18年6月1日
バイトが終わってからごはんを食べに来た息子。
働いてるから文句は言わないけど、日頃12時に寝て5時に起きてる我々にとって夜の11時半からの食事はつらい。
彼のリクエストで「鶏もも肉の香草焼き」を作り、糖質制限中の我々はパン粉の部分をなるべくよけて食べた。
カルビクッパも息子のはごはんにかけてあげたが我々のは温めた豆腐にかけて「豆腐チゲ」的にし、あとは「生春巻き」を希望されたところを「冷凍したのが発見されたから」という実際的な理由で「揚げ春巻き」でガマンしてもらう。
ツナとセロリのサラダも出して、「うまいっ!どれも、うまいねー」と喜んでたくさん食べてくれて嬉しい。
「オヤジは人に対する口のきき方がていねいだ。オレもそうだけど、オレはすぐカッとするからなぁ」と言うので、昔、感じの悪いペンションに泊まった時にまで丁重に挨拶して帰ろうとしたので私がキレた、という思い出話をしたら、いたくウケた。
「オヤジらしい!それに、ペンション、ってすごくなつかしい。時代を感じるね。そういう文化って、今はどうなってるんだろう?」と首をかしげる息子に、
「あなたが小さい頃、清里に野球しに行ったの、覚えてる?」と聞いたら、
「覚えてるよ!2軒ともいいペンションだったね。ご家族も覚えてるよ。同い年ぐらいの女の子がいたね。ごはんがおいしかったし、楽しかったなぁ」と言われ、大内くんも私も勝手にじーんとなってた。
世の中の話になったら、息子はいつも、
「SNSがあんまり良くないと思うんだよね」と言う。
ツィッターやFBでコントライブの宣伝をしていても、彼はそういうメディアが好きでないようだ。
「母さんはとっても楽しく利用してるよ。テレビや新聞と同じ情報ソースで、しかもその向こうに個人個人がいるのが感じられて、思うところがいろいろあるよ。極端な発言も多いけど、さまざまな意見に触れて自分の考えをまとめられるから、知らないうちにマスコミに操作されるよりいいと思うけどな」と言う私に対し、
「まあ好き好きだけど、オレはもっと昔っぽいのがいいと思うんだ」という意見の彼はどうやら「懐古趣味」らしい。
「クレヨンしんちゃんの『オトナ帝国』みたいな気分になったりしない?」と聞かれて、FBの「昭和レトロ」グループの話をしたらなんだか面白がっていた。
若い人は意外と「ALWAYS 三丁目の夕日」とか好きだったりするようだが、日本人は文化の袋小路に入って折り返してる?
うちの息子がそういう傾向が強いだけかな?
いったん家を出たら連絡がつかず、待ち合わせ場所に行くしかなかった時代に生きるのはけっこう大変だよ。
「伝言板ね!」となつかしそうだが、見たことすらあるまいに。不思議な人だ。
会社を辞めた頃をふり返って、当時は認めなかったが「精神的に追い詰められていた」のだと話してくれた。
彼の主観では「ブラック会社でパワハラを受けていた」のだそうだが、正直言って私の世代には、「厳しい社会の約束事に入り口からつまづいただけの若者の甘え」と「一生懸命働いているのにあまりに労働環境が悪かったり不当な扱いを受けた」のの区別はつけにくい。
裁判をして勝てるかどうか、が分かれ目なのかも。
それで言ったら息子は勝てないとは思うけど、「しんどかった」と告白し始めたので、親ぐらいは優しくしてあげてもいいんじゃないだろうか。
私自身、あまり優秀な働き手じゃなかったしなぁ。
有能ではあったと思うが、精神構造が子供だった。
息子も、自分で言うほど要領が悪いわけではなく、単に自分を後回しにしての滅私奉公ができないお子ちゃまなんだと思う。
精神年齢が上がればできるようになるのか性格としてできないタイプなのか、そこはわからないけど、思ったよりずっと私に似ているかもしれない。
いずれにせよ、働くことがトラウマになっていた彼が、自分なりに工夫して働くのを楽しいと再び思えるようになってきたらしいのはよかった。
働かない私が言うのもなんだが、労働はかなりの部分習慣の問題なので、はずみがつけばもっと楽に働けるようになるだろう。
「渡米の計画を話しに来た」んだと思っていたが、非常に楽しく世間話をしてるうちに時間が過ぎ、1時ごろになって息子が「んじゃ、帰るわ」と言うので、車でアパートまで送って行った。
「話があったんじゃなかったの?」と聞いたら、
「いや、別に」
「ごはん食べに来ただけ?」
「まあ、そう」
そういう流れだっけ?まあいいや。
降ろしての帰り道で大内くんと話したが、このぐらい楽しい時間を持てるなら、たまに会いに来てくれるのは歓迎だ。
「気がついた?今日は、食事中にパソコン開かなかったし本も読まなかったよ。ずっとしゃべってた」と言うと、大内くんも、
「熱心に世間話をしてくれたね。いつもこうならいいのにね」と嬉しそうだった。
たとえ楽し気なふりをしてるだけだとしても、スポンサーに愛想よくすることの大切さを知ったのならそれに越したことはない。
真面目にバイトし始めてから、親に対しても少し態度が良くなった気がする。
こちらの気の持ちようでもあるんだろうが。
一緒に暮らしてた頃にはこんなに話したことはないかもしれないなぁ。
疲れたけど、楽しかった!
18年6月2日
大内くん曰く、「となりの調布市の図書館は近隣で一番品揃えがいい!」。
我々の家に近い分館は小さくてそれほど開架されていないけど、ネットで全市の蔵書を見て取り寄せるということならばもっとも「使える」んだそうだ。
通俗小説しか読まないので困ったことのない人間からすると、そんなカビの生えたような本に何の用があるのか。
まあしかしそういう趣味の人と結婚したんだから協力しよう。
たまたま近所に住んでる卒業大学の蔵書を検索したら、大内くん的には垂涎の的、宝の山であったらしい。
行って手続きして年会費払って、借りてみましたよ。
在学中にもあんまり足を向けなかった不良学生で、卒論の時以外はほぼ無縁だったなぁとあらためて思った。
キャンパスに行くたび大内くんからは、
「敷地がスゴイ。少数の学生で使ってて、もったいない」とブーイングされるんだが、
「私立だから、いいじゃん!」と強気で押し通している。
それでも今日は何やら複数の催し物があったもようで、敷地内の人口密度と平均年齢は常になく高かった。
食堂で昼食を食べたら、2人分の席を確保するのが難しいほどの混雑ぶり。
同窓会の日並みだった。
「チキンマヨ照り焼き」と「サーモンフライ」の間で迷ってサーモンにしときましたが、糖質制限中だからごはんは抜きね。
同じお皿を頼んだ大内くんはつけあわせのポテトサラダも断っていた。エライ。
うっかりついてるお皿を受け取ってしまった私は、久しぶりの大好物を見て、思わず半分食べちゃった。
天気のいい日で、暑いのに芝生の上にはぽつぽつ人がいる。
芝生に座ってタイプライターでレポート書くのに憧れて買ったはいいが、大学標準仕様はパイカなのに間違えてエリート買っちゃった入学当時、いったいどう解決したんだろう?思い出せない。
今は皆さんノートパソコンだ。いいなぁ。
先週も行ったマンションギャラリーに「今住んでるマンションの見積もり」を頼んでみたので、結果を聞きに行ったのね。
思ったよりいい値段。ハッキリ言って売るなら今しかないのに、売ったら住むとこない。
プチバブルがはじけて新築マンションがもうちょっと正気の値段に戻ったとしても、その時は中古市場も冷えて売値は暴落するんだろう。
「結局、不動産を複数持ってる富裕層の1人勝ちなんだねぇ」と夫婦でしょんぼりと肩を落とした。
気を取り直して、ついでにもう1軒マンション見てきた。
先週のやつのすぐ近所にできる別会社の物件、営業のおにーさんがライバル意識丸出しに「もうどこかご覧になりました?」って聞くし、隠してもしょうがないから、「お向かいのやつ、見ました」って言ったら、いろいろ悪口が聞けて面白かった。
安定の大手に比べてデザイナーズマンションっぽい今週の物件は、随所に興味深い工夫があって楽しめた。
クロゼットの棚の上面に1本「みぞ」を入れるだけで、ハンガーをちょっとかけたりするのにとっても便利。
洗面所の鏡の裏が戸棚になってるのは普通なんだけど、端の底板を抜いて中にフックをつけるとコンセントをさしたままドライヤーやシェーバーを吊るしておける。
特許取ってるそうですが、家で真似してみる分には合法かしら?
ディスポーザーについて勉強させてもらったり、たいそうためになる見学だった。
おみやげはつかないけどおいしいハーブティーをおかわりまでいただいて、お値段を聞いて、うん、先週の大手より少し安いけど、感覚がマヒし始めてる。
「このクラスのダイヤモンドが百万」と言われて、そりゃ確かに安い!と思ったとしても、そもそもダイヤを買うような身分・生活なのか、ってところを見失ってもしょうがない。
いつの間にか家の値段はすごいことになってるなぁ。
「サラリーマンが普通に働いて買う、って値段ではなくなってますね。いい勉強をさせていただきました」と営業さんに微笑む大内くんの横で私もにこにこ。お茶をご馳走さまでした。
駅前で武蔵野図書館に寄って、隣接市のカードも駆使する我々は今日3軒の図書館を見た。
さすがに目と頭がクラクラする。
世の中にはこんなに本があって、私の書庫と財布と頭は小さくて、人生ははかない。
食料品の買い出しも含めて、帰りついたら8時間が経過していた。
1日杖ついて動き回りすぎ、ひざが熱を持ってじんじん痛む。
お風呂入ってシップ貼って、明日は完全休養だ。
18年6月4日
「1週間したらまたひざを診せに来て」ってお医者さんに言われたし、リハビリの予約取ってあるし、なんだか熱くなって腫れてるし、「一石三鳥」とかつぶやきながら今日の病院は午後イチ。
なーんだ、午後はけっこうすいてるのね。
やっぱり老人は午前中に動く?
今まで無理して朝イチに来ててバカみたいだったかも。
まずは診察。
「また水溜まってるね。針刺すよ」
おおっと、いきなり抜きますか。
先生、看護師さんに「今日は20ccのでいいや」って小さいシリンダー使い始めて、途中で首をかしげてシリンダー替えてるじゃん。
「25cc抜けた!」って、先週の30ccよりいいらしいけど、
「1週間でこんなに溜まるのはよくないね。まだ1ヶ月ぐらいはかかるね」だそう。
こんなに痛いのがしばらく続くのかぁ。
元々ひざの軟骨が減ってしまってるのは治しようがないので、特に治療はなく今日もリハビリに回された。
PTさんはていねいに私の右足を曲げ伸ばししてくれて、その瞬間は少し良くなるんだけどすぐに痛みが戻ってくる。
「動かしすぎてはいけないが、あまり動かさないのもいけない」なんて禅問答みたいなこと言われても。
しかし、いついかなる時でも小さな感動はやってくる。
診察室とお会計のコーナーにあった「荷物置き」がさりげないスグレモノで、上に手荷物を置けるのみならず、杖を立てかけるとこがついてる。
杖ってとっても邪魔になるんだよね。スーパーのレジとかで。
輪っかになったヒモがついてるからそれを手首に掛けたりしてたけど、ちょっと立てかけておけると助かる。
底に丸い穴があってサポート力も抜群。
「前に停めてある自転車、10台中4台が電動機つき、しかも子供席のないタイプ」なのも含めて、「整形外科あるある」とつぶやいて帰りましたとさ。
18年6月5日
朝ツィッターをチェックしてて、月刊フラワーズ7月号で萩尾望都の「ポーの一族」新連載が始まってたのを知った。
日曜日に行きつけの本屋のおばちゃんが「フラワーズ買いました?」って声かけてくれたのはこのことだったのか!
急いでたから気に留めずに帰っちゃった。ごめんなさい!
すぐにアマゾンで注文したけど、前の連載の時に数ヶ月雑誌を買っててスキャンに苦労したんだよね。
ほら、雑誌って大きいし、紙質が弱いんで、ややスキャナにかけにくいのよ。
今回は最初っからKindle版でいこう。
30秒後に読めて宅配の人を煩わせないのも素晴らしい。
こうしてますます有体の本から遠ざかって行く…
すぐに読んだけど、「ポーの一族 ユニコーン」はもう、ホントにホントにブラボーな導入。
これまでのエピソードを全力で総回収する勢いで、2年前の「春の夢」はもちろん、コミックス5巻を全部読み返さなくっちゃ。
時ならぬ「ポー祭り」。
ああ、やっぱり萩尾望都はすごい。
果てしなくヒマな身としては、「残酷な神」まで読み返しちゃいそうだ。
合間に夢中でツィッターの「#ポーの一族」も読んでたら、宝塚の舞台のDVDって入手可能なのねー。
2人で飲み会に行けば万札が軽く飛ぶこのご時世に、なぜ1万円でお釣りのくる映像が買えないの?
もう舞台を見ることはかなわないんだよ?
「ポチッとしたいなぁ」と大内くんにラインで訴えたら、すぐに「ポチを許可します」って返事。
マッハでポチりましたとも。ありがとう、大内くん。
いろんな意味で、夢のような時代に生きてる。
死ぬまでこの夢をみていたい。
18年6月6日
「ポーの一族」があんまり素晴らしいので、「少女マンガ祭り」開催中。
まずは萩尾望都、と「トーマの心臓」「訪問者」読んで、寄宿舎ハラショー!になって、竹宮惠子の「風と木の詩」読んで号泣し、「地球へ…」読んだけど、実はこれ、意味が分かったこと1回もないわー。
最近はまってる「水城せとな」はどれを読んでもスゴイ。
BLっぽい人かと思ってたし、実際同人誌上がりなのでそっち傾向だったのかもだが、ある種「ポーの一族」に通じる「黒薔薇アリス」の世界観は強烈。
ピクサーアニメの「インサイド・ヘッド」を思わせる「脳内ポイズンベリー」も面白かった。
萩尾望都に戻って寄宿舎つながりで「残酷な神が支配する」読もうと思ったのに、ものすごく唐突に柴門ふみに横すべりした。
もはや少女マンガじゃない。
でも、オトナの女としてはこっちも捨てがたい。
自分でもあきれたりありがたかったりすることに、何度読んでも忘れてしまう。
初めて読むような、とまでは言わないが、新たな発見がありすぎる。
1年単位で成長して新しい自分になっているのか、それとも単純に健忘症なのか・・・きっと後者だろう。
読み返しも含めてもう一生分のマンガを持っていると思うので、すりきれたレコードを聴くようにこのまま何度も何度もリピートを楽しみたい。
でも、たまに買う新作はやっぱりものすごく面白いんだ。総蔵書量の数パーセントぐらいに過ぎないけど。
いまわのきわにもマンガ読んでいたいなぁ・・・
18年6月7日
今日も整形外科のリハビリ。
前回は医師の診察も受けてひざの水を抜いてもらったが、PTさんに聞いたら、穿刺をする時はたいがい針を刺したついでにヒアルロン酸を入れてるんだそうで、カルテを見て確認してくれたところではやっぱり2回とも注入もしてるんだって。
先生何にも言わないから知らんかった。
通常は5回セットぐらいを目安にこの治療をするんだそう。
「いててて・・・」って言うのにはかまわず足を曲げ伸ばししてほぐしてくれながら言うには、いったん「変形性関節炎」という診断がついたのでだいたい5ヶ月ぐらいを目途にリハビリを受けられるんだって。
病院ってとこは病気やケガを治すとこだから、「軟骨がすり減ってる」という慢性的な症状についてはあまり対応してくれないんだと思ってて、痛いのがおさまったら自力で散歩とかするしかないのかと思ってた。
まあ、それぐらいここの医師は忙しそうで、愛想が悪い。腕は良さげなんだが。
「『コンドロイチンのんだ方がいいですかね?』とか聞けない雰囲気です」とPTさんに言ったら、
「そうかもしれませんね。でも、そのために僕らがいますんで。きちんと日常生活に戻れるまでケアしますよ。すぐに放り出したりしませんから」って笑われた。
ちなみにこのPTさんは、
「コンドロイチンは・・・高いわりにあんまり効き目がないと思います。正直、僕は母親に『そんなもんのむぐらいならきちんと病院に行ってください』って言いました」という主義のようだ。
「ひざが痛い」って薬局で相談すると、必ずコンドロイチンの入ったサプリが並んだ棚の前に連れて行かれるんだ。
買ってのんだ時期もあるが、たいてい高い。そして、めだった効き目は、ない。
少しずつ良くなってる気もするので、とりあえずしばらく通おう。
来週また診察を受ける。リハビリも予約した。
今は杖ついてて、散歩とか水中ウォーキングとか考えられないんでかなり後退しちゃった感はあるが、気を長く持って頑張ろう。
18年6月8日
息子は快調にバイトしてるようだ。
月曜日にまた、
「家賃を待ってもらえるように管理人さんにお願いしたが、ダメと言われた」と泣きつかれ、
「ダメに決まってるでしょう!『男おいどん』の世界じゃないんだから!」と怒りながら新たにアパート代を貸したけど、メッセンジャーを介してのことで、会ってはいない。
「生活しながら旅費を稼ぐのは思ったより大変だね」と打ったメッセージに、「うん」と言葉少なにうなずいていた。
明日はちょっと遠出をする。
大内くんの従姉がアメリカから子連れで来ていて、会津若松の友人のところにステイしてるのだ。
一緒に温泉で1泊して、7月ぐらいから息子をアメリカで面倒みてくれるという彼女によくお願いしてこようと思う。
このタイミングで日本に来てくれてよかった。
今日は大内くんが早朝から日帰り海外出張に行ってしまったので、1人で荷造りしながら夜中になる帰りを待っている。
明日の朝からのドライブはくたびれるだろうに、
「旅行だね、楽しみだ!温泉に入ればキミのひざにもいいだろうし、ホテルのごはんはビュッフェ式にしたから、糖質制限中でも大丈夫だよ!」とむやみに前向きな人だなぁ。
従姉に会うにあたって息子の渡米話をふり返ってみようと思い、4月5月の自分の日記を読み返してみて驚いた。
4月の頃、彼の態度は非常に悪い。
思いつきが止まらないと言った風情で、バイトでお金を貯めてから行けと言う我々に、
「今行かなきゃ意味がない!」と主張し、そのくせまとまった仕事はせず、せっかく始めたバイトも渡米するからと言って辞めてしまっていた。
5月に入って「独人コントライブ」を実現させた頃から少し風向きが良くなってきたかな。
前々からやれと勧めていた「単発の肉体労働」を数こなすようになり、やたらに家に来たりなかなか帰らないで私をイライラさせるようなこともなくなった。
会いに来ても楽し気に会話をしてごはん食べてさくっと帰る。
渡米自体、「お金が少し貯まったら残りを貸してくれるように頼みに来る。現実に出発できるのは7月末ごろになるかも」と、サラ金で借りてでも5月6日のライブの翌日に出発すると言い張っていた頃からすると別人のように落ち着いてくれた。
このままどこまでも落ち着き払って渡米の話自体なくなってくれれば、と大内くんは思ってるようだが、ここまできたらもう、何ヶ月か行ってきたらいいんじゃないかしらん。
息子に「順調な人生」を期待したことがないと言えば嘘になるけど、いったん大きくコースを外れたんだし、あわてて復帰してもそんなにいいことはない気がする。
せっかく始まった「人生の夏休み」、無為に過ごすことさえなければ何でも経験なので、充分に休んでこの先の何十年の人生に備えてほしい。
もちろん自立はしててもらいたいけどね。今のところの課題はそこだ。
18年6月9日
前夜は大内くんの帰りが遅かったため、我が家の旅行としては少し遅めの朝7時発。
私は5時に起きてお弁当の豚肉しょうが焼きを作ってキャベツを切り、昨日焼いておいたスパニッシュオムレツと一緒にタッパーに入れて、チーズと冷たいお茶も用意して万全だ。
6時半に大内くんを起こして身支度し、車を出して出発!と思ったら、泊まりには必須のケータイやiPad類のコネクタを忘れたことに気づいて、車で1分ほどだが戻ることになった。遠くまで行く前でよかった!
あらためて、出発。
初夏のドライブということで「TUBE」をガンガンかけて走る首都高も東北自動車道も磐越道もまずまずすいていて、道のりは順調だった。
東京を出るまでは高速の対向車線がめっぽう混んでいたので、やはり東京に流れ込む車の量は馬鹿にできない、明日の帰りはなるべく早めに向こうを出ようね、と話し合う。
日光を過ぎたところから3車線が2車線になり、車の通行量も目立って減った。
東京近郊としては日光がかなりの観光地だと感じる。
那須塩原まで来て、たぶん我々が車で来たことのある最北の地だ、と思った。
息子が小さい時に「レゴランド」に行ったことがあるんだ。
途中のパーキングで停まってお弁当を食べたりトイレ休憩したりして、運転を交代しながら4時間ほどで目的地の会津若松に入った。
従姉が滞在している家を訪ねる約束の時間には間があったので、近所の「道の駅」で1時間ほどぶらぶらした。
農産物や花を売っているのに惹かれ、
「野菜、買いたいねぇ。でも今夜は温泉に泊まるのに、積んでおけないもんね」
「従姉がお世話になってる人に、お花を買って行こうか。でも、知らないおうちに花持って行くのも大げさでヘンだし、近所で買った花だってバレバレだよね。やめとこう」
「おいしそうなお菓子をたくさん売ってる。ソフトクリーム食べたい!でも、糖質制限中」
とすべての欲求を「でも」で抑え込んで、約束の2時に目的のおうちに着いた。
5年ほど前に東京で会ったきりの従姉は私が杖をついてるのに驚いたようだが、11歳の双子と一緒にハグで迎えてくれた。
上がって休んで行けと言われてお邪魔することにした。やっぱりお花買ってくればよかったかも。
紹介されたおばちゃまは高齢のお母さん、つまり大内くんの伯母さんを7年間お世話してくれていた人で、30年アメリカで暮らしたのち郷里に帰って来たのだそう。
従姉の子供たちもずいぶん面倒をみてもらい、今は夏の家として招待されたうえ子供たちは地元の小学校で体験学習させてもらってるんだって。
DNA的には日本人なバイリンガルの従姉は、子供たちも日本語を話せるようになってもらいたいらしい。
4年前に息子がアメリカにステイさせてもらった時のことをちゃんと覚えている双子は、口々に、
「今日は息子ちゃんは来なかったの?会いたかったのに!」と日本語で言っていた。
大内くんは最初英語で話しかけていたんだが、私が「日本語しゃべれる?」と聞いたらほがらかに「うん、しゃべれる!」と返ってきたので、その後は日本語で。
もうね、英語はあきらめてるのよ、私は。
ダンナさんと上のお姉ちゃんは月曜に日本に来て合流するとのことで、今回は会えないんだが、実はその2人はあまり日本語が得意じゃないので、日本語で行きたい身としてはいささか胸をなで下ろす思い。
お茶と果物を出していただき、イチゴを少しだけつまんで、
「ローカーボやってるから」と説明したら、従姉もやったことがあるんだそうで、
「2週間でやめた。もう2ヶ月もやってるの?えらいねー!」と感心されちゃった。
「あなたたちもアメリカに遊びにいらっしゃいよ」と言われて、
「大内くんがリタイアしたらね」と答えたら、
「休めないの?」
「長くても1週間ぐらいしか休めないの」
「えー?!休暇がないの?」と驚く彼女に大内くんが「有給がたまって年間40日以上になるが、実際は休めない」日本の有給休暇システムを説明し、
「ダンナさんの休みはどのくらい?」と聞いたら「2週間か3週間ぐらい」という答えなので、アメリカの有給は意外と少ないんだなぁと思ったら、それは「連続して取れるホリディ」の意で、自分や家族の病気や用事で休むのはまた別の話なんだって。
日米の働き方、というかそもそもの考え方の違いの差に愕然としたし、「日本、あり得ない!」という顔をしている従姉に比べて大内くんはうらやましいとも現状を変えたいとも思ってない様子なので、なんだか気分が暗くなった。
こんな人が会社で「働き方改革」とか言ってても何も起こらないだろうなぁ。
30分ほどして、それぞれ身の回りのものを詰めたリュックを持った従姉たち親子を車に乗せ、お礼を言っておばちゃま宅を辞去し、10キロほど離れた温泉に向かう。
着いた宿はかなり豪華な温泉ホテルで、子供たちは「ワオ!」と大喜び。
和室希望の従姉と私が畳に坐れないからベッド希望の我々は別の部屋を取っておいたんだが、キーをもらってフロアに行ってみたら隣同士の部屋だった。ありがたい。
いったん部屋に分かれて荷解きをしてから従姉の部屋を訪ねると、落ち着いたいい和室で、窓際には低いチェアも2つあって私はそこに坐らせてもらった。
お茶を飲みながらいろんな話をした。
息子の近況を聞かれ、実はさっきメッセージが来たんだよね。
「家賃を貸してもらってありがとう。とっても言いにくいんだけど、交際費や靴代に2万円以上使ってしまい、2万円パチンコをしてしまいました。残額があまりありません。申し訳ないけどあと5万円貸してもらえないでしょうか」
馬鹿〜!!
従姉にそう言ったら、「オー!」と天を仰いでた。
「彼は、甘えてるね」と言われ、その通りなので悲しくなった。
こんなだらしない若者を家に迎え入れる気にはならないだろうなぁ、と思ったら、
「何もしてないんだったら、アメリカに来たらいいわよ。何ヶ月でもうちにいていいから。英語の学校に行くとか、演劇の学校に入るとか、やりたいことをすればいいから」と言ってくれた。
アメリカ人マインドの従姉にとって、親にお金を出してもらってることと仕事に就く以外に経験値を稼ぐ「自分への投資」は別の話らしい。
夕食前に温泉に入ろうと思ってたんだが、話が弾んであっという間に時間が過ぎてしまい、まずはみんなで夕食を食べに行った。
バイキング式なので糖質制限の我々も肉や刺身を中心に大丈夫なものを選ぶ。
何種類ものスイーツが並んでいたのにはクラクラしたけどなんとか踏みとどまったのは、従姉が、
「ローカーボだからお菓子食べないの?えらいねー」と感心してくれるからに他ならない。
食後はそれぞれお風呂に入りに行く。
従姉と温泉に入るのを楽しみにしていたんだけど、双子を遊ばせるのに忙しくて私が上がる頃にやっとやってきた彼女とはすれ違いになってしまった。
森を見下ろす露天風呂が広くてきれいで景色が素晴らしかったので、そう声をかけて、待ち合わせてた大内くんととりあえず部屋に帰る。
8時頃にロビーのラウンジに集合し、オトナたちはまた「親族の集い」。
ゲームコーナーで遊んだ子供たちが戻ってきて「Mom!」とクレーンゲームの戦利品を見せようとする相手をしつつも、
「Please let me have a nice talk with my
cousin!(従弟とお話してるんだから!)」ときっぱり言うのはなかなかいいね。
話題はおもに大内家の歴史。
結婚以来私もずいぶん聞かせてもらったが、今回さらにその知識を深めた。
どの家にもファミリー・ヒストリーがあるものだけど、大内家のそれはなかなか複雑で闇が深い。
4世代にわたる愛憎のどろどろを堪能した。
「ひいおばあちゃん」の三姉妹がそれぞれ裁判官、政治家、実業家に嫁いだ話なんかを聞くとまるで「宋家の三姉妹」という映画のようだ。大内くんってずいぶんいいとこの末裔なんだなぁ。
すっかり没落してしまったとは言え、そんな家に嫁に来た私のお姑さんにあたるお母さんのあくなき上昇志向も無理からぬことかもしれない。
あとはそれぞれの親の現況。
認知症の家系なうえ、そろって長命なんだよね。結婚してから1度も大内家の葬式に呼ばれたことがないぐらい。
大内くんはとっくに私の両親の葬式に列席しているんだが。
共通のDNAを持つ2人はかなり悩みが深そう。
「この問題はあと10年は続くよ。自分たちは判断力がしっかりしてるうちに入る施設を見学したり考えたりしておいた方がいい」と、老人問題の権威である従姉は断言していた。
私の友人たちも今、そのへんの悩みに直面していて、そうすると誰もが共通に口にするのは「長生きはしたくない!」という嘆息なんだが、不屈のアメリカン・スピリットを持つ彼女は自分の老後も前向きにとらえているようで、印象深かった。
とっても面白く傾聴し、またも時間があっという間に過ぎてしまった。
子供たちはとっくに部屋に行って寝ている。さすが小さい頃から個室で1人寝をする文化だ。
「もう11時!」と驚いて、オトナも寝ることに。
明日は早起きして朝風呂に入りたい、と言いつつ寝る前にもう1度露天に浸かって、今夜はオヤスミ。ぐー。
18年6月10日
遠くまでドライブした疲れか温泉の効能か、さすがの不眠症の私もめずらしくぐっすり眠れた。
いや、例によって2時間おきには目が覚めたけど、そこからすぐに再度入眠できたんだよね。
4時半に起きた時はまだ大浴場が閉まってるので「よし、5時に起きよう」とか思ったんだが、次に起きたのは6時半のモーニングコールだったというわけ。
大内くんを起こし、隣の従姉の部屋に電話をかけて起こしてもらう。
元気いっぱいの娘が出たところを見ると、子供たちは早くから活動してるようだ。
7時に朝食のバイキングを食べ、並んでいるスイーツがあんまり誘惑的なんで大内くんに「チーズケーキひとつだけ、食べちゃダメ?」と聞いてみたんだが、「ダメ!」とにべもなかった。
しょうがない、ヨーグルトにぽっちりとブルーベリージャムを乗せてガマンしよう。
クリームのようになめらかにとろっとしたおいしいヨーグルトで、3回もおかわりしちゃった。
そのたびに脚が悪い私に代わって大内くんが取ってきてくれるのを見て、レディ・ファーストの国から来た従姉ですら「やさしいね!」と感嘆の声を上げていた。
確かに優しいんだが、こういう時に妻が夫に取ってきてあげても「優しい」とはあんまり言われないように思うのは気のせいだろうか?
食後のコーヒーまでゆっくりと楽しんで1時間かけて食べ終え、最後の温泉。
ついに従姉と露天風呂に入った。
2人きりになったので、大内くんはとってもいい人で、私は彼をものすごく愛してるし幸せだ、と言っておいた。
「わかるわかる。2人は本当に仲が良くて幸せそう。私の従弟が幸せで、私も嬉しい!」と喜んでくれた。
9時半にロビーに集合して、ホテルの人に記念写真を撮ってもらって、車へ。
満員のマイクロバスで離れた駐車場まで連れて行かれ、しかも、「第2駐車場のお客様はここです。第3駐車場の方はお待ちください」と言われたので、従姉一家はたいへん驚いていた。
大きな温泉旅館などにはよくあることなんだけどね。
従姉たちは近くの博物館に行って遊び、バスで帰ると言うのでそこで落として、荷物は我々の帰り道にあたるおばちゃまの家に届けておくことにした。
ハグを交わした従姉は、いつでも息子を受け入れるから寄こして、と言ってくれた。
「働き始める前に来た方がよさそうね。日本では会社に入ると休めないみたいだから」と笑われたよ。
子供たちもはしゃぎながらハグしてくれて、いつまでも手を振って車を見送っていた。
荷物を届けたらおばちゃまはお留守のようだったので、従姉に言われていたように物置の陰に置いて、さて帰るか。
まだ10時過ぎだから高速もそれほど混んでないだろう。
コンビニがあったら昼食を仕入れようね、と言って走っていたのに結局高速に乗るまで1軒も見つからなくて、東京のようにはいかないもんだ、と少し驚く。
高速のパーキングで休憩がてらサラダチキンやくんせい卵、ゼロコーラなどを買い、運転を交代して私がハンドルを握る。
昨日からけっこう運転したし、もともと私の方が飛ばし屋なので、首都高に入る手前までずっと快調に走り続けた。
「運転しながらだと、会話に割けるアタマが少し減る」大内くんは、100キロ巡航ぐらいなら全然話すテンポが落ちない私には驚くんだそうだ。
BGMは少し辛気臭いが谷山浩子。
家の近所で食料品の買い出しをして、帰りついたのが3時過ぎ。
ああ、いい旅行だった。
すぐさま荷物を片づけ、たちまち旅の痕跡をすべて消したはいいが、やっぱりかなり疲れていたらしくて2人とも1時間ぐらい爆睡してしまった。
深い深い眠りでリフレッシュしたけど、温泉三昧だったからでお風呂は省略して、今日は早く寝よう。
明日は友人たちと宴会が予定されてる。
出張に行った金曜から数えると、大内くん的には「怒涛の4日間」になるんだ。
しかもそのあと普通の勤務が次の週末まで続くわけで、本当にご苦労さん。
18年6月11日
阿佐ヶ谷でくらぶの飲み会を企画した。
先日の休日講座に来られなかった人を中心に、いつものメンツから珍しい人まで、私の乏しい人脈をフル稼働させて声かけてみた結果、10人の宴会になった。
よしながふみが「愛がなくても喰っていけます」の中で取り上げてる居酒屋、いっぺん行ってみたかったんだ。
せっかくだ、美容院に寄って髪を切ってから行こう。
3回めになる担当のにーちゃんに、
「珍しくこのあと宴会に出るので、そこそこキレイにしてください」と頼んだら、張り切って後ろを短めにカットし、ワンレンぽく仕上げてくれた。
しかし、
「主人が『僕は毛先がハネてるのが好きだって、担当さんに言っといて』って言ってました」ってのは、最後に毛先をカールさせる、って意味じゃないから。
「マンガ読みだ」って言っても「どうせおばさんマンガ」ってなめてたっぽいにーちゃんの、
「東京喰種、って知ってます?」「BEASTARS、とか」という諮問を次々受けとめて「へえーっ!」と言わせたのち、「約束のネバーランド、面白いですね!」って話をしたが、最新巻をまだ読み終わってないんだって。
「意外な展開ですよ。ネタバレしたいです」
「それはダメです!」
今言うけどね、ノーマンは生きてたんだよ。そんなこったろうと思ってたけどね。
「読んだら、何をネタバレしたかったかすぐにわかると思いますよ」とだけ言っておいて、次に会うことがあったらそれについて語ろうじゃないか。
なんか私のイメージとも大内くんの好みとも違う髪型になったので、次回はないかもしれないけどね。
電車に乗って阿佐ヶ谷で降りて、さて、店は遠いし足は痛いし雨は降るしなのでタクシーを使うように大内くんに言われてたんだが、まだ時間はあるからゆっくり歩くかな、と思いながら改札を出たとこで、すぐ横を好みにジャストフィットなおっさんが通るなぁ、と思ったら大内くんじゃないか!
「きゃあ!」「わあ!」と50代らしからぬ声を上げて喜び、「杖をつく初老の妻を優しくいたわる夫」の体を取って、手をつないで商店街を抜けて街道沿いの店まで歩いた。
一番乗りで待っていたら、三々五々人が集まってきた。
定刻10分過ぎには8割のメンツが現れていて、「まんがくらぶなのに!」とみんな驚いていた。
来てないのは「仕事が入って遅れる」と連絡のあったMちゃんと日頃から絶対定時には来ないため誰も期待してない夫のIくんだけだ。
この夫婦を抜きにして、乾杯!
最初はすみっこで私の横に座っていた大内くんだが、今日は休日講座で会えなかった先輩のSさんに「セミリタイア後のゆるいサラリーマン生活」の話を聞くのが大目的だったので、そっちの席に移って行った。
やがてMちゃんが現れて入り口近くの大内くんの前に坐り、なんだか話が弾んでいたようだ。
きっと親の介護の話を取材してるんだろうなぁ。
やがて最後の1人、Mちゃん夫が来たけど、空いてる席が私の隣だけだったので「やあやあ」と言いながらそこに坐った。
こっちでも、「自分の親がもういない場合、配偶者の親の老後にどう対処すべきか」を取材させてもらおう。
あとから大内くんに聞いた話では、Mちゃんが私の方を見て、
「あこちゃんは本当に滑舌が良くなった。昔のマシンガントークが戻ってきた」としみじみ言っていたそうだ。
大内くんと結婚する前、1人暮らしの私のアパートによくMちゃんともう1人Sちゃんが遊びに来てくれて、3人でお菓子を作ったり料理をしたりして一緒に食べたものだ。
そのSちゃんを去年亡くして、私たちはとてもさみしい。
私と大内くんは糖質制限上良さげな「紫蘇サワー」を飲んでいたんだが、これがなんとも塩辛く酸っぱい「赤紫蘇」の味で、おいしくはないんだ。
でもガマンして2杯目もこれで行こうかな、と、遠くで飲んでる大内くんに大声で聞いてみた。
「大内くん、紫蘇サワーもう1杯飲む?」
私の前に坐っていた長老が、
「お、なんだなんだ、シェアしたいのか?」と聞くから、
「いや、大内くんは何を飲むのかな、と思って」と答えたら、隣のIくんが、
「そこまで管理するんだぁ」と面白そうに言っていた。
そういうつもりはないんだが、そうか、そう見えるか。
いずれにせよ、あまり普通のことではないんだな、と思い、あらためて自分が何ごとにつけても大内くんに深く依存しているのを感じた。
日頃から、
「いいじゃない、夫婦はお互いに依存するものだよ。そのためにわざわざ結婚してるんだから」と言ってくれる大内くんと束縛を嫌うIくんは、同じ種類の夫じゃないんだろう。
全体に、にぎやかな楽しい会だった。
めずらしい人たちもいたが、適度に個人的な仲良しが配置されてあちこちで盛り上がり、30年前の宴会のように「くらぶ的な雰囲気」でディープだった。
これからだんだん引退する人も出てくるだろうから、その暮らし方を参考にしたいなぁ。
実際、来年から年金をもらうと嬉しそうに言う長老は、彼が生涯かけて集めたマンガを運び込んだ別荘で「合宿」をしようという企画を打ち出してくれている。
もちろん専業主婦の私はすでにマンガ三昧の生活をしているが、早く大内くんとこの時間を分かち合いたい。
3時間以上飲んで、7月末には合宿を実現させようと言いながら「ぜひまた飲もう!」と解散し、我々は大盤振る舞いですぐ前の大通りからタクシーを拾って帰った。
すっかり酔っ払ってふらふらの私を抱えるように連れて帰ってくれた大内くんには感謝だ。
どうもあんまり記憶がないんだよね。
目が覚めたら夜中で、身体中がものすごく「酒っぽい浸透圧」になってて頭が痛かった。
すでに二日酔い。
大内くんはこれで明日も仕事だよ。ご苦労さまです。
楽しかった。皆さん、ありがとう!
18年6月12日
整形外科に行く。リハビリは予約制だが診察はフリー。
3時の予約だと思っていたので、
「2時50分に午後の患者さんを入れ始めるけど、それに並ばなくても3時ちょっと前に行って診察券出しておけばリハビリしてる間に順番が進んで診察受けられるだろう」と、あえて一番乗りを避けてのんびり行ってみて気づいた。
実際の予約は3時40分だった!
まあしょうがない、40分まで腰をすえて待とう、と本を読み始めたら、3時にいつものPTさんに呼ばれた。
「大内さん?3時にキャンセルが出たんで、どうぞ!」
おう、と言うことは3時20分の人もまだいないのね?早く来ちゃったのがこんなラッキーにつながるとは!
おかげで、20分間のリハビリを終えて出てきたら、すぐに診察室に呼ばれた。
今日はなんだか流れがいいなぁ。
さすがにもう水は溜まってないらしく、ヒアルロン酸の注射だけしてくれるようだったので、いつもの右ひざに加えて左ひざもかなり痛み始めた、と言うと、
「まあ、軟骨のへり方としては左の方が進んでるからねぇ。そっちも注射打っとこうか」と、両方にちゃちゃっと注射してくれた。
でも、左の方では「あっ、ごめん!痛い?!」と叫ぶし、実際痛かったから、「なんか間違えました?」と聞いたら、
「骨に当たっちゃったね。これ、痛いんだよ」と強気の先生にしてはしおらしく謝ってた。
1日3回足の体操するように指導されて、また来週来て、って言われておしまい。
隣の薬局でシップもらって帰るまでに、雨が降り始めた。
洗濯物干したままだったので、少しあわてちゃった。
今日は晴れの予報だったから朝イチで洗濯したんだけど、結局1日ぐずぐずした天気だった。
それでも乾燥機を使う必要はなく、さすがに夏の暑さが始まってる。
明日こそからっと晴れるようだから、シーツとかの大物は翌朝だ。
18年6月13日
ツィッターを巡回してて、歌手の森田童子が4月に亡くなっていたことが判明したと知る。
私生活を一切明かさない謎の多い彼女らしく、死因も、享年が65歳か66歳かもさだかでない。
静かに消えるように退場した。
高校生の頃だっただろうか、日曜の昼間なんとなくテレビをつけたら、「今、活躍する女性」というような番組で萩尾望都がしゃべってた。
大ファンだったので一生懸命見てて、そのあとに出てきたのが森田童子だった。
長いカーリーヘアに大きなサングラス、「だれ?」と思っていたら、印象的なか細い声でなんだかとてもつらい歌を歌った。
心をわしづかみにされ、涙が出て、その印象的な歌が忘れられなくなった。
その後レコード屋で買った彼女のアルバムは、そんなしんどい歌ばかりだった。
当時のボーイフレンドが東京のライブハウスで生演奏を聴いた、と手紙に書いてきた時はうらやましくて仕方なかった。
結局、翌年上京してもライブハウスに行くことはなかったけど、彼女のレコードは何枚か手に入るようになっていた。
そして、どの歌も、聴いているともう死んでしまいそうな切なさに満ちていた。
やはり森田童子に感染してる大内くんに出会った7年後、私と結婚するために家出した彼がアパートに転がり込んできて卒業試験のため猛勉強してる間中、ずっとかかっていた音楽は中島みゆきと森田童子だった。
彼女の細い歌声は、世界に2人きりで漂流しているようなあの頃の記憶と濃密に結びついている。
93年頃、バラエティー番組を見ていたら女子高生姿のコントで「僕たちの失敗」が流れ、驚いた。
「今頃こんな曲使うとはね。なつかしい」と話したけど、「高校教師」というドラマが大ヒットしていて主題歌が話題になり始めてるとは全然知らなかった。
ひと月ぐらいしてやっと事態を理解し、また驚いているうちに、森田童子の名前はヒットチャートに登場するようになり、絶版だったレコードがCD化されて、すでに手元から消えていた懐かしいアルバムが全部手に入るようになった。
「きっとテレビのオファーとかすごいよね。そのうち歌番組に出ちゃうのかな」と半ば不安で半ば楽しみな予想は完全に外れ、彼女が表舞台にカムバックすることはなかった。
その後何年も我々は、
「キャンディーズは戻って来ちゃったし、南沙織は紅白で歌ったってのに、森田童子はまったくもって森田童子らしい!」と賛辞を送り、時おりCDを聴いたが、それもだんだん途切れていった。
今日、思い出すまでは。
自分たちだけで秘匿したいような気持ちから「あまり知名度の高くない歌手」と思っていたにもかかわらず、ネットでは森田童子を悼む声がたくさん上がっていた。
93年以降に知った人が多いようだけど、もちろん70年代から聴いている人も多いだろう。
あの時代をせつなく歌い上げた、不思議な人だった。
また1人、魂の知人を彼岸に送って、あちら側が身近になったような気分を味わっている。
人はみんな死ぬ、と今知っているのに、これからもっとそちらに近づくにつれて私たちはそのことを避け、忘れるようになっていくのだろうか。
今日はずっと彼女の歌を聴きながら眠ろう。
18年6月14日
新幹線の中で殺人を犯した犯人が家族から「働け」と言われていたことで「毒親」と非難する声をツィッターで読んだ。
「働け」と言えば子供の味方になってやらなかったと言われ、働かない子供にお金を与え続けたら「甘やかしてダメにしている」と言われる。
どうすればいいのか。
そんなことを思い悩んでいて気分が重く、大内くんも予定外の残業で疲れて帰ってきて、お互い調子が悪い。
遅いごはんを食べたらもう早く寝よう、と思っていた時、息子から連絡があった。
週末に来ることになっていたが、「日曜の夜は仕事が入って行けない」とのこと。
あれ、でも、来るの土曜じゃなかったっけ?
そう返したら、「あ、そうだった」。
「で、土曜は来られるの?」
「うん」
じゃあいいや、と思ってしばらくしたら、玄関で音がした。
2人でびっくり。
連絡なしにいきなり来るのはやめてくれと何度も言っているのに。
「さっきメッセージやり取りしてる時にもう歩いて来てたの?そう言えばいいのに」と言っても無言。
「ごはんは?」
「食ってない」
私たち今からごはんだけど、あなたの分はないんだよ。
「食べたい?」
「うん」
私のお肉を少しわけてあげて、あとは大内くんが彼のために野菜とハムの炒め物を作ってあげた。
「なんか汁物ない?」
ぜいたく言うなぁ。インスタントみそ汁で我慢してね。
「母さんたちは週末に翌週の予定を確認して食事の献立を考えて買い物をして、その週何を食べるかとかだいたい決めて暮らしてるんだよ。来るならごはんだってちゃんと作ってあげたいと思うし、コンディション良く会いたい。母さんは突然の出来事に弱いから、計画的に暮らしたいの。何度も頼んでるように、前もって連絡して」と言っても、テーブルの上のテレビ雑誌をめくりながら黙ってごはん食べてる。
大内くんが、
「せっかく来たんだから、そんなの読まないで話しようよ」と何度か言ってくれて、やっと雑誌を離した。
でも、今日はもう10時過ぎだし、早く寝たいから、
「土曜日にまた来られるの?じゃあ、アメリカ行きの話とかは予定通りその時にしようね。今日は食べたら帰りなさいね。何か用があったの?」と言うと、
「べつに」としばらく黙っていたが、うながされてようやく言うには、バイトに行く交通費が足りないんだそうだ。
「3日前に家賃がないから貸して、って言うから5万円振り込んだ、あの時にもっとちゃんと計画的に足りなくなる分も借りればよかったじゃない。数日でお金が足りなくなるって、考えればわかるでしょう?」と大内くん。
「・・・」
「またパチンコしたの?」
「いいや」
「こないだパチンコで2万円使ったって、お金がないから一気に10万円稼ごうとか思ってやったの?」
「いいや」
「じゃあただの遊びだね。稼ごうと思った、って言われた方がまだ理解できるよ。時給千円で働いてるんだから、コントを書く時間を20時間も無駄にしたんだよ。遊びに使う時間もお金もないはずなのに」
「・・・」
「いくらいるの?」
「7千円ぐらいあれば」
お財布から出して渡したら、「ありがとう」って受け取ったけど、イヤな顔してる。
食べ終わったから帰ればいいけど、冷凍庫にアイス残ってるのを帰り道に歩きながら食べたらいいと思って、
「アイス食べる?」って聞いたら、
「うん、でも、先に風呂入るわ」って、もう服脱ぎかけてるじゃないか。
「え?もう帰りなよ。私たち、寝るよ」と言うと、三白眼でにらみつけて、
「先に寝ればいいじゃん。オレは勝手に帰るから」って言うけど、落ち着かないんだってば。
「じゃあ、帰る」ってアイス渡す間もなく帰っちゃった。
私は息子に冷たいのかなぁ。
だけど、突然の事態は苦手だし、甘えたくて実家でのんびりしたいんだとしても、言われないとわからないよ。
私にとっては「大内くんと2人の家」が息子にはまだ「いつでも自由に帰れる自分の家」であるという認識のずれが問題なんだろうか。
いつかはそこをはっきりさせないといけないかもしれない。
どうにもやりきれない気持ちが晴れず、
「突然来て、機嫌悪く帰ったね。お互いもっとコンディション良く会いたい。前から言っている訪問のルール、借金のルールを守ってください。親はいつでも気持ちよく受け入れてくれる存在だと思ってる?」とメッセージを送ったら、
「ごめんね」と返ってきた。
「親も歳食っただけのただの人間だよ。自分の生活でいっぱいいっぱいなんだよ。それぞれの毎日を頑張ろうね」
「うん」
何をどれぐらいわかってもらえただろうか。
私は彼をわかってあげているんだろうか。
「勝手さと繊細さのバランスが悪い人格」が災いして、いつもくよくよしている私の悩みは終わらない。
18年6月15日
リハビリに行く。
午前中は雨が激しく降っていたので、これでは傘をさして歩いて行くしかないかな、と思っていたら、出かける寸前にかなり空が明るくなってやみそう。
なんとか自転車で行けた。
徒歩6分ほどではあるんだが、傘さして杖ついて歩くのはかなり苦しいから、助かった。
かなり顔なじみになって息子の話などしているPTさんに
「ところで大内さんはお子さんはお1人なんですか?」と聞かれ、
「いえ、上に娘がいるんですが、重度の障害者なので施設で暮らしています」と答えたら、
「へえ、僕んとことおんなじですね。僕の下に妹がいるんですけど、重い自閉症なんですよ。両親が亡くなって、今は障害者の自立施設で1人暮らしさせてます。時々会いに行きますよ。精神的には5歳ぐらいなんです」と話してくれた。
いろんな人がいるなぁ。
なにせPT(理学療法士)さんなので障害者にはくわしく、唯生の状態を話したら「あっ、なるほど。はい、はい」とうなずいていた。
脳性まひによる身体の拘縮は消化器だけでなく呼吸器にも負担をかけるため、今の状態は安定している方らしい。
補助具や医療装置で延命できているならそれに越したことはない、と慰めてくれた。
たった20分のことではあるが、世間話をすると気分が晴れるなぁ。
夜は大内くんと3度目の「北島亭」。
日曜が29回目の結婚記念日にあたるので、その前祝いのディナーだ。
予約の時にいちおう「17日が記念日で」とは言っておいたから、なんかサービスがあるといいね。
少なくとも最初に行った時に見た隣の若夫婦はデザートの時にプレートにチョコで「おめでとう」って書いたのを入れて2人の写真を撮ってもらっていたよ。
今日は何を食べようかなぁ、と楽しく妄想しつつ、さてそろそろ出かけるか。
北島亭探訪記は来週になります。
どうしてもこういう気を持たせる引きになっちゃうのは申し訳ないです。お楽しみにね。
18年6月15日
そんなふうにとても楽しみにして行ったフレンチレストランだが、今回は残念なお話をしなければならない。
結論から言うと、私たちの結婚記念日はすっかり忘れ去られていた!
そもそも今日はさまざまな年齢の6組のカップルが訪れていて満席だったせいか、サーブが非常にゆっくりだったり、お料理の説明に来たのが慣れない若いウェイターさんでたどたどしかったり、フロアチーフに声をかけようと思っても他の席のお客さんと話し込んでいたりで、初回に感じたほど「至れり尽くせりでフレンドリー」な雰囲気ではなかった。
なんだかよそのお客さんたちとは楽しそうに話しているのを見て、思わず大内くんに、
「今日はとってもアウェー感があるねぇ」と何度か言ってしまったが、店内に背を向けて坐っているせいか呑気なタチのせいか、「ん?そう?」という返事だった。
メニューに載っている前菜の「ズワイガニのシャルロット風サラダ」をオーダーしてしばらくのち、やってきたフロアチーフに、
「すみません、今日はこちら、お出しできませんので」と断られ、仕方なく別の皿を注文したあたりからなんとなく落ち着かない気分だった。
デザートに入る前に「お飲み物は?」と聞かれて、大内くんはコーヒー、私はエスプレッソを注文したあと、もう一度別のウェイターさんに「お飲み物は?」と聞かれ、「さっき、お願いしました」と言ったら、「あっ、すみません!」と下がって行ったが、また来て、「すみません、ご注文はなんだったでしょうか?」と再度聞かれるに及んで、ますます心配になってきた。
「記念日のプレート、出てくるかなぁ。なんだか、忘れられてるような気がしてきたなぁ」と不安を口に出してみる。
先へ先へと読んでしまう私の予感はけっこう当たる。
大内くんの「マンゴーとクリームチーズのタルト」と私の「クレーム・キャラメル」が運ばれて来た時、期待していた「サービス・プレート」も「おめでとうございます!」の言葉も何もなかった!
「忘れられちゃったんだ・・・」と言うと、大内くんも、
「電話でちゃんと『17日が結婚記念日なので、2日早いんですけど食事に行きますので』って言ったんだけどね」と声を落とす。
「前に隣に座ってた若夫婦は、翌日が結婚記念日だからってわざわざ翌日の日付をチョコレートで書いたプレートが出てきてたよ。もしかしたら料金を払って特別に頼まないとやってくれないサービスなのかな。聞いてみてよ」
「うん」
最後のプチフールが出てくる前にやっと大内くんが聞いてくれた。
大「誕生日とかのお祝いをやっていただくことはできますか?」
店員さん「できますよ!」
大「それは、特に料金とか・・・」
店「いえ、コースに含まれています」
大「予約の時にお伝えすれば・・・」
店「はい、やらせていただきますよ!」
大「そうですか。では、次回、誕生日にはお願いさせていただきます」
店「はい、ぜひ!」
って、立ち去っちゃうじゃないか!
大内くん、ちがう〜!!
私「今日、結婚記念日のお祝いに来たので、予約の時にお伝えしておいたんですが」
店「え!?そうですか?」
あわてて厨房に消え、すぐにプチフールを持って現れた、そのお皿にはチョコで大急ぎで書いたらしき「祝・結婚記念日」の文字があった。
店「おめでとうございます!」って大声で言って拍手してくれたけど、上ずった声は店内に場違いに響くだけで、まばらな拍手すら起こせなかった。
「あの言い方はないでしょう。控えめにもほどがあるよ!」と小声で言うと、大内くんは困った顔をして、
「あれじゃダメだった?」と言う。ダメに決まってるじゃないか。
「僕、あのあとちゃんと言うつもりに見えなかった?」
「見えない!店員さん、帰りかけてたのを呼び止めたのは私!」
「そうだったかなぁ・・・言えてなかった?」
「全然、言えてない!事実を妄想で捻じ曲げるの、やめて!」
その時、大内くんのうしろの席の常連さんらしい年輩のご夫婦のところに、ロウソクとチョコでデコレーションされたバースディ・プレートが運ばれてきた。
「お誕生日、おめでとうございます!」というフロアチーフの声に、店中が温かい拍手で包まれた。
私、もう、泣く寸前だった。
いつものようにプチフールを包んでもらってお会計をして帰ろうとしたけど、毎回お見送りをしてくれるシェフは忙しいのか、ウェイターさんが扉を開けてくれただけだった。
「帰ろうか」と大内くんに言われ、私が運転してきて店の前のパーキングに停めてあった車に乗り込んだけど、そこでとうとう泣き出してしまった。
「記念日なのに、台無しだよ」
大内くんは困って、
「でもさ、おいしいお料理は食べられたんだから・・・」と言う。
「悪いけど、お金払って美味しいお料理食べるとこまでは普通。記念日だから、それ以上の期待があったの。期待が空振りに終わるのを、台無しって言うの!」
「僕にどうしてほしいの?」
「シェフに、残念でした、って言って来て」
「わかった・・・」
車を降りて店内に戻った大内くんが、しばらくして帰ってきた。
もしかしてシェフが一緒に来るかと思ったけど、1人だった。
「シェフは、他のお客さんと話してたところを僕の方に来てもらったよ。『今日は忙しくて、お見送りできなくて申し訳ありません』って言ってたよ」
「記念日のことは?」
「『今度、12月にお誕生会をしたいのでよろしくお願いします』って言ったら、『それは、ぜひ来ていただかなくては』って」
「あなた、残念でした、とは言わなかったの?」
「うん・・・話しに来てくれたし・・・」
「あなたのそういうとこって、はっきり言って、卑屈!クレーマーになれとまでは言わないけど、『妻が車の中で泣いてます。楽しみにしていたのに、台無しになって残念です』ってどうして言えないの?!」
ああ、自分で言っててイヤだよ、最初にやんわりと注意していてくれればわずかな行き違いですんだものが、大きな亀裂になって真っ暗に私を呑み込んでしまった。
帰り道、運転しながら大内くんが一生懸命慰めてくれたけど、なかなか浮上できない。
「考えてみれば、キミは最初からずいぶん『アウェー感がある』って居心地悪そうだったもんね。3回行って、初回はすごく感じのいいお店だったのに、あとの2回は外れだったね。高いお店なんだし、1勝2敗はもう行かないってレベルだけど、2回目は偉い政治家が来ててフロア全体が緊張してたし、3回目の今日は常連さんで満席だったからサービスがいっぱいいっぱいだったんじゃないかなぁ。今度は週末じゃない曜日を選べば・・・」
「半年足らずで3回も行って、覚えててもらえないんじゃ寂しいよ。そもそも常連とたまのお客に差があるのは良くないし。12月には会社のHさん夫妻とお誕生会をするんでしょ?12月なんて、週末じゃなくても毎日混んでるよ。予約は早くから入れるにしても、Hさんたちが居心地悪かったらどうする?」
「うーん・・・もう、別のお店にしようか?」
「最初に『いいお店』って思ったのに、行き違いたくないの!いいお店なんだって、思いたいの!だから、あなたが私の気持ちをわかってくれてればここまでこじれなかったのに、って思えて、どうしていいかわかんないの!」
あーんあーん。号泣。
はてさて、人生においてここまで事態がこじれたことがあっただろうか。
もちろんあったに違いない。コドモの頃や若い頃、私は始終事態をこじらせて泣いていたに違いない。
その都度自力で立ち直れたのは、こじれたのを人のせいにしなかったからだ。
大内くんに頼り切ることを覚えてから、私はあんなに嫌いだった「誰かが何とかしてくれて当たり前」と思う人間になってしまった。
「あなたに依存しすぎてるからこんなことになるのかな。やっぱり人間は他人に依存しちゃいけないんだよね?」
「それは違うよ!夫婦は、夫婦だけは、お互いに依存し合っていい関係なんだよ。配偶者に正しく依存し、甘えることは許されるんだよ。お互いに選んで、ずっと一緒にやっていく関係なんだから!」
「私、選ぶ相手を間違ったかも・・・」
「えーっ、もう29年もやってきたんじゃない、そんなこと言わないでよ」
「あなたも、『怒らないで』とか『機嫌を直して』とか『そんなこと言わないで』とか私に要求が多いねぇ。それがあなたの依存か」
「そうそう。僕はアタマが悪くて気が利かないけど、キミがなんとかしてくれると思ってる。キミを頼りに生きてるんだから、ね?ね?機嫌直して」
「・・・おいしいごはんを奢ってくれてありがとう。運転して連れて帰ってくれてありがとう」
「よかった!」
破れ鍋に綴蓋とか、凸凹コンビとか、Every Jack has his Jill.とか、いろんな言葉を思い出してこの関係を正当化する。
ここまで来るのに、こんな程度の困難じゃなかった。主観的には、2人で手を取って大嵐をくぐり抜けてきた。
ユーミンも歌っている、
「勝手な性格ね おんなじくらいに 今までガマンして 投げたらしゃくだわ」
12月にはリベンジをかけるぞ。なんと言っても「和牛ほほ肉のハチミツ入りワイン煮」の威力にはひれ伏さざるを得ないんだ。
特定のお店への誹謗中傷の意図はありませんので、こんなこともある、と受けとめてください。
18年6月16日
月に1度の心臓の検診。
前回ワーファリンの値が低すぎたので少し量を増やして、さてさて今回はどうか。
そもそも私は具合が悪い。
昨日、フレンチに行く前からおなかが痛くて吐き気がして、よっぽどキャンセルしようかと思ったぐらいだ。
過去に風邪とノロにかかって2回ドタキャンしてるんでこれ以上迷惑かけられないから、どうしても行けそうになかったら会社の大内くんに電話して、同僚のHさんとか後輩のAさんとか、誰でもいいから連れてって奢ってあげてくれ、って頼もうかと思っていた。男性限定だが。
吐いてひと眠りしたらなんとか治ったので出かけたけど、ひやひやしたなぁ。
この店とのとの相性の悪さはいったい何なんだろう。
先輩女性からは明るく、
「あら、それはね、結界が張られているのよ」と言われてしまうぐらいの間の悪さ。
そして今日もやっぱり気持ちが悪い。
大内くんが言うには、会社ではおなかにくる風邪が流行ってるんだそうだ。
先生がにこにこと私に向かって、
「こんにちは。いかがですか?」と言うから、
「心臓の具合はまずまずなんですけど、昨日から吐き気がして、おなかが痛いです」と訴えてみる。
「キミは自己診断しすぎ。相手はプロなんだから、症状だけ伝えて、診断してもらうこと」というアドバイスを忘れないぞ。
でも先生は、「んー」と言ってカルテに目をやり、
「心臓の数値は回復してきてますけどねぇ・・・」と言うだけ。
「昨日から何度か吐いてます。下痢もしてますし」と言っても「んー」と言ってるので、横に座った大内くんが、
「風邪が流行ってる、ってことはないですか?」と聞く。自己診断かい。
「んー、患者さんの中には風邪ひいてる方もいますけどねぇ・・・流行ってるってほどでは・・・血圧測りましょうか。はい、上128の下65。いいですね」
「なにかお薬いただけませんか?」
「んー、胸の音聴きましょうか。はい・・・いいですね、うしろ向いて・・・はい、いいですね。お薬はいつものでいいですか?」
「ずっといただいてるイトプリドは余ってきてるのでけっこうです」
「イトプリド?そんなの出してましたっけ?出してませんよ」
「確かそういう名前の胃薬でしたが」
(カルテを見て)「ガナトン、ですね」
(ジェネリックかい!)「はい、いただいてるのはイトプリドですけど、それはけっこうです。いつものカロナールと湿布薬もください。前回ワーファリンの値が低かったんですけど、いかがですか?」
(さっき血液検査の結果を自分で持ってくる時に見た。「1.2」は低すぎだろう)
「低すぎますね!どうしたんだろう?」
これはちょっとシャレにならない大問題。
月に1回、この値を見てもらいに来ているようなもんだから。
「糖質制限で野菜をよく食べてはいるんですが、前回そう言ったら、先生は『食生活は変えなくてもいいです。薬で調節します』っておっしゃってたから」
「まあそうですが・・・」
と、大内くんが割り込む。
「ブロッコリーやほうれん草をよく食べるんです」
「ああ!それは影響ありますね。やっぱり緑黄色野菜はビタミンKが多いですから」
私「青汁とかクロレラとか納豆はいけないと言われて食べてませんが、他のものもダメですか?」
「いや、食べてもいいんですが・・・それにしても低いなぁ」
大内くん「すぐにどうということはない数値ですか?」
「いえ、これは、危険です・・・とりあえずワーファリン増やしますね。で、1ヶ月だと間が開きすぎなので、2週間後に来てください。ワーファリン値を見て、調整しますので」
「はい・・・で、吐き気なんですけど、なにか吐き気止めのようなものを出していただけますか?」
「え?ああ、じゃあ、1週間分ぐらい出しておきましょうか・・・お大事に」
受付に戻って会計し、処方箋もらったところで入念にチェック。
正直言ってこの先生、薬の出し方が不安なんだ。
ああ、やっぱりカロナールと湿布薬は忘れられてる!
看護師さんにその旨伝えて、処方箋が先生のとこに戻って書き直されるのを待つ。
一番大事なワーファリンの量はさすがに間違えないけど、強心剤の量を間違えて半分で出してきたことあるからなぁ、この人は。
いつもいつも困るんだが、手術以来1年たっても安定しない体調を、いったい誰に診てもらったらいいんだろう。
毎月来るこの病院を「かかりつけ医」だと思いたいのに、肝心の先生は私の心臓以外のところにはあんまり興味がないんだ。
言いさえすれば薬はいろいろくれるけど、私は医者でも薬剤師でもないから、自己診断にも限界があるよ。
いったん出し始めた薬はいつまでもくれるし、必要な薬は時々忘れるし。
不安だ。
「まあ、あんまり頼りにならない先生だけど、つきあい方を考えるんだね」と大内くんに言われ、
「もう2年ぐらいたって心臓の数値が落ち着いたら、ワーファリンだけもらいに他の病院に行くってのもアリかねぇ?」と聞いたら、
「あるかもしれないけど、僕はやっぱり心臓の専門医に診てもらいたいんだよ。一生、不安は不安なんだから。それにしてもワーファリンは大丈夫だろうか。この瞬間にも血栓ができて、血管を駆け巡ってはいないだろうか」ってとっても心配そうだった。
私はあまり命が惜しいタイプではなくて、自分が痛かったりだるかったり不快だったりさえしなければいいんだが、万が一脳梗塞でも起こしたら不自由になった私の面倒をみるのは大内くんだからなぁ。
すぱっと死ねるとは限らない。
買い物して家に帰って、さて、19時には息子がごはん食べに来るからお鍋の支度だ。
「6月半ばまでに20万円ぐらい作って見せに来たら、アメリカ行きの残りの費用を貸してあげることを検討する」って約束の、そろそろ期日。
もっとも、ここまでであまり稼げてないので、7月にずれ込みそうだと言う。
今日は今後の見通しを聞かせてもらうつもり。
すっかりお鍋の支度ができて、
「あの人は約束を忘れてることも多いから、来るかどうか全然安心できないね」という話になったので、18時半ごろにメッセージを打ってみる。
「今日は予定通り19時に来られる?」
すぐに返事が来た。
「ごめん、ちょっと遅れて19時半ごろになりそう」
そう、気をつけて来て、と返して19時半をまわる頃、またメッセージ。
「ごめん、20時過ぎになりそう」
さすがにイラッとした。
「どうしたの?今どこ?」と大内くんが聞いたら、「家でゆっくりしてた」。
「待っていたんだよ。ひどいよ」
「すまそ」
それって「スマン」の「ン」を「ソ」と打ったところから来る若者用語なんだろうけど、こういう時に使うかなぁ。
「約束を守れないのはよくない。そ?なめてる?」と、大内くんもキレ気味。
やっと彼が来たのは21時だった。
「ゴメン」と言いながら入ってきたけど、私はもう、口をきく気力もなかった。
大内くんも黙ってお鍋を仕上げて出してくれて、さすがに食事はなごやかにしたいと思ったのか、
「父さんたち、明日、結婚記念日なんだよ」と話しかける。
息子は我々が怒っているのが感じ取れて、なおかつそれが気に食わないのか、
「知らね。どうでもいい」と言っただけ。
今日来る約束した時、「日曜日は父さん母さんの29回目の結婚記念日だよ。土曜に来た時に一緒にお祝いしてね」って言っておいたんだから、知らなくないでしょうに。
押し黙っていた彼がディパックからノートを取り出して広げたので、アメリカ行きの計画について書いたものを見ながらプレゼンか、と思ったのに、こちらを見ずに何か書き始めただけだった。いつもの現実逃避だ。
今日の目的だけは達してしまおうと大内くんが聞いたところ、まだ10万も貯まってなくて、7月の終わり頃に少しまとまったお金が入るらしい。
それまでの生活費についてとかは説明がなかった。
まったく誠意のない吐き捨てるような話し方を聞いていたらこれ以上話す気もお金を出す気も失せたので、私はずっと黙っていた。
食べ終わるのを待って、大内くんが、
「じゃあ、7月末にお金を持っておいで。もうお帰り」と言ったら、何も言わずに出て行った。
「泣きたいねぇ」と言って、2人で手を握り合ってしばらく坐っていた。
「6月中にお金作るって約束は守れなかったんだから、7月末にお金持って来ても費用は出さないよ、って言わなかったね」と問いかけると、
「そう言ったら、今まで貸したお金も返ってこないじゃない。持ってきたところで貸した分をささっともらって、『あとは好きにして』って言うよ。当たり前じゃん」と大内くん。
「そうねぇ、サラ金に手を出して東京湾に浮かんでも内蔵売られても自殺しても、私は気にしないつもりだよ。失敗したとは思うかもだけど、物事には歩留りってもんがあるからね」と言ったら、
「キミのお父さん譲りの冷静さだね。僕はさすがにそこまでは割り切れないかも・・・」と困っていたけど。
10分ほどしたら、メッセージが来た。
「ごめんなさいね。せっかくの機会なのに」
帰る途中で頭が冷えて反省したらしいが、謝るぐらいなら最初から態度良くしろよ。
さすがにこれは既読スルーだ。
日付が替わった頃、また来た。
「本当にごめん」
何も言う気になれなくて、これもスルー。
結婚記念日になっていた。
この日をこんなにすさまじい気分で迎えたのは初めてかもしれない。
レストランに不満で、大内くんに不満で、病院に不満で、息子に不満。
不幸が重なってるのか、私の物事を受けとめる姿勢が何か間違っているのか。
Tomorrow is another day. 陽はまた昇る。
しかし、明日目が覚めなくても私は一向にかまわない。
18年6月17日
朝、起きるなり大内くんに言ってみる。
「結婚記念日、おめでとう。29年間、ありがとう」
同じ言葉が返ってきた。
いろいろ悲惨なことはある。
だいたい29年前の結婚式の朝、私たちは大ゲンカしていて、
「もう、式場になんか行かないっ!」と私は叫んでいたものだった。
そういう始まり方なんだし、人生はあれこれあるもんなんだ。
結婚記念日というものは、
1年目)式を挙げたホテルに泊まって素敵なディナー
2年目)おしゃれなレストランでディナー
3年目)子供が生まれて出かけられないので、おうちの食卓にテーブルクロスをかけて、1日煮込んだビーフシチューに赤ワイン
5年目)子供が食べるので「星の王子さまカレー」。ケーキを買ってくるのが最後の抵抗
7年目)冷凍食品と子供が残したプリン
10年目)忘れる
というような順番で進むもので、我が家でも「カレー(←今ココ)」みたいな時期があった。
経済的・時間的に潤ってきてフレンチレストランの復権を見るものの、そのどさくさで29年間で初めて「メモリアル・キャンドル」に火を灯すのを忘れてしまったりもする。
ベテランゆえの失敗、とも言えよう。
大内くんに花を贈られた年もある。夫の鑑だ。
しかし、
「少しでも早く帰りたくて、店先のバケツに突っ込んであるのを掴んできた」と差し出されたのは、菊を束ねた、どこからどう見ても仏花だった。
何もかもなつかしい。
一緒にやってきた日々が積み重なっていく、その事実が何よりの記念品だ。
地味だけどスペシャルなことをしようと、宝塚の「ポーの一族」DVDを鑑賞した。
バンパネラ気分で赤ワインを開けてチーズとオリーブをつまみに久々のシアタールームでくつろいで。
なんつーか、ミュージカルとしてはスゴイ気がするけど、芝居の部分は「え?」と思うような学芸会風味。
舞台の生の熱狂の中で観るのとは違うんだろうなぁ。
それでも明日海りお様のエドガーは評判にたがわぬ美しさで、青い瞳に吸い込まれそうだった。
まあ私は全然ヅカファンではないうえ、原作が好きすぎる。
よくぞここまで、とは思うものの、原作の叙事詩ぶりに比べれば、ストーリーの一部しか追わない宝塚版はどうしても物足りない。
派手な昭和歌謡が大好きな大内くんは、グランドフィナーレの華やかなレビューがいたく気に入ったようだ。
高校生の時分に初めて観た宝塚は「ベルばら」だった。
当たり前だが、少女マンガそれもお耽美風味の強い薔薇薔薇しいタイプの作品と宝塚の相性はすこぶる良い。
DVDで観る、という行為がすでに間違っているかもしれない。
熱も空気も体温も伝わってこないから。
この先の人生で、たとえば竹宮惠子の「風と木の詩」とか青池保子の「エロイカより愛をこめて」、いやシブいところで「アルカサル−王城」でもいいけど、そういうマンガが宝塚化されるような日が来たら、万難を排してチケットを入手すべく頑張ろう。
せっかく買ったDVDなので、少しでもその道の友人たちの元を巡業してもらうつもり。
遠く京都や名古屋まで行くことになりそうだ。
大内くんの社内でも回覧したらよかろうと思う。
希望の方はお知らせください。
18年6月19日
結局、風邪をひいていたようだ。
熱はないけど鼻水が出て身体がだるい。吐き気と下痢が続く。
大内くんが「会社で流行っている」と断言してくれなかったら気づかなかったかもしれないが、これは確かに風邪だろう。
整形外科にリハビリと診察に行く日だったが、
「診察は予約してないんでしょ?リハビリも、無理をしてまで行くもんじゃないよ。今日は休みなさい」と言ってもらえたので心おきなく寝て過ごすことにした。
言われてみれば自分のために行くものなので、体調が悪い時に頑張って行くほどのことではないだろう。
いつも予約は立て込んでいるから、空きができたことさえわかっていればすぐに埋まると思う。
朝一番に電話して予約のキャンセルをお願いしたし、大丈夫。
寝て過ごすのがデフォルトではあったが、最近なんだか「心おきなく」ではなかった気がする。
気があせっていた。
幸い、何もしないで過ごせる優雅な身の上だ。
少なくとも同居人大内くんに異存がなければ、私が寝ていても誰も困らない。
軽い風邪をしっかりひくというのもけっこう辛い。
「うつ病でないのにうつ状態になるのはガンと風邪だけ」とも言われる。
大の苦手な湿気の季節でもあり、体力の回復に努めよう。
心臓のクリニックの先生、風邪薬くれればよかったのになー。
市販の「銀堯散」シリーズが一番効くからいいんだけど、あれ高いんだよ。
18年6月21日
「実は木曜になっても日記を1ページも書いていない。今から何かをでっち上げなければならない8月31日の小学生状態」とライン友達の愛読者に告白してみた。
その原因は大きくは体調不良であるものの、
・フレンチでのお祝いが不調に終わりがっかりしているうえ、お店の評判を落とすようなものしか書けない。
・それに伴う大内くんとのケンカ。
・おまけに息子ともケンカ。
・そんな暗い気持ちで書いたものを人さまが読むと思うと・・・
と愚痴を言ってみたところ、きわめて明るく、
「そういう赤裸々ドロドロを読者は求めているんです!あー、楽しみです!」
とwktkされてしまった。
読者というのはありがたいものなのか何なのか。
さらに、FBにちょっと書いたレストランのいきさつを見た彼女は、
「大内さんが『そうですか、では次回に』と引き下がりかけた話を読んで憤慨していますよ。それは主張してほしいところ!」と全面的に私を支持するご意見を表明してくれた。
「主張しない意味がわからない」のだそうだ。
(でしょうでしょう!私もわからない)
もっとも、そこであくまでひかえめなところが大内くんの根強い人気の秘密でもあるのだが。
なんとか書いてみた分を大内くんの検閲に回し、
「愚痴っぽいよね。自分でもこんなに性格が悪くなってるとは思わなかったよ」とこぼしたところ、
「少女のようにまっすぐで正直な愚痴だ。出来事も全部客観的にとらえている。普通、主観で事態の像が歪むもんだけど、少なくとも僕の目から見て、起こったことが正確に記述されているよ」と励ましてもらえた。
「あなたがすごくだらしなかったみたいに書いちゃって、悪いね」いちおう謝ったら、
「実際にだらしなかったんだから!」と破顔していた。
読者が嫌な気分にならないだろうか、という心配に対しては、
「たぶん長年読んでくれてる人ばかりだから、とっくの昔に慣れているはず。昨日今日始めたわけじゃないんだし、良くも悪くもキミはずっとこんなもん」とあっさり。
持つべきものはおおらかな夫。
18年6月22日
今週ずっと寝込んでいた。
今日は得難い梅雨の晴れ間なので早起きして洗濯機を2回まわしたものの、おなかに力が入らないのでやっぱり寝ている。
iPadで読む分にはすごい勢いでマンガを消費している。
おもに萩尾望都、竹宮惠子、青池保子といった古典少女マンガ。
起きられないので、図書館や友達に借りてる「有体物の本」が進まないのが悩み。
大内くんは早朝から日帰り海外出張に出かけた。
帰りは夜中になる。
このところ毎週のようにこんな週末を迎えており、さぞかし疲れていることだろう。
今週末は2人で寝倒そう、と思っているのに、なんだかんだ予定を入れてしまう。
マンションギャラリーとか上村一夫原画展とか、我々が行かなくても誰も困らないのに。
息子からの音沙汰はナシ。
多少親に腹を立てているぐらいの方が一心に金稼ぎに勤しめるだろう、放置放置。
最低限、洗濯さえしていればなんとなく世間に胸が張れる気がする。
(いや、無論ダメだろう)
大内くんが「いい御身分だよな」なんてことは決して言わない人だということと、そういう人を夫に持った幸運を神さまに感謝していたら、少しは気分も上昇してきた。
やっぱり人間、被害者意識に凝り固まってる時はあんまりいい気分にはなれないものだ。反省反省。
18年6月23日
日帰り海外出張から夜遅く帰ってきた大内くんは朝までに仕上げなければいけない仕事があると言ってパソコンに向かい、なんとか終わったのが6時過ぎ。
ほぼ徹夜。久しぶりだね。
「もう少しでYouTubeの宇宙戦艦ヤマトのアニメ流すところだった」のだそうだ。
3年ぐらい前にすごく忙しい時期があって、ヤマトをふた回りしただけでは足りずにガンダムをひと回りした日々があったのを思い出した。
「なんだか気持ち悪い」と苦しそうなのは、私の風邪がうつったと思われる。
気は心とばかりに先週もらった吐き気止めの薬をのませてみたら、なんとかガマンできるレベルに抑えることはできたようだ。
しかし大事を取るに越したことはないので不要不急の用事は全部来週に持ち越し。
計画していたマンション見学も上村一夫原画展も全部おじゃん。
買い物には行かないと生活が頓挫する、と車で出かけたら、雨がざあざあ降ってきた。
トランクに積んであった傘を出して、雨の中ぼーっと機械式駐車場の上げ下げを行う羽目になった。
出遅れたので業務スーパーの激安ヨーグルトが売り切れていたのも悲しい。
先週の在庫が結構残っているのでなんとかなりそうだが。
夕食はてきとーに「おつまみ」だけ。
大昔、受験で上京した時に泊めてもらった親戚の老夫婦がちまちまとつまみを並べて毎晩ワインで晩酌していたのを思い出した。
子供がいると「栄養」とか「コスパ」を考えて毎食毎食作んなきゃいけないけど、人生の下り坂にさしかかった夫婦だけなら好き勝手できる。自堕落っていいなぁ。
あっ、そう言えば短命な私の親戚中で、あそこのおじいちゃんだけは80歳過ぎるまで存命だったなぁ。
正確には母の叔母さんの配偶者なので私には彼の血は流れてなくて、私の短命予測は不動なんだけどね。
どうせ平均寿命が延びているならば100歳ぐらいまで生きてしまうのもいいかも。
そしたら大内くんが引退したあと40年ものんびり一緒に過ごせるよ。
もっとも、その頃の我が国の年金機構が我々を養ってくれるとはまったく思えなくて不安だ・・・
18年6月24日
大内くんは不調な腹具合をおしてマンション理事会のお仕事の総仕上げ、住民総会を務めきった。
1年間、ご苦労さまでした。
13年前に入居するなり引き当てた理事会とかなりかぶったメンツで打ち上げをしてきたそうで、また12年後にまわって来た時、まだこのマンションに住んでるかなぁ。
小さな子供持ちや新婚さんばかりだった住人も高齢化し、理事会からのお知らせとして「成人用おむつの捨て方の注意」が掲示される今日この頃。
時の流れはしんしんと我々の生活を押し流して行く。
体調イマイチな2人なのでゴロゴロして過ごそうと思ったのに、出張の後始末のお仕事がまだ追っかけてきてるらしい。
結局1日中忙しそうで、風邪の治るヒマもない。
気がつけば家で仕事をしている時間が長くなったのは、やはり子供を育て上げたゆとりの部分を会社が侵食しているからだろうか。
普通のサラリーマンとしては圧倒的に家のことに時間を割いてくれる方だとは思うんだが、最後の同居人たる私が無茶苦茶他人様の時間を喰うタイプなので少々のことではおっつかない。
「それはいいんだ、僕も人がいないと寂しくてしょうがないタイプだから」と言ってくれるのもありがたいけど、なればこそ、仕事に忙殺される大内くんの心労もまた激しいわけで、今後の課題だね・・・
息子と臨時に縁切り状態で過ごしていると何事も起こらなくて平和だということだけはよーくわかった。
そろそろなんか声をかけてみようかしらんとも思いつつ、もうちょっと様子を見よう。
18年6月25日
私の風邪はすっかりよくなったので、2回もドタキャンしてしまったリハビリに行き、診察も受けてきた。
PTさんが、
「風邪でしたか。もうすっかりいいんですか?」と心配してくれて、痛みが少し減じたと話したら、
「寝込んでると案外ひざの痛みなんかにはいいんですよね。風邪も、悪いことばかりじゃないですよね!」と明るかった。
診察の方は、あいかわらず両ひざにヒアルロン酸の注射をしてもらい、先生はまた左ひざの骨に注射針を当てて痛くした。
「ごめんねー。中の空洞に針を入れるのは難しいんだよ。内部が見えるわけじゃないから、組織に当たっちゃうこともある!」と謝りつつも断言していたが、そこをうまく刺すのがプロの経験と腕だろうに。
キュートだから許すけどね。
よく見たらデスクの前には椅子の代わりに黒くて丸い物体が置いてある。
「先生、バランスボールに坐って診察してるんですか?」と聞いたら、
「うん、前に腰痛になってね。カンファレンスで使ってた品を安く譲ってもらえたから」とのことだった。
患者さんの啓発にもなりそうではあるが、効くんだろうか?
少し調子がいいので帰りのお迎えを復活させたら、大内くんにはたいそう喜ばれたが寝る頃になって脚が痛くなってきた。
無理は禁物。
問題は、どこまでがサボりでどこからが無理なのかまったく見当がつかないことだろうなぁ。
身体感覚がないにもほどがある、と叱責を受ける。
自閉傾向のある子供は身体感覚が鈍いんだそうだし、幼少期に抑圧されると感覚が育たないんだそうだが、どっちにしてもここまでで持つことができなかった能力が何かあるんだと思う。
子供の頃の自分のせいにするのは大人としてイカンのかもしれないけどね。
そう言えば、息子に糾弾される夢をみた。
「コント書き志望の若者として新聞のインタビューを受けた彼が『母親は完全な中二病で、怒ってばかりいたし、無茶苦茶な子育てをした。自分は母親の犠牲者だ』と答えた記事を読んで傷つき、新聞社に、
『彼が言った通りに誌面に載せたあなた方に非はないが、私の言い分も記事にして対決インタビューとして載せてほしい』と申し入れをする」
というもの。
「目が覚めてからもしばらく悲しかった」と大内くんに話したら、
1.現実の息子がそう思っている、という事実はまったくなく、あくまで私が夢の形を借りて自分を責めているだけ
2.新聞社に「抗議をする」わけではない理屈運びが私っぽい
3.で、どうなったの?
という反応だった。
「新聞社から返事をもらう前に目が覚めたのでわからない」と答えると、
「今晩続きをみるわけにいかないの?」。
うーん、途中で覚めてしまった夢の続きをみることができるという私の特技を覚えてくれてるのは嬉しいんだが、さすがにひと晩たっちゃうと無理だね。
起きて10分以内が限度だと思うよ。
トイレに行くぐらいで眠りに戻ればけっこうな確率でみられるんだけどね。
まあ、寝る時にいちおうトライはしてみよう。
(付記:やっぱりみられませんでした。定番の、母親と姉からつまはじきにされてる夢をみた・・・)
18年6月26日
本の話。
私が図書館で借りた本が並べてある棚を見た大内くん、「宝塚の本」を手に取って、「どこかで聞いた名前だ・・・」と言う。
どうやら大学の法律関係のサークルの同期らしい。
友人知人で本を書いてる人の顔を思い浮かべてみると、硬軟取り混ぜて大内くんの大学関係者に限られてくる。
私の高校・大学の知り合いでは寡聞にして聞かない。
なにやら「お流石でございますねー」ともやもやしたナナメな気分になった。
私は本をつかむのが早い。
図書館で「じゃ」と言って別れた大内くんと10分後ぐらいに行き合うと、同じ場所にしゃがみ込んで悩み続けている彼に対してこっちは限度枠いっぱいの冊数を抱えている。
手ぶらで帰ることも多い大内くんに、
「どうせタダなんだし、読まないで返す本があってもいいじゃない?なんでテキトーに借りてみないの?」と聞いたら、
「面白い本をつかむキミのヤマ勘は素晴らしいと思うんだけど、僕は読書力が低いうえにのめり込める本が限られてて、守備範囲が狭いんだよ」
「自分の奥さんとの性交渉しか楽しめないタイプ、のようなもの?」
「そうそう、うまいこと言うね」
「なぜ並んだ本の中から愛する奥さんを一発で探せないの?そこには運命もヤマ勘もないの?」
「うっ・・・」
今週の大当たりは、三浦しをんの「あの家に暮らす四人の女」。
阿佐ヶ谷駅から徒歩で20分ほど、善福寺川公園にほど近い洋館に暮らす四人の女性の物語だが、昔我々が住んでいた社宅にすごく近いあたりだと思うのでまず親近感を持った。
それに、結婚しているのと性格的にはまず無理なのとにもかかわらず、女たちのシェアハウスには興味があるのだ。
(大学時代に女子寮に住んでいた頃は、関心が完全に外の世界と異性に向いていたので周囲の人たちに大いに迷惑をかけた。やりなおせるならやりなおしてきちんと掃除当番を務めたい)
いろいろと思わぬ展開のあるこのお話を、たいそう面白く読んだ。
「舟を編む」も良かったところをみると、どうやら私は三浦しをんが好きなようだ。
(「昭和元禄落語心中」を描いた雲田はるこが「舟を編む」を漫画化したものもとても良いです)
「恋というのは、理解ではなく勝手な思い込みのことですよ。愛というのは、思い込みが打ち砕かれたあと、理解しあえぬ相手とそれでも関係を維持する根性と諦めのことですよ」
という一文に胸を打たれた。
思い込みが強く諦めが悪い私は、恋をし、愛を育むのに非常に向いた性格なんだと言ってもらえたようで、三浦しをんにそっと感謝する気持ち。
18年6月27日
昨日、株主総会のお仕事を終えた大内くんは、朝までにやらなければならない仕事があるそうで3時過ぎまでパソコンに向かっていた。
「もう寝て、朝やりなさい!」と叱って3時にやっと寝たものの、不眠症の私は4時半に洗濯機が「ピー」と鳴ったら目が覚めてしまい、5時半には大内くんが起きて仕事だ。
お互いよく起きられるなぁ。歳なんだね。
今朝巡回したツィッターでは、「29歳年収650万の夫が、子供の食事も作らないでお弁当を買う妻の愚痴を言う」件が盛り上がっていた。
最初は「そんなこと言うなら夫が作れ」という奥様方の声が高かったんだが、どうやら専業主婦らしい妻から「稼ぎが悪い」と罵倒されているらしいと知れるに及んで夫擁護派一色になってきて、離婚を勧める意見が大勢を占め、さらには「その年収はエリート」とうらやましがる男性や「食事もお弁当も作るから私と結婚してください」と申し入れる女性が大勢現れた。
私は昨日大内くんからボーナスの通知をもらった時に「今年55歳になるため給料が下がり始める」と書いてあるのを読んだので、生涯のピークになるだろう年収を眺めて楽しんでいるところ。
「もらえるお金で暮らす」主義で、結婚してすぐのかなり貧乏な時期にも「お金がない」と思ったことがない。
大内くんによれば、「お給料に文句を言わない配偶者ほどいいものはない」のだそうだ。
まあ、病弱な私の分まで稼いでくるうえに家事も育児もほぼ全部と言っていいほどやってくれたからなぁ。離婚したいと言われても文句は言えない。
「ラッキーな人生」というものがあるならば、私の人生こそがそれだろう。ありがたやありがたや。
今日はリハビリ。
20分間私の脚を曲げ伸ばししてくれるPTさんといろいろお話をするようになり、本日の話題は新婚の彼がマンションを買いたい件。
最近近所のマンション事情にくわしくなったので、いろいろ情報を伝えた。
「今はプチバブルで高く、あまり時期が良くない、と聞いてはいるけど、そんなこと言ってたらいつになっても買えませんからね」と言うPTさんで、私の息子ならしばらく待て、と言うかもだけど、他人様のことだからなぁ。
一応、「高いですよ」とは言っといたが、新婚さんが勢いで買っちゃうこともあるだろうし、バブルのさなかでも誰かが買わないと物件は動かないので、仕方ないのかも。
「大内さんのようなベテランに聞きたいんですが、子供が生まれる前と生まれた後と、買うにはどっちがいいでしょうね?」と聞かれたので、あたりさわりのないところで、
「子供さんは汚したり壊したりするから、新築を買うつもりなら生まれてしばらくたってからがいいんじゃないでしょうか」と答えたら、我が意を得たりという風にうなずいて、
「僕の調査でも、そっちの意見の方が多いですね。2歳過ぎてからぐらいがいいって」と言っていた。
私も常識的な多数派の意見が言えるようになったか。
どうも「嫁さん」が早く買いたがっているらしい。
よそのご家庭の話は面白い。
天気晴朗なれど風強し。
帰ったら洗濯物がたくさん落ちていた。
危険だからワイシャツのハンガーは中に干して、他のものは8連ハンガーにかけて襟元を洗濯ばさみで留めておいたのに、やはり落ちるか。
まあ乾いたのでいいや。
18年6月28日
日付が替わった直後にKindleにアクセスし、フラワーズ8月号をゲット。
最低限のダウンロードがすむやいなや「ポーの一族」を読み始めた。
「ロビン・カー」の話まで出てきて、萩尾望都はもうすべてのエピソードを回収する勢いだ。
こういう「二次創作」みたいな話、すごく好き。
盛り上がってるところ、終わり間近でダウンロードが止まる。進まない。重いのか?
しまいにつながらなくなった!
全国のファンがアクセスしてたに違いない。技術的なことはよく知らんけど。
「海街diary」最終回も読んだ。じーん。
コミックス8巻を読み返すついでにいろいろ読みふける。
吉田秋生も私の青春だった。
Hanakoに連載されていた「ハナコ月記」のトレンディ味が面白い。もう30年も前なんだね。
糖類ゼロのゼリーとゼロコーラに少し飽きて、クックパッドを「糖質オフ チーズケーキ」で検索して見つけたレシピでチーズケーキを作る。
糖質の低いクリームチーズ、バター、卵に人工甘味料で、ロカボなの。
オーブンに入れたところで先日マンションのモデルルームを見に行ったプレゼントのアイスクリーマーが届いた。
思ってたよりずっと高価そうなものなので、喜んだり恐縮したりしながらさっそく保冷カップを冷凍庫にしまう。
12時間冷やして、明日の朝アイスクリームを作ろう。
生クリーム買って来なきゃ。
どうして一部の女性には「お菓子を作る私って素敵!」の呪いがかけられているのだろうか。
ハタチの頃からその呪いにかかり、寮暮らしの不自由な台所でもジャムもどきを作ってボーイフレンドに押しつけるようなカンチガイ女だったわけで、いまだに打ち勝つことができない。
甘いものをコスパよく大量に食べたいという素直な欲求に裏打ちされてはいるものの、単に「お得で美味しい」と思う以上の麻薬的なヨロコビがあるような気がしてならない。
大内くんにそう言ったら、
「男の人にも『お父さんになったら息子とキャッチボール』の呪いがあるよ。スポーツが苦手な人、特にボールを『女の子投げ』しかできない男性にとってはしんどいんじゃないかな」と言う。
含蓄のある発言だ。
投球フォームこそ普通だがステロタイプな男性らしさをあまり持ち合わせていないのに、息子の子育てを通じて回りから「そこでお父さんがガンと一発」とか要求されて困った経験が多いからこそだろう。
私たちは性の呪いに苦しんでいる。
社会が押しつけてくるものを頑張って頑張ってそぎ落としても、「穴の有る無し」「産む立場」という生物学的差異が残る。
大内くんとたまたま性格的にもマッチする「凸凹コンビ」で、苦手な部分を担い合っていけることには感謝するが、自分を縛るものから完全に自由になるのは難しい。
現代社会では「自由にならなくては」という呪いもなかなか重い気がして、なおさらだ。
18年6月29日
快晴で激暑。
関東地方は梅雨明けしたらしい。
6月中の梅雨明けは史上類を見ないそうだ。
息子は7人編成のコントグループのリーダーをしていて、彼がアメリカにコント修行に行ってる予定の8月にもグループはライブを行う。
実のところ、息子が参加しない今回はこれまでになく宣伝も盛んで皆楽しそうで、彼がいない方が楽しくやれるのかとか勝手にひそかに心配していた。
先日ツィッターに上がってたライブの宣伝、写真にはメンバーと大笑いしてる息子の顔が写ってた。
なんだ、一緒にやってるのか。楽しそうじゃん。よかった。
こんなに機嫌のいい笑顔は家ではなかなか見られない。
10日ばかり会わない間に心なしか少しふっくらさんに戻ったみたいだ。栄養状態は悪くないのかも。
SNS時代はありがたくて、離れていても息子の活動を知ることができるのはいいんだが、精力的にショートショートを発表していたブログの更新が10日に1回ほどになってしまったことなど見ていると、
「ちょっとバイトに精出したぐらいで創作が滞ってしまうようでは表現者として食っていくなんて夢のまた夢。あきらめて地道なサラリーマンになれ」と叱咤したくなる。
人ができないほどの努力をしてこその「好きな道」じゃないか!
でもまあ、頑張ってるね。
今週末あたり、声をかけてみようかな。
18年6月30日
お休みなのに午前中ずっと仕事をしていた大内くんに、こないだマンションの見学会の景品にもらったアイスクリーマーでアイスクリームを作ってあげた。
生クリームと卵は低糖質、糖質の高い牛乳は少々なので、人工甘味料さえ使えば糖質制限中はご法度の氷菓も食べられる。
作りたてのバニラアイスはおいしかった。
午後は病院。
ワーファリンの効きがまだ悪いことが判明し、さらに薬の量を増やしたうえで、また2週間後に検診だ。
これが安定するまでに何度採血しなきゃならないことだろうか。
愚痴っぽく「手術しなければよかった・・・」とつぶやいて、大内くんから、
「自分の症状をすっかり忘れてるみたいだけど、それはあり得ないって何度も言ってるでしょう!」と叱られた。
「継続的な状態の記憶力」が欠落してるんだよ。
「2時間ぐらいしたら戻ります」と薬局に処方箋を出しておいて、駅前に買い物に行く。
2人とも老眼と近眼が進んでると思うので、メガネを新調することにしよう。
駅ビルの中のメガネスーパーは妙に混雑していたけど、2人分のメンバーズカードを渡してデータを出してもらい、検眼。
チーフらしきおじさんがカウンタで器具を使って私の検査を2つほどしてくれて、「ではこちらへ」つって本格的な検眼を始めようとしたので、
「その間に他の方に主人の検査をお願いできますか」と頼んだら、「ああ!」と気づいたように他の店員さんを呼んでくれた。
もうお客の波も引いて皆さんヒマそうなんだもん。
1人で2人分の検査をしたら時間が倍かかるじゃないか!
それでも検査してフレーム選んで1週間後の受け取りを決めてメガネ屋さんを出るまでに1時間以上かかってしまった。
まあ、メガネを作るってのはそういうことだから仕方ないが。
大内くんが無茶苦茶ほめたたえるのは、私の、
・並行しての検査をお願いした交渉力
・検眼しながらおじさんとおしゃべりして情報交換するコミュニケーション力
・本日が「駅ビル内全店ポイント2倍」のため、2人分のメガネ代で2千円ものお買い物ポイントがもらえてしまった運の良さ
であった。
あなたも、「仕事柄パソコンの画面ばっかり見てるんですが、そういう時はどんなメガネを作ったらいいでしょうね?」とか聞けばいいのに。
どういう生活をしててどういう目の使い方をしてるかなんて、いくら検眼したってわからない部分なんだから。
地下の市場で魚を買う。
今晩用にお刺身の冊を2種類買い、ついでにサーモンを買ってマリネ作ろう。
「刺身用に切ります」って書いてあるから、もう一歩進んで「マリネ用に薄切りにしてもらうこともできます?」っておっさんに聞いただけで感心してくれる大内くん、会社で発揮する交渉力とかないのか?
家でだけ無能力ってことはないような気がして、気になるぞ。
魚屋のおっさんに、「サーモンのマリネ!いいねぇ!暑いから、マリネがぴったりだね!」って言われると相互コミュニケーション成立が嬉しいのは、私がおばさんだからってだけなんだろうか。
買い物に時間がかかりすぎて、薬局に戻ったら閉店時間の10分前で、カウンタの中の皆さん一様にほっとした顔をしていた。
他に誰もお客さんがいなかったので、大内くんは、
「僕らがもっと早く戻ってたら、薬剤師さんたち早く帰れたのにね」って気にしてたけど、ギリギリに処方箋持って飛び込んでくる患者さんがいるかもしれないじゃないか。閉めて帰る、ってわけにもいかないよ。
時間を過ぎたらさすがに顰蹙だから、間に合ったのは良かったけどね。
毎日暑い暑い。
本当に梅雨明けしちゃったよ。
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