18年7月1日
眠れないので朝早く起きてガスパチョを作った。
トマト、玉ねぎ、赤パプリカ、セロリ、きゅうり、にんにくをフードプロセッサで粉砕し、塩こしょうで調味して酢とオリーブオイルを加え、冷やして食べるスペイン料理。
レシピ見て、どう考えても好きな味だと思ったのは間違ってなかった。
去年までは夏と言うと大量のビシソワーズ作ってたけど、じゃがいもは糖質制限には不向きなうえ、「大好きです!」と言ってふた夏喜んで食べてくれた息子の元カノを思い出すと悲しくてもう作る気にならない。
いつかは今カノに作ってあげたいと思ってはいるんだが。
今カノは、ビシソワーズとガスパチョ、どっちが好きだろうか?
というわけで、7時に起こした大内くんと「ガスパチョ、スパニッシュオムレツ、ゆで豚」の朝ごはん。
なんだかスペイン風。
ひと月前から食卓の位置を変えたので、
「明るい朝の光の中でちゃんと朝食を食べるのは気持ちがいいね!」と大内くんがとても喜んでいた。
仕事が終わるのを待って、10時からは駅前のマンションギャラリーの見学。
今回はすでに分譲が始まっている現地に行って棟内のカフェライブラリ体験をするコースを申し込んである。
先週大内くんの体調が悪くて延期したもの。
担当さんが来るまで私がアンケートを記入してる間、大内くんはずっとケータイを見てる。
「なに見てるの?」と聞くと、「仕事」。
お互いに日頃、いつでもどこでもケータイ見る人種にはなりたくないねと言っているのに。
「それ、今じゃなきゃダメなの?ひと言ことわってからってわけにはいかないの?」と軽くブチ切れて、小さな声での口論になった。
「しばらくはこういう状態だよ」なんて開き直られるとは思わなかった。
ちょっとだけ大目に見て、って謝られたら、しょうがないね!って言えたのに。
担当さんが来たのでにこやかに話さざるを得なかったけど、こういう「仮面夫婦」みたいなのは死ぬほど苦手だ。
昨日も今朝も仕事が日常を浸食してきてるのをガマンしたあげくにこの仕打ち!って、目の前が真っ赤と真っ暗の二色にチカチカする。
20年前の私なら席を蹴立てて帰ってただろうなぁ。
堅い表情で説明を聞いてる私を横目でちらちら見ていた大内くんが、案内されたモデルルームのリビングの仕切り壁にとても興味を持った様子。
「これは、こうやって閉めるんですか?なるほどー、こっちを仕切ってもリビングは充分広いですね!」と、完全に別空間の小部屋を作ってる。
「ふーん、この部屋は6畳ぐらいですかねー」って私もそっちに入ってみたら、仕切りを閉めて担当さんを閉め出して、「ごめんね!」ってぎゅっとしてちゅっとしてきた!
いいサプライズだね!
完全とは言えないけどかなり機嫌が直って、呼んでもらったハイヤーで現地を見学に行き、カフェライブラリでお茶をご馳走になった。
2人きりになったとたんに吹き出したのは、
ハイヤー→業務用バン
ライブラリ→本や雑誌が15冊ほど置いてある3テーブルほどの小さな空間
カフェ→自販機のコーヒー
と、すべてが予想より3ランクぐらいずつ低かったこと。
いや、キライじゃないけどね、こういうショボさって(笑)
書籍は青山ブックセンターと契約して貸してもらってるらしいし、自販機もちゃんと抽出するタイプみたいだし、努力はしてると思うんだけど、不動産屋さんの広告ってのはそこはかとない「底上げ感」がつきまとうものだなぁ。
ただ、パーティールームやゲストルームも見せてもらって、これまでこういう設備は余分なお金がかかるだけで必要じゃないと思ってたのが、今回初めて「いいかも」って思ったよ。
そもそも300世帯も入ってる巨大マンションをいいと思ったことなかったけど、老人になって住むんだったら、公園のような中庭のある小さな街的な住まいもいいかもしれない。
カフェの大きなガラス窓の向こうの噴水のほとりに「新米お父さんとおばあちゃん」らしき2人がバギー押して佇んでたのが印象的だった。
(お嫁さんは身体を休めているのか上の子の世話か。いずれにしても良い光景だ)
またバンでマンションギャラリーに戻って、恒例のご商談。
ここまで来ないとお値段を教えてもらえないのが面倒くさいよ。
ここはどうやら借地のようで販売価格としては少しお安めなんだけど、それでも予想と予算をはるかに超える。
ここ1ヶ月ぐらいで3つのマンションを見てきて、「家族構成も変わったし、老後の住まいのサイズダウンを」なんて甘い考えは完全に断たれてしまった。
少なくともプチバブルが終わってマンションの値段が1.5割ぐらい下がってくれないと手も足も出ないよ。
さもなきゃ5年ぐらいたって今回見た新築が中古として売りに出される幸運を待つしかない。
「今までで一番買う気になったけど、不可能なことがよりくっきりと明らかになっただけだった。それでも『お勉強』してみたのは良かった」と結論づけて家に帰り、本格的にケンカの続きを。
ここ半年ぐらいずっともめていることだが、大内くんは忙しすぎる。
本人が「仕事に生きたい」タイプなわけでもなく、
「どうしてこんなに忙しいんだ。忙しい、とは心を失くす、と書く」とつぶやいているので、なんとかしてほしい。
7月中は忙しいのが終わらないのと、今回はとにかく向こうがつまんないことを言い張って態度が悪かったのを反省する、という2点を確認し、
「今度こんなことがあったらお尻を200発叩いていいから」というわけのわからない提案を呑むことになった。
仲直りのきっかけだと思うから仕方なく容れたが、大内くんのお尻を叩いて私に何の得があるのか、もうちょっとよく考えてみてもらいたい。
よその奥さんはこういう時に指輪とかバッグとか買ってもらうのかしらん。
家計が同じだと思うとプレゼント関係は全然嬉しくないんだが・・・
仲直りしたけど、お休みが台無しになって悲しい。
18年7月2日
息子が2週間ぶりに連絡して来たと思ったら、
「マイナンバーの控え、ない?写真撮って送って」とのリクエスト。
しょーもない用事の時だけなんか言ってくるなぁ。
うちは電子・有体物双方の事務的な整理はしっかりしてる方なんだが、家を出る時に息子関係の書類は全部ファイルに突っ込んで渡してある。
「こっちで探したけど、ないよ。ファイルにない?」と私が返事するのとほぼ同時に、会社の大内くんが、
「何に使うの?必要なら役所に行って確認しないと。こっちに控えはないよ」と返信して、裏で私に「何に使ったっていいじゃん!干渉しすぎ!」と叱られる羽目に。
意外と素直な息子本人はあまり気にした様子もなく、
「イベントの仕事で振り込む際に確認したいと」と伝えてきたからいいけど、勝手に借金とかされてもかぶらずにすむようにだけ手を打って、あとはほっとこうよ。
日曜にごはん食べに来たいらしい。
「アメリカ行きの話?」と大内くんが聞いたら、「そう」って。
食事のリクエストは「生春巻きとカルビクッパ」。
私たち用にはライスペーパーの代わりに湯葉で巻いた生春巻きと、ごはんの代わりに豆腐を使った「豆腐チゲ風カルビクッパ」にしよう。
3週間も会わなかったのは初めてかも。ちょっと顔が見たいかな。
今回はイイコにしててくれよ。
18年7月3日
大内くんの伯父さんが急に亡くなった。
89歳で、ガンがわかって治療に入ろうとしていたところだったそうだから、まあ仕方ないかも。
自分のと親族の結婚式で都合4回会っただけの伯父さんはシチュエーション的に常に一杯機嫌で鷹揚にうなずいていた人なので、何の感慨も浮かばない。
結婚して30年、初めて出る「大内家側の葬式」で、「大内家長寿伝説、終わりの始まり」とは思うが。
大内くんはと言うと、
「僕の親戚から初めてガンで死んだ人が出た」とびっくりしてる。
身内だけの小さな葬儀だそうで、金曜のお通夜は大内くんが出張中なので欠席し、土曜のお葬式に夫婦で出ることにした。
知らせてくれた大内くんのお母さんと大内くんの間の世間話で、
母「同窓会とか行くとね、私、みんなに『カワイイ』って言われるの」
大「こんなに苦労してるのに天真爛漫だからじゃない?」
母「そうよね!ホントに、私って苦労ばっかりよね!」
という会話があった模様。
あとから聞いてみた。
「お母さんって、どういう苦労をしてるの?」
だって、子供2人は元気に立派に育って結婚して孫もいるし、おうちは裕福だし、夫婦して丈夫で長生きだし、世間的に言ってハイソで幸福な人生なんだもん。
大内くんとはその点で合意してるんだと思ってたよ。
大内くん、びっくりしてた。
大「僕、そんなこと言ってた?」
私「言ってた言ってた。苦労してるって」
大「・・・あんなに苦労知らずで文句の多い人はいないと思うよ。自分のこと『カワイイ』って言うから、『子供なだけじゃないの?』って言ったつもりだった・・・」
私「でも、お母さんはあなたが自分の苦労をわかってくれてると思って、喜んでるんじゃない?」
大「そうだね。僕の真意としては『苦労知らずだから天真爛漫』と言うべきだった。まったく無意識に母親に迎合している。自分で自分が恐ろしい・・・」
マザコンの男性は嫌いじゃない、と言うか、いつも言うように「結婚するまでは母の言いなり、結婚してからは妻の言いなり」が理想の男性像で、大内くんはその点いい線行ってると思ってたんだが、どうも予想より母の引力が強いようだ。
彼の「事を荒立てないで穏便に済ませる」「その場しのぎの嘘をついてでも事態を丸く収める」という性癖は、主にお母さんの機嫌をとってさえいれば何とかなってきた人生の軌跡なんだろう。
誰かの機嫌をとるのはいい。しかし、それは私にしといてくれ。
大「何て言うかね・・・小さい時からキンタマを握られちゃってる感がある。逆らうと雷が落ちるんじゃないかって、キュッと寒気が走るんだよ。この感覚は男の人にしかわかってもらえないと思うなぁ」
私「妻が竿を握ってても、やっぱり玉の方が効くんだ」
大「うまいこと言う」
私「男性は、出てくる女性器は選べないけど大人になって入れる女性器は自分で選べるんだから、その点よーく考えてね」
大「真理だね。いいフレーズだ。下ネタすぎて人に言えない、という難がなければ、大きく紙に書いて貼り出したいぐらいだ」
最近人と話さないので、下世話がたぎっている。
20歳の頃から下世話な話だけを蒐集している「下世話帖」に、この至言を書き留めておこう。
今度お葬式で会ったら、お母さんに大内くんの下半身から手を引いてくれるようにお願いしてみようかなぁ。
18年7月5日
大内くんと大ゲンカ。
朝、今日は定時上がりだなぁ、晩ごはんは豚のしょうが焼きにしようかなぁ、時間があるからたまってるドラマでも観ようかなぁ、と算段してたら、行ってきますのあとにいきなり、
「今日はちょっと遅くなるよ。7時頃まで会議が入ってるから」と言われた。
ムッカーッ!
我が家では週が始まる時に1週間分の予定を明らかにして、「月曜木曜は接待、水曜は出張で遅い、火曜は定時で、金曜は会議があるから少し遅いけど夕食は家で」というように伝達される。
カレンダーにも書き込んであり、それに基づいて週末のうちに買い出しをし、晩ごはんの予定も立てている。
前倒しに算段するクセがあり予定が変わると動揺しやすい私と30年近く暮らす間に形になってきたルールだ。
もちろん変更があるのはかまわないが、わかり次第伝えてもらうことになっている。
当日の急な「残業になっちゃった!」LINEは、盛大な涙マークで迎えられるものの、まあセーフだ。
なので、当然聞く。
私「いつわかったの?」
大「・・・月曜日」
私「ずっと前じゃん。予定が入った時に言ってくれればいいのに」
大「忘れてた」
私「いきなり『遅くなる』はないでしょう。定時だと思ってたよ」
大「ごめん・・・本当にごめん」
私「前もって言ってくれさえしたら全然かまわない話だよ。会社で『報・連・相』とか言わない?」
大「・・・言う。できてない人には腹が立つ」
私「そうでしょう。私も腹が立つよ。しかも、『最近忙しくてキミに嫌な思いばかりさせる。反省してる』ってこないだ聞いたばっかりだよ。ひと言ことわってくれてたらなんでもない話だったのに、杜撰すぎるよ」
と言ってる間に時間切れになって出かけたんだが、最近の私はガマン強いので、いつものようにバスや電車の中からLINEで謝ってきたら機嫌を直そうと思ってた。
ところが、待てども暮らせでもうんともすんとも言ってこない。
FBの記事に「いいね」つけたりしてるから、ケータイ見るヒマはあるのがわかる。
第二弾の、ムッカーッ!
先日来の腹立ちも再燃し、ちょうど明日は吉祥寺で美容院とマッサージの予約を入れていることでもあり、今夜は吉祥寺のホテルに泊まろう!と一瞬で決意した。
「通勤中に誠意のある態度を期待していました。
失望したので今夜は家にいません。いつ帰るかわかりません」とメールを打った数分後、
「家出しないでください。今晩家で会いましょう」とメールが来たのに返事しないでおいたら、「ごめんなさい」のLINEがじゃんじゃん入ってきたけど待ち受け画面に表示されるものだけを読んで既読にしないでおく。
会社に着いたのか、電話も立て続けにかかってきた。ガン無視。
本当に腹が立っていたので、午前中何本も入ってきたLINEも電話も全部無視して、ホテルを検索。
うーん、素泊まり1泊最低7千円はかかるなぁ。
たまにはいいけどさすがにもったいないし、実は新婚時代にケンカして家出した時以来、「出て行く!」とは言うものの実行に移さない腰の重い口先チキンな私。
昼休みと思しき時間にさらに何度か電話かかってきて、
「ごめんなさい」「大好きだよ」「勘弁してくれなくてもいいから、家にはいてください」とLINEも入る。
こういうのがまた頭に来る。
謝ってるけど、何にも建設的な提案がなくて、こっちが「許す」という努力をしなければならない。
怒る権利はこっちにあり、「怒っている状態」を変える責任は向こうにあると思ってる私にとって、「怒ってる」時に言われる「怒らないで」は、「当然の『怒る権利』の侵害」に他ならない。
一見下手に出ているかのようだが、自分に都合のいい要求ばかり押しつけてくる。
「勘弁してくれなくてもいい」って、勘弁したいのにするきっかけが何もないこっちの気分が悪いだけじゃないか!
と、この30年間、いや、出会ってから37年間ずっと、口を酸っぱくして言ってきた。
その都度、
「キミの主張は何から何まで正しい。僕がすべて悪い」と反省してるくせに、どうしてこうも変わらないのか。
「変われないなら『僕は変わらないと思う』と主張することも含めて、誠実な態度なんじゃない?」と「模範解答」までリークしているのに、私の主張を入れる、ある意味安易な道を選び続けている大内くんだ。
2時になって、天気は悪いしホテルは高いしでやっぱり家出はやめよう、と決意し、おもむろに電話を入れた。
すぐ出た。
大「やっと話せた!ごめんね!もう家を出ちゃった?」
私「ホテルが高いんで、家出はしない」
大「調べるとこまではしたんだ・・・家にいてね」
私「あいかわらず謝るばっかりで建設的な提案がない。許すきっかけも何もないじゃない」
大「いろいろ考えたんだよ。すぐに帰ろうとか、昼間会社を抜け出して会いに行こうとか。でも、今日はどうしても無理だったんだよ」
私「『こう考えたけど無理なのでできない』って言えばいいじゃん。プランを示すだけでも違うよ」
大「前に使った手だけど、息子に頼んで手紙を書いてもらおうとかも考えた」
私「じゃあ、それを実行に移して。あと、あなたからの長い謝罪文!」
大「わかった!」
私「じゃっ!」
というわけで私は家出せず、7時に会議が終わって帰る大内くんが電車の中から送ってくるLINEの謝罪文を読んで溜飲を下げた。
しかし、なんで1行ずつ送ってくるんだ。ひとかたまりでよこせ。
帰ってきた大内くんが真っ先に見せてくれたのは息子から送ってきたというメッセージ。
メッセンジャーの文章をコピーして私に送る方法がわからなかったので、持ち帰りになったらしい。
やり方を教えてあげたあと、読んでみた。
「また母さんにひどいことをしてしまったので、喜ばせるための作文をお願いできない?今電車なので、30分ぐらいで書いてもらって帰る頃に見せられると嬉しい。母さんのいいところを地道にほめて温かく書いてほしい。仕事が忙しいせいもあるんだけど、父さんが最近母さんにきちんと対応できてなくて悲しませてるんだ」というものすごいおまかせな依頼をして書いてもらったものみたい。
「お母さんへ
最近忙しいこともあり、上手にあなたに向き合うことができてなくてごめんなさい。
嫌な気持ちにさせてしまっていたと思う。
それでも私の気持ちは変わらず、ずっとあなたの方だけを向いています。
どんなに忙しい時でも私の支えになっているのは、あなたが元気に家で待っていてくれていることなんです。
優しくて聡明でどんな人よりも愛情深い貴方に悲しい思いをさせないようにしっかり頑張って行くので、これからもよろしくね」
これは、大内くんから私への手紙を代筆した格好だね。
私としては息子が私宛てに書いてくれるのを期待してたし、大内くんもそう頼んだつもりだったんだけど、息子にしてみれば「父さんの詫び状を代筆してくれ」って言われたと思うのが自然かもね。
それにしても、「いかにも大内くんが言いそうなこと」を実際の大内くんより3割増しに上手な文章で簡潔に書いたなぁ。
息子の文才は商売になるレベルかも!と初めて真剣に考えた。
約束通り仲直りしましたとも。
ついでに確認したら、今回の件は日曜に宣言した「お尻を200発叩いていい」に該当する事案だそうだ。
もちろん「私は何も嬉しくない」と言って丁重にお断りした。
翌日、大内くんが息子に、
「おかげで母さんと仲直りできたよ。深く感謝します。文章上手だって母さんが感心してたよ」とお礼言ったら、
「付き合いが長いので」と返信してきたのは、私が喜びそうな内容でさくっと仕上げてくれたってことね。
どうして20年ちょっとしかつきあっていない(しかもそのうち10年ぐらいは物心がついていない)ヤツの方が、37年つきあっているオトナの大内くんより私の人柄を読み切っているのだろうか?
自分の「大好きな気持ち」にとらわれてしまう愚直な人の真情よりも、クライアントの嗜好を踏まえた巧みなプレゼンによろめいてしまうのは、愚かな女心?
いずれにせよ、頑張れ、大内くん。
18年7月6日
明日のお葬式に備えて美容院に行こうと思う。
ここ2回ぐらい行きつけてるとこが気に入ってはいるし、担当のにーちゃんが「約束のネバーランド」最新巻を読み終えたようならこないだネタバレになるから話せなかった「ノーマンが生きてた!」驚きを語り合いたいんだが、リラクゼーション予約サイトからプレゼントされる5千円引きのクーポンは「初めてのお店」に限られている。
忠実に実行してると美容院ジプシーになってしまって困るけど、今回は髪を染め直したくてお値段がぐっとかさむので、新しいお店に行ってクーポン使おう。
というわけで、ネット予約しておいた美容院に行ってみた。
たぶん1回限りのご縁になるだろうからあんまり美容師さんと話とかしないで本を読んでいようと思ったのに、気がついたら「高校時代のクラスメートと卒業後再会して3年つきあったのち25歳で結婚し、海外ドラマと映画を観るのが好き」というにーちゃんとハリー・ポッターの話をしていた。
なぜヒアリングしてしまうのか、自分。
そしてなぜ、25歳の息子がフリーターで時々お金を借りに来てはメシを食って帰る、という内情を暴露しているのか。
しかしやはり美容院というのはコロコロ変えるべきではない。
ただでさえヘアスタイルとかには疎くてうまく説明できないのに、意思の疎通が完全でない新しい担当さん相手で、終わったら不本意な髪型になってた。
なのに「いいですね!ありがとうございます」とにこにこしてしまう自分の弱気が恨めしい。
私の髪が伸びてきたのが嬉しくて、「夏だから少し短くするよ」と言ったら悲しんでいた大内くんがこの中途半端な若い頃の原田知世みたいな頭を見たらなんと言うだろう・・・
気を取り直して、同じく2千円引きのクーポンを使ってのマッサージに行く。
明日に備えて少しでも足が動くようにしておきたい。
オイルでふくらはぎを重点的にもんでもらって、少なくとも筋肉の張りは若干取れた。
担当のおじさんが、
「課金こそしないけどゲームにハマりすぎているので、あらためたい。やめて浮いた時間で本や新聞を読みたい」と言うのを、
「お金がかからないんだったらいいじゃないですか。本を読むんだって結局はアタマの中を面白いことでいっぱいにするだけなんですから、ゲームが面白いうちはゲームしてくださいよ」と無責任に煽った。
絶対黙ってマッサージ受けようと思ってたのに、なぜ気がつくと会話をしているんだろう。
「謎めいた寡黙なマダム」って設定は、無理?
来月の誕生日にiPad Pro買ってくれるって大内くんが言うので、喜んでヨドバシで下見をした。
マンガを大きな画面で見開きで読んだら美しいだろうと思ったんだが、ちょうど今読んでいる「宇宙兄弟」が見本に入っていたのを開いたら、コミックス原寸大より巨大になってしまうのでちょっとアラが目立つかも。
マンガの原稿って大きなサイズを縮小して印刷してるわけで、「原稿→雑誌→コミックス」の順に絵が詰まるのも美しさだと思ってる私には、むしろ今のiPadの方がいいような気もする。
docomoやSoftBankがそれぞれiPadを売ってるとは知らなかった。
いきなり飛び込んだブースはdocomoで、マンガを読むだけだから家から持ち出すことは想定しておらずWi-Fiモデルでいい、と説明し、
「そういう場合はAppleさんに直接行った方がいいんでしょうか?」と聞いてるのに、同じフロアにAppleのブースがあることを言わずに、「色はお決まりですか?在庫を見てきますよ!」とCellular+Wi-Fiモデルを売りつけようとするのはいかがなものか。
「今日は見るだけですから」と逃げ出したのちに、Appleさんにたどり着いた。
でもそこでも「iPad Proは何グラムですか?」という質問に店員さんが答えられないので失望する羽目になった。
仕様書も置いてないしなぁ。
重さ、重要なのに。
どうしようかな、本当に誕生日に買ってもらうかな。悩む。
小雨の中をバスに乗って帰ったが、1人で街を歩いていると、外から見たら足の悪い小太りの初老の女に過ぎない私の中にぱんぱんに詰まった自意識の嵩高さに毎度驚く。
「私はね、特別なの!人間が1人1人みんな特別なのはわかるけど、その中でも私は特別なの!」と道路の真ん中で叫びたくなる。
善良であろう、誠実であろうとこんなに一生懸命になっている私のことを、みんな、見て!と力いっぱい思っていても、人の目に映る私は目立たず無に等しい存在だ。
だから「自分だけの誰か」と一緒に暮らしたくなるんだなぁ、としみじみ思う。
私の「唯一の理解者」をもっと大事にしないと。
昨日は怒りすぎて悪かった。
日帰り出張から帰ってきたらうんと親切にしよう。
18年7月7日
大内くんの伯父さんの告別式に出席した。
昨日のお通夜は大内くんが出張中だったので失礼した。
結婚して29年、大内家の葬式は初めてだ。
お父さんもお母さんも長寿の家系なのであるが、お父さん側の3きょうだいの長男が89歳で亡くなった今回、長寿伝説にも終わりが見えたわけだ。
先日日本に来て帰ったばかりのアメリカの従姉(3きょうだいの長女の娘)は、お母さんの名代としてあわただしくまた来日した。
息子の渡米を力強く引き受けてくれる彼女にまた会えて嬉しい。
親族だけのささやかな式で、大内くんの家族としてはご両親と妹さんが列席、元々大内くんの友人である義弟は昨日のお通夜には同行したけど今日は家で子守りをしてるそうだ。
時ならぬ親族の集いだった。
従姉からお通夜の報告を受けていた大内くんが、
「伯父さんのお通夜は『しんしき』だったんだって」と言うから、
「新式のお通夜?床が割れてお棺がせりあがってくるとか?!」とサンダーバード発進みたいな映像が浮かんでしまったけど、従姉によれば、
「神主さんが妙な帽子をかぶって妙な靴を履いて出てきて、なにか枝を振り回していた。参列者も枝を供える儀式をした。お経ではない呪文を唱えていた」そうで。
ははぁ、神式ですか。
神式は初めてで、事前に聞いてなかったら驚いたかもしれない。
今回の告別式のために、これまで持ってなかった「数珠」を2つ、それぞれ用に買ったんだけど、無駄になっちゃった。
「いいよ、これからきっと何度も使うから」とめずらしく現実的な意見の大内くん。
私の両親の葬式は無宗教だったので、数珠いらなかったんだよね。
20人ほどの親族が着席して始まった告別式、神主さんの「妙な呪文」はかなり普通の日本語で、まるで結婚式の「新郎紹介」のように「伯父さんがいつどこで生まれて、どこの大学を出てどこに就職し、いつ、誰と結婚したか」を克明に教えてくれた。
社会常識のない私でも「おお、これはスゴイかも」と思うような肩書がいくつも並んで、でももう亡くなっちゃったんだよなぁ、人の世は無常だなぁ、と思わされる。
そんなに偉かったのに身内だけの小さな葬式をしろと生前から言い残していたそうで、非常に賢明かつ堅実なことだと感じ入った。
神式の葬式ってのは参列者も何度も何度も立ったり座ったりしなければならず、足が不自由な現在、少しつらかった。
隣の大内くんが小さな声で、「もう座ったままでいいよ」と言ってくれるのだが、中にやはり杖をついたかなり高齢のご婦人がいて、介添えの娘さんらしき人が「いいよ」と止めても律儀に起立していたので、若い身で座りっぱなしはちと恥ずかしく、頑張ってしまった。
立って頭を下げながら神主さんのお話を聞いてる最中に、突然そのご婦人の大きな声が「お香典は?!」と響き、娘さんが一生懸命、「昨日、もう出したから」と説明していた時は、吹き出さないようガマンするのちょっと大変だったけどね。
なにしろ故人は充分にご高齢だし、生前に数回結婚式で会っただけの人なんで、私は実に不謹慎な気分でいた。
好意的に見てくれる大内くんからさえ「死生観が少しおかしい」と評されるぐらいだからしょうがないんだ。
たいがいの人を見る時、「この人もいずれは死ぬからなぁ」と思ってしまうわけで、ましてこんなに年上の方ばかり集まってるのを見ると、「これから20年ぐらいの間に私が出なければならない葬式がいくつあるか」と考えてしまう。
なのに、なのに、「花入れの儀式」になって、
「立ってるのがつらいから座ってるね」と隅っこの椅子から見ていて、大内くんの従妹である娘さんの涙声が、
「パパ、大好き」と聞こえてきた時、涙があふれてきた。
ダンナさんの顔を覗き込んでお別れをしている奥さんの姿を見たらますます止まらなくなった。
氷のように身勝手な冷血と炎のように燃え上がるセンチメンタルな激情が同居している人格は、まことに制御しにくいものだ。
若い時分、友人宅で近所のおばさまから「飼い犬が死んだ」話を聞いたら泣いてしまい、
「こういう心の優しいお嬢さんに、うちの息子を会わせたい」と超略式のお見合いを設定されたことがあるんだが、会ってみたらすねかじりの大学院生だったので、即座に、
「27歳にもなって生活全部親がかりなんて!バイトぐらいしたらどうですか?」と言い放って破談になったほどの二重人格ぶり。
話はそれたけど、柩に入れるお花を頑張るのはいいね。
菊とかカーネーションじゃなくて、洒落た洋花がたくさん出てきて、
「まだまだ出てまいりますので、たくさん入れて差し上げてください」と本当に柩があふれるほどで、しかも〆には白百合と蘭がどっさり。
これほど花で埋まった亡骸は見たことないぐらい。
私のお葬式の時も花に一番お金をかけてくれ、と大内くんにリクエストしちゃったよ。
「最後のお別れです。どうぞお近くに寄って、お顔に触れたりお声をかけたりしてあげてください」と斎場の人が言うのも、柩を閉じる時に「なるべく大勢の人で」蓋に手を置いてあげるのも、ストレッチャーを使わずに男の人たちで柩を運ぶのも、これまで出たお葬式では見られなかった光景だった。
全体に、実に趣味のいい告別式だった。
私のもこうありたい。
それよりも80歳過ぎたら毎年のように生前葬をしてしまうかもしれない。
「人生で思いっきりほめられるのは結婚式と葬式だけ」と言われる二大イベントのひとつを、自分が死んでるからって聞き逃すのはもったいなさすぎる。
結婚した直後から大内くんに、
「私のお葬式では参列した人全員に天国にいる私をほめたたえるスピーチをしてもらってね」とお願いしていたけど、それだと自分が聞けないじゃん!と気づいてからはずっと「絶対に生前葬をやる」派です。
友人知人の皆様、よろしくお願いします。
18年7月8日
息子が晩ごはん食べにきた。
約束の時間より少し早くて、いいすべり出し。
「元気?ひざの具合はどう?」と聞いてくれる彼にアイスクリームを作ってあげて3人で食べながら、アメリカ行きについての話を聞いた。
たぶん100万ほどかかる費用のうち20万ほどを自分で稼げたら残りを貸すことを考える、って話だったところにここ2ヶ月の間で12万ほど貸しているんだが、彼が言うには、
「一生懸命働いて、7月末に25万ぐらい貯められそう。お借りしたお金も入れると足りないんだけど、何とかそれで考えてみてもらえないだろうか」。
とりあえず、3ヶ月間の計画とかかる費用の内訳をもうちょっと詳しく持ってきたら相談にのろう。
後日、書面にして送ってくるそうだ。
酒場でバイトしてるらしく、いろいろ勉強になるのはいいが、アングラな刺激があるのと人生経験を積むのとは微妙にちがうから慎重にね、若いと混同しがちなところだよ、と言いたいんだけど、説教臭すぎるだろうなぁ。
自分自身、「まっとうな世界」以外のものを見たと感じた時に妙に興奮して飛躍的に成長したような錯覚に陥った記憶をふり返ると、そういう経験もヘンな自信にはなるから必要な気はするし、でも気をつけないと単純に「すれちゃう」だけに終わりそうだし。
どう言ったら伝わるだろうか。
リクエスト通りの「生春巻きとカルビクッパ」を「うまい、うまい」と食べてくれた。
最近よく飲んでるワインで乾杯したら、
「てことは、今日は車は出ないのか・・・」とぽつり。
大内くんが、
「送ってってほしいの?まだ口をつけただけだから、大丈夫だよ?」と聞くと、「送って」。
あんまり斜に構えないで頼むのはいいことだよ。
昨日もずっと夜の仕事で、くたびれてるみたいだね。
早く帰って寝たらいいよ。
あいかわらず熱に浮かされたようなことばかり言ってるけど、彼は夢を捨てられないらしいとこっちももうあきらめがついてきた。
基本、自活さえできたら何をしても自由なんだし。
アメリカから帰ってきたら今のアパートは引き払うそうだ。
帰って寝るだけの部屋としてはグレードが高すぎると思うんだって。
安アパートで銭湯に行ったり生活用品そろえたりするのもコストがかかるけどね。(今のアパートは家具つきのシェアハウス)
家賃を安く抑えても1万5千円ほどの節約にしかならないにせよ、月々のその金額が今の彼には大きいらしい。
家からも近くて管理人さんを始めとしてまわりにいつも人がいて安心できたんだけど、ステップアップして実家から離れてもいい頃かもしれない。
私も、大学を卒業してから29歳で大内くんと結婚するまでの間に5軒ぐらいアパートを越した。
1回結婚もしたし、アメリカにも行った。
職を転々とこそしてないけどプチ波瀾万丈だったのは否定できないので、きっと息子に何も言う資格はないんだろう。
女で、たまたますごく運のいい結婚をして、専業主婦でやってこられたことを思うと、彼にも「真面目にヒモやったら?」と勧めたくなるぐらいだ。
人間関係は基本ギブアンドテイクなんで、納得してくれる相手をずっと納得させ続けるのもひとつの職能だよ。
ベランダでタバコを吸う息子を見てると、10年間禁煙してるのに一服もらいタバコをしたくなる。
1本で止める自信はあるが、なにやら「記録中断」的な屈辱感があるので敢えて吸わない。
「値上がり前にカートンで買って、それがなくなったところですっぱり禁煙したんだよね」と大内くんと思い出話をしていたら、息子から、
「値上がり前っていくらだったの?」と聞かれ、
「フィリップ・モリスが220円だったかなぁ」と答えたら、「うそっ!そんなに安かったの?!」と驚愕された。
今吸ってる君の気が知れないね。
先日の手紙代筆が上手かった、とほめたら、
「オヤジの文章って、ヘタだよね。オレは母さんに似てよかったなぁ。オヤジ、しゃべるのもヘタだしね。コミュ障なんじゃないの?よく会社で仕事できたね」と真顔で言っていた。
人の気持ちがわからない君や私の方がコミュ障だと思うけど、大内くんはニコニコと、
「そうだねぇ、入社したばかりの時は、まわりもずいぶん困ったと思うよ」と答える。
このゆとりが「デキル男」ってもんだ。
そもそも母さんの恋人の悪口を言うな。言ってもいいのは母さんだけだ。
息子に教えてもらったんだが、あずまきよひこの「よつばと!」第14巻で初めてよつばの「心の声」がセリフになっているそうだ。
「それは、外に向かってだけものを言っていた彼女に『ため』ができた、成長ってこと?」
「そう。そこまで、内心の声というのは出てこない」
なかなか面白い着眼点だ。
優れたマンガ読みに育ってくれて、嬉しいよ。
車で送って行ってハグして別れたが、8月頭には渡米してしまうか。
実は、そのあとの方が怖い。
アメリカでどうなるわけでもないから、彼にとっても帰国後は「その向こうは海がどうどうと滝になって流れ落ちてる世界の果て」じゃないかと思うんだよね。
「行ったら何か変わるかも」と思って準備してる時が一番何とかなりそうな気がするもんだ。
「母さんはニューヨークって街に行ったことはないんだけど、ケネディ空港でひと晩過ごしたよ。10時に空港に着いて翌朝4時にコネチカット州に行くリムジンが来るまで行くとこがなかったから、ロビーで寝ようと思ったの。太った黒人女性の警備員が来て、『あなたはここにいてはいけない』って言うんで、『朝まで行くところがありません』って説明したら、『では、いるけどいなかったことにしましょう』って言って毛布を持って来てくれたよ。クリスマスの夜に空港のツリーの下のソファで寝たんだよ」
「いい話だねぇ!」
めずらしく本気で感心してくれた。本当にめずらしい。
君にもいつか子供に語るような思い出ができるといいね。
18年7月9日
7月末にまんがくらぶの長老の別荘で「おじさん合宿」をしようという話が持ち上がっていた。
学外部員のくせに仕切り体質なので、「合宿のしおり」を作成してくれると言っていた彼にそろそろ催促をしてみよう、とパソコンの前に坐ったら、メールが来ていた。
すごいタイミングの一致。
大内くんは思わず声に出して唸っていた。
「休日講座に誘った時も、キミがそろそろその話をしておこうか、と思った矢先に長老からメール来たよね。神経の細かい人の時間感覚は似るのかな。完全に同期している。泊まってくれた晩に横で話を聞いてた時も思ったけど、キャッチボールの速度がおんなじなんだね!」
豪放磊落に見えて人の動向を細かく気にしているところ、サービス精神が旺盛なところ、でも大ざっぱな物言いを選んでしまう美学のあり方、などが彼と私はとても似ているのだそうだ。
私も長老のことは40年近くただのリーダーシップのありすぎる男だとばかり思っていたのだが、数年前の休日講座で会場から家まで集団で歩いている時、途中のスーパーでビールを買って行くと言う彼に、
「ここではまだ信号渡らなくていいんだよ」と言ったら、
「この先の信号が赤だから、先にこの横断歩道を渡っておいた方が待たずに行けると思った」という答えが返ってきて、
「あ、同じメッシュで同じ思考をする人がいた!」とひどく驚いたことがある。
もっとも、大内くんと暮らす日々が長いので驚くようになってしまっただけで、合理的な考えは常に同じ道筋をたどるものだから驚くにはあたらないのかも。
この集団の中では大内くんのように「考えない」人の方が珍しいのだ。
息子が小学生の時3人で車に乗っていて、前方の信号が変わりそうなのにのんびり行って黄色になったとたんに加速しようとする運転手大内くんに私が注意した。
「信号変わるの、見てなきゃ」
「なんでわかるの?」と聞き返す大内くんに、息子が後部座席から、
「よこのほこうしゃしんごうがちかちかしてるから、かわるんだよ〜」と明るく言ってのけた。
教えても教えても歩行者用信号を見るのを忘れる父親から、なぜ教えなくてもその法則を見抜く子供ができるのか。
その瞬間、息子の全身は私のDNAだけで出来上がっているような気がした!
なので、今回も思わず口にしてしまった。
「息子は、長老の子だと言った方が納得がいくかも」
大内くんも深々とうなずいた。
「本当に。頭のいい人は似るんだなぁ」
ちなみに、先立った愛妻の思い出にあふれた長老に確認してみたところ、「学生時代から、私には微塵も女性としての興味を持ったことがない」のだそうだ。さもありなん。
大内くんは、自分が早く亡くなった場合に私のことを頼んであった元カレが急死し前夫も再婚してしまったので私の将来を憂慮しているため、あわよくば長老に押しつけようと思ったらしいが、あてがはずれたようだ。
「でもこれだけ同期しているんだから」とかつぶやいているけど、上の世代の集団での私の評判は非常に悪いんだから、八方破れなようでいて案外堅実な長老がそんな暴挙に出るわけがない。
今、大内くんは仕事がすごく忙しく、しゃかりきになって片づけてはいるが最悪の予定が入ると合宿に行けないんだって。(5パーセントぐらいの確率だそうだが)
私のことは気にしないで仕事に打ち込んで、と励ますつもりで、
「長老は数日前からお掃除のために別荘に入るけど、車に1人2人分の空きがあって足のない人は乗っけてくれるって言うから、万が一の時は私だけで参加するよ。大丈夫!」と明るく言ったら、
「ただでさえ話が弾むキミと長老が、みんなが来る前の別荘で夫婦みたいに過ごしたら、取られちゃう!」と悲鳴が上がった。
いやー、あなたがいないと掃除も料理も何もしないんだから、役立たずぶりに呆れられるだけだと思うよ。
まあそれは冗談として、6、7人が参加しそうなこのおじさん合宿、料理を作って食べたり飲み会をしたりする以外はひたすら長老所蔵のマンガを読みまくる会なので、涼しい山小屋で堪能して来ようと思います。
久々に紙のマンガを読むぞ〜!
18年7月10日
大内くんは最近目の前の「飛蚊」がひどいんだそうだ。
これは、何もない空中にもやもやとした模様が見える現象で、普通の人でも発生するが何らかの眼の異常から来ることもあり、特に網膜剥離の予兆として起こりやすいらしい。
高校生の時にサッカーの授業中の事故で顔面を蹴られた際に硝子体の一部が剥離しかけるケガを負った大内くんで、その後何年かは眼底検査を受けていたそうだが、ここ30年以上全然なのだ。
今回、会社のまわりの人にも網膜剥離の危機に陥った人が複数出たとかでにわかに心配になったらしい。
私もずっと緑内障で眼科にかかっているんだが、その病院は混んでる上に予約が効かない。
近所の大学病院か、と思っていたら、幸いなことに駅前に新しく眼科が開院し、入ってきたチラシを見たら予約制だった。
こういうチラシをちゃんと取ってある私ってエライ、と鼻高々になって見せたらたいそう喜ばれ、さらにここ1週間ぐらいシャレにならないほど目の前がもやもやした飛蚊でいっぱいなのですぐに診察を受けた方がいい、となって、午前休を取って診察を受けることにした。
会社の同僚のHさんもいたく心配し、手術の上手いお医者さんを紹介しましょうか、と言うほどであるそうだ。
心臓の検診には付き添ってもらってるし、眼底検査では瞳孔が数時間開きっぱなしになる薬を点眼するので、そのあと出社するのに駅まで車で送ってあげたい。
一緒に行くよ、と申し出たらたいへん喜ばれた。
いつものことだが、この人はどうしてこんなにつつましいんだろう!
朝イチの予約なので開院時間に行ったら、本当の本当に開院するまで扉が開かないので、照りつけ始めてる暑い朝の陽ざしを避けてわずかな軒先で待つ。
たいていの病院では診療開始の15分ぐらい前に待合室に入れてくれるんだが、予約制だからなんだろうなぁ。
9時きっかりに看護師さんが開けてくれて中に入り、他に誰もいないしすぐに診察室に呼ばれた。
私が一緒に入っても何にも言われないのは、やっぱり瞳孔が開く目薬を使うためだろう、
「お電話で伺ったお話だと眼底検査が必要かと思うので、数時間目が見えにくくなりますが、お車の運転とか大丈夫ですか?」と言って大内くんと私を交互に見てうんうんと小さくうなずく若い女医さん。
「目の前にもよもよっとした糸のカタマリのようなものが見え、だんだんひどくなってカタマリが大きくなってきた」旨を手振りを交えて説明する大内くんは何だか可愛かったし、予想通り網膜剥離を疑ってみるようだが、横で聞いててすごく気になるのは、
「過去に目の周辺に外傷を受け、はじっこが少し破けている」ことを説明しなくてもいいのか?という点。
私だったら絶対言うんだが、大内くんは、検査でわかる以上のことはしゃべるべきではないという主義をとっているのかもしれないからなぁ。
視力検査に回され、私の待つ長椅子に戻ってきて「瞳孔が開く薬」の点眼を受けた大内くんに聞いてみた。
「顔を蹴られた話ってしないわけ?昔すぎるから?」
こういう時、座ったままちょっと飛び上がるように見えるんだよね、器用だね。
「忘れてた!言わなきゃいけなかった!!」
「えー、やっぱり?言わないのかなぁ、って思ってたよ。コドモじゃないんだから私が横から言うのもなんだと思って黙ってたんだけど。言わない主義なのかも、とも思ったし」
「いや、正確な診断のためには言うべきだよ、もちろん。単に、すっかり忘れてたんだよ」
昔、息子が赤ん坊の頃に連れて行ってた阿佐ヶ谷の小児科医の壁にずらりと貼り出された注意書きに、
「女子は16歳、男子は18歳まで、症状の説明等が自分ではできませんので、保護者が付いて来てください」という小うるさい一文があったことを鮮明に思い出したぞ。
55歳になんなんとしててもダメか。
30分ぐらいたってすっかり散瞳した大内くん、少し眩しいだけで見えにくいことはない、と言いながらまた診察室に呼ばれた。
先生が光を当てながら眼底をのぞきこんで調べる間ずっと黙っていたので、いつ言うんだ、先に言っといた方が異常を発見しやすいんじゃないか、とじりじりしてたら、調べ終わってカルテを書いてるところでやっと口を開く気になったようだ。
まったく、ハラハラする。
もっとも、あとでそう文句を言ったら、
「キミだってお医者さんの前にいる時は何が言いたいかよくわからない。僕の方が薬のこととか聞くの上手なぐらいだ。人は、自分のことになるとうまくしゃべれないものなんだ」とめずらしく抗弁していたが。
結論として、「加齢による硝子体の収縮から起こる『硝子体剥離』で、心配なものではない」らしい。
念のため1か月後にまた検査を受け、そこで異常がなければ半年後、そのあとは1年後と間をあけて検査をし、アトピーのある人は網膜剥離のリスクが高いし50代以降は緑内障等の発病リスクも上がるので、年に1度の定期検診は続けた方がいいとのこと。
「網膜が剥がれてきても、端がほころびた程度ならレーザーで修復できる」と聞きかじった大内くん的には、「この先、万一網膜が剥がれてくるんだとしたら、どういうことに気をつければいいか」が聞きたかったようでいろいろ質問してるんだけど、若い女医さんはどうもはっきりせず、医学書と首っ引きで教授の質問にあたりさわりなく答える医学生のような不確かな答えしか返ってこなかった。
かなり業を煮やした大内くんがイラッとしながら少し語気を荒くして、
「つまり、硝子体はもう、剥がれ切っちゃってるんですね?温泉卵がつるっと出てくるみたいに、『ぷるんっ』ッと取れちゃってるんですね?」と言ったとたん、女医さんは、がくがくと大きくうなずいた。
「そう!そうです!取れちゃってます!だから、大丈夫です!」
しばらく、2人はうんうんとうなずきながら見つめ合っていた。
何やら心が通じた瞬間だったようだ。
見ている私も「やっと通じた!」との思いでほっとしていた。
「剥がれるのが『網膜』なのか『硝子体』なのか、ちゃんと疎通ができていてよかった!」と思った。
初診料の入った決して安くないお会計をし、
「1か月後にまた検査にいらしてください。予約をお取りしますが」と言う受付の人に、
「予定を見てまたこちらからご連絡して予約取ります」と言って病院を出た大内くん、外の光に「まぶしいっ!」と悲鳴を上げたと思ったら、怒涛のように文句を言い始めた。
「ヤブだよ!ダメだよ!」
うん、私もそう思うよ。
しばらく2人で女医さんを思うさまこき下ろした。
これまで「ダメダメだろう」と思う医者には何人も会ってきたが、かなりのレベルで不安。
生後半年の唯生が「突発性発疹」を発症した時に、医学書を開いてカラーページの写真を見せながら、
「これですかね?突発ですよね?赤ちゃん用のイオン飲料を飲ませてくださいね〜」とだけ言った小児科医にも匹敵する。(6つ上の段落に書いてある小児科医とは別人。前述の先生は名医だった)
開業するには若すぎると思った、きっとお金持ちの医者の娘が臨床経験をあまり積まずに親に病院を開いてもらったんだろう、妙に豪華な蘭の鉢植えがいっぱいあったのも親の縁故の開院祝いなのだろう、と、我々の妄想は止まらない。
「キミのかかってる先生のとこに行こうかなぁ」
「うん、コワイ女医さんだけど診断は的確で腕がいいよ。迷いがない。マニュアル読み上げてるみたいなのは、困るよね」
「困る。僕の言いたいことも全然伝わらなかった。でも、あれだけのヤブ医者が診てもはっきり何ともないんだから、きっと今のところ僕の眼は大丈夫なんだろう」
「うーん、それはどうかなぁ・・・ヤブ医者は見逃すかもよ?今後網膜が剥がれてきたら、診察を受けた時点ではなんともないって言われた、って主張はできるだろうけど」
「そうか。だとすると、『急変した』とか言われたらおしまいだなぁ。レントゲン撮ったわけじゃないから、明らかな証拠はないわけだし」
にわかに考え込む我々。
まあ、いいや。ひと月後には私の眼科を紹介しよう。
経過を見るためにはさらにひと月後に診てもらわなきゃいけないかもだけど。
眼をしばしばさせてる大内くんに代わって私がハンドルを握り、午前休の時間を使ってついでに役所関係の手続きをしに行き、八百屋で買い物をする。
(役所の駐車場の裏にある八百屋なので)
いつものおばちゃんが、大内くんに、
「あれ、1人?いつものは?」と言いながらあたりを見回し、陰にいた私を見つけて、
「いた〜!1人で来るわけ、ないもんねぇ!」と大笑いしていた。
そうか、夫婦でしか来ないか。そもそも土曜じゃないところにツッコんでほしい。
大内くんは野菜を家まで運んでくれたあと、昼からの仕事に間に合うように家を出たが、見えにくいよりも何よりもまぶしくてしょうがないらしい。
人間の眼の「絞り機能」はうまくできていて、日頃は実にきちんと光量を調節してくれているのだなぁ。
これで網膜剥離騒動は終わり。
もう中年以上なんだから、定期検診はきちんと受けようね。
18年7月12日
9時頃までと思われていた外での会議が早く終わったそうで、少し早い時間に帰ってきた。
同席していた上司が、
「大内くん、一緒に会社に帰らない?」と言うのを、
「部長、私に何かご用があるんですか?ありませんよね?では、帰ります」と言いくるめて振り切ってきた、と嬉しそうに話していた。
それでも朝は4時に起きて仕事をするんだそうで、いくら本人が12時に寝ればいいと言い張っても、5時間ぐらいは寝てくれよ!と思う。
よって、11時就寝。
最近、大内くんは地味に忙しい。
毎晩徹夜に近く、しまいにアニメのヤマトをふたまわり聴いてしまった日々に比べればまだマシだが、その頃を思い起こしてしまうほど、2人の主観としては仕事に忙殺されているんだ。
私も今あまり調子が良くないので、朝、汗だくになって洗濯物を干したあと、ぐずぐずと訴えてしまった。
「また幸せになる日も来るのかなぁ。もう、残る人生ずっとこんな気分のままなのかなぁ・・・」
パソコンからこちらに向き直った大内くんも何やら沈痛な表情。
「きっと幸せになる!今、キミは悲しいんだよ。でも、僕はいつまでも勤めてるわけじゃないし、息子も必ずオトナになるし、身体の具合は回復するし、そもそもこの暑い夏は必ず終わるんだから!涼しいところで寝て養生してれば、きっと今より良くなるから!」
はい、そうします。
生き方に悩んでる気がしたので柴門ふみと林真理子のエッセイを読んだけど、成功してる人の書いたものを読んで気が晴れるなんてこと、あるもんだろうか。
人間、わかりやすく自分より不幸な人を見たいもんじゃないだろうか。
でも、人生の失敗者にはあんまり本を書いたりする機会はないだろうからなぁ・・・絶望のうちに死んだ文学者だって、作品が世に出てる時点で成功者だし、言うべきことがちゃんと整理されて言えてる文章を読むだけで、かなわないと思って気が滅入るんだ・・・
本と言えば、図書館でタイトル見てつい借りてしまったのが「子どもの不始末 親の後始末」という本。
よく読んだら未成年の子供の話で、成人済みの子供が借金をしたら親はどう逃れるかとか、刑務所に入ったら口さがない世間様をどう無視して力強く生活するかとか、そういう参考には全然ならなかった。
唯一、「日本では子供が問題を起こすと必ず親が責められます。責められはするけど、どうすればいいかは誰も教えてくれません」という一文が心に残った。
今から気を強く持っておこうっと。
18年7月13日
誕生日にiPad
Proを買ってあげようと言われたが、まだ決心がつかないし、そのうちにもうちょっと軽いProが出るかもしれないからとりあえず断った。
そしたら、代わりにバッテリーが弱くなってて困ってたiPhone買い替えていいって言うから、そういうことなら外に出てる大内くんの方が困ってるから一緒に買い替えよう、って説得。
「auに聞いてみたらなんだかんだで半額ぐらいの値段で買えるらしいよ」と大内くん情報。
でも、調べてみたら、毎月390円払って特約つけると「4年払いの月賦を2年払った時点で買い換えれば残りの月賦を払わなくてもいい、ただし下取りはしてもらえない」という特殊な状況下の価格で、我々のように5年買い換えないタイプのユーザーにはあまりうまみがない話じゃないだろうか。
(月々支払う390円の方が惜しい)
そう説明したら、
「危うくだまされるところだった。おっかなくておちおちケータイ買えない」と嘆き、「よく読んだ!」とほめてくれた。
ついでに、
「やっぱり『アイフォン エックス』がいいよね、最新型だから」と浮かれる大内くんに、
「8plusとの違いはほぼ顔認証のみ。新機種すぎて評判はイマイチかも。あとね、あれは『エックス』じゃなくて『テン』だから」と教えてあげる。
まあ、家にいるヒマな時間を使ってこういうこと調べるのも私の仕事ですから。
そしたら今日、auから「iPhone8への機種変更キャンペーン」のスペシャルクーポンが送られてきた。
明日買いに行こうと思ってたところへ!
この案内状を持って行くと「最大1万円引き」!
このタイミングの良さはなんなんだ!
買っちゃって来週になってからクーポン届いたら泣いてたかも。
なんだか運がいいなぁ。
求めよ、さらば与えられん。違うか。
auスター会員はショップの日時が予約できて、待ったり並んだりせずにすむんですのよ、奥様。
18年7月14日
病院で血液検査をしたところ、血液をサラサラにする薬ワーファリンの血中濃度が今回は「1.6」。
前々回が1.2、前回が1.4と徐々に上がってはきているんだが、適正値が「1.8〜2.2」なのでまだ低い。
2.5mgから3mg、そして3.5mgときて、今回はどうするか。
「3.75mgかな、それともいきなり4mgかな」となんとなくワクワクしていたら、先生の決定は「4mg」。
大胆路線で来たね。
まあ、足りないと「血栓→脳梗塞」コースなのに比べて、強すぎたとしてもせいぜい「出血が止まらない→あざができる」程度だと思っているのでかまわない。
実際、ここ1週間ぐらい太ももに謎の出血班ができているんだが、大内くんは、
「ワーファリンが効いている。低すぎて危険なレベルよりは効きすぎてる方がマシ」と喜んでいるんだ。
胃かいようでもあって見えない大量出血とかなければ、いいんじゃないかしらん。甘い?
また2週間後に検査かと思われたが3週間でもいいそうなので、そうしてもらおう。
4週間後は病院がお盆休みに入るそうだし、5週間はとんでもない、と先生の顔色が語っていた。
午後1時の予約はすいてる時間帯だとわかってから、あまり苦にならなくなったよ。
今日はね、ケータイを買いに行くんだ。
auさんに予約は入れてある。
しかし、街道沿いのショップは1人のお客さんの姿もなくがらがらに空いていて、神経質になる必要はなかったか。
駅前のショップの混雑ぶりとはずいぶん違う。こっちにしといてよかった。
大内くんが車を停めている間に、
「予約していた大内です。iPhone2台機種変更お願いします。連れが駐車場から来るまで、新型を見せてください。7 Plusはもう製造してないんですか?だったらXか8
Plusを考えます」と言って、2人分のケータイ番号を書いてデータを出す準備をしてもらう。
展示してあるXもPlusもデカいが、旧式の5Sはもうずいぶん小さく感じられるので、予定通り大きめで行こう。
やがて来た大内くんと一緒に店員さんのお話を聞いたところ、やはりXの取柄は「顔認証」ぐらいらしい。
cpuが早いとか画面がキレイとか、そこまでは必要ない気がする。なにしろ高い。
私はもう8 Plusで決まりだが、会社でずっとワイシャツの胸ポケットに入れている大内くんは入るかどうか気になるようだ。
店員さんも、
「女性の方はバッグにお入れになるのでPlusが人気ですが、男性はただの8をお選びになる場合が多いですね。胸ポケットに入るは入りますが、かなり飛び出す格好になりますので。奥様はPlusになさって、旦那様は8になさっては?」と勧めてくれる。
さらに2人ともにわかに派手好きになって「どうせなら新色のレッドがいいな」と思ってることが判明し、大内くんとしては、
「大きさが違えば同じ色でも見分けがつくから」という理由が決め手となり、8と8 Plusを買うことにした。
在庫もあるようで、さっそく手続きだ。
しかし、これが長かった。
プランはそのまま引き継ぎ、支払方法等も変わらないんだが、確認しなければならないことが山のようにある。
おまけに途中で2人とも様々なパスワードを忘れている。
重要なものは「3回間違えるとしばらく使えなくなる」という恐ろしいシバリがかかっているため、2回間違えた私は祈るような気持ちで「これだったような・・・」の3回めを入れた。
あ、通った。
担当の人もとっても嬉しそうだった。
カウンタをはさんでなかったら手を取り合ってちょっと踊ったかもしれないぐらいの中ぐらいの盛り上がりは確実にあった。
一番大きなつまづきは、それぞれの名義で分割支払いになるため「専業主婦」の私の収入を聞かれ、大内くんからもらっている「お給料」としての金額を正直に書いたところ、低すぎて審査を通らなかったこと。
担当さんのアドバイス通り「まあ適当に、使えるお金として口座にある金額を書いておく」方が良かったのだろうか。
しかし、パート主婦が扶養を外れないように調整してギリギリの時間働く、そのラインの「お給料」をもらっているんだが、つまり、いわゆる「主婦」はケータイのローンが組めないのか?
困った担当さんの窮余の一策は、
「8 Plusだと本体価格が10万を超えてしまって、割賦に審査が入るんです。8のお値段なら10万円以下で収入に関係なく組めますので、そちらになさっては?」というもの。
えええ、大きい画面にしたいってのが買い替えの主な理由なのに、そんな妥協をしなきゃならないわけ?
試しに「一括払いなら大丈夫ですか?」と聞いたところ、ほっとしたように、「それなら大丈夫です」。
払えるよ!2年間も毎月4千円以上払い続ける方がキライなぐらいだよ!
というわけで支払方法の書類を書き直して私の分は一括にしてもらった。
家計簿上は「ボーナス払い」のページに記入することになる。
電話料金に本体代が含まれて月々の生活費が大きくなるよりそちらの方が望ましい。
大内くんのも一括で買わせてもらいたいぐらいだが、さらなる書類の書き直しは面倒くさいので、放置だ。
そもそもの最初から、「お支払いはどうなさいますか」と聞いてほしかった。
ケータイ会社は割賦以外受けつけないのかと思っていたよ。
古い機種は自分の手でデータを消去して下取りしてもらう。
確認したら2人とも5年近く今のケータイを使っていたらしい。
画面の端が割れていないかどうか、ガラスフィルムをていねいに剥がして調べる担当さん。
フィルムとケースに保護された5年物の本体はキレイなもんで、満額出たぞ。
昨日、データ預かりアプリとクラウドを使ってセーブして大丈夫なはずだけど、「全消去」を押す時は少し手が震えた。
さようなら、お世話になりました。
ピカピカの新品が運ばれてきて、傷がないかの確認をする。
これが噂のワイヤレス充電もできるガラス背面か。心が躍るね。
それぞれの横っ腹から小さな小さなカードを出して手続きするため、担当さんは胸ポケットに留めてあったクリップの先を突っ込んでいた。
本体の箱に「カードに貼りつけたピン」が入ってるんだけど、ショップではこれが商売道具なんだねぇ。
設定を移動させてもらって、データやアプリは自分でセーブしたものを移してくれと言われ、あと面倒くさいのはメールを開通させることらしいが、パンフレットにやり方は書いてあるそうで、うん、それも帰ってからの宿題だ。
互いに電話をかけ合って確認。うん、通じる。
「ありがとうございました!」の声とともに出口で製品の入った紙袋を手渡された時には、なんと3時間近くが経過していた。
この世で最も賢くエライのはケータイショップの店員さん、と思う瞬間だった。
その足で電器のコジマに寄って画面用のフィルムを買う。
大内くんは本体と同じような真っ赤の背面カバー型のソフトタイプケースも買った。
私はまだどういうタイプにするか決めてないんだよね。
この際手帳型もいいかと思うし、胸ポケットには入れられないしそもそも女性の服には必ずしも入れるとこはないので、背面にリングが欲しい。
その場合、ケースと一体型にするべきかリングを後付けするかまだ迷ってるうえ、アマゾンさんの方が安いから、並んでる現物を見るだけ見て見当つけてあとでポチろう。
だらだらと長くなったけど、そのあと家でデータを移してみたところ、クラウドに入れてあったはずのセーブが見当たらなくて、一時はアプリを全部手動で入れ始めたりした。
途中で思いついて試してみた全然別のクラウドに入ってることが判明して事なきを得たり、その際にいったん「データお預かりアプリ」から移した写真を全消去したのちに再び移そうと思ったら「すでに返しました」と言われたり、まあ、ありとあらゆる困難にぶつかったものだよ。
ケータイを買い替えるって、一般人にはおよそ無理なミッションなんじゃないだろうか。
完全に健康になって何か始めるとしたら、鎌倉彫りとか陶芸とか始めるよりもパソコンがわかるようになるための教室に行こう、と強く決意した。
新しいケータイを持つだけで、気分は5割以上アップする。
目覚ましく機能が向上したわけでもないのにだ。
ここ10年ぐらい機械技術はプラットホームにさしかかり、量の変化はあっても質の変化が起こりにくくなっている気はするけど、ネットワークが生活を激変させてくれて、情報機器の持つ意味は大きい。
スマホを持つ前は家に忘れて出かけることも多かったケータイを、今では家の中でも常時持ち歩くようになっている。
主婦向けのホームウェアにもiPhone Xが入るサイズのポケットが必須になる時代が来るかもなぁ。
実際、セシールのカタログで見る男性物のTシャツやポロシャツには胸ポケットがついてるタイプが増えてる気がする。
ちなみに、「ソロバンのようにでかい。あんなものを耳にあてて通話してたらヘンだろう!」と思っていたサイズは、数時間のうちに「全然大きくない!」に変化した。
「これでも充分画面サイズが大きくなった」と8をなでている大内くんだが、もしかしたら少〜し後悔してるんじゃないかなぁ。
ワイシャツの胸ポケットのサイズが変わる日も遠くない?
18年7月16日
唯生の面会。
最近気ぜわしくて、ずいぶん間があいてしまった。
病棟と話はしてて元気なのは知ってたけど、顔見に来なくてごめんね。
お昼前の静かな病棟で唯生の手足をさすりながらゆったり過ごした。
もう食事の時間ではあるが唯生を始めとして皆さん注入やチューブ栄養なので、他の棟のように食事のトレーを満載したカートが来たりはしない。
各ベッドの上にぶら下がっているボトルを見ると、唯生のは少し色が違ってて黄色っぽいので、多くの人のもらっている大豆栄養液ではなく高カロリー液なんだろうなぁ。
しかもボトルから直接チューブで入るのではなくて装置を経由しているらしいのは、小腸からの逆流防止のために流れる量を調整してるんだろう。
彼女の場合、それがとても難しいプロの技だと聞いている。
そんなことを私が小声でぺらぺらと話しかけても大内くんは黙っているので、
「うるさい?しゃべりすぎ?」と聞いたら、首を横に振る。
「そんなことないよ。唯生と心で話してたんだ。『遠くの弟とも時々こうやって心で話してるのよ。毎日楽しくしてるけど、パパ、ママ、もっと会いに来てね』って言ってた」
「そうかなぁ。『私は私で自立してるんだから、まあ時々来てくれればいいわよ。子離れして。弟ともそう話してるの。でも、彼はもうちょっと自立した方がいいわね』って言ってるよ」
「ああ!そうかもしれない。うん、そっちの方がありそうな気がしてきたよ。唯生ももうオトナだもんね」
唯生はいつものように眉間に少ししわを寄せて宙をにらんでいた。
人工肛門をつけたあとのお尻がどうなってるか気になる。
内田春菊によれば「お尻は縫い合わせてある」んだそうだが。
「手術で直腸あたりを切った人はそうかもしれないけど、唯生のように原因が腸でお尻には全然触ってない人は、なんにもしてないんじゃないの?」と大内くん。
「見りゃわかるんだけどね」と言ってから、ちょっと顔を見合わせてしまった。
もう何年も唯生のお尻を見ていない。
腸閉塞で大手術をし、生きるか死ぬかの瀬戸際で人工肛門を建設せざるを得なくなるまでは時々外泊で帰ってきてお風呂も一緒に入ってたんだけど、胃ろう、腸ろう、人工肛門をつけた彼女はもう病院を離れられない。
まあ、元気に大きくなっていたら20歳過ぎた娘のお尻なんて見ないよね。
息子のお尻はたまに全裸で歩き回ってるから見るけど、穴の構造まで見ないし、そもそも見せないでもらいたいし。
子供が育ち上がるってのはそういうことなんだと思う。
排泄の自立、プライバシーの確立、性の自立、そしてオトナになって再び共有する性の問題。
(孫ができるのを喜ぶってのは、要するにそういうことでしょ?できないことを受け入れるのもまた、子供の性を認めるひとつの方向だし)
常に介護されている唯生にはプライバシーがないのかと思っていたけど、胃ろうをつけたばかりの頃、手術の跡を見せてくれようとした看護師さんは、
「唯生さん、ちょっとすみません」と声をかけてから服をめくった。
なんだかはっとした。
中学生の唯生がまだ家に帰ってこられていた頃、
「唯生ちゃんがお風呂に入るからね〜」と声をかけると、小5の息子は「は〜い」と言ってリビングを出て、上がって再び声をかけるまで自室にいてくれた。
みな、自然に唯生のプライバシーを大切にしていたわけだ。
髪を少し伸ばして頭の上で三つ編みにしてもらっている唯生。
寝たきりなのでポニーテールやツインテールにはできず、頭頂で結ってる。
1本なせいもあるけど見事な「しめ縄」状態で、高校時代の私のおさげを思い出す。
髪が多いのはしっかり遺伝してるようだ。
9月にはまた年に1度のカンファレンスがあり、唯生の健康状態についてドクターのお話を聞けるだろう。
小康を保ちながらも年々少しずつ困難が増してくるのはどうしようもない。
拘縮も進んでいる。
曲がった手首をマッサージしても、昔のようには曲げることができない。
唯生にバイバイして、看護師さんたちによくよくお願いして帰ったが、いつものように厳粛で悲しい気持ちになる。
みんないつかは同じところに行くんだから、それまでの人生をそれぞれに一生懸命生きるだけで、正解も絶対的な幸福もないんだから、と考えるのは唯生に失礼なんだろうか…
18年7月17日
年下の友人と渋谷でお茶を飲んでおしゃべりをした。
お子さんを幼稚園にお迎えに行くまでの短い逢瀬だ。
会うなりお互いにすごい勢いでしゃべり始め、2時間ノンストップだった。
日頃人に会わないのでついつい愚痴っぽくなってしまうんだが、彼女のいいところは大内くんをぼろくそに言っても、「あんないいダンナさまを」などという定型のお世辞を言わないことだ。
「能力も学歴もある方なのに、なぜ自虐的と言ってもいいほど謙虚なんでしょう?」と首をかしげてくれる。
大内くんも彼女の見る目を非常に評価しているが、
「キミたちの大学では平常心を教え込み過ぎる。冷静でない女性の卒業生を見たことがない」といささか腰が引けている。
いいことじゃないか!
時間ぎりぎり、駅の改札で別れる寸前まで名残惜しくマンガの話をぶちまけ合い、お互いにまた面白いものを読んだら情報交換しましょうと約束してお別れした。
ああ、暑い!
吉祥寺でヨドバシに寄ってまたケータイカバー見てきたんで、ますます汗をかいた。
もう、ぽたぽた。
でも、見てきた甲斐あってほしいタイプの見極めがついた。
透明シリコンのソフトタイプ、背面カバーのリングつきにしよう。
やはりせっかく綺麗な赤いボディなので覆ってしまうのは惜しい。
レビューまで熟読して、評判のいいモノを選んだ。
小さな子供のいる生活の話をいろいろ聞いたせいか、息子の育児日記を読み返したくなった。
彼女んちの幼稚園児がハマっているらしい「アゲハ」の話。
うちの息子も保育園にアゲハのさなぎを持って行ったことがあったなぁ。
残念ながら羽化する前に誰かが「水とかせみのぬけがらとか」を入れて死なせちゃったらしいんだが。
20年ぶりに再掲しておこう。
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99年4月20日
布団に入った息子が、「息子ちゃん、かなしいの」と呼ぶ。
話を聞いてみると、以前保育園に持って行ったさなぎの箱に、○○ちゃんが水を入れて死なせてしまったことが悲しいと言う。
以前にも書いたが、息子が持って行ったさなぎの飼育箱に誰かが水を入れたという事件があった。
どうやら犯人は○○ちゃんという女の子だったらしい。
ずいぶん前の話で親たちはすっかり忘れていたのだが、彼にとっては終わっていない話だったようだ。
「息子ちゃんが、もっていったんだよ。ちょうちょになるの、たのしみにしてたのに、○○ちゃんが、トマトとかせみのぬけがらとか、おみずいれてしなせちゃったんだよ」
「○○ちゃんのこと、怒ってるの?ごめんって言ってた?」と聞くと「いってた。おこってない。でもかなしいの」
だんだん顔がゆがんで涙がこぼれてくる。
涙をふいてやり、「さなぎは天国に行ってちょうちょになって、楽しく飛んでるよ」と話すと、「てんごくってどんなところ?いす、ある?」といろいろ聞かれた。
「じゃあおやすみ」「さみしかったらよんでいい?」「いいよ」という会話で終わったのだが、その後2度ほど呼ばれた。
どうも、悲しいと言うとパパとママが2人がかりで涙をふいたりなでてくれたりするのに味をしめたのではないかという疑いが忍び寄る。
そう思って見ると、涙もやや絞り出しているような気もしてきた。
だんだん適当に切り上げて寝かしつける。
怒られたり思うようにならなかったりした時に「悲しがる」というのはこれまでにもよくあったことだが、もう1歩踏み込んだ「悲しさ」に突入した感がある。
息子よ、世の中には悲しいことがたくさんあるんだよ。
でも、頑張って生きていこうな。
なぐさめてもらって味をしめた後はともかく、ずいぶん前に死んでしまったさなぎのことをまだ覚えていて悲しむという心根が、なんだか貴重に思われる。
その生きた宝石は、珍しく11時頃に突然ふすまをあけ、ねぼけまなこで地団太踏むようにしながらトイレにかけこんだ。
もうおねしょの心配はまったくいらないようだ。
大内くんに比べると頼もしい膀胱である。
99年4月22日
育児日記「息子とバナナ虫」
体長3ミリぐらいの小さな黄色い虫がいるのだが、息子はそれを「バナナ虫」と呼んでいる。
(昆虫図鑑で調べたら、どうやら「ツマグロヨコバイ」らしい。図鑑はさまざまな虫の幼虫や卵がいっぱい載ってて、気持ち悪かったぞ)
保育園の「登り棒」の近くにいっぱいいるそうで、大内くんは毎朝そこに連れて行かれるという。
「ここにね、バナナ虫がいっぱいいるんだよ。どうしてかな」としばらく考えていた息子は、突然ひらめいたらしい。
「そうか、このぼう(登り棒)がきいろいから、おともだちがいっぱいいるとおもってあつまってくるんだ。そうだよ、そうだそうだ」と1人で喜んでいたそうだ。
今日は、「バナナ虫はね、ふんでもしなないんだよ。えいっ。(踏んでみて)あれ、しんじゃったねー」とやっていたらしい。
「きっと、ふんでもしなないバナナ虫としんじゃうバナナ虫がいるんだよ」となおも踏もうとするので、大内くんが「死んじゃうやつかもしれないじゃない。さなぎが死んで悲しかったんでしょ?バナナ虫も、死んだらかわいそうだよ」と言い聞かせて、やっとその場を離れたそうだ。
虫の人生(とは言わないか?)もなかなか大変そうである。
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もうひとつ、息子が友人の長男とほぼ同じ小3の頃、学校の授業で「かいこ」を飼う単元があった。
(友人息子は「アゲハ」なのだそうだ。時代の差?地域の差?)
その頃の記録をひもといてみよう。
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02年6月3日
学校の「理科」の授業で、「かいこ」を飼うらしい。
「イチゴのパックを2つ持ってきてください」と言われたので、普段は買わないイチゴを買う。
それに入れて飼育するのだろう。
続いての難題は、「桑の葉をさがしてください」。
そんな、桑の葉なんて見てもわからないよ。
困っていたら、連絡帳に「キャベツの葉を持ってきてください」。
かいこって、桑の葉しか食べないんじゃないんだっけ?
更なる難題、私にとっての最大最悪のリクエストは、「各家庭でかいこを飼ってください」。
こればっかりは、どうしてもカンベンしてもらいたい。
私は、うにょうにょした虫全般がどうしてもダメなのだ。
小学生の頃、姉が同様の事情で家にかいこを持ち込んだ、その時は平気で、ナマ白い背中がぴくぴく動くのをなでていたような覚えがあるのだが、その後の人生でいかなるトラウマが生じたのか、今や徹底的にダメ。
誰もいない昼間、かいこと「2人きり」になるなんて、想像しただけで気絶しそう。
連絡帳で先生に相談したら、「同じ班の子が飼ってくれれば問題ありません」とのことなので、ほっとひと安心。
だが、息子はかいこを飼いたかったらしく、とっても怒っていた。
「かわいいのに。ぼくだって家でかいたいよ。どうしてママはキライなの?」
いや、人には、苦手なものってもんがあるんだよ。
先日、カブスカウトの用事で保育園仲間しゅうくんのお母さんに会った大内くんは、「大内ママはかいこが苦手なんですって?カワイイのに〜!」と笑われてしまったらしい。
誰になんと言われても、ダメなもんはダメ。
情けないけど、ゴドーのかいこは誰かの家で飼われている、はずだ。
すまん、息子よ!
02年6月15日
息子の「授業参観」があった。
大内くんと2人で出かける。
まずは、春の遠足の写真が廊下に貼り出してあるのをチェックして、欲しいものはナンバーを控えて提出。
山道をいっぱい歩くハードな遠足だったので、息子はどの写真でもなんだかくたびれた顔をしていた。
他にも廊下に貼り出してあるのは「かいこの観察記録」。
どうやらおかいこさまは、月曜から金曜は学校で飼って、週末に家に持って帰る「単身赴任」のような生活をしているらしい。
保育園仲間けいすけくんが「おおきいでしょ」と嬉しそうに自分のかいこを見せてくれたが、お母さんによると、大きすぎてみんながさわりたがるのですっかり衰弱してしまったという。
かいこの人生もなかなかたいへんだ。
毎朝一緒に登校しているとなりのクラスの林田くんは、「かいこ新聞」を出している。
これがやたらに面白くて、「うーん、落ち着いたいい子だとは思っていたが、こんな才能のある子だったか!」と嬉しくなった。
「かいこレストラン」という記事には、校庭のどこで桑の葉が手に入るか書いてある。
「ここのはデリシャス」とか「ここのはイマイチ」とか。
面白いじゃん!
さて、廊下でのお母さんたちとの社交も一段落し、授業は「国語」。
班ごとに前に出て、みんなで朗読をする。
息子は1班の班長さんなので「礼」とか号令をかけていたが、朗読自体は他の子たちの方がうまかったなぁ。
その後は普通の授業で、「めだかはいつごろ出てくるかな?」という先生の質問に、我先に手を上げるコドモたち。
「4月!」「5月!」と声が上がる中、息子もあててもらえて、「春!」。
まあ、どれも正解だろう。
用事があって途中で帰ったため、学校終わって帰ってきた息子にはちょっと文句を言われた。
そして、彼もまたけいすけくんの「大きなかいこ」をなでさせてもらっていることが判明。
「大きいから、すべすべして気持ちいいんだよ」と言っていた。
だから、かいこが弱っちゃうんだってば。
また、林田くんのかいこの名前は「ひわたりかいこ」というらしい。
どこからきたのかわからないが、なんだか林田くんらしいしゃれた名前だ、とまた感心した。
コドモたちは毎日毎日ちゃんと学校行って授業を受けたりほうきでチャンバラしたりかいこをなでたりしているようだ。
けっこうなことです。
これからも真面目に学校行ってください。
02年7月10日
で、「バッタ」だが、学校に持って行って飼ってもいいらしいんだけど、週末はお持ち帰りしなきゃいけないし、ほぼ確実に死なせてしまうと思ったんで、「逃がしてやりなさい」と言ったら、今朝、大内くんと一緒に外に放してやったようだ。
息子自身は飼いたかったらしく、「ともだちもガッカリしちゃうよ!」とちょっと怒っていた。
クラスでは早くも人気者になったバッタであるようだ。
つーか、みんな、飼ってたおかいこさまが「まゆ」になっちゃったんで、退屈してるんじゃないだろうか。
普通のコドモ並みに「昆虫少年」であるらしく、「ぼく、カブトムシとかとりにいったことないんだよ!」と、これまた不満のタネらしい。
そうねえ、田舎におじいちゃんおばあちゃんがいて、汲み取り式トイレにおびえながらも、朝早くから畑のトマトをもいで食べたり、昨日のうちに砂糖水を塗っておいた木に集まっている虫たちを取ったり、川で遊んだあとは井戸に放り込んであったスイカにかぶりついたり、な〜んてことは一切ないのだよ。
(私自身だって、そこまで面白い思いをしたことはない)
それでも名古屋という帰省先があるだけでもマシと思ってくれ。
大内くんは東京生まれの東京育ちなので、両親を訪ねようと思うとかえって都心に近づいちゃったりするのだ。
02年7月20日
昨日は学校の終了式だった。
その前日は早退した息子も、元気に出かけて荷物を山のように持って帰ってきた。
「座布団になる防災頭巾」だの「お道具箱」だのは置いといて、やはり気になるのは「通知表」。
2年生までは「できる」「もう少し」の2段階評価だったが、3年生からは「よい」「だいたいよい」「もう少し」の3段階。
「オール3」などの温床となる「5段階評価」って、いつから始まるんだろう?
さて、「あゆみ」と呼ばれる通知表を息子から受け取り、開く前に「どうだった?」と聞いてみる。
「ぼく的には、あんまりよくなかったかなぁ」とニヤニヤしているので、「うーん、『もう少し』とかあったりするかも」と緊張して開く。
おおっ、ひとつの項目だけが「だいたいできる」で、あとはみんな「できる」になってるじゃないか!
いい成績だ。
しかも「できる」がもらえなかった問題の部分は、理科の「昆虫の成長を観察し、からだのしくみがわかる」という項目だ。
「ママのせいだと思う?」と恐る恐る聞いたら、「ぜったい、思う!」と断言された。
ごめんよー、「かいこを家で飼うことができなかった」のが原因なら、それは確かに私のせいだ。
君は立派な観察図を描いて花マルもらってたんだもんなぁ。
学習の成績ばかり見ていたら、生活態度の「忘れ物」の項目が「もう少し」になってることを自白された。
あ、ほんとだ。
これは私のせいでもなんでもないので、ちょっと叱る。
「でも、よくできてたよ。立派な成績だよ」とほめたら、「モノであらわしてくれる?」と言う。
何かごほうびを買ってやろうかと思っていたが、この言葉でさーっと冷めてしまった。
「そういう態度は良くないよ」と注意しておく。
息子よ、キミは、自分が大きな損をしたのに気づかないのだろうね。
だんだん、成績表もマジな話になっていくのだろうが、今はまだ「うん、頑張ったね」ですむ範囲だ。
できればずっと成績のことは真面目に考えたくないのだが、そうもいかない時期がくるんだろうなぁ。
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「かわいいですね!『モノであらわしてくれる?』にやけに小賢しい才能が垣間見えますが(笑)」と友人。
確かにね、小っちゃい頃から小賢しかったんだ。栴檀は双葉より芳し。ちがうか。(いや、ちがわないのか?)
私がやたらに長い系の虫が苦手なのを笑われたけど、詳細な育児記録が保存されている点についてはたいそううらやましがられた。
健康を損ねて家で寝ついていたのでヒマだけは売るほどあって、むしろ日記を書くぐらいしかやることがなかったのよ。
ま、今もそうですが。
大内くんにも話したら、
「なつかしいねぇ。息子は可愛かったねぇ」としみじみしてた。
でも、もう子供じゃない。
彼の「子供時代」は終わってしまった。
先日考えたように、お尻を見ることのない唯生も、もう子供じゃないんだ。
私たちの子供は2人ともすっかり大きくなり、こっちは歳を取ったんだなぁ。
継続は力なり。
今のこの記録を、老人ホームで読み返す自分を想像する。
「若かったなぁ…」とか思うんだろう、きっと。
18年7月19日
朝の10時ごろ家の電話が鳴って、息子が「今、家にいる?あ、いるかぁ、電話に出てるんだもんね。昼ごろ、行っていい?ごはんも食べる」と能天気に言う。
「家の近所の役所に、戸籍『みょうほん』取りに行くから、ついでに寄るよ。『みょうほん』取る手続きするお金がないんで、貸してもらえないかな」
それはいいとしても、戸籍抄本「しょうほん」だろうが!
ツイッターをながめていたら、
「『おいおい舐めるなよ。俺は日本より赤道に近いインドから来たんだぜ、厚さには慣れてる…』
とか言っていたインド人の留学生から
『にほんはあついあついあついあついあついあついあついあつい わたしをすくってください』
ってメッセージが来た」
とか、
「ぼく『人肌が恋しい』
地球『気温36度にしました』
ぼく『そうじゃない』」
というようなつぶやきが大人気を博している。
ふたつ目に関しては、「岐阜はもはやインフルエンザでは」というリプライもあった。
ナイスだが、インフルだとしたら岐阜はもう死んでいるだろう。
そんな暑い真昼間にやってきた息子は、
「書斎にいるよー」と私が言って、「おう」と扉を開けて顔をのぞかせた、その時はすでにズボンを半ば脱いでシャワー浴びる気満々だった。
風呂を沸かしておいたから、入るといいよ。
その間にごはん作ろう。
今週は大内くんが毎日予定外の残業で夜遅かったため、夕食の食材と作り置きが余りまくってる。
正直、息子が食べにきてくれてありがたい。
「大根と手羽元の煮込み、ローストポークのピリ辛ごまだれソース、アボガドとトマトのサラダ、若竹煮」という無国籍な昼ごはんだ。
こないだお鍋を食べさせた時に炊いたご飯を冷凍しておいてよかった。
食べながら息子は、
「身体の調子はどう?最近、なんか面白いことあった?」とまあ一応気を遣ってくれた。
彼はすっかり夜のバイトに染まっているらしい。
かなり過激な体験もしているバーテン稼業を語るのは、きっと親の度肝を抜きたいんだろうなぁ。
「凄い経験かもしれないけど、そこで得たものを自分の中で消化しきれないのに『人と違うことしてる』ってとこに溺れてちゃ、ダメだよ。東大に入ることとヤクザな仕事をすることはおんなじようなもんで、経験として生かせて初めて意味があるのに『こんなとこにいるオレってスゴイ』とか人に語り始めたら安っぽいばっかりだ」と説教する。
意地でもビックリした顔はしたくない。
戸籍抄本を取ってパスポートを取得する、どっちもお金がかかる。
月末にはバイト料が入るそうだけどその前に手続きしないと間に合わないから、とのことで、お金ができたらまとめて返してね。
「父さんは明日まで海外出張に行ってるんだよ」と言ったとたんに大内くんからラインが入った。
「今日のホテルは豪華なんだってさ」と、送られてきた写真を息子に見せたら、
「ふーん、スペシャリストだねぇ。立派だねぇ」とつぶやいていた。
まあ、君の分まで、いや私の分までも稼いでいるね。
私がありがたがっている程度には、君もありがたがりたまえ。旅費も貸してもらうことだし。
なぜだか知らんが食事を半分以上残した。
「おいしくなかった?」と聞くと、
「いや、うまかった。ちょっとおなかいっぱいだった」。
じゃあ食いたいって言うなよ。
おかずは私が夜食べるからいいけど、解凍しちゃった米の飯は困るんだよね。
私「いっそ持って帰る?お弁当にしようか?」
息子「あ、そうしてくれる?」
私「でも、あなたどうせ食べないで腐らせちゃうような気がする。タッパーが怖いことになっちゃう」
息子「オレもそんな気がする…」
私(それぞれタッパーに移して冷蔵庫にしまいながら)「母さん、こういうちまちました片づけって苦手なんだよ。父さんは得意なんだけど。母親はみんなごはん作ったり片づけたりが好きなわけじゃないんだよ」
息子「そう」
私「苦手な人がやってるんだから、代わりにやろうとか思わないかな」
息子「言われりゃやるけど、やってくれてるじゃん」
私「ほとんど言ってるんだけどね…何度も言うよりやった方が早いってのも、親の病だね…」
息子(あくまで能天気に)「悪いね〜」
しかしまあまあ機嫌よく帰った。
あまり無駄な長居もしなくなったし。
マンガと映画の話をし、愛とセックスと人生について少し語り合った。
子供とこういう関係を持てれば私は満足だ。
広い意味で自立していることと、創作物を鑑賞し愛し語る、それ以上のことは求めていない。
異国の大内くんから夜中になってやっと電話がかかってきた。
会議は難航しているらしい。
「寂しいねぇ。今週はずっと夜遅かったし、あんまり話もできてないねぇ」と心苦しそう。
私としては、昼間に甲斐性無しな男の顔を見たせいか、きちんと仕事をしている壮年男性の大内くんが無闇に頼もしく思える「ニート効果」発動中。
そもそも私自身たった7年の会社員生活で出張に行ったことがないため、出張して1人で仕事ができる人は立派だと思ってしまうんだ。
同様の理由で「企画書」と「見積書」を書ける人も尊敬するぞ。
「無駄に豪華だ」と2人ともが思ったでかい風呂にゆっくり入って、明日もまた交渉してくれ。
私は寂しさのあまりアマゾンで古本を20冊、Kindle版を18冊もぽちぽちしてしまった。
月末の請求がコワイ。
18年7月20日
前々から予定を聞いてはいた高校の同窓会、正式に案内が来た。
大内くんとの夏の小旅行のつもりで、8月末にもう名古屋のホテルを3泊とってある。
ついでに小中の友達と女子会をするんだ。
大内くんは大内くんで名古屋勤務の友達と旧交を温める良い機会みたい。
名古屋のライン友達Tちゃんに「同窓会、一緒に行こうね!」と声をかけたら、「先週おばあちゃんになった」という嬉しい知らせを聞いた。
よかった!
この頃、知ってる人がけっこうおばあちゃんになる。
親になるのとはまた全然別の喜びがあるらしく、「親になんかなるんじゃなかった」という声は聞かなくもないが「おばあちゃんになんかなるんじゃなかった」とはまだ聞いたことがない。
単に皆さんのおばあちゃん歴が浅すぎるだけ?
いや、「孫は格別にカワイイ」と我々の親たちも言っていたような気もするし、きっと子供を産んどくと人生の終わりでもらえることもあるお得なボーナスポイントなんだろう。
次に、やはり名古屋在住のNちゃんという子に電話した。
唯生が生まれて里帰りしてる時に一度、大内くんと一緒におうちを訪ねたことがある。
「うちにも通知が来たよ。あこちゃんは行くの?」
「うん、行くよ」
「そうかぁ。じゃあ、あなたの顔を見に、行こうかな」
うんうん、これで2名ゲット。
さらに、10年ぐらい前に東京の同窓会を仕切ってる幹事さんから手に入れた男友達のケータイ番号にショートメールを打ってみたけど返事がないので、業を煮やして電話してしまう。
小中高とずっと同じ学校だった、まあ幼なじみかも。40年会ってないけど。
そもそも本人のケータイかどうか全然不確かだったので、つながった時はちょっとびびった。
「Uさんのケータイですか?」と聞くと、不審そうに「はい、そうです」。
私「高校で一緒だったY(私の旧姓)ですけど」
Uくん「・・・」
私「覚えてる?」
U「覚えてるよ!どうしたの?」
私「ショートメール打ったんだけど、返事がないから」
U「あー、電話以外に使わないから、見てなかった。なんでこの番号知ってるの?」
私「これこれこういうわけ。で、今度、高校の同窓会があるんだけど」
どうも横浜に住んでいたUくんは現在名古屋に引っ越しているらしく、同窓会事務局に住所変更を届けてないので通知が来てないらしい。
私「名古屋にいるならちょうどいいじゃない。同窓会、行こうよ」とプッシュしたら、まだ戸惑ったようすで、
U「でもさぁ、どうして僕に電話しようと思ったわけ?」と聞く。
私「小学校からの仲だし、高校の時もけっこう仲良くしてもらったから、いい印象を持ってるんだよ、あなたに」
U「そう・・・」
私「なに、嬉しくないわけ?」
U「いや、そんなことないけど」
いかん、どんどんハイになる。高校時代の自分がよみがえってしまう。
ここ20年ぐらい、ずいぶん人見知りの内弁慶になってきたのに。
そうか、ここは「内」なのか。
Uくんに日程を伝えるとその日は空いているそうで、「じゃあ、行こうかな・・・」と傾いてきたので、
「写メ送るから、ショートメールに返事して、そっちのアドレスを教えてね」と言って話を終えた。
うんうん、3人目ゲット。
同窓会事務局から奨励賞をもらいたくなる。
東京から遠隔操作で地元民を3人も動かしたぞ。
その後、ショートメールで私のケータイアドレスを伝えたら、Uくんのパソコンからメールが来た。
(誰につながってるか確信が持てないうちはあんまり個人情報を出したくなくて、メアド書けなかったんだ)
そのアドレスに案内状の写メを送ったら、またお礼のメールが来た。
私としてはメール交換を始めたいところなんだが・・・
「びっくりしましたけど、嬉しかったですよ」と言ってくれてるから、OKか?
とりあえずお返しに中高時代の写真を送っておいた。
Uくんと私が高校の遠足バスの中で並んで写ってるやつとか、中3のクラス写真でなぜだかお互い立ち位置が男女の境目で、隣り合って写ってるやつ。
こっちでは大内くんに細大漏らさず報告してるからたとえメール見られても平気だが、よそのご家庭の争議の元にならないだろうね。
いちおうUくんに、
「女性からメールが来ても奥さんは怒らないか?」と聞いてはおいたけど。
つくづく大内くんが男子校出身者でよかったよ。
中高の頃の写真を見ると実に私好みのぼーっとしたメガネ男なんで、同級生の女子とか出現したらけっこうヤキモチ焼くかも。
大内くんに言わせれば私は「自分のものを奪われ続けたためまったく肛門期を脱することができず、所有欲が強い」んだそうだ。もちろん自覚は大アリ。
息子にまで「最初に見たものにピヨピヨ言ってついて行ってる人生。結婚も会社も」と揶揄される大内くんのほぼ唯一の女出入りは、「小学校の同級生女子から『大学合格おめでとう!』と電話をもらい、会った」というもの。
当時は大学に合格すると名前が雑誌に載ったりする野蛮な時代だったのだ。
そして、1、2回会ったのち、その女の子は大内くんとともに合格した別の幼なじみと一緒に学園祭に来ていた、というオチになる。
誰も彼もなつかしかったのか、早手回しな婚活だったのかはわからないが、私自身、大内くんの親族から「東大生と結婚したくて東大のサークルに入っていた人」と言われた時はアタマに来たので、人のことも勘繰るのはよそう。
そんな男子校出身の大内くんにとって「地方の県立共学高校」は珍しいらしいので、同窓会に連れて行くことにした。
さすがに二次会になったら内輪な雰囲気なので帰るように言ったら、夜は名古屋で別の予定を入れるそうだ。
「共学の同窓会は不倫の温床だと聞くけど・・・」と小さな声で言うのは、なんか心配してるのかなぁ。
大丈夫だよ、私と10分話をした人はみんな、
「大内さんのご主人は、とっても優しいんですねぇ!」って叫ぶんだから。
私の知り合いは全員、遠からず大内くんとも引きあわされる羽目になってるし。
息子にも、「母さんは父さんに依存しすぎ」って看破されちゃったよ。
でも、
「お互いに依存してるけど、父さんは『夫婦がたがいに甘え合い、依存し合うのはちっとも悪いことじゃない』って主義なんだよ。生まれて初めて心から甘えられる人に会えたんだから、ほっといて。あなたみたいに親に充分依存できた人はその温かい記憶を胸に1人でやっていけるだろうけど」と主張したら、「なるほど!」とうなずいてくれたから、いいんじゃないかな。
同窓会、楽しみだ。
唯一気がかりなのは、ただでさえ猛暑の名残り濃い8月末、名古屋は全国的にも蒸し暑くて過ごしにくいことで有名な土地柄なんだよね・・・
18年7月21日
SNSで立て続けに知人を2人発見して友達申請を出した。
すぐに承認されて、連絡が開通した。万歳。
1人は大学の音楽サークルの先輩で、卒業後コンパで1回会った時にカレー代2千円を借りていた。
メッセンジャーでそのことを伝えたら、
「2千円のことは覚えてないけど、連絡もらって嬉しい」と言ってもらえた。
いつか会いたいですね、と言うと、趣味でバンドを続けていて今月末にライブハウスに出るのだそうだ。
よければ来てね、と言われたそのライブは吉祥寺。
すぐ近くじゃないか!
夫と2人で行きますから、と席を2人分予約させてもらって、再会が楽しみ。
35年ぶりぐらいにめぐり会った先輩がライブ寸前に連絡がついて、しかも近所。
「大学の近くに住んでます」
「あー、先月そのへんでライブに出たばっかり。会えなくて残念!」
という会話になってても不思議はないのに。
私ってついてるなぁ。
さらに、学生時代に家庭教師のバイトで教えていた女子中学生がすっかり大人になったところに遭遇。
今はニューヨークに住んでるそうだ。
私のことをもちろん覚えてる、6歳しか違わなかったなんて驚き!と言う彼女は、なんと来週日本に里帰りするんだって。
「会いましょう!」って話になってる。
大内くんにその話をしたら興奮してた。
「ニューヨーク!息子が来月行くところ!知ってる人がいたら心強いね。ぜひその人によくお願いしておいて」
確かに、このタイミングで知人が発生するとは!
「うーん、先輩のライブの件といい、やっぱりキミは『何か持ってる』よねぇ。こないだはスマホ買いに行こうと思った前日に割引クーポンが届いたし」
元々ラッキーな方ではあるが、今、ものすごく運気が上がっているかも。
一生分の運を使い果たしちゃわないように気をつけなくっちゃ。
まあ、こんなことが起こるのもSNSが「同じ学校を卒業したと公表してる人」をずらずらと教えてくれる仕様になったからなんだよね。
おせっかいだと思わんでもないが、人脈が途切れがちな生活なので実際は重宝している。
この調子で老後は旧交を温めまくって過ごしたい。
件の教え子は「反抗期で扱いにくかった自分」について謝っていたが、こちらの方こそハタチ前後で自我が無茶苦茶なことになっていた頃で、いろいろ恥ずかしいことばかりなの。
かつての私が迷惑かけてひんしゅく買った人たちには、これからやり直す機会をもらってちゃんと謝って、許してもらえたら正常な人間関係をもう一度築きたいものだ。
18年7月22日
仕事が忙しすぎてまたまた私とケンカになり、仲直りを目論む大内くんが息子にSOSを出した。
「息子の立場から母さんが喜ぶようなことを書いて励ましてあげて。父さんから渡すので。いつもいつもすみません」とお願いしたら、30分ほどで返事が来たんだって。
「お母さんへ
『美しい言葉を持つ人の人生は、それもまた美しい』
唐突ですがこんな言葉を思いつきました。
先日、あるライブを見に行った際にゲストで来ていた高名なお坊さんの言葉に感銘を受けたのがきっかけです。
(中略)
話は逸れましたが、僕は思います。
お母さんの扱う言葉はいつも美しいなぁ、と。
そんなお母さんの人生もまた美しいのでしょう。
これからも、お父さんと仲良く、楽しくも美しい人生を送ってもらえたらと思います。
息子としてこんなに嬉しい事はないです。
それじゃあまたね」
大内くんとどう仲直りしたかはここでは割愛するととして、とっても感動してしまった。
いつも、美しい、真実の響きのある言葉を使いたいと切望している私にとって、自分の子供からそこを評価されるのは最高の名誉だ。
美しい言葉で人間をひとり育て、その人は美しい言葉を良しとする人間に育った。
他のことはどうでもいい、と思える瞬間だ。
(冷静になると「どうでもよかあ、ないだろう!」って思うんだけどね)
人生でやれることには限りがあるから、今日の私はこれで満足。
18年7月23日
歯医者と整形外科のハシゴ。
「メディカルコート」の同じ建物に入っているほぼお隣さんで、便利なことこのうえない。
去年以来、並んでいる内科と歯科医と皮膚科と整形外科をコンプリートしてしまった。
建物自体新しくてキレイだしどこもたいそう腕が良くて満足しているんだが、内科だけは例外なので、風邪をひいた時とかは20年来かかっている行きつけのクリニックで診てもらう。
10年前に心臓の専門医にかかるようアドバイスしてくれた「ホームドクター」としては信頼のおける先生がやっているんだ。
問題は予約制でない評判のいい「地元かかりつけ医院」は混むということ。
インフルエンザの季節とかだと目も当てられない。
歯医者は半年に1度のクリーニングを前倒しにしてもらった。
「ずいぶん汚れてますね。体調が悪かったりしました?」と歯科衛生士さんに聞かれて、うん、これまでの半年に比べて汚れがたまりやすいよね。どうしたんでしょ?
前回からまだ3ヶ月しかたってないのに。
変わらず歯磨きしてるんだけど。
整形外科のリハビリの予約をきつきつのスケジュールで入れてしまったため、全部終わらないうちに時間になってしまった。
「すみません、3軒隣の整形外科に行く時間なので」
「ああ、あちらにもいらしてるんですね。ではまた予約取ってお帰りください」
ということで来週に予約を入れてもらう。
またこれに合わせてリハビリの予約取らなきゃ。
すぐ近所とは言え、暑いから何度も行ったり来たりしたくないのが人情なの。
リハビリのあと、2週間に1度の診察も受けた。
先生はレントゲン見て首をかしげてた。
「右足の痛みはおさまってくると思うんだけど、左足の変形が進んでるんだよね。1回MRI撮っておこうか。心臓に機械弁入れてるんだよね。MRIダメとか言われてる?」
「いえ」
「じゃあ、うちにはMRIないから近所のN病院に行って」とてきぱき連絡してくれて、あっという間に来週に別の病院での検査が入った。
「終わったらデータのディスク持ってすぐこっちに来て」
そうか、最近は検査の結果をディスクでもらって来るのかぁ。
帰ってからごちゃごちゃになった予定をカレンダーに入れてみたら、月曜まで山で遊んでくたびれて帰ってくるのに、火曜と水曜が続けて通院日になってしまってる。
この暑さの中、日頃寝たきりの私にはちょっと無理だろう。
歯医者さんに電話して、予約を金曜に移してもらった。
これで、火曜は休養日、水曜は検査、金曜は歯医者と少しゆるやか。
高齢者並みに細心の注意を払って暮らしてるんだ。転ばぬ先の杖。
18年7月24日
息子から、審査を通してくれるクレジットカード会社がやっと見つかって発行してもらったが、送られてきたカードが受け取れなかったため、アメリカ行きの準備が間に合わない、と連絡がきた。
大内くんがメッセンジャーで対応して聞いたところ、バイトが忙しくて家に帰れずにいるうちに簡易書留郵便で来たカードがクレジット会社の方に戻ってしまい、もう1度送ってもらう時間がないのだそうだ。
飛行機のチケットだけは早く押さえておきたいから、父さんのクレジットカードを使わせてもらえないだろうか、ってお願い。
というか、本人が言うには「嘆願に近い」。
「家に帰れないってどういうこと?」と大内くんは気色ばんでいたが、
「帰れないようなヤクザな生活をとがめているようにしか見えないよ。彼の生活に口を出すのはやめなよ」と注意したら、
「大事なクレジットカードが送られて来るってわかってるのに受け取れないのが良くない、って言いたかったんだよ。局留めにするとかすぐに取りに行くとかいろいろすべきだった、って」と弁解してた。
「わかるけど、そうは聞こえないよ。ただでさえ彼は、親が彼の生活ぶりに不満があるって思い込んでるんだから。『頭が固い』って断じられるのがイヤなら、価値観が入ってるようにとられる言動はやめとくんだね。まあ、そんなのすごく難しいから、開き直っちゃうのも一手なんだけど」と説教したら困って頭を抱えてた。
結局、大内くんのカードでエアチケット申し込んであげることになったらしくて明日家に来ることになったから、タンドリーチキンでも焼いてあげよう。
父と息子の話になってる間は、母親はラクだね。
18年7月25日
朝からいろいろ考えるんだよね。
洗濯をしようかどうしようか。
夜、息子が来たら、どうせ風呂に入るだろうからバスタオルが出る。
それを待って洗濯したいので、今日はやめといて明日にしよう。
漬け込んでおいたタンドリーチキンを夕方に冷蔵庫から出して、2日後の合宿に持っていく分は真空パックして冷凍庫に入れる。
凍ったのを保冷剤代わりにクーラーボックスに入れていくつもり。
大内くんからも「定時に出た」って連絡があったから、今夜食べる分は焼き網に乗せて、オーブンを予熱し、7時に息子が来たらすぐ食べられるように計算して焼き始める。
そしたら、7時10分前に息子からメッセージが来た。
「本当にごめん。夜勤終わりで寝て起きたら体調が少し・・・直前にごめん」
来られないらしい。
そこに大内くんが帰ってきて、返事をしてくれた。
明日行ってもいいか、と言う息子に、
「前にも言ったけど、明日は旅行の前日なので都合が悪い」。
結局、来週の水曜に来ることになったようだ。
「体調は大丈夫?暑いから無理しないでね。必要なら病院も行くんだよ」と優しいメッセージを送る大内くんの横で、私はとってもとってもふてくされていた。
話が終わったところで、タンドリーが焼き上がってオーブンがピーと鳴った。
大内くんは私の肩を抱いて言う。
「わかるよ、彼がくる時間に合わせてタンドリー焼いてたんだよね。それも知らずに、ひどいよね。僕だって、1日中、定時に帰れるように一生懸命仕事してたんだよ。全部、息子がくるって言うからだよね。自分の用事で頼み込んで会いにくるくせにね。本当にひどいよ」
今日は泣かないけど、なんだかいろいろ台無しな気分だ。
タンドリーチキンと韓国風冷奴サラダを黙々と食べて、あさってからの合宿の荷造りをした。
楽しみだけど、こういうことがあると気分が沈み込む。
息子の件をひととおり片づけて、晴れ晴れとした気分で行きたかったのになぁ。
電子化したアルバムの中から昔の合宿の写真をコピーしてiPadに入れておいた。
みんなで見よう。
(大学生の娘さんを連れてくる男性がいるんだが、恒例の女装大会でお父さんがセーラー服着てる35年前の写真を見せてもいいもんだろうか?!)
長老たちと私が写っていて、まだ大内くんがいない頃。
大内くんが入学した年は私はOL1年生で、お休みしていた。
翌年からまた行くようになって、7年かかって大内くんが卒業する頃には合宿には行かなくなっていたが親しくなった年下の人たち(まあいわゆる「大内くん近辺の代」)と温泉とか行くようになっていて、サークル関係の写真は300枚以上になった。
大学の保養所を使っての合宿では、花火の銃撃戦をやったりボートが転覆したり、物騒なことばかり。
「誰か死んでてもおかしくないよね。今だったら危なすぎてサークルが解散させられてる」と大内くん。
お互い飲み会では何度も倒れてるし。
そんな飲み会の衆人環視の中で抱き合ってる写真があった。
「僕ら、こんなことばっかりしてた。みんな、よくつきあってくれてるよねぇ」
いやまったくでございます。
なつかしい顔ぶれの中には「あ、故人」って合掌した人が5人もいた。
20代から50代で亡くなってる人がこんなに。
しばし、しんみりした。
「この結婚では僕の方が圧倒的にトクしてるんだけど、誰もそう思ってないね。きっと、キミがいい人すぎて正直すぎるから、まわりにはわかんないんだろうね」
まあ、そう言ってもらえるだけで私も相当トクしてるよ。
だいたいどこのカップルも収支の帳尻は合ってるもんなの。
写真見てたらかなり浮上してきたんだ。
こんなに長い間一緒にいて、思い出をたくさん共有してて、今でもお互いに好きで、そしてここがとっても大事な点なんだが、双方生きてる。
まだ、一緒に思い出を作る時間が許されている。
愚息のことは忘れて、楽しんでこよう。
18年7月26日
明日から3泊4日の旅行だ。
八ヶ岳に別荘を構えるマンガサークルの先輩が家からあふれてしょうがない蔵書をまとめて運び込んでるところに、後輩たち7人がお邪魔しての超久々の合宿。
読んで読んで読みまくる所存だ。
娘さんを連れてくるTくん、愛犬を連れてくるMちゃん夫妻、車中泊しながら2日かけて到着するGくん。
我々は大内くんが休みを取ってくれたので明日の朝早く出発して、Gくんと長老が待つ山荘に昼頃到着の予定。
他の2組は翌日の夕方到着。
土曜にメンツが完成して、たぶん大宴会に突入する。
みんなは日曜の夜に帰るみたいだけど大内くんが月曜もお休み取ってくれたので、各人いつ山荘を発つのか知りたがってる家主に「月曜の朝ごはんを食べたら出ます」と返したら「もっとゆっくりでもいいよ」と親切なお返事が。
お言葉に甘えて昼ぐらいに出発しようかな。
今日は朝早くから食べ物の仕込み。
漬け込んでおいた鶏ハム4本を低温調理し、パルスイートを使ったチーズケーキを2個焼き、自分たちのお弁当用のスパニッシュオムレツを焼き、現在は2キロのローストポークを加熱中。
夜にできあがったら、大内くんに焼きつけてもらって冷ましてパックして、明日の朝クーラーボックスに詰め込んで持って行こう。
昨日の晩、服や小物、持って行くつもりの食料品がすでに荷造りされて部屋の隅に置いてあるのを見て、大内くんがため息をついてた。
「遠足の前のコドモのように楽しみにしてる気持ちがよーく伝わってくる。キミは本当に早回しだ」
そして前の晩は興奮し過ぎて眠れなくなり、当日の朝にはぐったりしてる、というところまで読み切っているらしい。
「でも大丈夫。僕がなんとしても連れてってあげるから。車で寝てればいいから」
それはどうもありがとう。
自分でも、一睡もできないまま明け方にクーラーボックスに保冷剤ぎっしり入れて、あーでもないこーでもないと要冷蔵品をきちきち詰めてる姿が見える。
明るくなったら運転手を叩き起こして無理やり出発だよ…せめて早寝してもらおう。
というわけで、1日早い更新となります。
台風が直撃すると言われている関東地方。
昔ね、「台風クラブ」って映画があったのよ。
台風に閉じ込められた若い人たちがなんだか無茶苦茶になる話だったけど、1人60歳越えの50代の集団って、どうなるんだろうなぁ・・・実験してきます。
18年7月27日
合宿だ合宿だ!といさんで寝たのが夜の11時半。
目が覚めたのが午前1時半。
眠ろうとしたけど眠れない。
お弁当詰めてお茶詰めて、クーラーボックスに保冷剤詰めて食材詰めて、できあがった荷物を玄関に引っ張って行って…することなくなっちゃった。
3時に1回起こしてみたけど「うーん、もうちょっと寝ようよ」と言われ、ガマンしてみたがやはり限界が来て、4時に再び起こしてしまった。
大内くんは私の「遠足の前のコドモ状態」にはものすごく慣れているので、あきらめて起きてくれた。
予定より早い5時半に、出発!
久しぶりの早朝の中央高速はすいていて、とっても快調なドライブ。
アルフィーをガンガンかけて運転交代しながら走ってたら、7時に別荘主の長老からメールが入った。
「おはよー。晴れのうちに存分に遊ぼう」
この人は本当に連絡マメな遊び好きだなぁ。
はいはい、運転中で手が離せませんが、8時過ぎに到着とナビが言っとります、と大内くんが代わりに返事しておいてくれた。
そのとおり、8時にはなつかしい清里エリアに入った。
昔、本当によく来たんだよ。
行きつけになったペンションの野球チームに入れてもらって、年2回の野球大会にしばらく通った。
くらぶのメンバーを大勢連れて行ったこともある。
我々の友達が増えれば増えるほど負けやすくなったのも良い思い出だ。
小3ぐらいの息子が初出場させてもらって大内くんと親子で三遊間を守った思い出を最後に、野球時代は終わってしまったのだが。
大内くんは今でも道をよく覚えていて、長老と別荘の話をしている最中に、
「どこどこの道を走ってると『大きな鳥の看板』があるだろう」
「ああ、はいはい、ありますね」って、本当にあったよ。
15年ぐらい前の話なのになぁ。何かしら無駄な才能という気がする。
「キミには欠けている視覚的記憶力と空間把握力があるんだ」
うん、たまのことだから威張ってもいいよ。
長老が前もって送ってくれた「遠足のしおり」を頼りにくねくねと別荘地の山道を走り、ほぼ迷わずに目指す山荘に着いた。
現地の地図から言葉での説明、外観の写真まで載っているのが本当に用意周到。
外でもたもた駐車してたら「やあやあ」ってお出迎えしてくれたし。
山ほど積んできた食料品を降ろして搬入し、山荘内へ。
うわぁ、1階部分は広いLDKで、2階には長老の個室と6、7人マグロ寝できそうなロフト。
リビングのあちこちや小さな踊り場には本棚があり、階段の下まで使ってぎっちりマンガやCD、LDが収納されてる。
宝の山だなぁ。4日間で思う存分探検させてもらおう。
台所や風呂場には箇条書きの「使用のルール」をプリントアウトしたものが貼ってあった。
泊まりのお客さんが多いからではあろうが、自身のボケ対策かもしれない。
いずれにせよ、几帳面な人だ。
圧巻は、トイレの蓋をあけるとその裏に貼ってあっていやでも目につく「男子も座り小便!」の大文字。
「立ってやると、飛び散るんだ。掃除の手間が全然違う」とのお言葉。いやいや、さすがです。
9時過ぎには今日から泊まるもう1人のGくんも到着。
筋金入りの高等遊民である彼は妹さんの車を「もうじき車検が切れて廃車にするまで」借りており、現在車中泊の放浪の旅を趣味としている。
ここに来るにも3日ぐらい道の駅等で寝ながらゆっくりゆっくりきたらしい。
昨日の昼から山荘入りしている長老が、
「Gくん、近くまで来てるようだから、野宿しないでいいよ。いらっしゃいませ」と誘ったメールを見逃して夕方が迫ってきたため、昨夜も車中泊となったらしい。
合宿後も北を目指してまた旅に出るそうだ。
持ってきた調理済みの肉類を切って出し、お弁当の残りのスパニッシュオムレツも加えて4人でブランチを食べたのち、長老の車に乗せてもらって別荘地内をドライブした。
Gくんも長老の几帳面さには驚いたらしい。
「とっ散らかった小汚い学生下宿みたいなのを想像してたけど、ものすごく片づいてる!」
うん、40年ぐらい前に知り合ってからずっと豪放磊落で大ざっぱな人なんだと思っていたが、今回の合宿企画を横で見ててよ〜くわかった、異常と言ってもいいほど細かくてよく気がつく。
人の考えることやりそうなことを先回り先回りして読み、望む方向にやんわりと導く。
実に私に似た頭の構造なんだと思うが、この「やんわりと」の部分が大きく違うなぁ。私は「びしびしと」なんだ。
人間の器の違いかしらん。
ただ、ソフトとは言えあまりに細かいので、間違って結婚しなくて本当に良かったと思う。
ひとつの家にこういうタイプが2人いたら大変でしょうがない。
おおらかな抜け作の大内くんが私には似合いだ。
10年近く前に亡くなった奥さんの大きな写真が階段の踊り場から艶然と見下ろしているのに手を合わせてご挨拶しながら、そんなことを考えた。
おやつに作ってきた糖質オフチーズケーキを出して、ちょっと感心された。
でも彼らは車に乗る予定でもなければずっと「麦を呑んでいる」人々なので、甘いもんなんかそれほど嬉しくはあるまい。
長老のお気に入りの話のネタは、
「親父が老人ホームに入ったあと、やたらに『菊正宗持ってこい』と電話がくる。ある時、そろそろ自分がどういう病気で死ぬ可能性があるか知りたくなり、先祖がどういう理由で亡くなったか聞き取り調査をしてみたら、親父に言わせるとじいさんの死因は『菊正宗じゃ!』だった」というもの。
そんな長老は「麦は健康にいいんだ!」と言ってビール缶を離さない。
長老とGくんは2人ともケータイをヒモで首から下げており、
「オタクのしるし。こんなことをしてるダサい人はあんまりいない」と言い合っていたが、第3の首かけ男、大内くんも登場。
「トイレに行ってかがんだら落とす、風呂を洗おうと思ったら落とす、本屋で下の方の棚を見たら落とす、首から下げてなかったら1日に10回は落とす」と豪語する2人に比べると大内くんはそれほど落とさないけど、それは実はスマホ買った瞬間からずっと首かけ派だからだろう。
オタク男に首かけ派多数。
私もこないだまでかけてたけど、もう胸ポケットに入らないplusだから、背面リング式なのよ。
その晩のごはんは持参の豚の塊と長老が買っておいてくれた野菜で大内くんがポトフを作った。
まったくの水で煮ただけなので、各自塩かけてお好みで調味すればいい。
ローストポークのソース作るつもりで持ってきた粒マスタードが大活躍。
高血圧で塩分控えめの長老と糖質制限中の我々のわずかな妥協点をうまく突くことができたね。
「こういうのをアウフヘーベンって言うのかな?」
「いや、むしろナロウパス」
まだ少人数だけどすでに盛り上がっている。
明日はもっと楽しくなりそう。
18年7月28日
朝早く起きてしまったのでしばらくマンガを読んでいたが、そのうち飽きて大内くんを起こし、さわやかなテラスでチーズケーキの残りとお茶をいただく。
さわやかな高原の朝だ。
「別荘ライフも、いいねぇ」と2人でちょっとうっとり。
やがて全員起きたので、ポトフの残り汁をトマトスープにしたものとコールドミートの残りで朝ごはんを食べ、買い出しに行く。
夜は「鶏鍋」にしようと、鶏もも肉と豆腐、野菜などを。
明日はハンバーグのトマトソース煮込みの予定でひき肉も買う。
昨日からすでに缶ビールで生きている長老とGくんは早くもビールの補充。
昼はトマトスープの残りをさらにかき玉汁にアレンジして全部消費し、持ってきたタンドリーチキンを焼いて食べたあと、長老とGくんはビール持って渓流に散歩に出かけた。
2時間ほどの散策ののち戻ってきた2人によればかなりの「山下り」をしたらしく、高所恐怖症気味のGくんは「金玉がきゅうっとちぢんだ」のだそうだ。
すでにかなり酔っ払ってる彼らは、
「こういう時女性はどこがちぢむのか、大内夫人に聞いてみようって話してたんだ。発生学的には大陰唇がちぢむんじゃいないかと思うんだが」とものすごい下ネタを振ってくる。
こっちも昼からけっこうアルコールが入っているので、
「構造的に、大陰唇はちぢみあがるようなものではない。個人的には子宮がちぢみあがる気がする」と正直に語り、そもそもちぢみあがるのは筋肉のせいか神経のせいか、子宮にちぢみあがる機能はあるのか、などと真剣に論議した。
長老は、
「酔っ払っての下ネタ話は、楽し〜い!」と叫んでビールをガンガン飲んでいた。
今いる4人は第1ラウンドの風呂に入ってしまい、後続の4人のために新たな湯を入れておく。
昨日も入ったが、外の林に向けて大きな窓が開いた露天風呂のように気持ちの良い風呂場。
涼しい外気を浴びているといくらでも入っていられる、と、日頃はカラスの行水の大内くんもゆっくりゆっくり入っていた。
台風が近づいていて直撃もあり得る状況下、確かに天気が崩れてきた。
「暗くなる前に山荘に着くように。物資は足りてるから、買い物などせずにどんどん来るべし」と指令を受けて、今日東京を出発のTくん父娘と軽井沢の方から来るMちゃん夫婦が夕方6時頃に立て続けに到着。
おつまみのコールドミートを出しておいて鶏鍋の支度をし、宴会だ。
Mちゃん夫婦は飼ってる小型犬を同行したので、お座敷犬が室内に居場所を定めて落ち着くまで少々の時間が必要だった。
すみっこに水やマットを設置したけど、まあおもに部屋中を走り回っていた。
最初はリードをつけていたんだが、椅子やテーブルの脚にからんで動きが取れなくなるので早々に外してしまったし。
実は犬恐怖症の大内くん、ちょっとびくびく。
Tくんの娘さんは学外ながら初の二世部員で(女子にはけっこう学外部員がいる。Mちゃんも私もそう)、現役部員の登場に皆、
「今はどんなマンガが人気なの?」
「学祭で描く似顔絵はどうやって着色?」などと興味津々。
初めて会うGくんは、
「お父さんと来るって言うから、小学生かと思ってた」と驚いていた。
私は去年の秋に50周年記念大コンパで会ってたよーん。
「マンガ合宿」を実りあるものにするため、彼らはおススメのマンガをそれぞれ持参してくれた。
Mちゃんの岩本ナオを見てもついつい「うん、今度買おう」と思ってしまう私は、自炊で所有冊数制限が振り切れてからずっと「自分でそろえる派」に傾いている。
つくづく、カネの問題ではない、スペースの問題だったんだ、と思う。
Tくん娘のあらゐけいいち「日常」は少し読ませてもらったが、不条理すぎるので2巻でリタイア。
「CITY」が息子のウルトラお気に入りなので家にあるけど、まだ読んでないんだ。読めないかも。
「大内夫人は昔っからSF小説は読めてもファンタジーの読めない人だから」とファンタジー好きのMちゃんに笑われ、長老からも、
「そういうヤツを『SFのSだけ』って言うんだ」と断じられた。しくしく。
昔の合宿を中心にまんがくらぶ関係の写真を集めてタブレットに入れてきたのを皆で見た。
結婚した頃に先輩方のアルバムから焼き増しさせてもらった思い出のスナップもスキャンして我が家のデータベースに保存してあり、もともと持ってたものに加えてかなりのボリュームになっている。
写真が趣味の長老からもらったものもかなりあるはずだが、膨大な写真をまだ整理していない彼からデータをコピーしてくれと頼まれた。
長老の奥さんをはじめなつかしい顔ぶれの幾人かはすでに物故者であるので、ちょっとしんみりした。
新入生男子が女装する伝統があり、Tくんのセーラー服姿が残っているのを「娘さんに見せてもいい?」と前もって聞いておいたところ不承不承な顔をしていたけど、くらぶには今でもその風習が残っているんだそうで、「お父さんもやってたんだ〜」と感慨深げな娘さんに、Tくんはまんざらでもなさそうだった。
野尻湖畔の大学保養所を使っての合宿は本当に楽しかった。
数多くの出会いとすったもんだがあり、長老夫妻もMちゃん夫妻もそこから生まれた部内結婚。私なんか2回もした。
私が知る限り10組のカップルが結婚し、うち離婚が4組。
外の世界の離婚率と比べて特に多くも少なくもない印象だ。
いろいろな話をしながら強い雨が吹きつける嵐の夜はしんしんと更けていく。
愛犬は興奮し過ぎたのかMちゃんの寝袋におしっこもらした。
長老は自室に引き取り、Mちゃん夫婦、愛犬、Gくんはリビングで雑魚寝、Tくん父娘と我々夫婦はロフトで並んでマグロ寝。
大内くんはあいかわらずきちんと首まで寝袋に入って寝てるけど、私には少々暑いので銀マットの上に転がってるだけ。
もちろん東京の猛暑を思えば天国だけどね。
明日も宴会だ!
18年7月29日
台風一過でからりと青空に。
昨日来た2組は今日のうちに帰る予定だと思っていたら、Tくん父娘はもともと日程通りの明日までの参加と判明し、Mちゃん夫妻も愛犬のドッグフードさえ確保できれば残留希望だそうだ。
我々は昔お世話になった元ペンションオーナーに会いに街に出るので、増えた人員のための夕食の材料を買い増しに行くついでにドッグフードを探してこようか、と申し出たが、食餌療法のためにけっこう特殊なものを食べさせているのだそうで、彼らも独自に買い物に行くようだ。
昨日の鶏鍋の残り汁で雑炊を作り(「炊いた飯がなくても生米から雑炊が作れるのか!」と驚く長老)、朝ごはんをすませて我々は出発、他の人たちも近所の散策に出かけるようだ。
本日は別行動ね。
地元の不動産屋に勤める元ペンションオーナーはとてもお元気そうだった。
一緒に野球をやってた頃に生まれた4人目のお子さんがもう20歳で、一族大集結すると6人のお孫さんを含めて15人の大所帯になるのだという。
まだまだ現役勤め人ですよ、と笑うオーナーとなつかしい話に花が咲き、人生における出会いの不思議と幸せを感じた。
30分ほどの歓談後、オフィスを辞して、買い物に。
昔よく買い出しに来た大型スーパーで、宿の食材を買う場所はあってもちょっと洒落た日用品はなかなか手に入らなかったので、ショッピングモール的な店の出現に地元ペンション村の奥様方が狂喜乱舞していたらしい。
ハンバーグのひき肉だけ買い足すつもりが、ついつい短パンとかTシャツとか買ってしまいましたよ。
ドッグフードの売り場をのぞいたらいろんなメーカーの品がずらりと並んでいてアレルギー用などもあるので、写メ撮ってMちゃんに送っておいた。
雨がぱらぱら降ったりやんだりしていて、お散歩部隊もあわてて戻ったり晴れたのでまた出動したりしていたようだ。
Mちゃんたちからも「探してるメーカーのがあるようだから、その店に向かってみる」と連絡が入る。
40年前、ケータイがない頃は我々どうやって合宿してたのかなぁ。
戻ってみたらお散歩部隊はまだ任務遂行中だったので、預かっていた合鍵で入って夕食の仕込みを始めた。
素敵なアイディアを思いついたんだ。
ハンバーグトマトソース煮込みのつもりだったんだけど、まったく同じ材料に長老んちの引き出しに眠ってたパスタを加えたら、肉団子入りのトマトソースをからめて「カリ城のスパゲッティ」ができるんじゃない?
大内くんにそう言ったらカリ城マニアの彼も大興奮、「やろうやろう!」ってなった。
まんがくらぶの合宿にまことにふさわしい。きっとフォトジェニック。
糖質制限の我々はパスタ部分を食べなきゃいいだけだし。
お散歩部隊が帰ってきて、Mちゃん夫妻はドッグフードを求めてはるか彼方のお店まで遠征してるようだし、お風呂に入りつつコールドミートでワインとか日本酒を飲み始める。
私がお風呂に入ってる外で長老が、
「手こねハンバーグを本当に手こねしてるとこを初めて見た。こねたのを売ってるのしか見たことなかった」と騒いでいて、上がってみたら大内くんがこさえたタネをTくんがこねこねして、肉団子に丸めてくれている最中だった。
理系の丁寧な仕事で、見事な肉団子がたくさん並んだよ。
そこへ首尾よくドッグフードを入手したMちゃんたちが帰ってきた。
これでもう1泊できるね。
今夜も大宴会だ!
そのへんから私もワイン飲み始めたんで、記憶があんまりない。
気がついたらスパゲッティができてた。
「大量に持ってきたルッコラは加熱した方がいいから、サラダじゃなくてスパゲッティに入れて」とMちゃん夫が言うのを大内くんが「ルッコラ入れたらカリ城じゃなくなっちゃう」と却下したらしいが、トマトソース肉団子をスパゲッティの上に乗せただけで混ぜてないので、厳密には違う見た目になっていたのが残念だ。
ガマンし切れずにスパゲッティを少しちるちると食べてしまった。
塩味を効かせたらもっとおいしいんだが、塩分制限の長老がいるからなぁ。
そう言えば、血圧を測るのが大流行していた。
Gくんが「わしは上が200超える」と言ったので、長老が、
「オレは170ぐらいなのに降圧剤をのんでる。オマエもちゃんと医者に行って薬をもらえ!」と心配したのがきっかけに愛用の血圧計を出してきたのだ。
手首に巻いて測る自動式のスマートなものなので全員で回し測り始めて、大健康診断大会に突入してしまった。
私は去年ずっと家で血圧測ってたしきちんと通院してるしそもそも高血圧じゃないしでまったく問題ないが、Gくんはやはり200近い高い数値で、低血圧で寝起きが悪いと思われていたMちゃん夫が意外なことに誰よりも高い数値。
何度か測り直してかなり落ち着いてきたからいいようなものの、低血圧を言い訳に起きないのは詐欺じゃないだろうか、と昔から彼にさんざん待たされてきた我々は思うのだった。
血圧の権威である長老は、
「風呂上がりに酒を飲んでると血管が拡張して血圧は下がる。飲んでるのにそんなに高いなんて、危ない!」と猛烈に赤信号を発し、
「Gくんの酒にこっそり降圧剤を一服盛ってやりたいぐらいだ」と心配していた。
「いや、薬は持ってるけど、面倒だからのまないだけ」とGくんが言うに及んで、まわりは全員「Gく〜ん!」と懇願モード。
不健康自慢大会も開催中か?
そのへんでまた気絶して、次に目が覚めたら「リレー漫画」が始まっていた。
どうやら現役部員の間で盛んにおこなわれているらしく、Tくん娘が言い出してミリペンと紙も供出してくれたんだって。
8人でひとコマずつ順繰りに描いて1ページのショートストーリーを完成させるつもりで、オチを描きたくないのは誰しも同じらしく、寝こけていた私が描くことにもう決まってしまっていた。
いきなり落とすのは難しい!
なんとかでっち上げて完成したリレー漫画を回覧してみんなで見てたら嬉しくなり、もう1枚描くことに。
また娘さんが描き始めてくれた。
私は今度はふたコマ目を描かせてもらったが、話の広がりがここにかかってくるため、これはこれで難しい。
結局リレー漫画っつーのはどこをとっても難しいものだとわかった。
とは言え、現役部員以外の全員が何十年ぶりかにお絵描きをし、1ページとは言え作品を完成させたので、とても楽しく盛り上がった。
マンガ描きの醍醐味は集団作業にあり。
(だからマンガ家の仕事場での修羅場の話はあんなにポピュラーなのだ)
「まんがくらぶにいて、よかった!」と心から思ったよ。
30年以上の歴史を共有する人々と今またマンガを描けて、本当に嬉しい。
気分が高揚したところで長老がCDを大音量でかけてくれた。
もちろんアニソンね。
「必殺技とロボットの名前を叫ばない歌は、アニソンと認めない!」と断じる彼のコレクションはもちろんマジンガーZとかザンボット3とかガッチャマンとか。
すべて懐かしいんだが時々知らないものもあり、オタクの世界を拓いた部員の底力を見る思いだ。
(ちなみに長老たちは「最後の全共闘世代」で「オタク第一世代」なんだそうである)
アニソンを聴きながら1人また1人と眠り始め、ロフトに上がった私が最後に見たのは、リビングに1脚だけある椅子に座って静かにマンガを読む長老の姿と、その横で半分ナナメになって座卓に頭をガンガンぶつけている酔っ払いのGくんだった。
Tくん父娘と大内くんはもう寝棚ですやすやとかぐーぐーとか音を立てており、一番早く撃沈したMちゃんはリビングの寝袋で爆睡、Mちゃん夫は昨夜、誰かがトイレに起きるたびに愛犬が忠実な番犬ぶりを発揮して律儀に吠えていたのが気になるようで、犬を抱えて車で寝ると言って去って行った。
もう最後の夜かぁ・・・明日は最終日で、解散だ。
あっという間だったなぁ。
18年7月30日
合宿中ずっと6時頃には起きてしまってて、昨日は寝るのも遅かったし酔っ払ってるからもっと眠れるかと思ったのに、やっぱり6時に起きちゃった。
8時頃まで待って大内くんを起こしお茶でも飲もうと思ったら、皆さん意外と早くて、起きた順に紅茶かコーヒーかオーダーとって淹れてるといつの間にか全員起きてた。
朝ごはんは、糖質制限で余ってるマッシュポテトの素を寄付するつもりで家から持ってきたやつをこねて、昨日の肉団子の残りと大内くんが焼いた目玉焼きと一緒に盛りつけて、人数分の朝食プレートを作った。
Gくんの糧食から寄付されたコンビーフ缶を炒めてサラダのトッピングにしたのもgood。
我々が作る食事はこれで終わりだが、皆さん、昨夜のスパゲッティ以外にはごはんもパンも出ないのによく平気だったね。
ほぼずっと液状の麦とか米とか葡萄とかを摂取していたからだろうか。
朝食後は荷物の整理をし、各車に積み込んで室内が広々としたところを全員でお掃除。
掃除機が3台もあるので困らない。
土間を掃いたりお風呂の排水溝の髪の毛を取ったりする大内くん、さすがだ。
「皆が来る前よりキレイになった!」と長老が感動するぐらいの仕上がりだった。
お掃除が終わったところで精算。
買い出しの支払いをしたのは長老と我々なので、レシートを提出して計算してもらった。
「大内家は肉とか調味料とか食料品の持ち込みがすごく多かったろう。割るよ?」と言われるのを、
「いや、自分たちが食べられるものを持ってきただけだから。それを言ったらみんなお酒とかの持ち込みはずいぶんあったし」と断って、持ち寄り物資の清算はしないことにして計算したら、1人頭千円。
「安すぎます〜」「宿代は、いいの?」との声が上がってもそれだけしか集金しない長老は太っ腹だ。
完全に晴れ上がったレジャー日和の月曜なので、山荘の前で記念写真を撮ったあとはドライブに出かけた。
1日目にも車で案内してもらったコースだからその時いなかった人たちが行けばいいし、けっこう歩きもあるので結局ずっと杖をついてた私はお留守番していよう。
大内くんも付き添いで居残り。
案外散策好きなGくんは2度目の別荘地ツアーに同行した。
長老は、お客さんが来るたびにもう何度この界隈を案内してるんだろうか。マメな人だなぁ。
皆が出かけるのを見送り、「別荘持ってる気分!」と言いながら大内くんとごろごろ過ごす。
読みたかった田中圭一と島本和彦の同人誌をたくさん読めた。
サイボーグ009のパロディ漫画「アオッポイホノオ」があんまり面白いもんだから、床で眠りそうになってる大内くんに「これ、面白いよ」と渡したら、目が覚めるほど笑えたらしい。
二次創作ってのはなんでこんなに心に響くんだろう。
2時間ほどして皆が帰ってきたところで、2時。合宿は解散だ。
来週も再来週もくらぶの古い世代が来るんだそうで、誰かれなく誘ってくれる長老だが、我が家はしばらく週末の空きがないよ。
9月になったら大内くんに頼んでまた連れてきてもらおう。
本当に本当に楽しかった!
1台ずつ車が出発し、我々の後ろをGくんがついて来てた。
これからまた放浪のドライブ旅行を続けるんだそうで、我々が東京に帰る前に直売所で野菜を買って行こうと駐車場に入ったら、手を振って走り去った。
もう午後遅くなり、直売の棚はけっこうからっぽ。
山ほどの野菜を買って帰るつもりが、ちょっと当て外れだ。
家の近所で今週のごはんの買い出しをしなくっちゃ。
また運転を交代しながら走ってたら、私のターンで事故渋滞。さめざめ。
1時間ぐらい動いたり止まったりしながらなんとか八王子まできたら解消した。
思いのほか遅くなったけど、6時頃ケンタッキー・フライド・チキンの晩ごはんを食べて、買い物して7時半頃帰りついた。
大荷物を台車に乗せて家まで運び、食糧品、洗濯物、雑貨、に分けてさかさかと片づける。
あっという間に旅行の跡形もなくなった。
強いて言えば合宿のために買ったクーラーボックスの置き場がまだ決まっていないのでリビングの隅にぽつんと置いてあるところだけが片づいてないね。
お風呂に入って、さすがにくたくたなので、ばたんとおやすみなさいでした。
長老は来年も合宿開催してくれるつもりみたいよ。
今回来られなかった人たちも、次はぜひ。
大内家はたとえ毎年あろうとも今後全部参加したいと思っとります。
18年7月31日
大学の時、歌のサークルに入っていた。
(中学から独学で始めたフォークギターで山崎ハコとか井上陽水とかを歌うような女の子だった)
途中から大内くんの大学のまんがくらぶに学外部員として入ってそっちの方が忙しかったので、自分の大学のサークル活動はあんまり記憶にないんだが、何人かの先輩方にとても良くしていただいた。
その1人に、FB上で再会した。
メッセンジャーでやり取りするうちに、先輩は今でも音楽活動を続けており、吉祥寺でのライブに出演すると知った。
30数年ぶりに連絡取れるようになった人が翌週にすぐ近所に来てくれるなんて、やっぱり私って強運だ!と感動しながら、本日ライブに行ってきました。
駅からすぐ近くの地下のライブハウスに、今日は出張になってしまった大内くんもあとから来てくれると言う。
最後に会った時に2千円借りていたのを返そうと思っていたのに準備してくるのを忘れ、ちょっとあわてて途中のコンビニで封筒を買った。
やっぱりむき出しは何だよね。
傲慢で非常識だった若い頃の自分を少しでも修正したい。今でも空気読めないけど。
入場料を払ってドリンク買って中に入ると薄暗い店内で12、3人のお客さんが談笑してた。
適当な席についてあたりを見回したら、1人の男性と目が合った。
「Sさん!」「ネコちゃん!?」(はい、そういう名前で呼ばれてました。なんで、って聞かないで)
なつかしい先輩と、また会えるなんて!
共通の知人の話をしたり先輩の音楽活動について聞いたりバンドのメンバーである奥さんを紹介されたり、短い時間で濃いやり取りがあった。
もちろん2千円も返した。
「貸してたなんて記憶がないよ。今日、来てくれたんだし、取っておいてよ」と困惑する先輩に、
「いつかお返しする時に会える、って思ってお借りしたんです。こうして返せてよかった」と封筒を押しつけたら、
「じゃあさ、今返さなかったらまた会えるから」って笑う優しい笑顔は大学時代のままだった。
「返します!」って押し切っちゃった私は非常識な女子大生のままだよ…
やがて始まったライブはとても良かった。
2グループ出演する、後半が先輩のバンドで、1曲目が終わる頃に大内くんも間に合った。
暗い店内で手を振ったら気がついてこっちにきて横に坐り、にぎやかな沖縄風のリズムを嬉しそうに聞いてた。
「音楽は、いいね!」って耳元で言うと、「本当だね!」って、2人して大感動。
みんなで音を出して合わせて空気と魂を振動させるカンジって、先日やったばかりのリレー漫画に通じるものがあるなぁ。
にわかに音楽できる人がうらやましくなったけど、リレー漫画のおかげで気持ちを立て直すことができた。いいタイミングだった。
音楽サークルはギターを持ち、漫画サークルはペンを取る。みんな、昔取った杵柄を大事にしよう。
そう言えば長老は昔、軽音でドラムスやってたって言ってたなぁ。
防音のしっかりしたあの山荘でドラムス叩いてもらって、大内くんがフルート吹いて私がギター弾いて、他の人たちもできる楽器を持ち寄って、稀代のボーカリストでありエンターテイナーである先輩のKさん呼んで、アニソン歌いまくったら楽しくないだろうか?!
くらぶメンバーの定年後の生き方として、今度提案してみよう。
話は戻ってライブの現場。
大盛り上がりの曲でお客さんみんな「ヘイ!」って拳を突き上げてるのに大内くんと私は黙って体を揺らしてるだけだったもんだから、後ろからたぶんライブ会場のお店の人に「どうぞご一緒に!」ってうながされて、あわてて「ヘイ!」ってぎくしゃくと腕を上げてた。
オタクだからノリが悪いんですぅ。
「20世紀少年」にそんなシーンがあったなぁ。
終了後、先輩が挨拶に来てくれて、大内くんを紹介できた。
「さっき彼女にお金返してもらったんで、それを使ってビールでもおごらせてください」って言ってくれるのに、先輩ごめんなさい、大内くん出張からの帰りがけでくたびれてるし明日も早いんで、今日は失礼します!また今度、ゆっくり飲みたいですね!って帰ってきちゃった。
ちょっと残念。
やっぱりどことなく失礼なヤツだよね、自分。さめざめ。
その晩はお風呂での大内くん相手のいつものソロコンサートにひときわビブラートがかかった。
なぜか「まだ君を愛してる」。香西かおりバージョンで。
この観客1人で私はとっても満足だ。
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