18年3月1日
朝のうちは雨で、午後は風強く、春の嵐だね。
3月の初日にふさわしい。
にわかに暖かくなり、水ぬるむ候。
なんだかやたらに眠いのは、春眠だったか。
マンガを読み、図書館から借りた本を読み、昼寝をし、雑炊を作って食べ、サーモンのマリネと甘酒を作ってつまみ、夜は1人で鯛茶漬けを食べる。
充実の、孤独な、しんしんとした時間。
1人でも大丈夫だけど、少し寂しいから、大内くん、早くCome on Home!
18年3月2日
今日はお友達のミセスAと渋谷の星乃珈琲店で「スフレを食べる会」。
寝たのは3時だが6時に起きて、天気がいいようなので朝早く起きて洗濯をし、布団カバーを洗うのでもう1回まわし、仕事をしている大内くんに雑炊を作って一緒に食べて、さあ、今から2時間ばかり寝てそなえよう、と思ったら。
玄関がガチャガチャっていう。
息子!?
週末のコントライブのために、小道具を取りに来たらしい。
「ひと言ことわってから来て、ってこないだ言ったよね?」とスゴんだら、
「急に思いついた」
「歩いてる最中にでも、メッセージ1本、電話1本できるでしょ!」
「思いつかなかった」
しれっとした顔で言うの、やめて!
それでも「おなかすいてない?」と聞いてしまうのは母のサガか。
「すいてる」と言うので、雑炊とほうれん草のおひたしを食べさせる。
鶏鍋の残り汁とごはんが、キレイになくなりました。
今夜、私としては通算6回目の雑炊を食べなければならないかと少しうんざりしていたところなので、それだけはありがたかった。
出社する前の大内くんが聞いたところでは、昼間のバイトが見つかったので、夜勤の漫喫は今月半ばで辞めるとのこと。
コンピュータ関係の仕事なんだそうで、「初めはバイトだ」と言うところを見ると、そのうちちゃんと雇用されるのか?
これまで面接にこぎつけていた2社は落ちたんだそうだが、まだ就活を続けるつもりとのことで、
「頑張るよ!稼ぐよ!」と、勢いだけはいい。
先月始めたばかりの漫喫を辞めるのはどうかと思うけど、夜中の仕事はくたびれるし生活が荒れるので、昼の生き物になってくれればその方が安心だね。
シャワー浴びてぐだぐだし始めるのを「母さんも出かけるんだから、早よ帰れ!」と追い出して、やれやれ、今日は小銭をせびられずにすんだ。
今週は顔を見ないで暮らせると思ったのに、やっぱり週に1度はなんだかんだと出現するなぁ。
ひと眠りの予定が破られて「眠い・・・」とつぶやきながらちょっとふらふらと渋谷へ向かい、星乃珈琲店「109MEN'S館店」に腰を落ち着けたのはいいけど、リサーチ不足で、ここの店舗は軽食のみ、スフレはない!
やがて現れたミセスAと相談してスフレパンケーキで手を打つことにしたが、うーん・・・やっぱりスフレとはちがう。パンケーキはパンケーキだった・・・
ハンバーグプレートとスフレを食べるつもりだったので、がっくり来たなぁ。
2時間半、時間を作ってくれたミセスAといろんな話をする。
極力お話を伺う態勢を心がけたんだが、気がつくと私ばかりしゃべっていた。
月に2度ほどしか人と会わず、大内くん以外にしゃべる相手がいないので、話し相手に飢えているのだ。
今朝は息子にいきなり襲われて気がたっていたこともあり、なんだかいろいろ愚痴をこぼしてしまった。
ごめんなさい、ミセスA。
こんな時はいつも樹村みのりの「40−0(フォーティー・ラブ)」というマンガの中の、「いちおうおとなといわれる年になっても、フェンはあいかわらずフェンだった」というセリフを思い出す。
毅然と自分らしい女性になったフェンとはちがって、私は単に育ちそこねて年だけくった「私」なんだが、育っていないことに何らかの意味を見出したいんだろう。
20歳も若いミセスAにまで「わかってもらいたい」と思うなんて本当に甘ったれた話だけど、私にちょっとでも「誠実さ」があるとすれば、おとなになり切れないところにこそ可能性があるわけで・・・はい、すみません、言い訳です。
結局マンガの話を大幅に積み残して今日の会合は終わり、また今度。
「私」と「でも」と「とにかく」、この3つの言葉を使わないように気をつけても気をつけても、NGワードがあふれかえっちゃうの、なんでだろう?
果てしない自分語りを、「なんだよそれ、自慢かよ!」と凍るような目で見てくれる息子が、あんがい貴重かも。
後悔で気絶しそうになりながらポルノグラフィティを涙目で聴きつつ家に帰り、結局寝そびれたままいつもの自己嫌悪にまみれて、大内くんの帰りを待っている。ああ、眠い・・・
18年3月3日
この週末は忙しい。
渋谷で、2日続けて息子がらみの公演があるのだ。今日は演劇。
コントグループのメンバーと制作担当の元カノが「2人芝居」のグループを立ち上げて息子に脚本を依頼してきたらしく、明日のコントライブと同じ場所で上演されるため、両方見に行くと割引があるというお得な話になっている。
最初はどちらも昼と夜の公演を続けて見るつもりだったんだが、最近あんまり身体の調子が良くないので、芝居の方は夜の部だけにしておくことにした。
ほぼ素人のやることなうえ息子が脚本を仕上げるのがとても遅いものだから、事前の練習不足が懸念され、1回でも本番を経験した後の舞台の方が出来がいい、というのはもう何度も経験している我々なのだ。
渋谷で、まずは前から行ってみたかった「ピンクのカオマンガイ」として知られる「ガオトーイ」という小さな店に。
大好きなカオマンガイが安く食べられる。
スープのついた定食が800円で、しかもパクチー食べ放題だ。おかわりしなかったけどね。
鶏肉が柔らかく、甘辛のたれはスパイシー、テーブルに置いてある「刻み青唐辛子」を少し乗せると風味倍増。
10席ほどの小さな店だが、タイ語とおぼしき会話を交わすお客さんばかりで、とってもアジアンテイストである。
大内くんはとても喜んで、
「いい店に連れてきてくれてありがとう。キミは研究熱心だ」とほめてくれた。
よしながふみの「きのう何食べた?」に炊飯器で作るカオマンガイのレシピが載ってたから、今度作ってみようかな。
会場となる渋谷のスタジオは、とてもわかりにくいところにあった。
何やら若者がたまっている地下に続く階段を下りてみたが、受付らしきところに聞きに行った大内くんは、「違うみたいだねー」と言いながら戻ってきた。
下りなくてもいいところをいったん下りてまた上ったため、余分なHPを消費してしまい、息切れがする。
それでもケータイ文化のありがたいところで、案内にアクセスしたらなんとか会場がわかった。
棟続きのマンションの、奥のエレベータで5階に行くらしい。
普段はヨガスタジオになっているらしきドアをそっと開けると、見知った息子の仲間の顔が。
「あ、大内くんのご両親。どうもありがとうございます。まだちょっと準備ができてないので、申し訳ないんですけど、お待ちください」と言われて気がつけば開場時間前だ。
たっぷり道に迷ったので、時間にゆとりを持ってきたのは良かったんだが。
廊下にずらりと面した扉を眺めると、普通のマンションの部屋を怪しい事務所が使っている、という風情。
外階段に坐り込んで待ってたら、そこからは廊下の端で折れているヨガスタジオの入り口通路が見える。
今日は受付を設置しているんだろう、息子が何やら準備をしているのが窓の向こうにうかがえた。
手を振ってみたら、向こうも気づいたようで、「よっ」という感じに手を挙げているのがカワイイね。
時間を10分近く過ぎてから、息子が我々を入れてくれた。
鹿爪らしい顔をして、「本日はご来場ありがとうございます。割引で、お2人様2千円いただきます」と言う。
こちらも真面目くさって、「ありがとうございます」と頭を下げて入場。
前方に2メートル×4メートルぐらいの舞台が設置され、その前に折りたたみ椅子が並べてあるが、6×3列の18席。小さな公演だ。
一番前に坐るのも気が引けて、2列目の端に陣取った。
三角形のデスクと2人掛けのソファ、手前になんだかもやもやとしたビニールのカタマリと発泡スチロール製らしいボールがいくつか転がっているのが、前衛演劇っぽい雰囲気を醸し出している。
ところが、開演時間になろうというのに我々以外にお客さんが誰も来ない。
「もしかして、貸し切りオンステージ?」と気まずくささやいていたら、開演ギリギリになって6人ほどの若者が続けてやって来た。
「よかったね。元カノの友達とか、コントグループの関係者とか、来てくれたんだろうね」と、安堵した。
そうして始まった1時間ほどの2人芝居は、正直言ってよくわからなかった。
一緒に暮らし始めた男女が別れて暮らすことを決める、というだけのストーリー。
途中で別の人物になってみたり、時間が巻き戻されたりして、非常にわかりにくいのだ。
私は、幕も開演ベルもなく元カノが出てきてソファに横になり、薄い毛布を掛けて寝たふりをしているところでもう涙で前が見えなくなった。
何度も家に泊まりに来ていたカノジョ、息子が先に出かけた日には、昼過ぎにカノジョを起こして一緒にごはんを食べておしゃべりをしたこともよくあった。
「うちでも夜中にはあんなふうにソファに寝ていたんだろうなぁ。もう、この人が私の娘になってくれる日は来ないんだろうなぁ。本当は今日、舞台のお祝いに花束を持ってきたかったんだけど、元カレのお母さんが舞台を見に来るだけでも気持ち悪いかもしれないなぁ。もうじき私の大学のチャペルで卒業式だけど、見に行けるわけもないよなぁ」と、心の中で何度も何度もつぶやいていた。
終わって渋谷駅に向かう途中、大内くんがぽつんと、
「昔が思い出されて、胸がいっぱいだったよ」と言うので、
「あなたも?!私は特に創作を理解しないタチだから、カノジョがセリフを言っても演技をしてもカノジョにしか見えなくて、とっても悲しかったんだよ!」と訴えてしまった。
2人ともなんだかどんよりした。
もう、息子のカノジョに感情移入するのはやめよう、と強く思う所以だ。
今でも仲間として楽しくつきあえているのならよかった、とは思うのだが。
しかし、私は「他人の別れ話なんて見るもんじゃない」という感想だったのに、大内くんは、「あの2人はつきあってもいない。同居してただけ」と言ってゆずらない。
見る人によってこんなに解釈が違うなんて、もしかして名作?わかりにくいだけ?
何より、私があまりにも恋愛脳?
息子がどれぐらい脚本家として参加したかわからないが、どうも彼に芝居のシナリオは向いていない気がする。
コントの方が、まだしも「笑ってもらう」という大目標があるからねぇ。
未熟なだけかもしれないが、演劇は、脚本家も役者さんも「芝居っぽくする」に傾いてしまう危険がありすぎるよ。
小腹がすいたので、吉祥寺で回転ずしをつまんだ。
軽く食べられて、各々量が調整できるところが「回るおすし」のいい点だね。
明日も出動なので、ゆっくり休もう。
18年3月4日
今日は息子のコントグループの公演。
マックでハンバーガーとビッグマックを頼んで半分こし、昨日も行った会場に。
わかりにくいという苦情が多かったのか、ツィッターには「会場への行き方」の動画が上がっていたし、昨日迷ったエレベータの横には「コントライブは5階です」と貼り紙がしてあった。
彼らの営業努力を感じる。
昨日の舞台は取り払われ、席数も40ほどに増えていた。
やっぱり演劇よりコントの方が人が入るようだ。
開演までに30人ほどのお客さんが入って、ひと安心。
7本のオムニバスコントはとても良かった。
7人グループのうち1人が今回は仕事で不参加のようだが、5回目になるこのグループでのコントライブ、今までで一番面白かったかもしれない。
息子を含めた3人の脚本家の、誰がどのコントを書いているのかプログラムに明記されていなかったのは少し残念。
私が一番好きだったのは「新人たちの訓練」というコントで、4人の「潜水士訓練生」が4つ並んだ洗面器の前に並び、教官役の息子に怒鳴られながら顔を突っ込んで息を止める訓練をする。
途中で洗面器をかぶって歩いたり、5人目が現れて洗面器を持ってうろうろしたりといったところがくどくてもったいないとは思ったが、あんまり面白いので笑い過ぎて、左のわき腹が攣ってしまった。
どういう姿勢を取っても痛くて、狭い座席でひくひくと苦しんでいた。
息子が青山テルマを歌った「そばにいるよ」というコントも面白かった。
どうも、前回SMAPを歌ってからカラオケづいている彼らだ。
息子、案外、歌が上手い。
3時の回が終わって7時の回までの合間は、計画を練りに練っておいたので、2時間カラオケをした。
飲み物飲んで個室でゆっくり休めて、2人で2千円。
なまじなカフェとか行くよりお得かも。
もちろん歌も歌えるわけだし。
1曲目は青山テルマを入れる、わかりやすい大内くんであった。
歌いに歌ってリフレッシュし、さて、2回目を見るか。
昨日の演劇との割引はもう使ってしまったので、今回は前売り料金で1人1300円。ちょっと高い。
さっきは後ろの席からふさがっていたので一番前で見たが、今回は早めに着いたこともあり、2列目の席へ。
そしたら隣に知らない人が座って、その隣に来たのは息子の今カノだ。
なぜだか知らない人が席を代わって後ろに行ってしまい、今カノは1つ詰めて私の隣に移動してきた。
「こんにちは」と言うと、にっこり笑って、「こんにちは。昨日のお芝居も見たんですよ」と言う。
「じゃあ、昼の回だったんですね。私たちも夜の回に行きました」
「どうでしたか?」
「うーん、やっぱり演劇はコントより難しいですね。息子が脚本書いたって言うから見てみたんだけど」
「バイトも始めましたね」
「そうみたいですね。○○さんは春から就職ですか?」
「はい、もう勤め始めてます」
「頑張ってくださいね」
といったあたりさわりのない会話を交わした。
昨日の主演女優が元カノだと知ってるんだろうか。
息子が家を出る前からつき合い始めた今カノはやっぱり家に泊まりに来たし、お正月にも彼が連れてきたので話はしてるが、はてさてこの女性が「私の娘」になってくれるのだろうか。
つくづく、息子の恋愛には関わり合うもんじゃない。
まあ、それを言ったら、結婚してからだって関わらない方が精神衛生にはいいのかもしれない。
孫の親権取られて離婚されたら、どうすりゃいいんだか。
さて、始まってみて、驚いた。
たった2時間の間に、練り直し、セリフを直し、演技を変えて、格段に良くなっていた。
しかも急に変えたセリフをほとんど間違えない。
両方見た人は少ないだろうから誰も気がつかないとは思うが、進境著しかった。
問題の「新人の訓練」では、
「また苦しむのはイヤだから、あんまり笑わないようにしよう」と心構えをしていたんだが、なんと彼らは「洗面器に実際に水を入れる」というドラスティックな改変を加えてきた。
盛大に顔を上げて息子に叱られる役の子も、そのスキにこっそり顔を上げて息継ぎをする他の3人も、ぽたぽたと水をしたたらせている。
そして、昼の回で気になっていた「あとから登場する5人目」はカットされ、「洗面器をかぶって歩き回る」もなくなっていた。
「ここが惜しい」と思ったところがすべて改善されていたわけで、
「どうして?アンケート入れ忘れてたから何にも伝えられなかったのに?!」とものすごく驚いた。
残念ながら細かいところまでは見られなかった。
あんまり笑ったので今度は両側のわき腹が攣って、前回以上の激痛に襲われていたのだ。
ひくひくと痙攣して汗びっしょりになっている私に気づかない大内くんだけでも熱心に鑑賞してくれて、よかった。
その次のカラオケのコントに出た3人が、濡れた前髪を気にしながら、
「まだ濡れてるよ。あれ、最後に持ってくりゃよかったよな」とアドリブを飛ばしていたのも笑えた。
終わりの挨拶で息子が「アンケートよろしくお願いします」と言うけど、前回同様入れ忘れてるぞ。
今カノに挨拶して、少しひくひくするわき腹をかばって、よろけながら帰った。
今日の夜食は吉祥寺でテイクアウトしたケンタッキー。
くたびれたけど、面白かったなぁ。
18年3月5日
週末にくたびれたので、大内くんはお休みをいただいた月曜日。
春巻きの具とカレーを大量に作ってくれる横で、私も鍋いっぱいの甘酒を作った。
「今日は何にもしないでこれ食べてのんびりしようね」と嬉しそうな大内くんに、
「息子に食べさせてあげたいなぁ。誘ったら、ダメ?」と聞いたら、
「またもめるよ。平和に過ごしたいよ」と反対の口ぶりだったが、
「早い時間に来られたら、の話にするから」と説得し、
「父さんがお休みを取ってくれたからカレーと春巻きを作ったんだけど、早い時間に来られるならば食べに来ない?」とメッセージを送ったのが1時ごろ。
すぐに、
「あとで行こうかな」と返事が来たので、
「何時ごろ?」と聞いたら「4時ごろ」と言う。よかった。
3時過ぎて、ベッドで本を読んでいるうち大内くんは寝てしまい、私は「もうじき息子来る。お風呂わかしておこう」とかうろうろしてるうちに4時半になり、「来ないなぁ」と思って、
「待ってるけど、来ないの?」と打つと、
「ごめん、6時とかになりそう」と返事。
えーっ!!?
しょうがないから5時過ぎまで待って大内くんを起こし、事の次第と憤懣をぶちまけると、なぜか笑って、
「そうなると思ってたよ。どうする?来なくていい、って言う?僕から言おうか?」。
「いや、いいよ、待つよ。でも、どうしてこうなっちゃうんだろうね?」
「彼は、ダメだね。基本がなっちゃいないよ」
「あなたも昔は時間に遅れる人だったよね」
「そうそう。キミみたいにパンクチュアルじゃなかった。唯生が生まれるまでの僕は、もうダメダメだったよ。息子も、自分の子供ができるまでは無理かもしれないね」
近しい人から「やや自閉症的な」と評される私の「予定の変更に対する許容量の低さ」が、この状況をより難しいものにしているのも確かなんだが。
することがないので息子のためにわかしたお風呂に先に入って髪を洗い、乾かしていたら息子登場。
ドライヤーの音がうるさくて気がつかなかった。
洗面所の横を通って行く人影に気づいて、「来たの?」とリビングに戻ったら、彼はもうパンツ脱いで、風呂入る気満々・・・
日頃はシャワー派の彼と、
「お風呂にお湯入れといたから、入りなさいよ」「はい〜」という会話を交わして、私が春巻きを包む間に大内くんは味噌汁を作る。
「あいさつ以前に服脱いでた」とぷんぷんすると、
「僕には『ただいま。風呂入るわ』って言ってから脱いでたよ。でも、いきなりだよね」と大内くん。
彼にとっては「家を出た」なんて感覚はなくて、今でも「自分ち」なのかなぁ。
上がってきた彼に、
「カレーと春巻き、どっちがいい?」と聞いたら、「両方」。
はいはい、味噌汁もつけるよ。
わりと久しぶりに3人で食事する格好になり、息子も珍しくノートパソコンを広げないで食べてたので、土日の芝居とコントライブの話をいろいろした。
いつものことだけど、大内くんの批評は「なるほど」「そうかもしれないね」とうなずきながら聞くのに、私が何か言うと気に食わなそうににらむ確率が高い。なんでだ。
意外だったのは、コントライブの2回目で改善されていた点が多いと思ったのは、初回は間違えた方向にはけたり、小道具を持って出るのを忘れたりしたのを、2回目はちゃんと設定どおりにやってただけなんだって。
私「『怖い話』で、2回目は灯りを順に手渡しして行ったの、いいと思うよ」
息子「もともと持ってる予定だったんだよ。1回目は先頭のやつが持ち忘れたの」
私「な〜んだ〜」
聞いてみるとあんまり感激できないもんだな。
2回目に良いセリフに直してきたと思ったのも、ほとんどアドリブなんだそうだし。
「洗面器に実際に水入れたのは良かったね。いささか罰ゲーム風味にはなったけど」と言ったら少し嬉しそうだったから、息子のアイデアだったのかな。
2人芝居については、大内くんの理解通り、「劇中の2人はつきあっていない。ただの同居人」という設定だそうだ。
それならそれで、もっとそこを示すエピソードを入れてほしい。
世の中には男女を見ればつきあってると思う単細胞がもっといるはずだ!
あいかわらず周りの人に対してエラそうでオレ様な物言いなのは気になるが、面白いものを作りたいという意気込みはあり、少々方向があさってだとしてもそれが若さというものかもしれないので、敢えて何も言うまい。
今日の遅刻に関して「時間だけは守れ」と大内くんがお説教しといてくれたのはいいんだが、私が、
「何してたの?仕事?」と聞いたら、「部屋で寝てた」と言われたのには、軽くキレた。
私がそれ以上キレる前に、食べ終わった息子はとっとと退散してしまった。
「おいしかった」らしい。
お金も要求されなかったし、彼が遅刻したことをのぞけば、今日はライトにカジュアルに会えた。
相手が誰であっても人に会うと気持ちを持って行かれる体質の私は、こんなふうに軽快に別れる練習をしなければならない、と感じた。
3月中頃からは新しくもっとペイのいい昼間のバイトに移る話も聞けたし、月末にはまた別の公演をするらしい。
トータルでは良い週末だった。
大内くんが4日会社に行くともう週末が来る。
それに私のウィークディは、鍋いっぱいのカレーと山ほど揚げた春巻きの残りを食べて暮らせばいい。
あ、鍋の喫水線ぎりぎりまで作った甘酒もある。
なんだか極楽の予感。
18年3月6日
昨日ごはんを食べに来た息子が、
「何か本貸してくんない?」と言うので、
「データ以外には図書館で借りた本しかないから、ここで読むならいいよ」と答えたら、本の山を見ていた。
しまった!「働かない息子・娘に親がすべき35のこと」って本が入ってるじゃないか!
息子「『働かない息子』・・・?」
私「気にしなくていいからね。『働いてほしい』というより、『働かない時に、何を言ったら傷つくのか』が知りたくて読もうと思っただけだから」
息子「別に、何を言ったって傷つかないよ」
私「『早くバイト探しなさい』って言われるの、イヤだ、って言ってたじゃない」
息子「めんどくさいだけで、傷つきゃしないよ」
私「ならいいんだけど」
「沈黙のうちに気まずい空気だけが流れる」という流儀の家ではないのが幸いしたが、なんだか、中学時代にエロ本持ってるのを父親に発見された時のような気分になったぞ。
あの時、「ふーん・・・そうか」って言ってた父親に、今の息子の口調は激似だ。
遺伝子って本当に恐ろしい。
18年3月7日
病院に行こうと思って朝早く家を出たとたん、廊下で出くわした人に見おぼえが。
ダスキンのおにーさんだ。
「あれ?今日、交換日だっけ?」と少しあわてたら、向こうもこっちに気づいて「あ」と頭を下げながら、よその家のドアの前で立ち止まっていた。
なーんだ、他の家の交換かぁ。
軽く会釈をして通り過ぎたが、なるほど、我が家に来ない日でも別の家に行くためにこのマンションに来ることは当然あるんだ。
家で買ってる猫がよその家でエサをもらって「通い猫」してる瞬間を目撃したような、妙な気分になったよ。
「地球は私のために回ってるんじゃないんだなぁ」とあらためて思う。
そんなこと、普通は日頃から気がついてなきゃいけないんだけどね。
皮膚科の先生にケロイドを鎮める注射をしてもらい、
「そろそろ月に1度の注射をやめてもいいでしょうか?」と聞いてみたところ、
「ん〜、まだ赤味がとれないし、痛いでしょう?もうしばらくかな」と言われたので、飲み薬も含めてまだ通院が必要みたいだ。
あと2カ月ほどで術後1年になり、手術をした病院での検査と診察があるので、傷跡の治りについてはその時に相談してみるのも手だろう。
いつも優しい看護師さんが、
「どうしても体質的にケロイドになっちゃう人はいるんですよ。つらいですよね」と同情的な口調で慰めてくれて、嬉しかった。
帝王切開の傷が治るのにも何年もかかったから、もう身体を切るのはやめておきたい・・・しかし、たいていは選択の余地がないものだからなぁ。
18年3月8日
「たった1冊で誰とでもうまく付き合える世代論の教科書」という本を読んだ。
図書館でなんとなくつかんだもので、まあ、軽い読み物といった位置づけ。
マーケティングに重点が置かれているため、大内くんと日頃よく話題にしている我々の親の世代は購買層として有力でないのか取り上げられておらず、最年長集団は「団塊の世代」。
私は「ポパイ・JJ世代」で、大内くんはその下の「新人類世代」。
唯生は1983年から1994年生まれの「さとり世代」に入るが、学校で勉強を習ってないのであまり意味がなく、まだ購買層と見做されないためか1995年生まれの息子まではカバーされていない。
「ゆとり教育」を受けた、という意味では彼は「さとり世代」に入れてもいいのかも。
「ポパイ・JJ世代」の特徴は、「団塊世代で起こった『公私の逆転』の、『私』の部分がさらに深化し、ふくらんだ」点。
「世の中はシラケていたかもしれないが、彼らは必ずしもシラケていたわけではない」と言ってもらえたのは重畳だ。
50年代には1割だった大学進学率(女子の短大を含む)が70年代には4割近くなったそうで、私が大学に行けたのもそんな時代背景のおかげだったんだなぁ。
しかし、「人生はエンジョイするもの」「自分は自分、他人は他人、という価値観」という特徴を持つ世代、と言われると、私はもうちょっと古い人間かもしれない。
大内くんは「新人類世代」とはいえ、大学に余分に行っていたので、実は就職に関してはバブル世代なのではないだろうか。
「バブル景気でなかったら就職できなかっただろうなぁ」と本人がよくしみじみ振り返っている。
ヤングサラリーマンとしてバブルを享受した、という経験は乏しい。
(それはむしろ、就職と同時に結婚したからか?)
「楽しいことが最上位の価値」「上下関係が希薄」という新人類の特徴も、「遅れてきた青年」の彼にはあまり見受けられない。
私同様、「前世紀の遺物」タイプな気がする。
「さとり世代」は、「不景気しか知らない」「仕事に過剰な夢や希望が持ちにくい状況」であるらしいが、息子を見ていると、車にも海外旅行にも憧れず手近な消費に走る彼は、我々のように「お金を貯めてローンで買う」といった発想を持っていないかもしれない。
大内くんが昔からよく言っていた、「家を買わなければ小金が余るので、日常に使ってしまう」現象であろう。
(彼の場合、日銭がないのに使うところが問題なんだが)
また、SNSでつながっているために「『絶縁宣言』をしなければ、過去の知り合いとは縁が切れない」のもわかる。
彼らは、よく古い友達と会っている気がする。
ついでに、今の若者が行うという「制服ディズニー」(大学生や社会人が高校の制服を着て集団でディズニーランドに行く)と呼ばれる行為を知り、
「そう言えば、息子は大学に入ってしばらく、同じ高校の子たちと『週に1回、制服でキャンパスに行く』ってのをやってたなぁ」
「大学時代はコントの衣装に背広を使ってサラリーマン役をやりたがったが、社会人(?)になった今ではなぜか全員学ランを来てのコントが多いなぁ」
となんとなく膝を打ってしまった。
昔から「ALWAYS〜三丁目の夕日」を観て、「僕らは、古いもの、懐かしいものが好きなの」と言っていたのも、「懐古厨」であったか、と納得中。
大内くんは会社でいろんな世代の人とつきあっているんだろうが、私には自分の親と子供、という異世代しかない。
特に子供がからむと、世代論への興味は彼らの幸せを祈るという方向に働く。
「さとり世代」は親の世代が思うほど自分たちを不幸だとは思っていないそうなので、安心しておこう。
確かに、「生まれてからずっと不景気」であるならば、夢や希望が持ちにくくてもそれが不幸だとは思わないかもね。
人間は、比較する生き物である。
18年3月9日
ダスキンの交換のおにーさんが来た以外は、何も変わったことのない1日。
まあ、私の毎日はほぼそんなもんだ。
今、マンガの読書が好調で、日々感動にうち震えている。
三部けい「僕だけがいない街」全9巻を読んで、
「とてもよかった。どうしてこんなお話を考えつくんだろうなぁ」と家族グループに発信したら、息子から、
「読んだ読んだ。面白かったね」と返信があった。
嬉しくなって、
「創作をする人のダイナミックな力に本当に感動する。辻褄を合わせるだけでも凄いと思う長い話に、胸を打つテーマを盛り込んできたり忘れられない台詞をちりばめたり。あなたもきっと茫然とすることが多いだろうけど、少しでも『あちら側』に行けるよう頑張ってるんだろうね。精進してください」と打つと、
「そだねー」という返事。
マンガの好きな子を育ててよかった!
村上もとかの「再見!フイチン」という「上田としこ一代記」がたいそう面白かったので、図書館から「フイチンさん」全3巻を借りてきて読んだ。
「再見!」の方では満洲からの引き揚げがいかに大変だったかが描かれているが、「フイチンさん」は昭和30年代とは思えないのびやかな描線とフイチンさんの強さと明るさがまぶしい。
満洲のエキゾチックな生活が興味深く、5歳の頃に2年間ほどシンガポールで暮らしていた大内くんに、
「あなたも上田としこみたいに御殿のような家で使用人と暮らしてたの?」と聞いてみた。
「父親は普通のサラリーマンだからさすがに御殿ってことはないけど、日本の感覚からすれば大きな家だったよ。メイドさんやコックさんもいたよ」
「ご両親がパーティーに行く時はメイドさんがあなたと妹さんの面倒みてくれたんだよね。ピーターパンみたいだよね。そんな生活がすぐに終わっちゃって、お母さんはがっかりしただろうね」
「あの時代にアジア駐在だと、人件費が安いうえに会社からの手当てもあって、夢のような生活レベルだと感じただろうね。シンガポールはイギリス風でハイカラだったしね。日本に帰ってからはずっと解消されない不満を抱えていたようだよ」
どうも大内くんの子供時代の闇もそのへんから始まってる気がする。
でも、久しぶりに聞くシンガポールの話はとても面白く、何度も聞いているはずなのに、またみっちり聞いてしまった。
歴史と地理、政治学に堪能な人なので、話の広がり方が興味深いのだ。
大学に行ったのを無駄だと感じることも多い日頃の生活だが、この人の話を理解できるだけの教育を受けたことは良かった、と思う瞬間だ。
大内くんの気に入りの持論によると、「魔法使いサリー」は背景に満洲があるという。
「町はずれに洋館があって、外国人としか思えない人たちが移り住んでくる。これは、満洲の白系ロシア人を描いている」のだそうで。
確かに、サリーちゃんは洋風だ。
横山光輝も戦前の人なのだ、と感じるね。
あああ、大内くんにもっとマンガを読ませて、感想を交換したい!
早く定年退職しないかなぁ。
18年3月10日
唯生に会いに行った。
私がノロにかかったり2人して風邪をひいたりしていたので、なかなか行けなかったのだ。
病棟には抵抗力が低くいったん罹患すると重篤になる人々が暮らしているため、伝染する病気を持ちこむのはきついご法度。
毎回、受付で「風邪をひいていないか」「家族に風邪にかかっている人はいないか」「最近海外旅行に行っていないか」をチェックする書類を、面会者の人数分書くことになっているし、健康体でも病棟に入る時は手を消毒し、そなえつけの使い捨てマスクをする。
病棟を流行り病の嵐が襲い、猖獗を極める時でも唯生は踏みとどまり、ピークを過ぎて看護の手が空くまで病魔に倒れないことで有名。
「ゆいちゃんは、待っててくれるんですよ」と看護師さんたちに何度も語られた。
今年はもうインフルエンザの季節は無事に過ぎたようだ。
久しぶりだったし、うららかな日だったので、唯生のベッドのわきでやせた手足をマッサージしながらのんびりとおしゃべりをした。
とは言ってももっぱら大内くんと会話をしているわけで、時々、
「だよねぇ、唯生」「唯生はどう思う?」と声をかけても、おおむね機嫌よく知らん顔をしている。
人の声がしているのは好きで、たまに「にやり」と笑顔になるのでこちらも嬉しい。
今日はなぜかベッドの上のプレイヤーでユーミンのCDを聞かせてもらっていた。「NO SIDE」だ。
35年ぐらい前に私のアパートで、学生だった大内くんたちとエンドレスに麻雀を打っていた時によくこのアルバムをカセットで流していたのを思い出す。
「90分カセットテープの両面にLPレコードを1枚ずつ入れていた。『NO
SIDE』の裏面は『OLIVE』だった」と言うと、大内くんもよく覚えているらしく、
「中島みゆきのテープもよくかけたね。『36.5℃』の裏が『臨月』だったね」と言う。
なつかしい。
途中で担当の看護師さんが来て、ドクターがお話をしたいと言っていたので、今度電話をください、と伝言して行った。
身体の緊張をとるためにボトックスという薬を使う治療をまたするらしく、ボツリヌス菌を材料とした強い薬なので、保護者の許可がいるのだ。
大内くんは初めて聞いた時驚いてたけど、メスを入れないプチ整形にも使われてる、と言ったら少し安心してた。
身体の緊張が強く、側彎が進んだ唯生の身体は背骨が歪んで右側に大きくねじ曲がり、常人ではあり得ない形になっている。
このせいで消化器にも負担がかかり、腸から栄養液を入れる時は姿勢を変えながらゆっくり流さないといけない。
病棟でも誰もができる技術ではないそうだ。
いつもいつも思うのは、そうまでして「生かされている」命のこと。
自分の命さえ無為で無目的だと感じることがある私にとって、この世界を他者と分かち合うことのできない唯生が生きる意味はどうしてもわからない。
ただ、つらい。
私の人生か唯生の人生が終わるその時まで、ずっと悩み続けるだろう。
パール・バックが「終わりのない悲しみを抱いて生きること」と呼んだ生を、「最後の苦しみの日まで歩みつづけていかなくてはならない」のだと思うと、早く永遠の安らかな眠りにつきたいと願ってしまう。
それでもやはり唯生が生きている喜びが確かにある、という矛盾と、どうつきあっていけばいいのかの悟りはいまだに得られていない。
きっと、一生かかっても、無理。
18年3月11日
大内くん、朝イチで床屋。
ここ20年ぐらい行きつけの近所の床屋さんは、予約ができるので助かる。
「ことの性質上、土日にしか行けないんだけど、多くの人がそうなんだよね。そして、床屋さんは時間がかかる。朝一番に行ってもお店の前にずらりと並んでる、ってことがよくあって、出遅れたら2時間ぐらいは平気で待つんだよ。そんなことと縁が切れて、本当によかった!」とほぼ毎回同じ感謝の意を述べる大内くん。
帰りにたこ焼き粉を買ってきて、と頼んだら、9時50分に電話がかかってきた。
「スーパーが『悪の十字架』。もう少し待って」
これは昔友人から聞いた「怖い話」が元になった符牒で、
「悪の十字架、の話。あるデパートの前で、『開くの、10時か?』と聞かれた」ってやつ。
たいていのお店は、10時開店なんだよね。
こないだ古い芝麻醤を発見したので、今日のお昼は坦々麺。
作り方を調べていた私は、
「うん、じゃあついでに『花椒』(ホアジャオ)買ってきて。草花の花、に、胡椒の椒、と書いて、花椒」と頼んだ。
「は?何それ」
「山椒みたいなものだけど、山椒より辛くて坦々麺によく合うんだって。最近はスーパーでも売ってるらしいよ」
「了解。探してみるよ」
「あ、せっかくだから、私も行くよ。スーパーの前で待ってて」
と言った時は、もう電話が切れていた。大内くんはせっかち。
あわてて家を飛び出すついでに今日返却予定のDVDとCDをひっつかみ、車のキーも持って行こう。
家に戻らずそのまま車でツタヤにまわればいいから。
スーパーの前に着いた時にはもう開店時間を過ぎていて、大内くんの姿はない。
店内に入ると、ああ、粉物売り場でたこ焼き粉を物色しているね。
手を振りながら近づくとビックリした顔で「きたの!」と言う。少し嬉しそう。
でも、私が盛大に息を切らしているので心配の方が勝ったみたいだ。
スパイス売り場を見たけど、「花椒」はないねぇ。
しょうがないからたこ焼き粉だけ買って、自転車で家に戻り、計画通り車でツタヤへ。
ついでにもう1軒のスーパーをまわってみたら、あ、あった!
まさかないだろうと思っていたらしい大内くんは、
「今じゃ街角でこんなもの売ってるんだね〜」ととっても感心していた。
日本は食材大国なんだよ。
家に帰って、坦々麺を作ってもらった。
ひき肉を炒める時に花椒を入れるのを忘れたと言うので、仕上げに上からかけてみる。
「うん、今までは山椒を使ってたけど、こっちの方が辛くておいしいね!麻婆豆腐にもこれをかけることにしようね」と大内くん、大喜び。
「花椒とか胡椒とか、異国の香辛料をいっぺんに使える現代の日本人は本当に幸せだね」と麺をすすっていたら、
「バスコ・ダ・ガマが喜望峰を回るまで、アラビア商人経由ベニスの商人経由でヨーロッパの王侯貴族が大金と引き換えに手に入れていたんだよ。その後はポルトガルの商人がリスボンから持ち込んで、最後はオランダの繁栄を支えた」と突然、世界史の講義が始まった(涙)
そして夜は水餃子。
いつもはポン酢とスープの両方で食べる大内くんだが、お昼に余った坦々麺のスープを「もったいないから」と活用していた。始末な人だ。
昨日はよしながふみのレシピで「カオマンガイ」を作ってみたのが大成功で、アジア料理をいろいろ楽しんでいる。ああ、幸せ。
あさっては日本産のたこ焼きを作ろうね。
18年3月12日
夜、大内くんの帰りが思ったより早かったので、いつもの「お迎え散歩」に出かけた。
バス停まで来たので、「着いたよ。待ってる」とライン入れて、「ああ、バスが通るなぁ。誰も降りずに通り過ぎたなぁ」ってぼーっとしてたら、大内くんから電話。
「ごめん!降車ボタン押すの忘れて、通り過ぎちゃった!ひとつ先のバス停で降りて、今、戻ってるから!」と言われ、来た道を引き返すと、途中で出会えた。
「ごめん!家の近くのバス停では必ず誰か降りるから、あんまりボタン押さない習慣がついちゃったんだよ。2つ前で降りる、ってのは覚えてたんだけど・・・『あああっ!』って思ってるうちに通り過ぎちゃった。キミがバス停に坐ってるのも見えたよ」とあせってるので、
「乗り過ごしたらもうお迎えはしないって、言ったよね」と意地悪く言うと、ものすごく困ってる。
「いや、いいけどね。もう乗り過ごさないでね」とだけ言って終わろう。
しかし、1年前に手術のためお迎えを中断する前にも、何度も目の前を通り過ぎられて私キレてたんだよね。
予定より早い帰りだったのでテレビを少し見て、さあ寝ようか、って寝室に行ってから、息子が「今日、行っていい?」ってメッセージ送ってきたのに気づいた。
30分ほど前のこと。
聞いてみたら、バイトの書類にハンコを押したいらしい。
もちろん引っ越しの時に持たせたんだけど、もう吉祥寺まで出かけて作業してるので、部屋に帰るのが面倒くさいんだって。
「あなたの部屋に帰るのとこっちに来るのと、そんなに変わらないじゃない」と言ったら、
「まあどっちでもいいけど」。
大内くんに「どうする?」と聞いたら、
「少しは親の顔が見たいと思ったのかなぁ」って知りたがるから、そう打つと、息子曰く、
「それもなきにしもあらず」。
「じゃあ、寝顔を見においで、って言っといて」とデレる大内くん。
1時過ぎるらしいから、あなたはもう寝た方がいいもんね。
なので、息子が来た時には大内くんはもうぐっすり。
寝顔をのぞきこんでた息子に麻婆豆腐とスープあっためて食べさせて、マンガとか映画の話をした。
アメリカの田舎町の映画の話になったので、昔、一世を風靡したアメリカドラマ「ツイン・ピークス」が面白かった、って言ったら、
「家にDVDボックスあったよね。面白いんだー、ふーん」と興味を示し、第1話を観始めたので、1時間ちょっと、ソファに並んで鑑賞した。
スノケルミー滝に日本人が押しかけて「世界一美しい死体」のようにラッピングしてもらうのが流行った、とか、解説本がずらりと平積みされてた、とかうんちくを傾けると、
「衒学的、ってやつだね」
「この、不安をかきたてる音楽がずっと鳴ってる感じがいいね。いかにもなにか起こりそう」
「誰も彼もワケアリっぽい町だね」と珍しくよくしゃべり、非常に興味を持って観てた。
繊細なキャラクター「ジェームズ」を見た彼から、
「この人、LGBTのかた?」と聞かれて驚いた。
そういうわけじゃないんだけど、イマドキはそういう配慮のある言い方が普通になってるの?
君たち、意識が高いねぇ。
初回を観終わって、ボックスを借りて行くって言うから、
「言っとくけど、これからすごくワケわかんなくなるよ。合理的な解決を求めて観てると困る羽目になるよ」と警告はしたが、まあこれは観といた方がいいと思うので、持ってって。
ただし、私も猛烈に観たくなった。
「ツイン・ピークスReturn」も録画してまだ観てないんでそっちから観るけど、古いの早く返してね。
明日の朝は仕事に行くから8時に起きるって。
ピザトースト2枚食べたいそうだ。
起こしたらちゃんと起きてね。
18年3月13日
つきあいツイン・ピークスで3時半に寝たのに、5時に大内くんと一緒に起きる。
2人分のピザトースト作って、一緒に食べながら昨日の息子の話をしたら、
「そうか、ツイン・ピークス観たのか」って嬉しそうだった。
「『これ観てた頃、あなたはまだ生まれてなかったよ』って言ったら、『そうかぁ。その頃って、ビデオテープだったの?』って聞かれたよ。ジュークボックス見て、『いいなぁ、よく映画には出てくるけど、本物見たことないんだよ』って言ってた」とか、いろいろ話してあげた。
めずらしく8時にまだ大内くんいて、私が息子を起こして、
「よく考えたら8時半に起きればいいんだった」とか言われて頭に来てたら、代わりに起こしてくれたよ。
起きるのを見届けてあたふたと出勤したけど、息子も寝顔以外の父親の顔が見られて嬉しかっただろう。
シャワーを浴びる息子に「本当に2枚食べられるんだね?」と何度も何度も念を押して、アンチョビとサーディン2種類のピザトーストを作ったけど、「ごめんっ!」と手刀を切りながら2枚目を3分の2以上残した。こんちくしょう。
食べられないほど食いたがるな!
ぱたぱたと快調に追い出して、本日の強奪され品、
・大内くんが接待でもらってきた広島の「牡蠣しょうゆ海苔」
・ツイン・ピークスDVDボックス
・3千円
どうして出かける寸前になって、
「でさぁ、ちょっとだけ、お金貸して」って言うのよ。
昨日聞いたら、「15日にバイト料入るから、お金は足りてる」って言ってたじゃないの。
「いや、念のために、ちょっと」って、千円単位はさすがにいちいち貸したお金にカウントしてないから、おこづかいだ、とっとけ!
来週末はまたコントライブをやるそうで、快調だね。
ひと月以上滞ってたブログ小説も、また書くそうだ。がんばれがんばれ。
18年3月14日
宇宙物理学のホーキング博士が亡くなった。76歳。
20代から難病のALSと闘い、ほとんど身動きできなくなってからもまばたきでパソコンを動かして会話や研究をしていたと聞く。
たいそう惜しい気がする。
「愛する人たちが住んでいなかったなら、宇宙もたいしたところじゃない」
「知識における最大の敵は無知ではなく、知っていると錯覚することだ」
「人は、人生が公平ではないことを悟れるくらいに成長しなくてはならない。そしてただ、自分の置かれた状況の中で、最善をつくすべきだ」
「地球外に高度な知的生命体はいると思いますか?」→「地球にすらまだいないと思いますけど」
「気に入らないやつがいたら車椅子で轢く」(実はこれはデマで、「そんなことを言うやつは車椅子で轢く」と言って怒っていたそうだ)
いろんな言葉を残したタフでお茶目な天才だったようだ。
理系男子の元夫が大好きだったエピソードは、
「看護婦さんとカケオチをする時に、車椅子で人々をぶっちぎって逃げ去った。追いつけないほどの速さだった。車椅子は案外スピードの出る乗り物だ」というもの。
命日はアインシュタインの誕生日であり、「円周率の日」。R.I.P.
18年3月15日
なんだかスカな日、というものがあるとしたら、今日がそれだった。
日頃めったに外出しないので、出る用事がある日はいろいろ考えて効率良く回り、最大の成果を挙げようと思うのに。
まず、先日作った「カオマンガイ」があんまり美味しかったので、もう1回食べたいと思ってパクチーを100円で買えた八百屋に行ってみたところ、
「今日はパクチー入荷してない」と言われた。
青物市場でその日に安いものを仕入れる良心的な八百屋のため、妙なものが売られている日もあれば、欲しいものがない日もまたある。
しおしおと敗退。
毎月近所の本屋に取り寄せを頼んでいるレディースコミック雑誌のうち、抜けているものがある気がして電話で問い合わせたら、「すみません!すぐ届けます!」と言われたんだが、急がないので今度取りに行きます、と答えて今日行ってみた。
電話で話したおばさんは問屋に行ってる最中で不在、ダンナさんとおぼしき「使えないおじさん」が店番をしていた。
取り置きの棚を見たけど私のレディースはなく、おじさんに言っても混乱するだけだと思ってそっと売り場を見たら、並んでた。
取り置いてくれなかったらしい。
しかし、パラパラと眺めたところ、好きな作家さんは2人とも再録、連載物も特になく、今月は買わないことにしよう、と立ち去る。無収穫。
スーパーで高いパクチーを買い、鶏もも肉を買う。
これでとにかくカオマンガイはできる。
ついでにお昼ごはんを何か買おう、と思ったが、昼を過ぎていたため、目ぼしいお弁当やお惣菜は売り切れていた。
まだ行ったことのない「オリジン弁当」をのぞいてみることにする。
前に郵便受けに入っていたメニューのうち、「ネギだれ鶏」のお弁当が美味しそうだったのだ。
しかし、気の小さい私は初めて入るお店では要領がわからなくて途方に暮れることが多い。
あいにくなことに他にお客さんが全然いなかったので、人を真似て注文することもできず。
無言で出てきてしまった。これではただの不審な中年女。
結局、家に帰って残りご飯をあっため、お正月に買った昆布巻きが奇跡的に賞味期限内なことを発見して、週末に作った若竹煮とともにおかずとする。
みじめったらしい気分が盛り上がって、これはこれでよかった。
「何もしない生活、ってのにそもそも限界があるのかなぁ」とつぶやきながら、不健康を言い訳にまたベッドに戻って本を読むことにしよう。
日々是好日。スカな日もまた良し。
18年3月16日
大内くんは朝一番の新幹線で出張。
5時半に出かけてしまったので洗濯でもしようかと思ったら、今日の予報は雨だった。
一念発起して昨日のうちに布団カバーを剥いでおいたのに。
気持ち悪いほど生暖かい日が続くので、掛布団を薄いものに替えられた、それだけは良かった気がする。
暖かいせいか、人々が花粉症で苦しんでいるのがSNSからうかがえる。
先日は息子までもティッシュの山を作りながら、
「たくさん使ってごめん。花粉症かも」とめずらしく謝ってたし、大内くんもここ数日「顔がかゆい」と言っている。
私もなんとなく目がかゆい。
ビミョーにアレルギー持ちの我が家である。
まんがくらぶの女性が、
「マハリクマハリタ 私は花粉症じゃない。
テクマクマヤコン 私は花粉症じゃない。
ピピルマピピルマ 私は花粉症じゃない。
ハニーフラッシュ 私は花粉症じゃない。
ムーンプリズムパワー 私は花粉症じゃない。
アラビンドビンハゲチャビン 私は花粉症じゃない。
よし最後のは効きそうだ」
と綴っていた。
(あれ?最後のは何だっけ?)と思っていたら、くらぶの男性がコメントしていた。
「でもハクションしそう」
そうか!ハクション大魔王か!爆笑だ!!座布団あげよう。
大内くんに教えてあげたら、笑いながら、
「まんがくらぶは楽しいねぇ。今でもSNSでみんなとつながっていられて、嬉しいよ」としんみりしていた。
いい時代だね。
18年3月17日
月に1度の定期検診。今日は心臓のエコーも撮る。
小さな暗い部屋でエコー技師さんと2人きり、窮屈なので、あんまり好きじゃない。
狭いベッドに身体の左側を下にして横たわり、後半はベッドに座った技師さんの身体にもたれかかるようにして撮らなきゃいけないし。
相手が妙齢の女性なのは少し嬉しいが、この人、男性が相手の時は気づまりじゃないかしらんとかよけいなことを考えてしまう。
20分ばかりだけど、終わるといつもとってもほっとする。
大内くんに待っててもらうのも申し訳ない。
エコーの結果は次回の診察の時に聞けるそうで、今回はいつもどおり。
薬で補う必要はあるものの心臓の状態は回復しつつあるので、気候も良くなってきたことだし、少し散歩でもして心肺機能を鍛えた方がいいそうだ。
「出歩くの、キライなんですよね〜」とは言いにくい雰囲気。
薬局に処方箋を出しておいて、駅前まで5分ほど歩いて買い物に行く。
駅ビルの優秀な魚屋さんでは素晴らしい戦果がいろいろあった。
大粒のカキはフライにしよう。
カツオの冊は私の混ぜ寿司に。午前中に八百屋で「しそ」が100枚100円で買えた時から目論んでいたんだ。
鯛の冊は冷凍しておいてそのうち鯛茶漬けに。
脂ののったぶりの冊は刺身、そして何よりの収穫は見事な「ぶりのかま」。安かった大根と「ぶり大根」だ!
2人で、ものすごく興奮してしまった。
「前にも病院の帰りに駅前に寄ったけど、こんなに近かったっけ?もっと歩いたような記憶があるよ」と言うと、
「手術から3ヶ月ぐらいの頃だったから、まだ身体が回復してなかったし、暑かったんだと思うよ。それだけ元気になったってことだねぇ。よかったよかった」と大内くん。
これからも通院の時は駅ビルで魚を買おうね、と約束し、薬を受け取って機嫌よく帰った。
過剰にストックのあるピクルスをふんだんに使って私がタルタルソースを作る間に、大内くんがカキフライを揚げてくれたが、どうしても今日食べたいと言ってぶり刺しを少し切って出したのは食べ過ぎだろう。
豪華すぎるカキフライ定食だ。
おいしいものは元気が出る。
大内くんとちがってそれほど料理が好きなわけじゃないが、自分で作ると好きな味つけで大量に食べられるところはいいね。
今週は週中に休日もあるし、のんびり自作のご馳走を食べよう。
18年3月18日
何もない日曜日なのでのんびり寝て、ブランチは先週と同じく大内くん作の坦々麺。
またしても「花椒」を入れ忘れたそうで、出来上がりにふりかけることに。
ほうれん草をたくさんゆでたので一部入れてみたら、おいしかった。
青梗菜よりこっちの方がいいかも。
2人ともたっぷり食べたいタチなので麺は3玉茹でてもらったが、食べ終わった時には、「今度は1人1玉でいこうね」と合意した。
だいたい、食べる前は「たくさんあれかし」と思うものなんだよね・・・
1月までスカパーと契約していた間に映画を録画しすぎて、今、デッキがパンクしそうだ。
このままでは4月の新ドラマが始まった時の「無差別録画」ができない。
一生懸命観たけど、1日に映画を2本も観たらもうくたくた。
しかし、あらためてチェックしてみると、ずいぶん観たいものをたくさん録画している。
1年遅れの作品でいいなら、当分ツタヤには行かずにすむかも。
そう言えばU-NEXTも契約してるんだが、今年になってから全然観るヒマがないよ。
せっかく大河ドラマ見放題なのに、もう1回、と観始めた「直虎」も「真田丸」も途中で止まってる。
思わず、「早く引退して老人ホームに行きたいねぇ」と口走ってしまう。
こんなに娯楽がふんだんな世の中に暮らしてるのに、ヒマがないなんて、悲しすぎる。
数年ぶりに図書館に通う生活に戻ってみたら、本を買う量が劇的に減り、家計にゆとりが生じた。
マンガは買うしかないんだが、本はいくらでも借りて読めるもんね。
昨日も久しぶりに新刊本屋に行ってみたけど、定価が高く思えてとてもじゃないが買う気になれなかった。
昔していたように、「新刊出る→図書館で予約して借りる→文庫を待つ→ブックオフで買って自炊」の流れに戻ることにしよう。
ハリー・ポッターのスピンオフ映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」を録画したのを観たら、無性にハリポが読みたくなった。
文庫版を自炊しておいてよかった。
でも、読み返し始めたら3巻の第1ページが欠落してるのを発見して愕然。
いやいや、落ち着け。
図書館で予約できたので、今度借りてきてオーバーヘッドスキャナで当該ページを取り込んで補おう。
いろいろな点で世の中は便利になった。しみじみ。
何もかもがあまりにラグジュアリーで、バチが当たりそうだ。
18年3月19日
大内くんとケンカした。
いつものように、私が説明してもしても向こうが意固地になって非論理的なこだわり方をして、それがガマンできずに私が怒って・・・という流れ。
1時間たったら大内くんが謝り倒し始める、ってお互いわかってるのに、どうしてもその1時間後が待てない。
必死に謝り始めた彼から、「寝る前のおはなしを2つしてあげるから、一緒に寝よう」と懇願されて渋々同じベッドで寝た私は、夜中に、
「説明するのにくたびれて、『どうしてわかってくれないの!』と泣き叫んでいる」夢をみた、と思ったら、実際に泣き叫んでいたらしい。
仰天して目を覚ました大内くんは、
「そんなに悲しかったんだね・・・悲痛な叫び声だった・・・僕はキミにすまないことばかりしてるね・・・」と痛恨の表情だった。
泣きながらそのまま寝たけど、朝起きて謝られても、30年以上続くこの「話の通じない感」をどうしたらいいんだろう。
「キミの、お父さん譲りの知性が、僕では不満なのはわかるよ。僕はどうしてこんなに頭が悪いんだろうか」と言いながら大内くんは会社に行ったが、私は父親のように孤高な生き方はしたくないのだ。
大好きな人とわかりあって暮らして行きたい。
18年3月20日
2つ先のバス停までのお迎え散歩の帰り道、一緒に歩きながら乃木坂46の「インフルエンサー」を歌ってあげた。
1番だけだけど、完璧に歌えるよ。(踊りまでは無理)
「好きな歌だって言うからYouTubeで覚えた。昨日のお風呂で披露するつもりだった。でも、ケンカしたからそんな気分になれなかった」と告白したら、惜しかった!と眉間にぐっとしわを寄せてた。
すっかり仲直りして帰宅したところで、今日は息子が晩ごはんを食べに来ると言っていたので、家庭料理欠食児童にふるまおうと「ぶり刺し、ぶり大根、湯豆腐、かぼちゃの煮物、かぶの味噌汁、きゅうりの浅漬け」というパーフェクトな和食を準備していたら、メッセージが。
「本当にすまないんだけど、さっき転んじゃって腰をしたたかに打って痛めちゃったので、今日は養生したいです」
あー!
土曜日にコントライブの公演を控えているので無理は禁物。
大内くんと2人、口々に「お大事に」メッセージを打って、分け前の増えた夕食を食べる。
なんだか残念だなぁ。和食満載の食卓を写真に撮って送っとこう。
タイトルは「あなたの逃したもの」
手の込んだイジワル?
明日はお休みだ!息子との「お泊まり攻防」もなくなったし、ゆっくり寝倒そう!
18年3月21日
1度行ってみたいと思っていた新しいスポーツセンターのプールに行こう、と言いながらベッドでぐだぐだ過ごし、えいっと起きて窓を開けたら、なんと「雪」だった!
もちろんお出かけ計画は一気に消滅。
屋内ごろごろ生活にシフトだ。
想像に相違して、カオマンガイはあっため返してもおいしい、つまり私の1人メシになるということがわかったので、多めに作ってストックしておくことにした。
パクチーさえ使わずにすめばほとんどいついかなる時でも食卓にのせることができるのだが、さすがにパクチー抜きではもはやカオマンガイと呼べまい。
原始的手作業派の大内くんはしょうがやパクチーを手でみじん切りにすると主張しているが、私はこだわらないのでフードプロセッサを使う。
確かに手で刻んだ方が素材がつぶつぶして味や香りが立つ気はするんだけど、何と言っても手間がかかるじゃないか。
せっかく超簡単にできる料理なんだ、より簡便に作りたい。
カオマンガイを作った私が、盛りつけ皿とスープ皿、チキンライスを型抜きするためのご飯茶碗まで用意しておいたのに、スープを作ろうとした大内くんは、
「本当にだらしないなぁ。使わないお茶碗を出しっ放しで」と片づけちゃった!
盛りつけようとした私に「あれ、茶碗は?」と言われて初めて気がついたらしい。
人の、この、頭蓋骨がきしむほどの周到な準備を!
こういうとこが、大内くんとは本当に合わない気がするんだ。ぷんぷん。
「焼きそばパン」「坦々麺」「カオマンガイ(+マカロニサラダ)」という見事にでんぷん質だらけの3食をふり返るにつけ、最近提唱されている「糖質オフ・ダイエット」は避けられない気がしてきた・・・
18年3月22日
大内くん1泊の出張。
5時に起きて一緒にごはん食べてたら、息子が「朝、行っていい?」とか聞いてきた。
週末の公演で使う衣装を取りに来たいらしい。
ああ、せっかく誰にも邪魔されない2日間が始まるところだったのに。
朝のうちならいいけど、また時間通りに来ないんじゃないかなぁ。
パソコンに向かっていた大内くんが、
「父さんはもう出かけるから、母さんを困らせないでね」って打っといてくれて、
「じゃあね、明日帰ってくるからね。夜、電話するね」と何度も手を振って出かけて行った。
さて、私は2時間しか眠っていないので昼寝するつもりだったんだけど、息子が来て帰るまではすべておあずけだ。
本読んで待つにしても、まだ6時半。
「いつくるの?」と聞いてみる。
しばらくしての返事は、「20時半とか」。
なんじゃそりゃぁ!
「夜なのは構わないけど、朝って言うからメッセージもらってから今まで待ってたのはどうなるの?」と怒りの返信。
あわてた風に、
「ごめーん、8時半だ」と返ってきた。
(しかし、来たのは9時近く)
先日食べ損ねた「ぶり大根」と「カオマンガイ」をふるまい、「うまい、うまい」をひとしきり聞いた。それはまあ、嬉しい。
「4月から糖質オフの食事にするから、来てもごはんとかラーメンとか出ないよ」と言うと、
「え、なんで?誰が?健康上の理由?」とびっくりした様子。
「2人とも体重が増えちゃったから」と答えたら、「ふーん、まあ、いいかもね。少し太ったもんね」と私の腹部をながめ回す。その目つきはやめろ。
最近読んだ世代論の話をして、我々の親の世代は家を買って転がしたり好景気のもと株をやったりして資産を増やし、年金をもらって悠悠自適だが、我々は家をひとつ買うのが精一杯、年金も危うい、そして息子たちは雇用も安定せず社会保障も信頼できないので年金を払う気になれないのはわかる、と言ったら、ものすごくうなずいていた。
まったく、私の話に息子がこんなに激しく同意してくれることはめったにない。
年金を払いたくない、と役所に言いに行くことを考えているのだそうだ。
「考えた通りにすればいいよ。あなたたちは明日食べて行けるだけ働くのでいっぱいいっぱいかもしれないから」と言うと、
「まあ、書けるかぎりは食っていけるんだけどさ」と言うので、
「って言ったって、あなたはまだ、書いて食えるところまで行ってないじゃない。何らか肉体労働でもして日銭を稼がなきゃ。書いて食えるようになれば一番いいけど」と指摘したら、あからさまに気分を害したようだった。
若い人のプライドは扱いにくい。
「今度、父さんが仲間うちの発表会でトルコの歴史をやるんだけど、ついでに日本における『トルコ』、今で言うソープランドについても触れたいんだそうで、行ったことないからあなたに取材したいそうだよ」と爆弾を投げてみた。
さらりと、
「自分で行ってみりゃいいじゃん」と返された。
「父さんは女性は母さんだけっていうロマンチストだから、行くだけでも自分の世界が壊れそうで怖いんだよ」
「そんな、大したとこじゃないよ。なんでもないよ」
あなたにとってはそうかもしれないけどね・・・今度、直接聞くように言っとくよ。
食卓にあった上野千鶴子の「おひとりさまの最期」という本を取り上げて、
「なにこんな縁起の悪いもん読んでるの?」と聞いてきた。
「絶対どっちか先に死ぬじゃん。心の準備をしておこうと思って。それに、独身の友達が『早く発見さえされれば孤独死でもかまわない』って言ってたから、1人で亡くなったあとの始末ってどうするのか調べてみようと思った」って答えたら、彼女のファンである息子は、
「さばさばしてるから、そんなこと言いそうだね。あの人は、結婚しないの?おつきあいしてる人とか、いないの?」とミョーに所帯じみたことを聞いてきた。めずらしいな。
フリーでものを書いてる人に対するアコガレが強いようだ。
食べ終わったと思ったら、
「2時間ぐらいここで寝てっていい?」と聞く。
「やだよ、絶対2時間じゃ起きないじゃん。父さんから、『母さんを困らせないでね』って言われてなかった?」
「困らせないって言ってもさぁ」
「やだったら、やだ。車で送ってってあげるから、帰りな」
「ん〜、車ってのはいいなぁ。オレが運転するよ!」
これでなんとか帰ってくれた。
運転もなかなか上手かった。
アパートの前で「じゃあ」と別れたのち、私が車を発進させるのを見送る間にタバコをくわえておぼつかない手つきで不器用に吸っていた姿が印象的。
部屋に戻るまで待てないというよりは、母親の前でくわえタバコをしたい幼稚なイキり方を見た気がして、なんだか脱力したよ。
10年前に禁煙してなければ、彼と一緒にぷかぷかと路上タバコをしたいところだ。
本日の強奪され品:
・牛乳1本
・野菜ジュース1本
・冷凍スパゲッティ―2品
・冷凍塩鮭4切れ
・先日転んだ腰がまだ痛いそうで、シップ薬
現金被害がなかったのが何よりだった。
今度は父さんもいる時においで。
18年3月23日
5時半に大内くんと「おはよう」ラインを交わし、お互いの良い1日を祈って、さて今日の始まりだ。
実は息子の元カノの卒業式。
メッセンジャーでつながっている大内くんがメッセージを送っておいてくれると言っていたが、さて、それって許されることなんだろうか。
少し不安。
いくら仲良くしていたからと言って、別れたカレシの親からお祝いを言われるのは本人的にどうなんだろう?
1年の間に幾度となく語り合ったカノジョと我々の間にも、それなりの絆があったと思いたいんだけど。
自分の卒業式を思い出す。よく4年で卒業できたもんだ。
構内のチャペルで、バチェラー・ガウンを着た500人ほどの卒業生がひとりひとり名前を呼ばれて起立し、全員が呼ばれたのちに「卒業生のあかし」として帽子の「タッセル(ふさ)」を右から左に移動させる。
数千人単位の大内くんにこの話をするたび、
「全員が一堂に会するだけでも信じられない。まして呼名とは」と、ため息をつくよ。
式に出席するために名古屋から両親が出てきた。
「パパは子供たちに全然関心がなかった」と母が終生こぼしていたし、18歳で家を出るまでに父と交わした会話の総量は400字詰め原稿用紙にして1枚分がいいとこだと信じているんだが、大学の入学式にも卒業式にも来てくれたし、結婚式では嫌がらずに私とヴァージンロードを歩いてくれたことはとっても感謝している。(しかも2回も)
彼は、大学の聖歌隊が気に入っていたようだったなぁ。
当時の婚約者も卒業式に来ていた。写真が残ってる。
ガウン姿の私は今より20キロも体重が少ないのにとってもふくよか。
食堂での謝恩会のスナップには、ダサいワンピースで写っているのが悲しい。
同じチャペルで卒業したであろう元カノの、幸せな前途を心から祈っている。
あの娘の人生の傍らにもう息子の姿がないのは本当に寂しい。
心のどこかで、一発逆転の未来を夢みてしまう。
大内くんと私だって何度も「別れた」ことがあるんだから。
いやいや、どうして私はこうも年下の同性に心を持ってかれる傾向が深いのか。
これでは大内くんの「男好き」を公然と非難できない・・・(涙)
18年3月24日
息子のコントライブを見に新宿へ。
まずはサムラートでごはんだ。
間の良いことにラインでもらったクーポンがあり、「チキン・シークカバブ」が無料でついてきて嬉しい。
「マトン・サグワラ」と「バター・チキン」のカレーを頼み、糖質オフを始めたら食べられないと思われるナンとバターライスを今のうちに堪能しておく。
今日は学生お笑いの頃からつきあいがある別コンビとの「対バンライブ」。
相手がセミプロなのだろうか、会場が普段よりぐっと豪華だった。
それぞれ4つずつのコントを披露してくれた。
息子たちのコントグループのうち2本は前にも見たネタだったけどきちんと手を入れて改良してあったし、どれもいい出来だった。
息子が新しく書き下ろした作品がないのは残念。
4人いる脚本家の1人、サブリーダー格の子がぐんぐん伸びてきている。
もともとお飾り風味の主宰の座が危ういぞ、息子よ。
真ん中で企画として行われた「ショートコント・バトル」が面白かった。
内輪受けに陥ることもありそうなんだが、和気あいあいとした雰囲気だけをよく残した対決形式の即興ショートコントの数々はたいそう楽しめた。
今年に入ってから活動が活発だ。
やっと始めたバイトも順調に行っているようだし、よかったよかった、と思った矢先。
「重大発表がある」とは聞いていたが、舞台上から「大内がアメリカに行く」と発表された時は本当に驚愕した。
仰天した。大ビックリだ。
「親にもまだ言ってないんです」っつったって、今、聞いちゃったよ。
「5月からアメリカに渡って、お笑い武者修行を敢行します。『私はジャパニーズコメディアンです。あなたを必ず笑わせます。笑わせたいと思っています』と書かれた英語札を横に置き、コントをやります」
本気!?
そりゃあアメリカには大内くんの従姉が住んでて3年前には2週間以上ステイさせてもらってたから少しは慣れてるかと思うが、渡航費や滞在費はどうするの?
3ヶ月ぐらい、ってどういう計画?
手元で書きかけてたアンケートに、大きな字で「金は出さんぞ!」って書き殴りたくなったよ。
わずかに救いなのは、
「最初は黙って行って、黙って帰って来ようと思った。自分の中でだけ変わればいいから」という計画だったのを、グループの面々が「活動をYouTubeで配信するよう」説得してくれたこと。
ネット時代のありがたさで、どこで何をしているのか随時知ることができれば少しは安心だ。
終演後、ロビーで顔を合わせた彼に、
「父さんの従姉んとこに行くの?」と聞いたら、
「いいや。考えてない」
「お金はどうすんの?」
「なんとかなるでしょ」
「自分のお金で行ってくださいよ?」
「はいはい。ところで、今日の打ち上げに行く金がないんだけど」
・・・絶句、だよ。
目まいがしてきた。大内くん、担当を代わって。
すみっこで話し込んでじきに戻ってきた大内くんに聞いたら、
「3千円渡しておいた。今月の生活費も、もうないんだって。月末払いの家賃は10日まで待ってもらうようにお願いしたそうだよ。約束してあった最後の仕送り4万円を、帰ったら振り込むよ」とのこと。
「どうやってアメリカ行くつもりなんだろう?」
「さあ。本人が考えて何か頼んでくるまでは、僕らの方からあれこれ言わない方がよさそうだ」
ほとんどどこを歩いてるかわからない状態で帰りましたよ。
「しかしなんだね、行き詰まるとアメリカに逃げるのはDNAかね?」と大内くんが言うように、確かに私自身、昔にっちもさっちもいかなくなった時にアメリカにしばらく行ったよ。
でもさぁ、いちおう語学留学の体裁で、1ヶ月のホームステイ先もちゃんと見つけて行ったし、そのあとは計画通り向こうの大学の寮に住んで授業も受けられるプログラムに参加したんだよ。行き当たりばったりだったわけじゃない。
予定より早く帰って来ちゃったのはヘタレだったけどもね・・・
気になるのは、お母さん、あの時の費用って、私は自分の貯金から出したんでしたっけね?
それとも憐れんだあなたが出してくれたんでしたっけ?
そうだとすると、息子に「親は出さないから自分の金で行け!」とは言いにくいですね・・・
まあしょうがないからしばらく驚いていよう。
大内くんは息子に「エースをねらえ!」のページを送っていた。
「特訓のつらさから魔球だのなんだのありえない技にあこがれないこと。ありえない技に逃げるその精神の弱さが問題だ。小手先の邪道には落ちるな。めざした以上は堂々とテニスの王道を行け!」
と宗方コーチが岡ひろみに説教してるとこ。
うーん、意味するところが息子に伝わるだろうか?
18年3月25日
図書館に行って、「糖質オフ・ダイエット」についての本を数冊、借りてきた。
4月から始めようと思ってラーメンとかパスタの整理を始めたんだが、どうも8日の日曜日に友人と「たこ焼きパーティー&カオマンガイを食べる会」をささやかに決行しそう。
それが終わるまでは糖質オフな生活が始まらない。
大内くんも私も1年間に6キロ以上太ってしまったので、何か手を打たないとヤバい。
やってみた友人の話では、
「1回目はそれなりの成果が出るが2回目以降はうまく減らなくなる気がした。一発で一生継続する糖質オフ体質にならんとダメかもしれない」とのことなので、何度もはチャレンジできない。
3ヶ月ぐらいがっつりやって、糖質オフ体質を手に入れたいところだ。
何を食べようかいろいろ考えているが、一番ありがたいのは「ケンタッキー・フライドチキン」食べ放題、という点だね。
食べるものに困ったりダイエットの閉塞感を感じたりしたら即座にケンタに走る予定。
会社帰りの大内くんに買ってきてもらう、という手もあるし。
あと、「ナッツ」はいくら食べてもいいらしく、「くるみ」が大好きなので嬉しい。
これまでの人生で「脂肪分が高すぎるから」と控えめにしか食べてこなかったんだけど、積極的に食べたい。
「去年亡くなったOくんが高校の修学旅行に『殻つきのくるみ』を持ってきてたんで、一緒にお城の石垣にぶつけて割って食べたよ」と話したら、大内くんは、
「変わった青春だね!」と驚いていた。
マヨネーズはOKだからハムをじゃんじゃん切って食べようとか、おやつに野菜スティックもアリだとか、考えると楽しくなる。
当面のメニューとして「ゆで豚」「ポトフ」などが候補に挙がっている。
「ステーキににんじんのグラッセやほうれん草を茹でたのをつければいいよ」
「いざとなればカオマンガイだって木綿豆腐にのっけて食べれば大丈夫!」
「冷凍庫にいっぱいある肉団子は、つなぎにでんぷん質が入ってそうだし甘酢に糖分が入ってるから、今のうちに食べちゃおう」などなど、準備おさおさ怠りなし。
夜に必ず「おやつ」を食べていた我々としては、何か気持ちをそらすものを設定したい。
私は下戸だが、この際軽く晩酌をしようかな。
蒸留酒は大丈夫だし、白ワインにはダイエット効果もあるそうなので、ウィスキーの薄い水割りかワインで。
大内くんは焼酎派かも。
いわゆる「酒のつまみ」は何でも好きだ。ワクワクする。「ワカコ酒」読んで備えよう。
2人ともごはんや麺類が大好きという自覚はあるのでちょっと緊張はしてるんだけど、「食べてもいいダイエット」であるところに希望を見出して、前向きに取り組みたい。
18年3月26日
朝一番で婦人科の定期検診。
継続してホルモン補充療法のシールをもらいたい。
念のため子宮内膜の厚みを診る、ということで、40歳に届かないぐらいに見えるイケメンの先生に内診されたうえ機器を突っ込まれて、なんとなく軽い絶望で天を仰ぐ気持ちになった。
いや、この歳になると気にしませんけどね。
子宮体ガンの検査もしたいが器具が入りにくいんだそうで、
「痛いのはイヤですよね?」と聞かれた。
そりゃまあ、普通イヤですよ。
「内膜はキレイなんで、いいでしょう」と放免された。
しかし、3ヶ月もホルモン療法をやっていても汗やほてりの症状が改善されない、と言ったら、効かないんならやめましょう、と言われた。
原因不明のこの汗をなんとか止めたい、4月末に心臓の手術をした病院での1年後検診を受けるので、そこで相談するまではホルモン療法を続けたい、と希望してみたんだが、
「そもそも数年前に閉経しているのに更年期の症状だと考えるのがおかしい。手術をきっかけに症状が出て来たのなら、婦人科の方で治療するべきではない。弁置換の手術をした患者さんには血栓のリスクがあってホルモン治療は『禁忌』であり、症状も消えないのであればベネフィットがないのにリスクだけ高いということになり、継続はお勧めできない」と、私の顔も見ずに述べ立てる。
何かあったら困るから、よっぽど治療をやめてほしいんだなぁ、と思い、
「わかりました。中断します」と答えたら、ものすごくほっとした様子だった。
「また相談があったらどうぞ。ではでは〜」と嬉しそうで、笑顔がこぼれてるぞ。
ドクターにここまで心労をかけていたんだったら、婦人科に解決を求めるのはやめよう。
次の予定は健康サイトでもらった無料クーポンを使っての整体だ。
隣の駅まで自転車で行っても、婦人科が思ったよりさくさく終わってしまったので1時間以上待ち時間ができてしまった。
その場合を見越して予定していた通り、「星乃珈琲店」でスフレ食べよう。
だが!
リサーチ不足なことに、スフレは11時から。まだ10時前で、全然ムリ。
仕方がないからコーヒーフロート頼んだら、モーニングサービスでトーストとゆで卵がつくんだって。
ちょっと食べ切れないけど、まったく無駄にするのも惜しいからゆで卵だけもらった。貧乏性だね。
読み返し中の「ハリー・ポッター」読んでのんびりだ。
首尾よく時間をつぶし、マップを頼りに向かった先は路地の奥のアパートの一室。
表に「ゴッドハンドのマッサージ」とのぼりが立っている。
口コミで予習して行ったので驚かなかったが、ウワサにたがわぬスピリチュアルな語りマシンガンのおばちゃまだった。
身体をもみほぐしながら、
「感謝、感謝ですよ〜」
「身体さんがね、がんばってくれてるんです」
「人間はね、生まれる時に自分の運命を自分で決めてくるんですよ〜」
「なにもかも、これからですよ〜。なんだってできるんです!」と人生応援歌炸裂。
いつものように「主人は」「主人が」の大内くん攻撃で応戦したところ、
「先日やっと主人の一周忌をすませたのよ〜」という最終兵器をくらって撃枕。
足をていねいにオイルマッサージしてくれるのはいいが、
「ほーら、血がめぐってきたでしょう?」と詰め寄られたのには、
「すみません、身体感覚が鈍いんで、わかりません。主人にもいつも、『キミはアタマとカラダの連絡が悪すぎる』って言われるんですぅ」とわずかな抵抗を試みる。
リピーターになるかどうかは、肩こりからくる頭痛が今晩おさまってるかどうかで考えよう。
HPが著しく減ったので大内くんを補充したいんだが、今日は泊まりの出張だ。
例によって、朝4時半出の夜12時帰りだと言うので、
「そういう時は泊まって、朝、東京駅から出社すればいいでしょう!泊まることも検討してみた?」と言ったら、
「いつもみたいに大阪だったらそうするんだけど、今回は名古屋だから、考えつかなかった・・・」。
応用力、って知ってる!?と怒髪天を突き、問答無用で1泊に変更してもらった、という経緯がある。
まあ、夫が生きてるだけでありがたいことです。
ちなみにおばちゃまには健康サイトの方から施術料が支払われるうえ、無料体験が宣伝になるから、彼女に損はさせてないと思う。
未亡人はいたわりたい。
口コミによればこの施術院は1時間のコースでも平気で30分1時間延長してしまうんだそうなので、ヒマでしょうがない私はたいへん楽しみにしていたんだが、残念なことにおばちゃまが時間を間違えて予約をぎちぎちに入れてしまったそうで、きっちり1時間後に次のお客さんが来てしまった。
「できれば30分早く来てください」とショートメールをもらっていたのに気づかなかったのはまったくもって無念だ。
その頃は星乃珈琲店で時間をつぶしてたんだから。
天気はいいし、次のおばちゃまも次のお客さんも、「井の頭公園の桜はもうかなり咲いている」と言っていたので眺めて行こうか、と思ったが、やっぱり体力に自信がないので週末に大内くんと来よう。
お昼を食べて行くことも考えたんだけど、なかなかぼっちメシの決心がつかない上に、今月も黒字の枠内で進んでいるので、今日のところはコーヒーフロート500円と駐輪場代100円の出費ですませておこう、と決意する。
せっかく病院代も整体施術料も無料だったんだし、家に帰ればごはんがたくさん残ってるから、日曜のすき焼きの残りで「すき焼き丼」だ!と、考えることがもう、信じられないぐらいセコい。
「お天気はいいなぁ。基本、タダだよ」と陽を浴びて自転車で帰った、幸せな自分。
18年3月27日
息子がツィッターでアメリカ行きを発表した。バカだ。
それをまたFBで広める私もバカの二乗。
堅気代表、名古屋の友達Cちゃんは、
「とんでもないことを言い出したね。ご飯を食べかねている人が、どうやってアメリカに行くのだ?!大内さんとあなたの心労、お察しいたします」と義憤に駆られながらラインでなぐさめてくれた。
「金は出さなくていいがやらせてやれ」というまんがくらぶの人々の論調より、ずっと「常識的」である。
常々思っていることだが、どうもくらぶ関係の人は考えが柔らかすぎて、かくありたいとは思うものの一概にはうなずけない。
基本的に「金は出さない」方針だし、息子の方から言ってこない限りこの計画に賛成も反対もしない、というスタンス。
一番心配なのは彼が「大内のおばあちゃん」に泣きつくこと。
世間体を重んじるお義母さんから常々声を潜めるように、
「で、息子ちゃんはどうなの・・・?」と聞かれるのがイヤでたまらない大内くんとしては、これ以上「心配」されたくないらしい。
一流でないどころか聞いたこともない会社に就職した時に、
「ま、孫としてのお気に入り度が下がるだけだよ」とあっけらかんと理解していた息子なので、まさか「お笑い芸人修行に行く」と相談しに行くとも思えないけどね。
そこを説得できれば、それはそれで立派な金策というものかもしれないし。
たった今はあらゆることが「ケ・セラ・セラ」だ。
勧めるわけではないが、情熱をもって説得しに来て、プレゼンが気に入ればぽんと100万ほど渡して、
「半年ぐらい行っといで」と言うのもアリか、と考えるのは、やけくそなんだろうか?
18年3月28日
大内くんが元同僚の方々との「異業種交流会」を企画してくれた。主婦も「業種」ということらしい。
家にも何度か遊びにきてくれた後輩のSくんと彼の上司のSさん(2人ともどう頑張ってもSだった。こういうところで融通が利かないんだ私は)は、両方とも転職して同じゲーム会社に勤めている。
Sさんの方は数年来のFB友達なので何だかよく知ってる人のような気はするんだが、実はリアルで会うのは初めて。
緊張するなぁ。
Sくんが新宿のお店を取ってくれたので、6時に駅で大内くんと待ち合わせて、ぷらぷら歩いて2人の勤める会社へ。
ふえー、立派なビルだー。
今風な人々が行き交うきらびやかなホールで、現れた2人と挨拶を。
「どうもどうも〜、初めまして、なんですけど、そんな気がしないですね!」と言ってくださるSさんは、アイコンの写真と同じ顔をしている。
基本リアル顔出しのFBならではだ。
「どうも〜、ついにお目にかかれました〜」と答える私のアイコンは40年以上前の写真というインチキだが、何かと最近の写真も載せてるのでSさん今日特にがっかり、ということはないと思う。
3年ぶりになるSくんとも「お久しぶりです〜」。
2人の案内で敷地内のショップを見学させていただく。
人気のゲームキャラのフィギュア、思わず欲しくなるようなアクセサリなどはたいそう凝ったもので、もちろん高価。
グッズやぬいぐるみのコーナーは比較的お安く、家に小物が増えるのを喜ばず何でも捨ててしまう断捨離男の大内くんがめずらしく「かわいい!」と叫んでモンスターのついたスプーンを買ってくれた。
(正確に言うと、「あとで家計から払うから、出しといて」とお願いした私が後日さりげなくネグった)
歩いてすぐのお店は素敵な和食。外人さんも多い。
あらためてご挨拶をする。
Sくんは、
「大内さんの奥さんとSさんは会われたことないんですよね。さっき、Sさんが『初めてなんだよ。緊張するなぁ』っておっしゃってました」と笑っていたが、にこやかで人をそらさない柔和な方で、日頃FB上でいろいろ読ませていただいてることもあり、人見知りの私でも初対面とは思えないほどくつろげて、よかった。
宝塚歌劇団が大好きなSさんと、
「『ポーの一族』を観に行かなかったのは不覚だった!」という共感で大いに盛り上がり、少女マンガを愛するSくんからは、
「やっぱり『ポーの一族』は必読でしょうか?」と聞かれ、
「もちろんです!新作の『春の夢』まで読んでください!」と強力におススメしておく。
いつか宝塚で再演される日が来たら、なんとしてもチケットを入手し、4人で感涙にむせびたい。
私をのぞく3人はかつて同じ会社に勤めていたので強力な紐帯で結ばれている。
サラリーマンの絆を間近に見られて、まさに異業種交流会。
とは言っても話に出てくる人々は家で大内くんから聞いている名前ばかりで面白かったのは、日頃会社の話をよくしてくれるいいダンナさんなのと、お2人が私を蚊帳の外にしないよう細かく気を遣ってくれたからだろう。
男性陣は三者三様に良き家庭人で、世間の狭い私は大内くんがとびきり上出来の夫なのかと思っていたが、どうやら世の中の妻たちはそれぞれ相当幸せな思いをしているようだ。
「だけど、奥さんを同僚にじゃんじゃん会わせてくれて、ナマイキでもエラそうでもちっとも怒らない大内くんはやっぱり特別いい夫!」と思いながら、とても楽しい時を過ごした。
飲み放題で懐石料理をおなかいっぱいいただいてお店を出た時には2時間半が経過していた。
外人さんたちも足を止めてスマホをかまえる夜桜の下で、記念写真。
「ご夫婦の写真も撮りましょう」とSさんが我々を撮ってくれた。
さすがに先輩の前なので妻の肩を抱いたりしないシャイな大内くん。いや、いつもこうか。
何度もお礼を言い「ぜひまた!」とお願いしつつ2人と別れ、かなりへろへろになって新宿駅まで歩く。
「昔だったら管理職はタクシーチケットを束で持ってて、こういう時も車で帰らせてもらえたのかなぁ?」と聞くと、申し訳なさそうに、
「そういう時代もあったんだけど、遠い昔だよ」と言う大内くんは、チケット束にさわったことがないらしい。
お互いバブルの恩恵に浴す機会のなかった人生だった。
それでも、素材の見当がつかないようなお料理をいただけるようになったことに、深く感謝している。
帰ってお風呂に入り、寝る前のネットチェックをしたら、Sさんが「恒例飲み会のあとのゲーセン攻略」をして奥様や娘さんにおみやげをいろいろゲットしていた。
古くからの知己のように親しくお話しできたうえそんなことも逐一知ることができるのはすべてFBのおかげ。
ビバ、SNS時代!
18年3月29日
BSプレミアムでやったドラマ「弟の夫」をやっと観た。
大内くんがしきりに、
「地上波のドラマにはガッカリすることが多いんだけど、BSは落ち着くね。今でもいいドラマが作られてて安心した」と言うので、
「ほぼ原作どおりだよ。マンガも読んでね」とお願いしておく。
ゲイの友人がいるが、高校時代に女性の話をしていた彼より今の方が幸せそうなので、生き方はいろいろあって当たり前だと思う。
マイクが温泉に浸かっているシーンを見て大内くんに、
「こういう時、彼はお得なのかな」と聞いたら、
「そりゃあ、嬉しいだろうね。ウハウハだよ」
「じゃあ、あなたが女風呂に入れていろんな女性の裸が見られたら、ウハウハなの?」
「うーん、そうかぁ・・・それだけで嬉しいわけじゃないよね。やっぱり好きな人の裸が見たいんだよ」。
愛情と性欲の向く先が一致しているのはある種の幸せだと思う。
そうでない場合もままあるのは百も承知だが、まあ、各自心地良い範囲で。
日頃マンガのドラマ化や映画化には懐疑的な私も、マンガ以上のことを伝えてくれるこのドラマには本当に感心した。
もちろん原作がよくできているからではあるが、あまりマンガを読まない人もいることを考えると、俳優さんの演技力で等身大の世界に連れて行ってくれる実写の意義は大きいのかもしれない。
「本人が望むことならただ見守り、幸せならば祝福する、それが家族」
息子のことを思う今の自分にもジャストフィットな気がした。
LGBTへの理解を促すメインテーマ以外にも、夫婦とは、親子とは、家族とは・・・いろんなことを考えさせてくれる、良作であった。
18年3月30日
来週、まんがくらぶの男性2人と大内くんが「政治討論会」をすることになった。
私は徹頭徹尾ノンポリなので、激論が交わされるのを椅子の下でちっちゃくなって見ているスタンスなんだが、
「大内くんはどこまでも安倍支持のようだ」とチクったもんで、ネトウヨを自認する友人が、
「せっかく安倍支持者を迎えるのだから」と腕まくり、手ぐすね引いている模様。
場所の選定を任されたので、「安くて美味しい居酒屋♪」と張り切り過ぎて、どうにもお店を決められない。
思わず会社の大内くんに「助けて!」コールを。
彼は実に確固たるイメージ&ビジョンを持っているようで、
「資料やメモを広げられるように、テーブルが大きな店を。安いチェーンの居酒屋では窮屈だ」と主張する。
「私はそこまで考えてなかった。まかせる」と言ったらさっそくお店を押さえてくれたらしい。
主催者からは「リーズナブルでゆっくり話せて、過激な話も気兼ねなくできる店」とリクエストされてるんだが、大内くんの腹案は静かなパブである。いいのか?
英国労働者の党派争いみたいになるのかしらん。
「3人がそれぞれ簡単なプレゼンを行い、その後、討議をするという進行を想定しています。私は『日本の憲法と平和のあり方』というテーマで若干のお話を準備するつもりで、資料も用意しようかと思っています」
と語る大内くんの本気度が恐ろしい。
こんな真面目な試みだったのか。
私はてっきり酔っ払いながら好き放題言う会なんだと思っていた。
他の2人も負けず劣らずシリアスなのかもしれないが、我が夫ながらこういうところが大好きだなぁ。
遊びの場面で無駄にアツい。
学生時代の彼は寄るとさわると議論を吹っかけてくる「うるさくてめんどくさいヤツ」として有名で、それがよくて結婚したのにいつの間にかニコニコと温厚な穏便な性格になってしまい、ガッカリしてたんだよ。
当日はネトウヨにぼこぼこにされる局面も含めて楽しく見物させてもらおう。
18年3月31日
大内くんの会社のお友達、Aさんのお宅に遊びに行く。
今日のおみやげは定番のウエストのクッキーに加え、冷凍食品のコロッケと肉団子。(大量)
来週から糖質オフのダイエットを始めるんで、数ヶ月食べられないと思うんだよね。
大家族のAさんちならきっとすぐに消費してもらえるだろう。
肉団子にかける「黒酢だれ」もつけるよ。
11時に着くよう車で出かけるが、まずは私の大学の桜に立ち寄って桜を見る。
確か去年は心臓の手術を控え、ちょっとドキドキしながらお花見したんだよ。
今年も無事に来られましたよ。
誰にともなく、ありがとう。
まだ朝早いキャンパスには観桜の人がちらほら。
時おり自転車で走って行く若者たちはすっかり新しくなった寮に住んでる学生さんだろうか。
昔の自分が通り過ぎるようで、なんだかまぶしい。
でも、きっとどの子も今の息子より若いんだろうなぁ。
桜の写真を撮り、駐車場の料金が50円から100円に値上げになっていたのに軽くショックを受けつつ、次は図書館へ。
うちから車で10分ほどの調布の分館まで来てるんだ。
居住地の隣の市町村の図書館は使用可能で、大内くんによれば調布は近隣で一番蔵書の品揃えがいいらしい。
本館のサイトにアクセスして資料を検索・予約しておけば希望する分館まで届けてもらえるので、週末の買い出しの時に車で回って本の山を借りたり返したり。
自分で買うほどではない本が読めて、お得だ。西原理恵子のマンガとか林真理子のエッセイとか。
大内くんにとっては「高すぎて手が出ない本」「買う前に様子を見たい本」の宝庫らしいんだが。
分厚い本を、そのために買ったオーバーヘッドやフラットスキャナで取り込む、マメな男。
図書館は文化の証なので、有効活用したい。
お天気のいい今年度の最終日、お花見をしたい人が多いのか、街は妙ににぎわっている。
道路をうかうか横断するお年寄りが多いのものどかだ。
「誰も轢かないでね」と運転手大内くんにお願いしながら、1時間ほどのドライブをしてAさん宅に着いた。
いつものように子供たちに歓待されながら、保冷バッグから冷凍食品を出してミセスAに託す。
さっそくお昼のご飯に活用していただけた。
炊き込みご飯、ピザ、Aさんお手製の角煮、味噌汁に持ち込んだ肉団子、とかなりアナーキーなテーブルになった。
角煮、おいしいです!
糖質オフをやったことのあるAさんにいろいろ取材させてもらった。
「でんぷん抜きで満腹になるのは大変」「コストがかかる」「飽きる」といったあたりが目ぼしい困難らしい。
最後の味方は「キャベツ」だそうだ。胸に刻もう。
どうも人数が足りないと思ったら、末息子は朝のお散歩以来爆睡中だったのだそうだ。
お父さんに抱っこされて降りてきた。
Aさん夫婦に初めて会った頃はまだお母さんのおなかの中にいたのに、今ではもう何やらしゃべるようになってしまった。
「赤ん坊」をなつかしむ気持ちでミセスAにもう1人産んでもらいたいとも思ったが、何事にも限度はあるので、むしろ我々は「おじいちゃん・おばあちゃん」になる未来を目指すべきなのかも。
天は自ら助けるものを助ける。
しかし、孫製造元としての期待がかかる愚息は「アメリカにお笑い芸人修行に行く」と言い出していて、道はたいそう遠い。
ミセスAには「若さは馬鹿さ」と微笑まれてしまった。
「何がしたくて行くんですか?目標がきちんと設定できてないと」と大真面目に聞いてくれるAさん、実のところ、我々にもさっぱりわからないんです・・・
お稽古事やら歯医者やらでさまざまに出入りする子供たち、その送迎をするご夫妻、ひたすら何か食べている我々、でおしゃべりをするうち、あっという間に夕方になり、おひらきに。
いつものように大内くんにひきずられて不承不承帰り支度をしながら、
「もっと遊んで行きたいですぅ・・・」と最後の抵抗をしてみたが、子供たちも含めて誰も引きとめてはくれず、最後に私が家の外から見た姿は、笑顔で窓からバイバイをする二男くんだった。
帰りの車の中で寂しくなってさめざめと泣いていたので、大内くんが困って、
「僕がいるじゃない。僕はずっと一緒だよ」となぐさめてくれても、にぎやかのあとはいつも悲しくなるんだよ。
この世に一人ぼっち、のような気分になるんだ。
萩尾望都のマンガ講義の本をミセスAに渡しながら、
「この人もそのうち死んじゃうし、読んでる私たちもいつか死んじゃうんですねぇ・・・」とつぶやいて笑われたんだが、リアル子育ての真っ最中でてんやわんやの人に言うことでもなかったかもしれない。
いつか、みんなヒマになったら一緒に温泉とか行きましょう。
彼女の末息子が成人する18年後、私はまだ生きてるだろうか。
ああ、楽しすぎてなんだかアンニュイ。楽あれば苦あり。人生はワンツーパンチ。
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