18年8月1日
膝のMRIを撮りに近所の少し大きな病院に行き、データの入ったディスクをもらってかかりつけの整形外科に行って、ドクターに見てもらった。
「あれー、なんでこんなに悪いんだ?!」と驚いたなりその先を言わずにずっと画面をクリックしてるもんだから、続きが聞きたくてとってもドキドキしたよ。
左膝の軟骨が完全にすり減ってて、要するに手術が必要な段階らしい。
大学病院に行くように言われてしまった。
今は人工関節の前の段階として骨を切る手術があるらしい。
それをすれば、人工関節は最後の手段として残せるって。
でも、手術って聞いただけでもうパニックしちゃった。
1人で入院できないし、傷は治らないし、全身麻酔後は何ヶ月も悪夢に悩まされるし、そもそも去年の手術からまだ完全に回復してないんだもん。
まだ、我が家の「戦後」は終わってないの。
「傷が、治んないんですよ」って胸元の切開跡を見せたら、
「うーん、そういう体質の人にはつらいかもなぁ・・・」って困ってた
2週間ほどの入院になるそうなので、
「ワーファリンを止められない場合は、ヘパリン導入のための入院が前後に2、3日ずつつきますよね?」と聞くと、そうなるだろうって。
いずれにせよ、大学病院で相談だね。
そして右の膝にはまた水が溜まっていた。
「悪化してるね。どうしたの?」と聞かれて、
「ちょっと遊びすぎちゃって…」と答えたら、「はぁ?」って顔された。
いい歳したおばさんだって遊ぶんですよ。
待合室でお会計待ってたら会社の大内くんから「MRIはどうだった?」ってラインが入ったから、
「手術になるかも。保険ってどうなってたっけ?」と聞いたら、
「まだ入ってない!」。ええっ!
若い頃から持病があったので疾病保険に入れずにいた。
かろうじてがん保険だけは入れたんだけど、がん以外の病気になると困る。
去年の手術の時に差額ベッド代を自己負担して大変だったから、心臓はもう無理だとしても他の入院をカバーする保険をこの5月にやっと探して申し込み書類書いたのに、手続きしてなかったんかい〜!
帰ってきた大内くんとよくよく調べたら、何年も前から整形外科にかかってる膝の手術になるので、これから入る保険はどっちみち適用されない。
よかった。申し込みしててもしてなくても関係なくて。
血の雨が降るところだった。
手術についてもネットで調べてみた。
「高位脛骨骨切り術」と呼ばれる比較的新しい術式で、以前にテレビで見た時に「これ、いい手術!」って思った覚えがある。
今のままだと状態がマシな右膝まで影響が出て悪くなる、というか、今現在そういう状態。
右の方が痛いもんね。
その後の20年ぐらいの人生が楽になるのかもしれないし、ここは、思い切って手術かなぁ。
今はあんまりいろんなことが考えられない。
とりあえず暑い季節が終わるまでは何にもしたくないので、大学病院の予約を取ってもらうのも10月のことにしておいた。
その前に大内くんがドクターのお話を一緒に聞いてくれるって。
自分の健康に関することは全然決められないんだ。どう生きたいかが全然定まらないから。
人の生活を改善する提案は得意なんだが、自分のこととなると興味が持てなさすぎる。
ちょっと難しくなると死にたくなる。
「その破滅志向はなんとかしてもらいたいが・・・」と困る大内くんに、心臓の時も非常にお世話になった。
すみません、今回もよろしくお願いします。
18年8月2日
昨日、息子が来た。
アメリカ行きの費用の一部を稼いだら残りを貸してあげることも考える、との話し合いからほぼ3ヶ月、なんとか貯めた虎の子の20万円を見せに来たのだ。
その間に生活費としてすでに貸した10万円を引かなきゃいけないからそう大した額ではなくなってしまうんだけど、まあ気は心と言うか、1年足らず前まではまだ家にいて全面的に迷惑かけていた人が外で1人暮らしできるようになったかと思うだけで感慨無量なので、そのへんはちょっと甘くしておこう。
しかし、約束の夜の7時になっても現れないので30分待ってから電話をしたら、部屋で寝てた。
「ごめんっ!夜勤明けでうっかり寝たら、寝込んでしまった」とあわてて飛んできたが、大事な資金繰りの日にスポンサーをすっぽかしちゃいかんだろう。
「合宿はどうだった?」と聞かれた。
「楽しかったよ。あらゐけいいちの『日常』持ってきた人がいたから少し読んだ。読んでる?」
「もちろん」
「謎の言葉について行けなかったなぁ。あと、『究極超人あ〜る』でさえ転校生がロボットである説明はちゃんとあるのに、そのへんが唐突で」
「ああ、スラマッパギかぁ。ロボットの説明はね、あとの方でちゃんとあるから」
ううむ、さすがだ。マンガ新世代がちゃんと育っている。嬉しい。
いつか息子もあの山荘に連れて行ってあげたい。
「アメリカから帰っても生活が立ち行かなかったら、ずるずると親に借金申し込むよりカノジョにやしなってもらうことを考えた方がいいんじゃないだろうか」と提案したら、
「カノジョにもよくそう言われる。『親に言うぐらいなら、私が』って」と真顔で言っていた。
「そういうのをヒモって言うんだけどね」と複雑な顔をしている大内くんには、
「いいじゃん。ヒモは、体力と気配りを必要とする立派な職業の一ジャンルだよ」と釘を刺しておく。
「お金を稼ぐのに忙しくて、ブログにショートショートを発表するのがとどこおっている。なかなか書くヒマがなくて」と言われたが、それじゃイカンだろう。
母体が栄養を取れなくても赤ん坊は勝手に養分を吸って大きくなる、それはもう場合によっては母体の健康が危うくなるぐらい赤ん坊優先なのが自然の摂理で、生活と創作意欲の関係もそれに似ていると思う。
生活に負けて引っ込んじゃう程度のものは創作意欲とは呼ばないのだよ、と、今まで言いたくても言えなかったキビシイことをやっと言えた。
だってもうじき渡米しちゃうんだもん。
サンフランシスコの大内くんの従姉のおうちにひと月お世話になったのちはニューヨークに2ヶ月ほど滞在する計画なんだそうで、
「向こうの芝居やコントをたくさん観たいなぁ」と言う。
「どのくらい英語できるの?日常会話はどうにか、とか、タクシーは何とか乗れる、とか」と聞くと、
「赤ん坊ぐらいだね」
「赤ん坊は1人でタクシー乗らないじゃん」
「だから、その程度」
要するにしゃべれないってことね。
まあ、せっかくアメリカくんだりまで行ってお金がなくて観たい芝居も観られないってのは寂しいだろう、と思い、お餞別を渡しておいた。
「これは借金とは別。あげる。いい経験しておいで」
「・・・ありがとう。大事に使うよ」
君はね、こういう時の顔だけは神妙なんだよねぇ。顔だけはね。
息子が帰ってから大内くんに、
「私ってあんまりいいお母さんじゃないよね」とぽつりと言ったら、
「僕はすごく立派なお母さんだと思うよ。彼だってわかってるよ」って励ましてくれた。
なんとなく我々にとっても試練なんだが、力を合わせて頑張ろう。
旅立ってくれたら3ヶ月は面倒がなくていい、と思いつつ、今日みたいに寝過ごしたり人との約束を守れないのを見ると、従姉に迷惑かけないか本当に心配・・・
18年8月4日
飛蚊症が気になる大内くんは、先日とは別の眼科で診察を受けた。
例によって眼底検査がついてくるので、私も同行。
まあ、そうでなくても一緒に行くけどね。お休みですることもないし。
今回も女医さんだった。
やはり長時間の手術や深刻な切ったはったの少ない眼科は、女性医師が目指すところかも。皮膚科とか。
きびきびして説明もわかりやすいその先生によれば、異常は全然見当たらないとのこと。
写真撮影もしてくれたし、眼底を診る時も私のかかりつけの先生と同じくひとまわり見てバシッと診断してくれた。
(こないだのぼーっとした先生はふたまわり見てた。慎重なわけではなく、慣れてないものと思われる)
飛蚊症は個人差もあり、どうしようもないらしい。
また、アトピーがあるので網膜剥離の危険は常にあるそうで、半年に1度ぐらい検査を受けることを勧められ、でも今回はとりあえず大丈夫、という結論で、お会計をして帰った。
大内くんは紹介してくれた会社のHさんにさっそく報告を入れていた。
女医さんはどうやらHさんの学生時代のサークルの後輩にあたるらしい。
以前にも両親の老人ホーム問題でお世話になった大内くん、
「しかし、Hさんって本当に顔の広い人だよねぇ」といたく感心の体であった。
そういうあなただって、息子が将来のことを考えてる時には友達で「クリエイティブな仕事をしている人」との会食をたくさん頑張ったじゃない。
いい人のまわりには人がいっぱいいるんだよ。
そのあとは私が運転して、図書館行ってケンタッキー行って八百屋さんとか業務スーパーとかで買い物してクーラーボックスに食料品詰め込んで、心臓のクリニックに予約時間ちょうどに到着。
すばらしく良い動き。
本日のワーファリン値「3.8」。
適正値は「1.8〜2.2」なのに。
先生もびっくりしてた。いったいどうなってるんでしょ。
今の私は血液さらさらすぎて、軽くぶつけたところは紫のあざになってるしうっかり口の中を噛んで切れたところからは血の塊が出る。
緊急措置として4mgを3.75mgに減らして、2日間飲むのをやめるってのはまあいいけど、何があっても止められないんじゃなかったのか。
おまけに次の検査は5週間後ってどうしてなんだ!
お盆休みに直接かかるわけじゃないけど、お休みの影響で混んでるから?
言ってもしょうがないから予約取って帰ってきたけど、大内くんも私も大いに不満だ。
いつか病院を替えたいもんだ。
駅前のメガネ屋さんで大内くんのメガネがゆがんだのを直してもらって、魚屋さんでお刺身買って、探してたフルーツフレーバーの紅茶を輸入食材店で見つけて嬉しい。
ああ、今日はものすごく充実したお買い物だなぁ。
でも、ブックオフでダブり本売ったら520円になって、嬉しくなって山ほど買ったら3冊ダブった。
324円しかダブらせてないので損してないと思いたいが、大内くんからは、
「もう1冊多くダブってたら、キミのオトナ買いは禁止にしようかと思った」と苦情を言われた。珍しい。
最近はついに電子ダブりまで出してるからかしらん。
17年ぐらい使ってた書斎のエアコンがどうにも力弱い。
コジマ電器からお誕生月割引クーポンもらったのを良い機会に、買い替えを決意。
なにせ暑い夏だしね。もう半ば手遅れだけど。
店頭であっという間に安いのを選んだところ、今日頼んだのの取り付け工事は10日後なんだそうだ。
使い過ぎて加熱・熱暴走したエアコンがそこらじゅうで故障してて対応に追われており、また、ガマンの限界を迎えて新たに買う人も多いんだって。
うちのようにとりあえず動いてるエアコンは後回しになっても仕方ないよね。
書斎のエアコンはちょっとめんどくさい取り付け方になっていて、パイプが廊下と寝室の天井を通ってサービスバルコニーの室外機につながってる。
工事とパイプの長さの分お高くなるせいか、「隠ぺい配管」とか「バルコニー置き」とかの伝票を書いてくれた富士通の人は、
「しかし、いいマンションにお住まいですね!」とおあいそを言ってくれた。なんか嬉しい。
大内くんのお盆休暇中にくるのは都合がいいかも。
工事の人が来てる間って、気づまりだから。
設定温度を23度にしないと冷えないようなありさまではあるけど、もうしばらくは古いエアコンに頑張ってもらおう。
18年8月5日
阿佐ヶ谷で息子のコントグループのライブ。
今回はアメリカ行きを控えて本人はお休み。裏方をやっていた。
足が痛いので杖をついて行った私に、真面目くさって「杖はこちらでお預かりします」と言ってくれた。
1時間半のコント群は面白かった。
もう1人のリーダー格、Sくんの個性がよく出ていた。
スマートで軽快。
しかし、ヘンな味わいは息子の方があるかもしれない。
グループ乗っ取りを目論んでもおかしくないほどの実力者Sくんではあるが、
「レベルアップした大内がアメリカから帰ってくるのを待って、また公演をやります!」と言ってくれるのは、彼もまたクサヤの干物のような息子臭を必要と感じているからかもしれない。
夜の阿佐ヶ谷駅前では七夕まつりをやってた。
カフェで冷たいもの飲んで休憩したあと、商店街を歩いてタンドリーチキン串食べてお店冷やかした。
昔住んでいた頃を思い出すなぁ。
「この店先で、小さかった息子が初めてのかき氷を食べたんだよ」と楽しそうに言う大内くん。
私がブティックの店先でルームウェアを手に取って見てたら、「それいいね。買おうよ」って言って、ポケットマネーで買ってくれた。
黄色いレモン柄のさわやかな木綿のワンピース。
この夏はこれで過ごそう、と思って帰って見たら、裏地がついてるのね。
うーん、暑いから、少し秋口になってから着ようかな。
服を買う時って、たいてい何かしら見落としちゃうんだよねー…
家では低温調理器ANOVAがローストポークを作っといてくれたので、さっそく切って糖質オフビールのつまみにした。
夜店のビールは糖質オフじゃないからガマンしたんだ。
ちらりと会った息子はずいぶんやせてたなぁ。
生活が苦しくて、食べてないって言ってたもんなぁ。
私も糖質制限とか言ってないで、食べなきゃやせるんだよなぁ。
18年8月7日
大内くんが泊まりの出張。
人と会う予定を入れようと思ってたが、向こうの都合が悪くて振られてしまった。
1人でU-NEXTの「高台家の人々」観て原作マンガ読みたくなったけど、確かあれって最終巻にちょっとコワイシーンがあるんだよね。
留守番できなくなっちゃうから、やめとこう。
昨日届いた武田一義の「ペリリュー〜楽園のゲルニカ〜」の最新巻読んで、ついでに図書館で借りた「アンガウル、ペリリュー戦記」読もう。
終戦記念日も近い。
昨日10個も作ったトマトソース煮込みのハンバーグを食べ続ける日々。
ひと仕事終わってヒマになるって聞いてたのに、気がつくと1人でごはん食べる日が多いぞ。ぷんすか。
夕方、突然訪ねてきた人がいる。
息子が小さい時に面倒みてくれてたシッターさん、「おばちゃん」だ。
息子に「お餞別」を届けに来てくれたんだって。
上がってくれるよう頼んだけど急いでいるそうで、玄関先で立ち話をしているまさにその時、息子からおばちゃんのケータイに電話が入った。
あいかわらずなんて間がいいヤツなんだ。
とっても喜んでもらえた。
大内くんのお盆休みには、去年亡くなったおじちゃんにお線香上げに行こう。
再来週の名古屋行きを控え、中学校時代の友人Cちゃんから、「あなたと大内さんの来訪を歓迎するプラン」が送られてきた。
半休まで取って、水族館、イタリアンレストラン、ランチ会とすごく時間を割いて歓待してくれるらしい。
持つべきものは友達だ。
ただ、残念なことに予定されていた中学時代の女の子仲間の女子会は、2名が欠席になってしまったので縮小だって。
Cちゃんともう1人だけだからと、「大内さんもご一緒に」と誘われちゃった。
出張先のホテルからかけてきた電話の時にそう話したら、いつもはお留守番の男子はとっても喜んでいた。
「Cさんは、親切だね!キミは最近古い友達との蜜月が続いていて、うらやましいよ。まじめに誠実に生きているキミなればこそだね」とほめてもらって、私も嬉しい。
還暦が近くなると、いろいろな出会い直しがあるのよ。
息子がアメリカに行くにあたり、私自身が2ヶ月アメリカに行った時のことが何か参考にならないかと古い手紙を読み返してみた。
ホームステイ先や住んでいた学寮から実家や大内くんにあてて書いた手紙には、やたらに寂しがっているのと英語が通じた喜びばかりが書き綴ってあり、彼の参考にはならなそうだ。
そもそもコントの修行に行く人の気持ちはいまだにわからないし。
記録魔で手紙類を捨てない性癖の上、数年前に全部スキャンしてあるので、閲覧が簡単。我ながらオソロシイ女だ。
入社したての大内くんが大分研修中にくれた手紙が出てきたのをついでに読み返してみたら、結婚直前とほとんど変わらないことを今も言ってくれているのに気づいた。
「ずっと仲良くしようね」という結婚の誓いは、ほぼ30年間の時を超えてずっと守られている。
得難い資質を持ったダンナ様だったのね。
明日帰ってきたら大事にしよう。
18年8月8日
朝から関東には台風。
大阪や名古屋は晴れていることがSNSでわかる。いい時代だ。
高校の友達に初孫が生まれたので「お祝い何がいい?」と聞いたところ、赤ちゃん用の絵本というリクエストが返ってきた。
腕によりをかけて探すよ、と約束してあれこれ見ていたら、とても気に入ったものがあった。
よくよく見ると絵を描いた人の名前に見覚えがある。
作者のプロフィールを見たところ、なんと息子が小中の頃仲良くしてた男の子のお母さんだった。
FBで最近の消息を知り、連絡が取れるようになって嬉しい。
息子が自分のFBにアメリカ行きの告知を載せたら、件の男子から「いいね!」とコメントがついていた。
「おれと大内んとこの親同士が連絡しとるらしい!」
わはは、イヤだろうなぁ。
ママ友の輪は強力なんだよ。
幼なじみたちよ、団結せよ!
渡米の準備をずいぶん手伝わされたのに、FB上の告知とか読むとあたかも自分1人で全部やってお金も貯めたように書いてあって腹立たしい。
事実粉飾だよね、と話しているところに、1時間遅刻して息子が来た。
まあ台風の影響で交通が乱れまくってるからしょうがない部分もあるけど、おもに長期休むことになるバイト先で激励会を開いてくれて、夜勤が終わってからずっと飲んでたせいらしい。
「スポンサーの機嫌をとりにくる大事な日に」と、大内くんは機嫌が悪い。
そうでなくても、auの請求は来るわ未払いの年金を取り立てに来るわ、図書館の本も友達の本も借りっぱなし。
全部渡米の前に片づけて心配ないようにして行け、と言っているのに、どうなってるのか。
(ただ、後日、先々代のカノジョに貸しっ放しになっていたプレステとiPadが宅配便で返ってきたところを見ると、何らか身辺整理をしているようではある)
本人はあんまりいろいろ気にしていないようで、快調に風呂に入ってごはん食べて事務手続きをいくつかして帰って行った。
日曜出発だけど見送りはいらないそうだ。
雨の中バスで帰るのも大変だろうし、渡米中ゲーム機ごと貸してもらうはずのドラクエ11を頼んでも頼んでもちっとも持って来ないからアパートまで車で送って行って受け取ろうと思ったのに、見つからないんだそうで、手ぶらで帰る羽目に。
車の中で大内くんに、
「今まで探してすらいなかったんだよ!全然、誠意ってもんがないよ!『父さん母さんいろいろありがとう。おかげで夢がかなうよ。2人の尽力は忘れないよ。行ってきます!』って感動のハグをしてもらってのお別れになるはずだったのに、予想とまるっきりちがう!」とぶうぶう文句言って、帰って寝た。
朝起きたら、夜中にメッセージが入っていた。
「いろいろありがとう。気をつけて行ってきます」
じーんとするじゃないか!
こういう肩すかしが、うますぎる!
18年8月10日
大学時代に家庭教師をしていた、その時の生徒さんとSNSで再会した。
中学生だった彼女は立派なお母さんになっていて、NYで弁護士さんをしているのだそうだ。
運のいいことに連絡が再開してすぐにひと月ほど日本に帰ってくることになったと言い、私の息子が近々NYに行こうとしている、と話したら、いろいろ話を聞かせてくれるとのことで、今日、家に来てもらった。
38年ぶりぐらいに会う彼女はすっかり大人の女性でびっくり。
2人の娘さんも連れてきてくれて、帰ってきた大内くんと5人でディナーを食べながらいろんな話をした。
昔の話もなつかしかったし、彼女の今現在もとてもエキサイティングだった。
息子をしばらくあずかってくれるサンフランシスコの従姉は「NYは生活費が高くて危険だから」とあまり賛成していない、と話すと、
「危険と言っても私たちはそこで生活している。世界中から若い人たちが集まってくるエネルギーのある街で、息子さんには刺激になると思う。西海岸の人とは少し感覚が違うかもしれない」と応援してくれた。
きちんとやりたいことをやってきた人だけあって、頭の固い我々とは違ってものの見方が柔軟だ。
FBの友人たちもそうだが、息子が決まったレールに乗っていないことを心配するばかりではなく前向きに見てくれて、なんだかほっとした。
同時に、理解があるつもりでも自分はまだまだだな、と反省させられた。
「息子さんに、何かあったらどうぞ、と伝えてください」と言って名刺に裏書きしたものをくれた。
もちろんよほどのことがなければ頼るつもりはないが、不安だったNY行きに光明が差す思いだ。
わりと近いところに住んでいるので大内くんと一緒に車で送って行って、「また帰国したら会いましょう!」と手を振って別れた。
人とのご縁は本当に不思議でありがたい。
自分が生きてきたこと、生かされてきたことを深く感じることができるこういう日を大切にしたい。
彼女の娘さんたちも私の息子も唯生も世界との関わりの中で生きていくのだと思うと、何もかもがとても貴重に思われる。
大学生の頃はまだ自分が全然見えてなくて(もちろん今も模索中というオトナとしては情けない状態なんだが)、ものを教えるほどの能力がないのに、高給につられて家庭教師なんてやってしまった。
本当に至らない先生で、さすがに無断欠勤とかしたわけではないけど、時給なりの働きができた気はしない。
いつかお詫びする機会があれば、と思っていたので、SNSでのこの邂逅にはとても感謝している。
機会善用ではあるが、いつでもやり直しが可能なわけじゃないから、これからはもう少し真剣に生きなきゃ。
18年8月11日
大内くんは今日からお盆休み。
まずは朝ゆっくり寝たい、と言うが、息子が10時半にカノジョと一緒にくると言ってる。
その前に八百屋さんに買い出しに行っちゃおう。
「昼頃でいいじゃない」と抵抗されたけど、
「どうせ息子は時間通りに来ないよ。11時過ぎになって、昼ごはん食べて行ったら1時頃になるかも。八百屋さんのレタスもトマトも売り切れちゃうよ!」とお尻を叩いて、買い出しだ!
実際、お盆休み前だからか、いつもと同じ時間でも駐車場が満員でしばらく待つほどだった。
我々も休みなのでいろいろ料理をしようとたくさん野菜を買った。
レジ袋4つ分にもなった買い物を抱えて帰ってきて、冷蔵庫に入れようとした大内くんは、野菜室があまりに満杯なのでヒス気味に無理やり閉めていた。
「そうそう、昨日もらった彼女の名刺を息子に渡さなきゃね。その前にスキャンしておこう」とパソコンの前に来て、私が使ってるので「あけてよ」と言う大内くんに「うん、ちょっと待ってて」と作業を終わらせながら、「名刺整理アプリとか使ってないの?使えばいいのに」と言ったら、「何で?!」とキッとなってた。
「どうしてそんなに怒るの!」と言うと、
「息子は来ないし野菜室は閉まらないし、イライラする。でもキミに当たってるわけじゃない。冷蔵庫に当たってるだけ」とぷんぷんしてる。
「そういうのを私に当たってるって言うの!」と泣いてたら、息子が来た。
「私は具合悪くて寝てるって言っといて」と布団にもぐってたけど、しばらくして気がすんだので出て行くと息子が「大丈夫なの!?」とびっくりしてるから、
「父さんとケンカしたから布団で泣いてたの。父さんの八つ当たりのそもそもの原因はあなただよ」とバクロバクロ。
我が家は今日もカオスです。
2人にごはん出して話をした。
昨日会ったNYの知人の名刺を渡し、話を聞かせたら喜んでいた。
「NYには本当にスタンダップ・コメディをやる場所があるんだねぇ」と言うと、
「そう言ってるじゃん」って不敵に笑ってた。まあ、頑張っといで。
息子「クレジットカードはまだ来てないの?」
大内くん「届いてないねぇ」
息子「どうしたかなー」
と話しているまさにその時、チャイムが鳴って郵便屋さんが書留を届けてくれた。
昨日届くでもなく、今日、彼が帰ったあと届くでもなく、このタイミングで。
確かにこの人は「何か持ってる」かもしれない!
昔はそれなりにラッキーガールだった私の運が普通になっているのは、生まれる時に息子が全部持って行ったからだと思われる。
明日はカノジョが空港までお見送りしてくれるそうだ。
もはや親の出番はない。
「よろしくね」と言おうかと思ったが、それもなんだか「本来は自分のもの」と言ってるようでおかしい気がして、黙ってた。
誰かに渡すために育ててきた。
それが「この人」かは我々は知らない。時間と2人が決めること。
「じゃっ!いろいろありがと」と握手してハグして出かけた。
次に会うのは3か月後かぁ。
その間は枕を高くして眠れるなぁ。
死体を引き取りに行くのは面倒だから、生きて帰ってきてくれと頼んでおいた。
「引取りにぐらい、来てくれるんでしょ?」と言われて、「そりゃ行くけどさぁ」と曖昧な顔になってしまった。
あなたが自分の足で帰ってくるのが一番いいんだよ。
大内くんと2人になって、なんだかほっとする。
長い間の懸案から解放された思いだ。
お祝いというわけでもないが、夜は近所にできた「いきなりステーキ」に食事に行った。
糖質制限は、肉はいくら食べてもいいの。
大内くんはお得な「ワイルドステーキ」の300g、私は不安なので200gにしておこうと思ったけどワイルドステーキは最低が300gだから、せめて日頃は食べられないいい肉を食べてみようとサーロインステーキ。
案内された2人並びの席は目の前のソースやドレッシング、わさび、マスタード、おろしにんにくの小瓶が並んだ棚のすぐ向こうに別のカップル客がいて、うっかりすると目が合ってしまいそう。
お互いにひそやかに目をそらすのは日本人の美徳か。
オーダー係さんに教えられて社食の窓口でかけそば頼むような窓口に行き「サーロイン、200g」とかお願いすると、コック服に身を包んだたくましいおばさんが巨大な肉の塊からギラギラした包丁で切り分けてくれる。
ちょっとしたホラー映画になりそうだ。
おばさんが計りに「ウェルダン」とか「つけあわせのコーンをブロッコリにチェンジ」とかの注文を打ち込むと、スーパーのお惣菜の値札みたいにするするとシールが出てきて、それをお皿に貼った私のステーキが奥のグリルに移動していくのを見届けて席に戻る。
やがて、「20番さん、エプロン確認で〜す」と声がして、フロア係さんが「ハネが飛びますので、エプロンお願いします」と紙エプロンをつけるよううながしに来た。
熱い鉄板を運んできた人がそれをやっているといろいろ事故のモトだからと思われる。
こういう小さな工夫にやたらに感心してしまうんだ。
じゅうじゅう音をたてて、肉々しいステーキが来た。
今どきステーキ屋でウェルダン頼む人もいないよなぁ、サーロインも悲しかろう、とやや自嘲気味にナイフを入れ、肉汁なんか全然出ない安心な肉を食べた。
しょうがないよ、焼けてる肉が好きなんだから。
大内くんのワイルドステーキは私から見るとほぼ生肉で、ホントに苦手です。
おいしかった。大満足。
ステーキなんか家で焼けば1人500円ぐらいで済むところを3倍も4倍もお金かけてしまったが、やはりたまの外食は楽しい。
糖質制限始めてからかなり外食にご無沙汰してたもんなぁ。
本当は108円払って購入する「肉マイレージカード」をお会計時にもらえるキャンペーン中。ラッキー。
さっそく今日の200gが打ってあるカードを登録して、なんともれなく千円のクーポンをゲット!
皆さん、「いきなりステーキ」に行くなら今ですよ!
「ゆっくりお茶を飲む店じゃないねぇ」と悲しそうな大内くんのために、隣に喫茶店がある。
アイスとホットのコーヒーを飲みながら、ゆっくりゆっくりおしゃべりをした。
50代の夫婦がマンガについて何やらアツく語って口角泡を飛ばしているのはきっとどこか変なんだろうか、もう35年以上前からこのスタイルなんだ、むしろやっとそういう時間を取り戻したと言ってもいい。
息子を送り出して、この夏休みは特別なものになりそうだ。
18年8月12日
夏休みもまだ2日目の大内くんは、とにかく寝倒した。
日頃は5時間睡眠ぐらいで回してるから、この機会に寝不足をうんと取り戻してもらいたい。
午後は久々にゆっくりシアタールームで映画を観た。
息子がいなくなった部屋を改造したものの、時間がなくてあんまり活用できてなかったから。
U-NEXTのポイントが自然消滅してしまう前に使わなきゃ、と有料のものを2本ほど観る。
あとは溜まった本の自炊。
大内くんの本ははっきり言って書斎の床の4分の1ぐらいを埋め始めている。
これではデータ化を始める前のタケノコ状態と変わらないじゃないか!
ヒマな私が日中やってあげればいいのはわかってるのでそう提案してみたこともあったが、なぜだかお互い、自分の本は自分で自炊したいと思ってるんだよねぇ。
ビミョーな話、コミックスや文庫本の表紙カバーを切る時、大内くんと私では好みが違う。
背表紙を、私は表紙につけて切るが、大内くんは書影を綺麗に撮るためか、裏側につけた形で裁断する。
確かにその方がアマゾンとかの見本写真に近い形にはなる。
「関東の背開きと関西の腹開きみたいだね」と言いながら、こうしてお互いの山はさらに混ざりにくくなる。
息子から、空港に着いたとメッセージが来た。
ツィッターでも出発の様子が公知されてた。
いよいよ行くか。Good Luck!
18年8月13日
夏休み3日目。
月曜であるので、本格的な夏休みの初日と言ってもいいかも。
大内くんと整形外科に行く。
一緒にリハビリ室に入ってもらって、さんざん話に聞かされていた「主人」とついに会えたPTさんは喜んでいた。
診察室では先生が大内くんに私のひざのMRIを見せて状態をよく説明してくれて、大学病院を紹介してくれた。
完全に軟骨がすり減った映像を見た大内くんはけっこうショックを受けたらしく、
「あんなに悪化してるとは思わなかった。手術を考えた方がいいかも。早く受ければ、そのあとの20年ぐらいが楽になるかもよ。またつきそい入院してあげるから」と一気に推進派に。
まあ、つきそい可能かとか大学病院で聞いてみてから決めようよ。
また「いきなりステーキ」に行く。今日はランチ。
すごい行列だったが、予約券発行機に電話番号を登録して、待ってる間に役所の手続きとか銀行の用事をすませられて助かった。
貸金庫に預けてある「本のデータが入ったHD」を年に1回入れ替えてるんだよね。
ちょうど金庫室から出てきたところで呼び出しの自動電話がかかってきたのでお店に戻った。
技術革新の恩恵をフルフルに受けてるなぁ。
実は300gなら楽勝だと思えたので、今日は私もワイルドステーキに挑戦した。
そしたら大内くんは450gだと言う。
ランチセットだからスープとサラダがついてくるのに。
ライスなしにしてもらうと100円引きなところはいいね。
次回はその100円を流用して、トッピング野菜を増やそう。
図書館に行こうと車を走らせていたらすごい豪雨になり、進行方向の空に派手な稲妻が2本立った。
「駅の方に落ちたかもね」と言ってたら、駅前の信号が消えていた。本当に落ちたようだ。
足が悪いので図書館の駐車場を使わせてもらってるんだが、一時的な停電で車用のエレベータが止まってしまったそうで入れなかった。
「状況をご説明しますとね」で始まり、「・・・車が閉じ込められまして、幸いことなきを得たんですが、管理会社の方からしばらく入庫は見合わせてくれと言われまして」と、ていねいな説明だった。
さすが、市立図書館の管理係。きっと市役所勤め上がりなんだろう、律儀だ。
仕方ないからまた明日こよう、「おじちゃん」の初盆にお線香上げに行くのにお菓子持って行こうね、とイトーヨーカドーで買い物しようと駐車場に入れたとたんに超特大の雷がすぐ近所に落ちた。
エレベータは動いてたけど、乗ってた3歳以下の子供は全員涙目、大泣きが止まらない子も。怖かったんだね。
でも帰る頃には空が明るくなって止んできたので家の機械式駐車場を上げる間濡れないですみ、私ってやっぱりけっこうツイてるなぁ、と思う。
おなかの息子がすべて吸い取ってったわけではないようだ。
残してってくれたのかしらん。
そんな彼は無事に従姉の家に着いたらしい。
ひと月は滞在することになると思う。
従姉に食費を渡しておいてね、と指示して、「わかった!」と返事をもらった。簡単で、夢のよう。
地球がこんなに狭くていいのか!
18年8月14日
朝、息子の元シッターさん「おばちゃん」のところに行って去年亡くなった「おじちゃん」にお線香を上げ、お茶をいただいて話をしてきた。
先日は息子にお餞別を届けてくれたおばちゃんで、旅立ちを喜んでくれたが、何年も行くと思っていたらしい。
3ヶ月ぐらいだ、と言ったら少し拍子抜けしていたみたい。
娘さんが入籍し、「弟のようなものだからぜひ」と息子を結婚式に呼びたいそうだ。
間に合うように帰ってこられるといいね。
近所の電器屋のパートさんと息子の話をするのだそうで、どうも保育園時代の幼なじみの子のお母さんらしい。
それだと、Kくんママかなぁ。
今度飲み会で会うから聞いてみよう。
お赤飯や春巻きを持って行けと言うおばちゃんに「糖質制限中です、ごめんなさい!」と言ってお別れし、昨日行けなかった図書館に行く。
11月に友人と京都旅行に行く予定なので京都の旅行ガイドを借りて勉強しようと思ったら、空いてると思った大内くんのカードに延滞の本が1冊あったので、借りられなかった。
私が2冊返却したすきまで2冊だけ借りて、あとは取り置きにしてもらって、カフェでコーヒー飲みながらながめた。
ニトリに行ってステーキナイフ、シーツ、枕カバー、ランチョンマット等を盛大に買う。
お買い物は気分がアゲアゲになる。
昼はキャベツとショルダーベーコンの炒め物、夜はハンバーグ。
全部大内くんが作ってくれた。
大内くんが休暇中に会社の人たちとの飲み会を入れてしまっていたことが判明。
「たいへん!キャンセルしなきゃ!」と言うが、
「私ならいいから出かけてきたら?あなたといるのも少しあきちゃったよ」とうながしたら、
「僕はキミといたいよ。せっかくの夏休みなんだし」となんだか傷ついたような顔をしているので、
「じゃあ、断らないで私ともいる方法として、私も参加させてもらうってのはどう?」と提案したところ、とっても驚かれた。
会社の女性2人との食事会らしいし、もう1人の管理職、Hさんとは何度も会ったことがある。
「すごい起死回生のアウフヘーベンだ。さっそくHくんに話してみる」とメッセンジャーで連絡を取ったところ、
「私はかまいませんし、お2人も喜ぶのではと思います」と快諾していただけた。
「キミはホントにすごい。どうしてそんな解決を思いつくんだろう」といたく感心された。
「たぐいまれな知性と抜きんでたまっすぐな心」と言ってみたら本気にされた。困るぞ。
18年8月15日
終戦記念日。
毎年正午の役所のサイレンに合わせて「黙祷」していた息子は、今アメリカ。
向こうではこの日はどんな扱いなのだろうか。彼は黙祷しただろうか。
今度メッセンジャーで聞いてみよう。
また「いきなりステーキ」にランチ食べに行った。
この休み中に3回目。
今日もワイルドステーキ450gの大内くんはトッピングをブロッコリに替えてもらったのに、鉄板に乗っていたのはコーン。
そう言ったら「失礼いたしました。別のお皿でお持ちします」と運ばれてきたブロッコリだけ食べて、コーンはそのままに。
で、お会計のあとレシートを見たら100円プラスされていたのでわけを説明すると、レジのおにーさんは「あっ、そういうことなんですね。すみません!」と言って100円くれた。
その時は他の人が横からお会計しようとしていて忙しそうだったので、いったん出てレシート確認したが、消費税分が加算されてる気がする。
もう1度戻って「消費税分は加算されてますか?」と聞くと、「はい、ちゃんといただいてますよ」。
「さっきこれこれで100円戻していただいたんですけど、消費税分が入ってませんよね。細かくてすみません」と言って8円もらった。
心なしかおにーさんは苦笑いしてた気がする。
大内くんには感心されたが、なにやら自分が吝嗇なような気がしてしょうがない。
しかし、稼いでいない身としては、理由のない出費を見張っていて避けるぐらいしか生産性が上がらないのだ。
そのあとはカラオケ。
3時間歌った。
大内くんが2曲歌う間に私は3曲。しかも適当にリクエストも入れてくれるので、結局大内くんの倍以上歌ってるだろうなぁ。
好評だったのは爆風スランプの「神話」と中島みゆきの「異国」。
意外だと言われたのはアニソンで「スタージンガー」。
リクエストで入った山崎ハコの「気分を変えて」が一番よかったと言われた。
数年前には全然息が続かなくなっていたのが、昔通りとは言わないがずいぶん復活して、声が伸びるようになっていた。
手術して血管を取り換えたので、圧迫されていた肺が広がって肺活量が戻ったのだと思われる。
大内くんはとっても安心した、と言って、涙ぐまんばかりだった。
ああ、楽しかった。
18年8月16日
「いきなりステーキ」4回目。
肉マイレージが1119gたまった。
今回は順番待ちサイトまで使ってみて、少なくとも朝イチであれば全然待たずに入れる。
お休みが終わったらこんなふうにランチにくるのは無理だけど。
息子からは機嫌のいい事務メッセージが来た。
こっちも機嫌よく返しておく。
関係がない時の関係は良好だ。
いっそこのままアメリカにいてほしい気分になるぐらい。
でも、お互い機嫌よくいられるのは今が通常運転中じゃないからだろうしね。
10日以上待って、やっとエアコンの交換取付工事の人が来てくれた。
その間書斎の古いエアコンはなんとか青息吐息で動いてはいたものの、人間の方はもう、新しい機械への期待ではちきれそうだったよ。
2時間近くかかって取りつけてもらったエアコンは、狭い部屋用の小さなものなのにやたらに前にせり出した格好。
機械の上にほこりがたまりそうだ。お掃除しなくっちゃ。
つけてみると、そよそよ〜っとした柔かい風でぐいぐい涼しくなる。キンキンしない!
温度は0.5度きざみだし、「設定温度が24.5℃に変わりました」とかしゃべる!
すごく高かった覚えのあるリビングのエアコンですらそんな機能はついてない。
技術進歩はすごいなー、と感心し、かなうことなら家中のエアコンを新品と取り換えたくなった。
(物質文明の奴隷であることを隠さない性格なんです、と妙に威張ってみる)
寝る時も、寝室のエアコンを24度にすると寒すぎて25度だと微妙に暑いのをくりかえして眠れず、存在しない24.5℃の目盛りを求めてしまう。
エアコン取付師の免許があったら今すぐ書斎のととっかえるのに!
いくらなんでも設定温度が低すぎてエコでないのは重々承知なんだが、25度を超えると汗ばんできて、26度になるとぽたぽたとしたたり始めるのはどうしようもない。
真夏の我が家は、私が汗をかいているか大内くんが鼻水をたらしているかの二択しかない。
早く、秋よ来い。
18年8月17日
今日は上野に行って美術館巡りをしよう、と計画していたんだが、夜中に脚が痛くて目が覚めてしばらく眠れない間に考えが変わった。
夜は渋谷での飲み会も入っているし、暑い日になりそうだ。
遠い上野を1日歩き回るよりは近場にしておいた方がいいかも。
上野の国立西洋美術館での「ミケランジェと理想の身体」は昨日の晩、録画したテレビで見てしまったことでもあり、もうひとつ行ってみたかった六本木の国立新美術館の「ルーヴル美術館展
肖像芸術−人は人をどう表現してきたか」に行くことにしよう。
それなら渋谷にも近くて夜が楽だし、予約のできるレストランを見つけられれば昼過ぎにゆっくりでいいし、国立新美術館の中の展示をいくつか見れば充分ハシゴになる。
というわけで夜中にパソコンをポチポチたたいて「店を探そう!」。(「孤独のグルメ」の井之頭五郎さん風。彼はパソコンで探したりしないけど)
上野ではトンカツがいいって大内くんと決めたが、六本木ならばなんだろう?
見つけたのは「シュラスコのビュッフェ」。うん、いいじゃないか!
昔、大内くんが息子のボーイスカウトのお祭りのお手伝いに行った時屋台の前で似顔絵屋さんの真似事をしてたら、横の屋台のシュラスコ屋さんの肉を焼く煙がもうもうと流れてきて、描いてる間中いぶされてはいたもののとっても美味しそうな匂いだった!でも、似顔絵が終わる頃には売り切れていて食べられなかった!と言っていたから、喜んでくれそう。
朝の6時頃に大内くんをちょっと起こして聞いてみたら、
「実にいい考えだ。キミはいつもとっても考えている。シュラスコもいいね。ぜひ予約して」と半分以上寝ぼけて言うので、さっそく予約サイトに登録して昼の1時半に予約入れて、準備万端。
次に9時頃起こした時には半分がた忘れているようだったが、まあいいや。
で、出かけて、けっこう行くのが遅くなっちゃったのでお店に着いたのは2時で、ビュッフェのオーダーストップが迫っていた。
テーブルに焼いた串を持ってきて肉をそいでくれるシュラスコの注文が終わってしまうだけかと思っていたのに、ビュッフェのサラダや飲み物も全部2時半には片づけてしまうんだそうだ。
3時にはお店も閉める。
大急ぎでサラダをひと回り食べて2皿目を山盛りにし、焼き串がテーブルにまわって来るたびに肉を頼んで、「オーダーストップです」と注文聞きにきた時にはさらにもらった。
飲み物も2杯持ってきて、残り30分かけてゆっくりと目の前の肉とサラダを片づけた。
「おいしいね!」と喜んだ大内くんは、ものすごい量の肉を食べていたよ。
かなりおなかぱんぱんになって国立新美術館に行くと、ルーヴル展はなかなかの人気。
入り口には待ちは出てなかったけど、中はけっこう混んでいた。
肖像画や彫像など、「人間」がテーマだった。
風景画よりは人物画、絵よりも彫像が好きなので、いろいろ見られて楽しかった。
上野の「ミケランジェロ展」を見に行かなかった理由のひとつが「いくら世界中にミケランジェロの作った像が40点しか現存しないからと言って、2点持ってきただけで目玉と呼ぶのはあんまりだ」と思ったからなんだが、ルーヴルもいくつかの大作は貸してくれてるものの、やっぱり海外に貸し出せる程度のモノ、ではある。
ウフィッツィ美術館やバチカン美術館に行った時のことを思うと、有名美術館所蔵の美術品は現地に行ってあきれるほどふんだんに見るのが一番だね。
お金を貯めていつかエルミタージュにもメトロポリタンにも行こう、と誓い合う。もちろんルーヴルもだ。待ってろ、おフランス!
むしろ、そのあと企画展を2つ見たのが面白かった。
オトナの絵画クラブの作品展と、高校生の作品の展示。
おそらくオトナの方は描いた人全員が出展できるのではないだろうか。1人何作も出していたし、「うーん…」と、うなるのではなく困るような作品も多かった。
高校生の方は日本全国の高校から選ばれての出展だけあって、こちらは正真正銘、うなった。
外国人生徒の作品が10点ずつほど国ごとにまとめてあったのも、各国の個性がうかがえて大変面白かった。
六本木に住んで美術展を見にくるような生活もいいね(実は大内くんの親はそういう生活者である)と話しながら帰ったが、外国人や観光客でにぎわう駅前などを見ると、やはり都下の田舎の方が落ち着く我々。
年に何度か美術心がうずいて美術館を見に来たくなるだけで、毎週通うほどの通人にはなれない。
でも、来月に同じ場所で開かれる荒木飛呂彦の「JOJO展」、これはどうしても見なければ。
大内くんは東京育ちだけあって、小学生の頃に「モナリザ」に連れて行かれたんだそうだ。
「小さな小さな絵を、何時間も並んで、ひと目だけ見た。バカバカしかった」その体験が尾を引いていて、美術館では好きな絵を好きなだけ見たいんだって。
浦沢直樹の新作「夢印」で、フェルメールの作品とじっくり向き合う「赤塚不二夫の、あの人」の姿が理想なのだそう。
私も、バチカンで「最後の審判」を見ようと世界中の人でごった返した広間を抜けて、小さな「ピナコテカ」で「キリストの変容」とずっと向き合っていた静かな時間が忘れられない。
国立新美術館を出たらもう夕方になっていた。
渋谷に向かい、飲み会へ。
大内くんの会社の女性2人ととなりのシマのHさんに会った。
「この日なら空いてます」とうっかりして夏休み中の日を指定してしまい、休みに入ってから気がついてドタキャンもやむなしか?と騒いでいるので、私も一緒に行く、というウルトラCを提案したら、発起人のHさんに面白がられてしまったようだ。
「あなたが会社でどれだけうっかり屋さんか、聞いてみるからね!」と事前に脅しておいたのにあんがい大人しく飲んでいたので、すっかり覚悟していた大内くんは拍子抜けしてたみたい。
派遣で来ていた女性は今は弁護士事務所で事務をしているそうで、「破産関係の事務所です」と言うので、
「それはぜひ、よしながふみの『きのう何食べた?』を読んでください。ゲイの弁護士がお料理をするマンガです」と熱烈に勧めたら、
「読んでみますね。『美味しんぼ』のようなお話なんでしょうか?」と聞かれた。
まわりの人が全員「きのう何食べた?」の最新巻を買っている環境は決して当たり前じゃないんだな、と改めて思った。
大内くんはあんまりお料理に手をつけないので、Hさんに「大丈夫ですか?」と心配されていて、横から私が、
「お昼にシュラスコ食べすぎたんですよ」と暴露したらHさんもあきれながらも安心したようだったので、帰り道で、
「あなたはああいう時に自分の事情を話したがらない。隠すつもりなら、心配かけない程度に料理を食べなさい。聞かれちゃったら、もう、面白おかしく話すしかない。そもそも私なら聞かれる前に話す」とお説教される羽目になった。
よくあることだなぁ。
控えめな人ではあるが、程度問題だろうに。
女性2人は気持ちのいい人たちで、Hさんはいつもほがらかで親切、楽しい飲み会だった。
私が薄皮一枚かぶっていた猫が剥がれ落ちきるほどのことはなく、和やかに終了。
今日はとっても派手な1日だったねぇ。
これで明日もイベントがある。
そろそろ夏休みも終わり近い。頑張ろう。
18年8月18日
恒例の「柳家喬太郎 みたか勉強会」。
発売の日にパソコンの前で待ち受けていて手分けして取った4枚のチケットで、友人男女と一緒に鑑賞だ。
発売開始後20分で売り切れるプラチナだよ。
2日ぐらい前から少し涼しくなっていて、暑さに弱い友人女性も私もなんとか倒れずに会場までたどり着く。
前座さんも2つ目さんも快調だったし、今日の喬太郎さんはすごく調子が良くって、すぱすぱと手が切れるような高座だった。
演目は、
柳家寿伴 ラブレター
柳家喬太郎 怪談牡丹燈籠 おみね殺し
柳家わさび 露出さん (春風亭百栄作)
柳家喬太郎 居残り佐平次
牡丹燈籠は飛び飛びに部分部分を読みかじってはいたが、ちゃんと聴いたことなかった。
新作の2つはもちろん初めて。
「居残り」はこないだ雲田はるこの「昭和元禄落語心中」で助六がやってたのが印象深かったので、聴けてよかった。
(確かにあの助六の「居残り」は聴いてみたい気がする)
終演後は友人男性が駅前の蕎麦屋に席を予約しておいてくれてるが、いつものことで、1時間ほど間があいてしまう。
みんなでぞろぞろと喫茶店に行ってコーヒーを飲んだ。
酒と落語を愛する名古屋の友人が毎度くやしそうに、
「落語のはねる時間と居酒屋の開く時間がどうしても合わない。落語は始まりを遅くして6時頃はねるか、居酒屋は4時頃から開店せよ!」と怒っている現象だ。
やっと蕎麦屋さんの開く時間になって行ってみたら、駅前はお祭りで大混雑、お店に収まったあとも窓の外をお祭り装束の人々が通り過ぎて行くのを眺められて、ちょっと楽しかった。
野菜をふんだんに使ったおつまみは「親戚の家のおかずのような」優しい味わいで、どれもおいしい。
糖質制限を押して梅酒サワーを4杯も飲んでしまった。
まんがくらぶの友達だけど、2人ともこの夏の先輩の山荘の合宿には行かなかったので、その話をする。
合宿で見せた昔の写真をタブレットで広げたら、「なつかしい!」と盛り上がり、よく4人でドライブ旅行に行った思い出の記録も多いので、いつかまた温泉でも行こうか、という話になった。
お互いに歳だから、30年以上つきあってる友達は貴重。
この先は増えるよりも減って行くものだし。
少なくとも私は、たまたま血縁に生まれついた人たちとあまり気が合わなかったせいもあって、肉親よりも友人を大切に思う傾向がある。
「あなたはダメな人間だけど、血がつながってるからしょうがない」という目で見られ、人格を認めてもらえなかった半生が尾を引いている。
今でも不出来な人間だが、それでもそんな私を「選んで」くれた友人たちには本当に感謝しているんだ。
ものすごく良い機嫌になって倒れ込むようにして帰ってきた。
明日で夏休みが終わる。
大内くんはすでに半分泣いているよ。
18年8月19日
夏休み最後の日。
来週からの生活に備えて買い物をし、作り置きを料理する。
楽しかったなぁ。
ずっと忙しかった大内くんも、
「キミと話す時間が本当に少なかった。この休み中はそれをずいぶん取り戻して、ケンカもしたけど、ケンカになるぐらいすれ違っちゃっていたことがわかってよかった。また次のお休みまでの分を貯金できたかなぁ」としみじみしてた。
と言いつつ、来週も4連休で名古屋なんだけどね。
まとめてみると、「いきなりステーキ」に4回行って、喫茶店に3回行って、カラオケしてニトリ行って美術館と落語に行って飲み会が2つあって、そうだ、お世話になった人の初盆でお線香上げに行った。病院も1回。
総合すると、活動しすぎ。遊びすぎ。
予定してたほど映画を観たり録画を消化したり本を読んだり大内くんが溜めてしまった自炊の山を片づけたりできなかったのは、ほとんどの時間をしゃべり倒していたからなんだろうなぁ。
一番時間を取られた娯楽は、言い争い、もとい、議論を含む「会話」だったよ。
今、私は半分気絶してるので、明日大内くんが仕事に行ったら少しゆっくりさせてもらおう。
いっぺん倒れてからリハビリしないと、疲れ過ぎてて何もできない。
どうしてこう、子供のようにネジが切れるまで動いちゃうんだろうか…
18年8月20日
週末の同窓会、出席予定者のリストが来た。
去年の先輩に聞いたら100人ぐらい来たかなぁ、って言ってたからそのぐらいかしらんと思っていたら、30数人しか名前がない。びっくりした。
しかも直接電話して「行く?」「あなたも行くの?じゃあ、行こうかな」って言ってた人たちの名前がないから連絡してみたら、どうやら当日いきなりでも大丈夫らしく、リストは事前に会費を払った人の名前らしい。
「じゃあ、当日会おうね!」と話がついてよかった。女子1人ゲット。
もう1人男の子にもメールして確認したら、やはり締切以降に出席の返事をしておいたとのこと。
当日一緒に行く女子も含めて、確実に知ってる同窓生が会場に4人はいる。楽しみ。
大内くんともども名古屋の友達の家でランチ会に招かれたので、お菓子を買ってきてもらった。
会社の「甘部(あまぶ)」と呼ばれる謎のスイーツ好きの組織の長を務める隣のシマの室長Hさんにヒアリングして選んでもらった、「東京で行列ができる店のお菓子・甘部セレクション」だ。
大内くんが送ってきた「行列」の写真を名古屋のCちゃんに転送したらとっても恐縮されてしまったが、買いに行った本人は「行列するほどの評判のお菓子を買う」という行為に大興奮して楽しんでいたので、いいと思う。
ただ、せっかく並んでまで買ったんだから甘部の人たちにもおすそ分けをしたら、と思うのに、名古屋に持っていく分しか買わなかったんだって。
「袋だけあげた…」とつぶやく大内くん、ひどすぎるだろう!
N.Y.C.SANDの夏季限定オレンジサンドを、Hさんたちにも食べさせてあげたかったなぁ。
息子から「元気?」とメッセージが来た。
「元気」と、先日の飲み会で大笑いしている大内くんの写真を送ってあげた。
こっちもツイッターや従姉からのラインで彼の生活ぶりは写真入りで見ている。
ホストファザーである従姉のダンナさんと「囲碁」を打ったり、ハトコに当たる小学生に「嘘ポケモン」の絵を描いてだまくらかしたりしているらしい。
うーん、SNSは本当に便利。
劇場にコントを見に行ってるようなので、「出てるわけじゃないのね?」と確認したら、「まだ見に行ってるだけ」とのこと。
NYでは飛び入り歓迎のステージに立つ野望を持ってるんだと思う。
「終戦の日に黙祷はしたのか」と聞くと、「あ、忘れた」。
向こうでは「なんもない」のだそうだ。あたりまえか。
「真珠湾の日付は覚えてるみたいよ。みんな負けた時のことしか覚えられないみたいね」と息子。
「やったこともやられたことも同じ率で覚えている人になりたいね。難しいけど」と言っておいた。
夕方の4時近くで、向こうはそろそろ昨日が今日の日付に変わる頃。
「おやすみなさい」を言って終わる。
いつも一生懸命に時差を計算し始める大内くんを尻目に「世界時差時計」アプリを入れたんだが、超便利。
入ってるアプリまでどんどん消してしまうし、ちょっとアタマが固いと思うなぁ。
18年8月21日
Apple GiveBackというサービスがある。
使わなくなったiPadやiPhoneをAppleさんが下取りしてくれるのだ。
モデルが新しくて状態が良ければけっこうなお値段がつく。
うちにはiPadがたまりがち。
miniもあわせると使ってないのが3台ある。
先日息子が昔のカノジョに貸していたものが返ってきたことでもあり、この際引き取ってもらおう。
手続きをすると、さっそく佐川急便から返送キットが届いた。
梱包して、また佐川さんに引き取りを頼む。
持って行った翌日には査定メールが来た。
iPad mini3はモニタの状態が悪いため、9900円と言っていた査定額が一気に100円に下がった。
それぐらいなら家でiPod代わりにでも使おうと、戻してもらうことに。
キャンセル扱いで、送料向こう持ちだそうだ。ありがとー!
残りの2台は査定通りで、Apple Storeギフトカードで8千円ぐらい戻ってくるので、そのうちにiPad
Pro買ってもらう時に使おう。
iPhoneも含めて、我が家はものすごく iシリーズのお世話になっている。
だんだんかなりの優良顧客であるような気がしてきた。アップルさんに表彰されたい。
18年8月22日
59歳の誕生日。
昨日の11時半頃に、
「もう眠いから、今のうちに『おめでとう!』を言っておくね」と大内くんが寝てしまってから、朝起きて「ね、ね」と催促してもう1度言ってもらい、また「じゃあねー、おめでとー」と言いながら出かけるのを見送ったすぐあと、会社の同僚Hさんからメッセンジャーでお祝いを言われた。
午前中に集中して、SNSでけっこうな数のお祝いの言葉をいただいた。ありがたい。
家から出なくてもこの豊かな社交生活、と涙が出そうになった。
時差があるから今日は思い出しもしないだろうと思っていたのに、息子からも「お母さん、お誕生日おめでとうね」とメッセージが来た。
しばらくアメリカのコメディーについてやりとりした。
スタンダップよりインプロの方が断然面白いのだそうだ。
漫談的なスタンダップは時事問題等を含むので、英語がわからない彼にはわかりづらく、身振りの多い即興的なインプロはわかりやすいのだとか。
「インプロってのは三題噺のようなもの?」と聞いたら、「まあ、そう」だって。
「いろいろ聞きたいことがあるけど、帰ってから聞かせて」と切り上げようとしたら、
「お題をくれれば短文を書くよ」と言ってくれたので、誕生日プレゼントとして「誕生日」という題でひとつ、あとは生活報告に「アメリカで驚いたこと」という題でひとつ依頼しておいた。
「誕生日」はすぐに来た。
2スクロール分ぐらいのSFショートショートみたいなの。
5、6分の間のことだったので、なかなか、と感心した。
もうひとつはまたそのうちに、って。
さて、今日は大内くんも遅いので、明後日の同窓会に備えて髪を切りに行こう。
暑い中、バスに乗って出かけるのはつらいが、かなり見苦しくなってるアタマはもっとつらい。
会うのは3回目の美容師さんと、やっと「約束のネバーランド」のネタバレを話せた。
前に来た時は彼がまだ読んでないので「言わないでください!」と強く頼まれたのだった。
「びっくりしたでしょ?生きてるって思いました?」
「最初から思ってましたよ!」
という会話を交わして満足だ。
向こうからは「僕のヒーローアカデミア」を薦められた。面白いんだそうだ。
今度オトナ買いをしてみよう。
「人に薦められて『キングダム』をそろえたのにまだ読んでないぐらいだから」と言ったら、
「キングダム!あれも面白いんですよ!絶対読んでくださいよ!」と熱烈な口調だった。
よほどの長編好きと見える。
しばらく、「どうして男の子向けのマンガは延々と戦いがレベルアップしてしまうのか」という話に興じた。
「女の子向けは10巻ぐらいで終わるのが多いじゃないですか。恋愛の相手を次々変えてレベルアップ、というよりは、恋の成就とか結婚とかで終わるからじゃないですかね」と言ったらうんうんとうなずいてくれたよ。
「男の子マンガの典型は『ドラゴンボール』ですね。どんどん敵が強くなって、しまいに宇宙レベルですからね」と私が言って、ピッコロだミスター・サタンだと話していたら、
「うーん、あの、緑色の敵はなんでしたっけねー、気になるー、気になりますねー」と、2人とも思い出せない敵の名前をググり始めるおにーさんであった。(セルだった!)
長すぎる話も善し悪しだ。
今日が誕生日だとか週末に名古屋で同窓会に行くとか話したので、お会計の時に小さなシャンプーとコンディショナーのセットをくれた。
「名古屋に泊まる時、使ってください」とのこと。
ありがたくいただいておこう。
こうして誕生日は終わりつつある。
来年は還暦かぁ。
こんなに長生きするとは思ってもみなかったよ。
ま、考えてたほど悪いもんじゃないけど、幸せだからもういつ終わってもいいや。
今、宴会の帰りのタクシーの中から大内くんが電話してきて、しゃべってるうちに意外な事実が明らかになった。
息子からのメッセージは、「母さんの誕生日に何か書いてプレゼントしてくれ」と大内くんが頼んだ結果だったんだって。
しかも、後ろから「もっと長く会話しろ」と突っついていたらしい。
(メッセンジャーに家族グループと個人つながりと両方あるからできること)
「嬉しくなかった?」と心配そうに聞かれて、いや、別に普通に嬉しいけど、彼が思い出さないならそれはそれでよかったんだよ。
ちょっとほっといてあげようよ〜、と、私ですら思うなぁ。
大内くんは息子にも私にも過保護だ。やれやれ。
明後日から3泊4日名古屋に行ってきます。
次の更新はきっと来週の金曜日。
18年8月24日
今日から大内くんと3泊4日の名古屋旅行。
昼の新幹線で向かう。
いつもなら駅弁を買って新幹線内で食べるんだが、たいていの駅弁は糖質制限にひっかかるんだ。
「ケンタッキーフライドチキンなら全然大丈夫!」とお店を検索したら、あら、東京駅の近所にはひとつもない。
しょうがないから吉祥寺で買って行こう。
旅行の始まりだと思うとウキウキするね。
ケンタ食べて車内販売のコーヒー買って、1時間40分ほどで着いちゃう。
2時間かかってた学生時代の帰省を思い出すと今は昔の感がある。
3日間の宿はアパホテル。
大内くんが出張の時に泊まるお気に入りらしく、大浴場に露天風呂、サウナまであるんだって。
全日朝食バイキングつきにしたから、糖質制限も大丈夫。
2時にホテルに着いて荷物を預けていると、中学の時の友達Cちゃんが車で迎えに来てくれた。
「ありがとう!久しぶり!」
「名古屋に、ようこそ!大内さんも、お久しぶりです。お疲れでしょう!」
午後の半休を取って水族館に連れてってくれる、親切なCちゃん。
大内くんと2人、彼女の愛車サイの後部座席におさまって街を眺める。
車は中心地のビジネス街を抜けて名古屋港の水族館へ。
15年ぐらい前に息子を連れて実家の家族と行ったような気がする。
去年、心臓の手術のあとの入院中に、Cちゃんがラインでイルカのショーの写真を送って励ましてくれたなぁ。
シャチの大水槽を始めとして、さまざまな海の生き物を眺めて和んだ。
「イワシのトルネードも見ものなのよ。でも、エサの時間でないと見られないの。その前にイルカのショーの場所取りに行かないといけないから、今日は見られないわねぇ」と残念がるCちゃんの絶対のおススメはイルカらしい。
20分前に行ったらまだ席は充分あったから、飲み物を買って3人で並んでかけてスタンバイ。
運転手のCちゃんはノンアルコールビールのカップを持って、
「早くお食事に行って、飲みたいわねぇ」と酒好きらしい発言。
大内くんはちゃっかりもうビール。
私はもちろんアイスコーヒーで。
イルカショーはすごく面白かった。
どうやってあんなに芸を仕込むんだろう。
昔、伊豆の水族館に行った時にイルカにさわったことを思い出した。
「毛が生えてるけど、水でぺったり貼りついてる」と言い張る私と「つるつるに決まってる」と主張する大内くんで賭けをして、広い生簀に入ってイルカに触るイベントに参加した私の結論、
「イルカは固くてつるつるしてる。巨大な、ナス」
であった。
そのあとイルカショーの舞台に立つ経験もし、身振り手振りでイルカたちに「水面でジャンプ」等の芸をさせて、最後に「尾びれで立ち泳ぎ」した1頭が胸びれにはさんだ小箱を受け取ると、中には「イルカ師」を演じる私の写真が入っていたものだ。
いい思い出だった。
ただ、イルカたちが芸をしてエサをもらうにあたっては、1日のステージが終わってから「よーしよし、今日も頑張ったね」ってやってるんだと思っていたのに、何かひとつ芸をするたびに水槽の端でイワシかなんかをもらってるんだよね。
ちょっとがっかりしたなぁ。
君たち、案外即物的じゃないの。
そんな思い出をCちゃんに語ったら、
「あたりまえよ。犬と一緒。お仕事や芸をするのは好きだけど、いちいちちゃんとほめてもらいたいわよ」と諭された。
30分足らずのショーだったが、大興奮してたくさん写真や動画を撮りまくった。
明日の同窓会の分のメモリがなくなっちゃうよ。
「面白かったねぇ!」と心を弾ませながら、ショーの人波が押し寄せる前に急いでペンギンを見に行く。
写真を撮ってくれるイベントをやっていた。
造り物のペンギンを並べて南極を模した小さなステージで、3人の写真を撮ってもらう。
「ご家族ですか?お友達!並んで、そうですね、男性は後ろに立ちましょうか」と指示するカメラマンさんは、
「はい、両手を上げて、ペンギンのポーズ!」
「後ろの男性、もっと両手を広げて、前の女性2人を包むように!」
「ペ〜ンギン!って言って写ってくださいね。ノリが悪いのはダメですよ!」と言いつつ、実にいい写真を撮ってくれた。
ポストカードの一部に3人の写真を小さく焼きつけたものを1枚プレゼントされたので、それはCちゃんにあげて、我々は大きなサイズに焼いたものを買った。
1200円もするのはディズニーランドのような値段だが、旅の記念だし、なにしろいい写真だったのよ。
ゆっくり座ってペンギンの大水槽を眺めたり、Cちゃんの強い希望でクラゲの展示を見たり、とても楽しく過ごしたあとは、またサイに乗ってCちゃんのマンションへ。
「車を置いてお食事に行きましょ。そうでないと飲めないもの!」とタクシーを呼んでくれるCちゃんの部屋は、あいかわらずものすごく片づいている。
明後日はこの部屋でランチ会だ。
おみやげのお菓子と前日に大内くんが接待でもらったお酒とかを持ってきたので、この時点で渡しておいた。
タクシーで向かったのはCちゃんの行きつけのイタリアン。
我々も過去に2度ほど連れてきてもらった。
「楽しみにしてきました」とシェフにご挨拶すると、
「お待ちしてましたよ」と笑顔を返してくれる。
Cちゃん、いい店の常連さんだなぁ。うらやましい。
3人で食べたのは、前菜に、
トマトのゼリーと水牛のモッツァレラチーズのカプレーゼ
カニとアボガドのサラダ仕立て
さくら肉サーロインのタルタル
メインは、
鯛のクレープ包み サフランソース
鮮魚のグリル アンチョビとドライトマトのソース
鴨肉のソテー
アミューズには「本当はビシソワーズなんですけど、糖質制限中と伺ったので」と変更してくれた「胡瓜とメロンのゼリースープ」。
ワインはキリっとした白を3本選んでもらった中から、大内くんのチョイスでモルドバのものを。
どれもとっても美味しかった!
大人びた読書家だったCちゃんの中学時代からの愛読書「風と共に去りぬ」を、当時私は何度貸してもらっても「あんまり面白そうじゃない」と言って返していたんだが、大学時代に猛烈に好きになった。
その話をしていて、話題は続編の「スカーレット」に。
Cちゃんと大内くんは「あの結末はないだろう!」という意見で、私も大まかには同感なんだが、あけっぴろげでゴージャスなハーレクインロマンスっぷりがいっそ清々しくて、けっこう好きだなぁ。
こんなに「風と共に去りぬ」の話ができる人が大内くん以外にいるとは、望外の幸せだ。
小食なCちゃんは「もう食べられないわー」とギブアップでコーヒーだけだけど、我々はまだ入るので、デザートに大内くんはペコリーノチーズ、私はティラミスをもらう。(糖質制限よ、いっときさらば)
お客さんは我々しかいなくてもうオーダーは全部出てしまったのに、キッチンでじゅうじゅう音がしていい匂いがしてくる。
「まかないの夜食かねぇ。ご相伴してみたいねぇ」と小声で言いつつ、お会計とタクシーを2台お願いして帰ろうとするとシェフが、
「これ、朝のお弁当にでも。材料を無駄にするよりは食べていただきたいので。サンドイッチ作ろうかと思ったんですが、糖質制限中とお聞きして、変えました」と渡してくれた小さな包みには、サラダとコロッケ風の肉料理が。
大感動!
シェフとCちゃんによくよくお礼を言ってタクシーに乗り込み、ホテルまで。
荷物を受け取ってチェックインして、いつものアパホテルの狭い部屋だけど居心地はいい。
大浴場も気持ちよかった。
さあ、明日は同窓会だ。
疲れたから早く寝よう。
18年8月25日
卒業40年になる高校の同窓会。
毎年「総会」を行っているところに、10年ごとの卒業生を重点的に招待する。
それで10年に1度の同窓会が成立するわけだ。
私は30回生なんだが、今年卒業したばかりの60回生からかなりご年配の10回生ぐらいまでが一堂に会することになる。
初めて出るなぁ。
東京の中高一貫男子校出身である大内くんは地方共学公立高校の同窓会が珍しくて一緒に行きたいと言うので、
「配偶者を連れて行ってもいいですか?会費はどうなりますか?」と事前に問い合わせをしたら、
「同伴は歓迎ですが、あまりないお申し出なので、会費については相談してみます」と言われ、結局同窓生と同じ会費でいいとのことだった。
というわけで、大内くんも一緒。
ただし、もし二次会があったらさすがに遠慮してホテルに帰って寝ていてくれ、と言ってある。
会場のホテルのラウンジで、高校時代からの友達のTちゃんと待ち合わせ。
去年来た時にも会っている。
「もうロビーに人がけっこういるよ。集まってるのかしら」とやや興奮しているTちゃんは、この夏におばあちゃんになった。
初孫の写真を山のように見せてもらった。
いいなぁ、私も早くおばあちゃんになりたいなぁ。
1時間半ほどお茶を飲んで、ロビーに行ってみた。
おお、大勢の人が受付を始めている。
声をかけておいた友人のNちゃんがいる。
生まれたての唯生を連れて会いに行って以来だね。27年ぶりか。
中学から一緒だったUくんにも声かけてたが、たぶん40年ぶりだ。
メールで聞いてたとおり、生え際も後退してないし腹も出てない。
スポーツ少年の面影のままの浅黒い顔はなかなかイケてるかも。
顔見知りのSくんが受付をしていたので、挨拶して首から下げる名札ケースををもらう。
自分の旧姓と今の名前を書き、大内くんの名札には「旧姓○○の夫(ただのつきそい)」とでかでかと書いておいた。
だって、「誰だっけな〜?」って名札をのぞきこむ人に、同窓生じゃないってすぐにわかった方がいいじゃん(笑)
40分ほどの総会を経て、大広間での立食パーティー。
「あんまり知ってる子はいない」と言うTちゃんNちゃんUくんと固まってたら、女子勢はけっこうあちこちから声をかけられる。
「サッカー部のやつが全然いない…」と所在無げなUくんは、結局なぜか大内くんと話し込んでいた。
「私は高校時代、けっこう有名人だったんだよ。成績のいい硬派の不良だったから」と大内くんに宣伝していたにもかかわらず、別に私を覚えてる人が山のようにいたわけではない。
ちょっと焦ってたら、それでも何人かが「!!」と声をかけてくれた。
大内くんを紹介すると、みんな楽しそうに、
「この人はね、すごーく英語ができたんですよ!変わってたけど、アタマよかった!」とほめてくれる。
持つべきものは古い仲間。
ご歓談が始まったかと思うと、たちまちのうちに何枚も集合写真を撮り始め、あちこちでケー番やライン交換が始まる。
私も数人とラインを交換し、しまいにはその場で発生した同窓会ライングループに入れてもらった。
ガラケーのUくん以外の連れをグループに招待し、どんどん写真は送られて来るし、なんだか興奮状態だ。
気がついたらもう立食のお料理はほとんど残っていないそうで、あらら、食べ損ねちゃった。
大内くんはどうやらおなかいっぱい食べた模様。
高校時代に生徒会活動の後輩だった男の子が、そのまた後輩の女子と結婚して、今は夫婦で同窓会の事務をやっている。
メールで長いことおつきあいしてもらってるが、今回も世話役をしてくれている奥さんの方と初めて会うことができた。
残念ながらダンナさんは別の仕事で不在。
私が知る限り先輩方にも少なくとも2組、生徒会で結ばれたご夫婦がいて、生徒会活動の成婚率はなかなか高い。
それにしても特筆すべきはUくんの態度の男前なこと。
ビンゴカードは会場にいる他の学年の人たちと交換していないと無効(親睦を深めるためらしい)と聞いてざわめいてたら、
「オレが換えてくるよ」と我々のカードをさっと取って、あっという間によその集団に入って交換してきてくれた。
そのカードがリーチになったので前の方に行ってたら、Tちゃんもやってきた。
「リーチなの?」と聞くと、
「Uくんっていい子だね!『オレのカード、リーチになったけど、前に出るの面倒くさいからあげる』って、私のと換えてくれたの」と嬉しそう。
いやいや、かつてはぼーっとしていた男子の成長ぶりったら!
大内くんを連れてきてなかったら、惚れちゃうかも!
「共学の同窓会は不倫の温床だと聞く」と心配してついてきた甲斐があったというものだよ、大内くん。
「30回生は来年、還暦同窓会を開こう!」と早くも予定が決まり始める中、最後に全員で校歌を斉唱して、2時間ほどで大同窓会は終わり。
二次会はないのかな?とあたりを見回したけど、皆、三々五々小さな集団に分かれたり帰ったり。
くたびれていたこともあり、大きな二次会は無理かもと思ったので少しホッとして、結局ずっとつかず離れず一緒にいてくれた3人と大内くん、全部で5人で会場を出て、すぐ前にあった「鳥貴族」に飛び込んだ。
実のところそれほど顔見知りでもないらしいメンツでどうなるかと思ったが、そこからの3時間、とっても楽しかった。
iPadに入れてきたけど会場では出す機会がなかった卒業アルバムをみんなで見て盛り上がり、お互いの高校時代の思い出や現在の生活を親しく語り合った。
奇しくも全員子持ちだったので、そこらへんも話が合ったし。
Uくんはよくよく同窓会に興味がなかったものらしく、
「そもそもなんでオレはあなたからの電話に出ちゃったのかなぁ。知らない番号からの電話なんて、普通は出ないでしょう。やっぱりあれだな、あの時、パンツ履いてなかったのがいけなかったな。あわててて、つい出ちゃったんだよ」と頭を振っていた。
まあそれでも結論としては、
「これまでのオレは『同窓会に出たことがなかったヤツ』だったけど、今夜、『同窓会に出たヤツ』になったわけだ」と納得していたようだから、いいだろう。
他のみんなも「楽しい晩だった」と思ってくれてたらいいんだけど。
盛り上がりすぎて帰りたくなくて「カラオケ行こう!」とか言ってみたが、もう夜も遅いし、みんな自前の家族の元に帰らなくっちゃね。
もっともUくんは単身赴任で名古屋に戻ってきてるそうだが。
彼は我々の泊まってるホテルの前の地下鉄駅まで行くと言うので、別方向のTちゃんNちゃんにさよならを言ったあと、大内くんと3人で歩いた。
「Uくんはカラオケしないの?」と聞いてみたら、
「普段はしない。仕事で?それはするよ。持ち歌かぁ…松山千春とか長渕剛とかかなぁ…」
うーん、営業っぽい。
いつか一緒にカラオケしてみたいね。
ホテルの前でUくんにさよならして、あー、楽しかった!
また大浴場に行ってサウナに入り、今日出来たてのライン友達とやり取りをしたり、さよならしたばかりのTちゃんNちゃんにお礼を言ったり。
それほど酔っ払ってはいないけど、いい気分だ。
でも、だんだん悲しくなってきた。
潮が引くように興奮が去って、寂しさに変わっていく。
さめざめと泣き始めたら大内くんが慰めてくれた。
大「キミは子供なんだよ。4歳ぐらいだったのが最近やっと少し成長して8歳ぐらいになったけど、まだ寂しいんだね。お友達が帰っちゃって、『みんな、もっとずっと遊ぼうよ!』って思うんだね」
私「あなただって反抗期にもなれない思春期以前じゃん。今、いくつよ」
大「16歳ぐらい。キミよりはオトナ」
私「オトナなら、小さい子に何とか言ってよ」
大「『おにいさんといいことしよう』」
私「バカモノ!(怒)」
こうして名古屋の夜は更けていく。
明日は中学の友達とランチ会。
毎日楽しい。
18年8月26日
昼前にホテルを出て、おとといも行ったCちゃんのマンションに向かう。
とっても暑くて、地下鉄の駅から徒歩5分の間に汗だくになってしまった。
いつも涼しい顔のCちゃんがドアを開けてくれて、室内ではRちゃんが笑顔で迎えてくれた。
これまでは大内くんをホテルで留守番させて女子会をしていたんだが、今回はKちゃんが短大の同窓会、Mちゃんはアイドルのコンサートのチケットが当たったそうで、皆さん私と会ってるどころじゃないのだ。
メンツが少ないのを気の毒に思ったか、Cちゃんは大内くんも招いてのランチ会にしてくれた。
デリバリーのおつまみに冷たい茶碗蒸し、Cちゃんと大内くんはスパークリングワイン、車で来ているRちゃんは持参のノンアルコール飲料、私も来る途中で糖質オフビールを買ってきたので、乾杯。
ほぼ初対面のRちゃんと大内くんだが、柔らかい物腰で優しいRちゃんは、とても自然にうちとけて話してくれた。
私も家でずっと古い友達の話をし続けていたし、大内くんにはなんだかもうずっと親しい人のように思えたらしい。
女性慣れしていない人ではあるが、女子力が高いのか、気がつくと料理や子育ての話を違和感なくしているのが不思議。
CちゃんとRちゃんが行った高校も昨日同窓会だったそうだ。
仕事で欠席したCちゃんも交えて、同じ中学からその高校に行った子の話が出ていた。
うちの高校の同窓会の話をしたら、
「中学の子、誰かいた?○○ちゃんは?××ちゃんって確か同じ高校じゃなかったっけ?」と喜んで聞いてくれて、Uくんの話をしたら、
「ああ、覚えてる!イイコだったよね〜」となぜか評判が良かった。
Cちゃんが中学の卒業アルバムを出してきてくれて、iPadの私の高校の卒アルも一緒に見て、知ってる子を探して遊んだ。
全然知らない子たちの話が飛び交うのを、大内くんはニコニコと見守っていた。
いい人だなぁ。
Rちゃんの話をよく聞くと、なかなかの旧家のヨメらしく、お舅さんに叱られた話やお姑さんと賢く仲良しな話は面白くもためになった。
役所に勤めるCちゃんの理知的な立ち居振る舞い、双方のお母さんの介護をしつつ土日は働いてさらに空いてる時間にボランティアをしているRちゃんの明るい前向きさ、何をとっても誇らしい、素敵な友人たちだ。
誰の話を聞いても、我々の年代には介護がいろんな形でのしかかってきているのをしみじみと感じる。
70代で早々に亡くなった両親に「パパ、ママ、ありがとう!」と思わず天を仰ぐが、この際、2人を見送ってくれた姉に感謝しておくんだろう。
そうそう、萩尾望都が連載中の「ポーの一族〜ユニコーン」を読み損ねたと言うCちゃんに、Kindleで先月の月刊フラワーズを読ませてあげた。
萩尾先生はしばらく休載だそうだから、当分フラワーズ買わなくていいよ。
Rちゃんが、
「なになに?『ポーの一族』?なつかしいわねー」と言うので、Cちゃんは「春の夢」連載中に買ったという昔のフラワーコミックスの5冊組BOXを貸してあげていた。
なのに「春の夢」自体は持ってないそうだから、帰ったらアマゾンからCちゃん宅に送っておこう。
Rちゃんにも回してもらえばいいや。
私が持参したお菓子を食べ、Rちゃんが持ってきてくれた果物を食べ、糖質制限はもう崩壊している。
「明日は味噌煮込みうどんを食べて帰る」と言ったら、名古屋嬢たちは喜んでくれた。
しかし、話し込んで7時を回り、そろそろ、と腰を上げながら、
「街に出て『いきなりステーキ』で食事して帰ろうかしらん」と言ったら、Cちゃんが目を丸くした。
「あなた方、まだ食べるの?お昼をおなかいっぱい食べたじゃないの!」
「えー!」とRちゃんに救いを求めたら、平然と、
「あら、私も家に帰ったら食べるわよ。ランチはランチじゃないの」と言い放ってくれた。
Rちゃんが常識に一票を投じてくれなかったら、いつものように常軌を逸した大喰らいの汚名を着て帰らざるを得ないところだった。
Cちゃん、あなたこそが異常な小食なんだよ!
地下鉄の駅まで徒歩5分とは言え暑いからと、Rちゃんが車で送ってくれた。
真っ赤なプリウス。
名古屋では女性の車がなんかスゴイ。
かなり凶悪なドライバーだった母を思い出したが、Rちゃんの運転は穏やかなもんだった。よかった。
くたびれすぎて、名古屋駅前の「いきなりステーキ」に行く気力がなくなってしまったので、ホテルのある駅で降りてコンビニに行く。
Rちゃんが話していたとおり最近のコンビニのお惣菜は優秀で、レンジして食べる肉と野菜たっぷりの糖質の低いスープを何種類も売っていた。
それらを中心に生ハムやレジ前で売っているチキンを加え、ちゃんと低糖質な夜食を完成させることができた。
CちゃんがRちゃんと私を入れたライングループを作って、さっそく今日撮った写真を送ってくれた。
2人にお礼を言って、お風呂に入ってぐったりと就寝。
明日はもう東京に帰るよ。
18年8月27日
名古屋最終日。
昨日今日と、いわゆる「通知が鳴りやまない」状態に近くなっている。
たちまち50人にふくれあがった同窓会ライングループに、始終誰かが写真を投稿したりメッセージを交わしたりしているのだ。
なぜか大内くんも集合写真にちゃっかり写っているので、
「関係ない人が写っちゃダメでしょう!『これ、誰?』って混乱を招くよ!」と叱って、グループに「見知らぬ男はつきそいのダンナです」と書き込んだら、案の定、
「どなたかしら、と首をひねりました(笑)」と言う被害者アリ。申し訳ない。
大内くんはしょんぼりと、
「離れてようと思ったんだけど、Uさんにぐいぐいと引っ張って行かれたんだよ〜」と言い訳してた。
その後、20人ほどの集合写真にきちんと1人1人の名前を振ったバージョンが投稿され、大内くんの頭の上にも「大内さんのダンナさん」と書いてあったりしたが、残念ながらこの写真は個人情報の観点からじきに投稿者自ら削除してしまったようだ。
保存してる人に頼んで裏側で入手する人が多いようなので、私も知ってる子に頼んで手に入れた。
そしたらTちゃんから頼まれたので回したり、ライングループって、面白いなぁ。
そんな中、高校の頃とても仲の良かったMちゃんがグループに現れた。
同窓会では会えなかったので、興奮して「Mちゃん?」と声をかけてたら、「今ライン送りました」と言われた。
卒業以来会ってなかった友達と、ラインが開通したのだ。
ホテルを出て名古屋駅の味噌煮込みうどん屋に向かう地下鉄の中で夢中でラインしてたら、Mちゃんは、同窓会HP
にリンク貼ってもらってた私のHPを前から読んでくれていたそうだ。
5年前に一家でテレビに映った時も見ていたって。
Mちゃんのことが頭を離れなかった長の年月、向こうでは私を見つけてくれていたのか。
これからいろいろ話そうね。
来年の還暦同窓会では会えるかな。
ひとしきりラインを終えて、やっと落ち着いて味噌煮込みうどんを食べた。
「山本屋本店」と「山本屋総本家」という似たような名店のどっちで食べるべきか悩んだが、結局新幹線近くの地下街の「本店」の方で。(いまだに違いはわからない)
11時前に行ったから座れたけど、11時半頃にはもういっぱいになってきていた行列店。
おつけもののおかわりが無料なので大内くんが喜んでた。
でも、うどん2つで3千円以上するのは高いよね。
食べ終わってまだ時間があったので、同じ地下街のコメダへ。
もう糖質制限は破り放題、名物デザートのシロノワール食べちゃった。ミニだけど。
名古屋の味を満喫して、新幹線に乗る。
さようなら、名古屋。また来年来るからね。
どうも大内くんはくたくたに疲れたらしく、あっという間に寝てしまった。
途中の静岡あたりで車内販売が回ってきて、コーヒー飲む?と聞いてみた時もかすかに「今はいい」と言ったきり、また眠りの底。
1時間40分1人で本読んでて、旅の終わりとしては少し寂しかったなぁ。
吉祥寺で買い物して、それでも12時15分に名古屋駅を出て3時には家に着いてた。
ふるさとは近くなりにけり。
荷解きして洗濯して、たちまち旅はあとかたもなくなった。
いつもの我が家の速さだ。
買い出しに行って食料品を整え、来週の準備もすんだ。
明日からまた会社に行く大内くんには気の毒だが、私はしばらく寝込んで過ごすよ。
でも、ものすごく楽しかった。
いろんな古い友達と会って、ライン先を5つぐらい増やした。
過去に置いてきてしまった宝物をひとつひとつ回収している感じだ。
これが幸福な晩年というものだろうか。
ああ、疲れてるのに興奮して眠れないや。
18年8月28日
高校の同窓会ライングループはあいかわらず活発で、どうやら来年の「還暦同窓会」の日取りも場所も決まったらしい。
「文集を作ってはどうか」という声まで出ている。
名古屋ではさぞかし盛んに打ち合わせや会合が行われてるんだろうなぁ。
それとも全部ケータイを通して進むのが今風?
私も、当日会えなかった古い友達と新たに結んだラインをしていて、中学でも一緒だったその子にCちゃんやRちゃんに会った話をしたら新鮮な反応があった。
「今でも会ってるんだ〜。中学の時の人たちとは全然会ってないから、今度声をかけて」
「疲れて倒れ込んでるんじゃない?」と優しく気にかけてくれるCちゃんにその子の話をして、来年も同窓会で名古屋に行くからその時に中学の小さな同窓会を開いてくれないかと頼んだら、
「あらあら、身体は疲れてるけど、心は高揚してるのね。皆に相談してみるけど、ちょっと時間をください」と返ってきた。
うん、確かに私は興奮し過ぎているかも。
お世話になったお礼に「ポーの一族〜春の夢」を送ったよ、読んだらRちゃんにも回してあげて、と言っていて話がかみ合わないところがあったので突っ込んでたら、どうも彼女はRちゃんにフラワーコミックス5巻BOXを貸してあげてたことをすっかり忘れているようだ。
帰りがけには運びやすいよう袋まで出してあげていたのに。
「それが酒飲みというもの。さすがにシラフの人はよく見てるわね」って言われちゃったよ。
愛すべき酔っ払いだ。
私が倒れている間にも同い年の方々は、働くわ、コーラスはするわ、週5回のホットヨガに通うわ、介護はするわ、ボランティアはするわ、目が回るほど有意義な生活をしている。
3年近く前、Cちゃんと数十年ぶりに電話で話した時に、
「あなた、何もしてないの?お稽古事とかボランティアとかしないの?」と半ば詰問するように不思議がられたのも無理はない。
いくら長年病に倒れていたからと言って、怠慢だよね。
まだ数年かかるかもしれないけど、完全に元気になったと思えたら、何かしたいなぁ。
それぐらい最近は頭がくるくる動いて仕方ないんだ。頭だけね。
昔から、身体は動かさないで頭の中身だけ天翔けてるタイプだった。
とりあえずベッドで本読もっと。
18年8月29日
漫画家のさくらももこが8月15日に亡くなっていたと発表された。53歳。乳がんだった。
友人のマンガ家さんの結婚式でスピーチをするさくらももこを見た時は、まだブレイクする前で、仲の良い先輩マンガ家の慶事をを心からお祝いする後輩新人といった雰囲気だった。
ピンクのワンピース姿で身振り手振りを交えたスピーチは、何度も満場の笑いを取っていた。
軽妙だけど一生懸命で、明るく楽しい若い子、という印象ではあったが、のちにあんなに有名になるとは想像しなかった。
その友人を通して、彼女が結婚したことや家を買ったことを聞き、「スゴイなぁ。売れたなぁ」と陰ながら応援していた。
時代の寵児のようになっていくにつれ、大内くんと、「あの時サインもらっておけばよかったね」と話していた。
「ちびまる子ちゃん」がある種の優れたマンガだとは思いつつも、別のマンガを読み続けていた。
なので、あまりにも若くして亡くなってしまったことを惜しみはするものの、彼女の葬列には並ばない。
ただ、乳がんという病気をとても憎む。
去年、大好きな女友達がやはり50代初めに亡くなった。乳がんだった。
先輩の奥さんが10年近く前に亡くなった時も、高校時代の親友が亡くなったあとを追うように奥さんが亡くなった時も、40代後半の若さだった。
女性にはとても恐ろしい病気だ。
親しい友人とメッセンジャーでさくらももこの話をしていて、2人して「若すぎる…」とつぶやいてしまった。
「お互い身体には気をつけようね」と彼女が言うので、
「検診を受けよう」と返したら、どうやら彼女は今年の検診の申し込みをあやうく忘れるところだったようだ。
「8月末日までだった。(あなたは今日、ひとつ善行を積みました)」とのメッセージに、ほっと胸をなで下ろした。
私も毎年秋にマンモグラフィーや超音波を受けている。
近所の病院では乳がんの検診を勧める「ピンクリボン運動」を推進している。
皆さん、定期的に健診を受けましょう。
がんは、今では早期発見すれば治る場合の多い病気です。
18年8月30日
週末の名古屋旅行以来、だるくて起きられない。
なんとか脚のリハビリだけは行ったが、膝に水が溜まっているようだ。
診察を受けて抜いてもらった方がいいんだけど、お盆休み明けの整形外科はとっても混んでいて、しんどくて待てないので帰ってきてしまった。
次のリハビリの時に診察も受けよう。
脚や腕に紫の斑点が出ているのは、ワーファリンが効きすぎていて内出血しやすくなっているせいだろうか。
押すと痛むほどの深い出血だ。
全身状態がとても悪い。
大内くんがたいそう心配して「ゆっくり休んで」と言ってくれるのに甘えて、横になって過ごしている。
エアコンをつけていても暑くて不快で眠りが浅くなってしまうせいか、なかなか疲れが取れない。
友人に、
「日記が書けない。稼げるわけでもないのに毎週毎週『締切が!』と言っているのはバカだと自分でも思う」と愚痴をこぼしたら、
「仕事は報酬の問題ではありません!」といさめられた。
彼女によれば、「社会(少なくとも他人)に約束したことをするのは仕事だし、これだけ長いこと休まずにやっているのはすでに約束になってる」のだそうだ。
自分のやってることにちょっと意味が見出せて、光明であった。
この嬉しさをバネに頑張ろう。
しかし、体調が悪い…
手足のしびれとか全身のかゆみとか、人に訴えるのもはばかられるような、取るに足らない地道な不調が続く。
すぱっと治らんもんか。
18年8月31日
名古屋にいる間にアメリカの息子から電話がかかってきて、日本を留守にしている時期に大学のサークル同期の女友達の結婚式に招待されており、欠席するしかないと思っていったんは断ったが、やはりどうしても出席したい、ついては10月頭に一時帰国したい、という話を言いにくそうにもごもごとしていた。
往復の航空運賃が10万ぐらい余分にかかるから、さらに借りることになるけど…って。
そう言えば行く前に招待状が来てたなぁ。
「好きにしたら?まあ、結婚式は一生に一度のことだから、友達がアメリカから駆けつけてくれたら思い出には残るよ。お祝いしたい気持ちがあるんなら、いいんじゃないの?帰国後にしゃかりきに働いて10万余分に帰してくれればいいだけだから」と答えておいた。
「うん、そうだよね。頑張って返すよ!」と元気が出たようだ。
「今、名古屋にいるんだよ」と言ったら、「え?なんで?」と驚いてたが、何度も何度も言ったでしょうが、同窓会だよ。
人の予定なんか全然聞いてないんだからなぁ。
「オヤジも一緒?」
「うん」
「かわって」
で大内くんに代わったら、私ほどちゃらんぽらんじゃないお父さんとしては、
「話はわかったけど、子供っぽいね。修行の旅に出たのに、中断するわけか。別にいいけどね」とやや辛口だった。
その場はそれで終わって、まあ帰ってくるんだったらその間に家にも顔を出してくれたらいいね、ってな気分でいたんだが、大内くんは不満そう。
「結婚式の招待状って、前もって確認して、来てくれるって返事をもらってから出すことが多いよね。息子は深く考えないで『あー、行ける行ける。行くよー』とか言ってたんじゃないかなぁ」
わかるわかる。きっとそう。
しかし、今日になってメッセンジャーで、
「やっぱりこっちに3ヶ月残ることにするよ。結婚式は行かず」と言ってきた。
まあそれはそれでいいよ。
結婚式って、やっぱり行けないって言われたらそれで出席者を減らすかって言うと、そんなことなくて、他にもう1人、招待するよね。
そのあとで欠席と言ってた人が出席になったからって、新たな招待客に『やっぱりあなたはいいや』とはならなくて、結局招待客が1人増えちゃうよね。
テーブルに新たな席を作るのも大変だし、うーん、息子はなーんにも考えてないねー!
と言うか、私は彼のあらゆる動向がかなりどうでもよくなってるんだ。
見知らぬ他人、とまでは言わないけど、別人格のオトナだからね。
興味がないわけじゃないが、いちいち私に言うなよ、って気分。
これは、どうせ言うこと聞きゃしないんだから、って、ムカついてるのかな?
去る者日日に疎し?
そう言っている間に、クール宅急便が届いた。
息子のカノジョからだ。中身は「お漬物3種」。
お手紙も何も入ってないので息子に確認したら、
「あー、送るって言ってたなぁ。東北に旅行に行ったらしい」って。
そうか、お土産か。
事前にひとこと言うか手紙を入れればいいのに、そもそも食品を送るのに靴の箱に入れるってのは最近の若い人のこだわらなさか?
などと思うのは姑根性というヤツだろうか。
年下の友人に聞いてみたら、
「家によっては完全アウトでしょうね(笑)」とのこと。私だけの感想でもないようだ。
まあ、うちは全然うるさくない家なんだけどね。
息子に、
「電話してお礼を言おうかと思ったけど、かえって気を遣わせるだろうから、あなたから言っといてくれる?」と頼んで「おーけい」と言われて一件落着、と思ったが、はたと考えた。
もしかして、カノジョと息子の間で、
「お漬物を送りたいんですけど」
「いーんじゃない?」
「お母さんに伝えておいてもらえますか?」
「おーけい」
というやり取りがあったんじゃないだろうか。
どうもそんな気がしてきた。
そして、私のお礼の言葉はカノジョに届かず、「失礼なお母さんだなぁ。ぷんぷん」ってことになるんではないだろうか!?
ものすごくそう思えてきたので、宅配便に書いてあったカノジョのケー番にショートメールを送った。
「大内の母です。お土産の品、ありがとうございました。また遊びに来てくださいね」
そしたらすぐに返事が来た。
「無事届き、安心しました。ご連絡ありがとうございます。少なくて申し訳ないですが、お口に合えば幸いです」
あああ、ものすごくちゃんとしてる〜!
やっぱり、息子が間でネグってるにちがいない〜!
(靴の箱は、まあ若いからww)
つくづく、嫁姑の揉め事って、間に入るダンナ(息子)がしっかりしていれば起こらないか、起こったとしてもどうにかなる性質のものなんだろうなぁ。
私は異常なまでの女好きでもあり、息子のヨメとは絶対に仲良くするぞ。
息子を乗りこえてでも仲良くする。
正直、息子可愛さのあまりにヨメが憎いという心理はまったく理解できない。
いつだって女の子の方が自分に近く、カワイイじゃないか!
問題は、ヨメに来るかもと思って仲良くしていた娘が、その後の人生で縁なき人になってしまうこともあるという現実…入れあげすぎると悲しい思いをしてしまうので、仲良くするのはヨメになってからにしよう、と心に決めている。
あ、そもそも、ヨメと呼ぶのは単なる便宜上で、婚姻は両性の合意にのみ基づくものだからね!
最新「年中休業うつらうつら日記」
足弱妻と胃弱夫のイタリア旅行記
「年中休業うつらうつら日記」目次
「510号寄り道倶楽部」