18年1月1日

あけましておめでとうございます!
今年も大内家をよろしくお願いいたします。

年末に自転車が大破したという息子を朝の9時半に車で迎えに行って連れ帰り、お雑煮を祝おうと思っていたら、昨夜のうちに、
「カノジョも一緒でいい?」と言ってきた。
泊まり込んで彼の部屋で年越しするらしい。
「カノジョが泊まってる部屋に踏み込むのも気が引けるから」という理由で、2人には10時に家まで自力で来てもらうことにした。

年始訪問を決めた時に、「カノジョは来るの?」とわざわざ聞いて「来ないよ」と言われていたのに、直前の変更で少しユウウツ。
ドタ変に弱いんだよ、私は。
自分でわかってるから、なるべくいろんなことが予想通り進むようにアレンジしているんだが、息子はそんなのお構いなしだからなぁ。

で、9時半ごろ電話したら、出ない。
もうアパートを出てないと遅刻必至なのに。
何度か電話して、「遅れる」と言われ、結局来たのは11時。
我々、このあと予定があるのは伝えてあるんだが。

入ってきて「あけましておめでとう」と言った次の瞬間、「音楽、止めて」。
それほど大音量じゃないのに、アルフィーがイヤですか?
カノジョが入ってくるのも待たずに、「寝不足で具合悪い」と言いながら、ソファに横になってしまった。
「人の家に来るなり、失礼だよなぁ」と思って気づいたんだが、彼にとっては「自分のうち」なのか。
突然カノジョも来ることにしてしまうのも、遅刻するのも、音楽止めてほしいのも傍若無人なのも、「人の家」じゃないからなのか。
さて、大昔から「大内くんと私の家に息子を住まわせているだけ」と思っていたんだが、この意識のギャップはどうすればいいんだろう?

気分悪そうにお雑煮を食べる息子と、気を遣って一生懸命会話をつなぐカノジョを見ていたら、なんだか気持ちが沈んでしまった。
さっさと食べ終えるとまたソファでごろ寝して、じきに寝息をたて始めるし。
大内くんは今年の生活費の話とか確認してたんだけど、あんまり聞いてなかったみたい。

2時間ほどたったところで、
「父さんたちは唯生ちゃんに会いに行くから。その前に『おばちゃん』のところに寄るけど、あなたは今日は行かないのね?」と息子を起こすと、
「勝手に帰るから、出かけていいよ」と言われた。
カノジョもいるのに、「よその人」を家に残して出かける気にはならないよ。一緒に家を出てくれ。

「車でアパートまで送って行くから」と大内くんが言っても、「いい。置いて行って」と繰り返す。
「父さんたちはいいけど、カノジョにも予定があるでしょ」と大内くん。

ちがう!
まず、父さん「たち」はよくない!少なくとも私は。
それに、人の予定は大きなお世話で、「こちらは困らないけど、そちらが困るでしょう」という「相手本位のご提案」の形をとる大内くんの思考形態に、年末からずっと文句を言っている。
息子に、「お金がなくなるから、仕事しないといけないんじゃない?」と下からうかがうような物言いをするのをやめてくれ、「働け」と堂々と要求してくれ、と何度言ったかわからないが、大内くんの考え方そのものが微塵も変わっていない。

渋る息子と一緒に家を出て、車で送る方は固辞されたので、歩いて行く2人を追い越す形でお別れした。
「ねぎ」のおすそ分けとお年賀のお菓子を「おばちゃん」に届けて、唯生に会いに行ったが、気持ちが沈んだままだ。
息子からは、
「行くことあったら服の福袋頼むわぁ」と能天気なメッセージが来たので、不機嫌になってはいないようだが、これだけ失礼なくせにさらに服買ってくれと頼むとは、と驚くよ。
イトーヨーカドーが通り道にあるけど、今日はもう福袋も売り切れだろうから行けたら明日行く、と返事しておいて、唯生の施設へ。

病棟はいつもと同じように明るい日が差し込んで、静か。
看護師さんたちに「おめでとうございます!ゆいちゃん、よかったねぇ、お父さんとお母さんが来てくださったよ!」と言われて、いつものベッドではなく車椅子に横になってテレビの前にいた唯生を囲んで座る。

「唯生ちゃん、あなたの弟は困ったもんだよ」とこぼしてみた。
唯生はすました顔をしている。
「お母さんが甘やかしすぎたからでしょ」と言われちゃうのかなぁ。
いや、いいのよ、好きなように育ててきたんだから結果はこんなもんでいいんだけど、オトナは、お互い好きなように生きて行きたいねぇ。
唯生は、唯生なりに好きなように生きてる?
看護師さんたちに可愛がってもらって、多少のワガママは言ってもいいんだよ。
それほど多くのワガママが言えるあなたでもないんだから。

18年1月2日

朝一番でイトーヨーカドーに行き、息子のために福袋を買う。
彼は数年前から、新年に買ってもらうこの福袋の一揃い衣料で冬を越すのだ。
ついでに安売りのソフトシャツも2枚つけておく。
「もう家を出てる人に、服を買ってあげるべきだろうか?」と悩んでいた大内くんも、これを「衣料赤十字」と呼んで納得しているようだ。
「医療赤十字」のシャレなんだろうなぁ。座布団1枚だよ。

昨日は少し失敗したタラモサラダをもう1回作って、今回は成功。
お客さん2人ほどの「小さな新年会」は、1人が「愛犬が入院してしまい、毎日朝から見舞いに行っているので伺えない」と年末に言ってきたので、お客さん1人の「小さな小さな新年会」になる。
たいへん気のおけない友人女性なので、だらだらのんびりやらせてもらおう。
もっとも、年末からの仕事が終わらないフリーの彼女はなかなか忙しいようだが。

駅で人混みにまかれていて少し遅れる、とメッセージ送りながらやってきた彼女は、手みやげにお菓子を買ってきてくれた。
もう20年以上いただいているカレンダーも。
来年3月までの予定が書き込めるこのカレンダーは、本当に重宝なんだ。
息子の大学受験の時はリビングに貼り出して、秋からもう1月2月の受験日や合格発表日でいっぱいになってたもんだ、と毎年のように同じ話をしてしまう。

恒例の「生春巻き」を巻くところから始めて、大内家のいつものおせちをいつものように楽しんでくれる彼女に、
「息子も会いたがってたよ。『あの人は博識だから』って言ってた」と話すと、
「彼はいったいいつ、それほど私と話したというのだろう?博識じゃないし」と首をかしげる。
「うん、『博識には違いないが、偏ってる』と言っておいたよ。気を悪くはしないでしょ?」
「しないしない。実際、偏ってる」という会話を交わすも、私が息子に語った「彼女はたとえばおそらく乃木坂や欅坂を知らないだろう」という人物像は、
「いや、それは知ってるが」と否定された。すまん、息子よ、母の誤報だ。
彼女の名誉のためにも、今度、訂正しておこう。

お正月休みずっと一緒にいて、私のアタマがはっきりしたのを日々さらに確認してすっかり嬉しくなった大内くんは、長年の知己である彼女に、
「あこちゃんはまるで昔のようだと思いませんか?」と熱心に語っていた。
彼女曰く、
「いろいろ事情があるんだろうと思って言わなかったけど、口数が少なくなってぼんやりしているのを、惜しいと思っていた。途中の姿がいけないと言うわけではないんだが、もう戻ってこないかと思っていたあこちゃんに会えて、本当に嬉しい」。
そんなふうに言ってくれる友達を持って、私もとっても嬉しいよ。

彼女と会っていると、時が飛ぶように過ぎて行く。
いつか彼女がヒマになったらもっと話していたいものだと思って、
「いつ、どのように引退を考えているか」と聞いてみたら、フリーの彼女にとっては生活することニアリーイコール働くこと、のようだ。
「そのへんの意識は定年のある会社員とは違うかも」と大内くんも言う。
30年間働いていない私にはどっちもわからない境地だ。やっぱり今から働くか?

彼女と話していて一番面白いのは、私とは反対側から問題を詰めて、同じように考えているところがあると感じる時。
たとえばフェミニズムや男女の平等について、「男と女の違い」から始めている私に対して、彼女は「そんなに違うかい?」と思っていて、それでもなおかつ同じ結論に着地している気がする。
とっくり話してみたい、と30年つきあった今も思う。

女性性の希薄な彼女と、実はよく似ている男性性の希薄な大内くん。
頭脳の明晰さこそ差はあるが(もちろん彼女の方が明晰なのだ)、この2人は不思議な相似点がたくさんある。妙なボケ方とか。
男女問わず、感覚の豊かなこういうタイプの人が好きなんだなぁ、私は。

今年も新年会が終わってしまった。
肩を落として片づけをし、大内くんと「逃げ恥」一挙放送を観る。
面白いじゃないか!
彼女と、3人で野次を飛ばしながらこの手のドラマをえんえん観たら、どんな意見が聞けるだろう?!と妄想してしまったよ。
とりあえず今の仕事の山が終わったら飲みに行く約束をしたので、楽しみにしていよう。

18年1月3日

息子に福袋を届けに行く。
約束通り朝の10時半に電話しながらアパートに向かったけど、電話に出ない。
ナンバーロックを開けて建物に入り、部屋のドアをノックしたら、「あいてるー」との寝ぼけ声。
もそもそと起きてシャワーを浴びるのを待っている間、30分は優に待たされた。
部屋を眺めて楽しませてはもらったが、支度しておいてもらいたかった。
シーツ掛けないベッドとか、傷んで中身が分離してしまったミルクティーのペットボトルには目をつぶっておこう。
いつの間にか、「水のペットボトルをぶっ刺す形の加湿器」を買っているのに感心した。

そうそう、大内くんは元旦に「おでん」を持たせた時、「チューブからし」を一緒に入れてあげたつもりで「チューブしょうが」を入れていたらしい。
恥じ入りながら回収していた。

福袋に入っていたプルオーバーをさっそく着てくれたのは嬉しいが、ソフトワイシャツに関しては、「こんなの、着る機会ない」と憮然としていたよ。
まあ、そう言うな。安かったんだ。
車で一緒に行ったロイヤルホストは昼前なのにたいそう混雑していた。

「遅刻して、すまんね」と小さな声で言う息子に、大内くんが、
「約束の時間を守らないのは、相手の時間を大切にしないってことだよ」と説教すると、
「なるべく会わないようにするよ」と答える。
「親以外とはちゃんとしてる、ってこと?」
「そう」

「真剣にバイト探さないと生活費がなくなるよ」と言われた息子は、「本読んでいい?」と文庫本を取り出した。
「逃避しても始まんないよ」と私が言い、大内くんが本を取り上げようとしたら、三白眼になって閉じた本をデイパックにしまったが、一切目線を合わせない。

大「聞いてるの?」
息子「聞いてもしょうがない」
大「なんで?」
息子「こないだも聞いた」
大「こないだから今日まで、何の変化もないじゃない」
息子「じゃかあしい」(やかましい、の意?)

食べるだけ食べたら、帰っちゃったなぁ。
服買ってもらって、食事おごってもらって、そーゆー態度?
時給1万円以上のバイトしてる、って気になれない?
今月の生活費もすでに振り込んでもらってるのに。
さっき母さんも言ったでしょ、
「働いて稼ぐってことは、イヤな相手に『NO!』って言えるようになることだよ」って。
親が相手だってだけでこんなに横暴になってる自分は、カッコ悪いって思わないのかな?

「やれやれ、新年から波乱含みだ」と大内くんと頭を振り振り帰ろうとしてたら、息子からメッセンジャーで、「ごちそうさま」とだけ打ってきた。
どう見るべきなのか。
今年も息子問題は続きそう。

18年1月4日

「6日間のお休みなんてあっという間だ!」と嘆きながら、大内くん仕事始め。
「でもさ、2日行けば3日休みだよ」と励ます。

さすがに年明け早々の残業はなく、定時に帰ってきたので、ごはん食べてから「逃げ恥」の続きを観た。
いろいろ言いながら観てるもんだからなかなか終わらない。
「最初は他人事だと思って観始めたけど、星野源が演じるオタクは思ったよりずっと僕に似ている」と大内くんが言うので、この機会にいろいろ反省してもらう。
「システムの再構築」とか言うのはごまかしだよ、「大切なのは気持ちを伝えあうこと」ってヒラマサさんも言ってるじゃないか!

ガッキーはちょっと優位な立場を温存しすぎてズルいだろう。
世のオタクたちは、「黙っていればガッキーがハグしようと持ちかけてくれる」と妄想をこじらせるんだろうか。
「輪ゴム」の材質と形状から避妊具を連想で持ってくるのは秀逸。
などなど、ツッコミどころ満載の面白いドラマである。
まだまだ終わらない。週末に持ち越しだ!

18年1月5日

暮れからずっと右足の関節炎が悪化しており、まともに歩けないうえ時々痛すぎて眠れないほどで、シップ貼りまくってごまかしてきたけど、今日やっと病院が開いた。
会社帰りの大内くんと夕方の病院で待ち合わせしたら、この時間は勤め帰りのサラリーマンが多いのか結構混んでいて、結局ずいぶん待たせてしまった。
「なんでもデートだよ」と言ってくれる人で良かった。

膝に水が溜まってるんじゃないので安心したが、原因不明に筋が腫れているらしい。
変形性関節炎が右ひざでも始まっているようではあり、「ヒアルロン酸の注射、打つかい?」と聞かれたけど、今日のところは痛いのが増すだけなのでやめとこう。

薬局でシップをもらう時、希望するタイプのシップは置いてないと言われたのでいろいろ言ったあげくあきらめて別の薬局でもらおうと処方箋を引っ込めかけたら、後ろから大内くんが、
「こちらの薬局でいただけるタイプのものを教えてください」と言ってくれて、最後にはいいシップが出てきた。

「私もそう言ったつもりだったんだけど、言えてなかった?」と小さな声で聞いたら、
「言いたい気持ちはわかるが、言えてなかった。キミは、正確に言おうとするあまり細かくなりすぎてしまって、伝わってないことが多い」のだそうで、いつも反省しているところではあるが、また助けられてしまった。
「僕がいないと困るでしょ。これからも助けてあげるからね」と、お正月以来何かと一生懸命存在の必要性をアピールする、ある意味ウザい大内くんであった。

お正月明けのお祝いに駅ビルの高いケーキ屋さんで4つもケーキ買った。
時間が遅いので、「もうじき閉店だろうに、投げ売りはいつ始まるのかねぇ?」とつぶやき合う、貧しい夫婦。

吉野家の牛丼食べて帰ろうと思ったけど、ちらっと除いたハモニカ横丁が楽しそうだったので、前に息子が勧めていた「みんみん」でラーメンと餃子食べることにする。
かなり古典的な「中華そば屋」で、パリパリの餃子が好きな大内くんは喜んでいた。
「キミは結局『王将の餃子』が好きなんだよね」と言うのは何らかの侮りであろうか。
甘酸っぱいタレがおいしいんだよ。

腕を組んでケーキぶら下げて帰った、今年初めてのデート。
楽しかった!
ハモニカ横丁はたいした掘り出し物だったので、また来てみよう。
昼間は何となくうらぶれていてコワく思えた場所が、夜の方が意外とコワくないというのは面白い現象だったなぁ。

18年1月6日

用事があって二子玉川へ。
久しぶりだったので、昔よく来てた頃に行ってた気に入りの店はみんな閉店してた。
(インド料理の「モティ」とか食べ放題に行った「チーズケーキ・ファクトリー」とか)
高島屋の駐車場に車停めて、駐車料金を稼ぎ出すためにレストラン街で「ナスのトマトミートソースパスタ」「ラザニア」食べた。おいしかった。

ついでに私のリュック買ってもらった。
綺麗な上に汚れにくい深いパープルで、荷物の多い外出の時に借りてた大内くんのディパックより小さくて可愛い。
日頃の買い物からすると目玉が飛び出る値段だったが、高島屋の正価で買う喜びは大きいかも。
良い品は、高いと思っても結局長く使ってお得なこともあるし。
20年前に「高い!」と思いながらやはり高島屋で買ったダウンコート、いまだに着てたりするもんね。

家に眠っていたデパート商品券1万円分が使い切れたのに加え、駐車場代が3時間分タダになり、お買い物も視野に入れて出かけて吉だった。

しかし、辛いのは右足の痛み。
ゆっくりと引きずってしか歩けない。
整形外科も行ったし、もう今できることはないので様子を見るだけなんだけど、このまま歩けなくなったらどうしようとか、心配だ。
夜中に夢でうなされると、足に力がはいるためか、膝からちぎれそうに痛む。
ついつい寝る前に痛み止め飲んでしまうけど、そんなの身体に良いわけもなく、悩ましい。

18年1月7日

お正月に録り貯めたテレビを次々に観る。
面白かったのは大内くんの大好きなみなもと太郎原作の「風雲児たち〜蘭学革命篇(れぼりゅうしょん)」。
平賀源内役が山本耕史だったあたり、「天下御免」の山口崇を思い出すよ。
いつの時代も、平賀源内を演じるのは良い男なのである。
(ちなみに、よしながふみの「大奥」にも平賀源内や田沼意次が出てくるけど、みーんな女なのでした)

大河ドラマ「西郷どん」も始まった。
大好きな林真理子の原作を、「ドラマを楽しみたい」という理由で事前に読まずにガマンしている。
(代わりに同時代の「正妻 慶喜と美賀子」を読み返し中)
去年の「おんな城主直虎」同様、終了後のツィッターが盛り上がってて面白い。

正月お笑いもひととおりさらったが、何を観ていても「さて、息子はこのように食えて行くだろうか?」と考えてしまい、純粋(?)には楽しめない気がする。
こんなワクワクする人生をありがとう、と思ってみたり、いつまでも子育てが終わらなくて心労だなぁ、と思ったり。
負け惜しみを承知で言えば、先の見えない時代でもあり、息子にとっても私にとっても人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないので、面白い方が勝ちかも。

18年1月10日

昼間、突然、息子からメッセージが来た。
「今から行っていい?」
何の用だろう?と思いながらも、「家にいるよ」と返事する。
ちょうど、貸してあるマンガの新刊を返してもらいたかったところだ。
お正月に会った時の不愉快な記憶が新しいので、少なくとも来週の公演が終わるまでは連絡しないでおこうと思っていたんだが。

1時間ほどして、やってきた。
「なんかメシある?」と言うので、昨日の残りの「しいたけの肉詰め」とごはんと味噌汁をふるまう。
「他には?」と聞かれておせちの残りの伊達巻きを出そうとしたら、
「あ、伊達巻きはいいや」と言われてしぶしぶ引っ込め、冷凍のワンタンを作ってやる。
文句を言わずに残り物を食え。

「で、何しに来たの?」
「特に」
「ごはん食べに来たの?」
「うん」
可愛くない。ウソでも「母さんの顔が見たくなった」ぐらい言ってくれ。

「風呂借りるね」と言ってシャワーを浴び、「ありがとう、いただきます」と言って食事を食べる。
シェアハウスには共同のシャワー室があるし、光熱費込みなので自分ちで浴びる分にはタダだ、我が家で浴びればそれだけ余分に水道代とガス代がかかるんだが、と思うのは私がケチだからだろうなぁ。

食べながら少し話をしてくれたが、
「正月頃は風邪をひいて具合が悪かったので、まわりの人間に傲慢な態度を取ってしまった」と反省しているらしい。
「『やかましい』とか言って、ごめん」と謝りに来たのかもしれない。
少し嬉しくなって、
「母さんたちにはナチュラルに失礼だったけど、それはまあ親だからいいとしても、友達や仲間は大事にしなさいよ」とありきたりのことを言ってしまう。

「いいものが書きたいが、自分が未熟なのでなかなか書けない。焦る」と何度も言う。
そこはもう、私の手の届かない領域だ。
「書きたいと思うことがすでに才能の一部だ。『選ばれたる者の恍惚と不安、ふたつながら我にあり』と思って頑張るしかない」というようなことを言っておくが、さて、正解だろうか。
この手の話に正解はないと思いつつも、なるべくためになることを言って感心されたいと焦るのは、いまだに功名心から自由になれてないんだろうなぁ。

何を聞いても、息子の若さに胸が痛む。
可能性があり、夢があり、焦りや失望があり、とてつもない自負心と背中合わせの不安が常にせめぎ合っていたあの時代の真っただ中に彼も今いるのに、手を引いてやることも導くこともできない。
あんなに自分も苦しんだ道なのに。
人は、自分の人生しか生きられない。

「母さんは昔、世界を救いたいと思っていたよ」
「へー、それで、どうしたの?」
「ムリだと気づいて、父さんを幸せにすることに専念した」
「いつごろ?」
「結婚した頃かなぁ」
「そっちにシフトしたんだ」
「普通の人間には、1人の人を幸せにするだけで精一杯かも。でも、そう納得が行くまでやってみるしかないけどね」
「ふーん」
何か伝えたいのに、どうしてこんなに難しいんだろう。
「こうなってほしい」でも「こうはなってほしくない」でもなく、「母さんの人生はこうだった」としか言えないじゃないか。
しかもまだ終わってないんだし。

やっとバイトを始めたと聞いてほっとしたのもつかの間、月に4、5日しか開かない劇場らしい。
1月から仕送りを7万減らすんだが、その減額を埋めるのにも足りなかろう。
「今からもうひとつ、バイトの面接に行く」とのことで、フルタイムの仕事に就くという話がどうなってるかは今回聞かなかった。
アパートに帰るんでないならあんまり食料品とか持たせられないと思ったが、本人が希望するので牛乳1パックとチョコレートを袋に入れてやる。
貧者の一灯。これ食って頑張れ。

書斎でパソコン仕事を始めたので、私は寝室に戻って読書。
大内くんに「息子が来てる」とラインすると、
「連絡してから来た?」と返事が来たので、
「うん。行っていい?って聞いてきた」と知らせる。
しばらくして、
「ずっと書斎で作業してるので、放置プレイ中」と打つと、
「了解。放置されたし」と返信。
小一時間、そんな状態。

帰り際になって、妙にニコニコしながら、「少し金貸して」。ああ、やっぱりそれかい。
「お金がなくなったから来たの?」
「そういうわけじゃないけど」
「いくら?」
「5千円ほど」
「もう今月の生活費、ないの?」
「全然ないってわけじゃない。これでもたせるから」
よっぽど「父さんに相談しないと出せない」と言おうかと思ったけど、いい顔したいのが母親の本能なのか、財布を開けてしまう。

「ありがとっ!」と笑って、盛大なハグをして帰った。
半ば以上ろくでなしだが、息子は可愛いもんだ、しょうがない。
ただ、母さんは「いいこと言おう」として疲れてしまったよ。今度は父さんもいる時に来てね。
私があとで洗おうと思っていたお皿を洗って帰ったのは、進歩と言うものだろうなぁ。

18年1月12日

身体に力が入らなくて、寝てばかりいる。
お正月の疲れがなかなか抜けない。
大内くんは毎日会社に行ってけなげに働いているというのに、ろくに家事もしないで家にいるのが本当に申し訳ない。
「まだまだ身体が本調子じゃないんだよ。もともと丈夫じゃないんだし。もうそろそろ引退しようかっていう歳なんだから、ゆっくり休んで過ごして」と言ってくれるダンナさんなのがありがたい。

週末から来週にかけて、年明けのイベントが目白押し。私にしては忙しい。
あまりひるまずに、淡々と受けとめて行こう。
今年はもっと元気に過ごせるかと思ったのに、しょっぱなから目標が達成できなくてトホホな1月。

18年1月13日

新年会を開催。
去年、おととしと病没者が2人出て、現在1人が入院中で欠席のため、「50代は病バナ」を噛みしめる。

乾杯用のシャンパーニュを持ってきてくれた人が一番遅かったので、ビールと日本酒がすでに出ている中での乾杯。
家長の大内くんは影が薄く、音頭を取り損ねて私に叱られたあげくに、亡くなった友人たちへの「献杯」を忘れた、とあとから悶絶していた。

お酒とお料理の差し入れを多数受け、メニューは豪華。
例年よく売れるのはサラダとハヤシライス。
8人しかいないし他のお料理も全部売れたのに、さらに大鍋いっぱいのハヤシルーがほぼ消えたことについて、製作者大内くんは「恐ろしい…」とつぶやいていた。
ワインと日本酒6本はそれほど珍しい量じゃない。
1人頭1本以上空くのも見たことあるぞ。

多くの人が「親の介護問題」に直面しているのも50代ならでは。
大内くんはとなりに坐ったMちゃんとそのとなりのダンナさんから、老人ホームの話を聞かせてもらってたいへん参考になったと言っていた。
「Mちゃん、あなたの肩に手を置いてたねぇ」と言うと、
「いや、置きかけたけど、キミの顔を見てやめてた。そのあとも何度か置きそうになって、その都度キミの方見てて、面白かった」。
それは気がつかなかったよ。

「老人は、70代ぐらいだと『早く死にたい』って言うんだが、80超えると『死にたい』っていう気持ちからなくなっていくみたいだなぁ」と言っていた人がいて、印象深い。
長寿社会で親の老いに直面してる我々世代は口をそろえて「あんまり長生きはしたくない」と言ってるが、もう四半世紀のうちにはその気持ちを失うんだろうか。
それとは別に、「130歳までの老後の予算を考えている」と言うMちゃんダンナの用心深さはいいと思う。
いくつまで生きたいか、ではなく、いくつまで死ねないか、が問題だよね。

私は秋にクラブの大コンパで皆さんに会った時はまだ少し元気がなかったんだが、今回は一段と回復した、と好評。
「昔のあこちゃんだ!」とMちゃんにも喜んでもらえた。
大昔に舌の手術をした男性からは、
「身体を切れば侵襲を受けます。完全に回復するには時間がかかります」と励まされた。

息子がうちと同じ大学に通っているOくんを思い出し、ビールの好きだったSちゃんを思い出し、みんなで30年以上前に行った温泉を思い出し、なんて遠くまで来てしまったんだろう、と皆の顔を眺め渡すと涙がにじむ。
このまま、あと20年ぐらい集まり続けたい。
我々夫婦が老人ホームに入ってしまってからも、外でお店借りてパーティーしよう、と決心した。

18年1月14日

昨日の宴会前に息子から、
「今月の生活費がもうない」と連絡があった。
「なんで?説明に来なさい」と大内くんが返して、明日の朝8時に来ることになっていたんだが、宴会の片づけをしてお風呂に入って寝ようとしていた夜中の12時に、電話がかかってきた。

「朝は起きられないかもしれないから、今から行きたい」と言うのだ。
もう遅いよ。こっちはフツーに眠いし、酔ってるよ。今日はパーティーだって言ったじゃない。
「朝、来なさい」と強く言ったら、
息子「じゃあもういい」
大「よくないでしょ。お金ないんじゃなかったの?」
息子「日払いのバイトする」
前からしろしろと言っていたのに、1回もしたことないじゃないか。
まあいい、これをきっかけにとにかく稼いでみることだ。

お金がなくてしばらく食べてないらしいから、宴会の余りのハヤシライスとサラダをご馳走して、さらに残りを持たせようと思ってたのに。
大「ごはんどうするの?」
息子「食べてない」
大「お金がないから?」
息子「うん」
大「食べに来たら?」
息子「いい」
大「じゃあ、しっかりやってね」
息子「…」
で、終わり。

電話のあと、当たり前だけどとっても不愉快。
友人たちと楽しく飲んで、寝ようと思ってたのに、なんでこんなに心配かけられなきゃいけないんだろう。
ベッドに入ってからも気になってならない。

「ねえ、明日の朝早く、食料品買って届けに行かない?」と聞いてみたら、しぶしぶだけど「いいよ」と言われたので、息子にメッセージ送ってみた。
「明日の9時ごろ、食べ物届けに行くよ」
すぐに、
「いい。まだ大丈夫」と返事が来た。
そう言われちゃ、行けないなぁ。

でも、結局、大内くんに無理を言って朝の9時にスーパー行って、お米やスパゲッティ、パスタソースや缶詰、インスタントラーメンなどを買い、ついでにティッシュ5箱もつけて、息子のアパートに。
私が車の番をしてる間に大内くんがナンバーキーを開けて建物に入り、彼の部屋の前に救援物資を置いてきてくれた。
タッパーに入れたハヤシとごはん、サラダは袋に名前を書いて共用の冷蔵庫に入れてきたって。

「息子はいるようだった?昼からコントライブの打ち合わせだって言ってたから、まだ寝てるんじゃないかな」
「うーん、下駄箱に靴がないような気はしたんだけどね…でも、部屋の外の電気メーターがぐるぐる回ってたよ。留守なのにエアコンつけっ放しなんだったら、困るねぇ。光熱費は管理費に含まれてるけど、月5千円を超えた分は徴収されるはずだよ」

と話しながら、「いらないって言われたけど、食料品置いてきた」とメッセージ打っておく。
いちおう親なんで、おなかすかせていられちゃあ寝醒めが悪いんだ。
昼過ぎになって、「ご飯、ありがとう」と言ってきた。
とりあえず、迷惑がられてはいないらしい。
しかし、今起きたんじゃ、打ち合わせには遅刻してるんじゃないだろうか。

週末のコントライブまでは何もしないつもりだが、そのあとはちょっと話をせざるを得ないかもなぁ。
仕送りは来月までで終わる予定なので、収入の道を見つけてもらわないと困るのだ。
もちろん、日払いのバイトを定期的に入れるというようなやり方でも全然かまわない。
毎日ご飯が食べられるように、自力で頑張ってくれ。

苦労してコドモ育てて、悪態つかれて、家を出てもらって、将来が不明で(←今ココ)、人間どうせいつかは死んじゃって…って流れの日記をフォローしてくれてる皆さんは、人生が暗くならないだろうか?と心配。
申し訳ない。

人生は所詮死ぬまでどう生きるかであり、生きた時間はその都度貴重な思い出に満ちているので、本当のとこ私もヤになってはいないんですよ。

18年1月16日

ベッドで本を読んでいたらいつの間にかうとうとしていたらしい。
はっと目が覚めたら、目の前に息子がいた。

「どうしたの?」
「三脚、借りにきた」
そうか、コントライブの撮影用に、機材を取りに来たのか。
でもさ、ひと言連絡してから来てくれって、何度も言ってるじゃないか!
息子と言えども、寝てるとこを人に起こされるのは気まずいんだよ!

すでにメインのクロゼットは探したあとらしく、「三脚は?」と聞くので、
「んー、どこだったかなぁ…そもそも、前に貸してそれっきりのような気もするんだけどなぁ…」とあちこち見ていたら、「ご飯、ありがとう」とかつぶやきながら私のあとをついて歩いていた彼が、リビングの第2クロゼットから自力で探し出してくれた。

いきなり乱入されて気分を害していたのもあってあえて何も言わずにいたら、息子は冷蔵庫を開けて「マミー」のパックからぐびぐびと飲むと中を一瞥する。
「なんか持ってく?」
「いや、こないだもらったから」(そういや、牛乳あげたっけ)
さらにあちこちのクロゼットを開け、コントの小道具をいくつかピックアップし、
「上着、ないかな…?」とかつぶやいて、「ないよ。全部持ってったじゃん」と言ったら、黙って適当な紙袋を見つけて荷物をしまうと、「じゃあ…」と言って、帰って行った。

その間、約10分。
少し茫然としたが、お金の話にならなくてよかった。
また「貸して」とか言われたらどう対処していいかわからんかったところだ。
「バイト見つかった?」とはあえて聞かないでおいて正解だったと思いたい。

しかし、私は母心が薄いのだろうか。
「他人」が自分のテリトリーに侵入してきた気がして、落ち着かない。
せめて勝手にカギを開けて入ってくるのをやめて下からピンポンしてくれないものだろうか。
今回はさすがに先日勝手にアパートまで行って、ドアの前とは言え「いらない」といったんは断られた食料品を置いてきたということで、大きな声で文句が言いにくいのであった。

帰ってきた大内くんにそうこぼしたら、
「えー、そんなの、全然ケースが違うよ。向こうが『ごはん食べてない』なんて言って心配させるから、しょうがなく持ってったんじゃない!」と言う。
うん、そうだよね。
「僕から、カギ返してって言おうか?」とも提案されたが、うーん、もうちょっと様子を見るよ。

「オレの家はもうオレの家じゃないわけ?!」とか息子が傷つきそうで少しためらってるんだが、そもそも我々夫婦がローン組んで買ったマンションである、彼のものだったことが1度でもあっただろうか、いや、ない。(反語的表現)
こういうところが冷たいのか?と悩んだり、いろいろ。
ああ、心安らかに昼寝がしたい。

18年1月18日

よしながふみが「愛がなくても喰っていけます」の中で絶賛しているフレンチレストランに行きたいと思い続けて10年ばかり、ついに予約を取って食べに行く。
思えば去年の秋から、大内くんの誕生日のお祝いに2人でディナー、と予約を入れるも、仕事が入って泣く泣く延期することいくたびか、スケジュールも合わず、気がつけば2カ月以上がたっていた。

この「北島亭」はなかなか有名らしく、仕事が入った大内くんがスケジュールを記入し直していたら手帳をのぞきこんだ部下の女性が、
「えっ、大内さん、北島亭の予約を取ってたんですか!それが流れちゃうんですか!すみません!」とひどく恐縮していたのだそうだ。
「すごくおいしいお店ですから、ぜひ行ってください!」と強くおススメされた、などというひとコマもあり。

そんな期待に満ちたお出かけなのに…私はノロにやられてしまった。

昨日の昼から気持ちが悪く、夕食前には「マーライオン化」していた。
トイレで「ざばーっ」って感じで、吐くわけで。
そのあとはもう、「上から下から」って状態。

今日、大内くんが予約を取り直してくれました。
「さすが北島亭だ。次に空いてるのは3週間後だった」とのこと。
私はただいま絶食中。
と言うか、良くなったかと思ってお昼にお好み焼きを食べたら、再びマーライオン化した…

大内くんによると、今、会社では3種類の風邪が流行っているらしい。
「熱が出るが、インフルエンザではない」
「熱が出る、インフルエンザ(B型)」
「熱はなく、おなかが痛い」
「私は、熱がなくて、おなかは痛くなくて、ただ吐く」と言ったら、
「そういう人もいる。3.5種類流行っていることにしよう」と言われた。
S社防疫課大内家分室調べ及び発表。

洗面所に私専用の手洗い後のタオルを出し、トイレの蓋は閉め、そして、濃厚接触は禁止。
「マウスツーマウスのちゅー」とかもってのほか。
さて、これでパンデミックは回避できるだろうか。

18年1月19日

大内くんの日帰り出張がごそっと1日なくなったので、私が倒れていることもあり、お休みを取ってくれた。
何でもなく休むのは久しぶりだ。
そもそも自分の不調ではインフルエンザでもないかぎりめったに休まない、サラリーマンの鑑。

今日も、午前中はパソコンに向かって会社の仕事をしていた。
時々私の寝ているベッドに「御機嫌伺い」と言ってやってきて、足をもんだりおなかをさすったりして書斎に戻る。
昼頃、仕事を終わって雑炊作ってくれる頃には、おなかはひととおりの落ち着きを取り戻してきたようだ。

とは言え完全には復調していないし、明日は息子のコントライブに行くから大事を取ろうと、1日家でのんびり過ごした。
やっと吐き気がおさまってマンガに集中できるようになったので、気になっていた東村アキコの「ひまわりっ」と「ママはテンパリスト」を立て続けに読む。
後者については、どこの幼児も同じような笑えることをしでかすもんだ、育児エッセイマンガ描いておけばよかった、というのが感想。

大内くんは私の強い推薦で出水ぽすかの「約束のネバーランド」を読み始め、興奮していた。
「むちゃくちゃ面白い。このように豊かなマンガが今でも創り続けられていることに感動する」とのこと。
ちなみにこれは、やはり私おススメのBoichi作画の「Dr.STONE」を読んだ時とほぼ同じセリフだった。奥行きのない人だ。

ついでにここしばらくの私のマンガ履歴を並べれば、吟鳥子「きみを死なせないための物語(ストーリア)」を読んで「久々の美しいファンタジックSF!」と感銘を受けたので薦めておく。
竹宮惠子の「エデン2185」以来のSFマンガかも。
今さらになるんだが、鈴ノ木ユウ「コウノドリ」の筆致と妊婦話展開にも震えた。
「VBAC(帝王切開後の経膣分娩)」って、けっこうレアな体験だったんだなぁ、と今さらながら24年以上前の「神奈川県立こども病院」に感謝する。
村上もとか「仁」と乃木坂太郎「医龍」は読み返し。
手術のあとから読むと、あらためておっかない目にあったもんだと思う。
特に「医龍」は心臓外科の話だから、今ではわかりすぎてコワイ。
小沢真理の「パパのさがしもの」を読んで感動したので、これから「世界でいちばん優しい音楽」をもう1回読もう。

はー、マンガばっかり読んでいて、いったいいつになったら文字の本をたくさん読む元気が出るんだろう。
やっと林真理子の「西郷どん」の代わりに「正妻 慶喜と美賀子」上下巻を再読し、幕末に思いを馳せる。
勢いで今さら買った田中芳樹「創竜伝」を読みたい。

「ネバーランド」の3巻目まで読んだ大内くんが、
「しかしすごい話だね、しかもすごくよくできている。すぐに読むのがもったいない」とボキャブラリー少なく感心しながら、晩ごはんを食べようと言っている。
おなかを大事にして、チキンクリームスープにしておこうね。
胃腸の健康な人は他に何か食べてください。

18年1月20日

午前中に心臓のクリニックで定期検診。
「婦人科の治療も始めてみたんですけど、汗が出るのが止まりません。弁と血管を交換した結果、血流が良くなって汗をかくようになる、というケースはありませんか?」と聞いたところ、
「いやぁ、あんまり聞いたことないですねぇ。やっぱり婦人科じゃないですか?病院を変えてみては?」
あっさり言うなぁ。

おなかの症状を伝えたら、それはノロでしょう、と言われ、薬をもらえたのはよかった。
ワーファリンは効きすぎているようで、数値が上がっていた。
「ノロで食事を控えているせいかもしれませんね」と言いながら、ワーファリン減らすのはなんでだ!?
一時的なものなら、いきなり減らさないで様子を見るんじゃないのか?
そもそも「18〜22」が適正なワーファリン値がこれまで「29」だったのに、「大内さんは若いから」って気にしないでいたのがナンだよね。
「31」は効き過ぎだと思うので減らすのはいいんだけど、理由が薄弱で気になる。

というわけでワーファリン「2.5mg」だったのが「2.25mg」になりました。
1mg錠2つと半分に割ったのをもらってたので、「今度は4分の1に割るんだね。薬局の人が泣くかも」と言っていたら、0.5mgってのがあり、それを半分に割る。
「じゃあ、2.5mgは1mg錠2つと0.5mg錠1つでいいじゃん」って思ったよ。
なんで1mgを半分に割っていたのか?謎だ。

薬をもらってるうちに時間がたってもう昼近くなったので、息子のコントライブに直接行くことにした。
今日は阿佐ヶ谷。
息子が生まれて1年たったころに引っ越してきて、2年間、住んでいた街。
もちろん「覚えてない」のだそうだが。

私たちもあんまりよく覚えていない。
生活がタイヘンで、どこで買い物し、何をしていたのか、記憶がぼやけているんだ。
でも、社宅の裏の川沿いに善福寺公園が広がっていて、10段ほどのコンクリの階段を降りると遊歩道だったのだけは印象深い。
歩き始めた息子を連れて散歩をすると、日に日に上手に歩けるようになり、さらには「親との間のヒモ」が伸びていくのを実感した。

ある日、つないでいた手を離してどんどん先に行ってしまうようになったのだ。
ゆるやかな遊歩道なので、見失うことはない。
2メートル、3メートルとその距離は伸びていき、そのうち、豆粒のようになった。
それでも犬に遭遇したりすると、「くるり」と半回転して「ままぁ」と両手を広げて駆け戻ってきたものだ。

近所の小児科医は厳格で、風邪をひいた息子を連れて行くと喉と鼻の中を綿棒で拭って「培養」するらしく、
「菌が特定できたらお薬を出します。2日後に来てください」と言って2日分の無難な薬しか出さない。
実に慎重で熱心なのはわかるが、正直、コドモの風邪にそこまで手をかける気力がなかったので、めんどくさかった覚えしかない。

ただ、その医院の壁にびっしりと貼られた「注意書き」の中に書いてあった、
「女子は16歳、男子は18歳まで、病状などを自分で説明することが出来ません。保護者がついてきてください」という一文は今でも忘れられない。

もちろん、「ここの先生はうるさすぎ。いくらなんでも中学生にもなれば1人で病院ぐらい」と思ったし、男女とももっと早くオトナになるんだと思い込んでいたのだが、実際には、特に男子は、こんなものなのだった。
先人の智恵、侮り難し。
いや、息子を見てると、「30歳ぐらいまではオトナにならないかもなぁ」と思うぐらいだ。

というわけで、さまざまな思い出のあるようなないような商店街を歩きながら、息子のライブだ。
開場時間までまだまだあるので、お昼ごはんを食べ、さらにお茶飲んで時間をつぶしたいが、私はノロで絶食中。
評判の中華料理店があるようだから、大内くんはランチセットを食べて、私は杏仁豆腐でも、と思っていたら、
「そのあとお茶を飲むなら、移動も面倒だし、最初からカフェでどう?チェーンだけど良さそうなお店があったよ」と大内くんに言われ、「星乃珈琲店」に入る。
2階席はすいていてよかったが、関節炎が悪化して足を引きずっていたので、這うようにして階段を上る羽目になった。

大内くんは「ハンバーグプレート」。ドミグラスソースがおいしそう。
少しもらったら、かなりイケる味だった。今度元気な時に来て、フルに食べたい。
「ホットチョコレート飲んで、バニラスフレのチョコレートソース、ってのはくどいかなぁ?」と聞いたら、
「いや、全然いいんじゃない?昨日から食べてないんだから、甘いもので栄養つけて」と言われて勇気が出たよ。

スフレ、生まれて初めて食べた。
シフォンケーキみたいなもんを想像してたんだが、もっとクリーミィでとろっとしてる。
固形物を受けつけない胃袋に優しくて、涙が出てきた。
というわけで、実はスフレを2つ食べました…

2時間たっぷり休んで、ライブ会場へ。
メンバーのお母さんが来てた。おばあちゃんと娘さんも一緒。
「売り上げに貢献してくれ、って言われちゃって」と笑っていたが、よその息子さんはエライなぁ、うちのなんか、見に来ると機嫌悪くて。
常時満席なところを無理言ってチケット取らせてる、ならともかく、空席もできがちな公演のチケットを自腹で買ってるんだから、もうちょっと愛想よくしてほしい。

グループのマネージャー的な元カノが、受付してくれていた。
「久しぶり。春には就職?」と声をかけたら、
「はい、来月卒論を書いて、3月に卒業です!」と笑顔で答えてくれた。
この娘さんを迎えることを夢想した日々もある。
自分が心を寄せた人と、このような別れ方があるとは思ってもみなかった。
もう息子のカノジョに入れあげるのはよそう、と決めている理由だ。
幸せを心から祈っているけど、卒業式ならともかく、結婚式に花を贈れる立場ではないのが寂しくてたまらない。

1時間半ほどのコントライブは、面白かった。
メンバー全員が大学を卒業して1年近くたつせいか、少し準備不足でパワーが落ちているけど、ここで踏ん張ってこの先につなげていってもらいたいなぁ。

終演後、小さな劇場の外の路上でお客さんと話している息子の後ろに寄って行った大内くんは、振り返った彼に、「なんだよ!」と言いたげな横目でにらまれたうえ、
「明日、食事に来ない?」と聞いて、「行かねーよ!」とつっけんどんにされたので、帰り道でずっと、
「生活費がない、って言うから、説明を聞いて、どうするか一緒に考えようと思ったのに」とぷりぷりしてた。
ほっとくしかないのかなぁ、あのバカ息子は。

18年1月22日

「不要不急の外出は控えて」と帰宅勧告が出るとはつゆ知らず、「雪がちらちら降り始めてるなぁ」とのんきに考えながらバスで吉祥寺へ。
整体で右ひざを診てもらったら、筋力が落ちて無理がかかっているため常時スクワットをしているような状態になっているのが痛みの原因らしい。
関節炎も進行しているので、今のうちに治した方がいいそうだ。

息子にお昼ごはんを一緒にどう?と声をかけておいたら、あいかわらず30分の遅刻だが現れた。
先日のコントライブの感想を聞かれた。
もうお金が全然ないらしいが、働いてないんだそうだ。
「…働かなきゃなぁ。めんどうくさいよなぁ。もう、行き詰ってるよ…」と情けないことを言う。
今日は面接に行くんだそうだ。しかし、交通費がない、と。

「5千円、貸して」
「それで、会いに来たの?」
「うん。でなきゃ、会わない。全然関心がないから」
そういうこと言われて、お金貸したい人はいないよ。
「母さんが貸さなかったらどうなるの?」
「家に帰って寝るだけ。ま、死にゃしないし」
「…わかった。この焼け石に水的な状況で貸してもしょうがないから、貸さない。帰って、寝なさい。死にゃしないでしょ」
「…(長い沈黙の後)…交通費だけ、貸してください」
「いや、貸さないよ。なんの解決にもならないもん」
今日は強モテでいくぞ。

「オレは、優しく育てられすぎた。そのせいで、ぼーっとしている。もっと厳しく育ててくれたらよかったのに」と突然言われたので、
「でも、厳しく育てられた人にはそういう人なりの悩みがやっぱりあるよ。普通の人には1種類の人生しかないから、どう生きても何らかの苦労はあるんじゃないかな」と、これだけは譲れない自説を述べたら、
「まあ、そうだよね」とおとなしくうなずいたのでよかった。
たまに言葉が通じると、ほっとする。

ランチタイムで店が混んできたので、スフレが食べたい私は吉祥寺にもチェーン店がある「星乃珈琲店」に行こうと誘う。
最初はぐずぐず言っていたが、行かなきゃ行かないで詰んでると思ったのか、しまいには折れてついてきた。

本格的に雪が降り始めており、「傘、ないの?」とびっくりした顔をされた。
出た時はほとんど降ってなかったんだよ。
傘をさしかけて歩きながら、
「関心ない、なんて、ウソだよ」とつぶやく息子。
(え?私のこと、やっぱり好きってこと?)と乙女チックにドキンとしたら、
「コント書いてる人間が、人に関心ないわけがないよ。なんでも書くタネなんだから」と言われた。
うーん、ちょっと思ってたのと違うような。でも、歩み寄りの姿勢かなぁ。

なんと、嫌煙派だと思っていた息子は、タバコを吸い始めたのだそうだ。
「10日ぐらい前から。まだ、もらいタバコしかしたことない。店で吸いたいから、ひと箱買って」と頼まれたが、
「母さんだってせっかく止めたのに、また吸いたくなるから、やだよ。だいたいこの喫煙者の肩身がどんどん狭くなってる時代に、お金のない状況で吸い始めるなんて、いい趣味とは言えないよ。喫煙の是非を言ってるんじゃないからね」と、断った。

静かな店内で、私はスフレ、息子はコーヒーを頼んで、少しあたりさわりのない話をした。
最近読んだマンガで吉田貴司の「やれたかも委員会」が面白かった、と言ったら、
「そのタイトル、いいね!面白そう」と興味を示し、ケータイで掲載誌を呼び出して見せると夢中で読んでいた。
今度、単行本を買うといいよ。

「父さんは、心配してる?」と少し心細そうに聞かれたので、
「あなたが生存できていて、幸せである限り、心配はしないって言ってるよ」と答えたら、ちょっと考えて、
「幸せだよ」と言っていた。
ま、それならいいよ。あとは、自活してくれ。

テーブルで寝てしまった彼を見守っているうちに雪がどんどん積もる。
ラインで大内くんと相談し、最低限のお金だけ渡すことにした。
1時間半寝ていた彼を起こして、
「ここの払いと交通費に、2千円置いて行くから」と言うと、「3千円頼む」と粘られて、あきらめて3千円。

駅ビルで「いちご大福」買って帰る頃には、バスが遅延し始めてた。
屋根のあるバス停に立っててもディパックに雪が降り積もって雪だるま状態。
家までの道をあぶなかっしく歩いていたら、いろいろ胸に迫ってきて、いつの間にか1人で笑い出していた。
我ながら、ヤバい。

世の中は「帰宅命令」が出始めているが、大内くんの宴会は中止にならないらしい。
「少し早く終わる。車を出してくれるらしい」っつったって、きっと道路も混むよ、と思っていたら、実際、8時半に終わって渋谷から帰ってくるのに大渋滞の中1時間半かかったよ。
東京は半ばマヒしてるようだ。
息子の面接もきっと中止になっただろうなぁ。

18年1月23日

大雪でてんやわんやの一夜が明けて、大内くんは泊まりの出張。
「新幹線が動いてるかどうか、朝見て決める」と言ってたんだが、4時に起きて別の仕事を始めたらすっかり忘れてしまったらしく、「で、新幹線は?」と聞かれてあわてて調べていた。
なのに「忘れていた」点をごまかそうとするので朝から説教する。

私さえごまかせればいいと思って生きてるのが気に食わない。
「すぐ忘れる」のは自分の問題だろうに。
「責める私がいなければいいのか、って思うよ。私がいるから、あなたはつかなくてもいい嘘をついて生きてるんだね」
難しい話になってしまったが、最近ずっと同じ話をしているなぁ。
幸い出張だ、ひと晩アタマを冷やして考えておいで。

涙目になってる大内くんを蹴り出して、1晩の1人暮らしが始まる。
洗濯してお風呂に入り、昼寝して本を読む。
この生活で人に文句つけて生きてるんだから豪儀なもんだ。

週末に食べた鶏鍋の残りで雑炊を作り、お昼ごはん。
夜はねー、野菜の残りを片づけなくっちゃ。きゅうりが傷んじゃう。
パンもそろそろ食べなきゃ。あう、じゃがいもの芽が出てる。
いろいろ出してみて、ほとんど選択の余地なく、ハムサンドとポテトサラダに決定。

キッチンに小型のスピーカーとiPod持ってきてアルフィーを流しながら、サンドイッチと山ほどのポテサラを作った。
野菜ジュースをグラスに注いで、うーん、この見た目はまるっきり「朝食」だなぁ、と思いながら早めの晩ごはんを1人で食べる。
ポテサラはあと幾日も続きそう。

18年1月24日

大内くんが1泊の大阪出張から帰ってきた。
向こうでは、
「東京からこんな時によく!大変だそうですね」と感心されたり心配されたりしたんだって。
まあ、驚くよね。
それほど前代未聞の大雪というわけでもないのだが、今回は特に都市機能の脆さを露呈した感がある。

それにしても月曜の夜に宴会を敢行するとは、大内くんの会社は体育会系すぎるのではないだろうか。
渋滞の中とは言え何事もなく帰れたからいいようものの、立ち往生するお客さんが出たりしたらどうしたんだろう。
たぶん、ほとんどの参加者は「中止にしてくれても全然かまわない」と思ってたんじゃないかなぁ。

雪だるまが並んだり、道路が封鎖されたり、高速から歩いて下りる人が出たり、まあいろんなことが起こった夜だったようだ。

18年1月25日

夜の12時、ベッドに入って電気を消した頃、突然玄関のドアが開く音がした。
大内くんと顔を見合わせる。息子だ。
寝室のドアを開け、「ただいま」と顔をのぞかせるとそのままリビングに行ってしまった。

「お金がなくなって来たのかな?」
「わからん。ひと言断ってから来て、って言ってるのにね」と言いながらリビングに行った大内くんが、すぐに戻ってきた。
「『困ってるんなら相談して』って言ったら、『困ってはいるけど、相談しづらい雰囲気をびしびし醸し出してるあんたには相談したくない』って言われたよ。キミ、聞いてあげて。『父さんは怒って寝ちゃった』って言っといて。お金はキミからって言ってあげておいてね。10万円ぐらい、持たせてあげて」
仕方ないので今度は私が行ってみる。

息子は冷蔵庫を開けて中を物色している。
「あ、ご飯とハムもらっていい?チャーハン作る」
「いいよ。ポテトサラダと味噌汁も食べていいよ」
「父さんに、『相談したくない』って言ったんだ」
「聞いたよ。でも、父さんもずっと心配してたんだよ。あなたには父さんがあなたのこと認めてないように思えるのかもしれないけど、そんなことないよ。いつも応援する気持ちだよ」
「…オレが、子供で、わかってないんだ。いつかもっとちゃんとするよ。すまない…」
わかってくれてはいるんだね。そんならいいよ。

チャーハン作りながら、
「手間がかかるよな。オヤジがちゃちゃっと作ってくれてたけど、こんなに手間のかかるもんだったんだな」とつぶやく。
できあがったものを食べて「うまい」と言うので、
「オイスターソース入れてたね。父さんが入れるから、見てて覚えたんだね。父さんのと同じ味?」と聞くと、
「うん」とかみしめて食べていた。
「ポテトサラダもうまいよ」とぽつり。
それは母さんが作ったんだよ。両親の味だね。

「家にいる時はわかんなかったけど、生活は何もかも大変だなぁ」
「お米がどんどんなくなるとか、雨が続くとTシャツがなくなるとか?」
「そうそう」
それがわかっただけでも、家を出た甲斐があったよ。

大内くんに言われたとおりお金を渡すと、押し頂いて「ありがとう」と言っていた。
「家賃払って、口座に入れてケータイ代引き落として、税金や健保の支払いもしてね。来月の生活費を少し多めに先払いするんだから、無駄遣いしちゃ、ダメだよ」
「うん。明日、仕事の面接に行くから」
やっぱり先日の面接は大雪で流れたらしい。
就職、決まるといいね。

ブラック会社でつらい思いをした息子は、だいぶ薄れたとは言うものの、働くことにアレルギーができてしまったらしい。
自分の食い扶持を自分で稼いで暮らすのは楽しいんだけどなぁ。
せっかく1人暮らしまで行ったんだから、早くその境地に達してほしい。

彼をリビングに残して私も寝に行く。
大内くんはとっくにぐーぐーと寝ていた。
今日は突然でびっくりしたけど、まあまあいい話し合いができたかな。
なんだかんだ言って、息子が同じ屋根の下に寝ていると思うと安堵で胸があったかくなるのだった。

18年1月26日

朝の6時に起きた大内くんは、リビングのカーテンを開けに行って、床に敷いた布団で息子が寝てるのを見て「うわっ!」とびっくりしていた。
すっかり忘れていたらしい。

大内くんを送り出し、9時に息子を起こしてごはん食べさせ、さて9時半には出かけると言っていたのに、結局彼が出て行ったのは11時半。
そこまで延々と、「もうそろそろ出かけるから」と言いながらパソコン打ってた。
よくよく聞いてみたら面接は夕方5時半なんだって。
じゃあ9時半ってのは何だったんだ、と聞いたら、図書館が開く時間で、それぐらいには活動開始しようかなーと思っていた時間に過ぎないみたいね。

しまいに追い出すような格好になってしまって、せっかくいい雰囲気だったのに、と自分の神経質さがイヤになるが、予定のスケジュールが狂うと落ち着かない。
息子も、最初から「昼頃に出る」と言ってくれればいいのに。
やっぱり彼とは一緒に暮らせないなぁ、と1人になってやっと家中の換気をしながら思うのだった。

午後は病院のハシゴだ。
月曜の大雪の余波でまだ雪が残っていて自転車での外出が無理だろうと、水曜に入っていた予定を金曜に移しておいてよかった。
友人のブログを読んだら、彼女は水曜に自転車ですっ転んだらしいのだ。
それも前後に子供を乗せて。
思わず、「ああ」と目を覆った。

大内くんと車に乗っていて自転車のお母さんを見ると、必ずしてしまう話がある。
「実のところさぁ、子供を自転車に乗せたことのある人は、たいてい1度は子供を落っことしてるよね」
「うん。『ごん』って、いい音がするんだよねー」

20年ぐらい前、自転車は今のような「子供を乗せる前提」のものではなかった。
普通のママチャリに、3歳ぐらいまでは前に、そのあとは後ろに、そして家族構成によっては前後に、自転車屋さんで買った「子供用の座席」を取りつけて座らせていたのだ。
スタンドも脆弱で、子供を後ろに乗せたまま保育園の前で立ち話をしていて自転車ごとひっくり返したお母さんは多い。
乗せる時に落っことす人も多い。
そして、子供はアタマがでかいので、たいていアタマからコンクリの上とかに落下するものだ。

さらに白状すれば、あの時代、幼児用のヘルメットを着用させているような用心深い親はほとんどいなかった。
みんな、よくアタマが割れなかったなぁ…
ヘルメット、車のチャイルドシート、シートベルトの普及を思うと、昔の親は本当に危機管理意識が希薄だった、と今さらながらぞっとする。
我々に孫が発生する日が来たら、ぜひ可愛いヘルメットを買ってあげたい。

18年1月27日

久々に図書館に行った。
貸出カードの期限が切れていて、更新しないといけなかった。
ずいぶん長いこと行ってなかったんだなぁ。
自炊した本をタブレットで読むのがすっかり身についてしまい、生本からは遠ざかってた。

いざ書架の間を巡回してみると、あちこちから本が声をかけてくる。
マークス寿子を始めとしたエセ社会学的な本とか、適当な小説とか、あっという間に14冊も抱えて、一部大内くんのカードを頼っちゃったよ。
「買うほどではないけど読んではみたい」本って、こんなにあるのかぁ。
こないだ文庫買って面白かった坂木司の軽いミステリは、この分館にはほとんど置いてないので検索機から予約を入れておいた。

2人で20冊借りて大内くんのディパックにぎっしりと詰め込み、買い物をして家に帰る。
午後は本を読んで過ごしたが、やはり紙の本はいい。読みやすい。
立て続けに3冊読み飛ばして、「無責任な読書」の楽しさを噛みしめた。
古本とは言え選んで買って、「所有し、読み返す」ことに耽溺しているものと思っていたけど、「行きずりの本」というのもいいものだ。
思わず大内くんに、
「風俗で女を買うって、こういう気分かなぁ」と聞いてしまい、
「そりゃそうかもしれないけど、僕にわかるわけないでしょ」と予想どおりの返事をもらった。
我ながら不謹慎である。

夜は駅前に出て、友人2人と遅めの新年会。
これまで一緒に柳家喬太郎さんの落語を聴いた帰りに一杯やっていたところ、今回チケットが人数分取れなかったので落語の会は流れたが、「蕎麦屋で呑む会」だけやろうという話になって、呑み屋に嗅覚の効く友人男が我が家の近所の店を予約してくれたのだ。

定時に4人が集まった、初めて行くその店は、代替わりして内装を変えたという雰囲気の「イケる店」だった。
ジャズのレコードがたくさん収納してあり、日によっては生演奏が聴けるらしい。
ぬる燗は湯を張った四角い木桶で出てきて、つまみはどれも「田舎の親戚の家のおかずのような」素朴な美味さ。
あいかわらず無敵の嗅覚をもつ友人に、乾杯だ。

その彼は、郷里の親に懇願されて今度生まれて初めての人間ドック健診を受けるらしく、
「なんか見つかったら大騒ぎになる思うと」と今からユウウツそうだったので、大内くんが、
「親に、言わなきゃいいじゃないですか」と素直に言ったら、
「いや、悪いけど、俺はオマエほどこじれてないんで」と困惑した顔をしていた。
「だって、ガンとかで1年後に死んだりしたら、言ってない方が大問題だろう!」との彼の言い分もわかる。

その流れで大内くんが、
「僕が万一先に死んだりしたら、僕としては散骨してほしいんですけど、うちの親が遺骨を奪いに来ると思うんで、あこちゃんの味方になってあげてくださいね」と頼んだら、2人ともさらに困惑を深めてはいたものの、女性友人はマンションの部屋を片づけてスペースを作り、私をかくまおうと請け合ってくれた。
持つべきものは友達ナリ。
(それにしても確かにこじれてるなぁ)

大内くんが学生の頃からのつきあいのこの友人男女とは、30年間何度も一緒に旅行したり飲んだりしていて、ともに独身の2人であるので、夫婦して、
「趣味も合うし、くっつかんかねぇ?」と期待したこともあり、当人たちから、
「だからさぁ、その気持ち悪い企みを捨てなよ」と嫌がられていたものだが、1人暮らしに磨きがかかった2人を見てると、
「もう、ないんだろうなぁ」と軽くあきらめの境地。

それもさることながら、多くのサークル内結婚を生んだ仲間たちがこの先みんな70代過ぎたら、中には死別するカップルも出てくるわけで、昔の派手な争奪戦が再び勃発する可能性に思い至り、やや気が重くなった。
サークル内で2回結婚した私は2つの世代の若気の至りに関わってきたが、実は「取ったり取られたりのバトル」は苦手なので、同じメンバーの「老いて益々盛ん」に巻き込まれるのもぞっとしない。
大内くん、長生きしてくれ。
万が一早死にされたら、「性格上ムリとは思うが、女性だけのシェアハウスにも興味がなくはない」と言っている女友達とお茶を飲んで過ごすよ。

私は柚子酒のソーダ割りを頼み、残る3人はずっとぬる燗を飲んでいた。
しこたま飲み食いして〆にそれぞれ蕎麦を食べようということになり、2人はもりそば、私は「カツオの漬け丼とたぬき蕎麦」のセットを頼んで蕎麦を大内くんに託した。
しそと海苔がたくさんのった漬け丼は絶品だった。
2時間半たってお会計をしたら1人あたま3千円で、全員ちょっと絶句。安すぎるだろう!
これはぜひまた来なくては、と話しながら、楽しく散会した。

2月の落語会は我々夫婦だけで行くが、2人して会員登録をしたので夏には4枚のチケットが取れると思う。
また喬太郎さんを聴いて、落語がはねた後のぬる燗を楽しみましょう。
もう1月も終わりに近いけど、今年もどうぞよろしくお願いします。

18年1月28日

上野美術館の「生ョ範義展」に行く。ずっと観たかったんだ。もう来週までなので、少しあせる。
あんまり足が痛いので大内くんが車を出してくれた。
途中で「新宿区民マラソンのため通行止め」になっていて、
「首都高に乗るべきだった?」と後悔しかけたが、新宿近くの甲州街道では実際に走っているところに遭遇して、今話題の「仮装ランナー」を見た。
軽く渋滞していたため運転手大内くんもゆっくり見ることができて、ラッキー。
「たまに遠出をすると、面白いものが見られるねぇ」と2人で喜んだ。

開館5分前に着いた美術館のチケット売り場には、長い行列ができていた。
「男オタクばっかりかと思ったけど、あんがい女性もいるね」
「けっこう若いカップルがいる」
などと物見高くささやきながら10分ほどかけて中に入ると、ものすごい点数の生ョさん。
年表で、藝大で油絵を学んだこと、でも中退したことなどを初めて知る。

柔かな鉛筆画、繊細な点描のペン画、本領発揮のリキテックス画を間近に見てため息をつく。
私には何と言っても平井和正のウルフガイを始めとしたSFの表紙絵だ。
緑が懐かしい「幻魔大戦」シリーズや徳間ノベルズの「悪霊の女王」に、40年前に引き戻された。
圧巻はハヤカワ、創元、角川の文庫本を集めた3メートルほどの「ブックタワー」で、江戸川乱歩ももちろん素晴らしいが、やはりウルフガイの表紙が並んだ面の前で感極まって涙ぐんでしまった。
人生で一番お世話になったイラストレーターかもしれない。
そういう人たちの原点は真鍋博だったりはするんだけどね。

人いきれと作品群に圧倒されて出てきて、興奮冷めやらぬまま、昼食。
「ここまできたらやっぱり上野精養軒だよね」と昨日から決めていたんだ。
大内くんはハヤシソースのオムライスにカニコロッケのセット、私はハヤシライスにハンバーグのセット。
「精養軒、って名前からも、肉を使う当時の洋食は『薬食い』の延長だったんだろうねぇ」と話しながら、家のハヤシより甘めの老舗の味を楽しんだ。
「こないだは新宿の中村屋でカレーを食べたし、せっかく東京に住んでるんだから、こういう有名なお店にも来ようね」と話し合う。
子供たちを独立させた夫婦者として、今が一番ゆとりのある時期かもしれない。

西郷さん像を見て、
「今夜も大河ドラマの『西郷どん』を観ようね」と言いながら国立科学博物館に寄って、気になっていた「南方熊楠展」も観る。
「博覧強記の変人」
「昭和天皇に粘菌のご進講をした時、標本をキャラメルの箱に入れて持って行った」
「異常に記憶力が良く、夫婦喧嘩をして出て行った奥さんを迎えに行って実家の前で前夜の夫婦の会話を大声で再生した」
という逸話に満ちた人だとしか認識してなかったが、どうやら現代のAIを先取りした「集合知」の人でもあったようだ。
たいそう面白かった。

たまたま前を通りかかった「北斎とジャポニズム展」も猛烈に観たかったんだが、今日が最終日だったためかものすごく混雑していたのであきらめた。
なにしろ外からうかがったロビーは人でごった返し、チケット売り場は長蛇の列で、「発券まで20分」のプラカードが出ていたんだから。

「上野も意外と穴場だ。美術展とかもっと調べて、また今度、ハシゴしに来よう」と話しながら帰り、ドライブの楽しさもあって、知恵熱が出そうだった。
歩きすぎて足が動かなくなっちゃったし。
日ごろ家から出ないので、たまの外出は興奮することばっかりだ。

生ョさんの描いた20世紀の偉人たちの似顔絵が並ぶ前で、
「カストロもホーチミンもケネディも、みんなもういない。若い頃に夢中になって平井和正や小松左京、筒井康隆を読んだ思い出も遠くなり、私自身、いつか死ぬ。あんなに本を読んでいた友達のOくんだって死んでしまった。彼が読んだ膨大な本、観た映画は、どこへ消えてしまうんだろう?人の脳みその中身はどこへ行くんだろう?」とにわかにウツになったことをベッドの中で思い出し、ぐずぐずと大内くんに訴える。

「宇宙意識の一部になるんだ、なんて、手塚治虫か平井和正みたいなこと言ってごまかさないでよ?!」と先手を打たれて何も言えなくなった大内くんは黙って抱きしめてくれたが、最近、死ぬのが怖いんだよ。
これは、いい傾向なんだろうか?

18年1月29日

朝風呂に入っていたら電話がかかってきた。
留守電になったので放っておいて、あがってから聞いてみたら、息子が面接を受けに行ったバイト先の漫画喫茶からだった。
「採用の方向で考えておりますので、ご連絡ください」と言われ、あわてて本人にメッセンジャーで連絡する。

そのあと「バイト、決まった」と返信があった。
よかったよかった。
フルタイムの就職の方はどうなってるのかわからないけど、とりあえず何らかのバイトで生活費を稼いでみるのがいいと思う。
仕送りは今月末が最後なので、今後は自活してくれ。

ただ、喫茶店とか漫喫とか劇場とか映画館とか、趣味に走り過ぎなんだけどね。
好きな環境に身を置きたい気持ちはわからんでもないが、趣味は趣味、生活は生活なので、分けて考えればいいのになぁ。

ま、そのへんが一体になってるのが若さってもんだよね。
私はもう若くないので、そのへんには突っ込まずにおこう。
「父さんや母さんが24歳の頃は、どんなこと考えてたの?」とこないだ聞かれて、しばし沈黙したもん。
少なくとも大内くんはまだ家を出る決心もつかず、働いてすらいなかったので、息子に何も言えない立場だ、といつもしょぼんとしているよ。

18年1月31日

大内くんが遅いので、1人の夕食は「鯛茶漬け」。
鯛のちっちゃい冊を買って、細切りにした刺身を醤油と酒とすり胡麻で漬けて、炊きたての熱いごはんに埋めた上から漬け汁かけて、ネギとすり胡麻と紅生姜とわさびと海苔のせて、熱いお湯を掛け回していただきます。

母が博多出身のせいか、実家ではご馳走として晩ごはんに出たものだが、結婚して初めて大内くんに出したら、
「夕食にお茶漬けだけどーんと出る、ってのが意味不明」と当惑されて、こっちも驚いた。
どうやら、飲んだ〆に出るとか食事の最後に出るとかならわかるけど、単品で夕食、と言われるのは意外だったようだ。

結局、どっちが正しいともわからないままに習慣の違いとして認識され、しかも大内くんは特に好きじゃないらしいので、食べたくない人が食べるには贅沢品すぎるだろう、とほとんど憧れのメニューだった私は思い、以来、1人の時に2人分たっぷり食べて楽しむようになった。
実家でも、食べ切れないほど食べるという経験はなかったから、いまだに心が浮き立つ1人メシだ。

「今では僕も好きだよ。昔ほど食べないから、お茶漬け一杯でも夕食として成立するようになったし」と大内くんは言うが、すみません、私はどんぶりに2杯食べるんです…

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