活。
寂しいとしても期間限定だから、今んとこ楽しい。
こういう時間が楽しめるようになっただけでも精神的に健やかになったなぁ、と感慨深い。

自転車で吉祥寺の病院に行って、ひざにヒアルロン酸の注射打ってもらって、買い物する。
やっぱりブティックは敷居が高くて、西友に来てしまった。
黒のブラウスとパンツを買う。計2千円を切る、バーゲン品。
靴も安売り店で3千円弱。
有閑マダムがこんなことでいいのか。

ここんとこずっとハムサンドが食べたくて、サンドイッチスプレッドを探している。
昔はキユーピーからおいしい瓶詰めのが出てたんだが。
紀伊国屋に行ってみたら輸入物とかあるかも、と思ってのぞいたら、おや、キユーピーのチューブのがあるんだね。よかった。

せっかく街に出たんだから食事して行こうかとも思ったんだけど、疲れたし、家でダウントンアビー観ながら食べたいから、帰って肉まんあっためよう。

3日限りでなければ無理かもだが、ものすごく順調。
昨日の晩ホテルから電話もらった時も、風邪ひいてて早く寝たそうなせいうちくんに、
「いいよいいよ、ムリしないでもう寝て。全然寂しくないよ」と言って、かえって悲しがられたぐらいだ。
自立って、こういうことかしらん。

とか思っていたら、事態は夜に思わぬ様相を呈してきた。
8時頃会食先から電話してきて、
「ラインがつながらないので、普通の電話。高いからすぐ切るね。11時頃ホテルに帰ったらライン電話するよ」と言っていたせいうちくんが、10時半にラインメッセージ送ってきたの。
「ラインが」
え?そこで終わり?
ケータイの調子が悪い?

「ラインがどうしたの?」と送ってしばらく待ったけど、既読にならない。
通話かけてみたけど、出ない。
そのあと2時間、待ったり、メッセージ送ったり、ライン電話かけたり普通に電話かけたり、あらゆることをしたけど、連絡が取れない。

すごくあせる。
宴会が長引いてるにしても、電話ぐらい入れてくれるはずなのに。
12時過ぎて、宴会も終わってるだろうって時間になり、親しい同僚の人にメッセンジャーでわけを説明して泊まってるホテルを教えてくださいって打ったけど、既読にならない。
いつも遅くまで働いてる人なので、1時に思いきってケータイにかけてみた。

「今、家に帰ったところです」とすぐに出てくれて、
「パソコン立ち上げればホテルはわかりますから、しばらくお待ちくださいね」と言って、かけ返してくれた時には、
「ホテルに電話を入れてみましたけど、お部屋に帰ってないようですね。打ち上げが長引いてるのかも。心当たりに連絡してみますから」とのこと。
思わず、
「浮気とかしてるのをかばってる、なんてことはないですか?」と聞いてしまった。
「そんなことあるわけないじゃないですか!同行者が大勢いるんですよ!」と困っていた。Hさん、ごめんなさい。
女の人は親しい友人の浮気でもかばわないが、男の人は仲の悪い同士でも浮気はかばう、と聞くもんだから。
いや、Hさんはせいうちくんと仲良しだけどね。つまり、よりいっそうアヤシイわけで。
うーん、私は、せいうちくんの不慮の事故を心配しているのか、浮気を心配しているのか?

やがてHさんからメッセンジャーで、
「同行者に電話してみましたが、つながりませんでした。会食で盛り上がっているか、皆さん疲れ果ててお休みになってしまったか、ではないでしょうか」と連絡が。
「ありがとうございます。お騒がせしました。朝まで待ちます」と返して、夜中に1人。さて、どうしよう。

あんまり心配になったので、息子に電話してみた。
「なに?」と無愛想。
「海外出張中の父さんに、連絡がつかないんだけど」
「大丈夫だよー」
「そうかなぁ」
「大丈夫大丈夫。んじゃっ!」
切られちゃったよ。
せっかく縁なく過ごしていたのに、思わず連絡しちゃった。こんちきしょう。

2時になり、もうホントにガマンできなくなって、ホテルに電話してみた。
フロントが日本語通じてよかった。
部屋の電話を呼び出してもらったけど、留守電になってしまう。
もう1回かけて、呼び出し音を長く鳴らす設定にしてもらっても、出ない。
「妻ですけど、急に連絡したいことがあって」と、ついに部屋に見に行ってもらうことにした。

しばらくしたら、ゾンビのような声のせいうちくんから電話が。
私「どうしたのっ?!」
大「…気絶してた」
私「具合悪いの?」
大「いや、酔っ払って、記憶がない。部屋で倒れてたら、今、ホテルの人が3人入って来て起こしてくれた」
私「倒れてたって、床に?」
大「うん、服のまま、床に寝てた。どうやって帰ってきたか、全然記憶がない。ホテルにいるのが不思議だ」

ここまで、会話がスムーズだったわけではない。
もうろうとして、途中に「気持ち悪い…」「もう何もかもキライだ!」「国際親善のために、頑張って飲んだ」と泣きが入る。
「このホテルも大っキライだ!」って、ホテルには何の罪もないじゃん、意識のないあなたを起こしてくれたんだよ?

要するに、飲み会の帰りに私にラインを送る途中で意識が途切れ、そのあとのことは一切覚えてないらしい。
本当によく無事に帰れたねぇ。
外国で意識がなくなるまで飲むなんて、もし女の人で、強姦とかされちゃっても、「あなたが悪い」って言われるレベルだよ。
いや、どんな状態の女性でも強姦されて文句が言えないなんてことはあってはならないんだが、それはフェミニズムに基づいた別の話だから。

話してる間にも、ケータイ放り出してトイレに走って行ったらしい。
盛大に吐いてる音が聞こえる。
戻って来て、
「あ、また吐きそう」と再び便器と仲良くしてる。

これ以上話しててもしょうがないので、
「明日の仕事は?」
「8時には起きる」
「じゃあ、起きたら電話して。ちゃんとシャワー浴びて、着替えて、モーニングコールかけて寝るんだよ」
「…ごめんね」
「怒ってるけど、大好きだよ。明日帰って来てからゆっくり話をつけようね。おやすみ」
と電話を切ったのが2時半。

あー、なんか、10時半までの私の幸福はどこへ行っちゃったんだろう。
ダウントンアビー観て寝るはずだったのに。
でも、せいうちくん、生きててよかった。
部屋を見に行ってもらってるあたりでは、完全に、死体が発見されるかもなぁ、って思ってた。
こないだ友達がくも膜下出血で死んじゃったし。
「パスポートは有効だっけ?息子のパスポートも必要だ。遺体はすぐに引き取れるだろうか?会社からは同僚のHさんが一緒に行ってくれるかしらん」って算段してた、すぐにフローチャート書いちゃう性格の私。
アタマがじんじんするなぁ。
もう寝よう。きっと寝られないけど。

17年11月9日

結局やっぱり寝られなくて、朝。
8時を回ってもせいうちくんから電話ないので、ケータイにかけるも、無反応。
「これは、あのまま沈没してるのかも」って、またホテルのフロントにかけて、部屋につないでもらう。
おお、出た。
「国際電話で高いから、ライン電話かけて」と頼んで、切る。

せいうちくんがかけ直してくれたライン電話でゆっくり話す。
どうやらモーニングコールも何もかけずに寝てしまったらしい。
「服は着替えた?」
「ステテコ一丁で寝てた…」
ダメダメですね。

「仕事は?」
「9時から。起こしてくれなかったら寝過ごして穴をあけるところだった。ありがとう」
「昨日のこと、覚えてる?」
「あんまり…ものすごく気持ち悪い…」
「とにかく仕事に行きなさい。朝ごはん食べに行って、オレンジジュースとか味噌汁とか飲んで。水分取ってね」
「はぁい…ありがとう」

そのあとは10時頃、仕事先のトイレからかかってきた。
気持ち悪くて座り込んでるらしい。
12時のフライトで帰れるのか?!

「もうじき飛行機に乗る」と空港からかかってきた時は、
「少しは良くなった?」と聞いたら、
「全然。動いたらよけいに酔いが回って、激しい二日酔いというか、今現在、酔ってる気がする。気持ち悪い」。
こんなんで飛行機に乗ったら吐くんじゃないだろうか。
座席の前にある、あの袋がこれほど頼もしく思えたことはない。

3時頃に羽田に着いたらしい。
空港バスを待つ間がけっこうあったので、ゆっくり話した。
昨日の記憶を少し補ってあげて、ホテルの人に突入を頼んだくだりではたいそう感謝された。
ものすごく気持ち悪くて、普段吐かない彼にしては珍しく嘔吐しまくっていたので、起こされずにいたら寝たまま吐いて危険だったかも、と言う。
少しおなかがすいてきたそうなので、酔っ払いにはラーメンだよ、と言ったらなんだかとってもラーメンが食べたくなったようだ。
空港内で食べといで、と言って電話を終わった。

家に帰ってきたのは5時頃。
非常に消耗して、「ごめんね〜」とへろへろ。
仕事先で取材したところでは、昨夜は自分の足でホテルの部屋に入って行くのが目撃されていたそうなんだが、本人には記憶がないんだって。
「宴会が終わって、タクシーの中で、他の人も一緒だったから電話じゃなくてラインメッセージを送ろうとしたんだけど、たぶん車が『ぶぉん』って発進した衝撃で酔いが急に回って、そこで記憶が途切れている。ホテルの人に起こされるまで、いっさい覚えてない」

本人たいそう反省してはいるものの、いかに荒れた宴会だったかを主張してやまない。
なんでも、日本側では「宴会中、突然倒れて、また起き上がって話をしていた人」「車椅子で運び出された人」「タクシーの中で吐いた人」が次々と出現し、相手側の若手社員も殴り合いを始めたのだそうだ。
とどめに、せいうちくんは会社員生活で初めて、「他人の靴を履いて帰って来てしまった」んだって。
しかも、微妙に良い靴に変わっていたらしい。どうしましょ?

お風呂に入ったら元気が出たようで、インスタントラーメンを作って食べていたのは、まだ酔っ払いの胃袋なんだろうか。
私もカップ焼きそばを食べながら、
「これで怒ってないんだから、我ながら人が変わったと思うよ。ただ、心配かけられさえしなかったら心静かにダウントンアビー観て終わるはずだった出張が、こんなことになって本当に残念」といちおう文句を言っておいた。
昔だったら泣いて殴って、「もうお酒は飲みません」って誓約書を書かせてただろうなぁ。
かつては家のそこかしこにそんな貼り紙があって、お客さんに笑われていたもんだ。

反省しながらもくたびれて早々に寝てしまったせいうちくんの横で、40時間ぐらい寝ていないのに眠くならない不思議をかみしめる。
ライン友達に昨夜の顛末を報告したら、やはり出張の多いダンナを持つ彼女に、
「私も同じことをすると思いますよ。我々の愛が突然死から夫を救うことだってありますよ!」と断言してもらって、少しほっとした。
「何があるかはわからないんだし、後から後悔するぐらいなら電話して恥かきます」とも言ってくれたよ。

確かに大恥をかいたが、せいうちくんからは感謝されたし、今朝だって遅刻するところを助けてあげたんだから、問題はないだろう。
夜中にケータイ鳴らしてしまったHさんには、せいうちくんからお詫びのお菓子を送ってもらった。
今度一緒にお食事をするので、その時にまた謝ろう。
まあ、終わり良ければすべて良し。
「会社員になって30年近く、まだ酒で失敗するなんて!」との猛省はせいうちくんにまかせて、さて、来週も国内とは言え出張だ。大丈夫か?

17年11月10日

昨日書き忘れたが、もちろん息子にはすぐに、
「父さんは酔っ払ってホテルで倒れてた」と知らせた。
「ふーん」と気のない返事が返ってきて、翌日、
「二日酔いだけど無事帰国したよ」との知らせには、
「よかったね。ところで、この本買っておいてくれる?」と、家にいた時同様、アマゾンで本買っといてコールが来た。(当然、支払いは我々の口座からの引き落としだ!)
家に届いたら、日曜にでも持って行ってあげて、ついでに少しは部屋が片づいたかどうか見てこよう。
子離れできてないかも。

カイロプラクティックの先生に、
「息子が家を出てくれました!先週、引っ越しました」と報告したら、
「よかったですね!それで表情が明るいんですね」と言われた。
ガチガチだった首回りが、柔らかくなってるそうだ。ストレスがへった証拠だって。

天気も良かったし、かなりるんるんと自転車こいで美容院に回る。
明日はお墓参りだし、来週の日曜にはまんがくらぶの大パーティーがあるから、ぼさぼさに伸びている髪をなんとかしておかなくっちゃ。
手術以来伸ばしているのが気に入っているせいうちくんからは、
「今の髪型がカワイイから、あんまり切っちゃダメだよ。整えるだけにしてね」としつこいほど念を押された。
そのまんま美容師さんに伝えたら「あらまあ」と笑われた。そりゃ笑うだろう、普通。

もしかして私は長年のうつ状態を抜けて、「躁転」してるのかしらん。
あまりにも機嫌がいい。
息子が出て行ってくれたことがそんなに効いているのか?
この1週間、ほとんど「寂しい」とは思わずに過ごせてしまったんだが。
反動でまたどんよりするのはイヤだなぁ。

今、彼はほぼ毎日ショートショートを書いて、投稿サイトに上げ続けている。
毎晩それを読むのが楽しみだ。
「面白いこと考えつくなぁ」と毎回感心するし、日本語としてもなかなかのレベルで、読ませる。
「創作」がいっさいできない私と違ってしっかり「ウソがつける」のは、いわゆる「ネタ」で鍛えているからだろうか。
もちろん親の欲目なんだけどね。
こうやって彼の創作を楽しめて、今日も元気に生きていることが確認できるネット時代、万歳!

17年11月11日

8月に急死した高校時代の友達、Oくんのお墓参り。
友人2人と小田急線柿生の駅で待ち合わせしたので、せいうちくんの運転で早めに駅前に行き、車を停めて花束を買う。
花屋のおばちゃんに、
「聖地公園墓地、って、近くなんですか?」と聞いたら、黒ずくめの格好して墓参用の花を買う女の正体はすぐに知れたものらしく、
「山を越えたところです。車ですか?そうですか。広いんですよ〜」と何だかうらやましそう。
「そうなんですか。申し込んだら当たったそうですよ」と言うと、
「市営ですからね。当たったなんて、運がいいですね!」とますますうらやましがる。
「いや、親御さんが買ったお墓に息子さんが先に入られたので、あんまりいいお話でもないんですが」と言ってもまだ、
「それでもねぇ、いいところなんですよ〜」。
こういう世間話をするおばさんたちを、うちの息子なんかはウザがるんだろうな。

改札口の見えるファミマのイートインスペースに坐っておにぎり食べてたら、定刻10分前にKくんが来たのが見えたのでお出迎えし、ファミマ内に連れてきた。
「いい天気だねぇ」と言ったら、
「いや、朝は少し雨降ってたよ」と言われ、話が続かないじゃないか。
「今来た各停にNさんが乗ってるんじゃないかなぁ」とせいうちくんが言うとおり、Nくんが降りてきた。
さすがは昔このへんに住んでいた男。いや、せいうちくんのことですが。

「結局みんな黒っぽい服で、葬式みたいだねぇ」
「まあ、お墓参りですから」とか言いながらうちの車で墓地まで。
車の中でお花代を500円ずつ徴収するよ。
細かく先を読むタイプのOくんのお父さんが心配していた通り、せいうちくんは道に迷う。
それでも約束の時間の10分前に墓地の管理事務所前に着いた。
ご両親はもう来ていたが。

会うのは2回目になる我々が、初対面になるKくんとNくんを引き合わせる格好になり、
「今日は本当に遠いところをわざわざ」と深々と頭を下げるご両親にみんな頭を上げたり下げたりしながら、墓地の奥へ向かって一緒に歩いて行く。
少し足の悪いお母さんが遅れがちなのを待っていたら、お父さんとせいうちくんはいつの間にかずっと先を歩いており、残りの我々はかなり後を遅れてついて行った。

墓地の中は自然公園のように広く、Oくんのお墓は墓石の群れを抜けた先、プレートをたくさんはめ込んだ低い石の壁が何列も並んだ中にあった。
お花もお線香も、墓石の前に供えるのではなく、一カ所にまとまった祭壇に捧げるようになっている。
一家の名字を刻んだプレートに手を置いたお父さんが、
「Jちゃん、お友達が皆さんで来てくれたよ。にぎやかで、よかったねぇ」と言うと、お母さんは嗚咽し、涙もろいKくんは目を真っ赤にしていた。
「般若心経を読ませていただきます」とご両親が唱和するお経を聞きながら、それぞれに手を合わせて、在りし日のOくんを偲んだ。

私は、こういう時いつも、
「しばらく先だけど、そのうち行くから、ゆっくり休んでね。上からか下からかわかんないけど、うちの子供たちをよろしく見守ってね。ついでにせいうちくんと私のことも、幸せに暮らせるように見守ってね」とお祈りしてしまう。
相手が神さまでも、言い方がちょっとていねいになるだけで、大意は同じだ。

お花とお線香を供えてまた手を合わせると、お父さんが、
「本日はまことにありがとうございました。本人もとても喜んでいると思います。供養のためにお食事を差し上げたいと思いますので、どうぞお付き合いください」と言う。
予定されていたことではあるのでありがたくお受けし、場所を予約してあるという新百合ヶ丘のホテルまで我々はうちの車で向かうことにした。

ご両親はタクシーを呼び、先ほどの管理事務所までみんなで歩いて戻ったが、またしてもお父さんとせいうちくんははるか先を歩いて行く。
お母さんがたどり着かなければどうせ出発できないので、自分だけ先に行っても仕方ないだろう、どうして足の悪い妻を待ってあげないのか、まったく昭和の夫というものは…と思うひと幕ではあった。

しかし、お母さんも慣れているのかまったく苦にする様子はなく、残りの我々に終戦当時の話を語っていた。
満洲から引き揚げて北海道に行った、って、私の友達のお母さんも同じようなコースをたどっていたなぁ。今度聞いてみよう。
Nくんのお母さんはもう亡くなっているが、どうやら満洲ではOくんのお母さんと同じ地域にいたらしく、
「まあまあ、懐かしい土地の名前を聞きましたわ」とお母さんは嬉しそうだった。
いったい、引き揚げ者の世界は狭いのか広いのか?

細かく算段するタチのお父さんが、
「私たちのタクシーのあとをついてこられたら」と提案するのをドライバーせいうちくんが、
「いえ、見失っても困りますし。こちらはこちらで向かいますから、もしお待たせしたら申し訳ありません」と断って、お2人がタクシーに乗るのを見送ってから出発した。
カーナビに沿ってホテルにたどり着くと、やはりお2人はもう着いていた。

予約してあったのは「梅の木」という高級そうな和食のお店。
Nくんが小声で言うには「有名なお豆腐料理のお店じゃないでしょうか。こういうお席には、ふさわしいですねぇ」。
ご両親の奢りになるわけで、ちょっと申し訳ないたたずまいだぞ。

ご馳走になったのは、つみれのお鍋を中心にした懐石風のコース。
私には慣れない、料亭のように本格的なお料理が並ぶ。
「ご酒をおあがりになりませんか」とお父さんに薦められて運転手せいうちくん以外は生ビールをいただくことになり、そのせいうちくんにもノンアルコールビールを注文していただくというもてなしぶりだった。
Oくんとは安い飲み会ばかりしていたのに、さすがに我々の親の世代は悠悠自適だ、と場違いに感心する。

先日の私のようにKくんもNくんも、彼らの知るOくんの姿を語り、
「そうですか、J介はそんなふうでしたか。家では何も話さなかったので、驚きました」とご両親に何度も言われた。
息子に早く先立たれ、親として後悔することが多いのだそうだ。
Oくんのことを、
「猪突猛進で、少し飽きっぽかった」とお父さんが言った時は、我々みんなで、
「いや、そんなことはないですよ。冷静で慎重で、計画的な人でした」と反論して驚かれた。
親に見せる顔と仲間内の顔は違うことが多いが、さて、どっちが本当のOくんの顔だったのだろう。

途中から、お父さんと同じ会社に勤めるせいうちくんが止まらなくなり、鉄について語る語る。
最近この人はとってもおしゃべりだ。おっさん化したのか?
お父さんと全国製鐵所話で盛り上がっていたので、
「Oくんが一人旅をしたのは、釜石でしたっけ?」と力ずくで話をOくんに引き戻したのに、せいうちくんが再び鉄の話に持って行ってしまった。
社内結婚だったお母さんはともかく、KくんとNくんは退屈するじゃないか!
(これは、帰りの車の中でこってり叱った)

2時間ほどでデザートも終わり、
「本日はご馳走さまでした」
「いえ、こちらこそ、遠いところを来ていただいて、本人も本当に喜んでいると思います」と挨拶を交わしてお開き。
昼時のことで、また季節柄、七五三のお祝いと思しき家族連れが大勢待っていた。
日本の中流階級の豊かさと食生活の広がりを垣間見る思いがした。

ホテルの出口に向かいながら例によって取り残されがちなお母さんに、
「お身体に気をつけて。お寂しくなったら、お声掛けくださいね」と言うと、嬉しそうに、
「ぜひまた、遊びにきてください」とおっしゃっていた。
会食中も、つい息子の話をする私に、
「そうなのよねぇ、男の子は、女親にはそういうふうなのよねぇ」となつかしそうにしておられた。
私もいつか、こういう目をするようになるのだろう。

別れ際に、お父さんが皆に小さな封筒に入った図書券を配った。
「ほんの気持ちですので」
実は先日のお手紙にも同封していただいた私はもちろん、KくんNくんも大いに恐縮し、
「いえ、そんな…逆ですよ…」とうろたえるのはお香典を用意しなかったからなんだが、
「本の好きだった故人の供養ですから」と言われて、ありがたく受け取らせていただく。
端に立っていたせいうちくんを見ると、彼の手にも白い封筒があるので驚き、
「えっ、2つも?」と小声で言うと、申し訳なさそうに、
「僕までもらっちゃったよ…」とつぶやいていた。
Oくんからもらったと思っておこうね。

全員にさよならをして、車を出して帰路につく。
「あー、くたびれた。私の友達なのに、つきあってくれて、ありがとう」
「いや、皆さんとはもう何年も一緒に飲んでるから、仲良しだよ」
「でもあなた、調子に乗ってたよね」
「…やっぱり?ごめん、止まらなくなっちゃったんだよぅ…」
「いいけどね、お父さんは喜んでたと思うよ。KくんとNくんは退屈してただろうけど」
「…ごめん」
昔はもっと控えめな人だったんだが、やはりオヤジ化してるんだろうか?
まあ、本当にありがたく思っているよ。せっかくのお休みをつぶして、ごめんね。

帰り道、娘の施設に寄ってCDデッキを届ける。
音楽の好きな彼女は毎日CDを聴いているんだが、どうしても壊れてしまうんだよね。ヘビーに使うから。
病棟では面会者の風邪やインフルエンザを厳しくチェックしており、風邪気味なせいうちくんはもちろん立ち入れないし、とりあえず何ともない私も「同居人が風邪」なので、さっと顔を見て看護師さんにデッキを渡すだけで帰ることにする。
そもそも黒ずくめでパールのネックレスつけた格好では娘に申し訳ないよ。
「パパが風邪だし、また来るからね」と声をかけたら、宙を見て、笑顔になった。
新しいデッキが届くまでのつなぎに、家族会から貸してもらったものを使っているようだった。
「YUI」って書いたのを持ってきたからね。

買い物をして家に帰り、とにかくせいうちくんを寝かせる。
風邪なのに、よく頑張った。
晩ごはんにはたこ焼きを焼こう。

ここ数ヶ月ずっと気にかかっていたOくんの件が、ついに完全に終わってしまった。
寂しいけど、彼のいない世界で生きて行かなくてはならない。
今日会った人々は、全員この先の子孫を持たない。いくつものDNAが絶える。
娘という行き止まりを持つ我々にとっても、この先の子孫繁栄は息子に頼るしかないのだ。
人口が減るわけだよなぁ、と、少し未来を憂う。
「最近、息子に期待できないせいか、さらに子孫を残そうという本能を感じる」と真顔で言うせいうちくんだが、すまん、私はもう無理なんだ…

17年11月12日

昨夜、息子の来訪。
彼が頼んでいた本がアマゾンから届いたので、
「持って行こうか?」と聞いたら、
「今夜、家にいくわ」と返事が来て、11時ごろふらりと訪ねてきたのだ。

せいうちくんと、
「ピンポン鳴らしてくるのかな、それとも、家のカギ使って勝手に入ってくるのかな」とわくわくしていたんだが、勝手に入ってくる派だった。
無言でのっそり入ってきた。

「なんか食べる?たこ焼き残ってるけど」
「いや、いい」
「1人暮らしはどう?寂しくない?」
「べつに」
「片づいた?」
「本だけは」
「なんか困ってない?」
「べつに」
無愛想なまま、食卓の椅子に座ってマンガを読み始めた。

「帰ってから読めばいいじゃん」
「ん…読んでいく」
「持って帰らないの?」
「いや、持ってく」
わからん人だなぁ。

せいうちくんも、「バイトは決まったのか」とか「定職に就く話はどうなった?」とか聞くんだけど、ほとんど生返事で、マンガ読み続けてる。
やっと読み終わったから目の前に座って話しかけたけど、床に寝ころんで、すーすーと眠り始めた。
家にいた時と全然変わんないじゃないか!

「帰って寝なさいよ。泊まって行くの?」
「…んー、そうしようかな」
「自分のベッドで寝る?シーツ掛けてあげようか?」
「いや、布団敷いて寝る」
そう言われたのでせいうちくんがリビングに布団を出してあげる。
この1週間に私が買ったのや人に貸していたのが返ってきたマンガを積み上げて、
「読みたいのあったら、持ってっていいよ」と言ったら、
「いや、読んでいく」と読み始めたので、我々はおとなしく寝室に引っ込んだ。
なんだか言いなりでくやしいなぁ。

マンガ読んだりパソコン打ったりしてて寝たのは夜中遅くになってからのようで、朝、9時ごろ起こしたけどなかなか起きなかった。
10時ごろにやっと起こして、みんなでたぬきうどんを食べた。
「シャワー浴びてったら?」
「ん」
彼が行っちゃってから洗濯したパンツが残っていたので出しておいたら、シャワー浴びてそれはいて、リビングの布団に戻ってマンガ読んでる。

「『転生したらヤムチャだった件』ってマンガ、面白そうなんだけど、読んだ?」
「うん」
「面白かった?」
「うん」
「完結してるんなら買いたいんだけど」
「1巻もの」
「そうか!じゃあ、母さん、買おう!」
「…買ったら…」(あとは無言)
話が続かない人だね。

きりがないので、「もう、帰んなよ」と声をかけたら、「うん」と素直に服を着始めた。
「牛乳、持ってく?」
「うん」
「人から図書券もらったから、あげようか」
「うん、助かる」
「もらいもののおせんべいあるから持って行きなさい。管理人さんにあげるといいよ」
「もらうけど、いいよ。オレが食うよ」
「ケータイの充電コードが千切れかけてるじゃん。丈夫なのがあるから、持って行きな」
「ありがとう」
なんだかんだで結局いろいろ持たせてしまった。
自分の母親がいらないもんばっかりくれてウザかったのでそういうことはすまいと思っていたのに、私もどっぷり「母」だった…

ほぼ無言で彼が帰ってしまったあと、せいうちくんとなんか茫然と顔を見合わせる。
私「あれは、何しに来たのかね?」
せ「家が恋しくなったんじゃないの?泊まってったりしてさぁ」
私「彼にとってはものすごく敷居が低いだけなんじゃないの?まあ、無理やり家を出されて親を恨んでる、ってことはなさそうだね」
せ「元気で良かったよ。でも、仕事しないねぇ。このまま働かない人になるのかね」
私「…心配だね」
せ「…心配だ」

本当に、顔が見られたのは嬉しかったんだけど、「何しに来たの?」という気持ちはぬぐえない。
私が何事にも意味を求めすぎてしまうだけなんだろうか。
これから、こういうのが息子との距離感になるのかなぁ。
もうちょっと、こう、ドラマチックと言うか、深い心の交流が欲しい気もするのだが…
なんにせよ、息子がいないと保たれている平和な生活が、彼の存在によって乱されることもわかった。
やはり家を出したのは正解だったし、しばらく声をかけないで暮らして行こう。
私は静かに暮らしたいんだ。

17年11月13日

先週海外出張でさんざんな醜態をさらしたばかりのせいうちくんは、1泊の国内出張。
いや、日帰り出張が2日続くって言ってたんだよね。
でも、よくよく聞いてみたら、大阪と姫路なんだって。
しかも、
「大阪で宴会が終わってから帰ってくるから、遅くなるよ」って…

タメイキをつきながら、
「そういう時は、大阪で泊まって翌日直接姫路に行かない?」と聞いたら、
「そう言えば、会社の部下にも、『せいうちさん、泊まってこないんですか?』って呆れられたなぁ」。
普通、呆れるよ。
と言うか、私がものすごく夫を虐待している悪妻みたいじゃないか。
この際、泊まってきてください。
ついにせいうちくんに外泊をお願いする羽目になってしまった。

「そりゃあ、その方が楽だけど、本当にいいの?」
「いいよ。できるだけ日帰りしてくれるのは嬉しいけど、いくらなんでも大阪から帰ってきて翌日姫路に行く人なんかいないよ。頭が悪いのかと思うよ。物事は応相談だよ」
「…なんとなく、帰ってきてまた行く気になってた」
「出た!『なんとなく』!私の大キライな、あなたワード!いちおう、考えようよ。脊髄反射で行動するのはやめようよ」
「…うん。じゃあ、泊まってくる。…寂しいなぁ」
「夜中の1時に帰って来られる方が、寂しいっ!」
あら、怒鳴っちゃった。

といういきさつで、今夜は帰らない。
私は食べ物を冷蔵庫にいっぱい貯めて、朝からたこ焼きあっためてソースとマヨネーズいっぱいかけて食べながらマンガを読んだ。
お店が開く10時になったので、自転車で吉祥寺に行ってさらに食べ物を買い、DVDを返却して、マンガを買って帰ってくる。
毎度思うんだが、吉祥寺に自転車で20分ぐらいのこの土地に住んで20年、1人で自転車で行ったのはまだ5回目ぐらいで、しかもそのうち3回ぐらいはここ2カ月に集中している。
つまり私は、最近、1人お出かけができるようになったのだった!

健康を取り戻したからか、せいうちくんに依存していたのが自立できたからか、はたまた息子がいなくなって子育てが完全に終わったからなのか、ここにきて急に果てしなく自由になってしまった。
マンガ読んで、食事しておやつ食べて、昼風呂入って、日曜に地上波でやっていたせいでネットで話題沸騰中の「シン・ゴジラ」、4カ月も前にWowowで録画しておいたのを1人で観て、またごはん食べる。
あああ、自由って、素晴らしい!

ひとつ心配なのは、せいうちくんがいなくても全然寂しくない私は、もうせいうちくんのこと必要としてなくって、愛してないのか?ってこと。
「執着」という形の愛情しか理解しないので、「一緒にいなくても平気」なのはイコール愛してない、なんだよね。

「僕は、離れていてもキミのことは思い出せるから大丈夫なんだけど、キミは離れてる人のイメージが保てないからね。でも、それはコドモの感覚で、やっと成長して『いないいないばあ』に耐えられるようになった、ってことじゃない?」とせいうちくんは言う。
「そうかもしれないけど、今までと違うことは、よくわからないよ」
「うん、僕らは長いこと『好きだから一緒にいる』っていうやり方でやって来たから、急に違うやり方をするのは心配だよね。僕も不安だ。なるべく今まで通りやっていこうね。でも、キミが寂しくなくなったのはいいことだよ。好きなように過ごしてね」

と言われたからではないけど、今日も1日、ものすごく好きなように過ごした。
生まれて初めて、何かに追われるような、追い立てられるような焦りを感じないでいられる。
子育てが終わって、人生で私がしなければならないことはすべて終了したのかも。
また会社員生活が終わってないせいうちくんには気の毒だが、ひと足先に「引退生活」に入った感がある。
心配していた「空の巣症候群」どころか、かつてない安らぎに包まれているよ。
ああ、幸せ…
困るのは、体調が良くなって食欲が戻ってきて順調に体重が増えていることだけだ。

17年11月14日

息子は2週間ぐらい前からほぼ毎日ブログにショートショートを書いている。
家を出てからもそれは続き、夜中に更新されるのを読んでは、
「ああ、今日も無事だ」と胸をなでおろしていた。

ところが、先週の土曜を最後に、ここ数日更新が途切れている。
「もうやる気がなくなったのか。根性なし!」と思ったり、「忙しいのかなぁ」と思ったり。
よく考えたら土曜の夜は実家に泊まってたから更新しなかったのかな?

日曜の晩、月曜の晩と待っていたが、更新されない。
落ち着こう、日曜の昼まではこのリビングに敷いた布団の中にいたんだから、急に具合が悪くなったってこともないだろう。
でも、「もう帰りなさい」と追い返したのが原因で、部屋に帰って自殺でもしたのかとか、いろいろ良くないことを考えてしまう。
唐突なようだけど、いろんなことを考えてしまうもんなんだ。

電話してみようかと幾度も思ったが、日曜に顔を見たばっかりで、何と言えばいいやら。
「ブログが更新されないから、心配になって」
駄目駄目、彼には私たちがブログを読んでるのはナイショなんだ。
ツィッター見てるだけでも機嫌が悪くて、いつブロックされるかひやひやしてるのに、この命綱を失いたくないよ。
そもそも、親が愛読者、って本人的には気持ち悪いだろう。

せいうちくんも出張でいないし、かなり悶々としてたんだが、今日の早朝、更新があった。
よかった!無事だった!
ショートショートもいつものようになかなか面白かったよ。

彼のこと、けっこう気にしてるんだなぁ、このへんを卒業できないと「卒親」は完了しないのかなぁ。
正直言ってね、今年の夏に友人が急死したことが堪えている。
人は、あっけなく死んでしまうし、時間は戻せない。
後悔は、決して取り返せない。

時間軸の先にさまざまな可能性を置いてみてしまう。
あらゆることが起こり得るように思える。
先週、海外のホテルで酔いつぶれていたせいうちくんを見に行ってもらった時も、
「もしかしたら死んでるかも」と頭の芯が冷たくなるような思いで、「何かが起こってしまった未来」を見ていた。
幸い笑い話だったわけだが、本当に、何が起こるかはわからないし、「起こってしまった」分岐点からあとの人生は二度と前と同じには戻らない。

26年がたった今でも娘が生まれた時のことを思う。
「連休でなくて、もっと早く病院に行っていたら」
「陣痛が続くのを、ガマンしないでいたら」
「もう1日早く入院していたら」
現実には病院で何ともないと言われ、お産になるのを待っている間に急変して緊急帝王切開になったので何も手の打ちようがなかったんだけど、いまだに違う未来を求めて足掻くような気持ちになることはあるのだ。

もともと心配性で、「あとで後悔するぐらいならやってしまって後悔する方がマシ」という主義だったが、それ以来、いっそう物事に逡巡しないようになった気がする。
最悪の未来を回避するために、打てる手は常に打っておきたい。

自分の心配をまぎらわせたい、というだけなら息子のことも大騒ぎしてみるんだけど、この場合は彼のメンツや自尊心とかも「可変な未来」に含まれているからややこしい。
見守りつつ、なるべく彼には知らせない、という方向でこれからも行くんだろうなぁ。
紙飛行機を手から放つ時のように、良い風に乗せる手ごたえを探りつつ、祈りを込めてそっと送り出したい。
1人で上昇気流をつかまえた気分になって、意気揚々と後ろも見ず、高く高く飛び立ちますように。

17年11月15日

昨日の夜遅く出張から帰ってきたせいうちくん、今日は研修で、また泊まり。
最近、泊まりが多いよね。
まあ、私は大丈夫なんだけど、さすがに本人がしんどそうだ。
今週なんか、家で晩ごはん食べる日が1日もないんだよ。

おかげでNetflixの「ダウントン・アビー」を全部観ちゃった。
せいうちくんも途中までしか観てなかったのに、ファイナルになるシーズン6の大団円に感動。
夜の電話でそう言ったら、
「僕も今度観る!」とうらやましそうだった。
あなたにもそういう時間があるといいね。
ごめんね、私ばっかりヒマで。

晩に、息子からメッセージ。
「今日、家によっていい?」
「いいよー」と答えて、ちょっとそわそわと待つ。
なんか食べるかな。
残ってた餃子は食べちゃったな。
レンコンのきんぴらと若竹煮と味噌汁あるけど、そんなもんじゃおかずになんないかも。
明日食べようと思ってた「うなぎのかば焼き」を供出するか。とにかくご飯炊いとこう。

そのそわそわは、3時間後のメッセージで砕け散った。
「ごめん、やっぱ今日はよいわ。また今度いくね」
その気になって待ってたじゃないか、こんちくしょう。
でも、どこかほっとした。
この自由な時間を乱されたくない。
今度、せいうちくんもいる時に来てくれ。

17年11月16日

朝の7時半に突然息子がやってきた。
インターホンも鳴らさず勝手にカギ開けて入って来て、傍若無人に寝室の扉まで開ける。
1人寝の母さんが男を連れ込んでたらどうするつもりなんだ。
ま、そういうことを想像もしない家庭で育つという平和な人生を、彼にプレゼントしてあげられているわけだが。

せいうちくんが遅いから私1人での夕食用に買っておいた「うなぎ」を頬張りながら、
「ちょっと落ち込むことがあって、あんまり起きられなくなってる」と言う。
どうしたのかと思ったら、来週に予定されていた公演ができないかもしれないらしい。
新しい仲間たちと組んでいて、それがうまくいっていないらしくもあるんだが、基本的には息子が脚本を書かないせいだと思う。
公演のためにバイトも就職もするヒマがない、と言いわけしていたのに、いったい何をしているのだ?!と少し呆れてしまった。
落ち込んで自殺されても困るので励まそうとは思ったんだが、何か言えば言うほど「働けよ」の意になってしまうので、どう言ったらいいものやらと途方に暮れる1時間半だった。
しかも、言いたいことは結局そこにつきるわけで。

うなぎ食べてシャワー浴びて、何だか勝手にくつろぐな。
「身体を壊して休職している女友達の見舞いに何か持って行きたいんだけど、何がいいかな」と聞くので、一生懸命考えて、
「消え物だし、自分では買わないものだから、お花がいいんじゃない?」と答えたら、
「花か。なるほど…花代、貸して」と言われた。そうか、そうくるのか。

3千円持って去って行った彼に言いたい。
土曜の晩はスキヤキだ。そういう時に来なさい。
そして、働けよ。

夜はせいうちくんが帰ってきた。
いや、本当は明日まで研修中で泊まりのはずなんだが、先週から出張、研修と泊まりが続いているため、本人が音を上げて「もう家で寝たい」と無理やり帰ってきてしまったのだ。
「ただいま〜!」と浮かれて抱きつこうとするのを押しやって、
「正直言って、息子もあなたも、私の静かな時間を乱すヤツはみんなうるさい!」とスゴんだら、涙目になっていた。

申し訳ないが、私はすさんでいるんだ。
土曜に息子とランチを食べる約束をしたから、今度はあなたが彼の話を聞いてやってね。
勤続30年の重みで説教してくれ。
3食昼寝つきの寝たきり主婦が勤労の尊さを説いても迫力なくて、無力感いっぱいだよ…

17年11月17日

おとといから左わきの下が痛い。
咳をしたり深呼吸をしたりすると痛むのは昔肋骨にひびが入った時に似ているけど、その時みたいに廊下で突然転んだとか、そういう覚えは一切ない。
リンパ腺が腫れているような気もするし、筋肉痛のような気もするし、いずれにしても、原因にまったく心当たりがないんだよね。

せいうちくんは心配そうに、
「病院に行ってね」と言い残して研修に出かけて行き、今日はダスキンさんとガスの点検の人と西友の配達が来るけど午前中は何もないから、病院行こうか。

9時の開院時間に行って混んでるのを待つのと、8時半に病院の前に並んで9時に診察が始まるまで待つのと、いったいどっちがたくさん待つのか?と思いながら、まあ早めに行こう、と8時40分に行ってみたら、入り口の前にはすでに5人の行列が。
老人ばっかりだ。
私も老人並みのヒマ人かい、と肩を落として列の後ろにつき、その列がさらに長くなるのを眺めていたら、8時45分に中に入れてもらえた。
診察室に呼ばれたのは9時20分。
結局40分も待ってるわけで、予約制でないこの病院で待たないってのは不可能なんだろうなぁ。

しかし、いつもの先生の診断は早い。
「左わきの下が痛いんです」という私の訴えを聞いて、何カ所かぐいぐい押したり叩いたりして、
「ちょっと服、めくるよ。印、つけるからね」と言って、わきの下にボールペンで「×」を書く。
「はい、ここ、レントゲン撮るよ。痛みの具合からしてまず骨折はないけど、肺の方から来てる場合があるから、見ます」
レントゲン室に追いやられ、技師さんに、
「先生がバッテンつけました」と言ってそこを2枚、撮影してもらって、また待合室で待つ。

わりとスムーズに再び診察室に呼ばれた。
最近のレントゲンは現像不要でモニタ画面に出るから早いよね。
結論から言って、レントゲンでは異常なし。
かと言って、リンパも腫れてない。
「前に古い骨折の跡があるね。そこはもうくっついてるから、関係ないけど。肋骨に見えない傷がある可能性もあるから、様子見て、また来て。シップ出しとくから。コルセットかブラジャーすると痛まないよ」
「胸に手術の傷があって痛むので、ブラジャーできないんです。コルセットも無理です」
「じゃあ、痛み止めも出しとこう。ロキソニンはダメなんだよね?カロナール出すから」
「乳がんとかは、ないですか?」
「んー、しこりもないしね。大丈夫でしょう!また来て」

薬局で薬とシップもらってとぼとぼと帰ったが、私は患者としては実に無能だ。
どこが痛いのかとか、どう痛いのかとか、症状を説明するのがヘタで、たいていの場合不本意に帰されてしまう。
手術の時の入院につきそってくれたせいうちくんは、私の患者ぶりを見て驚いたそうだ。
「何が言いたいのか、さっぱりわからない。『痛い気がするんですけど、おかしいでしょうか』って、何?『まだ痛むので、強い痛み止めをください』って言うんじゃないの?お医者さんが様子を見ましょうって言っても、『でも痛いんです』ってどうして言えないの?!」

だからさぁ、痛みってのは主観的なものでしょ?
私は主観の世界に生きてないんだよ。
数値化できない症状は、「気のせい」って言われて育ってきたんだよ。
あなたみたいに「おなかが痛い」「あらまあ、たいへん。学校休みなさい!」って言われた人ばっかりじゃないんだよ。
体温計振りかざされて、「熱がないのに具合が悪いなんて、おかしい!」って言われたことないんでしょ?!

こないだも、心臓のクリニックに一緒に行ってくれた時、胃薬が効かないので種類を変えてくれと言いたかった私が、「いつもの『効かない』胃薬を、たくさん持たされる」羽目に陥るのを横で見ていてあきれたんだそうだ。
「じゃあ、先生にそう言ってくれたらよかったのに!」と逆ギレしたら、
「どうしてもらいたいのか、僕にもさっぱりわからなかったんだよ。確かにあの先生は心臓以外の件では物わかりがあまり良くないけど、『効かないので薬を変えてください』って言えばいいじゃない。『じゃあ、1日3回に増やしておきます』って言われて、『そうじゃないんです』ってなんで言わないの?」と怒られた。
普段、私に凹まされているカタキを討っているとしか思えない。

というわけで今回も、まだ痛むわきを抱えて、効かないカロナールをやけくそ気味にのんでいる。
だいたい、手術以来やたらに病院に行ってやたらに薬をもらっていること自体、不本意なんだ。
「身体が弱いんだから、しょうがないじゃない」って言われたって、「病弱は罪悪」だと思って育ってきたんだから。
息子も健やかに病気になれなくて悩んでるのかなぁ…

わずかにせいうちくんに対して残酷な復讐の喜びに浸るのは逆恨みというものだが、我々のかかりつけ医院で骨折は「夫のDV?」と疑われているかも。
廊下でいきなり転ぶ妻、なんて普通はいないから。私は転ぶんだけどね。

17年11月19日

35年前にせいうちくんと出会ったまんがくらぶの、創立50周年記念大コンパ。
40周年がとても楽しかったので、今回ももう何年も前から2人で楽しみにしていた。

当日は私の服選びから大騒ぎだ。
と言っても別に凝るわけじゃないんだが、いつものGパンよりこないだ買ったベージュのボトムズの方がカワイイ、とせいうちくんが言い出したのでもめた。
私は、「おばさんのハイテンションパンツ」は「おじさんのゴルフズボン」みたいなもんで老けて見えると抵抗したけど、いつになく熱心なご意見に負けてしまったのだ。
しかも、ベージュのパンツにきっと私が赤ワインをこぼすだろう、とイヤな予言をするせいうちくんは、デイパックに私の着替え一式を入れてくれるというサービスの良さだった。(いや、こぼしませんでしたよ!)

あんまり楽しみなので開会1時間前からサンシャインの58階に乗り込んでしまい、幹事さんは「3時半の開場より少し早くなるかも」と言っていたのにお店の人からは「4時です!」ときっぱり言われて、59階のカフェで時間をつぶす。
「(標高が)高いとこは(値段が)高いから、1階に戻ろう」と言う私に、
「せっかく高いビルに来てるのに1階はもったいない。僕がおごるから」と、今日は何かと言い張りがちなせいうちくんだ。
でも、お子様連れも多いロコモコ屋さんのジュースは400円。高くなかった。

3時半になり、今度はせいうちくんが渋るのを私が引きずって、会場に行ってみる。
あらゆる大騒ぎをはじめから目撃したいタイプなんだ。
「キミは昔からそういう物見高い性格なんだった。イベントになると張り切るねぇ」と困られたけどね。
幹事さんたちが受付準備を始めていたり、ぱらぱらと知った顔が集まり始めていたり。
「ほらほら、やっぱりコトの初めから居合わせなくっちゃね!」と興奮する私をよそに、
「何か手伝いましょうか?力仕事は引き受けますよ」と申し出る人柄の良いせいうちくん、そしてなぜか彼の義弟である仕切りたがりの同期友人が、
「せいうち、力仕事をするより古参の先輩が来たら案内するとかした方がいいんじゃない?」といつものように仕切る。
私がよそに気を取られていなければ、仕切りたがり同士、ぶつかって火花が散る場面だ。

連絡がつかないので何週間も前から気になっていた「元夫」が来ていた。
「連絡してあげたから今日来られたでしょ」と恩着せがましく言ったら、
「メーラーが調子悪くてね。どうもどうも。そのへんを散歩してくるよ」と去って行った。
元気な顔を10年ぶりに見たので気がすんだ。
もう、今生では二度と会うことがないかもしれないが、それでもいいと思えたよ。
40年前に好きだったのが夢のようだなぁ。

4時までには大勢の顔見知りと挨拶ができた。
会が始まり、50年前にくらぶを創立したおじいさん3人が挨拶をして乾杯になる頃には、すでにはしゃぎすぎてくたびれて、8割がた目的達成の気分になっている。

全体で100人ほどの会だろうか、現役学生も含め、50年の歴史は分厚い層を成していた。
なぜだかせいうちくんの代は入部者が多く、今日来ている同期も多かった。
4年の年齢差で、私がくらぶに入った頃にお世話になった先輩たちはせいうちくんからすると大先輩だけど、留年率が高いため大先輩も下の学生とよく交流してて、あまり問題はない。
年代をまたぐ結婚を2回した私は、上下に顔が広い格好になる。その間、10歳ぐらい。

親しい人、なつかしい人、両方ともいっぱいいた。
主婦で何の肩書もない私に友人が作ってくれた「なんちゃって名刺」を何枚か配り、一流企業を早期退職したという先輩男性から、
「僕も『なんちゃって名刺』です」と、「無職」と書いた名刺をもらった。
大昔には、絶対おだやかなフツーの結婚をしてコドモを作って家を買うと思われていた穏健な人だったのだが、ついに独身を通したようだなぁ。
趣味に生きるソフトなオタクだ。なんだかまんがくらぶらしい。

みなさん40年ぐらい前にはいろいろ交錯していたので、私が知っている限りでは部内結婚したカップルが12組いて、うち4組が離婚してる。
このパーセンテージは一般の結婚に比べてどうなんだろう。
10年以上年下の人たちのことは知らないので、部内結婚はもっと増えてるのかも。
小さな女の子を連れた若いカップルがいたし。
知ってる人で夫婦で来ていたのはうちを入れて3組だけだったけどね。
友人のジュニアが学外部員としてこのサークルに入ってるとも聞いた。ビックリだ。
元カレ元カノもあちこちで談笑してる。

あっという間の2時間半で、幹事さんたちの挨拶でおひらき。
100人以上が出席の返事を寄こしたが、ドタキャンが多数出て、実際の出席者は80人ほど。
大赤字が出たらしい。
「幹事かぶりは無理なので、カンパをお願いします」とのアナウンスがあり、せいうちくんからは「多めに出しておいて」と言われたので、財布から5千円札を出す。
「まんくら時間」と呼ばれるユルい待ち合わせ時間に昔ずいぶん悩まされたが、こういうところにもそのユルさが生きていたか。

集合写真を撮って、2次会の相談等は会場を出てからやってくれと言われ、エレベータで1階に降りる。
よく会うメンツがたまっていたが、せいうちくんは少し静かな飲み会希望だったので、同じように少人数の集団を求めている人をひそやかに募集しているうちに大集団は去って、気づいたら我々ともう2人の男性が残っていた。
すぐ横にあったカフェに入って各自コーヒーを飲んでおしゃべりをした。
ここまでほとんどノンアルコールなのに、やはり興奮しているのか饒舌になってしまったよ。

1人はこれから仕事なんだそうで1時間ほどで解散。
2人になって、
「せっかくだからもう1軒行きたいなぁ」と、親しい人のケータイに電話してみた。
「せっかくほのぼのした雰囲気なのに」と帰りたそうなせいうちくんだったが、近くの居酒屋にいる人が店を教えてくれて、
「近くまで来たらもう1回電話ください。迎えに行きます」と言ってくれるのに甘えることにした。

案内された「金の蔵」という巨大居酒屋には15人ぐらいの友人知人が集まっていた。
我々2人にはすみっこの2人席しかあいていなかったが、そのうち端っこの人たちがメンバーチェンジしてくれたので、せいうちくんを置いてメイン卓に混ざる。

会場でも何人かに手術の話をしたけど、ここでも「もう大丈夫なの?お酒飲んでいいの?」と心配してもらった。
いろんな薬をやめた私は、目つき顔つき言葉つきがものすごくはっきりして、大好評だった。
気がついたら私は5杯目のジンジャーハイボールを飲んでいて、せいうちくんは両親の老人ホーム問題を義弟と話し合っていた。

我々にとっての3次会が終わってみんなと駅に向かううち、「次に行くぞ〜!」と叫んでいる酔っ払いについて行ったら4次会に突入。
「明日仕事なんで、もう帰ります」と言っている大学教授の腕をつかんで引きずって行った気がする。
「五月祭」の流れでよく使った「清龍」が改装されてキレイになっているのに驚きながら、8人がまた乾杯。
実はこのへんはもうよく覚えていないんだ。
巨峰カルピスサワーを5杯ぐらい飲んだと思うんだが。

くらぶに入れてもらった時にたいそうお世話になった長老がいて、せいうちくんに、
「オソロシイ女だったあこちゃんを俺たちが放流してしまったために、気の毒なことをした」と謝っていたような気がする。
せいうちくんは、
「『おまえなんかあっという間にエジキになる』と先輩に言われていました。でも、放流していただいて、ありがとうございました」とお礼を言っていた。
その間、私は隣に確保した大学教授に言わなくてもいいようなことを暴露しまくり、冷静に観察されていた。

比較的正気の元部長がお会計をしてくれてワリカンを徴収し、皆が店を出たのは11時半ごろか。
奥さんを亡くしたやもめの長老は娘さんたちも嫁にやって1人暮らしだと聞いた酔っ払いが、
「今から長老の家に行くぞ〜!」と叫んでいるのを押しとどめつつ、我々はタクシーで帰った。
正直、あんまり記憶がない。
帰りついて、風呂に入って、せいうちくんに謝って、「苦しい〜、アタマ痛い〜、おなかきつい〜」と転がりながら寝たような気がする。

せいうちくん、静かな2次会だけでスマートに帰らなくてごめんね。
1月にうちで新年会を開く約束をしてきたから、大学教授にはその時によく謝るよ。
ずっと一緒にいてくれてありがとうね。
一生、大事にするからね。
あなたにめぐり合わせてくれた運命に、生涯感謝するよ。

17年11月21日

夕方、息子から電話がかかってきた。
どうしたのかと思ったら、
「来週に迫った公演が、できないと思う」と落ち込んでいる。
どうやら彼が書くべき脚本が間に合わなかったらしい。

それは何としても書くべきでしょう、と言いたいところだが、もう九分九厘ムリなのだそうだ。
一緒にやる友達ともめていないか、予約のお客さんたちへの連絡はちゃんとできるのかと確認するぐらいしか、私のできることはないなぁ。
家に来てごはんを食べたいと言うので、せいうちくんは出張で帰りが遅いけど「すき焼き」をしてあげることにする。

新幹線で東京駅に着いたせいうちくんに事の次第を告げると、私と同じくたいそう驚き、悲しんでいたが、
「とにかく話を聞こう。すき焼き、やってあげて」と言う。
予定よりも早い帰りになりそうで、よかった。
2人分の牛肉しかなかったのでとりあえずスーパーに肉を買いに走り、ついでに息子に持たせようと野菜ジュースとかミルクティーとか買う。

8時過ぎに帰ってきたせいうちくんだが、肝心の息子は約束の10時になっても来ないのでせいうちくんが電話をしたら、アパートで寝ていた。
起こして、すぐ来いと言ったようだが、
「こういうところからすでにダメだ。相手が親とは言え、約束を守れなくってどうするんだ!」と2人で天を仰いだ。

やがてやってきた彼は、少しむくんだ顔をしていて、「腹へった」と言いながらすき焼きをガツガツ食べる。
せいうちくんが聞いたら、公演はなんとかやろうと思っているらしい。
私が聞いた話と違うじゃないか。
「じゃあ脚本書かなくちゃ」と言うせいうちくんに、「うん」とは言うが、帰ろうとしない。
せ「帰って脚本書きな」
息子「…」
せ「帰らないの?」
息子「泊まって行こうかな…」
せ「また、朝起きなくて書けないよ。帰った方がいいよ」
息子「帰ったら、書かないと思う」
せ(私の方をちらっと見て)「母さんに迷惑かけない?」
息子「うん!」

えええ、2人で打ち合わせた時に、今日は泊まらせないようにしようね、朝、イヤな思いをするからって、合意したじゃん!
「母さんさえ良ければ父さんはOK」なんて立場に逃げるのは、ズルいよ!

内心激怒し、書斎にせいうちくんを引きずって行ってなじったけど、
「なんだか可哀想で…」とか、弱腰になってる。
「ダメ!」と踏ん張り、断らせようと思ったが、リビングに行ったと思ったら、
「『寂しいの?父さん母さんに甘えたいの?』って聞いたら、うんうんって首をこくこくタテに振るんだよ。カワイイから、泊めてやって」
あああ、もう、陥落してるじゃないかぁ!
私も見に行ったら、ちゃっかりシャワーを浴びてソファにゴロゴロしてる息子は泊まる気満々。
「明日の朝、お互いに不愉快な思いをするだけだから帰った方がいいと思うけど、泊まりたいの?」
「うん。ちゃんと起きるよ」
仕方なく、泊めることになってしまった。

リビングに布団敷いて寝ると言う彼を残して我々は寝たが、明け方の4時に私が起きた時にはもうぐっすり寝ていたよ。
食卓でノートパソコン開いた様子ではあるが、書けたのかね?

17年11月22日

せいうちくんが7時に息子に聞いたところでは、
「脚本はだいぶ書けた。起きたらまた書く」とのことだったらしい。
せいうちくんは、
「あとはよろしく。悪いねぇ」と言いながら会社に行き、9時から起こしても起こしても結局11時まで起きなかった息子に「すき焼き丼」を食べさせる。
「うどん食べたい」っつったって、そんなもん、作んないよ。

「脚本、書かなきゃ」
「せかされるのが一番キライなんだ」
「締め切りのある仕事を始めちゃったうえ、早く書かないからそうなるのはしょうがないでしょう。母さんにいろいろ言われるのがイヤなら、昨日、帰ればよかったんだよ。お互い不愉快にならない距離で暮らしてるんだから、その距離を大事にしようよ」
「オレが、コドモ過ぎるんだよな」とつぶやくのはかわいそうだが、あんまり同情する気にならない。

「なんか困ってるんなら助けてあげたいけど、仕事は自分でするしかないよ」と言ったら黙っている。
重ねて「困ってるの?」と聞いたら、「電車賃、貸して」と言う。
昨日せいうちくんがお金はあるのかと聞いた時には「大丈夫」って言ってたくせに。
「いくら?」と聞くと、「2千円」と言う。5千円持ってけ。

家にあった牛乳や野菜ジュース、お米、スパゲッティ、レトルトのカレーとパスタソースをレジ袋2つに入れて持たせる。
重いけど、「ありがとう」と言ってぶら下げて帰った。
「やっと追い出した」とせいうちくんに知らせたのが12時半。

息子が家を出て、普段の暮らしでは自分でも驚くほど思い出さない。
いや、せいうちくんと話していれば息子の話にはなるけど、離れて暮らしている関係の薄い人としてであって、もう私の生活にはあんまり関わってこないのだ。
元気に、楽しく、幸せにやっていてくれとは思うが、もう彼にしてあげられることもあんまりないし。
これからはお互いに好意的なやり取りを交わすだけでいいと思っているのに、以前の関係を引きずった不愉快な距離に入ってこられるのがとても困る。
「甘えてるんだなぁ」と思って嬉しくなるほど、母性愛の余ってるタイプではないのだ。

さて、昨日の晩眠れなかった分を取り返すか。
なんとなくむしゃくしゃして眠れないのも腹立たしい。
自分のテリトリーを居心地良くしておきたい動物的な本能に突き動かされているのを感じるなぁ。

17年11月24日

駅前の婦人科に予約を入れて行った。
ずっと悩んでる更年期障害の相談をしようと思って。
2年ほど前に別の病院に相談に行ったことがあるが、あまりに混んでいて待ち時間が長いのでやる気が失せた。
今回のクリニックは予約制なので、何時間も待つ、ということはない。

それでも30分ほど待って、看護師さんの問診を経て女医さんに会った。
あいかわらず自動で動く椅子に座って、ものすごい格好を他人様にお見せするのはしょうがないんだろう。
ホルモン治療の可能性もあるため、「体ガン」の検査をしておいた方がいいらしく、子宮内部に検査器具を入れようとしたが簡単には入らないので、今日はやめておこうということになった。
すごい格好は終わり、机の前に戻る。

最近続く「かゆみ」の相談に関しては、とりあえず「カンジダ」の検査をし、薬も入れておいたそうだ。
ワーファリンを飲んでいるので、やはりホルモン治療には入れず、漢方薬で様子を見ることになった。
今度心臓のクリニックに行った時にドクターにホルモン治療について聞いてみようと思い、パンフレットをもらった。
「子宮の入り口を引っ張ったので、今日明日は出血があるかもしれません。カンジダのお薬を入れたせいで、おりものがでることもありますから、びっくりしないように」と言われた。
「日常生活で気をつけることはありますか?」
「いえ、特に」
「セックスは大丈夫ですか?」
「出血もありますので、今日明日は避けておいてください」

なんとなくドキドキして待合室に戻る。
実は、いっぺんこれを聞いてみたかったんだ。
下ネタを大声で連呼したがるタイプのわりには、婦人科でセックスについて発言する機会がなかった。
若い頃には恥ずかしくても、この歳になったからこそ言えることがある。
「おんなの性とからだ」に一家言持つのがカッコいいと思ってるわけではないんだけど、少し、それぶってみたくなったというのが本当のところ。

待っている間に「カンジダ」についてググったら、
「性交を伴わなくてもかかる病気。膣の常在菌であるカンジダ菌が、体調不良やストレスから活発になり、おりものやかゆみの症状が出る」らしい。
2週間後に検査の結果を聞きに来ることにした。
薬で簡単に治るものらしいし、そもそも更年期の症状のひとつに「かゆみ」があるので、死ぬほどかゆいんでもない限り心配しなくていいようだ。

更年期障害を抑える漢方薬をひと月分もらって帰り、飲み始めた。
効いてるかどうかわかるのに1カ月ぐらいはかかるみたいだね。様子を見よう。
やはり軽い出血があって、数年ぶりにナプキンを使い、長年生理の不自由さに耐えて来たこととそれから解放されたことを思って感慨深い。
と言うか、よくナプキンなんか取ってあったなぁ。でかした、モノを捨てられない自分。
カンジダの薬を入れたせいなのだろう、「カッテージ・チーズ状のおりもの」にも遭遇して、トイレでビックリする。

「更年期チャート」に答えてみて初めて自覚したけど、不思議なほど「落ち込み」や[イライラ」はなく、ひたすら「ほてり」と「汗」が悩み。
メンタルにはこの20年で初めてと言っていいほどさわやかな状態なので、身体の声に耳を傾けてあげて、健やかな生活に持って行きたい。

息子のことさえなければ、波風の立ちにくい今の私。
さてさて、日曜の公演はどうなるのだろう。はらはら。
中野だから、舞台がはねた後に行きつけのイタリアン予約してるんだ。無駄にさせないでくれ。
親と言えども1人の観客。
予定を空けさせ、会場まで足を運ばせる以上は、良いステージを頼む。

17年11月25日

昨日の夕方6時頃、突然玄関のカギががちゃがちゃ開くから、
「あれ?まさかせいうちくんが帰るコールなしに帰ってきた?」と寝室を出たら、息子だった。

「床屋に行きたいんだけど、金がないから、貸して」
電話とかしてから来てほしい。
5千円貸してあげて、「ごはん、食べてく?」と聞いたら、
「いや、今から練習だから」。

そうか、日曜の公演はやれるのか。
今日明日はうちに食べ物がたくさんある。
昨日はあなたの好きなカレー作ったから残ってるし、今日は炊飯器で「巻かないロールキャベツ」作るよ。
よかったら食べにおいで。
床屋は千円床屋で短くしてもらった方が効率いいよ。
なんなら父さんにバリカンで刈ってもらうか?

黙ってハグして帰って行ったが、私は「連絡なしに訪ねていい、いついかなる時も家にいるオンナ」と思われているのか。
引きこもり専業主婦の母親なんてそんなもんかもしれないが、なんとなくクヤシイ。
次は電話してから来い。

そして今日は、息子が小さい頃お世話になったシッターさん宅のダンナさん「おじちゃん」が先ごろ急に亡くなったあと、もう四十九日を迎えた。
お線香を上げに行きたい。
何を持って行くか悩み、「お菓子?お花?」といろいろ考えたが、病院の帰りにお仏壇屋さんの前を通ったら、「喪中の方へのお年賀に、お線香を」というポスターが貼ってあった。
そうか、お線香か。

というわけで店内に入って箱入りの薫り高いお線香を買い求め、
「お線香を上げに行くのに、ちょっとしたご挨拶の品として」と言ったら、
「四十九日過ぎた方なら『ご仏前』がよろしいですよ」と熨斗紙をかけてくれた。
何でもプロに聞くもんだ。

お線香を持って訪ねた「おばちゃん」は、落ち着いていて元気そうだった。
もう郷里の方で納骨も四十九日もすませたという。
せいうちくんと2人で小さな仏壇にお線香を上げ、お茶を入れてくれるおばちゃんとゆっくり話す。

近所の子を大勢預かっていた思い出話をたくさん聞いた。
うちも、せいうちくんと私が両方ダウンした時に1週間ぐらい預かってもらったことがある。
ランドセルごとお泊まりに行かせてもらったとか、旅行に連れてってもらったとか、思い出は尽きない。
互いの実家には頼りたくないと思っていた我々は、おばちゃんご夫婦がいなければ息子を育てられなかっただろう。

お葬式の頃はまだ家にいた息子が、その後アパートを借りて家を出た話をした。
「そう、近くなの。それがいいわよ。うちの娘も、お父さんとケンカして家を出る出ないになってたわ。コドモはみんなそうやって親元を離れるのよ」とうなずくおばちゃんは、せいうちくんがケータイを開いて息子がメッセンジャーで送ってきた「おじちゃんにあてて書いた手紙」を見せたら、
「まあまあ、ありがたいわねぇ。お父さんに見せたいわ」と涙を拭いていた。
「『おじちゃんに見守ってもらって、立派なコント職人になる』と言っていました。明日は小さな公演をやります。それが終わったら仕事を探すと言っています」と言うと、
「それはよかった。賢い子だから、自分のしたいことをちゃんとするわよ。大丈夫」と喜んでくれた。

亡くなる前にも近所の難病の子に将棋を教えていたというおじちゃん。
「あの子は、一生病院で過ごさなきゃならんかもしれん。将棋なら、ベッドの上でもできる。スポーツができなくても勝ったり負けたりできる」と言っていたそうだ。
お葬式にも来ていたらしいその子は、学校でお友達との将棋に勝つようになった。

おじちゃんたちが蒔いた種子があちこちで育って行く。
我が家の豚児も小さな苗から若木に育ててもらった。
ここから立派な樹になれるかどうかは本人次第だ。
慈しんでもらった思い出を大切にし、広い意味で恩返しをしてほしい。
おじちゃん、本当にありがとうございました。

17年11月26日

中野で、息子の演劇調コントの舞台があった。
新しい仲間と3人でやると9月にチラシで知ったが、直前まで脚本が書けないだの公演が出来るかどうかわからないだの言っていたので、実現の運びとなって心からホッとした。

車を近くのパーキングに停め、開場5分前の会場に行ってみると、宣伝のフェイスブックで写真を見たことのあるメンバーが案内をしていた。
「すみません、開場が少し遅れているので、しばらくお待ちください…(我々の顔をまじまじと見て)もしかして、お父さん…」
「はい、親です。今回はお世話になります。脚本が遅れたそうで、ご迷惑をおかけしました」
「いえ、脚本は1か月前にできてましたよ。大丈夫です。今日はありがとうございます」
そう言って椅子を持って来てくれた彼は案内のため外に出て行った。

10分ほど遅れて入場になり、中で1人500円を払って小さなカウンタでドリンクをもらうスタイルだ。
もともとはワンドリンクつき1500円だったが、2週間ほど前に「ワンドリンクつき500円+カンパ」に変更された旨、連絡が来た。
1500円取る自信がない内容なのかな?と想像しているのだが、どうだろう。

我々がドリンクを飲んでいたら先代のカノジョがやってきた。
息子が主宰するコントグループのメンバーと一緒だ。
「こんにちは」と笑顔であいさつを交わしたけど特に話はしなかった。
来春に卒業・就職するカノジョにおめでとうを言いたかったが、もうそういう関係ではないのだろうなぁ。

一番前の席に座り、30人ほどの客席が8分埋まったところで開演。
残念ながら事前の注意で「上演中の撮影・録画はお断り」されてしまった。カメラ用意してたんだけどな。
3本の短い芝居で、息子が2本、他のメンバーが星新一の作品を下敷きに1本、脚本を書いたようだ。
幕間に息子の声で流れるショートショートが面白かった。息子作かな?

全体で45分ほどの公演は思ったよりよくできていた。
書けない、と言っていたのは、もっと何本も書いて1時間半ぐらいの舞台にしたかったところを割愛したのだろうか。
ともあれ、アマチュアの公演で一番してはならないのが中止だと思う。
名前も実績もない以上、公演することがすべてだからだ。
まして息子の場合、主宰するコントグループの名前も出して「脚本・演出・出演」と銘打ってるわけで、ここでドタキャンしたら本来のグループでの公演も信用がなくなってしまう。
せっかくすでに4回もコントライブを重ねてきたので、名前を大事にしてもらいたい。

そのうえで、演劇畑の2人と一緒にやった今回の新しい試みも良かった。
演劇の勉強もしたいと言っている息子はワークショップなどに通っているようで、発声も滑舌も良くなっているし、良い演技をする。
脚本も面白かった。
最初の1本は昔彼が書いたコントだったので、
「同じものを見せられちゃうのか。まあ、『新しいのが書けないなら前に書いたものを使うなり既成の脚本を使うなり、とにかくなんとしてでも公演はしなさいよ』とアドバイスしたのを聞き入れてくれたんだな」と思っていたら、後半をつけ加えて、まったく新しい展開にしてあった。
なかなかやるな。
そのコントを一緒にやっていた相方が客席で観ていたのも面白い。

出口で息子が持っているカンパ箱に2人分3千円を入れて、黙って頭を下げる息子の顔を眺めて外に出る。(どうやら床屋に行くヒマはなかったようだが、床屋代はいずこへ?)
3時間後の夜公演も観る予定だ。
駐車場の車に戻って、せいうちくんが作ってくれたおにぎりを食べる。(「のり」を忘れて来たのは痛恨!)
「こういう時、iPadは本当に偉大だね」と言いながら並んで読書をし、そのうちにせいうちくんは寝てしまったので念のためアラームをかけたが、やはり私は眠れなかった。
途中で1回起きたせいうちくんが「トイレに行きたい」と言い、コンビニに行ってついでに温かい飲み物を買った。

何かと言うと車の中で時間をつぶすのは我々夫婦の得意技だ。
ディズニーランドに布団を積んで行った記憶を2人で懐かしむ。
「あの頃はノアだったから、身体を伸ばして寝られたね」
「園内を回ってくたびれると駐車場に戻って寝たね。寝心地良かった。あんなにぐっすり眠れたことはないぐらいだった」
今は小さなアクアなので、居住性はやや悪い。
それでも喫茶店やファミレスより楽だと感じる。

時間になったのでせいうちくんを起こして、また会場に行く。
同じメンバーが苦笑しながら迎えてくれた。
親が、2回も来るなんてなぁ。学芸会じゃないんだから、とは自分でも思うよ。ごめんね。

またドリンクを飲んで、今回は一番後ろに座った。
どうせ録画はできないんだし、発声の良すぎる3人なのでいささかやかましいし、最後の芝居で息子が仁王立ちになって息絶えるシーンを30センチの距離でもう1回観るのは精神衛生に悪い。

と、せいうちくんの横に1人分あけて坐ったのは現在のカノジョだ。
前カノは昼公演で、かち合わなくてよかった、と関係ないけど胸をなでおろす。
「公演がやれないかも、って言ってましたが、やれてよかったです」とせいうちくんが言ったら、
「そうですね、そう言ってました」と答えていたので、現在進行中なんだね。それもよかった。

昼より少しブラッシュアップされていて、2回目ではあっても充分面白く見せてもらった。
今回は5千円入れたら、箱を持った息子は「多すぎ!」と小さな声で言っていたが、まあ、手伝ってくれたスタッフさんたちへのお礼の足しにでもしてくれ。

「面白かったねぇ」
「公演やれてよかった。次は1月にコントグループの公演かね」
「この公演が終わったら仕事探すって言ってたよね」
「1月までは仕送りすることになってるけど、そのあとは自活してもらう約束だからね」と言いながら帰った。
今日までは我々も気が気ではなかったので、本当に安堵した。
大目標を失って少し足元が頼りないが、息子のいない生活も軌道に乗ってきた気がする。
日日、暮らして行こう。

17年11月27日

昨日、息子の舞台を観た帰りに中野の行きつけのイタリアンで食事をした。
いや、常連ぶるほどしょっちゅう行くわけじゃないけど、気に入っていて何度も通っている店。

日曜の夜遅い時間だったので、お客さんは誰もいなかった。予約する必要はなかったか。
いつものように、
・魚介のサラダ バジリコ風味
・カニのリゾット
・うにのスパゲッティ― サルディニア風
を頼む。サラダのソースをぬぐうためのパンも。
もうひと品食べられるかどうかは、おなかの様子を見て。

すぐに運ばれてきた魚介のサラダ、せいうちくんが4分の1ほど取って、残りは全部私にくれた。
これ、大好きなんだ。
1度なんか、ひと皿まるごと食べさせてもらったこともある。あの時は幸せだったなぁ。
来るたびに盛りが小さくなるのが悲しいし、特に今回は、皿に敷いてある葉っぱ(せいうちくんはルッコラだと言い張っていた)面積が異様に増えていた。
味も少しエッジが鈍ったようだ。

大皿を抱え込んで嬉々として食べている私を見て、他にお客さんがいなくてヒマなせいか、フロア係の奥さんが話しかけてきた。
「お好きなんですか?たくさんお食べになるから」と笑っている。
「はい、ひと皿全部食べたいぐらいです!人気のお料理でしょうね」
「そうですね。各テーブルに、ずらっとこの皿が並ぶほどですね」
そうだろうなぁ。しかし、この奥さんはこんなに愛想のいい人だっけ?

「カニのリゾット」「うにのスパゲッティ―」を運びながらさらに話しかけてくる。
前にマスターにローマのお薦めレストランを教えてもらい、そのお礼を言ったこともあるので、せいうちくんが、
「今日はマスターがお店に入ってらっしゃるんですか?」と聞くと、なんとマスターは引退し、息子さんが厨房に入ったそうだ。
いつもやる気なさそうにフロアに立っていた、あのボーっとした息子さんがお店を継いだか。
それで奥さんはこんなに嬉しそうなのか。
母親と息子の闇は深い、と常々思っている我々は、少し背中が寒くなる思いを抱きながら奥さんのおしゃべりに耳を傾けた。

奥さんは吉祥寺に住んでいるらしい。
「私たちも近くなんですよ。吉祥寺のおいしいイタリアンを教えていただく、ってわけにはいかないですよね?」と聞いたら、苦笑いをして首を横に振っていた。
イタリア料理の振興のために教えてくれてもいいじゃないか。

料理が半ばなくなったところで、
「まだいけそう」
「じゃあ、肉かな」と、「仔羊のバジリコソース」を頼む。
オーダーストップ20分前の迷惑な客である。

「うにのスパゲッティ―」について、
「うにの消費量がすごすぎて、業者さんに不審がられた」
「お客さんは高めの値段だと思うだろうが、この値段で出すのは大変な努力です」と語る奥さんが仔羊を運んできて、
「お肉が柔らかいんですよ」と言うのに、
「おいしいですねぇ」と相槌をうつ。

いい値段になってしまったお会計をすませて店を出て、車で帰ったが、せいうちくんと私はちょっと寂しい。
あのマスターが引退してしまったか。
正直、お店の味は前と同じ、というわけにはいかないようだ。
いささか思い切りが悪いと言うか、味つけがシャープさに欠ける。
「また様子を見に来たいけど、これまでのように熱心になれるかどうかわかんないね」
「お店は、没落することはあっても良くなることは珍しいからね」と話し合う。
せいうちくん的には、愛想がいいのはけっこうだが、お客さんをしゃべり倒すのはいかがなものかと思ったらしい。
いささか肩を落とす日曜の夜であった。

17年11月28日

今日は渋谷で友人とランチだが、その前に急いで眼科に寄って行く。
緑内障の治療で眼圧を下げるため新しい目薬を使って1ヶ月、効き目を確認しなくては。
朝一番の眼科はすいていて2人ほど待つだけですんだ。
しかし、眼圧は思うように下がっておらず、先生は困っていた。
新しい目薬を追加して2本差すように指示された。
「正しく使っていても下がらない場合もありますか?」
「そうですね、たまに、目薬ではどうしても下がらない方もいますね。その場合は手術で下げるしかないんですが」
うーん、ワーファリン飲んでる私はおよそあらゆる手術というものを避けたい。
また1ヶ月したら眼圧測りに来なくっちゃ。

自転車で吉祥寺に出て、井の頭線に乗って渋谷へ。
時間にはゆとりがあるし始発で座れたけど、なにしろ1人で電車に乗るなんてめずらしいんだ、きょろきょろしちゃう。
上着を脱いで七分袖のTシャツだけになっても電車の中は暑い。
他のお客さんはみんな分厚いコートを着て、マフラーまで巻いている人ばかり。
正直言って奇異の目で見られてる気がしますが、更年期障害なんです、ほっといてください。

約束の10分前にヒカリエの「d47」に着いたが、汗だくなのでトイレに行って全身の汗を拭いて出てきたら、ミセスAがもう来てた。
やあやあやあ、と挨拶を交わして、開店まで30分、お店の前の椅子でおしゃべりをした。
ひと月前から彼女のダンナさんがせいうちくんと同じフロアで働いているので、ホットラインでマンガを交換できるようになり、我々のマンガ読書は充実している。

初めてのこの店で、ミセスAは「アジフライ定食」に「昆布おにぎり」をつけ、私は「味噌カツ定食」。
郷土色豊かなおかずとおにぎりをシェアしながらいろんな話をした。
息子の公演のことを聞いてくれる親切なミセスAは、私が持て余した味噌カツを食べてくれた。
食事は残すのにデザートにプリンを食べる、言語道断ですね。すみません。

保育園のお迎えの時間までの短い逢瀬なんだが、とても楽しい。
子供たちの話やマンガの話、夫の話、家庭生活の話、今回も私がしゃべり倒してしまった。
日頃人と会わないから興奮ぎみなんです、ごめんね、ミセスA。
またランチしましょう。

帰りの電車の中で、
「どうして私はこういらんことばっかりしゃべる人間なのかなぁ。もういっそ、山にこもって出家しようかなぁ」と後悔に身をよじり、なんだかよろけながら家に帰った。
1日1イベントでくたくたなのが情けない。

母親としてはヒマになって嬉しいのに、息子が小さくて手がかかった頃が懐かしくなるのが不思議だ。
子育て最前線のミセスAをとてもいとおしい思いで見つめてしまう。
彼女の末息子が成人するまで、私は生きているかなぁ。
息子は私に孫をもたらしてくれるかなぁ。
こういうのを、老境って言うのかもしれない。

17年11月30日

1年以上前に録画した宮部みゆき原作のドラマ「模倣犯」をやっと観た。
前半を観始めた時、
「そうか、主人公は柴崎コウか。『おんな城主直虎』で頑張ってるけど、これにも出ていたか。少しやせてたなぁ」とか思ったんだけど、エンドロールを見て愕然。
私は中谷美紀と柴崎コウの区別がつかないのだった…

せいうちくんに話したら、
「まあ、似てなくもないよ。キミの人間識別は、男女それぞれ10種類ぐらいの類型に粗く区別されているようだね。たぶん、3歳の時に高熱が1週間続いた時に脳のどこかが傷んだんだろう。大丈夫、その類型に仕分けする時のくくり方にはなかなか天才的なものがあるから」とよくわからない慰めを言われた。
間違っても殺人事件を目撃したりしないようにしよう。
「犯人のモンタージュ」は不可能だろうから。

FACEBOOKに寄せられたコメントを見ると、「『柴崎コウさんですか?』と声をかけられる、というのは中谷美紀の定番の自虐ネタ」なのだそうで、どうやらこの女優さん2人の区別がつかないのは恥ずかしいことではないらしい。
よかった!

というわけで、宮部みゆきを紐解いて、「前畑滋子の物語」の続きである「楽園」を読み返す。
「ミステリを何度も読む」というのはどう考えてもバカだろう、と自分でも思うんだが、きれいさっぱり忘れているんだからしょうがない。
たいそう面白く読んだ。

勢いで、「杉村三郎シリーズ」に突入し、「誰か Somebody」「名もなき毒」を読んで、「ペテロの葬列」に入ったところ。
これ読み終わってもまだ「希望荘」が残ってるから嬉しい。
文字の本をデータ化したものはマンガより読みにくいけど、かつて読んだ本をなぞるように読み返すのが好きな私にとっては、蔵書量を気にしないでいくらでも持っていられるのがありがたい。

しかし最近、本を読むスピードが恐ろしく落ちているうえ、気力がわかなくて1冊も読まない日が多いので、早晩「趣味は読書です」とは言えなくなるのではないかと心配だ。
「こういうものは自己申告制で、他人の目を気にする必要はない」とせいうちくんは言うが、そもそも人に言う時点で人目は気になってるんだから、そう都合よく自分が思うように言えばいいというものでもないだろう。

ひと頃は「趣味は息子の観察です」と言っていたけど、それも終わって観察箱を空にしてしまった今、人聞きのいい新たな趣味を見つけるべきなのか?
こういう時に主婦は「園芸」とか「パッチワーク」を始めるか、ボランティアに出るのかしらん。
基本、寝ながらできることをやりたいんだけど…

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