18年11月1日
昨日、大内くんが、将来の勤め先にしたいと熱望している塾の塾長と飲んできた。
数ヶ月に1度おつきあいいただいていて、今回は私は遠慮しておいたら、
「奥さんは来ないんですか?楽しみにしてたんですよ。次回はぜひ!」と熱心に言ってくれるありがたい人。
息子が10歳の頃からのつきあいなので、もう15年来の知人なんだが、
「奥さんはどんどん若返ってますよねー、最初に会った時よりも若く見えます!」と感嘆してくれてたらしい。
長年、絶不調だったからなぁ。
前から、
「いつかもっと健康を取り戻したら、パートとかバイトをしたいと思います。雇ってくれませんか?」とダメ元でお願いしていたんだが、なんだか具体化しちゃいそう。
来年の春、バイトの子が卒業してしまうので、簡単な事務をする人募集中なのだそうだ。
月に数日のルーティンで、初歩のエクセルが使えれば大丈夫、在宅でもかまわない、という夢のようなお話。
ついでに会報のカットやコラムも書かせてもらえるかも。なんて魅力的なんだろう!
地道に勤めていたら、もっと仕事の範囲を広げてくれそうだし、そしたら数年後に大内くんが講師をするようになる頃には、事務方として一緒に通勤できるかも。
年金がもらえるまで2人して共稼ぎできたら、理想的だよね。
出会ってから大内くんが卒業するまで私は会社勤めで、健康を損ねて結婚を機会に退職したので、2人して働いていた時期というものがない。
「仕事が終わってからデート、とかしてみたかったよねー」とよく話しているんだが、もしかしたら同じ職場で働けちゃうのだ。
人によってはそんなのまっぴらかもだけど、我々はそういうの全然平気だし、どうやら塾長も、このうざったい夫婦を同時に雇用するのに抵抗はないみたい。
そう考えると逃しちゃならん大チャンスなんだが、実はものすごく不安。
なにしろ30年引きこもっていたもので、社会性も常識も自信ない。
何より、信用のかかった締切とも人に評価されることとも無縁で来たわけで。
1日中怠惰に寝っころがっている生活を、変えられるんだろうか。
23年間、ほぼたゆまず日記をアップしてきたこと、異常に律儀な性格であること、大内くんを相手に知力を磨いてきたこと、を信じて、始めてみるべきなんだろうなぁ。
本当に、こんないい話は二度とはないだろうから。
昔、友人がしばらく仕事を辞めていた時期があって、再就職先を探し始めた時に、ダンナさんが自分の業界の仕事の口を持ってきてくれたうえ、相手先に、
「彼女は、仕事の上では信頼できる人ですから」と請け合ってくれた、とたいへん感激していたことがあり、私もとても素敵な話だなぁと思ったものだ。
今、大内くんがほぼ同じことをしてくれている。
おまけに、
「ダメならまた機会を待てばいいから、ゆっくり考えて。でも、やれると思うよ」と励ましてくれている。
家でパソコンに向かっているのは好きなのに、ヒマすぎて蔵書整理ばっかりしていて、単調な入力作業なんか大好きで、いっそ電話帳を入力してみようかと思ったこともあるぐらいなのに、外部の仕事をするってのはどうしてこんなに怖いんだろう。
仕事が早くて丁寧で、集中力があって辛抱強くて、そのわりに工夫して効率のいいやり方を発見するのが上手で、いや、これは全部大内くんが言ってくれてるんだけど、とにかく働かないのは惜しいと自分でも思うよ。
欠点は、「ほどほど」ができない完璧主義で、つまづくと脆い「オールオアナッシング」な性格だって点だけだ。
(後天的に筋金入りの怠け者なことは、ノーカウント)
実に久々に将来のことを考えたので、知恵熱が出そう。
この機を逃したら、30年職に就いていない、あらゆることに未経験の還暦の女を雇ってくれる職場なんかないぞ。
「たかがバイト」って思ってあたる方が、いい結果が出るかもなぁ。
早くも力みかえっている、これもあからさまに短所か。
軽やか、を見につけたい…
18年11月2日
整形外科に行って、また5ヶ月間のリハビリを処方された。
今までとは違うやり方をするので、ずっとお世話になっていたPTさんとはお別れ。
同じリハビリ室にいることはいるので、今日も「大内さん、大丈夫ですか?」って様子を見に来てくれたけどね。
診察の時に、ドクターは大まかに仕切られたもう1つの部屋で別の人を診てて、私はこっち側で寝て待ってるんだけど、全部丸聞こえなのはいかがなものか。
もらい事故のタクシーの運転手さんが腰のしびれを訴えているが、ドクターは「追突ではまず椎間板ヘルニアは起こらない。保険会社の追及は厳しい」と断じていて、運転手さんが「嘘は言ってません…」と弱々しくつぶやくのをさらに強い口調でさえぎっていて、ってのを延々聞いてたよ。
ここのドクター、厳しいんだよね。
私も、5年前に来た時に怖くて逃げ出して、ずっと別の病院に行ってたぐらい。
歩行が困難になって、近いから仕方なく戻ってきたら、症状が重くなってたせいか今は親切にしてもらってるけど。
患者じゃなくて病気を相手にするタイプか。
さて、糖質制限を始めて半年、体重は順調に減っている。
10キロ近く減ったところで下げ止まってきたが、体調はいいような気がするので、今後もゆるやかに続けていきたい。
もしかしたら、無理のない範囲ならば、一生低糖質を心がけるのもいいかも。
一番妨げになるのが私の「甘いもの好き」。
最初はとにかくお菓子も何もかもやめて頑張ったけど、長丁場はそれでは続かないと思い、途中からは人工甘味料パルスイートを活用して自作することにした。
主な材料が低糖質なフィナンシェやチーズケーキは、甘味部分にさえ気を使えば、糖質制限に向いているようだ。
たまたま手に入れたアイスクリーマーのおかげで、バニラアイスも食べられる。(濃いコーヒーをかけるとウマい)
Amazonでアーモンドプードルの大袋を買って、もう5回ぐらいフィナンシェに挑戦している。
今日はなんだかものすごくしっとりと美味しいのができて、嬉しい。
ほぼレシピ完成かも。
ノワゼットバター(焦がしバター)を「えっ?!」というぐらい入れるのがコツか。
焼き上がりに含ませるパルスイートを溶かしたラム酒は、息子が大学に入ったお祝いに塾長がプレゼントしてくれた、息子生まれ年の25年物(笑)
市販のゼリーやプリンにも低糖質のものが出てきて、スーパーで買える。
たいがいの食品に「糖質量の表示」があるのも助かる。
わりと一般的な関心だなぁと思う。心強い。
先日は思いきって半年ぶりにタイ料理屋で1人ランチをして、「パッ・タイ」を食べた。
セットのミニ生春巻きも食べたが、特に体重に影響はなかったので、時々は好きなものを食べながら続けていけそう。
糖質制限アプリで検索すると、たいがいのメニューの糖質量を知ることができるんだけど、1食で1日分の適正糖質量を摂ってしまうカレーや餃子ラーメンの数値が反射的に怖くなってしまった。
大内くんも私も、なぜだか「白いごはん」を食べたいとはほとんど思わない。
絶対、そこがつらいと思っていたのに。
チーズやハムといった加工食品に強い大内くんは、ほぼ無敵だ。
私は、時々ものすごく「ナポリタン大盛り」とか「焼きそばパン」みたいなジャンクなものが食べたくなる。
「栄養学的にはムチャクチャよろしくないものだよなぁ…」と自分でも思うので、なるべくガマンしよう。
でも、一番食べたいのは「たこ焼き」。
唯生がおなかにいた頃、「つわりがひどすぎて、喉を通るのはドーナツだけだ」と男友達に電話で愚痴ったら、
「妊婦のくせに、栄養学の初歩も知らんのか。そんな糖質と油のカタマリを食べててどうする!もっとたんぱく質や鉄分のあるものを食え!」とひどく罵倒されたことがある。
未婚のくせに、なんであんなに詳しかったんだろう?教養?
ただひとつ問題なのは、大内くんの方が若干快調にやせてきて、あと1、2キロで追いつかれてしまうこと。
30年の結婚生活では実際に追い抜かれたというか、向こうの方が体重が軽かった時期というのもあり、もちろんその間、夫婦仲は危機に瀕していた。
私より20センチ近くも背が高いくせして体重は軽い男に、良い感情を抱きようがないだろう!
なんとかこの差をキープして、できれば引き離して、逃げ切らねば。
妻よりダイエットが上手い夫なんて、本当に腹が立つ。
18年11月3日
今日になってから気がついたけど、昨日、11月2日は大事な記念日じゃないか!
大内くんと私が初めて出会った日。
もう36年前になる。
毎年一緒に思い出していたのに、今年に限って2人とも完全に忘れていたよ。
いかんいかん、生活を大事にする気力が明らかに不足している。
2人して猛烈に落ち込んだ。
さて、心臓の月イチ定期検診。
甲状腺の血液検査の結果は異常なし。
じゃあ、このものすごい汗はなんなんだろう。
更年期障害でも甲状腺でもないなんて。
いっそ甲状腺の病気だと言われれば治療法もあるのだろうに。
「原因不明」ほどどうしようもないものもない。
先生は、「あまり気にしないでやりすごすのもコツです」と言うが、猛暑の時期はともかく、かなり寒くなったこの時期にもまだぽたぽたとしたたるほどの汗をかく。
しかも、すでにひと冬を越しているんだ。去年の冬もこんなだった。
どうしても気になるなら心療内科ぐらいしか行くところはないそうだ。
いつも思うんだが、医療は細分化されすぎているかもしれない。
心臓のドクターは、私の心臓がパフォーマンス良く動いているかどうかしか興味を持ってくれていない気がする。
総合的なQOLは自分で守るしかないということだろうか。
大事なワーファリン値は「3.0」。
適正値の幅は「1.8〜2.2」なのに、軽く振り切れてる感がある。
「・・・また、ちょっと減らしましょうか」と先生。
減らしたら1.2になって、増やしてここまで上がってしまった。
どのへんで安定するのかしらん。
こういうのを「おさるのおにぎり現象」て言わない?
手術の前に聞いていた、「入院中に適正な量を見つけて、かかりつけ医に戻って数ヶ月で落ち着いて、そうしたら数ヶ月に1度検査を受けて薬をもらえば大丈夫」って話は、いつ実現するんでしょ・・・
月イチ以上、血液検査受けてるぞ!
まあ、文句を言っていても仕方がない。
気を取り直して、今日は年に1回、高校時代の友人2人と飲む会だ。
昔は大内くんを入れて6人で会っていたのに、9年前と1年前に亡くなった人が出て、今や4人で彼らを偲んでいる。
予約した店に10分前に行ったら、2人とももう来てた。
「髪が伸びてます。気になったらごめんなさい」とメールに返事寄こしてたNくんは、たっぷり肩を越えたロングヘアだった。
去年はちょっと長めなだけだったのに、髪って1年でそんなに伸びるもんなの?
この夏の高校同窓会に彼らは欠席だったので、写真を見せて報告会をし、その場でライングループができた話をしたら、Nくんは興味を持ったようだったのでグループに招待した。
「Nくん、Kくんと私の夫と飲んでます」と写真も上げた。面白いほどのロン毛なんだもん。
Kくんは「顔出しNG」なうえ、そもそもガラケーすら持っていなくて、ラインなんて近寄りたくもないらしい。
「歩きながら見るなよ、って思う」と、あいかわらずのケータイ嫌い。
飲み放題を始めてる間に、60人ほどのグループにたちまち既読が次々と。
そして返事が。
2人は同じ小・中学の出身なんだが、どうやら小学校からの同窓生の女子がいるらしい。
彼女はKくんのことだけ覚えてて、そこにNくんが返事したもんだから、なんだかややこしいことになっていた。
「だからSNSはめんどくさいんだよぉ」と頭を抱えるKくんと、律儀に丁寧な返答を返すNくん。
私はなんだか大笑いして酔っ払ってた。
(大内くんはひたすら傍観)
2時間コースのお料理、開始後40分の時点で〆の「ざるうどん」が出てしまう。
困惑してたら、とどめの「お新香」まで。
そのあと思いがけなく出てきた「ひと口チーズケーキ」が意外で、お得な気分にはなれたが。
さらに、飲み放題メニューの日本酒と焼酎が、不味い。
ずっとジンジャーハイボールだった私は関係ないけど、他の3人は「いくらなんでも」としまいにビールに切り替えたら、これがなんと美味しかった、というか、普通だったみたい。
「最初からビールにすればよかった!」
「考えてみれば、ビールに超安物はないから!」とそれはそれで盛り上がり、
「来年は違う店にしよう」と言っていたのが、
「もし来年もここなら、ビールだけ飲んでいよう!」とやや前向きに変化した。
「むしろ、面白い」と思う境地に達したらしい。
すっかり酔っ払って、「また来年!」と声をかけ合って別れて帰ったら、高校の友達のMちゃんがライングループ見て、ダイレクトラインくれた。
嬉しいけど、酔っ払ってるからまた今度ね〜。
あ〜、40年前に卒業した時、こういう未来は想像できなかったわ〜。
ハイテクもSNSの世の中も、懐かしい友を恋い慕う自分の気持ちも。
18年11月4日
2人とも元気のない週末なので、最低限の買い物だけ行って、あとは家でごろごろ過ごした。
今期はめずらしく地上波のドラマが熱くて、録画してるものを全部消化するのはなかなか大変。
息子のアメリカ滞在ももう終わりかけてる。
最後の1週間はサンフランシスコに戻って大内くんの従姉の家でまたお世話になってるので、電話してお礼を言っといてもらった。
しゃべる分には日本語で全然大丈夫なので、大内くんも気楽そう。
息子は優しくて気持ちのいい青年だが、せっかくアメリカに来てるのに、夜中までドラマ観て朝は起きられないのはどうなのよ?と従姉は疑問らしく、
「ドラマなんか、日本で観ればいいじゃない?Netflix、ないの?」と真剣に聞かれてたみたい。
「それに、なんで彼は、紀伊国屋に日本語の本買いに行くの?高いのに」
日本でも、ブックオフに行ってもらいたいです!
息子の、謎の行動。
「彼は、日本の会社に向いてないのかもね。夢があるから」と少し前向きにとらえてくれるのは嬉しいが、夢は、自分で実現させなきゃしょうがないし、それは普通に会社勤めするよりずっと努力が必要な険しい道だよね。
「まだ子供なんだよ」と言い訳する大内くんに、従姉はズバリと、
「んー、そういう性格なんじゃない?やりたいことしかやれない。きっと、変わらないわよ」と言い切っていた。
人生で一番大切なことは、「自分がやれることとやれないことを仕分けすること」であり、その次に大切なことは「やれないこと、やりたくないことをやらずにすませる人生を、いかにしてデザインするか」である、という私の智恵を、彼に伝授すべきか?
夕方は手分けして作り置きのお惣菜を作った。
大内くんが「豆アジの南蛮漬け」を作ってくれている間に、私は「イカと大根の煮物」「スパニッシュオムレツ」「フィナンシェ」を作った。
冷蔵庫内にタッパーがぎっちりと積み上がって、壮観である。
晩はお鍋のつもりで「すけそうだら」のぶつ切りを買っておいたんだけど、2人ともなんとなくお鍋の気持ちじゃないと一致したので、急遽、明日の予定だったカキフライが繰り上がる。(鱈ちりは明日に繰り下がった)
大内くんが揚げてくれて、私はピクルスをたっぷり入れたタルタルソースを作る。
先週のポトフの汁の残りに塩コショウ醤油で味つけしてほうれん草入れてスープにして、サラダつけて、カキフライ定食ライス抜き。
パン粉の糖質は、この際、無視。
「豆アジ」を揚げてしまう前に「ナス」を揚げるのを忘れて、ダメージ大。
粉をつけた小魚を揚げた後の油は、廃棄するしかないんだもん。
以前、その油で南蛮漬け用のナス揚げを強行したら、ただでさえ油を吸うナスは、コワイものに変貌してた。
なので、ナスはまた今度、と思っていたら、カキフライを揚げる前に大内くんが思い出してくれた。
「ナス!」
あわてて大きなナス10本をを乱切りにして揚げ、半分は冷凍。半分を漬け込む。(我ながら、「南蛮漬け」が大好き)
カキフライ後の油はたちまち廃棄するほどではないが、やはり野菜の素揚げは先にすませたい。
こんなに料理がわかってるダンナさんもめずらしいぞ。
そうそう、パン粉や小麦粉の代わりに「おからパウダー」使ってたんだけど、2カ月ほど前にテレビで身体に良いと放送されたらしくって、どこに行っても売り切れ。
棚に、「テレビ放映の影響で品薄です。入荷未定」って札が出っ放し。
しょうがないからアマゾンで買おうと思うが、すごい高い。
レビューによれば、やはり品薄のため高騰してるらしい。
趣味の糖質制限だから我々はいざとなればナシで暮らすけど、本当に深刻な糖尿病とかで制限してる人は、困るだろうなぁ。
さらに余談。フィナンシェを作ると、卵白だけを使うために卵黄が余る。
よしながふみの「きのう何食べた?」では「カルボナーラを作る」ことで解決していたが、好きじゃないうえに今は食べられない。
そこで、アイスクリーマーでバニラアイスを作って余剰卵黄を消費している。
スイーツはスイーツを呼ぶのであった。
以上、休日終わりのキッチンからお届けしました。
18年11月5日
朝から、眼科、皮膚科、整形外科のリハビリのハシゴ。
緑内障の治療には眼圧を下げるしかないのに、なかなか合う目薬が見つからず、女医さんの手持ちの目薬をほぼ全部試してやっとなんとか効果のあるものにぶち当たったらしい。
ほっとしたのもつかの間、体質に合わなくて目の分泌物が増え、炎症を起こしていると言う。
「眼圧が下がるんなら、少しぐらいはガマンしますが」と言ってみたが、まだ使ってない薬がもうひとつだけあるからそれを点眼してみて、と言われ、またひと月後に検査だって。
皮膚科では1年半も痛み続ける手術の傷跡の治療。
私「傷としてはもう治ってるんですよね?」
先生「傷じゃないです、傷跡」
私「はい、傷跡。傷跡の、治りが悪いわけですか?」
先生「治りが悪いんじゃなくてねー、ケロイドになってるの。体質」
専門用語にこだわるねぇ。
起こっている事象を説明されれば納得して、痛かろうが辛かろうがのみ込める、頭でっかちな性格なんだと思っていたが、「傷跡がケロイドになる体質」、うーん、じゃあどうすればいいんだ!ってやり場のない怒りがこみ上げる。
意外だ。自分は、どうしようもないことに対して怒るタチの人間だったのか。
年単位の時間をかけるしかないようなので、しおしおと注射打ってもらって飲み薬もらって隣の整形へ。
こういう二次疾病(?)について、心臓外科たちは何の説明もしてくれなかったなぁ。
インフォームドコンセントについて、少し考え込む。
新しいメニューになって担当さんも替わったリハビリを粛々と受け、家に帰り着いたらぐったり疲れた。
どの病院でも最低限しか待ってないし、自転車でぐるっと回れる近所ばかりなのだが、やはり通院は疲れる。
外出の少ない私の日記には通院の話が異常に多く、「病院通いの好きな人」と思われてるかもしれないなぁ。
いや、好きじゃないですよ。
好きだったことは一度もないですよ。
検査でひっかかったところを放置しておけないと言うか、「きちんと調べて治療を受けてください」と言われると律儀に通院しちゃうだけ。
「ネグる」ことができない。
こないだ体調が悪いのに関係ないリハビリに行こうとした時は、大内くんから、
「予約してるからって、都合が悪ければ行かなくていいんだよ。こっちはお客さんなんだから。義務じゃなくて権利なんだし、キミが行かなくても誰も困らないよ」と呆れたように叱られたんだが、「約束」に対する異常な融通の利かなさは、とても私を不自由にする。
18年11月6日
風邪が治り切らない大内くん、絶不調でまたお休み。
「耳が聞こえにくい」とずっと言ってるので、近所の耳鼻科を探してあげた。
「先生は性格に問題があるけど、腕は良い」とのレビューを見て怖くなったのか、一緒に行ってあげようと言ったら喜んでた。
朝イチの病院は、平日はあんまり混んでないようだった。
11台停められる駐車場があるのと、ネットの口コミの評判がいいところを見ると、夕方とか土曜日は混むのかも。
患者さんはオトナばっかりだったけど、内装からうかがえるメインのお客は小さい子みたいだし。
診察開始後、3人目に呼ばれて、一緒に診察室に入る。
わりと旧式な診察椅子に座らされた大内くんが、
「耳が聞こえにくいです。耳鳴りがして、詰まったような感じです。2週間ぐらい前から風邪をひいています」と伝えると、
「熱は?咳は?洟は出ますか?透明ですか、黄色いですか?」とてきぱきと聞いて、耳と鼻の中をぐいぐい見て、
「見たところ、耳に異常はありません。聴こえるかどうかの検査をします」と言う。
大内くんは聴力検査室へ、私は診察室の前で待ってた。
待ってる間に、カーテンの向こうから3人の患者さんの診察の様子が聞こえたが、風邪の人もけっこう来るんだね。
そう言えば、風邪が長引いてる時は内科だけじゃなくて耳鼻科の診察を受けて薬をもらうのもいい、との記事を読んだことがある。
風邪そのものを直そうとする内科の空しい治療よりも、鼻やのどに対する対症療法ってアプローチにも注目すべきかも。
先生の診断は手早く確信に満ちていて、妊娠中かもしれないんですが薬は大丈夫でしょうかと言う女性には、
「3週間?まだ卵ですから、大丈夫。身体ができてくる段階になるとちょっと気になるんですが」と、それでも軽い薬を出し、幼児を連れてきたお父さんには、
「まだ小さくて体力がないので、つらい咳をとってあげましょう。体重は?」と聞いて、見合った量の薬を出すようだ。
確かになかなか腕のいい医師みたい。
やがて大内くんが戻ってきたので、私もまた診察室に行って神妙にしてると、検査の結果を広げる。
高い音も低い音も良く聴こえているそうだ。
「耳の機能にはまったく問題ありません。風邪の影響でしょう」
大内くんが、
「風邪で耳が聞こえにくくなることはありますか?」と訊ねると、
「それは、あります!」と自信たっぷりの返事だった。
抗生物質や咳止めをもらって、おしまい。
ずっと具合が悪くて不安そうだったけど、異常がなくて耳も聴こえていると知って、目に見えてほっとする大内くん。
「いい病院だね!ネットで見つけてくれて、ありがとう!」と嬉しそうだった。
買い物して帰っても思いのほか早く終わったので、ここぞとばかりにぐうぐう寝て体力の回復を図り、遅いごはんを食べた後は会社の仕事をしてた。
「休んでよかったよ。会社に行ってたらもっと長引いたと思う。家でも仕事はできるし、通勤の体力はなかった」って言ってるから、少しは楽になったのかな?
今年の風邪は長引くらしい。
SNSで会話する人々みんなが口々に言う。
熱が出ないのが特徴らしく、こないだPTさんが言っていたように、熱はウィルスを倒すための身体の反応で、その熱が出ないのでなかなか治らないんだろう。
そう言う私も地味にひいてる。
なんだか暗い考えばかり浮かんで機嫌が悪くなりがちなのは、「うつ病でないのにうつになるのは、ガンと風邪だけ」だからなんだろう。
「風邪が治るまで難しいことは考えないのも生きるコツだよ」って言って、さっさと寝ちゃう人の才能に感心したよ。
「ひたすら困難に立ち向かう」ってのは、もう時代遅れなんだってさ。
18年11月7日
めずらしく病院以外で平日のお出かけ。
先日ユニクロで買って直しを頼んだ服を、受け取りに行かなきゃ。
「僕が帰りに取って来ようか?」って言ってもらったが、脚と肩が痛いので、久しぶりにマッサージを受けに行こう。
先週大根が安くてたくさん買っちゃったから、イカを買って煮物を作りたいし。
もう、今日は糖質制限を破って、タイ料理屋の「パッ・タイ」か星乃珈琲店のスフレで、遅めのランチだ。
マッサージの予約が3時半で、パッ・タイのランチセットは2時半オーダーストップだから、2時15分ぐらいまでにお店に入れればよかろう、昼時は混んでるから遅めに行こう、とユニクロでこないだは在庫切れだったセーターとか眺めてたら、いかん、意外と遅くなった。
やっぱりスフレにしておくか?
そう思って星乃珈琲店の前まで来たら、急にどうしてもパッ・タイの気分が襲ってきた。
まだ間に合う、と向かったタイ料理屋の前で、またしても逡巡の波が。
それほどおなかもすいてないし、スフレとコーヒーを頼む方がお値段も糖質量も低く抑えられるし、と、踵を返して再び星乃珈琲店。
ところが、混んでいる。
入り口で名前を記入して、待つようだ。
いや、最初は混んでるようには見えなかったんだよね。
中はガラガラそうなのに、なんでこのおばさんたちは前で待ってるの?とよくよく店内をのぞきこんだら、1人掛けのお客が圧倒的に多いので、すいてるように見えたのだった。
「どのくらい待ちますか?」とお店の人に聞いてみたけど、
「空き次第のご案内となりますので、どのくらいとは申し上げられません」って。
さすがは長っ尻の客を追い出さないことで有名な店。
日頃、1人ゆっくり本を読みたい人や喫茶店で仕事をしたい人には温かい気持ちでいたつもりだったが、にわかに焦る。
今から取って返しても、もうパッ・タイは時間切れ。
スフレは焼き上がるのに20分ぐらいかかるから、遅くとも3時には入店しないと、マッサージに遅れてしまう。
私の前に2人が待ってるだけではあるが、お1人様であるらしいどちらかのおばさん(いや、自分もまるっきりそうなんですけど)に、「スフレ食べるだけなんで、相席お願いします!」って言ってみたくなった。
ほんの一瞬の気の迷いではありますが。
幸い15分ほどで入店できたので、ゆっくりチョコレートソースのスフレとコーヒーを楽しんだ。
「斉藤環×酒井順子」の「オタクvs.負け犬社会論」の新書を読みながらスフレ食べる初老の女。ちょっと絵になる、と得々としてる自分の自意識は、ホントにイヤ。
初めて来たマッサージのサロンは、いいカンジのとこだった。
リラクゼーション予約サイトに登録しており、「初めてのお店」の料金をサイトが半額持ってくれるシステムになってるんだ。
でもそれだとリピーターになれないのよね。「まだ行ってないお店」を探してさまようジプシー状態。
この近辺の「半額キャンペーン対象店」は、ほぼ行き尽くした感がある。
施術者の若いおねーさんとゲームやマンガの話をして、楽しかった。
スーファミ時代から始まってプレステ、サターン、ロクヨン、キューブとさまざまなゲーム機の名前が出るのは、息子を思い出してなかなか気分がいい。
「ポケモンやりましたねー」とのことなので、小学生の息子が「友達のミュウツーとマグマアラシを交換してもらった話」で盛り上がる。
おねーさん「それ、すっごくいい交換じゃないですか!」
私「ポケモンやる人も、やっぱりそう思うんですね?激レアそうなミュウツーと、どこにでもいそうな駄ポケモンのマグマアラシがなんで交換してもらえるのかわかんなくて、当時、悩みましたよ」
おねーさん「息子さん、交渉力高いですよー!」
私「でも、レベル99のミュウツーに対し、プレイヤー息子のレベルが低すぎたんで、全然言うこと聞かないで寝てばっかりいましたよ。ミュウツーが」
おねーさん「笑笑」
あと、彼女はお風呂にケータイを持ち込んでドラマとか見てるそうで、
「濡れませんか?」って聞いたら、ジップロックに入れるんだって。
目が疲れると言う私に、電子レンジでおしぼり作って目の上にのせるといいって教えてくれたから、
「たまにやるんですが、すぐ冷めちゃいますね」と言うと、
「ジップロックに入れるといいんです!」。
「!!なんでもジップロックなんですね!」
「ジップロック、いいですよ!まとめ買いしてください!」
イマドキの若い人のライフハックなんだろうか。
こんなに楽しくおしゃべりをしても、お別れの時は来てしまう。
またこのおねーさんと話をしたければ、今日の倍額のフル料金を払ったうえに「指名料」500円を上乗せしなければならない。
「新陳代謝が良くなってますから、お水をたくさん飲んでくださいね」と優しく送り出してくれるおねーさんの写真が、「有料施術者」として壁に貼り出されてるのを見て、
「行ったことないけど、キャバクラってこういうシステムなんだろうなぁ。そして、もしも男に生まれていても、吝嗇な私は決してキャバクラの常連にはなれなかっただろうなぁ」と思いながら、イカ買って、ちょっと寂しく帰った。
18年11月8日
昨日、サンフランシスコの従姉から、「さっき彼を空港まで送った。明日の昼に羽田に着く予定。友達が迎えに来てくれるって言ってた」という連絡をもらい、今朝から大内くんと、
「今頃飛行機だねぇ、北京乗り換えだから、長時間だねぇ」
「友達って、カノジョかね」
「なら従姉はそう書いてくるんじゃない?カノジョの話は息子からさんざん聞かされたらしいから」
「うーん、だとすると、コントグループの誰かかね?空港まで迎えに来てくれるって、車なイメージあるけど、車持ってる友達ってナントカくんしか知らないねー」
って話してた。
なんだか、また息子漬けの日々が始まっちゃうのかしらん。好むと好まざるにかかわらず。
「親心」から一番逃げ出したいのは親自身だ、なんて、想像したこともなかったよ。
今日の昼間、「帰ってきた!」とメッセージがきた。
そうかぁ、帰ってきたかぁ。
よくぞまあ、何事もなく。無事これ名馬。
ツィッターにも元気そうな顔の写真が上がってた。
「友達」が写真撮ってくれたのかな。
夜には、アパートに落ち着いたものか、メッセージがきた。
「本当にたくさんの勉強ができたのもお父さんお母さんの援助、多くの人たちの助けあってのことなので、これからもより真摯にコメディーに向き合います!」
いや、それはいいから、まず暮らしを立てろ。現実に向き合え。
すべてはそれからだ。霞を食って生きるわけにはいかないんだよ。
さっそく生活苦がのしかかる彼を、とりあえずは援助することになっている。
その打ち合わせ兼アメリカ修行報告会ということで、日曜に家にくるよう、大内くんがアレンジしたようだ。
「ごはん何食べたい?」とメッセンジャーで聞いたら、
「チャーハン!」と即答。
大内くん特製チャーハン、昔から大好きだもんね。
「味噌汁はいる?日本の味」と重ねて聞いたら、「カブ!」。
うんうん、君はカブの味噌汁が一番好きだったね。ちょっと涙腺にきちゃうよ。
息子との距離は本当に難しい。
45年ぶりぐらいに、「ヤマアラシのジレンマ」について深く考えてしまう。
18年11月9日
私ものどが痛くて、風邪が重くなってきた。
明日は楽しみにしていた上野の「フェルメール展」で、時間予約の前売りチケットを買ってしまっているので、インフルエンザで隔離されていない限り、何としても行かねばならない。
大内くんが病院でもらった抗生物質を、
「僕はもう、身体の疲労感以外は治ってるから大丈夫。のどの痛みには抗生物質が効くよ」とわけてくれたのをのんで寝ていよう。
今日のリハビリはお休みだ。
来週行って、「風邪ひいてました」って謝ろう。
予約制じゃなくて、きっと私が行かなくてもPTさん別に困らないしたぶん気がつきもしないだろうとは思いつつ、「約束を破った感」にさいなまれてベッドの中で輾転反側。
18年11月10日
今週ずっと風邪気味だったのでどうしようかと思ったが、2人ともなんとか回復したようで、ほっとひと安心。
ずいぶん前からチケット取って楽しみにしていた「フェルメール展」なんだよねぇ。
日時指定だから延期もできないし。
しかも今、上野の森美術館のフェルメール以外に国立西洋美術館の「ルーベンス展」、東京都美術館の「ムンク展」も開催されている。
そもそもこの3つをハシゴしたくて、11月に入ってからの土曜を指定したわけで。
美術系の友人に浮かれてこのハシゴ計画をしゃべったら、
「もったいない!落ち着いて、ひとつずつゆっくり見て!」と叱られてしまった。
日頃外出が少ない私にとってはたいそうな遠出なので、せっかくここまで来たんだからという効率主義の貧乏性を如何なく発揮するのは当然なんだが、彼女の「ゆったり主義」には反するようだ。
という次第でやって来たフェルメール展。
日時指定でもかなりの行列ができてた。
宣伝は一番大がかりだったけど、規模は小さい印象。「作品が小さいからかねぇ」と勝手に結論づける。
もちろん、日時予約制だからゆっくり見られたんで、そうでなかったら大変な騒ぎになっていたんだろうから、ありがたい。
2ヶ月ぐらい前から雑誌や本でいろいろ勉強してきたよん。
「日本人はフェルメールが好きすぎる」と前述の美術系友人が嘆息したとおり、なぜか話題沸騰なんだもの。
無料なので喜んで借りた「音声案内」では、録画して昨日まで一生懸命見てきたテレビの特番と同じ声で、石原さとみがくわしく解説してくれた。
あの番組で「天才贋作画家、メーヘレン」についても知った。
余談だが、「エロイカより愛をこめて」で読んだきりだったので、メーヘレンってのは青池保子の創作だとばかり思っていたなぁ。
ますます余談なんだけど、第1巻で出てきた「超能力3人組」って、その後どこへ行っちゃったんだろう。
あの時代の少女マンガの流行りだったんだろうね。
女の子が1人入ったグループってのは、リンドグレーンの「カッレくん」を髣髴とさせて好かんかったことまで思い出したよ。
話はフェルメールに戻り、女性週刊誌の特集記事を読みすぎたために「ワイングラス」「楽器」「地図」などの表す「寓意」にやたらくわしくなり、
「ふむふむなるほど、この絵は、秘密の恋の罪悪を描いてるわけですね!」などと思う。
きっと、絵の前に立ってる人のほとんどがそんなことを考えているんだろう。
「どの絵でも同じ『毛皮の縁取りのついた黄色い上着』を着てるねぇ。この時代の人は服なんてあんまりたくさん持ってなくて、『ザ・一張羅』だったんだろうねぇ」と言ってしまう自分は、もはや芸術に対して不感症としか言いようがないかも。
「赤い帽子の娘」を見ての最大の感想は、「小っちゃ!」だし。
薄暗くしつらえた「フェルメール・ルーム」は何やら荘厳だし、全体ではくねくねと階段を昇ったり下りたり、「たくさん観た」感を醸し出されてはいるものの、
「結局、フェルメールは8枚きりで、あとは他の画家の作品で水増ししてるよね」と、ますます芸術に対して不敬な感想。
続いて「ルーベンス展」。
教会に飾る前提なのか、フェルメールの小さな額縁に比べるとなにもかも大きい。
4K映像での紹介ビデオなど、凝った展示もあり。
アニメ好きの大内くんに、
「でかいキリストの絵を、床に倒れて鑑賞するイベントとかあったらいいのに。最後は天使が迎えに来るやつ」と言ってひんしゅくを買った。
だって、日本ではルーベンスと言ったら、それでしょうに。
もっとも、蛇蔵&海野凪子の「日本人の知らない日本語」第4巻世界めぐり編には、「フランダースの犬」の舞台はベルギーだが、地元ではあまり人気がなく、
「ベルギー人はかわいそうな少年を見殺しにしたりしないですよ…ルーベンスの絵のある大聖堂を望む場所に日本から贈られたベンチ型の記念碑があるんですけど、普通にベンチにされてます」と書いてあった(笑)
こちらもルーベンス以外の画家の作品がたくさん。
ちがうのは、目玉画家のための特別室があるわけではなくて、かなりまぜこぜな状態で掛けてあること。
「んー、これが、ルーベンス。あっ、ちがった!別の名もない人だった」
「でも、よく見るとわかる気がするね。名もない人のは未完成っぽいっつーか、色味が茶色っぽくて地味。ルーベンス先生のは、要所要所に赤や青が効いてて、カッコいい」
我々の鑑賞眼なんて、こんなもんです。
そしてムンク。
大内くんのもっとも好きな画家なのだそう。
私は美術オンチで、強いて誰が好きかと言えばミュシャとマグリットなので、完全に趣味が合わない。
「叫び」を目の前で見ちゃいました。習作も入れて、何種類も。
言いたかないけど、この人は少しおかしい。
前2つが他の画家で水増しされていたのに比べ、100%ムンク。
CGのディスプレイや「叫び」グッズの販売など、力が入ってた。
掲げてあった、ムンクの文章から引用したらしき、「もう、本を読んだりレースを編んだりする女の絵を描くのはやめよう。人間の生きる姿を描こう(大意)」というアオリが面白かった。
少なくともこれを掲げた人は、フェルメール展にケンカ売ってる(笑)
本でもマンガでも、大量に流し込んで「のど越しで味わう」タイプなので、今回のハシゴも楽しめた。
いつかもう一度バチカン美術館に行くこと、生きてる間にウフィッツィ、メトロポリタン、ルーブル、エルミタージュを制覇すること(まだひとつしか達成してない)、という夢を再確認して、名画の洪水でくらくらしてるアタマをたてなそう。
それよりも美術館の人混みであらためて別口の風邪を拾ったらしいのは、なんとかならんか。
18年11月11日
先日無事帰国した息子が訪ねて来た。
さっそくコントグループの皆が帰国歓迎会を開いてくれるらしく、前日に、
「明日集まるかも、ってなってて、もし時間ずらしたいってなったら、食事の時間は変更効くかしら?」と問い合わせが。
仲間の気持ちが嬉しいので、
「たぶん大丈夫。と言うか、まあ友達優先で」と返事をしておいたが、結局夕方になったようで、予定通り、朝訪ねてきた。
9時に来るはずが、8時半に「今、起きたー。10分だけ遅れちゃうかもー」と言ってバタバタと来たのは、渡米前とあまり変わってない。
しかし、迷いや憂いのとれたいい顔で、とても実りのある旅だったと嬉しそうに話してくれた。
サンフランシスコでもNYでもクラスを受けて体験した「インプロ」と呼ばれる即興性の高いコメディに感銘を受けたそうで、半年か1年お金を貯め、次は学生ビザで働きながら滞在してもっとインプロを勉強したいと語っていた。すでに日本でもインプロのワークショップはあるらしいが、今後、自分もアメリカで学んだスタイルを実演して紹介していきたいのだそうだ。
「インプロ」とはどんなものか、自分が見た舞台やクラスの修了公演で演じた役柄を身振り手振りで話しながら、説明してくれた。
なかなか面白そう。
お客さんや数人の演者の中から出された「お題」を中心に、即興でコントを繰り広げる、考え方としては「三題噺」に近いものだそう。
芝居仕立てになるところが大きく違うか。
お題が「おでん」だったら、最初の1人が、
「あらー、おでん作ろうと思ったのに、大根忘れちゃったわ―。タカシに買いに行ってもらおうかしら。タカシ―」と、「Where(おそらくキッチン)、Who(お母さんが)、What(おでん)」がすべて含まれた「シチュエーションを説明するセリフ」を言うと、次の演者がそれを受けて、
「今、宿題してたんだけど、大丈夫だよー、なにー?」というように出てくるのだそうだ。
その際に、「決してネガティブに受けてはいけない。すべて、『Yes』で受ける。そうでないと、広がらないから」とのこと。
「人生にも言えることだよね、Yesで受けることによって、コミュニケーションが広がる」と語ってくれた。
すぐに元のバイト先に戻り、当面はこれまでのコントグループの活動をしながら再びの渡米に向けてお金を貯める計画。
年明けからは今のアパートを引き払って、世田谷のカノジョのアパートに移り、一緒に暮らすつもりらしい。
お正月には2人で訪ねてくるかも。
危なっかしい見通しだらけではあるけど、将来に向けての夢を追う宣言をされては、親の好みで反対もできない。成功するよう祈りながら、見守って行くしかないね。
いろんな人生があるよ。
皆さんにも心配をかけていますが、どうぞ心の中で応援してやってください。
いつものようにベランダでタバコを吸うので、
「また値上がりするから、タイヘンだね」と声をかけると、
「500円になるもんね。アメリカじゃ1500円したから、タダみたいに感じるけど」と言っていた。
吸っているのはマルボロだった。
35年前には静岡でしか売ってないキャビンを車で買いに行っていた過去の自分を思い出すと、あまりあれこれ言う気にはなれない。
「向こうの人は目がキレイだよ。なんで日本の人はこう濁った目をしてるのかな」とつぶやくので、ひやりとしながら、
「2つ質問したい。父さんと母さんの目も濁ってる?そして、あなた自身の目は?」と聞くと、
「2人の目は、キレイだよ。澄んでる。オレの目はね…まだまだだね」と苦笑していた。
しばらく、大内くんと、「日本人はいつからどこからこんなふうになってしまったのか」の議論に興じていた。
サンフランシスコの大内くんの伯母さんは認知症がはなはだしく、かつたいそうな学歴偏重主義者なので、息子が滞在している間、毎日、
「で、あなたはどこの大学なの?」と聞いてきたんだそうだ。
「オレ、飽きちゃったから、100個ぐらい、いろんな大学の名前を言ったよ。
『宇宙大学です』
『まあ、宇宙飛行士になるの?』
『いえ、宇宙海賊の方です』とかさぁ。人間、最後に関心持って聞くことで、人生がわかるよね。オレは何を聞こうかなぁ。好きな映画は何ですか?とか聞きたいなぁ」と言っていた。
その伯母さんの自慢の兄(つまり大内くんのお父さんのお兄さんです)が、「大内家の歴史」を記した自費出版の本があるそうで、日本語を読むのは苦手な従姉は、大内くんに、
「息子くんに持たせるから、そっちで読んで、内容を教えてよ。でもNYに持って行くと彼はなくしてしまいそうだから、帰りに寄った時に持って行ってもらうわね」と言っていたんだが、果たせるかな、息子はすっかり忘れて、従姉宅に置いてきてしまったそうである。
すごく楽しみにしていた大内くんは、大ショック。
ラインで従姉に「送料は持つから、送ってくれ」と頼んでいた。
「ダメじゃん!」と叱られた息子、あさっての方角を見ながら、
「それって、頼まれてたのかな。はっきり依頼されてない気がするんだけど」と抗弁していたが、君君、それって、「Yes」で受けてないよ。コミュニケ―ション途絶を起こしてる。
せっかくいいこと教わってきたんだから、もっと日常に応用しようよ。
「オレ、唯生ちゃんに会いたい。すぐに会いたい。今度、いつ行く?」と聞かれたので、
「風邪が治りさえすれば、今度の日曜に行くつもりだよ」と答えると、
「一緒に行こうよ」と誘われた。青天の霹靂。
「じゃあ、余ってる食料品をあなたにあげようと思ってたから、車でそれ持ってアパートに迎えに行くよ。それで、一緒に行こう。朝の10時ごろでいい?」
「うん、助かるよ。ありがとう」
素直な時は、本当にいいヤツだね、君って!
彼が帰ったあと、大内くんと2人、少し放心した。
自分の人生もよくわからないのに、他人の人生もちょっと気になる、親ってのは因果な商売だ。
すべての人に、少しだけより良い未来が訪れますように。
全員が幸せになるためには、1人当たりの量は「少しだけ」にしておいた方がいいと思うんだ。
18年11月13日
時々何かのギアが入ってしまう大内くんは、昔の仲間たちとマンガの同人誌を作りたくなったらしい。
夏のプチ合宿の時に長老も乗り気だったので、週末にカラオケ大会をやるのを幸い、企画書を提出して彼に編集長を引き受けてもらおうと目論んだ。
ところが、長老の返事は、
「気が早いぞ、暇人!」というものだった。
向こう側では、
「ペンも墨汁もないし、その代わりに去年買ったタブレットの接続もインストールもまだやってない」うえ、
「今は替え歌を思い出すだけで精一杯じゃ」という状態らしい。
人の否定に過敏な私は、「手ひどく断られた!」とショックを受けて落ち込んでるんだが、大内くんってこういう時、全然平気なんだよね。
「3通に分けてメールが来た。向こうもうろたえてる。かなりいい感触」って浮かれてるのは、どういう神経なんだ。
「発行は来年の秋なので、当面は替え歌に専念してて大丈夫です!」とさらにせっつき、
「リハビリやるから数年待ってくれ」と返事をもらって、
「大丈夫、やる気ある!僕らは創刊準備号を出して待っていよう!」と、ものすごく前向き。
「もちろんキミも描くんだよ。もともとロットリングやミリペンで描いていたキミには、電子作画が向いてると思う。iPad
Pro買ってあげるから、それで描いて」
うーん、このまま行くと、来年の春からアルバイトでカット描くかもしれないから、タブレットは欲しいんだよねー。
長老もタブレット派になるのか。
基本操作を教わろうかしらん。
しかし、コワイ目に合った幼児が夜尿症を発現するように、明け方、カラオケ大会の夢をみてしこたまうなされた。
長老を始め、おっかない先輩たちが10人以上も集まり、会場係の私はなんだかとっても焦っている。
リモコンがうまく作動せず、入れても入れても曲が入らない。
しまいに画面でゼビウスを始めた人にカッとして、コントローラと化したリモコンを叩き落としてしまった私。
リモコンは割れてしまい、猛然と怒られた。
恐ろしいことに、何度もはっとして目を覚まし、「ああ、よかった。夢だった」と思うのに、浅い眠りに入るとまた同じカラオケルームなのだ。何度も何度も。
同じ夢に戻るのは昔からの特技だが、この無限ループには気が狂いそうになった。
6度目ぐらいにやっとはっきりと目を覚ますことができたが、汗びっしょりだった。
大内くんに訴えたら、
「気の毒だとは思うけど、本当に気が小さいね!長老に否定されたと思うと、そんな夢にうなされちゃうんだね」となかば笑われた。
「キミの世界には絶対の肯定と絶対の否定しかないようだけど、人はね、それほどどっちかに極端に振れたりしないんだよ。あいまいに広がるグレーゾーンのどこかに適当にいるだけなんだから、そんなに怖がることないんだよ」とのお説教つき。
もーやだ!
そう言えばさぁ、昔、私の母が2、3日泊まって帰ったあと、3歳ぐらいだった息子は決まっておねしょをしたよ。
激しい夜泣きとセットで。
食事の時にずっと横につきっきりでひと口ごとに口を拭かれたり、一挙手一投足を見つめられてるのがイヤだったんだと思うね。
もちろん私が神経過敏で視線恐怖症気味なのも、そのせいですとも!
今では彼の眠りがむちゃくちゃ深くて、ホストマザーである従姉に呆れられるほどであるのはまことに良かった。
還暦近いのに、夢に母親と姉が出てきてシンデレラみたいな目に合わされ、泣き叫んで目が覚めるってのは本当にどうなんだろう・・・
今日も、眠るのが怖い。
18年11月14日
来週末の3連休、年下の友人と大内くんと3人で、京都に行く計画を立てていた。
ところが、彼女のご主人が急な海外出張に駆り出され、子供たちの面倒をみる人がいなくなってしまうので、友人は出かけられなくなってしまった!
いったん中止ということで仕方ないんだが、年内はもう無理だろうし、来年はまたいろいろで、どうなるかわからない。
1泊で帰る予定の彼女と別れた後、我々は2日目の宿をとってあるし、大内くんの友人、私の先輩とそれぞれ食事をする約束をしているので、2人だけでも行こうかねぇ、という話になった。
彼女の友人宅に一緒に泊めてもらう予定だった1日目、別に宿を取ればあまり予定を変えないで行けるんじゃないかと、念のため調べてみたら、紅葉ハイシーズンの3連休中日、今から取れる部屋は2人で「16万円」とか「21万円」なのだった。
「キャッ」と叫んで気絶して、土日だけ行く予定に修正しました。
こないだも房総に行くドライブ旅行がポシャッたし、なんだか地味になりがちな日常なので、秋の京都にぜひ行きたい。
友人と3人、新幹線で大好きなマンガの話をしながら行くのも楽しみだったが、大内くんとの2人旅はいつだって大歓迎だ。
よしながふみの「きのう何食べた?」第8巻でゲイカップルが京都に行く場面を繰り返し読んで、イメージトレーニングに余念がない。
彼らが泊まった「俵屋」、旅行が決まった時に真っ先に調べてみたところ、「2人で11万円」と判明。
あー、そう言えば作中で「俵屋!まさかの!だって、1人1泊5ま…っ、ちょっ…待っ…えっ、ええええ〜〜!?」ってなってたなぁ。
4カ月も前にすでに満室だったのは、まことに幸いであった。
「皆さんが前々から計画して楽しみにしていた計画を台無しにしてしまって、本当に申し訳ない。大内夫人に恨まれるだろうと思うと・・・」と友人のダンナさんがたいそう恐縮していたと聞いて、むしろムッとする。
「多忙な大内くんの予定を妨げて、というならわかるけど、なんで私なんですか。そんなにオトナ気なく文句言いそうに見える?」と友人に怒って見せたら、明るく、
「遠足を、一番楽しみにしていそうだから」笑われてしまった。
うーん、バレている?
お仕事ならこれはもう、一も二もなく、むしろ先輩たる大内くんはダンナさんの忙しさを心配している。
私も、30年になんなんとする結婚生活において、仕事を理由にプライベートをドタキャンされた記憶がほとんどないので、これでいいのか?といささか疑問に思う。
4年前に勤続25年のリフレッシュ休暇をもらった時も、上司が副賞の旅行券を手渡しながら、
「これね、僕も、忙しくて取れなくてね、結局流しちゃったんだよ〜」と意味ありげに言うのに対し、
「あっ、そうですか。はい、ありがたくいただきます。旅行、行ってきます!」と明るく言い放った剛の者なのだよ、大内くんは。
「管理職として、『働き方改革』を推進する」と澄ましていていい問題だろうか。
となりのシマの長は、家庭争議が勃発する寸前まで働いているというのに。
こないだ息子が来た時、
「来週は京都に行くから、空いてない」と話したら、
「最近、あちこち出かけるね。元気になったみたいで、本当に良かった!」と喜んでくれた。
ふふふ、君ともね、いつか、一緒に日光でも行こうかと目論んでいるんだよ。ふふふ。
18年11月15日
まだ咳の出る身体をおして、国内出張に行ってしまった大内くん。
大阪なので普段なら日帰りにしたがるところだが、最近よく眠れていないようなので、泊まりでゆっくりしてきてもらうことにした。
根深い不眠症の私と違っていつでもどこでもすぐに眠りに落ちることのできる快適な体質であればこそ、普段の5時間睡眠にも耐えられるわけで、なかなか寝つけないうえに夜中に咳き込んで目を覚ましてしまうようでは、なかなか大変。
「キミが眠れないって訴えてる時、『寝ればいいじゃん』ってどこか軽く考えてたのは、本当に悪かった。眠れないってつらいし、『また今夜も眠れないんじゃないか』って不安になってるだけでも充分に気が滅入る。これからはキミの不眠をもっと真剣に受け止める」と言ってくれるのは嬉しいね。
1回あたりの最長睡眠時間が2時間、ってのはけっこうしんどいでしょ。
9時前に宿に入ったと電話があり、
「もうお風呂に入って、寝るから」と言っていた。
うんうん、ゆっくり寝て。
食欲がないうえ1人だとごはん作る気にもなれず、手作りの低糖質スイーツとは言え、フィナンシェばっかり食べてるのはまことに良くない。
おまけに、卵黄が余るからって、晩ごはんは山盛りのバニラアイスでした(汗)
アイスクリームメーカー、大活躍。
夜中まで佐伯かよのの大長編マンガ「緋の稜線」読んで、大満足。
大内くんと結婚してて一番ありがたいのは、こういう「真実の愛の物語」を読んでも全然うらやましくなったり気後れしたりしないですむところだと思う。
30年結婚してる相手から、
「今でも毎日恋に落ちている。運命の出会いだったと思ってる」と真顔で言われるのは、とっても精神衛生に良い。
私もいいかげん恋愛体質だが、類は友を呼ぶもんだなぁ。
18年11月16日
結局全然眠れないで夜が明けてしまったので、6時半に、「もう起きたかなぁ」とラインを打ってみたら、すぐに電話がかかってきた。
朝一番で東京に戻るべく、ちょうどホームに着いたんだって。
「新幹線を待ってるところ。ナイスなタイミングだね。おはよう!」と元気はいいが、やっぱりゆうべもあまり良く眠れなかったらしい。
「早くから床に就いたから、身体は休まってるよ。今日が終われば週末だし」と言うけど、接待で遅いんじゃないかー。
明日はカラオケだぞー。
なぜか電車に乗っている時はよく眠れるんだそうなので、終点まで寝ればいいよ、と新幹線が来たのを潮に電話を切り、バリバリの晴天の元、勢いよく洗濯物を干す。
今週はずっと風邪気味だったから、不要の外出は控えるように厳しく言われており、リハビリも行っちゃいかんのだそうだ。
「行かなきゃ。風邪ひいてた、って言い訳するにしてももう1週間になるよ」とごねたら、
「予約制じゃないんでしょ?向こうも、いちいち気にしてないし、誰も困らないよ。世界が自分を中心に回ってるような気持ちは捨てた方がいいよ。ビートルズも、『Don't
carry the world upon your
shoulder』って歌ってるでしょ。厳命します。行ってはいけません!」とおっかない顔して出かけて行ったからなぁ。
眠ろうとしてもしても眠れないので、することない時の常として、お菓子を焼いてみる。
卵黄が余る。
いくらパルスイート使ってても、毎日アイスクリーム食べるわけにもいかないので、明日のカラオケの持ち込みおつまみにスパニッシュオムレツを焼いた。
全卵8個プラス卵黄3個。
それでも3個残った卵黄は、明日アイスクリームにしよう。(結局、「今夜は食べない」ってだけ)
黄身は、白身と違って冷凍が効かないので、よしながふみは「器に入れてしょうゆかめんつゆをひたひたに注ぐと、1週間ぐらいもつ」と教えているが、いかにも美味しい「飯の友」じゃないか!却下!
以前と違って、全然寂しくはないんだけど、どう考えてもヒマだよね。
元々家事や子育てに時間を取られて忙しかったことなんてない能天気な主婦だったが、さすがにこれは「空の巣症候群」が忍び寄ってるのかも。
お金がかかることがキライでなければ、習い事とか始めるところだ。
「昔弾いていたギターをもう1度習って、弾き語りを聞かせてほしい」ってのが大内くんのリクエスト。
月謝払うぐらいなら、働いて稼ぐ方がいいぞ。
自分が、元気があるのかないのかよくわからないよ。
起きていられる時間は長くなったけど、まだまだ自信がない。
人間、インプットだけでは生きていけないもので、子育ては目に見えなくともやはり何かのアウトプットだったんだなぁ。
これから、どう生きて行こうかしらん。
18年11月17日
3回目になる、飲み放題歌い放題のカラオケマラソン。
今回はかなり前から企画しておいたので、総勢13人の大宴会となった。
(ただし、開始直前に1人、「風邪をひいたので行けません」と電話連絡が入り、結局12人)
A:くらぶの長老。ソフト会社をたたんで年金もらえるようになった、悠々自適の前期高齢者。やもめ。
B:Aの元共同経営者。今は野良プログラマ。マンガ収集家。
C:Bの妻。私のメル友。
D:A、Bの古くからの悪友。ソフト会社経営者。
E:Dの妻。2人してでかいバイクに乗っている模様。
F:製薬会社勤務を経て、大学で教鞭を取る。独身。
G:大手メーカーを早期退職。悠々自適のオタク人生。独身。
H:長老たちの副官的存在。IT会社勤務。既婚。
I:IT会社代表。謎の人脈と行動半径。既婚。
J:「働かないで生きる」を実践する高等遊民。独身。
K:製鐵会社勤務。私の夫。大内くんだ。
L:その妻。私。
一番大きなパーティールームに入れてもらえて、マイクは4本リモコンは2台のゆとりある布陣。
おまけに元プログラマのJくんがいつものように自分のタブレットを即席のリモコンに仕立て上げ、思わぬところから黙々と曲を入れ続けていて、油断ならない。
Iくんがかなり自由な選曲で洋楽などを歌うものだから、今日はアニソン縛りはなしかな?と思ったのもつかの間、おそらくアニソンとアイドル歌謡しか知らない筋金入りのオタクのHくんが、「流れを元に戻す!」と叫んで巨大ロボットものを熱唱する。
全然知らない歌を歌うなぁ、と思えるDさんとFさんだが、これらのシャレオツな歌も立派なアニソンらしい。
深夜ワクだろうか。
「静かなる男」だと思っていたGさんは、意外な朗々たる美声でヤマト等の骨太なアニソンを披露する。
退職してから伸ばしているのであろうヒゲが、沖田艦長の若い頃を思わせる。
Bさんは、アニメから少し離れた、人の知らないような歌を歌うが、A長老が昔懐かしい替え歌を歌う時は、一番協力的だった。
そのA長老が歌いたがるのは、前回までの留年歌集に留まらず、下ネタや、「個人情報暴露シリーズ」と銘打ってプライバシーに踏み込んだ名誉棄損的な替え歌が中心。
だんだんエスカレートするなぁ、このおっさんは。
もっとも私も、ネットに流れていた「残酷なニートのテーゼ」を熱唱して、実の息子の名誉をいたく毀損したのだが(笑)
B夫人Cさんは可憐な澄んだ高音で女性ボーカルのアニソンを得意とし、Dさんの歌をアシストするEさんはいわゆる「アニメ声」であった。
そうそう、「爆風スランプ」の「ガメラ」をがなる私に、隣に座っていた人当たりのいいIくんが、
「大内夫人、声量ありますねぇ!椎名林檎とか、いけるんじゃないですか?」と如才なくほめてくれたので、椎名林檎は知らないからと、戸川純の「恋のコリーダ」を歌った。
あとから指摘されて知ったが、「レインボー戦隊ロビン」の替え歌なんだそうである。
はからずもアニソン縛りにかなっていたようだ。
この乱痴気騒ぎの間、マイダーリン大内くんは何をしていたかと言うと、風邪の後遺症でぜんそく気味だったので、ずっと皆さんの歌を傾聴していたんだが、ついにガマンできなくなってマスクをかなぐり捨て、参戦。
何を歌ったかなぁ。
いつもの甲高くか細い声だったなぁ。
あがた森魚の「最后のダンスステップ」をデュエットさせられたような気がする。
長老がいみじくも言った、
「カラオケの8時間はあっという間。鈴鹿の耐久レースを見るよりずっと楽だぞ」の言葉通り、今回もほとんどダレることなく、終了間際まで予約曲が入りっぱなしだった。
めずらしくまだ元気があったので、食事を提案してみた。
我々を入れて7人が同意し、同じビルにサイゼリヤがあるからと大内くんが走って見に行ったが、さすが夜7時のサイゼは満員だったので、行きつけのパブに電話をしてみたら、7人分の席があるそうなので、そちらへ向かう。
3階までの急な階段を登って店内に落ち着いてみると、いささか場違いだったか。
酔っ払った長老は、
「上品な店だなぁ。おまえらがしっぽりするための店に、連れてくるなよ」と苦情を言い、
「別に2人でくる店じゃないですよ。こないだはここでIくんやJくんと政治集会しましたよ」と抵抗したんだが、輪をかけて酔っ払ってるJくんは、
「ん?この店だったのか?ぜ〜んぜん覚えてにゃ〜い!」とのことだった。
大内くんのボトルをみんなで飲んで、おつまみや軽食を食べ、結局3時間ぐらいしゃべってた。
楽しかったなぁ。
私も酔って、「肯定されたい病」を発症してしまったので、横に座ってた長老に、
「私って、面白いかなぁ」と聞いたら、力強く、
「うん、お前は、面白い!だがなぁ、オレとお前だとツッコミが2人で、長時間は無理だ。大内くんを大事にしろ」と答えてくれた。
「あの人は、今ひとつ、面白くないんだよねぇ」
「そうか?キャラは立ってるし、面白いぞ!しっかり、添い遂げろ!」
愛妻に先立たれた彼ならではの言葉かもしれないなぁ。
「こんなこと聞いていいのかわかんないけど、近しい人を見送ると、幽霊とかが怖くなくなりませんか?」
「おう、怖いどころか、出てきてもらいたいぞ。あいつはなぁ、夢に出てくるんだが、エロい夢でなぁ」
「年甲斐もなく、夢精しますか?」
「うん。パンツ濡れる」
涙が出た。私も亡きあと大内くんにこんなに想われたい。
娘さん2人を嫁に出し、今は1人暮らしの長老に、我が家の恒例のクリスマスパーティーは来年にして新年会にしますから、忘年会お願いします、と言うと、
「じゃあ、来週、オレんとこで宴会やろう!」とのお下知。
「我々、京都旅行に行くんで、もっと先にしてください」
「わかった。再来週だ。場所は提供する。プロデュースしろ!」
あああ、またしても宴会秘書にされてしまった(涙)
店を出る頃にはみんなかなりふらふらしてた。
気がつけば、11時間以上も一緒にいたよ。
楽しかった!
また宴会の予定はあるし、別口の友人を誘ってIくんと「あがた森魚縛り」のカラオケ、昼間にヒマのある長老とJくんと「中島みゆき&古いフォーク縛り」のカラオケを約束した。
すごーい、カラオケしてる間に人生が過ぎていくー!
下天は夢な感じだー!
18年11月18日
息子と一緒に唯生に会いに行くために、アパートに迎えに行く。
10時に行くから起きて準備しておけと言っておいたのにやっぱり寝ていて、シャワー浴びる間、待たされてしまった。
糖質制限で食べない食料品が余ってたのをレジ袋3つ分も持ち込んだら、「ありがたい!」と感謝されたのはよかった。
生活の重さが少しはわかってきたようだ。
私が運転席に乗りこんだら、
「母さんが運転するの!」と驚いたみたい。
「ずっとぼんやりしてたからしなかったけど、本当は母さんの方が上手いんだよ。駐車はヘタだけどね」と大内くん。
実際、唯生のところで来客用の駐車場に停めたら、降りた息子は車の位置を見てしみじみと、
「本当にヘタだね。なんでこんなに前に停めるの。車体感覚がないね」とあきれていた。
息子はここを訪問したのは2回目で、でも前は唯生には会わずに車で待ってたうえ、我々が戻ったとたんに号泣し始めた。
外泊で帰ってきた唯生には会えても、施設で暮らす姿を見るのは覚悟がいるということだろう。
やっと、ここまで来られたのかぁ。
いつも受付で面会票と、面会者全員の分の「健康調査票」を記入する。
健康調査票では、
1.風邪の症状がないか
2.家族に風邪の人はいないか
3.10日以内に海外渡航歴がないか
を聞かれる。
帰国して1週間の息子は、3番に引っかかった。
「先生に電話しますから」と守衛さんが言うので、簡単な検診があるのかな?と思ったら、どこへ行ったのか聞かれるだけだったようだ。
「ニューヨークとサンフランシスコです」
「なにか、症状はありますか?」
「ありません」で無罪放免。
海外で深刻な伝染性の病気が流行っていたら、NGなんだろうなぁ。
スペイン風邪が蔓延してる時のスペイン帰りとか。
外来者タグをもらって首にかけながら、
「なるほど、こういうシステムなのか。勉強になるなぁ」とつぶやいている息子だった。
大内くんは風邪は治ったもののぜんそくの症状が残って咳が出るので、面会はやめておくそうだ。
廊下のソファコーナーで待っててもらって、息子と2人で病棟に入る。
昼のちょっと前、看護師さんたちは忙しい時間だったようで、担当の人が連絡事項で少し来てくれた以外は、誰にも会わずに面会できた。
息子に丸椅子を2つ持ってきてもらって、ベッド脇に坐り冊を下ろすと、息子は唯生の手を握ってじっと顔を見ていた。私は、
「唯生ちゃん、今日はパパは来られなかったけど、弟がきたよ」と声をかけて、きょうだい2人をじっと見ていた。
やがて、息子が言った。
「こうやって正対するのに、25年かかったよ」
うん、できたんなら、えらいよ。
私は、唯生を産んで27年、いまだに正対できてないのかも。
「母さんはね、どうしても、人間の知性とか意識とかを重視しちゃうんだよ。唯生ちゃんを、丸ごと認めることができないの」と告白すると、息子は少し笑って、
「唯生ちゃんはこの頭の中で、オレよりずっと面白いことを考えてると思うなぁ。きっとすごく面白い人だよ」と言う。
「そうかー」と答えて、唯生の足を触りながら、息子に、各ベッドの上に吊るしてある大豆成分の栄養液のボトルを示し、
「この病棟には、食事のお盆を乗せたワゴン車が来ないんだよ。みんな、注入だから。中でも唯生ちゃんは、見てごらん、チューブが点滴装置みたいな機械を通ってるでしょ。液が落ちるのが早すぎると消化器に負担がかかるから、速度を調整してるの。それに、他のボトルと液体の色が違って、黄色がかってるでしょ。体力をつけるために、高カロリーの栄養液なんだよ」と説明すると、
「なるほどー」とあたりを見回していた。
15分ぐらいして、「ん、もういい。行こう。唯生ちゃん、バイバイ」と彼が立ち上がるので、看護師さんたちに声をかけて帰った。
待っていた大内くんが、
「どうだった?」と聞くと、息子は、
「唯生ちゃんとたくさんお話をしたよ。何を話したかは、ナイショ」と笑っていた。
なんだか吹っ切れた顔をしていて、よかった。
息子にこのあとの予定を確認すると、新宿に出るのだと言う。
我々は2時に阿佐ヶ谷で友人女性と会うので、ちょうどいいから、一緒に行って昼を食べよう、と誘った。
「星乃珈琲店で待ち合わせだから、今から行くとごはんを食べ終わる頃に来るよ。あなたも会って挨拶する?」と聞いたら、小さい頃からよく知っている彼女をけっこう好きで尊敬している彼には望むところのようだった。
「前にあなたが阿佐ヶ谷で公演した時、星乃珈琲店で初めてスフレ食べて、おいしかったの。今日も食べるよ!」と運転しながら言うと、
「スフレねぇ。興味ない」とにべもないので、
「それって、こないだ言ってた『YES コミュニケーション』に反してるんじゃないの?」と指摘したら、
「よく覚えてるね!うん、確かに、できてないな」と素直に反省していた。
「『スフレか、食べたことないけど、おいしそうだね。食べてみようかな』って言わなきゃダメでしょ」
「スフレ食わなくても、生きて行けるからなぁ」
「そんなこと言ったら、タバコ吸わなくても生きて行けるよ」
「タバコは、人を殺せるから」
「砂糖も、人を殺せるよ」
「そうだねぇ、あれは、毒だねぇ」
なかなか興味深い会話になった。
今から会う友人について、帰国子女だと聞いているが何歳ぐらいの時にどこにどのくらい行っていたのか、とかを聞き始めたのはいいんだが、なぜ英語で話す?!
「またアメリカに行くから、英語をしゃべれるようになりたい。練習する機会を逃したくない」って大内くん相手に英会話を始めたけど、2人とも声は小さいし発音は悪いし、イライラするからやめといて。
「日本人同士が英語でしゃべってるのって、ホントに恥ずかしくってガマンできない!」と言うと、息子は、
「恥ずかしいなんて気持ちを持ってちゃ、ダメだよなぁ。オレはもう、そういうのは超えたよ」とうそぶく。
「いいから、母さんの羞恥心を大事にしてちょうだい!」とお願いして、やめてもらった。
星乃珈琲店では、「たくさん食べていい?」と言って、注文したのが「ビーフシチューオムライス」と「ナポリタンスパゲッティ」。
おまけに、大内くんが頼んだフライのプレートについてくるパンを食べてくれるかと聞いたら、「Sure!」と引き受けていた。
2.5人前食ったぞ。
そんな彼に私のスフレをひと口あげたら、「うまいっ!」。
笑ってしまったよ。興味ないって言ってたくせに。新しい経験したね。
食べ終わる寸前に現われた友人女性。
息子は、立ち上がるといきなり熱烈にシェイクハンドしていた。
洋行帰りだー。
「お帰りなさい。どんなことをしてきたの?そもそもどうしてアメリカに行ったの?」と聞いてくれる彼女に、明るく多弁に説明するのを聞いていたら面白くて面白くて、かぶりつきでじっくり見物してしまった。
だって、親になんかいちいち解説してくれないんだもの。
他人の目を意識している姿を目の前で見るのは、なかなかない体験だ。
「親の友達を含むいろんなオトナとつきあう」ありがたさを噛みしめた。
以前、10歳ぐらいの長男を持つ人が言っていたんだが、子供には「親とは違う、お兄さんお姉さんか友達のような、文化的資産を伝えてくれる大人がいるといい」のだそうだ。
彼女が教えてくれたエッセイでは、そういう人を「ギリシア人の家庭教師」と呼んでいた。
(古代マケドニアで、豊かな文化を持つギリシア人を家庭教師に雇う家が多かったせいらしい)
「家の息子の、ギリシア人の家庭教師になってください」と頼まれた大内くんで、うん、彼はそういうのにすごい適任だと思うが、残念なことに人は自分の子供の友人にはなれないのだ。
幸い、我々の友人には子供の心を失わない趣味人が多く、昔から親の目の届かない息子の心のひだの面倒をみてくれていて、今日息子に会ってくれたこの友人も、息子にとっての良い「ギリシア人のおばさん」であろう。
息子はひとしきりしゃべると、これから新宿で「インプロの勉強会」を主催するのだと言って、友人と我々を順繰りに熱烈ハグして、機嫌よく去って行った。
彼がいなくなるやいなや、私は機関銃のようにしゃべり出した。
「あの人の言うことだけ聞いてるとさ、『コントのための演技の勉強がしたくて会社を辞め、自分のお金で渡米し、インプロに出会った』ってストーリーに聞こえるけど、その実態は、『会社がイヤになって辞めた。ブラブラしててもしょうがないから、親にお金を借りて親戚を頼ってアメリカに行った。そしたらインプロに出会った』だよ。最後しかあってない!」
友人は少し驚いたように、
「そうなのか!確かに、聞こえ方はずいぶん違うねぇ。でも、やる気があって自分でどんどん前に進むのはいいことだよ。感心したよ!」と言ってくれた。
日頃から自分を評して、「若者の気持ちのまま、成長してない。しかし、それが大内家の息子くんのお役に立つなら、幸いなことだ」と笑う彼女らしい。
息子だけでなく私も、彼女には精神的に非常に世話になっている。
と言うか、他人をこれほど必要とする時点で、オトナとしてはダメだろう。
そうこぼしたら、彼女はまた笑って、
「人は他人から肯定されたいものだよ。『肯定ペンギン』とかこれだけ流行るぐらいだから」と慰めてくれて、うーん、だから私は時々無性にこの人に会いたくなるんだなぁ。
彼女と一緒に私には2つ目になるスフレを食べ、楽しく過ごした。
(目立たないが、大内くんもずっと、いることはいるんだよ)
それぞれのお会計をしてみたら、我々の分だけで6千円!
まあ、20代男子を含めた3人が思いきり食べたんだから当然だが・・・やっぱり息子が食べすぎだろう!
友人と別れて、大内くんと阿佐ヶ谷のブックオフに寄って帰ったが、普段行かないブックオフには出物がある。
めずらしい掘り出し物に出くわして、鼻歌が出た。
おまけに、魚屋に行ったら安いイカを見たので、煮物にして残りは冷凍だ!と2杯買ってワタ抜きを頼んだら、板前のおっちゃん曰く、「値札が間違っていた。だが、売り場に出ていた以上、仕方がない」のだそうで、ほぼ半額で買えてしまったのだった。
「キミは、本当にツイてる人だ!」と大内くんに感心されたし、ささやかな幸せをありがたく思える自分も好き。
今日はかなり良い日だった。るんるん。
18年11月19日
昨日、息子といろんな話をした。
韓国との「徴用工」の話について、前から、
「あれ、オヤジがやってる仕事?」と聞いてきていて、直接の仕事ではないが良い機会だからと、父親として大内くんの見解を説明していた。
息子は、国際社会に妙に興味があるらしい。
サンフランシスコの従姉の話をしていた時は、渡米前にあった大内くんの伯父さんのお葬式の話に。
「参列したかったのに、オヤジに『出なくていい』って止められたの、腹が立ったなぁ」と言うので、大内くんが、
「適当な時に自由に来てお焼香するタイプのお葬式じゃなかったんだよ。おばあちゃんから、『出席するかどうか、返事をちょうだい』って言われててね、親戚が20人ぐらい集まって、『全員お揃いですね?では』って扉を閉めて、式が始まるようなタイプだった」と説明した。
「密葬じゃん」
「まあ、そう。おばあちゃんは、伯父さんの奥さんの前で恥ずかしい思いをさせられたら、発狂しちゃうからさぁ、寝坊したり遅刻したりの常習者の君をカウントするわけにはいかなかったんだよ」
「なるほどー、そりゃ、しょうがないわー」
そこから、去年、家を出る直前頃に、昔お世話になった「おじちゃん」が亡くなった時、「お葬式に出ろとかなり強圧的に言われた」ことに当時も今も腹を立てている、と言われた。
それも、いったんは出ると言ったのに気を変えて突然出ないと言うからいけない、喪主である「おばちゃん」に息子も来ますよ、と言ったらとても喜んでくれていたので、がっかりさせるのがしのびなかった、信念があって出ないんだったら最初からそう言うべき、と説明したら、納得してもらえたみたい。
そう言えば、会社を辞めた頃とか家を出た直後は、まだ気持ちの整理がついてなくて荒れていた、と認めてくれた。
今回は、いろんな行き違いが解決したなぁ。
そのことだけとっても、やはりアメリカに行って前向きになり、ひとまわり成長したようだ。
あと、阿佐ヶ谷のパーキングメーターに車を停めた時、道路側から降りる運転手の私を走行する車からかばうように立った息子は、
「オヤジぃ、おふくろが危なくないように、ちゃんと見てあげなきゃダメじゃん」と注意していた。
あとからこっそり、
「私、車がびゅんびゅん来るのに気がつかないで、危なっかしかったのかなぁ?」と大内くんに聞くと、
「いや、うしろには注意してたし、危なくなかったと思うよ。彼は彼で、エスコートしてあげようと思ってるんだね。紳士だね」と感心しきりだった。
車の中でも、大内くんが運転手の私に、
「このまましばらくまっすぐね」と道を指示すると、
「どこまでまっすぐか、具体的に目標物をあげて説明した方が良くない?」とか、
「オヤジ、そろそろディレクションしてあげたら?」とか口を出していた。
考え方が、私に似ている。
でも、大内くんにも私にも似ていないことに、「親は大好きだよ」とのこと。
良かった。
自分に子供ができたら、人格をちゃんと認めてあげて、その子供から認めてもらえるような親になりたいと、それだけを考えてきた。
いわゆる「毒親の連鎖」を何よりも恐れていた。
完璧な子育てなんてないと思うけど、なんとか最低限のことはできたみたいだ。心からほっとした。
新しく買った、ちょっとカワイイ服を着ていたので、
「これ、買ったんだけど、どう?」と聞いてみたら、
「あんまり歳には見えないね」という答え。
ほめられたのかな?それとも年甲斐がない、と非難されたのかな?ドキドキ。
18年11月20日
定期預金をどうするか、銀行から電話がある。
「そのうち住宅を取得するために下ろすので、金利が低くても動かすつもりはない。有利な金融商品とか、興味ない。そのまま預かっといて」という内容を理路整然と話して、お引き取り願う。
丁寧に上品にしゃべれたかな?と気になる。
「大島弓子がタクシーに乗って『有閑マダムごっこ』を楽しむ」ネタが大好きだ。
オトナの自覚に乏しいので、オトナぶりたい。
郵便受けに入り切らない本の包みを届けてくれた郵便局の若いにーちゃんに、「年賀ハガキ」の注文をした。
注文を受けると個人にご褒美が出るらしくて、「自分から買ってもらって、ありがとうッス!」と嬉しそうなにーちゃんに、眼福眼福。
ちょっとジャニーズみたいなんだもん。
真っ昼間から「寝間着ですか?」って格好のおばさんをどう思ったかは、あまり考えずにおこう。
それにしても、人と会わない生活だなぁ。
エドモン・ダンテスだってファリア神父に会わなかったら正気を無くしていただろうから、大内くんの存在には本当に感謝だ。
銀行の人や配達のにーちゃんは、時々現れる看守みたいな立ち位置?
長老に言われた宴会の幹事をしなけりゃ、と思っていたら、カラオケに参加したメンツ向けにご本人から直々に連絡が回ってきた。
おそらく、あの時点ですでに完全に酔っ払って記憶がなく、私に指令を出したことも忘れているのだろう。ラッキー!
18年11月21日
大内くんは1泊の出張。
明日の朝イチに遠方での仕事があるので、会社が終わってから飛行機で現地に行っておく、いわゆる「先乗り」。
11時ごろ、ホテルに入ったと電話がかかってきた。
「しかしさぁ、1日仕事したあとに飛行機に乗って遠くに泊まりに行けって、大変すぎない?定年まで働かせて、地方の子会社に飛ばす、みたいな」と文句をつけると、
「そうだね、佐々木蔵之介はそんな気分かもね。地方じゃないけど」と言うのは、最近盛り上がってみてるドラマ「黄昏流星群」だね。
明日帰ってきたら、1日休んで、京都だ。
2泊の予定が1泊の旅行になったのはちょっとコスパ悪くて残念だけど、スケジュールがタイトだったから、これはこれでのんびり休みの日があって、いいのかも。
1日中、大内くんの本を自炊してあげて過ごした。
だって、書斎の床が半分がた見えなくなってきてるんだもん。
床に積む生活はもうイヤだよ。
今回の「悪魔の本」大賞は、昭和45年発行のヘンリ・ミラー「セクサス」上下巻500円の古本。
一見キレイでそれほど古くもなさそうなんだが、5ページ進むとローラーが止まる極悪本で、気が狂いそうになった。
上巻をやったところで力尽き、下巻は大内くんに残しておこうかとも思ったが、まあ結局やってあげちゃったよ。
文庫本を全部終わって、2冊裁断してあった単行本をついでにやったのが運のつき、これまた美本にもかかわらずたいそうな「悪魔の本」であった。
野上彌生子も、それを読む男も、大っキライになった。
1日古書を触っていたら、指先がガサガサになって、ひび割れてきた。
普段から古いマンガは触るが、大内くんの買う古本の古び具合はハンパない。
日頃はつけないハンドクリームをすりこんでおかねば。
生まれ変わっても、古本屋にだけはなるまい。
それにしてもあの人は、サラリーマン人生が終わったらどれだけ読書三昧する気なんだろうか。
「気力がないからあんまりたくさんは読めない」っていつも言ってるくせに、電子化してスペースを心配しなくてよくなってからと言うもの、買う勢いが止まらない。
きっと我々は、今持ってる本やマンガを、死ぬ時までには読み切れないんだろうなぁ。
18年11月22日
土曜日にカラオケをしたメンツの中に、Sさんという夫婦者がいる。
私より少し年上のとても親切な人たちで、昔からいろいろ問題児だった私にいつも優しく接してくれていた。
下の男の子がうちの息子と同い年、同じ大学に行ったこともあり、奥さんとは時々メールをやり取りして子育ての難しさを嘆き合う仲でもある。
Sさん夫は大したマンガコレクターで、ものすごい数の蔵書を持っている。
カラオケのあとの宴会で、最近気になっていたことを聞いてみた。
私「Sさんは、同人誌もけっこう持ってますか?」
S「ん?まあ、持ってるよ」
私「大昔、まだコミケがなくて『漫画大会』やってた頃に、『迷宮』ってあったじゃないですか」
S「ああ、『漫画新批評体系』」
私「かつては持ってたんですが、度重なる引っ越しなどで、処分しちゃったんですよね。今みたいにデータ化するまで持ってればよかったなぁ、って思うんです。今になって、読みたくって。持ってたり、しませんか?」
S「んー、それなりに、あるよ」
私「貸してもらうなんて、できますか?」
S「いいよー」
うわー、すごい!
「ポルの一族」とか、もう一度読めるんだぁ。
マンガを読みあさって、かぶれてただれて病膏肓に入っていた高校時代、東京でマンガ好きの集まるお祭りがあり、そこでは自分たちで作った同人誌も売られていると聞いて、矢も楯もたまらなくなった。
母親に懇願し、頭を下げて下げてついに友人と泊りがけで行く許可をもらい、出かけた「漫画大会」はとても素晴らしかった。
その時に何冊も買い込んできたのが、当時たいそう先鋭的なマンガファンが作った「漫画新批評体系」で、パロディなんて概念も言葉も知らなかった田舎の一高校生は、もうガツンとやられてしまった。
そもそもタイトルが、山上たつひこだもんなぁ。
「ポルの一族」の名セリフ、
「僕たちは大きくならない」「インポ?」なんて、当時は涙を流して笑い転げたよ。
私「ありがとうございます、Sさん!こないだ、大島弓子を全部読み返したら、あのパロディ思い出しちゃって」
S「走り去る後ろ姿?」
私「まさにそれです!大量の!どうして、大島弓子のマンガには後ろ姿が山ほどでてくるんでしょうね?」
S「肩をいからせた、サイボーグ走りでな」
私「そう、片足を上げて。あと、かっぽう着のお母さんを何十人も見る羽目になりましたよ」
S「ははは」
話の通じる人って、なんてステキなんだろう。
オタク世界では私なんか全然皆さんの足元にも寄れないんだが、結局、この界隈で生きていくしかないような気がする。
そこで、もう少し勉強させてもらおうと、ネット界にくわしい夫人にもヒアリングしてみた。
いっそBL沼にはまってしまおうかとすら思う今日この頃、その方面の指南を受けたかったんだが、S夫人は正統派で、BLはやらないそうだ。
ネットの泳ぎ方を少し教えてもらった。
思ったよりはるかに広く、危険な大海原っぽい。
「液タブを買え!」と勧める長老や、ソフトについて教えてくれそうなITの人々に師事し、今後の人生をマンガに捧げていこうかな〜と思い始めている。
だって、気がつけば頭の中はマンガばっかりなんだもの。
18年11月23日
明日から1泊の京都旅行。
年下の友人に会ったり、まんがくらぶの大内くんの同期に会ったり、私の大学の先輩に会ったり、とにかく日頃はなかなか会えない京都在住の友人知人皆に会ってしまおうという企画になっている。
食事だけの人もいるが、京都住まいの人は全員がお寺と歴史に詳しい民間観光特使のような気がして、とっても期待をしているんだ。
皆さん、どうぞよろしくお願いします。
京都の紅葉を見る前に、東京都内でも紅葉が見られるらしい「大田黒公園」に行ってみようかと思った。
近年では、この時期にライトアップをしているらしいのだ。
昔、阿佐ヶ谷の社宅に住んでいた頃、小さかった息子を連れてよく行った場所。
春は桜、夏はザリガニ釣り、秋は紅葉、冬は雪見の、実に風流な都会のエアポケットだった。
今ではすごい人出になってしまっているのだろうか。
3歳ぐらいだった息子が、あずまやで赤ん坊に離乳食をあげている若夫婦の、テーブルの上にちょっと置いたカメラのキャップを、あっという間もあらばこそ、いきなりひったくってその勢いのまま池に投げ込むという大参事が勃発したことがある。
大内くんは網を借りに管理事務所に走り、私はひたすら謝り倒しながら、
「これだから、安心できるのは子供がこんなに赤ん坊で無害なうちだけなんですよ〜!」と無意味に若夫婦を脅しつけたりしていたものだ。
あー、なつかしい。
阿佐ヶ谷近辺に住んでいる散歩の好きな友人に「紅葉を見に行かないか」と声をかけてみたのだが、先日会った時から忙しそうだったのが、体調を崩してさらに忙しくなってしまっているようだった。
「お誘いは魅力的なのですが、残念ながらパスです」と言われて、こちらもガッカリのあまり気力を失った。
都内の紅葉狩りは、また今度にしよう。
というわけで、今日は1日のんびりして旅行の準備だ。
「それでよかったよ。僕は昨日も旅行から帰ったばかりみたいなもんだし。なにしろ京都の上空を飛び越してきたわけで」と、出張帰りの大内くんも言う。
明日は朝早い新幹線。
「10時に京都駅に着きます」と向こうの友人に連絡したら、「朝に強い大内家ならではですね」と感心された。
「たぶん始バス」と言うと、「初めて聞いた!終バスがあるんだから、始バスもあり?」とのこと。
(いつも朝早く出張に出かける大内くんにはあたりまえの用語だったらしいが、ブラックの証であったか)
早朝の出発は、そこからものすごく楽しいことが始まりそうな予感がして、大好きだ。
早起きしよっと。
18年11月24日
京都旅行記 その1
今日明日と1泊の京都旅行。
大内くんも私も初めて、と言うか、修学旅行では行ったことがあるが団体行動でぞろぞろ歩いてただけだし高校生は寺社仏閣なんか見てやしない、というよくあるパタンだったので、実質は初京都体験だ。
この時期、紅葉を求めて全国から、いや、海外からも観光客が殺到するらしい。
もともとは、共通の年下の友人と3人旅の予定だったのが、よんどころない事情で彼女が行けなくなったため、我々のみで。
2泊3日で1夜は京都在住の彼女の友人Eさん宅に泊めてもらうはずだったけど、初めて顔を見るEさん夫なるものも存在する中、間を取り持つキーパーソンがいない状態ではちょっと、ということで、最初から取ってあった土曜夜のホテルを生かす形で成立させた。
直前に23日金曜夜の宿を取ろうと試みたところ、どこも満室で、空いてる部屋は2人で「16万」「21万」というものすごい状態だったのだ(涙)
秋の三連休の京都、恐るべし。
そして、我々はこの言葉を幾度となくつぶやくことになるのだった。
(が、今はまだそれを知らない)
例によって私は興奮し過ぎて眠れなくなり、前夜国内出張から遅く帰ってきた大内くんが「もう30分寝る」「もう10分」とあきらめ悪く寝続けている横で、やたらに荷物の詰め替えをしていた。
たった1泊で、何をそんなに準備するのか。
人によっては手ぶらで行くようなスケジュールであるのに、どうせコロコロトランクを持って行くし、暑かったらどうしよう寒かったらどうしようと、迷いっぱなし。
火照って汗をかく体調が改善されないまま冬を迎えているため、仕方ない、薄い上着で行こう、と決断しかけるたび、京都で会う予定の人々が親切に連絡をくれる。
「この週末、こちらはとても寒いです。京都の冬をなめてはいけません」
最後、分厚いダウンコートを着た去年の写真をEさんに送りつけ、
「このコートで大げさではありませんか?」と聞く羽目に。
答えは、「全然!」だったけど、いきなりライン画面に私のコート姿が浮かび上がったので、驚いたらしい。
写真の前に本文を送るべきだった!
そんなこんなで出かけるまでに手間取ったけど、大内家の朝は早い。
6時過ぎには家を出て、7時過ぎには東京駅に着いていた。
京都駅に迎えに来てくれる手筈のEさんにはすでにお礼代わりの引っ越し祝いの品を送ってあるからいいとして、明日の案内を買って出てくれた私の大学の先輩Tさんに、何にも用意していない。
「ごめんね、昨日までに僕がおしゃれなスイーツとか買っておければよかったんだけど。手ぶらもなんだから、駅で何か買う?」と気を揉む大内くん。
グルメで鳴る京都の人に「東京ばな奈」持って行くのも東えびすの面目躍如すぎるだろう、「お江戸の人は、かなわんわぁ」と言われてみたい気持ちをねじ伏せて、「お昼ごはん代を持とうね」と決着した。
熱いコーヒーを買ってのぞみの座席に収まり、糖質制限上駅弁は食べられないからと持参した「低糖質弁当」を広げる。
ゆで卵、チーズ、自分で焼いた低糖質フィナンシェ。
「塩はどうやって持って行く?」と聞く大内くんよ、そのことを1週間前から考え抜いていた私をほめてくれ。
目薬を入れる小さなジップロック的袋がね、ぴったりなんだよ!
昔なつかしく「紙で包む」ってのも考えましたけどね。薬包紙的に。
お弁当食べながらおしゃべりしていて、気がついたらばっちり富士山側の席だった!
大きく、キレイに見えた!半分がた、冠雪してる。
名古屋停車中にちょうど高校の同窓会ライングループに、誰かが赤ちゃんパンダの名づけに応募していい線行ってる、って投稿があってにぎわっていたので、ご挨拶がてら、
「京都に紅葉を見に行くところ。今、名古屋に停車中」って投稿したら、次々に紅葉写真が現れた。
名古屋から京都はとても近いため、気軽な観光先であるらしい。
「先週行って、今週は用があるから行かないけど、来週はまた行く」との剛の者も出現。どれだけ近いのか。
新幹線で30分、の距離感は、東京における鎌倉のようなものか。
大学時代の帰省にたっぷり2時間かかっていたことを思うと、京都まで2時間15分は早すぎる。
ラインで連絡を取り合っていたEさんと、改札で会えた!久しぶり!
今日はよろしくお願いします!
まずは徒歩5分ほどのホテルにトランクを預け、前の通りからタクシーを拾って、最初の目的地である岡崎の「六盛」へ。
大激戦の人気店で、店の名を聞いた運転手さんが、
「予約、取ったはります?いきなりは、無理ですよ?」と心配してくれるほど。
大丈夫です!Eさんがちゃんと事前に頑張って、予約を取ってくれてます。
「混んでますからね、裏道を行きますよ」と、かなり親切な運転手さん。
望むところだ、表通りをすい〜っと行かれる方が、観光客としては欲求不満。
民家やお店(町屋?)が立ち並ぶ細い道を、
「あそこの屋根の上に、『鐘馗さん』が立ったはりますやろ」
「そこの垣根みたいなんが、『犬矢来』ですぅ」などと、細かく説明してくれる。
「東京と違って、道がわかりやすいねぇ。ナビの画面が、全部直線になってる!」などと後ろの席ではしゃいでも見逃してくれるし。
正直、びっくりした。
いかにもの観光客なんかバカにして相手にしてくれなくて、不快な思いをすることまで覚悟していたので。
助手席に座ったEさんが、出身こそ地方だが、今はバリバリの京都人なおかげだろうか。
「洛中以外は京都とは言わない」と怖いことを言う運転手さんを、
「うちはいちおう上京区なんですぅ」と笑って撃退できるのがすごい。
もっとも、運転手さんもねばって、
「三代続いて、やっと京都の人ですわ」と言い返していた。
コブラ対マングース。
道行く人に着物姿が多いので、
「やっぱりこちらの人は日常よく着物を着られるんですか?」と訊ねたところ、運転手さんとEさんが2人がかりで答えてくれたところでは、観光客が貸衣裳を着て京都気分を味わうらしい。
日本人も、着物コスプレ?
明日の案内を引き受けてくれた先輩が、「どこに行きたいですか?マンガミュージアム?お寺、何かの体験?」と聞いてきたのは、そういうことなんだろうか。
それはそれとして、あたかも観光タクシーを雇ったかのようなラグジュアリーな気分と思ったら、実際に今日の運転手さんは観光の仕事がドタキャンになってあぶれたのだそうだ。
修学旅行、と聞いて、「高校生がタクシーなんか乗るんですか?」といぶかしがる大内くん、庄司陽子の「生徒諸君・教師編」とか読んで勉強せよ、最近の修学旅行は、小グループに分かれてタクシーも使い、1グループ1台のケータイも許可される。
そして、女子の行く先は「舞妓さん体験」だったりするのだ!
何から何まで、京都の不思議。
「六盛」に着くまでに、疑問符と感嘆符でアタマがいっぱいになってしまった!
まだ予約の時間には間があったので、運転手さんは車を平安神宮につけてくれた。
よくよくお礼を言って降りたが、あとから考えると、チップをはずんでも良かったぐらいだったなぁ。
いやぁ、いいタクシーに当たった。
ただ、不吉な言葉として、
「今年の紅葉は、ダメ。猛暑と台風で、さんざん」と言い遺された…
「結婚式も、多いんですよ」とEさんが言う平安神宮の大きな門の前で、しばし別れて自由行動。
我々は広い境内(?)を「おおー」とか言ってそぞろ歩いた。
七五三なのだろうか、小さな女の子がかわいらしい着物を着て歩いている、その足元は寒いのでスパッツだったりするのが愛らしい。
男の子の正装も、どこか関東とは違うはんなりした洒落た雰囲気がただよう。
イマドキはよその子供さんにカメラを向けたりするのは逮捕案件なので、ぐっとガマンしたが、非常に興味深かった。
「関東の権現造りとは違う、入母屋造り」と大内くんがレクチャーしてくれても、さっぱりだ。
「何それ?」
「日光に行ったでしょ、あれが権現造り。屋根が反り返ってて、やたらに彫り物があって、派手」
「ここのは、塗装が剥げただけなんじゃないの?お寺はどこも、元々は最新式でキンキラキンだったんじゃないの?」
説明するのが面倒くさいのか、黙ってしまったよ…
横手の宮っつーんでしょうか、建物に入ってみたら、全国のお菓子展をやっていた。
とらやも、福砂屋のかすてらもあった。
化粧箱の脇に小さなガラスドームに入った見本が置いてあるのを見て、「試食用かな?」と食べたそうに騒ぐ大内くん。
んなわけないじゃん!切ってもないし、爪楊枝もないんだよ!
再びEさんと会い、「六盛」まで歩く。
11時半の予約ぴったりに来たものの、店内の待合スペースは大混雑していて、畳敷きの大広間にテーブルを置いた客席に案内されるまで、けっこう待った。
注文は名物の「手をけ弁当」に決めており、サイドメニューの「鮎の甘露煮」をひとつ頼んで3人でつつこう。
運ばれてきた「手をけ」には、繊細で美しい京料理の粋が凝らされていた。
野菜の煮物と刺身、焼き物の魚(鰆?)はわかるが、小さな蛸?大根の、これはなますだね?謎の茶色い板状のものは、何やら魚の卵っぽい。ウニのような鮮やかなオレンジのものはなんだろう。葉っぱに包んであるのはあんこの入ったお餅みたいだ。デザート扱いかしらん?
頭の骨から食べられるほど柔らかく煮た鮎は、生姜が効いてて美味しかった。
ごはんは苦手な栗ごはんで、大内くんが「いかん!」って顔でちらっとこっちを見たけど、珍しい機会だから、食べるよ。
いかにも京都に来たなぁと感じられる、優美なお昼ごはんでした。
おしゃべりしながらゆっくり食べて、13時には次の予約のお客さんを入れるそうだから出なくちゃね。
同じ店のカフェスペースが14時に開くのでこれまた有名なスフレを食べたい、と聞いてみたら、13時半から名前を書いて受付できるそうなので、それまで近所で時間をつぶそう。
本の好きなEさんが「東京とは品揃えが違うかもしれませんから」と連れて行ってくれた「蔦屋書店」は、展示が凝っていて、面白かった。
本屋とか図書館は、この世に存在する本のどれをどう並べるか無限のバリエーションがあるので、趣向を凝らしてもらえばいくらでも楽しめる。
和の小物をいろいろ売っているのもいいね。
記念に、小房のついた「煤竹の耳かき」を買う。税別600円で、お得ナリ。
耳かきって、家にいくつあってもいいものだから。
(もっとも、あとからEさんにそう言ったらびっくりされた。普通の家には1本しかないものらしい。うちには5、6本あり、あらゆる立ち回り先に置いてあるんだが。車のダッシュボードと旅行ポーチの中のは別カウントだし)
首尾よく13時半が近づいてきたので、店に戻る。
「ロームシアターです」と横を通りながら言われ、「何の劇場?ローム?労務省?」といぶかしがって説明された「ROHM」という会社を大内くんも私も知らないと言うと、Eさんはとても驚いていた。
E「半導体の大手ですよ?京セラはご存知ですか?」
2人同時に「ハイ、知ってますよ」
E「同じぐらい有名ですよ?!」
困った大内くん、
「えーと、日本碍子、って知ってますか?」
「はい、知ってます」と言われてますます困る。
知りません、と言われる前提で、「地元の大手企業が知られてないことはよくあるんです」と言うつもりだったのだろう。
私も、父が勤めていたこの会社が名古屋だけで有名だって、東京に来るまで知らなかったよー。
今ではコマーシャルも打っていて、知られるようになったけど。
しかし、それはまた別のお話。
13時半にさきほどと同じ待合室に入って、またおしゃべりをしながら待つ。
席に案内される前にメニューをもらったので、事前に注文ができた。
スフレ初体験のEさんはオーソドックスにバニラ、私はチョコレートが好きなんだが、こないだ星乃珈琲店で2つも食べたから、今日はりんごのお酒カルヴァドス風味にしよう。スフレ本体には煮りんごも入ってるらしい。
大内くんにチョコレートを頼むようにお願いして、ひと口わけてもらう算段をちゃっかりと。
スフレは、小麦粉が少ししか入ってないから、糖質制限中でも食べちゃうの。糖分?…無視!
14時になって案内されたカフェは、こじゃれたバーのよう。
天井近くに飾ってあるたくさんの「うちわ」のようなもの、実は「ちまき」で、しかも中身が入っていない飾りで、縁起物なのだとEさんが教えてくれた。
「長刀鉾(なぎなたほこ)」などの名が書いてある。
鉾とちまきについて説明され、なかなか理解しづらい概念だったが、たぶん、年末に人々が買う熊手のような存在。
縁起物って、生活にすごく浸透してるから、よその土地の人が聞くと不思議な気がするんだよね。
私はかなり縁起物に縁のない生活だし。無宗教?
熱々のスフレはとてもおいしかった。
テーブルの上に立ててある説明書きの通り、大胆に上部を割ってソースを流し入れて食べた。
たとえ失恋したばかりでも、スフレは運ばれてすぐに食べないとしぼんでしまう、って林真理子も書いている。
お店を出て、Eさんが大好きだと言う寺町二条のお店めぐりに出かけるんだが、あまりに長くなったので、今宵はここまでにいたしとう存じます…
続きは次回。
京都旅行記 その2
またタクシーに乗ると、今度の運転手さんはちょっとコワかった。
わりと「つけつけ」と物を言う。
親切なんだかつっけんどんなんだかよくわからない京都タクシー、もしかして運転手さんは、ツンデレ?
「今年の紅葉はダメ」という点は前の方と同じ意見か。
すぐに寺町二条に着いて、古本屋めぐり。
Eさんがイチオシの「三月書房」は古書店ではないそうだが、えーと、書いちゃっていいのかな、本によっては割引している。50%とか。
「出版社との関係はどうなってるんでしょう?」とEさんと大内くん、ひそひそ。
マンガのレアさ加減がすごい。
旅先ではあるし、本買いは果てしがないので厳禁、と戒めていたはずが、気がついたらわたなべまさこと手塚治虫を買っていた。
何度も店外に出て、軒下でスマホをぽちぽちやってアマゾンに出てないことや出ていても値段がどうかを細かくチェックして。
なんだ、意外と冷静か。(自分)
何軒目かの古書店で、大内くんも欲しい本を見つけたようだ。
買わずに出てきたので「どうしたの?高かった?」と聞いたら、「2千円ぐらい」。
「買え!なぜ迷う!?」と「糸井重里萬流コピー塾」からのお気に入りのセリフで店内に叩き戻すと、やがて出てきた時は本の包みを持っていた。
「迷った挙句だったせいか、1500円にしてくれた」
「もう1回迷えば、千円になったかも!」と盛り上がる。
歴史の好きな大内くんは、「山伏ユダヤ教説」とか「サンタクロースなまはげ同一起源説」とかいろいろ面白い自説を持っている。
引退後、そういう研究を進める趣味の老爺になるためには、寺に残っている古文書などのくずし字を自分で読めた方が便利だと思い、書道を習うことを勧めているんだが、「字はヘタだから」と腰が引けているみたい。
それならなおさら!
今回買った本が「くずし字解読辞典」であるのは、書道に近づく道か遠ざかる道か。
お茶屋さんも入ってみた。
いい匂いがする。
古都の香り、和の香りだね。
「左利き用の急須」なるものを発見し、もしも左利きだったら欲しいなぁと思った。あいにく右利きだ。
思いっきり高い玉露とか買ってみようかと一瞬思うが、さっき本屋で散財したのでやめておこう。
と言うか、なんで本屋での散財はこれほどノープロブレムなのか。
お店冷やかし歩きを堪能し、そのまま徒歩で御所へ。
御所は素晴らしかった。
広々としてるのに侘び寂びがある。風情がある。
人がいないのがいいね。
天皇さんも、隠居したらこっちに来られたらいいのに。
そう言えば、京都旅行の計画を練っている時、「勤王方と佐幕方に分かれて、チャンバラをしよう」という無茶な企画が出た気がする。
実行するとしたら、この御所内でのことだったんだろうか。
確かに広々としていてなんでもできそうだが、建物の塀に近づきすぎるとセンサーが働いて「離れてください」と音声が鳴るという噂であるのに、たちまちの剣劇は見逃してもらえるのだろうか。
ちなみに、警告音声を確認したかったので何も知らない大内くんを「もっと塀ぎわを歩きなさい」と押しやってみたが、どうやらいわゆる「どぶ」にあたる水路様の部分を越えなければ何も起こらないようだった。残念。
「蛤御門」を眺めて幕末に思いを馳せたのち、タクシーを拾ってEさん宅に向かう。
この時の運転手さんは、これまでで一番過激派。
「近くですみません」とEさんが言うと、
「みんなそう言うから、タクシーの運転手は耳にタコなんだよね。すまないと思うんだったら、余分にお金置いてってよ。お金さえ払ってくれりゃ、いいんだよ。近いからとか、いちいち言わんでもいいの」。
ご挨拶である。
その後も、「運ちゃん語録」をちゃくちゃくと形成する。
運「なに、御所に行って来たの?」
E「はい」
運「あんなとこ見てもしょうがない。永観堂行きなさい。御所の、百倍いい。でも、人だらけでとても見られないよ」
うちは家計簿をきちんとつけているので支出にはレシートが必要なんだが、降りる時に料金を払った大内くんが「レシートください」と言うと、
「少ししか払わない客に限ってレシートくれって言うんだよね」。
これを書いている今も、大内くんが私に「我が家は家計簿をつけるためにレシートをもらう」とちゃんと書いてくれと頼んできた。
レシートを使って公費で落としていると読者に思われる、と心配しているらしい。
そして、この運ちゃんもやはり、
「今年の紅葉はダメ。夏が暑すぎたし、こないだは台風が来たし」とぼやくのであった。
「紅葉、キレイじゃないですか。運転手さんはみんな、悪く言うけど」と降りてからEさんに言うと、
「京都の人は、『自分とこなんか』って何でも謙遜するんですよね」と苦笑していて、どうやら、謙遜するからと言って心の底から「つまらないもの」とは思っていなくて、むしろ「自慢しい」なのだろう。
このへんのメンタリティは、実に面白い。
謙遜を真に受けると怒り出すタイプか。
Eさんのお宅は、古民家を改築したもの。
私にとってはとても珍しいガラリの玄関、京都ではまだ多いのだろうか。
東京でも集合住宅にしか住んだことがないせいか、いわゆる住宅街はあまり見たことがなく、これが京都の雰囲気なのか家が寄り添って建っているとみんなこうなのか、知らないもんだとあらためて思う。
手すりのない板の階段や、床の一部が透明で下のダイニングが見える二階の部屋、天井に傾斜のついた屋根裏を思わせる寝室など、あちこちが創意と工夫に満ちていて、建売やマンションしか知らない身にはとても贅沢で素敵な暮らしに思えた。
建築士さんと一緒にずっと頑張ってきたEさんの、苦労もすっかり報われただろう。
初めて会うご主人は、一本気でまっすぐな人のようだ。
京男だからちょっとくねっとしたとらえどころのないタイプを想像していたんだが、たいそう男らしい。
それでも暑苦しい男くささではないところが、やはり京の油断ならなさか。
写真でだけ見ていたお子さんたちにも会えて、嬉しかった。
お茶をいただくのが精一杯の1時間ちょっとの訪問だったが、次回は共通の友人であるAさんと一緒に泊めていただいて、かなりの酒好きであるらしいご主人と大内くんが一緒に飲むところを見てみたい。
ご主人は、まだ我々のことを知る前に、息子と我々がテレビに映ったところを「たまたま」見ていたのだそうだ。
「普段は見ないのに、ほんっとに偶然、見てたんですよ。子供がお笑いやりたいって言って、養成所の契約書持ってきたら、お父さんが『悪いけど、お父さんは会社で契約書を見る仕事してるんだよ』って冷静に筋の通った話をしてるのを見て、へー、こんなお父さんもいるんだー、って印象に残ってました。それが、うちの奥さんがよく話に出すようになる大内さん一家だとは。ネタばらしされたあとでご主人が、『この紙が、くしゃくしゃになってたら、ああ、自分の一生のことだと思って真剣に考えたんだなぁ、って心を打たれたのに』って言ってたんを、よく覚えてます」と語ってくれた。
小さなお店を開き、講座や勉強会をして行きたい、と言うご主人は、年に1回細々と「休日講座」を続けている大内くんととても似た人なのではあるまいか。
軌道に乗ったら、大内くんを東京から出張講師として参加させてあげてほしい。
私はキッチンでEさんとお菓子を作ろう。
Eさんがタクシーを呼んでくれようとしたが、電話がつながらない。
とりあえず広い道まで出て拾おう、と見送りに来てくれた。
すっかり暗くなった街に出て、タクシーを拾おうとするんだが、全然つかまらない。
東京では、タクシーの前部に赤い文字が光っていたら「空車」で、手をあげれば止まってくれるんだが、こちらでは「賃走」と出ており、空でも実走中なので止まってくれない。
この違いにとまどう大内くん、もう、すべてのタクシーに手を上げて一生懸命拾おうとしてくれるんだけど、いかんせん、空車が通らないんだよね。
大内くんの友人と京都駅近くの店で会う時間が近づいている。
夕方だし、連休の京都市内は混んでいるようだから、たっぷり30分以上かかるらしい。
少し焦り始めて、バスとか乗った方がいいのかしらとバス停に近づいてみたが、これまた並んでる乗客を乗せずに走り去るぐらいの大混雑。
Eさんの電話がやっとタクシー会社につながって、とりあえず1台差し向けてもらってるところへ、離れたところで手を上げていた大内くんにすーっと近づいてきて止まってくれたタクシーあり。
我々も駆け寄ると、なんと、運転手さんは歩道わきにある公衆トイレに駆け込んで行った、と途方に暮れる大内くん。
「出てくるのを待って、お願いしてみようねぇ」と、「運転手さんに何が起こったか」の想像をトイレの前で話し合っていたら、Eさんが呼んでくれたタクシーが到着した!
Eさんにあわただしくお礼とさよならを言いながら乗り込み、駅に向かったが、惜しいことをしたなぁ、あの車に乗って、運転手さんを「で、大でしたか小でしたか。突然、激しいナニカに襲われたんですか?!」と問い詰めてみたかったなぁ!
ごく穏便に我々を乗せてくれた、本日4人目になる運転手さんは、ある意味、一番無難でドラマのない人だった。
ひどく混んでいることをずっと気に病んでいて、三連休の中日なので大変だとこぼしつつも愛想も人当たりも良く、しかしやはり、今年の紅葉はダメだと言っていた…共通認識?
ここらで章を変えよう。
「わらじや」編は、次回。
京都旅行記 その3
やはり道路はとても混んでいた。
待ち合わせの相手に電話をしてもつながらなかったので、お店に電話してみたら、15分前の時点でもう彼は席に着いていると言う。
店内だから、電源を切っていたのだろう。
店の人に「少し遅れます」と伝言を頼んだあと、大内くんはケータイメールで「ごめん!」「いえいえ、ゆっくり来て」などとやり取りしているようだった。
なんと30分過ぎてやっと到着、行きがかり上運転手さんまで申し訳なさそうで、いい人だったなぁ。
店に入ってみると、なつかしいWくんが座っていた。
大内くんと大学のサークルで同期だった彼は、卒業後京都の大学に勤め、そこで結婚した。
京都での式には我々夫婦も呼んでもらい、おう、そうすると修学旅行以外にも来たことあったんじゃないか!
そう言えば、東京駅に向かう電車の中で私がおなか痛くなって、途中の駅でトイレに行ってたもんだから、新幹線ホームに向かってハイヒールで全力疾走したけど乗り遅れた、なんてことがあったよ。
指定席は無駄になっちゃったけど、すぐに取り直して事なきを得たような気がする。
結婚式のあと枝垂れ桜を見たのは、平安神宮だったんだろうか。
「遅れてごめんね」と謝ると、変わらず紳士的なWくんはにこにこと「いえいえ、全然」と言う。
大内くんが「元気そうだね」と言ったら、実は元気じゃないんだそうだ。
少し前に病気をして、今もあまり体調が良くないらしい。
私の手術の話も含めての健康談議となり、お定まりだが、
「お互い50代ともなると、油断がならない。健康は大事にしよう」という話になった。
この店は鰻料理、「う雑炊」で有名らしい。
大内くんがいつものように糖質制限をWくんに伝え忘れたからで、まあいいか、たまにはおコメ粒を食べよう、とは思ってたし、もうおかまいなしにビールも飲んじゃってるんだが、突出しのあとに出てきた「うなぎ鍋」が、少ない!
うなぎのぶつ切りと平らに作ったお麩とネギ、春雨が入った平たい土鍋は、3人で小鉢にふた皿ずつ取ったら、もうなくなった!
「このあと、お造りとか焼き物とか出るのかな〜うなぎ料理なら、う巻かな〜うなぎの白焼き食べたいな〜」とか思ってたところ、さっき下げられた鍋がいきなり「う雑炊」になって再登場。
もう雑炊かい。
お互い健康状態に自信のない中高年なので、あまり飲まずにちびちびやりながら雑炊をつついていたら、お運びさんが私のお新香を派手にひっくり返すという大参事のあと、もうフルーツが出た。
いや、歳だからそんなに食べないけどさぁ、これだけなの?
19時半の時点で飲み物のラストオーダーを取りに来るわ他のお客さんはみんな帰ってしまったわで嫌な予感はしていたんだが、20時に、
「もう、お店閉めますので…」と言われた。
かなり驚く。
そうと知っていたら、なんとしてももっと早く来るんだった。
お店を指定してくれたWくんも、こんなに早じまいとは知らなかったらしい。
23年ぶりに会ったので、もうちょっとゆっくり話したかったけど、体調が不安な彼を次の店に誘うのもはばかられ、別れることになった。
トイレに立って戻って来ると2人でお会計をすませたようだったが、よく聞いてみたら、全額Wくんが持ってくれたらしい。
「ダメだよ、そんなの!」と抵抗したが、大内くんが意外とすんなりのんで「じゃあ、お言葉に甘えて」と言ってしまったのでそれで決着しちゃったが、1人対2人だよ?!
おまけに、彼と別れてから聞いたら、すごく高かったの!
あれだけしか食べてなくて、ビール1本と日本酒2合しか飲んでなくて、そんなに!って驚くぐらい。
「ぼったくりだねぇ」って、2人で笑い出しちゃったよ。
人と会ったあとはいつも寂しいんだけど、でも大内くんと2人でよその街を歩いてるのは楽しくて、結局ホテルまで20分ぐらい歩いた。
別れ際にWくんに、
「最近、くらぶの人たちにけっこう会うんだよ。でも、皆さん愛憎半ばするって言うか、手放しで『懐かしい!また会いたい!』ってならないみたいね。複雑そうな顔してる人も多い。Wくんは?」と聞いたら、
「そもそも、元から少し距離をおいてたからなぁ…」と、やっぱりにこにこしてた。
飲んでる最中に、ふと、
「自分がこうなるとは、若い頃は思ってなかったよ」と言うので、
「Wくんは若い頃から穏やかで、今の姿はその頃の延長線上にあると言ってもいいと思うんだけど、どういう自分になると思ってたの?」と真面目に聞いたら、
「いや、とにかく、この歳になるってのが、想像がつかなかったよねぇ」と言われた。
そりゃそうだけど、歳はとるし、いつかは死ぬよ。
この話をもうちょっとしてみたら面白かったかしらん。
ホテルは「ダイワロイヤルホテルグランデ京都」。
日頃はアパホテルを愛用する我々には、贅沢すぎたかも。
いろいろわかりにくくて、何度も何度もフロントに電話する田舎者を実演してしまった。
Q:浴衣はないんだろうか
A:デスクの引き出しにあります(わかりにくい!)
Q:フィットネスがあるけど大浴場はないの?有料?
A:無料ですが、マシンが4台あるだけで、お風呂はありません
Q:朝食のチケットをもらったが、「15%引き」と書いてある。有料?
A:朝食のついたプランです。割引券にもなっているだけです
Q:目覚まし時計はないのか
A:デスクの上にあります(見当たらない)モーニングコールをご利用ください
「ビジネスホテルってのはわかりやすくできてるもんだ、とあらためて痛感する…」とやや茫然とする大内くん。
ゴージャスすぎるホテルなんてキライだよう…
明日の朝は、私の大学の先輩Tさんがホテルまで車で迎えに来てくれることになっている。
「この時期はどこも混むので朝早く出発した方がいい」と言われていたんだが、ちょうど明日の朝10時に、「柳家喬太郎さんの落語会のチケット」が発売になる。
友人たちの分もあわせて4枚のチケットを取るのは、毎回、発売開始直後から分刻みの真剣勝負。
自宅パソコンの前にいられない今回、ノートパソコンを2台持って行くしかない!と言う大内くんを、
「タブレットではできないの?」と一刀両断したものの、10時にチケット取れるまでは動けないと思い、先輩にも10時過ぎのお迎えをお願いしていた。
ところが、ホテルで漫然とテレビのニュースを見ていたら、京都市内はどこも国内国外のお客さんで大賑わいらしい。
道路は渋滞、寺社仏閣は大混雑、飲食店には長蛇の列。
今日1日の経験に照らしただけでも、「確かにこれはイカン!」と震え上がった。
「ねえ、10時にWi-Fi完備のホテルにいなくても、スマホのテザリング機能を使って、屋外でもタブレットで接続できるんじゃない?車の中なりお店なり、場合によってはお寺の境内でも、座って操作さえできれば」と提案してみた。
「なるほど!大丈夫かも」との同意を得て、先輩に連絡してみた。
「もっと早く動くこともできると思います。ご都合はいかがですか?1日あちこち行ってみて、この三連休の京都は油断ならないと痛感しました」
すぐに返事が来て、
「そうでしょ!半端なく人が多いですから!」と、快くもっと早い時間のスタートにつきあってくれそう。
行き先の選定も含めて相談し、8時半のお迎えに予定変更してもらった。
明日の予定も立ったし、
「親切な人だねぇ。ありがたいよ」と手を合わせて先輩の存在を拝む大内くんと私。
今日は、あり得ないほど歩いた。
たくさん持ってきたサロンパスの過半を投入して脚に肩に貼りまくり、今夜はとにかく寝よう。
18年11月25日
京都旅行記 その4
6時に起きて、まだ起きたくないとぐずぐず言ってる人を尻目に、盛大に寝癖のついた髪を洗う。
朝風呂は、旅先の贅沢。
7時にはダイニングに行って、予想に違わぬ豪華で洒落たビュッフェを堪能した。
大内くんは珍しくトレイにのせたものを食べ切れないほどで、ヨーグルトを手伝わされた。
朝から薄切りステーキ2片も食べるからだよ。
すっかり支度をすませてチェックアウトし、ホテル前の道で先輩Tさんを待つ。
連絡取り合って、すぐに来てくれた。
近づいてくる赤い車を視認しつつ、最終確認で大内くんに、
「冷蔵庫の中のものも回収したね?」と聞くと、「あっ!」と言って、すっ飛んでった。
チーズや飲み物を入れていたのを、そのままにしてきてしまったようだ。
車を停めたTさんが降りてくるのとほぼ同時だったので、
「すみませ〜ん、今、忘れ物を取りに」と説明する羽目になり、初めて会う「ミスター大内」の印象は地に堕ちたかも。
それにしてもTさん、お久しぶりです!
大学の女子寮閉鎖の集まりでお目にかかったのは、数年前?
FACEBOOKでずっとお互いにフォローし合っていて、あんまり久しぶりな気がしないですね!
じきに大内くんが戻ってきて、ご挨拶ののち、私は助手席、大内くんは後ろに乗せてもらって出発。
「まだ道がすいてるから、永観堂に行きましょうか。この時間なら、大丈夫!」と請け合うTさんの運転は、とても上手。
私と会話しながら、碁盤の目の道路をすいすいと、たぶん北上している。
渋滞とはほとんど無縁に「永観堂」に着いた。
さすがに入り口付近はタクシーを降りる観光客で少し車の行列。
「どこかに車を停めるから、連絡取り合って、あとで会いましょう。1時間ぐらい、永観堂を観光していて」と言われて、
「はい、じゃあ、この門のあたりで」といったんお別れ。
入場料の列に並びながら
「これで『今年の紅葉はダメ』って言われちゃうの?どこも、すごく綺麗じゃない!お寺の渋いモノクロさ加減と鮮やかな紅葉、さすがに絵になる!」と喜んで写真を撮りまくる。
すでに敷地の中に入れている人々が柵の向こうに見え、あの人たちはいったい何時から現場に来ていたのであろうか。
「境内に入りました!」と連絡すると、
「こちらは哲学の道で永観堂に向かっています」と返事が。
あとで合流したら、我々も「哲学の道」を案内してもらえるらしい。
名前を聞きかじっている「南禅寺」に行くんだ、わくわく。
上り下りの多い境内を夢中になって歩いているうちに、「特別宝物展」なる掲示が出現。
「これ、見ようよ。お金はかかんないみたい」
私には、そこが重要。
中も上り下りが多い。
からくり屋敷かと思うぐらい、廊下が曲がりくねって、どこにいるんだかさっぱりわからない。
「撮影禁止」の札が多い気がするが、誰も気に留めず撮りまくっている。
脚が痛みがちなのを気づかって、小さな屋内用エレベータがあるのを見つけて乗せてくれる大内くん。
うん、ここ数年、こういうとこに来ると、「車椅子だとどうするのかなぁ」ってつい考えちゃう。
柵の奥の薄暗い空間に立っている「みかえり阿弥陀如来」を眺めて屋外に出たところで、
「あと10分で10時だよ。スタンバイしなきゃ」と言われた。
ああっ、すっかり完全に忘れていた!大内くん、頼りになる!
通路わきに石のベンチがあったので、2人で並んで腰を下ろし、リュックからタブレットを2台出して接続確認。
Tさんにも、「スタンバイ中です。10時ジャストにアクセスし、チケットが取れたら終わります。お待ちください」と連絡しておく。
それぞれチケット販売のURLは登録してあったから問題ないけど、10時の時報とともに現れたボタンを押すも、「つながりにくくなっております」のメッセージ。
いつもこうなんだよ〜!
「戻って、もう1回トライして。ああ、ログアウトしちゃダメだよ!」と叱られながら、何度もボタン押す。
大内くんが、「取れた!」。
これで、2枚は確保。
会員1名につき2枚限定なので、私も頑張らないと、友人たちの分がない。
「つながらない〜、動かなくなっちゃった〜」と悲鳴を上げたら、
「もう、残席がほとんどないよ!貸して!」とタブレットひったくられた。
息詰まるような1分ほどののち、再び、「取れた〜!」。
その間、5分ほど。そして、完売。今回も激戦でした…はあはあ(肩で息)
「修羅場ではあるけどさぁ、お互い、人間性が出るよね。血を見るケンカになりそうだった。あなたもこういう時は、人が変わるねぇ」と軽く文句を言ったら、いつもの穏やかで優しい大内くんに戻っていて、
「ゴメンね…焦っちゃって…感じ悪かった?」と恐縮してた。
「こういう時こそ、思いやりを持ちたいよね。無理だけど」とねぎらい、Tさんに「取れました!今から門に向かいます」と連絡。
入ってきた時よりもさらに混雑の増している門の外で、Tさんは箒を手にしたお寺の方と話し込んでいた。
我々の姿を認めて、相手の方に、
「お話ししてくださって、ありがとうございました」とにこやかに頭を下げるので、私も、
「お世話になりました」と一礼すると、小僧さんのまま年を取られたような清々しい笑顔で、
「ほんまに楽しいお人ですなぁ」とおっしゃる。
Tさん、最強だ!
大内くんを後ろに従える形で、おばさん2人で並んで歩いた。
「哲学の道」は京大の哲学者たちが思索を巡らしながら歩いたことからその名がついたそうだ。
「人は人、って歌だか言葉があるのよね」とTさんが教えてくれて、今、ウィキ見てるのでついでに書いておこう。
「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」(西田幾多郎)
前後関係がいささか怪しくなるのだが、南禅寺、法然院、「サスペンスドラマでよく犯人が追いつめられる、ローマ風建築のところ」(「南禅寺水路閣」らしい)を通った。
石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と呼ばわった三門も見た。
(頭の中では「山門」と変換していた…)
「砂檀」の絵を皆さん夢中で撮影していたのは法然院らしい。
小さなフォークコンサートっぽいものをやっていたり柚子茶をふるまわれたりしたのは、どこだったんだろう?
今、あらためてガイドブックを見て、銀閣寺に行っていないことは確認できたが、安楽寺と霊鑑寺はどうだったか。
せっかくTさんが案内してくれたのに、不甲斐ない…
途中で、Tさんのお気に入りの店だという、お歳のいったご夫婦がやってる小さな版画屋さんに入った。
川瀬巴水などを愛好する大内くんがかなり夢中になっていたら、ご主人が版木などを取り出して見せてくれる。
小林清親という作家のものがとても気になるようで、何枚も見ているので、ちょうど壁に掛ける絵を探していることだし、折れないように厚紙入れてしっかり梱包してもらえば、今日はこのまま帰るだけだから大丈夫!と、1枚いただいていくことにした。
暗い色彩の中にオレンジが鮮やかに入った「新橋ステーション」の風景を選んでいた。
ご主人が梱包している間に、奥様が3人分のお茶を入れてくださった。
小さな椅子に座って、美味しいお茶を味わって、とってもいい休憩になった。
3センチ×5センチぐらいのマッチ箱のラベルのコレクション等も見せていただき、
「これ、全部、版画なんですか!」とびっくり。
「昔はね、こういうものも摺ってましたね。今は皆、印刷ですからね」とおっしゃっていた。
「お菓子も、持って行ってね。途中で食べて。お行儀悪いけど、外人さんたちは歩きながら食べてるから(笑)」と、お茶と一緒に出してくださったお菓子を奥さまが袋に入れてくれた。
あー、Tさんにあげて来ようと思ったけど、大内くんのリュックに入れたまま持って帰っちゃったなぁ。
食べよう!糖質制限でも、これは、食べる!
ご夫婦並んで見送ってくださり、
「これから東京へ戻られるの?今日は、混みますよ。切符は買ってあります?」と心配してくださった。
本当にどこも混んでますね!
そぞろ歩きを終えて車に戻り、京都駅の近くに移動して、予約してもらっていた「松粂」というお店でお刺身つきのミニ懐石をいただいた。
庶民的なお値段と雰囲気なのに、とても美味しくて、楽しめた。
昨日の「わらじや」の話をしたら、有名なお店だけど、やはり「コスパは良くない」のだそうだ。
「雑炊なのよねー。まあ、柔かいから、歳を取ったら行こうか、って友達と話してる」って。
「20時に閉まりましたよ。京都の店はみんなあんなに早いんですか?」と聞くと、
「そんなこと、ないない。あそこはね、お年寄り向けなの」とのこと。
Wくんはどういう基準でお店を選んだのか、ものすごく興味がわいてきた。
今日の道々でもずっと話していたこと。
Tさんは私が大学の女子寮に入った時、寮長をされていて、私を見送ってきた母とも会って、学食で一緒にごはんを食べてくれた。
母はその後ずっと、
「あのしっかりした寮長さんがいるところなら、あなたも安心」と喜んでいた。
しかし私は非常に態度の悪い寮生で、「デューティ」と呼ばれる掃除や門番の当番をサボりまくった。
デューティをサボった人は「ペナルティ」として新たに追加の当番が課せられる、それも平気でサボり倒していた。
卒業まで寮にいたが、あれほど大量のペナルティを抱えたまま涼しい顔で退寮した学生はいなかっただろう。
今思い出すと、顔から火が出る。
「卒業生たちに会って、あなたの話が出ることあるのよ。『ああ、あの、デューティサボりまくってた人』って、みんな、よく覚えてる」と笑われ、
「面目ありません。恥ずかしいです」と言うと、
「まあ、そういう人の方が覚えててもらえるものよ」とまた笑われた。
大内くんの大学のサークルに入って、そっちに入り浸っていて、全然自分の大学にいなかった40年前をまざまざと思い出す。
親への反発でいわば合法的な家出のように東京の大学に出てきたので、はじけ飛んでいたとしか言いようがない。
言い訳すれば、あの頃の私は「反社会的人格という深刻なビョーキ」を患っていた。
(「境界型人格障害」って言ってもいいけど、さすがにまわりがみんな引いちゃうからなぁ)
今からでも、迷惑かけた先輩や同僚のおうちを訪ねて、頭を下げてお掃除して回りたいぐらいだ。
体力ないんで代わりに大内くんにやってもらおう、とか思うところが、いまだにダメダメなんだろう。
「大学では、ディスカッションの大切さを教わった」と語るTさんは、寮時代に、特に「話し合い」の必要性を痛感していたようだ。
「お掃除をしない人がいる、迷惑だから出て行ってもらいたい、ではいけないと思った。その人にはその人の理由があるし、話し合って解決できることは話し合うべき」と言うTさんは、きっと態度不良の私もかばってくれていたんだろう。
Tさんがいなかったら、追い出されていたのかも。
思えば、同室の先輩だったRさんも、迷惑だと思ったことはかなり厳しく言う人だったけれども、
「これはあなたの自由だから」と黙って許してくれたことも多く、今でも姉御肌な性格のまま、公平に接してくれる。
大学の校風がそもそも自主・自律・自由なのだろうか。
卒業生の共通した性格として、他人のことに過剰な口出しをしない、他人の価値観を尊重する、理性と筋道を重んじる、といった傾向があるような気がする。
大内くんがよく感嘆して言う、
「キミの大学の、特に女性は、あまりにも冷静だ!」との言葉が多くを物語っている。
「ミスター大内にもお会いできてよかった。想像していた通りの、良いお連れ合い」とほめてもらい、大内くんも感激していた。
今回来られなかった友人と一緒に、また来年、彼女のリベンジマッチで京都旅行を企画すると思うので、Tさんまたよろしくお願いします。
次は、ご主人を紹介してくれるそうである。
大内くんをTさんに紹介できて、今度はTさんのご主人と我々が知り合いになれたら、樹村みのりが「わたしの宇宙人」シリーズの続編である「結婚したい女」という作品の中で描いているように、
「人類に、また知り合いが増えたという感じですね」となり、ステキだと思う。
そうそう、やっぱり私は何かと言うとマンガの話をしてしまうようで、Tさんにもよしながふみの「大奥」歴史観を語ったりしていた。
「面白そう。今度、読んでみるね」と優しく受けてくれる人でよかった。
同年代として、萩尾望都やわたなべまさこ、懐かしい!となってくれたし。
余裕を持って京都駅の近くで降ろしてもらい、あとは新幹線に乗れば一路東京。
駅は大変な混雑で、トイレに行っておこうと思ったら、女子トイレの列は軽く10メートル以上外に伸びていた。
早く来てたから全然間に合ったけど、大きな駅のトイレがこんなに混むなんて、まったく大変な場所に大変なシーズンに来たものだ。
のぞみに乗って指定席に座り、幸いすぐに販売カートが来たのでコーヒーを買ってひと息。
あらら、大内くんたら、コーヒーも飲まずに眠りこんじゃった。
いつもだったら揺り起こして旅の総決算をするんだが、さすがに気の毒なので、1人でぼんやり記憶をたどっていた。
思えば、着いたその瞬間からほとんどずっと、京都人の誰かと一緒にいた。
3人の友人に会い、誰もが、熱心にアテンドしてくれた。
家に招いてくれたEさん、30分も遅れたのにおごってくれたWくん、そして朝早くから車を出してあちこち案内してくれたTさん。
観光地に住んでいるため慣れているというのもあるんだろうけど、人のご縁を大切にする方々、と感じ入った。
Eさんはわりと最近の友達なので、まだ私は彼女にあまりひどいことをしていないと思うが、大昔の知り合いであるWくんやTさんには、絶対にすごい迷惑をかけ、ひんしゅくを買い、人間性を疑われていた時期があったと思う。
皆さんの、他人をとがめない豊かな人間性にも助けられているし、幸いなことに大内くんという心から支えてくれるパートナーを得て人格や生活が安定し、私の中にもわずかばかりはある良い面を他人様にお見せすることができるようになった気がする。
あと、大きいのが、ネットやSNSの発達。
20年以上日記を書いていられるのもそのおかげで、TさんやEさんはいつも愛読してくれて、「面白い!」とほめてくれる。
SNSを通して、自分のことや子供のことで悩んでいる時も、親身に寄り添い、励ましてくれる。
引きこもりだったこの年月、リアルに人と会えなくてもなんとかなる、この環境は本当にありがたかった。
秋の京都を訪ねるのがこれほど贅沢な行為だとは知らなかったが、皆さんのおかげで、ぼうっとするほどの良い経験を積むことができた。
正直、京都以外の土地の人間、特に「東京者」にとって、京都は怖い。ビビる。
「お江戸の人は、かなわんわぁ」
「へぇ、東京では、そない言わはるんでっか」
「ぶぶづけ」etc.
特に最後のひとつ「ぶぶづけ」は、
「もし、本当に『ぶぶづけでもどうだす?』と言われたら、どうするか。断るのも失礼な気がするし、かと言って、真に受けてぶぶづけをよばれたら、底のない礼儀知らずの田舎者の烙印を押されると聞く。どっちが正しい態度なの?!『心にもないことを言う京都人』と『裏表のない京都人』と、両方いるかもしれないじゃない!」とものすごい不安を抱く。
(これについて、京都の人にヒアリングを試みたところ、明るく言い切られた。「大丈夫!『裏表のない京都人』なんて、実在しません!」ぶぶづけは常に断っていいようだ…)
こういう不安を全然感じないで旅ができたのは、流暢な京都弁をしゃべる人たちがほぼずっと横にいてくれたおかげだろう。
軽やかないなし方、かわし方、踏み込まないで距離を保ち、なおかつ相手に対する真摯で温かい態度を堅持する、狭い公家社会で発達したのであろう京文化の神髄、を見せてもらった。
繰り返します。
Eさん、Wくん、Tさん、ありがとうごさいました。
東京でおもてなし返しできる機会を、楽しみにしています。
たった1泊なのに2泊3泊したと錯覚するほどの感動と思い出を抱いて、この秋の夫婦旅行は終わりです。
やはり、あれは名コピーだったなぁ。
「そうだ 京都、行こう」
あなたも、行こう。
18年11月30日
京都旅行記 後記
結局、帰ってきてからずっと寝込んでいた。
楽しすぎてくたびれすぎて興奮しすぎて、コドモだったら39度の知恵熱間違いナシ!
「さすがに疲れた」と言いながら毎日会社に行っている大内くんを、あらためて尊敬のまなざしで見ちゃう。
記憶が薄れないうちに旅行記を書こう書こうと思いながら、ベッドにこもりっきりでパソコンの前にも座れないので、ビビッドな部分は多少失われたかもしれない。
昨日あたりからやっと書き始め、FBに投げた短い記録を元に、私よりずっと記憶力の優れた大内くんに補ってもらったり、一緒に歩いた人に確認したり、ガイドブックにあたったりして、なんとか遺漏や矛盾のあまりないものを書き上げつつある。
Tさんが「おみやげに」とくれた「塗香(ずこう・手や身体に塗る、粉末のお香)」を腕にすりこみ、神仏に祈る真剣な気持ちで。
週末の更新に間に合わせようとしゃかりきになって作業していたので、
「渋谷に雲田はるこ展を見に行きましょう!」という素敵なお誘いを、泣きながら断るしかなかった。
「日記を書いてるので、お出かけできません」なんて、8月31日の小学生か!
あと30分で家を出て、大内くんと荻窪で待ち合わせて大田黒公園に行き、東京での「紅葉ライトアップ」を楽しむ予定。
マンガの締切みたいなこの修羅場感、いいなぁ!
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